sirusuima
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sirusuima · 4 years ago
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2021.4.24
ひとりになって1ヶ月が経った。約5年ぶりのひとりだ。
ひとりは時間がたくさんある。
思いっきり読書もできるし、仕事終わりも休日も全部わたしだけの時間だ。見たかったドラマもアニメもいつだって見れる。思い立ったらすぐどこかに出かけられる。スケジュール帳は全部わたしのためだけの予定で埋められる。
ひとりは人とよく会える。
女友達に事の顛末を愚痴ったり、数年控えていた男友達とだって二人で会っても罪悪感は感じなくていいのだ。マッチングアプリに登録しようが、意気投合した人とご飯に行こうが誰も��たしを咎めない。
ひとりは家が広い。
歯ブラシとスキンケア一式がなくなって洗面所はスッキリしたし、ベッドだって広々と使える。空いた収納の棚は新しく買った本で少しずつ賑わいを取り戻している。
ひとりは独語が多くなる。
「今日は暑いね」も「あの中古カメラ屋さん、店先で銀箱タダで配ってるよ」も「おやすみ」も伝えることができない。伝えるべき人を失った言葉は、小さな声で自分自身に聞かせることしかできない。
ひとりは誰の特別でもない。
今わたしが「誰か」と呼びかけても、必ず何よりも優先してその声に答えてくれる存在が、誰一人としていない。そしてわたしだけを求める声も、ない。
ひとりは寒い。
自分以外の体温と全く触れ合わない生活は、こんなに寒かったのか。
ひとりになって1ヶ月が経った。約5年ぶりのひとりだ。
このひとりは、いつまで続くんだろう。
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sirusuima · 4 years ago
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2021.3.7
 帰宅電車の中イヤホンを耳にはめて、Apple Musicを立ち上げる。
YUIのセルフカバーアルバムを見つけてダウンロードする。[.que]の新譜が出てる、昔よく聴いたなと懐かしくなりダウンロードする。今期見てるアニメの主題歌も配信始まってるからダウンロードする……。
そうして自分のライブラリにどんどん新しい風が流れ込み、知らなかったアーティストともどんどん出会う。
 学生の頃はまだウォークマンかiPodどちらを使っているかが話題になるようなタイミングで、新しい曲と出会うにはCD以外に道がなかった。
しかも学生は常に財布が軽い。ばかすかCDを買い漁る余裕なんてもちろんなかった。
そんな私達の学校では、新しい音楽との出会いのため逞しいやり方をしていた。iTunesの共有だ。(ごめんなさい)
とは言っても同期するわけではなく、Finderに入っている楽曲データから気になるものを拝借し合っていた。おかげで私の音楽の好みの少なくない部分は、この時代に友人たちのiTunesからやってきたものだ。
そんな中でも当時好きだった人はとても音楽が好きで、いろいろなジャンルのいろいろな曲を見繕っては共有してくれた。その人に教えてもらった曲を家で聴くときの胸の高鳴りは、もうこの先の人生で味わうことのない種類のもののような気がする。
 Apple Musicの「見つける」のタブに、その人が教えてくれたアーティストの新譜がポンと表示されていた。
そういえば、サブスク全盛期の今の学生さんたちはitunesデータの共有とかCDの貸し借りとか経験したことないのかもしれないと、新譜をダウンロードしながら思った。
もう誰も経験しなくなるだろう、在りし日の青春の思い出を懐かしみながら、ダウンロードしたばかりの新譜を聴きながら電車に揺られていた。
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sirusuima · 4 years ago
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2021.2.12
幕引きは本当に呆気無いと思う。
だけれど、あれが最後だったのかと思い返して理解する別れが世界に満ち溢れている中、「おしまい」が8月の太陽くらいに分かりやすい幕引きは、どこか清々しさがあるとも思う。
月を失ったような真っ黒な夜は、幕間ですでに過ぎ去ってしまった気もする。
あと1ヶ月だけ待ってくれれば3年8ヶ月だったのにと、どこか他人事のような気持ちで、佳境に入った物語をコーラとポップコーンを両手に眺めているようだ。
どうか、陳腐なラストにはしないでほしい。
明日の幕引きが、美しいものになりますように。
なんて自分を落ち着かせながらも、大どんでん返しの結末と、第二章への希望を捨てていない、手に汗握る私のことも許してやってほしい。
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sirusuima · 4 years ago
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2021.1.31
休職から数えれば約9ヶ月に渡るロングバケーションを経て、ついにこの1月から仕事をしはじめた。
ある程度心身に負担をかけることは覚悟の上だったが、職種を思いっきり前職から変えた事も幸いしたのか今の所非常に上々の滑り出しだ。
強いて言えば肩こりと眼精疲労がしんどいなくらいで、ちょうど一年前の自分の不調と比べれば絶好調といってもいいくらいだと思う。
この1ヶ月はもうカルチャーショックの連続だった。
休み時間や定時になると、それを知らせるチャイムの音と同時にフロア全体が業務を終了する。なんならチャイムが鳴り終わる前に身支度バッチリで颯爽とドアを開けて帰っていく人もいる。え?前職だったら定時過ぎてからが本番みたいな空気だったのですが…
研修や練習が業務時間内に設定されている。むしろもうやる事ないですよってくらいに時間の余裕もたっぷり組み込まれている。ええ?お持ち帰りの宿題も時間外の強制的な無給の練習もやらなくていいなんて…
「は?」とか真顔で言う高圧的な上司もいないし、メモ用のノートも文房具も完備だし、何を着ようが爪や髪が何色だろうが関係ないしそもそも服装の規定がどこを探してもないし、1時間のうち10分はきっちり小休憩だし、ノルマもないし、食堂はあるし、人数が多いからムラ社会的なコミュニティじゃなくて適度にみんな同僚に興味がないし、もう本当に挙げたらキリがないくらいには快適に過ごしている。
お給料が少し下がるのと通勤電車が少し混むのなんて、病まずに仕事をしながら生活できることを考えればお釣りがくるくらい小さなマイナスでしかない。
もちろん、自分の特性的に前職がミスマッチだったのはある。だからと言って職種を変えるのはやっぱり不安も大きかった。大学の専攻から離れることや所謂「華々しい」職から遠ざかることも、自分の中で整理をつけるのに時間がかかった。自分の劣等感にも向き合わなくちゃいけなかった。大学まで出してくれた両親への申し訳なさや、夢を仕事にしていく恋人に対しての不甲斐なさもあった。
もう全て消化しましたよ納得しましたよ、とは言えないくらいにまだ私は悩んでいるとも思う。それに今でも前職の夢を見る。もちろん嫌な汗をかいて起きる悪夢だ。
でも、何より今は、自分がまた働けていると言う事実がとても嬉しいのだ。
働きながら本を読んだり作品を楽しんだり、文化的な生活をおくれるだけの心身の余裕がある事が幸せなのだ。
これから考えなくちゃいけないことも山積みだけれど、今は、この1ヶ月を無事に過ごせたことを喜びたい。
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sirusuima · 5 years ago
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2020.11.03
今日、またひとつ、もう購入したくないと思ったブランドが増えた。
今までは、企業理念や広報PRの内容などで購入しないことを選ぶのは、企業に別に声が届くわけでもないし縛りプレイが増えていくだけだと思っていた。
もちろん不買によって消費者意識を反映させるという社会的な意義も前より分かる。単純に消費者を馬鹿にしていたり差別的な意識のところに金を落としたくない気持ちもある。
だけどきっと私が「もうここのブランドの物を使いたくないな」と思い、そしてもう購入しないであろう理由はそれよりも少し単純で、物には記憶も結びついてしまうからだと思う。
企業理念や広報などが、自分にとって合わなかったり、社会的に良くないだろうというものだった時に感じた気持ちは、物を使うときにちらっとでもよぎってしまうと思うのだ。
なら、物がいくらでも溢れているこの時代に、わざわざ嫌な気持ちを思い出す物を使い続ける必要はないと思ったのだ。物に罪はないが、代わりはいくらでもある。
せっせと来年から乗り換える手帳を探し、冬に履きたいタイツを探し直す夜だ。
夏から少しずつ本を読んで勉強してきた。まだまだ見識の足りない自分であっても、夏よりも見える景色が少しずつ変わってきた。同時に、毎日のように顔を出す絶望の塊にうんざりもしてしまう。ここは、こんなに生きにくいところだったのか。
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sirusuima · 5 years ago
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2020.10.12
最初に断っておくが、今回の話は汚い。
なるべくコミカルには書くが、生理現象が苦手な方はスキップしてほしい。
この世に生を受けて早四半世紀が経とうとしている。
目立った特技も個性もない私だが、便通だけはすこぶる良かった…一週間ほど前までは。
最初の異変は、硬さだった。
町のインドカレー屋さんに行くとほぼ必ずお腹が緩くはなっていたが、逆はあまりなかった。そう、硬い気がした。
でもまあ出るしと思って特に気に留めなかったのも良くなかった。
次に、出ない��ェーズがやってきた。
しかも厄介なことに便意は催すのだが、放ったらかしにしたが故にその硬さを増してしまった彼は、出口を通り抜けられなくなったのだ。
まあ翌日には出るだろうと思ったが、これがどうも出ない。その間にも彼の硬さは増しているようで出口は悲鳴をあげ始めた。水をいくら飲んでも出口の一歩手前まで達している彼に対しては無力でしかなかった。
出口の悲鳴が実際に私の悲鳴として上がり始め、腹痛と便意の合間を見て薬局に走った。
生まれて初めて立つ便秘薬コーナーの品揃えの豊富さに、世の中こんなに便秘に苦しむ仲間がいるのかと少し勇気付けられた。
コーナーの下の方に構えている浣腸薬にはお世話にならずに済みますようにと、出口の硬い彼をメインの効用としている箱を選んだ。(人生初の便秘薬は少し小っ恥ずかしく、リップクリームと袋麺も一緒に買った)
服薬しながら、彼との戦いを続ける。
自然と痛さで声が出てしまうので、これほど一人暮らしで良かったと思った瞬間は未だかつてない。
無宗教者でも神に祈りを捧げ、許しを乞うことがあるのだと知った。
母親が「陣痛は鼻からスイカというよりひどい下痢だった」と言っていたのを思い出して、この先の人生で出産することになったら痛みに耐えきれる自信がないと天を仰いだ。
子供も彼も出すという点で同じならばと、ラマーズ法で呼吸をしたりした。(佳境に差し掛かると催す感覚が短くなって、もしかして本当に出産だったりする?と訳のわからない思考に陥った)
そして服薬から1日半、その時はついにやってきた。
今までよりも、硬さに手応えがあった。いけるかもしれない。
もう半ばヤケクソで(クソだけに)、出口が多少どうにかなろうが出す方が先決であるとココ一番の勝負に出たのだった。
ここまで晴れ晴れとした気持ちは、前職の最終出勤日に敷居をでた瞬間に並ぶのではないだろうか。しかも無血開城。無論完勝である。
おそらく、急激な寒さでコーヒーやら紅茶やらばかり飲んで水分が足りていなかった事、食物繊維の摂取が少なかった事、初めての種類の花粉症薬を服用していた事あたりが重なって今回の悲劇が起こってしまったように思う。
絶対に繰り返したくないので家訓として末代まで便秘対策を伝えたいと思う。
ついでに救世主である小◯製薬の株も買おうと思う。
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sirusuima · 5 years ago
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2020.09.20
文化的な生活を取り��しつつある。
在職時、通勤と家での時間はほぼ睡眠と無気力に支配されていた。
読書など良くて1ヶ月に1冊読めばいい方だった。
休職から無職に至ったいま、数冊読んでみたあたりでスイッチが入り、気がつけば8月は10冊弱の本を読み終えていた。
(そもそも読書をしようという気持ちになれたことこそが涙が出るほど嬉しい。自分を取り戻したような気持ちだ)
元から好きだった文芸から派生して、最近は学術書にも手を出している。
これがすこぶる面白い。
自分や社会の理解を深めていく感覚が何よりわくわくする。ページをめくるたびに自分の知らなかった窓が現れて、見える景色がどんどん広がっていくような感覚だ。
無職の身で何を偉そうなことをやっているのだという少しの罪悪感もなくはなかったのだが、いまは、自分のこれからのものの見方や生き方を考える貴重な時間を過ごしている気もする。
そして今日も、新しい本をひらく。
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sirusuima · 5 years ago
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2020.08.14
植物を育てている。
昔は大抵観葉植物でもサボテンでもすぐに枯らしてしまっていたのだが、今回はどうにか長く生きてほしいと願いながら育てている。
一人暮らしも気がつけば3年半になる。
実家は歩いて5分だし、パートナーも週に1、2度は泊まりにはくるが、生活のベースはやっぱり1人だ。
抑うつをやらかしてからCOVID19も相まって、いわゆる社会から隔てられた自室での暮らしは軽く4ヶ月を越えた。
そんな私の家に迎え入れたのが、植物たちだった。
彼らは人間のように言葉も発さなければ、動物のようにてくてく歩いたりもしない。
喉が渇いても赤ん坊のように泣きもせず、しょんぼりと葉先をうなだれるだけだ。
だが、梅雨が明けた夏の燦々とした日差しにキラキラと葉を伸ばし、鉢から溢れんばかりに枝を茂らせていく。
昨日は小さな膨らみだった枝先から、今日は淡い緑の小さな葉が顔を見せていたりする。
そんな、静かながらも雄弁な彼らの生命の息吹が今の私には心地いい。
次の春にも、その次の春にも元気な緑を見せてほしくて多年草ばかり集めてしまう。
それは、彼らに水をやるという生きる意味でもあるのだと思う。
(でもやっぱり猫も好きだ。今日は昔私の姉をしてくれていた猫の命日だった。きっともう猫を飼うことはないけれど、もう一度彼女を抱っこしたいといつだって思う。)
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sirusuima · 5 years ago
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2020.07.07
晴れて無職になって一週間が経った。
そう言えば自分は変なところが楽観的だったのを、このご時世にとりあえず無職になる道を選んだ事で思い出した。
休職し始めた時、担当の医師に「回復すれば自然と働いてみようかなと言う心持ちになってくるので焦らず養生しましょう」と言われた。
その時は、あんな地獄のような環境にまた陥るかもしれないのに、もう一度働く気持ちに自然となるなんて絶対にないと内心思っていた。
そんなこんな休職も2ヶ月ほど過ぎ、外は暖かくなりプランクが40秒2セットにまで進歩した頃だった。
休職しようがコロナ禍だろうが、引きこもってあつ森をしようが腹は減る。
食材を買いにスーパーに寄った帰り、携帯ショップの店員さんがふと目に入った時「働いてるのいいな、私も何か働きたいな」とふと思ったのだ。
その自分の心の動きに自分自身が一番驚いたし、何よりも嬉しかった。
そしてその瞬間にきっと私は退職する決意をしたんだろう。
労働はお世辞でも世間体でも非日常でもなかった。
自分にとって生活と心と金銭のバランスをちゃんととれる場所で働こうと思う。
働くことは生きることと直結しているからこそ、持続可能な選択をしたいのだ。
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sirusuima · 5 years ago
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2020.6.6
休職して2ヶ月程が経った。
身体的な不調はだいぶ改善した。おかげで眠れない、吐き気、めまい、動悸、生理不順、荒廃した食生活、泣くなどが慢性的に続くことは異常だと今ならよく分かる。同じような方は明日の朝職場に連絡をして即休んで欲しいと願うばかりだ。
最近はやっと少しずつ前向きな生活をおくれたりおくれなかったりしながら過ごしている。
目に見えて成長していくことが楽しく、宅トレを一番続けられている。
この前まで30秒2セットが限界だったプランクが35秒2セットでも耐えられるようになった。小さな達成感と成功体験がとても嬉しいのだ。目指せ1分2セット!
勢い余ってちょうどセールをしていたマイプロテインで4kgほどプロテインを購入した。これでしばらくはタンパク質に困らない毎日。
あと、にんじんの水耕栽培を始めた。
とは言ってもそんなに大それたものではなく、サラダにした時に余るにんじんの頭を手ごろな皿に水を張って突っ込んだだけである。
それが、恐ろしいほど、伸びるのだ。にんじんのために窓を開け、水を変え、ぼーっと眺めたりもしている。部屋に自分以外のちょっとした存在がある事が心地いい。明日はどれくらい伸びているか楽しみに床につくようになった。
そんなこんな、リハビリ中の生活。
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sirusuima · 5 years ago
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2020.4.23
虹を見たのは、何年ぶりだっただろうか。
洗濯機を回しながら、ふと窓の外を見ると狐の嫁入りだった。
影の景色にだけ、チラチラと水滴が反射している。
バルコニーの床はまだら模様に空の青さと雲の黒さを反射していた。
洗濯機が軽快な音楽を奏でる頃には、それも止んでいた。
白く大きなTシャツをパンっと広げる。
青空に映えるTシャツをかけながら、遠くのビルの群れを眺める。
その手前に、悠々と大きな虹がかかっていた。
前に虹を見たときの記憶が引っ張り出せないくらいには、久しぶりに見た気がする。
大人でも、虹を見ると少しラッキーな気持ちになるものなのだとは知らなかった。
虹の写真を撮り、パートナーに送った。そちらでも見えていますか。
気を取り直して、洗濯物籠から空色のジーンズを手に取る。
中身のなくなった籠を手に振り返ると、またチラチラと雨が舞っていた。
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sirusuima · 5 years ago
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2020.4.4
今こそ、繋がろう。
STAY HOMEが必要とされている今、私たちは、あっけなくひとりになりやすい。
家の中、ひとり。
いつ終わるのかも分からない未知の恐怖に、世界が、ひとりひとりが、直面している。
ひとりでこの日々を乗り越えるのは、心がとても苦しくなるだろう。ひとりぼっちでは心健やかに生きられないから。
家にいるのなんてストレスがかからないと思っていても、知らず知らずのうちにダメージが蓄積されている。私たちの今までの生活が、「繋がりやすさ」に重きを置いて発展してきたことを考えれば、多かれ少なかれの程度に差はあれど、私たちはひとりだけどひとりぼっちでは豊かに暮らしていけないことが容易に理解できると思う。(ひとりになりたいという願望も、ひとりになかなかなれないほどの繋がりに満ちた世界であることの裏返しだ)
���んな私達が、今直面しているひとりぼっちになってしまう危機。
それを少しでも救うのは、今まで築き上げてきた「繋がりやすさ」を介した「文化」ないしは「芸術」、「表現」たちであると私は痛感している。
新日本フィルハーモニーが公開した、テレワークオーケストラによるパプリカの演奏。学校や幼稚園などから切り離されてしまっている子供達を、その分仕事に行くこともままならなくなってしまったであろう親御さんたちにとって、馴染み深い曲を演奏してくれたこと。ほぼ全てのパートが揃うその映像は、オーケストラのファンの方にとっても楽しめるものだったであろう。
星野源がコラボを提案しアップした「うちで踊ろう」。続々と有名無名関わらず、また音楽だけに限らずダンスや映像、イラスト、手話と本当に様々な分野の人が彼の音楽に合わせて自分の表現を重ねている。二度病に倒れ死の淵に立っている彼の歌う「生きてまた会おう」の言葉は、重たくも心強い。
ジャニーズの様々なグループによる無観客ライブの配信と手洗いソング。
佐藤健の「調子はどう?」や土日のお家で通話企画。
手持ちのコスメの色紹介企画。
家でできる春を感じられる料理のレシピ紹介。
整理したら出てきた写真大放出の時差投稿。
積ん読していた本を家でゆっくり楽しむ。
お家でファッションショーの動画を撮る。
配信サービスで映画や音楽を鑑賞する。
そのどれもが、誰かに宛てた発信か、誰かの発信の受信であるのだ。それは、「文化」や「芸術」「表現」を介して、会わずして関係を作っている行為そのものだと思うのだ。
テレワークという同時性の強いものや、コラボ動画にして投げ返す比較的レスポンスの早い繋がりの場合もあれば、数十年前の映画を受け取るという長い時間を介した関係性の場合もある。
レスポンスの早さに違いはあれど、様々な受信と発信をみんなが今の家にいる中で行なっていて、それが心の健やかさと豊かさを保っている。
たとえ実際に触れ合うことができなくても、私たちは繋がるためのツールを持っている。今までのface to faceの関係とは少し違うかもしれないけれど、ひとりでいながらひとりぼっちにならない術を、みんなが懸命に探している。ここにいるよ、みんなもそこにいるでしょう、と発信と受信が繰り返されている。
だからこそ、今こそ、ひとりで、家にいながら、繋がろう。
私たちはひとりぼっちじゃないからこそ、今はひとりになろう。
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sirusuima · 5 years ago
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2020.4.2
知り合いではないのに、妙な仲間意識が勝手に芽生える場所があった。
それが私にとっては、中高時代の電車通学だった。
当時私が利用していたのは、満席にならないくらいの下り方面の各駅停車だった。
いつも同じ時間の電車。いつも同じ扉から入る。いつもだいたいその扉の近くの席に座る。
朝なんて大抵は他の方も通勤か通学で使っているのだろう。しばらく使っているうちに、よく見かける「いつもの人」が増えていった。
平日なのに制服姿のいつものお姉さんがいないと、寝坊かな、体調崩してないかな、と勝手に不安になった。
新聞を読んでいるスーツ姿のいつものおじさんや、ぼんやりと車窓を眺めるいつものお兄さんもいた。
年度が変わるタイミングで、何人かいつもの人がいなくなって、そのうちいつもの人になるだろう見慣れない顔が増える。
決して誰とも話すことはなかったけれど、不思議な安心感があった。
もう今はあの時の駅も電車も使っていないけれど、きっと、あの当時のいつもの人たちの大半も今は使っていないのだろうけれど、あの時、確かに私たちは現代社会における薄い薄い顔見知りだったと感じる。
彼らも今、新しいいつもの生活を健やかに過ごしていることを、勝手に遠くから願う。
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sirusuima · 5 years ago
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2020.3.25
「自分で自分の機嫌と健康を守る」がこの1年で得た目標です。
いくら近しい人でも他人に依存せず、自分で自分を守って豊かに暮らしていきたいものです。
以下、私のご自愛リストです。
【短時間でできること】
・イヤホンで好きな音楽を聴く
・温かい飲み物を飲む
・窓をあけてギターを弾く
・部屋のゴミをまとめて捨てる
・日記と手帳を書く
・お風呂上がりのストレッチと筋トレ
・香水をつける
【ちょっと時間がある時にやること】
・好きなライブDVDを見る
・ネイルを塗りなおす
・カメラを持って散歩に出かける
・近所の好きな喫茶店に出かけて読書をする
・バチクソにおしゃれしてデパートにコスメ買いに行く
・岩盤浴でこれでもかと汗をかく
・美容院で髪を整える
【やりたいこと】
・旅行(泊まってみたい宿を日々書き出す)
・ホテルのアフタヌーンティーに行く
・部屋の模様替え
・あつまれどうぶつの森(Switch持ってない)
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sirusuima · 6 years ago
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2019.5.22
この春から、朝と晩にバスに揺られる生活をしている。
なんとも厄介なことに途中に開かずの踏切があるおかげで、晩は15分で済む道が、雨の朝なんかは1時間かかる。
最初は予定の時間に間に合うかヒヤヒヤして毎朝なかなかのストレスだったのだが、さすがにひと月も乗っていれば時間もなんとなく読めるようになってきて焦らなくなってきた。
毎朝どうしても生まれてしまう、バスの座席に座っているだけの時間。最初はなんとなくツイッターを開いて、インスタを開いて、またツイッターに戻って、そういえば今日は週間占いの更新日だからチェックして...とスマホをぼんやり眺めて時間を潰していた。ただただ潰れた重い真っ白な時間だけが積み重なっていくような気がした。
悲しいかな、この春から自由に使える時間がすこぶる減った。そんな中で完全に自由というわけではないけれど、誰のものでもない貴重な自分の時間であることも確かだった。それなら、もっと、楽しい時間にしたい。時間を潰すんじゃなくて、時間を豊かにしたい。それにどうせ毎朝訪れる時間なんだから、今の自分に習慣づけたいことをするのにもってこいだと気づいた。
そして始めたのが、読書である。
幼少時代は読書好きだったのと、手が伸びなかっただけで読みたい本は溜まっていた甲斐もあって、始めてみるとこれがなかなか楽しい。まだ着かないのかと憂鬱になっていたのが嘘のようだ。待って、今いいところなのにもう着いちゃうの?と時間が一瞬で過ぎていく。毎朝直方体の小さいバスの中にいるはずなのに、本の情景に合わせて全然違うところにいるみたいだ。毎朝少しづつ、彩り豊かな自分の時間が積み重なっていく。
最初はあんなに嫌だった長い朝のバスに揺られる時間が、今は楽しみにしてさえいる。自分のほんの少しの意識と行動で、こんなにも感じ方が変わるなんて。
明日は何を読もうか。明日はどう時間を使おうか。明日はどう生きようか。
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sirusuima · 6 years ago
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2019.3.6
ボールペンを使った後にキャップを戻さないで放置するのは、元は彼女の癖だった。
待ち合わせの時間にだいたい近い電車に乗って現れるのも、元は彼女の癖だった。
ラインはとりあえずまず開けて読んで、返せる時に返すのも、元は彼女の癖だった。
「今日は、海に行こう」とさらりと言えるフットワークの軽さも、元は彼女の癖だった。
ほんの些細な時でも手紙の書き置きを忘れない心遣いも、元は彼女の癖だった。
相手のことをいちばんに思って優しさに溢れているのも、元は彼女の癖だった。
わたしには、とても素敵な友達が一人いる。
彼女とはこの春で11年目の付き合いになる。
彼女の小さな癖が、気づけば自分にもうつっている事に最近ふと気がついた。
いつまでも、わたしも彼女に知らず知らず明るい癖をうつしてしまうような人であり続けたいと、切に思う。
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sirusuima · 6 years ago
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2019.1.3
バンドを組んで4年になる。
主な活動はハードロックカフェでのご飯会と散歩、そしてアー写の撮影だ。
つい先日、バンド結成以来4年ぶり3度目のミーティングをしてきたところだ。
単純に言えばエアバンドなのだが、なかなか楽しいバンドである。
メンバーは普段のコミュニティはほぼかすりもしない4人。個々で会うにしても年イチあるかないかぐらいだ。そんな毎回が「久しぶり」で始まるこのバンド活動は、慣れきった日常やがっちり固まった人間関係に風穴を開けてくれる。あの頃の自分を思い出させてくれる存在でもあるのだ。
こんなまさかな組み合わせの関係が、ゆるく長く続いていったりするのかもしれないと何となく思う。もしかしたら、本当にハードロックカフェ全世界ツアーしちゃったりしてね。
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