#ザ・スクエア
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アキ・カウリスマキ (2023)『枯れ葉』
宮崎駿がプロの声優ではなく芸能人を起用するのは、演技力より宣伝効果を優先しているからであって、「自然な演技ができないから」というのは建前だ……というツイートが最近バズっていて、コイツなんも分かってないなと思いました。昔から映画業界には「プロの俳優の嘘くさい演技」を嫌う監督というのが一定数います。プロの俳優を起用する場合なんかは、わざと棒読みをするように指導するんですよ。代表的なのは黒沢清やロベール・ブレッソンなどですが、本作も「棒読み」の系譜に連なる作品です。
本作はフィンランド映画です。人生の夏の盛りは過ぎてしまったが、冬が始まるにはまだ早い、枯れ葉が舞い散る人生の秋を生きる、そんな独身の中年男女の物語です。二人はそれぞれ不安定で給料も安い、ゼロ時間契約労働に従事しています。フィンランドといえば幸福度��高い福祉国家として有名ですが、全員が裕福な生活をしているわけではありません。『ザ・スクエア』というスウェーデン映画でも、ホームレスに��淡な市井の人々が描かれていましたね。で、ラジオからはずっとウクライナ戦争の悲惨なニュースが流れています。こう書くと、シリアスで暗い映画のように思いますが、コメディー映画です。棒読みの素っ頓狂な対話が続くので、オフ・ビートな笑いがありますし、全体的に落ち着いた雰囲気なので見ていてほっこりします。ほっこりしたい方におすすめです。
さて、二人が初めて出会うのはカラオケバーなのですが、海外の映画を見ていると、個室のカラオケルームよりも、人前で歌うカラオケバーが多いですよね。私も先日、生のバンドで歌えるというカラオケバーに行ってきました。わざわざ人前で歌うくらいなので、「のど自慢」の人たちが多くて面白かったです。カラオケのビートに乗せて即興ラップをする人もいました。え、私は何を歌ったかって? もちろんレイジ・アゲンスト・ザ・マシーンですよ! 普通のカラオケでは英語の曲はご法度ですが、こういう場ではむしろウケます。ラップの人も気に入ってくれて、一緒に乾杯しました。あれ、何の話だっけ……おわり👶
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ライブ開催のお知らせ
【イベント概要】
日本を代表する邦楽演奏家らと共に和とロックの融合を果たしたり、世界で活躍するトップダンサー達とコラボ映像を制作するなど、常に新たな挑戦を続けている杏ノ助。 ソリッドでモードなルックスから放たれる歌は、演歌、昭和歌謡からボカロ曲、オリジナルソングなど、驚くほど多岐にわたります。 そんな杏ノ助ワールドに賛同して集ってくれたのは、邦楽囃子仙波流家元であり、矢野顕子、松任谷由実、坂本龍一らのスタジオに参加しているほか『獅子を飼う』『ブッダ』『火の鳥』『世阿弥』、スケート歌舞伎『氷艶』等の演劇音楽も手掛ける仙波清彦氏をはじめとした豪華なメンバー7名! お届けするのは、日本の歴史をモチーフにした曲や、自身のジェンダーについての想いをぶつけた曲のほか、昭和から令和の時代を彩った杏ノ助セレクションのカバー曲。 一夜限りのスペシャルライブです。どうぞご期待ください。
【出演者紹介】
佳館杏ノ助(Vo.) Rush Style預かり所属 声優としても活動中の、酒とラーメンと焼肉が好きな町田出身のジェンダーレス男子。 VOCALOID猫村いろはの声やゲームキャラクターボイスも担当。 仙波清彦(perc) 邦楽囃子仙波流家元、3歳から父に邦楽を学び、東京芸術大学音楽学部邦楽科卒業。 洋楽ではT-SQUAREでデビューし、矢野顕子、松任谷由実、坂本龍一らのスタジオに参加。演劇音楽は『獅子を飼う』『ブッダ』『火の鳥』『世阿弥』等の作品を手掛ける。最新作はスケート歌舞伎『氷艶』。 愛称は『師匠』。 梅津和時(sax) サックス、クラリネット奏者。 1970~80年代から「生活向上委員会」「ドクトル梅津バンド」および忌野清志郎のサポートとしても活躍。現在「こまっちゃクレズマ」と「KIKI BAND」を率いる。 日本全国、世界各地をサックスを持って飛び回っている。 白井良明(gt) 立教大学在学時にプロスタート。 77年ムーンライダーズ参加、ソロ作品を多数発表。沢田研二、加藤登紀子、小泉今日子、スピッツ、ケミストリー等多数をプロ���ュース。映画音楽『20世紀少年』『聖☆おにいさん』『オペレッタ狸御殿』『アイデン&ティティ』他多数。JASRAC登録楽曲数549! 久米大作(key) ジャズ・フュージョングループ「プリズム」や「ザ・スクエア」(現T-スクエア)のキーボーディストを経て6枚のアルバムをリリース。L'Arc〜en〜Cielのアレンジや数多くのアーティストの編曲、プロデュースも手掛ける。 北野武監督作品『その男、凶暴につき』や舞台『男たちの挽歌』等を作曲を手掛ける。 髙橋香織(vl) 桐朋学園大学卒業後、田崎真珠の奨学金でスイスのメニューイン・アカデミーを経てベルリン国立芸術大学へ。在学中から数多くのコンサートに出演。現在はエレクトリック・アコースティックバイオリニスト、ビオラ奏者としてツアーやレコーディングに参加し後進の指導も行う。 ソロアルバム「KAO'SM-UNIQUE」をリリース。 かわいしのぶ(b) 15歳でベースを始め、18歳でSUPWE JUNKY MONKEYを結成。1994年にソニーレコードからデビューし、日本とアメリカで活動。1999年に一時休止後、さまざまなバンドやユニットに参加。現在は、大友良英スペシャルビッグバンドや坂田明COCODA、渋谷毅、KERA & Broken Flowers等で活動中。カレーが大好き。 濱田遼太郎(dr) 15歳からドラムを始める。上京後、仙波清彦氏に師事。ドラム、パーカッション、古典芸能(小鼓、太鼓等)を学ぶ。2016年パルコ劇場 稲垣吾郎氏のミュージカルにて仙波清彦氏の代役を果たす。 現在はカルガモーズ、TOKIOBAND 未唯mie等いろいろなバンドセッションに参加。
【日時】
2024年11月30日(土) OPEN 17:00 / START 18:00
【会場】
まほろ座 MACHIDA (〒194-0022 東京都町田市森野1丁目15−13 パリオビルB1F)
【チケット予約】
>> ご予約はこちら <<
※予約期間:2024/10/11 12:00〜2024/11/29 23:59まで ※まほろ座MACHIDA のページに移動します。
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レッド・スクエア/レア・アンド・ロスト・セヴンティーズ・レコーディングス
RED SQUARE: Rare And Lost 70s Recordings Mental Experience (RTMCD-1649)
ジンジャー・ジョンソンのアフリカン・メッセンジャーズにも名を連ねたギタリストのイアン・ステイプルズを中心とした即興バンド「レッド・スクエア」のレア音源集がスペインのエクスペリメンタル系発掘レーベル、メンタル・エクスペリエンスから登場。ペーター・ブロッツマンとデッドCのミッシング・リンク、あるいはソニック・ユースやザ・シングに先駆けたジャズとロックの実験的融合。
【試聴・ご購入】 https://li.sten.to/rtmcd1649
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映画「ザ・スクエア」をモチーフにした料理レシピ『平等のシンフォニー』|あらすじ・キャスト・原作の情報も
映画「ザ・スクエア」のあらすじ 映画「ザ・スクエア」は、現代アートの世界を鋭く風刺した社会派ドラマです。美術館のキュレーターである主人公クリスチャンは、人間性と社会に対する信条を持ちながら、それを現実の中でどのように実践するのかという苦悩に直面します。 彼の美術館では新しい展示「ザ・スクエア」が開幕しよ���としており、そのコンセプトは人々の平等と責任を訴えるものです。しかし、展示の宣伝をめぐるトラブルや、私生活での盗難事件などが重なり、クリスチャンの理想と現実のギャップが浮き彫りに。 助けを求める人に対する無関心な行動や反社会的なマーケティングキャンペーンなど、人間社会のダブルスタンダードがジェットコースターのように描かれています。コメディとトラジディが交錯するこの作品は、私たちの倫理観とは何か、そして文化的なエリート意識に疑問を投げかけます。 今夜の映画レシピは「平等のシンフォニー」 …
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The Square Truth CBS/Sony
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戦略会議 #03 SEA/ 映画 「ザ・スクエア 思いやりの聖域」について。
僕にとってはまったくの未知なる領域であった「ソーシャリー・エンゲイジド・アート」について「戦略会議 #03 SEA」として進めている。 パブロ・エルゲラ著「ソーシャリー・エンゲイジド・アート入門 アートが社会と深く関わるための10のポイント」と 「美術手帖2017年12月号 」を読み進めていたのだが、もしかしたら…と思い立ち朝イチからBunkamuraの映画館へ向かった。 目的は「ザ・スクエア 思いやりの聖域」を鑑賞するためだ。 アート関連の映画として公開前から話題の作品だ。 結論から言うと映画は本当に最高だった。 いかに良かったかを簡単にはまとまらないが、課題への訓練のためにと思い、出来るだけディスクリプションしようと思う。 内容にもかなり触れるので、ひとつの楽しみ方として読んでもらえればとが思うが、映画を楽しみにしている人はこのブログの記事は鑑賞後に読んでいただければと思う。 「ザ・スクエア 思いやりの聖域」はスウェーデンのX-ROYAL MUSEUMと名付けられた美術館とその周辺を舞台にチーフキュレーターのクリスティンを中心に進んでいく。 しかし、これは単なる美術館やキュレーターの物語ではない。 スウェーデンの美術館を舞台に「ザ・スクエア」という中身の無いシンボリックなオブジェをツールとし、存在のないローラー・アリアスというアーティストがしかけたスウェーデンのみならず、成熟した民主主義社会の持つ病にどう影響を及ぼすのかというソーシャーリー・エンゲイジ・アートの物語だというのが僕の現在での見解だ。 単なるヒューマンドラマでも、ドタバタ劇でもなく、社会派のアート作品だと思っているということだ。 恐らく登場人物中、誰にも感情移入できない人物設定はヒューマンドラマであると思われることへの拒絶であろうと思う。 この映画にはそこかしこに多くの仕掛けが散りばめられた素晴らしい作品で、その仕掛けが鑑賞者に作用することで、この映画そのものが芸術として作用していると思っている。 『名前だけでこの映画には登場しないタイトルにまでなっている「ザ・スクエア」の作家「ローラー・アリアス」は誰なのか?』 『美術館の支援者たちの前で「ザ・スクエア」の購入の正統性をプレゼンするクリスティンが「二コラ・ブリオー 関係の美学…」以降の言葉を飲み込んだ意味は?』 『クリスティンの住宅、少年のアパートメントの四角い階段。』 『そして、繰り返し繰り返し登場するスウェーデンの物乞い。』
などなど…
この作品はこういった仕掛けとしての登場人物とシーン(コミュニティ)から構成されている。 スウェーデンのみならず、民主主義が抱える社会病とも言える貧富の差は現代を生きる私たちに「��関心」「傍観者」「見て見ぬふり」「かわいいのはわが身だけ」といった感覚をもはや自分では感じれないほどに当たり前に内包してしまっている。 物語は美術館のチーフキュレーターのインタビューにはじまり、「ザ・スクエア」という作品を購入したこと、ある事件をきっかけとしたクリスティンとは住む世界のちがう少年との関りから展開されていく。 「ザ・スクエア」 は地面に正方形を描いた作品で、その中では「すべての人が平等の権利を持ち、公平に扱われる」と表明しており、「思いやりの聖域」をテーマにした参加型アートだということであった。 だが、この作品が機能しているところも、作家も映画には登場しない。 もし、この作家が登場していたり、展示が開始され鑑賞者が参加したシーンそのものが写し出され、作品として機能しているところを観ていたら今回のような解釈は持たなかったかもしれない。 この「ザ・スクエア」という作品はその表明から著しく乖離した中身の無いからっぽなまでのシンボリックなオブジェだ。 さらに、クリスティンが作品について説明する時に「二コラ・ブリオー 関係の美学…」以降を堅苦しさをとり、支援者との距離感を縮める演出のためにあえて飲み込むプレゼンテーションをする練習をトイレでしている意味深なまでのシーン。 「関係の美学」とはフランスのキュレーター二コラ・ブリオーが1998年に刊行した著書で「関係性」を創出する創作活動で、その後、コミュニティー・アート、リレーショナル・アートなどと受け継がれ、��ーシャリー・プラクティス、ソーシャリー・エンゲイジド・アートへとつながる系譜の基礎だ。 実際のプレゼンのシーンでは結果としてこの練習の成果は発揮されないのだが、一見無くても成立するこのトイレのシーンをどうしても入れる必要性がこの「関係の美学」というキーワードであろう。 言葉を飲み込んだことで、この映画で「ザ・スクエア」という作品そのものを 参加型作品として公式サイトでは紹介されているが「関係の美学」とは物語上でも正確には結びつけていない。 つまり僕は「ザ・スクエア」 という劇中の作品そのものはその系譜をたどるソーシャリー・エンゲイジド・アートとしては考えていない。 「関係性の美学」と結びつけるのであれば、よりアクチュアルな作品であるべきでこれは結びついてはダメなのだ「ザ・スクエア」 は先にも述べた通り、立派な表明だけされただけの中身の無いシンボリックなオブジェだ。 じゃあ、どこがソーシャリー・エンゲイジド・アートの物語なのかということになると思う。 そもそもにソーシャリー・エンゲイジド・アートとは何か?ということだが、「美術手帖 2017.12」によれば「対話や討論、コミュニティへの参加や共同作業などを通じて社会変革を求める」とのことだ<P75> ソーシャリー・エンゲイジド・アートとはアートワークを作り上げるプロセス自体が、ソーシャルである社会的相互作用(ソーシャル・インタラクション)のことだ。 まあ、難しいしこの辺は理解に至るには僕自身もまだ時間が必要だ。 僕自身がこの映画を観ながら劇中の作家の不明性とある解釈(仮説)からこの作品の構造自体がソーシャリー・エンゲイジド・アートとして成立していることを感じるようになった。 あまりに登場しない「ローラー・アリナス」。 途中から、この人物が誰なのかもしくは誰を象徴しているのかがずっと気になるようになった。 ひとつはしょうもないロン毛とパーマの二人組の広告屋。もうひとつはこの映画自体を創っている作家つまり監督だ。 前者はあまりに安易なので却下した。 後者は最後の記者会見のシーンでわざわざ作品の作者名、つづりまでを記者が聞いたのでアタリ!と思って映画が終わり次第「監督はアリナスか?」と調べたが名前はちがっていた。 監督はリューベン・オストルンド氏だった。 名前はちがったが、かなり飛躍したがいい解釈となったと思う。 <以下ディスクリプション> この一連の物語は作家ローラー・アリナス(僕の中ではフィクションと現実をの境界線をはさんだ向こう側のリューベン・オストルンド )が スウェーデンのX-ROYAL MUSEUMとその周辺をコミュニティ(芸術領域)として仕掛けたソーシャリー・エンゲイジド・アートだ。 美術館に送り込まれた「ザ・スクエア」は実は作品というよりもむしろそのソーシャリー・エンゲイジド・アートの仕掛けのひとつ、つまりツールであると考える。 その中では 「すべての人が平等の権利を持ち、公平に扱われる」 という尊大な表明をしているが、これはある意味で現代の社会が抱える 「無関心」「傍観者」「見て見ぬふり」「かわいいのはわが身だけ」 という社会病への痛烈なアイロニーだ。 つまり、普段見て見ぬふりをする現代社会はもはやこんな中身の何もない「ザ・スクエア」という四角を通さなくては、自分と違う社会とのコミュニケーションがとれなくなってしまったという皮肉だと思う。 そして、劇中その「ザ・スクエア」を思わせる四角い階段を何度も通って登場人物たちはお互いの社会を行き来する。 先ほど却下したしょうもないロン毛とパーマの二人組の広告屋はこの「ザ・スクエア」をどうメディアで告知するかを美術館から頼まれた二人である。 美術館側から考えれば明らかに的外れな告知の動画を作るのだが、これはソーシャリー・エンゲイジド・アートの大切な要素である批判性を引き起こすための敵対性の要素と見れる。 そして(ソーシャリー・エンゲイジド・アートの)結果としてそれは成功する。 ここまで含めてが劇中に名前だけで登場しない、作家ローラー・アリナス(フィクションと現実をの境界線をはさんだ向こう側のリューベン・オストルンド )の仕掛けたソーシャリー・エンゲイジド・アートであったのではないか?と考える。 つまり、もし「ザ・スクエア」が単に作品上のあるパーツであり、アリナス(作家)とクリエーター二人組が本人たちの意思のあるなしに関わらず対話や討論などの上に成立した共犯関係(コラボレーション)であれば(実際に打ち合わせシーンはキーであった)、問題となった動画も作品の一部であり、美術館、マスコミなどの周辺の参加者(コミュニティ)を巻き込み、スウェーデンの社会構造へ人々の関心を向ける社会的相互作用として機能していると思われる。つまり、ソーシャリー・エンゲイジド・アートなのではないかということだ。

また「ローラー・アリナス」の不明性は映画そのもののフィクションと現実の枠を超え、現実側でも作家(監督)リューベン・オストルンド氏の思惑どおりに鑑賞者を参加者として映画内と同じように機能する。 実体験に基づいたこのストーリーであるこの作品は劇中にある理想の結論を遺し、現実の僕らにあなたはどう考えるのか?と問うてくる。 劇中のスウェーデンのある美術館のみならず、現実のこちら側の映画館そのものを今度は芸術領域といするのだ。 ローラー・アリナス (フィクションと現実をの境界線をはさんだ向こう側のリューベン・オストルンド ) は「ザ・スクエア」を通してあちらとこちらに同じ問題を定義している。 これは「あなたたちの問題なのだ」と。 これをアートと呼ばなくてなんと呼ぶのだろうか? 僕には今はそれ以外に思い当たらない。
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ザ・スクエア 思いやりの聖域 The Square
Directed by Ruben Ostlund 2017 Sweden / Germany / France / Denmark
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2020年8月9月10月11月12月に読んだ本
「海辺のカフカ 上・下」村上春樹 新潮社
「夢で見る日本人」江口孝夫 文春新書
「氷原」津島祐子 作品社
「ホビットの冒険」トールキン 岩波新書
「和英対照 仏教聖典」仏教伝道協会
「若きウィルテルの悩み」ゲーテ 旺文社文庫
「テロリズムとは何か」佐渡龍己 文春新書
「にんげん蚤の市」高峰秀子 文藝春秋
「にんげんのおへそ」高峰秀子 文藝春秋
「イエスの生涯」遠藤周作 新潮文庫
「藝人春秋」水道橋博士 文藝春秋
「有名すぎる文学作品をだいたい10ページくらいの漫画で読む」ドリヤス工場 リイド社
「必修すぎる文学作品をだいたい10ページくらいの漫画で読む」ドリヤス工場 リイド社
「伊勢物語全釈」中野喜一 春田裕之 武蔵野書院
「新聞と現代日本語」金武伸弥 文春新書
「トムソーヤの冒険」マーク・トウェイン 講談社
「飛ぶ男」阿部公房 新潮社
「宇治拾遺物語新釈」秋末一郎 加藤中道館
「今昔物語新釈」三ツ木徳彦 加藤中道館
「新約聖書入門」三浦綾子 光文社
「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」村上春樹 文藝春秋
「奥の細道新釈」松尾靖秋 加藤中道館
「大人のための日本語と漢字」山口謡司 日本文芸社
「古今和歌集新釈」尾崎暢殃 加藤中道館
「考える英文法」吉川美夫 ちくま学芸文庫
「歴史の終わり 上・下」フランシス・フクヤマ 三笠書房
「中原昌也の人生相談」中原昌也 リトルモア
「竹内薫の科学の名著案内」竹内薫 徳間書店
「マインドマップ勉強法」トニー・ブザン アスペクト
「河合隼雄を読む」講談社
「よど号事件30年目の真実」島田滋敏 草思社
「ちくま8月号」
「ちくま9月号」
「ちくま10月号」
「ちくま11月号」
「図書8月号」
「図書9月号」
「図書10月号」
「図書11月号」
「波8月号」
「波9月号」
「波10月号」
「波11月号」
「波12月号」
「ミュージックマガジン1月号」
「ダヴィンチ1月号」
「チャペックの犬とお話」カレル・チャペック
「沈黙の春」レイチェル・カーソン 新潮文庫
「新編国語総合」東京書籍
「国語便覧」第一学習社
「新国語総合学習書」NHK出版
「新数学Ⅰ」東京書籍
「新数学Ⅰ学習書」NHK出版
「註解地理B」二宮書店
「地学基礎」東京書籍
「スクエア最新図説地学」第一学習社
「新詳高等地図」定国書院
「科学と人間生活」啓林館
「現代高等保健体育」大修館書店
「ザ・リアルマッコイズ2020」枻出版社
「ちくま12月号」
最近この施設の教室で借りられる日本の古典の新釈書を読む内に古典に興味が湧いてきました。この前後記の中間試験があり、「地学基礎」99点、「数学Ⅰ」95点、「国語総合」98点でした。2月の期末試験が終われば今年度も終わりです。来年度から2年生になります。塀の中は勉強するには最適な場所だと思います。今年はかなり充実した日々を送ることができました。
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21年2月2週目
すごい勢いで朝がやってきて夜がやってくる。週が変わり月が変わり年が変わる。結婚出産子育てをしないとステージが変わらず、ずっと同じステージの繰り返しみたいな話は本当にそうだな。5年前の私から何が成長した?その間に同世代の女友達は2人子供を産んで育てたりしているというのに。この話は好きなブロガーのチェコ好きさんがしていたので、元記事を探してみた。結局の所自分でステージを作り進めていくことがそういう気持ちの解消になるみたいな話が書いてあった。だから自分は資格試験とか好きなのかな。あと、そのステージを上がるごとに祝福してもらえるから、周りに褒めてくれるような人がいるとそういう思いをしなくて済むのかもって。
緊急事態宣言が出ると予約した本の受け取りしかできない。度々名前を出す桜庭一樹の読書日記で彼女がしきりに「カー」「カー」「ディクスン・カー」と言っているのが気になって予約した。ちょっと検索して『火刑法廷』を借りた。読み始めて14ページ目でガシッと心をつかまれた。しかもあらすじに全然載っていないところで。こんな面白い隠し球を、そしてこんな早々出してくるとは!って感じ。オカルト的な要素もあるけれど、え、でも、ミステリーだもんね?ね?とずっと読み進める。解説にもあったけれど、肝は最後の5ページにある。
久しぶりに映画館へ。『マーメイド・イン・パリ』、おとぎ話らしい素敵な映画だった。人魚には怪物的側面と童話的側面がある。どちらも込み込みの映画は珍しい気がする。ただ、罪のない人たちへの配慮というか救いがもう少しあったら良かったのだけれど。
Netflixには直接もうすぐ配信終了かどうかが分かるページがない���だけど、まとめてくれているサイトを見つけたので、続けて3本観た。『TOKYO!』『ザ・スクエア 思いやりの聖域』『レボリューショナリー・ロード』。全部観られて良かった。『TOKYO!』は3人の外国人監督が東京を舞台で撮った短編。それぞれに個性的な監督がどういう意味を込めて東京でこれを撮ったか考えるのが面白かった。『ザ・スクエア』もかなり皮肉が込められたちょっとドキュメンタリーっぽいキュレーターの話。美術館の展示は議論を起こしてこそ、みたいな話が出てきていたけれど、この映画そのものが見終わった後に誰かと話し合いたくなる映画だった。『レボリューショナリー・ロード』は最後の一線(一般的な意味ではなく映画の中での意味)を超えるかどうかはともかく夫婦ってあんなものなんだろうなと思う。特に最後の夫婦達のように秘密を隠したり、嫌なことは耳を塞いだりして生きていくのだろうなと思う。
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2月20日「中止一択!東京五輪JOC前アクション」報告
2月20日、オリンピック災害おことわり連絡会(おことわリンク)主催「中止一択!東京五輪 そしてオリンピック廃止へ JOC前アクション」が取り組まれ、反五輪の会も参加した。(Twitterでの報告はこちら)
午後14時から、JOC前には色とりどりのバナーを持った人たちが並び、次々にマイクを握ってアピールを行った。この場所はオリンピックによる破壊と排除を語る上で象徴的な場所だ。
反原発や反貧困など数万人もの人々がデモや集会に集い、緑溢れる広々とした都立明治公園は今やなく、巨大な新国立競技場が鎮座している。都営霞ヶ丘アパートは新国立競技場建設に際し立ち退かされ、外苑ハウスは三井不動産が売るタワーマンション(ザ・コート神宮外苑)に建て替えられた。
明治公園こもれびテラスと呼ばれた小さな広場は、2016年4月、新国立競技場建設のため強制排除された野宿者らが生きるために身を寄せ、近隣の人々も散歩などに訪れていた憩いの場所だった。しかし東京都は同年10月にこの場所も廃園に。 神宮外苑再開発に伴う不透明な経緯(※「岸記念体育会館の移転をめぐる不可解な経過について」「岸記念体育会館の移転に関する都市整備局の公文書」 日本共産党東京都議会議員団)で、この場所と外苑ハウス敷地の一部をJOCの移転先として提供。現在、五輪オブジェやクーベルタンの銅像、聖火台のレプリカなどが占拠するオリンピック庭園になり果てている。
普段は公開空地として誰でも自由に出入りできるようになっているが、この日はチェーンで閉ざされ、あちこちに禁止事項が張り出されている。オリンピックに反対する者や貧しい者に的をかけて利用させまいとする、実に恣意的な運用だ。公開空地は厳密には私有地だが、公共スペースとして開放することでビルの高層化が許されている。通常は、自らの所有する土地を公に供することで規制緩和を受ける制度だが、JOCの場合、公共の財産だった土地を手に入れて管理下に置いているだけで、自らは何一つ差し出していない。 オリンピックがブルドーザーとなり、公共の領域を破壊し民間に売り渡す、典型的な収奪が行われた場所とも言える。
この日は野宿者排除と闘う「ねる会議」がヤメモリ丼を作って参加。(ねる会議による行動報告)五輪マフィアたちに奪われた場所を、再び貧しい者が生きのびるための場所として取り戻すため「公園返せ!オリンピックいらない!」と皆で飯を食うことにした。
すると早速猛烈な排除が起こった。 まず「敷地外に出ろ」「ここで飯を食うな」と至近距離まで迫ってきた背広姿の男。どなたですか?JOCの方ですか?と尋ねても「答える必要はない」と居丈高な態度。あまり接近しないよう参加者が注意すると、自ら転倒し「押された!暴力だ!」と転び公妨を演じてみせた。なんて卑劣な行為だろう。

そして間もなく警察官が大挙して登場。「排除しろ!排除!排除!」と連呼し、参加者の私物を勝手に撤去したり、白い棒で殴ったり突き飛ばしたりしながら、暴力的に参加者を敷地外に追い出した。

ヤメモリ丼も無理やり奪い取られた。そして食べてる人を大勢で取り囲んで威圧したり、無理やり立たせたり。大混乱の中、せっかくのヤメモリ丼も一部は台無しに。オリンピックよりメシよこせ!メシくらい自由に食わせろ!
排除されても抗議は継続。名曲「No Olympics Anywhere」も警察の妨害にあいながらも高らかに歌い上げられた。JOCビルの前に警察官が居並び、対峙する形になりながら、野宿者排除、入管問題、性差別、福島や長野からのリモートなど様々なアピールが展開された。
ふぇみん婦人民主クラブの方は、森の性差別発言に怒りを感じすぐに抗議文を作成。ここへ提出に来たが受け取りを拒まれたこと、2月9日には女性を中心に40名ほどで抗議行動に取り組んだことを報告し「こんな状況でオリンピックをやるなんて許せない。中止させるまで頑張ろう」と結んだ。
アジア女性資料センターの方は、森の性差別発言のあと橋本聖子が後任となり、女をトップに据えて問題が解決したかのように扱われていることなどを挙げ、何度も何度もふざけるな!と力を込めた。「オリンピックそのものが家父長制そのもの。家父長制を維持するためのジェンダー平等なんて、我々フェミニストが有難がって喜んで黙ると思うな!」と鋭く批判。後日素晴らしい声明も出された。
長野県からリモートでアピールしたおことわりんくの方は、島根県知事が声を挙げたことで、聖火リレーは五輪開催のアキレス腱であることが明らかになったと指摘。「五輪ファシズムの象徴たる聖火リレーについて各地で中止要請をするべきではないか。私も長野県で運動を作っていきたい」と意気込んだ。
福島県からは原発いらない福島の女たちの方がリモートでアピール。郡山駅前ではほぼ同じ時間帯に有志でスタンディングが取り組まれたという。13日に起こったばかりの地震は本当に恐ろしいものだったと被害の状況を報告し、原発への影響を考えると不安がいっぱいだと語った。 また、別の方は「オリンピックにかけた3兆円があったら福島の問題も貧困問題も解決できる。復興五輪と言うが復興妨害五輪だ。アンダーコントロールなんて嘘ばかり。オリンピックこそ災害だ」と声を挙げた。
同じく福島県から大熊町の町議の方も発言。コロナの問題が解決されないままオリンピック開催に突き進んでいる現状に疑問を投げかけた。同時に、「福島の原発事故が忘れられている。中間貯蔵施設について関東では2、3%程の人しか知らない。福島原発は関東で使う電気を作っていたのに」と指摘。「そのような状況でオリンピック、オリンピックと騒がれれば、原発によって大きな被害を浴びせられた福島県のことなど、まったくどこかにいってしまうようで非常に不安だ」と訴えた。
オリンピックに反対するアーティストのグループ・オリンピック終息宣言は、[TOKYO2020開催強行と森組織委会長発言に対する抗議声明]を力強く読み上げた。
入管問題に取り組む方はオリンピック招致が決まり、2016年頃から収容期間が長期化していると訴えた。オリンピックの治安維持のために外国人を外に出すわけにはいかないと職員が被収容者に言っていたという。「収容期間の長期化によって、収容者は人生をめちゃくちゃにされている。入管の中では職員の暴力、医療放置、劣悪な食事などが横行している。自殺未遂をする人、家族がバラバラになっている人もいる。東京入管ではコロナのクラスターも発生している。被収容者が抗議すると、さっき私たちが警察にされたように暴力的に制圧され懲罰房に入れられる。オリンピックが人の人生を壊している。こんなことをしてまでなぜ開催するのか怒りが抑えきれない。移民や難民を殺し、生活を破壊するオリンピックが平和の祭典なわけがないし、民主主義とも逆行している。黙って見ていられない。終わらせるしかない。」
明治公園国賠原告団とねる会議の方は、私たちが立っているこの場所について改めて振り返った。「ここは5年前まで明治公園こもれびテラスという小公園だった。2016年4月明治公園で野宿している仲間たちに対し、新国立を建てるために追い出しがあった。仮処分という裁判をしない形での強制執行で、裁判所の執行官や四谷署の警察官100人あまりの暴力集団の手によって叩きだされた。それに対して、その日のうちにこの公園にテント建て抵抗してきた。犬の散歩、ヨガをする人、野球観戦の帰りにビールを飲む人、昼休みに弁当を食べ���人、いろんな人が憩いの場として利用する公共の場所が一民間団体であるJOCに払い下げられ、それに森喜朗はじめ巨大な利権が絡んでいる」「国策事業のオリンピックのためなら貧しい者、庶民の暮らしはどうでもいいのだという姿をまざまざと見せられてきた。警察も裁判所もスポーツ関連法人も、めちゃくちゃやってきた」 また、臨海部でもオリンピック施設のために野宿者排除が行われそうになったが何度も組織委員会に抗議をし阻止したと報告された。
スタンディングとアピールを終え、今度はおことわりんくによるオリンピック中止を求める署名を提出しようと、皆でビル正面玄関に向った。するとまたしても警察官がピケを張って阻止。そして先程転び公妨を演じた警備責任者を名乗る正体不明の人物が前面に立ち受取拒否を宣言した。開催都市の住民の声を徹底的に無視するJOCの姿が露わになった瞬間だ。
公安警察は参加者を無断で撮影・監視し続けていた。
怒り高まる中、おことわりんくのメンバーが、署名の文言を力強く読み上げ、私たちも「オリンピック今すぐやめろ」のシュプレヒコールを挙げた。
ちなみに、警察が全力で守っているこのジャパン・スポーツ・オリンピック・スクエアというビルについて、森喜朗は、例の性差別発言を含む40分間のスピーチの中で「日本のスポーツ界の中心地」「絶対に駄目だと言われていた五輪マークがいとも簡単にこの建物についた」と自慢気に語っている。(日刊スポーツ「森会長「NHKは動かないと」/発言全文1」) このビルには日本スポーツ協会(旧日体協)、JOCのほか、つい先ごろ、オリンピックの剰余金の受け皿になるのではないかと国会でも取り沙汰された、森と御手洗を最高顧問とする謎の新法人「日本スポーツレガシーコミッション」なる団体も入居している。(日刊ゲンダイ「森人脈の“怪しすぎる財団” 辞任でも消えない利権のニオイ」���まさにオリンピック利権の巣窟だ。解体するしかない。
オリンピック今すぐやめろ!中止だ中止!廃止だ廃止!
私たちは抗議の声を止めない。次は3月6日デモ!14:00JOC前集合です。ご参加、ご注目を。
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Miyu Sekimoto
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mail: ss.mi.oe @ gmail.com
展示のお誘いや作品のお問い合わせはメールまで。よろしくお願いいたします。
○略歴・賞歴○
2023『The Garden』 フリュウ・ギャラリー
2022 『スクエア・ザ・ダブル15』 フリュウ・ギャラリー
2021『natural NATUREⅣ』 フリュウ・ギャラリー
2019 『白い光の海』個展 フリュウ・ギャラリー
2018 『スクエア・ザ・ダブル12』 フリュウ・ギャラリー
2017『小作品展』 奥野ビル モダンアートギャラリー
2017 『五美術大学交流展』 武蔵野美術大学 セヌリエ賞
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展示 スクエア ザ・ダブル
東京フリュウ・ギャラリーにて開催中のスクエア ザ・ダブルに参加しています。29日最終日は在廊予定です。
スクエアの絵を二点とポートフォリオを置いています。
よろしくお願いします。
HP https://www.flewgallery.jp/exhibition/square_the_double_14/
#exhibition#art#artists on tumblr#Japan#japanese painting#shibainu&toraneko#shiba inu & tabby cat#shiba inu#shiba#cat#柴犬とトラネコ
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2018年映画ベスト3
2018年は全く数を観ることができなかったけど、BEST3を挙げれば、 1) 悲しみに、こんにちは/カルラ・シモン 2) 苦い銭/ワン・ビン 3) ザ・スクエア 思いやりの聖域/リューベン・オストルンド 番外) 恐怖の報酬 オリジナル完全版/ウィリアム・フリードキン
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