#作曲家のつくるリトミック教室
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4月からの新たなシステムのご案内と、お知らせ
🍋スタジオれもんの木 回数券システム導入のお知らせ🍋
こんにちは!スタジオれもんの木です。 4月の新年度より、新たに「回数券システム」を導入いたします☺️
音楽の基礎を習得には幼児期がとても大切。 継続的にリトミックレッスンへ通っていただくことで、 その後の楽器演奏もス��ーズに移行もできます🧍
二回分の回数券ですので、使い切れない心配も少なく、 ご兄弟でご一緒に参加の際にもご利用頂けるシステム��すので 是非チェックをお願いいたします🌟
また、新年度より「音あそびグループレッスン」の キャンセルポリシーに関しまして一部変更を加えておりますので、 あわせてご確認頂けますと幸いです。 https://studiolemon.tokyo/class.html
新年度最初のレッスンは 【水曜クラス】 4/9水 【日曜クラス】 4/13日 となります! 新しい一年の最初を彩るような 楽しいリトミックカリキュラムでお待ちしております🌸
⭐️レッスンのお申し込みは下記フォーム、またはLINe公式アカウントより https://forms.gle/WWsnAgAirc7gf9PaA LINE ID @420vowiw
🍋音楽教室スタジオれもんの木WEBSITE https://studiolemon.tokyo/
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構成・演出
額田大志 Masashi Nukata 作曲家、演出家。1992年東京都出身。 幼少期より、母親の影響でリトミックを始める。中学二年生の頃、友人の影響でロックバンド『UNICORN』にのめり込みバンド活動を開始。20歳までは主にドラムを演奏。高校時代に作曲、編曲の面白さに気付き、朝まで打ち込みをしては授業中に寝るという生活を送ったため、成績が学年で下から二番目になる。一般大学への道のりは絶望的だったが、音大なら進学できるかもしれないと思い立ち、運良く東京藝術大学音楽学部音楽環境創造科に入学。 その後、複数のロックバンドでドラムを叩き、ライブハウス『下北沢屋根裏』などに定期的に出演するも中々上手くいかず、大学二年生の冬に8人組バンド『東京塩麹』を結成。同バンドは活動を継続していく中で様々な機会に恵まれ、ツアーやフジロックの出演などで注目を集める。現在は主にシンセサイザーを演奏。 また、大学時代に友人の演出する舞台に衝撃を受け、自らもダンス公演を主催するなど舞台芸術の活動を開始。とはいえ厳しい道のりであり、プロのアーティストの道を諦めて大学留年の後に音楽企業へ就職。しかし、誘われたライブ活動で有給(厳密には特別休暇)を即座に使い切ってしまい、なし崩し的に休職。そして、休職中にのんきに金沢観光していたことがSNS経由で上司にバレて、勤続7ヶ月でスピード退職。活動を本格化。 就職と同時に演劇カンパニー『ヌトミック』を結成(こちらは継続)。カンパニーは現在5人のメンバーで活動。舞台音楽や広告音楽も手がけるが、その便利屋的な立ち回りに、そろそろ自分の軸を持たなければと焦りながら創作を続ける。
演奏
※出演を予定していたCharさんは、ご家庭の事情により不参加となりました。何卒ご了承くださいませ。 波岡康之 Yasuyuki Namioka パフォーマー。 まず私の人生で最初に影響をあたえたのはブルース・リーです。 そして空手をはじめました。私の通っていた道場には、少年部はなかったので、大人と一緒にトレーニングしていました。そのせいかみるみる体力がつきました。以前は学校でほとんど選ばれることのなかったリレーの選手に選ばれるようになりました。そしていろいろなことに積極的に取り組めるようになりました。 役者にも挑戦しました。アルゼンチンタンゴもやりました。 そしてよく行くようになったJAZZ喫茶のとなりの座っていた方が有名なサックスプレイヤーで、その人に習い、サックスも吹けるようになりました。 ブルース・リーの有名な言葉に“Don’t think feel”というのがあります。 そしてジークンドーに、型はないというのがあります。私も既成概念にとらわれず格闘技にARTにTRYし続けていきます。 遠山ひかり Hikari Tohyama 1997年生まれ。東京都出身。幼少期から一日中絵を描き続けたり、5歳からピアノを習うなど芸術全般に多く興味を示す子供であったが、小学校3年生の学芸会で主人公『負けうさぎ』を演じたことが深い興奮として記憶に残る。芝居の世界への憧れから、中学時代は邦画を観漁るようになる。そうして高校では念願の演劇部に入部。この頃から、小劇場の公演に足を運ぶようになる。晴れた日は高校の屋上で寝て過ごしていたのでクラスで浮いていたが、文化祭のクラス演劇で主演女優賞を獲得したことから急に人に話しかけられるようになった。すっかり演劇以外にやりたいことがなくなっていたので、桜美林大学芸術文化学科演劇専攻に進学。学生団体に出演したり、作・演出・出演の一人芝居に挑戦したりして過ごすが、様々な出会いを通して学外の活動が盛んに��り大学から足が退く。何か続けられる仕事を始めたくて、憧れていたバーテンダーの求人に応募。アルバイト生活をしながら2019年に同世代の劇団に俳優として加入するも、現在は活動休止している。演劇や生活に挫折する日々ではあるが、救急車で運ばれた際に生死を彷徨いながら「女優です!」と叫んだ自分を信じ、舞台活動を続けたいと思っている。 小又旭 Asahi Omata 学生。1997年生。自己紹介に苦手意識がある。小学校時代には図書室によく通い、アルセーヌ・ルパンなどの冒険譚や、ハリーポッターなどの長編ファンタジーが好きな少年だった。 図書室に折り紙が常設されていたことをきっかけに、小3から中学校くらいまでは折り紙に傾倒していた。そのころは学校で配布されたプリントを折ってしまい、ぐちゃぐちゃになっていた。高校に入り演劇を始めるとともにほとんど折り紙を折らなくなったが、自己紹介の際に「折り紙好き」という情報が使いやすいので頼りがちである。 その後、演劇系の大学に入学。他学科との関わりや実習など、校内施設を使った授業の多さに惹かれて入学したものの、体調を崩したためほとんど参加できない日々が続く。 今年に入り、二年間の休学から復学した。しかしコロナの関係であまり実習もないので、家で折り紙を折ってSNSにアップすると割と反響があるのでたまにやる。現在はサボテンを育てはじめた。 カワイサンホ Sanho Kawai 会社員。1992年生まれ。長野県出身。 実家はスキー場近くの山の中。両親が脱サラ後に自分で建てた丸太小屋で育つ。自然と動物に囲まれ、近所に子供がいなかったので一人遊びをして過ごすことが多かった。西日の当たる部屋で絵を描きながら眠るのが幸せだった。 運動はてんでダメで、その代わり音楽はずっと好きだった。中学生では吹奏楽部でバリトンサックスを吹いていたが、その傍らロックやバンドという概念に強く惹かれ、自分もバンドを組んでみたいという思いが日に日に強くなる。 高校生の時にエレキベースを購入。念願の軽音楽部に入る。大学時代はコピーバンドサークルに入り、ソウル、ファンク、R&Bなど様々なジャンルの音楽に触れる。 社会人になっても音楽活動をゆるく続けている���去年は「Cutty Scooner」というユニットで音源をリリースし、ベースで参加している。 今回、粘土という素材で参加した理由は、会社員で調子を崩してしまった時に、たまたま家にあった粘土で造形を始めてみたら気持ちが楽になったことがきっかけ。現在も気が向いた時にオリジナルの作品を作っている。Instagram:@__pumo 八木佑平 Yuhei Yagi 1996年3月28日生まれ、香川県出身。現在は都内にある建築デザイン事務所に勤務。普段全くと言っていいほど音楽を聞かなかったのだけれど、3年前くらいから音楽というより音に興味を持ち始めた。 それは大学4年の冬、友人の研究の手伝いで音楽を制作したことがきっかけで。 ある音とその音がもつイメージとの関係についての研究だったように思う。 1人用の特殊なドームの中で、ヘッドホンとVRゴーグルをつけてその制作は始まった。まずセミの鳴き声・海の音・風の音を同時に聞いて、夏が見えるでしょうと友人はサンプルの音源聞かせてきた。 うん、確かに。VRはウユニ塩湖みたいな映像になっていたけれど、いわゆる夏感を音によってイメージさせられた。音も、ある体験の重要な要素なのだ。 音によって感情が引き出される。日常でもよくある事だ、音楽を聞く目的のほとんどと言ってもいい。 その音に対する自分の認識。解像度が様々なイメージまでくっついている。黄色を見て「黄色」と言う。その共通認識ゲームは音にも言えるのだと改めて知覚したことは大きな衝撃だった。 次は100種以上あるサンプリングされた音源を自由に組み合わせ、あるイメージを実現させる音楽を作ってみる。雨音なら「小雨」から「豪雨」まで、鳥のさえずりは複数種の鳥の鳴き声があり、車や人混みなどの騒音も用意されていた。 何をイメージしてどの音源を組み合わせたかは忘れてしまったのだけれど(悲しい…)、それは生きてきて聞いたなかで一番不快な音楽になってしまったのだ。 自分が聞きたい音を6種くらい、ある程度風景のイメージ(=絵とそこになる音の成立)も持って組み合わせたその音楽は、とにかく聴き心地が良くない。不快。 雑多な音が同時に存在する日常はなぜここまで不快にならず成立しているのだろうか。耳が慣れているのだろうか。ある音が許容値を越えると異常事態化し(うるさいなど)不快になる。 ましてや音楽を作るなんて、なんて難しい制作なんだ。とここ数年悶々としていたところ今回のWSを知って参加してみた。 ひろすえゆうた Yuta Hirosue 介護福祉士。先天性の心室中核欠損症で運動が出来なかったのですが、音楽の授業で自分を表現する楽しさを知り、中学、高校と吹奏楽部でパーカッションを担当しました。 高校卒業後は福祉の専門学校へ進み、保育士、幼稚園教諭、介護福祉士の資格を取得し、福祉施設で働いています。現在は福祉施設で働��ながら、児童館で小学生から高校生を対象としたドラム講師のアルバイトをしています。 お笑いが好きで、ライブを観に行くことやラジオにハガキを送ることが好きです。昨年からは自分も何かやってみたい、という気持ちが強くなり、自分自身もエピソードトークやフリップネタでお笑いライブに出演するようになりました。 コロナ禍で自分にとっての幸せは人と出会うことだと思い知り、「一度きりの人生、出来ることは何でもやってみよう」と前向きになることができました。 共演者との出会い、私が鳴らす「物体」との出会い、観てくださるお客様との出会い、全ての出会いへの感謝と幸せを噛みしめて演じます。 長沼航 Wataru Naganuma 俳優。ヌトミック所属。幼稚園くらいまではそこそこ内気なシャイボーイ、保健室のれいこ先生と仲良しこよしでお届けしておりましたが、家では風呂から出てくるやいなやソファに飛び込み「おもしろ劇場」を開催する陽気な一面もある男の子でした。小学3年生からはマーチングバンドに所属してユーフォニアムとチューバを担当、朝練はよくサボっていた。中学校では一旦科学部に鞍替えするも、母親の友人経由で週末にゴスペルを歌い始める。高校ではオリエンテーションでかっこいい演奏をしていた吹奏楽部に入ろうと決意し仮入部に行く。すると、「久しぶり、ビリー!」と会ったこともない先輩にいきなり抱擁され、そこからあだ名は基本的にビリーで統一している。また、その人とは別の打楽器の先輩につかまり実はずっとやりたかったパーカッションに転向する(ちなみに人生のどこかでベースもやってみたい)。高校は笑いにシビアなところだったので、文化祭や合唱祭のたびに漫才やコントのコピーをやっていた。高2の定期演奏会で寸劇をやり、ウィンクキラー役を務めたのが演劇に目覚めたきっかけ、ではないのだが台本係の後輩と帰り道にフィクションのことばかり話している時間は楽しかった。大学に入って下北沢・本多劇場で観たヨーロッパ企画『来てけつかるべき新世界』が衝撃的に面白くそこから演劇にハマり、いつの間にか舞台の上に俳優として立っている。今年度からは横浜国立大学大学院の修士課程に在籍し、作品制作という形で研究を行っている。ちなみに、順調ではない。 深澤しほ Shiho Fukasawa 俳優。ヌトミック所属。山梨県出身。母親がドラマを見るのが好きで、小さい頃、一緒に寝るまで横で見ていたことをきっかけに「テレビの中の人になったらお母さんが喜んでくれる!」と思い「テレビの中の人」になることを目指す。 田舎の小さな中学校・高校には演劇部が無く、地元には映画館も無く、俳優になることを本格的に意識し始めたのは高校2年の進路提出のとき。 社会人としてなりたいものが本当に浮かばず、どうしたら俳優になれるのかもわからず、とりあえず学校帰りに「月刊 デ☆ビ��ー」を買って、当時人気だった小池徹平が「君も応募しよう!」と微笑みかけてきたのでこっそり応募。俳優養成所に合格するも、よくあるぼったくりの養成所だと気づくのは5年後。 心理学を学べる大学に通いながら、俳優養成所に通い、大学ではなぜか図書館司書の資格を取得するというブレブレの時代を通過する。「タマビ」「ムサビ」「オウビリン」という美術系の大学もあることを教えてくれなかった高校3年の時の担任・本多の顔は忘れない。そしてそういう大学があることを調べもしなかった当時の自分の怠慢を今でも根に持っている。 ようやく人生の軌道修正するのは大学を卒業して3年後、養成所で奇跡的に知り合うことができた〝師匠〟から「これを読め」と『東京ノート』(平田オリザ著)を渡され、以降は青年団関連の舞台を片っ端から見に行く。 アーツ千代田3331でやっていた、わっしょいハウス『木星の運行』を見に行ったとき、出演していた浅井浩介さんの佇まいに度肝を抜かれ、今まで私が養成所で教わっていた〝それら〟が一気に崩れ去る音を聞く。ぼんやりしていた心の目がついに開眼し、青年団の俳優が講師をしてくれるという「映画美学校アクターズコース」を受講。その後のスピード感は自分でもよくわからないが、生粋の下克上精神は維持しつつ、人生遠回りしてもまあいいじゃないか、と楽観的な思想も持っている。 << 公演トップページ << 無料楽譜公開
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リトミック
たちばなこども園で、令和元年度より保育のカリキュラムのなかに取り入れている「リトミック」の様子です。
この日は、0歳から年長・5歳児クラスの子どもたちが、クラスごとに遊戯室でリトミックを楽しんでいましたよ。 子どもたちにとっても、大好きな時間です🎵
リトミックとは、スイス・ジュネーブの作曲家で音楽教育家でもあったジャック=ダルクローズによって創案されたもの。
音楽と触れ合いながら、身体的、感覚的、知的にも、これから受けるあらゆる教育を十分に吸収し、それを足がかりに大きく育つために、子どもたちが個々に持っている「潜在的な基礎能力」の発達を促す教育です。
当園は、リトミック研究センター認定優良指定校にも認定されており、資格を持った講師が指導をしています(長崎市内に1園、南島原市ではたちばなこども園と有家たちばなこども園のみ。長崎県でもまだ3園しかありません)。
子どもが子どもらしくあるために、子ども目線に立った指導を展開するリトミックは、今最も注目されている教育のひとつと言えます。
リトミックを通して、大切な乳・幼児期の数年間をじっくりを見守りながら、楽しいレッスンをしていきたいと思います^^ ※写真は、4歳児・年中クラスの活動の様子です。
▼たちばなこども園・有家たちばなこども園のWEBはこちらからhttp://www.tatibanagakuen.com/sns/
▼子育て支援ひまわりくらぶの様子はこちらでご覧いただけます。 https://himawari-club.tumblr.com/ https://www.instagram.com/himawari_arie_futsu/
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リトミック
有家たちばなこども園で令和元年度より保育のカリキュラムのなかに取り入れている「リトミック」の様子です。 この日は、0・1・2歳児クラスの子どもたちが遊戯室でリトミックを楽しんでいましたよ。子どもたちにとっても、大好きな時間です🎵
リトミックとは、スイス・ジュネーブの作曲家で音楽教育家でもあったジャック=ダルクローズによって創案されたもの。 音楽と触れ合いながら、身体的、感覚的、知的にも、これから受けるあらゆる教育を十分に吸収し、それを足がかりに大きく育つために、子どもたちが個々に持っている「潜在的な基礎能力」の発達を促す教育です。 当園は、リトミック研究センター認定優良指定校にも認定されており、資格を持った講師が指導をしています(長崎市内に1園、南島原市ではたちばなこども園と有家たちばなこども園のみ。長崎県でもまだ3園しかありません)。 子どもが子どもらしくあるために、子ども目線に立った指導を展開するリトミックは、今最も注目されている教育のひとつと言えます。 リトミックを通して、大切な乳・幼児期の数年間をじっくりを見守りながら、楽しいレッスンをしていきたいと思います^^ ▼たちばなこども園・有家たちばなこども園のWEBはこちらからhttp://www.tatibanagakuen.com/sns/ ▼子育て支援ひまわりくらぶの様子はこちらでご覧いただけます。 https://himawari-club.tumblr.com/https://www.instagram.com/himawari_arie_futsu/
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ピアノ
ピアノは毎日の生活に彩りと響きをあたえてくれた。楽譜を追う、そのひとときひとときが愛おしい。3歳の頃からピアノを習っている。始めは保育園の後にヤマハ音楽教室に通い始めた。もちろん、その頃は一家に一台ピアノを持つのが流行っていたからにちがいない。鳥取の家はピアノが置ける広さのある一戸建てだったから、両親はピアノを買ってくれたのだ。しかも、そのピアノ、わたしに選ばせてくれたから普通の黒いアップライトではなくって深みのある赤茶色のアップライトのピアノなのだ。ヤマハ音楽教室は楽しかった。リズム感がなくってなにごともワンテンポ遅い私なのだけど、みんなでそろって先生の言った曲を少しずつ弾いていくのが。教材もきれいなかわいい絵がついていて、無理なく右手と左手を少しずつ弾いていくようになっている。じゅにあ-1とじゅにあ-2の楽譜は、あれから随分経った今でも手元にある。母が半紙で破れたページを補強してくれたおかげでセロテープで貼るよりも長持ちしている。小学校になって成城に引越してからは個人の先生のお宅にレッスンに通った。そこではメトードローズとバイエルを弾いていた。年に一度、先生のお宅でおさらい会があり、終わってから素敵な応接室でお茶とお菓子をいただいたのが忘れられない。無作法な私はおみやげにお菓子をいただいて「わあ、儲かった!」と叫んで「そんなことはいわないのよ。」と、先生にたしなめられた。先生のお父様が書かれた「モーツァルト」のご本もいただいた。表紙に金髪を後ろで結んだモーツァルトの絵がついている。まだ若い。こんな人が私達の弾く曲をかいたのかと、ちょっと不思議だった。読んでみると、まだ子供の頃に作曲を始めたということだったのでもっとびっくりした。それで私も作曲してみようと、ピアノをぽんぽんと弾いてみて、弾いた音を五線紙に書きつけてみたりもした。小学校3年生で横浜に引越したのでその優しく美しい先生とはお別れになって、もうすこし年配のきりっとした先生についてピアノを学ぶことになった。妹も一緒に通うことになった。先生のご主人はチェリストで、発表会のときには一緒に演奏して下さったりもした。ブルグミューラー、ピアノのテクニック、ピアノ小曲集、ソナチネくらいまでを先生について習っていた。時々、お弟子さんの若い方が指導してくださる時もあった。発表会は山下公園のそばにある県民ホールや港の見える丘公園近くのイギリス館だったりした。今思えば、なんと素敵な体験であろうか。その時はそのおしゃれさがピンとこなくってひたすら緊張していたのであるが。中学2年になってまたもや引越したのと、高校受験が近づいてきていたのでピアノをやめる事にした。新居の居間にピアノは置かれてときたま妹や私に触れられるものの、殆ど蓋が閉じたままになっていた。調律師の方はそんなピアノがかわいそうだと、もっと弾いてあげてくださいと懇願されたのであるが。その後、就職してから2年目にまたヤマハ音楽教室に通い始めた。こんどはポピュラーピアノを習いたいと希望して、二冊の楽譜集を弾きだした。私の夢は何と言ってもピアノで弾き語りすることなので、クラシックばかりでないピアノを弾いてみたいと思ったのだ。大好きなテレビシリーズ、「FAME」に出て来る男の子のように弾いてみたいと。あんな風に楽譜をみないでのって弾くことができたらいいなあと。しかしその後結婚したのでまたもやピアノを中断した。子供がふたり生まれてここに引越してきてから、友達ができた。その人はウィーンにピアノ留学してギタリストのご主人と知り合った。彼が音楽学校で教えるためここに来たので彼女も付いてきた次第。彼女のお子さんたちはうちの子供より1歳ずつ年が下だった。まだピアノ教師として学校で教え始める前の彼女から個人レッスンを受け始め、その後は音楽学校を通して彼女の教える他の生徒さんたちと一緒に発表会をしたりしてピアノ生活が戻って来た。リトミックも教えられる彼女は、はじめの頃、わたしにピアノの曲や旋律を聞いてイメージした音を絵にかかせたり、リボンを持って踊らせたりしてくれた。ブルグミューラーからまた始めたのだけど、簡単な曲がいかにうつくしく響くかを教えてくれた。娘はギター、息子はフルートを始めたので合奏することもあった。ピアノのおかげで人生がなんとうつくしくなったことであろうか。今また、仕事の都合でピアノのレッスンが���けられなくなったけれど、自力で月光の第三楽章を練習しているところだ。いつか、この曲をのりのりで弾けるようになろう。
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