sozekgmelon20191017
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#1017地球侵略委員会
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中村ソゼがZeppDiverCity TOKYOに立つまで
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sozekgmelon20191017 · 6 years ago
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アイドルになって、アイドルのライブを観る機会が増えた。
自分のステージよりも他人のステージを観る時間の方が長い。
エモクルスコップさんが好きだった。あヴぁんだんどが好きだったから今でもあヴぁさんは自分の憧れで真横にいたりすると夢すぎて脳が縮む。そのつながりで観に行ったら本当に全てがめちゃくちゃ良くて、その日からエモクルスコップさんがライブアイドルで一番だと思っていた。曲がとにかく良い。アイドルのCDを聞くと、たいてい人間の声とオケが分離してたり歌声が生臭すぎたりするもんだったから、オケと歌声のバランスに加えてオケ自体のクオリティもバカ高��ライブアイドルのCDに初めて出会った!めろんを初めてからめろんの音源でしか感動しなかったけど、エモクルスコップのアルバムはいつどこから聞いても感動する。(それ以降で感動したのはcana÷bissさんのアルバムくらい) いまでも自分を奮い立たせたいときに聞く。雨宮未來さんがそこでだいすきになった。ライブ観に行くと絶対お客さんが最前ドセンに入れてくれて観てた。すごい申し訳なかったけど、あのフロアも大好きだった。未來さんはライブもすごいけど、ライブアイドルとしての動き が完璧な人だと思う。アイドルとして活動する上でものすごくお手本になる!例えばツイッターの使い方だったり、ライブ会場や楽屋での振る舞いだったり、ライブ外でのビラ配りなどの活動だったり全部が矛盾なく積み立てられててすごい。未來さんはそういう才能がある。私がアイドルになってすぐで何も分からなくて、何したらいいんだろうって思った時はたいてい未來さんの真似してた。
いま未來さんはパセリちゃんさんとNaNoMoRaLになった。ただただ続けてくれてありがとうって思う。未來さんに頂いたもの多すぎて現在進行形でも流しそうめんみたいに流れてくるので全部麺とってる。いつかNaNoMoRaLさんと野音とかで一緒にやりたい。
その頃はライブ活動が月に4〜7くらいだったから、他のライブ行ったりGPCに出たりよくしてた。ワンオペでやる事もちょくちょくあった。好きな映画流して楽しかった。クリープショーのゴキブリの話と、マーズアタックよくみた。魔の巣、チレラマに出会った。アメーバブログにレビュー書いたりしてたhttps://ameblo.jp/melonbatakeagogo/entry-12314981509.html?frm_id=v.jpameblo&device_id=878ade199d0a4b329e0ed644020319e4
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sozekgmelon20191017 · 6 years ago
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��ビューライブが終わって次のライブまでの二週間、振り入れ・練習ラッシュが落ち着いたのでNECRONOMIDOLさんのワンマンライブに木下さん(プロデューサー)と観に行った。
アイドルになってから初めて行った他人のライブだった。
木下さんに連れられて挨拶回りをした。その時に初めてDISGUNDERの信ニさんやロマン優光さんにお会いした。
何話したかはあんまり覚えてないけど、その時にまだめろんがアイドルライブに出演した事がないというのが伝わって、イベンターのフジモリさんを紹介してくれた。
めろん畑a go goは私のデビュー時点で他のアイドルと対バンをしたことがなかった。アイドルグループなのにアイドルと共演がないって不思議だな、って思った!(だから理解できなかった)
その日に見たネクロ魔さんのワンマンライブが本当に凄くて、ライブアイドルの真髄を観た。
その日からNECRONOMIDOLさんのライブが、私の中で一つの"ライブの完成形"になった。
(後、結構後に初共演できたときは本当に嬉しかった、、、)
そこから木下さんに連れられていろんなアイドルさんのライブを観に行っては挨拶してCDを渡して、を無限にやっていた。
ある日は秋葉原のラムタラに行って、めろん畑のCDがあるかどうか店員さんに聞いてくるっていうテレビのはじまり見たいな事をNO撮影でやった。勿論無かった(CD自体は全国流通版)
悲しさは一切なかった。当たり前だろって気持ちと、どうやったらここに置かせられる?とそれをー日ずっと考えてた。まぁ無いよね、って言う空気、期待をかけてもらえないような自分やグループでいたくないから頑張らないとな!って思ったけど、その気持ちを周りに上手く伝えられなくてその時の環境に不満ばっかり持って木下さんに当たり散らしてた気がする
現状が有難いことに作品に恵まれてるから笑って振りかえれるけど、いまも変わってなかったら割とハゲ散らかしてただろうなって思う!そこは頑張った!
夏、フジモリさんがやっていた新宿Motionでのアイドルライブイベントに初めて呼んでもらった。
めろん畑のお客さんは0人だった。でも楽しかった。
それから4,5カ月の"ライブアイドル"めろん畑創設期は、とにかくライブが出来る喜びだけで活動してた。
ステージで歌うこと踊れることが、一年待ってやっと、しかも自分の中でベストな形(曲も衣装も振りも場所も頂いて)でできるのが幸せだった。
『アイドルとの共演』も初めての体験だった。みんな優しくて面白かった。今までであった世界の人たち誰よりも、アイドルが一番面白かった。
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sozekgmelon20191017 · 6 years ago
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2017年6月4日、初ライブの日
それまでに振り入れと練習で2週間くらいあった。初期メンバーのろみさんとみきてぃさんが振りを教えてくれた。ろみさんは優しくてしっかりしている本当にリーダーなひとで、みきてぃさんは妹感が強いのに甘えさせてくれるお姉さんな所も同時にあって、二人とも演技が上手くて歌もダンスも基本的なところがしっかり通ってた。そんな二人が最初に教えてくれたから私は基本的なところ、大切な部分を勝手に取り入れることができた。
私は真似するのは結構得意だから、ろみみきさんや初期めろんのお手本があったのは自分にとってはすごく大きな助けになった。
高校時代はバンドでドラムをやっていて年に6回くらいライブをしてた。だからライブへの抵抗は殆ど無かった。でもやはり歌もダンスも人前でやったことなかったから、上手くできる確信はなくて怖かった。
She Said めろん SFホラー
めろんクエスト めろん畑a go go Surfin'bird
誰かが 日曜日よりの使者
の8曲を覚えた。
初めてのライブはクレープショーだった。
この時は、めろん畑a go goは主催ライブのクレープショーしかライブをやっていなかった。唯一の例外は『このアイドルが見たい』だった。それをみて私はめろん畑のことを知った。だからめろん畑はわりとアイドル界に出ているんだと勝手に思っていた。
クレープショー、CREPE SHOWは映画の"CREEP SHOW"からきていた。この遊びとフライヤーがすごく良くてまためろん畑のことを好きになった。
この頃はまだ木下さんが100%企画・制作をしてた。でも既にライブの内容はろみみきさんが全部決めてくれてた。頂いた内容に沿うだけだったデビューライブだったけど、現場の緊張感がわりとあって怖かった。
ヒカリノ香車のりささんが、ヘアメイクをしてくれた。その日にデビューする私となるさんの二人分やってくれた。ロカビリーぽいポンパドールにしてくれた。ライブまでずっと準備してた。
リハでシーセッドのセリフを上手く言えなくて、木下さんに注意されて落ち込んだ。
"セリフ"というものが私がめろん畑に入る上での最初の関門になった。
私は、ライブを重ねて慣れることで無理やり押さえつける方法を選んだ。そう思っていたけど、気づいたら自分のパートとして歌割りと同じように消化できるようになった。
初ライブの映像は、実はめろん畑a go goのYouTubeチャンネルの1本目の動画で上がっている。ライブ中の気持ちはあんまり覚えてないけど、必死だったような気がする。終わった後に少しだけ褒められたのは覚えている。
自分ってこんなに出しゃばりだったんだなぁって気づいた その気持ち悪さよりも、ライブやお客さんの笑顔を見る楽しさが勝った。
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sozekgmelon20191017 · 6 years ago
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オーディションに送った写真
2019 remix Ver.
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sozekgmelon20191017 · 6 years ago
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2017年5月5月、めろん畑a go goに応��メールを送った。
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【名前】
◼️◼️◼️◼️◼️
【生年月日】
1998年3月3日
【住所】
‪◼️◼️◼️◼️‬
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【電話番号】
‪◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️‬
【メールアドレス】
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【連絡の取れる時間帯, 面接希望日】
連絡の取れる時間帯は���日の午後、土日
面接希望日は5月7日、8日、12日、(15日、17日)です。
【好きなもの, 自己PR】
好きなものは音楽、映画、お笑い、オカルト、水です。
好きな音楽はサイケデリックロック、オルタナティブロック、ガレージロックなどです。
好きな映画はLEON、スタートレック、ノロイ、放送禁止です。
趣味はドラムです。あと一人で博物館とかに行きます。
もしメンバーになれたら、楽しいライブがしたいです。よろしくお願いします。
【顔写真】
_IMG_8806.JPG
【全身写真】
_IMG_1835.JPG
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2019年5月5月、めろん畑a go goに応募メールを送った。
【名前】
◼️◼️◼️◼️◼️
↑なかむらは本当です。中村ソゼも本当です。
【生年月日】
1998年3月3日
↑たぶん本当です。
【住所】
‪◼️◼️◼️◼️‬
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↑埼玉県出身です。
【電話番号】
‪◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️‬
‪↑本当です。‬
【メールアドレス】
◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️
【連絡の取れる時間帯, 面接希望日】
連絡の取れる時間帯は平日の午後、土日
面接希望日は5月7日、8日、12日、(15日、17日)です。
↑まいにち寝ていたので嘘です。適当に日にち出しました。
【好きなもの, 自己PR】
好きなものは音楽、映画、お笑い、オカルト、水です。
↑受験時に一番ブームだったものです。細分化するのを怠りました。水はなにかと好きです。
好きな音楽はサイケデリックロック、オルタナティブロック、ガレージロックなどです。
↑ディスクユニオン新宿6Fのやつです。
好きな映画はLEON、スタートレック、ノロイ、放送禁止です。
↑LEONは好きです。今はフロンティアも好きです。
趣味はドラムです。あと一人で博物館とかに行きます。
↑ドラムはめろん入ってからは全く触れてません。一度木下さんとセッションライブしたのみです。
もしメンバーになれたら、楽しいライブがしたいです。よろしくお願いします。
↑なんか言いたかったけど言いきれなかった。
【顔写真】
_IMG_8806.JPG
【全身写真】
_IMG_1835.JPG
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写真は今返すととんでもないですが当時は結構選抜の方をお送りしました。
すぐに返事が来て面接を受けさせてもらえることになった。一回体調不良でドタキャンした。面接の日に体調崩す程"持ってない"人がアイドルになるなよと思った。
後日治りましたって送ったら優しくてまた面接して貰えることになった。面接自体の経験は結構あったけど、めろん畑a go goに関してはSNSからもYouTubeからも得られる情報が少なくて不安もあった。MV見て、自分が入ったら5人になるのかな〜とか考えた。ベルハーの最期の5人がその時脳に焼き付いてたから5人には謎の憧れがあった。
GorrilaPopCafe新宿店で面接だった。見つからなくてうろうろしてた。遅刻だと思われたら嫌だから迷っていますアピールのメールを送ろうとしたら手にめっちゃ、絵?をお入れにな��れている方が腕組んで仁王立ちしてた。「中村さんですか?」と話掛けられた。怖かったけど中村なのでしょうがなくついて行った。
店内も怖かった。それまでのアイドルの面接は喫茶店か事務所かマンションの一室だったので壁がピンク一面でめっちゃハンバーガーグッズ置いてあるところにつれてこられて、病み上がりだし夢かなって思った。その人は"プロデューサー"で、木下という名前だった。だいたいはまあアイドルオーディションの面接なので、PR文に書いてたことについて話した。
ただ他のアイドル面接と違い、"過去"については全く聞かれず、歌を歌うことやダンスを踊ることを求められなかった。とにかく映画の話ばっかりした。
「とりあえずやりたいならやってみますか?」って言われたので、とりあえず「はい」って言った。
そしたらはじまってた。
「最近見た映画はなんですか?」って聞かれたから、その時に一番面白いと思ってた「ユージュアルサスペクツです」ってこたえたら、「では名前はソゼにしましょう」というようなことを言われてソゼになった。
エビ中の瑞季のキャッチフレーズ「今日も苗字忘れちゃいました」がすごい好きだった。
あと自分の苗字が好きだった。だから逆に下の名前忘れるのもありかな?とかずっと考えてた頃だった。アイドルオーディション受け中の女、名前ばっかり熟考している。
そんな中で「名前は中村にしましょう。あだ名(呼び名?)は中村でって」決められたときに『あぁ自分はここでしばらくやるんだろうな』って思った。だからそれ以降の会話はあんまり覚えてない。もうやると決めたからあとはどうでもよかった。
面接の時点でもう2人やめてて、びっくりした。でもこの時はまだ"メンバーの流動による弊害"すら考えられないほどアイドルになれるのが嬉しかったし、もう何かになれた気がした。だから政治家になろうと思うのはやめた。
その日から私は中村ソゼになった。
でもいつもの顔して家に帰った。桂枝雀とスタートレックを子守唄にして寝た。
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