#インドネシア教師の日
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daruma1004 · 1 year ago
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みんな知らない「実は略語」の言葉をまとめました。詳しくは...
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食パン:主食用パン
食パンの語源に関しては複数ありどれが正しいかわかりませんが、有力な説を2つ紹介します。1つは、「主食用パン」の略。パンが日本に入って来た当時はイースト菌などもなく、比較的小さな菓子パンだけが作られていました。それからパンが大きく膨らむようになり、米の代わりになり得るようになったため、「主食用」と名付けられました。もう1つは、消しパンではない「食べられるパン」の略。昔は美術のデッサンなどでパンを消しゴム代わりに使用していたためです。
ブログ:ウェブログ
ウェブサイトの一種で日記形式のもの。英単語でも”blog”がありますが、もともとは”Web”と記録を意味する”log”が合わさった言葉である”web log”の略です。
軍手:軍用手袋
元々軍隊用の手袋として使われていたためです。日露戦争の際に、寒冷地を戦場とする兵士に支給するために考案されたものです。その後、荷物運搬や土いじりなど日常生活で使われるようになりました。
演歌:演説歌
元々は自由民権運動の政治運動家(壮士)たちが演説の代わりに歌った壮士節が始まりとされます。1930年代にジャズやクラシックが大衆歌に組み込まれていき、歌詞も政治とは関係のない叙情詩的なものに変わっていきました。
教科書:教科用図書
主に小・中・高および特別支援学校などで学ぶ時に配布される中心的な教材のことで、「教科用図書」の略です。教科書と教材の違いは、文部科学大臣の検定に合格したものが教科書と呼ばれます。
チューハイ:焼酎ハイボール
焼酎とハイボールを組み合わせた「焼酎ハイボール」の略語。焼酎やウォッカなど無色で香りのない酒類をベースに、炭酸で割ったものを一般的に指しますが、炭酸ではなくウーロン茶で割ったウーロンハイもチューハイの一種です。
ジャガイモ:ジャガタライモ
ジャガイモはそもそも南米原産の食材であり、日本には16世紀末にインドネシアのジャカルタからオランダ人により伝えられました。そのため当時は「ジャガタライモ」と呼ばれていましたが、後に略されていきました。ちなみに日本では中国語由来の馬鈴薯とも呼ばれます。
ワイシャツ:ホワイトシャツ
主に男性が背広の下に着るシャツのことですが、元々は和製英語である「ホワイトシャツ」の略。よく「Yシャツ」と記載されることがありますが、これは完全に当て字です。一方で、「Tシャツ」はアルファベットのTの字に似ているためこう呼ばれるようになりました。
割勘:割前勘定
友人との飲み会などでよくある割勘は「割前勘定」の略。割前とは分割してそれぞれに割り当てることを意味する言葉です。江戸時代後期の戯作者で浮世絵師として有名な山東京伝が発案されたと言われており、当時は「京伝勘定」と言われていたそうです。ちなみに世界的に見ると割勘の文化は少数派で、男性や年上が払うのが一般的のようです。
カラオケ:空オーケストラ
歌のないオーケストラの意味で、「空(から)オーケストラ」から「カラオケ」と略されました。カラオケは日本で1960年後半に誕生したとされ、その後世界に広がっていきました。そのため英語でも”karaoke”と書きます。ちなみに中国語では「卡拉OK」と突然アルファベットが出てくる不思議です。
バス:オムニバス
ラテン語で「すべての人のために」という意味の「オムニバス」が語源で、フランスの乗合馬車の発着所の雑貨屋の看板に書かれていたことに由来します。そこから多くの人が利用する乗合自動車をオムニバスと呼ぶようになり、その後略されました。
リストラ:リストラクチャリング
英語で「再建」を意味する”restructuring”から略されたものです。リストラと聞くと人員削減を��メージしますが、本来の意味は事業構造を再構築することです。その中の一環として、人員削減が起こります。
リモコン:リモートコントロール
英語で「遠隔操作」を意味する”remote control”から略されたものです。TVなどに向かってリモコンから赤外線をデジタル信号で送ることでチャンネルや音量などを操作することができます。
ソフトクリーム:ソフト・サーブ・アイスクリーム
海外では「柔らかいクリーム?」となり伝わらない和製英語です。英語では” soft serve icecream”であり、ソフトクリームサーバーの製造などを行っている日世の創業者・田中穰治が日本でソフトクリームを広めるのにわかりやすくするために省略したとされています。
ペペロンチーノ:アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ
唐辛子をオリーブ油で炒めたパスタ料理。正式名称は「アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ」と言います。イタリア語で「アーリオ」は「ニンニク」、「オーリオ」は「オリーブオイル」、「ペペロンチーノ」は「唐辛子」を意味しています。
経済:経世済民
中国の晋朝について書かれた歴史書である『晋書』に書かれた「経世済民」を略した言葉です。現在の政治と同じような意味で昔から使われていました。明治以降、”economy”の訳語として頻繁に使われるようになったようです。
首相:首席宰相
首席はトップを意味し、宰相は辞書で調べると「古く中国で、天子を補佐して大政を総理する官。総理大臣。首相。」と載っています。首相の言葉の中に首相が含まれている二重表現のような言葉です。ただ「首相」は日本国憲法に記載された言葉ではなく、報道などで使われる内閣総理大臣の通称です。
切手:切符手形
お金を払って得た権利の証明となる紙片のことを古くから「切手」と呼んでいました。日本の近代郵便制度の創始者である前島密が、“郵便物に貼って支払済を表す印紙”に「切手」という言葉をそのまま当てたそうです。
出世:出世間
元々は仏教語で、仏陀が衆生を救うためにこの世に出現することを指す言葉で、「出+世間」でした。そこから略され、日本では僧侶が高い位に上ることを意味するようになり、世間一般でも役職が上がることなどを指す言葉となりました。
断トツ:断然トップ
2位以下を大きく引き離すことを指す言葉ですが、元は「ずば抜けて」の意味を持つ「断然」と首位を表す英語の”top”が合わさった言葉の略。そのため「断トツの1位」という表現は二重表現になります。
押忍:おはようございます
朝の挨拶である「おはようございます」から「おっす」と短くなり、さらに「おす」へと略されました。���こから「自我を押さえて我慢する」という意味を込めて「押忍」という漢字が当てられました。
デマ:デマゴギー
大衆を扇動するための政治的な宣伝を意味するドイツ語の「デマゴギー」を略したものです。元の意味の通り、政治的な意味合いを持つ言葉でしたが、昭和になってから、単純に「嘘」や「根拠のない噂」の意味で使われるようになりました。
おなら:お鳴らし
屁を「鳴らす」の名詞である「鳴らし」に「お」をつけて婉曲に表現した言葉で、そこから一文字略されました。元々の言い方の方が上品な感じがあって良いですよね。というのも、一般庶民は昔から「屁」と言っていましたが、宮中に仕える女房たちは隠語として用いていたためです。
電車:電動客車
電動客車をより細かく表現すると、「電動機付き客車」または「電動機付き貨車」となります。電車は架線あるいは軌道から得る電気を動力源として走行しています。
電卓:電子式卓上計算機
計算機という本来役割を表す意味の言葉が略されています。1963年に世界初の電卓が登場し、1964年に現在のシャープから日本初の電卓が発売されました。当時の価格は53万5千円と車を買えるほどの値段でした。今では100均で売られているものもあるのに驚きですね。
ボールペン:ボールポイントペン
英語で”ball-point pen”と言い、これを略した言葉です。ボールという単語が使われている理由は、ボールペンの構造上、先端に小さな回転玉(ボール)があるためです。
インフラ:インフラス��ラクチャー
英語で「下部構造」や「基盤」を意味する”infrastructure”から略されたものです。電気・ガス・水道・電話・道路・線路・学校や病院などの公共施設など、私たちの生活に欠かせないものを指す言葉となっています。
シネコン:シネマコンプレックス
「コンプレックス”complex”」が「複合の」を表す英単語で、同一ビル内に複数のスクリーンを備えた複合型映画館のことを表します。国内の代表的なものとしては、TOHOシネマズ、イオンエンターテイメント、MOVIX、ユナイテッド・シネマなどがあります。
シャーペン:エバー・レディー・シャープペンシル
シャーペンが「シャープペンシル」の略ということを知っている方は多いと思いますが、実はこれも略語。1838年にアメリカで「エバーシャープ」という筆記具が登場し、その後1915年に現シャープの創設者である早川徳次氏が国内初となるものを考案し、「エバー・レディー・シャープペンシル」という商品名をつけヒットさせました。
ピアノ:クラヴィチェンバロ・コル��ピアノ・エ・フォルテ
イタリア語で「小さい音と大きい音を出せるチェンバロ」という意味です。いつの間にか「小さい音」を表すピアノだけに略され、楽器を表す名詞となりました。元のピアノの意味は今でも音の強弱を表す「メッゾピアノ」や「ピアニッシモ」と合わせて音楽記号として使われていますね。
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kennak · 6 months ago
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厚生労働省は来年度、深刻な介護職員の不足を受け、東南アジアで介護人材の獲得を強化する。日本の介護事業者が現地で採用活動を行う経費の一部を補助し、インドネシアでは介護の教育プログラムの創設に着手する。高齢化の進展で介護が必要な高齢者が増えるため、外国人材の受け入れに戦略的に取り組む必要があると判断した。 高齢者のケアにあたるベトナム人介護職員(左)。海外からの介護人材は日本で貴重な存在だ  出入国在留管理庁によると、介護の仕事に就くために、在留資格「特定技能」で入国した外国人は2万8400人(2023年末時点)で、政府目標の5割強にとどまる。先進国を中心に高齢化が進む中、国際的な福祉人材の獲得競争が起きていることが背景にある。  厚労省の獲得強化策の一つは、特別養護老人ホーム(特養)を運営する法人や介護福祉士を養成する専門学校などを対象にした渡航費の補助だ。ベトナムやミャンマーなど東南アジア各国の日本語学校や「送り出し機関」を訪問し、勉強や研修をしている若者らを対象に、日本の介護現場の魅力や待遇を伝える説明会を開いたり、面接などの採用活動を行ったりする費用に充てられる。  1法人あたりの補助額は国と都道府県から計100万円。厚労省は来年度、最大約100事業所の参加を見込む。今年度補正予算案に関連経費を盛り込んだ。 東南アジアで介護人材獲得を目指す日本の取り組み  公益財団法人「介護労働安定センター」(東京)の23年度調査によると、特養など6割の介護事業所が職員の不足感を訴える一方、外国人材を受け入れたのは1割だ。厚労省は「外国人材の採用に一歩を踏み出す後押しをしたい」(福祉人材確保対策室)とする。  また、海外への人材送り出しに意欲的なインドネシアでは、来年度から3年をかけ、介護技術の教育プログラム「KAIGO」を策定する。厚労省と国際協力機構から、日本の介護保険制度や高齢者ケアの専門家ら計3人を派遣する準備を進めている。  KAIGOは、現地の公的な看護師養成校で学ぶ若者らが対象で、指導教員も養成する。ドイツなどは人材確保に向け、すでにインドネシアで動き出しているという。  海外からの介護人材は介護福祉士の資格試験に合格すると日本で働き続けることができる。日本大学の塚田典子教授(社会老年学)は「国は資格取得を費用面で後押しし、働きやすい職場作りに力を入れるべきだ。賃上げなどの処遇改善を進め、外国人にも魅力のある業界にする必要がある」と指摘する。  ◆ 介護職員の不足 =来年、日本の総人口の約5人に1人が75歳以上になり、介護ニーズが急速に高まる。介護職員は2022年度に約215万人いるが、26年度に約25万人、40年度には約57万人が不足すると推計されている。
介護職員の不足深刻化、東南アジアで人材獲得を強化…現地での採用活動費に一部補助 | ヨミドクター(読売新聞)
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ryotarox · 1 year ago
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興亡の世界史 東インド会社とアジアの海 (講談社学術文庫) | 羽田 正 |本 | 通販 | Amazon
17世紀のイギリス、オランダ、フランスに相次いで誕生した東インド会社。この「史上初の株式会社」の興亡を通して、世界が大きく変貌した200年を描きだす異色作。喜望峰からインド、中国、長崎にいたる海域は、この時代に「商品」で結ばれ、世界の中心となり、人々の交流の舞台となっていた。そして、綿織物や茶、胡椒などがヨーロッパの市場を刺激して近代の扉を開き、現代に続くグローバル社会の先駆けとなったのだった。 講談社創業100周年記念企画「興亡の世界史」の学術文庫版。大好評、第3期の3冊目。[原本:『興亡の世界史15 東インド会社とアジアの海』講談社 2007年刊]
上位レビュー
本書によれば通商航海とはなばかりで、艦砲射撃で徹底的に途中の諸国を痛めつけ、そのうえで有利な条件で通称を結ぶという威嚇商法であったことがわかる。 ポルトガルは、この航路開拓によってインドネシアをはじめとする香辛料の産地を勢力下に置き、大きな利益を上げることができた。 これをみた、イギリス、オランダ、フランスなどが、それぞれ「東インド会社」なるものを設立し、香辛料貿易に割って入った。本書では、それぞれの国の「東インド会社」の成り立ち、歴史など個別に詳述するのみならず、それがヨーロッパの文化にいかなる影響を与えたかについても説明されている。 わが国の歴史にも大きな足跡を残した東インド会社。日本は、これらの国の武力の餌食にならず、逆に長崎の出島経由でしか貿易を許さないという強い態度に出た。これは、当時のアジア諸国の中で、日本だけが「国民国家」として独立国の体裁を保ち、武力も強かったので、領土的野心をもっていたスペインやポルトガルをお出入り禁止にすることが出来たという。
イギリスもオランダもプロテスタントであり交易が目的が第一の目的だった。 ポルトガルは本国の経済力と国力が貧弱なせいかカソリックの力を借りての進出だった。どこの国に進出するにしても宣教師がついていき、宣教をすすめて侵略するの繰り返しだった。 一方でオランダはポルトガルが宣教師を使って侵略を企てていると情報を流すことで効率的に競争者を排除した。 ただ、そのあと、食い込みを図った国の対応は様々だ。強力な統一政権を確立した日本では出島に押し込められ��が、それ以外では植民地化を進めた。
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gupaooooon · 2 years ago
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NoBarbenheimer
今���の件、原爆投下/原水爆をミーム化/ネタ化する動きの加速に対して。フェミニズムな作品であることがとても楽しみだったバービーの……“公式アカウント”が乗っかっていたという事実。そのショックについて。自分も抗議を送ったりTwitter/Tumblrでタグを使ったひとりですが、
「日本のみ」が被爆国ではないし、「日本人とされれる人々のみ」が被爆被害者ではない。
凡ゆる国と地域で被爆被害があり、凡ゆる国や地域の人々が、被害者が、世界中にいること。
“戦争被爆国”としての日本においては、戦時下で、軍国主義/差別主義の中で更に更にマイノリティとして虐げられた人々が、植民地支配/強制連行による被害者や、捕虜として収容されていた人々が、沢山、犠牲になっているし、その後も苦しみ続けている。日本/政府による迫害と差別に晒されている。その存在が、事実が、歴史が、蔑ろにされ続けている。
原爆/原水爆の犠牲者が、被害者が、いまも、世界で、さまざまな場所で、苦しみ続けていること。その歴史について。
それらを踏みにじるような言葉も、それらについて誤った認識を与える言葉も、Twitter上では多く(差別主義者/ネトウヨ/極右なども、バービーという作品そのものとそこにあるフェミニズムや多様性に対する一方的な揶揄/叩きや、韓国へのデマ/ヘイトや、他の悲惨な歴史や事件を更にミームにして茶化し出すという……醜悪な最低最悪な行いをぶち撒けながら、この抗議タグをTwitter上で利用してきていることもあり、)かなり蔓延してきてるようなので。
Twitterで今回自分がRTさせて頂いた……さまざまな方々が紹介していた記事やアーカイブ/今までTwitter上で自分がRTしてきたり引用してきたりした記事なども、自分用と兼ねて、いくつか、改めて、此方にも引用してみます。
また、再度、強調したいのですが、
日本は、今なお、戦争責任/加害の歴史に向き合おうとしない。戦争の責任と記録と歴史を忘却し、捻じ曲げようとする歴史修正主義が、まさにいま、どんどん勢いを増し続けている現状。核廃絶について背を向けるばかりか、核武装について“柔軟な議論”などとほざいて嬉々として語り出す連中が、差別主義者の糞どもが、万年与党であること。
そこを無視することこそ、恐ろしいことで、忘れてはならないこと。(これもほんと繰り返しだが、この現状だからこそ、戦争/核を軽視しないための抗議の責任があること、強調したい)
・日本だけではない、被爆国
「核兵器を開発するためには実験が必要です。1945年、アメリカのニューメキシコ州で世界で初めての核実験が行われてから、これまで2,050回以上の核実験が行われきました。
アメリカはネバダ砂漠や太平洋でロシアはカザフスタンや北極海で、イギリスはオーストラリアや太平洋の島国で、フランスはアルジェリアや南太平洋の仏領ポリネシア・タヒチで中国は新疆ウイグル自治区で実施しました。ワシントンやモスクワなどの大都市から遠く離れ、多くの場合は植民地や先住民族の暮らしている土地でした。(川崎 哲「核兵器はなくせる」、岩波ジュニア新書、2018)」
・Hiroshima and Nagasaki: A Multilingual Bibliography
「ABOUT US: The Aim of Our Project
In 2014, a year before the 70th anniversary of the atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki, we started our survey and research into the multilingual publication of atomic bomb literature. Our goal is to make a comprehensive survey into the process of worldwide acknowledgment of Hiroshima and Nagasaki for 70 years.」
・外国人戦争犠牲者追悼核廃絶人類不戦碑
「この戦争の末期、長崎では数次にわたる米軍の空襲、潜水艦攻撃、そして八月九日の原爆 によって七万余の日本人、数千の朝鮮人、中国人労働者、華僑、留学生、連合軍捕虜(イギ リス、アメリカ、オーストラリア、オランダ、インドネシア等)が犠牲となった。
特に浦上刑務所のあった隣接する丘では、三十二名の中国人、十三名の朝鮮人が、日本人 受刑者とともに爆死し、また香焼や幸町の捕虜収容所では、被爆���に病気や事故などによ って数百名の連合軍兵士が死亡した」
「碑の建立に力を注いだのは、戦時中に収容所の職員だった田島治太夫さん(九九年死去)。一緒に運動した鎌田信子さん(72)は「日本人だけでなく、多くの外国人が犠牲になったことを知ってもらいたい」と語る。」(2005/07/15 掲載記事)
・被爆2世、女性として直面した複合差別 ――「韓国のヒロシマ」陜川から
「2023年2月7日、被爆者の援護を定めた法の対象外となっているのは不当だとして、被爆2世が国を訴えていた裁判の判決が広島地裁で言い渡された。「不当な差別とは評価できない」などとして、原告の訴えは棄却された。被爆2世に対しては、厚生労働省が定めた要綱に基づく健康診断が実施されているものの、がん検診はそこに含まれず、各種手当の交付なども受けられない。」
「原爆被害に加え、それ以前からの植民地支配に翻弄されてきた韓国人被爆者の次世代も、「線引きの外側」に置かれ、公的な支えを受けられずに生きてきた。」
・80歳を過ぎて語り始めた被爆体験――福島へ手渡したい思いとは
「切明さんの話は、「あの日」から始まるのではなく、軍都「廣島」の話から始まる。
「広島は今、平和を守ることや、核兵器廃絶を掲げていますが、77年前までは軍国主義の街でした」
切明さんが国民学校2年生の時、満州事変が起きる。広島城の周辺には陸軍の師団が置かれており、宇品港は中国大陸や、その後の東南アジアの国々侵略のための出発港だった。」
・「存在しない」とされた残留放射線、内部被ばくの被害を認めない政府
「こうした政府の態度の根底にあるのは、残留放射線による内部被ばくの否定だ。放射性物質を体内に取り込む危険性から目を背ける、その姿勢の源流を知るためには、日米の歴史を紐解く必要がある。
『原水爆時代〈上〉―現代史の証言』(今堀誠二)や 『核の戦後史:Q&Aで学ぶ原爆・原発・被ばくの真実』(木村朗、高橋博子)でも示されているが、原爆投下から1ヵ月後、マンハッタン計画の副責任者であるトーマス・ファーレル氏は、下記のような声明を発表したとされる。
「広島・長崎では、死ぬべきものは死んでしまい、9月上旬において、原爆放射能の余燼ために苦しんでいる者は皆無だ」
残留放射能が存在しないとした理由について記者からの質問を受け、ファーレル氏は「相当の高度で爆発させた」ことを挙げていた。
なぜこうした声明を出すに至ったのか。『核の戦後史』の他、『封印されたヒロシマ・ナガサキ』などの著者でもある奈良大学の高橋博子教授は、占領を円滑に進める必要がある米国側の意図を指摘する。
「声明には、原爆投下が国際法違反であることを否定し、広島を取材した連合国軍記者による報道を打ち消す狙いがあったと思われます」 」
「 「日本政府は核兵器の残酷さや非人道性を訴えるどころか、その“威力”を重視し、原爆攻撃をした米国と一緒になって、核兵器の有効性を世界に向けて訴えてきたといえます。核の“パワー”の肯定的イメージを拡散してきた、世界に対する責任は重いと思います」 」
・«さもしいといって下さいますな» 福田須磨子さんの思い 原爆を背��って(30)
「 《何も彼(か)も いやになりました 原子野に屹立(きつりつ)する巨大な平和像 それはいい それはいいけど そのお金で何とかならなかったかしら “石の像は食えぬし腹の足しにならぬ” さもしいといって下さいますな 原爆後十年をぎりぎりに生きる 被災者の偽らぬ心境です》
 1955年8月、被爆詩人・福田須磨子さん=74年に52歳で死去=が詠んだ詩「ひとりごと」です。須磨子さんは23歳のとき、爆心地から1・8キロ地点で被爆。高熱や脱毛など後遺症に苦しみ、紅斑症にもかかります。身体的、精神的苦痛と生活苦にさいなまれる日々…。3千万円の巨費を投じて造られた平和祈念像を見て、この詩を詠みました。」
・問われる空襲被害者の戦後補償
この記事は2020年放送のNHKスペシャル「忘れられた戦後補償」を下地にした2021年放送のクローズアップ現代の記事です。もとのNHKスペシャルを記事化したページは……もう削除されてしまい、この別番組の記事しか残っていない状況です。
被爆被害とは違った話なのですが、日本が戦後も、ずっと、いかに、国内外問わず、戦争責任に向き合っていない国であるか。民間人/市民を切り捨て、権力者/軍部を優遇してきたか。それがわかりやすい記事のひとつとして、引用します。
以下はNHKスペシャルの特集記事から当時引用した文面です。
「大将経験者の遺族には、戦犯であっても、兵の6.5倍の補償を実施。閣僚経験者に対しては、現在の貨幣価値で年1000万円前後が支払われてい���。その一方で、旧植民地出身の将兵は、恩給の対象から外された。」
「国家が総動員体制で遂行し、破滅への道をたどった日本の戦争。犠牲となった民間人は80万人。戦後、国家補償を求めた民間被害者の訴えは一貫して退けられてきた。」
「ドイツやイタリアと違い、軍と民の格差が時代とともに拡大していった日本の戦後補償」
(しかしNHKの戦争責任を問う特集関係の読みやすいWEB記事や記録は……数年しか残さない、消されてしまうし。オンデマンド配信に全て入る訳ではないようだしで。戦争の真実シリーズの731部隊の特集の書籍化は何年も延期が続き、今年やっと……出版されそう……?である現状(何かしらの検閲を受けていないかが、不安である)、本当に不気味で、最悪だ)
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sskyt · 2 years ago
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『「呪術」の呪縛』上巻読書ノート
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江川純一・久保田浩編『「呪術」の呪縛』(上)リトン、2015年。
 今、呪術がかつてないほど注目されている。近代西欧に成立したreligionに対して、劣位に置かれるmagic概念を所与のものとして前提とすることなく、改めて問い直し、概念史や各国の事例研究といった観点からその諸相に光を当てる書。
 以下、所収論文についての読書メモ。 江川純一・久保田浩「「呪術」概念再考に向けて:文化史・宗教史叙述のための一試論」
 全体の導入論文。日本語の「魔法」と「呪術」、学問的概念としてのmagic、西洋文化史におけるmagic、そして、本書の背景と��成が論じられる。「魔法」(1474)が室町中期に現れているのに対して、「呪術」は『続日本紀』(699)に言及がある。  とはいえ、「呪術」は近世・近代において人口に膾炙しておらず、20世紀後半にフレイザーのmagicの訳語として定着した(それ以前は「魔法」)。また、学問的概念としてのエティックな次元と日常言語としてのイーミックな次元の区別の重要性が指摘される。  学問的概念としてのmagicで要注目なのはタイラーとフレイザーであり、特に後者のmagic→religion→scienceという図式が重要。その後のmagic研究の系譜はある意味ですべてここから始まった。他方で、イーミックな次元で見れば、magicの語源は古代ペルシア語に由来するギリシア語のμάγοςに発する。  すなわち、magic概念には、そもそもペルシア由来という他者性が付与されており、つねに地理的他者(非西洋)、歴史的他者(古代)、宗教的他者(異教)という含意がある。近代的なreligionとscienceは、他者にmagicという名を与えることで、自己を正当化してきた歴史的経緯がある。 第一部 呪術概念の系譜
藤原聖子「アメリカ宗教学における「呪術」概念」
 ウェーバー以来、ピューリタンは「世界の脱魔術化」として位置づけられてきたが、1980年頃からピューリタンも呪術を実践していたとする研究が盛んになった。これらの研究を島薗進の新宗教研究(呪術と近代化は背反しない)と比較対象する論文。  アメリカにおけるピューリタンの呪術実践研究では、呪術と近代化の関係は問題とならず、呪術の感情面が重視され、信仰と理性の対立図式、すなわち、アメリカの知性主義対反知性主義というナショナル・アイデンティティの問題へと引きつけて理解されている。  たしかに考えてみれば、アメリカのホラー映画は、魔女、魔法、霊、占い、ゾンビと呪術に事欠かない。むしろ合理性の反作用としての呪術に取り憑かれているようにさえ見える。それはアメリカという国のアイデンティティに関わる問題で、非常に興味深い。  ちなみに、アメリカの呪術総決算的なホラー映画として「キャビン」おすすめです! この『呪術』論集は、「宗教」概念批判を経た後で、「宗教」周辺の重要概念をアプリオリに前提とせず、反省的にその概念の意味を問い直すという点で、『ニュクス』第5号「聖なるもの」特集と双子のような存在ですね。
竹沢尚一郎「イギリスとフランスにおける呪術研究」
 エヴァンズ=プリチャードのアザンデ研究における妖術論とグリオールのドゴン研究における占い論の検討を通じて、呪術を複雑な世界の「縮減」(ルーマン)の仕組みであるとする仮説を提唱する。
 注で触れられている、レイモン・ファースの師マリノフスキーへの問い「もしすべてがすべてに結びついているとすれば、どこで記述を終えたらよいのでしょうか」は、いかにもラトゥール的な問いのように思える。 横田理博「ウェーバーのいう「エントツァウベルンク」とは何か」
 この論文は何���読んでも面白い。ウェーバーのEntzauberung(脱呪術化、魔術からの解放)は有名な概念で、様々な論者によって援用されるにもかかわらず、ウェーバー自身はこの概念を定義しないために、その内容は実は不明確である。  著者は丁寧な読解によって、「脱呪術化」が『プロ倫』における「救いの手段としての呪術の否定」と、『職業としての学問』における「世界の意味づけの否定」という二つの意味をもつことを明らかにする。また、前者が呪術から宗教への移行であるのに対して、後者は「世俗化」を意味する。  ちなみに、私が『現代思想』のウェーバー特集に寄稿した「世界に魔法をかける」の元ネタはこの論文です。「脱呪術化」という概念でひとつ気になるのは、この語はつねにEntzauberung der Weltと「世界の/世俗の」という言葉を伴っていること。この点も「脱呪術化」を援用する論者に見落とされがちだ。
高橋原「初期の日本宗教学における呪術概念の検討」
 日本の宗教学の歴史の中でmagicの訳語としての「呪術」が定着していった過程を跡付ける。明治時代はmagicの訳語として「呪術」は用いられていなかったが、日本の宗教学の確立とともに大正時代にフレイザーの影響の下、「呪術」が定着していった。 谷内悠「呪術研究における普遍主義と相対主義、そして合理性:分析哲学と認知宗教学から」
 「呪術は合理的である」と言われるときの「合理性」について、タンバイアの普遍主義/相対主義の議論を批判的にアップデートさせることで解決しようとする。概念図式/メタ概念図式の議論はガブリエルの「意味の場」の議論を想起させる。  ただ、普遍主義と相対主義の対立をメタ概念図式によって解決するというのは、問題を一段先送りにしただけのような気もするし、最後に出てきた「生物的合理性」は素朴な自然主義のように思えて、正直なところ、肩透かしの感がある。 第二部 事例研究:アジア
鈴木正崇「スリランカの呪術とその解釈:シーニガマのデウォルを中心に」
 スリランカで最も呪力の強いとされるデウォルについての神話と実際の呪術実践から、呪術の特徴を探る。呪術は「外来」「異人」といった境界的状況に対する意味付与・統御として発生するのであり、現在のグローバル化による変動もまた呪術が力をもつ場である。  たしかにマゴスの語源的意味にしても、フェティッシュにしても、文化的・地理的・時間的な境界において、あるいは、他者との界面において、「呪術」(なるもの)は発生するように思われる。個人的には、障り、罪、穢れ、害、悪を意味するシンハラ語の「ドーサ」という概念が面白い。 木村敏明「プロテスタント宣教師の見た「呪術」と現地社会:ヨハネス・ワルネック著『福音の生命力』をめぐって」
 スマトラのバタックに宣教したヨハネス・ワルネック『福音の生命力』に基づいてキリス���教から見た呪術の意義と効用を検討する。ワルネックは、インドネシアの宗教をアニミズムとして特徴づけたが、その評価は両義的である。  著者はこれを「世界観としてのアニミズム」と「エートスとしてのアニミズム」に分類し、前者が称賛されるのに対して、後者は現世利益を追求する自己中心的な呪術実践であるがゆえに非難されるとする。しかし、ヨハネスはこうした呪術を逆手にとって宣教が可能となるとして、利用価値も認めている。 池澤優「中国における呪術に関する若干の考察:呪術という語の呪術的性格」
 面白かった。呪術を「非人格的な法則性に基づく宇宙の操作」と定義すると、人間の作為が宇宙の経営に関与するという点で、陰陽五行説のみならず、古代中国思想全般が「呪術」になってしまうが、これは概念の使い方として非生産的である、という。  古代中国宗教研究における「呪術」の用例として、『詩経』研究が取り上げられ、そこではおおむね「呪術」が素朴な宗教を指す語として用いられ、特に言霊信仰のようなものが想定されている、と指摘される。  私は特に、グラネ『中国古代の祭礼と歌謡』の解釈が面白かった。詩は個人の感情を歌ったものではなく、慣習によって定められた集団の感情を表出したものであり、慣用句は「興」という強制力をもって、自然を循環させる力をもつ、という。詩はいわば礼のような宇宙の形式なのだろう。
川瀬貴也「近代朝鮮における「宗教」ならざるもの:啓蒙と統治との関係を中心に」
 朝鮮における近代化、日本の植民地支配という観点から、「宗教」と「宗教」ならざるもの(呪術・迷信)との区別が何を意味しているかを示す論文。特に、今村鞆、村山智順による植民地下の民俗学的調査の視線が見つめる「迷信」が興味深い。  近代化・啓蒙によって退けられた「巫俗」が宣教師たちによって朝鮮宗教の本質と捉えられ、さらに、朝鮮民族のナショナリズムへと結びつき、現代韓国社会において伝統と見なされるようになった、という指摘が面白い。この辺りの話はどうしても「コクソン」を思い出さざるをえない。 第三部 事例研究:日本
井関大介「熊沢蕃山の鬼神論と礼楽論」
 近世日本儒学における鬼神の問題を、白石・徂徠・蕃山を中心に、主に「礼」の観点から検討する。蕃山にとって、祭祀儀礼の意義は、人心を無意識裡に統御し、社会を統治することにあったが、それは天人相関論によって宇宙の運行を正しく経営することでもあった。  蕃山によれば、鬼神祭祀の礼は、社会が経済的に豊かになって人心が堕落し始めたとき、富の余剰を有益無害な仕方で蕩尽させるために整備された、とのことだが、これはまんまバタイユの社会的蕩尽の理論と同じ���すね。 一柳廣孝「魔術は催眠術にあらず:近藤嘉三『魔術と催眠術』の言説戦略」
 明治期の催眠術ブームのベストセラー、近藤嘉三『心理応用魔術と催眠術』にしたがって、明治期の「魔術」イメージを検討する。近藤によれば、魔術とは心の中の霊気を通じて感通する手法であり、睡魔術と醒魔術に分けられ、前者は催眠術からは区別される。  魔術は、感通によって、施術者の意思が被術者へと影響を与えることであり、催眠術とは睡魔術のの導入部分にすぎず、近藤は催眠術による治療は有害であるとさえいう。ここら辺は黒沢清の「CURE」っぽい話ですね。 宮坂清「科学と呪術のあいだ:雪男学術探検隊、林寿郎がみた雪男」
 これは面白い。1959~60年の雪男学術探検隊に参加した動物学者林寿郎の記録から、雪男に関する科学的視点と呪術的視点の関係を問う。学者が探求していた「雪男」とシェルパにとっての「イエティ」が、実は同じではなかったことが判明する件がハラハラして特に面白い。  日本の雪男ブームの出発点は、今西錦司(1952年のマナスル登山隊が雪男の足跡を目撃)だったんだね。知らなかった。あと、雪男探検隊って、川口浩探検隊みたいなものかと思ってたら、ちゃんとした科学的調査隊が派遣されていたのも知らなかった。 今井信治「「魔法少女」の願い」
 1960年代の『魔法使いサリー』『ひみつのアッコちゃん』から現代の『魔法少女まどか☆マギカ』まで、魔法少女アニメを時系列順にたどりながら、そこで描かれている「魔法」表象があとづけられる。  東映魔女っ子シリーズが女子の人気を博したのは、当時、女子向けのテレビ番組がなかったからで、別に魔法でなくてもよかったとの分析だが、そうはいっても「セーラームーン」の継続的な人気や、映画「マジカル・ガール」を見ると、やはり女の子にとって魔法は特別な意味をもっているようにも思われる。 堀江宗正「サブカルチャーの魔術師たち:宗教学的知識の消費と共有」
 アニメやライトノベルで人気の「魔術」を分析することを通じて、データベース消費型のサブカルチャーがその消費者にとって「宗教」よりもリアリティをもつようになった現状を明らかにする。  「魔術」関心層は20~30代の男性であることと、魔術・宗教的語彙をもったメディア作品の受容者は自分を能動的に魔的キャラクターを使役する存在(つまり魔術師)として同定しているという分析を組み合わせると、なかなかに痛い実態が見えてくるような気がする。
 魔術を扱った代表的な作品として『とある魔術の禁書目録』が挙げられているが、現在(2023年)に改めて���様の問題を扱ったら、おそらく代表的な作品は『呪術廻戦』が挙げられることだろう。また、作中では錬金術はあくまでも「科学」であって「魔法」ではないとされるが、実態としてはどう見ても「魔術」を扱っている『鋼の錬金術師』がまったく言及されないのは不思議。
追記
藤原聖子「「呪術」と「合理性」再考:前世紀転換期における〈宗教・呪術・科学〉三分法の成立」『思想』No. 934、2002年、120-141頁。
 呪術は、科学と比べて「非合理的」とされる場合(フレイザー)と、宗教と比べて「合理的」とされる場合(ウェーバー)があるが、これは両者で「合理性」の意味が異なるためである。著者によれば、さらに第三の失われた合理性概念がある。  すなわち、呪術は、理論ー合理的な科学��対して、理論ー非合理的であるが、実践(合目的的)ー非合理的な宗教に対しては、実践ー合理的である。この2種の合理性に加えて、呪術には「ゾッとさせる」という意味での「実体的非合理性」が含意されている(デュルケーム、オットー)。  奇跡論においては、古代末期か~中世末期、奇跡は「聖」に結びついていたが、19世紀末には「超自然」と結びつくようになった、という話(マリン)が面白かった。つまり、キリスト教では奇跡が聖人の業として呪術に対置されていたが、近代以降、科学と対立するがゆえに超自然と結合した、ということ。
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reportsofawartime · 2 years ago
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クリス・ヘッジズ: 私はアルジャジーラのアラビア語放送のスタジオで、ガザ市からのライブ中継を見ています。ガザ北部のアルジャジーラ記者は、イスラエル軍の激しい砲撃のため、ガザ南部への避難を余儀なくされた。彼はカメラを置き忘れた。彼はガザ最大の医療複合施設であるアル・シファ病院でそれを訓練した。夜です。イスラエル軍の戦車が病院の敷地に向かって直接発砲する。水平方向に長く赤色が点滅します。病院への意図的な攻撃。意図的な戦争犯罪。重病人や幼児を含む最も無力な民間人の意図的な虐殺。その後、フィードが死んでしまいます。 私たちはモニターの前��座ります。私たちは沈黙しています。これが何を意味するかはわかっています。力がない。水がない。インターネットがない。医療用品はありません。保育器の中にいるすべての乳児は死にます。すべての透析患者は死にます。集中治療室にいる人は全員死ぬでしょう。酸素を必要とする人は皆死んでしまいます。緊急手術が必要な人は全員死亡します。そして、容赦ない爆撃で家を追われ、病院の敷地に避難してきた5万人はどうなるのか?私たちもそれに対する答えを知っています。彼らの多くも死ぬだろう。 私たちが目撃しているものを表現する言葉はありません。 5 週間にわたる恐怖の中で、これは恐怖の頂点の 1 つです。ヨーロッパの無関心は十分に悪い。米国の積極的な共謀は計り知れない。これを正当化するものは何もありません。何もない。そしてジョー・バイデンは大量虐殺の共犯者として歴史に残るだろう。彼が殺害に関与した何千人もの子供たちの幽霊が、彼の残りの人生につきまといますように。 イスラエルと米国は、世界の他の国々にぞっとするようなメッセージを送っている。ジュネーブ条約を含む国際法や人道法は無意味な紙切れです。イラクでは適用されなかった。ガザでは適用されない。私たちは爆弾とミサイルであなたの近所や都市を粉砕します。私たちはあなたの女性、子供、老人、病人を理不尽に殺害します。私たちは飢餓と感染症の蔓延を画策するために封鎖を設置します。地球の「下等な種族」であるあなたたちは問題ではありません。私たちにとってあなたは絶滅すべき害虫です。私たちはすべてを持っています。もし私たちから何かを取り上げようとしたら、私たちはあなたを殺します。そして私たちは決して責任を負いません。 私たちは自分たちの価値観のために嫌われているわけではありません。私たちが嫌われるのは価値観がないからです。ルールは他人にのみ適用されるので、私たちは嫌われます。私たちには違います。私たちが嫌われているのは、無差別虐殺を行う権利を自分たちに傲慢に主張しているからです。私たちが嫌われるのは、無情で残酷だからです。私たちが嫌われているのは、私たちが偽善者であり、民間人保護、法の支配、人道主義を語りながら、160人の子供を含む毎日数百人のガザの人々の命を奪っているからです。 イスラエルは、数百人の死者を出したガザのアル・アハリ・アラブ・キリスト教病院爆撃容疑で非難されたとき、憤りと道徳的怒りで反応した。イスラエルは、この爆撃はパレスチナ・イスラム聖戦が誤って発射したロケット弾によるものだと主張した。ハマスやイスラム聖戦の兵器庫には、病院を襲ったミサイルの巨大な爆発力を再現できたものは何もない。ガザを取材してきた私たち人間は、このイスラエルの比喩を、不気味なほど何度も聞いてきた。彼らは常にハマスとパレスチナ人の戦争犯罪を非難しているが、現在は病院がハマスの司令部であり、したがって正当な標的であると主張しようとしている。彼らは決して証拠を提供しません。イスラエル軍と政府は息をするように嘘をつきます。 アル・シファで職員が勤務する国境なき医師団は声明を発表し、患者、医師、看護師が「銃撃を受けて病院に閉じ込められている」と述べた。同団体は「イスラエル政府に対し、ガザの医療システムに対する容赦ない攻撃を中止する」よう求めた。 「過去24時間にわたり、ガザの病院は容赦ない砲撃にさらされている。 MSFスタッフが今も勤務している最大の医療施設であるアル・シファ病院複合施設は、産科部門や外来部門を含む数回の攻撃を受け、複数の死傷者を出している」と声明には記されている。 「病院周辺での敵対行為はまだ続いている。 MSFチームと数百人の患者は今もアル・シファ病院内にいる。 MSFは病院への攻撃の停止、即時停戦、医療施設、医療スタッフ、患者の保護を緊急に改めて求める。」 ガザ北部とガザ市にある他の3つの病院はイスラエル軍と戦車に包囲されており、ある医師はアルジャジーラに対し「病院に対する戦争の日」だと語った。インドネシア病院も停電したと伝えられている。国連人道問題調整事務所(OCHA)は、ガザにある36の病院のうち20病院がもはや機能していないと報告している。 イスラエルとワシントンの皮肉は息をのむほどだ。趣旨に違いはございません。ワシントンはただそれを早く終わらせたいだけだ。人道回廊?砲撃は一時停止しますか?これらはガザ北部の完全な人口削減を促進するための手段です。ラファのエジプト国境通過を許可された数台の援助トラック?広報ギミック。目標はただ一つ、殺して、殺して、殺して。速ければ速いほど良いです。バイデン当局者が話しているのは、イスラエルがガザの破壊を終えた後に何が起こるかということだけだ。彼らは、ガザ人が地区南部で避難所もなく野外で暮らし、食糧、水、医療の不足で死に至るまで、イスラエルによる虐殺は終わらないことを知っている。 イスラエルが地上侵攻する前のガザは、地球上で最も人口密度の高い場所の一つであった。北部の110万人のガザ人に南部の100万人以上のガザ人が重なったら何が起こるか想像してみてください。コレラなどの感染症が流行したときに何が起こるかを想像してみてください。飢餓の惨状を想像してみてください。何かをしなければというプレッシャーが高まります。そしてイスラエルは、パレスチナ人を国境を越えてエジプトのシナイ山脈に押し込むことを望んでいる。一度そこに行ってしまうと、彼らは決して戻ってくることはありません。イスラエルによるガザ地区の民族浄化は完了するだろう。ヨルダン川西岸の民族浄化が始まるだろう。 それがイスラエルの狂った夢だ。それを達成するために、彼らはガザを居住不可能にするでしょう。 もしあなたがガザのパレスチナ人で、武器を手に入れられたらどうするだろうか、と自問してみてください。もしイスラエルがあなたの家族を殺したら、あなたはどう反応しますか?国際法や人道法は抑圧者には適用されず、���圧された者にのみ適用されるとわかっているのに、なぜそれを気にするのでしょうか?テロがイスラエルがコミュニケーションに使用する唯一の言語であり、明らかに理解できる唯一の言語であるなら、あなたはテロで言い返さないでしょうか? イスラエルの死の乱交はハマスを潰すことはない。ハマスというのは一つのアイデアだ。この考えは殉教者の血によって養われています。イスラエルはハマスに豊富な物資を与えている。
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yotchan-blog · 15 days ago
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2025/6/15 22:00:07現在のニュース
政治の米・経済の米・文化の米 新谷尚紀著 日本の国・人をつくった��物 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/6/15 21:58:03) 介護食多様に、満足度も高く 配食にレトルト、料理教室も - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/6/15 21:58:03) iFreeNEXT ATMX+[04315213](運用会社 : 大和)([B!]日経新聞, 2025/6/15 21:58:03) SMT グローバルサウス株式インデックス・オープン[64311247](運用会社 : 三井住友TAM)([B!]日経新聞, 2025/6/15 21:58:03) 家事・育児時間、男女差縮む 新潟は男性1日153分 栃木、便利家電使い「一緒に」 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/6/15 21:58:03) イーストスプリング・インドネシア株式ファンド(資産成長型)[83311237](運用会社 : イーストスプリング)([B!]日経新聞, 2025/6/15 21:58:03) iFreeNEXT ベトナム株インデックス[04312246](運用会社 : 大和)([B!]日経新聞, 2025/6/15 21:58:03) J1柏、2位浮上 小泉佳穂「同じ絵を描けること多くなっている」(毎日新聞, 2025/6/15 21:55:27) J1柏、2位浮上 小泉佳穂「同じ絵を描けること多くなっている」(毎日新聞, 2025/6/15 21:52:25) We Live in Time この時を生きて 時間演出で浮かぶ生と死 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/6/15 21:51:58) 秋田・岩手の出生数、10年で4割減 地方、子育て充実策競う - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/6/15 21:46:07) 残された9千万円、高校の恩師から託された教え子 先生らしい使い道:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/6/15 21:39:43) <マネー相談 黄金堂パーラー> 親が亡くなったら(中)年金・健保の手続き 未支給年金、請求期限は5年 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/6/15 21:39:17) ソフトバンク・近藤健介 今季第1号は監督との「腰トーク」のおかげ(毎日新聞, 2025/6/15 21:38:16) ソフトバンク・近藤健介 今季第1号は監督との「腰トーク」のおかげ(毎日新聞, 2025/6/15 21:33:56) 特集ワイド:田んぼ発電、合原亮一さんの挑戦 太陽光の最適シェア追求 米不足、「三方よし」で増産へ | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/6/15 21:33:28)
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straycatboogie · 3 months ago
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2025/03/17 壁と情熱
BGM: Paul Weller - Has My Fire Really Gone Out?
今日は遅番だった。今朝、いつものように英会話関係のZoomミーティングに顔を出す。いつもこのミーティングでは興味深いテーマが日替わりで供給されているのだが、今日のテーマはことのほか身近なことがらだった。昨今若い世代の働き手が管理職になることを拒み、仕事よりも彼ら・彼女たち自身の私生活を充実させるほうに主眼を置く傾向がある、というのがその骨子だった(俗に言う「ワーク・ライフ・バランス」の問題と言えるのかもしれない)。つねづね書いてきたように、ぼくのいまの立場としては市内のとある会社で発達障害者として(つまり、言い方を変えれば「精神障害者枠で」)勤務させてもらっているというもので、だからけっしてマネージャーやその他管理職でもなんでもない、つまりはただのしがない小市民だ。ただ、その立場(ブレイディみかこ風に言えば「地べた」)からこそ見えるものもある。そんなことを今日のミーティングでは他の方々と話し合った。ちなみに、いまはぼくは社でエラくなろうとかなにかでかいことを成し遂げようとか、そんなことはあまり考えていない。社の中ではぼくはただの「よくわかんない」はみ出し者というかは��れ者でしかないだろう。それより、仕事をそれなりに手堅くこなしつつプライベートで趣味として英語学習を続けて市内のボランティア活動でこの語学力を活かせたらなあ……と甘い夢を持っているというのが正直なところなのだった。
そのミーティングが終わったあとは朝食を摂り、そしてイオンまで赴く。昨日、この日記でも書いたが英語研究会でぼくは参加者の1人としてJ・K・ローリング『ハリー・ポッター』の原書を読み進めた。なので身体がまだ暖まっているうちに復習をしておきたいと思って、あらためてページを開き読み返した。ただ、突如としてこんなことを自問自答してしまう。自分の英語力というものはほんとうに・たしかに向上しているんだろうか、と。あきらかなこととして、この種の語学力というのはそんなに一朝一夕に・急激に伸びたり縮んだりしない。静かに、そしてゆっくり伸びはじめる。だからこそ日々、ねばり強く学んで「仕込み」というか「下ごしらえ」をしてあとは伸びてくれる日がくることを祈るしかない。でも今日はなんだか「ほんとうにこんなんでいいんだろうか」と不安になったのだった。なんだか、まったくもって間違った学び方をしてるんじゃなかろうか……そう思うと不安で居ても立っても居られない。チャプターハウスの音楽を聴きながら、そんな不安と向かい合った。
なんでそんなことをしてしまったのかいまになってはわからないのだけれど、とにかくそんな感じで「居ても立っても居られない」となるととにかく見境なく動いてしまうのがぼくのクセで、昼前にインドネシアに住んでおられるぼくの友だちの(そして、ためらわずに言えることとしてぼくのだいじな「英語の師匠(メンター)」でもある)ジュディスさんにこの不安についてテキストをWhatsAppでしたためて送る。すると即座に、ジュディスさんはぼくの書いたテキストを読まれてそして、「バーンアウト(燃え尽き)」に陥っているのではないですか、とおっしゃった。そしてフラッシュカードなど別のメソッドを試してみてはどうか、とも言われた。たしかに毎朝の英会話関係のZoomや英会話教室、英語研究会やこの日記やDiscordでのチャットなどを日々楽しんではいるもののなんだかそうしたことは「マンネリ」というか、「ルーチンワーク(決まり切った繰り返し)」になってしまっていたかもしれないなと反省する。それで「壁」というか「ブロック」にぶつかったのかなあ、と。フラッシュカードや、前にそのジュディスさんが薦めてくださっていたEpisodenを使ってみることも視野に入れたいと思った。
それはそうと、こうして書いてきたことをたわむれに読み返して、そして思う。なんと自分の中にはタフな情熱というかスピリットというか、よくわからないがアントニオ猪木ばりの「闘魂」があるように思う。いったいなんでここまでしてぼくは英語に情熱を燃やしてしまうんだろう、とあきれてしまう。バカだなあ……と。過去、アルコールに溺れてドロドロになって生きていたころはほんとうにいったい日々なにをやったらいいんだかわからず、資格を取ることを薦められたり転職を誘われたりもしたがけっきょくなんらモチベーションも湧かず、だからなんにもせずビールを煽るのが関の山だった。まさに負け犬だった。でも、なんだかんだでいまはこうして幸せに生きている。もしこの英語や読書への情熱をぼくの人生から差っ引けば、なんだかあとにはなんにも残らなくなっちゃうかなあとも妄想してしまったりしたのだった。ただ、いまは多様性の時代だ。人の生き方はいろいろ。こんな人生だってあってもいい。ぼくはそう信じる(というか、そう信じるっきゃないと思っている)。そして学びは続く。
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doctormaki · 1 year ago
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お散歩がてらの、初めてのハンブルグ観光。港湾博物館やスパイス博物館、そしてミュンヘンから修学旅行に来る女子高校生憧れのカフェ・ド・パリへやっと潜入。
ハンブルグはその昔、大きな中洲をくり抜き整備して自然にあった中洲を人工的にドックにした港湾都市。従い、1960年代以降、大きな貨物船になるに連れ、1880年代の手掘りの港湾工事では大型船舶が入ってこれず、港湾としては限界を迎える。そのため、より外海へと今の主要港湾は移動している。では、ハンブルグ手掘り港湾のできる前は、どこが主要なハンザ同盟の港湾だったかというとブレーメンの音楽隊で有名なブレーメンである。1800年代半ば頃まではブレーメンの方がハンザ同盟としては栄えており、北ドイツで唯一百年以上続くレストランや有名なティーハウスなどは、ブレーメンにある。
なぜ、ハンブルグか。その鍵を握ったのはユダヤ人達であったらしい。当時はデンマークの直轄飛び地もハンブルグにはあり、未だに特別地区として日曜の午前中まで市場を開ける。fischmarktとして有名な観光地になっており、私も数回行ってみたが、わざわざ行くほどのものではなく、別に美味しい魚が売られている訳ではない。完全に観光市場になっているので、雰囲気が好きなら行けば。。。って感じの場所。話しを元に戻すと、ビスマルクがワイマール共和国としてドイツを統一するまでは、みんな諸侯が勝手に治めていたというのがドイツである。日本よりも随分遅く統一されているのだ。だからという訳では無いが、ドイツは地方色が未だに強く、地方同士で仲が良くない。ユダヤ人殺せみたいな、共通の目的でもないと、なかなか一致団結できない人々なのだ。私みたいな超ド田舎の辺境のバナナ人の島��ら着た人間にでさえ、仲良くなるとドイツ人は自分の出身地以外の人間の悪口を平気で言う。まぁ部外者はどうでも良いので、部外者のワシは聞き流している。が、一部道理が通っているところもあるので、全て聞き流している訳ではないが。。。
さて、この港湾。第二次大戦中、イギリスから空爆の標的にされ、八割は消失している。そこをねちっこいドイツ人気質で、19世紀の設計図を引っ張り出して、寸分違わず1950年代には再建する。しかし、1960年代半ばからは、大型船舶が入れない位に水深が浅い事から、全く使いものにならなくなり、もっぱら中東戦争を逃れて絨毯やスパイスを持ち込んだアラブ人たちに倉庫として利用されるようになり、世界遺産に登録されるまでは荒れ放題に荒れていたらしい。
世界遺産に登録されてからにわかに再開発が進められ、エルブフィルの入る音楽ホールなどもできて、現在に至る。
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港湾博物館で感動したのは、港湾の歴史だけではなく、主な交易品についての説明。ブレーメンや北ドイツは紅茶を好むのだが、なんとドイツ人が1年間に飲む紅茶茶葉の量はたったの240g程度。ワシなら優に一ヶ月でそれ位の量の茶葉、緑茶、紅茶、中国茶を飲んでいる。ドイツ人は紅茶の代わりに、ハーブティーを飲むのだが、これは貧民のやっかみだったらしいことを、ここの博物館で学ぶ。ヨーロッパにおける港湾都市は少ない。南にマルセイユ、ベニスがある程度。北はやはりブレーメンかハンブルグになる。アントワープはまた別だから。。。ドイツ語圏内に売りさばくスパイスや茶葉、コーヒー類は全てドイツ経由なのだ。だから、彼らは中間マージンとして莫大な関税と莫大な上乗せ金で利益を得ている。ハンブルグのなんとも言えない鼻につく、にわか金持ちとしか思えない豪奢振りは、こうした浅い歴史の成せる技なのだ。現にワシの所属する研究所の創設者も19世紀後半にハンブルグは儲かるらしいという噂を聞きつけた貧しい漁師が、自分で木を切って小船を作り、当時の大型船から人や荷物を搬入したり降ろしたりする事をビジネスに思いつき、デンマークとの国境付近の小さな島から移住したリックマース家に由来する。ワシ、通りで、エルクの事嫌いなはずだ。底浅いし、品が無いし、バカだし、最悪の男だとしか思っていない。まぁ、でも給料貰いながらドイツ見聞できるので、貰える間はいないとね。ワハハ。
紅茶や茶葉は、完全に貴族階級や金持ちの飲み物で、庶民はどうひっくり返っても飲めないものだったらしい。なぜなら、港湾都市特権で州として州外に関税をかける事ができたらしいので、ドイツ語圏内外の内陸ヨーロッパにおける茶葉やスパイスの独占販売ができたのだ。内陸都市からしたら、仕方ないので高額をふっかけられても購入していたのだろうが、従って、実は未だにハンブルグ嫌いな人々は多い。そうした反発を金と金で買った権力で黙らしているのが、ハンブルグなのだ。またおまけに、ユダヤ人イジメの時期に入ると、ユダヤ人は強制収容所に送り込み、彼らが築いた商売を居抜きでい���だいてしまったのが、今偉そうにしているドイツ人たち。だから、功罪のつもりなのか分からないが、ハンブルグは社会民主主義党員が多い。ショルツも社会民主党。
コーヒーは、主にインドネシアとブラジルから輸入していたが、これは、チョコレートの代替品としての利用だったらしい。日本人はチョコレートは食べ物と勘違いしているが、チョコレートは元々、飲み物ざます。単価重量が金より高いカカオ豆は貴族や金持ちしか手が出せず、中産階級の庶民が飲んだのがコーヒー。ライプツィヒに住んでいたバッハもコーヒー・カンタータを書いてしまう位、コーヒーはバッハの頃、庶民の間でチョコレートの代替品として爆発的に普及する。つまりだ。貴族の紅茶に対して、庶民のハーブティー。貴族のチョコレートに対して、庶民のコーヒーという構図があるらしい。
このコーヒー豆。ワシもその昔、家の庭にコーヒーの木があったし、母はロブスターとアラビカならアラビカしか飲みたくないだろ、ロブスターなんてカサ増しよ、カサ増し、という暴言をカマスほどの中産階級ザ庶民代表。なんと、ハンブルグではコーヒーは、中間輸入業者として重要なコモディティだったので、コーヒー豆は女性達が一粒一粒、手で選別していたらしい。右上の白黒写真は、女性達がコーヒー豆を選別している所。旦那が港湾労働している間、妻はコーヒー豆選別という構図だ。大阪の堺の博物館で見たのだが、江戸時代にでさえ、日本では漢方薬原料の選別に用いる木枠を発明していたのに。。。ドイツ人ってアホ。っつーか、人間を人間とも見なさない習慣は、何もユダヤ人迫害で露呈したのではなく、ドイツ人同士でもやっていたのね。。。道理で、世界の天才ワシの事も腐ったバナナ扱いするわけだ。なーんてね。ガハハ。色々と勉強になった。
しかし、もう帰国が目の前の今、色々と博物館に行くので良かった。こんな事を着任前に知っていたら、もうこちらで出くわした事、数々のイヂメや嫌がらせにヘドが出て、さっさと任期満了前に逃げ帰っていただろう。まぁ実際、お休み毎に逃げ帰ってはいましたが。。。そうでもしないと精神的に持たない街ですな。ハンブルグは。
スパイス博物館は御愛嬌。カンボジアの胡椒が胡椒のシャンパンと呼ばれているとか、胡椒の実が成る軸の部分でさえ輸入して胡椒代わりに使っているとか、中国からは乾燥生姜を大量に輸入していたとか、ここでも、ハンブルグと中国の昔からの蜜月振りを味わう。ごちそうさまでした。
帰りに、今まで一度も入れず、予約無いのに何来ているの?あんたバカ⁇扱いをする、高慢ちきなカフェ・ド・パリに何気なく寄ってみると、なんと、すんなりと通してくれた。第二次大戦中の爆撃を逃れたので戦前の雰囲気を残す室内とおフランス料理を売りにしている。今日のケーキは何あるか?とドイツ語で聞くと、色々と言ってくる。ワシ、頭の中が大混乱。ドイツ語分かるけど、もう言われた矢先からケーキの名前は忘却し、どんなケーキなのかしか分からない。ドイツ語でレモンタルトが言えなかったので、タルト・オ・シトロン、シルヴプレざーますと、あまりにも気取っている店員にムカついてフランス語喋ってやると、ドギマギして英語で応えてくる。アホか、こいつら。ドイツ語片言だからって、ワシを舐めんなよー!と思っていると、感じの良い若いケルナリン(ウェイトレスのドイツ語)が給仕担当になってくれた。可愛い女の子なので全て許す。
黄昏時の港湾と、その名も「木綿(Baumwall)」という駅。後ろにそびえるのはミヒャエル教会。ミヒャエル教会を見て、咄嗟にコックのミヒャエル君と彼女のレベッカを思い出し、一報入れておく。あぁ。観光って良いわ。気楽で。
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ysformen · 1 year ago
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イギリスに留学中、ふとイギリス人講師から 
『イギリスが移民社会になったのは日本人のせいだ』 
と言われたことがある。
「なんで?」と聞くと
「日本人が大英帝国の植民地労働を奪い、仕方なく自国の中に同様の労働力をいれたから」
と答えた。
ブリテンらしい言い草じゃな!!
ワシらは、あの戦争を侵略戦争だとならった。
それは受け手によっては正しい。
植民地と基本的人権が認められない奴隷をもっていた、
イギリスやオランダにしてみたら、
奴隷は財産だから侵略された、という認識は正しいよな。
しかし、当事者の人権が認められていなかった人々に���てみたら、
「奴隷の身分を日本人に奪われた!」となるのか?
ならんよな。
しかし、戦争が終わった直後はみんな日本人に感謝していても、
時代が経って当の日本の総理大臣が
「侵略のおわび」を何度も口にしたら、
世代交代と共に当時の記憶を語り継ぐ者もいなくなり、
「日本人が侵略したといっているなら侵略だろ」
と東南アジアの人々がなるのは無理ないよな。
でもな
「日本人が戦争する前に、東南アジアな人々の人権を保障する根拠法はあったのか?」
という客観的な視点から見ると、
「なかった。しかし、日本が戦争をした後、独立して憲法を制定し、人権保障の根拠法が出来た」
という事実がわかるわけじゃ。
ワシもみんなと同じ反日教育を受けて育ったが、
ワシが通っていたイギリスの国立大学院の図書館には、
反日思想を前提にして書かれた本はなく、
ただ客観的に
「日本の軍事侵攻でイギリスの財産である植民地と労働力が奪われた」
と書いてあるわけじゃ。
『目覚め』がそこにあった。
フランシス・フクヤマという人が書いた
「歴史の終わり」という本にはな、
なぜナチスとソ連が戦い、ソ連が勝った理由が書いてある。
それは、ゲルマン民族至上主義を支持する人の数より、
共産主義を支持する人の数が多かったため、
パルチザン活動など個々の人々の抵抗運動などを抑えるため
ナチスは国力を投じざるを得ず、結果的に負けた。
次に民主主義と共産主義の戦い(冷戦)では、
民主主義を支持する人の数が、
共産主義を支持する人の数より多く、
共産主義体制を維持するためには、
通信や出版の検閲や統制、
人々の活動監視など維持コストを払う必要があり、
監視する人は監視の仕事に労力を費やすわけだから、
経済活動がその分弱まり、
結果国民を統制するコストが少ない民主主義が勝利したわけじゃ。
日本の戦争も、 
「東南アジアを植民地にしたい」という人々よりも、
「東南アジアを独立したい」という人々が多かったから、
結果的に、いま独立国なわけじゃな。
日本の戦争が終わったあとも、
インドネシアにはオランダ軍が侵攻して再度の奴隷化を試みたわけじゃが、
インドネシアの人々は日本人義勇兵数千人と日本軍から供与された武器を使い、
侵略に打ち勝ったわけじゃ。
ここでな、もし日本の戦争が東南アジアの人たちからみて侵略ならば、
なぜ日本への大規模な抵抗戦争が起きなかったのか? ということになる。
実際、オランダがインドネシアを侵攻したとき、
強烈かつ大規模な抵抗がおきたわけじゃ。
なぜ、同じことが日本の侵攻には起きなかった?
それは、当時のインドネシアの人々が
「オランダは侵略者だが、日本は解放者だ」
と認識していた証左だとワシは思う。
日本には素晴らしい、誇らしい歴史がある!
それはワシらの心を豊かに強くする。
国防とは、物理的な土地を守るだけではない!
精神的な心を守ることを含めて国防なんじゃ!
不正な罪悪感は人を弱体化させる毒じゃ!
毒をこの国から無くすんじゃ!
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almostautohonyakudiary · 1 year ago
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日本における人種的プロファイリングは蔓延しているが、目に見えない、と一部の住民が指摘
日本における人種的プロファイリングは蔓延しているが、目に見えない、と一部の住民が指摘
専門家によれば、外国生まれの住民に対する警察の差別に関する日本初の訴訟は、システムとしての問題を浮��彫りにしている。
「あなたの髪型が悪いというわけではありません」と、東京駅で通勤客が行き交う中、警察官は黒人青年に丁寧に説明した。ただ、彼の経験によれば、ドレッドヘアの人は麻薬を所持している可能性が高いというだけなのだ。
アロンゾ・オモテガワさんが、2021年に自身が職務質問をされた時のビデオは、日本における人種的プロファイリング[racial profiling, 人種による取締り差別]についての議論と、警察内部での見直しにつながった。しかし彼にとっては、13歳のときに初めて取り調べを受けたときに始まった、長年の問題の一部だった。
日本人とバハマ人のの間に生まれ、日本で生まれ育った英語教師のオモテガワさん(28歳)は、「彼らの中では、ただ自分の仕事をしているだけなんです」と語る。
「私はあるがままの日本人と同じで、ちょっと日焼けしているくらいです」と彼は付け加えた。「すべての黒人がドラッグを持っているわけではありません」。
出稼ぎ労働者、外国人居住者、混血の日本人の増加により、伝統的に均質であった日本社会が変化し、部外者に対する根強い猜疑心が試される中、日本では人種的プロファイリングが火種となってきている。
世界有数の高齢化社会と如何ともし難い少子化を背景に、日本は制限的な移民政策の見直しを余儀なくされている。記録的な数の出稼ぎ労働者が日本にやってくる中、ホテルの部屋を片付けたり、コンビニのレジを打ったり、ハンバーガーをひっくり返したりしている人々の多くは、ベトナム、インドネシア、スリランカなどの出身者だ。
しかし、日本に住む外国生まれの人々は、彼らに対する社会的態度の適応が遅れていると言う。今年1月、3人の外国人住民が、日本政府と、東京都と愛知県の自治体を相手取り、警察の対応をめぐる訴訟を起こした。原告らは、人種的な外見を理由に、無作為の職務質問や��索を定期的に受けてきたと述べた。
この裁判は、警察官が日常的に人種的プロファイリングに基づいて取り締まりを行っていることを主張する日本初の裁判であり、原告や専門家は、日本の一般市民はほとんどこの問題に気づいていないと述べている。
帰化した1人と長年日本に住んでいる2人、合計3人の原告はそれぞれ、年に何度も職務質問を受けてきたと語った。そのうちの1人、日本に20年以上住んでいる太平洋諸島出身者は、警察におそらく70回から100回質問されたとしている。
原告側の代理人である谷口モトキ弁護士は、日本ではすでに現実のものとなっている状況に対して、認識が追いつくのが遅れていると述べた。
「多くの日本人はまだ、日本は均質な国であり、移民は社会を壊すから受け入れるべきではないという幻想の中にいます」と彼は言う。
オモテガワさんのビデオが大きな反響を呼び、東京のアメリカ大使館が人種的プロファイリングについてアメリカ人に警告を発した2021年、日本の警察庁が認めたことと、谷口氏のクライアントの体験は食い違っている。警察庁によれば、約300万人の外国人居住者がいるこの国で、人種的プロファイリングが行われたのは前年はわずか6件だったという。警察当局は、警察官は(その6件についても)「差別的意図」なしに行動しており、合理的な疑いがある場合にのみ質問するよう訓練されている、と警察官を擁護した。この訴訟についてはコメントを避け、プロファイリングに関する最新の統計は持っていないと述べた。
この訴訟は、各原告に約22,000ドルの損害賠償と、人種差別的な警察の取り調べが日本の法律に違反することを認める判決を求めるもので、警察内部のガイドラインの中には、プロファイリングを明確に奨励するものがあると述べている。その一例として、2021年に愛知県で作成された警察の訓練マニュアルを挙げている。このマニュアルでは、外国人を呼び止めて尋問するために、麻薬、銃器、入国管理に関する法律を活用することを奨励している。
この訴訟で引用された下士官向けのマニュアルをニューヨーク・タイムズ紙が確認したところによれば、そこには「何でも通用する!!」と書かれていた。「一見して外国人に見える者、日本語を話せない者は、例外なく何らかの違法行為を犯したと固く信じるべきである」
愛知県警は、その具体的なマニュアルが現在使用されているかは「確認できない」としている。
東京弁護士会が2022年に行った調査では、日本に住む外国人のおよそ10人中6人が、過去5年間に職務質問を受けたことがあると答えた。この調査は外国人住民のみを対象としており、一般的な日本国民との比較は行っていない。何人かの外国人居住者は、警察のプロファイリングは普遍的なものだと感じているとインタビューで答えている。
ウパディヤイ・ウケシュさん(22)は、14歳の時に父親と一緒にネパールから日本に来た。2017年、まだ10代だった彼は、通学途中に呼び止められ、4人の警官に両手を挙げさせられ、バッグの中を調べられたという。彼らは鉛筆、消しゴム、ノート、教科書だけを見つけ、彼を帰らせた。
現在、大阪のホテルで働き、約50人のアルバイト従業員(その多くは日本人ではない)を監督しているウケシュさんは、プロファイリングはそれ以来、定期的な迷惑行為になっていると語った。最近も、路上でガールフレンドを待っていたところ、2人の警官に身体検査を求められたという。
「黙って検査をさせました。でも、理由もなく持ち物をチェックされるのは本当に嫌なんです」。
東京で食料品店の店長を務めるチャン・トゥアン・アンさん(35歳)は、10年前に語学留学生としてベトナムから初めて日本に来たが、年に1、2回は警察に呼び止められるという。一度だけ、電車を乗り換えようと急いでいるところを警官に追い詰められたことがある。最近の刺殺事件に関わっていたと疑われたようだという。
「彼らは私を外国人だと思って追いかけてきました。私が逃げられないように一人の警官が私の前に立ち、もう一人の警官が私の後ろに立っていました」
大阪大学社会学部教授の五十嵐アキラ氏は、日本では個人の態度が変わっても、警察のような官僚組織はより硬化していると指摘する。警察官は、犯罪は移民に多いという誤った前提に基づいて行動しているように見える、と彼は言う。
「日本の警察は、これが差別であることを知らないのです」と彼は言う。
オモテガワさんを含め、少数ではあるが増えつつある他民族出自や帰化した日本人にとって、このような体験は特に衝撃的だ。
スリランカ人の母と日本人の父の間に生まれた永井ローラさん(31歳)は、フィットネス・インストラクターとして出勤する途中、警察に何度も呼び止められ、職務質問を受け、遅刻してしまったという。彼女の上司や同僚は、このようなことがあまりに定期的に起こっていることを信じられず、彼女を信じなかったようだ。
彼女は、最近の訴訟に関する報道で人種的プロファイリングという言葉を知り、大人になってからの人生の大半で経験してきた不安な体験をどう呼ぶのかわかったという。
「日本の普通の人たちは、こんなことが起こっていることを知らないと思います」と永井さんは言った。
ヴィクトリア・キム、ヒサコ・ウエノ
ニューヨークタイムズ紙に掲載
2024.3.4
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shintani24 · 1 year ago
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2024年2月9日
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国の借金、過去最大1286兆円 23年末、財政運営厳しく(時事通信)2024年2月9日
財務省は9日、国債や借入金、政府短期証券の残高を合計したいわゆる「国の借金」が2023年末時点で、過去最大の1286兆4520億円になったと発表した。
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【ひと目でわかる】「国の借金」の推移 国の借金、1276兆円 過去最大を更新―6月末(時事通信 2023年08月10日)より
高齢化に伴う社会保障費の増大などを税収で賄えず、借金頼みの厳しい財政運営が続いている。
借金の合計額は23年9月末比で10兆8404億円増加した。内訳を見ると、政府系金融機関などへの貸し付け原資となる財投債や政府短期証券は減少したものの、普通国債が1043兆7786億円と同16兆3657億円増えた。
不破雷蔵 「グラフ化してみる」「さぐる」ジャーナブロガー 補足 今記事参照元は財務省「国債及び借入金並びに政府保証債務現在高(令和5年12月末現在)」ですが、そこでは「国の借金」「借金」との文言は一切ありません。「国の借金」は、日本国政府が発行している国債(の額)を示しますが、「借金」の対象が日本国全体、国家組織や所属企業、民間人の全てに至るまでとの誤読につながります。たとえ「いわゆる」を本文でつけ釈明していたとしても、です(タイトルにはそれすらありません)。
日本国債の約9割は日本国内で購入され、その額は日本国民の債権。さらに日本国債は円建て。日銀の利益のうち剰余金は準備金や出資者への配当に充当される分を除き、国民の財産として国庫に納付。
借金云々とするのなら、負債だけでなく資産も見る必要があります。なお日本の対外純資産(対外資産と対外負債の合算)は3.16兆ドルで世界第一位(IMF公開値より)です。
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【速報】日経平均終値743円高 3万6863円 終値でバブル後最高値更新(TBS NEWS DIG 2月8日)2024年2月8日に追記
きょうの東京株式市場で日経平均株価は、きのうより743円高い3万6863円で取引を終え、バブル後の最高値を更新しました。
7日のニューヨーク株式市場でダウ平均株価が史上最高値を更新した流れを引き継ぎ、半導体関連株や好調な決算を発表した銘柄を中心に買われました。
上げ幅は一時800円を超え、3万7000円に迫る場面もありました。
イギリスの半導体設計大手アーム・ホールディングスが業績予想を上方修正したことをうけて、親会社のソフトバンクグループも大きく値上がりしています。
また、日本銀行の内田副総裁が講演で「マイナス金利の解除後もどんどん利上げをしていくようなパス(経路)は考えにくく、緩和的な金融環境を維持していくことになると思う」との見解を示したことも相場の支えとなりました。
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日経平均終値34円高、2日連続でバブル以来の高値更新…一時3万7000円台まで上昇(読売新聞 2月9日)
9日の東京株式市場で日経平均株価(225種)の終値は前日比34円14銭高の3万6897円42銭で、1990年2月以来、34年ぶりの高値となった。日経平均がバブル景気以来の高値を更新するのは2日連続。上げ幅は一時400円を超え、3万7000円台まで上昇した。
【一覧】売買代金は943兆円以上…証券取引所の現状
前日の米株式市場でハイテク株が上昇した流れを受け、東京市場でも半導体関連株に買いが先行した。東京外国為替市場で円相場が円安・ドル高に振れたため、輸出関連銘柄にも買いが広がった。
東証株価指数(TOPIX)は4・7��ポイント低い2557・88。
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25歳で見せた歴史的瞬間、西洋に起こした革命 小澤征爾さんを悼む(朝日新聞)2024年2月9日
「小澤の目力」という言葉を、楽員たちからよく聞く。目が合った瞬間、無意識に音が出てしまう。なのに、なぜか他の奏者たちとぴったりそろってしまうのだと。
制するのではなく、技術と気の独創的な融合により、壁を壁とせず、東洋人にクラシックはできないという偏見に挑戦状を突きつけてきた。規格外の才能を花開かせたのは、やりたいことを絶対にやり抜く意志力、桁外れの行動力、そして愛すべき無鉄砲さだった。
1950年代末、1台のスクーターと貨物船に乗り、63日かけて欧州へ。日の丸付きのヘルメットをかぶり、ギターを背負って国から国へ。
パリに漂着し、腕試しにと受けたブザンソン国際指揮者コンクールで優勝。ほかのコンクールもどんどん勝ち抜き、カラヤンに弟子入りし、名門ニューヨーク・フィルの副指揮者に大抜擢。躍進ぶりも規格外だった。
「ねえ先生。僕、バーンスタイン先生に教えてもらいにアメリカに行ってもいいかな」
そう、帝王と呼ばれたカラヤンにも屈託なく尋ねた。周囲からライバル扱いされていた2人だが、小澤さんにとっては最高の音楽を奏でる「同志」でしかなかった。物おじしない奔放な振る舞いを保守的な日本の楽壇がもてあまし、対立したNHK交響楽団に公演をボイコットされる事件も起きた。
小澤さんのベースとなった恩師・斎藤秀雄の指揮法は、西洋の音楽家にとっては自明のやり方を、他の文化圏の人々のために「翻訳」したものといえる。西洋人の「言葉」を自分たちのやり方で体得し、コンプレックスを超え、胸を張って自分たちの歌を歌おう。小澤さんはそんな斎藤の夢を背負い、彩りとニュアンスに満ちた音響を己の感性でたぐり寄せた。「外様にしか見つけられない本質もある」。そして小澤さんは、日本人の感性で西洋を説得するという革命を起こした。
61年、ニューヨーク・フィルを率いて初来日したバーンスタインが、当時25歳の小澤さんを舞台に呼び込んだ。口元をぎゅっと結び、指揮台でぶるっとひと震い。閃光のようにタクトを振り下ろし、自身の愛する黛敏郎の「バッカナール」で百戦錬磨の楽員たちと火花を散らした。戦後初めて、米国と対等に渡り合う日本の芸術家の姿が聴衆の心に深く刻まれた、歴史的な瞬間だった。
誰にも壁をつくらない生き方は、教育や啓蒙に対する情熱をも培った。「普通の人や子どもたちにこそ、真剣に向き合わなきゃ」。これは、志半ばで逝った盟友、山本直純との約束でもあった。
最後の10年は、相次いで襲ってくる病をかいくぐり、執念で指揮台に立ち続けた。力が抜けて軽みを増した指揮からは、楽員との即興的なやりとりが、より鮮明に浮かび上がるようになった。
ある日の終演後の楽屋で、そんな感想を小澤さんに伝えると「そう! 僕はシンフォニー(交響曲)でオペラをやりたいんだよ」。対話の権化であるオペラの精神を、言葉や文化の壁のない楽器だけで実現する。そんな理想郷を小澤さんは生涯目指し、音楽の伝統を継ぐ「職人」のひとりとして国境を越え、欧州の伝統の系譜に連なった。(編集委員・吉田純子)
コメントプラス
佐倉統(東京大学大学院教授=科学技術社会論)【視点】 日本人と日本文化にとって西洋音楽とは何なのかーー小澤征爾さんは終生この問題にこだわっていた。そしてこれは、明治期から本格的に「洋楽」を導入し始めた日本のほとんどすべての音楽家にとって、逃れられない宿命でもあった。瀧廉太郎も山田耕筰も伊福部昭も武満徹も、みなそれぞれにこの問題と格闘し、各人なりの答えを出してきた。その歴史と積み重ねの頂点に立ったのが小澤さんであり、吉田氏が書かれているように、彼は「日本人の感性で西洋を説得するという革命を起こした」のだった。
小澤さんはオーケストラの指揮者だ。オーケストラの合奏は、日本の雅楽ともインドネシアのガムランとも異なる。独立した個々の演奏家が、論理に基づいてひとつの曲を構築していくのがオーケストラであり、つまり、西洋文化に根ざしたコミュニケーション様式が凝縮された組織だといえる。なので指揮者は、音楽的な才能と表現能力に加えて、そのコミュニケーション様式をすみずみまで身体化していることが要求される。小澤さんは非西洋圏に生まれ育ってそれを成し遂げたわけで、そう考えるとその偉業はとりわけ際立って見える。
小澤さんの指揮する音楽のどこが、どのように世界の人々を魅了したのか。それを精密に分析し解明して、後世の人々でもわかる形にしておくことが必要なのではないか。吉田氏が指摘しているように、小澤さんの師・斎藤秀雄が西洋のコミュニケーション文化に基づく指揮法を普遍的な形に「翻訳」したことで、それをマスターした小澤さんのような人材が非西洋圏から輩出した。次は、小澤さんの会得した指揮法を他の人でもわかる形に「翻訳」することで、聴衆を「説得」する指揮法をマスターしやすくなるのではないか。そんな夢みたいなことを考えてしまった。これも小澤さんの魔力に捉われたからだろうか。御冥福を祈る。
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ホテルなどの2次避難所からの退去期限に不安抱える避難者 石川県が仮設住宅説明会を開催(FNNプライムオンライン 石川テレビ)2月9日
避難者にとって選択の時が迫っている。加賀市のホテルが避難者を受け入れているが、2次避難所の退去期限の不安がある。そんな中、石川県は2次避難所となっている旅館などを回り、仮設住宅などの状況を避難者に説明した。
通常営業に切り替わる2次避難所も
加賀市山代温泉にあるホテル「みやびの宿 加賀百万石」。珠洲市や輪島市から6日時点で347人の避難者を受け入れている。
しかし、いま避難者はある不安を抱えている。それは2次避難所の退去期限だ。
馳知事 「今、2次避難所の旅館やホテルに入っていただいている方々も3月16日前には出ていかざるを得ないというか。次にスライドしていかなければいけないということは当然、想定されます。」
3月16日に北陸新幹線は敦賀まで開業する。すでにホテルや旅館などでは、観光客の予約が入っているところもあるという。
2次避難をしている人 「うちのところの地元は特にまだ戻れるようなライフラインも全然やし、今まで通りの生活で仕事ができるかと言ったら全然目途がまだ全然。果たして2年後になるか5年後になるか…」
2次避難をしている人 「(移転の準備は)個人でしなきゃいけないでしょ。高齢の方がどんな手続きすればいいかというのがわからんままきていて。いきなりあんたたち2週間後に出て行ってくれ、みなし仮設住宅、みなしって何やという感じで分からんままやるのもちょっとあれやなと思うんやけど…。」
「みやびの宿 加賀百万石」の平均客単価は2万5,000円。しかし今、国や市からこの旅館に支払われている金額は避難者1人当たり1万円。採算はギリギリ。
北陸新幹線の敦賀開業に大きな期待を寄せているが、この旅館では行き先が決まらない避難者は引き続き受け入れる方針だという。
みやびの宿 加賀百万石 吉田久彦社長 「不動産屋さんと被災者の方をつなぐことをさせていただいているみなし、仮設住宅と仮設住宅に行くと家賃の補助は出ても食事代の補助は出ないんですよね。食事の心配というのは一番不安なところだと思いますので、そこも何かしらの手当・支援の策を行政には考えていただきたい。」
みなし仮設住宅について県が説明
こうした中、県は7日2次避難所で今後の住まいについて説明会を開いた。
この中で県は、この旅館はおおむね3月上旬が利用期限だとした上で、仮設住宅の着工状況やアパートをみなし仮設住宅として利用する手続きを紹介した。
県復興生活再建支援チーム 谷野明勝広域避難者支援グループ長は、「今アンケート調査をおおむね1週間程度考えていただく時間を用意して、その上でのご意向を踏まえまして、みなさまのご意向にできるだけ添えるようにやっていきたい」と話す。
これに対して避難者は、「みなし仮設住宅を利用する場合の条件とかがはっきりしていなかったのが、今お聞きして自分が思っていたよりいい条件だったので良かったなと思います」・「わかっていたことを聞いただけであって、解決策には何もならんなという感じ。みなし仮設とかそんなところに入る気もないし、水道(の復旧)次第だからねちょっと悩んでいるところです」と話していた。
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yfuga · 2 years ago
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20230927
#オーストラリア旅行記 05
こんなに美しい夜があって良いのだろうか。
最後の夜だからと、夕日を見にビーチへ、夜はディナーを共にしてくれた。ビーチで火を焚いて、Sandyは釣りをして、WadeとRolyと友人たちはお酒を飲んだ。Tamyも来てくれた。さくっと夕日を見て帰る人、暗くなるまで火を囲む人。それぞれがその時間を味わい、好んでいる感じがよかった。
WadeとSandyとカウンターでステーキとチップスとサラダを囲む。
二人は本当に、「時間を一緒に過ごす」ということを、たっぷりとしてくれた。こんなにも、食卓を囲み会話をすることに、すべてを注いだことがあっただろうか、というほどに。同時に日々いかに、食事や食卓の時間をただ通り過ぎているか気付かされる。
二人は私に訪ねた。ここでの過ごし方はどうか(別々の住まいや食事について)、
Wadeは私に聞いた。なぜ漁師なのか。なぜ英語を学ぶか。英語が海の仕事に必要ないなら何に必要なのか。女性が漁師として働くのは大変か。
とにかく海が好きなのでずっとやりたい(hole of life)、未だにbad luckを運ぶと信じられてたりしてそういう大変さがある。
本当はもっと言いたいことがあったけれど英語で伝えやすいことが先に口から出る、だから本当にいいたかったことにたどり着けないことがあるな。「生きてる感じがする」って言いたかった。
「どのように学ぶか?」尋ねてくれたのは印象的だった。だって君は賢い。と言って(んー、ありがとう!と返した)、例えば本を読む?それとも、やりながら学ぶタイプ?と。もちろんlearn from doingでそれはEmityと同じだって。
二人は、学ぶのが早いとか、よく働くとか、この時間に限らずたくさん伝えてくれて、Sandyはこの二週間でもすごく上達したよと、Wadeにもっとたくさん聞きたいことがあったけど全然言葉がなくてと言ったらわかってるよ(彼は一時インドネシアにいたので言語学習者の気持ちがよくわかる)と、私は次に二人に会う時に、もっと話せるようになっていて、もっとお互いを理解で���るようになる、そういう再会ができるのならそれは最高だ、とても楽しみだと思った。
彼は次にくるときは短い期間でもいいんだよと言う。2週間のステイを希望するのは仕事において慣れてより力になれるからだけど、ショートステイでもanytime、と言ってくれるのはただ私たちの間に良い関係性が築けたからであり、それをとても光栄に思う。
今朝、you are the best みたいなことを言ってくれた。よく働くという意味で。彼は以前からタスマニアの求人情報を調べて教えてくれたりしていて、今日も「もし求人に必要なら、自分の電話番号を使って良い、そしたら君の働きぶりをつたえる(こういうときに、shit だったよっていうから〜みたいないじりは本当に既視感、どこも同じで面白い)」というようなことを伝えてくれて、ああなるほど、そういうこともあるのか、と思った。つまり、wwoofは収入にはなり得ないが、経験が、仕事にこのようなかたちで直結する可能性については想像していなかった。ちょっと、もう少し力を抜くべきだろうか、と思うほどに結構一生懸命はたらいてしまったけど、やっぱりこれが私の生き方であり(力の出し惜しみをしない)その先に、結果としていいことがおこる(かもしれない)ことを、やっぱり私は知っている。
私の仕事ぶりを褒めてくれる流れで、「いいチームはいい仕事を作る。船も同じでしょう?小さな場所で(私は、そして、毎日ね!と言った)」と言う彼の言葉は忘れ難い。
Wadeはあまり誕生日にプレゼントとかしないんだって。みんな期待するでしょって。でも、なんでもないときにふとプレゼントをしたりする。Sandyは、そうそう、誕生日に何もないって、オ、オーケー…って感じよ、でもブリスベンに行ったあとこの猫(置物)を持って帰ってきたの!とすごく嬉しそうに言う。俺たちはequalだ、いや彼女がbossか。私たちはequalなのという。二人が、カウンターの反対側で隣りになって、二人とも私の目をしっかり見ながら話してくれる。外のテーブルに移って、失敗から学ぶんだよ、とか、this is the lifeとか、彼が彼の仕事が好きでよかった、とか、私にはすごく、ふたりがそれぞれ独立していながらそれでいて一つの生命体のように見えた。それぞれに意思を持っていながら二人でひとつの考えを共有している感じ。ふたりでひとつ、という言葉を真に使うとしたら、こういう場面のような。
必要なのは、思っていることを言うことだろうか。どちらかが我慢を重ねていてはこうはならない。他者や、家庭に見えない側面がたくさんあることは承知している。でも彼らとの時間は、愛ある時間だった。Wadeは、Sandyは、深い愛情をもち、それをもって他者に接せられる人だった。そういうことを、そうした家族のありさまに触れる、触れて、自分の内側がかき混ざるような体験によって、私は少しずつ少しずつ、家族や、他者との関係性に対してポジティブな気持ちを抱きつつある。岩手にはじまり、大きく確実で尊い変化である。もし将来子どもがいたとしたら、そういう意味で、旅をすすめたい。
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hachikenyakaiwai · 2 years ago
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【かいわいの時】天平八年(736)八月八日:インド僧菩提僊那・林邑僧仏徹ら摂津に至る(大阪市史編纂所「今日は何の日」)。
インド人が最初に日本を訪れたのは何時であるかについては、様々な伝承があります。 BC3世紀からAD7世紀までのベンガル湾はインドの内海で、タイやインドネシアなど東南アジアに沢山のインド人が移民するとともに仏教、ヒンドゥー教が伝播されました。この海洋ルートを辿って黒潮にのってインド人が日本にたどり着いていたとしても不思議ではありません。646年(孝徳天皇、大化元年)に日本に到着し、播州に祇園社*を創ったと伝えられる法道上人もその一人です。 但し、歴史的事実として裏付けられているインド人来日となると、東大寺大仏開眼供養の導師を司ったバラモン僧正・菩提僊那を嚆矢とすると言ってよいでしょう。菩提僊那はヒマラヤを越えて入唐し、中国五台山に滞在していましたが、日本で本格的に仏教をひろめるべく授律伝戒の僧を求める聖武天皇の招きにより、第9次遣唐使一行と共に渡日することとなり、736年太宰府に到着しました。彼は704年生まれと伝えられていますので、当時32才の青年僧侶であったわけです。菩提僊那は弟子のヴェトナム人僧侶・仏哲等とともに日本で仏典を伝授するとともに、梵語を伝え、また、舞楽、伎楽などインドを始めとするシルクロードの文物を伝えました。但し、菩提僊那の名前を歴史に刻んだのは、752年、聖武天皇の命により東大寺大仏開眼供養の導師を勤めたことです。こうした功績から菩提僊那は、聖武天皇、行基、良弁とともに東大寺「四聖」としてその功を称えられている(榎泰邦「日印を結ぶ文化・地下水脈」2006)。 *ママ。祇園社(広峰神社)の創始は、法道と共にわたってきた「牛頭天王」とされています。
「菩提僧正」と称され、その名が後世に遺されるに至ったのは、僧正がまさに大仏の開眼供養の導師を勤めたとされることによる。この時、僧正が執った開眼の筆は、法会ゆかりの品々とともに、今なお国宝として正倉院に納められている。
(写真)「天平宝物筆」8世紀(正倉院蔵) 大仏開眼の儀式において用いられたとされる長大な筆。墨書や刻銘によれば、文治元年(1185)の開眼儀においても後白河法皇によって使用された遺品である(宮内庁=写真も)。
用途 : 儀式具 技法 : 木竹工 倉番 : 中倉 35 寸法 : 管長56.6 管径4.3 材質・技法 : 管はハチクの仮斑竹 毫は鹿毛・馬毛・鳥羽根
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magica-mamejika · 3 years ago
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影絵劇「豆鹿カンチル海へ行く」
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(↑リハーサルの様子。円形の会場でした。)
大阪国際会議場で行われた京阪ホールディングス主催SDGsをテーマとした科学・音楽コミュニケーション「地球を知ろう ファミリーコンサート」にて、マギカマメジカも影絵劇「豆鹿カンチル海へ行く」を上演しました。
事前に、SDGs「14.海の豊かさを守ろう」をお題に頂いていたので、今回のために豆鹿カンチルが海のプラスチックごみについて考えるお話を新しく作りました。
豆鹿カンチルの人形を作ったルジャールじいさまも、ジャワの村のゴミの問題などをワヤン上演の中に扱っていましたが、現代社会はグローバルになり環境問題もより複雑になっているのだなあと改めて感じました。
当日は巨大なデジタル地球儀ダジックアースを用いて、気象予報士前田智宏さんによる気象や地球温暖化に関する解説があったり、バリトン独唱やピアノ、バイオリンなどの演奏もある盛りだくさんで楽しい会でした。
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SDGsをテーマとした科学・音楽コミュニケーション「地球を知ろう  ファミリーコンサート」
【開催日時】2022年3月12日(土) 14時~16時頃(13時開場) 
【開催場所】大阪国際会議場 12階特別会議場(京阪電車中之島駅下車すぐ)
▼第1部 地球環境を考える「気象・エネルギー・地球温暖化」
デジタル地球儀「ダジック・アース」のスクリーンを見ながら、気象予報士の前田智宏さんによる「気象・エネルギー・地球温暖化」などをテーマとした語りやそれにまつわる音楽をお届けします。
※直径4メートルのデジタル地球儀「ダジック・アース」(京都大学大学院理学研究科  
 地球惑星科学専攻 齋藤昭則准教授らが開発)を設営 
▼第2部 生きとし生けるもの「いのちのうた」
海洋プラスチックごみをテーマとしたインドネシアの伝統影絵芝居やいのちにまつわる音楽をお届けします。
【出演】
司会・解説・気象監修:前田智宏(気象予報士 南気象予報士事務所)
気象監修:吉村真希(気象予報士 南気象予報士事務所)
バリトン:田中純(京都女子大学名誉教授)
ピアノ:萩原吉樹(京都女子大学非常勤講師)
ヴァイオリン:萩原合歓
インドネシアの伝統影絵芝居:マギカマメジカ(ナナン・アナント・ウィチャックソノ&西田有里)
クラリネット:向朱理、宮野祐樹 
バスクラリネット:島村真奈
カホン:平川洋
大学生によるエビカニクス踊り隊
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ymifune · 2 years ago
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「みんな」って誰だろう
7月9日。雑念を雑然と。 やや疲弊している。 とある学生に「前の先生と比べて先生の話はよくわからない。みんなもそう思っている。」と言われた。この「みんなも」という言い方がとても厄介だと思う。あまりジェンダーとかに絡めた発言をしたくはないのだが、こういう言い方をするのは女性が大半なのだが、とても卑怯だと思う。今その場にいない人もそう言っていたということで、自分の指摘を補強しようとする言い方だ。話半分に聞かなければと思いつつ、疲れることは疲れる。「みんな」って誰だろう、と。 ただ、できることはするのだ。話が難しいというのであれば、もう少し簡単な言い方をしようとは思う。が、もう中級に入るクラスで、いつまでも初級の文法だけを使って話しているわけにもいかない。 漢字圏の学生は漢字が理解できることが日本語を学ぶ上でのメリットにもなるが、それが原因で足元を掬われる場合もある。漢字2字の熟語だとしても、日本と比べて意味、用法が違う場合があるのだ。そこを全く同じだと思わないようにしないといけない。 あと3週間で夏休みである。その3週間が、まだ長いように感じる。 少し昼寝をした方がいいのかな。 預金残高は今47万円ほどある。給料日だったので、多少増えた。 今週の金曜日にやっと新曲"Thrive"が発売される。良い曲だとは思っているので、できるだけ色々な方に届くといいな。 今日はこの後少し音楽のスケッチをしようかと思っているのだが、・・・あるいは気分転換のためにオペラシティなど美術館に行っても良いようにも思うが、少し家にいて休もうかな。本当に、少し目的なく外に出かけるようなこともしてみた方がいいよね。 外資系の家具屋に就職したインドネシアのSのInstagramからは割と生活が苦しいとか、いつまでこの生活を続けたらいいんだろうみたいなストーリーズが流れてくることがあるのだが、年に数回はきちんと連休を取って旅行できているだけでも相当この人は恵まれていると思う。年に1回以上、海外に出かけているし。土日にはきちんと映画館に行くとか、そういう休みも取れているみたいだし。 自分もなんだか、茫々漠々としたものを感じないことはないのだ。いつまでこんなギリギリの生活を送ったらいいんだろうと思って。2019年の4月に日本語教師デビューをしてから、かなりの倹約家になったし、その倹約する生活のサイクルに自分を合わせることができるようにもなってきている。が、それでもいつまでどうしたらいいのか、自然と見えてくるなんてことはないもので。 今9日で、体組成計の結果は筋肉量も体脂肪の量も変化なしと出ている。なるほど、 停滞が始まった。できることとしては朝にブロッコリーを足すことができるので、やってみようかと思っている。少しチンする時間が長くなるし、食事の量が増えるので、ちょっとガツガツ食わないといけなくはなるのだが、やってみよう。 手の爪を切り、足の爪も切った。ジム内で荷物を持ち運ぶ用のバッグをずっと探していて、昨日美容院の帰りに結局無印良品で、ちょっと角張ったいかついインド産の手提げを買った。 猫のゆっけの動画素材を少し撮影して、9月に発売する"Temporary Secretary"のTeaserを完成させたいとも思っている。 昨日も20分Unguidedの瞑想を行った。今日もやろうと思う。 少し昼寝をしようと思う。 おやすみなさい。
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