#でもマトモに社会人してるとそれが当たり前で小さい子供がいるともっと大変なんだろうなぁ
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mlyzvt-no2157 · 2 years ago
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男性ホルモン注射にハマったFさん
大学院修了後、新卒から約10年間程勤めていた会社の営業部は何かと個性的な人(変な人とも言う)の巣窟だった。当時は、会社という所は、面白いネタを落としてくれるものだと思い込んでいたが、夫や友人、親兄弟から、こんなに面白い人の巣窟は私が勤めている会社だけだと言われたし、転職した今は、本当にその通りだったんだとつくづく思う。元々は私が所属していた部署から営業部に異動したFさんもユニークで変わった人だった。
Fさんはバツイチの独身で二人の子供と元奥さんがいた。何故か分からないが容姿に恵まれた人が非常に多い営業部の中で、Fさんはお世辞にもいい男と言えない容姿だった。こう言っては失礼だが、世の中の男性の美形指数から判断すると、中の下か、下の上ぐらいだった。だが、本人は自分を男前だと思っているようだった。本人は、海外のハイブランドのスーツ���カッコよく着こなしているつもりだろうが、短い手足でスーツと身体のサイズが合っておらず、ズボンは引きずっているし、ジャケットからは指先しか出ていなかった。そのくせ、ウエストはキツそうでベルトの上にお肉がぷよぷよ乗っていた。
信じられない事だったが、Fさんの元奥様は女優の石田ゆり子さん似の美人で、娘さんも有村架純さん似の美人だった。ちなみにFさんの息子さんはFさんそっくりだった。
またFさんは女性と二人で飲みに行き、解散時刻が深夜11時を過ぎていたらホテルに誘わないと失礼だ、という変なポリシーを持っていた(ホテルに誘わないと失礼どころか、ホテルに誘ったらセクハラで訴えられる恐れがあるというリスクにどうして頭が回らないのだろうと、私はいつも疑問に思っていた)。
そんなかなり自意識過剰気味のFさんは、あるとき、自信満々に自分の容姿をうちの部署の新入社員に自慢していたが、その新入社員の子は竹を割ったようにハッキリとモノを言うタイプの人間だったので、「Fさん、あなたは普通、いや、普通よりダサいオッサンですよ。誰もあなたの事をカッコイイなんて思ってませんよ。みんな優しいからあなたに合わせてカッコイイって言ってあげてるだけです。あなたは背も低いし、脚も短いし、顔も痛いじゃないですか。そのくせ、目下の人間に態度がでかくて、偉そうな口を聞いて、話の9割は自慢話か自分より恵まれている人への妬み話じゃないですか。そんなんだから離婚されるんですよ」とFさんをメッタ刺しに切りつけた。事実、後輩の言った事は真実であり、誰もが皆、同じ思いを抱いていたが、誰もそれをFさん本人に言う事は無かった。
プライドを傷付けられたFさんは自暴自棄になり、暴飲暴食に明け暮れ、3ヶ月程で30kg以上太ってしまった。更にFさんは勤務時間中でも事務所にいる時は常にポテトチップスを食べながら仕事をしており、Fさんの体重は増え続け、もともとスタイルが良いと言えない体型は坂を転げるように崩れていった。
さすがに見かねたFさんの上司のTさんは、Fさんに30kg減量のダイエットができたら30万円あげると言い、Fさんにハッパをかけた。
あの生意気な新入社員を見返してやりたいと燃え上がったFさんは40kg減量のダイエットに見事に成功し、スリムになった。スリムになったFさんは自信に満ち溢れていた。
日焼けサロンに通い、肌を小麦色に焼き、口髭を生やし、髪��金髪になり(これは営業マンとしては如何なものかと思うが…)、全身を若者の間で人気の高級ブランドのクロムハーツで身を固めて出社するようになった。
だが、Fさんのクロムハーツは、クロムハーツの直営店で購入した衣装やネックレス、指輪ではなく、某大陸の偽物市場から並行輸入した安物なので、こう言っては失礼だが、カッコイイどころか、タダの痛いオッサンにしか見えなかった。しかも、クロムハーツは若者向きのブランドなので、50代半ば過ぎのFさんが身に付けているのはどう見てもヘンテコリンだった。だが、そんか事を言えばFさんは何をしでかすか分からないので、誰も何も言わなかった。あるとき、Fさんの上司のTさん(営業部で唯一と言っていいほどのマトモな人)が、「はぁ~、F君のあの服装とファッション、何とかしてくれんかなぁ」と嘆いていたので、「Tさんが上司なんですから、Tさんが注意すれば、やめるんじゃないですか?」と言ったら、Tさんは「オレの言う事を素直に聞いてくれたら苦労はせんよ」と言っていたので、誰もFさんの暴走を止められなかったようだ。
ダイエットに成功し、自分ではオシャレで、格好良くダンディなオジサマになったと思い込んでいるFさんは、お菓子を食べるのを辞めた代わりに、何か娯楽を見つけたいと思ったらしい。そして、何処から情報を得てきたのか謎だが、『男性ホルモン注射を打つと若々しくなり、格好良くなる』と思い込んでしまったようだ。
数か月間の海外出張を経て、帰国したら、Fさんは、更に自信満々な態度になっていた。ファッションは相変わらず偽クロムハーツで固められており、腕時計は偽ロレックスで、両耳は、偽クロムハーツのピアスが鈍い光を放っていた。髪の毛は完全な金髪に染めており、両目にはブルーのカラーコンタクトが嵌められていた。そして、両腕には何重にも数珠か紐か何か分からない得体の知れない物が巻かれており、『痛いオジサン度』は私の出張前よりも何倍にも膨れ上がっていた。
私は、決してFさんと仲良しでは無かったが、Fさんは逆に、私の事を同僚で友達だと思っているようだった。
ある日、忙しく執筆しているとき、Fさんがやってきて隣の机に座ってきた。
Fさん「なぁなぁ、みずほちゃん、オレ、格好良さに磨きがかかったと思わん?」
私「そうですね(嘘)」
Fさん「どうして、こんなに格好良くなれたと思う?」
私「さぁ...分かりません」
Fさん「内緒だけどな、実は今男性ホルモン注射を1週間に1回打ってもらってるんだ♪」
私「えっ?男性ホルモン注射ですか?そんなモノ、自費医療になるからめちゃくちゃ高いんじゃないですか?」
Fさん「総合病院に行って、不妊治療の名目で男性ホルモン注射を打ってもらってるから、保険適用になるから、金はかからんよ」
私は思わずひっくり返りそうになっ��。
不妊治療って...
Fさんは孫が居てもおかしくない年齢である。その前に、Fさんには配偶者がおらず、独身である。不妊治療なんぞ、天地がひっくり返ってもFさんには必要無いモノである。それを信じた医者も医者だが、世の中、こんな事がまかり通っていいんだろうか?私は何度も自問自答した。
やっぱり、この会社の営業部は変な人の巣窟だ...
このエピソードを書きながら、私は改めてそう思った。
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emilylikestennis · 5 years ago
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エンリケ後悔王子
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先が見えない。行き詰まりのどん詰まりで我々は今抗ったり、受け容れたり、或いは諦めたりしている。想像した未来はもっと華やかで便利で、そうじゃないとしてもマトモだったはずなのに。
効率化を突き詰めればその先には『死』しかない。バンドは非効率の極みだ。その非効率を更に極め、自ら修羅の道を行く痴れ者たちことエミリーライクステニス。今回メンバー全員にインタヴューを敢行することにより、その哲学がヴェールを脱いだように思う。まずは唯一のオリジナルメンバーであるエンリケ後悔王子だ。
(聞き手:早瀬雅之)
友達もいないけど、いじめられるでもない。何もない。毎週ブックオフに行ってた
●まず生い立ちを訊こうかなと。
「出身は群馬の前橋っていう県庁所在地なんですけど」
●結構中心地というか栄えてる?
「いや、死んでますね(笑)。オリオン通り商店街っていうのが近所にあったんですけど、ブラックビスケッツが一体五万円の木彫りのブラビ像を売っていて、どうしても売れなかった最後の一体を買い取ったのがその商店街で。商店街の人が『この通りの名前もブラビ通り商店街にしましょう!』って言ってた(笑)。そんな街です」
●ええ…。今もその名前なの?
「多分…。僕が大学生くらいの時にその近くにモールが出来ちゃって、商店街は蹂躙されちゃったんですけど、そこに新星堂があってD☆SELDOMっていう安いオムニバスと、フリーペーパーを毎月取りに行ってた記憶が」
●ああ、出してたね。それが情報源みたいな。
「そうそう、音楽雑誌かそれ。タワレコは高崎に行かないとなかった。県庁は前橋なんですけど高崎の方が栄えているんですよね」
●何か栄えているイメージがあるよね。
「自分の思春期で結構(高崎に)持ってかれたかな。ヤマダ電機の本店とか」
●ライブハウスもclub FLEEZが高崎に移って。
「そうそう、G-freak factoryの根城でお馴染みの」
 ●家族構成はどんな感じだった?
「祖父母と両親と姉と兄と…」
●三人兄弟?
「姉貴が九個上���兄貴が二つ上ですね。だから僕が小学生のうちに大学進学で家を出ていきました」
●何か姉弟仲が良いイメージがある。
「今でも年数回会うし、兄貴も姉貴もうみのてのライブ観に行ったことがあったはず(笑)」
●その節はどうも(笑)。
「洋楽を最初に教えてくれたのが姉貴で、後は兄貴とオルタナを掘ってたかな」
●なるほど。やっぱり上に兄弟いると強いというか影響受けるし、早熟になるというか。
「そうですね。一番最初は小学生の時に、姉貴がミスチルのファンクラブに入ってたので、当時出たDISCOVERYかな。あと深海をずっとカセットで聴いてた記憶が」
●いい入りなんじゃない?
「入門編としては(その二枚は)間違っているような(笑)。あとは兄貴がビーズが好きだったから聴いてましたね」
●じゃあ結構音楽には入っていきやすい環境だったんだね。
「両親は大学の合唱団か何かで知り合ったんだっけな。あとはクラシックが好きで。音楽番組を観てると「最近のは全然わかんねーな」って機嫌が悪くなるような感じの人でした」
●タチが悪いやつだ。
「かと言ってクラシックを強要するでもなかったですけどね」
 ●学校ではどんな感じだったの?
「小学校入るまではものすごく引っ込み思案で。それが小学校入ってからすごい、何か陽キャみたいになって」
●え?そうなの?
「文集のランキングに入ってる『面白い人』とか『将来有名になりそうな人』とかあらかた名を連ねてるんですよ。今じゃ考えられないんですけど(笑)」
●何でこうなってしまったんだ、みたいな(笑)。
「いわゆるクラスの中心人物だったんですよね。アクティブな。でも小五くらいからかな、今思うと些細なことですけど、自分の家庭が新しいガジェットに対してものすごい嫌悪感を出すというか。プレステとかアドバンス買ってくれないみたいな。それで段々みんなの話題についていけなくなって、翳りが見えてきた(笑)」
●(笑)。
「結局小学生の「面白い」「つまらない」の尺度って如何に話題を共有できるかがほとんどじゃないですか」
●そうだね。特にゲームとか。
「あと漫画、昨��のテレビ、流行りの音楽くらいか…。段々それについていけずに、スクールカーストが下がっていく(笑)」
●でも野球やってたし、運動なんかは出来る方だったの?
「小学生までは自分が主人公だったから(笑)。少年野球で打率六割くらいあったし。『ヒット打つの簡単じゃないですか?』とか言って調子に乗ってた」
●ムカつくなぁ(笑)。
「シングルヒットしか打てなかったんですけど。早熟だったのかな。当時は背も小さくて痩せてて。段々みんな身体が大きくなって。中学くらいだともう置いてかれちゃったみたいな」
●今の感じに段々近づいてきたね(笑)。
「中学くらいで陰と陽が逆転して陰の者に(笑)。タウン&カントリーの黒い方になっちゃった」
●陰陽のマークね(笑)。部活はずっと野球?
「中学は野球で、高校も途中まで軟式をやってたけど「勝つぞお前ら!」みたいな顧問に代わって…。高校の軟式野球ってすごいヒエラルキーが低いんですよ」
●そうなの?
「甲子園もないし。甲子園決勝の一週間後に明石の球場で偽甲子園みたいなのをやってるけど、誰も気にしてないというか」
●硬式と軟式ってまったく別物?
「全然違う。硬式はボールがまず痛い」
●(笑)。
「練習が好きだったんですよ。でも試合は緊張するから嫌いで。それと硬式は甲子園を目指してレギュラー争いもそうだし、負けたらお終いみたいな…。野球は好きだけど、競争とかバトルしたくない、みたいな精神性でしたね」
●ああ、そうなんだ。
「こっちは楽しく野球やりたいのに、強要するなよ。って。その顧問は初心者をすごくないがしろにしていたし。それで辞めちゃった」
●勝ちたいよりも楽しみたかったんだね。高校のカーストは?
「中学で底辺で…。紅白戦でわざとデッドボール当てられたりするんですけど」
●イジメじゃん(笑)。
「『先輩、塁に出られてよかったッスね』みたいな。だからとにかく、輩とかしょうもないいじめっ子がいない進学校に行くしかないっていう強迫観念だけで勉強してました」
●その頃は頭はよかったんだ
「うん。学年で十番以内だった」
●おお、すごい。
「それで前橋高校っていう男子校の進学校に行って。そこはね、スクールカーストがなかったんですよ、何もない。いい大学行けるように自由にやれ。みたいな」
●グループがないの?
「いや、グループはあるしもちろんイケイケな奴もいましたけど、男子校なのでカーストを思い知らされる現場に遭遇しない。『あ、あいつ俺の好きな子と一緒に帰ってる…!!』みたいなシーンを見ないで済むというか。たぶん九割以上童貞だったはずですよ」
●男子校だとそういう劣等感は生まれにくいのかもね。
「そう、友達もいないけど、いじめられるでもなく。何もない。部活が終わったら自転車圏内にある三つのブックオフを毎週ローテーションするだけ。三週間後に行くと微妙にラインナップが変わってて。あとはツタヤで安い日に下北系を借りまくる日々」
●なるほど。
 ●話が戻るというか変わるけど、兄弟の影響とかありつつも、高校くらいは自分の意思で音楽を聴いてたの?
「そうですね。中学終わりくらいまで洋楽を聴いてなくて。兄貴がツェッペリンとかハードロックが好きで聴かせてきたんですけど、ハードロック伝説みたいなエピソードあるじゃないですか」
●はいはい。ありますね。
「オジーオズボーンがコウモリ食べたとか、ホテルでグルーピーと…とか。それがすごくカッコ悪く感じて」
●ああ、ロッククラシック的なエピソードが。
「『俺たち、ロックだぜ』みたいなのが嫌だったんですよ。でも中三の時に姉貴がWEEZERを『これ聴きやすいよ』って貸してくれて。それですごく衝撃を受けた。こんな冴えない人がバンドやってるんだ!みたいな」
●大味なロックバンドよりもうちょっとパーソナルなのが好みだった?等身大の。
「そうそう、等身大の。中学の野球部引退した後から邦楽のギターロックにハマりだしたんですよね。くるりから始まりモーサムとかシロップとか。ちょうどその頃全盛期だったんですよ。アジカン、アシッドマン、レミオロメンの御三家を筆頭に…」
●一番アツい時期だね。後に続けとたくさんのバンドが。
「あとアートスクールとバーガーナッズかな」
●UKプロジェクトとかQuipマガジン的な。下北が盛り上がってた頃だ。
「で、洋楽はWEEZERからオルタナとかシューゲイザーにハマっていった」
●今でもその辺りは好きだと思うんだけど。その時期に聴いていたものがバンドのルーツになってる?
「そうですねぇ、初めてやったバンドはNIRVANAのデモみたいな音質の、汚くて演奏が酷い感じだったような(笑)」
●ライブ初体験は?
「一番最初は中三の時に行ったゴーイングアンダーグラウンドかな」
●おお、意外。
「受験期にハートビートが出て、ずっと聴いてたんですよ。後は高校のとき、FLEEZにアートスクールとか観に行ってた。早瀬さんも行っていたとされる…」
●パラダイスロストのツアーだっけな。モーサムと。
「あと結成当初の秀吉が出ていた」
●意外と群馬はバンド大国だよね。
「当時はメロコアと青春パンクが強かったですね。で、陽キャがそういうのを聴いてるから逆張りで内省的なギターロックが好きだったのかも知れない。バンドに一切罪はなくても、銀杏とかが聴けなかった」
●ああ、自分が入っていく余地がないみたいな?
「そうですね」
●そこから大学に行くタイミングで上京?
「はい。東京じゃなくて横浜だったけど」
 橋本君に『こんなくだらないとこ、さっさと抜け出そうぜ』って言って軽音部を辞めた
●そういえば楽器っていつ始めたの?
「中学の選択授業で体育選んだのに手違いで音楽になっていて、ピアノも辞めちゃったしどうしよう。ってなって」
●ピアノやってたんだ。
「小一から小六までやったのに何も身につかなかったけど。ト音記号の場所しかわからない。コンクール用の曲をひたすら半年前から練習してやり過ごしてたと思う。で、その授業でどうしようかなと思っていたら、いとこで駅でギター弾いている子がいて、その人がギターを貸してくれて。ゆずの楽譜とともに(笑)」
●まったく(ゆずを通った)イメージない(笑)。
「それでその曲は簡単だから何となく発表も乗り切れて。でもある日家に帰ったら兄貴がギター弾いてて、既にFとか抑えられるんですよ。『俺が借りたのに!』って。すごくムカついて(笑)」
●ああ、利用されたみたいな。
「そう。それでロクに弾いてなかったけど、高校受験の直前にギターロック聴きだしたからエレキが欲しいってなって。親に受験終わったらいいよって言われたんです。そしたら兄貴が『絶対ベースを買うべき。エレキは俺の弾けばいいから。ベース弾ければ高校でバンド組むとき重宝されるぞ』って言うんですよね」
●そうかな…。
「そしたら受験真っただ中で最初に話したオリオン通りにある新星堂が潰れることになって、弾くのは受験終わってからって約束で閉店セールでベースを買ったんです。で、勉強しててこっちは弾けないのに兄貴が弾いてるんですよ(笑)」
●ズルい奴だな(笑)。
「結局自分が弾きたいから弟に買わせると」
●それで「ベースを買った方がいい」って力説してたんだ。
「そうなんですよ。で、兄貴が僕が高二のときに大学進学でエレキ持ってっちゃって。家にアコギとエレキベースだけがある状態(笑)」
●厳しいね。
「しょうがないからアートスクールのベースをずっと耳コピしてて。部屋を暗くしてコンポ爆音でヘッドフォンつないで、小さいアンプからベースを弾いてる。親からしたら心配ですよね。子供部屋から重低音だけが鳴っている」
●うちの息子は大丈夫かって(笑)。
「受験の時もそうだしいろいろと心配をかけましたね」
●大学はどうやって選んだの?
「結果論というか、もともと大学デビューしたくて関西の方の大学を目指してたんですけど、高校の先輩が行ってた大阪大学ってところを志望校にして。センター試験って会場が適当な高校に割り振られて受けるんですけど、なんと会場が自分の高校の自分のクラスだったんですよね」
●えーすごい偶然だね。
「そのホームグラウンドで何故か受験科目を間違えて(笑)」
●何で(笑)。
「一日目にロッカー開けて確認したら『あ、阪大受けられないじゃん』って。それでやる気がなくなって高校も行かずに、もうA判定のとこならどこでもいいやって思ったら国公立の前期も落ちて、たまたま後期で引っかかって、気づいたらビーズの稲葉の後輩になっていたと。進路が決まったのが三月の二十日過ぎだったと思う」
●めちゃくちゃギリギリだな。
「ロックコミューン(立命館の音楽サークル)に入りたかったですね。くるりを輩出したでお馴染みの」
●あとヨーグルトプゥね。
「そうそう(笑)」
 ●そこでエミリー結成したの?
「満を持して『バンドをやるぞ!』って軽音サークル入ったんですけど。上下関係が厳しくて。しかもみんなメタルのコピバンをやっている。学園祭になるとOBたちが集結してジューダスプリーストとかやってるみたいな(笑)」
●すごいサークルの良くない感じ��出てるね。
「新入生はすぐバンドを組んで五月にお披露目ライブで一曲やらなきゃいけないんですけど、僕は何故かたまたま同じ大学に進学した高校の同級生三人とバンドを組んだんですね(笑)」
●意味ないじゃん(笑)。
「陰の者同士で(笑)。それで何かコピーしようとしたけど全員下手過ぎてコピー出来なかったんです。ドラムはドラムマニア上がりでベースとギターはほぼ初心者で。だからオリジナル曲をやることにしたんです。で、同時期に橋本君ていうサークルの同期のミクシィが炎上しちゃった子がいて。『軽音部は内輪ノリでクソ寒いカスの集まりだな』みたいなのが先輩に見つかって」
●うわ怖いなー。
「その子もお披露目ライブで頭脳警察みたいなオリジナル曲やって。すごいカッコいいんですけど、めちゃくちゃ物を投げられるんですよね。ライブ中に。その後何故か僕のバンドも物を投げられまして(笑)」
●すごい荒廃してるな(笑)。
「終わった後橋本君に『こんなくだらないとこ、さっさと抜け出そうぜ』って言って辞めましたね。で、他の音楽サークルにロバートジョンソン研究会っていうのがあったんですけど」
●なんだそりゃ(笑)。
「あんまり研究してる感じはなかったかな(笑)。まぁ、ブルースとかハードロックのコピーをする割と穏健派のサークルだったんですけど。新歓行ったら最後に名のあるOBみたいなのが袖からわらわら現れて、十人ぐらいで「いとしのレイラ」を弾いてるんですよ(笑)」
●それは、ダメだね(笑)。
「ここもダメだって(笑)。で、ある日ロック研究会っていうサークルが大学の路上でライブをやってて。JR ewingっていうノルウェーのハードコアバンドのカバー…その時はカバーって知らなかったんですけど。それを演奏してて、ドえらいカッコよかったんです。赦先輩の同級生たちだったんですけど。で、そこに入ろうと思ったら、『ここはサークルというか半年5000円でスタジオ利用権をバンド単位で買う人たちの集まりだから、まぁ好きにしなよ』みたいな」
●へー。
「当時赦先輩はすごい怖い先輩とスリーピースやってて、赦先輩も怖かったんですよね」
●ちょっとイメージと合わないね(笑)。
「そうですね。『後のバンドメンバーである』って漫画だったらナレーションがつく」
●『この時はまだ知る由もない』みたいな。
「(笑)」
  今日大学ですごい面白いことあったのに、ライブで今歌ってるの、めちゃくちゃ暗い歌詞だなぁコレ
●なかなかエミリー結成しないね…
「いや、その同級生とのバンドが大学一年の終わりくらいに解散しちゃって、遅いハードコアをやってたんですけど」
●遅いハードコア(笑)。
「で『よし、今度はシューゲイザーをやろう』ってエミリーライクステニスが結成された」
●シュー…ゲイザー?
「当初はギタボが自分で、ベースが女の子で、ドラムは残留して、あとギター兼フルートがいた」
●編成だけ聞くとそれっぽいね(笑)。
「そうなんですよ。で、新歓ライブをやったらフルートが『カッコ悪いことしたくないわ』って抜けちゃって」
●曲はオリジナル?
「全部自分が作ってましたね。で、スリーピースになっちゃって、ギター二本ないとキツいわって思って。当時僕とドラムがポストパンクにハマってたんで、じゃあそういうのをやろうってなって。それが2008年の夏くらいかなぁ」
●なるほど。バンド名はずっとエミリー?
「そう。でもその後ドラムがギャンブルにハマっちゃって」
●ああ、良くない方向に。
「どうしたんだよ、って家に行ったらスロットの筐体が置いてあって」
●もうダメだ。
「それで脱退して途方に暮れてたらバイト先にクロアチア人が入ってきて。『ドラム出来ます』って言うからあ、ちょうどいいじゃん!って。デヤンさんっていうんですけど」
●加入したの?
「うん。クロアチアン・パンク時代ですね」
●そんなのあるの?
「いや、わかんないです(笑)。で、その人がライブの前日に『もうすぐ子ども生まれるからライブ無理かも』ってメールがきて、マジかと思ってたら翌日普通にリハ来てるんですよ(笑)」
●(笑)。
「『赤ちゃん大丈夫?』って訊いたら『昨日生まれて今ガラスん中入ってるから大丈夫』って」
●ガラスん中(笑)。
「それがきっかけかわからないけど、家族の圧により2009年の春くらいに脱退して。その後ベースも辞めるってなって」
●とうとう一人に。
「そう、で、どうしようと思ったんだけど、サークルの一学年後輩に泉君っていう毎日JOJO広重のブログを読んでる子がいて」
●だいぶオルタナティブだな(笑)。
「その子にベースをやってもらって、あと二つ下の武井君って子がドラムに加入した」
●だいぶ変わったね。
「でもその頃の音楽性はポストパンクとニューウェーブみたいな感じのままですね。で、どこでライブやっていいかわからないから、横浜…中華街の近くのライブハウスに毎週出てた」
●あーあそこね。
「そう、あれは本当に時間の無駄だった」
●(笑)。
「ブッカーにすごいナメられてたんですよね。暇な大学生の穴埋めバンドって」
●学生のバンドっていうのはねぇ…。
「酷い時は『来週の水曜日出れる?』みたいな。で、『面白いイベントになりそうなんだ』って言うから出てみたらアコースティック・ナイトってイベントで(笑)」
●酷いな(笑)。ありがちですね。いや、ありがちじゃよくないんだけど。じゃあ横浜が多かったんだ?
「あと下北のいろんなところに、殊勝にもデモを送ってたんですよ。モザイクとか251とか、今思うとちょっと違うんだけど(笑)」
●カラーが違うね(笑)。でもちょっとずつ広げようとする気持ちが。
「あと当時MySpace全盛期で」
●流行ってたね。
「そこでモーションとグッドマンと…葉蔵さん(中学生棺桶、例のKのボーカル)が働いてた頃のバベルかな。誘ってもらって。『あ、あっちから誘ってもらえることあるんだ!?』みたいな」
●『音源を聴いて連絡しました』みたいなのね。
「そうそう。まぁ、いわゆる平日の条件で今思えばアレですけど、それでも嬉しかったですよね。だからその人たちの悪口は言えない」
●(笑)。見出してくれたから。
「別にそこから鳴かず飛ばずですけど(笑)」
●(笑)。でもそこで知り合ってまだ付き合いがあるバンドがいる。
「そうそう。��から初めてモーション出たときのブッキングは今でも覚えてて、クウチュウ戦(現Koochewsen)、ギター大学、プラハデパートっていう」
●すごいメンツだな(笑)。
「すごいですよね。で、クウチュウ戦なんて年下じゃないですか。なのに上手過ぎて。『え!?東京ってこんなにレベル高いの??』。もう、幽遊白書の魔界統一トーナメントみたいなモンですよ」
●こんなすごい奴らが何の野心も持たずに…っていうやつね(笑)。
「そう、雷禅の喧嘩仲間のくだりね。で、初めてバンド友達が出来たというか。otoriとかもかな」
●音楽性的にも共鳴出来て。
「同世代だし。そんな感じでやってたんですけど、ライブやった後めちゃくちゃテンション下がるんですよね。当時の音楽性が」
●自分たちの音楽性のせいで?
「そう、お葬式みたいな気持ちになるというか。早瀬さんは四人になってからしか観てないと思うんですけど。当時は歌詞も暗いし」
●今とは全然違うね。
「うん。リフとか再利用してるのはありますけどね。普段部室で泉君とムーの話とか未解決事件の話をいつもしてて、そういう瞬間はテンション高かったり楽しかったりするのに、ずっと暗いことを歌ってなきゃいけないのはしんどいなって」
●最初の部活の話と少し繋がってくるかもね。
「うん。あと暗いバンドをやっていると暗くなきゃいけないと思っていて。打ち上げはしちゃいけない。みたいな思い込みもあり(笑)」
●イメージに縛られ過ぎてる(笑)。
「でも『死にてぇ』とか歌ってた人が打ち上げで乾杯してたら違和感あるじゃないですか。そういう強迫観念で自家中毒になってしまったというか。『今日大学ですごい面白いことあったのに、ライブで今歌ってるの、めちゃくちゃ暗い歌詞だなぁコレ』って」
●過敏だったんだね。
「センシティブだったんですよ。グッドマン出ても(ブッキングの)鹿島さんにすごいディスられてたし」
●ダメ出しが。
「で、MCだけすごい褒められる(笑)。当時三曲くらいやると僕が小噺をして(笑)」
●面白エピソードみたいなのを。
「『この間バイト先で…』みたいな。今思うとああ、平日のモーションだなぁって思うんですけど(笑)」
●そうだね(笑)。
「でも『この後もカッコいいバンドばっかり出るんで最後まで楽しんでいってください』とかは言ったことないですよ」
●『名前だけでも覚えて帰ってください』みたいな奴ね。
「(笑)。そう、それも言ったことないです。で、だんだんしんどくなってきたんで、どうしようかなと。当時の曲作りが僕がリフを持っていって、泉君がめちゃくちゃにするみたいな感じでやっていて。ドラムの武井君はすごいいい奴なんですけど、当時から曲の展開が多くて、たまに展開を忘れて、止まっちゃうんですよドラムが(笑)。ドラムの音がなくなったその瞬間僕と泉君がキレて楽器を投げつけてしまう。そういうことをしてたら『正直もうしんどいッス』って言われて、本当に申し訳なかったなと思いますけど」
●行き詰ってるね…。
「当時二学年下に獣-ビースト-とT-DRAGONがいたんですよ。僕が四年生、泉君が三年生の時です。みんなロック研究会にいたからそれなりに話してたんですけど、T-DRAGONは当時ノイカシのシグマとよくわからないバンドをやってて、あんまりパっとしなくて。獣-ビースト-はもっと謎で、時折八時間��らいスタジオ抑えてるんですけど、一人で入ってて何やってるかよくわからないんですよ」
●怖いな(笑)。
「本人曰くテクノっぽいのを作ってたらしいんですけど、結局一度も日の目を見ることなく。で、見た目がセドリック(At the Drive-Inのボーカル)っぽいじゃないですか。当時今よりもセドリックっぽかった。それでT-DRAGONに武井君の代わりに叩いてってお願いしたら、ライブとか観に来てくれてたのもあり割と快諾してくれて。で、獣-ビースト-に『At the Drive-Inみたいなバンドをやることになったから。ボーカルやって。この日スタジオいるから』ってメール送って。返事がなかったんですけどちゃんとその日スタジオに来てくれて、漸く今の編成の原型が出来たんですよ」
●やっと今の形に!
「いやー長いですね。この時点で大学卒業する直前ですね」
  仕事に好きとか興味とか求めない方がいいな。土日休みならバンド出来るから
●就職とかはどうしたの?
「大学三年の秋くらいに『どうしよっかなぁ』って出版社とか何となく受けていて。で、僕はマルチタスク機能がものすごく低いんですよ。いろんな会社を同時に受けるみたいなのが出来なくて、一社受けてそこそこのところまで行って、落ちて、また別のところにエントリーして、みたいな」
●落ちるとゼロになっちゃう。
「そう。変に真面目なところがあるんですよ。面接で絶対「弊社が第一志望ですか?」って訊かれるんだからそこ以外受けちゃダメだよな。みたいに思っていた。あと某音楽雑誌の会社も受けたんですけど圧迫面接だったんで逆ギレして帰った」
●えー圧迫面接なんだ。
「エントリーシートに物凄い熱量をぶつけたんですよね。そしたら面接官に鼻で笑われたというか。『随分音楽が好きなんですね。ハハッ』みたいな。ライターの坂本真里子が好きだったんで受けたんですけど。まぁ入る価値のない会社ですね!って」
●すごいな。
「そういう感じで疲弊してきたからとりあえずモラトリアムを伸ばそうと、大学院行こうかなぁって思ったんですよね。そしたら親もそうだけど姉がすごい説教をして。うちの姉はすごい傾き者なんですよね(以下、傾き者エピソード)。で、大学院も行かない方がいいか、と。それでもう仕事に好きとか興味とか求めない方がいいな。土日休みならバンド出来るから。って今の会社に入ったんですよ」
●就職してからバンドとの両立はどうだった?
「難しいというか、当時僕が一番年上で唯一社会人だったからノルマとかスタジオ代全部負担してたんですよね。それがキツかったかな(笑)。たぶん2014年初頭くらいまで」
●結構最近までじゃん(笑)。
「獣-ビースト-とかT-DRAGONが就職するまでは基本的にあまり負担させないようにしようと。赦先輩も当時サポートだったし。でもグッドマンとモーションは本当に良くしてもらったから。あと両立と言うか…。僕大学を卒業する時に大学の近くに引っ越したんですよ」
●卒業するときに?
「意味がわからないんですけど。入った会社が家賃補助がないということに気づいて、極限まで安いところに住まなきゃって。本当にヤバい、タックルしたら崩れるような家。後にT-DRAGON���そこに住むんですけど」
●安いってどれくらいなの?
「えっとね、18000円」
●安すぎでしょ!!
「七畳+キッチン+風呂トイレ別でそれですからね。本当は20000円だったけど入るときに『大学院生です』って言ったら安くしてくれた(笑)」
●いいなぁ。
「いや全然良くない。ボロいなんてもんじゃないですよ。木造の長屋を三分割して三部屋になってるんですけど。築は…五十年くらいかな。で、風呂が外にあるんですよ」
●共用?
「いや、共用じゃなくて、もう一つのプレハブ長屋みたいなのがあって、それが三分割されてるんですよ」
●なるほど。
「で、その外風呂が、外からしか鍵がかからない(笑)」
●閉じ込めることしか出来ない(笑)。
「そう。で、大学が近いので土日のスタジオは大学でやってたんですよね。ライブは基本土日で。平日のライブの時は誰か後輩に楽器を託して…。無理やりやってましたね」
●その頃はもう割と東京のオルタナシーンに食い込んでる感じの。
「確かうみのてと対バンしたのが2012年初頭で」
●一月だった気がする。
「グッドマンでね。あれが転機っていうと大げさですけど」
●いわゆるライブハウスに良く来る人たちに知られた感じかもね。
「その頃はやたらトリプルファイヤーと対バンしてた気がする。2012年から今でも親交がある人と一緒にやり始めた」
●まだ2012年だ。
「長いですね。とりあえず赦先輩が入るまでの話をすればいいかなって…」
●いつだろ
「2013年の春くらいかな。で、2012年の春に泉君が大学院に進学するんですけど、関西に行っちゃったんですよね。もう続けられないねって。で、サークルのかなり下に内海君ていうスキンヘッドの子がいて、見た目がいいから誘った。それが失敗だった(笑)」
●まぁいろいろ、あったね(笑)。
「うん、いろいろあった(笑)。それでバンド辞めてもらって。赦先輩はしばらく連絡もとってなかったんですけど、サポートやってもらえませんか?ってお願いして。で、なし崩し的に正規メンバーになってもらった。現在に至る」
●赦さんが入ってだいぶ音楽性に幅が。
「内海君の頃までほとんど僕が考えてたんですけど、赦先輩が入って初めてスタジオで曲を練り上げる、みたいな。バンドっぽくなってきた」
●他のメンバーのエッセンスが入ってきて
「こういうフレーズはどうかな、とかイメージを膨らませたり」
●やっとバンドらしいエピソードに(笑)。
「そこまで辿り着くのに五年くらい要してる(笑)」
●そこからは今に至る。
「メンバーは変わらないけど、音楽性はだいぶ変わったかな。ハードコアが薄れて…何というかメタ的な曲が増えた」
●そうだね、ハードコアでもプログレでもない、何とも言えない。
「何とも言えない(笑)。演劇の要素だったり、曲の中にもう一曲あったりとか」
●はいはい。
「構ダンカンバカヤロー!を観て『あ、こういうのでもやっていいんだ』とかボーダーを再確認させてもらってますね」
●アウトとセーフの線引きを。
 ●バンドの成り立ちはこれくらいにして、曲のアイデアとかどういう時に考える?
「基本のリフは今でも僕が考えるんですけど、スタジオで試して、カッコいいだけだとボツになるんですよ(笑)」
●(笑)。
「後はコンセプトをみんなで固めて。リフのパーツを無数に作っておいて、当てはめる感じ。シチュエーションとか」
●コンセプトありきでそこから曲と歌詞?
「それがないと今は逆に作りづらいですね」
●歌詞は誰が?
「今はほとんど獣-ビースト-です。Brand-new suicides(エミリーの楽曲の中に登場する架空のバンド)の曲だけ僕ですね」
●そうなんだ(笑)。ライブの時の意識は変わってきてる?
「昔はカッコよく思われたいみたいなのが多少あったと思うんですけど、今はもうとにかく面白いかどうか、みたいな。『さぁ、消費しろ!』って。最悪『何も思い出せないけどとにかく楽しかった』でいいや。って。『よくわかんなかったけど面白かった』でいい」
●それはすごくいいことだと思う。
「『よくわかんないけど凄い』という方向だと絶対勝てないじゃないですか。グランカとかルロウズとか。最高峰に。そっちは無理だから、変化球で攻めるしかない」
●ライブ中ってどういうことを考えてる?
「なるべく仕事のことを考えないようにしている(笑)」
●(笑)。
「ハンターハンターのシャルナークのオートモードみたいな。あれに近い感じになると割といいライブが出来ますね。今何を弾いてるとか一切考えずに弾けるときがあって。逆に『このフレーズ難しいんだよな』とかふと思い出すと弾けなくなっちゃう」
●邪念が入ってくるとね。
「だからなるべくオートモードで弾くようにしたい」
●展開がすごく複雑だから身体が覚えるまですごく時間がかかりそうな印象があるけど。
「でも正直、曇ヶ原(エンリケ後悔王子が過去在籍していたプログレバンド)より全然覚えやすいですよ」
●マジか(笑)。
「曇ヶ原はA→B→フォントが違うA→フォントが違うBみたいな感じで繰り返しが多いけど微妙に違ってて。でもエミリーはとにかくAからZまで覚えるだけなので(笑)」
●なるほどね。
 ●平日はどういう生活をしてる?
「仕事に行って、帰って、疲れて寝る。みたいな(笑)。『無』でしかない」
●仕事終わった後に何かするって難しいよね。
「平日何も出来ない病なんですよ。かれこれ十年」
●音楽は聴いてる?
「精神的にキツいと音楽も聴かなくなるというか、耳馴染みがいいやつしか聴けない時がある」
●新しい物を受け入れる体力もない時はあるよね。
「昔のJ―POPとか、中高のとき聴いてたのとか」
●最近はどんなのを?
「ジャンル的にはユーロビートですかね」
●ええ!?
「あれって速いんですけど、リフ的にオイシイというか。ファミレスで言うとミックスグリル定食みたいな曲ばっかなんですよ。キラーリフてんこ盛りみたいな」
●詰め込んである感じで。
「これは意外とヒントがあるなと」
●なるほど。バンド的に取り入れるぞ!って意識で聴いてるの?
「サウンドは取り入れようがないので、和音のリフとかフレーズを参考にしている感じ。あとは昔J―POPとして聴いてた、例えばglobeとかSPEEDとか、それをCDで聴き返すとめちゃくちゃ発見がある。『この曲のバンドサウンドすごいな』とか『あ、あの曲のパロディーなんだ』みたいな」
●��ロディーしか覚えてなかったけど、聴き返すとアレンジがすごい、みたいなのはあるよね。
「そうそう。小さい頃はマイラバの声は『すごい声だな』って。オーバーダビングの概念がないから(笑)。みんなホーミーみたいにああいう声を出せるんだと。ミスチルとかめちゃくちゃハモれてすごいなって(笑)」
●すごい技術だ(笑)。
  記録媒体として一番長持ちするのは石か壁画なんですよ。レガシーをね、遺したい
●バンドをやってもう結構な歴があるけど、やってなかったらどうなってた?
「うーん。土日関係ない仕事をしてたかなぁ。あの…中学の時の夢が『オリックスの球団職員になること』だったんですよ」
●球団職員なんだ(笑)。
「プレイヤーとしての限界は悟ってたので(笑)」
●裏方でもいいから野球に携わるという。
「もっと前は小説家とか、マンガ家とか。いわゆるキッズが憧れるクリエイティブ職になりたかったけど。バンドやってなかったら…。ちょっと想像つかないですね」
●例えば今の生活からバンドが何らかの理由でなくなったとして、今の仕事だけ続けてくのは気持ち的にしんどい?
「しんどいですね。実際今それに近い状況になっているけど…。表裏一体というか、それでバランスとってたんだなぁって。普段はバンドと野球とハリエンタルラジオだけで生活出来たらいいなって思ってたのに(笑)」
●なるほどね。
「仕事以外のコミュニケーションが欠乏してて、ストレスが溜まっていく。バンドメンバーって十年近く、今まで少なくとも二週間に一回は会ってたのに。その人たちに一ヵ月以上会わないのは違和感がすごくて」
●フラストレーションが溜まってる感じ?
「この間スカイプでバンド会議みたいなのをして『いやぁ、楽しいなぁ』って(笑)。普段赦先輩がスタジオ遅刻するとすごく嫌な対応をみんなでしてたのに(笑)」
●失って初めてわかる大切さみたいな。
「前よりも優しくなれるかも知れない(笑)」 
●今はこういう状況ですけど、また落ち着いた頃にこうしていきたいとかバンドである?
「昔の自分みたいな、基本的に陰の者に『楽しいなぁ。バンドやってみたい』とか思われたいですよね。以前モーションで話しかけてきた男の子が、二十歳くらいなんですけど。『僕もバンド組みたいです!』って言ってて、あ、嬉しいなって思って。その後コンパクトクラブで群馬に行ったときにその子がまたいて『僕、バンド組みました!』って嬉しそうに報告してくれたんですよ」
●普通にいい話だ(笑)。エミリーは水とかうちわとかいろんな形態でリリースしてるけど、今後こういうのを出したいとかある?
「そうですね。僕が考えていたのがダウンロードコード付土地なんですけど]
●(笑)。
「10万円くらいの離島の土地を買って、そこに看板とQRコードを貼って、辿り着きさえすればフリーでダウンロード出来るみたいな(笑)」
●なるほど。
「アドベンチャー型音源」
●面白いな(笑)
「石碑でもいいけど。記録媒体として一番長持ちするのは石か壁画なんですよね。だから最終的にはそれでリリースしたいんですよね。将来オーパーツみたいになるかも」
●遺跡として遺っていくかもね。
「レガシーをね、遺したい」
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gunosy-news · 4 years ago
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愛は惜しみなく奪う...みんなの恋愛エピソードがアツすぎた!!
集計期間:2020年12月26日~12月28日 回答数:17043
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突然ですが、皆さんは周りが見えなくなってしまうほどの恋をしたことがありますか?
ちなみに筆者は学生時代、海外留学先で盛り上がり帰国したら冷める、というあるあるを経験しました…
そこで今回は、「恋愛で周りが見えなくなった経験はある?」というテーマで調査してみました。
恋愛で周りが見えなくなった経験はある?
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回答者17043名のうち、恋愛で周りが見えなくなった経験が「ある」人は全体の約43.2%、「ない」人は約56.8%という結果でした。
ここからは、皆さんから寄せられた恋愛エピソードの数々を見ていきましょう。
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<現在進行形>
・まさに今がそう。 ・今、会えないが、まだ諦めてない人が居る。家族、友人、壊れてでも、一緒に居たい人。 ・めちゃくちゃ買い物しちゃうよく思われたいから可愛いめの服とか! ・結婚してもなお盲目 ・周りはダメ夫って知ってるのに、自分には見えてないとこ ・それによって成長できた部分もある。その相手と結婚して27年、、、27年間ずっとしあわせです。 ・会社の若い子。可愛いくてセクハラにならないようにしてるがもう我慢出来ない。いただきます。
<若かったあのころ>
・やはりそれは若かりし頃。20代前半までは恋愛において相手が違えば全てが新鮮で喜びに溢れ、他人に迷惑をかけたりはなくとも周りが見えなくなっていたと思う。
・ありますね。とにかく自分に興味を持ってくれなくて何度もデートに誘いは脈がないようなことをハッキリ言われても諦めずに他の男とデートや遊んでいても何度もアタックした経験があります。今考えるとそんなに魅力がある女性ではなかったのを思い出します。自分も若くて未熟で顔でしか人を判断できなかった。今なら絶対しない。恋は人を惑わすものですね!
・26年たつのにまだ忘れられない!結婚もしてるのに…その時は何も見えない!その人いる��けで友達もいらなかった
・若い頃は熱かったねー。人に見られてようと、平気だったけど。新婚旅行の時なんか、あまりにもベタベタし過ぎて。今から思うと恥ずかしい。
・今の嫁さんと付き合っていた頃、見えてなかったと思います。恋は盲目、結婚後は両眼、金婚は心眼なんて言いますが、その通りだと思います。
・海外で燃え上がるような恋をした
・何故かわからないけれど、ただただひかれたことがありました。
・一回り以上の女性と8年間付き合っていた。その間に歳の近い人から付き合って欲しいと言われたが、付き合っていた年上の彼女と別れるのが可哀想で他は考えられなかった。結局その彼女とは別れたが、今思えば後悔している。
・相手の気持ちも考えずに、第三者的に見れば随分押し付けがましい行為を繰返し、周囲からの諌めも聞かずに暴走した挙句に玉砕。続いては、その反動で、相手が好意の徴候をかなり明確に示してくれていたにも拘らず、慎重になり過ぎて、後から来た鳶に油揚を攫われた。
・元カレのことが好きすぎて別れてからしばらく立ち直れずガリガリに痩せこけた。今思えば顔も性格も微妙すぎる人だったのになにがそんなに好きだったのか、恋は盲目としか言いようがない。
・彼に会おうと言われて舞い上がり、友達と会う約束をすっかり忘れてしまった。
・友達や家族や学校など、どの予定よりも恋人との予定を優先していた。
・18歳のとき、上京して大学の先輩と付き合って完全に周りが見えていなかった。大学もよくサボったし、友人との約束も彼氏優先してブッチした。30代の今、振り返ると眩しいし、痛い。
・友達との飲み会で酔っ払い、当時の彼氏が恋しくなり途中で帰った
・若い当時は気づいていなかったが今思うと恥ずかしい位まわりが見えてなかった!部活さぼって彼と祭り行ったら顧問が部員と来てたり…
・思春期の中学生の時に、ぜんっぜんかっこ良くもない彼氏ができて友達の誘いを断ってそいつと遊んだりして周りを振り回してしまったことがあります。本当に大切なのはそんな風になっても見放さないでくれて、振られたわたしと一緒に泣いてくれた友達だったと気付きました。
・悪いところが見えなくて別れる時とても傷ついた
・自宅の固定電話で長時間、彼女と電話し過ぎて親から怒られた
・今思うとストーカー的な行為をしていた
・あのときはおかしかった
<職場恋愛>
・大学生のころバイト先の社員さんと……6歳年上の彼はとても大人に感じて、このまま結婚しても良いんじゃないかと真剣に思った。結局、親に大反対され破談になってしまったが、今思うとチェーンの飲食店の社員さんと一緒になってもまだ若かった私は耐えられなかったと思う。
・仕事場で好きな人が居てまわりが見えてなかった事がありま��た。
・職場恋愛だったので余計に…。周りからはかなりバレてました。
・社員旅行中に、好きな人から、宴会が終わったら、カラオケ行こうと誘われて、誰にも、言わずに二人で過ごしていた。見つかり、大目玉食うはめになった。結局は、それをきっかけにいつしかお互い気持ちが冷めてしまいました。
<視覚に来るタイプ>
・全てが輝いて見えていました。
・視覚的な例として本当に失恋直後の銀座線で周囲の色が感じなくなりました。全てが白黒でグレーの濃淡だけの風景が5分~6分は続きました。アレ?色が分からない!と言う認識もありました…ヒトの認識システムは心的要因の影響大だと感じた実例(私的)です。
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<アドバイス無視等による失敗>
・冷めてみたら反対されてたのも良く分かる。周りが止めるには理由がある。
・まわりにやめろと言われても付き合ってしまった。もちろん、やめろと言われた理由通り...のことを味わいました。
・浮気をしている人だと周りが警告してくれていたのに、好きだったのでどうしても離れられなくて忠告は無視していた。というか耳を塞いでいた。
・周りの人に止められても、暴力をふるう借金持ちの彼と別れられず結婚しかけた。
・初めて実家を出た時の交際相手。友達より家族より交際相手を優先した。それがDVの入り口だったけど
・DV・モラハラ気質の男性と共依存状態になったことがある。両親や友人が止めるのも聞かず、この人に幸せを感じさせてあげられるの私だけ!それこそ使命!とラリっていて、自分も周りも傷付けてしまった。今は完全に目が醒めて、別の方と家庭を築いて幸せです。
・親の意見をもっと冷静に聞いて相手と付き合ってたら「あんな男」に騙されて結婚、離婚を経験しなくて良かったのにと思う事があるけど、否定すると子供の存在まで否定する事になるので良い経験をしたと思うようにしてる。
・親が反対した人と結婚しました。結婚して直ぐに借金、そして妊娠して臨月で旦那は仕事を辞めて蒸発、その間に取り立��が来ていつ子供が産まれてもおかしくない状態なのに電気を消して居留守状態。アパート入り口に取り立てがいるので買い物にも行けず食べ物も口にしていませんでした。旦那は、2度の自己破産に薬物中毒、浮気に暴力。親の言っていたことは全て正しくて見抜いていました。
・高校卒業後すぐ就職してその時に付き合っていた彼と駆け落ちしました。その後うまく行かずに別れました。30歳で結婚し子供がいますが、今となると親が結婚に大反対した理由に納得。親が言っていたことは正しかった。
・周りが見えず世間知らずのまま結婚して、今の私がいる。夫とは長年家庭内別居状態。
・結婚を約束していた彼氏が酒乱で、酔うと酷い言葉を叫び歩く人だった。酷い言葉は、当時は私に対するものではなく、職場でのストレスによる物だったので、まわりに結婚はやめておいた方が良いと言われていたが、私に対するものではないからと、結婚してしまった。結婚後、結局私に対する酒乱に変わり、酔うと時間関係なく叫び、家の中もめちゃくちゃに荒れ散らかされ、寝ている子どもも泣き始め、子どもは何も悪くないのに、自分のせいだと思って、パパごめんなさいと言う始末。10年耐えたが、もう限界だと思って、子供を連れて離婚。あのままでは、子どもにも悪影響でしかないと思った。まわりの声に、ちゃんと聞くべきだったと反省。でも、かわいい子どもには出会えたのは、とても嬉しかった。
・当時、一人っ子の彼氏に夢中でした。三年付き合い、その間に、私の両親、親戚から、(一人っ子は、絶対に、辞めなさい。)私は聞く耳もたず、私からプロポーズして結婚しました。案の定、親離れと子離れのできてないない、まさか?母親と、できてるんじゃないか?という位のマザコン度と、母の異常な息子愛に、耐えられず、二年ももたず、離婚してしまいました。恋は盲目は、真実ですが、周りの意見は、やはり大事にすべきだったと、何度も後悔しました。やはり、経験者の意見はあってるんだと、思い知らされました。
・過干渉の親から逃げたくて、反対された相手と結婚した。失敗したよね。結局、この親にこの私有りで、その家の考え方には染まれなかったし、貧乏は、耐えられない。愛は生活すると覚める。
・我の強い彼氏が多かった。いずれも、もし結婚してたら離婚したはず。今の旦那はマトモで善人なだけに、過去を振り返ると結婚しないでよかったと心から思う人ばかり。若い頃は恋愛経験浅くて比較要素少ないからその人が正義みたいになる。20代とかで結婚決めるのはかなりギャンブルだと思う。
<愛は惜しみなく奪う>
・東京と九州の遠距離恋愛のくせに、毎週会いに行っていた。100万以上航空券代に費やしたと思う。もうちょっと冷静になれば良かった。
・頭おかしくなってたと思う。明らかに嘘なのに、30万円貸したまま、帰ってこない。
・何度か騙され全財産持ち逃げされました。それから慎重になりました。
・どう考えても怪しい人なのに周りの反対は聞かずに付き合って10万弱借りパクされたまま別れた
・若い時、かけおちした。職も家族もお金もなくなった。
・パチンコでキャッシングカード5枚の負債を抱えつつ、仕事場のお金を横領、とんずらした彼氏と別れられず幼馴染や親から無理やり引き離されて目が覚めた。恋に盲目怖い。
・付き合っている時は全ての予定が彼優先。バイトも嘘ついて休んだり。別れてからは復縁に関する高額教材を購入、講座を受講。周りから引かれるほどのめり込んでいた。
・若い時に、相手に合わせて、性格が変わってしまうまで、自分を抑えていたら、病気になってしまいました。それほど好きだったのですが、今思えばもっと早くに別れていれば良かったと思います。
・心が病んでいる人と付き合った時、私が治すって意気込んだけど苦労しかなかった
・離婚してまもなく出会いがあり子供より相手を優先してしまった子供には寂しい思いをさせてしまった自分の責任でひねくれた性格にしてしまった毎日が懺悔の日々
<ヒモ>
・20代の頃の懐かしくも、いま思い返すと恥ずかしい想い出。生活力の無い小説家志望の男で、私が全てお金を出していた。その時は頼られているようで 嬉しいと勘違いしていた。唯のヒモ男。
・風俗で働きヒモ男に貢いでいました
・高校時代、ニートの年上彼氏に自分のバイト代貢いでた。年下彼女に金たかるクソ男と付き合ってたとか本当にバカだと思う。
<センテンススプリング>
・毎回そうなってしまい…ほぼほぼ不倫になってしまう
・不倫ですね…色々なものを失いました。
・知らなかったけど彼に妻子がいた、わかってからも別れることができなかった
・奥さんや子どもがいると分かっていながら止められなかった
・今の嫁と不倫の末に駆け落ちして略奪婚した時かなぁ?
<どうしてこうなった>
・何も判断できなくなって、結婚して酷い目にあっている
・言えない…かなりやらかした…
・ほんとにバカな恋愛したと思う。消したい過去。墓場まで持っていく。
・犯罪まがいの事を何度かした
・心中しました
アンケートにご協力いただきありがとうございました。
グノシーの「アンケート」タブにて、毎日新しいアンケートを更新しています。ポイントが手に入るものもあるので奮ってご参加ください。
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and273 · 7 years ago
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AUG 10, 2018 Ibaraki Japan by iPhone7+ #千葉県に立ち寄って23歳の焼肉女子2人と合流したら茨城県の歯医者へ === #ムーブの後部座席でのんびりと位置ゲーの位置登録をくり返しながら行ったんだけどがんばって取り付けた純正オプションのリアスピーカーはなかなかいい音だった #もしかしたら911の純正オプションのリアスピーカーよりいいかも #911ってワゴンRのことだけど #これでサブウーファーの配線も完成させたらどんな音になるやら === #iPhoneでの写真の練習はドライブ中の様子なんだけどまん中で揺れてる御守りがとても邪魔 #邪魔とか言ったらバチ当たりだけど右から撮っても左から撮っても高さを変えてもどうしてもまず最初に画面中央の御守りに目が行ってしまう #つまり御守りの写真になってしまう #遠くにピントを合わせて御守りがボケるようにすると焼肉女子2人はさらにボケちゃうし #景色を捨てて車内にピントを合わせるとカーナビの写真とか御守りの写真になっちゃうし #御守りが邪魔だから外してとか言うんじゃいつまで経っても初心者のままだし === #オートフォーカスだと御守りだけにピントが合って前後は全部ボケちゃうパターン #例えばアイドルとかシンガーさんが小指を立ててマイクを持つ人だとシャッターを半押しするたびにオートフォーカスが小指に合ってしまって���がボケちゃうらしい #撮られたくない時はとっさにマイクを持ってる手の小指を立てると効果あるかも #小指対策としてはただのオートフォーカスじゃなくて瞳オートフォーカスの正確さと速さでカメラを選ぶといいらしい #カールツァイスやライカのレンズにこだわると基本的にオートフォーカス非対応だからいちいち手でピントを合わせるしかなくてその手間や難しさも楽しさのうちなんだけどね #そのおかげでiPhoneで撮った写真でもまず最初にピントの中心がどこにあるか何を撮ろうとした写真なのかを厳密にチェックする習慣が身についた #御守りが右にいちばん大きく揺れてるタイミングで前を走ってるトラックの車体に重ねればいいのかなとか左にいちばん大きく揺れてるタイミングで左側の斜面に重ねればいいのかなとか #そのタイミングで御守りが横ではなく縦に薄くなっていたら完璧なんだけど待ってる時に限ってなかなか回転してくれないんだよなとか #あと車内のあちこちに手のひらを当ててみてあぁなるほど走行中の車内の騒音ってこんな感じで全部の内装がビビり続けてるのかぁと静音化に向けて考えてみたり === #そんなことしてる間もずっとこの仔たちは大きな声で8月なのにジングルベルを歌ったり君が代も歌ったりカーエールーのうーたーはーとかまぁ元気で賑やかだこと #なんでiPhoneに童謡まで入れてるのかと不思議に思ったけど親戚に小さい子がいるとそれが当たり前なのかも #ブラジル国歌をリクエストしてみたけどさすがに入ってなかった #なんでブラジルって反応だったけどサッカーが好きな人ならW杯の決勝戦とかで何回も聴いて親しみあるはずだし #昔はF1でブラジル人ドライバーが勝ちまくってた時期があってほとんど1週間おきに何回も何回もくり返し決勝レース後の表彰式で聴いてたからある意味では日本の国歌より耳になじんでるのよ #そのドライバーの胸にはホンダのワッペンが貼ってあったんですけどね #今のF1ファンの耳になじんでるのはイギリス国歌とドイツ国歌なのかな #日本は世界一の自動車王国を自称してるけど自動車レースの世界最高峰F1グランプリの表彰式で日本の国歌は流れない #決勝スタート前のセレモニーでは必ずその開催国の国歌斉唱があるんだけど左翼的なテレビ局がF1の独占放映権を買ってしまった国ではそういうシーンは絶対に放送されないから決勝スタート前にセレモニーがあることさえ知られてなかったりする #自分の国の国歌についてきちんと学んでおかないと対戦相手の国歌に敬意を払うこともできなくてウッカリすると対戦相手を侮辱することになりかねないんだけどそういうところを軽く考えてる人もいるよね #サッカーとかでも対戦相手の国歌斉唱の時に静かに黙ったまま終わるのを待ってるんじゃなくて事前にググって覚えておいて一緒に歌ってこその友好とか親善だと思うけど === #そんな話はさておいてさすがに歌い疲れたのか高速道路を降りる頃になってお腹がすいたとか言い出した #仕事が終わった時点で予約時間ギリギリだから大急ぎで歯医者に向かうしかなくて何とか間に合わせて治療が終わると1時間は何も食べないでくださいねってニッコリ笑顔で言われるのキツいよね #1人じゃないんだから運転を任せて車内で軽く食べて着いたら歯みがきするとか方法はあったと思うけど #でもマトモに社会人してるとそれが当たり前で小さい子供がいるともっと大変なんだろうなぁ === #2人目の初診の仔は虫歯じゃない歯の数では1人目に勝ったけど親知らず以外でも1本が抜歯確定だそうで主治医の先生いわくどっちもどっちとのことで勝敗つかず #虫歯がひどい方が勝ちなのか負けなのかその辺からしてよくわからない争い #結局2人とも長期の通院が必要らしい #そして次回も2人そろって同じ日になってしまったのでした https://www.instagram.com/p/BmU6LeWH0qx/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=1foy4jkjfwikq
#千葉���に立ち寄って23歳の焼肉女子2人と合流したら茨城県の歯医者へ#ムーブの後部座席でのんびりと位置ゲーの位置登録をくり返しながら行ったんだけどがんばって取り付けた純正オプションのリアスピーカーはなかなかいい音だった#もしかしたら911の純正オプションのリアスピーカーよりいいかも#911ってワゴンrのことだけど#これでサブウーファーの配線も完成させたらどんな音になるやら#iphoneでの写真の練習はドライブ中の様子なんだけどまん中で揺れてる御守りがとても邪魔#つまり御守りの写真になってしまう#遠くにピントを合わせて御守りがボケるようにすると焼肉女子2人はさらにボケちゃうし#景色を捨てて車内にピントを合わせるとカーナビの写真とか御守りの写真になっちゃうし#御守りが邪魔だから外してとか言うんじゃいつまで経っても初心者のままだし#オートフォーカスだと御守りだけにピントが合って前後は全部ボケちゃうパターン#撮られたくない時はとっさにマイクを持ってる手の小指を立てると効果あるかも#小指対策としてはただのオートフォーカスじゃなくて瞳オートフォーカスの正確さと速さでカメラを選ぶといいらしい#そのおかげでiphoneで撮った写真でもまず最初にピントの中心がどこにあるか何を撮ろうとした写真なのかを厳密にチェックする習慣が身についた#そのタイミングで御守りが横ではなく縦に薄くなっていたら完璧なんだけど待ってる時に限ってなかなか回転してくれないんだよなとか#なんでiphoneに童謡まで入れてるのかと不思議に思ったけど親戚に小さい子がいるとそれが当たり前なのかも#ブラジル国歌をリクエストしてみたけどさすがに入ってなかった#なんでブラジルって反応だったけどサッカーが好きな人ならw杯の決勝戦とかで何回も聴いて親しみあるはずだし#昔はf1でブラジル人ドライバーが勝ちまくってた時期があってほとんど1週間おきに何回も何回もくり返し決勝レース後の表彰式で聴いてたからある意味では日本の国歌より耳になじんで#そのドライバーの胸にはホンダのワッペンが貼ってあったんですけどね#今のf1ファンの耳になじんでるのはイギリス国歌とドイツ国歌なのかな#日本は世界一の自動車王国を自称してるけど自動車レースの世界最高峰f1グランプリの表彰式で日本の国歌は流れない#自分の国の国歌についてきちんと学んでおかないと対戦相手の国歌に敬意を払うこともできなくてウッカリすると対戦相手を侮辱することになりかねないんだけどそういうところを軽く#サッカーとかでも対戦相手の国歌斉唱の時に静かに黙ったまま終わるのを待ってるんじゃなくて事前にググって覚えておいて一緒に歌ってこその友好とか親善だと思うけど#そんな話はさておいてさすがに歌い疲れたのか高速道路を降りる頃になってお腹がすいたとか言い出した#1人じゃないんだから運転を任せて車内で軽く食べて着いたら歯みがきするとか方法はあったと思うけど#でもマトモに社会人してるとそれが当たり前で小さい子供がいるともっと大変なんだろうなぁ#虫歯がひどい方が勝ちなのか負けなのかその辺からしてよくわからない争い#結局2人とも長期の通院が必要らしい#そして次回も2人そろって同じ日になってしまったのでした
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nameless-dialy-blog · 8 years ago
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子供に対しての"日本的”システム開発教育(毒成分たっぷり)
実家に帰った。まぁぼちぼち。 そして忙しい人生が始まる。
大炎上した大阪市の募集要項 「タダでプログラミング教育を」 http://www.j-cast.com/2017/01/13288028.html?p=all
プログラムを生業とする人間として、中々に穏やかな内容では無い。 思う所もあるので長々と書く。
内容上、「プログラマ」を目指す子供にとって かなり目や精神に悪い内容となってるので、 現実を見たくない子は回れ右を推奨。
そもそも、この日本というブラック企業が多いITの環境で、 子供にIT教育を推進する事が滑稽である。
子供たち。 マジメに聴かなくていいぞ。 趣味程度に留めろ。 将来、結婚して何人か子供を授かって安泰した老後を送りたいと 考えている子供は、間違ってもプログラマにならないほうがいい。 奇跡的に家庭を築けるパターンがあるが、そんなことに運を使うぐらいなら 宝くじを買ったほうがいい。
おそらく、国家が想定しているプログラミングの教育は
・あらかじめ環境構築されたパソコンでハローワールドを出力する ・四則演算の結果を出力する
その程度だろう。
はっきり断言しておこう。 "日本"では役に立たない。
上記のやり方は 「個人が”時間にゆとりがり必ず達成できる”モノを組む」やり方だ。
当然、企業では、そういうものは無く、 「複数人で”日数もなく実現可能性も定かではない”モノを組む事になる。
そう考えると、日本にあったプログラミングの教育は
・複数人で分担して行う ・「論理性」と「想像力」の無いヤツに企画をやらせる。 ・または「論理性」と「想像力」のあるヤツに企画をやらせて  下に、論理的なアプローチや想像力もない子供をあてがう ・普通の時間割では実現不能な量の課題を与える(徹夜前提) ・後から頻繁に根本に対しての課題変更を定期的に加え続ける
こうするだけで、疑似的な日本における システム開発を体験する事が出来る。 おそらく、チームの雰囲気はどんどんギスギスしていくだろうが、 そういうレベルなんですよ。日本におけるプログラムの環境は。 (Googleとかに努めてるエリート様は違うだろうが)
何も日本的なプログラムの開発アプローチを教えるなら、 プログラムじゃなくて、積み木でもいい。
積み木を、絶対にありえない形に、のこぎりも接着剤も使わずに 組む事を脅迫まがいに強制することで、子供のメンタルをぶち壊す 楽しい開発環境が疑似再現できるぞ。嫌味じゃなく事実だ。
「そんなのブラック企業だけだろ」と思うだろうが、 8時間ピッタリで常に終わって残業や明らかに無理な工数もなく、 アフターは飲みや家族サービスできるホワイトな中小システム開発があったら 俺に紹介してくれ。次の転職先の第一候補にする。
ここでお察しが付くと思うが、システム開発が成功するためには
・マトモな納期 ・マトモなプラン ・マトモな人選 ・根本の仕様をキチンと定める
これだけで50%ぐらい成功が確定する。 これらのうち、どれかがかけていれば、ずっこけるが、 作業員の血によって無理やり穴埋めする地獄絵図となる。
あとは、チームなので、当然複数人で作業する事になる。 なので、ある程度のコミュニケーション能力もそうだが、 そもそもの人間同士の相性も踏まえないと、余計な争いが生じる。
たとえば、概要レベルの曖昧な仕様書を仕様として挙げる企画に、 以下のPGをあてがったら、何が起こ��か、大体は想像つくだろう
・1から10までキチンと決まってないと動けないプログラマー ・ある程度あいまいな仕様書でも勝手に仕様考えて作るプログラマー
どっちも一長一短ではあるが、前者は企画と大きな争いを常に続ける事になる。 ちなみに、自分は後者という、わりといい加減なプログラマーだが。 企画にとっては便利そうに見えるが、企画が把握できない 仕様がどんどん勝手に作られるデメリットも生じる。諸刃の剣。
そもそも、プログラミング教育を推進する上が、 プログラムや、それを取り巻く環境をロクに理解してない有様では、 絶対に失敗するだろう。 そもそも、プログラムという仕事を選ぶ行為自体が 人生設計のミスに等しいが。
断言しておくが、筆者はプログラムが好きであり、 この行為自体は、誇るべき技能だと自負はする。 趣味として個人で楽しむ分には全然問題なく、 知的で合理的な楽しい趣味となり、あなたの人生を彩るだろう。
ただ、それを取り巻く環境、とくにプログラムという仕事を まるで理解しない人が上に付くことにより、 まるで阿鼻叫喚の地獄絵図のような環境になっている。 (プログラム教育を推進する政界の人間すら、その有様ではないだろうか) ゆえに、プログラムを生業としながら、 子供にプログラムを仕事にすることはやめたほうがいいと 情けない事を言わざるを得ないのが実情である。
ただでさえITの人材が不足してるのに何てこというんだと 思われるだろうが、俺は子供に嘘や綺麗事を吹き込んで、地獄に突き落とす 悪趣味な男ではない。汚い大人には死ぬほどお似合いの趣味だが。
ゆえに、プログラマという道を選ぶ行為を レジャーランドに行くのと同レベルの気軽さで選ばないほうがいい。 (就職先をレジャーランド感覚で決める行為がそもそも軽率なので  そういう人間ほどプログラマーにならないほうが社会の為だろう)
ここまで言っても「ぼくはしょうらいプログラマーになるんだ!」という 自殺志願者は止めない。あえて、「こういう人間は適正がある」という 事だけは、書いて終えよう。
●極度のめんどくさがり(出社ぐらいはなんとかできる)
プログラマの三大美徳である「怠惰」。 業務中に何度も繰り返す同じ手順を親を殺されたように敵視し 自動化を試みる。それが仕事の一つ。
●徹夜&睡眠不足で肌があれで顔面が崩壊しようがダメージが無い
ブサイクは失うものが健康ぐらいしかないので、適性が高い。
●徹夜と仕事が大好き(日付変更線?何それ状態)
お察しの通り。
●1日の平均睡眠時間は4時間~6時間でも平気!
お察しの通り
●ある程度のコミュ力と気の強さがある
この仕事、コミュ力まで求められるキモヲタ涙目の仕事でもある。 大体は同じチームの人間同士だが、外部署とのやり取りや、 平気で矛盾した仕様やイカれた工数が飛んでくるので、 顔色を窺わず、無理な事は無理といい、いつ首を切られてもいい 肝の据わった姿勢が大事となる。
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