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若者のすこし
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t-u-e-n-3 · 3 years ago
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奥先生。
ふと思い出して、小学校の頃にお世話になった先生の話を書きたくなった。
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俺は良く教師に覚えられる生徒だった。成績がものすごく良いわけでも無く、小、中、高の教師に対しての畏怖も尊敬も、何の思い入れもありはしなかったけれど、俺の名前と顔を覚えてくれる先生は多かった。それは特に国語の先生だった。
勉強が好きだったわけではないけど、国語の授業で居眠りをした記憶は無い。授業で取り上げる物語のあらすじを先生が丁寧に説明してくれるのを尻目に、別な物語まで読み始めて結局テストの範囲を聞きそびれるようなことが良くあった。数学や英語の答案が赤点間際で返されてヘラヘラしていても、国語だけは80点以上じゃないと心底落ち込んでいた。
俺を国語好きにさせてくれたのは小学校の頃の担任の先生だった。180センチぐらいの細身で、少し頬が角張った、黒縁のメガネの奥に優しい眼差しを持った先生だった。名前を奥先生といった。
ある日、ちいちゃんのかげおくりという物語を先生が読み聞かせる授業があった。音読している最中、奥先生は泣いていた。しかしそれは大袈裟に涙を落としたり、喚いたりする滑稽なものではなく、音読する声を静かに振るわせていただけだったから、気づいた生徒は少ないと思うけど、些細な異変を感じで顔を上げた俺の目には、確かに大人の男性が泣いている姿が窺えた。子供ながらに感受性の強い先生なん��なと思った記憶がある。
小学四年生の頃、俺は数人の生徒に「イジメ」とも取れるような仕打ちを受けていた。それは机に体を拘束されて昆虫図鑑で頭を叩かれるようなことや、教室を移動している最中に背後からスライディングを決め込まれるなどといった、健全な男子児童であるが故の陰湿さのかけらもない、攻撃力に特化したパワープレーが目白押しだった。反撃する勇気も、力もなかった俺に奥先生は「やり返しても俺は怒らない」といつも言ってくれていた。先生が怒っても本当の解決にならないこととわかって言ってくれたんだろう。
石油ストーブがあったから冬だったと思う。俺は1人の男子児童に全力で蹴りを入れていた。俺をいじめていたうちの1人だった。休み時間で騒がしかった教室は、いつの間にか俺の言葉とも取れない嗚咽混じりの怒号だけが聞こえる空間になっていた。隣にいた奥先生は俺を止めようとする生徒を制して、「やらせてあげなさい」と言っていた。俺は気が済むまでうずくまる彼を踏み倒した。次の授業は俺と彼と先生だけが別な教室で話をして、給食の放送が流れ始めた頃に教室へと戻った。それ以来俺は誰からも攻撃の対象となることは無く、奥先生も何事もなかったように接してくれていた。
ある日の三者面談の時、母親に「息子さんはとても強くて優しい子です」と言ってくれたことを俺は忘れられない。
高校を卒業して入社した会社を、8ヶ月で退職し、地元でフラフラしていた19の頃、商店街に面したTSUTAYAで音楽雑誌の立ち読みに飽きて帰ろうとした俺の目に、奥先生に似た長身のメガネの男性が映った。両手を2人の小さな息子に握らせてエスカレーターを降りて行った。確か当時、息子が2人いると話していた記憶があったが、その時は生まれたばかりだったのかと思った。きっと俺にしてくれたように、間違ったことをちゃんと否定して、その先へ導いてくれるまっすぐな父親なのだろうと思った。次の日、俺は、俺が蹴りを入れたあの時の彼と、マクドナルドのバイトへ出勤していた。彼は今、自衛隊で勤務している。
一通りそんなことを思い出して、ちいちゃんのかげおくりを読み返してみた。戦争によって離れ離れになった家族の切ない物語なのだけど、中身よりもあの時の震えた奥先生の声が思い出されて喫茶店で泣いてしまった。恩師という言葉には少し、あの頃の残滓のような恥ずかしさがあるが、感謝する教師を挙げるなら迷わず奥先生の名前を出す。
先生。俺のことをま��覚えていますか?
俺は今、東京にいます。
5/9
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t-u-e-n-3 · 3 years ago
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カッコいい小説だった。友人から(俺の数少ない友人と言えるT氏)もらった服の中から出てきた本だ。最初見た時はゴミまで押し付けられたと思ったものだけど、書き出しからテンポが非常に良く、若さを滲ませた曖昧なドロドロした文体で、頷きながら読んでしまった。社会のどこにも属していないような感覚。数十年前の学生運動を背景にしていても、若者が感じる無力さとか排他的な社会への不満とか、ずっと残り続けてるんだなって思った。
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俺が思っててもうまく言葉にできないようなことをこのページで言ってくれてて、それだけでもうこの本を読み進めた価値が見つかった気がした。
俺が、俺と言う人間を決定つけるんだ。今まで出会ってきた数々の人間、出来事、それらひとつひとつを自分のものとして、俺が俺を作り上げてきた。もちろんそれは別な何か(音楽や、文や、映像)によって種が蒔かれ、できた芽だとしても、育て上げるのは自分から湧き出る水なんだ。人がどう思うかはまた別な話で俺は俺の胸を熱くさせ、湧き上がるものを信じてなくちゃいけない。その思いはいつか、俺の大切なところで俺を助けてくれるはずだから。
余談だけど、文体が俺の大好きなライ麦畑でつかまえてに似てるなって思ったけど、出版当初も同じような批評があって、著者はそれを痛烈に批判していたらしい。書き方がどうであれ、関係ないと思う。俺は感動したし、俺の考えた生き方は間違ってないと思えたから。
4/30
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t-u-e-n-3 · 3 years ago
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もう自分の弱さとか、卑屈さを介して人を傷つけるのも、自分が傷つくのも嫌だ!
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t-u-e-n-3 · 3 years ago
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1番近い距離にいる人を僕らは1番傷つけてしまい易い
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t-u-e-n-3 · 3 years ago
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また、お前の家の前を通って俺はバイトに行く。
あれから俺は何ができて、何ができなかったんだろう。分からない。
去年の今頃はこんな暖かったっけ。
来月、会いに行くね。
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t-u-e-n-3 · 3 years ago
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俺はこの持ち前の卑屈な精神性でいろんな人間の苦笑いを産んできたわけだけど、昨夜恋人に、「あなたは自分が傷つかないように、自分を曲げてきたんやろうね」と真っ直ぐな言葉を受けて、自身の歪みみたいなものをちゃんと見せてもらった気がした。
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t-u-e-n-3 · 3 years ago
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俺はいつでも、誰にも嫌われないような手段を選ぼうと右往左往しているうちに、気づいた時には、より深く相手を傷つけてしまうような選択肢だけしか残っていない。
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t-u-e-n-3 · 3 years ago
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何かが欲しいという思いをキープすることは、その何かが今の自分にはないという無力感をキープするようなもので、それはとても難しい。
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友人に勧められて、「そうして私たちはプールに金魚を」という映画を見た。20分強のショートムービーながら、田舎町に住むことへの閉塞感、それを受け入れている周りへの嫌悪や嫉妬、退屈をぶち壊したい欲望と諦め、俯瞰した友情。分かりやすく、コミカルに詰め込まれていた。
そういえばラブ&ポップも似たような感じだった気がするなぁと思って見返した。
確かにこっちにもそういう描写があったけど、こっちの方はシリアスでアブノーマル感が強かった。
カメラのアングルとか、いい映像を撮るという大義名分の元に、少女の脚を凝視したいだけなんじゃ無いかと思うのは軽率だろうか。逆にそう思う男に対する「お前もまじまじと見ているじゃないか」という男性的な視点を逆撫でする演出なのだろうか。原作を読んで自分の感想の尺度を測ろうと思う。
「そして私たちはプールに金魚を」YouTubeに上がってるんで電車の移動時間とかにおすすめします。
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t-u-e-n-3 · 3 years ago
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「喫煙目的店」という表示、昨今の喫煙者への措置に対して抗い、逆に非喫煙者を淘汰している感じがしてとても好ましい。
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t-u-e-n-3 · 3 years ago
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僕を背負った言葉たち
ピース又吉のYouTube見ていたら昔のことをよく思い出す。昔と言ってもほんの2、3年ほどの事なのだけど。
一年を、思い出を詰め込む大きな入れ物だとしたら19、20の頃はそれらが張り詰めんばかりに膨張していて、しかし、正確に開けるのも、覗き込むのも困難で、一瞬にして頭の中を通り過ぎていくような感覚を覚える。そこにはきっと今も残っている自意識や自己愛や他人とのズレなんかが色んな出来事と共に織り込まれていて、その糸を辿って行く度に赤面するような、目を逸らしたくなるような羞恥と若さのパッチワークが見事に出来上がっているのだろうけど、それすらも今は、曖昧になっていることに、時間の流れをあらためて自覚している。
19から20歳にかけて本当にお金が無かった。蔓延する流行病も無く、ライブが積極的にできる状況下で、俺は1ヶ月の間にいかにライブができるか、ということと、どれだけ曲が作れるか、ということと、女性にどのように接すればモテるのかということしか考えておらず、自身の生活の基盤となる労働に置いて一切の心血を注がないと決めていた。急なライブの誘いも断れずバイトをサボり、友達との飲み会があればサボり、朝起きて雨が降っていればサボっていた。遅刻するのも常で、終業の1時間前に出勤することもあった。いよいよ上司に咎められたが、クビにするならしてくれと勇み立って逆ギレしたこともあった。自身の自由を縛り付けようとするものに対しては何にしても攻撃的だった。
確かに、メンバーにも自分のいた環境にもたくさん迷惑をかけたけど、間違ったことはしていないと心から思っていた。自分の中の道理は通しているつもりだった。
持っている2つの銀行口座がどちらも千円を切って、タッパーに大量の白米だけを敷き詰めて出勤していた時期があり、パートのおじさん、おばさんに弁当の副菜をいただいて空腹をしのいでいた。
いつしかそれが昼休憩の当たり前になって、いつのまにかもらえるおかずも増え、普通に頼む弁当よりも豪華な昼飯になっていたこともあった。
なぜ、この人たちは、欠勤したり、遅刻したりする、迷惑をかける人間にこれほど優しくできる神経を持っているんだろう、と他人事のように不思議がったりしていたけど、今になってみると少しだけわかる。
どんな人間も若さを経験する。年齢として何歳からが、若い、若くないという数値的観点ではなく、精神や言動に対する若さというものだ。当たり前を当たり前として受け入れられない、社会に埋め込まれている自分の存在を肯定できない、そんな渦巻きで、もがいたり、葛藤している様が、あのおじさん、おばさんには手に取るようにわかっていたのかもしれない。
結構前にライブのMCで、自身を弁当の副菜に喩えた話をした。弁当には様々なおかずがあるけど、絶対にご飯と主菜はある。でも俺はそれにはなれない。なれる人格ではない。右上のいてもいなくてもいいような、寂しそうな漬物ぐらいだろう。でも、この漬物、めっちゃうまいからな!!というような調子だった。何に憤慨しているのか、思い出すと笑ってしまうけど、それはあの時おばさんにもらった副菜が何にも代え難いほどありがたかったことを忘れたくなかったからだった。
おばさんらが俺に見たように、若さには未来がある。時間と共に勝手にやってくる。若い人間の未来というのは、いつのまにかやってくるからこそ、静謐で緩慢で今の俺にないもの、欲しがるものを与えてくれるような幻覚を見せてくる、俺自身の面をした怪物だ。
俺が目を合わせているのは未来じゃない。いつだって過去と、現在に残る事実だけだった。そういう視野の狭さがあって、それは未だにあると思っている。
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t-u-e-n-3 · 3 years ago
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新井英樹好きな男が魚喃キリコを好きであるはずがない。俺以外は。
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t-u-e-n-3 · 3 years ago
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バンドって不思議だ。自分で言った言葉って返ってくるんだ。良くも悪くも。
演奏中、俺はずっと俺に歌ってた。客の、誰の目を見るわけでもなく、少し遠くに光る、非常灯を睨みつけて、演奏していた。俺は俺のために、俺が楽しくあるために、寸分狂わず利己的にライブをした。
したんだけど、お客さんもさ、バンドを救おうと思ってライブハウスに足を運ぶわけじゃないでしょう。聞いたい音楽があって、見たい演奏があってくるんだから、自分のためなんだよね。でもそんな互いの個人的な、利己的な理由で行われるライブでさ、お互いが「良いもの」を少しでも掴めたらそれが音楽の美しさなんじゃないかなって、勝手にお熱になってる。違うのでしょうか。
今日、なんでい��ライブができたのか、よくわからない。ただ、今日はもう、かっこつけるとか、いいライブしなきゃとか、どうでもよかった。やる前ビール飲んでたし。(罪悪感を肴に飲むビールがよ!)ただ今日は楽しくやるんだって決めてた。上手い下手じゃなく。
気づいたら俺は人生で初めてギターぶん投げちゃってた。あんなに可愛がっていた黒テレを、、、俺は、相当、いい感じだったのだと今気付いた。
イセノさんと、カワノさんが見てくれてて、褒めてくれた。俺の青春を青春と呼んでくれる人たちだと俺が思ってるだけに、相当嬉しかった。でも俺らは褒められることに全く慣れていないので、三者とも俯いて嬉しいなぁとニヤニヤすることしか出来なかった。そして次のライブ、俺はこれを越えられるのかなとも少し思った。
まぁでも今は、次の朝まで不安に駆られる心配は無さそうです。
見てくれた皆さん、あざりがとうっした。
3/2
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t-u-e-n-3 · 3 years ago
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少なからずある世の中のしょうがないかシリーズ
・キットカットを割らずに食べることへの畏れ。
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t-u-e-n-3 · 3 years ago
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横浜の寒気に身をすくめておりました。
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t-u-e-n-3 · 3 years ago
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いつかの期限が
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俺、いつかは、少し遠くで目が合っている犬に何の迷いもなく触りに行きたい。
俺、いつかは、電車を降りた後にすれ違う、間に合いそうも無いのに、全力で階段を駆け上がっていく人を呼び止めて、「もう行ってしまいましたよ」と言いたい。
俺、いつかは、歩いた方が早いと思えるほどチンタラ自転車をこぐ老人と一緒に帰りたい。
俺、いつかは、工事現場への侵入を防止する為だけに長時間立っている、日払い労働者に間違えて買ってしまったと見せかけて、温かい缶コーヒーを渡したい。
俺、いつかは、少しだけ面識のある知り合いを街で見かけたとき、自分から肩を叩きにいきたい。
俺、いつかは、父になりたい。
俺、いつかは、名前の片方をあげたい。
俺、いつかは、それら全てを忘れたい。
2/8
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t-u-e-n-3 · 3 years ago
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電車の車窓から日の出を見たのはいつぶりだ。そもそも日の出を見たこと自体もう遠い昔のような気がする。初日の出。毎日この時刻、同じ電車に乗って同じ会社に向かう人たちは、この日の出も見飽きたどころか、嫌悪感すら覚えてしまうのだろうか。
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満員電車に乗り込むには少々憚られるほどの荷物を持って肩を丸めながれ詰め込まれていく。運ばれていく。殺人鬼がいるよ。ここには放火犯がいるよ。内側にナイフ持って、ガソリンを撒いているよ。人々の群れの中の、どこかに。隠したネジを落とした人たちが炙り出されていくよ。数センチ、数秒の誤差で、わたしたちは大丈夫で、平気なだけだった。
一月の終わり、朝になってから一層冷たく風が吹くから、降りたホームでコートに首を隠した。これだけの人が溢れていても、血流のように、ぶつからずに、止まらずに進んでいくのが面白くて、そのひとつになっている自分に気がつかない。かじかみ始めた手を閉じたり開いたりしながら文字を打っていると、この行為自体がバカに思えてくる。早く仕舞えばいいのに。手。
俺が思ってるよりも周りが加速しているのか、俺が思ってるよりも俺が愚鈍なのか、どっちでもいいけど、俺は俺の足の速さをそろそろ知らないといけないみたいで、急かしながら甘やかされるように、怖がりながら近づいてくように、ここらで支度を始めることになっていた。自分のためにいきる、のような言葉は、もう散々自己啓発の太字に刷られてカラフル。マジカル。しかし俺は座れる席を見逃したり、先に行く人たちに手を振ったりしていた。自分と環境との間にあるエゴと平和の塩梅はどういったお手前で?そこに人の苦悩と悲しみが蔓延っているんでしょう。
なんて。
さて、中身の無い、よくわから��ことを暇つぶしがてら書いてきたら、お腹がすいてきた。
今はMVの撮影のため、宇都宮へ向かっております。
長い。座れない。移動中、快晴です。ずっと開き口にいるので、日焼けしてしまいそうデス
書いた通り、この生活に甘えながらも進んでいくんですね。怖がりながら近づいていくんですね。
そんな中で、いいもの作って、束の間でも悦に入りていです。
関与せずとも、吉報を待て。
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t-u-e-n-3 · 3 years ago
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他人の内情に極力干渉しないことが、俺はひとつの優しさの行為だと思っていたけど、それを言葉にしないことによって誰かを傷つけてたりもしたんだな。
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