#ちょっとひといき 日々を愉しむおやつと飲みもの
Explore tagged Tumblr posts
wakayamayoko · 4 months ago
Text
Tumblr media
『ちょっとひといき 日々を愉しむおやつと飲みもの』
2025年2月18日発売しました。
3年間にわたるきょうの料理テキストでの連載を1冊にまとめていただきました。
雑誌の連載のお仕事は、書籍とはまた違った魅力があってすごく好き。 書籍づくりは、体育祭のようにみんなで目標に向かって一気に走る楽しさや勢いがありますが、連載はじっくりゆっくりと歩みながら作れる良さがあります。 今回の連載は、初めから2年間の予定でした。そのため、大まかに季節を考えながら、前年の桃やチェリーが美味しいタイミングで写真におさめることができました。同じメンバーと毎回お会いできるのも、しみじみと良きお時間でした。
結局「飲み物だけでなくおやつも✨」とページも増え、2年の予定が3年に延長。長かったはずなのに、終わってみれば、あっという間だったなあと感じます。
「はじめに」にも書きましたが、毎日自分のために、ゆったりお茶を入れる…なんならお白湯だけでも、ジュースでも、なんでもいいんですけど、ほーっとひと息つける時間を日々ちょっとだけでも取れたなら。その積み重ねが「しあわせ」な人生なのかな、なんて思ったりするこの頃です。
写真 加藤新作 スタイリング 城素穂 デザイン 高田 明日美 編集 深澤真穂 山田葉子/NHK出版
Instagramでも詳細を書いております、よろしければご覧ください。 https://www.instagram.com/p/DGHkpiNP41q/?utm_source=ig_web_copy_link&igsh=MzRlODBiNWFlZA==
0 notes
kennak · 11 months ago
Quote
そのじいさんが亡くなった。 昨年に父が亡くなり、私の実家は車を処分したので、実家に帰省するときはレンタカーを予約する。この連休もそうした。 安いので、地元の自動車修理工場がフランチャイズでやっているインディーズ系レンタカーにしてみたら、受付してくれた事務の親切な女性は、レンタカー約款を読み上げる間中修理工場から爆音で流れてくる演歌のUSENに向かって突然「ああうるさいっ!」とブチぎれ、「あなたもうるさいと思うでしょう!?」と私に同意を求め、同僚に修理工場につながるドアを閉めさせると、「最後に乗っていたのは平成15年式のbB(みんなの地元のDQNがよく乗ってたやつ)です。令和になってもまだ乗ってました」というある意味SDGsでは? みたいなことを平気で言う私に、令和2年式フィットハイブリッドという、まさに隔世の感というほかない車の操作方法をとても丁寧におしえてくれた。 そんな調子で車を借りて帰ったところ、母に、「同じ町内会のじいさんと私を、車に乗せて買い物に連れて行ってほしい」と頼まれた。 正直、ちょっと嫌だった。母はよく知っている人に違いないだろうが、私はそのじいさんをほとんど知らない。まさにあいさつ程度のイチゲンじいさんであり、むこうも私を同じように思っているだろう。そのイチゲンじいさんを車に乗せて買い物に行く…気が重い。万一大事故になったらどうしよう、面倒だなあとか、そもそも知らない人が苦手…などと種々のことが頭をよぎったが仕方がない。年齢的にも立場的にもそんな子どもじみたことは言ってられないので、私は母の申し出を受け入れ、じいさんと母を買い物に連れて行った。母には一瞬「ええ…」みたいな顔をしてしまったが、じいさんの前では全力の快諾顔を心がけた。 実家の所属する町内会は、会の中でまた数ブロックにわかれているらしいが、母らのブロックだけ会費が余りがちのため、いちど寄合(=飲み会)でぱっと使おうということになったそうだ。じいさんはブロックの会計掛で、だから買い出しにゆくとのこと。90代のじいさんが町内会の財布のひもを握る、これが種々の法律の目的条文に言うところの「少子高齢化の進展」ってやつだなと思った。なお、飲み会の予定は明日とのこと。何もかも急だ。 母とじいさんは、かごいっぱいに酒やつまみを入れた後になって、急に予算に収まるか心配しだし、その場で減らそうとするので、「レジ通して予算越えた時点で減らしてもらったらいいですよ」と私は横から口を出した。買い物は予算ぎりぎりにおさまっており、母は、じいさんのことを「さすが!」と謎にほめ、じいさんもまんざらでもなさそうだった。 じいさんは先述の通り90代、母は70代なので、畢竟ひとり30代の私が荷をせかせかとトランクに積み、これで一安心と思いきや、ついでに寿司の予約にも連れて行ってほしいというリクエストが出た。一瞬「マジか…」と思ったが、乗り掛かった舟というかもうすでに乗っている船なので、ニコニコ笑って「いきましょう!」とうけおい、ナビに寿司屋の住所を設定して寿司屋に向かう、その道々、寄合は公民館ではなくじいさんの自宅でやることになっているという話になった。 じいさんは、「もう暑いから、たくさん人が入るとエアコンを入れないといけないかもしれない」と言い、私は「電気代とショバ代として、今日買った酒の数本くらいご自身で晩酌にされても罰は当たらないと思いますよ。余っても最後みんなで分けちゃうんでしょうから、今日先に飲まれたらいかがです? あ、私は絶対誰にも言いません」と真顔ですすめ、それをきいた母は助手席で、じいさんは後部座席で笑っていた。 寿司の予約がすんで車にもどったところで、私はじいさんに「ほかに寄りたいところはないですか?」ときいた。じいさんが大丈夫というので、家まで送っていき、大量の酒を玄関通り越して冷蔵庫の中までわっせわっせと運び込み、私はようやくそこでお役御免となった。 じいさんの家の下駄箱の上には「努力」と彫られた大きな飾り駒があった。それは木工をしていたじいさんが昔手ずから彫った工芸品だそうで、「努力」と書いた将棋の駒というまんがみたいな一品を掘れる人がこんなに近くにいることに、私はいたく感じ入ってしまった。マクロ組めるより努力って掘れるほうがぜんぜんいいな。 そしてその三日後、飲み会から数えれば二日後に、じいさんは亡くなった。布団の中で亡くなっていた。連絡がとれないことを案じた親戚がすぐにかけつけ、発見ははやかった。 その日にはもう私は実家から婚家に戻っていた。母から送られてきたLINEでじいさんの突然の訃報に接し、文字通りの突然の訃報ぶりにひどく衝撃を受けたが、母はLINEに「まあ~おとしにふそくはないでしょう」(原文ママ)とも書いて寄越し、その意外なドライっぷりにはちょっと笑ってしまった。 そうして私は、じいさんを買い物につれていくことを快諾し、道中ずっとにこにこして、精一杯ふたりを手伝ったことを、本当によかった…と思った。じいさんのために、というか、自分の精神衛生のために、よかった。すげなくした直後に死なれたら、すげなくしたという自己責任(良心の呵責と言い換えてもいいかも)を背負いきれない程度にはショックだったと思う。 それに、連休のよく晴れた日に、ちょっと妙な三人組ででかけたその買い物、なんだか私には結局楽しく思われたから。 死ぬということが、生きるということから決して遠くはなれてはいないように、死んでしまった人たちもまたそうである、と私は思う。つかずはなれず、なんとなく私の歩様にあわせて、今も隣を歩んでいるように思う。 最初に私をかわいがってくれた人を亡くしたのはまだ私が赤ちゃんの頃、母の親友のお母さん。とても愉快な人で、父との結婚を迷っていた母に、「母(はは)ちゃん、馬には乗ってみよ、人にはそうてみよ、よ」とはげました。そのうちこの世にやってきた私は、母以外の人に抱っこされると、せっかくやってきたこの世の終わりのように泣き叫ぶタイプの赤子だったのに、その母の親友のお母さんにだけはごく機嫌よく抱かれていた。そういう写真が残っている。私は、物心もつかないうちに、おしゃべりもできないうちにお別れした、母に伝えきいただけで自分では何にも覚えていない彼女のことを、いつもお守りみたいに心の中に持っている。赤ちゃんだった私に向けられたその無償の厚意を、つらいときの糧にしているようなところが今もある。 最初に友達を亡くしたのは小学一年のころ、友達は前歯が抜けていて、永久歯が生えてくる前にいってしまった。その子のお母さんは今になっても私に会うと、生きてたらあの子もこんなふうだったのかと思うという。私の節目、節目に、そう思うという。そのとき、友達がわたしの隣にいないという人はきっといない。 父親は私のことが大好きだった。父と母と私の三人で、あるいは父と二人で、父の運転する車でいろいろなところに出かけた。ときには父にさそわれて、その仕事についても行き、こんなに大きな娘さんがいるのと客先に驚かれ、父はにこにこしていた。 父は死ぬ間際までほそぼそと仕事を続け、わたしは彼が亡くなる直前にアポをとっていた客先の数件に、父が亡くなったことを知らせる電話をかけた。はじめて話をした先方は、私が電話をかけてきたことによほど驚き、父が亡くなったとの知らせにしばし絶句した後、あなたのことを先生はいつも自慢そうにしていたと言い、最後には先生がいなくなったら誰を頼みにしたらいいか、本当にお世話になりました、と泣き出した。私は、涙する相手に、○○さんのおかげでほんとうに最後の最後まで誰かの役に立たせてもらって、惜しんでまでもらえて、父はとても誇らしく、ありがたく思っていると思います、と言うしかなかった。でも父は、実のところ、そんなに殊勝な人間でもない上、けっこう変わってるよなというレベルでこだわりの少ない人でもあった。 父が亡くなる直前までLINEをやりとりしていた人たちに、そのままLINEで父の逝去を伝えようとしたのだが、父はLINEのトークをある程度の期間が経つとかならず全削除するという、こだわりのなさを通り越して、ややサイコパスのような一面をもっていた。 亡くなるひと月ほど前、父は、免許を返納することにしたというLINEをわたしに送ってきた。車というものは私たちの思い出の多くを占めており、驚いた私が父に電話をかけると、「薄暮の時間帯に信号の見落としをした。今まで一回もそんなことはなかったんだから、もう潮時だと思った」と淡々と父は言った。あれだけ運転が大得意で、大好きで、アイデンティティの大部分をしめていたように見えたのに、引き際を悟ればもうしがみつない。その、ものに拘らない姿勢に私はいたく胸を打たれたし、これができない老人が多い以上、今もって、父の最も尊敬すべき美点の一つだとおもう。 ただ、電話を切ったあと、今までいろいろなところに連れて行ってくれて、たくさんの送り迎えをしてくれて本当にありがとう、と万感の思いをこめて送ったLINEも、父が、入院後(退院してくることはなかった)母とかわしあった感謝の思いを伝え合うLINEも、亡くなった時には父はすべて消しており、それを見て、私も母もあまりの父らしさに爆笑した。 (ついでに、父が亡くなる前々日まで、もはや執念のトークの削除を行っていたので、トークルームのどのあたりの人たちにまで逝去を伝えるトークを送るべきか見当もつかず、非常に頭を悩ませることになった) そんな感じの人だったので、この世に未練というものがあったとは到底思えない。退院の手筈を整え始めていた日の深夜の3時過ぎという、家族がやや油断している上に一番身動きしづらい、マジでどうしようもない時間にいきなり息を引き取ったため、父の死に目にあえなかった母。父の逝去からしばらくして、急に「お父さん、最後に私に言いたかったことなかったんやろか」としんみり言い出したので、私は反射的にげらげら笑って「あるわけないやん」と言ってしまった。死ぬ間際まで律義にLINE全削除を続けた男にそんな情緒があるとはちょっと思えなかったのだ。母もすぐにげらげら笑いだし「そうやね」と言った。 こんなふうに父のことを思い出しているとき、私はやっぱり父がすぐ側にいるように思う、フロアシフトを挟んだスカイラインの、運転席と助手席くらいの距離のところに。 生まれてから今日にいたるまで、誰かの死はいつでもそばにありつづけた。だから死んでしまった人たちも、同じようにいつでもそばにいるように思う。 生きてとなりにいる人のように声をかければ答えるわけではない、電話をかければ出てくれるわけでもない。そうだったとしても、生きている人とはほんの少しちがう居方で、それでもわたしのとなりにいてくれているのではないか、と、わたしはいつも信じる。 じいさんは、私が買い物に連れて行った翌日の飲み会の日、つまり亡くなる三日前、近��に住むばあさんに、私のことを「車に乗せて買い物に連れて行ってくれた。あの子はとてもいい子だ」と言ったそうだ。 それを近所のばあさんから母は伝えきき、今度はわたしにそれを教えてくれた。じいさんがそう言ってくれたから、近所のばあさんは私に「会ってみたい」と言っているらしい。 ありがとうじいさん。よくわかんないけどばあさんも、私に会いたいと思ってくれてありがとう。会おう。 私は今、私に会いたいと思ってくれる人がいるなら、その人にとても会いたい。だから、次の帰省のときには、私は近所のばあさんに顔を見せに行くつもりでいる。 私の目にうつり、私が今生きている世界は、そのときには隣に、近所のじいさんがどうしたっていてくれる、そういう世界だ。
実家の近所に住むじいさんを車に乗せて買い物に連れて行った三日後
5 notes · View notes
yutakayagai · 10 months ago
Text
告別式当日、美津雄・小百合、浩二は朝早くから火葬場に来ていた。この日は、満代の実家があるひたちなかの親戚や柳次郎や菊乃の甥や姪も集まった。幸雄やみいも駆け付け、午前十時に火葬が行われた。周囲が合掌する中、幸雄は号泣してしまい、その場に立っていられなくなってしまい、みいが介抱しながら一足早く待合室へ誘導した。
「ひ、ひろしぃ…」
「…幸雄さんもいつかあの世へ逝くンだから。仕方ないでしょ?」
「う、うぇッ、うう…」
見送りが終わると、美津雄はタバコを吸いに喫煙所へ行った。そこには礼服を来た一人の男が立っていた。彼は話しかけた。
「…失礼ですが、佐伯浩志さんのご家族でしょうか?」
「そうですが、父のご親友ですか?」
「ええ、私、県立M高校で一緒だった生天目と言います」
「…はァ」
美津雄は、ずっと自宅暮らしをしていた浩二と違い、たまにしか帰省しなかったので、浩志の交友関係をよく知らなかった。こりゃ、浩二と会ってもらった方がイイなと、美津雄はタバコを吸った後、待合室へ案内した。生天目の姿を見ると、浩二は座ったまま会釈をし、
「生天目先生、ご無沙汰しています。この度は父の葬式に、お忙しい中、すみません」
と言った。美津雄は、この社交辞令はお袋から譲り受けたものだなと思った。小百合がお茶を差し出すと礼を言い、
「先日、『おくやみ』欄を拝見してびっくりしました。まさか亡くなるなんて…」
と話した。浩二は、突然のことだったのでこちらも驚きましたと言い、二人は色々と話し始めた。それは、浩志が東京に戻って五年経った頃のことだった。
浩志は三十代前半を迎えていた。ちょうどオイルショックが起こり、巷のスーパーからトイレットペーパーがなくなると言う珍しい光景が見られていた。高度経済成長期の終焉とも呼ばれ、しばらく不況が続いた頃である。彼は幸雄の働く新聞社で働いていた。ラグビーをやっていたので、主にスポーツ欄を書く記者たちと行動を共にした。最初は慣れなかっが、次第に教壇に立つより面白く感じる様になっていき、
『こんな面白い仕事を何故、最初から選ばなかったのだろう?』
と後悔するほどになっていた。
生活の拠点は、引き続きみいの下宿にした。菊乃が手紙のやり取りをしていたので、再び上京した理由をみいは知っていた。彼女は、
「わたしのお父さんも、お母さんにバレた時は大変だった。たかが好きになったのが同性だっただけで、人生そのものがおかしくなるのはおかしいわ」
と話した。また、正樹もたまに遊びに来るのよ、幸福そうよとも付け加えた。正樹は、大学卒業後は情人でもある男性教授の助手として大学院に進み、同棲もしていた。
東京で働き、生活をしていく毎に、徐々に教員時代で負った心の傷も癒えていった。
そんな中、みいのところに一本の電話がきた。彼女は、仕事から戻った浩志に伝えた。その電話は忍からだった。彼は言った。
「アイツ、東京の大学に進んだのか…」
「何か、私立H大学に通ってるみたいよ。市ヶ谷だわね」
「市ヶ谷…。靖國神社の近くだな」
「明日、M百貨店で待ってますって」
現在なら、東京メトロ・九段下駅から三越前駅で乗り換え、直接、上野広小路駅まで行けるのだが、この頃は未だ半蔵門線が開業していなかった。もし市ヶ谷からであれば、中央・総武線の市ヶ谷駅から秋葉原駅まで行き、それから山手線に乗り換え、御徒町駅で下りるしかなかった。浩志は、忍があれからどう変わったのか気になりつつ、この日は休んだ。
翌日、午後十二時にM百貨店を訪れた。中二階から二階の間の階段で待っていると、みいから聞いた話を頼りに彼は向かった。関東大震災後に再建された装飾が残る空間の中で、ちょうど二階から三階へ上がる踊り場のベンチに、学生服を来た青年を見かけた。浩志が確認する前に彼は自分から立ち上がり、会釈をした。
「佐伯先生!」
「忍、か?」
「はい、そうです!」
満面の笑みで忍は浩志を迎えた。当時と殆んど変わらない姿だった。まァ、昼時だし何処かで飯でも食うかと、浩志は南館の「お好み食堂」に誘った。忍はすでに成人を迎えていたが、酒は殆んど飲んだことがなかった。浩志はお猪口を二つ頼み、その一つを忍に差し出した。彼は、
「オレなんて、高校生の頃から飲んでたよ。ウチの家系は酒豪が多いンだ。修も飲むだろ?」
と聞いた。忍の持つお猪口に「沢の鶴」が注がれ、それを一口飲んでみた。口の中に米の豊かな味が爽やかな芳香と共に拡がっていく。忍は、
「このお酒、美味しい」
と感動した。
「この酒は、飲み過ぎても残らないンだ」
浩志はそう言いながら、久々の教え子の再会を嬉しく思いつつ徳利を酌み交わした。彼は、二人の兄たちから教わった「チェイサー」を忍にも「伝授」し、長時間酒を愉しむ術を教えた。意外と忍も酒には強かった。若干赤くはなったが殆んどシラフに見えた。修と飲んだ時には途中で泣きじょうこになり、また欲情もして公衆の面前で接吻を求めたが…。まァ、酒を飲めば皆、本性を現すからなァと浩志は思った。
この間、忍は浩志が教育の場から離れた後のことを話した。ラグビー部も新しい顧問になったがチームが弱くなってしまったこと、生天目がクラスの担当でなくなった後もずっと忍や修を気にかけていたこと、云々。一方、修は仕事が休みの時にはあの成人映画館で男漁りをし、忍にも手を出し、完全に「男ったらし」になってしまったとの事。完全に修は人格がおかしくなってしまったのだなと、浩志は思った。今でも浩志の名前を呼びながらオ◯ニーに耽ることもあると聞くと、生理的に受け付けなかった。
また、翌日には生天目が遊びに来ると忍は言った。上野の東京国立博物館で興味のある企画展が催されているらしい、との事。生天目は日本史を担当していた。浩志は、こりゃ二日続けて同窓会みたいになるなと、内心わくわくした。
忍とは、あんなに人生初の酒を飲んだにもかかわらず酔っ払うこともなく、御徒町駅で別れた。彼は将来、大物になるなと浩志は思った。再上京して以来、教職をしていたことは思い出さないよう、幸雄の勤める新聞社で目まぐるしく働き、すっかり忘れ切ったと思っていたものの、あの場で一気に連れ戻された気がした。明日は生天目と会うが、もしかしたらまた教壇に立てと言う神仏からの呼びかけかしら? そう考えつつ、彼はアメ横のガード下ではしご酒をした。
結局、へべれけの状態で下宿に��り、みいに呆れられてしまった。彼女も数年前に婿養子として迎えた旦那・伸也と晩酌をしていたが、
「…もうッ、いつまでも学生じゃないンだから!」
と再三、浩志の尻を引っ叩いた。彼は、
「みいちゃ〜ん、オレだって羽目外したいンだよォ〜」
とうつ伏せのまま起き上がれなかった。
気付くと、茶の間に座布団を枕の様に二つ折りにして毛布が掛けられていた。嗚呼、寝ちまったンだなと浩志は起き上がった。自分の部屋に戻ろうと、借りていた座布団と毛布を整えると階上へ行き、ワイシャツとスラックスを脱いだ状態で床に入った。
朝、と言っても午前十時に浩志は起きた。二日酔いか頭がガンガンと痛む。昨夜は飲み過ぎたと反省しつつ、彼は銭湯でサッパリしてから生天目と会うかと身支度をした。みいは、
「また飲み過ぎちゃダメよ!」
と釘を刺すかの様に注意し、浩志を送り出した。その様子を見ていた伸也は、まるで夫婦の様だなと思いながら、
「あの佐伯って男(ひと)、お前の何なの?」
と聞いたが、みいはぶっきらぼうにこう言った。
「ただの下宿人よ! 」
6 notes · View notes
keredomo · 2 years ago
Text
写真
 先日、ひょんなことから、写真家の友人に私がずっと愛している男を会わせる機会があった。  友人との待ち合わせ場所に男を同伴して赴いたのは、きっとその写真家がわたしたちふたりの姿を撮ってくれるだろうという淡い期待があったためだ。  世界に二人きりであることをひたすら求めて関係してきたわたしたちにはついぞ「公」をやる機会がなく、数年来、頑なに「二人きり」を行使してきた。しかしここにきてどうしてか、このところわれわれは公に現れたくて仕方ない。その衝動の一環として、他者に二人を撮ってもらう客観的な一枚を渇望していた。何かしら、愛の証拠を残しておきたかったのだろう。二人の成し遂げた、類稀な愛の、その証拠を。  「二人の写真」。われわれを捉えるそれは傑作であるべきだった。美しいものであるべきだった。われわれが、心底から納得できるものであるべきだった。それがゆえに、軽々しくは撮らせられないのだった。この愛を、何も知らない者に撮らせるわけにはいかない。少なくとも私の文章を解する者でなくては。私は偶発性への賭けに出たのだった。  写真家の友人は私がことわりなく人を引き連れてきたことの異常性を察知し、瞬時におのれのなすべきことを把握した。待ち合わせた交差点で軽やかに、何の準備も指示もなく、彼は私が愛する男と私のツーショットを撮った。愛する男は私を愛しているし、写真家の友人も私に対して友愛をもっている。彼がシャッターを押し、彼がレンズに映る、その一瞬は私のために捧げられた一瞬だった。
 後日届いた二人の写真を見ると、互いがまるで別の世界を生きているような、まったく異なる筆致をしていた。  つるりとした顔の私、複雑に入り組んだ顔の彼。モノクロームに加工された二人の姿の、あなたの顔はおそろしく暗い。私の顔は、反して、白く輝いている。腕を抱えて寄り添いながらも、わたしたちはまったく違う地獄を生きている。写真とは残酷なものだ。ありありと、二人の形而下での隔たりを示してしまうのだから。それでも、わたしたちが別の地獄を生きていることもまた、わたしたちの関係を深める糧となっていることを双方ともに理解している。生を共にするとは、本質的にそういうことだった。おためごかしでもなりゆきでもない、そんな真に迫るかたちで共にあれる人が現れてくれることを私はずっと切望していた。現れ、意志でもって関わり、道行きを共に歩む。この実現は生の奇跡であった。
 *
 「もしかすると気を悪くしてしまうかもしれないんだけど」  交差点での出来事のひと月後、写真家と飲みに行ったところ、例の写真の話題になった。撮ってくれてありがとう、嬉しかった、と伝えたら、何やら神妙な顔をするので少し驚いた。私はその友人の品性を信用していて、むやみなことは言わないとよく知っているので、気を悪くするわけはないよと続きを促す。  「写真を整えていて、思ったんだ。その、彼の目が、狂気を孕んでいてさ……」  だん、と音がするほどに荒々しくジョッキを机に置いて、「そう」と叫んだ。  そうなのだ。叫びながら、私は悶えた。どうしてか、誰もあの目の孕む狂気に気づかない。あの異常性に。世界で私だけが気づいている、恐ろしい輝き。ようやく気づいてくれる人が現れて高揚する。カメラマンというのはずばぬけた観察眼を持っているのだなと思う。あの一瞬で、よくも。  そんなふうに話すと、写真家は少し謙遜して、付け加えた。  「会って話していてもわからなかったことも、撮るとわかるんだよ。写真の明度を調整している時に、ああこの目は、と思った。あなたが彼をミューズとしたのはよくわかる。あの男は異常だよ」  写真家が彼を評するその言葉のすべてに頷く。よくぞ見抜いてくれた。私は彼のその異常性に恋しているのだから。  「そうでしょう、そうなの。にこやかに社交をこなしている彼の目がまったく笑っていないことに気づいた時、本当にぞっとした。そして恐ろしく惹かれた。その狂気を徹底して表に出してこない、人間離れした抑制。あれを飼い慣らす知性の強度。本人ですら、自分が何を制御しているのか気づいていないのではないかと思った。そして、私はそれをどうしても暴きたくなってしまった」  写真家は苦笑して、「あんなのに会ってしまったらもう、仕方ない。苦しむからやめとけだなんて、おいそれと言えないよ」と言う。  「写真を撮るとき、人にカメラを向けると誰しもかならず身構えるんだよ。撮られたい顔を模索したり、少なからず萎縮したり、恥じ入ったりする。でも、彼にはそれが一切なかった。怖じるということが。撮られ慣れているとかそういうことじゃない、世界におのれの身を投げ出してしまっている人の無頓着と言うべきか、あるいは……。正直、こちらが一瞬怯んでしまったよ。悔しいなあ」
 *
 話しながら、男の目を思い出す。  写真家はその眼光の鋭さを指摘していたが、私が見ていたのは、彼の目に何の感情も宿っていないことの異常さだった。表情は微笑みを絶やさないのに、目だけはたえず無を湛えていた。生まれて初めて、これほどまでに世界から乖離している人を見た。あの目が光る瞬間を見てみたくなった。彼の目が光る時、その光が私に向けられているべきだと思った。  撮ってもらった写真のなかの男の目は、改めて見ると、少なからず威嚇の表情を帯びている。おそらく思い上がりではないだろう、「この人はわたしのものだから、くれぐれも丁重に」ということを言っている。私が友人として親しんでいる写真家の存在を尊重しつつ、自分の所有物である私を傷つけたら殺す、と言っている。  他者に暴力を向けることを徹底して避けてきた男が、殺す、という目をする。わたしの大事なものを傷つけたら殺す、と。私があの目を光らせたのだ。欲望によって。本質的には何事にも無関心であった男の目を私だけが光らせた。私がその狂気を剥き出しにした。そうして今ようやく、あの目の異常な輝きが第三者の手によって写し取られ、顕現したのだった。私を見つめるあの目の獰猛な輝きが、私の視界にのみ映っていたあの輝きが、ついに表象された。
 男がひた隠しにしていた狂気をあますことなく引き出し、そのすべてを自分に浴びせる。その愉楽に酔いしれて日々を過ごすことの、なんという甘さ。なんという痛々しさ。痺れるような快感に耽って、私も男も、かつては備えていた厳格な統制機能を放棄してしまった。生きることに淫している。共に生きることに。道行きを行くことに。
 *
 かつて、「ファム・ファタール」というタイトルで、男について書いた。ファム・ファタールとはフランス語で「運命の女」を指す。女が男たちの文学の題材として易々と死なされてきたことを批難し、そのような文学作品たちへの復讐のためには男たちこそが私の文学のために死ぬべきであると語った記事だった。  実際に、これまで私はほとんど書くためだけに男たちの性を搾取し、愛することもせずに暴虐の限りを尽くしてきたつもりだったが、その運動は奏功しなかったのかもしれない。それが、ついには一人の男に忠誠を誓ってしまったことで露呈した。計画を頓挫させ、忠誠を誓った相手が、この眼光の男だ。ファム・ファタールを題材として筆を走らせてきたような男どもはけっして一人の女に忠誠を誓わなかった。私の計画は、一人の男に忠誠を誓うことで瓦解した。  その瓦解���引き起こした当人である私の男はこれを読んで、「ファム・ファタールはあなただろう」と笑っていた。いつまでも笑っていた。理知的な人なので、けっして男性強権的な価値観のもとにそう言っているわけではない。ただ、現実的な状況に鑑みて、自分がファム・ファタールと呼ばれることにどうしても納得がいかないらしい。  出会い、惹かれあい、関わり、生殺与奪の権まで預けた女。何十年にもわたって敷いてきたおのれの統御を巧みにほどき、押し込めて潜めていた狂気をあられもなく暴いた、たった一人の女。いわゆる伝統的なファム・ファタールを演じている当の本人が、自身のやったことを差し置いて男の側をファム・ファタールと呼んで嗤おうとする。男は、その手のひら返しをある種の裏切りだと感じたのかもしれない。
 指摘されるとおりなのだ。私は確かにあなたのファム・ファタールで、本当は、あなたは私の「ミューズ」。私にものを書かせる女神。ミューズという概念もまた、搾取の文脈を逃れ得ないものかもしれないが、「あなたを描かせてくれ」と一方的に恋い縋っているだけまだよいだろう。そもそもの位相が違う。あなたはファム・ファタールである私によって快楽とともに人生を狂わされる。私はミューズであるあなたを描いて人生を至上の美しさに仕立て上げる。  写真がとらえたわたしたちの顔が白と黒のソラリゼーションをなしていたことが、この位相の相違をよく示していた。そここそに私はあなたと私の対等を見出す。  あなたは私のミューズで、あなたが私に向ける狂気を糧に、私はものを書き続ける。ファム・ファタールを抱えてしまったあなたは、あなたをミューズとして追い縋っている私に、一方的に運命を翻弄され続ける。私はあなたのために書く。あなたは私のために死ぬ。これがわたしたちの対等で、わたしたちにとっての「共に生きる」ことなのだ。共に歩み、共に死ぬことなのだ。
 *
 写真家は言う。「いつかもう一度、彼を撮ってみたい」と。  ミューズを持つ生がどれほど美しかろうと、彼を書くことによって明らかに命を削られている私は思う。あなたもあの狂気に魅入られないといいけれど、と。
6 notes · View notes
gjbk · 1 month ago
Text
100年後の考現学 香港/東京 Modernology 100 Years after in HK/TOKYO
建築学者にして、民俗学者である今和次郎(1888〜1973)が路上調査を通じて人々の生活を観察・調査した「考現学」を提唱したのは、1923年の関東大震災後のこと。
それから約100年後、同じ時期に2つの場所で、今和次郎に再会したので記しておく。
This is a piece of my filed work diary, which met modernological program in Hong Kong and Tokyo. It is 100 years later when Wajiro Kon, architect, educator and desiner started Modernology in 1925 after Great Kanto earthquake of 1923.
I am very impressive to re-meet this philosophy in two other places.
香港・川龍村
Visitisng old sytled dim sum restraurant make us find the place of wisdom of living people or history.
香港の新界地区、荃湾(Tsuen Wan)からローカルバスで20分ほど行ったところにある川龍村(Chuen Lung Village)。
この村には、昔ながらの茶楼があり新鮮なクレソンや、いまは香港の都会では見られなくなった鳥かごを持ってお茶に集まる風景が見られるということで、ずっと行ってみたかった場所であった。
Tumblr media
MTRの終点、荃湾の川龍街から出発する80番のミニバスでさらに終点の川龍村まで。
Tumblr media
朝から大賑わいの茶楼。
Tumblr media
注文したらその場で炒めてくれる山盛りのクレソンと、セルフサービスで食べる飲茶とお茶。
Tumblr media
竹の鳥籠にいれられた鳥が鳴いている。
朝8時前に集合して、ひとしきり飲茶を楽しんだあと、帰ろうとしたところにアート展示の看板を見つけた。
「CHUEN LUNG VISUAL Reaerch ARCHIVE」とある。
Tumblr media
ちょうど同行の友人と日本や香港での芸術祭についての話をしていたところだった。
見てみようかと地図を頼りに建物前まで行ったら、月~水はお休みの表示。しかたないけど帰ろうか話していたら、スタッフの人がちょうどやってきて、今日はお休みだからやっていると言って開けてくれた。
建物の名前は「貫文空間」。村にかつてあった元小学校を利用したスペースらしい。小学校はとても小さく、建物内には、2つの部屋があり、2つの展示がやっていた。ひとつは香港中文大学の新聞学部の学生による展示、もうひとつがこの看板にあるオープンスタジオ。
Tumblr media
こじんまりとした庭にも展示物があり、村で採れるクレソンを地域地域通貨に見立てて、ギフトエコノミーを実践してみるという展示。
西洋菜=クレソンということを覚えた。
オープンスタジオには、二人のアーティストが展示をしていた。川龍村の人たちの暮らしの知恵を聞き取りマップ化し、作品したものと、録音した音源を使った作品。
説明のなかで、川龍村が客家の集落として古い歴史があり、クレソンを食べるのも彼らの文化だということや村の暮らしについて教えてくれた。
ちょうど今回の旅では、センターだけでない、周辺の香港のいまの暮らしや歴史、今も残る信仰について興味を持っていたところだったのでとても面白く聞いた。
建物には、茶楼帰りだろう若い人たちがぽつりぽつりとやってきていて、Cは広東語で彼らに説明したあと、英語でわたしたちにも説明してくれた。
マッピングをしているアーティストのアイデアの根底には「Modernology=考現学」があるとのこと。
考現学?ひなびた飲茶を食べに来た香港の村で今和次郎?
話を聞くとどうやら、数年前に香港で考現学が流行したらしく、考現学に関するいくつかの文献や、香港島の上環で行われた考現学の資料も一緒に展示されていた。
Tumblr media
貫文空間
Tumblr media
Tumblr media
展示に関する立派な冊子(新聞?)も作られていて、そこには、村民ガイドの募集の告知も。
関東大震災で崩壊した都市の再生研究を出発点に、失われゆく農村の研究をつづけた柳田邦夫から破門された今和次郎の考現学が、100年後の香港では、都市から村へのリサーチの根幹となっているとは…。
この場所は、香港国際写真フェスティバルの事務局が運営しているとのこと。
これらの展示はその後、デジタルアーカイブを予定しているそう。
荃湾には、元紡績工場を利用したテキスタイル・ミュージアム「CHAT (Centre for Heritage, Arts and Textile) 」もある。
また香港を訪れることがあれば、再訪したい場所だと思う。願わくば次回は町や村をもっとうろうろしたい。
今回の旅の中では、いくつかの文化遺産の建物や古い町を訪れることが多かったなかで、失われていく風景が多いこの都市で、残っていくことというのは、何なのかなどいろいろ思うこともあったので、村の歴史や人々の記憶を展示で見れて、説明を聞けたのはとてもよい経験だった。
東京・銀座 Walking down the street, looking only at certain parts of the people.
香港で考現学の話を聞いて思い出したのが、「100年後の銀座調査」のこと。
地震で大きな被害を受けた能登のことを気にかける人が集まる「のと部」の集まりに参加したことがきっかけで、今年の2月に初めて能登に行った。その後、のと部でそのときのことについてみじかい発表をしたときにのと部の参加者の方から「これ、好きだと思うんです」と渡されたチラシに、「2025年5月12日、今和次郎が銀座調査をして100年になります。100年後のその日に銀座で行う調査のメンバーになりませんか?」と書いてあった。
なんで好きだと思ったんだろう?(好きだけど)、ということはおいておいて、香港で今和次郎先生にお会いしたのも何かの縁…と香港から帰ったその足で考現学サロン主催の銀座大調査に申し込んでみました。
運営はアーティストの秋山あいさんと有志のみなさん。指定された銀座のシェア・スペースにおそるおそる行くと、思ったよりたくさん人がいて、しっかりした会だった。100年前の今和次郎の調査には、撮影に関する著作権・肖像権についてサインすることなどなかっただろうし、プロジェクターでの説明もなかっただろう。
考現学サロン結成のきっかけは、今和次郎の著作の以下の言葉だったそうです。
「現代の風俗の記録として、10年後、100年後の人びとに、この私たちの仕事が残される可能性があることを思うとさらに愉快になる。盛夏、秋、また冬、同じ場所での記録がなされるならばさらに傑作だと思う」 (今和次郎 著/藤森照信 編『考現学入門』第2章、「東京銀座風俗記録」より)
オリエンのあと、銀座へ出て調査スタート。
100年前の当時の調査には、婦人公論の記者たちが参加したそうです。その時のルールに従って、以下のルールにて調査。
調査項目
帽子、眼鏡/サングラス、紙袋、スマホ、カバン、マスク、髪型、靴、トップス、ボトムス、人口調査
調査ルール
京橋から新橋までの間を調査区間とする。
歩道のうえだけを調査の舞台とする
主として西側だけを調査する
調査区間を20分の分速度で歩くこととし、その途上において前方より歩いてくる人のみを調査対象とし、立ち止まる人追い越す人その他いっさいを調査に加えない
採集カードには、調査事項の分類絵、日時、調査者の歩いた方向(北向きあるいは南向き)および調査担当者の名を記入する。
Tumblr media
調査範囲(考現学サロンによる調査のしおりより)
調査エリアは、現在の銀座中央通りの京橋~新橋間(1043m)の往復。
Tumblr media
1925年の100年後、2025年5月12日の銀座四丁目交差点から京橋方面をのぞむ。
当日は日曜日で、歩行者天国になっていますが、調べるのは歩道のみ。そして、西側のみなので、この方向で向かって左側の道を、グループにわかれて、それぞれの調査項目に従って2人1組で調査しました。
われわれの組では、女性の眼鏡/サングラス、女性の足元(スニーカー以外)を調査。一人が数を数え、一人が測量手帳に数を書き込んでいきます。
面白かったのは、足元だけで人を観察することがなかったな、という気づき。そして、よく知っている道だけど、丁目ごとに少しずつ人の流れが違うこと。                                  
Tumblr media
その後、みんなでそれぞれの調査内容について発表。
後日のこの調査結果は展示される予定とのことでした。
Tumblr media
今和次郎がはじめた人々の暮らしから世界を見渡す方法が、100年後にこんな形で広がっていることに希望を感じる。
100年前には、なかったものも、失われてしまったものも、変わってしまったものもきっとあるが、新しく生まれたもの、それでも残っているものたちを記録し、それを残そうとする人がいる限り、場所と時間を超えてつないでいけるものはきっとある。
0 notes
quuyukadaisuki · 2 months ago
Text
狂える時のシャドウ・オブ・ソーサー
〜誰が為に時は鳴る〜
_8.究極筋肉幻想《アルティメットマッスルファンタジー》開幕_✍
午後の陽光に煌めくゴールドソーサー。その特設ステージには、すでに異様な熱気が満ちていた。
中央に立つのは、眩い白銀の髪と圧倒的な筋肉を誇る男――ゴットベルト・マンダウィル。その隣に並び立つのは、彼の息子であり、どこまでも自信たっぷりな事件屋ヒルディブランド。いずれ劣らぬ個性と肉体美を備えた二人は、万雷の拍手に迎えられていた。
「諸君ッッ! 今日この日のため鍛え上げた肉体、心して目に焼き付けよォォォ!!」
ゴットベルトの咆哮が、空気を震わせる。
続けざまに、ヒルディブランドも胸を張り、堂々たる声を響かせた。
「このヒルディブランド、今こそ父上とともに、真の筋肉美を世に示すでありますぞ!!」
観客たちの歓声は、まるで嵐のようにステージを包んだ。熱狂が熱狂を呼び、そこにいる全員が、これから始まる奇跡のようなショーに胸を躍らせていた。
筋肉、筋肉、そして筋肉盛り盛り――。
輝く肉体の究極幻想が、今まさに幕を開けようとしていた。
だが、その華やかな空気を切り裂くように――
頭上から、不意に声が飛び込んできた。
「ちょっと待ったぁ! そのショー、俺たちレッドビル空賊団が頂いていくぜ!」
視線が一斉に空を仰いだ。
G.A.T.Eで使われているエアフォースが、突如ステージ上空に姿を現す。操縦席から顔を出したレオファードが、高らかに叫びながら飛び降りる。ひらりとステージへと着地する小柄なケット・シーの姿も、後に続いた。
観客席にどよめきが走る。
何事かと注目が集まった瞬間――
レオファードの動きに呼応するように、冒険者も、迷いなく駆け出した。
呼吸を合わせたわけではない。それでも、互いに動くべき時を、本能で理解していた。
「来たな……!」
レオファードは唇の端を吊り上げ、愉しげに目を細める。ケット・シーはしなやかに舞いながら、素早く手早く、合図を送った。
「さあ、ショーの始まりだッ!」
乱入者に顔をしかめたのは、当然、ゴットベルトだった。
その巨躯が一歩踏み出すだけで、ステージが軋み、悲鳴を上げる。
「何たる事だ!!」
ゴットベルトの怒りは、まるで地響きのように観客席にまで伝わった。
「ショーを邪魔立てする輩はノーセンキューですぞ。容赦は無用!! マンダウィィィルーーー横跳びぃぃ!!」
力強い掛け声とともに、ゴットベルトの猛攻が始まった。
一見、ただの反復横跳び――しかしその一歩一歩が爆風のような風圧を巻き起こし、暴風に晒されたかのように観客席の髪や衣服をなびかせた。
ケット・シーは間一髪で飛び退き、レオファードは紙一重でそれを受け流す。冒険者も、息を詰めるようにしてかわしながら、ステージ上を駆け回った。
ゴットベルトの怒号、観客たちの悲鳴と喝采――
すべてが渾然一体となり、会場の熱をさらに高めていく。
そのさなか、ナシュは小柄な体でステージ端を駆け抜け、真剣な顔つきで、一直線にヒルディブランドのもとへ向かっていた。
「ヒルディブランド様〜〜お薬です〜!」
手に持っているのは――赤く点滅する、お薬という名の爆弾である。何の疑いもなくそれを受け取ったヒルディブランドは、今にも爆発しそうな爆弾を見て、口をあんぐりと開け、ナシュを見て、そうして天を仰いだ。
「お薬って言ったじゃないでデスか、ナシューーー!」
――ちゅどーーん!!
爆音とともに、ヒルディブランドの体が空中高く舞い上がる。
破裂する火花、巻き上がる煙――舞台装置顔負けの爆発にも関わらず、彼は華麗に着地して見せた。髪一本乱していない。ただし一張羅は、無惨にぼろぼろだった。
「ふぁ〜よく寝ましたぞ。何だかずっと筋肉に囲まれた不思議な夢を見ましたぞ…… 私は一体何を……ナシュどうしてここに?」
「ヒルディブランド様、気が付いたのですね!」
正気に戻ったヒルディブランドは、今ひとつ状況が掴めないでいた。キョロキョロと辺りを見回す。
最後に覚えているのは、確か父上の工房で懐中時計の修理を頼んでいたはずだが――。
はて、どうしたことだろうか。
と、ふと目に留まる、ステージ上の冒険者たち。
見覚えのある顔が���必死に父上と渡り合っている。
「むむむッ、ピーンと来ましたぞ!」
とりあえずポーズを決めた拍子に、胸元でカツンと何か硬いものが当たる感触がした。
「むっ、どうしてここに懐中時計がまだあるので?」
不思議に思い、胸ポケットに手を入れる。
ナシュが、懸命に叫んだ。
「ヒルディブランド様! 懐中時計を〜!」
「ナシュ、これがどうしたと――?」
訝しげに懐中時計を取り出したその瞬間―― 空間がぞぞぞと震え、黒い影が滲み出してきた。
「な、なんですとぉッ!?」
ヒルディブランドが抵抗する間もなく、影は彼の手から強引に懐中時計を引き剥がした。そして黒い瘴気に飲まれ、ふわりと空中に消え失せる。
特設ステージの空気が急速に冷たく、重く、澱んでいく。
「――真打ち登場ってところか、ったく、俺はな、間が悪い奴ぁ、嫌いなんだよ」
レオファードが舌打ちする。
「軽口を叩くとは随分余裕なものだな。レオファードよ、油断しているとやられるぞ!」
ケット・シーが窘める。
「そうじゃねえと、やってらんねえよっと――」
そんな掛け合いも束の間――煌びやかだったゴールドソーサーの空気が、嘘のように静まり返った。黒い瘴気の中から色彩を欠いた灰色の紳士が現れ、ゆっくりとステージに舞い降りた。
「……よもやよもや。このような展開になろうとは……」
悠然と周囲を見渡していたアガレスが、ふと動きを止める。
ちらり、ケット・シーへと視線を向けると――その口元がニヤリと吊り上がった。
「おや……あなたは――」
「誰かと思えば、ケット・シーではないか。使い魔風情が、この場に何の用だ?」
その嘲笑に、周囲の闇が微かに震えた。
対するケット・シーは、ふんっと鼻を鳴らし、尻尾をピンと立てた。
「ふん、その『使い魔風情』をも察知できぬとはの……片腹痛いわい!」
くるりと尻尾を振り、どや顔全開で挑発。
ぴしぴしと火花を散らす視線の応酬。
両者の間に、ぴんと張り詰めた緊張が走った――。
その時だった。
アガレスの背後から、ぞぞぞとさらに黒い影が溢れ出した。
下級の魑魅魍魎の妖異どもが、瘴気の中から次々と這い出してくる。
「ああ、もう最悪なシナリオだ! レオファード、来るぞ!」
ケット・シーが叫ぶ。
「わかってらぁ!」
「うおおおっ!」
冒険者とレオファードはすぐに武器を構え、迫りくる下級妖異たちをぶった斬る。
「クククククッ……さて、では私は、こちらを使わせてもらおうか」
アガレスは不敵に嗤い、己の実体のなさを逆手に取った。
黒い影となったアガレスは、ゴットベルト・マンダヴィルへと取り憑いた。ゴットベルトの身体がビクリと硬直し、異様な黒いオーラを纏い始める。
「まずいぞ! 彼奴が、白髪鬼に乗り移りおった!」
ケット・シーが叫ぶ。
白髪鬼――ゴットベルト・マンダヴィル氏の二つ名である。エオルゼアに白髮鬼ありとすら言わしめた――その名の通り、強靭無比な男である。
冒険者とレオファードが構え直した。しかし――黒いオーラを纏うゴットベルトは、なぜか冒険者たちを無視し、彼の愛息子であるヒルディブランドへ真っしぐらだ。腕を大きく広げ、目にも留まらぬ速さで突進する。
「マンダウィィィィル・ラリアットォオォォッ!」
黒いオーラ纏うゴットベルトが音速を超えた。
「ち、父上ーーーー目を覚ましてくださぃぃぃぃ!?」
避ける間があるはずもなく――ズバァン! と空気をつんざくような破裂音。
「――ぐふぅ!」
会心の一撃。
ヒルディブランドは回避する間も与えられず、見事に綺麗な弧を描きながら吹き飛び、そのまま逆さまに地面にめり込んだ。足だけ突き出した奇妙なモニュメントと化した彼に、場内が静まりかえった。
「ヒ、ヒルディブランド様ぁぁーーーッ!」
ナシュが叫ぶ。
「な、なんだとぅ――!?」
アガレスの声がゴットベルトの口から響き渡った。 再び「マンダウィィィィル!!」という叫びと共に、ゴットベルトの肉体が動き出す。
「や、やめぬか、この肉体は我がものだぞ!? なぜ勝手に動くッ!? う、動くなああああッ!!」
ゴットベルトの身体はアガレスの意思を完全に無視。ただひたすらに己の息子であるヒルディブランドへと突き進もうとする。
アガレスは呻くように呟いた。
「よ、よもや……これほどまでに……親バカとは」
ゴットベルトの息子愛が止まらない、なんなら暴走モード。
もはや敵も味方も巻き込みかねない大惨事。
冒険者とレオファードがヒルディブランドを庇うように動こうとした、その時だった――
「ヒルディブランド様、気が付いたのですね!」
ナシュがぱっと顔を輝かせた。 地面に刺さったヒルディブランドはなんとか自力で地面から抜け出しふらふらと奇跡的に立ち上がった。 爆発の影響で一時的な記憶喪失に陥っていたヒルディブランドは今ひとつ状況を掴めず、きょろきょろと周囲を見回している。
最後に覚えているのは、大切な懐中時計が黒い瘴気に奪われて……はて、今何が起こっていたのだろうか?
その隣で、ナシュがぽんっと手を打った。
「次はゴットベルト様にお薬です〜〜!」
これで万事解決だと言わんばかりの満面の笑みで、ナシュは新しいお薬(赤く点滅する爆弾)を取り出した。そしてためらうことなく、ゴットベルトめがけて全力で投げつける。
「ナシューそれはお薬ではありませ……!」
どっかああああん!!
――聞こえたのは、悲鳴ではない。大爆発音である。
ゴットベルトの巨体が、盛大に宙へ打ち上げられた。
空を舞う白銀の閃光――荘厳とすら言える放物線。もはや神話の如き、華麗なる舞い。やがて、地面に着地したゴットベルトは、ほんの一瞬よろめいたものの、すぐに堂々と胸を張った。身体は煤け、衣服は焦げ、ボロボロの状態であったがしかし――その目に宿った光は、先程までとは明らかに違っていた。
「……む? ここは……ゴールドソーサー? して、私の身に纏わりついていたこの熱気は……?」
きょとんとするゴットベルト。
ゴットベルトは周囲を見回し、やや戸惑った様子を見せたが――やがて、唇を引き締め、力強くうなずいた。
「うむ! 筋肉とは己を鍛えるためのもの、無闇に誇示するためにあらず!!」
天高く叫び、堂々たるポーズを決めた。
その姿に――観客席から、なぜか割れんばかりの喝采が巻き起こる。ヒルディブランドが、ナシュが、事件屋のマンボを踊り、決めポーズ。見計らったかのように紙吹雪が特設ステージに舞った。
0 notes
art-rum · 3 months ago
Text
子どもに「死んだらどうなるの?」と聞かれた時、親が絶対言ってはいけないNG回答
3/24(月) 8:02配信
ダイヤモンド・オンライン
Tumblr media
写真はイメージです Photo:PIXTA
 誰もが考える「人は死んだらどうなる?」を、作家・エッセイストの嵐山光三郎83歳が深く掘り下げる。死ぬことは恐怖であるとともに、人生最後の「愉しみ」である。大事なのは、どうやって「上手に逝く」かだ。嵐山流のベストの死に方とは?本稿は、嵐山光三郎『爺の流儀』(ワニブックス【PLUS】新書)の一部を抜粋・編集したものです。
【この記事の画像を見る】
● 死の瞬間はわずか0.0000001秒 そこにあるのは生前と死後だけだ
 僕はいままでいろいろな旅行記を書いてきましたが最後にたどりついたのが「廃線」でした。廃線探訪は日本人が得意とする分野で、古人は失われた名所旧跡や歌枕を捜して旅をしてきた。栄枯盛衰は時の流れで、栄えていたものは必ず滅びる。その滅びの中にこの世の仕組みを見ようとしたのだが、やってみたらこれが命がけの探検だった。なくなった鉄道を供養しようという殊勝な気持ちで始めたのだが、とんでもない領域に踏み込んでしまった。
 で、つぎになにかあるかなと考えて思いついたのが「冥界紀行」です。「死んでからこういう旅をしましょう」という紀行を書こうかなと思っている。
 子どものころ、死ぬことは怖いのと同時にある種の楽しみでした。
 田舎の法事に行くと、親戚のおじさんたちが、死んだらどうなるかっていう話をしている。おじいさんが死んで7回忌のときだったか、理工系の叔父は「死は無だよ。もう何もないんだ、ぽんと終わっちゃうんだ」と言う。すると海軍に行ったおじさんが「戦艦大和だよ。三途の川なんて渡らず太平洋を渡るんだ」とホラを吹く。
 みんなの話をニコニコ笑って聞いていたよそのおじいちゃんが「仏間に入るようなものだ」という。田舎の家には仏間があって、そこのふすまを開けて中に入るようなものだって。小学生のころ、そういう話を聞くのが面白かった。
 いつだったか横尾忠則さんと話したら「死はない。死の瞬間は0.0000001秒くらいだから死はない。あるのは生前と死後だけだ」と。なるほどと思った。現実は、死ぬことは「自分が死んだ」という意識もなくなってしまう状態で、自分ではわからない。他人の死はわかるけれど自分の死は体験できない。だから親戚の子どもたちと「死ぬとどうなるか」を話し合った。
 「四十九日には輪廻転生して帰ってくるんだよ、だから死んだって怖くないよ」と予測し、どれが本当なのかなと思いながら、畏れと同時に死後への憧れを持つということがあった。本当のことは死んでみなくちゃわからない。
● 葬式帰りに玄関で塩をまくのは 故人に失礼ではないか
 ところがいつの間にか、死ぬ話は禁忌になってしまった。「縁起でもない」と遮る。これは大人が悪い。この間、小学校5年生に授業をしてそのとき「死ぬことを考えたことはあるか」と聞くと、全員があると答えた。だから死ぬことって中年過ぎてから考えるんじゃなくて小学生も考えている。
 それなのに、それに対する大人の側の受け入れがちゃんとできていない。
 死体はきちんと見せたほうがいいし、死んだとき、遺体を自分の家に運んで棺の中を見るという体験があれば、人は死ぬとこうなるというのがわかる。汚いもの、汚れたものとして死を隠す風潮はよくない。葬式から帰ってくると、みんなよく塩をまきます。僕はまかない。死を不浄なものとは思わないからだ。
 葬式に行くと塩を渡されるけど「要らない」と断る。相撲じゃあるまいし、葬儀から帰って玄関で塩をまくなんて故人に対して失礼ではないか。
 母の葬式は3人兄弟の家族だけですまし、それでも何か気が済んだ。これでいいと納得した。自分が死んだときの葬儀もこうなるんだろうなと思った。親の葬儀を済ませると、ようやく自分が一人前になったような気がした。人生で一番大事な儀式が親の葬儀で、壁を乗り越えて自分も再生される。
 親の葬儀をすると自分が死んだときの様子というのもだいたい想像できるし、それがその人の心の安らぎにつながっていくわけで、そこに葬儀という儀礼の最大の効用がある。
 葬式は型にはまっていると馬鹿にする人もいるが、伝統的に決まった型ですることで安心するし慰められる。家族葬のいちばん簡単な葬儀であっても、社会で生かされているということを自覚する。
● 死んだら自分の葬儀は楽しめない 生前葬はルール違反
 けれど葬儀の形をいろいろ変えていくことを考える時期には来ていると思う。死は最後の楽しみなのだから。死んでどうなるかは死んでみなけりゃわからない。だから生きているうちに、あれこれと想像してみる。それが宗教です。さて、神さま仏さま、あるいは親や兄弟があの世で待っていてくれるか。答えは死んでみなきゃわからない。だから生前葬はずるいと思う。
 いろんな友だちの葬儀に出て、おれが死んだときは誰がこうやって弔辞を読むのかなとか、誰が来てくれるのかなと思ったり、あるいはもう誰もいないところで、ひっそり葬儀されるのかなとか、いろいろ考える。現実には死んだら自分の葬儀は楽しめない。
 それを生きているうちに会費をとって友人を集めてワインなんか飲みながら宴会するなんて図々しいにも程がある。生前葬はルール違反ではないか。
 葬式は形に則ってたんたんと進める。寺の住職が来て死後の話とかして、法要の何回忌、何回忌で親戚中が集まるのがいい。親戚なんてだんだん法要のときしか会わなくなってくるから、集まるたびに人間の生死のことをいろいろ考える。
 葬式に出ると家族って何だろうと考える。誰かが死ぬと残された者たちが逝った人たちをともに供養して、それが繰り返される。そのつながりが家族なのだろう。死者のための、残された者たちの寄り合いが家族だ。
 そういう意味で「おひとりさま」のつらいところは家族の死に出会えないことだ。自分の死しかない。両親とかきょうだい、あるいは親しくしていた従兄弟とか、そういう人が死ぬことによって、いやがおうでも死の意味を学習することになるが、「おひとりさま」にはそれがない。「おひとりさま」の生き方は家族を捨てることでもある。それなりの覚悟が要る。
● 一瞬の事故死でないかぎりつきまとう 「死ぬとどうなるか」という不安
 親しかった友人がどんどん死んでいきます。親や兄弟も死んでいきます。葬式に行くたびに「人は死ぬ」という厳然とした事実を突きつけられる。親しかった人の死は、半分は自分の死でもあり、「自分もいずれ死ぬ」と覚悟することになる。葬式の効用は友人や親の死を受け入れ、供養するだけでなく、自分の死を確認するところにあります。いずれ自分も死ぬ、という覚悟が生まれる。
 死んだ人は記憶の中に生き続けますが、5年、10年もたつと少しずつ忘れられていく。これは時間が供養してくれるのです。
 歳をとると、上手に逝きたいと考える。
 おだやかに逝きたい。死ぬときにとり乱さない、遺族に葬式で迷惑をかけない、すーっと楽に死んでいきたい、配偶者に看取って貰いたい。子がいる人ならばわずかな遺産争いをしないでほしいと思う。
 なにより重要な心配ごとは「死ぬとどうなるか」という不安です。うまく極楽浄土へ行けるかどうか、無宗教の人はどうしたらいいのか。
 結果は死んでみないとわかりませんが、死は「自分が死んだ」という意識をも消滅させる。人間は自分の死を体験できない。
 生理学的に考えると、人は死ぬときに、最後の最後に自分の死を受容することへの抵抗を試みます。交通事故などで一瞬ですんでしまえばそんな暇はありませんが、即死せずに数時間手当てされて死ぬ場合は「このままでは死ねない」ともがき、「なぜ自分だけが死ぬのだ」という葛藤に苦しみます。数時間が数日にわたれば、それはいっそうの苦しみになる。それは痛みによる苦しみとは別に、「死を受容する決意」の葛藤といってよいでしょう。
● むしろ残された人間に 傷は深く残る
 また、不治の病と認定され、「あと数カ月の寿命」と知れば、自分の死を納得させる葛藤が生まれる。いかに悟っていても自分の終焉を納得するのは難しい。それは人間の最後の戦いといってよいでしょう。
 死にゆく人に向かっても、同じく葛藤がある。「人間はいつか死ぬのだから……」とは言えませんし、「これがあなたの運命だ」とも言えません。むしろ残された人間に傷は深く残るのです。ことに逆縁で子に先立たれた親は、いつまでも「なぜだ」と問いつづけ、心の傷が癒えるときはありません。
 歳をとると自分が死ぬことも現実味を帯びてくるから、ついわかったようなことを言いたくなる。「人間は死ねば腐って最後はゴミになるだけだ」とか「腐らないように焼いても骨になって墓に埋められるだけだ」と悟ったような顔をしたくなる。本人が納得しているならそれでいいかもしれないが、自分より若い人に言ってはいけません。
 もし子どもが「死んだらどうなるの?」と聞いてきて、親が「ゴミになるだけだ」と答えればどうなるか。逆縁になったらどうするのか。子どもに先立たれてしまったらただでさえ悲しいのに。
 宗教もふくめて、死のイメージトレーニングが求められる。親の死にあい、親しい友人を失うたびに「死の意味」を問い、体験し、学習していくのです。
 死後の世界を信じる人は、信心力の強い人です。しかし宗教に帰依していない人は自己の死をどう受け入れればいいのでしょうか。現実には、死んだ時点ですべてが完結します。「生きている人の世の中」とはまことにうまいことを言ったもので、この世は生者だけのために存在するのです。
● 死は恐怖であるとともに 最後の「愉しみ」
 母の命日には墓参りをし、家には小さな仏壇を置き、両親の遺骨を拝んでいます。食べ物や花を供えます。これは来世を漠然と信じているからだ。父の遺伝子が私の肉体の中で生きているのだから、「自分の中に棲む父」と対話するのかな、と考えたりする。これを「死者が自分の心の中に生きている」という言い方をします。
 縁によって結ばれた霊が、生前の縁により再会するのです。とすると、この世は生者と死者が共存している宇宙になります、これは漠然とした信仰で、体系づけられるものではない。
 いっさいのものは生滅、変化して常住しません。無常迅速とは人の世の移り変わりが早いことで、歳月は人を待たない。人間は期限つきの消耗品であるとこ��に趣があります。
 死にゆく人が取り乱さないためには「ひたすら仏を信じる」のが有効ですが、この世は仏の顔をした鬼ばかりで、私も鬼のひとりかもしれない。死んで焼かれて墓に入るのにもお金がいるという世の中です。
 しかし、死は恐怖であるとともに最後の「愉しみ」でもあります。平穏に死を受け入れるためには、どのような知恵をつければいいのか。死の意味を知るために人間は生きている、といってもいいのです。
嵐山光三郎
0 notes
hogehogenyannyan · 4 months ago
Text
自己嫌悪もはや自己憎悪
Tumblr media
はい私は見事に丸1年以上投稿をしなかった文才もない飽き性のカスです。 こんなんだから振られまくるんだよ雑魚が。
お察しの通り今日まで恋愛で連戦連敗を喫し、心の中の黒いドロドロが全身の穴から噴き出てきて溺れそうになってきたからここに戻ってきたんだよこのクソゴミガキちゃんたち。死ね!世界死ね!
2024年を振り返っていこうと思う。
まず、あれだけ暴飲暴食していた俺が女の子と遊びたいモテたいの一心で5キロの減量に成功した。    
おそらくこの男は、もしこの世の全ての女の子のタイプが怖いもの知らずな人だと知れば微塵も疑問に思わずにテレビ塔の頂上からダイブするだろう。満面の笑みでね。                     そしてもちろんそんなのは根も葉もない嘘で あいつ本当に信じてやがった!!と本物のモテ男達に笑われるんだろうなこいつは。
まあその甲斐あってか色んな女の子とニャンニャンしては、ふと我に返りひたすら自責。    そしてニャンニャンのために何でもかんでも お金を払ってあげては口座が阿鼻叫喚になり    それそれはとてもとても血反吐が出るほど情けなく愉快な日々を過ごしていましたね。
そんなことを繰り返して、わかったことは   空っぽだってこと。
8月にね、ある女の子と会うことになった。 その子車が好きでさ、一緒にサーキットに行くために、わざわざ3時間半かけて俺の住む街まで来てくれたんだ。            どうしようもないくらい根暗な俺は     その子前でもネガティブな発言をしちゃった。
「ネガやめなよ、ポジでいこ〜」
君は何も考えずに発した言葉だろうけど   その一言で俺はどれだけ救われたか。        今でも何かあるたびにその言葉を思い出して いるんだよ。今でも救われているんだ。       君は知らないだろうけど。
俺のしょうもない発言でも大笑いしてくれて 俺の弱気で根暗な部分さえも受け入れてくれた。
それなのに俺はどこか不純な気持ちがあった。お互いの好きなものを会う口実にしてさ。   サイテーだよね。
どこまでも中途半端で空っぽな僕がその子のことをちゃんと好きになった頃には遅かった。 当然振られちゃったよ。                返信が来なくなっちゃったんだ。
幸せにしてるといいな
そんなこんなで                相変わらず車遊びしたり              5年ぶりにライブしたり              色んな女の子と会ったり            失恋と酒の失敗を繰り返したりして
まあ振り返れば悪くない1年だったと思うよ。 2023年の俺、顔上げろって。           2025年の俺、大切な人を見つけてください。 あと、仕事も家も変わったけど上手くやってくれ。
0 notes
projecthedz · 5 months ago
Text
250210 月
【0:00】
月曜。娘のアバター画、前回描いたの1年ちょい前だった。やっぱ体感3か月前だ。40代の1年イズ体感90日理論(個人差はあるだろう)と合致する
細かい数字はさておき、とにかく「最低2倍巻くつもり」でやらないと生産性が20代の半分以下になってしまうのは間違いない(なってるしな)
-----------------------
まだまだ時間あるって思ってるのに実際は「想定の1/3以下の時間」しかないのだ。そりゃ何やったって間に合うわけがない。しかも病気になって足踏みしたりもする
「じゃあもう気にしてもしゃーないっしょ」という判断でカス化してるのが世の普遍的中年
子供がぜんぜん憧れられないおっちゃんおばちゃん
「もうなんすかその、憧れる憧れない / かっこいい悪いっての、よくないすか? さもしいっすよ、なんか。自分のオヤジがそんなことウジウジグダグダ言ってたらヤじゃないすか?」
ってね、うん、言ってるよ私の中の真っ当な脳内友人も
特に異存、なし。その通りだと思う、うん
でもやめない。勝手にやらせてもらう
別に喧嘩売る気とか全然ないが5年後に「あー。確かにあん時それくらいの焦燥感抱えてなきゃ50代でこれはできねーっすわ。少なくとも自分には無理っすわ」って言わせてみせよう
オエェェ
自己啓発酔いしたわ...
ドーピングっすからね、所詮
いいんすいい���す。自信増強剤飲んでハッタリオリンピック出場するっす!
そんでハリボテチャンピオンに俺はなる!!
張り子タイガーで行こうじゃないか。プレステ2みたいなポリポリしたルックでさ。湿度にめっぽう弱い!
----------------------- 【0:45】
昼夜逆転ダメ、ぜったい
よって、眠くなくとも寝るフェイズを設けなければならない。かつ、その時間は最低6hにすべき(5hだとなんかの負債を抱える)
10:30を起床時刻とした場合、4:20に寝ればちょうどいいって計算になる。となると残り活動時間は3h30min。うむ、大した事はできんな... むしろ興が乗ると手を止められず明日の午後までやってしまってアタマ超痛くなって体調崩す
だから「やれば面白くなりそうな作業」に手を付けるのは避ける。いくつかそういうのあるんで
つまんないやつをイヤイヤかじるのがいいだろう...
ほんっとクライアントに対し失礼きわまりないんだが、一度自分の中で「やりたくない」ってなったらとことんやりたくないんだからどうしようもない。かといって相手を納得させられる理由なんか一つもないので「なんかわかんないけどできてません」って返す以外なくなる
はい、ヌケサク化まったなし。某社ではずーっとずーっとそうだった。でも面白い(?)のが、私よりも周りの健常な人々のほうが倍くらいおかしくなってた(指示内容が抽象的&作業工程が高難易度かつ背負うお金んの責任重すぎて次々うつ病やメニエール病発症してた)ので、結果私は「まだマシな方」扱いだった
アタマの調子はずっと悪い。なんつーか、ずーっとずーっと酔っ払ってる気分だ。いや、実際昨日アルコールは入れました
けど、そういう事でもない気がする。二日酔いもなくシャキっと(?)起きてるんだし
クライデイズですら削るレベルの駄文を全部載せてるからここはもうオンラインゴミ屋敷
Discordとほぼ同じ感覚で使ってるなー
----------------------- 【2:55】
買い出し行って食事して、ジャンプ+読んで少し寄せラクガキいじったらこの時間になってた。まあ、なるよ そんだけ行動したら。これでも仕事のこと思い出すタイミングは家にいる時よりも早い
あと1h20か。いっそ映画でも観た方がよくない?
これからティアとコミケの本をでっち上げられるくらいの自信をチャージしないといけないんだぞ?! そんな足踏みしてちゃダメだろ
🎶NOW PLAYING: https://www.youtube.com/watch?v=Uv35XSGrbrg
----------------------- 【12:30】
寝たのはたしか7:30くらい。Discordをやってしまった。5h睡眠。やっぱ少し睡眠足りてない
だが眠気は皆無。エア自信を貯めておかないとこのあとやるギャンブルの負荷に耐えられないというアレがあるのでペナルティは先送りにする。なるほど、この「ツケの積み重ね」が未来に私が食らう「転落」に繋がるわけだ...
私は悪くない。私は間違っていない
自分の非を認めない事による敗北や失敗の心理的キャンセル
実に愚か極まりないが「自信の借り入れ」ができぬ者に大きな勝負はできないというのも事実
ああ... 実に、実に「応援しづらい特性」が滲み出ている
私の本心は、ああ、間違いなく応援される事よりも「破滅リスク抱えた大勝負」を欲している
「過ちを犯した自分の罪を保留オア無かったことにする」
これが「転落へ至る暴走の第一歩」なのだと思う、マジで
私はどうなりたいのだ???
退屈が死ぬほど嫌いなのは間違いない。我慢も嫌だ。だが命令されるのは好きだ。命令されることは我慢ではない。じゃあ我慢しろと命令された場合はどうなるのだ???
矛盾。エラーが発生する。多分、命令によって受容するがまんには持続性がない。しかも何度も同じ命令を送られるたびに破るのが容易になる。やはり、退屈を我慢し続けることは私にとって困難だ
がまんしろと言われながら虐待的な扱いを受ける場合はどうだ?
それは全然退屈ではない。刺激があるからな。他者と関わる物語と、あるいは自分自身を被害者として定義する「権利」を与えてもらっている。自分を被害者と定義する権利はいくら相手が「貴様が自身を被害者扱いすることを許さない」と脅そうが剥奪できるものでもない
つまりどうやってもその権利は私のものになってしまうし、刺激的な「物語」が手に入ってしまう
うん、それは面白い。そこまでのコストかけて私を一箇所に縛り付けようとする他者がいる事自体が面白い
その刺激、十分娯楽に値する
なんで偉そうなんだよ...
私は自身の中に生じる「敵意」や「被害感情」の滑稽さを愉しんでいる。理性では制御不能な「動物的な防衛機制や自己欺瞞」が生み出す思考の可笑しみを愉しんでいる
なんでこんな矛盾まみれな論を私の心はこうも容易く受け入れるのだ?? と―
要するに人は「他責」が大好きなのだ。責任を他人に押し付ける権利を手に入れている時が一番安心するのだ
私は(実際にはそのカードを使う事はないが)自分の手元に十分な「他責用カード」が揃っている時に最も安らぎと癒やしを覚える
結局は自分を攻撃した相手に対する「生殺与奪権」握れる状態に優越感を感じているだけなのだ
私は今、誰の弱みも握っていないし誰からも具体的な被害を被っていない
だから不安で不安で仕方ない。私は十分過ぎる「免罪符」得た上であえて「冤罪」をふっかけられたい「逆転無罪フェチ」なんだ
免罪符が通用せずそのまま実刑食らってしまうパターンにもドキドキする
私は丁寧に運用し育てればそれなりの所まで到達できた可能性が「台無し」になる瞬間観るのが大好きなんだ
誰もが同情禁じ得ない悲劇的状況に立たされ「泣きわめきたい」という欲を持っている。そこまで悲しい目&ひどい目に合ったなら壊れても仕方ないよねと皆が認める状況において思い切り壊れたい
つまり「受難者としてのカタルシス」を得たいのだ
今はなんというか、普通にただ迷惑な人になっている
これは私にとってとても退屈で不本意な状況だ。私に対しメチャクチャな脅迫や理不尽な重圧かけてくる存在がごく僅かにしか存在せず、今やそれらは「簡単な手続き」と「軽い覚悟」によって排除できてしまう状態
運良く、完璧なまでに「冤罪被害者」の立場を獲得したい
「追い詰められた犯人が土壇場で苦し紛れに放った被害者アピール全部本当」みたいなギャグ展開が欲しい
私は弱者ではない。だが、弱者がにぎりがちな悪い武器思い切り握ってぶん回してみたいという「好奇心」を人一倍持っている
積み上げた信頼が台無しになっていくカタルシス。ドミノ崩し、積み木崩し... ビルの制御解体...
そういうの、たまらない。高く高く飛んで、絶対助からない高度から墜落してどういうわけか一人だけ生き残りたい
99.99%死ぬ綱渡り実行し、綱をふつうに踏み外したにもかかわらずあり得ない奇跡で助かる万死に一生を味わいたい
これが太宰おさムーバーの本質
「また死ねずに生き残っちまった」という自嘲に浸る贅沢
失敗は負債。負債の返済せずさらに失敗重ねれば負債は雪だるま式に増えてゆく
ああ... 私の本質というものは、人の親が持っていたら最悪なパーソナリティだ。転落のカタルシス、墜落のカタルシス、それを味わう為の意図的な負債の放置...
どちらが先なのかはもはやわからない。失敗の苦痛回避する為に始めた現実逃避なのか、現実逃避してる時にだけ味わえる快楽得る為積み上げた失敗なのか―
妻という制御装置を失い、私はまた悪い欲に身を委ねたくなっている
心の中に委員長をレンダリングしろ
ダメ! ダメダメ! ルール違反! って言われたい
被害者というものは押し並べて自身の弱さ(運の悪さ含む)を棚上げした弱者の居直りでしかないんだ
人間は生まれた瞬間から「種族としての罪」を平等に背負っており、その罪に対する罰が適用されるのが「弱者優先」なだけである
つまりどんな立場の人間であろうと明日いきなり理不尽な冤罪食らって死刑宣告される可能性はゼロではない(それは法律的なアレだけではなく強者が本気で生き残りたいと願った際の生贄という立場含む)
その悲観的世界観を受け入れた上で、それでも「まあなんでもいいんじゃない? 人類全体の幸福の総量さえ高ければ」と思って生きれりゃ幸せに違いない
自分の命が失われても、自分より運いい人間が生き延びてくれるなら人類全体の運の総量は「十分残ってる」。ならばそこに希望はあるだろう、と―
個が犯す失敗とそれに伴うヒステリーなんて自分を「数字」として捉えれば実に些末なアレでしかない。世に影響及ぼすほどのエネルギーになり得てない。ならば相対的に自分は無害だし、自分が死ぬほど嫌いな人間達も別に社会に対しなんら害を与えてないと評せる
変な人間が殺されず生かされ続けてる世界こそが多様で平和な社会
「ちゃんとした人しかいない世界」は、どこかで間引きと選別が行われているディストピア
「誰も不幸にならない安全で平和な世界」なんて不自然すぎるし人類という種にとって都合が良すぎる
だから私は理不尽と不幸を愛する。混沌を愛する。人の野蛮さを愛する
自信変動なし
0 notes
shingoiwasaki-blog-blog · 9 months ago
Text
狐の嫁入り🤘🦊🤘 - zshingoの日記
Tumblr media Tumblr media
いつまでも、こんなことを、していては、いけないな。それから、僕は、洗面所の、鏡へ向かい、久しぶりに、自分の顔を、じっくりと、観察してみた。そこには、約、1ヶ月分、放置された、伸び放題の、髭と、げっそりと、頬のこけた、僕の顔が、ドロンとした、目つきで、こちらを、疑り深そうに、ジッと、見つめる、僕の顔が、うつっていた。やれやれ、一体、僕は、今まで、どこの、どの世界を、ほっつき歩いていたのか。それから、僕は、洗面台へ向かい、直子が、残していった、洋梨の形をした、緑色の瓶のオーデオコロンの、隣にある、髭剃りを、つかみ、約、1ヶ月ぶりに、自分の、髭をそった。それから、蛇口をひねり、綺麗な水で、顔を洗い、うがいをして、できるだけ、時間をかけて、丁寧に、歯を磨いた。それから、部屋に、散らばっていた、コットン素材の、ブルーのTシャツに、薄い綿の、ベージュのチノパンツを、履き、かかとの、すり減った、薄汚れた、テニスシューズという格好で、アパートを、出た。外の、陽光が、僕を、優しく、包みこんだ。せわしく、鳴く、小鳥のさえずりが、僕の心を、どことなく、愉快な気分にさせてくれた。それから僕は、近所の、できるだけ、清潔感のある、床屋に入り、短く、五分刈りに、髪を、刈ってもらった。床屋の主人は、ラジオから、流れる、古い、オールディーズミュージックに、合わせて、口笛を、吹いていた。床屋をあとにした僕は、地下鉄に乗り込み、銀座にある、紀伊國屋へと、向かった。久しぶりに、街のなかを、歩いてみると、空は、晴れ渡り、空気は、澄んでいた。途中、小型犬を、散歩中の、身なりの良い、中年の女性が、何やら、ブツブツ独り言を言いながら、遊歩道に、生えている、雑草に向かって、話しかけている光景を、目撃した。この人は、今、一体、何を、やっているのだろう?
久しぶりに、紀伊國屋へ、入ってみると、大勢の人で、ごった返していた。それから、僕は、鮮魚コーナーへ、向かい、今まで食べていた、インスタントフードを一切やめ、できるだけ、艶のある、野菜を選び、魚、それから、オートミール、豚肉、オレンジジュースを、買い、アパートで、時間をかけて、チンジャオロース、それに、野菜スープを、作って食べた。キズキよ、お前は、とうとう、直子までをも、お前の世界に、引きずり込んでしまったんだな。いいよ、直子は、お前にやるよ。そのかわり、そう、俺には、この宇宙、地上、霊界を、守る、義務感と言うものが、あるんだよ。そう、俺は、もう、お前と、学校を、抜け出しては、玉突き遊びに、明け暮れていた、そう、20代の、若者じゃないんだよ。
それは、飛行機の、プロペラの、音では、なかった。僕の、耳のまわりを、ゆっくり、迂回する、それは、小さな羽蟲の、音だった。リリーは、脱ぎ捨てた、パンティーストッキングを、気だるそうに、手にとり、何やら、ブツブツと、独り言を、漏らしている。昨夜の客はさ、、、そんで、あたし、途中で、面倒になってさ、帰りたいって、言ったの、そしたら、奴ときたらさ、5分で、終わらせるから、そんなこと言わずに、とにかく、シャワーを、浴びてこいって、しつこいときたら、ありゃしない。台所の、ながしには、もう、随分、前に、果物ナイフで、スッパリと、切り取った、パイナップルの、残骸が、腐乱しており、悪臭を、放っている。僕は、足元に落ちている、洋梨の、形をした瓶のオーデオコロンを、拾い上げ、ターンテーブルの上に、ことりと、置いた。デスクの上には、数冊の、古い、ペーパーバックと、パルムの僧院の、上巻が、無造作に置いてある。
グレートギャッツビー、序文
お前に、もし、仮に、理不尽なことを、言う人間が、現れたら、こう、考えるんだ。その人たちは、お前ほどに、恵まれた境遇には、いないのだと。父と、僕は、何かの、事柄について、深く、語り合った、という、思い出は、ないものの、この、父が、僕に、残した言葉は、成長した僕の、記憶に、しっかりと、焼きつけられ、後々まで、この言葉が、耳をついて、離れなかった。そして、少なからず、この、父の言葉の通りに、人付き合いをした、僕の周りには、いつも、一風変わった、人たちだけが、残ることに、なった。
ドローランを、一気に、飲みほした僕は、このドローランを、マイルス・デイビスに捧いだ。さらに、もう19ミリの、ドローランを、飲みほし、亡くなった妹に、捧いだ。さらに、もう、18ミリの、ドローランを、手にした僕は、世界の、ありとあらゆる、汚辱【おじょく】に苦しむ、アウトサイダーたちの、ために、飲みほした。
0 notes
moderndays · 9 months ago
Text
Recommended Books 【日常・Everyday・Dairy】
京都 季節を楽しむ暮らしごと 365日: 日々の小さな発見が愛おしい古都の春夏秋冬 単行本 – 2022/10/21
smile editors (編集)
伝統行事を大切にし、季節の移り変わりを感じながら、毎日を丁寧に送る京都の暮らしごとには、自然と共存し、一日一日を心豊かに楽しむためのヒントがたくさんあります。 本書では、京都にゆかりがあり、京都をこよなく愛する方々がそれぞれに見つけた小さな発見、日々の楽しみを、春夏秋冬、季節の移ろいを感じさせてくれる二十四節気ごとに、1日1ページで365日分ご紹介しています。 京都に暮らす人も、よく京都を訪れる人も、いつか京都を旅したい人も、読むごとに、もっと京都が好きになる一冊です。
イギリスの心地いい暮らし 小さな愉しみ 単行本 – 2022/3/31
SMILE EDITОRS (編集)
紅茶やスコーン、タータンチェックやリバティ柄、ガーデニングなど、イギリスの魅力的な文化や、イギリス人の素朴だけれども堅実で温かみのある暮らしを365日紹介します。ロンドナーのロンドン歩きの楽しみ方も。
フランスの小さくて温かな暮らし 365日──大切なことに気づかせてくれる日々のヒント 単行本 – 2021/3/5
トリコロル・パリ (著)
旅がもっと楽しくなる 何気ない日常がもっと愛おしくなる めぐる季節の中で暮らしに取り入れたい毎日のエッセンスフランスに住む人たちの何気ない習慣、暮らしに欠かせない食べ物、ふと幸せを感じるひととき… そのいとなみが、遠く離れた日本に暮らす私たちに、日々を心地よく丁寧に過ごすために大切なことを教えてくれます。
丁寧に暮らしている暇はないけれど 時間をかけずに日々を豊かに楽しむ知恵 単行本 – 2018/2/21
一田 憲子 (著)
『暮らしのおへそ』(主婦と生活社)を立ち上げ、12年にわたり取材、執筆をしてきた編集ディレクター・一田憲子(いちだのりこ)さん。 これまでに、数多くの暮らしの達人たちを取材してきました。 そんな一田さんご自身の暮らしも、知恵とアイデアにあふれています。 築50年ながら、いつ訪れてもすがすがしい空気が流れ、とても居心地がいい部屋。 適度に片づき、適度にモノがあり、わが家のようにほっとできる。 そして、パパッと出てくる、おいしいごはんや手作りのおやつ。 ――そんな一田家のファンになってしまう人が、後を絶ちません。 でも、当の一田さんは、ご自身のことを、「生まれながらの大ざっぱ人間で、面倒くさがり」と言います。そして、常に仕事の締め切りを抱えて全国を取材で飛び回る毎日の中、家事に使える時間は限られています。 いったい一田さんは、どんなふうにして日々の暮らしをまわしているのでしょうか? その秘密は、取材先で教わったアイデアや、人とのやり取りで知ったモノ・コトを、家に持ち帰り、実際に試し、毎日の中に落とし込む。その連続の中にありました。 本書では、一田さんが実践してみて本当に役立ち、忙しい中でも続けてこられている習慣と知恵をご紹介します。 時間がなくたって、工夫次第で、毎日はずっと快適になるし、楽しめる。 そんな暮らしのヒントを、美しい写真とともにお届けします。
365日の気づきノート 単行本 – 2016/3/24
門倉 多仁亜 (著)
東京、鹿児島、ドイツを行き来し、各地で仕事をこなし、季節の行事も大切にしているタニアさん。 忙しい毎日のはずなのに、いつも穏やかで、タニアさんのまわりには清々しい空気が流れています。 そのシンプルな暮らしと、凛としたたたずまいは、どんなふうに生まれるのでしょうか? 本書では、タニアさんが日々の暮らしの中で見つけた気づきやアイデアを、 春夏秋冬、12か月を通して綴ります。 部屋をきれいに保つアイデアから、献立を考えるヒント、 旅の荷物のまとめ方まで、日々の暮らしをすっきり豊かにするヒントが満載。 読めば、タニアさんと同じ生活をしているような感覚になり、 心も身体もシンプルに生まれ変われる一冊です。
美しい暮らし (幻冬舎plus+) Kindle版 発売日 ‏ : ‎ 2017/11/24
矢吹透 (著) 
味覚の記憶は、いつも大切な人たちと結びつく――。 冬の午後に訪ねてきた後輩のために作る冬のほうれんそうの一品。 苦味に春を感じる、ふきのとうのピッツア。 少年の心細い気持ちを救った香港のキュウリのサンドイッチ。 海の家のようなレストランで出会った白いサングリア。 仕事と恋の思い出が詰まったベーカリーの閉店……。 人生の喜びも哀しみもたっぷり味わせてくれる、繊細で胸にしみいる文章とレシピ。
フランス流しまつで温かい暮らし フランス人は3皿でもてなす (講談社の実用BOOK) 単行本 – 2016/9/16
ペレ 信子 (著)
著者はフランス人と結婚して23年。夫の家族やフランス人の友達から、いいところを取り入れつつ、心地よい暮らしを実践。たとえば、平日は週末にたっぷり作っておいた野菜スープを毎日飲み、週末は3皿の料理で家族の時間やもてなしもします。そんなふうにたまには肩の力を抜いて、その分家族との会話を楽しんでみてはどうでしょう。フランス人の暮らしぶりを知って、もっと気楽に豊かな生活を楽しむために参考にしてほしい1冊。
衣・食・住 暮らしの雑貨帖 ~ずっと愛したい、わたしのお気に入り~ 単行本(ソフトカバー) – 2013/12/21
甲斐 みのり (著)
自分の“好き"が胸の内にあれば、街に出て通りを歩くときも宝探しのような心地になれる」 本書は、文筆家・甲斐みのりさんが日頃から愛用している品々をまとめた雑貨帖。暮らしを彩る日用品、旅先で見つけた工芸品、家族を思い出す雑貨など、さまざまな愛用品を日々のひとこまとともに綴っています。長い間ずっと一緒に過ごしていける、衣・食・住の雑貨と、雑貨にまつわるさまざまな物語。著者ならではの着眼点で、雑貨の魅力をまとめた一冊です。
すてきなあなたに 単行本 – 1988/3/1
大橋 鎭子 (編集)
1969年から連載が続く『暮しの手帖』誌の人気エッセイです。実際に目でみて素敵だと思ったこと、人と接している時に感じた素敵なこと、心に深く染み込んでいったこと、食事の時に美味しかったものとそのレシピなど、日常の生活で感じて、メモに書き留めたものを綴っています。本書、第1巻は、1969年から1974年までの連載をまとめたものです。
0 notes
gagago-001 · 11 months ago
Text
一端だけ書いては放り投げてた日記を完成させる もう8月も中旬なんですけど!
7〜8月上旬
7/9
ない器官が漏れ出して、ない気道が錆びていて、ない頭がパンクしている 喉が膨れ上がっている 上半身の中身がゴロゴロとしている
要するに、頭痛
空腹なのか気圧なのかわからない
ギリギリまで頭痛薬を出し渋っていたので効くまでずっと体が傾いている 薬を飲む痛みに気づくまで遅い どうもできない
帰り道 波も風もなく、川がただ静かに橋上の様子を映していた
7/11
用事が終わった後ソフトクリームのアフォガード
店頭にベンチで食べる まだ猛暑日と言うほど暑くもなく、風がたまに吹いてくる室内から出ても快適な天気だ
一口目はスプーンで掬うと反対側にこぼしてしまいそうなので口を持ってくる さくっとつまめた 固めのソフトクリームで積もった粉雪のように食べる瞬間にギチギチする しかし二段ほど食べるとぬるい空気に触れた外側はやわらかさをもつようになってしまった 普通のソフトクリームだ…… 美味しさは変わりないが、触感が楽しかったので残念
コーヒーが溢れてきた! おいし〜…… バニラと混じってしゃくしゃくするコーヒーの氷がたまに当たる それを舌で押しつぶし食べる
7/16
昼ご飯後、なるべく静かな場所に置かれたベンチを選び腰を落ち着かせる
次の講義まで数時間余裕があるので何もしないことが可能 やった〜
集中もなにもできないので耳に何か流そ〜と思ったが、思っていたより頭がぼやぼやしており、ひなたぼっこのみを行う 10数分ほど続けた ずっと考えが浮かんでは飛び散るを繰り返し無心になることすらできない 計画を黙って立て続けることもできない 落ち着きたいとき、体が外に触れている感覚と呼吸と音だけを追いかける擬似座禅をよくするのですがそれでも居心地の悪さが下らない
どうしようもないので移動する 図書館 体が熱を帯びていることに気づいた 内側がどくどくしている 汗をかくまではいかずとも、体温に蒸されている たまにあたる冷房の風が心地よいと感じてしまうほどには暑い
課題に手をつけられない ひとつでも完成させれば少しは上向きになるとそれすらできない うお〜 諦めて課題と全く関係のない本を読む 時間をただ流すだけで終わらせたくない謎の意地 文学作品のある2階にまで昇るのが億劫で雑誌類を手に取る 自身が基礎的な部分だけ知ってる分野を選んだので度々既知の知識と出会ってわ〜と手を振る気分になる 特に意味はない ちゃんと段階を見据えた構成があり、補足で隙が埋められたように感じる文章を読むと、その伝わりやすさですげ〜かっけ〜となる ミチミチに詰まった情報を飲み込む満足感
課題に手を出すのを渋ってるときにしか生まれない熱量と集中で、結局空き時間は雑誌を読むのに使ってしまった なんとも………… 時間に中身はあったが……
日時不明
あっっっつ 暑というか“湿度” 湿気のせいで匂いが苦しい
行きの時間がちょうど雨だったので歩いて帰る え? この中を? 日差しが強くて体が東側に傾きそう きつい 
nakano4 聴く保冷剤 キューと締まる音 イヤホンの外から蝉の鳴き声が聞こえるのも良い その後アイオバーの陰陽師×unwelcomeが流れてきて汗だくになった アツすぎ
【今朝の夢】
血が繋がってるらしい人から右足を弓矢で刺される、増える複数人からの怒号、とにかく逃げる、部屋で落ち着いているときに家戸を強く叩く音にビビる、ひたすら隠れる
でも全部何事もなく過ぎていく
おい! わかりやすすぎ……
7/26
かび掃除
本棚の片側面にかびが薄ら付いてる 嫌…… 嫌………… 放っておくと広がるので拭く 乾いたシートをちょうど切らしてきたので、キッチンペーパーを使う アルコールで濡らした面が茶なり緑なりに染まり、あぁついてますね〜となる ついてますね〜……
床一帯も拭き、壁に近い本を避難させて終わる
元気になった
やはり運動が一番身体にいい
卯月の六周年雑談を聞きながら爪を塗る
元気なので
体が震える 心当たりのどれが当ってるのかわからない たぶんねむい ねた じとじとする
7/27
コンサートよ〜〜〜〜
予定があると特に何も考えずに動ける 今後ばんばん立てなさい
冷凍していた酢鶏を二本解凍し、味噌汁を飲む 意欲がある こんなにはやく生活の渦に入れるなんて
会場まで三十分足らずで行けるらしいので呑気にする
呑気にする
呑気にする
そろそろでないといけない
そろそろ
家を出て、途中昼食をとりながら会場を目指す
モスバーガー
落ち着いて考えたら全然余裕で間に合うことに気づく 開場時間だけを頭にいれていたので余裕しかない 開演を目安にするとダメなことはわかっていたので何分後の間があるのかも覚えていなかった 過去私、感謝
思っていたよりスムーズに公共機関まで移動ができる場所だったので苦しくなることなく腰をおろす
駅〜 でっかいガラス張りで眩しい なかなか見れない量の木々が生え盛っており視界の情報量が凄まじい ひぐらしの音も凄まじ 開放感のある風景で嬉しくなる
ホールに入る 時間が迫る感覚と会場の見慣れなさで思考が縮む 頭と体で優先する動きがめちゃめちゃになり、めちゃめちゃになった かむかむレモンと水 落ち着き
物販に寄ってから席につく
思っていたよりも前の方で嬉しい 演奏者の表情まで視認できる近さ ホールはよくわからん吊るし板がない造りでシンプルな印象 良 しかし上によくわからん長方形の箱が幾つも吊るしてありよくわからない 照明というわけではなさそうで、でも反響に役立つような見た目でもなくよくわからない
開演までパンフレットを読み潰す
山場の音圧が強くなる箇所で、外から音の壁を投げられたり一点で刺してきたり、内から這って響く音にえずきそうになったりと盛り上がりに種類があった すご…… 情緒がメロディーにしかなく音自体は単調な曲が、すべて情動的に組み立てられていて感情がグチャグチャ 揺れ揺れ揺れ動く 楽器との距離が近いので楽譜上の音だけでなく、鳴らしたことで出る木の音まで聞こえてきてコンサートだ〜〜〜〜〜となった ピアノの打撃音や弾かれた弦の音が場内に響いている
コンサート、考えることが多すぎる 音感がないのでこの音はこうで〜調がこれで〜などは全く推測などできないけど、それでも多いのだから音楽を専門としてる人の頭の構造って未知すぎと演奏を目の当たりにする度に思う ただ単に情報と情緒に気圧されている 耳で聞いたものを追ったり、今流れているものを振り分けたり どんどん厚みが追加されていく 全身が水に浸かり呼吸も手足も忙しく回ってるような状態 どんな姿勢で自分が聞いていたのか覚えていない
また、指揮者が愉快な方でところどころコミカルに動いていてよかった
アンケートをロビーのソファ上で書く もらった演奏を自分のなかでまだ落ち着かせられておらず、また内容を覚えるのに一杯一杯で「〇〇が〇〇でよかった」等をズラズラと続ける中身の薄い感想しか書けなく悔しい 感謝と称賛の筋肉がない
帰って物販で購入した品を開けて眺める 良い 良い…… 期待の何倍も素晴らしくキャッキャと喜ぶ
なぜか明日も予定があるのでさっさと寝るよう努める
7/31
ズッタズッタと飛び歩く子供 ぎこちないスキップのような動き
限りなく現実的な感情の夢 見たものは朧な光景すぎて全く記憶に残ってないが、自分らしき人が唸ってたものは自分のように思っていた
最後の講義だしな〜と気合いを入れて向かったが特に何も起こらず終わる それはそう あまり馴染まない構成の授業形態だったので、まあ終われてよかったんじゃないか? はあ……そう…………
疲れたのでお弁当を買って帰った 夜だし夏だし定休日だしで、好きなごはん屋にまで行くことができない 【求】はやめの秋
8/3
ひ、一筋の光〜〜
まあそんなわけでなんとなく将来とやらを描けたわけですが、就活ね…… 就活………… 誰か、わたくしに1から説明と型をつくってくれませんの? 就活の相談室にいこう
私ってまだ
8/8
本当は火曜日に終わらせるはずだった予定どもを終わらす マイナスの状態から動かないといけないので常に腰が重い ゼロになってくれ 善処します
まあいくら夏休みシーズンとはいえ、二・三日の間のどっか一席くらいは空いてるでしょ〜〜とたかをくくっていたら来週近くまで満席だった 本当なら数週間前に予約をとれるような人間だったんです、信じてくれ ギリギリでも大丈夫いけるいけるなんとかなるに甘んじて生きている 店長でなく森様をみて共感できるようになってください 来週はミチミチの質量のある夏休みにしてやるよ
本を買ってウキウキで帰る 夏がはじまる〜
きれいに月が弓状になっていて良い しかし撮るとふとったり、潰れたりする 写真より目で見たろうがきれいだが、後にアルバムを眺める等したら写真をきれいに思ってしまうんだろうな〜と両方の月を消さずに残した
8/10
荷造りをしよう
荷造りをしてない
最最最最最低限の家事だけ消化した
なんかまた眼鏡フレームが痛くなってきた フレームが原因なのか、他の心当たりで痛く思うのかわからない とりあえず荷造りをしよう
「そら、なるがちゃうんだろ」 ←大好き ロウアイキューさんの新作が見れて最高にHAPPY たくさん詰まっててHAPPYなクッキー缶だ 動画はもちろん、流れるコメントの雰囲気が好き かゆいところに手が届く
「卒業しましょう、先輩」 ←大好き よう言った これを真っ直ぐに伝えられるフォロー上手はあんたしかいないし、隣が別の人でいいわけない これが音頭ってことね…… デフォルト顔のこのシーン見て〜切り取ってくれ〜
雑記
最近プレイリストへの飽きが来ている 3つくらいのアプリでお気に入りの曲を詰める作業をしており、そのどれもに飽きを感じている 飽きというよりも強く聴きたいと思う曲を『次に再生』にピックアップできない
普段はシャッフル再生をかけて、2曲目以降に気分の曲をじゃかじゃか放り込み、あとはランダムに好きな曲が流れてくるのを聴いている この二番目の意欲があまり湧かなくなり、ただ順番待ちの曲を消去している
まだ追加していない好きな曲を大量に詰め入れるしかない
が、目も気も疲れるのでいいか〜となっている状態 なので、お気に入りの曲をつくっている好きな方のお気に入りの曲とそれをつくっている方のお気に入りのプレイリストを探すやつをします
そのうち
0 notes
crydayz · 11 months ago
Text
240806 火
別になにひとつ上手くいってないのに脱力してもうダメだ、ってなる事はある
いや、ふつうだろ。けど自分的には「そういう坂道の転がり方するのはレア」って認識なんだ
悪いことがあったら必ず素敵なカウンターイベントが訪れてすぐに元の健全さに戻る...
そういう星の下に生まれたから
なんかもうこれ書いた時点で明日には元気になってるんだろうなーって予感あるもん
この感情あと4時間続いたら逆に驚くね
-----------------------
でも結構みんなそのまま脱力とうんざりの坂道ころころ転がってくじゃん?
(ここにとんでもない悪口)
うむ。散々悪口言ったな。バイツァ・ダストかキング・クリムゾンでふっ飛ばした時間軸の中の知らない自分が
じゃ、もういいや
自分を不幸にする「概念」を脳にロードして維持しておく必然性はない。何かの逆張り実験でもない限り
スーパーサイズ・ミーの監督亡くなってたんだな
癌だったらしい。どうしても映画で無茶した影響(もとい苛烈な批判精神と皮肉屋器質の影響)あるんじゃないのって思ってしまう
タイムオーバーを意識して生きよう
明後日自分の現実が終わっても「ま。十分愉しんだしいっか」って思えるよう
否、もう思ってっけどさ
だから大抵の「未来の危機」は「自分が死んだあとの出来事」としか思っていない
まーみんな、長生きしすぎて超退屈な文明の終わりに追いつかないようコンパクトに人生回していこーよ
例え絵描けなくなっても、仕事できなくなっても寿命尽きるまでになんかしらの「暇つぶしミッション」残ってんだろなーとは思ってるよ
たまに柔らかくて温かいものぎゅっ!ぎゅっ!と抱きしめたのち、ちょっと退屈な暇つぶしミッションこなしてゆっくりと痴呆症が進んで訳がわからなくなってゆく...
そういうエンディングも、いいんじゃない?
俺は即座には「やだよ!」とは言えないな。えー... うーん、まあ...
くらいの温度感でゆっくりずぶずぶと白痴の真綿に飲み込まれてゆく
かのホルスト・ヤンセンの最後だってそんな感じだったんだし
0 notes
indigolikeawa · 1 year ago
Text
2024年3月21日木曜日
病院の待合室にて14
プロジェクション
 私は小さな頃から癇癪持ちで、上手くいかない事や気に入らない事があると、叫んだり、物に当たったりして大変だった、と思う。というのもそういった記憶はほとんどない。忘れてしまったのだろうか、それとも覚えなかったのだろうか。
 小学生の低学年の頃、フットボールの試合の結果が気に入らなかった(たぶん負けた)ために、試合終了のホイッスルと同時にボールをあさっての方角へ蹴っ飛ばし、コーチに「取りに行って来い」と言われた記憶…これは癇癪だろうか?現在行われているプロのフットボールの試合でもたまに見られる光景ではある。他には、小学校の高学年の頃、スーパーファミコンをやっていて、とにかく上手くいかなかった私は、コントローラーに噛み付いた。その歯形がコントローラーにくっきり残った。
 後者の方はいかにも癇癪持ちっぽいエピソードだが、その他の事例が思い浮かばない。私は中学生になり、高校生になり、大学生になり、やがて大人になった。年齢を重ねるごとに、癇癪の回数は増えていった。私が最も成熟していたのは、母親から出て来たてで、びっしょびしょだった頃かもしれない。
 大人になってからの癇癪は枚挙に暇がない。ひどい。大人なのに。我慢してよね。物部門で最も被害を被ったのは携帯電話である。携帯電話で話しているうちに、イライラしてきてしまい、携帯電話をぶん投げてしまう。携帯電話が二つ折りだった頃は関節技を極めてしまい、へし折ってしまう。本当に良くない。つらい。私も私がそんななんて悲しい。でも本当に辛いのは電話の方。携帯電話のお店に行って「車に轢かれました」と申し出て、「あっ、なるほどですねー」と言われて手続きしてもらったことが何度もある。
 人部門で最も被害を被ったのは家族か、友達か。どちらになるだろう。電話で通話していると、いきなり私の声が遠くなり、破壊音がして、怒鳴り声がオフマイクで聞こえる(真に破壊された場合は切れる)。最悪である。こんな事を書いていて何になるのか。読んだ人は悪印象しか持たない。マイナスプロモーションにも程がある。でも書くことがないから書くしかない。ここは病院の待合室なのだから。
 誰もが知っているように、怒鳴るという事は暴力である。私は人を殴った事は無いが、怒鳴った事はある。殴られた事はある。怒鳴られた事も勿論ある。怒鳴るというのは、殴りはしなかった、ぐらいの暴力である。ほとんど殴られたようなもの、ぐらいかもしれない。だからとにかく怒鳴ってはいけない。暴力はいけないから。絶対に。
 怒鳴る、あるいは癇癪を起こす、というのは抑制と解放のメカニズムで成り立っている。蓄積する、我慢する。我慢できなくなる。出る/起こす。それだけである。つまり、体内のものが体外にでるのと同じ。咳をする、うんこする、おしっこする、射精する、泣く、くしゃみする、と同じである。ちなみに今の順番は、私の考える癇癪と近い生理現象のカウントダウンである。怒鳴る/癇癪に2番目に近いのは、泣くことである。泣いちゃいそう…となってる時に、出しちゃえ出しちゃえ泣いちゃえ泣いちゃえと思うことは無いだろうか。逆に我慢せな…我慢せなあかんで…と思うことは無いだろうか。そして涙がポロンと出た時の、あの妙な気持ち良さ。あの感じは相当近いように思う。そして周りに優しさを欠いた人達がいた時の「あー…泣いちゃった(めんどくさ…)(変な人…)」という視線。状況も近い。
 ただ、怒鳴るという行為には投射する感じがある。プロジェクション。そのあたり一帯に撒き散らす感覚。それが涙にはない。その点でいうと、くしゃみはかなり近い。くしゃみの原因(花粉症やハウスダストのアレルギーの方などは分かりやすいと思う)が蓄積する。マスクしてないのでくしゃみしてはならない。ハーッハーッと来る。ハクショーン!あたり一面に鼻水なんだか唾なんだかわからないが不愉快なものが撒き散らされる。これです。これと一緒です。
 そしてここから少しややこしいのだが、私は若い頃に、心療内科で統合失調症だと誤診され、統合失調症の薬を処方され、規則正しく摂取していた事があった。しかし病状が全く良くならず(誤診だからね)、飲むとめちゃくちゃ怠くなってしまうので、吉祥寺のバウスシアターでゴダールの『映画史』を見た日に、薬を飲むのをやめてしまった。3日後くらいに急に体がけいれんしだした。ガクガクしながら再度病院に行き、数日間安静にすることで症状は良くなったのだが、イライラが募り、癇癪が起きそうになるのを我慢すると、ビクーン、ビクーンと体がけいれんするようになってしまった。それが現在まで続いているのだが、そのけいれんが、くしゃみの前の「ハーッ、ハーッ」となっている時の動作を大袈裟にやったものに似ているのである。ややこし。まあだから、くしゃみに似てると思ってるのは私だけかもしんない。
 今日私は癇癪を起こした。以下その経過。
 A=A診療所、B=B病院、C=市役所、D=県庁
 朝、家で母と麻疹が流行っている話になる。母子手帳を確認する私たち。麻疹はワクチン接種済。風疹は1回接種したのみ。もう一回する必要があるかもしれない。
 Aに電話。風疹のワクチン打ちたいと伝える。A受付(そっけない)「在庫ないから無理です」
 Bに電話。風疹のワクチン打ちたいと伝える。B看護師(やさしい)「風疹のワクチン1回打ってるなら、それで抗体出来てるかも。抗体検査するといい。市役所に言うと無料のクーポン貰えるよ」
 Cに電話。風疹の抗体検査したいと伝える。C受付(やさしい)「それは県庁の管轄なので県庁で相談してみて下さい。電話番号これこれです」
 Dに電話。風疹の抗体検査したい。D健康推進課(やさしい)「国がやってる接種と県がやってる接種がある。国の接種はハガキが届くのだが、あなたは対象外。県の接種だとあなたは対象です。手ぶらで行けますよ。病院のリストはウェブにあります。(AもBもリストに載っている)」
 Aに電話。風疹の抗体検査したい。A受付(そっけない、てか冷たい)「ハガキないと出来ない」
 Dに電話。風疹の検査、Aがハガキいるって言ってる。Dさっきの人(やさしい)「そんなことはないですよ。県の接種だと強調して伝えてみて下さい。Aはリストにもありますし」
 Aに電話。県の接種ならハガキなくてできるって。A受付(さっきと違う人。やさしめ)「そうなんですね…ちょっとお調べします。(切る)」
 30分経過。
 Aに電話。あの…調べられましたか?電話番号言ってなかったかも。A受付(そっけなくて冷たくて怖い)「はい…だから今調べてます。はい。ガチャン!(思いっきり受話器を置く大きい音)」
 10分経過。
 Aから電話。A受付(やさしめ)「お調べしたら抗体検査できます」
 私「だからずーーーーっと言ってますよね!!!!」
 プロジェクション中。切ったら最初の電話から3時間近く経っている。
 昼。母とちらし寿司食べる。午前中を振り返り、私だけが悪いのではないと確認する。たぶん。お母さん私に甘いかも。
 午後。
 Bに電話。落ち着いて。抗体検査したいんですけど。県の接種の方。「あっ無料で出来ますよー。予約とかいらないので来て下さいね」
 Bに行く。待ちながらこの記事書く。採血。結果は後日。帰る。
 なんでこんな事になるのか。でも決めました。やっぱり怒鳴るのは良くないので、私は今日から癇癪持ちやめます。お酒もタバコもやめれたので多分やめれます。癇癪出ちゃいそうな時はビクビクけいれんして生きていきます。人を傷つけるより自分が疲れるだけの方がずっと良いし、後々の後悔を含めた総合的なダメージを見ても、けいれんの方が少ないです。頑張ります。私は生まれ変わるのです。見ていて下さい。
 
0 notes
yutakayagai · 1 year ago
Text
翌日、昨日と同様、補講の合間に佐伯は拓也と会った。もうじき夏休みも終わろうとしているからか、校内は普段と変わらない雰囲気だった。職員室では、昨日と同様、一部の教師たちが拓也と昌平の話をしていた。
「まァ、ウチは元々男子校だったから、男同士の『チョメチョメ』はあったけどなァ…」
「そうなンですか!? 知らなかったァ〜」
「昔は制服がなかったし、目立たなかったンだよ」
「じゃあ、成人映画観に行ってもバレないな」
そんなやり取りを聞きながら、佐伯は他人(ひと)の気も知らないでと思った。当事者は、周囲が思っているほど楽観的ではないのに…。やはり、同性愛者は未だ世間ではマイノリティーなのだなと、佐伯は弁当箱を片付けた。
拓也とはできれば気楽に話をしたいと、今回は隣のG寺の境内で待ち合わせた。佐伯は約束した時間通りに来たが、すでに一足早く拓也が待っていた。昨日同様、ネクタイを緩めずにキチンとした格好だったが、肌着のタンクトップが汗でワイシャツから透けて見えていた。
「御免ね、これ飲んで」
と、佐伯は校内の自販機で買った缶コーヒーを拓也に手渡した。拓也は頷き、
「す、すみません」
と申し訳なさそうに言った。
G寺には人気がなかった。時折、墓参りに訪れる人たちを数名見かけた。拓也は缶コーヒーを両手に持ちながら話した。
「昨日は御免なさい。何だか興奮しちゅって…」
「否、若いからしょうがないンじゃないの?」
「でも、恥ずかしい…」
佐伯は、どのタイミングで長谷川のことを聞き出そうかと思っていた。しかし、拓也は誰に似たのだろう? 長谷川は確かに身長が高かったが、あとは片方のまぶたが一重だった。彼もそうだ。もしかしたら母親似か? 佐伯は聞いた。
「君のご両親って、お父さんもお母さんも地方公務員だよね?」
「はい、父も母も茨城町役場です。家は小鶴です」
「元々、ご両親は茨城町に住んでたの?」
「いえ、父は水戸の常盤町に実家がありました。母が茨城町の若宮です」
「お母さんって、ご兄弟は?」
「僕から見ると、伯父さんが一人います」
「ちなみに、お母さんの旧姓って…」
「『長谷川』です。伯父さんは『洋一』って言います」
拓也から「長谷川洋一」と言う名前が出た途端、佐伯は浩志が話していたことが真実だったと確信した。目頭が熱くなり、彼は眼鏡を外した。突然泣き出したので拓也はびっくりし、
「先生! 僕、何か悪いこと言いましたか!?」
と聞いた。佐伯は涙を手指で拭いながら、
「否、御免…」
と言った。
「実は、先生、伯父さんと付き合ってたンだ」
「え、 伯父さんと?」
「伯父さん、Tブックセンターに勤めてたでしょ? 君と同様、『薔薇族』を立ち読みして目覚めたンだ」
「う、嘘!?」
この事実を拓也は信じられない様だった。彼の話によれば、長谷川は元々、県内の国公立大学を卒業した後、教員採用試験を受けて合格し、水戸市内の市立中学校に赴任し教職に就いていたが、当時勤めていた中学校で一人の男子中学生と関係を持ち、懲戒免職になったと言う。その後、Tブックセンターにようやく仕事を見つけしばらく働いていたが、家業の養鶏場を、父親が動けなくなったことがきっかけで家業を継ぐ為に戻ったらしい。
妹、つまり拓也の母親には、長谷川が教え子に手を出したことで懲戒免職になったのを話さずにいた。当時赴任していたのは県央の何処かだったらしく、噂になることはなかった。それでも、長男であるにもかかわらず独り身でいることには疑問に思っていたと言う。長谷川の父親が亡くなってからは、拓也の母親は実家には半年に一回は帰っていたが、長谷川自身について言及することはなかった。兄には兄の人生があると考えていたからだった。
これらのことは、孫である拓也には話していた。自分がゲイであり、それ故に教え子に手を出し人生を棒に振ったと、おじさんの様な「脱落者」になってはいけないと話していたと言う。拓也は、昌平と関係を持っていることは、未だ長谷川には話していなかった。彼は言った。
「でも、僕思うンです。たまたま好きになったのが同性だった、それだけなのにこんな肩身の狭い思いをしなきゃならないなんて…。昌平もそう思ってます。彼はもっと大変。お父さんが医者だから医学部へ行かなきゃならない。ウチの高校じゃダメだから県立M一高なンですって…」
昨日より拓也はありのままを話しているなと、佐伯は感じた。長谷川と関係を持っていたと聞き、親近感を持ったのだろう。缶コーヒーはすでに飲み干していた。拓也は近づき、佐伯の肩に寄りかかった。
「…先生、同性が好きだからと言って人生が破綻するなんて、ないですよね?」
そう言うと、拓也は佐伯の手を握り、肩に顔をうずめた。すすり泣いている様だった。彼は言った。
「…人を好きになることって、こんなにも辛いものなンですか?」
佐伯は、この言葉に拓也が今抱えている思いが総て込められていると思った。時折、真夏には感じられなかった乾いた風が肌に当たり、心地よかった。気付くと、彼は拓也を抱きしめていた。
「…泣かないで。人生なんてどうにでもなるさ」
「…先生」
このまま二人は接吻した。蝉しぐれだけが聞こえていた。
夕方、佐伯は拓也を家まで送ることにした。奥谷方面の路線バスが少なかったからだった。また、K百貨店に途中立ち寄り、長谷川がいるか確認する為でもあった。
拓也の話では、本館駐車場の警備をしているとの事だった。佐伯は車を停めた後、警備員の詰所に寄った。他の警備員が応対し、
「長谷川さんなら確か…中三階にいますね」
と言った。
中三階の、螺旋状の下車用通路の入口に丁度、長身で白髪の男が立っていた。彼は拓也の姿を認めると、
「あれ? 珍しいね。お遣いか何か?」
と声をかけた。拓也は言った。
「おじさん、久しぶり。実は、おじさんに会いたい人がいるンだ」
隣にいた佐伯はその男の顔を見詰め、眉毛の特徴から彼が長谷川であることを確信した。彼は声をかけた。
「…おじさん、佐伯浩二です」
この言葉に長谷川は両目を見開き、口を片手で押さえた。彼は感激している様だった。彼は、
「…今、仕事中だから。家は備前町だよね?」
と聞いた。佐伯も涙が込み上げるのを抑え、
「はい。仕事が終わってからでもいいので…」
と言った。
その後、早く長谷川と話をしたいと思いを馳せながら、佐伯は拓也を家に送って行った。国道六号を旧道に入ったところが小鶴だった。新築の庭付き一戸建ての駐車場に拓也を下ろすと、
「先生、ありがとう!」
と会釈をし、見送った。ようやく笑顔が見えたと、佐伯は安堵のため息をついた。
午後八時になり、夕飯を済ませた佐伯のところに呼鈴が鳴った。ドアを開けると、黄色のポロシャツにベージュのチノパンに着替えた長谷川が立っていた。玄関に入るや否や、彼は佐伯に抱擁した。声を上げて泣き出し、
「浩二、会いたかった…。こんな近くにいたなんて、もっと早く会いたかった…」
と訴えた。佐伯も涙を流し、
「嗚呼、まさかおじさんに再会できるなんて…。神代君の伯父さんだったなんて…」
と言葉を交わした。
数十年ぶりに会った長谷川は、佐伯が中学生だった頃と比べ、痩せてしまっている気がした。翌日は佐伯は休みで、長谷川も非番との事で、応接間で互いにグラスを傾けた。せっかく再会したのだからと、佐伯は「ロイヤルサルート」と言うスコッチウィスキーの封を切った。長谷川は、
「そんな、勿体ないよ!」
と遠慮したが、佐伯は横に首を振り、
「どうせ、オレ独りだから…」
と言った。
二人は、これまで歩ん��きた人生について語り合った。長谷川は、養鶏場を細々と経営していたが鳥インフルエンザの影響で飼っていた鶏が殺処分されるのを何度も経験し、廃業を余儀なくされたことを話した。妹、つまり拓也の母は啓子と言い、せっかく教員免許を持っているのだからと非常勤講師として教壇に立つことを勧めたが、過ちを知られたくないと言う思いが強く、警備の仕事に落ち着いたと言う。その間、成人映画館や東京の所謂「ハッテンサウナ」に出入りし、情人(アマン)を探したが見つかっても長続きせず、性欲を満たしたい時はゲイビデオを見ながらディルトで己の下半身の穴に挿入し、犯された感覚を味わっていた。
「何もかも上手くいかなくて辛かった。教師をやっていた時に教え子になんか手を出したから、罰が当たったンだ」
酔いが回っているのか、長谷川は自分自身を卑下する言葉を口走り始めた。佐伯は、途中でウィスキーを普段飲み付けている「バランタイン十二年」に替えた。ロイヤルサルートは、できれば愉しいひとときの為の酒にしたかったからだ。長谷川は話し続けた。
「…甥っ子の拓也がまさか同性に興味を持つなんて。彼の様な好青年がゲイとは…オレはとんでもない馬鹿だ。同じ過ちを拓也には経験して欲しくなかったのに…。もしオレと同じ人生を歩むことになったら…」
完全に自分自身に対する恨み節となっていた。最初はすすり泣いていたが、次第に声が大きくなり、終いにはわんわん泣き出してしまった。佐伯はじっと見てはいられず、長谷川に寄り添った。まるで子どもの様だった。
「…いつも浩二のことが頭から離れなかった。独りで淋しくてこのまま死んでしまうかと思っても、浩二がもし知ったら悲しむだろうって…。オレ、お前を愛してるンだ…」
佐伯は、号泣する長谷川をそっと抱擁した。未だ、己の肉欲のままに彼を求め続けたあの頃には決して見せなかった側面だった。昔より肩幅が小さくなったと思いながら、佐伯は長谷川の唇に接吻した。唇も薄くなった気がした。
二人は階上へ行き、かつて浩志が書斎として使っていた部屋のベッドで愛し合った。佐伯は長谷川のチノパンを脱がせ、「YG」と黒字で施されたウエストゴムのセミビキニブリーフ越しに一物を手指で愛撫した。長谷川も佐伯のスラックスのベルトを外し、大樹とお揃いのハイレグビキニの膨らみに顔をうずめた。長谷川は上下に股間を弄られながら、
「…もう勃たないよ。でも、あッ…」
と下半身が熱くなっていくのを感じた。一物の根元が硬くなり、ピクッとけいれんさせながら天井の方へ反り上がっていく。終いには、ブリーフの布地を突き上げ、卑猥なテントをつくった。佐伯は、
「…おじさん、未だ現役だよ」
と、その隆起物を愛おしそうに撫でた。 
「…浩二、欲しいよ」
こうして二人は着ていたものを皆脱ぎ捨て、裸になった。長谷川は一体になりたいと、佐伯の下半身の穴にラヴオイルを塗りたぐった。気分が高揚していく。時折、佐伯は長谷川の乳房を弄んだ。唇を挟んで軽く噛んだりもし、
「あッ、ああん!」
と長谷川は声を上げた。
ベッドのきしむ音が室内に響き、同時に冷房を付けていたが熱気に満ちていた。互いに無数の汗を流しながら、長谷川はわななき、佐伯は喘いだ。二人は一体になり、息づく余裕もなく接吻を繰り返した。いつしか唇同士が離れなくなる様な感覚を得、長谷川の腰つきはいよいよ激しくなった。
「…浩二、 二度と離れない!」
身体を突き上げながら、佐伯は頭の中が真っ白になっていくのを感じた。大樹との情事では経験したことがなかった。彼はどちらかと言えば「タチ」だった。しかし、今は「ネコ」であり、完全に長谷川の肉欲の方が勝っていた。いつしか涙を流し、
「おじさん…」
と、全身の力が吸い取られていく様な気がした。
オルガズムは同時に訪れた。切迫詰まった長谷川は、
「イク! イク! イクぅぅぅぅぅ!」
と肉棒から熱い愛液を佐伯の体内に撃ち込んだ。
「あッ! あんッ! ああん!」
そんな声を上げつつ、長谷川は佐伯の跳ばした愛液をも浴びた。
こうして情事を終えたが、二人は未だ抱き合っていた。快楽の極地に向けて身を任せている様だった。汗と愛液にまみれた二人は頬を擦り寄せ、接吻を交わした。佐伯は言った。
「…おじさん。これ以上、自分自身を責めないで。たまたま運が悪かっただけだよ…」
「…浩二、明日にでも死んでいい。もう悔いはないよ」
「馬鹿、死なないで…。人生は未だやり直せるよ」
「嘘だよ、もう過去にはこだわらないさ…」
夜は更けたまま、未だ明けてはいなかった。乱れたベッドの上で、二人は互いにぬくもりを感じ合っていた。
1 note · View note
ichinichi-okure · 1 year ago
Text
Tumblr media
2024.1.14sun_kanagawa
 昨日はアドレナリンが出ていて、いつもより遅く寝着いたが、いつも通りの6時に目が覚める。でも今日は休みだ、と安心してもう一度寝て、7時に起床。洗面を済ませ、着替えてお砂糖とミルクがたっぷりのインスタントコーヒーを飲む。これは私が子どもの時からのルーティーンだ。SNSやLINEをサッと確認して返信を打つ。ワクワクするお誘いに心浮き立つ。  今日は初めてのWSに参加する予定だ。でも、その前に知り合いのイベントに行ってみよう。まだ布団の中の夫に「いってきます」と告げ、足取り軽く家を出る。車を運転すること30分。鶴川にあるセントラル商店街という何ともノスタルジックな場所に到着。早くも聞こえてくるお囃子の音に自然と駆け足になる。角を曲がると、威勢のいい声と同時に餅をつく人、返す人、手を叩いて笑顔でエールを送る人たちのエネルギーで溢れかえっていた。年始初めて会う知り合いみんなに声をかけ、再会の歓びを分かち合う。人生で初めての豆花をいただいた。ほんのりと甘く、重すぎず、いろんなの食感を味わえるいくちゃん(食堂pocoさん)の豆花。今の身体に最高の食べ物だ!お腹は満たされていたが、あちこちからいい匂いがしてきて、まだ食欲が止まらない。古いストーブの上で温められていたのは豚汁だ。そのすぐ下にはブタの置物。なんてシュールな…この後の予定を考えてやめておいた方がいいと言う私と、いや、身体も温まるしとにかく食べたいと言う私でせめぎ合う。次の瞬間お代の300円をお店の方に手渡していた。椅子に腰掛け、豚汁をいただく。やっぱり大正解だ。豚汁とカレーは、大きな鍋でたくさん作られたものがなぜか美味しい。きっとこれもそうだ。大満足で完食すると、目の前には『うどん』の文字。食べたい気持ちをグッと我慢し、私は席を立った。
Tumblr media
 知り合いに会い、美味しいもので満たされた私は、今日のメインイベントへ。Googleマップを頼りに10分ほど歩くと、茶色いムーミンハウスのようなジブリに出てきそうな窯が見えてきた。そう、今日私は陶芸を教えてもらうのだ。でも、その前にヨガ。アパートの入り口を探して扉を開けると、木と光のぬくもりが溢れるスタジオと慣れ親しんだ顔が目に飛び込んでくる。いつもお店に来てくれる人も、たまたま今日初めての参加だったのだ。驚いて嬉しくなり、初めて会う方々にも紹介し、紹介され、その場が明るい雰囲気で包まれていた。
Tumblr media
 ヨガ講師である美しい笑顔のみちこさんに挨拶をし、急いで着替えを済ませ、ヨガマットの上に座る。はて、私はヨガ何年ぶりだろうか…3年前までピラティスはやっていたが、ヨガは5年ぶりくらいかしら…身体が硬い私は、『家でストレッチしてくればよかったな。急にヨガやって大丈夫かしら…またどこか傷めないかな。』と不安になってきた。それを察してなのか、みちこさんが「私のヨガ教室は、自分の身体に目を向け、自分の呼吸に耳を傾けて、自分自身を感じるためのヨガです。無理に身体を動かしたり、ポーズを極めたりするのではなく、ストレッチとトレーニングを繰り返していきます。筋肉に負荷がかかるトレーニングの後には、その筋肉を緩める動きを入れていきますので、決して無理のない範囲で身体を動かしていきましょう。」と説明してくれた。なんてすごいタイミングと思いながらもホッと胸を撫でおろす。呼吸を整え、先生の出してくれる指示に従いながら身体を動かし始める。先生の声の質感や声量、テンポの心地よさに耳を預け、普段あまり伸ばさないところを心地よく伸ばしていく。動きの指示を優しく出しながら、先生はその反対の動き(左右)をし、ポーズの名前や由来を教えてくれた。時々『あれ?今私合ってるかな?』と不安になり、周りをチラチラと確認しながらも、身体を動かす心地よさを感じながら、私はどんどんヨガの世界に浸り始めていた。しかし、恐れていたことが起きてしまったのだ。仰向けで脚を頭の後ろに持っていくポーズになると、なんだか苦しく、少し気持ちが悪くなってきた。そう、動く前に食べ過ぎたのだ。私はその動きを中断し、仰向けに戻ってしばし休憩。みんなが気持ち良さそうなのを横目に、やはりな…と反省(でも、美味しかったから後悔はないw)。そして、その後の動きから合流し、ヨガの時間1時間半が終了した。  副交感神経が働いているせいなのか、まだ頭がボーッとしている中、みんなでお昼ご飯の準備が始まった。マットを片付け、テーブルを出すと、梅ちゃん先生(陶芸の講師)がいい匂いのする鍋や炊飯器を持ってきてくれた。この香りはカレーだ。ターメリックで黄色く色付いたご飯の横にカレー2種をかけ、それぞれの席に配る。テーブルの上には鮮やかな野菜たちの炒め物やサラダが所狭しと並んでいた。みんなで「いただきます」をしてから食べ始める。カレーをひと口、ふた口と食べ進めると、辛くもないのに、頭皮の毛穴が開き、スースーするような感じがした。スパイスが私の身体の中から作用している。不思議な気持ちになりながらも、どんな風に作ったのか、どこで手に入れた食材なのか、どんな風に出会った料理なのか、それぞれの先生に尋ねたり、日常の話をしたり、みんなとする食事の時間を愉しんでいた。
Tumblr media
 食べ終わるとオラクルカードの時間。年始にひいてみるのが恒例となっているそうだ。私がひいたカードは、鮮やかな緑の上に明るいピンク色がのっていて、そこに白いマーガレットのような花がたくさん描かれているカード『世界を維持する者 ヴァースデーヴァ』というものだった。みちこさんが手渡してくれた解説書を読むと、ふむふむ…リラックスしましょう。休息しましょう。それが次なるエネルギーとなるでしょう。と書いてある。年末年始でこの言葉を聞くのは3回目だ。一つ目はしいたけ占いの水瓶座。二つ目は前日にみてもらったカラーセラピー。そして三つ目がオラクルカード。よほど休んだ方がいいらしい…頭の片隅に置いておこう。  さぁ、今日の愉しみはまだ終わらない。別の部屋に移動して、エプロンをつけ、サンダルに履き替えると、梅ちゃん先生の陶芸教室の始まりだ。陶芸こそ初めてではないが、人生で三度くらいしかやった事のないもの。今回教わるのは手轆轤という器具を使うものだそうだ。あらかじめ用意していた作りたいイメージの器の写真を用意し先生に確認すると、私の分の陶土を用意してくれた。みんなに作業確認や指示を出しながら、先生はそれを捏ねていく。捏ねている土の動きをただただ見続けていた。少ししてから菊練りという段階に入ると、さらに土の動きや模様が美しく、感嘆がもれる。永遠に見続けられると思っていると、あっという間に菊練りは終わってしまった。それを手轆轤に少し乗せ、潰して円を作る。その上に長細くした土を重ね、どんどん高くしていく。そして、そこから好きな形に伸ばしていくそうだ。先生が湯呑ならこのくらい、お茶碗ならこのくらい、煮付けの小鉢ならこのくらい、と言いながら、まるで魔法のように次々に形を変えていく。
Tumblr media
 圧倒されていると、自分の番が回ってきた。手を動かすことは大好きなのだが、いざ始まると、えっと…まず何でしたっけ?という状態。先生に確認しながらまずは土に触ってみる。ヒンヤリと冷たく、粘土よりも少し硬い。水分を含んでいて、少しだけスズリのような香りがした。それを丸めたり伸ばしたりしながら、教えてもらったように形を作っていく。どうしたら繋ぎ目がきれいに無くなるのか、頑丈な器になるのか、厚さが均等になるのか、分からない事は多いがとりあえず手を動かしてみる。参考作品の写真を何度も確認し作り進めるのだが、なかなか思うような形にはならない。夢中になって作り続け、2時間ほどだろうか、やっとなんとか納得できる形になったようなので手を止めた(本当は永遠に形をあれこれ変え続けていたい気持ちだったが…)。集中力が解け周りを見渡すと、様々な形が出来上がっていた。どれもこれもみんな生きているようで何とも愛おしい。次回は『けずり』と言われる作業なのだそうだ。また来月の愉しみが増えたことに心が躍る。先生の淹れてくれた生姜紅茶とみなさんからの旅行土産の差し入れででホッとひと息。ふと我にかえると心地よい疲労感や達成感が押し寄せてきた。  今日を共にできた先生や生徒のみなさんに挨拶をし、アトリエを後にする。車に乗り込み、夕焼けを眺めながらのしばしのドライブ。だんだん暮���て色が変わっていく空の様子を観察しながら、今日のことを思い出し、ひとり笑顔がこぼれる。音楽を聴きながら唄いながら家路についた。なんてキラキラとした時間のつまった一日だったのだろうか。また明日から頑張ろう!
-プロフィール- 野沢ちか 39歳 神奈川県 花綵hanazuna
2023年4月東京都町田市にある簗田寺のかたわらにある白い建物“tem”にてアトリエをオープン。 簗田寺の里山に生きるたおやかな草花を摘み、花生けのお教室やリース作りのWSなど、草花を身近に感じられる暮らしの提案をしています。 Instagram @hanazuna_style hp https://www.hanazuna-style.com/
0 notes