#世界樹の守り人
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【2024/9/15発売】 世界樹の守り人~異世界のすみっこで豊かな国づくり~
『世界樹の守り人~異世界のすみっこで豊かな国づくり~』 ( 著:えながゆうき先生 発行:GAノベル )カバーイラスト
GAノベル『世界樹の守り人~異世界のすみっこで豊かな国づくり~』書籍情報
WEB小説投稿サイト「カクヨム」連載中『世界樹の守り人』(著:えながゆうき先生) 挿絵を担当させて頂きました
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昭和の大修理の際の西岡常一棟梁の言葉をまとめた、「法隆寺を支えた木」をぜひ読んでみてください。 1400年経ったヒノキにかんなをかけると、新品のヒノキと同じ香りがするそうです。 瓦屋根の下地には、杉の樹皮が使用されていますが、これも1000年以上前のものだそうです。 1200年前のヒノキですが、新品のヒノキと同等の強度があるという実験が紹介されていました。 ヒノキは、切り出した後から、結晶化が進行し、強度を増していくそうです。 もっとも強度が上がるのは、切断した約200年後。 すべての結晶化が終わってから、強度の劣化が始まると想定されていますが、 1200年経った、現在、切り出したときと同じ強度にまで強度が低下したのではないか、ということでした。 五重塔は、芯柱が子供がしゃがめるぐらい?浮いているらしく、 西岡常一さんは、「たぶん建築中に腐ってきたから、切断したんじゃないでしょうか?」とおっしゃっていました。 キッチンも御風呂場もなく、冷暖房による結露も発生せず、通気性抜群で、雑草はもちろん、日差しを遮る樹木もな��ような状況であれば、木材は腐るはずがありません。 法隆寺だけではなく、薬師寺の如来、菩薩、東大寺の仁王像、興福寺の阿修羅像、古くからある仏像などは、細い指先までも、一切腐りません。 それより不思議なのは、弥生時代の遺跡から、地下水につかった状態の杉で作られた舟が残っていたり、古墳時代からきれいな壁画が残っていた高松塚古墳を現代人が発掘し、以前と同じ環境を人工的に作り出したら、大量のカビが発生して、壁画が消えかけてしまったりすることのほうが不思議です。 法隆寺では鉄をたたいて作った釘が現在でも活躍しています。 いったん、外したのですが、同じような釘を作ろうとすると、とてつもない手間がかかるようで、同じものを使用することにしたそうです。 なんでも、鉄を何層にも重ねてたたき、さらに重ねてたたくことによって、木の年輪のように作り、奥までさびが進行しないようになっているそうです。 法隆寺に至るまでにたくさんの寺社仏閣が建てられましたが、いずれも数十年で腐ってしまいました。 山田寺など。 現在でも、木曾のヒノキを使用して、伊勢神宮が作られますが、20年ごとに建て替えています。 原因は、ヒノキの柱を地面に埋める工法を採用しているからです。 法隆寺を含めた古いお寺は、仏様を守りたいという先人たちの知恵の結晶なのでしょう。 最近では、現代人が文明を持ち込むため、たくさんの木造建築が破壊されています。 法隆寺の昭和の大修理では、金堂壁画の絵を模写して、保存しようとしていた人が、寒いからと暖房器具を持ち込んだために火事が発生し、法隆寺の金堂は全焼してしまいました。 金閣寺は、放火によって、全焼してしまいました。 東大寺の南大門は、クレーン車が、通行する際に、クレーンが上がったままになっていることに気づかず、南大門の主要建築材に多大なる破損を与えてしましました。
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1961年 映画「釈迦」
監督:三隅研次
脚本:八尋不二
舞台美術:伊藤熹朔
音楽:伊福部昭(演奏:東京交響楽団)
製作:大映(大映京都撮影所)
出演:本郷功次郎、チェリト・ソリス、勝新太郎、市川雷蔵、山本富士子、川口浩、中村玉緒、京マチ子、山田五十鈴、杉村春子、東野英治郎、中村鴈治郎、市川壽海、市田ひろみ、榊原舞踏団、大阪松竹歌劇団ほか
日本初の総天然色シネマスコープ70mmフィルムによって製作された釈迦の生涯を描いた作品。
「天上天下唯我独尊」
紀元前5世紀、インドのカビラ城でジッダ太子(釈迦)が生まれる。
ジッダが生まれた時、近くにいた修行僧のアシュダ仙人が、後にこの子が世界を救う人物になると予言する。
大人になったジッダ太子(釈迦)は結婚して幸せな毎日を送る中、お忍びで街を見て歩くと、そこには身分差別で虐げられる多くの平民の姿が・・。
それを見たジッダ太子は、貴族の王子である自身の恵まれた環境に疑問と無常感を覚え、悩んだ末に王の座を捨てて出家し、修行の旅に出る。
やがてジッダは菩提樹の下で6年間の瞑想の行��入ります。
厳しい修行と瞑想の最中、森からは様々な魔羅(釈迦が悟りを開く禅定に入った時に、瞑想を妨げるために現れたとされる悪魔)が現れ、悟りの邪魔をしようと太子を誘惑して攻めてきますが、そこに帝釈天の化身である村の女サヤが現れてジッダを助け、遂にジッダは悟りを開き釈迦(ブッダ)となります。
(このシーンが現代舞踏芸術のようで見応えがある)
村では赤ん坊をさらって殺すことを繰り返すカリティという女の夜叉が、釈迦の仏術によって自らの子供も同じ目に合わせられ悲しみに暮れる中、釈迦が現れ、殺生の愚かさを諭され改心して釈迦の重臣的な弟子となります。
干ばつの時には雨を降らせ、時には盲目の王子の眼に光を甦らさせ、釈迦の許には国中から教えを乞うて人々が集まるようになり、それに嫉妬した従兄のダイバ・ダッタはバラモン教・シュラダ行者の下で修業し神通力を得てブッダと壮絶な戦いをします。
ダイバ・ダッタが無実の罪で仏教徒を火刑の生贄にしようとするのを見た仏陀の怒りは奇跡を呼び、ダイバ・ダッタの造った神殿と共にダイバは地割れに呑みこまれていく・・。
もはや、釈迦が叶う相手ではないと悟ったダイバ・ダッタは涙を流しながら仏法の真理に降伏し釈迦の弟子となりました。
老いて、命もあとわずかとなった釈迦は、村の二本に並んだ沙羅双樹の間に横になり、
「比丘たちよ、今こそおまえたちに告げよう。諸行は滅びゆく。怠ることなく努めよ。」
との最後の言葉を弟子と信者に残し静かに入滅しました。
比丘とは:出家して具足戒(僧侶の守る戒律)を受けた修行者を指す言葉
釈迦役の本郷功次郎は悟りを開いた後、ほとんど姿を現さない独特な表現で描かれ、神々しさが倍増してました。
(確かに、こういうのってなかなかのセンスだよね)
のちに「五比丘」と呼ばれる一番弟子や十大弟子などの釈迦の高弟たちも登場します。
歌舞伎や新劇、大映スターなど、当時の人気俳優総出演の和製「スパルタカス」のような壮大な映画で、セットにも尋常じゃないくらいお金がかかっているのがわかります。
アニメーションもしばしば登場していますが、これはピープロダクションのうしおそうじ氏の作品だそうです。
精巧な作画を実景に合成する「作画合成」は、合成作画技師・渡辺善夫が担当。
「生合成」という特殊手法合成の第一人者で��。
シネマスコープ70mmフィルムの現像は当時日本で出来なかったため、英国のロンドン・テクニカラー社のラボラトリーで現像。
(当時、相当金かかったろうな)
劇中音楽は京都のスタジオで録音され、こちらも英国の「RCA」スタジオでミキシング・トラックダウンされました。
(「RCA」って超一流スタジオじゃないですか!)
釈迦の生涯を描く大作映画の制作は国際的な話題となり米国の雑誌「タイム」誌の1961年8月11日号では、細かなシノプシスが紹介されたそうです。
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Legends and myths about trees
Celtic beliefs in trees (24)
Ss for Straif (Blackthorn) - Samhain/Hallowe'en, opening the veil between this world and the spirit world…
“Mother of the Forest – The Celtic Tree Calendar (Ref), The Beginning of Winter”
Colour: red; Star: Mars, Saturn; Gemstone: black opal; Gender: female; Patron: Morrigan; Symbol: inevitability of death, protection + revenge, discord + insidiousness
Blackthorn forms vigorous young trees from the roots, from which dense, thorny bushes grow in dense clumps. Armed with sharp thorns, which can damage human skin. It already starts flowering in early spring, at the beginning of March, and with the onset of winter it produces black berries, commonly known as 'sloes'.
Samhain is the most important festival in the Celtic world, celebrated on 1st November to mark the beginning of winter and therefore the new year. The name 'Samhain' means 'end of summer'. The seasons change from summer to winter (the time of the dead) with this festival. It is a period of short days and darkness, but it is a necessary period for nature to enter a peaceful rest and welcome the bright spring. In the calendar of agricultural societies, this is an important stage for the germination of crop seeds.
Samhain was the solemn festival, when fires were lit and sacrifices were offered to gods such as Taranis and Teutates. Importantly, it was believed that on the eve of this day, 31 October, a passage between this world and the spirit world was opened, allowing inhabitants from the other world to come and visit this world freely and interact with humans in this world. However, while the comings and goings were sometimes favourable, it was also envisaged to be dangerous.
On the Samhain eve, children went from house to house to collect festive offerings. It was also customary to celebrate Samhain by placing a brightly burning candle inside a hollowed-out turnip at the entrance to the house.
Blackthorn is a tree traditionally used for black magic and witchcraft, and its thorns remind us of our own insidious roots. We must remember that we hurt ourselves and others in many ways. If we think about how to avoid hurting each other and courageously face our own insidious roots, blackthorn can guide us to overcome this dark side of our human nature and help us to return the debts of our hearts.
It also helps us to accept the fact that death is something from which no one can escape.

木にまつわる伝説・神話
ケルト人の樹木の信仰 (24)
SはStraif (リンボク) -サウィン/ハロウイーン、現世と霊界のヴェールを開く…
『森の母 〜 ケルトの木の暦(参照)、冬の始まり』
色: 赤; 星: 火星、土星; 宝石: ブラックオパール; 性: 女性; 守護神: モリガン; シンボル: 死の不可避性、保護+復讐、不和+陰湿
リンボクは根の部分から活力のある若木を形成し、ここから棘だらけの茂みがびっしりと密生する。鋭い棘で武装したリンボクは密生した藪をつくり、人間の肌を傷つける。3月初旬、早春にもう花をつけ始め、冬の訪れと共に、通称「スロー」という黒っぽい実がなる。
サウィンとは、ケルト世界で最も重要なお祭りで、11月1日に冬の始まり、つまり新年の始まりを祝う。「サウィン」とは「夏の終わり」を意味する。この祭りを境に季節は夏から冬(死者の時期)に変わる。日が短く暗い時期だが、自然が穏やかな休息に入り、明るい春を迎えるために必要な期間である。農耕社会の暦では、作物の種が発芽する重要な時期でもある。
サウィンは最も重要な厳粛な祭りで、火が焚かれ、タラニスやテウタテスといった神々に生贄が捧げられた。重要なのは、この日の前夜、10月31日に現世と霊界を結ぶ通路が開かれ、あの世の住人が自由に現世を訪れ、現世の人間と交流できるようになると信じられていたことだ。しかし、その行き来は時に好ましいものであったが、危険なものであることも想定されていた。
サウィンの前夜には、子供たちが家々を回り、お祝い用のお供えを集めた。サウィンを祝って、内部をくり抜いたカブの中に、明るく燃えたろうそくを立て、家の入り口に飾る風習もあった。
リンボクは伝統的に黒魔術や呪術に使われる木であり、その棘は私たち自身の陰湿な心根を思い起こさせる。私たちは、さまざまな形で自分自身や他人を傷つけていることを忘れてはならない。どうすれば互いを傷つけずにすむかを考え、勇気を持って自分自身の陰湿な心根と向き合えば、リンボクは人間が持つこの暗い側面を克服するように導いてくれ、心の負い目を返上するように導いてくれる。
そして、死は誰も逃れることのできないものであるという事実を受け入れる助けにもなってくれる。
#trees#tree legend#tree myth#folklore#mythology#legend#celtic tree calendar#celtic world#time of the dead#winter#halloween#samhain#nature#art#turnip
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千年の誓いの果てに
At the End of a Millennium Vow
千年の誓いの果てに 滅びの運命訪れる
At the end of a millennium vow, a fate of ruin came to call
千年樹は常に見ていた
The Millennium Tree was always watching
人が紡いだ罪と罰の歴史を
This history of crime and punishment that humanity has woven
.
むかしむかしクライ森の奥で
Once upon a time, deep in a dark forest
出会ったイブに恋をした
I met Eve, and fell in love with her
彼女に僕は赤い木の実の
I taught to her the location
在処を教えてあげたのさ
Of red fruits from the tree
.
それが全ての罪の始まりだった
That was the beginning of all sin
.
放たれた七つの光を
It unleashed seven lights
時の魔道師が
And the sorceress of time
追い求めた
Pursued them
.
十年の狂気の果てに 罪の悪魔が動き出す
At the end of a decennium madness, the demons of sin begin to move
とても小さく ひ弱な僕の
As I was in the body of a very small,
コマドリの体では なにもできなかった
Delicate robin, I couldn't do anything about it
.
時の魔道師は弟子を求めて
The sorceress of time sought an apprentice
僕が候補に選ばれた
I was selected as a candidate
人に転生したその姿は
Reincarnated into a human, my appearance
恋したあの娘を模したもの
Was modeled after that girl I had loved
.
そして「僕」は「私」へと変わった
And so "I" became "me"[1]
.
人として生きる喜びを
Little by little
少しずつ
I was beginning to understand
わかり始めていった
The delight of living as a human
.
気弱な少女 優しい召使
That timid girl, that kind servant
様々な出会いを通して
Through all these various meetings,
忘れかけてた 罪の足音
I almost forgot all about the sin
私の背後にいつのまにか迫っていた
But before I knew it, its footsteps came creeping up behind me
.
胸の凶刃 嗤う刺客は
That assassin who sneered at the dagger in my chest,
悪ノ娘の手先なのか
Were they a pawn of the Daughter of Evil?
力尽きた私の身体は
Drained of all strength, my body
小さな苗木に変わっていた
Was changed into a small sapling
世界を見守ろう 森の大樹として
I would watch over the world, as the great tree of the forest
.
百年経ったある日の事 森に現れたのは あのイブだった
Then one day after a hundred years had passed, who should appear in the forest again but Eve
.
五百年の騒乱の果てに「私」は「私」と再会する
At the end of a quincentennial turmoil, "I" reunite with "myself"
時の魔道師は イブを取り込み
The sorceress of time took Eve into herself
やがて全てはとある一つの憤怒へ
And eventually everything turns to a certain wrath
.
父を憎んだ不幸なネメシスは
Hating her father, the unhappy Nemesis
いつしか世界の王となった
At some point became a ruler of the world
そして彼女は 世界をも憎み
And then, hating the world too,
全てを「罰」の 炎で包んだ
She engulfed everything with the fires of "punishment"
.
それが全ての罪の終焉だった
That was the end of all sin
.
荒野と化した世界でも 私の心は まだそこにある
Even in this world that's became a barren wasteland, my heart is still there
.
千年の誓いの果てに 滅びの運命訪れる
At the end of a millennium vow, a fate of ruin came to call
千年樹は常に見ていた
The Millennium Tree was always watching
人が紡いだ罪と罰の歴史
This history of crime and punishment that humanity has woven
.
千年の誓いの超えて 今こそ歌お��皆と共に
Surpassing this millennium vow, now I shall sing, with everyone
そして世界は生まれ変わる
And so the world will be reborn
君らが望む それぞれのユートピアへ
Into the various utopias that you all wish for
.
This has come up other times as well but Michaela is referring to her change from spirit to human through her change in gender pronouns, from "boku" to "watashi"
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2014年、ウクライナにアメリカの傀儡政権を樹立させたバイデンと「クッキーを配るヌーランド」
遠藤誉
中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士
2022/5/1(日) 21:34
2013年末、親露政権を倒すべくバイデンはウクライナ国民を焚きつけたが、部下のヌーランドが傀儡政権を画策している録音がリークされ、ウクライナ国民を懐柔するためにクッキーを配っている証拠写真もある。この時ウクライナは中国に助けを求めた。
◆クッキーを配ってウクライナ国民を懐柔するヌーランドの写真
日本には「飴(あめ)をしゃぶらせる」という言葉があるが、さすがアメリカ。
「飴」ではなく、「クッキー」を配ってウクライナ国民の投票行動に影響を与えようとする発想に、まず驚く。
他国への内政干渉であり、また選挙のために物品や金銭を配るという行為は、民主主義国家では禁じられているはずだが、「クッキー」はひとつの象徴に過ぎず、裏では大金が動いていた。
日本には公職選挙法があり、選挙区内でウチワを配布しただけで法務大臣が辞任にまで追い込まれた例もある(2014年、松島みどり元法務大臣)が、当時のバイデン副大統領は、おおっぴらに「他国の内政に関与する選挙運動」を展開していたのだ。
2013年11月21日の夜、ウクライナのキエフ(現在はキーウと表記)にあるマイダン・ネザレジノスティ (独立広場)で、激しい抗議活動���始まっていた。ウクライナ議会が、「EUとの連合協定」調印の中止を発表したのがきっかけだった。この詳細を書くと非常に長くなるので、ここではヴィクトリア・ヌーランド(当時のオバマ政権の国務次官補。現在のバイデン政権の国務次官)の「クッキー配りの写真」に焦点を当てて考察したい(詳細は『ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略』の第五章にある「年表」の前後をご覧いただきたい)。
抗議行動は2014年2月に親露政権のヤヌコーヴィチ大統領がロシアに亡命するまで続いた。
これを「マイダン革命」という。
この「マイダン革命」勃発には、オバマ政権におけるバイデン副大統領やその部下に相当するヌーランドが関係しており、親露政権を倒して親欧米政権を樹立することに奔走していた事実を疑う人は今では少ないだろう。
なんと言っても、2015年1月31日、CNNのインタビューで、当時のオバマ大統領が「(ヤヌコーヴィチ政権転覆のための)クーデターに、背後でアメリカが関与していた」という事実を認めたのだから。
このことは、ロシア研究の最高権威である下斗米(しもとまい)伸夫教授(法政大学)も、平成28年3月に公益財団法人日本国際問題研究所が出した報告書〈平成27年度 外務省外交・安全保障調査研究事業「ポストTPPにおけるアジア太平洋地域の経済秩序の新展開」 ロシア部会「アジア太平洋地域における経済連携とロシアの東方シフトの検討」〉の「第1章 曲がり角に立つロシア・2016年」で認めておられる。
さて、興味深いのは、そのときのヌーランドがクッキーを配る写真があることだ
(2013年12月に、ロイターの記者Andrew Kravchenkoが撮影)。リンク先をご覧いただければ確認できるが、念のため、このページに「動かぬ証拠」を貼り付けたいと思う。
まず一枚目。
出典:ロイター
配っている相手が、ウクライナ政府側の機動隊なのだろうか。差し伸べられた「クッキー」を、「嫌がっている」表情が見てとれる。「ほら、食べなさいよ、おいしいよ」と言っているヌーランドの声が聞こえそうだが、機動隊はニコリともせず、受け取ろうともしていない。当然だろうが、抗議デモを鎮圧しようとしている機動隊にまでクッキーを配って懐柔しようとしているのは、如何に熱心であるかを表していて、注目に値する。
ヌーランドの横で、同じくクッキーを配っているのは、駐ウクライナのアメリカ大使Geoffrey Pyatt(ジェフリー・パイアット)だ。
2枚目。
出典:AP
この写真では、ヌーランドがやや不機嫌に「あなたたち餓えてるんでしょ?こんなにクッキーがあるのに、受け取らないの?」と言っているような気配を漂わせている。背景にあるキエフの街が暴動で瓦礫(がれき)と化しているところを見ると、最初の暴動が起きた2013年11月21日以降に撮影されたものだろう。事実、撮影時は2013年12月となっている。「今から新政権を樹立するための選挙が行われる」という前のことになる。
3枚目。
出典:ロイター
3枚目の写真は親欧米派に囲まれた���きの情景なのだろうか。
少なからぬウクライナ国民が喜んでクッキーを受け取ろうとしている。積極的に動いているのは、やはりヌーランドで、駐ウクライナのアメリカ大使は、その行動を受け入れる姿勢で(温かく?)見守っている。
これらの証拠写真により、オバマ大統領が「(親露政権打倒のための)マイダン革命にアメリカが関与していた」という趣旨のことを言ったことが「事実であった」ことを、私たちは確認することができる。
こういった写真を残す行動に、ジャーナリストの高い意識と理念が伝わってくるようで、撮影した記者に尊敬の念を抱く。
◆ヌーランドが親米の傀儡政権人事を決めていた音声録音
「たかがクッキーを配っているだけじゃないか」と思う読者がいるかもしれないが、実はそれだけではない。
ヌーランドが、新しく樹立させようとした親米のウクライナ政権に関して、人事まで決めていた会話が録音されてリークされた。そのお陰で、いま私たちはヌーランドの生の声を聴くことができる。会話の相手は前述の写真に出てくる駐ウクライナのアメリカ大使だ。
リークされたのが「2014年2月4日」で、実際に会話が交わされたのは「2014年1月末」とのこと。
ヌーランドが会話の中で列挙しているウクライナ政界の人物は「ボクシングの元ヘビー級世界チャンピオンであるクリチコ」や「ヤッツ(アルセニイ・ヤツェニュク)」などで、彼女は「ヤツェニュク」を、「経済経験のある人物」として評価している。のちに発足した親米のポロシェンコ政権で、「ヤツェニュク」は首相に就任している。
親欧米というより、「親米」と書いたのは、ヌーランドが録音された会話の中で、"Fuck the EU"(EUのクソったれ!)と言っているからで、ヌーランドはEUに激しい不満を抱いているからだ。したがって、「アメリカの言いなりになってくれさえすればいい」と考えていたことが推測され、アメリカの傀儡政権を樹立させるために、バイデンやヌーランドが動いたと見るべきだろう。
会話の信憑性に関して、アメリカ民主党の議員の何名かは「まちがいなくヌーランドの声だ」と認めているし、サキ報道官も「この録音は本物ではない」と言わなかったことから、録音された会話は本物だったと解釈される。
何よりも、ヌーランド自身がEUを罵(ののし)ったことを謝罪しているので、疑う余地はないだろう。
大統領代行時代を経て、2014年6月7日に新しく大統領の座に就いたのはポロシェンコである。6月4日、ヌーランドとアメリカ大使は、ポーランドのワルシャワでジョン・ケリー米国務長官と会談する前に、大統領に当選したポロシェンコにお祝いの挨拶に行っている。
その写真を以下に示す。
出典:米国務省
アメリカの意のままに動くポロシェンコ大統領は、のちにバイデンの息子ハンター・バイデン(当時、ウクライナのエネルギー最大手プリスマ社の取締役)がスキャンダルで捜査を受けていたとき、捜査を担当している検事総長を解任せよ��バイデンに言われ、実際に解任している。解任しないとウクライナへの10億ドルの融資を撤回すると脅迫されたからだ。
この事実は、解任された検事総長がメディアにばらしたことによって明らかになった。
これを傀儡政権と言わずして、何と言おう。
◆マイダン革命を受けて習近平に会いに行ったヤヌコーヴィチ大統領
時間的に少しさかのぼるが、マイダン革命が起きるとすぐに、ヤヌコーヴィチ大統領は北京に駆け付け、習近平に会って「中国ウクライナ友好協力条約」を締結している(2013年12月5日)。下に示すのは、その時の写真である。
出典:新華社
というのは、ヤヌコーヴィチは大統領に就任して間もない2010年6月に「中立を保ちNATOに加盟しない法律」を制定しているからだ。マイダン革命により辞任に追われることは明白だったので、「核」を放棄してしまっているウクライナとしては、安全保障を如何にして担保するかが、次の問題になるため、中国に「核攻撃を受けた場合に、中国がウクライナを守る」という保障を得たかったのである。
親米のポロシェンコ政権になっても、また現在のゼレンスキー政権になっても、「中国ウクライナ友好協力条約」は撤廃されていない。バイデンにとってはロシアを倒したいのであって、中国との友好条約を撤廃しろとは言ってないことが何とも興味深い。*(注)
核に関する問題は、3月29日のコラム<プーチンが核を使えば、習近平はプーチンを敵として戦わなければならなくなる――中ウ友好条約の威力>で考察したが、新しい情勢におけるさらなる考察は本論のテーマと異なるので、また別の機会に譲りたい。
*(注)なぜ中国なら大丈夫と思っているかというと、バイデンはNATOを支配していたいからで、NATOをまとめるには「巨大な共通の敵」がいないとならないからだ。それが「ロシア」であって、NATOは「中国」という敵がいてもまとまらない。なぜ中国ではまとまらないかというと、NATOはそもそも旧ソ連に対抗するために結成されたものであり、中国とは距離的にも遠くかけ離れていたので中国を相手にしていなかったからだ。
一方、NATOが存在しないとアメリカの存在価値は低くなり、武器も輸出できなくなるが、共和党のトランプ(元)大統領は「NATOなど要らない」として「NATO不要論」を前面に押し出していた。その代りに「アメリカ・ファースト」で「アメリカという国家の存在」を強く位置づけているところが「戦争ビジネス」をバックボーンとするバイデンと違うところだ。




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9/20
ひさしぶりに日記を毎日書こうと思って書いてみている。手の甲の血管が浮き出てきていて歳をとったことを感じた。
しばらく虹を見ていない。昔、お母さんに「さいきん虹を見ていない」と話したその日の夕方、偶然にも空に虹がかかった。バイアスでしかないけど、でもわたしはその日から世界が大好きになった。生い茂る緑、海の匂い、音、海風でほどいた髪の毛がざらつき、わたしの瞳は降り注ぐ光を受けとめて輝く。裸足になって��むらを歩くと意外と痛いのしっている?海辺に咲く紫色の花はハマゴウといって「慎ましさ」という花言葉があるらしい。そのハーブに似た爽やかな香りを乾いた風がじゅうたんみたいに辺り一面に敷いて、わたしはその上でしばらく仰向けに寝転んでいた。こういう日々が続けばいい。ずっと空を見ているとだんだん波の音が遠くなっていって、心が晴れやかに、まっさらに、洗われていくような気がした。焼けた太腿に小さい虫が止まっているのを見つけて、でも払わずにそのままにしておく。海水で濡れた純金のネックレスが冷たく光る。美しさはときに暴力性を内包しているというけれど、それは果たしてほんとうだろうか?そしたら一体やさしさってなんだろうとか考えて、結局わからなくて、そのまま目を閉じた。
この間、地元で祭りをやっていた。暮れ方の天上に鳴り響く太鼓のずっしりした低音がわたしの心臓を突き動かす、ぶわあっと鳥肌がたつ。ルフィがニカになるとき、みたいな、変な感想しかでてこないけど、ぶるぶる震えて、数百年前にこの土地に根付いていた命と生活が古い映画みたいに巻き戻されていく。
こういう人間の生き延びるための知恵とそれを豊かにするほんの少しの遊び心が好きだと思う。草花を薬や香料として使ってみたり、魚の捌き方にも美しさがあったり、ほかにも樹皮を削って煮出す染料や蔓を編んで作る工芸品、鉱石が光るアクセサリー、その土地に根付いた神話、祭りの文化、民族音楽、スポーツ、踊り、花言葉と星座。たまにパズルのピースみたいな全てがぴたりと当てはまっている感覚になるときがある。街を歩いている人々がそれぞれ違う仕事をしていて、でもそれがちょうどいいバランスなのが不思議。宇宙飛行士になる人生も、突き詰めてイルカの生態を研究する人生も、ガラス職人になる人生もあって、それのどれも選ばない人生もある。運命がちょうどいいぐあいで溶け合って交わりあって世界が狂わずに前進しているのにぼんやり感動する。
ここ2年くらい広告会社でインターンをしているのだけど、世の中には目には入らないだけでこんなにも画期的で素晴らしいサービスが溢れているんだ、ということを日に日に実感する。そしてその作業の工程の数だけ、商品の数だけ、研究内容の数だけそこに携わりながら頑張っている人がいて、その人たちのおかげで今の生活そしてこれからの生活が守られているということを考えていると、感謝の気持ちが溢れる。���たしは生かされてる。そういうところに気付ける大人になれてよかった。
地球の地熱資源を活用した発電方法で脱炭素化をめざす会社がある一方で、光合成生物の培養プラントを利用して温室効果ガスを資源化する会社もあって。感情データの解析する会社や、藻類の研究開発を通して天然の着色成分や健康や美容の分野において貢献する会社もある。「知らない」ということはものすごく無垢で尊いことだけれど、「知識」というのは身につけるだけで世界の見え方が多層的かつ複雑なあやとりみたいに緻密で繊細で豊かなことに気付けるのでもっと尊い。顔に現れる皺の数の分だけ、わたしの感性にはだれかの未来を良くしようとする想いや頑張りが刻まれる。けして自惚れず、わたしもこれからのだれかのために頑張っていきたいと思った。
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世界初、ドローンを避雷針代わりに利用するシステムを日本NTTが開発
牡丹堂 (著)・パルモ (編集)
日本の通信大手NTTが、驚くべき実験を成功させた。なんと、ドローンを使って雷を意図的に誘導することに成功したのだ。
これは世界初の快挙であり、制御が難しい現象の一つである雷を、空飛ぶ避雷針として人間の手で管理できる可能性を示した瞬間だった。
広告の下に記事が続いています
ドローン式避雷針は、危険な雷雲があればそこへ飛んでいき、強制的に雷を発生させることで機体に雷が落ちる確率を高めることができる。
よりアクティブに街を雷の被害から守ってくれる新時代の避雷針なのだ。
雷による被害を防ぐ新たな手段、ドローン 自然の放電現象である雷では、1度に家庭用の電力2ヶ月分(約400kW/h)に相当するエネルギーが放出されると推定されている。
つい先日も中学生が落雷に遭うという痛ましい事故があったように、それが落ちた時の影響も甚大で、NTTによると国内だけでも毎年1000億~2000億円の被害が出ているという。
危険な落雷から街を守るためによく利用されるのが避雷針だ。だが、この設備が有効に機能する範囲はかなり狭く、場所によっては設置できないこともある。
そこでNTTの技術者たちは閃いた。「ドローンを飛ばして、避雷針代わりにすればいいじゃない!」と。
それがNTTにより開発された「空飛ぶ避雷針」、耐雷ドローンである。
この画像を大きなサイズで見る 耐雷ドローン image credit:NTT 平均的な落雷の5倍の威力に耐える耐雷ケージ 空飛ぶ避雷針を実現するにあたり、解決しなければならなかったのは、落雷でドローンが撃墜されないようにすることだ。
たとえ雷を防いでくれても、壊れたドローンが落下してきたのでは、ちっとも安全ではない。
そこで考案されたのが、雷撃へのシールドとして機能する「耐雷ケージ」だ。
ドローン本体をアンテナのように囲むこの装備は、雷が直撃するとその電流を迂回させ、本体に流れないように作用する。
またこのとき雷の電流は放射状に流れ、電流によって発生する磁界を相殺するようになっている。これによって、ドローンは電撃だけでなく、磁力によるダメージからも守られる。
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その防御力は平均的な落雷の5倍の威力に耐えられるもので、150kAの電流でもドローンは故障も誤作動もしないという。
この画像を大きなサイズで見る 大電流・強磁界の耐雷化設計 image credit:NTT アクティブに雷を誘発するドローン誘雷技術 もう1つの工夫として、雷を誘導する「ドローン誘雷技術」も考案されている(ちなみに自然界にもあえて落雷を誘う樹木が存在する)。
これはドローン周囲の電界強度を高めることで、強制的に雷雲から雷を発生させる仕組みだ。
こうすることで、避雷針に偶然雷が落ちてくるのを待つのではなく、よりアクティブに落雷を予防できるようになる。
この画像を大きなサイズで見る 電界変動を利用した雷誘発技術の原理 image credit:NTT 島根県の標高900mの山間部で行われた実験では、雷雲から雷を発生させ、ドローンめがけて落とすことに成功。
耐雷ケージの一部は溶けてしまったが、ドローン自体は直撃後も飛び続けることができたそうだ。
雷エネルギーの有効利用も 今後の課題は、雷の発生位置を予測する技術の向上や、雷の発生メカニズムそのものの解明を通じて、ドローン誘雷の成功率をアップさせることであるそう。
さらにドローンで受け止めた雷エネルギーの有効���用にも取り組むとのことだ。
この画像を大きなサイズで見る ドローンを用いて街を雷被害から守り、雷エネルギーを蓄積するNTTのめざす世界 image credit:NTT References: 世界初、ドローンを使用した雷の誘発・誘導に成功 / Japanese Scientists Just Summoned Lightning with a Drone. Here’s Why
本記事は、海外の情報をもとに、日本の読者がより理解しやすいように情報を整理し、再構成しています。
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パルス!強力なレーザー光線を利用して雷を誘導させることに成功 #日本 #ドローン #世界初 #雷 #制御 今、あなたにオススメ
(世界初、ドローンを避雷針代わりに利用するシステムを日本NTTが開発 | カラパイアから)
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海鳴りの夜に
家から三分程車を走らせると海に辿り着く。
田んぼの真ん中にある高台の一番上が我が家で、坂を下ってはまた上がって国道を越え、砂防林を抜ければ目の前には海原が広がる。
そんな立地もあって海の鳴る音が時折聞こえる。
それは夏の浜辺で聞くような、さざ波程度のささやかな音ではない。
ごーごーと低い音が止めどなくずーっと鳴っていて、それは少しだけ恐怖をも感じる。
今くらいの時期から冬の終わり頃まで週に何日かはこの音を枕に眠りにつく。
海が荒れていたり風が強かったり、天気が崩れそうな時にこんなにも鳴るようで、それは冬やら一年の終わりの気配を感じさせる。
ただ一日一日を積み重ねていたらもう十月が終わりに近づいていた。
仕事でここのところ山奥の耕作放棄された棚田に行っているが、その周りの山々にある木の葉は針葉樹を除いて色が暖色に変わりつつある。
一番好きな季節であり、最も旅したくなる季節だ。
週末も出かけるために不在者投票へ行った。
小選挙区と比例では全く反対の党へ投票してきたが、それくらい今の政治は頼れるものがないように思える。
公約も似たりよったりで、���治や経済に疎い俺ですら実現性が見込めないと感じるものもあったりする。
何かを得るためには何かを犠牲にしなくてはならない。
高齢者を守りながら子育て支援をし、労働者の賃金を上げつつ法人を守る。これが全て実現出来るのならとっくの昔にしているだろう。
もっと現実的な公約でいいのになと俺は思ってしまうが、果たして国民の多くは半分泡沫の夢みたいな公約を望んでいるのだろうか。
色んな問題が山積みだけれど、裏金くらいで見限るのも何だか違う気がする。そんなの半世紀も前から変わらないんだから。
闇バイトで人を殺めて金を稼ぐような人を増やさないためにはどうしたらいいのだろう。
世界大戦が何度もあって、労働基準法が整備されていなかった二十世紀より、今の方が一人一人の命を大切にという時代なはずなのに、数十万で人を殺して金品を盗み挙句に自分は無期懲役か死刑になるなんて倫理観やら死生観が壊れている。
金には苦労したし借金もしたけれど、そんな事を考えた事は一度もないし、現実的ではない誘いなんて目にも止まらなかった。
窮鼠猫を噛むなんて言葉があるが、今じゃ窮者他人を殺るなのか。
今も鳴り続けている荒波の音よりも恐ろしい。
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千年の誓いの果てに - À la fin de ce vœu millénaire - At the End of a Millennium Vow
千年の誓いの果てに滅びの運命訪れる À la fin de ce vœu millénaire, sa destiné de destruction est arrivée. 千年樹は常に見ていた L’Arbre Millénaire continue de regarder inlassablement 人が紡いだ 罪と罰の歴史を L’Histoire des Crimes et Châtiments que les Hommes tissèrent.
History1 Histoire 1 罪 Péché
むかしむかしクライ森の奥で Il était une fois au fond d’une sombre forêt 出会ったイブに恋をした Je suis tombé amoureux d’Ève que j’ai rencontrée. 彼女に僕は赤い木の実の Je lui ai montré le chemin 在処を教えてあげたのさ Pour la mener vers les fruits rouges.
それが全ての罪の始まりだった C’est ainsi que tous les péchés commencèrent.
放たれた七つの光を La Magicienne du Temps parti à la recherche 時の魔導師が追い求めた Des sept lumières qui furent relâchées.
十年の果ての狂気の果てに À la fin de ces dix années de folie, 罪の悪魔が動き出す Les Démons des Péchés se mirent en marche. とても小さくひ弱な僕の Le Moi si faible et si petit コマドリの体ではなにもできなかった Avec un corps de rouge gorge, je ne pouvais rien y faire.
History2 Histoire 2 転生 Réincarnation
時の魔導師は弟子を求め La Magicienne du Temps rechercha des apprenties. 僕は候補に選ばれた Je fus choisi comme candidat 人に転生したその姿は Et avec la forme que j’eus en me réincarnant, 恋したあの娘を模したもの Je me mis à imiter la fille dont je suis tombé amoureuse そして『僕』は『私』へと変わった Ainsi le [Moi] fut changé en la [Moi]*.
人として生きる喜びを La joie qu’est de vivre en étant humaine, 少しずつわかり始めていった Petit à petit j’ai commencé à le comprendre.
気弱な少女 優し召使 Cette timide jeune fille. Cet aimable serviteur. 様々な出会いを通して Je fis de nombreuses rencontres. 忘れかけた罪の足跡 Mais les traces de pas des péchés oubliés, 私の背後にいつのまにか追っていた Sans que je ne le remarque, ils me pourchassaient.
History 3 Histoire 3 千年樹 Arbre Millénaire
胸の凶刃嗤う刺客は L’assassin riant qui planta sa lame dans ma poitrine 悪の娘の手先なのか Était-il un subordonné de l’Infante du Mal ? 力尽きた私の体は Mon corps n’ayant eu plus de force 小さな苗木に変わっていた Se changea en une petite pousse d’arbre.
世界を守ろう森の大樹として Je veillerai sur le monde tout étant un grand arbre de la forêt
百年経ったある日の事 Puis un jour, cent ans plus tard, 森に現れたのはあのイブだった Celle qui apparut devant moi dans la forêt était Ève.
五百年の騒乱の果てに À la fin de 500 ans de bouleversements, 『私』は『私』と再会する [Moi] et [Moi] se retrouvèrent** 時の魔導師はイブを取り込み Et la Magicienne du Temps finit par absorber Ève. やがて全てはとある一つの憤怒へ Enfin tout devint une seule et unique Colère.
History3 Histoire 3 罰 Châtiment***
父を憎んだ不幸なネメシスは La malheureuse Némésis qui détestait son père いつしか世界の王となった Devint finalement le Seigneur de ce monde. そして彼女は世界をも憎み Puis elle vint à détester aussi ce monde. 全てを『罰』の炎で包んだ Tout fut alors pris dans les flammes de [Châtiment].
それが全ての罪の終焉だった Avec ceci ce fut la fin de tous les péchés.
荒野と化した世界でも Même si le monde devint un désert aride, 私の心はまだそこにある Mon âme sera toujours ici.
千年の誓いの果てに滅びの運命訪れる À la fin de ce vœu millénaire, sa destiné de destruction est arrivée. 千年樹は常に見ていた L’Arbre Millénaire continue de regarder inlassablement 人が紡いだ 罪と罰の歴史 L’Histoire des Crimes et Châtiments que les Hommes tissèrent.
千年の誓いを超えて Ayant traversés ce vœu millénaire, 今こそ歌おう皆と共に À présent nous tous ensemble chantons. そして世界は生まれ変わる Ainsi le monde renaîtra à nouveau 君らが望むそれぞれのユートピアへ En l’Utopie que chacun de vous aviez désiré.
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*Ainsi le [Moi] fut changé en la [Moi] -> En résumé 『僕』 (boku) est plus masculin/neutre (représentant la vie passé de Michaela en tant que Michael) alors que 『私』 (watashi) est plus féminin représentant depuis se résurrection en tant que femme
** [Moi] et [Moi] se retrouvèrent -> Pour faire simple, je pense que chacun des moi représente à la fois Michaela et Eve, en sachant que la forme humaine sur laquelle Michaela se basa pour renaître n’est rien d’autre qu’Eve. Ainsi deux corps identiques se firent face tout en étant différent.
***Histoire 3 Châtiment -> Tout simplement une erreur de mothy je pense dans le rendu (car selon la logique c’est l’Histoire 4 et non 3 voilà…
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Lien fandom: https://les-chroniques-devillious.fandom.com/fr/wiki/A_la_fin_d%27un_v%C5%93u_mill%C3%A9naire
Lien vidéo Youtube : https://www.youtube.com/watch?v=5Rd9l6tDtJg
Lien chaîne de mothy : https://www.youtube.com/channel/UCSmHk3xH3nkWqF0nm9z2-2Q

#e.c#evillious chronicles#traduction française#french translation#mothy#千年の誓いの果てに#À la fin de ce vœu millénaire#At the End of a Millennium Vow
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愛と遠視、傷と羽音
ここを開けるのは、久しぶりだ。
ここに載せてきたようなことは、特定の宛先なしにはもう、書かないかも知れない。そう思い、過ごしてきた。けれども再び開けてみるのは、魂が「必ず終わりをもたらしてやる」と私にかけた言葉が、最後の投稿(二年前)に置かれたままになっていたからである。
そのことは、ずっと忘れていた。それからふと、私の目に留まった。魂は言った通りのことをやってのけ、そして新しい生を贈ってくれた。その遍歴を語ることはできなくとも、しるしづけることはできると思う。
私は人と一緒にやるようになってから、今の自分の言葉でいえば、こんなことを探求してきた。小説と幼年の境界。小説と死者の境界。小説と観者の境界。小説と神話の境界。小説と肉体の境界。小説と因果の境界(準備中)。
さいごの「小説と因果の境界」は短いものだが、その時点の私にとっては極限だった。2023年3月に書き終えてから、文字通り彷徨った。多くのことに手をつけ消耗していったが、それらがいずれ小説に資すると、以前のようには思えなくなっても、自力では止まらなかった。だから、こころがブレーキをかけたのである。
もっとも状態がよくなかったときに、間一髪で(自分ではなく)世界を選んだ。
それまでは、自分というブラックボックスを通し、みるものに陰影を纏わせつづけていた。私の文について色々なひとが色々なことを言ったが、概ね共通していたのは、独特な結晶化作用があるということだった。確かに私も信じてきた。その陰影こそがやがて固有の輝きを露わにし、光を集めるのだと。それはしかし、かなり時間のかかる作用でもあった。誇張して言えば〈こちら側(この時)〉では、私はいつもほほえむだけだった。蜜蜂は、蜜を集めることが今を生きることであるのに、わたしはそういう成り立ちをしていなかった。
終わりをもたらすとは、このブラックボックスごと引き潮に��すことを、決断できるということだった。そのとき圧倒的な苦しさの中で、光や風や、水を感じた。私は人に「生きているだけでいい」と何度も言ってきたけれど、自分自身にそう思うのは初めてだった。
それから、素晴らしいことが起こり始めた。
今日お話ししたいのは8月17日に、生まれ故郷がいつより美しい姿をみせてくれたことだ。冒頭に挙げたものたちと並行して、2021年秋から断続的に「小説ではない文」を書いてきた。その文はあれら境界のすべてと、そのほかの体験とを含んでいる。それがついに成り、人に託した翌日のこと。
私は文の主要な舞台のひとつである公園に行き、小さな川が池に流れ込む様子がよく見えるベンチに座った。文を送る際に添えたメッセージ――花が咲いていると、思わずきれいだねと話しかける身体について――を思い出しながら、樹々を眺めたり、サンダルのまま流水に入ったりした。
開いた本に、ある大小説で主人公が亡くなるのは、作者が次第に苛立ちをおぼえてのことだと言う人がいるが、小説家が主人公を愛さなくてあのようには書けぬ。と書かれていて、涙がこぼれた。
上空を涼しい風が吹きわたった。まるで巨大な湖をまえに、雨が降る先触れをきくようだ。30分はもつと思ったが、もっと早く降り始め、晴雨兼用傘をさしてベンチに陣取ると、叩きつけるようになった。それまで氷の入ったプラカップに麦茶を注いで体を冷やしていたが、飲み口の近くに雨雫が付けば楽しかった。化学繊維の軽いスカートは膝上まで濡れて、抱えた水草のバッグは暖かく守れていたから、真っ直ぐな大雨音は、そのまま安心と結び付いていた。
あめのひは、かさをさしてほんをぬらさず。地元の図書館が子供向けに貼りだしていたポスターは、なぜかブロントサウルスが直立歩行で傘をさしていたな…
後方の東屋を振り返ると、その向こうに誰もみていない空が出現した。
そんな空が、生まれ、住まいを変えつつ暮らしてきた人口の多いこの地に降るとは。山を登るときにだけみられる幻でなくなるとは。神代の、人の手付かずの自然であった頃にまで、生地は戻ることもできるのだ。その記憶の存在を私はしっかりと感じた。
動かぬままで雨が上がると、すっきりと遠くを見ていることに気が付いた。
ひとつ上の友人は、ゴルフを好きになってから視力が1.0に回復したといい、2.0ある同い年の友人は、私は本を読まないからだと結論するが、確かに読み書きを好む者の目は、遠くよりも近くを見ることに適応��やすい。
私の場合、いつも近くに対象物が入るよう、目が無意識に動いていた。一本道を歩くとき、街路樹や自転車や自販機を、たぶん本来は必要のない頻度で見る。身体は真っ直ぐに進みたいし、目も協調しているかのようにふるまうけれども、実は遠くを見据えると疲れるので、目は避けようとする。身体はそれを知っている。
このもどかしさが突然、消えた。目が遠くと和解していた。コンタクトレンズ装着時のような視力の上がり方ではない。あれは眼科医も友人たちも、生活に危険がないように、情報が沢山入るようにとすすめるし、私も長い間、そういうことだと思ってきた。近視は見えるべきものが見えずにつらいのだと。そうではなかった。
全力で書き切った文を贈り、生地が応えて記憶のかぎり遡ったから、私は見晴るかす、すべてがうつくしい、と話しかけていたのだ。それで遠くをみるのを畏れることがあろうか。自分の不調の解消や、情報の取得のためならば、ここに出ることはかなわなかっただろう。
歪みを、遅延を、細部をバネに跳躍するというやり方を手放さなければ、ここに来ることはかなわなかっただろう。だからこそ、話せるようになったのだし、それでも、書けるのだ。たぶん。
数日して、仰向けになった首の付け根で何かが羽ばたく夢を見た。蝉のように力強い振動に驚いた。整体師の方によれば、私の視力と幼い頃つくった首の傷には、なにか関係があるらしいのだが。
即時的にあらわれるものも、遅れを伴ってあらわれるものも、どちらも肯定しきるものを書きたい。それはパラレル・ワールドを時間的に翻訳したようなものになるのではないか。今はそのことだけを思っている。
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「鹿児島県警は芯から腐り切っている」 誤解を恐れずに評すれば、出来の悪い警察小説か警察ドラマの筋立てかと見紛うような、あまりにあからさまであまりに剝き出しの権力犯罪である。 だが、現実にそれは起きた。いや、現在進行形で起きている。そして一連の事態は、この国の警察組織や刑事司法の闇を照射し、同時にメディアやジャーナリズムの真価を根本から問うてもいる。 福岡市の中心部にほど近い一角に佇む築40年を超える古びたマンション。すべての端緒を切り拓き、歪んだ捜査の標的にもされたネットメディアは、この一室に拠点を置いている。ほぼ一人で運営する小メディア『HUNTER(ハンター)』の主宰者は中願寺純則(64)。編集作業に使っているという六畳ほどの狭い部屋で私と向きあった中願寺は、常に背筋を伸ばしたまま淡々と、しかし静かな怒気を端々に滲ませて口を開いた。 「鹿児島県警は完全に腐っているんだと、もはや自浄作用など期待できないから真実を知らせてほしいんだと、私たちへの情報提供者は心底憤っていました。私も同感です。鹿児島県警は芯から腐り切っている」 中願寺��一連の取材に着手する契機となった事件が起きたのは2021年の夏、世界がまだ新型コロナのパンデミックに揺れていた最中のことである。翌22年の2月になって事実関係を最初に報じた鹿児島の地元紙・南日本新聞の記事によれば、概略は次のようなものだった。 〈鹿児島県医師会の男性職員が、新型コロナウイルス感染者が療養するための宿泊施設内で、派遣された女性スタッフに対し、わいせつ行為など不適切な行為をしていたことが14日、南日本新聞の取材で分かった〉〈関係者によると、男性職員は昨年8月下旬~9月末、宿泊療養施設運営のために派遣された女性スタッフに対し、施設内でわいせつな行為などをした。(略)女性は一連の行為に関し「同意はなかった」として、管轄の警察署へ告訴状を提出した〉(2月15日付朝刊) 関係者からの情報提供もあって中願寺は取材を開始し、伝手を辿って被害女性らにも話を訊き、鹿児島県への情報公開請求なども重ね、自らが運営する『ハンター』に次々と記事を掲載した。その記事の矛先は当初、被害女性との間で「合意があった」と事実を矮小化する医師会などに向けられたが、次第に県警へも向けられるようになった。取材の結果、こんな事実が浮かんだからである。今度は中願寺が23年1月20日に『ハンター』で書いた記事の冒頭部分を引用する。 〈昨年1月、鹿児島県警鹿児島中央警察署が、性被害を訴えて助けを求めに来た女性を事実上の「門前払い」にしていたことが分かった。応対した警察官は、被害を訴える女性が持参した告訴状の受理を頑なに拒み、様々な理由を付けて「事件にはならない」と言い張ったあげく女性を追い返していた〉 そして記事はこう続く。 〈背景にあるとみられるのは、身内をかばう「警察一家」の悪しき体質と性被害への無理解。意図的な不作為が、醜悪な人権侵害につながった可能性さえある〉 どういうことか。実は女性が性被害を受けたと訴える「県医師会の男性職員」の実父が県警の警察官であり、だから県警は捜査を忌避し、事案を握りつぶそうとしているのではないか――中願寺はそう睨み、県警を指弾する記事を続々掲載した。 〈県医師会わいせつ元職員の父親は3月まで現職警官〉(23年5月15日掲載)、〈訴えられた男性職員の父親は「警部補」〉(同6月2日掲載)、〈問われる医師会と県警の責任〉(同6月12日掲載)……。 鹿児島で起きた性加害事件をめぐる県警の問題点へと果敢に斬り込む『ハンター』には間もなく、県警の内部から貴重な情報も寄せられるようになっていった。 「小メディア」の果敢な不正追及 1960年に長崎県で生まれた中願寺は、東京の大学を卒業後、政治家の秘書や信用調査会社系のメディア記者といった職を経て、2011年3月に『ハンター』を立ちあげた。サイト開設が東日本大震災の発生前日だったのは偶然だが、以後の約13年のサイト運営は決して楽��はなかった。中願寺もこう言う。 「正直言っていまも楽ではなく、私は無給状態ですが、小さいながらもメディアとしてスタートした当初はさらに厳しく、やめてしまおうと思ったことが何度もありました。ただ、何年か続けていると応援してくれる方々も現れ、だからなんとか歯を食いしばって運営を続けてきたんです」 そうやって小メディアを懸命に維持して記事を日々発信する一方、もともとの経歴もあって中願寺は地元政財界に独自の人脈を持ち、メディア記者らのほか警察当局者ともさまざまな形で接触を重ねてきた。主には刑事部門で事件捜査にあたる警官だったが、公安部門の警官が接触してきたこともある。そんな接触を通じて時には情報を交換し、時には取材中の事件に関する捜査動向の感触を探る――といった営為は、所属メディアの大小等を問わず、事件取材に奔走する記者なら誰にも経験があるだろう。かつて通信社の社会部で事件取材に携わった私も例外ではない。 また、そういった取材活動を通じて特定の事件や事案に関する記事を発信していると、当該の事件や事案の内実を知る関係者から貴重な情報や内部告発が寄せられることもある。これこそ取材という営為の醍醐味であり、鹿児島県警の不正を追及していた中願寺のもとにも幾人か情報提供者が現れた。もともとは県警の公安部門に所属し、その後は曽於署の地域課に在籍した巡査長・藤井光樹(49)はその一人だった。 そんなふうに入手した情報や資料に依拠し、中願寺はさらに追撃記事を執筆した。極北となったのが〈告訴・告発事件処理簿一覧表〉との標題がついた県警の内部文書を入手し、23年10月から展���した記事群だったろう。プライバシー等にも配慮しつつ文書の一部を画像で示し、件の性加害事件をめぐる県警対応の不審点を指摘する一方で中願寺は、こうした内部文書が大量に漏洩しながら事実を公表も謝罪もせず頬被りを決めこむ県警の態度をも厳しく指弾した。 当の県警は――ましてや上層部は、県警の内部文書を掲げて噛みつく『ハンター』に苛立ち、焦燥を深めたに違いない。しかも県警では近年、あろうことか現職警官が逮捕される不祥事が続発していた。20年以降の事案を列挙するだけでも、その惨状は目を覆わんばかりである。 ①20年2月、女子中学生を相手とする児童買春容疑で霧島署の巡査部長を逮捕、②21年7月、いちき串木野署の巡査部長が女性宅に不法侵入したとして逮捕、③22年2月、鹿児島中央署の交番勤務の巡査長が拾得物の現金を横領したとして逮捕、④23年10月、SNSで知り合った少女と性交したとして県警本部の巡査長を逮捕――。 惨憺たる状況下、県警の内部文書まで入手して噛みつく『ハンター』への苛立ちからか、内部告発者らによって他の不祥事案が発覚するのを恐れたのか、県警は信じがたいほど強引な捜査に踏み切る。今年4月8日、県警の内部資料などを『ハンター』に漏洩したとして先述した巡査長・藤井を地方公務員法違反(守秘義務違反)容疑で逮捕し、同時に中願寺が主宰する『ハンター』までをも家宅捜索したのである。 異常かつ論外の家宅捜索 その日の朝、編集作業に使っている六畳ほどの部屋には約10人もの県警捜査員が押しかけた。中願寺によれば、「令状がある」という捜査員は、それをヒラヒラと示すだけで容疑事実も仔細に説明せず、業務用のパソコンはおろか中願寺が使用している新旧のスマートホン、さらには取材用のノートやファイル、名刺類まで押収していった。 言うまでもないことだが、それらにはメディア主宰者の中願寺にとって断固秘匿すべき情報源などが刻まれていたし、なによりも業務用のパソコンを失えばサイトを更新することもできなくなってしまう。だから思わず声を荒らげ、捜査員に激しく迫った。 「おいっ、せめてパソコンはすぐに返さないと、営業妨害で訴えるからなっ!」 その一喝が効いたのか、パソコンは翌日返却された。だが、内部データは間違いなく抽出され、一部の押収物は2カ月以上経った現在も返却されていない。一方、『ハンター』に情報を「漏洩」したとして逮捕された巡査長・藤井は、自らに迫る捜査の気配を察知していたのか、逮捕のしばらく前に電話で中願寺にこう語っていたという。 「私は腹を決めてやっています。ウチの組織は腐っていて、外から刺激を与えないと変わらない。そう考えてやったことですから、もし逮捕されても私に後悔などない。だから中願寺さんが悔やむ必要もありません」 だとすれば藤井は、『ハンター』というメディアにとっては「情報提供者」、あるいは「内部告発者」であり、広く社会にとっても大切な「公益通報者」だったと捉えるべきではないのか。 ならばここで、あらためて記すまでもないことをあらためて記しておく必要がある。たとえ小さくともメディア=報道機関への情報提供者を逮捕すること自体が異例であり、たとえ小さくともメディア=報道機関を強制捜査の対象とするなど極めて異常かつ論外の所業。同じことを新聞やテレビといった大手メディアに行えば、言論や報道の自由を圧殺する暴挙だと大騒ぎになるだろうし、ならなければおかしい。ましてそれが「公益通報」の色彩が濃い事案だったなら、県警の所業は一層悪質な暴走と評するしかない。 だが、県警の信じがたいような暴走はこの程度で止まらなかった。 あるジャーナリストに寄せられた内部告発 鹿児島や福岡からは直線距離で約1500キロメートルも離れた北海道の札���市。ここを拠点にフリーランスの記者として活動する小笠原淳(55)は4月3日、市中心部にも近い雑居ビルの一階に入居する月刊誌『北方ジャーナル』の編集部にいた。 話は本筋からやや逸れるが、『北方ジャーナル』といえば、かつて北海道知事選の候補者をめぐる「中傷記事」が名誉毀損に問われ、出版物の販売差し止めを容認する最高裁判例の舞台になったことを想起する向きも多いだろう。だが、これは70~80年代の出来事であり、もとより小笠原には何の関係もない。また、現在の『北方ジャーナル』は経営母体なども代わっていて、もともとは地元紙の記者からフリーランスに転じた小笠原は、頻繁に寄稿している同誌の編集部を原稿執筆などの場として活用していただけのことだった。 あれはたしか昼過ぎだったと小笠原は記憶している。編集部に郵便物を届けにきた配達員が、小笠原宛の茶封筒を手に「どうされますか」と尋ねた。封筒の表には一般封書の規定額である84円切手が貼られていたものの、重量がオーバーしているから10円の追加料金が必要だというのだ。支払わなければ持ち帰られていたかもしれないが、小笠原は財布から10円玉を取り出して渡し、封書を受け取った。 消印は〈3月28日 鹿児島中央〉。差出人の名はない。いったいなんだろう――そう思いつつ開封した瞬間、これは内部告発だと小笠原は悟った。計10枚の文書の1枚目には〈闇をあばいてください。〉と太いフォントで印字され、2枚目には〈鹿児島県警の闇〉と題して計4件の事案が列挙され、3枚目以降は県警の内部文書とみられるものを含め、違法性の濃い不祥事の中身などが詳述されていた。一部の概要のみ記せば、次のような事案である。 ①霧島署の巡査長が女性にストーカー行為を繰り返し、しかも職務上知り得た個人情報も悪用して行為に及んだのに、処分も公表もされていない事案、②枕崎署の捜査員が職務時間中、市内の公園の女子トイレで女性を盗撮し、しかも捜査車両を使っていたのに県警が隠している事案、③県警幹部による超過勤務手当の不正請求があったのに、立件も公表もされていない事案――。 小笠原は、すぐに『ハンター』の中願寺に連絡を取った。理由はいくつもあった。なによりも札幌に居を置く小笠原にとって、はるか遠い鹿児島県警の不祥事を取材するのは物理的に難しい。また、北海道警の不祥事やその追及が甘い大手メディアも批判してきた小笠原は、警察の不正や記者クラブ問題を追及する中願寺と意気投合し、数年前からは『北方ジャーナル』などのほか『ハンター』にも寄稿するようになっていた。もちろん、中願寺と『ハンター』が鹿児島県警の不正を追及中だったことも熟知していた。 だから小笠原はその日のうちに中願寺に電話し、匿名で送られてきた10枚の告発文書もメールで送信し、中願寺と共有した。「裏取り取材に手間と時間はかかりそうだが、相当に貴重な内部告発だから、できる限り取材して記事にしていこう」。中願寺はそう応じ、小笠原も協力は惜しまないつもりだった。 元最高幹部の切実な訴え 『ハンター』が県警による捜索を受けたのは、そのわずか5日後のことだった。当然ながら、押収されたパソコンには小笠原が中願寺と共有した告発文書も保存されていた。 ここからは推測も交えるが、押収パソコンのデータを解析した県警は眼を剝いて驚愕し、焦燥を一層深めたろう。どうやら『ハンター』には、すでに逮捕した巡査長・藤井らのほかにも内部情報の提供者がいるらしい。しかもその人物は、あくまでも匿名のようだが、提供文書や情報の精度からみて現場レベルの警察官ではなく、相当に高位の立場にある県警幹部クラスではないか――と。 県警がその人物をいつ特定したかは定かでない。ただ、さほど時間を要さず特定したとみられ、後述するように相当周到な事前準備を施したうえ、またも信じがたい強硬手段に打って出た。5月31日にその人物を――県警主要署の署長なども歴任し、つい2カ月前までは県警最高幹部の一人である生活安全部長を務めていた本田尚志(60)を逮捕したのである。容疑はやはり国家公務員法違反(守秘義務違反)。職務上知り得た秘密を第三者に――すなわち小笠原に送った告発文書で漏らしたというものだった。 さて、この国の全国津々浦々に25万以上もの人員を配する警察には、ざっくりとわけて二つの〝種族〟がいる。一応は現在も自治体警察の装いをまとった47の都道府県警に採用され、警察官の階級として最下位の巡査からスタートする叩き上げのノンキャリア。他方、かつてなら国家公務員の上級職試験、少し前までなら一種試験、現在の総合職試験をパスし、警察庁に採用されたキャリアの警察官僚。前者は警察官の圧倒的多数を占めて都道府県警の現場を支え、圧倒的少数の後者は警察庁と都道府県警を往来しつつ出世街道をひた走る。そしてどこの都道府県警でも大同小異だが、叩き上げノンキャリアの最高到達点の一つが生活安全部長の職であり、警視正の階級まで昇り詰めて3月に定年退職したばかりの元最高幹部が逮捕される――しかも古巣の県警に逮捕されること自体、前代未聞といっていいほど異例の事態だった。 さらに本田は逮捕から5日後、鹿児島簡裁で行われた勾留理由開示請求手続きの場で、驚愕の訴えを陳述した。手元にある陳述書にはこんな言葉が刻まれている。 〈今回、職務上知り得た情報が書かれた書面を、とある記者の方にお送りしたことは間違いありません。/私がこのような行動をしたのは、鹿児島県警職員が行った犯罪行為を、野川明輝本部長が隠しようとしたことがあり、そのことが、いち警察官としてどうしても許せなかったからです〉〈この時期は、警察の不祥事が相次いでいた時期だったため、本部長としては、新たな不祥事が出ることを恐れたのだと思います〉〈私は、自分が身をささげた組織がそのような状況になっていることが、どうしても許せませんでした〉〈退職後、この不祥事をまとめた文書を、とある記者に送ることにしました〉〈マスコミが記事にしてくれることで、明るみに出なかった不祥事を、明らかにしてもらえると思っていました〉〈私としては、警察官として、信じる道を突き通したかったのです。決して自分の利益のために行ったことではありません〉(抜粋、原文ママ) 県警本部長の不可解な言い分 極めて閉鎖的で上位下達の風潮が強い警察組織において、ノンキャリアの元最高幹部がキャリアの県警トップに公然と反旗を翻すことも異例中の異例であり、と同時にその訴えが事実ならば、本田もまたメディアにとっての「情報提供者」であり、広く社会にとっての「公益通報者」であったのは明らかというべきだろう。しかも県警は、自らの不正を追及するメディアを強制捜査の対象とし、メディアにとって最重要の情報源を特定し、さらには警察が警察であるがゆえに持つ最高度の強権を行使して〝口封じ〟を謀ったことになる。 一方、本田に反旗を翻された本部長の野川は当初、地元メディアの取材にのらりくらりと対応するだけだったが、鹿児島地検が本田を起訴した6月21日にようやく正式な会見を開き、「私が隠蔽を指示した事実も県警として隠した事実もない」と反論した。本田は「公益通報者」ではないのか、という問いにも「県警としては公益通報に当たらないと考えている」と突っぱねている。本田が札幌の小笠原に送付した計10枚の文書には、被害者が公表を望んでいないストーカー事件の被害者名や年齢等が記載されていた――などというのが野川と県警側の言い分だった。 だが、その言い分はあまりに弱く、事実経過からみて素直に頷くことなどできはしない。 前述したように、本田の告発文書には複数の県警不祥事が具体的に列挙され、霧島署の巡査長によるストーカー案件のほか、枕崎署の捜査員による盗撮案件もそのひとつだった。この盗撮案件が発生したのは昨年の12月15日。直後に県警は事実を把握し、犯行時に捜査車両が使われたことも確認していたが、問題の捜査員は逮捕も処分もされないまま放置された。 ところが約5カ月も経った今年の5月13日、当該の捜査員は建造物侵入などの疑いで突如逮捕された。いったいなぜか。県警が『ハンター』を捜索してパソコンを押収したのが4月8日。これを解析して本田の告発を把握し、本田逮捕に踏み切ったのが5月31日。そのわずか半月前に盗撮捜査員を逮捕したのは、時系列的にみて本田が文書で訴えた「隠蔽」を否定し、事前に打ち消すための周到な〝準備〟であり〝工作〟ではなかったか――。 ここまでお読みになった方は、まさに鹿児島県警は「腐り切っている」と感じられただろう。私も同感だが、果たしてこれは鹿児島県警だけに特有の腐敗か。いや、そんなことはあるまい。いかに小さくとも、メディアを強制捜査の対象とする判断を県警だけで行うとはにわかに考えにくく、ましてや最高幹部だった前生活安全部長・本田の逮捕は、警察庁の裁可や指示を仰がずに独断で行われたはずがない。畢竟、その過程では本田の告発がどのように行われ、県警がそれをどう特定したかを含め、すべてを把握した上で警察庁がゴーサインを出したのは間違いなく、一連の問題からはこの国の警察組織全体に巣喰った腐臭が漂う。さらにつけ加えるなら、一連の問題からはこの国の刑事司法が抱える根深い悪弊の一端も浮かびあがる。 証拠類を「廃棄」せよとの呼びかけ 話はやや前後するが、県警を追及する過程で中願寺と『ハンター』は、別の重大な文書も入手していた。中願寺は「��材源の秘匿」を理由に入手先を明かさないが、おそらくは『ハンター』に情報を寄せていた巡査長・藤井からもたらされたのだろう。これについては一部メディアでも大きく報じられて波紋を広げているが、文書の標題は〈刑事企画課だより〉。わずか2枚の文書には漫画風のイラストも添えられ、県警捜査部門が作成して内部閲覧に供する、さして秘匿性の高くない文書と思われるが、そこにはやはり眼を剝くようなことが公然と記されていた。 〈最近の再審請求等において、裁判所から警察に対する関係書類の提出命令により、送致していなかった書類等が露呈する事例が発生しています〉〈この場合、「警察にとって都合の悪い書類だったので送致しなかったのではないか」と疑われかねないため、未送致書類であっても、不要な書類は適宜廃棄する必要があります〉〈再審や国賠請求等において、廃棄せずに保管していた捜査書類やその写しが組織的にプラスになることはありません!!〉(原文ママ) 問題点は明白であろう。現在再審公判が行われている袴田事件にせよ、布川事件や松橋事件などにせよ、いまなお数々発覚する冤罪事件の大半は、警察や検察が隠していた証拠類が再審請求の過程などで示され、ようやく罪が立証されている。なかには警察が検察に「送致」すらしていない証拠類もたしかに多く、警視庁公安部の不当捜査を受けた横浜の化学機械メーカー・大川原化工機が起こしている国賠訴訟では、公安部内に残されていたメモ類が公判の大きな焦点にもなっている。 つまり文書は、そのような事態は「組織的にプラスにならない」から、「裁判所の命令」などで「露呈」することがないよう、「不要な書類」等は「廃棄」してしまえ――と県警が内部に堂々そう呼びかけていたことを示す。このようなことを許せば、この国の刑事司法に巣喰う悪弊は一層慢性化してしまいかねず、しかもこの文書の秘匿性がさして高くないとみられることを踏まえれば、県警の勝手な判断に基づく所業だったか、との疑念がここでも湧く。警察庁あたりからそうした指示や示唆があり、だから深慮なく内部閲覧文書に明示したのではなかったのか、と。 ジャーナリズムの二重の敗北 再び福岡市にあるマンションの一室。鹿児島県警を追及し、数々の不正を明るみに出した中願寺は、「最後にこれだけは強調したい」と言って姿勢を正した。 「私が取材を始める契機となった強制性交事件の被害者は、いまも精神的に不安定なまま必死に真相解明を訴えています。また鹿児島では警官が逮捕される事件が続発し、被害者のほとんどは女性です。たしかに報道への弾圧は大問題ですが、大元にもっと眼を凝らさなくてはいけない。警官や警察一家の人間によって女性が被害を受けた事件こそが原点であり、それをすっ飛ばして報道弾圧だと訴えても、市民の共感は得られないんじゃないでしょうか」 一方、札幌を拠点にフリーランス記者として活動する小笠原は、「すべての元凶は鹿児島県警とはいえ、私に情報を寄せてくれた本田さんを守れなかったことは、いち記者として忸怩たる想いがあります」と唇を嚙みつつ、いまこんなふうに訴えている。 「いくら小さなメディアとはいえ警察がガサ入れし、情報源を暴いて逮捕してしまった。そのことに全メディアがもっと本気で怒るべきです。小さなメディアだから構わない、などという理屈を許せば、雑誌ならいいのか、スポーツ紙なら構わないのか、と対象が広がりかねない。ただでさえメディア不信が根深い昨今、このまま傍観していれば、新聞やテレビにガサが入っても誰も味方してくれなくなりかねません。本来なら新聞協会や民放連といった組織が「このような暴挙は断固許さない」といったメッセージを明確に発するべき局面でしょう」 いずれもその通りだと深く頷く。と同時に、メディア界の片隅で長年禄を食む私を含め、鹿児島県警をめぐる一連の事態からメディアやジャーナリズムに関わる者たちが一層真摯に捉え返さねばならない課題にも、最後に触れざるを得ない。『ハンター』に情報を寄せて逮捕・起訴された巡査長の藤井にせよ、小笠原に文書を送って逮捕・起訴された前生活安全部長の本田にせよ、足下の地元には大手メディアの記者も多数いたのに、なぜ貴重な情報提供先に福岡の小さなネットメディアや札幌のフリーランス記者を選んだのか――。 本田の弁護人を務める鹿児島の弁護士・永里桂太郎によれば、その理由について本田は「県警の問題に関心のある記者なら、積極的に取材してくれると思った」と話しているという。逆にいうなら、大手メディアに情報を提供しても警察の不正に関心を持たず、積極的にも取材してくれない、と告発者側に認識されてしまっていることになる。 だとすれば、大手メディアそのものが貴重な情報提供者や内部告発者からの信頼をすでに失いつつあるという、あまりに惨めな事実がここから垣間見えはしないか。そのうえに今回の事態に心底から憤らず、傍観してやりすごせば、この国の主要メディアとジャーナリズムは二重の敗北を喫することになってしまいかねない。(文中敬称・呼称略)
〈特別公開〉警察腐敗 内部告発者はなぜ逮捕されたのか(青木理) | WEB世界
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率直に言って、目の前の経済的利益のために先人が100年をかけて守り育ててきた貴重な神宮の樹々を犠牲にすべきではありません。
この手紙が流布しているために誤解が広がっている。内苑の杜は100年かけて守ってきた貴重な森であるが外苑は違う。森ではなく街路樹であったり公園である。確かにいちょう並木は有名で残すべきものだと思うが、神宮の杜とは別物である。また、内苑も外苑は明治神宮の私有地である。公共の公園ではない。明治神宮は宗教法人なため東京都や国が支援する訳にはいかない。そうした苦しい状況での外苑の再開発である。正しい認識を持って批判して欲しい。
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世の中は「陰謀論に流されない百田尚樹」を求めている
世の中は「陰謀論に流されない百田尚樹」を求めている | 山本一郎メルマガ「人間迷路」編集部 / マイノート by 夜間飛行
タイトルからして灼熱の氷みたいな矛盾をはらんでいますが、���がここしばらく選挙調査実務などながらく担当させていただく中でずっと思っていたのが、有権者の「既存政党への不信感」です。
極めつけは蓮舫さんが無名の石丸伸二さんにまくられて3位転落だったんですが、これにはふたつの側面があって、立憲共産党的な標榜リベラルの凋落と、自由民主党や立憲民主党のような既存政党離れが有権者の中で進んでいっているという現象は見て取れます。
戸別訪問調査を各選挙区でやっていると、フリーアンサー的に「政治に興味はあるけど、これといった支持政党はない」という、政治的関心があるがゆえに支持政党を持てない有権者が増えている感覚があります。有権者は馬鹿ではなく、よく世の中のことも政治のことも知ったうえで、なお支持者がいないってのは割と大変なことだと思うんですよ。
特に、リベラルを標��していた立憲民主党が、本来ならもの凄い自民党への逆風のなか、しっかりとした追い風を受けて支持を伸ばせる環境であるにもかかわらず、自民党の支持低迷の恩恵を充分には受け切れていないのはなぜなのか。
調査をしていて、特にパネル調査でも顕著なのは「支持政党なし」が6割を超える調査がちらほらと出てきているところです。組織票のくびきを離れた有権者が、自由に政党を支持していい状況になってきたにもかかわらず、マーケティングでも「その他」が6割というのは調査の意味をそこまで持たなくなったなあという肌感はあります。
ただ、調査設計上、どこの政党に属している議員が支持されているのかは指標上有用だから項目に入れておかなければならないし、過去との比較もコンパチにする必要からそのようにセットしているんだけれども、でも半分以上の人が支持政党を持っていない選挙区がある、というのは由々しいことです。由々しいのは社会的に由々しいのではなく、私ら調査する側が昔のやり方が通用しなくなってきたので由々しいって言ってるだけですが。
で、第二次安倍晋三政権以降、漂流しているのは元からいた保守系の有権者が、惰性で自民党や維新に投票している様式もまた、摩耗してどっちも逆風になっているということです。特に地方議会では政党と候補者の関係がほぼ完全に溶解するなか、有権者が小選挙区での衆議院候補を選ぶ際に候補者をアテンドする地方議員という構造が逆転しているわけですよ。
例えば、都知事選と世田谷区長・区議と衆院東京5区6区問題というのが分かりやすいのですが、都知事は都民有権者1,130万人を相手にし、世田谷区長や区議は世田谷区民全体の代表であるのに、国政に携わる小選挙区は世田谷区民が5区6区に別れて選ばれます。衆議院議員のほうが、代表している有権者数で世田谷区長・区議よりも少ない。逆もまた然りで、鳥取島根が合区になった参院選挙区のほうが、鳥取県知事島根県知事よりも多くの有権者を代表しています。
つまり、世の中もかなり変わってきたのに選挙制度が小選挙区並立制の衆議院を頂点とした区割りとなり、また、住民も移動したり地域経済が崩壊しているにもかかわらず現状の自治体がそのまま温存され、潰れそうな自治体も儲かっている自治体も隣り合わせで併存している状況が残っているけど政治改革は断行するのだと言っている。民意の汲み上げをするための選挙の仕組みがここまで急激な経年劣化をして不合理になっていることに対して、いまの政治はあまりきちんとした答えを出していません。
他方で、国民からすれば都心に住んでいようが地方で暮らしていようが国民一人一票の原則は憲法で定められた法の下の平等に依拠しているのだから、定数見直しで10増10減やった直後に、今度はまた6増6減なのか8増8減なのかやらないと一票の格差二倍以内を是正できない。ゲリマンダーは民主主義の常とは言え、何かもう少し合理的な方法を考えて改革を重ねていかないと民主主義が守れないんじゃないかという危惧もあるわけですよ。
そういう中で、中道左派に寄った自民党・公明党の与党が政権を握る中で、むしろ空白地帯になっているのが右派・保守的な政党の弱さが浮き彫りになっているように思います。もちろん、党勢を立て直した日本維新の会や、産別の事情や労使協調路線で特定支持母体以外はフリーダムになっている国民民主党がその隙間をしっかり埋めてくれる可能性はあるわけですが、ここで支持率が立憲民主党と同様に伸び悩んでいる理由は、おそらくは有権者の「既存政党への不信感」がどうしても背景にあろうかと思うのです。
結果として、日本保守党が飯山陽さんを立てて奮闘した東京15区補選というのは、割と注目して見ていたんですが、あれは失速というよりスタートラインにインディー右派政党が立って「さあ、これから」というところで、何か知らんが内輪もめしてモチベーションが失われ、結果的に具体的でまともな政策立案を考える前に崩壊してしまった、というのが実情ではないのかとも思うわけですよ。
世界を見渡せば、中東で残念ながら紛争があって、多くの難民が発生してしまい、ドイツを中心に欧州では難民を一度は暖かく受けれいてみたものの、社会的に受容できる難民の数とペースを超えて流入した結果、ハンガリーでもフランスでも極右政党の台頭が問題視されています。日本の場合も、ここに本当はマイルドな右派政党ができるニーズがあったはずなのですが、残念ながら票を取り切ることができませんでした。本当は、日本保守党はいかれた政党から、少しマシな政策を打ち出せる政党になれるチャンスがきたんじゃないかとぼんやり見ていたんですが、組織を固められる人がいなくて沈没していってしまいました。
インディー政党はたいていにおいて立ち上げは熱量あるワンイシューからスタートし、そこからいろんな知識人や著名人が混ざっていってひとつのグループになっていく、というのが王道だと思うんですけれども、残念なことに、そのような熱量と常識と組織力を持つ将来性あるインディー政党が出てこないというのが残念なことです。こういうときに限って、疲弊した国民民情が産み出す救世主待望論とともにヤバいやつが出てきて台風の目になることも歴史を紐解くとあるわけでして、悩ましいよなあとも思います。
マイルドな保守層向け政党って出てこないものなんでしょうかね。
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[Photo above by: Ossi Saarinen]
Legends and myths about trees
Forest myths, Estonian traditional beliefs (6)
The world of the Estonians’ ancestors – Metsik, the forest elves
Metsik is the elf of the woodlands. According to ancient Estonian folklore, Metsik were wood elves who lived everywhere there were trees, from coniferous woodlands to shallow swamp forests. When Metsik appears to people, they assume the appearance of a bird, a wild animal, or a beautiful tree. A singing bird who truly is Metsik sings songs that humans can understand. They can also understand the language of the aspen tree that rustles in the wind for that aspen tree is Metsik.
If birdsong is heard, it may be a Metsik singing. People can hear Metsik in an aspen tree that rustles in the wind. Metiks are the guardian spirits of the forest. They do not approve of cutting down trees, bonfires and, above all, waste dumping. When people enter the forest with cruel intentions, Metik misleads them away from their sacred home.

木にまつわる伝説・神話
森の神話・エストニアの民間伝承 (6)
エストニア人の祖先の世界 〜 森の妖精メツィク
メツィクは森の妖精である。古代エストニアの民話によれば、メツィクは針葉樹林から浅い沼沢林まで、木があるところならどこにでも住んでいた森の妖精である。メツィクが人々の前に現れるとき、彼らは鳥や野生の動物、あるいは美しい樹木の姿をとる。本当にメツィクである歌う鳥は、人間が理解できる歌を歌う。また、風にそよぐアスペンの木の言葉を理解することもできる。
鳥のさえずりが聞こえたら、それはメツィクが歌っているのかもしれない。人々は風にそよぐアスペンの木からメツィクの声を聞くことができる。メツィクは森の守護霊である。彼らは木を伐採したり、焚き火をしたり、とりわけゴミを捨てることを認めない。人々が悪意を持って森に入ると、メツィクは彼らを神聖な家から遠ざけるよう惑わす。
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『 図書館には人がいないほうがいい』 内田 樹 著、 朴 東燮 編訳 (アルテスパブリッシング)
まったくもってその通り。
第1部 図書館について 図書館とは、そこに入ると「敬虔な気持ちになる」場所 図書館の戦い 無知を可視化する装置 学校図書館はなぜ必要なのか? Ⅰ 図書館は巨大なアーカイブの入り口である 緩い中間共同体の必要 供養の本質 「この世ならざるもの」について 村上春樹と上田秋成 『羊をめぐる冒険』と四つの系譜作品 『徒然草』を現代語に訳してみて 書物は母語のアーカイブへの入り口 Ⅱ 図書館は新しい世界への扉である 図書館が教える「無限」という概念 図書館の教育的機能 ゆっくりと「聖なるもの」から切り離してゆく場所 異界に通じる扉を守るゲートキーパー 「超越的なもの」への敬意 「書物を守る」拠点 Ⅲ 図書館には魔法使いの居場所を確保しなければならない 学校には子��もたちの「とりつく島」が必要 子どもたちが無防備になれるミステリーゾーンを作る 読むのはどんな本でもいい 第2部 本と出版について 本の未来について 書物は商品ではない 倉吉の汽水空港でこんな話をした 自戒の仕掛け──無知の自覚について 朝の読書運動 ScanとReadの違い 本が読む リテラシーの高い読者を育てる方法 活字中毒患者は電子書籍で本を読むか? 書物の底知れぬ公共性について──すごく長いあとがき 「書物の共有」から「新しいコモン」へ 書物はできるだけ無償で贈与されるべきである 書物の尊厳を傷つけるなかれ 李龍勳(イ・ヨンフン、図書館文化批評家) 「図書館的時間」を取り戻すために──本書を推薦する 朴東燮(バク・ドンッソプ) 「伝道師」になるということは──編訳者あとがきに代えて
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