#イエスとニヒリズム
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anamon-book · 1 year ago
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イエスとニヒリズム 八木誠一 青土社 装丁=奥野玲子
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thetaizuru · 5 years ago
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はじめにことばがあった。ことばは神と共にあり、ことばは神であった。
-ヨハネによる福音書1:1
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神は「光あれ」と言われた。すると光があった。  神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。
-創世記1:3-4
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 『新約聖書』の『ヨハネによる福音書』は、元はコイネーギリシア語で書かれており、冒頭の第一章1から3節をギリシア語独特の語彙をできるだけそのままにして翻訳すると次のようになる。
「アルケーとして(=「はじめに」あるいは「根源的原理として」)ロゴスがいた。ロゴスは神とともにおり、ロゴスは神であった。このお方(=ロゴス)は神とともにいた。すべてのものは彼(=ロゴス)を通して存在するようになり、彼(=ロゴス)なしで存在するようになったものは無い。」
 アルケーとは、「はじめ、始源、原初、根源、原理、根拠」などを意味し、哲学用語としては「万物の始源」また「(宇宙の)根源的原理」を指す。  アルケーという言葉のギリシア語での対語は、「テロス」であり、テロスは「終わり、目標、完成」というような意味を持つ。
 ロゴスとは、「言葉、言語、話、真理、真実、理性、 概念、意味、論理、命題、事実、説明、理由、定義、理論、思想、議論、論証、整合、言論、言表、発言、説教、教義、教説、演説、普遍、不変、構造、質問、伝達、文字、文、口、声、ダイモーン、イデア、名声、理法、法則、原因、根拠、秩序、原理、自然、物質、本性、事柄そのもの、人間精神、思考内容、思考能力、知性、分別、弁別、神、熱意、計算、比例、尺度、比率、類比、算定、考慮、論理的に語られたもの、語りうるもの、万物の流転のあいだに存する調和・統一ある理性法則」などの意味を持ち、キリスト教では、「神のことば」、「世界を構成する論理としてのイエス・キリスト」を意味する。
 ロゴスは、ミュトスと対比して用いられていた。 ミュトスは、「神話」と翻訳されることも多いが、原義としては、人が語る「ものがたり」や「お話」全般を指すのであり、ギリシャ悲劇や喜劇、イソップの寓話の題材もミュトスである。 ミュトスが「空想」「物語る言葉」「人が語るもの」であるのに対して、ロゴスは「理性」「論証する言葉」「神のことば」である。
 紀元前500年頃のギリシア人哲学者ヘラクレイトスは、アルケーは「絶えざる変化」と「闘争」、「万物流転 (パンタレイ)」であり、絶えず流動する世界を根幹でつなぐのがロゴスであると考え、それを「火」に喩えた。  燃焼は絶えざる変化であるが、常に一定量の油が消費され、一定の明るさを保ち、一定量の煤がたまるなど、変化と保存が同時進行する姿を示す。
 ヘレニズム期のストア派の哲学者は、神が定めた世界の神的な論理を「ロゴス」と呼び、ときにこれを神とも同一視した。  ストア派において、ロゴスは根幹となる概念であり、世界を定める理を意味する。ストア派のロゴスは「自然」(ピュシス、本性)や「運命」(テュケー)とも表現され神とも同一視される。また人間は世界の一部であり「人間の自然本性」としてロゴスを持って生まれているとされる。
 キリスト教の成立にあたり、このようなロゴス観は大きな影響を与えた。  キリストとしての神の本性が、ロゴスすなわち論理と解されたことによって、西ヨーロッパにおける哲学のひとつの流れである、論理と思弁を重んじる風潮、さらには論理と言語によって神を把握しようとする積極神学の道が拓かれた。このような背景もあり、今日哲学の分野で「ロゴス」といわれるときには、程度の差はあれ、単なる構造としての論理ではなく、「語られる力ある言」という「人格的な、かつ神的なロゴス」理解の影響がある。
 一方で、思考の論理としてのロゴスの学としての論理学の流れがある。アリストテレスによって綜合された古代のロゴスの学(ロギケー)は、ヨーロッパの中世において神学の予備学である自由七科(リベラル・アーツ)のひとつとされた。  明治時代に西周によってリベラルアートの訳語として「藝術」という言葉が造語された。
(cf. アルケー https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%B1%E3%83%BC ロゴス https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B4%E3%82%B9 )
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 ロゴスは、英語の「logic (論理)」「-logue (-話)」「-logy (-学)」などの語源で、ロゴスに接辞がつくと「ロギア」となる。  ロギアに、「-に従って」「くり返す」などを意味する「アナ」という語がついた「アナロギア」が「analogy (類似、類比、類推、比喩)」の語源となった。
 根源的原理である神の言葉によりつくられた人間や世界は「アナロギア (類比)」であり、「既知なるもの」を手がかりに「未知なる神」の存在について思考することも「アナロギア (推論)」である。
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 13世紀のスコラ学者トマス・アクィナスらは、被造物からは無限にかつ絶対的に異なる神をとらえる方法として「アナロギア・エンティス (存在の類比; すべての存在する事物は存在するという点では共通であるが、そのあり方はそれぞれ本質的に異なるということ。)」という考えを発展させた。神についていわれることが意味をもつためには存在の概念が一部、両者に共通でなければならず、また神の絶対的無限性をそこなわないためには両者はある意味でまったく異なっていなければならないからである。
 2つ以上の関係や機能が互いに類似していること、およびこの類似に基づいて未知のことを推しはかることを「類比」という。スコラ学では類似性が客観的に存在する場合のみを類比とし、主観的にのみ存在する場合は比喩と称して前者から厳密に区別する。類比はトマス・アクィナスによって「アナロギア・エンティス」として詳細に理論化され,神認識に適用された。近世以後の科学でもたと��ば原子構造が太陽系の構造から類比されている。類比は他の方法で検証されないかぎり論証としての妥当性をもつことはない。
(類比 https://kotobank.jp/word/%E9%A1%9E%E6%AF%94-150641)
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自然を客体化し、その属性や力を人体などの別の客体に照応させて類推する自然観を、フィリップ・デスコラ(1949年生 フランス 人類学者)は「アナロジズム (類推主義)」と呼んだ。デスコラは「アナロジズム的存在論は、諸存在の特異性を繰り返し経験する中で、執拗に照応関係を用いることで、多様なものの増殖から来る無秩序の感覚を和らげようとする」と述べ、アナロジズムは歴史上の諸文明にさまざまな形で見られる考え方と指摘している。例えば、マクロコスモスとミクロコスモスの照応は占いや中国の山水画の基本的な考え方であり、ストア哲学や新プラトン主義に哲学的アイデアを与えている。
(類推 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A1%9E%E6%8E%A8)
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類推は類比、アナロジーともいい、特定の事物に基づく情報を、他の特定の事物へ、それらの間の何らかの類似に基づいて適用する認知過程である。古代ギリシャ語で「比例」を意味するアナロギアといった概念に由来し、広義においてこれはロゴスに含有する。
類推は、問題解決、意思決定、記憶、説明(メタファーなどの修辞技法)、科学理論の形成、芸術家の創意創造作業などにおいて重要な過程であるが、論理的誤謬の排除が難しい場合も多く、脆弱な論証方法である。科学的な新概念の形成過程は、チャールズ・パース(1839年 - 1914年 米 哲学者、論理学者、数学者、科学者、プラグマティズムの創始者として知られる)によるアブダクション理論として区別されることもある。
異なる事象に対し類推することで、共通性を見出す言語的作業が比喩である。 言語学では、言語自体に対する類推が言語の変化の大きな要因とされる。
(類推 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A1%9E%E6%8E%A8)
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アブダクション、リトロダクションとは、個別の事象を最も適切に説明しうる仮説を導出する論理的推論。仮説形成や仮説的推論などと訳されている。
古くはアリストテレスがアパゴーゲーについて議論している。のちにアパゴーゲーはアブダクション(abduction)と英訳された。チャールズ・サンダース・パースは演繹���deduction)、帰納(induction)に対する第三の方法としてアブダクションの語を用いた。
結果や結論を説明するための仮説を形成することを言うこともある。哲学やコンピュータの分野でも定義づけされた言葉として使われている。アブダクションの意味や思考法は、演繹法や帰納法ともまた異なるものであり、失敗の原因を探ったり、計画を立案したり、暗黙的な仮説を形成したりすることにも応用できる。例えば、プログラムの論理的な誤りを探し出し直すという過程では、アブダクティヴな解釈と推論が行われており、一般的な立証論理の手法と通じるものがある。
アブダクションは、関連する証拠を(真である場合に)最もよく説明する仮説を選択する推論法である。アブダクションは観察された事実の集合から出発し、それらの事実についての最も尤もらしい、ないしは最良の説明へと推論する。アブダクションという用語はまた、たんに観察結果や結論を説明する仮説が発生することを意味するためにもときおり使われる。だが哲学やコンピュータ研究においては、前者の定義がより一般的である。心理学などではヒューリスティクスと呼ばれている。
(アブダクション https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%80%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3)
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ヒューリスティクスまたは発見的(手法)とは、必ず正しい答えを導けるわけではないが、ある程度のレベルで正解に近い解を得ることができる方法である。発見的手法では、答えの精度が保証されない代わりに、回答に至るまでの時間が少ないという特徴がある。主に計算機科学と心理学の分野で使用される言葉であり、どちらの分野での用法も根本的な意味は同じであるが、指示対象が異なる。すなわち、計算機科学ではプログラミングの方法を指すが、心理学では人間の思考方法を指すものとして使われる。なお、論理学では仮説形成法(アブダクション、リトロダクション)と呼ばれている。 
計算機科学では、コンピューターに計算やシミュレーションを実行させるときに、発見的手法を用いることがある。たいていの計算は、計算結果の正しさが保証されるアルゴリズムか、または計算結果が間違っているかもしれないが誤差がある範囲内に収まっていることが保証されている近似アルゴリズムを用いて計算する。しかし、そのような方法だと、計算時間が爆発的に増加してしまうようなことがある。そのような場合に、妥協策として発見的手法を用いる。 発見的手法は、精度の保証はないが、平均的には近似アルゴリズムより解の精度が高い。また、発見的手法の中でも、任意の問題に対応するように設計されたものは、メタヒューリスティックという。
心理学における発見的手法は、人が複雑な問題解決などのために、何らかの意思決定を行うときに、暗黙のうちに用いている簡便な解法や法則のことを指す。これら��、経験に基づくため、経験則と同義で扱われる。判断に至る時間は早いが、必ずしもそれが正しいわけではなく、判断結果に一定の偏り(バイアス)を含んでいることが多い。なお、発見的手法の使用によって生まれている認識上の偏りを、「認知バイアス」と呼ぶ。
(ヒューリスティクス https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%82%B9)
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 はじめにことばがあったのが、コンピュータとか心理学とか、構造主義とポスト構造主義とかってのもあって今の文化を作っていて、なんか色々ある現在に至るまでの間、何度もパラダイムシフトが起こった。革命と呼ばれるものもあった。1980年代の「ゲーム理論による経済学の静かな革命」と呼ばれるものもあって、経済が工学的、実験的なものになった。
 抽象的に言うと、「アナロジー」と「アレゴリー」のどちらを重要視するか、それが入れ替わるときにパラダイムが変わる。どちらの言葉も、人によって、文脈によって、定義も曖昧だし、似たような言葉だし、厳密に区別することも難しいけど。 
 英語の「allegory (アレゴリー、寓意、風喩)」は、「アロス (他の、他者の)」と「アゴレウオ (話す)」を合わせた「アレゴリオ (別の仕方で言うこと)」というギリシア語を語源とし、「ある事物を、直接的に表現するのではなく、他の事物によって暗示的に表現する方法、また、この表現方法によって作られたもの」を意味する。
 「ロゴス、神のことば」に属するアナロジーに対し、アレゴリーは「ミュトス、人が語るもの」に属する。  どっかで読んだものをパクって言うと、アナロジーは二つ以上のものの間に類似を見出し、関係性を構築するのに対し、アレゴリーは差異を見出すことで、関係性を破壊する。関係性が構築されることで、別々のもの同士が独立を保ちながら協調できるのに対し、関係性が破壊されることで、同調しないものすべてが敵となる。
 どちらが好ましいかということ以上に、時代の精神とか精霊と呼ばれるものがあり、また、アレゴリーへの抵抗としてアレゴリーをツールとして使うこともある。アナロジーに見えたものが、全くの勘違いだということもある。
 1973年のスペイン映画、ビクトル・エリセ監督の『ミツバチのささやき』は、フランコ独裁政治が終了する数年前に製作され、公に政権を批判することができない時代に、隠喩を用いることで検閲を逃れ、政権批判をしたといわれる。原題を直訳すると「蜂の巣の精霊」で、ビクトル・エリセは「タイトルは私が考えたものではなく、偉大な詩人であり劇作家のモーリス・メーテルリンクに より書かれた、蜂の生活について書かれた最も美しい本と思われる作品から引用した。その作品中、蜂たちが従っているかのように見える、強力で不可思議かつ奇妙な力、そして人間には決して理解できない力を、メーテルリンクは「蜂の巣の精霊」という言葉で表現している。」と述べている 。 (ミツバチのささやき https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%84%E3%83%90%E3%83%81%E3%81%AE%E3%81%95%E3%81%95%E3%82%84%E3%81%8D)
 自由はロゴスとアナロジーの文脈にあり、客観的な真実を見ることにある。ロゴスは客観的な真実であり、誰かの主観の下に統合されることではない。
 魔術と呼ばれるものがあって、パラダイムとか時代精神とかって呼ばれるものの変化と、それに伴う自身の内面の変化に直面することは、魔術のようなものにかけられてるような体験となる。  後年の空想が多く入ってしまっているらしいが、キリスト教の考え方に支配された社会の中で、反キリスト教的な考えは当然として、前キリスト教的なルーツを持つものや、まったく別の考え方のうち、社会に危険視されたものが、魔術と呼ばれた。  魔術と呼ばれるものの多くは古代の神秘思想やプラトン主義、錬金術などをルーツにしている。プラトンが規定した「ポイエーシス(あるものがまだそのものとして存在していない状態から存在へと移行することについてのいっさいの原因。まだ無秩序のうちにあるものを秩序へともたらすこと)」という考えや、錬金術で言う「マグヌムオプス(大いなる業。複数形はマグナオペラ。賢者の石の創造を指す。意識変容を表すメタファーでもある)」という考え、西欧神秘思想や錬金術の基本的な概念である「万物照応(一つの事物の成立には他のあらゆるものが関係しており,どんなささいなものの中にも宇宙全体を映す鏡というべきものがある)」という考えは、現代の創作物や文化においても基本的な部分を支える考えとなっている。
 エリファス・レヴィという魔術師がいて、彼が書いた「コレスポンダンス」という詩の影響を受けて、ボードレールは「万物照応(コレスポンダンス)」という詩を書いた。『悪の華』(1857年)に収録されている。ボードレールのこの詩がフランス象徴詩の母体となり、ボードレールは「近代詩の父」と称される。 (エリファス・レヴィ、1810年-1875年、フランス・パリ出身のロマン派詩人、隠秘学思想家。41歳の時に本名をヘブライ語風にした「エリファス・レヴィ」に改名し、隠秘学の著作を残した。 パリの小ロマン派の文芸サロンに出入りしていたが、後にカバラ、錬金術、ヘルメス学、キリスト教神秘主義などの研究を行い、近代ヨーロッパにおける魔術復興の象徴的存在となった。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%B4%E3%82%A3)
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目に見える言語で形づくられた この世は神の夢だ。
-エリファス・レヴィ「コレスポンダンス」
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 「マジックリアリズム (マギッシャーレアリスムス、魔術的リアリズム)」とは日常にあるものが日常にないものと融合した作品に対して使われる芸術表現技法のことや、神話や幻想などの非日常・���現実的なできごとを緻密なリアリズムで表現する技法のことなど、文脈によって意味にバラツキのある言葉だが、1925年に刊行された、美術史家・写真家のフランツ・ローによる『表現主義以後』という著書に初めて登場した言葉で、同1925年のマンハイム市立美術館で行われた『新即物主義展(ノイエ・ザッハリヒカイト)』で展示されていた「冷静に現実を表現することによって現れる魔術的な非現実」を感じる作品群の美術的表現のことを言っていた。  1920年代の初頭、第一次世界大戦後の社会不安のなかのワイマール共和国時代のドイツで、反表現主義的な立場から生まれた新しいリアリズムの潮流である。即物的、客観的な態度で対象の再現にのぞむ具象表現という観点から、G・F・ハルトラウプが提唱した新即物主義 (ノイエ・ザッハリヒカイト)と混同して語られるか、もしくはその一部とみなされることが多い。  1925年の『新即物主義展』を始まりとする「新即物主義 」は、社会の中の無名性や匿名性として存在���ている人間に対し、技術的実験性のない、冷静、冷徹な、非人間的とも言える視線を注ぎ、客観的、即物的に表現することを追求した。同時代へのジャーナリスティックな眼差しとともに、1910年代の個人の内面と探求の表現を目指したドイツ表現主義の主観主義や抽象的傾向への反発が込められていた。その過酷なまでの人物描写は魔術的リアリスムという言葉を生んだ。しかし、ナチスの台頭とともに退廃芸術として迫害を受け収束する。
 こうした、使う人や使われる文脈によって意味にバラツキのある言葉や概念が、誰かの主観に基づく新しい現実を作るためのツールとして、あるいはそれに対する対抗策として使われる。すべてが駒としてゲームの盤上に乗せられてる中で、脱落者にこそ祝福があると思ってしまうのも、ニヒリズムへの罠となる。そんなの今に始まったことじゃなくて、ものすごい昔から世界は、絶えざる変化と闘争だらけなのかもしれない。
 不完備情報ゲームや不完全情報ゲームとか不確実情報ゲームとかってのの中、情報の非対称性の中で、逆選抜とかエージェンシー・スラックがあちこちで起きまくっていることから、隠された情報と隠された行動の多さを推測してしまうけど、別に、そんなのばっかりってわけじゃない。
 絶えず流動する世界を根幹でつなぐものを、人は持って生まれている。
2020年3月 観照、断章、抽象
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oivgbqiqfz358 · 4 years ago
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【四月馬鹿企画】主宮慈愛へのインタビュー
※注意書き※
※…内容は非常に過激です(※閲覧非推奨)。
※…死にネタ、差別ネタ、宗教ネタがあり、暴言が多いです(※本当に閲覧注意)。
※…所々、四月一日要素があるかもしれません。
…では、どうぞ。
[[MORE]]
インタビュワー鈴��くん(以下鈴木): …皆様、こんにちは。インタビュワー鈴木です。本日は、主宮慈愛さんに、インタビューと称して、色々と御伺いしたいと思います。では、どうぞ。
主宮慈愛(以下主宮): …如何も。『寿命以外は完璧の女性(おんな)』と名高い主宮無慈悲です。
鈴木:本日は、宜しく御願いします。
主宮:ああ、そんなに畏まらなくて良いよ。君も気さくにやりなよ。かく言う私が最初から畏まって無いんだから。
※好物・嫁推し等
主宮:あり過ぎて困り過ぎる。
鈴木:それでも、真面目な所だけでも、御教え下さい。
主宮:思想で言うと、ショーペンハウアー、ニーチェ辺りのニヒリズム(虚無主義)ですね。
※白人種について
鈴木:古代アーリア人の系譜を継ぐ人間が、御嫌いなのですか?
主宮:…良いかい、君。白人、特定亜細亜人と言う生き物はね、『古代アーリア人系列人種侵入前の古代人』、同じく、『其の末裔流入前の先住民』、…そして、『日本人』とは根本的に違う。もっと、幼稚で、動物的で、如何しようも救いも無い人種だ。歴史と現実をよく見ろ。奴等に慈悲は要らない。
尚、拙作に於いて、所々、破滅の運命を迎える存在、或いは兎に角、軽蔑的、否定的に彼等彼女等が描かれて居るのは其う言う事情もあります。此の世界の平和と環境を、完全に破滅させる為に生きて居る様な存在だから。
※シューティングゲームについて
鈴木:シューティングゲームが大好きとの事ですが。
主宮:確かにそうかもしれませんが、端くれの半端者です。堂々と名乗れる身分ではありません。申し訳無い。
鈴木:個人的な定義があるとの事ですが。
主宮:そうですね。自分は、シューティングゲームと言う物は『戦争と真剣勝負を自分なりにこなして行く』事が、ゲームとして第一目的であり、第一必須条件なジャンルのゲームだと思っています。
現に、スペースインベーダー、ガレッガとかケツイがそうですね。
それ以外は何か違う。
鈴木:とても真摯なのですね?
主宮:いいえ、真摯なのはいつも自分以外の他人です。自分なんて何時も巫山戯てますよ。頭と心の中は、何時も虚無感塗れで、ニヒルにヘラヘラしてて、何も出来無くて……。
※格ゲーについて
鈴木:格ゲーについて、言いたい事は、沢山あるようですが。
主宮:ええ、あります。…と言うより、格ゲーとは、格闘し合う物であって、暴力を振るい合う物では無いと思っております。リュウ君やさくらちゃんと思想的に近いかもです。
だからこそ、シューティングキャラとか何ですか?格闘ゲームに遠距離攻撃手��かスナイパーとか要りますか?シューティングならシューティングでしろ。
可也前から言っておりますが、今時の格ゲーをおかしくしたのは、待ちキャラを更に改悪した様な性能のシューティングキャラ達だと思います。格闘ゲームなら、ちゃんと、格闘しろよ!カスボケェ!
※プロテスタント教会内部から見たキリスト教について
鈴木:キリスト教プロテスタント派の内部事情に、詳しい様ですね。
主宮:結構頻繁に通ってるからね。教会の信徒達がどの様にして、信仰に入ったかと言う経緯もよく分かる。矢張りか、非常に、祖父母が信徒だったので代々とか、其う言う家族繋がり、家繋がりが多いんです。…あとは、『駆け込み寺』需要。…家族やら一族やら地域、家のしきたりに虐られ、其のコミュニティーに疎外されたが故に、教会に来て入信する。
鈴木:割と、重い話ですね。
主宮:だけど、幾ら信仰があっても、現世で救われるとは限らない。…信仰は魂を救う事はあっても、肉体を救わない。キリスト教—特にプロテスタントは—『現世利益』を否定して居る。世俗宗教、若しくは、道教の様に、此の世の欲望を叶える為の祈り等論外だ。実際、「死後に貴方の魂は救済されるから、天寿を全うする迄、余裕を持って待て。」と言う人も居る。
あと、『呪術廻戦』は『呪いは呪いでしか祓えない』が基本ですけど……。
鈴木:『呪術凱旋』で矢鱈キリスト教ネタが多いのって其れ……。
主宮:由来っすね。『鬼滅のナイフ』とか他はただの作風的な癖。
※今の世の中は本当に酷い
鈴木:元々、貴方は厭世主義者なんですよね。
主宮:そうだね。世は只管憂いるものだよ。で、話は飛ぶけど、昔の日本は平和で良かったのに、何故、此うも、今の日本は酷いのか?…其れは、『白人・特定亜細亜人及び外国人の介入が酷いからである』とか言ってる国粋・人種差別主義的なブログを見掛けたのですが、確かに、「其うだよな」とは思う。今の世の中は逆に、寛容過ぎる。排除されるべき者が排除されない。
これでは、社会は、腐りに腐って行く。まるで自浄作用と言う物が無い。
鈴木:…言われて見れば、確かに。自浄作用と言う物自体は、多く言及されるのにですね。
主宮:どれだけ、排他的だの国粋主義者だの時代遅れだのと言われようと、構いません。ただ、左翼だけは許せない。此の社会を、こんなにも、可笑しくしたのは、左翼思想だ。これは確実だ。
※父方の祖父について
鈴木:貴方の父方の祖父は、可也凄い方と聞きましたが。
主宮:ええ、凄いですよ。将棋に関して、彼の地元の市で仏恥抜けで一番の実力だったり、それで、将棋の県大会に出場して、���回戦敗退だったり。…(胃癌の方は兎も角)胆嚢癌(可也末期)での五年内生存は非常に珍しいから、是非、大学病院で研究させてくれとか言われたり。…其れ位、強靭で超人的で『奇跡的な回復』を、医療の専門家に見せたそうなんですね。…ついでに言うと、ウチは癌の家系みたいですね。
鈴木:確かに凄いですね。
主宮:まぁ、あの祖父が、さっさと速い内に御亡くなりになって居てたら、私は、もっと長生き出来たでしょう。…ですが、早死に出来て光栄です。私達の一族は、あのロクデナシ祖父に、各々の人生を吸われ、更に其れを、あの爺を生存させる犠牲(コスト)として奪われて来ました。奴は子殺しであり孫殺しです。本当に、ロクなモンじゃないよ。丁度、親(其の爺にとって長男・子供とその嫁)より、年齢的にも早く死んだ早死にの孫が二人も居るのは、決して偶然なんかでは無いよ。当然ながら摂理だ。
※教養について
主宮:教養って何だろうね。人間を人間らしくする為のもの、徳を積み、人間性を高める為の物と言う人も居ますが、自分には、如何もよく分かりません。
鈴木:僕にもよく分かりませんが、其れでも、『圧倒的教養!』みたいな言葉に、其の手の自負と自慢の類には、辟易させられる所がありますね。いや、辟易します。…其の位しか、言えなくて、すみません。
主宮:確かに教養を鼻にかける人は嫌いですね。自分を含めてね。
鈴木:『自己嫌悪』って奴ですか?
主宮:如何なんだろうね?…人様から見たら、違うのかも。…其れに、私は、教養より、美貌より、人間は、兎に角、『謙虚さが大事!』だって日々感じる。
鈴木:矢張り、『謙虚さ』ですか。
主宮:むしろ、其れしか無いと思う。
鈴木:其れと、此れは僕のあてずっぽうですが、其れは、つまり、『莫迦程謙虚になれない』って事でしょうか?
主宮:多分ね。
※作者本人から見た拙作について
主宮:自分から見ても、あんまり良いモンじゃ無いよ。我ながら。読者からしても、死にネタだの救いの無い終わり方だので、癪に触る描写が多いし。ただ、自分では、出来の良いのを必死で作ろうとして居ますが。
鈴木:貴方の作品は、大抵、硬派で難解で、如何にも、小林秀雄的、ガレッガ的なものばかりだと言われておりますが。
主宮:自分から質を落として迄、万人受けする物を描きたく無いんで。『大衆ウケが良い奴』は、私は一番嫌いですね。
鈴木:次に、『あまり、拙作どころか、自身についての評を、聞かないのが、悩み』と聞きましたが。
主宮:別に良いんですよ。マジ、作者が如何だ此うだとか書かなくて良いし、感想とか送って来なくて良いんで。無理矢理絡もう、無理矢理関係を持とうとすると、頭可笑しくなりますし心病みますよ。此んな奴なぞと。
※顔が良い推しと美人のワイ
鈴木:直ぐに、『推しの顔が良い』と曰い出すオタクが大嫌いとの事ですが。
主宮:美しいと言う事と、良いと言う事は、其々根本的に違います。推しの、見た目の、顔の良さを求める奴は、推しの、中身を、人格を求めて無いって事だろうね。吐き気がします。
鈴木:美貌と言う物に、何かトラウマでも?
主宮:其うだよね。君も騙されない方が良いよ。此の世で一番大事なのは、心と神様と魂だろ?
鈴木:…『人間、中身が十割』説ですか。
主宮:そうだよ。それでも、何故か他人に、否定されるけど、美貌ってのは、ロクでも無いね。
鈴木:そうですか?
主宮:実際、ロクでも無いから、中身が苛烈で可笑しい美丈夫やら美人やらに騙されるのだ。本当に気を付けて、心と魂だけを見て欲しい。それに、私も結構、自身の美貌を鼻に掛けてる所ありますよ。…所々、鼻にかけてないとやってられない場面は多いので。美男子・美人の類を見慣れて居ない人に、沢山、会えば会う程、其う言う傾向は加速するね。…でも、色々と変な虫も寄ってくるモンでさ。
鈴木:変な虫?
主宮:其う、変な虫。非モテの男に訪れる先々でチヤホヤされたり、若くて綺麗な女の子が大好きなおばさんに会ったりする。キモデブの男にナンパされた事もある。…其れに、単発ガチャでSSRを引いた気取りの下心を持った男が嫌いで、整骨院行くのが嫌になった。整体中に、痛みに喘いだり、呼吸が乱れる度に、嬉しそうな顔する。あの手のは。此れに関しては、もしもワイがドブスだったら……と思わざるを得ないくらい惜しい。
鈴木:…は、はぁ……。
主宮:若くて綺麗な女の子が大好きなおばさんに関しても、トラウマ未満ですが、未だに怖いですがね。腰を凄く露骨に撫で撫でされたよ。其の間、尾骶骨の辺りが異様にゾクゾクしたの覚えてる。更に、男に其うされる(実は男から其うされた事は無いが)のとは、違う、背筋の凍り付き方だった。ゲイフォビア芽生え始めたの、あれが原因だと思う。差別はいけないんだけどさ。未だ理解出来る感性があればとも思う。
鈴木:……!
主宮:鈴木君、際どい話を御免よ。因みに、もっと幼い頃は、親も自慢の美少女さだったらしいぞ。確かに、親戚も矢鱈誇ってたな。あの頃の美少女振りを。
※ケルト十字について
鈴木:あなたのサイン及びイラストには、よくケルト十字が描かれておりますよね。
主宮:はい。一生を通じた癖です。そして、ケルト十字と言うのは、天動説的な太陽の動き、回転、二分点+二至点(Equinoxes+Soltices)を明らかに、表しています。これらをを繋ぎ合わせると十字になるのです。いわば、『太陽そのもの』なのです。それに、太陽信仰には、復活の信仰が憑き物でしょう。イエス・キリスト的な。霊魂が一度死んで、其の後、其の死から蘇る様を、太陽が沈み、昇る事に、例えたのです。聖ヨハネ祭は夏至ありきで、クリスマスは冬至ありき。更に、そこから派生した復活祭も、春分ありきでしょう。昔の人々が太陽を崇めていた遺志がそこにあるのです。つまり、ケルト十字は、未だ未だ素樸だった時代の、『古代信仰の名残』なのです。因みにですが、私は、『霊魂の復活』を信じています。
※古代太陽信仰について
主宮:更に強く書けば、ケルト十字が、ごく一部ながら、白人優越主義のシンボルとして使われていると言うのは、堪えます。太陽信仰と白人の間に、一体何の関係性があると言うのですか。一方で、元々、ハーケンクロイツは、太陽崇拝と関係あると言われているじゃないですか。そう言う、ゲルマン民族にも、太陽信仰と言う名の太陽に恋焦がれる感覚はあるのでしょう。元々、先祖が野蛮人だから、あんな歪んだ形で出て来るのでしょうね。良い加減にしろ。
※昔のTwitterで絡んで来たりした変な漫画家二人
鈴木:Twitterにて漫画家に絡まれた事が御有りのようですね。
主宮:…ええ。…『あの人』の場合は、絡まれた扱いされて良いのかね?…先生の作品は、滅茶苦茶熱心に読んでたのにね。…『あの人』には、昔、Twiiterでブロックされたね。ドリフターズ(+ヘルシング)小説を描いてた頃だったか。
鈴木:…ええ?それって、もしかして……?
主宮:ええ。もう御存知でしょうが。『Twitter芸人で有名なあの人』です。
…で、更に、変な漫画家も居た物でね。昔変な其れに絡まれた事がある。私のアカウントのツイートをRTとして来た上に、変な空リプ飛ばして来たな、彼奴。
鈴木:作品は御覧に?
主宮:ええ、早速、其奴の漫画読んで見たんですよ。1話読んだだけで、「うわっ、酷いなぁ」って。それ以外は読んでいません。先ず、『数学』と『伝統ある大衆食』を組み合わせるセンスが分からない。西洋哲学ならギリ分かるんですけど。こんな奴が急に絡んで来た途端、『嗚呼、此奴はホンモノだな』っと思いました。そんなに不愉快な基地外なら速攻で無視しろと。こんなのに、絡んで来るって事はお前も相当な基地外だぞ?と。まぁ、今、彼奴、普通に妻子持ちでリア充らしいですがね。氏ね。
※妹の話
鈴木:可也前に、妹さんに死なれていると聞きましたが。
主宮:ああ、妹ね。享年は10歳程度、死因は脳腫瘍です。フォーチュン クエスト、シェーラひめの冒険、犬夜叉とかが大好きでした。因みに、私の初キスは妹に奪われたんですよ。欧米の家族は家族同士でこうやって触れ合うんだって。口吸して来て。
鈴木:!!!!???!!!!
主宮:…本当ですって。
鈴木:…でも、それって……。
主宮:…今となっては良い思い出ですがね。あの子もう此の世に居ないし、あれの御蔭で妹の事を、私はずっとずっと強烈に覚えて居るし。人生万事斎王琢磨とはよく言ったもんですよ。あと、これ自体はありがちですけど、よくゲームのセーブデータ消されてました。序でに、関係無いですけど、従兄弟の家はよくうちのゲームを借りパクしてました。黄金の太陽GBA二作と魔界塔士を借りパクされた時は、本当に、腹が立ちましたね。
※続く
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