#三酔人経綸問答
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勉強メモ
野口良平『幕末的思考』
第3部「公私」
第1章 再び見いだされた感覚──第三のミッシングリンク1~4 ②

勉強メモ 野口良平『幕末的思考』 第3部「公私」 第1章 再び見いだされた感覚──第三のミッシングリンク1~4 ②
② 中江兆民『三酔人経綸問答』
明治維新の三傑(西郷・大久保・木戸)がなくなり、 後を継いだ伊藤博文らによって"秘密裏に用意された憲法が、天皇から人々に「下される」"ことになってし��った明治20代前夜……。
伊藤のやり方に、思想家たちはどう対抗したか……
まず、中江兆民の格闘の産物『三酔人経綸問答』が紹介されます。
■「自由」の難題
「われわれは自由だ。自由な人民のためにこそ国家がつくられる」 というルソーの思想を、日本人に紹介した中江兆民は、
そのルソーもぶち当たった難題 「自由は尊ばれねばならないが、力の強い人が、立場の弱い人から横取りする自由はどうする? この自由を、ルールでもって制約する理由づけは何?」
という問題の答えが出せなかった。 一時は、 「すごく立派で利口でやさしい立法者が、参謀の補佐を得て裁けばいい。その立法者は西郷さんみたいな人だ」 と考えていた兆民先生。
だが西郷さんは鹿児島で敗れてしまう。
どうする?
人民が主人公の世をどんな理論で作っていけばいい? 経済力や軍事力など、こちらより強い諸外国とどうつきあっていけばいい?
兆民先生は考え続け、民権運動にも身を挺してかかわる (この本にはその細かい動きはあまり書かれていない)。 思考も続ける。 そして世に問うたのが『三酔人経綸問答』なのだ。
■『三酔人経綸問答』
『三酔人経綸問題』その内容は……、 3人の男が、酒を酌み交わしながら、これからどんな国をつくったらいいか、語り合う、というもの。
その3人とは……、 酒豪で奇抜な思想家「南海先生」、 立憲民主制、平和を理想とする「洋学紳士」、 侵略主義者の「豪傑の客」。
洋学紳士の理想と、豪傑くんの乱暴な説を聞き、 南海先生は 「洋学紳士くんの意見は、みんなが同じ意見にならないととても無理だし、豪傑くんのやりかたは、よほどのスゴイ人にしかできないだろう」といい、 「じゃあ南海先生のご意見は?」ときかれると、 「立憲制をしいて、上は天皇、下は国民、みんな幸せに暮らし、穏健な外交をして、欧米からは良いところだけを取り入れる」 とこたえる。
これではまるで、子供やそこらへんの一般人(「児童徒卒」)、現代のNHKのアナウンサーでも言える一般論だ。 ���南海先生ごまかせり!」 と、解説者(欄外から兆民先生が自分でちゃちゃを入れているらしい)から突っこみが入るそうだ。
以前、この本の結末を以前どこかで聞いたとき、 「えー結局、答えがでないじゃん、だめじゃん」と、私は大いに落胆した。
しかし、 この「ごまかし」が率直に認められ、発語されること、これこそがルソーの挫折を受けとめ、列島の思想的課題に挑むための必要条件だ、と著者はいう。
《この架空鼎談を通して中江は、「天保の老人」から明治の「児童徒卒」までが、それぞれの歩みの固有性を失うことなく言葉を交わし合うことのできる──顕教密教システムを包囲しうるような──丸テーブル、穴ぼこだらけの宇宙を創り出そうとしているのである。》 p208
正確な答えを出すことが大事なのではなく、 へだてなく立場の違う人たちが課題を共有し、意見を言い合うことが大切! ってこと。
それが民主主義。 そうなのだ、民主主義に最終回答はたぶん、ないのですね。
■私がおもしろかったところ
私は恥ずかしながら『三酔人経綸問答』をまだ読んでいないのですが、今回、内容を紹介されておもしろかったのが、例によって枝葉末節です。
「豪傑くん」というのが、ごりごりの軍事大国主義者で 「列強に追いつけ追い越せ、アジアをどんどん占領して日本を大きくしろ」とかいう傲慢な勝ち組指向の奴かと思っていたのですが、 そうではないのですね。 ちょっとすねてる感じなのですね。 「自分たちは古い人間で、新しい(立憲主義みたいな?)制度になじまない社会の癌なので、こういうやつらが日本を出てアジアかアフリカのどこかを占領して「癌社会」をつくろう」……というブラックに可笑しい説なのでした。(占領される方はたまらん!!)
ということはつまり、 まだこの頃の侵略主義者は、自分たちが「社会の癌」だという自覚する知性をもっていたのですね。 「五国共和」みたいなことをいう厚顔さとは遠かったんですね。
■それからの兆民
さて
兆民先生は、論客として人気があっただけでなく、民権運動もがんばり、人望があった。伊藤の企みによる欽定憲法ができて国会が開設されると、みんなに推されて国会議��に立候補し、圧倒的な得票で当選。 初めての国会で、あれやこれやと、国民の代表の意見が尊重されるような仕組みを作ろうとするが、どれもこれも阻まれ、とうとう絶望して「アル中だから」と、辞職してしまう。
うーん。
やっぱ残念。
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【 年末年始に読む予定の本 】
水木しげる・総員玉砕せよ!
半藤一利・「昭和史」を歩きながら考える
辻田真佐憲・空気の検閲 ~大日本帝国の表現規制~
中江兆民・三酔人経綸問答
何このどうかしてるラインナップ。( )
社会派な著書を定期的に吸収しなきゃシャンしないタチであります。(-ω-;)
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自由に書かせてもらえたらと、④では一年有半と続一年有半を見ていく 留学中に見た過激で急な民権の動き、その失敗を見た彼は三酔人〜に取り組んだけれど、数年後の議会設立、自身の当選と半年での辞任、実業での急さ、外から辿るとちぐはぐ。政治力学的なものには向かなかったのかもという視点、そして板垣退助が伯爵になっ��ことへの失望が辞職の原因とのことでナンダカ...明治政府から及ぶ圧力だとか影響のほうがより窒息しそうなのは...伝わる思いがして複雑 センチメンタル 経綸問答の綸とは 経綸(国家をおさめること) 再び筆を取った兆民
日本人の陥った'恐外病'の 克服とはについて よい言葉だな、はっとするな

アクセスしやすい道からでもいい
ほかにない珍しさうまく習えないやり方でもいい
見つけたんだから
見つけていくんだから


④内容的に 違うか私の頭悪いから つい戦争についての言及色を一旦忘れて入ってしまう それでも本人の意思は一貫していたという要約はなんかどうしても切りかえせなくて暖かくて切ない 成功とかどうでもよくなっちゃうけど違うんだろうな嫌悪とともにあり


ディスカッション 追記、ディベートではなくダイアローグ 分かるかもしれない嘘
日清の時点で 西洋に��ぎにならえだけしたやり方 隣国が小さいからと攻め自分のものにしたがった事 領土を守るといって大事なその領土内の社会システムや命を守れていないよと話された 国の決めていく話か、個人の心の中の話か、どこに着くものか、あぁそうかと思ったよそれは、されて嫌なことを話し合うのって何だったかって。ただ 弁えたいっと念じるごとに切なくてひりひりと寒くて 温かい人なことは分からされて 道徳ってなんだっけ、規範や帰属や 考えてきたこと伝わらないことかなわないことって何だっけ って。恐れをどうやって見つめたらいいんだっけ、って。昨今のエンパシーやエコロジーは、何が'大勢という顔'をするのかなってやっぱりそちらも思うのだが。敵だとか対立とか徒党だという感じに、被害妄想だけから抜けないものばっかり。 被害じゃないよと言い切りたくても戦後の日本はなれなかったよねその後遺症ごと、そうよね、あるんだよね
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2023.12.14(木)
録画していた 『 100分de名著 』 を見た。
『 三酔人経綸問答 』 をすごい読みたくなってきた。
共感力をもって臨めば建設的な議論は可能だろうか。
一方的な判断のぶつけ合いによって複雑になってしまっている関係に、いい加減食傷気味なのかもしれない。
一歩自分の考えから身を引いて相手に気持ちを寄せてみる、のは難しいことだろうか。
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【紀伊國屋書店Kinoppy & 光文社古典新訳文庫 Readers Club読書会 #56】「『三酔人経綸問答』から読み解く”東洋のルソー”中江兆民の現代性」 講師:鶴ケ谷真一さん
自由平等・絶対平和の追求を主張し譲らない洋学紳士君と、軍備拡張で対外侵略すべしと激する豪傑君。 受けて立つ南海先生の持論は二人に「陳腐」と思われてしまうのですが……。 三人の酔っ払いが正論あり、暴論あり、極論ありで討論したすえの結論はいかに? 東洋のルソーと呼ばれ、自由民権運動の理論的指導者であった中江兆民が、近代国家としての日本が抱える問題、とるべき進路について、自らの真意を絶妙な距離感で「思想劇」に仕立てたのが、今回取り上げる『三酔人経綸問答』です。 余命一年半を宣告されてのち、自らの思いを綴った『一年有半』とあわせ、兆民の思想の先見性と現代性について、また人物としての魅力についても訳者の鶴ケ谷真一さんに語っていただきます。 (聞き手:光文社古典新訳文庫・創刊編集長 駒井稔)
光文社古典新訳文庫が紀伊國屋書店電子書籍Kinoppyとコラボレーションして開催するReaders Club読書会(Reading Session)、第56回です。
○日時:2019年9月26日(木)18:30~ (開場18:15) ○場所:紀伊國屋書店新宿本店 9階イベントスペース ○定員:50名 ○参加費:無料 ○参加方法:2019年9月5日(木)午前10:00より2階レジカウンターにてご予約を承ります。お電話でのご予約も同日より承ります。 ○お問い合わせ 新宿本店2階カウンター 03-3354-5702
*イベントは1時間30分~2時間程度を予定しております。 *トーク終了後ご希望の方には講師の著書・翻訳書にサインをお入れします。 *19:30以降の入場はお断りさせて頂く場合がござい��す。あらかじめご了承ください。
【プロフィール】 鶴ケ谷真一 1946年東京都生まれ。エッセイスト。早稲田大学文学部卒業。 訳書に『三酔人経綸問答』『一年有半』(中江兆民)、著書に『書を読んで羊を失う』(第48回日本エッセイスト・クラブ賞)『猫の目に時間を読む』『古人の風貌』『月光に書を読む』『紙背に微光あり』『記憶の箱舟:または読書の変容』などがある。

イベント情報の詳細はこちら
from honyade.com https://ift.tt/2lztXMd
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倫理ツイート
@ttwrite: 『「いき」の構造』『経済学・哲学草稿』『三酔人経綸問答』『職業としての学問』『渋江抽斎』『プロテスタンティズムの倫理��資本主義の精神』。ちなみに、私が読んだことあるのは11個で、トライしたことがあるのは10個。ただし、前者はすべて #新潮文庫 で読んでる、なぜか。。#岩波文庫 from http://twitter.com/ttwrite
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Quote
二つの国が戦争を始めるのは、どちらも戦争が好きだからではなくて、じつは戦争を恐れているために、そうなるのです。こちらが相手を恐れ、あわてて軍備をととのえる。すると相手もまたこちらを恐れて、あわてて軍備をととのえる。双方のノイローゼは、月日とともに激しくなり、そこへまた新聞というものまであって、各国の実情とデマとを無差別に並べて報道する。はなはだしいばあいには、自分じしんノイローゼ的な文章をかき、なにか異常な色をつけて世間に広めてしまう。そうなると、おたがいに怖れあっている二国の神経は、いよいよ錯乱してきて、先んずれば人を制す、いっそこちらから口火を切るにしかず、と思うようになる。そうなると、戦争を恐れるこの二国の気持ちは、急激に頂点に達し、おのずと開戦になってしまうのです。今も昔も、どこの国も、これが交戦の実情です。もし片一方の国が、ノイローゼにかかっていないときは、たいていのばあい、戦争にまではならず、たとえ戦争になっても、その国の戦略はかならず防衛を主とし、ゆとりがあり、また正義という名分を持つことができるので、文明史のうちに否定的評価を記入されることは、けっしてないのです。 中江兆民、『三酔人経綸問答 』、106~107ページ。
北朝鮮情勢:意図せざる不注意な戦争を避けるために - 海国防衛ジャーナル
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勉強メモ
野口良平『幕末的思考』
第3部「公私」 第1章 再び見いだされた感覚──第三のミッシングリンク1~4 ③

勉強メモ 野口良平『幕末的思考』 第3部「公私」 第1章 再び見いだされた感覚──第三のミッシングリンク1~4 ③
(あくまでわたくしのメモですので、読み間違っているところも大アリとおもいま��)
■前回までのおさらい
① 明治の三傑の後を継いだ伊藤博文は、「今の国民には憲法を考えるような頭はない」と判断。ブレーンと共に秘密裏に憲法を草案し、これを天皇から国民に下すことに。 それと同時に、国民たちに天皇への信仰を浸透させることで「国民意識」をもたせようと、「教育勅語」を発布。全国の小学校に「教育勅語ください」と言わないといけないような雰囲気を演出する。
この政府のやり方に対して、思想家たちはどう対抗したか、
②と③で中江兆民と、福沢諭吉の思想的格闘が紹介される。
②中江兆民は『三酔人経綸問答』を書いて、「理想主義の洋楽紳士」、「侵略主義の豪傑くん」、飲んだくれの思想家「南海先生」の3人が、これから近代日本がどうなるべきか意見を戦わさせてみた。けっきょく正解は出ないのだが、簡単ではない民主主義の難題を、絶えず語り合わねばならないことを提示した。
で、今回は、
③福沢諭吉が最晩年に書いて、友人と、自らが批判した勝海舟、榎本武揚にだけ送った(死語に新聞に掲載)「瘠我慢の説」です。
■ 「天保の老人」福沢諭吉
国会と憲法が準備されつつあったこの明治20年代初頭、「幕末を知らない」若い世代の論客が登場し始めていた。
20代の徳富蘇峰(徳富蘇峰というと、弟の蘆花と違ってごりごりの国粋主義ジジイという印象がありますが、最初は自由とか民権をまじめに考える人だったみたい)などがぶいぶいいわすようになる。 「天保の老人はひっこめー」みたいな論調も。
だけど、 伊藤博文たちによる「上からの憲法」の危なさを鋭くかぎとり、問題点を書き記したのは、若い徳富蘇峰たちではなくて、「天保の老人」である福沢諭吉だった、そうです。
『痩我慢の説』を紹介する前に、
私が個人的にちょっと思ったのは、これはどっちかというと社会的に強い立場の人、エリートの人たちに向けた提言だろうな、ということです。
人生ですっと虐められたり踏みつけられ通しで、もう我慢も限界!!(現代日本人にはこの状態の人が多いと思う)の者からみたら、「は? 痩せ我慢? それどこじゃねえ!」 「寝ぼけてんのかこの1万円おやじ!」と思うかもしれません。
なので、そう思うのはちょっと脇へ置いて、���まはひとまず福沢の鋭さのポイントを聞きましょう。
やっぱり福沢は、凡百の“上から目線おじさん”ではないのです。
■公は私情
人間は自由だ。
でも、強い人も弱い人も、誰もが住みよい世の中をつくるのには、法(ルール)が必要だ。 なのだけど、「ルールが必要。強い人たちも弱い者イジメをする自由を手放し、従いなさい!」という理屈の根本は何か。それは自由の侵害にならないのか。
ルソーと中江兆民は、それは強者だけが自由を謳歌する、力づくの「自然状態」がまずいからだ。と位置づけた。 だが、それだけだろうか。 (ここ、じつは未消化です)
福沢は「痩我慢の説」でこういっているそうだ。
「公をつくるのは私情だ」と。
え? なになに?
私情とは、何かというと……
「そんなのおかしいよ、そういうのってよくないと思う」という、状況に対する個人の気持ち。
これを 「感情的になるな」とか 「現状はこうなんだから仕方ない、この方が便利だしうまくいく、変なことにこだわるな」 「うるさい」「意地を張るな」 といって退けてしまっていいのか。
損得利害、大義名分からだけつくられた法は、「悔しい思いをする人たち」からのチェックが働かなければやがて一人歩きするだろう。 (そんなこと著者はいってないかもしれません) 気がついたら誰にも便利じゃなくて悲惨な状態に追い込まれているかもしれない。
ここへきて、戊辰戦争の時、江戸の街を戦火から守った勝海舟を、著者があまり評価していないようだった理由がわかってくる。
勝海舟は、戦争を止めたのは偉かったし、そのおかげで、日本列島は欧米列強の食い物にならないですんだのかもしれない(内乱が泥沼になったら、フランスが幕府に、イギリスが薩長について内乱を助長し、その結果、日本列島を植民地に分割(山分け)……なんてことになってたかもしれない)
けれど「そんなの理不尽だ!」と勝てる見込みがないのを承知で抵抗せざるを得なかった幕臣方の思い(私情)を、無価値にしてしまったことには、勝海舟は責任がある、と。
戦争は極力避けるべきだが、かれらを「益のない戦争をした時代遅れの人」とくくってしまうなら、それは何か大事なものを見失うことになるだろう、と。
福沢の言う「痩我慢」とは、「おかしいだろ」と思うときに、「その方がトクだから、ま、いいか」という方をあえてとらず、損をこうむっても「いやだ、そんなのおかしい」という姿勢を大事にすること。
福沢��、消されようとしている「幕末の経験」を次世代に伝えなければと思ったに違いない、という。
黒船に迫られ、古い身分制度の社会に限界を感じ、行動し考えた幕末の人々は、《「私」意外に何一つ支えがない場所》にいた。
そのことを忘れないでほしい。と。
上から「与えられた」憲法に「おい、ちょっと待てよ」と疑問を感じ、口にすることを忘れないでほしい、と。 このあぶない顕密システムを見はるには、この姿勢こそが大事なのだ、と。
■これはあれだ!
「そんなのおかしいだろ!」 という私情から始まってこそ、理のある「公」が育つのではないか。という、哲学者ならではの省察。
それでハッとしたのですが、
この「私情」ってやつ、あれじゃないですか!
福沢の死後、70年。 「三食昼寝つき」 「家電は揃ってるし、インスタント食品は出てるし、女は極楽だろ、何の不満がある?」 「永久就職、いいねえ」 といわれ、それでも 「おかしい、なんかいやだ」 と言い合ったウーマンリブたちの合い言葉。
「個人的なことは社会的なこと」
もちろん、ウーマンリブの考えは、苦しみ、必然から生まれたもので、おそらく福沢諭吉の影響なぞは受けていないだろう。
むしろ、福沢がすごいのはそこかもしれない。 70年も前の“上から目線おじさん”(デフォルトマン)でありながら、この真実を見いだせたってこと。
福沢は「日本の女は売春婦になって海外へ繰り出せ」(?)とか言って、心ある女性たちに嫌われてるし、私も全然興味がなかったのですが、決して一面からだけで判断できる人ではないし、書き残した者もたくさん校訂つきで残っているのに、それをまるで読まないなど、下からの“上から目線”といわれてもしかたない、と反省しました。
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