#三宅裕司師匠
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generalwonderlandpeace · 5 months ago
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もう既にベビニト雑誌チャイル��ソーイング雑誌から訣別しており、そして大人の歩みを実行しております。西暦2025年度秋を以って健太郎居候半世紀迎え甘ったれてばっかり居られなくなる為、cream/LOVE-POP/ドキュメント番組を観て雰囲気を一網打尽に変えて参らねばなりません。龍也いつの間にかトラック変更させましたが、健太郎居候龍也より搬入作業早く終了出来、いち早く帰宅準備に取り掛かってノーミス目指して収入上げてもらえればありがたいです。海老名市国分寺台の清水昌和から実質的にボコボコ味わっていただかなくても龍也より勝る心構えを持った業務に従事出来れば大体OKかと俄なりには考えられます。
2025/02/10
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yotchan-blog · 6 months ago
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2025/1/9 11:00:19現在のニュース
志ん朝師匠にあこがれて 江戸前でかっこよく 一番ひどかったのは談志師匠のコピー 話の肖像画 喜劇役者、劇団SET主宰・三宅裕司<8>([B!]産経新聞, 2025/1/9 11:00:17) 北九州の43歳男、中3女子殺人容疑で再逮捕へ 男子生徒殺人未遂疑いは勾留期限([B!]産経新聞, 2025/1/9 11:00:17) ハイチで184人殺害 ギャング「呪術で病気」逆恨み - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/1/9 11:00:12) ガザ、新年7日間で子ども74人死亡 ユニセフ事務局長「悲劇的だ」(毎日新聞, 2025/1/9 10:58:39) 「北米はメキシカン・アメリカに名称変更を」 メキシコ大統領、トランプ氏「アメリカ湾」発言に対抗([B!]産経新聞, 2025/1/9 10:55:10) トランプ新政権でインフレ再燃リスク FRB12月議事要旨(毎日新聞, 2025/1/9 10:50:59) ゼロコロナ政策終了から2年の中国 景気鈍化、ビザ免除拡大で訪中外国人の呼び込みに躍起([B!]産経新聞, 2025/1/9 10:42:16) 近藤誠一プロ現役続行 永世最高位へ「いつか飯田さんに会えるなら」(朝日新聞, 2025/1/9 10:41:06) 「推しの子」アニメ化「KADOKAWA」もう一つの顔 | 井上伸一郎の「コンテンツ業界テレスコープ」 | 井上伸一郎 | 毎日新聞「経済プレミア」([B!]毎日新聞, 2025/1/9 10:39:32) 決済大手、アプリ外課金に商機 ゲームサイトとタッグ - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/1/9 10:36:22) 古代エジプトの神殿遺構を発見 考古学者「歴史を再構築するもの」 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/1/9 10:33:53) 中国・蘇州の日本人親子ら襲撃、9日に男の初公判…犯行動機が明らかになるか注目([B!]読売新聞, 2025/1/9 10:33:27)
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2ttf · 13 years ago
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Latin//Alphabet// ABCDEFGHIJKLMNOPQRSTUVWXYZabcdefghijklmnopqrstuvwxyz0123456789 !"“”#$%&'‘’()*+,-./:;<=>?@[\]^_`{|}~ Latin//Accent// ¡¢£€¤¥¦§¨©ª«¬®¯°±²³´µ¶·¸¹º»¼½¾¿ÀÁÂÃÄÅÆÇÈÉÊËÌÍÎÏÐÑÒÓÔÕÖרÙÚÛÜÝÞßàáâãäåæçèéêëìíîïðñòóôõö÷øùúûüýþÿ Latin//Extension 1// ĀāĂ㥹ĆćĈĉĊċČčĎďĐđĒēĔĕĖėĘęĚěĜĝĞğĠġĢģĤĥĦħĨĩĪīĬĭĮįİıIJijĴĵĶķĸĹĺĻļĽľĿŀŁłŃńŅņŇňʼnŊŋŌōŎŏŐőŒœŔŕŖŗŘřŚśŜŝŞşŠšŢţŤťŦŧŨũŪūŬŭŮůŰűŲųŴŵŶŷŸŹźŻżŽžſfffiflffifflſtst Latin//Extension 2// ƀƁƂƃƄƅƆƇƈƉƊƋƌƍƎƏƐƑƒƓƔƕƖƗƘƙƚƛƜƝƞƟƠơƢƣƤƥƦƧƨƩƪƫƬƭƮƯưƱƲƳƴƵƶƷƸƹƺƻƼƽƾƿǀǁǂǃDŽDždžLJLjljNJNjnjǍǎǏǐǑǒǓǔǕǖǗǘǙǚǛǜǝǞǟǠǡǢǣǤǥǦǧǨǩǪǫǬǭǮǯǰDZDzdzǴǵǶǷǸǹǺǻǼǽǾǿ Symbols//Web// –—‚„†‡‰‹›•…′″‾⁄℘ℑℜ™ℵ←↑→↓↔↵⇐⇑⇒⇓⇔∀∂∃∅∇∈∉∋∏∑−∗√∝∞∠∧∨∩∪∫∴∼≅≈≠≡≤≥⊂⊃⊄⊆⊇⊕⊗⊥⋅⌈⌉⌊⌋〈〉◊♠♣♥♦ Symbols//Dingbat// ✁✂✃✄✆✇✈✉✌✍✎✏✐✑✒✓✔✕✖✗✘✙✚✛✜✝✞✟✠✡✢✣✤✥✦✧✩✪✫✬✭✮✯✰✱✲✳✴✵✶✷✸✹✺✻✼✽✾✿❀❁❂❃❄❅❆❇❈❉❊❋❍❏❐❑❒❖❘❙❚❛❜❝❞❡❢❣❤❥❦❧❨❩❪❫❬❭❮❯❰❱❲❳❴❵❶❷❸❹❺❻❼❽❾❿➀➁➂➃➄➅➆➇➈➉➊➋➌➍➎➏➐➑➒➓➔➘➙➚➛➜➝➞➟➠➡➢➣➤➥➦➧➨➩➪➫➬➭➮➯➱➲➳➴➵➶➷➸➹➺➻➼➽➾ Japanese//かな// あいうえおかがきぎくぐけげこごさざしじすずせぜそぞただちぢつづてでとどなにぬねのはばぱひびぴふぶぷへべぺほぼぽまみむめもやゆよらりるれろわゐゑをんぁぃぅぇぉっゃゅょゎゔ゛゜ゝゞアイウエオカガキギクグケゲコゴサザシジスズセゼソゾタダチヂツヅテデトドナニヌネノハバパヒビピフブプヘベペホボポマミムメモヤユヨラリルレロワヰヱヲンァィゥェォッャュョヮヴヵヶヷヸヹヺヽヾ Japanese//小学一年// 一右雨円王音下火花貝学気九休玉金空月犬見五口校左三山子四糸字耳七車手十出女小上森人水正生青夕石赤千川先早草足村大男竹中虫町天田土二日入年白八百文木本名目立力林六 Japanese//小学二年// 引羽雲園遠何科夏家歌画回会海絵外角楽活間丸岩顔汽記帰弓牛魚京強教近兄形計元言原戸古午後語工公広交光考行高黄合谷国黒今才細作算止市矢姉思紙寺自時室社弱首秋週春書少場色食心新親図数西声星晴切雪船線前組走多太体台地池知茶昼長鳥朝直通弟店点電刀冬当東答頭同道読内南肉馬売買麦半番父風分聞米歩母方北毎妹万明鳴毛門夜野友用曜来里理話 Japanese//小学三年// 悪安暗医委意育員院飲運泳駅央横屋温化荷開界階寒感漢館岸起期客究急級宮球去橋業曲局銀区苦具君係軽血決研県庫湖向幸港号根祭皿仕死使始指歯詩次事持式実写者主守取酒受州拾終習集住重宿所暑助昭消商章勝乗植申身神真深進世整昔全相送想息速族他打対待代第題炭短談着注柱丁帳調追定庭笛鉄転都度投豆島湯登等動童農波配倍箱畑発反坂板皮悲美鼻筆氷表秒病品負部服福物平返勉放味命面問役薬由油有遊予羊洋葉陽様落流旅両緑礼列練路和 Japanese//小学四年// 愛案以衣位囲胃印英栄塩億加果貨課芽改械害街各覚完官管関観願希季紀喜旗器機議求泣救給挙漁共協鏡競極訓軍郡径型景芸欠結建健験固功好候航康告差菜最材昨札刷殺察参産散残士氏史司試児治辞失借種周祝順初松笑唱焼象照賞臣信成省清静席積折節説浅戦選然争倉巣束側続卒孫帯隊達単置仲貯兆腸低底停的典伝徒努灯堂働特得毒熱念敗梅博飯飛費必票標不夫付府副粉兵別辺変便包法望牧末満未脈民無約勇要養浴利陸良料量輪類令冷例歴連老労録 Japanese//小学五〜六年// 圧移因永営衛易益液演応往桜恩可仮価河過賀快解格確額刊幹慣眼基寄規技義逆久旧居許境均禁句群経潔件券険検限現減故個護効厚耕鉱構興講混査再災妻採際在財罪雑酸賛支志枝師資飼示似識質舎謝授修述術準序招承証条状常情織職制性政勢精製税責績接設舌絶銭祖素総造像増則測属率損退貸態団断築張提程適敵統銅導徳独任燃能破犯判版比肥非備俵評貧布婦富武復複仏編弁保墓報豊防貿暴務夢迷綿輸余預容略留領異遺域宇映延沿我灰拡革閣割株干巻看簡危机貴揮疑吸供胸郷勤筋系敬警劇激穴絹権憲源厳己呼誤后孝皇紅降鋼刻穀骨困砂座済裁策冊蚕至私姿視詞誌磁射捨尺若樹収宗就衆従縦縮熟純処署諸除将傷障城蒸針仁垂推寸盛聖誠宣専泉洗染善奏窓創装層操蔵臓存尊宅担探誕段暖値宙忠著庁頂潮賃痛展討党糖届難乳認納脳派拝背肺俳班晩否批秘腹奮並陛閉片補暮宝訪亡忘棒枚幕密盟模訳郵優幼欲翌乱卵覧裏律臨朗論 Japanese//中学// 亜哀挨曖扱宛嵐依威為畏尉萎偉椅彙違維慰緯壱逸芋咽姻淫陰隠韻唄鬱畝浦詠影鋭疫悦越謁閲炎怨宴援煙猿鉛縁艶汚凹押旺欧殴翁奥憶臆虞乙俺卸穏佳苛架華菓渦嫁暇禍靴寡箇稼蚊牙瓦雅餓介戒怪拐悔皆塊楷潰壊懐諧劾崖涯慨蓋該概骸垣柿核殻郭較隔獲嚇穫岳顎掛括喝渇葛滑褐轄且釜鎌刈甘汗缶肝冠陥乾勘患貫喚堪換敢棺款閑勧寛歓監緩憾還環韓艦鑑含玩頑企伎忌奇祈軌既飢鬼亀幾棋棄毀畿輝騎宜偽欺儀戯擬犠菊吉喫詰却脚虐及丘朽臼糾嗅窮巨拒拠虚距御凶叫狂享況峡挟狭恐恭脅矯響驚仰暁凝巾斤菌琴僅緊錦謹襟吟駆惧愚偶遇隅串屈掘窟繰勲薫刑茎契恵啓掲渓蛍傾携継詣慶憬稽憩鶏迎鯨隙撃桁傑肩倹兼剣拳軒圏堅嫌献遣賢謙鍵繭顕懸幻玄弦舷股虎孤弧枯雇誇鼓錮顧互呉娯悟碁勾孔巧甲江坑抗攻更拘肯侯恒洪荒郊貢控梗喉慌硬絞項溝綱酵稿衡購乞拷剛傲豪克酷獄駒込頃昆恨婚痕紺魂墾懇沙唆詐鎖挫采砕宰栽彩斎債催塞歳載剤削柵索酢搾錯咲刹拶撮擦桟惨傘斬暫旨伺刺祉肢施恣脂紫嗣雌摯賜諮侍慈餌璽軸叱疾執湿嫉漆芝赦斜煮遮邪蛇酌釈爵寂朱狩殊珠腫趣寿呪需儒囚舟秀臭袖羞愁酬醜蹴襲汁充柔渋銃獣叔淑粛塾俊瞬旬巡盾准殉循潤遵庶緒如叙徐升召匠床抄肖尚昇沼宵症祥称渉紹訟掌晶焦硝粧詔奨詳彰憧衝償礁鐘丈冗浄剰畳壌嬢錠譲醸拭殖飾触嘱辱尻伸芯辛侵津唇娠振浸紳診寝慎審震薪刃尽迅甚陣尋腎須吹炊帥粋衰酔遂睡穂随髄枢崇据杉裾瀬是姓征斉牲凄逝婿誓請醒斥析脊隻惜戚跡籍拙窃摂仙占扇栓旋煎羨腺詮践箋潜遷薦繊鮮禅漸膳繕狙阻租措粗疎訴塑遡礎双壮荘捜挿桑掃曹曽爽喪痩葬僧遭槽踪燥霜騒藻憎贈即促捉俗賊遜汰妥唾堕惰駄耐怠胎泰堆袋逮替滞戴滝択沢卓拓託濯諾濁但脱奪棚誰丹旦胆淡嘆端綻鍛弾壇恥致遅痴稚緻畜逐蓄秩窒嫡抽衷酎鋳駐弔挑彫眺釣貼超跳徴嘲澄聴懲勅捗沈珍朕陳鎮椎墜塚漬坪爪鶴呈廷抵邸亭貞帝訂逓偵堤艇締諦泥摘滴溺迭哲徹撤添塡殿斗吐妬途渡塗賭奴怒到逃倒凍唐桃透悼盗陶塔搭棟痘筒稲踏謄藤闘騰洞胴瞳峠匿督篤凸突屯豚頓貪鈍曇丼那謎鍋軟尼弐匂虹尿妊忍寧捻粘悩濃把覇婆罵杯排廃輩培陪媒賠伯拍泊迫剝舶薄漠縛爆箸肌鉢髪伐抜罰閥氾帆汎伴畔般販斑搬煩��範繁藩蛮盤妃彼披卑疲被扉碑罷避尾眉微膝肘匹泌姫漂苗描猫浜賓頻敏瓶扶怖附訃赴浮符普腐敷膚賦譜侮舞封伏幅覆払沸紛雰噴墳憤丙併柄塀幣弊蔽餅壁璧癖蔑偏遍哺捕舗募慕簿芳邦奉抱泡胞俸倣峰砲崩蜂飽褒縫乏忙坊妨房肪某冒剖紡傍帽貌膨謀頰朴睦僕墨撲没勃堀奔翻凡盆麻摩磨魔昧埋膜枕又抹慢漫魅岬蜜妙眠矛霧娘冥銘滅免麺茂妄盲耗猛網黙紋冶弥厄躍闇喩愉諭癒唯幽悠湧猶裕雄誘憂融与誉妖庸揚揺溶腰瘍踊窯擁謡抑沃翼拉裸羅雷頼絡酪辣濫藍欄吏痢履璃離慄柳竜粒隆硫侶虜慮了涼猟陵僚寮療瞭糧厘倫隣瑠涙累塁励戻鈴零霊隷齢麗暦劣烈裂恋廉錬呂炉賂露弄郎浪廊楼漏籠麓賄脇惑枠湾腕 Japanese//記号//  ・ー~、。〃〄々〆〇〈〉《》「」『』【】〒〓〔〕〖〗〘〙〜〝〞〟〠〡〢〣〤〥〦〧〨〩〰〳〴〵〶 Greek & Coptic//Standard// ʹ͵ͺͻͼͽ;΄΅Ά·ΈΉΊΌΎΏΐΑΒΓΔΕΖΗΘΙΚΛΜΝΞΟΠΡΣΤΥΦΧΨΩΪΫάέήίΰαβγδεζηθικλμνξοπρςστυφχψωϊϋόύώϐϑϒϓϔϕϖϚϜϞϠϢϣϤϥϦϧϨϩϪϫϬϭϮϯϰϱϲϳϴϵ϶ϷϸϹϺϻϼϽϾϿ Cyrillic//Standard// ЀЁЂЃЄЅІЇЈЉЊЋЌЍЎЏАБВГДЕЖЗИЙКЛМНОПРСТУФХЦЧШЩЪЫЬЭЮЯабвгдежзийклмнопрстуфхцчшщъыьэюяѐёђѓєѕіїјљњћќѝўџѢѣѤѥѦѧѨѩѪѫѬѭѰѱѲѳѴѵѶѷѸѹҌҍҐґҒғҖҗҘҙҚқҜҝҠҡҢңҤҥҪҫҬҭҮүҰұҲҳҴҵҶҷҸҹҺһҼҽҾҿӀӁӂӇӈӏӐӑӒӓӔӕӖӗӘәӚӛӜӝӞӟӠӡӢӣӤӥӦӧӨөӪӫӬӭӮӯӰӱӲӳӴӵӶӷӸӹӾӿ Thai//Standard// กขฃคฅฆงจฉชซฌญฎฏฐฑฒณดตถทธนบปผฝพฟภมยรฤลฦวศษสหฬอฮฯะัาำิีึืฺุู฿เแโใไๅๆ็่้๊๋์ํ๎๏๐๑๒๓๔๕๖๗๘๙๚๛
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news-signal100 · 6 years ago
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橋本環奈のクラスメイトに、小関裕太・瀬戸利樹ら注目の若手俳優集結!生徒を追い込む"最狂教師"に中村獅童!
橋本演じる樫村に密かに想いを寄せる、サッカー部一のモテ男・榊蒼汰役に、映画『春待つ僕ら』や NHK 連続小説「半分、青い。」など話題作への出演が絶えない小関裕太、クールな性格の持ち主でクラスメイトたちからは一歩距離を置く和田隼役に、ドラマ「偽装不倫」のピンク髪のボクサー・八神風太役で注目を浴びる瀬戸利樹、そして、生徒を絶望の淵へと追い込む担任教師・下部役には、京都南座「八月南座超歌舞伎」にて初音ミクと共演したことでも話題の中村獅童が務める。
また、生徒役のキャストには、小関演じる榊と同じくサッカー部に所属しキャンプテンを務める仲間思いの西園寺聖也役に、舞台「デスノート THE MUSICAL」の主演が決まっている甲斐翔真、同じくサッカー部所属で内気ながら優しい心を持つ藤春昴役に、ドラマ「あなたの番です」などの中尾暢樹、同じくサッカー部所属でムードメーカーの桐野玄役に、『JK☆ROCK』などの福山翔大、 野球部に所属し彼女思いの羽柴健太役に、雑誌「MEN'S NON-NO」専属モデルとしても活躍する中田圭祐、人と関わるよりも読書が好きなクールな図書委員・園田樹里役に、雑誌「NON-NO」の専属モデルとしても活躍する 山田愛奈、樫村と共にバドミントン部に所属する親友の小泉はるか役に、ドラマ「今日から俺は!!」などの 若月佑美、ダンス部に所属するクラスのお調子者・関克美役にドラマ「あなたの番です」などの前原滉、DJ 部に所属するノリが軽い山本英司役に、ドラマ「ルパンの娘」などの栗原類、身体が弱いながらもマネージャーとして健気にサッカー部を支える箕輪紀子役に、『凪待ち』などの恒松祐里らが務める。
今注目を集める若手キャストたちが、どんな演技バトルを繰り広げるのか?また中村獅童は、生徒たちを奈落の底に突き落とす“最狂教師”をどのように演じるのか?是非ご期待ください。
ーコメントー
◆榊蒼汰役:小関裕太 スリリング作品が大好物な上、原作が大好きなので、出演が決まった時は嬉しくて飛び跳ねました。 何を信じていいのか。何を疑わなければいけないのか。崩れて行く人間関係。1秒1秒のその人の選択するものによって未来が変わってしまう恐怖。 そんなスリリング映画を観終わった後僕はいつも、水一滴の美味しさ、生きることへのありがたみ、自分の悩んでいることのちっぽけさを感じます。 『シグナル100』の現場では、予測不可能な展開にリアルに怯える撮影の日々でした。 是非この映画を観に来てくださる皆様には、僕たち生徒36人の「生きよう」とする様を、一瞬も逃さず手に汗握りながらご覧いただきたいです。
◆和田隼役:瀬戸利樹 和田隼役を演じさせて頂きました。 この役は自分にとって挑戦でした!どう演じるか悩みに悩んで挑んだ役です。 自殺催眠にかけられた生徒が生き残りを賭け、足掻いている姿、人間の本性、必見です! 撮影中は狂気的な作品ということもあって刺激的な毎日を過ごさせてもらっていました。 それと同時に毎日学校で撮影だったので、どこか高校時代に戻った気分になりました。 僕にとって初めてとなる、心の中のどこか一部分に小さな狂気を宿しているような 役柄を是非見て頂ければと思います。
◆下部役:中村獅童 教師役というのは、あまり演じる機会がなかったのでとても新鮮でした。 下部の狂気じみた行動は、周りからみれば特異ですが、彼自身はそれが正義だと思っています。何を考えているのかわからない謎めいた不気味さを出せるよう努めました。 撮影現場は、橋本さんを中心に明るく活気があり、束の間でしたが良い刺激を受けました。 ストーリーがとても面白い作品なので、映画館の大きなスクリーンで是非ご堪能いただければと思います。
<バレー部> 何でも話し合える親友のふたり。学校内では常に行動を共にしている。 野島芽衣子役・工藤綾乃:『HiGH&LOW THE MOVIE』 君津早苗役・鈴木つく詩:SUBARU TVCM "Your story with"シリーズ「灯台」編 <不良少年グループ> 先生に楯突くこともある、クラスの問題児たち。 久保田純哉役・中島健: 『HiGH&LOW THE WORST』 堂上真一郎役・市川理矩:『花燃ゆ』 児玉力役・小出水賢一郎:『スマホを落としただけなのに』 <遅刻常習者の自由人> 明るい性格の持ち主だが、何度注意されても遅刻癖は治らず、先生たちには半ば諦められている。 吉川絵美役・三上紗弥:「覚悟はいいかそこの女子。」 <帰宅部> クラスの中ではあまり目立たない優等生グループ。 井沢学役・白石拳大:『いぬやしき』 森聡志役・安田啓人:ドラマ「不甲斐ないこの感性を愛してる」 米村麗華役・真崎かれん:『君は月夜に光り輝く』 渡辺望役・中島来星:ドラマ「西郷どん」 <イケてる女子グループ> クラスの中でも目立つ存在の女子グループ。みんな榊が好きで、あわよくば彼女の座を狙っている。 小宮山澪織役・北村優衣:『黒崎君の言いなりになんてならない』 朝比奈優子役・さいとうなり:『ホットギミック ガールミーツボーイ』 萩野里未役・宮下一紗:舞台「SECW(School entrance ceremony wars)~入学式戦争はモノガタリの始まり~」 佐々木萌香役・駒形咲希:『ハルチカ』 <ラグビー部> 責任感の強い爽やかコンビ。 加藤涼役・神田穣:ドラマ「クロスロード~声なきに聞き形なきに見よ~』 坂本紀人役・黒澤胤也:AbemaTVドラマ「1ページの恋』 <バスケ部> 明るくふざけてばかりいるやんちゃコンビ。 藤田陽太郎役・東啓介:劇場アニメ『薄墨桜 -GARO-』 日野匠役・宗綱弟:浅草軽演劇集団・ウズイチ メンバー <ダンス部> 関(前原滉)と水谷、江崎と小山内は、クラス公認のカップルで、ラブラブすぎて目に余ることも。 小山内夏生役・戸苅ニコル沙羅:ドラマ「相棒 Season16」 江崎大和役・吉田仁人: 『斉木楠雄のΨ難』 水谷雫役・山本彩加:NMB48メンバー <文化系女子グループ> クラスの中でも地味な部類の女子グループ。共通の趣味で毎日密かに盛り上がっている。 津島愛役・大森つばさ:ドラマ「ぬけまいる」 安西桃子役・河井つくし:舞台「some day」 鈴木みのり役・宮本夏花:AbemaTVドラマ 『1 ページの恋」
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takahashistudio · 5 years ago
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10.03.13私の家/カニンガム邸 見学会 橋本ゼミ 「1950年代の小住宅をめぐって」  <プロローグ>事前に時間をかけて勉強してきた上で清家清さんの「私の家」の見学会に行きました。その後、学生に50年代の巨匠になりきってもらい、座談会を開いたときの記録です。 橋本(司会) …橋本純 高橋     …高橋晶子 増沢洵    …西澤正子  (M1) 広瀬鎌二   …卯月裕貴  (M1) 池辺陽    …星野千絵  (M1) 清家清    …雨川美津季(M1) <始まり> 司会:今日は、清家清・増沢洵・広瀬鎌二・池辺陽の四氏に集まっていただき、50年代の小住宅を総括する座談会を開きたいと思います。おのおのの作品を振り返りながら、50年代の小住宅とは何だったのかを導き出せたら成功ではないかと考えています。それでは、若い順にいきましょうか。増沢さん、お願いします。 <増沢洵> 増沢:今日は2作品紹介したいと思います。まずはレーモンド事務所にいる時に建てた自邸(最小限住居の試作)です。3間×3間の9坪の1階、3坪の吹き抜けをもった6坪の2階、総床面積15坪のミニマム・ハウスです。私は、面倒なことはしたくありませんでした。なので、柱間を統一することで部材の統一化を図りました。 司会:それは構法の問題としてですか? 増沢:そうです。作りやすくするために難しい仕事や面倒で手間のかかることは好きではありません。 司会:設計はその分大変になりそうですがね (笑)。大工のためとも言えますね。広瀬さんや池辺さんはその当時、伝統構法とは違うことを考えていたようですから。 増沢:また、敷地にとらわれずにローコストに抑えるというのも前提としてありました。 司会:なるほど。もう一件のお話も聞かせて頂けますか。 増沢:もう一件は『コアのあるH氏の住まい』です。自邸の方は丸柱で設計しましたが、柱が一本もない家をやってみようと思い、コアを使いました。8尺のベニアからスタートしましたが、7尺8寸は既に清家さんがやっているので(笑)7尺7寸から始めました。屋根を低くすれば必ず良くなると思ったんです。 司会:天井ではなく屋根なんですね。 低くしたのは棟ですか, それとも軒ですか? 増沢:両方です。7尺7寸は天井高です。 司会:コアを設けた理由は何だったのでしょうか. 増沢:コアに機能を寄せることで、建物と庭が一体となって敷地に広がることを考えました。それから、自邸の時は3本の独立柱を基準にしたんですが、柱が邪魔だったんですよ(笑)。 司会:(笑)それ、作っているときは気付かなかったんですか? 増沢:気付きませんでした。生活してみてから分かったんです。 司会:広く空間をとるということならば、寝室と居間をつなげて使う方法もあったのではないかと思うのですが、そういったことは考えなかったのですか? 増沢:自分の経験をもとにしました。住宅の構成要素には複数の機能をもつものが意外と多く、その機能を単一化することによって一層合理的な設計が出来るのではないかと考えていました。なので、ひとつの空間を居間、食事、台所、家事コーナーなどに分割し、個室には独立性、団らんの場には一体性を図りました。コアのある住まいで良いと思っているところは、キッチンの在り方ですね。主婦だけでなく、誰が使ってもいいようになっています。また、建具を開け放つと居間と台所がつながりパーティーなどにも使えるなど、自由な使い方ができると考えています。 司会:敷地の使い方など、清家邸に通じるところがあるかもしれないですね。こちらの方が広いですが。 高橋:清家邸にはドアがありませんけどね。 増沢:コアの住まいには個室があります。 司会:サイズが違いますからね。コアの素材はなぜ変えたのですか? 増沢:コアがストラクチャーではないのを強調するため、素材を変えました。 司会:どうしてブロックにしたのですか?合板にでも良かったのでは。 増沢:それはコアを目立たせるためですね。 高橋:コアの周りにキッチンやワークスペースがありますよね。一般に、コアの周りはすっきりしている傾向にあると思うのですが。 増沢:むしろまとめたかったんです。個室、コアには機能、団らんのスペースとはっきり分けることを考えました。 司会:南面の障子の扱いについて質問です。障子は大きさに区別があるようには見えません。個室には違うサイズのものを使ったりしなかったのですか? 増沢:規格サイズが好きなんですよ。合理的なので。 高橋:正面から見ると個室の位置が分かりづらいですよね。個室はどこでもよかったんですか?プランニングにおけるきまりとかがあったでしょうか。 増沢:生活のことを考えて配置してます。どこでもいいわけではありません。 高橋:決めるところと、決めずにおおらかなところ、それぞれ4人に違いがありますよね。 <広瀬鎌二> 広瀬:最初の鉄骨造住宅SH?1について話をしたいと思います。敷地面積は60坪で、近代工業の発達により生産された新しい材料を用い、その力学的・材料的特性を生かして設計した新しい住宅です。50年代の乏しい経済の中での住宅のニーズもあり、その人達へ対する提案にもなっています。鉄骨という材料はまず計算が厳密にできるという利点があります。木材には力学的曖昧さがあったので。また、可能な限りそぎ落とし単純化を目標に作りました。設計に関しては、夫婦2人だけの生活を対象とした、最も単純な平面とはどんな形式にしたら良いかを考えて計画しました。単純化を求めた結果、空間を重複使用することにしました。ここでの重複使用とは、居間が生活、接客、客の為の寝室、食堂、仕事室として機能し、さらに細かく言うと玄関と居間の床をフラットにすることで視覚的な繋がりをつくり、また壁のような間仕切りもなくし、狭い敷地の中で空間の広さを感じられるようになっています。家事などの裏方のスペースを北側に取って、居間、寝室が面する南側の開口部を出来るだけ大きく取りました。水回りなどのプログラムの配置については、給排水の道路からの距離を出来るだけ短くして、配管の無駄を少なくしています。最初風呂場の位置は南側だったのですが、北側にすると配管工費が1/3も減る事が分かり北側に変更しました。空間をできるだけ広く感じられる様に、扉はトイレにしかつけていません。また開くことでとられるもったいないスペースを避けたいとも考えました。高橋:縦横どのくらいの大きさか図面を見てみると、日本の伝統スケールが入ってますね。尺寸。 広瀬:余りが出ない尺寸で作りました。 司会:余りですか? 広瀬:はい。鉄があの時代高かったので、あえて鉄を?という考えもあったのですが、構造計算の段階で驚く程軽量で出来ることを知りました。この建物の場合は、定尺物において材の断面に対し最も経済的なスパンを逆に計算する方法を取りました。その結果、4尺、8尺という寸法を得ました。この寸法は硝子の規格寸法にも合い、鋼材の定尺5m10mにも殆ど半端を出しません。鉄骨が木造と引き合う価格で出来るかもしれないという試しでした。 高橋:清家さんの「私の家」とあまり変わらない平面形、およそ5m*10mですよね。これについては同じプロポーションということで後ほどバトルできるかもしれませんね(笑)。 司会:鉄はこの当時なかなか住宅には使われない素材だったと思うのですが、ディテールや収まりなどはどこで学んだのですか? 広瀬:…。 司会:…秘密だそうで(笑)。 一同:(笑)。 増沢:鉄骨住宅は量産を考えていたんじゃないですか?だからディテールなどは 広瀬:ちゃんとした質をもって作れると考えていました。 司会:でも、10棟くらいつくって反省をしていましたね。 広瀬:当時の工業産業経済の中では他の工業生産品の価格が庶民全体に使われるには高価過ぎました。日本の大工の仕事や規格に合わなくて2、3の住宅を除いてはすべて、仕上げを大工の手仕事に頼らざるを得なかったんです。 司会:自分は工業化できると考えたが、周りが付いてこなかったと。 高橋:その後またシリーズを出されますね。SH-13を作られたときはどんなことを? 広瀬:平面計画を制約しない構造計画に関心がありました。構造、外壁あるいは内壁を分離し平面計画の自由度を高めることが必用だと考えました。そのため平行な天井と床の間を、納まりや寸法を変えずに、壁を移行することができます。 司会:この作品は奥行きが同じですが、生活スタイルの変化に対して部屋を並列に、つまりワンスパンで並べて行くことで解決できると考えたのですか? 高橋:どちらかというと、生産の論理をつくろうという感覚ですね。 広瀬:そうです。ここでは工業生産住宅になる可能性を持っているという前提のもとで考えていました。構造と内壁および外壁の分離、部材の寸法と納まりの統一によって、自由な空間が得られる事が工業生産住宅に必用な要素であると考えていました。司会:SH-30になるとブレースがなくなり、剛接合になりましたが。ブレースが嫌だったのでしょうか。謎の住宅ですよね。今までの軽快さが失われてしまってます。 高橋:例えばミースとかに対してはどう思われてるんでしょうか?広瀬:ミースが鉄骨住宅を工業生産に近づけようとしているのは、レークショア・ドライブ・アパートなどで感じています。 司会:SH-1も30も、柱はアングルの溶接ですね。既製品を使っていませんし。削って溶接してます。鉄骨屋さんではできなかったんでしょうね。この住宅では障子やカーテンの扱いはどうなっていましたか。 広瀬:うーん。 高橋:増沢さん、清家さんの住宅は障子やカーテンがついてますね。ついてないのは、池辺さんとか広瀬さんのSH-1などですか。 広瀬:基本的に、必要な物は水回りがあれば成立しますので。最小限があれば生活はできます。 <池辺陽> 池辺:No3から紹介します。1950年に建てました。ここで、畳式から椅子式へ移行しました。家事労働を少なくすること、小さな家であっても水洗便所や台所設備など、衛生的な設備がきちんと入っていることが前提条件です。そして、居間、寝室、台所などの機能を合理的に収めることを試みました。次に1958年に建てたNo38です。こちらはファッションブランド「VAN」の創始者・石津謙介さんがクライアントの石津邸です。雑誌「モダンリビング」と共同して行ったケーススタディーハウスの第1号です。ここでは、都市より、敷地に対して関心がありました。これからの時代は敷地が小さくなり、間口が狭く奥に深くなっていくだろうと考えています。この石津邸では、40坪という非常に狭く奥行きの深い敷地の中にテラスをつくりながら、室内を、居間、寝室、台所などの機能で分け、それぞれにアクセスがよくなるようレベル差でコントロールしています。 司会:No3は木造、No38はRCですが、どうしてRCの流れになっていったのですか。また、GMモデュールの研究をしていた時に、その流れに乗らないNo38を設計した理由は何だったのでしょう。それから、No3には立体最小住居とネーミングされていますが、なぜ「立体」という言葉を使ったのでしょうか。 池辺:RC造を使ったのは、これからの社会の中でとても可能性のある構造だと考えていたからです。現代の生活にあった住宅を、現代の材料や生産技術にもとづいて設計するということを目指していますから。「立体」という言葉を使ったことについては、容積の問題です。無駄なく中の空間が使えるように、またどんどん家が小さくなっていくのでこの立体の構成が有効かと。空間をつながりで感じています。居間の吹き抜けや、小さい部屋の集合などです。 司会:どちらも大きいボリュームに吹き抜けを設ける構成ですね。 池辺:平屋から2層になっていく可能性の模索をしていました。 司会:都市部において2層になっていくのを予測していたということですか? しかし、なぜ今No38のようなものが建たないのでしょうか。 池辺:もっと敷地を有効活用する必要があるからだと思います。 司会:30坪だからだいたい現在の一般的な住宅と一緒だと思いますが。 池辺:確かに敷地に対して半分しか建たないのは変わりません。しかし、当時の人は持ち物も少なく、最小限の生活ができました。ですが、今は違います。例えば今の人達は大抵車を持ちます。すると車が入るためのスペースが必要になるので、No38のような吹き抜けをとることができないんです。 司会:あと、庭を東側に寄せていますね。南側に作るのは諦めたんですか?都市住宅においては、庭の取り方の方がプランより大事になります。空間の連続性の方が優先していたということでしょうか。モデュール論まで話がいけませんでした。すいません。では、次の清家さん。 <清家清> 清家:今日実際に「私の家」を見てみて、どうでしたか?私の家は1954年に建ちました。まず、この土地の話をしますと、ここに移住して来たばかりは私の家族と女中をあわせて6人でした。その当初、敷地は150坪でしたが、その後40年の間に生活と社会の変化があり、この家が建つ頃には家族は9人に増え1000m2に増加しました。戦時中、私は海軍に入隊しました。我が家の周辺に焼夷弾が落ちたことは知りませんが、我が家の敷地内にも数発落下したようです。しかし家屋が少し焦げた程度で済んだのは、ちょうど年齢的に消化活動のできる世代が家を守っていたということや、空地が充分あったことが幸いしていたといえるでしょう。そして戦後間もなく結婚し核家族生活をしているうちに、社会状況も安定してきたという諸事情から、私たちの小さな住宅を両親の裏庭に建てさせてもらうことにしました。家の向かいは消防署(病院じゃないでしょうか)だからRC造にする必要もありませんでしたが、金融公庫から借金できる金額は、償還年数の長いRC造のほうがたくさん借りることができるということで、RC造にしたのです。私の家は次のステップへの実験かもしくはその試行錯誤であると思っています。また、空間の話をすると、この家はしつらえの家といえるでしょう。日本の伝統などよりも、狭さと家族のことを考えて変化に対応できる家を考えていました。四季に応じてしつらえを選ぶことができます。それから、狭い家なので庭との連続性を考えました。生活への工夫として、食卓・製図机・仕事机・タタミの台・ガラス戸のモデュールを統一して、効率を図りました。しつらえを楽にするための試みです。他のお三方のように社会的な目線というよりも、私は人の生活の方に目を向けていたかもしれません。椅子式にしたのは椅子・テーブルを使用することで、エネルギーの消費を少なくするためです。そして、海軍の経験から靴をはいたままの生活を試してみることにしました。 司会:エネルギーのためですか。本当ですか? 清家:資料の表を見てもらってわかるように、立ったり座ったりするのは案外くたびれるものなのです。 高橋:床に座る方が椅子に座るより消費エネルギーが多いということですが、移動式畳を作られてますよね。畳に対して未練みたいなものがどこかにあったとか。 清家:畳には未練はないんです、未練というより必要性です。衣服をたたんだりするのにいいのです。可動式にしたのは、しつらえからきています。他の家具の軽さもそうですね。 司会:子供部屋については? 清家:…あまり考えてはいませんね。家族では、主婦について多く考えています。戸主といわれるくらいですしね。建築家は形は作れるが、家は母性がつくりますので。 司会:「私の家」というタイトルから、家族に対する意識は? 清家:浴室がないなど、両親の家に頼るところがあったので…。 司会:核家族への意識みたいのはあったはずでは? その意識があれば子供をご両親の家に住まわせたりはしないでしょうし、団らんの場は作ったはずですが。それから、あえて地下を作った理由は何ですか? 清家:防空壕が残っていたんです。だから利用しました。 司会:あるものは使え、と(笑)。壁の仕上げについては? 清家:石ですか?素材については、多様の素材を調和させてモダンさを求めました。 司会:モダニズムで考えれば、統一性では? 清家:美意識です。パルテノンを見た時に影響を受けました。 司会:見たんですか! 高橋:大学の講義ではギリシャの話ばかりしていたそうですね。それ以降の時代は否定していたとか(笑)。 清家:ギリシャの建築家は先ず建築家個人の感覚で造形をするんです。それから、幾何学的に計画する。そうして寸法をギリシャ尺で測れるような数値に調整し、またその次にこれを建築家の視覚に訴えて修整するという、くりかえしを何回となく続けて設計するんです。それに比較するとルネサンスの否定をしてしまう… 司会:ギリシャは良くて、ローマはダメ。ルネサンスはもっとダメで、バロックはたまに良い物があると(笑)。いつ行きましたか? 清家:えっとですね…高橋:あのスクーターで行ったんですか!(「私の家」の軒先に有名なスクーターが置いてあった。) 司会:ギリシャ建築の寸法体系をご自身の建築に適用するときに、一番苦労されたこととは何でしょう? どういう幾何学寸法を用い。どういう日本の寸法体系と合わせていったかなどについて、お教え下さい。 清家:建築は空間を規定する甲羅だと思うんですが、甲羅だけでは亀ではなくて、本当に亀なのは甲羅のところではないもっとやわらかな部分なのかもしれないと思います。建築とは、そういう堅い甲羅の部分と、その甲羅でおおわれたやわらかな部分、さらにそのやわらかな雰囲気に包まれた容器、空虚な空間のすべてを含んでいると言えるでしょう。すまいのもつ文学的な意味まで無視して考えるのはよくないと思いますね。 <四人の対談> 司会:次に4人でお話をしていただきたいと思います。ではまず増沢さん、お願いします。 増沢:自分や池辺さん、広瀬さんには社会に目を向けていたようだけど、清家さんはどうだったのでしょうか。 清家:私の場合、意識は家族に向いていた。他の三方のようにプロトタイプをつくろうとしていたわけではない。むしろ一点ものの住宅をつくる姿勢だった。 司会:一方で清家さんは「デザインシステム」という名前の設計組織をつくられている。それはそのことと矛盾しませんか。 高橋:清家さんは海軍での設計では社会性、合理性を求めていましたよね。 司会:戦時中には量産をしていくのが設計の仕事だった。戦後のそのことへの距離感が四人それぞれ違うと思います。池辺さんは左翼なられたですよね(笑)。それも戦争中の影響が大きいのでは。広瀬さんの量産への意識はどうでしたか。 広瀬:規格サイズの鉄の量産に可能性を感じていました。木造ではなく鉄を使ってアメリカなど大国と同じようにしたかった。 司会:量産志向ではなかった清家さんはどうでしたか。 清家:その時々の状況に対しての設計をしていたつもりです。 司会:当時は社会全体から住宅の大量量産を求められていましたが、清家さんはなぜそれに乗らなかったのでしょう。社会には目を向けていなかったのですか。 清家:んー? 高橋:東大の増沢さんにはその姿勢があったと思います。清家さんは芸大だったからその意識が薄かったのかも。 司会:名前のつけかたをみても、広瀬、池辺両氏はNo.~でつくっています。清家さんは「~さんの家」。増沢さんはそのあたりは無頓着ですね(笑)。池辺さんはどうでしたか。 池辺:私は、社会に説明のできる明確なものを目指すことを研究室の姿勢にしています。だから、形の美しさというような、主観的で社会にとって役立つかどうかわからないことは、一切言わないようにしています。 司会:清家さんと池辺さんは、交流はあったんですか。 池辺:はい。お互いに評価しあう関係でした。清家さんの感覚と形態の決め方が気になっていました。こちらは感覚によらないようにがんばっているけど、清家さんはそれだけでやっているようで。それでも実際に訪れてみれば、いい空間だなあと感じて納得させられてしまうので、ズルいというか、うらやましいなと(笑)。 司会:清家さんは池辺さんをどう評価していましたか。 清家:社会に対する姿勢からくるモノとしての凄みがあるなと。 高橋:清家研の建築には機能がない、池辺研の建築にはかたちがないとやりあったそうですね。それが非常に楽しかったと。篠原一男さんとの対談(新建築2000/10)を読むと、お二人の違いもよく分かって面白いです。 司会:いろいろお話を聞いてみて、増沢さんと清家さんはどこか似ていますね。同じように広瀬さんと池辺さんも似ている気がします。そのあたりそれぞれお話を。 増沢:私はレーモンドに師事していたのでその影響を受けているかと思います。正直さなど。清家さんはしつらえということをよく言いますがどういうことですか。 清家:そこにあるものではなく、そこに起こることが大切であるということです。しつらえとは事ですね。 司会:じゃあ畳でよかったんですか。 高橋:あの畳は動く床ということなんですか。 清家:当時畳を使うと批判されました。周りは日本を否定していましたから。 高橋:清家さんはそのあたりは気にしていなかったんですか。 清家:私は社会がかわっていくところにフィットさせていくという姿勢でした。 司会:森博士の家では二間続きの和室をつくっていますね。当時畳は普通の生活空間だったんですよね。池辺さん���広瀬さんはどうですか。 池辺:鉄骨でつくる場合、プランへの影響はありましたか。 広瀬:鉄を使ってSHシリーズをつくっていく場合、より経済的であることが大きかったです。 池辺:私の場合は機能で分けていく合理主義。増沢さんは合理的でありながらどこかあいまいに残している部分があって、だから全体がおおらかにつながっているような。 広瀬:鉄骨でつくるということが一番にあって、それに伴う条件のもとでプランを考えていました。 増沢:ミースの影響などはありますか。 広瀬:ミースの鉄骨造のつくり方も理解し肯定しますがミースを意識していません。日本の住宅事情とは違うと思いますし。 司会:ミースは鉄骨のジョイントを溶接しています。広瀬さんはボルトでジョイントしていますよね。そのあたりの意識はどうでしたか。 広瀬:当時の経済的、技術的な理由からボルトを使用していました。 高橋:例えばイームズ邸はボルトでつくっていますよね。戦中、戦後の経済状況からボルトでつくるということがDNAとしてあったのかも。どちらかを選ぶ余裕もなかっただろうし。 司会:池辺さんは構造形式にはあまりこだわらなかったようですね。広瀬さんは構造形式に意識的だったようで、ある構造でやっているときはほかの構造はやらなかったみたいですね。広瀬さんは空間論でなく生産論を前面に出されていたと思います。美意識よりも工法の意識を先行させていて、工法を探求していましたね。広瀬さんは武蔵工大から教員の話があってから事務所をたたんでいます。そこで木造の可能性に気づきしばらく木造をやっていますね「木造のディティール」という本も出ています。その後また鉄に戻っています。広瀬さんは以前に「基礎つくるようになって建築がだめになった。鉄を地面から生えているようにしたかった。礎石の上にのった柱はズレてしまえばおしまいです」とおっしゃっていますね。広瀬さんは原理主義的に構造のありかたをを思考していたのではないかと思います。 高橋:四人うちでいちばんプランの話ができるのは池辺さんでしょうか。 池辺:私はレベルによって機能を分けたり、客観的な合理性のあるプランを目指しました。私自身のオリジナリティとしては、農家のように無駄のないものに美を感じています。それが合理的であると。 司会:プランニングよりも組み合わせで考えていたのでしょうか。二の倍数で図面を描いていたり。ロジックが美に置き換わっている。 高橋:増沢さんは非常に真面目にプランニングをしている。 司会:増沢さんはエキセントリックなデザイン性ではなく、日本の近代住宅のあり方を多角的に考えられていた方なのでしょうね。清家さんは近代というものを様式ではなく生活として受け止めておられたのではないかと思います。 <終わりに> 司会:50年代の住宅史を学んで得たことは鵜呑みにせず自分で解釈していいと思います。でもそこで考えなくてはいけないことは、その作家が何を考えていたか、その歴史や背景、社会に目を向けていかないといけないということです。では、みなさん今日はお疲れ様でした。
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lovecrazysaladcollection · 7 years ago
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010年2月16日 リベラルタイム 小沢民主党は「民主主義の危機」を口にするが、 話はまったく逆だ! 現職議員を含む三人の側近が逮捕されてなお、小沢一郎は幹事長を辞任しない。鳩山由紀夫首相は小沢と官邸で十六分間の「密談」のあとにいった。   「小沢さんの潔白を信じる。幹事長の職にとどまり断固、検察と闘うとおっしゃるから、どうぞ闘って下さいと申し上げた」    この首相はいよいよ正気を失っている。検察は行政官だ。首相は行政のトップだ。トップが「どうぞ私の部下と闘ってくれ」というにひとしい。部下はこれを何と聞く? 牽制としか聞こえまい。その日おこなわれた民主党大会で、小沢は涙をにじませて検察批判をブチ上げ、   「わが党の大会に合わせて逮捕された。こんなことが罷り通るなら、日本の民主主義は暗澹たるものになってしまう」    会場からは「そうだ!」「頑張れ!」の声援が飛び、異議の一つも出ない。中にはテレビに向けて、まくし立てる議員もいる。   「これは国民に選ばれた民主党という民主主義勢力と、検察に代表される官僚体制との全面戦争です。正義はどちらにあるか、その闘いなんです」    一日おいて民主党の二回生議員が集まり、石川知裕議員の逮捕を「検察の暴挙」と断じ、その救出を考える会合を開いた。トップ二人の意向に呼応している。    小沢だけではない。すでに鳩山の秘書二人も起訴され、一人は公判中だ。脱税総理と脱税幹事長。それでも二人は、   「(そうした疑惑を知りながら)国民はわれわれを選んでくれた。その負託に応えなければならない」    と尻をまくる。公党のトップ二人に深刻な疑惑があり、それでも居直る二人を担ぐ政権党が、挙げて「検察との全面対決」をいい立てる。それも「国民が選んだ民主主義勢力」を自称しながらだ。問題の壮大なスリカエというしかない。   「大きなウソほど国民は信じる」    といったのはナチ党の宣伝相ゲッベルスだ。    コトは小沢が岩手の自宅近くに胆沢ダムを誘致し、この建設をめぐってゼネコンからカネをふんだくった疑惑だ。すでに水谷建設幹部が五千万円ずつ二回、計一億円を小沢の秘書に渡したと供述している。    ゼネコンは工事費にそのカネを上乗せする。まわりまわってそのカネは国民の負担となる。つまりは国民の血税を、小沢が権勢をカサに掠め取ったのではないかという疑惑だ。   そのカネの一部が、小沢が土地を購入したおりの経緯から見て、原資に充てられた疑いがある。検察が原資の趣旨を糺すのは当然の職分だ。なのに小沢は多忙を理由に事情聴取に応じない。井山裕太名人と碁に打ち興じ、家の子郎党を集めて居酒屋で連夜のカラオケだ。    自身に疚しいことがなければ、男らしく事情聴取に応じて、しかるべき説明をすれば足りる。子分も臭いメシを食わずにすむ。それができないから応じないと、誰しも思う。ヤクザの親分にも劣る対応だ。    党首も党員も民主勢力を自称するなら、血税が搾取されたかどうか、しっかり調べてくれよと督励するのが当然だ。ところが首相は検察を督励するどころか、その検察と闘えと小沢を督励する。話がサカサマだ。
鳩山と小沢の共犯意識
思うに鳩山と小沢には共犯者意識がある。その意識が右のセリフに表れた。    鳩山には贈与税逃れの前科がある。母親からもらった十二億円の「子ども手当」は生前贈与そのものだ。鳩山は当初、知らぬ存ぜぬとうそぶき、コトが露見するや「貸付金」だと主張した。借用書も返済期限もない。弟の邦夫が「私も母からもらった。親子の間に貸付金はあり得ない」といい出さなければ、「貸付金」で押し通すつもりだったに違いない。    鳩山はこれを月に一千五百万円の小口に分けていた。それも九十数人の偽名を使って、寄付を受けたかのように虚偽記載していた。大口なら贈与された十二億円に近い追徴税を取られているはずだ。知人の公認会計士にいわせれば、これほど故意・悪質な脱税もないという。    鳩山の犯意はハッキリしている。なのに六億円の追徴税で一件落着とされた。庶民がこの手を使えば、即お縄頂戴だ。追徴金も半分ではすまない。丸ごと持っていかれる。現に本稿を書いているそばで、テレビが四億円の脱税で業者が逮捕されたと報じている。首相だから手心を加えたとしか思えない。およそ社会的公平を欠く処置だ。    ファミリーのカネを政治に使ったのだからいいじゃないか、とする擁護論がある。これも違う。政治家にとって政治資金管理団体は金庫だ。死ねば子どもに相続される。現に鳩山も小沢も譲り受けた。政治という家業の金庫だ。他の家業とどこが違う?一説に鳩山の資産は八十六億円、小沢の資産は三十五億円。よほど汚いことをしなければ、この家業でこれほどの蓄財ができるか? いま小沢の胆沢ダムで、それが問われている。    全国の政治資金管理団体は六百五十を数える。土地等、不動産を買い漁っている団体は小沢の団体だけだ。だいたい政治資金で不動産を購入し、それを賃貸してカネを増やす等ということは、政治資金規正法を制定する際、想定外のことだった。これには検察もビックリしたと聞く。   「先生の趣味は不動産」と、小沢の秘書らはいう。小沢は車で移動中も物件に目を留め、「オイ、あの物件の資料を集めろ」等と指示する。すでに十二件の所有・賃貸が知られている。小沢は記者団に向けて弁護士の「確認書」を振りまわし、   「名義人は小沢一郎となっているが、実質は陸山会のものだ」    と自身の所有を否定したが、公証人のハンコがなければ何の証明にもならない。十二件の物件には例の政党助成金のチョロまかしが使われている疑惑がある。新進党と自由党の解党のおり、国庫に返却すべき政党交付金は二十二億円におよぶ。これをポケットに入れた疑惑だ。うち十五億円は自由党幹事長・藤井裕久の資金管理団体に入れたとされる。    これを国会で松岡利勝(のちに自殺)が追及した。藤井はコボした。   「困っちゃうな。オレ、ホントに知らないんだよ」    藤井の事務所が特段カネに潤った話は聞いたことがない。ホントに知らないものと思える。さきごろ藤井は財務相を辞任した。健康を理由の辞任だが、二十二年度の予算案を編成した財務相が、その審議を前に辞任するのは異常な事態だ。 ホントのところは、問題の十五億円について予算委員会で追及されれば立ち往生となる、それを避けるための辞任だったと、もっぱら見られている。    政党助成法をつくったのは小沢だ。以来、政党をガラガラポンするたびに、彼の財布は膨らむ。彼にとって勝機は商機だ。
「深沢銀行」にメスを
 小沢は世田谷・深沢に住む。その自宅に家族しか入れない特別な部屋があり、巨額の現金が貯えられている。逮捕された元秘書・石川によれば「十億円はあるんじゃないか」という。この部屋を家の子郎党は隠語で「深沢銀行」と呼ぶ。    いま、その「深沢銀行」に司直がメスを入れようとしている。逮捕された石川議員の元秘書・金沢敬が、小沢事務所にガサ入れの寸前、書類の運び出しを手伝った。「間一髪だった。こんなものを押えられたら小沢先生をはじめみんな逮捕だ」「西松なんて一番金額が小さいですよね」……実に生々しい会話を証言している。この金沢が、小沢金脈解明のとば口だ。ワケのわからないカネがゴロゴロしているに違いない。師匠のゼニ丸こと金丸信の金庫と同じだ。    小沢一郎を要するに、政治家を自称するチンケな不動産屋だ。その金庫を調べるのに何の不都合もない。ただし、そのチンケな不動産屋が、いまや政権党を自在に動かす。もし小沢が今回の「危機」を生き延びればどうなるか。岩手・秋田は「小沢王国」と目されてきた。生き延びれば、日本全体が「小沢王国」となろう。まさに日本をハイジャックすることになる。    カネの面だけではない。小沢は何をするかわからない。すでにマニフェストにもない外国人参政権を打ち出している。習近平の天皇接見問題で見せた天皇軽視とも思える姿勢。さらには六百人を超える訪中団を引き連れた中国への傾斜。普天間問題の右往左往は、背後に「米軍の駐留は第七艦隊だけでいい」とした小沢の発言がある。この発言は鳩山の「駐留なき安保」発言と呼応する。    アメリカに拗ねて見せる前に、自前の防備を固める必要がある。その覚悟も準備もないままの反米ジェスチャはポピュリズム(大衆迎合)というしかない。    鳩山は口を開けば「国民のみなさんのお暮らしを守る」というが、その言葉と裏腹に事態は進行している。小沢の存在があるからだ。    小沢が「民主主義の危機」(!)を訴えるのに呼応して、メディアの一部に小沢擁護論を見受ける。正気かといいたい。むしろ小沢の所業は民主主義への挑戦だ。首相の鳩山もこれを許容する。二人がタッグで日本を危うくしている。ジャーナリズムが衝くべき問題はそこにある。    ところで法相・千葉景子が気になる。まさか指揮権発動はあるまいな。法相就任のおり、指揮権について問われ、「ちゃんと法律に書いてあることですから」と答えた。一抹の不安を感じる。(文中敬称略)   リベラルタイム3月号 「仄聞録」
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藤井四段は高校進学!谷川九段、羽生棋聖らと同じ道(日刊スポーツ) 公式戦29連勝の新記録を樹立した将棋の最年少プロ、藤井聡太四段(15)が、来春の高校進学を決断した。25日、日本将棋連盟が発表した。愛知県有数の進学校である中高一貫校の名古屋大学教育学部付属中学に通う3年で、高校進学か、将棋1本に専念するか迷っていた。たっぷりと時間をかけて「次の一手」を決め、同連盟を通じて「すべてのことをプラスにする気持ちでこれからも進んでいきます」とコメントした。 【写真】感想戦を行う藤井聡太四段  ここ数カ月、「強くなることを第一目標にしたい」と、進路問題で悩んでいた。現在、愛知県瀬戸市の自宅から、名古屋市内にある中学に通っているが、将棋との両立は肉体的にもハードだ。対局が週に2日以上入るときもあり、対戦が長引くと大阪や東京に宿泊する日もある。強くなればなるほど対局は増える。進路が注目される中、大好きな将棋に専念したい気持ちも大きかったが、中学生でプロ棋士になった先人たちの「定跡」があった。  過去、中学生でプロ入りした加藤一二三・九段(77)、谷川浩司九段(55)、羽生善治棋聖(47)、渡辺明2冠(33)は、いずれも高校へ進学。師匠の杉本昌隆七段(48)は「中高一貫校からの進学は自然な流れで、現時点ではベストの選択」とコメント。愛弟子が悩む姿を間近で見ていただけに「選んだ道を最善手にするのは本人次第です。学業と将棋のさらなる精進を期待します」とエールを送った。  同世代と過ごせる高校生活は、長い人生で貴重な時間。勝負の世界から離れた場所で、視野も広げることができる。進路の決断は本人に委ねていた母裕子さん(47)は「今まで通り、見守り応援していきます」。高校生になっても、藤井は学業と将棋の両立という「難局」に立ち向かう。【松浦隆司】  ◆日本将棋連盟・佐藤康光会長の話 悩み、考え、決断したことは1つの財産。大いなる自信を持って日々まい進してもらいたい。 口コミとかでいろいろな意見の書込みがあるけど実際は【効果なし】なの? わたしが気になっているのはコレ・・・ 何でも個人差はあるから仕方ないんですけどね ほとんど全員が【効果あり】みたいに書かれてるのがちょっと怪しい気もすんですけど・・・ でもちょっと期待もしてしまいますよね やってみようか・・・悩むな~ Source: 今まさにニュース
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meitukong · 8 years ago
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這一季的上海時裝周已經結束了,相比四大時裝周,國內秀場上的品牌知名度差了,更多人好奇:為啥中國沒有像樣的奢侈大牌?
历史原因
奢侈品之所以叫奢侈品一定是因為他稀缺且無可替代,而那些頂級奢侈品牌,都是經過了幾十上百年的經營積累。
西方機遇
現在的大牌奢侈品誕生的年代都差不多,都是趕上了時代變革的黃金期,創始人們獨特的眼光造就了幾百年的历史。
路易威登,出生在阿爾卑斯附近小邨里,14 歲時在一家包裹作坊當學徒;16 歲在著名行李箱工匠 Marechal 先生那里做生產行李箱的工匠。
837 年法國首條鐵路通車,1838 年一艘歐洲蒸汽輪船首度成功橫越大西洋;現代旅游時代正式來臨,意料之中它們經營的行李箱店鋪訂單爆表;
1853 年,Louis Vuitton 成為拿破侖三世歐仁妮 ( Eugenie ) 皇後最信任的行李箱專家,來自上流社會階層的客人隨即紛湧而至。
在積累了一定經驗和 ” 粉絲 ” 之後,第二年 Louis Vuitton 就成立了自己的品牌,這一賣就是幾百年。
Hermès 的創始人 Thierry Hermès 也是趕上了好時候,他本來是在德國萊茵河畔做馬鞍的,後來為了多方面發展選擇支線發展。
因為其之前主要客戶是騎士,很有錢的那種 ···· 所以他們也就更早的為貴族旅游服務,以至於最開始 Hermès 客戶群逼格秒殺 Louis Vuitton。
雖然沒有像威登家族抓住鐵路游客,但是家族第三代在 20 世紀初,汽車在有錢人中普及。因此也成功把 Hermès 推銷給了私家車客戶。
總結的說,Hermes 和 Louis Vuitton 都趕上了時代變革的機會,依靠火車和汽車的普及,將自己的品牌塞入旅游業發展的浪潮。
東方斷層
再回過頭來看國內,能在時間上與歐美媲美的工藝品制作者的也就只有給皇室做東西的工匠家族。
皇室所使用的的器皿,服飾都可以稱作是奢侈品。但是後期由於形式問題,這些工匠家族被當做資本主義處理,品牌效應更是無處談起。
再者,中國的奢侈文化其實是斷裂的;
古人文學作品以及藝術繪畫充分描繪了當時奢侈和享樂之風,直到民國時代,還殘存著遺老遺少的奢華生活方式。
但是,中國的近代革命,讓皇家、王室、貴族從幾千年的历史舞台中退出,中國奢侈品的消費需求——龐大的皇親國戚徹底地消失。
1949 年建國之後,一方面提倡勤儉節約,另一方面運動不斷,徹底砸爛了奢華和高雅之風,逐漸使高雅的富有階層消失。
之後隨著經濟體制改革和開放,富有階層出現,高雅也開始回歸,但兩者常常分離在兩個消費主體身上,即富而不貴,或是貴而不富。
再加上這一階段國人突然接觸到了很多國內沒有的東西,崇洋媚外的情節越發更加嚴重,中國奢侈品發展之路也就異常艱難。
西方主導
奢侈品是為了滿足上層的主流文化而存在的,想要有享譽世界的奢侈品牌,最重要是看自己的文化能不能成為世界主流。
而當今的世界上層主流文化,依舊是由西方的保守貴族所掌握,直白的說,奢侈品就是一個從西方主導的領域。
設計標準
大批國人追逐奢侈品 ,國內設計也以登向國際 T 台為傲 ,這是經濟發展迅猛而文化又停滯不前帶來的後果 。
物質的發展讓一部分人需要審美的迎合, 西方奢侈品不乏設計精美者,富裕階層趨之若鶩, 大量現實證明 :我國早已不是文化輸出國。
有數據指出,在中國,服裝專業每年有 50% 的學生轉行,服裝企業卻在呼籲人才嚴重匱乏。但是每年出國讀設計的人數正在日益增加。
他們所接受的教育和設計風格主要還是比較西方式的(比如,馬蘭歌尼,聖馬丁等學校畢業),即便帶有中國傳統元素也多數作為輔助效果出現。
說到這里,還是要提一下 ” 脫亞入歐 ” 的日本,上個世紀三宅一生、川久保玲這些設計師都曾到過歐洲學習。
並且提出的帶有東方審美的無結構主義在歐洲設計界也很有影嚮,這也對其之後的發展有了很大的幫助。
起步較早,有自己獨到的設計理念 + 被歐洲設計界賞識,這些都是他們成功的重要因素。
可見即便偶爾為了亞洲市場討好一下我們,但在奢侈品或者服裝設計領域,西方國家一直占有著話語權。
運作差別
在國外,奢侈品大牌商業運作的背後一般都有像 LVMH 一樣的大集團的撐腰,專門為其量身定制商業化運作。
而國內,經历過那些年艱難的鬥爭,百年品牌要麼是收歸國有,要麼是錯過了品牌上升的黃金時期。
最後只能通過大幅提高售價強行加入奢侈品行列,但價格高並不意味著是奢侈品。
而美國就是個例外,雖然我們已將其列入西方的隊列,但很震驚是其幾乎沒有享譽世界的奢侈品牌。
因為美國在歐洲各國面前,永遠在文化上矮了很大一截,即使再富有也是 new money,而 new money 的文化是登不了大雅之堂的。
文化背景
由於國情不同,中西方的文化背景也差別很大,這對奢侈品的誕生,消費都有很大的影嚮。
西方文化提倡個人價值,任何品牌都能以自己的名字來命名並傳承下去;他們在乎的是個性態度和精致的設計。
而中國講究的是集體主義,與西方的價值觀完全相反,個人服從集體,一切都要以集體、國家為重,做到老祖宗們傳下的節儉美德,等等 ····
所以中國人誰也不敢說崇尚奢侈品,從小我們就被教育,樸素才是美。女孩子喜歡買個奢侈品包包還被指責為太虛榮。
帶些珠寶首飾裝點自己還被人說是暴發戶土大款,直男所謂的 ” 我還是喜歡素顏天然的女生 ”
” 為什麼要追求外在美,多看點書學習一下不好嗎?”” 幾千塊錢幹點啥不好咋不知道孝敬爸媽呢 ··· ” 等等思想都是與奢侈品的理念相抵觸的。
0其實,在我國古代不乏許多風雅享樂之士,泡個茶要用什麼水都很有講究。 其實奢侈品的本質就是這種 ” 矯情的講究 “,而這與我們所提倡的美德相抵觸。
工藝差別
::__IHACKLOG_REMOTE_IMAGE_AUTODOWN_BLOCK__::31除去历史和觀念原因,奢侈品本身上中西方的差距也非常之大。
匠人精神
中國在五年前就已經超越美國、日本、成為制造業第一大國,但中國制造的大部分產品都不是奢侈品的核心工藝。
Hermes,Chanel,Dior… 這些大牌的初期都是高品質來奠定基礎,然後有了自己特定的風格和設計,別家無可替代的工藝,再到規糢的擴大和廣為流傳。
中國的制造業缺失發達,但是匠人卻越來越少,國內,南方無錫廣州之類的廠商都還是比較單純的批量制作流水線,是沒有什麼技術含量的基礎工作。
而歐洲手工作坊並不是這樣,他們也知道機械化制作會大大降低成本,但他們依然堅持手工藝制作,並且以此為榮。
而歐洲的小作坊,比如 Salvatore Ferragamo。早於 1920 年代,每款鞋式就有近 50 個尺��。每雙菲拉格慕鞋履都需 10 天制作時間,其 5 天用於制作鞋楦。
整個制作共有 134 道工序,由專業人員參與並指導,建糢、皮革切割及鞋面安裝,特別是最後縫合整飾等程序仍堅持採用純手工制作。
而這些是其他品牌無法學走的核心競爭力,顯然在中國品牌身上是缺乏的。
原創設計
原創設計對國內服飾這一行業來說是件更難的事,因為這要求你滿足各方面的條件:既要有對時尚未來走向的敏感,又要有領跑時尚態度的野心。
在國內更重要的是,要舍棄 ” 捷徑 ” 的誘惑,我有太多文章寫過山寨寫過假貨,但大部分網友(代表著大部分國人)的態度竟然是只要好看,真假並不重要。
這無疑就是對原創設計師的一種沖擊,山寨一下大牌多麼容易,接受度多麼高,哪個工廠哪個公司還會接受新晉的設計師的三流設計?
而真正的品牌衣服,原創設計成本導致他們無論如何都不會這麼便宜的。這就是山寨大國出不了奢侈品的原因啊!
金主支持
原創設計和保護原創設計在這一行業是個難事,所以,一些走時尚行業的金主大佬們就開始行動了。
奢侈品集團 LVMH
首先要提到的是旗下擁有 Lovis Vuitton、Givenchy、Loewe 等大牌的 LVMH 集團,為了鼓勵原創設計師們,從 2014 年開始每年都會辦一次設計師大賽(LVMH Prize)
憑借著豪華的設計師評審陣容和讓人垂涎的 30 萬歐元的獎勵,LVMH Prize 吸引了不少人前來參加。
這一次評委團隊由 J.W. Anderson(Loewe)、Maria Grazia Chiuri(Dior)、Nicolas Ghesquiere(Louis Vuitton)、Karl Lagerfeld(Fendi)、Humberto Leon & Carol Lim(Kenzo)與 Phoebe Philo(Celine)七位赫赫有名的時裝設計師及 Delphine Arnault、Jean-Paul Claverie 與 Pierre-Yves Roussel 三位集團高層組成。
這陣容如果不去秀一把才華反而隱藏在內心深處,也算是有點小可惜了。
其實很多有才華的人通過 LVMH 大賽這個渠道被發現,比如現在正當紅的品牌 Jacquemus 設計師 Simon Porte Jacquemus 正是 2015 年度 LVMH 大獎特別獎的得主。
Jacquemus 憑借獨特的概念性風格成為了個 ” 網紅 ” 品牌。
其在實穿性上的兼顧也使得他取得了不錯的商業成績。在 2016 年,他還登上了時尚商業新聞媒體 Business of Fashion 當年 BOF 500 的榜單。
Topshop
Topshop 贊助的 ” 英國 NewGen 設計師大獎 ” 是時裝行業最知名的選拔賽之一。
這項扶持計劃最早在 1993 年推出,出現在資助名單上的設計師也是一片華麗:Alexander McQueen、Christopher Kane、Erdem、Jonathan Saunders、J.W.Anderson以及 Simone Rocha 等等。
重點是在 NewGen 幫助他們的時候,這些人還只是一名不文、萬千設計畢業生中的一個而已,能夠發掘出這些璞玉,NewGen 的眼光和水準是佩服的。
看著上面這些當初被扶持的名單,想感嘆一句,如果當時 NewGen 沒有看上他們,幫助他們辦秀,將會是現在時尚圈多大的遺憾。
京東
別著急羨慕著國外,wuli 京東最近也開始向時尚圈靠攏了。
先是今年的紐約時裝周上,京東攜手國際知名設計師林能平(Phillip Lim), 舉辦 3.1 Philip Lim2018 春夏大秀;
該品牌有著不錯的業界口碑,有著頗豐的商業收入,已成為頗為成熟的美國設計師品牌,在中國市場也很有知名度。
之後在倫敦時裝周京東先後攜手 Mary Katratzou 和 HuishanZhang 舉辦了 2018 成衣系列大秀。
HuishanZhang 的創始人張卉山剛剛被選入時尚商業媒體 Business of Fashion(BOF)評出的名單,成為年度 ” 全球時裝領袖 “500 強的一員。這位來自山東青島的年輕設計師的時尚影嚮力可見一斑。
除此之外,在本次上海時裝周上,京東除了直接霸氣成為本屆上海時裝周年度作品發布官方聯合合作夥伴之外;
還與原創設計師品牌 ZHANG SHUAI 和 ALL COMESFROM NOTHING(簡稱 ACFN)重磅亮相,帶來兩場精彩紛呈的壓軸秀演。
深受明星喜愛的設計師同名高級定制品牌 ZHANG SHUAI(張帥)以 ” 心動 ” 為主題,”love the weekend”、”casual”、”freedom” 為主旨思想,像大家展示不一樣的獨立女性形象。
這次上海時裝周京東也聯合曾登上紐約時裝周的 ACFN 設計師 Eva Yiwei Xu(徐一衛),為大家帶來 ALL COMES FROMNOTHING18 春夏系列 ” 東方罌粟 “。
京東這幾次時尚的大動作也是希望可以通過扶持原創設計力量,深挖具備優質市場潛力的原創設計師。
目前,京東已迎來百餘個設計師獨立品牌和集成店鋪,這也是投資 farfetch 之後另一個讓時髦的中國人揚眉吐氣的大事件!
畢竟,每個中國人都真心希望有自己的奢侈品牌,代表中華文化!所謂,God made the world, the rest thing was made in China.
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