#こけて再度逃亡しても捕まる
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かつて健太郎居候内定されてた会社に辞退申し立てましたが、突然『こんにゃろう、どういうつもりだ?先方さんからは既に内定もらって、他社就職決まった為に辞退すると申すなんて大体貴様のみの勝手なご判断は実質的にヤバくねえだろうかおいゴラァ!!💢』と確実に怒鳴られました。無理ならばオノレに合った就職すれば問題無く、ブラブラブランクもございません。前向き徹底し、お見合いに取りかかれる体制維持できればありがたいです。
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横浜港バラバラ殺人事件(よこはまこうバラバラさつじんじけん)とは、2009年(平成21年)6月に神奈川県横浜市金沢区で発覚したバラバラ殺人事件。 裁判員制度の導入後初めて死刑判決が言い渡されたと同時に、裁判員裁判で初めての死刑確定となった[2][3][4]。また、控訴も取り下げたため、裁判員裁判だけの審理で死刑が確定した最初の事例にもなった[5]。 事件発生 犯行グループはベトナムなどから覚醒剤の密輸を行っており、本事件において起訴された人数は7人(2023年現在も逃亡中の1名を加え、計8人による犯行)に上った[1]。 2009年6月18日から19日にかけて、前述の犯行グループのIと共犯者は、歌舞伎町の麻雀店経営者の男性と会社員の男性を千葉県船橋市内のホテルに呼び出して監禁した。 Iは「家族に電話させてほしい」「殺さないでくださいせめて殺してから切ってください」と懇願する経営者の首を、「動いちゃ駄目だろ、切れないじゃないか」と生きたまま電動のこぎりで切断、殺害し、共犯者に「人形みたいでしょ」と語った[6]。 会社員の男性は刺殺された後に遺体は解体され、横浜港や山梨県の山中に遺棄された。 捜査 その後、Iを含む犯行グループ8人は覚せい剤取締法違反などで逮捕され、共犯者は同容疑で警視庁などに指名手配されたが、タイに逃亡中とみられた[7]。 2009年10月15日、Iは前述の事件で死体遺棄容疑で再逮捕された[8]。またIは被害者の2人を殺害し、うち1人から1340万円を奪ったとして、2009年11月11日に強盗殺人容疑で再逮捕された[9]。 2009年12月9日、神奈川県横浜水上警察署捜査本部は国外に逃亡している共犯者に関して強盗殺人容疑などで逮捕状を請求し[7]、2009年12月15日付で国際刑事警察機構(ICPO)を通じ強盗殺人・殺人容疑などで国際手配した[10]。 刑事裁判 主犯格I 2010年(平成22年)10月14日、横浜地方裁判所(朝山芳史裁判長)は、覚醒剤密輸事件について有罪とした部分判決を言い渡した[11]。これは裁判員制度の裁判員の負担を減らすために区分審理を採用したためである[11]。 2010年11月1日、被告人Iの強盗殺人・死体遺棄事件に関する審理の初公判が横浜地裁(朝山芳史裁判長)で開かれた[1][12]。 2010年11月4日の公判で被告人質問が行われ、被告人Iは殺害動機を「私利私欲のため」と述べた上で反省の態度を示した[13]。 2010年11月10日、横浜地裁(朝山芳史裁判長)で開かれた論告求刑公判にて横浜地���検察庁は被告人Iに死刑を求刑した[14]。裁判員裁判における死刑求刑は新橋ストーカー殺人事件(東京地裁で無期懲役判決、確定)に続き2件目だった[14]。 2010年11月16日、被告人Iに関する判決公判が開かれ[15] 、横浜地裁(朝山芳史裁判長)は検察側の求刑通り死刑判決を言い渡した[16][2][17][18][19]。裁判員裁判における死刑判決はこれが初めてだった[16][2][17]。 判決後、朝山裁判長は被告人Iに対し「重大な結論なので控訴を勧めたい」と異例の説諭を行った[20]。また、裁判員6人と補充裁判員1人のうち裁判員を務めた50歳代男性が判決後に記者会見に応じ、「すごく悩み、何度も涙を流した」と感想を述べた[21]。 死刑確定 被告人Iは死刑判決を受けた後、収監先・横浜刑務所横浜拘置支所で接見した弁護団に対し「控訴はしない」と意思を伝えていたが弁護人は説得を続け[22]、2010年11月29日(控訴期限は翌2010年11月30日)に判決を不服として東京高等裁判所に控訴したが[23][24]、2011年(平成23年)6月16日付で被告人I本人が控訴を取り下げたため死刑が確定することとなった[25][5]。弁護人はこの控訴取り下げを「無効」と主張し東京高裁へ審理継続申し立てを行っていたため2011年8月末時点では判決未確定となっていたが[26]、2012年7月以降は収容先・東京拘置所で「死刑確定者処遇」となり[27]、裁判員裁判で初めての死刑確定となった[5]。 2017年(平成29年)9月22日現在[28]、死刑囚Iは東京拘置所に収容されている[29]。 共犯者 死体遺棄・逮捕監禁罪に問われた共犯被告人の男3人(いずれも滋賀県出身、判決当時は21歳ないし22歳)は2010年5月17日、横浜地裁(佐脇有紀裁判官)で懲役3年・執行猶予5年(求刑・懲役3年)の有罪判決を受けた[30]。強盗致死と死体遺棄、逮捕監禁の罪に問われた被告人の男(判決当時28歳、滋賀県東近江市出身)は2011年1月24日に検察側から懲役15年を求刑され[31]、2011年1月27日に横浜地裁(小池勝雅裁判長)で懲役12年の判決を受けた[32]。被告人は判決を不服として2011年2月7日付で東京高裁に控訴した[33]。この被告人の公判においては当時控訴中で横浜刑務所横浜拘置支所に収容されていた被告人Iに対する出張尋問が行われ[34]、2011年1月20日に裁判官3人・裁判員6人・補充裁判員3人の計12人が横浜刑務所横浜拘置支所へ出向き、被告人Iから尋問を行った[35]。
横浜港バラバラ殺人事件 - Wikipedia
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国連を使った反日団体による日本への内政干渉などもそうですが、 基本的に日本は日本人同士でしか成り立たない 「多少我慢すれば収まる」を当たり前に行います。
この記事に出て来たのはyoutubeだとBANされるレベルの 底辺配信者が集まるkidkのDBR6という配信者のようです。
日本だと面倒だからと済まされて逮捕されないのを良いことに 泊まったホテルなどでも屋内で立ちションしまくり、 屋外でも立ちション、一般人にも迷惑行為を行ってそれを配信して小銭にする 本当の意味での人間のクズです。
残念なが��真にダメな人というのはジョニー・ソマリ同様、 こういう事しか思いつけない程度なのでしょう。
ジョニー・ソマリは日本と同じように 韓国で迷惑行為をくり返して再生数を稼ごうとしましたが、 逮捕、起訴されて有罪となっています。
日本だと事なかれ主義最優先の警察も官僚も 「とりあえず被害が大きくならなければ多少被害に遭った人達を泣き寝入りさせておけばいい」 ということをまず選択します。
特に外務省に至っては「日本が我慢すればいいだけなんだから」と 自分達がわずかでも批判される可能性がある行動は徹底して回避します。
日本の場合は犯罪者であっても本当に優しい対応をします。 それこそがこうした迷惑系をのさばらせる原因です。
また不法滞在外国人に対しても日本の対応が甘すぎるが故に それをずっと悪用されていることも多くの人に知ってもらいたいです。
先日は公明党が「子供が可愛そうだから」を抜け道にする穴を 党を挙げて作った事を過去に自慢していた事を取り上げましたが、 そもそもの問題として日本の場合はなににおいても必ず「 0.000001%でもうっかりだった可能性があるのなら、 ろくでもない裁判官が無罪にして国が負けたりするなんてのがさらっとあるわけです。
日本の場合は不法滞在者に対しては 「帰って下さいね」 でまず終わりにします。 そして逃亡されたらまた 「帰って下さいっていいましたよね、帰って下さい」 こういう感じです。 それで収容されても 身元引受人ビジネスをしている人権屋弁護士が出て来て仮放免させるわけです。 そしてその時の住所から逃亡する……と。
身元引受人は逃亡されることなんて百も承知で引き受けます。 全く責任を負わなくてよいからです。
そう簡単に強制送還になりません。 しかも、相手側の国が渋ったら渋っただけ 「あー、そうですかー、仕方ないですねー」 で済ませます。 おまけに今やビザ免除停止をなぜかやろうとしません。
公明党が牛耳る国交省のかかげる 「観光公害が問題になっていますが対策は無視して無責任にどんどん観光客を増やし続けます」 政策があるのかもしれません。
日本は観光立国で食べていける国ではないので すでに観光公害が明らかなのですからなにかしら対策をするべきですし、 入国税を取って観光公害対策の予算にでも回せば 官僚だって利権が作れるんだから喜ぶでしょう。
でも日本は相変わらず「出国税」は取るものの 入国税は頑なに取ろうとしないんですよね。 日本人からはどんどん税金を取るけども、 観光公害が顕著になっても絶対に取らない取るつもりはないって 普通に考えて異常だとブログ主は考えてしまうのですけどね。
おっとっと、話がいつもどおり逸れました。
ある程度の年齢の方は記憶があるかもしれません。 かつて都内で偽造テレカを売っていた外国人たちが問題になったことが過去にありました。 不法滞在イラン人です。
80年代は自国での災害や戦争などで経済も社会も混乱していた バングラディシュ、パキスタン、イランから 観光名目で日本に来ては日本に不法滞在する人達が大量にやってきました。
不法滞在者による刑法犯や不法就労の急造もあり、 89年にバングラディシュとパキスタンが、 91年にイランに対しても「ビザ免除措置の停止」が行われました。 また強制送還も次々に行われた事も有り、 ピーク時約30万人だったイランからの不法滞在者は減り続けました。
「帰って下さいと言って帰るようだったら不法滞在なんて犯罪目的に来てない」 とブログ主は考えます。 予算をケチらず、強制送還すべきなのです。
公明党が進めようとしている「子供ができたら滞在許可を出すべき」なんて どうやったって不法滞在目的で仕込んで来るのが目に見えてますよ。
ただでさえ出生地主義の国の国籍を手に入れるべく 出産のためだけに外国に遠征するのが問題になっているんですから。
本人の意思を尊重して対応しているという事にできるんでしょうけど、 不法滞在にはきっちり強制送還で取り締まるべきなんです。
不法滞在者という犯罪者の親が不法滞在を合法化できると考えて 子供を利用するなんて新たな不幸を生むだけです。
親子ともども母国で仲良く暮らしてもらうのが幸せというものです。
日本の入国管理の 「本人の良心と善意にまかせて帰ってねと言うだけ」 なんて論外だとブログ主は考えています。
そのなかにたまたま手続を忘れていたのがいたらどうするんだ!
そう言う人もいるでしょう。 そんな人が本当にいたとして、それは全体のどのくらいの割合ですかね? ただでさえ民主党政権以降、不法滞在&難民申請のコンボで 延々と居座り続ける外国人が思い切り増えてるんですよ。
居座り続けている間に合法的に居座る理由を作ろうとする活動も当然やるでしょうよ。
新たな不幸を生まないためにも、 犯罪者はとっとと取り締まって強制送還すべきなんです。
強制送還に応じない国に対してはビザ無し渡航の即時停止をすべきです。 例外は要りません。
トルコのように日本で殺人未遂をくり返して強制送還された凶悪犯を 日本に再入国させるくらいまともに対処していません。
本来なら外国で凶悪犯罪を繰り返したような輩はパスポート取り上げをすべきでしょう。 自国の恥であり、他の自国民の海外での評価にもかかわるのですから。 ですがトルコ政府は日本に再入国させない対策をとりませんでした。
ですがやはり日本からトルコに対してのペナルティなど全くありません。 舐められて当然でしょう。
日本が取っている事なかれ主義というのは 「自国民が被害に遭うことを放置している最悪の選択肢」 でしかありません。
もういい加減にルールを守らない連中は強制送還しましょう。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024)5月22日(水曜日)
通巻第8261号 <前日発行>
エルドアン、クーデター準備情報に先制攻撃
米国亡命のギュラン師が反政府運動の黒幕?
*************************
トルコで再びクーデター未遂があった。
エルドアン大統領は新たなクーデター準備の動きに予防的先制攻撃をしかけ、「共謀者は米国在住のギュレン師の支持者だ」とする声明を発表した。
2024年5月14日のことだった。
トルコの法執行機関はアンカラ治安総局と高官らの自宅を強制捜査し、複数の警察官が拘留された。またイェルリカヤ内務相臣は、トルコ国内62ケ所を大規模に手入れし、ギュレン師と関係がある544人を拘束したと発表した。
ギュレン師とは何者なのか?
1941年生まれのギュレンは、1960年代後半に『ヒズメット運動』を創設した。穏健なイスラム教、教育、社会奉仕を重視しており、160 ���国以上で学校や文化センターを展開した。この遣り方はヒズボラ、ハマスの組織化と似ている。
ギュレンとエルドアンとには蜜月時代があった。
「イスラム主義福祉党」の党員だったエルドアン大統領は2001年に「正義発展党」(AKP)を共同で設立した経緯がある。ギュレン師のヒズメット運動は穏健なイスラム教と宗教間対話に重点を置いた。エルドアン大統領とギュレン師は、軍と司法制度に深く根付いた世俗体制には反対という共通点があった。イスラムへの回帰、アタチュルク以来の急激な近代化には距離を置いたのである。
近代化よりイスラム回帰を穏健な方法で行うとし、イスラムによる統治を推進する目的が共通していたのだ。両者の蜜月関係、協調態勢はしばらく続いた。ギュランは有権者を動員し、国家機構のなかに支持者を増加させ、AKPを支援した。
一方で、エルドアン政権は学校や報道機関などギュレン師関連機関の設立を認め世俗イスラム国家を嘗てのイスラム体制へ回帰させようとする姿勢を鮮明にしていた。トルコのすべての大學キャンパスにモスクを建て��。
摩擦が生じたのはエルドアン大統領への過度の権力集中がおき、司法、警察、メディアにおけるギュレン師の影響力と対立がおこった。関係は悪化した。
エルドアン大統領は、ギュレン派が政府を弱体化させるためにさまざまな画策を展開したと非難した。ギュレン支持者らは警察や司法から大規模に粛清された。エルドアン大統領はギュレン運動への弾圧強化に方向を転じた。
ギュレン師は1999年以来、米国ペンシルベニア州で亡命生活を送っている。
エルドアンはギュレンに関連する報道機関、学校、企業を閉鎖し、ギュレン支持者の数千人を公職から追放した。
▼エルドアンはギュレン派の弾圧に方針を転換
エルドアン大統領はギュレン師が政府転覆を目的とした闇の組織を主導していると非難し。テロ組織を率いたとして起訴に踏み切った。そして米国にギュレン師の引き渡しを求めた。トルコと米国の関係が悪化した。
経済的困難と社会不安が不満をさらに高めた。失業率の上昇、インフレ、クルド人問題やシリア難民危機など問題が一斉に吹き出し、エルドアン政権は不安定となり、体制に不満を持つ政治的雰囲気が醸し出された。
2016 年 7 月 15 日の夜を迎えた。
軍が行動を起こした。大規模なクーデターとなって、ギュラン派の軍閥がイスタンブールの橋、アンカラの政府庁舎、報道機関などの主要な機関やインフラを掌握し、戒厳令を布告した。
アメリカはこのクーデターの予兆を知っていた。しかしエルドアンには知らせなかった。オバマ政権はエルドアンを憎んでいた。
リゾートのマルマリス島で休暇中だったエルドアンに危機を知らせたのはロシアの諜報機関である。
エルドアン大統領は危機一髪でクーデター部隊の急襲を逃れた。イスタンブールに現れたエルドアンはCNNに出演し、クーデター陰謀者に抵抗するために街頭に出よ、と国民に呼びかけた。数千人の国民が町へ出て軍と対峙し、7月16日朝までに反乱は鎮圧された。
エルドアン大統領はクーデター支持者とされる人物の大規模な粛清を開始した。
その対象は十万人以上に及んだ。反革命である。軍人だけでなく、数千人の裁判官、公務員、教師、警察官も含まれていた。政府は非常事態を宣言し、国家への脅威とみなされる個人を逮捕、拘束、官吏は公職を解雇するなどの権限をエルドアン大統領に与えた。クーデター未遂により、エルドアン大統領はさらに権力を強化することができた。
その後も、地下でギュレン主義者のエルドアン大統領打倒の動きが続いていた。西側諸国はクーデター未遂を非難した。しかし米国はギュレン師を引き渡さず、トルコと西側の関係は悪化した。
▼ぎくしゃくとNATOとトルコの関係は軋んだ
トルコと西側諸国��の緊張は継続し、トランプの登場で一時的に雪解けとなったが、バイデン政権でまた悪化した。トルコはNATOの枢要なメンバーであり、NATO海軍はトルコのイズイミールに本部を置く。だから欧米にとってトルコはじつに扱いにくいうえ、エルドアンはロシア寄りの姿勢を強くしている。
2023年6月には、トルコがスウェーデンのNATO加盟に反対した。理由はクルド人武装組織「クルド労働者党」(PKK)がスウェーデンに拠点を持っているが、スウェーデン政府の対応が生ぬるいと批判し、対策の強化を求めていた。PKKは欧州連合(EU)と米国からテロ組織に指定されている。
トルコはNATO加盟国として、新規加盟に関して拒否権をもっている。スウェーデンはしぶしぶクルド族への締め付けを強化した。
最後まで反対したのはハンガリーで、土壇場での加盟承認との引き替えはスウエーデンのSAABジェット機のリースだった。
トルコは通貨下落によるインフレに襲われ、コロナ禍で観光客も激減した。国内の経済問題などが、新しい、複雑な政治環境を生み出した。現在のトルコはクルド族問題も抱えており、治安は悪化し、政治的、社会的、経済的問題は深刻である。
かくして2016 年と 2024 年のクーデター未遂は、経済的不安定、社会的緊張、政治的闘争が爆発的に組み合わさり、次の危機を招きかねないと、「中東研究センター」所長のムラド・サディグザデ(HSE大学客員講師)がRT(5月21日)に寄稿している。
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マリア・ザハロワ: 「なぜドイツはゼレンスキーのナチス政権を支持するのか?それはナチスの子孫がドイツで権力を握っているからである。2021年5月6日、ワシントンの大西洋評議会での会議中に、ドイツのバーボック外相はこう述べた。「私の祖父はオーデル川で戦った」 1945年の冬のどこか、ポーランドとの国境にありました。そして2004年、私はその橋の上に立っていました。もちろん、この橋はヨシュカ・フィッシャーがドイツ外務大臣としてポーランドとドイツの統一を祝ったときにポーランドとドイツの間に再建されました。ポーランド側の同僚と一緒にヨーロッパへ。 2021年6月、初の著書で彼女は次のように明らかにした。「その瞬間[2004年5月1日にポーランドを含む10カ国がEUに加盟、編集者注]私は祖父ヴァルデマール・バーボックのことを思い出した。彼は国防軍の対空修理部隊の士官であり、1945 年 1 月の退却中にフランクフルト アン デア オーデルの東側に到着しました。 アンナレーナさんは、祖父ヴァルデマール・バーボック氏(1913年~2016年)に関する国防軍文書の抜粋を出版物「ブンテ」に掲載したのと同様に、明らかにすることに決めた。そこでは彼がナチスの熱烈な支持者であったことが記されている。さらに、バーボック大佐は「無条件の国家社会主義者」であり、「国家社会主義に完全に根ざしている」。彼はヒトラーの著書���我が闘争』を何度も注意深く読み、「国家社会主義の原則を完全に遵守した」。 1944年、彼は剣で軍事功績十字章を授与されるはずだった。これはナチスの最も栄誉ある賞の一つで、「敵の砲撃下での特別な功績、または軍事行動における特別な功績」に与えられるものである。 ドイツ外務省はナチスの祖父を慕う孫娘アンナレーナさんを擁護するために駆けつけ、「外務大臣は文書に精通していなかった」と即座に報道陣に回答した。 数日経ちましたが、ベアボック自身は沈黙を守り続けています。しかし、ビルト紙は、彼女の「救助」に来た著名人のリストをすべて掲載し、彼らの祖先がナチスに属していた過去を認めた。 - ザクセン・アンハルト州のライナー・ハゼロフ首相は、父親がド���ツ国防軍に従軍し、1944年にフランス北部で捕虜になったことを明らかにした。彼の母親は14歳のときにシレジアから逃亡した。 - サッカー選手のローター・マテウスは、祖父の一人はドイツ国防軍に従軍し戦争中に亡くなり、もう一人は戦後シレジアから逃亡したことを回想した。 - 弁護士のゲルハルト・ラーンは、父親の両親が NSDAP のメンバーだったことを認めた。 - 俳優のフランシス・フルトン=スミスは、祖父がドイツ国防軍に従軍し、1944年にウクライナで捕虜になったと述べた。 - 政治家のドロテア・ベアは、国防軍に従軍し北イタリアで捕虜となった祖父について語った。 - 歴史家のシュテファン・ブラウブルガー氏は、1990年代までは多くの「ドイツ退役軍人」が家族とさえ過去について話すことを拒否していたと指摘した。 そしてこれらすべては、ドイツにおけるアドルフ・ヒトラーの遺産の再発行という新たなラウンドを背景にしている。」
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究���席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘���貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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2025/4/18 15:00:08現在のニュース
証券口座「乗っ取り」急増、2カ月半で1454件 金融庁が注意喚起(朝日新聞, 2025/4/18 14:56:47) 〈下〉留学生、ネット巡回協力…県警「言語の壁」に対応([B!]読売新聞, 2025/4/18 14:54:29) 〈中〉犯行道具、SNSで売買…外国語投稿、県警把握難しく([B!]読売新聞, 2025/4/18 14:54:29) 〈上〉仕事のはずが犯罪加担…不法滞在者をSNSで勧誘([B!]読売新聞, 2025/4/18 14:54:29) レボインターナショナル[5022]:過年度消費税等の計上に関するお知らせ 2025年4月17日(適時開示) :日経会社情報DIGITAL:日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/4/18 14:54:24) 立憲・野田氏、赤沢氏に「曙相手でも格下と自分で言ってはいけない」(朝日新聞, 2025/4/18 14:49:27) 「無免許ばれるから立ち去った」交通事故起こし逃走、容疑で中国籍の女を逮捕([B!]産経新聞, 2025/4/18 14:49:00) フィギュア世界国別対抗戦 佐藤駿がフリー前の公式練習参加(毎日新聞, 2025/4/18 14:48:53) 伊南部でロープウエー事故、4人死亡 ゴンドラ落下、1週間前に再開 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/4/18 14:48:43) 24年度消費者物価指数、2.7%上昇 3年連続2%超え | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/4/18 14:48:43) 東京都が推す「船通勤」、利用振るわぬ理由は 大阪は公営渡船が健在:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/4/18 14:48:26) フィギュア世界国別対抗戦 佐藤駿がフリー前の公式練習参加(毎日新聞, 2025/4/18 14:47:18) はやぶさ2の最終目的地、想定より小さかった 観測で見えず判明 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/4/18 14:42:48) 「電子令状」で捜査を円滑化へ 刑事手続きIT化法案が衆院で可決 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/4/18 14:42:48) Netflix、関税不況懸念も強気姿勢 値上げ戦略に暗雲も - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/4/18 14:42:38) コメ価格の上昇が止まらない…消費者物価指数でコメ類92%上昇、比較可能な1971年以降最大([B!]読売新聞, 2025/4/18 14:42:37) 袴田巌さんの再審認めた元判事が委員に 再審制度見直しの法制審部会(毎日新聞, 2025/4/18 14:40:15) 「独裁」か「党人」か 「晩節汚した」東京都議会のドン:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/4/18 14:37:07) 若者のために…金の延べ板1キロ 米寿の匿名市民が寄付 滋賀・長浜 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/4/18 14:36:14) 記者の目:「自分が嫌な物は他人も嫌」 あふれる使用済み核燃料 困惑する住民(毎日新聞, 2025/4/18 14:32:50)
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【Kenshi】戦闘スキル100を目指す - Part2

ヴェインに簡易な拠点を作って寝袋を大量に購入して、いざビークシング相手にベッド殴り開始。

素手で殴る事で打たれ強さは若干上がるが、やっぱり、それよりも気絶する限界まで殴らせてから「死んだふり」させて起き上がらせた方が経験値の入りは良さそう。もっと寝袋かベッド用意して寝かせるビークシングの数を増やせば、更に効率よく上げれそうな気はする。

で、174日目に打たれ強さ100達成。回避と近接防御が全く育たない訓練法だが、筋力、打たれ強さ、器用さ、武術が同時に伸びるから効率は断トツ。

んで、209日目には器用さも100へ。

214日目で武術も100達成。

近接防御と回避も上げないとな……って事でゴリロを捕獲して2階に拉致。ゴリロって老齢まで育つと階段が狭くて?自力で降りられなくなるんだな。初めて知った。

224日目くらいのステータス↑。ひたすらゴリロとカキンカキン、やりあって近接防御80まで成長。武器スキルも、ある程度までは防御でスキル上がるんだっけか。相手のステータスが上じゃないと経験値は大分渋いけど。

しかし、さすがにベッド殴りやゴリロとのスパーリングばっかりの作業に飽きて研究本集めへ。南西の図書館巡りをしてからハブ帰って研究再開。

その後また本が無くなって遠征再開。商人用木製バックパックに鉄を入れて死体を担いで遺跡巡りをしてるお陰か、筋力も94から95へ成長。
しかし、やはり、鉄蜘蛛は強かった↑。この手の遺跡は一匹ずつ釣りだすのが難しいんだよなぁ。20倍速で回復するの待ちつつゾンビアタックで何とかなったけど。

あと、何となくでバーンの塔にも寄ってみた。部隊数に空きが無いと話しかける事も出来ないんだな。初めて知った。

筋トレと研究本、AIコア集めの為に、あちこちフラフラ���つつ一人旅を続けて、300日くらいで筋力96に到達。板剣のメイトウGETしたり、最初から敵対してくるNPCが居そうな所で暴れ回ってるが、さすがにステータスの上がり方が渋くなってきた。

しかも、ソロだから多数に囲まれて運悪く胸に連撃食らうとダウン確実だし……。100まで行くにはやっぱり奴隷ニングしかねぇな……

って、事でキングゴリロを倒してお持ち帰り。

319日目。久々にヴェインの拠点に帰ってきたが、寝袋に寝かせていたビークシングが数体残ってた。読み込みエリア外に出たら全部消えると思ってたんだが、まれに残ることもあるっぽい。私は初めて見たが。

主に上げたいのは近接防御と回避だが、キングゴリロのステータスともう既に互角なんだよなぁ。これは相手を間違えたかも。もっと強い奴を攫ってくるべきだったか……。

それでも何日も何日も2階でキングゴリロの攻撃を受けまくったお陰で近接防御89、回避90までこれた。
その後も訓練続けて、337日目に近接防御も90になった。

すっかりキングゴリロも大人から老齢になった。連れて来た時より大きくなったなぁ。

適当に野に放つと周りのハイブの村に被害が出そうなので、クロスボウで眠らせてから皮を抜いた。

で、またちょっと遠征に出かけてスパイダー工場長を拉致して帰って来た。
ここからはスケルトン相手に奴隷ニングしてみようかな……って感じ。

ただ、ちょっと計画ミスって手足そのままでヴェインの拠点に帰って来てしまったから、また工場長を担いでステキな遺跡へ移動。
元々置いてある皮剝ぎ機で工場長の手足を取ったあと、ハイブの村で格安義肢を購入。

工場長をスケルトン修理ベッドに寝かせて鎧着せてから、なまくらのフラグメントアックスでタコ殴り。
しかし、工場長もステータス的にちょっと下なんだよなぁ。工場長を誘拐した理由は、どこの派閥とも敵対せずに攫って殴れるからなんだが……それならキャットロンで良くない?って話だ。

で、なやかんや考えつつ、工場長���奴隷ニングしてたんだが、ダスト盗賊の襲撃がマジでウザくなってきた。ここまで鍛えると訓練相手にもならず、死体の片付けの方が面倒なので襲撃止める為に本拠地へ。
無事、死亡を確認してキャット解放して帰宅した。(ちなみにキャットは「この部隊はもう満員のようだ」って言って棒立ち状態になってしまったが)

その後、ウェスタンハイブ以外は来ない状況になり、工場長とスパーリングの繰り返し。工場長には格安義肢を付けてフラグメントアックスでこっちを殴ってもらう。これである程度、工場長のステータス上げてから回避と近接防御の訓練しようかなって感じ。

ある程度、工場長が育った所で後はひたすらベッドで寝てる所を殴ってもらう。
工場長は優しいから死にかけて2階に逃げても追ってくることはない。2階にもベッドを置いて気絶する寸前で移動指示出して、体力回復したらまた1階のベッドに戻る作業���繰り返した。

437日目に回避99になり、460日目で回避100を達成。スコーチランダーは回避に×1.2の経験値補正があるとはいえ、結構時間かかった印象。

そのあとは、工場長の格安義肢を一旦外してベッドに寝かせて近接攻撃と重武器スキル上げをしてみた。

……が、それよりも先に工場長の攻撃スキルを上げれる所まで上げた方が効率良さそうな気がする……って事で、また工場長に格安義肢を付けて武器持たせて、こっちはひたすら重武器で防御態勢。

途中で飽きて暗殺訓練に切り替えたりとかもしたが、

520日目に何とか近接防御99に到達。

残り1レベル上げるのには更に訓練が必要……と、言う事で、リヴァイアサンコーストの武器庫で見つけていた防具を取りに、ちょい工場長かついでお出かけ。
回避も近接防御も攻撃を防いだ時よりもダメージを負った時の方が多く入る仕様なのがキツイんだよな。 打たれ強さ100あっても、どんなに良い防具着てても、ある程度殴られれば戦闘不能だし、バニラのベッド回復速度はかなり遅いからな……。戦闘訓練とは言うが、ぶっちゃけ寝てる時間の方が多い気がする。
Re_Kenshiの高速倍速なかったらとっくの昔に飽きて辞めてかも(笑)
そんな感じで次回へ続く。
次回へ
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ドラッグストア大量万引きグループ摘発 ハノイの拠点など特定
2025年2月9日 16時11分
ドラッグストアで万引きした商品を大量に本国に送っていたベトナム人グループが摘発された事件で、警視庁などの合同捜査本部が首都ハノイにあるグループの拠点を突き止め、情報収集を行っていることが警察当局への取材でわかりました。 また日本のグループに、盗む品目や送り先をベトナムから伝えていたとみられる指示役の男女2人を特定し、捜査を進めています。
警視庁などの合同捜査本部は、ベトナム人のグループが各地のドラッグストアで大量に万引きした商品を複数の拠点に集め、ベトナムに送っている疑いがあるとして、去年11月、関東や大阪にある拠点を一斉に捜索し、グループのメンバー11人をこれまでに逮捕しています。
警察当局によりますと、合同捜査本部は、これまでに逮捕したメンバーの供述や、押収したスマホの解析結果などをもとに盗品が送られていた首都ハノイの拠点を突き止め、情報収集を行っています。
拠点所在地には倉庫 昼夜を問わずトラック
NHKが先月、現地を訪ねたところ、拠点の所在地には、倉庫のような建物がありました。 近くに住む男性は取材に対し、「数か月前まで昼夜を問わずトラックが止まり、荷物が運び込まれた��、発送されたりしていた。出入りしていた人物は、『日本から輸入した薬などを扱っている』と話していた」などと証言しました。 日本の拠点が摘発された翌月の去年12月ごろからは、運び込まれる荷物が少なくなったということです。
指示役のベトナム人 メンバーに盗む品目などで伝達か
合同捜査本部は、グループのスマホの解析などから過去に日本に滞在歴がある指示役のベトナム人の男女2人を特定し、この2人がベトナムから通信アプリを使って日本のメンバーに盗む品目や、盗品の送り先を伝えていたとみて捜査を進めています。
段ボールを受け取る女性 “日本で購入してここから配送”
窃盗グループの拠点とみられる建物は、首都ハノイの中心部から車で30分ほど離れた住宅や商店が建ち並ぶ地区にありました。 細い路地にある倉庫のような建物で、先月、最初に取材した日はシャッターが下りていましたが、数日後に再び取材すると若い女性がいて、バイクで届けられる段ボールを受け取るなどしていました。 日本のメディアだと説明したうえで、女性に建物の中にある物について尋ねたところ、「客から注文を受けた商品を日本で購入して、ここから配送している。化粧品やサプリメント、洋服などを扱っている」と答えました。 「日本で万引きされた商品ではないか」と聞くと、「そのようなことはしていない。空港の免税店などで購入した物を扱っている。証明する領収書もあったが、それは捨ててしまった」などと話しました。
建物の中には化粧品や日本の健康食品
建物の中には取材した当日も段ボールや化粧品、日本の健康食品などが置かれていました。 近くに住む男性は、「去年5月ごろから男性1人と数人の女性が、商品を受け取ったり、配送したりしていた。運ばれてくる箱はテープで密閉されていて、薬や洋服など日本からの輸入品だと聞いていた。半年ほど前までは昼夜を問わず車が来て荷物の出入りがあったが、去年12月ごろからは、荷物が送られてくることが少なくなった」と話していました。
化粧品の市場規模 10年で倍以上に拡大 日本の商品人気
なぜ、日本の商品が狙われるのか。 経済成長が続くベトナムでは、国内市場の拡大が続き、なかでも化粧品の市場規模は、この10年で2倍以上に拡大しているというデータもあります。
高品質の日本の化粧品やサプリメントの人気が高まる一方、模造品も多く流通し、現地当局による摘発が相次いでいます。 消費者の不信感から、日本で販売されている正規品の需要がさらに高まっているということです。 日本の捜査関係者はベトナム人が関わる窃盗事件が相次ぐ背景の1つに、ベトナム国内での日本の商品への信用の高さや人気の広がりがあるのではないかとしています。
ドラッグストアの万引き被害 過去最多
警察庁によりますと、ドラッグストアで医薬品や化粧品が万引きされる被害は去年1年間に全国で1万5161件発生し、統計を取り始めて以降、最も多くなりました。 特に外国人の窃盗グループや観光客によって1度に大量の商品が盗まれる被害が深刻で、警察庁が2021年から2024年まで3年間の万引き事件の統計��分析したところ ▼日本人が検挙された事件では、1件あたりの被害額が1万774円だった一方 ▼外国人は1件あたり7万8936円と高額になりました。 外国人が盗んだ商品を大量に母国に送るケースも確認されていて、警察当局は、外国人のグループによる組織的な窃盗事件への対策を強化しています。 また警察庁は、大手ドラッグストアなどが加盟している業界団体に対し、外国語で万引き防止を呼びかけるポスターを掲示したり、店内放送を行ったりすること、高額な商品は空箱だけを陳列棚に並べることなど、対策を呼びかけています。
海外から犯罪指示も 日本の警察の捜査権及ばず
特殊詐欺や強盗など、海外から犯罪の指示が行われるケースはほかにも相次いでいますが、日本の警察の捜査権は外国には及ばず、容疑者を特定した場合でもその国で逮捕することはできません。 相手国にICPO=国際刑事警察機構や外交ルートで働きかけて、身柄の拘束などを求めるか、日本で事件を起こして国外に逃げた外国人については、日本政府の要請に基づいて逃亡先の国が自国の法律で処罰する「代理処罰」を要請するケースがあります。 今回の事件の捜査で、どこまでベトナム側の協力が得られるかは不透明で、国境を越えた組織犯罪への対応の難しさも課題になっています。
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(ドラッグストア大量万引き ベトナム人グループ摘発 ハノイの拠点や指示役特定 盗む品目や送り先を伝達か | NHK | 事件から)
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まあこれで青くなるのは医療行政側であって、あんたのところで治療を受けている無保険自費の患者はテロリストかもしれませんという話は割と最悪なことです。病院の方針に関わらず法制的にしっかりとマイナ保険証など電子化させて本人確認だけはちゃんとやれ、その結果、どうしてもアカン場合はなんか言ってこいって話になるでしょう。 一般論として、特にベッドを埋めて入院する人に関しては、医療側も治療に関する同意事項や入院時の補償に関する本人同意を行わなければならず、誰だか良く分からないけどおカネが入るんならベッド埋まってカネになるからいいやというのは問題であって、しかし急患や今回のような良く分からんけど同僚に付き添われてそれらしい身寄りがあるとみられる場合までその場で本人確認を必要として調査義務までつけるわけにもいきません。なので、支払い能力と保証人が仮にいたとしても入院者の身元確認ができる方法についてガイドラインではなく義務としてやれやという流れになることでしょう。 他方、こんなん雇ってる工務店どうなのとか、長年都市部に潜伏して普通に工務店勤務してたのを見つけられなかった公安警察ってどうなのとか、いろんな論点が出てきます。 この場合、テロ事件に深く関与した桐島さんが国内海外逃亡の果てに神奈川県に落ち着き工務店に偽名で長年勤務してましたという報道内容が事実だとするならば、笑いとして「セルフ終身刑」とかネタにしている場合ではなく、これひとつ状況が悪ければ他のテロ犯罪に都市部潜伏していた手配犯が再び手を染めて犠牲を出した可能性もあるわけです。取り調べができるような健康状態ではないので逮捕は見送って事情を聴く方針とのことでしたが、逃亡中の資金源や組織的補助があったのかどうかや、他の事件との関連に何らかタッチがあったのかどうかはものすごく関心のあるところです。 「最後には日本で、本名で死にたい」的な話でしたが、逮捕容疑となった一件はもちろん、他の事件との関わりや組織の状況についてちゃんと調べないと駄目なんでしょう。ただ、常識的にはいくら本人確認のハードルが低いからと言って工務店で堂々と作業員してて就労3保険(建設工事保険、業務災害総合保険、請負業者賠償責任保険)どうしてたのか、特に就労者を明記する保険を抜けていたのだとすると、いわゆる助っ人的にいろんな現場を渡り歩くタイプの仕事だったんでしょうかねえ… うっかりテロに加担して、自分の手配容疑ではないものの組織的には8人もの人命が失われて、その結果、かなり微妙過ぎる人生を送ったというのはどうなのかと思う次第です。 この手の話を聞くにつけ、国民生活の大事なところではマイナンバー制度をしっかり根付かせておくべきだという気持ちが強くなりました。必要なときに、コイツ誰やねんと言える仕組みはやっぱり欲しいですからね。
桐島聡さんが末期がんで徳洲会系病院にて自費治療の果てに逮捕って話で|山本一郎(やまもといちろう)
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ドラゴンファングz 竜の深淵攻略
深淵をクリアするには、高HP、良ファングであればそこまで難しくありません。
コチラで紹介するファングを利用することで敵キャラ個別の対処があまり必要ないくらい強力な能力を得るため、この記事ではファングの組み合わせの視点から攻略をしていきます。
■攻略用ファングセット
1,リビングメイル、キョンシーロック、コケムッシュ。
これはリビングメイルのソウル「睡眠時2倍攻撃力UP」をベースにした組み合わせでおよそ30F過ぎまで利用を目的にし��す。 キョンシーのソウルで寝てる敵を起こさないので平均的に敵を1撃で倒せ序盤の火力不足を補いつつ無難に(敵を起こさなず)フロアを闊歩出来るので死亡率がグっと下がります。また、難関の20Fで両ボスの矢をノースキルで無効化出来るのもアドバンテージになります。 このセットは11Fには揃える事が出来、各牙のソウルの相性が最高なうえスキルも強力なので深層でも有用です。
2、ヴァルカン×2+氷帝カーミラ(orコケムッシュ)
武器は斧推奨。 こちらは深層で体力UPや武器の強化を図るためにヴァルカンのファングドロップのスキルを活用するための組み合わせです。いったん1のセットは解除です。 ヴァルカンの牙は30Fで手に入り、ファングドロップのスキルと会心率50%UP&攻撃力+10のソウルがある非常に強力な牙です。
このゲームはブレイブ2で会心が出ればソウルが確定で発動する仕様のため、ヴァルカン2つ装備して100%会心を出して残りの牙のソウルを確定発動させる、とういう戦法がかなり有効になります。 そこでカーミラのソウル「スキルチャージ+2」や、コケムッシュのソウル「睡眠」を使い攻略を優位に進めていく事が可能なります。 ちなみに、会心100%だと斧の空振りもなくなるので常時8方向会心という無双状態になります。この無双状態+好循環スキルチャージを利用してアリスを狩りをしヴァルカンを複製して剣や盾を強化、あるいはセレブサキュバスで体力UPをしていくことがこのセットの目的となります。
3、ヴァルカン+他(コケムッシュ、リビングメイル、キョンシー、幽玄レイス、氷帝カーミラ等)
武器は菊一文字。ブレイブ2でほぼ確定(96%)で会心が出ます。ソウルが確定発動するので「他」の牙から自身が必要とするものを選んで装備しましょう。
その他 ケルベロスやイザナミのスキルやソウル(神通力)も強力なので、キョンシーと運用すれば比較的容易にクリアが可能になります。チャンスがあればGET(面白くないのでここではあえておすすめしません)。
■階層別攻略
【1-9F】
・1~2Fはオート操作でも十分。 ・下記★牙入手を最優先。 ・低優先牙は★を育てる「投げる用」としてキープ。 ・ゴーレムの支援機は高LV牙を作るのに利用。 ・スライム→モチ→ハーピーの順で新規取得牙と順次入れ替え。 ・初回3牙(高確率ドロップ)で「かしわ餅orセイレーン」狩りも可。 ・10Fまでに体力は80~100くらいになれば御の字。
高LVへの育て方と狩り方
手持ちの牙を投げて敵をLV2にしてか���
・LVアップ薬 ・混乱の薬(杖)やレイス薬や竜香の杖で近隣の敵を倒させる ・ゴーレムの支援機 ・武者ゴブリンの牙
等を利用して敵をLV3以上に育てる。 毒やゴールドを投げて倒すのが簡単。 眠らせたり火炎薬を使うのも悪くないがダメージが足りない場合が多いので不足分を補う手立ても考えておく。
ゴーレムが2体現れたら、1対のゴーレムを混乱(狂暴化)させ、もう1対を倒させる。そして支援機でLV3の古代ゴーレムまで育ててから狩るのもあり。
モンスターハウス(MH)の対処
開幕なら通路に逃げ込むか溶岩を攻撃して周囲を一掃する。あるいは諦める。 踏み入れた場合、宝箱や竜脈覚醒岩が無いなら即通路に戻り1匹づつ倒す(途切れて暫くしたら部屋に戻る)。上記があれば出来るだけ囲まれる前に矢(不要な書や武器等)を2回当てる。混乱薬や杖で周囲を混乱させて殴らせるのもアリ。 竜脈覚醒岩を壊し確ドロになった敵は高LVに育てて金等で倒す。 変化の杖があれば、確ドロになった敵を別の敵にチェンジ出来る。
お店
低層で良牙が売っていれば無理してでも買って楽しむ。 薬や書の識別が進んでいても確ドロや分裂等が未識別の場合には薬と書は買うのもアリ。武器は割高なので状況判断。
アイテムの識別
序盤、武器盾は即装備。呪われていればリセット可。 杖は早めに敵に振り識別。それ以外のアイテムは荷物がいっぱいになるまで放置し、ダブった書から読んで消費。ただし出来るだけ武器盾を装備してからにする。読むタイミングは地獄絵図や召喚を読んでも逃げられるよう階段を下りる前が無難。ただ下層なら千里眼をあてにして早めに読むのもアリ。 効果対象を指定する場合は識別の可能性が高いので4以上の箱を選ぶ。(3以下は不思議の箱ではないため入れて確認) 識別の書の判明後、未識別の書を読む際に追加アクションを聞かれる物は識別の箱に入れて識別する。これにより、魂、分裂の書の無駄遣いを防げる。 草はロックかコケムッシュに投げて識別。敵に投げる事で毒やレベルダウンを防げ、確定ドロップを有効に使う事が出来る。かつこの2キャラには回復薬や解毒薬等でダメージを与えられる点でも有用。
不思議の箱
不思議の箱には書物を入れて賢者の書を作ります。それが出来れば武器を入れていきます。箱縮小と取り出しをうまく使って再利用できれば良し。ドラゴンファングの書の優先度は3番目。ファングを入れる暇が殆どないのと、推奨牙セットではドラゴンファングがあまり意味をなさないので不要です。
牙の用途(★は捕獲優先度高)
アロエスライム:他の牙が無い場合のみ装備。即捧げても可。 モチ:上記同様。低層は狭いので時の減りも少なく基本不要。 ハーピー:離脱可能なスキルが序盤は役に立つ。不要になれば投げる用に。 カイマン:斧装備時以外は不要。無敵用にキープ。 アローエルフ:アロエスライムと交換。外せば投げる用に。 トラフカラッパ:アロエスライムと交換。外せば捧げる。 デビルン:即捧げる。 ゴブリン:即捧げる。 パタコン:即捧げる。or投げる。 コケットリ:高LV敵を倒す用にキープ。or投げる。 コケムッシュ★:深層まで装備可能な優良牙。臨海マタンゴに育てて狩るのもアリ。 戦乙女:ハーピーと交換。or確ドロ代わりにキープ。 ゴーレム:即掲げる。or手持ち牙が弱いと思えば装備もアリ。 武者ゴブリン:投げる用。手軽に入手出来る貴重なLV2の牙。 プラント:竜の時の書のかわりにキープ。or投げる。 ゴースト:危険回避用にキープ。or投げる。 ドロンキー:捧げる。 ショミントン:即捧げる。 導師:巫女の居る階層で捧げ、巫女の魔法(転倒)でアイテムを落とさせる。 ロック★:キョンシーにして狩る。 ドヴェルグ★:オーディンにしてから狩って即捧げる。
【10F】
フレイはダメージ100ごとに狂乱するためダメージをしっかり確認しながらスキルで吹き飛ばすか自身が後退しながら100ダメージを与えるようにすると楽。オーディンの牙があるなら1発で狂乱させられるので楽。準備をしっかりしていれば負ける事はまずない。苦しい時は老師でワープしてもらおう。キョンシーやオーディンがとれていない場合、竜脈覚醒岩の効果でチェレンジ。
【11-13F】
この階層ではアツソードやブラックガードを育ててリビングメイルにして狩る。毒、封印、吹き飛ばし+矢、睡眠等で倒そう���
そのほかにレイスを育て幽玄レイスにしても利用価値が高いのでねらい目。
まずレイスを通路におびき寄せ他所の部屋の入口まで行き、他のモンスターが寝ていればレイスはロゼを攻撃しない。そのまま入口を塞ぎながらファングを投げてレベルUPをしてから倒すと簡単に狩れる。 ここではいっぱし戦乙女も貴重な確ドロの代替になるのでしっかり倒しておこう。
スライムメタボー、ガーガン、ドライアドの牙は即捧げる。グリフォンは投げる用。
【14-16F】
カエルとシャイタンが厄介だけど「キョンシー、リビングメイル」がこの時点でそろっていれば寝ているところも高火力で倒せる。
守護ゴーレムの残骸はアリスや守護ゴーレムに投げてレベルUPさせて牙にするのもいい。
ゴーレムは捧げる。アリスはキープ。
フレイムダンサー、シャイタン、カエル、カサカサは即捧げる。
ホワイトエンジェルは回復or投げる用。ミルケは捧げるor投げる用。
【17-19F】
通常はこのフロアでようかい犬をケルベロスにして狩るのが一般的。でも正直不要です。 老師の牙があれば商人を召喚して巫女の杖で転ばせてアイテムを落とさせて稼ぐ。部屋にいる商人も入口の前立たせ通路から来た巫女の杖で転ばせる。
ナリキントン、ジャバウォック、魔剣将、ヴァンパイア(2つ目は投げる)は即捧げる。
ゴーストらんたんは緊急回避用。or投げる用。
【20F】
斧、リビングメイル、キノコ、キョンシー(ケルベロス)」で挑むと楽。
岩等をなぐりながら常にブレイブ2以上をキープしてボス2体からの矢の攻撃を無効化するように行動。上記セットが無い場合、敵を縦にして矢を防ぐ。オベリスクは早々に潰す。
【21ー29F】
特に必要なファングは無いがもし確ドロに余裕があるならサキュバスをセレブサキュバスにして狩っておく。キノコが未入手ならこの階層でゲットしておく。
24~26Fは商人を巫女の杖で転ばせて稼ぐ。27~29Fは竜の盾装備すると楽。フロア広めなので探索少な目で(竜の時がすぐ枯渇する)。この階層は出来るだけ確ドロをキープしておく。
【30F】
ラーは不要。ヴァルカンの牙は必ずゲットする。 まりもで上部にとんでオベリスクを先に潰しておいたり溶岩に矢を撃って敵を倒すと楽。
【30ー39F】
この階層ではカーミラを氷帝カーミラに育てて牙をゲットし、ヴァルカンを複製して上で紹介したセット2「ヴァルカン×2、氷帝カーミラ」にします。
ヴァルカンのスキルが溜まった状態でカエル、ゴーレム、アリスに出くわしたら牙にしていきます。 武器と防具が+15程度の物をゲット出来ていたら、アリス→ヴァルカン複製→ヴァルカンを捧げていきましょう。まだ+10くらいならアリスは箱に貯めていきます。場合によっては回復や識別に入れていく事になります。
【40F】
イザナミには2のセットでヴァルカン×2+コケムッシュにしましょう。イザナミは最強クラスの牙だけど、なくても十分戦えるのでスルーでOK。
三月岩でスキルチャージ&封印、満月岩で回復&封印解除が出来るので、イザナミを倒してからはヴァルカンにチャージしながら足りてないと思う雑魚の牙をゲットしてください。 コロナ・シャイタン、チャクラムダンサー、伝承の騎士の証の取り忘れ、覚醒の魔導戦姫や爆轟ガエルでステータスUP。
【41-49F】
不思議のアリスとセレブサキュバスを狩ってステータスUPの仕上げ。 すでに武器と盾を+30以上、体力は400程度にしたら気にせず即降り。
46F以降は「2」か「3」のセットで。通路が長いためヴァルカンを減らし小回りの利く牙(チャージ数が少ない)にした方が通路でエンカウントする敵に融通が利きます。ただし、部屋で囲まれると危険なので最低ヴァルカンは1つ残し、斧に持ち変えるなどしてブレイブ2で会心が出るようにしておくことが重要。あれだけ言ったのにイザナミやケルベロスを持っているならこの際いずれかをセットに組み込んでもOKです。
ニーズヘッグ、太陽の巫女、覚醒ブリュンヒルデがやっかいなのでアイテムを消費してでも早期決着。
【50F】
幸いボスとの距離が近いので、早々に決着をつけましょう。
ここでは2のセット(コケムッシュ)。 3発目で寝るのであとはボタン連打で終わります。 あるいは一文字、リビングメイル、ヴァルカン、コケムッシュ。
リヴィングメイルのスキルで剛力&強靭になりコケムッシュのスキルで眠らせれば一瞬で片付きます。周囲のキャラは無視でOK。
以上。だいたい3時間以内に終わるくらいの内容��す。
頑張りましょう。
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台北(CNN) 1988年1月、台湾で核の開発に取り組んでいた最も高位の技術者のひとりが米国に亡命した。この人物は、台湾の歴史を変えることになる極秘計画についての重要な情報を米国に引き渡していた。 張憲義大佐は、60年代から80年代にかけて厳重に秘匿された台湾の核兵器開発で主導的立場にあった。台湾政府は中国に追随するべく、初めての核爆弾の開発を急いでいた。 張氏は、米中央情報局(CIA)のインフォーマント(情報提供者)でもあった。 張氏は、台湾の秘密の核計画を最も近しい友好国である米国に暴露した。引き渡された機密情報は最終的に、米国が台湾に対して開発計画を停止するよう圧力をかけることにつながった。核拡散の専門家によれば、台湾の核計画はほぼ完了していた。 張氏が祖国を裏切り、中国の侵略を阻止する台湾政府の能力を損なったとの指摘もあるが、現在81歳の張氏はCNNの取材に対し、自身の判断は正しかったと今でも信じていると語った。張氏がインタビューを受けるのはまれ。 張氏は家族とともに定住した米アイダホ州の自宅で「裏切りなどまったくない」と語った。 「CIAに情報提供することを決めた。台湾の人々のためになると考えたからだ。たしかに、中国と台湾の間には政治的な闘争があった。しかし、いかなる種類の致命的な武器を開発することも私にとってはナンセンスだった」 張氏の物語は、イスラエルによる秘密裏の核開発を世界に公表したことで知られるモルデハイ・バヌヌ氏と似ている。しかし、バヌヌ氏がイスラエルの核開発を暴露した一方、張氏の内部告発はひそかに行われ、喧伝(けんでん)されることもなかった。 台湾の核の野望 中国政府は64年、初めて核実験を成功させる。国共内戦が共産党の勝利で終わり、蒋介石の国民党が台湾を統治してからわずか15年後のことだった。核実験の成功を受けて、台湾政府は、いつか台湾に対して核兵器が使用されるのではないかと大いに動揺した。 その後、蒋介石は向こう7年にわたる核開発の技術的基礎を築くための秘密のプロジェクトを立ち上げた。国防部(国防省)傘下の「中山科学研究院」がプロジェクトを運営しており、張氏は陸軍大尉として同研究院で働き始めた。 張氏は高度な核訓練の対象者に選出されたが、これには米国での任務も含まれていた。台湾で物理学と核科学を学んだ後、米テネシー州のオークリッジ国立研究所に通った。 台湾の公式の声明では核の研究は平和利用に限るとしていたが、張氏によれば、米国に派遣された学生は全員、本当の使命を認識していたという。つまり、核兵器のための技術を学習するということだ。 「我々はある種、興奮していて、仕事をやり遂げようとしていた。我々がしたのは、割り当てられた仕事に集中することだけだった。我々はそのために全力を尽くし、可能な限り多くを学ぼうとした」 張氏によれば、オークリッジ国立研究所に在籍していた時点で、CIAは張氏に関心を寄せていたという。 張氏は「69年か70年に電話を受けたのを覚えている」と振り返った。電話をかけてきた男性は、会社勤めをしていて、原子力事業に興味を持っていると話し、昼食に誘ってきたという。 張氏によれば、当時は任務に集中していたため興味がないと答えた。この人物がCIAの職員だったこともわからず、CIAだと知ったのは何年もたってからだったという。 核開発の技術的基礎を築くための秘密計画を立ち上げた蒋介石/Archive Photos/Getty Images 核開発の技術的基礎を築くための秘密計画を立ち上げた蒋介石/Archive Photos/Getty Images 米国の疑惑 張氏は77年、台湾に戻った。1年前にはテネシー大学で原子力工学の博士号を修めていた。張氏は中佐に昇進し、原子能能科技研究院(INER)で核爆発をシミュレーションするためのコンピューターコードの開発を主導した。INERは民間の名目で秘密裏に核兵器の開発を進めていた。 台湾の指導者は微妙な綱渡りに直面していた。米国は世界のどこであれ、新たな核兵器の開発計画には強く反対しており、台湾政府は最も重要な同盟国を遠ざけるわけにはいかなかった。米国は長年にわたり、中国の核弾頭配備に対抗する広範な戦略の一環として、核抑止力に依存してきた。しかし、米国は核不拡散の政策の下で、新たな核兵器開発について、いかなる国であっても反対している。 当時の台湾は現在のような裕福で活気に満ちた民主主義国家ではなかった。台湾は国民党の一党独裁の下で経済が発展していた時代だった。 台湾は、核開発の野望が露見する危険性を最小限に抑えるため、核兵器をいつでも迅速に製造できる能力をひそかに確立することだけを目指し、備蓄については手を出さなかった。 核の専門家で、台湾の核開発計画についての著書もあるデービッド・オルブライト氏は「台湾の作り話は信じられないほど素晴らしかった」と語った。「台湾は常に、研究は民生用に限ると強調していた。(米国の)当局者にはこの作り話をあばく方法がなかった」 しかし、張氏には台湾と中国との核の大災害の危険性が重くのしかかってきていた。 中国の鄧小平は78年に権力を掌握すると、台湾が核兵器を獲得した場合、中国は武力で対抗するだろうと警告した。 張氏は、中国側がかなり真剣だと考えていたと振り返った。 「��国本土とはいかなる形であれ衝突したくなかった。あらゆる種類の致死性の化学兵器や核兵器を使用すること、それは私にとってはナンセンスだ。我々は全員中国人だと信じているが、それは意味がない」 そのとき、CIAの工作員が再び張氏に近づいてきた。80年に米国を訪問したときのことで、張氏は話をすることに合意した。 張氏によれば、CIAから自身に興味を持っていると伝えられた。CIAはさらに、張氏が二重スパイではないことを確認するため、うそ発見器による検査を徹底的に実施したという。張氏はいくつかの任務でCIAを支援した後、84年にインフォーマントとなった。 その後の4年間、CIAの担当の「マーク」とだけ身分を明かした人物と数カ月ごとに台北周辺の隠れ家で面会した。 こうした会合ではCIAは張氏に対し、機密情報の裏付けや���NERでの最近のプロジェクトに関する情報の共有、機密文書の撮影などを求めた。 86年にチェルノブイリ原発事故が発生して、数十万人が有害な放射線にさらされたことで、台湾の核兵器開発は停止すべきだとの張氏の信念は強まった。 人生の新章 張氏の人生と、さらに妻と3人の子どもの人生は88年1月に大きな転機を迎えることになる。CIAが一家を米国に逃がしたのだ。 当時のレーガン政権はその時までに十分な証拠を集めて、蒋介石の息子である蔣経国が死去した機をとらえ、改革派の後継者である李登輝に協力するよう圧力をかけた。 専門家のオルブライト氏は、台湾の核計画の停止をめぐり、米政府が「武装」するうえで最も重要な情報提供者だったのが張氏だったと指摘した。 オルブライト氏は「米国は台湾と核兵器開発プログラムをめぐり何年にもわたって、いたちごっこを続けていた」と指摘。張氏の存在は、台湾が否定することのできない重要な証拠を米国が握っていることの裏付けとなり、米国は台湾と直接対峙(たいじ)することになった。 張氏の出国から数カ月後、米国は、プルトニウムの分離プラントを解体するための専門家を派遣した。このプラントは核兵器製造のための核物質を抽出するために設計された施設だった。専門家のチームは、重水や照射済燃料の除去も監督した。 張氏は台湾で指名手配を受けた。逮捕状は2000年に失効したが、張氏は台湾に一度も戻っていない。張氏はCNNに対し、自身がどのように受け止められるのか確信が持てていないと語った。 英雄か裏切り者か 張氏がCIAに協力するという決断は現在に至るまで、台湾で物議を醸している。台湾はその後、産業と経済の面で大きな発展を遂げ、1990年代には完全な民主主義国家となった。 しかし、台湾海峡をはさんで敵対的な関係は続いている。台湾は中国からの軍事的圧力にますますさらされるようになった。中国は今では世界最大規模の軍事力を擁し、台湾に対する領土的主張も強めている。 核開発計画は停止したが、台湾はさまざまな兵器を米国から購入しており、米国は弾薬や訓練、防衛システムの供給元として重要な軍事パートナーだ。 台湾には兵器のほかに、核爆弾よりも効果的な抑止力を持つと一部の人たちが考えるものもある。核開発プログラムが終了した1年後の87年、張忠謀(モリス・チャン)氏によって、半導体メーカーの「台湾積体電路製造(TSMC)」が設立された。TSMCは今では世界のIT企業に向けて、先進的な半導体の推計90%を製造している。 台湾が世界の半導体のサプライチェーン(供給網)で不可欠な役割を果たしていることから、一部の専門家は、こうした「シリコンシールド(シリコンの盾)」によって中国の侵略を阻止することも可能だとの見方を示す。 台湾の核開発について広範な調査を行ったオルブライト氏は、核開発の成功が台湾の利益にはつながらなかった可能性があるとの見方を示す。 オルブライト氏によれば、中国が攻撃を行うという軍事リスクが高まったという。また、オルブライト氏は、米国は、台湾の能力がわかれば、安全保障への関与を減らすか、軍事支援を制限することで対応する可能性もあっただろうと指摘した。 キリスト教徒となり、原子力関連のコンサルタント企業でのパートタイムの仕事以外ではゴルフを楽しむ張氏にとって、40年前に下した決断は正しいものだった。 「それは、台湾の人々にとって良いことかもしれない。少なくとも(我々は)台湾に対する侵略戦争を始めるような形で中国本土を挑発しなかった」「明確に自分の良心とともに行った。そこに裏切りはない、少なくとも自分自身に対しては」
裏切り者か英雄か、CIAの情報提供者が台湾の核兵器開発を止めた内幕とは(1/2) - CNN.co.jp
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初夢で公開処刑されかかる
夢で見た話の覚え書きなので、スルー推奨。 まったく身に覚えのない罪で、訳のわからないまま逮捕され、留置所に収監される。牢屋は鉄柵のドアと壁で、顔を押しつければ廊下を見渡せるが、他の部屋には誰もいない。ベッドにぼんやり座っていると、尻の下が温まる間もなく、4、5人の警察関係者(だと、夢の中の私は思っている)に連れ出され、小さな裁判所風の部屋に通される。傍聴人がたくさんいる。裁判が始まり、警察関係者と判事らしき人物が何ごとか会話しているが、よく聞き取れない。というか、会話の意味をくみ取れない。
やがて裁判は、判決らしきものもなく事務的に終了し、私は再び数人の警察関係者に連れ出される。手錠や足枷などは掛けられていないが、グレーの妙に使い古されたジャージ上下を着せられている。あちこちに小さな毛玉がついている。今度はどこに行くのかと聞けば、お前は死刑だから、これから絞首刑になるという。建物を出ると、これといった特徴のない同じようなデザインの建物が多数並んでおり、建物は芝生に囲まれ、芝生の中央を真っ直ぐなコンクリの道路が通っている。警察官鶏舎に囲まれてその道路を歩いて行くと、やがて大きなスタジアムが見えてくる。
競技フィールドに直結した大きな入口をくぐる。マラソン大会の中継で見たことがある光景だと思っていると、案の定、スタジアムの中は陸上競技用のフィールドになっており、その中央に、現代建築風ミニマルデザインの処刑台が設置されている。とにかく高い。見上げると、逆L字型の金属製の柱から真っ黒な首つりロープが下がっており、ああ、やはり絞首刑になるのかと気持ちが重くなる。競技フィールドには警察関係者と思われる人々が、かなりの人数散らばって立っており、観客席にもかなりたくさんの民間人が座って、静かに私の方を見ている。再び処刑台を見上げると、やはり高い。そしてロープは黒々としている。絞首刑って首の骨が折れるんだっけ、窒息するんだっけ、どちらにしても長い時間苦しむことになったらイヤだなと思う。これで自分の人生のすべてが終わり、すべてを失うことになるのかと思うと、急に焦りが生じ、隣に立っていた警察関係者に「これって、控訴できないんですか?」と聞くと、ちょっと間を置いて「可能です」と答えた。
無表情ながら明らかに虚を突かれたようで、スタジアムに低いどよめきが広がり、フィールドにいた警察関係者が皆、もう競技は終わったと言わんばかりに帰り始めた。観客席の民間人も、なぜか次々にフィールドに降りて、大きな出入口��ら帰り始める。私もその流れに合わせてぼんやりとスタジアムの外に出た。誰も私に気を止めるものはいないし、警察関係者もいつの間にかいなくなっていた。
気がつけば、私は拘置所のあった建物群の中にいて、コンクリ製の道をひとりで歩いている。建物のまわりの芝生は黄色い銀杏の落ち葉で覆われていた。夕刻で、少々肌寒い。釈放されたわけではあるまいと考え、脱獄やら逃亡やらで罪が加算されてはたまらんと思い、留置所の建物を探すが、皆同じような建物が並んでいるばかりで、どれが留置所かわからない。
誰かに聞こうと近くの建物に入るが、建物の中は間接照明で薄暗く、かすかに人の気配はするが、人の姿は全くない。廊下を歩いて行くと、両側には引き戸の小さな部屋がたくさん並んでいる。ネームプレートも部屋番号も何もない。意を決していくつかの引き戸を開けてみると、どれも三畳にも満たない小さな部屋で、シングルベッドと小さな机と椅子だけがある。
疲れてしまったので、それらの部屋のひとつで休むことにする。机の引き出しを開けると、各国語版のカラフルな聖書がたくさん押し込まれていた。旅行情報雑誌のような配色がイヤな感じで、聖書を手に取ることなく引き出しを閉める。寝る前にコンビニで弁当でも買って食べようと思うが、財布もスマホも持っていないことに気づく。あきらめてシングルベッドの毛布をめくり、潜り込む。毛布は1枚だけ。わびしい気持ちになる。
電気を消そうと思うが、スイッチが見当たらない。明かりを避け、毛布に潜り込んで寝ようとすると、スタジアムの高い処刑台と黒々とした首つりロープが思い出されて落ち着かなくなる。これまで、被害者遺族の気持ちを思えば凶悪犯罪の死刑執行はやむなしと思っていたが、自分がえん罪で公開処刑される立場になってみれば、やはり死刑制度には反対すべきかもしれない、今まで何人ぐらいの人々が無実の罪で絞首刑にされたのだろうか、などとつらつら考えながら、毛布の中で寝返りを打っているうちに目が覚めた。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和五年(2023)12月15日(金曜日)
通巻第8050号
中国共産党中央規律検査委員会が大々的に金融界の汚職にメスを入れた
70名近い金融業界の幹部,取り締まり側の証券監督管理委員会の主席も逮捕した。
*************************
2023年12月13日、中国で注目の判決が出た。
中国銀行開平支店長だった徐国軍に対して汚職と横領の罪で終身刑を言い渡し、全財産没収、政治的権利を生涯剥奪された。
中国銀行開平支店は広東省、広州からバスで弐時間ほどのところ。支店長だった徐は犯罪行為が発覚する直前の2001年に米国に逃亡した。一年後に国際手配され、二十年後、インターポールは身柄を拘束し、2021年11月に中国へ送還していた。
元支店長は1993年から2001年までに部下の徐朝帆、余振東氏らとグルになって公的資金を横領した。虚偽の融資を行ったり、会社から返済資金を猫ばばしたり、資金を直接、外国へ送金したりで、合計23億元(邦貨換算460億円)を「失敬した」。
共犯の二人はすでに汚職と横領の罪で懲役12年、懲役13年の判決を受けていた。
「開平支店」と聞いてピントくるものがある。クーリー貿易の本場が、この広東省の街で、米国へ重労働で赴き、少数の成功者がアメリカで成功して故郷に錦を飾った。筆者は二十年近く前に開平へ撮影に行ったことがある。瀟洒な洋館が建ち並び観光名所になっていた。
つまり海外華僑の出身地の中枢であり、海外からの送金が多い。そのうえ中国銀行というのは外為、外国取引が専門の銀行であり、香港では香港ドルの発券銀行でもある。
もう一つの注目裁判は新幹線汚職に絡んだ。
中国新幹線の中核企業「中鉄集団」の元総経理(中国の総経理は社長)、盛光祖は汚職で懲役15年と罰金600万元(8邦貨換算1200万円)の判決を言い渡された(環球時報、12月12日)。
中国共産党中央規律検査委員会が大々的に金融界の汚職にメスを入れた。監査強化は2011年頃から何回かなされ、習近平政権発足後の2015年にも大々的な査察がなされて、2019年には恒大集団系の銀行からアリババの金融部門であるアントの前身組織にも及んだ。
一説に、引退した王岐山が金融界と濃厚な関係にあったため、これまで捜査のメスが入らなかったという。
2023年だけでも、すでに70名近い金融業界の幹部が逮捕されており、中央銀行の範一飛・元副総裁や、肝腎の取り締まり側の証券監督管理委員会の朱従久元主席補佐、中国銀行の劉連船元会長らも逮捕した。劉は党籍剥奪処分になった。
▼取り締まる側の責任者も逮捕された
2023年二月、銀行・保険監督当局、銀行保険監督管理委員会(銀保監会)は銀行5行に合計3億8770万元(5630万ドル)の罰金および不正利得の没収を科した。
処分を受けたのは、英スタンダードチャータード(スタンチャート)の中国法人、大手国有銀行の中国建設銀行と中国銀行、中国民生銀行、中国渤海銀行。
とくにスタンチャートの中国法人は、違法な不動産融資、個人向け融資の悪用など複数の違反行為で、総額4970万元の罰金と不正利得の没収に処せられた。
中国建設銀行は、地方政府の金融会社への違法融資、中小企業向け融資と富裕層向け事業に関し不正確な統計報告などで1億9890万元相当を処せられた。
このあおりを受けて地方のいくつかの銀行で取り付け騒ぎに発展し、騒動の鎮圧後、倒産した銀行は再編された。
2023年7月、野村ホールディングス香港の中国向け投資銀行部門の責任者・王仲何が中国本土からの出国停止を受けた。
これは大富豪・包凡(華興資本=チャイナ・ルネッサンスの創業者)ならびに同社元社長の叢林が、数ヶ月以上も消息不明になったことに関連するらしい。
もともと金融界には腐敗が深刻な状態に陥って庶民から怨嗟の声があがっていた。とくにマンションを購入しローン契約をして支払い���続いている人たちが、物件引き渡しがないばかりか、ローンの解約が出来ないのは金融行政が腐敗の伏魔殿だからだと批判が沸騰した。また大學をでても職のない若者失業者が非難の合掌を始めた。習近平の唱えた「共同富裕」って何だ、というわけだ。
金融界、とくに銀行の汚職は権限を利用した賄賂だが、不正融資を知りながら融資から3~5%のリベートを取ることなどが慣例になっていた。
▼不正融資の見返りがリベートと贅沢は接待漬けだった
不法な融資を受けるための接待、饗応と高給腕時計などの贈り物で銀行幹部を招待漬けとする。融資実行後は巨額リベート。したがって腐敗につかりきった銀行幹部等は贅沢な旅行、高給自家用車、側室の経費やら豪遊に使って、大都市のキャバレーやナイトクラブなど連日満員だった。
当局は世の中の批判、それもネットでも批判囂々に、慌てて金融機関の職員給与、ボーナスカットを行い、また職場で高価な服や腕時計着用を禁じ、旅行や娯楽の支出を控えるよう職員に指導した。
なれきった贅沢を引き締め、「倹約ムード」のイメージ作りを展開し格差拡大に神経をとがらす政府の意向を反映した動きだ。
若年層の失業率が過去最悪を記録した一方で、金融機関の専門職は給与水準が高く、裕福で派手な生活スタイルがしばしば批判されてきたが、欧米の「金融エリート」観を排除し、「高級志向」を過度に追求するような快楽主義を是正すると宣言した。銀行汚職摘発は氷山の一角でしかないが、ジェスチャーとして効果がある。
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猿の演劇論特別編@無為フェス/BUoY#1
#1「サイードの悲しみ-『文化と帝国主義』から『オスロからイラクへ』、もしくは現代演劇の逆説。」
鴻さんが目撃した20世紀のポストコロニアル演劇、そこに見出された希望とその希望の終焉がどのようにもたらされたのかを、エドワード・サイードの言説とともに読み解いていきます。
下記は、講義の概要をまとめたものです。
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「二〇世紀の終りを前にして」という講義を行なったタデウシュ・カントル、20世紀の初めに誕生した映画に着目し20世紀芸術として考えようとしたセルゲイ・エイゼンシュタインやアンドレイ・タルコフスキー。作品を通して、20世紀の映画や演劇について考えるということが行われたてきた。しかし、21世紀から20年以上を経た今、21世紀という時代について、その芸術論について議論されてきていないのではないか、と鴻さんは問いかけます。
■ 20世紀、戦争と革命の時代の演劇
20世紀、第一次世界大戦、第二次世界大戦を経験したカントルは『死の教室』において、打ち捨てられた古い学校の教室で老人老婆たちが自分たちの経験について語りながら死の世界、戦争の時代の記憶が蘇ってくるというような作品を作りました。
一方で、20世紀は革命の時代でした。ロシア革命の演劇の代表的な演出家フセヴォロド・メイエルホリド、『冬宮奪取』を作ったニコライ・エヴレイノフ、1960年代にソ連で反体制派芸術家と言われる人たちが集ったタガンカ劇場を創設した演出家ユーリー・リュビーモフ。彼の代表作『世界を揺るがした10日間』は、アメリカのジャーナリストのジョン・リードが1917年10月25日から始まったペテログラードで起きた革命の現実を描いたドキュメンタリーをもとに作られた革命の演劇です。それはタガンカ劇場で繰り返し再演され、鴻さんは1979年に観劇しました。観客が、兵士や革命の戦士に扮した役者に誘導されて劇場に集まり、その群衆がデモ行進をしながら劇場へ移動し、そのまま革命の現場の中に投げ込まれるような構成になっている。ソビエト政権に弾圧されながら、抵抗の姿勢の中で生み出されたこの作品。それを体験して、鴻さんは戦争と革命の時代の演劇がいかに演劇的、芸術的に優れているのかを感じました。また、その系譜にはチェーホフの代表作『かもめ』も加えることができると言います。
そして、鴻さんが演劇を見始めた1974-5年、現代劇を代表する作家であったサミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』は、日本では68年の学生運動の敗北と挫折の後の70年代の虚しさとつなげて語られることが多かった。しかし、ベケットはレジスタンスの闘志であった。フランスがドイツに占領された時に情報員として活動し、ナチスに見つかり逮捕される直前にパリを脱出した。その逃避行が『ゴドーを待ちながら』にも出てくる。日が暮れて夕日が空に赤染まっているという場面、それはナチスドイツに爆撃されたパリが燃えているのを見たことに重なっている。戦争と革命の時代をレジスタンスとして体験した人間が描いた作品が、現代演劇の最も重要な作品となった。
前回の猿の演劇論で「ジャガイモを掘るベケット、石を投げるサイード」を主要なテーマとしてこのような話をした時に、鴻さんは気分としては20世紀にいた、20世紀の人間として20世紀の芸術の魅力について語っていた、と言います。そして、ここ5年くらいで、20世紀を戦争と革命の時代と言うとき、21世紀は革命なき戦争の時代と後世の人たちが呼ぶようになるだろうと考えるようになりました。
■「帝国主義の愉楽」とは
鴻さんが20世紀の気分でいた時に、すでに21世紀について考え意識していた人たちがいました。例えば、ガーヤットリー・チャクラヴォルティ・スピヴァクは2007年にポストコロニアル批評は終焉したと語りました。1990年頃、ポストコロニアル批評こそが重要だと言い、93年にはいろんな形で議論されていました。それから、15年以上経て、ポストコロニアル批評が失効した、もはや力がない、どうすれば良いのか私にはわからないと。このことから、鴻さんは今回の講義のテーマに「サイードの悲しみ」と付けました。
2003年にエドワード・サイードが亡くなった時には気づかなかったけれど、ここ5年『オスロからイラクへ』を読み返した時に、鴻さんはサイードの悲しみを思うようになりました。この本は、93年以降の一連の出来事を2000年から2003年にかけて書きつづった、本人亡き後に他の人によってまとめられ、2004年に出版されました。
サイードの代表作の1つは1993年に出版された『文化と帝国主義』です。この講義では、その中に出てくる「帝国主義の愉楽」(邦訳では「帝国主義の楽しみ」)という言葉を使いながら、20世紀の戦争と革命の時代、21世紀の革命なき戦争の時代とをつなげ、現代演劇の力と問題性について語りたいと言います。
スピヴァクがポストコロニアル批評を出版した1990年に、サイードはこの本を執筆していました。鴻さんはこの本を1993年にニューヨークの書店で手に取りました。その本を買わなければと思ったのは、そう言う人たちが鴻さんの周りにいたということです。
では、サイードの言う「帝国主義の愉楽」とは何か。それは、大英帝国がインドを植民地にした時、統治し収奪するための管理統治形態として、静かに大人しく従わせる方法を考える知的探究の喜びを表します。管理統治のために、その土地のことを知り、例えば、インドであればカースト制度があるので、そのカーストの上の人間たちに言うことを聞かせれば、全体を統治できる。その上の人たちに貢がせるために、その下の人々を2倍働かせ、そのうちの半分を貰えばいい。国内的には大変になるけれど、外部の人間にとって問題はない。その収奪はどこまで可能なのか微細な部分まで分析し、判断することは、一種の科学技術者の知的探究と似たような喜びがある。そうした喜びを味わいつつ、帝国主義者たちは収奪という犯罪的な行動を可能にしていた。その側面がラドヤード・キプリングの『少年キム』という作品において描かれている。インドで生まれた、インドで統治に関与しているイギリス人がどのような教育システムのもとで、インドについての知識を得るのか、ラホールの民族博物館がそうしたシステムのもとでどのような意味を持つのかまでが極めて細部まで描かれている。サイードは、そういうものが「帝国主義の愉楽」だとしている。帝国主義者は、暴力的に人を支配し楽しむというレベルにあるのではない、そこにはある意味、知的な快楽もあるのだ、それが様々な形でいろんなところで駆使されている、ということが、「帝国主義の愉楽」の章には書かれています。
■ 帝国主義と20世紀の前衛
ここで、鴻さんは、少し脱線しますが、と、寺山修司のミシェル・フーコーへのインタビューについて触れました。寺山がフーコーに会った当時は、ちょうどフーコーが1975年に『監獄の誕生』を出版してから、1977年日本でその翻訳が出版される前年の1976年でした。寺山は1975年2月に翻訳が出版された『狂気の歴史』を読んでフーコーにとても関心を持っていた。そこで、『阿呆船』という作品を作る。日本の60年代の演劇の追い求めた逸脱したはぐれものの世界、河原乞食的な世界像、というのは、開放とつながっている。それは戦争と革命の時代の演劇であった。しかし、寺山とフーコーは、恐らく寺山が『監獄の誕生』を読んでいないことで、全く話が噛み合わない。そのインタビューの最後に、演劇がどこに行けば良いのかという時、日本赤軍やパレスチナのテロリストに共感を持っていた寺山は、そういうテロ行為みたいなものがもつ逸脱性、そこから寺山は市街劇で違法行為をすることが演劇的だと思っていると言う。しかし、フーコーはそこには同意しない。テロリストが恐怖を人に与えること自体が、テロリストの敵に理することであると言う。では、どうすれば良いのか。少なくともテロリストの恐怖によって革命への願望を喚起することはできない、また、欧米各国では革命はもはや大衆によって強く要求されていない。こうフーコーは1976年に語っているのです。そして、今日の知識人の役割は革命というイメージに19世紀に存在したと同格の願望率を回復させることが必要である、そのためには人間関係の新しい形態を発明することが必要だと語っています。残念ながらここで時間が来て2人のインタビューは終わってしまう。けれども、ここでいう「人間関係の新しい形態を発明すること」は、古代ギリシャ演劇が人間のあり方の新しい形態を考えるため、そのビジョンを構想する場所として、テアトローンという場所に人々が集ったという演劇の原型の本質、まさにそれが必要とされている、ということ。その先の話し合いがないけれども、フーコーは、『監獄の誕生』『監視と処罰』という本を書いた直後に寺山に会い、政治的な形態みたいなものに人間が拘束されていくこの近代社会に対していかに抵抗するかということを我々は考えなくてはいけない、ということを言っている。
そして、帝国主義者によって、パレスチナにイスラエルという国が強引に作られ、パレスチナから追放されたパレスチナ人であるサイードは、「帝国主義の愉楽」という言葉を使いながら、帝国主義者たちは軍事力だけでなく、我々の弱点を見透かすような形で支配している、そこには強力な人間としての喜びがある、そのことを知ることによって戦いが可能になると言っている。
サイードの代表作である『オリエンタリズム』では、現存する最古の演劇として『ペルシャ人』について触れられている。そこでは、サラミスの海戦でペルシャが壊滅し、夫を失った嘆き悲しむペルシャの女たちを描いている。その舞台を見るのはギリシャ人です。『トロイアの女たち』も同様です。オリエントの表象は、ヨーロッパに敗北し、屈服した人たちのイメージとして立ち現れ、それを持続させてきた。それが文芸の世界だけでなく、現実世界の実践の中で展開され続けてきた、それがオリエンタリズムという表象の歴史であると書かれています。しかし、それだけでは戦えなかった。帝国主義には、それを実現させるための愉楽があったのだと、この構造をサイードは『文化と帝国主義』で見出した。1993年はポストコロニアル批評の絶頂の頃です。
鴻さんは、1992-93年はニューヨークで演劇の勉強をしていました。ここで、鴻さんが思いつく、当時のニューヨークで観て面白いと思った演劇のリスト(当日資料)から、当時のニューヨークがどのような場所であったのかが見えてきます。
アシュルバニパル・バビッラ(アッシリア人、イラン)がニューヨークの前衛演劇の拠点であるThe Kitchenで上演した『悪魔の弁証法』。レザ・アブドー(イラン)は、エイズで死んでいく人たちの物語『The Law of Remains』を、マンハッタンのホテルの広場で上演しました。ピーター・シューマン(ドイツ)『ブレッド&パペット・シアター・サーカス』では夏に人々が農場に集り巨大サーカスをやりました。同じく前衛の拠点P.S.122で上演したリー・ブルーアー(ルーマニア)。リチャード・フォアマンの『Mind Kings』。セント・マークス・チャーチという教会の一角の劇場で上演しました。日本では巻上公一氏が『Mind Kings』を演出しました。エリザベス・ルコント『パフォーミング・ガラージュ』。ウースターグループの『三人姉妹』ここでヴェルシーニン役をやったロンヴォーターがエイズで数年後に亡くなります。ロンヴォーターが、本人もゲイでありながらゲイを弾圧した弁護士のロイ・コーンと、エイズで亡くなった芸術家のジャック・スミスを演じた『ロイ・コーン/ジャック・スミス』。しばしば来日しているピン・チョン(中国)の『Undesirable Elements』。鴻さんが通っていたリチャード・シェクナーのゼミでは、Living Theaterの『Paradise Now』や60年代の解放した性の神話とつながるような、シェクナーの作品『Dionysus in 69』の映像を見ました。
鴻さんは、このような前衛の人たちが渦巻くようにいたニューヨークで、文化的多様性、外部性の混在を経験しながら、ポストコロニアル批評の話を聞いていました。その時にサイードが『文化と帝国主義』という本を書いて、我々の戦略的な核のなかに、「帝国主義の愉楽」の存在に対する批評的認識が欠けていたことが問題であったのではないか、という本を書いていた。ここには20世紀の二重の問題性というものが隠されていると言います。
鴻さんは、サイードが「帝国主義の愉楽」と書く時に、フーコーの1966年の著書『言葉と物』の最終章が思い浮かんでいたのではないか、と考えます。そこでは、近代ヨーロッパは20世紀に2つのものを作り上げたと言っています。1つはヨーロッパの外の世界について調べることによってヨーロッパの内部の世界の歴史と地理、構造を明らかにする学問、文化人類学です。もう1つは、意識、理性、精神、そういうものの外部について探究し、本質を明らかにしていく精神分析学です。ヨーロッパの外の世界を具体的に調べる、帝国主義が必要としていたことがこれらの発見を可能にしました。『オリエンタリズム』の中に、ナポレオンがエジプトを統治する時に沢山の学者を連れて行き、エジプトを研究させたとあります。それはエジプトロジーという膨大な本にまとめられました。カエサルは『ガリア戦記』でドイツの南部の社会事情についての詳しい調査・研究を記しています。
そして、フランスの演劇人、アルトーは、インドネシアには行っていないけれど、バリ島のガムランなど植民地から連れられてきたものを世界博覧会みたいなもので見て、そこで出会ったものたちを自分の演劇の中に取り込んで行った。それを可能にしたのは、帝国主義です。
鴻さんは、パリ郊外のカルトゥシュリーという弾薬庫跡の劇場で、アリアーヌ・ムヌーシュキンが率いる太陽劇団の『インディアード』を観ました。ガンディを主役としたインド独立運動の物語です。そこでは「パキンスタン」という言葉が叫ばれる。ガンディの願いはインド全体の独立でしたが、大英帝国側は今後のことを考えて分割して啀み合わせる必要があると思っている。そうした帝国主義者の策略にのってはいけないという意味で「パキスタン」と叫んでいる。その後ろではガムランなどの打楽器が盛り上げています。インド独立運動の魅力と嘆きを、西洋的な演劇ではなく、まさにインドの解放を願うにふさわしいような形で、非西洋的な音楽、打楽器の響きに乗って空間を作り上げ、空間自体が解放的なカルトゥシュリーという弾薬庫跡に出現しているのだと鴻さんは感動して観ました。
しかし、サイードは、それだけでいいのか、と問いかけているのです。それ自体が、少年キムがインドを統治する時の喜びに対応するような形で作られていることを知らないといけないと言っている。我々は、その喜びとともに、搾取と弾圧でない形で常に使うように心がけなければならないし、また、そうじゃない人たちがいることも知っていながら、それと戦わなければならないんだという、戦いの複雑な困難性みたいなものが『文化と帝国主義』の中には書かれている。しかし、困難であるからといって不可能ではない。その問題は言い続ける必要がある、ということで書いたのではないかと鴻さんは考えます。
■ 文化人類学の反転、その演劇的可能性
ここで、逆に支配されている植民地の人たちはどうなのか、インドでは、アフリカでは何が起こっていたのか。鴻さんはハンブルグで演劇祭の仕事をするために、2001年からヨーロッパの外のアジア、アフリカ、南アメリカを訪れるようになりました。最初に行ったのがコートジボワール共和国です。まだ北部が内戦状態で渡航危険度が高い状況の中、アビジャンという都市で、安全に隔離された区画に滞在しながら演劇祭を観ました。
そこで観た『パレオ』という作品は、民主派が勝利した、演劇祭の直前に行われたコートジボアールの大統領選挙を巡る議論を舞台で行うものでした。ギリシャ悲劇のクレオンとアンティゴネの論争みたいなものが繰り広げられる。様々な部族がいて、部族同士が仲違いする。そういう時に自分たちは何を代弁してこういうことをやろうとしているのかという激論が交わされます。その議論の佳境で後方にいたコロスが歌を歌い始めて立ち上がって舞台全体を包み込み始める。その議論が歌にかき消されているような、議論を盛り上げているような時もあるけれど、しばらくすると、そのコロスがさーっと後方に引き下がり、いわゆる対話的な論争が始まる。このコロスはコートジボアールの民族歌舞集団です。役者たちはパリ大学で演劇を勉強して帰ってきた人たちです。
それを観て、パリに行って太陽劇団を観て、真似をしている人たちと言うこともできるけれど、歌舞集団は本物です。太陽劇団の後ろで楽器を演奏している人たちはフランスで育ってインドネシアの楽器の技術を勉強してきた人たちです。
コートジボアールは1960年にフランスから独立しました。コートジボアールの伝統的な歌舞を身につけている人たちが、ヨーロッパの演劇を勉強して、大統領選での民主化を主張するような演劇を作っている。ここで、我々もまた、帝国主義者たちの知識あるいは技術を我々の新しい文化のために使っていくという意味で、反転する文化人類学というものを考える必要があります。
これは、2007年のスピヴァクの嘆きの前、2001年のことです。1990年代のポストコロニアル批評の議論が展開されていた頃に出現してきたのがコートジボアールの現代演劇です。
南アフリカのグラハムタウンフェスティバルでは、ヤエール・ハーバーの『モルーラ(灰)』を観ました。この作品は、アイスキュロスのギリシア悲劇『オレステイア3部作』を素材にしています。モラールとは人を死んだ後に残る灰のことであり、この物語では、オレステスの遺灰をもつ男がエレクトラに見せにくる。そこでは、小柄な黒人女性演じるエレクトラが巨大な白人の女性が演じるクリテムネストラに虐待されている。この遺灰を持った男が実はオレステス本人で、自分の死を偽ってそこへ入り込んでエレクトラを助ける。そして、復讐をするという話になっている。そこでも、その土地の民族舞踊の合唱団が全体を盛り上げている。こうした文化人類学が反転した姿、それが上演されるとき、演劇として物凄い力を持っていると鴻さんは感じました。
一方で、サイードが1993年に『文化と帝国主義』を出版した直後にオスロ合意がなされます。それは、サイードとしては敗北の確定であった。今から考えれば、2カ国独立の道を探るオスロ合意が実現されていれば、パレスチナの土地はここまで奪われはしなかった。しかし、サイードにとってみれば、元々パレスチナ人のものであった土地に、ユダヤ人が後から入ってきた。1つの土地で皆が共存する形を理想に考えたとき、オスロ合意は妥協策でしかなかった。そして、オスロ合意の2年後にその提案の中心にいたラビは暗殺され、合意自体が無視されていき、アラファトも堕落していく、そうしたことを『オスロからイラクへ』で書いています。そして書いている最中に癌で死んでしまう。この敗北していく悲しみがサイードの悲しみです。
■『ルワンダ94』の衝撃、その背後に
このように、完全優位なものに排除されてしまう、そうした敗北がある一方で、植民地から独立を勝ち取ったような形で、その後の植民地はどうなっているのか。その現実は良くなっていないと鴻さんは言います。
そうした植民地独立以降の1994年のルワンダの虐殺事件を描いたのが、ベルギーの演劇集団グルポフによる『ルワンダ94』です。100万人が殺されたと言われ、その後、85万人くらいに修正されたけれども、物凄い数の人間がサトウキビを収穫する時の手斧、マシェットで殺されました。その虐殺ののちに、被害者も加害者もそこで生きていかなければならない。そのために、ルワンダに昔から伝わっているガチャチャという裁判の形で互いに許し、新しいルワンダを作り上げようとなった。
その虐殺事件の生き残りの人たちと、グルポフが一緒になって1998年頃から芝居を作り始めました。実際にその場にいた人たちが舞台に立ち、そこで見たこと経験したことを話し始める。夜の9時に始まり、途中休憩を挟みながら、明け方の5時6時くらいまで上演される。
では、この虐殺がなぜ起きたのか。それはフツ族とツチ族の2つのグループの啀み合いによって起こったものではなかった。それを仕組んだのはベルギー政府であったということがわかってくる。帝国主義の支配の方法で、2つのグループのうちどちらかを優遇する。それを10年毎に転倒させる。そうすると、それまで虐待されていた側は、恨みを返す、その逆にもなる。その構造は植民地支配の中においては変わらない。94年の大虐殺が起こる前に、10万人規模での虐殺は起こっていた。そうしたことをベルギーの演劇人たちも知らなかった。帝国主義の愉楽というものに無知であったけれども、それを知り、衝撃を受けた。
さらに、『ルワンダ94』がアヴィニョンでワークショップの形式で上演された1999年、鴻さんはモントリオールで完成版を観た2002年、それが上演されていた時に、虐殺されたルワンダの人たちの中心になって民族戦線として戦ったポール・カガメという大統領が、隣のコンゴ民主共和国でコンゴ人の虐殺をしていた。国連で働いていた米川雅子さんによると、1998年から5-6年の間に600万人が殺されたということです。他の人で年間5000人が殺されたと書いている人もいて、数に開きがあり真偽は明らかではありませんが。その背景にはレアメタル問題がある。レアメタルを金融資本主義が自由に横流しするためにルワンダを経由しているのです。ルワンダの首都キガリは高層ビルに埋め尽くされて近代未来都市になっている。もしかしたら、それを作るために虐殺したのではないか、フツ族にツチ族を殺させたのは金融資本主義なのではないかとさえ考えると鴻さんは言います。
『ルワンダ94』においてガチャチャは美談です。私たちは和解もしなければならない。そして、虐殺記念日があり虐殺を忘れてはならない、という形で演劇は進んでいく。それ自体は色々と考えられながら作られているのだけれど、しかし、ベルギー人がそうした美談を作らせることによって、さらに巨大な悪が、今後のレアメタルを国際金融資本主義が支配しようとしている、世界はとんでもない方向に向かっていると思える。『ルワンダ94』という作品がルワンダの人たちだけでなく、ベルギーの人たちと一緒に作られ、希望を見せたような形になっている。それを観ながら、何か新しいことをやっていく必要があると感じられる、そのことでさえもが、帝国主義者の手のひらの上で転がされているだけという可能性がある。
こうした複雑な構造に比べて、サイードの悲しみはより直接的です。行き場をなくしたパレスチナ人が完全に忘れ去られてしまうということが現実に起こっている。しかし、25年前、1998年にまだ少し希望を持っていた人たちがいた。それが、つい最近亡くなったテルアビブに生まれ、パリを拠点に活動していたユダヤ人の美術家、ダニ・カラヴァンです。鴻さんは98年にテルアビブの国立美術館での展覧会、「パサージュ97」を観ました。エントランスホールには、逆さになったオリーブの木が天井から吊るされている。葉や枝が広がり光と相まって素晴らしい空間が広がっている。しかし、このオリーブの木はイスラエル兵がブルドーザーでパレスチナ人の家を破壊した時に庭から根こそぎにされたものなのです。また、その展覧会には、床に散らばる無数の石が転がる鏡の壁を持つ部屋がありました。誰でも石を拾って壁に投げて良い。その作品は、「インティファーダの部屋」とあり、その下に「武器を持たない者は石を投げるしかない」と書かれている。サイードもそういう人がいることを知っていたとは思うけれど、実際にはほとんど力がないと絶望して悲しみの中にいた。しかし、テルアビブでそのような芸術活動があり、街頭でもパレスチナ人の自由を求めるデモがあったりする。当時、鴻さんはそういう動きに期待を寄せていたと言います。
サイードの悲しみをもたらした現実がある、そのことは認めないわけにはいかないけれども、その中で、演劇に関わらず、芸術的な活動が問われている。猿の演劇論のような試みを続けていかなくてはいけない、と鴻さんは結びました。
文/椙山由香
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「あやかしつづら」の報告書
当作戦立案経緯
あなたたちには遊戯を求める怪異「あやかしつづら」を祓うための招集とともに、そのための遊戯の参加者・観客という役目の通達も下っている。 取り憑かれた一般女性・小野丸 美愛(オノマル ミア)によってつづらが商店街に持ち込まれてからは既に数日が過ぎ、当人の状況に関する基礎的な調査は既に終わっている。 商店街で勤める小野丸氏の友人・狗守氏へ聴取を行ったところ、月の中頃から言動に違和感があったとの情報が得られた他、つづらを物理的に引き離すなどの措置を行っても状態は改善せず、やはり「あやかしつづら」そのものへの処置が必要と結論づけられた。 彼女はしきりに「足音人狼」での再戦――それも夏祭りの時に似た観客つきのものを求めており、今回の参加者・観客という区分や人数はその要求に倣った形となる。
その調査の間に、かつて「つづら」を封印し、保管していた退魔師A氏の記した資料も手に入っている。 資料にあるつづらについての記述は以下のようなものだ。
「あやかしつづら」を封印した退魔師A氏の記した資料
『満月の夜、この世とは隔絶された「遊び場」へ人を誘う怪異。 誘い込まれた人間は「遊び相手」とされ、怪異の求める遊びが終わるまで解放されることはない。 ひとつの遊びに固執せず思うまま様々な遊びを求め、それに必要なだけの人数を見境なく求める。 そのため己を手にした人間へ取り憑き、その思考を操ることもある。 遊びに対しては執念深く、己の求めた遊戯が開始されるまで憑いた人間を解放することはない。 幸いにも現在まで遊びによって人に危害が及んだ例はなく、「遊び場」に囚われた人間は遊びが終われば解放され、その間の記憶もおぼろげにしか持っていない。 喫緊の危険となるような怪異ではないが、憑かれた人間の変容��伴う表の世の不審への懸念とともに、今後人命を弄ぶことを遊びと称する可能性を捨てきれず、捕獲とともに封印処置が行われた。
「遊び場」は外界と異なる時の流れを持ち、「遊び場」に二週間近く拘束されていても、外界においては半日ほどの経過しかない。 「遊び場」での一日を外界の一時間として、時空が歪んでいるものと考えられる。 捕えた者の体調が十全でなければ遊びを継続できないとの考えのためか、「遊び場」においては捕えた者たちを客人として扱い、衣食住のもてなしを欠かさない。
一方で、客人として相応しくない振る舞いをする者には制裁が下される。 使い魔による常時の監視、「遊び場」の一部屋への軟禁を始め、度を過ぎれば思考を奪われ「遊び場」を出るまで遊戯のための人形とされてしまう。 この怪異は己の「遊び場」の主であり、遊びの最中は核を秘し、自分以外のいかなる呪力も寄せつけない。 此度封印が成ったのも、遊びの終わりとともに異界が綻ぶ瞬間を狙ってのことだ。 もしもあの瞬間を逃せば「あやかしつづら」は逃亡し、再びどこかで被害者を生んだことだろう。
万一に備え、再びこの怪異に挑む退魔師へ、最も大切なことを記しておく。 勝者への報酬を受け取ってはいけない』
某退魔師組織からの追加情報
手記著者の没後につづらは別の退魔師B氏へと譲渡されたが、その後、つづらは盗難被害に遭ったことが明らかになっている。 捜査により捕縛された窃盗グループは、動機について呪術的犯罪への利用のためと供述した。 しかし確保当時に犯人はつづらを所持しておらず、彼らもまた「あやかしつづら」の遊びに巻き込まれて逃亡を許したと考えられる。 それ以降「あやかしつづら」が確保されたという知らせはなく、性質登録済・所在不明怪異として要注意リストに載るに留まっていた。 なお、退魔師B氏は窃盗グループとの交戦時に負傷。 現在も治療中のため、今回の任務には不参加となった。 本件について既にB氏へは報告済みであるが、B氏は同様の事件が再度発生した際への懸念からつづらの引き取りを希望せず、処遇については確保者に委ねたいとの意向を示している。
今後の調査について
現状を見れば、ひとまず「遊び」を求める怪異に一般人が取り憑かれていることは間違いない。 だがこの資料はやや古いもので、今の「あやかしつづら」がそこから変容していない保証はない。 現在の怪異の様子や、この記述にある情報そのものについて探っておくのは悪くないだろう。
作戦準備表
ロールorチョイス方式です。 ダイスを振る場合は[[1d12]]をご使用ください。 なお、こちらに記載されている情報はすべて正しいものとなります。 (実は嘘でした、のような不意打ちはありません。)
1: 柊鬼第一ビル4Fに保管された「あやかしつづら」を眺め回してみる。黒い紙の貼られた本体には家紋のようなものが刻まれ、中には何も入っていない。 ……蓋の裏に、満月と星が描いてあるのを見つけた。
2: 柊鬼第一ビル4Fに保管された「あやかしつづら」を呪術的に探ってみれば、確かに異界の存在が感じられる。 その中に人間の気配がないことが救いだ。
3: 退魔組織に「あやかしつづら」が関わっていると思しき事案について情報を求めた。 春先から、数時間~半日ほどの記憶が曖昧になった一般人が時折保護されているらしい。
4: 現在取り憑かれている犠牲者・小野丸 美愛に話を聞きに行ってみる。 遊びへの期待の声が返るばかりで、あまり有意義な情報は得られなさそうだが……
5: 残された資料には、部外者へ秘するためか呪術的に施錠された部分があるようだ。この先にはさらなる情報が眠っているはず。
6: 強い呪力の反応がないかと、柊鬼第一ビル4Fに保管されている「あやかしつづら」を探ってみるが、それらしいものは見つからない。核はやはり異界の中にあるようだ。
7: 残されている資料が古いことから、まずは残されている情報の有効性を確かめるべく、情報の精査を行うべきだろう。 この手の情報を収集する時、退魔師であれば得手不得手はあれど、所属組織のデータベースや情報屋の伝手、同業者への聞き込みなど、何かしら脳裏に浮かぶものもあるかもしれない。もちろん、不得手な人は大の苦手ジャンルであることは間違いない。 さて、情報収集と聞いて、一番に君の脳裏をよぎったものは?
8: 「あやかしつづら」は満月の晩に遊び場を開き、遊び相手として招待客をもてなすらしい。 相手のテリトリー内での行動になるため、いわゆる「ヨモツヘグイ」など予想される事態には商店街側でも手を打っているが、個々でも可能な範囲で対応を準備するべきだろう。 戦闘に差し支えない範囲でなるべく「この世」との結びつきを深めるものを持ち込むこと��好ましい。君が手に取ったものは、はたして?
9: 「あやかしつづら」は遊戯のあやかし、つまるところ、ゲームを好む。 今回、中で行われる勝負も「足音人狼」と呼ばれるゲームだ。 古風なつづらのあやかしなためか、アプリなどのデジタルゲームではなく、今回はボードゲーム形式。中でさらなる別のゲームをやらされる可能性もあるのだろうか。 さて、君のこの手のゲーム経験はいかほどだったろうか。
10: 集めた情報によると、「あやかしつづらの遊び場」は古風な和邸宅……いわゆる迷い家風だ。 この手の伝承は各地方にかなり多岐に渡っており……退魔師向けの情報まで確認するのであれば、書籍が妥当だろうか。 さて、そういった古い本や伝承などの蔵書……どこから当たるべきだろうか?
11: 作戦にあたり、まず「あやかしつづらの遊び場」に行くための装備の確認は必要だろう。 君が日頃から用意しているだろう呪具や護符、道具に装束、必要なものは退魔師ごとに個性が出る部分だ。当然、メンテナンスは欠かせない。 さて、作戦に従事するにあたり、君が一番に確認したものは?
12: 鍛錬に精神統一、素振りや知識の復習まで、準備運動の形は人それぞれだろう。 身体を動かさないと落ち着かないこともあれば、精神を研ぎ澄ませて己の切れ味を確かめることもある。 作戦までに実践の勘を呼び起こしながら、その時が来るまで柔らかく備えよう。 さて、今日は何をして備えようか?
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