#アートアニメ
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kennak · 6 months ago
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日本のアートアニメーション作家の草分けとして活躍した久里洋二(くり・ようじ、本名・栗原英夫=くりはら・ひでお)さんが、11月24日に老衰で亡くなっていたことが分かった。96歳だった。
アートアニメの草分け、久里洋二さん死去…「24時間テレビ」ロゴや読売新聞夕刊で漫画連載 | ヨミドクター(読売新聞)
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chickenforlinda · 1 year ago
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安藤サクラ、リリー・フランキー、落井実結子、日本語吹替版に豪華キャストが決定!出演決定に喜びのコメントが到着!
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世界から高い評価を受ける『リンダはチキンがたべたい!』の日本語吹替版キャストに安藤サクラ、リリー・フランキー、落井実結子という豪華キャストが決定いたしました!
主人公リンダの母親・ポレット役を演じるのは安藤サクラに決定。「亡きお父さんのチキン料理がたべたい」というリンダの願いを叶えようと奮闘するシングルマザーを演じる。また、そんなポレットに一目惚れをする音楽好きのトラック運転手・ジャン=ミシェル役はリリー・フランキーに決定。安藤サクラとリリー・フランキーの二人は第71回カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した『万引き家族』(18/監督:是枝裕和)で夫婦役を演じて以来、約6年ぶりの共演となる。カンヌ俳優二人の掛け合いもぜひ楽しみにしてほしい。
そして、天真爛漫な8歳の女の子・主人公リンダ役には落井実結子が大抜擢。2022年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」や映画『母性』(22/監督:廣木隆一)など数多くの話題作に出演を重ね、今最も注目を浴びている子役である。
現在10歳の落井は、早くも2度目のNHK 大河ドラマ出演となる「光る君へ」で、のちの紫式部である主人公・まひろの少女時代を熱演。その高い演技力に絶賛が相次いでいる。
また、本作は印象的なミュージカルシーンが随所に挟まれている。レオス・カラック��の『アネット』を手掛けた作曲家クレマン・デュコルによる劇中歌は、思わず口ずさみたくなる楽しいメロディに、登場人物たちの心情を表したどこか切ない歌詞が乗り、絶妙なバランスで物語をリリカルに彩っている。落井と安藤はそれぞれ歌唱に挑戦しており、日本語吹替版のミュージカルシーンにもぜひ注目して欲しい。
安藤サクラ、リリー・フランキー、落井実結子から、日本語吹替版キャスト決定の喜びのコメントが到着!
【安藤サクラ】 素晴らしい作品に携われること、大変うれしいです。アニメーションの吹き替えは新鮮な挑戦ですが、なんだか私が演じるポレットのことは古くから知っているような感覚でもあります。どんな風に演じようか、日本語で吹き込むのが楽しみで仕方ありません。 きっと日本語版もみなさまに愛される作品になると思います。ぜひ楽しみにしていてください。
【リリー・フランキー】 ある種アナログな、本当に筆の跡が見えるような、手仕事のひとつひとつをしっかり感じることができる作品でした。色々自由に作られているものってすごく刺激的ですし、アートアニメというと敷居が高くなるかもしれないけど、このアニメーションの持っている概念、1つ1つの美しい絵とともに、物語を楽しんで欲しいですね。
【落井実結子】 最初に映像をみた時に、私が知っているアニメとは全然ちがったのでびっくりして、やってみたいと思いました。だから、リンダをやらせていただけることになって、とてもうれしかったです。リンダは、イタズラ好きだけど悪い子じゃなくて、友達と楽しく遊ぶ普通の子だと思うので、自然にやれたらいいなと思います。でも、私は普段のんびり話すのですが、この映画では会話のテンポが大事かなと思ったので、そこは気を付けてがんばりたいです。
東京国際映画祭に続き、国内の映画祭でも大注目の本作は、第10回 新千歳空港国際アニメーション映画祭にてコンペティション長編部門のグランプリに輝いた。さらにTAAF2024コンペティション部門でもグランプリを獲得。先日3月14日東京・新宿ピカデリーでマルタ&ローデンバック監督来日の際に行われた舞台挨拶に一緒に登壇した片渕須直監督は「自由を体現する新しい感覚!」とそのアナーキーで自由な制作スタイルを大絶賛!上映に集まった山村浩二監督やりんたろう監督からも��賛の声が届いている。監督らはその後、第2回新潟国際アニメーション映画祭で行われた新潟アニメーションキャンプにマスタークラス講師として参加し、世界各国から集まったアニメーション制作を学ぶ若い監督・スタッフ、学生たちと交流を深めた。
日本でもすでに大注目の本作を字幕版・日本語吹替版共に楽しんでもらいたい。
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itisntremembered · 2 years ago
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『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』IMAX(2023)
Spider-Man: Across the Spider-Verse 140分
監督
ホアキン・ドス・サントス ケンプ・パワーズ ジャスティン・トンプソン
脚本
フィル・ロード クリストファー・ミラー デヴィッド・キャラハム
ユナイテッド・シネマキャナルシティ13
スクリーン12 H-13 15:25 
IMAXのキャッチってもうちょっとかっこよくならんのかな。
久しぶりのキャナル。
作画の限界に挑戦した結果、人間の視力の限界を超える情報量となった超絶作画。
変わりもんがコツコツ作るアートアニメを湯水の如く金を使って、ハリウッド娯楽大作に仕上げてしまう力技に圧倒される。
前作も凄かったが、さらにきめ細かい。
この方向性だと当分日本アニメは追いつけない。
それは主に経済的理由だ、おそらく金と時間と企画への理解があれば、日本アニメも同等のクオリティを生み出せるのだろうが、この三つが揃うことは非常に稀で、ほとんど奇跡的なことだ、これは社会の豊かさも関連する。
この映画の制作にあたって、週七日十一時間労働で、スタッフが逃げたとかの記事があったけど、スタッフがスタジオの床に寝て風呂にも入れない日本アニメの惨状に比べたら、天国みたいと思ってしまう。
とにかく以上に情報量が多く、全カット絵画のよう。
これはビデオドラッグって懐かしい言葉を思い出す。
MTV風と同じく、実態は安っぽかったけど、このクオリティなら、ビデオドラッグの名に恥じないものが作れると思う。
この多様かつ高密度な絵柄の洪水は、リアリティを揺るがしてくる。
モノクロの日本漫画的スパイダーマンがいたような気もするが、あれは池上スパイダーマンだったんだろうか。
そして予告されてたレオパルドンは出てこなかったような気がするんだけど、見落とした可能性がある。
本作は漫画のアニメ化のネック、絵柄の問題を力技で解決している。
物量で勝負すればそれくらいのことは障害ではないと言わんばかりで、これなら、エンキ・ビラルだろうが、谷岡ヤスジだろうが、アニメにできそうである。
基本系・変奏・エピソード・規範。
正典を巡る物語。
この物語に入り込めない最大の障壁は漫画の笑いのような気がする。
物語的には『スパイダーマン』の基本がなぞられつつ、それについてのメタフィクション的視点が重要となる。
雑魚キャラっぽく出てきたやつが意外に重要だけど、本題はそっちではなく、世界の構造の話ってところまでが前編。
当然後半は謎解きと解決に突き進むんだろうけど、さらに色々盛り込んでくるはず。
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dotomtom · 5 years ago
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際立つ創造性を発揮した100人を選出する「映像作家100人2020」を公開しました。アートアニメからプロジェクションマッピング、CM、ミュージックビデオまで。多彩かつ濃密なクリエイティブ渦巻く映像界の今の新鮮さを是非感じてみてください。 https://t.co/t0W9aaYisS https://t.co/PQoZVcf4e7 eizo100jp さんのツイートから
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new-title · 8 years ago
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ヴィヴァルディの「四季」をアートアニメに クラウドファンディング実施 - アニメ!アニメ!Anime Anime
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ヴィヴァルディの「四季」をアートアニメに クラウドファンディング実施 アニメ!アニメ!Anime Anime ... 「四季」映像コンサート実行委員会はヴィヴァルディのクラシック曲「四季」をアートアニメーションとして映像化するためのクラウドファンディングを実施中だ。5月1日には春夏秋冬を表現する4人の監督が発表された。6月30日23時までに目標金額500万円の達成を目指す。 and more »
http://ift.tt/2oWbJoL
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atarisomari · 5 years ago
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フランス人ってアニメ作ろうとするとアートアニメみたいになる→収益性が低い という問題があると思うけど、ゲームエンジン+手書き の方法論でエンタメ性上げられないものだろうか。アルゴリズム is 美しい
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thebassons · 7 years ago
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(Rei Wordup aka DarthreiderさんはInstagramを利用しています:「クリヨウジさん。90歳のパンクス、日本のアートアニメの先駆け。チャネリング出来て光栄でした!」から)
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rsstotxt · 8 years ago
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machida77 映画 固定客が見込める映画はまだ理解できるが、そうではない邦画は本当に謎。 toshi20 映画 まとめ 確かに『「レッドタートル」売れなかった』問題は「配給会社が何も工夫しなくたって売れる!映画の力を信じろ!」と言う人に対する強烈なアンサーになってるの興味深いよね。ちなみに「レッドタートル」私はすきよ。 white_rose 海外アートアニメわりと好きなのでレッドタートル見に行こうと思ってたんだけどねえ……絵が地味でいまいち気乗りせず止めちゃった/ブリジットジョーンズ面白かったよ!1作目と同じかそれ以上 TakamoriTarou toya 映画 Yoshitada 『ハイロー』はね、妙な熱量「だけ」はあるので、熱量重視派はそれなりに楽しめちゃうんだよ。……いや、オレみたいな奴のことなんだけどね(^^;;
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michitani · 8 years ago
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飯島徹「チェーホフ・コレクションのことなど」(『熱風』2012年4月号)再録
週刊読書人(2017年2月17日号)に掲載された沼野充義さんによる『チェーホフさん、ごめんなさい!』(児島宏子)の書評のなかで言及のあったテキスト「チェーホフ・コレクションのことなど」 (飯島徹)を再録します。書評と併せてお読みください。
飯島徹「チェーホフ・コレクションのことなど」(『熱風』2012年4月号)
二〇〇三��春のことだ。超意味(ザーウミ)詩の魁として名高いロシア未来派の詩人ヴェリミール・フレーブニコフの物語詩『シャーマンとヴィーナス』を刊行した。その折りの話であったと記憶する。翌二〇〇四年のチェーホフ没後一〇〇年にむけて、様々な計画が仄聞されていた。中に小説作品の新しい企画が無いことが気になって、フレーブニコフの訳者工藤正廣氏に相談したのだった。氏は抒情詩人ボリース・パステルナークを専門とするロシア文学者で、全部で七冊ある詩集の全訳を目標に『わが妹人生』『初期』『バリエール越え』と三冊目を出した後、フレーブニコフに寄り道したのだった。誰もやらないようだから、没後一〇〇年の記念にチェーホフにも寄り道を、ということで中篇作品「中二階のある家」の新訳企画となった。
物語詩の訳本刊行時には漂泊の詩人フレーブニコフの甥であり権利継承者でもある画家のマイ・ミトゥーリチ氏に挿絵を依頼していた。アジアとしてのロシアシャーマンと西欧近代としてのヴィーナスの恋愛詩とも読み得る物語詩に、色遣いも鮮やかな挿絵を戴いた記憶が新しかった事もあり、「中二階のある家」の挿絵をモスクワ在住の彼に依頼した。中篇小説ということで本文中はモノクロ、カバー用にカラー一枚と。届いて喫驚。コバルトブルーの濃淡で月光の森の逢瀬を描いたカバー絵は、感激の余り五色刷りで再現したほどだ。ここから先は工藤氏に教えられた話だが、本文中の挿絵にウナったと言う。タイトルにある「中二階のある家」とはブルジョワの別荘の典型とまでは知識としてあったが、バルコニー附きのエントランスとか、街道からのアプローチにある並木とか、本文に言及されていない細部まで描かれていることにウナったのだと。なるほどロシアの人たちの作品理解は深さが違うのだ。特にチェーホフの作品は小さな出来事を描写するだけで意味附けをしない。その情景を細かく想い描くことで内容理解まで深くなる可能性があるかもしれないなどと忖度したのだ。
こちらの話をあちらでするのは編集者の仕事のようなものでもあり、ロシア語通訳者の児島宏子さんにこの話をした。児島さんは映画や音楽の分野に���詣が深く、特に映像の詩人とも呼ばれるアートアニメの巨匠ユーリー・ノルシュテイン氏には専属指定を受けておられる。何と彼女も没後一〇〇年を考慮して単行本を企画しておられた。チェーホフ作品を読んだことのない大学生がこの国には居るということを憂えてのことだという。日本通でもあるロシアの文学者レフ・シーロフ氏に推薦され、作品は「カシタンカ」を選び、しかもノルシュテイン氏のアニメスタジオのスタッフで既に、別件のためだが、イメージボードを何枚か描いて居るというナターリャ・デェミードヴァさんに絵も依頼済みであった。
期せずして記念企画は二点となった。だが『カシタンカ』のセル画は素晴らしい出来で、小生の編集者としての本能が働き始めたのだった。チェーホフは一九〇四年に四十四歳で物故している。六年後の二〇一〇年は生誕一五〇年に当るではないか。ソビエト時代は幼少時から英才教育で同じ教室に集められたと聞くし、人徳もあるノルシュテイン氏の周辺には才能ある美術家が集うとも伝聞している。絵本のシリーズが可能ではないか……。児島さんを煩わせて様子を伺った。「ご自身が好きなチェーホフの作品で、絵で表現したいと思う短篇はありませんか? 『カシタンカ』のような大人の絵本を作りたいと思います」と。
チェーホフはロシアの人々に何と愛されて居るのだろう。後にプーシキンとチェーホフは別格なのだと教えられることになるが、即座に十人ほどが名乗りを上げたときには些か驚いた。現在までに一人で七作品を仕上げたイリーナ・ザトゥロフスカヤさんにいたっては、こんな本が出来たら良いのにと、ご自身の絵を手ずから製本して一点物「ロスチャイルドのバイオリン」を持って居られた。二〇〇五年二月に刊行したチェーホフ・コレクション第一作だ。一〇〇年企画の二点を加えると二十二点を数えるコレクションの嚆矢となるこの一書は、本造りという点でもコレクションの性格を導いたと言える。表現者として材質にまで拘った手造りの一点物を、普及品の印刷物としてどこまで再現できるかと拘って製作したことによる。
話は少し逸れるが、コレクションが急速に膨らんだことにはロシアの人々のチェーホフ好きも要因だが、加えて別の理由がある。絵本二冊の一作目『カシタンカ』をイッセー尾形氏が、二作目『ロスチャイルドのバイオリン』を今は亡き岸田今日子さんが、各々NHKBSのブックレビューでご紹介下さったお蔭で二冊とも重版し、コレクションそのものに勢いを得たということとも又別の理由だ。
一九九一年のソビエト連邦崩壊は筆者など記憶に新しい処だが、何とこれがコレクションを豊かにした遠因となっている。そもそもノルシュテイン氏が頻繁に来日されるのも同じような理由と聞く。ソビエト崩壊以前にはアニメ作家の認定さえ得られれば、意に染まない作品を求められることがあるにせよ、スタジオを与えられ生活も保障されていたという。崩壊後はスタジオの維持からスタッフの生活、アニメの製作費まですべて監督である彼の肩に掛かってくるのだと聞かされた。ワークショップを催し、原画を販売しと資金集めに奔走される面もあったのだ。
絵描きさんの場合も同様。作家と認められれば衣食住に困らなかったのが、仕事はないお金は入らない状態に一転したそうだ。我々のような小規模の出版でも、一作当り千ドル余の謝礼となる。これが貨幣価値の違いで思わぬ結果を生んだのだ。今でこそ多少改善されたようだが、コレクションのスタートした頃には一般サラリーマンの年収に近い額と喜こばれたのだった。大好きなチェーホフの作品で、思いの儘の仕事が出来てお金にもなる。才能ある画家が双手を挙げるのも当然だ。
恣意的発言になるが、イリーナさんは中でも抜きん出ている。特筆できるのは、彼女の作品は挿絵ではなく、自ら選んだチェーホフ��その作品を、自身の絵で表現している点だ。同好の士はあるものと見え、越後妻有のアートトリエンナーレの学芸員がチェーホフ・コレクションの彼女の一冊に出逢って感激し「大地の芸術祭二〇一二」への招聘を決めたそうだ。そんな訣でイリーナさんはこの五月、作品製作の為に初来日される。コレクションの副産物だ。イリーナさんのおおどかな筆致の絵に惚れ込んでいるものだから、つい余談に紙幅を費やしたが、話をチェーホフに戻そう。
チェーホフ初体験は昨日のような気がするが、数えれば今から四十年以上も前、高校生の頃だ。家にあった赤い背の函に入った中央公論社のチェーホフ全集、何故かチェーホフは初めから全集で読んだ。戯曲は別にして掌篇が多く、次から次へと読み継いだ。舞台も見たが、俳優座あたりのチェーホフはピンと来なかったように思う。新劇ではモリエールあたりの方が面白かった。当時はブレヒトやらベケット、サルトル、カミユと翻訳劇も盛んだったし、不条理劇の別役実や寺山修司、唐十郎の紅テントなど、芝居が元気な時代だった。
十代の浅薄な理解力では総合芸術としてのチェーホフ劇の面白さが享受できなかったということかもしれないが、人生の一断片をさらりと切り取った短篇には魅了された。その記憶が後を引いていたのかもしれない。「三人姉妹」だ「鴎」だ「ワー���ャ伯父さん」だと演劇公演の話ばかりが盛り上がりを見せるのに、生来の天の邪鬼が頭を擡げたのかもしれない。とまれ、チェーホフの短篇作品は極上だ、とても良い。ここが出発点で、やってみたら諸般の状況が後押ししてくれたということだ。生誕一五〇周年の二〇一〇年には沼野充義氏の訳で『新訳・チェーホフ短篇集』が集英社から刊行されている。あながち独り善がりの企画ではなかったという証しだろう。
さて、団円を迎えるべき処だが、専門家でも評論家でもない一介の編集者に許される言葉とは何だろう。イリーナさんのアトリエを訪れた本好きで有名なウンベルト・エーコ氏が、我々の『ロスチャイルドのバイオリン』を所望しイタリアに持ち帰ったという事実は書き添えるべきだろう。この事実を一番に喜こぶ特権は編集者のものかもしれない。
テクストを生み出すのは著者や訳者の仕事だ。絵や写真となれば画家や写真家の仕事となる。本の内容であるテキストや絵や写真、これは本にとって不可欠の要素ではあるが、それがあるからといってその儘本として成立する訣ではない。電子ブックとやらの出現で話はややこしくなるが、ここではそのことには触れない。全く別のメディアとだけ言って置こう。言って置くべきは、本は内容である以前に物であるということだ。
良い物であり、良い内容が伴っていれば、それに過ぎた本はないだろう。愛蔵に価する本と言える。質素であることや堅牢であることが美徳である場合もあろうし、華美や瀟洒が相応しくない場合も考え得る。適宜という言い方が許されるなら、それを選択するのが編集者の本に対する仕事だろう。物としての本を愛でられて第一に喜こぶ特権が編集者に帰属すると記した所以と言える。我々のチェーホフ・コレクション、中でも十八冊の絵本は、新訳というテクスト、より深い理解に基く絵という内容、両者とも相俟って優れた物と成っていると密かに考えているのだが、手前味噌を並べ過ぎたろうか。(未知谷代表・いいじまてつ)
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atarisomari · 5 years ago
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サザエさんのサザエさん性を犠牲にしないで作画を進化させる、という実験的試みをやってほしいと思ったけど、それって多分アートアニメ界隈からしか出てこないような気がする。
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