#五月六月七月の終わりはさみくもさみの悲劇の季節
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Project Proposal: The End of May, June, and July is The Tragedy Season of Rain and Cloud
Project Proposal:
「The End of May, June, and July is The Tragedy Season of Rain and Cloud」 or 「The End of May, June, and July is The Tragedy Day of SamiKumoSami」
Since the rainy season has started, we propose a fanwork event held at the end of May, June, and July. Submissions will be posted on the last day of each month to celebrate the melancholic beauty of rain and the connection between Samidare Gou and Murakumo Gou. Please refer to the guidelines for details!
🐾🐶 We are looking forward to your submission! ☁☔
Update May 31: After posting my May submission, my tweet got flagged as sensitive, even though I've seen other gruesome posts unaffected. Now, our tweets won't even show up when you click the tag. "What even is the tag for?" Me and Yuno laughed as we cried tears and blood in the middle of the night. Now, we recommend you to use the Danganronpa blood if you would like to prevent your works getting flagged (and so that we can discover them too).
#touken ranbu#とうらぶ#五月六月七月の終わりは雨と雲の悲劇の季節#五月六月七月の終わりはさみくもさみの悲劇の季節#五月雨江#村雲江#samidare gou#murakumo gou#samikumo#kumosami#さみくも#くもさみ#さみくもさみ
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊��静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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Latin//Alphabet// ABCDEFGHIJKLMNOPQRSTUVWXYZabcdefghijklmnopqrstuvwxyz0123456789 !"“”#$%&'‘’()*+,-./:;<=>?@[\]^_`{|}~ Latin//Accent// ¡¢£€¤¥¦§¨©ª«¬®¯°±²³´µ¶·¸¹º»¼½¾¿ÀÁÂÃÄÅÆÇÈÉÊËÌÍÎÏÐÑÒÓÔÕÖרÙÚÛÜÝÞßàáâãäåæçèéêëìíîïðñòóôõö÷øùúûüýþÿ Latin//Extension 1// ĀāĂ㥹ĆćĈĉĊċČčĎďĐđĒēĔĕĖėĘęĚěĜĝĞğĠġĢģĤĥĦħĨĩĪīĬĭĮįİıIJijĴĵĶķĸĹĺĻļĽľĿŀŁłŃńŅņŇňʼnŊŋŌōŎŏŐőŒœŔŕŖŗŘřŚśŜŝŞşŠšŢţŤťŦŧŨũŪūŬŭŮůŰűŲųŴŵŶŷŸŹźŻżŽžſfffiflffifflſtst Latin//Extension 2// ƀƁƂƃƄƅƆƇƈƉƊƋƌƍƎƏƐƑƒƓƔƕƖƗƘƙƚƛƜƝƞƟƠơƢƣƤƥƦƧƨƩƪƫƬƭƮƯưƱƲƳƴƵƶƷƸƹƺƻƼƽƾƿǀǁǂǃDŽDždžLJ��ljNJNjnjǍǎǏǐǑǒǓǔǕǖǗǘǙǚǛǜǝǞǟǠǡǢǣǤǥǦǧǨǩǪǫǬǭǮǯǰDZDzdzǴǵǶǷǸǹǺǻǼǽǾǿ Symbols//Web// –—‚„†‡‰‹›•…′″‾⁄℘ℑℜ™ℵ←↑→↓↔↵⇐⇑⇒⇓⇔∀∂∃∅∇∈∉∋∏∑−∗√∝∞∠∧∨∩∪∫∴∼≅≈≠≡≤≥⊂⊃⊄⊆⊇⊕⊗⊥⋅⌈⌉⌊⌋〈〉◊♠♣♥♦ Symbols//Dingbat// ✁✂✃✄✆✇✈✉✌✍✎✏✐✑✒✓✔✕✖✗✘✙✚✛✜✝✞✟✠✡✢✣✤✥✦✧✩✪✫✬✭✮✯✰✱✲✳✴✵✶✷✸✹✺✻✼✽✾✿❀❁❂❃❄❅❆❇❈❉❊❋❍❏❐❑❒❖❘❙❚❛❜❝❞❡❢❣❤❥❦❧❨❩❪❫❬❭❮❯❰❱❲❳❴❵❶❷❸❹❺❻❼❽❾❿➀➁➂➃➄➅➆➇➈➉➊➋➌➍➎➏➐➑➒➓➔➘➙➚➛➜➝➞➟➠➡➢➣➤➥➦➧➨➩➪➫➬➭➮➯➱➲➳➴➵➶➷➸➹➺➻➼➽➾ Japanese//かな// あいうえおかがきぎくぐけげこごさざしじすずせぜそぞただちぢつづてでとどなにぬねのはばぱひびぴふぶぷへべぺほぼぽまみむめもやゆよらりるれろわゐゑをんぁぃぅぇぉっゃゅょゎゔ゛゜ゝゞアイウエオカガキギクグケゲコゴサザシジスズセゼソゾタダチヂツヅテデトドナニヌネノハバパヒビピフブプヘベペホボポマミムメモヤユヨラリルレロワヰヱヲンァィゥェォッャュョヮヴヵヶヷヸヹヺヽヾ Japanese//小学一年// 一右雨円王音下火花貝学気九休玉金空月犬見五口校左三山子四糸字耳七車手十出女小上森人水正生青夕石赤千川先早草足村大男竹中虫町天田土二日入年白八百文木本名目立力林六 Japanese//小学二年// 引羽雲園遠何科夏家歌画回会海絵外角楽活間丸岩顔汽記帰弓牛魚京強教近兄形計元言原戸古午後語工公広交光考行高黄合谷国黒今才細作算止市矢姉思紙寺自時室社弱首秋週春書少場色食心新親図数西声星晴切雪船線前組走多太体台地池知茶昼長鳥朝直通弟店点電刀冬当東答頭同道読内南肉馬売買麦半番父風分聞米歩母方北毎妹万明鳴毛門夜野友用曜来里理話 Japanese//小学三年// 悪安暗医委意育員院飲運泳駅央横屋温化荷開界階寒感漢館岸起期客究急級宮球去橋業曲局銀区苦具君係軽血決研県庫湖向幸港号根祭皿仕死使始指歯詩次事持式実写者主守取酒受州拾終習集住重宿所暑助昭消商章勝乗植申身神真深進世整昔全相送想息速族他打対待代第題炭短談着注柱丁帳調追定庭笛鉄転都度投豆島湯登等動童農波配倍箱畑発反坂板皮悲美鼻筆氷表秒病品負部服福物平返勉放味命面問役薬由油有遊予羊洋葉陽様落流旅両緑礼列練路和 Japanese//小学四年// 愛案以衣位囲胃印英栄塩億加果貨課芽改械害街各覚完官管関観願希季紀喜旗器機議求泣救給挙漁共協鏡競極訓軍郡径型景芸欠結建健験固功好候航康告差菜最材昨札刷殺察参産散残士氏史司試児治辞失借種周祝順初松笑唱焼象照賞臣信成省清静席積折節説浅戦選然争倉巣束側続卒孫帯隊達単置仲貯兆腸低底停的典伝徒努灯堂働特得毒熱念敗梅博飯飛費必票標不夫付府副粉兵別辺変便包法望牧末満未脈民無約勇要養浴利陸良料量輪類令冷例歴連老労録 Japanese//小学五〜六年// 圧移因永営衛易益液演応往桜恩可仮価河過賀快解格確額刊幹慣眼基寄規技義逆久旧居許境均禁句群経潔件券険検限現減故個護効厚耕鉱構興講混査再災妻採際在財罪雑酸賛支志枝師資飼示似識質舎謝授修述術準序招承証条状常情織職制性政勢精製税責績接設舌絶銭祖素総造像増則測属率損退貸態団断築張提程適敵統銅導徳独任燃能破犯判版比肥非備俵評貧布婦富武復複仏編弁保墓報豊防貿暴務夢迷綿輸余預容略留領異遺域宇映延沿我灰拡革閣割株干巻看簡危机貴揮疑吸供胸郷勤���系敬警劇激穴絹権憲源厳己呼誤后孝皇紅降鋼刻穀骨困砂座済裁策冊蚕至私姿視詞誌磁射捨尺若樹収宗就衆従縦縮熟純処署諸除将傷障城蒸針仁垂推寸盛聖誠宣専泉洗染善奏窓創装層操蔵臓存尊宅担探誕段暖値宙忠著庁頂潮賃痛展討党糖届難乳認納脳派拝背肺俳班晩否批秘腹奮並陛閉片補暮宝訪亡忘棒枚幕密盟模訳郵優��欲翌乱卵覧裏律臨朗論 Japanese//中学// 亜哀挨曖扱宛嵐依威為畏尉萎偉椅彙違維慰緯壱逸芋咽姻淫陰隠韻唄鬱畝浦詠影鋭疫悦越謁閲炎怨宴援煙猿鉛縁艶汚凹押旺欧殴翁奥憶臆虞乙俺卸穏佳苛架華菓渦嫁暇禍靴寡箇稼蚊牙瓦雅餓介戒怪拐悔皆塊楷潰壊懐諧劾崖涯慨蓋該概骸垣柿核殻郭較隔獲嚇穫岳顎掛括喝渇葛滑褐轄且釜鎌刈甘汗缶肝冠陥乾勘患貫喚堪換敢棺款閑勧寛歓監緩憾還環韓艦鑑含玩頑企伎忌奇祈軌既飢鬼亀幾棋棄毀畿輝騎宜偽欺儀戯擬犠菊吉喫詰却脚虐及丘朽臼糾嗅窮巨拒拠虚距御凶叫狂享況峡挟狭恐恭脅矯響驚仰暁凝巾斤菌琴僅緊錦謹襟吟駆惧愚偶遇隅串屈掘窟繰勲薫刑茎契恵啓掲渓蛍傾携継詣慶憬稽憩鶏迎鯨隙撃桁傑肩倹兼剣拳軒圏堅嫌献遣賢謙鍵繭顕懸幻玄弦舷股虎孤弧枯雇誇鼓錮顧互呉娯悟碁勾孔巧甲江坑抗攻更拘肯侯恒洪荒郊貢控梗喉慌硬絞項溝綱酵稿衡購乞拷剛傲豪克酷獄駒込頃昆恨婚痕紺魂墾懇沙唆詐鎖挫采砕宰栽彩斎債催塞歳載剤削柵索酢搾錯咲刹拶撮擦桟惨傘斬暫旨伺刺祉肢施恣脂紫嗣雌摯賜諮侍慈餌璽軸叱疾執湿嫉漆芝赦斜煮遮邪蛇酌釈爵寂朱狩殊珠腫趣寿呪需儒囚舟秀臭袖羞愁酬醜蹴襲汁充柔渋銃獣叔淑粛塾俊瞬旬巡盾准殉循潤遵庶緒如叙徐升召匠床抄肖尚昇沼宵症祥称渉紹訟掌晶焦硝粧詔奨詳彰憧衝償礁鐘丈冗浄剰畳壌嬢錠譲醸拭殖飾触嘱辱尻伸芯辛侵津唇娠振浸紳診寝慎審震薪刃尽迅甚陣尋腎須吹炊帥粋衰酔遂睡穂随髄枢崇据杉裾瀬是姓征斉牲凄逝婿誓請醒斥析脊隻惜戚跡籍拙窃摂仙占扇栓旋煎羨腺詮践箋潜遷薦繊鮮禅漸膳繕狙阻租措粗疎訴塑遡礎双壮荘捜挿桑掃曹曽爽喪痩葬僧遭槽踪燥霜騒藻憎贈即促捉俗賊遜汰妥唾堕惰駄耐怠胎泰堆袋逮替滞戴滝択沢卓拓託濯諾濁但脱奪棚誰丹旦胆淡嘆端綻鍛弾壇恥致遅痴稚緻畜逐蓄秩窒嫡抽衷酎鋳駐弔挑彫眺釣貼超跳徴嘲澄聴懲勅捗沈珍朕陳鎮椎墜塚漬坪爪鶴呈廷抵邸亭貞帝訂逓偵堤艇締諦泥摘滴溺迭哲徹撤添塡殿斗吐妬途渡塗賭奴怒到逃倒凍唐桃透悼盗陶塔搭棟痘筒稲踏謄藤闘騰洞胴瞳峠匿督篤凸突屯豚頓貪鈍曇丼那謎鍋軟尼弐匂虹尿妊忍寧捻粘悩濃把覇婆罵杯排廃輩培陪媒賠伯拍泊迫剝舶薄漠縛爆箸肌鉢髪伐抜罰閥氾帆汎伴畔般販斑搬煩頒範繁藩蛮盤妃彼披卑疲被扉碑罷避尾眉微膝肘匹泌姫漂苗描猫浜賓頻敏瓶扶怖附訃赴浮符普腐敷膚賦譜侮舞封伏幅覆払沸紛雰噴墳憤丙併柄塀幣弊蔽餅壁璧癖蔑偏遍哺捕舗募慕簿芳邦奉抱泡胞俸倣峰砲崩蜂飽褒縫乏忙坊妨房肪某冒剖紡傍帽貌膨謀頰朴睦僕墨撲没勃堀奔翻凡盆麻摩磨魔昧埋膜枕又抹慢漫魅岬蜜妙眠矛霧娘冥銘滅免麺茂妄盲耗猛網黙紋冶弥厄躍闇喩愉諭癒唯幽悠湧猶裕雄誘憂融与誉妖庸揚揺溶腰瘍踊窯擁謡抑沃翼拉裸羅雷頼絡酪辣濫藍欄吏痢履璃離慄柳竜粒隆硫侶虜慮了涼猟陵僚寮療瞭糧厘倫隣瑠涙累塁励戻鈴零霊隷齢麗暦劣烈裂恋廉錬呂炉賂露弄郎浪廊楼漏籠麓賄脇惑枠湾腕 Japanese//記号// ・ー~、。〃〄々〆〇〈〉《》「」『』【】〒〓〔〕〖〗〘〙〜〝〞〟〠〡〢〣〤〥〦〧〨〩〰〳〴〵〶 Greek & Coptic//Standard// ʹ͵ͺͻͼͽ;΄΅Ά·ΈΉΊΌΎΏΐΑΒΓΔΕΖΗΘΙΚΛΜΝΞΟΠΡΣΤΥΦΧΨΩΪΫάέήίΰαβγδεζηθικλμνξοπρςστυφχψωϊϋόύώϐϑϒϓϔϕϖϚϜϞϠϢϣϤϥϦϧϨϩϪϫϬϭϮϯϰϱϲϳϴϵ϶ϷϸϹϺϻϼϽϾϿ Cyrillic//Standard// ЀЁЂЃЄЅІЇЈЉЊЋЌЍЎЏАБВГДЕЖЗИЙКЛМНОПРСТУФХЦЧШЩЪЫЬЭЮЯабвгдежзийклмнопрстуфхцчшщъыьэюяѐёђѓєѕіїјљњћќѝўџѢѣѤѥѦѧѨѩѪѫѬѭѰѱѲѳѴѵѶѷѸѹҌҍҐґҒғҖҗҘҙҚқҜҝҠҡҢңҤҥҪҫҬҭҮүҰұҲҳҴҵҶҷҸҹҺһҼҽҾҿӀӁӂӇӈӏӐӑӒӓӔӕӖӗӘәӚӛӜӝӞӟӠӡӢӣӤӥӦӧӨөӪӫӬӭӮӯӰӱӲӳӴӵӶӷӸӹӾӿ Thai//Standard// กขฃคฅฆงจฉชซฌญฎฏฐฑฒณดตถทธนบปผฝพฟภมยรฤลฦวศษสหฬอฮฯะัาำิีึืฺุู฿เแโใไๅๆ็่้๊๋์ํ๎๏๐๑๒๓๔๕๖๗๘๙๚๛
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学生戦争/真木柱竜
「白軍の独眼竜とは俺のことだッ!」 「うわあー!何するんだよ!」 「やめろーッ!嫌がってるだろ!」 「ご安心ください。近くの拠点まで私がお連れします」 「そういう方はまだおりません!い、いつかはと思っていますが……」 「お手伝いしましょう」 「まったく、本とか読まないのか?」 「いいや、何もなかった」 「僕が見える?」 「母上、竜がそばにおりますよ」 「俺は諦めない。諦めない限りいつかかならず俺が勝つ!」 早急「さあ野分、風のように走れっ」 近接「尋常に勝負しろッ!」 苦手「うぐ……いや、やってみせるぞ」 復帰「まだ戦えます!ご指示を!」 優勢「我が軍に勝利の栄光を!」 辛勝「俺は勝ったぞ、俺の勝ちだ……!」 救援「騎馬隊の真木柱竜、参りました!」 敗北「口惜しいが撤退だ」 勝利「正義は必ず勝つッ!」
◆真木柱竜身上調査書
姓名、略称:真木柱 竜(まきばしら りゅう) 年齢:16歳 性別:男 血液型:B型 誕生日:3月24日 星座:牡羊座 身長:157cm 体重:54kg 髪色:黒髪、日に当たると焦茶 瞳の色:茶色 視力:右は失明、左は2.0 きき腕:右 声の質:やや高めの張りのある声 手術経験や虫歯、病気:歯並びはいいが虫歯ができやすく、歯磨きがかかせない 身体の傷、アザ、刺青:右目に銃弾が掠め、脳に損傷はなかったがそのまま失明。現在は眼帯をしている。 その他の身体的特徴(鼻や目の形、姿勢、乳房、足、ホクロなど):姿勢が良く、まだ成長途中のため小柄 セックス体験、恋愛、結婚観:まだどれも経験はないが、もしするならまじめな付き合いで結婚を前提にしたいと思っている 尊敬する人:戦死した兄たち 恨んでる人:戦死した兄たち 出身:京都府 所属:白軍 武器:細身の槍、片���を失う前はレイピア 将来の夢:戦争の終結 恐怖:恐怖に負けて何もできないこと 癖:相手の目を見る 酒癖:相手を褒めまくる
*交流向け 一人称:私(公的)、俺、僕 二人称:あなた、君、あんた 呼び方:〜さん、〜先輩、〜隊長、〜くん、〜ちゃん、名前の呼び捨てなど関係性によって変わる
*概要
白軍に所属する1年生。騎馬兵隊所属。公明正大で融通が利かない性格。成績は優秀だが戦慣れしておらず、感情的になってしまうこともよくある。武器は槍で、愛馬の名前は野分。
*性格
公明正大な性格。思いついたことはすぐ行動に移し、理想に向かって真っ直ぐに走る。好奇心旺盛で新しいことが大好き。直感が鋭く負けん気が強い。明るく社交的で、己の可能性を信じる正直者。その反面、共感できない相手からは意見を聞き入れない頑固なところや、つい親切を押し付けたり、他人の無知を許せずいらいらするようなきらいもある。 家族のほとんどが従軍しており、小さな頃から厳しく鍛えられた。戦場にまだ慣れておらず、弱いものを蹂躙するような卑劣さや残酷な光��の前には激しい怒りを露わにする。命令には忠実だが感情的になって未熟なミスすることもしばしば。不正や不実を嫌い、たとえ味方であっても軍規違反は断固として許さない。 仲間と思った相手を心から信じることで信頼関係を築く真っ向勝負なコミュニケーションをとる。そのぶん心底傷付くことも多く、嘘を見抜いたり心理的な駆け引きは苦手。理想主義者でありながら現実的な考えを持つため、夢想家ではない。ものを所有したいという欲が強く、たまに我慢できず分不相応な買い物をしてしまい反省している。
*人間関係
いつも自分から話しかける社交家。特に仲間だと思った相手には強く信頼を寄せる。コミュニケーションは非常に体当たり的だが、第六感が働くのかたいていは友好的に関係を築くことができる。だが自分が許せないと思った相手にはたとえ先輩でも上官でも何度でも歯向かうため、大変な衝突を起こすこともなくはない。 普段は親しみやすく快活に喋るが、民間人や上官に対しては非常に丁寧にかしこまった口調で話す。身体が不自由であったり身寄りがなかったりと、彼の基準で守るべきと思った相手には深く同情して手助けしようとする。
*家族関係、幼少期体験
白軍の将校を多数輩出する裕福な家庭出身。五男で末っ子。生家は京都。歳の離れた兄二人が既に戦死しており、度重なる悲劇で狂った母親と幼少期を過ごした。実家では時おり兄の名前で呼ばれるがすべて竜が返事をしている。悲しむ母の姿を見てただこの長い戦争を終わらせることを胸に戦っている。 その後軍事学校に入学。まだ成長期で身長は伸びきっておらず低めだが、父や兄たちは背が高いため自分の伸び代を信じている。なりは小さいが態度はでかい。小さい頃は女の子のような可愛らしい顔立ちだったが、最近やっと少年らしくなってきた。自軍からの逃亡者を追った際に銃弾によって右目を失っており、現在は眼帯で覆っている。
*能力
作戦においては命令を忠実にこなし、どんな敵相手でも怯まず立ち向かう。いつでも冷静とはいかず感情的になってしまい失敗することもしばしば。 小さな頃から武芸全般を教え込まれたため、銃、弓、刀、槍、格闘などひととおりはこなせるが、一番得意だったのは細身のレイピア。片目の視力を失い狭まった視界をカバーするため槍に転向。 主武器は長��のある細身の槍で、 まだ小柄なため力が足りず技術も伸びしろがある状態。あらゆることを繰り返しやることで覚える泥臭い習得方法をとる。 乗馬は非常に達者であり、愛馬の「野分」は気性が荒い馬ながらよく乗りこなし、竜の体重が軽いこともあり風のように戦場を駆ける。真面目に取り組むため座学は成績優秀。音楽が好きで、ビューグル(軍隊ラッパ)やトランペットが得意。軍隊行進曲の奏者となることもあり、朝方によく練習している。
*真木柱家 京都の裕福な軍人一家。将校を多数輩出する家柄であり、だいたいは陸軍所属。男子が多く外部からの結婚相手は厳しく調査される。代々血の気が多いのか、親がいくら画策して激戦区から外そうとしても子は前線へ出がち。長らく白軍派のため外国とのつながりも深く友好的であり、竜の叔母はロシア人将校と結婚している。家紋は丸に七宝花菱。
*好きなもの
食べ物:ひじきの煮物、カステラ、伊達巻/苦手なものはゴーヤ 飲み物:麦茶 季節:初夏 色:白、茶色 香り:石鹸、干し草 煙草:吸わない 書籍:学術書、小説、地図 動物:馬が大好き 異性:知的で意見をはっきり言う人 ファッション:風通しのいい服、麻素材 場所:高いところ、湖、森林 愛用:革の眼帯、手袋 趣味:トランペット、買い物
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慟哭と吃驚ー小島信夫と小沼丹ー
「第三の新人」と呼ばれた作家たちの中で、小島信夫と小沼丹は、理由は異なるが、どこか収まりの悪い存在に思える。 小島信夫については言うまでもなく、彼が一九一五年生まれと「第三の新人」では最年長であり、それどころか「第二次戦後派」とされる三島由紀夫(一九二五年生まれ)や安部公房(一九二四年生まれ)、井上光晴(一九二六年生まれ)や堀田善衛(一九一八年生まれ)よりも年上、「第一次戦後派」の野間宏や梅崎春生とおない年であるという事実に依っている。これは一九一七年生まれの島尾敏雄が「第三の新人」と「戦後派」のどちらにも入れられていることがあるのに似ているが、小島にかんしては「戦後派」とされているのは読んだことがない。 「第三の新人」という呼称は、山本健吉が「文學界」の一九五三年一月号に発表した同名の論文が初出とされるが、そこで山本��取り上げている作家は「第三の新人」とはあまり重なっておらず、実際にはその後、山本を含む文芸評論家やマスコミが、この時期に文壇に登場もしくは頭角を現してきた一群の小説家たちを、この便利なフレーズの下にカテゴライズしていったということだったのだと思われる。小島は五二年に「燕京大学部隊」と「小銃」(初の芥川賞候補)を、五三年に「吃音学院」を、五四年に「星」「殉教」「微笑」「馬」「アメリカンスクール」といった力作を矢継ぎ早に発表し、五五年に「アメリカンスクール」で芥川賞を受賞する。この経歴からすれば、彼は如何にも「第三の新人」と呼ばれるに相応しい存在だった。 しかし最初期の作品集『公園/卒業式』(冬樹社/講談社文芸文庫)を繙いてみればわかるように、小島は戦前から小説を書いていたし、その中には「死ぬということは偉大なことなので」(一九三九年)のような重要な作品もある。でもまあ「小島信夫=第三の新人」という等号は、文学史的にはごく常識に属すると言っていいだろう。単に他の面子よりも年を取っていたというだけである。 これに対して小沼丹の場合は、もう少し微妙な浮き方をしている。彼も一九一八年生まれと「第三の新人」では年長組だが、そういうことよりもむしろ、存在感というかアティチュードというか、その小説家としての佇まいが、他の「第三の新人」たちとは、かなり異なった風情を持っていると思えるのである。小沼は井伏鱒二の弟子だったわけだが、彼が井伏から受け取った或る種の態度と、それは関係があるのかもしれない。比較的横の繋がりの強い印象がある「第三の新人」の中にあって、小沼は他の作家たちと親しく交流することもあまりなかった(庄野潤三とは付き合いがあったが)。年譜を見ても井伏鱒二と旅ばかりしている。しばしば言われることだが、小沼にとっては、あくまでも早稲田大学の英文学の教授が本職であって、作家活動は趣味というか余技というべきものだった、というのも、あながち間違った見方ではないだろう。もっともそれを言うなら小島信夫も英文学の明治大学教授だったのだが。 小島と同様に「第三の新人」ムーヴメントの頃の小沼の筆歴を記せば、一九五四年上半期に「村のエトランジェ」、下半期に「白孔雀のゐるホテル」、五五年上半期に「黄ばんだ風景」「ねんぶつ異聞」で、計三度、芥川賞候補に挙げられたが、受賞はしていない。ちなみにそれぞれの回の受賞者は順番に、吉行淳之介、小島信夫/庄野潤三(二名受賞)、遠藤周作と、見事に「第三の新人」で占められている。これ以後、小沼��芥川賞候補になることはなかった。ちなみに五五年下半期には石原慎太郎が「太陽の季節」で受賞し、もはや「第三の新人」が新しかった時代は過ぎ去ってしまう。とはいえ翌五六年には「第三」の近藤啓太郎が「海人舟」で受賞するのだが。 小沼の第一作品集『村のエトランジェ』(みすず書房/講談社文芸文庫)は五四年刊だが、そこには収められている小説には、四〇年代後半には原型が書かれていたものもある。同時期に彼はスティーヴンスンの翻訳や『ガリヴァー旅行記』『ロビンソン・クルーソー』の子ども向け翻案などを手掛けており、大昔の異国を舞台とする「バルセロナの書盗」や「ニコデモ」(ともに四九年)や「登仙譚」(五二年)には、そういった仕事からの影響を窺うことが出来る。 先にも述べたように、小沼丹が「白孔雀のゐるホテル」で候補になり落選した一九五四年下半期の芥川賞は、小島信夫の「アメリカン・スクール」(と庄野潤三「プールサイド小景」)だった。両作の冒頭を引用してみよう。
大学生になったばかりの頃、僕はひと夏、宿屋の管理人を勤めたことがある。宿屋の経営者のコンさんは、その宿屋で一儲けして、何れは湖畔に真白なホテルを経営する心算でいた。何故そんな心算になったのか、僕にはよく判らない。 ……湖畔に緑を背負って立つ白いホテルは清潔で閑雅で、人はひととき現実を忘れることが出来る筈であった。そこでは時計は用いられず、オルゴオルの奏でる十二の曲を聴いて時を知るようになっている。そしてホテルのロビイで休息する客は、気が向けばロビイから直ぐ白いヨットとかボオトに乗込める。夜、湖に出てホテルを振返ると、さながらお伽噺の城を見るような錯覚に陥るかもしれなかった。 コンさんは、ホテルに就いて断片的な構想を僕に話して呉れてから云��た。 ーーどうです、いいでしょう? ひとつ、一緒に考えて下さい。 (「白孔雀のゐるホテル」)
集合時間の八時半がすぎたのに、係りの役人は出てこなかった。アメリカン・スクール見学団の一行はもう二、三十分も前からほぼ集合を完了していた。三十人ばかりの者が、通勤者にまじってこの県庁にたどりつき、いつのまにか彼らだけここに取り残されたように、バラバラになって石の階段の上だとか、砂利の上だとかに、腰をおろしていた。その中には女教員の姿も一つまじって見えた。盛装のつもりで、ハイ・ヒールをはき仕立てたばかりの格子縞のスーツを着こみ帽子をつけているのが、かえって卑しいあわれなかんじをあたえた。 三十人ばかりの教員たちは、一度は皆、三階にある学務部までのぼり、この���場に追いもどされた。広場に集まれとの指示は、一週間前に行われた打ち合わせ会の時にはなかったのだ。その打ち合わせ会では、アメリカン・スクール見学の引率者である指導課の役人が、出席をとったあと注意を何ヵ条か述べた。そのうちの第一ヵ条が、集合時間の厳守であった。第二ヵ条が服装の清潔であった。がこの達しが終った瞬間に、ざわめきが起った。第三ヵ条が静粛を守ることだという達しが聞えるとようやくそのざわめきはとまった。第四ヵ条が弁当持参、往復十二粁の徒歩行軍に堪えられるように十分の腹拵えをしておくようにというのだった。終戦後三年、教員の腹は、日本人の誰にもおとらずへっていた。 (「アメリカン・スクール」)
小島信夫は五四年だけで実に十編もの短編小説を発表しているのだが、個人的には「アメリカン・スクール」よりも「星」や[殉教」、そして「馬」の方がすぐれていると思う。単行本『アメリカン・スクール』の「あとがき」で、小島は実際に自分がアメリカン・スクールに見学に行った経験が出発点になってはいるものの、それはごく最近の出来事(「先年」とある)であり、しかも「事件らしい事件は、その時には一つも起らなかった」と述べてから、こう書いている。「僕はこの見学を終戦後二年間ぐらいの所に置いてみて、貧しさ、惨めさをえがきたいと思った。そのために象徴的に、六粁の舗装道路を田舎の県庁とアメリカン・スクールの間に設定してみた。それから今までなら「僕」として扱う男を、群像の中の一人物としておしこめてみた」。 その結果としての、主題的な、話法的な、一種の紛れもないわかりやすさが、芥川賞の勝因だったと言ったら怒られるかもしれないが、「終戦後二年間ぐらいの所」というのだから、一九四七年頃の物語を一九五四年に(五三年の体験をもとに)執筆したこと、それから「六粁」すなわち「往復十二粁」という「行軍」の設定、そして「僕」から「群像の中の一人物」への変換(右引用の少し先で、この小説の主人公というか狂言回し的な人物は「伊佐」という男だとわかる)という三種類の「距離」の導入が、その「わかりやすさ」に寄与していることは間違いない。もちろん小説とはこういうことをするものであるわけだが、「現実」を巧妙にずらすことによって却って「現実味」を増すという操作が、ここでは見事に上手くいっている。と言いつつ、であるがゆえに、わたし的には今ひとつ物足りない気もするのだが。兎角上手くいき過ぎているものはどうもつまらない。だがそれはとりあえず置く。 これに対して小沼丹の「白孔雀のゐるホテル」の場合は、ここで夢見られているホテルの「お伽噺」めいたイメージとは裏腹に、現実の宿屋は二軒長屋を若干改造しただけの古臭くて襤褸い代物で不便この上なく、何故だか自信満々の「コンさん」に驚き呆れた「僕」は、ひと夏の間に六人以上��泊まり客が来るかどうかの賭けをすることになるのだが、その賭けの顛末が綴られてゆく物語は、この時期の小沼小説の一大テーマというべき男女の色恋がメインに据えられてはいるものの、どこか牧歌的であり、こう言ってよければ妙に非現実的な「お伽噺」ぽさの内に全編が展開されるのである。つまりこの小説には「アメリカン・スクール」にあったようなリアリティへの配慮と戦略が著しく欠けている、というかそれはほとんど顧みられていないようにさえ見える。小沼丹がやろうとしているのは、もっとあからさまに「物語」らしい小説であり、その意味では「文学」らしからぬ小説なのである。そのせいで芥川賞を得られなかったのかどうかはよくわからないが、この作風は「第三の新人」においてはやはり異色である。 それは「村のエトランジェ」や、二編と同年発表の「紅い花」など、この頃に書かれた多くの作品にも言える。「エトランジェ」は衝撃的な殺人の目撃シーンから始まるが、現在の感覚からするとまだほとんど子供と言っていい「中学一年坊主」の「僕」の視点から、戦時中に田舎に疎開してきた美人姉妹と若い詩人とのロマンス、そのドラマチック過ぎる結末が、しかしやはりどこか牧歌的な雰囲気の中で物語られる。「紅い花」の舞台は「戦争の始る三年ほど前」だが、「大学予科生」の「僕」によって、郊外の山小屋を借りて独り暮らしを始めた「オスカア・ワイルドのように真紅のダリアを一輪飾った女」の波乱に富んだ恋愛模様が、おそるべきショッキングなラストに向かって物語られてゆく。いずれも極めて人工的なお話になっており、特に「紅い花」には一種の心理サスペンス風ミステリの趣がある。そして実際、この数年後の五七年から五八年にかけて、小沼丹は雑誌「新婦人」に「ニシ・アズマ女史」を探偵役とするユーモラスな短編を連作し、その後も何作かミステリ小説を発表している(「ニシ・アズマもの」は『黒いハンカチ』として一冊に纏められている。ミステリ作家としての小沼の側面にかんしては同書創元推理文庫版の新保博久氏の解説に詳しい)。ミステリに留まらず、五〇年代末から六〇年代頭の小沼はいわゆるジャンル小説にかなり接近しており、当時隆盛を迎えていた「宝石」「オール読物」「小説中央公論」などの中間小説誌にも作品を書いている他、六一〜六二年には新聞小説としてユーモア長編『風光る丘』を連載している。ジャンル的な方向性や出来映えの違いはあるが、デビュー以来、この頃までの小沼の小説は、おしなべて物語的、お話的なものであり、言い替えればそれは、どこか浮き世離れした雰囲気を持っていた。ところが、よく知られているように、この作風は、その後、大きく変化を見せることになる。 一九六三年の四月に小沼丹の妻・和子が急逝する。彼は娘二人と現世に残された。翌六四年には母親も亡くしている。そして同年五月に、のちに「大寺さんもの」と総称されることになる連作の第一作「黒と白の猫」が発表される。 この小説は、次のように始まる。
妙な猫がいて、無断で大寺さんの家に上がりこむようになった。ある日、座敷の真中に見知らぬ猫が澄して坐っているのを見て、大寺さんは吃驚した。それから、意外な気がした。それ迄も、不届な無断侵入を試みた猫は何匹かいたが、その猫共は大寺さんの姿を見ると素早く逃亡した。それが当然のことである、と大寺さんは思っていた。ところが、その猫は逃出さなかった。涼しい顔をして化粧なんかしているから、大寺さんは面白くない。 ーーこら。 と怒鳴って猫を追つ払うことにした。 大寺さんは再び吃驚した。と云うより些か面喰つた。猫は退散する替りに、大寺さんの顔を見て甘つたれた声で、ミヤウ、と鳴いたのである。猫としては挨拶の心算だったのかもしれぬが、大寺さんは心外であった。 (「黒と白の猫」)
以前から身辺雑記的なエッセイは発表していたが、この作品によって小沼丹はいわば「私小説的転回」を果たしたとされることが多い。淡々とした、飄々とした筆致から「大寺さん」の、とりたてて劇的な所のない平凡な日常が浮かび上がり、いつの間にか自宅に上がり込むようになった猫の話が綴られてゆくのだが、小説の後半で「大寺さん」は妻を突然に亡くす。しかしそのことを伝える筆致もまた、どこか淡々と、飄々としている。事情を知る読者は、おそらく作家自身に現実に起こったのも、こんな感じであったのかもしれないと思う。そしてこの作品以後、かつてのような人工性の高い「お話」は、ほとんど書かれなくなってゆく。これが多分に意識的な「転回」であったのだということは、次の文章でもわかる。
小説は昔から書いているが、昔は面白い話を作ることに興味があった。それがどう云うものか話を作ることに興味を失って、変な云い方だが、作らないことに興味を持つようになった。自分を取巻く身近な何でもない生活に、眼を向けるようになった。この辺の所は自分でもよく判らないが、この短編集に収録してある「黒と白の猫」という作品辺りから変わったのではないかと思う。 (「『懐中時計』のこと)
作品集『懐中時計』は一九六九年刊。右は九一年に講談社文芸文庫に収められた際に附された「著者から読者へ」より抜いた。この先で「黒と白の猫」についてあらためて触れられているのだが、それは(明記されていないが)一九七五年発表の「十年前」というエッセイの使い回しとなっている。なので以下は同エッセイ(『小さな手袋』所収)から引用する。「十年前」とは勿論「黒と白の猫」が書かれた時のことである。
日記には「黒と白の猫」を書き終わって、一向に感心せず、と書いているが、これはそのときの正直な気持ちだろう。尤も書き終���て、良く出来たと思ったことは一度も無いが、この作品の場合は自分でもよく判らなかったような気がする。よく判らなかったのは、主人公に初めて「大寺さん」を用いたからである。 突然女房に死なれて、気持の整理を附けるためにそのことを小説に書こうと思って、いろいろ考えてみるがどうもぴったり来ない。順序としては一人称で書いたらいいと思うが、それがしっくりしない。「彼」でも不可ない。しっくりしないと云うよりは、鳥黐のようにあちこちべたべたくっつく所があって気に入らなかった。此方の気持の上では、いろんな感情が底に沈殿した上澄みのような所が書きたい。或は、肉の失せた白骨の上を乾いた風邪が吹過ぎるようなものを書きたい。そう思っているが、乾いた冷い風の替りに湿った生温い風が吹いて来る。こんな筈ではないと思って、一向に書けなかった。 それが書けたのは、大寺さん、を見附けたからである。一体どこで大寺さんを見附けたのか、どこから大寺さんが出て来たのか、いまではさっぱり判らない。 (「十年前))
「兎も角「僕」の荷物を「大寺さん」に肩代りさせたら、大寺さんはのこのこ歩き出したから吻とした。しかし、出来上がってみると、最初念頭にあった、上澄みとか、白骨の上を吹く乾いた風の感じが出たとは思われない。それで一向に感心せずとなったのだろう」と小沼は続けている。ここでわたしたちは、小島信夫が「アメリカン・スクール」について「今までなら「僕」として扱う男を、群像の中の一人物としておしこめてみた」と語っていたことを思い出す。つまり小島も小沼も、一人称を架空の固有名詞に変換することによって、或る転回を成し得ている。興味深いことに、「私」で/と書くのを止めることが、むしろ「私/小説」を誕生、もしくは完成させているのである。 「アメリカン・スクール」前後の小島信夫の小説で、一人称の「僕」もしくは「私」で書かれていないのは、他には「声」(一九五五年)など数える程しかない。一九五五年には初の長編小説『島』の連載が「群像」で開始されるが、これも人称は「私」である。そして長編小説にかんしてみると、続く『裁判』(一九五六年)、『夜と昼の鎖』(一九五九年)、『墓碑銘』(一九六〇年)、『女流』(一九六一年)は全て一人称で書かれている。そして小島が初めて三人称で書いた長編小説が、他でもない『抱擁家族』(一九六五年)なのである。その書き出しは、次のようなものである。
三輪俊介はいつものように思った。家政婦のみちよが来るようになってからこの家は汚れはじめた、と。そして最近とくに汚れている、と。 家の中をほったらかしにして、台所へこもり、朝から茶をのみながら、話したり笑ったりばかりしている。応接間だって昨夜のままだ。清潔好きの妻の時子が、みちよを取締るのを、今日も忘れている。 自分の家がこんなふうであってはならない。…… (『抱擁家族』)
この「三輪俊介」は『抱擁家族』から三十二年後の一九九七年に刊行された長編『うるわしき日々』に(それだけの年を取って)再登場する。当然のことながら、一人称で書かれているからといって作者本人とイコールでないのと同じく、三人称で書かれているからといって作者とまったく無関係とは限らない。小島の他の長編小説、たとえば大作『別れる理由』(一九六八〜八一年まで連載)の「前田永造」であるとか『美濃』(一九八一年)の「古田信次」であるとかも、基本的には「小島信夫」の別名であると言ってしまって構わない。これはあらためてじっくりと論じてみたいと思っていることだが、日本文学、少なくとも或る時期以降の「日本」の「文学」���、煎じ詰めればその大半が広義の「私小説」である。それは人称の別にかかわらず、そうなのだ。その中にあって小島信夫は、かなり特異な存在だと言える。何故ならば小島は、自身の人生に材を取って膨大と言っていい小説を書いたのみならず、それらの小説群によって自らの人生自体をも刻々と小説化=虚構化していったからである。だが本稿ではこの点にはこれ以上は踏み込まず、小沼丹との比較対照に戻ることにする。それというのも、言うまでもないが『抱擁家族』でも「三輪俊介」の妻が亡くなるからである。 『抱擁家族』は、前半では「三輪俊介」の妻である「時子」と、三輪家に出入りしていたアメリカ兵ジョージとの姦通(次いで三輪家の二番目の家政婦である「正子」と息子の「良一」も関係を持つ)によって生じた「家/族」の危機が、後半では「時子」が癌に罹り月日を経て死に至るまでと、それ以後が描かれる。現実の小島信夫の最初の妻・キヨは、一九六三年十一月に数年の闘病生活の末に亡くなっている。これは小沼丹の妻の死の半年後のことである。小島信夫の代表作、おそらく最も有名な作品であろう『抱擁家族』は発表以来、さまざまに読まれてきた。言わずもがなではあるが、よく知られた論としては、実質的に「第三の新人」論と呼んでいい江藤淳『成熟と喪失』(一九六七年)が挙げられるだろうが、今から見れば些か過剰に社会反映論的とも思えるそこでの江藤の立論は、たとえ当たっていたとしてもわたしにはあまり面白くはない。今のわたしに面白いのは、たとえば小島の最初の評論集である『小島信夫文学論集』(一九六六年)収録の「『抱擁家族』ノート」における、次のような記述である。
時子の死ぬところがうまく行かない。つまらない。自然の要素が強すぎる。 しかし、ここをとるわけには行かない。一応こういう自然の時間を追うスタイルの小説だからである。
小説の推移、一つ一つの会話がそのまま混沌としていて、しかも人生そのものというようにすべきである。そのくらい複雑でなければ、こういう問題を書く意味がない。 (「『抱擁家族』ノート」)
二つの断片を引いた。この「ノート」は、小島が実際に『抱擁家族』執筆に当たって作成した創作メモがもとになっているそうだが、最後の一文に「俊介は狂っている」とあり、思わず戦慄させられる。周知にように、小島信夫は小説と同じくらい、ことによるとそれ以上の労力を傾注して多数の小説論を書いた作家だが、自作にかかわる論においては常に、右の引用に示された紛れも無いパラドックスを��ぐる葛藤が旋回している。すなわち「小説」と「自然の時間=人生そのもの」との、ややこしくもあり単純でもある関係性が孕むパラドックスである。それは小沼丹が「突然女房に死なれて、気持の整理を附けるためにそのことを小説に書こうと思って、いろいろ考えてみるがどうもぴったり来ない。順序としては一人称で書いたらいいと思うが、それがしっくりしない」と悩んだあげくに、ふと「大寺さん」を発見したのと同じことである。 それならつまり、小島信夫も小沼丹も、自らの実人生に起きた、たとえば「妻の死」という決定的な出来事、悲劇と呼んで何ら差し支えあるまい出来事を、如何にして「小説」という虚構に落とし込むかという試行に呻吟した結果、それぞれにとっての小説家としてのブレイクスルーを成す『抱擁家族』と「黒と白の猫」という「三人称の私小説(的なるもの)」が産み落とされたのだ、と考えればいいのだろうか。それはまあそうなのだが、しかし両者の対処の仕方は、一見すると対照的である。『抱擁家族』では、夫である「三輪俊介」が、妻である「時子」の死に対して激しく動揺し、狼狽し、慟哭するさまが執拗に描かれている。その様子は勿論シリアスなものではあるが、しかし同時に奇妙な諧謔味を湛えてもおり、そしてその諧謔がぐるりと廻って哀しみを倍加する、というようなものになっている。それは名高い「私の妻は病気です。とても危いのです。その夫が私です」という台詞に象徴されているが、そこに作家自身の生の感情が吐露されていると考えてはならない。「アメリカン・スクール」で施されていたのと同様の戦略と計算が、ここにはより大胆かつ精妙に働いている。 たとえば次の場面には、小島の独特さが現れている。
病院での通夜までの間に一時間あった。その間、彼は病院の玄関に立っていた。涙がこみあげてきて、泣いているとうしろで廊下をするような足音がした。ふりかえるとカトリックの尼が、トイレから出てきたところで、トイレのドアがまだ動いているところであった。 二人の尼は俊介のところへおびえるようにして近よってきた。 「お亡くなりになったそうで」 眼から涙がこぼれおちてくる、と俊介は思った。 「先日はどうも」 と彼は口の中でいった。 「祈ってあげて下さい」 と若い女の方がいった。 「それは僕も祈りつづけてきたのですが、祈る相手がないのですよ。だからただ祈り、堪え、これからのことを考えるだけです」 「あなたは、今、神に近いところにおいでになりますよ」 「なぜですか」 俊介は尼について歩きはじめた。 「家内に死なれたからですか。これは一つの事業ですよ。その事業をぶざまになしとげただけのことですよ」 俊介の涙はとまった。 「ただ僕は子供がふびんで……これからどうして暮して行ったらいいのだろう。ずっと前から予想していたが、やっぱり思いがけないことが起きたのです」 (『抱擁家族』)
「『抱擁家族』ノート」には、こうある。「カトリックの尼を出す。時子は求めているらしいのに、追払う。こういう錯覚、洞察力のなさが俊介にはある。神の問題は、この程度にしかあらわれない。そういうこと、そのことを書く」。これはつまり、敢て、故意にそうしている、ということである。小島は、あくまでも意識的なのである。小島は「演���」にも関心の深かった作家だが、ある意味で「三輪俊介」は、演劇的に慟哭してみせているのだ。 小島信夫は徹底して方法的な作家であり、彼の方法意識は『抱擁家族』でひとつの極点に達し、それから数十年をかけて、ゆっくりと小島信夫という人間そのものと渾然一体化してゆくことになるだろう。従って、それはやがて「方法」とは呼べなくなる。だが、ともかくも言えることは、『抱擁家族』という小説が、たとえ表面的/最終的にはそう見えなかったとしても、実際には精巧に造り込まれた作品なのだということである。以前の作品と較べて、明らかにスカスカを装った文体や、一読するだけではどうしてそこに置かれているのかよくわからない挿話、あまり意味のなさそうな主人公の述懐さえ、周到な準備と度重なる改稿によって編み出されたものなのである。 小沼丹の「大寺さんもの」は、「黒と白の猫」に始まり、計十二編が書かれた。最後の「ゴムの木」の発表は一九八一年なので、実に十七年にわたって書き継がれたことになる。いずれも、ほぼ作家と等身大とおぼしき「大寺さん」の日々が綴られている。そこでは確かに、お話を「作らないこと」が慎ましくも決然と実践されているようであり、また「自分を取巻く身近な何でもない生活に、眼を向け」られていると読める。この意味で、小沼の姿勢は小島信夫とは些か異なっているかに思える。 だが、ほんとうにそうなのだろうか。「黒と白の猫」の、今度は末尾近くを読んでみよう。
大寺さんは吃驚した。 例の猫が飼主の家の戸口に、澄して坐っているのを発見したからである。大寺さんは二人の娘に注意した。娘達も驚いたらしい。 ーーあら、厭だ。あの猫生きてたのね。 ーーほんと、図々しいわね。 この際、図々しい、は穏当を欠くと大寺さんは思った。しかし、多少それに似た感想を覚えないでもなかった。大寺さんもその猫は死んだとばかり思っていたから、そいつが昔通り澄しているのを見ては呆れぬ訳には行かなかった。 (「黒と白の猫」)
この短編を、そして続く「大寺さんもの」を読んでゆく誰もが気付くこと、それは「大寺さん」が、やたらと「吃驚」ばかりしていることである。もちろん小沼丹の小説には、その最初期から「吃驚」の一語が幾度となく書き付けられてはいた。たとえば「村のエトランジェ」の冒頭も「河の土堤に上って、僕等は吃驚した」である。『黒いハンカチ』の「ニシ・アズマ」も、一編に一回は「吃驚」している。だが、それでも「大寺さんもの」における「吃驚」の頻出ぶりは、殆ど異様にさえ映る。なにしろ「大寺さん」は、悉く大したことには思えない、さして驚くには当たらない小さな出来事にばかり「吃驚」しているのだ。そして/しかし、にもかかわらず「大寺さん」は、真に不意打ちの、俄には信じ難い、受け入れ難い出来事に対しては、むしろ淡々としている。その最たるものが、身近な者たちの「死」に向き合う態度である。「黒と白の猫」には「細君が死んだと判ったとき、大寺さんは茫然とした。何故そんなことになったのか、さっぱり判らなかった」とある。彼は「茫然」としはするが、そのあとはせいぜい「しんみり」するくらいで、取り乱すことも、泣くこともない。「茫然」は、あっさりと恬然に、超然に席を譲るかにさえ思える。演劇的なまでにエモーショナルな『抱擁家族』の「三和俊介」とは、まったくもって対照的なのである。つまり「大寺さん」の「吃驚」は、実際の出来事の強度とは殆ど反比例しているのだ。 「大寺さんもの」第三作の「タロオ」(一九六六年)は、タロオという飼犬のエピソードで、最後にタロオは知人のAの所に貰われてゆく。
大寺さんがタロオを見たのは、それが最后である。タロオはその后十年以上生きていて死んだ。死ぬ前の頃は、歯も悉皆抜けて、耳も遠くなって、大分耄碌していたらしい。老衰で死んだのである。 その話を大寺さんはAから聞いた。 ーータロオが死んだとき、とAは云った。お知らせしようかなんて、うちで話していたんです。そしたら、奥さんがお亡くなりになったと云うんで、吃驚しちゃいまして…… ーーうん。 大寺さんの細君はその二ヶ月ばかり前に突然死んだのである。 (「タロオ」)
ここには「吃驚」の一語があるが、それは「大寺さん」のものではない。この短編で妻の死が持ち出されるのはこのときが最初で、そしてこれだけである。あと数行で、この小説は終わる。「……タロオをルック・サックに入れて持って来て呉れたTも、五、六年前に死んだっけ、と思った。そして、みんなみんないなくなった、と云う昔読んだ詩の一行を想い出したりした」。この幕切れは寂寞としてはいるが、哀しみと言うにはやはり妙に飄然としている。 「大寺さんもの」を通して、小沼丹は繰り返し繰り返し、幾つもの「死」を話題にする。それは疑いもなく作家自身が「身近な何でもない生活」の中で現実に出逢った「死」がもとになっている。要するに「大寺さんもの」とは、死をめぐる連作なのだと言ってもいいくらいに、そこでは死者たちの思い出が語られている。しかし、にもかかわらず、小沼の筆致はその点にかんしては、いや、とりわけそれに限って、只管に抑えられており、そしてその代わりに、彼の言う「何でもない生活」の周囲に、夥しい数の「吃驚」が配されているかのようなのだ。 だとしたら、これは、これもまた、一種の「お話」と言ってしまっていいのではあるまいか。小沼丹は「黒と白の猫」で変わったわけではなかった。彼の創意と技術は、むしろ以前よりも研ぎ澄まされていったのだ。小島信夫とは別の「方法」によって、だが底の底では極めてよく似た動機に突き動かされて、小沼は「大寺さん」というキャラクターを造り上げていったのではなかったか。その「動機」とは、受け入れ難いのに受け入れなくてはならない出来事を受け入れざるを得なかった、この自分を虚構化=小説化する、ということだった。 「大寺さんもの」の最終篇「ゴムの木」の終わりを引用して、本稿を閉じることにしたい。「黒と白の猫」が「黒と白の猫」のお話だったように、「タロオ」が「タロオ」のお話だったように、これは「ゴムの木」のお話である。
いつだったか、大寺さんの娘の秋子が、ちっぽけな男の子を連れて大寺さんの家に遊びに来たとき、何かの弾みで想い出したのだろう、 ーーウエンズさんに頂いたゴムの木、どうしたかしら? まだ、あります? と訊いた。 ーーあれだ。 と大寺さんが教えてやると、 ーーまあ、驚いた。あんなに大きくなったの……。 と眼を丸くした。大寺さんも何となくゴムの木を見ていたら、青い葉の傍に恨めしそうな眼があったから吃驚した。 (「ゴムの木」)
最後の「吃驚」に、わたしは思わず吃驚した。この「眼」はいったい何なのか、まったく説明はない。まるで「村のエトランジェ」の頃に戻ったかのようではないか。しかしこれ以降、小沼丹の小説は、ますますエッセイと見分けがつかなくなってゆく。彼は一九九六年、七七歳で没した。「ゴムの木」が書かれたのと同じ一九八一年、小島信夫は大作『別れる理由』の連載を終え、『女流』の続編である『菅野満子の手紙』の連載を始め、『美濃』を刊行した。小島は二〇〇六年、最後の長編『残光』を発表し、それから間もなく亡くなった。九一歳だった。
(初出:三田文学)
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慟哭は復讐の声 1.奴が帰ってきた
2017年3月に行われたサタスペのキャンペーン・青空爆発ドッグスの最終話を小説風に脚色したものです。
いつの間にか久し振りに飲もうぜなどと言い合える連中になってしまった。それに二つ返事で喜べる仲になってしまったのだ。誰がなんと言おうとも、自分たちが実のところどう思っていようとも。
「みっちゃんとリーダーはまだ来てないみたいですねえ」 ダイキリを片手に呟いたのは崔恭一だった。紫の瞳は壁に掛かっていた時計を確認したがさっき見たときと変わらず二時十七分で止まっているらしく、当てにならないと顔をしかめては酒を煽った。よく見たらガラスが割れているし中に蜘蛛の巣が入り込んでいる。 「まあリーダーが時間にルーズなのは今に始まったことじゃないですしね」 酒を勧めてくる悪い大人にNOが言える優等生DB・マヤンはカラシニコフを玩具のようにして遊んでいる。チョコレートの盛り合わせは地下の籠った熱で溶け始めているところ。室内でのマナーと言って着こんでいた帽子とコートとジャケットも脱いでいた崔も少し暑そうだ。 「一松も適当なところあるしな」 黒くないビールをぐっと傾けて一気に飲み干したのはヴィンセント・ジョーンズ。空いた腹にアルコールは良くないと頼んだつまみに手を付けないまま三杯目だった。口に白いヒゲがついたのを褐色肌の少年が揶揄い、黙って手の甲で拭う大男を横目で見ながら、自分は次にどんなものを飲もうかと崔は考える。昔から所以だの謂れだのを考えるのが好きで、特に拘ってるのがジンクスだ。ちなみにダイキリについた意味合いとは、希望らしい。 例え亜侠などと言うボンクラであったとしても酒を飲むなら日が落ちてから、全員が揃ってからと思っていたのにリーダーであるパット・ユーディーともう一人の一松三子が現れる気配が無いので痺れを切らして諸々を注文したのが三十分前になる。お決まりになってしまったこの個室はそれはもう店の奥の奥で、料理の映えなど気にもかけない白熱灯が光るばかりで外が今どんな様子なのかは把握できない。相変わらず狭い部屋はあと二人を収容出来るのかも疑わしいくらいだがパットはまだ成長しきっていない少年だし一松は枝みたいに細いから結局は大丈夫なのだろう。 「なんだっけ? パソコンのCPUのクロックアップ? あれに凝ってるって言ってたっけ。僕わかんないです」 銃を傍らに置いたマヤンがもうぬるくなってしまったオレンジジュースを少しだけ飲んだ。 「まあ……一松のほうは最近恋人も出来たしな」 「最近? もう半年も前の話ですよ。若いんだからその感覚は治しましょうよ」 「いやいや忙しかったからさ、時間が経つのが早かっただろ」 最年長に老いを指摘されてヴィンセントが焦る。言い分はまぁ、わからなくもないが。 「この半年の間になにがありましたっけ?」 因幡の白兎が頼んできた件は何ヶ月前でしたっけという少年の問いに、三人は六ヶ月を思い浮かべ始めた。ワニとサメが合体した化物を海上に浮かぶ船から相手するのはシビアなものだった、舵を取ったマヤンは免許を取れる腕前に変わり果て、依頼人のウサギに騙されたとわかるとこういうときはパイにするんだよと一松が喜々として包丁を研いでいたこととか。さるかに合戦は親の敵討ちをとカニが頼んできたが実際にはサルはむしろ良い奴で、カニ率いる詐欺師集団が豪邸を奪い取る算段だったらしい。甲羅が嘘みたいに硬くて銃弾を物ともしないので崔が無理だと泣き喚き、結局ヴィンセントが手足をもいで物理で解決させた。あと一回だけ珍しく人間がやってきて某盟約で秘密裏に開発されているウィーゼルの詳細を調べてくれとのことがあったが、実際に生み出されていたのは洗脳された殺人イタチであった。結局動物じゃねえかとパットが叫んでいたが同情禁じ得ないぇ 「どうでもいいですけど本当に動物関係多いですね、ウチは」 ようやくグラスを空にして、店員を呼ぶのに立ち上がりながら崔は呟いた。 「なんか呪いなんじゃないですか」 マヤンが言った。割と呪い染みた運命だと。錬金術師が言うと洒落にならんなとヴィンセントは追加のジョッキを頼んでいた。
それから十数分、パットと一松は未だ来て居らず、幸運にも趣味の近い者同士であったため途切れなかった会話に割り込んでマヤンの携帯が鳴った。数年前にヒットした映画の荘厳な主題歌はチープなアレンジに変えられ、すぐに通話ボタンを押される。聞こえたのは荒い息遣いで、その向こうから意味を成さない騒音が重なっていた。正確には動物の鳴き声がほとんどだった。苦しそうな呼吸が三回、それから相手は声を発する。 「すまぬ、マヤン」 この声を知っている。マヤンの脳裏にはエンペラ��ペンギンの顔が浮かんでいた。もう若干懐かしいくらいのあのペンギンである、一時は長電話した仲ではあるがその後についてはお互いなんの音沙汰も無く過ごしていた。 「どうしたんですか、なにがあったんですか?」 彼に何故こんなにも余裕がないのか心当たりがない。それはもう当然のように喉から出てきた。マヤンの不安を滲ませた声に崔とヴィンセントも動きを止める。 「奴が帰ってきた」 エンペラーの声に油断は許されていなかった。奴について尋ねる前に動物園の惨劇は彼を吞み込まんとしていた。多くを語れないと判断した彼が慎重に付け加える。 「私もここまでのようだ……奴らには気をつけろ」 「ど、どうしたんですか! なにがあったんですか、返事をしてください! エンペラー!」 続いて、爆発音。マヤンの耳が壊れる前に電話はぶつ切りされ、状況から取り残された故の空しい呼び掛けが残り、その余韻もいよいよ無くなると温情とばかりにラジオにノイズが走った。ブレイク三歩手前のバンドミュージックを流していた店内放送は公共の電波に切り替わり、たった今の速報を流す。 『臨時ニュースです、天王寺動物園が爆破されました。被害のほうはまだわかっておりません。近隣の住人はすぐさま避難をお願いします』 なんと他人事な声なのか。繰り返しを聞き流しながら、齢十三は呆然としたままなんとか携帯を落とさないように必死だった。 「一体なにが……」 「なにか……爆発があったとかなんとかって言ってますねぇ」 崔はいつの間にか上着を着ていた。エンペラーどうこうって、ひょっとしてあの? と腕を横に曲げて手のひらをぱたぱた動かしているが、それはペンギンのつもりなのだろうか。 「天王寺動物園は今や彼のキングダムです、そこが爆発されたということは」 言葉はどうしても続かなかった。予測出来た会話ほど無駄な時間があるだろうか。一瞬で誰もが無口になり、焦燥感が追い立てるように神経を焼く。この町で最も静かな場所に違いなかったが、やがて扉のノックが三人を、少なくともこちら側へ呼び戻した。しかしそれが安心できる切っ掛けだとは思えない。 「雲行きが怪しいですねぇ」 眉を顰める崔がちらりと長年の友人を見た。嗚呼、了解、言われなくてもとヴィンセントが扉に近寄る。何者だ、尋ねる前にガチャガチャと言った複数の銃の準備に気付いた。途端に吹き飛ばされたドアノブがマスターキーによるものだと言う認識は後で良い、それよりもまず。 「物陰に隠れろ!」 戦闘力に特化した男の剛腕が、物量が乗った木製のテーブルを倒した。入口を塞ぐように天板を向けたがしかし、食器が割れるよりも先に手榴弾が投���込まれるのを目撃する。キン、と光が飛ぶような音が耳をつんざいた。 「ヴィンス!」 真っ先に反応出来たのはマヤンだったが余りにも唐突過ぎて体が追い付かない、足は床の凹凸に引っかかって大きくバランスを崩した。勢いのままヴィンセントを倒し、大男は幼い身を庇うために受け身を取らずに少年を抱えて壁際に転がる。後ろにいた崔は奇しくも巻き込まれ潰されたが、全員が部屋の隅でギリギリ爆風を避けたと言うことになった。 まだ晴れない土煙を薙ぐ如く重い一撃が振り下ろされたのも、ヴィンセントが咄嗟に起き上がってバットを握れたのも、片膝に体重を掛けて力任せにスイングしたのも、まるで瞬間的で、脅威は男の横に逸れてぐざんと床を抉った。ちょうど腰の抜けた崔の足元で、動きを止めてようやくごつい斧であることがわかった。ぱらぱらと破片が落ちる音。 「もう勘弁してくださいよ!」 崔が悲鳴を上げながら襲撃者を確認しようと上を向けば、開幕とでも言うように視界は良くなり、そこに蜜のような髪をふわりとなびかせた少女がいた。よくある組み合わせだと思う奴は現実を見たほうが良い、マヤンよりもずっと小さい女性が体格を遥かに凌ぐ斧を使ってこちらを真っ二つにしようとしてきたのだから。彼女は幼い顔立ちで丸く大きな目をしていたが、そこに光は見えず黒い鏡のような球に男を映すばかりだった。そしてまた同じように少女を凝視していた三人の傍へカツン、カツン、誰かがこちらへ近寄ってくる。 「モミジさんモミジさん、早まり過ぎですよ」 名前を聞いた瞬間に、全身が赤の匂いを思い出した。それが秋の葉の色なのか、血の溜まりだったか、判別を拒む程度に遠慮願いたい相手である。しかも非常に信じられないことにだが、やってきた男の声は知っているものだった。キングと呼ばれた男のものだ。 「その女はもしかして……あの……俺らが島で殺した奴か」 ヴィンセントは珍しくしかめっ面で、であるにも関わらずモミジと名称のある少女は静かにこちらを見つめるばかり。 「モミジさんは最近転生したばかりで言葉は喋れないようなんですよ、ご了承ください」 部屋に立ち込めていた砂埃はもうすっかり無くなっている。それでも聞き慣れない言葉を耳から入れた脳は困惑していた。一体何処のファンタジー時空からやってきた方々なのか、そう本気で思えたらどれだけ平静で居られたことだろう、まあ恐らく同時に死んでいるだろうけれど。 改めて確認すると、大斧を持ち必要最低限のプロテクターを身に着けた少女と、ペストマスクで顔の見えない軍服の男がいた。男のほうはやけに嵩張る外套と艶やかな素材で出来た傘を持っている。属性過多。その二人の後ろからもう一人が顔を出した。まだ増���るのかよ。 「やぁやぁやぁ! 皆さん、お久し振り……へけっ!」 うわ。 「いやー、この格好だと『へけっ』まで言わないとたぶんわかってもらえないからなー」 そう困ったように笑う白衣の青年は流石元マスコットの肩書を持っていただけあると言うか、だとしても素性を知っている分腹の立つ顔ではあるのだが、小動物的な愛らしさはあったかと思う。イメージカラーのオレンジが鮮やかだ。 「状況はわかってきたかな?」 「ジャパニーズノベルに帰れ!」 今まで黙っていただけだったマヤンが耐え切れず声を上げた。それでも歯牙にもかけないと彼らは笑っている、いや一人は無表情だしもう一人はマスクを被っているから読み取れないが。 「地獄の閻魔様に復讐がしたいと言ったら、帰してくれたんでね? このチャンスをものにしに来ただけですよ」 東洋の冥界というのは、サボタージュが問題にならないのかな。動物から人間に生まれ変わる確率と言うのはかなり低い、それを少なくとも三回通しているのだからちょっと仏様を信じられなくなる。 「今日はただ遊びに来ただけです。当初の目的は達成していますので」 そのうちまた顔を合わせることになるでしょう、キングは言った。 「今この場で即行二度と顔も見たくないんだけど」 間髪入れずにマヤンは返す。素直で良いことだ、苦い顔の少年にやはり男はさも愉快と息を漏らす。 「人の姿なら殺れるんじゃないんですか、ヴィンス。やっちゃってください!」 「そういう問題じゃないだろ」 「だってあの巨大なクマがその可愛い女の子なんでしょ? なんとかなるんじゃないんですか!」 「さっきの斧結構ギリギリだったぞ?」 「またまた御冗談を」 「恭一さん、ただの女の子が、斧を振り回したりなんか、しない」 ならば試しにと崔はヴィンセントを壁にしながらモスバーグの銃口を少女に向けた。この距離なら当たらないこともあるまい、引き金を引くまでの時間は一秒も無かったがそれを見越していたかのようにキングが前に躍り出て持っていた傘を広げた。随分広い面積のそれはどんな細工を施しているのか全ての散弾を受け止める。崔が短い悲鳴を上げたとき、ヴィンセントは飛び出した。防衛線なら破壊すべき、と、しかし傘の先端に穴が空いているのを見たとき、そして瞬時に火花が散ったとき、なんとか銃弾を受け止めたバットは手から撃ち落とされていた。 「手が早いのはそちらも一緒でしたか」 その声はもう悦を隠すのを止めたようだ。けらけらと明らかにこちらを下に見る態度にヴィンセントがいよいよ声を低く唸らせる。 「……舐められたままでいられるかよ」 「いえいえいえ? しかし、本気になって貰えるのは嬉しいですね」 「命狙われて本気にならない奴がどこにいるんだこの野郎」 「本気を出してもらわなきゃ困りますよ、こちらも狩りのつもりで来ていますので」 「獣が人の姿を持ってから調子に乗りやがって」 その言葉にふん、と鼻を鳴らし��のは公太郎だった。細めた目にわざとらしく上がった口角、彼は耳に残る声で言い放つ。 「調子に乗っているのは皆さん人間のほうじゃないか」 ぎっとヴィンセントが睨み返せばやーいやーいと手をぴろぴろさせてくるので、駄目だこれは低レベルだとマヤンがスーツの裾を引っ張って静止させた。 「あなた方の命は私たちが頂きます。それまで余生をお楽しみください」 キングの右手が高く掲げられると、小気味好く高い音が響く。空気を弾くようなその合図は、遥か彼方からなにかを呼び寄せていた。それがなにか、と言うのは唐突に地層が軋み地下に位置するこのロクでもない酒場が崩壊しそうな揺れと激しい噴射音で、ただ大きなものであることしかわからない。そんな疑問も個室の天井の一角がごりっと盛り上がり穴が空くことで解決する。ちょっと訂正しよう、ロクでもない酒場が崩壊した。 冗談かなにかのように、ペンギンを象った巨大ロボがそこにいた。そうして差し込んだ手のひらにひょいひょいと元動物たちが乗り込み、用は済んだとこちらに振り返りもせずに帰っていく。そういえばロボットと戦ったこともあったな、あれは差し詰め百万ペンギン力と言ったところだろうか、パットが喜んだらどうしよう。ぽっかり空いた大きな穴から飛び去るロボットは憎しみを差し引いても恰好良かった。超絶技巧には付き物な盛大な効果音が聞こえなくなると、今度は結構な雨の音が聞こえる。季節外れにもほどがある夕立だ。 「夢じゃないですよね……」と崔恭一。 「ほっぺでも引っ張りましょうか?」とDB・マヤン。 「死にかけたのは現実だぞ」とヴィンセント・ジョーンズ。 「とりあえずリーダーとみっちゃんにも連絡を取らないと」 「……と言うか、二人の身のほうがよっぽど危ないんじゃないですか?」 「一人だしな」 「特に一松さんが一番危ない気がするんですけど」 「……アリエルがいるだろ?」 「なにはともあれ仲間がピンチなんだから急ぎましょうよ」 「おう、そうだな」 電話番号を探しながら三人は思う。どうか、どうか無事で居てくれと。
◇
ベンチマークの結果はなかなかに良いものだったし、今月中はランキング十位圏内は安定だろう。別に誰かと競争したいわけでもないが、記録は残しておきたかった。楽しすぎて時が止まったかのような感覚だったのだ。無論あくまで感覚の話で現実は足早に動き続け、結局約束の時間の五分後に家を出た。遅刻は確定しているとわかっているが出来るだけ急ごうと思う。半年前から愛用しているマルチボードに乗っかって人の合間を縫いながら最高速度だ。 しかし、JAIL HOUSEまであと十数分というところで。つまりは天王寺動物園を横切ろうというところで、その公共施設から大きな爆発音が聞こえ、パットは足を止めた。今日はなにかのパーティーだっただろうか、だとしたら随分オーバーすぎ��花火だけど、領地を区別するための柵の向こうに煌々と燃え上がる火の海を見てしまえばそれは厄介ごとの類であるという認識に変わる。それにあの場所にはかつて依頼で知り合ったエンペラーがいるはずだった。荷物の中からごそごそと取り出すのはペンギン帽子だ。使えるかもしれない、いや使いたいわけじゃないけど、絶対に使いたいとかじゃないけど、念のため。誰に言うでもない言い訳が心に渦巻いているとその出会いは突然に訪れた。 「パーット!」 可憐ではつらつとした透き通る声だった。それは聞いた者の脳に春を呼んで蝶が飛ぶように目の前をチカチカさせた。体温は先走りすぎて夏の暑さだったし、比喩的に空まで跳ねた心臓はびくびくと脈打っていた。そういう体の症状を無視するかのように頭の上からサアと血の気が引いているような気がしている。目の前が真っ暗になりかけた。ここで意識を失ったらどうなってしまうのだろう、考えたくない。それでもパットはぎこちなく後ろを向いた。 見た目は全然知らない女性だった。天使を思わせる純白の髪に鮮やかな青いリボンのカチューシャ。目は大きくてあくまで美しく長い睫毛を持っている、虹彩は深い緑で、白い肌に際立っている。ブラウスは透けたフリルが軽やかで上品なリボンが装飾としてついていてまるでお嬢様のようだ。全然知らなかったが、重なる部分がどうしてもあのネズミを思い出してしまう女性だった。ロマンスの神様、この人でしょうか? 「誰だお前は?!」 これでどうかまったく違う名前だったら良かったのに、彼女はにこにこしながら、えー覚えてないのー、などとからかってくる。可愛い。違う。埒が明かないと思ったのでじりじりと後退りをしたが、柔らかな指がそっと腕を這うだけで鉛を飲み込んだように足が重たくなる。逃げないで。呟いたか、そうではなかったかは定かではないがパットの体は本当に動かなくなってしまった。 「パット、どこにいくのよ?」 全然怖くないちょっと怒った声でパットに詰め寄る。甘い良い香りがした。違う、違う今本当にそういうことはいらない。 「な、何故貴様が生きている?!」 あの時確かに死ぬような目に合わせたはずだった。ていうか一回死んだよな? 赤い糸って地獄まで続くものなのか、マジか、知らなかったなぁ。今すぐ縁を切りたいと思った。そんな心情を露ほども知らずにパットに愛玩的な視線を送る乙女は、やっぱり可愛いわーなどと非常にマイペースである。そこに前ほどの策略は感じられないが、それでも怖いものは怖いのである。年下の男の子に合わせて少し屈み、どうしたのと覗き込む愛らしい顔を見て、気が付いたら周囲が思わず振り向くほどの悲鳴を上げていた。パットの叫び声はそれはもう天を穿つほどで、曇り空からは破裂したように雨が落ちてくる。思春期の仁義無き戦いだった。 ���考停止は悪手だ、アドバンテージをどうにか上手く使いたい。本当は金輪際アプローチをしてこないで頂きたいが果たしてこの百戦錬磨を言いくるめられるかと言われると残念ながら自信が無い。昔から女と付き合って上手く別れられた試しが無いんだよな。嗚呼、ここにチームの皆がいてくれたら形振り構わず助けを求めているところだ、最悪こういうのが得意な恭ちゃんだけでもいいから居て欲しかった、自分が遅刻したのが悪いんだけど。仕方ないからせめて時間を稼ごう、そうせめて皆に会いに行って対処を考える時間を、そしてチームを揃える時間を。ここまで1.4秒。 「……二十四時間」 臨戦態勢と言うべき状況に女はくすくすと笑うだけだった。潰したい、こいつを潰したい。 「二十四時間、俺になにもするな。関わるな」 「本当にいけずなんだから……そういうところも好きよ」 彼女はぱちんと器用にウインクをしてから、目線を外して考え込んだ。濡れてしまった細い髪が肌に張り付いている。暗い所にいたら幽霊と勘違いしてしまいそうだった。いや、幽霊かもしれないけれど。 「まぁでも、また会うことになると思うわ」 そう告げると、彼女は後ろを向いて花びらのような手をひらりと振りながらようやく離れて行った。凍っていた体が自由になると、パットは反射とばかりにチーフスペシャルを取り出して乱射したがやはり、まるで当たることはない。やっぱり幽霊なのではないか。スカートの裾が揺れて疎らで灰色の人ごみの中に消えていく。雨は落ち続けて、落ち続けて、道はどす黒くなっていた。 少年は大きく息を吐き出したが、動悸が収まる気配は無いようだ。いっそ心臓を取り換えることが出来たら良かったのに、彼女の笑顔が刻まれた脳みそだけ切り取れれば良かったのに。呪いのような愛だ。
いつまでも濡れているわけにはいかなかったので軒下に潜り込めば、忍ばせていた携帯が鳴った。待ってた。相手を特に確認せず、パットは電話を取る。 「大変だ! 奴が! 蘇った!」 「嗚呼、そっちもか……」 疲れたような声をしていたのはヴィンセントだ。そのすぐ傍でマヤンと崔が生きてた良かったなどと喜んでいるのもわかる。死んでたほうがマシだったかもとは言い辛い。 「こっちもな、ちょっと色々変なことがあったんだよ。蘇ってきたような……人間型のペンギンに、人間型のネズミに、人間型のクマが」 「落ち着いてください、今までの仇敵が何故か知らないけど人になって戻ってきたんです」 擬人化って夢があるけど、これは悪夢です。マヤンが訴えるように言った。 「なるほど、擬人化が得意なフレンズが蘇ったと言うことだな、すごーい!」 「やばーい!」 お子様方は半ば自棄になっている、と大人二人は思う。島に行ったときからなんだか二人が狂いだしている衒いがあるが大丈夫だろうか、崔とヴィンセントは無言で相談していた。リーダーは元から狂ってた気がしないでもないが。 「ま、まさかとは思うがその敵の中にあのクソマスコットはいなかっただろうな?」 「……正直なところ���全員蘇ってても不思議じゃないんじゃないか?」 「待ってください、全てが蘇ったって言うんなら、一松さんが危ない!」 「アリエルがいるから大丈夫って言っただろ」 「お約束かと思って」 大変だったと言う割に電話の向こうは楽しそうだった。それにしても、一松がいないのか。でも問題ないだろう、アリエルがなんとかすると俺でも思う。むしろ敵と相打ちになってあわよくば死ね。たまに肉盾として蘇ってくれ。 「アリエルがボコボコにされてたら嫌でしょ? 急ぎましょうよ」 「お、おう、じゃあ車出してくれ車」 はーいと良い子の返事をしたマヤンがフェードアウトしていき、鍵ちゃんと持った? 大丈夫? と崔が再三確認していて、ヴィンセントはそれじゃあ沙京で一松を探そうと言って通話を切った。 「もう、やなんだけどあいつら相手にすんの」
◇
いつも持ってるジッポーを忘れたのだ。特別に思い入れがあるわけではないけれど、なんとなく身近にあったものだから無いと落ち着かなかった。無視も出来る軽い理由で後戻りの面倒臭い帰路を辿ったのは何故だろう、胸騒ぎがしたからだろうか、ちょっと遅れたくらいでは気に留める人はいないと思っていたのもあって、一松は自宅と言うにも憚られる居住地へ引き返していた。空は一雨来そうな面持ちで冷たい水を吐き出さんとばかりに鈍い色を広げている。ずっと外にいるわけにもいかないと空気を確かめながらふと、焦げた臭いが鼻を突いた。沙京で火を使った形跡なんて悪い予感しかしないし、余計なものは見たくないと避けて通っているにも関わらずその不穏は徐々に近づいてくるのが気に掛かる。そう、悪い予感がする、自分の身に降りかかる予感だ。 果たしてそれは的中する。狭い路地裏は炎を抱え込んでやけに明るく燃えており、一松が寝床にしていた鉄製の檻が熱の揺らめきの隙間から僅かに見えた。ぬいぐるみを詰めていたのだからさぞかし火が回ったことだろう、気まぐれに集めていたものだったけれどこうも儚い別れになるとは。頭のほんの隅っこで考えながら、炎の前に立つ男とその足元に倒れ込んだ恋人のアリエルを素早く確認した。ここを離れたほんの十数分でなにが起こったのか見当も付かない。 「君は誰だ?」 ある程度の距離を詰めて、捻らずに声を掛けた。彼が振り向くとタイミング良く装置を起動したかのように突然強く雨が降り始めた。痛みにも似た寒さは周囲を凍らせて緊迫を育てる。 「お前に復讐しに来たんだ」 そう語る彼の姿は、まあ彼と言うからには性別は男で、大体同い年くらいに見える。中国系なのかもしれない辮髪と虎の刺繍の入ったスカジャンより、唯々こちらを睨みつけてひび割れたように歪む表情だけが夢に出てくるレベルで印象的だった。正直こういうのは得意じゃない。ここ最近アリエルに致命傷の与え方を教わりはしたがまだ頻発出来るほどじゃないし、そのアリエルは地に伏せている。そういえば地に伏せている、大丈夫だろうか? 「悪いけど覚えてないね、恨まれるようなことはたくさんしてきたし」 かと言ってこの手の輩を上手く切り抜けるための手札は無かった、そりゃ勘弁してほしい、家が燃えてるのを確かめてまだ一時間も経ってない。放火犯であろう男は、呆れたような表情も滲ませながら言葉を返した。 「そうだろうな、お前は極悪人だ。心当たりなんて腐るほどあるんだろう?」 小さく頷いてやれば反比例する如く溜め息を吐かれる。その息は怒りのままに震えていて、獣の唸り声のように不明瞭に呟く。なんだかおかしいなと思ったけれど、感情がそれしか感じられないのがどうにも人間味に欠けているようだ。 「俺の母親はお前との決闘で負った傷のせいで亡くなった。父親もだ、あの日お前が天王寺動物園に来なければ……!」 「嗚呼、そう言われれば見たことがある気がするけど、それだけ?」 彼の目が怨嗟で濁った。黒目がちのその瞳が人間のそれではないと言うことに気が付くと納得も出来る、何故ならば不本意にも害獣専門になりつつある亜狭チームが自分の所属する青空爆発ドッグスだからだ。それもあの夏の日を思い出す滲むような暑さと殺意を向けられれば結成当日を思い出さないのも無理な話だろう。良い日だった。だけど親が後から死んだ責任を取れと言われても困る、昨今親を殺される話も親に殺される話もよく聞く。大体私がなにをしたと言うんだ、ほとんどなにもしてない。猫に気に入られる性分と言うのも考え物のようだ。 「畜生共の恨みねぇ」 こいつはトラだと一松は理解した。 「畜生と言うのは、ちょっと違うな」 見ているこっちが引き攣りそうな顔面をしながら彼は言った。どういう意味か、尋ねようとしたところで落方に巨悪の影が見えた。激しい雨が遮るこの距離で見えるのだから大したものだ、ちょうどミナミのほうにロボットが降り立っているのがわかった。それがペンギンなどとふざけた外見でなかったらなんか面白いことが起きてるなと勘違いしそうなくらいに非日常だ。馬鹿みたいに豪勢な地響きに揺られながら、もしかしたらあそこはJAIL HOUSEかもしれないと感じた。 「そうそう天王寺動物園は爆破したよ」 「へぇ、派手なことしたね」 「俺は興味なかったけどな、あそこにはキングの敵がいるし」 ペンギンと来たから絡んでるかと思ったけど嗚呼やっぱり。あとハムスターがいるな。最悪で熊も追加だ。振り返っては改めてトンデモな事件に巻き込まれていたと眩暈がしそうだ。 「まぁ今日は挨拶だけにしておけとキングが言っているからな、この辺にしといてやろう」 「猶予が貰えるならこちらとしてはありがたいけど」 「猶予じゃない、これは狩りだ。獲物をじわじわと追い詰めて本気で怯えたところを仕留めたい」 「じゃあ今度は本気になれることを頼むよ」 「……そうだな、今度は本気にさせてやる」 彼は刺すような視線を残しながら、かつてそうだったのだろう虎の如き身のこなしで建物の高いところまで��ャンプするとそのままビルの陰へ隠れていった。雨音がようやく耳に入り込む沈黙が出来て、自分がずぶ濡れなことにも気が付く。見慣れた路地裏は天上から落ちる雨で炎が消えていて黒く焦げているばかり。もう判別の出来ない綿の塊と随分壊れかけていた檻の破片がちんまりと置き去りになっていた。明らかな、二度と使えないのだという無言の訴えだ。 「アリエル」 思い出したように、というかあのトラを前にして油断できなかった分、放置してしまっていた恋人の名を呼ぶ。どうしてここにいるのかはわからないが、やはり青年の手によって致命傷を負ったのだと思う。品の良いブラウスに血の色が大きく染み込んでいる。皮膚は色を失くして氷のようだったし、体の力は全て抜けていて、か細く呻いたきり眉一つ動かさなくなって十数秒。死んでほしくないなと思った。実の所、これは彼女の気の迷いでそのうち自分に飽きて離れていくか殺されるかされてるだろうと予想していたけれど、半年の間に随分絆されていたらしい。滴る赤い髪を撫でながらゆっくり、柔らかい体を楽なようにしてやってから横に抱く。気を失ってるのだから支えてくれる手は伸びない、それでも彼女を運ばなければならなかった、なにせここに治療できる設備がない。あってもちょうど燃えて朽ちたところだ。最近の若い女の子は軽い、これくらい大した労力じゃないさ。
◇
JAIL HOUSの中はやはり騒然としていて、ただでさえ人がゴミのように集まっているのに混乱する者は混乱して、固まる者は固まっていて、とにかく脱出までに時間がかかった。地下から這いずり出ても先程までロボットが現れていた現場である、この雨でこの野次馬の多さは呆れかえるほどだ。小さな体を駆使して群衆をすり抜けシトロエンに乗り込むと、マヤンは少々オーバー気味にエンジンを吹かし周囲を散らした。見計らって、ヴィンセントと崔が後頭部座席に座る。それからは轢いても構わないようなスピードで町を駆け抜けた。 ヴィンセントは携帯を持ったまま珍しく煙草に火を付けず、というか付ける暇も無いのだろうが、リーダーと違ってまるで出る気配のない一松に対して焦っている。崔は肘を膝に乗せて前屈みになって眉を顰めているが、その内車酔いでも起こすのではないだろうか。マヤンは面倒な事故を起こさないように視界を確保しようとしているが、ワイパーで何度上下しても力強い濁流にはまるで敵いやしない。ミナミの人通りはこの時間帯にしては多いようにも思えるし、酷い雨のせいか少ないようにも思える、ただ車で出掛けようと言う人は多かったのだろうとなかなか進まない大通りに苛立ちながら、場違いなバラードが流れるカースピーカーと単調な呼び出し音だけが狭い車内に響いていた。 そんな道から横に逸れて十分、目を凝らせばようやく沙京の橋まで一直線。思い切りアクセルを踏もうとしたところで見つけたかった女性を見つけ、マヤンは驚いたように声を上げた。急なドリフトは成人男性をも揺らし、耳障りな音を立てながら通りを遮るようにシトロエンが横になる。確認するように崔も助手席にしがみ付きながら身を乗り出し、みっちゃんだ、と呟いた。 突撃せんとばかりの車の目の前に、彼女はそこに現れた。真っ赤な髪も濃い色のパーカーも濡れて色を暗くしていて、長い時間外にいたのだということがわかる。肌を伝っていく雨のせいで泣いているようにも見えたけれどこちらが想像していたよりもずっと落ち着いた顔をしていた、いや一松はこんな奴だったかもしれない。ヴィンセントが鳴らすコール音にワンテンポ遅れて標準から変えていない着信音が鬱陶しく響いていた。携帯が取れなかったのは両手が塞がっていたからだと一松の腕の中でぐったりとお姫様抱っこされている血塗れアリエルを見て思う。春の嵐は花の蕾を断つ勢いでざくざくと轟いていた。 「一松さん!」 窓を開けてマヤンが叫んだ。すぐに発進出来るように握られたハンドルに伝うのが雨なのか汗なのか、正直よくわからない不快感だった。 「どうしたんだ一体」 ちょうど沙京側に座っていたヴィンセントが車から飛び降りると、ようやく一松は視線を合わせる。ぐっしょりと水を吸った背中を押すように歩くのを促し、ドアの前まで近付いてから彼女は運転手に聞こえるようにはっきりと声を出した。 「細かい話は後にしてくれ、病院に行きたい」 ドアが開くと、大きな体を屈ませたヴィンセントは中に座っていた崔に詰めるように言ってから自分は助手席へ移動した。崔は言われた通りに端に身を寄せながら、濡れた二人分の体が座った車の中が冷えていくのを感じていた。少しの間外へ出ただけのヴィンセントの肩も雨に打たれて重たそうだ。本当に随分な雨天である。一松がそっとアリエルの体を抱き寄せたのは、寒いせいだろうか、心細いからだろうか、誰にもよくわからなかった。 「飛ばしますよ? 乃木クリニックでいいですね?」 「嗚呼、構わない」 大きい病院なら他にもいくつかあるが、自分たちのような半端物を見てくれる医者と言われれば非常に限られている、どころか一ヶ所しかなかろう。シトロエンは来た道を引き返して宣言通りの猛スピードでミナミを走り始めた。
一方でパットは、既に沙京に着いていて至る所へ奔走していた。しかし大した当てもなく人を探すというのは難しいもので、全く一松を見かけることが出来ずにいる。そもそもどこに住んでるのかも知らなかったしどこに行く人なのかも知らない。いや、前にいろんなところほっつき歩いてるとか言ってたな。なにも参考にならないじゃないか。本当に居ねぇ、何処だ何処にいるんだ。向かい来る大量の雨粒に打たれながらマルチボードを走らせていると実に偶然にも知っている気配のするシトロエンと並走し始めた。流水の隙間から見えたマヤンの金色の目が鈍い光を映したのを確認し、パットは声を張り上げる。 「一松はどこにいるか知らないかっ?!」 マヤンが一瞬呆けた顔をした。それから車の前方についているいくつかのボタンのうちの一つをぽちぽちと押すと。 「ここにいるけど」 右側の後ろ座席の窓から至って普通に一松が出てきた。 「えっ」 「もう後ろに乗ってるぜ」 「えっ?!」 ヴィンセントの対応はあくまでフランクで、逆に軽すぎてすっと力が抜けてしまって体重の掛からなくなったマルチボードが減速していった。驚いた拍子で飛び出た声がそのまま長い溜息と共に情けなく洩れていく。シトロエンは何事も無かったかのように走っていき、ついには濃い雨の壁に遮られて姿を消してしまった。どうせ定員オーバーで乗せてはもらえなかっただろうしかしこの仕打ちはなんだ。人間、努力の甲斐がどこにも求められないとなると遣る瀬無さが煮えてくるものである。パットは愚痴を零さないように努めて携帯を取り出した。運転しているのはマヤンだし行先も知っていることだろう。彼がすぐに出てくれたのは救いだった。 「どこに向かってる?」 「今は乃木クリニックに急行中です、特に指示が無ければリーダーもそちらにどうぞー?」 「あ、はーい……」 すぐに切られてしまうのは罪だろうか罰だろうか。頬を伝うのはただの雨だ、そうであってほしい、肯定してくれる人が誰もいない、辛い。必死に探したのに。辛い。濡れて肌にべったりと引っ付いた服がなお重く圧し掛かってくる。不幸に温度があったらきっとこんな感じなんだろう。あまり切らないでいた厚みのある髪が顔に張り付いてくる頃に、パットはもう一度歩き出す気になれた。マルチボードを起動させてのろのろと上に立つと、全てを振り切るかのような最高速度で指定された場所へと飛んで行った。 かくして、乃木クリニックには五分で着いた。入口にはクローズの札が下げられていて、明かりの消されている待合室は先生も看護婦もいるとは思えなかった。まぁ、亜侠が来るべきはこちらではない、そう思って裏口に回ったもののしっかりと鍵が掛かっていて入り込めそうも無い。おや、これはあれをする機会ではないか、パットはマルチボードの高度を徐々に上げていき、ついに二階の窓へ到達すると顔を交差させた腕で庇いながら「ダイナミックお邪魔します!」と叫んでガラスを打ち破った。派手な音が清潔感のある廊下を抜けていく。ここにも誰かがいる気配はないが、しかし階段の下から蛍光灯の光が漏れているのが見えた。みんなは一階にいるようだ。パットは一歩一歩に水溜まりを作りながらそちらへ向かった。
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乃木太郎丸と言えば年下の美形の男の子が好きと言うのが有名な話で、詰まる所ドッグスにはあまり優しくない印象があったのだが、今日に限っては顔を見るなり神妙な面持ちで小言の一つ無く中へ入れてもらえた。前に話をしたときだってここまでスムーズじゃなかったのに、とマヤンは思いながら誰よりも先にアリエルを抱えて車を降りた一松に声を掛ける。 「一松さん、なにはともあれ急いで」 「……言われなくても」 彼女の恋人は本当に助かるのか不安になるほどに動かず、怪我をしたところから血が滲んで全身を真っ赤にしていた。一松は腕が汚れていることも厭わずに先生の横を通り抜けていった。扉の横にはヴィンセントが愛用のバッドを構えながら周囲を警戒していて、あとの二人が入��てから外を睨みつつ中へ入る。それを確認してから先生も度が過ぎるほどに辺り���確認し、音がしないように扉を閉めた。 「随分物々しいですね」 「そりゃあ急患ですし?」 崔とマヤンが一言交わすと、先生は呆れたように溜め息を吐いた。顰めた眉こそいつもの面倒くさい彼だったが、視線には憐れみの情が見える。どういう意味だろうとヴィンセントは首を傾げた。 「君たちがここに来るとは……っ!」 「なんだ来ちゃいけないのか」 低く尋ねたのは一松だった。そこにあったストレッチャーの上にアリエルを乗せながら、細い目を彼に向けている。 「君たち状況を分かってないのか」 「なんか不味かったんです?」 マヤンが尋ねると、先生は黒い長方形を押し付けてアリエルを手術室へ運んで行った。それはリモコンだった、おそらくは部屋の隅に置いてあるテレビのものだ。電源の赤いボタンを押すと昔からやってるニュース番組の速報が流れていた。アナウンサーがぼそぼそとなにかを喋ってから、パッと画面によく知っている顔が映る。それは紛うこと無く自分たちだった。トランク二個分の懸賞金でキングが探しているということまで教えてくれた。 「あーそういうことか……気に入らねぇなあのペンギンは」 非常に不機嫌な声でヴィンセントが吐き出す。手術の準備をするために一旦戻ってきた先生が口を挟んだ。 「それに付け加えてあのロボットだろ? 大阪中大騒ぎさ」 「まぁ沙京からでも見えたしね」 一松はあの光景を思い出しながらテレビを眺めている。 「君たちは今世界の敵になってるんだよ」 世界の敵。細々と動物と戯れてきた自分たちが、よもやその肩書を手に入れることになるとは思いも寄らなかった。崔が眉間の皴を深くした。 「こうも大々的にやりますか。キングが懸賞金を掛けたなら厄介ごとが舞い込んでくるでしょう、さてどう動きますかね」 「……車に乗ってる奴らの顔なんてそんなに見ないだろうが、今後は気を付けて行かないとな」 マンハントとして自分たちを狙う亜侠どもが襲ってくることがあるだろう。それらを対処しながらキング率いる動物園を倒しに行かなくてはならない。身の隠れ方と、対峙するであるロボットの情報、彼ら個人の詳細も必要だろうか? マヤンは一松のほうを見た。一松もマヤンを見て、まぁ頑張るよと呟く。 「それに仲間の大事な奴も傷付けられたわけだしな」 ヴィンセントはぴったりと閉められた手術室の扉を見つめながら言った。どこからかつまみ出してきたバスタオルを頭にかぶって体を拭く一松は冷静に見えるが、心中穏やかなわけがない。押した背中が震えていたことは、触ったヴィンセントだけが知っている。ふと崔が見上げた時計が夜の九時だった。そろそろ寝ないと明日の朝がきついだろうか、窓の外はそれなりに暗く、結構な時間が経っているようだ。騒ぐわけにもいかない状況の中で彼がキョロキョロと外を観察している。 「そろそろリーダー来るんじゃないですか?」 ガシャン、と聞こえたのはそれが言い終わるか終わらないかというタイミングだった。叫びこそしなかったものの崔の肩は跳ねたし、その拍子で落としたモスバーグを即座に構えるのを見てマヤンも無言でカラシニコフを用意した。一松もそっとベレッタを取り出し、ヴィンスは迫りくる足音を仕留めようと扉の横でバッドを振り下ろさんとしている。それはぴちゃぴちゃと水滴を滴らせ、雨の匂いとともにゆっくりとこちらを探しているようだった。廊下の一つ一つの部屋を確認しているのか、開けては閉める扉の音がする。いよいよこの部屋の前、と言うところでヴィンセントがバッドを振り下ろした。 「ふぅ、えらい目にあっ」 扉を開けたパットが即座に息を呑んだのは自分に向けられる三つの銃口と硬度を感じるほどに近付けられたバッドのせいである。 「た」 「おっ……と」 危ない危ないと呟くのは、まさに致命傷を与えようとしていたヴィンセントだった。リーダー殺害未遂二度目だ。慎重にバッドを横に逸らしこっそり心臓を痛くしている。 「なんだ、リーダーじゃないか」 務めて冷静に言ったつもりだったが、ぎぎぎと緊迫したまま固く視線をこちらに向ける少年の顔は真っ青で気の毒だ。息が出来ているかも怪しい。ぼたぼたと床を濡らす雨の味はおそらくしょっぱいと思う。他の三人があれ? と銃を下ろしても、しばらくパットは動けないでいた。 「トランク二個って割高じゃねぇか?」 先生はぼそっとそんな評価を下し、清潔のための衣類に着替え終えた。やれやれと言った面持ちで体を石のようにしたパットを見つめる。崔は、いやごめんねと苦笑いをしてモスバーグをコートに隠し、一松はばつが悪そうに視線を逸らした。マヤンは言い訳も謝罪も言うタイミングを逃したような気がして、気を取り直して先生に振り向く。 「そういえば乃木センセイ、素朴な疑問があるんですけどいいですか?」 「おう、なんだ?」 褐色肌のショタが猫を被っている姿がお気に召したのか、先生は急ぐ足を止めて対応した。疑問が至ってシンプルで、巨大ペンギンロボットの被害はどの程度かと言う話だ。それは、JAIL HOUSが一軒潰れただけだと言った。続けて崔が盟約の動きはと聞いた。被害があったのがミナミであることと、狙いはあくまでも青空爆発ドッグスであるということで、今のところ動いてはいないらしい。中立地帯を上手く利用されたって感じですねぇ、マヤンが一通りを聞いてぼやく。 「しかも被害がジェイルハウス一軒ってことならこれはたぶん警告みたいなもんだろうな」 ヴィンセントがようやく煙草に火をつけ始めた。マールボロの丸味を帯びた苦い香りが彼の周りを漂う。 「復讐銘打っておきながら完全にどたま冷静じゃないですか、一番嫌なタイプだ」 マヤンが露骨に嫌な顔をしてまだ手に持っていたカラシニコフで遊び始める。そのままパットに顔を向けて、リーダーはどうする? と聞いてきた。要するに作戦会議の時間だった。まずは移動しやすいように人の目を欺く手段を見つけるべきだろうか? あるいは敵を知るべきか? 一松の壊れたアジトもどうにかしなければならないのか。当面の問題は尽きず、五人はやがて疲労によって落ちるように眠っていった。
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「ま、それが人間の狩りと言う奴だろう」 冷たい空気が漂うのは、ここが日の当たらない場所で、金属に囲まれているからだろうか。尤もそれを気にする者はこの場には居らず、四人の人物が離れたところから会話していた。仲間ではあるが仲は良くない距離である。一人の青年が長く垂れた髪を逆立てるように唸る。 「でも、それをやる必要があるか?」 「大切な人を奪われる辛さは君がよくわかってるんじゃないかな?」 白衣を着込んだ男が確認するように言った。ねぇ、君もそう思うだろ、と人形のような佇まいをした少女にも尋ねるが、彼女は一切の反応はしなかった。ただ、これは呑み込んでおけと言うように青年をじっと見つめる。 「お前の恨みだけを晴らすわけにもいかないんでな。それに、これからもっとたくさんを巻き込むだろう」 ペストマスクの下で男が笑う。彼らにとって青空爆発ドッグスとは念入りに殺さなければならないと同時に最初の踏み台であった。これからオオサカを地獄にするようなヴィジョンが彼らにはあるのだ、たかだか人質を躊躇っている場合じゃない。 「上手くやってくれたまえよ、どうせあいつらは行動を起こすだろう。こちらも妨害しなければな」 「……俺はあいつらだけ狙うからな」 青年は素早く身を翻すと、瞬く間に外へ消えてしまった。残った三人の内ペストマスクと白衣が嘲りながら顔を見合わせる。 「しょうがないなあいつは」 「今更人間を庇ったってしょうがないのにね。まだ動物園が恋しいのかな?」 「パパとママが死んで寂しいだけだからな。私とは違うさ」 「ひっどいこと言うね、キング」
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特集 2017年3月24日 蓮實重彥氏に聞く(聞き手=伊藤洋司) 鈴木清順追悼 『けんかえれじい』『東京流れ者』『ツィゴイネルワイゼン』といった作品で知られる、鈴木清順監督が、二月十三日に亡くなった。六〇年代から七○年代にかけては、ほぼ十年間、映画を撮ることから遠ざかるを得なかったものの、一九七七年の『悲愁物語』でカムバックを果たし、作品ごとに野心的な映画作りに取り組んだ。「清順映画」の魅力とはどこにあったのか。生前には親交も深かった映画評論家の蓮實重彥氏にお話しをうかがった。聞き手は本紙映画時評を担当する中央大学教授・伊藤洋司氏にお願いした。 (編集部) 鈴木清順問題共闘会議 伊藤 洋司 / 中央大学教授・フランス文学専攻 / 中央大学教授・フランス文学者。一九六九年生。伊藤 二月十三日に、鈴木清順監督が東京都内の病院で亡くなられました。大正十二年、すなわち一九二三年生まれの九三歳でした。遺作は二〇〇五年公開の『オペレッタ狸御殿』になります。蓮實さんは、死去のニュースをどのような気持ちで受け止められましたか。 蓮實 何か特別な「気持ち」があったかと言えば、ほとんどなかった。もうお撮りになることはないと思っていましたし、新作に入られるという噂をフランス経由で聞いたこともあったのですが、それはないだろうと思っていましたから。あのように自分の撮りたい映画をほとんど好き勝手に撮られた方ですから、大往生を遂げられてほっとした。これが正直な気持ちです。 伊藤 読売新聞の追悼文(二月二七日朝刊)に書かれていましたが、蓮實さんは一九九一年に、鈴木清順監督と一緒にロッテルダム映画祭に参加されています。個人的な親交もあったとのことですが、最初に出会われたのはいつのことでしょうか。 蓮實 鈴木清順問題共闘会議があった頃のことです。『シネマ69』のインタビューで、山根貞男さんをはじめ編集部の方々が青山のあたりに席を設け、数人でお話しをうかがった記憶があります。 伊藤 一九六八年四月に、鈴木清順監督が日活から解雇を通告されたことに端を発して、六月に銀座でデモが行なわれ、七月には鈴木清順問題共闘会議が結成されました。このデモに、蓮實さんも参加されたとうかがっています。 すっ��ろび仙人の人生論鈴木 清順講談社 この本をウェブ書店で買う 1960年代の鈴木清順映画1995年に刊行された著書では自らの生い立ちや映画制作について語った(講談社刊)蓮實 当時、シネクラブ研究会をやっていた川喜多和子さんが、清順さんの全作品上映会を企画していました。けれども、日活がフィルムの貸出しを拒否し、全作品を封鎖してしまったので、デモが組織されたわけです。だから、最初は「清順映画を見せろ」ということが、デモの主旨だった。それが段々、「資本主義体制下では、映画を撮ること自体が犯罪だから、清順も撮ってはいかん」というような話になってしまった。私はそんなことはないだろうと思い、「撮れる機会があれば撮っちゃっていいんですよね」と清順さんにうかがうと、「そりゃ撮りますよ」と笑っておられました。 伊藤 蓮實さんは個別の問題として考えて参加されたのだと思いますが、このデモは時代状況もあって、学生運動とも繋がりを持たざるを得なくなったようです。当時の状況をもう少しお聞かせいただけますか。 蓮實 私は責任者ではなかったんですが、しかるべき社会的な地位にあるということもあり、川喜多さんから、デモのまとめ役をやってくれないかと依頼され、「デモをまとめることなんてできません」と答えるしかなかった。事実、松田政男さんが学生を連れて入ってきて、渦巻きデモで盛り上げて、最後には総括を行ったりしている。総括なんてちゃんちゃらおかしいと醒めた目で見ていましたが、私服の警官ともかなり危うい関係になり、私が出てゆき、「お名前を教えていただけますか」とその私服に訊ねると、「教えられません」と答えたので、「あなたは公僕だから、教える義務がある」と言い返したりしたのをおぼえています。 伊藤 鈴木清順問題共闘会議による裁判の支援にも関わりになられたのでしょうか。 蓮實 形式上は支援者のひとりでありましたが、実際はほとんど関わりませんでした。共闘会議の最初の集まりにいくと、無償の政治的色が強く、自分の出る幕ではないと思って、そのまま帰ってしまいました。 伊藤 この解雇問題のそもそものきっかけが、『殺しの烙印』(一九六七年)という作品です。これが日活社長の堀久作から、難解だと非難されました。僕の大好きな映画です。はじめて見たのは大学生の時です。何がなんだかよくわからないのですが、めちゃくちゃ面白い映画だと、そういう印象をずっと持っていました。でも、数年前にDVDで見直して、考えが変わりました。序盤で、殺し屋ナンバー1を護送する最中に銃撃戦が起こります。トンネルがいくつもある細い道で、向こうから襲ってくる。僕はずっと、この場面は空間的な位置関係がデタラメだと思っていたのですが、ゆっくり再生して見てみると、そうではないことがわかりました。 蓮實 細部は結構律儀に撮られているのがわかります。 伊藤 位置関係がすべてわかるように撮られているのに気づいて、びっくりしました。空間は多少歪んでいるようには思うのですが、それでもわかるように古典的に撮られていたのです。この場面だけではなく、物語の全体が、何が起こっているのかという点に関しては明瞭で、すべて示されています。その意味では、わけのわからない映画ではまったくありません。八〇年代以降のいくつかの「難解」な作品とは明らかに違うのです。実は、『東京流れ者』(一九六六年)ともちょっと違います。 蓮實 重彥 / 映画評論家・フランス文学者・元東大総長 / 映画評論家・フランス文学者・元東大総長。著書に「ボヴァリー夫人論」など。一九三六年生。蓮實 鈴木清順監督が我々に残したインパクトはあまりに強烈で、清順映画を見ることより、清順について語ることの喜びを誰もが行使しすぎていたと思います。鈴木清順と聞くと、何か言葉に出したくなる。その言葉は、結局のところ、「難解な清順美学」というものに尽きてしまう。そう言っておけばいいとみんなが思っており、『ラ・ラ・ランド』のデミアン・チャゼル監督までが、『東京流れ者』の影響について語ってしまう(笑)。『ラ・ラ・ランド』が、色彩の使い方において『東京流れ者』から間接的に影響を受けたというのは、わかりやすい話ではある。しかしチャゼル監督には、こう言いたい。『東京流れ者』に関してはともかく、清順さんは一九五〇年代から撮っていた人であり、他の映画をまともに見ていますか。清順さんはごく普通に映画を撮れる人なんですよ、と。もちろん非常に面白い個人的な視角も入ってきますが、難解な清順美学などと考えられているものは、我々にとって、もっともわかりやすいものでしかない。清順監督の真の意味での「難解さ」は、彼の撮ったごく普通の映画に現れている。私が好きな『悪太郎』(一九六三年)のような作品です。『悪太郎』は『野獣の青春』(同年)の直後に撮られています。『野獣の青春』では、色彩としての赤が強調されていたり花びらが舞ったり、いわゆる清順美学といわれているもので見るものを惹きつける。それが『悪太郎』ではがらりと変わって、ごく普通の地方映画になっている。ロケーション効果も見事です。背景となった土地の雰囲気や人物の動かし方は、ほとんど松竹映画を思わせさえする。導入部で高峰三枝子と山内賢を乗せた二台の人力車が広い堀端を行く複数のショットなど、胸がどきどきするほど素晴らしい。清順さんはそういう普通の映画を撮れる人であり、人はそこを見ずに、清順美学と呼ばれているものだけを語ってしまう。しかも、美学と呼ばれているものを人々が本当に目にしてるかといえば、言葉で納得してしまっているだけです。八〇年代以降の鈴木清順作品と『殺しの烙印』は違うと今おっしゃったけれど、まさにその通りであって、上層部の評判が悪かったとはいえ、『殺しの烙印』は商品として充分使い物になっている。清順さんは五〇年代からずっと撮りつづけ、B級的・裏番組的な側面はあったにしろ、それで酷い損害を会社に与えたことなどまったくない。ただし、時々ちょっといたずらをしてみることがあって、それが受けたので、ご自身もそちらの方向にいくところがあった。そんな感じだったと思いますね。 『けんかえれじい』 伊藤 一九六二年までの初期の作品では、『すべてが狂ってる』(一九六〇年)が飛び抜けて好きなんです。戸外での若者たちの歩行や自動車の走行の感覚、さらには室内の性的な場面での、ネ津良子や中川姿子の瑞々しい演技など、どれも素晴らしいですよね。語りの経済性がしっかり尊重されていて、ロケーション撮影のリアリズムも魅力的です。こういうのを見ると、普通の映画をきちんと撮れる監督だということがよくわかります。そうした基本がしっかりしているから、映画を崩して撮っても大丈夫なんですよね。 蓮實 下手な人が崩すと、どうしようもなくなってしまう。ただ、清順さんが演出のうまい監督だとは、誰も言いませんでした。見る前から、演出が変だと思われていたのです。『すべてが狂ってる』は、私も非常に好きな映画です。日活だけはなくて、当時の五社では、地方ロケが多かった。その土地の雰囲気をうまくとらえて、地元の人たちにも見てもらおうという狙いがあったのでしょう。だから『けんかえれじい』(一九六六年)にしても、備前と会津若松が舞台になっている。それぞれの場面がその場所で撮られているかどうかはともかく、このふたつの舞台が素晴らしい。しかも、会津では白虎隊をからかっている。私は、監督の語る言葉などほとんど信用しませんし、その言葉で論を立てることもしない人間ですが、清順さんが「明治が嫌いだ」と言っていたことだけは、信用しています。つまり明治維新も嫌いであり、白虎隊なんてちゃんちゃらおかしいと思っていた。よくあんな映画を会津若松で撮れたなという気がするほど反明治的であり、大正・昭和の感じが強い。それから、ラストの鶏小屋における乱闘シーン。あそこも、本当は全部が正しく繋がるように撮られているのですが、余計なことをひとつ見せることによって、何をやっているかがわからなくなる。つまり仲間がみんな縛られているところで、高橋英樹が蝋燭の火でロープを焼き切って逃れる。それで最終的に喧嘩に勝ったり、ふと北一輝が出てきたりするところも格別に面白い。 伊藤 『けんかえれじい』では、高橋英樹と浅野順子の、最後の別れの場面が大好きなんです。修道院に入るという浅野順子が、高橋英樹の部屋を出て障子を閉めるんですが、その後、ふたりは障子越しに指をなぞり合う。すると、女の指が奥から障子をそっと突き破って男の指に触れるんです。この指が本当に素晴らしいと思います。まさに正統派の演出です。 蓮實 おっしゃる通りですね。障子といえば、石原慎太郎を思い起こしがちですが、そんなことを忘れさせるほど、あの場面は素晴らしい。ふたりは、破れた障子を通して指を絡ませることしかできない人たちだった。その関係が実にうまく描かれている。グリグリ坊主の高橋英樹の凛々しい立ち振る舞いが実にいい。男優では『関東無宿』(一九六三年)の小林旭も素晴らしいし、ああやって役者を真に活かすことができる監督は、そうはいないと思わせるほど演出がうまい。 伊藤 『関東無宿』は、窓の外が黄色から青紫に変ったりする演出に目がいきがちなのですが、やはり物語がきちんと語られていますよね。組の違うふたりの男、小林旭と平田大三郎が、それぞれやくざ社会の中で追いつめられていく。その一方で、女学生役の中原早苗が、やくざ社会に入っていく。三人の物語が端正な演出により並行して描かれていて、胸を打たれます。ただし、『けんかえれじい』に関してですが、蓮實さんは以前『ユリイカ』で、ラストの雪に寒さが感じられないと指摘されました。この寒さの欠如は欠点ではなく、映画的な運動を表層に露呈させるための演出だとされました。『花と怒涛』(一九六四年)のラストにも新潟の雪景色が登場し、これもセットで作られた感じが強くて、寒さが欠落しています。ただ、ここでは『けんかえれじい』のように見事な映画的運動が組織されているとは言えません。雪の場面を見ていると、正直に言えば、もうちょっと寒さを感じさせてもいいような気がします。一九六〇年代なら、大映の三隅研次や、東映の加藤泰の雪は本当によかったと思います。鈴木清順の描く雪は、それらとは少し違っています。それに、グリフィスの『東への道』の終幕を考えれば、雪の寒さと映画的な運動の両立は、本来、十分可能ではないかと思います。蓮實さんはどのように考えていらっしゃいますか。 蓮實 『東への道』はロケーションですよね。清順監督の映画の雪は、ほとんどセット撮影ですからね。その違いはあると思います。「アメリカ映画は、あんなところによくロケーションにいけるなあ。僕もやってみたい」ということを、清順さんはよく言っておられました。グリフィスのように雪の冷たさを表現するのは、自分たちには端からできないと思っていらしたんじゃないでしょうか。 伊藤 雪の寒さの描写に、まるで興味がなかったようなふしも感じるのですが。 蓮實 そこまではわかりませんが、実際に雪景色の中で撮っている『東京流れ者』にも、寒さは季節として描かれていない。 伊藤 季節感の不在について、蓮實さんは『ユリイカ』で論じておられました。 蓮實 それも、「明治が嫌いだ」ということと、どこか通じるものがある気がする。 伊藤 先程、高橋英樹がいいとおっしゃられました。『刺青一代』(一九六五年)での彼の演技も素晴らしいですよね。この作品では、ラストの殴り込みの場面が有名です。水色の襖を次々と開け、その次に黄色い襖を開けていき、さらには暗闇の中で、拳銃の銃口から赤い光が放たれます。多くの映画監督に影響を与えている場面ですね。でも、この殴り込みだけでなく、そこに至るまでの盛り上げ方も素晴らしいんです。抑えた描写で、徐々に、だが確実に情感を盛り上げていく。この演出がしっかりしているから、最後の抽象的な様式美も、多くの観客に受け入れられたんだと思います。 蓮實 私は『刺青一代』が公開された年の暮れにフランスから帰ってきたので、リアルタイムでは見ていない。一九六二年の秋から六五年までの作品は、すべて後に名画座などで見たものです。 「大正三部作」 伊藤 蓮實さんがはじめてご覧になった鈴木清順監督の映画は、どの作品ですか。 蓮實 『裸女と拳銃』(一九五七年)だったと思います。先程『悪太郎』が好きだという話をしましたが、そういう意味でいうと、私にとっての鈴木清順は、「太郎」の人なんです。本名が清太郎であり、私がはじめて見た清順監督の映画で主演していたのが、水島道太郎。最初見た時は、この人がどうして主演をはれるのか、不思議な感じを持ちながら見ていました。では、『裸女と拳銃』をどうして見ることになったのか。私の高校の先輩に三谷礼二という、後にオペラ演出家になった方がいるんです。彼は大学時代、『孤獨の人』という映画に出演して、大学を退学処分になっています。『孤獨の人』は学習院の高等科が舞台になっていることもあり、映画の衣装として、私も制服を貸したりしたのですが、三谷さんはその後、日活の宣伝部に移ったので、大学時代の私はよく試写室で公開前の映画を見せてもらいました。ある時、「三谷さん、今日は何か面白いのない?」って聞くと、「清太郎があるから来い」と言われて見たのが、『裸女と拳銃』だった。めちゃくちゃ面白くはなかったけれど、なかなかよかった。次の『暗黒街の美女』(一九五七年)も水島道太郎主演で、その頃の清順さんの映画は、当時日比谷にあった日活の試写室で見ました。飯島正さんなどが来ておられ、胸をどきどきさせながら見た記憶があります。 伊藤 『裸女と拳銃』が鈴木清太郎名義の最後の映画で、『暗黒街の美女』で鈴木清順に改名したんですね。『暗黒街の美女』はダイヤモンドをめぐる話です。男がダイヤを飲み込んで死ぬと、その男の腹を割いてダイヤを取り出すんです。すごい話だなと思いながら、楽しんで見ました。デビュー時から毎年何本も撮りつづけているのですが、一九六〇年代に入ると、長門裕之主演の『密航0ライン』(一九六〇年)や、『百万弗を叩き出せ』(一九六一年)と『俺に賭けた奴ら』(一九六二年)という、和田浩治主演のボクシング映画などを撮ります。 蓮實 『密航0ライン』もなかなかのものでしたね。 伊藤 長門演じる新聞記者が、国際密輸組織を追う話です。横浜でロケをしていて、テンポがよく、長回しのショットも充実していました。話が前後しますが、『素ッ裸の年令』(一九五九年)は赤木圭一郎の初主演作で、ローティーンやくざたちのオートバイ映画です。『散弾銃の男』(一九六一年)は無国籍的なアクション映画で、主演の二谷英明扮する流れ者が、突然アコーディオンを弾きながら歌い出したりしました。六〇年に五本、六一年には六本も公開されていて、六二年の『ハイティーンやくざ』と『俺に賭けた奴ら』、六三年の『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』『野獣の青春』『悪太郎』『関東無宿』とつづきます。『野獣の青春』で、鈴木清順は変わったと言われています。映画館のスクリーンの裏側に組織の事務所があるという設定が、なんだか想像力を刺激して、強く印象に残ります。 蓮實 リアルタイムでは見ていない時期なので、『野獣の青春』は帰国後に新宿昭和館で見ました。 伊藤 僕は一九六九年生まれなので、ほとんどの鈴木清順の映画をリアルタイムでは見ていないんです。『ツィゴイネルワイゼン』(一九八〇年)と『陽炎座』(一九八一年)さえ、小学生でしたから見逃しました。ただ、世間でかなり話題になっていたので気になっていて、中学二年生の時に『ツィゴイネルワイゼン』を見ました。これが僕の鈴木清順の初体験です。何がなんだかわからない異様な衝撃を受けたのですが、この映画から入ったことは、ある意味で不幸だったと思います。その後、『関東無宿』などをテレビで見たのですが、スタンダードサイズに切られていて、正直なところ、当時は今ひとつよくわかりませんでした。鈴木清順の真骨頂が日活時代にある、特に六三年から六七年だと確信できたのは、大学生になってからのことです。そんな経緯があって、いまだに不安定な姿勢を示すことがあり、『ツィゴイネルワイゼン』自体も、この歳になっても幽霊映画として熱烈に好きなんです。 蓮實 ご本人は「大正三部作」とは言いませんが、あの頃の清順さんは、荒戸源次郎という面白いプロデューサーが出てきて、清順作品をサポートした。しかも上映がテントで、『ツィゴイネルワイゼン』は、東京タワーの下に設営されたテントで見た記憶があります。その前に『悲愁物語』(一九七七年)があったけれども、あれは松竹系だったので、やはり『ツィゴイネルワイゼン』は久々のカムバックという感じもあり、「清順さんやってるなあ」と嬉しく思いました。もちろん映画としても非常に面白かった。ただ、この清順は「やさしい作家」だとも思いました。つまり評判になりやすい映画じゃないですか。私は、むしろ評判になりにくい清順が好きなところがあり、『悪太郎』にしてもそうですね。『ツィゴイネルワイゼン』からは、『陽炎座』『カポネ大いに泣く』(一九八五年)『夢二』(一九九一年)とあり、その頃の清順さんは、世界的な有名人だった。読売新聞の追悼にも書いたけれども、ロッテルダム映画祭では、誰よりも清順さんがスターだった。海外の他の映画祭でも、清順さんとは何度かご一緒しましたが、トリノ映画祭での『東京流れ者』の上映後は、外国人の観客までが「トウキョウ、ナガレモノー♪」って歌いながら劇場から出てくる。こんなに簡単に「毛唐」を騙していいものかと苦笑した記憶があります。『ラ・ラ・ランド』のチャゼル監督までが騙されてしまったわけですから(笑)。 伊藤 『東京流れ者』は、ラストのアクションシーンが基本を崩していて、すごいですよね。単にクラブのセットが抽象的というだけではなくて、カット割りがおかしいんです。白いスーツの渡哲也が黒服の男を撃つと、撃たれた男のピストルが飛んで、ピアノの鍵盤の上に落ちるのですが、飛んでいく方向が明らかに逆なんです。また敵方の男たちが入ってくる時に、どちらの方向から来たのかわからないショットがあります。翌年の『殺しの烙印』ともちょっと違うんですね。ただ、こうしたデタラメさをそれ自体面白いと受け止めていいのかどうか。古典的な基本を踏まえながらも、あえてここは踏み外して撮っていると考えればいいんでしょうけれど。崩すことそれ自体に価値があるというのは、ちょっと危うい気がします。ともかくこの辺りの崩し方が、『ツィゴイネルワイゼン』以降、さらに徹底されていくのではないでしょうか。 蓮實 『陽炎座』は、あえて繋がらない映画として撮られている。 伊藤 たとえば冒頭の橋と階段なんて、ここまで崩していいのかというぐらいデタラメに撮っています。ちゃんとした映画を撮れる監督だからと思って見ていると、やっぱり面白くなってくるのですが、もし新人監督の第一作だったら、どう受け止めていいのかわからなくなるような映画です。鈴木清順の作品の中では、『陽炎座』が一番過激な映画ではないでしょうか。 蓮實 ここでの役者の使い方も過激ですね。演技をさせているようでいて、演技させていない。役者に演技などさせてやらないという点でも、過激な監督だと思います。元々清順さんは、脚本の段階で気に入らないと、書き直しをさせる人だった。新藤兼人にまで書き直させたという逸話もあります。しかし『陽炎座』の頃になると、脚本を直させるというよりも、現場で脚本を変えてしまう。前の晩に思いついたことを、そのまま撮るから、繋がらない映画になってしまったと思います。 伊藤 最初から繋がらないことを目的にしてやっているとも、言い切れないのですね。でも、八〇年代から鈴木清順の映画を見はじめると、繋がらないこと自体が面白いみたいな形で受け止めてしまいがちになります。その辺り、やはり受容の仕方が不幸だったのかもしれません……。 真の清順に達するために 伊藤 話題を変えて、鈴木清順の映画を今後どう受け止めていくべきかについて、うかがいたいと思います。繰り返しになりますが、鈴木清順はキャリアを通して、本質的には映画を崩していった監督として受け止めるのがひとつの筋だと思います。ただ、蓮實さんの受け止め方では、元々基本ができている監督であり、そこを見よということですよね。しかし、鈴木清順から影響を受けている監督たちは、たとえばタランティーノにしても、審美主義的に継承しがちです。原色の使い方とか、様式美とか、そういう面に影響を受けながら映画を撮るわけです。では我々は、ここから先、どのように鈴木清順の映画と向き合っていけばいいのか。蓮實さんの考えをお聞かせいただけますか。 蓮實 現在では、あらゆる映画が、DVDなどで簡単に見られる時代になっています。鈴木清順さんの作品も、四分の三ぐらいは見ることができる。そうすると、見られないことが惜しくなくなってくる。昔は、名画座にしかかからなかったから、見逃す手はないと思って必死に通ったわけです。ところが、いつでも見られるんだからと人びとが考える時代に、鈴木清順の何を見よと、批評家や教師が言えばいいのか。ひとつには、逆説的になりますが、『東京流れ者』は、しばらく誰にも見せないようにしたい。あれを見たら誰もが面白いと思ってしまうので、そのような面白さを禁じないと、真の清順には達しえないからです。もちろん、真の清順なんて存在するはずもありませんが、一九四〇年代のおわりに松竹に入り、助監督として鳴かず飛ばずの生活をして、日活に移って映画を撮りはじめた。時々妙なものを撮るけれども、会社に大変な迷惑をかけたわけではないし、その中から清順さん独特の面白さを次々に発明していったわけです。まさに撮ることによる映画の発明を実践しておられたと思います。その面白さについて、しばらくは『東京流れ者』のことは忘れて論じるべき時がきている気がします。『東京流れ者』は、わからないことがわかりやすい映画だからです。ところが、わかるということがわかりにくい映画を、清順さんは撮っている。『悪太郎』がそうです。どこが面白いのかがすぐにわからないけれども、じっと見ていると、ロケーションが素晴らしかったり、人物と風景の関係が素晴らしいということがわかってくる。ですから、私は、『東京流れ者』を当分見ることを自粛せよと言いたい(笑)。あれを見て、鈴木清順のわからなさを安易に面白がってはいけないと思います。 野川由美子と和泉雅子 伊藤 『悪太郎』は、十年ぐらい前に見て以来、見返していないのですが、抒情的な描写がとても印象的でした。あの映画ではあと、和泉雅子が好きなんです。彼女は『刺青一代』にも出ていて、こちらもとてもいいですね。高橋英樹が、「俺のカラダは汚れてるんだ」と言って、胸をはだけて刺青を見せます。その時の、切り返しショットでの和泉雅子の表情が素晴らしかった。言葉が漏れ出そうになるのをグッとこらえて、無言で男を見つめるんです。こんないい表情をする女優なんだと感動しました。 蓮實 和泉雅子って、かったるい女優だと思っていたけれど、確かに『刺青一代』や『悪太郎』の彼女はいいですね。 伊藤 かったるい、ですか。あと女優では、蓮實さんも追悼文で触れられていた、『春婦傳』(一九六五年)や『河内カルメン』(一九六六年)の野川由美子ですね。『春婦傳』も長い間見返していないのですが、戦争中の中国が舞台で、真夜中に砲弾が火花のように炸裂するなかを彼女が走るのが、記憶に焼きついています。 蓮實 闇の大地を、野川由美子が疾走する。それが単なる抽象的な疾走ではない。砲弾が飛び交う中を、走りに走る。あの具体的な疾走ぶりに、私はただただ感動してしまう。 伊藤 カメラも横移動するんですね。細部の記憶はあやふやなのですが、野川由美子は、『肉体の門』(一九六四年)より『春婦傳』の方が一段上でした。 蓮實 そう思います。『肉体の門』もいいけれども、やはり『春婦傳』における野川由美子のあの疾走ですね。つまり、あれだけ走ると、息が切れてしまう。その必死な女優の姿を見せてしまうところが、清順さんの演出の素晴らしさだと思います。野川由美子は『悪太郎伝 悪い星の下でも』(一九六五年)でも非常にいい。少し崩れた感じがよかった。もちろん東映のやくざ映画、たとえばマキノ雅弘作品にも出ていたけれども、崩れるようで崩れきらない女の意地みたいなものが、野川由美子にはあるんです。清順さんは、そういうものが本当に好きだったと思いますね。 伊藤 野川由美子は日活専属ではないので、鈴木清順が繰り返し起用したということは、彼女が気に入っていたんでしょうね。 蓮實 お気に入りといえば、『関東無宿』の伊藤弘子もそうでしょう。和服姿で小林旭を惑わす妙齢のファム・ファタルとして逸品でした。『陽炎座』にも出演依頼をしておられますから、清順さんの無意識に触れる何かを持っていた女優だとおもいます。ところで、伊藤さんが最初に見られたのは、『ツィゴイネルワイゼン』だとおっしゃいましたよね。 伊藤 はい、中学二年生の時です。 蓮實 あれが一九八〇年の公開ですから、そこから三五年以上経っている。清順さんが日活で撮りはじめてから『ツィゴイネルワイゼン』までが、ほぼ二五年です。この間、彼は二本立ての裏番組を律儀に撮っていましたが、その時期の方が短い。ここが難しいところだと思います。清順映画の難解さが面白いんだという受け止められ方をしてから今日まで三五年ですが、それは、鈴木清順にとってではなく、我々映画を見るものにとっての不幸であるような気がします。清順さんご自身は「代表作は何か」と聞かれると、「最後に撮ったものです」とか「これから撮るものです」と言っていましたが、自分の映画で何が好きだったのかについては、ついに最後まで語らなかった。ところが、我々から見てみると、少しも難しくない清順映画があって、その中には、評価することの難しさで見るものを途惑わせる作品がいくつかあるわけです。『春婦傳』だって難しくはない。ただ、我々をたじろがせてしまう何かがある。それが撮りたいものだったかどうかはともかく、この場面をこのように撮るぞという時には、本気に撮れる人だった。 唯一のスター小林旭 伊藤 蓮實さんと���ちょっと違うかもしれませんが、僕が鈴木清順の映画で一番好きなのは、『殺しの烙印』の防波堤の銃撃戦です。宍戸錠が自動車の下に潜り込んで、敵に近づいていくのですが、その見た目で銃撃戦を捉える、前進移動のローアングル・ショットがあります。戦慄するショットでした。こんなアクションシーン、こんなショットにはめったに出会えるものではない。僕が鈴木清順を心から好きなのは、あのショットを撮ったからだと思います。ところが、この場面について、防波堤にあんなふうにロープが置いてあるなんてご都合主義でおかしいと言う人がいる。逆に、ご都合主義だからこそ面白いと言う人もいる。でも、僕は単にアクションシーンとして素晴らしいと思うんです。あれを越える銃撃戦があるとしたら、ゲルマンの『道中の点検』のラストぐらいではないでしょうか。蓮實さんは、『殺しの烙印』や『東京流れ者』はあまりお好きではないのでしょうか。 蓮實 『東京流れ者』は好きですが、『殺しの烙印』はそんなに見直していません。告白してしまうと、私は、宍戸錠という役者があまり好きになれなかった。あの頬っぺたの膨らみ方が、どうも好きではない。宍戸錠に比べると、圧倒的に小林旭が好きでした。たとえば、『関東無宿』の冒頭、橋の上を歩いているロングショットに続いてすっとバストショットになった時の、その顔の傷の見せ方が、実にいい。あの頃、スターは唯一小林旭しかいなかった。いい二枚目の人たちがたくさんいたし、アクション俳優も何人かいたけれど、役者としては小林旭が飛び抜けて好きでした。多分私は、日活ファンとしては失格だと思います。エースのジョーが好きじゃないなんて言っているぐらいだから(笑)。実は、石原裕次郎も渡哲也もあまり好きではない。『東京流れ者』の渡哲也に比べたら、『刺青一代』の高橋英樹や『花と怒涛』の小林旭の方がはるかにいい。なぜそこまで言えるのかというと、着流し姿が似合うかどうかなんです。渡哲也もいいんだけれど、どこか和服が似合わない。ところが高橋英樹も小林旭も、和服が着られる人たちなんです。小林旭の『関東無宿』は、特に後半部分は何度見てもいいですねぇ。着流しで雪駄を履く感じが様になっている。ふっと振り返る瞬間の演技も、いわゆる東映のやくざ映画とは違う。人間のもっと生々しい感じが出ているんですよ、あの頃の小林旭や高橋英樹には。 伊藤 今回鈴木清順が亡くなって、どれも見直したばかりなんですが、そういう点に注目して、もう一度見たくなりました。鈴木清順の映画での小林旭は、他の監督の時と違って、暗くて翳りがありますよね。 蓮實 小林旭は、他の監督の映画では随分笑っている。でも清順さんの映画では、『関東無宿』にしても『俺たちの血が許さない』(一九六四年)にしても、ほとんど笑わない。あの笑わない小林旭が好きなのです。 伊藤 読売新聞の追悼文によると、蓮實さんが鈴木清順さんに最後に会われたのは、二〇〇五年に『オペレッタ狸御殿』が公開された時ですね。 蓮實 そうです。東海大学で、山根貞男さんと一緒に、清順さんにインタビューさせてもらった時が最後です。清順さんは私よりも一回りぐらい年上なのですが、「蓮實さん、蓮實さん」と会えば気さくに声をかけてくださる方だった。一度、NHKでもばったりお会いしたことがあったのですが、「今日は役者ですわ」と苦笑しておられました。世代的にいうと、私の母が大正元年生まれで、それで大正というものに若干惹かれるところがあって、清順さんに親しみをおぼえるのも、そういうところが関係しているのかもしれません。恩師の山田𣝣先生も大正生まれで、何か近いものを感じてしまう。瀬川昌久さんも清順さんとほぼ同世代で、初対面なのに、昔からの知り合いのような感じで話をしてくださいました。なぜか大正生まれの人たちとは馬が合うのです。ただ、三島由紀夫と馬があったかというと、そうはならなかった気もしますが(笑)。 伊藤 その世代だと、戦争を経験していますよね。鈴木清順監督も学徒出陣で応召し、輸送船が攻撃を受けて、海を漂流したりもしました。『春婦傳』で戦争が描かれていますけれど、やはり戦争体験が、後々の作風に影響を及ぼしたと考えられるでしょうか。 蓮實 よくわかりません。それは、わかろうとする気持ちなど一切ないというのが、私の依怙地なところかも知れません。おそらく何かしらの関係はあったのかもしれませんが、鈴木清順監督は、そのことが映画の上に影響を及ぼすほど、やわな人ではなかろうと思う。戦中の記憶が映画なり、彼の作風なりに現われるほど、体験そのものがやわなものではないはずでしょうし、我々にわかる程度の影響だったとしたら、映画なんか撮らないんじゃないかという気もします。 伊藤 もしかしたら戦争で死んでいたかもしれない。だから、戦後の自分の人生は、ある意味で余生みたいな感覚があって、そのことが、特定のイデオロギーを主張しない、相対主義的な態度にどこかで繋がっていった。そういう予想も立てられるとは思いますが、蓮實さんのお考えでは、それは違うということですね。 蓮實 そのことは誰も知り得ないと思うし、また知ったからといって、清順さんの映画への理解が深まるものではないということです。つまり、あの頃の男たちは、多かれ少なかれ、みんな死にかけている。瀬川さんだって、学徒兵として戦争に行っておられたし、山田𣝣さんにしてもそうです。でも、そのことが後の彼らにどのような影響を与えたかは、私たちにはわからないことだと思います。また、簡単にわかった気になってはいけない。あの世代の方々にとって、戦争体験というものが本当に何を意味しているのか、実体験のない私にはイメージできない。撃沈された輸送船から放りだされた清順さんが波間を漂っている姿など、絶対に想像できないし、してはいけないと思う。確かに、戦争を生き延びたという感覚はあるのでしょうが、だからといって、終戦の時は二十歳ぐらいですから、それ以降が長い余生ということでもないでしょう。その辺りは、本当に想像がつきません。
蓮實重彥氏に聞く(聞き手=伊藤洋司) 鈴木清順追悼|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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伊藤 二月十三日に、鈴木清順監督が東京都内の病院で亡くなられました。大正十二年、すなわち一九二三年生まれの九三歳でした。遺作は二〇〇五年公開の『オペレッタ狸御殿』になります。蓮實さんは、死去のニュースをどのような気持ちで受け止められましたか。 蓮實 何か特別な「気持ち」があったかと言えば、ほとんどなかった。もうお撮りになることはないと思っていましたし、新作に入られるという噂をフランス経由で聞いたこともあったのですが、それはないだろうと思っていましたから。あのように自分の撮りたい映画をほとんど好き勝手に撮られた方ですから、大往生を遂げられてほっとした。これが正直な気持ちです。 伊藤 読売新聞の追悼文(二月二七日朝刊)に書かれていましたが、蓮實さんは一九九一年に、鈴木清順監督と一緒にロッテルダム映画祭に参加されています。個人的な親交もあったとのことですが、最初に出会われたのはいつのことでしょうか。 蓮實 鈴木清順問題共闘会議があった頃のことです。『シネマ69』のインタビューで、山根貞男さんをはじめ編集部の方々が青山のあたりに席を設け、数人でお話しをうかがった記憶があります。 伊藤 一九六八年四月に、鈴木清順監督が日活から解雇を通告されたことに端を発して、六月に銀座でデモが行なわれ、七月には鈴木清順問題共闘会議が結成されました。このデモに、蓮實さんも参加されたとうかがっています。 蓮實 当時、シネクラブ研究会をやっていた川喜多和子さんが、清順さんの全作品上映会を企画していました。けれども、日活がフィルムの貸出しを拒否し、全作品を封鎖してしまったので、デモが組織されたわけです。だから、最初は「清順映画を見せろ」ということが、デモの主旨だった。それが段々、「資本主義体制下では、映画を撮ること自体が犯罪だから、清順も撮ってはいかん」というような話になってしまった。私はそんなことはないだろうと思い、「撮れる機会があれば撮っちゃっていいんですよね」と清順さんにうかがうと、「そりゃ撮りますよ」と笑っておられました。 伊藤 蓮實さんは個別の問題として考えて参加されたのだと思いますが、このデモは時代状況もあって、学生運動とも繋がりを持たざるを得なくなったようです。当時の状況をもう少しお聞かせいただけますか。 蓮實 私は責任者ではなかったんですが、しかるべき社会的な地位にあるということもあり、川喜多さんから、デモのまとめ役をやってくれないかと依頼され、「デモをまとめることなんてできません」と答えるしかなかった。事実、松田政男さんが学生を連れて入ってきて、渦巻きデモで盛り上げて、最後には総括を行ったりしている。総括なんてちゃんちゃらおかしいと醒めた目で見ていましたが、私服の警官ともかなり危うい関係になり、私が出てゆき、「お名前を教えていただけますか」とその私服に訊ねると、「教えられません」と答えたので、「あなたは公僕だから、教える義務がある」と言い返したりしたのをおぼえています。 伊藤 鈴木清順問題共闘会議による裁判の支援にも関わりになられたのでしょうか。 蓮實 形式上は支援者のひとりでありましたが、実際はほとんど関わりませんでした。共闘会議の最初の集まりにいくと、無償の政治的色が強く、自分の出る幕ではないと思って、そのまま帰ってしまいました。 伊藤 この解雇問題のそもそものきっかけが、『殺しの烙印』(一九六七年)という作品です。これが日活社長の堀久作から、難解だと非難されました。僕の大好きな映画です。はじめて見たのは大学生の時です。何がなんだかよくわからないのですが、めちゃくちゃ面白い映画だと、そういう印象をずっと持っていました。でも、数年前にDVDで見直して、考えが変わりました。序盤で、殺し屋ナンバー1を護送する最中に銃撃戦が起こります。トンネルがいくつもある細い道で、向こうから襲ってくる。僕はずっと、この場面は空間的な位置関係がデタラメだと思っていたのですが、ゆっくり再生して見てみると、そうではないことがわかりました。 蓮實 細部は結構律儀に撮られているのがわかります。 伊藤 位置関係がすべてわかるように撮られているのに気づいて、びっくりしました。空間は多少歪んでいるようには思うのですが、それでもわかるように古典的に撮られていたのです。この場面だけではなく、物語の全体が、何が起こっているのかという点に関しては明瞭で、すべて示されています。その意味では、わけのわからない映画ではまったくありません。八〇年代以降のいくつかの「難解」な作品とは明らかに違うのです。実は、『東京流れ者』(一九六六年)ともちょっと違います。 蓮實 鈴木清順監督が我々に残したインパクトはあまりに強烈で、清順映画を見ることより、清順について語ることの喜びを誰もが行使しすぎていたと思います。鈴木清順と聞くと、何か言葉に出したくなる。その言葉は、結局のところ、「難解な清順美学」というものに尽きてしまう。そう言っておけばいいとみんなが思っており、『ラ・ラ・ランド』のデミアン・チャゼル監督までが、『東京流れ者』の影響について語ってしまう(笑)。『ラ・ラ・ランド』が、色彩の使い方において『東京流れ者』から間接的に影響を受けたというのは、わかりやすい話ではある。しかしチャゼル監督には、こう言いたい。『東京流れ者』に関してはともかく、清順さんは一九五〇年代から撮っていた人であり、他の映画をまともに見ていますか。清順さんはごく普通に映画を撮れる人なんですよ、と。もちろん非常に面白い個人的な視角も入ってきますが、難解な清順美学などと考えられているものは、我々にとって、もっともわかりやすいものでしかない。清順監督の真の意味での「難解さ」は、彼の撮ったごく普通の映画に現れている。私が好きな『悪太郎』(一九六三年)のような作品です。『悪太郎』は『野獣の青春』(同年)の直後に撮られています。『野獣の青春』では、色彩としての赤が強調されていたり花びらが舞ったり、いわゆる清順美学といわれているもので見るものを惹きつける。それが『悪太郎』ではがらりと変わって、ごく普通の地方映画になっている。ロケーション効果も見事です。背景となった土地の雰囲気や人物の動かし方は、ほとんど松竹映画を思わせさえする。導入部で高峰三枝子と山内賢を乗せた二台の人力車が広い堀端を行く複数のショットなど、胸がどきどきするほど素晴らしい。清順さんはそういう普通の映画を撮れる人であり、人はそこを見ずに、清順美学と呼ばれているものだけを語ってしまう。しかも、美学と呼ばれているものを人々が本当に目にしてるかといえば、言葉で納得してしまっているだけです。八〇年代以降の鈴木清順作品と『殺しの烙印』は違うと今おっしゃったけれど、まさにその通りであって、上層部の評判が悪かったとはいえ、『殺しの烙印』は商品として充分使い物になっている。清順さんは五〇年代からずっと撮りつづけ、B級的・裏番組的な側面はあったにしろ、それで酷い損害を会社に与えたことなどまったくない。ただし、時々ちょっといたずらをしてみることがあって、それが受けたので、ご自身もそちらの方向にいくところがあった。そんな感じだったと思いますね。 伊藤 一九六二年までの初期の作品では、『すべてが狂ってる』(一九六〇年)が飛び抜けて好きなんです。戸外での若者たちの歩行や自動車の走行の感覚、さらには室内の性的な場面での、ネ津良子や中川姿子の瑞々しい演技など、どれも素晴らしいですよね。語りの経済性がしっかり尊重されていて、ロケーション撮影のリアリズムも魅力的です。こういうのを見ると、普通の映画をきちんと撮れる監督だということがよくわかります。そうした基本がしっかりしているから、映画を崩して撮っても大丈夫なんですよね。 蓮實 下手な人が崩すと、どうしようもなくなってしまう。ただ、清順さんが演出のうまい監督だとは、誰も言いませんでした。見る前から、演出が変だと思われていたのです。『すべてが狂ってる』は、私も非常に好きな映画です。日活だけはなくて、当時の五社では、地方ロケが多かった。その土地の雰囲気をうまくとらえて、地元の人たちにも見てもらおうという狙いがあったのでしょう。だから『けんかえれじい』(一九六六年)にしても、備前と会津若松が舞台になっている。それぞれの場面がその場所で撮られているかどうかはともかく、このふたつの舞台が素晴らしい。しかも、会津では白虎隊をからかっている。私は、監督の語る言葉などほとんど信用しませんし、その言葉で論を立てることもしない人間ですが、清順さんが「明治が嫌いだ」と言っていたことだけは、信用しています。つまり明治維新も嫌いであり、白虎隊なんてちゃんちゃらおかしいと思っていた。よくあんな映画を会津若松で撮れたなという気がするほど反明治的であり、大正・昭和の感じが強い。それから、ラストの鶏小屋における乱闘シーン。あそこも、本当は全部が正しく繋がるように撮られているのですが、余計なことをひとつ見せることによって、何をやっているかがわからなくなる。つまり仲間がみんな縛られているところで、高橋英樹が蝋燭の火でロープを焼き切って逃れる。それで最終的に喧嘩に勝ったり、ふと北一輝が出てきたりするところも格別に面白い。 伊藤 『けんかえれじい』では、高橋英樹と浅野順子の、最後の別れの場面が大好きなんです。修道院に入るという浅野順子が、高橋英樹の部屋を出て障子を閉めるんですが、その後、ふたりは障子越しに指をなぞり合う。すると、女の指が奥から障子をそっと突き破って男の指に触れるんです。この指が本当に素晴らしいと思います。まさに正統派の演出です。 蓮實 おっしゃる通りですね。障子といえば、石原慎太郎を思い起こしがちですが、そんなことを忘れさせるほど、あの場面は素晴らしい。ふたりは、破れた障子を通して指を絡ませることしかできない人たちだった。その関係が実にうまく描かれている。グリグリ坊主の高橋英樹の凛々しい立ち振る舞いが実にいい。男優では『関東無宿』(一九六三年)の小林旭も素晴らしいし、ああやって役者を真に活かすことができる監督は、そうはいないと思わせるほど演出がうまい。 伊藤 『関東無宿』は、窓の外が黄色から青紫に変ったりする演出に目がいきがちなのですが、やはり物語がきちんと語られていますよね。組の違うふたりの男、小林旭と平田大三郎が、それぞれやくざ社会の中で追いつめられていく。その一方で、女学生役の中原早苗が、やくざ社会に入っていく。三人の物語が端正な演出により並行して描かれていて、胸を打たれます。ただし、『けんかえれじい』に関してですが、蓮實さんは以前『ユリイカ』で、ラストの雪に寒さが感じられないと指摘されました。この寒さの欠如は欠点ではなく、映画的な運動を表層に露呈させるための演出だとされました。『花と怒涛』(一九六四年)のラストにも新潟の雪景色が登場し、これもセットで作られた感じが強くて、寒さが欠落しています。ただ、ここでは『けんかえれじい』のように見事な映画的運動が組織されているとは言えません。雪の場面を見ていると、正直に言えば、もうちょっと寒さを感じさせてもいいような気がします。一九六〇年代なら、大映の三隅研次や、東映の加藤泰の雪は本当によかったと思います。鈴木清順の描く雪は、それらとは少し違っています。それに、グリフィスの『東への道』の終幕を考えれば、雪の寒さと映画的な運動の両立は、本来、十分可能ではないかと思います。蓮實さんはどのように考えていらっしゃいますか。 蓮實 『東への道』はロケーションですよね。清順監督の映画の雪は、ほとんどセット撮影ですからね。その違いはあると思います。「アメリカ映画は、あんなところによくロケーションにいけるなあ。僕もやってみたい」ということを、清順さんはよく言っておられました。グリフィスのように雪の冷たさを表現するのは、自分たちには端からできないと思っていらしたんじゃないでしょうか。 伊藤 雪の寒さの描写に、まるで興味がなかったようなふしも感じるのですが。 蓮實 そこまではわかりませんが、実際に雪景色の中で撮っている『東京流れ者』にも、寒さは季節として描かれていない。 伊藤 季節感の不在について、蓮實さんは『ユリイカ』で論じておられました。 蓮實 それも、「明治が嫌いだ」ということと、どこか通じるものがある気がする。 伊藤 先程、高橋英樹がいいとおっしゃられました。『刺青一代』(一九六五年)での彼の演技も素晴らしいですよね。この作品では、ラストの殴り込みの場面が有名です。水色の襖を次々と開け、その次に黄色い襖を開けていき、さらには暗闇の中で、拳銃の銃口から赤い光が放たれます。多くの映画監督に影響を与えている場面ですね。でも、この殴り込みだけでなく、そこに至るまでの盛り上げ方も素晴らしいんです。抑えた描写で、徐々に、だが確実に情感を盛り上げていく。この演出がしっかりしているから、最後の抽象的な様式美も、多くの観客に受け入れられたんだと思います。 蓮實 私は『刺青一代』が公開された年の暮れにフランスから帰ってきたので、リアルタイムでは見ていない。一九六二年の秋から六五年までの作品は、すべて後に名画座などで見たものです。 伊藤 蓮實さんがはじめてご覧になった鈴木清順監督の映画は、どの作品ですか。 蓮實 『裸女と拳銃』(一九五七年)だったと思います。先程『悪太郎』が好きだという話をしましたが、そういう意味でいうと、私にとっての鈴木清順は、「太郎」の人なんです。本名が清太郎であり、私がはじめて見た清順監督の映画で主演していたのが、水島道太郎。最初見た時は、この人がどうして主演をはれるのか、不思議な感じを持ちながら見ていました。では、『裸女と拳銃』をどうして見ることになったのか。私の高校の先輩に三谷礼二という、後にオペラ演出家になった方がいるんです。彼は大学時代、『孤獨の人』という映画に出演して、大学を退学処分になっています。『孤獨の人』は学習院の高等科が舞台になっていることもあり、映画の衣装として、私も制服を貸したりしたのですが、三谷さんはその後、日活の宣伝部に移ったので、大学時代の私はよく試写室で公開前の映画を見せてもらいました。ある時、「三谷さん、今日は何か面白いのない?」って聞くと、「清太郎があるから来い」と言われて見たのが、『裸女と拳銃』だった。めちゃくちゃ面白くはなかったけれど、なかなかよかった。次の『暗黒街の美女』(一九五七年)も水島道太郎主演で、その頃の清順さんの映画は、当時日比谷にあった日活の試写室で見ました。飯島正さんなどが来ておられ、胸をどきどきさせながら見た記憶があります。 伊藤 『裸女と拳銃』が鈴木清太郎名義の最後の映画で、『暗黒街の美女』で鈴木清順に改名したんですね。『暗黒街の美女』はダイヤモンドをめぐる話です。男がダイヤを飲み込んで死ぬと、その男の腹を割いてダイヤを取り出すんです。すごい話だなと思いながら、楽しんで見ました。デビュー時から毎年何本も撮りつづけているのですが、一九六〇年代に入ると、長門裕之主演の『密航0ライン』(一九六〇年)や、『百万弗を叩き出せ』(一九六一年)と『俺に賭けた奴ら』(一九六二年)という、和田浩治主演のボクシング映画などを撮ります。 蓮實 『密航0ライン』もなかなかのものでしたね。 伊藤 長門演じる新聞記者が、国際密輸組織を追う話です。横浜でロケをしていて、テンポがよく、長回しのショットも充実していました。話が前後しますが、『素ッ裸の年令』(一九五九年)は赤木圭一郎の初主演作で、ローティーンやくざたちのオートバイ映画です。『散弾銃の男』(一九六一年)は無国籍的なアクション映画で、主演の二谷英明扮する流れ者が、突然アコーディオンを弾きながら歌い出したりしました。六〇年に五本、六一年には六本も公開されていて、六二年の『ハイティーンやくざ』と『俺に賭けた奴ら』、六三年の『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』『野獣の青春』『悪太郎』『関東無宿』とつづきます。『野獣の青春』で、鈴木清順は変わったと言われています。映画館のスクリーンの裏側に組織の事務所があるという設定が、なんだか想像力を刺激して、強く印象に残ります。 蓮實 リアルタイムでは見ていない時期なので、『野獣の青春』は帰国後に新宿昭和館で見ました。 伊藤 僕は一九六九年生まれなので、ほとんどの鈴木清順の映画をリアルタイムでは見ていないんです。『ツィゴイネルワイゼン』(一九八〇年)と『陽炎座』(一九八一年)さえ、小学生でしたから見逃しました。ただ、世間でかなり話題になっていたので気になっていて、中学二年生の時に『ツィゴイネルワイゼン』を見ました。これが僕の鈴木清順の初体験です。何がなんだかわからない異様な衝撃を受けたのですが、この映画から入ったことは、ある意味で不幸だったと思います。その後、『関東無宿』などをテレビで見たのですが、スタンダードサイズに切られていて、正直なところ、当時は今ひとつよくわかりませんでした。鈴木清順の真骨頂が日活時代にある、特に六三年から六七年だと確信できたのは、大学生になってからのことです。そんな経緯があって、いまだに不安定な���勢を示すことがあり、『ツィゴイネルワイゼン』自体も、この歳になっても幽霊映画として熱烈に好きなんです。 蓮實 ご本人は「大正三部作」とは言いませんが、あの頃の清順さんは、荒戸源次郎という面白いプロデューサーが出てきて、清順作品をサポートした。しかも上映がテントで、『ツィゴイネルワイゼン』は、東京タワーの下に設営されたテントで見た記憶があります。その前に『悲愁物語』(一九七七年)があったけれども、あれは松竹系だったので、やはり『ツィゴイネルワイゼン』は久々のカムバックという感じもあり、「清順さんやってるなあ」と嬉しく思いました。もちろん映画としても非常に面白かった。ただ、この清順は「やさしい作家」だとも思いました。つまり評判になりやすい映画じゃないですか。私は、むしろ評判になりにくい清順が好きなところがあり、『悪太郎』にしてもそうですね。『ツィゴイネルワイゼン』からは、『陽炎座』『カポネ大いに泣く』(一九八五年)『夢二』(一九九一年)とあり、その頃の清順さんは、世界的な有名人だった。読売新聞の追悼にも書いたけれども、ロッテルダム映画祭では、誰よりも清順さんがスターだった。海外の他の映画祭でも、清順さんとは何度かご一緒しましたが、トリノ映画祭での『東京流れ者』の上映後は、外国人の観客までが「トウキョウ、ナガレモノー♪」って歌いながら劇場から出てくる。こんなに簡単に「毛唐」を騙していいものかと苦笑した記憶があります。『ラ・ラ・ランド』のチャゼル監督までが騙されてしまったわけですから(笑)。 伊藤 『東京流れ者』は、ラストのアクションシーンが基本を崩していて、すごいですよね。単にクラブのセットが抽象的というだけではなくて、カット割りがおかしいんです。白いスーツの渡哲也が黒服の男を撃つと、撃たれた男のピストルが飛んで、ピアノの鍵盤の上に落ちるのですが、飛んでいく方向が明らかに逆なんです。また敵方の男たちが入ってくる時に、どちらの方向から来たのかわからないショットがあります。翌年の『殺しの烙印』ともちょっと違うんですね。ただ、こうしたデタラメさをそれ自体面白いと受け止めていいのかどうか。古典的な基本を踏まえながらも、あえてここは踏み外して撮っていると考えればいいんでしょうけれど。崩すことそれ自体に価値があるというのは、ちょっと危うい気がします。ともかくこの辺りの崩し方が、『ツィゴイネルワイゼン』以降、さらに徹底されていくのではないでしょうか。 蓮實 『陽炎座』は、あえて繋がらない映画として撮られている。 伊藤 たとえば冒頭の橋と階段なんて、ここまで崩していいのかというぐらいデタラメに撮っています。ちゃんとした映画を撮れる監督だからと思って見ていると、やっぱり面白くなってくるのですが、もし新人監督の第一作だったら、どう受け止めていいのかわからなくなるような映画です。鈴木清順の作品の中では、『陽炎座』が一番過激な映画ではないでしょうか。 蓮實 ここでの役者の使い方も過激ですね。演技をさせているようでいて、演技させていない。役者に演技などさせてやらないという点でも、過激な監督だと思います。元々清順さんは、脚本の段階で気に入らないと、書き直しをさせる人だった。新藤兼人にまで書き直させたという逸話もあります。しかし『陽炎座』の頃になると、脚本を直させるというよりも、現場で脚本を変えてしまう。前の晩に思いついたことを、そのまま撮るから、繋がらない映画になってしまったと思います。 伊藤 最初から繋がらないことを目的にしてやっているとも、言い切れないのですね。でも、八〇年代から鈴木清順の映画を見はじめると、繋がらないこと自体が面白いみたいな形で受け止めてしまいがちになります。その辺り、やはり受容の仕方が不幸だったのかもしれません……。 伊藤 話題を変えて、鈴木清順の映画を今後どう受け止めていくべきかについて、うかがいたいと思います。繰り返しになりますが、鈴木清順はキャリアを通して、本質的には映画を崩していった監督として受け止めるのがひとつの筋だと思います。ただ、蓮實さんの受け止め方では、元々基本ができている監督であり、そこを見よということですよね。しかし、鈴木清順から影響を受けている監督たちは、たとえばタランティーノにしても、審美主義的に継承しがちです。原色の使い方とか、様式美とか、そういう面に影響を受けながら映画を撮るわけです。では我々は、ここから先、どのように鈴木清順の映画と向き合っていけばいいのか。蓮實さんの考えをお聞かせいただけますか。 蓮實 現在では、あらゆる映画が、DVDなどで簡単に見られる時代になっています。鈴木清順さんの作品も、四分の三ぐらいは見ることができる。そうすると、見られないことが惜しくなくなってくる。昔は、名画座にしかかからなかったから、見逃す手はないと思って必死に通ったわけです。ところが、いつでも見られるんだからと人びとが考える時代に、鈴木清順の何を見よと、批評家や教師が言えばいいのか。ひとつには、逆説的になりますが、『東京流れ者』は、しばらく誰にも見せないようにしたい。あれを見たら誰もが面白いと思ってしまうので、そのような面白さを禁じないと、真の清順には達しえないからです。もちろん、真の清順なんて存在するはずもありませんが、一九四〇年代のおわりに松竹に入り、助監督として鳴かず飛ばずの生活をして、日活に移って映画を撮りはじめた。時々妙なものを撮るけれども、会社に大変な迷惑をかけたわけではないし、その中から清順さん独特の面白さを次々に発明していったわけです。まさに撮ることによる映画の発明を実践しておられたと思います。その面白さについて、しばらくは『東京流れ者』のことは忘れて論じるべき時がきている気がします。『東京流れ者』は、わからないことがわかりやすい映画だからです。ところが、わかるということがわかりにくい映画を、清順さんは撮っている。『悪太郎』がそうです。どこが面白いのかがすぐにわからないけれども、じっと見ていると、ロケーションが素晴らしかったり、人物と風景の関係が素晴らしいということがわかってくる。ですから、私は、『東京流れ者』を当分見ることを自粛せよと言いたい(笑)。あれを見て、鈴木清順のわからなさを安易に面白がってはいけないと思います。 伊藤 『悪太郎』は、十年ぐらい前に見て以来、見返していないのですが、抒情的な描写がとても印象的でした。あの映画ではあと、和泉雅子が好きなんです。彼女は『刺青一代』にも出ていて、こちらもとてもいいですね。高橋英樹が、「俺のカラダは汚れてるんだ」と言って、胸をはだけて刺青を見せます。その時の、切り返しショットでの和泉雅子の表情が素晴らしかった。言葉が漏れ出そうになるのをグッとこらえて、無言で男を見つめるんです。こんないい表情をする女優なんだと感動しました。 蓮實 和泉雅子って、かったるい女優だと思っていたけれど、確かに『刺青一代』や『悪太郎』の彼女はいいですね。 伊藤 かったるい、ですか。あと女優では、蓮實さんも追悼文で触れられていた、『春婦傳』(一九六五年)や『河内カルメン』(一九六六年)の野川由美子ですね。『春婦傳』も長い間見返していないのですが、戦争中の中国が舞台で、真夜中に砲弾が火花のように炸裂するなかを彼女が走るのが、記憶に焼きついています。 蓮實 闇の大地を、野川由美子が疾走する。それが単なる抽象的な疾走ではない。砲弾が飛び交う中を、走りに走る。あの具体的な疾走ぶりに、私はただただ感動してしまう。 伊藤 カメラも横移動するんですね。細部の記憶はあやふやなのですが、野川由美子は、『肉体の門』(一九六四年)より『春婦傳』の方が一段上でした。 蓮實 そう思います。『肉体の門』もいいけれども、やはり『春婦傳』における野川由美子のあの疾走ですね。つまり、あれだけ走ると、息が切れてしまう。その必死な女優の姿を見せてしまうところが、清順さんの演出の素晴らしさだと思います。野川由美子は『悪太郎伝 悪い星の下でも』(一九六五年)でも非常にいい。少し崩れた感じがよかった。もちろん東映のやくざ映画、たとえばマキノ雅弘作品にも出ていたけれども、崩れるようで崩れきらない女の意地みたいなものが、野川由美子にはあるんです。清順さんは、そういうものが本当に好きだったと思いますね。 伊藤 野川由美子は日活専属ではないので、鈴木清順が繰り返し起用したということは、彼女が気に入っていたんでしょうね。 蓮實 お気に入りといえば、『関東無宿』の伊藤弘子もそうでしょう。和服姿で小林旭を惑わす妙齢のファム・ファタルとして逸品でした。『陽炎座』にも出演依頼をしておられますから、清順さんの無意識に触れる何かを持っていた女優だとおもいます。ところで、伊藤さんが最初に見られたのは、『ツィゴイネルワイゼン』だとおっしゃいましたよね。 伊藤 はい、中学二年生の時です。 蓮實 あれが一九八〇年の公開ですから、そこから三五年以上経っている。清順さんが日活で撮りはじめてから『ツィゴイネルワイゼン』までが、ほぼ二五年です。この間、彼は二本立ての裏番組を律儀に撮っていましたが、その時期の方が短い。ここが難しいところだと思います。清順映画の難解さが面白いんだという受け止められ方をしてから今日まで三五年ですが、それは、鈴木清順にとってではなく、我々映画を見るものにとっての不幸であるような気がします。清順さんご自身は「代表作は何か」と聞かれると、「最後に撮ったものです」とか「これから撮るものです」と言っていましたが、自分の映画で何が好きだったのかについては、ついに最後まで語らなかった。ところが、我々から見てみると、少しも難しくない清順映画があって、その中には、評価することの難しさで見るものを途惑わせる作品がいくつかあるわけです。『春婦傳』だって難しくはない。ただ、我々をたじろがせてしまう何かがある。それが撮りたいものだったかどうかはともかく、この場面をこのように撮るぞという時には、本気に撮れる人だった。 伊藤 蓮實さんとはちょっと違うかもしれませんが、僕が鈴木清順の映画で一番好きなのは、『殺しの烙印』の防波堤の銃撃戦です。宍戸錠が自動車の下に潜り込んで、敵に近づいていくのですが、その見た目で銃撃戦を捉える、前進移動のローアングル・ショットがあります。戦慄するショットでした。こんなアクションシーン、こんなショットにはめったに出会えるものではない。僕が鈴木清順を心から好きなのは、あのショットを撮ったからだと思います。ところが、この場面について、防波堤にあんなふうにロープが置いてあるなんてご都合主義でおかしいと言う人がいる。逆に、ご都合主義だからこそ面白いと言う人もいる。でも、僕は単にアクションシーンとして素晴らしいと思うんです。あれを越える銃撃戦があるとしたら、ゲルマンの『道中の点検』のラストぐらいではないでしょうか。蓮實さんは、『殺しの烙印』や『東京流れ者』はあまりお好きではないのでしょうか。 蓮實 『東京流れ者』は好きですが、『殺しの烙印』はそんなに見直していません。告白してしまうと、私は、宍戸錠という役者があまり好きになれなかった。あの頬っぺたの膨らみ方が、どうも好きではない。宍戸錠に比べると、圧倒的に小林旭が好きでした。たとえば、『関東無宿』の冒頭、橋の上を歩いているロングショットに続いてすっとバストショットになった時の、その顔の傷の見せ方が、実にいい。あの頃、スターは唯一小林旭しかいなかった。いい二枚目の人たちがたくさんいたし、アクション俳優も何人かいたけれど、役者としては小林旭が飛び抜けて好きでした。多分私は、日活ファンとしては失格だと思います。エースのジョーが好きじゃないなんて言っているぐらいだから(笑)。実は、石原裕次郎も渡哲也もあまり好きではない。『東京流れ者』の渡哲也に比べたら、『刺青一代』の高橋英樹や『花と怒涛』の小林旭の方がはるかにいい。なぜそこまで言えるのかというと、着流し姿が似合うかどうかなんです。渡哲也もいいんだけれど、どこか和服が似合わない。ところが高橋英樹も小林旭も、和服が着られる人たちなんです。小林旭の『関東無宿』は、特に後半部分は何度見てもいいですねぇ。着流しで雪駄を履く感じが様になっている。ふっと振り返る瞬間の演技も、いわゆる東映のやくざ映画とは違う。人間のもっと生々しい感じが出ているんですよ、あの頃の小林旭や高橋英樹には。 伊藤 今回鈴木清順が亡くなって、どれも見直したばかりなんですが、そういう点に注目して、もう一度見たくなりました。鈴木清順の映画での小林旭は、他の監督の時と違って、暗くて翳りがありますよね。 蓮實 小林旭は、他の監督の映画では随分笑っている。でも清順さんの映画では、『関東無宿』にしても『俺たちの血が許さない』(一九六四年)にしても、ほとんど笑わない。あの笑わない小林旭が好きなのです。 伊藤 読売新聞の追悼文によると、蓮實さんが鈴木清順さんに最後に会われたのは、二〇〇五年に『オペレッタ狸御殿』が公開された時ですね。 蓮實 そうです。東海��学で、山根貞男さんと一緒に、清順さんにインタビューさせてもらった時が最後です。清順さんは私よりも一回りぐらい年上なのですが、「蓮實さん、蓮實さん」と会えば気さくに声をかけてくださる方だった。一度、NHKでもばったりお会いしたことがあったのですが、「今日は役者ですわ」と苦笑しておられました。世代的にいうと、私の母が大正元年生まれで、それで大正というものに若干惹かれるところがあって、清順さんに親しみをおぼえるのも、そういうところが関係しているのかもしれません。恩師の山田𣝣先生も大正生まれで、何か近いものを感じてしまう。瀬川昌久さんも清順さんとほぼ同世代で、初対面なのに、昔からの知り合いのような感じで話をしてくださいました。なぜか大正生まれの人たちとは馬が合うのです。ただ、三島由紀夫と馬があったかというと、そうはならなかった気もしますが(笑)。 伊藤 その世代だと、戦争を経験していますよね。鈴木清順監督も学徒出陣で応召し、輸送船が攻撃を受けて、海を漂流したりもしました。『春婦傳』で戦争が描かれていますけれど、やはり戦争体験が、後々の作風に影響を及ぼしたと考えられるでしょうか。 蓮實 よくわかりません。それは、わかろうとする気持ちなど一切ないというのが、私の依怙地なところかも知れません。おそらく何かしらの関係はあったのかもしれませんが、鈴木清順監督は、そのことが映画の上に影響を及ぼすほど、やわな人ではなかろうと思う。戦中の記憶が映画なり、彼の作風なりに現われるほど、体験そのものがやわなものではないはずでしょうし、我々にわかる程度の影響だったとしたら、映画なんか撮らないんじゃないかという気もします。 伊藤 もしかしたら戦争で死んでいたかもしれない。だから、戦後の自分の人生は、ある意味で余生みたいな感覚があって、そのことが、特定のイデオロギーを主張しない、相対主義的な態度にどこかで繋がっていった。そういう予想も立てられるとは思いますが、蓮實さんのお考えでは、それは違うということですね。 蓮實 そのことは誰も知り得ないと思うし、また知ったからといって、清順さんの映画への理解が深まるものではないということです。つまり、あの頃の男たちは、多かれ少なかれ、みんな死にかけている。瀬川さんだって、学徒兵として戦争に行っておられたし、山田𣝣さんにしてもそうです。でも、そのことが後の彼らにどのような影響を与えたかは、私たちにはわからないことだと思います。また、簡単にわかった気になってはいけない。あの世代の方々にとって、戦争体験というものが本当に何を意味しているのか、実体験のない私にはイメージできない。撃沈された輸送船から放りだされた清順さんが波間を漂っている姿など、絶対に想像できないし、してはいけないと思う。確かに、戦争を生き延びたという感覚はあるのでしょうが、だからといって、終戦の時は二十歳ぐらいですから、それ以降が長い余生ということでもないでしょう。その辺りは、本当に想像がつきません。
週刊読書人ウェブ 蓮實重彥氏に聞く(聞き手=伊藤洋司) 鈴木清順追悼 http://dokushojin.com/article.html?i=1051
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My first entry for 「The End of May, June, and July is The Tragedy Day of SamiKumoSami」 #五月六月七月の終わりはさみくもさみの悲劇の季節
This is a continuation from a piece made by my friend Yuno. Please check it out on her Twitter!
After posting, my tweet got flagged as sensitive, even though I've seen other gruesome posts unaffected. Now, our tweets won't even show up when you click the tag. "What even is the tag for?" Me and Yuno laughed as we cried tears and blood in the middle of the night.
「The End of May, June, and July is The Tragedy Season of Rain and Cloud」 or 「The End of May, June, and July is The Tragedy Day of SamiKumoSami」 is still on-going. Please check out this post if you're interested in participating! We are looking forward for your works! 🐾🐶
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