Text
藤井隆のプロデュース、わかれへん!
──すさまじい選曲のいいアルバムだと思います。
ありがとうございます。僕はレコーディングっていうものをそんなにたくさんやっているわけじゃないんですけど、ああいう現場って「もうちょっとキーを高めに」とか、あるいは「もうちょっとリズムを詰めて」とか、音楽的要素で指導していくような勝手なイメージがあったんですよ。そしたら藤井さんは「いや後藤くん、違うねん」と。「この曲は大御所の役者さんが『歌ってくださいよ』と言われて、当日なんとなく覚えて歌った歌がものすごくよくて、『これでいいの? じゃあね』と帰っていく曲の雰囲気やねん!」って……わかれへん(��)。
──言ってましたよ、確かに。柴田恭兵さんみたいなイメージでって。
そう! そう! まさにそれ!
──本業じゃない人が気軽にやって、それがカッコいい感じで。
そういうイメージで言ってましたね。「Carnival」に関しては「TBSドラマの主題歌やねん。主題歌やけどそのドラマには自分は出てない感じでいこう」みたいな(笑)。なんやねんそれ!って(笑)。
──特殊すぎるプロデュースなんですよね(笑)。
ははは。独特ですよ。ほかにそんな人いないですよね。「Carnival」に関しても「この歌は生きるとか死ぬとかそういう歌詞だから、1回死んでほしいねん」と。
──は?
「後藤くん、次ブース入ったときに1回死んでから生き返って歌ってほしいねん」って。もうわかれへん(笑)。
──ハードルが高すぎますね。
高すぎる(笑)。笑いながらですけど「1回死んできまーす」とか言いながら進めていた覚えはありますね。
──よくやりきりましたね。
やりきったのかどうなのかもわからないです! 「ほな1回死んできますわ!」ってバーンと歌ったら「いい、すごくいい!!」って言われたんですけど、自分は実感ゼロ。そのまま「おつかれっした!」って帰りました(笑)。
──これが正解かどうかもわからない(笑)。だいたいそんな感じだったんですか?
そうですね。「こぬか雨」では「後藤くん、この曲はな『ハートカクテル』(わたせせいぞうのマンガ)の世界観やねん」って言われて。「あの感じに後藤くんはなれんねん。この曲は実はそんなにメッセージはないけど、状況を美しく歌ってる曲やから『ハートカクテル』のストーリーというよりは、その絵を描いてほしいねん」みたいな。「なるほどね……わかりました、ちょっと歌ってきます」と歌ってみたら「……『ハートカクテル』やん!」って。ちょっとわかれへん!
6 notes
·
View notes
Text
「礼に始まり、礼に終わるのが北の流儀だぜ。まずは何千何万もある音楽の中から、俺たちのCDを手に取ってくれて、そして3150円なんていう安くない金を払ってくれて、それを家で聞いてくれて、そこに何か意味を見出してくれて、そして今日この場所にまたお金を払って集まってくれた男、女、すべての友人たちにまずは礼を言うぜ」
「ありがとうございました!!」
ホァァァァァァァァァァア!!!!
「俺はリスナーの懐と、開かった心にはとことん命賭けるタイプのMCだぜ。この場所を奪い取ろうとする同業者にはえげつねぇくらい厳しいけどな。何の因果かマイク家業 プライド担保の銭勘定 悪いが参加賞どまりのMCのラップを聞く暇はないんだよ!」
ホァァァァァァァァァァア!!!!
「MC、DJ、ダンサー、サラリーマン…… なんでもいいぜ。それぞれのやり方で、それぞれの仕事に誇りをもち、愛する人を幸せにするだけの金を…… 金だよ、金…… 俺はキレイ事だけのラップじゃねぇ あきらめの言葉を書き溜め まるでそこが掃き溜め 金より先がねぇ そう思ってる奴らはよく聴きやがれ。そして人生金じゃねぇ そこで終わってる奴もよく聴きやがれ。これはすべての街で言ってるんだが、金じゃ買えねぇものは確かに世の中にはある。それらはほとんどが得がたくすばらしく価値のあるものだ。だが勘違いしちゃならねぇのは、草ボケに限って勘違いしやすいのは、金じゃねぇと買えねぇものは世の中にはあるんだよ。飯くわねぇと死んじまうし、雨風しのぐ家賃払えねぇと、ネットカフェにでも暮らすか? この世を生き抜くってことはシビアなものだぜ。それはある意味、死んじまった奴や、ムショにいる奴にはわからねぇ。俺は解る。だから俺はどんな仕事であれ、日本中、男も女も、年上も年下も。てめぇの生活を前に進めるために汗水たらして 朝から晩まで 晩から朝まで 時には朝から朝まで 汗水たらして働いてる奴ら。どんな仕事であれ 俺はリスペクトを送り続けたいと思ってるんだよ」
「がんばれよ!!」
ホァァァァァァァァァァア!!!!
「そしてあえてデカイ声でこう言わせてもらう。金じゃ買えねぇものを掴むために、金を…… 移り気な、金を…… 薄情な、金を…… マザーファッキンな金を稼げよーーーーーーーーー!!!!」
ホァァァァァァァァァァア!!!!
「金の話は避けて通れねぇ。それがMC家業。だからって俺のことをよく知ってる奴はご存知のとおり、俺は高級車が欲しくてラップしてる訳じゃないぜ。シャンパンが飲みたかったり、女とやりてぇからってラップしてる訳じゃないぜ。俺は、さっきも言ったとおり、自分の生活を前��進めるため、あともうひとつ。ハウス、テクノ、ロック、レゲェ、ダブ、ファンク、ソウル、ジャズ、ハードコア、なんでもいい。ありとあらゆるグッドミュージックジャンキーからバカにされて、期待もされねぇ 不良のガキのおもちゃだと思われてるヒップホップの世界にもマジなこと言うやつがいるんだってことを世界中の奴らにリプレゼンするために、俺はここでマイクを握ってるんだよ!!」
ホァァァァァァァァァァア!!!!
「間違いないぜ! マジで一時間半のあいだに、数億という日本語を吐き、そのうちの一言でも聞いてる奴の人生の中で何か意味のあるかもしれない、なって欲しい、それはまだ言われてない、俺しか言えない、そう信じて俺はいまだにここにボロッボロのヒップホップの旗を立ててるって訳だよ、見える!?」
ホァァァァァァァァァァア!!!!
「フェアプレイ・ハードワーク ラフでタフ 今夜もたった2人で立ち向かう WE ARE THA BLUE HERBが取り仕切るこの場所。俺たちがいるかぎり、生きてるかぎり、この場所は腐らねぇ。安心して目いっぱい楽しんでくれ」
ホァァァァァァァァァァア!!!!
「追う者は追われる者に勝る 追われる者にも追うモノはある 俺たちが汗水たらして追いかけてるのは、金や名声じゃないぜ。あいつらはあとで俺たちを追いかけてくる存在だ。俺たちが各街、各街、終わってそして次の街へ追いかけてるのはまさにこの場所。ぎゅうぎゅう詰めのダンスフロアで俺たちの古くからの友人、俺たちをはじめて観る人たち、彼氏にむりやり連れこられた人たち、何気にそこで音を聞いて入ってきた奴ら、ブラウン管でしか見たことない奴ら、ネットの話でしか俺たちのことを知らなかった奴ら…… ありとあらゆる人間たちの心が入り混じり、ついていけない奴は倒れ、やがて生き残った奴らで解り合い、分かち合い、認め合いながら、ひとつの気持ちとなって俺たちの熱気と融合して空高く昇っていく。その共感という透明で、消えやすい気持ちの��物を俺たちは追いかけて、今日またこの場所までたどり着いた。言いたいことはマジで山ほどあった。3年ぶり。3年もあれば子供も3歳になるぜ。ありとあらゆる時間の流れの中で、俺たちは3年間思ってきたことを自由にラップさせてもらって、生き方の話、MCの話、ヒップホップの話、いろんな話をずっとして、またこの時間、この場所までたどり着くことができた。またこの場所から俺はこの風景を見渡すと、どの街とも変わらない。3年前となにも変わらない、ひとつの気持ちにたどり着くことができた。その気持ちを、ひらがな5文字で また叫んで、俺たちはこのライブをそろそろ終わるぜ」
「ありがとう」
ホァァァァァァァァァァァァァァァァア!!!!
10 notes
·
View notes
Quote
皆さんがセックスと呼ぶものに僕が辿り着いたのは、大学院の1年目、23歳の時のことです。その子は小・中学校の同級生で、中学2年の時に恋仲になりました。当時は先生たちに「恋愛は早すぎる」と反対されていたので、僕らは日が暮れてからの学校、神主のいない神社、田んぼの中など、人が来ない所でデートをしていました。 付き合い始めて1か月後に初めてしたキスは、燃えるようなものでしたよ。唇も顔も溶けて一体になる感じでね。30分以上、舌や唇を吸ったり吸われたり……相手の歯に当たってザクザクに切れて、口の中が血だらけになりました。 高校時代には、僕が洋書を買いに自分の町(大分県日田市)から博多に行く時、彼女も付いてきました。博多では誰の目も気にせず並んで歩けます。お金にゆとりがある時には連れ込み宿に一晩泊まり、裸で抱き合い、キスをし、彼女の体を愛撫していました。しかし、“その次”に進もうという気持ちにはならず、繋がることはしなかった。それは24時間365日、一緒に住むよう��なってからのものという気持ちが僕にはありましたし、お互いに対する尊敬の念があったからです。 高校を卒業すると、僕は上京して東京の大学に進み、彼女は地元で就職しました。僕が帰省した時に会っていましたが、僕が大学2年の終わり頃、彼女が結核に罹り、2年半ほどサナトリウムに入ってしまいました。当時、結核は不治の病といわれていましたが、絶対に治ると僕は信じ、待ち続けました。その間、一度も会えませんでしたが、「僕が愛を送るよ。それが薬だよ。元気になってね」と手紙で愛を語り続けましたね。 2年半後、彼女は病気が治り、1か月間、僕と過ごすために上京してくることになりました。僕は2人で住むための小さな三畳一間のアパートを池袋に用意しました。初体験はその最初の晩のことです。僕はそれを予定していましたし、彼女もそれはわかっていて、受け入れるつもりでした。だから、自然に小さな布団に2人で入り、キスをし、抱き合い、そして繋がりました。 行為自体はあっけなく終わりましたが、いよいよ、これから一緒に生きていくんだなという感慨は強くありましたね。今回、その時の彼女、つまり僕の女房ですが、彼女にこういうインタビューを受けるよって伝えたら、「恥ずかしい」といってましたが(笑い)、僕らはそんな風に、不思議な童話のような世界を生きてきたんです。
ムツゴロウさんが結核を患った幼なじみの彼女と結ばれるまで https://www.news-postseven.com/archives/20110712_25483.html?DETAIL
0 notes
Text
テレビアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』の放送が開始されたのは二〇〇六年四月のことです。つまり、私が「ハルヒ」と出逢ったあの衝撃から、もう十三年近い年月が経ったことになります。
私の運命を大きく変えたといっても決して過言ではない、ハルヒとの出逢い。
子役からスタートし、十四歳で声優を始めた私が、大学進学を機に本格的に声優業に取り組もうと決めたちょうどその頃、「こんなオーディションがあるんだけど、挑戦してみない?」と声をかけていただいたのが、すべての始まりでした。
資料として購入した原作小説の表紙の、愛らしいけれどなんだか生意気そうな女の子と、ちょっと不思議なタイトルに首を傾げつつページをめくってみて、読後の第一印象は「こんな女の子、出逢ったことない!」。
イラストの愛らしさに助けられる部分はありながらも、その傍若無人さといい、唯我独尊具合といい、こんな女性のキャラクターは今まで絶対にいなかったと思うほどの激しい個性に驚いてしまったのです。
こんな強気な子、私にできるかな。
この頃声優のお仕事では、実年齢より年上の落ち着いた役をいただくことが多く、同年代の役というだけでも珍しいのに、ここまで突き抜けた役を目の前にすると、やってみたいと思う気持ちもありつつも不安の方が大きかったのを覚えています。
なにせ、当時の私はハルヒとは真反対のタイプで、普段の生活のテンポだってどちらかというとみくるちゃんに近いのです。ハルヒのあのスピード感を表現できるのかどうか……。臆病な自分から脱��しようとオーディションに挑み、合格したと聞いた時は、自分の予期せぬ何か大きなものが動き出した予感がありました。
言うまでもなく、アニメは声だけで表現するものではありません。絵や演出、音楽などあらゆる要素が重なり合っていて、声優はその最後の部分を任されるわけですから、やはり責任は重大です。
私なりにハルヒにとって一番大切なものは何かを考えました。
ハルヒがハルヒであるために大切なこと。
それは常に「楽しい」と心から感じること。
ハルヒはみんなを振り回している時はもちろん、不機嫌な時でさえ、心の中ではどこか「楽しい」のです。「いやだ!」と言ったことによって起こるなにかに期待しているのです。
キョンが怒っているのを見るのも楽しい。騒動になって、みんなが右往左往するのも楽しい。ハルヒの無意識にはそういう部分があると思います。
そして、それはたぶん、私たちが失っていく部分に重なっているのです。
子どものうちはわがま��を言いたい放題言えるのが、成長するにつれて色々知り、学んでいくうちに、「あ、ここは引かなきゃ」「我慢しなきゃ」というのを覚えていく。
それが大人になるということでもあると思うのですが、つまりハルヒの��わがまま」は、誰もが心の中に持っているけれど口には出して言えないものの、一番象徴的な部分なのかもしれない、と思うようになりました。
ですが同時に、ハルヒという女の子は、誰かに認めてほしい、自分をわかってくれる誰かと一緒にいたいという気持ちもとても強い。本当はすごくさびしがり屋なのでしょう。それに、根は素直ないい子です。育ちが良く、品があり、頭が良いから、思いつきで行動しているように見えて、案外しっかり考えていたりもします。
譲れない想いがあるがゆえに、孤立してしまいがちになる。
こういう性格、生きづらいですよね。でも彼女は踠もがくんです。
ハルヒの、ふとした本音がこぼれたのが、テレビアニメの十二話「ライブアライブ」(原作では『涼宮ハルヒの動揺』に収録)。
文化祭で軽音楽部のステージにピンチヒッターで出演し、見事ライブを成功させてメンバーから感謝されたハルヒは、いつもの彼女らしくない反応を示します。
そしてつぶやく、あるひと言……。
未読の方もいると思うので、どんな言葉かは伏せておきますが、あれにハルヒという女の子の本質が込められています。
アフレコの際、監督に「あのセリフで、ハルヒを掴んだかどうかがわかる」と言われていました。
ものすごいプレッシャーだったのですが、ようやく見せてくれた彼女の素顔に勇気をもらい、演じきることができました。彼女の強さにどれ程助けられたかわかりません。
ハルヒの魅力は、とても普遍的なものなのだと思います。
誰しも、大なり小なり人生において後悔があると思うのですが、「とりあえず、どんとやってみなさいよ!」と背中を押してくれるのがハルヒという子です。今回のリニューアル文庫化で、そんな彼女の魅力がより多くの方に伝わるとしたら、私としてもとてもうれしいことです。
もちろん、キャラクターを中心に読まなくても、十分楽しむことができる作品です。
「学園ものでしょ」「ラノベはちょっと」というように、ジャンルで敬遠しているとしたら、それはもったいない限りです。ハルヒには、「物語」のあらゆる要素が詰まっているのですから。
作中のエピソードの中には、並行世界の存在を示唆するものがあります。ミルフィーユのように重なる多くの時間のひとつひとつに物語があり、今、小説として発表されているのは、その中のごく一部。谷川たにがわ先生の脳内には、まだまだたくさんの物語があるのでしょう。
私たちはその壮大な流れのほんの一部を見たに過ぎません。けれど、ハルヒはどんな世界にいても、私たちに元気をくれる絶対的な存在であり続けるのでしょう。
今の私があるのはハルヒのお陰。作品的に言えばハルヒは私にとっての『創造主』であり、平野綾の恩人です。
0 notes
Quote
55: 名無し募集中。。。@\(^o^)/ 2015/10/06(火) 00:43:28.90 0.net 仕事あるし地方の人間なんでどうしても横アリに行けなくて 当日、ギリギリに帰宅の足で電気屋寄ってアンテナ購入して 設置してもらうと後日になるのでそのままアンテナ持ってかえって 必死でベランダに取り付けてスカパー放送始まる12分前ぐらいに ようやく受信できて見たからなんか臨場感がすごかった 57: 名無し募集中。。。@\(^o^)/ 2015/10/06(火) 00:54:47.59 0.net そこまで情熱あるんなら横アリ行けたやろw
久しぶりに道重さゆみの卒業スピーチきいたんだが・・・・・・・・|℃-ute派なんday
0 notes
Quote
「絵里はさゆがリーダーでうれしい」 泣いている姿がカッコよかった! 私、道重さゆみは、小さい頃から、モーニング娘。が、大好きだった。 初めて自分のお金で買ったのは、『恋のダンスサイト』。 お小遣いを少しずつ貯めて、やっと買った。 うれしくてうれしくて、何度聴いたかわからない。 両親にそれとなく、言ってみた。 「ねえ、私がモーニング娘。に入ったらどうする?」 冗談ぽく言ったけれど、実は本気だった。 6期メンバーのオーディション。 応募総数、1万4千人から、最終審査のひとつ前に残ったのは、たった5人だった。 オーディションを待つ部屋に、とっても可愛い子がいた。 東京出身と知ったからだろうか。 なんだか洗練されているように見える。 でも私はひとみしりで、話しかけることができなかった。 ひとつずつ呼び出され、5人にしぼられたことを告げられる。 さっき見た可愛い子が、泣きながら部屋に戻ってきた。 「5人だけだって・・・」 喜びを全身で表現している。 その泣いている姿がなんだかカッコよかった。 「ああ、東京の人は、こんなふうに喜びを表現して、こんなふうに泣くんだ」 妙に納得した。 その可愛い子が、6期の同期メンバー、私の大親友になる、亀井絵里ちゃんだった。 「きみはきみのままがいいよ」 私、モーニング娘。'14の道重さゆみは、『LOVEオーディション2002』に合格して、モーニング娘。の6期メンバーになった。 同期にいた亀井絵里ちゃんとは、徐々に仲良くなっていった。 二人ともひとみしりなので、すぐに心を開いたわけではない。 けれど、絵里がだんだん素の自分を見せてくれた。 とにかく人間味あふれる子。 喜怒哀楽を全身で表現する。思いっきり笑う、怒る、泣く。 感情を隠さない。 私にはない感覚だった。 気がつくといつも一緒にいた。 楽しいところ、イラッとくる瞬間、感性が似ていて、なぜかピッタリ一致していた。 絵里がすごいのは、これは違うと思ったら、それが誰であろうと、真っ直ぐ自分の意見を言うところ。 そうやって彼女にいろんな刺激を受けて、私も少しずつ変わっていったと思う。 私はブログをやるのが夢だった。 自分の言葉で自分の気持ちを表現したかった。 いざブログを始めてみるとアクセス数が気になる。 常に携帯を手放せない。 あるとき絵里に、こんなふうに言われた。 「一緒にいるのに、いっつもブログやってるよね」 そう、絵里と一緒の時も、アクセス数が気になって、気がつくと、携帯に向かっていた。 悪いとは思ったけれど、こんなふうにブログにのめり込むのも、今のうちだけ。 絵里との時間もそのうち、取り返すことができる、そんなふうに思っていたら、彼女は私にこう言った。 「一度、ちゃんと話そう!」 私、道重さゆみは、ブログについて、亀井絵里ちゃんに、こんなふうに言われた。 「さゆみがブログを始めたのはなんで?自分の思いを、自分の言葉で発信したいってことじゃなかったの?それなのに、アクセス数ばかり気にしているのは、目的が変わってきてるんじゃない?」 まさに、そのとおりだった。 絵里は、いつも冷静に私を見ていてくれた。 私がモーニング娘。のリーダーになる直前、不安で不安で仕方なくて、絵里にそのことを冗談ぽく言ったら、「きみはきみのままでいいよ」ってメールが来た。 そのあと「きみはきみのままでじゃなくて、きみはきみのままがいいよ。絵里はさゆがリーダーでうれしい」とまたメールをくれた。 優しくて・・・涙が出た。 絵里・・・一緒に私の故郷、山口県の宇部に来てくれて本当にうれしかったよ。 おじいちゃんもおばあちゃんも、すっごく喜んでくれた。 「意外に都会じゃん」って驚いてたよね。 海と緑の故郷で、絵里と歩いた時間、あの笑顔、忘れないよ! 絵里へ こないだ、普通に楽しいメールのやりとりの最後に、絵里が「さゆ〜、また愚痴りたい時、絵里にメールしてね♪」って言ってくれて、ああ、今また絵里に愚痴ってたんだ〜、って気がついたよ(笑)。 いつも、自分が聞いて欲しいことを一方的にがんがんメールしてごめんね。 絵里がいつも、さゆみのことを応援してくれてるの、すごく伝わってるし、さゆみがYahooニュースに載ると、立派だねえ、って褒めてくれて、すごーく、嬉しいよ〜! さゆみは、絵里の健康と絵里の幸せを心から願っています! 道重さゆみ
絆ストーリー https://web.archive.org/web/20140424195241/http://www.tfm.co.jp/links/index.php?itemid=75371&catid=1129
2 notes
·
View notes
Quote
・DJプレイで気にしているポイントを教えてくださいキャッチーになること。 キャッチーになり過ぎないこと。 ドープになること。 ドープになり過ぎないこと。 ミーハーでいること。 ミーハーでい過ぎないこと。 マニアックでいること。 マニアックでい過ぎないこと。 自分を出すこと。 自分を出し過ぎないこと。 客に合わせること。 客に合わせ過ぎないこと。 グルーヴィーな繋ぎを心がけること。 グルーヴィーな繋ぎばかりしないこと。 丁寧にプレイすること。 かつ大胆にもプレイすること。 自分らしく。と、昔、後輩DJにアドバイスしたコトがありました。
Minors Holiday cafe blog
2 notes
·
View notes
Photo

東スポWebニュースさんはTwitterを使っています: "24歳・晴野未子 ファーストDVDは「食い込みガッツリ」尻満載 https://t.co/7OBPk6KMU8 https://t.co/TNbOjIPtIk"
3 notes
·
View notes
Quote
──花澤さんの中には、実際に「透明な女の子」的な強い自分は存在していますか? あります、あります。ずっとサバサバした女の子に憧れていて……私は思考がゆっくりなのか、そういう性質なんでしょうけど、いくらでもボーッとできちゃうんです。それで声も高めだから「かわいこぶってる」と見られることが多くて、それがずっと嫌で。そんな自分を変えたくて、なるべくサバサバしゃべろうと意識してたんですよね。学生時代からの積み重ねで今もそれは残っていて、「ああ、そうッスよね」とか言っちゃうんですよ(笑)。でもそうやって意識していると、本当に自分の中のサバサバした部分が見えてきて、どんどんしゃべりやすくなっていったんです。それは「透明な女の子」を歌ったりMVを撮ったりしている中で改めて感じました。
花澤香菜「透明な女の子」インタビュー (2/3) - 音楽ナタリー Power Push
1 note
·
View note
Quote
山口 そろそろ最後の質問なのですが、プロ作曲家を目指す方へのアドバイスをお願いできますか? 西川 当たり前の答えになりますが、恋をしてください。 山口 素晴らしい。最高ですね! 西川 すごく楽器が上手い人の演奏を聴いても、全く心には響いてこないことってあるじゃないですか? だから音楽って、そういう問題じゃないんじゃないかと思うんです。「頑張って曲を作るぞ!」って言っていても、聴いてみると全然心に来ない。形から始めているというか……。 山口 どんなにテクノロジーが進んでも、音楽が空気の振動で、人が感動するのは心ですからね。技術が進んでいろんなことが便利にできるようになった分、感情をどう込めていくのが、大切な時代になっていると思います。 西川 自分が20歳くらいのころは、練習すれば上手くなると思っていたんです。でも、ある日壁にぶつかってしまった。練習してもダメなものはダメで……。当時の僕は、人と飲みに行ったりするのが大嫌いで(笑)。「そんなことをする暇があったら、ギターの練習をした方がいいじゃないか」と思っている節があったんですね。でもフリーのミュージシャンになって壁にぶつかって、「このままじゃダメだ」と思って、変な話ですけど、「遊ぼう!」って思ったんですよ。それでいろんな飲み会とかにも行ったりして、精神的に解放されたっていうか……。「うわー!」ってなって、初めて一歩前進した(笑)。そのちょっとずつの積み重ねが、今の自分かなっていう気がするんです。だから恋をしてほしいし、人とのコミュニケーションを大事にしてほしい。 山口 とても良いお話ですね。恋愛に限らず、きちんと他人とコミュニケーションをとることが、音楽に向き合う時の基本姿勢ですね。貴重なお話をありがとうございました!
第26回:西川進インタビュー(後編)〜これからの作曲家には、チーム力が必要になると思います | WEB版 職業作曲家への道 | Rittor Music Magazine Web
1 note
·
View note