#一棟買い
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寮では、翔が他の生徒とは遅れて夕食を摂り、終えると部屋に戻った。建物は学年別に三棟並び、食堂は共同だがトイレと浴室は部屋ごとに設置されていた。まるでビジネスホテルの様な構造だった。
翔の部屋の隣には正美がいたが、午後八時になるとノックをした。室内から翔が出て来ると、
「どうしたンだよ、心配したよ」
と声をかけた。翔は正美を室内に入れた。正美はベッドに腰を下ろし、自分の部屋の冷蔵庫に仕舞ってあった缶ジュースを差し出し、
「親父が送ってくれたンだ。飲めよ」
と勧めた。
二人は缶ジュースを片手に、まずは翔が亮司に声をかけられたことを話した。そして、
「実はオレ、用務員さんとキスしたりハグしたりして…エッチした」
と告白した。流石に、正美は一瞬飲んでいたジュースを気管の方に入りそうだったのかむせ込み、
「そ、それって…!?」
と驚きを隠せない様子だった。翔はスエットパンツ越しに股間を覆いながら、
「オレ、用務員さんにキスされたら急に好きになっちゃって…。気付くと裸でエッチしてた。用務員さん、チ◯ポが大きくて…。オレ、そのままイッちゃった」
と顔を赤らめた。もはや、開いた口が塞がらない様子だった正美は、
「お、お前、急に『チェリー』じゃなくなったなァ!」
と興奮していた。嗚呼、まさか翔に「童貞喪失」を先越されるとは…。内心、悔しかった。彼は、
「オレも、早く誰かとセッ◯スしてやるぞ!」
と鼻息を粗くした。
その頃、宿直室では見回りを終えた大平が、周囲に誰もいないことを確認したうえで、
「…全く、オレが宿直に入る度に『夜這い』に来るンだから!」
と口���をキツくさせながら言った。
布団には、早くもスエットパンツを脱いで白いリオバックビキニを穿いた二年生・根本郁斗が布団に横たわっていた。彼は大平が顧問をするラグビー部に所属していた。
「だって、オレは入学した頃から先生一筋だもン。浮気してないもン」
そう言いながら、彼はスエットパーカーも脱いだ。灰色のタンクトップだけになった彼の上半身は、小学校の頃からスポーツ少年団でラグビーをやっているからか、肩幅がガッチリしていた。そのまま彼は大平のところまで立膝でやって来て、そっと両手でスエットパンツを下ろした。有名ブランドのロゴがプリントされた水色のスポーツビキニを穿いていたが、郁斗はその股間に頬擦りをした。微かに洗剤の芳香がする。彼は自分のチ◯ポが硬くなっていくのを感じた。
「…雅之の、コレが欲しいの」
彼は、まるで成人映画の女優の様に股間を突き上げながら内腿を拡げた。次第に、ビキニ越しに大平のチ◯ポを愛撫する手指が素早くなり、その勢いで彼はウエストゴムを両手でつまんだ。血管が浮き出た肉棒が天井に向かっていきり勃ち、ヌッと郁斗の目前に現れた。その肉棒の裏を彼は舌の先端でなぞり、挙げ句に咥えた。大平は、口淫をする郁斗を両手でその髪を弄った。気付くと腰を前後に振り、
「あッ、あッ、ああん…」
と恍惚の表情で喘いでいた。
情事は未だ終わらず、二人は全裸になって郁斗の下半身の穴に大平は己の肉棒を挿れ、「騎乗位」で戯れた。頻りに郁斗の臀部を撫で回し、
「い、郁斗、この、あばずれが…」
と言葉攻めをした。郁斗は布団にしがみつく様にシーツをつかみ、
「…雅之、もっと突いてぇ〜」
とうなだれた声で訴えた。
宿直室は六畳の和室で、トイレもシャワーも完備されていた。寮の玄関からも近かったが、周辺には食堂と厨房しかなく、幸いにも生徒が寝泊まりする部屋は二階からだった。誰かに知られてはと声を押し殺しながらの濡れ事であるものの、大平も郁斗も一応用心をした。
オルガズムに達すると、二人はすっかり教師と生徒という垣根もなく、卑猥な音を立てながら接吻を交わした。すっかり大平の「子種」を仕込まれた郁斗は下腹部を押さえながら、
「雅之の赤ちゃん産みたいのォ〜」
と甘える声で訴えた。
そんな一部始終を、たまたま缶ジュースを買いに階下に来た佳憲が、宿直室から聞こえてくる声に気付き、襖の隙間から覗いて見ていた。大平と関係を持ってから���ったのだが、彼には自分以外の生徒と複数寝ているという話を直接聞いていた。そのことに対しては、とりわけ固執せずに「男って生き物はそんなもの」と割り切っていた。彼は、明日は一緒に寝てやると、テントの様に突き上げたスエットパンツをパーカーの裾で隠しながら自分の部屋に戻って行った。
「別荘」では、これまで誰にも公にしていなかったプライベートバーのドアを貢が開け、亮司を招き入れた。カウンターに五人は座れる椅子が並べられ、背後にはシングルモルトやリキュールなどが整然と置かれていた。
貢は元々、某私立大学の経済学部を卒業してからは大手都市銀行に定年まで勤めていた。父・操が私立K高校の理事長を「引退」するのを機に、地元へ「Uターン」してきたのだ。
理事長になってからは、隣町にある単科大学の経営も担いながらメインであるこの高校では校長もやっていたが、多忙の故に高血圧症とかかりつけ医から診断されてしまい、それが理由で岩崎に校長の方を委ねたのだった。
プライベートバーは、貢の趣味で設計してもらったものだった。大学時代に新宿のオーセンティックバーでアルバイトをしていた経験があり、家業もあったので本格的にその道に入ろうとはしなかったものの、自分でカクテルを作って愉しみたいという思いがあったのだ。彼は「ビフィーター」というジンをシェーカーに入れ、それからライムジュースとガムシロップを加え、振り始めた。亮司は、何度かバーには同僚に連れられて行ったことがあるが、基本は居酒屋が多かったのでカクテルなんてハイボールしか飲んだことがなかった。
目前に「ギムレット」が差し出されると、
「元々は、イギリスの船乗り達がジンばかり飲んでアル中になるのが問題となって考案されたカクテルらしい」
と、貢は自分で飲む「マティーニ」を作りながら言った。亮司は一口飲むと、
「何か、サッパリしているなァ…」
と感想を述べた。
亮司は、翔のことを貢に話した。一通り話を聞くと貢は、
「よくいるンだよ、母親が絶対的な立場で逆らうことができず、ウチに来てそれが爆発するケース。母親の愛情は必要不可欠だし、それを十分に受けないとひもじくなってしまうンだよ。でも、亮ちゃんに抱かれたらその気になっちゃったンだ」
と言った。
「もう、二度もイキやがって…。オレ、しばらくセッ◯スできねぇよ」
「嘘だァ〜!? この後試してみる?」
「『中折れ』しちまうよ」
「誰もア◯ルやってなンて言ってないよ、スケベ!」
結局、二人は三杯目のカクテルを飲み終えるとプライベートバーを出ながら接吻を交わし合った。貢の首筋に唇を押し付けながらネクタイを解き、ベッドに辿り着く頃にはスラックスだけになっていた。亮司は、彼の乳房を谷間の様に寄せながら吸い付き、ブリーフだけにさせていく。貢は、
「…ほら、亮ちゃんはズルいよ! 抱けないって言っておきながらその気にさせるンだもの」
と言いながら、亮司のベトナムパンツのベルトを緩めた。
互いのブリーフがベッドの許に重なり合っている。貢と亮司は「シックスナイン」の状態で口淫に耽った。互いに「アラ古希」ではあったが、性衝動は十代に負けなかった。仕舞いには貢が亮司の身体に覆い被さり、「子種」を仕込んだ。久しぶりに「ネコ」となった亮司は黄色い声を上げ、エクスタシーの故に涙を浮かべた。
情事を終えた二人は布団の中で見詰め合いながら、
「お前、『タチ』もイケるンだな」
「まァ、変態なンだよ」
「何だか、久々に女みたいな声を上げたよ」
「可愛かったよ、亮ちゃん」
と抱擁しながら話した。
時計の針は午後十一時を回っていた。翌日は土曜日で、そのまま大型連休に入る。入職したばかりの秀一のことを亮司は思った。昔、こんな風にオレも彼を抱いたなァ…。翔と寝た時、まるでデジャヴの様だった。秀一も「春の目覚め」が遅く、オレが最初に惚れた男となった。そんなことを回顧しながら、亮司は貢に接吻をした。貢は聞いた。
「…何考えてたの?」
「まァ、昔のこと。もう寝よう」
このまま二人は眠りに入った。
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250407
朝、春がきそう。 春を待っていたのに、春がきそうになると、春がくることが怖い。 注文しておいたボールペンの替え芯が今使っているものと合わなかった。 仕事。 たまにいい香りを漂わせている人の、いい香りを、柔軟剤の香りかなと思っていたけれど、ウッディな香り、というやつな気がして、香水かもしれない、と思う。もしくはルームフレグランスとか。香りをつけるための香り。 研究棟から出ると、馬が散歩をしていた。 ひさしぶりにみた。
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250408
朝、日々は続いている。 今日も夢を見ていた。何を見ていたかは忘れた。 ぜんぶを白にしている寝具が柔らかく光っていて、春。
仕事をしに大学へ行くと、土に黄色い花がてんてんてん、と咲いていた。 昨日まではその存在すら知らなかったのに。 今日になったら急に咲いていた。春。私も今日から薄手のコート。
夜、特別ねむくはなかったけれど、早めにねた。
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250409
朝、一度目覚める。5時30分。 外にはもうピカピカの朝が来ていた。 二度寝して、6時30分。 今日もまた夢を見ていた。友人とレーザービームで料理をしようと準備をしていたら、準備に時間がかかってしまい、キムタクに怒られた。 彼が家を出るのを見送る。
セーターを手洗いする。 毛の抜けやすいセーターの毛がたくさん抜けてしまって、これでよかったのだろうか、と思う。せめて裏表逆にして洗えばよかったのかもしれない。 水を絞るのが大変で、びしょびしょのままとりあえず干したら、案の定水がしたたり、洗面器とかたらいとかで受け止めた。雨漏りしている家みたいになった。
自転車で駅まで行って、電車に乗る。 車窓から見える風景は茶色くて、冬から春への通り道は茶色いんだ、と思った。 まっしろな雪が解けて、土があらわとなり、新しい緑が芽吹くまで。 本屋へ行く。 ひさしぶりの本屋に目がよろこぶ。 ぐるぐると棚をみる。私の作った本も置いてくれていて嬉しい。 古本を2冊買う。 やっぱり本屋はいい。心がうるおった。
帰宅。 セーターはまだ乾いていなかった。 糸で編まれたこの柔らかなもの���水を吸い込みすぎる、
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和七年(2025年)6月27日(金曜日)伍
通巻第8845号
短期集中連載(その3)
悪夢のバイデン政権
*************************
(承前)悪夢のバイデン政権(10章構成)
第3章 国境危機
~~~~~~~~
バイデンは国境を意図的に開放した。不法移民に選挙権を与えて民主党に投票させる為だ。
https://x.com/elonmusk/status/1839448042828869716
バイデンは次々と国境管理を緩めた。メキシコ国境からは1千万人を超える記録的な不法移民が流入した。4年間で1千万人というと、単純計算で毎日7千人の不法移民が4年に渡って押し寄せ、米国内に流入し続けた事になる。
国境周辺の街はあふれる移民に圧倒され、疲弊した。
不法移民の急増は、移民受け入れの社会的コストを増加させ、また不法移民による犯罪やトラブルも治安上大きな問題となり、政権への厳しい批判が上がった。
《国境開放政策を年表に纏めた》
【2021年】:バイデンは、就任からの100日で国境の壁建設中止など、94もの国境管理を弱める行政命令を発布し、不法移民の流入増大策をとった。
(5月)出頭指示書(Notice to Appear):バイデン政権はキャッチ andリリース政策���導入し、不法移民を捕まえても、後に出頭するように、出頭指示書を交付してそのまま米国国内に放免した。
https://www.thegatewaypundit.com/2021/03/illegal-immigrants-given-sheet-paper-instructions-appear-court-allowed-fly-domestic-using-sheet-paper/
この紙は顔写真もなく、コピーして簡単に偽造できる。バイデンはこれを不法移民に交付し、これを提示すればアメリカ国内を飛行機で自由に移動できるようにした。
(9月)不法移民はコロナの検査なし:アフガニスタンからの避難民は検査し、ワクチンを接種したのに、民主党は不法移民にコロナの検査を拒否した。
https://x.com/RepMMM/status/1443271183579897863
【2022年】:不法移民の流入が本格化するにつれ、移民流入の最前線である各州の反発が強まった。
(2月)年末の1万2千人に続き、4千人のキャラバンがアメリカを目指す。
https://x.com/OscarRamirezTJ/status/1542954851734147074
(9月)テキサスはあふれ返る不法移民をバスでNY、ワシントンDC,シカゴなどの不法移民の保護を標榜する聖域都市に移送。2024年までに11万9000人にのぼった。
https://x.com/GregAbbott_TX/status/1565138872887115776
(9月)フロリダは不法移民を飛行機でマーサズ・ヴィンヤード(オバマの邸があり、クリントン夫妻が度々訪れる高級リゾート地)に移送した。島は不法移民を早々に追い出し、言行不一致で失笑を買った。
(11月)この時期までに既に500万人以上の不法入国を許した国土安全保障省のマヨルカス長官は国境は安全(Secure)だと平然と嘘をついた。
https://x.com/RNCResearch/status/1592556379394297857
【2023年】:バイデン政権はさらなる移民流入策を進めた。国境での混乱や不法移民が起こすトラブルにお構いなしだった。
(1月)CBP One アプリ:CBPアプリは2020年10月に米国税関・国境警備局(CBP)のサービスにアクセスするための単一のポータルとして設計された。主に合法的入国者を対象に、事前の情報提出、国境での待ち時間の確認、渡航履歴の管理などが行えるようになっており、到着の7日前までの仮I-94の申請、旅行履歴の閲覧、生鮮貨物の検査予約などの機能があった。
バイデンは2023年1月から、アプリの機能を改変し、亡命希望者が入国港で予約を取るための主要な方法とし、CHNV(キューバ、ハイチ、ニカラグア、ベネズエラの頭文字)の猶予プログラム を促進し、本国からの渡航認証のための生体データの提出を可能にした。
同年5月までに、CBP Oneは移民が亡命手続きを予約するための必須プラットフォームとなった。
2023年1月から2024年2月にかけて、100万人近くの移民がこのアプリを予約に利用し、44万8,701人が人道的仮釈放による入国を許可された。(CBSニュース)
不法移民を簡易的に合法化し、記録的な不法移民の国境通過への批判をかわす狙いだった。
※2025年トランプ2.0政権はこのアプリで入国した100万人のステータスを取り消し、このアプリを通じて「7日後の許可の取り消しと早期の国外退去」を通知した。また、このアプリを通じて自主的に帰国した者は1000ドルの支援が受けられるとした。
(5月)Title 42の終了:タイトル42は、1944年に制定された公衆衛生法の一部であり、伝染病が米国に持ち込まれる「深刻な危険性」がある国からの人や物品の入国を禁止する権限を連邦政府に与えている。
トランプ1.0政権はコロナ・パンデミックの対応としてタイトル42命令を発令し、国境警備隊が国境で遭遇した移民を迅速に追放できるようにし、2020年3月から2021年1月までで、40万人以上の移民が追放された。
バイデン政権は当初、共和党の圧力に屈してタイトル42を維持し、2021年1月から2023年5月までに、250万人以上が追放された。
移民急増を危��する批判をよそに、バイデンはタイトル42を2023年5月11日終了した。
【2024年】不法移民の増加により全米で暴力事件等が相次いだ。バイデン政権は流入を促しながら、結果責任は認めようとしなかった。
(1月)不法移民急増に対する轟々たる非難に対し、バイデンは国境についてやれることは全てやったとうそぶいた。
https://x.com/RNCResearch/status/1752360085538402530
(2月)22歳の看護学生レイケン・ライリーは、ジョージア州アテネのジョージア大学(UGA)で朝のジョギング中に襲われ、殺害された。犯人はバイデン政権の方針に沿い、何度も逮捕されはすぐに放免される事を繰り返した不法移民だった。不法移民をきちんと取り締まっていれば彼女が殺される事はなかった。
※2025年1月、トランプ2.0では、窃盗から暴行までさまざまな犯罪を犯した非正規移民の拘束を義務付け、連邦移民局の失策をめぐって各州に訴訟を起こす権限を与える、「レイケン・ライリー法」を成立させた。
(2月)不法占拠(スクワッティング):不法移民が勝手に空き家に住み着く事例が全米で問題となった。NYやジョージアでは立ち退きを迫った家主が逮捕された。アトランタでは空き家に不法移民が入り込む例が1200棟にのぼる。
https://x.com/RNCResearch/status/1755239368116060601
(3月)バイデン政権は不法移民を飛行機やバスで全米に密かに移送していた。
https://x.com/stclairashley/status/1764976188424950172
このツイートで、デイリー・メールの記事に加え、前年12月に移民を飛行機でフェニックスからニューヨークまでデルタのプレミアムシートで移送している様子を投稿した彼女は、2025年になってイーロンの13人目の子どもを生んだと主張しているアシュリー・クレアだ。
https://x.com/stclairashley/status/1906820870305136668
(3月)NY市は不法移民の500家族にホテルに1ヶ月無料滞在できるバウチャーに加え、月350ドル利用可能なプリペイドカードを配給
(4月)何度も捕まえては釈放していた不法移民がレイキン・ラリーを殺害した件でマヨルカス国土安全保障省長官が議会で「心が痛むが、捜査中の案件」との理由で証言を拒否。
https://x.com/RandPaul/status/1781015261312586237
(6月)不法移民に殺されたレイチェル・モーリンについて問われたマヨルカスは「心が痛むが、犯罪は犯罪者の責任だ」と述べる。
https://x.com/RNCResearch/status/1803427481405313369
バイデンは4年間不法移民の輸入に勤しみ続けた。不法移民はバイデンの大ファンだ。
https://x.com/GriffJenkins/status/1765790242429096362
https://x.com/Pismo_B/status/1765796840006725977
アリゾナ、ジョージア、アラバマ、ノースカロライナ、マサチューセッツで、実際に不法移民が投票を許され、登録されていた。これらは氷山の一角だろう。もう一度書くがバイデンは不法移民を民主党の票として輸入した。
アリゾナ https://x.com/ItsYourGov/status/1839257642868298139
ジョージア https://x.com/ItsYourGov/status/1818762206806217099
アラバマ https://x.com/BehizyTweets/status/1824233718459896121
ノースカロライナ https://x.com/ItsYourGov/status/1808873149745803642
マサチューセッツ
https://www.theepochtimes.com/us/illegal-aliens-set-to-get-drivers-licenses-in-massachusetts-4528539
第4章 原油急騰とインフレ
~~~~~~~~~~~~~~~~~
【化石エネルギー敵視政策】
就任初日、バイデンはキーストンXLパイプラインの閉鎖を命令した。このパイプラインは、既存のパイプラインを1,200マイル延長し、カナダのアルバータ州からネブラスカを経由しメキシコ湾岸(現アメリカ湾岸)の製油所までを結ぶ計画だったが、気候変動や環境を理由に中止させ、何千人ものアメリカの雇用を奪った。
バイデンはイデオロギーを優先し、化石燃料の依存を減らす為の施策として、彼の任期中少なくとも200の行動を取ったとされている。
https://www.instituteforenergyresearch.org/regulation/200-ways-the-biden-administration-and-democrats-have-made-it-harder-to-produce-oil-gas/
・冒頭で書いたキーストンパイプラインの閉鎖
・アラスカの北極圏国立野生生物保護区(ANWR)、国立公園や公有地、その沖合での石炭、石油、ガスの資源開発を禁止
・トランプ政権が行ったエネルギー部門の規制緩和を撤回し、トランプのエネルギー自立政策を拒否
・石油業界へのリース料増額(50%)、リース権を持ちながら未使用の業者への制裁金
・環境規制の強化(水質、メタンガス排出、粒子状物質等、様々な新たな規制や野生動物の保護)
・業界に1500億ドル規模の増税を提案。
・内燃機エンジン車の燃費基準の強化
・NYで新たな建物はガスコンロ設置を禁止
こうした化石エネルギー産業敵視政策が推進されたのは、世界的にパンデミックが収束に向かい、沈み込んでいた経済活動が回復する時期と重なった。バイデン就任後わずか3ヶ月の2021年4月、原油は前年比で4倍近くに急騰し、物価も5%以上の急上昇を見せた。
さらに2022年2月にはウクライナ紛争が勃発。8%という近年にないインフレがアメリカを襲う事となった。
ガソリン価格はトランプ時代終��の2020年末でガロンあたり2.25ドルだったが、2022年6月には5ドルを突破した。ガスポンプに「俺がやった(Idid that!)」と書かれたバイデンの指さしステッカーを貼ることが流行り、ステッカーを剥がす手間がガソリンスタンドの頭痛の種となった。
【サウジとの確執】
イデンは2019年12月の「60ミニッツ」のインタビューで、サウジアラビアのムハンマド・ビン・サルマン皇太子(MBS)は、ジャーナリストのジャマル・カショギ氏殺害に関与したことから、「のけ者(pariah)として扱うべきだ」と大見得を切った。
しかし、背に腹は変えられない。中間選挙を前に原油が高騰し、さらなる減産をちらつかせるサウジに対し、2022年7月、バイデンは屈辱に耐えて彼の地を訪問、のけ者にすると言い放ったサウジアラビア皇太子と拳を突き合わせ(コロナの中での握手の替わりの行為)、石油減産を思い留まるよう懇願した。
バイデンは訪問時に皇太子とは直接合わずに済ませたいとサウジ側に要請し、外交的な調整を済ませていた筈だったが当日皇太子がバイデンを出迎えた。
バイデンの屈辱は、皇太子の出迎え後も続いた。「バイデン大統領、サウジアラビアはまだのけ者ですか?」と記者が叫んだ。サウジアラビア代表団は笑いを噛み殺していた。
https://x.com/RealMacReport/status/1547993846742536192
会談の翌日、MBSは「バイデンが石油減産と価格引き上げを中間選挙まで待てと圧力をかけたが拒否する」と公表した。
https://x.com/KSAmofaEN/status/1580342638816808960
トランプをウクライナに圧力をかけたとのでっち上げ疑惑で弾劾した民主党は、当然ながら、サウジに圧力をかけたバイデンを弾劾しようとはしなかった。
2年後の2024年3月、ブリンケン国務長官がガザ紛争について協力を求めサウジの皇太子を訪問した。その時皇太子は自らの後方にはサウジ国旗を掲げる一方で、ブリンケンの後ろにはアメリカ国旗を掲げなかった。
2021年5月ロシア侵攻の半年程前、バイデンは誘導的にプーチンは人殺しと思うかと問われ、「プーチンを心のない人殺しで代償を払わせる」と発言した。プーチンがロシア大使を召喚する事態となり、プーチンはライブで討論を行おうとバイデンに呼びかけた。認知症気味のバイデンが応じられる筈もなかった。
バイデンはプーチンを「殺人者」と呼び、サウジをのけ者と言った。
訪問先で相手国がアメリカ国旗を掲げない惨めな現実は彼らが望んだ結果なのだろうか?
https://www.aljazeera.com/news/2024/3/21/blinken-meets-with-arab-officials-calls-for-enduring-end-to-gaza-crisis
【戦略石油備蓄(SPR)】
SPRは、1973~1974年のアラブ石油禁輸をきっかけに設立された、世界最大の緊急石油備蓄施設で、石油供給が突然絶する様な緊急事態時に緊急放出する、国家の安全保障戦略に則ったものだ。
現在ではルイジアナ州とテキサス州の4カ所にある地下の塩の洞窟に貯蔵されていて、最大7億1,400万バレル(全米消費量の約1ヶ月分)が備蓄可能だ。
トランプ政権から引き継いだ備蓄量(2021年初頭)は6億1,500万バレルでほぼ満���ン状態だった。亢進するインフレはバイデンへの批判を高めた。中間選挙を前にしたバイデンは原油価格の低下を目論み、備蓄の放出を決めた。その結果、備蓄量は3億5,000万バレルと半分近くに減ってしまった。
石油依存低減を叫ぶ環境保護家達の声を気にしてか、備蓄の積み増しは行わないままトランプ2.0に引き継いだ。
バイデンは自らの経済政策の失敗を糊塗するために安全保障まで犠牲にしたことになる。
【物価急騰】
原油急騰は精錬業、製造業、運輸業をはじめ、あらゆるコストを押し上げた。原油急騰に少し遅れて物価も高騰し、ピーク時には前年比8%を超えるまでになった。
バイデンは、2022年、価格統制を打ち出そうとしたが、ジミー・カーターが価格統制を実施した際、売り惜しみから商品棚は空っぽになり、統制価格が事実上の下限価格となった事を忘れたのかと批判された。
不法移民による治安悪化も、この物価急騰もバイデン自らの政策が招いた結果だった。彼の心には国民の生活など眼中になかった。
(続く)
(大阪の竹本)
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・この問題の解決策としては、外国人個人は不動産を1つまでしか購入できないようにすることだ。 さらに外国企業は日本国内に会社を設立しない限り不動産を購入できないようにすれば良い。 ・これドイツでも同じことがあったようだ。 自分が聞いた話では家賃が突然法外な額に跳ね上がったらしい。 ・カナダの西側でも同じことが起きてる。 そして誰もそれを取り締まることはない。 事態はどんどん悪化し続けるだけだ。 ・これは中国の資本逃避なんだよ。 それで不動産が一番のターゲットにされてる。 ・最近の経済学の入門書によると、超富裕層の中国人が移住する人が多い国ほど、その国はめちゃくちゃになるそうだ ・↑シンガポール人だけど中国人はショッピングモールを買い占めたりもしてる。 そしてほとんどの店が家賃を払えないレベルまで家賃を吊り上げてる。 そして多くの店が出て行ったあとで、麻辣火鍋の店や中華チェーン店が入るようなことが起きてる。そして中国人が経営する店は客が全然来ないのになぜか潰れない店��多い。 きっとマネーロンダリングをするための店なんだろう。 本当にふざけてるよ。 ・当然これは外人のせいだよね。 日本ではすべてが外人のせいだからね。 そして日本は被害者なんだ。 ・↑これはマネーロンダリングの非常に一般的な手法だぞ。 中国の超富裕層、中級から上級の中国共産党員がよくやってることだ。 建物を短期賃貸に転用すれば不規則な資金の流れを作りやすいから、マネーロンダリングをする人にとっては有利に働くんだよ。
海外反応! I LOVE JAPAN : 中国人が日本のマンションを1棟買いし、家賃を2倍以上に値上げする事例が相次ぐ! 海外の反応。
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20250809

早朝、出発した。
利根川の流れにそって、うねうねと長く続く道を下っていく。空があおあおとしてよく晴れている。道端に草が生い茂っている。コンビニに寄ってペットボトルの水を買う。また出発する。稲が穂を垂れている。静けさがあたりを覆っている。カーブを曲がる。信号が赤くなり、また青くなる。久喜市に入る。前方の自動車がブレーキを踏んで、テールランプが赤く灯る。こちらもブレーキを踏む。利根川を橋で渡る。利根川は昨日一昨日の夕立のせいもあってか静かに水嵩を増している。関東平野が広々と果てしなく広がっている。車線変更する。セブンイレブンがある。ドラッグストアがある。小さな飲食店がある。トラックが道の橋に止まっている。カーステレオは久石譲『Summer』を流している。メロディーが波のようにくり返し満ちてはひいてゆく。百日紅の花が咲いている。老婆が雑草を抜いている。標識が現れては消えていく。高架の上を新幹線が横切ってゆく。反対車線は混んでいる。いつの間にか茨城県に入っている。雑木林が濃緑色に繁茂している。風景が現れては消えてゆく。アスファルトの道が真っ直ぐに続いている。川を渡り、丘を越えて、通り過ぎていく。蟬の声がする。薄い雲が空にかかっている。夏の風景のただなかにいる。住宅街、切妻屋根、信号機、��やぶ、電柱、畑、稲田、神社、標識、看板。ブレーキを踏む。アクセルを踏む。交差点を曲がる。コインランドリーの前を通り過ぎて行く。自転車をこいでいる人がいる。その人とすれ違う。スーパーマーケットの前を通り過ぎる。地方銀行の前を通り過ぎる。病院の前を通り過ぎる。教会の前を通り過ぎる。ゆっくりと進んでいく。なんでもない風景。ここには何もない。それでいい。エアコンの音がしている。車内はすずしい。いろんな思いや考えが浮かんでは消えてゆく。その発生と消滅をながめている。ただ進む。心が空っぽになっていく。それでいい。一匹の虫が窓硝子に衝突し、黄色い粘液をその場に残して視界から消える。交通量が増えてきている。道はあいかわらず曲がりくねりながら続いている。何か煙が上がっている。ものを燃やしている人でもいるのだろうか。だが、それもたちまち遠ざかり見えなくなる。言葉は鰯雲のように湧いてくる。その言葉を口に出す。だが、そこには何の意味もなければ何の価値もない。言葉は単なる言葉に過ぎない。わたしは空っぽで、だから言葉も空っぽだ。それでいい。すべきこともなく、しなくてはならないこともない。してもいいが、しなくてもいい。だが、それでもこうして旅をするのは何故なのだろうか。すべきことなどないのに、しなくてはならないことなどないのに、してもしなくてもいいのに、だが、それでも何かをしたいと思うのは何故なのだろうか。わたしにはわからない。それでいい。あちこちに草が生い茂っている。美容室のサインポールが回転している。金物屋が品物を陳列している。見覚えがある道に出る。18歳の時、大学受験の早朝に通った道だ。あの日はとても風が強い日で砂埃が舞っていて、一寸先も見えないようなありさまだった。だが、今日は晴れている。結局その大学に合格し、実家とアパートを行き来しながら、この道を何回も通ってきた。だからこの道は現実の道で、と同時に記憶の中の道だ。結局道と言うのは記憶それ自体なのかもしれない。だからどうと言うわけではない。「欠けている足りないものは音を立てるが、満ちているものは音を立てない」(仏陀)。記憶も泡のようなものに過ぎない。浮かんでは消えていくだけで何の意味も価値もない。それでいい。アクセルを踏んで記憶の中の道を進んで行く。丘を登り、また下る。自動車が加速していくのがわかる。見晴らしが良い。一面の稲田の中を通り過ぎていく。また川を渡る。交差点を曲がると山が見える。きっと筑波山だ。三角形をふたつ重ね合わせたような形をしている。今はまだ遠く霞んでいるが、それでも現実の山で、筑波山だ。わたしは筑波山にむけて自動車を走らせる。まゆみの生け垣が幾重にも入り組んで迷路のようになっている住宅街の中を進んでいく。電柱が等間隔に立ち並んでいる。とんぼが飛んでいる。蟬の声がする。わたしは記憶の中の道を走りながら、18歳から30歳へとたちまち成長していく。それでいい。肩が凝ったので、コンビニに寄る。ザバスのミルクプロテインを購入し飲む。太陽が空高く昇り、いよい���暑くなってくる。カーステレオを吉村弘の環境音楽に切り替える。少し休んでから再び出発する。つくばまであと20キロと少し。坂を上り、また下る。ブライアン・イーノと吉村弘の差異は砂漠とモンスーンの差異だ。砂漠は乾いているが、モンスーンは湿っている。それは音楽性の違いというよりは単に環境の違いなのだと思う。わたしは吉村弘を近しく感じる。夏は余韻と兆候が交錯する季節だ。わたしはその交錯のただなかを通り過ぎていく。すると、体が透き通っていくような錯覚を覚える。だが、もちろんそれは錯覚で、わたしはあいかわらず柔らかく濡れた体で呼吸し続けている。アクセルを踏み、ブレーキを踏む。信号が赤になり、また青になる。そのくり返し。木々のみどりはいよいよ濃さを増して甘やかに滴り落ちていく。電子音がさざなみのように寄せてはひいていく。心が静かになっていくのがわかる。つくばが近づくにつれて、風景はよりのどかなものになっていく。住宅は減り、畑や稲田が増えていく。農家の人びとが畑を耕している。ふと、カンディードの一節が頭をよぎる。己の畑を耕さなくては。だが、それもたちまち遠ざかる。自動車を運転しながら懐かしいと思う。この懐かしさは一体何なのだろう。と同時に退屈だとも思う。この退屈さは一体何なのだろう。いつか見た風景。今はもうない。変わっていく風景。無数の索引。その風景のただなかで、わたしは何をするわけでもなく、呼吸し続けている。それでいい。
一ノ矢をあてもなくさまよう。メタセコイアの並木道。正方形のタイルが敷き詰められた道。ハナミズキの並木道。薄汚い古びた学生宿舎群。赤や青や黄のドア。銀色の郵便受け。大きな欅。プラタナスの並木道。管理棟。学生銭湯の跡地。吹き抜けの下の大きなソファ。大学一年生のとき、雪が降ったので、友人たちと管理棟の前の空間に、木の棒で雪を掻いて、大きな字で落書きをした。そんなことを思い出す。同じく大学一年生のとき、恋人と別れ話をしたあとで、やりきれない気持ちをもてあまし、管理棟の前の自販機で飲み物を買って知り合いとその場で深夜まで駄弁り続けた。そんなことも思い出す。一ノ矢をさまよいながら、わたしはいろんなことを思い出す。何を見ても何かを思い出す。鶏どりでらーめんを食べる。うまい! 一口食べた瞬間、プルーストのマドレーヌのように記憶がドッとあふれ出して、なんともたまらない気持ちになる。サークルの先輩たちと哲学や文学を論じながら口にした味。恋人とおいしいねやっぱりおいしいねと言い合いながら口にした味。鶏どりを出て、平砂の駐車場から体芸エリアのほうへと歩いていく。平砂トンネルの前を通り過ぎる。カスミとサザコーヒーの前を通り過ぎる。天久保池の前を通り過ぎる。ヘリコプターが飛んでいる。ゆるやかな坂を上って、凱旋門をくぐる。外国語センターの下を通り過ぎる。この外国語センターにある小さな閲覧室で、ヒッチコックやゴダール、トリュフォーを片っ端から見たことを思い出す。大学会館の前を通り過ぎて、桐葉橋を渡る。この桐葉橋からは秋になると公孫樹並木の黄葉がながめられてとても美しかったのを思い出す。松美池のほとりに腰を下ろし、少し休む。松美池は濃緑色に染まり、静かにさざなみを立てて、対岸の松林を映している。第一エリアが見える。スチューデントプラザも。サークル棟も。留学センターには大きなテレビが今もある。あれはいつのことだったか、わたしがAと真夜中に散歩していたら、このテレビの前に人だかりが出来ていて、何事かと思って画面を見ると、ドナルド・トランプが初当選を決めたというニュースが流れていた、そんなことも思い出す。日が翳り、また射す。風が吹いている。藤棚の藤が葉をゆらしている。蟬の声がしている。百日紅が咲いている。夏休みの大学キャンパスはがらんとしている。近くの歩行者信号が丸っこい電子音を立てている。鴉が鳴いている。牛蛙も。とんぼが水面の上を飛んでいる。何か魚が飛び跳ねて、ぽちゃん、と水の音がする。わたしは立ち上がり、再び歩き出す。第一エリアを通り過ぎて橋を渡り、大学図書館の前を通り過ぎる。スターバックスも今日は閑散としている。石の広場を通り過ぎ、粉とクリームの前を通り過ぎ、第三エリアから第二エリアへと橋を渡る。大学キャンパスはかつてはあんなにも広く感じたのに今はとても狭く感じる。わたしは環状線を通って平砂の駐車場へとひき返す。
砂浜に寝転がって本を読む。プラトン『パイドン──魂について』。波の音がする。くり返し寄せては引いていく。潮の香りがする。あたたかく湿った塩辛い香りだ。子どもたちの歓声がする。砂浜は海水浴をしにきた人びとであふれている。太陽がまばゆく輝いている。暑い。たちまち皮膚が汗ばんでいくのがわかる。海は青く透き通って鉱石のようにきらめいている。美しい、と思う。風が吹いている。服越しに砂浜の熱を感じる。かもめが飛んでいく。空は明るく澄み渡っている。言うまでもなく、古代ギリシアはエーゲ海に浮かぶ一個の豊穣なアーキペラゴ(多島海世界)だった。古代ギリシア思想は海なしではありえなかった。旧約聖書が砂漠なしではありえなかったように。あるいは古代インド思想が熱帯雨林なしではありえなかったように。太陽と海と砂浜。その永遠性。プラトンの本には潮騒が残響している。その残響と今ここにある海の音を重ね合わせる。雲が流れていく。一頁また一頁と本をめくる。魂の不滅を証明するとプラトンは言う。古代ギリシアにおいて魂は生命と同一視されていた。つまり肉体が死ねば魂(=生命)も消滅するとされていた。だが、それは違うとプラトンは言う。魂は生命を超えた存在であり、永遠に不滅である。なぜなら、魂とは、その者をその者たらしめている尊厳それ自体なのだから。肉体は死ぬ。生命も尽きる。だが、魂は続く。継承されていく。思いや考えや想いや願いや祈りは。勇気や優しさ���思慮深さは。その善き意志は。永遠に。時空を超えて。──アン・モロウ・リンドバーグが言うとおり、海辺というのは本を読むのに適していない。暑いし、湿っぽいし、風が強すぎる。だが、それでも海辺で本を読もうと試みる者があとを絶たないのは、古典の世界のような何か大きなものにふれようとするとき、肉体的にも何か大きなものに取り巻かれていたいと欲するからではないか。環境。エアー。サラウンド。環境それ自体のような本を作れたらいい、と思う。言葉が言葉として主張せず、その場にそっとたたずむだけで、心が静かに満たされていくような。──気がつくと眠っている。目を覚まし、時計を見ると、二時間ほど経っている。あくびをする。ペットボトルの水を飲む。砂浜に座って、海を見る。海はあいかわらず寄せては引いてをくり返している。波の白い穂があざやかで、きれいだ、と思う。しばらくぼんやりとする。靴を脱ぎ、手に持ったまま、足先を波にひたす。冷たい、と思う。なめらかな砂が指と指のあいだを洗っていく。蹠にさらさらとした感触がする。気持ちいい。波がくり返し寄せては引いていく。ときどき飛沫が跳ねてふくらはぎを濡らす。貝殻をひろい集めながら波打ち際にそって散歩する。いろんな貝殻がある。丸っこい貝殻。細長い貝殻。縦に細かな溝が入った貝殻。螺旋状に渦を巻いた貝殻。鉱物のように層を成して光沢を帯びた貝殻。きれいな貝殻は布で水を拭いてポケットに入れる。子どもたちが浮き輪に乗って波にゆられ、歓声をあげている。若者たちがサーフィンをしている。犬が砂浜を走っていく。透明な体をした魚が波打ち際をすいすいと泳いでいく。蟹が濡れた砂の上をのそのそと這っていく。夏の午後が過ぎていく。ここには何もない。それでいい。
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歴史的な円安水準が続いていることもあって、海外からみると日本の不動産価格は割安となっている。このためマンション一棟など外国人が日本の不動産を購入するといった事例が後を絶たない。 現状、日本では、原子力発電所などの重要拠点周辺を除いて、外国人が自由に日本の土地・不動産を売買できる状態となっている。 外国人が日本の土地・不動産を買い占めるようになれば、周辺地域の地価が上昇して、日本人が不動産を取得することがますます困難になってしまう。 また記事にあるように、外国人が、民泊施設への転用目的で賃借マンション一棟を購入すれば、居住するマンションから退去させられるなど日本人が著しい不利益を被るケースも出てくる。 他の先進国と同様、日本も外国人による不動産売買については一定の制限をかけるべきではないか。
【独自】突然“家賃2.5倍”・エ���ベーター使用停止…「全部屋19万円に」住民怒り約4割が退去 背景に“違法民泊”か?(FNNプライムオ��ライン(フジテレビ系)) - Yahoo!ニュース
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外国人投資家が爆買いの「タワマン」にも税金投入 補助金1兆円超…誰のための開発? 専門家も疑問符
コロナ禍を経て、日本のインバウンド市場は力強く回復。それは、訪日観光客の増加にとどまらず、不動産にも及んでいる。特に湾岸部などの「タワマン」への外国人投資家の関心は高く、円安や治安の良さ、政治的安定性を背景に、香港や中国本土などの海外富裕層による“爆買い”が続いているという。「究極のインバウンドビジネス」とも呼ばれるタワマン投資の実像や、その背景にある経済構造、そして社会的な影響について、住宅コンサルタントの寺岡孝氏が解説する。
「日本人は買えない」 高騰するタワマン市場
未だ終わりが見えそうにないタワマン市場の隆盛。では今後、どれくらいのタワマンが建つのでしょうか。
不動産経済研究所のまとめによると、20階建て以上の超高層マンション(いわゆるタワマン)の2024年以降の完成予定数は、321棟、11万1645戸となっています。(2024年3月末時点)
各エリア別の内訳は下記のとおりです。
(首都圏) 194棟、8万2114戸(全国シェア73.5%) (内東京23区内) 130棟、5万4904戸(全国シェア49.2%)
(近畿圏) 43棟、1万3472戸(全国シェア12.1%) (内大阪市内) 23棟、6864戸(全国シェア6.1%)
(福岡県) 12棟、2040戸(全国シェア1.8%)
(愛知県) 12棟、2022戸(全国シェア1.8%)
前回調査(2023年3月末時点)と比較し、「93棟・1万5161戸」増加しています。
実需を無視した不動産投資ビジネスが横行
これほどまでに建築戸数が増加しているのは、デベロッパーがそこに「需要がある」と見越しているからです。
ただ、日本では今後、人口減少が続く見込みで、住宅需要自体は減少していくと考えられています。タワマン市場がそうした動きと「反比例」しているのは、実需ではない「投機目的」の需要メインだからだと想像できます。
特に、東京23区における新築分譲マンションの価格は2024年、ついに1億1181万円に達しました。この10年間で平均価格は約1.8倍に跳ね上がっており、日本人の中間層には手が届かない水準です。
中国の難関大に比べれば「東大入試は簡単だから」 そんな不動産投資ビジネスを分析する上で無視できないのが、中国人投資家の存在です。中国本土では資本規制や経済成長鈍化が進み、香港でも政治的不安が続いています。���うした背景から中華圏の富裕層の間では、海外に資産を分散しようとする動きが強まっています。
その対象の一つとなっているのが、「東京のタワマン」です。
円安や治安・教育環境の整った日本の都心タワマンの高級物件が、ある意味で“資産の避難場所”として機能しているのです。
東南アジア最大級の不動産ネットワークである「Juwai IQI」や「PropertyGuru」などのプラットフォームで、近年、日本の物件の閲覧数が急増しています。
麻布台ヒルズや虎ノ門、晴海フラッグなどは特に人気で、現地富裕層による“現金一括購入”のケースも多く報告されています。
また、競争率の高い中国本土の大学受験と比べると、「東京大学に入学する方が簡単」という評判もあり、東大近辺に移住する中国人も増えてきています。
文京区の小学校では、日本語が話せない中国人の小学生が多くなりすぎて、中国人だけのクラスを作って日本語学習の授業を実施するなど、以前にはなかった状況が起きているそうです。
東京は国際都市でありながら、住宅価格が香港やシンガポールと比べて相対的に割安であることも、中華圏の富裕層が魅力を感じる理由となっています。
大手不動産デベロッパーやゼネコンがタワマン建設に群がる理由
住宅需要が長期的には減少する可能性が高いにもかかわらず、都市部でタワマンの供給が続く理由は、デベロッパーやゼネコンの「ビジネス」の側面からも説明ができます。
タワマン建設の多くは、「市街地再開発事業」として、国や自治体から補助金を得ることができるのです。
タワマンの建設に「税金が投入されている」と聞き、驚く方もいるでしょう。
共同通信の調査によれば、全国118地区で進行中の市街地再開発の約9割に公的補助金が投入されており、その総額は約1兆543億円に上ると報告されています。
これらの「再開発プロジェクト」の多くは、タワーマンションの建設を含んでいます。しかし、それが地域住民に十分な恩恵をもたらしているかについては、疑問視する声もあります。再開発によってタワマンが建てられても、地域住民への直接的な利益は限定的であるとの指摘です。
市街地再開発事業における補助金の割合は、事業内容や条件によって異なります。国土交通省の資料によれば、補助項目として「施設建築物及びその敷地の整備に要する費用の一部」が挙げられていますが、具体的な補助率については明記されていません。
続きは https://news.yahoo.co.jp/articles/7a229730f62d514218ae021972f12320d4c682f7?page=3
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「眼を瞑(つむ)って、そう、大きく、大きく息を吐くのよ」 辛いときお袋に相談すると、いつもそう言われて育った。成績が悪かったとき、友達から嫌われたとき、ささくれだった心を治してくれた。いまでこそ、成長して大人になって、それが「集中力のゾーンに入る」とか「怒りの制御(アンガーコントロール)」といったガクモン的な言葉になって理解できるようになった。まあ、大人になったから良かったかと言われると微妙なところではある。子供のころは、単にヨガ好きのお袋がことあることに呪文のように言っていることを、素直に繰り返しているだけだった。でも、お袋が話を聞いてくれた、それだけで良かったのを思い出す。 そういう、ちょっとしたアイデアを伝えてくれたあの優しいお袋は、何も言わず、少し硬いベッドでわずかにほほ笑んだように眠っていた。 私は、眼を瞑った。 数年前、帰国したばかりの私の電話が鳴って、駆け付けたときには、お袋は別人のようになっていた。重度の脳梗塞という。「幸いにして命は取り留めそうだが、どのくらい身体の機能が回復するのかは分からない」と担当した医師は告げた。深刻そうな顔だ。看護師も、こちらからの質問に対しては決して楽観的なことを言わない。これはもう、しょうがないと思った。諦めているのではない。手の届かないところで起きてしまったものは仕方がない、としか思えなかったのだ。そう自分に言い聞かせながら、診療室でぼんやり医師の話を聞いていた。 担当医の説明が一通り終わると、外の廊下の長椅子で親父がしょぼくれて座っていた。普段は意味もなく「ガハハハ、ガハハハハ」と豪快に笑っている男であったのに、長年連れ添ったお袋が病床に臥すと途端に意気消沈するものらしい。改めてみると、親父もずいぶん老け込んだ。私が子供のころは怖いぐらいに筋肉質の大男だったのに、30年の歳月を経て風船が破裂したようにしなびた老人になっているのを見ると、数年後には豆粒ぐらいの大きさにまで縮小しているんじゃないかという猜疑心すら湧く。そのまま土に埋めて水でも撒いたら親父の双葉が芽生える勢いだ。親父とお袋は老夫婦二人で暮らしている状態だったので、世話になっている警備会社に連絡を入れて、入院の間は一人暮らしの父のためにヘルパーと買い物の補助や弁当のサービスを契約してやった。 血を分けた息子である私には優しいが、お袋は機嫌が乱気流のように激しくて、そのたびに家族やら親族やら出入りの業者やら、誰かれ構わず喧嘩をしていた。幸いにして見つけた私の伴侶たる家内とも些細なことで喧嘩したまま、家内は家内で体調を崩してしまった。どこの家にも姑と嫁の問題はあるかもしれないが、客観的に見て家内のほうが物を申す筋は圧倒的に正しかったので家内に申し訳なくて、最終的に私もお袋と話す気力もなくなった。それもあって、実家から足はさらに遠のいた。家内の父も母も決して体調は芳しくなく、育ち盛りの子供たちの育児にも奔走せざるを得ないので、必然的に親父やお袋の世間的な面倒は私が看るしかなかった。家内の助力は得ようがないとは悟っていたが、書類その他整理するだけでもこんなに苦労するものだとは思ってもみなかった。それにしても保険証だ銀行の印鑑だと年寄はモノを失くす。たったいま捺したと思ったその判子をいきなりどっかにやってしまうのだからどうしようもない。 数日経って、お袋の意識が回復して一般病棟に移ったというので病院に足を向けてみると、お袋が懸命にフガフガ言っている。何かを必死で伝えたいらしいが、口が動かず何を言いたいのかさっぱり分からない。ただ、深刻な表情のままの医師から、半身不随にはなったが一命は取り留めたと聞いて、俄然親父が元気になった。もうお袋を連れ帰る気マンマンである。倒れたばかりで、これからリハビリだぞ。無理に決まってるじゃねーか。病室の薄い扉の向こうまで響く「ガハハハ」という声が入院棟にこだまして、眉をひそめて困惑する看護師たちにおずおずと注意されるまで、口の回らないお袋相手に親父はずっと話しかけ続けては大声で笑っていた。親父なりにホッとしたのか、あるいは気遣いもあったのか。 お袋が急性期を脱してリハビリ病院に転院すると、長引く入院が堪えたのかお袋は一日も早く退院したいと訴えはじめ、親父は親父で「ママのご飯が食べたい」と言い出した。年寄どもめ、こちらの気持ちも分からずに我が儘ばっかり言いやがって。ここから制度上目いっぱい入院できる半年間のリハビリ病院の生活が待っている。退院までしばらくはかかると伝えたら、今度は親父が露骨にがっかりした。年ばっかり取って、なのに、だらしない男だ。ジェットコースターのように気分が上下していて、こちらが悪酔いしそうになる。私も家内の体調が良くないし、育児その他家庭のこともあるし、極めつけは頻繁にあちこち出張もするので、実家には寄り付かず、ヘルパーさん任せで行けるところまで行こうと思っていた。 転機はあっけなくやってきた。人間、80代にもなると病気のデパートだ。お袋の退院も間近というところで、お袋の入院している近所の総合病院から「お父様が倒れました。すぐにきてください」という連絡を受けたときは、しょうがないと思った。買い物中に腹が痛いと言ってひっくり返ったという。家で倒れたら見つかるのが遅くて助からなかったはずが、人でごった返したスーパーの中で倒れるとは、親父もなかなか運のいい男だ。結局、夫婦仲良く同じ病院に運び込まれていて、どこかで見たことのある医師が相変わらず深刻そうな顔で「命には別条はありません」と説明してきた。集中治療室の窓越しに寝ている親父を見やると、口元にあてた透明の酸素マスク越しに口をせわしなく動かしている。まさか「ガハハハハ」とか笑っているのではあるまいな。 心配する家内や約束をしていた取引先に連絡を入れ、警備会社に実家の鍵を開けてもらった。正直、帰るのは十数年ぶりである。我が儘放題な親父とお袋に堪えかねて、折り合いの悪くなった���が儘放題の私は長年家を出たまま、誰からも迎えられることなく凱旋したというわけである。懐かしい記憶も、不愉快な思い出もたくさん詰まった古びた家だ。北向きの私の部屋は、半分物置になっていた。ヘルパーさんはちゃんと仕事をしているらしく、親父らしくなく綺麗に畳まれた洗濯物や、丁寧に掃除されたカーペットにはゴミ一つ落ちていなかった。ただ、どうやら私が手配した弁当屋はいつの間にか解約したらしい。親父が男手で料理したと思われる缶詰類が台所のゴミ袋に山と詰め込まれている。カロリー計算も食事のバランスもあったものではない。年寄が何ていう食事をしているんだ。そりゃ倒れるわ。 親父の保険証を探すべく、書類入れを漁ってみると、果たして後期高齢者保険証はぐちゃぐちゃながら存在した。しかし、それ以上に困ったのは支払われないまま放置された税金関連の書類と、大量に届いている請求書、そして滞納に対する督促状の束だった。どれも未開封で、一人暮らしになった親父の「絶対に支払うつもりはない」という強固な意志を感じさせるには充分な書類の数々である。いったい何をしているんだ、親父。しかし、とっくに督促期限が過ぎている住民税や固定資産税の書面にはいますぐ差し押さえるぞぐらいのことは当然書いてあるし、そればかりかまだ入院中のお袋の入院費用の請求まで無視ぶっこいてたことに気づいて、私は失神しそうになった。何で払わないんだ。仕方がないので、支払いの目録を作って一つひとつ連絡して回り、その場で支払えるものは片っ端から払っていく。 ……と、書類入れの下のほうから、これまた封の開いていない家庭裁判所から親父宛の分厚い書類が出てきた。随分、古い。中には、調停の決定という書類とともに、私の人生で見たこともない人物の名前と、それらが親父の家族であり、子供であるという内容が記されていて目を疑った。またか。別の封書には先方の代理人からと思われる文書が入っており、妙齢の女性と若かりし親父が赤ちゃんを満面の笑みで抱き上げている写真が、そこにはあった。何だこれは。腹が立つとか、悲しいとかいう感情ではない。最初に湧き上がったのは、しょうがない。これはしょうがないのだ、という虚しい心である。 私は、深く、大きく息を吐いた。 私の家でも、それなりの苦労はあったし、老齢に達して病に伏す親父とお袋をどう面倒見ていくのかという重い課題はある。しかしながら、それとは別に日々を「ガハハハ」と笑い飛ばして明るく暮らしてきた親父には幾つかの顔があり、お袋との生活の裏側にもっと幸の薄い家庭があったのかと思うと、この果てしない虚無から這い出すべっとりとした怨念のようなものを感じずにはいられない。息苦しい。その苦しさから怒りがニョキニョキ湧いてきた。 私も人生��ろんな経験をし、またさまざまな人生を見てきた。私の感じる苦悩も困難も、自分なりに考え、対処しながら一歩一歩前に進み、丁寧に手を打ってこんにちがある。その間、別れて暮らしていた親父もお袋も、年を取りながら積み重ねてきたものがあると信じたい気持ちが強かった。しかし、そんな老夫婦が暮らす空虚な家に仕方なく足を踏み入れてみれば、請求書と督促状と、知りたくもなかった家族の新たな秘密だ。馬鹿野郎。みんなくたばってしまえ。可及的速やかにだ。灰も残らず消え去っていただきたい。支払いも不幸も知らないうちに、そっとお迎えが来ればみんなハッピーなんだろ。 積みあがった書類一式をぶん投げたい気持ちとともに息を大きく吐き出すと、それが退屈しない人生って奴だろ、と私の耳元で何かが囁く。こんな両親からもらった命である。しょうがない。しょうがねえなあ。病気になるのも、外に種がこぼれるのも、起きてしまったことをグダグダと考えてもしょうがねえんだよ。極論を言えば、私が生まれてここで幻滅しているのも、しょうがない世の中の避けようもない事柄の連鎖のひとつでしかない。対処できる奴が、対処できることを一つひとつ積み上げてやっていくしかないんだ。 諦めるしかなかった。この空っぽな家から生まれ落ちた自分が、親父とお袋の業を背負った生まれながらの一番の咎人なのである。主がこの現世から去ろうとするいま、私がこれを担うしかなかった。しょうがねえなあと頭をかいて事態に立ち向かうしか、きっと許されないからこそこの家は空虚なのだろう。 その空虚な家へ、一足先にお袋が退院をしてきた。半身不随とはいえ頭脳はかなり回復し、杖があればどこまででも歩いて行けるほどに機能を再獲得した。実に、元気である。待ちに待った自宅へ帰ってきたのだ。お袋は、良くしゃべり、良く笑った。親父が帰ってくるまでに、家じゅうを掃除しなくちゃね、と不自由な身体をせわしなく動かしては、せっせと居間を掃除している。ヘルパーさんが入っていて、掃除は充分行き届いているのだが、掃除をしているという気持ちがお袋にとっては大事なようだった。 もうヨガなどやることはないのに、ヨガマットを丁寧に丸めて部屋の端に立てかけた。長年愛用したマットだ。その横にある写真立てには、親父とお袋が私を挟むように写したお袋お気に入りの写真が飾られている。一通り掃除をし終わって疲れたお袋は、思い出の詰まった薄い写真立てを抱きかかえるようにして、私に「ちょっと。静かにして頂戴」と言った。さっきから、私は何も言っていない。何か幻聴でも聴いているのかと尋ねようとする間もなく、お袋は安心したのか低く硬いベッドに体を預けるとすぐに眠ってしまった。初夏の日差しは強かった。淡い色の薄手のカーテンを閉めると、私は休んでいるお袋の枕元に座った。 親父は果たしてこのまま退院するのだろうか。最悪の病状を脱し、住み慣れた愛すべき家に帰って幸福を満喫するお袋と、やはり老齢の域に達し徐々に衰えていく親父とが暮らしていくことはできるのか。知らない家族とか。財産とか。心の中に溜まった滓のような悩みを、息に乗せて深く吐き出した。 ◆ 閉じた眼を開けようとしたその刹那、私は知った。私もまた、この空虚な家の一部であることを。もう子供のころ無邪気に話した、笑う親父も優しいお袋もこの家には誰もいなくなって、やがて私は、この虚無の主となるのだろう。 すべてを、悟った気がした。その瞬間、気配を感じた。もう失われた、子供のころの、この家の何かだ。帰るところは虚無に飲み込まれて、ただ生きてきた記憶だけが紡がれる。それさえも、いずれ私が朽ちるころにはいったい何が残るだろう。 そっと眼を開いて、お袋の姿を見た。
眼を瞑って、そう、大きく、大きく息を吐くのよ | 文春オンライン
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2024年5月31日(金)

4月から始めた<平日ランチ抜き減量プロジェクト>改め<平日空腹健康プロジェクト>、なかなか順調に推移している。月初めの連休時には体重が増加し、平日は減りつつも週末にはリバウンドする、まさに絵に描いたような(!)グラフである。当初は空腹感に耐えられるかどうか心配していたが、今となっては空腹感を確認して満足感を得られる、もはや達人の域ではないか!

昨晩早くにダウンしたので1時30分に目覚めた。
日誌書いて二度寝しようとしたが寝付けず、音も立てられないのでデスクまわりを片付ける。
布団に戻ってウトウト。
5時30分に再度起床。
洗濯。

朝食。
珈琲。
弁当*2。
可燃ゴミ、20L&30L。
ツレアイは休み、1人で出勤する。

順調に到着する。
昨日の<スタディスキルズ(教育学科)>の提出物をチェック。
金曜日は2限・3限<スタディスキルズ(栄養学科)>、今週の課題は<まとめ型レポート>。サンプルを配付し、ブラウザとWordを画面に並べて作業させるが、いまだに窓の移動やサイズ調整が出来ないものがいる。時間内に全員作業終了して印刷物を提出させるが、先週の反省が何も行かされていないものが散見する。評価時の<授業参加度>が悪くなる一方だ。

研究棟の廊下でH姉とバッタリ、企画展の葉書を入れておいたとのことで慌ててメールボックスをチェック、画像をツレアイに送る。

帰路も順調、やはり燃費が30km/Lを超えると嬉しい。
今週持ち帰った本を段ボール箱に入れる、今回は3箱、もったいない本舗に明日の集荷を依頼する。
酢タマネギを仕込む。
残り野菜を使って夕飯用に<無水ミネストローネ>を仕込む。
ツレアイは午前中にいくつかの展覧会、午後は原稿、私が帰宅するとすぐに買い物から戻ってきた。
今日はココの月1の診察、5時15分に予約を入れているとのことで小雨の中をココの籠と点滴の返却袋を持って行ってくれた。
その間に私は夕飯準備。

息子たちにはスパークリングワイン、私たちは松尾大社展の特製徳利と猪口で乾杯。

🍷いただきながら、今夜も枝雀、ネタもそうだが弟子たちが交代で語る<枝雀散歩道>が楽しみだ。
朝が早かったので途中でウツラウツラ、いったん布団に潜り込むも、ツレアイに起こされて入浴、体重は一昨日より100g増。

今日は買い物に出なかったので、エクササイズが足りなかった。
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*2023.08.25.
初めての北海道上陸です!
長きに渡り、良きお付き合いが続いている @invivoshop さんのポップアップイベントで、istutのコーヒードリップバッグと、シナモンロールを販売して頂けることになりました。
とてもとても嬉しいですー!
ありがとうございます。
江別の皆様のお腹に、istutをお届けできる日が来るとは感無量です!
どうぞよ���しくお願いいたします!
以下、会場となる主催者様の投稿です
::::::::::::::::::::::::::::::::::
Posted @withregram • @ebetsu_tsutayabooks .
ヴィンテージ食器とたのしむブレイクタイム☕️🥐🍽️
【POP UP SHOP】 In vivo
期間:8月29日(火)~ 9月4日(月)
時間:11時 ~ 18時(9月4日のみ11時 ~ 16時)
場所:食の棟 マルシェ
北欧ヴィンテージ食器・雑貨のWEBショップ In Vivo。
シンプルで機能的なアイテムから華やかで繊細なアイテムまで、様々な表情を持つ北欧デザインの魅力をご紹介いたします。
今年の6月に店主自らスウェーデンとフィンランドを巡り、
現地で直接買い付けてきた1950-1980年代のヴィンテージアイテムを中心に展示販売いたします。
また、今回は長野を拠点に自家焙煎コーヒーや焼き菓子などを販売されている、istutさんのドリップコーヒーとシナモンロールも販売いたします。
穏やかで雑味もなく飲み飽きないコーヒーと、本場フィンランド仕込みのシナモンロールを是非ご賞味ください。
※コーヒーは全日程販売いたしますが、シナモンロールは9/1(金)の午後、9/2(土)、9/3(日)の3日間のみの販売となります。
数に限りがございますので、完売の際はご容赦ください。
【シナモンロール】
istutのシナモンロールは、カルダモンの皮をひとつひとつ剥くところから全てが手作業です。
皮から取り出したカルダモンを手で挽いて、挽き立てのカルダモンを生地に練り込みます。
その生地をひと晩、冷蔵庫内で長時間発酵させてから形成し2次発酵、そして焼成へ。
手捏ねで作る丁寧なシナモンロールは、現地のサイズにより近づけた大きめサイズ。
フィンランドの香り漂うおおらかなパンです。
【コーヒータウコ】
Istutのコーヒー豆はグアテマ��のみ使用。
ひとつひとつハンドピックした生豆を、手廻しで直火焙煎して作ります。
一度の作ることのできるコーヒーは400g。それを何度も繰り返して焙煎していきます。
穏やかで優しく、毎日何度でも飲みたくなるコーヒーが「コーヒータウコ」です。
今回お楽しみいただく「雷鳥ブレンド」は、コーヒータウコの中では一番深めに焙煎したコーヒーですが、
深すぎず苦すぎず穏やかで雑味のないコーヒーに仕上がっています。
#江別蔦屋書店 #ebetsutsutayabooks #江別 #invivo #ヴィンテージ #istut #コーヒー #シナモンロール #コーヒータイム #北欧
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『我が麗しき恋物語』ーMa plus belle histoire d'amour
佐伯浩志は、急性心筋梗塞で七十四歳の人生に幕を閉じた。行き付けのバーで明け方まで飲み、泥酔した状態で玄関の上がり框に座り込み、そのままあの世へ逝ってしまった。その日は日曜で、次男の浩二は起きて新聞を取りに来た際に気付き、いくら声をかけても覚醒しなかったので動転し、慌てて救急車を呼んだのだった。
幸いにも、かかりつけでもあった市街のK病院に搬送され心肺蘇生も試みたが、時すでに遅し、そのまま還っては来なかった。一緒に救急車に乗った浩二は、
「昨夜まであんなに元気だったのに…!」
とパニック状態になった。その場にたまたま、後に額田大樹と言う一人息子と浩二が肉体関係になる、その母・利江子もK病院で看護師をしていたが、
「えッ、佐伯先生が!?」
と病棟の方で夜勤中だったが、駆け付けた。彼女も、
「先生〜!!」
と泣き出してしまった。それでも彼女は冷静さを失わず、
「今すぐ…お兄さんと葬儀屋さんに電話してください」
と浩二に話した。
利江子は、止まらない涙をハンカチで拭いながら病棟に戻って行った。浩二は、M銀行の本店で勤めている兄・美津雄の家に電話をした。未だ寝起きだったのか、
「…何だ、浩二か。どうしたの?」
と呂律が回らない状態だったが、父の訃報を聞くと、
「マジで!? 今から行くよ!」
と慌てて受話器を置いた様だった。
美津雄が妻・小百合と一緒に戻って来たのは、正午前だった。霊安室に移動した浩志の亡骸を目前に、二人は呆然とした。浩二は、泣き疲れた様子で言った。
「今朝、新聞を取りに玄関に行ったら座り込んでて…。すでに意識はなかった」
この言葉にようやく現実に戻った美津雄は、
「お、親父ぃぃぃぃぃ!」
と浩志の顔にかかった白布を取り、数回叩いた。無論、反応はない。やっぱり死んだのだと、
「な、なんで死んだンだよ! あんなに酒と男を取っ換え引っ換えしてたドすけべド変態だった親父が…」
と浩二に訴えた。
「知らねぇよ! オレも聞きたいわッ!」
「お義父さん、いつも違う男の人と旅行してたね…」
「いつも黒猫褌やらTバックやら、スッケスケのパンツ穿いてさァ…。『ろくな男いなくてつまンねぇよ!』って悪態ついてさァ…」
「お義父さん、東京に来ると必ず浅草のゲイバーに寄って…。本当にスケベだけが取り柄だったのに」
次から次へと、浩志にまつわる逸話がすすり泣きの傍らで色々出ていた。そんな三人を見つめながら、肉体から離れた浩志はイライラしていた。
“何だよ! 美津雄も小百合も言いたい放題じゃねぇか! 浩二も何だ! 嗚呼、畜生! オレだって未だ死にたくなかったわ! 今日は鶯谷の「Iサウナ」でケツ堀りワンワンしたかったのに…。嗚呼、畜生!”
浩志は何度か自分の肉体に戻ろうと試みたが、スルッと抜けてしまう。嗚呼、もし黄泉がえったら三人をびっくりさせてやろうと思ったが、無謀だった様だ。彼はますますイライラした。
“キィィィィィ! 畜生!”
仕方なく、四十九日まではこの世を彷徨うことにした。
午後になり、ようやく葬儀屋が来て浩志の亡骸は備前町の実家に運ばれた。浩二はもう一台の軽自動車に乗り、浩志が来ていた衣類の入ったK百貨店のショッパーを抱えていた。未だ頭の中が混乱していた。嗚呼、明日から一週間は落ち着かない。兄さんも、恐らく会社を休むだろう。先刻の、江利子さんや旦那の広樹さん、父さんの職場だった私立S高校にも連絡しなければならない。新聞の「お悔やみ」には、何社掲載してもらおうか?
気付くと自宅の前に来ていた。葬儀屋は仏間に浩志の亡骸を横たわせる布団を敷き、あちこちにドライアイスを挟んだ。後から駆け付けた美津雄と小百合は、すっかりこの世の者でなくなった父親を前に、
「うぇぇぇぇん!」
と泣きじゃくった。美津雄は、
「やっぱり死んじまったンだな!? 親父、先刻は引っ叩いて御免な!」
と頭を下げた。小百合も、
「昨年のお歳暮に、もっと高めのウィスキー送ればよかった…」
とハンカチで目頭を押さえた。
その間、フラフラと浩二は洗面所へ行き、玄関でたどり着くまで身に付けていたワイシャツや下着を洗濯機に入れた。嗚呼、遺品整理もしなければならないか? でも、しばらく弄らない方がイイかもしれない。彼は、背広とネクタイをハンガーにかけ、仏間の衣裳ラックに引っ掛けた。相変わらず美津雄と小百合は泣いている。浩二は、葬儀屋にお礼を言い、翌日葬式の段取りを決めると話した。
葬儀屋を見送ると、フラフラと浩二は応接間へ向かい、ソファに座り込んだ。どっと疲れが出て、彼はそのまま横になった。
『父さん、本当は爆睡しているだけなンじゃ…』
未だに浩志が死んだのを現実として受け入れられずにいた。しかし、死亡診断はしてもらったし、確かに脈もなかった。死に化粧もされた。やっぱり死んだのだ。
そのまま浩二は眠ってしまった。かなり深い眠りだった。二時間は寝ていただろうか? 小百合の声で目が覚めた。彼女は、
「浩二さん、何か作りますか?」
と聞いた。
「…寝ちゃった。確か、冷蔵庫に鶏肉が入ってるので、何でも」
「まァ、サッパリしたものでも。美津雄さんはやけ酒したいみたいだけど…」
「酒はご覧の通り、いくらでもあるので」
サイドボードの中には、浩志が趣味で集めた高級そうな洋酒がズラリと並んでいた。グラスも日本橋のM百貨店で買い求め、中には一度も使っていないものもあった。
小百合が台所へ向かうと、浩二は洗濯機の中に浩志が着ていたワイシャツや下着が入っていたのを思い出した。脱衣所へ行き、洗濯機からそれらを取り出すと仏間に置いてあった洗濯干しに一つひとつ干した。ワイシャツは青い縦縞のレギュラーカラーで、下着はリブ編みの白いタンクトップ、透け感のある水色のビキニだった。浩志の亡骸から離れずにいた美津雄は、
「親父、あんなスケベなパンツ穿いてたのか?」
と聞いた。浩二は苦笑しながら、
「トランクスなんて、穿いたところ見たことないよ。これは未だ序の口」
と言った。
「そんなスケスケじゃ、小便ちびったら大変だろ?」
「まァ、それは判らないけど」
「嗚呼、やっぱり親父はむっつりスケベだな!」
天井から二人のやり取りを見ていた浩志は、
“トランクスなんてちっとも色気がねぇ下着穿けるか!? 終わったオヤジみてぇな美津雄とは違うンだよ!”
と悪態をついた。嗚呼、浴衣を無理矢理着させられたが、あんな格好じゃ極楽浄土なんてできやしない。できれば背広を着せてもらえないかなァ? 下着はあのビキニでもイイ。何とか誰かの夢の中に出て来れないものか? 浩志は、何とか自分らしい葬式をして欲しいと渇望していた。
仏間隣の居間で三人は夕飯を食べた。小百合は給食センターの栄養士をしており、最近は美津雄が肥満気味なので余分な脂質を除いた食事作りに心掛けていた。それでも、
「嗚呼、豚の角煮が食いたいなァ〜」
と、片手に日本酒が入った「ちろり」を持ちながら訴えた。小百合は、
「この間だって、銀座で中華料理を堪能した後にビヤホールやバーで飲んで来たでしょ? あなた、動脈硬化進んでるンだから」
と言った。
そもそも食事に日本酒を付けた時点でアウトだろうと、浩二は思った。佐伯家の男たちは酒好きで、所謂「生活習慣病」が原因で皆「お陀仏」になっていた。彼は、できる限り長生きしようと最近は酒飲みを自粛していた。今回は、だが、今日は飲まずにはいられないと、応接間のサイドボードに入っていた「バレンタイン十二年」を持ち出し、ロックで飲んでいた。
こうして、浩志が死んだ一日目は終わった。美津雄はかつて使っていた自分の、小百合は浩二の部屋で休んだ。一方、浩二は居間に布団を敷いて寝ることにした。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024年)6月23日(日曜日)
通巻第8301号
中国は30万エーカーのアメリカの農地を購入していた
フォート・リバティ軍事基地などに隣接する19ヶ所が危険だ
*************************
中国の土地の爆買いは日本で顕著である。自衛隊基地の隣など、北海道では水源地や森林も対象として手当たり次第だ。マンションを一棟まるまる買うのは投機用だろうが、軍事目的の購買は安全保障上、危険きわまりない。
全米一の農地保有者はビル・ゲーツである。
中国が30 万エーカー以上のアメリカの農地を所有していることが分かった。とりわけ軍事基地近くの地域をターゲットにしている。中国は現在、19ケ所の米軍基地のすぐ近くに農地を所有している。
敵国がアメリカの農地購入など国防上、許されるべきではない。中国の目的は軍事基地をスパイすることであると共和党の議員らが危険視している。
ニーヨークポスト紙によれば、このリストには「最も戦略的に重要な基地」がいくつか含まれている。ノースカロライナ州フェイエットビルのフォート・リバティ(旧フォート・ブラッグ)、テキサス州キリーンのフォート・カバゾス(旧フォート・フッド)、カリフォルニア州サンディエゴの海兵隊基地キャンプ・ペンドルトン、フロリダ州タンパのマクディール空軍基地などだ。
ウォールストリート・ジャーナルは、中国人が「軍事基地やその他の機密施設」に100回近く立ち入ったとし、何人かを逮捕したと報じた。
スパイの遣り方は巧妙で観光客を装って迷い込んだふりをした中国のスパイが基地を撮影していた。こうした観光客擬装スパイを米軍関係者は「ゲートクラッシャー」と呼んでいる。
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・中国人は違法タクシーから違法Airbnb(エアビーアンドビー)まで、自分たちが儲かるパッケージツアービジネスを行ってる。 しかも彼らが稼いだお金は日本国内には回らず、税金もロクに払わない。 このようなビジネスでは日本に住んでいない裕福な中国人オーナーが富を増やし続けてる。 オーストラリアの住宅市場もこのような外国人の投資によって高騰したことを考えると、日本政府はすぐにでも住宅所有者を日本在住者に限定し、外国人が投資目的で住宅やアパートを購入することを禁止するなど徹底的な取り締まりを行うべきだ。 事態はもう手遅れになりつつあると思って危機感を持った方がいい。 ・↑ハワイも全く同じことが起きてる。 もはや手に負えない状況になってて、ハワイで生まれ育った人たちですら暮らしていけないということが起きてる。 ・↑オーストラリアのゴールドコーストも同じだよ。 自分の親戚は郊外に住むしかなくなってしまった。 人口増加により犯罪率も上昇してる。 ・↑オーストラリアのどの都市もそんな感じになってる。 唯一の例外は極端に田舎の地域だけだ。 ・自分もハワイで暮らしてたけど、事態が悪化する前に先手を打つべきだ。 ハワイは今では現地民が誰も買えないようなコンドミニアムを建設している。 そして世界の1%の富裕層がそれを買い占めて、民泊サイトに掲載して儲けてるんだよ。 これはハワイでも違法だけど結局誰も取り締まらない。 日本を同じ状況にしてはならない。 ・↑ハワイは本当に酷い状況になってる。 ハワイは超富裕層が良い土地を大量に所有していて、富裕層が人々に長期リース権を与えるという状況になってる。 固定資産税や課税の見直しもやる必要があるだろう。
海外反応! I LOVE JAPAN : 中国人が日本のマンションを1棟買いし、家賃を2倍以上に値上げする事例が相次ぐ! 海外の反応。
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