#副禰宜
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wankohouse · 24 days ago
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池ノ上みそぎ祭
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池ノ上みそぎ祭
開催日: 毎年12月第二土曜日 · 場所: 葛懸神社(岐阜市池ノ上町3丁目47番地)
赤鉢巻が正禰宜(しょうねぎ)、ピンク鉢巻は神社氏子(=運営者)だがこの写真の2人は副禰宜だと思う(副禰宜は2人だから)。どの年の写真でも、ヒーローだから、正禰宜一人だけが六尺ふんどし。
普通は『禰宜』は神職の階級だが、みそぎ祭りの正禰宜は毎年公募で、国府宮儺追神事の神男みたいな、みん��のアイドルだったように記憶してる。(間違ってても知らないよ)
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ari0921 · 2 years ago
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我が国の未来を見通す(63)
「気候変動・エネルギー問題」(28)
「気候変動・エネルギー問題」(総括)〔後段〕
宗像久男(元陸将)
───────────────────────
□はじめに
先週、連休を利用して島根県を訪問し、出雲大社を
特別参拝させていただきました。私などが詳しく解
説する必要はないと考えますが、ご案内いただいた
禰宜(ねぎ)が神話に基づき解説してくれた大社の
歴史は、地上界を支配すべきは天照大神(とその子
孫)とし、地上を治めていた大国主命から話し合い
によって(戦争することなく)国を譲り受けました。
天照大神は、感謝の気持ちを込めて大国主命を祭神
とする出雲大社を建設されたとのことでした。
私自身は、『逆説の日本史』(井沢元彦著)などで
語られているような出雲大社の“いわれ”を知らな
いわけではありませんが、江戸時代の中ごろに再建
されたとされる国宝の現本殿や神話時代から語り継
がれている、東大寺の大仏殿を超える日本一の高さ
48m、階段の長さが109mに及んだとされる初
代本殿の威容などを知ると、禰宜の解説の方により
納得がいきました。
大国主命は、今では広く「えんむすび」の神として
人々に慕われていますが、この“縁”は男女の縁だ
けではなく、生きとし生けるものが共に豊かに栄え
ていくための貴い結びつきを指すそうで、我が国の
悠久の歴史の中で、代々の祖先の歩みを常に見守ら
れ、目に見えないご縁を結んでおられるのだそうで
す。
このように、(正確にはわからないそうですが)3
000年に近い歴史が有する出雲大社の歩みをお聞
きすると、その歴史はけっして“神話の世界”では
なく、我が国の「国づくり」の歴史、そしてこの間
に出来あがった「国柄」、特に神話の時代から「和」
を重んじる国であることなどが改めて理解できまし
た。この精神がやがて聖徳太子の「十七条憲法」第
1条「和を持って貴しとなす」として具現化される
のでした。
私自身はこれまで全国各地、数多くの神社仏閣を参
拝させて頂く機会がありましたが、特に、淡路島の
伊弉諾(いざなぎ)神宮、高千穂神社、伊勢神宮、
宗像大社などにはそれぞれの神話があり、そのつど
納得し、このような歴史を持つ日本に生まれたこと
に誇りと感じ、言いようもない幸せ感を味わった経
験がありますが、今回はこれまでの経験に勝るもの
がありました。
終戦後、GHQの占領政策によって、我が国は、神
話を教育することを含めて戦前の歴史を全否定され
ました。しかし、世界を見渡せば、神話を含めて国
の生い立ちを教えない国はありません。ポツダム宣
言には「日本が世界征服を企てた」となっており、
我が国はこのような“汚名”を受け入れることを余
儀なくされましたが、500年の長きにわたり、世
界征服を企てたのは欧米列国であり、この流れに
「待った」をかけた国こそが我が国でした。
その上、本来、「和」を尊ぶ我が国の国柄が語り継
がれていた神話の中にも存在することをGHQのス
タッフは身抜けなかったのでしょう。もしこのよう
な我が国の本性を熟知していたら、あるいは日米開
戦などは起こらなかったのでは、と想像してしまい
ます。
島根県には、国宝・松江城や日本一の庭園美術館
「足立美術館」などもあって、あらためてこの地域
の歴史や豊かさを堪能しましたが、島根県のみなら
ず全国各地にその地域ならではの歴史や文化があり
ます。天変地異など様々な混乱を経験しても、それ
らを残していただいた先人たちにあらためて感謝申
し上げますと共に、今に生きる私たち世代もまた後
世に残し、伝える責任があることに思いが至りまし
た。
▼我が国のエネルギー政策の“落とし穴”
 
さて、最近の我が国は、気候変動・エネルギー問題
のみならず、「国益」を一顧だにせず、というか
「国益」という言葉自体も忘れ、国際社会、特に西
欧列国に追随するとか、周辺諸国と謝罪することな
どをもって“国是”としているような風潮があるよ
うな気がしてなりません。かつてのグローバル・ス
タンダードなどもその部類だったと考えます。
もちろん、戦前のように、「国際秩序への挑戦者」
となることは許されないですが、戦前の“贖罪意
識”が強過ぎるのか、様々な状況を冷静・沈着に判
断して我が国が歩む道として最適の選択肢は何か、
というプロセスそのものをスキップしているように
思えてならないのです。そのようなことを何度も繰
り返すと、「進むべき進路を誤った」とされる戦前
と��じ結果になり、後々に禍根を残す可能性がある
ことを危惧します。
これまでも「木を見て森を見ず」という言葉を使用
しましたが、現在の我が国は、あらゆる分野で「専
門家」と称される人たちが発言力を持ち、それゆえ
に、専門とする極めて狭い世界の事象に拘泥し、結
果としてその考えに翻弄されているような気がして
なりません。各界に“森が見えない人たちがなんと
多いことか“とつい思ってしまいます。
特に、気候変動問題においては、菅義偉内閣になっ
て、突然「脱炭素」を宣言し、まさに「国益」やそ
の実行の可能性より、国際社会追随の政策に転換し
たことはすでに紹介しました。当時から「エネルギ
ーは安全保障最優先にすべき」との声もありました
が、様々な事情もあったのでしょうが、“見切り発
車”しました。いったん舵を切ると、トランプ前大
統領のような強いリーダーが出現しにくい我が国に
あっては、軌道修正がますます困難になることは明
白なのです。
また、「ブレーキをかけることを忘れた高齢者の運
転のように」と表現しましたが、アクセルばかりを
踏み込み、ついには「一石三鳥」のような勇ましい
キャッチコピーまで飛び出しました。国を挙げた勇
ましい政策には必ずその“副作用”があることを我
が国は長い歴史の中で何度も経験しましたが、その
ような歴史を学び、あるいは各方面からの警鐘を鳴
らす発言に耳をそばだてるような感性は、首相をは
じめ、政治家や官僚の皆様にはなさそうです。
政府が唱える政策に協力するのは当然としても、様
々な思惑をもって「脱炭素」政策に便乗する人たち
は、いったい全体、地球にとってCO2とは何なの
か、本当に異常気象なのか、地球温暖化は進んでい
るのか、それらの原因が人為的CO2の排出にある
のか、さらには、「脱炭素」は可能なのか、そのコ
ストはどれほどかかるのか、CO2を削減すること
が地球にとって本当によいことなのか、その上で、
自分たちのやろうとしていることは本当に日本のた
め、地球のためになるのか・・・などを考えたこと
があるのでしょうか。
おそらくそのような思考は停止したまま、「政府が
奨励しているから」「国連(あるいはIPCC)が
言っていることだから」「皆、やっているから(や
らないと取り残されるから)」と自らを納得させる
・・・私の周りにもそのような人がたくさんおりま
す。なかでも、金儲けの絶好の機会と野心的な思惑
を持つ企業関係者にあっては、その真実の解明より
「お金になるならなんでもよい」くらいの感覚なで
しょう。
民主主義とは、誤解を顧みず話せば、主権者たる国
民の大多数の支持があれば何でもできるし、何をや
ってもよい政治形態です。バラマキと言われようが
刹那的と言われようが、支持率さえ確保できればよ
いと考える政治家が政策を断行し、その結果、主権
者が喜べば、世の中は丸くおさまり、波風は立たな
いのです。
地球温暖化とは裏腹に、「100万年にわたる地球
の気温推移の歴史をみると、人間の出すCO2など
とは全く無関係に一定のリズムを刻んでいる」とし
て、「実際の地球は寒���化に向かっている」との考
えを持つ人たちも少なくないですが、その寒冷化を
防止するためは、温室効果ガスが必要不可欠であり、
その主体はCO2になることでしょう。
何も考えずに「脱炭素」に協力していている人は、
かつての氷河期のように地球上の生命体そのものを
脅かすことに加担しているという考え方もできるの
です。
▼実行の可能性とコスト意識
さて我が国は、中国などの発展途上国と比較して、
先進国としてエネルギーを消費した歴史が古いこと
は間違いないですが、それでも1970年代に2度
体験した石油ショックから立ち直るために、並々な
らぬ“省エネ”努力を積み重ねてきました。その結
果、実質GDP当たりのエネルギー消費は世界平均
を大きく下回る水準を維持しており、インドや中国
の5分の1から4分の1程度の少なさであり、最近、
省エネが進んでいる欧州の主要国と比較しても遜色
ない水準となっていることも紹介しました。
つまり、すでに省エネに取り組み、それをもって過
度にCO2排出を排出しないという長い歴史があり
ます。そして、生活空間からしても“ウサギ小屋”
と揶揄されるようなつつましやかさも現存し、今と
なっては他国に誇るべきことですが、だからこそ、
これから先、さらに省エネを推進し、CO2排出を
削減することは至難の業だということもいえるでし
ょう。
これもすでに紹介したように、環境省の発表では、
これまで国と地方自治体合わ��て30兆円の経費を
投入し、今後は税金で20兆円を投入して150兆
円の投資を呼び込むと皮算用していますが、すでに
省エネを推進し、CO2排出は地球全体の3%ほど
に留まっている我が国にあっては、仮に2050年
に「脱炭素」を実現したとしても、その効果は測定
できないレベル(試算では0.0008℃度程度)
にしかなりません。
最近、このような日本にあって、依然として現実的
な“良心”を有している機関を発見しました。経済
産業省系の研究機関といわれる「公益社団法人地球
環境産業技術研究機構」(RITE)です。RIT
Eはまず、「2030年にCO2を46%削減する
ためにGDP損失が30兆円発生する」として、2
0兆円の実質増税を含み、政府が考えるカーボンプ
ライシングは「経済への足かせになる」と警鐘を鳴
らします。
RITEはまた、「2050年に『脱炭素』を実現
するためには、技術面やコスト、自然制約・社会的
制約などの様々な面で課題や制約を乗り越えること
が必要であるが、技術革新などの進展には大きな不
確実性が存在するため、30年後の姿を具体的に見
通すことは困難である」とし、さらに、電力分野の
みならず非電力分野の技術を実装しない限り、「2
050年の『脱炭素』は極めて困難である」と結論
づけています。
この結言を導くために、RITEは電力構成につい
て5つのシナリオを取り上げて検証していますが、
なかでも再エネ100%のケースでは、電気料金が
2倍になることも試算しています。
東京都は、情緒的な判断だけでその効果もろくに検
証しないまま、都内の新築戸建住宅に太陽光パネル
の設置を義務化し、そのための支援制度を新設する
ということが話題になりました。この支援のための
経費は都民税から流用されることは間違いないでし
ょう。気候変動対策とか「脱炭素」を目的にすると、
コスト意識が頭から離れてしまいがちですが、その
コストは最近話題の電気料金の値上げだけではなく、
石油やガソリンなどの燃料代、そして所得税や地方
税などにも含まれることも再認識する必要があるの
です。
▼「脱炭素」と安全保障
さて、太陽光発電は国内の広大な土地を中国など外
国資本が買いあさる格好の材料になっていることも
指摘しました。最近、中国がアメリカ国内の農地を
購入し、アメリカが警戒していることが話題になっ
ていることも付け加えておきましょう。その面積は、
現時点では1554haほどで、1位のカナダや2
位のオランダなどには及ばず第18位、農地全体の
0.9%に留まっているようですが、高い伸び率で
農地が増えていることに加え、日本を含め、世界規
模で農地を買いあさっていることもあって、アメリ
カ国内では余計に警戒感を増大させているようです。
再エネを推進しようとするとコストがかかる。コス
トを削減しようとすると中国製の太陽パネルを使用
する必要がある、あるいは、太陽光発電のために中
国資本を招へいする必要がある、招へいすればする
ほど、中国資本の森林や農地が増える、増えれば増
えるほど安全保障上の問題に懸念が残る・・・。
上記のサイクルで何を優先すべきかは明らかなので
すが、「脱炭素」以外に盲目になっている人たちに
は、国内の森林や農地が外国資本に買収されること
に危機意識を持たないことが問題なのだと考えます。
前回、地球温暖化の提唱者たちの当初のシナリオが
狂っているのではないか、と指摘しましたが、我が
国にあっては、補助金付きで、中国資本を招き入れ、
国内はおろか、中国の世界戦略に加担するようなこ
とになるのだけは何としても避けたいものです。政
府の早急な英断が求められると考えます。
私は、「脱炭素」などのような“絵空事”(あえて
こう表現します)を根本から見直し、エネルギーの
安定確保(しかもなるべく安価で)を最優先するこ
とを提言したいと考えますが、読者の皆様はどう考
えるでしょうか。
▼まとめ
 
さて、本メルマガで取り上げました我が国の「少子
高齢化問題」「農業・食料問題」「気候変動・エネ
ルギー問題」には共通の要因があり、これらの問題
を抜本的に解決するためには、それぞれ小手先では
なく、国家レベルの根本からの「改造」が必要と考
えます。それらは、国防とか防災なども共通してい
ることでしょう。
本メルマガ「我が国の未来を見通す」は、「我が国
の歴史を振り返る」の後継として発信しているもの
ですが、この後、本メルマガの総括として、我が国
の歴史から学ぶ「知恵」を活かしながら、我が国��
将来に立ちはだかるであろう“暗雲”にいかに立ち
向かうか、について読者の皆様と一緒に考えていき
たいと思います。
しばらく整理と充電の時間を頂いたのち、第4編
「『強靭な国家』をつくる」(仮称)を題して、日
本を守り抜き、日本の未来を創造するための様々な
「知恵」について発信していきたいと計画していま
す。請うご期待!
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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mabumaro · 2 years ago
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2023年1月28日撮影 「十間廊(じっけんろう)」は、古く「神原廊(ごうばらろう)」と呼ばれ、諏訪の祭事・政治を取り扱う官衙の役割を果たしていたという。貢物はここで、現人神として神体と同視され、強大な権力を握って君臨し、中世まで諏訪地方を支配していた上社の神職「大祝(おおほうり)」に実見されたという。 宴にあっても、上段に「大祝」の座、以下氏族の世襲だった五官「神長官(じんちょうかん)」「禰宜大夫(ねぎだゆう)」「権祝(ごんのほうり)」「擬祝(ぎのほうり)」「副祝(そいのほうり)」の座、下座に「御頭郷役人」など、定められた座があったと伝わる。 鹿の頭七十五頭に鳥獣魚類なども供えられて、農作物豊穣を祈る特殊神饌の「御頭祭(おんとうさい)」(「大御立座神事」とも「酉の祭」とも言われる)は、鹿の頭が剝製に代わったものの、現在も4月15日に行われる。「本宮」での神事執行後、神輿行列を仕立てて「前宮」に赴き、この「十間廊」で古式により進められている。 なお、1843(天保14)年に改築、1939(昭和14)年に修築された「十間廊」は、1957(昭和32)年3月22日、類焼により焼失し、1959(昭和34)年に再建されているという。 #諏訪大社 #諏訪大社前宮 #十間廊 #神社 by mabumaro
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tomekami-topics · 6 years ago
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「スパッと悪習、悪縁を切ってしあわせ結び@小野照崎神社」無事、終了しました。
直前に台風が発生して気を揉みましたが、当日は青空が広がる。さすが、小野照崎神社のご祭神、小野篁(��かむら)命❤️←(トメの好きな神様)のお力。
当日は超満員御礼。50名の方が参加してくださいました。ありがとうございました。
はじめにゲストの國學院大學教授の平藤喜久子先生と対談、そして後半は権禰宜の小野亮貴さんを交えての鼎談。興味深い話の中には、時に大笑いも。
参加者さんの質問 「物忘れがひどいのですが、どの神様にお願いすればいいですか?」 平藤先生 「そうですね、、、脳ドックがいいと思います」 (場内大爆笑)  「あ、、その後知恵の神様『オモイカネ』にお願いするといいと思います」 
ココロのフックにしっかり引っかかる言葉も、次々に飛び出しました。
お話の後は、いよいよご祈祷。手水をとってご拝殿に昇段。 凛としながらも心地いい風が吹き抜ける空気の中、響き渡る祝詞。そして参加者全員が頭を垂れながら思い思い神様の前で決意をされました。
みなさまが「何事か」を、持って帰られましたように〜!
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ゲストの小野照崎神社権禰宜小野亮貴さん。
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平藤先生と対談。
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ご祈祷中、隣の部屋から見守るWAVE出版の佐藤友香さん、岩名由子さん。
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イベント大盛況で終了しました! 左からマイクロフィッシュ北村さん、ふくもの隊エビス副隊長、平藤先生、トメ、小野さん、WAVE出版の佐藤さん。
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gagaku-ja · 8 years ago
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雅楽の魅力に触れ 高岡で体験教室
#雅楽 [北國新聞]NPO法人茶道清風の会(高岡市)の雅楽体験教室は2日、同市の射水神社で開かれ、親子連れら約20人が日本の伝統文化の奥深い魅力に触れた。 辻やす子理事長のあいさつに続き、県神社庁雅楽部副部長の炭谷淳禰宜(ねぎ)が釣太鼓や篳篥(ひちりき ...
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teaceremony-ja · 8 years ago
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雅楽の魅力に触れ 高岡で体験教室
#茶道 [北國新聞]NPO法人茶道清風の会(高岡市)の雅楽体験教室は2日、同市の射水神社で開かれ、親子連れら約20人が日本の伝統文化の奥深い魅力に触れた。 辻やす子理事長のあいさつに続き、県神社庁雅楽部副部長の炭谷淳禰宜(ねぎ)が釣太鼓や篳篥(ひちりき ...
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yaoyolog · 8 years ago
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「禰宜」とは何と読む?またその意味は?正解は「ねぎ」と読むとの事。
読書をしていると、ちょっと読みの分からない語句が目に止まりました。
「奥から禰宜が…」 「禰宜」。。。
まったく意味が分かりません。また何と読むのでしょうか? 早速調べてみました。
「禰宜」とは「ねぎ」と読んで、神社などに務める神職の階級なのだそうです。神社で一番位の高い「宮司(ぐうじ)」に続き、宮司の指示により行動する神職が、「禰宜(ねぎ)」と呼ばれる立場の方なのだそうです。さらに下に「権禰宜(ごんねぎ)」という位もあるのだとか。宮司(ぐうじ)と、禰宜(ねぎ)が、ひとりづつなのに対して、権禰宜(ごんねぎ)は複数人指定できるのだとか。会社組織に例えると、宮司=社長、副社長=禰宜、各役員=権禰宜、といったイメージになりますでしょうか。 ちなみに前半の「禰(ね)」とは、デイ、ネ、みたまや、かたしろ、などと読まれ、父親のお墓、位牌、といった意味を持っているとの事。後半の「宜(ぎ)」とは、宜しく(…
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wankohouse · 24 days ago
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池ノ上みそぎ祭
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池ノ上みそぎ祭
開催日: 毎年12月第二土曜日 · 場所: 葛懸神社(岐阜市池ノ上町3丁目47番地)
赤鉢巻が正禰宜(しょうねぎ)、ピンク鉢巻は神社氏子(=運営者)だがこの写真の2人は副禰宜だと思う(副禰宜は2人だから)。正禰宜が逃げない様に副禰宜が捕まえている。
普通は 『禰宜』 は神職の階級だが、みそぎ祭りの正禰宜は毎年公募で、国府宮儺追神事の神男みたいな、みんなのアイドルだったように記憶してる。(間違ってても知らないよ)
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