#「やる気ゼロ助」 宇宙から来ました。 やる気ゼロ助です。 いろいろあって やる気ゼロの時にも 「まぁ、そんな日もあるよね〜」 と言ってくれます。 よろしくどうぞ。 かとうよ
Explore tagged Tumblr posts
Text

0 notes
Text
ウルトラマンZ 21話~最終回 感想
どうも、ウルトラマンZが楽しい好ヲです。 はっはっはっ、もう2021年だ。今年も宜しくお願い致します。抱負といたしましては、もう元気に過ごせたら、それで良いや~って感じでいきます。ゲームとか絵とか楽しめたら、尚良いですね。
21話 感想
・D4
四次元の「D4」でしたね。結局、バリバリの兵器「D4レイ」になりました。なんかこう……もっとワープとか移動系に活用すりゃ良かったものを、よりによって砲弾にしてしまうの、人類の良くない所だと思います。ヤプールですら、そんな使い方してないのに危険すぎる。 無人島で実験した結果は……威力は引くほど抜群ですが、空間が避けてボロボロになった状態で放置。そりゃそうだよね、破壊した次元の修復なんて技術は人類持ってませんからね! ヤプールと共同研究でもしなきゃ無理な課題でしょう。
・宇宙凶険怪獣ケルビム
またヘビクラ隊長が不機嫌になるような怪獣がやって来ました。隕石が卵、その隕石も雨あられと降ってくるので地表のダメージが深刻です。 更に問題なのはストレイジ内部……というか地球防衛軍日本支部の人達。やたら高圧的なのはなんでしょうかね。セレブロは個人に取り憑くタイプなので、日本支部の人達が誰も違和感を覚えていないのなら、あれが日本支部の通常営業なんでしょう。嫌な職場だなぁ。 長官の胃痛が最高潮になった以降、人が変わりましたね……セレブロがお引っ越ししてきたのかな? それにしては流暢にコミュニケーション取るし、ヘビクラ隊長も反応していなかったし、疑問が残るところです。セレブロが学習してきたのか、他の寄生生物が侵入しているのか。 ゼスティウム光線でD4レイの次元破壊をある程度くい止める事が出来たのは良かったものの、日本支部の人が「あの力があれば…!」って目をキラキラさせちゃってたのがヤバかったですね。「あっ、これヤバいことになるな」ってのが察せました。
・ストレイジ解散
長官命令に逆らったから解散。リアルに嫌な理由で解散させられたなぁ! 研究者・整備班とも、感情だけで無くそれぞれの専門的な視点からD4レイの使用を拒否していたのですが聞き入れられないだけでなく、追い出されてしまうとは。ヘビクラ隊長の舌打ちにめちゃくちゃ共感しましたね。駄目な職場だ日本支部。 ――こんな一斉に有能な人を追い出した後、どうするんだろう……? 現場を回せなくなるのでは。
22話 感想
・海賊宇宙人 バロッサ星人(3代目)
二度あることは三度ある……まさかのバロッサ星人でした。 セブンガーが戻ってきたのは嬉しかったんですが、バコさんとユカさんが博物館に飛ばされてたのが地味に衝撃でしたね。そんなあからさまな報復人事すんの、地球防衛軍日本支部……二人とも優秀な専門職の人なのにな。絶対あとで痛い目見るヤツだ。
・ベリアロクさん
結構ノリ良く出てきてくれたと思ったら、1回斬ったことがことがある相手と知った途端に興味を失うベリアロク……どうなることやらと思ったら、ヨウコ先輩に上手くノせられてましたね。派手な必殺技をセブンガーと共にかました後、結構楽しそうに帰っていったので、いつかまたヨウコ先輩とのタッグを見てみたいです。
・少し気になったこと
今回、「ヨウコ先輩が何故、腕相撲に拘るのか」の答えが出てたんですけど……「昔、父親に『自分より強い男と結婚しなさい』って言われたから」って、2020年代作品にしては古い表現の様な気がします。だってヨウコ先輩、成人してて、ストレイジのエースパイロットで、ハルキの頼れる先輩ですよ? そんな自立したキャラクターに「父親に言われたから~」って動機を付け加えるの、私は凄く違和感を覚えます。 しかも、ヨウコ先輩自身の好みのタイプはバコさんやゼットさんじゃん……腕相撲ふっかけた事のない相手が好きなのに、急に腕相撲に勝ったら結婚がどうとか言われてもなぁ……ちょっと、この部分は私、ついていけなかったです。
23話 感想
・特空機4号 ウルトロイドゼロ
これ、予告で聴いたとき『ウルティノイドゼロ』だと思ってて「名前からしてヤバい��ゃん!」と戦々恐々としていました。ウルトロイドだった……いや、やっぱり この名前もヤバいな。この宇宙では初めての人造ウルトラマンですけど、それこそジャグラーとかは頭が痛くなる案件ですよね、これ。今まで碌なことにならなかったもの、人造ウルトラマン……ゼットさんは「地球人が自分で自分の身が守れるのは良い」みたいなこと言ってましたけども。キングジョー&ペダニウムでもオーバースペック気味なのに大丈夫か? 地球の怪獣たちは脅威と思って次々と襲い掛かってくるし、収拾がつくのか心配です。 そして、この局面で正体を表したジャグラス・ジャグラー。ウルトロイドゼロをぶち壊す気で来たのかな? と思っていたのですが、乗り込む気で来たのか? ちょっと悪い顔をしながら行動してるので判断付きにくいところが、ジャグラーらしいというか、なんというか……
24話 感想
・無幻魔人 ジャグラス・ジャグラー
うわぁ……上手い事、正体表したタイミングを利用された……! ここのセレブロは良い仕事をしていたと思います。画像だけ観てたら、ジャグラーが こう……中立?……っぽいのは日本支部の人たちに伝わらないもんな。実のところ、最初から追っかけてても真意はよく分かりませんが。 正体を隠しながら隊長してたって事で影響を心配され、元ストレイジメンバーは拘束されることに……その辺は真面目に隊長してたと思いますよ。本人は不服かもしれないけど、サポート業務得意だし、目の前で関係ない人が死ぬの嫌なタイプだし。ジャグラーのそういう所は信用しています。ハルキを盾にされた時も、舌打ちしながらも助けてくれましたし。※自分が積極的に関わってたナオミさんを手に掛けようとしたことはあります。※
・殲滅機甲獣 デストルドス
まず、ウルトロイドゼロが勝手に動き出した所が好きですね。あんなにウルトラマン(しかも、抜群にスタイルの良いゼロ)を模しているのに、あんなに気持ち悪く動かせるもんなんだ!って。技術的には横にして撮っているかと思いますが、動きが大変に気味が悪くて良いです。 様々な怪獣を取り込んで殲滅機甲獣にまで変化を遂げるわけですが、その中に卵を守るレッドキング居るんですよね……もちろん、取り込まれる前にレッドキングも必死で戦うのですが、間に合わないの辛かったです……背中にミイラみたいにくっついてるし。ゼットさんが戦う時に嫌でも目に入る位置にレッドキングがあるのが、また しんどいデザインしてるなデストルドス。 救いがあるとしたらゼットさんが最後まで卵を庇い続けて、安全な所まで取り合えず持って行けたことですね……無事に孵ると良いなぁ。
最終話(25話) 感想
・対怪獣特殊空挺機甲隊 ストレイジ
拘束されそうになった元ストレイジ���員をササっと助けていたジャグラー。何をやる気なのか……と、最後の最後に「ストレイジとして地球を守る」ことを選択しました。ちょっと懐かしい気がしてしまうけれど、ストレイジの制服、やっぱり皆似合っていますね! 隊長は堂々とトゲトゲ星人になっていましたけれど。「うわぁ、細胞のサンプルください!」って、ぶれないユカさんが素敵でした。 キングジョーストレイジカスタムにハルキ、ウインダムにヘビクラ隊長という今までになかった編成でデストルドスに搭乗したヨウコ先輩(セレブロ憑依済み)を救出に向かいます。ハルキはキングジョーに乗りたがってたけれど、こういう形になってしまったのは哀しいなぁ。そして、ピンチに駆けつける初代特空機 セブンガー! 何気に新装備です。ドリル付いてるドリル。ペダニウム砲・分離・タンク・合体・誘導弾・ドリルと持てるだけの技術で挑んで、やっとコクピットに手が届きました。最後の最後に「倒す」ことでなく「助ける」ことにストレイジの力が使われて良かったです。
・ご唱和ください 我の名を
「もう一度変身したら、ハルキの命が危ないので分かれる」って言った時でさえ「こういう時、地球語で何て言うのかな……あ、ウルトラ寂しいでございま(ブツ切れ)」って微妙にシリアスになり切れないゼットさん。でも「ご唱和ください!」って来られると、なんか謎の爽やかさがあるので応援したくなるタイプですね。うん、新しい光の巨人を観られました。「四次元を斬られるなんて楽しみ」で「お前たちと居て楽しかった」って最後まで良い人全開だったベリアロクさんもさることながら、最終局面にゼットオリジン……つまり表題どおりの『ウルトラマンゼット』が戦ったのが良かったですね! あの三分の一人前が、声援を一身に受けて光り輝いている……これは、ストレイジの皆もハルキに対して想っているかもしれませんね。
・ヘビクラ ショウタ隊長
ウルトロイドゼロに乗り込もうとしたのは「人間もセレブロも調子に乗り過ぎた」って、一人でD4をどうにかしようとした結果だそうです。おぉ『孤軍奮闘』。でも、ちょっとドッキリが過ぎたような。本当、あの点に関してはセレブロが上手だった。 本人は「“元”隊長だ」って言いそうですが、ヘビクラ隊長は制服着てる時は立派に隊長を勤め続けていたと思います。実戦経験のあるハルキをキングジョーに乗せ、自分はウインダムで支援に回る。両機とも行動不能に陥った場合でも、ハルキの脱出を優先してギリギリまで指示を出し続けていたこと。なにより、集まってくれた隊員たちに「危なくなったら、逃げても良い」とゆったりとした口調で声掛けをしてくれたこと。本当に、これは日本支部に喧嘩売って、勝ち目のない戦いに向けて緊張しきった隊員たち(無理をしがち)にとって必要な声掛けだったと思います。ストレイジに合った とても良い隊長だったよ、ヘビクラさん! ジャグラーとヘビクラ隊長で二重人格とかではなく、プライベートと仕事で顔を使い分けているだけのことだと、私は認識しています。危険な怪獣が出てくると、仕事中でもジャグラーっぽいイライラ��た仕草をだしてたし、ジャグラーの姿でもハルキ達の命を守ろうとしてた。何より、ゼッパンドンでゼットランスアローの相手をした時は、周囲の影響も最小限にしようと調整してた気がします(ゼットさん以外には、ほとんど攻撃当たってない)。じゃあ、なんでここまでキッチリ使い分けしたかって言うと、人類とウルトラマンの応援したかったからじゃないかと思います。「ご唱和ください!」の時、とても良い顔で「ウルトラマンゼット!!」って言っていますよ、ヘビクラ隊長。 ジャグラー、本当にウルトラマンに対して複雑な感情を持っているのですが、その中の1個に「強い憧れ」があってどうしても捨てきれなかったんだろうな、とオーブの頃から思っていたので、こういう形で表に出たのを観られて良かったです。本当にな~良い顔だったんだよ、ヘビクラ隊長。無幻魔人だって、格好良いもんは格好良いもんな! ただ、本人にどうしても受け入れられないものがある(そして、これはストレイジの皆のせいではない)ので、結局いつものオシャレスーツを着て静かに去っていくのですが……バコさんの取ってきたマグロを皆で食べに戻ってきても良いんですよ、ヘビクラ隊長! 気兼ねなく帰ってこられる場所が1つできたのはジャグラー自身にとっても良いことだと思います。本当に、ジャグラーも頑張って守り通したストレイジなので。
・盆と正月には帰ってくるウルトラマン
ジャック兄さんもビックリ。地球の文化で、やたらお盆と正月にだけ詳しくなりそうだなゼットさん……でも、そうやってハルキの都合も考慮してくれるのゼットさんらしい良いところだと思います。柔軟性のある、新しい光の巨人。神秘性は犠牲になっていますが、それも魅力です。まさか、戦いの後の「シュワッチ!」で落下するとは思わなかったじゃん。
・寄生生物 セレブロ
「その星の生物自身に自滅してもらうために暗躍する」「その為には一時期、星の生物に加担もする」って、凄いなセレブロ。自分が不利になるような状況も、結果のためなら甘んじて受ける……かなり厄介な相手でした。実際に人類自滅寸前だったしな。宇宙鮫を使って光の国へ侵入も果たしているし、被害の大きさはラスボスに相応しかったです。 そんな長期的な視点と忍耐を持つセレブロでしたが、ベリアルメダルの借りパクだけは我慢できなかった。苦労して取り返したのに、ヨウコ先輩に持ってかれてましたね。ベリアルメダルはともかく、ベリアロクさんは完全にセレブロのことは眼中に無さそうなので、これは縁が無かったとしか言いようがない。 色んな生物に憑りつくことで暗躍してきたセレブロですが、宿主が居なければ非力な異星生物……特にユカさんの前では! カブラギ君も元気に復活していて、良かった~! 前に観た時はズタボロだった上に立場も危うかったので、ここで姿が観られて安堵しています。楽しく解剖すると良い!
もうウルトラマンZクロニクルが始まっていますが、ここまで本編を追いかけてきてとても楽しかったです。やはり、ゼットさんの熱血なのか爽やかなのか、いい加減なのか真面目なのか よく分からない雰囲気が好きですね。レジェンドになったら、どうなるんだろうなゼットさん。ちゃんと先輩できるのかなぁ……? アブソリュート……タルタロス(タイトルの英語が覚えられない)もゼットさんが出るっぽいので、観ていきたい……2部の始まりから追いかけねば。
0 notes
Text
(感想)GODZILLA-決戦機動増殖都市-
GODZILLA・決戦機動増殖都市を観た。
初日も初日であるが感想を垂れ流していく。 なお作品のあらすじや概要を義務的に説明するのが大嫌いなので省く故、 観てない人は読んでもわけわからないとおもう。 だから観た人前提で、ネタバレ全開で行きます。
まずアニメ映画ゴジラ三部作の二作目というところで。 生まれてこのかた平成以降のゴジラ作品すべてを漏らさず見ている普通のゴジラっ子ことおいら。 もちろんこのシリーズも一作目から劇場で鑑賞している。
二作目の評に入る前に、まず一作目を軽く触ってみる。
一作目、GODZILLA-怪獣惑星-の僕の評価は、 「ゴジラ映画ではないが、面白いSF映画」だった。 そもそも僕はゴジラというキャラクターは大好きでもゴジラ映画を作品として優れているとは思っていない。 邦画史に残る大傑作「シン・ゴジラ」、怪獣映画復古を手伝った良作「GODZILLA(2014)」、まあまあ楽しい「VSビオランテ」、外連味溢れる「キングコング対ゴジラ」、そして言わずもがな初代「ゴジラ」などの一部を除き、大半は駄作である。 が、ゴジラという素晴らしいキャラクターゆえ駄作でも毎回なにかしら惜しい箇所や魅せ場があるからゴジラシリーズを観続けてきた。僕はそういうファンである。
そ���な僕に言わせれば、このアニメゴジラ「怪獣惑星」は映画として「まともに」成立している数少ないゴジラ映画の1つであった。 これほどまでに迫力とストーリー展開の良さと空回りしない演技を維持したゴジラ作品はそうなかったのではないか。 否、そこは「巨大特撮作品」と置き換えても良いかもしれない。 ガメラも平成だけが秀逸であとは時流に乗せられただけの駄作の極みだし、大魔神やガッパ・ギララ、ウルトラ映画などに至っては見る目も当てられない。 演技は下手だし演出はクサイし価値は無に等しい。 他の映画で散々やり尽くされたテーマをブラッシュアップもほどほどに投げてるようなもんである。三丁目の夕日に影響されてかリバイバルをテーマにした映画をウルトラシリーズが次々と繰り出したときは、「シン・ゴジラ」公開前だったこともあってこんな特撮文化アメコミ映画に飲まれて滅びればいいと思っていたくらいだ。 平成ゴジラに至っては良作は絶無に近い。ビオランテは見ることができたが、これも映画としての質を問われれば首を横に振らざるをえない。
そんな中、「怪獣惑星」の映画としてのできの良さには唸らされた。 自分は(キルミーベイベーなど一部を除いて)テレビ放送アニメーションにことごとく興味がないため、 脚本を書いた虚淵玄氏のことも「エロゲ出身の鬼畜」という印象しかなかった。 テレビアニメ畑を主な活動の場とする声優に対しても俳優の下位互換という感じに見ていた。 ちなみに自分は水一杯800円するような高級レストランで出されたハーブを添えたドブネズミのソテーのごとき外面だけ上品な性根の腐ったゲス野郎である。 そのような業の者であるから穿った見方で赴いた劇場だが、見終わった頃には感心させられていた。 「なんだ、普通に面白い映画じゃないか」と。
個人的に気に入った箇所が多かったこともある。 まず科学考証や技術体系が嘘臭さを感じさせないこと。まあまあこういう技術だろうな、と納得する形をしている。 次にキャラクターが全員思考に手抜かりをしないこと。 シン・ゴジラ公開時にヒューマンドラマを排除し極めてシステマティックなコミュニケーションの流れと、国家をめぐる巨大な感情的葛藤を描ききったことに絶賛が上がった。同時にみんな邦画にありがちなエモーションに過ぎるうざったい感情の流れや脚本の作り方を批判したものだが、そこで批判された粗が「怪獣惑星」にはなかった。 みんな合理的思考をし、リーダーを託された主人公ハルオも、感情的なキャラクターではあるが行動には一貫した合理性や計算高さを見せていた。 最善を尽くした上で敗れるからこそ敵の強大さが���立つわけである。 いちいち恋愛沙汰ややぼったい仲間割れ、緊張感ゼロの個人的葛藤を持ち込んで話をグダグダさせなかったところを高評価した。
一方ダメだったところもある。 設定にゴジラ怪獣の要素をふんだんに盛り込んでいたにもかかわらず、ゴジラ映画としてはまったく成立していなかったのだ。 「怪獣惑星」のゴジラは地球に君臨する怪獣たちのさらなる上位種として出現し、世界を破壊して回り、人類は決定的な敗北を喫し逃亡を余儀なくされた、という設定だ。 そんな人類が逃亡先の宇宙から地球に戻ってきて改めてゴジラと戦う-というのが本編シナリオである。 まずこれがゴジラ映画としてはありえない。 ゴジラの定義はこれまで様々に拡張されてきたが、言ってみれば「海から出現し都市を破壊し帰っていく」存在なのである。 それはつまり災害の化身であり、破壊の化身であり、原爆の化身であり、それらを抱えた日本というもの憂いと怒りの感情の化身なのである。 「GODZILLA(2014)」では舞台が日本から外れたため超自然的な神のごとき存在と分かり易く定義されたが、それでも怒りを糧に海から出現し、陸で暴れ、帰っていくというパターンは外さなかった。それがゴジラ本人による人類襲撃であれ、敵対怪獣との戦闘であれ、ゴジラは海や大地の脅威と怒りを体現した存在なわけだ。
「怪獣惑星」のゴジラは確かに脅威たりえていた。むしろゴジラの脅威っぷりでいえば過去に例がないくらい大きいものだった。 だが、このゴジラはどこにも帰らないのだ。決してどこにも戻ることがなく、ただずっと地球を破壊し続けている。このゴジラが体現するものはおそらくアンゴルモアのような世界壊滅だろうが、ゴジラとは本来そういう存在ではない。日本を脅かすことがあっても世界を破壊する力はない。 ゴジラは良くて地震か台風か原爆くらいのパワーしか持たないんである。 なぜならゴジラとは現実に起こっていることだから。現実にあることにしか怒りは発生し得ない。
例を挙げると、「シン・ゴジラ」が成功した理由に見られるだろう。
「シン・ゴジラ」にはまず前提として3.11の震災に対する恐怖と、当時の人々が見た原発事故にまつわる様々な欺瞞と不備、政府の鈍重かつ不十分な対応処置への怒り、焦りがあった。 そこに庵野秀明総監督が命題としてきた閉塞感やディスコミュニケーションによる破壊衝動、その自己嫌悪がテーマとして組み合わさったのだ。 庵野秀明が見た現実の政府は庵野よりも庵野的であり、アニメのそれよりも碇シンジ的であった。おそらくこれが彼の意識を変えたのだろう。 徹底して自己分析を推し進めてきた庵野秀明が、外界に目を向けた結果、 現実の政府があるべき姿を庵野秀明が体現してしまう、 というエヴァとまるで逆の現象が起きた。 想像ではない現実の恐怖に���り込まれた子供が、理想のオトナを完璧に描き出した。 そうして「シン・ゴジラ」という大傑作が生まれた。 当作では実際に起きた精神の大変換が物語構造と分かちがたく結びついている。 それこそがゴジラのみならず怪獣映画の本質であり醍醐味だったのだ。だから大ヒットした。 あの当時、人々の多くは庵野秀明と同じ目がさめる思いだったに違いない。それが現実を変えたのか単なる錯覚だったかどうかはともかく。
ゴジラとは災害のように「なにかに気づかせるために訪れる」存在なのだ。
彼らは人類に示し、そして一通り警告を示すと去っていくのである。それも必ず再訪の予感を告げて。 ゴジラとは地球、あるいは社会が人類に示す警告の具現化なのである。それは怒りとして噴出した悲しみであり、憂いなのである。 エイリアンのようなモンスターと怪獣の違いは内部に抱える「迷惑な憂い」の有無なのである。 怪獣は一貫してどこかウェットだ。怒りの限り大破壊を尽くしながらも必ずなにか心配してくれている。 これらはどのゴジラ映画にも一貫していたゴジラの特質だった。
その点、「怪獣惑星」はゴジラとしてのキャラクター性をかなり削いでしまっていた。 まず表面的な部分からいえば、 ゴジラが地上に縄張りを持っていること。海に帰らず地上を支配している。 次にゴジラが単一個体であることをやめて複数の亜種を生み出していること。ゴジラ自身には世界を支配する意思などない。また個人的にミニラやリトルゴジラなど蛇足の極みだと思っている。 そしてテーマについて述べるならば、 ゴジラが解決するべき命題が地球にまったく残っていないこと。 ゴジラという映画の主人公はあくまでゴジラで、ゴジラは攻め破壊することで人々を恐怖させ警告するか、憂いを背負った敵怪獣を打ち倒すことがゴジラの使命であり問題なのだ。 だが「怪獣惑星」のゴジラはそれ自体の目的はまったくわからない。 ただ人類を殲滅しようとする。そんなものはゴジラではないのだ。 一応度重なる公害が-などといった説明は入るが、物語の主題が「人類の勝利と帰還」にあるためゴジラの本質とかけ離れてしまっている。ゴジラは勝ってどうこうという敵ではない。 ゴジラに勝っても悲しみと予感が残るだけなのだ。 機龍二部作は映画としては怪獣惑星に及ぶべくもない駄作であるが、その辺のテーマはしっかり継承していた。
と、ここまでさんざんこき下ろしといてなんだが、 自分をはるかに凌駕するゴジラマニアの製作陣はそんなこと百も承知であろう。 この映画で描きたかったことは、上述したゴジラ像のその先にあるのだ。 本作の根底にある精神は「実験とシミュレーション」だ。 上記で述べたゴジラの特質 「上陸して人類を脅かすこと」、 これを極限までやってしまったらどうなるのか、というシミュレーションが肝だろう。 それがゴジラの植物設定-つまり海に還れない存在-に繋がっている。
「怪獣惑星」はゴジラ映画の「その後」を描いた作品なのである。
それは主人公の��方の苗字・旧姓が「ヤシロ」-つまり機龍二部作でメカゴジラに搭乗した「家城茜」の子孫であることをほのめかす設定にも出ている (これはスタッフのお遊びとあくまでキャラ付けの設定であって、本シリーズにおけるメカゴジラの形態や出自の差から見ても機龍シリーズと世界観は断絶している)。
こうした大胆な設計思想のもと勧められた本作は、なるほど確かに世界観の構築には成功している。 少なくとも平成ゴジラシリーズやゼロ年代に作られたどんなゴジラ映画よりもリアルかつ感情的に入り込む余地のある環境を設定した。 そこは先ほど述べた通り本作の美点でもある。 だが、その結果ゴジラが存在意義を完全に失ってしまった。 地球を支配して敵も倒し尽くして警告もなにもすることがなくなったジジイのゴジラが再び現れた侵略者人類に戦いを挑む……という、なんだか関係が逆転してしまっている。 そしてそんな逆転設定だれも求めていない。揺さぶられる感情がないからだ。 そういった意味で本作はゴジラマニアによる「シミュレーション・ゴジラ映画」以外の何物でもないのだ。 シミュレーションという点では同じ要素を持つから、ポリティカルフィクションとしてのシン・ゴジラに感動した僕のような層はある程度褒めた。 ところが、ゴジラが体現した自然的脅威の存在感を期待した層は、肩がっくり落として出ていった。 「なんだこれ、イマイチ乗れなさがはんぱねえ……」 となったわけだ。
そして、本作最大の問題点。 その「はんぱねえイマイチ乗れなさ」を最大限助長しているのが、 ゴジラの造形である。 ゴジラが植物性であることには意味がありテーマもテーゼもあるのだが、 それを吹き飛ばすくらいこのゴジラはダサい。 ダサすぎる。 シン・ゴジラがビジュアルで圧倒したのに対し、本作はもう最低限ゴジラの形をしてるなにか程度でしかなく、 そんなもんにロマンを感じろという方が無理な話だ。 そして終盤出現する超巨大な真のゴジラ、「ゴジラ・アース」が登場する場面でも致命的な欠点が浮き彫りになる。
大きさがわからない。 森と崖しか比較対象がないから300メートルという規格外のデカさが伝わらないのだ。 なんとなくチビゴジラの死骸と比べることができたり、データ観測という便利な道具で「うわああ、デケエ!」などとオペレーターに焦らせてみたりするが、伝わるわけがない。 そもそも主人公たちが乗っている船だとかロボットがそこそこにデカイのだ。 散々人間と比較できる船なんぞを出しておいて、その後で人間と比べることもできない巨大そうな塊を出して「うわあああ!デケエ!」って言われても……うん……としか。
ゴジラ・アースの大きさに関しては、各年代のゴジラを一列に歩かせて大きさを比較する「evolution of godzilla: size comparison」というYouTube動画があるのでそちらを見た方が良い。演出���凝ってて、この手のお手製CG動画にしてはなかなかの再現率。オススメである。
とにかくこのゴジラ、デカイのは確実なのだ。背丈も重量感も桁外れである。 比較対象があれば。 広大な森林のど真ん中にゴジラが立ってても「なんか思ったより小さい」としか思わないだろうに。 やっぱりゴジラには街が必要なんだよな、としみじみ考えさせられた。
この辺もアニメゴジラが他のゴジラシリーズに劣っている点で、 平成昭和かかわらずゴジラ映画をキャラものとしてみると 怪獣ほとんどすべてが評価に値する造形を施されている。 昭和を踏まえた平成なんてのは奇跡的で、 バトラやメカキングギドラやスペースゴジラのようなバカバカしいものから ビオランテやゴジラジュニアのようなゴジラの亜種まで皆キャラとして魅力的だ。 惜しむらくは兵器系のデザインが壊滅的にダサいということだが、 その辺はゼロ年代シリーズの機龍二部作が担っている。
怪獣映画に必要なスピリッツはこれなんである。 魅力的な造形の大怪獣が存在的な哀しみや怒りを背負って戦う。 そこには社会や国家としか比較対しようのない巨大な感情があり、 それは都市に浮かび上がる巨体とリンクする。 この様こそ怪獣映画なのだ。
最近ガメラ2を見直したが、 まあ巫女とかマナとか祈りとかガメラのスピリチュアル要素が邪魔して邪魔して 御都合主義なんてものではないストーリー展開に閉口した。 だが、やはりあれは怪獣映画なのだ。 レギオンという異国の宗教にまつわる名を冠された侵略者に、 日本の怪獣と人類が��ち向かう。 このテーマを真正面からリアルに描き出したからこそガメラ2は傑作たり得たのだ。
「怪獣惑星」はその域に達していない。
しかしSF映画としては優れた面白い作品である、というのが自分の評価であった。
そして、やっとこさ今回観てきた新作である。 「決戦機動増殖都市」。
結論からいえば、前作の続きだから面白いところは継承されている。 打開策を得て以降の状況分析と作戦立案のテンポの良さ。 周囲と比較してわかるハルオの絶妙な勘の良さ。物語を任されてる感。 明確な目的意識のもとゴジラに立ち向かう人々。 それはいい。全部。「シン・ゴジラ」で堪能した良さだ。
だが、ここに「シン・ゴジラ」になかった駄目なところがどんどんぶち込まれてゆく。
もともと三部作の中継ぎの作品なのだから作戦など成功しないしゴジラが倒されるわけもないのだが、 にしても二度目ゴジラに負ける理由をキャラクターの無能化に託すかね!?
とにかく酷いのはヒロインとして割り当てられたユウコ・タニの暴走。 一応主人公の幼馴染でおっぱいでっかいので、 原住民の少女と接触し親密に接するハルオに嫉妬したり、 そういうヒロイン的な足引っ張りをすることはわかる。 しかし、しかしだ。 彼女が優秀なパイロットであるという設定を盾に、 技術はすごいけど危険な思想の持ち主のビルサル��(ブラックホール第三惑星人)を 唐突に偏った思想的判断持ち出して信頼したり、 しかもそうなった理由が先ほどの原住民の少女への嫉妬と恐怖が根であったり、 とにかく物語内におけるキャラ的正当性が破壊されてまくってどうしようもない。 危険な物質ナノメタルでできた工場都市を「綺麗」とか言ったり。 環境破壊したからゴジラが出てきたっつってんのに、メタファー効かせまくりの場面でそういう感傷発言だけさせて、 主人公になんとなく頷かせて、キスして終わりかね。 これは脚本の不備というより「フラグ」です。 もう制作連中はこの時点でヒロイン殺す気満々です。 喩えますと、浜辺を見ると波間に向かって等間隔で旗がポンポンポン……とありますね。追っていったら海からゴジラが出てきて死んじゃうっていう、そういう感じ。 もう観てて、腹たって腹たって仕方なかった。 物語に殺されるキャラクターを順を追って見るの大嫌いなんで。 この世界の片隅にとか本当にキツかった(……あの子かわいそう……ひどい……)。
きわめつけはラスト、 作戦が成功したにも関わらず復活しつつあるゴジラにロボットで特攻して勝つのに賭けるか否か… という急展開を迎える場面で、 ユウコが慌てふためき喚きだす。 おい虚淵さんよ、「いやぁ!」じゃねえよ。 そんなにこいつ道義的に、脚本的に破綻なく殺したいのか。
もういい、好きにしろ!! お前はユウコを黙ってマミれ!! (極めて良い語感)
と叫びたくなる衝動を抑える俺。 まあ、ここでパニックになるのはわからなくもない展開なんです。 ユウコは単に死にたくないとかではなくて、このとき特攻するためにロボットの中でナノメタルという物質に取り込まれ人間でなくなるという設定がありまして。 特攻やだ!じゃなくて、人間やめたくない!と言って騒いでた可能性もあるんです。 ナノメタルと同化することへの忌避自体は「人類の勝利」というテーマに反したものではあったので、それはいいんですけど……。 酷いのはこの作中一おっぱいでかい女、 その前の場面でナノメタルに取り込まれたビルサルド隊員たちを「勇気ある人々だから!」とか庇ってたんである。 じゃあ結局お前、臆病者か ビルサルド差別主義者か 嫉妬に駆られて適当言っただけの典型的無能じゃねーか。 なにそれ。全部ひどいわ。
断っておくがおれは別にこのおっぱい女に憤慨しているわけではない。 無能ぶりは露呈したけど、エロいし。許せる!
こんなシナリオを書いた虚淵にブチ切れてるんだよ、おれは!!!! いくらなんでもひどすぎるゥ!!!
脚本にキャラが殺されるというのは駄目な作品にありがちなことだが、 これは意図して脚本が一人のキャラを徹底して追い詰め攻め立てている。 言うのも何度目かになるが、このシリーズは三部作なんである。 つまり三部作を傑作にしてやろうと、その伏線をばら��くためにこんなチグハグな脚本にしやがったのである。
結局、CMで散々「メカゴジラ!」と宣伝したのに、メカゴジラは出てこなかった。 メカゴジラは本当に都市そのまんまの安上がりな姿で出てきただけで、ゴジラに負けた。 ファンが期待したモスラも出てこなかった。原住民の少女たちが崇めている「卵」とはモスラのことだろうから、そういう意味では存在感はあったけど。
作中ラスト、ゴジラは結局倒されず、ハルオの絶叫号泣虚しくユウコはナノメタルに取り込まれてしまった。そんでたぶん死んでない。ナノメタルと同化したビルサルドも普通に歩いてたし、たぶんあれ同化しつつも自立できるやつ。
主人公のハルオはナノメタルが嫌がる先住民の粉をつけていたためナノメタルにとりこまれなかった。 そしてユウコがナノメタルになることを止めるためにビルサルドがいる都市をぶち壊し、ゴジラ敗北の決定的原因をつくった。 一作目が人類の敗北だとしたら二作目はビルサルド敗北。 三作目はたぶんエクシフたちの話になる。 メトフィエス含む預言者種族エクシフたちの星を滅ぼした存在がキングギドラということもわかったので、あいつが出るんでしょう。
張りに張られた伏線。 つまりこういうことである。
第2章こんなだけど最終章はすごいんだぜ!! ナノメタル化した優秀なおっパイロット・ユウコが今度こそメカゴジラに乗って戦うよ! モスラも出るよ!! キングギドラも出るよ!! なんか胡散臭いメトフィエスの目的もわかるよ!! てか最後だし今度こそゴジラ倒すよ!!……ぶっちゃけそこんとこわかんないけど決着はつけるよ!!
そして、前述した「ゴジラ映画の未来のゴジラ」というテーマに沿って言えば、 こういうことも言える。 「本当の敵はゴジラだったのか?」 「ゴジラの目的とはなんだったのか?」 「なぜ唐突に怪獣が出現しはじめたのか?」 「他の怪獣とゴジラの違いはなんなのか?」 「なぜそのタイミングに合わせて宇宙人がやってきたのか?」がわかる(これにはそれまでも地球を監視してたけどゴジラが出てきてやばくなったから姿を現した、それだけかもしれないが)。 「人類が本当に選ぶべき道はなんなのか?」
また、今作はハルオの復讐の物語でもあるので、 「ハルオの復讐心が行き着く先は?」 「作戦を二度に渡って破綻させ、先住民の土地もめちゃくちゃにして、かつ愛する人を失った(たぶん)ハルオが取る責任とは?」 「ハルオが倒すべきはやっぱメトフィエスじゃね?」 ……などなど。
聞こえるぞ……
「これ最後だしこれら全部にすっごい答えを出すから二作目はこんなんで我慢して☆」 「三作目にして怪獣VS怪獣のガチンコバトルが見られるぜ!!いままでロボットとかでお茶濁してたのはこのためなんだ!」 「だから二作目はガマン!シリーズ通して見れば傑作になってると思うから!!」
……という声が聞こえる。 ふざけんな。
アベンジャーズみろよ。 アベンジャーズシリーズなんか、まあ確かに「シビルウォー」の中継ぎの「エイジ・オブ・ウルトロン」は明確な駄作と化したよ。 そういう傾向やっぱあるかもね。 でも「インフィニティウォー」は!!?「アベンジャーズ〜シビルウォー」と「アベンジャーズ4」の中継ぎの作品なのに超傑作じゃん! やればできるんじゃん!!!中継ぎでも100パー面白い作品!! しかもインフィニティのオチ、怪獣惑星と同じだし!!! 怪獣惑星と決戦機動増殖都市のオチ、同じようなもんだし!! だったらもうちょいやれただろ!!!!
これで最終章がものすごいサービス満点でも「年10本レベルの佳作」程度ではおれは評価できない!! なぜなら!それはこの第2部でシナリオの都合を出しまくった結果だから!! せっかく前作でよかった要素「死力を尽くし命を賭けて作戦を完璧以上にやり尽くしそれでもなお届かない絶望」を全部「キャラの無能」にすり替えて同じことさせやがってよ!! ユウコもハルオも無能化したし!! ビルサルドとも唐突に仲間割れみたいな形で死に別れ! どうしようもない本作を無理やり推してでも「要素だけでも推定大傑作」最終章を売れと!!?
ふざけんな!!!ふざけんなよ遠藤!ふざけんなよ遠藤ォオオオーーー!! ……いかん、賭博黙示録で沼攻略したあと遠藤さんにカモられたカイジになってしまった。
……もう、こうなった以上見ますから…… 最終章をめっちゃ傑作にしてなんとか溜飲下げさせてくださいよ……。
……あ、最後に1つよかったところ…… モスラ族の先住民の女の子、露出した背中から仄かなエロスを漂わせてて大変よかったです。
終わり
1 note
·
View note