#ぼうさいの丘公園
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2025/04/24 フラワーパークに藤を見に行く

野山の草花が好きで、植物園とかフラワーパークのように美しく整えられて咲いている花にあまり魅力を感じなかった。
去年友達と遊んだ時に、友達が「藤を見に行こう」と言い、お城の横にある公園の長く垂れ下がった藤を見に行った。そこで初めて植えられて整えられて咲いている藤がきれいだな、と思った。
友達と出かけたのが楽しくてその思い出がプラスされたせいか、今年も藤を見に行きたいと考える。
たまたまインスタで隣市のフラワーパークの藤がそろそろ見頃、24日からライトアップ!というのを見かけ、ちょうど休みの日だしGW前の平日だし天気も良さそうだし、というので一人藤見に行くことに決めた。
ライトアップまで見たかったので、出発は午後3時過ぎ。車で1時間ほど。大きな湖の横をぐるりと走って良いドライブにもなった。
ライトアップの時間帯は藤のエリアしか開放されない��いうことで、他の場所も見たかったので日のあるうちにまわる。ぎりぎり見れたチューリップやモッコウバラ、満開のオオデマリやツツジ。園内はとても広く、ぐるりとまわるだけでもかなりの距離を歩く。高低差もあり、丘のような所もあってミニ山登りを楽しめたり。
思っていたよりも楽しい。
作られた美しさ、というものに抵抗があったのだけど園内で手入れをしているスタッフの人たちがいて、広い庭のガーデニングをしているようにひとつひとつの花木を大切に可愛がっているんだなという感じがした。
立ち止まって花を見ていると、この花は〜で…と笑顔で話しかけてくれたり、園内を歩きながらあちこちスマホで撮影していたり。その様子が自宅の小さな庭で座り込んで植木を眺めたり手入れしたりする自分と重なった。ここのスタッフの人たちは仕事としてではあるものの、きっと私が庭であれこれしているのと同じような気持ちなのかもしれない。
野山でしか見られない草花も良いけれど、こうやって手入れをされて美しく咲いている花も良いものだなと思った。
目的の藤は、八重咲きや白藤、色もピンクから紫など色んな種類あって驚いた。









日が沈んでからのライトアップは想像以上に美しくて感動。ぼんやりと光るように咲く藤の妖艶さ。何度も振り返り、何度も��上げてはきれいだと思う。
どこからどうやってどんな光を当てたら藤が最高に美しく見えるか、が考えられている。それを楽しみに行くのも良いものだなと思えた。
野山の草花���見せるために整えられた花たちもどちらが良い悪いではなく、どちらも楽しめたらそれはそれで人生の楽しみが増えてしあわせなんじゃないだろうか。
#diary#日記#日常#photograph#雑記#photography#雑感#思うこと#photooftheday#flowers#フラワーパーク#花#藤#wisteria#Japan#Japanese#japanese photography#藤の花#写真日記#写真#日記のようなもの
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桜散歩@三戸 ver.2025 with 11ぴきのねこ
北東北 桜旅の第2ポイント、青森県三戸、11ぴきのねこのまち を再訪、ニャゴニャゴニャゴ。
@ 三戸城跡城山公園

小高い丘(山)の上に位置する三戸城跡。戦国時代 南部氏居城(南部氏はその後 九戸(福岡)→盛岡へと移っていく)跡で、一帯は城山公園として整備されています。往年の石垣や堀跡、そして青森県南部随一と言われる桜が楽しめるの名所。
こちらはちょうど満開で良いタイミング。ソメイヨシノや枝垂桜等、様々な桜のグラデーションが楽しめました。


ただ。。。歩いてくる場所ではなかったね。青い森鉄道 三戸駅から50分弱。うち25分くらいは心が折れそうな坂道を登る必要あり。本当はライトアップの時間ま��滞在するつもりでしたが、暗くなってからあの道を歩いて帰るのはちょっと怖い & 雨もぱらついてきたので、早々に退散。
@ 11ぴきのねこのまち
三戸は絵本 11ぴきのねこ の作者 馬場のぼるさんの出身地。それ故に、11ぴきのねこのまち としてPRされています。町中はいたるところに11ぴきのねこの姿が。道中スナップが楽しかったです。




実は三戸には2022年 豪雨の夏旅でも一度訪れていますが、豪雨で心がへし折られ、ショップで11ぴきのねこグッズを購入しただけで終わっていました。あのときと同じ道を歩いたつもりですが、あの時は豪雨に打たれ周りを見渡す余裕もなかったみたいね。


おまけ
1日歩き疲れて到着した宿泊地 八戸にて。イカメシと八戸せんべい汁を頂きました。ビールと一緒に、染みますねぇ~。

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この間の土曜日、きもちよく晴れていたから、わたしにしては珍しくお出かけをしたい気持ちになった。
地元の海を見に行きたい、と同棲している彼に言うと、二つ返事で了承され、そのまま電車に乗ってわたしの地元に行った。ほんとうは実家にも顔を出せたら良かったのだけれど、実家の側に問題があって、もうしばらくは帰れそうにない。連絡もせず、ただ身体だけ、土地に対してのみ帰省をした感じだ。


まだ早かった桜と丘の上から見える海
どこかの小説に登場しそうな、教室から海が望める丘の上の高校に通っていた。上の写真は高校の近くにある公園から撮った写真だけど、ほぼ同じ光景を教室の窓から見ていた。
懐かしい気持ちを感じたけれど、やはり同じくらいの質量で悪いことも思い出してしまう。
きょうは暗い話をするつもりはないので具体的なエピソードは割愛するが、数え上げたらキリがないくらい、わたしの高校生活はキモくて最悪だった。ぜったいにあの頃になんか戻りたくないから、わたしはタイムマシンの発明が失敗することを世界でただ一人祈っている。
そんなことを思い出しながら高校の前を歩く。海が風で凪ぐのを眺める。彼といろんなことを話した。
近くに神社があるので、もう4月だけど初詣に行った。もうしばらく神社になんて来ていなかったから、手水舎の使い方も、参拝時のガラガラをいつ鳴らすかも、ちょっと自信がなくて、やっぱり自分ってだめかも、と思った。手水舎では両手の他に口も清めるらしいけど、リップメイクが落ちるのが嫌だったので口は濯がなかった。わたしって、たぶんこういうところが良くない。
かみさまに向かって手を合わせたあと、「何をお願いした?」って彼に聞いたら、「健康」と返ってきた。奇遇だ。わたしも自身の健康を祈った。そこは、「二人が末長く一緒にいられますように♡」じゃねえのかよ、と思ったけれど、これがわたしたちのリアルだし等身大なんだな、と思った。

ガチャガチャスタイルのおみくじ、出てくるときに「ピンポーン」と間抜けな音が鳴った。風情がない。
ふたりとも大吉だった。運は良し。
他人の絵馬をめちゃくちゃ見た。おもしろいな、と思ってじろじろ見た。なんか他人の領域にずけずけと踏み込む野次馬みたいで自分がキモかった。でも見るのをやめられなかった。
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「横浜に住むのは情弱」と言われて久しいが 横浜移住を考えている友人に向けた、中の人(都心勤務の西区住民。ただしみなとみらいではない。居住歴20年)からの所見。 多数の間違いや偏見があると思う。ブコメやトラバでつっこまれることで、錬成されることを期待してみる。 横浜といっても18区あるため、それぞれの区によって状況は異なる。 ・西区、中区(みなとみらいを擁する)→みんなが想像するヨコハマ。海に面した大都市のイメージ。ただし本牧を除く。 ↑こっちと↓こっちの中間領域な神奈川区 ・鶴見区、都筑区、港北区(川崎属国エリア)→人口が爆発的に伸びた都内通勤族の街。子育て世代にうれしい商業施設が多い一方で、インフラが追いついていない。保育園の倍率が高く、どこにいっても人と車が多い。 ・青葉区、緑区(だいたい町田)→小田急と東急が高度経済成長期からバブル期にかけて必死に開発した結果、小田急と田園都市線の混雑に悩まされることに。横浜中心部とのアクセスが弱いため、横浜市民という自覚が薄い。 ・旭区、瀬谷区、緑区、泉区(山と森)→神奈川県全体で東高西低の格差が問題になっているが、横浜市内でも同様。このエリアは少子高齢化の傾向があり、横浜市の行政が正直手薄になっている感がある。もうちょい西に進んで大和市や海老名に住んだ方が幸せになれる。だからこそ上瀬谷花博でドカンと一発大きな花火をあげようとしているが、嫌な予感しかない。相鉄が代わって必死に都市開発をすすめており(そうしないと相鉄自身が死ぬ)、このエリアの住民はそうにゃんを尊師として崇めることになる。逆に言えば、都心へのアクセスを確保しつつ自然と暮らせる地区とも言える。 ・それ以外(それ以外でまとめると怒る人が出てきそうだ)→元々は高度経済成長期に横浜都心部の郊外として発展したのち、インフラの老朽化や世代交代問題に直面しているエリア。目立った特徴はないが、特異なパラメータがないぶん平均的に住みやすいかも。 小学校レベルの地理の話だが、横浜市の区は、東京都の区とは根本的に異なる。 ・東京都の区は行政権があるが、横浜市の区は市の出先機関。横浜市のあらゆる施策は横浜市全体に適用される。たまに混同している人を見かける。 ・港区や江東区などのリッチな区の補助金ニュースが横浜市と比較されて「横浜市に住む奴は情弱」と言われたりするが、横浜市は市民375万人を平等に扱わないといけない。 ・夜間人口が企業立地に対して多すぎるので、どうしても行政サービスは薄く広くなる。 ・給食がその象徴。これから市内500の小中学校全てに給食を整えるのは永遠に不可能。仕方なくハマ弁で誤魔化している。誤魔化しではあるが、ハマ弁の内容は割とよくできており、給食化した方がたぶんQOLは下がる。 ・図書館や公民館は基本的にボロい。 ・東京の財政力が桁違いに強いので、教育費の無償化や住宅の補助金などで差があるのは事実。 ・公園の遊具にも財政力の差が現れている。公園自体は多いもののどこも遊具がしょぼい。都内の友人近くの公園にいくと概ね横浜市より遊具が綺麗で充実している。 ・まあその分都内は住宅が高いんですけど。都立大学(都民は学費無償)に進学しない限りペイできないのでは? ・川崎市との行政サービスの格差についてはゲフンゲフン。あっちは製鉄所と発電所もってるもんな〜うらやましいな〜(鶴見にあるのは知ってるけど規模が違うもんな〜) ・横浜市+給食+図書館ー文化=川崎市 ・とはいえ、さいたま市や千葉市と同等レベルの給付や福祉はキープしている。賄うべき人口から考えれば相当がんばっている。 ・なので「特別市」という政令指定都市を超えた枠組みを作り、神奈川県からの独立を目論んでいる。 交通の便について。 ・東京〜横浜間のアクセスは超極太。これがさいたまや千葉に対する優位性。 ・鉄道ならJR3路線、東急、京急線と多数に分散しており、どこかの路線がグモっても家に帰れる。 ・高速も横羽線、湾岸線、第三京浜、東名がある。 ・JR東海道線は朝の通勤ラッシュが殺人的だが、それ以外は(都心通勤ソルジャーからみれば)常識的なレベル。 ・田園都市線はもうダメです。こんなこと言ってごめんね。でも本当です。 ・地下鉄については当たり前だが東京が圧倒的。横浜は代わりにバスで市内移動を賄うことになる。 ・自動車。平均的に都心と比べると道路が広くて運転しやすい。ただし横浜町田ICとR1の保土ヶ谷橋交差点はものっそ渋滞するので、このエリアを通過するような生活圏の選択は避けた方が良い。 ・首都高とNEXCOと高規格道路が交差しているので高速道路網の把握が難しい。ジャンクションを間違えるのは横浜市民あるある。 ハザードマップについて ・横浜市は元々神戸市みたいに丘陵と海が近いエリアだったのを埋め立ててきた歴史があるので、埋立地とそうでない箇所の高低差がすごい。「横浜は坂が多い」と言われる所以。 ・この坂のエリアは崖崩れが起きやすい。横浜市の最大の地理的弱点だと思う。 ・そして単純に坂のある地域は住みにくい。子供がキックボードやストライダで死にかける。 ・ハザードマップを見ると崖くずれ注意のエリアが点在しており、この付近の住民は大雨のたびに避難指示発令に悩まされる羽目になる。 ・埋立地のエリアも大きく2つに分かれており、昭和以前に技術の未熟な西区や中区の中心地(横浜駅〜関内エリア)を埋め立てたところは海抜が低く、地盤が弱く、大雨の時の内水や液状化の恐れがある。ここに住む増田は大雨のたびに毎回ヒヤヒヤしている。ただ横浜市にとってこのエリアは経済と行政の中心地なので、必死に土木工事をして改善中。 ・みなとみらいエリア(新しい埋立地)は十分な高さの盛り土、地盤改良、排水設備が揃っており、内水や液状化の心配は少ない。ただみなとみらいエリアはコンビニが少なくOKストアーが殺人的に混雑する(ハザードマップ関係ない話題)。 ・山手や浅間台、野毛山エリアのような高台エリアはハザードマップ的には最強。ただし地価も最強。 ・まとめると 坂の上 > 新しい埋立地 > 古い埋立地>>> 坂 横浜市西区、中区はチートレベルで住みやすいと思う。 ・住宅が都心よりも安い(除く高台エリア)割に、横浜駅エリアや関内エリアの文化施設や商業施設を利用でき、カーシェアリングやLUUP、UBERなどサービスも充実しているので、自宅に必要な機能を都市のなかにアウトソーシングできる。 ・その割に夜間人口が少ないので、保活は楽勝。川崎属国エリアのような教育戦争に巻き込まれることもない。もちろん積極的に中学受験をやることもできる。 ・とにかくあらゆることに対する選択肢が多い。でかいショッピングモールで便利に過ごすもよし、ローカルな店を探して商店街をうろうろするもよし。電車でもバスでも自家用車でもカーシェアでもLUUPでも移動できる。��な雨が降ってもアイカサがある。 市長が山中氏になってから変わったこと (今夜追記する) それでお前がこれから家を買うならどこにする ・西区、中区は引き続きオススメだが、地価が上がっちゃったからな… ・二俣川駅の南側。新横浜線ができてアクセスが改善し、相鉄がジョイナスを作ったので買い物もしやすくなった。こども自然公園というバカでかい公園がある。まだ世の中は「免許を更新しにいくところ」で認識が止まっているので狙い目。 ・鶴見川の氾濫で形成された平野のあたり。具体的には港北、新羽、北新横浜、大倉山、綱島。広大な平野なので「坂の横浜」とは無縁。昔はそれこそ内水の心配があったが、いまは日産スタジアム(という名の貯水池)が俺たちを守ってくれる。だが既に地価は高い。 ・センター北とセンター南。もはやセンターの意味を知る住民は少なめ。地下鉄が2路線あり、第三京浜と東名の両方が使える。ここも地価は高め。 ・星川。保土ヶ谷というとマイナスイメージしかないが星川だと急にイケてるイメージになる。 ・蒔田駅と南太田駅に挟まれた領域。蒔田公園が素晴らしい。歴史的経緯から外国の人も多い。 ・なんか細かく地区ごとに書いてくとキリがないな。 横浜の良いところ書いてなくね? すまんかった。横浜の良いところは「手薄な行政を補ってあまりある民間の活力、選択肢の多さ」だと思う。 ・東急、京急、相鉄といった私鉄の開発力。 ・商業施設の集積。一大観光地でもある。 ・文化やスポーツイベントも多数ある。金がなくても参加できるものも多い。 ・賑やか��商店街が多数あり、ローカルなお店探しは永遠に楽しめる。 ・そのわりに東京より過密度が緩い(過去に高円寺に住んでいたので、ここで東京は狭いという偏見が強化された) ・半官半民、NPO的な施設も充実している。息子が発達が遅めなのだが、近所に発達支援施設がすぐに見つかったのは助かった。 ・うまく文字に出来ないが「東京とか川崎より横浜!」という郷土愛みたいなものも地域全体から感じる。 ・海の存在。海と都市が近い。東京川崎千葉は湾岸が工業地帯で埋まってしまった。 まあ つらつら書いたけどコンビニとまいばすけっとが徒歩圏内にあることが普段の生活を左右する最大のパラメーターだったりする。
横浜の住みやすさについて
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芝生の感触
車を借りて高速を走らせて、公園に行ってきた。だだっ広い公園。ひたち海浜公園というのだそうな。ネモフィラという花の咲き誇る丘が園内にあって、それが有名なのだけど、自分は芝生のうえでごろごろして過ごした。4月の晴天で、空は広く、一面の芝が視界の彼方まで広がる。脱いだカーディガンを畳んで枕にし、ごろり寝っ転がる。風が涼しい。生きた心地がする。本があったら一日こうしていられるな。イヤホンがあったらなおいい。音楽を聞きながら草木の造形を眺めるのが好きなんだけど、このように広い空を眺めながら聞くのもいいだろうな。
都内から茨城にある公園に行くにあたり、外環道で結構な渋滞があった。自分はたまにカーシェアを利用する程度のドライバーで、普段はほぼ運転しないため、道路状況に関する土地勘のようなものがない。そんな自分ゆえか、巻き込まれた渋滞を他人事のように眺める。料金を支払って利用する高速道路がこのように渋滞するのだから、こりゃ大変なことだな。渋滞を解消するための道路計画のようなものを、AIを使って作れないものだろうか。たしか中国だったと思うけども、街を流すタクシーの走行経路をAIのシミュレーションによって決めさせたところ、集客率が格段に上がったというニュースを目にしたことがある。それと同じ要領で渋滞緩和のためのシミュレーションができないものだろうか。行きの道すがら、そんなことをぼんやり考える。
世間でAIの話題というと、絵や文章の生成についてのものが多い。的確なプロンプトがあれば、たいていのものは生成できるようだ。「ドストエフスキーとロシア革命の関連について、彼の小説『罪と罰』の内容を中心とした1万字程度の評論を」なんて指示すれば、それなりのものができてしまう。驚くべきはAIが、ドストエフスキーのことも、ロシア革命のことも、どちらも知らないということ。そもそもAIは書かれた文章の意味を理解しているわけではない。ただ膨大なテキストを読み込み、解析することで、さまざまな事象(「ドストエフスキー」、「ロシア革命」)についての文章を成立させるルールのようなものを練り上げ、それに従って文章を出力する。ディープ・ラーニングのなんたるかを詳しく知らないけども、膨大な文章を読み込み、「トマト」と「赤い」には近接性がある、みたい��関連付けを徹底することで、人間が書いたり話したりするのと同じような文章をAIは出力する。
自分はシステムエンジニアを生業にしている。システム構築とかプログラミングとかいうのは、真っ先にAIが代替しそうなものだったけど、いまのところまだそうなっていない。これまた的確なプロンプトさえあれば、プログラムの作成についてはかなりの精度で実現できるらしいけども。AIはシステム構築やプログラミングよりも、絵や音楽の生成の方が得意なのだろうか。つまりAIは芸術分野において先行しているということか。いずれにせよ絵や小説や音楽について、AIが人間と同等のものを生成可能だとしても、人間の創作活動は止まらないだろう。AIは人間の欲望は代替できない。AIに欲望はない。人間だけが欲望を持ち、なにかを作る”動機”を持ち得る。音楽なり小説なりの作品を受容するとき、人はその背後にある作者の欲望を享受している。違うだろうか?自分の場合、たとえばドストエフスキーを読むとき、19世紀のロシアでこれを書いた人物がいるという事実に打たれる。仮に同じ内容だとしても、それがAIによって出力されたものだと分かっていたら、あまり読む気がしない。人間の欲望が稼働した結果としての作品を享受しているフシがある。
公園のだだっ広い芝生。靴下を脱いで裸足になり、芝生のうえを歩いてみる。足の裏がチクチクこそばゆいような、なんともいえない感覚。生きている感覚が足の裏から上半身まで伝わってくる。これはAIには持ち得ない、人間に固有の感覚だろう。もちろんそれはAIには身体がないという端的な事実に即すものではあるが。生きている感覚が足の裏から上半身まで伝わるその感触は、詩ではない。詩であるなら、それはAIによって生成可能なのだから。よってそれは詩ではないし、ことによると人間に必要なのは詩ではないのかもしれない。そうだとして、では足の裏のこの芝生の感触を、なんと名付けたらいいのだろうか。
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イエローキャンパス

2023.11.5
明日は妻の誕生日。今までだったら仕事を休んで妻の喜びそうなコース料理を一日かけて作っていたんですけど、今年は仕事を休むことができませんでした。
それに次男が妻のために今日、誕生日ケーキを作ると言い出してそれに付き合うために私の料理は中止になりました。
小学3年の次男はやったことのないケーキ作りをめっちゃ仕切ってきます。結局ほぼ私が作っている。彼がやったのはほぼ最後の飾りつけだけ。それでも気持ちは妻も喜んでくれると思ったんですけど、洗い物は妻にお願いしていたので妻も複雑な思いなのでしょうね。
で、写真は私の好きなイエローキャンパスというコスモス。コスモスと言えばピンクを思い浮かべますが、これは淡いパステルカラーのイエローです。可愛いですよねぇ。
馬見丘陵公園ではたくさんのイエローキャンパスが見れるのでこの三連休も行って来ました。天気も良くって気持ちのいい三連休でしたよね。ちょっと11月にしては暑かったですけど。秋感がないんですよね。
来週からは紅葉を探してまた徘徊すると思います。
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今日は埼玉県本庄市の「マリーゴールドの丘公園」に。
なのでお弁当をこさえる。
ミニヒレカツ、きんぴらごぼう、のり弁にたまご焼きのししゃも。
あまりものだが外で食ったらだいたい旨い。


見ごろでとてもキレイ。
天気も最高だったので、青空にオレンジが映える。
マリーゴールドといえばこれなんだろうけれど
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ぼくはこっちのがよかったりする。
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しかしちょっと遠いな。
帰りはへとへとだったので、いつもの「武蔵野うどん 竹國」で。

はーちかれた。
ごちそうさん。
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2023反五輪重大ニュース!
毎年、年末に段ボールで制作しているその年の反五輪重大ニュース。今年は年明けから1か月以上も過ぎてしまいましたが、ブログで発表したいと思います。
1 札幌30年34年不招致決定!
札幌の人たちの大勝利!札幌市長のしつこい招致活動に対して、とことん冷水を浴びせつづけました。
札幌市とJOCは10月11日、2030年招致を断念し2034年招致に照準を合わせると会見。しかし、その2日後の13日、IOCは2030年と2034年の開催都市を同時決定する方針を発表。11月29日のIOC理事会で、2030年大会の候補地を仏・アルプス地方に、2034年大会の候補地を米・ソルトレークシティに一本化することを決定した。また、2038年大会についてはスイスと「優先的対話」を進めるという。
札幌不招致が確定したことは喜ばしいが、他の立候補都市でも五輪による破壊が起こることは目に見えている。既にフレンチ・アルプスでは「Non aux J.O dans les Alpes(アルプスでのオリンピックに反対)」というグループが立ち上がり、反対活動を活発化させている。彼らのスローガンは「Ni ici, ni ailleurs !(ここでもNO!どこでもNO!)」で、私たちが掲げてきたNOlympicsAnywhere(オリンピックはどこにも要らない)と共通する。
2 東京オリンピック、嘘とワイロの記録更新中!
2022年に発覚した東京五輪汚職事件では、元組織委員会理事・高橋治之はじめAOKI、KADOKAWA、ADK、サンアロー、大広の社長や重役ら15人が受託収賄や贈賄の罪で逮捕・起訴。2023年には15人中11人が執行猶予付きの有罪判決を受けた。しかし、高橋治之は2024年1月31日の公判で「賄賂ではなくビジネス」と主張。まだまだ記録は伸びそうな気配である。
一方、2023年2月には組織委員会が発注した各競技のテスト大会や本大会における総額437億円の事業を対象に談合が行われていたことが発覚。電通グループ、博報堂、東急エージェンシー、セレスポ、フジクリエイティブコーポレーション、セイムトゥーの6社と、組織委員会大会運営局元次長森泰夫ら7人が起訴された。12月12日には森泰夫に懲役2年、執行猶予4年の有罪判決が出されている。
3 2013年招致時、官房機密費でIOCに高額贈答品疑惑。石川県知事・馳浩。
2013年当時、自民党の「招致推進本部」本部長であり、現・石川県知事の馳浩が、東京大会招致活動の中で「官房機密費使って、IOC委員全員105名に、選手時代の写真をまとめたアルバム、一冊20万円を送った」と11月17日の講演会で語った。のちに説明なく撤回(事実だから、黙らされた)。
本人のブログ(2013年4月1日) https://ameblo.jp/hase-hiroshi/entry-11503851369.html
4 明治公園国賠一審不当判決、控訴審へ
2016年、新国立競技場建設のために明治公園の野宿者を強制執行により暴力的に排除した不当性を問う明治公園オリンピック追い出しを許さない国家賠償請求訴訟。2月28日、ついに第一審判決が下された。しかし「原告野宿当事者2名の訴えを棄却・4��体の訴えは却下」の不当判決!許せない!闘いは東京高裁・控訴審へ!高裁では、不当な強制執行の様子を終始記録していた白いヘルメットの集団が誰なのか、その動画を誰が所持しているのか、明らかにするよう指示が出た。闘いはこれからだ。
5 10月31日、新・明治公園開園
2016年1月27日、新国立競技場建設のために廃園になった明治公園が、2023年10月31日、かつて都営霞ヶ丘アパートのあった場所にリニューアルオープンした。公園内にはカフェやレストラン、アウトドアショップなどの商業施設が立ち並び、およそ公共の公園とは呼び難い様相。公園や木々を破壊し、野宿者を排除し、都営住宅住民を立ち退かせた歴史を覆い隠すように、公園の各所に「希望の広場」「インクルーシブ広場」「誇りの杜」などと名付けられていた。
さらに、日本テレビ「鉄腕DASH」という番組で、元社長による性暴力問題が取りざたされてきたジャニーズ事務所のタレントたちによって明治公園の「100年続く森づくりのお手伝い���なる企画が進行。都営霞ヶ丘アパートがあった場所を「50年間コンクリートだった」と蔑む発言などに非難が湧きおこった。
6 東京の公教育、オリパラ教育が「学校2020レガシー」として継続中。
ある都立学校では、2020大会前と比べて、外部講師招聘など外部のオリパラ関係者等との交流は少なくなり、校内の教員向け研修も大会前はオリパラ教育が主要テーマだったが、大会終了後は学習指導や進路指導など通常の内容に戻った。しかし、「総合的な探求の時間」では「パラスポーツ」のボッチャなど「障害者」スポーツが依然として主要な取組内容であり、校内ボッチャ大会や区主催など外部との試合参加など、かなりの比重を占めている。
また、冬季オリパラ招致を進めてきた札幌市は、2016年に2020大会を主な目標としてオリパラ教育を推進、冬季大会招致と歩を一にするように実施校は増え続け、昨年度の実施校は100校近くにのぼっている。札幌市は一旦はオリパラ招致撤退を表明したが、今後、学校でのオリパラ教育がどのようになっていくのか、注目していく必要がある。
招致レース参加が現実味を帯びる可能性のある2042年には、現在小学校高学年の子どもはアラサーとなる。
都教委サイト(都立/市町村区別で各校の2020レガシーの内容の一覧ファイルも) https://www.kyoiku.metro.tokyo.lg.jp/school/content/2020legacy.html
札幌市のオリパラ教育
7 パリでも汚職、立ち退き、過剰警備、自然破壊
パリでも2024年夏季五輪開催が迫っており、東京大会と同様の問題が次々と起こっている。
パリでも組織委本部やスポーツ代理店が汚職の疑いで捜索。このスポーツ代理店が、2016~21年の間、電通子会社だったこともわかった。電通汚職はパリにまで!
3月にはパリ五輪に向け人工知能(AI)を搭載した監視カメラの街頭での設置を認める法案が議会を通過。AIによる大規���監視カメラの導入が法的に認められることに。また、フランス軍15,000人、数万人の警察官と民間警備員を投入した大規模警備体制が敷かれることが明らかになった。
ホームレスの人々に対する立ち退き、セーヌ川沿いの古書店に対する立ち退き、学生たちに対する立ち退きも起こっている。
また、パリ五輪のサーフィン会場はなんとパリから1万5000キロも離れたタヒチ。地元住民の反対にも関わらず競技判定用タワーが建設され、サンゴが破壊されているという。
汚職、立ち退き、過剰警備、自然破壊、オリンピックは世界中で同じ災厄をもたらし続けている!廃止だ廃止!
8 パリ、フレンチアルプスで活発化する抗議行動
2024年夏季五輪が迫るパリ、2030年冬季五輪の最優先候補都市とされてしまったフレンチ・アルプスでは、2023年、活発な抗議行動が取り組まれてきた。
12月2日にはフランス全土で2024年夏季五輪と2030年冬季五輪の両方に反対する抗議が行われた。
9 2026年冬季五輪開催都市ミラノ、コルティナ・ダンペッツォでも反対運動。ボブスレートラック建設阻止?
2026年冬季五輪開催予定都市、ミラノ、コルティナ・ダンペッツォでも五輪反対運動が活発化している。8月には、ボブスレートラック建設のために自然破壊が行われることに対して抗議行動が取り組まれた。樹齢数十年のカラマツ、モミ、マツの木300本以上が伐採されるという。
しかし、コルティナでのボブスレートラック建設にはIOCが建設費の問題などで難色を示しており、国外での競技実施の可能性があるとのこと。
10 続くガザ虐殺。「平和の祭典」の欺瞞。
イスラエルのガザ攻撃を止められない中、国連総会で、パリ大会中の「休戦の呼びかけ」が決議された。「平和に貢献するオリパラ」を演出するだけの茶番は、真の解決への努力をバカにしているかのようだ。
<番外編>
・オリンピックは終っても、まだまだ続くメガイベント
2030年・34年札幌���輪招致は阻止されたが、日本国内だけでも今後数多くのメガイベントが予定されている。メガイベントの際は、五輪のとき同様、公費の無駄遣い、汚職や談合、立ち退き、監視強化、自然破壊、ナショナリズムの称揚など様々な問題が起こる。
・2025年4~10日 大阪・関西万博(大阪)
→署名活動など反対の声が湧きおこっている。https://www.tokyo-np.co.jp/article/289081
・2025年8~9月 世界陸上(東京)
・2025年11月 デフリンピック(東京)
・2026年9~10月 アジア競技大会(名古屋)
・2027年3月~9日 横浜国際園芸博覧会(神奈川)
→計画の見直しを求める署名が呼びかけられている。https://chng.it/gBgrBwzLGX
※このほかにIOCが2026年オリンピックeスポーツ競技大会の開発を発表し、日本に開催を打診しているとの報あり。https://t.co/zRMtA6INWw
・世界中で続くオリンピック災害 2036年夏季五輪
現在、夏季五輪は2024年パリ(仏)、2028年LA(米)、2032年ブリズベン(豪)が開催予定都市として決定しており、反対運動も取り組まれている(ブリズベンは未確認)。そして、東京の惨状を目の当たりにした私たちにはとても信じがたいことだが、2036年夏季五輪招致を目指す国々も既に多々ある。一日も早い五輪廃絶を実現するためにも、各都市の人々と連帯しともに反対の声を挙げていきたい。
招致活動を表明した国
・エジプト
・ポーランド
・トルコ
・インドネシア
・インド
関心を寄せている国
・ドイツ
・カタール
・中国
・韓国
・イギリス(ロンドン)
※メキシコは招致を目指していたが断念。 https://www.tokyo-np.co.jp/article/303267
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今年の前半は暇さえあれば劇場へ行っていたのに今全然行けていない!デヴィッド・フィンチャーの”The Killer”はおろか、スコ爺の新作もまだ観れていない。”The Killer”は配信になる前に観に行きたいけど…!そうこうしているうちに『インファナル・アフェア』もパトリシア・ハイスミスの映画も終わってしまう!12月はアキ・カウリスマキの新作『枯れ葉』が公開されるし、年が明けたらビクトル・エリセの最新作が…!意識的な無関心の時期がきてるけど、タイミング合わせて劇場に行きたいな。今こういう時代だからこそカウリスマキの”人間愛”に触れたい。


↑右は試写に行った友人から送られてきた画像。カウリスマキの映画に救われている人は沢山いるのだから、まだまだ引退せずにいてほしい…!
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今年は南方熊楠、串田孫一を知れたことで充分に幸せ。南方熊楠って全然知らなかったけど、知れば知るほど面白い人物だ。彼の研究、民俗学に特化せず言語学(ラテン語を独学?どうしたらできるの��)、精神学や人文学など多岐に渡りすぎていて、生きているうちに彼の脳内を理解しきれるのか不安になってくる。大学へ行かずに独学でオイはいく!っていう地の地でいく姿勢に密かなアナーキー精神を感じて惹かれてしまう。(ちょっと厨二病っぽいところが面白い)ここで彼の型破りな名言を紹介。
「肩書きがなくては己れが何なのかもわからんような阿呆共の仲間になることはない」
学歴や肩書きはない。組織にも所属せず師もなく独学で生涯在野で生きてきた熊楠さん。偉大な功績を残しながら、当時はかなり風変わりな人物だった模様。
「学問は活物(いきもの)で書籍は糟粕(酒のしぼりカス)だ」
蔵書家でありながら、不要と判断した本はキチンと返却していたらしい。
「権威に媚び明らかな間違いを不問にしてまで阿諛追従(あゆついしょう。相手に気に入られようと媚びへつらうこと)する者など日本には居ない」
ロンドン滞在中、ある大学の事務総長に腹を立て一言ピシャリ。
どうでしょう、魅力しかない人物だと思いませんか。来年は和歌山県にある熊楠の研究の場であり長く暮らした母屋を訪れたい。
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今は串田孫一にはまっている。人と自然のつながりが明瞭なわかりやすい表現、飾らない言葉たちで綴られている。ある部分でめざしたい文章、文体。この静寂な世界…静かな朝に読むのが至高。今は『雲の憩う丘』を読んでいる。27の随想、少しずつ味わいたい。

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そのほか先ほどの南方熊楠を始め『ノモレ』『パパラギ』など、今年は民俗に関する本を読んできた。文化人類学にはずっと興味と憧れをもっていて、大学では映画学と同じくらい学んでみたいと思っていた。もっと広い世界がみたいという漠然とした思い、日本とは違う世界の人たちの暮らしを体感したいという気持ちはいまだにずっと心にある。文明社会から遠く離れた人々の暮らしは至ってシンプル。こういった人類の衣食住に触れると決まって、モノに溢れ返った自分たちの生活が馬鹿らしく思えてくる。10年後はもっと情報化社会が進んでいるだろうし、自分の手を使って生み出したり足で稼ぐ機会がどんどんなくなっていきそう。そうなれば人間はどんどんダメになるだろうし、そこに自分は存在していられるかとても不安。人との連帯だけで何とか乗り切っていきたいけれど。指先だけで答えが分かる世の中でも、熊楠の「知の妖怪」精神で生き抜きたい。などと思う。
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今はもっと世界の、日本の往年の作家たちを知りたいという気持ちが強い。情報過多な現代に惑わされないよう、一度立ち止まって自分を見つめ直す時間を大切にしたい。
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↑今年のWBC。Jimmy Fallonみたいな人が映っていて、まさか⁈と思って調べたらやっぱりジミーだったみたい!(右側にいる頭抱えた水色シャツの人。)
今年は縁あって野球をたくさん観ている。WBCで人並みに大谷フィーバーがきたし、周りに野球ファンが増え��こともあり、初めてちゃんとプロ野球を見始めた。今は日本シリーズという、日本一を決める試合を一生懸命みている。ほんとはカードを持っている山本由伸選手がいるオリックスを応援したいのだけど、今は阪神タイガースを全力応援している。(ルールは勉強中!)
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私の家族は元々野球ファン。父は世間でいうまぁまぁなレベルの虎党だ。小さい頃ユニフォームとメガホンを持ちオリーブ色のパルサーに乗って、甲子園によく連れていってもらった。私が覚えているのはタイガースファンに対する恐怖心。地鳴りみたいな大歓声、メガホンをバンバン叩いて騒いで叫んで…圧がもうね、すごいやん、おーん。て感じ。甲子園は高校時代に行事で出て以来、一回も行っていない。今年は突然父の体調が悪くなり、実家に頻繁に帰るようになった。今まで滅多に戻らなかったので、兄と「これからはできるだけ家族と過ごそう」と決めた。はからずも家族と向き合う年となり、全員が少し照れながらできるだけ毎週末を大切に過ごしている。嬉しさと少し変な感じ。高校から各々が別々の暮らしを送っていた。家訓かわからないけど、早いうちから家を出て自活するのが当たり前だと思っていた。だけど今は顔を見せることが一番の親孝行なのかも、と思ったりする。
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エニウェイ今は阪神タイガースが優勝できるように応援している。(いっぱい勝ってる気がするけど一体何回勝てばいいんだ)今日は山本由伸さんが出てるので複雑な心境だった。してやられたり…。毎日勝つのは難しい。勝ち負けの世界で戦う人たちはみんな輝いてるなぁ。
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今日は朝から実家へ直行。しばしダラダラした後リニューアルオープンした神戸のタワレコに行った。前は店舗数が少なかったのでひと店舗が占める割合が大きかったのだけど、今回は店舗数が増えたためタワレコもリニューアルとはいえかなり縮小されていた。取り寄せていたアナ・フランゴ・エレトリコの新作とRachael&Vilrayのアルバムを購入。
↑アナ・フランゴ・エレトリコの新作情報。
↑細野(晴臣)さんがラジオでおすすめしていたRachael&Vilray。毎夜聴いてます。
家に帰り、バーベキューの準備。今日は庭でバーベキューみたいなことをしながら野球をみて過ごした。すいちゃん(義姉)の手伝い2割おしゃべり8割。野球は負けたけどいい一日だったー。
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以上、雑多な日記でした。みなさん良い週末を〜。
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ある画家の手記if.39 告白
三人で家族旅行をして、香澄の睡眠も落ち着きだしてからしばらく経ったある日に、情香ちゃんは唐突にこの家を出て行った。 もともとこのままずっとここにいる気じゃないのは僕も香澄も分かってたし、出ていくことに変な他意はなくて、そろそろいつもの体を動かす忙しい仕事に戻りたくなったんだろうなと思った。
荷物もないし玄関まででいいというから、香澄と二人で玄関で見送る。 一人靴を履いた情香ちゃんは玄関で香澄の頭を髪が爆発したみたいになるまでわしわし撫でたあとで、満足したみたいに笑った。 「ん。もうそんな痩せこけてないな」 「…うん。ありがとう。情香さんの料理おいしかった」 情香ちゃんが香澄をまっすぐ見つめる。 「困ったらいつでも呼びなよ」 「うん」 「…香澄の目は綺麗だな」 そう言って情香ちゃんが香澄の頭を両手で挟んで持って引き寄せ て 「?!」 「ちょっ…」 香澄の目元に軽くキスしていった。香澄はフリーズして目をぱちくりさせてる。 僕は後ろから香澄を抱きしめて牽制する。 「…情香ちゃん、や、やめて…。香澄口説かないで」絶対僕が負けるから。 「そう思うならもう少しお前も大人になるんだな」 情香ちゃんは笑いながら颯爽と扉の向こうに消えていった。 「……。」 「………。」 室内に残された二人でしばらく同じ体勢のまま固まる。 「……香澄…情香ちゃんに心変わり「してないよ?!」 つっこまれるみたいに否定されてほっと息をつく。…へんな感じだ。前だったらそんな、香澄が誰を好きだって、こんなに焦ったりしなかったのに…今僕に気持ちの余裕がないのかな、家族になろうって言ったときだって僕は、香澄にほかに彼女とかがいるならそれで…って思ったり…してたのに。 ……もしかしてこれが独占欲ってやつかな。 もやもやを新鮮に感じながら、香澄に提案する。 「…ねえ香澄。僕はこれからどうしてもやりたいことがあるんだけど、香澄も手伝ってくれる?」 香澄は後ろから抱きしめてくる僕の腕の上に手を乗せて、僕の足の上に足を乗せて、僕もそれに合わせて足をぶらぶらさせたり体をゆらゆらさせて二人で玄関先で一緒に揺れる。 「いいよ。やりたいこと?」 僕はそのま��足の甲に香澄を乗せて二人羽織みたいな二足歩行を戯れにしながらリビングまで戻った。 香澄をソファに待機させると、家族旅行で買ったばかりの防寒具一式をすばやく取ってくる。 ソファに座った香澄にぐるぐるマフラーを巻いて頭に大きめのニット帽をしっかりかぶせて耳まで覆った。体にコートをかける。 僕は寒さに強いから適当なコート一枚でいいや。 「よし、出発」 二人で家を出て、すぐ隣のひらけた公園まできた。 まだ雪が積もったままで、隅のほうに少しだけ子供が雪で遊んだあとが残ってる。 一番綺麗に高く積もったあたりを二人で探して見つけた。 「…よし。香澄、雪だるま作るよ」 僕の真剣な声にとなりの香澄がふっと息を噴き出すみたいに笑った。 「…え。なにに笑ったの」 香澄は手袋をした手で口をおさえて笑いを堪えるみたいにしてる。 「な、なんでもないよ…作ろっか」 …また僕へんなことやらかしたのかな…でも香澄は嫌な気になってるわけじゃないみたいだ 「香澄…」 じと…と香澄を半目で見たら、香澄が笑って両手を掲げて降参しながら白状する。 「直人かわいいなと思ってつい、だってすごく気合い入ってて、ほんとに真剣にやりたいことみたいだったから、なにかと思ったら…」 まだ笑ってる。雪だるまは子供の遊びじゃないんだぞ。 二人で小さな雪玉を転がしながら、僕が胴体、香澄が頭を担当することになった。 香澄が凍った空気に白い息を吐く。 「はー…… 今日からもう情香さんいないんだね…」 「香澄が呼べばきっといつでもまた来てくれるよ。僕が呼んでもあんまり来てくれないけど…」 「そういえば直人は情香さんと一緒に暮らしたことないって言ってたけど、二人が一緒にいるのすごく自然だったよ。幸せそうだった。どうして別々に暮らしてたの?」 「………」 僕の返事がそこで途切れたから香澄は慌ててつけくわえた。 「ごめん、口出しなんて…「いや、なんでも聞いていいよ。香澄も家族なんだから」 笑って香澄が謝るのを遮ったものの、質問には答えられずに、話は自然と別のことにうつっていった。 かなり大きくなった雪玉を、バランスをとりながらふたつ重ねて、二人で支えてしっかり立たせる。 長身の男二人で丸め続けた雪だるまの身長はなかなかのものになった。少なくとも子供が集まって作れるサイズ感じゃない。 「僕は目を探してくるから、香澄は鼻か口を見つけてきてくれる?」 「なんでもいいの?」 「いいよ」 二人で手分けして公園内の木や石を見て回って、手頃なものを探す。僕は黒々としたつぶらな石の瞳と元気に広がった枝の腕二本を見つけた。香澄も尖った石を持ってきて、顔の真ん中に鼻にして刺した。 目も腕もついて、ちょっとだけ天を仰ぐ顔の角度で、かわいくできた。完成だ。 「香澄、ケータイ持ってきた?」 「持ってるよ。写真撮ろうか」 「うん、……誰か…撮ってくれる人がいたら…」公園内は平日だからか閑散としてる。香澄と僕と雪だるまを撮ってくれそうな人が通りがからないか待ってみる。 すると一匹の大きなシェパードが遠くから僕らのほうに向かって猛スピードで走り寄ってくるのが見えた。 人なつこいのか、雪だるまに興味があるのかな。 「首輪つけてるね、飼い主に写真が頼めないかな」 二人で飼い主の影がどこかにないか見回す。 すぐに体に触れられるほど近くにきた犬の頭を撫でる。吠えたり噛んだりもしない、よく躾けられたいい子だ。 「直人、犬には嫌われないんだ」 「ね、猫だけだよ…あんなに嫌われるのは」 「犬も好き?」 聞かれて一瞬ぼうっとする …似てるってよく言われるな 犬は好き 特に大きい犬は僕がぎゅって抱きしめても骨を折ったりしなくて安心だし 犬は好きだったよ 飼い主が …いや、飼い主のことだって別に嫌ってたわけじゃ その時、雪上に大きな指笛の音がまっすぐ空間を貫通するように響き渡った 「…あ、この子の飼い主さんかな」 香澄が音のしたほうに振り返って、丘の上の散策路に人影を見つけた。 笛の音で犬は全身をぴしっと引き締めてまた一直線に音のしたほうへ駆け出した。 犬の…首輪に下がってたあれは名札? BU…STER…? 「come,バスター」 散策路の人影が一言発した 介助犬とかの訓練用に共通で決められてる命令語だ 犬と一緒にすぐ木立の陰に消えていって僕にはほとんど見えなかった 襟を立てたロングコートだけちらりと見えた 「………人違い…」 …だと思う。あの人はこの時期に日本に滞在してることは滅多にないし ここに居るほうが変だ 「直人」 横から怪我してないほうの腕を香澄にひっぱられた。顔を覗き込まれる。 「変な顔してるよ。大丈夫?」 「…うん。なんでもない」 いつも通り笑ったつもりだったけど香澄に手袋をはめた手で顔を挟まれる。…心配かけちゃってる。 「…さっきの人、知り合いだった?」 「…ううん、人違いだよ」 今度こそうまくちゃんと笑って、香澄をぎゅっと抱きしめる。 「雪だるま…大きく作ったからきっと明日もまだちゃんと残ってる。今日は写真は諦めて帰ろうか」 「…うん」 二人で雪だるまを公園に残して家のほうへ歩き出す。 まだちょっと心配そうにする香澄の頭をわしゃわしゃ撫でて頭を胸に引き寄せてこめかみにキスした。 香澄の右手から手袋をすぽっと取ると、素手になった香澄の指に自分の指を絡めて、しっかり繋いだ手を僕のコートの左ポケットに突っ込んだ。 夜。久しぶりに二人だけで夕飯を作って食べる。 ひとり分の賑やかさが消えて、ほんの少しだけ寂しいような、不安なような。 それをかき消すように二人でいつもより手間をかけて凝った料理をいくつも作った。 食事が終わって片付けも済んで、僕がソファに座ったら香澄が横からするりと僕の膝の上に座った。…かわいいな。 香澄の体を包むように抱きしめる。 「…こういうの久しぶりだね」 って、自分で口に出しておいてだんだん恥ずかしくなる。 情香ちゃんもいたときはそういうことを意識して避けてたわけではなくて、自然とそういう気分にはならなかった。 「…香澄、こっち向いて」 僕の腕の中でゆったりリラックスしてた香澄が顔をあげて僕を見る、手で顎をとって軽く開かせると舌をさし入れて深くキスした。香澄も目を閉じて舌が口内でゆっくり絡み合う。一度少し唇を離してもう一度、角度を変えてもう一度、そうやって何度も深いキスを繰り返してるうちに、身体の芯からじんわり溶けそうになる。…気持ちよくて目が潤む。 一旦休憩。口を離すと少しだけあがった息が至近距離で混ざり合う。 「…香澄… …したい」 正直にこう言っても大丈夫。香澄はもう嫌なときはちゃんと嫌って言える。迫られても襲われても、意に沿わないときは自分の身を守れる。…帰ってきてくれた。それがすべてだった。 香澄の両腕が僕の背中に回って、ぎゅっと僕の体に絡められた。 「……うん…」 首元にあてられた香澄の顔は見えないけど、ちゃんと聞こえた、返事。 そのまま香澄の脚の下に腕を通してもう片腕で背中を支えて、横抱きにしてソファから抱え上げる。 左腕に少しだけ痛みがあった。負担がそっちにいかないように香澄の体の重心を少しずらす。 ドアを開けっぱなしだった僕の部屋に入ってベッドの上に香澄をおろすと、少し赤らんだ頰にキスを落とした。
続き
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【自然×遊び×BBQ=最高の休日】
大野城市「いこいの森中央公園BBQ場」で、家族の笑顔が広がる一日を。
週末、空を見上げて「今日はどこ行こう?」と考えているご家族に、ぜひおすすめしたい場所があります。
それが、福岡・大野城市の『いこいの森中央公園BBQ場』。 青々とした木々に囲まれた広々とした公園で、バーベキューと大型すべり台の両方が楽しめる、子育て世代にぴったりのスポットです。
■ 子どもたちの笑い声がこだまする、巨大すべり台のある公園
公園に一歩足を踏み入れると、目の前に現れるのは色とりどりのすべり台が連なる「スライダーランド」。 丘の上から滑り降りる姿に、大人も思わずカメラを構えてしまうほど。 笑い声が風にのって響き渡り、子どもたちは何度も滑っては、また登って――そんな姿が自然と目に浮かびます。
遊び疲れたあとは、木陰のベンチでひとやすみ。 四季折々の自然に包まれながら、心地よい風が体をやさしく冷ましてくれます。

■ BBQは“手ぶら”でOK。家族の時間をもっと自由に。
遊具だけじゃないのが、この公園の魅力。 「BBQ太郎」のサポートで、道具の準備も片付けも一切不要の『手ぶらバーベキュー』が可能です。
炭の火を起こすところから、テーブルの設営、ゴミの処理まで全てお任せ。 焼きたてのお肉の香ばしさに包まれながら、家族そろっていただくランチタイムは、外でしか味わえない特別な美味しさ。
「アウトドアは準備が大変そう」と感じていた方にも、安心しておすすめできる快適さが整っています。
■ 公園遊び+BBQで、親子で過ごす最高の1日を。
子どもが走り回る。 親はのんびり食事を楽しむ。 自然と笑顔がこぼれ、いつの間にか家族の会話も増える。
そんな一日が叶うのが、「いこいの森中央公園BBQ場」です。 都市部からのアクセスもよく、気軽に行けるのも嬉しいポイント。
「次の休み、どこ行こう?」――そう考えたら、ぜひこの場所を思い出してください。
📍 いこいの森中央公園BBQ場(福岡県大野城市) 🎡 大型すべり台&手ぶらBBQで、遊びもグルメも満喫 👨👩👧👦 ファミリー向けレジャーに最適!
👉 詳細はこちら → https://bb-qtarou.com/fukuoka/
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先日、今年3本目となるバス旅行で国営ひたち海浜公園へネモフィラ畑見学に行ってみる。ほぼ10年ぶりの訪問となる。当時は、みはらしの丘の斜面に咲広がるネモフィラが話題となり始めた頃だった。しかし、人気化による来場者数の増加に対し、食事場所や乗り物といった園内インフラが十分に整っておらず、ネモフィラ以外の部分では相当不便であった。そうした印象の悪さもあり、その後訪れることがなかった。
今回、以前利用したことのある旅行会社から案内が来たことをきっかけに、もう一度出かけてみることにした。
バスは、三郷南ICで外環に合流、三郷JCで常磐道に入った。三郷と言えば、隣接して八潮市がある。八潮市ではこの冬、路面陥没によりトラックが下水道に転落する事故が発生している。インフラの老朽化は、地域の老朽化そのものを表しているようにも感じる。路面陥没の復旧には数年かかるとされ、インフラ整備を怠るとさらに高くつくことを教えてくれた。そんなことを思い出す。

ひたち海浜公園でのネモフィラの開花状況は五分咲き程度。全体としてはまだまだといったところ。まばらにしか咲いていないところも散見される。それでも見学に訪れている人たちは多い。前回は、逆にピークを過ぎた時期だった。黄色の水仙やチューリップなど、さまざまの春の花が咲いているのが見える。それらは軽くみながら、一路、みはらしの丘を目指す。バス旅行なので、見学時間が限られている。しかも、みはらしの丘は出入り口から距離があるので、余裕を持って往復の時間を考慮しておく必要がある。これがバスツアーの宿命か。

みはらしの丘からの眺め。前回とさほどイメージは変わらない。眺めとしては良好だが、ネモフィラの鑑賞にはみはらしの丘の頂上より、登る途中の方がいいだろう。

ネモフィラの開花状況を見ていると、種を蒔いたと思われる部分のほかに、筋場でみるからに等間隔で整列して咲いている場所もある。これは、ポッドで生育し、発芽した苗を植えたと思われる。一面のネモフィラ畑を作り上げるために、さまざまな苦労や工夫をしていることがよくわかる。当然ながら、それほど容易ではないのだろう。
みはらしの丘を降りながらもネモフィラを眺めるが、なぜか見どころは少ない。ネモフィラはあまり植えられていないのかもしれない。見終わったら、とっとと下りてくださいということなのかもしれない。まぁ、そんなことはないと思うので、時期をずらして開花するようにしているかもしれない。

ここまで、割と急足できたので、時間に余裕がある。ネモフィラをバックに、記念写真を撮影してくれるサービスがあった。仕上がりを見ると、人物は小さく、面積比で約1/9の領域に過ぎない。顔による本人の確認は厳しい。周囲のネモフィラだけが強調されてい。想定していた写真とは異なるが、とりあえず、一つの記念としてとっておくか。
今年は、水色のネモフィラに加えて薄緑や白色のネモフィラも植えられていたようだ。だが今回、それらを確認することはできなかった。いずれ、エリアで種類を分けるなどの工夫がされる可能性はある。また、種類によって開花時期がずれているとさらに鑑賞時期が長くなるかもしれない。今後、どのような展開になるか情報はフォローしていきたい。更なる進化を期待したい。
ひたち海浜公園で初めて知ったネモフィラだが、欧州ではベイビー・ブルー・アイズとして親しまれていたようだ。地面に咲く一面のブルーの花。今では、前日深夜や早朝から並び、開園と同時に走ってみはらしの丘を目指し、見学客が入っていないネモフィラを撮影する見学客がいるそうだ。何に対して個人のリソースを消費するかは、まさに個人の価値観そのものである。人のリソースには限りがある。自らの価値観を正しく認識し、行動することが大切だ。
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☆きりん組 おでかけDAY☆
さわやかな青空の下、バスに乗って歴史公園へ出発~?「進行~☆!」



まずはみんなで記念撮影(^^♪こいのぼりもまだ元気に泳いでいました🎏


さぁアスレチックで遊ぶぞ~!・・・と、思ったら川でザリガニや魚探しに夢中の子どもたち(笑)網で葉っぱごとすくうと、小さなざりがにの赤ちゃんやドジョウを発見👀✨






こちらではカナチョロ探し。とにかく生き物大好きなきりん組。保育者も夢中です・・・(笑)


「みてぇぇぇぇ!!!カブトムシの幼虫ぅぅぅ!!!」掘り起こしたら、プリプリの幼虫がたくさん出てきました!その数なんと43匹(笑)



生き物探しに満足したらアスレチック!






たくさん遊んでお腹ペッコペコ!愛情たっぷりのお弁当、いただきま~す😋💕おいしかったよ💕


食後、少し遊んでから帰ろうか・・・と思っていましたが、急遽『うきたむ風土記の丘 考古資料館』へ行けることに!みんなで行ってみよう~!
「昔は槍を持って獲物を捕まえていたんだね。」「これ鬼滅の刃にでてくるやつみたい。」「あれってゴムゴムの実?」感性豊かな子どもたち(笑)



昔の人の人形を発見。
保「じーっと見てると動くかもしれないよ…(ニヤリ)」
子「え、動かないでしょ?(真顔)」
子「揺れたら動いて見えるんじゃない?」
↓その様子がこちら↓
思わず笑ってしまったかわいい子どもたちでした💕(笑)
思いがけず盛りだくさんの内容でとっても充実したおでかけDAYでした!お弁当等、準備をありがとうございました!

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26/03 2025
毎年帰るNZ。パートナーがKiwiなので実家に帰省。
帰るときは、Air NZで帰るのだけど、最近とっても高くなっている。 セールのタイミングを見逃さないようにしないと、とてもじゃないけど高い。セールになってても、コロナの前に比べると倍ぐらい。
でもやっぱり直行便なのでAir NZ。
今回は、高いのもあるのかなぁ、席はガラガラだった。 ほとんど、日本に遊びに来ていたNZ人が帰国するのかなっていう人で、ほぼ日本人はいなかった。
NZに行く前に、ビザもちゃんと取っておかないといけない。 これもまた高くなっていてびっくり!渡航ビザは23ドル+国際観光税が100ドル!それも取らないと入国できないので忘れずに。

オークランドに着いたら国内線に乗り換えをして南島Nelsonへ。


早朝に到着して、眠いけどNZライフの活動開始。
27/03 2025
着いたその日に家の裏の散歩コースへGO!!
静かできれいで、いろんな鳥や可愛い虫に出会えて楽しい。少し歩けば大自然。それがNZの魅力かも。



結構登ったけれど丘のトップまでは断念。 次回のお楽しみに。

30/03 2025
今日はお家でリラックスタイム。
近くのK-mart(日本で言うホームセンターみたいな感じ。)でグラニースクエアキットを購入。時間のある時にやってみたかったので♡

色はとってもカラフル。これがつながって、最終的的にはバッグになるというもの。
果たして完成できるのかしら。
午後は近くの公園へお散歩。

NZはもうすぐ秋を迎えるので葉っぱも赤く紅葉していてきれい。
特に何をすることなく、日本と同じような時間を過ごす。それがとっても良い。
ゆっくり、せかせかしない、人も優しいマイペース。 スローな時間が流れるここが大好き。
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食べられないものを口に入れる、危険につながる飛び出しなど本人の健康を損ねる行動、他人を叩いたり物を壊す、大泣きが何時間も続くなど周囲の人のくらしに影響を及ぼす行動が、著しく高い頻度で起こるため、特別に配慮された支援が必要になっている状態のことをいいます。 行動障害は、本人が生まれ持っている「生きづらさ」があり、適切な支援や分かりやすい環境が提供されない中で起こります。 強度行動障害を有する人は、自傷、他害行為など、危険を伴う行動を頻回に示すことなどを特徴としており、このため、現状では事業所の受け入れが困難であったり、受け入れ後の不適切な支援により、利用者に対する虐待につながる可能性も懸念されています。 一方で、施設等において適切な支援を行うことにより、他害行為などの危険を伴う行動の回数が減少するなどの支援の有効性も報告されており、強度行動障害に関する体系的な研修が必要とされています。 強度行動障害の原因 強度行動障害は、興味関心の限定やこだわり、それに対する過度な執着性や感覚の過敏性といった障害特性に環境がうまく合ってないことにより、人や場に対する嫌悪感や不信感を高めてしまうことが原因となります。 強度行動障害が起こる年齢は、人それぞれですが、特に、思春期以降に強いこだわりや、自傷行動、他傷や破壊行動などが重篤化する場合が多いとされています。学校卒業後に比較的落ち着くケースもあります。 県の取組 強度行動障害は、本人が困っているサインだと捉えて、周りの人たちが特性や周囲の環境などをきちんと把握し、行動の原因を探っていくことが大切で、それぞれに合った支援を見つけることが必要となります。 このため、強度行動障害のある人を支える従事者の養成研修を行い、強度行動障害を有する人への適切な支援ができる人材育成に取り組んでいます。 支援者養成研修 行動障害を有する者のうち、いわゆる「強度行動障害」を有する人は、自傷、他害行為など危険を伴う行動を頻回に示すことがあり、障害福祉サービス事業所が受入れに消極的であったり、身体拘束や行動制限などの虐待につながる可能性も懸念されることから、適切な支援を行う職員を養成することを目的に実施します。 なお、本研修は、国が示したプログラムに基づき実施しています。 県主催研修の概要 基礎研修(令和3年度のプログラム例) 講義(強度行動障害の理解、チームプレイの基本、家族の気持ち理解等) 演習(基本的な情報収集、特性の分析等) 実践研修(令和3年度のプログラム例) 講義(支援計画の組立て、組織的なアプローチ手法、関係機関との連携等) 演習(アセスメントの方法、支援手順書の作成、記録の分析等) 指導者研修 研修の講師を養成するため、国が実施する指導者養成研修に職員等を派遣しています。 県が実施する研修以外にも指定研修事業者により研修が行われています。 指定研修事業者 有限会社ホットラインワールド 特定非営利活動法人静岡県作業所連合会「わ」 特定非営利活動法人地域生活応援団あくしす 特定非営利活動法人クリエイティブサポートレッツ スマートキッズ株式会社 社会福祉法人あしたか太陽の丘 株式会社東海美工 県立磐田学園(児童福祉法に基づく福祉型障害児入所施設) 磐田学園 磐田学園は、昭和23年に静岡県内初の障害児入所施設(当時は精神薄弱児施設)として設置しました。 他施設では、処遇困難な強度行動障害児、被虐待児、障害幼児の入所支援を実施しています。 入所支援以外には、支援技術の研究、他施設の職員研修、大学生、専門里親の実習受入れなど、県内の知的障害児施設の中核として、福祉人材の確保・育成等にも積極的に取り組んでいます。 施設の老朽化、被虐待児の増加、家庭における養育力の低下等を背景に、大舎制(大部屋)から小規模ユニット(個室)制を取り入れた施設への建替えを行いました。(令和2年12月:新園舎竣工) 強度行動障害に関する支援 乳幼児 児童発達支援における支援、幼稚園・保育所の支援、ペアレントトレーニング 学齢期 特別支援学校の支援、「放課後デイサービス」「行動援護事業」「短期入所事業」 成人期 訓練等給付の「就労継続支援事業B型」、介護給付の「生活介護事業」 生活支援の「行動援護事業」「短期入所事業」 共同生活介護(グループホーム) このページに関するお問い合わせ 健康福祉部障害者支援局障害福祉課〒420-8601 静岡市葵区追手町9-6電話番号:054-221-3319ファクス番号:[email protected]
強度行動障害について|静岡県公式ホームページ
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あと3回しか、寝れない。そう思って悲しくなった今朝(2/10)。日本に戻ってやりたいこともやるべきことも山積みなのだけれど、終わりたくないなぁ。
土曜日の夜にタクオミとタイガを呼んで、タクオミが彼女ともう一人友達を連れてきてくた。餃子作って食べてポーカーをした。負けた、私とタイガが負けて、ユシャンが大勝ちした。11月に、初めてポーカーをやった晩ぶりに現金をかけてポーカーをした。崇は全然違ったと言っていた、やっぱりお金をかけると楽しいそうである。私は、この晩に心底気がついたのだけれど、かけてもかけなくても、変わらない。全然変わらずふざけるし、様子見るために損もするし、特に上達もしなければ、守りに入るわけでもない。ただ単純にゲームが好きなだけなのだった。あ、ポーカーの話がしたかったのではなくて、タイガがさ、「ハイライトは何?」と問うてくるのですよ、私のNY滞在のハイライトは何だった?って。
タイガとは、前回11月の晩にポーカーをした時しか会ってなくて、あんまりまだ知らない。悩みに悩んでうまく答えられなかった。残念。
結論からほぐしていくと、そう言うわけなので私は今一度社交的な人間になる努力を、日本に帰ったらしてみようなどという気持ちになっている。あの会話のテーブルで、タイガにサラッと骨子を言える自分でありたかった。いつの間にか、社交の場を避けるようになって久しい私は、そういう、日頃から付き合いのある人ではない人に向かって、言葉を上手く組み立てる筋力を失っていたことに気がつかされた。あとはまぁ英語力の限界ね。
ハイライトって、難しい。しばらく時間をかけてからそう言うと、「旅じゃなかったんだ」と笑って、崇も、「ね、俺もそう思った」と言っていた。うん、旅はNYのハイライトではないよね、旅は全く別物なのです。
ハイライトね~と悩んでいて、何となく胸の内にある解答としては、暮らしたかった、暮らしができた、と言うことかなぁ。変な暮らし方ではあったけれど、ご飯作って食器洗って、日記書いて本屋行って、図書館行ってカフェ行って。
NY行って何するんですか?と言う質問をごまんと浴びた、渡航前に。わかりません、と答えていた。ただ行きたかった。
ハイライトを探してNYに来てからの日々を思い返しながら餃子を包んだ。ちなみに私は餃子を包むのが上手い。誰かに教わった覚えは特にない。
渡航直前に相島さんとランチをして、NYで何するか予定あるんですか?と聞かれて、全くないんです、と答えながら、まぁでも気ままに公園とかカフェで本でも読めれば、きっともうそれだけで満足なんだと思います、と答えたことを、セントラルパークにピクニックシート敷いて寝っ転がりながら本を読んだりポストカードに手紙を書いたりしながらふと思い出した、時のことを餃子を包みながら思い出した。あ、そう言えば本当に有言実行しているなぁ、あの時(ランチ)割と口から出まかせに答えた予定とは言えないような予想を、聞かれたから言っただけだったのに、結局本当にただただ公園で寝転がって本読んでいる今ほど満足を覚える午後の使い方もない、言った通りのことしているなぁ、そう思った。自転車で走れたと言うのがとても大きかったけど。
自転車といえば、NY滞在の最後の週末が始まった一昨日、土曜日。
残りの時間、何をしたいかな、と考えずとも考えざるを得ないような、未来のノスタルジーのエキスを先に舐めているようなこの終わりの始まりの時間に、やっぱり自転車に乗ろう、と“やること”が自然と私の中に転がり込んできた。セントラルパークそばの日貸しのレンタサイクルを5件ほど調べて一番良かったところの1日レンタルを予約する。サブウェイに乗って35分くらい、マンハッタンへ。何とも思わなくなっていたサブウェイがブルックリンからマンハッタン島へと渡る橋の上での景色などを、“もしかするとこれが最後に見る景色になったりするのかも”と言う気持ちで眺めてしまう。
気温は0~2度くらい。サブウェイを降りるとものすごく寒くてちょっと不安がよぎる。レンタサイクルはぎっしりと眠っていていかにもオフシーズンな感じのお店だった。顔写真付きのIDを預かると言われて期限の切れているマイナンバーカードを置いていった。
スキーやるかもと思って持ってきていたフェイスマスクをぴっしりと着けて、いざ走り出す。スキーはやらなかったけれどやっと大活躍の一日だった。
公園(セントラルパーク)を走り出す、適当にアッパーウェストまで行って、大好きだったリバーサイドパーク行ってこよう、そんな適当な感じで走り出す。寒さは全然平気で、なんだ冬のNYでも自転車乗れるんじゃん、と思いながら葉の無い木々の中を通り抜けていった。冬の公園は木々に葉がなくて、公園沿いの歴史ある建物がより一層雰囲気良く見えてくる。“あぁ帰りたく無いなぁ”と思った。
浸っていたせいなのかどうかはわからないけれど、公園の上端まではあっという間に着いてしまった。もっとずっと遠い、広い縦だと思っていたのでびっくり。Trekのレンタサイクルはとても乗りやすくて、あの乗り辛かった自転車でよほど苦労していたのかもしれないという現実にこんなに時を経てから気付かされた。ほぼ立ち漕ぎのようなあの自転車で走っていた日々、私はあまりにも自転車で走ることが楽しくて、そんなに大変な自転車ライドをしているつもりがなかった。でも今のこのレンタサイクルのギアチェンジし放題な感じは確かに、公園の丘をものともせず走れちゃうから、スイスイスイ~と気持ちよく走っているうちに公園中を走り切れてしまう(直径訳4km)。
アッパーウェストに行く前に、イーストのグッゲンハイム美術館に立ち寄る。NYで一番好きな美術館。閉まっている時間だったから何となく外から愛でた。そして110、公園の一番上まで行ってアッパーウェストへ。Broadwayまで西に行く。懐かしいし、好きだ。NYに行ってくる、とただ飛び出して、最初に寝泊まりできた場所がアッパーウェストだったことの果てしない幸運を、何度も何度も覚えてきた幸運を再び味わった。仮にNYに旅行に来て、アッパーウェストに何の用事があるだろう?アッパーウェストの界隈に足を踏み入れることなく去る人はそう少なく無いはずだ。でもアッパーウェストこそがNYの、マンハッタンの、生活が営まれている界隈でもあるなぁ。毎日自転車で帰る際のアパートに着く前の最後の下り坂が好きで、そこに着くと動画を撮りながら下った。何をするわけでもなくアパートを路上から見上げて、次はどこに行こうか、と。リバーサイドパークも通ったし、Broadway通りのノスタルジーも味わったし、というかアッパーウェストのBroadway通りの雰囲気がとても好きだな~と再認識しながら通った。信号という信号を無視して進むこの感じも懐かしい。
ハーレムを通過して、再び公園方面へ。気狂い騒ぎがあった晩も懐かしいし、ストリートスナップを撮られた日なんてもう9年前の思い出かと思うくらい昔に感じる。女の子が叫んでいた日もあったし、自転車が盗まれた日もあったハーレム。ものすごくエネルギーと愛を感じるハーレム。ハーレムというプライドが、有害ではないプライドが滲み溢れている気がする。自転車に乗る日はほぼ毎日通過していたなぁ。
公園を下って、やはりあっという間で、そういえば川村さんがいつか行きたいと言っていたジョンレノンが住んでいたアパート、結局見てないからと寄り道をして、崇にNY day2くらいにお薦めされたけど行ってなかったBethesda Terraceにも寄っていくことにした。びっくり、毎日通過していた橋の、その下がBethesda Terraceのタイルの天井だった。どうりで、だいたいその辺通っているはずなのに見かけたことがないのよね~と思っていたわけでした。いつもタイルの天井のその上を走っていたのだった。
Bethesda Terraceにて、次の行き先を考えているうちに、Brooklynに自転車で行っちまおうという発想に至った。ビアンカおすすめのイスラエル料理はランチもやっているので、ウィリアムズバーグでランチをして、家に帰って、いつも20分かけて歩いて行っているパン屋に自転車で行って、とBrooklynで自転車に乗ろう!となった。アッパーマンハッタンは地図がいらない。だいたい走れる。年内にとてつもなく歩き回ったし、それ以上に走り回っていたので。
Brooklyn方面はわからないので地図を見ながら走り出し、Queensboro Bridgeを渡ってRoosevelt Islandを通過してQueensという未知なる土地を走り出す。ノスタルジーツアーの予定だったのに、また新しいことしている!と思いながら知らない景色を走っていった。これがQueensなのか~と思ったけれど、特に足を止めたくなる何かには出会わなかった。大したことなくウィリアムズバーグに到着。調べていたリカーショップでお目当てのカベルネ・ソーヴィニヨンを無事にゲット。イスラエル料理は45分待ちだったので退散して一回家に戻って残りのボロネーゼを食べた。
久しぶりにたくさん自転車を漕いで早くも膝の筋が弱音を上げ始めている。
夕方は崇もチャリに乗ると言うので、崇の行きたいポスター屋さん集合で再び出る。NYに来て最初の週にとりあえず行っておきたいと言って崇と歩いて渡ったBrooklyn Bridge、その時刻はあまりにも混んでいて、なんだかんだで帰るまでもう来ないとかあり得るよね、なんて言っていたけれど、結局その後4回渡った。ブルックリンからマンハッタンに向けて自転車で渡るのは今日が初めてだった。
ポスター屋さんで新居のポスター探し(家具より先にポスターって、順序どうなんだろう?はてなすぎる。)をしたけれど難航し、諦めた崇はCiti bikeを利用開始、電動自転車!ロワーマンハッタンからとりあえずワシントンスクエアパークまで一漕ぎ。道はやや狭くて前後で走っていても話したりはできない。ワシントンスクエアパークも、懐かしいねなどと言って次どこいく?と。アジアンマートに行きたいということでブライアントパークを目指す。
ミッドタウンになってくると格段に自転車が楽しい。自転車道が広く整備されていてマンハッタンー!という景色をどこまでも漕いでいく楽しさはやっぱり抜群で、“マンハッタンでは自転車に乗ることが一番楽しいアクティビティだな”と思い、続いて“マンハッタンほどに自転車が楽しい都市は他にあるのだろうか?”となった。崇は興味も持たなければ観る事もないであろう私の大好きなニューヨーク映画『アメリカンユートピア』の自転車滑走シーンを説明したけど、案の定興味なさそうだった。あ、そうそう、Brooklynはね、自転車難しい。マンハッタンほど自転車道の整備が張り巡らされているわけではないのと、何と言ってもマンハッタンは道が縦と横しかないから、迷う事がまずあり得ない。でもBrooklynはマンハッタンほど均一な網目状の未知ではないので、適当に走っていても大体目的地付近までは行ける、ということにはならなくて、どこの角でどっちに曲がって、何ブロックであっち曲がって、とちゃんと地図を見ないと目的地に辿り着かない。ということでマンハッタンはただただ楽しく乗れる、漕げる。ようやく崇も自転車の楽しさを知ったようであった。
でもCiti Bikeは恐ろしく高いのでほんの1時間ほどのライドで終了。私はそのまま登り続けて自転車屋へ返しに行き、崇は日本食スーパーで餃子の材料を揃えていた。
そうして帰って、餃子作って、ポーカーした。最後の土曜日。寝たのは3時くらい、、、。あ、雪がたっぷり降って、みんなをウーバーに見送った後の2時頃にタバコを持って雪の中でフラフラしたのも良い時間でありましたね。
最後の日曜日の話の前に、金曜日の話もしようか。そうやってほろほろと最近のことを思い返していると結局、みっちり毎日日記を書きたい気分になってしまうねぇ。
とりあえず金曜日。金曜日はPublic RepordでRV tripの日記を書いていた。書き続けたいモードだったけれど、Avishai Cohenの日だったからきっかり切り上げて帰宅。大急ぎでボロネーゼを作った。ハンバーグの残りの挽肉が残っていていい加減使ったほうが良くて。と思ってひき肉を冷蔵庫から出したらすこーし臭った。うーん、アウトかなぁ、と思って崇にセカンドオピニオンを求めたら全然平気だと言われて、うっぷ、、、。本当に?うん、全然行けるでしょ。ということでそのまま使った。私は肉は、明日使う予定がないなら冷凍しちゃう人なので、引き続き異文化体験なり。
そしてあんまり行かないBlue Noteが2時間半前には到着しないと良い席が取れないと読んだので、急いで急いでボロネーゼを食べて、急いで急いでBlue Noteへ。懐かしい、前回ここに来た晩はHIMALAYAN DIALYの入稿前夜で、路上のスタバのWi-Fiから一生懸命原稿のアップロードをしていた。そんなことを思い出しながら覚悟して路上に並んだけれどそこまで極寒ではなかった。崇も会場時刻ギリギリに到着して無事素晴らしい席に着けた。
Blue Noteには私は音楽を聴きに行っているので全然高いお金払って食事をしようという思考回路がなかったけれど、よく考えたら2時間もテーブルで待つ!一人だったら本を読んでいるけれど、たかちゃんの前で一人本を読んでいるのもなんか違うし、結局コニャックをダブルでチビチビした。してたんだけど、なんやかやで食べたくなり始めちゃった二人は、ポテトとサラダを頼んで、なんかずっと食べてるねとなった。
Avishai Cohen Trioはもう、天にも登るほどの至高の晩だった。Avishaiのライブに初めて行ったのは23年の春。それなのにもうすでに5回目のライブ、こりゃ歴としたファンだわね。というのもあるけれど、Avishaiはお世辞じゃなくて本当に日本が好きみたいで、年に2回も違うプログラムで来日してくれるのでよく行けた。そのどれもが本当にぶち抜けて素晴らしくて、かっこよくて、心底好きになっちゃう人たちなのだけれど、そんなTrioのニューヨークライブに行けるというのは、とても嬉しい。元々の帰国スケジュールでは行けるはずがなかったので、あら残念、まぁまたすぐ東京来てくれるだろうから、と諦めていた。でも行けることになって、チケットを買う時たまたま前に崇がいたので誘うともなく声をかけてみたら行くというので2枚買った。
行くと言ったものの彼らの名前もわからない崇は、「なんだっけ?名前」と言って予習を始める。アルバム引っ提げてのジャズライブは予習をしっかりしていくとより一層楽しい。Brightlightをよく予習するようにと伝えたけれど、SpotifyのおすすめリミックスでRememberingに出会った崇、すっかりRememberingとBrooklynのマリアージュに惚れ惚れしていて、何かとRememberingばかりかけていた。「アンコールでRememberingやってくれたら感動するなぁ」などと言っていた。
ライブが始まって、本当に最高で、ガイの指さばきを間近に観ることができる席で、ともかく幸せだった。するとどうでしょう、AvishaiがMCで今日は特別な夜なんだと言う。Roniのお母さんが来ているんだ、と。会場大拍手。Avishaiが指差しちゃってRoni’s mom身バレ。二個先のテーブルに座っている素敵なブロンズレイディーが実はRoniのお母様だった!!!そうとは知らずバッチリ動画に収めてしまった。これはRoniが大好きな母に良い土産話が出来たなぁ~!
そしたらまさかのアンコールはRememberingだった。すごいね。よかったね崇。
崇の本物のJazz初体験がAvishaiだったことは私も嬉しい。私もちゃんと心して行った初めてのJazzライブはAvishaiだった。
Blue Noteを出て、バーに行こうとなったけれど、今自分の中で鳴り響いているこの音楽を消さないバーってどこだろう?となり、Terreに行ってデザートとワインもありだよね、となったのだけれど、閉店まで30分しかなかったので結局サラミとポテチを買って赤ワインの待つ232 St Johnsに帰宅した。これが金曜日。
木曜日はTerreに行った晩です。Avishaiを体験しながら、2晩も続けてこんなにも最上級の夜を過ごしてしまうなんて、そう思った。1晩目の最上級の夜。
木曜日は前から行きたかったBakeriというパン屋カフェに行くことに。なんと片道50分。NYのサブウェイは本当に遅くて遅くて参っちまう。ちなみに自転車で45分の場所。東京だったらあれか?葉山の奥地のカフェにでも出かけるくらいの時間かけるということか?でもBakeriには行ってみたかったのでいざ。Bakeriは素晴らしかった。レジで可愛いオリジナルポストカードをもらった。なんか、ショーケースの中のストロベリーと書かれた何かが『マイブルーベリーナイツ』のブルーベリーパイみたいだったので思わずそれをオーダーした。スコーンだった。ラテとストロベリースコーンの朝なり。贅沢すぎるなぁ、と感じながら、帰国前ならではの財布の緩みを楽しむことにした。本が少し進んで良い感じ。ビアンカにカードを書いた。書いたことはベルの音によるちょっとした思い出しだったのに、ちょうどビアンカ宛ての郵便を回収しにLAの友達が今日家に来る、という連絡が入ったので、ならばこのカードも持って行ってもらっちゃおう、とそこそこでカフェタイムを引き上げて帰った。
夜に外食が待っているので午後は仕事をした。外食。そうなのです。この外食が凄まじく良かった、、、。
発端は崇がマットレスを買う、ということだった。NYではfacebookなどで人から中古品を買うというのが家具入手における当たり前だそうで、ここ数日ずっとマットレス探しをしていた崇はついに買いたいマットレスを見つけたので、バンを借りてマットレスを人から買うからドライブして葉月の行きたいレストラン行こうよ、という事になった。ビアンカが食通すぎるのでBrooklynのレストランの良すぎるリストが溜まっていて、ずっと行きたかったイタリアンに行く事になった。予約は21時。相変わらずのスペイン人モード。
ところで私は誰かが5,6年使ったマットレスはちょっと買えないなぁと思った。と言いつつめちゃくちゃ手伝った。マットレスはとてつもなく重かった。汗だくになってバンに積み込み、ブルックリンハイツの崇宅、まだ契約したのに誰も使っていない伽藍堂のアパートに運び込む。いや重かった。レストランの予約時間が迫っているのでマットレスを放り込んで急いで去る。マンハッタンは車が一番遅い移動手段、というほど混んでいる。マンハッタンやブルックリンの夜景を見ながら車で走って、ブルックリンブリッジをBrooklynに向かって渡りながら、このブリッジを逆方向(Brooklyn to Manhattan)に歩いたNYライフの始まりの時間を思い出し、なんだか綺麗なエンディングになりつつあるなぁ、などとシナリオティックな感想を抱く。車を返した場所からレストランは崇の勘違いにより15分ではなく25分もかかるので、えっさおっさと小走りで歩き続けた。そんな風についたTerre.ビアンカの強いおすすすめ。うちに住みなよ、と最初に言ってくれた会話の時から、近所にすごく良いイタリアンレストランがあるの、と言っていた。その後大量のおすすめリストを送ってくれた時も、トップにまずはこのイタリアン、と言っていたレストラン、Terre.
入り口の黒板に「LIFE IS TOO SHORT TO EAT BAD PASTA & BAD WINE」と書いてあって“So true!”とご機嫌に入っていった。
21時ともなると徐々に人が帰っていく時間、店内は程よく食べ終わった感じに空きだしていて、タイミングとしてはナイスだった。端の方の席について、良いねぇ良いねぇ、と言っていて。ハッとびっくり、ねぇ、音楽ライブじゃん!と。ライブのレコーディングが流れているのだと思っていたのだけれど、違った、本当にライブ演奏が奥で行われていた、びっくりびっくり。
思わず席を変えて良いかと店員さんに聞いたら、ちょっと待ってな呼ぶから、と片付けてくれて奥の、ライブに近い方の席に移動した、ベルムースと赤ワインを持って。
さて、珍しく前日から予約を取っていたレストランの晩だというのにもかかわらず4時頃ランチを摂った崇の失態。まだお腹が空いていないとか抜かすので、知らん!と好きにオーダーした。
ブルスケッタは割と好きでよく作るので、RVでもブルスケッタを作った晩があった。なかなかの人気を博してみなお気に召したようなので気分も上々。そんな思い出のブルスケッタがアペタイザーメニューに載っていたので、ちょっとここは本物を味わって手本にしようとブルスケッタをオーダーした。うむ、書いているだけで涎が出てくるぞ、もう四日も前の晩だというのに。
私の知っていたブルスケッタの概念をことごとく���駕してくる素敵なブルスケッタエクスペリエンスだった。まず持ってバゲットではなくむっちりほんわりどっかりとした大きなパンが敷かれている。そしてこのお店ではオリーブオイルのテイスティングというメニューもある。気になるけれど、試せるタイミングのないまま、、、。すなわち、大変こだわったオリーブオイルなのである。もう香りからして3呼吸くらい置いてしまう良い香りと美味しいオリーブオイル。にずっっしりと漬け込まれたチェリートマト。あ、ブルスケッタってチョップドトマトじゃなくてチェリートマトをこんな風にただ柔らかくなるまで漬け込むという方法があるのですね!となった。美味しかった。。。。。。。。
メインはラムラグーのRoasted Almond Pasta とGrilled Octopus.
Grilled Octopusが衝撃的な美味しさだった。LAで食べたエビに匹敵する美味しさ。あ、ちなみにワインはナチュールなのだけれど、日本で知っていたナチュールよりもクラシックに近い風味だったのはなぜだろう?美味しいワインと美味しすぎる料理に感激した晩でありました。誕生日にここ来たい。
水曜日は911 memorial museumを目指してWorld Trade Centerに行った。museumは36ドルととっても高かったので、free Mondayに来直そう、と石碑や跡地などを見るだけに留めてチェルシーに移動する。チェルシーのDavid Zwirnerにわこちゃんからぜひ行ってきてと言われた画家の展示がやっているので行った。チェルシーにはいつでも行きたかったのでちょうど良いや、くらいの程度で行ったけれど、面白かったRaoul De Keyser。通りを挟んだGiorgio Morandiもすごく面白くて、目がチカチカするほど凝視した。
そばにあったとても楽しいリカーショップで赤を一本買って崇とビアンカにギフトカードを買った。
そしてルドルフ・シュタイナーの本屋という気になりすぎる本屋に歩いていく。オイリュトミー講座の張り紙があった。なんだかよくはわからなかったけれど日の浅くなさそうな、根付いた感じのする小さな本屋だった。エポックノートや慣れ親しんだドイツの文房具も売っていた。
火曜日のことも月曜日のことも、もうくっきりは思い出せない。でもAnaisという気に入りすぎたワインバーに毎日のように出掛けているので、おそらく行っていたと思う。
日曜日2/2は嶺くんに会った。Ray Suzuki.シュタイナー全員集合。嶺くんに会うのは15年ぶりくらいかもしれない。りかさんには軽井沢で会ったけど。嶺くんは変わってなかった。昔のまま飛び抜けて爆発力があって、ある意味その時代の先を行きたい彼の爆発力が、今、ついに世界と噛み合ってきているんだな、という感じだった。数年後、ひょっとしたらビッグネームになっているかも知れない、そんな感じの爆発力でキラキラしてて、とっても楽しそうだった。とにかく楽しそうだった。楽しく生きることは戦いである、という責任みたいなあのセリフをまた思い出した、頑張って楽しまなくちゃというエネルギーがちょっと沸かされた。いっちゃんおかしかったのは「バズっていう友達がいて、あ、すごい年上なんだけど」と話し始めて、それが実はバズラーマンのことだったっていうのが、私的にはかぶりを振るほどの面白さだった。バズラーマンと友達って、ニューヨークがすごいというよりはやっぱ嶺くんって感じだなぁ、と思った。後日談で面白かったのは、サティアが「嶺は変わらないな、ビッグネームを出せばみんな感心すると思っているあたり」と崇との帰り道に言っていたらしい。そう、ソムタムダーでご飯をした後、私はVillage Vanguardのライブに出かけ、解散した。ちなみに、ソムタムダーをお薦めされた時は、“へぇ、代々木のソムタムダーと名前一緒だ。まぁタイ料理では使いがちな名前なんだろうな”と思っていたのだけれど、まさかの世界チェーンだった。おったまげ~
その後のVillage VanguardのVijay Iyer Trioのライブに偉く心揺さぶられる感動をした。(のに今はもうAvishaiを経ちゃったので…)
さて、ビューンと一週間時間を戻して次の日曜日、すなわち最後の日曜日in New York, 9th February 2025.
起きたのは9時頃で雪景色が楽しみたくて散歩に出た。二日酔いという感じはなかったけれど夜ふかしをしたのとタバコで口の中が不味いのでコーヒーが必要。そんな感じで、あぁ最後の日曜日なんだなぁ、と散歩に出た。雪はそんなに長持ちしそうなのではなくて、春のような雪だった。踏まれる場所は結構べちゃべちゃしている。Prospect Parkはほとんど毎日走っている公園。今日は雪ですっかりと雰囲気が違っていた。ウォーリーを探せ!の景色だ!と誰しもが思うような風景だった。Grand Army PlazaからProspect Parkに入るとまず広がっている大きな大きな広場に、無数のヤングファミリーが遊んでいた。雪なので、スキー用具なので、カラフルなのです。それが、ウォーリーを探せの景色を醸していた。公園内のコーヒー店はずらりと列ができていた。小さな店内は決して忙しない様子ではなくて、マイペースにやっていた。外にこんなにも長い列ができていることなんかぜんぜん気になっていない雰囲気の働きぶりが好きだし、列に並んでいる皆さんの決してイライラしていない感じもとても好き。そう、NYに着いた初日から感じていることだけれど、なんでかな、“みんな”なんか余裕があるんだよねぇ。余白があるというか、急いでないというか、豊かな感じがするんだよねぇ。なんでかなぁ。好きなんだよなぁ。
あ、そうそう、私がNYが好きな理由の大きなところに人の様子、というのがあるけれど、先日嶺くんもNYに住む理由は人だ、と言っていた。でも中身は全然違っていたのがやっぱり面白い。「生活のクオリティは間違いなく日本の方が高いし、99%日本の方が好きなのに、なのに最後の1%のNYの良さが全部をひっくり返しちゃって叶わない(くて自分は10年NYに住んでいる)」と言っていた。「その1%は人なんだよね。日本にはこんなに面白い人間たちはいない。こんなに面白い人たちに出会える機会ばかりのNYはやばい。ぶっ飛んでる(ぶっ飛んでるという言葉が大好きなようでしょっちゅう言ってた、ぶっ飛んでるって。)人がたくさんいて、この刺激が東京にはない」とのことだそうです。それを聞いていて私はタクオミとの会話を思い出した。
タクオミ「一見面白そうって感じた人に限って、その先に面白さがないんだけど、最初は何も感じなかった“普通”そうな人ほど、付き合っていくと面白いなと思うことが増えてくるなと、最近よく思う」
じっくり誰かに出会っていくのか、ほんの15分の出会いで面白い面白くないを判断して生きていくのか、二人の異なる人間を目の当たりにした2月なり。崇は真ん中な気がするなぁ。私は完全にタクオミ派。
さて、飛んでしまった。最後の日曜日の話、どこまでしたっけ。そう、公園内のWINNERに並んでいたところね。ラテと、ついついパンオショコラを買ってしまいましたとさ。コーヒ��呼ばれるまで時間かかりすぎて待っている間にパンオショコラ食べ終わっちゃった。でっかなパンオショコラ。雪の公園でこんなにもみんなが外でコーヒー飲んでる感じが好きよねぇ。待ちに待ったラテは結構ぬるくて笑っちゃう。ラテと散歩を続ける。
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さてと、今はですね2025/2/11, 16:39、BrooklynのCafe Mogadorというモロッコ料理なのかな、のレストランでチーズケーキとラテを横にパソコン開いていたんです。そして初めて、自分から赤の他人に話しかけてみました。隣の男性二人がね、ちょいちょいHumanitarian Aid界隈な話してるな~とは漏れ聞こえてくるのだけれど、まぁ最近はUSAIDのこと話してる人たちも結構いるからそんなに聞き耳を立ててはいなかった。でもピピーンと反応しちゃったのがその数分後で、「ガザで撮っている映画」の話しに広がっていっていて、つい手が止まった。途中から聞いていたからよくわからなかったけど、何やらパレスチナの女性のドキュメンタリーを作ってらっしゃる方のようである。一人がトイレに出かけたので、私の隣に座っているもう一人に思わず話しかけた。すごい、私、割とこっちの人の感じになってきたのね、帰る3日前にして。自分の中にある日本人らしさというのかなんというのか赤の他人に話しかけにいく勇気はやはり奮い立たせないと出てこなくて、これまで何度か諦めたことがあったけど、今さっきはなんだか普通にいけた。数ヶ月前にカフェで本読んでいて突然おじさまに話しかけられたことを思い出して、あの逆の流れだよね、イケる、となんかの踏ん切りがついて急に話しかけた。
そうなんだよ、今パレスチナに関する映画を撮っているけれど、この状況になってあと2年は完成しないと思う。と白髪でブルーグレーっぽい目がキュッと奥に潜んでいるおじさまが言う。「興味があるんだね?」と。「日本のNGOで働いていて…」「日本のどこ?」・・・
あなたは映画を作っている方なのですか?「そうだよ。というかこの辺りに住んでいる人はほとんどみんな映画関係者だね」「みんな!?」「ははは、ちょっと言い過ぎかな、でも多いんだよ。彼も映画監督だよ」(と目の前に戻ってきた男性を指す。『Dirty Wars』という監督作ドキュメンタリーをお勧めしてもらった。)
そろそろ帰らなくちゃ!今日は新人研修があるのでタイトなスケジュールです。
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ラテ散歩��ら帰って今宵も予約したレストランからの逆算で出かける。夜出かけちゃうので日本の月曜日がくる前に片付けるべきパソコンごとを片付けていたらあっという間に時間が来てしまって、ブッシュウィックはやめてそのままウィリアムズバーグへ行こうということになった。DAMBOに行ってDAMBO散歩して、ウィリアムズバーグまで歩く。1時間以上もかかるなんてちょっと計算外だったけれど歩き始めちゃったのでそのまま歩き続けた。
昨日自転車で漕いだ辺りも逆行して歩いていったりしながら、よく歩いた。その中で、ハシディックの区画を通過することになって、二人ともその異様な雰囲気にかなり困惑した。ニューヨーク、中でもブルックリンでは本当によくユダヤ教の人を見る。瞬時にみてわかる服装ともみあげ(って言い方で良いのだろうか…)、女性の様、あまりにもよく見るけれど、何か引っかかることはなかった、これまでは。ハシディックの方が多い界隈だと、あぁこの辺はジューイッシュ界隈なのだな、くらいにしか思っていなかった。でもウィリアムズバーグに向けてネイビーヤードを50分くらい歩いている中で、異様なハシディックの世界を通過して、二人ともあまりにもわからないことが多すぎて困惑した。みんなのガラケーの使い方に違和感を感じる。凄まじい数の幼稚園児くらいの子供たちが皆ヘブライ語で遊んでいて、一様に真っ黒なその服装の集合体。家並みの閉塞感。東西分断時代の東ベルリンなのかここは?というような閉塞感あるマンションは、ニューヨークの中ではすごく異様だ。みたことないほど飲食店がなくて、スーパーも全然ない。コマーシャルボードが全くない。工場地帯のような静かな景色と、全くニューヨークらしい開放感が消し切られた閉塞感ある建物に雰囲気。なんなんだ!?ここは!?
と歩き抜け、今夜はハシディックを調べよう、ということになった。
そうやってウィリアムズバーグに到着し、「あぁ、なんかやっと呼吸が楽になったね」と言い合った。
ドミノパークに行ってまた一通りノスタルジーを覚える。ドミノパークは、NY day2に歩いてきた場所だ。あの頃は半袖を着ていた。今はアイススケートパークが楽しげで、雪景色のドミノ。気になる本屋があって入り、これ以上荷物を増やしてはいけないと本屋に入る度に思って、結局また買いたいものを手に取って、レジに持っていって、カードで払いたいと言ったら1ドルだから良いよそのまま持っていきなと言われる。
ご機嫌に到着した今宵のレストランはHave & Mayer.ところで今夜はスーパーボウル。アメリカの一年で一番大きいイベントの一つとのことで、レストランがガラ空き!!!スポーツバーに人口が集中している。そうか!予約の取りづらいレストランはスーパーボウルの日が狙い目なのか!と気がつく崇くん。
Have & Mayerは行かないわけには行かなかった。ビアンカの究極のお勧め。本当に大事な友達かめちゃくちゃ気に入った男の子しか連れて行かない究極のデートスポット、という説明でお薦めされたレストラン。インテリアデザイナーもしているビアンカがそこまでいう空間を、覗かずに帰る訳には行かないよねぇ。
素敵だった。隠れ家的なくすぐられる素敵さと、ちょっと特別な感じとカジュアルさのバランスが絶妙で、どっちのテンションにもなれる。アンティーク調なインテリアと植物のバランスも可愛かった~
あとは最初から最後まで楽しんでいたのは、全ての(アンティーク調な)ワイングラスが全部違うの!どのテーブルにも最初からグラスが置かれていて、見渡す限り全部違うグラスだった。見ていて飽きない。。。
食事はお高め。一番高い外食だったな。
なすが大好きな崇くんを前に、Grilled eggpluntから目が離せなくなった我々。それからTerreのGrilled Octopusの感動を引きずり続けている我々は食べ比べと評してGrilled Octopus、お姉さんの激推しだったので。どちらも小ぶりの上品な皿だった。崇の表現ではこちらのGrilled OpctopusはTerreのよりも全体を均一にグリルされているのが良いとのこと。Terreは太さ細さによってグリル加減が変化していてそれが良い、とのこと。Terreの一皿の感動は付け合わせにもあるのよね、ちょっとフムスっぽいビネガーの効いたあの付け合わせはなんだったのか、、、。「帰ったらGrilled Octopusやってみよ~」と私。「日本帰る前にやってみようよ」崇。メインはSmoked Mozzareraのパスタ。ニューヨークの本物イタリアンは全てパスタは自家製のようですね。それからナチュールワイン。ナチュールだけどPas Loinのナチュールよりもクラシカル寄りなんだよなぁ。Smoked Mozzareraを味わいながら、またまたRV tripの炭火焼とか言って楽しんでいたBBQに思いを馳せる我々であった。
レストランは兎にも角にもガラガラで、隠れ家席の裏に座っているゲイカップルと我々くらいしかいないのでお姉さんがもうぱっぱぱっぱ来ちゃって逆にのんびりできないというカラクリの時間だった。ガラガラだからのんびりできるね!という最初のアイディアは食べ終わる頃には無くなっていて、誘われるままにティラミスを食べ終えた我々は、次どこいく?という話になる。結局、Terre行って食べ損ねたブラータとプロシュートのあいつ、食べておく!?という冗談調なアイディアに即決した我々。てくてく歩いて再びTerreへ。やっぱり大好きすぎる。
「Biancaが究極のデートスポットをこっちじゃなくてHave & Mayerにしたのはわかる気がするなぁ」と崇。「なんで?」と私。私はどうもTerreの方が好きだ!Have & Mayerももうそれはそれは素敵極まりないのだけど、ちょっと素敵すぎちゃって笑 Terreくらいアットホームな雰囲気で中身は至極の料理を出すお店によりグッと来ちゃう。「Have & Mayerの空間の作り込み方とかは確かにTerreのカジュアルさより究極感あるじゃん」と崇。でも俺もTerreの方が好き、とのことでした。34歳の誕生日にTerreに来たい、という目標を定めたわたくし。ブラータとプロシュートのプレートには先日のブルスケッタに乗っている例のトマトがついてきて最高でした。ワインもベリグッドでした。贅沢すぎる!という持て余すほどの贅沢をひたひたに味わい尽くして帰宅した。
Netflixでハシディックに関するドキュメンタリーを観たけれど、謎がより一層深まったのと私はちょいちょい寝落ちた。
そうして翌朝が、このpagesを書き始めた2/10になると言うことですね。読みづらいなぁ。まぁ良いか~~~
月曜日、2/10の朝はプロスペクトパークのジョギングをしてからパン屋に行くと午前中が勿体無い、と言う限られた時間を感じてしまうモードに入っていたので、パン屋に走って行く、と言う一石二鳥コースを実施してみた。パン屋までは歩いて片道20分くらいなのでジョギングコースに最適では?とザック背負ってジョギング。でもやっぱり公園を毎日走れちゃう最高の環境だったので、通りを走るのはそんなに気持ちの良いものではなかった、信号に、通行人に、凍った歩道に。大好きすぎるこのパン屋も、これで最後になるのかなぁ、と言う気持ち。
引き続き大好きなAnaisに行って昨日サボった分の仕事と、ここ最近の振り返り上記を書き、そういえばすっかり911メモリアルミュージアムのフリーチケット取るの忘れたなーとなった。パルミジャーノレッジャーノを買って帰ってリゾの晩。『アンオーソドックス』Netflixのハシディックのドラマを一気見した。
火曜日はウィリアムズバーグに出かけてTrader’s Joesでお土産を買って、Bakeriでバゲットを買って、カフェがどこも混んでいたのでCafe Mogadorに入ってみた。コーヒーだけのつもりだったのに空気感に飲まれまくってチーズケーキをオーダーしてしまった。至福のティータイムであった。上記の続きを書いて帰って新人研修やった。20時半に新人研修が終わってブイヤベースを作り始めた。今夜何食べる?話をしていて珍しく?崇が海鮮にしよう、と言うので使われてなかったサフランの出番とばかりにブイヤベースを提案。私がCafe Mogadorにいるうちに崇がブルックリンハイツの気になっている魚屋さんに行ってくると言って、私はセロリを探し求めて結局ユニオンで見つけた。ニューヨークの海鮮は軽井沢ツルヤの海鮮には叶わず、思ってたほど魚介スープの濃さが出なかったけれど、美味しいワインがあるので結果オーライな晩だった。
てな訳で、書きかけを重ね続けた今は2/12の17:20 at Anais. 間も無く、帰らなくては。
最終日の水曜日、本日は昨夜雪が降ったので朝から散歩に出た。こんなにも帰るのが悲しいなんて、生まれて初めての感情である。日本には友達もいて家族もいて温泉もあるけど、まだニューヨークに居たいねぇ。結局後ろ髪引かれちゃうのか単に散歩が好きなのか2時間半くらい散歩してた。サンフランシスコからBrooklynに来たのが1/5の晩で、その夜はVillage Vanguardに行った。翌日の11時に、ビアンカの友達のペットグッズを作っている作家さんに会いに行ったカフェが家から徒歩15分くらいなので、久しぶりにそのカフェに行ってラテを持って散歩しようというアイディア。ビアンカの友達さんとはなんか英語が話しやすくて楽しく話したカフェ。我が家のワンコ4匹に特注リードをオーダーしたカフェ。浅野忠信がガッツポーズしている写真が一面にある新聞がぺろりんとテーブルに置かれていたカフェ。あの日も雪だったというかあの日の雪が結局ニューヨークで見た一番素敵な雪景色だった。あの日はまだ、これからもっと雪が降るんだろうな、楽しみだな、と思っていた。その2日後��西海岸に戻ることになった。あの束の間の、「これから残りの期間、ブルックリンを楽しむぞ!」と思っていた、不思議なサンドイッチの具材みたいな印象になって残っている束の間の数日間に散歩していたあたりを散歩した、最後の日の朝。
そのカフェにはペットグッズを受け取りに1/7にも行ったのだけれど、持ち帰りでオーダーしたのは今朝が初めて。蓋に書かれた「Hazuki」がなんだか可愛い。ラテはミルクの配分が多すぎて、エスプレッソ風味のホットミルク、みたいな飲み物だった。ラテを片手にカメラを2台首から下げて1時間半くらいプロスペクトパークを散歩した。思考が捗ったというか考え事をずっとしていたけれど何考えていたのかあまり覚えていない。気持ちの良い飽きることのない散歩だった。公園の雪景色って、別にニューヨーク感ある景色かというとそうでもないのに、好きなものは好きなのよね、と独りごちた。雪でもランナーがたくさんいて、犬はより一層楽しそうにしていて、鴨は今日も勇ましいほどの集合をしていた。
散歩から戻ったら通りにエドがいた。あれ?エドの話ってこの日記でしたことがない!?エドは同居人ね。まぁエドの説明はいつかするとして、ともかく、通りでエドと、「なんでかね、またゴミ回収されなかったね」と話してから「ところで明日はバハマに何時に出るの?」と聞いたら「朝なんだよ8時とか」と言うので、「私も明日、朝早く出る」と言ってウーバーに乗るエドに分かれて帰宅した。
シャワーを浴びて、荷造りを始める。始めようとして盛大にかっぴろげたんだけど、お腹が空いて待てない崇さんが「ブイヤベーススープでのリゾットの作り方教えて。教えてくれたら作るから。」と言うので降りていって(あ、部屋は3階。共有キッチンは1階)リゾを作った。美味しかったけれど、やっぱり海鮮の濃度が足りない。崇が日本に次に来たら、軽井沢ツルヤの海鮮でちゃんとブイヤベースを作って食べて欲しい。
パッキングに戻って、過去にワインをお土産に持ち帰ろうとした自分を憎んだ。難しいし重いし!!!ワインってとてもよろしくないわね、持ち帰ろうとするの。絶対入り切らない、と怯えてかかった荷造りだったけど、なんとかなりそう。まだ持ち上げてないので最後の不安は残っているけれど。
荷造りの目処が立ったので大好きなサワドーを家に持ち帰ろうと買いに出かける。家から20分。WINNERからAnaisまで40分。1時間も歩いていたとは思えないほど、噛み締めていたらあっという間だった。one last sip of French Perl at Anaisと出かけてきたのが今ということです。
ビアンカに感謝の手紙を書いて、この時空が行き交いすぎている日記?の後半を大急ぎでここまで書き殴った感じ。RV tip日記は、日本に持ち帰りたくなかったけれど、仕方ないね、日本でのんびり回顧しましょう~。
さぁ、帰らなくちゃ!!!
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