#ネット界の限界ネトウヨ
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つじしまみちこ 特別インタビュー
新譜「Goodbye to AI」について
日本を代表する音楽プロデューサーつじしまみちこが2025年4月29日、5年以上の沈黙を破り、新譜をBandcampにて発表した。つじしま女史曰く、この度の新譜は、令和に元号が変わってから初めてのものであり、発表と同時に、シリアや北朝鮮、東欧地域からの注文が相次いでいるという。本誌は、新譜の発表に際して制作者であるつじしまみちこ本人に独占インタビューを行った。
はじめまして、本日は貴重なお時間を頂きありがとうございます。全く存じ上げないのですが、つじしまみちこさんは何者なのでしょうか? 世界的な音楽家ですが、コロナ禍に体調不良(後述)に見舞われ、表舞台から一度降りたので、日本の皆さんがご存じないのは無理もございません。2010年代より「つじしまみちこ」名義で純音楽の作曲に勤しんでおりましたが、平成末期の頃、電子音楽に興味を持ち、ウェブ上でいくつかの作品を公開しておりました。
つじしまみちこさんの名前の由来を教えてください。 ネトウヨに刺される恐れがある為、その質問への回答は差し控えさせていただきます。
つじしまみちこさんは、太宰治の妻であった津島美知子さんと何か関係があるのでしょうか。 ない。
つじしまみちこさんは、こしじまとしこさんから影響を受けておりますか? とても良い着眼点です。ないです。
つじしまみちこさんが最も影響を受けたアーティストは誰ですか? 何人もおりますが、一番影響を受けた人物を挙げるとすれば、子供の頃に目撃した、河川敷で黙々とドラム缶を半裸で殴打する名も知らぬ老人です。ヴィジュアル、音響、発想、その全てが芸術的でした。
つかぬ事をお聞きしますが、本当につじしまみちこさんは、専業の音楽家でしょうか? 音楽だけでは一年当たりの手取りが2000万円ほどしかなく、これだけでは食べていけないので、普段は株式、債券、金やレアメタルへの投資で生活費の大半を稼いでいます。所謂「億り人」です。
つじしまみちこさんにとって音楽とは何ですか? 単なる聴覚異常の原因でしかありません。実はコロナ禍に、頭の中で中島みゆきの「糸」が止まらなくなる奇病を患った事があり、心療内科・脳神経外科・内科・循環器科・耳鼻咽喉科・性病科をハシゴしたのですが、何処の病院に掛かっても原因が不明故に一向に快方へ向かわなかった為、処方された薬をゴミ箱に捨て、代わりに朝昼晩の食前食後に日本酒を飲んで自己治療をしている内に、恐らく音楽が原因ではないかと思うようになりました。非常に辛い思いをしたので、もう音楽なんてやめたくて仕方がなかったのですが、覚醒剤と同じでやめたくてもやめられませんでした。
つじしまさんが音楽制作を始めた理由は何でしょうか? 2010年代の半ば、それまで勤めていたブラック企業を解雇された後、楽して稼げる方法はないかと模索を始め、やがて、音楽配信と広告収入で不労所得が得られる事を知り、菊池有恒の「楽典―音楽家を志す人のための」や放送大学のテクスト「音楽理論の基礎」を熟読して音楽理論を独学し、楽曲制作に明け暮れていた時期があるのですが、殆ど誰にも見向きもされず、どれ程営業努力をしても数千円の収入しか得られませんでしたので、空しくなって3ヶ月ほどでやめてしまいました。当時の音楽シーンを見渡すと、病気や精神障害を抱えた人しか活躍していない惨憺た��有様でしたので、心身共に健康でおまけに京大卒と言う絵に描いたようなエリートである私に居場所などある筈もありませんでした。その後は、マーケットに戻り、生き馬の目を抜くビジネスの世界で活躍していたのですが、人が一所懸命汗水流して世界経済を動かしている最中、いい年して子供の遊びに夢中になり、事あるごとに感情的な言葉を下水道から逆流した汚物の如くSNS上にぶちまける所謂クリエイターと呼ばれる輩が憎くて仕方がなくなった為、彼らへの嫌がらせの一環としてウェブ上で不快極まりないミュージックを次々と公開し、戦いを始めたのが「つじしまみちこ」誕生のきっかけです。
今回の作品ですが、発表しようと思ったきっかけは何でしょうか? Bandcampのページ内のライナーノーツに記載の通りです。
今回の作品ではAI技術を活用したNEUTRINOというボーカルシンセサイザーが大々的にフィーチャーされております。ボーカロイド等の音声合成技術はお好きでしょうか? 好きで使っているのではなく、予算と私の人徳の問題でボーカリストの協力が得られない為、仕方なしに利用しています。NEUTRINOにせよボーカロイドにせよ、未だプロのボーカリスト程の歌唱力や表現力を持っておらず、また活用できる楽曲のジャンルは基本的にエレクトロ色の強いポップミュージックに限られていると感じており、不満の方が大きいです。
ジャケットに描かれた化け物は何ですか? 生成AIに「みちこ」の画像を生成するよう命令した所、アジア系の少女の画像が出力されたので、それをポリゴン加工し、目と口をつけました。化け物ではなく、AIと私のコラボレーションによって生まれたつじしまみちこの肖像です。
私は今回の作品でつじしまみちこさんの作る音楽を初めて聴いたのですが、いずれの楽曲も、オウム真理教が布教の為に作った音楽や旧ソ連の人々がジャーマンテクノなどに代表される西側のニューウェーブを模倣して作った電子音楽を彷彿とさせるものでした。実はインタビューの前に公安関係の方から、つじしまさんは以前よりオウム真理教や〇〇〇〇〇(自主規制)との関係が噂されていると聞いたのですが、これは本当でしょうか? (記者の問いかけに対し、額に手を当て沈黙するつじしま)
つじしまさん、もうオウムなんて辞めて創価学会に入りませんか。楽しいですよ。 断る。私は尊師を裏切る事は出来ない。
真面目な質問に軌道修正しますが、つじしまさんの新譜は、キング・クリムゾンやピンク・フロイド等の往年のプログレッシブ・ロックの影響が色濃いように感じるのですが、つじしまさんの年齢は、一体おいくつですか? つじしまみちこ自体は平成生まれの永遠の27歳であり、年を取らないのですが、中の人はGHQ統治時代に生まれた昭和世代の為、年齢が年齢だけに、新しい音楽を聴いても、作���にアップデートが掛かりません。近頃は耳そのものが聞���えなくなってきました。
コード進行、曲の展開が非常に独特ですが、何か曲作りの上での拘りはございますか? 私は楽典にもポピュラー音楽理論にも知悉しておりますので、音楽理論に基づいた作編曲が出来るのですが、ロック、古楽、雅楽、民族音楽、果てはノイズミュージックに至るまで、古今東西の様々な音楽を聴き続けた結果、不協和音さえもハーモニーと捉えられる程に感覚がおかしくなった為、最早、自分でも一体全体何をしているのか分からない状態で作品作りをしております。 かつて「躁鬱ポップ」を標榜し、Aメロはメジャーコードのクリシェで安定しつつも停滞した印象付けをし、その後のBメロはオーギュメントコード、ディミニッシュコード、クラスターコードの嵐という混沌状態、サビはメジャー・マイナーが混在する90年代的な懐かしい進行とし、リスナーが散々苦しんだ末に救済されるような構造の作品を濫造していましたが、今回はサイケデリック・ロックを彷彿とさせる不気味な進行の楽曲を、メロディーとアレンジを熱心に研究・工夫して、ポップミュージックに仕立て上げました。陽気ながら、どこか不気味で違和感溢れる仕上がりとなったと自負しています。 新譜の発表前、音楽業界の関係者に「マイク・オールドフィールド以来のプログレの名盤が出来たので聴いて欲しい。内田裕也の跡を継ぐロッカーとして、ネット出身の軟弱なアーティスト達を日本の音楽シーンから駆逐したいと考えている」と伝え、私の作品の試聴をお願いしたのですが、視聴直後より、誰もが次々と体調不良を訴えたり、家庭環境が崩壊したりと様々な災いに苛まれるようになったようです。唯一、異なる反応を見せたのは数年前から懇意にしているディスクユニオン新小岩店の店長で、曰く「このアルバムはプログレの棚には並べられない。そもそもロックミュージックのアルバムと言うより、歌謡曲のシングルと呼んだ方がしっくりくるので『つのだ☆ひろ』の中古8cmシングルと同じ棚に置く事になる」とのことでした。「せめて『人生(ZIN-SÄY!)』と同じ棚にして欲しい」と頼んだのですが「当店には既に『人生(ZIN-SÄY!)』は在庫がない」と言われました。ピエール瀧が逮捕された時期に一掃されたそうです。
新譜制作に当たって使用した機材を教えていただけますでしょうか? 20世紀末に購入した古いNECのPC-98マシンで制作をしました。PC-98と言っても今のZ世代は分からないと思いますが、かつてMicrosoftのWindowsやAppleのMacintosh、フリーOSのLinuxと拮抗していた日本産OSです。既にサポートどころか新製品の販売すらされなくなって久しく、ウィルス感染が怖いのでオフラインで利用しています。楽器についてですが、3トラックとも、電子音は、全て初代Moogを手弾きしたもので、ピアノは10年以上愛用しているSteinway、パーカッションはJazzの名盤から抽出した音源で、予定調和の展開を悉く破壊して心をざわつかせる民族楽器の類は現地の方に弾いてもらったものです。今回の作品の為にモニタースピーカーやオーディオインターフェースは一新しており、自宅も防音仕様に改築しました。
機材を一新したとの事ですが、これまでとの曲作りで大きく変わった点は何でしょうか? 曲を仕上げた後、火照った頭と体を鎮める為に夜の街へ飲みに出かけるようにしているのですが、以前は炭水化物抜きで日本酒とつまみだけで飲み続けていたのを、今回からは、シメにご飯物を頼むか、あるいは最初から丼物を頼んで酒を愉しむようにしました。一年ほど前から一升ほど酒を飲むと正体不明になって、自宅に帰る途中に車道で寝てしまったり、気が付くと明け方のゲイバーで店主と口論になっていたりと大変な事態に見舞われるようになっており、当初は年のせいかと思ったのですが、どうやら、医学的には酒を飲んだ時は炭水化物を摂った方が良いとの事でしたので、飲酒の仕方を大きく変えるようにました。太るかと思ったのですが、毎朝、酔っぱらった状態でジョギングをしたり、ジムでトレーニングをしている内、代謝が良くなり、沢山食べても体形が変わらなくなりました。時折、血尿が出ますが元気で暮らしています。
アナログシンセの音作りが絶妙にレトロで、YMOを想起させますが、坂本龍一氏と同じクラシック畑出身のつじしまさんは、坂本氏にどのような印象を抱いておりますか? 彼の作品は「千のナイフ」と「音楽図鑑」しか聴いた事がないのですが、電子音楽という形態を取らず、ピアノや管弦楽器などの生楽器を主体とした編成の方が良いものになると思っておりました。彼にこの事を伝えようと、上野辺りに呑みに誘おうとしていたのですが、その前に癌で亡くなってしまいました。
つじしまさんがヨーロッパ出身というのは本当ですか? はい。フランスで生まれました。
虚実入り混じるお話を延々として頂いた所で恐縮ですが、最早、誰もが理解不能な内容になっている��、好い加減、私自身が耐えられなくなっておりますのでインタビューを仕切り直したく思います。ここから先は真剣に答えていただけますか? 構いません。
つじしまみちこ 特別インタビュー
新譜「Goodbye to AI」について
日本在住の音楽プロデューサーつじしまみちこが2025年4月29日、5年以上の沈黙を破り、Bandcampにて新譜を発表した。本誌は、新譜の発表に際して制作者であるつじしまみちこ本人に独占インタビューを行った。デビュー以来、初めて真実を語るつじしまに迫りたい。
2020年代に入って音楽活動を事実上停止していたつじしまみちこさんがこの度、新譜を公開した背景は何でしょうか。 事の発端は昨年2024年11月にアメリカの大統領選挙でドナルド・トランプが再び大統領に選出されるという歴史的場面を目にした事でした。開票結果の出た日、私は、アメリカの知識人たちが民衆に対して語る言葉や伝える力を失った結果、あのような事態を招来したと感じました。同時に、私自身も、これまでの音楽活動の中では、具体的な説明を放棄し、受け手である視聴者に冷淡な態度を貫き、事あるごとに辛辣な言葉を浴びせかけてきたものの、よくよく考えると、私のしていた事は、反知性主義者の前に脆くも破れ、時代の敗者となったアメリカのインテリゲンチャと変わらない事に気付き、これまでの態度を猛省し、次こそは、難解な事柄を理解出来る知性を持つ少数者が聴いても、そして、前提知識のない愚昧な一般大衆が万が一聴いてしまっても、両方の層が楽しめるような作品を作ろうと一念発起した事が新譜制作の動機です。
今回の作品では全ての曲で、NEUTRINO(AI技術を用いたボーカルシンセサイザー)が使われておりますが、理由は何でしょうか? 私はボーカロイドやUTAUなどの従来のボーカルシンセサイザーには、歌唱力や表現力の点で落胆させられてきました。発売当時から、キャラクター性やCVを担当した声優の人気に頼る以外、セールスポイントがない代物とさえ思っています。しかし、2020年に登場したNEUTRINOは別格でした。従来のボーカルシンセサイザーに特有の発声の不自然さはなく、人間の歌声と遜色がないものでしたので、是非自身の楽曲に使いたいと思いました。調声はAI任せなので殆ど弄れませんが、素晴らしい技術であるのは事実です。それにも関わらず、NEUTRINOが大きな話題にならないのは、非常に残念に思います。今回の作品では、何も知らずに聴いた場合、私がボーカリストに頼んで歌ってもらったと思われるような楽曲にしようと考え、飽くまで生成された歌声に合う音作りを心掛けました。NEUTRINOにもボーカロイドのようにいくつかのキャラクターがあるのですが、私はボーカルシンセサイザーにせよ人間の声にせよ単なる音、楽器の類と捉えておりますので、キャラクターの情報を出しておりませんし、楽曲のテーマは、あらかじめ設定されたキャラクターの性格とは関係がございません。
いずれの楽曲も3分未満のたいへん短いものですが、これは何故でしょうか? 飽くまで、NEUTRINOの実験の為の楽曲と自身の中で位置付けており、一般流通する音楽とは異質なものにしたかった為です。今の時代とは異なり、20年以上前のウェブ上には、一般市場に流通する音楽作品とは一線を画した、実験的な音楽作品が数多く存在していたと記憶しておりますが、かつての「作品未満の作品」が気軽に発表出来た時代の雰囲気を再現できればと思った事ももう一つの理由です。既に過ぎ去った過去であるのは間違いありませんが、リアルな世界では体験し得ないような出来事に遭遇する事がゼロ年代のインターネット上にはあり、当時の私はバブル崩壊以来の「失われたウン十年」を打ち破るポテンシャルをインターネットに感じ、明るい未来を期待をしていたのですが、その後、年を重ねた私の目の前に現れたサイバー空間は最早、フィルターバブルによって正気を失った輩が、自分とは何の関係もない事柄に首を突っ込んで気狂い沙汰を起こす、ただただ不愉快な世界となっており、現実世界と何の違いもなくなっておりました。しかし、私はシニシズムに陥る必要はないと考えています。今回の作品では、サイバー空間、そして、過去への郷愁にさえ別れを告げ、新たな世界へ出発する事を全楽曲を貫くテーマとしています。当初、新譜のタイトルは「Goodbye to Vaporwave」とするつもりでしたが、楽曲がVaporwaveと程遠い質感のものしか出来なかった上に、既にVaporwaveの時代でもないので「Goodbye to AI」に変更しました。
それぞれの楽曲のテーマは何でしょうか? ライナーノーツにも英語で記載しておりますが、1曲目は「SNSにおけるデジタル・ファシズム」、2曲目は「過去との決別」、3曲目は「青年期」です。
ご説明頂きありがとうございます。しかし、楽曲を聴いた際の印象との乖離が激しく、説明していただいたのにも関わらず理解が追い付きません。 以前から同様ですが、歌モノの楽曲を制作する際は、曲調とは対照的なテーマを設定し、それを元にして作詞をしております。今回は長調の曲しかないので、テーマはいずれも、暗く、重く、深刻なものです。 私は元々Aphex TwinやClarkのようなIDMに強い憧れを抱いて音楽制作を始めたのですが、その後、プログレッシブ・ロックや現代音楽等の方面へと音楽の関心が広がるにつれて、趣味も作風も著しい変化を遂げ、今ではOrchestral Manoeuvres in the Darkのようなスタイルに行きつきました。尤も、意図的に似せようとしている訳ではなく、また、歌詞が英語ではなく日本語の為、楽曲のメロディーやコードは全くの別物です。
制作に当たって苦労された点は何でしょうか? NEUTRINOは基本的にAI任せの為、生成される声には細かな調節がききません。望んだようなボーカルが生成されるまで、音声合成の為の処理を幾度も走らせる必要がありましたが、まるで、スタジオ���おけるレコーディング作業において、延々ボーカリストにリテイクを求めるのと同じ思いがしました。人間に匹敵するAIを使いこなす為には、人間が行った場合と同じ労力が求められるのではないかとさえ思い奇妙な気分になりました。 アレンジについては、実験作品でもあるので、音数を出来るだけ少なくし、チープな質感を出そうとしていたのですが、NEUTRINOは、発声の再現度が高すぎてピッチが怪しいものや息切れしかかった歌声までもが生成される場合があり、ボーカルのサポートの為に楽器を足している内、結局、30トラック超のアレンジにならざるを得ず、いつもの事ながらミックスにたいへんな時間を取られる事になりました。また人間的で生々しいボーカルとの調和を図る為、オケは電子楽器であっても生演奏感が出るようにピッチやテンポ、ベロシティを細かく調整し、揺らぎが出るようにしています。 マスタリング工程では、AIに因んだ作品ですので、Bandlab MasteringというAI技術によるマスタリングサービスを利用したのですが、敢え���音にアナログテープの質感を持たせるような形でマスタリングしています。音割れする程に音圧を上げた作品が流通している時代ですが、私は元々高音圧のマスタリングが好きではないので控えめに仕上げています。飽くまで、視聴する側で音量を調整すれば良いと思っています。
その他、新譜制作の際のこぼれ話はありますか? 久々の音楽作品制作でしたので、MP3配信の他に有料のアナログレコードかソノシートを用意しようとしたのですが、思いの外、高額な見積もりとなり、予算の都合が付かず、実現できませんでした。尤も、売る売らない以前に、単純に、自分の楽曲がアナログ盤になった場合、どういうものが生まれるか関心がありますので、1枚だけでもよいので、いつの日か作ってみたいと思っています。
質問に対して真摯にご回答いただきありがとうございました。つじしまさんが案外、まともな方で安心しました。 はい、仰る通り、実際の私は至って常識人です。
個人的な相談なのですが、この間、実家の猫が認知症になり、自分の前世が尿結石だと語り始め、家の中で妹に四六時中DVを振るうようになりました。果ては、近隣住民や自治体とトラブルを起こすようになった為、私は家族と協力して、止むを得ず、市長を山に埋めたのですが、以来、私も家族も霊障に苦しめられています。夏休み子ども科学相談室にも相談しましたが納得のいく回答が得られず、一向に解決の兆しがありません。妹は私のDVに耐え兼ね、手首の傷を増やす日々を送っております。家業の競輪でも立て続けに負けており、不幸の連続で、このままでは一族郎党離散せざるを得ないのですが、どうすればよろしいでしょうか。 病院行ってください。
���後になりますが、リスナーの皆様へ何か一言お願いいたします。 特にございません。ありがとうございました。
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書物礼賛⑥
雁屋優/マイノリティの「つながらない権利」/明石書店2025
鬼越トマホークのユーチューブ「半生を語る」等の感想
【①普通の人で面白味がない】にしおかすみこ・アンゴラ村長・どぶろっく・ニューヨーク
【②普通の人だが味があって面白い】ドランクドラゴン鈴木拓・三四郎・スーパー3助・ラランドニシダ
【③天性の芸人】ノンスタイル石田・狩野英孝・空気階段もぐら・ナダル
個人の感想です。私自身の人望のなさを棚上げして言わせてもらうと、本書の著者は「アルビノゆえの弱視、見え方の不利を、自身の発達障害ゆえの高い言語性IQや先取り学習で補ってきた」って書いてしまうくらいコミュ障の自覚があり、文章ですべてを分ってもらおうとする傾向が強く、読んでいて息苦しさを覚える。芸人に話を戻すと三四郎の小宮は②と③の中間くらい。小宮とナダルは同輩の人望が厚い。ユーチューブだが映像は不要。トークに表れる素の魅力。どのような人生によってそれが培われたか。
コロコロチキチキペッパーズのラジオを聞くと、アメトークのナダル���ンビリーバボーで彼が見せるような挙動不審・クズ感とは無縁な落ち着いた親しみのあるトークが繰り広げられている。彼は近大農学部で水産系の専攻、しかし希望の水族館飼育員は枠がなく、食品会社はすべて蹴られ、それでは消防士にということで走り込んだり勉強して備えたが連続して最後の小論文で落とされ、そうするうち年齢制限にも達し、大学の友人のアドバイスで芸人の世界へ。
楽屋などのイジられで爆笑を呼ぶことから相方の西野が策を練ってアンビリーバボーに漕ぎつけたが、そこからしばらくして自身「強みはそこしかない。そうでなければ生き残れない」と受け入れてから、かえってイジられに限らないタレント性で定着。ロンドンハーツ「タレント進路相談」でも有吉弘行の後釜を見事に務めた。
彼の「ウソがつけない」資質に注目して抜擢したロンハー制作陣はさすが。アンビリーバボーにおける「先輩に失礼」「責められるとウソをついて言い逃れしたり挙動が怪しい」とも表裏一体。就活の面接でも挙動不審を発揮していたそうなのだが、著者も知能や文章力を武器にマイノリティやその当事者団体に携わっていくのは険しい道なのではないか。真面目さ、違いを受け入れる優しさが一番と思います。
甚野博則/介護大崩壊/宝島社新書2025
父母が相次いで自殺、自分も自殺未遂後うつで2年以上入院という底の時期に助けてくれた伯父夫婦。88になる伯母はアルツハイマーの薬を飲んでいるとのことだが衰えはみえない。90の伯父は徘徊など錯乱状態に陥り、3年ほど前から同じ区内の特養ホームに。先日、初孫ができたばかりの「ネトウヨの従弟」夫婦と見舞いに。ユニット型の個室が、広めのリビングを囲むように設けられ、そのリビングを常に監視するような形で介護士の詰所が。一人一人の健康状態や挙動の癖をしっかり把握し、気さくに話してくれる中年女性の介護士であった。
伯父は問題行動がみられるようになって半年ほどで特養ホームの空きを見つけることができたが、本書によれば地価の高騰などで施設新造が難しい都市部では、入所待機者の増加に悩まされ、距離の離れた自治体の施設の枠を確保する「ベッド買い」なる慣行があるという。著者は文春記者時代に甘利氏の収賄についてスクープ記事をものし��おり、フリーになってからは高齢者の介護施設問題を中心テーマに据えて取材を続けている。特養・サ高住・老健といった施設の違いや実態、介護保険の運用事情について大まかに知ることができる。老後を控える読者層の危機感を煽ろうとしてか、問題の多い施設や事業者に内容が偏り、優良な事業者やポジティブな取り組みが軽視される傾向があるようだ。
北村浩子/日本語教師、外国人に日本語を学ぶ/小学館新書2025
例えばチャーハン。強火で作るチャーハン、あまりおいしくないです。シャッシャッシャッシャッて鍋を大きく回すやり方、見たことあるでしょ。米がパラパラッてなってる。そうすると米が冷めるし乾燥する。水分が飛ぶ。固くなっちゃう。サラサラは食感がよくない。口に入れた時。米が熱くてしっとりしているのがおいしい。よく、中華鍋ないとダメと思われるけど、うちの自宅はフライパンですよ。中華鍋ないです。火力も関係ない。ガスじゃなくても大丈夫。やっぱり腕と使い方。
そもそも日本人の日本語能力が下がる一方で、企業の公式声明や有名メディアの記事にさえ怪しい言葉遣いが頻出する始末なので買ってみたが…。引用したのは本場でもトップクラスの中華料理人の言葉。来日から各地のホテルで料理長を務め、今は六本木に店を構えメディア出演多数。「やりたいことがある優秀な人物」なので日本語の上達も早いし、本書でほかに取り上げられた人も���リートに偏っており、前項の介護の人手不足のために円安の日本へ来てくれるような、日本語学習者の多様性や苦労への目配りはない。ネオリベ右翼の小学館から出るにふさわしいつまらない本。
三遊亭円丈/師匠、御乱心!/小学館文庫2013・原著1986
よくSNSや掲示板で不自然な形で語尾を「やで」とするような、ネット民の似非関西弁。明石家さんまや島田紳助でなく、ダウンタウン以前・以後と称される、ある世代が丸ごと感化されるような圧倒的存在感によって生じた現象。テレビ越しにそこまで影響力を持ちえた芸人は萩本欽一・ビートたけし・ダウンタウンのみ。ドリフと志村けんは職人肌で思想性が薄いから。
松本人志はセックスについて「小学生でもお胸がぷっくりしてきたらご賞味あれということ」「同じ女と何度もするのは男にとってお勤めになってしまう」という本質を突いた発言をしている。彼はこのまま地上波に復帰することはないでしょう。けれども性接待やレイプはテレビ・広告・芸能界、さらには教育や雇用のあり方まで広がる制度的な病理であり、松本・中��・件のプロデューサーだけ切り捨てても何も変らないでしょう。
落語家は寄席や徒弟制度のシステムに守られた、格落ち芸人の集まり。笑点は落語家でない三波伸介が司会だった時期が本領で、以後は余禄。本書は、創作落語で頭角を現した著者が、真打ち襲名直後にその真打ち乱造問題などをめぐって落語協会が分裂した騒動を、システム内部の視点で振り返った問題作。出版当時は暴露本としても話題を集めたほどで、読み物としてそこそこ面白いとしても、人物がことごとく政治家的、と同時に中小企業のオヤジ的。同族経営の。そう考えると自民党というのは中小企業や町内会、一族郎党の内ゲバを娯楽として提供することによって常にシステムの制御権を確保できているような存在なのかも。
横道誠/レトロな世界に分け入る/教育評論社2025
ナダル「思い出しました。劇場穴だらけですわ」
ロンドンハーツのベテラン芸人座談企画で、有吉弘行が「業界にも私生活でも友達がいない。広島に帰省しても実家に寄って街を一人でぶらついてすぐ帰る。旅行に誘うのはお笑いの後輩」と語っていた。ナダルがすぐバレるウソをつくのは、市民社会の常識に従って生きている裏返しでもあり、本来はマジメな愛されキャラであるナダルのようなタイプと対照的に、いじる・責める側の有吉は制度の一部であろうとして「踏み越えてしまった人々」なのだろう。
それは編集部の意向で『ナニワ金融道』に変更させられた原タイトル。主人公・灰原のビルドゥングスロマンでもある同作品に対し、闇金ウシジマくんは冒頭から丑嶋社長はやがて殺されることが暗示され、ずっと同じテーマをバリエーションで繰り返す。カイジ、特にスピンオフ作品は地下労働そのものの是非は問わず、内部で遊ぶ。
本書は、何度も各種コレクションのマイブームを経てきた著者が、チープな骨董、古い漫画やエフェメラ(チラシ・手紙・マッチ箱のような紙モノ)を専門に扱う3人の店主に取材した��趣味性の強い一冊。であると同時に、この文章力で京大大学院の博士号? 博識であっても自分の思想を打ち立てる気概も総合力もない、内部で遊ぶだけの読み捨て本と感じさせる、あらゆる商業メディアや大学が志望者に「踏み越えるよう迫る」ことでようやく維持できている世知辛さを再認識。
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※ ルサンチマンの応酬
>こう言っては何ですが、ネットでこういうこと言ってる人の子供はシモの世話なんてしませんよ。貧乏な他人の子供にやらせるだけ。そして、貧乏な他人の子供が十分な賃金が得られるように負担を受け入れるわけでもなく、金持ちの俺の負担を軽くしろとも言う偽善者が切込隊長。
>そしてさらに、介護職に就くような貧乏な他人の子供が十分な賃金が得られず未婚や子無しになったら、「俺様はこんなに税金払ってるのに未婚や子無しはふざけるな」と言うのが切込隊長。醜悪。
>貧乏な他人の子供に【金を払って】やらせるだけ、ね。
>それを言い出せば、「結婚して、子供がいて、十分な収入を得てきた恵まれた奴が、何も持たないわれわれから更に奪うのか!」という話になり、
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昨日の名無しの皆さんのコメントです。
負担の話をしている時に、金持ちがどうこうという話をしても詮無い……、というのはさておき(言うまでも無く、お金持ちは誰より負担しています)、理想や輝きを失った民主主義社会で政治を動かすのは、いつも大衆のルサンチマンです。それは大戦前のドイツでも日本でも起こった。
今もまた、アメリカで起こり、昨年の都知事選を皮切りに国政選挙でも起こった。
このルサンチマンの応酬はどちらが勝つのか? 二つのポイントで、(子どもを)持てる側が勝ちます。一つは、どちらにせよ財政は持たないから、国営介護事業が破綻した時に生き残れるのは、自分の子どもがシモの世話を出来る側です。
そして、有権者の圧倒的多数は、まだ生き残っている世代、つまりは結婚して子どもを産み育てた団塊、あるいはバブル世代以上が生き残って票を握っているから、これは選挙になれば当然、「まずは子ナシ世帯から福祉を剥奪して、われわれのシモの世話の原資とせよ!」ということになる。
そもそもが、その悲鳴を上げるのは金持ちではない。彼らは、状況がどんなに悪化しようが、家一軒買えるだけの入居金を払って悪化する状況を凌げる。
その怨嗟の声を上げるのは、苦しい家計の中で子どもを産み育て、なお国から収奪を受け、自分の子供たちを介護業界で働かせている市井の人々になるでしょう。
*国営介護事業はどういう経過を経て崩壊するのか?
インフレが続き、仮に景気回復があれば、民間給与が上がり、それに連れて介護報酬も上がります。ただし高齢者福祉は、何しろ現役世代からの搾取、サラリーマンの社会保険料の更なる上乗せと横流し、それでも足りない分は赤字国債での穴埋めなので、当然限界はある。都市部では、介護士の給与が他の民間給与を上回ることはない。そうすると、当然介護士の皆さんは仕事を辞めて転職して行く。
どこかで、入居者の負担をもっと上げようという話になる。現役世代の負担はますます厳しくなり、そのスパイラルにいったん陥ると、遅かれ早かれ、この国営介護事業は破綻します。これは、大戦中の総力戦構造と全く同じです。最悪のパターンは、国家財政が破綻するまでそれが続くことです。その前に踏み留まることが出来ても、この国営介護事業は、何処かで終わりを迎えることになる。
金持ちは、自分の子どもたちを介護士にはしない。自衛隊にも入れない。ただし、国営介護事業は、地方では良い仕事です。もう工場がなくなった地方では、泥にまみれ、危険な漁に出る必要も無い、極めてましな仕事です。天候に左右されることもなく、異常気象で作物が全滅して泣かされることもない。
ABCマートの月給20万円の仕事より遙かに良い仕事です。
それを言う金持ちは、自分たちの子どもをその仕事には就けないだろう? という話を始めたらきりが無い。彼らは介護士や自衛隊のみならず、公務員にすらしないでしょう。教師にもしないだろうし。その極小の階層のあり方をルサンチマンで非難したところで、何ら問題が解決するわけではない。日本の病理です。右も左も文句は言うが、解決策は出さない。
共産主義社会ではないのだから、就職というスタートラインでは常に裕福な側が勝つ。人間は、生まれながらにして不公平な世の中で成長する。私たちは、貧しい階層が成功を掴むためのサポート・システムを種々持ってはいるけれど、そこには明かな限界がある。だからと言って共産主義国家にはなれない。金持ちの子どもに介護士就職を強制はできない。徴兵は出来ない。
余談になりますが、もし明日、中国との戦争がおっ始まり、総力戦となって徴兵制となったら、うちの長男は特殊技能を活かして後方で勤務することになる。戦場に出ることはない。文系次男も実は、戦時なら自衛隊で即座にMOSを付与される技能があり、ただしこちらはどちらかと言えば、前線に近い方が役に立つので、最前線送りとなるでしょう。私はそれを止める気は無い。
ただし、琉球新報や沖縄新聞を守るために息子達が犠牲になるのは真っ平なので、沖縄には一日も早く独立して、日本政府より気が合う中共と仲良くして欲しいと思います。二度と、沖縄を本土防衛の防波堤とはしません! それは奄美で間に���う。
もちろんここで、私が従来から提案している選抜公務員制度を導入し、金持ちの子弟にも、3K仕事を担わせることは可能です。来るべき少子化社会ではそうするしかないでしょう。移民は絶対嫌だ、かと言って所帯も持たない50、60歳の我が儘なジジイがスマホでネトウヨやリベサヨ活動に励んでいるような社会では、そうするしかない。
若者への2年、あるいは3年の義務的労務で、介護現場や自衛隊が回るならそうするしかない。ある意味、それは極めて公平な制度になる。もちろんその場合も、富裕層は子どもを連れて海外脱出する可能性はあるけれど、それは仕方無い。残った国民で回すしかない。他に優れた代案があれば別ですが、人口回復は全く不可能で、移民労働力も不人気な現状では、それはたぶんない。
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@Conscript1942(トイレスタンプ香りジェル)
ぶっちゃけて言うと情報提供のおかげで異常虚言癖ネトウヨの黒瀬深(RAIE)が作ってたネット世論工作ごっこDMメンバー知ってるんですけど(ナイフとか石井孝明とか安倍のせいbotとかネトウヨ四天王とか)、もへっち以外にあの異常限界ネトウヨと一緒に下らない事やってた反省の表明は無いんですかね。
Twitter Web Appから
https://twitter.com/Conscript1942/status/1250813399400714244
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政治的思想や信条を分類する言葉には、保守や革新、リベラル、共産主義などいろいろあるが、近年インターネット上では、「ネトウヨ」(ネット右翼)という言葉も頻繁に目にする。私のツイッタータイムライン(フォローした相手のツイートが表示されてくる画面)に流れてくるつぶやきの中にも、ある国会議員のこんな記述があった。
NHKの受信料不払いの呼び掛けや、私のことを「ネトウヨ」と批判していた(中略)人物がNHKの現職ディレクターではないかとのご指摘を頂きましたが、さすがにNHK現職ディレクターがそんなことはしないのではないでしょうか。もしそうだとしたら驚きです(2018年6月24日 和田政宗氏公式ツイッターより)
なにげなく私のタイムラインに流れてきたこのツイートを初めて見たとき、私もこの「ネトウヨ」という表現に、侮辱的なニュアンスを感じたのと同時に、「なんだかな〜」という妙な違和感を覚えた。
この「ネトウヨ」という表現でこれまでに何か問題が起きていないか、どんな人が使うのか、興味が湧きグーグルで検索してみた。すると、ネット上から削除された記事を半永久的に保管する「インターネットアーカイブ」という場所で、現在は東��新聞のサイトから消されている
2015年11月の記事
を見つけた。要約すると、およそ以下のような内容であった。
見出しは「報道部長が暴言ツイート 新潟日報、弁護士に謝罪」。新潟日報の報道部長が自身のツイッターで、新潟水俣病3次訴訟の原告側弁護団長を務める弁護士に向け、「ネトウヨの**弁護士」「弁護士やめろ」などと投稿した。中傷された弁護士がツイッターの投稿者を特定したところ、報道部長が投稿を認め、弁護士に謝罪したという。
このような事例から見ても、「ネトウヨ」とは、単なる政治的思想や信条の分類を示す単語ではなく、形容詞的な強い侮蔑の意味合いを含んだ表現であるということが分かる。この言葉をいたずらに組み込んでムーブメントに悪用したのが「ネトウヨ春のBAN祭り・夏のBAN祭り・秋のBAN祭り―アットウィキ」(以下「ネトウヨBAN祭り」と言う)であり、数カ月の間に、一般人から著名人までの数々のウェブサイト、動画アップロードサイトのユーチューブやフェイスブック、ツイッターなどのあらゆるアカウントが凍結(削除)、いわゆる「BAN」されるという社会問題が起こったのだ。
実は、私自身はそんなムーブメントがネットに存在することは全く知らず、このネトウヨBAN祭りを知ったのは、昨年10月で、事務所のスタッフから「おー有名になったなあ…小西もネトウヨ人物辞典に載ってるよ」と言われたからだ。スタッフから聞いたアドレスをのぞいてみると、タイトルは「ネトウヨ春のBAN祭り・夏のBAN祭り・秋のBAN祭り―アットウィキ」となっており、 「アットウィキ」という名の示す通り、いわゆるウィキペディアのような百科事典風のページになっていた。
現在、
当該ページ
は「アットウィキ」のサーバー管理運営会社によって削除・凍結されており、いわゆる祭りの後で、昨年11月ごろはウェブキャッシュに残っていたが、現在は閲覧できない。
ただ、当時はこのページの左側中段以降に人物辞典があり、さまざまな人物名が掲載されていた。その中の「か行」に私の名前も載っていたのだ。この人物辞典のか行をざっと眺めてみると、
ケント・ギルバート
アメリカ人弁護士、タレント。かつて日本のバラエティ番組で活躍していた外国人タレントであったが、語学学校経営の失敗やマルチ商法の広告塔などを経て、ビジウヨに転向した。
小池 百合子(こいけ ゆりこ)
東京都知事、元環境・防衛大臣。都民ファーストの会創設者。
2018年にオリンピックへの対応を理由として都道府県単位では初となるヘイトスピーチ規制条例を都議会へ提案し、賛成多数で可決・成立した。一方で知事選挙の公約に「韓国人学校への都有地提供の白紙撤回」を掲げたり、関東大震災でデマに基づくジェノサイドの犠牲者となった朝鮮人の慰霊集会において歴代の東京都知事が慣例的に行っていた知事挨拶文の送付をとりやめたことがヘイトではないかと批判を受けている。
などといった面々が列挙され、その下方に自分の名前を発見したのだが、どういうわけか私の名前と紹介文だけがかなり侮辱めいた表現だったのだ(笑)。
小西 寛子(こにし ひろこ)
元声優。NHKの長寿アニメ『おじゃる丸』で主人公のおじゃる丸役を務めていたが、突然の配役交代を経て表舞台から姿を消した。 その後、ツイッターで「おじゃる丸出演時に収録した音声を無断でキャラクター商品に転用された」と主張し、NHKバッシングで利害が一致するネトウヨ界隈へ急速に接近しているが、元ファンの諫言にはまるで耳を貸さずブロック芸を炸裂させるため呆れられている。
これを見て怒りが込み上げてきたが、クールダウンの時間をはさんだ後、ドメイン情報やら管理者情報を調べ、それら情報と共に運営会社の企業情報などを確認し、私は1通のメールをサーバー運営会社に送った。するとその翌日、ネトウヨBAN祭りのすべてのページが凍結されていたのだ。
私がネトウヨ秋のBAN祭りのページについて、侵害情報の削除申請をしたのは昨年10月29日午後6時ごろ。その後、実際に削除されたのは10月30日午後2時ごろだ。これは私に返信されたサーバー運営会社の内容を確認し、ネトウヨBAN祭りアドレスをクリックすると既に凍結されていて気がついた。ほっとしたのと同時に少し驚いた。何に驚いたかというと、私のことが書いてある人物辞典だけでなく、紐づいた項目が全て凍結されていたからだ。
考えられることの一つは、「ネトウヨ」という侮蔑を含む表現を用いて、客観的事実に基づかない単なる憶測で、ある種のレッテルを貼られたことによる社会的評価の低下ないしその恐れに対する送信防止措置だろう。
私は削除申請を出したことをツイートなどで公表はしていない。ただ、私がアットウィキの運営会社にメールを送ったことを明らかにしたツイートを見た人が、その後アットウィキへの感謝の意を綴った一連のツイートの前後関係をつなげて、「ネトウヨBAN祭りのページが凍結」された事実を突き止めた人がいた。
そもそもこうした申請をしても、これほど早い対応は極めて稀(まれ)なことだ。では、一体私はどんな手続きを使ったのか。
事務所スタッフによると、ネット上の掲示板に「アットウィキは削除申請のルールがあり郵送でなければ申請を受け取ってもらえない。メール���どでは当然受け取ってもらえないのになぜ?」と書かれていたそうで、「こんなに早く消されることはこれまでない」などの書き込みもあったようだ。
さらには、「異例の対応」だとか「有名人だから運営が早く対応した」、「弁護士がやったからだ」などいろいろな憶測が語られたようだが、私は浅学ながら法律の知識が多少あり、会社の法務(音楽芸能とは別の会社)などで培った実務のノウハウと、事務所スタッフにも��作権をはじめとする法務のプロがいるため、今回のようなケースであえて外部の弁護士に依頼する必要もない。ただ、内容や表現方法の違法性を運営会社にもれなく指摘しただけだ。
今から3年ほど前の事件だが、ツイッターやネット掲示板に私を中傷する書き込みをした自称アニメライターの男が名誉毀損罪で起訴され、有罪になった事件がある(「『おじゃる丸』の声優、小西寛子さんをネットで中傷 容疑の男性を書類送検」産経新聞
2016.3.19
)。
平成27年4月末ごろから、ツイッターやネットの「まとめサイト」などに「元声優の小西寛子、ネット訴訟で損害賠償をせしめようとする」「NHKに高額なギャラを要求しておじゃる丸を干された」といった中傷の書き込みがあるのを事務所関係者が発見(「『おじゃる丸』声優をネットで中傷 相模原市の男に罰金10万円」産経新聞
2016.6.29
)。
この事件は、自称アニメライターの45歳の男(当時)が、小西寛子が「仕事を干された」「高額のギャラを要求した」「引退した」「元声優」などと名誉を毀損する表現を含む記事を、ツイッターおよびネットブログや掲示板、アニメ声優情報アカウント、そしてなんとアマゾンの小西寛子のダウンロード音楽の商品各レビューなどに至るまで多数投稿・書き込みをし、長期にわたり私の名誉・信用を毀損していたというものだ。
先に紹介した人物辞典の記述の中にも「元声優」という表現がある。元声優の何が悪いんだ? と思う人もいるかもしれない。ところが、私に対するこの「元声優〜」という表現は、ある意図をもって20年近く用いられているものであり、これは私だけの問題に止まらず、業務の性質によっては死活問題になりうるものだ。
元横綱、元職員、元裁判官…「元」というのは、現在はその職を離れている人、いわゆる引退をした人などの肩書きに付される接頭辞だ。つまり、私は引退宣言もしていないのに、20年近くも、「過去の人」にされていたことになる。
自称アニメライターの男が投稿するとき、執拗に「元声優」を用いることで分かるように、「元」と表記することによって、「引退したイメージを抱かせ、仕事のオファーがいかないように仕向ける」ことができる。これと同時に、NHKのアニメおじゃる丸の降板に関して、「高額のギャラを請求して降板させられた」という虚偽の事実をもってあたかも問題児であるかのように仕立て、社会的評価や信用を低下させる書き込みを行うことで、事実上の引退に追い込み、「元声優」というイメージを定着させていくのだ。実際、この男はかなり多くのアカウントを巧みに使い分け、自ら書いた記事などの信憑性を演出し、執拗に嫌がらせをしていた。
とどのつまり「元声優」という記述が凍結の決め手なのかというと、単純にそうとまでは言えず、記事の凍結(削除)はサーバー運営者の権限なので、実際のところ、どういう基準を引いて、またどのタイミングでこれを行ったのか分からない。ただ言えるのは、送信防止措置などは、相手の自由な言論を制限するものであり、公益性や急迫性の有無、競合する権利との比較衡量など、それなりのハードル(要件)がある。
いずれにしても、その判断は当然慎重であるべきだが、やはり情報を発信する側の行為が容易なことに比べ、風評などの拡散により侵害を受ける側の被害は甚大であり原状回復は不可能なので、送信防止措置は、まずは被害者保護の実現を第一義に、迅速性を担保するべきだと思う。今回の件に関しては、私が送付したメールの趣旨を、サーバーの運営会社が正しく理解して適正に判断したのだろう。
それにしても「こんな急速凍結はおかしいじゃないか!」との懐疑的な意見もあるが、別に特別扱いをされているわけではない。私は、幸か不幸か、先に述べた事件を含め、民事やその他司法行政機関による名誉毀損に関する認定もしくは判断された事実と公的文書を複数持っている。ゆえに、これらに該当する名誉毀損の書き込みが不特定多数に閲覧可能な状態であった場合、送信防止措置の手続きにおいて違法状態を証明する事実の提示が比較的容易だったのだ。
また、名誉毀損の具体的な内容もニュースや新聞記事になっているので公知の事実に近いため、措置を講ずる運営側も「リスクが少なく判断がしやすいので迅速な対応ができる」という、微妙な事情があるのだ。うらやましい? とんでもない! このアイテムを手に入れるのにどれほど苦労したことか! 刑事告訴も含めすべて本人訴訟であり、それは長い道のりだった。法実務の勉強と人生における有益な経験となったので結果オーライではあるが…。
さて、削除申請の話はこのくらいにして、なぜBAN祭りが凍結されたのかというと、一つには、先に述べた通り、名誉毀損表現や侮辱表現が含まれていたからだが、そもそも、私はツイッターでもネットでも、もちろんテレビでも一切政治的思想や信条を公表していない。私の政治的意思決定や思想などは内心のものであり、誰かがこれを強制することはできない、他人が私に対してレッテル貼ることはできないはずだ。
冒頭でも述べたが、「ネトウヨ」という呼び方は、各種のウェブ辞典やウィキペディアなどにも書かれているように「バカにした表現」であることなどから、特定の人物を指して「ネトウヨ」と呼ぶことは、その言葉の形容的意味合いを考慮すると、明らかに侮辱であると容易に判断できるだろう。
そして、私に限らず人物辞典をあ行〜わ行の最後まで眺めてみると、「ネトウヨ」というレッテル貼りの表現だけでなく、その他たくさんの侮辱表現と取れる名誉毀損表現が散見される。ネトウヨBAN祭りに書き込みをした人が、この程度は侮辱表現ではないと個人的に思ったとしても、「本人が侮辱と感じる」こともある。また、一般社会から普通の感覚で見て「侮辱」と受け取られることもある。大げさかもしれないが、これだけでも表現として、侮辱罪という犯罪行為を構成する要件たりうるのではないだろうか。
もう一つ気になったのが、裁判所の決定や判決などの効力が及んでいるわけではないのに、サイトなどから「広告を剥がせ」というのはやり過ぎだろう。ネットの中には保守だけでなく、革新やリベラル、共産主義者などの反対意見も当然存在する。保守だけがターゲットにされるのはおかしいし、企業が不買などのユーザーの声を気にすることを悪用した広告の通報は、業務妨害になる可能性もある。
それら手口の指南をしたとみなされれば、幇助(ほうじょ)や教唆、共謀など何かしらの責任を問われてもおかしくない違法性のある行為と言えるだろう。彼らのウェブサイトには正当性の記述もあり、ここでは詳述しないが、それ以外の表現も含まれており、やはりその部分においては違法性も検討されることがあるだろう。仮に、私がサーバー運営者であったとしても、遅かれ早かれ、当該サイトの名誉毀損表現などに対し警告を発し、期間を定めて自らの権限で凍結させるだろう。
以上のように、ネトウヨBAN祭りのアットウィキが凍結された理由はいくつかあるが、今回のように保守派、いわゆるネトウヨとされている人たちをターゲットにした攻撃は、左派などがやっているのか?というと、それだけでは片づけられないのだ。想像や憶測でしかないが、広く、深く、ウェブサイトにはただ単にオモシロイ遊びとしていわゆるBANをゲームとして楽しんでいることもあるようだ。
例えば、ゲームにはルールがあってそのルールがたまたま「ヘイトスピーチをつぶやくアカウントを攻撃するというお題目によるもの」だったわけで、たまたまゲームのターゲットが「ネトウヨ」と呼ばれる人たちだったりするのだ。
私の頭の中に彼らのゲームを感じさせたのは、この凍結された「ネトウヨ春のBAN祭り・夏のBAN祭り・秋のBAN祭り―アットウィキ」が削除されたその日のうちに、新たな場所でじわじわとサイトが作り直されていたことだ。そしてそれは、より「安全な場所へ」などと新たにサイトを作成するにあたり、準備段階でも彼らはいろいろと議論したようだ。事務所スタッフがのぞいたウェブ掲示板には、今回のミスは「誰かが小西寛子を人物辞典に入れたこと」であるとし、彼ら曰く「小西寛子というとても大きな地雷を踏んでしまった」ことを皆反省すべきだと書かれていたという。
今後は攻撃ルールにふさわしくないものを省いて、自分たちがBANの場として構築されていくものを容易に破壊されないように、新たなルール作り(リスクマネージメントを考慮?)をしていこうなどの意見も見られたようだ。
実際、私から見ても、見苦しい明らかなヘイトスピーチや、単なる嫌がらせやうっぷん晴らし、そして金銭的利益のためにいわゆる偽右翼活動している人などの言動には嫌悪しており、攻撃されてもやむなしとの考えは一理あると思う。そして、現代のディープなネット社会にはそれなりのいろいろな形のゲームがあるかとも思う。そのゲームの中のルールが一種のグレーゾーンの中に正当性をいわしめるものならば、百歩譲って「あっちの芝生に行ってやれ」程度には言うが(認めているわけではない!)、ここぞとばかり便乗して、思想信条や自分の反対意見を押し通すために自由を制限しようとするならば、私もBANするしかない(笑)。
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昨日のウィメンズマーチに参加された方、本日の京都ヘイトデモカウンターに参加された皆様、お疲れ様です。 昨日のウィメンズマーチでは公式の素早くシンプルな対応でトランスジェンダー差別をする人特にTREF(トランスジェンダー排除・差別をするフェミニスト)を路上に出さずにすみました。 しかし、いつ彼らが路上に出てくるか分からないので警戒が必要です(4月の東京レインボーパレードとか)。 今日のヘイトデモではヘイトスピーチ解消法の限界や社会のヘイトに対する取り組みが道半ばであることが分かりました(5年前に比べれば完勝です。念のため)。 社会が人種差別・女性差別・LGBT差別をはじめとした全ての差別に取り組むためには政治と行政と社会が一体となって差別に取り組み「何が差別か、何が差別でないか」をはっきりさせて社会で共有するかが大事なんだと思い知らされました。 路上やネットでの直接カウンターはそれに大きく寄与しますが、さらに「記録と通報し差別のデータを共有して活用する」「反ヘイト政治家を生み育てる」ことも大事です。 前者はARICというNGOに通報することでできます。 差別の通報はこちらから。 僕はネトウヨとTERFを通報しまっくてます。 https://antiracism-info.com/contact/ お金がないので、余裕があれば寄付もお願いします。 https://antiracism-info.com/donation/ 学生さんのボランティアも募集しています。 https://antiracism-info.com/menber/ 後者はまず4月にある統一地方選挙に注目です。Nohatetvで紹介された候補者のリストと放送URLを置いておきます。 https://youtu.be/mDNr_RHQ0W8 https://togetter.com/li/1325397 また、こちらでもおいおい紹介します。 https://www.instagram.com/p/BuyMrirAfwQ/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=z505b1t6ivha
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「訴訟案件についての推論集及び対策集」
単純に大石さんとれいわに対する橋下氏や維新攻め封じの為に訴えたのであれば、裁判の行方や訴え自体は殆ど何の意味もなく、単に裁判に訴える事により橋下氏や維新政治への追求をやりずらい逆転情勢を社会的に作り出す為の一手だと思います。それにより今後更に訴えられる口実を作らないように大石議員に警戒心を抱かせて、発言に注意を要するように仕向け、それによりこれまでの進撃な批判などが必然的に抑制されるという効果を狙っているのではないだろうか?
いちゃもんつけて相手の自由な発言を奪う、菅直人議員に施そうとした手口と同等の手口か大石・れいわの自由な維新攻撃を抑制する為の悪策だろう。今後さらに訴えを連発して、自由な攻勢を抑制していく作戦ならば、相手の手中にはまらないように、慎重な対策が必要かもしれない。
300万もかけるとは、常に政治活動を困難にしていく為の大石議員の個人的資産略奪作戦を狙っているのだろうか?家族を養いながらの議員活動にも目を付けているかもしれない、つまり、裁判で争うことになり、裁判費用が嵩み敗訴に持ち込まれれば、裁判費用を自前の資産で賄わなければならなくなれば、家族を養う家計に支障が生じかねない、姑息にも、議員活動に関わる家庭生活との両立の根本に300万もの負荷をかける事によって活動を抑制する事を狙っているのかもしれないが、不当な訴えであれば即却下です。
相手は裁判で負けても、勝っても、却下されても、どのケースでも橋下・維新陣営にとって大石・れいわ勢からの攻勢抑制効果を高められる起爆剤として利用する為に仕掛けたのかもしれない。
菅直人議員の一件の直後に、大石議員が菅直人氏に直接呼ばれ、共闘関係を得た事もあって、維新にとっても大石れいわ陣営に対して、牽制球になって好都合になるという目論見で仕掛けたのかもしれない。
選挙戦の強烈な敵対勢力による攻勢を早期叩き潰して抑制しておく綿密に計算された選挙戦術として、維新に有利な情勢を、いちゃもんつけ作戦を利用して自ら意図的にメディアを利用して社会的優位情勢を高めていく作戦か?
相手を軽視していると、メディアを利用してネトウヨ世論と共に社会的影響力を強め、徹底的に追い討ちをかけられ追い詰められて足を掬われかねない、メディアとネトウヨ世論を利用して自らに優位な社会情勢を醸成してそれを最大限利用して社会的に叩き潰していく経験を積み重ねてきた橋下・維新類は、自らが負けていても正当化して自身に優勢な社会情勢を無理矢理有効化させて論断していくが、自らが不利になり過ぎると判断すると一気に静まる事が多い。
維新類の基本は何とでも言い換える滅茶苦茶論説。日本維新共同代表が菅直人氏に施したすり替え正当化強化論断と同様の論説をよく用いる。彼らは筋金入りの滅茶苦茶な詭弁・偽装すり替え論断論法を用いる逸材揃いであり、ネットもメディアも有効に利用する経験を豊富に持っている基本的に攻撃的な政党集団である。
維新は立憲の中の親維派を取り込んで利用する事で選挙選を有利に進め政界再編を進めようと考えているのではないか?維新は自民も上手く利用して党勢拡大を可能にするだろう。その為に障害となるれいわ・大石陣営を叩き潰すチャンスを常に仕掛けて生み出そうとしているようである。
大石議員に対しては、橋下氏との闘いの始まりをわざわざ取り上げている事��らして、今後もいちゃもんつけ訴訟を追加して起こしていく可能性を匂わせて脅す戦術を用いている。実に醜い滅茶苦茶な偽善的手口を用いる。悪質な安倍の素を純粋に凝縮して特化したような偽善的偽装工作戦術。
Hypocrisy is the homage that vice pays to virtue.
維新に関しては、日本維新共同代表が菅直人氏に施した一連の常套手法が今後の参考になりそうである。
維・自・公共通偽装論説。論理無視した強引な「解釈・見解・とらまえ」すり替え論断戦術を用いる日本維新共同代表は、「橋下氏は維新の創始者であることに変わりはないが、維新とは関係ない、それとは別に、あなたとは見解の相違があるとは思うが、我が党は菅氏の個人ツイートが立憲からの侮辱と解釈したので抗議する」と矛盾した強引な独断的主張を行ったが「見解の相違です!」「橋下氏と関係ないならお帰り下さい!」で終了!
これまで維・自・公が用いてきた共通論術としては、強引に都合よく解釈をすり変え、異なる意味を当てはめる、論理を無視し、無理矢理論説の正当性を編み出して正当化する。ダブルスタンダードを逆さまに順番に並べて論じて如何にも筋が通っているかのように装う偽装工作も共通の特徴となっている日本語を悪用するペテン語論法を用いるペテン原人。
例えば次のように彼らはペテン語論法を用いている。
「彼は我が党とは全く関係ありません。彼は我が党創始者であることに変わりはありません。彼は我が党とは関係ありません。それとは別に、あなたのツイートは、御党から我が党への侮辱と解釈しました。彼とは関係ありませんが創始者であることに変わりはありません。見解の相違があるかもしれませんが、そのとらまえかたはそれぞれです。我々はあなたのツイートを御党から我が党への侮辱と解釈し、御党に対して謝罪を求めて抗議します」と無理矢理な正当化を強引に装い続けるペテン語論法を用いている。
論理が通らない矛盾を正当化するためにわざとダブルスタンダードの論説の順番を逆に区切って論じ、一見筋が通っているかのように装い続けるペテン語論法を駆使している。
「彼は我が党創始者ですが、現在我が党とは関係ありません」ではなく「彼は我が党とは関係ありません。彼は我が党の創始者であることに変わりはありません」と二つの事実を分断して前後を逆に論じ、潜在的関連性があるかのように関連づけてごまかしながら関係性がないかのように分断して論ずるごまかしをしている。
「それとは別に!我が党はツイートを御党から我が党への侮辱と解釈しているので、抗議します」
「それとは別に」と意図的にわざと分けて論じる手口を用いて一連の筋が通った正当な抗議のように見せかけているが、菅議員が「御党とは関係ない個人についての考察をつぶやいた個人の考察なので、御党に対して我が党として批判や抗議をしたものではないので、見解の相違です!」と伝えた段階で完全に維新への抗議や侮辱には当たらないことを菅議員が自ら明確化しており、維新の解釈が間違っている事について維新共同代表自らも「見解の相違があるかもしれない」菅「見解の相違です!」馬場「見解の相違があるのかもしれない」菅「見解の相違だと言っています!」と見解の相違があることを馬場議員自身が認める発言を行ったやりとりによって見解の相違は明確化されているので、その時点で完全論破されています。それでも、それぞれの反発の論理を別々に入れ替えて分断して論じて筋が通っているかのように装い続けて強引に正当化し続ける。矛盾を理詰めされると度々話をすり替えて相手の弱みを指摘してマウントをとり、論理破綻した主張を正当化して論断して菅議員の更なる理詰めを逃れて退出した。
一政党の代表的議員のオープンコミュニケーションの場における公開私感のコミュニケーションの中で個人や公党に纏わり歴史的知見を伴う示唆に富んだ私感をツイートで述べ、Twitter界でのコミュニケーションの反応を見て市民の反応や見解を学ぶ、その個人的な自らの考察思索ツイートを、公開のTwitter界に投じて社会的コミュニケーションの反応を通して学んでいる菅直人氏の活動に対して、日本維新共同代表は「御党が我が党に対する政党公式な侮辱をした」と飛躍した間違った解釈をしていたが、そもそも普段から散々のように政治団体への批判や侮辱やレッテル貼りを主として行ってきたこれまでの維新自ら山のように批判を行ってきた事を棚に上げて、立憲に対して「批判はいけません」などと自党の主張を正当化し、「維新への批判はしないで下さい」とお願いされても、そっちが日常的にやってきた事なのになぜ、うちに「批判しないでください」などと言えるのか?、それこそダブルスタンダードそのものであり、全く筋が通らない抗議。
仮に維新が立憲議員個人の考察コミュニケーションの一つを公党へ向けた政党の公式抗議としての侮辱だと��解したことが適切な見解だとしたとしても、立憲のみならず他党に対して常態的に批判を主体的に行い続けてきた維新が、自党に対する批判や侮辱について謝罪しろと主張しても、それ自体がとんでもないダブルスタンダードな主張であることに変わりはなく、「それならば、まず先に、維新が立憲に対してこれまで散々行ってきた批判や侮辱の全てを謝罪し撤回しなければ筋が通りませんよ」という話になるだけであ。
そもそも先日にも、維新代表自身が「維新議員に対する批判は政党代表ではなく議員本人に直接言って下さい」と主張したばかりではないですか、と菅議員に指摘されると、「だったら我が党創始者で現在は関係ない橋下氏に対してあなたが批判したのだから本人に対して抗議すれば良いでしょう」と自分たちの方が抗議しに来ている事を無視して滅茶苦茶な事を言う、そもそも菅直人議員は誰に対しても抗議などはしておらず、個人的推考の公開コミュニケーションの場で推考した私感をつぶやいて国民の反応やつぶやきから学ぶ活動をしていたに過ぎない一つのつぶやきに対して、わざわざ日本維新共同代表自身が、なぜ今は維新とは関係ないという維新創始者本人に対して、直接「抗議しろ」と迫るのか?本人に対しても御党に対しても、直接抗議や批判や侮辱を行う意図で呟いたものではない事は説明してきたとおりであり、にも関わらず、全く必要のない抗議を本人にしろ!となぜ創始者の代表から命令されなければならないのか?滅茶苦茶な主張である。維新は初めから常にダブルスタンダードな筋が通らない主張ばかりし続ける性質がある。
全て一つ一つの全く異なる論理を分断して論じておきながら、全体では、それぞれの論理の筋が一貫して通っているかのように装い、強引に巧妙にごまかしながら正当化する。
筋の通った論理を無視し、論理破綻している矛盾のあるダブルスタンダードの分断した別々の論理を一連に都合よく組み合わせて、一貫して論理が通っている主張のように偽装して正当化するペテン語論法。
橋下氏に関しても、それと同等の性質がある。裁判にして勝つ事が目的なのではなく、訴訟案件にして注目を集める事自体を利用して、メディアを利用して無理矢理自分たちに有利な社会情勢を醸成して、大石・れいわのマイナスイメージを植え付けるのが目的だろう。
だが、菅氏の一件で橋下氏と維新は関係ないと主張した一件を、橋下氏自身が利用するならば、逆に菅直人氏への一件の腹いせに返り討ちを兼ねて大石氏の批判に関係ない維新を絡めたダブルスタンダードな批判を行ったりして、筋が通らず不当な批判を重ねてマウンティングして仕掛けてきかねないし、また関係ないれいわに対しても同様の手口で関連性を持たせて巻き込んで不当に追い詰めようとする可能性もある。
その手口にはまらない為に、橋下氏からの訴えに維新を重ねて批判することは十分注意しないといけない。相手が優位に進めようとするあらゆる手口に都合よくはまらないように注意しないと、そのような常套手段をいくらでも使う準備が相手には経験的に身についているので、注意が必要。
大半が滅茶苦茶なすり替え刷り込み論断偽善戦術、相手の発言の弱みをついてそれを最大化させて利用して巻き込んでくることも多い。
維新も自民も公明も同等のペテン語論法を用いるペテン原人が多く存在しているので、その論法について、分析して把握しておくと、困った時の対処法に役に立つと思います。
彼らはみな似たようなペテン語論法を駆使して編み出しているが、同じようなパターンや常套手段の法則が身に染み付いている者ばかり、常識的筋の通った論理は全く通用しないペテン原人であり、彼らは日本語を悪用してペテン語論法を駆使して用いるペテン原人たちである。
彼らは日本語文化を破壊してきた日本社会政治の破壊者である。それは彼らの言語の用い方をみればすぐにわかる事である。論理を破壊し、日本語の解釈を都合よく無理矢理すり替えて組み替えて、無茶苦茶な当てはめをして正当化を主張し刷り込んでいくペテン語論法を用いるペテン原人。70年以上の闘論の経験を積み重ねてきた菅直人氏は、ひるむことなく一つ一つ全てを見事に論破してしまった。あの冷静な討論の粋に学んで、ペテン原人たちを一人一人退陣させていこう!
そもそもあの訴状文が、訴えではなく、脅し、脅迫文に近い要素が含まれた内容であることから、逆に脅迫罪のようなものに問えないだろうか?
前代未聞の法的訴訟の根拠がない訴状である詳細な訴訟の根拠となる法的内容文が他にあるのならば、有効性が出てくるのかもしれないが、あの文面では、何の訴状にもならないのではないか?
ある種の訴状風脅迫文ならば、滅茶苦茶騒いで怖がって脅迫文が送られて来たので逆に脅迫罪で訴えるというのが、良い対処法かもしれない。
精神的に恐怖に追い詰められて、会期中の議員活動にも支障が出て、精神的損害を受けた、訴状を利用した脅迫文を送りつけられ、大変恐怖に苛まれているならば、すぐに脅迫罪で警察に申し出た方が良いかもしれない。
早く訴えて逮捕した方が良いかもしれない。警察の取り調べで偽善的な答弁は通用しないはずである。虚偽発言は全てが罪に問われる。
金に困っての1、2年後を見越した将来的なお小遣い稼ぎを計画した第一段だろうか?w こんな訴訟が成立したら、世の中いくらでも、不当に訴えられる社会になってしまうので、こんな姑息な小学生以下の訴えに負けてはならない。大人の世界の教育かお仕置きが必要ではないか?何を訴えているのか全くわからない子どもの脅迫文ですw
まずは、児童相談所などに相談して、「悪質な、いたずらは犯罪ですよ」と叱ってもらう事が必要かもしれない。内容は大人の訴状文ではない、まるっきり、子どものいたずら文の類だ。弁護士に訴状文を見せたら、きっと、頭を抱えて、そのまま火にくべるか、却下するだろう。
大石議員・れいわの会期中の仕事時間を奪う悪質な妨害工作かもしれない?国会議員に対する嫌がらせは犯罪行為だ。民事と刑事、両方訴えるか?
永続的な脅しを含ませた脅迫文により、国会議員に恐怖を与え、議員活動に支障をきたせば脅迫罪で刑事訴訟に訴えるのではないか?
家族が恐怖に苛まれ、日常生活に支障をきたしていれば、さらに重罪だ。相手は一般社会的に詭弁発言で悪名高い人物だ。
訴状に偽証や偽造がないかも重要だ。訴状が法的訴えになっていない疑いが強い。議員に対するいたずらは犯罪行為だ。
悪質であれば逆訴訟だ。今度はブーメランを返すよりも、刺さったら抜けない返しが付いたぶっとい銛(もり)を直接ぶち込んだ方が良いかもしれない。シュン!ドスッ!「はうっ!ぬ、抜けないぃぃー!」みたいなwww
日本中の良心的な弁護士団体等全てに大石議員への協力を求めて援護加勢してもらえるように念力を送っておきます。(おしゅまい)
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【報告】5.9 五輪とても無理です。即刻ヤメロ!新国立競技場GURUGURUデモ
(A photo by @mkimpo_kid: Check here for more photos.)
新型コロナ変異種ウイルスが猛威を奮い、3度目の緊急事態宣言が発出される中、都内各地ではオリンピック・テストイベントが目白押し。都立明治公園をつぶし、都営霞ヶ丘アパートをつぶし、野宿する人々を追い出して建てられた新国立競技場でも、5月9日、陸上競技のテストイベントが開催された。
私たちは、人々の命と暮しを踏みにじるオリンピックを今すぐ中止しろ!奪ったものを返せ!と声をあげるべく「五輪とても無理です。即刻中止!新国立競技場GURUGURUデモ」を開催した。
(photo by @galbraithian; Check here for more photos)
テストイベントはTBSが生中継する力の入れよう。それに加えてオリンピック中止を求める声の高まりを受けてか、デモへの注目度も高く、開催前からスポーツ新聞を中心に「不穏な動き」などと抗議行動を予告する報道が行われ、集合場所には国内外のメディアが集結していた。
デモ前の集会では様々な人がオリンピック反対の思いを訴えた。
まずは、98年長野オリンピック反対運動を取り組み、長野市での「聖火」リレーでも「オリンピック反対!」の声をあげた「オリンピックいらない人たちネットワーク」からの連帯アピール文が読み上げられ、続いて5月11日に福岡で「聖火」リレー抗議行動を呼びかけていた「オリンピック不要団」がリモートでアピール。
続いて、入管での面会支援を行っている学生の方が、オリンピックがいかに移民・難民の人々の人権を踏みにじっているか、実態を交えて強く訴え、「オリンピック追い出しヤメロ明治公園国賠」原告団の仲間からも新国立競技場建設における野宿者排除とオリンピック利権を糾弾するアピールが行われた。おことわりんくからは、5月1~2日の沖縄での「聖火」リレーとその抗議の様子を報告。新国立競技場建設に際し取り壊された都営霞ヶ丘アパートの元住民の方も駆けつけてくれ、生の思いを語って下さった。医療従事者の方からは「五輪をやめて医療や貧しいたちにお金を回すべき」と声が上がった。
(それぞれのアピールは記事後半に要旨を記載)
デモは新国立競技場を2周!競技場の中からは時折、イベントを盛り上げるアナウンスや音楽が漏れてくる。
3月の2度のデモでは、警察官が車線よりはるか内側にデモを圧縮し、「早く歩け」「前につめろ」と至近距離から大声で叫ぶというデモ妨害が続いていた。同じことを繰り返さないよう、事前に抗議申し入れを行っていたにも関わらず、警察はこれを完全に反故にしたため、デモ隊は密状態を強いられながら進むことを余儀なくされた。
それでも、目の前に公園を奪い、団地を奪い、人権を踏みにじった新国立競技場がそびえ建っている、その中でオリンピック関係者たちがのうのうとテストイベントを行っている、それだけで抗議の熱気は高まり「オリンピック今すぐやめろ!」の声は力強く轟いた。
オリンピック再開発やめろ!
オリンピックで貧乏人を追い出すな!
明治公園を返せ!
霞ヶ丘アパートを返せ!
新国立競技場は呪われたスタジアムだ!
今すぐ解体しろ!
デモ前日には、水泳の池江選手がオリンピックに反対する人々から「辞退しろ」という声を受けて苦しい、とTwitterで発信し、メディアではアスリートに怒りの矛先を向けるのは間違っているという論調が相次いだが、私たちは以下の��うにコールした。
オリンピックは政治だ
アスリートは極めて政治的だ
アスリートは政府の道具になるな
批判の声を封じるな
後の報道を見ると、抗議の声はテストイベント開催中の新国立競技場の中まで届いていたという。
デモが終わるころにはすっかり暗くなっていた。最後に、反五輪の会のメンバーが、オリンピック��パラリンピック翼賛教育が続く学校現場からのアピール、パラリンピックについて批判するアピールをおこない、解散となった。参加者は110名。
終了直後から、地上波テレビ番組を含む国内外の多くのメディアにオリンピック反対デモが報じられ、SNS等には賛同するコメントが無数に並んだ。いまやオリンピック・パラリンピックの中止を求める世論の高まりが、無視できないほどに大きくなってきていることの表われだ。
オリンピック今すぐやめろ!オリンピックより命を守れ!
<各社の報道>
国立競技場で陸上東京五輪テスト大会 周辺では五輪反対デモ予定 緊迫感漂う中開幕(デイリー)
【東京五輪】「中止デモ」の予告で厳戒態勢…陸上のテスト大会がスタート(東スポ)
東京五輪中止求めるデモ行進が決行「今すぐ止めろ!」陸上テストイベント中の国立競技場周辺で(スポニチ)
【東京五輪】国立競技場周辺で大規模の反五輪デモ「中止しろ!」「誰のためにやるのか!」「貧乏人を殺す」(東スポ)
反五輪デモで国立競技場周辺は騒然…公安警察の〝抗議運動潰し〟も発覚(東スポ)
国立競技場前で五輪反対デモ「人殺しの五輪」「ぼったくり」陸上テスト大会中に抗議の声(デイリー)
国立で五輪リハ、温度差くっきり…緊急事態宣言下で“厳戒”陸上テスト大会(サンスポ)
国立競技場周辺で五輪反対デモ「医者もナースも限界だ」(共同通信)
国立周辺で開催反対デモ 東京五輪(朝日新聞)
「五輪いらない」デモの中、無観客で本番向けテスト大会(朝日新聞)
国立競技場前で東京五輪反対デモ 海外メディアも取材(毎日新聞)
東京五輪開催に抗議、国立競技場周辺でデモ(AFP)
「オリンピックより命を守れ」…東京都心で「オリンピック中止」デモ(WowKorea)
Two Tokyo Olympics: Inside and outside the National Stadium(AP)
[출처: 중앙일보] 일본 하루 확진 7000명 육박, 국민 59% “올림픽 취소해야”(中央日報)
Japan: Dozens march around Tokyo Olympic Stadium to protest against 2020 Games(Ruptly)
Protesters call for Tokyo Olympics to be canceled(Japantimes)
Tokyo Olympics: From a dream in 2020 to a risk in 2021(Times of India)
Protest against Tokyo Olympics(ABS CBN)
‘Olympics kill the poor’: Furious Japanese public protest Tokyo 2020 Olympics as calls to cancel Games continue
youtube
当日映像 :ken23quさんより
<集会アピール要旨>
1,「オリンピックいらほない人たちネットワーク」長野
皆さん、市民の力でオリンピック開催止めよう!ね。オリンピックより命が大切!あたり まえだよ! 4月1日、長野でも聖火リレー反対!東京オリンピック反対!の抗議行動をやりました。 「東京五輪開催反対!オリンピックいらない!聖火リレー反対!」を叫びました。バナーには「Fukusima Not Tokyo Olympics! (オリンピックなんかより福島だろ)」「NO Olympics Any Where!(世界のどこにもオリンピックいらない!)」「Breads Not Circuses!(サーカスよりパンを)」「オリンピックよりコロナ対策を」など。夜の7時、まるで葬式の参列者のような静かな観客の中を、スポンサー企業のデコバスと警察車両がぞろぞろ、スポンサーのための聖火リレー・オリンピックでしかないことが明らかだ。聖火 ランナーも集った観衆も IOCやオリンピックのダシにされたんだ。
そして、まさにこの時、NHKはライブ中継していた音声を30秒間「消音」した。公共放送を自称するNHKが、意図して「オリンピックいらない!」の声をなかったことにしたんだ。NHKがやったことは、私たちの声を消音しただけではなく、私たちの「思想・ 信条の自由」「表現の自由」を侵害したんだ。あったことをなかったことして、歴史を3 0秒消したんだ。
4月16日、NHK に「オリンピック・聖火リレー賛美の御用報道をやめろ!」「消音」を指示した過程などの調査公開を求める抗議文を提出。オリンピックは平和の祭典という大ウソ・五輪開催による国民意識(ママ)の統合が、憲法改正へつながる。消音は自ら報道の自由を侵害し、ジャーナリズムの自死に他ならないなどを理由にあげました。
皆さんの中にも、テレビで聖火リレーハイライトを見た人いるとおもうけど、気持ち悪い。感動の押し売りと涙。まるで戦時中の「肉弾三勇士 」、若い人は知らナイネ。
私たちは東京の皆さんへ連帯の意味も込めて 5月16日(長野)、22日 (松本)で「オリンピックいらない!コロナ下の五輪強行開催やめろ!」の連続集会をやります。
私たちは、「戦争をしない!させない!」ための練習として、オリンピックいらない!の声 を上げてきました。 私たち市民の力のリレーで、ホッケを食べてオリンピック・ファシズムをぶっとばし、貧困と格差・コロナまで拡げ、命まで奪うオリンピック止めましょう。
2021.5,8 オリンピックいらない人たちネット ワーク
Masao Ezawa
2,「オリンピック不要団」福岡
何年も前からオリンピック反対行動をやられてきた皆さんをリスペクトします。
僕は絵をかいてメッセージを伝える職業なので、表現の自由といったテーマを中心に活動することがあります。2011年に警察からデモ行進を妨害され、国賠訴訟で争い、本人訴訟で2015年に高等裁判所で勝訴確定しました。警察相手の国賠訴訟で市民が勝つ割合は6%とすごく低いと言われているのに勝ったのが自慢です。
オリンピック反対行動をやらなければと思いつつ、福岡から地理的にも離れているので、今までなかなか腰があがらなかったのですが、聖火リレーが福岡にも来てしまうということでおしりに火がついてやっといま行動しています。
普段、福岡で脱原発、反戦、G8先進国首脳会議反対などのデモをやったり、Twitterに投稿したりすると、時々ネトウヨなどに絡まれるのですが、今、オリンピック反対と投稿してもそういうことが一切ありません。大多数の人たちが、この時期にコロナの中でオリンピックを無理やり進めようとするのはおかしいんじゃない?と感じている。マジョリティ側になって行動するのは初めてなのではないか、すごく珍しい機会だと思います。これを一緒に大きい声で福岡でも言っていきたいと思います。
福岡では、公道での「聖火」リレーは中止になりましたが、5月11日火曜日に平和台陸上競技場で聖火リレーの点灯式だけ行われます。この点灯式に夕方4時から競技場前で抗議行動をやろうと思っています。(5月11日当日の様子)
東京の皆さんと連帯して行動でき心強いです。
3,品川にある東京入管に被収容者の面会支援に行っているという学生の方
シュプレヒコール
オリンピック反対 税金使うな
オリンピック反対 コロナが優先
オリンピック反対 医療が優先
オリンピック反対 生活守れ
オリンピック反対 命を守れ
前提として、オリンピックというのは差別と暴力の祭典。それはあらゆる形で社会に現れているがその一つが入管だ。オリンピック招致が決まってから3年後の2016年の内部通達では「東京オリンピック・パラリンピックの年までに安全・安心な社会の実現を図るため、不法滞在者ら社会に不安を与える外国人を大幅に縮減することは喫緊の課題である」と述べられている。ここでいう「不法滞在者」というのは正規の在留資格を何等かの形で失った人。ただビザがない、紙切れ1枚がない、それだけのことだ。実際に2016年から収容はどんどん長期化し続け、5年以上も収容されている人もいる。
収容所内の状態は、まともな医療も食事も環境も一切提供されていない。医者に行きたいと訴えても実際に診察されるまでに一週間もタイムラグがある。検査もまったくしてくれず、嫌なら帰れと言われるらしい。死亡事故も毎年のように出ている。いかに入管の医療が医療として機能していないかわかる。
最近、仮放免されたネパール人女性は入管に2年1カ月収容されていて、子宮筋腫が悪化していた。外部の医者が検査結果を見て驚くほどの、いつ倒れてもおかしくない、手術をしなければならない状態だったにもかかわらず、仮放免されたのはそれから半年後。彼女は入管から、「病気が治ったらまた収容する」と言われたらしい。仮放免者は無保険で高額な医療費がかかること、就労できないためにお金がないことなど、入管はわかっていながら「出してやるから自費で治して帰ってこい」「治ったらまた収容するからな」と脅しをかける。こんな状態だ。
食事も品川入管では冷え切っていて、虫や髪の毛が入っていることもざらにある。そんなもの食べたくない。衰弱して食欲もない。しかし、食べないとハンストと思われて懲罰房に連れていかれる。だから無理に食べている。
懲罰房は、入管が問題行動を起こした人だと判断した人を連れて行��部屋。窓がなく、トイレも頼まないと流してもらえない。狭くて不潔なところ。
昨年の秋に仮放免されたフィリピン人トランス女性は、ハンストや抗議行動に一切参加していなかったにも拘わらず、懲罰房に6カ月も入れられた。これはやはり自分がトランスジェンダーだからだと彼女は語っている。
一方、オリンピックは何をやってるか。オリパラ公認プログラムとして、セクシャルマイノリティの情報発信や安全な居場所づくりを行うプライドハウスTOKYOレガシーなる事業がある。トランスジェンダーの移民をトランスジェンダーだからという理由で6カ月も懲罰房に閉じ込めておきながら、日本人のトランスジェンダーやマイノリティにはエールを送る。在留資格をもたない移民・難民を入管の中で虐待し、時には殺しておきながら、一部のスポーツができる難民は難民選手団として組み入れる。こういうレイシズム、排外主義、能力主義、様々な差別による命の選別こそがオリンピックの本質だ。だから、COVID19の感染拡大に合わせて選手やオリンピック関係者を医療面で優遇しろという話になったのも当然と言えば当然、オリンピックの論理はそういうものだ。いまはCOVID19が拡大したことで、この社会でデフォルトとされているような人にも命の選別が及んだから抗議の声が広がったが、これまでもずっと社会の中で弱い立場に置かれてきた人たちはオリンピックのために殺されてきた。それを忘れてはいけない。オリンピックが続く限り犠牲者は増え続ける。オリンピックは、様々な差別を軸にしてそれを押し広げることによって成り立っているから。
今やっているトーチリレーも、あの火の燃料はレイシズム、セクシズム、能力主義、資本主義、新自由主義、ファシズム、優生思想、その他ありとやらゆる差別と暴力だ。それによってあの「聖火」は燃えている。だから「聖火」は消さなければいけないし、オリンピックは今ここで完全に廃止しなければいけない。オリンピックをやっている限り誰もが安心していきいきと暮らせる社会なんてものは絶対に実現しない。名古屋の入管で亡くなったウィシュマさんの問題がいま話題になっていて、「彼女が生きていけた社会を目指して」というスローガンがあるが、彼女が生きられた社会はオリンピックをやってる限り絶対に実現しない。だからオリンピックは世界のどこにもいらない。オリンピックを、いまこの場で終わらせたい。
4,オリンピック追い出しをヤメロ明治公園国賠原告団
皆さんが今いる新国立競技場は都立明治公園という公園だった。野宿者で、長い人は30年近く暮らして来た。新国立競技場を建設するため、2014年から16年にかけて、警察、裁判所、JSC、東京都が総力をあげて5名の野宿している住人を蹴散らすという国家権力むき出しの暴力が振るわれた。オリンピックという国策事業のためなら、貧民を暴力的に蹴散らして突き進む、そういったことは許してはならないということで、2年前から国賠訴訟という形で争っている。
最初は長年住んでいた仲間と追い出しをやめろ、話し合いで解決しろと交渉を重ねてきたた。それに対して2016年4月16日、強制執行という暴力で叩き出された。それから緊急避難として明治公園の一部であったこの「こもれびテラス」に半年間テントを張って暮らしてきたが、この場所も廃止された。そのあとに建ったのがこんなどでかいJOCビルだ。
もともとJOC、日体協は老朽化した岸記念体育館に本部があった。そこを建て替えても高層化できないということで困った森喜朗が東京都に相談したところ、都立公園であったこの土地が優先的に払い下げられた。立ち退き料として古い老朽化したビルは東京都に買い上げられ、その建設費も丸儲け。オリンピックだから、スポーツ団体だから、まるで私物化したように税金がじゃぶじゃぶ使われ、その一方で貧しい者、野宿している者にはむき出しの暴力がふるわれるということを、5年前、私たちはまざまざと見せつけられた。
これは日本に限ったことではなく、どこの国のオリンピックでも、もれなく巨額のお金が動くオリンピックのために貧民の暮しが蹴散らされてきた。私たちは東京で、こんなことは止めるんだということで闘ってきた。やれることはすべてやるつもりで、今現在も裁判で対抗している。
今年、こんな状況下でもオリンピックをやるとオリンピック推進事業者は言い続けている。その際には、いま皆さんの立っている新国立競技場地域一帯を封鎖する計画があるという。ラーメン屋もマンションも全部、地域一帯を囲って、そこら辺にゲートを作って、顔認証で関係者しか入れない。これを警視庁はセーフゾーンと言っている。
私たちは今年の開会式に合わせて既にデモ行進の申請をしている。警視庁からは、この辺りはセーフゾーンになるからデモができないかもしれないと言われた。この一帯にはまだ野宿する仲間、明治公園から追い出された仲間が暮らしている。その仲間のところにもいま東京都から「出て行け」「フェンスで囲うからな」「工事の邪魔だ」という圧力が徐々にかかっている。今、日本全国こんな状況下で「聖火」リレーが行われているが、東京で「聖火」リレーがやられるとき、また国や東京都が追い出しをかけてくるのではないかと皆心配している。皆で知恵絞って対抗していこう。
その一環として国賠訴訟に取り組んでいる。次回は6月22日15:30東京地裁706法廷。ご注目いただきたい。今回、東京地裁が証人として憲法学者の内藤先生を採用し証人尋問が予定されている。学者は通常書面のみで済まされることが多いので異例だ。
明治公園で起きた出来事は5年前だが、国家による暴力、オリンピックによる暴力について、一つ一つ洗いざらい蒸し返し、こんなことは二度とさせないと闘っている。皆さんも、コロナで国がこんな状況下でも暴走を続けるオリンピックに違和感を覚えているはず。ともに食い止めていきましょう。
5,おことわりんく
5月1日と2日に沖縄でもトーチリレーが行われた。沖縄ではまん延防止措置が取られているので、沖縄本島では公道を走るということはなく、人を制限した中で無観客のリレーが行われた。
私たちが行くことについて躊躇があったが、パンデミックの中でも辺野古の工事はずっと継続し、オリンピックも中止されない、「聖火」リレーもやられている、運動の側だけが止まってしまっていいのかという声におされて行くことにした。
沖縄本島の「聖火」リレーは無観客ということだったが、5月1日、名護市市民会館の駐車場を白いシートで囲った中で、100人のランナーが1日かけて走るということが行われた。上から見ると、囲った中を、さらにゴーカートのコースのように区切って、そこをランナーと警察官が走る。漫画のような光景だ。その市民会館の前で抗議のアピールをし、セレブレーションの間中私たちの声が響きまくっているという状況だった。途中、反基地運動をやっている医療従事者の方も飛び入りで参加してくれた。
翌日は沖縄戦の激戦地だった糸満の平和の礎で、人が入れないような形にしてトーチリレーが開催された。その日は那覇の県庁前でスタンディングをし、国際通りで「道じゅねー」という練り歩きを行った。沖縄ではいま、辺野古の埋め立て工事に南部戦線の激戦地の遺骨が残っている土砂が使われようとしており、人々は非常に怒り、県庁前でハンストをされている。その横でスタンディングをした。
その日は離島でもトーチリレーが行われることになっていたが、宮古島では基地反対の市民運動の人たちとともに中止するべきだという申し入れを行った。島ぐるみ共闘の中で生まれた、自衛隊基地に反対する市長は、宮古島では一切リレーをやらないという非常にすばらしい決断をした。同じ離島の石垣島では公道を使ったリレーが行われたが、日本会議系の市長で、首長の立場性が現れたのではないか。八重山諸島は9月にも史上最大の自衛隊演習が行われることになっていて、今回のトーチリレーもそれに対するセレブレーションのような意味合いを持つという風に沖縄の人々は感じているようだ。
1964年のオリンピックのときには沖縄から聖火リレーが始まった。復帰前で禁止されていた日の丸を振ることがそのときは認められて、一時期には復帰運動のシンボルにもなったが、復帰後の現状、日本として沖縄が一つに束ねられることに対しても非常に強い違和感をもち反対の行動をとっている。そういう意味でも、今回福島からリレーが始まるということも含め、トーチリレーのおかしさ、政治性を皆口にしていた。
目取真俊さんのブログの中に「5月1日に名護市では、市民会館周辺を使いオリンピックの聖火リレーが行われた。西海岸では巨額の放映権料を当て込んだオリンピック利権。東海岸では増額される工事費・警備費を当て込んだ辺野古利権。さらに選挙がらみの権力亡者たちが、新型コロナウイルスで市民に不要不急の外出自粛を呼びかけながら、自分たちは世論を無視したイベントや工事を強行している。」と書かれている。まさにこういうことが沖縄では行われている。沖縄と福島、東京五輪の問題はつながっているし、東京に住んでいる私たちの責任もすごくあると思っている。命を蔑��にされいる人たち、暴力に抗って闘っている世界中の人たちと一緒にオリパラを中止させていきたい。
6、霞ヶ丘アパートを考える会&霞ヶ丘アパート元住民の方
<霞ヶ丘アパートを考える会>
このJOCの庭となっている「こもれびテラス」の向こうのエリアには230世帯10棟もの都営アパートがありました。ここで暮らしている人たちに対して、国立競技場ができるから、当初はラグビーW杯のため、そのあとは東京五輪のため、国策だと言って、事前の相談もほとんどないままに追い出しが行われました。2016年1月くらいまでに出て行けというのが東京都都市整備局の言い方でした。最終的に3世帯が残り、その1年後くらいまで、工事の中で、回りの棟が壊されていくひどい騒音と振動の中で暮らすという、過酷な状況に追い込まれました。今日は元住民の方が来て下さったので、ぜひ思うことを聞かせてください。
オリンピックのためにこれだけ弱い人たちが思いやりもなく追いだされたということは非常に悲しいです。日本だけじゃなく各国で弱い人たちがいじめられて強制的に排除されていると思う。その点はオリンピックに反していると思う。皆で頑張ってオリンピックより福祉に力をということでやっていきたいと思います。
<霞ヶ丘アパート元住民の方>
みなさん、こんにちは。私はこの辺、飯場があるあたりに住んでいました。国立競技場を建設するので出て行けと急に言われて、僕は重度の身体障がい者なので、そんなに簡単に出て行けないと言ったのですが、なんだかんだといろいろ言われて出ていくことになりました。出て行くにあたって、皆に一律17万円ずつ渡し、3カ所の場所を指定するからそこへ行ってくれと言われた。私は福祉関係や病院の都合で簡単に指定されたところに行けないと言ったが、ダメだと言われた。僕はすごく怒っているのです。この辺でずっと長い間住むつもりでいたのですが、強制的にオリンピックのために追い出されました。僕はいまどうしていいかわからないような状態でおります。
7,医療従事者の方から
医療関係者の一人として、なかなかこういう場で叫ぶことができない仲間に代わって声をあげたい。
日頃、ドヤ街で働いている。貧しい人、外国人労働者の人、非正規労働者でクビになった人、そういう貧しい人たちがかかるプライマリーケアの一人として従事している。日常のプライマリーケアにおいても、誰がコロナウイルスに感染しているかわからない深刻な状況だ。
いま経産省をはじめとして民間の医療機関をバッシングしている。公立病院に比べて民間病院はコロナ対策をしっかりしない、入院もさせない、そういう言われ方をしているが、いま、誰もがコロナウイルスをもっているかもしれないという懸念・危惧の中で、みんな緊張感を持って働いている。特にコロナ専用病棟の人たちは本当に大変な状況に置かれている。立川相互病院の窓ガラスに「もうカンベン オリンピック無理」という声があげられている。あれが医療関係者の声だと思う。いま医療が崩壊しようという状況、東京も今日も1000人を超えるような新規感染者数だ。緊急事態宣言が延長されようが、コロナウイルスの収束は見込めない。ここに五輪が呼べますか?五輪をここで呼んだらどうなってしまうでしょうか?(聴衆から「殺される!」の声)東京が、世界中に感染を拡大させる一大クラスターになってしまう。日本の責任、東京の責任として絶対に東京五輪はストップさせないといけない。
東京五輪、もともと6000億円と言われていた費用が、1兆6000億円、それも嘘で実際には3兆円、どんどんお金が膨らんでいる。そのお金を即刻医療に回してほしい。いま誰もが安心できる生活をするために、無料のPCR検査をしっかりとすること。そしてお金は貧しい人にこそまわしてほしい。経済対策、経済対策と言って、大企業にばかりお金を回してどうなるのか。非正規労働者の人たちが、消費に回すお金もなく、野宿に追いつめられ、自殺にまで追いつめられている。それを助けるためにしっかりとお金をあてること、それがお金の本来の使い方ではないか。
いまこれだけ全国でコロナが感染拡大したのは、まぎれもなく、菅首相と二階幹事長のGoToキャンペーンのせいだ。その責任をしっかりとってほしい。
五輪をやめて、人々のためにお金をつかってほしい。
6,東京の学校現場から
私は都立学校の労働者です。水泳の池江璃花子選手はSNSで、東京五輪出場を辞退してほしいという声に対して、「決まったことは受け入れ、頑張るだけ」と答えたことが大きな話題となっています。どこかで聞いたようなことのあるこの言葉、学校で職場で、何かにつけ「もう決まったんだから」と物言う口を塞ぐおなじみの言葉ではないでしょうか。
学校の同僚に、東南アジア出身の在日外国人生徒を何人か受け持ったことのあるというベテランの方がいます。外国人の在留資格には詳しいと自信満々ですが、話を聞いていると、例えば「そんなことをしていると強制送還される」等々、えっと思うようなことを口にすることがあります。その方は体育科で、入管法をスポーツのルールと同じように受け止めているーまさに池江選手の言葉と相通じる、「ルールとして決まっているのだから、決まったことは受け入れ、頑張るだけ」という発想なのです。それが、在留資格を認められない在日外国人一人一人の人権をいかに奪っているのか、まさに自分の目の前に在日外国人の生徒がいても、そこに思い至ることが全くないわけなのです。
話は変わりますが、4月末、赤旗が「学校連携観戦」―これは、オリパラ組織委員会が準備したチケットを都や県などの自治体が公費で購入し、それを各学校単位で子どもたちの観戦に当てるというものですが、この「学校連携観戦」についてのスクープを行いました。多くの保護者が我が子の学校の年間予定表をSNSにupして、感染症が蔓延し、修学旅行など学校行事が次々と中止になる状況の中で、オリパラ観戦だけは強行されるのか、と不安の声を上げています。幸い、私の勤務する学校は、リモート観戦にすることになり、現地での観戦はなくなりました。赤旗の報道があるまで、まさか、今の状況で生徒を競技場に連れて行くなんてありえないよね、どこの学校も同じだよね、と思い込んでいました。
学校のホームページを見ると、都立の障害児学校だけで、20校以上が今年の年間予定に「学校連携観戦」を入れていることがわかりました。基礎疾患のある生徒の多い肢体不自由校も4校が予定に入れています。
コロナが流行しなくても、猛暑の季節でなくても、チケットを一方的に公費で購入して、学校単位で観戦をさせるというのは、学校の裁量権を逸脱するものではないでしょうか。学校単位ということは、個々の生徒の立場からすれば、事実上の強制参加です。
すでに、学校連携観戦に向けて、引率担当教員による競技場の実地踏査が始まっています。多くの学校から教員が授業を抜け、子どもたちのそばを離れて競技場に赴くことを余儀なくされています。池江選手の言葉ではありませんが、多くの教員が「決まったことは受け入れ、頑張るだけ」と子どもたちと自分自身を大きなリスクにさらそうとしています。そして、それに対して責任を負う主体は全く見えてきません。
東京都教育委員会のサイトを見ると、学校連携観戦は2016年か��進めてきた「オリンピック・パラリンピック教育」の「集大成」として「学校単位で直接観戦する機会を提供する」としていることが分かります。オリパラ教育で子どもたちの心と体をオリパラ成功のために絡めとり、学校連携観戦で観客席を埋める駒として利用する、それは「教育」ではなく「洗脳」に他なりません。
学校連携観戦は、神奈川や千葉など、東京都以外の学校でも、また私立学校でも多くの学校で予定されています。学校に通うお子さんのいる方、どうか、お子さんの学校の予定表を確かめてみて下さい。学校連携観戦の予定が入っていて不安を感じられたら、お子さんと話をしてみてください。担任の先生には、連絡帳などで不安な気持ちを伝えて下さい。そして、校長に「学校連携観戦をやめてほしい」と電話してください。
かけがえのない子どもの体、心、命を守るため、声を上げましょう。
まだ間に合います。
子どもにオリパラ教育、オリパラ観戦を押し付けるな!
オリンピックはいらない、世界のどこにも!パラリンピックはいらない、地球のどこにも!
7,反五輪の会から
パラリンピックにも「聖火」というものがあって、「やまゆり園」で採火するということが相模原市長から突然発表があった。障がい者も、「やまゆり園」の被害者遺族も、聞いてない!と抗議の声をあげ、抗議の結果、採火は「やまゆり園」ではしないということになったというが、このいきさつはオリンピック・パラリンピックの本質を象徴していると思う。
当事者ぬきで、権力を持っている人の思い描く「共生社会」を当事者に押し付けるてくる。私たちが全然共に生きているというリアリティを感じないような、パラリンピックの採火というもので「共生社会」を目指す決意を示す。これこそオリンピック・パラリンピックの本性を雄弁に物語っていると思う。
平和の祭典といっても、どこが平和なのか。宣戦布告をして戦争をしていないからといって、私たちまったく平和だとは感じていない。「共生社会」も同じで、当事者、障がい者やマイノリティの人たちが共生というものを感じていないのに、権力の側がこれが共生だとかこれが平和だとか押し付けてくる、それがオリンピック的だと感じる。
私たちが障害者運動から学んだことは、たぶん、それぞれの能力をのばすとか��欠点を克服するとかいうことではなく、それぞれのできること・できないことを、コミュニティが補いあい、共有する、そういう社会のありようだ思う。私たちは、競争しなくても、努力して無理しなくても、十分コンビビアルに楽しく幸せに暮らせるにも関わらず、オリンピックなどをやって、無駄に競争させられている。奴隷たちが争って支配者に気に入られるようにやっているのを、支配者が眺めて得をしている。そういうのがオリンピックだと思う。やめてほしい。
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「紅白の不協和音」のこと
2018年になった。別のことを書こうと思っていたが、欅ちゃんの「紅白事件」があったものだから意見を書きたくなった。
まずは、無事でなにより。心配したが元気そうな写真をみたのでホッとした。
とはいえ、紅白は「2回目の不協和音」の話ばかりになって残念。1回目はすげえよかったのになあ…
以下、「事件」について思ったことを書く。
●「なんで3分のダンス2回で倒れるの?」論について。
いや、正月の駅伝だって距離的にはハーフマラソン以下でも倒れちゃう選手はいるからね。その人に「そんな距離も走れないの?初心者?練習したの?」って言ってもさ「いや、メッチャしたよ!」っていう話だしね。
「大舞台の大一番」って時には人間、どんだけ緊張して、どんだけ筋肉がガチガチになって、どんだけ息が苦しくなるかなんてわからんよ。そのうえ「曲の世界に入り込む」っていう彼女ら特有のスタイルもあるし。
「大緊張」と「大没入」が何をもたらすかなんて、平時の基準で考えないでくださいよっていう話。
●「家族のだんらんの時に倒れるなんて残念」論について。
もまあそうなんだろうけど、倒れたくて倒れてるわけじゃないしねえ。それに、これまた正月駅伝で倒れた選手に「家族でみてるのにショッキングな倒れ方をして残念」って言うかね?っていう話。「倒れてもタスキをつなごうとするスピリッツに感動!」っていうふうになるんじゃないの?普通。
●「結局何が問題だったか?」論について。
何が問題だったかといえば「不協和音を短時間に2回やったこと」。不協和音をやったことそのものが問題ではないし、「今回に限って」は「過労」も「運営の体質」もあんまり問題ではないと思っている。
これについて右派の産経新聞が左派のリテラ(と、下世話派の文春)の「予言記事」を引き合いに出しつつ運営バッシングをしているのが興味深い。いわく…
◆「不協和音をやるとメンバーの体調がおかしくなる」と運営は知っていたはずなのに、紅白でやらせたのはよくない。
◆リテラさんなんか「不協和音をやったら年末を乗り切れないんじゃないか?」って予言してるのに、やったんだから、運営は悪!
◆その悪に押しつぶされる少女たちがかわいそう。
と論じている。
まさかの右派左派共闘=欅批判の大政翼賛会ができているのが笑ってしまう。偏差値が高いつもりのリテラさんが一番嫌いそうなネトウヨ産経から「同類」だと思われて、手を差し出されているなんて新年だけに初笑いだ。
まあ、リテラは「金持ちでアベ友の秋元は悪→彼のプロデュースするグループも悪→悪だからナチ問題にも配慮がないし(ハロウィン)、女性の性被害にも配慮がない(月スカ)→そんな悪の運営に操られている少女たちがかわいそう→という「秋元は悪」という結論ありきの硬直した議論。
産経は「日本人が一体となれる紅白歌合戦の空気を悪くするな!」すなわち「美しい日本の空気を乱すヤツは悪」という結論ありきの硬直した議論。
「共闘」するだけありますね、という話。
さておき、事実をいえば、不協和音は1回で終わっておけば特に問題はなかった。むしろ最高のできだったし、紅白でやる価値もあったと思う。だから不協和音をやらせたことそのものが問題ではない。よって「予言」が当たったか?と言われれば、そうともいえないんじゃないか?
だから、先にも書いたように問題は「不協和音を短時間に2回やったこと」。では、これは誰のせいか?⓵「コラボ企画」の企画・演出者か?⓶「コラボ企画」をOKした運営か?③それを演じた欅メンバーか?
⓵について。「短時間に2回やる演出にしたのが問題」と考えれば、彼らに責任ありだとは思う。ただ、彼らからしたら「時間を空けすぎると最初のフリが忘れられてしまう」と思ったのだろうし、その考えをそこまで攻められない気もする。
また、「そもそもそんなコラボを企画するからだ」という考えもあるが、それは「後出しじゃんけん」すぎると思う。メンバーだって喜んでたようだし。
だから「短時間に2回」にした彼らに問題はあると思うが、そこまで俺は攻める気にはなれないなあと。
⓶について。運営に責任があるかないかでいったら「ある」とは思う。とはいえ、さっきも書いたが「大舞台の大一番」って時には人間、どんだけ緊張して、どんだけ筋肉がガチガチになって、どんだけ息が苦しくなるかなんて、運営はおろか、本人だってわかんない。そうなると本番どういう状態になるかなんて、なかなか予想しづらい。それをあんまり運営に「予期しろ���予期しろ!」言ってもさ…
それに運営だって「1回目は本気で、2回目は面白コラボだから軽くニコニコ」と思ってたんだろうしさ。でも、メンバーは良くも悪くもまじめで不器用だから「内村さんがケガしてる中がんばって練習してくれてるんだから」ってまた本気でやろうとしちゃったんだろうね。
それでも「2回目登場した時点でフラフラの子がいたんだから、直前で出すの止められたでしょ」っていう意見もあるようだけど、俺が現場担当だったらできたかなあ…「それでもやんなきゃ」っていうのは正論ではあるけど、俺はそこまで叩けないなあ、と。
また、そもそも「内村コラボ」の話が新聞で出た時、まとめサイト界隈で「2回やったらマズイことになる!」って書いてた人なんかいなかったと思うぞ。「1回ちゃんとやって2回目コラボならアリ」「2回も欅ちゃん登場なんて好待遇!」みたいなのがほとんどだったと思う。自分も含めて「危険」を予想したやついたかな、と。それを棚にあげて「予期できただろ!運営コラ!」みたいなのは、��ょっと手の平返しすぎないかなあ…と思う。
(ちなみに、この「手の平返し」っぽい感じが結構気になる。たとえば、半年前までは「菅井をいじめる性悪タヌキは長崎の里へ帰れ!」っていう論が山ほどあったのに—いや、俺は思ってないよ—いざ、写真集が売れたら急に「ねるちゃんセンターで欅の第二章!」みたいな論が勢いづいてる感じとか。これだと、いざセンターになって失敗したらまた「タヌキにだまされた!」とか言いだしかねないな、と。そういうのはよくないと思う。)
③について。先にも書いたように2回目は「面白コラボ」なので軽くやってもよかったとは思う。じゃないと楽しく見れないし。ただ、そういうふうにコントロールできない人たちだし、そこが魅力だったりもするし、そこに心を打たれたりもするし、そもそも1回目で全部使い果たして「2回目のプラン」なんていう状態でもなかったし。だから、自分としては、ファンじゃない人が何と言おうと「よくやったよ!」って言ってあげたい。
結局のところ客観的にみて誰がよろしくないか?といえば、企画・演出者がちょっと。運営もちょっと。ペース配分できない欅ちゃんがほんのちょっと。というところだろうか。
●「じゃあ今後どうすれば?」論について。
「不協和音は1日1回まで!」っていうルールを作る、でいいのでは?と思う。あとは不測の事態の医療体制の迅速化などか。実際1回目は問題なくやってたし最高にカッコよかったからね!だから「そもそもやらせるべきでなかった」とか「もう不協和音は封印」とか過剰に言わなくてもいいと思う。
…と、今回はおおむね運営擁護っぽく書いた。だが、夏の欅共和国→全国ツアーのスケジューリングに対しては疑問はあるぞ!「表現の苦しみ」の一言じゃ片づけられないぞ!「表現の苦しみ」もあっただろうけど、「表現の苦しみからくる体調不良(自律神経系の病?過呼吸?)」もあったぞ!それはスケジューリングから来たんだぞ!とは思う。
★追記
紅白の「不協和音事件」への感想は上記のとおりだが、まだ余波があった。
平手友梨奈の右腕の怪我もあり、1月31日、2月1日に予定されていた欅坂46の武道館公演が中止になった。
これを巡っていろいろ意見が飛び交っている。
まずは、1月15日のラジオ番組「SOL」にて、ギブスをして、みるからに痛々しいが元気そうなてちの姿をみれてよかった。お大事に。
で、以下、自分の意見を書いておく。
佐藤詩織ブログによれば、運営、メンバー話し合いの上この決定になったそう。
俺は妥当な判断だと思う。
ネット上では、「平手がいなくても、代役を立てるなどして難局を乗り切る姿がみたかった。平手がいないと何もできないグループだということが決定した。運営の判断なら愚策」みたいな批判的な意見がけっこうみられた。
しかし、俺はそこまで「愚策」とは思わない。まず、1月31日と2月1日を逃したら2度と武道館でライブができなくなるわけではない。そのうえ平手は約1か月すれば、回復する。
それならば…
⓵「代役センターを立ててでも、何が何でも今ライブする」
⓶「数か月待って、本物センター平手も交えライブする」
どちらが満足度が高いですか?という話。しかも表現者の憧れの場所「武道館」での初ライブだ。これも踏まえたなら、⓶が、客にとっても、メンバーにとっても満足度が高いのでは…と判断したのだろう。
これを「天下の愚策」みたいに叩く気にはなれない。
満足度の高いライブをやるのが至上目的��あって、1月31日、2月1日に公演することが至上目的ではないのだから。
しかも、去年の夏の全国ツアーの名古屋公演で平手が欠場した時の反応を思い出してほしい。「不完全なものをみせてプロ失格」「金返せ」「振替公演やれ!」とか散々だったぞ。それをすっかり忘れて真逆なことを言いなさんな、と思う。
ちなみに「乃木坂の時は、●が不在でも、×の代役を立てて乗り切った。それなのに…」みたいなのもあったが、別に乃木坂がAしたから、欅坂もAしなくてはいけない決まりはない。
あと、ひらがなの影山ちゃんブログでは「『武道館3日になった』は突然言われたと書いてあった。それをみて「漢字は話し合ったのに、ひらがなは雑な扱いか?」というのもあった。まあ、手続きとしてデリケートさを欠いていたというのはそうかもしれない。じゃあどうしたらいいか?次の握手会で漢字メンバーに「ひらがなに謝れ」とでも謝罪を要求すればいいか?得意の「●●に謝れ!」を発動すればいいか?俺は悪趣味だと思うけどなあ。
ただ「ひらがな3days」にして実際どんな「損」があるか?客観的にみれば「あの武道館」に3日も立ててよかったんじゃないか?
いや、そうはいっても「人が集まるのか?」という批判はある。しかし、それはひらがなのせいではないことは誰がみても分かる。どっちかと言えば漢字のせいだ。
そしてその損害は運営がかぶる。別にひらがなの給料が減るわけではない。運営も金銭的損害や、変更に伴う各所への謝罪を「まあ仕方がない」と思ったから「中止もありだよ。話し合ってみたら」と漢字に議論をさせたんだろう。そう思わなかったら「何がなんでも20人でやれ!これは命令だ!」と言えば済んだのだから。だから、自分の金が動いたわけでもないのに「どれだけの金がすでに動いていると思ってるんだ。それをご破算にすることがどんな迷惑か分かってるのか?」とか言わなくてもよいと思う。そんなことは運営が一番分かってるし、それでも「しょうがないか…」と思ってこうしてるんだから。
いや、「突然3日になったら出し物など覚えなきゃいけないことが増える」という批判もある。確かにそうだが、3日ともまるまる変えなきゃいけないわけではない。むしろ逆に、「変えると不公平だ」という人が相次いだのが、夏の全国ツアーだったのだから。
そう考えると、もちろん大変だろうし、不安だし、決定手続きの雑さを批判してもいいけれど、3日になって「損」ということはないんじゃないか?
また、「今泉、米谷が不在でもライブをやったのに、平手不在だとやらないんだ。メンバーに格差をつけるんだ。21人の絆とかウソなんだ」という意見もあった。
これについては、論理の穴をみつけて突くことに快楽を見出す「論理サイコパス」みたいにならずに、もう少し現実的に考えてほしいと思う。
センターがずっと空いてる状態でライブをやるのと、センターじゃない場所がずっと空いてる状態でライブをやるのと、どちらがダメージ(満足度の減少)が大きいですか?という話。後者がー5なら、前者はー10(数字は適当)。-5ならギリギリ許容できるが、-10だと許容できないなと判断したとしても、そこまでおかしな判断でもないでしょう、と思う。
「だったらセンターを代役で埋めろよ」と言うかもしれないけど、先にも言ったとおり1か月したら平手は戻ってくる。だったら、「何が何でも今やらなくてもいいだろう」と思っても、そんなにヘンな考えじゃないだろう。
また、平手の場合は約1か月で治るというのが分かっている。だから活動のめどが立つ。けれど、今泉の療養はいつ治るか分かっていなかった。だから活動のめどが立たない。この状態で、「今泉が治って21人になるまではライブもしないし音楽番組も出ない」と言い出したらいつできるか分からない。こうなると現実的に考えたら、泣く泣く今泉がいなくてもパフォーマンスする…という方向にいかざるを得ないだろう。自分が運営だったら、そうなってもしょうがないと思うよ。
「じゃあ、米谷は?」っていうのかもしれないけど、現実的に考えると不協和音以外はポジションが後ろなのだから、満足度の減少は少なくて済むだろう。こういうと米さん推しはキレるだろうけど(というか、俺もよねさんのSHOWROOMは好きだ!)、現実的に考えてこうなっても仕方ないのではないか?また「ケガで武道館中止」と「学業で欅共和国中止」でどっちが許容できるのか?というのもある。
「謙虚・やさしさ・絆」はあくまで努力目標であって、現実にはそこからズレざるを得ない時もある。それでも、目標の方向に向かって歩いているのが分かれば、それでいいじゃないか。なんでもかんでも論理でギチギチ詰めすぎるなよ、と思う。
あと、「運営謝れ論」も、具体的にどうしてほしいのか?と思ってしまう。
確かに、「社員に不祥事があったら、社長が代表して謝るだろう。それが社会というものだ。だからメンバーにばかり謝罪させないで、まず、運営が謝罪しろ」といえば「ごもっとも」ではある。
しかし、HPで「中止になりました。すみません」とは言ってると思う。さらに、対案も出している(ひらがな3days)。これで「それでも納得してもらえないならキャンセルしてください。その損失はこちらがかぶります。」というメッセージは伝わる。
それ以上どうするのか?「ギリギリになってしまってすみません」など、もう少し謝罪感がはっきり出る文言にしろ、というなら分からなくもない。
だが、それ以上となるとどうか?
運営の今野さんがラジオに出て謝るのか?いや、今までそんなラジオがあったか?
YOUTUBEに今野さんが出てきて謝るのか?そんな動画もみたことないぞ。「峯岸坊主動画」じゃないんだから。
また、上記したこと以外に何を謝るのか?「平手に『不協和音の倒れる振付はソコソコでやりなさい』と指示せずにすみません」、と謝るのか?いや、そもそもその指示もおかしいと思うし、それを言われて平手が「はい!」って言うかいな!?
じゃあ「TAKAHIRO氏が危険な振り付けを考案したのを放置してすみません」と謝罪するのか?それこそ、絶対やってはいけない!表現を委縮させ��はいけない!これが一番言いたい!これを認めたら、「じゃあ避雷針のお姫様だっこも落としたら危ないですよね?」「月スカのてちを投げ飛ばすやつも支え損なったら危ないですよね?」と、どんどん詰め寄られてしまう。
一度、それを言われたら「批判をはねのけてでもやりましょう」と、運営は言いづらくなる。で、表現がどんどん萎縮していく。欅の魅力が減っていく。この展開は何としても食い止めなくてはならない!
「日常の世界でよきこと」と、「表現の世界でよきこと」は重なってない部分がどうしても出てくるものだ。だからこそ、普通に暮らしていたのでは味わえない感動を表現によって味わうことができる。だから「日常生活の常識100%」で「表現の世界で起きること」を斬ってはいけない。それをやると表現が委縮する。
そこがわかってるから「紅白で腕を痛めました」とは明言してないのだろう。明言したら「危険な振り付け問題」が議題にあがってきて、「じゃあ避雷針も、じゃあ月スカも…」となっていくのが目に見えるから。
だから「不協和音は危険だからやめろ」論にも俺は反対!無理にやらなくていいが、衣装の下にプロテクターをつけてでもできる。何度も言うが「危険だからやめろ」論は「正論」にみえても絶対よくない。
じゃあ「やろうと思えば20人でもやれたのに、中止にしてすみません」と謝るのか?それは、先も書いたとおり、「何が何でも今ライブする」と、「数か月待って、平手も交えライブする」とでは��後者の方が満足度が高いと思いそうしました、ということだろう。
「だったら、それを書け(言え)」ということか?しかし、それを書くと、「今泉、米谷の時はやったのに、ダブスタだ!」みたいに言う人がいるから面倒だったんだろうよ。それの説明を求められたら、「センターがいないダメージと、センターじゃない人がいないダメージでは前者の方が大きいと思いました」と言わざるをえなくなる。すると、ずみこ、よねさん推しが激怒するだろう。だから、「言葉にしたら面倒なことになるからさ。そこは察してくれよ」ということなんだろうよ。
…てなことを考えると、「運営謝れ」と言っても具体的にできることって、そんなにないと思う。というか、あんまり感情に任せて「運営批判」をすると、それに乗っかって欅批判をするメディアが増えかねない。これを危惧する。「ファンにすらキレられている運営に操られている少女たちがかわいそう」という「心配」を隠れ蓑にした「欅バッシング記事」が増える。
だからもう少し、こっちも2手、3手先を読んで振舞わないと、まわりまわって欅がソンをしてしまう、と思う次第。
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#022 反東京オリンピック/東京イズバーニング ゲスト:ぽえむ (2MUCH CREW)
「3.11後」を振り返るタイミング
パンス 今回はゲストに、2MUCH CREWのぽえむさん @poem_japan をお迎えしました。長年ツイートやライブを拝見しているのですが、今回、椎名林檎にまつわる一連のツイート(→こちらのモーメントにまとまっています!)が気になって、お声がけした次第です。
ぽえむ よろしくお願いしますー。
パンス 震災以降、デモなどの現場でもよくお会いしていましたが、ぽえむさんから見て、最近の状況はどう映っていますか。
ぽえむ 政治の流れでいうと安倍政権がついに終わりを迎えそうな気配濃厚で、長いことブーブー言ってきた自分としては喜ばしい反面不安もあって。何かって言うと、最近自分がバンドで書く歌詞は直球の安倍disがほとんどで、今後歌詞が書けなくなりそうっていう (笑) 。とにかく次のライブまでは辞任しないで、みたいな (笑)
パンス メテオナイトまでは間に合うと思います (笑)。先週アップしたT.V.O.D. でも、同様の話になりました。今後がどうなるか少し見えにくくなってきましたね。
コメカ 歌詞が書けなくなるっていうのはある意味分かるというか(笑)、「アベハヤメロ」のコールに象徴されていた様に、まあリベラル勢の「敵」のシンボルとしての安倍晋三、みたいな感じはやっぱりあった訳ですよね。緊急対策的な連帯の為の共通の敵、みたいな構図に結果としてなってしまったところはある。彼が今後退くことは、リベラルがこれから如何に共闘するかっていう問題にも繋がっていく部分は正直あるなあとは思ってます。
ぽえむ 今週はもういっこ特大トピックが飛び込んできそうな予感があるよね。三原じゅん子入閣なんだけど(残念ながらなのか何だか入閣はありませんでした)。安倍政権の際立った特徴っていうと、ネトウヨ的な世相というか流れを象徴してるとこだと思うんですよ。小泉純一郎の人気はいわゆるスターシステム的に解釈できそうだけど、安倍さんの場合、ネット以降の右傾化の流れに意識的に持ちつ持たれつの関係ってのが大きくて。
パンス ヤフーニュースのコメント欄から排外主義的な文言が消えてきたというのも象徴的ですよね。環境管理型で思想が衰退していく (笑) 。ここ10年ほどあった流れが転換期を迎えている。とはいうものの、ボンヤリと「日本スゴイ」を志向するナショナリスティックな欲望はいまだに息づいています。
コメカ ネトウヨカルチャーと、それに連動した安倍政権が謳歌したこの世の春に終わりの兆しが見えてきたというか(笑)。三原じゅん子入閣がもし実現したら、それはもう盛大な自爆にしかならないと思うんですけどね(笑)。 だから、右傾化カルチャーみたいなものも分岐点にあるというか。小池百合子みたいなしたたかなキャラクターが、今後はうまいこと右派の流れを主導していく感じになるのかな、という気はします。
ぽえむ 反アベの次の指標は、総動員化しつつあるオリンピックに対する反五輪、アンチオリンピックなのかという気もしますが、まだパッとイメージ浮かばないよね。ともあれ安倍さんが辞任したとしてもネトウヨは消えないし。で、オリンピックと言えば椎名林檎なんだけど(笑)
パンス 「国家総動員」をナチュラルに唱える椎名林檎の姿を、このタイミングでどう受け止めればいいのか……。三原じゅん子はネトウヨをより純化した、戦前スタイルの超国家主義者だし、小池百合子は「右翼的なるもの」もテクニックのひとつとして機会主義的に使っている、といったところでしょうか。先日の朝日新聞のインタビューを読む限り、その中間地点に椎名林檎が来てしまったという感があります。
コメカ 三原じゅん子のヤンキーガチスタイルと、小池百合子のクレバーっぷりのちょうどいい間に椎名林檎が(笑)。
ぽえむ ゼロ次元オマージュで反五輪ストリーキングやろうぜ(笑) まあ、冗談は置いとい��、こないだの椎名林檎についての連ツイは、僕の中にずっとある、何故不良/ヤンキーは右翼的な意匠を好むのかっていう疑問に繋がってるんです。ブラックエンペラーの映画とか見ても分かる通り70年代後半〜80年代の暴走族は特攻服に日の丸とか菊の紋章とかを縫い付けてる。これ、僕は同時期のセックスピストルズの衣装にハーケンクロイツがあったのと繋がると思うんです。なんていうか「理性」に対するアンチとしての「暴力」。
パンス 日本で不良が右翼的なアイコンを使うようになったのは、暴走族からですね。直前までグラム→フィフティーズ・リバイバル(というかキャロル)だったのが、なぜ突然そうなってしまったのかは気になるところです。街宣右翼が導入したとか諸説ありますが。
コメカ ヤンキー文化がナショナスティックな意匠と接続されがちなのは、確かに「市民社会的な健全さ」に対するアンチの意を含んでいる部分はありますよね。あとまあ、単純にタブーに触れるスリルやヤンチャ感を楽しんでる素朴な側面もあると思うし。 若干脱線しちゃいますけど、それを考えるとアナーキーの「東京イズバーニング」の、「何が日本の象徴だ! 何にもしねぇでふざけんな」って、ヤンキーと極左的なものの接続っていうレアケースだったと言えますね(笑)。
アナーキー「東京イズバーニング」
ぽえむ アナーキー! いや今の世の中「東京イズバーニング」ぐらいのザックリした打ち出しが必要だと思いますよ。まず第一に面白いし(笑)。311以降の社会運動の特徴って、色々言われてるけど、僕はそれ以前の社会運動に漠然と抱いてしまっているイメージ「牧歌的なユニティ感」に反発するアナーキズムを押さえてるとこだと思うんです。そういったアナーキズムを押さえたところからユニティを再獲得していく。これもしかしたら左右問わずで、時代性が絡む現象なのかもしれない。現行のリベラルが直球の市民派っぽいことも言ったとしても、そこにはひとひねり入っている。で、そのアナーキズムって常にサブカルチャーの根底にあるものだろう、と。
パンス おおまかに言うと、80年代以降社会運動が沈滞していたといわれるのは、見てくれの行儀の良さゆえですよね。90年代の薬害エイズ訴訟の頃でも。そのあたりで反転した小林よしのりなんかが「市民運動的なるもの」を否定する、そういったエネルギーが直後の右傾化にも繋がっている。
コメカ 実際、ネトウヨ的なものの方が、行儀の良い運動には持ち得ない「享楽」を、自分たちの運動に貪欲に取り込んでいっていた気がする。あとまあネトウヨとはちょっと違うんだけど、それこそ椎名林檎の問題にも繋がるんですが、さっきからのヤンキーや右翼的な意匠の問題を今の時点で考えるとき、ヴィジュアル系バンドのことがどうしてもアタマに浮かんでくる(笑)。彼らなんかでたらめさと享楽とヤンキー的な保守主義のごちゃ混ぜミックスで、インテリ左派的な行儀の良さの対極にあるからこそ、ある種の層の支持を今も昔もずっと獲得し続けている。 ゼロ年代はヤンキーとかネトウヨとかに「享楽」を持っていかれていたというか、左派やリベラルがそういう志向に向かうことができたのは2010年代以降なのかなあと思ったり。
メランコリー/ブラックジョークという感覚
ぽえむ なので今のリベラルやANTIFAがオラオラしてるのは基本的に正しいと思ってます。にしてもヴィジュアル系かあ。。僕はちょっとわからないとこがあって。ヴィジュアル系の表現にはある種のメンタル的な「痛み」があるでしょう? ゴス感というか。椎名林檎だとその辺あからさまにフェイクなんでまだ聴けるんだけど、あれ俺みたいな中年には結構辛いんだよね笑。最近のJ-ROCKや日本映画にもみられるけど。むしろそれが世代的な反抗のしるしになっているのか?
コメカ いや、ぼくも正直いちリスナーとしてはヴィジュアル系的な「病み感」みたいな感じは自分にフィットはしないんですが(笑)、病んでる様なメランコリーは確かに近年のJ-ROCK…というか所謂ロキノン的なバンドとかですね、邦画、あとボカロ文化とか、日本のドメスティックサブカルチャーには何となく通奏低音としてずっとある。椎名林檎の表現には意外にそういう「病み感」は少なくて、ただ初期のビジュアルイメージ等にはそういうニュアンスはありましたね。 正直こういう傾向は「世代的な反抗」みたいなものではなくて、階級闘争的な志向に向かわないサブカルチャーはメランコリーに向かうしかなくなる…というパターンのひとつなんじゃないかなあと。
パンス ここ10数年、ヴィヴィッドとされている表現の多くが、メランコリーを追求し過ぎてて、社会との接点がどんどん失われている、という状況だといえます。
コメカ セカイ系的な感覚がデフォルトになったというか。 ただ同時に、こういうバンドが存在して人気を集めていることに眩暈がしたりはする(笑)。ヤンキーとホストとインダストリアルメタルと歌謡曲とネトウヨのハイブリッド…(笑)。
R指定「愛國革命」
パンス うおっ、なんだこれは。ラッパーのR指定じゃないんだ (笑) 。YouTubeのコメント見るとゲンナリするな。。普通に消費されてるんだね。
ぽえむ すげえ。
コメカ メランコリーを軸に置いて、乱脈的に色んなものをサンプリングする、っていうのが日本のドメスティックなサブカルの典型例のひとつになってる気がして。椎名林檎はそれこそもうずっと前からそういうフォームを計算済みの上でやってるというか…。さっきぽえむさんが言ってたみたいに、「フェイク」感がより一段階強いというか。
パンス むしろ椎名林檎はその流れの端緒といえるね。しかし、まだ対・渋谷系みたいな意識が残っていた頃の表現だったというか……。いまの人たちにはそういう衒いがないぶん、より文脈が希薄になっている。
ぽえむ もしかしたら、そのメランコリーがクールジャパンの本質なのかもしれないね。昨今の「日本スゴイ」もノスタルジー的心情が動員されてるでしょ。
パンス 「日本スゴイ」は、当初「三丁目の夕日」的志向だと思ってたんですが、実際は経済大国と呼ばれていた頃の日本への憧憬ですよね。当時を過ごした世代がそういった消費材を買い支え、安倍明恵はDJオッシーを呼んだパーティを行う……。とはいえ、もはや特定の歴史を参照することすらなくなってきているのかもしれません。乱脈的なサンプリング、というのも、いまのボンヤリした「日本」イメージや、ネトウヨ思考と重なってきます。
コメカ まあ『ファンタズマ』にもメランコリーはある訳だけど、質が違うよね。コーネリアスやフィッシュマンズ的な、「意味なんてない」的なメランコリーじゃなくてもっと演歌的というか、情感や情念を獲得したいっていう欲望。椎名林檎は渋谷系へのカウンターパンチのギミックとしてそういう雰囲気を使ってたけど、それをフェイクでなく本気で求めてる層は案外多かった。
パンス そうそう。当時、椎名林檎好きだった人は「好きや人や物が多過ぎて 見離されてしまいそうだ」って歌詞を切実に聴いていたよ……。僕のことかもしれない (笑)。
コメカ はっはっは(笑)。いやでも、ぼくの周りにも確実にそういう人はいた。
ぽえむ 全てが並列にセレクトできるけど、その合間から抜け落ちたのはメランコリーだった。なんか平岡正明の「感情だけは売りわたすな」のネガみたいな。それがイマジナリーな「日本」に吸収されていくっていう。 しかし、さっきのバンドの曲、彼らの表現にはおそらくブラックジョークぽい感覚が入ってるでしょ?パスティーシュだよね。メランコリーもそうだけど、現代のポストモダン的に断片化した社会からこぼれ落ちる情感を一方で受け止めてるのがブラックジョークだと思う。トランプのあの感じとかさ。安倍さんの人気もそういうとこと関係してるんじゃないか。もともとは切実だったものが、キレイゴトに対する反発と相まって、差別であったり権力や格差の固定化を正当化する流れに、嘲笑とともに回収され利用されていく。ベンヤミン風に言うなら、この進行する「政治のサブカル化」に対抗するための「サブカルの政治化」が今まさに必要なのではないかしら?
コメカ 結局「社会」を思考から抜いてしまうと、大抵はメランコリーな感情に落ちていくことになると思うんですよ。で、そこに踏みとどまって無限に遊び続けられれば良いんですが、大抵は耐えられなくて漠然とした「日本」とかに回帰しちゃうんですよね。ただまあそういう回帰や接続は確かにひとつの方法論ではあって。今のリベラルやANTIFAが闘争的でパンキッシュでいられるのも「社会」を視界に入れようとしてるからで、実はネトウヨにもそういうところはあるっていうか。 ただ、椎名林檎ほどクレバーな人が、自分をサブカルチャーに留め置かずに、記号的な「日本」にああいう感じで接続してしまうのはぼくにとって結構不思議で。「社会」に変に接近せず、サブカルのままでいればいいのに…とすら思う。…でもね、小池百合子のしたたかさを持ちながら、三原じゅん子ばりにボディにパンチを入れるように、サブカルも国策もごちゃ混ぜのビジネスを乗りこなす林檎女史は、やっぱすごいとは思う、気合は入ってる(笑)。
ぽえむ 百合子のように舞いじゅん子のように刺す、ですね(笑)
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プロパガンダ映画『主戦場』の偽善 山岡鉄秀
2019.07.08
月刊『Hanada』2019年7月号に掲載され大反響!
山岡鉄秀「プロパガンダ映画『主戦場』の偽善」を特別公開!
※今月号(2019年8月号)に掲載されている藤岡信勝「慰安婦ドキュメント『主戦場』デザキ監督の詐欺的手口」と併せてお読みください。
■上智大学の思想環境
私の元に興味深い報告が届いた。4月上旬、北海道のある小さな映画館に、ひとりの女性が映画の宣伝に訪れた。
「東京でたいへん話題になっていて人気だから、こちらの映画館でも上映していただけませんか?」 と言いながら示した映画が、『主戦場』だった。
その女性の名は石純姫(ソク・スニ)。苫小牧駒澤大学助教授だった。石氏は、2017年に『朝鮮人とアイヌ民族の歴史的つながり』という著書を出版している。「強制連行されて日本国籍を持たない在日朝鮮人には平等な機会、権利は保障されておらず、生存が脅かされている」と主張する方だ。
4月13日には映画『主戦場』のデザキ監督のロングインタビューが、朝日ファミリーデジタルに掲載された。
「僕はもともとユーチューバーで『日本における人種差別』という動画を自分のチャンネルにアップしたところ、日本の“ネトウヨ”と呼ばれる人たち(ネット上で活動する右翼)に見つかり、オンラインでものすごく叩かれた。 その後、元朝日新聞記者の植村隆さんが慰安婦について書いた記事で同じように叩かれているのを知り、慰安婦問題に興味を持った」
「植村さんと僕のケースは『ある人が語ろうとしている問題を語らせまいとしている』という点で共通していると感じた。 アメリカ人としての自分は、誰かが語ろうとする言葉が遮られようとしたら『それはいけない!』と反応する。なぜなら告発や発言の背景には、苦しんでいるマイノリティー当事者が必ずいるからだ。彼らはただでさえ差別を受けているのに、告発の声を遮られることで二重に苦しむことになる」
インタビュー映像が撮影された上智大学には『主戦場』のポスターが誇らしげに貼ってある場所があった。「上智大学グローバル・コンサーン研究所」だ。映画に登場する中野晃一氏がかつて所長を務め、現在も所属している。
当該研究所のホームページに行けば、思想的傾向が明確にわかる。たとえば、雑誌、新聞、メディア関係のリンクをクリックすると、各種刊行物のリンクがリストされている。岩波書店『世界』、『週刊金曜日』、人民新聞(天皇制廃止を主張)等々である。
デザキ氏がどのような思想環境に身を置いてきたか、どのような人々と繋がっているかを見れば、『主戦場』があのように偏向した映画になることもうなずける。最初からそういうスタンスだったのだ。 映画のナレーションで、デザキ氏は言う。
「驚いたことに、私に付けられた反日的なイメージにもかかわらず、多くの保守系論者が取材要求を受け入れてくれた」
朝日ファミリーニュースのインタビュー記事のなかでデザキ氏は、「自分が日系アメリカ人であることがポジティブに影響した」と考える旨の発言をしている。
またもや完全な勘違いである。彼が日系アメリカ人であることは100%無関係だ。インタビューに応じた保守系論客たちは全員、「慰安婦の証言も矛盾しているんですよねえ」などと言うデザキ氏が「慰安婦性奴隷説に疑問を抱き、公正中立なドキュメンタリーを作ろうとしているまじめな大学院生」だ、と単純に信じ込んでいたのである。
ケント・ギルバート氏は、試写会に行って驚愕したという。それほどまでに皆、人が良いのだ。
彼らがなぜデザキ氏を信用したのか? それは彼の国籍などではなく、彼が上智大学の大学院生だったからだ。「学生なら協力してあげなくてはいけない」という道徳観に従って動いたのだ。それにまんまと付け込まれてしまった。
■取材せずに虚偽を流布
それにしても、特に災難だったのは櫻井よしこ氏だろう。ギルバート氏の紹介だったので、うっかり取材依頼を受けてしまったが、ひどい扱いを受けた。
突如、映画に登場し、慰安婦性奴隷否定派から肯定派に転向したと紹介されるケネディ日砂恵(ひさえ)氏は「深く考えずに米国人ジャーナリストに6万ドル支払ったことを後悔している」と語るが、この部分で登場回数が少ない櫻井よしこ氏にインタビューが飛ぶ。
「あなたもそのジャーナリストと関係があったと聞いたのですが?」と訊かれ、櫻井氏は表情を曇らせて「その件には触れたくありません。複雑なので」と短く答える。
デザキ氏は、この櫻井氏の反応を、いかにも都合が悪くて言葉を詰まらせているかのように映画の宣伝バージョンに使用している。
しかし櫻井氏が言葉を濁したのは、自身に後ろめたいことがあるからではなく、ケネディ氏のプライベートな問題(人間関係・金銭関係など)に触れたくなかったからである。ケネディ氏が様々なトラブルの果てに姿を消したのは、彼女を支援した人々にとっては苦い思い出だ。
そして櫻井氏こそ、ケネディ氏に相談を受けてサポートしようとした人だ。コメントを避けるのは当たり前なのである。 櫻井氏の発言は少ないのだが、映画の後半ではさらに「明治憲法復活を目指す日本会議という恐ろしい軍国主義集団」の宣伝塔だとしてレッテルを貼られてしまう。
日本会議はすでに「映画は事実無根の妄想だ」という抗議の声明を発表している。取材もせずにこのような虚偽を流布するに至って、『主戦場』はもはやドキュメンタリーではなく、プロパガンダ映画の正体を晒す。
それにしても奇妙なのは、ケネディ日砂恵氏の名前が映画のパンフレットのどこにも書かれていないことだ。出演者一覧のなかにも含まれていない。左派に転向したケネディ氏こそ、デザキ氏の最終兵器だったのだろうか? ちなみに、彼女が接触し、現金を渡したとする米国人ジャーナリストは「彼女に騙された」と激怒している。
オウム真理教ウォッチャーで有名なジャーナリストの江川紹子さんが、『主戦場』を見て次のようにツイートしている。
〈《主戦場》見てきた。最初は面白いなと思ったし、よくまあこれだけの否定論者を引っ張り出したなあと感心しながら見ていたが、作りのあまりのアンフェアさにうんざり。一人一人が考える機会をくれる作品かと期待していたけど、むしろ分断と対立を煽る作りに、かなり落胆した〉(6:20 - 2019年5月7日)
慰安婦問題に関する知識の多寡や立場に関係なく、冷静な人が客観的に見れば、極めてアンフェアなプロパガンダ映画なのが明白なのである。
■慰安婦の涙を政治利用
後半、荒唐無稽になってしまう『主戦場』だが、最後の最後にデザキ氏が登場させるのが、生前の金学順さんだ。幼い頃、初めて客を取らされた時の驚きと恐怖と苦痛を思い出して涙する金さんの姿を見て、「日本人は反省しろ」というわけ��。
私は、このような手法は苦難の人生を生きた女性への冒瀆であり、偽善の極みだと思っている。
金学順さんは基本的に正直な方だと思う。だから、これまでにも最初から包み隠さず、自分が幼くして親にキーセンに売られたことも、キーセンのオーナーに中国へ連れて行かれたことも率直に話している。長いこと日本でも、貧困から娘を遊郭に売る悲劇があったし、さらに貧しかった朝鮮半島ではなおさらだった。
幼くして親から離された少女たちはどんなに不安だっただろうか。また、芸人として生きていくと思って修行していたら売春をさせられてしまった彼女たちは、どれほど傷ついただろうか。金学順さんの悲しみを他人が推し量ることは難しい。しかし、彼女の涙は本当の心の叫びだと思う。
だからこそ許せないのが、金さんのような人を利用しようとする人々だ。朝日新聞の植村隆記者は金学順さんについて初めて報道したが、彼女がキーセンに売られた事実を書かなかった。植村氏の韓国人義母が会長だった太平洋戦争犠牲者遺族会は「日本政府を訴えれば賠償金を取れますよ!」と嘯いてお金を集め、本人を含めて詐欺罪で逮捕者を出し、有罪判決を受けた者もいる。
当時、慰安婦問題が国際問題にまで発展したのは、単純に慰安婦が存在したからではなく、日本軍が組織的に人間狩りのように女性を駆り集めて慰安婦にしたとか、勤労奉仕の女子挺身隊として集められたのに慰安婦にされたとか、朝日新聞が流布した虚報を日韓の国民が信じて衝撃を受けたからだ。
西岡力氏は、金学順さんがキーセンに売られた女性で、軍隊に拉致されたわけではないことを『文藝春秋』誌上で指摘した。 これを受けて、吉田清治の慰安婦奴隷狩り証言の検証をすべく済州島に向かう準備をしていた秦郁彦氏が、金学順さんの弁護士である高木健一氏に電話をして「金さんは親にキーセンとして売られた人ではないのか?」と訊いた。
高木弁護士は「あれは玉が悪かった」と言い、「いま、次のいいのを準備している」と答えたという。彼らにとって元慰安婦は、反日活動と金もうけのツールでしかないのだ。
西岡氏はソウルで金学順さんに会おうとするが果たせず、代わりに日本語通訳を務めていた韓国人女性に会って話を聞く。 彼女によれば、彼女が「おばあちゃん、なんで出てきたの?」と訊いたら、金学順さんはこう言ったという。
「寂しかったんや。親戚も誰も訪ねてこない。食堂でテレビを見ていたら、徴用された人が裁判を起こしたと報じられていたから、私も入るのかなと思った」
■壮絶な人生を歩んだ女性
日本人として初の従軍慰安婦被害者として祭り上げられたのが、城田すず子さん(仮名)だ。城田さんは下町でパン屋を営む裕福な家庭で育つが、切り盛りしていた母親が急死すると家は急速に困窮化し、神楽坂の芸者置屋に奉公に出される。最初は雑用をしていたが、やがて座敷に上げられるようになる。
彼女はあとで、父親が置屋から多額の借金をしていたことを知る。近所の学生との初恋もつかの間、遊び人の男に水揚げされて、いきなり淋病をうつされる。その後は台湾、サイパン、トラック島、パラオと転々とするが、南洋諸島には自分の意思で行き、内地とはうって変わった伸び伸びとした生活を送る。
米軍の攻撃が迫ると内地に返されるが、恋人に会いたくて無理やり舞い戻り、激しい空襲を体験する。 日本軍人との恋、米軍兵士との恋と彼の帰任に伴う自殺未遂、学徒動員から帰国した男性との駆け落ちと流浪の果ての心中。自分だけ蘇生して知る恋人の死。
途中、何度も彼女を救い出そうとする人も現れるが、恋は成就せず、覚醒剤、賭博、たばこ、飲酒に溺れて立ち直ることができない。最後の最後に、奇跡的に知り合った赤の他人に助けられてキリスト教団体が運営する支援施設に転がり込み、やっと更生するが、作業中に腰骨を折って寝たきりとなった末に他界する。
私は、彼女の自伝である『マリヤの讃歌』(日本基督教団出版局、1971年初版)を読んで何度も目頭が熱くなった。裕福な家庭に育ったおきゃんな少女が、母親の死を境になんと壮絶な人生を生きなくてはならなかったことか。彼女は自分の境遇を嘆きながらも、「貧乏が悪い」と人を責めず、苦労する兄妹のために借金を繰り返す。
しかしひとこと、「父親はなんと無慈悲な人だろう」と本音を漏らすシーンが胸を打つ。もし、彼女の父親に命がけで娘を守る気概があったら、きっと彼女はここまで悲惨な人生を生きなくても済んだだろうに、と思わずにはいられない。
■碑文にある虚偽の一文
だが、自伝を読んではっきり言えることは、彼女は人生のかなりの部分を売春婦として生きたとはいえ、従軍慰安婦ではなかったということだ。軍隊によって強制連行されたわけでもない。日本軍人も米軍兵士も相手にしたし、恋愛関係に陥ったりもした。
せっかく借金を返してまとまったお金を得ても、贅沢三昧で散財したりもした。親切にしてくれる人もいたが、守ってくれる親や親戚がいなかったばかりに、社会の底辺をひとりで彷徨わなければならなかったのだ。
まだ貧しかった日本が大戦争を経て焼け野原に帰した時代、彼女のような人生を歩まざるをえなかった人も少なくなかった。心から哀悼の意を捧げたい。
彼女の写真が、北米で初めて慰安婦像が建てられたカリフォルニア州グレンデール市の図書館に掲げられた。2013年、韓国人反日活動家たちが開催した慰安婦関連パネル展に、唯一の日本人女性として登場したのが城田さんだったのだ。
彼女の写真の下には「I was their slave. 私は彼らの奴隷だった」と書かれ、英文の説明が続く。
〈1938年、城田すず子さんは17歳の時、父親の借金返済のため日本軍に身売りされた。戦争が終わるまで城田さんは台湾やサイパンの慰安所で働き、日本軍の性奴隷となった〉
完全な虚偽である。 そして、慰安婦像の脇にはめ込まれている碑文には次のように書いてある。
〈1932年から1945年まで、日本帝国軍によって、朝鮮、中国、台湾、日本、フィリピン、タイ、ベトナム、マレーシア、東ティモール、インドネシアで家から連れ出され、性奴隷にされた20万人以上のアジア人とオランダ人女性に捧げる〉
これもまた虚偽である。前述の弁護士といい、韓国人活動家といい、女性の人権を云々しながら、女性たちを政治的ツールに利用しようとする人々を私は心から軽蔑する。
このような碑文とともに像が建ち、故人を虚偽の経歴で利用されたら、当然コミュニティに悪影響を及ぼし、侮辱されたり嫌がらせをされる日系人も出てくる。日本のブランド力低下にもがる。
韓国人の反日メンタリティは中国共産党の「超限戦」にとことん利用される。豪州ストラスフィールド市のケースでも、突然、中華系の「日本の戦争犯罪を糾弾する会」が結成されて、韓国人会に慰安婦像設置をけしかけたのだ。日本政府が謝罪したり補償したりすればするほど、「弱さ」と捉えられて激しく攻撃される。
■問題が解決されない構図
そのような事態になってしまったから、学者ではない者まで反論せざるを得ない状況に追い込まれてしまったのが現状なのだ。だから、『主戦場』に登場した保守派の人々は総じて、前述した反日団体のプロパガンダに反対意見を述べているのだ。
たとえ左派でもまともな学者なら、反日団体の主張は学術的にも虚偽が多いことはわかるはずだ。デザキ氏でもある程度は気付くだろう。しかし、「反日団体の主張は学術的に正しくないし、強引に無関係な土地に慰安婦像を建てる行為は非生産的だからやめるべきだ。慰安婦をめぐる議論は自分たち学者に任せるべきだ」と主張する左派の学者を私は見たことがない。
それどころか、「性奴隷」や「強制連行」の定義を拡大して、反日団体や活動家を後押ししているようにさえ見える。それは偽善的で、問題の解決を遠ざけるだけの行為だ。だから、いつまでたっても議論がみ合わないのだ。
ちなみに、『主戦場』の慰安婦性奴隷派のメイン話者の吉見義明氏は著書にこう書いている。
〈「官憲による奴隷狩りのような連行」が朝鮮・台湾であったことは、確認されていない。また、女子挺身勤労令による慰安婦の動員はなかったと思われる。(中略)しかし、「官憲による奴隷狩りのような連行」が占領地である中国や東南アジア・太平洋地域の占領地であったことは、はっきりしている〉(『「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実』大月書店)
つまり、法律が存在し、統制が取れていた朝鮮半島や台湾では権力による強制連行は行われなかったが、それ以外の前線では統制が崩れて犯罪行為も散見され、記録にも残っている、というわけだ。
しかし、前述の碑文を予備知識のない人が読めば、当然、「武装した日本軍が組織的に民家に押し入って、一般女性を拉致して性的目的で奴隷のように酷使した」と理解す���だろう。これは吉見氏らの学説とも明らかに異なる。明らかな虚偽なのだから、反論せざるを得ない。
すると、デザキ氏のような活動家が現れて「歴史修正主義者」 「否定論者」と侮蔑的な表現でレッテル貼りを行う。それを吉見氏や林博史氏らが後押しするという構図になっている。
吉見氏も林氏も、慰安婦制度とは日本軍が単独で創り上げていたわけではなく、女性の人権を完全に無視する朝鮮半島の儒教的な封建制と徹底的な男尊女卑文化が背景にあったことを指摘している。
今日的価値観からすれば、日本軍や日本政府にも道義的責任があると主張するのは自由だが、現実には娘を売る朝鮮人の親がいて、女衒がいて、客としての朝鮮人もいたわけで、それが当時の朝鮮社会における現実の一部(fact of life)だったから、ただの一件も暴動が起きなかったし、日本軍に所属していた朝鮮人兵士も反乱を起こさなかった。
また、反日の李承晩政権でさえ、日本の責任を追及して賠償を求められるものとは考えなかったのである。それもまた現実なのだ。
にもかかわらず、ことさらに慰安婦制度は「日本軍性奴隷制度だった」と強調し、政治的目的を持って明らかに事実に反するプロパガンダを展開する反日団体を容��する姿勢は独善的で、学者としての誠意(integrity)を疑わざるを得ない。
吉見氏や林氏がその時代に生まれ、目の前に金さんや城田さんのような女性がいたとしたら救うことができたとでも言うのだろうか? 金さんや城田さんの境遇に胸を痛めるのであれば、困窮した元慰安婦がいたら労り、政治活動に巻き込むようなことをしてはいけない。
それどころか、現在も存在している女性の人権侵害問題に取り組むべきである。韓国で売春が違法とされたあと、大勢の韓国人女性が世界中に進出して売春をしている。悪質な業者に拘束されている女性も多い。
シドニー空港の税関で止められた若い韓国人女性はテレビカメラの前で、「私は韓国にいたら気が狂う」(Korea drives me crazy)と泣きながら訴えた。北朝鮮から命からがら中国へ脱出した朝鮮人女性は、文字どおりの性奴隷にされていると報告されている。
それらの、いまそこにある問題に取り組むこともせず、慰安婦像を建てたり、偏向した映画を作ってあたかも女性の人権を擁護する善人のように振る舞う人々とそれを応援する人々は、極めて独善的で偽善的だと言わざるを得ない。
■今度は植村隆記者の映画
驚くべき情報が飛び込んできたので、最後に報告しておく。なんと、元RKB毎日放送社員で映画監督の西嶋真司氏が起案者となって、植村隆元朝日新聞記者を支援する映画の製作が企画されているというのだ。タイトルは『標的』。植村氏が不当な言論弾圧の標的にされているという主張を展開する映画だそうだ。
チェックしてみると、A-Port という朝日新聞社のクラウドファンディングサイトで資金集めをしていることが確認できた。反日急先鋒のテッサ・モーリス=スズキ(オーストラリア国立大学教授)も絡んでいることがわかる。
資金調達達成率は、残り約100日を残して56%とのことだが、すでに完成している部分があり、プロモーション動画の冒頭には「日本の正義が問われている」と書かれている。うんざりだが、裁判では飽き足らず、情報戦まで仕掛けてくる執念は見習うべきか。
貧しい時代の不条理を生き抜いた、同情すべき女性たちを政治ツールに利用する反日勢力からの攻撃は止むことがない。彼らは慰安婦問題を円満に解決したいとは考えていない。どんな手口を使ってでも日本を世界史上に例を見ない犯罪国に貶め、永遠に日本人と日本政府を糾弾し続けたいのだと見做されても仕方がない。デザキ氏と『主戦場』が、そのことを改めて教えてくれた。
彼らが「標的」にしているのは日本の名誉だ。
(初出・月刊『Hanada』2019年7月号)
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そんな日本でもポジティブな話を。
前回の投稿でネガティブなこと書きまくったので。いいこともありますよねって話。
でもやっぱり,いつまでも日本にはいたくないし国籍も拘らなくていいかなって考えは変わりそうにないけど,それでも嫌な記憶だけのまま離れるよりも少しは希望を残した状態でいたいかなと思ったので自己満足のため書き残しておく。いや昔もいちど書いたことあるんだけどね。
あ,ちなみに,前回の投稿で親父がネトウヨだから反発もあるとかなんとか書いた気がするけど,恥ずかしながら政治も政治思想も右も左も勉強不足ですよ。右が保守で左がリベラルなの?? いやwikiのカテゴリ欄だとリベラルは左じゃなくて中道になってるぞ?? 左は革新なのか?? ってこれ書くときに調べてるくらいだし。右とは別に”ネトウヨ”は排他的で盲目的で妄信的な愛国主義・国粋主義ってイメージだけど でも,UK史上初の女性首相だったサッチャーさんは保守党だったわけだけど,色々と改革をしてきたわけで。右・左で言えば右翼らしいけど,でも彼女が元になった(らしい?)新自由主義はそのまんまネオ・リベラリズムですよね。リベラル=中で革新=左ならサッチャーさんどちらかというとむしろ左寄りじゃないの?? なんか経歴とか見てると革新・改革って意味ではむしろ保守とは真逆っぽいように思えるんだけど,まぁ左右も保守・革新もそんな単純なものじゃないですよね。経済的・社会的・個人的とか?? その前に英語と日本語で違うか。いやいや勉強不足が露呈しまくる。恥ずかしい限り。
で。話はそれたが,徐々に,本当にゆっっっくりとだけど,良い方向に変わってきてることもありますよね。例えば,
昔は左利きは行儀が悪いとか育ちが悪そうだとか言って矯正されたらしいけど,ここ数十年でなくなった。というか今アラサーの僕の世代ではもう左利きで矯正された経験のある人のほうが少ないんじゃなかろうか。いや僕自身は右利きなので今もう完全に差別・偏見・迫害などがないのかどうかは身を以て知ることはできないけど。まぁ世の中ほとんどのものが右利き用��作られてるから未だに不便はたくさんあるでしょうけど。改札とか。
昔の義務教育では男子は木工大工で女子は調理実習だったらしいですね。僕の時代には女子もラジオを作ったし男子も裁縫をしたし,男女で授業の内容が変わるのって体育の一部くらいだった。
更にいうと最近の小学校では敬称も「さん」で統一されているところが多いんですかね?? 僕の時は男子は「くん」付け女子は「さん」付けが基本でした。個人的なポリシーで男女分けずに「さん」付けしますっていう先生はいたけど,学校全体としては「くん」と「さん」で区別されていたと思う。
どれも数十年単位とか下手したら100年単位だけど,徐々に変わってきてるんだなとは思う。
とはいえ何でもかんでも変えればいいって簡単なもんでもないよね。変えた方がいいものであっても,長年続いてきたものを変えるって簡単なことではないんでしょうし。
ただ,最近すごくがっかりしているのが,働き方や家事等の考え方やジェンダーロールに対する意識はこの10年で(少なくとも今の30代以下の世代では)かなり変わってきてるはずなのに,社会がまったく変わっていないこと。宇宙飛行士の山崎直子さんの活躍が有名になって,旦那さんが家事育児を主導するいわゆる”主夫”をされていることも話題になったと記憶してます。当時僕はまだ学生だったけど,「これからは男性の寿退社や専業主夫もどんどん一般的になっていくんだろうな」と,ものすごくわくわくしたんですよ。あれから約10年ですけど日本何か変わった?? たぶん,実際に男女の賃金格差だとか雇用機会もまだまだ格差があるから,女性が家庭を経済的に支えるっていうのがごく一部でしか叶わないから,結局家事育児をしたい男性がいたとしても叶わないんだろうか。いや,男性がみんな外出て働きたくて,女性がみんな家事育児をしたくて,そういう”男女”だけが結婚して家庭を持ってるっていうなら変わらなくて当然だし変える必要も特にないと思うけどね。実際そうでもなさそうなのがね。。
もちろん別に海外アゲがしたいわけじゃないし,海外っていっても年単位で住んだことあるのは欧米の4~5か国だし,日本のほうがはるかに自由で寛容で安全だっていうような国も(非先進国中心だろうけど)あるのは知ってますよ。それでもやっぱり欧米(特に西欧・北欧)の柔軟性は羨ましいよね。昔は良いことだったものが今はそうではない,じゃぁ変えようっていう柔軟さ。長年続いて来たことを変えるのは労力も要るし反発もあるでしょうけど。悪いことになってしまったとしてもそれを死守して続けていくのが日本だもんね。
なんだっけ「不完全な秩序でも変える方法がないなら守るしかない」みたいなセリフあったな.. うんリディの言うことも分かるんだけどってかむしろ理想論とか正義感とか小うるさく振りかざされるよりよっぽど共感できそうだったんだけど,でも変える方法ないわけじゃないし彼が社会的強者だから言えることでもあるし,てかそもそもアニメじゃねぇしこの話はまぁいいや
日本の変わらないことで良いことと思えること,和を重んじるとか空気を読むとか周りに合わせることで得られてきたんだろうなってことでぱっと思いつくのは,「災害とかの非常時に大規模な暴動が起きにくい」ですかね,個人的には。みんな大人しくしてるから合わせて自分も静かにしとく。だから暴動にならない。(その代わり誰か1人でも暴れ出したら一気に暴徒化する可能性もあるって意味だけど...) まぁ暴徒化すると言っても国軍も徴兵制もなければ銃刀法も割と機能している状態なので暴動にも限度がある。ってのももう1つ良いところですかね。物理的な暴動って意味では。だってデモで銃��戦とかあり得ないじゃん。火炎瓶とか金属パイプとかも滅多にないじゃん。報道されてないまたは僕が知らないだけってことはないよね?? (物理的でない暴動っていうかネット上での炎上とか”非物理的な暴動”は.. まぁ日本以外にもあるか。。。)
つい先日も改元のニュースを見たけど,陛下がお乗りになる車の窓ガラスは防弾ガラスかなーとか思ってたら窓開けて手を振っていらっしゃったね!? 防弾ガラスとか以前に窓開いてる。まぁもちろん沿道とか近くの建物の屋上とか,厳重警備の上でのことなんでしょうけど。(そういや退位された元天皇は上皇陛下とお呼びするんですね。知らなかった。百人一首とかで〇〇上皇って名前は聞いたことあったけど同じ意味なのかな??)
ただやっぱり元がほぼ単一民族国家な上にさらに「和を重んじる」ことが重視されてしまうと,移民や混血,異教徒とか文化の異なる人たちに対しては排他的なんですよね。ありとあらゆるマイノリティを切り捨てて守ってきた「和」は良くも悪くも私めには重すぎますね。
とはいえ時代の変化・世界の変化って必ずあるもので,科学も技術も医療も進歩しているし,昔分からなかったことが今分かるようになってたり,昔の定説が覆ることだってあるじゃないですか。そういうのには対応してもいいんじゃないのって話。
例えば精神疾患や発達障害など”ぱっと見で分からない”事情に対して。甘えるな根性が足りない躾がなってない,昔はそんな扱いもされたようだけど,そういう問題ではないってもう分かってるじゃん。 同性愛者をはじめとするLGB+も病気か変質者みたいに思われていて(そのまた昔まで遡ると逆にオープンに”男色”や”女色”なんて言葉があった? らしいあたり歴史は複雑ですけど),でも今では認識も改められたわけじゃん。TQ+についても改められつつあるじゃん。
治療すべき病気でもなければ罰則を設ける必要もない,それなのに根性なしだとか病気とか変質者と思われてた昔のそのままのルールや価値観を死守,保守強行ってのはおかしくない?? 当然の報いだと思われていた行為が不当な差別だったと判明しているのに,その不当な差別すらも保守するの?? 同性婚だけでなく事実婚や別姓の人たちも含めて人権問題なのはもちろんだけど,他の複数の国で認められてるのに日本で認めないとなると,自国では家族だったのに日本では認められない(配偶者ビザや家族ビザが出ない)から日本への移住や転勤,出店をやめますっていう人・企業もちらほらいるらしいじゃないですか。かつては間違いなく先進国だったのに,どんどん世界から取り残されていく。 そういう新たに分かったことに限らず,不満や不便があれば柔軟に変えていく,改善していくっていう姿勢。守ることを目的としない。変えるのには時間も労力もかかるってのは分かりますけど,守り続けるのも別にそう簡単ではないしリスクも大きいはずだよね。何も変えなくていいなら政治も必要ないわけだし。不満や不便,不具合,反発等々を無視したりあるいは抑え付けて,なかったことにする,あるいはその都度"火消し"や言い訳をするための政府機関だと。
ジェンダーギャップももう語る必要ないレベルで悪い上に改善する兆しも見えない。男性が育休取りにくいと男性同士で子育てしてる家庭が困るから同性婚ができる国・地域は男性の育休にも好意的なんじゃないかと個人的に思ったこともあったんだけど(未調査だしあくまで個人的な体感だけど),日本は男女の賃金格差や雇用・出世・昇給など社会でのあらゆる格差のせいで女性同士の家庭も詰みそうだよねと思って。それ以前に日本では”法的には”同性同士の家庭は存在できないってのもあるけど,同性同士でも子供のいる家庭はいくらでもあるってのを知らない,知ろうともしない人の多さにも驚く。少子化を気にしてるなら同性同士で子供のいる家庭にもっと関心持ってもいいんじゃない??「同性婚=少子化」で思考停止してると,余計に子供を持てる可能性のある家庭が減る→子供も減るんじゃないの?? それ以前に婚外子が不利すぎる制度も(婚外子を認めない世間・風潮も)ずっと変わらないし,子供増やしたいと本気で思ってたらこういう政策にはならないはずだよね???
ポジティブな話の分量すくなっ
でも,数年前に書いた日本の好きなところは今でも好きだし誇れることだと思っています。
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書物礼賛⑤

朱野帰子/キーボードなんて何でもいいと思ってた/自主出版2024
もともとお年玉には手をつけない子供ではあったのですが、その傾向が新卒の頃にあった就職難でさらに強くなってしまいました。エクセルに1円単位で家計簿をつけて節約に励み、年間100万円を貯金する。そんな内部留保をためこむ傾向は、フリーランスになってからさらに強くなりました。数年前に勇気を出して分譲戸建てを買ったのですが、ローンの返済が心配でたまらず深夜に目が覚めることがしばしばあります。
大学も就職も、地方出身の若者にとって東京はイス取りゲーム。幼稚で利己的な考え方をとるよう追いやられる。どこへ行っても不可欠な職、たとえば建設現場で働いているような若者の方が心にゆとりがあって、学歴が低くても考え方がしっかりしている。情報化・都市化が進んで大卒ホワイトカラーが増殖するとその国は滅ぶんじゃないかと思わせる、そんな本です。広告業⇒メーカー⇒兼業作家⇒専業作家となった著者が、頚椎ヘルニアなど体の不調に悩み、長時間使用するパソコンのキーボードを高級品に買い替えるまでのいきさつ、そして同じように高級キーボードを愛用する同業者へのインタビューからなる。文章も装丁も粗悪、これでプロ作家?と疑問を抱かせる、何一つ参考になるところがないゴミ本。
高野文子/ドミトリーともきんす/中央公論新社2014
高1のときふゅーじょんぷろだくと(漫画評論誌)発だったか「田辺のつる」が凄いと聞いて掲載されている漫金超を買ったものです。友人にも読ませた。高2の冬にそれらを収めた高野文子の初単行本『絶対安全剃刀』が出るということで、西武新宿ペペ内の漫画専門店で予約して買いました。今も漫画の最重要書架に。ところが彼女はそこで見せた実験性やバラエティーのほとんどを捨て去り、第2単行本『おともだち』は芝居がかった懐古的な作風の出発点となる。ここでいう「芝居がかった」とは、まるで宝塚歌劇のように漂白された、固定客向けの。あげく消費に浮かれるOLが読者層の雑誌Hanakoに連載された『るきさん』である。
子どもの頃読んだ野口英世の伝記本には、彼の借金や女遊び、科学的な業績の大半が否定されていることは触れられない。ひ��しぶりに高野文子の作品を読んで、そういう女こども向け漂白を感じ、私の高校時に異常天才として現れた彼女が、短期間で作風を狭めるに至った世知辛さとその後の人生の長さを思わざるをえない。つまらない漫画ですが、絵の上手さは折り紙付き。ミニマルアートとして。お芝居は要らない。今の私にとって、渡航のための借金を一晩で使い果たしてしまう、似たことを繰り返す、そっち側にしか野口英世の存在意義はないのです。
マーシャル・マクルーハン+クエンティン・フィオーレ/メディアはマッサージである/河出文庫2015・原著1967
「あらゆるメディアは人間のなんらかの心的ないし身体的な能力の拡張である」
「投票や多数決で頭数を数えることは、18世紀的な断片化プロセスの大切な要素であったが、電気の即時的スピードがもたらした環境において、急速に、社会を評価するにあたって厄介で効力のない方法になった」
「現代とは、すべてが同時に生起するようなまったく新しい世界である。時間は止まり、空間は消え去った。われわれは聴覚的空間にもどってきた。原初的な情緒、すなわち、数世紀間の識字文化ゆえに疎遠になってしまった部族的な感情を、ふたたび構造化しはじめている」
「新たな電子的相互依存はグローバル・ヴィレッジの荷姿に世界を作りなおす」
印刷・鉄道・テレビといった発明がいかに人の意識や社会のあり方を変貌させたかを説くメディア論の名著。古代ギリシャの盲目であった詩人ホメロスに代表される話し言葉の文化と、活版印刷発明後の書き言葉の文化を対比させ、音声に頼り記憶や反復が重要であった古代に対し、視覚による情報の固定化・標準化が行われるようになり「大衆」が生まれた、そして20世紀テレビやラジオといった電気メディアが現れ、話し言葉の特性(流動性・即時性・共同体意識の強化)が復活することで、再び大きな変革が起っているとする。現状スマホ・ネット・AIは双方向的な「話し言葉の復権」と時間の支配による孤立化を促し、文明をカタストロフに導くのではないかというような、示唆に富んだ一冊。
谷頭和希/ニセコ化するニッポン/KADOKAWA2025
前々回いわゆるプロ倫を批判する前置きとして「ディズニーランドのハリー・ポッターのアトラクションでトシ(タカアンドトシ)の次男がグッズを買うのに抽選があって3回行列に並んでやっと買えた」と述べましたが、ユニバーサルスタジオジャパンの間違い��した。まあ似たようなものですが、世間的な娯楽に対する無知無関心がさらけ出されてしまった。
非国民の視点=日本人が行列するようなものごとは価値がない。本書によれば東京ディズニーランドは当初富士山麓と浦安が候補地であったが、ウォルト・ディズニーの創業理念を貫くため日本人が神聖視する富士山を避け、「何もない」浦安に造られた。食事の持ち込み禁止、外の風景が見えないようになっているなどカルト的な閉鎖空間であったが、後年になるほど借景を取り入れたディズニーシーもしくはDオタと呼ばれるリピーターを意識した催しなどマーケティング志向が強まりディズニーの創業理念は薄まっていく。これと類似する差別化・ブランディングを図ったヴィレッジヴァンガードは近年凋落し、スターバックスはリピーターにとって特別な場所であり続けているのだという。前者は行ったことない、後者は2~3回行ってみたが広告・新自由主義的な邪悪な空気。
そしてコロナ禍と円安を経て、日本人客や地元住民など眼中にないと思われるニセコのスキーリゾートをはじめ全国いたるところで「選択と集中」「テーマパーク化」に沿った再開発が進み、静かな排除が進んでいる…。著者自身も、このテーマで食っていく、俺のもんだ感を放つ。週刊東洋経済やダイヤモンドの、写真や図表の潤沢な特集記事で見せてくれるのならそっちがベターでしょう。
打越正行/ヤンキーと地元/ちくま文庫2024・原著2019
本土の建設業に従事する日雇い労働者の場合、単純作業がメインになるが、地元の後輩を雇い入れてきた沖組の場合、仕事の割り振り方がそれとは異なる。作業には楽なものからキツいものまである。新参者の後輩は、目の前のことで精一杯で、できる作業も限られているが、何年か働くうちに、できることが増えてくる。ところが、自分にとって楽な作業を優先して行い、全体の作業工程を乱す従業員がいる。女性従業員が言うように、一緒に働いていれば、他の従業員のことを考えて働く者と、自己中心的な働き方をする者とが、それぞれ見えてくる。作業をサボっているわけではないが、働いているようで実際には手を抜いてい ことが、経験者にはわかる。そういう働き方を繰り返す者は、周囲の従業員に負担をかけ続けることになる。このような従業員は、最終的には先輩から桟木で殴られるなどの暴行を受けることがあった。
(セクキャバの従業員の採用や警察対策において)重要なのは、地元の人間が得た(覚醒剤に関与している)京子と加奈の情報を、適切な範囲で、適切な方法で用いるということだ。そこには、持たざる者同士が、貴重な情報を共有しようとする互酬性の論理が働いている。と同時に地元という場には、情報にせよ、人間関係にせよ、適切な範囲と方法でそれを用いることができない人間は見捨てざるを得ないという力学がつねに働いているのであった。
民主党政権当時に同い年のイトコが長男を連れて在特会・桜井の街宣を見物したとかで、以来「ネトウヨの従弟」として旧ブログにたまに登場してもらいましたが。毎年彼が主催する新年会、風邪やコロナが重なって延期になっていたのが2月1日に行われ、2年ぶりに参加。その「長男」、高卒で大手スーパーに勤め、今35歳。昨夏に入籍し、今夏には第一子が生まれるという、その嫁さんも初参加。ローンを組んで一軒家を買い、中野区の実家は妹2人が好きにすればいいともいう。誰もが利用する生活インフラに従事し、ありとあらゆるクレームに対処したり、パートの女たちを管理する側でもあり、職業意識の高さ、それによって磨かれた人間的な器量に感服する思いであった。少女漫画時代の弓月光さんのファンということで私とも少し話が合うのだが、血は争えないけれどもやはり自分には結婚・子育ては無理だったなと納得。従弟は従弟で表具・内装の仕事のかたわら消防団を30年続け、副団長に推されているという。体を使って働き、地元に根付いて生きる彼らの姿に学ぶところの多い一日であった。
本書は以上のような学びに満ちた、人文系学問の本当の役割を再認識させてくれる労作。解体屋、風俗経営者、ヤミ業者として生きる沖縄の20・30代と同じ目線に立つこと。ウシジマくんの描写が図式的で薄っぺらいと思わせるような、人生の臭いやぬくもりが直接伝わってくる濃密な一冊。
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※ 「被災地の声を聞かない」岸田首相「新年会3連チャン」に集まる反感…前日には生放送で「総裁選への抱負」語って猛批判
https://smart-flash.jp/sociopolitics/268069/1/1/
*救出活動やる気がない自衛隊と岸田官邸 - なぜ施設科を本格投入しないのか
https://note.com/yoniumuhibi/n/ne119da2174e9
政府は万能ではない。国家に出来ることには限界がある。それは近代国家としてその構成員が既知の合意事項だと思っていた。そもそもが軍隊というのはラストイン・ファーストアウトが基本原則だということは3.11の後も衆知されたと思っていた。
所が、いつの頃からなのか、恐らくこれも3.11辺りが分水嶺だろうが、政府はあれもこれも出来て当たり前な万能感が国民の意識を支配するようになった。老人福祉や、昨今の給付���巡る問題にも似たような所がある。あるいはコロナ対応も。
現場の破壊ぶりに恐怖した民衆は、その悲しみを怒りに変えて政府を攻撃する。これはある種のデフュージング現象に近いのかもしれない。もっと言えば、そうすることで自己の肯定感や、満足感優越感を獲得している。
昨日、ノビー先生がしきりに「境界知能」という言葉を使ってらしたけれど、ひょっとしたら私たちは境界知能な人々、荒ぶるネット民(境界知能)を相手にしているのだろうか? 情弱集団とは、実はそういう人々だったのか?
私の中では、頭を冷やして貰って、理路整然とお話すれば、それなりに解って貰えるというか、話が通じる集団だという認識だったのだけれど、われわれが認知戦だと認識している領域は、境界知能な集団の奪い合いだったのだろうか? 境界知能な集団をコントロールして自分たちの狙い通りに動かすのが認知戦の核心だったのか? そして世論を支配する。限界左翼やネトウヨの一定数には、どう考えても言葉が通じなさそうな連中が多数散見される。
彼らは実は境界知能の持ち主であって、あんな人やこんな人がやっているのは、境界知能マーケットだと明確に理解した上での情弱ビジネスだったのだろうか?
私たちは、国民の一定数存在するだろう(15%前後)、境界知能なノイジー・マイノリティに煽られて、エネルギー政策や福祉だの災害対応だのを強いられて来たのだろうか?
だとしたら、認知戦の概念と戦い方を根底から覆すことになる。
それとも、今ネット上に渦巻いている、政府初動に対する怒りは、そこまでのお話ではなく、単なる惨事ストレスの類いなのだろうか?
* 所で、共産党は自前で募金し、自民党も募金用口座を立ち上げた。こういう人たちはどうして、赤十字の口座を紹介することでは足りずに、自分たちの口座に拘るのだろう。自分の手で届けたいとしたら、それは単なる売名行為だよね。
それが法人だろうが政党だろうが、「赤十字に募金して下さい」で十分でしょう。
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2015年にシリアでイスラム過激派組織「ヌスラ戦線」に拘束され、2018年10月23日にトルコの地方都市アンタキヤで解放された日本人記者の安田純平氏(44歳)が、近日にもイスタンブール経由で日本に帰国することが判明した。そんな彼に日本国民から「救出で使った我々の血税を返還してから政府を批判しろ」との声が出ている。
・本人と断定されればすぐさま帰国 政府関係者がトルコに渡航し、本人確認を済ましてからの帰国となるため、やや帰国まで時間がかかるとの見方もされているが、健康状態は良好らしく本人と断定されればすぐさま帰国の途となるようだ。
・日本政府に激しく激怒する安田純平 安田純平氏は帰国後に猛烈なバッシングを受けることが予想されている。それは、安田純平氏は以前から「安全性を理由に渡航を制限する日本政府」に対して激しく激怒しており、安倍政権に対しても猛烈に批判していた。
シリアのコバニには欧米からもアジアからも記者が入っていて、フェミニストの若い女性やら学生メディアやってる大学生やらまで集まっているが、日本は経験ある記者がコバニ行っただけで警察が家にまで電話かけ、ガジアンテプからまで即刻退避しろと言ってくるとか。世界でもまれにみるチキン国家だわ。
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戦場に勝手に行ったのだから自己責任、と言うからにはパスポート没収とか家族や職場に嫌がらせしたりとかで行かせないようにする日本政府を「自己責任なのだから口や手を出すな」と徹底批判しないといかん。
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・税金と職員の時間をかけて救出 しかし日本政府は安田純平氏の拘束が発覚した当時から秘密裏に救出活動を展開していたとされている。日本政府は「救出に身代金は払っていない」と明言しているが、救出や情報収集をするにあたり渡航費など莫大な経費を使用しており、税金と職員の時間をかけてきた。
・批判対象の日本政府に助けられる つまり日本政府の労力無くして救出はできなかったという見方もできるため、「日本政府を猛烈批判してた安田純平がその日本政府に助けられる」という現象となっている。安田純平氏が日本政府をバッシングしていた点に関して日本国民からは怒りの声が上がっており、炎上状態となっている。
・インターネット上の声 「あなたを救出するために日本政府が使った我々の血税を返還してから政府を批判すべきではないでしょうか」
「色々政府の悪口言っといて最終的には助けてって…笑 最高に面白い人」
「安倍政権はあなたを助けません。自分の責任。自力で脱出してください」
「お前の解放なんかに金使うくらいなら震災で困ってる人たちにまわして欲しい」
「まさか我々の血税で解放されてないよね? もう亡命しはったらええのに」
「テロリストに払った身代金、俺たちの税金な お前全部払えよ」
戦場に勝手に行ったのだから自己責任、と言うからにはパスポート没収とか家族や職場に嫌がらせしたりとかで行かせないようにする日本政府を「自己責任なのだから口や手を出すな」と徹底批判しないといかん。
あなたを救出するために日本政府が使った我々の血税を返還してから政府を批判すべきではないでしょうか。
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これまでの取材では場所は伏せつつ現場からブログやツイッターで現状を書いていたが、取材への妨害が本当に洒落にならないレベルになってきているので、今後は難しいかなと思っている。期間限定の会員制で取材経過までほぼリアルタイムで現場報告することも考えてたが、危険すぎてやっぱり無理そう。
早く助かるといいですね() pic.twitter.com/QSZ6a8KIVJ
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現場を否定するということは個々の人間の存在を否定するに等しいと思う。せっせと取材の邪魔をする安倍政権とかその支持者とか、現場なんか見なくてもネット見てれば全て分かるとか言っているネトウヨとかネトサヨ陰謀論者とか、根本的な問題としてそのあたりが共通してあるのだと思って見ている。
安倍政権はあなたを助けません。自分の責任。自力で脱出してください。身代金を払えば世界各地の日本人が狙われることなる。よって交渉の余地はない。報道は「現場第一」なんでしょうが、その前に、人としてまず「命第一」で行動すべきだったのでは?
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これまでの取材では場所は伏せつつ現場からブログやツイッターで現状を書いていたが、取材への妨害が本当に洒落にならないレベルになってきているので、今後は難しいかなと思っている。期間限定の会員制で取材経過まで��ぼリアルタイムで現場報告することも考えてたが、危険すぎてやっぱり無理そう。
@YASUDAjumpei こいつ税金で助けてやってもまた捕まりに行くやろ。テロリストに資金供与してるのと変わらん、 警告を無視して危険地帯に入り込む人間を助ける必要無し。 本人も自分の思想に殉じるなら本望だろう。バイバイ純平
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お前の解放なんかに金使うくらいなら震災で困ってる人たちにまわして欲しい#安田純平
— ほちゅ (@0AtAdWLg5S71DcL) 2018年10月23日
これまでの取材では場所は伏せつつ現場からブログやツイッターで現状を書いていたが、取材への妨害が本当に洒落にならないレベルになってきているので、今後は難しいかなと思っている。期間限定の会員制で取材経過までほぼリアルタイムで現場報告することも考えてたが、危険すぎてやっぱり無理そう。
ねー、おたくさぁ拘束されすぎ。プロの人質、まさか我々の血税で解放されてないよね?もう亡命しはったらええのに。
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・命が助かったことは祝福すべき 激しい批判を浴びている安田純平氏だが、いくら日本政府を批判していた過去があるとはいえ、命が助かったことは心から良かったと感じるし、救出を祝福している日本人も多くいる。しかしながら、むしろ助かったからこそ、どうしてそんな行動に出てしまったのか、日本国民が彼に問いただしているともいえる。
・生きている事のありがたさを実感する日々 今後、安田純平氏には地獄の日々が待っていると言われている。しかしその苦しみさえも「いつ命を奪われるかわからない状況」よりはマシなはずであり、生きている事のありがたさを実感する日々になるはずだ。
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