#佐伯ごまだしの日
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kennak · 7 months ago
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私の手元に、古ぼけた書類の束がある。手製の表紙をめくると目に入ってくるのは軍の最高機密を意味する「軍機」の朱印だ。昭和16年12月8日、日米開戦の象徴となった真珠湾攻撃に関する詳細な計画、命令書である。なぜこんなものが私の元に来たのか、そして軍の機密のその中身とは――。 「進藤三郎」という男 昭和15年9月13日、圧倒的勝利に終わった零戦のデビュー戦を指揮し、漢口基地に帰還した進藤三郎大尉 平成12(2000)年2月2日、ひとりの元海軍少佐が88年の生涯を終えた。その人の名は進藤三郎。太平洋戦争に興味のある人ならまず知らない人はいないであろう戦闘機乗りである。 進藤は昭和15(1940)年9月13日、制式採用されたばかりの零式艦上戦闘機(零戦)13機を率い、中国・重慶上空で中華民国空軍のソ連製戦闘機33機と交戦、27機を撃墜(日本側記録。中華民国側記録では被撃墜13機、被弾損傷11機)、空戦による零戦の損失ゼロという鮮烈なデビュー戦を飾った。続いて、昭和16(1941)年12月8日のハワイ・真珠湾攻撃では、空母赤城戦闘機分隊長として第二次発進部隊制空隊の零戦35機を率いた。その後、激戦地ラバウルの第五八二海軍航空隊飛行隊長、空母龍鳳飛行長などを歴任し、筑波海軍航空隊飛行長として派遣先の福知山基地で終戦を迎えた。 戦後はトラック運転手や福島県の沼沢鉱山長などの職を転々としたのち、生家のある広島に戻って東洋工業株式会社に入社、出向した山口マツダで常務取締役まで務めた。 戦争中はその華々しい「活躍」がしばしば新聞にも載るほど著名な海軍軍人だったが、戦後は一転して平凡な会社員生活で、戦争の話はよほど心を許した相手にしか、最後まですることを好まなかった。 進藤が保管していた書類に入る前に、進藤自身の「真珠湾攻撃」について、1996年から99年にかけての私のインタビューをもとに再現しよう。 突然の転勤命令 昭和16年4月、新編された当時の赤城戦闘機隊搭乗員たち。中列中央・飛行隊長板谷茂少佐、その右・分隊長進藤三郎大尉。このメンバーのうち数人は、のちに第五航空戦隊に異動した 昭和14(1939)年、��イツ軍がポーランドに侵攻したことに端を発する欧州での大戦は、日本がドイツと軍事同盟を結んだことで、もはや対岸の火事とは言えなくなっていた。日米関係は悪化の一途をたどり、昭和16年7月28日、日本軍の南部仏印進駐を機に、アメリカは日本への石油輸出を全面的に禁止、イギリス、オランダもこれに同調する。世にいう「ABCD包囲網」である。 この制裁措置は、石油その他の工業物資の多くをアメリカからの輸入に依存してきた日本にとって、まさに死命を制するものだったった。米英蘭との戦争は、もはや不可避と考えられた。海軍も、極秘裏に開戦準備に入る。 航空母艦赤城、加賀の第一航空戦隊、蒼龍、飛龍の第二航空戦隊を主力に、第一航空艦隊(一航艦=司令長官・南雲忠一中将)が新たに編成されたのは、昭和16(1941)年4月のことである。一航艦は、空母と少数の駆逐艦だけで編成されたが、実戦に際しては、臨時に配属する速力の速い戦艦、巡洋艦、駆逐艦などを合わせ、これが世界初の試みとなる「機動部隊」として作戦に従事することになっていた。 進藤は、機動部隊の編成にともなう人事異動で、南雲中将の座乗する旗艦赤城の戦闘機分隊長に転勤を命ぜられた。進藤の直接の上官、赤城戦闘機隊の飛行隊長は板谷茂少佐である。 「支那事変での長く続いた戦地勤務で、私の体は疲れ切っていました。できれば今度は内地の練習航空隊の教官配置につけてもらえないかと思っていた矢先の転勤命令。空母乗組は“搭乗員の華”、誰もが羨む配置なんですが、正直なところ、はじめはうんざりしましたね」 と、進藤は振り返る。 猛訓練で体が悲鳴を上げていた 機動部隊の旗艦・空母赤城。巡洋戦艦を建造中に空母に改装。当時世界最大級の航空母艦だった 空母搭載の飛行機隊は、洋上訓練や出撃のとき以外は、陸上基地で訓練を行うのを常としていた。搭乗員が揃うと、赤城戦闘機隊は、鹿児島・鴨池基地を拠点に、飛行訓練を開始した。 まずは、搭乗員全員の零戦での慣熟飛行から始まり、着艦訓練の前段階として、母艦の飛行甲板を想定した、飛行場の限られた範囲に飛行機をピタリと着陸させる定着訓練が行われる。5月になると空戦、無線電話、着艦訓練と、訓練もより実戦的になり、空戦訓練は、1機対1機の単機空戦よりもチームワークを重視する編隊空戦に重点��置かれ、2機対3機、3機対6機の編隊同士の空戦訓練が、実戦さながらに行なわれた。吹流しを標的とする射撃訓練も、さかんに行われた。 9月に入ると空母翔鶴、瑞鶴からなる第五航空戦隊が新たに機動部隊に加わり、赤城の搭乗員の一部は五航戦に転勤する。進藤の回想。 「猛訓練が進むにつれ、疲労がどうしようもないほど蓄積してきました。体がだるく、食欲もない。8月には黄疸の症状も出始め、周囲から『君の目は黄色いじゃないか』と言われるほどでした。これはもう、海軍をクビになっても仕方がない、休暇療養を願い出ようと決心したんですが……」 ところが、そう決心した矢先の、進藤の記憶によれば10月1日頃、各航空戦隊の司令官、幕僚、空母の艦長、飛行長、飛行隊長クラスの幹部が、志布志湾に停泊中の赤城の参謀長室に集められ、ここで南雲中将より、「絶対他言無用」との前置きのもと、真珠湾攻撃計画が伝えられた。航空参謀・源田実中佐からは、この作戦に対応するための訓練を急ピッチで進める旨の指示もあった。 少佐の本音 揚子江上空を飛ぶ零戦一一型。進藤大尉が撮影した 「しまった。これを聞いたからには、休ませてくれとは言えないな」 と、進藤は観念したと言う。傍らにいた板谷少佐が、やや興奮の面持ちで、 「進藤君、こりゃ、しっかりやらんといかんな」 と、声をかけてきた。だが、解散が告げられ、基地に帰る内火艇に乗り込むときに、 「俺たちはただ命令通りに死力を尽くして戦うだけだが、その後始末はどうやってつけるつもりなのかな」 と、誰にともなくつぶやいた板谷少佐の言葉がいつまでも心に残った。こちらのほうが本音なんだろうな、と進藤は思った。 昭和16年10月には、戦闘機隊の訓練は仕上げの段階に入りつつあった。訓練項目に航法通信訓練が加えられ、コンパスと、波頭を目視して判断する風向、風力を頼りに長距離を飛ぶ三角航法、無線でモールス信号を受信する訓練などが行なわれた。高高度飛行の訓練も実施され、耐寒グリスを塗った20ミリ機銃による、高度8000メートルでの射撃訓練も行われた。一航戦では、18機対18機の大規模な空戦訓練も実施された。二航戦は9機対9機、五航戦は3機対3機までしかできなかったという。 11月に入ると、志布志湾に機動部隊の6隻の空母と飛行機が集められ、11月3日、南雲中将より機動部隊の各艦長にハワイ作戦実施が伝達された。その日の夜半、「特別集合訓練」が発動され、翌4日から3日間にわたって、全機全力をもって、佐伯湾を真珠湾に見立てた攻撃訓練が、作戦に定められた通りの手順で行なわれた。 〈十一月四日 「ハワイ」攻撃ヲ想定 第一次攻撃隊 〇七〇〇(注:午前7時)発進、第二次攻撃隊〇八三〇発進。十一月五日 第一次〇六〇〇、第二次〇七三〇。十一月六日〇五〇〇ヨリ訓練開始〉 と、進藤はメモに書き残している。11月6日には、戦闘機隊が半数ずつ、攻撃隊と邀撃(ようげき)隊の二手にわかれ、攻撃隊はいかに敵戦闘機の邀撃を排除して攻撃を成功させるか、邀撃隊はいかに攻撃隊を撃退するか、という訓練も行なわれた。激しい訓練で、攻撃隊の九九式艦上爆撃機のなかには不時着する機も出た。 特別集合訓練が終了すると、赤城、蒼龍は横須賀、加賀、飛龍は佐世保、翔鶴、瑞鶴は呉と、それぞれの母港に入って準備を行い、飛行機隊はふたたび、陸上基地に戻って訓練を続けた。このとき、戦闘機が洋上で単機になってしまった場合に備えて、無線帰投方位測定機(クルシー)を使っての帰投訓練が熊本放送局の電波を利用して実施されている。 覚悟を決めた日 第二次発進部隊制空隊(零戦)指揮官・進藤三郎大尉の命令書(軍機) 11月中旬には、各母艦は飛行機隊を収容し、可燃物、私物の陸揚げや兵器弾薬、食糧の最後の積み込みを終え、佐伯湾に集結した。 赤城が佐伯湾を出たのは、11月18日のことである。行動を隠匿するため、出航と同時に、各艦は厳重な無線封鎖を実施した。 空母6隻を主力とする機動部隊は北へ向かい、千島列島の択捉島(えとろふとう)単冠湾(ひとかっぷわん)に集結した。湾の西に見える単冠山は、すでに裾まで雪に覆われていた。11月24日、6隻の空母の全搭乗員が赤城に集められ、真珠湾の全景模型を前に、米軍の状況説明と作戦の打ち合わせが行われた。機動部隊の行動についてはもちろん、攻撃隊の編成や各隊ごとの無線周波数など、詳細な作戦計画が、すでにでき上がっていた。進藤が保管していた機密書類はこの日の日付から始まっている。 11月26日、機動部隊は単冠湾を抜錨、各艦、単冠山に向かって副砲、高角砲の試射を行った。凍てつく空気に、砲声が轟いた。艦隊はそのまま針路を東にとった。 「自信を持って戦いに臨める。しかし、今度こそは生きて帰れないだろうな」 と、進藤は、遠ざかってゆく雪の単冠山を見ながら、しばし物思いにふけった。 時化模様の航海が続いた。護衛の戦艦、巡洋艦、駆逐艦、補給船、潜水艦など、総勢31隻もの艦隊を、隠密裏にハワイ北方までたどり着かせなければならない赤城艦上の機動部隊司令部は緊張の連続だった。 12月1日、機動部隊は日付変更線を越えた。機動部隊は日本時間で行動するので、時差で時間感覚がずれてくる。この日の御前会���で、日本は英米との開戦を決定する。 12月2日、「新高山ノボレ 一二〇八」 という暗号電報が、聯合艦隊司令部より届いた。これは、「X日(開戦日)を12月8日とす」と��う意味である。開戦は、12月8日午前零時と決まった。ただし、日米の外交交渉次第では、まだ作戦が中止になることもあり得る。しかし反転命令は出ず、矢はついに弦を放れた。 12月8日午前1時半(日本時間)。第一次発進部隊が次々と6隻の空母を発艦した。 第一次発進部隊は、零戦43機、九九艦爆51機、九七艦攻89機(うち雷撃隊40機、水平爆撃隊49機)、計183機で、総指揮官は淵田美津雄中佐である。第一次攻撃では、雷撃隊が二列に並んで停泊している米戦艦の外側の艦を攻撃、水平爆撃隊が上空より内側の艦を爆撃する。さらに艦爆隊は飛行場施設を爆撃することになっていた。 そこらじゅうで火柱が 九九式艦上爆撃機。急降下爆撃を行う 機動部隊の各母艦では、第一次の発艦後、すぐに第二次発進部隊の準備が始められた。 第二次は零戦36機、九九艦爆78機、九七艦攻(水平爆撃のみ)54機、計168機が発艦し、うち零戦1機と艦爆2機が故障で引き返している。こんどは、艦爆が第一次で撃ちもらした敵艦と飛行場を狙い、艦攻が敵飛行場を水平爆撃することになっていた。 赤城から発艦するのは、零戦9機と九九艦爆18機。2時13分、進藤の搭乗する零戦、A1(本来はローマ数字だが、機種依存文字のためアラビア数字で表記)‐102号機は、その先頭を切って発艦した。第二次発進部隊の総指揮官は瑞鶴艦攻隊の嶋崎重和少佐、進藤は、制空隊(零戦隊)全体の指揮官を務める。 「第一次の発進を見送ったときにはさすがに興奮しましたが、いざ自分が発進する段になると平常心に戻りました。真珠湾に向け進撃中、クルシーのスイッチを入れたら、ホノルル放送が聞こえてきた。陽気な音楽が流れていたのが突然止まって早口の英語でワイワイ言い出したから、これは第一次の連中やってるな、と奇襲成功を確信しました」 第一次に遅れること約1時間、真珠湾上空に差しかかると、湾内はす��に爆煙に覆われ、ものすごい火柱が上がっていた。心配した敵戦闘機の姿も見えない。空戦がなければ地上銃撃が零戦隊の主任務になる。進藤はバンクを振って(機体を左右に傾ける合図で)各隊ごとに散開し、それぞれの目標に向かうことを命じた。 「艦攻の水平爆撃が終わるのを待って、私は赤城の零戦9機を率いてヒッカム飛行場に銃撃に入りました。しかし、敵の対空砲火はものすごかったですね。飛行場は黒煙に覆われていましたが、風上に数機のB-17が確認でき、それを銃撃しました。高度を下げると、きな臭いにおいが鼻をつき、あまりの煙に戦果の確認も困���なほどでした。それで、銃撃を二撃で切り上げて、いったん上昇したんですが」 頭によぎった最悪のシナリオ 開戦を告げる昭和16年12月9日の新聞紙面 銃撃を続行しようにも、煙で目標が視認できず、味方同士の空中衝突の危険も懸念された。進藤は、あらかじめ最終的な戦果確認を命じられていたので、高度を1000メートル以下にまで下げ、単機でふたたび真珠湾上空に戻った。 「立ちのぼる黒煙の間から、上甲板まで海中に没したり、横転して赤腹を見せている敵艦が見えますが、海が浅いので、沈没したかどうかまでは判断できないもののほうが多い。それでも、噴き上がる炎や爆煙、次々に起こる誘爆のすさまじさを見れば、完膚なきまでにやっつけたことはまちがいなさそうだと思いました。胸がすくような喜びがふつふつと湧いてくる。 しかしそれと同時に、ここで枕を蹴飛ばしたのはいいが、目を覚ましたアメリカが、このまま黙って降参するわけがない、という思いも胸中をよぎります。私は昭和8年、少尉候補生のときの遠洋航海でアメリカに行き、そのケタ違いの国力と豊かさをまのあたりにしていますから、タダで済むはずがないことは容易に想像できる。これだけ派手に攻撃を仕掛けたら、もはや引き返すことはできまい。戦争は行くところまで行くだろう、そうなれば日本は…………負けることになるかもしれないと、このときふと考えました」 空襲を終えた攻撃隊、制空隊は、次々と母艦に帰投し、各指揮官が発着艦指揮所の前に搭乗員を集め、戦果を集計した。進藤は、赤城の艦爆隊と合流して帰還した。南雲中将が、わざわざ艦橋から飛行甲板上に下りてきて、「ご苦労だった」と進藤の手を握った。 ほどなく、最後まで真珠湾上空にとどまっていた総指揮官・淵田中佐の九七艦攻が帰艦する。大戦果の報に、艦内は沸き立った。しかし日本側にとって残念なことに、いるはずの敵空母は真珠湾に在泊していなかった。 艦上では、第三次発進部隊の準備が進められている。蒼龍の二航戦司令官・山口多聞少将からは、蒼龍、飛龍の発艦準備が完了したとの信号が送られてきた。しかし、南雲中将は、第三次発進部隊の発艦をとりやめ、日本への帰投針路をとることを命じた。 激しい戦闘の代償 日本機の空襲を受けるハワイ・真珠湾の米艦隊 「当然もう一度出撃するつもりで、戦闘配食のぼた餅を食いながら準備をしていましたが、中止になったと聞いて、正直ホッとしました。詰めが甘いな、とは思いましたが…………」 体調不良を押してここまできたが、ようやく任務が果たせた。緊張の糸が切れた進藤は、そのまま士官室の祝宴にも出ず、私室で寝込んでしまった。 真珠湾攻撃で日本側は、米戦艦4隻と標的艦1隻を撃沈したのをはじめ、戦艦4隻、その他13隻に大きな損害を与え、飛行機231機を撃墜、あるいは撃破するなどの戦果を挙げた。資料によって異なるが、米側の死者・行方不明者は2402名、負傷者1382名を数えた。いっぽう、日本側の損失は、飛行機29機(第一次9機、第二次20機。うち零戦9機、九九艦爆15機、九七艦攻5機)と特殊潜航艇5隻で、戦死者は64名(うち飛行機搭乗員55名。別に、12月9日、上空哨戒の零戦1機が着艦に失敗、搭乗員1名死亡)。米軍の激しい対空砲火を浴びて、要修理の飛行機は100機あまりにのぼった。 ――ちなみに、真珠湾攻撃当時、連合艦隊司令長官・山本五十六大将57歳、機動部隊指揮官・南雲忠一中将54歳、航空参謀・源田実中佐37歳、攻撃隊総指揮官・淵田美津雄中佐39歳、第二次発進部隊指揮官・島崎重和少佐33歳、雷撃隊指揮官・村田重治少佐32歳、第一次制空隊指揮官・板谷茂少佐32歳、第二次制空隊指揮官・進藤三郎大尉30歳、加賀戦闘機分隊長・志賀淑雄大尉27歳、そして昭和天皇40歳だった。 真珠湾攻撃の帰途、二航戦の蒼龍、飛龍は、ウェーク島攻略作戦に参加するため、本隊を離れた。残る赤城、加賀、翔鶴、瑞鶴は、12月23日から24日にかけ瀬戸内海・柱島の泊地に投錨する。各艦の飛行機隊は、零戦隊は佐伯基地経由で岩国基地へ、艦爆、艦攻は鹿屋基地経由で宇佐基地へと向かい、ここでしばしの休養が与えられた。 進藤は、12月25日、岩国基地から呉海軍病院に直行し、軍医の診察を受けた。診断の結果は、「航空神経症兼『カタール性』黄疸」、二週間の加療が必要とのことで、そのまま入院することになった。十二月三十日付で赤城分隊長の職を解かれ、さしあたって任務のない「呉鎮守府附」の辞令が出る。この日から広島の生家での転地療養が認められ、進藤は、ひさびさに正月を両親と迎えることができた。 再び始まる苦しい戦い 昭和17年11月、進藤大尉がラバウルに向け出発直前、東京駅にて 「海鷲・進藤大尉」の帰郷は誰からともなく近所に伝わり、毎日のように真珠湾の話をねだりに客がやってくる。子供たちは、道で進藤の姿を認めると、憧憬のまなざしで、直立不動になって挙手の敬礼をした。 真珠湾攻撃から帰った進藤は、療養生活を送ること2ヵ月半、ようやく黄疸の症状もおさまり、昭和17(1942)年2月12日、〈大分海軍航空隊司令ノ命ヲ受ケ服務スベシ〉の辞令を受けて大分空に着任。四月一日、戦闘機搭乗員の訓練部隊として徳島海軍航空隊が新たに創設されると、その飛行隊長兼教官に補せられた。 最前線・ニューブリテン島ラバウルで作戦中の第五八二海軍航空隊飛行隊長兼分隊長への転勤辞令が出たのは、昭和17年11月8日のことである。処分しそびれていた真珠湾攻撃の軍機書類の保管を元海軍機関大佐の父に託してラバウルに向かう。五八二空に着任したとき���進藤は新たに部下となる隊員たちに、 「海軍戦闘機隊のモットーは編隊協同空戦だ。搭乗員が戦果を挙げる陰には、整備員や兵器員といった裏方の努力が不可欠である。けっして一人の手柄を立てようなどとは思わず、より長く、より強く、一致団結して戦い抜くように」 と訓示をした。そして、進藤の長く苦しい戦いがここから始まる。
1941年12月8日の「真珠湾攻撃」に「零戦35機」を率いて参加した当事者の「貴重な証言」(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース
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yutakayagai · 9 months ago
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半年後、浩二の家の隣に広樹・江利子、大樹が引っ越してきた。大樹は、
「お父さんとお母さんが仕事の時にお邪魔します」
と挨拶をした。身長は百五十五センチほどだったが、制服の半ズボンが小さく両腿が露になっていた。意外と筋肉質に見えた。江利子は、
「陸上が好きで、意外とムキムキなのよ。未だチ◯チンに毛は生えてないけどね〜」
と話した。浩二は内心、そんな情報は要らねぇしと苦笑したものの、もしかしたら父さんの血を受け継いでいるかもしれないから気を付けようと肝に銘じた。また、利江子は言った。
「広樹君、実は今、大阪に行ってるンです。ほら、佐伯先生の告別式に克也君が来てたでしょ? あれからまた仲良しになっちゃって…。明日帰って来るンですけど、きっとラヴラヴじゃなァ〜い?」
このクセのある話し方は、恐らく母さんに影響されたンだろうなと浩二は思った。たとえ旦那に好きな男(ひと)、否、情人(アマン)がいてもそれを微笑ましく思っている利江子も濃いなァ…。
大樹は、一週間後に泊まりに来た。広樹が物産展の準備で京都、利江子が夜勤でいないと言うので来たのだが、二人分の食事を���意することが滅多になかったので、意外と大変だった。洗濯もし、初めて浩志以外の下着を干した。ウェストゴムに「YG」と黒字で施されたセミビキニブリーフだったが、何気に上質な下着を買ってあげているンだなと、浩二は思った。早くも自分の家であるかの様に大樹は過ごし、時折ブリーフ一丁で風呂から出ることもあり、浩二は驚いた。彼は、
「一応、おじさんの家だからね…」
と言ったが、中学校に進学しても直そうとしなかった。その結果、大樹は浩二に「性の手ほどき」を受けることになってしまったのだ。また、幼なじみでもあった武田仁志も休みの時には佐伯家を訪れた。彼はスポーツ刈りにし、すでに第二成長期を迎えて声変わりもしていたが、両腿が露になるほどの半ズボンを穿いていた。そんな彼にも浩二はびっくりし、
「そんな脚を出してたら、変なおじさんにエッチされちゃうよ!?」
と注意した。仁志は、
「大丈夫! エッチされそうになったら大声出すもン!」
とあっけらかんな様子だった。
いやいや、額田家もそうだが武田家もすごそうだなと浩二は思った。しかし、こうして結婚もしていないが子どもを預かる様になり、徐々に巷がどうなっているのか認識できたと彼は実感できた。
浩志も幸雄もいなくなり、周辺が淋しくなったみいは、愛美の手伝いもしながら月イチは幸雄が埋葬されている谷中の墓場に墓参りへ行った。片手にデンキブランを抱え、彼女も用意してきたグラスに注いでちびりと飲みながらしばらく語りかけていた。四十九日も俊介と一緒に済ませ、ようやくホッとした思いだった。彼女は、
「幸雄さん。今頃、浩志君と一緒にいるの? 元気にしてる? あたしはしばらく死ねないわ。愛美にまた赤ちゃんができるし、おばあちゃんをしなきゃならない」
みいも齢は七十代半ばになろうとしていた。二十三歳に母親から今の下宿の経営を任され、色んな学生を見てきたが、やはり浩志や正樹がいた頃が一番愉しかったと思っていた。未だに愛美と一��に近くの教会へ行き、聖書を読んでいるが、同性愛について禁じてはいる箇所はあるものの、隣人を愛せよとも書いてある限りでは関係ないのでは? 異性であれ同性であれ、傷付け合うよりは愛し合う方がイイと考えていた。人間には感情があり、その感情が時折悪さをすることもある。しかし、最終的にはそれが愛��る為の過程にあるものであればそれでイイのでは…? デンキブランを飲みつつ、彼女は思った。
もうじき梅の花がほころび始める。今年は独りで偕楽園へ行こうと、みいは空を仰ぎながら思った。雲一つない中を、浩志と幸雄が両手を取り合い、一緒にタンゴを踊っている様に見えた。
ーFin
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myonbl · 11 months ago
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2024年8月4日(日)
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昨日に続いて今日も梅を干す・・・、ところが昼前に急に雨が降り出したので慌てて取り込んだ。もう少し陽に当てたいところではあったが、午後の天気も不安そうなので瓶に詰めて紫蘇を加えて作業終了。今年は紫蘇も梅もすべて契約農家の無農薬栽培のもの、生産者に感謝して大事に頂こう。奥川さん、いつもありがとうございます。
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4時起床。
日誌書く。
5時15分シャワー、体重は500g増。
ツレアイ起床、昨日から元気のないココに点滴する。
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朝食。
珈琲。
洗濯。
彼女は月一の奈良での太鼓練習の日、京都駅まで送る。
段ボール箱の整理。
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11時過ぎ、佐川急便が集荷に来てくれた。<古着deワクチン>、貼付されていた配達票は不要とのことで、佐川が作成した伝票をくれた。今回初めてだが、断捨離するには良い手段だと思う。
雨が降り出したので、ベランダの梅干しを取り込む。
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息子たちのランチ、鮭入り炒飯。
ツレアイを京都駅まで迎えに行く。
私たちのランチは残りもの掃除。
録画番組視聴、名探偵ポワロ。
第4話「なぞの遺言書」/ The Case of the Missing Willシーズン 5, エピソード 4 ポワロはヘイスティングスと共に友人アンドルーの邸に招かれる。妻子のないアンドルーは友人の娘バイオレットを養育しており、遺言書の内容を変え、全財産を彼女に相続させたいとポワロに告白する。だが翌日、アンドルーの死体が敷地内のはなれで発見される。
第5話「イタリア貴族殺害事件」/ The Adventure of the Italian Noblemanシーズン 5, エピソード 5 ミス・レモンの友人でイタリアのとある伯爵秘書グレイブスは、伯爵が文書買取を交渉中の相手が信用できないとポワロに話す。翌日ポワロとヘイスティングスが知人の医師宅で食事中、伯爵から殺られたと電話が。3人がかけつけると伯爵が撲殺されていた。
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それまでポツポツ程度だった雨が、いきなり激しい雷雨になった。
雨が上がるのを待って、彼女は買い物に出る。
私は早めに夕飯準備、炊飯器をセットして揚げ物を始める。
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手羽中の唐揚げ・ジャンボ焼売・キュウリのしょうゆ漬け・レタスとトマト、息子たちはスパークリングワイン、私たちはW姉からいただいた京丹後市の生酒。
テレビでオリンピックの陸上競技、やはりスポーツは陸上と水泳が大好きだ。
ココの体調が思わしくなく、食事が入らない。彼女が明日の夕方のクリニックの予約を取る。
片付け、入浴・・・のはずが、今日もダウンしてしまった。
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歩数は足らないが、なんとか3つのリング完成。
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switch-souken · 9 months ago
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【お知らせ】参加決定!!大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2024
スイッチ総研が越後妻有に初見参!!「大地の芸術祭」の拠点施設である「越後妻有里山現代美術館 MonET」を舞台にスイッチをスペシャルミニ上演いたします。
豊かな緑に囲まれ、端正な四角い池を有する美術館MonET。美術館オリジナルの企画展『モネ船長と87日間の四角い冒険』にお招きいただき、ご機嫌な現代美術があふれる空間でMonETならではの作品を展開予定!
各地で研究開発してきた「スイッチ」の���かから選りすぐりの演目をMonETバージョンにアレンジし、回廊のあちこちへ設置。と予定していたスイッチ総研ですが、現地下見を経て新作演目も複数展開ありの予感!「現代美術」×「鑑賞者がスイッチを押すと出現する一瞬の演劇」の饗宴やいかに!?
1日限りのクレイジーかつピースフルな祝祭空間がMonETの池の周りに出現!来たれ!愉快な四角い池のほとりへ!!
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大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2024参加 スイッチ総研 『越後妻有 MonETスイッチ』 2024年10月14日(月祝)
【作】   スイッチ総研
【脚本/演出】   光瀬指絵
【研究開発/出演】   大石将弘 光瀬指絵
<契約所員> 矢野昌幸
<遠隔契約所員> 細谷貴宏 ※研究開発のみ
<非常勤研究員> 石田菜々子 上杉智恵子 大田浩志 可知瑞季 川口雅子 喜田裕也(はちどり空港) 小嶋直子 琴松蘭児(ひょっこり船) 佐伯ウイ 佐々木優樹(トム・プロジェクト) 實近順次 関口真生 手代木花野(CI部) 遠田風馬 長井健一 渚 まな美 平嶋恵璃香 深海哲哉(グンジョーブタイ/アマヤドリ) 松井絵里(さるさるさる松井絵里) 松井里美(劇団ハンニャーズ) 松田 蓮(演劇調理集団ビストロカプリチョ) 三浦真央��Souer+(スール)) 森田 亘 容原 静(カムパネルラ)
※非常勤研究員としてご出演予定だった石橋奈那子さんは、ご体調不良のため大事をとり今回のご参画は無しとなりました。
【日時】   2024年10月14日(月祝) ①11:30~11:45 ②13:30~13:45 ※お客様が会場に点在する「スイッチ」を押すと始まる作品です。上演時間内の何時からでもお楽しみいただけます。
【会場】   越後妻有里山現代美術館 MonET 回廊 〒948-0003 新潟県十日町市本町6-1-71-2 https://www.echigo-tsumari.jp/travelinformation/monet/
【料金】   無料・予約不要
【主催】   大地の芸術祭実行委員会、NPO法人越後妻有里山協働機構、独立行政法人日本芸術文化振興会、文化庁
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[大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ] 世界最大級の国際芸術祭であり、日本中で開催されている地域芸術祭のパイオニア。アートを道しるべに里山を巡る新しい旅は、アートによる地域づくりの先進事例として、国内外から注目を集めている。過疎高齢化の進む日本有数の豪雪地、新潟県の越後妻有地域(=大地の芸術祭の里)が舞台。農業を通して大地とかかわってきた「里山」の暮らしが今も豊かに残っている地域で、1年を通して自然の中に作品を展示。(公式サイトより) https://www.echigo-tsumari.jp/
[越後妻有里山現代美術館 MonET] 2003年に竣工、��域の物産や観光を扱う拠点施設「越後妻有交流館キナーレ」として開業。2021年、大幅な内装のリニューアルを経て、「越後妻有里山現代美術館MonET」(モネ、Museum on Echigo-Tsumari)としてスタート。越後妻有の風土や文化の特質に深く向き合う作品、あるいは展示された場所の空間、時間の変容を観る者に体感させる作品を展示している。(公式サイトより) https://www.echigo-tsumari.jp/travelinformation/monet/
『モネ船長と87日間の四角い冒険』 MonETの回廊や明石の湯エントランスを使った、MonETオリジナル企画。国内外の作家が参加し、池の周りで繰り広げられるのは「モネ船長」の “冒険と遊び ”!?たとえばスリル満点の《阿弥陀渡り》や、パターゴルフ、巨大彫刻など、楽しみながら体験できる作品が盛りだくさん。夜間はライトアップされ、昼とは異なる静謐な世界観を味わうことができる。[キュレーター]原倫太郎+原游(公式サイトより) https://www.echigo-tsumari.jp/art/artwork/monet_2024/
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nekotubuyaki-blog-blog · 2 years ago
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2023年に読んで「オォッ!」と思った本や作品……その2
『中銀カプセルタワービル 最後の記録』(中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト編/装幀:上清涼太/草思社) 『ヒエログリフを解け ロゼッタストーンに挑んだ英仏ふたりの天才と究極の解読レース』(エドワード・ドルニック著/杉田七重訳/東京創元社/Kindle版) 『AXIS August 2023 vol.224 特集シン宇宙時代 The New Space Age』(株式会社アクシス) 『ジブリの立体建造物展 図録〈復刻版〉』(藤森照信監修/コンセプト・デザイナー:種田陽平/編集:株式会社スタジオジブリ/デザイン:細山田デザイン事務所/トゥーヴァージンズ) 『 湖の秘密─川は湖になった』(編集・執筆:前田礼、戸谷莉維裟(市原湖畔美術館)/地図制作:吉田健洋(一般財団法人日本地図センター)���デザイン:大西隆介(direction Q)/写真:田村融市郎、市原市観光協会、『写真集/市原市の昭和史』(千秋社)/市原湖畔美術館発行) 『ジョセフ・アルバースの授業──色と素材の実験室』(執筆:ブレンダ・ダニロウィッツ、永原康史、沢山遼、亀山裕亮/和文英訳:中野勉/欧文和訳:水野俊、林寿美、亀山裕亮/編集:林寿美、亀山裕亮、飛田陽子(水声社)、関根慶(水声社)/ブックデザイン:木村稔将、阿部原己(Tanuki)/水声社) 『相分離生物学の冒険──分子の「あいだ」に生命は宿る』(白木賢太郎著/装丁:細野綾子/みすず書房) 『「生きている」とはどういうことか 生命の境界領域��挑む科学者たち』(カール・ジンマー著/斉藤隆央訳/装幀:大倉真一郎/白揚社) 『食虫植物 多様性と進化』(長谷部光泰著/裳華房) 『What is Tanuki?』(佐伯緑著/題字:森井(藤原)敏惠/表紙イラスト:佐伯緑/装丁:designfolio/佐々木由美/東京大学出版会) 『線虫 1ミリの生命ドラマ』(長谷川浩一著/装丁:鈴木成一デザイン室/dZERO) 『新・動物記8 土の塔に木が生えて シロアリ塚からはじまる小さな森の話』(山科千里著/新・動物記シリーズ編集:黒田末壽、西江仁徳/ブックデザイン・装画:森華/京都大学学術出版会) 『新・動物記7 白黒つけないベニガオザル やられたらやり返すサルの「平和」の秘訣』(豊田有著/新・動物記シリーズ編集:黒田末壽、西江仁徳/ブックデザイン・装画:森華/京都大学学術出版会) 『新・動物記6 アザラシ語入門─水中のふしぎな音に耳を澄ませて』(水口大輔著/ブックデザイン・装画:森華/シリーズ編集:黒田末壽、西江仁徳/京都大学学術出版会) 『フィールドの生物学24 ミツバチの世界へ旅する』(原野健一著/東海大学出版部) 『哺乳類前史:起源と進化をめぐる語られざる物語』(エルサ・パンチローリ著/的場知之訳/青土社/Kindle版) 『招かれた天敵──生物多様性が生んだ夢と罠』(千葉聡著/みすず書房/Kindle版) 『進化のからくり 現代のダーウィンたちの物語』(千葉聡著/講談社ブルーバックス/Kindle版) 『ビーバー:世界を救う可愛すぎる生物』(ベン・ゴールドファーブ著/木高恵子訳/草思社/Kindle版) 『タコの心身問題 頭足類から考える意識の起源』(ピーター・ゴドフリー=スミス著/夏目大訳/みすず書房/Kindle版) 『幻のシロン・チーズを探せ 熟成でダニが活躍するチーズ工房』(島野智之著/デザイン、イラストレーション:佐々木宏/帯文:坂上あき、森節子/八坂書房) 『すごい実験 高校生にもわかる素粒子物理の最前線』(多田将著/イラスト:上路ナオ子/イースト・プレス/Kindle版) 『ビッグコミックススペシャル 藤子・F・不二雄 SF短編コンプリート・ワークス7 ポストの中の明日』『ビッグコミックススペシャル 藤子・F・不二雄 SF短編コンプリート・ワークス1 ミノタウロスの皿』(藤子・F・不二雄著/装幀:佐々木暁/小学館) 『北極百貨店のコンシェルジュさん 1・2巻』(西村ツチカ著/装幀:井上則人(井上則人デザイン事務所)/小学館) 『ぼっち死の館』(齋藤なずな著/小学館ビッグコミックスフロントライン) 『すとまとねことがんけんしん1』(内田春菊著/装画:内田春菊/装丁:秋山具義(Dairy Fresh)/デザイン:横倉清恵(Dairy Fresh)/ぶんか社) 『すとまとねことがんけんしん2』(内田春菊著/装画:内田春菊/装丁:秋山具義(Dairy Fresh)/デザイン:山口百合香(Dairy Fresh)/ぶんか社) 『大金星』(黒田硫黄著/講談社アフタヌーンコミックス/電子書籍版) 『ころぶところがる』(黒田硫黄著/小学館/電子書籍版) 『大日本天狗党絵詞1〜4』(黒田硫黄著/アフタヌーンKC/電子書籍版) 『映像研には手を出すな!1〜8巻』(大童澄瞳著/小学館/電子書籍版)
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itokawa-noe · 2 years ago
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「叫び」を執筆した経緯について
私の書いたSF掌編「叫び」が、第3回かぐやSFコンテストにて審査員特別賞を受賞しました。
私にとって、かぐやSFコンテストで最終候補に残ること、もしくはKaguya Planetに作品が掲載されることは、ひとつの大きな目標でした。それを上回る結果に驚きつつ、喜びを噛みしめています。
大賞を受賞された暴力と破滅の運び手さん(「マジック・ボール」推し作品でした!)、読者賞を受賞された牧野大寧さん、おめでとうございます。
他の候補作も素晴らしいものばかりで、この10作で最終レースを走れて幸せでした。『新月2』でまたご一緒できることが、光栄で、恐ろしいです。
***
以下の文章は、「叫び」を執筆した経緯について書いたものです。
いったん送り出した作品については、あまりコメントしないようにしています。作品の陰から糸川という人間が顔を出したところで、ノイズになることはあっても、プラスに作用することはない、余計なことはしゃべらず黙っとこ、という考えです。
今回、例外的にやってみようかな、という気になったのは、過去の二度のかぐやSFコンテストの際に、最終候補作の著者の幾人かが思考の過程をブログなどで明かしてくださったことを思いだしたからでした。それらの文章に、その向こうに覗く生身の人間のすがたに、技術面においても精神面においても、大いに助けられてきた。その一つひとつをふりかえっていたら、自分もなにか書いておきたくなりました。
長くなりますが、よろしければお付き合いください。
ーーー
・テーマ「未来のスポーツ」への率直な感想:
お題発表を受けての率直な感想は「むり」でした。
スポーツは苦手です。興味も、あるかないかで言えば、ありません。
なんとか書けるかもしれないのは、経験のある水泳、持久走、バスケットボール?
あるいは(ここ数年の自分の関心事項のひとつが「人間以外の生き物との共生」なので)動物が関わる流鏑馬、乗馬、競馬、ドッグレースあたりならば、興味が持てるかもしれない。
そんなところからネタ出しをはじめたのですが、良い案が浮かばず、足踏み状態がつづきました。
ちなみに、オリジナルの競技を作ることについては、考えもしませんでした。4,000字の尺のなかにルール説明から競技シーンまでを収めるのは技術的に不可能だと思ったからです。この難題に果敢に挑んだ作品のひとつ「城南小学校運動会午後の部『マルチバース借り物競走』」の読者賞受賞は、嬉しく、気持ちのよいものでした。
ーーー
・「かぐやSFコンテスト」という場をふまえて:
「私たちは、”世界の人々に読まれる”という前提でSF小説を書いてもらうこと(略)で、日本のSFを更に前進させていきたいと考えています。」
コンテストのステートメントにあったこの言葉を、私は以下のように解釈しました。
「もしも世界中のひとと対話ができるなら、なにについて話したい?」
わくわくする問いかけです。遠くを見ようとすることで視野が広がり、ふだんの自分には書けないものが書けるような気がしてきます。
伝えたい、とか、訴えたい、とかではなくて、意見を交換し、語りに耳を傾けあい、それぞれの日常に戻ってからも考えつづけたい。そんな、私たちみんなにとって大切な話題ってなんだろう?
ただ、これに拘りすぎると、おそらく作品が押しつけがましくなってしまいます。
あまり意識せず、だけどふんわりと頭の片隅に漂わせておく。そのていどに留め、モチーフやテーマを探しつづけました。
ーーー
・はじめに書こうとした話:
デザインド・アスリート(競技をするために遺伝子操作で作り出された強化人間の意。造語)の女子短距離走選手が、事故によって心身に傷を負う。乗馬療法を受けるために訪れた牧場で、彼女は、今は存在しない競馬という競技のために作られた、サラブレッドという種の馬と出会う。役目を失い絶滅危惧種となったサラブレッドと交流するなかで、その姿に自分自身を重ねるようになり……
という話を考えていました。
ざっと書き、捨てました。
これじゃ、馬が人間を描くための道具になっている。
ーーー
・馬を描くなら馬の話を:
人間を描くための道具として、馬を使いたくない。そう思ったのは、私が日頃から人間中心主義を居心地悪く感じているからです。馬を出すならば馬の話を書こう。そう決めて、最初の案はボツにしました。
でも「今は存在しない競馬という競技」という切り口は、悪くないかも。その世界の競馬は、どうしてなくなったのだろう?
答えを探しつつ調べものをしてゆくうちに、徐々に「叫び」の原型が定まってゆきました。
人間を描くための道具として馬を使いたくないと書きましたが、馬を描いたことで人間の話にもなるのは、大いにありです。
結果的にはそういう話が書けたのではないかと思っており、また、感想のなかにもその部分を汲み取ってくださったものをみかけ、ありがたいなあ……と頭を下げました。
ーーー
・馬をどう描くか:
おおまかな形が定まってからも、考えることは尽きませんでした。
もっとも大きく、かつ根本的な悩みは、「馬と人間の関係」や「馬(をはじめとする動物)の倫理」というテーマの難しさでした。
この複雑で繊細な問題を、資料から得た知識しか持たない自分に扱えるだろうか。馬の関わる産業と文化を、覚悟をもったうえで馬とともに生きている人たちを、ただ雑に批判することになってしまわないだろうか。
また、語るための言葉をもたない相手の声を都合よく捏造して「代弁」するのは、暴力的な行為でもあります。
馬という、おそらく人間とはまったく異なる形をした心をもつ存在を、人間に寄せた形で描くことが、このテーマを扱う上で最適な方法だとも思われない。
にも関わらず書かずにいられなかったのは、改めて資料にあたればあたるほど、前々から気になっていた馬と人間の関係の不均衡性から、いよいよ目を逸らすことができなくなっていったからです。
人間とともに走��ことを愛し、競走馬として生きることに幸福を感じる馬も、もちろんいるでしょう。
けれど、かれらの陰ではデビューに至らなかった馬や引退した馬がモノのように処分されている。その数は、日本だけでも年間七千頭と言われています。競走馬として脚光を浴びた馬であっても、レース中や調教中の怪我が原因で安楽死させられるケースは跡を絶ちません。過酷な日々を通じて身体に蓄積してゆく負担の大きさゆえに、寿命も短くなる傾向にある。
この状況を「そういうもの」として見過ごしていいのか?
私には、そうは思えませんでした。
馬と言語によるコミュニケーションをとることが現実的に不可能である以上、その「声」は想像することしかできません。それは代弁と紙一重の危うい行為であり、どこまでいってもエゴの域を越えられない。それでもなお、そういった試みがまったく存在しないよりは、マシなのではないか。少なくとも私自身は、一度作中で扱った問題に対して無関心でいられなくなる。ひとりの人間を変えることができるのであれば、その物語は、書くに値する。
こういった思考のすえ、「叫び」を書くことに決めました。
「叫び」は、馬と人間の対話の、単にひとつの可能性にすぎません。まだまだ、もっともっと、他の可能性も見てみたいです。作品としても、作品の外でも。この掌編がそのための呼び水となるのであれば、本望です。
ーーー
以上が、私が「叫び」を書くに至った経緯です。
「未来のスポーツ」というお題と真っ向から向きあったというよりは、テーマを足がかりに自分の書きたいものを書いた。それが率直な実感です。
このお題がなければ書けなかったものが書けたし、今の自分にできることを全力でやりきった。その点では満足していました。
でも、これじゃ受賞は無理だな、とも思いました。大賞や読者賞にふさわしいのは、もっと正面から未来のスポーツを描いた作品です。
だったら、「最終候補入り」は?
それならば、ひょっとしたら、あり得るかもしれない。
��たを開けてみるまではわかりませんが、なんとなく、応募作には人間の競技者を主人公とするものが多いのではないかな、という気がしていました。
もしも最終候補に残った作品がぜんぶ人間の話だったら?
それよりも、9人の人間にまじって馬が1頭走ってる眺めのほうが、なんかよくない?
そんな光景が見たくない?
最終候補作が発表される前の数日は、そんなことをぶつぶつ言って、自分を奮い立たせていました。
が、いざ「叫び」が選ばれたと知ると、やってきたのは驚きでした。
ひとしきり騒いだあとで、じーんとしました。
あれを? 選んでくださったのですか? 未来のスポーツというテーマで? 本当に?
審査員方々の懐の深さに打たれ、清々しい敗北を喫したような、おかしな気分になりました。
それだけで十分に嬉しく、ありがたかったのに。まさか審査員特別賞という賞までいただけるだなんて。
審査員を務められた磯上竜也さん、井上彼方さん、岸谷薄荷さん、佐伯真洋さんは、いずれも作品や活動を通じて一方的に存じ上げている方でした。読み手としてだけではなく、人としても信頼できる方々。優しく誠実であろうとするがゆえの、シビアな目をお持ちの方々。そのようにお見受けしていたため、この4人に作品を読んでもらうのか……と思うと、わくわくするのと同じぐらい、胃が痛くなったものです。
選評を読む際は、緊張しました。
すべて読み終えてから、手紙みたいだ、と思いました。全力で書いた手紙に、全力のお返事をいただいた。そんな感覚です。
尽くしてくださった言葉から、「未来?」と戸惑い「スポーツ?」と疑問符を浮かべつつも、作品の声に耳を澄ませるようにして読んでくださったことが窺い知れ、「叫び」の肩をたたいてやりたくなりました。よかったねえ、こんなに真剣に、大切に読んでもらえて、お前は幸せものだねえ、と。
また、期間中の感想にはレギュレーション違反を避けるために反応できませんでしたが、みつけられたものはすべてスクショを撮り、何度も何度も読み返しています。
審査員のみなさん、読者のみなさん、読んでくださり、感想を言葉にしてくださって、本当にありがとうございました。
受賞はこのうえなく幸せなことです。
が、終わってしまえば、これもまた、ひとつの通過点にすぎません。
『新月』では何を書こうかと、今はそれで頭がいっぱいで、すでに胃がキリキリしはじめています。
ーーー
最後に。
冒頭にも書いたとおり、私にとって、かぐやSFコンテストで最終選考に残ること、もしくはKaguya Planetに作品が掲載されることは、ひとつの大きな目標でした。
Kaguyaにこだわる理由はたくさんあります。
そのうちのひとつが、Kaguyaは物語の力に対して自覚的な人たちが集まる場所だから、です。
SFには未来を引っぱってくる力がある。そのSFのための場を作る人たちと、そこに集う人たちの多くが「誰の足も踏まない」という意識を共有していることに、大きな希望を感じています。
その一員でありつづけられるよう、いっそう精進いたします。間違��ることだらけの未熟な人間ですが、これからも見守っていただけますと嬉しいです。
ーーー
〈補足〉
作中にマヌエラという人物が登場します。説明不足で伝わらない部分があったようですが、私は彼女を女性として書きました。(「マヌエラ」は、女性に多くみられる名前だと認識しています)マヌエラとエバは、レズビアンのカップルです。
SFを書く際は、現実の社会にふつうに存在しているのに透明化されがちな人たちを「なんの必然性もなく」登場させるよう心がけています。善良でもなければ悲運を背負わされるわけでもない、ただふつうに生活していてふつうに恋愛をしてふつうに破局したのであろうふつうのカップルとして、二人を描きました。
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ari0921 · 2 years ago
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我が国の未来を見通す(83)
『強靭な国家』を造る(20)
「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その10)
宗像久男(元陸将)
───────────────────────
□はじめに
 今回は、「国力」の要素として「政治力」を取り
上げようと思います。私は、依頼された様々な仕事
をこなしながら、原稿をしたため、時に講話資料な
どを作成したりしている自分専用の部屋を持ってい
ます。書斎というほど立派なものでありませんが、
そこには、部屋を囲む壁一面に固定された本棚から
溢れた書籍や資料の数々が“所狭し”と平積みされ
ています。
このたび、改めて気がついたことがあります。これ
ら数千冊の書籍の中で、「政治」と冠する書籍がほ
とんどないのです。振り返れば、著名な有識者の書
や内外の政治家の伝記などを通じて政治や外交を学
ぶとともに、様々な経験を通じて、「政治」につい
ては人並み以上に色々考えてきたと自負しています
が、これまでの人生で、「政治」について特別に学
んでみようと思ったことは一度もなかったのでした。
「政治家はもっと安全保障や防衛について知見を持
つべし」などといつも偉そうに書いたり、話したり
はしています。しかし、大部分の国民もそうであろ
うとは思いますが、国民の1人としてこちら側から、
「政治」とか「政治家」について理解を深め、歩み
寄ろうとする努力をしないままだったのです。これ
は反省すべき点と考えていますが、“時すでに遅
し”です。
このように、「政治」についてはまさに“浅学菲
才”の身で恥ずかしい限りなのですが、逆な言い方
をすれば、“開き直り”というか、あらゆる既存の
先入観とか主義主張のようなものとは“かけ離れ
た”第三者的な立場で、「政治力」について論じて
みようと思います。
さて、前回取り上げた話題を少し補足しておきます。
福島原発の処理水に関して中国から殺到している迷
惑電話に対する新たな対応策として、東京都は「あ
なたはご存じですか、中国の原発の中には、福島原
発の処理水のおよそ10倍のトリチウムを出すもの
があります」との自動音声で対応しているとのこと
です。これはあっぱれです。
しかし、政府や外務省、それに有識者やマスコミも
なぜこのような「事実」を声高に発信しないのか、
本当に不思議です。岸田首相も李強首相に面と向か
ってその「事実」を言えばよいのです。トリチウム
が本当に有害なら、だいぶ前から汚染されて迷惑を
受けているのは日本を含む周辺国なのです。
与野党議員やマスコミの中にも、いわゆる“親中
派”といわれる人たちがたくさんいるようですが、
中国の“いいなり”になっているのが親中派のある
べき姿ではないはずです。今の日本は「外交力」で
すでに負けている証拠なのでしょう。困ったもので
す。
▼「政治力」が「国力」に及ぼす影響
 
筆を進めましょう。古今東西の歴史をみるに、「政
治力」を発揮する国のリーダー(為政者)の良否が、
「国力」の発揮を左右し、その結果が、良くも悪く
も「歴史」として刻まれた例は枚挙にいとまがない
と考えます。
国民主権である民主主義国家においては、国民の精
神と選挙によって選ばれる政治家は不離一体です。
一方、京都大学名誉教授の中西輝政氏は自書『強い
日本をめざす道』の中で、「『政治は集票マシンで
票を集め、選挙で勝って権力を維持すればよい』と
いうような考えは『破滅の思想』である」旨を主張
し、自民党が民主党と政権交代し、下野した頃の自
民党を厳しく批判していたことを思い出します。
中西氏は、「政治家は自ら国際認識、歴史観、価値
観を保持するばかりでなく、国民の健全な価値観を
育て上げなければならず、戦後、それを怠ってきた」
と痛烈に批判したのでした。
確かに、最近の欧米列国において為政者を選ぶ際の
混乱などをみるにつけても、民主主義国家において
政治家を目指すには、国民の支持を得る必要があり、
国民に健全な価値観が育っていないと、それ相応の
政治家が選出され、その結果、国家が“あらぬ方
向”に向かってしまう可能性があります。
歴史をみれば、自分本位の身勝手な意図を持つ者た
ちが大衆を先導し、ポピュリスムに陥った例は数え
切れません。民主主義とポピュリスムの先にある衆
愚政治(暴民政治)はまさに“紙一重”なのでしょ
う。このような特性に加え、「意��決定に手間と時
間がかかる」とか「政策の継続性が失われる」など
民主主義国家には、大きな“弱点”(“落とし穴”
というべきか)があるのも事実なのです。
2021年7月、中国共産党100年式典において、
習近平総書記は、中国共産党の歴史の中で数千万人
の犠牲者を出したといわれる大躍進や文化大革命な
どの“人命軽視”には全く触れず、上記のような民
主主義の“弱点”を突いて、「社会主義以外の政治
は失敗した」と共産主義の正当性を主張したのは記
憶に新しいところです。
さて、本メルマガでは他の識者に倣って、「国力」
を構成する「ハード・パワー」の一つとして「政治
力」を位置付けていますが、のちに触れる「ソフト
・パワー」としての「国家戦略」や「国家意思」は、
まさに指導者が「政治力」を発揮し、国家や国民の
価値観を集約したものであることなどを考えれば、
「政治力」は、「国力」の「ハード・パワー」の1要
素というよりも、「ソフト・パワー」に分類された
方が適切なのかも知れません。
しかし実際には、対外的な「政治力」(「外交力」)
は、「経済力」や「軍事力」などとともに国家の諸
力を総合した「強さ」として、“国際社会にどの程
度影響を与えるか”の尺度になるものでもあります。
「政治力」単独の国際比較は見当たりませんが、こ
れら国家諸力の比較という点では、すでに紹介しま
したように、米誌「USニューズ&ワールドレポー
ト」が「世界で『強い』国のランキング」を発表し
ており、1位アメリカ、2位ロシア、3位中国、4
位ドイツ、5位イギリス、6位フランスに続き、日
本は7位にランクされています。
アメリカ発のレポートということもあって、少し
“買いかぶっている”という印象を持たざるを得ま
せんが、日本に対する総評は、「世界で最も洗練さ
れ、技術発展の進んだ国の1つ」とありますので、
「政治力」(外交力)よりも「経済力」とか「技術
力」が評価されたものと考える必要があるでしょう。
話題は変わりますが、選挙によって選ばれる政治家
に対して「自分たちの代表である」と考えているの
か否かについて興味深い調査結果があります。特定
非営利活動法人「言論NPO」が2019年に実施
した「日本の政治・民主主義に関する世論調査」で
す。それによると、「政治家を自分たちの代表だと
思わない」との見方が45%となって、「代表だと
思う」(42%)を上回っていました。特に、若い
世代ほど「代表と思わない」との傾向にあるようで
す。   
さらに、「政党や政治家に日本が直面する課題の解
決を期待できない」と考えている人は71%を超え
るなど、政治に対する国民の信頼が低下しているこ
とが明らかになっています。これまでの歴史に加え、
毎度の国家の議論などから、そう思いたくなる気持
ちも理解できるような気がします。
実はもっとショッキングなデータもあります。「ベ
ネッセ教育総合研究所」が中学生や高校生に対して
行なった、若者の“政治離れ”の象徴といえるよう
な調査結果です。調査自体はかなり前ですが、「私
個人の力では政府の決定に影響を与えられない」と
いう問いに対して、「全くそう思う」40%、「ま
あそう思う」41%を加えると81%を超える若者
が肯定しているのです。
同じ問いの調査に対して、アメリカは43%、韓国
は55%。中国であっても44%となっており、我
が国の若者たちは、自分自身の力と政府の決定の間
に、選挙によって政治家を選出するシステムのない
中国を上回る「距離感」を感じているのです。
これは由々しき問題であると思いますが、このよう
な「政治に対する国民意識」には、戦後の若者教育
が強く影響を与えていると考えます。中西氏の指摘
のように、国民の健全な価値観を育てる「教育」の
改善を放置してきたことを含め、「政治」の分野に
おいても、戦後70数年の“ツケ”が溜まりに溜ま
っていると考えざるを得ないのです。
▼「政治力」が「国力」に及ぼす影響(続き)
もう少し続けましょう。同じく京都大学名誉教授の
佐伯啓思氏は、自書『反・民主主義論』において、
戦後の我が国の民主主義の論理矛盾について「日本
を滅ぼす『異形の民主主義』である」として鋭く詰
め寄っています。なかでも「デモクラッシーは基本
的には大衆という多数派の支配の政治なのだが、そ
れがうまくゆくためには、少数の賢者がこの多数派
を指導していかねばならない」と述べています。
つまり、「指導者は、社会の日々の変動や情緒が渦
巻くこの時間と空間を相対化し、過去や未来という
長い時間のうちに現在を置き、世界という視野に立
ち、ある程度、状況から身を引き離して眺める時間
と能力をもって、その立場から国民が本当は何を求
めているかを解釈する位置にいなければならない。
そして、新聞調査などによって即興のイエスかノー
かを集計した『世論』ではなく、目には見えない、
統計数字には出てこない経験や思慮を通じた『輿論』
の中にある『民意』を理解し、多数派の精神的な指
導者として『世論』を『輿論』に変えていく役割を
果たすことによって、はじめて『主権は人民(国民)
にあり』が成立する」旨のことを、吉野作造氏の主
張を引用しつつ展開しています。
これらの言葉の一つ一つに全く納得するものがあり
ます。国の指導者たる政治家は、国民から選ばれな
がらも、一般の国民などがはるかに及ばない知恵や
リーダーシップを保持し、官僚や各界の専門家を凌
駕する“ジェネラリスト”として、“国家として何
をすれば良いのか”の視点に立って「国家の舵取り」
を果敢に実施する気概と知恵と実行力が求められて
いるのです。
そのためには、中西氏や佐伯氏が指摘するように、
政治家は、主義主張に多少の違いはあっても、その
根底に国家観や歴史観や愛国心を保持し、過去、現
在、未来という歴史の繋がりの中で、世界的な視野
に立ち、客観的な立場で物事を判断できる「資質」
を保持する必要があると考えるべきでしょう。
実際には、選挙によって当選さえすれば、政治家と
しての「資質」を何ら問われることなく、“だれで
も”政治家になれます。だからこそ、一度も登院す
ることなく外国に所在し続けたような人物でも国会
議員になれたわけだし、収賄事件などに関与する政
治家も後を絶たないのです。
「落選すればただの人」とよく言われますが、私は、
逆に「当選さえすれば誰でも政治家になれる」よう
な“現状”をこのまま放置してよいのかという疑問
を消え去ることができません。
個々の政治家が、政治家の必要条件としての「資質」
を保持しておれば、アプローチが異なる政党が複数
存在し、相互に活発な議論を交わしても、国民の政
治に対する信頼は揺るがないし、我が国の「政治力」
は、世界に伍して評価されるレベルに届くと確信し
ます。
特に、対外的な意味で言えば、細部の紹介は省略し
ますが、戦後政治の中で、安倍元首相のように、日
本の「外交力」を世界に知らしめた政治家が輩出さ
れていますので、要はやはり「資質」なのだろうと
思います。
この「外交力」の行使にあたって最も優先すべきは
「真の国益」であることは論を俟ちません。現下の
情勢において、我が国の「国益」上最優先すべきは、
日米同盟などと連携を図りながら「台湾有事」を何
としても回避することでしょうから、そのためにあ
らゆる国家諸力を総和して対処するとの強い意志を
もって「外交力」を駆使することが求められている
と考えます。
冒頭の福島原発の処理水をめぐる岸田首相の発言な
ど���ついても、“外交上の最優先課題を念頭におき、
「何を発言すべきか」を考えているのか”と言いた
くなるのです。逆に中国側は、発言の一言一言が自
分たちにとって“最も有利な態勢造り”(つまり
「国益」)を考えつくした上での内容であることは
明白です。中国との間では、しばらくこのような
「外交戦」や非軍事面の“戦い”が続くことでしょ
う。ひるんだ方が負けですし、実際に「台湾有事」
が現実になった場合に被る影響は途方もないものが
��ります。
ポスト・ウクライナ戦争において、我が国はロシア
とどのように向き合っていくべきかについても外交
上の課題となることでしょう。中国、ロシア、それ
に北朝鮮を相手に、我が国の「政治力」(外交力)
が本当にその力を試されるのはこれからでしょう。
▼「国力」の1要素としての「政治力」総括
様々な危機に直面している今、「国力」の維持に代
表されるような、次の世代に残していかなければな
らない「国家のあり様」に関する根本的改革に向け
た議論が待っていると私は考えます。その牽引車は、
何と言っても政治家の先生方であり、強い「政治力」
をもってはじめて成し遂げられることでしょう。
前にも、「政治家のだれかが『君子豹変』すること
をひたすら祈り続けている」と書きましたが、今を
生きる世代の先頭に立って、我が国の「政治力」、
ひいては「国力」の大幅アップにチャレンジしよう
とする、卑近な言葉を使えば、“真っ当な政治家
(達)”の出現を待望したいものです。
思いの丈をだらだらと書き綴ってしまいました。門
外漢の立場であまり口を出すと、様々な批判の声が
聞こえてきそうなのでこのあたりで止めますが、さ
ほど優先順位が高いとは思わないような案件が政局
となって貴重な時間を費やし、それを年中行事のよ
うに繰り返していることが、結果として国民の政治
不信と政治離れを加速し、「選挙と政局しか関心が
ない政治家」と揶揄されるような“現状”になって
いるのではないでしょうか。
政治家の先生方には、我が国が直面するであろう厳
しい将来環境とともに、このような“現状”の根本
原因の究明と対策について、“自らの身を切る”覚
悟で分析・検討して改善してほしいと願っています。
実際に少子高齢化に向かう我が国にあっては、国政
も地方自治体も現在のような政治家や官僚(地方公
務員)の規模を抱えている余裕はなくなることでし
ょう。そんなに遠くない将来に、政治家の質と量両
面から“大ナタを振って”大改革を断行しなければ
ならない時期が迫っていると考えます。
一方、有権者たる国民の方も、このままでは将来に
禍根を残すことでしょう。前に紹介しましたが、イ
ギリスの歴史家トーマス・カーライルの「この国民
にしてこの政府あり」の言葉のように、選ぶ側のレ
ベル以上の政治家が輩出されることはなく、その延
長で政府もそのレベルに留まるということは、戦後、
我が国が“最適な制度”として選択した(選択させ
られたというのが真実かも知れませんが)民主主義
の本質です。
どちらが鶏か卵か、は難しいですが、政治家として
の「資質」を有する人物を指導者として選ぶのは有
権者たる国民です。そのため、国民のレベルを上げ
ていく必要があることもすでに述べました。しかし、
戦後70数年の間に定着し、「戦後の形」を形成し
ている国民の「行動原理」を“1ミリでも変える”
ことは容易なことではありません。
このあたりの「国民意識」についは最後に取り上げ
ようと思いますが、その第1歩として、次回以降取
り上げる「科学技術」や「教育」にも“メスを入れ
る”必要があるでしょう。私たち・戦後世代の責任
として真剣に取り組まなければならい分野はまだま
だあると思っています。“間に合えば良いが”と、
つい考えてしまいます。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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yotchan-blog · 9 hours ago
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2025/6/27 10:00:06現在のニュース
「まさか自分が休学するとは」 メンタル不調抱える大学生が増加傾向:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/6/27 9:57:37) AIIBへの参加余地なし? 元ADB総裁が見る日本の立ち位置 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/6/27 9:55:00) いじめ調査報告、市教委が提供拒否 被害者は開示請求で入手 愛知 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/6/27 9:55:00) 映画の推し事:青春ミステリー「リライト」で見つめ直した“私だけの思い出” | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/6/27 9:55:00) 西陣空襲から80年 「次世代につなげる」2回目の献花式(毎日新聞, 2025/6/27 9:52:30) 座間9人殺害事件とは SNSに自殺願望を書き込んだ女性らが被害に(朝日新聞, 2025/6/27 9:50:24) 「羨ましくて」 上司宅で3300万円分の貴金属を窃盗か 男性逮捕 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/6/27 9:49:00) 24色のペン:25年のひきこもりを終わらせた「支援」=黒田阿紗子 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/6/27 9:49:00) なぜ税は嫌われるのか 負担減を競い合う政治が語るべきことは:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/6/27 9:45:13) 座間事件の白石隆浩死刑囚に刑を執行 死刑執行は約3年ぶり 法務省:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/6/27 9:45:13) こども誰でも通園制度 試行した全118自治体アンケート回答詳報 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/6/27 9:43:12) こども誰でも通園 「国の補助金不十分」7割 試行自治体アンケート | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/6/27 9:43:12) 「こども誰でも通園制度」誰のため? 疲弊する保育現場の苦悩と現実 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/6/27 9:43:12) 座間事件の白石隆浩死刑囚に刑を執行 死刑執行は約3年ぶり 法務省(朝日新聞, 2025/6/27 9:42:48) 触ると皮膚ただれる危険植物「バイカルハナウド」か 北海道大に自生:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/6/27 9:39:25) 恐竜時代の海「イカだらけ」と判明 定説に反する化石を北海道で発見:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/6/27 9:39:25) 座間9人殺害事件・白石死刑囚の死刑執行 執行は2年11カ月ぶり(毎日新聞, 2025/6/27 9:38:07) 老舗の色あ��ぬ金紙作り 職人たちが手作業、竹ばさみでそっと | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/6/27 9:36:33) (異論のススメ スペシャル)戦後80年「ごっこの世界」 佐伯啓思:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/6/27 9:34:10) PFAS汚染訴えてきたイタリアの母たち 「三菱商事は態度改めて」:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/6/27 9:34:10) クマ出没で閉鎖の山形空港、27日は朝から通常通り 敷地内に姿なし(毎日新聞, 2025/6/27 9:31:02)
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yoghurt-freak · 2 months ago
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サゴタニ牧農 ヨーグルト きび糖 やさしいあまみ
頂き物の砂谷さんのヨーグルト、これで最後。
ブランドリニューアルでシンプルなパケになったの、実はちょっと寂しくもあるんやけど、商品の特徴はすごくわかりやすいなぁ。
ドリンクも久々に飲みたいし、現地も見たいから、また広島に行く予定を作らねば🚄
砂谷さん創業話
何度か講演会などでお聞きした話。
創業者の久保政夫氏は佐伯郡砂谷村(現・広島市佐伯区湯来町)生まれ。
最初は酪農家ではなく小説家を目指して上京されたそう。
でも元々体が弱かった上に運動・栄養不足が祟って腎臓を患うことに。
そんな時にお医者さんから勧められたのが牛乳やったんやって。
でも当時(昭和5年ごろ)の東京では牛乳は1升1円と超高価💸
ところが同じ東京でも酪農が盛んな八丈島では1升6銭とあって移住。
畑仕事をしながら牛乳を飲んでたらすっかり回復して、ご自身でも酪農を開始。
そんな時に故郷で暮らす妹さんの訃報を聞き、故郷に酪農を持ち帰って広めることを決意。
八丈島から牛23頭を連れて船と列車で広島に戻ってこられたそう。
スペック
2021年9月1日に「なな子さんヨーグルト」からリニューアル。
イソマルトオリゴ糖、沖縄県産のきび粉糖、食物繊維入りのプレーン加糖ヨーグルト。
低温殺菌の砂谷牛乳を80%使用されてて、ヒトの大腸・小腸を代表する【7種類】の乳酸菌で発酵。
この【7種】が【なな子さんヨーグルト】の名前の由来やった���たい。
これは個食カップサイズのみ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧ 開封 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧
蓋裏にぶわぶわがたっぷり付着。
カップの中のヨーグルトは液体…??
すくってみると、水みたいにゆるい部分と、柔らかい固形の部分が両方ある。
混ぜ戻せるかなと思ったけど、混ぜたらほぼ水みたいな液状に。
きび糖の影響か淡いベージュ。
なめらかな質感で、香りはやや甘め。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧ 頂きます🙏 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧
おいしー💛
ほっこりした甘さのヨーグルト。
質感はほぼ飲むヨーグルト。
スプーンですくうよりカップに口をつけて飲みたい感じ。
じんわり広がる甘みが魅力的で、優しさに包まれるような味。
ゆるいからかな、よく冷えて感じる❄️
蓋裏に溜まって水分が抜けてた部分がぽってりうまうま😋
クセもなく重さも感じず、するりと体に染み込むように食べられる。
上質な暮らしの一コマ感があってうっとり。
============================ 無脂乳固形分 11.0% 乳脂肪分 3.2% ————————————————— 栄養成分(1個110gあたり) エネルギー 112kcal たんぱく質 4.5g 脂質 3.6g 炭水化物 15.3g 食塩相当量 0.19g カルシウム 162mg ————————————————— 原材料名 乳(生乳(広島県))、乳製品、イソマルトオリゴ糖、砂糖(沖縄県産きび粉糖)、食物繊維 ————————————————— 製造者 砂谷株式会社 ============================
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2021年11月27日のレビュー
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サゴタニ牧農 ヨーグルト きび糖 やさしいあまみ
これだけ9/1リニューアル🎉
(ほんまはヨーグルト一式9/1リニューアル予定やったけど、他のが1ヶ月延期になってたのでした)
リニューアルポイント
特徴的やった沖縄の「きび糖」での甘味づけが商品名に反映されて、ボディもきび糖色になってわかりやすい💛
しかも「すっきりまろやか」とか「やさしいあまみ」とか、特徴も簡潔に書き添えられてて、初めての人にも優しいパッケージやなぁ👀💕
牛乳のチカラ
創業者の久保政夫さん、初めは酪農ではなく小説家を目指されていたそう。
でも元々体が弱かった上に運動・栄養不足が祟って腎臓を患うことに。
そんな時にお医者さんから勧められたのが牛乳やったそう。
八丈島へ
当時(昭和5年ごろ)の東京では牛乳は1升1円と超高価💸
ところが当時酪農が盛んやった八丈島では1升6銭!
そんなわけで八丈島へ移り住み、畑仕事をして牛乳を飲むうちに体力も回復し、ご自身でも酪農を開始。
この創業者さんと牛乳のお話を聞くだび、今の砂谷さんのご活動や品質へのこだわりもなるほどなぁと思う🤔💓
スペック
イソマルトオリゴ糖、沖縄県産のきび粉糖、食物繊維入り。
低温殺菌の砂谷牛乳を80%使用されてて、ヒトの大腸・小腸を代表する【7種類】の乳酸菌で発酵。
これが旧【なな子さんヨーグルト】の由来✨
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧ 開封 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧
おや👀✨
プレーンと全然違うビジュアル!
ほんのり黄色くて、最初っからきめ細かくてとろっとしてる。
少しだけ粘度も低いんかなぁ??
すごく軽いクリーム状。
発酵の香りはやや弱めで、甘いのが乗ってる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧ 頂きます🙏 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧
かるっ😳
全然違う!!
プレーンは重さを感じる質感やったけど、こっちは瞬時に消える✨
酸味も控えめで、ほっこりした独特の甘さ。
飲めそうな質感。
あ、酸味控えめって思ったけど違うな🤔
甘みに上手いこと隠れつつ、旨味をぐーっと引っ張りだしてくれてる💕
食感的にはあっさりやけど、味はしっかり!!
うまぁ💓
でもわたし、プレーンのあの安定感あるずっしり味に虜になってしまってる…🙈
きび糖バージョンが物足りんく感じるようになっちゃった。
こっちの方が無脂乳固形分の数値高いのに不思議。
砂谷さんのヨーグルト食べるなら断然プレーン派❤️❤️❤️
🛒 サゴタニ牧農 オンラインショップ
============================ 無脂乳固形分 11.0% 乳脂肪分 3.2% ————————————————— 栄養成分(1個110gあたり) エネルギー 112kcal たんぱく質 4.5g 脂質 3.6g 炭水化物 15.3g 食塩相当量 0.19g カルシウム 162mg ————————————————— 原材料名 乳(生乳(広島県))、乳製品、イソマルトオリゴ糖、砂糖(沖縄県産きび粉糖)、食物繊維 ————————————————— 製造者 砂谷株式会社 ============================
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officek-paper · 2 months ago
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2014-05 吉祥寺マンダラ2
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unbeltipo 今堀恒雄(g) ナスノミツル(b) 佐野康夫(ds) 寺本明子(vo)大竹創作(pf)/and more Nobori Eri (vo.pf) /航(vo.pf) 18:30/19:30 当日¥3500 上鈴木伯間.Capposight持田浩嗣.コテキング・久住昌之 六道カナ・吉賀大史郎.団地妻力美.潟見邦代.cana. 【出演ポーカリスト】 1500 THE HOOTS RAO(ds) TETTA(9) SHAKE(key) WARAS(b) [菊尾浩司送別ライブバーティ] 日 土 MASCA=てるり(vo.toys)&てそん(vo.9) 横澤龍太郎(vo.perc)美尾 洋乃(vo.vin) ?マスカと仲間たち、海へ向かって? [てるり渡航前夜祭] night> 前売¥2000 Shake(key)小倉論(b)栗木健(perc)荊尾浩司(ds) 久住昌之(vo.g)フクムラサトシ(Sax.recorder) 久住目之&BlueHip jammingle (Yuri/pf&Keiko/vo) / Ring-O-Transfer 9金 8木 7 水 Stevie Wonder Tribute Live vol.26 [ wonderlove live ] 鎌田ひろゆきトリオ 円山天使(9)丹菊正和(perc) 小山車治 with Mercy 秋山葉/Emi /and rore 〔地下一階のコンサート] 小川紀美代(bandoneon)岡地(carinbo)Rico(v0.pf) [?マイウェイ・ユアウェイ・アワーウェイ?] 12:00/12:30 前売¥3000 尖 下中商会神田光また、五。六※(10-9) [Sweetボップの小箱ツアー] mue (vo.g.pf)/富山優子(vo.pf) 磯たか子&Sweet Sunshine 磯たか子(vo.key) 三浦智津子(ds)本真也(b)山口食(9)関春彦(perc) 月 遠峰あこ/桜井明弘 金谷ヒデユキ&JAF/寒空はだか [桜荘 vol.7] 土 直枝政広 佐藤幸雄二人会 金 Trinite 18:00/19:00 16:00/17:00 前売¥3000 前売¥3000 20:00 drink ?2300 Orink 18:00/19:00 小森慶子(cL) 小林武文(perc) shezoo(pf)壷井彰久(vin) ?存在しない国家の札作り、美しい詐欺のようなカルテッ [ Trinite Live] 1木知久寿焼(o.g) ト? 2800 ハルコフラン / 小川英一(vo.g)/and more THE KANGA /ラヴハンターズ /はいからさん なぎら健志(o.9) OWN RISK 前売¥3000 当日¥3300 出演希望の方は、デモテープ・写真をご用意の上ご来店下さい。 日 位高太一(b) THE 北澤コイチーズ藤山高浩(vo.key)小出葉子() ジャスミン(vo.pf) 春日善光(vo.9) LOVE&WORK /S★Sプロジェクト NII.高橋克弥(45)大郷良知(30x)橋本貴久(tb) 大竹創作(vo.pf)大竹幸平(9)堀野津(b) オラン(vo.ac) /and more 火取ゆき(.)with石塚俊明(c) ヨロ昆撫 【唄と小咄・ヨロ市、踊り子・きる実のガレージカラオケユニット】 タカダアキコ/MNB/仲田美代子 Ayumi / Junko / TIDA/ 【ダンス】 Sherihan as Babel Naoko 【ダンスパフォーマンス】 [踊りエクいジワvol8] ヘラーズ/るーずばんてい/ and nore ヒノヒデキ(vo.g)ノロゴロー(vo.b)オカベワタル(vo.ds) WALRUS 18:30/19:00 drink 時間:開場 18:30/開演19:30 そのうつつ、 中野悠平(vo.g) たくまろ(vo.g)/ red swamp cray fish (vo.g) 知念弘(vo,pf.9)/pakira(vo.g)/ HITT(vo.pf) 大竹創作(vo.pf)/雨本ふみ(vo.g)/飯浜ゆきに(vo.g) 三上寛濱田金吾谷ちえ子玉貴 櫻井明弘 松村團四郎 【ゲスト】 松藤一英(perc) サスケ(.-9)Deep寿(pf) 箱守夫(9) [〜サスケ再始動!〜] 【スペシャルサンクス】 15:00/16:00 土 18:15/19:00 金 Amico) あんり(as)古賀弘史(pf) nasca(key) たけ(sax/EWI) AmiPV『ありがとう』発売記念 mAdE.タカスギケイ(9)橋本学(ds)許斐美希(vin) のぶ(°) 丸本達也(vo.9)竹内大橋(p)/斎藤さこ(vo.pf) 前売¥3000 drink コロチ0つしし 料金:¥2200+ドリンクオーダー(異なる場合はスケジュール表内に表記してあります。) 〒180-0003 東京��武蔵野市吉祥寺南町2-8-6 第18通南ビル 吉祥寺駅 南口 MANDALA. NEXT MONTH THE TON-UP MOTORS 6/4.11.18.25 三宅伸治Every Wednesday 2014 6.1(sun) 土佐拓也 6.6(fri) SONOROSA 6.7(sun) 加藤千晶ガッタントンリズム 6.20(fri) 豊田勇造 6.21(sat)豊田道倫佐藤幸雄二人会 6.22(sun) 芝草玲:ツアー 『たたみ46』 〒秋楽n吉祥寺 メジャー1st FULL ALBUM ITHE TON-UP MOTORS. VAP 絶賛発売中! 南壽あさ子 どこか懐かしさを感じさせる情景を描く音にのせて、澄みきったまっすぐな歌声は混迷した世の中に羽ばたきっく www.nasuasaco.com MANDALA GROUPから 列はメジャーデレーー シングル「わたしのノスタルジア」 (トイズファクトリー)絶賛発売中。 http://www.mandala.gr.jp ライブ終了後 AM0:00 まで営業しております。 2014 MAY LIVE SCHEDULE MANDALA 2 City Hole's Bar てるり渡航前交 MASCAと4門たも海へ向かって。 5.11 SUN unbeltipo 今堀恒維() ナスノミツル(1) 佐野県夫(ds) 5.14 WED
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kennak · 8 months ago
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首都圏で住宅を狙った強盗事件が相次ぐ中、広島県内で「トイレを貸して」などと言って民家を訪ねる不審者情報が10月以降、少なくとも10件以上、県警に寄せられている。県警は資産状況や家族構成を把握する「下見」の可能性があるとみて警戒を強めている。  県警によると、不審な人物の訪問は広島市佐伯区や東区、安佐南区のほか、廿日市市や東広島市で1~4件発生。単独か複数人で日中や夜間に「トイレを貸して」「ジュースをくれ」などと言って訪れ、家族構成、家が留守になる時間帯などを聞いてきた。30代くらいの男2人組が県外ナンバーの車で訪れるケースもあった。  首都圏の事件では、事前に現場周辺でリフォーム業者などを装った不審な訪問が確認されている。山口県光市では10月、民家に強盗に入ろうとしたとして関東地方の14~18歳の中高生3人が強盗予備容疑で山口県警に逮捕される事件も起きた。  中国地方の5県警は、住宅街や山間部のパトロールを強化するなどしている。広島県警は、施錠の徹底▽知らない相手を家に入れない▽個人情報を伝えない―などの対策をホームページや防犯アプリで情報発信。「怪しいと感じたらすぐに110番して」と呼びかけている。 朝食を済ませくつろいでいるときに  「トイレを貸して」。10月に不審な男の訪問を受けた広島市内の80代女性が中国新聞の取材に応じた。男は勝手口から無断で入り、女性がトイレを貸すと「両替してくれ」「1人か?」とも言ったという。「(強盗などの)下見だったのかもしれない。最初から断ればよかった」と女性は悔やむ。  男が勝手口から入ってきたのは10月10日午前8時半ごろ。朝食を済ませ、リビングでくつろいでいるときだった。突然、台所の勝手口が開き、シャツに黒髪の30代くらいの男が現れた。  男は黒色のかばんをテーブルに置くと「トイレを貸してくれ」と告げてきた。状況がつかめないまま女性が場所を教えると、数分後に男は戻ってきた。すると小銭を握り「両替してくれ」と言う。「お金はないです」。そう返すと「1人か?」とも聞かれた。とっさにうなずくと、返答することなく男は勝手口から去ったという。 勝手口の鍵は必ず閉めるように  女性はその後、町内会長を通じて警察に通報した。首都圏で相次ぐ強盗事件についてはニュースで知っていたが、当日は結び付けて考えることはできなかったという。両替は、現金がある場所を探るためだったのではないか、と今は思う。  「玄関なら追い返したり、断ったりできたが、勝手口は盲点だった。鍵を閉めていなかったことや問いかけにうなずいたことを反省している」。現在、自宅には防犯カメラを設置し、警備会社とも契約した。洗濯やごみ出しのために開けていた勝手口の鍵は必ず閉めるようになった。  「下見や強盗はいつどこで起きるか分からない。人が入ったら急変する可能性もある。とにかく中に入れないことが大切だと思った」と話す。
突然、勝手口開き「トイレ貸して」 不審者訪問、広島県内で10件以上 「両替して」「1人か」の問いかけ、強盗の下見だったのかも(中国新聞デジタル) - Yahoo!ニュース
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yutakayagai · 9 months ago
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幸雄は二日間、佐伯家でお世話になった。その間、浩二は時間を見て茨城県内をドライヴして回った。一日目は大子の袋田の滝や常陸太田の西山荘など県北、二日目はつくばの学園都市や土浦の霞ケ浦などの県南の名所を回り、常陸秋そばや常陸牛も堪能した。美津雄は小百合とずっと家にいたが、浩二の幸雄に対するおもてなしが異常だと思った。しかし、まァ、恐らくこれが冥土の土産になるンだろうと小百合は美津雄に話し、様子を見ることにした。
東京に一足早く戻ったみいは、夕方になると電話をした。彼女は、
「浩二さん、御免なさいね〜。幸雄さんも齢なンだからそちらでお陀仏されちゃ困るンだけど…。一応、橋場の息子さん達には事情を説明して了解を得てるので、何かあったらお電話してくださいね」
と話した。浩二は、
「いえいえ、とんでもないです。筑波山へロープウェイを使って筑波山神社にもお詣りをしましたが、その際に息子さんを連れて万博にも連れて行ったらしくて、記念公園に来た時はとても喜んでらっしゃいました。今のところお元気ですよ」
と伝えた。
いよいよ翌日、美津雄と小百合と一緒に東京に戻ることになった前夜、幸雄は荷物をまとめていた。浩二は様子を見に部屋を訪れ、忘れ物はないか聞いた。彼はないと言ったが、
「申し訳ないが、こんな年寄りの最後の我儘だと思って聞いて欲しいンだが…」
と話した。浩二は何ですかと聞くと、
「後でもイイから、浩志と一緒に撮った写真を送ってくれないかのぅ…。もしオレが死んだ時に、息子らに棺の中に入れて欲しいと遺書に残そうと思って…」
と言った。もはや浩志のいないこの世には未練はなく、明日にでも死んで構わないとの事。だが、幸雄さんは長生きしますよと、一昨日の夜、浩志と絡む夢を見て夢精してしまったことを思い出し、苦笑しながら浩二は話した。
そして、朝になって幸雄は美津雄と小百合と一緒に水戸駅へ向かい、浩二と改札口で別れた。彼は、
「色々よくしてくれて、本当にありがとう」
と、両手で浩二の右手を握りながら会釈をした。やはり九十代とは思えない、背筋が伸びた様子に浩二は改めて驚いた。年齢詐称でもしているのではと疑うほどだった。
幸雄たちを見送り、家に戻った浩二は再び独りになった。色々あり過ぎて疲れたなと思いながら応接間のソファに横になった。彼はそのまま昼過ぎまで寝入ってしまった。窓を全開にし、風がカーテンを翻しながら室内を行き交う。心地よさの故になかなか起きれ���にいると、インターホンが鳴った。誰だろう…? 浩二はソファから身体を起こし、声をかけた。その声は江利子だった。珍しいなと彼は思った。
「こんにちわ。お休みでしたか? 御免なさ〜い」
「いえいえ、先日はありがとうございました」
江利子の片手には、広樹の職場でもあるK百貨店のショッパーがあった。今、営業終了したI百貨店の跡地に移転するらしく、新店舗が建築中だった。江利子に差し出されると、
「そんな、お気遣いいただかなくても…」
と浩二は断ったが、彼女は満面の笑みを浮かべながら言った。
「実は、わたしたち、佐伯先生のお宅の隣に引っ越すことにしました!」
佐伯家の隣には、祖父母の代からずっと一組の夫婦が住んでいたが、最近子どもが水戸の郊外に二世帯住宅を建てたとのことで売却し、最近取り壊されて更地になっていた。浩二は、
「かえってよろしくお願いします。でも、何故?」
と聞いた。江利子は話した。
「佐伯先生から、『大樹君、共働きで面倒を見るのが大変ならオレが代わりに見てやるよ。浩二もいるし』と、生前言われてたンです。まさか亡くなるとは思わなかったから…。でも昨夜、先生が夢に出て来たンです! 『わりぃな、オレが約束しておきながら果たせずにくたばっちまって…。でも、浩二がいるから大丈夫だっぺ』って」
オイオイ、オレは何も聞いちゃいねぇよと内心思いながらも、
「…父さんが、夢に?」
と、ついに他人の夢にまで出始めたか!?と呆れてしまった。
利江子は仏前に線香をあげ、先生の好きなお酒買って来たわよ〜と備え、満代先生となかよくねと言い、帰って言った。突然の知らせに浩二は考え込んでしまったが、まァ、これも父さんの遺言だと受け止め、引き受けるかと決心した。
一年後に、広樹と江利子が小学五年生に進級した大樹を連れて来て、浩二は二人が仕事でいない時には面倒をみることになるのだが、最初は結婚も子育ての経験もなく戸惑うばかりだったものの、大樹も次第に浩二がいるのが当たり前だと思う様になっていった。そして、中学校に入学して間もなく大樹は精通し、第二成長期を迎えるのだが、浩二を最初の情人(アマン)として受け入れることになった。浩二も彼を愛し、一緒に寝ない時はないほどに布団の中で絡んだ。嗚呼、父さんの悪いところを譲り受けてしまったと、後に彼は後悔するのだった。
東京に戻った幸雄と美津雄・小百合は、上野駅の中央改札でみいと幸雄の甥が待っているのを認めた。別れ際に美津雄は、
「じいさん、元気でな」
と言った。幸雄は深々と頭を下げながら、
「…本当にお世話になりました。これ以上、思い起こすことはないよ。明日にでも逝っちゃってもイイ」
と話した。それを聞いたみいは、
「ほらほら、縁起でもない! ダメよ、浩志君だってびっくりするわ」
と強い口調で言った。
甥・俊介は幸雄が持っていた荷物を持ちながら、
「お義父さん、疲れたでしょ? ウチに帰ろう」
と声をかけた。俊介より幸雄の方が身長が高いことに美津雄と小百合は驚いた。
こうして幸雄はみいと俊介と一緒に地下鉄の乗り場の方へ向かって行った。美津雄と小百合も、御徒町駅前のスーパー「Y」で正夫と岳次が飲もうと誘われているので、このまま上野広小路を目指した。
この夜、俊介と家路に着いた幸雄は夢を見た。幸雄は、何故か浅草の「Kバー」で独りデンキブランを飲んでいたが、後から浩志が来て向かい側の席に座った。客はおらず、店員だけが二人の為に注文を受けていた。互いに齢を重ね、串カツやもつ煮を肴に二人はグラスを傾けた。完全に貸切りだった。夜なのか外は静かだ。ほろ酔い気分で二人はKバーを出て、車も人もいない歩道を言問橋の方へ歩いて行った。東武鉄道すら通らない、静かな花川戸の界隈を二人は歩いて行った。幸雄にとっては異様に感じたが、浩志がこの場を用意してくれたのだろうと思うことにした。
言問橋のちょうど真ん中に立った時、幸雄の脳裏にオスバルドプグリエーゼの「思い出」が流れた。両腕を広げ、浩志の片手を握り、もう片方の手を彼の腰に回した。二人は円を描く様に踊り始めた。夜空を仰げば満月が見え、その光が二人を照らしていた。浩志は幸雄の胸元に顔を寄せ、涙を流した。腰に回していた方の手指で幸雄は、浩志の頬を伝う涙を拭った。
「…泣くのはおよし」
そう言いながら、幸雄は浩志に接吻した。いつしか、未だ学生服を着ていた浩志に同じことをしたなと幸雄は振り返った。これを機に、浩志はアルゼンチンタンゴのレコードを集め始めたのだ。最初に買ったのは藤澤嵐子だったっけ? 「夜のプラットホーム」が大のお気に入りで、楽器で効果音をも表現するタンゴの魅力に惹かれ、すぐにアルマンドポンティエルのレコードを買い求めていた。「花火」と言う曲が脳裏に流れる中、隅田川花火大会の時には浅草の人気ないところで激情のままに浩志を愛したっけ? 次から次へと思い出が蘇り、幸雄も涙を流した。嗚呼、永遠に踊り続けたい…。しかし、まるで映画の様にブラックアウトし、夢は終わってしまった。
朝になり、幸雄は目を覚ました。上半身を起こしながら、
「…夢か」
と言葉を洩らした。彼は、近いうちにあの世へ逝くかもしれないと思った。
数日後、幸雄のところに郵便物が届いた。開封すると、恐らく彼が定年で新聞社を退職した時だろう、互いに笑顔を見せる浩志とのポートレートが入っていた。幸雄は俊介にその写真を見せ、大いに喜んだ。
そして、浩志の四十九日が終わったとみいを通じて話を聞いた夜、眠る様にして幸雄は九十余年の生涯に幕を下ろした。告別式には浩二も参列し、みいも駆け付けた。俊介は、
「まさか浩志さんの四十九日が終わった後に亡くなるなんて…。何か運命の様ですね」
と話した。みいはハンカチで目頭を押さえながら、
「…何だかんだ言って、これで良かったのかもね」
と言った。浩二も、
「きっとあの世でタンゴを踊ってますよ」
と、幸雄の遺影を見ながら涙を浮かべた。
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curu2 · 3 months ago
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『山下陽光「途中でやめる」販売会withくるくる市』のご案内
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【3/30(日)山下陽光の「途中でやめる販売会」with くるくる市】
くるくる市やるよー。
山下陽光氏を1日店長に迎えくるくる市をcotで開催します。
リメイクファッションブランド「途中でやめる」のデザイナーで「新しい骨董」のメンバーとして活動する現代美術のアーティスト山下陽光の販売会・アーティストトーク・お馴染みのくるくる市作家によるプロダクト・ワークショップ・フード・DJをお楽しみください。みなさまお誘い合わせの上お越しください。
日時   2025年3月30日(日)10:00-16:00
会場.  Alternativespace cot (山口市下市町10-16)
入場料   無料
主催 Life&eat Club[cot]
後援. 山口市文化交流課
Step1「途中でやめる」販売会
内容|リメイクファッションブランド「途中でやめる」販売会
Step2「アーティスト・トーク ラジオ公開収録」
トーク|15:00-16:00
講師|山下陽光(アーティスト)
モデレーター|会田大也([YCAM]アーティスティック・ディレクター)
Step3「ワイヤークラフトワークショップ&DJ」
WS参加費|300円/対象5歳~(4歳以下保護者同伴)
WS TIME|10:30-/11:30-/13:30-/14:30-(30分程度)
講師|Knit’s 臼杵万理実、テラダサチコ
DJ|etsuko|13:00-13:40
t.k  |14:00-14:40
1日店長 
山下陽光
Moderator
会田大也
Product
松村憲治
Product
鈴木康義
Product+Food
Kartika Menon
Workshop
+Drawing+Product
Knit’s
臼杵万理実
テラダサチコ
Dj
etsuko
t.k
Food
Cafe kotsu kotsu
晴れの日Catering
えぷろんず
佐伯美柚
池田そら
Recording
高崎鈴枝
山岡大地
*来場者駐車場としてCableTVの駐車場をご利用いただけます。情報センターバス停から湯田温泉バス停下車徒歩5分。
メンバー一同みなさまのお越しを心よりお待ちしております
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khrbuild · 4 months ago
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年齢や経験年数なんて数字は、
プロの世界では必要のないもの。
例えば
プロ野球選手、
若くとも成績を残すものだけがグラウンドに立てる。
小さくも我々職人の世界も同じ、
いかにより良いものを残したものだけが未来の仕事にありつける。
そして芸事の世界もそれは同じ、
舞台にあがると、いかに自分の世界に客を惹き込むかが勝負。
先日縁があってこの人の舞台を観ることに
講談師 「神田伯山」
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私からするとひと回りも若い伯山、
しかしながらその風���たるや、まさしく先ほどの年齢なんてただの数字。
舞台に上がると、
枕からゆっくり手繰り寄せられ、
羽織が 床にスッと落ち、
釈台を張り扇で
パッーン!!
と響くとそこは彼の世界。
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そしてこの伯山が人情物を話すと、目頭が熱くリなり涙がじんわり湧いてくる。
ハンカチを出す人も結構いました。
いろんな落語家の噺も沢山聴いた、
詳しいことはよく分かりませんが、落語とは明らかに違う講談。
そしてその独演会は、
25分の噺を2本、
最後に45分の噺がはじまるのですが、
終わるとその時間は10分程度だったかと錯覚するほどの引き込まれよう。
なんともおかしな世界を経験させてもらいました。
昔 水間寺のイベントで講談を見たことがあった、確かに面白かったがそこまで興味がなかったのですが、
しかしこの伯山の動画で見て、どうしても目の前で聴いてみたかった。
また夢1つ叶いました。
いつも初体験はジュンシュワーです。
【プチ豆知識】
講談社ってありますよね。
この名前は講談から由来されていて、その昔 講談師の噺を文字にしていた会社だったようです。
また講談の歴史は古く、落語は江戸時代ですが、講談の歴史は平安時代とも言われています。
そしてまた なかには講談の噺を落語でしたりなどもあるようですね。
・・・
皆さんご興味があれば一度劇場に足をお運びくださいませ。
かっこよかったワン。
ということで 伯山に負けず、カッコいい職人目指して頑張りましょう。
www(^_^;)
今月から新しく始まった水間にある先輩のお宅のリフォーム現場。
水まわりを全面改修。
システムキッチンからアイランドキッチンにということで、解体をはじめ、新しくできるキッチンのイメージをつくる
たまたま解体した、建具を簡単にくんで、アイランドキッチンの原寸大の模型w
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写真見たらほんまものみたいやなw
そして仕事から帰ってきた施主さんこれを見て、
「えーーーー!こんな大きいの?
ショールーム広いから小さく見えたけど、うちに来ると大きいね〜」
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と驚き。
確かにそうなるよね。
と言うためのシュミレーションでもあるw
せっかく何十年ぶりにリフォームするので、楽しんでいいものつくりましょうw
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これはキッチンの上の天井、
レッドシダーで少しインパクトつけてみましょう。
また出来上がりみてね。
それでは本日はこのあたりで、
伯山書きすぎた(^_^;)
またね〜。
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straycatboogie · 4 months ago
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2025/03/08 - 境界知能って言うな!
昨日書きそびれていたが、グループホームの方々の指示にしたがって朝食・夕食時に体温を検温することになってそれで朝食時に体温を測ったところ、36.0度だった。いちおうは平熱を取り戻したと言えるのかもしれない。朝食を摂った後、となり町の図書館に行く。というのは、ネットをとおして以前(一週間ほど前)に予約を入れていた本が何冊かあって、もちろんもっと早く借りに行くはずだった。だが、この日記でもつねづね書いてきたように風邪を引いてしまったこともあってその風邪がたたって、なかなか借りに行けないままずるずる日にちが経ってしまったのだった。もちろん、マスクをすることはおこたらず図書館まで行きそこですでに期限が過ぎてしまっていた本を返す(ごめんなさい)。そして、佐伯一麦の本を中心に何冊か借りてその場を去った。
その後、イオンに向かう。イオンでやったことと言えば優雅に読書……ではなく(病み上がりの身であることを忘れられるわけがない)、ATMで給金を引き出すことだった。午後になり、ローソンで買った昼弁当を食べたのちすこしばかり眠り、その後グループホームの本家に赴く。財布のなかに給金をしのばせ、ここにおいてもマスクはもちろん着用する(他の利用者さん・世話人さんたちに感染させたら目も当てられない)。今日は副管理者の方が出勤しておられて、それでさっそくさっき引き落とした給金を腑分けしていく。たとえばグループホームの月々の利用料や通院費や、あるいは断酒会会費や自助グループ参加費、はたまたガソリン代や貯蓄に回せるお金、といったように分けていった。無事わけられ、ホッとひと安心。
そんなこんなでその後は長々話すのももちろんよくないことで、だから自部屋に戻りそして夕食をいただく。その後、夜に(後述するように)約束があったのでそれまで時間があってそれで図書館で借りたダグラス・マレー『大衆の狂気』をすこしばかり読む。ときおり、読書に疲れたおりにTwitterなど眺めたりしていたのだがそこで誰かごろつきみたいな人たちが実に便利でキャッチーなメンタルヘルス用語、とりわけ「境界知能」といった言葉を用いて相手をぶん殴ろうとしているのを見かけてしまう。なんだか人権問題について議論していた(つもりだった)ようだが、しょせんこいつらの感覚なんてこんなものかと白けてしまった。「発達障害」だってこういう人たちからすれば便利な棍棒あるいはゲバ棒なんだろう。いや、拙速な決めつけは慎まないといけないが。
なんだか偽善的で優等生ぶっているように聞こえるかもしれないが、たしかにそういうところがあることは認めたい。ぼくの中にはそういういやらしい性格がある。ただ、それを差し引いてもぼくは上に書いたようなことをおおまじめに考えているつもりで、というのはそんな「便利な」「使い勝手がいい」メンタルヘルス用語を人を傷つけるため・自分のメンツを守るためだけに使うことを危惧するからだ。もちろんこれはぼく自身にもはね返ってくることで、だから断固として他人を批判する文脈で「境界知能」「アスペ」なんて言葉は使わない。こんな「しらじらしい」というか「ナイスすぎる」態度はたぶんそれなりに発達障害者として生き、その過程で福祉の現場を利用者として見てきたりした経験からなんだろうと思う。他人の弱さ��理解できるつもりはないが、ただ寄り添う姿勢と相手の言葉を傾聴しそこから自分の言葉を可能な限り責任を負って語る態度は持っていたいなあ、と思う。
夜になり、Discordにてあるアメリカの友だちと落ち合ってボイスチャットを楽しんだ。英語であれこれ話す。Discordの音質には慣れておらず(ぼくなりにあれこれ調節はしたが、なにせこの機械オンチな性分がたたってまだ不充分なのかもしれない)、またZoomのビデオ通話と違って声だけの通話は相手の唇も読めず表情もわからずで、そうなるともちろん非ネイティブの身の上。何度も相手に問いただすことになる。でも、ぼくたちが共通で好きなバンドであるジェネシスやあるいはさいきん彼が買った『よつばと!』の単行本などの話ができ、楽しい時間を過ごせたかなと思った。今度はぼくから話題を持っていきたい。
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lifeandeatclub · 4 months ago
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3/30(日)山下陽光の「途中でやめる販売会」with くるくる市
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くるくる市やるよー。山下陽光氏を1日店長に迎えくるくる市をcotで開催します。
リメイクファッションブランド「途中でやめる」のデザイナーで「新しい骨董」のメンバーとして活動する現代美術のアーティスト山下陽光の販売会・アーティストトーク・お馴染みのくるくる市作家によるプロダクト・ワークショップ・フード・DJをお楽しみください。みなさまお誘い合わせの上お越しください。
日時    2025年3月30日(日)10:00-16:00
会場.     Alternativespace cot (山口市下市町10-16)
入場料   無料
主催        Life&eat Club[cot]
後援.       山口市文化交流課 問合せ   [email protected]
Step1「途中でやめる」販売会
内容|リメイクファッションブランド「途中でやめる」販売会
Step2「アーティスト・トーク ラジオ公開収録」
トーク|15:00-16:00
講師|山下陽光(アーティスト)
モデレーター|会田大也([YCAM]アーティスティック・ディレクター)
Step3「ワイヤークラフトワークショップ&DJ」
WS参加費|300円/対象5歳~(4歳以下保護者同伴) WS TIME|10:30-/11:30-/13:30-/14:30-(30分程度)
講師|Knit’s 臼杵万理実、テラダサチコ DJ|etsuko|13:00-13:40
       t.k  |14:00-14:40
1日店長 
山下陽光
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Knit’s
臼杵万理実
テラダサチコ
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etsuko
t.k
Food Cafe kotsu kotsu
晴れの日Catering
えぷろんず
佐伯美柚
池田そら Recording 高崎鈴枝
山岡大地
*来場者駐車場としてCableTVの駐車場をご利用いただけます。情報センターバス停から湯田温泉バス停下車徒歩5分。
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