#うまい肴と酒の家大関
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浩志は、夜の浅草を飛び回っていた。ホッピー通りには仕事帰りのサラリーマンや観光で来た若者らで賑っていた。かつて、在日韓国人が揃ってホルモンを主とした手料理や酒を提供したことでこの通りの名前が付いたとされているが、お通しはどの店でもそれぞれ違っていた。中には、うずらの卵をたまり醤油に付けたものを出す店もあり、その店が彼の行き付けだった。
また、「Kバー」が由来のデンキブランを炭酸水で割った「下町ハイボール」が有名だった。ベースはブランデー、それにジンやキュラソーなどのリキュールを加えたもので、温度や割り方により味が変わった。大抵はストレートで飲み、二杯以上だと確実に二日酔いになった。
今年も、三社祭の時にふらりと立ち寄った。繁盛時だったのではしご酒はできなかったが、一ケ所行ければ満足だった。必ずチャンジャをお通し代わりに注文し、その後はもつ煮。もつ煮も、或る店では味を替えて食べ比べもできた。
『嗚呼、食いたい…』
浩志は好みの男が食べているもつ煮をつまもうと手を伸ばしたが、勿論、取ることはできない。樽ハイのグラスも然り。彼は、
『やっぱり、幽霊になるとダメか…』
と落胆した。指をくわえて眺めているしかないと、彼は思った。
そのまま浩志は、六区ブロードウェイへ向かった。昔は映画館がひしめき合い、賑やかだったのだが、最近は廃れてしまった。やはり渋谷や新宿の方にヤングは興味が惹かれるのだろう。彼は、「T館」と言う演芸場の近くに来た。そこにはかつて成人映画館があり、幸雄と出会ったところでもあった。
M大学に入学して間もなく、浩志はアルバイトに明け暮れた。早朝には新聞配達、夕方には上野の高架橋あたりの居酒屋で稼いだ。睡眠時間はニ、三時間程度だったが、講義の少ない土曜、大学自体が休みの日曜や祝日には殆んど寝ていた。時折、朝食を食べに来ない彼にみいは、
「朝ご飯ぐらい食べなさいよ!」
と、敢えて階段を忙しく駆け上がっては怒鳴ることもあった。
或る日、浩志が日曜日なので布団の中で寝ていると、壁越しに喘ぎ声が聞こえた。ちょうど浅い眠りの最中だったからかその声に気付き、彼は目を覚ました。
『な、何だ?』
その声は、明らかにオ◯ニーをする時に自分の恥部を弄りながら発するものだった。しかも、
「お願い…、もっとメチャクチャにして…」
と、次第に言葉が乱れていく。隣は確かと浩志は思った。嗚呼、国立H大学に通う蛭田正樹だ。長身でスラッと細いが、肌が色白たった印象だった。みいがたまに、
「正樹君。あたしとしゃべる時、たまに女っぽくなるの。男っぽさが全然ないし、もしかしたら『ホモ』なのかしら?」
と話していた。
布団に包まったまま、浩志は耳をすませた。バタバタと、激しく身体も動かしているのか畳が響いている。元々、正樹は男のわりには声が甲高く、最初に挨拶された時には男装でもしているのかと疑うほどであった。そんな声で、
「あん、ダメ! イッちゃう、イッちゃう!」
と、恐らくオルガズム寸前なのか今にも死にそうな声を上げていた。間もなく、
「あ、あんッ! あんッ! ああン!」
と、廊下にまで漏れて聞こえる様な大きい声で叫んだ。
この時間は、他の下宿生は出掛けていた。みいも「もんぺ」を穿いて玄関周辺の草取りをし、家内に入るのは浩志と正樹だけだった。ランニングシャツとトランクスと言う格好で、浩志は布団から出て正樹の部屋のふすまをノックせずにガラッと開け、
「うっせぇよ! 人が寝てるのに…」
と、その後の言葉を言おうとしたが、目前の光景に絶句した。正樹は、全裸で内腿をM字に開き、普段は用を足すだけの尻の穴に何か挿入している様だった。新聞紙を呉座の様に敷き、その近くには油の様なものがおいであった。チ◯ポは先端がズル剥け、乳白色の淫液が新聞紙のあちこちに飛び散っていた。二人は互いに絶句し、数秒だが見つめ合った後、
「キャアァァァァァァ〜!」
と声を上げた。その瞬間、階下からみいがけたたましくやって来て、
「ど、どうしたの!?」
と様子を見に来たが、正樹の方に視線を向けた途端、
「キャアァァァァァァ〜!」
と、衝撃のあまりに気を失ってしまった。
しばらく階下の茶の間で、浩志に抱えられて畳に休んだみいは、正樹を呼んだ。浩志は目撃者として同席を求められ、M百貨店で買った紅茶を二人に振る舞うと、みいは単刀直入に聞いた。
「正樹君。あなた、学生でしょ? 何であんなことを…」
そう言われた正樹は、オ◯ニーしていたのを見られたショックからか大粒の涙を流し、メソメソ泣いていた。嗚咽を上げながら、
「…御���なさい。みいちゃんは草取りしてるし、浩志君は寝てると思ったから、ずっとエッチしたくてたまらなくて…。つい…」
と告白した。浩志は、初めて用を足すだけの尻の穴に何かを突っ込んでいたのがかなり衝撃的で、
「蛭田。おめぇ、ケツの穴に何入れてたンだ?」
と聞いた。すると、正樹は赤面しながら、
「あれ? 男のチ◯ポを模した玩具だよ」
と答えた。
「男のチ◯ポを模した玩具」と聞き、浩志もみいも一瞬、顔を見合わせた。
「はァ!?」
「…僕、大学入って間もない頃、一人の先輩と付き合ってたンだけど、ホモだったの。『君、女の様に肌が白いね』って…。付き合ってくうちに僕、好きになっちゃって、次第に身体許して…」
「あなた、男は『穴』ないでしょ!?」
「…でも、みいさん。男って、『前立腺』って言うものがあって、ちょうど直腸と大腸の曲がり角に位置してて、そこが刺激されると気持ちイイの」
「…あり得ないわ」
「痛くねぇのかよ!?」
「…痛いよ。でも、徐々に慣れてきちゃう」
浩志もみいも、唖然としていた。こいつ、頭イカれてるンじゃないかと、互いに思った。淡々と男の肉体について語る正樹を目前に、二人はただ紅茶をすするしかなかった。
みいは、とりあえず正樹の意外な側面を理解しつつも、下宿内でのオ◯ニーはしないよう注意した。彼女は、
「男って、『シコ』らなきゃいられない性なの?」
と浩志に聞いたが、
「アイツは狂ってるよ!」
と突っ撥ねた。
正樹は、今夜はその「彼氏」と会うと出掛けて行った。浩志は、嗚呼、気持ち悪いものを見て知ってしまったと、後味が悪いと浅草で飲むことにした。みいは、
「夕ご飯は、アリでイイのね?」
と、出掛ける前に浩志に確認した。
春日通りを上野広小路方面に下り、M百貨店に差し掛かると、そのまま左折して国鉄・上野駅の前を通り過ぎた。営団地下鉄で経営する「地下鉄デパート」の時計は、午前十一時を差していた。浩志は、普段なら十二時頃まで布団の中で寝ていたのにと、正樹を恨んだ。まさかアイツが男好きとは…。しかし、彼の一物は意外と太く、オレの「ムスコ」よりデカかったなァ。ちょっと羨ましい気もしたと、彼は思った。
合羽橋道具街は、この日はどこも休みだった。「菊水通り」に曲がり、「国際通り」に抜けるや、人気のなかった合羽橋に対し、恐らくS歌劇団のレヴューを観に行くのか、皆、「国際劇場」の方へ向かう様子だった。この雰囲気が浩志は大好きだった。
「雷門通り」沿いに、「Kバー」はあった。「デンキブラン」と言うカクテルが飲め、大学入学時、兄二人と訪れたのだが、その味が浩志には病みつきになってしまったのだ。
「東京にはこんな美味いものがあるンだなァ…」
そんな���的を都内の大学への進学理由とした。父・柳二郎は、
「お前、家はどうするンだ!?」
と反対したが、
「オレ、三男だよ。関係ねぇべよ」
と、それは長男・智仁に言ってくれと突っ撥ねた。
この時点では、自分が将来何になりたいか、浩志は決めていなかった。単に茨城を出たかったと言う理由だけだった。何故、兄貴二人が東京に行けてオレには行けないのかと、昔から思っていた。柳二郎も仕事柄、何度も泊りがけで東京を往来しているのに…。終いには、
「まァ、学費は払ってやるから、好きにやれ」
と呆れさせたくらいだ。
Kバーではもつ煮や串カツを肴にデンキブランを飲み、
「堪ンねぇ〜!」
と気分が高揚した。隣に座っていた客たちとも意気投合した。
当時は、デンキブランはアルコール度数が四十度だった。大抵は冷蔵庫で冷やしたものをグラスに注いだストレートで飲むのだが、口当たりがイイのでグイグイ飲めてしまうのだ。しかも、浩志は途中、日本酒も注文し「ちゃんぽん」してしまった。未だ酒との付き合い方が慣れなかったからか、Kバーを出て六区ブロードウェイに向かおうとした時に、彼は気持ち悪くなってしまった。
「うぅッ、ヤベェ!」
浅草寺前の藤棚の下に自転車を停め、近くの井戸で水をがぶ飲み、ベンチでうなだれていた。時折、胃の方から込み上げてくるのを感じつつ、彼は肘で両目を覆い、そのまま寝入ってしまった。
その後、男の声が聞こえ、浩志は目を覚ました。気持ち悪いのはなくなったが、身体は重く感じた。そっと肘を目から離すと、目前にいたのは警官だった。彼は、未成年であるにも拘らず酒を飲んだことに気付かれたかと思い、
「い、いえ! 大丈夫で〜す!」
と逃げる様にその場を去った。警官は、
「き、君!」
と声をかけたが、すでに彼方に浩志の姿はあった。
「…単に、これを渡そうと思ったンだけどなァ」
と、警官の掌には下宿と部屋の鍵が握られていた。
猛スピードで六区ブロードウェイまで来ると自転車のサドルから足を地面に着けた。息を切らしながら、
「ここまで来れば大丈夫だっぺ…」
と浩志は自転車から下りた。
先刻までの酔いは多少引いたが、やはり調子が悪い。何処かで休んだ方がイイかなと、たまたま足を停めたのが成人映画館の前だった。彼は、水戸では殆んど見かけないこんな映画館が、東京にはあるンだなと思い、興味もあったので寄ることにした。まァ、真っ暗にもなるし寝てるさ…。
実は、浩志は精通したのが中学校に入学して間もない頃だったが、オ◯ニーは月一回程度だった。たまに勃起がひどい時に「シコる」だけで、頻繁にはやらなかった。異性の裸を見ても性衝動は起きなかった。戦後間もない頃だったから娯楽も少なかったこともある。
館内に入ると、中年から壮年の男たちがたむろしていた。浩志の姿が視���に入ると一瞬、皆ジロッと彼の方を見た。彼は若干恐怖みたいなものを感じたが、すぐに視線がなくなったので、そのままスクリーンの方に向かって行った。
ちょうど最後列の隅に空席があったので、浩志は座るとすぐ寝入った。急に眠気に襲われ、スクリーンに映る女優の喘ぐ声でさえ聞こえなくなってしまった。
眠りに落ちている間、浩志は夢を見た。所謂「ソープランド」で、彼は下半身を露にした状態で布団に横たわり、誰かが彼の乳房や一物を弄っていた。
「あッ、あん!」
彼は未だ「童貞」だった。肉体は「うぶ」なのですぐに勃起し、次第にエクスタシーの故に涙が出てきた。嗚呼、気持ちイイ…。玉の裏も舌で弄ばれ、
「ダメ、壊れちゃう…」
と、用を足すだけの局部がエクスタシーの中枢になっているのを感じた。
「イヤ、イヤぁ…」
と内腿に力が入り、声の調子も裏返る様になった。チ◯ポがヌルッと生温かく、舌の腹でその背を弄られ、浩志は指をくわえた。最初は汚いし恥ずかしいと思ったが、すぐにエクスタシーに酔い痴れた。口から抜けたと思いきや今度は手指で包皮を剥かれ、紅潮したチ◯ポの頭が露にされ、何かオイルの様なものが掌に塗られているのか、「こねくり」回された。
尿意の様な切迫感がよぎり、嗚呼、イクなと浩志は思った。下半身の奥底から熱いものが込み上げてくる。その間にチ◯ポもますます硬直し、彼はいても立ってもいられない状態になった。
「イク! イク!」
と彼は声を上げた。その途端、再び「フェラ」をしてきたのか生温かい感触がし、口の中か彼は多量の淫液を跳ばした。
嗚呼、何だ? この気持ちよさは…。浩志は夢の中でそう思った。しかし、この映画館は男しかいなかったが、女も観に来るのか? 一瞬、不安がよぎった。もしかしたら、オレは男に手を出されたのか? えッ、嘘!? 不安が最高潮に達し、彼は目を覚ました。幕間だったのか、館内は明るかった。周囲を見渡すも彼の両側には誰もいない。だが、足元には丸められたちり紙が二、三個落ちていた。
服はキチンと元に直されていた。何だ、ただの夢かと安堵のため息をついた。その時、たまたま背後にいた中年の男が声をかけ、言った。
「お兄ちゃん、隣にいた男にエッチされてたよ。かなりハァハァ言わせながら、『イク! イク!』って…。ここは『男色』のたまり場だから気を付けな〜」
その言葉に浩志は絶句した。じゃあ、オレは男に手を出されたのか? 彼は血の気が引いていくのを感じた。
浩志は、乳房が少しでも肌着に触れると微かに心地よく、チ◯ポも用を足した後の様な感覚がした。オレは一体、何をされたのだろう? トイレに向かいながら、未だ実感が湧かなかった。ドアを開けて小便器の前に立ち、用を足した。その時、背後から臀部を弄られるのを感じた。彼は言葉を失った。怖かった。やがて臀部に触れた手指が、股間の真下まで及んだ。
気付くと、浩志は個室の方に身体が向かい、唇を奪われた。まるで媚薬を飲まされた様に彼は身体を弄ばされ、その男のチ◯ポをくわえていた。互いにオルガズムに達すると再び接吻し、微かに「匂う」腋臭でさえ浩志には「芳香」に感じ、その男から離れなかった。
初めての情事に、その時は終わって欲しくないと強く思ったが、トイレからその男が立ち去ると急に淋しさが込み上げてきた。何故か涙が出て、映画館を出て本郷に向かう道の途中、浩志は嗚咽を上げた。それは、まさか自分が「ゲイ」だったとはと言う信じられなさと、童貞を喪失したショックと、そして初めて愛されたことに対する名残惜しさが重なったが故であった。
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関西弁と私
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東京で生まれ育ったので関西出身の人たちが当然のように使う表現に圧倒されます。一番驚いたのは「モータープール」。
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学生時代に大阪出身の友人が放った言葉に周囲は「?」だらけになりましたが、どうやら駐車場を指す言葉なんですね。
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飲み会でみんなで取り分けて食べる大皿の上に残った最後のことを「遠慮のか��まり」と言っていたのは「関東の一つ残し」って言うのと同じですね。
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東京では酒の「肴」とか「つまみ」と言うのは関西ではこう言うみたいですね。と言うわけで本日のディナーは #あて #あて煮込肴 です。
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以前から気になっていた店に初訪問です。誘った人も「ちょっとずつ色々と食べられそう」ということで、この店を予約しました。
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外観は完全に古民家で中に入ると木造の日本家屋で懐かしい気分になります。まずはビールで乾杯です。お通しで出た寿司とチリメンジャコがいきなり美味しいですね。
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続いては #魚介ぬた 甘めの酢味噌の感じとネギ、タコの食感が最高です。 #白子昆布焼 は濃厚でぷるんとした食感に受け止める昆布の旨みも加わりいい味です。
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#牛すじ豆腐 も柔らかく煮込まれていて、お酒が進みます。ここで冷酒を頂きます。すっきりとしていて飲みやすいですね。
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#ゆり根蒸し はホクホクとした食感にシンプルに塩をつけて頂いてもマヨネーズでも合いますね。 #お浸し も滋味深い味わい。
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#あん肝 もお酒が進む濃ゆい味ですね。カツ煮もサクサクとトロトロのバランスが良いですね。チーズの味噌漬けもシンプルながらも旨いですね。
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#かすべ唐揚げ は何かと尋ねたらエイの唐揚げだそうです。鶏肉とはまた違ったホクホクの味わいですね。
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最後の締めは #銀しゃり卵 いわゆる卵かけご飯なんですが、見た目よりもしっかりとした味わいの玉子でいい最後になりました。
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席が近い感じだったので上司は、そのことを気にしていましたが、飲んで色々と話せたから距離が縮まったのではないかと思いましたが、それは言いませんでした。
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#市ヶ谷ディナー #市ヶ谷グルメ #市ヶ谷居酒屋 #市ヶ谷和食 #とa2cg
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車で3時間ほどかかる妻の実家に今年のお盆も行ってきた。 まだ小学生の娘は妻の実家が好きで、おじいちゃんとおばあちゃんに(それと猫に)会えるのを毎年楽しみにしているんだ。 お義父さんとお義母さんも娘のことが好きだから歓迎してくれて、娘はいつにも増してはしゃいでた。 それで疲れたのか、夜には晩御飯を食べるとすぐに寝ちゃったんだ。 晩御飯の後、大人だけで少し晩酌しようかって話になって、でもお酒が足りなくなった。 もう��ょっと飲みたいよねって話になって、お義母さんが「私が買ってこようか」って言ってくれたんだけど、近くにコンビニがあるし俺が行ってきますって名乗り出た。 それでお願いされて、コンビニまでお酒を買いに行ったんだ。 外に出ると夏の熱気がまだ残っていて、それでも知らない夜の住宅街を歩くというのは不思議と悪い気分じゃなかった。 酔いを醒ますのにもちょうど良かったのかもしれない。 コンビニは空いてて、アイスとお酒を買って、アイスを食べながら来た道を戻る。 見上げれば夜空に星空が輝いていて、こっちに来ないとこうも綺麗に見れないよなぁ…なんて思ってアイスを食べて、たまに足を止めて夜空をじっと見つめたりもした。 道草食って戻るとお義母さんが玄関で出迎えてくれて、買ってきたお酒を渡すとお礼を言われた。 コップに移して持ってくね、と笑顔で言ってくれて、お願いしますと答える俺も思わず微笑んだ。 リビングの方に戻ろうと思って廊下を進むとリビングへのドアが少し開いててさ、そこから中の様子を伺えた。 こっそり覗き込むと妻とお義父さんがなにやら話してて、楽しそうにしてた。 妻はちょっと畏まるような、でも笑ってて、その笑顔は見たことのない類のものだった。 そのとき思ったんだよ。 ああ、そっか。妻は娘のお母さんだけど、でもお義父さんの娘でもあるんだなって。 だから今の妻は母であり、そして娘でもあるんだなって。 そう思うと何か妙にじんわりときちゃって、ちょっと泣きそうになった。 妻とお義父さんの姿を、将来の娘と自分に重ね合わせて見ていたのかもしれない。 どうかした?って、いつの間にか後ろに来ていたお義母さんに声をかけられて、恥ずかしくなって何でもないですって答えて、二人でリビングに入っていった。 それから俺が買ってきたお酒と、お義母さんが用意してくれた肴で、楽しい夜を過ごした。 お開きになって、寝ている娘の横に布団を二つ敷いて、横になったとき。 さっき泣きそうになってなかった?って妻に聞かれて、ちょっと驚いた。 俺は「〇〇も昔は子供だったんだなって思って」と素直に言うと妻は笑って「なにそれ」といった。 それから目を瞑って将来のことを漠然と考えていると、気付けば眠っていた。 体を揺すられ、ゆっくり目を開けると娘が「おとうさん、もう朝だよ!」といって俺の体をぽんぽん叩く。 妻が、それを見て傍で笑ってた。 飲み過ぎたみたいで頭が痛かった。それでも、思わず笑ってしまうような、快い二日酔いだった。
今年も妻の実家に帰省した。
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七篇 上 その二
京見物をしている弥次郎兵衛と北八。 着の身着のままの北八。 やっとのことで見つけた古着屋でのできことです。
北八はちらっと、弥次郎兵衛の方をみてから、 「それだから質におく時の算用からして、その値段では買われねえ。 この布子ではどう考えても、銀二十より外は貸すめえから銀十五も、損することになる。」 今度は亭主が、顔の前で手を振りながら、 「何を、おっしゃる。 後家の質屋へ持っていっても、ものも言わずに銀五十はすぐに貸すわいな。」 「とんだことを言うもんだ。 この布子でどうして、五十も貸しましょう。」 と北八は意地悪そうに、亭主を見ると、 「なに、銀五十の価値は十分ありましょがな。」 「それじゃお前さん。この布子で、うけなさるか。」 「うけるわいな。」 これは仮に質に入れたら銀五十の金をかすかと聞かれているのだが、亭主は慌てているのか即答する。
「そうは言っても当てにはならねえ。ならねえ。」 と北八は、すましたものである。 「それよりか、この間の股引きのごたごたはどうするんだ。 ほかにも、袴の一時貸しもあるし。 それもお前、子供たちが腹痛��かみさんがはやり病で死んじまって、葬式を出す金も工面が出来ぬとたっての頼みだから貸してあげたものを、義理のわるい。 いっそのこと、この布子はその袴の、担保にとっておきましょう。」 と北八は、あることないこと並べ立てる。 「ああ、何をいいなさる。 何だか、さっぱりわからん。 やっかいなことをいわっしゃる。 わしのかかあが、いつ疫病で死んだぞいな。 まったくけったいなこといわんすわいな。」 と亭主は、腹を立てている。
弥次郎兵衛おかしくなって 「どうも、この男は口が悪くてなりやせん。 まあ、勘弁してください。 それにしても何かと面倒じゃ。その布子、銀十枚にまけなえ。」 亭主も面倒になったのか係わり合いにならないほうがいいと思ったのか、 「よござります。朝商いじゃ。まけてあぎよわいな。しゃんしゃん。」 と手をうってしまう。 「これで、とりあえず、布こにありついた。」 北八はほっとして布をきた。
弥次郎兵衛はそれを見ながら、金を払ってやる。 北八は今まで着ていた木綿の合羽を、弥次郎兵衛に返すとさっさとこの店をでた。
それより北八は、にわかに元気を取り戻して、 「なんと弥次さん、たいしたもんだろう。 古着屋めを口からのでまかせで、はぐらかして銀三十五を十に見下すのは簡単だ。」 と手に入れた布を弥次郎兵衛に見せびらかすように、歩いている。 「ほれ見なせえ。まだ衿にあかもついていねえものを、いとも簡単に手に入れた。」 弥次郎兵衛はその様子に、 「そうだな。紺の布子だからお武家様の家来ってところで、俺のお供にぴったりだな。ちょうどいい。」 と笑っている。北八は、それには答えず、 「ところで、ここら辺は、何ていうところだろう。」 とあたりを見回している。
「えらく、いろっぽい女がうろちょろしている。」 弥次郎兵衛もそれにつられて、あたりをみまわし、 「ははあ、歌舞伎の役者がかぶるような紫ぼうしの野郎どもが見えるから、おおかた、宮川町あたりだろう。」 と答える。北八は、 「くるぞ、くるぞ、美しい妓どもがくる。 いい時に俺は、着物を買ってよかった。」 と汚れても居ない、自分の布をパタパタ叩くと、 「さっきみたいに裸の上にその木綿合羽じゃあ、あいつらとすれちがったときに格好悪くていけねえ。」 ととっさに襟をかきあわせる。
北八は見栄を張りながら、むこうより来る女形や芸妓とすれ違い通ると、一人の女形がふりかえって北八をみた。 「はつねさん。あの人の着物におっきな紋がついてじゃわいな。おお、可笑し。おほほほ。」 と指差して笑っている。 はつねと、呼ばれた芸子も、 「ほんに、あほらしい人さんじゃ。すかんやの、おほほほ。」 とこれ���笑いながら、行き過ぎていく。 その様子に弥次郎兵衛が気がついて、 「おやおや、北八。お前の着物を見てみろ。 背中のよこっちょに大きな紋所がくっついていらあ。」 と北八の背中を叩く。 「どこにどこに。」 と脱いで背中のところを見てみると、ちょっと見ただけではわからないのだが、日のあたる所へ出ると大きな紋所がありありとすいて見える。 「しまった。こりゃ、大変、大変。」 と日に透かして、見える大きな紋所に、北八は苦い顔おをしている。
弥次郎兵衛は構わず、 「ははは、裾の方には、鯉の滝のぼりが見へるから、こいつはきっとどこかの店ののぼりを染めなおしたもんだな。」 北八は慌てて、弥次郎兵衛の指差すところを見ると、確かに鯉の絵が見える。 「ええ、古着屋めが。とんだ目にあわしやあがった。 どうりで安いとおもった。ぶんのめして来よう。」 「なに、ほっとけほっとけ。 だいたい、皆お前のせいじゃねえか。 古着屋も商売なんだし、こうなっちゃしかたがねえ。」 「畜生、いまいましい。」 と北八はつぶやきながら、不承不承また、その着物を着ると歩き出した。
さて二人は、四条通りに出てきた。 ここは名に聞こえた、賀茂川の東、祇園町である。 北側と南側の芝居小屋からはやぐらだいこを打ちながら、てんからてんからの音が客の足を止めている。 狂言名代の看板も華やかで、それぞれの木戸番も派手な衣装にみをつつんで、嗄れ声をあげている。 「さあさあ、評判じゃ、評判じゃ、今が三五郎の腹切じゃ。 このあとがあら吉と友吉が所作ごと。評判、ひょうばん。」 江戸で言うところの呼び込みは、ここ京大阪ではみな女で、その女が北八と弥次郎兵衛の袖をひいて、 「もしな、おまいさん方。ひとまく見てお出んかいな。」 とさそう。
「おおそうか。弥次さんちょっくら、京の芝居を見ようじゃあねえか。」 と北八が、弥次郎兵衛にいうと、 「おもしろかろう。女中いくらで見せる。」 「よござりますわいな。わたしがどうなとするさかい。 まあ、お出なされ。」 と女は二人を両方の手でひっぱり、引つれて芝居小屋に入ると、そのまま二階のほうへあげてしまう。 そこに桟敷をしきるさじき番がやってきて、二人を向こうさじきの前の方に入れる。
ちょうど幕の内にて芝居小屋の中では、売り子の声があちらこちらに響いている。 「みづから、うぢやま。(いずれもお菓子の名前) みづから、うぢやま。饅頭よいかいな。」 「茶、あがらんかいな。茶やどうじゃいな。」 「番付絵本、ほん。(パンフレットのようなもの)」 などと言っている。
「それにしても、こりゃ大入りだ。 しかし小屋の大きさが、江戸の半分しかねえ。」 と弥次郎兵衛が、あたりを見回していうと、 「ああ、退屈だ。一杯飲みたくなった。」 と北八は芝居が始まっていないので、手持ち無沙汰でいう。 「俺は、腹がへりまの大根(練馬の大根)だ。菓子でも買ってくおう。」 と弥次郎兵衛も、北八��つられていう。 「みづから、うぢやま。饅頭よいかいな。」 「これ、まんじゅうを三つ四つ、くんなせえ。」 と、北八が、売り子に声をかけた。 「はいはい、三文づつでござります。」 と隣のさじきの見物人が、売り子に言った。 「これ、まんじゅうやさん。どしたもんじゃぞい。 こちの弁当、踏み潰したじゃ。」 「はいはい、おゆるしなされ。」 と隣の見物人の方に頭を下げた。 「あいたたた。お前は、俺の足をふんでる。」 売り子ははずみで、弥次郎兵衛の足を踏んでしまう。
「はい、これは、もし、ちとおゆるしなされ。」 と売り子は、体をずらそうとする。 「こりゃ、どうしやがる。 人の頭の上を、金玉をひきずってとおりやあがる。ええ、きたねえ。」 込み合った桟敷から売り子が去っていくと、隣の桟敷の見物人の会話が聞こえてきた。 「おい、権兵衛さん。何買うてお出たぞいな。」 権兵衛と呼ばれた男が、 「太郎兵衛さんや。待てじゃある。わしゃ今、あこの桟敷でな恐ろしく美味い物くうてじゃさかい。」 と何やら食べている。 「それ見ていて遅なったわいな。さあさあ、こないなもんじゃ。」 と権兵衛が、太郎兵衛に竹の皮づつみを出す。 「なんや、鯖のすしかいな。こりゃ、ウマそうじゃ。」 「それより、その飯は弁当のかわりにして、魚ははがして酒の肴にさんせ。それがよいわいな。」 といわれて、権兵衛は、 「さよじゃ、竹の皮はもていんで、草履の鼻緒たてるわいな。 いや、さっそく一盃やろかいな。」 と小さなお猪口を取り出し、ふろしきにつつみしとっくりよりついで飲みだした。
北八これを見ていて、小声で、 「弥次さん見てみろ。美味そうに飲んでやがる。まったくうらやましい。」 弥次郎兵衛は、買ったばかりの饅頭をほおばりながら、 「ええ、せこいことを言うもんだ。」 北八は何やら、考えていたが、 「これぼうず。この饅頭をひとつあげやしょう。」 とさっき買った饅頭の食い残しをひとつ隣のさじきの子供にやる。 北八はこれで、関係をつけて、隣の見物人の酒にありつこうとしたのだ。
つづく。
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【Blog】奇跡の店(tanamaの視点で)
京都の三条に「おもて」というわずかカウンター10席の、小さなおでん屋があった。
いつも観光客でごった返している木屋町エリアで、じぃと目を凝らすと、雑多な街並みの中にひと際異彩を放つ外観が、特に主張するわけでも無いのにドンと現れる。「おもて」は2023年12月にその歴史に幕を閉じることとなった。
作家の石田ゆうすけさんという方がいる。20代の時に7年半かけて自転車で世界一周をしたという面白い人で、帰国後は旅や食、自転車などの知見を活かして作家・ライターとして活躍されている方だ。
阿佐ヶ谷で暮らした時分に友人に連れられトークイベントに遊びに行き、帰り道で「いちばん危険なトイレといちばんの星空: 世界9万5000km自転車ひとり旅 2」という著書を買った。
おっかない目にも度肝を抜かれる体験にも見舞われているのに、その視点はユーモラスで、出会う人出会う人に愛され、世界を見る目線はとてもあたたかい。「おもて」はその石田さんが愛した店だ。
石田さんのブログにもそのエピソードは度々登場している。
・ここだけの話
���日本一感動するおでん屋
私が出張などで京都に定期的に通うようになった時に、石田さんを良く知る阿佐ヶ谷時代の恩人・前田さんが
「真衣ちゃん、三条にすごい店があるから行ってみなよ」と言って石田さんのブログのリンクを送ってくれた。前田さんも「おもて」に魅了された一人だった。
前田さんが私に勧めてくれる本も、映画も、これまで絶対に外れたことがない。ああこれは行かなければいけないなと思い、初めて私が「おもて」の門をくぐったのが今年の4月の終わりごろ、桜を見に来る観光客も少し落ち着いた頃合いだった。
石田さんのブログにもあるように「内緒にしておきたくなる」その店は、小さなコの字(正確にはロの字なのか?)カウンターの中でてきぱきと忙しく動き回る大将の長谷川さんと、若くて愛想のいい女性店員の2名で切り盛りされていた。友人と、友人の恋人(のちに旦那になる)を誘って少し緊張しながら席に着いた。
お通しは生湯葉に雲丹を飾った小鉢。一口入れた瞬間に電撃が走る。
次におでん。美味い。なんだこれは。
出汁巻き。丁寧だけど確実な仕事でまたたく間に提供される、その出汁巻き。美味い。なんだこれは。
私は美味い酒と肴が大好きだが、決して成熟した舌を持っているというわけではないと思うのだけど、だけど、
その仕事の実直さというか、当たり前じゃないことを当たり前にこなしている、長谷川さんの職人技が、光る。光っている。料理人として長年培ってきた技術とセンスが、一切もったいぶらずに料理に、全力で活かされていると感じた。人を幸せにする料理とは、こういうもののことを言うんだ、としみじみと感激し、胸が震えた。
石田さんの友人の前田さんという熱心な阪神タイガースファンの眼鏡の男性に薦められて来たんですと言うと、
「ほーおっ。そうなん!有難うな!」と、威勢のいい関西弁で、もともと恵比寿顔の長谷川さんがますます恵比寿顔になったのを覚えている。京都にまた、自分の居場所を見つけたなと思った。
そんな矢先、11月に久しぶりにおもてを訪問したという前田さんからメッセージが届いた。
「真衣ちゃん、おもてが閉店するそうです」
衝撃だった。聞けば、ビルの建て替えに伴い「おもて」も閉店。80代手前の長谷川さんも勇退されるというのだ
11月いっぱい、そして12月の前半まで私は冗談かと思うくらい忙しく、それこそ会社に泊まり込んで仕事をするくらいだったので、
頭の中でぐるぐると「ああどうしよう、もうあの料理が食べられないのか。なんということだ」と思い悩んでいた。
だけど諦められなかった。
2週間先に、��日だけ身体が空いている土曜日を見つけた。おそるおそる「おもて」に電話をかけ、その日に1人で伺いたいことだけを伝えた。
11月末の土曜日、私は本当に「おもて」に行くためだけに、新幹線で、日帰りで京都に向かった。新幹線というものは私にとってとても贅沢な乗り物で、よっぽど用が無い限りは格安航空や夜行バスを使う。普段なんか、会社の皆が銀座でランチを楽しむなか、一人で家からタッパーに詰めた弁当を持ってきて食べているくらい、貧乏性だったりする。
何が私をそこまで突き動かしたのだろう。わからなかった。ただそんなお店に出会えたのは、本当に生まれて初めてだったのだ。
かくして私の最後の「おもて詣で」は成功し、心行くまで酒と肴を堪能し、長谷川さんとお店の写真を何枚か撮らせてもらって、最終一本前の新幹線で東京へ戻ったのだった。満足だった。



そのエピソードをすぐに前田さんに報告し、撮った写真を送ると、前田さんが
「真衣ちゃん、これは、すごくいい写真だから額装してプレゼントした方がいいよ。大将、絶対に喜ぶよ」
と!
そんな、どこの馬の骨かもわからない、「おもて」に結局2回しか行くことのできなかった一端のファンが贈り物なんて、どう思われるのだろう。悩んだけれど、ちょうど数年ぶりにやりとりをしていた石田ゆうすけさんが、12月末に最後の「おもて」訪問をするというので、図々しくも石田さんに額装した写真を持っていて欲しいというお願いをしたのだった。
石田さんは二つ返事でOKしてくれ、私が撮った写真は、「おもて」を知るきっかけになった前田さんの助言と、石田さんの力によって、長谷川さんの手に渡ることになった。
後日石田さんから、長谷川さんがとても喜んでくれたことを、写真を渡した時の様子を撮った動画を添えて教えてもらった。
石田さんは最後の「おもて」訪問のエピソードを「奇跡の店」というタイトルでブログに残している。
・奇跡の店
石田さんへの尊敬と感謝を込め、そのタイトルを拝借して、私も私なりの「おもて」への想いを残しておくことにした。
奇跡の店だった。そして、あまり大きな声で宣伝したくない、「おもて」の奇跡を奇跡だと思ってくれる友人にだけそっと教えたくなる店だった。
「おもて」への想いを写真と文章に残すことが出来て、そして、写真で長谷川さんをますますの恵比寿顔にすることが出来て、やっと私と「おもて」の物語に読点を打つことが叶った気がする。
人生の中で���うあんなお店に出会えることはきっと無いかもしれないけれど、あの魔法みたいな時間と、温かい空間は、お店が無くなってもずっと思い出の中で灯りを灯し続けるんだろうなと思った。


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自宅に帰ると通販で取り寄せた太田和彦さんの著書二冊届いてました。「居酒屋へ行こう。」と「人生を肴にほろ酔い百話」です。現在4冊持ってます。#太田和彦さん #太田和彦 #居酒屋へ行こう #人生を肴にほろ酔い百話 #関西で飲もう京都大阪そして神戸 #家飲み大全
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和四年(2022)8月27日(土曜日)
通巻第7441号
中国の湖が枯れて湖底がみえた。深刻な水不足、農作物は壊滅の懼れ
番陽湖は35%の湖水に。屈原の洞庭湖も観光地・西湖も景観が激変した
************************
中国最大の湖は青海湖。淡水湖で世界二位が番陽湖、日本人観光客は必ず訪れるのが杭州西湖、中国史が好きな人は洞庭湖。日本にも北はサロマ湖、支笏湖、洞爺湖、阿寒湖、十和田湖、田沢湖、猪苗代湖と幾多の湖があって、琵琶湖は日本一だが、世界ランキングでは百傑にも入らない(世界一はバイカル湖)。ちなみに番陽湖は琵琶湖の6倍の面積である。
中国の自然災害は桁違い。豪雨が続くと、ダム決壊、洪水、地盤陥没、台風被害などで、道路は河となり、すさまじい犠牲がでる。
三年前はあまりの豪雨に世界最大の三峡ダムの決壊がさかんに言われた。
こんどは逆だった。連日の猛暑、摂氏40度超え、干ばつが電力供給に大きな障害をもたらし、各地で計画停電。重慶はショッピングモール営業時間を午後四時~九時に制限。トヨタとホンダの工場は停まった。四川省は電力の八割が水力だからだ。
四川省は昔の「蜀」。劉備玄徳が治め、杜甫が活躍し、諸葛孔明が戦略を編んだ地。トウ小平の出身地であり、成都、重慶など工業の拠点である。電力需要は6500万キロワット。前年比25%の需要増は、アップルや自動車工場が集中したからだろう。
一ヶ月、雨がまったく降らなかった。摂氏40度(華氏百度)、農作物は枯れ、となりの湖北省と合わせて数千ヘクタールに被害が出た。成都市民のおよそ82万人は飲料水がない。水道がとまったからだ。
くわえて山火事である。8月25日のApに拠れば、540世帯、1500名が非難し、消防隊5000名が動員されているが、未曾有の山火事は一帯をはげ山にしてしまうから、保水力が失われる。
番陽湖は江西省の北西部、九江から南昌へ南下すると左手に広がる。淡水湖で中国一(世界一はキルギスのイシク湖)、湖面面積は3976平方キロだが、洪水期には5050平方キロに湖面が広がったことがある(ちなみに琵琶湖は670平方キロ)。
8月25日現在、水位は五分の一となって、湖中にある展望楼には歩いてけることとなった。番陽湖の中州に北欧企業がリゾートホテルを計画していると九江で政府関係者から聞いたことを思い出した。
九江は洪水でも有名だが、付近は工業団地など開発がブームに沸いたことがあった。番陽湖の水量を調整し、農地へ配水する機能があることから「腎臓の湖」とも言われる。(番陽湖の「番」には、「こざと」)。
歴史好き文学好きの人なら洞庭湖だろう。屈原は政治の腐敗に絶望し、汨羅で入水自殺した。詩人の杜甫は、「岳陽楼」を謳った。この洞庭湖は淡水湖では中国第二位。2820平方キロで関東平野より湖面が広いのだから桁が違う。
杭州観光ではおなじみの西湖、ほかに九寨溝のエメラルド色などが観光客を引き寄せていたが、猛暑、干ばつで景観が激変した。
▲中国一の青海湖は周囲が360キロ、一周したことがある
中国最大の青海湖は青海省の省都、西寧に宿を取って、中国人ツアーに紛れ、一周したことがある。
早朝八時だったかに出発し、帰ってきたのが午後八時、青海湖は周囲360キロの凸凹道だから12時間(途中、昼飯休憩などあり)かかった。
青海湖は塩湖、モンゴル語でココノールという。4635キロ平方キロ。108の河川から流れ込んだが、2022年8月には85%も水位が下がった。
あれは小泉政権のときだった、ツアーで日本人と分かると、まだ日本へのあこがれがつよく残っている時代で、「小泉首相の靖国参拝をどう思うか」と聞かれた。
デジタルカメラを珍しそうに眺め、なかでも親子連れの父親がかなりのインテリで流ちょうな英語を喋った。
「日本にもこのような湖はあるかい?」「琵琶湖(ピーパーフゥ)って東京からどういくのか?」
内蒙古省のホロンバイル草原は有名だが、かつて日本軍の要塞があったハイラル(海拉爾)からバスで三時間。拠点となるのは「満州里」である。典型の炭鉱街。
満州里は、ロシアとの国境でもあり、鉄道がまたいでいる。そこからやや西へ開けるのがホロン湖(呼倫湖)で2335平方��ロ。湖畔のレストランで湖魚を酒の肴にしたことがあるが、夏でも革ジャンを着込むほど寒かった。
また思い出した。中国人作家で台湾に亡命した朴内夫(筆名=無名氏)が日本に来たとき、箱根の芦ノ湖を案内した。湖畔のレストランで、氏は松尾芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」は、この池(芦ノ湖)か?」と聞かれて驚いた。
中国人の感覚では、小規模な湖は「池」なのである。
▲じつは中国最大の湖は興凱湖だが、北京条約で75%がロシアに帰属する
ついでにもうひとつ。
日本人が殆ど行かない最大級の湖がある。
黒竜江にある興凱湖で、4403キロと、番陽湖よりも湖面面積は広いが、じつは北京条約によって四分の三がロシア領に編入されている。十数年前に、高山正之氏等と行ったことがあるが、真夏なのに、日本の初冬の寒さだった。
したがって中国側の湖面は1000平方キロでランキングに入らない。
この興凱湖の真南が沿海州のウラジオストクだから、中国人にとってロシアは「癪の種」になる。ロシアがウクライナでへとへとになったら、中国は北京条約の廃棄をせまり、ウラジオストックを回収する挙にでるかもしれない。(詳しくは来月五日発売の拙著『ウクライナ危機後に、中国とロシアは破局を迎える』(宝島社)をご参照されたい)。
8月24日から降雨(慈雨)があって、四川省では25日あたりからようやく工場が再開されている模様である。
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🎼 00821 「American TV」。
1974年8月8日。アメリカ建国200年の歴史 (当時) で、はじめて任期の途中で大統領を辞任した アメリカ合衆国第37代大統領リチャード・ニクソンがどうのこうのする映画 「フロスト×ニクソン」 を日本語吹き替え版で観ています。ロン・ハワー��監督作品。デビッド・フロストというどこかのテレビ司会者が弾けるこの映画、わたしのラブリー 藤原啓治さんが声を演じています (ジェームス・レストン Jr. を演ずる サム・ロックウェル役)。という訳で テキトーに "声" を書き留めます。
「いまでも鮮明に覚えているよ。あの日、父が電話をしてきて僕が電話を取るなり "すぐにテレビを点けろ!ニクソンが失脚するぞ" って」。
「あの演説には全く納得いかなかった。聞けば聞くほど腹が立ったよ。だってそうだろ、彼は最後まで罪を認めなかった。謝罪しなかった」。
「裏口から逃げ出したも同然だよ」。
「4冊目」。
「握手をする前に、インタビューに対する あなたの抱負を聞いておきたいんだが。あゝ」。
「いゃあ、冗談じゃない。家族と離れ 僕の一年を犠牲にして打ち込む仕事だ。僕はこれに賭けてる。あなたの想像以上にね。僕が目指す成果を上げられないやうなら このプロジェクトには とても参加出来ない」。
「僕らの手で ニクソンを裁判にかけたい。それだけかよ。2万1千人のアメリカ国民と 100万のベトナム人を殺した犯罪者だぞ。フォードの恩赦で 投獄を免れただけだ」。
「お言葉だが、今の時点で彼に同情心を抱く人間がいるとは思えない。あのリチャード・ニクソンが、大統領の地位を貶め、彼を選んだ 国民に対して 傷を残した。国民は有罪判決を必要としてる。そりゃあ明白だ。民主主義というわが国の政治制度が 健全に機能しているのかどうかは すべてその 判決に懸かってる。後に人々が このインタビューでニクソンの罪が晴れたと言い合う結果になれば あなたは最悪の罪を犯したことになる」。
「ウォーレスが 彼の番組であなたをコケにしてる。政府関係者も あなたの企画はジョークだと酒の肴にしているらしい」。
「ぇぇぃ。すまないボブ。僕もそうだが やり方が違う。あのお坊っちゃんは世間がニクソンに同情すると言ったんだぞ。何も分かってない!」。
「一週間後、僕らは家族に別れを告げてビバリー・ヒルトンに集合した。そこでインタビューの準備と調査を開始したんだ」。
「ホールドマン」。
「調査はデビッド以外の3人で手分けすることにした。バートはベトナム、ボブは国内外政策について、僕はウォーターゲートと権力の乱用。僕ら3人ともデビッドとは ほとんど会わなかった」。
「それは...」。
「それも質問項目に入れた方がいい、反戦学生盗聴の件」。
「郵便物の開封も」。
「問題は...」。
「オッケー、まずは不法侵入。盗聴行為に売春の斡旋と、ぜんぶリディの指揮だ」。
「税金の...」。
「こういう聞き方は?大統領特権による行為と 非民主主義的行為の境界線はどこにあるか。クエーカー教徒として 一民族を絶滅させることを どう思うか」。
「やつの反民主主義的な人格を 強調するんだ!...陰謀家ディックと呼ばれてる」。
「ヒューストン計画で一般市民を盗聴した」。
「ハハハハハ」。
「エースワンって呼んでくれ」。
「デビッド、ちょっといいか。ニクソンの特別顧問をしてるコルスン、知ってるだろ?チャールズ・コルスン、一番腹黒い腹心だ。コルスンは6月23日以前にニクソンと会ってる。だが、具体的な日にちが分からない。だから 一週間、連邦裁判所の図書館で調べたい」。
「分かればやつを追い込む材料になる。なぁ、このインタビューでニクソンを仕留める気なら、奇襲攻撃をする必要がある。不意打ちを喰らわせなきゃ!」。
「何で タキシードなんだ?何っ?インタビューは明日からだぞ。何の映画だよ」。
「インタビューの前日くらい ゆっくりと休んで、大仕事に備えるべきだとは思わないか?」。
「ハァァ、今何と言った?役者って言ったのか?本当にそう言ったのか?記者やインタビュアーじゃなく?好奇心から聞くが、今の君の心境は?何が見える?」。
「彼の本は4冊書いてるが、実物を見るのは初めてだ。想像してたより背が高い。色も黒い。少しくらいやつれててくれ」。
「握手だ?冗談だろ?この国を滅茶苦茶にした男の手なんか握れるかよ」。
「大統領」。
「うるせえ」。
「ハァァ、最悪の状況だ。一つの質問に23分もかけてるんだぞ...」。
「よぉし、いいぞ」。
「パパは世界一立派よ?」。
「何て言う?... ゼロックスは?GMやIBMは?ドッグフードか?」。
「おい、どうなんだよ!それは残りがってことか?おい、嘘だろ。企画の信頼性だよ。広告販売の要だろ」。
「切り込め」。
「ベトナム帰還兵に聞かせてやれ」。
「いいぞ。こっちのペースだ」。
「聞いてて恐ろしくなったよ。ぞっとした。自信に満ち溢れていた」。
「へっ、へへ。苦戦どころの騒ぎじゃなかったよ。とても 見ていられなかった」。
「デビッドが攻めようとするたび、ニクソンは こっぴどく叩き潰した」。
「挙げ句の果てに学生を盗聴したり、記者の家に侵入したりする行為まで正当化させるとはね!」。
「あんたバカか?今日はどれほど酷かったか言ってやる。収録後に二人のスタッフが話してるのを聞いたんだ。以前はニクソンになんか投票しなかったが、今選挙に立候補をしてたら、支持するってさ。あんたやつをまた大統領に戻しちまった。ヨーロッパの外遊にベッドを持参で行ったなんて話 誰が聞きたがると思う?意味が無いだろっ!あんな陳腐な話面白がって聞くのはせいぜいトークショー...」。
「あゝその通りだ」。
「見ろよあれ、ニール・ダイアモンドだ。あそこにいるのは サミー・カーンか?どうした?嘘だろ。一緒にいるのマイケル・ヨークだ。あれ全員?プレイボーイのバニーガール?」。
「うっ、うぅ、もしもし。あゝ今何時?火曜日までだけど。赤ん坊を見に行ってくれないか?あゝコルスンの件か。あゝそれがどうした?」。
「やあ、おはよう」。
「よし、いよいよだぞ」。
「嘘だろ、追い詰め���よ」。
「何言ってんだ!」。
「いっそ一週間ぐらい休ませてやったらどうだ、一年でもいい。マッサージつきでなっ!」。
「テレビの第一にして最大の罪は、すべてを単純化して視聴者に見せてしまうことだ。矮小化させてしまう。偉大で複雑な思想、その時々に流れている時間、全キャリア、すべては一コマの映像に押し込められてしまう。フッ、最初は分からなかったよ。ボブ・ゼルニックが なぜインタビューの後あんなに はしゃいでたのか。なぜ ジョン・バートが 浮かれて素っ裸になり 海の中へ飛び込んで行ったのか。だが、それは 僕がよく理解できていなかったからなんだ。真実を映し出すクローズアップの力を。デビッドは 見事成功してたんだよ。インタビュー最終日に。決定的な一瞬を捕らえることに。記者だって検察官だって物にしたことがない、勿論、司法委員会だって、政敵だって捕らえることは出来なかった。リチャード・ニクソンはむくんで膨れ上がり、孤独と自己嫌悪、敗北感で打ちひしがれていた。この成功で他の3回分の失敗は完全に忘れ去られる。いや、帳消しになるだらう」。
「ニューヨークでもロンドンでもシドニーでも デビッドは大歓迎を受けた。番組で大儲けした友人や投資家からも同様だった。トークショーはすべて延長。サービスもVIP席も取り戻した。一方 ニクソンの方は復帰を切望して止まなかったが 遂に叶わなかった。今も唯一引き継がれている、彼の遺産は 政治的な不正に同じ接尾辞が付くことだ。"ゲート" と」。
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京都のおいし~お店紹介
そろそろ京都のおいし~ご飯屋さんの情報を残しておかないと勿体ないと思ったのでここに残していきます。写真は用意するのが面倒臭かったので代わりにGoogle MapのURL載せておきます。各自飛んで情報をご確認下さい。紹介するお店は京都に住む学生の日常として過ごすならなではなお店ばかりですので、京都らしい湯葉とか懐石のお店とかはないです。京都来たのに一回も食べれてない。たべて~!
庶民 立ち飲み にんにく丸揚げ・さつま揚げ・刺身3種盛
京都で一番安くて美味しいお店はどこかと聞かれたら、まずはこのお店を紹介するようにしています。とにかく安い!!生ビール(250YEN)。芋焼酎(200YEN)。この二つだけでも既に最強のお店って感じがしますが。庶民の本当に凄いところは、���も安いところです。絶対に頼んだ方が良いのは、ニンニクの丸揚げ(100YEN)、さつま揚げ(150YEN)、刺身の三種盛(500YEN)この三種盛は必ずしめ鯖が入っているのですが、個人的には抜いて別のお魚を入れてもらった方がお勧めです。庶民は本当に混んでいるお店なので、ナイジェリアの市場ぐらい人でパンパンです。灰皿は頼まないと出てこないので気を付けてください。喜劇の上回生で後輩に奢りたいけど、お金が……という人はここで奢れば無問題です。3人でたらふく食って飲んで3000円行くことはまあないです。ただお店の狭さと立ち飲みであることを踏まえると3人ぐらいが限界の人数だと思います。先輩後輩だと3人ぐらいの飲み会が一番楽しくない?俺はそう思うぞ。この庶民の辺りは大宮という飲み屋街なので、ここを一軒目にして、そっから遊び狂うのが正解だと思っています。銭湯もあるので飲んでから銭湯行くも良し、風呂使ってから飲むも良しです。未だにどちらが正しいのかがよく分かんないままだけど。
https://goo.gl/maps/ec3VGC5BYK3GLPkMA
バール・カフェ・ジーニョ 喫茶店 コーヒー・サンドイッチ
個人的な思い出がいっぱいのお店です。今住んでいる家はこのお店があるから近くに住みたいという理由で決めました。それぐらいこのお店の居心地は良かったんです。サンドイッチ200円、コーヒー200円なのに、京都で一番美味しいコーヒーとボリュームのあるサンドイッチを出してくれます。ブラジルの国旗がお店の前に掲げてあるので、僕は「ブラジル」と呼んでいましたが本当の名前は全然違うし、かっこよかったです。申し訳ないです。昔はタバコが吸えて、授業の合間にこのお店で涼んでゆっくりしてからまた大学に戻るというのを繰り返していました。タバコが吸えなくなって久しいですが、それでもここを訪れる価値はあると思います。
https://goo.gl/maps/fkqrKJPBKhwdLNYL9
村屋 居酒屋 酒盗クリームチーズ 日本酒
昔は少し駅から遠くにあって、古い木の建物とネオンが異質の雰囲気を放っていた店でしたが、ある日突然の閉店がアナウンスされ、絶望していました。しばらくして後輩のユヅキと一緒に銭湯の脱衣所で「村屋無くなって寂しいなあ、あのお店の代わりは見つからないよ~」と喪失感を共有していたら、「あるよ。村屋復活するよ」と知らないおじさんから急に情報が与えられ、おじさんの言う通りに村屋は場所を変え復活しました。
京阪出町柳駅から徒歩一分、後輩のオダギの家からは徒歩30秒の場所に復活した村屋は、記憶と違わない怪しいネオンを光らせています。お勧めはその日のメニューの中から味の濃そうなおつまみと酒盗クリームチーズ(300YEN)を頼んで、焼酎(350YEN~)日本酒(400YEN~)泡盛(300YEN~)を注文し、酒盗クリームチーズを箸の先っちょに乗せ、箸までねぶってから酒を入れることです。これさえあればあとはどうでもいいと思わせてくれる、そんな味です。現在もタバコが吸える店且つ夜が明けるまでお店を開けていることが多いので、呑んでいい気分のまま朝焼けの鴨川デルタに突撃するのもハチャメチャに楽しいですよ。眠たくなったらオタギが優しく泊めてくれる立地ですのでぶっ倒れるまで飲んでいただいても大丈夫です。
https://goo.gl/maps/pEDQSEY3wokFeiAy7
イルカ喫茶バー カクテル
バイト先の京都造形大に通っていた人から紹介してもらったのがこのバー、閑静な住宅街の中にありながら、かなり本格的で多様なカクテルを飲むことができます。値段も財布に優しく、カクテルは基本的に300円から、スナックは200円くらいからだったと思います。チャージの概念はもちろんないので、京都で初めてバーに行きたいと思ったら、このお店は三条四条のお店より落ち着いていて、メニューにカクテルの詳細が載っていますし、結果的に満足できると思います。昔は吸えましたが、時代の流れということでダメになりました寂しいですね。
https://goo.gl/maps/6VsvjtBEDAgJ8yPs9
かふぇじーの 喫茶店 ポットコーヒー
大徳寺の近くにあるジャズ喫茶です。窓からの景色がいいのと500円のポットで頼むとコーヒーが二杯飲める量が来るので、長居に向いています。本が雑多に置いてあるので適当に読むも良し。マスターは気さくに対応してくれるので、空いてたらカウンター側に座るのも良しです。かなり中心部から離れているので、時間があるときに訪れてみると良いと思います。昔は吸えましたが今はもうダメです。残念!しゃあない!
https://goo.gl/maps/MKBoNYyTeNbnbzcv9
丸二食堂 定食屋 焼きめし
「炒飯」と「焼きめし」は確実な断絶があり、一度「炒飯」を作れるようになってしまうと、二度とお袋が作ってくれる「「焼きめし」」は作れなくなってしまう。
というのが僕の好きな漫画である「がらくたストリート」の中で語られていました。実際に中華屋で頼む炒飯と定食屋で頼む焼きめしは不思議と違いがあると皆さん感じますよね?僕は感じます。僕はその断絶はパラパラかベチャベチャかでその違いが決まると思ってます。
長々と話をしましたが、炒飯のNo1のお店は未だによく分からないままです。でも焼きめしのNo1、キングオブ焼きめしを出す店はこの丸二食堂であると自信を持って言えます。揚げ物やボリュームのコスパで語られることが多い丸二ですが、本当に頼むべきはここの焼きめしです。確か大盛で500円だったと思いますが、コスパとかそういうものは関係なしにここの焼きめしはめちゃくちゃ美味いです。ほんのりと香るニンニクと湿った醤油の焦げた匂いのする焼きめしは、他のどこも敵うことのない美味しさです。注文は入り口に置いてある、紙とペンに書いて一応口頭でもお願いするといいです。ジャンプ、サンデー、チャンピオンが置いてあって、あまりマガジンを読まない僕はこのチョイスが最強です。因みにオダギの家には大量のマガジンが置いてあります。マガジン派の方はオタギの家にGO!!昔は畳の座敷でタバコが吸えたお店でしたが、よく子供連れの方も来られていたので、禁煙にして良かったと思えるお店です。
https://goo.gl/maps/99r5a7r4kumUJ8x48
國田屋酒店 角打ち ハートランドビール
色んなビールが世の中にはありますが、このお店では三大ビールではないハートランドの樽生が飲めます。飲み方としては、まず土曜日の午前の11時近く遅めの時間に起きてもらって、何の予定も、やりたいことも思い浮かばなかったら適当な昼飯を食べて、このお店の近くの銭湯で、浴槽でのんびりしてサウナ入ってからここに向かいましょう。そして700円の1リットルのジョッキを頼んでちゃっちゃっと飲み干しましょう!以上!
まあ普通に美味しいビール飲みたくなったら行ってもいいと思います。ここは酒屋さんなだけあって日本酒の種類も豊富で200円でちっちゃなコップ、400円で大きなコップで色んな日本酒を飲めます。ビールも日本酒もあまり好きじゃないという方は、季の実という美味しいジンをトニックで割ったジントニックが素晴らしく美味しいので是非飲んでみてください。酒のおつまみは缶詰やソーセージ、ベビースターなどがメインでTHE角打ちって感じです。因みに巻きたばこの無料試吸があって手先が器用な方なら無限にタバコ吸えます。良心が傷むギリギリまで吸っちゃってください。後輩のユヅキ君は5,6本吸ってました。僕はいつも1本にしてます。
https://goo.gl/maps/egWE87zE8E3USEbe6
キッチン瑞穂 洋食屋 クリームコロッケ
京都はハイカラな洋食屋さんが多くて、その中でも学生に優しくて美味しいお店はこのキッチン瑞穂です。ここは夜でもランチが頼めるのでそれを頼むとパンかご飯を選べて、サラダも付いてくるのでオススメです。特にコロッケランチ(640YEN)を食べてみて欲しいです。 急ですが実家にいたころ、ステーキメインのお店なのにそこのクリームコロッケカレーが美味しいからとよく家族で行ってたのですが、正直カレーよりも、そのお店の水槽がとっても大きくて綺麗だったことの方が印象的だし、一回もステーキ頼んでないのおかしいんじゃないかと思います。頼みたかったのに何故か頼ませてくれませんでした。食べたかったなステーキ。そういう訳であまりクリームコロッケに縁を感じることもなく生きてきたのですが、ここでぶち���たりましたねクリームコロッケの縁に。クリームコロッケに興味を持ったことない人にこそ食べて頂きたいです。小さなエビが入っていてパンにもご飯にも滅茶苦茶合います。カツカレーもとっても美味しくてボリューミーなので腹ペコだったらそちらも是非!昔は洋食屋さんなのにタバコが吸えるというかなり珍しいお店でしたが、今は不明です。どちらにせよ良い店です。
https://goo.gl/maps/rCh3buQg6apqQiNR8
京香園 麻婆豆腐
京都は中華料理屋さんが多い割にしっかりとバランス型の中華をしてるお店が見つかりづらかったりします。どうしても日本よりの味付けになっていたり、本場により過ぎて留学生しかいってないようなお店だったりで、言葉にするのが難しい丁度良さがあるんです。丁度良さを持ってるお店は基本的に値段が張るお店だったりするのですが、この京香園は丁度良さのどストレートを行くお店です。回鍋肉も、チンジャオロースもとても美味しくご飯が止まらなくなるのですが何といってもここは麻婆豆腐!ここの麻婆豆腐を激辛で食べてください!辛いのが苦手な人は他のメニューを食べてもいいです。普通のマーボーは美味しいけれども、圧倒的ではないです。ここの激辛麻婆豆腐は酢漬けの唐辛子が入っているのがポイントで、この唐辛子のおかげで米の進むスピードが∞kmになります。激辛と普通のマーボーで体積が二倍ぐらいになるので、激辛にしてくださいを必ず言った方が良いです。じんわり汗をかくタイプのマーボーで激辛と言いつつも辛いのが得意な人なら気軽に頼んでもらって大丈夫です。因みにここは府上の元下宿先が近くて二人でよく行ってバクバク食べてたら元々おかわり無制限だったのが、2杯までになりました。人生でおかわり制限食らったのはここで2度目だったのでかなりショックでした。大盛は自由なのでお腹が減ってたら一発目から大盛で行きましょう!禁煙!
https://goo.gl/maps/e2kaXTaGVj7RRbNR6
トレド 焼きそば
喜劇の皆はここで何度腹いっぱいにしてもらって、ビラ配り後の飯タイムで大量の後輩に奢る時ここに何度救ってもらったんでしょうか。数えられんぐらい行ったし、同じだけ笑ったお店だと思います。焼きそば、ナポリタン、カレー、サンドイッチ、基本400円でセットにするとコーラかコーヒーを付けて700円という安さ。
長居のしやすい空間、一人でホールを回すせわしないおばちゃん、面白い形の灰皿、トイレに行くまでにある京都特有の町屋の中庭、お金を入れるだけの機械になっているレジ、頼んだら出てくるでっかいマヨネーズ。小さなお店だっただけに細かいところが手に取るように思い出せます。
今は閉まっちゃっていていつ頃再オープンするのかが未定のお店ですが、皆の思い出の場所だと思います。この店は僕が最初に発見したことを今でも後輩に自慢散らかしています。因みに後輩のミヨシはこのお店があまりに長く閉まっていたのを心配して、お店の前に置手紙を残したという一歩間違えたら怖すぎる奇行をやらかしてます。その行為自体、俺は素晴らしいと思うけど、同志社OBという全くの別人格として手紙を出すのはズルだと思うぞ!
https://goo.gl/maps/zhpV89bAMvM2pT8G6
スペースネコ穴 ??
一番店じゃない店。ここはお店として紹介するのが変な感じになる居酒屋?さんです。検索してもらったら分かると思うのですが、店内が本当に無秩序。他のお客さんがつまんでいる料理を一緒につまんでも全く問題ないですし、勝手に冷蔵庫を開けて横の栓抜きで赤星を開けて飲むのがルールです。蓋は床に放置して大丈夫です。ユヅキと一緒に初めて行ったときの思い出は、ウィスキーとコーラが置いてあったのでコークハイをお願いしたら、「どっちも他のお客さんのキープしているもので出来ないの」と店主さんに断られ、しょげてると「あったあった」と言って代わりにテキーラとジンジャエールが出され、ジョッキに7割程テキーラが注がれて、ほんの少しのジンジャエールをちょぼちょぼと垂らして出されました。飲みながら死を覚悟し、横目に猫がこたつを横切るのを見ました。その後それを飲み干したユヅキはダウンし、僕はトイレに駆け込んで全部戻してから意識を無くし、店主さんに「もう家出るから、起きて」と優しい声で起こされた時にはもう朝になってました。そしてお会計の時に「う~ん、ビールとこれとおつまみと…」数秒程考えてから「うん!1500円!」という衝撃の値段が飛び出てきました。自信を持って言われましたが、チェックすらまばらで曖昧な会計をしてあんなに自信のある「うん!」を僕は聞いたことが無いです。普通に一晩寝させてくれていたという事実に衝撃を受け同時に底の知れない優しさは時に恐怖を生むのだなと考えさせられたお店です。
他にも僕、府上、ユヅキで午後10時頃お店を尋ねたところ、店主さんは他のお客さん数名を楽しくお話をしていたので僕らでしっぽりと飲んでいたところ急に「私、この人達と飲みに出かけるから、このお店好きにしていいよ!適当にコンビニとかで買ってここで飲んでもいいし、適当に飲んだら適当にお金置いてって!」と店主。と?今、冷静に書いていると明らかにおかしいです。狂気すら感じます。僕らがお店のお酒を勝手に飲んで、お金すら置かずに帰ったら?当時ですら色々な疑問が浮かびましたが、先に飲んだお金だけ先に支払いました。その後、雨の中皆でコンビニに行き初訪問時に飲めなかったコークハイを作って、勝手にFishmansやThee Michelle Gun ElephantのCDを勝手に流して飲めや歌えや踊れやで爆笑し続けました。世の中には当たり前が溢れすぎていて、生き続けると考え方が段々と固まってしまって、当たり前で社会は回っていて、その当たり前すら否定するのがスペース猫穴です。宇宙もこんな未知で溢れていて欲しいですね。エピソードは他にも腐るほどあるのですが、気になったら聞いてください。
https://goo.gl/maps/k9KHXTkkYD1dMZXL6
色んなお店を思い出と共に語ってきましたが、とりあえずここら辺にしとこうと思います。他にも紹介したい店や書きたいことはあるので、たまに書こうと思います。あと、もしあなたがどこかに住んでいて、お気に入りのお���があったら匿名でも何でもいいので教えてくれると嬉しいです。近く行ったら寄ります。では!
おわり~(100%)
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2024年2月20日(火)

今日は昼と夜、落語会の連チャンだ。まずは天王寺まで走って「ハルカス寄席」第1部、いったん帰宅してからツレアイと一緒に徒歩10分の京都リサーチパーク・サイエンスホールへ、「第60回七本松落語会」へとやってきた。昼は露の新治師匠、夜は柳家小ゑん師匠、最もお気に入りの噺家二人を同じ日に楽しめたのだ。今年の春休みは値打ちがあるなぁ、いやほんと。

5時30分起床。

朝食、洗濯、弁当*3(私以外の分)。
可燃ゴミ、30L*2&45L*1。
ヤクルトさんから野菜ジュースを購入する。
ツレアイは自転車で出発、午前中に訪問2件。
あここれ片付けをして、JR京都駅へ出発。

まずは杵屋@ポルタで腹拵え、湯葉餡かけうどんをいただく。
新快速で大阪→天王寺。

近鉄百貨店9階にある<SPACE 9>で開催されるハルカス寄席、今日は後の予定があるので第1部のみ。新治師匠のネタは上方落語協会による台本コンテストの優秀作品、初めて聴くことができた。
大阪駅15時の新快速に乗車、自宅に戻る。
息子たちにはレトルトカレーで夕飯を済ませるように指示、ツレアイと一緒に京都リサーチパーク1号館・サイエンスホールを目ざす���

小ゑん師のTwitterからTweetを借用して報告に代える。
21時過ぎに帰宅、すぐにあり合わせで肴を揃え、燗酒で乾杯する。

録画番組視聴、<舟を編む>。
(1) 初回放送日: 2024年2月18日 岸辺みどり(池田エライザ)は、大手出版社・玄武書房のファッション誌編集者。仕事熱心だが、ある日突然、辞書編集部への異動を命じられ、知らない言葉にやたら食いつく上司・馬締光也(野田洋次郎)や、日本語学者の松本先生(柴田恭兵)、社外編集の荒木(岩松了)らと共に、玄武書房初の中型辞書「大渡海」の編纂に関わることになる。慣れない辞書作りに戸惑うみどりには、同棲中の恋人・昇平(鈴木伸之)が唯一の癒しだが…。
いやぁ、面白そうな予感。
片付け、入浴、体重は1,700g増、あちゃー!

久しぶりの12,000歩越え、水分は1,460ml。
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仕事は性善説か?性悪説か?

マンション偽造問題を契機に、検査内容だけではなく働き方や社員に対する会社としての対応方で性善説・性悪説が議論されています。
この性善説か?性悪説か?を突き詰めて議論すると、結果的には「孟子好き派」か「荀子好き派」かで結論が出ます。
社会的な道徳観でどちらが正しいか決定することは非常に危険です。
今、日本では性悪説でやらなければダメだという風潮になり「マニュアルを厚くして管理する方針」になっています。
これは「性善説」の悪用ではないでしょうか ?
企業側が人的なミスや問題を起こした場合「有識者が作った完璧なマニュアルに従っているので会社や取締役に責任は無い」という保身ですよね。
「規則」や「ルール」をマニュアル化することでメリットがあるのは企業側だけです。
お客様や働く社員にとってのメリットはありません。
「マニュアルがあるから安心してお客様に平等のサービスを提供でき、社員も個人的なミスや過ちを犯すことなく接客対応できる」という理由で大手企業は百科事典でも販売するのかと思うくらいマニュアルを作成しています。
しかし、この考え方こそが「人的ミス」や「隠蔽につながるミス」をうみ出してしまいます。
問題は企業の「管理」や「複雑化するチェックシステム」などではありません。
「知識」と「経験」の問題です。
特に顕著に表れているのがテレビ番組です。
非常にわかりやすいのが、「ディレクター1人と音声、照明担当各々1人の合計3名」を1クルーとした番組製作が年々増加しています。
しかも、経験の浅い若手ディレクターがタレントの代わりにハンディカムで撮影して取材も行うというもので、明らかにYOUTUBER以下です。
これは、人材育成の時間に予算を計上する余裕がなくなっているんですね。
上場企業と中小企業では新人の人材雇用の意味が全く違います。
上場企業の人材雇用は投資家を納得させるための雇用なので「高学歴で仕事はできなくても問題無いので上司と会社のマニュアルをロボットの如く守る人材」を雇用します。また、面接する人事部の担当者も一般常識と会社のルールを混同している人たちなので、就職活動は全員同じ色の同じ形のスーツで受け答えもマニュアル通りにできるかどうかがポイントになります。
将来、面接は100%〝AI〟が担当するようになります。
一方、中小企業は上場企業のような余裕はありませんから『即戦力』を求めます。
先ほどのテレビ番組製作の例ですと、テレビ局は上場企業ですよね。
ですから、局の社員は基本的にマニュアル重視で採用されます。
ですが、番組の制作は外注制作なんです。
外部の番組制作会社は全て中小企業です。テレビ局から僅かな予算で番組を作るよう依頼され、もっとも安価で制作する製作会社が重宝されます。
ほとんどの場合、テレビ局のディレクターといっても給料は制作会社から受け取っているので、決して安泰ではありません。
運よく上昇気流のタレントに乗っかりヒット番組のディレクターに名前があれば、テレビ局に就職することができます。
現在編成や製作の部長クラスはほとんどこのパターンの〝運の良い人〟です。
この『外注製作』というのは発注する側に大きなメリットがあります。
例えば、営業に関わる経費や出張旅費をなどの清算は膨大で複雑な申請書を書いたり、添付書類を細かく請求しなければなりません。
これが全てアウトソーシングできるのです。
発注する会社は、自社の都合でシステムを作成して、そのマニュアル通りに請求することを求めます。
面倒なことは受注した会社が全て行い、発注した会社は受け取ってシステムに入れるだけなので膨大な作業が1人でできます。
この作業も100%〝AI〟が担当するようになります。
因に、仕事は性善説か?性悪説か?などという議論は酒の肴程度にしなければなりません。
それに、性善説や性悪説で判断する会社は、社員がみんな疑心暗鬼になったりして社内の信頼感が無くなってしまいます。
【学校法人 岩谷学園 沖縄事務所】
IWATANIGAKUEN-OKINAWA campus
Liaison Office
Omoromachi Naha city Okinawa 900-0006 Japan
E-mail : [email protected]
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https://www.iwatani.ac.jp
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オリンピックと私 ・ オリンピックがきっかけで世界中の人をおもてなししようと色々なものが整備されましたね。 ・ 1964年のオリンピックでは世界中に中継するために衛星放送技術が発達したり、感動的な瞬間をVTRで録画しておき後からスローモーションで再生するのもそうだそうです。 ・ 同時にインフラ周りも整備されましたね。東海道新幹線が出来たり、首都高速道路が出来たりとより多くの人や物をスピーディーに動かす仕組みが整いました。 ・ 今回のオリンピックでは環境に優しくてバリアフリーにも対応したEV車が選手村で走っていたり、都内の交差点にある信号機の英語表記も変わりましたね。 ・ 有名なところだと「国会前」の表記”kokkai”が”The National Diet”に変わり「銀座通り口」は”Ginzadoriguchi”から”Ginza-dori Ave. Entrance”になりました。 ・ いまいち納得いっていないのは”Ginza-dori Ave.”だと「銀座通り通り」なんじゃ無いかなと心配していますが、それより遥か前の1971年に竣工したビルも似たような名前ですね。 ・ というわけで本日のランチは #ニュー新橋ビル の2階にある #大関 #うまい肴と酒の家大関 です。怪しげなマッサージ店のお姉さんの声がけを振り払いやって来ました。 ・ 大振りの魚の見本も気になりますが狙うは #まぐろ中落ち焼き魚付 です。カウンターだけのこじんまりとした店内の奥にはテレビもあって、いい感じです。 ・ 出された #まぐろ の #中落ち の盛り付けにビックリ! #中トロ も部分も含まれているのに、これでもか!とビックリな分量の山がうずたかく盛り付けられています。 ・ これをガサッと取って醤油につけて食べれば、その新鮮さと口の中でとろける脂の食感そして #鮪 のピチピチ感が出ております。 ・ #焼き魚 は #鮭 のようです。 #マグロ だけでも嬉しいのにさらに #焼き鮭 までついた太っ腹メニュー。どうやらカマのあたりなのでしょうか? ・ 皮の部分と肉の部分との間のプルプル食感と言い感じに脂がのっていて、うまーい。そして、ご飯はTKGと来たら、もうご飯が欲しい欲が止まらない。 ・ #味噌汁 も海苔が入っていて美味しいですね。ご飯お代わりが別料金ですが元々の価格設定が900円(税込)というのですから、改めて新橋の沼から抜け出せません。 ・ 食欲が満たされた後に違う欲求が湧いて来そうなところですが、この後の打ち合わせに遅れてしまうので、いそいそとオフィスへと戻るのでした。 ・ #新橋ランチ #新橋定食 #新橋居酒屋 #新橋海鮮 #新橋和食 #新橋割烹 #新橋グルメ #ニュー新橋ビルランチ #ニュー新橋ビルグルメ #とa2cg (ニュー新橋ビル) https://www.instagram.com/p/CTiUiCVB6Kp/?utm_medium=tumblr
#ニュー新橋ビル#大関#うまい肴と酒の家大関#まぐろ中落ち焼き魚付#まぐろ#中落ち#中トロ#鮪#焼き魚#鮭#マグロ#焼き鮭#味噌汁#新橋ランチ#新橋定食#新橋居酒屋#新橋海鮮#新橋和食#新橋割烹#新橋グルメ#ニュー新橋ビルランチ#ニュー新橋ビルグルメ#とa2cg
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🎶♬♪🎵♩ 今帰仁村・今泊から おはようございます。 真っ青な空 少しひんやりする爽やかな風。 お部屋に良い空気が入ってくるのを感じますね。 1979年のお話をば。 横浜に奴らは降り立った。 Ry Cooder & David Lindley 現関内ホール 当時は市民ホールと呼ばれた場所に 色々な弦楽器を並べに並べて・・・・・・。 David Lindley ジャクソンブラウンのバックアップメンバーとして名前は知っていたけれど こんなに変な奴だとは知らなかった。 そんな変な奴が 邦題「化けもの」という名盤を引っ提げたのは2年後の1981年。 そのアルバムは、僕の無人島へ持っていく1枚に入っている。。。。。 David Lindley R.I.P. さて、Imadomare 本日3月5日(日)は 18:00OPENです。 今夜も 明るく元気にワクワク 頑張ります。 【予約のご案内】お電話・Instagram / Google メッセージ・メール にて お早目にいつでもどーぞ。 【おきなわ彩発見NEXT】クーポン券(紙・電子)の使用が当店で可能です。 【3月の営業日】スケジュールはInstagramストーリーズをご覧ください。 4月・5月のスケジュールは もう少しお待ちください。 Imad◉mare(いまどまーれ)とは■□■□■□■□ 集落にひっそりひっそりと佇む大人の空間、 カウンターたった8席の小さな小さな古民家レストラン。 ほぼほぼ沖縄県産食材でお酒にバッチリ合う肴(おつまみ=あて)でおもてなし。 BGMはJazzと島唄そして浜からの波の音が緩やかに流れます。 http://www.imadomare.jp [email protected] たまに書いているnoteはコチラ → https://note.com/tatsuya0302 沖縄県国頭郡今帰仁村今泊3007 電話0980436708 定休日 月曜日(たまに他の日も・・・) 営業日 営業時間 17:00〜(たまに18:00) ※日曜日営業します。 #今帰仁 #今帰仁村 #imadomare #居酒屋 #沖縄旅行 #やんばる #今泊 #今帰仁城 #jazz #島唄 #フクギ並木 #レストラン #日曜営業 #女子一人旅 #一人呑み #全国支援割 #おきなわ彩発見 #おきなわ彩発見 #古宇利島 #美ら海水族館 #パスタ #本部町 #イタリアン #古民家 https://www.instagram.com/p/CpYuAqhPFVp/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#今帰仁#今帰仁村#imadomare#居酒屋#沖縄旅行#やんばる#今泊#今帰仁城#jazz#島唄#フクギ並木#レストラン#日曜営業#女子一人旅#一人呑み#全国支援割#おきなわ彩発見#古宇利島#美ら海水族館#パスタ#本部町#イタリアン#古民家
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五篇 追加 その一
伊勢音頭で伊勢の山田と歌っているのは、和名抄の陽田からとったのだろうと思うほどその町は大きい。 十二もの村からなっており人家は、九千軒もあるだろうか。 商店が軒を並べどの店もそれほど派手ではないが、こまごましたところに神経を使っているようだ。 まさしく神都の風俗が自ずから備わり、柔和にして荘厳な雰囲気は他の国にはない光景だ。 参宮の旅人は絶え間なく訪れ、繁昌さらにいう言葉もない。
弥次郎兵衛と北八はあの上方者といっしょに、この町の入り口に着いた。 見ると両側の家ごとに、御師(『おし』と読み伊勢神宮の神職の一つ)の名を書いた板がまるで、竹林のように立っている。 更にその板には『用立所』とも書いてある。 ここで袴・羽織をひっかけた男と、何人となく行き違う。 どうやらこの男たちは往来の旅人を、御師に迎えるているようだ。
そのうちの一人の侍が、弥次郎兵衛に近づいてきた。 「もしあなたがた、どこへ来られたのでございますな。」 「言わずもがな、太神宮さまへ参ります。」 弥次郎兵衛が神妙な面持ちで答えると、 「いやいや、太夫はどなたで。」 「たゆう?」 弥次郎兵衛が聞き返すと、 「そう御師のことでござる。」 「ああ太夫は竹本義太夫殿さ。」 と浄瑠璃で有名な人物の名を口から出任せに言う。 男は、きょとんとした様子で、 「はあ義太夫というのは、どこのどなただ。」 とつぶやくように言うので、弥次郎兵衛が、 「その義太夫というのはな江戸ならわかるが、はて大阪ならさしずめ道頓堀だろうか。」 と、小首を傾げながら答える。 北八が調子に乗って、 「そう京では四条、お江戸では葺屋町で、永らく御評判になっておりました。」 と言うと、そこで男はからかわれていることに気が付いて、 「道頓堀で有名な、見世物小屋の者はお前方だったのか。」 と、洒落る。 「ふざけたことを言うと、ひっぱたくぞ。」 と今度は北八が、からかわれたことが判ってそう言うと、 「えらい、威勢がいいことじゃな。ははは。」 と、笑って行き過ぎる。
上方者が茶屋を示して、 「ちと、休んで行こかいな。」 と言うと、北八が、 「ここらは、汚い所のようだ。 みな御師の便所らしく、ようたし所と書いている。」 と言うと、 「つまらないことを言う。ははは。」 と弥次郎兵衛が答えて、三人である茶屋に入りしばらく休む。
そのうち向こうより上方の参詣者が、大勢そろいの格好でやってきた。 女も何人かいるらしく聞こえてきた歌には、華やいだ色がある。 「ござれ、夜みせは~、順慶町の~、通り筋からそれ、 ひょうたん町を~、やあ、とこさあ、よいとこさあ、ちちち、ちんちん。」 弥次郎兵衛らが、その方を見ると、 「ひやかしや~、浮かれ騒ぐは~、阿波座のからす。 そりゃさ、かわいかわいも~やあれ、格子さき、 やあとこさ、よういとなあ、ありゃやこりゃや、 このなんでもせ~、ちちちん、ちちちん、ちんちん、ちんちん。」 と、通り過ぎる。
その後から太太神楽(だいだいかぐら)を奉納する、太太講(太太講)の連中がやってきた。 二十人ばかりいるだろうか、御師より向けられた迎えのかごに乗ってくる。 御師の使いの者が、先に立って、 「さあさあ、これじゃこれじゃ。 さあどなた様も、ここで御休息なさいませ。」 と案内してくると、かごは残らず茶屋の角にとまってしまう。 どうやら太太講は江戸の者らしく、いずれも全身絹の優雅な身なりで短い太刀を腰に挿している。
連中はめいめいかごを出て座敷に通りだしたのだが、その中の一人の男が弥次郎兵衛を見つけて、 「いやこれはどうだ。弥次殿きさまも参宮か。」 と声をかけてきた。 弥次郎兵衛はびっくりして見れば、町内の米屋の太郎兵衛である。 江戸をたつ時この米屋の払いをしないでないしょで旅立ったので、何となく居心地が悪くて弥次郎兵衛はしょげかえって、 「や、これは太郎兵衛さまか。よくお出かけなさいました。 しかしここで、あなたのお目にかかってはめんぼくない。」 と、頭を下げる。 太郎兵衛は、ニコニコしながら、 「いやいやわしも仲間の太太講で、その上この連中の世話役というものだから、しかたなく出かけたがよい所であった。 旅先ではとかく、同じ国の人が懐かしい。 まあ奥に来て、一杯やろうじゃないか。」 と誘ってきた。 「ありがとうございやす。」 と弥次郎兵衛は、かしこまっている。 「連れは誰だ。ははあ、まんざら知らぬ顔でもない。」 と太郎兵衛は、北八を見つけてそう言うと弥次郎兵衛の方を見て、 「そうだちょうどいい。太太講に参加しないか。 それも飛び入りとなると、ちょっとばかりだが金が出るから不躾だがわしらの供になると、一文も使わず腹いっぱいご馳走になっておがまれるというものだ。どうだ。」 と、言う。
弥次郎兵衛は、ちょっとびっくりして、 「それは願ってもないことで、ありがとうございます。 しかしそんな事が出来ましょうかね。」 と問うと、太郎兵衛が、 「はてわしが講親だもの。どうにでもなる。まあ、とにかく奥に来い。」 と弥次郎兵衛をつかまえて奥に連れて行こうとする。 「はいそれなら。すまんが上方の。ちょっとばかりここで待ってくんなせえ。」 と弥次郎兵衛は振り向きながら、連れの上方者にいうと、 「よいわいの。いってきなさい。」 と、言っている。
太郎兵衛が、 「さあさあ二人とも、こっちこっち。」 とこの太郎兵衛にいざなわれ弥次郎兵衛も北八も、わらじをとって奥に通る。 この間上方者は店先でひとり、酒など飲んで待っていることにした。 奥では太太講の事なので御師よりのご馳走で、さいつおさえつ大騒ぎの真っ最中である。 と又表に一群れのかごが、十、四五ばかりやってきた。 この連中も太太講らしく、御師の使いが先にたって案内する。 かごかきが、 「ほう、よいよい。えっこらさっさっさ。」 とこれも同じく、この茶屋に入ってくる。 御師の使いが、 「さあさあ、御案内御案内。」 と言いながら連中をこの茶屋に通すと、茶屋の女中が、 「いらっしゃいませ。さあ、奥へお通りなさいませ。」 と奥に上げる。 女中はすぐに酒と肴を持ち出して、太太講、二組の大騒ぎが始まった。 さてこの座敷でもいろいろあったのだが、あまりクダクダしいので略す。
やがて奥の酒盛りも終わりお立ちといことになったのだが、なんと二組の太太講がいっしょになってしまった。 わいわいがやがやと二組の太太講が奥から出てくると、最初の方の御師の使いが一番先にたって、 「さあさあおかごの衆これえこれえ。どなたもさあおめしなされませ。」 と、あっちこっちをかけまわりかごにのせ始める。 それより遅れて後から来た方の、御師の使いも同じく駆け回りて、 「こちらのおかごは、これへこれへ。」 と横付けして、みなを乗せ始めた。
米屋の太郎兵衛はろれつの回らない口調で、弥次郎兵衛の手をとると、 「おい弥次公。貴様は俺のかごに乗っていけ。」 と弥次郎兵衛に言ってきた。 「いや、とんだことをおっしゃる。」 と弥次郎兵衛は、手を振り払い言う。 「いや俺はここから、酔い覚ましに歩いて行く。 貴様、洒落に乗っていけ。」 となおも太郎兵衛がしつこく言うので、弥次郎兵衛は、 「なるほどそれなら、乗らしてもらおう。」 とかごに乗ることにした。
さあ、お立ちじゃと両方のかごがいっしょに担ぎ上げると、混雑しているからかそれともただの間抜けか弥次郎兵衛の乗ったかごの人足は、後から来たほうのかごの中へ紛れ込んだのに気が付かないでさっさと担いで行く。 ところが他の連中もこの混雑の中で、誰もそれにきがつかない。 だんだんと急いでいくほどに、山田のまん中すじかいという所で米屋の太郎兵衛がいる太太講は内宮の御師へ行くので左へ、もう一つの太太講は外宮の御師なのでここで右の方に行きやがて、田丸街道の岡本太夫宅に着いた。
門前には盛り砂がありほうきで掃き清められ、更に打ち水で清められている。 玄関には幕がはってある。 御師が羽織・袴で迎えに出ると、太太講の連中はみなかごを降りて玄関から奥に入って行く。 弥次郎兵衛も促されるままに座敷に上がったのだが、みな知らない顔ばかりである。 それもその通りである。 かごかきの失敗で間違った方向にやってきたのだから。
「はて、どうしたことだろう。もしもし米屋の太郎兵衛さまはどこにいらっしゃいます。」 と弥次郎兵衛がうろうろしていると、そばに��た男が、 「なんじゃいな、太郎兵衛さんとは。わしゃ知らんわいな。 それにお前さんはまるっきり見ん顔じゃが、誰じゃいな。」 と、詰め寄って来た。 「はい。私はそれ太郎兵衛さんの町内のものじゃが、はてなんだか場違いな気がする。北八はどうしたろう。」 と弥次郎兵衛が無性に、うろうろきょろきょろとまごついていると、みんなもびっくりして互いにそでをひきあいて荷物を片側に寄せてささやきあいだした。
つづく。
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父に元気にしているかどうか連絡しようか否か考えて机上のスマホを手に取る。今日がクリスマス当日ということを思い直して、連絡するのはやめた。いつまでも何かをせびっているように捉えられたくなかったし、向こうにはまだ幼い新しい家族がいる。勿論、父親はそんな風には思わないかもしれなくても。
父とは年に一回、それでなきゃ二年に一度食事をする。父はきっと女性の人気を集めるタイプだけど、女性の人気を集める店はてんで知らない。季節の肴が置かれる暗い照明の寿司屋に入って、季節盛りを注文する。無口だけど、酒を飲むと少し話してくれる。大学時代の話とか、最近読んだ本の話。それに対する自分の話。時々、母の話もする。母型の亡き祖父は、彼の「無口で自分をひけらかさない」ところが好印象だったと話していたし、私も父の静かなところが好きだと思う。滅多に会わない成人した娘との間に沈黙が大きく置かれるとしても、聞いても聞かなくても良いような話は聞かないことを選択するようなひとだ。
食事の後、必ず父は「何か欲しい物は?鞄とか靴とか、身につけるものとか。」と尋ねてくる。私はこの瞬間がいつもほんの少し苦痛だった。言い淀んでいると「すぐに思い付かなければお金を送っておく」とスマートに言ってみせる。そんなスマートさは娘には見せなくていいんだよ父。贈り物のために会っていると、少しでも彼に感じさせてしまいたくなかった。私は、こんなことは認めたくはないけれども、世界のどこかで線一本まだ彼と関係していたくて、交わす言葉が少なかったとしても、戸籍上もう他人だとしても、忘れることは惜しくて、会いに行くのだ。何もいらないからここに戻ってきて、と言いたくなるような時期もあった。「何もいらない、お金も。またご飯に行こう」 「ちゃんと賢い子に育ったんだな」 今までわたしを通り過ぎた色んな物事と人に育てられた気もするし、たった一人でここまで歩いた気もする。駅で分かれて、ひとり暮らしの部屋まで歩く。彼の顔を見た後は世界が少し透き通る。
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「日本酒や本格焼酎は混ぜものをせずそのまま飲むべし」という考え方は根強くありますが、当店はより美味しく飲むためのひと手間に関しては積極的に推奨しております。
極甘口、マイナス40度という日本酒度で表現する「イットキー」は、リッチな白ワインを連想させる革新的な銘酒。最初はぜひそのままキンキンの冷酒で世界観を味わっていただきますが、その後ひと捻り加えたい方にはこのトリニダード・トバゴの特産品を少量足して所謂[味変]という楽しみかたを提案しています。
お好みやシチュエーションに対して、既存のお酒を少しだけカスタマイズ。酒場の醍醐味のひとつとも言える大人のワガママのお手伝いはいつでも承りますので、ご遠慮なくお気軽にお申し付けください。
ひとり呑みデビュー大歓迎!カウンタービギナーを応援する、国産酒にこだわる隠れ家的酒場。
酒肴あざらしでは、ちょい足しで更に美味い日本酒を取り扱っております。
#玉川酒造 #イットキー

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