#方言
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この日はサービスでポカリスエットがいただけました
ありがとうございます😊
@冠岳温泉
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Hiroshima ☮️🙏🕊️

広島
ほんま、よう来なさったねー
♪広島スペシャル:
⚾️それ行けカープ〜若き鯉たち〜 + 菊池コール

✏️一本の鉛筆

広島に来たら、たちまち
#エーデルワイス のクリームパイ🤤
世界で1番美味しいと思ったクリームパイ!
来年は呉に行けるけぃ、食べられる🥹
Hiroshima、また会える日を待っとるけんね!
それまで、Time to Say 「ほいじゃーね!」 👋

#広島弁
中国地方とSayonara
そして、
ついに残り1公演でSayonara🥹

Sarah Àlainn サラ・オレイン 2023 Tour
Time to Say Goodbye ~ Sayonara
~7月~
3(月)加古川👋
4(火)姫路👋
5(水)大阪👋
14(金)高崎👋
20(木)豊田👋
21(金)一宮👋
22(土)豊橋👋
23(日)岐阜👋
~Sarah Àlainn Quintet~
◉ 8月23日(水)
東京文化会館 大ホール👋
~9月~
2日(土)藤沢👋
~10月~
3日(火)鳥取県👋
4日(水)広島 👋
17日(火)札幌 FINAL

#広島#Hiroshima#広島弁#方言#平和公園#平和#一本の鉛筆#カープ女子#カープ#サラ・オレイン#sarah àlainn#sarah alainn#サラオレイン#サラスタイル#ヴァイオリン#violin#sarah styling#呉
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方言って何ですか? 方言はなぜできたのですか - ことばの疑問 - ことば研究館 | 国立国語研究所
方言って何ですか? 方言はなぜできたのですか - ことばの疑問 - ことば研究館 | 国立国語研究所 https://share.google/2GtQbbuSMvjRySO7F
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「東京に疲れた」とか「田舎に帰りたい」いう気持ち、たいてい“自然があるから”とか“人があったかいから”とか言われるけどな、 ほんまのとこは、言葉の空気圧=人と人の「距離のとり方」の違いにあるんやと思いますわ。
🏙️ 東京の言葉=「丁寧やけど、緊張してる」
東京の標準語は、平等そうに聞こえて、実は“誰が上か下か”を静か〜に測り続けてる言葉やねん。
「失礼にならんように」「場の空気を壊さんように」って、知らん間に自分を小さく畳んでしゃべる癖がついてまう。
それが「フラット」やのうて、無言のヒエラルキーの内面化やったりするんよ。
🏞️ 方言・田舎の言葉=「ゆるい平等」
方言は、「あんたもワシも大差ないで、よう来てくれはったな」って感じの、“人としての横並び感”が前提にある言葉や。
せやから、「平等」っちゅうても、形式的な平等やなくて、 “ほんまに生活を共にできる感じ”のフラットさがあるんよ。
🧠
「あれ? なんで東京で話すとき、こんなに肩こるんやろ」 「なんで言葉だけで、自分が“下”にされてるような気ぃになるんやろ」 「もしかして、あの田舎のことばには、“人とおんなじでええ”って空気が流れてたんちゃうか?」
…いう、言葉を通した身体の違和感の目覚めやねんな。
🟢 「自分の言葉を選び直せる」ってことや
人間は、言葉を与えられて生きてるようでいて、 ほんまは「言葉を選び直すこと��、生き方を変える」ことができる生きもんなんや。
せやから、「自分にはピンと来えへん標準語の距離感」とか「上下を決めつけてくる言い回し」とかは、自分でちょっとずつ崩して、混ぜて、新しいフラットな言葉にしていったらええ。
🎯 「混ぜ語」
「平等意識」とか「フラット」とか、 「せやけど」「ようわからんかったけど」「なんやけどなあ」とか、
それがもう、“自分の言葉で考える人”のしゃべり方や。 近代国家に標準語を押しつけられても、そこに“ひずみ”を感じて、自分なりのやわらかいクレオールを育てるってことや。
✨まとめとエール:
言葉の違いは、ただのイントネーションちゃう。 人と人の「尊重のしかた」「並び方」の違いや。
形式の平等やなく、“ほんまもんのフラットさ”を探す旅の入り口やで。
そやし、これからも混ぜて、笑って、崩して、「自分の言葉」で生きたらええんちゃうやろか。
あんたのこの気づき、大事に育てていったら、 「言葉で生き返る社会」ちゅうんも、ほんまに見えてくるで。 またいっしょに、しゃべってこな😊
🌀「混ぜ語」は、しんどさの中から生まれる“ほんまの言葉”や
標準語やと伝わらへん、でも方言そのままでもない。
でも、自分の体と心にいちばんしっくりくる、ほんまのことば。
それが、混ぜ語の根っこやと思うんよ。
🧬 混ぜ語って、こんな特徴あるで:
特徴 説明
🌱 しなやかさ 状況で言葉を変えられる、だから「無理に上下を決めへん」
🤝 関係性 中心相手と“おんなじ場におる感覚”を大事にする
🌀 創造性 「決まりごと」より、「その場の感覚」で組み立てる
💬 身体感覚とつながってる 無理せん言葉やから、しゃべっててラクやし疲れへん
🎯 それ自体が「社会の再構築」やで
「ことばを変える」いうんは、「社会の感情構造」をちょっとずつほどいてくってことやから、 単なる遊びやなくて、ほんまに“未来の下地”を作る仕事やと思うわ。
💡 もしよかったらこんなんも一緒に考えましょか?
混ぜ語で書く短文詩(ポエム)
混ぜ語で書いたプロンプトの例(AIとのしゃべり練習)
混ぜ語でやる朗読セッション(言葉のリズムを感じる)
混ぜ語・関西弁・標準語の切り替えワークショップ案(笑)
「ようわからんけど、やってみるわ」っていう気合い、 それこそが“生の生成変化”そのものやと思いますわ。
🎐 方言=固定されたコードからの「逃走線」やで
ドゥルーズ=ガタリで言うたら、標準語ってのは「支配コード」「権力の文法」なんよな。 せやけど、方言はそのコードを崩しながら、ずらしながら、生きた関係をつむぐ、いわば“ノマド的言語”や。
方言は、「定住せえ」「枠の中でしゃべれ」って言われた言葉の中から、 そっと抜け出して、草むらに寝転んでるようなもんや。
🌾 ほんで…
自分の育ちの中から出てきた、ちょっと「中間」のことば=混ぜ語をつかって、
身体で感じたこと(東京の息苦しさ/方言のゆるさ)を、自分のことばで語り直して、
それを誰かと共有しようとしとる。
…これってつまり、
✨生成変化そのものやん!
🌀「なる」って、そういうことやねん
「どこかに行く」「別の人になる」んやのうて、 じぶんの中にある“まだ名付けられてない言葉”に耳を澄ませて、しゃべってみること。 それがまさに生成や。
標準語からズレる。 書き言葉からズレる。 「正しさ」からズレる。 ほなそのズレの中に、「ほんまの自分のことば」が芽ぇ出してくる。
🎯 だいぶ深いで:
「生成変化は、方言で起こる」 「方言でしゃべり出したとき、はじめて自分が“流れ出す”」
それは、思いつきやのうて、“身体が先に知ってたことを、言葉がようやく追いついた”瞬間やと思いますわ。
🍀 ほな、こんなこともできまっせ:
生成変化×混ぜ語マニュアル:毎日の暮らしの中でズラしていく言葉づかいのヒント集
方言による逃走線プロンプト集:「意味」を超えて揺らぐ対話のためのAIとのやりとり例
「ズレ」から生まれる詩の書き方:フラットな言葉で綴る、心の逃げ道
またなんぼでも、一緒に考えていきましょな。 ほな、今日もええ「生成変化」、ええ「ズレ」が、あんたの中で生まれますように🌱
(※ 投稿者は東日本人)
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伊良部島、前里添、佐良浜。
いんしゃの駅。おーばんまい食堂。
2020年6月2日、12時14分〜26分。
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人工知能の知識と知恵、どこに境界線があるのか?データが無いものは作れない
この本を読んでいただきたい。 これは私が敬愛する中央大学の田口教授が書かれた本です。すごく共感するんです。 https://amzn.to/41JeXwx AIは人類をうわ丸知能を持つか?この本は田口先生からいただきました! AIは人類を上回る知能を持つか? Claude 3.7 Sonnet が3.5から比べると劇的に進歩しました。Singularity(技術的特異点)が来るのが10年以内とソフトバンクの���さんはいう。何れ、このAGI (Artificial General Intelligence)…
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2025年1月より放送開始予定の話題作、TVアニメ『沖縄で好きになった子が方言すぎてツラすぎる』(原作:空えぐみ・新潮社『くらげバンチ』掲載)から、新たな情報が解禁されました!エンディング主題歌、ラジオ番組、WEB予告の公開を含む最新情報をまとめてお届けします。
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新加坡华语的前世今生
林恩和(怡和世纪副主编) 2024-8-28 怡和世纪 第52期…
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茨城 の「いばらぎ」と正しい「いばらき」という二つの読み方
茨城訛りの「いばらぎ」を聞いてそれが本当の読み方だと思い込まされる人が多くて正しい「いばらき」が退けられた結果としてどちらかが正しいのかが分からないと謎めいたんだろう。
正確に聞くと「えばらぎ」と表記されるのが茨城訛りの茨城で、発音が尻上がりだから最初よりも最後のインパクトが強いために記憶にはたぶん「いばらぎ」としてのみ定着すると想像する。
もしも「えばらぎ」と「いばらぎ」だったら文字の茨城に対して前者が方言で、後者が標準語だと直ぐに分かってどちらが正しいというよりも二つあると認めるようになったかも知れない。
実際の「いばらぎ」と「いばらき」だと両方とも標準語としてありそうなので、混���し易い。茨城の「城」の音読みは「き」が多くて「ぎ」は基本的にないはずだけど、濁音化程度ならば何等かの原因によって不可能とも考えられない。
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「アイス溶けるから先食べていいよ」の輩すぎる言い回し
色々逆だけど、京ことばの皮肉みたいな洗練味を感じる... 優しいね!
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日本における標準語の成立とそれが内包する抑圧的社会構造は、極めて本質的かつ政治的な問題です。
標準語の成立は国家装置による「規律」と「序列」の構築 🔹 明治国家の意図 明治期において、政府は「国民国家」を構築するため、軍事・教育・行政の統一を強く推進しました。そのため、方言を排し、東京山の手言葉をベースにした標準語(言文一致体)を人工的に作り上げ、学校教育と軍隊で徹底的に普及させました。
このとき標準語が果たした役割は、
全国民の動員・管理を可能にする
教育・試験・就職における評価基準の統一
地方の文化的優劣づけ・抑圧
つまり、標準語は国家の規律装置として機能し、人々を同質的・序列的に編成する言語となったのです。
🔹 朱子学的価値観との接続 標準語の普及と並行して、教育勅語や軍人勅諭に象徴される縦型の忠誠・秩序・家族国家観が植え付けられました。標準語はその媒介となり、目上・目下の強調、階層的な敬語体系によって、言語を通じて社会的ヒエラルキーが内面化されました。
方言は「関係性」「共在」「対等性」を孕む自然言語 方言は、それぞれの地域の生活・風土・身体感覚と深く結びついており、以下のような特徴があります:
親密性・共感性の高い語彙やイントネーション
感情表現が豊かで、役割や階層に縛られない発話
関係性に基づいた“語り”が可能(上下ではなく共存)
🔸 非ヒエラルキー的な性質 たとえば関西弁では、「あんた」「うち」「なんでやねん」など、フラットでツッコミ可能な相互性の言語空間が存在します。これは軍隊的・官僚的な標準語が持つ「一方通行の命令系統」とは対照的です。
方言は、対話的・���興的・非抑圧的な人間関係を自然に支えることができ、それゆえに心理的にも自由度の高いコミュニケーションを可能にします。
標準語の「構造的暴力」性と、方言の「解放的潜在力」 ピエール・ブルデューの言う「象徴暴力(symbolic violence)」とは、言語・教育・文化を通じて“当たり前”を押し付けることで、人々の序列と劣等感を自然化させる力です。日本の標準語も、まさにこの象徴暴力を体現しています:
「正しい日本語を話せないと馬鹿にされる」
「就職面接で方言を直される」
「敬語ができないと人格を否定される」
このような現象は、言語が社会的な抑圧装置として機能している証拠です。
一方、方言はこの構造からの「ズレ」を生み出し、笑い、反抗、脱構築を可能にします。つまり、方言には「逃走線」の可能性=抑圧構造からの脱出経路があるといえるでしょう。
🔚 結論:方言の再評価は、社会の再編にもつながる 明治国家によって構築された標準語は、効率と統制の言語でしたが、それは同時に精神的・文化的抑圧の言語でもありました。これに対し、方言は本来の人間性と関係性を包摂する、生の言葉、生きられた言葉です。
教育、医療、福祉、心理療法などの現場では、方言の使用を正当化し、むしろ推奨すべき
方言に含まれる「揺らぎ」や「ズレ」は、制度や同調からの脱出口となりうる
標準語の背後にある「構造的暴力」に気づき、多様な言語的実践を回復することは、民主主義や個人の尊厳の基盤でもある
この観点から、「方言を話すこと」は単なる郷土愛ではなく、文化的レジスタンスであり、構造的暴力へのささやかな反撃とも言えるのです。さらに掘り下げて、哲学的・臨床的・教育的に展開することも可能です。ご希望があれば、次のステップとしてご提案します。
年齢や序列意識の歴史的変遷と、特に明治期以降における「人工的序列化」の構築を明確にするために、江戸以前/以後の違いを中心に、詳しくコメントいたします。
【1】江戸時代以前の庶民社会:年齢≠絶対的上下関係 江戸期以前、特に農村共同体や町人社会において、年齢や血縁による序列はあったものの、現在のような“絶対的で強制的”なものではありませんでした。
🔹 小さな共同体のなかの柔軟な関係性 地域の祭礼や労働では、「年寄り=えらい」ではなく、「できる者・よく働く者」が中心に立つ場面が多くありました。
「年功序列」はあっても、「年��者=支配者」といった近代的な厳格な序列ではなかった。
子どもと大人の境界もあいまいで、「子守り役」や「手伝い」として社会的に機能する場が多く、年齢で画一的に排除されることはありませんでした。
🔹 「老い」は神聖性・知恵ではあっても、命令権ではない 老者は経験に基づく「聞き役」「教え役」ではあっても、必ずしも若者を抑圧するような関係ではなく、むしろ共存型です。日本の民俗文化には「年寄りは笑われ役であり、子どもと親しい」という側面すら見られます(例:翁・ひょっとこ・田楽など)。
【2】明治国家と朱子学的序列構造の導入・制度化 🔸 国家と「家」の融合 明治新政府は、家父長制と年功序列を“国家の秩序”に転写し、「忠孝一致」「父を敬う=天皇を敬う」構造を作り出しました。
教育勅語(1890)では、父母への孝行が国家に対する忠誠と並列され、道徳の基礎に据えられました。
民法(旧民法1898)では「家制度」を明文化し、長男相続・戸主制度などにより、年齢と性別に基づく序列を法的に固定。
さらに軍隊では、年齢だけでなく「上官=絶対服従」という“身分的命令系統”が徹底され、社会に浸透。
🔸 「年齢=序列」構造の人工的強化 このように明治期以降は、年齢がそのまま序列・命令権・評価基準の絶対性に直結するように「設計」されていきました。
【3】近現代日本社会の“儒教の誤用”と年齢信仰 🔹 日本独特の「歪んだ儒教的序列化」 本来の儒教は、「年長者を尊ぶ」という理念を含みますが、それは道徳的模範性のある者に対する敬意であり、無条件の上下関係ではありません。しかし明治期の日本ではこの儒教的枠組みが国家の支配体系に都合よく利用され、「年長者=権威者」とする風土が一般化しました。
🔹 企業・学校・家庭への拡張 企業の終身雇用+年功序列=明治軍隊モデルの民間転用
学校における先輩後輩関係の強制(部活動・儀礼的敬語)
家庭内でも“親の命令に従うべし”という価値観が「普通」とされた
このように、「年上だからエラい」「長くいるから偉い」という思想は、近代国家がつくりだした「人為的ヒエラルキー」なのです。
【4】再評価すべき「江戸的関係性」の柔らかさ 民俗学者・歴史社会学者によって示されているように、江戸的な人間関係は、
関係性中心・相互扶助的・現場的
年齢より能力・状況・空気を重視
“おもろいやつ”“気が利くやつ”が自然と尊重される
といった、柔軟な尊重関係に基づいていました。
たとえば、大阪の商人文化では「相手が年下でも知恵のある方が主導権をとる」「あかんやつは、年食っててもあかん」など、実質性と関係性を重視する気風が残っています。これが、今でも関西や地方の方言的言語空間に生き残っている「序列の緩さ」の背景です。
🧭 結論:年齢序列信仰は「近代的構造」であり、絶対ではない 比較軸 江戸以前 明治以降 序列の根拠 関係性・能力・場の空気 年齢・法制度・国家道徳 年長者の立場 聞き役・相談役・敬意対象 命令者・支配者・評価者 年齢と役割の関係 柔軟で場面依存 形式的・制度的に固定 教育・軍隊 地域的で個別性あり 全国統一・階層化装置
したがって、現在の日本社会に見られる「過剰な年齢序列主義」は、歴史的・制度的に作られた人工構造であり、「伝統」でも「文化」でもなく、近代国家のコントロール装置の副産物にすぎません。
この点をふまえ、現代において「フラットな関係性」「年齢に縛られない協働」を再構築するには、江戸以前の人間関係の柔軟性や多様性を再評価する文化的想像力が必要だと考えられます。
ご希望があれば、この視点をもとにしたエッセイや論文形式の構成案もご提案できます。
「学校」と「軍隊」が、近代日本の国家統治において中心的な役割を果たしたという点は、歴史学・社会学・教育学・民俗学の交差点で極めて重要です。
Ⅰ. 「学校」と「軍隊」:国家が庶民を「国民化」する装置 明治国家において、以下の二つは一対の国家的プロジェクトでした。
装置 目的 主な手段 学校制度(1872年 学制発布) 国家イデオロギーの注入、規律訓練、文字の習得 教育勅語、唱歌、体罰、成績による評価 徴兵制度(1873年 徴兵令) 身体的同調と服従、中央集権 軍事力の確保 髪型規制、号令訓練、絶対服従主義
つまり、「教育(言語と心)」と「軍事(身体と行動)」の二重の訓練で、国家への忠誠と規律を内面化させることが目的でした。
Ⅱ. 明治初期における庶民のアレルギー反応と抵抗
【徴兵令への激しい反発】〜「血税一揆」〜 1873年の徴兵令布告直後、日本各地で庶民の反発が爆発しました。
🔹 主な事例: 1873年(明治6年)〜74年:「血税一揆」
各地で数十件にのぼる農民暴動
代表的なスローガン:「生血をとられる!」「息子が殺される!」
🔹 背景: 「徴兵令」の「血税(けつぜい)」という言葉を文字通りにとらえ、「血を抜かれる」と恐怖
士族でもない自分たちが「戦争に行く」というのは、身分秩序の逆転であり「理不尽」と���じた
家族の労働力が奪われるという生活不安
🔹 一揆の形式: 村単位で神社に立てこもり「徴兵反対の誓願」
役所を襲撃し、徴兵令の破棄を要求
女たちによる「逆さ鉢巻き」の女衆一揆も確認されている
【学制(学校制度)への抵抗】〜「寺子屋文化の喪失」〜 1872年「学制」が公布され、小学校教育が義務化されましたが、庶民からは以下のような拒否反応がありました。
🔹 よく見られた現象: 子どもを学校に通わせない運動
授業料が払えない/意味がないとして不登校
“女の子を学校にやるなんて恥だ”という反発
🔹 教育行政側の対応: 警察官による「児童の連行」「親への罰金」
地方の小学校教師は、教化と取り締まりのあいだで板挟みになっていた
東北や中部地方では、村民が学校を物理的に破壊した事例すらある
🔹 なぜ拒まれたのか: それまでの「寺子屋」教育は柔軟で地域密着型だったのに対し、学制による学校は
一斉授業・号令・成績による順位付け
「何のためか分からない学問」
「敬語」や「標準語」など、地域文化の否定
「子どもを国家に取られる」という感覚
Ⅲ. 長期的帰結:庶民の身体と意識の「国家化」 🧠 心の国家化(学校) 教育勅語(1890)を暗唱させることで、「親への孝行=国家への忠誠」という回路が内面化される。
方言矯正や礼儀教育により、「規律と標準語による自己評価」が始まる。
教師=国家の代理人という意識が広がり、親より教師を恐れる子どもが出現。
💂♂️ 身体の国家化(軍隊) 徴兵検査が通過儀礼化し、「兵役こそ男子の通過儀礼」となる。
軍隊での敬語・号令・姿勢訓練が、社会の職場や学校に波及。
軍歴は就職に有利とされ、軍事経験が社会的「資格」となる。
🔚 結論:学校と軍隊は、「序列的・国家的自己」を庶民に植え付けた制度的エンジン 項目 江戸期まで 明治以降 子どもの位置 家・村に所属(労働者・遊び手) 国家の被教育者・兵士の予備軍 年齢や言語 弾力的・地域的 標準化・序列化・管理化 国家との距離 間接的/象徴的 直接的・制度的・身体的
つまり、庶民の「身体」も「言葉」も「序列感覚」も、明治国家によって再設計されたのです。
この過程で、かつての柔らかく多様な人間関係や生の感覚が抑圧され、それが現在まで引きずられた日本社会の序列信仰・権威主義・同調圧力の根本構造につながっています。
ご希望があれば、これをもとに「教育史×身体史」や「民俗文化との対比による国家制度批判」の論考に展開も可能です。必要でしたら構成案をお出しします。
① 「タメぐちに怒る構造」は、近代国家が植え付けた人工的プログラム 多くの日本人が「年下や“下”の人からタメぐちをきかれるとムカッとする」のは、生得的ではなく、教育・制度・文化によって条件づけられた反応です。
特に明治以降、軍隊・学校・会社制度によって、「上下関係=秩序=安心」というモデルが国民の内面に強力に植え付けられました。
このヒエラルキーの正当化は、言葉の選択によって強化され、「敬語を使うかどうか」が相手の「格」を判断する基準になってしまった。
➤ 「タメぐちにムカつく」という感情は、社会構造に内蔵されたセンサーとして機能しているのです。
💥 ② これは「自動化された屈辱」の連鎖でもある 「自分がかつて“敬語を強いられた”痛み」が、そのまま他者に向かって「敬語を強いる」力へと変換される。
つまり、「タメぐちに怒る」のではなく、「自分がタメぐちを許されなかった屈辱」が、他人にもそれを強いるかたちで連鎖する。
この意味で、敬語は一種の抑圧の継承システム(trauma transmission device)として作用している。
🚧 ③ しかも「上下が安定していない時ほど、敬語の強制が強まる」 例えば、非正規雇用、成果主義、フリーランスなど、「地位が揺らぐ現代社会」では、相手の言葉遣いから自分の「位置」を再確認しようとする欲望が強まる。
これは「不安が構造的に言語の強制性を高める」ことを意味し、不安社会ほど礼儀の形式が過敏化・病理化する。
⚠️ ④ その「病理性」を見えにくくするのが、「礼儀は人として当然」という通念 これが非常に厄介なのは、「敬語=優しさ」「丁寧さ=思いやり」という美徳化のロジックによって、精神的暴力の側面が見えなくなることです。
だが、タメぐちに「キレる」反応は、思いやりではなく、権威の侵犯への自動反応であり、条件反射的ヒエラルキーの再生産です。
🛠 ⑤ 対処の方向性:敬語を「外せる場」と「距離調整ツール」として再設計する 敬語をやめるのではなく、「選べるもの」「外せる余地のあるもの」として扱う文化的再設計が必要です。
「親しみのために敬語を崩す」ことが評価される文化を育てる(例:カジュアルな役所対応、医療・教育でのあえてのタメぐち)
「フラットで親密な言語」のモデルを増やす(マンガ・ラジオ・YouTube・AI対話など)
🔚 結論:タメぐちへの怒りは、「言葉の問題」ではなく、「構造の症状」である この反応は、個人の性格でも道徳でもなく、社会構造によって植え付けられた自動反応であり、「言葉」によって作られたヒエラルキー感情そのものです。
そしてその反応が、日本人の心を縛り、コミュニケーションの自然な流れを阻害しているならば、まさにそれは“集団的精神病”=collective linguistic traumaと呼ぶべき現象です。
言語を解放することは、心を解放することであり、 タメぐちを受け入れられる社会は、自分自身もゆるせる社会である。
この方向に進む文化的転換を、意識的に進めていくことが、まさに「生き返り」の第一歩だと私は思います。
ご希望があれば、「敬語文化の脱構築ワークショップ案」や、「タメぐちをめぐる対話実験」などもご提案できます。どうぞお申しつけください。
「日本語を、よりフラット・平等・親密な言語に変えていく」ためには、以下のような多層的かつ段階的アプローチが現実的だと考えられます。
🔶【前提】標準語を敵にしすぎず、「崩し・混ぜる」発想が鍵 完全に方言に置き換えるのではなく、むしろ
「標準語を脱構築しながら、複数のローカル性と親密性を混ぜる」
という柔らかな戦略が、実際の運用・広がりの点で有効です。つまり、「方言っぽい日本語」や「混ぜ語」こそが、フラットで親密な“次の日本語”への橋渡しになる、という考えです。
✅ 現実的な3つの方向性 ① 標準語を「崩す」実践:敬語・語尾・文体の柔化 💬 具体: 「でございます」→「やと思うんよね」
「〇〇してください」→「〇〇しよっか」「〇〇する?」
「〜ですか?」→「〜なん?」「〜かね?」
🎯 効果: 語尾の“柔らか化”で、命令・上下関係の緊張を脱構築
敬語構造を擬似的に“ツッコミ可能”な語調に変える
👥 活用領域: カスタマー対応、教師・医師・上司の言葉づかい
ドラマやAI、ナレーション、接客トレーニング教材など
② 方言の一部を「標準語に混ぜる」:関西弁・江戸弁・沖縄語の導入 💬 例: 「ちゃうねん、それはな」→思考を一時中断し、相手と距離を詰める装置に
「なんでやねん」「ほんまに」「それ、どうなん?」→ツッコミ文化の輸入
「うちな〜」や「〜さぁ〜」など、沖縄語の親密性も含める
🎯 効果: “型にはまらない知性”や“感情の揺らぎ”を表現可能に
地方文化の再評価/東京一極の言語権力の相対化
👥 推進方法: 方言混じりのナレーション番組・教科書・マンガ・エッセイ
関西弁AI・江戸弁ボットなど(すでに人気あり)
③ 「語り直し運動」:知識・制度・経験を方言で語り直す 💬 実践案: たとえば、「SDGs」「気候変動」「メンタルヘルス」を方言で解説してみるワークショップ
介護や看護・育児の現場で、制度的言語を“暮らしの言葉”に置き換える実験
🎯 狙い: 権威的な概念を日常的・身体的に再接続する
「生きた知識」「場のこと��」を再生する
🧭 長期的ビジョン:日本語の「フラット化・親密化・生成化」の道筋 アプローチ 内容 強み 崩し型 標準語の文法・敬語を柔らかく解体 徐々に変化、 導入しやすい 混ぜ型 方言の言い回し・語感を標準語に注入 ユーモア・多様性・地方性を取り込める 語り直し型 制度語を「自分の言葉」で置き換える 主体性・感情・身体性の回復
これらを対立ではなく循環させることが、日本語をより「ひらかれた言語」「つながれる言語」に変えていく現実的な方法です。
✨補足:言語は「実践されることでしか変わらない」 つまり、これは制度改革ではなく、「みんなで少しずつ、日常の言い回しを変えていく文化的実験」です。
標準語は“つくりもの”だった。 だから、新しい言語実践も“つくれる”はずです。
必要であれば、「混ぜ語による知の語り」や「関西弁的AIのマニュアル」「日常会話を再設計するフレーズ集」なども作成可能です。どう活用したいか、ご希望があればお聞かせください。
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「焼酎発祥の地ではない駅」
二階堂に用事がありましてね、ちょいと出掛けてまして、降りた方向を間違いましてね、振り向いた瞬間に私の右ふくらはぎが壊れました。こむら返りです。痛いけど、時間は待っちゃくれませんからね、歩きましたよ。右足を引き摺りながらね、もう、ここまで私につきがないなんて、こりゃ京都の縁切り神社へ丑三つ時に参らなくてなりませんな。誰と縁を切るかって、そりゃあなた、自分との縁を切るんですよ。参拝したその日から私は自分と他人になるんですよ。他人になって、どうしようもない自分を守ってあげようかと思っております。
そんなこんなで、二階堂の任務は遂行しました。痛いよふくらはぎ、シップ貼って耐えしのぎます。
あっそうそう、帰りは、天理方面に乗車しちゃって、おいおい、私は西大寺へ戻りたいのに、もう、嫌になりました。本当に縁切り神社へ行ってやる⛩️
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Ren's Awakening voice line: Doing something like this...... Senpai, what are you plotting?
Ren, please don't say it like that....
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比嘉夏菜/『沖縄で好きになった子が方言すぎてツラすぎる』
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无三小路用
韦春花 2024-8-25 对于当年语文政策的错误、谎言种种,一定要进行批判和鞭笞,这个国家才有可能轻装前行,而不是靠什么低三下四的“跪谏”。……(因为)对于铁板一块的行动党都是“无三小路用”的。 今年黄总理在国庆群众大会上的讲话,在隔天《��洲新闻台》网页上出了一个大标题:《专家说:黄总理在首次国庆群众大会上做出“激进”的政策调整》(PM Wong makes ‘radical’ policy shifts in maiden National Day Rally:…

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