#エッセー・随筆
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夏目漱石の『吾輩は猫である』は、「吾輩は猫である。」という書き出しで始まる。もともとは一話のみの読み切りとして執筆され、高浜虚子らの文章会で1904年12月に朗読される形で発表したところ、好評を博し、タイトルが未定であったものを高浜虚子が決め、1905年1月に雑誌『ホトトギス』で発表された。これも好評となり、翌年8月まで全11回の連載となった。『ホトトギス』は売り上げを大きく伸ばし、元々俳句雑誌であったが、有力な文芸雑誌の一つとなった。 『吾輩は猫である』は、ローレンス スターンやジョナサン スウィフトなど中世ヨーロッパの「脱線文学」あるいは「パロディ文学」と呼ばれる作品の系譜にあるとされ、そうした作品の影響を受けて書かれたとも考えられている。これは、当時の日本の文学の主流の傾向が西洋近代文学として自然主義を取り入れ私小説へと向かっていくのとは対照的で、漱石独自の、世俗を忘れ人生をゆったりと眺めようとするような作風は「余裕派」と呼ばれるようになる。が、そもそも、当時教師をしていて色々うまくいかずに悩んだ挙句に神経衰弱を患っていた漱石が、高浜虚子から治療のつもりで創作でもしてみたらどうかと勧められて書いたのが『吾輩は猫である』である。朗読される形での発表になるだろうからということで、落語などを参考にした口語文で書き、あらすじやストーリーめいたものは無く、いわば随筆だが、それを猫の視点から書くということでフィクションに仕立てている。漱石は、そうした文学の系譜があること自体は知っていたが、連載しながら読者と共に小説の読み方を作っていった。結果として、パロディ文学あるいはメタフィクションとして成立し、そして、そこには20世紀の文学が目指した方向性が示されてもいた。 20世紀の文学、特に小説が目指したものは何だったのかということは、作家や評論家によって様々な考察がされている。その一つに、「小説に特有のエッセーの技法」というのが挙げられている。これは、明白なメッセージをもたらそうとするのではなく、あくまで仮説的、遊戯的、アイロニー的なものとしてとどまるエッセーの技法であるという。
1905年2月に発表された『吾輩は猫である』の第二話に、「今年は征露の第二年目だから」という文がある。この「征露」というのは1904年に開戦した日露戦争のことで、戦争が足かけ二年になった1905年の元旦以降、「征露の二年目」「征露二年」というのが戦勝を祈願して年賀状に書かれるなどの形で流行語のようになったらしい。タイムリーな時事ネタとしてさりげなく書かれているだけで、それ以上の意図はないのかもしれないが、『吾輩は猫である』が書かれた時代的背景には日露戦争がある。 日露戦争は1905年9月に日本の勝利で終わる。日本はロシア帝国の南下を抑えることに成功し、加えて戦後に日露協約が成立したことで日露関係も急速に改善する。相互の勢力圏は確定され、日本は朝鮮半島の権益を確保したうえ、南満洲鉄道を獲得するなど満洲における権益を得ることとなった。当時列強諸国からも恐れられていた大国であるロシアに勝利したことは、列強諸国の日本に対する評価を高め、明治維新以来の課題であった不平等条約改正の達成に大きく寄与したのみならず、列強諸国の仲間入りをし、第一次大戦後には「五大国」の一角をも占めることとなる。その発展と成長への路線が示されたのが、日露戦争の勝利であった。 日露戦争の勝利は、日本の近代化の成功を象徴していた。が、『吾輩は猫である』には、ところどころ、滑稽さを出すためのアイロニカルな表現なのか、猫の視点から見ればバカバカしいということを表すためなのか、やっぱまだ神経衰弱結構きてたのか、なんだかよくわからない、ぼんやりとした不安のようなものが顔を出す。悲願だった近代化に成功したからこそ、もう後戻りできないのではないかということや、そもそもその成功した近代化というのは何なのかよくわからないが、もしかしたら誰もわかってはいないんじゃないか、みたいな。
ソ連時代のロシアの文芸批評家ミハイル バフチンは、「脱線文学」あるいは「パロディ文学」とも呼ばれる作品系譜を「カーニバル文学」と呼び、パロディなどに見られる両義性や価値倒錯の世界を創り出す効果を「カーニバル性」と呼んだ。バフチンはカーニバル性を持つ作品を「グロテスク リアリズム」とも呼んでいる。バフチンはグロテスク リアリズムの特徴として、カーニバル性を持っていることのほかに、「物質的、肉体的なものの肯定」を挙げ、「笑い」を極めて重要な要素であるとした。 バフチンは、近代文学における「パロディ」は、形だけの、否定的性格のものになっており、再生させるという両面的な価値を失っていることを批判し、近代文学における「笑い」についても、一面的にのみ理解された、もはや価値転換を起こすことのできない、純粋に娯楽的な笑いになっていることを批判した。
ちょっと前に、いくつかのポッドキャストやブログ記事などで、シニカルな笑いについて話題にしてるのを見た。それらで話されていたことの延長線上にあるような話は、シニカルな笑いにフォーカスしてるわけじゃないが、一層盛り上がったように思う。それらを聞いていて、たしかに「笑い」には二つの種類、あるいは相反する二つのベクトルがあるのかもなとも思った。それらを仮に「ソリタリー ラフター (独り笑い)」と「ラヴァーズ ラフター (恋人たちの笑い)」と呼ぶことにして、そのネーミングだとダサくて使いたくないみたいな感じは、拒絶を喜ぶ笑いで、シニカルな笑いであり、「独り笑い」である。もう一方の「恋人たちの笑い」は、同意を喜ぶ笑いということになるだろう。 同意を喜ぶ「恋人たちの笑い」が嬉しいのはもちろんだけど、「独り笑い」に救われることもあるっちゃあるよねみたいな感じの話が、「独り笑い」のようなものによって、偽の信念を拒絶するということはとても重要なことなんじゃないかという話になったのがちょっと前で、確かに似たような経験はあるとか、最近の出来事とかその解説とか聞いて、みんな真剣に聞いてたみたいだけど、なんかバカバカしく思えて笑えたみたいな話で盛り上がったのがつい最近なんだけど、これってなんか、「拒絶を喜ぶ笑い」が「同意を喜ぶ笑い」へと転換しているようでもあり、奇妙と言えば奇妙な感じというか、やっぱこの分類じゃ何言ってんのかわからない気もしてくる。そもそも誰かに「シニカルだ」「冷笑主義の差別者だ」「プロジェクト2025の共謀者だ」とか呼ばれることに対して、最後のやつ初耳だけど新ネタでたの?みたいなことを聞いてる人を見て噴き出したりってだけのことを、なぜか真剣に受け取りすぎていただけなのかもしれないが、何かの話題から別の話題に移るたびに、ついさっきまで考えていたことや感じていたことが一気にかけ離れていく感じで、何を考えようとしてたのかもわからなくなる感覚がある。
『存在の耐えられない軽さ』(1984)などで知られる小説家のミラン クン���ラが、もう一つの代表作とも呼ばれる『笑いと忘却の書』(1978)で、「笑い」には「天使の笑い」と「悪魔の笑い」という2つの笑いがあると書いた。「天使の笑い」とは、世界の意味を確信した、生命の喜びとしての笑いであり、「悪魔の笑い」とは、何もかもバカバカしくなる、すべて無意味だということを表す笑いだという。天使の笑いは、それが極端にもたらされると、自分たちの世界の意味をあまりに確信し、自分たちの生の喜びに与しない者は殺してもよいという笑いになる。小説の語り手の耳には、悪魔の笑いのほうが、救済のかすかな約束のように響いた、という描写もある。 クンデラは、「プラハの春」で改革への支持を表明し、それにより、ワルシャワ条約機構軍による軍事介入の後、チェコスロバキアにおいて次第に創作活動の場を失い、著作は発禁処分となった。1975年には、フランスに事実上亡命。1979年には、チェコスロバキア国籍を剥奪される。『笑いと忘却の書』が国籍剝奪の原因だとも言われる。このことから、クンデラは共産主義や全体主義に立ち向かった作家だと言われ、「天使の笑い」というのも、全体主義化に警鐘を鳴らすための言葉として持ち出されることも多い。『笑いと忘却の書』には、共産主義者たちを無垢な残酷さを持つ「天使」に見立てて書いてる箇所もあるし、「あの天使たちの恐ろしい笑い声が響いている」という文などは、例えばジョージ オーウェル『1984年』(1949)の「ビッグブラザーの愛」のように、美しい単語に隠されているものの恐ろしさを暴くものだというような解説もされる。 しかしクンデラは、「共産主義体制で迫害を受けた」というような理解で作品が語られるのを拒み、また、『1984年』などの作品についても、それが政治へと「還元」されるのは容認できないとも書いている。この還元はプロパガンダとして役立つものだし、まさにこれこそが、人生の政治への還元、政治のプロパガンダヘの還元だからだという。 人間は、善と悪とが明確に判別されうるような世界を望み、というのも、人間には理解する前に判断したいという生得的で御しがたい欲望があるからだと、クンデラは言い、さまざまな宗教やイデオロギーのよって立つ基礎は、この欲望だと言う。世界中の人々が、今や、理解することよりも判定(ジャッジ)することを望んでいるようであり、問うことよりも答えることを大切だと考えてるように感じられる。神聖にして冒すべからざる「アンサーズ(答え。確信)の世界」には、小説のいるべき場所はない、とクンデラは言う。とにかくみんなすぐに、理解する前に理解することなく裁くという人問の慣行に反対し、道徳的判断を中断すること、それがクンデラにとっての小説であり、それは小説の不道徳なのではなく、それこそが小説の道徳なのだという。クンデラにとって小説世界とは、判断の中断の中にある世界であり、「クエスチョンズ(問いかけ)の世界」である。 「天使たち」というのは、輪になって踊りながら上昇するというイメージを表すものでもあり、「悪魔」というのは、その輪からはじかれて落ちていくイメージを表すものである。その輪というのは「党」の比喩でもあるが、それだけにとどまるものではない。「列」であれば、離れてしまっても戻ることができるが、輪は閉じるので、いったん立ち去ると帰れない。「惑星が輪を描いて動き、惑星から離れた石が遠心力によって容赦なく運ばれ遠ざかってゆくのは、偶然ではないのだ。惑星から引き離された隕石のように、私は輪のそとに出てしまい、今日でもまだ、落ちるのをやめていない。旋回のなかで死んでしまう定めの人々もいれば、墜落の果てにぺしゃんこになってしまう人々もいる。そして、後者の人々 (私もそのひとりだ) は、失われた輪への、遠慮がちな郷愁のようなものをつねに心のそこに宿している。それというのも、私たちはみな、万物が輪を描いて廻っている宇宙の住人なのだから。」
「小説の読み方」には、なんらかの「継続性」あるいは「持続性」が付随している。一つの作品を読む期間というもそうだし、しばらく読んでなくても、過去に呼んだ作品や読んでた時期を思い出したりとかというのもそうで、そのことを、「アクチュアリテ(今日性)に固定されない」とも言う。「アクチュアリテ」というのは「目下の現実」というような意味で、とりあえず「目下の現実」こそが最重要で、「アクチュアリテに固定されている」のが「ニュース」である。新しい出来事や新しく判明した事実によって「アクチュアリテ」が書き換わった後で、「昨日のニュース」を「今日」読むというのは、「ニュースの読み方」ではなく、別のニュアンスを持つものになる。 「アドボカシージャーナリズム(提言報道。政策決定など���影響を与えることを目的にしたジャーナリズム)」と呼ばれる形態に限らず、前面に押し出されて語られる出来事や議論などの奥には、提言団体の勢力図だったり、語るまでもなくよく知られた背景情報があったり、つまりどんな話題にも「奥行き」がある。が、フォーカスがぶれると伝わらない情報が多いため、どうしても焦点を定めた固定的な見方で語られる。どこかの視点に固定されたり、あるいは、昨日の視点と今日の視点があまりにかけ離れすぎたりすると、その「奥行き」も、奥行きを見るための「視差 (パララックス)」も失われてしまう。 「小説に特有のエッセーの技法」というのも、「アクチュアリテに固定されない」ためのものだと説明される。それは、今日起きたことを書くのだとしても、「今日の出来事」ではなく「持続し、過去と未来をつなげるべきもの」として書く姿勢だという。 日露戦争中、新聞以下マスコミ各社は、戦争に対する国民の期待を煽り、修正が利かなくなっていた。それもあって講和条約であるポーツマス条約は、国民の多くが考えていたものとは大きくかけ離れるもので、日本に対するロシアの賠償金支払い義務はなかった。全国各地で講和条約反対と戦争継続を唱える集会が開かれ、1905年9月5日の日比谷��打事件をはじめとして各地で暴動が起こり、戒厳令が敷かれるまでに至った。12月22日、桂内閣は総辞職した。 その時期をちょうど真ん中に置いて、その前後に、人の視点と猫の視点のパララックスが連載されていた。
2024年7月 イフ ザ ライン オブ サイト イズ パラレル トゥ
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京都人猫説

京都人猫説
全ての京都人は猫である。その意味は市内で交わされる人々の会話に耳を澄ましてみれば自ずとわかるだろう。彼らは言葉の端々に「にゃ」とか「にゃん」とかいう鳴き声を忍ばせて話をする。そしてその鳴き声は、「いけず」に象徴される、この地特有の高等コミュニケーションのひとつであり、それによって秘密裏に言外の意味を伝達しあうことで、(京都人同士の)人間関係をスムーズに構築することができるのだ……。
なぜ私はこんな変な話をしているのか。いや、何も藤田嗣治の絵に描かれている服を着た猫のこととか、三半規管の狂った萩原朔太郎が語る猫町、つまり「形而上の実在世界」のことをいうのではない。これはあくまで現代における現実の話なのだ。かくいう私も京都生まれの京都育ちで、上述の猫のような口語を無意識に用いて暮らしてきたが、数年前に京都弁に関する記述を本で見つけてそれに気が付いたという次第だ。この事実を知ったうえで、人々が喋るところを注意深く観察してみると、何気ない会話でもどこかしら面白おかしく聞こえてくる。それは一体どのようなものか、次に例を用いて説明してみよう。
たとえば、行為にかかる断定を表す「~するのだ」という表現などは、関東弁の口語では通常「~するんだ」、少し砕けて「~すんだ」となるが、大阪弁では「~するんや」、そして「~すんねや」となる。これが京都弁ではさらに砕けて「~すんにゃ」へと変化するのだ。さらに、そこに感嘆を含む場合は「~すんにゃあ」である。また、関西で広く用いられる敬語「はる」を含み、かつ相手にその第三者の挙動について訪ねる時は、大阪弁では「~しはるんやんな?」もしくは「~しはんねんな?」となる一方、京都弁では「~しはんにゃんな?」となる。
実際に最近私が使った例でいえば、「あの人も来んにゃんな?(あの人も来るんだよね?)」、「そう言ってはんにゃろ?(そうおっしゃってるんだろ?)」、「そうすんにゃって(そうやるんだって)」、「そんなんなんにゃったらやめときいや(そんなことになるんだったらやめておけよ。※酒を飲みすぎてまた記憶をなくしたと語る友人に対して)」などがある。
この一聴してユーモラスな発音は大阪弁と比べて幾分優しい響きを持っているように感じられる。京都弁は他方言話者から柔らかい印象を持たれることが多いようだが、その理由として、語尾を伸ばして話される傾向があることのほかに、こうした口調が随所に散りばめられていることが挙げられるだろう。それらを巧みに織り交ぜて、というよりも自然に語尾の一部にして使用することで、穏やかな空気感が生まれ、コミュニケーションを円滑に進めることができる。最初にふざけ半分で擬音語であるかのように書いたが、そこにはちゃんとした意味があるのだ。
京都出身者と話す機会、もしくは京都に行く機会があれば、愉快な関西イントネーションを楽しむとともに、語尾に付いてくる猫の声を聞き分けてみてはどうだろうか。ただし、京都の街中で本当にしっぽの付いた人を見かけたら、別の意味で注意せねばならない。おそらく、それは狐である。
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管啓次郎の朗読会『本とともに生きたいとのぞむ人たちへ』

比較文学研究者で詩人、エッセイストの管啓次郎さんの新刊『本と貝殻』『一週間、その他の小さな旅』(コトニ社)の刊行を記念して、黄昏時のtwililightの屋上で朗読会を開催します。
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日時:6月24日(土) 開場:18:45 開演:19:15 終演:20:15 料金:1,700円 定員:12名さま 場所:twililight 屋上 (世田谷区太子堂4-28-10鈴木ビル3F&屋上/三軒茶屋駅徒歩5分) *雨天の場合は店内で開催します。
本という〈物〉の不思議。 それは、この世のあらゆるものとつながっていること。 ヒトが集合的に経験したすべての記憶・知識・情動が流れこむ一冊一冊の本は、タイムマシン、そして意識の乗り物。 いまこそ本を大切にしよう。 私たちのもとにやって来て、そして去っていった無数の本たちに、心からの「ありがとう」を。
件名を「本とともに生きたいとのぞむ人たちへ」として、お名前(ふりがな)・ご予約人数・当日のご連絡先を明記の上、メールをお送りください。
*このメールアドレスが受信できるよう、受信設定のご確認をお願い致します。2日経っても返信がこない場合は、迷惑フォルダなどに入っている可能性がありますので、ご確認ください。
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プロフィール:
管啓次郎(すが・けいじろう)
1958年生まれ。詩人、比較文学研究者。明治大学理工学部教授(批評理論)。同大学院理工学研究科〈総合芸術系〉教授。1980年代にリオタール『こどもたちに語るポストモダン』、マトゥラーナとバレーラ『知恵の樹』の翻訳を発表(いずれものちに、ちくま学芸文庫)。以後、フランス語・スペイン語・英語からの翻訳者として活動��ると同時に『コロンブスの犬』『狼が連れだって走る月』(いずれも河出文庫)などにまとめられる批評的紀行文・エッセーを執筆する。2011年、『斜線の旅』にて読売文学賞(随筆・紀行賞)受賞。2010年の第一詩集『Agend'Ars』(インスクリプト)以後、8冊の日本語詩集と一冊の英語詩集を刊行。20カ国以上の詩祭や大学で招待朗読をおこなってきた。2021年、多和田葉子ら14名による管啓次郎論を集めた論集『Wild Lines and Poetic Travels』(Lexington Books)が出版された。東日本大震災以後、小説家の古川日出男らと朗読劇『銀河鉄道の夜』を制作し、現在も活動をつづけている。
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『類』 朝井まかて
本の帯にあるように、鴎外の息子であるからこその幸福と不幸だな。なんと言うか裕福過ぎず貧し過ぎない家庭で、子の人生も個人の自由に出来るところに生まれるのが一番幸福なんだと思わせる作品。この作家の作品は、こう言う、特殊な立場に生まれた人々のものが多いな。
鴎外���ちょっと好きなので、たくさんは読んでないけど、全集の一つで類の母と己の母の嫁姑の関係を冷酷なまでに客観的に観察した随筆のような短編を一つ読んだ事があるんだけど、それがこの本でも出て来てた。この短編を読んだ時、こんな風に書かれたら妻はやるせないではないかと思ったんだよな。茉莉の本はエッセー集を2冊と小説を2冊読んだ事があって、『甘い蜜の部屋』は本当に甘い蜜のように濃密な内容で少しづつしか読めなかった。類が書いたものもいつか読んでみようと思う。杏奴のものもね。今すぐではない。いつか。
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受賞各部門、発表
第21回日本自費出版文化賞が発表され、エッセー部門で「いつか見た青空」が受賞した。
走る喜び、書く楽しみ。視力がなくても心豊かに生きている。
Image & Source:(いつか見た青空 / 黒澤 絵美【著】 - 紀伊國屋書店ウェブストアから)
視力障害でイラストレーターを廃業したブラインドランナーが書いた随筆で、2006年にも藤村文学賞で優秀賞を受賞した名作。
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a letter of sorts vol. 17 あらゆる面で吠えつづける星たち(未完の散文)
(2021年3月24日、以下の文に記したバンドの最初のドラマーが亡くなったことを日本時間同月25日の朝SNSで知りました。心よりご冥福をお祈り申し上げます)
サチュロスのダンス! すべての奇形が舞い上がる ケンタウロスに リードされ 乱舞する音だけのコトバ ガートルード スタインの作品--しかし ただのおふざけで 芸術家に なれるわけはない 夢は 追い求める! (「画家たちに捧げる」ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ、原成吉訳)
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回想からはじまる話だ。回想は第164回芥川賞を受賞した宇佐見りん『推し、燃ゆ』を読み終えたことでひき起こされた。面白かった。よくいわれている表現の巧みさ見事さもさることながら、構成が非常によくできていた。とりわけ「書かない」部分の選択に舌を巻く。書く部分を緻密に描いて、書かない部分、読者に想像力を使ってもらう箇所の選び方も緻密で、周到だった。その筆頭にあげられるのは「推し」である彼の苗字に(この字からいってきわめて自然な読み方である)ルビがふられているのに名前の読み方はわからない点だが、他にも姉との関係性、たとえば小さい頃のテレビなどの「推し」につながる思考の部分や、どんなテレビ番組を一緒に見てきたかも全く描かれないので想像するしかない。あと、主人公の背丈。これを書かないことで似たような体験を持つ女の子たちはみな感情移入しやすくなる。これが少しでもヒントになることが書かれていればぐっと感情移入の母数は限定されてしまう。とても緻密な構成に唸らされた次第��ある。そういえばちょっとSNSでは「推し」をどう訳すかが話題となったが、たとえば「推し」の彼の下の名前の読みは、当然のことながら表意文字であらわされる言語では翻訳家が音を「定義」しなければならない。これはなかなか難儀な作業に思える。 主人公の進路がどんどん苦境に陥ってきて姉と妹の口論の描写が増えていくところで、ふとイングマール・ベルイマンの『仮面/ペルソナ』を思い出した。ベルイマンで姉妹の出てくる映画といえば『沈黙』だけど、ぞっとするような静けさではなく激しさが伴ってるから、『ペルソナ』のビビ・アンデションとリブ・ウルマンの論争にならない口論。きつい陽射しに映される口論。『推し、燃ゆ』読み終えてこれも『ペルソナ』と同じだ、炎上ではじまり日に照らされて終わる点では同じだ、と思った。死ぬほど虚しい陽光に照らされて。 物語を書かれた宇佐見りんさんとはまるで世代が異なるのだから当然だが当方には「推し」が何を以て「推し」とするかなんて考えたことなかったし思ったこともなかった。それがふと考えざるを得なくなったのは『推し、燃ゆ』を読み終えて数日後にあなた真空管を見ていた時だ。 あなた真空管。いまこの文をお読みになっている方で真空管を見たことある人はどのくらいいるのだろうか。自分がものごころついたとき、さすがにラジオやステレオには入っていなかったがテレビは1台真空管を使ったものが現役だった。19型の家具調カラーテレビだった。「家具調」テレビというのものに対しても説明が要るけれどももう説明もしんどいし検索すればわかるだろうから省く、ともかく真空管を使っていた。真空管は寿命が短くてすぐ切れた。切れるたびにテレビを動かし裏側を表に出してくっついてるボール紙をネジ廻しで外して新しいのと替えていた。50年かそこら前までテレビの裏側というのは必要上簡単に開くようにできていたのだ。いま自分のすぐ手元にある、洋書屋で立ち読みを何度もされて表紙から数ページがパカパカになってバーゲン品として売られていたものを愛用してる英語辞典「長男」でtubeと引いてももはや真空管のことは載ってない。かわりに(?)8番目の意味として載ってるのは technical: the part of a television that produces the picture on the screen とあって、これはどう考えてもブラウン管のことであるが今の十代いや二十代でも若い方はブラウン管もわからないかもしれないだろうがやはりここで説明は面倒なので話を先に進める。そのときPCをひらいてあなた真空管で音楽の動画を検索しそして見ていたのだ。洋楽のライヴ映像だったが1980年代の洋楽ではなくもう少しあとの頃のだった。横の、いわゆる「この動画をご覧になる方次はこちらはいかがでしょうか」の候補の一覧にそのバンドは挙がってきたのだった。曲目はそのバンドの曲ではない。そのバンドの活動時期からほぼ15年前のクリーデンス・クリアウォーター・リヴァイバル(CCR)の曲をカヴァーしているものであり、このカヴァーは聴いたことなかった。この曲はアメリカがベトナム戦争参戦時に書かれた、作者であるCCRのジョン・フォガティにとって切っても切れない曲でもある。その、サムネイルといわれてるが足の親指というより幕の内弁当のスミッコにある栗きんとん1個分の大きさくらいのリンクにカーソルをもっていってどんっとタップした。 このバンドはアルバム2枚出して解散した。幸か不幸か、1枚めのあとに「推し」だった人以外全員当時その人のプロデューサー兼マネージャーだった男がメンバーを入れ替え、というかクビにして2枚めが作られたのですぐこの映像は1stアルバムの頃だとわかる。いまから36年前、1985年のライヴ。このバンドの映像は以前も検索したことがあるが、見始めると明らかに以前にみたときとは違う思いがあった。率直に言うと何かが弾け飛んだような感じがした。何故かはわからない。『推し、燃ゆ』の終盤のライヴのシーンを思い出したからかもしれない。「推し」だった人のバンドの来日公演はなかったので観ることはかなわなかったし、恥ずかしながらこの人が来日した直近の、8年前の公演にも行けなかった。ソロになってから来日したとき、たしか27年前の2月末に一度行ったきりだ。 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★ 2021年2月13日夜の地震、専門家のあいだでは東日本大震災の余震という見解の多い大きな横揺れが自分の部屋にも来た。読書が好きな方は積んだ本が、音楽が好きな方は積んだコンパクトディスクが倒れて落ちてきた、という方々も多いのではないか。それはある年代以上の人だろうか。10年前の震災のときはラックからたくさんCDが落ちてケースが割れたりした。今回の大きな揺れでは積んだCDは落ちなかった。CDを最近聴いてなくて、周囲に要塞のように買った本が積まれてしまっているからだ。要塞というより、事故のあとの建屋のほうがイメージは近いかもしれない。つまりコンクリートで固めているように外から本で中のCDを囲んでいる。流れでそうなってしまったのだ。 揺れが続いて文庫本が落石のはじまりのような音で2冊落ち、3冊8冊14冊って落ちてきた。おさまったかな、余震くるんじゃないかなと思ってそのままにしていて、多分1時間後くらいだ、落ちてきた文庫本の中でいちばん上にあった一冊を拾いあげた。そのときはもう、前の段落にしるした一件があってから一週間は経っていて、「何をみてもその人を思い出す」、のべつかつて「推し」だった人のことを考えている状態になっていた。 その一冊の、以前自分が、いわゆる独立系zineのひとつから文章の依頼を受けたとき、このエッセー集の中から引用させていただいた、その文を開いた。引用したのは「B子ちゃん」が出てくる箇所だった。そして、その前の「A子ちゃん」の箇所に目が入った。くりかえしになるが、何をみても「推し」だった人を思い出す状態になっていたときだ。 A子ちゃんはふとって、髪がたくさんあって、いい顔立で、しかし眉根がちょっと悲しげに寄っていて、おとなしい子だった。 (幸田文「こども」) あらまぁ。そっくりじゃないか。「おとなしい子」以外おしなべてそっくり、自分が高校の頃「推し」だった人、その人がハイティーンを過ぎた頃にそっくりじゃないか。 ここに気づいてから、気づいた自分を省みた。そしてちょっと恥ずかしくなった。海外にも日本にも、何年もゴシップにあがりつづける人から今なにしてるのかわかんない人まで好きなミュージシャンはたくさんいる。が、どういうわけか、まったく客観視できない人はひとりだけだ。そもそも『推し、燃ゆ』を読み終え、誰が自分の「推し」といえる人だったのか中学高校の頃を思い返し考えたとき。なんでこの人しか思い出さなかったのだろう。 ソロになってからのこの人のアルバムははいつも発売日に買ってた記憶がある。でもバンドの頃はレンタルで借りて、あとから輸入盤を買ってた。だからその当時、少なくともアティテュード、こちらの態度面ではいちばん好きなバンドだったとはいえない。 いちばん歌をうたうのがうまい人だと今でも思ってるからだろうか。高校に入って洋楽を聴きはじめたときにできた雑誌の創刊号の新人特集に載ってて、バンドのデビューからずっと知ってるからだろうか。バンドが売れなかったからだろうか。ソロになってから大ヒット曲があるがその前から知ってるぞという所謂オタク心からだろうか。 どれもそうである気もする。しかし決定打ともなりえない。 『推し、燃ゆ』の主人公が推しの情報をルーズリーフに書き込む、あの一文に反応した気がする。 この人のバンドだけ他と違うのは、ノートを持っていたことだ。 それには理由があった。 僕の姉もノートを持ってつけているバンドがあった。ビートルズだった。姉がノートを書いていたとき、ビートルズはすでに解散してた。 姉のつけてたノートもさすがにそうだろうけど、自分のも引っ越しのときに捨ててしまったはずだ。いまは記憶を頼るしかない。 僕のノートは姉のと違って、バンドは現役の若手バンドだった。 ノートにつけていたのは日本語の歌詞だった。 「何をみてもその人を思い出す」話にもどる。たとえば、自分の「推し」だった人は、21歳か22歳の頃、こんな歌詞を書いてる。歌の中の人が、要するに「何をみてもその人を思い出す」心になっているときの曲のなかの一節。 Every trace, every vision Brings my emotions to collision この曲をはじめて聴いたのは17歳のときだ、だらしない高校生だった。そりゃそのときはこれがどれだけ詩的に優れた表現かなんてわからない。申し訳ないけどそこから34年たって、やっとわかることである。 この人はライヴの人だ。それはこのバンドやこの人のファンには誰でもわかっていることだ。ライヴの映像だけでなくテレビ出演の映像��もすべて生で唄っている。当時の洋楽ミュージシャンとして、これは珍しいことである。そして34~35年前はお金払ってでも観たかったライヴの映像が簡単にみられる。この人のファンには根強くて熱心な人が(やっぱり)いてたくさん投稿されてる。好きな曲を検索すると関連を察してくれて他のライヴもひっぱりだしてきてくれる。歩いていくと果物畑はどんどん広がっていって、バンドのものもソロになってからのものも38年前の実も31年前の果物も27年前のも12年前のも6年前のもバスケットに投げ入れていってそして味わう。 ソロになってからは正直いってそんなに聴いていない。でもバンドの曲はどれも唄える。いっしょに唄える。なんというか、こういういいかたも恥ずかしいが余裕をもって唄える。唄いながら、ノートに書いた歌詞を思い出してる。日本語のほうの歌詞。 34年前。1987年の2月か3月だった記憶がある。たしかTV雑誌のスミッコにあった新譜紹介欄で、このバンドのライヴのVHSソフトが発売されるのを知った。発売日に買った。それは輸入盤の表に日本語のシールをつけていただけのものだった(当時のことを知っている方はわかると思いますが、特に音楽関連のビデオソフトは日本盤はテープを包むようなプラスチックケースに入っていて、輸入物は簡易版というか、テープを差し込む紙ケースに入って売ってるものがほとんどだった)。解説も入っていなかった。これを夜家族がみんな寝てから、���湯を沸かして紅茶を淹れたり冷蔵庫からジュース持ってきたりして、誰もいない応接間のテレビでくりかえし観ていた。テレビにソニーのヘッドホンを挿して。まだ密閉型のヘッドホンなんて家庭用にはなかった(まだ費用をかけずに軽くする技術がなかったから。密閉型は重かったのだ)。たしかいちばん軽いヘッドホンのひとつだったはずだ。それをかけて60分近いヴィデオを通しで観ていた。7曲あるうち、2曲目に入っていたバンドのデビュー曲でブリッジ(サビ)のあと、3番からやたら客席が盛り上がるのが大好きだった。画面の中からはなんでそこまで盛り上がるのか全くわからない。でもそこが好きだった。なにしろあれだけ湧くんだからそんなフンイキ自体があったんだろう。そしてこっちも盛り上がってコードがひっぱられてヘッドホンがカサブタが取れるみたいに頭から抜けたりなんてことがよくあった。それを季節がかわっても何度も観ていた。 34年経って、その7曲は1曲ずつ分かれて、先述の「あなた真空管」にアップされている。自分の狭い部屋で、机にウィスキーのお湯割りをもってきて、PCに100円均一の店で買ったイヤホンを挿して、あなた真空管にアクセスした。どれか聴いてみようかと思って、最初に2曲目を聴いた。そしてブリッジのあと、歓声が盛り上がるところでお湯割りを吹いた。 盛りすぎだ。 浮いてる。途中の歓声だけ浮いてる。あとから付けたのがまるわかりである。歓声というよりもうこれは陥穽に近い。なんで昔はわからなかったのかわからない。これでこの7曲は振り返りづらくなった、ということだけは記しておく。どうしても盛ってるところで笑ってしまうのだ。ライヴ自体は変わらず昔を思い起こさせるのだが。いくら盛り上げたところでバンドは売れなかったね、という点も含め悲しささえおぼえる。 そして、もちろん34年経って歓声を盛ってるのがわかった理由は、自分の耳が良くなったからではない。あまたのデバイスの、種々の面における精度があがっただけのことである。 「あなた真空管」にあがっているその人のいくつかの(いくつもの)ライヴ映像や音声、そこにつけられたコメントを読んで感じるのは、とりわけバンド時代の記録へのコメントに対して、その人を単独の「ソロミュージシャン」としてより「バンドのフロントウーマン」としてもっと長いこと観ていたかったという気持ちが強く表れていることだ。 実際、いま当時のバンドのときのライヴを観るとこの人の当時のある種の「引き受け方」には、あの年ごろですごいなと素直に感心してしまう。その人は昨年、新譜を出したときに受けたインタビューで曲を書くときに若い頃の自分のヴィデオを何度も観たと言っている。自分のその時の気持ち、その時どうなりたかったかを思い出そうと。それをふりかえり「野生のエナジー」だったと言っている。これを読んだときは今もその人の、自分の大好きな部分は変わってないんだなと思ってうれしかった。そして、結果的にバンド時代の最後のシングル曲となってしまった歌の詞の一節を思い出す。 「どんな台風でも目のなかに入れば、そこには静かな夜がある」 34年前の、先ほど触れた頃より少し前。1987年になったばかりのときに自分がテレビを観てた話。日本のテレビでおそらく唯一、(さっき触れたライヴの一部がヴィデオクリップになっていたものを除けば)このバンドのライヴが、オーディエンスのいたライヴがOAされたとき(注1)。1987年1月1日の未明だった。それはMTVのライヴ特番だった。 先述のとおり高校生だった。いちおう中継先とこっちで時差があることくらいはわかっていた。わかっていたはずだ、自信はないが。でも日本とアメリカのどっちが先に新しい年を迎えるかなんてことは全くわかっていなかった。だから、あれは元日になって午前1時前後だったかもっと遅くだったか、テレビ朝日(当時、MTVの番組を流してた)の画面から「推し」だった人がHappy new yearって言ったときああ向こうも年が明けてるんだなと、今思い出したら恥ずかしさで笑うしかないような記憶も残っている。そして、あの中継、ライヴの中継自体を衛星生中継なんだと思っていた。うちにあるビデオデッキで録画はしていた。けれど3倍モードだった。テープに出費できるほどお金をもってなかったのだ。 最初に画面がステージに切り替わったときにその人が何か言っていたのだ。Happy new yearっていう前に。"Welcome to ...kon"。...の部分が日本のだらしない高校生の耳ではききとれない。会場はスタジオじゃなくてどこかのライヴハウスなんだろうか、そこの名前だろうか。なんて思っていた。先述のとおり、このバンドは2枚出したアルバムのメンバーがまったく違っていて、このときは86年にセカンドアルバムを出したときの5人である。5人が2曲(アルバムからの2つのシングルカット曲)つづけて披露し、中継は終わった。このとき複数のバンドが出演したが自分の好きなバンドはひとつだけだった。だから画面をみていてこのバンドが登場したことに気づいた時にスタンバイ状態から一時停止ボタンをはずして録画したはずだ。あとで録画したテープをかけてみると"Welcome to..."と言いだすところで始まっていた。これまた何度も、3倍モードのテープを観ていたのだ。34年前。 その映像もいま「あなた真空管」でみることができる。実は今回ほぼ35年ぶりに自分が観たライヴ映像はほとんどが10年前後まえに投稿されたものだ。だからほぼ25年ぶりにライヴの映像を見つけ耽溺する機会もあり得た。自分の怠慢なのかもしれない。ただ、笑われてもしょうがないが35年くらい経たないとわからないこともある。 いま見直すと、その人は、ここではっきりと、 「サテリコンへようこそ」と、言っている。 申し訳ないけれど、34年経ってやっとわかった。 satyrikonの訳。(中略)サテュロス劇は、ディオニューソスに従うコロスとして登場するサテュロス(Satylros)たちにちなんで、そのように呼ばれる。サテュロスは山野に住む精霊(ダイモーンdaimon)で、顔と姿は人間であるが、身体は毛におおわれ、馬の耳と尾、ときには馬の足をもつものとしてあらわされる(のちにはさらに山羊の要素をもつようになった)。 (「詩学」アリストテレース、松本仁助・岡道男訳より、「サテュロス劇的なもの」の注釈から) いまグーグルにsatyrikonと入力し検索すると「もしかして:satyricon」と表示され、フェリーニの映画の原作となった(伝ペトロニウス作の)物語が大きく出てきて、同時に映画のソフトを「おすすめ」される。前段の引用のような語義(?)は上位には出てこない。並記されるのならまだしも、ひとつしか出てこない。それはきっと、これでひとつ映画のソフトウェアが売れるかもしれないという具体的な「要素」、売り上げのための要素と結びついているからだろう。ここでいうsatyrikon (satyricon) は自分が捜している意味と違うと思うので、もうひとつ別の文献から引用する。 ディオニューソスの随伴者として、もっとも通例現われるのは、かの山羊脚をしたサティール(正しくはサテュロス)の群れである。しかし彼らは本来は特別にディオニューソスに縁故の者ではなくて、ただ山野に群れる生類の精にすぎない。ヘーシオドスも、「ロクでなしの、わけのわからない所業をするサテュロスたち」と呼んで、ニンフらや、クーレーテスの兄弟分にしている。(中略) その姿は通例山羊の角や耳、長い尾に、蹄(ひづめ)のついた脚をもち(アッティケー州では、馬の尾をつけ、馬的であるのが特徴)、毛ぶかく、鼻は低く、くちは大きく、しばしば興奮した男性器をもつ、ふつうは若い青年男性の精霊である。しかしその心性はもっと素朴に野性的で、遊戯をこのみ、色情的でとくにニンフたちをからかったり、ふざけたりして喜ぶ。要するに野育ちの自然児で、深いたくらみや強い力もなく、積極的な悪とは全然かかわりのない、愛すべきいたずら者、というのがギリシアの都会人の空想する、このサテュロスであった。 彼らは群れて、あるいはディオニューソスやその他の山野の神に伴って、跳ねまわり踊り狂う、そして笛や笙(しょう)をこのんで奏でる。このような姿と性徴とをもって、かれらは春ごとに悲劇と併せて上演される、サテュロス劇に舞唱団(コロス)となって現われた。 (『ギリシア神話』呉茂一) 自分が「推し」だと思ったその人はここで自分と自分のバンドをサテュロス、愛すべきいたずら者に譬えていたのだ。いま、とてもはっきりと聞こえた。 Welcome to satyricon. って。恥ずかしいけどいまから10年前ではわかっていなかったと思う。 その映像では4曲披露されてる。これは"MTV New Year's Eve R&R Bowl 1987"の映像なので、1986年12月31日のステージということになる。で、自分が34年前にテレビで見たのはここでの2曲目と4曲目(!)なので、あのときの映像は「2曲つづけて」ではなかった。何回も自分に笑ってしまうが、あの時点で最初から録画されたものを流していたことに、そのときは気づきもしなかった。この動画を投稿した人は几帳面な人なのか、3曲目の一部は途中でカットされてて(しかもいっしょけんめいつなぎを目立たなくさせている跡があって、それもつらい)、4曲目は途中で終わってる。当時のMTVの中継がこんな形で途中で切れちゃったとは思えないので録画してたテープが終わりになってしまったのか、もうテープがボロボロになっているので出すのを控えたのかどちらかだろう。あのときのテープを持っていればとも思うしあのとき標準モードで録画しておけば……と思ったりもして、なんにしても34年は長いものだと思う。 結果、自分の中で「推し」だった人の、"Welcome to satyricon."を反芻するだけだ。 同じ日の別の動画もみることができた。これはその時のアンコールだったのだろうか、「石鹸とスープと救いの歌」の映像だ。この歌は「推し」だった人の歌のうまさが最も感じられる歌であり自分には思い入れの強い歌だ。自分たちをサテュロスにたとえた人らしいいいライヴであり歌なんだけど、このステージのほぼ10年後にオランダのテレビでオンエアされたらしいドキュメンタリー(これも今回発見した)で彼女は「私のプロデューサー兼マネージャーは私をスプリングスティーンにしようとした」と言っていて、それを踏まえて見るとそれなりに悲痛でもある。(「すべてやってみた、やってみたけど……なんにもうまくいかなかった」。)途中でなにか別の歌を挟んでいる。なんかきいたことあるなと思って、やっとわかった。ヴァン・モリソンが作って自分のバンドで唄い、それをジム・モリソンがドアーズのステージで唄って、その形式に則ってパティ・スミスが唄いつづけているあの曲だ。自分の「推し」だった人は地縁(?)的にはドアーズの系譜を、表象としてはパティ・スミスの系譜を継ぐ人のようにも思える。 誰があの文を書いたのだろう。あの一文、レコードレビューの中の、最後の句点を入れれば25字の文。あれがなかったらその人は自分の唯一の「推し」と思える人にはなっていない。逆にいえばあの25文字のおかげでその人の歌と歌詞を知ることができて、その人が綴って唄う言葉から自分で気づかないうちにいろいろ影響されているんだな、と35年経ったいま思う。 1985年の暮れに「ザテレビジョン」の別冊が出た。そこにテレビの記事はほとんどなくて、洋楽ミュージシャンと音楽の話がほぼすべてを占めている、今ふりかえるとすごく80年代を現している増刊号だった。中ほどに見開きのレコードレビューのページがあった。いま手許にその号がないから思い返すしかないが30枚ほどの1985年にリリースされた洋楽の日本盤が紹介されていた記憶がある。XTCの「スカイラーキング」やトッド・ラングレンの「ア・カペラ」、それからフランク・ザッパの「奴らか?俺たちか?」、あとはなんだっけ。自分がその中に、はじめて日本盤リリースされた2枚目のアルバム、プリファブ・スプラウトというバンドの「スティーブ・マックイーン」が載っているということを知ったのは翌年はじめてそのバンドの曲を聴いてからだ。それはさておき、そこにその人のバンドのレコードレビューもあった。いま記憶にあるのは最後の一文だけである。そして、少なくとも日本語で書かれた記事ではその人がソロになる前、バンドのフロントウーマンだった頃にこういった言及はされていなかったはずだ。みんなその人のヴォーカルがいいとかいった話しかしていなかったはずだ。あと(わりと今でもアタマにくるけど)かわいいとか。 そのレビューの最後の一文、 詩作面におけるユニークな才能にも注目したいところ。 このバンドのデビューアルバムは日本盤のライナーノーツにも歌詞の日本語訳はついていなかった。レコード会社が不要と判断したのだろう。時間がなかったわけではないと思う。それはなにかの事情、ここからは自分の話。先ほど引用した25文字を見てから、コピーした歌詞カード(これも日本盤のために、聞きとりにより記述されたもの)をもとに、自分が持ってたマルマンの表紙の厚いノートに、小学館プログレッシブ英和辞典を引きながら歌詞を訳しはじめた。これが自分が思い返す当時の「作業フロー」である。 例えばその人のポスターは探��ば売ってたのかもしれないけど部屋に貼ってないし買ってない。その人のCDを発売日に買ったのはソロになってからで、バンドのときはレンタル屋で借りたのが最初だった。でもその人だけが「推し」に該当する人だ。それを辿ると、やはりあのノートしか思い浮かばないのである。その人はソロになって、キャリアを重ねるにつれてシンガーソングライターとして詩人として認められていった。だけどバンドの頃からその人の綴る歌詞は他のソングライターとはちょっと違っていて、そして際だっていた。 歌詞を訳しはじめてどうしても意味のわからない曲があった。石鹸とスープと救い、タイトルだけ訳せばそうなる。意味がつかめないのでちょっと英語の先生になりそこねた人に訊きにいく。 その頃、姉と自分が授業などで英語がわからないときに訊きにいく人がいた。その人は「英語の教師になりそこねた人」だった。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
(注1)実は、36年前デビューまもない頃バンドがプロモーション来日をしたときにTVK=テレビ神奈川の番組でスタジオライヴをやったのを見た記憶がなんとなくあるのだがよく覚えていない。その頃はまだそんなに注目していなかったし、なんか晩ゴハン食べながら不熱心に見ていた記憶しか自分に残っていない。 ※この話はまだまだ続きますが、ひと区切りとして載せておきます。※この話は事実にヒントを得て構成されたフィクションであり、実在の人物・団体等とは一切関係がないように読まれれば筆者は困惑します。
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<随想・「How to Make the Study of Consciousness Scientifically Tractable」批判>
ここで取り上げるのは、Scientific Americanに掲載されたエッセーです。以下に簡単に記すように、行動分析学をよく御存知ない弁護士でサイエンスジャーナリストの方がお書きになったもののようなので、こちらとしても建設的な議論もできず、紹介することも躊躇したのですが、現在でもまだこのような誤解があり、それがOpinionの項ではあるけれども、Scientific Americanに掲載されているとなると、少なくとも誤りは指摘しておかなければならないだろうと思い、随想という形で投稿しておこうと思った次第です。尚、原文は以下のURLにあります。
https://blogs.scientificamerican.com/observations/how-to-make-the-study-of-consciousness-scientifically-tractable/
1.徹底的行動主義記事の中に、以下の記述があります。
Strangely, modern science was long dominated by the idea that to be scientific means to remove consciousness from our explanations, in order to be “objective.” This was the rationale behind behaviorism, a now-dead theory of psychology that took this trend to a perverse extreme.
一応訳しておくと、
「奇妙なことに現代科学は長い間、科学的であるためには、客観性を保証するために、説明に『意識』を用いてはならないという考え方に支配されてきた。これは、現在では廃れた(now-dead)心理学の理論である行動主義の考え方で、それ自体が不条理なまでの行き過ぎ(perverse extreme)の傾向をもたらしたのである」
ということでしょう。
perverseというのは倒錯的等の意味もあり、この一語を見ても冷静な科学者の筆になるものではないと考えられるので、反論するのもいかがなものかと思われますが、なにしろ上記の通りScientific Americanの記事ですから、行動分析学をよく御存知ない方は頭から信じてしまう可能性もあり、修正すべきところは修正しておかなければと思われます。
まず第一に、記事の筆者は「徹底的行動主義」(註1)の考え方を御存知ないのでしょう。スキナーが提唱した徹底的行動主義の考え方によれば、人間の内的経験、例えば「思考」「情動」「意識」等も、言語表出等の客観的行動を通してではあるが、強化や消去等の対象となる行動として扱うことができるということです。勿論この考え方には議論の余地があり、批判的な意見もありますが、少なくともこのことを知っていれば、「意識を用いてはならない」(remove consciousness)と断言することはできないでしょう。
2.応用行動分析学の隆盛
日本では現在までのところ、応用行動分析学的手法の教育現場での採用は限られた範囲でしかないのが現状ですが、欧米に目を向けると教育全般、就中特別支援教育の分野では応用行動分析学が広範にかつ深く浸透しています(註2)。米国では多くの州で障害児の教育においてチームティーチングの重要な要員として応用行動分析学の専門家が含まれることになっていますし、教育やその他の分野においても行動分析学を含む行動科学の成果を用いなければならないという大統領令すら出ています(註3)。ヨーロッパでも国によって若干の温度差はあるものの、例えば英国では障害児を持つ保護者が応用行動分析学の専門家がいる学校等の教育施設を選択肢の筆頭とするという傾向があります。
このように応用行動分析学は、特に教育の分野で隆盛を見ているのですが、もし記事の筆者がそのことを知悉していたなら、「現在では廃れた」(now-dead)とは書けなかったでしょう。
行動主義あるいは行動分析学に関わる話はここまでなのですが、さらに1点議論を提起しておきたいことがあるので、以下にもう1点だけ付け加えておきます。
3.主観間確認(intersubjective confirmation)
記事の筆者が最も強調したいと考えられる提案は、以下の部分でしょう
We are now developing a new set of standards to replace “objectivity.” These new standards are based on the notion of intersubjective confirmation. This fancy term just means that we recognize that all “objective” data are data that we can discuss and decide as a community of scientists whether to regard as accurate and relevant and thus “true.” Truth is intersubjective, not objective.
これも一応訳しておくと、
「ここでは『客観性』に代わる新たな基準を考え始めている。この新しい基準は『主観間確認』に基づくものである。この新語は以下のことを意味している:即ち、我々が客観的なデータと認めるものは、科学者のコミュニティにおいて議論され結論が得られた、正確で筋の通った(accurate and relevant)もの、つまり『真』(true)であるデータということである。真であるか否かは、主観間確認であって客観的事実というわけではない」
この記述自体には全く異論はありません。その通りだと思います。問題はこのことと実証可能性との関係です。もし「科学者のコミュニティ」なるものが、常に単なる『共感』ではなくて『遺伝的論理』に基づいて議論を進めている(註4)、つまりは実証主義的であるなら、誰もが正確で筋が通っていると賛同せざるを得ないはずですから、上記の記述が成り立ちます。しかし恐らく「意識」という内的経験に依存する概念については、科学者のコミュニティにおいても実証可能ではなく、共感に依存する議論しかできないでしょう。そうなると賛同できない科学者も出てくるはずで、結局は主観間確認が得られないということになります。
そのような訳で、主観間確認という概念を導入するならそれが遺伝的論理のみに依存するのか共感論理にも依存するのかを明らかにしておかなければなりません。記事はそこのところの議論が全くないまま書かれているという点で不充分だと感じた次第です。
註1
長谷川芳典 (2011) 徹底的行動主義の再構成~行動随伴性概念の拡張とその限界を探る~. 岡山大学文学部紀要, 55, 1-15.
註2
https://www.nise.go.jp/kenshuka/josa/kankobutsu/pub_b/b-163/b-163_04.pdf#search=%27%E6%95%99%E8%82%B2+%E6%AC%A7%E7%B1%B3+%E5%BF%9C%E7%94%A8%E8%A1%8C%E5%8B%95%E5%88%86%E6%9E%90%E5%AD%A6%27
註3
https://obamawhitehouse.archives.gov/the-press-office/2015/09/15/executive-order-using-behavioral-science-insights-better-serve-american
註4
https://www.facebook.com/notes/%E8%A1%8C%E5%8B%95%E5%88%86%E6%9E%90%E5%AD%A6/%E9%9A%8F%E6%83%B3%E5%AE%9F%E8%A8%BC%E7%A7%91%E5%AD%A6%E3%81%A8%E5%86%85%E8%A6%B3%E7%A7%91%E5%AD%A6/2247315458630283/
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随想・「How to Make the Study of Consciousness Scientifically Tractable」批判
ここで取り上げるのは、Scientific Americanに掲載されたエッセーです。以下に簡単に記すように、行動分析学をよく御存知ない弁護士でサイエンスジャーナリストの方がお書きになったもののようなので、こちらとしても建設的な議論もできず、紹介することも躊躇したのですが、現在でもまだこのような誤解があり、それがOpinionの項ではあるけれども、Scientific Americanに掲載されているとなると、少なくとも誤りは指摘しておかなければならないだろうと思い、随想という形で投稿しておこうと思った次第です。尚、原文は以下のURLにあります。
https://blogs.scientificamerican.com/observations/how-to-make-the-study-of-consciousness-scientifically-tractable/
1.徹底的行動主義
記事の中に、以下の記述があります。Strangely, modern science was long dominated by the idea that to be scientific means to remove consciousness from our explanations, in order to be “objective.” This was the rationale behind behaviorism, a now-dead theory of psychology that took this trend to a perverse extreme.
一応訳しておくと、
「奇妙なことに現代科学は長い間、科学的であるためには、客観性を保証するために、説明に『意識』を用いてはならないという考え方に支配されてきた。これは、現在では廃れた(now-dead)心理学の理論である行動主義の考え方で、それ自体が不条理なまでの行き過ぎ(perverse extreme)の傾向をもたらしたのである」
ということでしょう。
perverseというのは倒錯的等の意味もあり、この一語を見ても冷静な科学者の筆になるものではないと考えられるので、反論するのもいかがなものかと思われますが、なにしろ上記の通りScientific Americanの記事ですから、行動分析学をよく御存知ない方は頭から信じてしまう可能性もあり、修正すべきところは修正しておかなければと思われます。
まず第一に、記事の筆者は「徹底的行動主義」(註1)の考え方を御存知ないのでしょう。スキナーが提唱した徹底的行動主義の考え方によれば、人間の内的経験、例えば「思考」「情動」「意識」等も、言語表出等の客観的行動を通してではあるが、強化や消去等の対象となる行動として扱うことができるということです。勿論この考え方には議論の余地があり、批判的な意見もありますが、少なくともこのことを知っていれば、「意識を用いてはならない」(remove consciousness)と断言することはできないでしょう。
2.応用行動分析学の隆盛
日本では現在までのところ、応用行動分析学的手法の教育現場での採用は限られた範囲でしかないのが現状ですが、欧米に目を向けると教育全般、就中特別支援教育の分野では応用行動分析学が広範にかつ深く浸透しています(註2)。米国では多くの州で障害児の教育においてチームティーチングの重要な要員として応用行動分析学の専門家が含まれることになっていますし、教育やその他の分野においても行動分析学を含む行動科学の成果を用いなければならないという大統領令すら出ています(註3)。ヨーロッパでも国によって若干の温度差はあるものの、例えば英国では障害児を持つ保護者が応用行動分析学の専門家がいる学校等の教育施設を選択肢の筆頭とするという傾向があります。
このように応用行動分析学は、特に教育の分野で隆盛を見ているのですが、もし記事の筆者がそのことを知悉していたなら、「現在では廃れた」(now-dead)とは書けなかったでしょう。
行動主義あるいは行動分析学に関わる話はここまでなのですが、さらに1点議論を提起しておきたいことがあるので、以下にもう1点だけ付け加えておきます。
3.主観間確認(intersubjective confirmation)
記事の筆者が最も強調したいと考えられる提案は、以下の部分でしょう
We are now developing a new set of standards to replace “objectivity.” These new standards are based on the notion of intersubjective confirmation. This fancy term just means that we recognize that all “objective” data are data that we can discuss and decide as a community of scientists whether to regard as accurate and relevant and thus “true.” Truth is intersubjective, not objective.
これも一応訳しておくと、
「ここでは『客観性』に代わる新たな基準を考え始めている。この新しい基準は『主観間確認』に基づくものである。この新語は以下のことを意味している:即ち、我々が客観的なデータと認めるものは、科学者のコミュニティにおいて議論され結論が得られた、正確で筋の通った(accurate and relevant)もの、つまり『真』(true)であるデータということである。真であるか否かは、主観間確認であって客観的事実というわけではない」
この記述自体には全く異論はありません。その通りだと思います。問題はこのことと実証可能性との関係です。もし「科学者のコミュニティ」なるものが、常に単なる『共感』ではなくて『遺伝的論理』に基づいて議論を進めている(註4)、つまりは実証主義的であるなら、誰もが正確で筋が通っていると賛同せざるを得ないはずですから、上記の記述が成り立ちます。しかし恐らく「意識」という内的経験に依存する概念については、科学者のコミュニティにおいても実証可能ではなく、共感に依存する議論しかできないでしょう。そうなると賛同できない科学者も出てくるはずで、結局は主観間確認が得られないということになります。
そのような訳で、主観間確認という概念を導入するならそれが遺伝的論理のみに依存するのか共感論理にも依存するのかを明らかにしておかなければなりません。記事はそこのところの議論が全くないまま書かれているという点で不充分だと感じた次第です。
註1
長谷川芳典 (2011) 徹底的行動主義の再構成~行動随伴性概念の拡張とその限界を探る~. 岡山大学文学部紀要, 55, 1-15.
註2
https://www.nise.go.jp/kenshuka/josa/kankobutsu/pub_b/b-163/b-163_04.pdf#search=%27%E6%95%99%E8%82%B2+%E6%AC%A7%E7%B1%B3+%E5%BF%9C%E7%94%A8%E8%A1%8C%E5%8B%95%E5%88%86%E6%9E%90%E5%AD%A6%27
註3
https://obamawhitehouse.archives.gov/the-press-office/2015/09/15/executive-order-using-behavioral-science-insights-better-serve-american
註4
https://www.facebook.com/notes/%E8%A1%8C%E5%8B%95%E5%88%86%E6%9E%90%E5%AD%A6/%E9%9A%8F%E6%83%B3%E5%AE%9F%E8%A8%BC%E7%A7%91%E5%AD%A6%E3%81%A8%E5%86%85%E8%A6%B3%E7%A7%91%E5%AD%A6/2247315458630283/
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* 壺井栄の世界〜朗読と音楽の調べ〜 *
2月2日(日)に、壺井栄生誕120年記念「壷井栄の世界」~朗読と音楽の調べ~が開催されました。
明治32年8月5日に小豆島町坂手で生まれた栄さん。
昭和27年に発表した「二十四の瞳」をはじめとして、小説、童話、随筆など1400余編を書かれましたが、それらの作品の題材にはふるさと小豆島を描いたものが多く残されています。
「壺井栄の世界をお楽しみください。」
との言葉で始まった「壺井栄の世界~朗読と音楽の調べ~」は、小豆島出身の中学生・藤本真己さんのヴァイオリンと観音寺市出身の加島華奈子さんのピアノ演奏で幕を開けました。

(藤本さんは、小学生の時に壺井栄賞優秀賞を受賞されました)
そして、俳優・佐藤B作さんと女優・あめくみちこさんご夫妻による朗読に続きます。

第1部は、「二十四の瞳岬文壇エッセー募集最優秀作品」の4作品の朗読。
あめくみちこさんが、
「仲間」をテーマにひとりではないことのメッセージを綴った「暖かい手」(第14回最優秀賞:西岡奈緒子作)、
「記念日」をテーマに結婚前夜のやりとりに込められた幼き頃の母娘の思いを綴った「お裁縫箱」(第10回最優秀賞:小野歩作)
の2作品を。

続いて
佐藤B作さんが、「映画」をテーマに息子を思う母の気持ちを綴った「母のお詫び」(第3回最優秀賞:小林孝��作)、
「父」をテーマに父親のおおらかな優しさをさりげなく、くっきりと描いた「こたつの中」(第11回最優秀賞:朝倉由宇作)、
の二作品を朗読されました。
それぞれの作品が、佐藤さんとあめくさんの朗読にのせられて、会場にいる人の心に届きました。
続いて、第2部では、壺井栄の小説「二十四の瞳」(一部抜粋)の朗読を、
佐藤さんとあめくさんのお二人が揃って行ってくださいました。

無邪気に大石先生を思う子どもたち、子どもたちの将来を案じる大石先生など、小説や映画、ドラマなどで、目にしたシーン。
佐藤さんとあめくさんの軽快な掛け合い、そして情感こもる言葉のひとつひとつが、朗読となると、聞いている人それぞれの脳裏に、それぞれの情景として浮かんだのではないでしょうか?

そこに、藤本さんのヴァイオリンと加島さんのピアノで奏でられる
「ふるさと」や「二十四の瞳」、「浜辺の歌」などの懐かしく優しいメロディが調和して、まさにそれぞれの「壷井栄の世界」を静かで穏やかに楽しむことのできた貴重な時間となりました。

とても、素敵な時間をありがとうございました。
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シトウレイ × 新井見枝香「人生を切り開く鍵はどこにある?」 映画『ガーンジー島の読書会の秘密』公開記念
8月30日に公開される映画『ガーンジー島の読書会の秘密』。
第二次大戦直後のイギリス・ガーンジー島を舞台に、ロンドンからやってきた作家・ジュリエットと、島の読書会メンバーの交流を描きながら、読書会メンバーが隠している秘密を解き明かしていく<至福の>ミステリーです。
読書会はなぜ始まったのか?会の創設者のエリザベスはなぜ姿を見せないのか?そんな謎解きもありながら、観客の心を惹きつけるのは、主人公・ジュリエットの好奇心とまっすぐな心で未来へと進んでいく姿でしょう。
本作を一足はやく観たシトウレイさんは、「人生を切り開く鍵が、この物語の中に詰まってる。」と、これまで自分の手で人生を切り開いてきた方らしいコメントを、一方、新井見枝香さんは、「書きたいものを見つけた作家は、もう誰にも止められやしない!」と、これまで多数の作家さんと交流してきた書店員さんならではのコメントをそれぞれ寄せてくれました。
共に内側に熱いものを秘めていることを感じさせるお二人のトークイベントが実現しました。
二人にとっての、<人生を切り開く鍵>とは? 二人が、<表現したいもの・伝えたいもの>は? ・・・などなど、縦横無尽に語っていただきます。
下北沢の真夏の夜に繰り広げられる情熱溢れるトークを、ぜひビール片手にお楽しみください。
【出演者プロフィール】 シトウレイ 日本を代表するストリート・スタイル・フォトグラファー、ジャーナリスト。 世界各国のコレクション取材を行い、独自の審美眼で綴られる言葉と写真が人気を博している。 ファッションにおける感性の高さと分析力で講演や執筆、テレビやラジオ出演、商品プロデュースやコンサルタント等ジャンルを超えて活躍中。 ストリートスタイルの随一の目利きであり、「東京スタイル」の案内人。 また彼女自身のセンスもストリートフォトグラファーの権威「The Sartolialist」の著書で特集を組まれる等ファッション・インフルエンサーとしても活躍中。
新井見枝香 東京都出身、1980年生まれ。HMV&BOOKS HIBIYA COTTAGEに勤務する書店員。 独自に設立した文学賞「新井賞」の受賞作は、同時に発表される芥川賞・直木賞より売れることもある。 エッセー執筆、テレビやラジオへの出演も多数。
時間 _ 19:00~21:00 (18:30開場) 場所 _ 本屋B&B 東京都世田谷区北沢2-5-2 ビッグベンB1F ▼入場料 ■前売1,500yen + 1 drink order ■当日店頭2,000yen + 1 drink order
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本:『たのしい暮しの断片〈かけら〉』 金井美恵子 文/金井久美子 絵(平凡社)

好きな作家との出会いには、たぶん、いろんな形があって、たとえば小さな頃であれば、家の本棚の本や、図書室や図書館で出会って好きになった作者の本を順々に読んでいった思い出があります。ドリトル先生シリーズやケストナー、北杜夫に、シャーロック・ホームズ、アルセーヌ・ルパン(作家ではない人もいますけれど……)を、読み終わるとすぐに図書館に行って借りてきたのは、やはり夏休みだったのかな。
金井美恵子のことを知ったのは恥ずかしくなるほど大人になってからで、愛読していた『噂の真相』の端に載っていた広告を見て通いだしたジャーナリスト専門学校の「文芸創作講座」の講師だった上野昂志さんが紹介してくださった何冊かの本の中に『恋愛太平記』が入っていたのでした。以来、金井美恵子の書いたものを読む時間は、私にとって上等なお菓子をゆっくり味わうような贅沢なひとときで、「時間ができたら読もう」と思って買っておくだけで、なんだかとても豊かな気持ちになります。
とはいえ、愛読者のみなさんには同意していただけることと思いますが、金井美恵子が“本気で”書いた小説は、のんびりと、あるいは、寝る前に気軽に読むにはなかなか手ごわくて、なめらかでいて迷路のような文章を読み進んでいくためにはかなりの集中力が要求されます。その点、先日、久しぶりに寄った紀伊国屋書店の本店で見つけたこの本は雑誌『天然生活』に連載されていたエッセーを中心に編まれているせいか、なんだか、とても優しいタッチで、彼女の好きなもの、好きだったものについての文章を、すいすいと読みました。
我が家でもとてもお世話になってきた、暮しの手帖社の料理本『おそうざい十二カ月』や『おそうざいふう外國料理』のレシピの文章を検証(なんて野暮な形ではもちろんしてませんが)したり、同じマンションに住む人が毛皮のコートを着ているのを見て、キツネの襟巻をして『キタキツネ物語』を見にいった森茉莉の話を思い出したりする箇所を見つけては、くくっと笑う。
そして、「折にふれて好きな文章を読みかえすためにページをめくるのに気持ちの良い、小さな、驚きのつまった、綺麗な玉手箱と言えるだろう。」とまで書かれている泉鏡花の『鏡花随筆集』と『鏡花紀行文集』をぜひ手に入れなければと、メモをとる。
もちろん、白眉は、今は亡き愛猫トラーちゃんにからめての猫の描写で、「柔らかくてしなやかで生あたたかい弾力のある敏捷な、鼻の頭が冷たく濡れている生き物を、人間は触りたいと思う存在なのだ」という断言に深く頷きつつ、そんな生きものたちと暮らし、思う存分、触れる幸せに、うっとりしてしまうのでした。

あら、最後はなんだかのろけになってしまいました。(2019.2.18)
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三本の薔薇

三本の薔薇
恋人に薔薇を三本あげた。特に深い意味もなく。ただ、待ち合わせまでには時間があったし、古典的な愛情の示し方を真似すれば非日常的で幾分楽しかろうと思ってのことだ。彼女は飛び上がって喜んでくれた。ドライフラワーにすると言う。一本は君に、一本は家族に、そして残りの一本は、部屋にある私の飲みかけのクリスタルガイザーに挿しておいてくれ給へ。云々。
閉店間際のスーパーに駆け込み、花屋のおやじに薔薇を三本、と告げた時は、どうにも自分に似合わないようで恥ずかしかった。何しろ生まれて初めて花を買ったのだ。
「真っ赤なやつをください」
何色がいいの? という問いに咄嗟に返答した時、その場で一番赤かったのは他ならぬ自分であった。ちらっと見えた白の薔薇も気にはなったが、今日じゃないという気がした。加えて、プレゼントかい? と聞かれたので、「いや包んでもらえばそれでいいのですが…」と言い終わらないうち、じゃあプレゼントだ、とニヤリ。長年花を扱ってきた者にはそんなことお見通しなのである。
鼻歌を歌いつつ、おやじは花枝の先をハサミでチョキンと切り落とし、切り口をアルミホイルで巻く。そして後ろから透明なビニールを取り出して花束を包み、端をくるくるとリボンで留める。流れるような作業だが、ひとつひとつ確実で、幼子を扱うかのように丁寧であった。見ているだけでその花への愛が伝わってくる。今どき若いのに珍しいねぇという声が、楽しげに揺れるその背中から漏れ聞こえてきた。そうして満面の笑みで手渡してくれた薔薇は言いようがないほど美しく、私はとても嬉しくなった。
一本や二本では寂しいと思い、なんとなく手頃な三本にしたが、贈り物としての薔薇の本数にはそれぞれ意味があるという。一本は「一目惚れ」で二本は「二人だけの世界」だが、三本だと「愛しています」もしくは「告白」になるらしい。至極ストレートな花言葉だ。贈与によって表現を試みたシンプルな事実と思いがけず合致し、私は後で直感に従った自分を褒めた。
恋人の存在を知らない家族に、今頃彼女はどのように言い訳してそれを渡しているのだろうか。きっと友達にもらった、などという必ず見破られる嘘をついているか、初めから白状しているかのどちらかだろう。赤でも白でも薔薇が美しいことに変わりはないが。
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大同生命国際文化基金が新刊 タイ文学重鎮の随筆・短編集 - 毎日新聞
大同生命国際文化基金が新刊 タイ文学重鎮の随筆・短編集 毎日新聞 大同生命国際文化基金(大阪市西区)が30年以上進めている翻訳出版事業「アジアの現代文芸シリーズ」の最新刊が、このほど刊行された。タイ文学の重鎮、セーニー・サオワポン(1918~2014年)のエッセー、評論、短編小説をまとめた『時の一雫』(吉岡みね子編訳)。
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エッセイとは
随筆(ずいひつ)とは、文学における一形式で、筆者の体験や読書などから得た知識をもとに、それに対する感想・思索・思想をまとめた散文である。随想(ずいそう)、エッセイ、エッセー(仏: essai[1], 英: essay[1])等ともいう。「essai」の原義は「試み」であり、「試論(試みの論文)」という意味を経て文学ジャンルとなった
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「作文下手な日本人」が生まれる歴史的な必然
「作文下手な日本人」が生まれる歴史的な必然
論理的な表現力はビジネスシーンに不可欠だが…(写真:metamorworks/PIXTA)
日本人は論理的に文章を組み立てるのが苦手だと言われる。上智大学で教鞭をとる奈須正裕教授が歴史をひもとき、教育的帰結として生まれた「作文下手な日本人」を浮き彫りにする。
よく、日本人は論理的に思考したり表現したりするのが苦手だと言われる。
実際、大学で教鞭をとる筆者がアメリカに送り出した留学生の中にも、最初に提出したエッセーに対して「論理性が欠如している」と評され、他の国や地域から来た学生たちと同じスタートラインにつくのに随分と苦労したと訴えた学生がいた。
その原因については、長年にわたり日本が多文化性の比較的低い国であったこと、以心伝心や「空気を読む」ことをよいこと、または当然のことと考え、期待する文化的風土などから、論理明快に自分の意見を述べ…
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夏は読書だ!ということで、少しサイトを確認していましたが、ろくなのがない。宮部みゆきとか勧めている奴がいるが、正気ではない。あんなに文章があれなのに皆さん、よくお付き合いしますよ。というわけで、この一冊をおすすめしましょう。本当は、マイクル・コナリーのボッシュシリーズが正解ですが、日本は翻訳の版権の問題で出版社ウロウロしちゃいましたから。
まー、読書は趣味の問題もありますが、下手をすると時間を損しますので。この本は、短くもエッセンスがすごいですね。先輩。
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