#とんぺい焼き
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2025.5.5 今日の晩ごはん
とんぺい焼き、にんじんラペ、きのこのマリネ、お味噌汁
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朝飯にはベーコンエッグと納豆みそ汁。
え、おかしい?なにが?

昼飯はペペロンチーノとポーク100%のハンバーグ、じゃがいものぺったんこ焼きのワンプレート。
じゃがいもはきれいに洗ってからラップに包んで600wで5分ほどチン。
取り出して(熱)皿の底でもいいから潰して、油を敷いたフライパンでこんがり焼く。
ハンバーグは繋ぎも他の具もなし。
そのまま塩コショウして、ぐっと固めて焼く。
その肉汁とか残ったフライパンそのままでペペロンチーノを作る。

晩飯は家人リクによる。
ケチャップの出が悪かったのが悔やまれる。
ぴろっと顔を出しているがケチャップライスの具はウインナーである。
夜になって冷えてきた。
みなさん、暖かくしてお休みください。
ごちそうさん。
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happy valentine my fine shyt ft. genkai hoes
(I literally uses pinterest for this dumbass pickup-lines cus I can't even think of anything except yakipan's part)
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⚠️これはハンドレッドライン体験版の重大なネタバレを含む考察記事です。未プレイの方は閲覧にご注意ください。
This post is written in Japanese only.
ネタバレを読んでも大丈夫な方だけ下へスクロールしてください。
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問: 蒼月はSIREIを破壊した犯人なのか?
学園外で発見された、破壊されたSIREIのすぐそばにいたのが蒼月であったため、蒼月がSIREIを破壊した上で自作自演しているのではという考察をいくつか見かけたので、以下、時系列や気になる情報を振り返りながら考察してみたいと思います。
◆ 時系列まとめ
2日目の夜の会話
真実を知らずに協力できないという蒼月に対してSIREIが真実を話すことを検討すると約束。
雫原「…本当ね? 真実を話してくれるのね?」
SIREI「その方向で検討してみるよ。ひとまず、明日まで待っててくれる?」「これは本官の独断じゃ決められないから。」
蒼月「…相談相手がいるって事?だったら、その相談相手の正体も聞かせて貰うよ?」
SIREI「うん。それも合わせて検討してみる。みんなが戦う為��必要なら仕方ないもんね。」「もしかしたら、いっぺんに話すんじゃなくて、1対1の面談形式がいいかもな…」「とにかく、さっそく本官は検討に入るから、明日になったら作戦室に集まってくれる?」「という訳で、みんなとはいったんここでお別れ!また明日ねー!ばいばーい!」
————————————————
3日目の朝
蒼月は澄野の部屋の前付近に立っている。話しかけた場合の内容▽
蒼月「…おはよう。よく寝られた?ボクはあまり寝られなかったけど…」「うっ、ううっ…!」
澄野「大丈夫か?」
蒼月「あ、うん…ちょっと気分が悪くなって。この環境にまだ慣れてないだけだよ…」「環境の変化に弱いんだよね…ここで見える物、聞こえる音、匂い…」「それに…慣れなくてさ。」
澄野「だ、大丈夫なのか?本当に?」
その後、全員が作戦室に集合するも、SIREIは現れず。
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4日目の朝
食堂にて
澄野「あれ? SIREIは…いないのか?」
蒼月「うん…それが今日も見当たらないんだ。」
雫原「これで丸1日以上…あの愛くるしい姿を見ていない事になるわね。」
戦闘に参加していない組が乾パン以外の朝食を食べてもSIREIが現れないことに気づく。
蒼月「これでも止めに来ないなんて、さすがにおかしいよね。もしかして、どこかに出かけてるのかな?」
澄野「出かけるって…学園の外にか?」
雫原「何も言わずに学園から出たとは思えないけど。そのタイミングで敵が攻めてきたらどうするの?」
厄師寺がSIREIに呼びかけてみるも無反応。
蒼月「とりあえず…SIREIの事を探してみようか。と言っても、探せる場所なんて限られているけど。」
その後自由行動へ。自由行動時の蒼月のセリフ:
「ダメだ…どこにもSIREIの姿が見当たらないよ…」
————————————————
5日目の朝
SIREIが見当たらないことについて話し合う皆。
蒼月「校舎の中も含めて炎の壁の内側は一通り探したけど、どこにも見当たらなかったよ…」
逃げたのでは?と発言する今馬の後、
蒼月「でもさ、もしこのままSIREIが戻って来ないんだとしたら…」「ボクらはどうすべきだと思う?」
銀崎「どうすべき…というのは?」
蒼月「あいつがいないなら、もう止められる事もないし、だったら…」「みんなで、この学園から逃げない?」
澄野「えっ?」
蒼月「それには、炎の壁を越えなくちゃいけないから、ボクらも我駆力を使う事にはなるだろうけど…」「ここから逃げる為なら仕方がないよ。逃げる為に、あの力を使ってみない?」
——
この提案に他のメンバーは誰も賛同せず、蒼月は食堂を去ろうとする。
——
澄野「蒼月、どこに行くんだ…?」
蒼月「ゴ、ゴメン…ちょっと…頭を冷やしてくるよ…」「ボクは…みんなの気持ちがわかってなかったみたいだね。やっぱり…人付き合いって難しいね…」
そう言って、蒼月は真っ青な顔��食堂を後にした。
——
その後、自由行動(朝および午後)では蒼月が訓練室にいるのを目撃することが可能。調べた場合のテキスト▽
蒼月「………………」
澄野(考え事でもしてるのか…?話しかけるのはやめておこう。)
※このテキストは朝調べても午後調べても同じ。
————————————————
6日目の朝
蒼月が見つからず、消火機が1つ足りないことが判明。
澄野&厄師寺&飴宮が捜索のために学園の外に出て、倒れている蒼月を発見。戦闘の末に蒼月を救出。事情を話す蒼月▽
——
蒼月「東京団地に帰る為の手掛かりが見つかれば、みんなも付いて来てくれると思って…」「でも…ダメだった。ここには何もなかったよ…」「ただの…焼け焦げた廃墟だ。ボクらはどこにも行けないんだよ。」「どこにも…逃げられないんだ。」
澄野「………………」
蒼月「あ、ただ…1つだけ見つけた物があるんだ。」「ボクを襲った侵校生が落とした物なんだけど、これをキミに渡しておくよ…」
澄野「えっ? こ、これって…!」
力尽き、気を失う蒼月
——
学園に戻った澄野が蒼月から受け取ったSIREIの帽子についていた物だと思われるエンブレムの破片を皆に見せ、翌日雫原と一緒に蒼月が襲われていた場所を探索することを約束。
————————————————
7日目の朝
玄関ホールで雫原と合流し、蒼月が襲われていた場所へ移動。澄野がポリバケツの蓋を開け、バラバラになったSIREIを発見。
学園に戻りみんなに共有した際、飴宮がお前らの中の誰かがやったんだ!と発言。過子がSIREIは以前に
「ダメダメー! 本官に手を出したら、みんなの体内に埋め込んだ爆弾が爆発しちゃうー!」
と発言していたことを補足。ならやったのは侵校生なのか?という銀崎の問に対して雫原が同意:
雫原「…そうとしか考えられないわね。」「おそらく、侵校生がこの学園に忍び込んで、SIREIを殺したんでしょう…」「それを私達に気づかれないように、残骸を炎の壁の外まで持ち去ってから捨てたのよ。」
それに対して川奈が反論:
川奈「だけど、どうやって忍び込んで来たの?敵襲の警報も鳴ってないよね?」「炎の壁も防衛システムのレーダーも潜り抜けたって事?そういうタイプまでいるの?」
銀崎「まるで…幽霊ですね。」
——
この発言に澄野が、2日目の夜に消えない炎をまとう少年の形をした"何か"を見たことを思い出す。
その後、敵勢力侵入の警報により推理はうやむやに。タイミングが悪いと嘆くみんな。
——
雫原「連中にはこっちの事情なんか関係ないって事よ。いえ、むしろ…」「SIREIを破壊したのが侵校生なら、このタイミングを狙って攻めてきたかもしれないわね」
——
その後、SIREI不在のまま戦闘へ。
————————————————
◆ 気になる情報と考察
・体内に埋め込まれた爆弾について
SIREIが「本官に手を出したら、みんなの体内に埋め込んだ爆弾が爆発しちゃうー!」と発言しているが、実際に誰かが具体的な行動を起こしたことがないため、"手を出す"の範囲は不明。例えば蒼月が実行したのはどこかの部屋にSIREIを呼び出すことだけで、何かしらの機械を使って間接的にSIREIを切断すること自体は可能だったかもしれない。(使えそうなのは食堂の調理マシーンとか?)
・SIREIの出現条件について
SIREIは2日目の学園内探索の時間で突然現れ、澄野の「うわっ…! お前どこから…!」という発言に対して「本官はこの学園のどこにでも現れるよ。だって、司令官だもん」と返答している。
SIREIの神出鬼没ぶりを考慮すると、蒼月が3日目から6日目の間、SIREIを破壊せずに隠したり拘束するのはかなり難しいor不可能な可能性が高いと思われる。そのため、蒼月がSIREIを破壊した犯人であると考える場合、2日目の夜〜3日目の朝の時点ですでに破壊していたと考えるのが妥当だと思われる。
その上で3日目の朝に蒼月が澄野の部屋のすぐ前で発見できることを考慮すると、蒼月がSIREIを破壊できたのはほとんど2日目の夜の間しかない。それが真実である場合、3日目の朝時点から蒼月の発言は全て演技ということになる。
——
・『消火機』について
SIREIは消火機について以下のように説明している▽
「あのね、みんなが消えない炎の壁を超えて、外に”探索”に行きたくなったら…」「その消火機を使ってね。」「それが、みんなの我駆力を使って、”消えない炎”を一時的に消してくれるから。」
つまり変身していない状態では消火機は使えない。蒼月がSIREIを2日目の夜の間に破壊していたとして、SIREIを学園外に出すことまで実行していた場合は、作戦室から我駆力刀を持ち出して変身し、消火機を使って学園の外に出てSIREIを捨て、3日目の朝にみんなが作戦室に集合するよりも前に我駆力刀を戻し、澄野の部屋の前あたりで待機していたということになる。 蒼月は4日目の朝にSIREIについて「もしかして、どこかに出かけてるのかな?」と発言しており、もし2日目の夜に学園外に捨てた上でこ��発言している場合、自身でSIREIの在処のヒントを出していることになる。
または、2日目の夜に全てを行っていたと考えるとやや忙しい行動スケジュールになるので、SIREIを破壊してはいたものの、6日目までは自室でSIREIを保管していたと考えることもできるかもしれない。
いずれにせよ、SIREIの在処を知りながら、学園内を探し回るふりをしてSIREIが見つからないという演技をしていたということになるのは同じ。
——
・『消えない炎』について
SIREIによると「あの炎が燃やすのは"生物のみ"で物とか建物を燃やす事はない」とのこと。
ここで気になるのが、SIREIは生物なのか?という点。SIREIが生物ではない場合、そもそもSIREIは自由に炎の壁の外に出られるということになる。
ちなみに、生物が死体になった場合は燃えなくなるのか?という疑問もある。消えない炎の外で死んだ場合、死体回収ドローンが死体を回収できない理由が"探知できないから"回収できないという説明もされているので、もし死体回収ドローンが炎の外に出れる場合、消えない炎を通る際、「死体は生物ではないから燃えない」という扱いになるのか、「死体でも元は生物だから燃える」という扱いになるのかは不明。
また、「消えない炎の壁に外部からの異常が感知されると、学園は自動的に防衛モードになるように設定されている」とも説明されている。つまり内側から消火機を使って壁を開ける場合は問題ないが、外側から開けた場合には自動的に防衛モードになるはず。
侵校生は何かしらの手段で炎の壁を開けないと中に入れないという説明もなされているので、侵校生は生物で間違いないはず。 つまり、7日目に澄野&雫原が学園に戻ってきた後の川奈の指摘はもっともで、侵校生が学園に侵入してSIREIを破壊したとは考えられない。
——
・澄野が出会った少年の形をした"何か"について
澄野が2日目の夜に見た少年の形をした"何か"がまとっていた炎は「消えない炎」だということが明言されている。
ということは、彼は生物ではない可能性が高いと思われる。
——
・蒼月の発言と考えうる動機について
SIREIの姿が見当たらないということが判明して以降、彼は一貫して戦いから逃げて東京団地に戻る方法を探している。もし蒼月がSIREIを殺す動機があったとすれば、「SIREIを破壊すれば、みんな逃げても安全だと思ってくれるかも」と思って事前に自分で処理したということになるかもしれない。特に2日目は消火機の存在が初めて知らされる日なので、消火機を使って外に出られるのならば、SIREIを処分してしまってもいいのではと考えることは可能ではある。
ただその場合、蒼月は体内に埋め込まれた爆弾が爆発しない方法を自力で見つけ出したか、または爆発するかもしれないリスクを考慮しつつもイチかバチかでSIREIの破壊を試みたということになる。 爆発しない確実な方法を見つけずに自分が死んでしまったら東京団地に戻ることもできないので、おそらく後者はあり得ない。 前者の場合、この短期間にどのようにして蒼月が回避策を調べたのかが気になる。 これを考慮すると、「みんなを学園に縛りつけようとするSIREIを破壊してみんなで逃げる」という発想自体はあってもおかしくは無いものの、それほど急いで行動するメリットが無いように見える。特に2日目の夜にはSIREIが翌日には真実を話す(かも)と言っているのになぜそれを待たなかったのか?
となると逆に蒼月が裏切り者や内通者であり、SIREIに真実を話されると困るから2日目の夜のうちに破壊したと考えることもできるかもしれない。ただ蒼月が裏切り者や内通者であると考えられるような具体的な要因は見つけられなかった。
——
◆ まとめ
現状で考えられそうな犯人および犯行手段
蒼月が2日目の夜に何かしらの方法でSIREIを破壊し、学園の外に持ち出した or バラバラになったSIREIを自室に隠していた。3日目の朝から6日目までの間はSIREIの行方を知らない演技をしていた。
実はSIREIは生物ではないので、自分の意思で消えない炎の壁の外に出て、何かしらの存在によってバラバラにされた。 →考えられる犯人候補 ・侵校生 ・部隊長(=我駆力を使う謎の存在) ・SIREIの相談相手 ・少年の形をした"何か"
SIREIは生物だが、少年の形をした"何か"が学園内でSIREIをバラバラにし、死体になった結果炎の壁を越えられるようになったので、その状態で外に持ち出した。
"SIREIが自分の意思で炎の壁の外に出た後に自害した"という可能性を入れるか悩んだが、ポリバケツに突っ込まれていた&一部は外に落ちてい��侵校生が拾える状態だったということを考えると、自分でバラバラになって中途半端にポリバケツに突っ込んだとは考えづらいと思ったので自害の線は消した。
個人的には、すごく単純に考えればSIREIが自分の意思で炎の壁の外に出て、相談相手※と出会い、破壊されたと考えるのが最も素直な解釈のように見えるし強いてそれ以外の解釈をする要因が無いように見える。 ※”SIREIの相談相手"と少年の形をした"何か"がイコールの可能性はある。
ただ気になるのは、澄野&雫原が学園に戻ってすぐに侵校生からの襲撃があったこと。おそらく偶然ではないと思われるので、次点で「SIREIが自分の意思で外に出た後に部隊長によって破壊された」説が有力に見える。
最後に、この考察における問いに対する答えを書くと、蒼月に犯行が不可能だったとは言えないかもしれないが、蒼月が犯人だとする場合、かなり早い段階でSIREIを破壊する算段を立てて、自分が返り討ちに合うことを回避する方法を見つけ、その上で長時間自分が犯人ではないと演技をし続けていたことになるので、ボロが出るリスクを犯しながらそのような行動に出たメリットが何なのか?に疑問が残るため、犯人ではないと考える方が妥当だと思う。
「めちゃめちゃ早い段階で犯行計画立てて実施した狛枝みたいなケースかもしれないだろ!」というツッコミはあるかもしれないけど、狛枝の場合は「自分が死んでもいいと思っていた」というのが重要なポイントで、蒼月の場合は自分が死んでもいいと思う要素が無く、むしろ自分自身が生きて東京団地に帰ることを考えて行動しているので、それほど危険を犯す行動はしないはず。
一応色々テキストを見直したりして書いたものの、他の可能性や考慮すべき事項はあるだろうと思っているので、もし何か気になった点などあればぜひ教えてください!
読んでいただきありがとうございました🫶💖
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汚辱の日々 さぶ
1.無残
日夕点呼を告げるラッパが、夜のしじまを破って営庭に鳴り響いた。
「点呼! 点呼! 点呼!」
週番下士官の張りのある声が静まりかえった廊下に流れると、各内務班から次々に点呼番号を称える力に満ちた男達の声が騒然と漠き起こった。
「��礼ッ」
私の内務班にも週番士官が週番下士官を従えて廻って来て、いつもの点呼が型通りに無事に終った。辻村班長は、これも毎夜の通り
「点呼終り。古兵以上解散。初年兵はそのまま、班付上等兵の教育をうけよ。」
きまりきった台詞を、そそくさと言い棄てて、さっさと出ていってしまった。
班付上等兵の教育とは、言い換えれば「初年兵のビンタ教育」その日の初年兵の立居振舞いのすべてが先輩達によって棚卸しされ、採点・評価されて、その総決算がまとめて行われるのである。私的制裁をやると暴行罪が成立し、禁止はされていたものの、それはあくまで表面上でのこと、古兵達は全員残って、これから始まる凄惨で、滑稽で、見るも無残なショーの開幕を、今や遅しと待ち構えているのであった。
初年兵にとつては、一日のうちで最も嫌な時間がこれから始まる。昼間の訓練・演習の方が、まだしもつかの間の息抜きが出来た。
戦闘教練で散開し、隣の戦友ともかなりの距離をへだてて、叢に身を伏せた時、その草いきれは、かつて、学び舎の裏の林で、青春を謳歌して共に逍遙歌を歌い、或る時は「愛」について、或る時は「人生」について、共に語り共に論じあったあの友、この友の面影を一瞬想い出させたし、また、土の温もりは、これで母なる大地、戎衣を通じて肌身にほのぼのと人間的な情感をしみ渡らせるのであった。
だが、夜の初年兵教育の場合は、寸刻の息を抜く間も許されなかった。皓々(こうこう)とした電灯の下、前後左右、何かに飢えた野獣の狂気を想わせる古兵達の鋭い視線が十重二十重にはりめぐらされている。それだけでも、恐怖と緊張感に身も心も硬直し、小刻みにぶるぶる震えがくるのだったが、やがて、裂帛(れっぱく)の気合
怒声、罵声がいり乱れるうちに、初年兵達は立ち竦み、動転し、真ッ赤に逆上し、正常な神経が次第々に侵され擦り切れていった。
その過程を眺めている古兵達は誰しも、婆婆のどの映画館でも劇場でも観ることの出来ない、スリルとサスペンスに満ち溢れ、怪しい雰囲気につつまれた素晴しい幻想的なドラマでも見ているような錯覚に陥るのであった。幻想ではない。ここでは現実なのだ。現実に男達の熱気が火花となって飛び交い炸裂したのである。
なん��もやりきれなかった。でも耐え難い恥辱と死につながるかもしれない肉体的苦痛を覚悟しない限り抜け出せないのである。ここを、この軍隊と云う名の檻を。それがあの頃の心身共に育った若者達に課せられた共通の宿命であった。
この日は軍人勅諭の奉唱から始まった。
「我ガ国ノ軍隊ハ代々天皇ノ統率シ賜ウトコロニゾアル……」
私は勅諭の奉唱を仏教の読経、丁度そんなものだと思っていた。精神が忘れ去られ、形骸だけが空しく機械的に称えられている。又虐げられた人々の怨念がこもった暗く重く澱んだ呻き、それが地鳴りのように聞こえてくるそんな風にも感じていた。
勅諭の奉唱が一区切りついたところで、一人の古兵が教育係の上等兵に何か耳うちした。頷いた上等兵は、
「岩崎、班長殿がお呼びだ。すぐ行けッ」
全員の目が私に集中している。少くとも私は痛い程そう感じた。身上調査のあったあの日以来、私は度々辻村机長から呼び出しをうけた。あいつ、どうなってんだろ。あいつ班長殿にうまく、ゴマすってるんじゃないか。あいつ、俺達のことを、あることないこと、班長殿の気に入るように密告してるんじゃないか。同年兵も古兵達も、皆がそんな風に思っているに違いない。私は頑なにそう思い込んでいた。
つらかった。肩身が狭かった。
もともと私は、同年兵達とも古兵達とも、うまくいっていなかった。自分では余り意識しないのだが、私はいつも育ちや学歴を鼻にかけているように周囲から見られていたようである。運動神経が鈍く、腕力や持久力がからっきし駄目、することなすことがヘマばかり、ドジの連続の弱兵のくせに、その態度がデカく気障(きざ)っぽく嫌味で鼻持ちがならない。そう思われているようだった。
夏目漱石の「坊ちゃん」は親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしていたと云うが、私は生まれつき人みしりのする損なたちだった。何かの拍子にいったん好きになると、その人が善人であれ悪人であれ、とことん惚れ込んでしまうのに、イケ好かない奴と思うともう鼻も引つかけない。気軽に他人に話しかけることが出来ないし、話しかけられても、つい木で鼻をくくったような返事しかしない。こんなことではいけないと、いつも自分で自分を戒めているのだが、こうなってしまうのが常である。こんなことでは、同年兵にも古兵にも、白い眼で見られるのは至極当然内務班でも孤独の影がいつも私について廻っていた。
あいつ、これから始まる雨霰(あめあられ)のビンタを、うまく免れよって――同年兵達は羨望のまなざしを、あいつ、班長室から戻って来たら、��だではおかないぞ、あの高慢ちきで可愛いげのないツラが変形するまで、徹底的にぶちのめしてやるから――古兵達は憎々しげなまなざしを、私の背に向って浴せかけているような気がして、私は逃げるようにその場を去り辻村班長の個室に急いだ。
2.玩弄
部屋の前で私は軽くノックした。普通なら「岩崎二等兵、入りますッ」と怒鳴らねばならないところだが、この前、呼び出しをうけた時に、特にノックでいいと辻村班長から申し渡されていたのである。
「おう、入れ」
低いドスのきいた返事があった。
扉を閉めると私はいったん直立不動の姿勢をとり、脊筋をぴんとのばしたまま、上体を前に傾け、しゃちこばった敬礼をした。
辻村班長は寝台の上に、右手で頭を支えて寝そべりながら、じっと私を、上から下まで射すくめるように見据えていたが、立ち上がって、毛布の上に、どっかとあぐらをかき襦袢を脱ぎすてると、
「肩がこる、肩を揉め」
傲然と私に命じた。
私も寝台に上がり、班長の後に廻って慣れぬ手つきで揉み始めた。
程よく日焼けして艶やかで力が漲っている肩や腕の筋肉、それに黒々とした腋の下の毛のあたりから、男の匂いがむっと噴き出てくるようだ。同じ男でありながら、私の身体では、これ程官能的で強烈な匂いは生まれてこないだろう。私のは、まだまだ乳臭く、淡く、弱く、男の匂いと云うには程遠いものであろう。肩や腕を、ぎこちない手つきで揉みながら、私はふっと鼻を彼の短い頭髪やうなじや腋に近づけ、深々とこの男の乾いた体臭を吸い込むのだった。
「おい、もう大分、慣れて来たか、軍隊に」
「……」
「つらいか?」
「いエ……はァ」
「どっちだ、言ってみろ」
「……」
「つらいと言え、つらいと。はっきり、男らしく。」
「……」
「貴様みたいな、娑婆で、ぬくぬくと育った女のくさったようなやつ、俺は徹底的に鍛えてやるからな……何だ、その手つき……もっと、力を入れて……マジメにやれ、マジメに……」
辻村班長は、岩崎家のぼんぼんであり、最高学府を出た青白きインテリである私に、マッサージをやらせながら、ありったけの悪態雑言を浴びせることを心から楽しんでいる様子であった。
ごろりと横になり、私に軍袴を脱がさせ、今度は毛深い足や太股を揉みほぐし、足の裏を指圧するように命じた。
乱れた越中褌のはしから、密生した剛毛と徐々に充血し始めた雄々しい男の肉茎が覗き生臭い股間の匂いが、一段と激しく私の性感をゆさぶり高ぶらせるのであった。
コツコツ、扉を叩く音がした。
「おお、入れ」
私の時と同じように辻村班長は横柄に応えた。今時分、誰が。私は思わず揉む手を止めて、その方に目を向けた。
入って来たのは――上等兵に姿かたちは変ってはいるが――あっ、辰ちゃんではないか。まぎれもなく、それは一丁目の自転車屋の辰ちゃんなのだ。
私の家は榎町二丁目の豪邸。二丁目の南、一丁目の小さな水落自転車店、そこの息子の辰三は、私が小学校の頃、同じ学年、同じクラスだった。一丁目と二丁目の境、その四つ角に「つじむら」と云ううどん・そば・丼ぶり物の店があり、そこの息子が今の辻村班長なのである。
私は大学に進学した関係で、徴兵検査は卒業まで猶予されたのであるが、彼―― 水落辰三は法律通り満二十才で徴兵検査をうけ、その年か翌年に入隊したのだろう。既に襟章の星の数は私より多く、軍隊の垢も、すっかり身についてしまっている様子である。
辰ちゃんは幼い時から、私に言わせれば、のっぺりした顔だちで、私の好みではなかったが、人によっては或いは好男子と言う者もあるかもしれない。どちらかと言えば小柄で小太り、小学校の頃から既にませていて小賢しく、「小利口」と云う言葉が、そのままぴったりの感じであった。当時のガキ大将・辻村に巧みにとり入って、そのお気に入りとして幅をきかしていた。私が中学に入って、漢文で「巧言令色スクナシ仁」と云う言葉を教わった時に「最っ先に頭に想い浮かべたのはこの辰ちゃんのことだった。ずる賢い奴と云う辰ちゃんに対する最初の印象で、私は殆んどこの辰ちゃんと遊んだ記憶も、口をきいた記憶もなかったが、顔だけは、まだ頭の一隅に鮮明に残っていた。
辻村班長は私の方に向って、顎をしゃくり上げ、辰ちゃん、いや、水落上等兵に、「誰か分かるか。」
意味あり気に、にやっと笑いながら尋ねた
「うん」
水落上等兵は卑しい笑みを歪めた口もとに浮かべて頷いた。
「岩崎、裸になれ。裸になって、貴様のチンポ、水落に見てもらえ。」
頭に血が昇った。顔の赤らむのが自分でも分った。でも抵抗してみたところで、それが何になろう。それに恥ずかしさに対して私は入隊以来もうかなり不感症になっていた。部屋の片隅で、私は手早く身につけていた一切合切の衣類を脱いで、生まれたままの姿にかえった。
他人の眼の前に裸身を晒す、そう思うだけで、私の意志に反して、私の陰茎はもう「休メ」の姿勢から「気ヲ付ケ」の姿勢に変り始めていた。
今日は辻村班長の他に、もう一人水落上等兵が居る。最初から突っ張ったものを披露するのは、やはり如何にもきまりが悪かった。しかも水落上等兵は、私が小学校で級長をしていた時の同級生なのである。
私の心の中の切なる願いも空しく、私のその部分は既に独白の行動を開始していた。私はどうしても私の言うことを聞かないヤンチャ坊主にほとほと手を焼いた。
堅い木製の長椅子に、辻村班長は越中褌だけの姿で、水落上等兵は襦袢・軍袴の姿で、並んで腰をおろし、旨そうに煙草をくゆらしていた。班長の手招きで二人の前に行くまでは、私は両手で股間の突起を隠していたが、二人の真正面に立った時は、早速、隠し続ける訳にもいかず、両手を足の両側につけ、各個教練で教わった通りの直立不動の姿勢をとった。
「股を開け。両手を上げろ」
命ぜられるままに、無様な格好にならざるを得なかった。二人の視線を避けて、私は天井の一角を空ろに眺めていたが、私の胸の中はすっかり上気して、不安と、それとは全く正反対の甘い期待とで渦巻いていた。
二人は代る代る私の陰茎を手にとって、きつく握りしめたり、感じ易い部分を、ざらざらした掌で撫で廻したりしはじめた。
「痛ッ」
思わず腰を後にひくと、
「動くな、じっとしとれ」
低い威圧的な声が飛ぶ。私はその部分を前につき出し気味にして、二人の玩弄に任せると同時に、高まる快感に次第に酔いしれていった。
「廻れ右して、四つん這いになれ。ケツを高くするんだ。」
私の双丘は水落上等兵の手で押し拡げられた。二人のぎらぎらした眼が、あの谷間に注がれていることだろう。板張りの床についた私の両手両足は、時々けいれんをおこしたように、ぴくッぴくッと引き吊った。
「顔に似合わず、案外、毛深いなアこいつ」
水落上等兵の声だった。突然、睾丸と肛門の間や、肛門の周囲に鈍い熱気を感じた。と同時に、じりッじりッと毛が焼けて縮れるかすかな音が。そして毛の焦げる匂いが。二人は煙草の火で、私の菊花を覆っている黒い茂みを焼き払い出したに違いないのである。
「熱ッ!」
「動くな、動くとやけどするぞ」
辻村班長の威嚇するような声であった。ああ、目に見えないあのところ、今、どうなってるんだろう。どうなってしまうのだろう。冷汗が、脂汗が、いっぱいだらだら――私の神経はくたくたになってしまった。
3.烈情
「おい岩崎、今日はな、貴様にほんとの男ってものを見せてやっからな。よーく見とれ」
四つん這いから起きあがった私に、辻村班長は、ぶっきらぼうにそう言った。辻村班長が水落上等兵に目くばせすると、以心伝心、水落上等兵はさっさと着ているものを脱ぎ棄てた。裸で寝台の上に横になった水落上等兵は、恥ずかしげもなく足を上げてから、腹の上にあぐらを組むように折り曲げ、辻村班長のものを受入れ易い体位になって、じっと眼を閉じた。
彼白身のものは、指や口舌で何の刺戟も与えていないのに、既に驚くまでに凝固し若さと精力と漲る力をまぶしく輝かせていた。
「いくぞ」
今は褌もはずし、男一匹、裸一貫となった辻村班長は、猛りに猛り、水落上等兵を押し分けていった。
「ううッ」
顔をしかめ、引き吊らせて、水落上等兵は呻き、
「痛ッ……痛ッ……」と二言三言、小さな悲鳴をあげたが、大きく口をあけて息を吐き、全身の力を抜いた。彼の表情が平静になるのを待って、辻村班長はおもむろに動いた。大洋の巨大な波のうねりのように、大きく盛り上がっては沈み、沈んでは又大きく盛り上がる。永落上等兵の額には粒の汗が浮かんでいた。
凄まじい光景であった。凝視する私の視線を避けるように、流石の永落上等兵も眼を閉じて、烈しい苦痛と屈辱感から逃れようとしていた。
「岩崎、ここへ来て、ここをよーく見ろ」
言われるがままに、私はしゃがみこんで、局部に目を近づけた。
一心同体の男達がかもし出す熱気と、激しい息づかいの迫力に圧倒されて、私はただ茫然と、その場に崩れるようにすわりこんでしまった。
戦いは終った。戦いが烈しければ烈しい程それが終った後の空間と時間は、虚しく静かで空ろであった。
三人の肉体も心も燃え尽き、今は荒涼として、生臭い空気だけが、生きとし生ける男達の存在を証明していた。
男のいのちの噴火による恍惚感と、その陶酔から醒めると、私を除く二人は、急速にもとの辻村班長と水落上等兵に戻っていった。先程までのあの逞しい情欲と激動が、まるで嘘のようだった。汲(く)めども尽きぬ男のエネルギーの泉、そこでは早くも新しい精力が滾々(こんこん)と湧き出しているに達いなかった。
「見たか、岩崎。貴様も出来るように鍛えてやる。寝台に寝ろ。」
有無を言わせぬ強引さであった。
あの身上調査のあった日以来、私はちょくちょく、今夜のように、辻村班長の呼び出しをうけていたが、その度に、今日、彼が水落上等兵に対して行ったような交合を私に迫ったのである。しかし、これだけは、私は何としても耐えきれなかった。頭脳に響く激痛もさることながら、襲いくる排便感に我慢出来ず私は場所柄も、初年兵と云う階級上の立場も忘れて、暴れ、喚き、絶叫してしまうので、辻村班長は、ついぞ目的を遂げ得ないままであった。
その時のいまいましげな辻村班長の表情。何かのはずみでそれを想い出すと、それだけで、私は恐怖にわなないたのであるが、辻村班長は一向に諦めようとはせず、執念の劫火を燃やしては、その都度、無残な挫折を繰り返していたのである。
その夜、水落上等兵の肛門を責める様を私に見せたのは、所詮、責められる者の一つの手本を私に示す為であったかもしれない。
「ぐずぐずするな。早くしろ、早く」
ああ、今夜も。私は観念して寝台に上がり、あおむけに寝た。敷布や毛布には、先程のあの激突の余儘(よじん)が生温かく、水落上等兵の身体から滴り落ちた汗でじっとりと湿っていた。
私の腰の下に、枕が差し込まれ、両足を高々とあげさせられた。
「水落。こいつが暴れんように、しっかり押さえつけろ。」
合点と云わんばかりに、水落上等兵は私の顔の上に、肉づきのいい尻をおろし、足をV字形に私の胴体を挟むようにして伸ばした。股の割れ目は、まだ、水落上等兵の体内から分泌された粘液でぬめり、私の鼻の先や口許を、ねばつかせると同時に、異様に生臭い匂いが、強烈に私の嗅覚を刺戟した。
「むむッ」
息苦しさに顔をそむけようとしたが、水落上等兵の体重で思うにまかせない。彼は更に私の両足首を手荒く掴んで、私の奥まった洞窟がはっきり姿を見せるよう、折り曲げ、組み合わせ、私の臍の上で堅く握りしめた。
奥深く秘められている私の窪みが、突然、眩しい裸電球の下に露呈され、その差恥感と予期される虐待に対する恐怖感で、時々びくっびくっと、その部分だけが別の生き物であるかのように動いていた。
堅い棒状の異物が、その部分に近づいた。
思わず息をのんだ。
徐々に、深く、そして静かに、漠然とした不安を感じさせながら、それは潜行してくる。ああッ〃‥ああッ〃‥‥痛みはなかった。次第に力が加えられた。どうしよう……痛いような、それかと云って痛くも何ともないような、排泄を促しているような、そうでもないような、不思議な感覚が、そのあたりにいっぱい。それが、私の性感を妖しくぐすぐり、燃えたたせ、私を夢幻の境地にさそうのであった。
突然、激痛が火となって私の背筋を突っ走った。それは、ほんのちょっとした何かのはずみであった。
「ぎゃあッ!!」
断末魔の叫びにも似た悲鳴も、水落、上等兵の尻に押さえつけられた口からでは、単なる呻きとしか聞きとれなかったかもしれない。
心をとろけさせるような快感を与えていた、洞窟内の異物が、突如、憤怒の形相に変わり、強烈な排便感を伴って、私を苦しめ出したのである。
「お許し下さいッ――班長殿――お許しッ ――お許しッ――ハ、ハ、班長殿ッ」 言葉にはならなくても、私は喚き叫び続けた。必死に、満身の力を振り絞って。
「あッ、汚しますッ――止めて、止めて下さいッ――班長殿ッ――ああ――お願いッ――お許しッ――おおッ――おおッ―― 」
「何だ、これくらいで。それでも、貴様、男か。馬鹿野郎ッ」
「ああッ、……痛ッ……毛布……毛布……痛ッ――汚れ――汚れますッ――班長殿ッ」
毛布を両手でしっかりと握りしめ、焼け爛れるような痛さと、排便感の猛威と、半狂乱の状態で戦う私をしげしげと眺めて、流石の辻村班長も、呆れ果てで諦めたのか、
「よしッ……大人しくしろ。いいか、動くなッ」
「うおおおー!!!」
最後の一瞬が、とりわけ私の骨身に壊滅的な打撃を与えた。
「馬鹿野郎。ただで抜いてくれるなんて、甘い考えおこすな。糞ったれ」
毒づく辻村班長の声が、どこか遠くでしているようだった。
終った、と云う安堵感も手伝って、私は、へたへたとうつ伏せになり、股間の疼きの収まるのを待った。身体じゅうの関節はばらばら全身の力が抜けてしまったように、私はいつまでも、いつまでも、起き上がろうとはしなかった。
班長の最後の一撃で俺も漏らしてしまったのだ。腑抜けさながら。私はここまで堕ちに堕ちてしまったのである。 瞼から涙が溢れ、男のすえた体臭がこびりついた敷布を自分の汁と血で汚していた。
どれだけの時間が、そこで停止していたことか。
気怠(けだる)く重い身体を、もぞもぞ動かし始めた私。
「なんだ、良かったんじゃねぇか、手間取らせやがって」
おれの漏らした汁を舐めながら辻村班長が言った。
そして汚れたモノを口に突っ込んできた。
水落上等兵は、おいうちをかけるように、俺に覆い被さり、聞こえよがしに口ずさむのであった。
新兵サンハ可哀ソウダネ――マタ寝テカクノカヨ――
(了)
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#26 6月4日
3日はtumblrのたの字を思い出す前に寝落ちした。まだ何も成し遂げてないのに。
4日も大体同じようなもので学校から帰ってきたあと夕飯作って食べて、お風呂入る前に4時間ほど爆睡してしまった。その後お風呂入ったら何と1時。ここから入れる保険ありますかね。
とりあえずESの下書きをしてクロッキーを少し書いてフィギュアを少しやった。
フィギュアは硬化剤がいい感じに固まってくれていたが1箇所補強すると違うところにヒビが入るという悪循環が起きている。あれ、前の私どう作ってた?と思ったが自分の観賞用にしか作ってないのでボロボロですわ。ちなみにtumblrに過去の作品を載せられてないのもそれが原因だったりする。腕やら足やら首が欠損してるので……。とりあえず埒が明かないので全体的に形を作ってから補強に入ろう。
これからフィギュアを作るにあたってまずは胴体から作れと言いたい。最初の方に腕と足の骨となる所を作って焼いたと思うが、胴体作りこんでる間に折れます。なのでやはり胴体から作ってください。あと、うつ伏せに置く時は胸が当たらないようにしよう。朝起きたら胸がぺちゃんこになっててびっくりした。そりゃそうだよね……固めてないし……
ということで明日というか今日は面談に向けて近況と意見をtumblrにまとめるのと作れるところまでフィギュア作りたいと思う。いい感じに固められたら面談に持っていきたいんだけど、落としてパキッといったらさすがに泣くかもしれない。
追記
梅酒用のホワイトリカーが見つかりません。探している間に氷砂糖全部熔けました。

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ちょっと困ったことになった #16
こんばんは 今日、無性にお好み焼き食べたくなりました。お好み焼きってあれです、あのよくあるキャベツとか卵とか生地をいっぺんに混ぜる関西のじゃなくて、広島の。そう、地元が広島なのでよく食べてたんですけど、こっちに来てからは中々食べる機会もなく…。みなさん広島のお好み焼き知ってます?あれ作り方超難しいんですよ。関西のは混ぜるだけなのでお店にいったら自分で混ぜて焼くと思うんですけど、広島のやつってどんどん具材を重ねていってひっくり返したりしまくるので、広島でお好み焼き屋さんに行くと自分で焼くんじゃなくてお店の人が焼いてくれるんです。

というわけで、フライパン二枚を駆使して作ってみました。 一応ホットプレートも持っているんですが、思い立ってわざわざ自分で食べるのにホットプレート引っ張り出すのってなんかやりすぎな気がして、何とかフライパン2枚で作れないか?と挑戦してみたら、思いのほかうまくいきました! お好み焼き食べたい人いないかな…お好み焼きパーティしたくない?ホットプレートちゃんが出番無くて悲しんでるので使ってあげたいんですよね。ただパーティがしたいだけかも。
さて、お好み焼きではしゃいでしまいましたが、進捗です。 間に合わなさそうだな~とか勝手に不安がっていたんですが、杞憂でした。勿論詰めようと思えばもっともっと詰める余地はあるのですが、私が想定していた必要要件をすべて満たしたうえで、Live2Dのモデリングが一旦完成しました!(動画は私の動きをトラッキングさせて動かしてます)
ところがどっこい、困ったことが一つ。 作っている最中はダメだこりゃとか思っていたんですが、実際にファイルをVtubeStudioに組み込んで動かしてみると、思いのほか既に可愛くて「もうこれでいいんじゃないか?」って思い始めてしまいました。 今回の研究では感覚で作ったモデルでは人体の動きの合理性を保証できない、という前提の下ひとまずモデリングを行っていましたが、3年間Live2Dに触れなかった割にはそこそこいい感じのが出来上がってしまってこれが"動けば可愛い"ってやつだってなりました。 こうなってしまうと厄介で、ただ単に作品作りが終わったハイテンションでめっちゃいい!可愛い!ってなってるだけならいいんですが、もしも時間をおいて冷静に見たうえでなお感覚で作ったものを「既に合理性を求める必要が無いクオリティに達している」と評価できてしまうと、今回の研究の意義の大部分が削がれてしまいます。勿論数理的に捉えるということ自体に意味があると思うし、モデルについても多少の改善は見込めるのですが、実際のクオリティアップの幅が著しく小さくなる、という懸念も出てきます。 うーん、感覚おそるべし。
そもそも、どうして感覚と合理性をテーマにしているかというと、そもそも感覚でうまく絵を描ける人って、合理性なんかいらないんですよ。感覚で事済んでしまうなら、いちいちややこしいこと考えずに腕を動かせばそれが正解になるので(芸術に正解があるかとかそういう事ではないです)。 でも、私はそんなに絵が上手くないんです。勿論ちゃんとした絵の勉強をしてこなかったという経験不足が原因だとは思いますが、美術学生としてはかなりレベルが低いんじゃないかなと勝手に自己評価をしています。 じゃあ、そんな自分が他と渡り合う(勝負ではない)にはどうしたら?と考えたとき、感覚以外に作品をよりよくする"技"を持ってるんじゃないかと思ったんです。そう、大好きな数学です。あ、実は得意とかではなく好きなだけなんですけど。絵は下手でも数理に基づいて考えるとかはできるんです。 そういった自分の強みみたいなのを考えて取り組んでは見ましたが、多少自分の芸術面のセンスを過小評価していたのかもしれません。
さて、解決策も全く打ち出せていませんが、今回の更新は以上となります。 モデルを可愛く作れて嬉しいはずなのに、研究としては若干ブルーな気持ちと言いう凄く複雑な感情を抱えてはいますが、明後日はプレゼンテーションですからね。切り替えなければ。既に資料は作り終えているので、あとはちゃんと喋れるかどうかです。ああいうのホントに緊張するので不安しかないんですが、自分の好きな話も若干用意しているので7割不安3割楽しみといった感じです。 では、次回のゼミでのプレゼンにてよろしくお願いします。
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春野菜どっさり!!ぺちゃ焼きスプリング2025Ver
and
しょうがサワー
美味い😋
好き❤️
@かごっまふるさと屋台村バスチカ
いずんのまぁくん家
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その事件は私が1歳の時に起きました。覚えていることはありません。 中国人の父と母は、大きくなってからも私に語ろうとはしませんでした。 中国政府は事件の死者数を319人としていますが、それよりもはるかに多いという指摘もあります。 あれから35年。真相は今も、明らかにされていません。 あの時、私のもう1つの祖国で、何が起きたのか。 (中国総局 高島浩) 日本人の祖母と中国人の両親 私の祖母は日本人です。満蒙開拓団として旧満州に渡りました。 戦後、帰国できずに大陸に残った「中国残留婦人」で、養子に出されていた中国人の男の子を引き取り、育てました。のちの私の父です。 父は中国人の母と結婚。1988年に中国東北部・黒竜江省で私が生まれました。そして6歳の時、国の援護事業のもと家族4人で帰国し、私と両親は日本国籍を取得しました。 私が生まれ��翌年に起きた「天安門事件」 1989年6月4日。中国の首都・北京で、あの事件は起きました。 天安門広場に集まった民主化を求める学生や市民たちを、当時の共産党指導部が軍を出動させて武力で鎮圧した「天安門事件」です。 軍による発砲などで多くの犠牲者が出ました。中国政府は死者数を319人としています。 しかし当時、北京に駐在していた各国の外交官の報告などから、犠牲者の数はそれよりもはるかに多いという指摘が根強くあります。 中国政府はこの事件を、政治的な「騒ぎ」で「すでに結論が出ている」という説明を繰り返しています。 「知る必要はない」父のひと言 戦車の前に立ちふさがった市民の姿。民主化の動きを武力で制圧した事件。 天安門事件の前の年に生まれた私は、日本の教育で学ぶまで、こうした事件の表面的な情報でさえ、知りませんでした。真相を公表せず、事件を人々の記憶から消し去ろうと腐心してきた中国政府からみれば、もくろみどおりに育った、ある意味で“優秀な中国国民”だったでしょう。 中学生の時、一度だけ父に事件について尋ねたことがあります。そのときの父のことばが記憶に残っています。 「よく知らないし、知る必要はないよ」 記者になって、父と私のもう1つの祖国でもある中国のことを話すことが増えました。父は自分が共産党員だったことを明かしてくれました。共産党の実態を知っているからこそ、私に忠告したのです。 「天安門事件に関心を持つことで、いつか中国に赴任した時、どのような理不尽な目に遭うかわからない」 遺族取材の担当に もう逃げない 4年前の2020年、希望がかなって中国南部の広州駐在の記者となりました。 当局の厳しい監視下に置かれた人権派弁護士の家族などを取材。私自身も当局者に連行され、警察署に留め置かれる経験をしました。 国家の安全を最優先する習近平指導部は言論統制を一段と強め、外国メディアの取材環境はますます厳しくなっていることを身をもって感じてきました。 天安門事件は、そうした中国社会の中でも最もタブー視されていて、深く取材すればどんな目に遭うのか。恐怖すら感じていました。 私と同じように中国の若い世代は事件を知りません。私がおおまかな概要を話すと、「うそを創作するのが上手ですね」と、まるで信じようともしません。今の中国社会の現実です。 事件がまた1つの節目を迎えたことし、北京に赴任、遺族取材の担当となりました。 そして、誓いました。事件を深く知ろうともしてこなかった過去から逃げず、まっさらな気持ちで取材しようと。 集会を断念した遺族グループ 6月4日に向けて取材を始めたところ、ある情報が入ってきました。 これまで5年ごとの節目に、遺族グループが開いていた追悼集会が断念に追い込まれたというのです。原因は当局による厳しい監視のためでした。政府が例年以上に神経をとがらせていることが感じられました。 遺族グループの名は「天安門の母」。グループは集会の代わりに先月(5月)、海外の動画投稿サイトに声明を公開しました。 「私たちには軍隊が銃撃に及んだ真相を知る権利がある」 「政府は社会に謝罪し、私たちに公正と正義を返しなさい」 事実を隠ぺいし、遺族の日常生活への干渉を続ける政府を強く非難する内容でした。 そして、いまなお分からない犠牲者の正確な数や名前の公表、犠牲者と遺族への賠償、責任者への法的な追及を求めました。 厳しい監視、通信遮断の面会 声明が公開される少し前、グループの中心メンバーの遺族を訪ねました。今の気持ちを伝えたいと、当局の監視をかいくぐって取材に応じてくれた張先玲さん(86)。 遺族に直接、話を聞くのはこれが初めてです。心臓がバクバクと打つ胸を必死でおさえました。 張先玲さん 呼び鈴を鳴らすと、張さんがやや固い表情で出迎えてくれました。周囲をうかがうように招き入れてくれたあと、すぐに携帯などの電源を切るよう伝えてきました。当局の盗聴を警戒していたのです。 自身も自宅の通信設備の電源をすべて切っていて、奥の部屋に移るまで、会話もしないよう身振り手振りで伝えてきました。 記者を志した息子の死 張さんは、事件で当時19歳だった息子の王楠さんを亡くしました。 記者を志していた王楠さん。天安門広場で起きている歴史的なできごとを記録に残したいと、事件前日の3日深夜、カメラを持って自転車で現場に向かったそうです。 張さんの息子 王楠さん そして4日午前1時すぎ、人民大会堂の北門の向かいで軍の銃撃を頭部に受けました。地面に倒れた王楠さんを現場にいた人たちが助けようとしましたが、軍の部隊が近づくことさえ許さなかったといいます。兵士たちはひざまずいて助けさせてくれという人たちの懇願に対し、「あいつは暴徒だ」と聞き入れなかったそうです。 のちに現場で目撃した人から聞くなどしてわかった当時の状況です。張さんは、中国政府がひた隠しにする、あの事件の真相の1つだと信じています。 なぜあの時… 消えぬ後悔 張さんの自宅のリビングの壁には笑顔の王楠さんの遺影がかけられていました。毎日のようにその写真に手をあわせながら、張さんは胸にある後悔を拭いきれずにいます。 なぜ、あの時、息子を送り出してしまったのか… 張先玲さん 「天安門広場に向かう前、息子が私に聞いてきました。『まさか軍が発砲することはないよね』と。私は『まさか、ありえないよ』と答えてしまったのです。今もずっとあの言葉を後悔しています。生きていれば、今ごろは父親になって家庭を持っていたでしょう。私の脳裏にある息子は、永遠にあの日の、あの晩の、19歳の時でとどまったままです」 黙り続けることは許されない 王楠さんの遺体はほかの犠牲者とともに天安門の西側にあった中学校前の草むらに埋められていました。雨で遺体は地表から露出し、3日後、衛生当局などによって発見されたそうです。変わり果てた姿の息子。 張さんの脳裏から焼きついて離れず、毎年6月4日が近づくにつれて、張さんは体調を崩しています。 息子はなぜ死ななければならなかったのか。この日も体の調子が悪く、取材に応じてくれた時間は10分余り。それでも張さんは気力を振り絞るように、遺族の声を広く伝えてほしいと、1人の母親としての怒りを伝えてきました。 張さん 「国家が進歩していく上で、この事件が解決されないのは正常なことではない。『人民のために奉仕する』という中国政府が、人民の尊い命を奪っておきながら、なんの説明もなく、30年以上も知らないふりをして黙り続けるのは到底許されない」 「ごめん、生きてくれ…」最後のことば 今、遺族グループの活動の中心は犠牲者の親たちから、そのパートナーや兄弟に移っています。その中の1人に会うことができました。 尤維潔さん 尤(ゆう)維潔さん(70)。事件で当時42歳だった夫の楊明湖さんを奪われました。 政府系の経済団体の職員だった楊さんは、当日の深夜、銃声を聞き、広場に集まった学生たちを心配して現場に向かったといいます。そこで、下腹部に銃弾を受けました。倒れた楊さんをその場にいた人たちがリアカーで病院に運びました。撃たれた骨盤は粉々に砕けていたといいます。 病院に駆けつけた尤さんに、手術室から出てきた楊さんはこう漏らしたそうです。 尤さんの夫 楊明湖さん 「ごめん、しっかりと生きてくれ」 2人が交わした最後の会話となりました。2日後、楊さんは息を引き取りました。わずか6年の結婚生活。国によって突然、終止符を打たれました。 尤さん 「35年がたっても、あのときの記憶は少しも消えていません。一瞬一瞬が頭の中に残っています。夫を見守った2日間で涙は流し尽くしてしまい、今はもう出ません。遺族は皆、この世を去らないかぎり、暗い記憶の中を生き続けるのです」 若者たちはなぜ立ち上がったのか 天安門事件とは結局、何だったのか。その疑問を持ちづけていた私に、尤さんは「若者たちが立ち上がったのは、社会に対する責任感だった」そう説明してくれました。 天安門事件は、1980年代に共産党トップの総書記を務め、言論の自由化など政治改革にも前向きだった胡耀邦氏が4月15日に突然、死去したことに端を発しているとされています。 胡氏は、学生の民主化運動に理解を示したなどと保守派に批判され、失脚していました。 学生や市民による胡氏の追悼集会は、民主化を求めるデモに変わり、各地に拡大。5月には10万人が参加する大規模な集会に発展していきました。訴えは汚職の���滅や言論の自由などを求める社会的なうねりとなっていったのです。 天安門広場に集まった市民や学生たち 尤維潔さん 「当時、北京の市民は皆、天安門広場にいた学生たちをとても心配していました。特に印象深いのは、戒厳令が最初に出された日です。市民たちが天安門広場に軍隊を行かせてはいけないと、路上にバスを止めて道路をふさぎました。多くの人たちが、ハンガーストライキを続ける学生たちに食料や水を届けていました。すべてが自発的な行動だったのです。その光景に私はとても感動しました。政府はなぜこうした状況を理解できなかったのか、思い出すと、今でもとても腹立たしい」 “隠ぺい”と“沈黙”の35年… さらに大事なことを話してくれました。 当時、軍によって制圧された天安門広場やそれに続く大通りなどあちらこちらには死体の山があったそうです。連絡が取れない人も多く、尤さんの夫とともに病院に運ばれ、その後死亡した男性も身元が分かっていなかったといいます。 しかし、中国政府は事件発生から犠牲者や行方不明者についてほとんど説明を行ってきませんでした。それどころか、事件から1年余りの間、政府は「天安門広場に行ったのか」や「デモに参加したのか」など多くの人に聞き取りを行うなど徹底的に調査していました。 尤さんはこうした政府の心理的な圧力が、今の中国社会につながっていると語気を強めて訴えました。 尤さん 「政府の圧力によって、市民は自分たちの家庭で何が起きたのか、言い出すことを恐れていきました。時間の経過とともに真相を語る人を探し出すことはいっそう難しくなっています。今では多くの人が事件についてよく知りません。35年がたち、若い世代は天安門事件に関心すらない状況です。これはこの間、政府が隠ぺいと沈黙を続けてきたからだと思います」 メッセージアプリに突然、使用制限 今、中国政府は、事件を国民の記憶から消し去ろうとする動きをさらに強めています。 遺族グループの今の活動の中心メンバーとなっている尤さんに対する監視は、6月4日が近づくにつれて厳しさを増していました。 尤さんのメッセージアプリ「ウィーチャット」は、4月ごろから機能が突然、制限され、ほかの遺族とのグループでのやりとりが一切できなくなりました。 ウィーチャットは中国国内では、使っていない人はいないほど、最もポピュラーなSNSです。“遺族どうしがつながることを阻みたい”、35年という節目に当局が神経をとがらせている様子がうかがえました。 尤さんが所在不明に 警告、そして尾行 尤さんに話を聞いてから、およそ1か月半たった先月(5月)31日。私は再び彼女の自宅を訪れました。もう一度話を聞きたい、そう思ったからです。 しかし、不在でした。連絡すらつかず、所在がわからなくなっていました。 自宅から立ち去ろうとした時、突然、警備員に呼び止められ、「何をしに来た。2度と来るな」そう警告されました。さらに、私服警察官とみられる2、3人の男たちが、私のあとを追うようについてきました。尾行は、私たちが車に乗り込むまで続きました。 尤さんとようやく連絡がついたのはその4日後、6月4日の午後でした。電話口の声は重く、監視役としてそばにいるとみられる当局者らしき女性の声が聞こえました。 「しばらく自宅にいることができない。近況も話しづらい。ごめんなさい」 短く状況を伝えてくれました。身に危険はないか心配する私に、彼女は「大丈夫」そう返し、電話は切れました。 男たちに囲まれて警告、墓地に近づけず あの日が近づくにつれて、天安門を東西に突き抜ける大通り「長安街」は異様な雰囲気に包まれていきました。前日3日午後、同僚のカメラマンが、多くの犠牲者が見つかった木※せい地という場所に向かいました。(※木へんに「犀」) 今は地下鉄の駅があり、隣には警察の派出所が設けられています。撮影機器が入ったリュックサックを開けようとした瞬間、十数人の男たちに取り囲まれ、立ち去るよう警告されました。 厳しい警備の共同墓地 6月4日の様子 そして4日当日。犠牲者が埋葬されている北京郊外の共同墓地には、多くの警察官が配置され、厳戒態勢が敷かれていました。近づくことすら許されず、命日の墓参りに訪れる遺族への取材はできませんでした。 天安門の叫び、今も 「天安門事件は、中国共産党による『国民の虐殺』にほかならない」 遺族たちのこうした訴えは「人民のために奉仕する」という共産党の正当性を、根幹から揺るがすことになりかねない、そう政府は考えているのかもしれません。だからこそ、政府は沈黙を貫き、時がたち人々が事件を忘れ去るのをじっと待っているように感じます。 かつて、私に「知る必要はないよ」と語った父と同じように、多くの国民が知らされずにきた35年。 それでも中国国民のなかには、天安門広場で民主化を叫んだ若者たちと同じように、一党支配への不満や、社会への責任感を持つ人がいます。 北京での白紙運動(2022年11月) おととし、中国政府のゼロコロナ政策への不満を背景に起きた抗議活動「白紙運動」。 そして去年、李克強前首相の急死後に各地で広がった追悼の動きと現指導部を暗に批判する追悼のことば。 私は、もう1つの祖国で今、事件とどう向き合うのか。 取材に応じてくれた張さんと尤さんの2人のことばを反芻しています。 「生きている間に事件の解決は見ないかもしれないが、それでもかまわない。 息絶えるその瞬間まで、生きているかぎり、訴え続ける。あなたも、この声を多くの人に届けてほしい」 (6月4日 ニュース7などで放送)
中国の習近平政権下で強まる抑圧と監視 天安門事件35年 記者にも尾行が?遺族が訴え続ける意味とは? | NHK | WEB特集 | 中国
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『 京都食堂探究 「麺類・丼物」文化の美味なる世界』加藤 政洋、〈味覚地図〉研究会 著 (筑摩書房)
食の本にしてはやや薄味。
はしがき 西陣のうどん屋から/寿司、カレーライス、もち/本書のメニゥ 第1章 上方〈麺〉問答─諸説覚書 1「きつね」は「けつね」か 「このうどんはたまらねえ」/「まったり」として……/断じて、きつね/エンタツ・ アチャコの回想 2 「きつね」か「たぬき」か 「めしのお菜」/「大阪にそんなもんはない!」/「うどんですか、そばですか?」/ たぬきは一枚上手 3 「きつね」は化ける (仮想)小林カツ代の驚き/謎の狐蕎麦 4 油揚げの魅力 油の臭み/惑いの〈麺〉問答 第2章 〈しっぽく〉の美学 1 京都のうどんには〇〇がのっています 華麗なる上おき/薄くて小さい○○ 2 卓袱から〈志津ぽく〉へ 《下河原》の卓袱料理/「京坂の温飩屋」と「江戸の蕎麦屋」/江戸麺界の下剋上/異 風か異称か/「おかめ」のような 3 にゅうめんの正体 玉子焼き幻想/むかしのメニゥ/土鍋の真ん中に/「にゅうめん」は夏の味覚か 4 〈しっぽく〉鍋のミッシングリンク 「長崎ちゃんぽん」鍋の謎/「うどんのすき焼き」/ベトベトの蕎麦/〝エンタツ〟鍋 /「芳香炉」をめぐる語り/食堂の「しっぽく鍋」 第3章 なにを「とじる」か 1 謎かけ丼 丼物の名前/「親子」と「他人」/どちらをとじるか?/玉子で蓋をする 2 〈麺・丼〉問答 丼物の「都鄙問答」/しっぽくの変態 3 とじなくても美味しいんです ねぎの切り方/食堂でお月見を 4 「あんかけ」をご存じですか? 出汁を食べる/それは玉子とじなのか?/「たぬき」にあらず/夏の涼味/のっぺいの 謎 第4章 食堂と町中華の不思議 1 どこでも 〈中華そば〉 スバといなり/かまぼこはあるやなしや 2 〈ちゃんぽん〉とりどり 丼のなかの別世界/昭和京都の「チヤンポン丼」/長崎憧憬/〈中華〉と〈和風〉 3 〈あんかけ〉の都 [龍鳳]の品書き/町中華のチャンポン麺/魅惑の白/〈けいらん〉系中華/カレー丼 の正体 4 台を替える愉しみ 「そばだいで」/うどん出汁の中華麺/「キーシマ」と「中はく」/京料理のような/ 「台ぬき」のいろいろ/空飛ぶマダムの後口直し/「玉吸い」と甘味でささやかなぜい たくを
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6/15(日)
日記でもつけようとTumblrをひらくときってたいていいつも職場の休憩室だ。最近、人付き合いやあらゆる物事に対してつまらないよ〜もっと有意義な時間過ごさせてくれと感じることが多くなり、それって他でもない自分がつまらないからだよシナモンケーキ、と戒めつつ日々を過ごしている。そのせいか1時間という虚無な空き時間の中でなにか意味のあることをしなければと毎度強迫されており、しかし中身は見てのとおりこれほどまでにぺらいよね〜〜(泣)ペンネームを持って物語を書いている限りは創作者であるという認識のもと自己肯定をぎりぎり保っているだけなので、自分でも最高だ、てんさいてきによい!!と思えるものを早く書き上げなければ……書き上げたい……。
新しくつくったペンネーム、それこそ数ヶ月かけてようやく決めたソレは一度ツイッターくんでババンと意気揚々に公開したその瞬間が最高潮で、使う間もなくすでに飽きてしまった。
そして元ある名前には愛着こそあるけどその中の一文字、ど〜〜しても許せない一文字があり、最大の理由を言ってしまえば近辺の多くの創作者に使われすぎているからである。人気の一文字であるだけならともかく、苗字+名前で構成されるタイプの筆名においてその文字はもはや名前の隙間をそれっぽく埋めるための常套句ならぬ常套文字化してるな〜とうんざりするくらい決まって「その位置」に存在している。(気がするだけでもしかしたら自過剰なのかもしれない……その場合は笑ってください……) いっそ構文と呼んでしまおう! その構文を使った名の作家を見かけるたびにおもしろくなさそうだ……とひどい偏見の目を向けてしまうのだ、、そして同時に自分もそんな目で見られてるんじゃないかと想像して気が狂いそうになる。冗談とかじゃなく私は一度精神科に行ったほうがいいかもしれない。
ていうか、10年とか前からその文字がある人はともかく、改名でその構文を使う人が多くてここ1年2年ずっとびっくりし続けている。あ、あなたも、、エッあなたも!?みたいな、、見渡す限りその文字で埋め尽くされているけどそれでいいの!?なぜわざわざ被りにいくの!?今ならまだ思い直せるよ!?と心の中で余計なおせっかいを焼いているよ、こわすぎ。
シンプルに被っているのがいやと言ってしまえばそうなんだけど、噛み砕くと 多くの人と被っている→被るような名付け方を自分もまた選んでしまった→やはり私は凡庸なのだ…… と自己嫌悪に陥るから嫌なの〜〜!!!(日本語)そもそも名前で個性を主張しようとする時点で三流であるし、そもそものそもそも個性なんて主張できるほど大層なものを持っていないんてすけどね〜〜〜涙 (願望織り交ぜだけどゼロではないとは一応おもてるよ、何か少しでも光るものがあったらいいな ほんとに)
加えて、私がその名前で書いてきたものは初期作品をのぞいてどれもぬるいんだよね。この場合のぬるいとは、コンテストで自我を出しつつしれ��と賞を狙いに行く みたいな意味です。作品を書き上げるとき、いつもそこそこ満足している裏で「ちがうんです、本当はもっと深くておもしろいものを書けるんです!!!(泣)このキャラだってこの程度の魅力で収まる感じじゃないんです!!!(泣)本当はもっと上手な文章だって書けるんです!!!(泣)」みたいに暴れ狂っていたりする。実際に書けるかはさておきですが。
ちょうどよくぬるければ広い読者さんに読んでもらえることをもう嫌ってくらい体が覚えてしまっており この名前で書き続ける限りぬるいの枠を飛び出ることはないのだろうな ある種の呪いである、、、。急に厨ニ病を発症してしまったけど、ぬるいものを書くとはいつかぬるくないものを好きに書くための手段なのである。ひとまずは都合よくそういうことにしておくね〜。さいごに念のため記しておくと、誰か特定の人を指して被っているのが嫌だと言っているわけでは断じてないです。時間がきたのでまとまりもなくおわりだ
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2025.1.5 今日の晩ごはん
とんぺい焼き、里芋のタラモサラダ、大根の福神漬け
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昼飯はコンビニでサンドイッチ。
ただし2パックくらい食ったので腹いっぱい。


晩飯は少し前に「植野食堂」でやっていた「あぺたいと」のレシピで焼きそば。
一度店で食ったのだけど、これも大変に旨い。
先日の川越焼きそばにも匹敵する旨さである。
麺はつけ麺用の極太を使う。
まあ、このおっさんは焼きそば��わしときゃ文句ないのであるから安上がりである。
ごちそうさん。
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Persona 3 the Weird Masquerade ~The Blue Awakening~ pamphlet message and keywords transcription.
MESSAGE
遂に「ペルソナ3」も舞台化となりました!
「ペルソナ3」というゲームは、限りある「今」に真剣に向かい合って生きることの大切さと、それを分かち合える「絆」の素晴らしさを描いた作品です。発売から長く経った今でも、ゲームプレイとは全く異なる形で背さんと一緒に「ペルソナ3」の世界を体験出来るのは、応援をして下さる情さんがいらっしゃってこそ。
おかげさまでゲームの最新作も続々とリリースさせて頂く予定となっていますので、こちらも是非、宜しくお願いします!
橋野 桂
KATSURA HASHINO
原作「ペルソナ3」 ストーリー原案、ゲーム��ザイン
本日はWeird Masquerade (仮面舞踏会) にご来場いただきまして誠にありがとうございます。まさか自分で「ペルソナ3」を舞台化することになるとは夢にも思っておりませんでした。しかし演出の奥さんほか、様々な方のご縁でプロデュースすることになり、キャストの皆様もこれまで馴染みのあるキャスト、初めましてのキャスト、それぞれのご縁で集まっていただきました。そういう意味では、この舞台は、人と人とのつながりや絆なくしてはなり得なかった作品です。それはまさに、ペルソナのテーマの一つでもあることに気が付き、原作とのご縁も深く感じながらこの作品に取り組んでまいりました。
奥さんの創造する映像とステージのコラボレーション、清実さんの秀逸のダンス、いいむろさんの紡ぎ出すマイムに、役者たちの情熱が加わったとき、きっと皆様の目の前にはペルソナ3の壮大な世界が現れていると思います。本日は存分にこの舞踏会をお楽しみください。
吉井敏久
TOSHIHISA YOSHII
舞台「ぺルソナ3 the Weird Masquerade ~青の覚醒〜」プロデューサー
まずはじめに、ペルソナ3の舞台化に関われた事を心から感謝します。
珠だという言葉こそがふさわしい沢厚なストーリー美しい楽曲の数々凛として、でもどこかはかなげな人間味あふれるキャラクター達と迎えた幾度の側焼け⋯はじめてクリアしたときに体験した、あのとてつもない余肌は今でも忘れません。
いつまでも決して色あせる事の無い魅力にあふれたこの作品、自分を信じ、強い気持ちを持って前に進む事の大切さを教えてくれます。
あの時、あの日の自分が感じたあの感動を分かち合いたいです。ペルソナ3を愛する全ての人達とともに。
奥秀太郎
SHUTARO OKU
舞台「ペルソナ3 the Weird Masquerade ~青の覚醒〜」演出
原作ゲーム「ペルソナ3」は、今でも多くのファンに愛されている、まさに記憶に残る名作です。そんなペルソナ3を舞台という全く別ジャンルに持ち込むことに、不安がなかったかと言えば嘘になります。ですが奥秀太郎さんの素晴らしい映像・演出、そして役者のみなさんの熱演が、必ずやゲームという二次元を再現、さらに言えば超えると⋯⋯まあそんな堅苦しい話はいいとして。
舞台「ペルソナ3 the Weird Masquerade ~青の覚醒〜」を観に来て頂きありがとうございます。ペルソナ3は劇場アニメ版の方の脚本もやらせて頂いているのですが、きっと間違いなくこの郷台も負けないほどおもしろいものになるでしょう。なんといってもペルソナ3なので。
舞台の一番の見所はやはり役者のみなさんの熱演だと思ってます。いかに原作のキャラクターを再現しつつ、役者さん自身の味を滲ませてくるか。そのあたりに注目して見て頂けると嬉しい限りです。俺も観るのが楽しみですホント。ではでは、最後までお楽しみください。
熊谷 純
JUN KUMAGAI
舞台「ペルソナ3 the Weird Masquerade ~青の覚醒〜」脚本
KEYWORD
[ ポートアイランド ]
月光館学園は、ポートアイランドにある。主人公たちは学生寮から毎日モノレールでこの人工島まで通う。
[ 辰巳ポートアイランド ]
巨大ショッピングモール、ボロニアンモールを擁するポートアイランドの中心地。私立月光館学園もこの一角に建てられている。
[ 私立月光館学園 ]
主人公が学園生活を送ることになる月光館学園は初等部から高等部まである私立学園で、桐条グループが有する名門。小学校から高校までの一貫教育を旨としているが、柔軟な受け入れ体制もあって編入者も多い。自由な校風とファッショナブルな制服などにより近隣の学生からの人気も高い。ポートアイランド誕生と同時に桐条グループの資金が流入し、実質、グループの傘下となって現在の場所に移動した。
[ 巖戸台分寮 ]
表向きには月光館学園が所有する寮の一つ。しかし実際には特別課外活動部の拠点となっており、ペルソナ使いの資質を持つ者だけが選ばれ、入寮を許される。
[ 桐条グループ ]
世界規模で展開されている巨大な複合企業。病院や学校経営、都市開発などさまざまなジャンルに進出しているが、その根幹となっているのは機械技術・部品製造関連部門で、グループ内で最大シェアを誇っているのが、電子機器の開発、製造を行う桐条エレクトロニクス。現在、桐条グループ全体のトップに立ち、全権を握っているのは、美鶴の父親である桐条武治。
[ 桐条鴻悦 ]
先代の桐条グループ総統。桐条武治の父親。10年前の事故で死亡。
[ 影時間 ]
午前0時から約1時間存在するこの時間は、多くの人にとっては「ないもの」として認識される。その存在にすら気づかない人が多い中、主人公たちのように「適正」を持つ者は影時間の間でも自由に動くことが出来る。
[ シャドウ ]
影時間にあらわれる謎の敵。彼らは様々な能力・姿を持つ。影時間への適性を持っていたとしても、彼らと戦う力がなければその精神を貪り食われてしまう。
[ 象徵化 ]
影時間に適正を持たないものは、午前0時以降、“象徴化”して棺のオブジェに姿を変える。何も見えず、聞こえず、感じず、起こったことを覚えてはいることはない。
[ タルタロス ]
影時間の訪れとともに集合したシャドウの力が空周に干渉し、月光館学園校舎を変容させた姿。午前0時になると突如出現するタルタロス。遥か上空までそびえたつこの謎の迷宮に一体なにが隠されていると言うのだろう。
[ ペルソナ ]
ペルソナとは、もう一つの自分。シャドウとの戦いだけでは得られない仲間たちとの絆が、心の力ペルソナをより強くする。
[ 召喚器 ]
ペルソナ使いが召喚に使用する器具で、特別課外活動部の部員には、拳銃型召喚器が支給されている。召喚器は拳銃を模しているだけで、引き金を引いても弾は発射されない。死と恐怖を連想させる形状と、みずからに引き金を引くという行為が、召喚をスムーズにしている。
[ オルフェウス ]
主人公が最初に覚醒させたペルソナ。ギリシャ神話の太陽神アポロンの息子で、竪琴を得意とし、死んだ妻の蘇生を願って、冥界へと降りたオルフェウスがモチーフ。
[ イオ ]
ゆかりのペルソナ。ギリシャ神話に登場する、ゼウスの妻ヘラの神殿の巫女、イオがモチーフ。
[ ヘルメス ]
順平のペルソナ。ギリシャ神話に登場する、神々の伝令を務める神、ヘルメスがモチーフ。
[ ポリデュークス ]
真田のペルソナ。ギリシャ神話に登場する、ゼウスの子で不死身の神ポルックスがモチーフ。
[ ペンテシレア ]
美鶴のペルソナ。トロイアとギリシャの戦争の際、12人の女戦士を引き連れて劣勢のトロイア単に加勢したとされる、アマゾネスの女ペンテシレアがモチーフ。
[ ルキア ]
風花のペルソナ。中世キリスト教に伝わる型人、聖女ルキアがモチーフ。
[ 特別課外活動部 ]
略称はS.E.E.S.。ペルソナ使いを集めてシャドウと戦うことを目的としている。発足者兼部長は美鶴、顧問は幾月。その活動の真の目的は一般人には知られてはならないため、対外的には部活動という体成をとっている。発足当初はペルソナ使いは美鶴だけであったが、真田をはじめとするペルソナ使いが次第に増え、現在に至る。拠点は巌戸台分寮。
#persona 3#persona 3 the weird masquerade#p3#p3wm#ive had this for a while now#the rest of it is just photos and a bit of information about the cast which tbh isnt very interesting
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10/10/2023 23:57












I💖Tbilisi

クマが首輪で繋がれているという…汗

逃げて逃げて…👀

ジョージア風水餃子ヒンカリで、決して小籠包ではございません🥟 パクチーが入っているところ以外は小籠包そのものの味です🥟 てっぺんを手でつまんで食べるのが地元のstyleだそうです✋

メインは肉の串焼き、シャシリク🍖豚肉だそうで、塩コショウのあっさり味で美味しかったです😊


老犬ですが、ジョージアでもこの地方にしかいない品種の犬だそうです🐶 また、オオカミに襲われないように、尻尾は短くしているそうです。日本ではオオカミは既に絶滅しているだけにびっくりしました😮!




途中で羊や馬を眺めたり、教会に停まっては見学しながら…⛪ 19:00にグダウリに到着(標高:約2,196m)



夜は、まさかの雪⛄!


寒いので夜の散歩はやめてホテルの室内をうろうろ笑
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