#ウフィッツィ美術館
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ウフィッツィ美術館(絵画)at イタリア フィレンツェ
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シモーネ・マルティーニ『受胎告知』の複製模写を見てきました!@目黒区美術館
ウフィッツィ美術館の人気作品の一つにシモーネ・マルティーニの『受胎告知』があります。中世の美しい板絵で、黄金の背景と壮麗な額が印象的です。 なんとその複製模写が目黒美術館で展示されていると知り見に行ってきました! 『受胎告知』について この作品はシエナの大聖堂のために制作されました。豪華な仕様は当時から大変重要であったことを物語ります。 制作者はシモーネ・マルティーニと義理の弟リッポ・メンミ。中央の受胎告知の部分をマルティーニ、両脇の聖人たちをメンミが手掛けたと考えられています。 この作品の魅力はなんといってもその壮麗さ。衣服などの細部もとても細かく描かれています。特に左の大天使ガブリエルの衣装は本当に細かい質感まででています。 そして聖母マリアも必見です。マリアの衣装に使用されているのはラピスラズリ。アフガニスタンでしか取れない貴重な貴石です。当時は父なる神とキリスト、聖母マリアを描く…
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村上龍「エクスタシー」(2) ラ・プリマヴェーラ
「(略)あたしは、あたしは、海を見ながらね、悪い子だってずっと思ってたの。どうしてかっていうとね、どうしてかって、どうしてかっていうと...」
ヨコタアケミの瞳孔がほとんど眼球の淵に接するほど拡がっていた。その顔を見た瞬間、僕は中学の美術の時間ボッティチェルリの『春(ラ・プリマベーラ)』をスライドで初めて見て���を流しそうになったのとまったく同じ感覚に捉われた。それは圧倒的な親和力で、顎が震えそうになるのを手で押さえつけなければならなかった。何かが変わってしまった、と焦りながら僕はヨコタアケミの顔からタクシーの窓の外へと視線を移した。
村上龍の90年代の小説「エクスタシー」で、主人公ミヤシタがとある経路で入手したドラッグ「エクスタシー」を知人の女性と服用後、クスリが効き始めた頃の描写である。

この本は再読だが最初からきちんと読み返しているわけではなく、先ほど適当にめくっていて、たまたまこの描写が目に止まった。
で、思い出した。ボッティチェルリの「ラ・プリマヴェーラ」と言えば...
初めてイタリアに行ったとき、フィレンツェのウフィッツィ美術館で、スライドじゃなくて本物の「ラ・プリマヴェーラ」を見たんだよ。あの有名すぎる「ビーナスの誕生」もね。
しかし俺は、ミヤシタと違って、涙ではなく、鼻水を流しながら見ていた。
夏だったけど大雨が降った後で、石造りの美術館の内部は冷え切っていたのである。半袖で羽織りものも持たずに来てたもんだから、寒さに震えながら美術鑑賞するはめになった。そしてくしゃみが出始め、鼻水も止まらなくなった。ティッシュだのハンカチだの、気の利いたものは持っていなかった。そして俺にティッシュを差し出してくれる相手もいなかった。ぼっちでしたんで。
歴史的な文化遺産が目の前にこれでもかと陳列されているというのに...
必死に鼻水を啜り��げながら、ただ次から次へと展示室を移動するだけだった。そんな状態で、何を見たのかなんて覚えちゃいねぇ。
でもね、「ラ・プリマヴェーラ」と「ビーナスの誕生」だけはこの目で見ておかねば、と必死だったね。イタリアに行ったのはこの「エクスタシー」を読んだ後だったから、冒頭の引用部分も頭の片隅に残っていたんだと思う。
俺はミヤシタを慌惚に導いたその絵を、スライドじゃなくて本物を見てやるんだ、という意志が...
ボッティチェルリの絵は、記憶は定かじゃないけど大分奥の展示室にあったような気がする。なにせ「目玉」だからね。
そうして寒さに震えながらようやく辿り着いた、真夏に冷え切った展示室で、「ラ・プリマヴェーラ」と対面したのだ。鼻水を垂らしながら。
そんなわけで、自分の中ではボッティチェルリと言えば「鼻水」が不可分なのである。あの日フィレンツェに大雨がふったせいで、この組み合わせが一生残る羽目になってしまった。
...だらか何って、いや、それだけです。
(書物には、読み手の数だけ宇宙が存在するのである)
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絵画
芸術史における名画を年代順に眺め、考える。
1445-1510 サンドロ・ボッティチェリ 【ヴィーナスの誕生】初期ルネサンスを代表するイタリアの画家ボッティチェリの作品。『プリマヴェーラ(春)』と共にボッティチェリの代表作として知られている。誰もが一度は”どこかで見たことがある”作品ではないだろうか。現在はイタリアフィレンツェのウフィッツィ美術館が所蔵・展示しており、原画は縦172.5…

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イタリア忘備録、その21. . 有名な建物。 小僧曰く、 「みんな並ぶのが好きだね」 ちゃんちゃん。 . 以下wikiより。 ピッティ宮殿(ピッティきゅうでん、伊:Palazzo Pitti)は、イタリアのフィレンツェにあるルネサンス様式の広大な宮殿。トスカーナ大公の宮殿として使用された。アルノ川の西岸に位置し、ウフィッツィ美術館とはヴァザーリの回廊を通じて結ばれている。 1587年にフェルディナンド1世が即位して以降、ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世によってイタリア国民に移譲されるまで、トスカーナにおける宮廷としての役割を果たし続けた[1]。約400年に渡り、メディチ家を中心として収集された絵画や宝飾品のコレクションは膨大な数にのぼる。現在この建物は、内蔵する美術品とともに美術館として一般に開放されている。 . . 家賃半額!?クリスマスキャンペーンやってます!�� 先着20名様! 詳細はプロフィールからサイトを見て下さい。 ↓ @tenten_guesthouse https://www.tokyo-guesthouse.com/index.html ★ Wow!! 50%off !! X'mas Special Offer !! First 20 people! Please check out our website from the profile page for details. ↓ @tenten_guesthouse https://www.tokyo-guesthouse.com/index-ja.html ★ ★ #バックパッカー #ドミトリー #trip #イタリア旅行 #ゲストハウス #東京 #安宿 #sightseeing #dormitory #backpacker #Journey #travel #workingholiday #italytrip #japanlove #japantravel #cheap #italytour #visititaly #workingholidayjapan #guesthouse #tokyo #イタリア #italy #italian #旅行 #生活を旅にしよう #ピッティ宮殿 (Pitti Palace, Boboli Gardens, Florence Italy) https://www.instagram.com/p/B5UOBcPl2rb/?igshid=5y9u2jgqrs4p
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おひつじイタリアへ行く.Ⅳ
ヴォン・ジョルノ、この日は終日フィレンツェ市街を自由散策する。 フンワリとだけ決めていた、中心部に位置するドゥオモ、セント・デル・フィオーレ(世界遺産)に向かう。自分の両親がこの地を訪れた5年前、当時はこのドゥオモの大きな丸型の屋根部分に早朝は無料で登れたという情報を頼りにして。 しかし、8時半頃にドゥオモに到着するも、まだ正門は空いていない。どこから登ればいいんだ?と2人で建物周囲をウロウロ。立て看板を見つける。(チケット販売所/並ぶ列の待機場所)��む…。 その看板を眺めて、「どうも無料じゃないみたいねえ、チケット購入だなんて書いてある」などと話をしていると、同じくヨーロッパ系の旅行客が。「チケット売り場どこ?」「わたしたちも来たばっかりでわからないんです」「あらそうなのね」と軽いやりとりをし、旅行客は去っていった(意外とこの聖堂に関しては入るための情報が希薄で、我々も出たとこ勝負で現地に行くしかなかった)。

どうやらこのドーム部分(建築上、クーポラと呼ぶそうだ)に上がるにはチケットがいるらしい。おや。自分たちが持っている情報と早くも違う(笑)。そこで、この教会の後方にあるミュージアムショップで其れと思しき数か所に入れると言われている通しチケットを購入しようとしたら「今日は教会の上部分には登れない。チケットは3日間有効だから、その間の時間をリザーブしてくれ」と言われる。まじかよ。3日もフルでこの街には居ないぞ。っていうか並んでる人たち居たけど??(おそらくその人たちはリザーブ済みだったのだろう)…明日朝イチはウフィッツィ美術館に行き、そのまま昼前にはイタロという特急でベネツィアに行かなきゃだからイチかバチか…しかし、通した機械の最短リザーブ可能時間は無常に翌日の11:30を示す。ウッ。明日のその時間には駅にいなければならぬ。16€出したが無理か…ッ。昨日は日曜(安息日だもんね)で教会自体が休みだったし、訪れるチャンスは今日しかない。そして通し券が行ける、もう一か所の観覧スポットのミュージアムは12:30からなので、これは後だ。
どのみち教会のカテドラル部分(クーポラではなく聖堂内部)には無料で入れるので、教会オープンまで30分ほど教会脇の列に並ぶ。一番解せなかったのは、ここで「Excuse me,where is the chicket prace?」ってカタカナ英語交じりで質問してきた大学生くらいの日本人女子!!おい。思わず「…日本人ですよね?(笑)」「あっ(笑)」って話しか��ましたよね。なぜ英語で話しかけた。(笑)おそらく、韓国系にでも見えたのでしょう。日本人でも韓国人との見分けってつかないもんねえ。

内部は広く、見上げるとあのドーム部分の内側には荘厳なフレスコ画が。


かなり大きく、しばらく見上げていてもちっとも見終わらない。フレスコ画のところどころにのぞき穴のようなものがあって、はて、あれは何だろうと思っていたが、帰国して家族に聞いてみたところ、上部に上るとあのドーム周りを取り囲む形で外壁とフレスコ画との中腔部分に階段が張り巡らされているらしい。所々明かり取りのため開けられていたというわけだ。くそう。もっと間近であのフレスコ画が観たかった。いつか再訪の際は、チャレンジしたい。

さすが世界遺産だなあ。内部を見学して、ぐるっと一周。どこにもスキなんてありゃしない。スペインのサグラダファミリアに行った時も思ったけど、もう、なんか、物言わぬ生き物みたいなんだよな。建物にも思念がありそうと言うとマユツバだけど、まるで訪れた人を静かに見守ってきたかのような。建物自身にもそうだし、手がけてきた人たちの執念にも似た想いが流れ込んできて、コロッセオを訪れた時も思った、自然に対する畏怖のような念に近い。
ドゥオモと略されがちだがサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(花の聖母マリアの意を成す)はイタリアの世界遺産の一つ、フィレンツェ歴史地区内にあるカトリック教会だ。中央部分にあるドゥオモ(大聖堂)、サン・ジョバンニ洗礼堂、ジョットの鐘楼の3つで構成されている、まさしくフィレンツェのシンボルでもあり、1296年から140年以上もかけて建設された。当時この地を支えた産業の一つ、フィレンツェ羊毛組合により指名されたアルノルフォという建築家により設計されたが、彼ら建築家も死没し幾度となく建築は中断を余儀なくされた。ドゥオモと呼ぶとドームと混乱を招きがちだが(実際わたしは混乱した)、丸い卵型の屋根部分は先ほども触れたようにクーポラと呼ばれ、建築されたこの建物群の中で最後の難関とされており、14世紀の時点では完成は困難と言われていた。どうにかこうにか、1434年には一応の完成を見せた。当時木枠を組まずにこの規模のクーポラを建造したのはここが初めてであり、建築当時において世界最大であったという。(Wikipedia等より抜粋)
イタリアの至る所にレオナルド・ダ・ヴィンチの足跡をたどることもできるが、このクーポラ上部のブロンズ製の球部分のデザインにも関わっていたとかで、聖堂地下にあるミュージアムショップではレオナルドグッズも多く扱われていた。

隣接するジョットの鐘楼。ここも登れるはずなのだが、この日の登れる定員は超えてしまったそうで…残念。周囲を観察するだけでもかなり見ごたえはある。そうして、時間になったので教会背後部分にあるこの教会にまつわる博物館に行ったら…どういうことだ、これは…!!

ドナテロ作、「悔逡するマグダラのマリア」。娼婦とされたり複数男性との関係をもっていてそれが罪深いとされた、など諸説あるが、イエスに7つの悪霊を追い出してもらってからは改心をし、キリストが処刑の際も、復活の際もそばに居た、ということで有名である。(個人的には、相当近い位置にいたんじゃないかとか懇ろだったのではとか、ダヴィンチコード的な話を学生時代の時に創作として読んで衝撃を受けた、印象深い登場人物である。キリスト教の中ではわりと隠れキーパーソンのように描かれる気がする。わたし程度のにわかの印象ですが。)マグダラのマリアは晩年、自らの罪を恥じて信心深く禁欲的な生活を行うことで悟りを開き、その険しく厳しい絶食・不眠生活で砂漠を放浪した暁に見せたであろう表情には、鬼気迫った生活の向こうで見つけた祈りの境地においてどこかほっとした様子すら漂っており、ドナテロの木彫りの巧みな技と勢いの為せる技…っていうかこんなところで!ってひたすら度肝を抜かれた印象。個人的にはこれが観���てよかったです。きりがないくらい綴れてしまうけど、いろいろ考えさせられもし、生きていく先に見えるものが彼女のように穏やかで、美しくなくとも美しく見えるこの人間らしさの塊みたいな終幕なら、幸せだろうと思うのでした。
さて、フィレンツェに来たからにはどうしても行きたい場所がもう一箇所あった。それは…

見苦しいものを出してすみません(試着の図。結局これは買わず)。

そう。サルヴァトーレ・フェラガモの本店。
今さあ、信じらんないぐらい値上がりしてんのね。日本で事前に見てみると、上記のオーソドックスなデザインで日本価格なら9.5万円~なのだ。うわっ。
購入するならおそらくこの本店が一番安いというわけで来たのですが、数年前と比べると€も爆上がりしているし、昔は3~4万で購入できた(と聞いていた)ものも、6.5万円~(!)
試着してみた新色のグレー、相当可愛かったし、日本では入手困難or見かけても倍ぐらいするよ、と言われたのですが、初心者にいきなり色物は…とさんざ悩んだあげく二の足を踏み、日本でも購入できると知っていながらオーソドックスな黒エナメルカラーにした。それでも、日本で買うよりは安い。更に、免税も入るので、トータルでいけば4万円くらい安い。ボーナスよサヨウナラ。いいのだ。いい歳をした大人が、どこにでも通用するフォーマルな靴を1足くらい持っていなくてどうする。いい靴はいい場所に連れて行ってくれるという素敵な諺もあるじゃぁないの(※それはフランスの諺)。
この日は買い物をする日と決めていたので、家人も革製品の鞄を見ようと意気込んでいたものの、チェレリーニという目当ての店は15:00オープン(季節によってオープン時間が変動する)。というわけで、先にランチに向かうことにする。

これはどこかの建物の中から撮影した、ポンテ=ヴェッキオ橋。橋の上は古くからの銀細工商が立ち並ぶので、景観もさることながら買い物客でも賑わう。とりあえず、フィレンツェに���くならTボーンステーキを食え!とあらゆる人から言われたので、家族が言っていた場所(この橋を渡り南側の路地を進んだ場所近辺にあるとかなんとか言われた)とガイドブックになんとなく近そう?な店にアタリを付けていった。


(なんて読むのか忘れちゃった。)時間は14:30を回っていたがお店はお客さんでいっぱい。ステーキ以外にも料理は色々あったけど、400gだったかな。このステーキ単品で2人でシェアしてかなり満腹になった。ハーフサイズとか出せばいいものを、肉を小さくして提供すると味が落ちたり固くなるなどの理由があり、フィレンツェでTボーンステーキを注文すると大きいサイズで出てくる。ただ、しっかりした肉質でジューシーで、赤ワインと一緒にいただくと案外ペロッと食べれてしまったのだった。
食後、家人が「この近くに探している場所がある」と言い出すので、ついていく。ステーキを食べたお店から15分くらい、小さな土産物屋さんが立ち並ぶ街を散歩していると彼の言う目的地にたどり着いた。
フィレンツェの南側は大きな川が流れており、ポンテヴェッキオ橋以外にもいくつか大きな橋が市街地を結ぶため架けられている。ここはひとつ(かふたつ)南隣の橋の袂にあった、GELATERIAというジェラート屋さん。言わずと知れた、荒木先生おすすめのジェラート屋さん(!)らしい。

こじんまりとした店内。しかし、お客さんは絶えず入ってきている。

写真の取り忘れで掲載していないが、前日にもgromというジェラート屋さんに行った。フィレンツェはイタリアの中でもジェラート激戦区と聞く。どこも美味しいが、gromより個人的にはGELATERIAの方がクリーム系を得意としているのか、好みだった。(しかし、このあとVenchiという更に上を行くジェラート屋を見つけることになる)

ちょっと雨がぱらつきつつも、ポンテヴェッキオ橋を見ながらもう一つの橋を渡りつつ市街地に戻る。
革製品の街ということで、革の鞄を探していた家人は、チェレリーニという店のオープンを待って再度訪問したが結局のところフルオーダーの店ということもあり敷居が高く、購入を見送った。さて、どうするか。
この地には移民系の人も多く店を連ねており、そこで購入すると30~50€とかで格安の革の鞄を購入することもできる(もちろん、それも一つの魅力だ)。しかし、せっかくフィレンツェに来たんだものご当地製品が欲しいよね!という話になる。
フェラガモの靴が入った紙袋を持っていたので持ち歩くのもいい加減疲れてきたし、一旦ホテルに戻り荷物を置きがてら作戦会議。
ホテルのWifiで検索していると(どういうわけかこの日はWifiの通信制限がかかってしまっていた)、Ottino(オッティ―ノ)という老舗ブランド(フィレンツェ王室御用達)と、Clamori(クラモーリ)、そのほか数件を候補としてざざっと挙げて再び街の中へ。結論からいくと、OttinoとClamoriでいずれも気に入るデザインのバッグに出会ってしまった家人は、双方のお店でバッグをそれぞれ購入する(!)ことに。家人は鞄をなかなか購入できないタチだと言っていたので、よほど気に入ったのでしょう。
Ottinoはフィレンツェが発祥の老舗店。イタリアでは購入しやすいが、日本では購入するには通販しかなく、それも高価になってしまう。本家フィレンツェで購入するとかなり種類も多くかつ安く、免税もかなり利いていた(フェラガモより免税率が高く見えた)。家人が仕事用の鞄を選んでいる間に、自分も思わず手触りのいいバッグを購入してしまった。デザインは洗練されていて、かつ、革��質感を生かしたものとなっており世代もファッションも選ばず好まれると思う(※私物のため写真は未掲載)。店員さんは、物腰の柔らかい素敵なマダムで、アタフタとお店に入って色々見せてもらった挙句、「閉店は何時ですか?もう一箇所行きたくて」と聞いたら「19:00までよ。行ってらっしゃい、待ってるわね。」と優しく見送ってくれた。結局舞い戻ってきて時間ぎりぎりまでお買い物した時も嫌な顔一つせず「エレガンスでとってもいいお買い物よ!」と面倒な免税手続きをしながら接客してくれた。(鞄を探すなら、ほんとにおすすめ。デイリーにも仕事にも使えそうなデザインだしオシャレ鞄も可愛かった。)
Clamoriは人懐こいお姉さんが店番をしていた(後でここの店主の奥さんが登場したが、もしかしたら娘さんなのかもしれない)。Ottinoとは異なりここ1店舗しかない小さなお店だ��聞くと夫婦で鞄づくりをはじめて、オリジナル製品にこだわって製作を続けているのだそう。クラッチバックが相当に可愛かった。(我慢した・笑)女性向けでカラフル、他と被らない鞄ならここだろう。メンズのバッグも数点置いててあり、家人は深緑(!)のバッグに一目惚れし購入していた。
時刻は19:00を回り、何とか二人とも目当ての買い物を終えホッとする。お気に入りを見つけられてよかった。他にも数店ローカルブランドのお店はあったのだが、アタリを最初に見つけてしまったので、またの機会に訪れた時の楽しみに取っておこう。
ローカルブランドとしてその地で、あるいはその国の中でしっかりと根をはり、その地の人々に愛されている製品を購入できることはある意味で出会いであり、幸運である。Twitterにも書いたが、そしてこの後訪れるベネツィアでも同じような事を思ったが、2束3文でお土産として売られている、本当はMade in Italyではない既製品でも十分話のタネにはなると思う。しかし、これから数年後、数十年後もこの地を支える職人さんたちの収益になるようなお金の使い方ができてよかった、と作り手、誇りを持って売る売り手たちとカタコトの英語を通じてコミュニケーションをしながら、暖かい気持ちになったのだった。


プラプラと街を歩き、バルで軽くビールを飲んで宿に戻って荷物を置く。フィレンツェ最後の夜は宿からほど近い場所にあった地中海料理のお店。前菜で出てきたトマトとモッツアレラチーズ、タケノコの炒め物はシンプルな味ながらチーズのまろやかさがたまらない。手長エビのパスタも魚介の濃厚な出汁がきいていて美味しかった。フィレンツェは本当はもっと探索できる場所がある。ピッティ宮殿や庭園、そして数多くの美術館があり、明日経つのがもったいないと思わせてくれる素晴らしい街だった。帰国して1か月たたないが、次訪問するのが早くも楽しみだ。
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今回、協力いただいた美術館は下記の通りです。
メトロポリタン美術館-米国
ニューヨーク近代美術館-米国
フリーア美術館-米国
フリックコレクション-米国
アルテ ナショナルギャラリー(旧国立美術館)-ドイツ
絵画館-ドイツ
カンパ美術館-チェコ
ソフィア王妃美術館(ソフィア王妃芸術センター内)-スペイン
ティッセン=ボルネミッサ美術館-スペイン
ナショナルギャラリー -英国
テート・ブリテン-英国
ヴェルサイユ宮殿-フランス
アムステルダム国立美術館-オランダ
ゴッホ美術館-オランダ
エルミタージュ美術館-ロシア
国立トレチャコフ美術館-ロシア
ウフィッツィ美術館-イタリア
各美術館内のストリートビ��ーへはGoogle マップからもアクセスできます。” -
Google Japan Blog: Google アートプロジェクトで、世界の美術館を探検しよう
あとでみる。
(via tatsukii)
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『ヴィーナスの誕生』(ヴィーナスのたんじょう、伊: La Nascita di Venere) は、ルネッサンス期のイタリアの画家サンドロ・ボッティチェッリの作品で、キャンバス地に描かれたテンペラ画である。縦172.5cm、幅278.5cmの大作で、現在、フィレンツェのウフィッツィ美術館が所蔵し、展示している[1]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%82%B9%E3%81%AE%E8%AA%95%E7%94%9F
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駆け落ちした修道士フィリッポ・リッピと修道女ルクレツィア プラート大聖堂の壁画
ウフィッツィ美術館 人気作 フィリッポ・リッピ「聖母子像」 ウフィッツィ美術館の人気作の一つ、フィリッポ・リッピの「聖母子像」画家の妻とその子供たちがモデルと言われています。 By Filippo Lippi – 9AE9qn4SE5pOPg — Google Arts & Culture, Public Domain, Link 絵も逸話もとても可愛いのですが、フィリッポ・リッピもその妻ルクレツィアも修道士と修道女。どちらも神に仕える身なので、当時大スキャンダルになりました。2人は駆け落ちし子供にも恵まれましたが、カトリック教会から破門となります。破門を解くためにローマ教皇に掛け合ったのがメディチ家当主の老コジモ。この作品は老コジモに感謝の気持ちを表して贈られたものです。 ヤコポ・ダ・ポントルモ – twGoy5ijJE6aLA — Google アートプロジェクト,…
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大公ピエトロ・レオポルド・ディ・ロレーナがウフィッツィとピッティ宮殿のメディチ家コレクションを整理した際、科学・自然科学関係の収蔵品を分け、専用に建設した新しい博物館に収納した。1775年には当美術館の開館記念式典が行われている。最初の館長で生理学者だったフェリーチェ・フォンターナ主導により、ろう細工のための工房がつくられた。 そこで彫刻家クレメンテ・スジーニやその他の職人が1775年から1814年の間に600体以上の解剖モデルを製作した。これらは、美術館の収蔵品の目玉となっている。工房は1895年まで活動を続け、その後1947年には展示品の管理保存の目的で再び開かれた。
Firenze-Oltrarno.net: スペーコラåšç‰©é¤¨
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【アート】過酷な戦争経験が原点 時代に鋭いまなざしを向ける100歳の版画家・浜田知明の展覧会
昨年に100歳を迎えた版画家・彫刻家の浜田知明。その軌跡を追う個展『浜田知明 100年のまなざし』が、3月10日(土)より町田市立国際版画美術館にて開催される。
青年期に初年兵として5年に及ぶ従軍生活を経験し、戦争と軍隊に耐える経験をした浜田知明。27歳で終戦を迎え、1950年に32歳で本格的に銅版画制作を開始。戦争に否応なく巻き込まれる人間の悲しみを銅版画ならではの冷たいマチエールで表現した作品『初年兵哀歌』で日本の版画に新たな地平を開いた。
「戦争の残酷さや悲惨さ、軍隊の野蛮さや愚劣さを描きたい」との思いは100歳の現在も抱え続ける原点であり、社会や人間、自分自身にも鋭い視線を向けた作品を発表し続けている。またフィレンツェのウフィッツィ美術館で日本人として初めて個展が開催されるなど、国際的にも評価を得ている。
展覧会『浜田知明 100年のまなざし』では、寄贈によって町田市立国際版画美…
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イタリア旅行4日目 ベニスを後にフィレンツェに移動🚌 夕方ミケランジェロ広場に到着 ダビデ像の立派なレプリカ、フィレンツェの夜景を楽しみ、トスカーナ風ステーキの夕食をいただきました🍽 翌日はサンタ・マリア大聖堂、シニョーリア広場、ウフィッツィ美術館 と散策。歩いていて目にするものに歴史を感じ楽しい😄✨ #firenze #pizzalemichelangelo #santareparata #pizzadellasignoria #palazzovecchio
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【宣伝作品】
題名 フィレンツェ、メディチ家の至宝 ウフィッツィ美術館4K3D
公開 2016年7月9日全国公開
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