Text
今日のあり
仲間をくわえてどこかへ
弱ったクモに襲いかかり攻撃しようとしたらクモの足のギザギザか網に引っかかってバタバタ
オレンジ色の透けたような色のあり、腹部にはおそらく二本の線、一本が黄色っぽい
ざ、あり。真っ黒(小)
朝は、ざ、あり。真っ黒(中)
0 notes
Text
名前を残したいしたいという願望
歴史に名を残したい願望はどこから生まれるのか。名を刻まれた瞬間の興奮のためだろうか。でも、残したい。というのは残しても死んでいたら残し加減は自分では確認できないわけだから、なぜ残す必要があるのかがわからない。残して、それによって自分の子供達が誇りに思ってくれたら子供達がいい子に育つからか。いや、残した名を、確認できる手段があるからか。つまり、輪廻転生のように。残して、違うものに生まれ変わって、その名前を確認して高揚する。いやいや、転生しても意識の中に前世がはっきり現れていないと、それが元自分だとはわからないから高揚しようがない。
やっぱり名前を残したいのはなぜだろう?
0 notes
Text
似せ絵・後白河天皇・武士
存命中の似せ絵は忌避されていた。二つの理由からか。①生きている人間を描くことへの抵抗感。(それまでは死んだ後に描かれていた。)②人物が特定されてしまうから。
しかし、平安末期、記録に対する関心が高まっていった。後世にどのように自分の栄光を残すことができるか、ということに関心が集まった。例えば絵巻物もその時代に登場している。絵巻物は六波羅探題への訴訟の証拠として有効に働いたという例もあるように、絵ではあるが、実際の出来事の記録として力を持つようになってきた。なぜ記録に関心が傾いていたのか。末法思想との関連はあるだろうか。天災が多かったことなど。平安末期は多数の仏教関連の建築や仏が作られているが、その数は圧倒的。信仰が物量的になっている。武士も登場してくる。写実。繋がりそうで繋がらない。
単純にすごい絵師が現れ��。とか、すごい武士(清盛とか)が現れて、その影響力で時代が動いたのか。
0 notes
Text
名もなきおじさん達の眉唾名言
Don’t lie to yourself.
状況:仲の良い友達30代前半の発言。僕の描いた絵を見て。絵心はもともとない。適当な落書きみたいな絵だった。(本気を出してもあまり上手くはかけない)
解説:あまりに下手だったから、下手なくせに画家ぶって絵など描いて、自分に嘘をつくな。ということだろう。
0 notes
Text
大量消費され続けているのは実は”イメージ”なのではないか
備忘録。
若い人はタバコを吸わなくなった。
それは、イメージがよくないから、言い換えると、タバコを吸うというイメージが使い古されたからだ。別に味覚が変わったわけではない。
恋や希望といった歌詞が歌謡曲から消えた。
それはイメージがよくないから、言い換えると、夢や希望というイメージが使い古されたからだ。恋や希望は昔からないし、今もないし、両方昔から今も形を変えて有るとも言える。
グアムへの旅行客が減った。
それはイメージがよくないから、言い換えると、グアムというイメージが使い古されたからだ。別にグアム自体はさほど変わっていない。少し海は汚くなったようだが。
大量に消費されるのはイメージだ。イメージがつく。とは、「物」に「映像」が結び付けられることだろう。「タバコを吸う男」という言葉に映像がすでにたくさんついてしまった。もうこのイメージは使えない。つまり、「男」と「行為」��使われていないものを提供すべきなのだ。要するにそれだけで、中身はなんでもいい。使い古されていないか。それが肝心なのだ。女性はその辺りを本能的にわかっている。「山ガール」や「���像女子」など常に新しい「人」プラス「行為」の組み合わせを生み出す。ロランバルトが日本は記号の国だといったそうだが、これがそれなのだろう。中身はなんでもいい。イメージが固定しない間は賞味期限内だ。イメージが固定した途端、それは価値を失う。つまり、価値が生まれるものは「まだイメージがつききっていない、流れて漂っている最中の【人+行為(もの)】の組み合わせ」ということができるだろう。
使われていない、行為と人の組み合わせさえ見つければ、大丈夫だ。
最近だと「縄文女子」「古事記女子」「草食男子(はもう古いか)」「DIY女子」など。それができるかどうか、素晴らしいかどうかなどはもはやどうでもいいというか、素晴らしさや価値は流動的で、要するに人が集まるところに価値があるという考え方なのだろう。
コスプレ天国、日本。
悪くない。
そこで、一つ考えてみる。本当になんでもいいというのは本当か。
「ホームレス女子(あ、そういや去年ホームレス男子に会った)」「放屁女子」「スポーツカー女子」「氏子男子」「祭り女子」「土木女子」「虫取り女子」「ココナッツ女子」
愛はまだ行けるか。イメージがつききっていないか。いやもう限界か。無はどうだ。まだつききっていない。つききっていないうちはまだ行ける。結婚はどうだ。もうすぐ賞味期限か。夢はどうだ、まだ頑張っている。なんとかか。勤勉には終わりが来た。残った言葉たち。頑張れ!いや頑張るな。時が来たら静かに休め。お疲れ様でした。今までありがとう。
0 notes
Text
一人と二人
完全に思いつきのドラフト。備忘録として。
一人でいる時の自分と、二人でいる時の自分、まるで違う。
なんて当たり前のことを。と言う人は多いだろう。
態度が変わるとか、喋り方が変わるとか、そういう表面的なものではなくて(もちろん��れもあるけれど)、もっと心の波動的なものが引いたり押したりされて、かなりの影響を受ける。ということ。無意識部分の話。
良い悪いでは決してない。(それはわからない)
人が近くにくると、原子としての自分はその人と合わさって分子になり、振る舞いが変わる。という感じのことが言いたい。
月と地球の関係の方が、例えとしてはいいかもしれない。
満月の時に潮が激しく動くように、誰かの存在感が強ければ強いほど(距離が近ければ近いほどといってもいいだろうか)、心の波は激しく満ち引きする。良い悪いはない。満潮がいいとか、干潮がいいとか言えないのと同じように。
0 notes
Text
プライドと劣等感
私が何をやってもうまくいかないのは、きっと自分に自信がないからだと言う人がいた。
つまり、劣等感を持っている、と言う申告なんだと思う。
ただし、その言葉を聞いた時の自分の印象は、ん、なんか変。と言うものだった。劣等感を持っているようには思えなかったからだ。むしろ真逆で、うまくいかないのは、自尊心が高いからじゃないか。と思った。その人は、嘘を言っているわけではない。性格から察するに、一生懸命に自己分析をして、答えを出したはず。だから、よくある、相手に尊敬していますと言いながら舐めた態度をとる人とか、相手を天才とおだてながら失敗を願っているようなタイプの裏腹さとはまた異なるタイプの問題だ。ただ、気づいていないのだと思う。
また、逆に、このようなこともある。やたら喋る人。頭が良く、弁も上手で、ユーモアもある。実際にものすごく有能な方ではある。こういう人にはしばしば会うけれど時々その人を見ながら、なんでこんなに自信がないのだろう。と感じることがある。喋り方とかは完璧で自分の成功を巧みに隠しながらアピールしてくるこの有能な人の背後に、自信のなさが見て取れる。
この真逆の二つの状況で共通する根本的な問題は、おそらく、「無意識」の部分だ。
最初の人の出来事自体は2年前くらいの出来事で、そこから事あるごとに、このことを思い出し、なぜこんな現象が起こったのかを考えていた。それから2年後2019年2月末、神話学入門というカール・ケレーニイとユングの共著の中でユングが、「無意識的保障作用的な劣等感は意識的な誇大妄想と、また意識的な劣等感は無意識的な誇大妄想とそれぞれ一致する(他方がなければ決して一方もない)」と述べているところで、閃いた。おそらく、これが原因だ。
これを自分なりの言葉で表現すると、順風満帆で理想に近づき、どんどん自信をつけていく自分、しかし「本来の自分」は本人は気づいてはいないかもしれないがそんな自分ではない。そこで本来の自分に��すために、無意識部分にどんどん劣等感を育てていく。その劣等感は無意識中に存在するため、なかなか自分で気づくことは難しい。
最初の例だと、自分なんてどうせと劣等感を意識的に植え付けていくほどに、「本来の自分」は、いやいや待て待て君はそんなに悪くない、むしろ本当に素晴らしいんだと、プライドを無意識の中にどんどんと育てていく。
こういうことなのではないだろうか。
もっと簡単に言うと、
中庸、振り子の原理、波、いいことがあれば悪い事がある、光と影(ただし光がいいと言うわけではなく、見えているものが光)と言う事だろう。
無意識があると言う発見はすごい、と言うのは聞いた事があったが、確かにこう考えると、すごい。まあ仏教だけではなく東洋の偉人たちは遥か昔から体感していたことではあるけれど。
0 notes
Text
料理と読書
素材の味そのままを楽しみたい。
そういうと、いかにも感性豊かな人のようで、聞いている方も負けじと、うん、確かにその通り、オーガニックで薄味が一番だとかなんとか雪崩式に、思いもしない事まで口にしてしまうことは時々あるもの。
とは言え私たちはみな欲深きもの、濃い味が大好きだ。また、素材そのもの、などというけれど、本当に純粋な素材とは一体どこまでの状態のことを言うのだろう。環境の変化の影響からは誰も逃れられない。野生の生き物だろうが、環境の変化の結果、止むを得ず食いたくないものを食っているかもしれないし、飼育された豚は本当は食いたくもない餌を嫌々食ってるかもしれない。何かと何かを手探りで配合されて誕生した劇的に甘いみかんをオーガニックで育てようが、それがなんだと言うのか。動けぬことが災いしてまずい肥料を欲しくもないのに与えられたトマトは、人間の食卓に運ばれ、何も味付けされず、「素材そのものの味を。。」などと耳にしながら人間の胃袋に消えていく。
どこまでが素材なのか。素材そのものの味とは、そうした人間の欲や、不自然な品種改良や、金銭のための囲い込みによって生み出された素材そのものを、爽やかな文句で包装して売られている中身。ということもできる。そうであれば、いっそのこともっと味付けしてもっと肉体を喜ばせてやってもいいものじゃあないかとやけくそになったりもするが、まあ確かに薄味の方が健康にいいのは確かなのだろう。なんとなくだけど。ストレスをためながらの薄味と、ストレスフリーのこってりだとどっち��その人のためになるのだろう。誰もわからないのではないだろうか。
そんな具合で、料理だけど、基本はやっぱり、”合体”ということになるのではないだろうか。ただし、例えば、そのままのじゃがいもと、そのままの玉ねぎの合体。これを食すとすれば、まあまずい。そのまま食えばもちろんまずいが、皮をむいて洗って、切って、混ぜて食っただけだとやはりきっとまずい。加熱は必要だ。焼いた芋と焼いた玉ねぎを食う。まあ悪くないだろうが、それでは合体していない。合体の場所を口の中で同時に行うべきであるから、加熱したものを切る。千切りで行こう。細く切って口の中に入れて中で混ぜ合わせる。きっと悪くない。ただ、それならば、別々に食ってもさほど変わらない。まず芋を食って、芋を楽しんでそのあと玉ねぎの味も楽しめば、それで幸せだ。
しかし、そこに「つなぐもの(0.5)」があると、1+1+0.5=時に5にも10にもなるわけで、それこそが料理人の醍醐味なのではないだろうか。芋1と玉ねぎ1を塩0.5で提供する。今、塩の存在を空気みたいに扱っている我々からするとそれは別に格別の変化ではないだろうけど、初めてその組み合わせで食べた人からすると、衝撃だったに違いない。1+1+0.5=100くらいになったかもしれない。という感じで、この0.5をどんどん極めていく。人間同士の合体でいうと、その場の雰囲気づくり、ムード、甘い言葉、前戯、などが0.5にあたるのだろう。ここを極めていきさえすれば、まあ同じ相手とでも飽きはしないのだろう。だからやはり、これだけ食材が多い世の中だと、空芯菜のようなただ一つの食材だったとしても、料理として完成するには無数の方程式があるわけで、そうなるとまあ一生空芯菜でいいかともなり、一生同じ相手と添い遂げようかともなるわけである。
で、なんの話かあまりわからないけども、読書だ。
読書は料理とほぼ同じである。素材そのものを楽しむ。つまり一冊だけを読む。本当の本当に一冊だけを読んでいる人間などいやしない。一冊を読みながら、人は今までに得た知識や、経験などを足していってるわけである。つまり1+0.5をずっと頭の中でやっているわけだ。その0.5には例えば、想像力(空想力)も含まれるかもしれない。言葉を情景として思い描くことが人よりも得意な人は1+0.7くらいになるかもしれない。またあるいは、たくさんの経験や知識、感性があれば1+0.5+0.5+0.2という感じでどんどん足していき解は大きくなるだろう。ということでもちろん、前提の知識や経験や感性があったほうがいいことは間違いないが、それがあるといい他の理由として、数冊の本を同時進行で読めるということもあげられる。1+1ができるわけだ。1+1+1(三冊同時読み)でもいい。三冊の合体にちょうどいいスパイス(知識や経験や感性)を頭の中の引き出しから加えて見事に、素材を料理に変えることができる。
だから、問題は味付け(感性、知識、経験)だ。
0 notes
Text
PL-0014-m ダガシッキの一族
出典:パラオの神話伝説 土方久功(1930年代に採集)
昔大きなカシボクー(海鰻)がいて、尾がガツパンの船着き場にあるのに、頭は遠く遠くダガシッキ(おそらくポナペあたり)と言う島まで届いていた。
ある時一人の婆さんが薪取りに行って、間違ってその尾を割って持ってきたところ炊いても燃えない。食べてみると魚だったので、また行って尾を切った。それでそのうなぎが死んだ。すると頭にたくさん蝿が来て、山のようなうじができて汚くて耐えられないので、ダガシッキのものは逃げてペリリョウに来た。
ホレヨルのタカムディン、カミリヤンガルのリロウ、キコイ、ムゲヨルツ等の家のものはダガシッキから来た一族の末裔である。
(別伝)
ダガシッキの娘がシャコガイの中にいるガッツミラ・キコイ虫を取って育てたところ、水入りに入り切らなくなったので船着き場に離してやった。するとどんどん大きくなってカシボクー(海鰻)になった。
あるときその海うなぎが女の子を一人飲んでしまった。そこで村のものが怒ってこれを釣り上げて殺した。するとそれが腐って蝿が出て、村中蝿ばかりになったので村のものは逃げてペラウに移り住んだ。
ゲユングルのリミルク家、ガッツモンのウルワル家、デスベダルのガルキッテレル家のものは皆このダガシッキの一族である。
0 notes
Text
PL-0013-m 太陽探し
出典:パラオの神話伝説 土方久功(1930年代に採集)
ペリリョウのガルケユックルに三人の男がいて、ある時太陽の果てを探しに行こうと行って、カヌーに乗って出ていった。この三人の名は、ガダルコロイ、オコロムケヂュイ、エダラといった。
三人はどんどん行くとついに一つの島にたどり着いたが、その先は行き先が2つに分かれていて、一方にはブルソホヨ(蛇)だのカシボクー(海鰻)だのいろいろ恐ろしいものがいたので、三人は他の方に登っていった。登っていくと島の頭がどんどん上の方に伸びていく。下を見下ろすと蛇共がいるので三人は仕方なくどんどん上の方に登っていくと、ついに天まで行ってしまった。
するとそこにウヘル・ア・ヤングツという神様がいて、三人を一つの家に連れて行ってくれたが、神様は三人に向かって、ある一方の窓からは決して外を見てはいけないという。けれども三人は言うことを聞かないで神様の留守のときにその窓から外を覗いてみた。すると下の下の方に、ア・ゲヤウルからペリリョウまでも一目に見え、自分たちの故郷のガルケユックルの村の有様が何から何まで見えたので、三人はもう一途に帰りたくて帰りたくて仕方なくなった。ウヘル・ヤングツが帰ってきてみると、三人のものは目に涙をためて打ち沈んでいるので、すぐに三人があの窓から外を覗いたことを知って三人に問いただした。
三人は仕方なしに、あの窓から覗いたことを話し、どうにかしてもとの村に返してくださいと神様に願った。ウヘル・ア・ヤングツはそんなに帰りたいならば帰してやろうといって、三人を大きな竹の節に入れて、天から下に投げ落とした。竹はガルケユックルの前の海に落ちた。今も底は深く凹んでいる。
村のものがこの流れ竹を見つけておので割ろうとすると、中から声がして、俺達がいるから静かに割ってくれというので、村の者たちはびっくりして手を引いた。そして今度は丁寧にそっと割ってみると、中から三人の男が出てきたので、この三人の天から降ってきたものを、村のルバク(長老)にした。
その割った竹は流れてガラカベサンの島に流れ着いたので、ガラカベサンは今のようにたくさんの竹が生えた。そんなわけで、ガルケユックルのものに限って昔から、ガラカベサンの竹を黙って切っていく権利が与えられているのである。
この三人が行った島が、メタン・ガラ・オゴスの島であるとも言う。
(この話はまた、次のようにも伝えられている。)
ペリリョウ島の話である。
昔幾人かの若者が集まって、何かと話をしていた。夕刻になって真っ赤な太陽が水平線に落ちかかった。一人のものが言ったー一体あの太陽はあのようにして毎日海の向こうに沈んでいくが、どこへ行って、そしてまた朝になると東から出てくるのだろう。
それから若者たちはいろいろと想像を述べあったが、結局わからなかった。そこで一人が言った。なんだ、こうしてお互い勝手なことを言い合っていたって、つまり知らないものはわからない。それよりもあの西に行く太陽を追いかけて見てはどうだろう。そしたらきっと太陽がどこに行くのかを見られぬことはあるまい。
そこで二人のものが二艘の船で、沈む太陽を追いかけることになった。だが二人の船が追いつかぬうちに、太陽は静かに沈んでしまって、夜が来た。
そのうちに空模様がたちまち変わって、墨のような闇に嵐が来た。二人の船は流されてついにある日一つの島に流れ着いた。二人の若者は疲れて精も根もなく、そして空腹に耐えなかった。とこの島に二人の大変な老人がいた。私達はお腹が空いていますが、なにか食べるものはないでしょうか。すると爺さんは二人の前に小さな少しばかりの食物を持ってきた。若者はただ一口にそれをたべてしまった。
ところがふと器を見ると、前と同じような食物が入っている。いくら食べても器にはいつも新しい食物が入っている。結構いただきました。今度は水をいただきたいのですが、老人は小さな器にきれいな水を一杯ずつ若者の前においた。若者が一口にその水を飲み干すと、器の中にはまた元の通り水が入っていた。そうして若者たちは十分に食べ、存分に飲むことができた。二人は驚いて顔を見あせた。
そこで二人は一人づつ老人を自分たちの船に乗せてペリリョウの島に帰ってきた。
ガルケユックルで老人は持っていた杖を地に投げた。するとそこに竹やぶが生じた。(ペリリョウには竹がない。今もガルケユックルに少しばかりあるだけである。
0 notes
Text
PL-0012money-3 マッツルクライの話
出典:パラオの神話伝説 土方久功(1930年代に採集)
マッツルクライと言う女が罪を犯して酋長の怒りを買って逃げていったが、酋長はたくさんの村人を駆って彼女の後を追ってきた。彼女は腰蓑をかなぐり捨てて首に唯一大きなウドウドをつけて立ち向かい、殺すなら殺せと言って済ませた。すると酋長は黙ってそのウドウドだけを取って帰っていった。
0 notes
Text
PL-0011money-2 オホランガルの話の終わりに
出典:パラオの神話伝説 土方久功(1930年代に採集)
メレケヨクの酋長の子、オホランガルはホレヨルの酋長家に養子婿にやられたが、元来大変な乱暴者だったので、養子先のホレヨルでも散々に乱暴を働いた。それでホレヨルのものはついに彼を殺そうと図ったが、彼はそれを知ると女房から大きなヘルブフブを二つ出させて、密かにメレケヨクから呼び寄せた船に乗って逃げて帰った。メレケヨクでは村の者たちが集まって大事だと行って協議をしていたが、オホランガルは酋長レクライのそばに座り、彼の手籠に件の大きな金を二つ入れて済ましている。レクライはこれを見て村人をいいようにあしらって帰し、オホランガルの罪を許した。
0 notes
Text
PL-0010money-1 デレベルソルスの話
出典:パラオの神話伝説 土方久功(1930年代に採集)
デレベルソルスの話の終わりに、
ケルレカルは父のデレベルソスが天から持ってきたたくさんのウドウドを残して死んだので、その金を持って禿山を越えてウルワン部落に入った。ウルワンの第二長老レギールはあまり優遇されず不愉快な日を送っていたが、親切な人だったので、ケルレカルを自分の家に連れて行ってよく世話をした。子供はある日終日遅くまで遊んで遅く帰ってきたが、家の外に立って中で話していることを立ち聞きしても少しも自分の悪口が出ないので、この家の子供になってもいいと思った。レギールの妻は毎日毎日田んぼからの帰りが大変遅いのでケルレカルがそのワケを尋ねると、酋長の妻がいつも手籠にたくさんのウドウドを入れているので、その番をしなければならないのだと言う。そこで子供は翌日彼女の手籠に一杯のウドウドを入れてやったので、今度は酋長の妻は大変に驚き、反対に彼女の金の番をしなければならなかった。
0 notes
Text
PL-009m-4 ア・ウヘル・ケクラオの渡来 (ウドウド珠貨)
最後にこのウヘル・ケクラオの一隊がガルケクラオから更に現在のケクラオに移ったことについて、次のような話が伝えられる。
ガルケクラオに一匹のネズミがいたが、そのネズミがあろうという人間の娘を生んだ。その娘が海で身を洗って岩の上に立っていたとき、ちょうど村の者たちが海に魚を取りに来ると、そこに美しい女の影が写っていた。村のものは美しい人間のような魚がいると思って気をつけて網を回しては取ろうとするが、写っている影だからどうしても取ることができない。岩の上では女が嘲るように唄った。
アロウ モゴソホソ アロウゲック
(影よ 編みを回せ 私の影に)
村の者たちは幾度やり直しても取れないので、村に帰ってはウヘル・ケクラオのところに行って相談した。するとウヘル・ケクラオが教えて言うには、ー暗いうちに二人のものは岩陰に隠れて待っているがいい。そして他のものは、いつものように網を張ったらきっと取ることができるだろう。それで村のものは言われるがままに二人のものを岩陰にひそませておいて、昼になって皆で網を張った。アロウはいつものように身を洗って岩の上に立っていると、皆のものが網を張り始めた。アロウは何も知らないからいつものように得意になって嘲った。
アロウ モゴソホソ アロウゲック
(影よ 編みを回せ 私の影に)
岩陰に隠れていた二人はこれを見て、躍り出てアロウを捕まえて村に帰った。そして、ウヘル・ケクラオのところに連れて行った。アロウは大変に美しかったので、ウヘル・ケクラオは自分の妻にした。やがてアロウは一人の子供を産んだ。
翌日アロウが田んぼに行って留守、赤ん坊を寝かせておくと、一匹のネズミがその周りを飛んだり跳ねたりして赤ん坊をあやしている。赤ん坊はそれを見てニコニコしていた。ウヘル・ケクラオが来てみるとこの有様で、ネズミが飛び跳ねているので棒でねずみを叩き殺してしまった。
田んぼに行ったアロウは突然指の先に血が滲んだので、なにか大変なことが起こったことを知って急いで帰ってみると、母ネズミが殺されているので大変に怒って、ア・ムゾー・ウヘル神のところに行って、その話をし復讐を願った。
そこで、ア・ムヅー・ウヘルはパラオ中のネズミを集めて、ウヘル・ケクラオを攻めさせた。ネズミの頭首のミヨムは無数のネズミ群を作ってホルレイから出発してガルケクラオに押し寄せ、ウヘル・ケクラオの家のヤシ縄を全部噛み切り、椰子の実を食い落とし、田んぼの芋を食い尽くし、何でもかんでも食い荒らしてしまったので、ウヘル・ケクラオはなんともいたしようがない。
ネズミ軍は凱旋し、ヤシガラの片側を船にして、ー3つの穴の一つに尾を入れ、睾丸で2つの穴を塞いで尾を動かしてヤシガラの船を漕いだという。ー海を渡ったが、イミリーキの先に来ると嵐が起こって、たくさんのネズミがそこで死んだ。今イミリーキの先にガルッタカ・ア・ベヤプという水道があるが、そこがそれであるという。しばらくして、ア・ウヘル・ケクラオの一隊はガルケクラオを捨てて現在のケクラオに入った。
0 notes