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【女ひとり旅】ウズベキスタン・世界遺産サマルカンド / グルメ・観光ぼっち旅 2024.07【海外旅行】
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ウズベキスタン














#ウズベキスタン#ブハラ#メドレセ#イスマイール・サマニ廟#ラビハウズ#シャフリサーブス#ティムール#タフタカラチ峠#サマルカンド#レギスタン広場#ライトアップ#青の都#タシケント#ナヴォイ劇場#地下鉄駅#タシケント市街#2024年12月
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024)4月2日(火曜日)
通巻第8198号
モスクワ奇襲テロリストIS─Kはなぜタジク人だったのか
金銭で雇用され、支払いはビットコインだった可能性が浮上
*************************
3月22日の惨劇(モスクワのクロカスコンサートホール襲撃テロ)で、3月31日までの死者は143名、重軽傷が382���に及ぶ。実行犯、ならびに関与容疑で、ロシア当局は11名を拘束した(全員がタジク人だった)ほか、4月1日にはタゲスタンで、NAC(国家反テロ委員会)が新たに3名の「テロリスト」容疑者を拘束したと発表した。機関銃などの武器が押収された。
最大の容疑は相当額の現金をどこかへ「送金」しているヴィデオが証拠だったという。
シリア内戦で、タジキスタンからシリア、イラクへ這入り込んで戦ったのは2000名と言われた。ISの構成員でタジク人部隊が一大派閥だった。
タジキスタンはラフモフ独裁にあってイスラム教国(スンニ派)でありながら、学校でイスラムを禁止している。
それゆえにイスラム過激派が扇動するプロパガンダに簡単に、その教条主義に染まるのである。戦時下、マルクスが禁止されていたがゆえに多くの青年がマルクスを密かに読みあって心酔したように。。
1960年代から70年代にかけて多くの日本の若者がアジビラ一枚で全共闘だとか、ノンセクトラジカルに染まったように。
それにしても、なぜタジキスタンなのか?
中国アジア五ヶ国のなかで、ウズベキスタン、カザフスタン、キルギス、トルクメニスタンはチュルク系民族である。タジキスタンだけはペルシア系で言語はダリ語。ただしも文字はキリル文字を採用している。
あまりに貧困なため、多くが出稼ぎに出る。モスクワにはタジクタウンがあり、ここがIS─Kのルクルート・センターになっているとも言われた。
IS─Kは秘密基地をアフガニスタンに構築し、兵士募集は金銭で行い、その支払いはビットコインではないかと言われる。ロシアは、その胴元がウクライナであると睨んだ。
紀元前、タジキスタンの民族はアーリア系スキタイだった。その後、アケメナス朝ペルシアに帰属し、中世ではブハラカーンの一員だった。ロシアがブハラカーンを保護国としたためソ連邦に吸収された。1991年独立以後35年間もラシモフ大統領の独裁が続いている。1992~93年の内戦では五万人が死亡したとされた。
一人あたりのGDPは350ドル以下と世界最貧。国民の構成は、タジク人が84%、ウズベク人が14%、いったん棄てられたロシア語は出稼ぎ先が殆どロシア語のため最重視されており、それでいて反ロシア感情が強い。ISKがタジク人部隊だった��とはウクライナ戦争を展開中のプーチンにとって、別の衝撃をもたらした筈である。
(余談)ウズベキスタンにはブハラカーン時代の面影、そのきらびやかな宮殿跡などの遺跡群があり、またタジキスタンへの国境は看板があるだけで入国審査もなかったのが90年代初頭のこと。ペンジケント(タジク)、サマルカンド、タシケントなどを回ったことがあります。ソ連時代にイスラムは禁止だったので、東西冷戦終了後、大量のコーランが、サウジとイランから空輸されてばらまかれましたが、アラビア文字だったので、キリル文字しかしらない人々は理解できなかった。
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Albedo Gravitas Presents 2023.12.25(MON)@Ogikubo Velvet Sun adv 2000yen / door 2500yen +1drink open: 19:15/ open: 20:00 増渕顕史 / Kawol SamarQandi 池上秀夫 Albedo Gravitas 増渕 顕史 Takashi Masubuchi (guitar)

主に東京で演奏活動を行う、アコースティックギター・ハーモニカ演奏家。10代の頃より様々なロックグループでギタリストとして活動を行い、その後、ブルースを基調とした、ミニマル・ドローン的性質を持つ音楽を志向し、実験と実践を繰り返す。 その後、初期衝動の持続と音楽的探求のため、アコースティックギターを用いたソロでの即興演奏を開始。自身の身体知と情動に基づき、意図性を排したリニアかつ自然発生的演奏を行うが、自身��場に起こるイレギュラーもそれはそれとして楽しむ。特に音列と間の概念に関心を持つ。18年R,R,R (Headlights Recordings)・Disappearing Foliage (Senri Records)2枚のソロアルバムをリリースする。
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Kawol SamarQandi (guitar)

初めて耳を傾けた「音楽」は短波ラジオを通して聞こえて来たノイズの波。 6才で詩作を12才でギターと歌を14才で作曲を始める。10代の終わり頃から本格的に演奏活動を開始。気がつけば「アラブ古典音楽とその楽器ウード研鑽の為」と称して89年チュニジアに降り立ちそのまま地中海周辺にて1年程遊学。様々な出会いの中でスタジアム、劇場でのコンサート、国営TV等に出演。帰国後別名義にてギタリスト、アレンジャー、作曲家、作詞家、ボーカリストとしてスタジオ、放送局、ツアーなどでの数多くの商業的な仕事に参加、またドキュメンタリーや劇映画のサウンドトラックを手掛ける。21世紀に入り辿々しいギターとモノローグの様な声のみによる即興演奏から生まれる「貧しい」音楽の創作に専念。その後 シンセサイザー奏者にしてパートナーであるMary MeachaとREFUGEES結成、内外の自由な音楽家達とのコラボレーションによる多くの作品制作及びギグ、また自身のアルバムリリースといった活動を現在に至るまで精力的に継続。 21年豪州のRamble Recordsよりこれまでの節目となる作品群の第1作”silence, notes and structures 1”をリリース。「あらゆる形式を越境しつつ揺れる弦と震える声から古代サマルカンドの謎のように立ち上る沈黙と音とその構造を通して、世界を注意深く聴き続けてゆく意志。」 HP : https://kawolsamarqandi88059347.wordpress.com/ Article : https://neuguitars.com/2023/08/21/kawol-samarqandis-japanese-reductionism-onneuguitars- blog-kawolsamarqandi/
池上 秀夫 Hideo Ikegami(Contrabass)

コンントラバス奏者。66年、鳥取県生まれ。高校1年生の時にチコ・フリーマン4のコンサートでセシル・マクビーの演奏に触れたことをきっかけにコントラバスに興味を持ち、大学入学と同時に演奏をはじめる。当初はストレートなジャズを演奏していたが、もともと富樫雅彦らのフリージャズへの関心を持っていたこともあり、次第にインプロヴィゼーションに軸足を移すようになる。現在は東京を中心に演奏活動を展開している
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Albedo Gravitas

(Albedo Fantastica+内田静男) ヒグチケイコとSachikoで結成された即興ユニット「Albedo Fantastica」に内田静男(4strings)が加わったトリオ。Albedo Fantasticaのボーカルを基軸に展開するサウンドダイナミクスに、内田の変幻自在な低音の振動が加わり未明のサイケデリアが表出する。都内を中心に活動中。23年セカンドアルバム「luminescence」をリリース。
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みたびウズベキスタン・ホテルの前を通過。
たぶんこの近辺でもっとも大きなホテルだ。ティムールもソ連も、帝国というものは大きなものを作りたがるものだ。
だが実際目にすると、国の力をありありと感じる。

地下鉄の乗り換え通路。
かなり長く、5分は歩き続けた。





空港へ行く前に、ここで水を買うことにした。
もう当たり前のことだが、2時間ごとに喉が干上がるのだ。
ウズベキスタン各地の駅構内やちょっとお洒落なショッピングモールには、必ずこの店「safiaベーカリー」が入っていた。
可愛らしい顔だが侮ってはいけない。
こいつもここで店を開いている以上、ペルシア商人のひとりなのだ。
水だけ買うつもりが油断するとサンドイッチにクロワッサンまで買わされかねない。
「あなたにメリットがあると思うんです。違いますか?」
商売は押し売りばかりが能ではない。
顧客にとって本当に必要なものを提案してくれている、と思わせれば半分勝ちのようなものなのだろう。


水、スイカとバラの実のコンポートを買った。
空港へ。
「travel is trouble」というが、最後に事件が待ち構えていた。
チェックインカウンター前の行列に並んでいると、遠くから咆哮のようなウォーッという叫び声が何度か聞こえてきた。
当然みなそちらのほうを見ていたが、空港警察が右往左往するような風でもない。ハイジャック犯ではないらしいと思ったが、せかせか動いている人がいるのは見えた。
ではなんだろうか。刑事関係でなければ、医療関係が考えられるが。
そう両親と話していると、父が「チェックインが終わったら見に行ってみよう」と言った。

荷物の番を母に任せて二人で行ってみると、韓国人の家族と思われるグループの周りに、小さな人だかりができていた。医療従事者もいる。
家族の若い息子らしき彼が、全身を震わせて「アイムソーdizzy!」を連発している。家族は彼の手足を一生懸命さすり、手足の震えを落ち着かせようとしていた。
日本の医療従事者と名乗り、診療に加わった。
白いブルカを被っているのは、現地の看護師さんだ。

初めて知ったが、空港にはこうした救急箱があるらしい。
ただし、ただの救急箱ではなく、救命用に必要な薬が一通り入っているらしかった。
我々は簡単な問診とバイタル測定、神経学的診察を行い、精神的なものだろうという結論を出した。
病歴に問題なし。多少発熱が見られたものの、それ以外のバイタルサインに問題はなかった。ブルカを被った看護師さんが、血圧を測定してくれた。多少精度に不安はあるが、数値はやはり問題なし。
震えとはいうものの発熱に伴うシバリングでは明らかになく、随意的な筋運動のようであった。把握保持力に異常なし、瞳孔に異常なし、神経学的徴候もなし。
除外診断には頭部MRIを撮る必要はあるだろうが、最終的に飛行機恐怖症・パニック障害、または身体表現性障害が疑われた。
「どう思いますか…?」
「飛行機に乗りたくないか、帰りたくない何かの理由があるんでしょう」
現場にいた若い医師に尋ねられ、我々はそう答えた。
どのみちこのままでは、飛行機に乗るのは難しい。
てんかんの疑いも一応あるので、彼には鎮静剤が筋注された。
医師や医療従事者と言えども、道具なしにはほとんど何もできない。
私は転倒防止のために、彼を支えて外の救急車まで付き添った。
「自分で歩ける、離してください!」
無視。
鎮静剤を打たれた人間を、階段で独り歩きさせるわけにはいかない。
救急車にたどり着いた。付き添いは一人までとのこと、家族を先に飛行機に乗せてお父さんが同乗するようだ。

「カムサハムニダ、アリガトウ!」
久しぶりのアジア語、久しぶりの日本語だ。
だが、あいにく私は韓国語のどういたしましてが「ケンチャナヨ」であることを、その場で思い出せなかった。
父のところに戻ると、そのまますぐ空港のトイレへ向かった。
件の彼は発熱しており、口を開けて何度も叫んでいた。
感染成立を防ぐため、15分以内に口腔および眼の粘膜、接触した部分や飛沫を浴びた恐れのある部分の皮膚をすべて洗う必要がある。空港のトイレでビシャビシャになりながら、石鹸で洗い終わると母のところへ戻った。
見覚えのある人と一緒にいるなと思ったら、サマルカンドで会ったあの日本人のご夫妻だった。
「なにか騒動があっているなと思ったら、見たことのある人たちがトイレのほうに歩いて行ったのを見て…」
それで声をかけたらしかった。
父はまたひとしきり話していたが、私は一期一会のはずの人と再会するのが苦手なほうだ。何を話してよいかわからない。
これもご縁だからと言って、写真を撮っていただいた。
出発までまだ時間があった。
タシケント空港のなかを見て回る。








さすがに空港の土産物屋だけあり、買いたくなるような出来の物がたくさん置いてある。私は記憶を呼び起こすために土産物を買っているので、空港ではあまり買わない。
母が残ったウズベキスタン・スムの小銭でアイスクリームを買おうとしたが、到底買えない値段だった。
かろうじて500mlの水が2本買えたので、持って帰った。


時間だ、帰らねばならない。
最後まで事件だらけだったが、旅行とはこうしたものだ。
帰りの飛行機のなかで、焼肉弁当のような機内食が出た。
アシアナ航空だから、たぶんプルコギだろう。
びっくりするくらい美味しかった。うますぎて写真を撮るのも忘れ、すべて食べてしまった。
乾いた砂の街の丸いパンも良かったが、私の故郷は瑞穂の国。
この白い飯の国であるらしい。
ティムールの墓の碑銘にも謂うとおり、
「終わりよければすべてよし」
旅行記は、これで終わる。
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キャノン のCM 世界遺産「サマルカンド」篇。
https://global.canon/ja/ Continue reading キャノン のCM 世界遺産「サマルカンド」篇。
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古代シルクロードに生きたソグド族の謎が、DNA研究で明らかに 記事の本文にスキップ
konohazuku (著)・パルモ (編集)
公開:2025-03-12・更新:2025-03-12
中国の遺伝子研究チームが、古代の中央アジア、ソグディアナ地方で商人や移住者として活発に活動していた謎の民族、ソグド族のDNA解析に成功した。
ソグド族についてはこれまでほとんど知られていなかったが、今回、彼らの文化に基づき詳細な遺伝子プロファイルを解析した結果、彼らソグドが、紀元前130年から紀元1453年まで国際交易ルートだったシルクロードで、西のヨーロッパ人と東のアジア人を結びつける仲介者という重要な役割を担っていたことが明確になった。
広告の下に記事が続いています
ソグディアナで暮らしていた謎の民族「ソグド族」 中央アジアのアムダリア川とシルダリア川の中間地域は、かつてソグディアナと呼ばれていた。現在のウズベキスタンのサマルカンド州とブハラ州、タジキスタンのソグド州、キルギスタンにあたる。
ここにはイランとつながりの深い農耕民族ソグド人で形成される「ゾクト族」が住んでいた。
彼らは、アケメネス朝時代にペルシア帝国に併合され、のちにマケドニアのアレクサンダー大王に征服されたりと他民族の支配にさらされる時代を経てもなお、独自の文化を維持していた。
紀元500年頃には中央アジア、極東での交易、工芸品や娯楽などで知られるようになった。
とくに中国の唐時代(618~907年)には繁栄していたシルクロード沿いに多くの拠点を置いた。
その集落の多くは中国にあり、中国側も交易を促進してくれるソグド人の役割をよく理解していたようだ。
ソグド人は西アジア人であるとみなされているが、シルクロード沿いで関わったと思われる他文化との交流記録はほとんど残っておらず、これまで、詳しいことはわからない謎の民族だとされていた。
この画像を大きなサイズで見る イラン、アケネメス朝ペルシャの首都遺構ペルセポリスのレリーフに描かれているソグド族の商人 WIKI commons 男女の骨のDNAから解明されたソグド人の起源 中国北西部の固原(こげん)という場所で発掘された唐王朝時代の墓から、ソグド人男女2体の骨が見つかった。研究者らはこの骨からDNAを抽出し、それぞれの起源を詳しく分析した。
抽出されたDNAから、このふたりは一緒に(時期は同じではない可能性があり) 埋葬された男女だとわかった。
男性(SUTE1)のほうは中国の祖先と中央アジアの祖先が混じったDNAを持っており、そのDNAから、この男性のルーツが紀元前2000年前後の青銅器時代にソグディアナ地域で栄えた文化を示すバクトリア・マルギアナ考古学複���体(BMAC)にさかのぼることがわかった。つまりソグド人だったと考えられる。
さらにこの男性の祖先は、中期青銅器時代(紀元前2000~1500年)に中央アジア南部にいたロシアとモンゴルのテュルク系民族の集団とも関連があった。
一方、女性の骨(SUTE2)から検出されたのは黄河地域から来た祖先のDNAのみで、彼女が新石器時代から中国地域にずっと住んでいた人々の子孫であることがわかった。
このふたりは持っていた遺伝子が違うにも関わらず、2014年に初めて発掘された家族の墓らしき場所に一緒に埋葬されていた。副葬品には硬貨、小像、ガラス玉、フレスコ画などソグド文化の遺物が納められていた。
広告の下に記事が続いています
この画像を大きなサイズで見る A. 固原唐王朝の墓の地理上の場所、B. 固原唐王朝の墓の平面図、C. 固原唐王朝の墓内部の遺骨の場所、D. 墓から出土したソグド人の小像、E. 墓から出土した兵士の小像、F. 唐代の開元通宝貨幣、G. 墓から出土した色とりどりのガラス玉 J. Zhang et al/Journal of Archaeological Science: Reports 国境を越えた「婚姻外交」 墓の出土品とその建築様式から、遠い昔にシルクロード近くの古代中国に定住していたソグド人家族の墓であることは間違いないと思われる。
とするとこの男女は結婚していたに違いない。
「この研究結果は、当初は交易が目的で中国にやってきたソグド人が定住し、地元中国の人と結婚し、シルクロードでの商業の仲介者として重要な役割を果たすようになったことを示している」と論文は述べている。
紀元前1000年末期にソグド人がヘレニズム世界と秦・漢王朝とのつながりを育む上で非常に重要な存在だったことを強く示していて、シルクロード商人として有名になる前の初期のソグド人のアイデンティティがはっきりわかるという。
この画像を大きなサイズで見る 初期のシルクロードのダンサーのように、小さなカーペットの上で踊る天神たち。ソグド文化の影響が急速に唐のハイセンスな舞踊や芸術に取り入れられたことがうかがえる。Public Domain ソグド人が支えた東西文化交流 古代中国の史料『魏書』によると、多くのソグド人が魏晋から隋唐時代(220年~900年頃)にかけて中国に移住してきたと記録されている。彼らは交易を強化するため、中国人との結婚を積極的に行っていたのだ。
こうした歴史の記録からは、ソグド人が婚姻によって地元社会に溶け込み、東西4000kmにおよぶ交易路を約1600年もの長期にわたって繁栄させる要因となったことがわかる。
こうしたソグド人の活動がなければ、世界史における東西の文化的・経済的交流は、これほどまでに豊かな広がりを持たなかったかもしれない。
この研究は『Journal of Archaeological Science』誌(2025年2月)に掲載された。
コメントを見る(7件)
📌 広告の下にスタッフ厳選「あわせて読みたい」を掲載中
#謎 #交流 #シルクロード
(古代シルクロードに生きたソグド族の謎が、DNA研究で明らかに | カラパイアから)
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【ウズベキスタン】世界遺産「サマルカンド 文化の交差路」
【世界遺産 ウズベキスタン/サマルカンド 文化の交差路】シルクロードの青の都 2024/12/15放送 #世界遺産 詳しく見る↓
サマルカンド…
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今日の東京は、ここ数日の暖かい気候から一転して寒い1日になりそうです。メダカの食欲が少しずつ落ちてきて、あまり日光浴をしなくなってきたのは、冬籠りの準備をしているからなのかもしれません。どうぞ十分に暖かくしてお過ごしください。
10月7日から1ヶ月半以上続いているイスラエルとハマスの戦闘の休戦が昨日から4日間の予定で始まっていますが、素朴な疑問が湧き上がってきます。何故休戦ができるのに、中止にできないのでしょうか。何故4日間なのかもわかりません。どんな大義名分で戦争が正当化されるのか、罪のない子どもたちが巻き込まれ、殺されるのが許されるのかも理解できません。この4日間で戦争を始めた人たちが頭を冷やし、正気に戻るのを願っています。自分達のエゴに気づくことを祈っています。聖地をめぐる紛争が起きたとされる遠い昔に生きていた人はもう誰も存在しないのに、何故今もまだ個人的な憎しみを持ち続けることが可能なのかもわかりません。私にはアメリカ人の家族がいますが、かつて戦争で戦い、原子爆弾を落とされた国に住む敵国の人間として、敵対視したり憎んだりすることはありません。元々オリンピックの「頑張れニッポン!」にも共感できず、国というよりも選手個人を応援することが多いです。国と個人を同一視しないからなのかもしれませんが、スピリチュアリズムに惹かれたのは、そうした傾向があるからかもしれません。
先日、Apple TVで『エンフィールドのポルターガイスト』という映画を観ました。1977年、ロンドン近郊の街エンフィールドで実際に起こった怪現象を追ったドキュメンタリーです。調査員による数ヶ月の間の調査中に起こった怪現象は1,500件を超え、この映画の中でも再現されています。エンフィールド事件の主人公は11歳の少女のジャネットで、19世紀のアメリカで起きたハイズビル事件の当事者であるキャサリンとマーガレッタのフォックス姉妹と同世代ですから、まさに20世紀版ハイズビル事件といえる��しょう。思春期の子どもが持つ潜在的なエネルギーは時に計り知れない大きさで発揮され、ポルターガイストと呼ばれるような重たい家具を動かしたり、不可思議な現象を起こすことが稀にありますが、通常は単なる一過性の物理現象とされることが多いです。
ここからはネタバレになりますので、ご注意ください。エンフィールドに住むホジソン家の次女ジャネットは、ある時から家の中で起こる怪現象に悩まされ始めます。始めはノック音だけだったのが、家具が勝手に動いたりするようになると、近所で噂が広まり始めます。そこで調査に乗り出したのが、英国心霊調査協会(SPR)のメンバーであったモーリス・グロスとガイ・ライアン・プレイフェアでした。当時の膨大な数の録音テープが調査記録として残っていて、映画ではそれぞれの役を演じる俳優達が自分の声を出さず、録音された当事者達の声に合わせて口だけを動かしている逆アテレコの演出が現実感を膨らませています。他にも写真や動画などの記録が数多く残されていて、調査員が連日泊まり込みながら片時も離れずに家族の様子を観察していたことが窺えます。ドキュメンタリーは4つのエピソードに分かれていて、3つ目まではよくある怪奇物といった感じで、ホラー映画が好きな人にとっては特に目新しい展開ではないかもしれません。けれど、エピソード4で初めて、調査員のモーリス・グロスが執拗に記録を取りながら調査に尽力していた理由が解き明かされます。
彼は元々、機械や電気装置に関する特許を持っていた優秀なエンジニアでしたが、エンフィールド事件の調査に入る約1年前に、22歳の愛娘を突然の交通事故で亡くしていました。彼が心霊研究に興味を持つきっかけとなったのが、娘の死後に起こった数多くの不思議な出来事でした。娘が亡くなった同じ時間に時計が止まっていたり、娘の母親が別の場所で体調を崩していたのです。最も不思議だったのが、娘が事故の直前に自分の弟に送っていたバースデーカードでした。彼女が亡くなったのが丁度弟の誕生日で、そのカードの表には頭に包帯を巻いた女の子の絵が印刷されていたのです。彼女は事故で頭を強く打ち、病院に運ばれた後、頭に包帯を巻いた姿で息を引き取っていました。また彼女は、カードを開いた面に「私も、もうすぐこうなる(頭に包帯を巻く)」というメッセージを���き残していたのです。モーリス・グロス自身は、このポルターガイスト現象に娘の霊が深く関わっていると感じていたそうです。そして、亡くなった彼の娘の名前もまた、エンフィールドの怪現象を引き起こした少女と同じ、ジャネットだったのです。
このドキュメンタリーの最後にホジソン家のジャネット本人が登場し、当時の現象に嘘や偽りがなかったことを証言しています。ハイズビル事件もエンフィールド事件も、思春期の子どもが持つ潜在的なエネルギーが起こした単なる物理現象ではなく、その現象に知的な存在が関わり、その現象を通して気づきのメッセージが届けられたことに深い意味があります。
心霊現象や霊界通信を通して、個人的で親密な愛に溢れる癒しや励ましのメッセージを受け取り、それが人生観を変えるほどの価値を持つものだと知る人がいます。宗教も元々は人生観や幸福観、価値観の源泉として生まれたものですが、個人的な行為である筈の信仰が宗教となり、国そのものになった途端、性質が変わってしまうのか、戦争にまで発展してしまいます。ですから、心霊現象も説明がつかない、個人的な気づきであり続けた方がいいのかもしれません。
私が自分のサイトやブログに『Awareness and Art』というタイトルをつけているのは、スピリチュアリズムがアートだと思うからです。アートは争わず、ジャッジしません。説明や分析も必要とせず、科学で証明されなくても価値が変わらないものです。そして、その価値は見る人が自由に判断していいのです。
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秋学期のクラスで行った誘導瞑想をショップにアップしました。丁度今、出雲では神在祭が開催されています。来年のご縁について会議中の神々に出会い、ご縁の不思議に触れてみませんか。

誘導瞑想「オアシス」 34:30
この瞑想では、“青の都”とよばれるシルクロードのオアシス都市サマルカンドを訪ねます。砂漠の中に佇む美しく鮮やかな青い色をした迷路のような都市を彷徨い歩きながら、イスラム教とゾロアスター教の持つ異なる神秘性の対比と教えに触れます。オアシス都市が教えてくれる、あなた自身が持つ霊的な美しさに出��ってください。
誘導瞑想「神在祭」 34:14
毎年出雲大社で旧暦10月に開催される神在祭に参加し、神々をお迎えする神事に参加する瞑想です。人間の生活に関わるあらゆる事項を司る八百万の神々が一堂に集い、清められた神聖な空間で来年の縁結びについての会議が執り行われる中、自らが祓い清められるのを感じながら、私たちに与えられた「ご縁」の役割と意味を尋ねてみましょう。
誘導瞑想「死者の日」 32:36
アステカの神様に迎えられ、毎年メキシコで行われる祝祭「死者の日」が誕生した場所を訪ねる瞑想です。現在も昔から伝わる伝統的なお祭りに参加し、故人の魂をこの世に迎えるための祭壇を訪れます。アステカ族の死生観に触れながら、カラフルに彩られた街の中で、楽しく陽気でユーモラスなお祭りを一緒に楽しんでください。
誘導瞑想「コスモス」 32:00
ギリシャ語で “宇宙の秩序“ “調和“ “整列“ を意味するコスモスの世界を体験する瞑想です。中央チベット西部の街、ギャンツェにある密教寺院ペンコル・チューデを訪ね、コスモスを表す密教美術に出逢いながら、仏陀の清らかな活動と人間の意識、感覚といった日常的な活動の調和の中に住む完璧な美に触れてみましょう。
誘導瞑想「女神の島」 30:55
この瞑想では古代ローマ時代に遡り、かつて地中海貿易の中継点として栄えたキプロス島を訪ねます。オリンポス山の麓にあるのどかな村を散策し、古くから伝承されてきた住民たちの繊細な手工芸に出会い、美しいモザイクに導かれてゆきます。愛と美の女神アフロディーテの誕生の地である、この島の愛に溢れたエネルギーに触れてください。
誘導瞑想「サグラダ・ファ��リア」 30:58
スペインの都市バルセロナの象徴である、サグラダ・ファミリアと呼ばれる聖家族教会に導かれながら、神聖な空間の有機的な美しさに触れてください。自由自在に進化し成長し続ける建築物の根源となるエネルギーから学べることは一体なんでしょうか。また、この壮大なプロジェクトを見守る建築家の魂からのメッセージも受け取ってください。
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今後のイベント・ワークショップ 詳細はこちらから
ドロップイン・ナイト 各回とも木曜日 19:00〜20:00
・12月14日(木)指導霊のサイキックアート
お申し込みはアイイスまでどうぞ!
霊界からのギフト ~直感と繋がる~
・12月10日(日)10:00~17:00(1時間のお昼休憩あり)
・12月11日(日)10:00~17:00(1時間のお昼休憩あり)
詳細とお申し込みはこちらからどうぞ!
2024年春学期クラスへのお申し込みを受け付けています
2024年春学期クラスへのお申し込みを受付中です。新たに単独でのアウェアネスベーシック前期クラス(全5回)を含むラインナップが揃っています。
新規の方はこちらからお申し込みください。
継続受講の方は直接ショップからお申込みください。
私のサイトでお申込みいただけるクラス以外にも、私の担当日があるクラスがあります。詳しくはサイトにてご確認ください。
新たな年を迎え、共に霊性開花の光を��し続けましょう。皆さまのご参加をお待ちしています!
#Youtube#spiritual awareness#awarenes#awareness class#unfoloment#spiritual growth#spiritualism#spiritual development#mediumdhip#psychic medium#spirit communication#guided meditation#meditation
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Shah-i-Zinda ISLAMIC TOMB
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🌟Woke up from blue dream and backed to #Tashkent 🚝💨 . It was great meeting both of you! I didn't expect you saw my jump at #registan ! lol . I'm waiting for you two in Tokyo! . 最終的に観光し尽くして、のんびり。 やることもなくなった #サマルカンド 。 . #レギスタン広場 でジャンプしてた私を目撃していたドイツから来たカップルとまさかの同じ宿。 「君、レギスタンでジャンプしてたでしょ?」って言われてドキッとしたし、その時撮ってたデータに二人が写ってた奇跡🤣 . さて、首都へ戻る。 (Samarkand) https://www.instagram.com/p/B4kRIlIgwPF/?igshid=8mbqbidd65r7
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オールドガード 2023年4月26日発売アンソロジー和訳
The Old Guard - 彼らが五人になった時
1220年アムダリヤ川
(サマルカンドの戦い。1220年にモンゴル帝国が中央アジアからアフガニスタン、イラクに跨るイスラム教スンニ派のクワラズミア帝国に対して多角的に攻め込んだ時の戦いの事だと思われる。)
川沿いで兵士が唸っている 兵士「こっちに来るな!」
アンディ「なんて?とっととくたばるか、モンゴルの!言え!ここでなにが起こったのか。そうすれば栄光の地にさっさと送り込んでやる。」
兵士「悪魔が...あの悪魔たちどちらとも......どちらとも死にやしない...」
ニコロ「早く!早く走るんだ!すぐに奴らが来るぞ!大挙して!」
避難民「でも...私たち、あいつらがあなたにしたことを...見て...」「あいつらに刺されたでしょう?死んでるはずじゃ...」
ニコロ「そ���がそうでもないんですよ、優しいお母さん。それがなんだと言うのです?もし私たちが悪魔だとしたら、すでに貴方は道を踏み外しているはずです。」「それとも、もし私たちが天使だとしたら、私たちは貴方がたの最後の救いということだ。」
ユスフ「ってことはなんだ。俺たちは天使ってことか?」ニコロ「目の前に一人いるってことは確実だね。」
ニコロ「早く、こちらに来なさい。逃げ続けなければ...」
ユスフ「ニコロ!」「騎兵が来ている!」ニコロ「隠れなさい!早く!」
ユスフ「あいつらしつこくやって来る。サマルカンドは大カーンにとって不足だったらしい。人手に困ることはないだろうな。」
ニコロ「もし日没まで持ち堪えられたら彼らを安全なところまで連れて行ける。」ユスフ「”もし”な。一体二人して何回死ぬことになるやら。」
ニコロ「我々のうちどちらかが持ち堪えられ続ける限り、必ず片方がその支えとなる。」ユスフ「野蛮なキリスト教徒にしちゃ詩的じゃないか。」ニコロ「旅路を共に行く者のおかげで少しは文明化されてね。」 アンディ「モンゴルの奴らには、心底、本気で、うんざりしてるんだ!!!」ニコロ「助太刀に感謝する。友よ。」ユスフ「しかし、そちらの目的を明かすまでは近づくことを差し控えてもらおう。」
アンディ「我々の目的は見ての通り。」「あんたたちが目的だよ。」
「彼女はノリコ。マムシと呼ばれることもある。彼は解放奴隷のライコン。」「私は屠る者、スキタイのアンドロマケだ。」
アンディ「お前たちを何年もずっと探し続けていた。夢で見知った顔だからな。さぁ、真実を語れ。私たちのことも夢で知っていただろう?」
ニコロ「知っていた。」ユスフ「間違いなくね。」
アンディ「私たちはお前たちと同じ恵みを分かち合っている。これまでは5千年以上を三人で過ごしてきた。時の流れを共有する者がいないまま孤独にゆくには長い道のりだ。しかし、もう孤独に恐れることはない。」
ユスフ「孤独に恐れたことなど一度もないさ。」
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ウズベキスタン最後の夜のレストラン。
ガイドブック、Googleマップともに非常に評価の高かった、その名も「caravan(カラヴァン)」だ。
キャラバンという名前のネームバリューは非常に高いらしく、同じような名前のレストランやバー、カフェはどこにでもあった。







とりあえず水。
この店ではシャシリク(山羊のケバブ)、サムサ(サモサ)、プロフ(ピラフ)、ラグマンを頼んだ。
サムサは今まででもっとも上品そうなものが出てきたが、私はブハラのラビハウズで最初に食べたサムサがいちばん美味しかったように思う。
プロフは思った通りの味だ。私はブハラで食べたスパイスの効いたやつが好きだったが、人によるだろう。
シャシリクはこの店のが一番美味しかった。父は中央バザールの���焼き場で食べたそうだったが。
ラグマンは断トツでこの店のものが美味しかった。コチュジャンのような添え物がついており、これを全部入れて食べると韓国や東南アジアのようなエスニックな味になって、非常に美味しいのだ。
もっとも父はトマトスープに麺をぶち込んだような、サマルカンドで食べたもののほうが良かったと言っていたから、これも好みなのかもしれない。
だいいちどちらが現地のラグマンに近いのか、誰もわからなかった。「終わりよければすべてよし」と、ティムールも言っている。
美味しければ良いのだ。
タクシーでホテルに戻って就寝。


最後の日の朝食。
旅行中、食欲の衰えを感じる兆しは一切なかった。
チェックアウト後、そのまま駅構内に移動して荷物預かり所で荷物を預ける。
最終日は、電車に乗ってプロフの大量生産工場と、ソ連時代のこの国の抑圧犠牲者の歴史博物館、それにティムール博物館を見に行く。
ウズベキスタン歴史博物館というのも目当てではあったが、改装工事に伴う長期休業中とのことだった。



いまさら気がついたが、地下鉄は前の電車が出てから何分経過したかを表示する電光掲示板がある。
ウズベキスタンの地下鉄に時刻表はなく、10分おきに来る。とはガイドブックかどこかに書いてあった気がするが、実際に来るタイミングは7分48秒後や3分20秒後くらいだったので、いい加減だ。
まあ、早く来る分には困らない。
シャフリストン駅で降りる。
元々は、この駅からバスに乗ってカザフスタンとの国境の街に向かい、カザフスタン入りする計画だったのだ。




高さ375メートルのテレビ塔。
地上95メートルのところに回る展望台がある。
プロフセンターは、もう少し行ったところにある。

街路樹。
一定の間隔をおいてスプリンクラーが設置してある。
バラの一部の種は水が少なくとも自生するため、砂漠はバラが多い。サマルカンドはバラの一大産地だそうで、宝塚歌劇団雪組のかつての公演に「サマルカンドの赤いばら」というものがあったそうだ。
青の都の赤いバラとは、たいそうお洒落なことだ。
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