#佐渡怪談藻塩草
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狸の道塞ぎ
享保の初めのことである。 佐渡の下戸御番所に寺田弥三郎という役人がいた。 その日、勤めを終えた彼は、夜勤の者に業務を引き継ぎ、暮六つ半頃に御番所を出た。 五から七間ほど行くと、裏町通りの小路に差しかかるのだが、そのあたりで突然、弥三郎は何かに閊えてそれ以上進めなくなった。 しかし、周囲は右も左も判らないほど真っ暗なので、何が道を塞いでいるのかまったく見えない。 右横や左横に移動してみたが、どうにも進むことができない。 弥三郎はしばらくその場に佇み、心を静めてから再び歩き始めた。 しかし、やはり何かに閊えて進めない。 「これは狸の悪戯だな。ならば目にもの見せてくれる」 刀を抜いて切り払うと少し手応えがあった。 途端に周囲が明るくなったので、見上げると空は星明りである。 そこであらためて歩き始めると、今度は進むことができた。
弥三郎は住まいではなく、大津屋小右衛門という問屋に向かった。 問屋の明るい燈火が見えたので、門から中に入って燈火の下に行った。 刀を抜いて透かして見ると、切っ先に少し血がついている。 この感じだと、相手はほんのかすり傷だな、と弥三郎は判断した。 仕留められなかったか、と思っていると、小右衛門はじめ店の者が集まってきた。 「な、なんで、かか刀をお抜きになってるんですか」 皆は震え慄く。 「ああ、気にせんでくれ。実はこんなことがあってな」 弥三郎は皆に先ほどのことを説明すると、別れを告げて店を出た。 帰途、先ほどの場所を通ったが、遮られずに宿舎に辿り着けたという。
ちょうどその頃、一つの噂が流れていた。 柴町の医師・窪田松慶が二ツ岩の団三郎狸に呼ばれ、刀傷を負った狸を治療をした、というものである。 団三郎といえば下戸村を本拠地にする佐渡の狸の総大将である。 治療を受けた狸というのは寺田弥三郎が斬った奴に違いない。 話を聞いた者は皆そう言い合ったという。
(『佐渡怪談藻塩草』 「寺田何某怪異に逢ふ事」)
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音に気を取られた隙に
上川清兵衛という役人から聞いた話だ。元禄年間の体験談だという。 当時、彼は小林��を名乗り、佐渡の沢崎浦で目付を勤めていた。 ある九月の中頃のことだそうだ。 磯釣りを楽しもうと、竿をかついで浜伝いにいつもの釣り場に向かった。 蓑笠をつけた人が一人、こちらに背を向け、釣り糸を垂らしていた。 秋には珍しく小雨が降る日だったので、蓑笠はしっとり濡れていた。 「釣れますかな」 清兵衛は先客に声をかけた。 しかし相手は反応を示さず、うつ向いたまま押し黙っている。 「どうですか」 清兵衛が重ねて声をかけた途端、釣り人は向こうの岩に跳び上がった。 振り向いたそいつは人ではなかった。釣り竿を持った狸であった。 「この性悪狸め!」 海の中に追い込んでやろうと、清兵衛は手を挙げて追いかけた。 狸があわや海に落ちそうになったとき、山から葬式の音が聞こえてきた。 人の泣き声もしていたので、気になって清兵衛はそちらに振り向いた。 しかし、それらしきものは見えないので、すぐに振り返った。 狸の姿は消えていた。目を離した一瞬でどこかへ逃げてしまったらしい。 「で、俺が聞いた音だが、実際には葬式なんかなかったんだ。つまり、俺はまんまと狸に化かさ、逃げられたってわけよ。今思い出しても腹立たしい」 と清兵衛は話を結んだ。
獣ながら狸はずいぶんと賢いから、すっかり彼は出し抜かれたのだろう。
(『佐渡怪談藻塩草』 「小林清兵衛狢に謀られし事」)
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覗く鼬
いつの頃だかよく判らない。 佐渡の上相川にある番所の役人に井口祖兵衛という人がいた。 宝暦年間に同番所にいた井口文政の四代以上前の人だとか。 当時、祖兵衛は宿舎暮らしをしていたが、ある日、子どもが夜泣きをするようになった。 五日、十日となおざりにしていたが、日を経るごとに夜泣きはどんどん激しくなる。 夜半頃からまるで何かに襲われるように怯え、半時ばかり正気を失うほど激しく泣く。 僧侶や祈祷師などを呼んだが一向に効果がないので、家人はすっかり困り果ててしまった。
ある夜、何か思い当ることがあったのか、祖兵衛は子どもから少し離れた所で寝たふりをして、あたりに目を配っていた。 やがて子どもが夜泣きをする刻限になった。すると内障子の破れ目から何かが顔を差し入れてきた。 そいつが子どもを見つめると、子どもが火が付いたように泣き出した。 じきにそいつは顔を引っ込め去っていった。すると子どもが泣き止んだ。 「あいつの仕業だったのか」 夜が明けると、祖兵衛は愛用の小刀を研ぎ澄まし、竹竿の先に結んだ。 「今夜こいつで仕留めてやる」 祖兵衛は化け��が顔を出した障子の近くに仕切りを立てると、宵のうちからそこに潜み、待ち構えた。 やがて夜泣きの時間になった。昨夜と同じく、障子の穴から化け物が顔を出した。 すかさず祖兵衛は化け物に向かって竹竿を突き立てた。手応えがあった。 化け物は激しく動いて小刀を振り払い、外障子を蹴破って逃走した。 家人もすぐさま外に出てあたりを探したが、怪しいものは見つからなかった。 翌日、明るくなってから調べてみると、点々と落ちた血がいずこかへ続いている。 追いかけていくと、血は北山にある塚の中に消えていた。 塚の石を取り除いてみたが、それ以上の血の跡は、どうしても見つからなかった。 それきり子どもの夜泣きはピタッと止んだという。 話を聞いた老人は「それは鼬の仕業に間違いない」と断言したそうだ。
(『佐渡怪談藻塩草』 「井口氏何某幼子夜泣の事」)
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人が作った矢の根石
浅村太左衛門の老父の体験談。 場所は佐渡の相川。時は享保の初め。彼が役所勤めをしていた頃の話。 その日は早春でぽかぽかと暖かい日だったそうだ。 浅村父は下僕を一人連れ、のんびり散歩をしていた。 弾誓寺あたりをうろついてから、馬町川に沿って谷に入った。 水の流れる音、鳥の囀る声以外は何も聞こえない。実にのどかだ。 彼は下僕に毛氈を敷かせ、その上でくつろいだ。
浮世を忘れてぼーっとしていると、突然、カツーンカツーンと石切りの音が響いた。 「この谷にも石切りが入っているんだな。どこで作業しているのだろう」 周囲を見回したが、それらしきものは見えない。 何か事情を知らないかと下僕に聞いてみたが、知らないと言う。 空耳だろうか、と思って耳を澄ます。やはり石切りの音はしている。 音源は彼らから四、五間ほどしか離れていないようだ。 しかし、見通せる限り、人の姿はない。 不審に思った浅村父は下僕とともに、あたりを探してみた。 浅村父の北前方二間ほどに、三尺ほどの上部が平たくなった石がある。 その上に石製の小物がたくさん転がっていた。 手に取ってよく見ると、王石を割って、鏃の形に削ってある。 しかし、作業途中らしくまだ粗削りの状態である。脇には切屑になった石の破片が散乱している。 今の今までここで作業をしていたようだが、あたりに人の気配はまったくない。 古い書物に、石の鏃が出土した、降ってきたという記録が数多くある。 それらの鏃は人が作ったものではないことは明らかだ。 しかし、今、目の前にある石の鏃は、明らかに人が作ったものである。 妙にちぐはくで、浅村父は何ともいえぬ不安を抱いたそうだ。
(『佐渡怪談藻塩草』 「浅村何某矢の根石造るを見る事」)
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深夜のひび割れ声
宝暦二年如月の、何日かは失念してしまったが、初めのことだとか。 その日、高田備寛、内田、保科の三人が印銀所の宿直当番であった。 印銀所とは、佐渡一国内でのみ通用する銀貨である印銀を鋳造する銀座である。相川左門町にあった。 当時、前年の夏から、印銀所は業務に忙殺されていた。 貨幣の切り替えがあり、印銀が廃止されることになったのだ。 印銀を潰して全国で通用する貨幣に改鋳するので皆が不眠不休で働いた。
その夜はとても寒く、三人とも寝巻を引っかけて仕事をしていた。 眠気覚ましに話をしながら働いていたが、内田はいつしか眠ってしまっていた。 やがて夜も更け、丑の刻になった頃だったろうか。 味噌屋町の入り口あたりの地面から二丈ほど上空で、まるで大きな牛の鳴き声のような、ひび割れた声が響いた。 「あれは何だ?」 と高田が言う。 「判らん、いったい何だ?」 と保科が答え終わる前に、今度は大御門あたりで同じ声が響いた。 声がした二か所は四十間は離れている。四足獣がどんなに速く走ったとしてもその時間で移動できる距離ではない。羽を持ったものなら可能かもしれないが、あれは鳥の声とは思われぬ。 そんなことを高田と保科の二人が話していると、内田が目を覚ました。 「何だ今の音は?」 と内田が言う。どうやら二回目の声を聞いたものらしい。 「明日、調べてみよう。何か判るかもしれない」 二人は内田にそう答えた。
翌日、彼らはいろいろ調べ、また聞き込みもしてみたが、結局、何も判らなかった。 人食い犬じゃないか、などと言う者もいたが、犬なら声のした位置が高すぎるし、十匹以上集まってもあの大きさにはなるまい。 結局、何が何だか判らなかったが、後のためにここに書き残す。
(『佐渡怪談藻塩草』 「高田何某あやしき声を聞事」)
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春日崎の狸の火
元文年間のことだとか。 公務がたいへんだから、ここいらで気晴らしにでも行こうじゃないか。 佐渡奉行所役人の高田備寛は浅村を誘って、鹿伏村に遊びに出かけた。 夜釣りを楽しむことにして、昼間は釣餌とする小海���などを採り集め、日が傾き始めた頃、海に出た。 磯伝いに春日崎という海に突き出た岩で釣り糸を垂れた。 弁当を広げ、酒も飲んだ。二人は仕事は忘れておおいに楽しんだ。
やがて日はとっぷりと暮れた。 「暗くて魚が見えぬ、これでは釣りはもう無理か」 その日は卯月の末である。空に月はない。 高田は浅村に声をかける。 「もう帰るか」 「せっかくの釣餌をただ捨てるっての不本意だなぁ。でももう浅瀬の魚も見えん…… あ、良いことを思いついたぞ」 浅村は火縄で蝋燭に火をつけると、竿の先に結びつけ、海に差し出した。 蝋燭の火に照らされ、浅瀬にいる魚がよく見える。 あらためて釣り糸を垂れ、立て続けに赤鱏を六、七尾ほど釣り上げていると、突然、近くの小高い岩の上から礫がバラバラと降ってきた。 ここいらは団三郎狸の縄張りだ。すると、こいつは狸の仕業に違いない。 「くそう狸め、邪魔しやがって」 二人は鯉口を切ると、礫が降ってきた岩を駆け登った。狸はいない。 捜索範囲を広げてみたが、狸は全然見つからない。 すっかり興醒めしてしまい、二人は帰ることにした。 帰り道、医王寺あたりに差しかかったとき、ふと自分たちが夜釣りをしていたあたりを眺めてみた。 すると三、四つほどの青い火が見えた。火は岩からけっこう離れた海上に点っている。 先ほど彼らが竿に蝋燭を括りつけて海を照らしていたのを、真似しているかのようだ。 「人を小馬鹿にしおって。今から戻って狸を懲らしめてやろう」 そう言う高田に対して浅村は答えた。 「止めとこう。けだもの相手に腕を振るってもなぁ。武士の名折れだ」 それもそ��か、と高田も納得し、二人はそのまま帰ったという。
(『佐渡怪談藻塩草』 「高田備寛狸の火を見し事」)
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二ツ岩の提灯行列
佐渡の鶴子銀山に三郎兵衛という者がいた。 あるとき、急用で相川に行かねばならなくなり、薄暮の頃に出立した。 少しでも早く行こう、と三郎兵衛は、遠くになる本道を避け、二ツ岩道を行くことにした。 秋雨が上がったばかりで道はずいぶん泥濘んでいる。おかげで歩くのにかなり手間取った。
半時ばかりして二ツ岩の手前に差しかかった。 このあたりが狸の親分の住処か、気味悪い場所だな。 三郎兵衛は怯んで立ち止まってしまったが、やがて気を取り直して歩き出した。 すると、右手にある屏風沢を越していく小道の向こうから、提灯が三つ、四つと見えてきた。 誰かこっちに来るぞ。 道の端に寄って見ていると、提灯はどんどん増えてくる。 やがて五、六十の提灯が二列に並んでいのが見て取れるようになった。所々に二つ一組の高張提灯が立っている。 提灯の火に照らされて長柄や鑓、打物などが煌めくのも見えた。 あれはお奉行様の行列に違いない。どこかへお出かけになった帰りだろうか。 三郎兵衛はその場にかしこまった。提灯の列はどんどん近づいてくる。 しかし、まだ紋所が見えぬ距離で、突然、提灯がパッと消えた。 「消えた! あれは団三郎だったのか!」 三郎兵衛は恐ろしさに身の毛がよだったが、今さら戻ることもできない。 震えながら二ツ岩を通り過ぎ、山道を足で探り探り進んで、ようやく深夜になって馬町に着いた。 まだ震えが止まらなかったが、放り出せる用事ではなかったので、とにかく用を済ませて、慌てて帰宅した。 家に帰り着いた途端に倒れ込み、それきり���は病みついてしまった。 百日ほど布団から起き上がれなかったが、祈祷や服薬でどうにか回復したそうだ。
(『佐渡怪談藻塩草』 「鶴子の三郎兵衛狸の行列を見し事」)
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小判所の怪
小判を鋳造する施設・金座。 佐渡では小判所と呼び、佐渡奉行所内に置かれている。 宝暦以前は建物や設備が傷んでも手入れがされず、放っておかれた。 そんな荒れ果てた小判所では、しばしば怪現象が起きたそうだ。 以下は、そんな怪現象の一例である。
昔、小判所の警護役に井口祖兵衛という役人がいた。 ある、シトシトと雨の降る昼のことである。 昼休みになったので、祖兵衛は職人全員を建物の外に出すと、出入り口の頑丈な扉を閉ざし、中からその扉に背を預けて、独り座り込んだ。 小判所ゆえ、厳重な管理が必要だ。 出入り口はそこ一か所しかない。彼がそうしていれば、建物に不審者が入ってくることはない。 暇つぶしに草双紙などを見ていると、そのうち、どこからともなく二、三人が話し合う声が聞こえてきた。 職人は全員出て行ったことを俺はしっかり確認している。それに俺がこうして扉に寄りかかっているのに、誰が入ってきたというのだ。 不審に思って祖兵衛は聞き耳を立てた。しかし何を話しているのか聞き取れない。 しばらくすると二階から何かが落ちてきたような凄まじい音が響いたので、彼はビクッとした。 落ちてきた何かは二階への登り口を閉ざしている三尺戸にぶつかったようである。 慌てて三尺戸を開けた祖兵衛は、その場で固まってしまった。 古い渋色の衣を着た老僧が、階段を四つん這いで登っていたのだ。 やがて老僧は階段を登りきり、姿が見えなくなった。 ハッと我に返った祖兵衛は後を追って二階に駆け登った。 窓は締め切られており、人が出て行ける場所などどこにもないにも拘らず、そこには誰もいなかったのだそうだ。
この話を聞いた人々は、狸の仕業に違いない、と言い合ったという。
(『佐渡怪談藻塩草』 「井口祖兵衛小判所にて怪異を見る事」)
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千畳敷の二つの光
佐渡相川地区の濁川町に藤四郎という者がいた。 家業の合間にする釣りが楽しみという男であった。 享保の末頃だったろうか。 五月の初め、藤四郎は近所の伊左衛門を誘って千畳敷まで夜釣りに出た。 雨がポツポツと降るような曇り空。彼らの他に釣り人はいない。 伊左衛門は舟を漕ぎ出し、北の沖で釣っていた。釣果は赤鱏が十四、五尾ほど。 藤四郎は磯で釣竿を垂れていた。釣果はやはり赤鱏が十尾ほど。 お互い自らの釣果に気を良くし、夢中で竿を振るっていた。
やがて子の刻になった頃だろうか。 ふと、藤四郎は顔を上げ、何気なく沖に目を向けた。 細い光の柱が一本、空に向かって真っすぐ数十丈の高さに伸びている。 光の柱は釣り糸を垂れている伊左衛門の頭上から伸びていた。 ��ょうどそのとき、磯の方を向いていた伊左衛門も奇妙な光を見ていた。 差し渡し三、四丈ほどの光の環が、藤四郎の頭上に浮いていたのだ。 何と奇怪な。藤四郎は無事か? 「おおい、藤四郎ぉ」 不安に思った伊左衛門は沖から呼びかけた。 藤四郎が「何だぁ」と応じたので、伊左衛門はさらに声を上げた。 「もう魚もかからんようだ。帰らぬか」 「ああ。早く帰ろう」 藤四郎はそそくさと竿を片付け、魚籠を持ち、伊左衛門を待つ。 後に確認したところによると、伊左衛門が磯に寄せているうちに、藤四郎の頭上の光輪は消えてしまったそうだ。 二人は押し黙ったまま、足早に帰途についた。 浜を通り過ぎ、百姓町に差しかかったとき、藤四郎が口を開いた。 「伊左衛門。さっきお前が沖釣りしてるときな、お前の頭の上に光の柱が立ってるのを見たんだ。それが恐ろしくて恐ろしくて、帰りたいと思っていたときに、お前から声をかけられたんだ」 それを聞いた伊左衛門は驚いて、こう答えた。 「何だって? 俺は磯釣りしているお前の頭の上に大きな光の輪が浮かんでいるのを見たぞ。だからお前の無事を確認しようと思って声をかけたんだ」 それを聞いて今度は藤四郎が驚いた。 以後、彼らは釣りに行くことはあっても、千畳敷での夜釣りだけはふっつりと行かなくなったという。
(『佐渡怪談藻塩草』 「千畳敷怪異の事」)
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二羽の見慣れぬ鳥
佐渡相川の真如院におられる文教法印からこんな話を聞いた。 「私が幼い頃、下黒山村に伯母が住んでましてな。よく遊びに行ったものです」 下黒山村とは羽茂郡にある、佐渡でも内陸部の山がちな村である。 「あれは私が八、九歳のときの、たしか五月のことでした」
その日は朝から空はどんよりと曇っており、夕方になると、どこからともなく地鳴りが響くような不穏な日であったので、幼かった法印は伯母の家の中で終日過ごしたのだという。 翌朝、まだ陽も昇らぬうちに家の近くにある稲場に出てみた。 稲場のすぐそばまで山が迫っているのだが、その斜面に大きな割れ目があった。 その辺りで何か動くものがある。 まだ暗いのではっきりとしないが、見たことのない鳥が二羽、連れ立って歩いているようだ。 珍しい鳥だ、と思って彼は傍まで走り寄った。 それは鳥ではなかった。山伏が持っているような法螺��である。 貝殻の口からにょろっと出た身が、貝を背負って這い回っている。 法印は家まで走って帰ると伯母に今見たものを説明した。 話を聞いた伯母は他の人々も誘って、皆で稲場に殺到した。 その物音に驚いたのか、法螺貝の身はサッと殻の中に入り、そのままふたつともコロコロと地割れの中に転がり落ちていった。 皆でしばらくその場で待ち続けたが、法螺貝は二度と再び出てこなかったという。
「下黒山村は海から三里は離れた場所です。そんな山の中にも法螺貝は棲んでいるんですねぇ。なお、その後、彼の地に貝が出たという話はついぞ聞きません」 そう言って法印はカラカラと笑った。
(『佐渡怪談藻塩草』 「法螺貝の出しを見る事」)
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蛇が蛸になる(九)
仁木門右衛門秀致が佐渡赤泊の御番所に勤めていたときの話。
寛延三年七月十日、朝五ツ半頃だったろうか。 茶など飲んでくつろいでいると、外で子どもたちの声があがった。 「仁木様。村境で蛇が蛸になってます。見てくださいませんか」 門右衛門は子どもたちと一緒に現場へと向かった。 海べりまで行くと、四尺はあろうかという大きな青い蛇がいた。 石垣のそばの枯れた竹に頭の方を巻きつけている。 そして尾を石に何度も何度もバシバシと叩きつけている。 蛇の頭から下は、二股、三股とどんどん割れてきた。それに伴い、頭が大きく膨らんでくる。 色が変わり、蛸の頭になった。目は抜け出したように、穴が開いた。 まだ生きているのか、もう死んでしまったのか。 蛇だか蛸だか判らないそれは、ただ波に揺られている。 しばらくすると、蛇のときには目だった、そして今は穴になっている場所に上に、二つの目がギョロリと開いた。 目だった穴は突き出て塩吹に変わった。 波にさらわれて、四、五間ほど沖の方に流れて行ったかと思っていると、しばらくして、再び波に押されて、磯辺の方に流されてきた。 相変わらず波に揺れていたが、少しずつ手が長くなり、疣もでてきた。 やがてムクムクと動いたかと思うと、沖の方にスーと泳ぎ始めた。 そして、そのまま深みに沈んでいき、それきり見えなくなった。 「これは珍しいものを見た」 門右衛門が地元の住民に話すと、彼らは答えた。 「この辺りでは珍しいもんじゃねぇです。よくあることです」
(『佐渡怪談藻塩草』 「蛇蛸に変ぜし事」)
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臼負婆
佐渡の宿根木は海に面した村で、その海辺には「アカエの京」と呼ばれる海域がある。 アカエ、つまりアコウダイがたくさん集まる絶好の釣り場だという。 当時、浦目付を務めていた丸田金左衛門も釣りといえば、そこにばかり行っていたそうだ。
夏のある日、金左衛門は土地の者を一人二人伴い、釣りに出かけた。 はじめのうちは、いつもどおりアコウダイが釣れていたのに、ふいにぱったり当たりがなくなった。 妙だな、と思っていると、雨がしとしと降り始めた。 時刻はまだ七ツ過ぎにも関わらず、空は薄暗くなり周囲がよく見えなくなってきた。 しかし風は凪いでいるので、そのまま釣り糸を垂れ続けていると、海底から何やら白い、人の形をしたものが浮かび上��ってくるのが見えた。 驚いて後ずさった金左衛門が連れに声をかける。 「おい。あれを見ろ」 「お静かに。黙ってご覧になっていてください」 土地の者はそう答える。 言われたとおりにしていると、そいつは海中を泳いだまま、あたりを巡っていたが、やがて海面に姿を現した。 色がいやに白い、とても年を取った老婆である。 背中に両手を回して、何やら背負っているようだ。 白髪はボサボサ、目つきは鋭く、口の端には牙のようなものが見える。 その恐ろしげな老婆は、金左衛門らを一通り睨めつけると、頭から海に潜っていった。 やけに白い足の裏を見せて海底に没したきり、浮かんでこなかった。 潜るときも背には何かを負ったままであった。 老婆が沈んでいくときにできた波紋が海面に広がるさまを唖然と見ていた金左衛門だったが、ハッと我に返ると、途端に恐ろしくなり、そそくさと釣りを切り上げ、帰途についた。 帰る道すがら、金左衛門は尋ねた。 「あれはあやかしというものか」 土地の者は答えた。 「我らはあれを臼負婆と呼んでおります。二、三年、あるいは四、五年に一度、姿を現します。見かけた者は数多くおりますので、あまりお気になさらなくてもようございます」
(『佐渡怪談藻塩草』 「宿根木村臼負婆々の事」)
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