#ゲーテはすべてを言った
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人生は点線だ
人生は点線だ。
実線ではない。
忘却が挟まるから。
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Brahms is a healthy man, Beethoven is a sick man (Essay)

JohannesBrahms
I read in a classical music book that Mendelssohn is inferior to Mozart, Bruckner to Bach, and Brahms to Beethoven. This is an unspoken understanding among classical music professionals, but I disagree with the last of these inequalities.
Beethoven is inferior to Brahms. I have confirmed this with my ears, so I can be sure. Beethoven's Symphony No. 9, "Ode to Joy," is an extremely dirty piece of music, and even the relatively decent Symphony No. 3, "Pastoral," is a piece of junk filled with immature sensibility. Beethoven's music is all about suffering and rejoicing over insignificant things and wrestling alone in a small world.
Brahms admired Beethoven and struggled a lot when writing his symphonies, but the Symphony No. 1 he completed is clear and generous. Brahms can be said to be a healthy man. Compared to him, Beethoven was sick and completely muddy. Goethe described Beethoven's music as "too exaggerated," and Japanese poet and playwright Shuji Terayama described it as "the music of a small-minded, local factory owner." I agree with them. I think Beethoven has been overrated. His sound is boring.
Rei Morishita
ブラームスは健康人、ベートーヴェンは病人(エッセイ)
ヨハネス・ブラームス
クラシック関係の本で読んだことだが、メンデルスゾーンはモーツァルトに劣り、ブルックナーはバッハに劣り、ブラームスはベートーヴェンに劣るという。これはクラシック関係者の間では暗黙の了解だそうだが、この不等式については、最後の一つに異議がある。
ベートーヴェンはブラームスに劣る。これは私が自分の耳で確かめたことなので間違いない。ベートーヴェンの交響曲9番「喜びの歌」はこの上なく汚らしい曲だし、比較的まともな3番「田園」すら、稚拙な感性が横溢している駄曲だ。どうでもよいことに苦し��、喜び、矮小な世界で一人相撲を取っている曲が、ベートーヴェンの音の全てである。
ブラームスはベートーヴェンに私淑しており、交響曲を書くにあたって相当苦しんだそうだが、出来た交響曲1番は清澄、おおらかである。ブラームスは健康人と言って良いだろう。彼に比べるとベートーヴェンは病人であり、濁り切っている。ゲーテはベートーヴェンの曲を「大袈裟すぎる」と評し、日本の詩人・劇作家の寺山修二は「気の小さな町工場の社長の音楽」と評した。私も彼らに同意する。私はベートーヴェンが過大評価されてきたと見る。実際、詰まらない音だ。
森下礼
#Beethoven is inferior to Brahms.#Brahms#Beethoven#inequalities#Beethoven was sick and completely muddy.#boring#Ode to Joy#babylman
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小説と本と賢くないお姫様の話
毎日夜9時更新の小説「グロリアの物語」、あと一週間弱で完結です。長かったですが覗いてくださる方どうもありがとうございます!
これは中学生の時に書き始め大人になって完結させた作品で、私の代表作はこれ、と言う予定です。当初の文の雰囲気や書こうとしていたことをできるだけ残しながら、不自然でないように無理やりなんとか整えてあるので多少迷走はしているかもしれません。でもリアルタイム10代による小説の一面もあります。
スタート時自分の年齢と同じ14歳の少女が主人公でした。世に出だした賢いお姫様の話にはそろそろ飽きてきたところでした。それもいいけど、賢いお姫様は大抵人生の最初に勉学以外にも生きるのに必要な愛情や教育を受けた事で得られる武器を持って生きていくのに対して、世の中には周囲からお姫様のように恵まれてると思われていながら、実際は必要な武器を持たされず世に放り出される子供が実はたくさんいます。私はそういう人に出会ってきました。私はその子供たち、そういうお姫様の話が書きたかったのです。 だからグロリアは賢くないお姫様で、泣いたり怒ったり、わからないわからないとぐずぐず悩んで味方も作れず頼っては駄目な人に依存し、まるで子供のようです。(実際10代は現代日本では子供とみなされます。お姫様は本来子供でもいいはずです)持って生まれた性質にはお姫様的なものがあるので、世間的には有利、有能とみなされて、失敗すると怒られたり、理解されず困っても助けて貰えなかったりする、そういったギャップにも苦しま��ばなりません。
だからグロリアには本を与えました。本は彼女の友達です。苦しい時も本が彼女の心を救います。これは読むべき、という有名な本でなく、現実に役に立つかわからない本ばかり読んでいたかもしれません。興味が湧いた本をブラウエンやゼクセン領主の書斎から持ってきて広げ、好きなところから読んで、いろんなことを考え、わからないところは後回しにして、絵を見ながら勝手な空想をしていました。賢くはないんです。でも多分本が彼女を作りました。
私も子供の頃からそれと似た感じで本を読んでいました。お小遣い等は貰っておらず、お金が無くて独身時代本はあまり持っていませんでしたが、学校の図書室の床に座り込んで世界の民話全集の「メルヒェン十二ヵ月」「アラビアンナイト」等を端から読み、講談社X文庫やコバルト文庫の作品に出てきたジェイン・エアや嵐が丘、その他いろんな本を読みました。 一番衝撃を受けたのが高1の頃何気なく手に取ったベディエ『トリスタン・イズー物語』、ゲルハルト・アイク『中世英雄物語』です。私はこういう話を読みたかったのに見つからないから自分で書こうと思って小説を書き始めたので、これらを先に読んでいたら自分で小説を書くことは無かったかもしれないと当時思ったくらいです。 クラスメイトに借りた宝塚のビデオの歌詞の名詞を百科事典で調べてボルジア家や塩野七生を知って、女子パウロ会の発行した漫画でクォ・ヴァディスに出会い、親が読んでいた氷室冴子からヘッセ、ゲーテ等ドイツ文学にちょっと興味を持ち、そういった本が少しずつ私を作ってくれ��ようです。友達も少なくテレビにもラジオにも触れず(ネットも無く)田舎の閉鎖空間で育って世間を知らなかった私には、現代小説は感覚が違いすぎて馴染めなかったのですが、昔の外国の話には何故かわくわくしてドキドキして涙していたのが懐かしいです。
グロリアも大人になって文章を書くかもしれません。大人になっても波乱万丈の人生が確定していますが、落ち着いたらペンをとってみて欲しい。多分お金持ちなので、紙はたくさん使えると思います。
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デトックス
こんにちは😃
すっかり春ですね☘️ 春は薬膳ではデトックスの季節!冬に溜め込んだアレコレを出すのに濃い緑色の食べ物を食べるといいそうです。
山菜や菜花などを食べて、いらないものは出し切りましょう😤
さて、体のデトックスは置いといて今日はデジタルデトックスについて書いてみようと思います。
私は以前からデジタルデトックスのし過ぎでDMの返事が鬼遅だったり、流行りのニュースを知らなかったり、台風の接近までお客様に教えてもらう始末😅 とデジタルデトックス界ではなかなかコミットしてる方なので、参考にしたものなど書いてみようと思います。
何かがあなたのお役に立てますように☆彡
ではさっそく始めましょう!デジタルデトックスをするための3種の神器(と呼んでいるものたち)↓

左からス��ホを入れる鍵付きの箱、メモ帳、タイマーです。
①鍵付きの箱
鍵付きの箱はスマホを入れるのに使います。後で本も紹介しますが、スウェーデンでは学校に登校時スマホを預けるらしく、スマホが近くにあるのとないのとでは成績に大きな隔たりがあるそうです。勉強でそうなら仕事もきっとそうですね💦 なので、家での作業中はスマホは取り出せないようにしてなるべく遠くに置いとくと良いかもしれません💡
実際にスマホの電源を切ってみた時の安心感はなんだか言葉にできないものがありますよね😮💨
タイマー付きのスマホボックスもありますが操作が大変で大きいものが多いので、私はアナログの金庫を使っています。
②メモ帳とシャーペン
スマホを使えない時にスマホを使いたくなることが多々あります。
あ、Amazonであれ買わな!この言葉の意味なんだろう?漢字どうだっけ?あの人にメールしなきゃ!その他いくらでも出てきますが、いちいち箱から出していては全然デトックスできません🙅♀️ なのでスマホを次に使う時にやることをメモります。
それだけではなく、アイデアを書き留めたり計画を立てたり書きながら考え事をすると色々とスムーズで便利なので、メモ帳はデジタルデトックスに必須です🗒️
③タイマー
スマホを触らない時間を計ります。このタイマーは本当に便利で、普通のタイマーだけでなくインターバルも設定できて、プログラムも3つまで作成できます。
ポモドーロテクニックのような時間管理を実践していらっしゃる方にもピッタリで、その他にもHIITトレーニングとか、瞑想のタイマーとか色々な使い道ができると思います。音の調整もできて無音にもなるので図書館でお勉強される受験生にも良さそうです。
私が説明するよりAmazonの動画を見た方が早いのでリンクを貼りますね↓
ドリテック(dretec) ラーニングタイマー「私のルーティン」
とてもおすすめです。でもこんな上等なやつじゃなくて普段キッチンで使ってるやつでいいと思います🤭
その他参考になりそうな色々5つ↓
①スマホ脳 アンデシュ・ハンセン

スマホの怖さがこれでもかと笑 上で取り上げたスウェーデンでの学校での取り組みもこの本に書いてありました。
これを読んでスマホを触らないことは逆に自分へのご褒美なんじゃないかとも思えました。あなたがあなたらしくいられる時間を自分にプレゼントするつもりで、是非読んでみてくださいませ🎁
②思考が物質に変わる時 ドーソン・チャーチ

ネガティブなニュースを見過ぎることの恐ろしさと、ポジティブな意識を持つメリットについて書かれた本です。引き寄せ系のスピ本のように見えますが米国の自然療法や神経、心理学を学ばれたPHDの方の本で、和訳は順天堂大の教授が監修されている、不思議な現象に科学的な説明を試みた誠実な本です。
③ゲーテの格言
新聞を読まなくなってから、私は心がのびのびし、実に気持ちが良いです。
人々は他人のすることばかり気にかけて、自分の手近の義務を忘れがちです。
あんな昔(1800年頃)の人ですら情報デトックスしてたんだなと思うとちょっと笑えます。
④ゲーテとロバートヘンライさんの言葉
生まれが同時代、仕事が同業、といった身近な人から学ぶ必要は無い。
何世紀も普遍の価値、普遍の名声を保ってきた作品を持つ、過去の偉大な人物にこそ学ぶことだ。
内面に芸術家の魂が息づいている人にとっては、どんな身近な人びとよりもエル・グレコの方に親しみを感じるだろう。プラトンでも、シェークスピアでも、古代ギリシャ人でもいい。
書物の中には、最初のいくつかの文章を読んだだけで、そこに兄弟がいると感じられるものがある。
たまには身近なニュースを見るのを止めて、遠くの誰かやもういない誰かの言葉に耳を傾けてみるのもいいかもしれません。
⑤無趣味のススメ 村上龍

これはデジタルデトックスとは全然関係ないのですが、時間を大事にしよう、好きなことに時間を使おう、と思えるモチベーションが上がる本なのでこちらにあげてみました。
あれこれと書いてしまいましたが、とにかく春は種から芽が、蕾からお花がパーンと弾け出てくるように何かが出ようと出ようとしてくる季節だそうです。是非デジタルなインプットを少しお休みして、お散歩したり、お友達とおしゃべりしたり、絵や詩をかくなどご自分の中にあるものを表現してみると、素敵な時間になるかもしれません🌸
楽しい春をお過ごしくださいませ🎵
ではではお読みくださりありがとうございました🙇♂️
(参考・引用)
癒しツアー ゲーテの名言
アートスピリット ロバート・ヘンライ
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なんとなく、内省がてら書いてみる。
「この曲は絶対ライブで聴きたい!」ーー音楽好きならば、誰しもそんな強い衝動を抱いた経験があるだろう。私にとって、その感覚が特に湧き上がった曲がある。
AMYGDALA - Agust D
これはBTSのメンバーであるSUGAがソロアーティスト"Agust D"として発表した3枚目のアルバム『D-DAY』に収録されており、彼のトラウマを歌った曲である。
この曲では、大きく二つのトラウマが描かれている。
一つ目は、MVでも描写されている、練習生時代のバイク事故。今やマンモス企業となったHYBE/BIGHIT MUSICだが、その前進であるBig Hit Entertainmentは当時はかなりの零細事務所で幾度の経営難を乗り越えて今の王座に君臨している。当時同事務所に所属していた彼は、掛け持ちでデリバリーのアルバイトをしていたが、とある雨の日に彼はバイクで事故を起こし左肩を負傷してしまう。その当時、彼が音楽活動を一時停止することは綱渡り経営の事務所の命運を左右する出来事だった。当時19才の若さで誰にも助けを求めず、痛みを押し殺して活動を続けた彼の姿には、“自分の存在を声にできなかった若者”としての哀しみが滲んでいる。
二つ目は、彼の家族に関して。彼の母親は、彼を産んだことと引き換えに心臓にペースメーカーを入れた。また、彼は父親が肝臓がんを患ったことを仕事中の電話で知る。
彼の家族についてはいくつか別の楽曲でも描かれているが、上京した彼が対人恐怖症と鬱病を発症しODや自殺未遂を繰り返し、見かねた両親が精神科へ彼を連れて行った際に発した「彼が、よくわからない」という言葉を敢えて歌詞にしていることから、彼が"両親から十分に愛を得られずに育ってきた"ことをずっと心に抱えつつも、愛されたい願いや彼の両親に対して深い愛情を抱いていることが読み取れる。
以上のトラウマによって、彼の心に根付いた"存在否定"や"自己喪失"から逃れるために、この楽曲のサビでは、辛い記憶を削除する=AMYGDALA(脳の扁桃体)に訴えかけるフレーズが繰り返される。
前置きが長くなりすぎたが、本題に戻ろう。
私がこの楽曲をライブで絶対聴きたい理由は、そのアウトロにある。アルバムに収録されている楽曲とは異なるそのライブバージョンのアウトロでは、心まで響くドラムと繊細なピアノ、情緒的なギターとそれらを包み込んで支えるベースで構成されており、降り続く雨夜を思わせるバックビジュアルと共に彼のトラウマを昇華させるように、もの悲しくも力強く駆け抜けこの楽曲を締めくくる。
初��てこのアウトロを耳にしたのは、ライブのストリーミングだったが、彼の人生の淋しさと美しさまで丸ごと奏でられているような気がして、画面を前に涙が溢れ、暫く止められなかった。
「涙とともにパンを食べた者でなければ、人生の本当の味はわからない」というゲーテの言葉にもあるように、私は辛酸を嘗めたものだけが、人生の真の価値を理解できると考える。
この曲で彼は、幾多の試練を乗り越え、泥から咲いた蓮の花として自身を例える描写がある。決して苦労人好きというわけではないが、このように自分の人生を真正面から見つめ、痛みを抱えたまま、それでも何かを伝えようともがく姿。その姿に、私は人間の根源的な美しさを感じてしまう。
そして、それを音楽という形で昇華する彼が私はこの上なく、堪らなく好きなのである。
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2025/2/12 20:00:26現在のニュース
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イタリア・ナポリの人々は素手でパスタを食べていた!1903年の記録映像と写真
著者konohazuku・パルモ
公開:2025-02-08・更新:2025-02-08
パスタといえばフォークやスプーンを使って食べるのが一般的だが、20世紀初頭のイタリア、ナポリでは、素手で豪快に食べる文化があった。
この奇妙ともいえる食習慣が記録された1903年の映像が、当時のナポリの庶民の暮らしを今に伝えている。
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なぜ彼らは手づかみでパスタを食べていたのか? そこには、ナポリ独特の食文化や経済状況が大きく関わっていたようだ。
ナポリの「マンジャマッケローニ」 パスタを愛する人々
イタリア語の「マンジャマッケローニ(mangiamaccheroni)」という言葉を聞いたことがあるだろうか?
「マッケローニ」は、英語でいう「マカロニ」を指すように思われがちだが、20世紀初頭のナポリでは、パスタ全般を意味する言葉だった。
この「マンジャマッケローニ」とは、直訳すれば「マッケローニを食べる人々」。つまり、パスタを愛してやまないナポリの人々を指す言葉だった。
ナポリの人々のパスタ好きは、18世紀にはすでに有名だった。
ドイツの詩人ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ氏も1787年のナポリ訪問時に、「ナポリではどこでも安くパスタを買える」と記しているほどだ。
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ストリートパフォーマンスとしての「早食い」
当時、ラッツァローニ(lazzaroni)と呼ばれる定職を持たず、貴族からの施しを受けていた貧しい人々がいた。
彼らの中には、パスタやお金を手に入れるために「見せ物」として手を使って早食いする者もいた。
観光客からただでもらったパスタを早食いする。その姿を見た観光客らは歓声を上げながら彼らに投げ銭をする。
ラッツァローニにとって、こうした見世物は生活の糧を得るための手段でもあった。
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エジソンが記録した1903年のナポリ人の映像
1903年に撮影されたトーマス・エジソンの映像では、彼らがフォークやスプーンを使わず、長いパスタを手で掴み、そのまま口に運ぶ姿が映し出されている。
現在のパスタとは異なり、当時の「マッケローニ」はスパゲッティ���ように長かったため、ダイナミックな食べ方が生まれたのだ。
この時代にはまだトマトソースが広く普及していなかったため、パスタはシンプルな味付けで食べられていた。
もしトマトソースが使われていたら、手づかみでの食事は大変なことになっていただろう。
1929年にナポリを訪れたアメリカのジャーナリスト、ウェーヴァリー・ルート(Waverley Root)氏は、著書『イタリアの食べ物(The Food of Italy)』の中で当時のパスタ文化について触れている。
「ナポリの裏路地では、干されたパスタが無造作に吊るされ、ホコリやハエにまみれていた」と記しており、庶民の食べるパスタの衛生状態が決して良好ではなかったことを伝えている。
初めてイタリアを訪れたとき、少なくともナポリではマカロニが嫌いになった。不衛生な中庭はまるでマカロニのジャングルのようだった。
しなびたマカロニが物干しロープにぶら下がり、空中には土埃が舞い、むき出しのパスタにはハエが群がり、さらにはハトが上空から狙いを定めていた(ルート氏)
パスタは何世紀も前には貴族の食べ物だった。だが、1922年から1943年までイタリアを統治したムッソリーニの政権下で、生産拠点が移転され、規模が大幅に拡大した工業化によって、貧しい人々の主食となって久しかった。
ムッソリーニは国内の食糧自給率を高めるため、「バトル・フォー・グレイン(穀物戦争)」と呼ばれる政策を推進し、その一環としてパスタの大量生産が進められたのだ。
今でこそ、イタリアの食文化は素晴らしく、パスタやピザは世界中から食べに訪れる観光客がいるほどだが、かつてはそんな時代もあったんだね。とりあえず日本のナポリタンがナポリと全く関係ないことも一応言及しておこうかな。大好物なんだけど。
References: When Neapolitans Used to Eat Pasta with Their Bare Hands: Watch Footage from 1903 | Open Culture
本記事は、海外の記事を参考に、日本の読者向けに重要な情報を翻訳・再構成しています。
📌 広告の下にスタッフ厳選「あわせて読みたい」を掲載中
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2023年 世界で最もすぐれた料理国ランキング。1位はイタリアで2位は日本。料理別の順位も
AIが作った架空のピザ屋のコマーシャルがホラーすぎると話題に
イタリア人の前でスパゲッティを半分に折って鍋に入れるとどうなるのか?
これをイタリア式と言ってしまっていいのか?アメリカ人がテーブルに直接盛り付ける、ダイナミックパスタの作り方��披露
「神の糸」と呼ばれるイタリア伝統の極細パスタ「フィリンデウ」 が絶滅寸前
(イタリア・ナポリの人々は素手でパスタを食べていた!1903年の記録映像と写真 | カラパイアから)
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結び生き、望み生き


最期まで生きたいと思うのが人間だとすれば“ただ生き延びるために生きること”は自然で正しい生き方なのかもしれないと、ふと思うんです。(長塚京三)





20250202
先日「ゲーテはすべてを言った」で21世紀以後出生で初めて芥川賞を受賞された鈴木結生氏(20010523生)は、奇しくも「港に灯がともる」の富田望生さん(20000225生)と同じく福島で2011年に被災しています。このような表現力を持った人びとが2025年に現れたのは偶然ではない。
Sayonara America, Sayonara Nippon
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202501_雑記

自転車がパンクし、修理してもらって、出かけたついでにカフェで友だちと会うことになったけれど、友だちが遅れるかもしれないから疲れたら帰ってもいいよとLINEが来た。一応作業とか時間潰しのものを持ってきてはいるけどどうしようかなとなんとなく宙ぶらりんの時間を過ごしているところ。時間はあるけど頭と心の余力はない。今月はとても疲れた。さっき、話題作『ゲーテはすべてを言った』も読み切ったし。(おもしろかった!👏)
教習は明日行ったら次は横に先生が同乗しない無線教習なのだけど、2限連続のため予約がなかなか取れなさそうだ…。2月は一番混む時期みたい。自転車のパンクも、ちょっと休憩しろということかな。
などと書いてたら友だちが来そう。ちょっと駄弁って帰ろう。2月のテーマはrelax。☕️🌿 絵も、もっとラフに描きたい。
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「ゲーテは全てを言った」鈴木結生/著を読了。第172回芥川賞受賞作。
高明なゲーテ学者、博把統一は、一家団欒のディナーで彼の知らないゲーテの名言と出会う。
「愛はすべてを混淆せず、渾然となす」
ティー・バッグのタグに書かれたその言葉を求めて膨大な原典を読み漁り、長年の研究生活の記憶を辿る旅は、創作とは何か、学問とは何か、という深遠な問いを投げかけていく。
ゲーテに限らず、様々な形で「名言・格言」登場し、その出典や由来が変遷していく様子や、ネットで検索するのが当たり前になった社会でひとつの言葉を探究していく(文字通り旅をする)展開が、意外でありつつ自然な流れを感じさせた。失言?に怯える主人公の件はSNS炎上が珍しくなくなった今の時代背景か。ジャムかサラダか論の多様性言及も興味深い。
著者の独文への造形や、学会の空気感などに感心しつつ、文学・哲学の引用が少し冗長とも思ったが、読後に結局はとある家庭内の話だったと気付かされて更に感心する。上手いもんだなぁ。
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Brahms Symphony No. 1 in C minor, Op. 68, 4th movement
youtube
Herbert von Karajan, Berliner Philharmoniker
In a classical music book I read before, I came across a description that Mendelssohn was not as good as Mozart, Bruckner was not as good as Bach, and Brahms was not as good as Beethoven. I thought it was something like that, but I have a little objection about the last Brahms.
If you listen to the sound honestly, no matter how you listen to it, Beethoven is not as good as Brahms. Beethoven's sound is "too made" and "too theatrical". Goethe, a contemporary, commented on Beethoven's music as "too exaggerated." If you listen to Beethoven's music from such a point of view, even one! There is nothing that can be called a masterpiece.
On the other hand, Brahms was greatly intimidated by Beethoven and was unable to write a symphony, but when he did write it, the 4th movement of Symphony No. 1 was extremely moving. It is somewhat redundant, poisoned by Beethoven's thesis of emotional repression and release. However, I think Brahms is several orders of magnitude better than Beethoven even if it is subtracted. To begin with, Brahms is very honest in his sound creation. He is better at that than Beethoven, who overworks his work.
Babylman
ブラームス交響曲第一番ハ短調作品68、4楽章
以前読んだ、クラシック音楽の本で、メンデルスゾーンはモーツァルトに及ばず、ブルックナーはバッハに及ばず、ブラームスはベートーヴェンに及ばず・・・と言った記述に出会った。そんなものかとも思ったが、最後のブラームスについては、ちょっと異論がある。
素直に音を聴いてみると、どう聴いても、ベートーヴェンはブラームスに及ばない。ベートーヴェンの音は、「作り過ぎていて」「芝居掛かり過ぎている」。同時代のゲーテは、ベートーヴェンの音楽を「大袈裟すぎる」と寸評した。そういった観点からベートーヴェンの曲を聴くと、一曲も!名曲と呼べるものはない。
一方、ブラームスは、おおいにベートーヴェンに威圧され、なかなか交響曲を書けなかったが、いざ書いてみると、交響曲第1番4楽章など、きわめて感動的ではないか。感情の抑圧と解放といった、ベートーヴェンのテーゼに毒され、幾分冗長ではあるが、それを差し引いても、ブラームスのほうがベートーヴェンより数段優れていると考える。そもそも、ブラームスは、音作りが大変素直である。手を加えすぎるベートーヴェンより、その点でも優れている。
#Brahms#Symphony No. 1 in C minor#Op. 68#4th movement#Babylman#Beethoven#too exaggerated#honest in his sound creation#Youtube
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RoseLoveの『Love力』 2025/01/18 20時配信 GUEST◇平賀マリカ
ー今夜のラブ力を磨く言葉はー つねによい目的を見失わずに努力をつづける限り、最後には必ず救われる。q(☆u☆)p by ゲーテ
<LOVE力のYouTubeポッドキャスト▶️>
【Roseお奨めのMusic(^^♪ 】 ①Amapola / 平賀マリカ(「Joia」より) ②On the sunny side of the street / 平賀マリカ(「Vintage」より) ③Drop me off in Harlem / 平賀マリカ(ベスト盤LP「marica on VINYL」より) ④Antonio’s song / 平賀マリカ(ベスト盤LP「marica on VINYL」より) ⑤流れ星、神様 / RoseLove(「Dear RoseLove」より)
<コンサート情報♪>

『平賀マリカ 音楽生活40周年記念ジャズコンサート with 羽��田耕士ビッグバンド』 日時:2025年2月2日(日)開場:午後1時30分 開演:午後2時 会場:三越劇場(日本橋三越本店本館 6 階) 出演:平賀マリカ(vo)、 羽毛田耕士ビックバンド スペシャルゲスト:ハクエイ•キム(pf) 、司会:山本 郁(フリーアナウンサー)
・詳しくはこちら
『平賀マリカの初めての歌うジャズボーカルクラス ~“FLy me to the moon ”を歌ってみましょう~ 全3回』 日時:2025年1月25日(土)、2月22日(土)、3月22日(土)午後2時~4時 会場:日本橋三越カルチャーサロン(全3回講座) 講師:平賀マリカvo
・詳しくはこちら
<リリース情報♪>

Marica Hiraga on Vinyl [LP] デビュー以降11枚のアルバムから選び抜かれた11曲。LPのみで発売される初のベスト・アルバム。日本のジャズ・ボーカルで誰も成し遂げられなかった驚くべき華麗な共演者たちとのラインナップ。発売:2025年2月7日リリース
・詳しくはこちら ・平賀マリカ 公式サイト
<RoseLoveの『Love力』>
ムード溢れる大人の音楽を楽しみながら、毎回、世界中の著名人や作品の言葉をひとつ取り上げて、愛について、恋について、人生について語り、週末の夜、リスナーの方々のLove力に磨きをかける番組です。
過去放送一覧はこちら
RoseLove -ローズラブ- Official site
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昨日、芥川賞が発表されましたね📚 安堂ホセさん「DTOPIA」 鈴木結生さん「ゲーテはすべてを言った」 鈴木結生さん…結生と同じ字ー!!! ゆうい さんと読むらしいです❣️ ゆうと同じ字の方、初めて出会いました🫶🏻 運命感じます🙌🏻❣️
ほんー!村田結生 | つばきファクトリーオフィシャルブログ Powered by Ameba
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アレゴリーとシンボル。文学理論の基礎的事項を確認しよう。アレゴリーとは何か。それは寓意としての人物であり、より具体的に言えば登場人物が固有名詞をもたず一般名詞でしか名指されないことであり、したがって登場人物の主体的な内面が描かれずその単独性があらかじめ排除されていることであり、要は誰でもあり誰でもない誰かたちとしての無名の人びとのことである。お姫様と王子様と人魚と魔女と妖精とその他その他のことである。それでは、シンボルとは何か。それは象徴としての人物であり、簡潔に言えば固有名詞をもつがゆえに自我を有したえず葛藤し思い悩む単独的な人びとのことである。オイディプスや光源氏やハムレットや三四郎やハンス・カストルプの世界である。一般に、文学はアレゴリーからシンボルへと移行することによって民話や昔話を脱し戯曲や小説を創造したとされている。図式的に言えば、文学は登場人物に固有名詞を与えることで近代化した、ということだ。だが、それにしても。なぜ登場人物に固有名詞を与えることが近代化に通じるのか。その理由はゲーテが『箴言と省察』で分析している。シンボルとは「特殊のうちに普遍を見る」ことであり、だからこそ「文学の本質をなしている」と。言い換えれば、個別具体的な誰かたちのことを徹底的に描写していくと、逆説的にもすべての人びとに妥当する一般性に到達することができる、というわけだ。近代小説とはつまりこれである。自分の内面の吐露がそのまま万人に通じ得る普遍的な意味や価値をもつであろうとする無根拠な信仰、その信仰なしに近代小説はありえなかった。近代小説が自堕落な私小説に崩折れがちなのはゆえなきことではなかったのだ。だが。あえて言えば、このシンボルという概念には何か全体主義的な匂いがしないか。個別具体的な誰かたちを描くことがそのまま人類一般を描くことに繋がる、と。本当にそうか。ベンヤミンが言う通り、今こそシンボルではなくアレゴリーが擁護されなくてはならないのではあるまいか、個別具体的な誰かたちの物語ではなく誰でもあり誰でもない誰かたちの反物語が。だが、だとしても、どうやって?
この話はまたあとでする。先に進もう。
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エルサレム賞受賞講演「小説とヨーロッパ」1985年
ミラン クンデラ
「
イスラエルで最も重要な文学賞が国際的な文学に贈られるのは、偶然の産物ではなく、長い伝統の賜物だと私は思います。実際、祖国から追放され、ナショナリズムの情熱から離された偉大なユダヤ人たちは、常に超国家的なヨーロッパ、つまり領土としてではなく文化としてのヨーロッパに並々ならぬ思いを抱いていました。もしユダヤ人たちが、ヨーロッパが悲劇的に彼らを失望��せた後でさえも、ヨーロッパのコスモポリタニズムを信じ続けたとすれば、彼らの小さな祖国をようやく取り戻したイスラエルは、ヨーロッパの真の心臓であり、肉体の外側に位置する特異な心臓であると私には思えます。
エルサレムの名を冠し、偉大なる国際的ユダヤ人精神の証であるこの賞を、本日、深い感慨とともに受け取りました。私は小説家としてこの賞を受け取ります。私は作家(ライター)ではなく小説家(ノベリスト)と言いました。小説家とは、フローベールによりますと、その作品の背後に身を隠したいと思っている者のことです。作品の背後に身を隠すとは、公的人間の役を放棄するということです。昨今、これは容易なことではありません。わずかでも重要なことがあれば、マスメディアが耐え難いほどに目をぎらつかせているところへと足を踏み入れなければならなくなりますし、フローベールの教訓に反して、作品が作者のイメージの陰に隠れて消えてしまうことになります。誰も完全には逃れることのできないこのような状況において、フローベールの言葉は一種の警告のように私には思えます。つまり、小説家は公的人間の役を引き受けることで、自分の作品を危険にさらすことになるのです。作品が、その小説家の行為や声明、立場の表明などのたんなる附録とみなされてしまう危険があるのです。
さて、小説家は誰の代弁者でもないばかりか、彼自身の思想の代弁者ですらないとさえ言えます。トルストイが『アンナ カレーニナ』の第一稿を構想したとき、アンナは最も無愛想な女性であり、その悲劇的な結末はまったく当然のもので、正当なものでした。最終版はまったく異なっています。しかし私は、トルストイがその間に自分の道徳観を修正したとは思いません。むしろ、執筆の過程で、個人的な道徳的信念とは別の声に耳を傾けていたのだと言うべきだろうと思います。彼は、私が小説の知恵と呼びたいものに耳を傾けていたのです。真の小説家は皆、その超人間的な知恵に耳を傾けます。偉大な小説が常に作者よりも少し知的であるのはそのためなのです。自分の本よりも知的な小説家は、別の仕事に就くべきです。
しかしその知恵とは何でしょうか。小説とは何でしょうか。「人間は考え、神は笑う」という、みごとなユダヤの諺があります。この格言に触発されて、私は好んでこんなことを想像します。つまり、ある日、フランソワ ラブレーは、神が笑うのを聞き、そうしてヨーロッパの最初の偉大な小説のアイデアが生まれたのだと。小説という芸術が神の笑いのこだまとして誕生したという考えは気に入っています。
でもなぜ神は考えている人間を見て笑うのでしょうか。なぜならそれは人間が考えても、真実は人間から逃げていってしまうからであり、複数の人間が考えれば、一方の考えは他方の考えとますますへだたってしまうからであり、そして最後に、人間は自分がそうであると考えるものでは決してないからです。
中世を脱出した人間の、この根��的状況が明らかになるのは、近代の黎明期です。ドン キホーテは考え、サンチョは考えました。そして世界の真実だけでなく、彼ら自身の真実さえも彼らから逃げていきました。ヨーロッパの最初の小説家たちは、人間のそのような新しい状況を見て取り、その上に新しい芸術、すなわち小説という芸術を築き上げたのです。
フランソワ ラブレーはたくさんの新語をつくり、それらはその後フランス語や他の言語でも使われるようになりましたが、そのうちの一つが忘れられてしまったのは非常に残念です。それは「アジェラスト」という言葉です。ギリシャ語に由来する語で、「笑わぬ者」「ユーモアのセンスのない者」の意味です。ラブレーはアジェラストを憎み、恐れていました。彼は、アジェラストたちからあまりに非道な扱いを受けたため、筆を折ってしまいそうになったと不満を漏らしています。
小説家とアジェラストの和解は不可能です。アジェラストたちは神が笑うのを聞いたことがなく、真実は明瞭であり、すべての人間は同じことを考えているはずであり、そして自分たちは自分たちがそうであると考えているものであると確信しています。しかし人間が個人となったのは、まさに真実の確信と他者の満場一致の同意を失うことによってなのです。小説は個人の想像上の楽園です。そこは、アンナもカレーニンも、誰も真実を持ってはいませんが、アンナもカレーニンも、誰もが理解される権利を持っています。
『ガルガンチュアとパンタグリュエル』第三之書で、ヨーロッパが初めて目にした偉大な小説の登場人物であるパニュルジュが、次の問いに苦しめられています。結婚すべきか否か。彼は医者、予知能力者、教授、詩人、哲学者に相談し、それぞれがヒポクラテス、アリストテレス、ホメロス、ヘラクレイトス、プラトンを引用します。しかし、この書全体を占めるこの膨大で博学な研究の末、
パニュルジュはいまだに結婚すべきかどうかわかりませんし、私たち読者もわかりません。しかしその一方で、私たちは、結婚すべきかどうかわからない人という、滑稽であると同時に本質的な状況を、あらゆる角度から探ったのです。
ラブレーの博学は、デカルトの博学とは別の意味を持っています。小説の知恵は哲学のそれとは違います。小説は理論的な精神ではなく、ユーモアの精神から生まれているのです。ヨーロッパの大きな失敗のひとつは、最もヨーロッパ的な芸術である小説を理解できなかったことです。その精神も、その偉大な知識と発見の数々も、その歴史の自律性も。神の笑いに触発された芸術は、そもそも、イデオロギー的な確信に奉仕するものではなく、それに反するものなのです。それは、ギリシャ神話のペネロペのように、神学者、哲学者、学識者たちがその日に織り上げたタペストリーを、夜毎に解くのです。
最近、十八世紀を悪しざまに言う習慣が定着してしまい、こんな決まり文句に到達するようにさえなりました。ロシアの全体主義の不幸は、ヨーロッパの、とりわけ啓蒙の��紀の無神論的合理主義、理性の万能に対する信仰の産物だというものです。私はヴォルテールを強制収容所の責任者とする人々と論争する資格があるとは感じませんが、次のように言う資格ならあると感じています。すなわち、十八世紀はただルソー、ヴォルテール、ドルバックの世紀ではなく、また(とりわけ、ではないにしても!)フィールディング、スターン、ゲーテ、ラクロの世紀でもあるのだ、と。
その時代の小説の中で 私が最も好きなのは、ローレンス スターンの『トリストラム シャンディ』です。不思議な小説です。スターンは、トリストラムが懐妊した夜の描写から小説を始めますが、その話をやっと始めたところで、別のアイデアが突然彼を惹きつけ、自由連想によってそのアイデアが別のアイデアを駆り立て、さらに逸話が続き、ひとつの脱線がまた次の逸話へとつながっていきます。そしてこの本の主人公であるトリストラムは、100ページものあいだ忘れ去られてしまうのです。この贅沢な小説の構成法は、形式的なゲームに過ぎないと思われるかもしれません。しかし、芸術においては、形式は常に形式以上のものなのです。
どの小説も、好むと好まざるとにかかわらず、次の問いに何らかの答えを提示しています。すなわち、人間存在とは何か、その詩(ポエジー)はどこにあるのかという問いです。スターンの同時代人たち、たとえばフィールディングは、アクションと冒険の非凡な魅力を特に味わっていました。スターンの小説から感じられる答えは、まったく異なるものです。彼にとって詩とは、行為の中にあるのではなく、行為の中断の中にあるのです。おそらくここに、間接的な形ではあれ、小説と哲学のあいだの大いなる対話が始まったと言えます。十八世紀の合理主義はライプニッツの有名な文句「理由なく存在するものは何もない (nihil est sine ratione)」に基づいています。このような確信に刺激された科学は万物の何故を熱心に検討し、その結果、存在するものすべてが説明でき、したがって計算できると考えるようになりました。
自分の人生に何らかの意味があることを願う人間は、原因も目的もないようなどんな行いも断念することになり、あらゆる伝記はそんなふうに書かれることになります。人生は原因、結果、失敗、それに成功の明るい軌跡として現れ、人間はみずからの行為の因果関係を示す繋がりにじりじりと眼差しを注ぎ、死に向かう狂おしい走行をますます速めることになります。
世界を出来事の因果的な連続に還元することに対抗して、スターンの小説は、その形式そのものによって、詩は行為の中にあるのではなく、行為が止まったところにあるのだと断言しています。それは原因と結果のあいだを繋ぐ橋が砕け、思考が甘美で無為な自由をさ迷うところにあるのだと断言するのです。スターンの小説は、人間存在のポエジーは逸脱の中にこそあると言っているのです。それは計算できないものの中、因果関係の反対側に、理由��ないままに、ライプニッツの文句の反対側にあるのだ、と。このように、ある時代の精神は、その芸術、特に小説を考慮することなく、その思想や理論的概念だけで判断することはできません。
十九世紀は機関車を発明しました。ヘーゲルは普遍的な歴史の精神そのものを把握したと確信していました。しかし、フローベールは愚かさを発見しました。私はあえて申しますが、これこそが、己の科学的理性をかくも誇りに思っていた世紀の最大の発見です。
もちろんフローベール以前にも、愚かさが存在することを疑う者はいませんでしたが、それは少し別なふうに理解され、単に知識の欠如や、教育によって正されうる欠陥だと見なされていたのです。ところがフローベールの小説では、愚かさは人間の存在と切り離すことのできないものなのであり、それは哀れなエマが日々を過ごす間、愛の床から死の床にまでつきまとい、オメーとブールニジアンという二人の死神が、一種の葬送演説のように、くだらない話を延々と続けるのです。しかし、フローベールの愚かさについてのビジョンで最も衝撃的で最もスキャンダラスなことは次のこと、すなわち愚かさは、科学、技術、近代性の進歩に道を譲ることはなく、それどころか、進歩とともに愚かさもまた進歩する!ということなのです。
フローベールは底意地の悪い情熱を傾けて、周囲の人々が自分は利口で事情に通じていると見せようとして口にする紋切り型の決まり文句を収集し、それを元に、かの有名な『紋切り型辞典』を作りました。この表題を使ってこう言いましょう。現代の愚かさとは無知ではなく、紋切り型に受け入れた考えの無思考を意味しているのだ、と。
フローベールのこの発見は、世界の未来にとって、マルクスやフロイトのもっとも衝撃的な考えよりもずっと重要です。なぜなら、階級闘争のない、あるいは精神分析のない未来を想像することはできても、紋切り型の考えの抗しがたい増大のない未来は想像できないからです。紋切り型の考えはコンピュータに入力され、マスメディアによって流布され、やがて一つの力となって、あらゆる独創的で個人的な思考をも押しつぶし、その結果、近代ヨーロッパ文化の本質そのものが窒息させられかねないのです。フローベールがエマ ボヴァリーを構想してから80年ほど後、私たちの世紀の1930年代に、もう一人の偉大な小説家ヘルマン ブロッホは、近代小説がいかに雄々しくキッチュの潮流と闘おうとも、結局はキッチュに圧倒されてしまうと書いています。「キッチュ」という言葉は、どんな犠牲を払ってでも最大多数の人々を喜ばせたいと願う人々の姿勢を言い表しています。喜ばせるためには、誰もが聞きたいと思っていることを確認し、受け入れられている紋切り型の考えに従わなければなりません。キッチュとは、受け入れられている紋切り型の考えの愚かさを、美と感情の言語に翻訳することです。それは、私たち自身を憐れみ、私たちが考え、感じていることの凡庸さに涙するように私たちを促します。
50年後の今日、ブロッホの言葉はさらに真実味を増しています。多くの人を喜ばせ、それによって多くの人の注目を集めなければならないマスメディアの美学は必然的にキッチュなものとなり、マスメディアが私たちの生活にますます浸透していくにつれ、キッチュは私たちの日常的な美学と道徳規範となりました。つい最近までは、モダニズムとは、紋切り型の考えやキッチュに対する不適合者の反乱を意味していました。今日、モダニティはマスメディアの巨大な力と融合し、そして、モダンであることとは、最新であること、適合すること、そして最も適合している人たちよりもさらに徹底的に適合することへの努力を意味します。モダニティはキッチュの服をまとったのです。
アジェラストたち、紋切り型に受け入れた考えの無思考、そしてキッチュ、これらは三つの頭をもった同じひとつの、神の笑いのこだまとして生まれた芸術の敵なのです。この芸術は、だれも真実の所有者ではなく、だれもが理解される権利をもっている、魅惑的な想像的空間を創出することができました。この寛容な想像的空間は、近代ヨーロッパとともに生まれた、ヨーロッパのイメージそのものなのです。あるいは少なくとも、ヨーロッパに私たちが抱く夢なのです。それは何度も裏切られた夢ですが、それでも、小さなヨーロッパ大陸をはるかに越えて広がる友愛の中で、私たち全員を団結させるのに十分な強さを持っているのです。しかし私たちは、個人が尊重される世界は(小説の想像上の世界でも、現実のヨーロッパでも)、もろく朽ちやすいことを知っています。
地平線上には、私たちの一挙手一投足を見張っているアジェラストの軍隊が立っています。そして、まさにこの宣戦布告なき永久戦争の時代に、劇的で残酷な運命を背負ったこの街で、私は小説のことだけを語ろうと決心しました。これは私が深刻な問題を避けようとしているからではないことはお分かりいただけただろうと思います。
今日、ヨーロッパ文化が脅威にさらされているように見えるとしても、ヨーロッパ文化の最も貴重なもの、すなわち個人の尊重、個人それぞれの独自の思想、侵すことのできない私生活の権利、それらに対する内外からの脅威がヨーロッパ文化を覆っているのだとしても、ヨーロッパ精神の貴重なエッセンスは、宝箱の中に大切に保管されているように、小説の歴史の中に、小説の知恵の中にあると、私は信じています。
私がこの感謝のスピーチで称えたかったのは、その小説の知恵です。
でもそろそろやめ時ですね。
私が考えているのを見て、神様が笑うことを忘れていました。
」
Jerusalem Address: The Novel and Europe
A speech by Milan Kundera
https://medium.com/@mijolo/jerusalem-address-the-novel-and-europe-585bf2e7a848
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