#伝えきれない感謝を込めて追悼します
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We are deeply shocked to hear of CmarNYC sudden passing.Everyone says CmarNYC was a highly respected person.
RIP, CmarNYC
I’m very sad to report that Sims 3 and 4 creator CmarNYC passed away in October 2023. For 15 years, Simmers benefited from Cmar’s long-honed computing skills as she created much-loved modders’ and players’ tools, including the Sims 3 and 4 MorphMakers and Skininators, the TS4 SimRipper, the Sims 3 XCAS core mod, and many CAS sliders. She was also a contributor to S4PE, which likely was used by creators you rely on. Without Cmar’s work, the Sims franchise would have had a much less rich array of mods and custom content. She will be greatly missed.
As well as Sims, Cmar loved cats, and donations are suggested to the ASPCA, the TinyKittens Society, or an animal-related charity near you.
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その事件は私が1歳の時に起きました。覚えていることはありません。 中国人の父と母は、大きくなってからも私に語ろうとはしませんでした。 中国政府は事件の死者数を319人としていますが、それよりもはるかに多いという指摘もあります。 あれから35年。真相は今も、明らかにされていません。 あの時、私のもう1つの祖国で、何が起きたのか。 (中国総局 高島浩) 日本人の祖母と中国人の両親 私の祖母は日本人です。満蒙開拓団として旧満州に渡りました。 戦後、帰国できずに大陸に残った「中国残留婦人」で、養子に出されていた中国人の男の子を引き取り、育てました。のちの私の父です。 父は中国人の母と結婚。1988年に中国東北部・黒竜江省で私が生まれました。そして6歳の時、国の援護事業のもと家族4人で帰国し、私と両親は日本国籍を取��しました。 私が生まれた翌年に起きた「天安門事件」 1989年6月4日。中国の首都・北京で、あの事件は起きました。 天安門広場に集まった民主化を求める学生や市民たちを、当時の共産党指導部が軍を出動させて武力で鎮圧した「天安門事件」です。 軍による発砲などで多くの犠牲者が出ました。中国政府は死者数を319人としています。 しかし当時、北京に駐在していた各国の外交官の報告などから、犠牲者の数はそれよりもはるかに多いという指摘が根強くあります。 中国政府はこの事件を、政治的な「騒ぎ」で「すでに結論が出ている」という説明を繰り返しています。 「知る必要はない」父のひと言 戦車の前に立ちふさがった市民の姿。民主化の動きを武力で制圧した事件。 天安門事件の前の年に生まれた私は、日本の教育で学ぶまで、こうした事件の表面的な情報でさえ、知りませんでした。真相を公表せず、事件を人々の記憶から消し去ろうと腐心してきた中国政府からみれば、もくろみどおりに育った、ある意味で“優秀な中国国民”だったでしょう。 中学生の時、一度だけ父に事件について尋ねたことがあります。そのときの父のことばが記憶に残っています。 「よく知らないし、知る必要はないよ」 記者になって、父と私のもう1つの祖国でもある中国のことを話すことが増えました。父は自分が共産党員だったことを明かしてくれました。共産党の実態を知っているからこそ、私に忠告したのです。 「天安門事件に関心を持つことで、いつか中国に赴任した時、どのような理不尽な目に遭うかわからない」 遺族取材の担当に もう逃げない 4年前の2020年、希望がかなって中国南部の広州駐在の記者となりました。 当局の厳しい監視下に置かれた人権派弁護士の家族などを取材。私自身も当局者に連行され、警察署に留め置かれる経験をしました。 国家の安全を最優先する習近平指導部は言論統制を一段と強め、外国メディアの取材環境はますます厳しくなっていることを身をもって感じてきました。 天安門事件は、そうした中国社会の中でも最もタブー視されていて、深く取材すればどんな目に遭うのか。恐怖すら感じていました。 私と同じように中国の若い世代は事件を知りません。私がおおまかな概要を話すと、「うそを創作するのが上手ですね」と、まるで信じようともしません。今の中国社会の現実です。 事件がまた1つの節目を迎えたことし、北京に赴任、遺族取材の担当となりました。 そして、誓いました。事件を深く知ろうともしてこなかっ��過去から逃げず、まっさらな気持ちで取材しようと。 集会を断念した遺族グループ 6月4日に向けて取材を始めたところ、ある情報が入ってきました。 これまで5年ごと��節目に、遺族グループが開いていた追悼集会が断念に追い込まれたというのです。原因は当局による厳しい監視のためでした。政府が例年以上に神経をとがらせていることが感じられました。 遺族グループの名は「天安門の母」。グループは集会の代わりに先月(5月)、海外の動画投稿サイトに声明を公開しました。 「私たちには軍隊が銃撃に及んだ真相を知る権利がある」 「政府は社会に謝罪し、私たちに公正と正義を返しなさい」 事実を隠ぺいし、遺族の日常生活への干渉を続ける政府を強く非難する内容でした。 そして、いまなお分からない犠牲者の正確な数や名前の公表、犠牲者と遺族への賠償、責任者への法的な追及を求めました。 厳しい監視、通信遮断の面会 声明が公開される少し前、グループの中心メンバーの遺族を訪ねました。今の気持ちを伝えたいと、当局の監視をかいくぐって取材に応じてくれた張先玲さん(86)。 遺族に直接、話を聞くのはこれが初めてです。心臓がバクバクと打つ胸を必死でおさえました。 張先玲さん 呼び鈴を鳴らすと、張さんがやや固い表情で出迎えてくれました。周囲をうかがうように招き入れてくれたあと、すぐに携帯などの電源を切るよう伝えてきました。当局の盗聴を警戒していたのです。 自身も自宅の通信設備の電源をすべて切っていて、奥の部屋に移るまで、会話もしないよう身振り手振りで伝えてきました。 記者を志した息子の死 張さんは、事件で当時19歳だった息子の王楠さんを亡くしました。 記者を志していた王楠さん。天安門広���で起きている歴史的なできごとを記録に残したいと、事件前日の3日深夜、カメラを持って自転車で現場に向かったそうです。 張さんの息子 王楠さん そして4日午前1時すぎ、人民大会堂の北門の向かいで軍の銃撃を頭部に受けました。地面に倒れた王楠さんを現場にいた人たちが助けようとしましたが、軍の部隊が近づくことさえ許さなかったといいます。兵士たちはひざまずいて助けさせてくれという人たちの懇願に対し、「あいつは暴徒だ」と聞き入れなかったそうです。 のちに現場で目撃した人から聞くなどしてわかった当時の状況です。張さんは、中国政府がひた隠しにする、あの事件の真相の1つだと信じています。 なぜあの時… 消えぬ後悔 張さんの自宅のリビングの壁には笑顔の王楠さんの遺影がかけられていました。毎日のようにその写真に手をあわせながら、張さんは胸にある後悔を拭いきれずにいます。 なぜ、あの時、息子を送り出してしまったのか… 張先玲さん 「天安門広場に向かう前、息子が私に聞いてきました。『まさか軍が発砲することはないよね』と。私は『まさか、ありえないよ』と答えてしまったのです。今もずっとあの言葉を後悔しています。生きていれば、今ごろは父親になって家庭を持っていたでしょう。私の脳裏にある息子は、永遠にあの日の、あの晩の、19歳の時でとどまったままです」 黙り続けることは許されない 王楠さんの遺体はほかの犠牲者とともに天安門の西側にあった中学校前の草むらに埋められていました。雨で遺体は地表から露出し、3日後、衛生当局などによって発見されたそうです。変わり果てた姿の息子。 張さんの脳裏から焼きついて離れず、毎年6月4日が近づくにつれて、張さんは体調を崩しています。 息子はなぜ死ななければならなかったのか。この日も体の調子が悪く、取材に応じてくれた時間は10分余り。それでも張さんは気力を振り絞るように、遺族の声を広く伝えてほしいと、1人の母親としての怒りを伝えてきました。 張さん 「国家が進歩していく上で、この事件が解決されないのは正常なことではない。『人民のために奉仕する』という中国政府が、人民の尊い命を奪っておきながら、なんの説明もなく、30年以上も知らないふりをして黙り続けるのは到底許されない」 「ごめん、生きてくれ…」最後のことば 今、遺族グループの活動の中心は犠牲者の親たちから、そのパートナーや兄弟に移っています。その中の1人に会うことができました。 尤維潔さん 尤(ゆう)維潔さん(70)。事件で当時42歳だった夫の楊明湖さんを奪われました。 政府系の経済団体の職員だった楊さんは、当日の深夜、銃声を聞き、広場に集まった学生たちを心配して現場に向かったといいます。そこで、下腹部に銃弾を受けました。倒れた楊さんをその場にいた人たちがリアカーで病院に運びました。撃たれた骨盤は粉々に砕けていたといいます。 病院に駆けつけた尤さんに、手術室から出てきた楊さんはこう漏らしたそうです。 尤さんの夫 楊明湖さん 「ごめん、しっかりと生きてくれ」 2人が交わした最後の会話となりました。2日後、楊さんは息を引き取りました。わずか6年の結婚生活。国によって突然、終止符を打たれました。 尤さん 「35年がたっても、あのときの記憶は少しも消えていません。一瞬一瞬が頭の中に残っています。夫を見守った2日間で涙は流し尽くしてしまい、今はもう出ません。遺族は皆、この世を去らないかぎり、暗い記憶の中を生き続けるのです」 若者たちはなぜ立ち上がったのか 天安門事件とは結局、何だったのか。その疑問を持ちづけていた私に、尤さんは「若者たちが立ち上がったのは、社会に対する責任感だった」そう説明してくれました。 天安門事件は、1980年代に共産党トップの総書記を務め、言論の自由化など政治改革にも前向きだった胡耀邦氏が4月15日に突然、死去したことに端を発しているとされています。 胡氏は、学生の民主化運動に理解を示したなどと保守派に批判され、失脚していました。 学生や市民による胡氏の追悼集会は、民主化を求めるデモに変わり、各地に拡大。5月には10万人が参加する大規模な集会に発展していきました。訴えは汚職の撲滅や言論の自由などを求める社会的なうねりとなっていったのです。 天安門広場に集まった市民や学生たち 尤維潔さん 「当時、北京の市民は皆、天安門広場にいた学生たちをとても心配していました。特に印象深いのは、戒厳令が最初に出された日です。市民たちが天安門広場に軍隊を行かせてはいけないと、路上にバスを止めて道路をふさぎました。多くの人たちが、ハンガーストライキを続ける学生たちに食料や水を届けていました。すべてが自発的な行動だったのです。その光景に私はとても感動しました。政府はなぜこうした状況を理解できなかったのか、思い出すと、今でもとても腹立たしい」 “隠ぺい”と“沈黙”の35年… さらに大事なことを話してくれました。 当時、軍によって制圧された天安門広場やそれに続く大通りなどあちらこちらには死体の山があったそうです。連絡が取れない人も多く、尤さんの夫とともに病院に運ばれ、その後死亡した男性も身元が分かっていなかったといいます。 しかし、中国政府は事件発生から犠牲者や行方不明者についてほとんど説明を行ってきませんでした。それどころか、事件から1年余りの間、政府は「天安門広場に行ったのか」や「デモに参加したのか」など多くの人に聞き取りを行うなど徹底的に調査していました。 尤さんはこうした政府の心理的な圧力が、今の中国社会につながっていると語気を強めて訴えました。 尤さん 「政府の圧力によって、市民は自分たちの家庭で何が起きたのか、言い出すことを恐れていきました。時間の経過とともに真相を語る人を探し出すことはいっそう難しくなっています。今では多くの人が事件についてよく知りません。35年がたち、若い世代は天安門事件に関心すらない状況です。これはこの間、政府が隠ぺいと沈黙を続けてきたからだと思います」 メッセージアプリに突然、使用制限 今、中国政府は、事件を国民の記憶から消し去ろうとする動きをさらに強めています。 遺族グループの今の活動の中心メンバーとなっている尤さんに対する監視は、6月4日が近づくにつれて厳しさを増していました。 尤さんのメッセージアプリ「ウィーチャット」は、4月ごろから機能が突然、制限され、ほかの遺族とのグループでのやりとりが一切できなくなりました。 ウィーチャットは中国国内では、使っていない人はいないほど、最もポピュラーなSNSです。“遺族どうしがつながることを阻みたい”、35年という節目に当局が神経をとがらせている様子がうかがえました。 尤さんが所在不明に 警告、そして尾行 尤さんに話を聞いてから、およそ1か月半たった先月(5月)31日。私は再び彼女の自宅を訪れました。もう一度話を聞きたい、そう思ったからです。 しかし、不在でした。連絡すらつかず、所在がわからなくなっていました。 自宅から立ち去ろうとした時、突然、警備員に呼び止められ、「何をしに来た。2度と来るな」そう警告されました。さらに、私服警察官とみられる2、3人の男たちが、私のあとを追うようについてきました。尾行は、私たちが車に乗り込むまで続きました。 尤さんとようやく連絡がついたのはその4日後、6月4日の午後でした。電話口の声は重く、監視役としてそばにいるとみられる当局者らしき女性の声が聞こえました。 「しばらく自宅にいることができない。近況も話しづらい。ごめんなさい」 短く状況を伝えてくれました。身に危険はないか心配する私に、彼女は「大丈夫」そう返し、電話は切れました。 男たちに囲まれて警告、墓地に近づけず あの日が近づくにつれて、天安門を東西に突き抜ける大通り「長安街」は異様な雰囲気に包まれていきました。前日3日午後、同僚のカメラマンが、多くの犠牲者が見つかった木※せい地という場所に向かいました。(※木へんに「犀」) 今は地下鉄の駅があり、隣には警察の派出所が設けられています。撮影機器が入ったリュックサックを開けようとした瞬間、十数人の男たちに取り囲まれ、立ち去るよう警告されました。 厳しい警備の共同墓地 6月4日の様子 そして4日当日。犠牲者が埋葬されている北京郊外の共同墓地には、多くの警察官が配置され、厳戒態勢が敷かれていました。近づくことすら許されず、命日の墓参りに訪れる遺族への取材はできませんでした。 天安門の叫び、今も 「天安門事件は、中国共産党による『国民の虐殺』にほかならない」 遺族たちのこうした訴えは「人民のために奉仕する」という共産党の正当性を、根幹から揺るがすことになりかねない、そう政府は考えているのかもしれません。だからこそ、政府は沈黙を貫き、時がたち人々が事件を忘れ去るのをじっと待っているように感じます。 かつて、私に「知る必要はないよ」と語った父と同じように、多くの国民が知らされずにきた35年。 それでも中国国民のなかには、天安門広場で民主化を叫んだ若者たちと同じように、一党支配への不満や、社会への責任感を持つ人がいます。 北京での白紙運動(2022年11月) おととし、中国政府のゼロコロナ政策への不満を背景に起きた抗議活動「白紙運動」。 そして去年、李克強前首相の急死後に各地で広がった追悼の動きと現指導部を暗に批判する追悼のことば。 私は、もう1つの祖国で今、事件とどう向き合うのか。 取材に応じてくれた張さんと尤さんの2人のことばを反芻しています。 「生きている間に事件の解決は見ないかもしれないが、それでもかまわない。 息絶えるその瞬間まで、生きているかぎり、訴え続ける。あなたも、この声を多くの人に届けてほしい」 (6月4日 ニュース7などで放送)
中国の習近平政権下で強まる抑圧と監視 天安門事件35年 記者にも尾行が?遺族が訴え続ける意味とは? | NHK | WEB特集 | 中国
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【盛岡で本番直前合宿】初日がスタートしました。
東北新幹線の盛岡駅に降り立つと、気温2度の真冬の寒さでした。駅から徒歩3分くらいの練習会場となる盛岡市民文化ホールまでは八甲田山の行軍のような辛さでありました。

TYOのOG菊池桃加ディレクター率いるNHKの密着ドキュメンタリー取材班的には「いい絵」なのでしょう。一昨日には菊池Dによる記事も公開されていました。 坂本龍一監督からもらったもの 「東北ユースオーケストラ」の団員たちがつなぐ思い - 大震災と子どもたち - NHK みんなでプラス
監督のご命日である、3月28日、BSにて映画「戦場のメリークリスマス」を放送するその直後の枠にて、昨年のTYO番組が再放送されることが決まったそうです。
Dearにっぽん「見ていてね、坂本龍一監督~東北ユースオーケストラの再出発~」放送日 3月28日(木)午後3:04~3:29【BS】
クラリネットを吹き、わちゃわちゃしてたうちの子が、NHK入局2年目にして実に頼もしい貢献でございます。ありがとうございます。

東京出発前から寒さに立ち向かう覚悟はしており、スキー用並みにパンツで集合した引率の先生役も隅に映り込んでいます。

(この時はベルトをし忘れたことに気づいていなかった・・・)

今年も「安全第一、健康第一」を唱え、坂本龍一監督も「本番前に無理しないでね」とおっしゃっていたこと。体調がすぐれない時は無理をせず、休みましょう。本番でも曲間でステージから降りてもいいんだからね。それもみんなと演奏する一つのカタチだ。過去にも本番でステージを降りた団員は何人もいるから気にしないでね、と伝えました。何しろ今回参加しているOGには看護師資格保持者も���ますから心強いです。と保護者関係者のみなさまにおかれましてもご安心ください。
いつも演奏できることの感謝を忘れずに本番を迎えましょうと言っていますが、今年はそれに加えて、坂本龍一監督への感謝の演奏です。天国の坂本監督に聴いてもらうという気持ちを込めた演奏しましょう。

おりしも今日20日は東北ユースオーケストラと坂本龍一『The Best of Tohoku Youth Orchestra 2013~2023』のCDが発売されました。収録曲である『ETUDE』での間奏のピアノのアドリブでは、これまで練習から本番まで一度として同じ演奏はされなかったことを引き合いに、「今回の演奏曲での即興パートもみんなあらかじめ決めた同じ演奏を繰り返すのではなく、その場その時の即興で演奏するのが坂本龍一スピリットですよ」ともお願いしました。

一般社団法人東北ユースオーケストラの代表理事である、ヤマハ株式会社執行役の押木正人さんも初日から合宿参加にご参加です。

本社のある浜松銘菓「夜のお菓子」を差し入れにいただきました。
岩手組の保護者ご一同からもうれしいメッセージ付の地元銘菓2種類の差し入れをいただきました。


こちらは四期の演奏会でTYOオリジナル楽曲『くぐいの空』の作曲を委嘱した仙台市出身の音楽家・仁科彩さんからの差し入れです。細やかなお気づかいをありがとうございます。
そして、生いちごも!

先日、有志演奏会でお世話になった気仙沼市出身のパーカッションパートの三浦瑞穂さんのお祖父様が栽培されたフレッシュな果実でございます。『Three TOHOKU Songs』の民謡指導に来ていただいたこともありましたが、今日もステージ上のお孫が「ここの掛け声のイントネーションは」と伝聞リモート解説をしてくれていました。

今日は指揮の栁澤寿男さんが体調不良のため大事をとってお休み。急きょ福島事務局の竹田学さんに代役をお願いしました。

普段は福島ジュニアオーケストラで指導されているとはいえ、「緊張します」と突然のことにプレッシャーが大きかったようですが、毎月の練習にも参加してもらっているので、安心のバックアップです。





今日はコンサートミストレスの渡邉真浩さんの隣に千葉隆史くんの同じ郡山市出身の同級生コンビが並び微笑ましい姿です。


ということで、一曲目から順に丁寧に演奏曲をさらっている合宿初日でした。
今週末の23日(土)盛岡、24日(日)仙台(ともにゲストはのんさん)、30日(土)郡山(ゲストは吉永小百合さん)の演奏会は、まだチケットがございます。はやぶさなら東京から盛岡まで2時間ちょっと。坂本龍一監督の唯一のオフィシャルな追悼公演! プライベートアーカイブからの写真や、東北ユースオーケストラの団員と過ごした日々の動画など、未発表素材をふんだんに使った映像も見どころです。
ぜひご来場ください。
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〈信じられない…多分全漫画家は芦原先生の言い分はわかってた。わかってたよ。悲しい…〉(漫画家・稚野鳥子さんのXより)
日本テレビ系列でドラマ化された「セクシー田中さん」などの作品で知られる漫画家の芦原妃名子(本名・松本律子)さん(50)の突然の死が報じられたのは1月29日夕方のこと。渦中の人気漫画家の訃報は衝撃を与え、SNSでは同業者やファンによる悲しみの言葉が広がっている。
公式HPより
全ての画像を見る(11枚)
1994年にデビュー、ヒット作多数の人気漫画家
社会部記者が話す。
「芦原さんは栃木県日光市の川治ダムで遺体で発見されました。1月28日午後4時頃、関係者が警視庁大崎署に芦原さんの行方不明届を提出。栃木県に行っているとの情報があり、栃木県警と連携して捜索していたところ、29日に遺体を発見した。身分証が見つかり、親族に確認してもらったところ本人と確認。自宅からは遺書が見つかっており、自殺を図ったと見られています。遺書は数行で行方をくらませた理由などが書かれていたそうです」
芦原さんは兵庫県出身。1994年、「別冊少女コミック」(小学館)に掲載された「その話おことわりします」でデビューした。「砂時計」(小学館)は第50回小学館漫画賞少女向け部門を受賞。累計発行部数700万部を超える大ヒット作となり、ドラマ化、映画化もされた。
芦原さんの「砂時計」(DMMブックスより)
2017年から「姉系プチコミック」(小学館)で連載を開始したのが「セクシー田中さん」だ。
「容姿端麗でモテるOLの倉橋朱里は本来の自分を隠して婚活に励み、ジレンマが燻りながらも世間一般の“幸せ”を願っていた。そんなところに地味で引っ込み思案な経理部の独身OL・田中京子と出会う。夜はベリーダンサーという秘密の顔を持つ田中との出会いで互いに新たな一面を見出していく——こうした大人の生き方を描いた物語です」(出版関係者)
主演の木南晴夏(公式HPより)
2023年10月には日本テレビ系列でドラマ化。田中を木南晴夏、倉橋を生見愛瑠が演じた。口コミで「面白い」と広がり、12月10日に放送された第8話のコア視聴率(13歳~49歳)は3.4%を記録し、同日に放映されたTBS日曜劇場「下剋上球児」第9話の3.2%を超えた。
ところが、12月24日に迎えた最終回の放映後に“異変”が発覚する。
「エンドロールで『脚本・相沢友子(第1話~第8話)、芦原妃名子(第9話、最終話)』と記されていたのです。さらに放送当日、脚本家の相沢氏が自身のインスタグラムに〈過去に経験したことのない事態で困惑しましたが、残念ながら急きょ協力という形で携わることとなりました〉と投稿。一部で『何があったんだ?』と囁かれていました」(ドラマライター)
波紋を読んだ「脚本」のクレジット(公式HPより)
そして今年1月26日、芦原さんは自身のXで脚本をめぐるトラブルを打ち明けた。
〈色々悩んだのですが、今回のドラマ化で、私が9話・10話の脚本を書かざるを得ないと判断するに至った経緯や事情を、小学館とご相談した上で、お伝えする事になりました〉
こう書き出した芦原さんは、3本にわたる長文のポストで、経緯を説明した。
〈改めて時系列にそって事実関係を再確認し、文章の内容も小学館と確認して書いています〉
〈私達は、ドラマの放送が終了するまで、脚本家さんと一度もお会いすることはありませんでしたし、監督さんや演出の方などドラマの制作スタッフの皆様とも、ドラマの内容について直接、お話させていただく機会はありませんでした。ですから、この文章の内容は私達の側で起こった事実ということになります〉
原作の「セクシー田中さん」1巻(DMMブックスより)
芦原さんの一連の投稿によれば、原作漫画は未完で結末も決まっていないことから、ドラマ化にあたっては「必ず漫画に忠実に」、作品の今後に影響を及ぼさないよう「原作者があらすじからセリフまで」を用意すること、「原作者が用意したものは原則変更しないでいただきたい」こと、「ドラマオリジナル部分については、原作者が用意したものを、そのまま脚本化していただける方を想定していただく必要」があること、「場合によっては、原作者が脚本を執筆する可能性もある」ことなどを条件として版元の小学館を通じて日本テレビに求めていたという。
だが、この条件は守られなかったとして、芦原さんはこう綴っていた。
〈毎回、漫画を大きく改編したプロットや脚本が提出されていた〉〈よくある王道の展開に変えられてしまう〉〈個性の強い各キャラクターは原作から大きくかけ離れた別人のようなキャラクターに変更される〉〈粘りに粘って加筆修正し、やっとの思いでほぼ原作通りの1~7話の脚本の完成にこぎつけましたが…〉
第8話から第10話まではドラマオリジナル脚本だったが、当初の条件は守られず、〈大幅に改変した脚本がまとめて提出され〉たという。特に第9話、第10話の脚本はベリーダンスの表現も間違いが多く、小学館を通じ日本テレビには芦原さんからの申し入れが繰り返された。
公式HPより
そして、最終的に第9話と第10話はドラマのプロデューサーの要望を取り入れながら芦原さんが脚本を執筆し、日本テレビと専門家で内容を整えるという解決策となった。
だが、出来上がりに満足がいかなかったとも打ち明けている。
〈素人の私が見よう見まねで書かせて頂いたので、私の力不足が露呈する形となり反省しきりです。漫画『セクシー田中さん』の���稿の〆切とも重なり、相当短い時間で脚本を執筆しなければならない状況となり、推敲を重ねられなかったことも悔いてます〉
〈9話、10話の脚本にご不満をもたれた方もいらっしゃるかと思います。どのような判断がベストだったのか、今も正直正解が分からずにいますが、改めて、心よりお詫び申し上げます〉
行方がわからなくなった28日、芦原さんはXにこう投稿した。
〈攻撃したかったわけじゃなくて。ごめんなさい〉
そして、一連の経緯を明かした投稿は削除されたのだった。
芦原さんの最後のポスト
ドラマを制作した日本テレビは29日夕方のニュースで芦原さんの訃報を伝えた。それと合わせて、以下のコメントを発表した。
〈芦原妃名子さんの訃報に接し、哀悼の意を表するとともに、謹んでお悔やみ申し上げます。2023年10月期の日曜ドラマ『セクシー田中さん』につきまして日本テレビは映像化の提案に際し、原作代理人である小学館を通じて原作者である芦原さんのご意見をいただきながら脚本制作作業の話し合いを重ね、最終的に許諾をいただけた脚本を決定原稿とし、放送しております。本作品の制作にご尽力いただいた芦原さんには感謝しております〉
実はこのコメントに日テレ内部からも疑問の声があがっている。
日テレ関係者が話す。
「亡くなったタイミングで『我々は悪くない』と言わんばかりのコメントを出すのは下劣すぎる。ドラマ制作部の連中が報道フロアに乗り込んできてコソコソと打ち合わせをしていた。幹部がこっそり公式コメントまで用意しており、訃報はプロデューサーやデスクもオンエアまで知らされていなかったのです。フロアでは『えー!』と悲鳴があがっていました」
◆◆◆
都内の閑静な住宅街に佇む集合住宅。外観はコンクリート打ちっぱなしでスタイリッシュなデザインになっており、夜になると共有部の木々がライトアップされる。
芦原さんの仕事場
芦原さんがここに居を構えたのは約12年前のことだ。近隣住民が語る。
「パッチリ二重で実年齢よりも若く見えて綺麗な人でした。気さくで家の中にも一度お邪魔したことがあります。当時、家具はあまり置いてなかったけれど、室内の階段のデザインに凝っていた。芦原さん自身もオシャレでセンスが良いなーって。職業は隠していなくて私が仕事はなにをしているんですか?と聞いたら『漫画家をしているんですよ』と。2012年に芦原さんの『Piece』がドラマ化されたときは有名な漫画家さんなんだと住民みんなで驚きました」
芦原さんの「Piece」(小学館HPより)
しかし、ある異変が起こる。
「数年前、住宅の敷地内で痴漢の被害に遭ったと芦原さんから聞きました。防犯カメラを玄関前に付けたんだけど、『やっぱり怖い』とここを出ていき、別のところに住み始めた。それからはアシスタントさんが出入りする仕事場になりました。芦原さんが来るのは5ヶ月に1回��らいのペースでした」(同前)
この仕事場から約140キロ離れたダムで芦原さんは自ら命を絶ったのだった。
遺された芦原さんのXアカウントには、今この瞬間も追悼のコメントが寄せられている。
◆◆◆
本件について情報を募集しています。文春リークスまで情報をお寄せください。
文春リークス:https://bunshun.jp/list/leaks
◆◆◆
【厚生労働省のサイトで紹介している主な悩み相談窓口】
▼いのちの電話 0570-783-556(午前10時~午後10時)、0120-783-556(午後4時~同9時、毎月10日は午前8時~翌日午前8時)
▼こころの健康相談統一ダイヤル 0570-064-556(対応の曜日・時間は都道府県により異なる)
▼よりそいホットライン 0120-279-338(24時間対応) 岩手、宮城、福島各県からは0120-279-226(24時間対応)
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Ligths for Gaza
昨日、パレスチナにゆかりのある方々の呼びかけで行われた「Ligths for Gaza」に参加しました。
一日経ち、感じたことを少しずつ言語化できるようになってきたので、あの時間の静けさを自分の言葉によって損なってしまわないか、恐れながら書きました。
パレスチナを自分とは縁遠く感じつつも、日々もたらされる報せに心を痛めている方、良かったら読んでください。
ーーー
11月4日の晩、広尾のパレスチナ大使館前に人だかりができました。「Ligths for Gaza」ーーろうそくに灯をともし、ガザ地区における虐殺で命を落とした犠牲者を悼みましょう、という呼びかけに応じて、国籍や年齢を越えた人々が集まったのです。
翌日の報道によると100名ほどとされるその人数に対して、場の空気は静かなものでした。周囲のゆらぎから(ざわつき、息を詰める気配、鼻を啜る音、肩のこわばり……)おそらくさまざまな感情がうごめいているのであろうことが感じとれましたが、集い自体は荒々しさや激しさとは無縁の、穏やかさに覆われていました。
おのおのがろうそくと花を捧げ、胸の内で亡くなった方たちを悼む時間をもった後、パレスチナ出身の方、今もなお家族や友人知人がガザにいる方の声に、耳を傾けました。
語りのなかでもたらされた「情報」は、私が本や講演から得てきた内容と重なるものばかりでした。でも、当事者の口から直に伝えられるそれは、重さが、深さが、まるで違った。
足りなかったのはこれだと、思い知りました。
私が、国際社会が、もっと早くかれらの語りを聴こうとしていたならば、こんなことにはなっていなかった。
少し前に、エジプトのジャーナリストがCNNのリポーターを糾弾する動画を見ました。彼女の口にした「あなたたちはナラティブを独占してきた」という言葉が、おのずと思い出されます。
ハリウッド映画では、ホロコーストの先で起きたことが描かれない。そのナラティブに無自覚に浸りきった私も、同じ罪を負っている。
私はこれまで生きてきたなかで、アジア・オセアニア・ヨーロッパ・北米・南米・アフリカにルーツをもつ人たちに出会ってきました。ですが、中東出身の人と知りあうことは、一度もなかった。そのせいもあって遠く感じられる彼の地の人たちのことを、なぜ交わる機会がないのかを考えることもなく、ろくに知ろうともしないまま「自分とは縁遠い人たち」と見做してきた。のみならず、雑に括った「中東」を、宗教問題が複雑で理解が難しい地、戦火が絶えずテロリストを多く産む地、などという差別に他ならない認識をもって自ら遠ざけようとするふしすらあったことを、深く恥じながら、打ち明けなければなりません。
なによりもまず自身の無知と無関心を、顧みなければならない。
ですが、それだけでは不十分です。
自ら選び取ったと思いこんでいる価値観の多くは、その実、環境や構造から影響を受けている。
どうして「中東」は、なかでもパレスチナは、こんなにも自分から遠いのか。積極的に目を向けなければ視界に入ってこないのか。視界に入れずとも生きてゆけるようになっているのか。その原因を突きとめ、抗う必要があります。
この「原因の所在」については、ここに書ききれることではないので、信頼できると判断した本のリストを紹介するに留めます。
私も現在、リストの本を読み進めているところです。何冊か読んだなかで最も読みやすく、またパレスチナに生きる人たちの顔が見えると感じたのが、岡真理さんの『ガザに地下鉄が走る日』でした。
本を読むのが難しければ、下記の講演を聞いてください。それだけでも、パレスチナを批判する文脈で飛び交う「『テロリスト』を擁護するのか」というフレーズの暴力性が、わかるはずです。
youtube
パレスチナ大使館もまた、パレスチナを知ろうとする人に向けて、いつでも開かれているそうです。外務省のサイトに掲載されているこちらが、大使館の現在の所在地です。Google mapで検索すると旧所在地が出てくることがあります。ご注意ください。
ーーー
前述の「Ligths for Gaza」にて、参加者にA3サイズの紙が一枚ずつ配られました。“We are not numbers”という言葉とともに、虐殺された方の写真と名前が印刷されたものです。
私に手渡された紙のうえでは、鮮やかな水色のジャンパーとピンク色のスカート、それからスカートとおそろいの色の髪飾りをつけた三歳ぐらいの子どもが、なにか愉しいことでもたくらむような悪戯っぽい表情で、こちらを見ていました。
集いのあいだじゅう胸の前に掲げていたその紙を、帰路につく際、どう扱うべきかがわかりませんでした。折りたたんでカバンに仕舞うのも、筒状に丸めて手に持つのも、広げたまま掲げて歩くのも、違うと思った。
結局たたんで持ち帰った後も、どうすれば良いのかがわからずにいます。
ただの紙ではない、確かに生きていたひとの気配を宿したこの重さを、どうすれば良いのか。
わからないまま、殺された人数を数字として見る際に、なるべくこの重さを思い出そうと、それだけは決めました。苦しいし、難しい。けれど、必要なことです。
ご自身が苦しみのなかにありながら集いを企画してくださった皆様に、なんと申し上げたらよいのか……いまだに言葉がみつかりません。今はただ、場を設けてくださったことに対して感謝しています、とだけお伝えしたいです。
引きつづき学びながら、当事者の声を聞くことができる場に、また足を運びます。
一刻も早い攻撃の停止を、停戦を。
その後にパレスチナの解放を。
心より願っています。
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2023 Mother’s Day(母の日)!おすすめのギフトをご紹介~
母の日とは、母親に感謝の気持ちを伝える日で、日本では毎年5月の第2日曜日に行われます。2023年の母の日は5月14日(日)です。
母の日の起源は、アメリカのアンナ・ジャービスという女性が、亡き母を追悼するために教会で白いカーネーションを配ったことが始まりとされています。1914年にはアメリカで正式に祝日として制定されました。日本では明治末期から教会で行われるようになり、戦後に民間に広まりました。
母の日のプレゼントとして人気があるのは、カーネーションやその他の花ギフト、スイーツやグルメ、アクセサリー・ファッションアイテムなどおすすめです。2023母の日ギフトを探すならJapanPromos(日本プロモ)へご参考ください。
花のギフト
母の日に贈るプレゼントとして定番の花束です。お母さんが好きなお花を選んで贈れば、きっと喜んでくれるはず。ピンクのバラやカーネーションは、母の日にぴったりの色合いです。また、最近ではプリザーブドフラワーの花束も人気があります。長期間飾れるので、母の日の思い出が長く残ります。
F. [éf]での母の日の予約受付中
現在、F. [éf]では母の日の予約を受け付けています。
期間限定で、4月15日(土)から30日(日)まで早期予約特典としてご希望の日時にご指定可能です。
5月1日(月)から9日(火)までのご注文の場合は12日、13日、14日のいずれかの日に順次にお届けされます。
さらに、母の日の花束をご注文の際に、F. [éf]オリジナルのストーリーカードがオプションで「Thank you Mom!」「Happy Mother’s day!」の無料印字、またはお客様のメッセージ(有料オプション+200円)があります。F. Mother’s Dayでありがとうを伝えましょう!
PREMIER GARDENの母の日に花束やアレンジメントが特別価格
プレミアムガーデン母の日には、カーネーションを入れたアレンジメントや花束、ドライフラワーなど、様々な種類のお花が人気です。花言葉でお花を選ぶのもおすすめです。ピンクのバラは「感謝」、スイートピーは「優しい思い出」、アジサイは「家族団らん」といった意味があります。可愛らしいガーベラにも「感謝」の意味があり、赤いチューリップには「真実の愛」という花言葉が付いています。感謝と愛情を込めて、母の日にぴったりの花たちを贈りましょう。
HitoHanaで母の日キャンペーン開催中
2023年4月30日まで、HitoHanaの花の日のギフトをご利用のお客様はインスタグラムやツイッターで「#HitoHanaで母の日」とキャンペーン画像と一緒に投稿すると抽選で10名様に5,000円相当のHitoHanaの観葉植物や花束、ドライフラワーの商品のプレゼントをゲットできます。ご購入の商品画像でも参加可能で、SNS投稿でHitoHana公式アカウントのメンションが必要ですのでご注意ください。
花の日の人気ギフト以外に、HitoHanaのお花の定期便ギフトを5月31日まで花瓶を対応し、さらに期間限定の無料のメッセージカードをご利用できます。
スイーツ・グルメのギフト
美味しいお菓子やグルメは、母の日に贈るギフトの定番です。特に、自分ではなかなか買わない高級なお菓子や洋菓子、和菓子などが喜ばれます。また、手作りのお菓子やスイーツも、温かい気持ちがこもっていて素敵なプレゼントです。母の好みに合わせて、贈るものを選んでみてはいかがでしょうか。
ROYAL DELI母の日ギフトの限定セット&オリジナルメッセージカード
ロイヤルデリ母の日ギフト2023は、母の日向けの特別な家庭用フローズンミールセットです。ティラミス1個付きの「特別な日のディナーセット」と「食卓華やぐ洋食セット」の2種類があり、2023年4月10日から5月19日までの期間限定でロイヤルオンラインストアで販売されます。
ロイヤルデリ母の日ギフトの限定セットご購入で、プレゼントとして税込820円のティラミスが同時にお届けされます。また、ご希望の場合は、母の日限定のオリジナルメッセージカードにお気持ちを込めた言葉を印字でき��す。
サイボク母の日特集!5/14まで対象商品ポイント5倍
ハム・お肉の専門店「サイボク」では母の日に向けてギフトセットを販売しています。期間中の2023年4月7日から5月14日まで、対象商品がポイント5倍でご購入できます。また、ビールギフトセットにはプレゼントが付いています。
サイボクの専門牧場で育てたブランド豚のゴールデンポークやスーパーゴールデンポークなど、安心・安全・美味しい商品が揃っており、母の日に感謝の気持ちを込めて、サイボク母の日ギフトを贈ってみてはいかがでしょうか。
ミートガイのギフトでお母さんにプレゼントしましょう
お肉が大好きなお母さんへの母の日ギフトには、ミートガイのお肉のギフトセットがオススメです。特選黒毛和牛ステーキ、豚肉ロースト、鶏肉のグリルなど豊富な品揃えの中から、お母さんが好きなお肉やセットを選んで贈ることができます。
肉セットだけでなく、スパイセットや5,000円・10,000円のギフト券があります。贅沢な贈り物で感謝の気持ちを伝えてみて、母の日の夜に、ご家族と一緒に楽しんでみてはいかがでしょうか。
アクセサリー・ファッションアイテムのギフト
おしゃれが好きなお母さんには、アクセサリーやファッションアイテムのプレゼントがおすすめです。ネックレスやイヤリング、ブレスレットなどのアクセサリーは、普段使いにもぴったり。また、母の日には、ちょっと特別なものを贈りたいですよね。ショールやバッグなどのファッションアイテムなら、季節に合わせたものを選んで贈ってみてはいかがでしょうか。
L&Co.での母の日のギフトが無料ラッピングサービス
母の日には、お母さんに感謝の気持ちを伝える素敵なプレゼントを贈りましょう。ジュエリーブランドであるL&Co.(エルアンドコー)では、コスメやアクセサリー、キッチン雑貨など、母の日にぴったりな商品がたくさんあります。期間限定で、母の日のギフト用ラッピングが無料となっています。専用ギフトラッピングにはおしゃれな包装紙や不織袋を多数用意しており、のしやメッセージカードなども選べます。
SWAROVSKIでの母の日ジュエリー特集
スワロフスキーは、母の日にぴったりのジュエリーギフトを提供しています。愛と感謝の気持ちを込めて、母の日の特別なプレゼントを贈りましょう。スワロフスキーのジュエリーコレクションには、ネックレス、ブレスレット、ピアスなどがあり、華やかで美しいデザインが特徴です。ラッピングサービスも無料で行っていますので、贈り物をより特別なものにしましょう。お母さんやご祖母、奥様が喜んでくれるスワロフスキーの母の日ジュエリーで、感謝の気持ちを伝えてみてはいかがでしょうか。
micでは2023年の母の日フェアが開催中
革財布のお店micでは、2023年の母の日に向けて特別なフェアを開催中です。mic母の日ギフトキャンペーンには、新作のメガネケースやスマホショルダーストラップなど、おしゃれで便利な革小物が揃っています。また、母の日限定の本革タグつきのラッピングやメッセージカードも無料で提供しています。micの商品は、丁寧に手作りされた高品質なものばかり。母の日には、お母さんに喜んでもらえるmicの革財布や小物を贈ってみてはいかがでしょうか。
まとめ
今回は、2023年の母の日に向けてのギフトについて、いくつかご紹介しました。母の日には、普段頑張ってくれているお母さんに感謝の気持ちを伝える絶好の機会です。ぜひ、お母さんが喜んでくれる素敵なプレゼントを選んで、感謝の気持ちを贈ってみてください。
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朝日新聞社の慰安婦報道に関する訂正とおわびが英語版に無い件
“記事を訂正、おわびしご説明します 朝日新聞社
慰安婦報道、第三者委報告書
慰安婦問題を報じた本紙記事について、第三者委員会から不正確で読者の誤解を招くものがあるといった指摘を受けました。これまでの訂正・記事取り消しなどに加え、独自に検討を進めてきた結果を踏まえて必要な訂正をします。読者の皆様におわびし、理由を説明いたします。訂正などにあたってのわかりやすい提示方法について今後も検討し、改善を重ねます。
「軍関与示す資料」の記事について 「従軍慰安婦」用語メモを訂正
「従軍慰安婦 1930年代、中国で日本軍兵士による強姦(ごうかん)事件が多発したため、反日感情を抑えるのと性病を防ぐために慰安所を設けた。元軍人や軍医などの証言によると、開設当初から約8割が朝鮮人女性だったといわれる。太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊(ていしんたい)の名で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる」(92年1月11日付朝刊1面) これは、日韓首脳会談のために当時の宮沢喜一首相が訪韓する前、「慰安所 軍関与示す資料」という見出しの記事と併せて掲載した用語説明メモです。 慰安婦については、今も実態がはっきりしない点が多くあります。現在までの研究成果や知見を踏まえると、このメモには誤りや不正確な表現があります。90年代から疑問を指摘されていた点もありました。長期間にわたり読者の誤解を招く表現を放置し、対応を怠ったことをおわびし、訂正します。 誤りは、慰安婦と挺身隊を混同したことです。女子挺身隊とは軍需工場などに動員した「女子勤労挺身隊」を指し、兵士らの性の相手をさせられた慰安婦とはまったく別のものです。 また、慰安婦の数や朝鮮人女性の比率も、現在の知見に照らすと不正確でした。日本人を含めた慰安婦の総数を示す公式記録は見つかっておらず、国内の研究者の推計も変化しています。民族ごとの比率も明確な資料は見つかっていません。 現代史家の秦郁彦氏は93年に6万~9万人とし、99年には2万人前後と修正しました。吉見義明・中央大教授(日本近現代史)は95年に5万~20万人と推計し、最近は5万人以上としています。日本人��他の民族の慰安婦が全体に占める比率も諸説あり、確定していません。 第三者委の報告書はこのメモについて、「あたかも挺身隊として『強制連行』された朝鮮人慰安婦の人数が8万人から20万人であるかのように不正確な説明をしている点は、読者の誤解を招くものであった」と指摘しました。また、「集積された先行記事や関連記事等から抜き出した情報をそのまま利用したものと考えられる」と述べ、「当時は必ずしも慰安婦と挺身隊の区別が明確になされていない状況であったと解されることを考慮しても、まとめ方として正確性を欠く」としています。 朝日新聞は今年8月、慰安婦と挺身隊の混同があった記事について、該当の表現を過去記事を閲覧できるデータベースから削除せず、おことわりをつけて確認できるようにしました。 この用語説明メモについては、今後、「慰安婦と挺身隊の混同があり、『主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した』という表現は誤りでした。これまでの知見では、慰安婦の数や朝鮮人女性の比率もはっきりわかっていません」といったおことわりをつけます。
第三者委「政治課題となるよう企図」
1992年1月11日付の朝刊1面で「慰安所 軍関与示す資料」との見出しで報じた記事をめぐっては、他のメディアなどから疑問が出されていました。 記事は、防衛庁防衛研究所図書館所蔵の公文書に、旧日本軍が現地部隊に慰安所の設置を命じたことを示す文書などが見つかったという内容です。政府は当時、国会答弁で国の関与を認めていませんでした。この記事の掲載は宮沢喜一首相が同月16日から訪韓する直前で、前文(リード)でも「政府として新たな対応を迫られるとともに、宮沢首相の16日からの訪韓でも深刻な課題を背負わされたことになる」と書いていました。 記事への主な疑問は、(1)資料を早く入手していたのに、首相訪韓直前のタイミングを狙って記事にしたのではないか(2)韓国や日本国内で、慰安婦の強制連行に軍が関与したというイメージを世論に植え付けようとしたのではないか、という点です。(1)について、第三者委の報告書は「(首相訪韓直前のタイミングを狙った)実態があったか否かは、もはや確認できない」としたうえで、前文の表現などから「訪韓の時期を意識し、慰安婦問題が政治課題となるよう企図して記事としたことは明らか」と指摘しました。(2)については、「記事には誤った事実が記載されておらず、記事自体に強制連行の事実が含まれているわけではないから、朝日新聞が本記事によって慰安婦の強制連行に軍が関与していたという報道をしたかのように評価するのは適切でない」としています。
「元慰安婦、初の証言」の記事について 「女子挺身隊」「連行」の記述訂正
「日中戦争や第2次大戦の際、『女子挺身(ていしん)隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、1人がソウル市内に生存していることがわかり……」(91年8月11日付朝刊社会面〈大阪本社版〉) これは、「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」との見出しで掲載した記事の前文部分です。記事は、韓国人の元慰安婦の一人が初めて、自らの過去���「韓国挺身隊問題対策協議会」に証言したことを、録音テープをもとに伝えました。 しかし、同記事の本文はこの女性の話として「だまされて慰安婦にされた」と書いています。この女性が挺身隊の名で戦場に連行された事実はありません。 前文の「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され」とした部分は誤りとして、おわびして訂正します。 第三者委員会に対し、筆者の植村隆・元記者(56)は「あくまでもだまされた事案との認識であり、単に戦場に連れて行かれたという意味で『連行』という言葉を用いたに過ぎず、強制連行されたと伝えるつもりはなかった」との趣旨の説明をしたといいます。 第三者委は報告書で、「だまされた」事例であることをテープ聴取で明確に理解していたにもかかわらず、この前文の表現は「『女子挺身隊』と『連行』という言葉の持つ一般的なイメージから、強制的に連行されたという印象を与える」などと指摘しました。 また報告書は、挺身隊と慰安婦の混同について、91年から92年ころにかけて両者の違いが急速に意識されるようになるまでは、「両者を混同した不明確な表現が朝日新聞に限らず多く見られたという実態があった」との見解を示しました。朝日新聞は今年8月の検証記事で、この記事に「意図的な事実のねじ曲げはない」と結論づけました。報告書はそれだけでなく、「読者に正確な事実を伝えるという観点から、前文部分の記載内容も含め、さらに踏み込んで検討すべきであった」としました。この指摘についても、重く受け止めます。 この記事には、過去記事を閲覧できるデータベース上で、挺身隊の混同がみられたことから誤用したことを示すおことわりをつけています。今後、改めて、「この女性が挺身隊の名で戦場に連行された事実はありません」といったおことわりをつけます。
第三者委 元記者の「事実ねじ曲げ」否定
植村氏が91年に書いた記事2本には、他メディアから疑問が示されていました。 一つは、91年8月、録音テープの提供を受けて元慰安婦の証言を匿名で報じた際、後に元慰安婦らの裁判を組織した韓国の別団体「太平洋戦争犠牲者遺族会」の幹部だった義母のつてで取材し、裁判を有利に進めるために記事を書いたり内容を変えたりしたのではないかという疑問です。 この点について第三者委は、植村氏から「ソウル支局長から紹介を受けて挺対協のテープにアクセス(接触)した」という説明を受けたとし、前年に韓国で元慰安婦を捜す取材をした経緯も踏まえ、この説明を「不自然ではない」としました。北海道新聞が直後にこの元慰安婦を直接取材し、実名で報じたことにも触れ、「記事を書くについて特に有利な立場にあったとは考えられない」「縁戚関係にある者を利する目的で事実をねじ曲げた記事が作成されたともいえない」と結論づけました。 また、この元慰安婦がキーセン(妓生)を育成するための学校に通っていた経歴を書かなかったことへの疑問も出ていました。報告書は、植村氏が続報記事「かえらぬ青春 恨の半生」(91年12月25日付大阪本社版朝刊5面)を書いた時点で、この元慰安婦らが起こした裁判の訴状などから経歴を知っていたとし、こう指摘しました。 「キーセン学校のことを書かなかったことにより、事案の全体像を正確に伝えなかった可能性はある。『キーセン』イコール慰安婦ではないとする(植村氏��)主張は首肯できるが、それならば、判明した事実とともに、キーセン学校がいかなるものであるか、そこに行く女性の人生がどのようなものであるかを描き、読者の判断に委ねるべきであった」
吉田清治氏関連の記事について 新たに2本、全文・一部取り消し
朝日新聞は今年8月5日付の検証紙面で、吉田清治氏(故人)を取り上げた記事16本を取り消しました。 吉田氏は存命中、日本の植民地だった韓国・済州島で戦時中、女性を慰安婦にするため暴力を使って無理やり連れ出したと証言していました。 記事取り消しは、吉田氏の証言を虚偽だと判断したためでした。8月以後、改めて過去の報道を再調査した結果、吉田氏の虚偽証言に基づく記事がほかにも3件掲載されていたことを確認しました。個々の記事には次のように対応し、長期間を要したことをおわびいたします。 「連載 韓国・朝鮮人2(27) 命令忠実に実行 抵抗すれば木剣」(80年3月7日付川崎・横浜東部版)は全文を取り消し、掲載したことをおわびします。 この記事は、吉田氏への取材をもとに「2回ほど朝鮮半島に出かけ、“朝鮮人狩り”に携わった」などと伝えています。 しかし、研究者らへの取材などから、吉田氏が所属したとする山口県労務報国会は、指揮系統からみても職員が直接朝鮮に出向くことは考えにくいと判断しました。慰安婦に関する吉田氏の証言を取り上げた記事と同様に、証言を虚偽と判断して扱います。 「連載 うずく傷跡 朝鮮人強制連行の現在(1) 徴用に新郎奪われて」(84年1月17日付夕刊社会面〈大阪本社版〉)についても、吉田氏の証言に関する部分を取り消し、おわびします。この記事は、吉田氏が朝鮮人強制連行業務の一端に連なった、と書き、同氏が韓国・天安に建てた謝罪の碑の除幕式の様子を紹介しました。除幕式があったのは事実ですが、前記の連載記事と同じ理由で証言を虚偽だと判断します。 一方、「朝鮮人こうして連行 樺太裁判で体験を証言」(82年10月1日付社会面)は、東京地裁に証人として出廷した吉田氏が朝鮮人の連行に加わったとの証言を採録し、「朝鮮人徴用業務に直接携わった『労務報国会』の元幹部が初めて証人として出廷、『朝鮮人狩り出し』と呼んでいた強制連行の実態を証言した」などと記しています。 これまでの取材から、吉田氏の証言に信用性はなく虚偽と考えられます。ただ、裁判という司法手続きでの証言の内容は取り消しや訂正になじまないと考え、この記事にはデータベース上で「吉田氏の証言に信用性はなく、虚偽だと考えられます」とのおことわりをつけます。
吉田証言の初報の筆者について 十分解明できず
朝日新聞は今年8月の記事で、吉田清治氏が韓国・済州島で女性を強制連行したとする証言を最初に報じた記事「朝鮮の女性 私も連行」(1982年9月2日付大阪本社朝刊)について、当時の大阪社会部の記者(67)が筆者と伝えた後、9月29日付朝刊社会面で、この元記者が筆者ではないとの記事を掲載し、おわびして訂正しました。 その際、別の元記者(66)が「初報は自分が書いた記事かもしれない」と名乗り出たと説明しました。 今回、第三者委員会の調べに対し、名乗り出た元記者は、証言の場となった講演会場に赴いて写真の撮影はしたが、記事執筆の点を含めて細かい記憶はないといった説明をしています。 朝日新聞は当時の大阪社会部デスクらにも取材しましたが、この初報の筆者を特定できませんでした。十分に解明できなかった点をおわびします。
吉田清治氏を取り上げ、取り消しなどの対象となった主な本紙記事
掲載日見出し記事の内容
●1980年3月7日朝刊(川崎・横浜東部版)
連載 韓国・朝鮮人2(27) 命令忠実に実行 抵抗すれば木剣
吉田氏への取材をもとに「2回ほど朝鮮半島に出かけ、“朝鮮人狩り”に携わった」などと記述。現地で警官とともに若者100人を集め、労働力として日本へ送り、抵抗する者には暴力を使ったとする証言を紹介
82年9月2日朝刊(大阪本社版)
朝鮮の女性 私も連行 暴行加え無理やり
大阪市内であった集会で吉田氏が行った講演内容をまとめた。吉田氏は、直接指揮して日本に強制連行した朝鮮人は約6千人、うち950人が慰安婦だった、と説明した
83年10月19日夕刊
韓国の丘に謝罪の碑 「徴用の鬼」いま建立
6千人の朝鮮人を日本に強制連行し「徴用の鬼」と呼ばれた、と吉田氏を紹介。田んぼや工場、結婚式場にまで踏み込んで若者たちを手当たり次第に駆り立てた、などと活動を説明している
83年11月10日朝刊
ひと 吉田清治さん
「国家による人狩り、としかいいようのない徴用が、わずか三十数年で、歴史のヤミに葬られようとしている」などの吉田氏の発言をとり上げた
83年12月24日朝刊
たった一人の謝罪 韓国で「碑」除幕式
吉田氏が韓国に建てた「謝罪の碑」の除幕式の様子を報じた。「私は戦前数多くのあなた方を強制連行した張本人」などの発言を紹介
●84年1月17日夕刊(大阪本社版)
連載 うずく傷跡 朝鮮人強制連行の現在(1) 徴用に新郎奪われて
本文冒頭で、吉田氏が朝鮮人強制連行業務の一端に連なった、と書き、同氏が韓国・天安に建てた謝罪の碑の除幕式の様子を紹介
86年7月9日朝刊
アジアの戦争犠牲者を追悼 8月15日、タイと大阪で集会
吉田氏について、慰安婦を含む朝鮮人の強制連行の指揮に当たったと言及している
90年6月19日朝刊(大阪本社版)
名簿を私は焼いた 知事の命令で証拠隠滅
「多くの朝鮮人女性を従軍慰安婦として連れ去ったこともあります。当時の私は、徴用の鬼、といわれて誇りに思っていました」と吉田氏の発言を記載
○91年5月22日朝刊(大阪本社版)
女たちの太平洋戦争 従軍慰安婦 木剣ふるい無理やり動員
吉田氏が「私が今日、最も恥ずべきこと、心を痛めている問題の一つは、従軍慰安婦を950人強制連行したことです」などと語った内容を、集会での発言を収録した本を引用して紹介
91年10月10日朝刊(大阪本社版)
女たちの太平洋戦争 従軍慰安婦 乳飲み子から母引き裂いた
吉田氏のインタビュー記事。慰安婦を強制連行したとして、「若い母親の手をねじ上げ、けったり殴ったりして護送車に乗せるのです」などと語っていた
92年1月23日夕刊
窓 論説委員室から 従軍慰安婦
「(慰安婦を)戦場に運び、1年2年と監禁し、集団強姦(ごうかん)し、そして日本軍が退却する時には戦場に放置した」などと吉田氏の発言を紹介
92年3月3日夕刊
窓 論説委員室から 歴史のために
吉田氏の告白に多くの投書が来たことに触れ、日本軍の残虐行為を否定する意見を紹介。知りたくない、信じたくないことがある。だが、その思いと格闘しないことには、歴史は残せない、と結んだ
92年5月24日朝刊
今こそ 自ら謝りたい 連行の証言者、7月訪韓
吉田氏が韓国に謝罪の旅に出ることを報じた。「残虐行為に直接かかわった日本人が謝罪に来た、という歴史を残したい」との発言にも触れた
92年8月13日朝刊
元慰安婦に謝罪 ソウルで吉田さん
吉田氏が韓国で元慰安婦に謝罪した様子を報じた
94年1月25日朝刊
政治動かした調査報道
朝鮮に渡って強制的に慰安婦を送り出した元動員部長の証言に、読者から驚きの電話が何十本も届いた、と吉田氏を匿名で紹介
今回新たに取り消しや一部取り消しとする記事2本(掲載日の冒頭に●印)と、8月に取り消した16本のうち紙面で公表できる記事13本を併せて示します。
91年5月22日付の記事(掲載日の冒頭に○印)は著作物の引用が多いため公表を見合わせていましたが、第三者委員会が対象から除外するのは適切でないと指摘したことを踏まえ、掲載します。
外部の方が書かれた「声」欄の投稿や「論壇」「私の紙面批評」への寄稿の3本は、引き続き紙面では公表しないことが適当と判断しています。
これらすべての記事について、朝日新聞の過去記事を閲覧するデータベースからは削除せず、吉田清治氏の証言は虚偽だと判断したことを示すおことわりをつけます。
(朝日新聞 2014年12月23日 朝刊37ページ 東京本社)” (全文)
記事を訂正、おわびしご説明します 朝日新聞社 慰安婦報道、第三者委報告書
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MAGAZINE - 2020.01.27
JAGATARA アケミ30年目の追悼『おまえはおまえの踊りをおどれ』
90年1月27日にアケミが亡くなってから30年、つい先日からJAGATARAの音源がサブスクリプションでも聴けるようになり、主要アルバムがアナログで再発もされた。そして今日、渋谷のクアトロではJAGATARA 2020としてライブが行われる。80年代の日本でひときわ異彩を放った彼らの音楽はバブル景気に湧く日本で違和感を感じていた人々を強烈に惹きつけていた。本書はメンバーや当時の関係者のインタビューを中心にもう一度JAGATARAがどんな存在だったのかを捉えようとする企画だ。あれから30年、当時を知る者には今も響き続けるアケミの「なんのこっちゃい」という言葉が本書をきっかけにこれからJAGATARAの音楽に出会う世代にもいまこそ伝わって欲しい。
彼らの音楽に強く影響をうけたひとりとしてJAGATARAの思い出を書いてみる。
与田太郎

JAGATARAの思い出〜1987年の冬
JAGATARAとの出会いは1986年、最初に見たライブは渋谷のライブインだった。次がたぶん11月3日武蔵大学の学園祭、ちょうど二十歳だった僕はその時のステージにノックアウトされてしまった。それまでパンクやニューウェーブなどのロックしか聴いてなかった耳に大編成のファンク・ビートはあまりにも新鮮で、なによりアケミの歌がどんなパンク・バンドよりもリアルに響いた、歌詞の一節一節が正面から語られる嘘のないモノローグのように思えた。せっかくのダンス・ビートも踊るという経験のない当時の僕にはどうしていいかもわからず、ただステージに突進して「アケミー!」と叫ぶだけだったのだけど。
翌87年の3月、『裸の王様』を発売日に買ってから、僕のJAGATARAイヤーが本格的にはじまる。僕は当時大学の学園祭を企画するサークルに所属しており、その年自分の企画にJAGATARAを呼ぼうと動きはじめた。当時学園祭のコンサートはインディーズ・バンドをブッキングする大学が多く、早稲田、駒沢、明治、法政、横浜国立、神奈川大学あたりは毎年ラインナップを競っていた。僕が企画していた明治の生田祭は11月23日の勤労感謝の日とその前日の2日間、学園祭シーズンの最終日にあたる。そこでどれだけ面白い企画ができるかを考えるのだが、僕はこの年JAGATARAとばちかぶりの共演を企画した。ばちかぶりは初期の色物的なパンクから揃いのスーツを着たファンク・バンドになっており、JAGATARAとの共演は絶対に話題となると思った。それから夏休みが終わろうとしていた9月中旬、8月に渋谷エッグマンで解散ライブをやったローザルクセンブルグのどんとが新しいバンドのデビュー・ライブをやらせてほしいという連絡がきた、そのバンドがボ・ガンボスだった。最高のラインナップだがJAGATARAとの交渉はほんとに難航した、ギャラがこちらの予算の倍だったのだ。さらにこの年7〜8本は学園祭がブッキングされているという。学校から企画予算がでる学校ならいざしらず、こちらは会場費こそないが純粋な興行で音響も照明にも経費はかかる。しかも前日には法政でフリー・コンサートというスケジュール。何度かJAGATARAのオフィスを訪ね、マネージャーに駄々こねるようにしてお願いをした、さぞ迷惑だったのではないだろうか。その甲斐あってようやくOKもらえたのが9月の終わりごろだったと思う。しかしボ・ガンボスの出演により予算は完全にオーバー、それでも決行できたのは翌日の企画がソールドアウトを見込めたからだった。
実は当日のことはそれほど覚えていない。主催の責任者としてあまりにもバタバタしていたこともあり、ばちかぶりのステージの途中、モニターの調子が悪くドラマーがステージから出て行ってしまったこと、そして動員もそれほどではなかったことをおぼろげながら覚えている程度だ。この年、自分にとって忘れることができないのは前日の法政学祭野外ステージのJAGATARAだった。
87年は5~6回はJAGATARAのライブを見ていた、いやむしろアケミの様子を熱心に追っていたというほうが正しいのかもしれない。というのも、この年彼らの演奏はどのライブも素晴らしかったと思うのだけど、自分にとってはアケミの歌が突き抜けるかどうかでライブの印象がまったく違ったものになっていたからだ。時にアケミはなにかに迷っているようで、どこか居心地のわるそうな印象を受ける時があった。もちろん僕はJAGATARAの曲で盛り上がりたかったが、それ以上にアケミが心の底から力強く歌う姿を見たかったんだと思う。 残念ながらこの年最高のステージは自分の企画ではなく、11月21日法政大学市ヶ谷校舎のフリー・ライブ、その日はゼルダとパンタが共演だった。 JAGATARAがステージに上がったのは22時近かったんじゃないだろうか。日中はそうでもないが、日が落ちるととたんに冷え込む晩秋の夜、乾燥した空気とお祭りの賑わいのなかのJAGATARAのステージは素晴らしかった。アケミは迷うことなく、い��いきと歌詞に込められたメッセージを伝えようとしていた、彼のそんな姿はひさしぶりだった。本編ラストの「みちくさ」の熱気の凄まじさ、そしてアンコールの「タンゴ」。あのステージ前のコンクリートの広場はそのまま歌詞にある都会の片隅だったし、見上げた空は暗くEBBYのギターがどこまでも響くようだった、おもわず込み上げてくるものを抑えようとステージに向かった。すべての演奏が終わった後、校舎の屋上からしょぼい打ち上げ花火があがった、そこまで含めて完璧な夜だった。あれから30数年たったというのに、この夜のことは匂いまで覚えてるような気がする。
バブル経済で盛り上がった80年代後半、アケミの歌は「おまえらなんにもわかっちゃいねえ」という思いを世の中だけでなく、自分たちにも向けていたのだと思う。30年たったいま、またそのメッセージの正直さはより強く響く。生田祭のステージが終わり、JAGATARAの機材車も出発しようという時、メンバーからも離れひとりで大教室のすみにポツンと座っていたアケミに僕はひとことお礼とメンバーのみんなが出発する旨を伝えると、「おれは電車で帰るよ」といって楽屋になっていた大教室をひとり後にした。
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写真を撮って捕まった男性
その日は、運悪く雨だった。綺麗に刈り込まれた緑の溢れる一画に、迷彩塗装された古い戦車や大砲が展示されている。湖南省株洲市にある革命烈士記念公園。誰でも自由に入れるこの空間は、晴れていれば家族連れで賑わう市民の憩いの場である。
陳思明さん(55歳)の自宅は、そこから車で10分ほどのところにある。陳さんは私を自宅に招き入れると、携帯電話をいじり、写真を見せてくれた。陳さん本人が「六」と「四」を掲げ、あの戦車の前に立っている。
六四とは、1989年6月4日を意味する。民主化を求める学生らのデモを人民解放軍が武力鎮圧した「天安門事件」の日だ。
当時、北京で起きた学生デモは、中国の他の都市にも伝播した。陳さんは既に社会人だったが、学生たちの主張に共感し、地元のデモに参加したという。
「良心を持っている中国公民として、全ての人々、次の世代の人々に歴史の真相を知らせたい。六四は私自身が経験したことですから」
「六」と「四」を掲げた写真は、去年、天安門事件を記念するために撮影した。知人を介してインターネット上に流れた翌朝、警察官から出頭を求められ、5日間の身柄拘束を受けた。写真は当然、ネット上から削除された。
陳さんは、一昨年も身柄拘束を経験している。その時は、6本と4本のろうそくを灯した。
天安門事件は、中国で今もタブーなのだ。
「(天安門事件については)話してもいけないし、記念してもいけない。真相を隠している。歴史を偽造し隠蔽している」
六四を忘れてはいけない
陳さんに話しが聞けたのは4月。事件から30年になる今年も何らかの行動を考えていると話していた。しかし、6月4日が近づいた先月末から、陳さんは警察に強制的に「旅行」させられ、自宅から引き離されている。
警察に捕まるのを覚悟で、訴え続ける陳さんは、こう話していた。
「六四を忘れてはいけない。中国人はみな六四を知るべきある。あんなに大勢が亡くなったのですよ」
「動乱」として見放された学生たちの思い
天安門事件のきっかけは、4月15日、改革派の胡耀邦総書記に死去にある。追悼のために首都北京の天安門広場に集まった学生らは、民主化を要求した。
この学生運動を、共産党の機関紙「人民日報」は、4月26日の社説で「党の指導と社会主義制度を否定する動乱」と定義づけた。さらにこの「動乱」には「旗幟鮮明に反対せねばならない」という立場を明確にした。
そして6月3日から4日にかけ人民解放軍が学生デモを鎮圧した。この際の死者について、同月に開かれた全人代常務委員会の報告では、大学生36人を含む200人余り、9月に李鵬首相が日本の議員団に語ったところでは319人とされる。しかし、実際にはさらに多数が犠牲になったとみられている。全貌は今も明らかにされていない。
香港では天安門事件の記念館も
グルメに買い物・・・多くの日本人にとって香港のイメージは活気に満ちた観光天国だろう。北京に住んでいる私には、香港と聞いただけでだけも心が浮き立つもう1つの理由がある。中国本土と違い一定の言論の自由が保たれているからだ。
4月26日。天安門事件から30年となるのを前に、事件を記念する博物館がオープンしたのは、そんな香港ならでは、である。香港や海外のメディア100人近くが、決して大きくない博物館に詰めかけた。
報道陣の高い関心を前に、六四記念館をオープンさせた市民団体の責任者、何俊仁さんは(67歳)は、熱く訴えた。
「歴史の真相を保存し、権力者に真実を伝えるのが目的です。六四の再評価を求め、虐殺の責任を追及します」
被弾したヘルメット
六四記念館には、写真や新聞といった当時の資料が集められている。その展示物の中に、1つのヘルメットがあった。
バイクに乗る時にかぶるような耳まで覆う形。赤い塗装が大きく剥げている。内側を見ればよく分かるが、頭の左後ろに当たる部分がえぐれ、穴が開いている。
ヘルメットを被っていたのは王楠さん。当時学生で、添えられて��る死亡報告書には、1970年生まれ、死亡当時19歳と記されている。脇に置かれた眼鏡は左のレンズが無い。六四記念館管理委員会の麦海華主さん(68歳)が、こう説明した。
「額から入った弾丸が後頭部に貫通していることを示しています。軍が発砲したことを示す物証です」
息子を失った母は
天安門事件で、頭に銃を受け死亡した19歳の王楠さん。その母は、今も北京に暮らしている。
4月のある朝、その母を訪ねた。
張先玲さん(87歳)は、「もう血圧が高くて・・・」と言いながら、ゆっくりとコップ一杯の水を飲んだ。整頓された部屋の白い壁には、眼鏡の青年の白黒写真があった。息子、王楠さんだ。
「あの日、息子は『歴史の真実を記録したい』と言って出かけました」
王楠さんは、写真を撮るのが得意だったという。
ヘルメットは息子の形見だったが、手元に置かず、博物館に寄贈した。その理由を次のように明かす。
「博物館にあれば、たくさんの人に見てもらえます。少なくとも香港の人は見られるし、大陸から香港に行った人も見られます。銃を撃って人を殺したのは、事実であり、捏造でないということの証拠になりますから」
張さんは、事件で子供を失った親たちとともに、政府との対話を求めている。
しかし、政府側は、対話には応じようとせず、張さんの行動や通信を監視してきた。特にメディアと接触させないようにしているという。「(約束して)記者たちに会おうとすると、警察の方が早く来る」といって張さんは笑う。
今も続く天安門事件
「要求は非常に簡単です。六四の真相です。殺人の真相、殺人が正しかったかどうか。なぜ殺す必要があったのか。何人殺したか、を公表し、個別の件に対し立法して解決した上で、謝罪・賠償することです」
民主化を求め天安門広場に集まった学生たちの行動を、当時の共産党の機関紙「人民日報」は「党の指導と社会主義制度を否定する動乱」と定義づけた。中国政府は、天安門事件について「1989年の政治的騒動については、すでに評価を定めている」という立場だ。
しかし、張さんは、息子の遺影の下でこう言う。
「当然、まだ終わっていません。天安門事件の母たちが1人でも生きていたら、私たちは訴え続けます」
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2019→2020
年末のまとめ記事、二年ほど書きそこねていたけども今年はひさしぶりに書く。自分のための文章ではあれど公開するのは、そうすることで何かを刻み続けているようなところがあって、そういう祈りみたいな行為です、これは。禊だなあ。
この二年のこともまとめたい気持ちはある。こういうとき手帳やツイッターはありがたい。大体書いてあるし、書いていないこともそこから読み取れる。 大きな変化は学生じゃなくなったこと、引っ越したことぐらいだと思う。人間としてはそんなに変わらない。演劇はずっとやっている。
以下は今年※この時点では2019年の話。
1 パソコンの死、今年の演劇の準備 2 はならぁと始動、『待つ』稽古開始 3 はじめてのス、花瓶を手に入れる 4 安藤さんWS、『六畳の白い部屋、その床面にあなたは水平に横たわる』上映、『春、隅田川で待つ』、『待つ(どうぶつえん版)』 5 写真を撮ってもらう、宇陀・喜楽座下見の旅、書く会 6 喜楽座大掃除、出張・よい演技について考える、人を祝うピクニック 7 喜楽座・落語会、親知らず抜歯(右下) 8 初めての森同期会、吉祥寺シアター中高生WS見学 9 はならぁと製作開始、そうめんと花火の夜 10 宇陀滞在、はならぁと2019宇陀松山 喜楽座の復活祭、『ひかりのわかれる』 11 相次ぐ結婚式 12 眼鏡を失くす、転職活動に踏み切る
観劇 36公演ぐらい、ダンス他パフォーマンス含む 読書 20冊前後 映画 10本
落語、ストリップ、展示もろもろなども行っていて、総合するとやっぱり週一ペースで何かに出かけているよう。というか、週一ペースぐらいでしか摂取できないようで、その割り振りが演劇から他のものに少しずつ割譲されているのだろう。見逃した舞台、展示、映画のこと思うと、もう少し余裕を持って生きたいと願う。本ももっと読みたいんだ。
・2019年のよかったなって思い出すパフォーマンスざっくり ARICA「孤島」 維新派追悼イベント 内橋和久・麿赤兒パフォーマンス 平泳ぎ本店「Theatrical Power Pop」 空間現代 Palmレコ発ライブ 家劇場「あやかし祭り」
映画はやっと見られた「東京物語」、何度見ても好き「ハッピーアワー」「眠り姫」、新作なら「バジュランギおじさんと小さな迷子」「嵐電」など。配信サービスで映画を見ることできるようになって、映画館に行くのが好きなこと改めて実感した。
それからバストリオはやっぱりすごい。12月の公演もよかったのだけど、主宰の今野さんの映像作品を春にオールナイト上映したのも良かった。人間が人間のままばらばらに生きている感じがすごく好き。あと野蛮であるところ。
今年いちばん大きかったのは安藤朋子さんと出会えたこと。孤島もWSも清掃する女も大変良かった。最強の女優、なんだ、舞台に立つ人だと思う。それでいてキュートで、あんなふうに歳を重ねて立ち続けていることをすごく尊敬している。憧れのひとつのかたち。
バストリオも安藤さんのいるARICAも、同じというわけではないのだが、わたしやアムリタとしては親近感を感じる創作集団だなと思っている。ああいうものを美しいと思う。少し先にいる、広義の先輩たち。 かもめマシーンもそうだなあ(幸せな日々はお手伝いしてしまったので割愛したけど、すごくおもしろかった)。
体を動かす人たちでおもしろい人に何人かお会いすること、見ることが増えて、そういうひとりでちゃんと立って、そして時に誰かと、踊り続ける人たちにかなり興味があるのだと思う。一緒に何かをするとかできるわけではないのだけど、ああいうものの作り方をいいなと感じている。武本拓哉さん、Aokidさん、荒悠平さん(コココーララボ)、緒方綾乃さん、など。演劇でそれに近しいのだと、立蔵葉子さんなんかがそうだと思う。素敵だ。
何に惹かれるかということがどんどん先鋭化していっているところがあって、今��「東京の小劇場」みたいなものにあまり興味がない。それをすこしかなしく、さびしくも思うが、しょうがないので、自分の好きなことや気になることをきちんと追いかけようと思っている。その先でいつか再会することもあるだろう。 ただ、こう大きなパイから離れていくときの肌寒さみたいなもの、心細さも一応あって、一番不安なのはこれからも演劇をやっていけるかということなんだろうなあ。演劇は見に来る人がいてこそだし、わたしは一人で演劇をつくることができない(やはり演劇は他者との出会いだ)。人間の少ない方に自分の興味が向いていることは、こういう点でかなりリスキーに思うし、困る。とはいえ変えられるものでもなし、あきらめて進むしかないかなと思っている。
演劇でお金を稼ぐことが上がりのゲームみたいなものがあるのだけど、わたしはそのゲーム盤にはのれないし、のりたくなかった。自分が行う営みの中で、演劇だけは、そういう条件から自由でありたかった。ということが最近だんだんわかってきて、諦めがつきつつある。出来る手は打ち続けたい。死ぬまで、やめてもいいやと思うまで、ずっと演劇はやり続けるだろう。どっちが先かはわからないけれど。もしかすると誰も周りにいなくなる方が先かもしれない。ただ十五年、演劇はずっとわたしの最優先事項であり続けている。もう観念するしかないなと思っている。
演劇を続けてざっくり十五年が経った。人生の約半分。今年は三十にもなったのだった。
ひとに写真を撮ってもらう機会がいくつかあり、また撮られていることも多く、例年になく自分の写っている写真が沢山ある。カメラはずっと苦手だったのだが(今も)、なんとなくその理由がわかってきて、すこし楽になったところがある。もうそんなにカメラを厭わずに生きられるだろう。
とりあえずいつ死んでもしばらくは遺影に困らない。三十歳って人生のどれくらいだろう。すぐ死ぬかもしれないし、60まで生きるなら半分、90までなら三分の一、百二十年生きるなら四分の一で全然だ。未来の演劇ってどうなっているだろう。そのときも最前線でいたい。めちゃくちゃ大変そうだけど、それがずっと楽しいことであればいいなと思う。
年始にカーテンを手に入れ、春先に花瓶を買った。しばらく電気グルーヴのNOが自分の生活みたいな年が続いていたのだけど、すこしずつ変わっていっている。驚いたことだと、いつのまにか体重が七キロほど落ちていたりもした。おそらく昨年夜勤を辞めたせいだろうが、ここまで落ちているとは思わず、いまいち自分でもサイズ感を把握しそこねている。もとが太かったし、太ってようが痩せようがそんなに変わらない顔しているので特に大変身感はない(あまり他人にも言われることもなかった)が、変化は静かに忍び寄るのだと実感して面白い出来事だった。
あまりにもずっとやっていたので、いまだに一年の中で印象的だったこと、とは捉えられていないのだが、この一年はずっと喜楽座にかかわっていて、喜楽座にはじまり喜楽座に終わったと言っていいと思う。それぐらいどっぷり浸かり、組み合っていた。ものすごく楽しい、豊かな案件だったが、非常に疲れた。自分の手に余るぐらい大きなことを扱わせてもらったのだと思う。それは大変貴重で幸福なことだ。自身の出来なさに苛立ち歯がゆい思いをすることも多く、もっと強くなりたい、強くならなければいけないとひしひし感じている。四年後、というマークが設定されたので、それまでにもっとちゃんと、満足いくパフォーマンスを追求できるような人間になっていたい。
いつだって強くなりたい。
このあたりの反省はすごくあるので、来年以降、ものを作る際に改善だったり実験だったりを重ねて乗り越えること。
どうしても演劇をやってしまうなとはすごく思わされたので、却って安心して、社会的な立ち位置の変化を前向きに考えられるようになってきた。 社会的に限らずだけど、今までと違うことをするとか、今まででは全く考えられなかった属性を持つこと、そういうことへの抵抗が、だいぶ薄らいできた。 ので、これから三年ぐらいの間、わたしは私の知らない人間にどんどんなっていくのかもしれない。その中で愉快に演劇をつくれればいいなと思う。
やりたい演劇が5つぐらい溜まっているので、一つずつ手を付けていい感じに上演出来るようにしたい。2020年中にプロジェクトを始めるのを目標としたい。 あとは貯金。模様替えも、すくなくとも一箇所ぐらいしたい。 それから現代詩に少しずつ取り組み始めたので、もう少し頑張りたい。具体的には詩手帖に毎月投稿できるぐらいになろう、というのはある。何年も前に毎週書いていた頃と比べると格段に下手になっているのがわかって、自分でもうわー!と思ってはいるのだけど、だからこそ、やり続けられればと思う。今全然わからなくて、そういうことはたのしい。
そんなふうに生きています。
この文章を読む人、そんなにいないと思うのだけど、ここまで読んでくれた人がいるなら、ありがとうございます。 来年もよろしくお願いいたします。
※投稿する頃には2020年1月になってました。改めて旧年中の感謝と今年もよろしくおねがいしますの気持ちを込めて。
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『こえ部 vol.14』寄稿振り返りとか
サークルaoiaki様 夏コミC96新刊『こえ部 vol.14』にて、創作漫画『JKことねちゃん』と、イラスト3点を寄稿致しました。今回の原稿を描くにあたり既刊をざっと眺める機会があったのですが、私はvol.6から参加させて頂いていて、(途中欠席はあれど)もうvol.14という事で、気付けばこえ部の歴史の半分も関わらせて頂いているんだなあって。過去を振り返るのはまだ早いでしょうか。サークル代表ばんば様や関係者の皆様はもちろん、いつもご覧下さっている皆様もはじめましての方も、感謝の念に堪えません。誠にありがとうございます。
まず、創作漫画『JKことねちゃん』につきまして、こちらに全ページ掲載致しましたので本誌をお持ちの方もそうでない方も宜しければ御覧下さいませ。
前半 (1~8ページ)
後半 (9~16ページ)
事の発端は3月頃に診断メーカーを通じてtwitterで流行した絵描きの遊び心の権化だったのですが、企画のお話を頂いてみて「まさかのJKことねちゃん!笑」と卒倒致しました。
まず登場人物が多い上に、中の人(という表現で良いのかしら?)は私とは関係があっても他の方同士は繋がりが無い方も多く、中の人達に面白いと言ってもらえるかな、初見の方にも楽しんでもらえるものが描けるかな、そもそもちゃんと漫画にできるかな、という不安がありました。そのくせ新キ��ラクターを増やし始め、更にはサブキャラクター(モブ)まで追加する始末で、普段の漫画制作とは違う課題に頭を悩ませる事になりました。ちなみに、全16ページ中に登場人物としてメインキャラクター21人、サブキャラクター21人、小ネタとして約20人分ほど巻き込んでみたので、心当たりのある方もそうでない方も、探してみると楽しい気持ちになれるかもしれません。
各キャラクターは診断結果や創作元の設定をベースに、より尖った人物になるよう膨らませてみたり中の人らしさを取り込むなど、ある程度アレンジを加えてあります。大体の方には事前に許可を得て描いてはいるのですが、完成したものを見て怒られはしないだろうかと戦々恐々としています。やめてぶたないでごめんなさいしんでしまいますごめんなさい。
お話を考えるにあたり、最初にバトルロワイヤルな内容を思いついたものの、さすがに人様の子達をSATSUGAIして回るのはあかん…と思い直して止めました。「こえ部だからできること、こえ部にしかできないこと」「私がこえ部で描く意味」を考えた上で、とあるキャラクターに付与した設定の延長とどうしてもスフィアとTrySailを描きたい気持ちを織り交ぜて、最終的にはこえ部らしいお話として上手くまとまったのではないかなあと思います。
テーマとしては「少女達は、いつだって一瞬を生きている」を設定しております。特に誰にも伝えずに描いたのですが、御本の表紙にはそれを見透かされたかのようなコピーが綴られていて、とても驚いたのでした。
ことねという名前、1人のキャラクターとして使ってはいるものの自分の名前として人生の半分以上を共にしているのもあって、「ことねちゃん、ことねちゃん」と呼ぶ事に少し気恥ずかしさがあります。『JKことねちゃん』というタイトルの横に『作:ことね』を並べる時のそこはかとない抵抗感を、是非とも感じてみて下さい。
『JKことねちゃん』アニメ原画風&設定画風イラスト。私はアニメーター志望ではないのであくまで雰囲気だけで描いておりますが、それっぽく見えておりましたら幸いです。慣れていないとやっぱり難しいですね。〆切はぎりぎり、胃はきりきり、作業は終盤、焦る気持ちで夕飯という中で描いていて気付いたのですが、ことねちゃんだけ資料を確認せずに描いていたらいつの間にか髪型が少し変わっていて、設定資料とは…という気持ちになりました。
最後に、京都アニメーション様の哀悼と応援の意を込めまして、イラストを1枚描かせて頂きました。テーマは『Pray For』(あるいはそのままPray For Kyoani、Pray For Kyoto Animation)です。
けいおん!を選んだ理由としては、私がアニメを観るきっかけになった作品の1つであること、京都アニメーション様を好きになるきっかけになった作品であること、個人的に好きな作品であること、好きが高じて京都に赴いたなど、特別に思い入れがあったためこの作品に絞ったというのが大きなところです。
私には何もできないんだなと無力感でいっぱいで悔しくて、正直絵を描いたところで何もならないんだろうなと思います。ただ、それでも描きたいと思うのは単なる衝動だけではなくて。絵って何か他の記憶と結びつきやすいというか、ふとした時に思い出す事が多くて、例えば何かの楽曲を聴いた時にその曲をイメージした絵を思い出したり、ある人の顔を見ただけで思い出したり、逆に絵を見て当時の出来事を思い出したりもします。いつかの震災の時に見た絵なんて、とても力強くて格好良くて、それでなんとなく力が湧いてきたりとか。この絵が誰かの記憶に少しでも残るのかどうか分かりません。それでも、小さな力でも、誰かの何かに繋がって、その何かが重なってより大きな何かとして力になれるのなら、私が絵を描く意味はあるかなと思います。
創作漫画『JKことねちゃん』を描き終えた後に、なんだか友達を一気に失ったような気持ちになって喪失感でいっぱいになりました。その時に、過去に山田尚子監督がけいおん!のキャラクター達を指して「友達のような」と形容していた記憶があるのですが、ふとその言葉を思い出しました。
自分の中で繋がっているような気もするしそうでない気もする。こんな気持ちだったのかな。なんかな。なんだかな。よく分かんないな。でもきっとその命は明日の幸福に繋がっていると思うんだ。
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2023年4月16日
「永遠の都ローマ展」東京都美術館で - 2000年を超えるローマの歴史と文化、彫刻や絵画などから紹介 - ファッションプレス https://www.fashion-press.net/news/101412
Testosteroneさん「心から楽しいと思える事に時間と金を使う。会いたい人に会う。行きたい場所に行く。好きな事をする。欲しい物を買う。推しを推す。健康的な食生活を心がける。適度に運動する。十分な睡眠をとる。自分を大切にするってそういう事だよ。自分が笑顔でいられるように日々を過ごそうね。自分を大切にしてね」 https://twitter.com/badassceo/status/1647036491816931328
Vif編集部さん「【News】ギル、初の作詞&ヴォーカルも担うソロ2作目『DAWN OF FLAME II』を4月25日リリース!#Vif #ギル」 https://twitter.com/Vif_music/status/1647072323307192320
La'cryma Christiさん「本日4月15日はKOJIの命日です。 早いものでKOJIが旅立って一年。KOJI Memorial Museum『Le bleu eternel』では、KOJIへたくさんの暖かいメッセージをいただきありがとうございます。掲載を開始しましたらお知らせいたします。皆様の今の想いをKOJIへお寄せください。」 https://twitter.com/Lacryma_Info/status/1647072285751386113
アイガゴちゃん🍬✨さん「なんなんだよこの曲」 https://twitter.com/Eyegargoyle/status/1645382145505099777
癒される動物さん「カワウソの赤ちゃんがかわいすぎる」 https://twitter.com/cutest_animal1/status/1647180672757538816
激かわ動物さん「最強生物は 猫である」 https://twitter.com/Gekikawa_Dbts/status/1647055780389195777
新井恵理那、一般男性との結婚&妊娠を報告 好きなアニメの話で意気投合「純真な彼の人柄に惚れ込んでおります」 | ORICON NEWS https://www.oricon.co.jp/news/2275640/full/ あらおめでとうございます。
MIYAVIが考える「ディースクエアード」の魅力とは? 環境に配慮したポップアップが開催 https://www.fashionsnap.com/article/2023-04-14/dsquared2-popup-miyavi/
YOSHIKI「THE DANCE DAY」特別審査員に決定 2年連続出演 - モデルプレス https://mdpr.jp/news/detail/3700862
マクラカ壊死 0th single [NEGATIVE] - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=zu91AG_Aqfk
白梅庵インタビューFile06:グリム - 白梅庵 https://hakubai.net/int_grim/
SHINGOさん「本日4/16(日) 名古屋 ElectricLadyLand 中島卓偉ワンマン ツアーファイナル 先行物販 12:30-13:30 昼公演 14:30開演 夜公演 17:30開演 今日も熱い声援をよろしくです! https://t.co/V9Y2n1GSY6」https://twitter.com/DRUM_SHINGO/status/1647381891614642176
中島卓偉さん「原さん!なんて素敵な編集!心から感謝致します!是非ご覧ください! さあ!明日は名古屋にてツアーファイナル!1日2公演!被る曲はたったの2曲!当日券あり!お待ちしてます!」https://twitter.com/takuinakajima/status/1647258902810206208
中島卓偉STAFFさん「#中島卓偉 LIVE 2023 VIVA LA BIG SUNSHINE TOUR 大阪公演ありがとうございました! 明日はTOUR LAST名古屋! https://t.co/uwBZT2a9lS ▼前売 https://t.co/OlW2oLSdbR ▼当日券 立見¥7,000(税込) 入場口横チケット窓口にて下記時間より販売 昼公演 13:30~/夜公演 16:30~ #卓偉 @takuinakajima https://t.co/7DKjuD0Ith」https://twitter.com/helter_takui_st/status/1647193054779146241
Deshabillz2023年4月29日(土) 名古屋 MUSIC FARMさん「押忍!あたおかから軽いのす https://t.co/M8pQhzKQjv」https://twitter.com/Deshabillz2022/status/1647257982147743745
Deshabillz2023年4月29日(土) 名古屋 MUSIC FARMさん「たかしパイセンてのがお見舞いに来てくれた!小美玉から笑 押忍!いや、違います、近場かと笑 ただ、納豆はこんなに要らん! 押忍!おかめ納豆は小美玉産らしい 今月1の衝撃だな!ありがとね!パイセン! 押忍!エロ本の昭和臭が笑 名古屋物販増えたな! #たかしパイセン https://t.co/K3crXQYo2X」https://twitter.com/Deshabillz2022/status/1647196407059857409
@amiblottsさん「地元の後輩(隣の中学)でもあるKANちゃんが歌うNAKED MACHINE。 KAN子に先輩として扱ってもらえるよう俺も頑張りまーす😅💦 てか、俺より上手いし売れっ子の宣伝してる場合じゃねーんだよな〜笑 ぶひっ🐷」https://twitter.com/amiblotts/status/1647300969460559874
芳沼弘記さん「お疲れ様でした。(╹◡╹) 自分も楽しかったです。」https://twitter.com/yoshi_yankees/status/1647400512445358080
MASAKIさん「11月11日の追悼イベントいい方向に風が吹いてきた🎶 #gradation #グラデーション #追悼ライブ #デスラ #dea"s:la #violetnarcissus #バイオレットナルシス」https://twitter.com/masaki_zero/status/1647371778937999366
JROCK'N'ROLLさん「もうすぐJRNRを更新します。 というわけで、フォロー削除失礼します。 19人がすでにJRNRのフォローを解除している😅仕方がない。」https://twitter.com/JROCKNROLL_/status/1647056012531171328
BOYS ROOM🚹🚺さん「昨日はワンマンの本質を見ました。ほぼMCなしのアンコール含めた怒涛の全20曲🎸 楽曲だけで唸らせるってほんと凄いしあらためて尊敬です。 何事においてもぶれずに愚直にコツコツと何年も継続出来るって本当に凄いこと。継続は力なり💪 https://t.co/vcOOE2vSXo」https://twitter.com/BOYSROOM_info/status/1647414660914900992
慰娑悪(イサヲ)さん「新曲のギターソロのみ抜粋☝️ 30秒ほどお付き合い下さい🙇 https://t.co/ARW87yz52Y」https://twitter.com/ISAO_FLYING_V/status/1647207241454616578
わかちゃま。【フォーカスライト】さん「画質フィルターかけたら、音がこもったからこっちのほうが聴きやすいかもです(*´ω`*) https://t.co/J5xmAlbDgj」https://twitter.com/waka_waka55/status/1647432757419859969
test-No. officialさん「【本日22時からチケ発!】 2023.06.01(木) 『test-No. 21th anniversary』 吉祥寺Shuffle OPEN 18:30 START 19:00 【チケット受付】 前売¥5,000(税込・1D別) 04月15日(土)22:00〜 https://t.co/2ctOvVuAH8 【配信チケット】 https://t.co/YSjl5LKgxi 【詳細】 https://t.co/2cFcfWrTMc」https://twitter.com/testNo2002/status/1647208152180621313
石月 努さん「この日に、LEVINさんとKOJIさんの思い出のラーメン屋さんに皆で行けたのも何か嬉しかったです。きっといらっしゃってくれたのでしょう。 ミラクルなライヴでしたから。」https://twitter.com/ishizukitsutomu/status/1647259000478527489
ALICE IN MENSWEAR michi.さん「新宿ワンダーランド最高でした!KOJIの存在と、彼を愛してくださるたくさんの方々の想い。その双方が永遠なのだなと心身隅々まで感じることができ���した。うまく言葉がまとまりませんが、とにかく感謝の気持ちを込めて。ありがとう!」https://twitter.com/SQF_BIGONE/status/1647234123315163139
Ivy darknessさん「暗黒商会presents「DOPE SHOW~闇部会~」 出演者:Ivy ゲスト:Nimo、眞田一航、手鞠、夢人 開場/開演 17:30/18:00 会場で観覧はこちら↓ https://t.co/1XPsJ4tJCo ネットで観覧はこちら↓ https://t.co/dVGejYoJMI https://t.co/ubn6Y6lQHB」https://twitter.com/IVY_DOPE_SHOW/status/1647278125263515648
常田大希 - Daiki Tsunetaさん「ㅤ millennium parade ✖️ 椎名林檎 ㅤ 『 W●RK 』 ㅤ 🔻MUSIC VIDEO公開🔻 ㅤ https://t.co/niDzT0r08i 宜しく👹🍎 @mllnnmprd @Nekoyanagi_Line @jplus_jigokurak #地獄楽 #HellsParadise https://t.co/bZICKFUTDV」https://twitter.com/DaikiTsuneta/status/1647194655979896833
DaizyStripper 風弥さん「未だに、連絡したら返ってくるんじゃないかなって思ったり、不意に寂しくなることがよくあります。KOJIさんだったらどんなアドバイスをくれただろうかって、悩んだ時に思うことも頻繁に��ります。存在の大きさを痛感する日々です。」https://twitter.com/kazami_Daizy/status/1647220479823060992
リジェーヌ officialさん「【詳細公開】 『天真爛漫』 5/18(木)EDGE Ikebukuro [ ACT ]リジェーヌ / https://t.co/y7uCg6EonU / D・ALAEVE / 黒い給食当番 / ZEILE [ OPEN / START ]17:00 / 17:30 [ ADV / DAY ]¥4,000 / ¥4,500 [ TICKET ]4/16(日)10:00-発売 https://t.co/HIZqIy2Xgz」https://twitter.com/regene_born/status/1647222720554475520
HIROTO ALICE NINE.ヒロト アリス九號.さん「DAY12 Kanazawa🔥🔥🔥🔥🔥🔥🔥🔥🔥🔥🔥🔥 虎氏ダウンにより19年目で初のワンギターアリス九號. みんなで力合わせてこの夜にしかないポジティブなエネルギー溢れるLIVEになったよ..💥 #アリス九號 #金沢 #AZ #九組力合わせた #みんなのパワー凄かった #メンバーも覚醒 #虎の分まで虎ギャ頑張ってた🐯 https://t.co/2zAFJZ8Glv」https://twitter.com/hrt_A9/status/1647257104778919936
凛として時雨さん「【TK楽曲提供情報】 TKがアイナ・ジ・エンド@aina_BiSH に楽曲提供をした、『機動戦士ガンダム #水星の魔女』Season2 エンディングテーマ@G_Witch_M「Red:birthmark」のノンクレジットEDが公開されました。 🎥https://t.co/hMcejo2NpO 🎧https://t.co/S1IjLWaUR1」https://twitter.com/sigure_official/status/1647165623401848833
櫻井有紀 / yukiさん「早いなぁ、もう一年経つのか。 … 心ひとつに身体ひとつ、誰かの分まで生きる事はできないけれど、 誰かを思いながら生きる事は出来る。 … KOJIさん、 僕はまだまだこの先何年も 這ってでも生きて歌い続けますね。」https://twitter.com/rice_yuki/status/1647202163599486978
HIROTO ALICE NINE.ヒロト アリス九號.さん「4人でのステージは至極残念だけれど, 虎の分まで なんなら虎のとこに届くほどに想いのエネルギー届けます..!!!!!!! 九組の一人一人の力も貸してというか虎の分まで一緒に演奏してください!!!🎸」https://twitter.com/hrt_A9/status/1647138217832087552
【楽曲オーダーメイド無償企画】MALICE BERRY✠4/16おでライ✠M3春2023い-07bさん「設営完了じゃぁ!!!目が合った客人に呪いをかける看板娘と共に、ゲストのご来場心よりお待ちしてます🌹🔥#おでライ札幌 https://t.co/ghJlBtRkXQ」https://twitter.com/MALICEBERRY/status/1647425209585242113
GOATBED.officialさん「中西君 昨日はカッコいい曲が録れて良かったよな シンプルイズがベストで 誰にもやさしいジャパニーズロックっていいよな 歌も結構良かったよな 青さんの曲もなんか矢鱈と物悲しくて良かったよな 村井さんはもういなかったよな https://t.co/pFWk7FGQ8r」https://twitter.com/GOATBEDofficial/status/1646681653589463041
杉本善徳(Waive)さん「LINE BLOGがサ終で書けなくなってしまったのと、別ブログへの移行をする時間が取れずにいるので、今日あたりに配信しようかと思っていたのだけど、急遽Rec現場に入ることになりお行儀よくしているため、おそらく明日配信することになるんじゃないかな……と思います。多分。。 https://t.co/BSDYZTmoIE」https://twitter.com/ys1126/status/1647148970014294016
朋さん「今月、俺はパーティー野郎。 4/17 池袋手刀 【出】emmurée / …。【サイレンス】 / MUNIMUNI 【時】18:30/19:00 【チ】¥3900/¥4400 https://t.co/CsS3Ic6HFX なんだか珍しい組み合わせすね…。 https://t.co/RyDem0z8PH」https://twitter.com/manicure_ojisan/status/1647088984789762048
deadman_officialさん「【明日の公演】 deadman 2023 tour 「Rabid dog walking a tightrope」 4月16日(日) 梅田CLUB QUATTRO open 17:00/start 18:00 ★先行物販は15:00~16:30を予定しています。 https://t.co/iwdSVdHRqu https://t.co/NIgOolkVLV」https://twitter.com/deadman_fuz/status/1647089593848860675
Roppu💀yumiさん「ライブ遊びに来てください💁♀️ 4.15(土)茨木アナーキー 4.23(日)緑橋 戦国大統領 4.30(日)尼崎トラ 5.6(土)緑橋戦国大統領 5.11(木)北堀江クラブビジョン 5.27(土)某所 6.25(日)茨木アナーキー 7.7(金)緑橋戦国大統領 7.9(日)茨木アナーキー 7.22(土)岐阜キングビスケット 8.6(日)心斎橋クラブストンプ https://t.co/LjMNEOCAe6」https://twitter.com/dorodoromildro/status/1644502182623076354
deadman_officialさん「【明日の公演につきまして】 deadman 2023 tour 「Rabid dog walking a tightrope」 4月16日梅田CLUB QUATTRO 本公演は不織布マスクを着用の上、周りのお客様の鑑賞を妨げない範囲で歓声や歌唱を可能といたします。 但し、断続的な発声はご遠慮いただきますようお願い申し上げます。」https://twitter.com/deadman_fuz/status/1647090086943813634
優貴さん「YUKI×惑 『Chain of Addict』 Its addiction is a chain reaction. https://t.co/2COQLlLicN 映像:YUKI 作曲,Voice:惑(@MSDV_infomation https://t.co/mW0xuyaSrT」https://twitter.com/YUKI8686kk/status/1639594644085563393
𝕪𝕦𝕜𝕚𝕜𝕠🐿さん「Wip 5.1ch風・イヤホン推奨 このデータでWip出すのも何度目かww この前、データ破損して復活した子です いろんな方に助けていただきました・・・ もう少しまとまったらYoutubeに出す予定 Llibre Vermell de Montserrat(13-14c)anonimis Laudemus Virginem (fol. 23) Splendens ceptigera (fol. 23) https://t.co/dOLBxSflLB」https://twitter.com/zerbinet/status/1568902202407911425
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【坂本龍一監督追悼 定期演奏会2024】3月31日(日)サントリーホールにて全日程終了いたしました。
2024年の定期演奏会も残すところ1回のみとなりました。 ここサントリーホールは2022年3月に、今から思えば坂本龍一監督との最後の共演のステージとなってしまいました。 舞台裏には世界の名だたるオーケストラのステッカーに混じり、坂本監督が当時のホルン田嶋キャプテンと一緒に手を添え貼りつけたTYOロゴステッカー(長嶋りかこさんデザイン)が輝いています。

見つかりましたか?
東京近郊に前泊した団員よりひと足早く会場入りして、設営などのお手伝いをしてくれる、今回のツアーのステージング・チームです。

ありがとう。女子5人に男子2人で、「TYOのNewJeansにKinKi Kids」あたりでどうですかね。

こちら男子7人組は「TYOのSEVENTEEN(セブチ)を箱推しする事務局岡田さん」で!
ゲネプロ前の挨拶、注意事項です。

わたしは、生前坂本監督は自分のことを「猛烈な晴れ男だ」だと自称されていましたが、まさかの計らい、追悼の最終公演が3月の観測記録史上の最高温度予想にまでなるとは思わなかった(実際、28度まで上がりました)。最高のホールで、感謝の気持ちを持って、TYO観測史上最高の演奏を、会場のみなさん、ライブビューイングの氷見市のみなさん、坂本監督へ届けましょう、というようなことを言いました。

東京公演には、今年の2月の福島市での合同練習会に参加してくださった松田理奈さんが、「ぜひみんなと演奏したい」と同じステージに乗っていただけるスペシャルなゲストとしてご出演となりました。しかも、まさに後方から応援のように。団員にとっての好刺激でしかありません。恐縮至極ありがとうございます。
ゲネプロが終わり、第9期の卒団式では、18名の団員の名前を読み上げました。ヴァイオリン菊地彩花さん、山﨑優子さん、渡邉真浩さん、鈴木南々瀬さん、小田知紀くん、戸野部百香さん、千葉隆史くん、コントラバス丹野裕理くん、小針奈々さん、フルート野口菜々水さん、オーボエ菅野怜美さん、クラリネット渡邊理沙子さん、中山優貴さん、ホルン千田捺月さん、田嶋詩織さん、トロンボーン橋本幸歩さん、パーカッション浅野 海輝さん、三浦 瑞穂さん。うち9名が1期からのメンバーです。青春の約半分を東北ユースオーケストラで過ごしてくれたかと思うと感慨深いものがあります。

コロナ禍でリアルに卒団式ができなかった6期と7期の卒団生の名前もステージで紹介できて良かったです。今回のOBOGとして乗ってくれた16人からは事務局スタッフに花のプレゼント、さらに現役団員からは寄せ書きのプレゼントをいただきました。この時点ですでに涙腺がにじんでおりました。
続けて、全員で毎年恒例の丸尾隆一カメラマンによる集合記念撮影となりました。

せっかくのサントリーホールのステージですからね。
今回の本番メンバー全員から海津洸太キャプテンへの感謝の寄せ書きを菊野奏良くんが代表してプレゼントです。

後ろのカメラは、4月に放送のNHKのETV特番チームです。

今期で卒団してしまうコンミス渡邉真浩さんと、ゲスト奏者のソリスト、成田達輝さんのツーショット。
TYOの一人手芸部である駒井心響さんからは事務局スタッフ一人一人に造花をいただきました。キラキラネームの「ここね」さん、ありがとう。

福島事務局の竹田学さんには、似顔絵ならぬ似顔折り紙を。そういえば今年の直前合宿初日は竹田さんの指導からはじまったのでした。10日ほど前の出来事ですが、もう1ヶ月くらい経っている気がします。 右に映り込んでいるのは、写真撮影大好きのスーパーサウンドエンジニア、録音のオノセイゲンさん。
そのセイゲンさんが、理事の塩崎恭久さん、「TYOのシュークリームおじさん」荒川祐二さん(実は定期演奏会の配りパンフの楽曲解説執筆者)とブラジル=ポルトガル語について語っておられたので、思わず声をかけました。

このオジサン三人組は、もちろん「TYOのYMO」です!
今日も舞台裏には坂本龍一監督の遺影が。

この肖像を通り過ぎる際、軽く会釈する団員(新高校一年生)の姿が心に残りましたが、シャッターは押しませんでした。
さて、開場前のホールのロビーです。

はじめての定期演奏会で「ラプソディー・イン・ブルー」を共演してくださった山下洋輔さん。その山下さんがアンコールで坂本監督とアドリブ合戦を繰り広げられた記憶が鮮烈な『ETUDE』編���者の狭間美穂さんから豪勢なお花を頂戴していました。ありがとうございます。そして、毎年協賛してくださっているJA共済さんからは応援のボードに、みんなの意気込みを書いた寄せ書きを展示していました。
こちらはOGのボランティア手伝い、二人組。

曽我さんと芦名(姉)さんが来てくれました。「TYOの阿佐ヶ谷姉妹」でお願いします。
こちらはTYOオリジナル商品を販売するチーム、4人組。

えー、「TYOのももいろクローバーZ」で! おかげさまで高額の防災セットも書籍『響け、希望の音〜東北ユースオーケストラからはじまる未来〜』も完売になりました。お買い上げありがとうございました。
開演の14時が近づいて、今日の影アナ隊が集合してきました。

右から佐藤栞南さん、叶幸多郎くん、海津キャプテン、市川真名さん、丸山周くん(スタッフTデザイナー)です。
舞台袖が賑やかになってきました。

坂本龍一監督は、音楽を楽しむ大切さを団員に教えてくださいました。追悼公演ですが、これでいいのだ。

司会の渡辺真理さんまで、嬉々として巻き込まれておられます。
上手では、坂本龍一ピアノへのオマージュほとばしる音を奏でていただいている中野翔太さんを囲んで。

TYOのヤングな波に飲まれてくださり誠にありがとうございます!
さて開演。

緊張気味のマエストロを写真撮影で和ませようと試みました。
本番がはじまると、ステージ写真をこっそり撮るのは難しいサントリーホール。今日も休憩前のオリジナル商品の生コマーシャル役三人、TYOのMISAMOが。司会の真理さんに、元団員のNHK密着型ディレクター菊地さんも業務中にピースしてるけど、大丈夫か、ま、そういう業務か。

もちろん、CDはまだまだ売っています、書籍も電子書籍で買えます。ともに活動資金になりますゆえ、ぜひお買い求めを〜。
まだ2部が残る、休憩中なんですが。

成田さんへの寄せ書き色紙の贈呈があった模様です。
もはやトランペットよりも自撮り棒を手にしている印象のOB中村教諭。

今回の演奏会ツアーで団員が撮った写真の総枚数はいかほどか。坂本監督との思い出とともに、みんなの一生の宝物ができたのではないでしょうか。
このサイトのシステム上、ひとつの投稿に30枚までしか写真をアップできないもので、時間は早送りに。

ホール満員で埋まる観客のみなさんからの拍手喝采を受け、全員が立ち上がるカーテンコールです。あちら、こちらに、涙、涙、涙。
マエストロを囲む、みなさま、本当にありがとうございました!

吉永小百合さんは、毎年団員から贈られる寄せ書きを楽しみにしてくださっているそうで、

手に取り、待ちきれないとばかりに文字を追われております。

プレゼンターの海津キャプテンと。
おかげさまで沢山のメディアに報道していただけました。一部ご紹介します。 「吉永小百合 坂本龍一さんを哀悼「神は意地悪」追悼演奏会に出演し涙」(デイリースポーツ) 吉永小百合 天国の坂本龍一さん思い涙 追悼演奏会で詩を朗読「届いたと思います」(スポニチ) 吉永小百合、盟友・坂本龍一さん思い涙 「あんなに早く天国に迎え入れられたのはすごく悔しい」(中日スポーツ) 吉永小百合、涙 坂本龍一さんに捧げる朗読 「神さまは意地悪」 東北ユースオーケストラ演奏会で(スポーツ報知) 教え受けた坂本龍一さんを追悼、東北の被災地楽団が演奏会 震災の鎮魂曲も(産経ニュース) 坂本龍一さん監督務めた東北ユースオーケストラ追悼演奏会で吉永小百合が涙「坂本さんがいる」(日刊スポーツ) 坂本龍一さん結成のユースオケ、追悼演奏会 吉永小百合さんが詩朗読(毎日新聞) 坂本龍一さん鎮魂の演奏会 教え受けた被災地オーケストラ(47News) 坂本龍一さん鎮魂の演奏会 教え受けた被災地団員が演奏、吉永小百合も出演(サンスポ) 坂本龍一さん立ち上げの東北ユースオーケストラ視聴会 氷見市(NHKオンライン) 能登半島地震から1日で3カ月…東日本大震災きっかけに発足した楽団が演奏会 氷見市でライブビューイング(FNNプライムオンライン) 復興の祈り氷見に響く 東北ユースオケ公演生中継 富山、石川の800人拍手(47News) こちらは、長尺8分ほどの動画ニュース 吉永小百合が坂本龍一追悼コンサートで盟友に捧げる詩を“涙の朗読”(テレ朝ニュース) 東日本から能登の被災地へエール 坂本龍一さんの楽団がつなぐ(朝日新聞デジタル)
追加で、長尺10分弱ほどの動画ニュースです。 坂本龍一さん追悼コンサート キャプテンは演奏中に涙 「それも音楽ということで」(日テレニュース)
この東京公演は、東北ユースオーケストラが「いつまでも支援される側ではなく、支援する側にもなる」、その第一歩でもありました。
コンサートの冒頭、小学校3年生の時に気仙沼で被災した三浦瑞穂さんが、氷見市芸術文化館でのライブビューイングに訪れた800人の観衆のみなさんに向けて、自らの体験をもとに励ましのメッセージを送るにあたって言い淀んだ瞬間がありました。津波に飲み込まる難を逃れ、九死に一生を得た自分が「生きていていいのだろうか」と悩み、自らを責め続けた三浦さんが、東北ユースオーケストラでの活動を通じて、「自分も生きていいんだ」と思えるようになった。その自分がはたして能登半島地震で被災した方々を元気づけるような言葉を発するようなことができるのだろうかという逡巡、自分の言葉が押し付けになっていやしないだろうかという「ためらい」であるように受け止めました。今後、たとえ支援する側になったとしても、この「ためらい」の気持ちは大切だぞとも感じました。坂本龍一監督なら、この慎み深い姿勢には共感されるのでは、とも。
本番の演奏で、三浦さんはいつものように拍子木を打ち、透き通った、まっすぐな音をサントリーホールに響かせてくれました。きっと富山県、石川県のみなさんにも、その音は確実に届いたはずです。

晴れやかな表情でサントリーホールを後にする5人に混じって、明日から新社会人の三浦瑞穂さん、次の「拍子木スト」の指名、教育もお願いします!
おかげさまで東北ユースオーケストラ 坂本監督追悼 演奏会2024は、無事終了いたしました。

カーテンコールの中、スクリーンに映し出された言葉は、 「坂本監督、これからも私たちを見ていてください」
ツアー中、自撮り棒を巧みに操っていたOBの中村祐登はカトリック系の小学校の教諭であり、敬虔なクリスチャンなのでありますが、本番中の降り番のタイミング��近づいてきて、「知ってました? 今日31日はイースターなんですよ」「そうか、今日は坂本監督復活祭か」
来年も3月に311を思い返し、坂本龍一監督を偲んで、みんなで集う、音の祭りが開催できますよう。
最後にご支援のお願いをさせてください。 こちらは、寄付プラットフォームのSyncableのサイトより、そして今年の2月からはYahoo! ネット募金でT-ポイントでもご寄付いただけるようになりました。
引き続き東北ユースオーケストラへの応援、支援をよろしくお願いいたします。
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2023/02/10「タラチオのワンマン2023」
夜が明けて帰りの新幹線の中でこれを書いている。昨日一泊したホテルで書こうと思ったけれど、耳に残っていた音たちが愛おしくて堪らなくて、それを纏めてしまうのをやめちゃった。
あんなに足元が悪くって、体も冷え切って、ドリンク代もろくに出せないくらい手が悴んでいたけれど、次第に会場が暑く感じて、帰り道の冷たい風から、あの音そしてステージのパフォーマンス全てが守ってくれた。そしてこれからも私のそ��に居てくれるのだろうと確信できる、そんな公演だった。
まずはこうして開催を決めたことへ大きな大きな感謝を、タラチオさん、そしてバンドやゲスト出演の面々に送らさせてほしい。
正直セットリストがどうとか覚えていない、ただ楽しかった。まあ場面は覚えているから多分来週くらいにはちゃんと思い出せるとは思う。
「饒舌なSPY」「Phantom limb」「AEONS GEHENA」「追悼」「イミテーションメサイア」「Vermillion」などのオリジナル曲達を今、ここで、この自分の耳で、聞けたことが未だに奇跡だと思う。
ライブまでは死なないでおくって12月24日の18時に決めて、それからずっとなんとかなんとかやってきたのが、最高の選択なんだとやっと実感できたし、実際何回も挫けそうになったあの数ヶ月、いやデータ上で聞き続けて生きてきた数年の自分をあっさりと救ってしまった。常に頭の中で浮き続けてこちらを見ていた現実をあの時簡単に弾き出したのだ。ちょっと笑ってしまうくらいには。
「饒舌なSPY」の第一声で、目が覚めた。
きっと浮いている現実に引き揚げられそうになっていたのかもしれない。
それをクラブチッタのフロアに私が居て、これから待ち望んだワンマンライブが始まることを一気に自覚させられた。正直行きの新幹線に乗っても実感はわかなかった。
そのくらいタラチオさんにはパワーがある。あの時私は「来るぞ」と確かに思っていた。
新曲は、またライブでやって欲しい。その前に動画も投稿してほしい。体に馴染ませて箱いっぱいにあれがまた響いて、それでみんなで踊ろう。そんな音がまだ耳に残っている。
バンドの面々の出す音が、曲たちのアクセルとなっていた。
バンドとタラチオさんの信頼関係が見える。とにかく楽しそうにそして噛みしめるように演奏をしている彼らが彼らで良かった。
タラチオさんの世界には彼らが必要だ。それが、あの場で見えたことがとても嬉しい。
何が良かったなど、細かく言うと本当に切りがないのだけれど、曲によって舞台全体を使って走り回ったり、上下に移動して演奏してくれたり、「タラチオ」を心から楽しんでいる様子が良かった。
そして何より一発で信頼できる技術力の高さに惚れ惚れしたのだが、これも全て出せば終わりが見えない。
なので、これは私が勤務中に一つずつ思い出して生き残るように、記憶の中に取っておくことにする。
ただ一秒一秒を、こんなにも大切に過ごせたのはバンドのみなさんのおかげだ、それは事実としてここに書いておく。
「金色グラフィティー」「天体観測」「爆笑」「救済」「ピエロ」「ワールドランプシェード」、名前を並べるだけでなんて気分が良いんだ。
ゲスト一人ひとりとの関係性がよくわかる、そんな選曲だと思う。
「救済」「爆笑」は一緒にもるでおさんと歌っていて、何故か美しいと思った。何故か、ってのも変か。
ずっと見ていたいと思ったのだ、取り上げて言えば「爆笑」で2人揃って花道に出てきた時なんか、M-1グランプリの決勝を思い出させた。あの信頼感、あいつならやってくれるさ、という感じ。
「救済」は『いつかライブで』という話は聞いてて、それがやっとのことで目の前で叶ったのがわかる、あの感じが堪らなくて、もるでおさんのことはインターネット越しで見たことがあるくらいだったけれど、そんなことは関係なかった。
もるでおさんの歌は、地に足がついている。生存本能を感じるって言ったほうが良いのかもしれない。
NORISTORYさんは、突き抜けるような歌声を持っている。あの「天体観測」はアツいあの会場に夜空をかけた。深夜特有の研ぎ澄まされた空気と、一つ一つ思考味わうことにあるあの匂いが確かにそこにあったような気がした。
タラチオさんは、柔軟に色々な人と合わせて歌うけれどNORISTORYさんと歌うときはすごく爽やかで力強いと思う。それに呼応するように、お互いの歌声は共鳴しあっていって、それに惹き込まれた。煌めく星々は彼らを照らしていた。言葉で表現するのではなくて、感覚で味わうような、そんな時間だった。
カフェインさんは一度は生で見ないとと思っていたのだ。生で彼の歌をくらってみたかった。噂に聞いていた「金色グラフィティー」なのだから、それはもう両手を上げてはしゃぐのみだ。カフェインさんの登場は心に確かに火をつけた、あの舞台を踏んでいる姿は爆発的だった。そして確かに食らったのだ、金色グラフィティを。例えるとしたら、龍が現れたと思った。二匹の龍はお互いに睨み合っているわけではない。こちらへ構えているのだ。お互いとお互いを信頼して、その強さを演舞のように観客に誇示しているようだった。
そして伊東歌詞太郎さん、いや「伊東歌詞太郎」て………本当に?、自分の耳をしっかりと疑った。観客の第一声も「エーッ?!」だった。
元々自分を信じているというか、真っ直ぐな人間であることはわかっていたんだけど、ちゃんとあの人もロックだった。
登場してから一秒一秒楽しんで過ごしているのが伝わった。音楽の中で生きている人だと思う。一挙一動する度に歌詞太郎さんのリズムになる、尊敬 という言葉を贈るのも良くわかる。
何年も前から知っていた人だけれどやっと人となりを理解したかもしれない。
「ピエロ」「ワールドランプシェード」も何回も聞いていた、それが目の前で行われてるのだから、伊東歌詞太郎の歌はよく沁みた。心とかじゃなく、もう全身に。
あとタラチオさんって除霊ができたらしい。私も幽霊に憑かれたことないし、そのおかげかもしれない。
これは嫌な言い方に聞こえるけれど、伊東歌詞太郎さんの歌は耳に残りにくいと思う。
私の中に残っているのは、暖かくて力強いあの歌声があったという温度と事実だ。
タラチオさんは、それにのせられてか、波にのったように爽やかにでも力強く暖かく輝いていた。
「コバルトブルー」「刃」「monolith」「CALL ME」、カバー曲ばっかで格好付かないとは言ってたけど、私はカバー曲を歌ってる姿も好きだ。そもそも「歌い手」って肩書であるのだから、タラチオさんの解釈を存分にのせて歌ってほしいとは思う。
ただあの箱を押さえてカバー曲ってのも…という気持ちも、もちろん充分に理解できる。
そういえば、タラチオさんが超会議か何かののど自慢で歌った「コバルトブルー」から、THE BACK HORNを履修したのだった。書いていて思い出した。
生で叩きつけられるそれらは、私の記憶としっかり結び付けられた、オリジナルが全身沸き立つような暑さだとしたら、カバーは脳みそを中から揺らす中毒性がある。
きっと「友達がカラオケで歌っていた」という「CALL ME」だって、他の曲だってタラチオさんの思い出と一緒に生きてきた、だから歌ってくれたのだろうと思った。
曲への思いを、今回は存分に味あわせてくれた。これは勝手に言っているだけだけれど、そう言わせてほしい。
濡れきった靴下をホテルについてすぐに脱いで、備え付けられていたドライヤーで履いていたスニーカーを乾かして、ぼんやりとあの数時間を振り返った。
そして営業時間ギリギリに駆け込んだサイゼリヤでピザを頼んで、あのライブがもう終わったのだと気づく。そこで、タラチオさんの歌は、ずっと生き続けてくれる、そう約束してくれたので、また死なないでおかなきゃなあと思った。
「死なないでくれ」としか言うこともないしと、書かなかった手紙も特に持ってこなかった差し入れのこともまた次回考える。
だから今回はこれで代わりとさせてほしい、自分で言ってるだけなのだけれど、これを書くことによってなるべくタラチオさんが生き延びてほしい。別に見なくても良いが、これはインターネットに置いておくことにする。
最後にもう一度、あの公演にかかわった全ての人に感謝を贈ります。
また、会おう。ずっとここで待ってる。次は拳に行けたら良いと思っている。だから、それまでは死なないでおく、お互いそうしよう。勝手だけど、これも約束してくれる?
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なんか全部詰まってる…。 伝われば嬉しいす🤙 Platinum&Co.本日も楽しく頑張りやす💪🏾 先週、ケイシから「アノSLAPPYスポットで滑ろうよ」ってな感じでいつも普通にスケートしに行くような感じで連絡がきた。ケイシとは昔からよくスケートはしていたが、そんな風に誘いがくるなんて何十年ぶりだろ?ってな感じだったから驚いた。 でも、まぁなんとなく意図はわかっていた。でもそんなことは詳しくは聞かずに当日スポットに行ったら凄いメンツが集まって来た。皆が皆ケイシと同世代でアノ時代を共にスケートしてきたメンツだった。 とにかく平日の午前中から異様な雰囲気だったと思う。スケートパークでもない、フェイマススポットでもない、ただ��の高架下には低い縁石とイーサンが盛ったコンクリしかないスポットだ。なんていうかそんななかスケートをしていると色々なことに気付かされた。 スケートボードはスポットなんか関係無い、どんな場所でも一緒にスケートボードをするメンツで最高になるってね。あのスケートボードを始めて初めて仲間が出来て自分のローカルスポットが出来た時の嬉しさと楽しさを思い出させてくれた。スケートボードを始めてから32年間が経つけどちょっと忘れていたような感覚だった。 やっぱりスケートボードって最高だ。皆が皆、いい歳して笑顔で汗ダクになっていた。そこには言葉なんて必要なかった。スケートボードを楽しんでいるっていう事実だけがあった。すごくシンプルで基本的なことなのに最近は忘れていたことだったのかもしれない。 イーサン、大事なことを思い出させてくれてありがとう。あれから1年色々なことがありました。でもこれだけは変わりません。スケートボードって超楽しいですね!! イーサンありがとう。ケイシありがとう。スケートボードありがとう。 2018/9/27 柳町 唯 #akiraishizawa #イーサンニーサン #スケートボードis素敵 この動画を見てイーサンの声を聞いて「あー、やっぱイーサンやばいわ。スケートボードの神だわ」と小声で口を出して言っちゃったのは内緒だよホーミー。 ケイスケくん良い映像編集をありがとう。 Repost from @keishi_tsuchiya まず最初に、イーサン‼️ 元気にしてますか!?!? めちゃくちゃ早いもんで 今日で一年ですよ!! こっちでは、皆元気にスケボーしてますよ!!! 一周忌を、迎えるイーサンの、追悼式を身近で、イーサンと深交のあったスケーターに声をかけて、イーサンが、楽しんでたスポットでセッション✨しよう!から、始まりました。 これは、御祭りではない。 それは、わかっている。 でも、イーさんへの、感謝と尊敬を、絶やすことができるわけなくて。 今後毎年、自分含め誰かが、こういう想いで、 スケーターで追悼する事を 続けていくと思います。 今回の一周忌は、特別な思いもありました。 側に居て欲しくて、 側に居る気がして、 スケボー乗る度に、思い出して。 動きやら、独特のナマリ、 笑いかた、真似してみたり。 その度に、当然 憧れや目標って、事に気づかされたり。(笑) 近くて遠い存在は変わらなかったりしました。 今回のセッションムービーを、見てくれたスケーターが、来年は倍🎵その翌年も、倍に。 誰が舵取りするわけでもなく、日本中が、9月27日の命日に少しでも、イーサンの言葉の意味と、あの笑顔を思い出せるようになる、きっかけになればな〰‼と、思います。 弟子より、愛を込めて。 ❤ボタンを押すより、シェアしてくれたら本望です。 Film&edit @keisuke_film #good #hood #good #skate from #aomori #city https://www.instagram.com/p/BoNzt3JluZv/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=13irj7lrdsxaa
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