#お盆すぎると秋の気配
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こんにちは。
夏期休暇明けて本日より通常営業始まりました。
近所の北海道神宮&円山盆踊りも4年ぶりに復活して連日満喫しました。
北海道はお盆過ぎると一気に秋の気配を感じますが残り少ない夏を楽しみましょう!
今回はジョージクレバリーです。
リウエルト、レザーリソール(ヒドゥンチャネル)ダヴリフトとなっております。
現在リウエルトが溜まっており一時的に受付中止となっております。よろしくお願いします。
それでは今週もご来店お待ちしております!

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1. おはようございますアトリエ文学 2. あれから13年の3.11ですか、何が解決して、何も変わっていないのか、あれからおかしくなっていったやんけJAPANなのか、ずっとおかしかったのか。 3. 魯迅の野草読みすぎて、ずっと意味がわからない。100年前の比喩は絵本だろ!って感じで何かを例えてるのかもしれないけど、元ネタわかんないし、さらに文章が死ぬほどわかりにくい厨二病でどうすりゃいいんだか。しかし横浜トリエンナーレの今回のテーマが魯迅が100年前に書いた野草ってことになってる。 4. そこまで言われたら読むしかないんだけど、手に入らないんだなこれが。そんで、改めて気がついたんだけど、普通の思考回路だとまず本屋かアマゾンで、その後図書館かネットでヤフオク、メルカリ、日本の古本屋、でそれでもなければ古本屋を回るってことなんだろうけど、最初っから古本屋なんですよね、なんでだろ? 5. 今まで岩波文庫には縁がない生活でここまでやってきてて、背表紙が気に入らないというか、文庫本の中で圧倒的古民家佇まいを醸し出してるどころか燻きってて、字は細かいし旧字で書いてありそうだしで読む気になれない。そんな中、薄ピンクの海外文学にナイス肌色の背表紙がなんとも今っぽい。 6. 古本屋で岩波がありそうな場所を見つけたら、ほぼ100%色分けされてるので、ここだけ見ればいいですよってのがわかる。レコ屋でもA~Cとかそんな感じだけど、肌ピンク岩波見つけたらもっと惹きつけられるカラーリングマジックがあって、あの店行ったら、あのお香の匂いするよね。その匂いはあそこの古着屋と同じ匂いだから、一回 古着屋の店内の感じがふわっと身体に広がってから、同じ匂いのこの店にいます。というようなあの感じに似てると言いますか、盆栽の配置の妙みたいな、ここに置きましたかぁ、という嬉しさから始まっているので、無くてもいいんです。というか、結論から先に言っておきますが、50軒くらいの古本屋回ったけど見つからなかったのでアマゾンで買いました。 7. この寂しさよ。古本屋行かなきゃよかったのか?と聞かれたらその通りですと言うしかないんだけど、見つからなさに重点を置かないとやってらんないっすね。 8. でっ、買って読むけどこれまた全く意味がわかんないの。どうすりゃいいっすかね。買うまでが楽しいと思ってたんです。遠足も行くまでが楽しかったもん。 9. でも、中国のリウのディンが、これや!と思ったわけでしょ、そのコレやの部分知りたいやんやんと思うけどわからんし、案の定、野草は比喩で、庶民とかに例えられてんのかな? 10. 例えんなよ、魯迅。野草=わさびってことにして、早く山に入れよ、登山しろよ、沢登れよと思うが、ずっと考えてばかりで、こいつマジで友達少ないだろうなと思うばかりで、過剰で過激なんすよ、でも実際に会ったたきっと静かなタイプですよ、筆の弁慶は山に入らなそうだなと。 11. 魯迅のYoutube解説とかwikiとか読んだりするんだけど、カレー屋の社長が書いた小説!というような一言で説明ができにくい人で、たぶん日本で一回もバズってない人ってのがわかりやすいかもしれない。いろんな面がありすぎてどこを見たらいいのかわからない=大したことない人 12. コラーーー!言い過ぎですよ。 13. すいません。でっ、面白そうな感じは常に漂っていて、唯一これはいいんじゃないか?と思ってた本が2016年に出た 魯迅 野草と雑草 秋吉收 と言う本で、これがまたクッソ高いんすよ6300円くらいして、100%買えないじゃないですか。面白くない本を解説してる本が6300円ですよ。 14. 無理無理。なんだけど、図書館で借りたらいいやんけ!で最近は便利なカーリルってサイトがあって本の書名を検索したら自分ん家の近くに蔵書があるかを調べてくれて、なんとなんとの港区の図書館しかないやんけ、下道君のシンビ塾展示観るついでに行くか?とか思うけど、どうにも遠い。 15. とか思ってる時に、よせばいいのに、池袋ジュンク堂に行く機会があって、検索したら、在庫ありなんすよ、どうせつまんねぇから最初だけでも読んでみるかと。バチくそ面白いやんけ。 16. レジ直行ってわけにもいかないっすよね6000円オーバーですよ。 17. 座って読んだりしてたんですが、むちゃくちゃ面白くて、知ってるんですよ買う前が一番面白いってことも。だって、こんな大学出版からでた専門書が面白いわけないし、そもそも魯迅がわからなすぎて手に取ったのに。 18. PayPay 19. 買ってましたよ気がついたら。俺のPayPayだけ使えないようにしてもらえませんかね。6300円くらいしたけど380円くらいのPayPay気分で買えちゃってる。 20. でっ、ここまで読んだ方が興味でたとしたらチョロ間違い。大間違いではないけどちょろっと間違えてるし、その前も説明しとかなきゃいけなくて、オーカワさんが外山滋比古の思考の整理学って本を再度文庫にして、編集の久保さんとささやかな打ち上げの席に俺も同席させてもらって 、とにかくこの本が裏モノJAPANみたいでめちゃくちゃ面白かったんす。そして次に読みの整理学って本も読んだら、これまた面白くて、本が何で読めるのか、読めているのかって教わってもいないし、どうやって理解できるようになったのかもわかっていない。その解説を書いてて、読書には二種類あって、すぐに理解できるアルファ読みと何度も何度も読み込んでそれでも意味わかんなくて、ある時違うところで繋がってようやく理解できたり、それでも理解でき��い時は一緒に待ちましょう!というようなベータ読みってのがあると。 21. アルファ読みはわかりやすいエンタメでいいんだけど、ベータ読みってのが、例えば古文を子供に素読させたり朗読させたりするってことと書かれてるんだけど、確かに盛者必衰のことわりをあらわす、奢れるものもしたしからず。って意味も字もわかんないけど言えちゃうもんな。と 22. わからなさに寄り添った方がいいんじゃないかなと思ったんです。 23. あの頃のPILなんすよ。セックスピストルズのジョニーロットンがピストルズ解散後に始めたバンドがPUBLIC IMAGE LIMITEDでPILなんですが、これが、マジでなんスカコレ?でパンクじゃないってか意味わからん雄叫びだけなんだけど、これをかっこいいって言ってたらカッケー空気が流れてたんですよ。だから意味もわからず聴いて、全然良いと思わないんだけど聴きすぎて聴きすぎて好きになるDVだめ彼みたいなもんでしょうか。あの頃の長い戦いと言いますか、わからないに浸りすぎて好きになるような懐かしさを魯迅の野草にぶつけてみよう。 24. でっ、ベータ読みしまくってたら書いた本人さえ気が付かなかったような新しい読み方ができることがあると、その時に初めてその本が古典として誕生するとSHIGEが書いてんすよ。そして、6000円本の冒頭でそれが宣言するかのように繋がってて買っちゃったんですが、 25. 読んでみたら、酷すぎて爆笑しすぎて、100年後の魯迅パクリ疑惑の文春砲なんすよこれ、ここまで追い詰めるか?ってくらいの何年何月に書いた魯迅のこの文章は与謝野晶子が雑草ってタイトルで書いてるとか、これがあれがとオンパレードすぎて、さらに若手詩人に対して全く興味ないふりしながらモロパクリしとるヤンけとか、魯迅生きてたら顔真っ赤かにしてけしからん!って言って鎮座ドープネスとラップ始めるでしょうね。 26. 高くて重い本は笑えないと思ってたけど完膚なきまでに魯迅の人としての懐の狭さを叩きまくってる103ページは大爆笑するしかなくて15歳も年下の詩人を圧力かけまくって発表させないようにした文章について 文壇の大御所たる魯迅が、そんな “ひよっこ“ にこうまでヒステリックに刃を向ける必要があったのか。 27. 大爆笑しました。が、そこから先にもどんどん証拠と器の小ささを暴露されまくってて涙目の魯迅ですが、222ページに芥川龍之介の文章と魯迅の文章について書かれてるのが、伏線回収というか全部がここで美しくつながりを見せてくれるんすよ。 28. さて、さてですよ。 29. 今週日曜日に横浜トリエンナーレで直売やることになりました。バチコンと、旧第一銀行でやりますよんよん 日時:2024年3月17日(日)11:00-13:00会場:旧第一銀行横浜支店1階 展示会場 〒231-0005 神奈川県横浜市中区本町6丁目50-1 参加費:無料/ただし、入場のためにチケットが必要です 詳細&直売画像はこちら https://note.com/ccttaa/n/n113eb47e75eb お待ちしとりまーす
途中でやめるチョロっとUPしとります
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2023
2023年はコロナで止まっていたことが少しずつ動き出した1年だった。仕事面では大きな変化もあった。一方でSNSを見るのが億劫にもなり、Tumblrの更新すらままならず…。追い討ちをかけるように直近のデータも吹っ飛び完全に意欲が消失。1ヶ月の振り返りどころか1年の振り返りになってしまった🫠それでも、自分の気持ちの整理のために書く。
3〜6月
・任期を1年ほど残し、急遽出向解除になることが決まる。出向してるうちに転職でもしてやろうかと企んでいたから、計画が台無しに。次の異動に備えて面談が始まる。出向メンバーも混乱していて、出所の分からない情報が飛び交う。全てに疑心暗鬼。
・出向先は末端の私が見ていてもわかるくらい本当に色々な問題を抱え、昨日と今日で全く違う指示が飛んでくる。筋が通っていれば納得できるけど、今目の前の数字をなんとかするためのものばかりで参ってしまう。担当替えも頻繁に行われ、一体誰のために仕事をしているのかとモヤモヤする毎日。退職者も続出、本社の重要ポジションが休職、残業・経費は極限まで減らせすようにの指示…倒産する前の会社ってこんな感じなんだろうなと。当局が乗り込んでくる夢をよく見た。
・ストレスフルな毎日の中、尊敬している先輩の結婚式に呼んでいただき参列。上司の方から語られた先輩の姿が、学生時代から憧れていた先輩そのままの姿で感動し、先輩のようになりたいという思いを強くした。ほぼやっつけになっていた仕事も先輩だったらどう乗り越えるかな、と考えて少し頑張れた(と思う)。遠方からだからと用意してもらったホテルがすごく良いところで嬉しくて写真撮りまくったのに一枚も残ってなくて悲しすぎ。
7〜9月
・祝出向解除。引っ越しの必要もなく本社勤務となる。異動先は予想もしなかった部署だったけれど、業務は個人的な興味関心にも近く、意義もあるから前向きに頑張りたい。(本業にかすりもしない業務ゆえに、この先のことを考えると不安はある。)社内の重要業務を担っている人も多く、とにかく頭の切れる精鋭揃い。その中に急に放り出されて大丈夫なのかとは思うけど、なんとかやってみたいと思う!
・お盆の帰省。家族に病が見つかったと言われる。既に手術日も決まっていて、特に心配することはないからと言われても、なんだか不安で落ち着かない。手術が終わった報告のLINEを見て職場で泣きそうになる。早期発見のおかげで、痛かったり苦しい思いをしないままその後の治療も続けられていて、それだけは本当に良かった。治療もあと少し、頑張ろう。
・青森へ
少しでも涼しいところへ旅行したいと思い見つけたた奥入瀬渓流。青森にいる友達にも会いたくて、ドキドキしながらLINEを送る。わざわざ休みをとってくれて、ご家族みんなでフルサポートしてくださった。美術館がたくさんあって羨ましい。ここで見た大巻伸嗣の作品を後に六本木で見ることになり作品のつながりが分かり良かった〜。行きたいところに全部行き、美味しいご飯を食べた!友達とも大学卒業ぶりに会えて嬉しかった。この夏1番の思い出。
10〜12月
・業務完全にひとり立ち。手探りではあるけれど少しずつ慣れてきた…かな?
・美術館でのボランティア開始。今はまだ講座受けている段階だけれど、今後も楽しみ。新しい世界が広がっているような気分。
・研修で久しぶりにたくさんの同期に会い、みんなのやる気のある姿にビビる。1/3くらいはやめちゃったけど、その波を超えたメンバーだからなのか…。
・中国宮廷ドラマにハマり、一気見。30~40話くらいまで来ると面白くて止まらなくなる。
・久しぶりの友達と何人も会えた秋冬。みんな変わってないけど、ちゃんと前に進んでてかっこいい。
2024年はorbital period
年始のニュースに心が痛む。みんな健康で穏やかに暮らせる毎日がずっと続いていきますように。
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連日の報道で、忘れたい記憶がどんどんよみがえってくる。劇団内部の人間ではないものの、その近くで数年携わり、生活も精神も壊した身として、心当たりが多すぎる。便乗ファンによる創作だと思ったら、どうか読んだら忘れてほしい。固有名詞や用語の意味が分からない人は、そのまま一生分からずにいてほしい。でも、どこかに、仲間がいると思うから。自分以外にも壊れた人がいるはずだから。まとまりもないほどの書きなぐりになるだろうけど、腹を決めた今、匿名で言わせてほしい。もう無視できないところまで来ていると、心当たりのある各位に気付いてほしい。該当劇団には、公式ファンクラブ以外にもジェンヌ個人の私設ファンクラブ(以下「会」と呼ぶ)があることは有名だと思う。いわゆる代表やお付きと呼ばれるマネージャー的責任者と、スタッフやお手伝いといわれる他数名の小間使いが組織を運営している。自分は新人公演にも出演し、何度か主演も演じた人気ジェンヌの会運営スタッフを数年担当した。明確な時期や個人名の明言は避けるが、当ジェンヌは現役在団中とだけ書き記しておく。毎朝晩の入出待ち立ち会いからお茶会などイベント企画・運営、チケットの取次配席およびグッズ作成など...会所属経験のあるファンなら思いつくであろう業務、全部に携わった。会員���百人に対し、片手以下のスタッフで。無給は当たり前、経費も持ち出し、24時間365日ジェンヌや関係者の呼び出しに応えながら平日フルタイム会社員。睡眠時間も金も体力も心の余裕も何もかもなくなった。倒れて運ばれ、スタッフを辞めた。業務をもう少し細かく説明すると、・入出立ち会いよく日比谷の劇場前で見るようなスクワットでジェンヌのお迎え・お見送り。あれをやる時に暴走するファンが出ないか見張ったり、一般人のクレームに頭を下げたりする。毎朝7時前後、早いときは6時前に毎朝集合場所で立ち合いをして会社へ出勤。ジェンヌから翌朝の入り時刻連絡が来るのは平均深夜1-2時。それを待ってファンクラブ会員へ見送り場所への集合時刻を配信、他ファンクラブ運営へ報告したりするので自分が寝られるのは3時を回るのもザラ。毎日5時前には起床、始発の電車に飛び乗り現着から動き回ってフルタイム勤務で夜にはまた出待ちに立ち会う日々。大体毎日何かしらの細かすぎる指導が上級生会から入り、寝不足により回らない頭で必死の謝罪文をしたためお送りしていた。しんどい。・イベント企画・運営お茶会や新人公演出待ち後のミニお礼グリーティング、季節や誕生日の入出イベントなどなどあらゆる企画・運営。ただ企画すればいいだけでなく、上級生会に逐一お伺いを立て、実施許可を得、内容も重箱の隅を最早ぶっ壊れ���までつつかれまくる。あらゆる方面の顔色を窺い、企画や台本が出来上がるまで気が遠くなるほどの時間と神経を要する。それでようやく実施まで漕ぎつけたと思ったらジェンヌ本人の機嫌ひとつで全部イチからやり直しになる。三徹で必死に準備を間に合わせたお茶会を、本人会場到着までのタクシー内で「やっぱ嫌」の一言でひっくり返されたときは殺意が芽生えた。しんどい。・チケット取次・配席ファンクラブ会員はジェンヌ個人の販売成績に結び付くよう、会からチケットを取り次ぐ。が、限られた座席数、入団年数が長い上級生に多くのチケットが劇団より宛がわれる、入団から5年くらいは1公演で2席しかチケットがないこともザラ。それでも会員はもちろん贔屓の舞台姿をたくさん見たい、当たり前だ、たくさん申し込んでくださる、だがしかし席がご用意できない。そんな限られたチケットと大量の申込データ(自会は全部エクセルに手打ち管理)を照らし合わせ、ファンクラブへの貢献度諸々を加味し、どのお席にどなたへお座りいただくか決める。こちらも最大限のチケット確保に奔走するものの、ご用意できなければ面と向かっての罵倒はまだ良し、掲示板に名指しで役立たずと晒される始末。データ捌いて配席悩んで胃を痛めているところにジェンヌ本人や関係者からも配席や取次内容に文句を言われ身内用にチケットを攫われていく。しんどい。・グッズ作成お茶会のお土産、総見のおまけ、お茶会で販売する小物や舞台写真、お礼状、グリーティングカード、挙げればキリがないほど準備物が多い。ジェンヌ本人にイラストや手書き文字の提供協力を頼みこむも多忙の一言で切り捨てられ、こちらでロゴなど用意すれば会員やジェンヌ本人からすらもダサいと文句を言われる。しかも当たり前だがこれらすべて事前の商品発注で毎度結構な金額が必要とされる、が、ジェンヌの家族が会運営の経費用口座を管理していて前借も楽ではない。結局毎回数万~場合によっては数十万円(お茶会会場費用など)も立て替える。そうじゃないと間に合わないほどすべてのスケジュールがカツカツなため。しかも公演終わりの経費精算まで数か月待ったりする、携わっていた最後の公演では大卒初任給くらいの経費が返ってこなかった。グッズの売り上げは全て会運営費としてジェンヌ家族が持っていくため、スタッフに一切の還元や儲けはない。公演期間中は飯が食えなかった。しんどい。・正直ここでしか言えないが人間関係が一番重労働ファンクラブ会員、つまりジェンヌを愛し会活動に貢献してくださっている方々は熱量も並のものではない。そこは覚悟してスタッフ就���を引き受けた。そのため会員から妬まれたり文句を言われたり、会の中での派閥争いや揉め事などは(楽ではなかったものの)捌くのもまあ堪えられた。しかし何故か同じ運営という立場で苦楽を共にしている他会運営陣やジェンヌ家族・関係者対応など、これが本当に一番きつかった。ジェンヌたちが厳しい上下級生文化に生きているというのは既報の通りだが、ほぼその文化がそのまま会運営にも持ち込まれる。朝は上級生会スタッフより早く出動・席および場所取り・雑用使いっ走り・全ての解散前には「ご指導」というクソ細かい姑のような小言...大劇場のチケット出し前には劇場内レストラン施設の一部(クリスタルルームでわかる人は仲間)を陣取り、謎の待機時間が発生する、もうこれが本当に耐えられなかった。上級生会代表の飲み物をお持ちし、その時通るルートや差し出し方全てに厳格なルールがあり、数時間も使いっ走りに待機するのに作業および会話禁止という苦行。2回公演の日ほど朝も早く夜が遅い、業務も溜まっていて限界なところにこの謎待機と小言で5-6時間は奪われる。それもこれもすべて「上級生会の様子を見て学び、自分たちが将来は組の会全体を取り仕切れるように指導する」という、どこかで聞いたことのある理論。劇団への、ジェンヌへの、下級生会への愛があれば全ては指導という建前のもと許される。代表は毎日きついいびりに泣いていた。本当に、本当に、しんどい。ジェンヌでもなく、会運営の委託契約を結んだわけでもない、ただの一般人がこのザマである。会に所属したことがある人は、多少なりこの空気感をわかっていただけると思う。あの、「私たちも御贔屓の一部」と見做されるような感じが。全ての言動の根底には愛があり、清く正しく美しいジェンヌ像やファンダムイメージを求められていた、それにそぐわないものはすべて闇に葬られていたあの感じが。会運営陣は、ジェンヌを、劇団を愛しているから。無給でいつ何時でも労力を捧げてくれる。常に最善最良の案を考え前向きに運用してくれる。寝る暇がなくてもそれだけ携われることが幸せ。妬み僻みも有難いご意見として真正面から受け止める。上級生会からの理不尽な指導も意味あるものとして理解・昇華する。仕事よりも私生活よりも会運営を何よりも最優先してくれる。どんな無茶ぶりや激務も手を取り乗り越え逞しくなってくれる。そんなことがあるわけないだろ。平日フルタイムで8時間の仕事に会運営10時間以上を兼業し、公演期間中は1日1時間眠れたら御の字。仕事のパフォーマンスはそれはそれは最悪だった。盆や正月の連休はもちろん全て会運営に求められ、ロクに身体を休めることも実家に帰省する��とも友人と会うこともかなわなかった。急いで来いと急な呼び出しがかかり、内容も知らされないが仕事を無理言って早退し駆けつけると「明日からの公演で必要なものを近所のドラッグストアで買ってきて」という内容だった。社会人数年目で貯蓄もさほどなかった頃に無給の会運営で全国を飛び回り、立て替えの嵐、慢性的な寝不足で眠気も止まらず、安価で血糖値の上がらないもやしやカット野菜しか食べられなかった。周りのすべての人から「早く辞めろ」と言われ続けたが、もはや洗脳のように愛や貢献という言葉に縛られ何も自分で判断できなくなっていた。死にたいという気持ちが募り、毎朝駅で線路に飛び込もうか悩み始めた頃、千秋楽の出待ち後に倒れ運ばれた。栄養失調だった、この現代社会で。入院で強制的に劇団や会と離れられなければ、いずれ自ら命を絶っていたと思う。亡くなった彼女の生活円グラフは、まさに会運営に携わっていた時の私のようだった。鬱も発症し精神的にも不安定になっていたことをやっと自覚し、ジェンヌ本人にスタッフを辞める旨申し出た。代表も鬱で会から去ったと聞き、LINEを送ったが既読がつくことはなかった。もう一度繰り返す。ジェンヌじゃない一般人にすらこれほどまでに異常な文化がまかり通っている。劇団内部はいかほどばかりか、想像するだけで息苦しくなる。携わっていたジェンヌ本人も、本当に寝る時間もないほど過酷な環境に身を置き、公演前夜の3時に稽古から帰るところも目撃したことがある。会運営に携わるようになってからは度々言葉を失うような「指導」の様子を伺うようになり、いつの間にか自分は一切観劇する気力が湧かなくなっていた。何が愛だ。何が清く正しく美しくだ。何も清くも正しくも美しくもない。ただのパワハラ過重労働異常上下関係いびりしごきいじめ。社会的な常識が一切通用しない、異常な文化が形成され受け継がれ、異を唱えるものは全て排除され隠ぺいされてきた、ただそれだけである。亡くなった彼女のおかれていた環境や報道の事実関係は知り得ないため、それに関しては軽率な発言はできないものの、でも、遂にこうなったかと思った。その手前でぎりぎり退団していった人を、何人も知っていたから。巨大企業やファンダムに抗う力を持ち合わせていないがため、ただ黙って去っていった人たちを見てきたから。自分も、声を上げられなかったひとりだから。彼女の死は、自分も無関係じゃないと、毎日罪悪感に涙が止まらないから。溢れ出る記憶も思いも止まらず、何が書きたいのか、どこまで書けそうか、もう分からなくなってしまった。このあたりで切り上げることにする。いつか追記や修正をするかもしれないし、しないかもしれない。もうこの編集画面に戻ってこないことが最良と分かりつ��。自分は今後二度と件の劇団に関わらないと決めているが、報道の行く末はしっかりと追おうと思う。もう誰もこんな目に遭わない未来を願って。同じ罪悪感を抱えることがないように。誰かに手を延ばし声を上げられるように。かけがえのないいのちを、薄っぺらい言葉で葬ることがないように。妹さんにはお世話になりました、心からのご冥福を祈ります。助けてあげられなくて、ごめんなさい。
ジェンヌの個人FC運営で鬱になった話
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2023.9.14thu_tokyo
ーーーーーーーーーーー この日記を読むあなたへ スマートフォンを横向き にして閲覧してください ーーーーーーーーーーー
昨晩は疲労困憊なのに百万遍を歩き回ったのち村屋※で飲んだ 帰りに天下一品に寄ったせいか 今朝は二度寝していた

二度寝して���場に到着
午前中はトイレ前にあったデカい鏡を移設する準備をしていた ラジオは「今夜アレになる」「18年ぶりのAREだ」と繰り返す
鏡を取り外すと朽ちた内壁がバリバリと剥がれたので修復 車があるうちに2枚多めに合板(畳サイズ)を買っておいてよかった
京都「西ノ京」に開店する珈琲ヤマグチ※の工事を請け負っている 最高気温が35度を超えたことを意味する猛暑日は37日を数えた

クライアントと友達
午後は昨日に引き続きクライアントが友達2人と助っ人に来てくれた ニュージーランド在住?サービス業従事者&僕の母校の教員
クライアントは真名美という 5年位まえ僕の飲み屋の客だった 真名美が現場に来るとアイデアを伝えてどう形にするか相談する
京都入りしてから2か月と1週間が経つ 7月7日に銭湯で買った石鹸はすっかりちびてしまった

7月8日天井落とし
今日はこういうかたちで「回想」することをみとめられたので 日頃反芻していた言葉の断片を1行31文字以内で書き留める
高井戸ICからイッチー※のハイエースに工具を満載し片道460km 物件は元米屋でその前はパン屋 餅屋いずれも貸主の商売だった
東京から京都へたった1人で移住した借主の行動力に感服する 工事の相方で師のイッチーと真名美で3人であちこち飲み歩いた
METROでのGiftやKyoto TSUBAKI fm 3rd anniversaryは楽園だった 京都にいる内にできるだけ多くのリスニングバーやクラブを回りたい

DJで一級建築士のタムラさん(DoitJAZZ)
築90年の町家建築を相手に序盤のほとんどは解体で難儀した 天井を落とし壁をめくり床をこじあけた裏側に幾千の生き物の痕跡

イッチーと彼が連れてきたアルバイト
仕事終わりには若松湯で埃りと汗を流している 町場に用事があればその周辺の銭湯巡る 10数軒は回ったか

文化財で銭湯にプチ遠征
ひと月かけて執り行われる祇園祭にも少し詳しくなった 通りの名前も徐々にしみついてきている

祇園祭はカッコよかった
コーヒーを淹れる台は材木屋で50年眠り続けたラワンの一枚板 材木屋は現場の近くにあり親切※美大関係者へのサーヴィスが手厚い

材栄さん
京都入りと同時に2級建築士製図試験対策の日曜講座に通い始めた しかしオンもオフもやることが満載で宿題の半分もままならなかった
めくった壁から90年前の大工さんがつくった壁がでてきた 新しく造る壁と並列させて見えるように設えている

A剥がして現れた壁

B古い壁と新しい壁
8月22日 イッチーはトリツカレ男の店番と都立家政での新しい 案件に着手すべく一足��きにハイエースに工具の半分を載せて帰った
いったん東京に戻り9月10日に製図試験挑んだが十中七八アウトだ 12月7日に結果が出る そのころには珈琲ヤマグチも板についている

二級建築士製図試験問題
言葉を尽くし手を動かし工夫を重ねた内装工事も終盤 準備した200枚の名刺は徐々に京都人たちの名刺に換わっている
いろんな店で顔なじみになり「工事終わったら帰りはるんですか」 惜しんでくれるのは嬉しいが工事はあと1週間半くらいで終わらせたい
サウナで声をかけてくれた51才の紳士は音楽通だった いまやかけがえのない京都のともだちになっている

レコード棚も造っています
場所柄外国人とも酒を酌み交わした フィンランド人、チリ人 トルコ、中国人、モンゴル、アイルランド…7か国位?
芸大(先端芸術表現科)の同級生や先輩とも久しぶりに会えた なぜか同級生の2人が医師免許をとっているが明日その彼らに会う

先端の先輩が自転車に載せられる美術館をつくっていた
16時半 真名美は同級生と自然派ワインの店coimo wine & cafeへ 僕は若松湯のラジオで阪神タイガースの優勝の瞬間を見届けた
最寄りの定食屋兼飲み屋「たいたん はちべゑ」へ行くと 「あとアウト1つやで」と狂喜乱舞するファンに迎えられた※

あれに乾杯
京都でピザ屋を開きたいという同い年の夫妻に出会った※ 早く眠るつもりがCOMOGOMO JURAKUで2人の夢を語りあった
もしかしたら彼らの店を造ることになるかもしれない 25時 今日も倒れるまで眠らなかった
灼ける盆地の風にも秋の成分がだいぶん添加されてきた もう猛暑日の38日目をカウントすること��ないだろう

イッチー、フィンランド人のイラリくん、やぎ
ーーーーーーーーーーー 注釈
※村屋 出町柳のカオスな飲み屋。自然派日本酒が豊富。
※珈琲ヤマグチ 現在自家焙煎コーヒーのオンライン販売とイベント出店。 2023年9月現在。中京区西ノ京左馬寮町にて喫茶店を開業予定。 御前丸太町下ル 若松湯東入ル。 https://www.instagram.com/_3_yamaguchi/
※イッチー 高円寺のタパスバー「トリツカレ男」店主。 2017年末この店をイッチーが造っているのを手伝わせてもらったことが 僕が内装を始めたきっかけのひとつになっている。 https://www.instagram.com/toritukareotoko/
※親切な材木屋 材栄 https://zaiei.shopinfo.jp/
※阪神タイガースのリーグ優勝 日記の中にアレの瞬間が2回あるのは ラジオ放送に遅れてテレビ放送がついてくる。 タイムラグは2分近くあったと思う。 その間検閲できちゃうのでは?という時間差。 ラジオは昔も今も最速のメディア。現場でもラジオが相棒。
※ピザ屋 ヨロシクピッツァ。 ポップアップ出店と窯ごと出前ピザしている。 https://www.instagram.com/yoroshiku_pizza/
※COMOGOMO JURAKU 現場から近いし深夜遅くまで開いているので 製図試験対策で力尽きたらここで晩酌していた https://www.instagram.com/comogomo_juraku/
-プロフィール- やぎ 38歳 東京 とんち造作計画・内装業
ペーパードライバーの個人事業主の���装業。 店舗設計、解体、壁の造作、什器製作、左官、給排水配管 などおおよそ全て自前で施工している。 佐橋※介。※の部分を景に替えてお読みください。 http://instagram.com/tonch_keikaku/ http://tonch.tokyo/
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2024年大総括!
今日で今年も終わる〜🛎️実家に帰ってきているんだけど、帰ってくる電車の中で写真を見ながら2024年の毎月を振り返ってみた。
1月は、次のステップへの準備期間の月。学生最後の授業とか課題が終わった。バイトも辞めて、免許を取るために実家に帰ってきて、久しぶりにゆ〜〜っくり家族と過ごした時間だった。
2月は、満喫充実した月。ほぼ地元にいたし、やることも免許以外やることもなくて、編み物にどっぷりハマってた。ビーニーとかバッグとか、なんか色々作った🧶免許も無事取れて、自動車学校もすごく楽しくて、幸せだったな〜。
3月は、人生第二章のはじまり月。友達と卒業旅行でベトナム、タイ、マレーシア、バリのアジア旅!お気に入りはベトナム、ハノイ。ご飯も美味しい、カフェもたくさんあって、東南アジアっぽい熱気がすごかった!最高!プーケットでは自分が泳げない事を知った。プールで練習したい。卒業式とか、ずっと過ごした幕張から引っ越したけど、幕張はずーっと好きな場所♡
4月は、出会いの月。都内に引っ越して、休みの日は公園に行ったり、友達と川越とか高尾山とかにも行った。いつも同じ場所にばっかり出かけてたから新鮮でした。仕事は研修がメインだったから、同じ時間をたくさん過ごした同期との仲がすごく深まった気がする!
5月は、社会人本格モードな月。配属が決まって、さらに部署の同期と仲良くなった!ピクニックしたり、飲みに行ったり…。都内に引っ越したから、新しいエリアを散策したりできた。でも仕事で疲れて、休みの日はあまりおでかけしなかったかも〜〜。
6月は、行動的だった月。友達と贅沢ディナーしたり、江ノ島とか東京唯一の村にも行った。そこの村にあった個人経営のカフェがすごく素敵で、近所に住んでたら毎日行きたいくらい、わたしもあんなお店持ちたいな〜〜って思った。家具も新しく買い足したり、お部屋作りもゆっくり始めた。
7月は、行動範囲を広げた月。自由が丘にある古民家カフェも行ったし、郊外にある建物園にも行った。草津も行った!最高だった〜〜。休みの日はほぼおでかけしたし、美味しいものもたくさん食べて、充実してた!
8月は、ゆったり夏満喫した月。日光に行ったり、浴衣を着て花火大会に行ったり…!久しぶりに浴衣着るのも最高ね。お盆は実家に帰ったし、好きなアーティストのライブにも行った。仲良くなったアメリカ人友達とはお別れの月でした。
9月は、ひとり時間を大事にした月。松本に一人旅して、お蕎麦が美味し過ぎた。素敵なカフェも見つけて、最高だった。9月だけど十分あったかくて、お散歩とか公園で過ごせた!
10月は、自分の気持ちを優先した月。行きたいと思っていた上高地に急遽夜行バスで行き、天気はイマイチだったけど素敵な場所だった〜。夏も行く!すっごい贅沢ディナーもしたし、少し早めの誕生日ディズニーも行ったり、最高〜。
11月は、24歳になった月。自分を甘やかしまくって、美味しいのたくさん食べた!実家にも帰ったし、寒くなる前に同期でピクニックしたし、焼肉もアジアンも食べた。イタリアンも!美味しいものって本当に最高だし、それがあるから頑張れる〜!
12月は、今年一番ってくらい幸せな月。特に何もなかったから幸せなんだけど、天気も良くて、久しぶりに大学の友達とお出かけしたり、満たされた。ぜーんぶ幸せな出来事で最高でした!
2024年は「学生から社会人へ」という生活が大変化した年だった。生活リズムとか、どんなスケジュールで過ごすのがいいのかとか、ルーティンとか、見直しが必要だった。今でもどう過ごすのがベストなのかはわからないけど、夏頃に比べると慣れてきたし⭕️ 仕事では入社当時リーダーがやっていたタスクをわたしがやっていたり、成長を感じると共にもっともっと!の貪欲さも感じる。プライベートでは自分の気持ちを優先して、相手への期待と依存を断ち切りたい!と強く思った。
来年は「挑戦の年」にしたい!新しい人たちにたくさん出会えるような場に出向いたり、あまり話したことなかった人と話してみたり…。自分をさらにアップデートするようなことにはどんどん積極的に挑戦する。そのためにも、お金の使い方を見直す。いくらを何に使うって決めて、貯金も毎月定額できるようにする。やりたいこと、行きたい場所はたくさんあるのに、その時お金がなくて渋るのは嫌なので「お金の使い方」が重要問題!6月にはまた上高地に行って、秋ごろには長崎に行く!海外は行けたらいいな〜〜くらい。夏は北海道にも行けたらいいな〜。
①英語・スペイン語の勉強を続けること ②スペイン語圏の友達を作ること ③編み物の友達を作ること ④全く知らない人に声かけること ⑤日記を毎日つけること ⑥なるべくお弁当を作ること ⑦買い物をする時は一回お財布と相談してニーズを考える ⑧お部屋を完成させる ⑨バケットリストを可視化する ⑩毎月本を読む
やりたいことはこのくらい!
愛と思いやりを持って、私と接する人みんなを明るくできる人になれるように。2025年はさらに素敵な人間になる( ◠‿◠ )!
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2024/6/24〜

6月24日 瞬く間に1日が終わった。 出勤時はなかったけれど帰宅時に最寄り駅に着いたら、改札内に不二家のスイーツ自販機ができていた。これでいつでもマカロンやケーキを食べることができてしまうので、これでは、頑張る時はいつも今、になってしまう。
明日は都庁へ行ってから出勤する予定なのに、いつもより実感がなくて、行き忘れそう。
とてもバッサリ髪を切っていた職員さんの髪型が素敵だったので声をかけると「おばあさんになったら髪を伸ばすことができなくなるから、その時のために短い髪型の自分を確認したかったの」と言っていた。わかるようでわからなかった。 その方は「定年退職したらとりあえず金髪にはしたい!」とも言っていて、私も年末年始とお盆休みになる度に金髪計画を思っている話をした。
新しいスーパーへ行くことを思うと、すごくすごく憂鬱な気持ちになっている。

6月25日 いいちこの新しいポスターを確認することができたので、今日は都内へ出張してよかった。
昨晩久しぶりに睡眠薬が効かないほど夜中に起きて食事をしまくって、とってもとっても気持ち悪くなった。 今日やっと今の上席の方へ診断書と入院の相談ができた。4月からの私の業務の状��について、私には直接何も言わなくとも、他で少し気がかりに働きかけてくださっていたところがあったらしくありがたいし申し訳ない気持ちになった。
前の部署の上席の方も交えて面談をしてもらい、4月からの状況の終わりの目処が見えて、やっぱり少し明るい気持ちになる。そしてやはり7月から前年度の上司が産休から復帰するタイミングも重なるために、解任OKとなるのは、ただただお役御免という事ね、と改めて実感。 お仕事は人間関係だけれど、やっぱりその上に、お仕事が進めさえすればよいところがあるので、このフィールドに拠り所や存在意義を見出してはいけない!とも改めて思ったところです。
癒されない猫と写真を撮るキャンペーンを実行すべくSNSで猫の影を感じる人たちに連絡をとってみた。
今日は隣駅のスーパーへ行こうと思う。
今月末のボーナスの日に、お仕事の関係で6桁のお金を一時的に立て替えなくてはいけなくなった。でもボーナスの日だからまだ余裕あるしよかった!立て替えられる!と思ってしまった社会の犬。

6月26日 思いがけず突然の出張となり、その出張先は思いがけず御茶ノ水で、平日の午後に御茶ノ水の街に降り立って泣きそうになった。 少し散歩を始めたら、あっという間に吸い込まれて戻ってこれなくなりそうで、用務だけ済まして、秋葉原の青山フラワーマーケットでお花を買って帰っている。
突然の出張が決まり、ぴゅーーっと駆け抜けるように午前中を終えた。行きも帰りも駅から職場までバスを使わずに歩き切ってしまった。
入院するまでに、今のこの身体を酷使しようとしている気がする。
本当に今の大変な業務の終わりと、引き継ぎ先が見えてきた気がしていて、さみしい気持ちになりそうで怖い。 とにかく今日受け取って運んで��るものも、何がなんでも!!の大きな一部なので、何がなんでも明日職場まで運び切れるといいな。
昨日の出張先での報告をして、上席の方から「よかった、本当にありがとうございます。これがうまくいかなかったら自分の首が切られるどころでは済まされなかったから……」と安堵の言葉をもらい、まだ!何があるかわかりませんよ!!!と思いながら、社会の犬は首輪を締め直しました。
昨晩いつものように首都圏ニュース845の気象情報を見ていたら、いつも最後に明日の天気にまつわる姿で登場する首都犬くん(犬のキャラクター)のイラストが、冷蔵庫だった。 今日は湿度が高いから食品の管理に気をつけて!の意だったらしく、キャスターの方が「これは首都犬くんのイラストが描かれた冷蔵庫です!」とわざわざ放送時間ギリギリに滑り込みで訴えていて、犬を冷凍庫に詰めたイラストに誤解されないように必死な姿勢が印象的だった。

6月27日 何としてでも明日を迎えなくてはならないので、明日の雨予報を予告するような眩暈をする身体を何とか動かしながら帰宅しています。
ボーナスより一足先に一時的に社会に貸すお金も用意した(6桁の私にとってはとっても大金!)。
明日まで体調が悪くならずに朝ちゃんと起きることができるか、ちゃんと服を着て用意した色々を持って出勤できるか、交通事故や災害や事件に巻き込まれないか、どんな日だってこれらの心配事が巻き起こる可能性があるのに、今属している社会の一大イベントの明日についてとてもとても心配な夜を過ごしている社会の犬。

6月28日 雨の中都庁へ出向いて、結果、6桁のお金を運ぶだけのお仕事となってしまった! 今月で、今日で、とにかく今日をなんとか!と思っていたのに、また来週、来月に改めて、ということになってしまった! まあ社会ってそうだったんだけど、さすがに今回ははっきりと悲しい気持ちになっている。
持っていた手数料を口座に振り込み戻したら、ボーナスだったのが相まって(私としては)少しびっくりする数字を持っている口座になった。
とてもとても疲れているけれど頭と目が冴えまくっている感じ。腰がひどくいたかったのもロキソニンで一時的に鎮めて、今晩も体を酷使しながらそうじをしてしまうのだと思う。
誰にもやさしくできなくて何も楽しくない日々の、この忙しさと誰かの首が切られてしまうかもしれない重さから、早く、解放されたい。

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八篇 上 その一
淀の大橋から、下り船に乗って、 大阪へとやってきた弥次郎兵衛と北八の二人。
大阪の港は、海内秀異の大きな港で、諸国の商い船が行きかっている。 淀川の川口に船首をならべていかりをつらね、ここにいろいろな荷物をつなぎ、繁盛していることは、いわなくてもわかるというものだ。
ことさら、花の春は淀川に船を浮かべて桜の宮に遊び、網島の料理屋に酔いをもよおし、夏は難波新地の納涼に蛍をかり、茶屋で腹をこやし秋は、料理屋で月をながめ、冬は解船町の雪景色。
四季折々の眺めの中に、人の目をひきつけて離さない花のようにうつくしい遊郭は、いつもさかりの春のごとく賑わい道頓堀の芝居は、いつも、顔みせ興行��ように群集が絶えない。
そんな名誉の地をみのがしてはもったいないと例の、弥次郎兵衛と北八の二人は伏見の昼船に途中から、飛び乗ってはやくも大阪の天満橋近くの八軒家に着いた。 ここで船を下りた二人は、もう、たそがれ時で薄暗くなってきており初めての土地でもあることから、人に尋ねながらとりあえず、長町を目指して堺筋通りを南に歩いてやがて、日本橋にでた。 ここには宿の客引きどもが居合わせ、両人を見かけて宿の相談をしかけてきた。 早速に二人は宿をきめると、客引きは分銅河内屋という宿に案内した。
客引きが先に駆け抜けて、 「さあさあ、お客様をおつれして来たわいな。」 その声に出てきた宿の番頭が、 「これは、ようお出なされました。何人様でございます。」 と言うのを、 「へい、全部で四十七人。」 と弥次郎兵衛がふざけて答える、 これを聞いて番頭は、びっくりしたように、 「なに、四十七人様。これこれ、おさんや。大勢さまじゃ。 西の奥の間を打ち抜いてあげさんせ。はようきれいにしてこんかいな。 これ、久三。お足をお洗いなさるお湯はどうじゃい。 「・・・」 「ちょっと熱いようじゃ。水をうめてあげましょう。はようはよう。 で、もし、その四十七人様は、後から来られるのかな。」 と弥次郎兵衛の後ろをすかしてみる。 弥次郎兵衛は、ニヤニヤしながらも、 「いや実は、四十五人は鎌倉へ発った後。 われわれ両人はここより遅れてまいる。」 「ええ、なんのこっちゃいな。やっぱりお二人かいな。 これこれ、おつんや、お二人じゃといな。 こっちゃのお一人でいらっしゃる、狭いところに案内さんせ。」 とあきれた様子。 おつんと呼ばれた女中が、 「はいはい、ご案内いたしましょかいな。」 と足を洗い終わった二人に言うと先に立って案内する。
さて、この宿は当所では、随一の大きさである。 二人はその大きな宿の奥の隅の小さな部屋に、女中の案内ではいる。 すでにここには一人お客がおり、いっしょについてきた番頭が、 「お許しくださりませ。ご窮屈で、ございましょうが、お一つ所になされて下さりませ。」 と言う 先の客は、丹羽の旅の人で 「だんないてや、さあさあ、こっちゃへはいりなされ。」 と方言交じりでいった。 「これはごめんなせえ。」 と北八。 「わたしら、二、三日は逗留して、所々見物がしたいからおたのみ申します。」 と弥次郎兵衛は、そのお客とも番頭にともとれるようにいった。 「はい、かしこまりました。まずは、ごゆるりと。」 と番頭は言いすてて引き上げていった。
さっそく丹波の人が、話しかけてきた。 「こりゃ、そな���たちは、どこからきよりました。」 「私らは江戸でございます。お前さまは。」 と北八が答えると、 「わしは丹波の篠山(たんばのささやま)の出で、今度、高野へ行きよりま��。 相宿になったのも、何かの縁。よろしくおねがしますやいな。」 弥次郎兵衛も、 「とかく旅は道づれといいます。おきずかいなきようにございます。」 と言った。 女中が、 「食事をお持ちしました。」 と三膳持ってきて、それぞれの前にすえる。 この食事の間にもいろいろあったけれども、略すことにして、
食事も済み湯にも入ってしまうと、目をつぶった大きな女が柱や障子を探り探り入ってきて、 「ひとつ、もましてくださいな。」 と入ってきた。 それを聞いて弥次郎兵衛が、 「いや、あんまさんか。お前、女みたいだ。 しかも生きている。北八、どうだ、もんでもらわねえか。」 「こっちからもんでやりてえ。」 と北八はニヤニヤしている。 「あら、おかしなことを、言いじゃやら。 お前さん方は、お江戸じゃな。 わしゃあのお江戸のお方が好きじゃわいな。 殿方たちは男らしゅうて、話が面白とこがよいわいな。」 とこのあんまさんは、口が上手である。
「お前さんは、さっぱり目が見えねえのか。 見えるとすると、ここにとんでもないいい男がいるのに。」 と北八は、調子に乗っている。 「そうじゃろぞいな。」 とあんま。 それを聞いていた弥次郎兵衛は、 「それなら、あんまさん。この男と俺とどっちがいい男か、そうして、年はどっちが若いかあてて見なせえ。 当ったら、二人とももんでもらおう。」 と懐を探り出した。 「そりゃ、絶対にあてるわいな。」 とあんまは、首をかしげている。 「こりゃ、おもしろい。さあ、俺は、いくつぐらいだ。」 と北八。
「まちなされ。おまいさんは二十三、四。」 「いい線だ。で、当然、いい男だろうね。」 「さよじゃ。お顔は、よう道具がそろうてじゃ。」 「当たり前だ。そろってなけりゃ、こんな賭けをするものか。」 「お目は、いかついじゃろがな。それに、お鼻は…。」 「高いか、低いか。」 「こう言うたらお腹立ちかしらんが、確かに低くて、小鼻の開いているじゃろぞいな。」 これを聞いていて、丹波の人が、 「ははは、当ってる。当ってる。」 と笑っている。
今度は弥次郎兵衛が 「俺は、どうだ。」 と言うと、 「あなたは、ちょっと、ふけてじゃわいな。 お歳は四十ばかりで色黒で、鼻の開いた髭だらけなお顔じゃあろがな。」 「まるで、見えているみたいだ。」 と北八が、笑いながら言うと、 「そして、ぼやけぶとりに、よう肥えていなさるじゃあろ。」 「いや、違った。俺は、風が吹いたら、よろけるくらいすらりとした男。」 と弥次郎兵衛。 「ふん、嘘をつくな。こりゃ、あんまさんの勝ちだ。もんでもらいな。」 と北八が笑いながら言う。 「まあ、約束だからな。しかたがねえ、ここへ来てくんな。」 と弥次郎兵衛は、そこに寝転がると、 「おほほほ、それではそちらへ、行きましょうか。」 と弥次郎兵衛のそばにいって、もみにかかる。
そこへ、女の菓子売りがやってきた。 「はい、失礼しますよ。菓子、買っておくれんかえ。」 「なんだか次から次に、出てくるな。 どれ、なかなかいい菓子だぞ。お前、俺たちに、売る気か。」 と北八が、箱の中の菓子を見ながら言う。 菓子売りは、 「さよじゃ。私は、お前さんがたに売とう売とうてならんさかい、参じ���わいな。」 弥次郎兵衛は、あんまにもまれながら、 「上方の商い女は、なかなか上手い手をもっているな。」 菓子売りは、ニコニコしながら、 「手も足もないが、どうやら、お前さんがたに惚れたのじゃわいな。 そう思ってどうぞ、菓子を買うておくれや。 どれ、お茶でもくんできましょうかね。」 と菓子箱をそこにおいておきながら、部屋を出て行ってしまった。
北八は、 「ええ、つらのにくいほどしゃべるやつだ。」 と言いつつ弥次郎兵衛に目くばせして、菓子の入っている箱の下に重ねてある箱から、そっと、何やら菓子を五つ六つとりだし、自分の後ろにさっさと隠してしまった。 すると、さっきのあんまが手を出してその菓子をそっとひったくり、たもとへ入れてしまった。 北八は、そんなこととは知らない。 弥次郎兵衛もおなじく菓子を、三つ四つとり出したら、部屋の外から人がやってくる気配がしたので、急いで箱を元に戻すと、菓子は、後ろの方に隠してしまった。 それをまたまた、あんまが取ってしまった。 弥次郎兵衛もそんなこととは、知らずに、また目をつぶってあんまにもまれている。
そこへ、さっきの菓子売りの女が茶をくんで、お盆にのせ持ってきた。
つづく。
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【かいわいの時】昭和八年(1933)9月16日:天王寺南門超願寺にて「上方怪談会」開催(上方郷土研究会)
天王寺南門を一丁南へ行くと西側にある古刹超願寺は人も知る竹本義太夫の墓があるので著名、秋の日脚は短く暮れた宵闇に寺門にボンヤリ燈った目標は上方怪談會と記した白張提灯、門を入って玄関まで怪異の掛行燈を連ね、受付では真面目な署名を乞ふたがその脇の土塔茶屋では一吹と腰を掛けると、經木に詩歌を乞ひ、茶の香りに氷水を末期の水となぞらへて出すので、皆が冷いやりする。奥の書院では仝寺秘蔵の応挙筆の幽靈像を佛間型にした裡に凄然と祀り、本床には英一蝶筆の百鬼夜行の横大幅、展觀として本會所秘蔵の幽霊、妖怪、變化の錦繪を座一杯に繰展げて置いた。續々の來會者で本堂は忽ち満員、この調子では幽霊の方がをぢけがつく。午後七時半挨拶に始り、序論の形で京都より態々来阪の江馬文學士が「文學に現れたる幽霊」を風俗専問の立場から真面目に諧謔を交へて講話され、次で茨木の日垣明貫の息章道氏は父君の材料を携へて事實談を上手に順序よく物語られた。尚三四氏の申込みがあったが、時間の都合で中止し、中入として蓮の葉に包んだ白蒸の飯に奈良漬、苧殻*の箸を添へたのを配った。この中に日垣氏が當夜寄贈せられた半切に仝氏が書かれた大入道の繪を抽籤することにし、赤紙を一枚入れて置いたところ、来會者の木村喜行氏(新町吉田屋)が引當てられた。さてこれ等の興味で時刻は九時過ぎになったので、當夜の呼物である三遊亭志ん藏氏立つことになり、前提として同氏体験の事實談「血風呂」の話を得意の話術にて一席、シンミリと聽かせて、先ず聽衆に凄味を興へ、さて獨特の幽霊扮装に移る。簡單に青隈で顏としたのを見せて置いて、暗轉で、お岩の幽霊、どろどろーー合方もないが、照明役の手際によって陰火点滅すると凄気堂に漲る。一同やあれ恐はやーーで退場閉会す。當夜お土産として蝋燭で見るお化け繪に超願寺寄贈の繪はかき一組と、松竹より無縁墓供養として寄贈のお岩に因んで「岩おこし」を贈った(南木生)。「三十八回上方行事上方怪談會記」『郷土研究上方 第三十四号』 (昭和八年十月一日発行)より。 *苧殻(読み)おがら アサ(タイマ)を古くは〈苧(お)〉と呼んだが,皮をはいだ茎は苧殻(麻幹)(おがら)と呼び,お盆の迎え火,送り火をたくのに用い,供物に添える苧殻ばし(箸)とする。種子は苧実(おのみ)すなわち麻実で,薬味として使い,七味唐辛子に入れられている。世界大百科事典 第2版
(写真)上方郷土研究会「三十八回上方行事予告 上方怪談会」。『郷土研究上方 第三十三号』より。
日時 昭和八年九月十六日午後正六時��催 場所 天王寺南門(義太夫の墓のある)超願寺(千日前発掘の無縁墓あり) 展観 応挙の幽霊(超願寺蔵)及幽霊、妖怪、変化錦絵二百点陳列 開会順序 六時より会員有志の実話談に移り、九時余興、十時閉会 扮装実演 幽霊になるまで 三遊亭しん蔵*氏 会費 五十銭(粗供養記念品呈上) (『郷土研究上方 上方怪談号(三十三号)』1933掲載)
*三遊亭志ん蔵(1887-1964) 怪談話『お岩の幽霊』を得意とし「幽霊志ん蔵」と呼ばれる。戦後は上方で数少ない明治から継承されていた古い怪談噺を演じる落語家として重宝される(ウィキペディア)。
*会費50銭は現在価値で約2500円(中入り軽食・岩おこしの御土産付き)。1930年から1931年にかけての大恐慌(昭和恐慌)で、昭和はじめの日本経済は深刻なデフレに陥っていました。当時の1円を���在価値に換算することは容易ではありません。目安として明治初期と昭和10年の大工の手間賃で比べると、0.5円(1870)=2円(1935)=17000円(現在)*。これより、1円(1935)≒8500円(現在)。デフレの影響で昭和10年ごろの1円の価値はかなり高かったようですが、しかし、当時ガスビル食堂の1円ランチが、行列ができるほど人気があったことを考えると、現在の「感覚」からすれば、1円=5000円ぐらいとするのが適当ではないでしょうか。同じ頃に浜松市のデパート跡で開催された「警察博覧会」(遠州新聞社主催)の会費(入場料)が大人15銭、現在価値にして約750円。妥当な範囲だと思われます。*明治初めの1円=0.125石=34000円(現在)で換算。
[註]「応挙の幽霊像」(他には「英一蝶筆の百鬼夜行の横大幅」)がリストアップされていますが、残念ながら、いずれも現存していないようです。ほんまやったら、重要文化財。「もう少し寝かせておきとうございます」
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ひまわり畑

2024.8.19
暑い暑いとは言え、お盆を過ぎると少し空気が変わったような気がします。
確かに暑いんですけど、日が陰ると茹だるような暑さではなくなってきたような気がします。
季節は確実に進んで少しずつ秋の気配を感じるようになってくるんでしょうね。気がつけば彼岸花が咲き始めたりしますよね。
そんな心配をよそに、まだまだひまわりが元気に咲いている場所があります。そんなこれから咲きそうなひまわり畑を探してるんですが、ご存知でしたら教えてください。
もう少し夏を楽しみたいですからね。
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秋きぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる(古今和歌集) . 稲には走り穂。暦の上では「立秋」に入りました。不思議なもので、本当にこのタイミングで空の、雲の様子が変わります。歌のとおり秋の到来は目に見えるものではありませんが、お盆明けには朝晩に肌で感じる風の涼しさに気づくはず。ゆっくりと秋蒔きの畑の準備を致しましょう。 . <お知らせ> ・ジャンボにんにくの種(りん片)(8月下旬発送)を予約受付中です。種子消毒こそしているものの、栽培期間中農薬・化学肥料不使用の種です。ヤフー支店でも予約受付中です。カード決済、コンビニ決済、各種電子決済がご利用いただけます。 . ・彼岸花(曼珠沙華)、茗荷(みょうが)苗(根株)、蕗(ふき)苗(根株)、枸杞(くこ)苗木を販売中です。がんばって掘りますので、応援頂けますと幸いです。 . ・ヤフー支店にて、夏~秋蒔き野菜の「自然のタネ(自然栽培種子)」、当農園昨年収穫の「実綿」を販売中です。よろしくお願い致します。 . ・菊芋、アピオス(いずれも12���中旬発送)の予約受付を開始しました。猛暑に負けないよう畑に水タンクを運び、潅水を頑張っております。応援頂けますと幸いです。 . ・行者にんにく精選種(9~10月発送)、秋苗(10月末~11月上旬発送)もご予約受付中です。〆切前にお急ぎくださいませ。 . メデタシ種苗本店 https://www.tane4u.com/ メデタシ種苗ヤフー店 https://store.shopping.yahoo.co.jp/itomedetashi/ . どうぞよろしくお願いいたします。 .
立秋 #二十四節気 #古今和歌集
秋空の気配
メデタシ種苗 #ていねいな暮らし #家庭菜園 #種 #苗 #伝統品種
ジャンボにんにくの種 #菊芋 #菊芋の種芋 #アピオス #アピオスの種芋 #彼岸花の球根 #曼珠沙華の球根 #行者にんにくの苗 #行者にんにくの種 #茗荷の苗 #みょうがの苗 #蕗の苗 #ふきの苗 #枸杞の苗木 #クコの苗木 #実綿 #服飾素材 #自然のタネ #秋蒔きの種 #在来種
#メデタシ種苗#家庭菜園#種#苗#種芋#伝統品種#固定種#在来種#彼岸花の球根#ジャンボにんにくの種#菊芋の種芋#菊芋#アピオスの種芋#アピオス#アピオスの花#曼珠沙華の球根#行者にんにくの種#行者にんにくの苗#茗荷の苗#みょうがの苗#蕗の苗#ふきの苗#枸杞の苗木#クコの苗木#実綿#自然のタネ#秋蒔きの種
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各地句会報
花鳥誌 令和5年11月号

坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和5年8月3日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
思ひ出はねぶた祭りの鈴の音 由季子 居合はずも気配感じて墓参り さとみ 小さき手の祈る姿や原爆忌 都 新刊にしをりはさみし今朝の秋 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年8月5日 零の会 坊城俊樹選 特選句
夏蝶の影夏蝶の見当たらず 和子 夏帽を墓誌にぱさりと一礼す 小鳥 炎帝の甘い息なり草いきれ 和子 ビルとなく夏草となく墓となく 千種 墓参直方体の石たちへ 緋路 刻む名のなき墓石の灼けてあり 和子 十字架の寝墓を埋めし夏の草 美紀 空蟬を俯きにして走り根に 要 炎天にかつて士族は墓じまひ いづみ
岡田順子選 特選句
睡蓮の影睡蓮の葉に揺るる 緋路 利通の墓へ鋼の夏日かな 俊樹 墓参直方体の石たちへ 緋路 葬列の中のたじろぐ黒日傘 三郎 あふひ句碑墓域にありて百日紅 佑天 奔放で供花ともならず猫じやらし 荘吉 青山の水に肥りし金魚かな 美紀 夏草に陋屋のごと耶蘇眠る はるか 立ち枯れの草より薄き八月の蝶 和子 イザベラの墓へ絵日傘高く上げ 小鳥
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年8月5日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
金灯籠灯の曼陀羅をよへほ節 美穂 盆灯籠十万億土超ゆ君へ 久美子 流燈の火の川となり闇に浮く 孝子 流灯の破線となりて彼の世へと 睦子 行く夏や波に消えゆく砂の山 修二 家紋古る釣灯籠に代々の火を 久美子 黒髪に戴く山鹿灯籠かな たかし シ��ンデリア墜ちてはじまる夏舞台 睦子 縁日やうすものの母追ひ越さず かおり ダリア立つ背に御仏のおはす如 勝利 炎帝を睨み返せし不動尊 かおり 戦争を知る人とゐて沙羅の花 朝子 恋に堕つ日々はまぼろし星月夜 美穂 風天忌しがらみ捨てて西東 修二 思ひの外長く連れ添ひ夕端居 光子 あの雲の八月六日兄の背に 朝子 河童忌やセピア色なる供華の水 睦子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年8月7日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
九頭竜に天蓋として秋の空 かづを 饒舌を寡黙にしたる猛暑かな 同 老い包む羅にある粋を着て 同 絽の喪服広げて暫し母偲ぶ 笑 海上を照らし消えゆく花火舟 同 羅に心の綾は隠し得ず 雪 絽の美人正面見すゑ瞬かず 泰俊
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年8月8日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
鳳仙花記念写真のまた増えて 裕子 秋薔薇キリスト葬は花のみに 令子 図書館の絵本を借りて秋の朝 実加 秋初め装丁だけで選ぶ本 登美子 褪せ果つるトーテムポール夏の月 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年8月8日 萩花鳥会
広島の原爆殘害眼前に 祐子 盆提灯座敷一変かの浄土 健雄 ひぐらしがよう帰ったと里日暮れ 俊文 七夕や家族揃うてバーベキュー ゆかり 庭野菜取りたて供ふ盆支度 恒雄 ひと日生く古稀の我また花木槿 美惠子
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令和5年8月9日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
化粧水嫁にねだりて生身魂 すみ子 立葵老女の夢は咲きのぼる 悦子 棚経を待つ朝よりの野良着脱ぎ 美智子 水脈長く長くや土用蜆舟 都 縁台の仰臥は浮遊天の川 宇太郎
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年8月12日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
烈日の寺の甍や蟬時雨 亜栄子 白粉のゆふぐれ匂ふ句碑明かり 文英 達者なる日を百歳の生身魂 同 好物に笑顔は童生身魂 恭子 小湾の潮香満ち足る島の秋 多美女 ビートルズ聴きつうたたね生身魂 亜栄子 草々に水やり終へて今朝の秋 恭子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年8月14日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
打水に乾きし土の匂ひして 迪子 蜩の声に憶ふは奥貴船 貴薫 新涼や虚子文学碑なぞり読む 怜 蜩や今日の仕舞ひにジャズを聴く 貴薫 新涼の風運び来る水の音 三無 蜩の声に包まれ森深き 秋尚 新涼の風運びゆくミサの鐘 怜 直したる服受け取りて涼新 貴薫
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年8月14日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
耳に残る脱穀の音終戦日 昭子 大都市の火の海と化し終戦日 みす枝 薄れゆく記憶手繰りし原爆忌 英美子 俗論をまた聞かさるる残暑かな 昭子 喜んで逃げる爺婆水鉄砲 みす枝 しみじみと肩甲骨や更衣 昭子 夫の船べりを掴みて鮑海女 同 桐一葉風の意のまま落ちにけり 英美子 どの墓も供華新しき盆の寺 信子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年8月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
火取蟲てふに一夜を果つ定め 雪 考へず居れば済むこと髪洗ふ 同 花火果て破に残りし余熱かな 真喜栄 漆黒の闇に銀漢ふりかぶり 同 百日紅又百日紅てふ団地 清女 それとなく秋を呼びゐる風の音 かづを 九頭竜の闇を沈めてゐる銀河 同 ゴジラ似の雲立ち上がる原爆忌 嘉和 地獄より来る祖もありぬ盂蘭盆会 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年8月16日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
啼く声の細くとぎれし法師蟬 啓子 足さばき揃ひよせ来る盆踊り 笑子 灯籠に女心の一句添へ 希子 流灯の仏慮の風に促され 同 球児等もスタンド席も灼けてゐし 和子 地図上に台風の道あるらしく 同 盆の月古城の上にまかり出る 隆司 吟行も供養の一つ盂蘭盆会 泰俊 故郷の色町とほる墓参 同 表情のはみ出してゐるサングラス 雪 頷いてばかりも居れず生身魂 同 月夜の踊り雨夜の踊り見しと文 同 何となく日向水ある日向かな 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年8月16日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
蝿叩きにも自らなる居場所 雪 頷いて居れば安泰生身魂 同 火を恋ひし火蛾の果てとはこんなもの 同 狙ひたる金魚に又も逃られし 同 音もなく傷も付けずに流れ星 みす枝 蜩の声が声呼び森震ふ 同 偕老に二本つましく牽牛花 一涓 来世又君に逢むと墓参 世詩明 夏まつり村の掟は捨て難し 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年8月18日 さきたま花鳥句会
鳳仙花迷路のごとき蔵の街 月惑 天高し殿堂入りの行進曲 八草 夕まずめ途切れ途切れに法師蟬 裕章 あの人に会ひたくなりし天の川 紀花 座の窪きまり南瓜のおほらかに 孝江 朝の厨一分間の終戦日 ふゆ子 夜咄やはたと団扇の風止まる とし江 炎暑寺水鉢かつぐ鬼を吸え 康子 一夜あけ光の洗ふ野分後 恵美子 尺玉の花火の弾け音弾け みのり 強風に七夕飾りもつれけり 彩香
………………………………………………………………
令和5年8月20日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
裏返り空を見詰むる秋の蟬 秋尚 校庭の空を奪ひし秋茜 経彦 大空に機関車の缶灼けゐたり 幸風 菩提樹を絡めとりたる葡萄葛 同 なびき癖各々違へねこじやらし 秋尚 山城の搦め手いづこ野路の秋 眞理子 一葉落ち青空丸く生まれたる 三無
栗林圭魚選 特選句
TARO展残暑を赤く塗り潰す 千種 おしろいの紅固く閉ぢしまま 秋尚 横山に行合の空今朝の秋 幸風 校庭の空を奪ひし秋茜 経彦 水被り残暑の石の獣めく 千種 たくさんの水飲み干して夏果てり 久 わが息の荒さをしづめ秋の蟬 千種 秋の蟬力惜しまず昼を裂き 三無 噴水の歪みもとより秋暑し 千種 妣の声聞きに葉月の恐山 経彦
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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ビスポークサンダル「ビーサン」
お盆は過ぎましたが
まだまだ暑い
どうやら今年は
9月に入っても残暑が
厳しいという予測なってますね。
昔はお盆を過ぎたら秋の気配が
なんて言われてましたが
秋の気配が感じられるのは
10月ぐらいからになりそうです。
そうなるとサンダルを
履けるシーズンが長くなる
という事で有難い事に
今もオーダーが沢山入っております。
制作頑張ります!

■ビスポークサン��ル「ビーサン」
革:ナチュラルオフホワイト
中底:チョコ
ソール:ブラック
ステッチ:ダークブラウンダブル
ご常連のお客様の
妹さんがオーダーして下さいました。
当店のパンプスも
愛用して下さってますが
サンダルも気に入って下さり
オーダーとなりました。
オフホワイトというちょっと難しい色を
上手に合わせてますよね。

ビーサンの立体的な中底
革を積み重ねて
土踏まずを支えるアーチを作ってます。
これが実に気持ちいいんです。

ホワイト系の色は
汚れがつきやすいのが難点ですが
サンダルですから
それも味と思って
楽しんでいただければと思います。

■ビスポークサンダル「ビーサン」
革:カーキ
中底:チョコ
ソール:ブラック
ステッチ:ブラウン、ホワイト
顔料仕上げの通常ショルダーで
色はカーキ
この革は落ち着いてくると
少しブラウンっぽく変化してきます。

とても合わせやすい組み合わせで
男性から人気の高い色ですね。
ビーサンは
���なりタイトに合わせますので
履き始めは親指が
しっかりとおさまらない感じになります。
それでも、裏張りがないので履いていると
かなり馴染みます。
最初キツイほうが
いい履きシワが入るんですよね。

■ビスポークサンダル「ビーサン」
革:ブラック
中底:ブラック
ソール:ブラック
ステッチ:ブラックダブル
人気のオールブラック
ビーサンのケアに関してですが
基本はニュートラルのクリームや
デリケートクリームをお使い下さい。
アッパーの革部分には
色付きのクリームを入れても
問題ありませんが
そこまで補色などを気にしなくても
大丈夫かなと思います。
私は使いやすいので
コロニルのシュプリームクリームを
使っています。
このクリームでしたら
中底に入れても大丈夫
中底は汗をかなり吸いますから
たまにケアしてあげて下さい。
とても良い感じになりますよ。

ブラックのサンダルでも
ケアはニュートラルで問題ありません。
履いていくうちに
多少の退色はありますが
素足で履くものですから
仕方ない部分もあります。
サンダルはケアも気楽にが
一番だと思います。
.
ビスポークサンダルについては
当店のHPをご覧下さい。
リンクしてありますのでこちらからどうぞ。
Bespoke Sandals
.
このブログ内でも
#ビーサン
#ビスポークサンダル
このハッシュタグを検索していただければ
過去に制作した
サンダルの写真が色々と見れますので
ぜひ一度ご覧下さい。
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DJについて その3
大学1年の夏休み。お盆前に免許を取ると祖母の家から実家へ引っ越した。
家族と一緒に居られないことが寂しいと感じていたのが一番の理由だった。
免許を取ったことで車の運転にハマり、その年の10月には念願のMR2を購入したことでますます車にのめり込み、ターンテーブルに触らない日が続いた。
2005年3月、実家からまた豊田の祖母の家に引っ越した。
この頃、実家の家庭環境がかなり複雑になっていて気が滅入っており、実家のしがらみから距離を置きたいと思ってまた豊田に引っ越した。
この時期は人生の中でも屈指のカオスな時期で、大学はほぼ行かず、夜な夜なMR2であてもなく走るという生活が続いていた。
まるで依存するかのように車の運転にハマっていた。毎晩少なくとも100km、走り足りない時は120kmほど走り、2〜3日に1度はガソリンを入れていた。
当時ハイオクでも1Lで120円程度で、満タンにすると燃料の重さで燃費が悪化すると考えて2000円分だけ入れていた。
それでも1ヶ月のガソリン代は2万を超えてた。
今日もガソリンを入れてきたところだけど、今は通勤や食料品の買い出しでしか車を使ってないので1ヶ月で6000円程度。そう考えると当時はめちゃくちゃ車乗ってたなと思う。
その分、運転の技術はものすごく上がったと思うし道もかなり覚えた。
この頃、ターンテーブルの置いてある棚を見ることすら嫌になっていた。
DJができない自分、というのがストレスで、そのストレスに向き合うエネルギーが残っていなかった。
ただ、音楽を聴くことはやめていなかった。トランスは聴いていなかったけどthe CorrsやHiraly Duff, Natasha Bedingfieldなどを聴いていた。
そこから月日が流れて2007年1月。
再びDJに興味を持つきっかけが訪れた。
Nがdj Kentaroがすごいから聴け、と言ってYouTubeのリンクをメールで送ってきた。
見てみると、あまりの圧倒的な技術力に度肝を抜かれた。
KentaroはDMCというDJの世界大会で2002年に優勝した偉人なんだけど、DMCはDJと言ってもターンテーブリストの大会なので曲を繋いでミックスするDJとは少しジャンルが違う。
DJをやってる人でもターンテーブリストについて知らない人は多く、ターンテーブリストという界隈そのものがかなりニッチなのでここではざっくりとした説明にとどめる事にする。
なぜターンテーブリストがニッチなのかというと、ターンテーブリストになるためには高度なスクラッチやジャグリングなどの技術を習得する必要があり、それが途轍もない苦行と言っていいほど大変だから(だとぶっちゃけ俺は思ってます)。
ミックス主体の世間一般のイメージするDJでも、ヒップホップなどではスクラッチや軽いジャグリングを行うことがあるけど、ターンテーブリストのそれは次元が違う。ただ、ミックスメインのDJが技術的に低いとかそういう意味ではない。
KentaroをきっかけとしてDJ威蔵、DJ YASA、DJ CO-MAなど面白いターンテーブリストが日本にはいっぱいいる事を知り、YouTubeやニコニコ動画でそれらの動画を見る日々が続くも、俺からすると技術的に高度すぎて真似する気も起きなかった。
ただ、雰囲気だけは真似たいと思うミーハーな俺はバトルブレイクス(主にターンテーブリストが使う効果音などの入った特殊なレコード)を購入して聴いたりしてみるも全く使いこなせずにいた。
この頃(2008~2010年頃)の日本のDMC界隈は良いターンテーブリストが多かった事もあってか盛り上がってたように思う。
日本におけるDMCは2012年頃だったかに一度中断してるんだけど、再開後のDMCはDVSの使用がOKになって何となく見る気がしなくなった。
俺が見てた中断前のDMCはレコードオンリーで、それがまた魅力的だなと感じてた。
なんかこの頃の俺はファッションDJというか、機材とかレコードだけ買ってDJは全くできない、DJとして…というか人間として中身のない奴だったと思う。
DJができるようになるためには練習が必要で、それがしんどいからやりたくなかったというのが本音。
2008年の夏だったか、Vestax PMC-37Proというミキサーを買った。トランスにハマってた2003年頃から憧れていた名機で、ミックスとスクラッチのどちらにも対応できる有能なミキサーだった。
この頃から夜行バスで半年に1回程度東京に行くようになり、渋谷でレコードを買ったりしていた。
2009年夏、内定を得て就活を終えた俺は最後の秋学期をのんびり過ごすことに決めた。
ある日、ネットでPMC-37Proを使っている人のブログを見つけ、コメントした。
この人はTさんという方で、同じミキサーを使っているものの聴いている音楽のジャンルは全く異なった。
彼はスティッカムやニコニコ生放送でDJを配信する「インターネットテクノDJ」という界隈に属していた。
自分のDJプレイをストリーミングで配信し、遠く離れた土地の人たちとリアルタイムで共有するのは先進的な試みだと感じた。
TさんはDJミックスだけでなく、コルグのシンセサイザーや色んな機材を導入して自作曲を作り、さらに曲のジャケをデザインするなどクリエイティビティの塊のような人だった。
彼の好きなUKガラージやハウスのミックスはiPodに入れて何度も聴いていた。
2010年3月、就職のために横浜に引っ越した。
この時、吉祥寺でTさんがDJをやるというので横浜から吉祥寺へ向かい、初めてTさんに会った。かなりお洒落な人だった。
4月に入って新社会人としての生活が始まるも、大学に入った時と同じく環境の変化が大きかったのでメンタル的にも負担が大きかった。
8月5日、この日自分のDJ人生の中でも屈指のビッグイベントが起こる。
DMC Japan Final。
言うなればDMCの全国大会で、ここでの優勝者がDMC World Finalに出場する事になる。
5,6日がちょうど休みだったため、「行くしかねぇ」と思い恵比寿へ向かった。
恵比寿には夕方に着いたため、WE NODというレコード屋に行った。ターンテーブリスト系の動画で度々目にするレコード屋で、お店に入るとDMCのフライヤーが貼ってあった。
というか、DMCは観るためにチケットが必要で前売り券買わないと入れないんじゃ…と心配になってきた。
お店の人に「DMCって前売り券買わないと入れないんですか?」と聞いてみた。
すると、「多分当日券出ますよ」と言われ、それに賭ける事にした。
つかDMC観に行きたいなら事前に下調べしとけよなという感じだよな…そういうところの無計画さがなんか発達障害っぽく感じる(俺が本当に発達障害かどうかは知らない)。
その後、会場であるLiquidroomに到着し、無事に当日券を購入し入場した。
クロークに手荷物を預けていると、目の前をDJ宮島が歩いていた。
「おお!ちゃんと便所サンダル履いてる!」と謎に感動した。
DMC Japan Finalの大会そのものは今まで散々動画で見てきたDJが実際に目の前に、しかもDMCの舞台でパフォーマンスをしているという夢のような時間だったけど、シングル部門の最後に俺がこの日一番見たかったDJ CO-MAが出てきた。
いろんなターンテーブリストを見てきた中でDJ CO-MAが何というか最推しで、それは今でも変わっていない。
ルーティンの音楽性も好きだし、ミックスCDの"Fresh Ambition"は何度聴いたか分からないくらいいつも聴いてた。
そんなDJ CO-MAのルーティンを初めて生で、しかもDMCで観た。6分間の制限時間、俺はただただ呆然と立ち尽くしていた。
度肝を抜かれた6分間だった。ルーティンの内容はぶっちゃけほとんど覚えていない。
この日、DMCの大会の合間にサイプレス上野やNonkeyが出てきたりしてそれはそれで楽しかった。
そして21時だったか、DMCのアフターパーティがLiquidroomの2階で開かれた。
当然参加した。パーティ会場ではDJ威蔵やDJ YASAをはじめとしたレジェンド級のターンテーブリストがDJをし、それをBGMに色んなターンテーブリストや今日の大会を見にきた人たちが喋ったりお酒を飲んだりしている。
ふと周りを見ると、それこそ散々YouTubeで見てきたターンテーブリストが一堂に会していて壮観だった。
印象的だったのは、dj Kentaroがターンテーブリストに憧れてこれからそれを目指そうとしている人の相談に乗って親身にアドバイスしてた事。
その人はそれほどB-BOY感も無い、真面目そうな青年風な感じで、一人で来たっぽかった。俺と近いものを感じた。
そして親身になってアドバイスしているKentaroの人間性も素晴らしいなと感じた。
DJ CO-MAはどこにいるんだろうと思ってしばらく待っているとDJ CO-MAが現れた。
彼は農業を生業にしつつDJをやっているので、会場には長時間滞在せずにすぐに帰ってしまうことが考えられたので、この機を逃すまいと声を掛けた。
「CO-MAさんですよね、ルーティンすごく好きで動画めちゃ見てます。いつか新潟に遊びに行ってもいいですか?」みたいな事を聞いた。
すると、「いいよ、来なよ!」と言ってくれた。めちゃくちゃ嬉しかった。
あと、DJ YASAにも声を掛けた。
「YASAさん、ワールドファイナル頑張ってください!」
「ありがとう!」
みたいなやり取りをした。
その後、始発まで身動きが取れなかったので朝5時までエアコン効きすぎてクソ寒い中ソファに座って耐え忍び、始発の時間が近づくとLiquidroomを後にして恵比寿駅へ向かった。
ホームに出ると、自分以外に誰かがいるのに気づいた。
DJ CO-MAの弟子で昨夜のJapan Finalにも出場していたDJ松永だった。
この時はまだ出始めでマイナーな存在だったけど、松永、今は超有名人になってるよね。
長文書いて疲れたのでこの辺で。
なんか自分のDJ人生の棚卸しみたいになってるね。
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営業中。何だか秋の気配を感じる空気。お盆過ぎると秋になるのだから当然とはいえ、今年は残暑が厳しめと聞いているので、秋の待ち遠しさは格別な年になるのかな。
お盆の帰省、お疲れ様です。今年は江古田へ帰省する若夫婦が増えるかもしれないので、お盆は水曜定休の他は普通に営業予定です。
一輪挿し「スパイラル」
通販→https://wazakka-kan.jp/kamiyad/
#一輪挿し #花瓶 #花のある生活 #スパイラル #アクリル什器 #鏡に映る #雑貨屋 #和雑貨 #江古田 #新桜台 #西武池袋線 #練馬区 #商店街 #贈り物 #プレゼント #ギフト
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二年前日記32(2021年8/6〜8/12)
8月6日 仕事の日。尼崎まで乗り過ごしてしまった。明らかに最近ぼーっとしているな。余裕を持って行動しなければ。今日は同僚にできてなかった引き継ぎをした。ちまちまエクセルで作っていた顧客管理の表も使ってもらえそうでよかった。簡単に説明するだけでサクッとわかってもらえたので、きっとセンスがあるんだろうな。前の職場で作ったものは多分使われてないだろうから、使ってもらえたら嬉しいな。晩ご飯はドライカレー。
8月7日 立秋。朝は、読書。おやつにキウイ寒天を作った。午後からYちゃんの家に。歩き出したときに使うゲートをもらいに行く。なかなかの大きさでひるんでしまった。実家に置かせてもらうことにする。お土産にジェラートを持っていく。父はお金の管理が少し心配になってきたみたいで、姉に徐々に任せることにするのだとのこと。晩ご飯はレンジで作った肉豆腐など。
8月8日 掃除、片付け、TODOを順繰りにやっていく日。頭のなかの混乱が少しおさまった。晩ご飯は牛しゃぶ、蒸し茄子の胡麻酢和え、トマトサラダ、もやしのナムル。台風に備えて風鈴を片付ける。オリンピックは閉会式を迎えた。スポーツを見ていると私は情緒が安定する効能があるように思う。あまり興味がないからだろうな。これからも時々見よう。閉会式、盆踊りの演出があって世の中では盆踊りはできないのになぁと少し複雑な気持ちになった。
8月9日 朝、四時頃に目が覚めて本を読んでいた。芥川賞受賞作の『彼岸花が咲く島』とてもよかった。夏の気持ちにぴったりだった。台風がきていたのだけど、版画教室の予約をしていたので迷いつつ向かうことにする。雨もそんなに強くなかったので大丈夫かなと思って。しかし、一駅進んだところで完全に止まってしまいどうしようもなくなってしまった。強風で電車が止まることを私はそろそろ学習しなければ。お昼を食べている間に動くかなと思いロッテリアに入りエビバーガーを食べた。しかし、まだ動かず。困って夫に電話して迎えにきてもらうことにした。夫はお昼がまだだったのでサイゼリヤへ。私は足りない野菜を補おうと、キャベツのスープを。夫はマルゲリータとほうれん草のソテーとアフロディーテを頼んでいた。チョリソーを頼んだつもりがアフロディーテがきたらしい。店員さんはアフロディーテと確認していたけど。アフロディーテも美味しかった。近くの西松屋で欲しかった抱き枕を買い、せっかく出てきたので、文化博物館でやっているミッフィーの展覧会に行った。所蔵品をからめたなかなか攻めたもので面白かった。大好きな河童の頭も見れたし。夫は終始眠そうで申し訳なかった。帰ってから横になったら9時ぐらいまで寝てしまう。晩ご飯は、夫はカレーを。私はキムチチゲを作って食べた。
8月10日 仕事の日。上司の子どもさんの学童で、熱が出てる子が多いらしく、上司も少し体調が悪そうだった。いろんな病気が流行っていて大変だ。帰り、三宮で降りて夫の誕生日に買う本を探す。お目当てのものは見当たらず、一階のところでノンアルコールのスパークリングとサーモンのサンドイッチのセットを食べた。丁寧に作ってありおいしかった。こういうメニューがあるので今はいいなぁ。少しお酒を飲んだ気分になれて。帰りはバスで帰ろうと思ったが、バスの本数が減っていて電車で帰った。晩ご飯は、甘辛牛肉のサラダ。
8月11日 午後、近所の人のところへ。久しぶりにお会いした。子どもさんが、料理人の体験で温泉旅館に行っているらしい。とても有名なところ。私と年はそんなに変わらないが、もう子育てが終わるんだなぁ。すごいなぁ。晩ご飯は天ぷら(鶏肉、ゴーヤ)小さいフライパンで油をケチってやっていたら、火の通りが微妙だった。少しイライラしてしまい、夫にあたる。
8月12日 今日からお盆休み。すごい雨。朝、ドトール農園で、モーニングをしていたら、上司から電話。何だろうと思って出ると、コロナ陽性だったとのこと。濃厚接触者ではないみたいだけれど、念のため私も気をつけるように言われる。いよいよこんなことが。気を引き締めなければ。図書館に予約の本を取りに行き、買い物をさくっとすませて帰宅。お昼は買ってきたお弁当を食べた。晩ご飯は、焼きつくね、焼きカボチャ、えのきとオクラのスープ。夜、少し打ち合わせをした。
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