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水辺のそばで眠ること
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suzuki-flamingo · 5 years ago
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水辺2
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 今は心もとない水の流れが繊細な線画の筆遣いのようにかろうじて残っていた。河原に転がる手頃な石を並べて飛び石にすれば、靴も濡れずに渡りきれそうだった。死んだ祖父はこの時期に入水したが、こんな川でどうやって死ねるのかと前々から不思議だった。鮎のように死ぬ方が、と思った時、横に祖母が座っていることに気づいた。手を膝の上に乗せ、縮こまって頭は下を向いている。うつらうつらしているようだ。そんな眠り方をしたら酔ってしまうだろうと思った。酔うも何もないのだが、心地よさそうに見えたので安心した。車は、祖母の亡き骸を火葬場へ運んでいた。この地域では、今も火葬場への行き道と帰り道を変える。帰りはわたしの運転で葬式の式場へむかう。どの橋を渡ろうかと思いあぐねていると、はたと目が覚めた。車は河川敷に出たところだった。ついさっき見た水量のすくない川が窓の外に見えた。
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suzuki-flamingo · 5 years ago
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水辺1
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 後部座席で冬の空を眺めていた。���が高く、すらすらと竹の葉のように雲が流れていた。ふと鮎が食べたいなと思った。雲の泳ぎがそうさせた。季節の雲が、季節はずれな魚を連れ出していた。車は今にも水の枯れそうな川を見下ろす河川敷の道へと出た。いく年か前には、川の途中で水が地表から姿を消し、川床ではなく地下を流れる瀬切れという現象が起きた。川は上流と下流に分断され、川床を歩いて渡ることができた。ふたつに分かれた同じ川を魚はどうにも行き来することが出来なかった。遡上の時期とはかろうじてひと月程ずれたので、途切れた流れの先に押し寄せた鮎が折り重なって死んでいくようなことはなかった。水のない川床を尚も進もうとする鮎がいるのかは知らないが、打ち上げられた鈍い鱗が西日に照らされて玉虫色に輝く姿が浮かんだ。月夜には一層怪しく光るだろう。ぴちぴちと跳ねまわる音が静まる頃、一帯は気まぐれな風に乗った強烈な死臭と鳥たちの声、ハエの羽音に支配される。腐った魚の山を起点とした新しい川は、多くの養分を海へと流し、湾の魚たちは丸々と太る。これから数千年間のうちには一度や二度、そんな日が訪れるのかもしれない。
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suzuki-flamingo · 5 years ago
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彩雲2
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 結局、高速バスのターミナルに向けて電車に揺られていた頃には、祖母は既に息を引き取っていた。90歳を優に過ぎての老衰だった。もうこの冬は越せないかもしれないと言われた冬を2回も越えた後だったので、家族は皆諦めがついていた。認知症を患って久しく、ここ数年は近所の施設に世話になっていた。「おとうさん」とたまに虚空に呼びかけていたもう10年以上前に他界した祖父のことも最近はめっきり口にせず、母のことも状態がすこぶる良い日でなければ認知しなかった。最後に祖母に会ったのは、ほんの数日前だった。ちょうど実家に帰省していたので見舞いに行くと、見るからに小さくなった祖母がベッドに横になっていた。祖母は、自らの息子である伯父が既に他界していることを生前知らされることがなかった。
 墓には祖父の骨壺と、もうひとつ見知らぬ骨壺が入っていた。見知らぬ骨壺が誰のものか、なぜか別段気にはならなかったが、妹が気にかけて母に尋ねた。母曰く、伯父は腹違いの兄であり、先妻に祖父は若くして死別しており、祖母は後妻であるとのことだった。はじめて聞いた話だったが、不思議と驚きはなくむしろ腑に落ちた。祖父が入水する前、幼いながらに漠然と手をあわせていた頃の墓には、風体も素性も語り継がれなかった女性のそれしか入っていなかったことになる。物心つく前に生母を亡くした伯父の、あの低い声の印象を通して、その女性のことを思い描こうとしたが、線香の煙が邪魔をして見知った顔が浮かぶだけだった。
 わたしは伯父の墓の場所を知らない。
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suzuki-flamingo · 5 years ago
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彩雲1
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 高速バスの車窓から見える曇りがちの空の一端に小さな彩雲を見つけたので、ああ、祖母の死に目には間に合わないのだなと、漠然と直感した。眩しさに目をしばたたかせながら眺めていたが、風の強い高層の雲はすぐに形を変えてしまい、ものの数秒で虹色の輝きは失せた。ちょうど県境の山間部を超える辺りで、繰り返されるトンネルと谷間を蛇行する道が続いた。その先にある巨大な山の麓の演習場のある街には、かつて伯父が住んでいたが、不徳が原因で伯母と別れ、しばらくしてからその相手と再婚した。そして、断片的に耳にしていた話がある程度整理されはじめた頃、伯父は病に倒れあっけなく亡くなった。まだ60代半ばだった。「亡くなったよ」と母から告げられた時には、既に病院のベッドは空で、通夜も葬式も、四十九日も終わっていた。
 ひときわ背が高く低い声をもった伯父だった。正月に毎年一度だけ聞くその声は、他の親戚とは隔たった別の土地、どこか遠い遠い異郷から発せられているようだった。威圧的ではなかったが、その声質は図らずもいつも部屋と会話を支配した。
 伯父に最後に会ったのがいつのことか、思えば判然としなかった。いつからか祖母の住む自らの実家には帰ることが無くなっていた。頭の中に像を結ぶ伯父の風貌は50代半ば、屈強でするどい眼をした男のそれのままだった。
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suzuki-flamingo · 5 years ago
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緑色に光る��
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 いくつの時だったか、日がな一日妹とアスレチックで遊びまわり、夕飯を外食ですませた帰り道だった。橋の上から見える遠い���際の森が緑色に淡く怪しく発光していた。真っ暗な森の内側から疼いた声がじわじわと方々へ漏れだすような光だった。この世ならざるものが住む場所を目にしてしまったように思えて身震いした。発光する見知らぬ森が、車の後部座席に座るわたしの存在をはるか遠くから見透かし、手招きしているようだった。橋を行く車内は、締め切られたガラス窓で固く守られていた。その隔たりがたしかなものであると信じていたので、却って不気味さは増した。ガラス一枚隔てただけでおれもお前も所詮同じ世界を共にしてしまっているのだと、彼岸に立つ他人から無言のままに戒められているような、そんな居心地の悪さを感じた。
 それから何年もして、緑の光が山際にある打ちっ放しのゴルフ場の照明であることを知った。近づいてみれば、バイパス沿いのしがないゴルフ場だった。夜は煌々と光を放っていたが、客が入っているのかはわからなかった。とはいえ、例の橋上から見やると相変わらず異様な印象をもった。幼いわたしが感じた違和とさして変わりのない声がフロントガラスを隔てた。この橋は、緑色の光がわたしの存在を見透かすために必要な焦点距離の、その正確な線上に架かっているようだった。その意味で橋上は、今もなお彼岸であり続けた。
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suzuki-flamingo · 6 years ago
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遠雷と波
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 夜、車で近所の海へと向かった。人のすくない場所で、車の中からでも堤防の先の水平線がみえた。馴染みの場所だった。月は満月に近かったが、雲に遮られて望むことができない。星もまた同様だった。
波は遠方の海上にある台風のせいで普段より幾分か荒れていて、5分に一度ほどテトラッポットの上に白い波しぶきがのぞいた。水平線の上には入道雲が並んでいた。ときおりそれが遠雷に照らされて影絵のように浮き上がった。オレンジ色の瞬きは、何度も繰り返された。ずっと遠くの出来事ゆえに音もなく、気配もしない。荘厳に、そして密やかに、彼方の線上で巨大な現象がおこっていた。瞬きは、遠い昔のことのようであり、明日の夜のことのようでもあった。目の前の波の音は、その秘密から目を逸らすよう、現実的な距離から身体を絶えず促していた。そのせいか、遠雷と波は、まるで繋がりのないふたつの世界のように思えた。瞬きは、再生された幻燈か、手の届かない書物の中の風景のようだった。けれども、きっと朝を待たずして、ああして照らされた雲の一端がこの岸に触れ、そして雨が降り出す。遠方の美しい瞬きは、秘密の雨をこの夜のうちに波に手渡す、と同時に既に手渡してもいる。波は自らそのようにして、何重写しにもなって現れている。
今日がこんなにも晴れ渡ってよかった。新しい施設では、もう煙突から煙はでない。それでも、なぜか骨壷を持つと空を見上げてしまいたくなる。今日はうろこ雲が澄んだ空に映えた。
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suzuki-flamingo · 6 years ago
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ヒルギ林3
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 そのまま遊歩道を進むと、川の方へと続く別れ道があった。そちらへ折れると、歩道が傾斜して少し高くなり、いくらばかりか見晴らしのいい展望デッキへと出た。対岸が見えた。対岸も一面のヒルギ林だ。川面は手前の林で遮られて見えなかった。デッキはどん詰まりの舞台のようで、その先にはヒルギと流れる水の気配、そして山へと続く森しかなかった。
デッキにしばらくたっていると、空から鈍いプロペラ機の音がした。機影はなかった。低い空そのものが鳴っているようだった。すべてのものが幻のように思えた。わたしは震える手をおさえながら、箱にはいった指輪を取り出した。あたりは静かだった。プロペラの音ももうしない。箱のくぼみからそれを外して、相手の指にはめた。それからしばらく佇んで、どんよりとした空とヒルギ林を眺めた。景色は変わらず、空も静止したようだったが、それらの内側で雲が雨の結晶を生成し、シオマネキが潮をまねき、あらゆる虫が動き、魚がはねるのがわかるように思えた。
二人とも落ち着きを取り戻してから来た道を戻ると、ご老人方が玉を打つ音が頭上近くを直線的に響いた。しかしそれ以外に音はなく、試合は驚くほど寡黙に進められていた。駐車場近くの川辺に近づくと、ちいさな魚の群れがサラサラと流れ、あちらに行き、こちらに来た。飽きずにしばし眺めていた。幾分か潮が満ちはじめていた。
しばらくすると上流から何かおおきなざわめきが群れをなして近づいてきた。川面をはじき出した雨だった。川幅ぴったりに列をなした魚の群れが上流から駆け下りてくるように、雨の境界がはっきりと目に見えた。それは鳥の飛行よりも遅く、蜂の飛行よりも早い、まさしく水に順じ、その上を走り、その中を泳ぐような、なんとも不思議な速度だった。二人とも車に駆け込んで雨宿りする気は起きなかった。雨に打たれることでしか、目の前の光景を維持できないかのように、しばらく呆然と立ち尽くしていた。そして、何事もなかったかのように雨は去り、ちいさな魚の群れが川面近くに姿を現した。
濡れた髪をハンカチで申し訳程度に拭いていると、またプロペラ機の音がして、空を眺めたがやはり機影はなかった。雲はそれほどに低いのだろうか。目を戻すと、もうゲートボール場に人は居らず、駐車場にはわたしたちの車だけが残されていた。
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suzuki-flamingo · 6 years ago
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ヒルギ林2
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 川の砂は、浜辺のそれに似ていたが、よどんだ雲のためか、どこか沈んだ色をして寂しげな川の水を促していた。砂地には、おびただしい数の穴があき、赤と黒の大小さまざまなシオマネキがひしめき合っていた。すべての個体が一斉に動きだし、あちこちに散らばったかと思うと、息をあわせるようにしてまた一斉に止まった。移動と中断は音もなく繰り返され、砂地にひとつの秩序を生み出していた。
ヒルギ林に続く木の遊歩道を奥へと進むと、緑は深くなり、川面はすっかり見えなくなった。歩道の下には相変わらずシオマネキが行き交っている。ヒルギの分厚い葉は干潮の砂地を暗く覆い、その根は闇の中をあやしく這っていた。枝葉の向こうで魚の跳ねるような音がして、その響きが林に溶けた。ときおり葉が何かのかたちをした生き物に触れて、カサカサと音をたてた。水鳥か獣のそれか、わたしたちは一瞬思いを馳せたが、身体がそれを拒んだのか、具体的なかたちを思い描くことが出来なかった。多くの生き物が、わたしたちのまわりを取り囲んでいて、それらの多様な息遣いが周囲を満たしているようだった。わたしたちの身体は、そうした透明なものをたしかに感じとるひとつの容器だった。見守られているのか、監視されているのか、特段気にもされていないのか、はじめはそんなありふれたことを考えていたが、歩を進めるごとにどうでもよくなった。おそらく「むこう」は、個別に凝縮して矮小化することのない全体のなかにあるのだ。わたしたちは心地よい充足のなかにある訳では決してなく、もっとずっと古い時代の同じ森を歩いているかのような畏れと喜びのなかにあった。
数百メートル先にはゲートボールに勤しむご老人方がいるはずだったが、その気配はすっかり消え失せていた。周囲何キロメートルにもわたって人の気配がしなかった。それをお互いが感じ、口に出そうと目をあわせたのと同時に、遊歩道の向こうから中年の男女が歩いてくるのが見えた。二人ともハイキング着姿で手にはトレッキングポールを握っている。二人が微笑むのがわかった。わたしたちも人の存在に安堵してか、自然と肩の力がぬけた。顔をあわせて挨拶を交わしたが、どこか幻じみていて人間的な交感をした気になれなかった。振り返ってみたものの、何もおかしなところのない二つの人影が駐車場の方へと歩いているだけだった。
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suzuki-flamingo · 6 years ago
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ヒルギ林1
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 本当は午前中からずっと夕日の海辺を目指していた。道は海沿いを巡り、島の西側を行けば、あるとき水平線は光り輝く。この島に来ればそれは自ずと訪れるはずだった。今日という一日だけは、その最後の時間のためにあった。
けれど飛行機から見えた海は、着陸の為に高度を下げる頃には見えなくなり、ギアダウンのはるか前に窓の外は雲で覆われた。日差しの差す気配はなかった。ときおり勢いよく通り雨が過ぎ、雨粒がフロントガラスの上を増水した川のように流れた。予報では明日も明後日も雨だった。
好転する気ざしのない空を嘆きながら、わたしたちは北の方へと車を走らせた。車は当初からの目的地だったヒルギ林を目指していた。ヒルギは汽水域に自生する、いわゆるマングローブのことで、助手席の彼女は何故か幼い頃からその光景に憧れを抱いていた。
1時間半ほど走ると、道は少しずつ狭くなり対向車もまばらになった。森を抜けて山を下った。ゆるやかな坂道の先に波ひとつない穏やかな湾が見え、それらしき緑地が見えた。駐車場には1台だけ車が止まっていた。車を降りると雨は止んでいた。湾に隠れて浜辺は見えず、波の音も聞こえなかった。川はまどろむようにゆるやかに流れ、風もないので葉がゆれる音もしない。静寂ともまた異なる、満たされた静けさ、豊潤で静かな響きがあたりに続いていた。そうしたなかを、ときおり南国の鳥の声だけが嘘のように貫いた。
駐車場の横には草のまばらな広場があり、近所のご老人方がゲートボールをはじめようとしていた。彼ら彼女らの出す音は、内側にしか響かないようだった。とどのつまり恐ろしいほどに静かだった。
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suzuki-flamingo · 6 years ago
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あたみへ4
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 線路はすこしだけ内陸に入り、家々の屋根を見下ろした。湯河原に停車すると、道行く人がみえた。幾人かは傘を差し、幾人かは早足だった。
「パパーどこいくのー」
「あたみだよーホテルいくんだよー」
「パパーどこいくのー」
「あたみだよー」
「やったー、さやちゃんもあたみいくー」
「いこうね」
「パパいこうー。いっしょにいこうー」
 熱海にぬける最後のトンネルを出ると雨は止んでいた。隣の青年も荷物をまとめはじめた。わたしは引き続き静岡にむかって東海道線を乗り継ぐ。15両あった列車はここから5両編成になる。
 終点の旨の車内放送がはじまると青年は立ち上がり、列車がホームに入る前に階段に近い方のドアへむかった。わたしは腰が重くタイミングを逸した。あるいはひとつ空けて隣に座る老婆になにかを遠慮した。そしてドアが完全に開くまで席に座り続けた。何事もなかったのだ。これから熱海のホテルへ行き、数日してまた家に帰る。そういうことがおそらくこの先続いていく。わたしは時計を見て立ち上がり、重いカバンを背負った。
「ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
 ふいに届いたそれは、もう震えてはいない老婆の声だった。夫婦は列車を降りるための身支度に忙しく、その声に気づいていない。わたしはかえす言葉が見つからず、ただただうなづいて駆け足にホームを進んだ。
後ろから彼の声がまた聞こえた。
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suzuki-flamingo · 6 years ago
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あたみへ3
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 女の子はお母さんの顔に投げつけられたハンカチをひろってお父さんに手渡し、そのまま膝の上にのぼった。おぼつかない足取りでキティちゃんのリュックが揺れていた。
「おとうさんうみーうみー。みてみて。うみだよ」
「うん、うみだね」
「うみーみてーみてー」
「みたよー」
「ほんとにー?ちゃんとみたー?」
「うん。でもみえないよ、さやちゃんの手でー」
「うみーうみーみてー」
「みてるよ」
 遠くの海は晴れていて、海面が光を反射していた。車窓の水滴が同時に光��ようだった。お父さんの腕にしっかりと抱きかかえられた女の子は、どこか得意げだった。
「おばあちゃん、おみやげかおう。おみやげー」
 老婆がちいさくうなづくいた。「うん」という声が漏れ聞こえた。しかし吐息のようにかすかなその声は、ちいさな耳には届かなかった。二人の目線はたしかにあっていたが、女の子がほしいのは言葉だった。
「おばあちゃん、おみやげー。おみやげかおうねー」
「うん、うん」
「たくさんかおうねー。たくさんいっぱいね」
 声はどんどん大きくなった。
「いいよ、おみやげ聞こえるよ、おみやげ聞こえるよ」
 老婆の声は震えていた。次第に海は見えなくなった。
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suzuki-flamingo · 6 years ago
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あたみへ2
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 家族が乗り込んできたとき、妻に対する夫の言動はすでに異様な殺気に満ちていた。老婆はなにも言わず、女の子のことを終始気遣っていた。妻はどこまでも夫に寛容だった。夫がひとりだけ向かいの座席に座って、スマホをいじりだしてもそれを許容していた。
 「お父さん疲れてるんだからね、ちょっとお休みさせてあげようね」
 そう言って、女の子と老婆と3人でおもちゃのサンドイッチを作って遊んでいた。女の子はキティちゃんのリュックを背負ったまま、ベーコンと卵とレタスをせっせとパンにはさんだ。ベーコンという言葉がうまく言えず、老婆が何度も繰り返していた。
 「これはベーコン。さやちゃん食べたことあるでしょ、ベーコン」
 「うん、あるかもしんない」
 「ベーコン」
 「べーかん、べーかん」
 「ベーコン、こんこん、きつねさんと同じ。こんこん、べーこん」
 「こんこんね、べーこん!べーこん」
 老婆の発音はすこしなまっていたが、それを繰り返して徐々に言葉を覚えはじめた女の子の発音は標準的なアクセントだった。
 新しい言葉を教わった喜びを足取りで表現しながら、完成したサンドイッチをお父さんの方へと運ぶ。
 「サンドイッチできたよーたべてー」
 「お父さん疲れてるんだから休ませてあげなね」
 お母さんは女の子をとめようとする。
 「いいだろこれくらい。ありがとーはい、パクパクしたよ」
 女の子はそれを聞いてうれしそうにお母さんの膝の上に戻った。
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suzuki-flamingo · 6 years ago
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あたみへ1
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 車窓には水平線から伸びる虹が見えていた。半円の4分の1ほどの不完全な虹だった。東海道線熱海行きの列車は小田原で人を吐き出し、わたしの乗る車両には6人しか乗り合わせていなかった。つまりわたしとわたしの隣でどうにか努力して眠ろうとする若い青年、それにひとつの家族だけだった。少し歳のいった夫婦と3歳くらいの女の子、それにおそらく夫の母親である白髪のちいさな老婆の4人家族だ。
 眼下に海を見下ろす崖っぷちを走る列車は、連続するトンネルの暗闇を何度も抜け、そのたびに青空はどす黒い雲の面積を増やした。虹もいつしか見えなくなり、真鶴を越えたあたりから、窓には水滴の流線が走った。雨の端に列車が触れたのだ。遠くの海はまだ輝いていた。
 夫がまた妻に対して声を荒げた。
 「雨降ってんのかよ!ふざけんなよ。おれ傘持ってねーぞ」
 妻はおだやかな声でこたえる。
 「わたしも持っていないよ。天気予報晴れだったんだもん。仕方ないでしょう。駅で買おうよ」
 隣の青年はおそらくまだ眠れていない。
 「ふざけんなよ!ちゃんと考えろよ!いつもそうじゃねーか。なんで考えねーんだよ」
 その声は列車のなかとは思えぬほどに声量を増していた。
 「もう帰れよー!帰れ!」
 夫は勢いよく妻にハンカチを投げつけた。顔に当たったハンカチが床に落ちた。
 「ごめんね、駅で買おう」
 妻はおだやかなままにこたえた。ほんの少し笑みを湛えていた。
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suzuki-flamingo · 8 years ago
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廊下5
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  家に戻り、バッグの中や財布の中を探してみたが、傘立ての鍵は結局見つからず終いだった。
夕飯を食べながら、家族に警備員や無くした傘のことを話すと、母はわたしが幼い頃に傘の先を側溝の網の穴に突っ込んで抜けなくさせてしまい、大人二人掛かりでようやく外したことがあったと話した。それとなく相槌を打ちつつも、わたしはその出来事をどうにも思い出せなかった。妹の話と勘違いしているのではないかと疑ったが、やはりわたしのことらしかった。
そんな折、ふと思い出して、例のサイパンのおばけの話について母にたずねてみた。そこで一体なにを見たのか、今なら詳しいことも包み隠さず話してくれるだろう。長年聞きそびれていたせいで、話はわたしの内側で勝手に場所を占めはじめていた。あのときと同じように、わたしは嬉々として答えをまった。
しかし、またしてもその期待は裏切られた。つまり母が言うには、たしかにサイパンに行ったことはあるが、おばけを見たことはなく、またそれ故当然、その話をわたしにしたこともないということだった。
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suzuki-flamingo · 8 years ago
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声のない午後
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  戸を押し開ける。店内にはクラシック音楽が流れている。
タバコの煙がすらすらと立っているが、それを吐く後ろ姿は、最小限のちからでかたちを保っている。本を読む者も、どういうわけか印象が乖離している。本も手も頭も、流れている音楽の方に心の中心を支えてもらっているような、熱のない塊になっている。ページは湿度の微妙な差によって繰られるほどに軽い。
曇りガラスの窓から、どんよりとした空の弱い光が差し込んでいる。窓をとおった光と元から空間を満たしている青い光が干渉して、椅子の装飾が描き出される。
わたしと友人は、入ってすぐの4人席にかけたが、そばのストーブが熱く、たまらず席をかえた。外はそれほど寒くはないのに、なぜかストーブがついている。まだ、ストーブというには季節が早い。それほど寒くなると言うのだろうか。一番奥の席に座りなおしたが、あいかわらず店の空気は別のものにその中心を奪われている。注文を取りにくる店員は、無表情で輪郭もおぼろげだ。表面を取り繕う愛想とは別の類、何か秘密でも共有しているような、あるいは一方的に秘密を質にいれてしまったとでも言いたげな、そんな類の親密さを内側に隠している。コーヒーにシロップが必要かたずねる言葉もどこか儀式めいていて、めりはりがない。本当はわたしにではなく、わたしの背後にある静かな塊のために確認をとっているのかもしれない。
店のなかで唯一許されている人間の声は、そうした注文のやりとりだけで、そのほかの音も最小限に、どれも薄く引き伸ばされて扱われている。椅子を引く音、客が出入りする際に開くドアの音、床の木材が軋む音、支払われる小銭の音。それ以外のすべては流れるクラシック音楽に回収されてしまう。使える音の数が限られているようだ。わたしと友人も声を秘めていた場所をうしなう。その分が空間と音楽に回収されて、風もなくまわって薄まり、そして音楽に加担して濃くなる。その繰り返しだが、言葉で言った際の印象ほどの熱量はもたない。温度をかえずにおこなわれるやりとりは繊細で、嫌味がない。だが気づくと、すこしストーブが恋しいくらいの寒気を感じている。
戸を引いて店を出るための熱は支払いのやりとりで返される。その最小限のちからで店を出ると、からだに声が戻りコーヒーの苦味が口のなかを覆う。そして街をふくむすべては既に返されていて、小銭だけがなくなる。
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suzuki-flamingo · 8 years ago
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廊下4
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  まわりに人気がないことを本能的に察すると、もはや早足というよりはなかば自然に駆けていた。いくつかの部屋の扉の金具があやしく光り、人影を幻視したように思えた。声や気配はなかったが、誘われているようで目を逸らした。暗闇に思えた廊下の突き当たりには左手に階段があった。外の空気か、子供の声か、その先に出口があるような気がした。手すりの感触を頼りに何段とびにも駆け下りた。わたしは無害な愚者にすぎぬ、と祈りを唱えていた。3階分ほど降りたところに下駄箱を見つけ、同時に外の光が感じられた。階段に靴が踏み込む感触が実体化してきた。ゴム底の嫌な音がここでは一度もしなかった。おおきな扉をひらくと空気が変わり血のなかの恐怖が引いた。
雨は止んでいた。まだ陽もあった。泥の水たまりになった草地と、どこかから移設されたであろう石室の跡があった。奥の開けた広場には、太陽系の惑星がおおきな模型になって設置されていた。陳腐な色が塗ってあったが、汚れと塗装の剥げによってその陳腐さは加速しているようにみえた。こんな人気のない場所にわざわざそれを見学しに来る者は、1年でも片手で数えられる程しかいないように思えた。
草地をぬけてアスファルトの歩道に出ると、物売りが商売をしていた。それを見て、ふと正門に傘を忘れてきたことに気づいた。あの警備員が忘れさせたというのに等しかった。恐怖に辟易していたので、取りに戻るのは後日にしようと決めた。傘くらいならくれてやってもよかった。陽の光が急速に弱まりはじめたが、恐怖は去っていた。ただ、ポケットをいくら漁ってみても傘立ての鍵は見つからなかった。
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suzuki-flamingo · 8 years ago
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廊下3
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幼い頃、わたしは家の廊下が嫌いだった。玄関から居間へと続くその廊下は、夜は深い闇につつまれていた。深淵を覗くようだった。廊下を横切る際、顔の半分、暗闇に接する半分は、ある異様な気配を否応無く感じておののいていた。それはいつも目とは別のやり方で「見えて」いた。幼い顔の半分が捉えつづけたそのヴィジョンは、女性の半身像が描かれた一枚の絵画だった。輪郭や髪型、目の形、口の形、表情、それら一切はおぼろげだった。何一つ明確な線のない不確定な要素のあつまり。ただその印象、あるいは認識は、女性の半身像の絵画以外の何ものでもなかった。
わたしは恐怖と興味を抱きつつ、その絵画を何と呼ぶべきか考えた。それは少なくとも通常の意味あいでの絵画ではなかった。人でもない。写真でも映像でもない。そもそも昼間は存在しない。いや、夜でも存在しているのかと言われれば疑わしい。目に見えるものではないのだ。どうなるにせよ何かしらの名前を決めてから、母にその存在についてたずねてみようと決めた。
そしてある日わたしは、母に「おばけをみたことがあるか」とたずねた。考えあぐねた末の結論だったが、どこかでわたしはその名前が正しいものではないことを期待していた。つまり「そんなものはみたことがない」という母の答えを待っていた。「そんなものは存在しないし、今後一生見ることはないから安心しなさい」という母の答えを。
だが、その声はわたしの期待を裏切るものだった。「何年か前、新婚旅行でサイパンのホテルに泊まった際、ホテルの廊下で見た」と、母は淀みなく答えた。先をせがんだが、それ以上の話はなかった。怖がりのわたしが眠れなくなるのを案じてのことだった。母はどこか楽しげにみえた。わたしはサイパンという場所がどんな場所なのか、異国のホテルの廊下がどんなものなのかまったく見当がつかなかったが、廊下の暗闇に関しては理解できた。というよりも、まさしくそれこそが「おばけ」と名付けるべきものが立ち上がる場所、それにふさわしい、正しい場所だった。
あの絵画はいまでも暗闇の中に焼きついているようだった。日の名残りも完全に消え失せて、深淵を覗くだろう目の前の廊下にも、それは立ち上がろうとしていた。目を閉じてもそれが立ち上がる正しい場所が、血のなかに混じりだして次第に満ちていった。どこからか鳥の鳴く声がして、たまらず早足に歩き出した。
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