#二ヶ領用水
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tomihara-design · 3 months ago
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「桜」
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ca-8-thy · 3 months ago
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20250323
府中はもう桜が咲き始めているらしい。やしきから5分咲きくらいの写メが送られてきた。結局風邪でずっと家に籠っていた。こうして桜の開花を知らせてくれる友人がいること、なんだか嬉しい。上京するときに土地勘の無さと心細さから、同じ最寄駅の近くに住んでたこともある。あの辺りには1年と半分程住んでいた。短いながらも、社会人なりたての私にとって第3の故郷くらいには思い入れがあるから、春になると決まって二ヶ領用水の桜並木が恋しくな��。当時はコロナ第1波真っ只中で、仕事は研修からずっとリモート。気晴らしにちょっとコンビニになんて理由つけては外に出て、川沿いをよく散歩した。あの1年は本当によく歩いた。散歩ばかりしていたから恋もしたし失恋もした。私にとって桜は咲くものではなく散るものだけど、散ればこその桜で、だから来年の春もきっと心躍る。
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ari0921 · 3 months ago
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
  令和七年(2025年)4月11日(金曜日)
     通巻第8733号 <前日発行>
 10%から34,54,そして104から125%へジャンプ
   米中、意地の突っ張りあい、中国は84%の報復関税、レアアース供給中断
*************************
 明らかになったことがある。最初からトランプは中国だけを標的としていたことだ。
54%から、いきなり104%へ。それ��も中国は一歩も譲歩せずに、「最後までつきあう」と高飛車な態度をしめしたので、ならば125%だ、とメチャクチャに関税率を引き上げ「直ちに実施する」とした。
 「中国はフェンタニル密瑜を止めない」のも高関税の理由にあげた。また米国の大学が中国の大學と交流することも厳格に規制しはじめたため、中国は唐突に「中国人の米国ツアーは安全に気をつけろ」などと警告を発した。
 マイクロソフト、IBMなどは中国のラボを縮小、或いは閉鎖に踏み切った。
 中国は米国化からの輸入品に報復関税を84%に上乗せし、くわえてレアアースの輸出を中断すると宣言した。スマホとEVに悪影響が出るから、アップルやTSMCなどは悲鳴を上げる。
さらにベッセント財務長官は4月9日、「中国は国際貿易システムにおける『最悪の犯罪者』だから交渉に臨むことを望んでいない」。
米国証券取引所から中国企業の上場廃止を検討しているかとの質問に対し、ベッセント財務長官は「あらゆる選択肢が検討されている。アリババを含む286社の中国企業が米国証券取引所に上場しているが、これらを廃止するかどうかはトランプ大統領の決定に委ねられている」と述べた。中国企業の総て上場廃止という荒治療は考えにくいが、しかしトランプ大統領は「何をするか予測不能の人」である。
 ようするに中国の的を絞り込んだのはグルーバルサウスに対して「米国につくのか、中国か」と二者択一を迫るものである。
インド、バングラデシュ、パキスタン、スリランカ、ミャンマーからベトナム、インドネシアまで。これらはいずれもが中国企業が進出して迂回輸出拠点である。
トランプの高関税、西側諸国で不評を買った。
そればかりか米国内でもブーイング、閣内ではイーロン・マスクが猛反対。下院議会は「大統領の高関税適用は30日以内に議会の承認が必要だ」とする法案を準備、共和党の下院議員12名が加わった。サウスチャイナモーニングポストによれば、背後に中国ロビィが議会工作を展開しているという。
 75ヶ国が水面下でホワイトハウスとの協議を開始、イタリアのメローニ首相は訪米することになり、世界中がてんやわんやの大騒ぎとなった。
 
 ��度は暗転から好転へ。
 4月9日、トランプ大統領は「報復を表明しない国々とは関税適用を90日停止する」と発表するやいなや、今度は史上空前の株価暴騰となった
 NYダウは2962ドル86セント高の40608ドル45セント。つられて日経平均は夜間取引で3210円の急騰、31714円から35040円となり、円ドルは3円円安の147円53銭となる。
 日経平均は10日漸場終値が34353円17銭で832%の高騰。場中では2754円高をつけた。台湾も史上空前の暴騰、香港も微増だった。
 トランプの一声で、これだけの乱高下、9日に底値を拾った投資家は、10日に荒っぽい大稼ぎができたに違いない。
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kennak · 3 months ago
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「横浜に住むのは情弱」と言われて久しいが 横浜移住を考えている友人に向けた、中の人(都心勤務の西区住民。ただしみなとみらいではない。居住歴20年)からの所見。 多数の間違いや偏見があると思う。ブコメやトラバでつっこまれることで、錬成されることを期待してみる。 横浜といっても18区あるため、それぞれの区によって状況は異なる。 ・西区、中区(みなとみらいを擁する)→みんなが想像するヨコハマ。海に面した大都市のイメージ。ただし本牧を除く。   ↑こっちと↓こっちの中間領域な神奈川区 ・鶴見区、都筑区、港北区(川崎属国エリア)→人口が爆発的に伸びた都内通勤族の街。子育て世代にうれしい商業施設が多い一方で、インフラが追いついていない。保育園の倍率が高く、どこにいっても人と車が多い。 ・青葉区、緑区(だいたい町田)→小田急と東急が高度経済成長期からバブル期にかけて必死に開発した結果、小田急と田園都市線の混雑に悩まされることに。横浜中心部とのアクセスが弱いため、横浜市民という自覚が薄い。 ・旭区、瀬谷区、緑区、泉区(山と森)→神奈川県全体で東高西低の格差が問題になっているが、横浜市内でも同様。このエリアは少子高齢化の傾向があり、横浜市の行政が正直手薄になっている感がある。もうちょい西に進んで大和市や海老名に住んだ方が幸せになれる。だからこそ上瀬谷花博でドカンと一発大きな花火をあげようとしているが、嫌な予感しかない。相鉄が代わって必死に都市開発をすすめており(そうしないと相鉄自身が死ぬ)、このエリアの住民はそうにゃんを尊師として崇めることになる。逆に言えば、都心へのアクセスを確保しつつ自然と暮らせる地区とも言える。 ・それ以外(それ以外でまとめると怒る人が出てきそうだ)→���々は高度経済成長期に横浜都心部の郊外として発展したのち、インフラの老朽化や世代交代問題に直面しているエリア。目立った特徴はないが、特異なパラメータがないぶん平均的に住みやすいかも。 小学校レベルの地理の話だが、横浜市の区は、東京都の区とは根本的に異なる。 ・東京都の区は行政権があるが、横浜市の区は市の出先機関。横浜市のあらゆる施策は横浜市全体に適用される。たまに混同している人を見かける。 ・港区や江東区などのリッチな区の補助金ニュースが横浜市と比較されて「横浜市に住む奴は情弱」と言われたりするが、横浜市は市民375万人を平等に扱わないといけない。 ・夜間人口が企業立地に対して多すぎるので、どうしても行政サービスは薄く広くなる。 ・給食がその象徴。これから市内500の小中学校全てに給食を整えるのは永遠に不可能。仕方なくハマ弁で誤魔化している。誤魔化しではあるが、ハマ弁の内容は割とよくできており、給食化した方がたぶんQOLは下がる。 ・図書館や公民館は基本的にボロい。 ・東京の財政力が桁違いに強いので、教育費の無償化や住宅の補助金などで差があるのは事実。 ・公園の遊具にも財政力の差が現れている。公園自体は多いもののどこも遊具がしょぼい。都内の友人近くの公園にいくと概ね横浜市より遊具が綺麗で充実している。 ・まあその分都内は住宅が高いんですけど。都立大学(都民は学費無償)に進学しない限りペイできないのでは? ・川崎市との行政サービスの格差についてはゲフンゲフン。あっちは製鉄所と発���所もってるもんな〜うらやましいな〜(鶴見にあるのは知ってるけど規模が違うもんな〜) ・横浜市+給食+図書館ー文化=川崎市 ・とはいえ、さいたま市や千葉市と同等レベルの給付や福祉はキープしている。賄うべき人口から考えれば相当がんばっている。 ・なので「特別市」という政令指定都市を超えた枠組みを作り、神奈川県からの独立を目論んでいる。 交通の便について。 ・東京〜横浜間のアクセスは超極太。これがさいたまや千葉に対する優位性。 ・鉄道ならJR3路線、東急、京急線と多数に分散しており、どこかの路線がグモっても家に帰れる。 ・高速も横羽線、湾岸線、第三京浜、東名がある。 ・JR東海道線は朝の通勤ラッシュが殺人的だが、それ以外は(都心通勤ソルジャーからみれば)常識的なレベル。 ・田園都市線はもうダメです。こんなこと言ってごめんね。でも本当です。 ・地下鉄については当たり前だが東京が圧倒的。横浜は代わりにバスで市内移動を賄うことになる。 ・自動車。平均的に都心と比べると道路が広くて運転しやすい。ただし横浜町田ICとR1の保土ヶ谷橋交差点はものっそ渋滞するので、このエリアを通過するような生活圏の選択は避けた方が良い。 ・首都高とNEXCOと高規格道路が交差しているので高速道路網の把握が難しい。ジャンクションを間違えるのは横浜市民あるある。 ハザードマップについて ・横浜市は元々神戸市みたいに丘陵と海が近いエリアだったのを埋め立ててきた歴史があるので、埋立地とそうでない箇所の高低差がすごい。「横浜は坂が多い」と言われる所以。 ・この坂のエリアは崖崩れが起きやすい。横浜市の最大の地理的弱点だと思う。 ・そして単純に坂のある地域は住みにくい。子供がキックボードやストライダで死にかける。 ・ハザードマップを見ると崖くずれ注意のエリアが点在しており、この付近の住民は大雨のたびに避難指示発令に悩まされる羽目になる。 ・埋立地のエリアも大きく2つに分かれており、昭和以前に技術の未熟な西区や中区の中心地(横浜駅〜関内エリア)を埋め立てたところは海抜が低く、地盤が弱く、大雨の時の内水や液状化の恐れがある。ここに住む増田は大雨のたびに毎回ヒヤヒヤしている。ただ横浜市にとってこのエリアは経済と行政の中心地なので、必死に土木工事をして改善中。 ・みなとみらいエリア(新しい埋立地)は十分な高さの盛り土、地盤改良、排水設備が揃っており、内水や液状化の心配は少ない。ただみなとみらいエリアはコンビニが少なくOKストアーが殺人的に混雑する(ハザードマップ関係ない話題)。 ・山手や浅間台、野毛山エリアのような高台エリアはハザードマップ的には最強。ただし地価も最強。 ・まとめると 坂の上 > 新しい埋立地 > 古い埋立地>>> 坂 横浜市西区、中区はチートレベルで住みやすいと思う。 ・住宅が都心よりも安い(除く高台エリア)割に、横浜駅エリアや関内エリアの文化施設や商業施設を利用でき、カーシェアリングやLUUP、UBERなどサービスも充実しているので、自宅に必要な機能を都市のなかにアウトソーシングできる。 ・その割に夜間人口が少ないので、保活は楽勝。川崎属国エリアのような教育戦争に巻き込まれることもない。もちろん積極的に中学受験をやることもできる。 ・とにかくあらゆることに対する選択肢が多い。でかいショッピングモールで便利に過ごすもよし、ローカルな店を探して商店街をうろうろするもよし。電車でもバスでも自家用車でもカーシェアでもLUUPでも移動できる。急な雨が降って���アイカサがある。 市長が山中氏になってから変わったこと (今夜追記する) それでお前がこれから家を買うならどこにする ・西区、中区は引き続きオススメだが、地価が上がっちゃったからな… ・二俣川駅の南側。新横浜線ができてアクセスが改善し、相鉄がジョイナスを作ったので買い物もしやすくなった。こども自然公園というバカでかい公園がある。まだ世の中は「免許を更新しにいくところ」で認識が止まっているので狙い目。 ・鶴見川の氾濫で形成された平野のあたり。具体的には港北、新羽、北新横浜、大倉山、綱島。広大な平野なので「坂の横浜」とは無縁。昔はそれこそ内水の心配があったが、いまは日産スタジアム(という名の貯水池)が俺たちを守ってくれる。だが既に地価は高い。 ・センター北とセンター南。もはやセンターの意味を知る住民は少なめ。地下鉄が2路線あり、第三京浜と東名の両方が使える。ここも地価は高め。 ・星川。保土ヶ谷というとマイナスイメージしかないが星川だと急にイケてるイメージになる。 ・蒔田駅と南太田駅に挟まれた領域。蒔田公園が素晴らしい。歴史的経緯から外国の人も多い。 ・なんか細かく地区ごとに書いてくとキリがないな。 横浜の良いところ書いてなくね? すまんかった。横浜の良いところは「手薄な行政を補ってあまりある民間の活力、選択肢の多さ」だと思う。 ・東急、京急、相鉄といった私鉄の開発力。 ・商業施設の集積。一大観光地でもある。 ・文化やスポーツイベントも多数ある。金がなくても参加できるものも多い。 ・賑やかな商店街が多数あり、ローカルなお店探しは永遠に楽しめる。 ・そのわりに東京より過密度が緩い(過去に高円寺に住んでいたので、ここで東京は狭いという偏見が強化された) ・半官半民、NPO的な施設も充実している。息子が発達が遅めなのだが、近所に発達支援施設がすぐに見つかったのは助かった。 ・うまく文字に出来ないが「東京とか川崎より横浜!」という郷土愛みたいなものも地域全体から感じる。 ・海の存在。海と都市が近い。東京川崎千葉は湾岸が工業地帯で埋まってしまった。 まあ つらつら書いたけどコンビニとまいばすけっとが徒歩圏内にあることが普段の生活を左右する最大のパラメーターだったりする。
横浜の住みやすさについて
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myonbl · 2 months ago
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2025年5月4日(日)
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今日はツレアイが代表を務める<MQJ(メモリアル・キルト・ジャパン)>の、ニュースレターの印刷・発送日だ。いつものように、京都市市民活動総合センターの印刷室をお借りして印刷、自宅に戻って折り込み・封入、京都市中央郵便局で発送する。連休中なので、配送は5/7(水)になるとのこと。会員諸氏への到着は少し遅れるが、3ヶ月に1回の作業が終わってやれやれ、明日はノンビリ休むことにしよう。もっとも、彼女(訪問看護師)は仕事だが・・・。
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5時45分起床。
日誌書く。
洗濯1回目、冬用の白熊パジャマを洗濯する。
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朝食、お蕎麦がなくなったので解凍したパンを頂く。
洗濯物を干し、2回目をセット。
珈琲を淹れる。
2回目の洗濯物を干す。
昨日編集したMQJニュースのチェック、いくつか修正して仕上げる。
封筒にスタンプを押し、宛名ラベルを貼る。
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<しみセン>の予約は10時、9時40分にうちを出て河原町五条のコインパーキングに車を駐める。受付でコピー用紙を購入するのだが、以前は持ち込み禁止だったものが、いつの間にか可能となっている。次回からは、自宅に溜まったコピー用紙が使えるのは嬉しい限り。
印刷自体は30分もかからない、すぐに自宅に戻り、折り込み作業をする。
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ランチは週末恒例2色スパ、タマゴとキャベツ・ソーセージとピーマン。
彼女はいくつか連絡メモや領収書を用意し、京都市中央郵便局へ。
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私はライフ西七条店で買物、今夜はお刺身だ。
長男から連絡、今夜も19時頃に来るとのこと。
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二男・三男が夕飯を終えたところへ長男来訪、あれやこれや。
片付け、入浴、体重は50g減。
さすがに疲れたので、日誌は明日のことにして布団の中へ。桂米朝「愛宕山」を子守歌に。
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今日は室内作業中心、仕方なし。
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tomoya-jinguuji · 1 year ago
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天壌無窮の皇運を扶翼すべし
3月 14, 2017
FBに短文を投稿しようかと思ったけど、ここは一発話題の教育勅語を考察してみようか。 12の徳目が素晴らしいから教育勅語は正しいんだという論調は全く問題ないんだが、教育勅語が気に入らないと言っている人達が一番気に入らないのは 「天壌無窮の皇運を扶翼すべし」 ここでしょう? ここを論じることなくしては、議論にならないわけだ。 正面突破しようか。 この一文の前にある 「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」と繋げて 「国が危機的状況に陥ったら自らを犠牲にして天皇陛下のために死ね」 と訳して、軍国主義だ〜〜〜とやるわけだ。 「一旦緩急あれば」はまさしく「国の」とは明記していないものの、確かに「危機的状況」には違いない。 「義勇公に奉じ」はもちろん「勇気を持って公の為に尽くしなさい」となる。 「以て」それにより 「天壌無窮の」天地に永遠に続く 「皇運を」後に回す 「扶翼すべし」助けなさい。 ここで皇運をどう捉えるかが問題だ。 皇=天皇陛下と捉えれば 皇運、即ち陛下の運、運命ないしは皇室の運という事になる。 ************ よく考えてみてくれ この教育勅語は 「朕おもうに我が皇祖皇宗「国」をはじむること広遠に 徳をたつること深厚なり」 皇祖:天照大神 皇宗:神武天皇以降歴代の天皇 は、遠い昔に日本国を建設され、代々その徳は深く厚いものだった。 つまり「国」を語るところから始まっている。 そして以下のように続く 我が臣民(略)億兆心を一にして代々(よよ)その美をなせるは これ我が国体の精華にして教育の淵源また実にここにそんす 日本国民は全国民心を一つにして代々その美しさを体現してきたのは、これはこの国の在り方そのものが発露したものであって、正に教育の根がそこにあるのです。 となる。 その後12の徳目が列挙されるわけだが、 なぜ国家を���るところから始まって 一旦緩急あれば、の段に突然天皇陛下お一人のことに話が変わるのか。 全体を読めば「天皇のために死ね」と解する事のおかしさが分かる。 この場合皇運とは皇国の運命と訳すべきで有り、即ち日本国の運命という事になる。 よって「緩急」とは単なる危機的状況ではなく 国家を揺るがす一大事に於いては、と訳すべきで有り、 義勇公に奉じ:その際には自らを顧みず皆のために全力を尽くし、 これをもって 天壌無窮の:天地に永遠につづく(べき) 皇運を扶翼すべし:日本国の運命を助けよ。 となる。 陛下だけ守って国民が居なくなれば、これは国ではなくなる。 公に奉じておいて、陛下だけの運命を守れ、では辻褄が合わない。 6年前の東日本大震災のおりに自衛隊の方々は、自分たちも余震に脅かされいつまた周辺の瓦礫が崩れ自らも二次被害に遭うかも知れないという状況にありながら、必至に行方不明者の捜索を行い、一人でも多くの被災者の命を救おうとしてくれた。 もちろん先の大戦の折にも、硫黄島に向かった兵士達は自らが生きて帰って来れないことは重々承知していた。しかしながら硫黄島が獲られればそこから本土に空襲に向かう爆撃機が飛び立つことが出来る事も知っていた。だからこそ、彼らが一日でも長く抵抗することが本国の愛する家族を守ることになる。だから5日で占領出来ると考えていたアメリカに対して1ヶ月以上も粘り続ける事が出来た。 昨今日本の道徳心が低下した等と言われるが、私は、日本人の心は根底では変わっていないと思っている。 話がずれた。 ************************* 皇運=日本国の運命 を理解するためには、そもそも天皇陛下と我々臣民(国民)との関係を理解している必要がある。 仁徳天皇の民の竈の話は有名だ。 日本独自の伝統~仁徳天皇 詳しい内容は上記リンクに譲る。 臣民(国民)の竈から煙が出ていない、すなわちご飯が食べられていない事を知り、年貢の徴収をとりやめた。おかげで皇居に雨漏りがするほど貧しくなってしまった。この事を苦にした皇后陛下に対し 臣民(国民)が貧しいことは自らが貧しい 臣民(国民)が富めるときは自らも富んでいる と答えられた仁徳天皇。 そして、竈に煙が戻り充分食べられるようになった人々は、 陛下の心に答えて自ら集って皇居を治した。 という話。 この話が事実かどうかは些末な問題だ。 それ以上に1300年近く前に編纂された日本書紀に書かれたこの話が、以降1000年以上の長きにわたって日本で語り継がれ、模範とされてきた事実が重要だ。 日本に於いて天皇陛下と我々国民の関係は、互いにその幸せを願い、助け合う存在だという事。時に人はこれを親と子になぞらえて語る。 陛下は国民を「たから」とよび我々は陛下を敬う。 この陛下と国民との関係を理想として、我々はこの国を代々継承してきた。 この関係は住民を自らの富のために搾取してきたヨーロッパの王の姿とは大きく異なる。結果フランスでは革命が起こり王が処刑される。 時にそのような理想的な天皇陛下に恵まれなかったことも歴史の中にはあったかも知れない。 それは正に夫婦と同様、仲むつまじい夫婦という理想を追いかけながら、現実は夫婦喧嘩もし、日々の様々な問題を乗り越えていく。 同様に、陛下と我々国民の間も長い歴史の間に於いて理想通りに行っていない時期もあったかも知れないが、それでも理想的関係を模索しながら切磋琢磨してきた歴史なのではないだろうか。 そう考えると、現代の我々国民のありかたは、はたして理想的姿を体現出来ているのか、幾ばくかの疑問が残ることを否めない。 また話がそれた。 天皇陛下の国民への思いは今も変わらない。 国民に知ってほしい陛下の祈り 詳しくは上リンクに譲るが、陛下は元旦早朝より日本の国の平穏を願い祈りを捧げる。 また、毎日祈りを捧げてから一日を始められるそうだ。 国民の平和と繁栄を第一に思う陛下だからこそ、日米開戦に最後まで反対されたのは他でもない天皇陛下だった。 大東亜戦争開戦前の御前会議 上リンクより引用
昭和16年9月6日、日本は昭和天皇の前で御前会議を開きます。その席で昭和天皇は、「外交が主か、戦争が主か」と閣僚たちに尋ねられました。及川海相が「重点は外交にある」と答えました。すると昭和天皇は、懐から紙片を取り出され、御自らお詠みになられた。 よもの海 みなはらからと思ふ世に など波風の たちさわぐらむ四方の海は、みんな同じ人間、同じ家族であり兄弟であると思うのに、なぜ争いの波風が起こるのだろうか。そう詠まれたこの歌は、明治天皇の御製です。昭和天皇のこのお言葉に、列席した閣僚たちは、全員、ただうなだれるより言葉がなかった。しばらくの間、誰もがうつむき、言葉を発する者さえなかった。
そして終戦を決断出来なかった政府に、終戦の聖断を下したのも陛下だった。
「��水久常の手記」(終戦時内閣書記官長)天皇の聖断で受諾した“ポツダム宣言”
上リンクより引用
そして、いまにして思えば、終戦ができたのも、一に天皇陛下の御仁徳のおかげであった。陛下の真のご信念はいつも平和にあった、ということを、私はそのときほど強く感じたことはない。戦争終結の動機も、実にそのご信念から発したものであった。
陛下は常に国と国民の平和と繁栄を望み、その為に祈っている。 だからこそ我々は陛下のため、即ちこの国のため、この国に住む家族全ての同胞の為に資力を尽くす。 これを君民一体という。 これが理解出来れば、 皇運がすなわち我々全て日本に住む国民の運命だという事が容易に理解出来るはずである。 ******************* 最後に教育勅語のそもそもの在り方を好く現していると思う末尾を語って締めくくろう。 この道は(略):即ち12の徳目 古今につうじて謬(あやま)らず:昔から今に至るまで変わらないことで 中外にほどこして悖(もと)らず:外国の人達に伝えても正しいことです。 「朕汝臣民と共に拳々服膺して みなその徳を一にせんことをこいねがう」 私は、あなた方国���と共にこの正しい道理(12の徳目)を両手で大事に抱くように大切にしします。だから我々みながこの徳を一緒に体現していくことを願ってやまないのです。 教育勅語を支配者である天皇が従属者である国民に対して、あたかも命令のように下したものであると主張する旨が如何に根拠のないものか、この最後の一文を理解すれば良く分かると思う。
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38nakao · 1 year ago
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2024.03.13(水)
100%勇気!10000%やる気!10%元気!(労働残り2)
 結局前回の日から空いちゃった。なぜってケータイを会社に忘れたからである。書きたいことも流れてしまって、今なんか書きたいなと思えたから書いている。
 最近気づいたのだけど、やりたいことを今すぐにやれないとやる気のピークが過ぎて、そのままやりたいことが流れ去ってしまうのがわたしらしい。やる気の継続性がない。ただ、やらなきゃいけないことはよく知っていて、わりと優先度も分かっていて、それでもやりたくないとやらない。そういう時はもっとやりたくないことを強制されてるときにやる。そういうことで、労働中に新生活に必要な家電と寝具を調べて購入したり、忘れてた歯医者の予約などをした。(基本的に多動で、何かやってるときに違うことを出されると、そちらに注意や興味が削がれちゃう。どーしよ)
 この前、某夜学バーで『蓮と刀』という作品の講義を聞いた。橋本治さんは『「わからない」という方法』という本だけしか知らないし、なんならそれも前半しか読み終えてないけど、わたしが小さい頃ぶち当たって納得しないままやってたことに対して触れていて、あー!そうそう!なんかこの人わたしのこと分かってくれてる!?と思ったのを覚えている。それくらいの知識で観に行った(そんなのでも良いと書いてあったから)。
 メモもしてないので言葉とかニュアンスがぐちゃぐちゃのふわふわだけど、講義中に「みんなホモになれ!」なんて言葉が何度も飛び出した。もちろん本の中で出てるから講義にも出るわけだけど、まだ同性愛への差別がすごい時代だろうに、そんなストレートな言い回しできるのはすごいなと思う。今の時代ならそこだけネット記事とかに取り上げられて、本来言いたかったことは少しも触れられずに、「橋本はパヨク」とか「ホモセックス推奨おじさん」とか言われちゃうんだろうな。
 どんな本か言われたらすごくむずかしいけど、「本当に自由になるためになるには。今の不自由さについてやそうなってしまった背景から読み解いて、解決までを指し示した本」だと、わたしは感じた。
 どきりとしたのが、「『おとうさんがこわい」と言い出せないまま大人になった男がおじさん」という言葉。「おじさん」というのがなぜ偉そうなのかは、年を取るだけで権力を得られることに気付かずに精神は子どものままだから、みたいなことも書かれていて、そうそう!と頷いていたら、急に耳の後ろあたりをぷちっと針に刺された気がした。
 それを「お母さん」に置き換えたら、わたしもおじさんになってしまうのだ。
 今年で33になるのだけど、まだお母さんが怖い。わたしに関することで体裁が悪いことだと自分のことでもないのにヒステリックに詰められるのだ。
「あんたはもっと賢いと思ってた」「お母さんに惨めな思いさせる気?」 「むかし〜〜したのが馬鹿みたい」
などなど、大抵のトラウマはお母さんから与えられた。これだけだと毒親と思われてしまうから、そうでないことを話しておくと。やってみたいと言った習い事はさせてくれたし、それの送り迎えをして、朝早くからパート行って朝夜のご飯を用意し、それをずっと続けていた。いま思えば、お母さんも忙しくて大変でつらくて苦しかったんだった。そりゃあ習い事と学校以外じゃ遊んでばかりで、ろくに話もせずご飯が済んだらすぐ遊びに戻って家事の手伝いをまったくしないんだから、そりゃあ腹も立っただろう。その鬱憤が晴らすタイミングが必要で、それがほんとに叱らなきゃいけないときか、こっちの不手際を責めれるときだったんだろうなあ。
 わたしにとって、お母さんは権力だった。
 手伝いをしようとすれば「どんくさい」「要領が悪い」と指摘され、テストで90点だったら何で一問だけ間違えたのかと指摘され。怒られまいと、「それ本当は知ってたのに勘違いした」と本当にそうなので言えば「言い訳するな」「何で確認しなかったのか」と怒られ、また要領について掘り返されて怒られる。
 100点を取ると、褒められるでもなく「よーし」だった。それなのでテストは90点がボーダーで、それ以下は馬鹿だと思っていた。100点を取らないと認められないと思っていた。塾も通ってたし、その上で学校の授業も宿題も真面目にやってたから、そんなに苦労はしてないのだけれど。この積み重ねでカンペキの反対はダメ、0か100かの二進法価値観になったのは否めない。自分でもできるのに、なぜできないのだと思ってしまう節がある。
 もう少し褒めてもらっていたら。小さい頃は今よりも思ったことをうまく言えないし、あまりお母さんと会話をした記憶がない。どんなひとなのかよく知らず、褒められるより怒られてばかりなので、お母さん=怖い・絶対という城ができてしまった。弟の方がわたしよりも弱くて泣き虫で、わたしまで何かあったらお母さんは嫌だろうな、とうまく甘えられないのもあった。いま思えば、わたしがお母さんを知ろうとしないのも良くなかった。
 高校になってから、わたしの中でお母さんの権威がハリボテだったと分かって怯えたりすることはなくなったし、そこそこ対等に話せるようになった。だけど、お母さんにとってわたしは子どもで不完全で、親は子より上にいなきゃいけないと思っている。そういう態度が抜けないから、お母さんに話さなきゃいけないことが話せないままでいる。
 お母さん、わたしは遂に仕事を辞めたよ。お母さん、わたしは最近一人暮らしに戻ったよ。あんだけ反対されたのに。
 どうせゴールデンウイークに実家に帰らないといけないので、その時に言うつもりだ。
 お父さんに怖いと言えずに育った男がおじさんなら、お母さんに怖いと言えずに育ったわたしはおばさんだろうか。
 不安や恐怖に対して、立ち向かうではなく逃げ続けて、その向こうに行けば何かあるかもしれないのに。
 お母さん、わたしはあなたのことが怖かった。今でも怖い。あなたは不安から逃れるために労働をしている。その労働を嫌だと、辞めたいと思っているのに、見えない不安が怖くて頼まれてもないのに指定時間より早く準備をし、指定時間にタイムカードを切る。なんて勤勉な労働者でしょう。
 お母さん、それを続けても不安はなくならないよ。それで幸せならばそれでいい、それを続ければいい。なのに、わたしが「普通の社会人」から外れると惨めになったり嫌な気分になるのは、お母さんが満たされていないからだ。それをわたしのせいにしないでくれ。お母さんは災害なんかが起こると「こうして屋根があってご飯が食べられるだけ、ありがたいよね」というでしょう。ありがたがるのなら、本気でありがたがれ。幸せになれよ。自分を安く見積もるなよ。自分の人生を歩んでくれよ。
 昨日かな、会社で後輩に話しかけたら「中尾さん、最近ウキウキしてますよね」と言われた。そりゃあ有給が2ヶ月も消化できるのだし、毎朝8時に起きて日付をまたぐかのスレスレの時間に帰る生活も終わるのだ。
 新しいことがたくさん始まる。
 正直なところ、見切り発車なところも多いし、把握してないことも多い。辞めてしばらく経って、やべー!!!と思うことは間違いない。でも考えられるときに考えたらいいし、頼れるひとにうまく頼ればなんとか大丈夫だと思う。
 トラブルは予測するに越したことはないが、起きるかどうかも分からないトラブルに怯えて立ちすくむなんて、そんな馬鹿なことはもうしたくない。
 言い訳なんてしてる暇はない。怖いことだらけだけど、やるしかない。
 これからは全部の責任を自分で負うのだ。そうして、わたしはわたしを幸せにすんのだ。
 
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shinayakani · 1 year ago
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240111 状況と言葉(断層のただ中で)
 さて何から書いていこうか、などと書き出せるのならまだいいものの、書きたいことが全く見当たらない。年末年始にまで至る数ヶ月の間は雑事に追われていたこともあるが、持ち前の怠惰が遺憾なく発��されていた(能動的な怠惰って何?)と、弁明せずに言えばそれに尽きる。しかしそれとは別に、私が言葉を綴ったところで、その言葉たちがどんなものであっても、現実と対峙するにはおそろしく安直で愚劣なものにしか映らなくなってしまうような出来事が、現在進行形で起こっている。いや、そもそも何十年もの間ずっと起こり続けていた。
《教えてください。/非暴力で訴えても世界が耳を貸さないのだとしたら、銃を取る以外に、ガザの人たちに他にどのような方法があったでしょうか。反語疑問ではありません。純粋な疑問です。教えてください。》――岡真理『ガザとは何か』
 国際法は機能していない。「暴力が支配するところ、暴力だけが助けとなる」。おそらく。私はそんな世界で生きていたくないし、人間は生き続けることができない。しかしまた、あからさまな暴力や不正が行われ続けているにもかかわらず、あたかも何事もないかのように隠蔽され取り繕われた日常を生きることが、どこまでできるだろうか。一つの固有名、パレスチナ――これまでの「歴史」が一気に凝縮されたかのような土地の、名――を避けるようにして、それどころかあたかも存在すらしていない/いなかったかのように書かれる言葉の欺瞞。私もその欺瞞を共有している。遠く離れた土地での出来事だって? いまでは訳知り顔で「恥辱」という言葉を使うことも、自身を省みて「ヒューマニティー」を易々と鼓舞することすらも耐え難い。だがそれでいて、沈黙することは許されていない。苦境を生きる者(当事者、マイノリティ…)や傍観者(非当事者、マジョリティ…)というお馴染みになった区別は、出来事を語る際にただ自身の安全を担保して距離をとるための手段になってしまうのなら、適切なものとは言えない。そして長く続くこの惨状に関して、外地への収奪によって駆動し続けた末に現在まで至った「近代」の歴史を少しでも顧みれば、発言する者の複数の立場などというものは、もはや存在しえるのだろうか。現在の虐殺を、いまに至る占領を止めさせること以外に。
(240104)
《ツィフェル「ちょっといっておきたいことがある。民衆が権力を奪取するのは、ぎりぎりの窮地に追いつめられたときだけだよ。このことは、概して人間はぎりぎりの窮地に追いつめられたときにだけ思考する、ということと関連がある。首筋まで水に漬かったときだけなんだ。ひとびとはカオスを、革命を恐怖する」
カレ「それを恐怖するばっかりに、とどのつまりは地下壕のなかに、頭上には爆撃の音を聞き、背後にはSS隊員の拳銃を感じながら、うずくまることになるんだ」
ツィフェル「そして腹のなかはからっぽになり、子どもの埋葬に外へ出ることもできなくなるんだな。しかし秩序は厳然と支配していて、ひとびとにはほとんど、ものを考える必要がなくなるだろう」
〔…〕
ツィフェル「きみに誤解されないように付け加えておくと、ぼくはひとびとを批判してはいない。批判するどころか、その逆だ。尖鋭な思考は苦しいもので、それをできる限り避けるほうが、理性的なんだ。ぼくが知っている国々のように、異常なまでの思考を余儀なくさせる国々では、ほんとの話し、とても生活は不可能だよ。不可能だよ、ぼくが生活と名づけるものは」》
 ――ブレヒト『亡命者の対話』ⅩⅣ章
 戦時中に異国の地を転々としていたブレヒトによって書き継がれていた本のなかで、上に掲げた対話は「革命と思考とにたいする恐怖について」と題された章で交わされる。私が住んでいる国においてはとりわけ、誰もその内実を知らない「革命」というものを、何も性急にぶち上げたい訳ではない(念のため。政治に関して言えば、その言葉が特に空疎なものに響くというよりは、私たちにはもっと最低限な認識すら欠けているのが現状だろう)。ここで気になるのは、「革命」と「思考」と呼ばれるものが、互いに密接に関係するものとして言われていることだ――《概して人間はぎりぎりの窮地に追いつめられたときにだけ思考する、ということと関連がある》。
 人が何事かを思考しはじるのは、それを不可能にする事態に直面した時だけだとするならば、普段の生活において行っているものは、どこまで思考と呼べるものなのか。文中《厳然と支配していて》と言わるほど圧制的なものではないにしても、秩序は存在している。その中でそれなりの生活を享受している私たちは、一時的に「カオス」から守られもするだろうが、はっきりと目に見えてやって来る外部からの衝撃、またはそれまで(確実に存在していながら)眼前に一瞬だけ過るものにすぎなかった内部の破れ目から漏れ出したものによって、いつの間にか、これまでの自動的な習慣を取り繕いながら維持し続けることは不可能なものになって行く。そこにおいてこそ思考が発生する余地があると言うこと――だが、それ自体も「カオス」の領野に属するものを、受動性においてもなお引き受けなければならないというのは、困難な要請ではないか。何よりも身体が直接的な暴力(戦争、窮乏、災害、病い…)に曝されている状況にあっては、なおさら「思考」などと安穏に言ってはいられない。
 なるほど、人は自分自身が耐え難い災厄に遭遇してみないかぎりは、他者の苦痛を、よくても「想像を絶するもの」と片付けるだけで、それについての思慮を能動的に働かせるには及ばないのかもしれない。現在の生が、自分たちの安全が、維持されているかぎりは……。そんな風に呟きながら行き着く先が、偽装された政治的言説にお決まりの賢しらなニヒリズムに陥るか、道徳教師よろしく訓戒を垂れるだけならば、もっと救いがない。西欧流��ヒューマニズムの復権なんてもうとっくに擦り切れていて、場合によってはそれが発言する者の利害に関わっているものにすぎないようにも思われる。しかし、そういった気分もまた、ともすれば単にシニカルな認識をもたらすだけならば、共犯的な愚かさだ。
 たとえ自身の罪悪感や無力さから出発したもの(ヒューマニズム?)であったとしても、人々を、どんな形であれ現状に抗する行動と思考に駆り立てる動機となるならば。狂気一歩手前で、「われらの正気を生き延びる道を教えよ」。兆候となる自発的な行動と、やって来るはずの未だ形を成していない思考が、これまでのヒューマニティとは異質の次元を切り開くものとなるならば……。
(240109)
 政治的な発言をする時、曖昧な言葉を繰り返し口に出すだけならば、それは有効な力を一切持たない。私の言葉は優柔不断なものに見えるのと同時に、読み返す気がまったく湧かないほどに、ひどく固まって動きのないもののように思えて、息苦しい。ここでいつも似たような言葉を書き綴っていたことにも言えるが、その度に経験と知識が足りないことを痛感させられる。言葉は、その意味が了解可能なものになり、さらに手垢に塗れた使用に慣れたものとなった時、すでにその役目を終えてしまう(言うまでもなく、政治的な性質を帯びた言葉に限った話ではない)。それに比べると、上に引いたブレヒトの言葉からは何度読み返しても不思議な魅力を感じる。事態は切迫していて、現実に彼の政治的な立場は明確なものであったと思うが、彼が書く言葉にはいつも奇妙な揺れがある。曖昧さとも異なる、この距離感と軽やかな(?)動きは、いったい何なのだろう。
 この本を読んでいたのは昨年の九月だったようだが、そもそもブレヒトを読みたくなったのは、同じ頃に久しぶりに手に取った『彼自身によるロラン・バルト』で度々言及されていたのがきっかけだった。
〈R・Bはいつも政治を《限定し》たがっているように見える。彼は知らないのだろうか? ブレヒトがわざわざ彼のために書いてくれたと思われる考えかたを。/「私は、たとえば、ほんの少量の政治とともに生きたいのだ。その意味は、私は政治の主体でありたいとはのぞまない、ということだ。ただし、多量の政治の客体ないし対象でありたいという意味ではない。ところが、政治の客体であるか主体であるか、そのどちらかでないわけにはいかない。ほかの選択法はない。そのどちらでもないとか、あるいは両者まとめてどちらでもあるなどというのは、問題外だ。それゆえ私が政治にかかわるということは避けられないらしいのだが、しかも、どこまでかかわるかというその量を決める権利すら、私にはない。そうだとすれば、私の生活全体が政治に捧げられなければならないという可能性も十分にある。それどころか、政治のいけにえにされるべきだという可能性さえ、十分にあるのだ。」(『政治・社会論集』)〉――��ブレヒトからR・Bへの非難」
 バルトが上に引いている警句にも、どこか奇異な言葉の揺れ動きがある。そしてバルトは同断章の末に、政治的な言葉が反復されずにすむ(手垢に塗れ固定したものにならずにすむ)、まれな条件を三つ上げている。その中の二つ目はブレヒトに関わる場合(それも「控えめな場合」)として、こう言及する――〈著述者が、ことばづかいというものについて単に《知的理解》さえもっているなら――みずからの生む効果についての知識によって――厳密でありながら同時に自由な政治的テクストを生みだせばいい。そういうテクストは、すでに言われていることをあらためて発明し変容させるかのように働き、自身の美的な特異性のしるしについて責任をもつことになる〉。さらにまた、以下は別の断章で詳述されているもの。
〈ブレヒトの場合、イデオロギー批判は、《直接的に》おこなわれているのではない(さもなければ、それはまたしても、しつこい、同義語反復的な、戦闘主義の言述を生み出す結果となっていただろう)。それは、美的な中継を経ておこなわれる。反イデオロギーが、ある虚構の下に身をひそめるわけだ。リアリズムの虚構ではなく、《適正な》虚構にたよるのだ。たぶん、ここにこそ私たちの社会において《美的なもの、美学》の演ずる役わりがあるのだろう。《間接的でしかも他動詞的な〔現実に働きかける〕》言述のための規則を提供する、という役わりである(そういう言述は言語活動を変形することはあるけれども、みずからの支配力、みずからの善意を掲示したりはしない)。〉――「イデオロギーと美学」
 《美的なもの、美学》? 危機が切迫している現状において、それは慎ましいもの、どころか全く呑気で欺瞞的なものに響くだろうか? たしかに、あたかも外部の喧騒から逃れることができるかのように自律性を誇示するだけの言葉を書くだけならば、そうだろう。しかし、言葉を読む/書くという思考の次元というものがあるとするならば、それは、実際に身体が生きている現実から影響をつねに被り続けながらも、現実の生に対して謎めいたずれや断層を幾重にも孕んでいるものだ。言葉は現実そのもの(出来事やそれぞれの生)に対して、直ちに結び付くことはない――「早すぎる、遅すぎる」。ましてやそれが、当然のように久しく繰り返されてきた愚劣を打ち破るために、現在に介入しようと試みる言葉であるならば。もちろん、短絡的に大多数の人々に動員を促すことは、つねに心許ない。その意味で思考、言葉にできることは、あまりに慎ましいものだ。
(240110)
 ブレヒト=バルトの教え。リアリズムではない《適正な》虚構が、具体的にどのようなものであるかは、引用したバルトの文章からはそれ以上詳述されていないが、彼によれば《間接的でしかも他動詞的な》言葉は、読む者の言語活動を変形させる。さらにまた、その言葉によって語られる物事は、反復され自���視されたものとしてではなく、つねに奇異なものとして示し出される(再発見される)。出来事は、つまり、変容可能性に開かれたもの(変化の兆し)として見出される。
 おそらく、美的なものは、あらかじめ自律的なものとして創造されるのではなく、まず第一に外との折衝がなければ生み出されえない。どこまでも「政治的な」現実に対峙しながらも、現状を掻い潜るように揺れ動き、読む者の言語活動(思考の動き)を変形すべく働く言葉――現実に働きかける「問い」となる言葉を、いかにして書くことができるか。
 ここでふたたび、書く身体と読む身体の問題に帰ってくる。
《僕は一体的な作品群〔body of work〕を作り上げたいと考えたことは一度もない。ただ、僕らの体〔body〕――息をする、説明の付かない存在――を作品の中に保存したいとは思う。》
《偉大な本は政治的なものから自らを“解き放ち”、差異という障壁を“乗り越えて”、普遍的真理に向けて人々を一つにする、と人は言うだろう。それはとりわけ、技巧を通して成し遂げられる、と。では、その方法を具体的に見てみましょう、と人は言う――まるで、そうして組み立てられるものが、それを作った衝動とは切り離されるかのように。まるで人間の姿形を考慮することなしに、最初の椅子がこの世に現われたかのように。》
 ――オーシャン・ヴオン『地上で僕らはつかの間きらめく』
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alaephoenicis · 2 years ago
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【翻訳】〈イーヴィ・カプラー〉黄金時代へ 〈3〉:タイムラインの相関関係 - 終末の創造主のコード
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オリジナル・タイトル&動画🔗:Auf ins goldene Zeitalter - Teil 3: Korrelation der Zeitlinien - Endzeit - Ur-Schöpfercodes
公開日:2023年9月18日
【和訳】ALAE PHOENICIS
 (最新情報➡Telegram)
イーヴィ・カプラーについて
イーヴィさんは透視能力をもって生まれ、「子供の頃から自分だけの世界で生きていた」といいます。年頃になると、母親に勝手に銀行へ履歴書を送られ、「これも道か」と従順に銀行員になって働いていましたが、並行してヒーラーとしても活動し続けていました。数年前に「自分の本来の天職に絞る」決心をし、銀行を退職。これまで20年間、エネルギー・プラクティショナー、意識トレーナー、透視ミディアム、エネルギー・ヒーラーとして活動してきた実績の持ち主。
はじめに
時期が訪れたアイデアほど強力なものはない ヴィクトル・ユゴー
今日は私たちが移行してきている暗黒時代の終わり、この先どうなるのか、そしてここ数ヶ月がどういう状態であったのかをお話します。
タイムラインというものを通して、人はどのような影響を感じ、またその時点でその人物の心理面、微物質面、精神面、そして肉体的内面にどのようなプロセスが引き起こされるのでしょうか。
それは解放の時であり、私にとっては黄金時代への道を示すものでもあります。
生きる喜びを見出せないこともある地球を、私たちに押し付ける者たちの権力主張の終焉でです。これより皆さんを時空間の連続体へと旅へお連れしますので、一緒に大宇宙を駆け巡りましょう。
沢山の重要な情報があります。細胞の記憶についても触れます。
遺伝学、ある程度は後成遺伝学(エピジェネティクス)、そしてどの記憶空間が人為的に作られたのか、その背後にあるエネルギーは何なのか。私は、数千年前から繰り返されており、2023年以降に正真正銘のクライマックスを迎えることになる相関関係に踏み込んでいきます。
このすべては、いつものようにミディアム(霊媒)・コーチ兼エネルギー理論家の私の見解であり、あなたのハートに耳を傾けて、共鳴するかどうかを確かめ、共鳴するものだけを自分のために受け取ってください。
無意識空間の解放
そうです。私たちは、この時代に優れた助っ人、先見者、支援者となって、地球と宇宙を高揚させ、パラダイム・シフトを起こすためにここへやってきました。私たちはまた、思い出すため、つまり記憶を取り戻すためにここに居ます。
この文脈において、こんな素敵な言葉も:
「覚醒する」とは、自分が何であるかを捨てることではない。自分で���いものを捨てるということだ。これは、まさにそういうことなのだ。
私たちは神聖な形ある存在であり、この居場所を占めるために非常に強力に密度を濃縮させました。そして、二元的世界観でいうところの邪悪とは、究極的には無意識にすぎず、邪悪とは常に分離の周波数です。そして人間は、そのプロセス、プログラミング、習慣の95パーセントをこの無意識の空間に保存しているため、そこに飛び込み、そこに含まれる感情、音、状況、すべてを覚醒した意識へと呼び覚ますことが重要であり、癒やしとなるのです。
ここ数年、私たちはこの凝縮された、そう、しばしば意識されない、そして忘れ去られた、あるいはカプセル化されたエネルギーをますます溶解させています。そうすることで、私たちは創造主のコードの中にスペースを作り出しているのです。私たちのブループリント(青写真)に反映されているオリジナルのクリエーターコードです。
タイムライン(時間軸)
先に話を進める前に、まずタイムラインから始めます。
というのも、ここ数ヶ月の間に、非常に印象的なことがここで起こっているからです。また、それがどのように発展していくのか様子を見ていました。というのも、地球の表面ではすでに激しい揺れやそれに関連した出来事が起こっており、直接に目には見えなかったかもしれませんが、非常に印象的だったからです。
まずは、皆さんもおそらく既にご存知の、タイムラインが何であるかを説明します。人間が宇宙的に多次元的であるように、タイムラインも多次元的です。
タイムラインは特定の周波数領域を内包しており、この領域を保ち、フレームに収め、枠組みを与える。このことを理解するためには、線形の時空連続体という思考からも私たちは離れなければなりません。
私たち人類の歴史において今後起こることはすべて、たったひとつのタイムラインに集約されます。説明としては、太陽光線が虫眼鏡の上で合流し、それが真ん中で焦点を結び始め、虫眼鏡の反対側に強力な透過光線として現れるのを想像してください。これらの小さな光線が、ひとつの大きな光線、ひとつの本質的な光線を生み出すことになります。そしてすべてのタイムラインは、この計画フィールドで合流することになります。つまり、地球という惑星の話なので、これは地球フィールドのことであり、その本質となるタイムラインが刻印されるということです。
過去と未来の統合 ― 「今、ここ」
私はよく、日常生活の中で、それほど本質的なことではない特定の決断が、タイムラインの変換を引き起こすことはあるのだろうか、という質問を受けます。本当によく聞かれるのですが、私ははっきりと「ノー」と答えます。なぜなら、それによってあなたの全体的な周波数が変わることはないからです。あなたは依然として全体的な周波数の中にいて、魂の計画と同様、別の道を選択するさまざまな可能性はあちこちにありますが、大まかなデフォルトは残っています。
しかし、私たちが過去のあるレベルにおいて非常にトラウマ的な何かを経験していることに気づいたとき ― だから私たちは「基本的��・トラウマ」について語るわけですが ― 例えば、アトランティスの暗黒化の時代やレムリアの滅亡など、目立ったものを2つ挙げるとすれば、ですが…他にも全く別のもの、私たちの細胞の記憶から消去されてしまったために、もはや覚えていないものもあります。そうした記憶がまだ残されている場合、それは私たちの細胞構造と結びついて繰り返されることになり、嵐、洪水、火事、火山の噴火、そして私たちのこの時代に起こるあらゆる激変もそれと同様です。
自覚があろうとなかろうと、その時の記憶が存在し続けている限りは、それを精算し、過去と未来を再統合することを意味しています。あなたがそれを望むのならば、です。
過去と未来という現象は、「今、ここ」という時間の質を形成します。そして、“今ここ”というのは「現在」という瞬間に向いており、そこから私たちは微物質的な形態へと拡張していくのです。あらゆる時間、あらゆる空間へと。
そして、ますます多くの人々がそれを活用するようになっているので、とてもエキサイティングです。今まさにエキサイティングな時であり、過去の高度な文明にあった純粋な演出を信用するのであれば、すでに別の時間レベルでこれを経験しているため、私たち自身の感覚、感知、行動の中に、その最初の証を得ていることになります。
タイムラインの相関関係
以上のプロセスは、私たちの青写真から濃縮されたエネルギー的パケットを放出するので、私たちの「身体-魂-精神-システム」にとって非常に重要でもあります。つまり、非常に素晴らしいことが物理的なレベルでここでも起こっており、すべての形而上学的身体における統合が肉体を超えて広がっているのです。
ですから、ダウンロード・コードは太陽といった外側からだけではなく、むしろ自分自身の内側からも受け取っており、それはタイムラインの重複があるからで、これによって情報が形態形成フィールド(morphogenetic field)に入り、意識に統合的に固定され、私たちの青写真を通して作用する、となっていることが想像できます。
つまり、私たちはつまるところ "意識 " であり、ここで私たちはますます多くの情報を得ることになるのでワクワクするわけです。だって、微物質的な世界(スピリチュアリティ)は私たちから切り離された存在として知覚されるべきものではなく、私たちの現実の一部を形成しているのだということに、ますます多くの人たちが気づいているからです。
この情報を統合的に知覚することは、心臓のトーラス・フィールドを介して起こります。これはまた、私たちのハート、直感、ミディアム的なチャンネルや能力が相互作用し、心臓トーラスを介してさらに多くの情報を吸収できるフィールドを作り出すということでもあります。
そう、そして春から夏にかけて、私の認識ではもう一つのタイムラインが加わりました。今までは、そのタイムラインは分断された形で浮遊しており、そのタイムラインとつながりのあった存在だけが記憶空間や情報と接触していました。そしてこのタイムラインは複数の魔法的なレベル(層)とも関連しています。これは神話の世界と同じで、既におとぎ話、物語、伝説、あるいは魔術のような物語形式を通して��無意識のうちに私たちみんなの中にあったし、儀式のようなものも用いてきました。しかし今では、異教的なものからギリシャ神話やケルト神話の神々、そしてこれらの諸世界に至るまでのものが、ある周波数をこのフィールドにもたらしてきているのです。
また、そこには1297といった非常に神聖な数字の組み合わせもあり、魔法レベルに関する限り、例えば3、7、12といった数字もあります。これらはほんの一例です。しかし、これらの周波数はいまや私たちの既存のタイムラインと連動し、そのために多くの情報がここで明らかになったのです。
この件に関しても多くの方からご連絡をいただき、いろいろ出てきたことについてその都度話し合うのはとてもいい刺激になりました。
タイムラインの統合
それは、私たちにとって何を意味するのでしょうか?
とても並外れていて、とても感動的なものになることでしょう。なぜなら、特に神々のテーマ、領域、中間世界、冥界、そしてアストラル層は、繰り返し我々のいるこの場所に登場するわけです。私はアストラル層は第4のネガティブ密度だと見なしているのですが、この層と契約関係にある人々の夢の中にも飛び込んできて、記憶空間を開いてくれます。
そして私がいつも言っているのは、意識の旅をすることですが、アストラル層を旅するのは控えめにしましょう、ということ。なぜなら、アストラル層にはあらゆる物体が行き交い、喘ぎ声がしてジメジメしており、時には必ずしも私たちに役に立つとは限らないエネルギーも付着するからです。持ち帰ってきた魔法のレベルは、しばしばエネルギ―的な攻撃のように感じられる落とし穴となることもあるのです。
ここでもまた、転生してきた中でいつか締結されたことのある非常に古い契約が関係していて、このタイムラインはそれ自体が結合したため、それが突然再び露呈したのです。そして、ルシファーのレベル、つまり暗黒のレベル、そしてアストラル契約を繰り返し消去して、これらから自由になることを私はお勧めします。誰もが自分自身のために、これを実践することができます。
この攻撃はどのように感じ取るものなのでしょうか?あるいは、突然、呪いに対処しなければならなくなった時、何が起こるのでしょうか?
呪いには非常に微妙なもの...さまざまな種類と影響のレベルがあります。何かが強迫的だと感じるときはいつもそうです。何かが依存対象になったり、繰り返し考えるようになったり、典型例としては恋に落ちたり、身体的な症状が非常にはっきりしてきて、過去の何かを思い出したりするなど。
これらはすべて、…私に言わせると「広範囲に渡るエネルギー的な攻撃」であることを示しています。
そして、これらの全ては切り離すことができるし、あっという間に消えてしまうことに気づいてください。これらの古いレベル、周波数、時空間を再統合することなのです。
私たちが創造主の意識に戻り、自己啓発に戻り、回想に戻り、そして何よりもハートに戻るのは、それが神的存在がもっている能力だからなのです。
宗教の狂信性は解消されることが望まれています。ここでも、何かが癒されたがっているのです。一人一人の中で。
私たちの知る宗教とは、非常に全体主義的なものです。特に初期の時代には、さまざまな神々が存在し、生け贄の習慣があり、人間の生活には合わない儀式があり、強制的に行われてきましたが、ここでは人の生命はあまり重視されていませんでした。そしてこのタイムラインが統一されることで、全人類に癒しと再統合、そして何よりも変革がもたらされることになります。
これは私たちにとって絶好のチャンスだし、そう思っていて良いのです。
創造主の力
私たち自身の中には創造主のレベルがあり、そこから他の特定の事例と結合することなく、すべてを変化させることが可能です。なぜかというと、セルフ・エンパワーメントを活性化し、輝きは自分の中で光り、燃え、輝いているのだと気づけば、私たちは何でも創造し、何でも変えることができ、ビジョンや夢を生きることができるからです。
私たちのささやかな行動のすべてが、大局に影響を及ぼします。常にそうであり、だからこそ私たち一人ひとりは価値があり、重要であり、またこの時代に必要なのです。
そしてもし、今はまだ魂の課題への準備が出来ていないと感じ、それでも自分にはここで果たすべき課題がある、とあなたが知っているのなら、自分が喜びに思える感覚に従うこと。身も心も軽くなるようなことをするのです。なぜって、私たち一人ひとりに才能と贈物が備わっているのだから。
これらは今、姿を現しつつあります。これらは顕在化しつつあり、そして私は、あなたが100%の創造力を発揮するよう促したいのです。これは、単に自分の創造力をフルに活用しようという意図だけで、往々にして起こることなのです。
そして、こんな美しい言葉があるので、皆さんにお伝えしますね。
神聖なる青写真において、次に私が踏み出すべき完璧な一歩を、はっきりと明らかにしてくれたこと、そして、この青写真を顕現させるための創造と実現に参与するための手段、そして最適な人選を与えて下さったことに、感謝いたします。
遺伝学、後成遺伝学、DNA
遺伝学、後成遺伝学(エピジェネティクス)、そしてDNAの12本鎖について簡単な説明だけしておきます。
私たちのゲノムは、細胞内に存在するすべての遺伝情報を含んでいます。遺伝学は遺伝の理論を扱い、ここではDNA、そして突然変異による変化も同じく中心的要素となります。そして私たちは、DNAの12本の鎖が微物質的に私たちの中に配置されていることを知っています。
多くの人において、さまざまな鎖がすでに紐解かれています。そして、後成遺伝学は、環境の影響と遺伝子との連結部位であると考えられています。つまり、どういう状況でどの遺伝子のスイッチが入るか、あるいはいつまたスイッチが切れるかを判断するわけです。
この観察も非常に興味深いものです。というのも、私たちの医学的な知識にはかなり歪みがあり、それが遺伝情報にまで及んでいるからで、これに対する関心は非常に高いのです。
何より、ここに変化を起こすため…だって私たちはこの暗闇の終末期にあって、黄金時代へと向かっているのですが、ここに来てまたもや錯覚が用いられ、人類のDNAが変化しないよう、特定の医学的手段で妨害しようとしているのです。
一方、ジャンクDNAについての知識も話題です。そして脳のこの5%の能力もまた、現在では広く流布しています。そして、多くの人々に、さらに多くの配列がすでに発見されています。
つまり、より速く移動し、何かがより目敏く近づいてくる、もしくは遠ざかっていくことをいち早く察知する人たちがいる、ということで、それは彼らの透視能力とDNAの配列のせいでもあります。
私の心からの願いとは:このようなプロセスを何とか迅速に進めるために、自らをもっと支援するヒントとしてできることは何でしょうか?
まずは太陽が中心的かつ重要な要素であり、太陽で自分をチャージし続けること、太陽に向かって瞬きをすること、皮膚や光線を通して太陽を吸収することです。太陽はもっと大きくてパワフルなツールで、ここで私たちと相互に働き、私たちをサポートしてくれる。だから、それを第一に考えるなら、私たちの細胞を物質的・微物質的な汚染から清浄に保つことも重要だと言えます。
解毒、良質な水、良質な食べ物、そして何よりも良質なエネルギーがテーマとなります。私たちは何と向き合っているのでしょうか?この間、多くのコンピューターゲームや携帯電話の周波数、特定の映画や広告などを通して、場合によっては異質なエネルギーが伝達され、それが私たちの中に充満することもあります。つまり、これらすべてが私たちからエネルギーを吸い上げているのです。しかし、私たちが何かを吸収し、それが私たちの身体-魂-心のシステムに蓄積され、それがそこに相応しくない場合、それは一種の異物のようなもので、外に出さなければなりません。だからこそ、きれいな浄化、アルカリ性の入浴、そしてもちろん精神的な解毒、言葉の衛生なども必要で、これらすべてがこのパラダイムシフトをサポートしてくれるのです。
ライトランゲージ − 原初の響き
私たちを創造主のコード、私たちの原初的創造主へと導いてくれるのは、実はサウンドなのです。原初の音色、原初の周波数の響きです。
私たち一人ひとりが自分の音色、自分の言語を持っていて、それを通して細胞の意識の中で何かが再活性化され、そうすることで、私たちは精神的、スピリチュアルなレベルで成長することができるのです。 そしてそれこそが、今の時代の私たちにとってものごとを把握する能力を持つ上で重要なことなのです。
同じように素晴らしいことは、私たちの身体との対話です。身体というのは、物理的に凝縮された最終的な構成要素であり、動くことを必要とし、私たちの身体もまた、自分自身を鍛え、自分自身を感じ、それによって力を解放する必要があります。だから運動は、ここでの健康を維持するための中心的な要素でもあります。それから、自分がどんな適性を持っているかも見てください。一方、DNAがより多くの配列を発見しているため、まったく異なる方法で創造の領域とつながっている子供たちもいます。すると、植物の世界や他の微妙な世界との対話、言語があることも観察できます。言語とは、まず言葉による表現で成り立っています。しかし、私た���は実にさまざまな方法でしゃべることができるし、言語の混同というテーマを思い出せば、最初から言語はあったのです。
これについては以前、とても興味深い動画を作ったことがありますが、YouTubeではもう見ることができません。
私たちは今、テレパシーで物を投げたり返したりすることができるのです。私たちはテレパシーで物を動かす能力を持っている。動物やペット、あるいは私たちの周辺に居る動物と触れ合うとき、テレパシーで呼んでみると、動物がそれに感応していることに気づくはずです。つまり、この先の展望として、そしてもちろん対人関係において、このレベルではすべてのことがすでに起こっているのです。
最後に
親愛なる皆さん、関心を持っていただきありがとうございます。心から感謝します。私たちは、これから起こることに備えているのだ、という自覚を持ってください。
私たちはとても大勢で、私たちの自由意志、目的意識、それに伴うすべての行動を、この意識のシフトに向け、自分のハートの呼びかけに従って良いのです。
ここにいてくれてありがとう。
ハートからハートへ
あなたのイーヴィ
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takahashicleaning · 4 months ago
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TEDにて
ブルース・エイルワード:人類対エボラ、恐るべき闘いにおける勝利の戦略
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
世界保健機関(WHO)の職員ブルース・エイルワードは「エボラは、我々を人間たらしめる全てのものを脅かす」と言います。
彼は、穏やかに、エボラ出血熱の感染拡大がどのように起きたのか!
そして、今回の国際的な警告が、どのようにして問題の急速な拡大を助長したのかを説明します。
彼は、エボラに打ち勝つ為の決定的な4つの戦略と、アウトブレイクの中心地でありながらも、ここ数週間で、新たな症例を一例も出さなかったリベリアのロファ郡を例に、どのように、その戦略を実施し、成功を収めたのか!を語ります。
エボラとの闘いで、まだ、勝利を得られてはいないと彼は明言していますが、もし、私たちが正しく行動を起こせば、伝染病に反撃する人類の能力を楽観視できるようになるでしょう。
また、災害直後の感染症対策も重要です。
今日、私は、ここでエボラに打ち勝つ事について、お話し出来ると思���ます。それは、おそらく皆さんの多くが、聞いた事もないリベリアのロファ郡で働く医師ピーター・クレメントのような耳慣れない人たちのお蔭なのです。
ロファ郡が、非常に重要だというのは、こういう理由からです。今から、約5ヶ月前。この感染症がちょうど拡大し始めた頃、ロファ郡は、伝染流行の中心。正に、ど真ん中にありました。
当時、国境なき医師団(MSF)とそこにある治療センターで、医師たちは来る日も来る日も大勢の患者を診ていました。
患者たちとコミュニティは、時間が経つにつれ、ますます、この病気の事。そして、それが、自分たちの家族やコミュニティ、子供たちや親戚にどのように影響するかを恐れるようになりました。
そこで、ピーター・クレメントは、首都モンロビアからロファ郡まで長く険しい道を12時間かけて運転し、この場所での感染拡大を収める手助けをしようとしました。
現地に到着したピーターが気づいたのは、先ほど、私が申し上げたような恐怖でした。そこで、彼は地元の首長と膝を交えて彼らの話に耳を傾けました。そこで、彼が耳にしたのは悲痛なものでした。彼は、この病気に感染した人々の荒廃と絶望の声を聞きました。
痛ましい話を聞いたのです。それは、エボラが人々に与えた痛みだけでなく、その家族やコミュニティに与えた痛みの話でした。
その土地の首長たちの話を聞くと彼らはこう語りました「子供たちが、病気になり、死にかけていて近づきたくても、彼らを抱くことも出来ない。親戚が亡くなる時も慣習に従って、彼らを弔うことも出来ない。
自分たちのコミュニティの風習に従って、遺体を清めて埋葬することも許されないのです」そして、その為に、彼らは非常に当惑し、不安になり切れ目のない伝染病が、目の前で広がっていったのです。
人々は、やって来た医療従事者に感情をぶつけていました。コミュニティを救い手助けしようとやって来た英雄たちは、彼らに近づく事が出来ませんでした。その時、ピーターが、リーダー達に説明しました。リーダー達は耳を傾け、皆は、形勢を逆転させました。
ピーターはエボラとは何なのか?どんな病気なのか?それが、コミュニティにもたらしたものを説明したのです。
エボラは、私たち、人を人たらしめる全てを脅威にさらすと彼は説明しました。エボラとは、これまでのように、子供を抱くことが出来ない事。それまで、やってきたように遺体を埋葬できない事、防護服を着た人たちを信用し、彼らにそうした役割を託さなければならないのです。
そして、皆さん、その後、非常に驚くべき事が起こりました。コミュニティと医療従事者。そして、ピーターが協力しあえたのです。
ロファ郡のエボラ制圧に向けて新たな共同計画を立てました。そして、ここからがとても大切な話となるのです。
しかし、これで確かに、私たちは、エボラに打ち勝つ事が出来ると分かったのです。ここが肝心です。この規模でさえ、この環境で見られた急速な感染拡大の下でさえ、現在、エボラに打ち勝つことが可能だと分かったのです。
コミュニティが、医療従事者と協力し合い共に戦えば、この病気を封じ込める可能性があるという事です。
エボラに打ち勝つ4つの戦略は、御覧ください。必見です。
もちろん、今の課題はこれらの国々で必要とされた規模でこれらの活動をすることであり、それはたいへんな課題です。
これ程の長期に渡り、これ程の規模で取り組んでいると、ある2つの脅威がウイルスに加わってしまうからです。
一つは、ひとりよがりの現実的でない自己満足です。この病気のカーブが下降し始めると、メディアや世界の注目は、どこか他の場所に移っていきます。自己満足は、常にリスクとなります。
もう一つのリスクは、もちろん、長い間、一所懸命働き続け、何か月も寝不足が続くと、誰しも疲れて疲弊してしまう事です。
すると、その新たなリスクにも対処しなくてはならないのです。
覚えておいて下さい!このウイルスは、一つの症例から始まった大きな危機です。そして、最後の一つの症例をもって終わりを迎えるのです。しかし、当時、国に十分な疫学者、十分な医療従事者、十分な事務方
彼らと協力し、すべての症例や接触者を追跡し、この病気が、永久に終焉を迎えるような取り組みが、出来る人々が、各国に十分にいてこそ、初めて収束することができます。
そして、その人たちにエボラに打ち勝つことがどういうことかを伝え、更に、大切な事は、この国々に必要な資源をもたらす支援が出来る人々に対し、こう言い続けてもらいたいのです。
この病気に打ち勝つ事は出来るのだと皆さんがエボラに打ち勝つ為、出来る事を行う事で生き残り、豊かに暮らせる多くの人々が存在するのです。
(個人的なアイデア)
はじめに前提として、日本には、国民皆保険がありますが、アメリカには制度がまだありません。
2020年の新型コロナウイルスのパンデミックで、公衆衛生の重要性が高まりま���。縮小することなどは、愚策と明らかになります。
コインランドリーがある海外とは異なり、エッセンシャルワーカーであり、日本独自のクリーニング師の制度
と日本国内での公衆衛生の重要性が再認識されました(渋沢栄一の時代にも。1918年のパンデミック時もクリーニング師は重要でした)
クリーニング師は、ある一定の公衆衛生の知識と実践は医者と同じくらいの水準を身につけている職業。
海外では、日本と違い感染者数が激増することが、なりよりの証拠。
安さばかりの追求を価値として至上主義化すると製造業以外ではこうなることを露呈させました。
基本的人権の重要性。
エッセンシャルサービスを含めた既存のリアルサービス以外のインターネットに特化したインターネットサービスへの規制強化(人に関わる基本的人権分野)
新型インフルエンザや風邪などの毎年流行時期に患者が急激増加する原因。
安いだけのコインランドリーは、禁止で保健所は、制限した方が感染拡大予防として公衆衛生上良い。
部屋干し、家庭の洗濯機も危険。
前提として、公人、有名人、俳優、著名人は知名度と言う概念での優越的地位の乱用を防止するため徹底追跡可能にしておくこと。
人間自体を、追跡すると基本的人権からプライバシーの侵害やセキュリティ上の問題から絶対に不可能です!!
これは、基本的人権がないと権力者が悪逆非道の限りを尽くしてしまうことは、先の第二次大戦で白日の元にさらされたのは、記憶に新しいことです。
マンハッタン計画、ヒットラーのテクノロジー、拷問、奴隷や人体実験など、権力者の思うままに任せるとこうなるという真の男女平等弱肉強食の究極が白日の元にさらされ、戦争の負の遺産に。
基本的人権がないがしろにされたことを教訓に、人権に対して厳しく権力者を監視したり、カントの思想などを源流にした国際連合を創設します。他にもあります。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の原理として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想に大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権力分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持などの提案もしています。現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
権限が分離されていても、各権力を実行する人間が、同一人物であれば権力分立は意味をなさない。
そのため、権力の分離の一つの要素として兼職の禁止が挙げられるが、その他、法律上、日本ではどうなのか?権力者を縛るための日本国憲法側には書いてない。
モンテスキューの「法の精神」からのバランス上、法律側なのか不明。
立法と行政の関係においては、アメリカ型の限定的な独裁である大統領制において、相互の抑制均衡を重視し、厳格な分立をとるのに対し、イギリス、日本などの議院内閣制は、相互の協働関係を重んじるため、ゆるい権力分立にとどまる。
アメリカ型の限定的な独裁である大統領制は、立法権と行政権を厳格に独立させるもので、行政権をつかさどる大統領選挙と立法権をつかさどる議員選挙を、別々に選出する政治制度となっている。
通常の「プロトコル」の定義は、独占禁止法の優越的地位の乱用、基本的人権の尊重に深く関わってきます。
通信に特化した通信プロトコルとは違います。言葉に特化した言葉プロトコル。またの名を、言論の自由ともいわれますがこれとも異なります。
基本的人権がないと科学者やエンジニア(ここでは、サイエンスプロトコルと定義します)はどうなるかは、歴史が証明している!独占独裁君主に口封じに形を変えつつ処刑される!確実に!これでも人権に無関係といえますか?だから、マスメディアも含めた権力者を厳しくファクトチェックし説明責任、透明性を高めて監視しないといけない。
今回、未知のウイルス。新型コロナウイルス2020では、様々な概念が重なり合うため、均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!人間の概念を数値化できないストーカー人工知能では、不可能!と判明した。
複数概念をざっくりと瞬時に数値化できるのは、人間の倫理観だ。
そして、サンデルやマルクスガブリエルも言うように、哲学の善悪を判別し、格差原理、功利主義も考慮した善性側に相対的にでかい影響力を持たせるため、弱者側の視点で、XAI(説明可能なAI)、インターネット、マスメディアができるだけ透明な議論をしてコンピューターのアルゴリズムをファクトチェックする必要があります。
<おすすめサイト>
シェーン・レッグとクリス・アンダーソン :AGI(汎用人工知能)のトランスフォーマーアルゴリズムな可能性 - そしてそれがいつ到達するか
ダン・クワトラー:ワクチンはどのくらい速く作れるのか?
ケイトリン・サドラー、エリザベス・ウェイン:新型コロナワクチンは どうやって早く開発できたか?
新型コロナウイルス2020からの記録2021
ラリー・ブリリアント:パンデミック阻止に挑む!
ミリアム・シディベ: 手洗いの持つシンプルなパワー
セス・バークレー: HIVとインフルエンザ ー 治療薬。ワクチンの戦略
ビル・ゲイツ:もし次の疫病大流行(アウトブレイク)が来たら?私たちの準備はまだ出来ていない
<提供>
東京都北区神谷の高橋クリーニングプレゼント
独自サービス展開中!服の高橋クリーニング店は職人による手仕上げ。お手頃50ですよ。往復送料、曲Song購入可。詳細は、今すぐ電話。東京都内限定。北部、東部、渋谷区周囲。地元周辺区もOKです
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hangorin · 6 months ago
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反五輪2024重大ニュース
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反五輪の会では、毎年その年の「反五輪・重大ニュース」を段ボールに書き出しています。今年はどんなことがあったか、皆で振り返りました。
<パリ五輪強行抗議!NON AUX JOP>
●パリ��輪各地で抗議行動 Saccage2024がカウンターマップを作成
パリ五輪に反対するSaccage2024が、五輪災害を記録したカウンターマップを作成。反五輪の会も日本語訳を行った。開幕前には各地で抗議行動が行われ、ジェントリフィケーション、立ち退き、環境破壊、パレスチナ問題など様々な側面からオリンピックに対する怒りの声が上がった。
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●戦争・ジェノサイドのさなかに「平和の祭典」 平和じゃない 人殺しやめろ
人びとへの殺戮が続いている。ウクライナ、パレスチナ、に限ったことではないが、世界中が注目している大きな戦争やジェノサイドをやめられない中での「平和の祭典」。そのなかで、力に勝るものがそれを誇示して晴れやかな顔をするとか、小旗を振ってよろこぶ人々とか、必然的に戦争と重なって見えた。パリは世界の最先端の文化都市、フランスは人権国家、というイメージを押し出していたが、ニューカレドニアで先住民カナックによる反乱がおきたり、植民地主義先進国だということも露呈させた。
●パリでも弾圧の嵐
パリ五輪警備には、警察官、軍隊、警備員約7万5000人が動員されたほか、海外からも40か国1750人の警察官が派遣された。
パリ五輪開幕直前、五輪に対し抗議をした/しようとした人々が相次いで逮捕・拘束された。中には五輪の影響を受けた場所をめぐるツアーに参加しようとしただけで10時間拘束されたジャーナリストも。このツアーは五輪開幕中も計画されたが、当局はこれを違法集会とし、参加者全員に15ユーロ(約2万円)の罰金が課され、3人が拘束された。パラリンピックの開催中には、韓国の障害者団体の人々が集団での移動は抗議行動にあたると言われ1時間以上も行動を制限された。
【パリ五輪・パラ】 開会に向け警備拡大、治安部隊7.5万人を投入 – BBCニュース
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●またもや…パリでもオリンピック排除 1年間で12,545人が立ち退きの被害!!
現地NGOの調べによると2023年4月から2024年5月までの1年間で、住居を持たない人���12,545人が立ち退きの被害に。強制排除はパリ五輪開幕直前の7月になっても相次いだ。これは「社会浄化nettoyage social」だ!
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●パリでも「ジャパン」が貧困者の生活を破壊
パリ五輪開催3週間前、東京都や日本企業をPRするブースを設置するため、パリの公共施設の建物に住んでいた10代も含むアフリカ系移民の約230人以上を、バスに乗せて強制追い出し!
●パリ五輪 市民の暮らしはボロボロに
開会式直前には大規模な規制が敷かれ、パリ中心部には住民も働く人もQRコードがないと出入りできなくなった!さらに地下鉄運賃は約2倍に値上げ。街は44000枚の鉄柵で囲われまるで鳥小屋に。人々の生活を破壊する五輪はいらない。
●タヒチでサーフィン競技開催
パリ五輪サーフィン競技はフランス領タヒチで行われた。植民地主義丸出し!地元の反対を押しきり、新しい審判塔を建設。サンゴ礁を傷つけ環境破壊!
●汚い・くさいセーヌ川
トライアスロンは水質が悪すぎて中止するほど。開会式の舞台となったが観客はドン引き。65才のイダルゴ市長が自ら川で泳ぎ安全をアピールするが…ダメだった…
●パリ五輪でフランスでもオリパラ教育!子どもたちの心と体を動員するな!
参考ーhttps://olympics.com/ja/paris-2024/our-commitments/promoting-the-role-of-sports/olympic-paralympic-week
フランスのオリパラ教育は主に「オリンピック・パラリンピックウイーク」を核に取り組まれた。この取り組みは、フランス国民教育青少年省をはじめとする教育関係省庁ならびにスポーツ省などスポーツ関係省庁・団体とフランスNOC・NPCとの共同事業だ。そのねらいは「教育とスポーツをの世界を結びつけ」、「オリパラの価値観についての理解」「ボランティア・スポーツ参加の奨励」「障害者理解」など、日本のオリパラ教育と共通する部分が大きい。
具体的内容も、アスリートとの交流、アスリートへのメッセージ、障害者スポーツ体験、「聖火」の工作、オリパラをテーマにしたダンスなど、日本で行われたものとの、共通点が多い。
通常の授業にオリパラの内容を落とし込む(算数ー競技場の面積を計算、外国語ー世界のアスリートについて調べる、歴史ーパラリンピックが戦争で負傷した軍人のリハビリにどのように役立ったか、等)方法も日本と共通している。
パリ在住の方のコラムによると、子どもが通う小学校では以下のような取り組みがあった。オリパラマスコット「フリージュ」の人形をクラスの子どもが週末、順繰りに家に持ち帰り、フリージュと自分が休みをどのように過ごしたかをクラスの「フリージュダイアリー」に日記を書いて写真や絵を添え、週明けに担当の生徒がクラスで発表するという内容だ。クラスの全ての子どもに強制力を伴う取り組みがされたという事実は重い。
オリパラ開催国では、子どもの心も身体も開催成功のために容赦なく動員され利用されている。中でも教室にいるマイノリティの子どもたちは、その存在まるごとをオリパラを飾る「多様性」の彩りとして使い倒されている。
●2030フレンチアルプス、2034年ソルトレイクシティ冬季五輪決定 環境破壊やめろ
7月24日、IOCは総会で2030年と2034年冬季五輪開催都市をフレンチアルプスとソルトレイクシティに決定した。気候危機が叫ばれる中、環境破壊を続けるのはもう限界だ!
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<日本国内>
●ついに明治公園コクバイ控訴審結審 2月27日判決
2016年、新国立競技場建設のために明治公園で暮らす野宿者に対し強制執行が行われた。このことの違法性・不当性を問う明治公園オリンピック追い出しを許さない国家賠償請求訴訟控訴審が10月15日に行われた控訴審第4回期日をもって結審。2025年2月27日(木)15時から判決が言い渡されます。多くの方のご注目をお願いいたします!
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●東京オリパラ不祥事だらけ
東京五輪が終り3年経っても不祥事は続いている。
3月にはJOCが約20億円の追徴課税を受けたことが発覚。
東京五輪汚職事件では広告会社「大広」元執行役員に懲役2年執行猶予4年の有罪判決。これで、汚職事件贈賄側は12人全員有罪に。
一方、談合事件では独占禁止法違反に問われた6社6人のうち、7月に博報堂と関連会社社長(罰金2億円、懲役1年6月、執行猶予3年)、11月にイベント会社セレスポと同社前専務・(罰金2億8000万円、懲役1年10月、執行猶予4年)の判決が出た。
大広元幹部、二審も有罪 東京オリンピック汚職で初の高裁判決 - 日本経済新聞
東京五輪談合事件、博報堂に罰金2億円…「無罪」訴えた関連会社の前社長にも有罪判決 : 読売新聞
五輪談合事件でセレスポに罰金2億8000万円、前専務に執行猶予付き有罪判決…東京地裁 : 読売新聞
●ひっこめ三井不動産!神宮外苑樹木伐採 築地にスタジアムいらない
東京五輪は終っても、五輪開発は止まらない。その開発でぼろ儲けしているのが東京五輪ゴールドパートナー(国内最高位スポンサー)であった三井不動産だ。10月、神宮外苑では反対の声を押しきり樹木伐採を開始。築地には5万人のスタジアムを建設するという。東京は三井不動産のものではない。
<東京NEWS2024>(1)神宮外苑の樹木伐採着手 「なぜ規制緩和」説明足りぬ都:東京新聞デジタル
築地市場跡地に5万人スタジアム建設へ、三井不動産・鹿島・トヨタなど連合 | 日経クロステック(xTECH)
●晴海TOKYOモニュメントに1.6億円 
東京都は晴海ふ頭公園に1.6億円かけて「TOKYO」と書かれたモニュメントを建設。この他にもお台場に26億円の噴水を建設、16億5000万円で都庁プロジェクションマッピングを行うなど、東京五輪が終ってもレガシー作りに躍起だ。観光客を目当てにした生活者無視の政策はやめろ!
約1.6億円の「TOKYO」モニュメント ライトアップでお披露目 「俺たちの税金…」「東京の名所になれば」など意見様々 | TBS NEWS DIG (1ページ)
●選手村跡地・晴海フラッグ街びらき 
1月から住民の入居が始まり、5月に街びらき。しかし多くの部屋が投資目的で購入されていることが発覚。もともと都有地だった場所が金儲けのために利用されている。
東京五輪「晴海フラッグ」4分の1以上法人所有も 投資目的か|NHK 首都圏のニュース
●大阪万博を前に釜ヶ崎センター敷地内の野宿者強制排除 メガイベント極悪
メガイベントの開催は、ジェントリフィケーションに格好の口実を与え、野宿者排除がやむを得ないかのような空気を醸成する。メガイベントやめろ!
●パリ五輪・パラ日本代表選手団パレード 客が1万人のみ
ちなみにリオ大会の同パレード(銀座)は80万人、ロンドン大会(銀座)は50万人。東京大会のパレードはコロナ禍で中止。この激減ぶり…。
●パリ・パラ五輪アーチェリー日本代表選手が選手へ誹謗中傷
パラ・アーチェリー選手が同じ選手に誹謗中傷。被害者が訴訟を起こし損害賠償命令。
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ari0921 · 2 years ago
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)12月15日(金曜日)
     通巻第8050号
中国共産党中央規律検査委員会が大々的に金融界の汚職にメスを入れた
70名近い金融業界の幹部,取り締まり側の証券監督管理委員会の主席も逮捕した。
*************************
 2023年12月13日、中国で注目の判決が出た。
 中国銀行開平支店長だった徐国軍に対して汚職と横領の罪で終身刑を言い渡し、全財産没収、政治的権利を生涯剥奪された。
中国銀行開平支店は広東省、広州からバスで弐時間ほどのところ。支店長だった徐は犯罪行為が発覚する直前の2001年に米国に逃亡した。一年後に国際手配され、二十年後、インターポールは身柄を拘束し、2021年11月に中国へ送還していた。
 元支店長は1993年から2001年までに部下の徐朝帆、余振東氏らとグルになって公的資金を横領��た。虚偽の融資を行ったり、会社から返済資金を猫ばばしたり、資金を直接、外国へ送金したりで、合計23億元(邦貨換算460億円)を「失敬した」。
 共犯の二人はすでに汚職と横領の罪で懲役12年、懲役13年の判決を受けていた。
 「開平支店」と聞いてピントくるものがある。クーリー貿易の本場が、この広東省の街で、米国へ重労働で赴き、少数の成功者がアメリカで成功して故郷に錦を飾った。筆者は二十年近く前に開平へ撮影に行ったことがある。瀟洒な洋館が建ち並び観光名所になっていた。
つまり海外華僑の出身地の中枢であり、海外からの送金が多い。そのうえ中国銀行というのは外為、外国取引が専門の銀行であり、香港では香港ドルの発券銀行でもある。 
 もう一つの注目裁判は新幹線汚職に絡んだ。
中国新幹線の中核企業「中鉄集団」の元総経理(中国の総経理は社長)、盛光祖は汚職で懲役15年と罰金600万元(8邦貨換算1200万円)の判決を言い渡された(環球時報、12月12日)。
 中国共産党中央規律検査委員会が大々的に金融界の汚職にメスを入れた。監査強化は2011年頃から何回かなされ、習近平政権発足後の2015年にも大々的な査察がなされて、2019年には恒大集団系の銀行からアリババの金融部門であるアントの前身組織にも及んだ。
 一説に、引退した王岐山が金融界と濃厚な関係にあったため、これまで捜査のメスが入らなかったという。
 
2023年だけでも、すでに70名近い金融業界の幹部が逮捕されており、中央銀行の範一飛・元副総裁や、肝腎の取り締まり側の証券監督管理委員会の朱従久元主席補佐、中国銀行の劉連船元会長らも逮捕した。劉は党籍剥奪処分になった。
 
 ▼取り締まる側の責任者も逮捕された
2023年二月、銀行・保険監督当局、銀行保険監督管理委員会(銀保監会)は銀行5行に合計3億8770万元(5630万ドル)の罰金および不正利得の没収を科した。
処分を受けたのは、英スタンダードチャータード(スタンチャート)の中国法人、大手国有銀行の中国建設銀行と中国銀行、中国民生銀行、中国渤海銀行。
とくにスタンチャートの中国法人は、違法な不動産融資、個人向け融資の悪用など複数の違反行為で、総額4970万元の罰金と不正利得の没収に処せられた。
 中国建設銀行は、地方政府の金融会社への違法融資、中小企業向け融資と富裕層向け事業に関し不正確な統計報告などで1億9890万元相当を処せられた。
 このあおりを受けて地方のいくつかの銀行で取り付け騒ぎに発展し、騒動の鎮圧後、倒産した銀行は再編された。
2023年7月、野村ホールディングス香港の中国向け投資銀行部門の責任者・王仲何が中国本土からの出国停止を受けた。
これは大富豪・包凡(華興資本=チャイナ・ルネッサンスの創業者)ならびに同社元社長の叢林が、数ヶ月以上も消息不明になったことに関連するらしい。
 もともと金融界には腐敗が深刻な状態に陥って庶民から怨嗟の声があがっていた。とくにマンションを購入しローン契約をして支払いが続いている人たちが、物件引き渡しがないばかりか、ローンの解約が出来ないのは金融行政が腐敗の伏魔殿だからだと批判が沸騰した。また大學をでても職のない若者失業者が非難の合掌を始めた。習近平の唱えた「共同富裕」って何だ、というわけだ。
 金融界、とくに銀行の汚職は権限を利用した賄賂だが、不正融資を知りながら融資から3~5%のリベートを取ることなどが慣例になっていた。
 ▼不正融資の見返りがリベートと贅沢は接待漬けだった
 不法な融資を受けるための接待、饗応と高給腕時計などの贈り物で銀行幹部を招待漬けとする。融資実行後は巨額リベート。したがって腐敗につかりきった銀行幹部等は贅沢な旅行、高給自家用車、側室の経費やら豪遊に使って、大都市のキャバレーやナイトクラブなど連日満員だった。
 
 当局は世の中の批判、それもネットでも批判囂々に、慌てて金融機関の職員給与、ボーナスカットを行い、また職場で高価な服や腕時計着用を禁じ、旅行や娯楽の支出を控えるよう職員に指導した。
なれきった贅沢を引き締め、「倹約ムード」のイメージ作りを展開し格差拡大に神経をとがらす政府の意向を反映した動きだ。
 若年層の失業率が過去最悪を記録した一方で、金融機関の専門職は給与水準が高く、裕福で派手な生活スタイルがしばしば批判されてきたが、欧米の「金融エリート」観を排除し、「高級志向」を過度に追求するような快楽主義を是正すると宣言した。銀行汚職摘発は氷山の一角でしかないが、ジェスチャーとして効果がある。
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pureegrosburst04 · 8 months ago
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〜舞台裏〜
ともちん「何で有用なコンテンツを消されて貴方は文句を言わないのかな?“””アイツ”””は完全な悪なのに」
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香氣04「あっちで話してる友達の受け売りだけど、創作の世界は孤独だからだよ 誰が画像を消そうが思い通りにいかないからこその人生だから見てくれる人に文句を言っちゃいけない」メンチース09「絶対悪が齎す行動には”なんで自分だけが、何で私だけ、と言った差別が無いんよ”だから万人から好かれてまう」富豪05「更に女の子には優しいと妄想する人まで現れて二次創作でキャラ崩壊する事もある」
防聖孤島「北斗の拳は嫌味らしい最期を迎える奴が一人もいない 散々悪い事をしておいてと感想を残す人がネット見てたまに止まりなのは””””ああ、この強敵(友)の涙は本物なんだ。最上位天国に登り詰める””””と分かってしまうからだよ」富豪05「迷惑を掛けて足を引っ張っても根が優しいから許される 笑えるよな、自分が物ともしなかった無間地獄に、嘲笑った相手側が永遠に行かないんだから 漢の涙を流しながら“””アイツ(裏ストボス)”””に赤き真実で嘘を言わせたとんでもない二次創造世界の隠し大偉業 
最強の兄弟」
その時、ペルソナ5界の真主人公達は何かよからぬ女難を感じて去っていった
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防聖孤島「“”””カイオウ様(真主人公)””””は今頃最上位天国で極上握り寿司&究極のラーメン食ってるよ “””アイツ(裏ストボス)”””の方が負け組だ(黄金で究極の真実)」
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防聖孤島「“”””ラオウ様(真主人公)””””は特殊能力の適性まで格段に強い。意外に思うかもしれないけど 善悪の狭間に生きる気質は要領が良い人生を送れるが、魔法界に置いては大切な何かの為に限界出力を外せない無意識の躊躇いに囚われて凡庸のまま終わる だから真逆の”””””真の裏ストボス”””””と””””B(バグ)の家族達””””は最高次元でも最強なんだ」
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ノワール「そうね、最上位現実の生物は無限に強くなっていくわ。筋肉が同じに凝縮して密度を増やす私達は筋肉トレーニングをしないから。筋肉痛になるこれ自体が純粋な損失になると気付くはずなのよ 細胞は産まれた時から鍛えたから増えるのかしら?そういう事 携帯ゲームを遊ぶのがリアルの悲惨な奴だなんてのは発展していった時代に取り残された偏見よ。意味を持つ変わった遊戯が最も幸せになれる王道 戦士のみではダメね。分岐する木のような多様な人類じゃなきゃね」
超鬼難ドンガッチャ00「うわあ、何で男湯に服きたままでいんだよ!💢😬💢」
クールキャラを気取って今まで黙っていた⬆︎
ノワールたん「クマーとやる夫はいつも私たちのコト覗いてくるでしょ?ならあなた達も我慢しなさいよねw」
防聖孤島「そうでごぜえます。頭脳派の俺達がしっかりと弁護しますぜm(´;Д;`)m」
超鬼難ドンガッチャ00「馬鹿野郎ーーーッ水と油‼️ お前らは恋愛面に堕ちてしまった訳かよ❗️(・・;)」
ノワールたん「あなたも抜群のプロポーションじゃないw」
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超鬼難ドンガッチャ00「ハアーーー⁉️‼️ 俺達はな、馬鹿だけどよ…裸見られたら誰だって同じだ(黄金の真実)。”””アイツ(裏ストボス)”””だって恥ずかしいと思うんだよ❗️それぐらい分かれってんだ残酷な女どもがよ‼️(���👎\>_<)👎」
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コソコソ声で囁くネプギア「ならみんなで行けば良いじゃないですか、行ってきて下さいよ……風俗。これ以上お姉ちゃん達を不快にする前にスッキリした方が良いですよ」
超電波油「…………腹黒様😨🏳️」御茶ヶ滝「。・゜・(ノД`)🏳️・゜・。」
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myonbl · 7 months ago
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2024年11月17日(日)
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ココ(同居猫)は18歳2ヶ月、人間で言えば立派な後期高齢者だ。近頃はめっき���足腰が弱くなったので、これまで使ってきたトイレが使いづらく、床にシーツを敷いて用を足すようにした。トイレの砂をゴミ袋に入れて本体を水洗い、来週にでも大型ゴミに出すことにしよう。しかし、いつものスーパーで売っているペットシーツは犬のパッケージばかり、愛猫家からクレームはないのだろうか?
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5時起床。
日誌書く。
5時30分、シャワー。
ツレアイの起床を待って洗濯開始。
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朝食を頂く。
洗濯物を干す。
珈琲を入れる。
ココのトイレを撤去、和室の隅っこを20年以上占領してきた空間が空くと、4畳半がずいぶん広く感じられる。
セブンイレブンで12/21(土)の<月刊笑福亭たま>のチケットを発券する。
セントラルスクエア花屋町店でココの療養食、いつもは<まぐろ>と<かつお>味を買うのだが、<かつお>が品切れ故、<まぐろ>を10食分購入する。
彼女が買い物に出ている間に、昨晩の刑事コロンボ「死者の身代金」を見直す。
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ランチ、息子たちには日清ラ王・豚骨しょうゆ味、我々は冷凍のカレーを処理する。
録画番組視聴、土曜は寅さんから
第7作 男はつらいよ 奮闘篇 公開日:昭和46年4月28日 / 上映時間:91分
寅さんの母・お菊(ミヤコ蝶々)が、久しぶりに柴又を訪れる。そこへ寅さんが帰郷し、さくらと共に、お菊の宿泊先の帝国ホテルに向かうが、子供のように愚行を重ねる寅さんに、お菊は愛想を尽かす。旅に出た寅さんは、三島で東北なまりの少女、太田花子(榊原るみ)と出会い、知的障害を持つその身を案じるが・・・  天使のように純粋は花子と寅さんの楽しい日々。青森県の岩木山の自然に抱かれて育った少女・花子に榊原るみ。これまでの大人の女性や、若い女性のマドンナとは違う少女への、寅さんをはじめとする、柴又の人々の暖かい目線。花子の身元引受人の朴訥な教師を田中邦衛が好演。山田監督が落語を提供したこともある、柳家小さんが、ラーメン屋店主で出演。その話芸が堪能できる。
彼女は買い物へ、私は午睡。
夕飯前、いつも通りココに点滴。
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みなで夕飯、豚バラ肉のすき焼き風・蓬莱のジャンボ焼売・キュウリのぬか漬け・トマトとレタス・冷や奴、スパークリングワイン。
録画番組視聴、日本の話芸から
桂米團治 落語「質屋芝居」
初回放送日:2024年11月17日
桂米團治さんの落語「質屋芝居」をお送りします(令和6年10月3日(木)NHK大阪ホールで収録)【あらすじ】大阪・船場の質屋へかみしもを入れた客が、質札を持って受け出しに来た。定吉が蔵へ取りに行くと、隣の稽古屋から三味線の音がする。これを聞いた定吉は「仮名手本忠臣蔵」三段目の芝居のまねを始めてしまう。定吉の帰りが遅いので番頭が呼びに行ったが、定吉に誘われるがまま、二人で芝居のまねをはじめてしまった。
この手の噺はこの人にはよくハマル。
Оh!SAMMY DAY 柚木沙弥郎101年の旅
初回放送日:2024年11月17日
型染に魅せられ工芸の道を歩むこと75年。年を重ねるほどに版画、切り絵、絵本など工芸の枠をこえて自由にその世界を広げていった柚木沙弥郎。「ワクワクする気持ちがずーっと広がっていけばいいと思うんだ」という言葉通りワクワクと手を動かし続け、色とりどりの切り絵をこしらえ天国へと旅立った。100歳をこえて出会ったワクワクの魂でつながる友だちに語りかけたメッセージ。それはいまを生きるすべての人への贈り物だ。
同僚・H姉の先生、番組中の少年との交流は素晴らしい。これは、永久保存版。
片付け、入浴、体重は2日で650g増。
焼酎ロック舐めながら、日誌を書く。
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いかん、いかん。
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hokuto-yuasa-journal · 1 year ago
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20240502
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釣りを始めた。
正確には再開した。
子供の頃はバス釣りブーム世代で最後に釣りをしたのは多分大学生ぐらいだったと思う。もう二十年も前の話だ。
夏に帰省したはいいが暇過ぎて物置から道具を引っ張り出して夜中に釣りをした。湖面に反射する橋の街灯の明かりを狙うとブラックバスが釣れた(つか夜釣り禁止)。思えばインターネットの全面的な普及前夜、ましてiphoneもYouTubeもSNSもない世界。田舎の夜の闇には茫漠として底知れない暗さがあった。
その後実家の車に竿を入れておいたらお袋が窓に挟んでへし折り、いつしか釣りもやらなくなった。
東京時代は下宿のまん前に多摩川がありスモールマウスバスやサクラマスまで釣れるポイントだったという。ただ哀しい哉、我が身の振り方でそれどころではなかった。
その後帰郷してからこれまで10年以上、目の前に富士五湖があるにも関わらず釣りをしようという気は起こらなかったが、これはどっかで釣りをタブー視していたからだと思う。
私はギャンブルを覚えたらやばい自覚があり若い時分から一切手を出さなかった。(年末の宝くじ以外。)
なんというか釣りもそれと同じ匂いがする。あとサッカー観るのもそう。
私にとっては(強調)釣りもサッカーも技術、釣法、戦術云々よりあくまで偶然や運、カイヨワの分類でいうアレア(サイコロ遊び)の領域や属性であって退屈と興奮のフォーミュラ、その妙が重要なのだ。
それが去年ぐらいからYouTube上にある山奥の源流部まで遡上して野営しながらテンカラやルアーで岩魚を釣る動画を見ていたらだんだんと釣りが気になり始めた。
つり人社のチャンネルの動画
☞ https://www.youtube.com/watch?v=Ctgz92afs_I&t=2358s
今年になり雪山登山を解禁した流れで釣りもやってみようと思った。
いざ何を釣るかとなると加齢に伴う趣向の変化もありバス釣りってのもしっくりこない気がする。もうちょっと燻製臭さというか少し枯れた感じが欲しい。渓流釣りが理想だが実釣するまでに踏む過程が多く敷居が高い。海釣りも然り。
試しに本栖湖に行ってみてこれだと思った。
スプーン(金属製の疑似餌)の鱒釣り。
その足で湖仙荘に行って遊漁券の年券を買った。
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水が栄養化した河口湖や他の湖と違って本栖湖は藻類が乾いた生臭さが一切ない。静けさの中青く透き通った水と富士山や周辺の山々を見ながら水面に糸を垂らしていると釣れなくてもそれはそれでいいという気になってくる。
聞けばデスレイク呼ばわりされるほど釣れないがそれでもハマって通う釣り人が多いのだという。
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少し飽きたらお湯を沸かしてコーヒーをたてて、鳥の声や水の音を聴きながら星野道夫のエッセイ集や最近買った西川美和の短編小説を読んだ。雪化粧した山並みをぼーっと眺めている時ふいに、田舎に帰っても何もないぞと嘲りを含んだ知人の言葉を思い出す。
確かに何もなかった。
だがこれ以上の何があるというのだろう。
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小学生以来に買った釣り竿とリール。
リールはバス用、竿は万が一の大物も対応できるネイティブトラウト用。共にシマノ製。下手の横好きは自認しているのでそれなりの道具で満足。いわゆるハイエンドの機種ではないが釣りに興味がない人からすれば安くもない。
兎にも角にもいっちょ前の太公望である。
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本栖湖はその透明度の高さから水が青く虹鱒の背が保護色で青くなるという。誰が呼んだかブルーバック・レインボー、幸せの青い鳥ならぬ青い鱒を追うのだ。
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休みの日の夕方か明け方に数時間、何日か通ってみるも噂通り、全然釣れない。何もかも手探り状態でこの釣りの最適解がわからない。
まじで釣れねえ。
釣れない釣りはどこか宗教的行為に近い。何かの到来を期して待つという部分では、リールのハンドルを回すのもチベット仏教の仏具、マニ車を回すのも特段の違いはない。
奇しくも釣れないことを俗に「ボウズ(坊主)」という。
連続ボウズ記録更新中の三月のある日の明け方、突き出た岬の中腹の辺り。日の出に合わせてティムコの赤金の10gのスプーンを投げる。ティムコってちんこみたいだなと思いながら表層を早巻きしているとゴツ…ゴツ…とアタリ。
目をこらすと黒い影がスプーンの周りをビュンビュン動いている。
ぐっと堪えて食った瞬間合わせた。
しかし久しぶりすぎて合わせが甘く何回か跳ねた後足元に手繰り寄せたとこでバラしてしまった。30cmぐらいの何らかの鱒。銀色の残像だけで噂の青い背中はわからなかった。
それから全く釣れなくなり、取り逃した魚の感触ばかりを思い返す日々。
Life is like fishing、初恋は祟る。
それからさらに経ち四月の上旬。
3時に起き毎度の国道139号線。
青木ヶ原樹海の脇を抜け明け方4時前にいつものポイントに着くと裏手の山の森でトラツグミが幽霊みたいに恨めしく鳴き、時折鹿が奇声をあげて合いの手を入れる。
空を見上げれば人工衛星かはたまたUFOか。謎の発光体が明滅もせず南東の方角へゆっくり移動していく。あれは一体何なのだろう。
遠くの浜の方から波の音が微かに聞こえてくる。
湖は風もないのに音を立てて荒れていた。
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ライトで照らすと黄泉の国の入り口が浮かび上がる。
まるでタルコフスキーのソラリス。水深120mという深さと日本屈指の透明度もあり波が立つと湖全体がうねり一つの生命体に見えてきてすごく不気味だ。
東の空が白み始めるのを待って釣行を開始。まだ一投目だというのに私は一体何をしているのだろうという気持ちがすでに頭をもたげている。
今日も釣れない気がする。
あまりに釣れないことが続くとその行為の目的を問う意識が海嘯の如く内面に向かい始める。
同年代の人々は疾うに人の親になったというのに、とか。どうやら私の両親は私の子供を抱くことはない、だとか。そんな世間から押し付けられたのか、はたまた自身の先への不安や負い目なのか最早わからなくなった色んなアレコレ。それをぶん投げてとりあえずしまっといた暗い部屋。その扉の隙間からドロドロの中身が泡を立てて上がってくる。
酷かった子供時代のこと。誰かを傷つけたこと。誰かを憎んでいること。これまで飲み込んだ人の悪意、ありとあらゆる負の記憶たち。それが湖の波の形になってグニャグニャと湖面を揺らしている。
何の本で読んだか、文化人類学者の中沢新一が原始的な仏教の形が色濃く残るバリ島で呪術師に悟りについて尋ねると毎晩夜釣りに連れて行かれたという。釣りそのものに意味があるのではなく、暗闇の中の気配に意識を集中することで心の深淵に下りていくのだと。
眼前に広がるのは湖へ投射され顕現した潜在意識だ。
ヘドロの塊のようでいてどこまでも透き通っている。
思えば昔からよく水辺に行って水を眺めてきた。
釣りをやめてからは眺めるだけ。村上春樹のいうところのデタッチメント。一定の距離を保つ。
子供時代に海に連れて行ってもらったことはない。
多摩川も川岸に座ってただ眺めるだけだった。川面は光を反射し時に透過させその内側の世界を私に見せる。
釣りはその細い糸一本を通して水の中の世界との交感を試みる行為である。
気づけば再び水との境界線を越えていた。
たかだかおっさんが趣味で釣りを始めただけのくだらない話だが私にとっては何か象徴的な儀式みたいに思えた。
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天子山地の向こうから山肌を舐めるようにドロドロと下りてきた雲が湖を渡り東側の富士の樹海上空にどんよりと溜まっていたが、その雲をかき分けて陽が昇り的礫と水面を照らす。
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水面は朝日を反射し偏頭痛かLSDの見せるサイケデリックなビジョンみたいに幾何学的に像を結び、解ける。つか酔いそう。黒曜石の破断面のようにも見える。
前に釣りかけた時のティムコのスプーンに執着していたがパターンを捨てた。
所詮過去だ。
過去の魚は釣れない。
当たり前だが。
アワビの貝殻のキラキラが貼ってある赤金の少し小さいスプーンを直感で選ぶ。予感…、シンクロニシティが起きる直前と同じ気配がする。
朝日が照り返す辺りへ向けて50m近く遠投する。重い金属製のスプーンの釣りは根掛かりこそ多いが、かっ飛ぶので爽快だ。
着水し巻き始めた直後にゴン!とアタリ。距離かナイロンラインの特性か少し伸びる感じ。今度は確実に合わせた。
魚は針を外そうと二度水面を飛び跳ねる。慌てて竿先を水中に入れた。鱒は口が弱いらしく合わせてから取り込むまでの距離が長くてヒヤヒヤした。
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手掴みで取り込む。
青い。
ランディングネットは一匹釣れるまではと用意していなかった。
弱らせないように針を外し写真を撮ってすぐ逃した。
そういえば大きさを計り忘れた。35cmぐらい。
ほんとに釣れた。
最初に釣った魚は逃がそうと何となく決めていた。
一瞬だけ交わりもう会うことはない。
私の釣ったあの鱒は今も深い湖のどこかを泳いでいる。
それを想像するとなんだか不思議な感じがする。
心の奥の森にいつしか魚のいなくなった湖がある。
そこに青い背をした魚を放した。
そんな感じ。
静かな気持ちだ。
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さて。
次は食う。
多分。
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wulao · 1 year ago
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「神の見えざる手」にも、いろいろあって、今回の「神の手」は、どうやらリセットボタンに向かってのばされた指であるようだ、という話をしようとおもいます。
皮切りに取り上げたいのは「軍事」です
ははは。なんだか、紙芝居みたいで、primitiveで、面白い出だしのツイートですね。
一度、やってみたかった😁
ウクライナでの戦争を恐怖と共に眺めているグループのひとつにアメリカの軍事専門家たちがいる。
ごく近い将来の「空がなくなる」現実を眼前の光景とともに噛みしめている
ドローンが飛び交って戦果をあげているのは、いい。
予想の範囲内で、むしろ想定よりも単独で飛来、あるいは攻撃するドローンは、おおきな被害を与えられなかった。
人間による遠隔操縦のドローンはステルス性はあっても低速なせいで撃墜できるドローンの数が多かったからです。
でも戦況を見つめる世界中の軍事専門家たちには、少なくとも2030年頃にはやってくる軍事上の「リセット」が現実のものだと判らないわけにはいかなかった。
アメリカ軍の、ここ80年の歴史で初めて、「空が助けてくれない」戦争を戦わなければならないことが明らかになったからです。
あの悲惨なチョシンの戦いでさえ、圧倒的な数で押し寄せる人民解放軍の洪水のなかを逃げ惑って、前にも左右にも後ろにも中国の兵士たちが囲む絶望的な戦場で、なんとか米軍が壊滅しないですんで、秩序だっているとは到底言えないが、はるばる釜山まで敗走することが出来たのは、空軍の優位があったからでした。
対地ロケット弾を叩き込み、ナパームで山腹を焼き尽くして、道路の両側にずらりと並ぶ狙撃兵や、凍てついた大地を裸足で蹴って突撃してくる恐ろしい形相の解放軍兵士を、相手が人間だとはおもえないほど、紙人形からなにかのように一挙に焼き尽くして、ただの炭に変えてしまう空爆がなければ、米軍は、全滅していた。
いまのドローンは、世代的には、ミサイルでいえば第二次世界大戦でいえばナチのV1で、あのパルスジェットで低高度を飛んで、時速700km以下の水平飛行で目的地まで飛んで、そこから浅角ダイブに入る始原的なミサイルのV1は、タイフーンやスピットファイアで撃墜することが出来た。
V2は、そうはいかなかった。
成層圏を飛んで飛来して、そこから逆落としに落ちて、3000km/hのインパクト速度で1トンのアマトール火薬を爆発させるV2は、迎撃の方法はなくて、結局、最も効果的な「迎撃」方法は、Hague-Wassenaar の発射基地を破壊することでしかなかったが、V2は、ヒットラーのテラー戦略のなかでも、うまくいったほうだったでしょう。
でもね。
だって、ジャイロで最大高度88000mの落下開始地点まで誘導する方式では、もとより「爆撃精度」などは期待のしようもありませんでした。
今度はAIによって自律的に誘導されるところが異なる。高空から、まったく音も立てずに、反撃の余裕も与えずにピンポイントで音速の数倍の速度で落下してくる。
なあんだ、なにかとおもったら、このあいだまで流行っていたAIの話ですかい。
それならそうと、言ってくれれば、読まなかったのに、とおもった、そこのきみ、
甘い。
もう、ほぼ技術的に完成しているAIによる自律型ドローン/ミサイルは、そんなにあまちゃんな兵器ではないので、プロダクションやメディアのおっちゃんたちの汚い手で、抑えつけられて、寄ってたかって改名させられて「のん」にされてしまうようなものではないのです。
例えば、時速6000km/hというような人間の反応時間では制御できるわけがない落下速度でも、AIは、ピンポイントでミサイル/ドローンを制御できる。
青天の霹靂、というが、文字通り、暢気に日曜の散歩を楽しんでいた大統領を、小型の自律AIドローンで脳天一発、ぶち殺してしまうことも出来そうです。
自律AIは、アメリカが支配していた空をすべての国に、あるいは国ですらないテロリストたちに、潜在的に解放してしまった。
あるいは、中国人民解放軍が、ずば抜けた技術を持っている「スウォーム」、何千という小型ドローンを連携させて、死角や飛行中の損害をリアルタイムで計算しながら戦術を決めて集団攻撃する技術も、人間の操縦者では、とても手に負えない瞬時の計算と決断を繰り返しながら、最も「効果的」な攻撃を行う技術も、ときどきデモンストレーションをやっているように、すでに初期の完成をはたしている。
スウォームの技術を自律AIに載せて、無人戦闘機に適用すると、どうなるのか。
戦闘機は、知られているようにパイロットが耐えられるGが限定要因になっています。いったんは戦術思想として否定したものの、ベトナム戦争をやってみて、やっぱり必要不可欠な戦術だと判ったドッグファイトにおいて取り分け重要で、性能上は可能な高速旋回も人間がパイロットでは、どうフライングスーツをつくっても操縦士が失神してしまうので、旋回速度に限界が生まれるが、自律AIでは超音速で旋回することすら可能です。
ネット上のアマチュア軍事専門家や、簡単にいってしまえば軍事オタクを観察すれば判る通り、「無駄に頭がいい人が無駄な知識を貯め込んでいる」のが戦争に関心が高いひとたちの特徴で、歴とした、高級将校たちでも、「海洋をいく巡航艦隊のように運用される戦車群が将来の地上戦の主役になるだろう」と述べたリデル・ハートを、さんざん冷笑して、おまえはバカか、ということにして閑職に追いやってしまって、このリデル・ハートの主張に実務家の軍人として興味をもって、研究して、ドイツのブリッツクリークを組織/実行したグデーリアンに、オラオラオラと追いまくられて、ダンケルクから命からがら逃げのびて、「ドイツ人って、なんて頭がいいんだろう。イギリス人の頭では、到底考えられない作戦だ」とオメデタイことを述べていたひとびとや、日本の例ならば、ボロ負けに負けた戦後になってもなお、大艦巨砲主義なら勝てたと主張して、航空主兵主義の山本五十六たちのせいで負けたのだと、1992年に93歳で死ぬまで、ボロクソにこき下ろし続けた「プロ軍人ちゅうのプロ軍人」黛治夫たちのように、「頭脳明晰で不思議なくらいバカ」なのが通常なので、あんまり言わないほうがよくて、詳細に及ぶことは避けるが、
アメリカの空の優位が失われたことは、世界中、どんな軍事実務者にもすでに理解されている。
DJIの民生ドローンでロシアの新鋭戦車の一群が全滅させられたニュースをおぼえているひともいるでしょう。
あれ、わしも持っているドローンだったが、そんなもので、ロシアの冷酷政府にとっては二束三文でかき集めてきた戦車兵たちの安価な生命はどうでもいいとして、死ぬほどオカネがかかった新鋭戦車が、あっというまに鉄くずの山になってしまうのは耐えられない損失だった。
そうやってウクライナでの戦場での戦術はすでに変化してしまっているが、戦術レベルの変化は戦略に及んで、結局は国家レベルの大戦略に影響する。
あと数年もすれば大規模に導入される自律AIコントロールの航空機群が実戦配備されると、どうなるか。
日本に関係があることでいうと、「西太平洋防衛の要としての沖縄」は重要でなくなります。
沖縄の人、よかったですね、と長年の被支配の苦しみから沖縄のひとたちが脱する端緒を祝うのはまだ早くて、いざ戦争となれば雨あられとミサイルが飛んでくるに決まってる兵站拠点を、わざわざ日本以外の場所に移すことに利点はなにもないので、アメリカが沖縄の基地を、というか、基地の沖縄を、手放すわけはない。
日本側から見て、後方兵站だった沖縄が前線基地化する、という戦略上の意義の変化があるだけです。
重要なのは、同盟国としての日本の意義が低下することで、めんどくさい(←悪い癖ですね)ので長々と説明しないが、絶対制空権を失うことは、それに起因する戦略の変化を考えれば、「日本は要らない」ということに他ならない。
これからの日米同盟は、「日本は要らないが日本人の汗と血がいる」というふうに変化していくはずで、そういう観点からいま太平洋軍と日本政府が共同でやっていることを眺めると、すでに変化への着手は始まっていて、米軍主導どころか、ほぼ無理でも米軍の言いなりにならなければ自国は守れない、と判ってしまった日本政府人たちの投げやりな気持ちが伝わってくるようです。楽な同盟は、これから先、やらせてはもらえないが、仮にトランプが再度大統領になって所謂「トランプ2.0」が起これば、日本は片務同盟から一躍、日本側の負担のほうがおおきい、双務軍事同盟にいこうせざるを得なくなる。
だいたい2030年頃からと予測されている世界のあらゆる地域、あらゆる領域(経済、外交、政治…)で起きる「リセット」のほぼすべてにはAIが密接に関わっている。
AIが核にある、と言い直したほうがいいかも知れません。
経済は、例えばアメリカならば、大統領がトランプになってもバイデンになっても、経済上のリセットはほぼ避けられない、というのが最も多い意見でしょう。
マスメディアが騒ぐほどには、どちらが大統領になっても終局の事態は変わらない、とわしも考えている。
よく「なぜアメリカ人は、あんなひどい人間を大統領に選ぶのか」というが、それは都市部のアメリカを見すぎているからで、いちど、二三ヶ月、中西部や南部をクルマで旅して、いろいろなひとたちと話してみればいいのですよ。彼らはもう「アメリカ」に耐えられないんです。
彼らが望むのはリセットのなかでも最もわかりやすい「破壊」であって、最初期のトランプ・ホワイトハウスの首席戦略官にスティーブン・バノンが任命されたので判るとおり、「すべてを焼き尽くす地獄の業火のなかから再び起ち上がる白人種」という「白人種再生」のイメージが、彼らの頭から去っていかない。
もう平等にも政治的な正しさの主張にも、完全に倦んで、
大暴れするバカタレなひとびとの、その後景に身を潜ませている知にすぐれたひとびとも、例えばアルプスより北の欧州ならば確実に犯罪集団と見なされて大量の逮捕者を出していたはずのウォール街人たちが行った、ビンボ人たちからCDOを手品の中核のタネにして巻きあげて、「アメリカ」を破壊した行為を決して許そうとしていない。ときどき、この人たちはウォール街の人間たちを国中から探し出して処刑するところまで行くのではないかとあるはずのないことを妄想してしまうほどの語気です。
トランプという道化が倒れたら、また次の破壊者を立てるだけだ、と言葉にして明言しているのは、
Mercer家のひとびとだけではないのです。
投資家の世界でも、途中から、無理もない理由で口を噤んでしまったが、例えばウォーレン・バフェットのような穏健で聡明と見なされるひとびとも、ちょうど映画でいえば2015年につくられたThe Big Shortの舞台になっている2000年代のウォール街を心から嫌悪してきたが、それが一般国民の心のなかに現体制への憎悪となって巣くって、ついに、それがトランプ大統領となって結実してしまった。
ちょうど現状程度の世界の複雑さにならついていける、リベラルなアメリカ人がトランプサポーターたちを見て茫然とするような気持で、ウォール街で、さんざん悪事を、しかも嬉々として得意気に他人の生活を食い物にして働いておきながら
、いっぱし良心と知性がある人間のような顔でヒラリー・クリントンを支持してトランプの粗野と無知を笑っていた偽善者の群れを、嫌悪と軽蔑で眺めている。
経済上の結果は、多分おなじだが、だから、政治上は、トランプ2.0においては一期目よりも遙かに露骨な白人至上主義の勃興、アジア人排斥、新孤立主義、…考えてみれば、どれをとっても日本の人には有り難くない結果になるかもしれません。
当然に、東アジアの緊張も高まる。
それとは別に政治上のリセットが引き起こす最大の変化は、多分、自由主義と民主社会の敗北が決定的になることで、厳格な手続き主義に守られたアメリカの民主制と自由社会が、大統領そのひとが民主制を軽蔑していて、議会に対する叛乱を呼びかけてしまう、という未曾有の、日本の人が好きな表現をわざと使えば「想定外」の事態に陥って、ついにシステムが時代遅れになってしまったことを露呈しているのを世界の人が暗澹たる気持ちで観てきたが、ここからあとに起きることは、状況としては、役者を変え、地域を変えて、1930年代にやや似た所があって、
至るところで民主主義は敗北して、自由主義は縮退し、社会の生産効率から見て「無駄」な人間は、徹底的に抑圧される社会になっていきそうです。
現在の予想では、民主制は、徐々に小国の統治原理としてかろうじて生き延びることになりそうです。
地球上の資源が増大した人口からの需要に応えられなくなる、という背景も、案外、集団意識下ではおおきな役割を果たしているのかも知れません。
どうも、こうやって日本語で書いていても、ろくなことはなさそうな「リセット」の時代だが、リセットなしに「次」へ行ける状況では、もうなくなっているのは、日本も例外ではないのは、日本の人自身が最も判っているでしょう。
日本の人たちは聡明なので、きっとこの巨大な変化の大波を乗り切っていけるでしょうが、ひとつだけ心配(?)なのは、前に「なにもしないためなら、なんでもする」と書いた、日本の人の変化の必要に迫られると、いきなり、くるりと背を向けて、しゃがみこんで、「変わらないほうがいいんだ」と耳を覆って叫び続ける国民性で、仮に、その性癖が出てしまうと、日本語人全体が隷属的な立場の言語集団になって、民族集団としての知能とでもいうべきものを失ってしまう結果になってしまう。
もうひとつの日本の人たちが心配すべき点は、空母打撃群という殊に対中国人民解放軍の決定的な戦力が、中国から見て脅威でなくなってしまうことで、なにしろ実戦で試していないので人民解放軍も半信半疑だとおもうが、自律AIにコントロールされた一群の新世代兵器は、アメリカから絶対制空権を奪うだけでなく、中国に技術的な優位を戦場に与えることになる。
中国はスウォームだけでなく、形態認識など、、戦争に必要な技術分野においては、当面世界が追いつけないほどのAI先進国だからです。治安などの用途で、すでに現実世界での使用を積み重ねてきているメリットもある。
空の優位と技術の優位を失ったアメリカは、よくメディアが伝えているとおり、必死の巻き返し策に出ています。中国の企業に対する国家を挙げての牽制も、これと無縁だとおもうほどナイーブな人はいないでしょう。
そのバランスをジッと観察して、例えば習近平が、自分の不人気と、現実的な任期、台湾への調略と圧力の進展具合、さまざまな要素を計算して、ある日、台湾への武力侵攻に乗り出すかどうかよりも、日本のひとにとっては、ほぼ自動的に「日本の形」を規定してきた太平洋における太平洋軍の戦略の変化することで起きる、さまざまな日本の立場の変化のほうが重要でしょう。
さすがに「アメリカが日本人の生活を守ってくれる」と信じる人はいないでしょうが、日本の戦略上の位置と地位を過大に見積もりすぎて失敗する、という可能性はありそうです。
あんまり書きたくなかったブログ記事の「リセット_軍事篇」も、書かないですますと、これからの「リセット」の津波の形が見えにくくなるので、まずツイートで紙芝居風に書いてみました。
上に書いたことは、実は「近い未来を考えるために世界の人間が共有している知見」なので、「そんなこと、もう知ってらあ、うるせえな」という人が多いでしょうが、
経済、政治、文化と話を進めていくために避けられないので、書いて残しておきます。
https://x.com/gamayauber01/status/1771357906014982279?s=46
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