#アニメ羊
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(Hachiouji Naoto), Sheep, Imaginary sheep from Don't Toy With Me, Miss Nagatoro
Today's AniAnimal are these sheep from "Don't Toy With Me, Miss Nagatoro". The first is a video of sheep, followed by Nagatoro's imagination of sheep and Naoto as a sheep. 今日のアニアニマルは『イジらないで、長瀞さん』のこの羊たちです。最初は羊の動画で、続いて長瀞の羊のイ��ジネーションと直人の羊の映像です。
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東雲 うみは、日本のグラビアアイドル、モデル、女優、YouTuber、コスプレイヤー、タレント。埼玉県出身。PPエンタープライズ所属。NEW PIECEと業務提携している。 ウィキペディア
生年月日: 1996年9月26日 (年齢 27歳)
出生地: 埼玉県
映画: じょりく!
身長: 162 cm
カップサイズ: G
スリーサイズ: 90 - 59 - 100 cm
憧れのグラビアアイドルには同じ埼玉県出身で、同学年でもある星名美津紀をあげている。
コスプレイヤーとしても活動しており、東京ゲームショウ2019ではDMM GAMESの『オーブジェネレーション』のコンパニオンを務めていた。中学時代からのグラビア好きであり、友達に隠れて雑誌グラビアを見ていた。女体は男性目線でエロいかどうかで観ている。
キャッチコピーは「グラビア界の二刀流」。
趣味はガンプラ、油絵、羊毛フェルト、筋トレ。プラモデル制作は独学で学び、改造も加える。
特技は華道、弓道、バルーンアート、大道芸。
ハロー!プロジェクトのファンであり、モーニング娘。を中心に全グループを応援している。推しは譜久村聖(同学年)と鈴木愛理。
芸名は自分で命名。アニメ『日常』の登場人物「東雲なの」が好きで、埼玉県出身で海に憧れがあったから。
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5/9のぶん
プレゼンだった方々お疲れ様でした❣️最寄の改札前にてお金の類を全て家に置いてきたことに気がつき一度取りに帰った関係で遅刻しています。Yさんプレゼン最初聞けなくてごめん。
メモ程度のものですが載せておきます、どうでもいいような質問しちゃった方本当にすみません、、、😭
💖Yさん(途中から)
先行事例…山羊蔵さん、動物と植物を組み合わせた作品、グロテスクに近い?自分の作品にも活かせそう
ものとものが融合しているものを幅広くみている
特に今は化学反応に着目している、組み合わせて構築
・プロシージャルな手法がいいのかな、、、表面をなぞった表現にしちゃうと勿体無い気がする、目に見えた形状だけじゃなくて仕組みに深みがあるといいと思った→考えてはいる
・一瞬を切り取ったオブジェクトだと、変わりゆく最中の常に美しい様子がごく一部しか表現できなくて勿体ないような、、、
・インタラクションだと鑑賞者の行動が原点になるが、やりたいのはアート的な方向性な気がする。方向性を絞り切る必要はないがアートとデザインではまるで研究の方向性が違うので、やりたい方向性は絞っておくべきでは?
→「観察する」を一番近くで感じられるのがインタラクションではないかと思っている
(先生より)参考になる…とさなおこ(デジタルアート、メディアアート←これがいいのでは?インタラクションもいいかも)、水滴を用いた一瞬の変化
リルビオラ…水滴表現、誇張
長い時間をかけて変化するものを見ていくのも参考になるのでは
Aさんから…化学反応を見るのは現物?調査資料から辿る?→可能な限り実験したい。
ピッチドロップ実験…固体が液体になるのを証明するためのもの、80年くらいかかっている(現在進行形)
Tさんから…作った先が欲しい。独自の表現を開拓したい理由は?→これから考えたい(、先生から…これは今考えなくてもいい。ただ、なんで混ざるものに興味持ったのかは気になる→変化の過程が気になる。三年次はCG表現内でこれを探った。そこから興味が肥大し、アートに持っていきたいと思った。これをもっと掘り下げるための興味がある!)
個性あるのでは?このテーマを自分がやる意味は?→個性が弱いと自分では考えている。技が欲しい
混ぜるものは必然性がある、ルールがあるものにするのか否か→軸になるものは持たせたい(自分は別にこれは今決めなくていいかなと思った、化学反応って特殊な変化を起こすものの材質が固定されているし、これを羅列していくことで見えてくる規則もあるのでは?)(先生から…核となる自分の表現が欲しい。ないならめっちゃすごい化学反応を見つけると強いかも)
変化の様子が作りたいのか?変���の様子から要素を抽出するのか?→もしかしたら質問の真意が伝わっていなかったのかも、、、?
Mさんから、参考になりそうな方の紹介、名前聞きそびれたけど流体力学や渦の混ざり方を研究���しているらしい
💖Iさん
アウトラインシェーダを利用した手書き線画像表現
CGのセルルックアニメに違和感がある、既存のものはモデルを破綻させたりシェーデニングで色数を絞ったりしているが、アニメでは線画(=アウトライン)の強弱や入り抜きがある。これが「手描きだからこそ出せる表現」だと考え、CGでも再現したいと考えた
ただ、先行事例では線の強弱を再現したレンダラがある
手描きだからこそのブレ、作画崩壊を減らせてクオリティアップに繋がりそう。と同時に、手描きはどんなに正確でも多少はブレが出ることが多く、これが人物の少々の非対称性とリンクしていそうだなとも感じた。
Yさんから…モーションと影に違和感を持っている。影のメリハリが不自然。アウトライン以外にも意識を向けてみてもいいのでは?→線にこだわらなくてもいいかも。他の要素に着目したい
フェザー3D(アプリ)はイラストタッチの描写で参考になるのでは?→前から気になっていた。触ってみたい。
先生から…線の強弱は法則があるのか?→インクだまりを調整するものに着目することも考えては…いる…?
→今の世代は我々にとっての「違和感」が「違和感」でない可能性、あとはアナログ手法における線の強弱の原因を探ってみては?
Kさん①から…なぜ美大に?→ものづくりが好きだと思っていたし、情報系に行きたいと思っていたから
線の強弱など、アニメよりイラストに見られる手法では?→元から考えてはいたが、CGの利点として動かせることが挙げられる。これを活かせるものとしてアニメーションを挙げた。が、これに対するこだわりはない
効率上げるための研究という感じがする
Kさん②から…オールCGなら違和感が少ないが、アニメーションと一緒に出されると違和感がある。→その点もう少し探りたい。昔のアニメーターの作画を再現したい気持ちは根底にあるかも
Tさんから…ツールの制作とかできそう。作品じゃなくシステムの構築をしても良さそう?
💖Nさん
心理的武装…グッズなどを身につけることで心が強化されることを、お守りに願いを込めて持ち歩くことと結びつけて考える
願いをキャラクター化し、身につけて持ち運べるようにする
NHKの調査によると、お守りを持つこととそれを信じることは別とのこと
持ち歩くことの起源はわからないが、ものに願いを込めるのは像にもあった。身につけた時に心が強くなる理由、なぜ持ち歩く必要性があるかをもっと掘り下げてみてもいいかも?
好きなものが身近にある安らぎも大きいのでは?願いだけでないのでは?現代において持ち歩くことの根底にあるのは「好き」なのでは?願いは後付けなのでは?
と思っていたが、起源は勾玉らしい。江戸時代に庶民に広まりつつあったらしい。
願いをコンテンツ化する意味
お守りという古風なものとファッションなどの他の心理的武装を絡めると個人的にはまだ興味が持てる
Yさんから①…最近の流行はぬい、ステッカーよりは伝わりやすい
Aさん…海外のお守りにも目を向けてみては?→着目したい
Yさん②から…お守り=縁起物だから持ち運びたい、ぬい持ち運びはファッション化してきている
先生から…アルジャーノンに花束を
Tさんから…キャラクターを纏うことに執着するとそういったものを身につけたくない人は惹かれない。概念(色、モチーフ)なら身につけやすい。あと、好きなものじゃないと身につけたくない心理があるので、いきなりみたキャラを身につけたいと思えるのか?
Yさんから(2回目)→コアな願い、面白い願いの方が魅力的・刺さりやすい・キャラクターの魅力を伝えやすいのでは?
Kさん→お守りは自己の願いだけでなく他者の幸せを願うものもあるのでは?「行ってらっしゃい」も言葉のお守り
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anime_oshinoko
🌟ED主題歌CD裏表紙公開🌟 TVアニメ【#推しの子】 #羊文学 が歌う 第2期ED主題歌 #Burning アクアに続き、CD裏表紙に描かれる ルビーの描き下ろしイラストを公開✨ 8/28(水)発売🌟 🌟CD仕様 CD+Blu-ray(2枚組) 7inchレコードサイズ紙ジャケット仕様 (完全生産限定盤) ▼CDご予約▼ http://fcls.lnk.to/zYSvyM ▼詳細▼ https://hitsujibungaku.info/news/
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機動武闘伝Gガンダム第45話「さらば師匠!マスター・アジア、暁に死す」がいかに素晴らしいかを事細かに説明したい(中編)
前編からの続き。
ドモンと東方不敗の戦いを見届けている仲間たち。彼らにも二人がただのファイトをしているのではなく、対話しているのだということが伝わっている。
「ドモン!まだ分からんのか、このわしの気持ちが!」 「ああ!あんたのやろうとしていることは人殺しにすぎん!」
東方不敗は考えを否定され、ショックを受ける。合わせた拳を開いてドモンの拳を包もうとするが、ドモンの裏拳でその手を弾かれる。
人間もまた自然から生まれたものであるので、それを滅ぼそうなど「愚の骨頂」であるというドモン。ド正論なので大きく描かれている。弟子が大きく見えて汗を拭う素振りをするマスター。ほんの一瞬の動きだが動揺の演技としてとてもわかりやすい。
全く同じ構図で明鏡止水のハイパーモードを解放する二人。地面の瓦礫は同じ作画になっていて、年間アニメの省エネの知恵が見える。
ユニゾンの動きを両者のカットで繰り返す手法。主義の違う二人であり師弟という最も近く対等な間柄でもある。そして、ここからはドモンが左側で描かれるようになり、物語の主体としての立ち位置が戻ってくる。
「流派!」「東方不敗が!」「最終!」「奥義!」
交互にゆっくりとプリショットルーティン(放映当時はこんな言葉なかった)をなぞっていく二人。 ガンダムが腰溜めの姿勢になったのってこのシーンが初めてじゃないだろうか。ガンダムは機械であって筋肉はないので「溜め」の姿勢は意味がないのだが、ファイター二人の動作に合わせて、機械であるガンダムの丹田へと力が籠もっていくように見える。
「石!」「破!」「「天驚拳!」」
0.1秒毎に対置された二人のカットが入れ替わるこのシーン。作画自体の良さ自体も相まってめちゃくちゃかっこいい。顔のアップからカメラが引いき、キャラクターの全体が見えたところでお互いに光弾を放つ、というカット割りもほかで見たことがない。30年近く経った2024年でも全く古びないシーンだと思う。 よくよく見ると、ハイパーモードの金色化の表現もドモンと東方不敗とで若干違う。ドモンは艶のあるスーツなのでテカリのコントラストが強いが、東方不敗はおそらくコットン生地の服なので塗りに差がつけられている。作画や色彩の人が丁寧に考えて描いているのが分かる。 そして描写もいいけど、声優の演技もいい。ドモン役の関智一は当時22歳、対して東方不敗役の秋元羊介は50歳。倍以上の年の差のある二人が真っ向ユニゾンで腹の底から叫ぶアフレコ現場はいかに熱かったことだろうかと思う。おそらく絵があっての録音じゃないだろうに、気持ちの入り方が半端ではない。こんな仕事は今の時代に果たして可能なのか・・・。 「アニメじゃない ほんとのことさ」とはZZのOPだが、正直このシーンのあたりからもうアニメを見ているという気分ではなくなってくる。この二人の行く末がどうなるのか、それしか考えられなくなっている。
マスターの石破天驚拳に膝をつくドモン。石破天驚拳を押し込み、ドモンを無理に立��せようとするマスター。 「立て!立ってみせえい!」もうこのへんで勝つ気がないことは分かる。
立ち直ったドモンが止めをさそうとすると、マスターは一言、
「よろしい・・・」 「はっ・・・!?」
後編に続く!(画像が30枚しか貼れないので)
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映画『かくしごと』6月7日(金)公開決定!ポスタービジュアル&予告編解禁
映画『かくしごと』が6月7日(金)、公開されることが決定いたしました。
脚本・監督は『生きてるだけで、愛。』で鮮烈な長編監督デビューを飾った映像クリエイター、関根光才。待望の長編第2作となります!
原作はミステリー作家、北國浩二による「噓」。
主演は、昨年『キングダム 運命の炎』『翔んで埼玉 ~琵琶湖より愛をこめて~』『窓ぎわのトットちゃん』などの話題作に出演、俳優、モデル、そして母親としての顔も持つ杏。「今の自分だからこそ、演じることができる」と、母親ならではの深い母性を芝居を超えて体現。ひとつの嘘をきっかけにそれぞれの<かくしごと>が明らかになっていく、心揺さぶるヒューマン・ミステリーを作り上げます。

主題歌は、TVアニメ『呪術廻戦』「渋谷事変」のエンディングテーマも話題になったオルタナティブ・ロックバンド羊文学の「tears」。映画のために書き下ろされた楽曲に、持ち前の繊細な歌声が、鑑賞後の心にスッと染み入ります。

そしてこの度、本作のポスタービジュアルと予告編が解禁。
ポスタービジュアルには、杏演じる千���子が少年を抱きしめ、覚悟の眼差しを向ける姿が。

そして予告編には、事故をきっかけに虐待を受けた少年を守る千紗子の姿が映し出されます。 佐津川愛美演じる久江が保護に反対するものの、千紗子の決意は揺らがず、目覚めた少年に決意の宿る眼差しを向け「あなたは、私の子供なの」と“嘘”をつきます。認知症の父・孝蔵(奥田瑛二)と三人、まるで家族のように過ごす中、安藤政信演じる少年の父が現れ、急展開を迎えていきます──。 少年に隠された秘密、思い出してはいけない過去、一つの嘘をきっかけに明かされていくそれぞれの<かくしごと>とは―─。 ぜひ劇場でお確かめください!
youtube
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01/25

暖かくなっていくのかなと思いつつ風が冷たくて寒い日もあり春はまだ遠そうです🌸
梅や椿の花が綺麗でした。冬って感じ。
以前作ってきた創作キャラをまったく描いてなかったので3月のひな祭り絵と同時で描きたいなあとか
星座さんたちは特に気に入っているので山羊座・水瓶座・魚座の3人描きたい気持ちです🌟
葬送のフリーレン面白くて描きたかったのでなんとなく描き出してみました。アニメから入って漫画も年末に全部読んでしまいました。
ハイターさんが一番好き。
バレンタイン絵はもう1つモチーフ描いて組み合わせて完成にしてみます。まだまだコラージュ風というか…色画用紙に描いて切ってそこから組み合わせて形にするのが難しいんですけどチャレンジあるのみです💪
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i haven't gotten the chance to watch jjk season 2 yet, but i watched the ending theme for shibuya and i love it so much. the tokyo kids are so goofy and fun together. even megumi who has a grumpy attitude is begrudgingly enjoying himself.
it's kind of bittersweet (tho not as much as the ending in season 1 where we are filled w the pain of yuji clinging to life despite it all), there's this reoccurring theme of documenting life and recording memories. in season 1, it was yuji filming their beach outing and capturing memories of life to make every moment count because, well, he is doomed from the start, so all he can do is make the most of small joys.
in this ending, it's mostly megumi with the camera, with a disposable camera of all things! and even though nobara and yuji occasionally have it, it's mostly in megumi's hand photographing yuji and nobara. despite him being so accustomed to his 'cog in the machine' rhetoric and living live passively, it shows us that he wants to cherish his teammates just as much as the other 2 do as well. he just has a quieter way of nurturing his love for them. i also love the parts where the POV is coming from the camera lens paired w the photo stills themselves, it's like we are seeing through megumi + the trio's eyes. at the start, he takes a photo of the sky because it's beautiful, and we see all the other mundane things that have caught his eye - nobara's hair blowing im the wind, yuji crouching on the ground occupied by something else.
there's also a sense of finality to the music, so it will probably be emotionally impactful as the shibuya arc continues. i don't want to spoil any anime onlies tho! with both the visuals, music, and overall atmosphere, it feels like a warm love filled goodbye note...
TVアニメ『呪術廻戦』第2期「渋谷事変」ノンクレジットEDムービー/EDテーマ:羊文学「more than words」|毎週木曜夜11時56分~MBS/TBS系列全国28局にて放送中!! -> the ED btw
#jjk tag#jjk spoilers#shibuya arc#oh i didn't know where to put this in the post but i'm really in love w whoever was working on the BGs. they're incredible
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街とその不確かな壁/君たちはどう生きるか/ジブリ・春樹・1984
最初のジブリの記憶は『魔女の宅急便』(1989年)だ。母がカセットテープにダビングした『魔女の宅急便』のサントラを幼稚園の先生に貸していたから、幼稚園の頃に見たのだ。
まだ座席指定の無い映画館に家族で並び、私は映画館の座席で親に渡されたベーコン入りのパンを食べていた。4・5歳の頃の記憶だ。
その夜、私は夢の中で魔女の宅急便をもう一度見た。私は親に、夢でもう一度映画を見たと伝えた。
『おもひでぽろぽろ』(1991年)も映画館で見たが、あまりよく分からなかった。『紅の豚』(1992年)も映画館で見た。帰りにポルコ・ロッソのぬいぐるみを買ってもらい、縫い付けられたプラスチックのサングラスの後ろにビーズで縫い付けられた黒い目があることを確認した。
『平成狸合戦ぽんぽこ』(1994年)『耳をすませば』(1995年)までは両親と一緒に見たと思う。
父はアニメに近い業界にいたため、エンドロール内に何人かの知人がいたようだった。アニメーターの試験を一度受けたそうだが、他人の絵を描き続けることは気が進まなかったらしい。
家のブラウン管の大きなテレビの台の中にはテレビ放送を録画したVHSテープが並び、ジジやトトロの絵とタイトルを父が書いていた。テレビ放送用にカットされたラピュタやナウシカを私は見ていて、大人になってから初めて見たシー���がいくつかあった。
“家族で映画を見る”という行事はジブリと共にあった。ジブリ映画の評価は今から見て賛否両論いくらでもあればいいと思うが、批評も何も無い子ども時代に、母がとても好きだった魔女の宅急便や、戦争は嫌いだが戦闘機が好きな父と紅の豚を見られたことは幸福な年代だったのだと思う。
評価が何も確定していない映画をぽんと見て、よく分からなかったり面白かったりする。
親は『おもひでぽろぽろ』を気に入り、子どもにはよく分からない。父からは昔の友だちが熱に浮かされたように「パクさんは本当に凄いんだよ」と言い続けていたと聞かされた。
※
大人になった私は『ゲド戦記』(2006年)を見て「面白い映画に必要なものが欠けているこの作品を見ることにより今までに見たジブリ映画のありがたみが分かった」とぐったりし、『崖の上のポニョ』(2008年)を新宿バルト9で見て、全然楽しめず、新宿三丁目のフレッシュネスバーガーで「神は死せり!」と叫んでビールを飲んだ。
2020年には『アーヤと魔女』の予告編に驚愕し、『モンスターズ・インク』(初代、2001
年)からずっと寝てたのか!?と罵倒した(見ていない)。
私が持っていたジブリという会社への尊敬は過去のものになり、多彩な才能を抱えていたにもかかわらず明らかにつまらないものばかり作る血縁にしか後任を託せない状況にも嫌悪感を抱いた。
期待値は限りなく低く、『君たちはどう生きるか』を見ようかどうか迷っている、とこぼしたら「見て文句も言えるからじゃあまあ一緒に行く?」という流れになり、見た。
あまりにも期待値が低かったため、文句を言いたくなるような作品ではなかった。私は2023年、もっともっとつまらない映画を何本も劇場で見ている。つまらない映画を劇場で見ると、もう2度と見なくて良いという利点がある。
『君たちはどう生きるか』の序盤、空襲・火災・戦火で街が焼ける場面、画面が歪で、不安で、安定感がなく、私はホッとしていた。綺麗に取り繕う気のない、表現としての画面だった。
複数の場面に対してセルフ・パロディーであるというテキストを読んでいたが、私にはあれらはオブセッションに見えた。小説家でも芸術家でも脚本家でも、何を見ても何度も同じことを書いているな、という作家に私は好感を持っている。少なくとも、いつも結局テーマが同じであることは減点の理由にはならない。
『君たちはどう生きるか』になっても高畑勲の作品に比べればどうにも女性の人格が表面的で、天才はこんなにもご自身の性別をも超えて何もかもわかり物語に落とし込めるのかと感激した『かぐや姫の物語』(2013年)に比べてしまうと胸の打たれかたが違うのだけれども、でも私は取り憑かれたテーマがある作家のことが、いつも好きだ。
スティーブン・スピルバーグは『フェイブルマンズ』(2022年)でもう大人として若い頃の母親を見つめ直せていたように思うが(フェイブルマンズで取り憑かれていたのは別のものだ)、
宮崎駿は小さい頃に一方的に見つめていた母に取り憑かれ、母の内面には踏み込めないまま、少年・子どものまま母を見つめ続け、自分が老年の大人として若い母親を見つめ直す気は無い。
そして、母親の方を少女にして映画の中に登場させる。しかも「産んでよかった」という台詞を創作する。
貴方は大人なのにずっと子どものままで母親に相対したいのですか、と思いはするものの、子どものままの視線で母を見つめ続けたいのなら、それがあのように強烈ならば、それがオブセッションなら全くかまわないことだと思う。
最初に屋敷に出てきた7人のおばあちゃんがあまりにも妖怪じみているので驚いたが、あれは向こうの世界とこっちの世界の境界にいるかた達という理解で置いておいてあげよう。
それにしてもアオサギが全く可愛くもかっこよくも無いことに最後まで驚いていた。頭から流れる血液も、赤いジャムも気持ちが悪い。途中途中、激烈に気色が悪い。世界や生き物は気持ちが悪く、性能の良い飛行機みたいに美しくは無い。カエル、内臓、粘膜、血液、食物もグロテスクだ。嫌悪ではない、全部生々しい。生々しく、激烈だ。その生々しさを必要としたことに胸をうたれた。
塔の中のインコについて、愚かな大衆だとかジブリはもう人が多すぎてしまったんだとか商業主義的な人間の表現だというテキストも読んだのだけど、私はあのインコたちがとても好きだった。
インコたちは自分達で料理をして、野蛮で、楽しそうだった。終盤、緑豊かな場所にワッセワッセと歩いていくインコさんが、「楽園ですかねぇ」「ご先祖さまがいますねぇ」と言ったようなことを言うシーンが面白く、可愛らしく、インコたちの賑やかな生活(時に他者に攻撃的であっても)を想像した。
私は水辺の近くをよく散歩していて、大きな渡り鳥が飛来してまた消えていくのをじっと見つめている。鳥たちがある日増えて、いなくなる。国を越えて飛んで行き、地球のどこかには居続けているのがいつも不思議だ。
映画の中で、鳥やカエルはあのように生々しく、実体をつかんでアニメーションに残すことができるのに、全てを生々しく捉える気が無い対象が残っている。どうしてもそれを残すことが寄す処なら、それはそのままでかまわない。
※
小説では、村上春樹の『街とその不確かな壁』を読んだ。
私の父は村上春樹と同い年で高校卒業後に東京へ出てきたので、『ノルウェイの森』で書かれている、まだ西新宿が原っぱだった頃を知っている。その話を友人にしたところ、『西新宿が原っぱだったというのは春樹のマジックリアリズムかと思っていた』と言っていた。
私が村上春樹を読み始めたのは及川光博が「僕はダンス・ダンス・ダンスの五反田君を演じられると思うんだけど」と書いていたの読んだのがきっかけだ(曖昧だけれども、1999年くらいか?)。
『風の���を聴け』は家にあったので、そのまま『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』『ダンス・ダンス・ダンス』を読み、その後短編集をあるだけと、『ノルウェイの森』『世界の終わりとハートボイルドワンダーランド』を読み、『ねじまき鳥クロニクル』は途中途中覚えていないが一応読み、『スプートニクの恋人』(1999年)を高校の図書館で読んだがあまり面白くないと感じた。
最近ではイ・チャンドン監督の映画『バーニング』(2018年)が素晴らしかったし、濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』(2021年)も面白かった。
『ドライブ・マイ・カー』の原作(短編集『女のいない男たち』収録)は映画を見た後に読んだが、反吐が出るほどつまらなく、気持ちが悪い短編だった。
イ・チャンドン監督も、濱口竜介監督も、「今見たらその女性の描写、気持ち悪いよ」を意識的に使っていたのだろう。『バーニング』は『蛍・納屋を焼く・その他の短編』時期の初期春樹、『ドライブ・マイ・カー』はタイトルこそドライブ・マイ・カーだけれども、ホテルの前の高槻の佇み方はダンス・ダンス・ダンスの五反田君であろう(港区に住む役者である)。
村上春樹のことは定期的にニュースになるのでその度に考えているのだけど、2023年に、フェミニズムのことをある程度分かった上で過去作を読むのはかなり厳しい気もしている。
次から次にセックスをしているし、主人公はガツガツしていない風なのに何故かモテているし、コール・ガールを呼びまくっている。
『ダンス・ダンス・ダンス』に出てくるユキは13歳の女の子で、ユキの外見・体型に関する記述はそこまで気持ち悪くはないのだが、『騎士団長殺し』に出てきた未成年の女性に対する描写はとても気持ちが悪かった(はず。売ってしまったので正確ではないのだが、あまりに気持ちが悪くて両書を比較をした)。
いくら今「この人は世界的巨匠」と扱われていても、作品を読んで気持ち悪いと思えばもう読む価値のない作家であるので、まだ読んだことがない人に読むべきとは全く思わない。
けれども、20年前に読んだ村上春樹は面白かったし、『ダンス・ダンス・ダンス』に書かれる母娘の話に私は救われたのだと思う。
最近友人に会い、「村上春樹は読んだことないんだけど、どうなの?」と聞かれたので、「春樹の物語は色々な本で同じモチーフが多い。主人公がいて、どこかへ行って、帰ってくる。戻ってきた世界は同じようでいて少し変わっている。私たちが現実だと思っている世界は世界の一部分に過ぎず、どこかでみみずくんが暴れているかもしれないし、やみくろが狙っているかもしれないし、誰かが井戸の底に落ちたかもしれない。だけど主人公は行って、戻ってくる。どこかで何かが起こっていても、行って戻ってくる。一部の人は行ったっきり、帰ってこられない。」
「この世では 何でも起こりうる 何でも起こりうるんだわ きっと どんな ひどいことも どんな うつくしいことも」は岡崎京子の『pink』(1989年)のモノローグだけれども、何でも起こりうる、現実はこのまま永遠に続きそうだけれども、ある日小さなズレが生じ、この世では何でも起こりうるんだわ、という小説を次々に読みながら大人になったことを、私は愛している。日常を暮らしていると現実の全てに理由があるかのように錯覚してしまうけれども、「何でも起こりうる」世界には、本当はあまり理由がない。何か理由があると錯覚し過ぎてしまうと、公正世界仮説に囚われて、善悪の判断を間違ってしまう。
「主人公が、行って、帰ってくる」形は数えきれないほどの小説・映画の構造なので特徴とも呼べないところだけれども、『君たちはどう生きるか』もそうだし、『ダンス・ダンス・ダンス』も、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』も、昔読んだ『はてしない物語』だって勿論そうだし、『オズの魔法使い』もそうで、『君の名は。』もそうだったような気がする。
『はてしない物語』の書き方はわかりやすい。
「絶対にファンタージエンにいけない人間もいる。」コレアンダー氏はいった。「いけるけれども、そのまま向こうにいきっきりになってしまう人間もいる。それから、ファンタージエンにいって、またもどってくるものもいくらかいるんだな、きみのようにね。そして、そういう人たちが、両方の世界を健やかにするんだ。」
※
『街とその不確かな壁』は春樹の長編も最後かもしれないしな、と思って読み始めたが、半分を超えるまで全然面白くなく、半分を超えてもちょっと面白いけどどう終わるんだろうこれ、の気持ちだけで何とか読み終わった。
17歳の少年のファーストキスの相手の音信が突然途絶えようと、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』の世界の終わり側の話をもう一度読まされようと、どうしてそれを45歳までひっぱり続けるのか、読んでいて全然情熱を感じなかった。
イエロー・サブマリンのパーカを着た少年が何のメタファーなのかは勿論書かれていないが、春樹は昔に還りたいんだろうか?何故か「あちらの世界」から物語がこちらに、鳥に運ばれてきたみたいにするすると現れ世界を覗けたあの頃に?活発な兎が息を吹き返すように?
※
宮崎駿のオブセッションや視線は今も跳ね回っており、村上春樹の滾りは、もう私にはよくわからないものになった。
私は昔『ダンス・ダンス・ダンス』を何ヶ月もずっと読み続け、どのシーンにどんな形の雲がぽつんと浮かんでいるかも記憶していた。欲しいものだけ欲しがればいいし、くだらないものに対してどんなことを友だちと言い合いビールを飲めば良いかを知った。
岡崎京子に「幸福を恐れないこと」を教えてもらったみたいに。
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テレ朝新作アニメ発表会に出演した、羊宮妃那さんが女の顔になったと話題に・・・
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羊文学 – mild days (Official Music Video) [TVアニメ『サイレント・ウィッチ 沈黙の魔女の隠しごと』エンディ...
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一迅社ノベルスにて小説が刊行中、そして月刊コミックZERO-SUMにてコミカライズが連載中の『ふつつかな悪女ではございますが~雛宮蝶鼠とりかえ伝~』(小説:中村颯希/イラスト:ゆき哉/コミック:尾羊英)。
本作のTVアニメ化が決定となりました。
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--深海人形-- 高らかに死を謳い、天に召される
※閲覧&キャラ崩壊注意
※雑多にネタをぶち込み
※中絶・死にネタ注意
※リョナ・男リョナネタあり(※最近何も提供出来てなくて本当にすみません)
※Auf Wiedersehen, meine niedrigdimensionale Welt
正しい死は存在する。依然、生命の初まりから。
…。
…ほよバースで描かれるグノーシス主義は未熟だと思う(※聖書もキリスト教も理解出来て無いから)。
…。
…自分は嫌と言うほど、プロテスタント派に、「イエス様が!聖書の教えが!」と叩き込まれたから、中国の人は、其んなのと無縁でグノーシス主義を語る事が出来るなんて能天気で良いねって思ってる(※真顔)。
…。
…先ず、グノーシス主義は、一神教、ユダヤ教、キリスト教ありきなのに、其う言う素養の無い民族が書いても……だけど、日本人は、きちんと一神教を参考にして作り上げてるんですよね(※…当然ながら、グノーシス主義は一神教ありき)。
…。
…じーくあくすは、丁度、同盟に取ってのアムリッツァ会戦で、歴代最悪の大失敗、大敗北をする……、故に、ワイは、アムリッツァで同盟の破滅を確信したヤン提督の様な気持ちになった(※…杞憂であって欲しいが無理かな……??)。
…。
明らかに、じーくあくす、予算掛けてないオーラが凄いよね(※実際、まともな層から取るに足らない扱いされて、本格的に見限られはじめてる)。
…。
…幼稚で純粋に頭が悪くてロクでもない、別に本当に宇宙世紀自体が好きでも無い、「自分は本当に宇宙世紀を愛して居る!!(※自己洗脳)。」…と言う思い込みの激しい狂信者達が一斉に食い付き、褒め称える一方で、WB隊箱推しがじーくあくすを完全に無かった事にしはじめてる時点で、「…ガンプラを売る為なら、何でもするのが財団Bだったな(※苦笑)。」…と改めて思い知った(※其う考えると、じーくあくすは、世に生まれて来ては行けない最悪のアニメだったのかもしれないな……)。
…。
…WB隊の存在を、完璧に莫迦にしてる、虫ケラの様に扱ってる時点で、あの最悪最低公式二次創作と悪名高いEXAと同格なんだよな()。
…。
…此の儘軋轢が広がると、シャリア自体が居なかった事にされそうやな(※1stの時点から、其んな奴居なかった扱いされるのは、流石に酷いが)。
…。
…既存人物達の存在意義と尊厳を間接的に踏み躙りまくって居るじーくあくすが、此処迄大人気()なら、踏み躙りは直接的だけど結局はじーくあくすと同じ様な事をして居る(※大先輩的存在の)EXAがじーくあくすと同じ様な扱い受ける日も近いな()。EXA史上最大の再評価ターン来ますね(※預言)。EXAが再評価されるか、じーくあくすがEXA以下の地位に堕ちるか、完全に古参と熱心な人達の間から抹消されるか位しか無い時点で、完全に一シリーズタイトルとしては死んでますね(※嘲笑)。
…。
…其の位、じーくあくす��らは、TGM4とかFEXLと同じ波長を感じる(※其れ位全てを一新するをコンセプトにした老害が作ったナニカ感が凄い)。…TGM4の発売前後を見守り、『Fighting EX Layerが売れなかった理由』シリーズを30記事以上Chat GPTに生成させたワイが、其う言うので、多分、間違いは無いですね……(※然し適当)。
…。
…じーくあくすよりもFEXLの方が、キャラに対する扱いが酷いので、未だ、じーくあくすを許せる(※其れ位、FEXLはEXシリーズファンに強い禍根を残した)。
…。
…じーくあくす嫌いな人は、世間からすれば、頭の硬い老害かもしれませんが、実の所は、本当に宇宙世紀を愛して居る人だと私は思います(※逆に言うと、あれが好きな人は、宇宙世紀を愛して居ない。宇宙世紀が大好きな自分に酔って居るだけのナルシストです)。
…。
…もしも、ヤン提督の代わりに、シロカスが自由惑星同盟の提督だったら……金髪の孺子なんて最早敵じゃないのに……、……と言うか、……ヤン提督がニュータイプだったら良かったのに……(※結論)。
…。
…じーくあくす時空で中絶胎児かみーゆ・ビダン(※此の時空では、生まれる前に死んだので便宜上の名前)』って、新手の萌えキャラみたいで可愛いよね(※水子供養のアイドル!かみゅちゃんだよ!宜しく!!)。
…。
…水子胎児かみーゆは絶対可愛いから流行ると思うけどな(※流行るかよ)。
…。
…じーくあくす、一貫して偉大で実力が最強レベルの捨て駒か噛ませ犬みたいな扱いされてるな(※銀英で言ったら、地球教幹部かフィッシャー提督みたいな感じで)。
…。
…デラフリ最大の敵は、連邦でもしーま様でも浦木でも無く、銀英伝で説かれる反戦、反テロ論(※そしてヤン提督)。
…。
銀英伝は、後半になれば後半になる程、三浦の出番多くなるから好き(※三浦さん自体は地味の極みだけど)。
…。
…ジュピトリにはシロカスアンチ、デラフリにはガトカスアンチは沢山居ると思うのだが(※真顔)。
…。
…さて、矢張り、じーくあくす時空のかみーゆは中絶されて生まれて来ないのが、一番輝いて居ますね(※確信)。
…。
ワイの考える理想のじーくあくす時空
テム親父→首吊り
あむろ→父親を見習って(?)首吊り
ぶらいとさん→白いおっちゃんに踏み潰され、グチャグチャに潰れたトマト化。当然ハッサは生まれない。然しながら、ハッサが生まれないだけで世界は改善されるのである。やったぜ(※大歓喜)
ガトカス→こうじょうけんがくハンマーで「光になれぇーー!!!!!(※ここからいなくなれーー!!並)」されてぺシャン公(※おじゃん公)
みらいさん→規定通り婚約者と結婚(※ハッサは生まれない)
顔面偏差値10の野獣大尉→事故死(※適当)
���ロカス→エンジェル パックされた(※幼体固定処理はされてない)
にゃあん→まちゅの目前で拳銃かスナイパーライフルでヘッドショットされて銃弾を受けたトマトみたいになる(※顎か肩を破壊されて死でも可)
しゅうじ→自らを囮に誘き寄せた憲兵の襲撃によって重傷を負い、其の儘息を引き取る(※お前はおーべるしゅたいんか?!?!)
某銀河何とか伝説並みに人が死んどる……(※正直滅茶苦茶リスペクトしてる)。
…。
…例の違法プログラム搭載メモリの作者、てむ親父は首吊りで死んで居ると聞いて、まちゅの、「首吊りで死んだ人のなんだ……御冥福を御祈りします……(※🙏)。」…と育ちの良さが、最大限に発揮される回(※本当にロクでもねぇ)。
…。
…ゲームは、大元のデータが残っていなければ、ベタ移植さえ叶わない。何れだけ後世の人類が、其れっぽく作ろうと、其れは全くの別物。本物のプレイ感覚なんて夢の又夢でしかない(※但し、アニメの場合は、ストーリーやキャラクター、世界観の情報さえ残っていれば、幾らでもリメイクして作り直せるのとは、対照的)。…例えば、EVACのゲームは、徹頭徹尾EVACが作らなければ、其れはEVACのゲームでは無い。アイレムだろうがそんなんありかだろうがC社だろうが新日本企画だろうが同じ。
…。
ベタ移植でもなければ、後世に残らないと考えて良いかもしれない(※…其れにしても、ゲームが後世に残るって如何言う事なんだろう)。
…。
ぶっちゃけ書くとゲームももっと大胆にリメイクされても良いかもしれない
西洋古典は羊皮紙の本に、中国古典は、昔、古代、木簡、竹簡に書かれていた、しかし時代が降れば降るほど紙媒体どころか電子書籍になる。もしかしたら、原理主義的に守ろうとするのは、叶いもしない、愚かな事なのかもしれない。
…。
人間は生きてるだけで罪悪そのもの、自然を侵すことでしか生きていけない害獣か害虫
…。
正直、音楽はゲームに合わせて作れば誰が作ろうと其れで良い。けど、その根本を作った人の味は消える。それが惜しい(※‥…特に、VGM、ゲームミュージックに力を入れていた所のは)。
…。
昔は幾らでも未来の人間は自分達の色全開プログラムを書けば良い、曲を作ればいい、ゲーム性の基礎だけ残れば良いと考えて居たけど、本当の所は、違うみたいです(※個人的には其うで無いと思ってるけど)。
…。
ttps://x.com/goodsun_yama/status/1903413363092390343?utm_source=yjrealtime&utm_medium=search
…。
「どうせなら好きなものを語れ」��「好きなものしか語るな」→「嫌いを表明するな」→「批判をするな」に変化するのに長い時間がかからなかったことを覚えているので、話したいときに話したいことを話せばいいと思うマン。
ttps://x.com/tsugumi_shinai/status/1899732052393771020?utm_source=yjrealtime&utm_medium=search
…。
…壁尻って特殊性癖なんすか?????????(※純朴)。
…。
確かに南極大陸には古代の遺産がたくさん眠っていたが……
「……私にそんなものは必要ない。遺産の回収は他の部隊に任せるとしよう」
「さて、」
「この先に私の求めていた先史遺産があると言うのか……。」
そしてシロカスはThe Oごと「巨大都市」に通じる地下通路に行く専用巨大エレベーターで降下していった
…。
※特別掲載短編
敬虔な畜趣人〜Speed Christian!
※PKD成分全開(※誰にも向かない)
※ギャグです(※紅、妖での会話リスペクトです。会話からして、もう、内容も訳も分かりません)。
※其れは其うと、ガトーは敬虔なクリスチャンになる為の豊かな才能に恵まれて居ると思う(※うちの教団に来てくれ ※宗教勧誘)
……私達は死合(クランバトル)として、迷惑なクリスチャン(はっきり言うと、異端宗派。銀英伝の地球教みたいな感じの奴)アナベル・ガトー(※本名)と其の相方(←のんき)----此の相方も又、ガトーと同じ教団の信徒であろう----と対峙する。
…さて、其処迄は普通(?)なのだが、死合前に、ガトーが、信仰告白的に、何だか、意味不明な事を言い出した。
「キリストの為に勝ち、キリストの為に死す。私の人生は其の程度で良いのだ。」
其のガトーの、余りの敬虔振りに、彼のMAVの相方をする子は、揶揄う様に茶々を入れて居た。
「此れじゃ、イエス様の弟子と言う寄り、犬ですね。犬。」
…そして、其の敬虔な人は此う返す。
「神に従順ならば犬で結構!!」
……駄目だ、創世記の昔の時点で着いていけない。
……其れから、死合中もガトーは益々難解な事を口走って居た。
「…其うだな。私は神に喰われたから、イエス様の事を本気で愛する事になったのだよ。」
(…う、うわぁぁ〜、、)
最早、目も当てられ無い程に、正真正銘に、此の、ガトーと言う男は、昔ながらの宗教にハマって居た。
そして、更にイカれた事に、相方は相方で、
「其処の若いの、うちの教団の信徒にならない?実質タダ飯目当てで、宗教の手伝いするのは楽しいですよ。」
と、此れ又、変な宗教のハマり方をして居た。…何とも、吐き気のする様な気持ち悪さ。此の気持ち悪さを、何とかする���、本能的に、思わず、私の方の相方に声を掛ける。
「もう棄権して良いかな?」
だが、相方の返答は冷たい。
「……気持ちは分かる。」
……如何にも此うにも、棄権は出来ない為、私達は、此んな気持ち悪い教団の信徒と戦う羽目になった。然も、此のガトーと言う奴は未だ訳の分から無い事をほざいてる。
「真実は死と同じ位恐ろしい。そして其れを見つける事は、更に、難しい。君は本当に不幸だ。そして、死は幻想では無く、現実。其の現実と言う死は、究極の自由其の物であるのだ。」
……何か変なアッパー系のアレな奴をやって居るのだろうか?其れとも、矢っ張り、世間の言う通り、『宗教は阿片』なのか…………まぁ、何方にしろキモいよね。……キモッ……、、
……其れから、私は、一瞬、深呼吸して
「宗教に極限迄頭をやられると此うなるのね。」
…心の中で思わず苦笑する。そして、其の時
「うん、其うだね。」、其の気持ちは一緒で、相方も同じ様に苦笑してくれた。
…。
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2025/3/22 16:00:09現在のニュース
助成金停止のコロンビア大、警備や教育を見直し トランプ政権が圧力:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/3/22 15:57:10) 迷える子羊よ、入りなさい 「ひょうきん族の神様」は歌舞伎町にいた | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/3/22 15:55:06) ヘグセス氏が24日の週に来日へ 米発表、硫黄島の慰霊式に出席:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/3/22 15:52:24) 中東と日本をアニメで結ぶ「マンガプロダクションズ」、サウジ人社長は早稲田出身の元外交官([B!]読売新聞, 2025/3/22 15:51:55) 会計検査官に元NHK記者の田中淳子氏…元国際放送局長の上智大非常勤講師([B!]読売新聞, 2025/3/22 15:46:10) 「年収の壁」はどう動く? 手取りや働き方に変化は? 詳しく解説 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/3/22 15:36:30)
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2025年3月10日 07:33
呪霊の正体見たり枯れ尾花 Part 2
『呪術廻戦』の元ネタが分かったところで、その元ネタのアニメ版(ゲーム版がオリジナル)『東京魔人學園』を観返したが、作中の黒幕である柳生という敵キャラクターを呪術廻戦では、それぞれ羂索と両面宿儺の2人に分けて描いたっぽい。最終決戦で1人のラスボスに対し、大勢のキャラクターが立ち向かい、次々と倒れて行くところや、ラスボスの器となった人物に呼び掛けたりする演出等もあった。
正直、作品自体はB級もいいとこで、薄っぺらい中二病全開な内容は評価出来るものではないが、若い感性には興味そそられるものがあるとは思うし、後発の呪術廻戦の様に内容は同じでも、描き方を変えるだけで、とても面白くなる要素はあった。
っていうか、
『東京グール』も東京魔人學園じゃねえか。
劇中、登場するサブキャラクターの中に警察に追われながらも一般人に扮し、社会に溶け込んで生活を送るヴァンパイア種がいて、力を発揮する際に東京グールと同じ目が変わるし、デザインも同じ。更に東京グールの赫子(かぐね)と同じく、九尾の狐の様な尻尾が生える演出も存在するので、この辺を拾って東京グールを構築した可能性は高いと感じる。
やはりというべきか、日本の文化のほとんどは外来の物で、オリジナルを生み出す能力が欠如している反面、アレンジする事には長けているという、古来より続く日本の特色がある。そこで、往年の日本の人気漫画やアニメを挙げてみよう。『北斗の拳』は映画『マッド・マックス』と、俳優ブルー・スリーやらジェッキー・チェン等の中国拳法作品が流行っていた事もあり、それと混ぜ合わせ、『ドラゴンボール』は『西遊記』と『里見八犬伝』と『未来少年コナン』と当時の作家担当により、明言されている。自分が銀河一大好きな至高の作品『攻殻機動隊』も、ほとんどの要素は『バブルガム・クライシス(タチコマとかも出て来る)』をベースに、一部の演出として『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?(ブレード・ランナー)』を掛け合わせた作りになっている。これを知ったら、ファン達はどう感じるだろうか。上手くアレンジされているから問題無いのか、それとも完全にパクリと言って批難するのか、そこは視聴者の判断に任せたいと思う。
こうした日本の詐欺師的思考や悪足掻きとも言える行為は、決して褒められるものではないが、出来上がった作品がつまらないかと言うと、そういう訳ではない。ここで問題として挙げたい点は『オリジナリティのある物を生み出そうとする事を止めてしまう』という事。これはパクる物が無くなってしまった時点で文化が崩壊してしまう危険性がある為、コンテンツそのものの命にかかわる問題である。ただ、残念な事にそれは既に様々な業界で起こっており、近年のサブカルチャーコンテンツの消化速度の問題がまさにそれだ。全てのサブカルチャーは想像・創造で出来ている。それを怠り、ひたすら安価で手軽な過去の物を焼き回し、パクり続けた結果が昨今の状況となっている。パクる程度の話ではない。根本的な日本の思考が間違っているのだ。やはり、純粋に真新しい物があったら、見てみたいと思うのが人の本能ではないだろうか。
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エピソード11 Episode11 - 東洋のカルマと西洋の自我は一身同体のエネルギー?(その1)「デヴィッド・R・ホーキンズ<わたし> 700〜1000「悟り」の領域 - Amazon」
ここで言われる「Powerパワー」は(スターウォーズでのライトサイドのForceフォース)そして、「Forceフォース」は(ダークサイドの方)という前提です。
一冊目の「パワーか、フォースか」では、世界人口の圧倒的大多数が占める意識レベル500台より下の世界に重点が置かれています。
紹介している書籍「わたし」は、700〜1000「悟り」の領域の内容です。
キッカケは、2025年の年末年始に、たまたまストリーミング配信で見た「火の鳥」を懐かしくもあるためカルマについて書きました。
「火の鳥」は子供の頃に漫画で見て記憶しています。答えがなく問題提起をしたままエンディングになる話です。
エヴァンゲリオンのアニメより前に当時の最先端を漫画に詰め込んでました。
そう言えば、「火の鳥」2004の当時アニメのオープニング映像は、皆既日食で表現してるが・・・
現在は、観測データからブラックホールに生命エネルギーが記録される仮説が、カルマと自我に関しては最も現実的で有力な説です。
でも現時点では、長い時間が必要で検証はできません。何かシンクロニシティがある?別の可能性もあります。一緒にみんなで探求しましょう。
カルマ?についても?「火の鳥」異形編は、2024年のスターウォーズの「アソーカ」や「反乱者たち」のエズラが迷い込む「時空のはざま」に似ている?けど名作リスペクトの意味から参考にしたかもしれません。
カルマとは関係ないけど「火の鳥」太陽編のテーマは、宮崎駿の「もののけ姫」にも取り入れられています。
カルマに関しては、テーラワーダ仏教にも大乗仏教にも数千年にも及ぶ大量のケーススタディーが、経典として記録されていますので・・・
自身のパワーレベルによって最適なケーススタディーを選べると思います。詳しくは、そちらを自身で探求、発見されたほうが、納得すると思うのでここでは書きません。
ブッダによると・・・女性はカルマが深いから悟りへ向かいにくい特性があると伝承から統計的に言い伝えられています。
「TED アンジャン・チャタジー:脳はどのように美しさを判定するか?」によると・・・
最近の研究によると顔のバランスが整った美人ほど悪女の素養があるらしい事が判明した!芸能関係や女優を公安の対象に入れてストーカーアルゴリズムで透明化することも正当化できそうだ。
美人は飽きるではなく悪女の素養がある。この根拠は、男尊女卑の根拠にもなる。
実は、プロセスがあって、まず君主制の場合、君主が、美人と言う皮を被った悪魔(悪女)を好む歴史的な傾向あり。
続いて、誰も君主の伴侶。つまり「無意識にバカな男達ね」とせせら笑っているのに悪女の戦略に踊らされて悪女を批判できなくなり君主が暴走する。
立憲君主制、民主主義がある場合、君主であっても批判は許容範囲なため回避できるメカニズムがある。
これが民主主義の歴史的な背景も考慮した良い面です。
そのうち気が向いたら「その2」を書くかもしれません。
このエピソードでは、「デヴィッド・R・ホーキンズ<わたし> 700〜1000「悟り」の領域 - Amazon」の書籍の内容の一部を「カルマ」に絞って抜粋だけします。
一神教では、「カルマ」をどのように観ているのか?ここでは、仏教とは、異なる現代の科学的視点をまじえて説明してます!!
ブッダの言う死後の世界と輪廻転生を含めた広義のカルマは、できる限り避けています。
この書籍では、仏教では「マーラ(邪悪なもの)」のみだけど、一神教からみるとルシファー的、サタン的なエネルギーと別々に分けて定義している?
ルシファー的なエネルギーの定義は、政治的イデオロギーの歪曲(ファクトチェックのない事実を伝えること)を行い、権力、支配、名声、利益を求めること。
これは、愛国心、平和運動、政治的理想主義といった「羊の皮」の下に隠れています。
サタン的なエネルギーの定義は、死と破壊の放出(破壊神とも多神教では呼ばれる。カイヨワも違う言葉で言ってます)
これは、ルシファー的なエネルギーのすぐ後に隠されます。厳しく指摘をして透明性を究極にして暴露することで予防できます。
一神教は、歴史的に分裂のカルマに囚われる傾向があるのかもしれません。
まずは、こちらからご覧下さい。
カルマは何も悪いカルマばかりではありません。私たちのカルマのパターンの中には蓄積した良いカルマもあり、テーラワーダ仏教では、「善徳」や「徳分」という概念です。
そのおかげでこの世に生を受けているからブッダは、人として生きているだけでも多大な幸運で、その機会を無にしてはならないと説きました。
デヴィッド・R・ホーキンズ. <わたし> (p.156)「第一部 プロセス」の「第五章 霊的真実」から
自我はカルマの中心であり、貯蔵庫でもあります。自我とカルマは、実は、同一の現象であると知ることが極めて重要です。
デヴィッド・R・ホーキンズ. <わたし> (p.159)「第一部 プロセス」の「第五章 霊的真実」から
神の意思は、宇宙全体のカルマの設計図です。
デヴィッド・R・ホーキンズ. <わたし> (p.289)「第三部 障害」の「第十二章 感情」から
後になって、これはブッダを「攻撃」した「悪魔(マーラ)」の類だったことがわかりました。
量子力学の言葉で表現すると・・・
悪魔(マーラ)は、悠久の時の中で意識に蓄積された、低い自我の集合的なエネルギーを象徴していました。
それはあたかも、基盤の大元を揺るがされた自我が猛烈に抵抗しているかのようで、生存が脅かされるとますます抵抗の手を強めます。
デヴィッド・R・ホーキンズ. <わたし> (p.351)「第三部 障害」の「第十五章 カルマ」
これに対する気づきとして・・・
この一部分は、不確定性原理?に似ている。
次は
キネシオロジーテストの際立った価値とは、それが今のところ、線形から非線形をまたぐことのできる唯一の目に見える媒体だということです。
というのも、この媒体は「生命」という、目に見えない本質的な現象を基盤に記録したり、反応したりするからです。
あらゆる科学機器や装置、概念は、どうしても生命そのものの本質とは無関係であり続けるほかありません。
科学は、生命の結果や形を対象とするからです。そこに「生命」が存在すると、心臓は脈打ち脳波が発生します。
逆に「生命」が不在であれば、こうした現象は停止します。
鼓動も脳波も、単に生命が存在することの結果にすぎません。それは生命そのものではないのです。
生命は、触れることも見ることもできません。
「生命」が肉体から去っても、生命エネルギーの生命は、途切れることなく、そのまま続くということを明確に示すことができます。
生命そのものが、死ぬことはありません。
肉体を去った後の生命エネルギーを追跡してみると、それが生前と同じ意識レベルを持っていることがわかります。
デヴィッド・R・ホーキンズ. <わたし> (pp.360-361) 「第三部 障害」の「第十五章 カルマ」
死後も自我が支配的な場合は、魂は自らの意識レベルに合った特定��領域を「場所」だと思うでしょう。
魂は、独自のカルマの「浮力」を持っています。
デヴィッド・R・ホーキンズ. <わたし> (p.361)「第三部 障害」の「第十五章 カルマ」
これに対する気づきとして・・・
ブッダが言っている生前のカルマや行い。つまり、意識レベルによって死後に天国に行ったり地獄に行くということ?
一神教の表現で語っているけど。とても似ている。
「魔境」の危険性も警告している。
次は
悠久の時間を通じて、意識は「魂」として進化してきました。
魂は、数多くの生と肉体、あるいは別の表現をもって生まれ変わり、それらは、すべてカルマとして、意識の気づきのレベルに記録されています。
デヴィッド・R・ホーキンズ. <わたし> (p.369)「第三部 障害」の「第十六章 最後の戸口」
これに対する気づきとして・・・
やっぱり、大質量ブラックホールに記録されている?かもしれない。
次は
献身的な人ならば、無条件の愛に到達するために努力すればするほど、自らが目指している目的地とは、全く異なる要素を引き寄せることに驚かされます。
愛と平和は、自我にとって、最大の脅威であることを忘れてはなりません。
自我が無意識の奥に刻まれた立ち位置を持ち出し、すり替えることによって自らを防衛しようとします。
このような愛の要素は、人間の脳が受け継いだ生存の事だけを考える本能的な動物脳に由来します。
仏教では「マーラ」とも呼ばれます。
動物脳は、幼少期には活発ですが親や社会システムの圧力によって、無意識の奥に押し込まれます。
ここで働くのがよく知られている。抑圧、抑制、否認、反動形成、投影、合理化などの心理的な自我のメカニズムです。
このような利己的なメカニズムは、様々な副人格を形成すると同時に主要な自己のアイデンティティーになります。
そして、次に信念と感情が、社会システムや歴史、文化、仲間、教会。
そして、なんといっても、マスメディアの情報入力によってプログラミングされます。
他にもたくさんの要素がありますが、これ以上に広範囲に影響力を持っているのが、カルマの遺産ではないでしょうか?
自我を持った人間として生まれたこと自体が、既にカルマ的な出来事に他なりません。霊的なカルマはカルマが現前したものとして見ることができます。
したがって、自我の効力を最小化し、なくすことが、カルマをなくすことに等しいのです。
なぜなら、自我とカルマは、1つになって働いているからです。カルマという言葉に抵抗のある人は、これを無意識と置き換えても良いでしょう。
克服すべき課題は変わらないとしてもカルマ、あるいは、無意識の観点を持つ人とは、次の点で、それを持たない人とは異なってきます。
つまり、カルマの経緯をよく吟味する。
人間は、自己憐憫や嫌悪感、怒りから自由になり、人生の不公平さを嘆くことが最小化。もしくは、なくなります。
ブッダはヴィパッサナー瞑想法で克服できる方法を世界で初めて開発した最初の人物です。
デヴィッド・R・ホーキンズ. <わたし> (p.433-435)「第四部 超越」の「第十九章 ハートの道」
その他に
(あなたは「思考は、感情の段階的変化である」というのをご存じでしょうか?」)
意識レベル850を超えると、エゴは消滅します。
すなわち、エゴの属性であるマインド/メンタル/エモーション/カルマ/サイケもまた同時に消滅し、この世界でのコミュニケーションを必要とするなら、ボディ(身体)のみ生命の維持が図られることに。
そして、700レベルを超えると、個人のパーソナリティではなく叡智から情報は、発信されます。
これは、ホーキンズ博士の複数の著作で述べられています。「思考は、感情の段階的変化である」
これは、1984年にアメリカの研究者により、人類史上初めて明らかにされた事実。
このエゴの消滅について、あたかも意識そのものも、また消滅してしまうが如く「空/無/void」という概念は、大乗仏教を通じて広がってゆきました。
テーラワーダ仏教のアビダンマによると1000近いブッダなどの人達だけが、細かいカルマを解明して正確に説明できるようです。
われわれが、考えて悩むべき領域ではありません。
なのでブッダは、邪心が産まれるため、テーラワーダ仏教では、そのように考えることは禁止されています。
この本の内容で補足すると200未満の人は、カルマを理解するパワーがないためかもしれません。
(今、見ているものは幻)
今、この瞬間に認識している視覚からくる情報は身体の五感で直接的に感じていない限り・・・
すべて幻覚を強制的に見せられている!と言うことと同じ意味。顚倒夢想とも仏教では言われている。
だから、常にTV画面に対して否定的、悪意を込めて批判しつつTVやマスメディアを視聴すること。
プロパガンダ装置のTVやマスメディアは鵜呑みにせず具体的なファクトチェックが必要。
テクノロジーの進歩の負の面で、これがないTVの一方的な情報は完全に偽の情報の可能性は大です。
(どのような時に神を思う?)
これによるとブッダは、ヴェーダに記されてる古代インドの神々を敢えて語らずに・・・
しかも、十分理解していたにも関わらず極端に避けたそうです。
非線形の現象を数式も確立していない時代に言葉で表現するのは不可能だから。
現代で学校入学前の子供に話しても概念が理解できないのはこれが理由。
なお、神と仏(ほとけ)は違います。
ブッダの身分は、この時代、王族で現代でいう超裕福層でした。
(人類による神の証明は不可能)
2023年時点では、人類による神の証明は不可能ですが21世紀のテクノロジーが可能にできる兆しはあります。
非線形を数値化できる理論のため、ゲーデル、トポロジー
そして、量子コンピューター、量子重力理論、スーパーストリング理論は可能性があります。
西洋占星術の言う「風の時代」では慎重に定義を設計しないと人類を滅亡させる諸刃の剣にもなり得る。
昔からある議論をTED ニックボストロムも「黒い球」の例えで話してます。
中部経典から
ある時、ブッダがサヴァッティの東園に滞在していたときのこと。ガナカ・モツガラーナと言うバラモンの来訪を受けたことがある。
この男は理論家らしく、ブッダに向かってその教えが納得いくように説明を求めた。ブッダは懇切丁寧に教えを説いたところ。
「では、あなたの弟子は、皆それによって究極の目的である悟りの境地に至るのであろうかと尋ねた」
ブッダは「バラモンよ。私の弟子のあるものは至り、あるものは至らないこともある」と答えたところ。
「それはまたどうしたわけで」と問い返した。
そこでブッダは「バラモンよ。そなたはラジャーガハに行く道を知っているであろう。もし、そなたにある人がラジャーガハに行く道を尋ねたとする」
「そなたが、これがそこへ行く道であると言って道順をよく説明したとして、その人が確実にラジャーガハにたどりつくであろうか」
「同様に悟りの境地は確実に存在していて、私が弟子たちにその目的地を示したとしても。あるものはそれに到達し、あるものは到達しないかもしれない」
「バラモンよ。私はただ道を教えるだけなのである」
後は、その人の精進次第である(哲学や倫理限定で押し付けるものでなく自由です)
ブッダ生存当時の意識レベルは200未満であった時代に対して、現代では、世界中の精進の努力により200以上になっています。
(人生の幸も不幸もコンテクスト次第)
これによると意識レベル200、500、600と言う大きな臨界点で同じ言葉や表現でも人間が受け入れる認識が異なるそうです。
言葉を慎重に選んで相手とコミュニケーションを取らないと憎しみの連鎖に?
日本でも仏教の「五色(ごしき)」から「十人十色」とも呼ばれてます。
人間は、個人個人でレベルが異なる人達が、共通の時空間に電磁波みたいに共存している。
これが真実。場の量子論の数ある内の一つです。
レベルの階層は「パワーか?フォースか?」の本で計測可能に2023年時点でなっています。
(完璧?罪や恥の意識)
これによると、この世に完璧な人間は存在できない根拠は、もし、あなたが、完璧で完全なら・・・
輪廻転生のカルマから外れて人間として再生する道理はないからです。
あの世の人になって、この世からの旅立ちをしてしまいます。つまり、何らかの形で死をむかえます!
ので完璧で完全は無意味なので自分以外には押し付けず自己責任でどうぞ。
仏教では、解脱とも言われます。
ブッダも「ほどほど」を説いているのが何よりの証拠でほどほどに。
詳しくはアビダンマに書いてあります。
近代になると完璧で完全な死を迎えない機械が登場したため操る法人、国家が人間を滅亡、死に追いやるカイヨワも言うナショナリズムが出現します。
対策は、カントの書籍「永遠平和のために」思想も含めて国家や権力者は透明性を究極にして個人のプライバシーも考慮すること。
前提として、公人、有名人、俳優、著名人は知名度と言う概念での優越的地位の乱用を防止するため徹底追跡可能にしておくこと。
(仏教の解説)
これによると、800の数値を超えている真言宗の開祖、空海。700くらいの数値を示している禅宗の開祖、達磨大師だそうです。
大乗仏教経典の基盤を構築したシャンカラも近い値を示している。
当時、ブッダの根本的な教えは1000近くの数値を示していたが・・・
達磨大師、空海の時代にはこの数値になり、お寺の皆様の精進でありがたいことに日本では現在も維持され続けています。
アビダンマも高い数値を示します。
神仏習合により、日本全体が400近くの数値を示していることと無関係ではなさそうです。
そして
モルフォジェネティックフィールドと「キリング・ホライズンは量子の重ね合わせをデコヒーレンスする」から
モルフォジェネティックフィールドによって時空に波動性が記録されていく可能性があるなら
それなら強烈な波動性の感情も時空に記録される?梵天に?
つまり、銀河系の中心にある大質量ブラックホールに?
しかも、感情は形ある人間にしか発生しないので他の動物は共鳴しない仕組み?
ブッダの言うように人間の「パワーか?フォースか?」の本でのパワーレベルを上げて
自ら変わることで良い感情と共鳴しないと憎しみの連鎖も変わらない?終わらない?
(不道徳と道徳)
これによると、意識レベル700以上の人達が語られる内容はすべて普遍真理に関すること。
意識レベル600を超えると「エゴを取り上げて脳内でおしゃべりするマインド」は最小化して停止に近づいていきます。
その代わりに仏教で言う「無心」が機能し始めてくるそうですが・・・個人的にはアビダンマに書いてある「阿羅漢」の領域に近い感じです。
多神教である仏教はヴィパッサナー瞑想法で最下層レベルからでも到達できる方法をブッダが発見しています。
詳しくはアビダンマに書いてあります。しかし、実践は歴史あるお寺で聞いて学んで精進して下さい。
200未満の数値は、多神教では地獄の様々なレベル。一神教では低次元のアストラル領域。
200から240未満の数値は、多神教では人間界。一神教ではくつろげるアストラル領域(天国の入り口)
240から500未満の数値は、多神教では人間界。一神教では高次元のアストラル領域(天国が見え隠れする)
500から600未満の数値は、多神教では人間界。一神教では天国の持続的なアストラル領域。
600以上の数値は、多神教では天界。一神教では天国の高次元なアストラル領域(限界はない)
話は変わりますが、これによるとヨーロッパは紀元前2000年頃、同じシュメール文明と比較して小麦の収穫高が数十倍足らなくなる地政学的な不毛地帯。
つまり、世界の地域で唯一最も過酷な場所なため、その日暮らしの生活を強いられ、自らの心と向き合う時間もない状態。
人類でスピリチュアルに一番目覚めにくい地域がヨーロッパで「神学」という一神教の形でしか学ぶ余裕がない背景があるそうです。
個人的には、人間(じんかん)万事塞翁が馬?
自国の環境が過酷だからこそ、銀行や金融、貿易に頼り発展した可能性も?
何が幸福で、何が不幸か?この瞬間にはわかりませんが、ブッダも言うように善行為を貫けば人生何があるかわからないのも真実。
(クリシュナのヒンズー教、サッカーの数値について)
これによると、おおよそ一万年前、クリシュナの教えによって生まれたのがヒンズー教。バラモン教は前身。
ヴェーダ聖典群は、970の数値で計測されて、それは、ホーキンズ博士の著作群が登場するまで人類最高峰のレベルにありました。
個人的には、ホーキンズ博士の著作群が一つ増えたことで多神教圏だけでなく一神教圏からも悟りの道に到達できるようになりました。
これによると黄檗(おうばく)禅師は、晩年980の数値レベルに達しますが、著作は850の数値です。
スポーツの分野では・・・
サッカーそのものは、あらゆるスポーツの中で最高の450の数値を示し、サッカーワールドカップは490の数値を示します。
まさに、人類の理性の結晶です。
個人的には、サッカーワールドカップが開催すると世界中がオープンマインドな良い感覚に包まれるのも腑に落ちます。
良い感覚以外にもこのように深い理由があるのかもしれませんね。
(何もかも手放す? - エピソード8でも一部書いてます)
これによると、日本の神社の神域あたりは500から600の数値を示している。
神社から引き上げていただいた領域を離れると本人が本来持っている数値に落ちてしまうそうです。
日本の国会議事堂がパワーの高い場所にあるのは偶然ではない可能性は高いし、離れると不祥事を起こすのも偶然では無いのかもしれません。
500から600未満の数値は、多神教では人間界。一神教では天国の持続的なアストラル領域。
また、ホーキンズ博士は、人類全員を救うことは不可能と・・・
なぜなら、200未満(199以下)に埋没されている人達にはインスピレーションもイントゥイションも降りてこないから!
個人的には、自ら自立的に判断できないため社会システムのサポートに頼らざるを得なくなる?
ジョンロックも当時、似たような啓蒙思想を提案しています。
200 未満(199以下)の数値の人々は、無知で悪性な傾向に陥りやすいため、資本主義システムと言う目覚めさせる手段としての荒々しい教育的指導が必要?とも見える。
200以上の数値の人たちのように自らできれば良いが、人間は弱いもので・・・
カイヨワのいうようにシステム内で弱者に対する生贄を生み出す欠点もあるが・・・第二次大戦後は基本的人権も創設されて
自堕落な傾向を株式法人に属することで競争原理な仕事という形で善性に荒々しくも戦争を回避しつつ
ゆるやかに強制転換させる人類が考えだした知恵かもしれない。
200以上の数値の個人たちに関しては、国家や行政府が、もう一段上の特別な保護をし、年収保障も特別に保障することも含めてエピソード8へ。
(争いの無くならない理由、自分自身のインスピレーションのコントロール)
これによると、人類から争いのなくならない理由は意識レベルの違いで、意識マップの底辺からトップに至るまでの人々が同時に生きているためとホーキンズ博士は述べています。
200と500と600のアトラクターなエネルギーフィールドの数値の壁は、言い換えると、日々の常識は完全に違います。
常識は、意識レベルに応じて解釈が異なるため、争いは起きるといえます(法律で基準や定義を明文化すれば良い)
200 未満(199以下)に埋没している方々は、自分の利益を守るために言葉による誤魔化しは、日常的です。だから法律が創設されました。
200以上の方々は、嘘をつくと地獄界へ落ちることにうすうす気づいているため、200未満の方々とは、完全に常識の違う人生を送ります。
しかし、ジョンロックから人間は自然の中では一人では生きていけないので社会システム内でコミュニケーション対応する必要があります。
200 未満(199以下)の方々は、インスピレーションを受け取れないため、言葉による誤魔化しを平気で行えるし正当化するということ。
ゆえに、200 未満(199以下)の方々は、200以上の方々を疎んじ、その行動は「逃げる」か「争う」かのいずれかになり、仲睦まじく親交を温めるということは困難が伴います。
科学的なデータで共通言語の数値化ができるようになる1600年代まで、有史以来、人類はごく「わずかな期間」を除いて戦争で人を殺し続けてきました。
その「わずかな期間」とは、ホーキンズ博士によると、なんと飢餓や伝染病が地球全体に蔓延していたためだとか・・・。
そういう訳で、人は元気になると争う傾向に傾きやすくなります!だから、アダムスミスの資本主義システムで競争してもらい善性に転換させます。
人類の使命は、生きとし生けるあらゆるものとの共栄共存であるにもかかわらず、争いが絶えないのは、その「常識」の違いにより相互不信に陥るためということ。
世界三大宗教は、必ずそのスピリチュアルのベースとして共栄共存を説いているにもかかわらず、何故か、その反対の争いの種になっています。
あなたは、その理由をご存知でしょうか?
人類は、基本的に瞬間的にでも600の数値を超えなければ真偽を自ら見分けることが出来ないためです。
法律でサポートするも刑罰を与える一時的な解決で根源的な解決にはならないが、解決する場合も多々ある。
そのため、例えば1,000の数値に達したクリシュナ、ブッダ、イエス・キリストと、ゾロアスターの教えを、正確に理解出来ず、年月を重ねれば重ねるほど、次第に真実レベルを下げる結果となったためです。
特にゾロアスターの教えは、完全に失われています。
そのような人類の限界のある理性においても、ヴェーダ聖典など、一部のものはオリジナルのレベルを保ち今日まで受け継がれていることは、驚異的なことと言えるでしょう。
インドのカースト制度は、現代にそのオリジナルの教えを伝承するために必要不可欠なものであったと言わざるを得ないかと。
ブッダはカースト制度への反論として仏教を創始し、サンガで現在まで維持しています。詳しくは歴史あるお寺で聞いて下さい。
その後、バラモン教は、ヒンズー教になり仏教とも融合しています。
それから、瞬間的にでも500の数値以上で、人は初めてイントゥイション(直観)するパワーを持ちえます。
それはすなわち、物事の本質をデータや散漫な思考を用いずに・・・
先に直観で把握するパワーです(むやみに発言すると、バカにされる現実がありますのでご注意下さい。ロジカルシンキングでプロトコルを整理できる訓練が必要)
現代では、後からデータで直観の正しさを理解できます。
しかしながら、そのレベルに達している方々は、人類のわずか4パーセント。
この人達を現在の社会システム内に補助的に加えて・・・世間中央値の年収を生涯保障して
正当性がなくても権力トップへ特権的に優遇し自動的に引き上げる国家システムを創り上げた方がいい根拠にもなります。
自然の産み出した天然の選挙システムみたいなこと。弱者に対して尽力してくれる可能性は高い。
「(アトラクターなエネルギーフィールドによる)天網恢恢。疎にして漏らさず」とも言う。
ゆえに、残りの96パーセントの方々は、例えば、聖書を読み、仏教経典を読み、どこが間違いか、どこが嘘かにデータなしではすぐ気づけません。
ゆえに、熱心な信者は、聖書などは、政治的思惑で加えられたプロパガンダな箇所を鵜呑みに信じてしまうなら、当然意識レベルを上げられない状態に陥るということ。
愚民化政策の根拠?まさに、宗教の多くが、人々の救済に役立てなくなった理由は、そこにあります。だから、政教分離なのです。
まして、個人が、真偽を見極める能力は、瞬間的にでも600の数値を超えねば基本的に手に入りません。
現在はTEDボブサーマンの言うように善性情報のみを検索で抽出整理されたインターネットでサポートされ底上げされます。
Googleの初期の理念ですが2023年の現在では歪んでます。
さてキネシオロジーの真実レベルは、安定して605であることこそ、そのことを証明しています。
ゆえに、人類から争いはなくならないのであり、あなたは、常に謙虚であるべきなのです。
日本の神社の神域あたりは500から600の数値を示しているのも関係がありそうです。
最後に
現実との違いに戸惑い、子供の頃から理由も分からず毎日降ってくるインスピレーションのコントロールに苦労してましたが・・・
これらは社会に出て働き学び、己を磨いて苦心の末に自己流で編み出した独自の方法でコントロールが可能になりました。
(答えを即答?)
これによると検証されたノーベル賞級サイエンスの理性や論理の真髄は400付近の数値を示すそうです。
400の数値の壁を越え500の数値に至るには、ノーベル賞級を通じて基礎や土台にはするけど、真髄に固執しないようにすることも大切らしいです。
古代ギリシャや古代中国の諸子百家などの知の集積は400から600の数値の間にあるそうです。
小さい古典力学の真髄に固執せず量子力学の黎明期の物理学の巨人達も東洋哲学に注目していたし、ここに何かの糸口がありそうです。
数値を測定している再現性のあるキネシオロジーテストの真実レベルは、安定して605の数値になります。
(このユニバースで起きてること - エピソード10でも一部書いてます)
奇跡や偶然や突発的に見える出来事のように見えるすべての出来事は、アトラクターフィールドのエネルギーパターンの通りに展開します。
あなたがどのアトラクターフィールドのエネルギーパターンに選択し合わせるかで、すべてその先の出来事が展開していきます。
あなたの周囲の生物も瞬間ごとにいずれかのアトラクターフィールドのエネルギーパターンに選択し合わせていて
あらゆるレベルのカルマにも影響を与えているためだそうです。
カルマはあなた個人のみならず家族、親族、一族、友人、同僚、地域、仲間、親族、国家、民族、信仰など、あらゆる人間関係があるレベルに存在します。
例えば、あなたの目の前に偶然、腹の立てている人間が見えているなら、それはあなたそのもの。無意識に共感しています。
つまり、あなたを怒らせる人は存在せず、あなた自身が怒りのアトラクターフィールドと無意識に繋がり、怒りのエネルギーパターンと同調しているだけという普遍真理が目の前に存在するだけ。
ブッダによると、あなたがその人を引きつけているだけです。
エピソード10でも言ってるように「人間(じんかん)万事塞翁が馬」のたとえから・・・
現在のあなたの状況は「あなたの属している国家や人間のレベルが全てちょうど良い。死ぬ日もあなたにちょうど良い。全てがあなたにちょうど良い。」
ともブッダは優しく言い表しています。大蔵経の一部で観自在菩薩とも日本では言われています。
人間(じんかん)を通して仏(ほとけ)が目の前に瞬間、存在し具現化しただけ!です。
現代では、人間(じんかん)つまり、公助の国家システムが足りないのか?企む業である法人が企んで生じてるのか?個々の言動からくる自助なのか?
「人の悪口ばかり言っている人は、悪口ばかり言うちょうど良い友人が集まってきます。嬉しい、楽しい、幸せと言う人はそう言う人が集まってきます」
人間は、個人個人でレベルが異なる人達が、共通の時空間に電磁波みたいに共存している。
これが真実。場の量子論の数ある内の一つです。
レベルの階層は「パワーか?フォースか?」の本で計測可能に2023年時点でなっています。
(意識はあなたの身体の中にはない?)
これによると・・・
ディラック方程式は455の数値。
アインシュタインの物質とエネルギーは等価は455の数値。
ハイゼンベルグの不確定性原理は460の数値。
量子力学は460の数値。
シュレーディンガー方程式は455の数値。
シェルドレイクの形態形成場は455の数値。
ストリング理論は460の数値。
量子重力理論は460の数値。
を示しています。
個人的には
「この世」での定義で「あの世」と呼ばれている何かは数値化できないため
老子は「言葉で表現されてるタオは、普遍のタオではない!天と地が出現したのは、名づけ得ぬ何かだからだ!」
と言っていますし、創造的起源と言うべきか?存在しない「何か」はなんなのか?現代では科学的に定義が必要。
240から500未満の数値は、多神教では人間界。一神教では高次元のアストラル領域(天国が見え隠れする)
500から600未満の数値は、多神教では人間界。一神教では天国の持続的なアストラル領域。
600以上の数値は、多神教では天界。一神教では天国の高次元なアストラル領域(限界はない)
あの世までは数値化できないが、手前のサンスクリット語でいうパーラミター(彼岸領域)までだけど・・・
「パーラミター」は「波羅蜜多(はらみた)」とも言います。般若心経です。
アビダンマにも書いてあるように・・・
社会システム内では、良いカルマに導くため、警察が取り締まるのは、ある程度は良いカルマに繋がれば良い。医者も良いカルマに繋がれば良い。
しかし、地獄道や畜生道など不幸なところに入り生まれた生命が早く死ぬのは「良いカルマが入って早く死なせてしまう」とブッダは言います。
「天命が尽きる」「天に間引かれる」とも言われます。すべてを救うことは難しいけど、社会システムで生活を底上げすることは善性に沿います。
カイヨワも言うように、テロや無差別殺傷事件犯を差別的に生贄にする監視社会システムに問題があります。
それは警察が、隠蔽しない前提で、いくら合理的に科学的にアプローチしても説明のつかない事象は良いカルマが入り死なせてしまうから。
医者が、意図的な医療ミスをしない前提でいくら治療しても回復せず亡くなる事象もそうで「寿命」と古来から概念が多神教では確立しています。
ジョンロック?社会システムが無い状態での寿命を基準にして長い短いを判別すれば、現代人は長い方です。
子供を授かるのは悪いカルマ?警察が勝手な思い込みで判断する余計な介入の方が悪いカルマかもしれません。
あらゆる人々の過去のカルマは無量です。常識的に言えば、200未満(199以下)のパワー。つまり、悪いカルマの方が大半と観た方が良いのです。
人々は、やむなく不注意に生きてしまうことで、過去の悪いカルマを他人と共感したがる脳の思考プロセス上の構造も拍車をかける要素になりやすいことも原因の一つです。
もちろんワザと悪いカルマを自らけしかけて他人にもちかけても無駄と諌めています。ブッダの言うように「八正道」を根拠にした「中道」をどんな状況でも貫くことです。
因果応報。ブッダが解明した「本当の幸せ」にも関係して来ます。詳しくは、お寺のお坊さんに聞いて下さい、
アビダンマでは、「阿羅漢」が個人の最高段階なため、不善心なく良い思いのエネルギーで助けてあげれば、あなたに与えられる公徳(善業のエネルギーの強さ)が大きくなると語られています。
この書籍で言う「パワーレベルの高い人達を不善心なく良い思いのエネルギーで助けてあげる」とも解釈できます。
大乗仏教でも「徳の高い人にお布施をすると徳が高くなる」と言う表現をしています。
一神教中心の外国の世界では、ミレニアム以降の社会実験により、税金も社会システムへのお布施など・・・テーラワーダ仏教のお布施の概念に近づきつつあります。
また、お布施はお金だけでもありません。
「阿羅漢」「ブッダ」「正覚者」はすべて同じ意味です。
当然、二元論のフォースはびこる現代では・・・
逆に、「パワーレベルの高い人達を不善心で悪い思いのエネルギーで助けてあげない」とどうなるのか?気になりますよね。
それは「瞬間瞬間に悪いカルマが積み重なるだけ!」になります。
一神教では、地獄へ!多神教では、現世では人間界でも畜生界や地獄界に落ちてしまいますよ。
「天罰がくだる」とも。古今東西から伝承されてることです。
宗教くさいなら科学的に場の量子論で事象を説明すると・・・
良いカルマも悪いカルマも発信した波長や行動が、地球内で反響して時間をかけて発信者自らに跳ね返ってくるだけ!です。
たとえ他人にも発信せずだれも見てなくても自分が見てるから脳を経由して梵天に生命エネルギーや時空間単位で瞬間瞬間にアーカイブされて���きます。
ここまで不善心なく良い思いのエネルギーで読んで頂いた読者には簡単にわかるたやすいことかと思います。
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