#劇団あしぶえ
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yutakayagai · 11 months ago
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七月になり、ようやく広樹のギブスが取れ、サポーターだけになった。通学は自転車に戻り、時折ラガーシャツにも袖を通した。
一方、克也は広樹が辞めないで済んだことに胸を撫で下ろしたが、未だ自分自身の気持ちを言えずにいた。浩志からは、
「いつまでもウジウジしてンじゃねぇよ! チ◯ポ付いてるンだろ!?」
と一喝されていたが、男同士が好きになることに対して罪責感があった。未だ、同性愛が世間的にタブーとされていた時代である。浩志が大学生だった昭和三十年代の後半と比べると、五十年代の前半は女装したり女言葉を使ったりする芸能人も多く活躍したが、やはり偏見はあった。
夏休みになり、秋の試合に向けて練習にも力が入った。浩志も普段はポロシャツとジャージーと言う格好だったが、時折ラガーシャツとラグビーショーツでグランドに現れた。そんな姿に漫画研究会の利江子たちは、
「あれぇ〜? ヒロシったらラガーマンになってるぅ!」
「きゃッ! なんで、あんなにラグパン短いの!?」
「いゃァ〜ん、何か誘ってない?」
「ラグパンって、パンツ穿かないンでしょ!? エッチぃ〜!」
と、相変わらず盛り上がっていた。そんな彼女たちに浩志は、
「鶴田ッ! 一応、穿いてる���!」
とラグパンの裾をチラッと上げてみせた。何故、アタシの名前を知ってるのとびっくりしながら、
「ヒロシ、このスケベっ!」
と笑い転げた。他の同級生は黄色い声を上げていた。
休憩時間になり、広樹は予め作っておいた麦茶の入ったやかんを二つ、ベンチのある日陰に置き、部員に声をかけた。皆、待ってましたと言わんばかりに詰め寄って来て、麦茶の注がれたプラスチックのコップを手に取った。浩志も蛇口の水を頭から浴び、
「このまま昼飯にするぞ」
と、眼鏡を片手に持ちながら首に掛けたタオルで頭を拭き、彼は校舎に戻って行った。
その間、日陰で弁当を食べたり芝生に横になったりと、それぞれ休んでいた。克也もケヤキの幹に寄りかかった。視界には空になったやかんや、プラスチックのコップを片付ける広樹の姿があった。なかなか告白できずにいる克也は、
『今なら言えそうな気がする』
と立ち上がった。そっと近づき、広樹の手を取った。
「加藤先輩…?」
「ちょっと来て」
そう言われるがまま、広樹は克也に手を引っ張られた。連れて行かれたのは部室だった。窓を全開にしていたが殆んど風が入らず、蒸し暑かった。十二畳はあるかないかの室内で、克也は広樹と見つめ合った。両手を握りしめ、
「額田君、好きだ」
と克也は唇を奪った。身体を密着させ、広樹の背部に両腕を回し、愛撫した。広樹は嫌がることなく、奪われた唇が克也のものと一体になる様な感覚を得た。
ラグパンの中で股間が隆起していくの互いに感じながら、二人はブリーフ越しに恥部を弄った。内腿から汗が垂れ、次第に濡れていった。克也はこれまで抑えてきた感情を露にしながら喘ぎ、広樹のラグパンを脱がせた。
「あぁん、はァ、ああん…」
鼻息を粗くさせながら、二人はブリーフを膝まで下げ、肉棒の裏側を合わせながらしごいた。
「あッ、あん、ああん…」
先走り汁で手指を汚しながら、克也は広樹のラガーシャツを胸元までたくし上げ、乳房を咥えた。
「イ、イキそう…」
「オ、オレも…」
オルガズムは二人一緒に達した。ドクッ、ドクッと粘度が強い乳白色の愛液を流し合い、克也は広樹の唇を求めた。広樹も舌を絡ませ、二人は暑さも忘れて愛し合った。
練習を終え、体育館に併設されたシャワーを浴びた部員はそれぞれ、制服に着替えて帰って行った。浩志もワイシャツとスラックスに着替え、職員室の扇風機で涼んでいた。嗚呼、今日は飲みにでも行こうかなァ…。そう思っていると、
「…先生」
と克也が訪れた。浩志は、
「何だ、帰ってなかったの?」
と気だるそうな声で聞いた。克也は言った。
「オレ、額田君に告白しました」
「へぇ〜、良かったね。…で?」
「…そのままエッチしちゃった」
「へぇ〜、良かったね」
何も考えずにこう言ったが、否、「エッチしちゃった」って、何が? ようやくコトの真意に気付いた浩志は、
「ハァァァァァァ〜!?」
と上半身を起こした。
「犯っちまったのか!?」
「声が大きいよ!」
「…お前、溜まってたンだな」
「何か、気持ちが大きくなっちゃって…」
克也は、徐々に真顔になっていく浩志の様子に、嗚呼、怒られるのかなと不安になった。しかし、浩志はバンッと彼の背中を叩き、
「よくやった! これでこそ男だ! 気持ち良かったっぺ!?」
と、寧ろ喜んだ。何だ、この先生!?と克也は呆然とした。そして、浩志は克也の股間を鷲づかみにし、
「イイぞ、イイぞ! その調子でガンガン攻めろ! 若いってイイなァ〜!」
と揺さぶった。
「や、やめッ…! おしっこ漏れちゃう!」
もし誰かいたら問題になるなと、克也は思った。
この日を機に、克也と広樹は浩志から色々と「性のてほどき」を受けた。時折、部室で『さぶ』や『アドン』などのゲイ雑誌を渡され、ア◯ルセックスの仕方も山奥のモーテルで「伝授」された。克也は、
「オレは純愛が好きなのに!」
と心の中で叫びながらも、沸々を込み上げてくる肉欲に負けて広樹と絡んだ。広樹も、克也を所謂「セックスシンボル」としてしか見られなくなり、ラグビーショーツから覗くブリーフに生唾を飲んだ。克也の家も若宮町にあった為、水府橋の下で毎日の様に愛し合った。
一方、ラグビー部の成績は劇的に飛躍した。これまで県大会で二回戦以上は勝ち進められなかったのが、関東大会でも上位の方まで成績を残した。他県のシード校を打ち破った時には、浩志は嬉しさのあまりに、
「これも皆、克也と広樹の『愛』あってこそだ!」
と口走り、二人は火消しに追われた。
そんな克也と広樹だが、個別に利江子から漫画のネタに色々とインタビューを受けた。あまりにしつこいので、
「イイじゃん、愛してるンだから。好きにさせてくれよ」
と広樹は言い切ったが、
「えぇ〜!? そんなにラブラブなのぉ〜!? だったらイイじゃ〜ん!」
と、寧ろ彼女の創作意欲に火をつけてしまった。
広樹は浩志との思い出を「��弁」した。途中、浩二は笑いをこらえるのに骨折り、
「う、嘘ッ!?」
「それ、本当ですか!?」
「高校生だったのに!?」
云々と、何度も聞き直した。
二人が話している間、大樹は座布団を半分にして折り、枕の様にして眠っていた。寝息を立てている我が子を気にしながら、広樹は目頭をハンカチで押さえた。今は高校生だった二人を浩志が手を出し、淫乱にさせたことを信じられないと思っているが、その数年後には中学生になったばかりの大樹をまさか自分がそうさせることになろうとは、考えてもいなかった。
午後九時を回り、広樹は大樹を起こした。
「長居をしてしまってすみません。告別式には妻が来ますので…。私、K百貨店に勤めておりまして、明日から秋に催される物産展の関係で北海道へ行くンです。克也、否、加藤さんは通夜には行けるそうです」
「K百貨店にお勤めですか? 大変ですね。道中、気を付けて」
玄関で広樹と大樹を見送ると、茶の間に戻って浩二は残っていたお茶を飲み干し、片付けた。徐々に、彼は浩志との永遠の別離がきているのだなと実感した。
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yu-en · 9 months ago
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2024.09.28
10月に地元で会う約束をしているYから、彼女の好きな小説家のサイン本を買ってきてほしいと頼まれた。それで、今日の昼から池袋の本屋を回ったけれど、どの店でもとうに売り切れているようだった。時間を持て余して、大学図書館へ向かう。
大学時代の同級生と数年に一度出している同人誌の次号を、今年の12月に発刊することになった。私はもう短歌をやりたくなく、短歌以外に何を出せばいいのかも分からない。そのまま同人誌用には何も書かないで過ごしていたのだけれど、主宰が面白がったので、数日前に書いた自室の記録を加筆修正して寄稿することにした。卒業生カードで入館し、しばらく文章を直していた。こども園で働くFさんを幼稚���教諭と呼ぶことが正しいか分からず、「あなたの職業って何て書くのが正しい?」とメッセージを送る。正式には保育教諭というのだと教えてくれた後「カリスマ保育教諭とか?」とおどけた台詞を付け足すのがFさんらしかった。
ペンを持つ右手が疲れてからは散歩に出かけた。好きな本屋を経由して、自由学園明日館へ行った。正面入口に着くと「“本日は結婚式で貸し切りのため外観のみの見学”ですって、あらあ、おめでとうございます」と看板を読み上げている人がいた。その��色に少しの落胆も滲んでいないことが良かった。芝生や窓を眺めて、売店でポストカードを1枚買った。
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明日館を出てから、Hと落ち合うまでを東京芸術劇場で過ごした。その場所で長い時間を過ごすのは、大学の入学式以来だった。地下1階から最上階までを目的もなく往復して、何枚か写真を撮った。最近はカメラを持つのが楽しくて、写真を撮っては投稿している。その頻度を自覚すると、自分の饒舌さに嫌気が差してくるので、記録しておきたい写真を一度に残すためにこれを書いている。この投稿は写真まみれです。
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芸劇の椅子に座っていると、目の前のエスカレーターで降りてくるHと目が合い、手を振る。外では何かのお祭が開かれていて、その賑やかさから逃げるように東へ向かった。目的地とした喫茶店が閉まっているのを確認し、散歩に切り替える。テーブルと椅子を外に出しているミニストップを見つけ、カフェオレを買ってそこに腰かけた。テーブルを指差しながら「いい店知ってるんだよね」と自慢げに話すと「ダセ~」と笑われた。京都のお土産を渡した。Hと一緒に暮らすWさんの分も含めて、少し量の多いお香にした。
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今日は曇り空で、街全体が白く見える日だった。電線や工事現場の壁が落書きのように浮いていた。途中、ワインの空き瓶を入口に並べている店があり、「テイクフリーかな」とふざけると「喧嘩用じゃない?」と返される。酒瓶を持って殴り合うジェスチャーをする。
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都電荒川線の駅に行き着き、降りる駅も決めずに乗車する。「電車というよりは線路を移動するバスと呼ぶほうが近いね」と話しながら、googleマップ上で路線をなぞる。飛鳥山公園という場所に城のような山型遊具があることを知り、そこを目的地とした。
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飛鳥山公園は、とても良い公園だった。目的としていた城は、遊具と呼ぶには気が引けるほど大きかった。かつて実際に走っていたらしいSLや子供用の船、頭を垂れた幾種もの動物たち、遊びきれないほどの遊具があった。すべり台よりも象が主体になっている遊具を見て、三崎亜記の『象さんすべり台のある街』という短編を思い出した。城の中で遊びたかったけれど、子供やその親たちが楽しそうにしているのを邪魔したくなく、また違う時間帯の様子を見たかったこともあって、「夜にまた来ましょう」と決めて公園を出た。
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喫茶店で一杯ずつ酒を飲み、Hの喫煙のために王子駅まで歩く。Hが「めっちゃ良い公園だったな」と呟くので「過去形にしないで」と返すと、「めっちゃ良い公園であり続けるだろうな」と訂正してくれる。それがツボに入り、しばらく笑っていた。私と同じくHもこの街が気に入ったらしく、「ここは住み良いのかな」と引越しまで検討しているようだった。
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日の暮れたころに公園へ戻ると、昼にいた子供たちは姿を消していて、代わりに大学生くらいの年頃の集団が点在していた。うち1つのグループが手持ち花火をしていて、遠くからその火を眺めていた。城の中へも入って、物見へ立ってみたり、すべり台で遊んでみたりした。ずっと楽しかった。もう営業終了していたけれど、小さなモノレールの駅もあった。“飛鳥山山頂駅”と看板の出ているのを見つけて、「下は“麓駅”なのかな」とHが言うのを確かめに行くと、“公園入口駅”と掲げられていた。冬にも来たいね、早朝も良いだろうね、ここで花見をしたら楽しいだろうね、と話をした。どの季節のどの時間にも、自分たちの楽しそうにしている様子が想像できた。
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Hと別れて部屋に戻り、撮った写真を眺めていた。動物たちの写真を見て、新しい部屋でここへ来たいと思う。皆それぞれ好きな動物がいて、その動物たちと彼らとが近くにいるのを見たかった。「いつかみんなで行きたいです」とメッセージを書きながら、象は何頭かいたけれど、イルカはいなかったことを思い出す。オットセイはいた。城の写真も併せて送ると、Rさんから「籠城したい」と返信があり、それがRさんらしくて好きだった。
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kennak · 2 years ago
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ジャニーが同性愛者(真性の少年性愛者、児童性愛者)であり、事務所に所属する男性タレントに対して性的児童虐待(同性愛行為の強要)を行っているとの話は、1960年代から散発的に繰り返し報道されてきた。 まず、駐留米軍の「在日軍事援助顧問団 (MAAGJ)」に勤務していた頃(1958年~1966年)から、外交官ナンバーの車(クライスラー)で新宿・花園神社の界隈に繰り出し、「ケニー」、「L」、「牛若丸」といったゲイバーで遊んでいたこと、��に新宿駅南口で網を張り、田舎から出てきた少年たちに声をかけては、常宿の「相模屋」(1泊600円のベッドハウス)に連れ込んでいたことを、当時のゲイ仲間・原吾一が、著書『二丁目のジャニーズ』シリーズで明かしている。 ジャニー喜多川が最初に手がけたタレントは「ジャニーズ」の4名(真家ひろみ、飯野おさみ、あおい輝彦、中谷良)で、当初は池袋の芸能学校「新芸能学院」に所属させていたが、学院内にてジャニーが15名の男子生徒たちに性的児童虐待行為をしていたことが発覚。 オーナーの名和太郎学院長(本名:高橋幸吉。2000年6月7日に急性心不全で逝去。81歳没)はジャニーを1964年6月28日付で解雇した。 しかしジャニーが、ジャニーズの4名も一緒に引き連れて出て行ってしまったためにトラブルとなり、ジャニーらが所属中の授業料やスタジオ使用料、食費など270万円を求めて学院長がジャニーを提訴し、裁判へと発展した (通称:ホモセクハラ裁判)。 なお、当時のジャニーは在日軍事援助顧問団(MAAGJ)に在籍する下士官事務職員として、米国軍人および外交官の立場にあったが、新芸能学院との騒動は「MAAGJの公務の範囲外の職業活動」で起こった問題であるため、「外交関係に関するウィーン条約」(日本では1964年6月8日に発行)の第31条1項による外交特権「外交官は接受国の刑事・民事・行政裁判権からの免除を享有する」の対象から漏れ、訴えられた。 この裁判は長期化し、1964年から実に4年に渡って行われた。 ジャニーズの4名も実際に証言台に立っており、その証言記録は『女性自身』(1967年9月25日号)、『ジャニーズの逆襲』(データハウス刊)、『ジャニーズスキャンダル調書』(鹿砦社刊)にて再現されている。 『週刊サンケイ』(1965年3月29日号)でも「ジャニーズ騒動 “ジャニーズ”売り出しのかげに」として5ページの記事が組まれた他、ルポライターの竹中労も、著書『タレント帝国 芸能プロの内幕』(1968年7月、現代書房)の中で「ジャニーズ解散・始末記」と題してジャニーの性加害について言及した (当書はその後、初代ジャニーズを管理していた渡辺プロダクションの渡邊美佐の圧力で販売停止)。 なお、『ジャニーズスキャンダル調書』では「同性愛」という表現自体を否定しており、ホモセクハラである以上、「性的虐待」、善意に表現しても「少年愛」であるとしている。 『週刊現代』(1981年4月30日号、講談社)にて、「『たのきんトリオ』で大当たり アイドル育成で評判の喜多川姉弟の異能」と題し、ジャーナリストの元木昌彦がジャニーの性趣向問題について言及。 (直後、ジャニーの姉のメリー喜多川から編集部に「今後、講談社には一切うちのタレントを出さない」と猛クレームが入り、元木は処分として『週刊現代』から『婦人倶楽部』の部署へと異動させられた。 この件については、『週刊文春』(1981年5月28日号、文藝春秋)でも、「大講談社を震え上がらせたメリー喜多川の“たのきん”操縦術」と題して報じられた。 なお、ジャニーの性的児童虐待についてメリーは、「弟は病気なんだからしょうがないでしょ!」と言ってずっと放任していた) 雑誌『噂の眞相』(1983年11月号)が、「ホモの館」と題してジャニーズ事務所の合宿所の写真を公開。 元所属タレントの告発も相次いだ。 元フォーリーブスの北公次は『光GENJIへ』(1988年12月)、 元ジューク・ボックスの小谷純とやなせかおるは『さらば ! ! 光GENJIへ』(1989年9月)、 元ジャニーズの中谷良は『ジャニーズの逆襲』(1989年10月)、 元ジャニーズJr.の平本淳也は『ジャニーズのすべて ~ 少年愛の館』(1996年4月)、 豊川誕は『ひとりぼっちの旅立ち ~ 元ジャニーズ・アイドル 豊川誕半生記』(1997年3月)、 山崎正人は『SMAPへ』(2005年3月)をそれぞれ上梓。 タレントの生殺与奪の全権を握るジャニーの性的要求を受け入れなければ、仕事を与えられずに干されてしまうという実態が明るみに出た。 中でも『SMAPへ』は、ジャニーが行っていた性行為の内容について最も細かく具体的に描写しており、少年に肛門性交を強要していたことも明かしている。 同じく元Jr.の蓬田利久も、漫画『Jr.メモリーズ ~もしも記憶が確かなら~』(竹書房の漫画雑誌『本当にあった愉快な話』シリーズに掲載。著:柏屋コッコ、2014年1月~2015年4月)に取材協力する形で暴露している。 ジャニーは肛門性交時にノグゼマスキンクリーム、メンソレータム、ベビーローションなどを愛用しており、少年隊もラジオ番組で、錦織一清が「ジャニーさんと言えばメンソレータム思い出すなぁ・・・」、東山紀之は「合宿所はいつもメンソレータムの匂いがしてた」など、分かる人には分かるギリギリの発言をしている。 元Jr.の星英徳も、ジャニー喜多川の死後になってネット配信で、「ただのJr.だった自分ですら、何十回もやられた。 ジャニーさん��特に好んだのは、小中学生の段階のJr.。 時には平日の朝から学校を休んで合宿所に来いと呼び出され、マンツーマンで性行為を受けた。 その最中は、当時付き合ってた彼女のことを毎回必死に頭で思い描きながら耐えてた。 メジャーデビューしたメンバーは必ず全員やられている。 必ずです! 全員やられてる! そもそも断ったらデビュー出来ない」と幾度も打ち明け、ジャニーによる性被害や当時の事務所内での異常な状況を説明した。 ジャニーズの出身者以外からも、浜村淳が関西ローカルのラジオ番組『ありがとう浜村淳です』(MBSラジオ)の中でジャニーのことを「あのホモのおっさん」と発言したり、ミュージシャンのジーザス花園が、2009年発表の自作曲『ジャニー&メリー』で、AV監督の村西とおるもブログやTwitterで糾弾している。 ジャニーに対する感謝、愛情が誰よりも強いことで知られるKinKi Kidsの堂本剛(児童劇団の子役出身)は、小学5年生の段階で子役活動を辞め、一旦芸能界を引退していたが、姉による他薦でジャニーズのエンターテインメントの世界に触れ、自分もスターになって成功したいという感情が芽生える。 しかし成功するためには、まだ幼い小学6年生の段階からジャニーの性的な行為を耐え忍ぶしかなく、剛が中学2年生の14歳の時に奈良県から東京の合宿所に正式に転居してからは、ジャニーの性行為は更に過熱していった。 当時剛と非常に親しい関係にあった元Jr.の星英徳も、「剛は普通のJr.たちとは違うレベルの性行為をジャニーさんから受けていて、そのことにいつも悩んでた。剛が病んじゃったのはジャニーさんが原因」と、2021年6月25日の深夜にツイキャス配信で証言した。 剛にしてみれば、確かにジャニーには芸能界で大成功させて貰って感謝はしているものの、幼い頃から異常すぎる性体験を強いられ、自分の心と体を捨て去るという代償を払わされてきた訳であり、更に人一倍繊細な性格がゆえ、15歳からは芸能活動へのストレスも相まってパニック障害を抱えるようになり、長年に渡って自殺を考えるほどに苦しんだ時期が続いた。 自分で選んだ道ではあるし、ストックホルム症候群、トラウマボンド(トラウマティック・ボンディング)、グルーミングなどの効果によって、ジャニーに対して大きな感謝はしつつも、もしジャニーと出会わなければ、こんなにも苦しい思いをすることは無かった、という愛憎が入り混じった複雑な感情から、剛の自作曲『美しく在る為に』は、ジャニーへの思いや、芸能活動への葛藤が描かれた曲だと、一部のファン���間では解釈されている。 その歌詞の一部には、 「あたしが悪いなんて 云わせないの あなたが悪いなんて 云う筈がないの 人は勝手だったもの 何時も勝手だったもの 美しく在る為に 勝手だったもの」とある。 [1] 元光GENJIの諸星和己も、2016年11月6日放送のバラエティ番組『にけつッ ! !』(日本テレビ)に出演した際、千原ジュニアとの会話でジャニーについて、 千原 「数年後に大スターになると見抜くその力よ」 諸星 「違う違う、たまたま、たまたま」 千原 「先見の明がすごいんでしょ?」 諸星 「僕の考えだと、“結果論”だね。 あの人(ジャニー喜多川)の目がいいとか、見抜く力がすごいとか、“全く”無い!」 と断じ、ジャニーに対する世間の過大評価に異を唱えた。 そして番組の最後では、「ジャニーの感性はね、あれホ〇だから!」と締めくくった。 ジャニーについてはよく、「少年の10年後の成長した顔が見えていた」などと評されてしまうことがあるが、それは間違い。 確かに子供の頃は冴えない平凡な顔をした者が、美容整形なども踏まえて将来二枚目に化けたパターンもあるが、その一方、小さい頃は可愛かったのに、成長と共にどんどん劣化してしまったパターンも少なくない。 そもそも、テレビなどで頻繁に同じタレントの顔を目にしていれば、視聴者の目はその顔に慣れていく訳だから、マイナス面はどんどん軽減されていく。 ジャニーが持っていたのは権力と財力であって、人の10年後の顔はおろか、人の本質や将来を見抜けるような特殊能力、神通力は存在しない。 ジャニーは将来を予見して採用していたのではなく、ただ単に、今その瞬間の“自分の好み”の少年、個人的に性欲を感じる“ヤりたい相手”を選んでいただけであり、その少年がたまたまスターになるかならないかは、諸星が述べた通り、後からついてきた“結果論”に過ぎない。 ジャニーに個人的に嫌われれば、いくらスター性や才能がある者であっても捨てられるし、ジャニーに個人的に好かれれば、スター性の無い者であっても権力と財力でメディアにゴリ推しされ、結果、誰でも人気者になれた。 こうした、ジャニーの個人的な好み、機嫌だけで全てが操作・決定される、非常に特殊で独裁的な事務所だったため、多くのスターを製造した一方、本当に将来有望だったはずの多くの才能も死んでいった。 なお諸星はこの放送の一ヶ月後の2016年12月2日に大沢樹生と共に開催���たトークライブでも、ステージ上で「俺が何で結婚しないか? ホモだから。 ジャニーみたいなものだから」と発言し、ジャニーを茶化している (諸星自身がゲイであるという部分は自虐による冗談であり、諸星はゲイではない)。 1988年~1989年にかけ、月刊誌『噂の眞相』もこの問題を数回取り上げた。 しかしジャニーズ側は、「『噂の眞相』という雑誌はこの世に存在しないもの」という姿勢を貫いていたため、全く相手にされることは無かった。 週刊誌『FOCUS』(1989年8月11日号、 新潮社)に、ジャニー喜多川が合宿所で撮影した田原俊彦の全裸のポラロイド写真が流出掲載される。 1999年10月28日号から2000年2月17日号にかけ、『週刊文春』がジャニーズ事務所に対する糾弾を14回に渡ってキャンペーンとしてシリーズ掲載。 ジャニーが所属タレントに対してセクハラ・児童虐待を行い、事務所内では未成年所属タレントの喫煙や飲酒が日常的に黙認されていると報道し、約15名もの元ジャニーズJr.が取材に協力した。 出版元である文藝春秋は、他の大手出版社と違ってジャニーズ事務所との癒着や影響力が皆無に等しかったために出来たことだった。 【キャンペーン開始の引き金的な記事】 江木俊夫 公判で元アイドルが「ジャニーズ」批判 (1999年10月7日号) 【14回のキャンペーン】 青山孝 元フォーリーブス衝撃の告発 芸能界のモンスター「ジャニーズ事務所」の非道 TVも新聞も絶対報じない (1999年10月28日号・p252~255) ジャニーズの少年たちが耐える「おぞましい」環境 元メンバーが告発 「芸能界のモンスター」追及第2弾 (1999年11月4日号・p190~193) ジャニーズの少年たちが「悪魔の館」合宿所で 「芸能界のモンスター」追及第3弾 強いられる“行為” スクーブグラビア ジャニーズ「喫煙常習」の証拠写真 (1999年11月11日号・p26~29)[1] テレビ局が封印したジャニーズの少年たち集団万引き事件 追及キャンペーン4 マスコミはなぜ恐れるのか (1999年11月18日号・p188~191) ジャニー喜多川は関西の少年たちを「ホテル」に呼び出す 追及第5弾 芸能界のモンスター (1999年11月25日号・p188~191)[1] ジャニーズOBが決起! ホモセクハラの犠牲者たち 芸能界のモンスター追及第6弾 (1999年12月2日号・p195~197) 小誌だけが知っているジャニー喜多川「絶体絶命」 追及第7弾 (1999年12月9日号・p179~181)[1] ジャニーズ人気スターの「恋人」が脅された! 追及第8弾 (1999年12月16日号・p185~187) ジャニー喜多川殿 ユー、法廷に立てますか? 「噴飯告訴に答える 追及第9弾」 (1999年12月23日号・p179~181) 外国人記者が「ジャニー喜多川ホモ・セクハラは日本の恥」 追及第10弾 (1999年12月30日号・p38~40) ジャニーズ裁判 元タレントはなぜ「偽証」した キャンペーン再開! (2000年1月27日号・p180~181) ジャニー喜多川よ、ファンもこんなに怒っている 徹底追及(第12弾) (2000年2月3日号・p165~167) NYタイムスも報じたジャ二ー喜多川「性的児童虐待」 (2000年2月10日号・p172~173) ジャニー喜多川「性的虐待」 日本のメディアは腰くだけ ピュリツァー記者が激白 (2000年2月17日号・p34~35) 【追加報道】 スクープ撮! ジャニー喜多川の素顔 (2000年3月16日号) ジャニー喜多川の性的虐待! 母親が���意の告白 「息子は私に訴えた」 (2000年3月23日号・p184~186) 新展開 ついに国会で質問されたジャニーズ性的虐待 なぜNYタイムスしか報じないのか (2000年4月27日号・p176~179) ジャニーズ疑惑 梨元勝国会で証言へ! (2000年5月4日・11日合併号・p180~181) 大手メディアがこの性的児童虐待問題をこれほどまでに取り上げたのは1960年代以来初めてのことで、その波紋は大きく、自民党衆議院議員・阪上善秀(後の宝塚市長)も、2000年4月13日にこの問題を衆議院で取り上げた [注 6]。 1999年11月、ジャニー側は名誉毀損であるとして文藝春秋を訴え、1億700万円(ジャニーズ事務所に対し5350万円、ジャニー喜多川に対し5350万円)の損害賠償と謝罪広告1回を求める民事訴訟を起こした。 2002年3月27日、東京地裁の一審判決では、「高度の信用性を認めがたい。 証人の証言はたやすく信用できない点を残している」としてジャニー側が勝訴し、東京地裁は文藝春秋に対し、ジャニーへ440万円、ジャニーズ事務所へ440万円の、計880万円の損害賠償を命じた (井上哲男裁判長)。 文春側はこれを不服として東京高裁に控訴。 これに対抗するかのようにジャニー側も控訴。 2003年7月15日の二審判決では、ジャニーの性的児童虐待に関する記述について、 「喜多川が少年らに対しセクハラ行為をしたとの各証言はこれを信用することができ、喜多川が、少年達が逆らえばステージの立ち位置が悪くなったり、デビューできなくなるという抗拒不能な状態にあるのに乗じ、セクハラ行為をしているとの記述については、いわゆる真実性の抗弁が認められ、かつ、公共の利害に関する事実に係るものである」 と結論づけられ、ジャニー側の性的児童虐待行為を認定 (矢崎秀一裁判長)。 このため、性的児童虐待部分のジャニー側の勝訴は取り消され、損害賠償額はジャニーへ60万円、ジャニーズ事務所へ60万円の、計120万円に減額された。 ジャニー側は損害賠償額を不服として最高裁に上告したが、2004年2月24日に棄却され (藤田宙靖裁判長)、120万円の損害賠償と性的児童虐待行為認定が確定した。[1]、[2] しかし各芸能マスコミは、一審の880万円から120万円に減額された事実だけをベタ記事で書いて済ませ、「性的児童虐待が認められた」という肝心の部分は書かなかった。 この問題について、懐疑主義団体「JAPAN SKEPTICS」の機関誌『NEWSLETTER 53号』にて、当時同会の副会長だった草野直樹が批判。 「マスコミの誤りというのは、『間違ったことを報じる』だけでなく、『必要なことを報じない』ことも含まれる。 そして後者の多くは、いくつかの『タブー』に縛られていることが原因になっている。 報道におけるタブーのベールを抜いた報道には、オカルト・疑似科学の類と同様に���されないようにしよう」と訴えた。 芸能評論家の肥留間正明も、「芸能界でホモセクハラが裁判になったのは異例。 真実と認められたのも初めてで、これは社会的な事件」と語っている。 また、ニューヨーク・タイムズや、イギリスの新聞・オブザーバーなどの海外メディアも大々的に取り上げ、この問題をタブー視するなどして真実を報道しない卑怯で腰抜けな日本のマスメディアの姿勢、体質を批判した。 以後もジャニーズ事務所と文藝春秋は対立。 2006年に『武士の一分』が映画化された際、ジャニーズは文春文庫で発売されている藤沢周平の原作本の帯に、主演の木村拓哉の写真の使用を一切許可しない、という対抗措置を取っている。 また、木村が工藤静香と結婚した際にも、会見への週刊文春の参加を禁じた。 そのため、文春側は巻頭グラビアで白紙ページに木村とインタビュアーの輪郭のみを描き、ジャニーズによるメディア統制であると非難した。 2010年3月14日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「新約・ジャニーズ暴露本」開始。 2018年6月6日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「いま振り返るジャニーズの“少年愛”報道」開始。 2019年7月9日にジャニーが逝去。 その際、テレビや雑誌など、日本の主要メディアではジャニーを賛美する歯の浮くような美辞麗句のみが並べられ、まるでジャニーを聖人君子かのように崇め奉った。
ジャニー喜多川 - ジャニーズ百科事典
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takarajima-movie · 1 month ago
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物語の熱狂を体現する総勢10名の新キャスト解禁!
塚本晋也、中村蒼、瀧内公美、栄莉弥、尚玄、ピエール瀧、木幡竜、奥野瑛太、村田秀亮、デリック・ドーバー。 新キャスト10名のたぎる想いと共に劇中のキャラクター画像を一挙解禁!
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〈COMMENT〉 【塚本晋也】徳尚(とくしょう)役:コザ署の刑事でグスクの相棒 すべてのシーンが圧巻の特大スケールで驚きました。徳尚という役を通し、沖縄のこと、日本のこと、たくさんのことをあらためて見つめる大事な機会になりました。映画が放つ強いメッセージが皆様に届くことを願っています。 【中村蒼】小松役:米軍の高官アーヴィンの通訳 戦後の沖縄という最も過酷な現実に置かれ、歴史に声を奪われた登場人物の怒り、友情、絶望、希望が描かれておりそんな今作にとても心打たれました。画面からすごいエネルギーがひしひしと伝わってきました。 私が演じた小松は普段は淡々と通訳の仕事をこなし穏やかで理知的な人間ですが物語が進むにつれてそれだけではない別の一面も持ち合わせています。 私は、彼が冷徹で計算高い男なのか、理想と現実で板挟みになり苦悩する男なのか、それとも沖縄を思うが故に独自のやり方で尽力した人物なのかは観た皆さんがどう思うのかとても楽しみにしている所です。 【瀧内公美】チバナ役:ヤマコが慕うAサインバーの女給 いまも続いている"沖縄の現実"というものを内地の人間は見つめざるを得ない。 沖縄に出向き、戦争の話をしてくれたおばぁたち。 コザにある映画館シアタードーナツで見せていただいたドキュメンタリー映画「モトシンカカランヌー」。アケミさんが唄っていた十九の春。 沖縄で過ごした時間はわたしの心にいまも生き続けています。 ものがたりでもあり、フィクションであるにも関わらず、沖縄史にどうしても気持ちが向き、ここに生きている"人間たちが""魂が"あったんだ、と叫ばざるを得ませんでした。 伝えたいことは山ほどある。映画では語りきれないほどの想いがそこにはあります。 この作品に協力してくださった沖縄のみなさんに心から感謝しております。 エンドロールをご覧になってみなさまがどう感じてくださるのか、沖縄に出向いた際はひめゆりの塔で手を合わせていただけることを切に願います。 【栄莉弥】ウタ役:物語のカギを握る謎に包まれた孤児 大友監督が導く「宝島」の世界、僕はカメラの前で芝居をすること自体がほぼ初めての経験でした。撮影中は様々な感情が入り混じり、緊張で硬まってしまう事もありましたが、監督から「ここにいる以上は、同じ土俵に立っているのだから自信を持ってやっておいで」と仰っていただき、その言葉をパワーに変え、キャストの先輩方やスタッフの皆さんに背中を借りる気持ちで日々挑戦でした。 撮影の合間には、ひめゆりの塔や、ガマ、美しい海、荒崎海岸にも足を運びました。 沖縄の神秘と、そこに確かにある悲惨な歴史、そしてそれを乗り越えてきた琉球の方々の魂の力強さを感じ、心が震える思いでした。 激動の戦後沖縄を生き抜いたたくさんの命を、肌で感じていただける作品になっています。 ぜひ多くの方に劇場へ足を運んでいただきたい気持ちでいっぱいです。 【尚玄】タイラ役:レイの刑務所仲間で民族運動家 アメリカ統治下にあった沖縄の激動の時代。彼らが命を懸けて守ろうとしたのは、島のかけがえのない『宝』だった。理不尽な現実は、今もなお形を変えて続いている。民意とは何か、そして誰のための本土復帰だったのか――その問いは決して過去のものではない。沖縄と真摯に向き合ってきた大友啓史監督だからこそ実現できた意欲作。沖縄出身の俳優として、この作品に参加できたことを光栄に思う。 【ピエール瀧】喜舎場(きしゃば)役:コザ派のヤクザでレイの親分 久しぶりに大友監督の現場に参加させていただきました。相変わらずのエネルギッシュな現場で、何よりも監督が楽しそうにされている姿に触れてこちらも嬉しくなりました。 【木幡竜】ダニー岸役:ある事件を探るためグスクに近づくCIA要員 沖縄という戦後の戦場に焦点を当てて、グスク、ヤマコ、レイという幼馴染たちがそれぞれの人生を歩みオンちゃんという彼らにとっての英雄を探す物語です。国の過去と向き合う覚悟。人間の尊厳、自由への渇望が詰まったこの小説を読んだ時、どこに僕の役があるのだろう。どの役ならこの映画に貢献できるのだろうと感じておりました。 大友監督から頂いた役はダニー岸。映画唯一と言っていい悪役は、小説ではかなりのサイコパスな役です。しかし、小説と実写映画では少しこの役の意味合いは違いました。監督といろいろな意見交換をしながら撮影に挑みました。 試写会で映画『宝島』を観た時、全ての役が、キャラクターが、個性が、映画の中に息づいていました。その中にダニー岸も居て、すごい作品の一部になれていると感じました。 この映画は是非、映画館で見ていただきたいです。 【奥野瑛太】謝花(じゃはな)ジョー役:密貿易団クブラのリーダー 撮影休み��金曜日の夜、賑やかなコザゲート通りで1人酔い潰れていました。異国の雰囲気漂う通りで寝転んでいると、路面店からは終始洋楽のカラオケの音が鳴り響いていました。咆哮にちかい歌声にしばし身体を預け、 酔いがおさまってきたところでふらふらと路地を散歩しました。先ほどの景色とうってかわり地元の若い人達がやっている飲み屋さんが立ち並んでいました。 どこからともなく聞き馴染みある沖縄のJ-POPのカラオケの音が聞こえ、今度は地元愛の滲む平和的な若者の声に残りの酔いを任せました。 通り一つはさむだけでまるで違う国に来たかのように錯覚してしまう情景に、外部から来ておこがましいの百も承知ですが、「これが沖縄なのか」と、その複雑さと歴史にただただ呆然と酔っ払いました。
【村田秀亮】辺土名(へんとな)役:鼻の曲がったコザ派のヤクザ どんだけ涙が出てくるねんってくらい泣いてた… 胸が熱くて苦しくて痛くて…涙が止まらなかった。 戦争は終わったはずなのに沖縄では何も終わっていなかったあの時代 自分達の本来の島を取り戻したくて護りたくて命を懸けて立ち上がる若者たちの姿は、泥臭くて尊い。 これはただの物語でも映画でもないよ。 人間が生きることそのものにぶつかっていくリアルな叫び! 生きてる以上前に進まないと損やもんな よし、明日も生きていこ! 今世紀絶対観て欲しい一本です。 【デリック・ドーバー】アーヴィン・マーシャル役:グスクとチームを組む米軍の高官 『宝島』は私にとって特別な作品であり、日本映画界にとっても大きな意義を持つ挑戦だと感じています。大友啓史監督の情熱が、視聴者だけでなく、多くの業界関係者にも共感と希望を届けてくれることを願っています。 この物語は観る人に問いを投げかけ、考える力を引き出す深い作品です。激動の時代だからこそ、こうした普遍的な物語がいっそう求められていると感じます。 日本の文化と映画は、私の人生とキャリアに大きな影響を与えてくれました。この作品に関わり、尊敬する監督や仲間と共に創り上げられたことを心から誇りに思います。 〈STORY〉 ある夜、一人の英雄が消えた。アメリカ統治下の沖縄で、自由を求め駆け抜けた若者たちの友情と葛藤を描く感動超大作。 英雄はなぜ消えた���か?幼馴染3人が20年後にたどり着いた真実とはー。 沖縄がアメリカだった時代。米軍基地から奪った物資を住民らに分け与える“戦果アギヤー”と呼ばれる若者たちがいた。いつか「でっかい戦果」を上げることを夢見る幼馴染のグスク(妻夫木聡)、ヤマコ(広瀬すず)、レイ(窪田正孝)の3人。そして、彼らの英雄的存在であり、リーダーとしてみんなを引っ張っていたのが、一番年上のオン(永山瑛太)だった。全てを懸けて臨んだある襲撃の夜、オンは“予定外の戦果”を手に入れ、突然消息を絶つ…。残された3人は、「オンが目指した本物の英雄」を心に秘め、やがてグスクは刑事に、ヤマコは教師に、そしてレイはヤクザになり、オンの影を追いながらそれぞれの道を歩み始める。しかし、アメリカに支配され、本土からも見捨てられた環境では何も思い通りにならない現実に、やり場のない怒りを募らせ、ある事件をきっかけに抑えていた感情が爆発する。 やがて、オンが基地から持ち出した“何か”を追い、米軍も動き出すー。 消えた英雄が手にした“予定外の戦果”とは何だったのか?そして、20年の歳月を経て明かされる衝撃の真実とはー。
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ari0921 · 7 months ago
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
  令和六年(2024年)11月15日(金曜日)
    通巻第8504号  <前日発行>
 トランプのディープステート殲滅作戦が始動
  今度は司法長官、国家情報省にもっとも戦闘的な議員らを配置
*************************
ドナルド・トランプ次期大統領は司法長官に「議会の暴れん坊」といわれるマット・ゲーツ下院議員(共和党・フロリダ州)を指名した。
国務、国防、CIA、国土安全省と、ずらり対中タカ派を勢揃いさせたから、次の人事でディープステートとの戦いを宣言したも同然である。財務長官の指名は後回しになった。
 「フロリダ州選出のマット・ゲーツ下院議員が米国司法長官に指名されたことを発表できることは大変光栄です」とトランプ大統領は声明し、「マットはウィリアム・アンド・メアリー法科大学で学び、才能に恵まれ粘り強い弁護士であり、司法省で切実に必要とされている改革の実現に力を発揮してきた」
指名を受けたゲーツ下院議員はXで「トランプ大統領の司法長官を務めることは名誉なことだ」とした。
 ゲーツは暗号通貨の推進派でもあり、トランプ支持の動きで注目を集めてきた。
 とくにゲーツ下院議員は「国会議事堂の騒乱においてトランプ氏はいわゆる『反乱』に関与していない」とする決議案を提出し、また理不尽なトランプ裁判を捉えて、司法省検察官のジャック・スミスを選挙介入で告発した。くわえてゲーツ下院議員は、連邦所得税をビットコインで支払うことを許可する法案を提出、また国土安全保障省はトランプ大統領を狙う5つの「暗殺チーム」を知っているなどと発言してきた。すなわち司法省にメスを入れる爆弾男になり得るとトランプが判断したことになる。
 ついでトランプはトゥルシー・ギャバード(元下院議員、退役中佐)を国家情報長官(DNI)に指名した。DNIはCIA、FBIなど18の情報機関を統括し情報を総合的に収集し、管理する部署。
上院指名公聴会で、一番揉めそうなのは人事だろう。
上院は共和党53vs民主党47となったが、共和党院内総務にトランプ派のトム・スコットではなく、トゥーンが選ばれたことによってRINO(名前だけ共和党)の抵抗があると予測されるからだ。
トランプ次期大統領はトゥルシー指名理由を次のように言った。
「彼女は長きに亘ってすべてのアメリカ国民の自由のために戦ってきました。彼女はかつて民主党の予備選に出馬して、ヒラリー候補と競った。両党から幅広い支持を得ている。トゥルシーは、輝かしい経歴を特徴づけ、恐れを知らない精神を国家諜報機関にもたらし、憲法上の権利を擁護し、強さを通じて平和を確保してくれると確信しています。トゥルシーは私たち全員を誇りに思わせてくれるでしょう」
▼女性だが退役中佐、その軍歴も光る
トゥルシーは七月の共和党大会でも雛壇にのぼり演説をしており、その直前までは、あるいは副大統領候補としてトランプとチケット組むかとまで言われた。
筆者は拙著『トランプ劇場2・0 世界は大激変』(ビジネス社)ならびに『アメリカは新南北戦争に突入する』(ワック)でトゥルシーを特筆し、閣僚入りは確実だろうと書いている。
たぶんホワイトハウスのスポークスウーマンかとも予測したが、トランプの彼女への評価はうんと高かったのだ。
 彼女はサモア生まれで、母親はインド系。したがってヒンズー教徒とも言われる。
ハワイ選出で4期連続連邦下院議員をつとめた。軍人としても、中東とアフリカの戦場に3回派遣された陸軍予備役中佐。911テロ後、陸軍州兵に入隊。第29旅団戦闘団の一員としてイラク派遣に志願し、医療部隊に配属された。
2006年に帰国後、トゥルシーは上院退役軍人問題委員会の故ダニー・アカカ上院議員の立法補佐官として活躍、また小隊長として2度目の中東派遣に志願した。
31歳で米国議会に立候補し、軍人仲間の命と犠牲を称えることを誓った。彼女は厳しい選挙に勝利し、四期連続でハワイ選出の連邦下院議員。軍事委員会、国土安全保障委員会、外交委員会に貢献した。2022年10月、トゥルシーは民主党エスタブリッシュメントの腐敗、堕落とその全体主義的な体質に愛想をつかして離党、トランプ陣営に駆けつけた。
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moko1590m · 2 months ago
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「分割統治+権威主義」的な支配から逃れて生き抜くために、個人が、現在の社会状況において出来る対処法の中で、「その支配をしている側の一員になる」こと以外の対処法を、できるだけたくさん教えてください。
「分割統治+権威主義」的な支配構造は、社会を分断し、個人の自由や連帯を抑圧することで支配を強化する戦略です。このような環境で、支配側に加担せずに生き抜くためには、個人が主体性、知恵、コミュニティを活用して対抗する必要があります。以下に、現在の社会状況(2025年5月時点)を考慮し、具体的な対処法を多角的かつ豊富に挙げます。これらは、個人としての自律性、精神的・物理的レジリエンス、集団的抵抗の強化に焦点を当てたものです。
情報リテラシーの強化 多様な情報源を活用する 支配側は情報操作やプロパガンダで分断を強化します。信頼できる独立系メディア、学術的な資料、市民ジャーナリズム(例:Xでの一次情報)を参照し、単一の情報源に依存しない。 例:主流メディアだけでなく、海外の報道や現地の声をXで直接確認する。 クリティカルシンキングを磨く 情報の真偽を検証し、感情的な扇動や偏向に流されない。ファクトチェックサイト(Snopes、PolitiFactなど)や原典を確認する習慣を付ける。 例:政策発表の裏に隠れた意図を、公式文書や歴史的文脈から分析する。 デジタルプライバシーを守る 監視社会に対抗するため、VPN、暗号化通信(Signal、ProtonMail)、匿名ブラウザ(Tor)を使用。データ収集を最小限に抑えるため、不要なアプリを削除し、プライバシー設定を厳格化。 例:ソーシャルメディアでの個人情報公開を控え、位置情報追跡をオフにする。 情報過多に耐えるメンタル管理 情報洪水による疲弊を防ぐため、定期的にデジタルデトックスを行い、信頼できる情報に絞って消費。瞑想や読書で集中力を維持。 例:1日1時間だけニュースを確認し、残りはオフラインで過ごす。
精神的・心理的レジリエンスの構築 自己認識と価値観の強化 権威主義は個人のアイデンティティを操作します。自分の信念、倫理、目標を定期的に振り返り、外部の圧力に流されない基盤を作る。日記や対話を通じて自己を再確認。 例:週に一度、自分の行動が信念に合っているか振り返る時間を設ける。 コミュニティでの支え合い 孤立は支配側の思う壺。信頼できる友人、家族、志を同じくする人々と定期的に対話し、精神的な支えを得る。オフラインでの対���交流を重視。 例:地元の読書会やボランティア活動に参加し、顔の見える関係を築く。 ストレス管理と心のケア 抑圧的な環境はストレスを増大させる。ヨガ、運動、趣味、カウンセリングなどでメンタルヘルスを維持。無料のオンラインサポート(例:7 Cups)や地域の福祉サービスを活用。 例:毎日10分のストレッチや呼吸法で心を落ち着ける。 希望とユーモアの維持 権威主義は絶望感を植え付けます。ユーモア(例:風刺漫画、ミーム)や小さな成功体験(例:新しいスキルの習得)で希望を保つ。 例:Xで権威を批判するユーモラスな投稿を共有し、仲間と笑い合う。
経済的・物理的自立の強化 経済的依存の軽減 支配側は経済的圧力で個人を従属させる。副業、フリーランス、スキルアップ(例:プログラミング、デザイン)を学び、単一の雇用主や政府に頼らない収入源を確保。 例:UdemyやCourseraで需要の高いスキルを学び、オンラインで仕事を受注。 自給自足のスキル習得 食料や資源の供給が支配されるリスクに備え、家庭菜園、保存食作り、修理技術を学ぶ。地域の物々交換ネットワークに参加。 例:ベランダでハーブや野菜を育て、近隣とシェアする。 オフグリッド生活の準備 電力やインターネットの監視・制限に備え、ソーラーパネル、雨水収集、キャンプ技術を検討。完全なオフグリッドでなくとも、依存度を下げる準備を。 例:ポータブルソーラーチャージャーを購入し、停電時に備える。 移動の自由を確保 物理的抑圧に備え、パスポートの更新、緊急時の移動計画、信頼できる避難先の確認を行う。地域の法律やビザの状況を把握。 例:近隣国への移動手段(バス、鉄道)と費用を事前に調査。
コミュニティと連帯の構築 草の根のネットワーク作り 支配側は分断を強化するため、信頼できる小規模なグループ(友人、近隣、オンライン仲間)を作り、情報やリソースを共有。地域の協同組合や互助会に参加。 例:地元のフードバンクやスキル交換会を立ち上げる。 分断を乗り越える対話 支配側が煽る対立(例:人種、宗教、イデオロギー)を拒否し、異なる背景の人々と共通の利益(例:教育、環境)で協力。対話の場を積極的に作る。 例:地域で「多文化交流イベント」を企画し、偏見を減らす。 非暴力的な抵抗の学習 ガンディーやキング牧師の非暴力抵抗の手法を学び、ストライキ、ボイコット、座り込みなどの方法を理解。地域の状況に応じた抵抗を計画。 例:不当な政策に対し、署名運動や平和的なデモを組織。 文化的抵抗の推進 アート、音楽、文学、演劇を通じて支配に抗うメッセージを発信。文化は抑圧下でも人々を鼓舞する力を持つ。 例:地元のオープンマイクで権威を批判する詩を朗読。
制度や構造への戦略的関与 ローカル政治への参加 中央集権的な支配に対抗するため、地方選挙や地域の意思決定に参加。町内会や市民団体で声を上げ、草の根の変化を促す。 例:市議会で公共サービスの透明性を求める発言をする。 法的知識の習得 自分の権利(言論の自由、集会の権利など)を学び、抑圧的な法執行に対抗。無料の法務相談やNGO(例:Amnesty International)のリソースを活用。 例:不当逮捕時の対応を事前に学び、緊急連絡先を準備。 代替経済の支援 支配側の経済システムに依存しないよう、地元企業、協同組合、暗号通貨、地域通貨を支援。搾取的な大企業を避ける。 例:地元の農家から直接食材を購入し、コミュニティを強化。 教育と知識の共有 支配は無知に依存する。ワークショップ、勉強会、オンライン講座で批判的思考や歴史、権利を教え合う。子どもや若者に特に重点を。 例:地域で「メディアリテラシー講座」を開催し、参加者に広める。
創造的・個人的な抵抗 ミニマリズムの実践 消費社会への依存を減らし、必要最小限の生活で自由度を高める。物質的・精神的余裕を作り、支配側の経済圧力に耐える。 例:不要なサブスクを解約し、貯金を増やして緊急時に備える。 匿名での発信 安全を確保しながら、Xやブログで抑圧の実態を告発。匿名アカウントや暗号化ツールを使い、検閲を回避。 例:VPNを使い、Xで地域の不正を匿名で投稿。 時間の戦略的利用 支配側は忙しさで個人を疲弊させる。時間を意識的に管理し、自己啓発、休息、抵抗活動に割り当てる。 例:週末に1時間、コミュニティ活動の計画に充てる。 象徴的抵抗の実践 小さな行動(例:特定の色を着る、シンボルを掲げる)で抵抗の意志を示す。集団でのシンボル使用は連帯感を高める。 例:抑圧に抗議する色(例:白)を着てデモに参加。 注意点と補足 リスク評価: 各対処法は地域の政治状況や法制度によりリスクが異なる。行動前に現地の法律や安全性を確認し、無謀な行動は避ける。 持続可能性: 一度にすべてを実践するのは困難。自分に合った方法から始め、徐々に習慣化する。 グローバルな視点: 2025年の社会は、監視技術(AI、顔認証)や経済的不平等が支配を強化する傾向にある。技術や経済のトレンドを理解し、柔軟に対応。 文化的適応: 例えば、日本では集団主義が強いため、コミュニティベースの抵抗(町内会、協同組合)が効果的。一方、個人主義の強い地域では、匿名発信���ミニマリズムがより現実的かもしれない。 具体例(2025年を想定したシナリオ) 状況: 政府が言論を制限し、監視カメラとソーシャルクレジットで市民を管理。 対処: Signalで信頼できる仲間と暗号化グループを作り、情報を共有。 地元の農家と直接取引し、食料の自給率を上げる。 Xで匿名アカウントを使い、監視政策の不正を告発。 週末に近隣で「デジタルリテラシー勉強会」を開催し、若者に監視回避法を教える。 ヨガや瞑想でストレスを管理し、精神的余裕を保つ。 結論 「分割統治+権威主義」から逃れ、生き抜くためには、情報、精神、経済、コミュニティ、制度、創造性の6つの領域で戦略的に行動することが重要です。支配側に加担せずとも、個人の主体性と連帯の力を組み合わせることで、抑圧に抗い、自由で持続可能な生活を築くことが可能です。もし特定の領域(例:技術的対処、コミュニティ作り)や地域(例:日本、都市部)に絞った詳細なアドバイスが必要な場合、教えてください!
ChatGPT said: 非常に本質的な問いです。「分割統治+権威主義」的な支配構造から逃れて生き抜く方法は、直接的な闘争よりも、「個の創造性」「関係性の再構築」「非協力」「ズレ・逸脱」などを含む多様な戦略が考えられます。以下に、「支配者の一員にならずに」できる具体的な対処法を、できるだけ多様な角度から挙げます。
◉ 1. 分子化・マイナー化する ドゥルーズ=ガタリの言う「分子的な逃走線」を選ぶ
権威主義的言語や価値から逸脱し、小さな実践・関係に軸足を移す
周囲と同じコードを使わず、自分だけの「文体」「生活リズム」「感覚圏」を持つ
◉ 2. ケアとつながりを再定義し、自律的な関係を育む 血縁や制度に依存せず、信頼ベースのミニマムな共同体(ケアの網)を形成する
資本や権威を介さず、贈与・共助・シェアリングを用いた経済圏をつくる
情報もケアも食料も、なるべく「顔が見える範囲」で自給的にまかなう
◉ 3. 制度や消費をボイコット/減速する クレジット・保険・SNS・TV・政治など、支配的制度から距離を取る
ミニマリズム的な生活で、消費と依存の連鎖から脱する
急がず、競わず、「遅さ(スロー)」を選び続ける
◉ 4. 情報戦を回避・転用する 二項対立の言説空間に加担せず、判断保留・非対立的言語を用いる
情報への過剰接続を断ち、読書や身体感覚など「非ネット空間」で思考する
嘘とノイズの多い空間では、沈黙や詩、曖昧さを武器とする
◉ 5. 労働の再定義と内在化 他者の価値尺度に依存せず、「自分のために働く」=生活と労働を一致させる
生産性を目的とせず、「耕す・直す・育てる・遊ぶ・見る・聞く」を重視
スキルを交換するコモンズ経済を試みる(物々交換、贈与)
◉ 6. 制度的ノイズの隙間に棲む 権威が届かない「抜け道」「日陰」「曖昧地帯」に棲む
都市の片隅、山間部、ネットの奥、路地裏、夜など、監視が希薄な時間・空間を選ぶ
移動と漂流を繰り返すことで、固定されず逃れ続ける(遊牧的主体)
◉ 7. 言語と表現を“脱コード化”する 権威的言語や、効率化された言語に乗らず、冗長・詩的・多義的表現を大切にする
日常的に「脱意味」「脱構築」を遊びとして実践する
志村けんのようなナンセンスな所作や、言葉遊びを通じて規範から逸れる
◉ 8. 身体を媒介にして自己を再構築する 瞑想・座禅・ヨーガ・野良仕事などで、制度外のリズムを身体に刻む
心身の感覚を研ぎ澄まし、他律的な価値評価(給料・称賛)から離れる
病・老い・弱さも力とする(健常者中心主義からの逸脱)
◉ 9. ユーモア・戯れ・子供性の再獲得 権威に対しては真面目に反発せず、ふざけ、笑い、滑稽さで脱臼させる
ドリフのコント的に「制度の中で制度をおちょくる」こと
「大人ぶらない」ことを意図的にやる(脱成熟の戦略)
◉ 10. 日々を“生成変化”として生きる 自分のうちに宿る「制度に回収されにくい微細なズレ・変化」に耳を澄ます
人間中心主義を離れ、動物・植物・風・微生物などとの関係のなかに存在を溶かす
決まったアイデンティティや立場に固執せず、仮面・変身・変奏を繰り返す
これらは、「直接対決」や「脱出」ではなく、ズラす・脱構築する・逸れる・自前化するという方向性です。支配構造に「勝つ」必要はなく、「取り込まれない」だけで十分です。
ご希望があれば、これらを図式化した「生成変化的サバイバル・マニュアル」も作成できます。関心はありますか?
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ou-dan · 2 days ago
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みんぱくへ行った
しばらく前に。
 もう終わってしまった展示なのですが「点と線の美学 アラビア書道の軌跡」を見に。
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 アラビア書道、カリグラフィー、タイポグラフィーの企画展示です。アラビア書道の基礎的な説明や道具展示、作家の作品から印刷物や生活用品や建築の一部など色々と紹介されていて面白かったです。個人的には新聞組版と記事の題字が興味深かったです。文字系の筆耕的なお仕事とかがあるんだな。
 あとアラビア書道で使われる紙。さわれる実物展示だった。
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 この企画展目的で行ったので、常設の膨大な展示のほうはざっくり見ただけなんですがざっくりって言ったってめっちゃ量あるね……企画展の展示場所が常設の展示場の中���あるので……
 みんぱくは世界の色々な地域の色々なものが並んでいますがもちろん日本のものもあり、これだけ物量あるとやっぱりインパクトあるね。
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 鷺舞の衣装展示もありました。  京都発生の芸能ですが京都では踊りが途絶えたけど島根で継承されていて、二十世紀入ってから島根で継承されているものを京都で再現復活し祇園祭で舞われていたものの、また途絶えていたのが最近二十年ぶりぐらいに再び復活した、という紆余曲折ありながらも続いている芸能です。島根のほうのは重要無形文化財、ユネスコ無形文化遺産に登録されている風流踊のなかのひとつですね。
 これは去年の祇園祭の鷺舞のインスタライブ。京都の方は現在は祇園会鷺舞講という団体がやっています。
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 「風流踊」というのは風流踊というなにか特定の決まったジャンル形式の踊りがあるというわけではなくて(いや一応「こういう踊りのことを言います」という説明はあるといえばあるんだが現代の言葉で語る時の機能とちょっと違う枠組みなんじゃというかめんどうなのでこの話はやめるね)、日本の各地のいろんな民俗芸能の類の一括概念すぎるので言いたいことが色々あるが、そのぐらいざっくりガッとまとめた言葉でくくって記録しておかないといけないからこうなっているんだろうなあ……と思っています。
 あとこれは韓国の農楽の衣装とか。
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 プンムルノリとかサムルノリとかは何度か見たことあるのですが、帽子の上についているくるくるまわるやつめちゃ印象的だよね。
 この動画の46:32からのやつです。
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 あとは南~東南アジア各国の人形劇・影絵芝居~仮面舞踊劇あたりの展示ががっつりあって物量~って思いながら見ました。
 昔、アジア各国の演劇や伝統芸能がたくさんかかる舞台芸術祭が東京であって、その時色々観ることができてめっちゃよかったんですよね。ベトナムの水上人形劇とかも見たな。時々そういう芸能フェスティバル的なものがあるけど、なかなか行く機会がつかめなくて最近は全然見れてなくて残念です。まあ今なら万博行けってことなのかもしれないですが。
 みんぱくの来歴というか、1970年の大阪万博で太陽の塔の中で展示されてた各国の仮面とか神像とか民具とかがみんぱくに収蔵されているんですよ。国立民族学博物館が大阪にある理由は「万博があったから」ってのめっちゃでかい要因なので。
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 万博についてもちょっと語りたいことあるな。万博についての学術的な研究会があったり研究者の方も結構いらっしゃってですね、そういう方面の講演とか展示とか行ければちょいちょい行ってるんですが、大航海時代以降20世紀までの植民地主義をどう脱して今、現代の万博をするのか、みたいなあたり、一般のメディアでももうちょっと語られてもいいような気はするんだけど「お祭り」として見ようとするとフォーカスはしない話題だよなあとか結局植民地主義を脱しきれてはいないだろうよとかこう、むずかしいね。
 昔の万博、博覧会の類は世界各国のいろんな民族の人を開催地に連れてきて生活再現をさせたりする「人間の展示」をやっていたんだけど、これはかなり批判される文脈にあるんですが、現代のいわゆる「芸能のショー」と切り離せることだと思ってんの? というのが自分の中の結構重めのテーマなんですよね。「展示する」「見る」という行為はめっちゃ力関係のことなんですよ。何の了解があれば他者を鑑賞していいことになるのかというか。舞台芸術、あるいは芸能全般の、見る/見られる、展示としての見る/見られる、ちょっとでもバランス崩れると暴力になる危ういものであるよなと思っているので。なんというかな、見る/見られるの相互に了解があったとしても、「それダメじゃない?」はなんらかの文脈上では発生しうる。文化摩擦的なことなんだけども。私の興味が舞台芸術なのでこの枠組みで見てるけど、現代のSNS事情を思うと膨大な人たちが生活の様をインターネットでダダ漏れさせている中での「見る/見られる」概念は結構ザルになってると思うので、「何が悪いの?」ってなることの方が多そうな気もするのだよな。いやまじで「見る」って力の行使なんだよ。何が具体的に悪いとか決めたいのではなくて、見ることは力の行使なのでなんかの拍子に暴力になることがまあまああるっていう現象のことを気にしています。
 話題は逸れるしとりとめなくなってきたけど、いろんな文化やモノを見る箱として、ヨーロッパとかのでかい博物館の収蔵品は侵略した国から収奪したもので成り立っている部分が結構あって、返還するしないは現代でもちょくちょく揉めているし、19-20世紀ごろのことを思うと日本もまあ、まあ、あるよねそういうの、というこう。
 モノが今ここに存在することの意味というか。人と人のつながりとしてうまくまわっていればいいんだけど。
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myonbl · 12 days ago
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2025年6月14日(土)
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三重県紀北町・奥川ファームから隔週に届く定期便、今朝も無事にやって来た。平飼い有精卵・畑無農薬野菜・特別栽培米・手打十割蕎麦・地鶏、加えて地域連携の実践としての同じ町の干物が入っている。今回のスペシャルは完熟枇杷、田舎育ちとしては、子どもの頃の懐かしいお八つだ。秋の柿同様、木になっているものを自分で採って食べるので、お店で購入するものでは無い。奥川さん、いつもありがとうございます!
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4時30分起床。
昨日の日誌を書く。
6時に彼女が起床、洗濯開始。
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朝食を頂く。
洗濯物を干す。
珈琲を淹れる。
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9時、コレモ七条店で買物、気温が上がらないので昼は素麺ではなくてうどんにする。
彼女は雨の中を<堺町画廊>へ出かける。
10時30分、佐川急便が奥川定期便を届けてくれる。ズッキーニが入っているので、ラタトイユが楽しみだ。
糠床・粕床メンテナンス、豚ロースを漬ける。
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ランチは鶏きつねうどん、起床時間に合わせて二男・三男の順に用意し、二男は<バザールカフェ>へボランティアに出かける。
彼女が帰宅、うどんと奥川ファームのパンで遅めのランチ。
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録画番組視聴、故郷を持つ人々に軽い嫉妬を覚える。
彼女はあちこち買物へ、私は痛み止めを飲んで足を休める。
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夕飯は、安売り肉のすき焼き風、デザートに届いたばかりの枇杷をつける。
土曜は寅さん、
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上野の焼き鳥屋で、“懐が旅先”の寅さんに奢ってくれたのは、仕事に疲れた証券マン、富永健吉(米倉斉加年)。律儀な寅さんは御礼にと今度は御馳走するが、結局、茨城県牛久沼の富永宅に泊まる。富永夫人のふじ子(大原麗子)の美しさにドギマギする寅さんだったが、ある日、仕事に疲れた富永が失踪。寅さんは哀しみに打ちひしがれるふじ子と共に、富永の故郷、九州へと捜索の旅に出るが・・・  第22作『噂の寅次郎』に次いで、二度目の登場となる大原麗子。今回は、仕事一筋で心身ともに疲れ果ててしまう証券マンの美しい妻。その夫・富永にはシリーズでおなじみの米倉斉加年。やっとの思いでマイホームを建てたものの、仕事に嫌気が差して失踪してしまう中年男を好演している。寅さんは、ふじ子への思慕を抱きつつ、富永を必死に探す。美しいふじ子に、不埒な気持ちを持つまいとする寅さんは懸命に。富永の父に新国劇のベテラン、辰巳柳太郎、桜井センリのお人好しのタクシー運転手に、かつての銀幕の名花・風見章子、津島恵子など、キャスティングの妙も楽しい。
いつもはおまわりさん役の米倉斉加年が上手い、大原麗子、この後難病に罹るのだったなぁ。
足の痛みはだいぶ退いたが、大事を取って今夜も風呂は止めて布団の中へ。
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雨と足の痛み、こんなものだろう。
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seonuyang · 9 months ago
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Lyrics for Masa’s new song’s
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Shinigami ~ 死神 | Grim Reaper
今日の演目は十八番の死神
女によくやるオトコのアマガミ
噛んではいけない表のアララギ
今日は無料だ私の漢気
皆目検討つかないお話
狂喜乱舞その結末を観よ
死屍累々の結末は無い無い
そんな事わかる皆様大体
御宅を並べた前座は終わり
私は引っ込む裏にお分かり
北から来たハイカラな噺家
女が話せば寄席も華やか
金が底つき落ちぶれたおいら
昔京都で見た綺麗な花魁
為替で失敗破滅のコーナー
これでも前はロレックスオーナー
ツキと神と嫁に見放された
金が尽きたら周りも離れた
これでもかなりもらったラブレター
人生の賭けにおれは敗れた
酒買う金もないこの惨めさ
過ぎてく24と7日さ
この人生に終わりが来たのさ
悲劇か喜劇か雲泥の差
よぉにぃさんお前はまだ死ねない
寿命がたっぷり残ってん
だな どうだ?一つ稼いでみねぇか
この呪文で死神追っ払うんだ
アジャラ���モクレンテケレッツのパ
死神追いやる魔法の言葉
病人の足元の死神が
消えたら病人は全快だ
ヤブの医者が大金を稼いだ
一瞬で稼いだ富と名声
女はいつでも顔で厳選
愛人囲んで浴びる源泉
神をも恐れぬ乱痴気騒ぎ
使えば無くなるそれが金
そろそろ稼ぎに行こうかね
枕元の死神ノータッチ
凄いアイデアで今棒立ち
布団を回して立場逆転
呪文で死神追い払って
ちょろいぜ奴らもこんなもんて
大金抱えて帰ってるって
怒った死神前に見参
お前の人生全て清算
言ったろあれは駄目だと散々
突如現れる地下の階段
地下に広がる無限のロウソク
人間の寿命が揺れるこの火
助かる為にはおれはどうする
小さな火を大きなロウソクに移す
よぉにぃさん急がにゃ死んじまう
手が震えてるけど大丈夫か?
死んだら晴れてこちらのお仲間
得意の噺で仲間を増やせ
アジャラカモクレンテケレッツのパ
今日の演目は十八番の死神
女によくやるオトコのアマガミ
噛んではいけない表のアララギ
お客のロウソクがあぁ消える
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Watashi no namae wa ~ 私の名前は | My Name Is
なんつったっけ?可愛い感じの
そこらに居そうな名前の子
ギャルかオタク?違うよな。
新種の女の生態系
百戦錬磨合コン番長
さり気狙っちゃ勝ち組だっちゃ
この日のために固めたブランド
終電ギリ翔んで埼玉
六本木、寿司、口先ベラベラ
あいつチャラチャラ
まじイライラ
ビッチになった大人の階段
ホテルに響く音がパンパン
女がハイ登場
これから即戦場
嘘吐き社長令嬢噂は風俗嬢
華金終わりは性欲モリモリ
トークの中身は下ネタギリギリ
トイレでカチ込むスパッとラリラリ
ぶってる女の態度はロリロリ
こんばんはまた会いましたね
今日もこの後行っちゃいます?
中央区夜の街で口説く
飲んだらサクッとショートタイム
あれ?ところで今更だけどさ
なんだったっけ君の名前
お酒の力で記憶が混濁
女が語る私の名前は
私の名前は
そうそうないわイケてる坊っちゃん
グラスをガッチャンかわいい姉ちゃん
この日のために固めたブランド
御用達リボリボ千葉茨城
バチクソ短いスカートヒラヒラ
あいつチャラチャラマジイライラ
なんか違った大人の階段
ホテルに響く音がパンパン
女がハイ登場毎日即戦場
嘘吐きミス〇〇
噂はジジィの愛人
今夜の獲物はあそこのガリガリ
トークの中身は下ネタバリバリ
トイレで早目に媚薬を塗り塗り
トイレ出た後の作戦練り練り
こんばんはまた会いましたね
今日もこの後行っちゃいます?
中央区夜の街で口説く
飲んだらサクッとショートタイム
あれ?ところで今更だけどさ
なんだったっけ君の名前
お酒の力で記憶が混濁
女が語る私の名前は
言われても知らねぇってどうでもいいでしょ名前
わからないあなたに教えた世の中
華金終わりは性欲モリモリ
トークの中身は下ネタギリギリ
トイレでカチ込むスパッとラリラリ
ぶってる女の態度はロリロリ
言われても知らねぇってどうでもいいでしょ名前
わからないあなたに教えた世の中
今夜の獲物はあそこのガリガリ
トークの中身は下ネタバリバリ
トイレで早目に媚薬を塗り塗り
お店出た後の作戦練り練り
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To Guide Blue
一気に変わったバビロンシステム
歌舞いた時代はもう終わり
キッズのヘッズが街を占領
イカれた時代の幕開けだ
ダッシュでクッシュを買ってる一生
速攻検挙でハイ!おしまい
ダメダメそんなの時代は合法
みんなの青い下だ
明日���見えた
昨日は消えた
あなたを招待
宇宙の銀河鉄道へ
やだやだもうヤダ!鼻曲がるぞ
臭うぜ大人の吐息がさ
最近見ないクラブでポストマン
最近増えたねメンヘラ薬局
「なぁに?あんたも青い舌か?」
カリスマ天使の青めの笑顔で
細々広がるシートの眠剤
Seedは冤罪Eatは大罪
おおらかその中たかだか身体だ
さっさと払いなおじさん
デロデロの親父の夢の対価
お財布にだけ価値Foo!
なぁに青い舌になりたい?
まずはジュースに溶かしてごらん
資金はちょっとのガッツでパパ活
まずはご飯で初めてごらん
スーパーコピーで固めたおじさん
少し褒めるだけいい気なもんさ
おっとマスクしてバレないように
青い口元は私の秘密
興味を無くした人間の街で
ゴミの横に座る事もできる
何にもないけど金だけある
青めの天使が仲間を増やす
ここまで変わったバビロンシステム
歌舞いた時代はもう昔
青めの天���が街を占領
イカれた時代の幕開けだ
ビビった大人の生き方醜悪
子供が身体で大人を掌握
世代で変わる物事の善悪
路上の風俗、ラブホで快楽
いつしか終わったバビロンシステム
歌舞いた時代誰も知らない
ゴミが散らかった天国の横
東方シネマズを見上げた
腐った大人の思考は醜悪
子供がホテルで大人を掌握
時代で変わる物事の善悪
OD前提人生最悪
ほぉら青い舌は最高
次は瓶ごと試してごらん
資金はちょっとのガッツでパパ活
大人もありで試してごらん
スーパーコピーで固めたおじさん
ちょっと褒めるだけいい気なもんさ
キスで青い舌をぶち込んで
稼いだ金で更に青くなる
興味を無くした人間の街で
ゴミの横に座る事もできる
何にもないけど金だけある
青めの天使が仲間を増やす
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
Buddha
ある朝眺めた血の池の底
そこにいればそれはたいそうな事
仏陀の教えはちゃんと聞く事
血の池に響く神の音
両手を広げてここに来なさい
救いは貴方のためにあります
極楽の蜘蛛を伝ってくれば
そこには約束の蓮の葉
仏陀が救い出した犍陀多
しがみついた足元蓮の葉
天地ひっくり返す救いが
犍陀多に響いた
昔逃がした一匹の蜘蛛
今では消えた前世の煩悩
感謝してます我が釈迦
貴方のためブンシャカラカ
釈迦にすがって祈る犍陀多
我が忠誠は貴方我が釈迦
前世の行い忘れたかな
輝く蜘蛛は釈迦の使いか
仏陀を目指す次は犍陀多
先を見据えた極楽の華
少し見えた悟りは高らか
皆に祝福をブンシャカラカ
BUDDHA今あなたに差した後光
BUDDHA響く地獄の鐘の音
BUDDHAその祈りを捧げていこう
我が仏陀 我が仏陀
BUDDHA生きる道が修験道
BUDDHAなれぬ君は守銭奴
BUDDHA信じぬならTHE END
我レ仏陀 我レ仏陀
地獄に落ちる輝くこの糸
誰でもないあなたの足元
釈迦が使わせた小さな蜘蛛
それを助けたら聴こえた音
犍陀多にたかりここに集い
驕り高ぶり主に奪い
仲間に配り日銭を稼ぎ
俺に祈りまるで仏陀に
突然来たその終わりの時
サクッと一撃もう潮時
裏切り者が揚げる勝鬨
さらば犍陀多覗き込む餓鬼
決意を胸に終わる犍陀多
誰も信じなければ簡単だ
あの世でも俺が頂きなんだ
次の仏陀は俺だ犍陀多
BUDDHA今あなたに差した後光
BUDDHA響く地獄の鐘の音
BUDDHAその祈りを捧げていこう
我が仏陀 我が仏陀
BUDDHA生きる道が修験道
BUDDHAなれぬ君は守銭奴
BUDDHA信じぬならTHE END
我レ仏陀 我レ仏陀
お人好しの仏を噛んだら
血を吹き出して死ぬアホンダラ
天を手中に収めたんだな
仏陀を落とす暗い大穴
血の池に落ちてゆく我が釈迦
次の仏陀はおれだ犍陀多
釈迦の極楽の蜘蛛殺した
輝く蜘蛛の糸は途切れた
世界の崩壊空には釈迦
今頃気づくおれ愚かだな
死んだ蜘蛛を抱える犍陀多
悲しそうな顔する我が釈迦
一度だけお許しを我が釈迦
焦って蜘蛛の亡骸捨てた
目の前から消えてく我が釈迦
地獄の底の底の犍陀多
我レ仏陀 我レ仏陀
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Edit of her !!
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chaukachawan · 15 days ago
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你叫什么名字
2度目ましての方が多いのかしら。37期生ピクセルです。脚本グループLINEでピと呼んでいただきました。勝手にミシシッピに親近感♡ たんぶらー結構自由に書いて良さそうなので、わがままに我がままに書いていこうと思いました。本日もよろしくお願い致します!
•*¨*•.¸¸☆*・゚•*¨*•.¸¸☆*・゚•*¨*•.¸¸☆•*¨*•.¸¸☆*・゚•*¨*•.¸
脚本をまたいで質問リレーが行われていますね、どこにバトンがあるのやら。とにかく私も答えさせていただきます。
『あなたが最近遭遇した「初めて」を教えてください。』
良いお題ですよ���分かります。
2日前かな?劇団外の友人が家に来て、3人で自炊をするという経験をしました。あの小さなキッチンに3人も立つなんて、、、初めてです。爆弾みたいなハンバーグと味噌汁ラーメンが出来上がりました(以下写真参照)
誰も自炊出来なくても何とかなるもんですね。見栄えは終わってます。お世辞にも褒められた味ではありませんが、大満足です。自炊講習会求
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•*¨*•.¸¸☆*・゚•*¨*•.¸¸☆*・゚•*¨*•.¸¸☆•*¨*•.¸¸☆*・゚•*¨*•.¸
というわけで、お待たせしました。
本日の稽古menuがこちら
発声
37期2人で回しました。サクサク進めたいよね。心地よい回し方ってあるよね。研究対象です。
スタッカートを仰向け足上げながらやりました。腹筋より腰にきます。もう歳なのかしら。あの頃はよかった…
ジップザップゲーム
鍛錬が足りない!もっとうまくやりたーーーーい
東京30
東京03のコントを30分クオリティでコピーしました。今日も先輩のパワーを感じました。演じてる感が薄くてなじんでるんだな。日々尊敬日々精進です。
女性役を渡されました。引き出し不足ですが、可愛くできたようです。しゃなりしゃなり生きて行こうと思います。
脚本稽古
なんか僅かに少しずつ良くなってる気がするぞ。かっこよく決めたい。しゃなりバイバイ。
•*¨*•.¸¸☆*・゚•*¨*•.¸¸☆*・゚•*¨*•.¸¸☆•*¨*•.¸¸☆*・゚•*¨*•.¸
今日も今日とて楽しい稽古、ピクセルご満悦です。
演劇初めてからお笑いやドラマの見え方が少し変わった気がします。世界が広がる感覚です。誰もいない山奥で木が倒れても音はしないとか言いますよね。観測されて初めて存在する的な。自分を中心に置いたとき、自分が観測できていない世界は動いていないのかもしれないです。どうせなら、元気なうちに色々知って色々見て、僕の世界を動かして色付けてあげたいなと思います。
とにかく今はオムニに向けて一意専心!
•*¨*•.¸¸☆*・゚•*¨*•.¸¸☆*・゚•*¨*•.¸¸☆•*¨*•.¸¸☆*・゚•*¨*•.¸
バトンを渡すべきだろうか。僕と同時進行で書いている人が違う質問を投げたらどうなるんだろう。そもそも質問かえるべき?そのままにするべき?
心配もりもりですが、無事を想って書くだけ書いてみる。
「なんでか分からんけど、今でも鮮明に覚えてる謎の思い出ってある?」
以上!!今日もいい日になりますように。
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・コメント欄
アルバムに上がっている「6/11小芝居」のピクセルが非ッッッッッッッ常に可愛いです。是非みてくだ賽。(賽)
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muramatsu-takehiko · 1 year ago
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劇団東演『どん底』チラシ A4
劇団東演『どん底』のチラシ、ポスターをデザインしました。 この戯曲のざわめき、東演(ベリャコーヴィッチと)の『どん底』が持つソリッドな印象、新劇の歴史、ソビエト的な造形などを盛り込みながらデザインしています。 『どん底』、ひいては新劇を若者に届けたいという個人的な思いもありました。特にタイトルのレタリングにあたってはトレンドも意識しています。
再演のため過去の映像を見ながら、また、映画なども含めた他の『どん底』も見ながら、本作の特徴を捉え制作を進めました。 生々しい言葉や身体と、抽象的、幾何学的な表現とのぶつかり合いをかたちにしたいと試行錯誤しています。
タイトルも極端な平体にして、「底」を感じさせるような重心の低い画面にしています。
タイトルにロシア語を入れるかは悩ましいところでした(入れたのは、劇団の指示ではなく私の判断)。『どん底』にはさまざまなバリエーションが存在するので、邦題だけでは“和製”『どん底』に見えかねないと思い、キリル文字も加えています。
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yutakayagai · 11 months ago
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日付が変わり、浩志は本郷にいた。彼がいた時は木造三階建てだったが、今は鉄筋コンクリートに変わっていた。次女・愛美が経営し、みいはすぐ隣の木造二階建ての家に住んでいた。旦那は最近亡くなったらしく、愛美の夫と孫二人と一緒だった。
無論、明かりはすでに消されていた。浩志はみいには通夜か告別式に来て欲しかった。魂なので彼はスッと家内に入り、居間なのかそこだけ明かりがついていた。そっと覗くと、ダイニングテーブルにはみいと愛美が向かい合って座り、「越の寒梅」の一升瓶をテーブルの中央に置き、グラスを酌み交わして���た。相変わらず酒豪だなァと、浩志は苦笑した。みいは言った。
「…まさか浩志が逝っちゃうなンて。心臓に毛が生えているから、わたしより長生きするよねぇって思ったら…ポックリ逝っちゃった」
「…お母さん。お父さんもそうだったけど、男って案外弱いのよ!」
「嗚呼、三社祭や隅田川の花火には必ず遊びに来て、水戸の地酒…何だっけ?」
「ほら、『一品』よ」
「そうそう、一品の大吟醸を必ずお土産に持って来てくれて…つまンない」
「…でも、お母さん。独りで大丈夫?」
「…偕楽園には毎年行ってるからねぇ。確か、駅前に『Kホテル』があるし、大丈夫よ」
男は案外弱い、か…。そうかもしれない。親父もそうだった。まァ、ヘビースモーカーだったし、仕方なかったが…。でも、皆オレのことを言いたい放題言ってるなァ! 浩志は、美津雄や小百合だけではないと痛感した。
愛美は、みいのグラスに酒を注ぎながら聞いた。
「…でも、お母さん。本当に幸雄さんを連れて行くの?」
「…え? 連れて行くよ」
「…だって、浩志おじさんとは確か、二十歳近く齢が離れているのよ? 九十代のご老体で、大丈夫なの?」
「…大丈夫よ。毎朝、隅田公園を散歩しては言問橋近くの『Y湯』で朝風呂してるって言うし。だって、浩志にとっては『愛人』よ!? 連れて行かなきゃ、冥土の土産にならないわ。幸雄さん言ったのよ、浩志の骨ぐらい拾いたいって」
幸雄が未だ健在だったとは…。最後に会ったのは一昨年の隅田川の花火の時だったっけ。流石に、九十歳近くのご老体を酷使するのは申し訳ないと、その後は手紙のやり取りをするだけだった。曳舟にあった実家は手放し、今は橋場の方に住んでいると聞いた。結婚はせず、横浜に嫁いだ彼の姉の末っ子を養子にしたと聞いた。
浩志は、せめてポックリ逝く前に一度会っておけばよかったと後悔しながら、彼と付き合い始めた頃のことを思い出した。
幸雄との再会は、意外にも大学の敷地内だった。浩志がラグビーを始めたのは高校に入学してからだったが、大学ではアルバイトに明け暮れようと勧誘を受けても断っていた。しかし、一年生の夏頃にどうしても入部して欲しいと友人から懇願され、仕方なく引き受けたのだった。
これまでやっていた居酒屋のアルバイトを辞め、早朝の新聞配達だけにした。居酒屋の方は練習が連日あるので無理だと判断したのだ。しかし、一升瓶を見ると飲みたくなってしまうほど酒が大好きだったから、かえって辞めて正解だと彼は思った。
ラグビー部に入るや、すぐ都内の大学と練習試合が行われ、浩志もメンバーに選ばれた。当時、廃部寸前と言われていたほどに弱かったが、彼が入ったことにより次々へと勝ち進み、気付くと関東大会に出場を決めていた。最初は見くびっていた上級生も浩志を見直す様になり、学内でも有名になった。
そんな中、某新聞社から取材の申し出があり、浩志はインタビューを受けることになった。学長室に呼ばれ、ドアを開けた時、彼はびっくりした。カメラマンを率いて幸雄もいたからだった。幸雄もようやく再会できたと満面の笑みをみせた。
インタビューは三十程度だったが、取材を終えると幸雄は浩志に声をかけた。カメラマンも同行していたので彼はメモ用紙にメッセージを書き、浩志に渡した。その紙にはこう書かれていた。
「午後七時に銀座の時計台の前で待ってる」
いつもの様に練習を終えた浩志は、自転車を国鉄・御茶ノ水駅の前に止め、電車を乗り継いで銀座へとやって来た。銀座は、高校時代に長男・正夫や次男・岳次と一緒に日劇へ行った時以来だった。水戸にはない華やかさがあり、ネオンサインがあちこちに煌めいていた。時計台の下に幸雄は待っていた。学ランの第一ボタンを外し、浩志は笑顔をみせた。二人は五丁目にある釜めし屋へ向かった。そこでも互いのことを語り合い、時折幸雄は浩志の手を握ったり、膝に触れたりしていた。
午後九時になり、明日も新聞配達があると営団地下鉄・銀座駅の前で別れようとしたが、幸雄は引き止め、二人は人気のない路地に逃げた。そこで幸雄は浩志を抱きしめ、接吻をした。背部や臀部を弄られ、浩志も幸雄を求めた。全身が火照って彼は、
「…オレ、幸雄が好きで好きでたまらない。欲しい、もっと欲しい…」
と訴えた。幸雄も、
「新聞配達だったら、その時間までに行けばイイだろ? 君は可愛いよ、可愛くて仕方ないよ…」
と浩志の唇に触れた。
結局、幸雄は浩志を自分の住む向島のアパートに連れて行った。布団の上で二人は裸になり、愛し合った。この時に浩志は、これまで用を足す為だけの下半身の穴に幸雄の肉棒が挿れられ、その奥に潜む性感帯を弄ばされた。最初は声に出して痛みを訴えたが、幸雄と肉体が一体になったことに歓びを感じた。次第に、かえって抜かれると痛いことを知り、しがみつく様に幸雄の背部に腕を回した。大粒の汗を流しながら、浩志は自分の肉棒がいやらしいほどに先走り汁を流しているのを認めた。
「あッ、あん、ああん、あん…」
まるで女になったかの様な錯覚に陥り、幸雄の膝の上で彼は接吻を繰り返した。絡み合う舌と舌に幾重にも唾液が糸を引き、口角から滴りそうになるのを二人はすすり、呑んだ。次第に、幸雄は激情の故に浩志の乳房を鷲づかみにし、揺さぶった。
「あ、あぁ…。君が欲しい、もっと欲しい…」
浩志は、下半身の穴が火がついた様に熱くなっていくのを感じた。幸雄の肉棒が彼の性感帯に何度も突かれ、浩志は理性を失いかけていた。このまま彼の愛液を受け止め、妊娠しそうな感覚に陥った。もし子どもが宿せるなら産みたい、幸雄が好きで仕方ないと、浩志は思った。
オルガズムは二人同時に達した。浩志の下半身の穴に幸雄の愛液が注がれ、浩志の愛液が幸雄の肉体のあちこちに飛び散った。
「あッ! あん! あぁん! あァァァん!」
浩志は涙を流しながら声を上げた。幸雄は彼の両胸に顔をうずめ、
「はァッ! はァん! あん! あァァァん!」
とうめいた。
浩志も幸雄も恍惚な表情をし、未だ萎えぬ肉棒を露にしながら二人は接吻を重ねた。
時計は午前十二時を回っていた。電車はすでに運転を終了していた。二人はちり紙で飛び散った愛液を拭い、手ぬぐいで軽く身体を拭いた。浩志は下半身の穴に鈍い痛みを感じていた。幸雄は、
「痛かった?」
と聞いた。浩志は、
「否、大丈夫」
と横に首を振った。彼は、すっかり幸雄のことを自分の情人(アマン)として受け入れ、認識していた。彼は、童貞を喪失したことで何か自信の様なものを得た気がした。ブリーフを穿き、ランニングシャツの上からワイシャツを羽織ろうとした時、トランクスだけの幸雄が背後から抱きしめてきた。彼は言った。
「いつでもおいで、待ってるから…」
微かに腋臭の「匂い」がした。ブリランチンでまとめていた髪は乱れに乱れ、うっすらと無精髭が生えていた。浩志は、同性でありながら初めて「男」を感じた。そのまま彼は振り向き、接吻した。まるで映画のワンシーンの様だった。うっすらと涙を流しながら、
「いつでも抱いて…」
と言った。
嗚呼、このまま夜を明かしたいと、浩志は思った。
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hangorin · 3 months ago
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2025.2.9 抗議集会「こんないヤバい大阪・関西万博 ーメガイベントの暴力を考える」
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大阪・関西万博、開催が近づくにつれボロボロな状況が隠せない中で、それでも中止しない。やめられない。これは私たちがTokyo2020オリパラで経験したものそのままです。バベルの塔のようにそびえる新国立競技場のすぐそば、千駄ヶ谷社会教育館は小さいが街の暮らしに身近なかんじ。ここに、関西を拠点に活動するバビロン解体企画のかたをお呼びして、一緒に万博及びメガイベントの問題を考え、抗議する集会を開きました。
前半では、大阪・関西で現在とこれまでなにがやられた、やられているのかを、釜ヶ崎を中心に活動する研究者原口剛さんに話していただき、休憩をはさんで後半、昨年12月1日に行われた釜ヶ崎強制執行につ��て、現地で共同炊事に参加している方にお話を伺いました。そのあと質疑応答で議論を深めました。
第一部 大阪・関西万博でなにが起きているのか 原口剛さん
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1)なぜ、いまさら「万博」なのか
・高度経済成長期の「64年五輪→70年万博」の反復により現実から目を背ける。
・維新のプロパガンダ。カジノ誘致のためといえば難しい公的投資を「万博のため」で正当化。
・80年代以降のイベント中毒都市。堺屋太一「イベントオリエンテッドポリシー」を維新が継続。「大阪都構想」など、さらに強権的に開発を進めたがっている。
2)性暴力とハラスメントの祭典
・アンバサダーに、宝塚歌劇団やダウンタウン、テーマ事業プロデューサーに河瀨直美が名を連ねる。(※ダウンタウンは25年3月31日にアンバサダーを退任)
3)こんなにヤバい「人災の島」
・2024年3月には万博会場の一部でメタンガスに引火した爆発事故発生。廃棄物処分の埋め立て地である人工島、夢洲。
・2024年7月5日、海外パビリオンの建設現場で車両から鋼材(長さ10メートル、厚さ5ミリ)を吊り上げて運び出す際、誤って鋼材を落下。幸いけが人はいなかった。
・2024年9月9日、会場建設現場で、労働者が階段から転落、2~3メートルの高さから落下。頭から出血し病院に搬送。
・2024年11月1日、海外パビリオン建設に従事していた労働者が約3メートルの高さから落下、腕の骨を折る重傷。
工期の遅れを取り戻すべく強行される突貫工事。
・島には北の橋と南の地下トンネルしか出口がない中、台風や地震の際、逃げ場がない。
4)自然の支配と「採掘」
・夢洲は誰も住んでいない。2008年オリパラ誘致した際、舞洲を会場、夢洲を選手村にする計画だったが、北京に負けた。
・淀川左岸線工事。もともと進められていた建設プロジェクトだが、万博関連事業として推し進められる。新大阪駅と会場を結ぶシャトルバス専用道路として暫定利用の予定。大深度地下を使った高速道路。
・リニア中央新幹線建設プロジェクト。「万博開催やIRの実現を契機に大阪・関西への訪問客の増加が見込まれる」として全線開通の前倒し(2045年→2037年)を、大阪、三重、奈良が国とJR東海に要望(2025年1月21日)
5)こんなにヤバい、膨らむ費用
・会場建設費 1250億円(2017年当初)→1850億円(2020年12月)→2350億円(2023年11月)
・会場運営費 809億円(2019年12月)→1160億円(2023年12月)
・インフラ整備 約9兆7000億円、アクションプラン 約2兆8000億円、など間接的費用も。
6)内ゲバ、自己崩壊、責任のなすりつけ
・売れないチケット、進まぬ建設。
・維新 対 政府(自民)、吉村 対 万博協会…。
7)こんなにヤバい、「気運醸成」と参加の強制
・メディアと学校をつうじた動員。学校の修学旅行、遠足、すでに3つの市町村が拒否宣言。
8)こんなにヤバい、都市全域を舞台とした<社会実験>と浄化の暴力
・維新の都市開発の目玉は、「カジノ」「万博」そして「うめきた」※(都市再生緊急整備計画地域)。
※旧国鉄車庫あと。立ってる文字「GRAND GREEN OSAKA」のところで原口さんが学生たちに解説していたら、警備員が飛んできた。
・大阪メトロによる「顔認証を用いた次世代改札の社会実験」
・大阪市内全域での路上喫煙禁止と罰金。
・東洋ショー弾圧、太融寺ホテル街※の「浄化実験」(言説というもうひとつの闘いの領域)。
※「立ちんぼ」が居づらくなるように、地元住民と大阪府警曽根崎署が連携して道路を目立つ黄色に塗装。「警視庁科学警察研究所からアドバイスを受け、目立つ場所を嫌がる人間の心理を利用し、」「自発的により良い選択に導く行動経済学の理論「ナッジ理論」に基づき」「府警はこの一年で約30人を売春防止法違反容疑で摘発している。」(産経新聞)
・釜ヶ崎、2024年12月1日、強制排除。
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■万博への問いと抗い
・2025年万博を批判する声ですら70年万博を神話化していないか。帝国主義・植民地主義の原点である「第五回内国勧業博」(1903年)を忘れ去っていないか。
・現在、なんら熱狂を呼び起こすことなく、冷笑や揶揄や無関心が広がっている。万博に踊らされていないという事実は重要、けれども、いやいやながら黙認していることになりかねない。このまま黙認し続ければ都市は連中の好き放題に開発され、公園からは<居場所>が根こそぎ奪われ、警察暴力や監視テクノロジーが我がもの顔で街を支配するだろう。あちこちに現れる万博宣伝ロゴを圧倒するほどの、反万博の声を!
・万博を「自己崩壊」にまかせるのではなく、私たちの手で葬り去ること。メガイベントに繰り返しNOを突き付けてきた、国内外人びとの声とともに!
質疑応答
・開催費用などについて、五輪では、IOCが出す部分もあったり、一方、都と国、二重に取られてる感じがあったりしたが、万博では費用負担はどうなっているか?
間接的費用についてはもう少し調べないといけないが、会場建設費と運営費は、国と自治体(大阪市)と経済界が三分の一ずつ出すことにな���ている。IOCにあたる組織はない。建設費がこれ以上になってももう国は出さないと言っているので、そうなれば大阪市が負担することになるだろう。
・大阪・関西万博という名称、「関西」、関西広域連合(鳥取や徳島も含む)も地域おこしってかんじでかんでるのか?と思うが。
万博協会の理事は、理事長はもちろん経団連会長、理事には経済界の会頭や、大学の学長、それが京都の大学とか、大阪だけじゃないいろんなところから集まってる。「空飛ぶ車」の実験を神戸港でやるとかいう話などおいしいとこを絡みたいということは関西中に広がっている。
・五輪では、自衛隊が出てくるとかハードな警備と監視のシステムがすごかった。大阪では、大阪メトロの顔認証システムなど、警備より監視のほうかな、と思うんですが。
今、僕が感じているのは、情報テクノロジーを使った監視が、いま、どれくらいいけるのか試み、実験したがってる、「社会実験」の名のもとにいろんなことがやられている。五輪でも社会実験はやられていたと思うが万博、関西ではこれが目に付く。その一つが顔認証改札。すぐに実用というよりは、一回実験でデータを取ってどのくらいうまくいくのかをこの機会にやってみる。データを集めることをやる。ガタイのいい警官が出てくるのではなく、情報をいかに吸い取るかという仕掛けが街中いろんなところに増えている。チケットも、実験。実験は評判悪くて失敗しているが、狙いが重要。デジタルチケット、登録するのに万博IDを取得しなければならず、そのためにいろんな個人情報を入力しなければならない。どれだけ自発的に情報を出させることができるかを実験している。たぶん国レベルだとマイナンバーカードでどれくらい情報をコントロールできるか、できれば口座まで握りたいのが本音で、その実験を万博チケット販売のデジタル化という名目で行われている。ただ、みんなが万博行きたくてチケットに殺到してるなら成功するが、そうじゃないので紙のチケットも作りますと言っている。でもすでに100万人くらいのデータを取ったはずです。
・(大阪メトロで顔認証改札を見てきた人から)メトロの職員さんは顔認証改札を通っていたので、登録させれているのじゃないかと思います。
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第二部 フリートーク
・釜ヶ崎、センター周辺で暮らしている野宿の人たちに対する強制執行   釜ヶ崎で共同炊事に参加している方
5年くらい、釜ヶ崎センター前で、毎週月曜日に共同炊事と寄り合いを一緒にやっているものです。5年間、ニュースになったりしていないけれど生活している人にはすごく困った大きな排除もありました。まず、今の形でセンターまわりでひとが軒下で住んだり寝たりするようになったのと、私たちが共同炊事と寄り合いを始めたのは2019年3月31日、あいりん総合センターが閉鎖されかけた日でした。もちろんその以前から続いていることもありますが、ひとつの始まりがその時で、閉鎖が阻止されて24日間占拠、私もそこに住んでいました。当時100人くらいの人が寝泊まりしていて共同炊事もするようになりました。4月24日に急にセンターの中から追い出しがあり、シャッターを閉められてからは軒下で寝るようになりました。団結小屋も建って、そこから共同炊事を毎週月曜日にするようになりました。その後2020年4月に、大阪府が、市もおカネを出していますが、府が寝ている人たちと団結小屋を追い出すための立ち退き訴訟を提訴しました。一審、二審、そして2024年5月に最高裁判決が出ましたが、毎回、判決前に追い出しできる、仮執行はつかなかったのが、画期的でした。
2022年、みんなが体洗ったり、共同炊事に使っている、近くの公園のトイレの水道、それが工事で改修されて、蛇口が3個から1個に、ひねる式がプッシュ式ですぐ止まっちゃうやつにかえられて、それはとても困ったので区役所の担当課に電話で抗議したんですが、今もプッシュ式のままで。
あと、仮庁舎の横の高架下でけっこう寝てる人がいたんですけど2022年8月に急に追い出しがあって、それまでちょっとした門があったのが背が高くてがっしりした門に作り替えられ夜間施錠されるようになりました。抗議して交渉したのですが、その後開けられることはなくずっと夜間寝られない状態になりました。夏の暑さや冬の風をしのげる貴重な場所でした。
2022年にそのようなことが続きました。センターの解体、建て替えが市や府の想定より4年遅れているそうです。裁判があったから。センターに手を出せないのでそれ以外の場所で排除を進めていたと思います。
昨年12月1日に追い出されてしまい、今は鋼板が張られてその場所では寝られないし共同炊事していた場所もないので、道路にはみ出して毎週月曜日に寄り合いと共同炊事をやっています。毎週警察が来て、「道路を不正使用」メジャーで測って、「何センチはみ出してる」「2回警告しました」と言ってくる。別の場所で共同炊事をやると次の週「ここで炊き出しやらないでください」と張り紙される、行く先々で追い出そうとして来るなと思っています。
あと、西側の山王では、友達が地上げ屋にあって立ち退かされたりしています。五輪の時の霞ヶ丘アパートと同じように、ここも高齢の方が多く、近所の関係、コミュニティがしっかりあって、死ぬまでここで住みたいと思っていたかたがいます。
・会場から質問、感想と応答
〇地上げは釜ヶ崎や山王だけじゃなく大阪全体で起きているのか?
●原口さん 家賃が払えなくて立ち退かされることは大阪中で起きていると思うが、更新の時に大家が変わって、それだけでなく家賃を挙げるというケースは僕は山王でしか聞いていない。今、釜ヶ崎の周りの状況がどうなっているかと言うと、環状線が走ってて天王寺と新今宮駅がメインストリート、ここから南にかけて安い家賃の家があるんです。小さな店がまだたくさん残ってたのが一掃され2010年代にあべのハルカスができて、一気に地価が上がり、天王寺公園は近鉄不動産に管理が売り払われてPPFです。ここ一帯、ショッピングモールとかタリーズコーヒーとか。やばい公園には必ずスタバかタリーズコーヒーが出てくる。子どもの遊ぶのも有料で、ちょっと不審だったりするとプライベートセキュリティが飛んでくる場所になってしまった。もともと空き地だった場所を大阪市が売り払って星野リゾートがドーンと進出してきて、労働者の街だったところが一部激変した。今、ここは万博の宣伝広告をやっているのを見せられた。山王町はドヤ街だけど、築50年とか当たり前な木造の家がならんでいて、家賃がメチャクチャ安くて、デベロッパーから見たらこんなおいしい場所はない、しかも隣の天王寺は地価がどんどん上がっている。オーナーったタイミングで家賃値上げします、というアプローチでプレッシャーかけてくるのは山王ならでは。
〇五輪では選手村の名目で晴海の都有地を9割引きで払い下げました。大阪府の財政状況は全都道府県の中で最悪ですが、万博をやることにより借金が増えます。財政の問題、我々の税金の無駄な使い方の問題だと言うのが私の意見です。
●原口さん 税金の問題は大問題です。万博をやることで市民一人当たり2万円の負担、とすでに報じられていて、大阪で生活する人が万博に冷淡になっている背景のひとつになっています。もっと追及していかないといけない問題であることは間違いないです。しかし一方で、財政の問題として語られすぎると、財政分析のできる専門家が話してみんながそれを聴いて学ぶという関係にどうしてもなってしまう。もっとそれだけじゃないところでも問いを広げ声を上げることが僕の問題関心なんです。たとえば、公園、にぎやかに見えるけれどおカネを持ってる人だけが使える公園、おカネを持ってないとおことわりの公園って、公園なの?大学で言うと儲かる大学にならないといけないという、企業的論理でいかに財政を回復させるかにフォーカスを当ててしまっているところが、ぼくらが万博に対してNOと言えなさになっているところが僕の問題意識としてあります。
〇学校では財政や税金の授業をやらないが、私たちが払わないと罰せられるのに使い方については何兆円という会計の中身が明らかにされていない。50年前と同じ考え方で見てもダメ。新しい見方で税金、財政の問題を見ていくことで全体が見えてくるんです。
●原口さん 税金の問題も確かに重要です、その視点をありがとうございます。ぼくとしては路上で声を上げるとか政治のいろんな可能性もあると。
〇私は釜ヶ崎には行ったこともあって大阪でちょっとだけ育ったこともあるのですが、今は東京に住んでいて、このあたりの風景自体がだいぶ変わったなと。そこでもう少し詳しく聞きたいのは、センターが労働者にとっての顔だとおっしゃっていましたが、一つの公共の場所であった。そこでどういうことができて、何をする生活する中でどれだけ必要だったかを教えてください。あと、民間じゃなく公的な場所をみんなで作っていく、みんながどう使いやすい場所にしていくかの実践、それを教えてください。
●釜ヶ崎で共同炊事に参加してる方  ありがとうございます。それすごく大事なお話です。あいりんセンターは70年にできました。70年万博で労働者を集めることと関係してできたと思います。まず、一階の広い場所で日雇い労働者が仕事を求める、探す場所でもあり、行かなかった人あぶれた人が日中を過ごしたり、人と会ってしゃべったり、しゃべらなかったり、将棋指したり、娯楽室もあって居場所だったり。水場もたくさん蛇口があって、シャワー室もあって。いい写真ですね(写真見る)。私自身は閉鎖される前はそんなにたくさん過ごしていたわけじゃないので。でもシャッターが閉められなくなってそこからみんながそこで寝るようになった時の空間もすごく良くて。すごく広いこの場所でみんなそれぞれの場所で布団を敷いて寝たり、私も寝てましたけど、人と集まれるし、屋根があって雨がしのげるし、風もしのげるし、そういう場所ってまちなかにメチャクチャ少ないです。もちろんセンター開いてた頃は夜間閉められていたんですけど。この場所を壊さないでまた開けてほしいなと思うんです。寝るのにいい場所だったなって。追い出されて以降はそこで寝ていた人の何人かは生活保護を申請した後に入る施設に行った人もいるんですけど、ここに入っちゃうともう会えないんです、会いに行っても会わせてもらえない。今も近くで野宿を続けている人もいます、ほんとうに雨の人か困るなと思います。今まではあまり人が寝ていなかったセンターの向かい側の高架下で布団敷いて、3、4人、道の端、駐車場の南側のところに布団敷いて寝てるけど、ギリギリで車が通るし、職安も全部高架下なんですけど、高架下でみんななんとか寝る場所を探して今も野宿していて、なくてもなんとかはするんですけど、やっぱり雨がしのげるああいうセンターみたいな場所は絶対必要。水が自由に使える場所も少なくて、足が悪い人はちょっと離れた公園に行くのもたいへんだし、トイレもそう。あと、ここに行ったら人と会ったりできる場所。今もセンターの前やセンター向かいの仮センターの駐車場とかで会えるし、毎週月曜に寄り合いにもなんとなく来たらいっぱいしゃべれるけど、やっぱりセンターみたいななんとなく人と会えるかなという場所は絶対必要。壊してほしくないな。鋼板も、外してほしくて、鋼板があると狭くて本当に嫌ですね。
●原口さん これは中から撮った写真ですけど、シャッターが閉められて、広大な空間が、今文字通りのデッドスペース、誰も使えない空間になっている。猫が大量にいるという説もありますが、ほんとうかどうか。2019年にあったのは、3月31日にシャッターが下ろされようとして、下ろさせまいと、みんながシャッターの下に体を横たえて阻止した。阻止できちゃった。あの当時みんなこういう感覚だったと思うんですが、阻止できちゃった、どうしようってなった時に、みんな思い思いにやり始めた。ある人は図書館を作り始めたり、ある人はスクリーンを用意していろんな映画を上映できるスペースを作ったり、この空間でいろんな人が集まって、もちろん共同炊事もそうですし、食や本や映画を共有するようなコミューン状態が40日間続いたんです。その場所を奪うな、というのが一番気持ちの中心、思いの中心。今、釜ヶ崎の運動は大きく二つに分かたれてしまって。それは、橋下徹が市長になった時に、西成特区構想というプロジェクトを始めた。これからは西成、この場合釜ヶ崎なんですが、ここへの政策を付ける、えこひいきする、と言いだした。下からの声、現場から出てきたアイデアにカネを付けると。そのあと中身については何も言わず沈黙を作った。その沈黙って、NPOがこれまで実現しなかった政策、案を熱心に作るグループと、まず不当なことに関して声をあげるグループが、それまで距離はありながらもいろんな行動を共にしていたのが、くっきりラインが入ってしまって現在に至るんです。今、争点となっているのは、まちづくり、政策のテーブルに乗ったグループの主張は、「センターという場所を残すのじゃなく、機能を残すのだ。」場所を残せと言うのと機能を残せと言うのは全然違ってくる。機能というのは職業紹介、あるいは雇用保険を受給する、そういう窓口さえ作れば、たとえば40階建ての高層ビルで13、14、15階にそういう窓口を作ったという形になったら、機能は残ったといえるかもしれないけれど、場所は潰されてしまっているわけですよね。そこが大きな論点になっている。僕は、僕の仲間も、場を奪うな、を重視している。この写真、いろんなひとたちにとって、釜ヶ崎の労働者にとっても、今生活保護を受けて暮らしている人びと、あるいは支援という形でかかわった人たちにとっても多分こういった風景は原風景だと思う。基本的に労働市場、いちば、築地の市場と同じように天井がムチャクチャ高いという構造をしていてたくさんの人が集まれる、実際にたくさん集まって、一人一人見ていくと新聞読んでる人もいれば、立ち話してる人もいる、こういう状態が1970年以降続いてきた。この写真の中に職業紹介の窓口機能とか、雇用保険の受付機能とか、一つも映っていない。「機能を残せ」というスローガンだと、この、人が集まってるスペースというのは必ずしも必要じゃない、なくされてもいい、という話になってしまうんです。今、都市開発、ジェントリフィケーションの中で奪われようとしているもの、今センターが閉められてしまってそのまわりですごく窮屈にさせられてしまったたけれど、しつこく続けているものが守っている、こういった集まれる場所を釜ヶ崎からなくさせないことだと、僕は思っています。これって釜ヶ崎だけじゃなくていろんな都市の中で自由に集まれる場所、特に雨の日なんかに、公園に行っても雨をしのげる場所って、ここ十年二十年で大阪ではメチャクチャ少なくなった、実はあるんだけど、たとえばタリーズコーヒーとかコーヒー買わないと雨すらしのげない。大きな屋根があるってどれほど重要かという話だと思うんです。それともうひとつは、70年万博が決まって、働き手、労働者が足りないという時に全国から若い単身の労働者をギュウギュウに集めて、結果できたのが今の釜ヶ崎です。70年万博のために作られたと言っても過言ではない街が、今「2025年。70年万博よ、もう一度」とかいう時、「アンタラ価値のある場所を勝手に占拠している、わがままな人たちだ」と言わんばかりに立ち退かされるというのはあまりにひどい、必要な時には働いてね、もう必要なくなったから出ていけ、というのがまかり通っている。この50年スパンで見るとよりクリアに見えると思います。
○今回の万博では、万博関連の仕事があったわけではない、ということですか?東京五輪の時、日雇いの人たちの中に、仕事が増えるんじゃないか、インバウンドで観光客が来て、とか税金使う分、リターンもあるんじゃないかという、オリンピック側も喧伝していたし、長い不況の時代を経て一発逆転、復興五輪というのを期待した人も一定数いたと思うんですが、ふたを開けてみたら結局インバウンドも建設の仕事も大企業が吸い取っていくわけですね。湯水のようにスポンサーが税金を使って、リターンもスポンサーや電通みたいなプロモーターにたまっていく仕組みが明らかになった。労働者の街をつぶしていくってことは、もう初めから仕事はないぞってことかと思って、ふざけんな、としか言いようがない。
○このまえ読んだ本では1929年朝鮮の博覧会の時から、同じで、近隣だけじゃなく遠くの人まで「儲かる」「行くといいことがある」とすごく言われて、行ってみたが、儲けたのは帝国のひとだけ、ということが書いてありました。それと、水道の話、蛇口が3つから一個に、プッシュ式になって不便という話、神宮通公園のトイレもセンサーで水が出る仕組みでやかんに水が汲みづらい。テクノロジーによるいじめ、使い方を限定している。駅の自動改札もそう、改札機能だけでカチカチいわせないから耳の不自由な人には不便。
○そうですね、明治公園も元の明治公園とは似ても似つかない、四季の庭には木がいっぱいあった、広くて、デモ、集会、フリーマーケットもあって、野宿の人もいた、有機的な。今はスターバックスがあって、「インクルーシブ広場」では子どもを遊ばせてくださいね、ここではイベントの趣旨に従って遊んでくださいね、と管理者の想定した使い方しかできない広場になってしまった。機能じゃなくて場所が大事なんだということがすごい重要だと。釜ヶ崎センターも自然環境に例えると、一つの動物がいなくなるとどんどん生態系が崩れるじゃないですか、微生物がいて肉食動物がいて、木から落ち葉が落ちたり、そうやって有機的に成り立っているもんだと思うんですけど、センターもそんな感じがしていて、雇用保険の窓口とかそういうことだけじゃなく、寝る場所があり、人と出会う場所であり、食堂があり、仕事を求めて集まったり、有機的につながって成り立っていた場所をつぶすのは許せない、築地もそうで、ただ市場じゃなく有機的な場所だった、という話で。私たちにとってほんとうに価値の高い場所だけど、資本だとか行政にとって経済的に価値のないものに見えるからメガイベントを引き金にして潰していく。メガイベントは暴力だと強く感じました。
○みなさんにとって1964年東京五輪はどういうモノとしてとらえていますか?私は小学生でしたが高速道路ができてインフラ整備、あと学校にプールができた。
○私が調べた中に、64年オリンピックでブルーのポリバケツ、ごみを入れる容器を普及させ、街をきれいにするキャンペーン、あとお花いっぱいにするキャンペーンが学校と町内会の呼びかけによってなされたというのが出てきます。そこの延長に書かれていたのは、浮浪者、障がい者、街でフラフラしている人を収容するものが必要だということで、大きな精神病院が作られた。郊外に巨大な収容施設がオリンピックのために安心安全を守るために作られた。街にいると困る人を収容するために作られたという64年五輪のレガシーです。今回のオリンピックでも宮下公園がオリンピックを迎えるのにふさわしい公園、安心安全ということで、公共の場がここのみちを歩いてください、ここではトイレに行ってください、ここではちゃんと座ってください、寝ないで座ってください、ここでフットサルをしてください、用途が確定していて、誰もがウチャッと居られる場所はなくしていった。それは安心安全、秩序を守るためにやっている。釜ヶ崎の排除も、そういった治安を守るとかそういうニュアンスがあるんじゃないかと心配があります。釜ヶ崎が男性が多いということもターゲットにされやすいかもしれません。あと、70年万博を調べても、立ちんぼの検挙がものすごい、あったんですよね。それと釜ヶ崎の排除と、別々だったけど、同時に起こったんですよね。釜ヶ崎の人は隣の風俗街に行ってたし、風俗街の人たちもお客さんとそこで賄ってたんだけど、そこで運動がつながれなかったのか、どういうことなのかな、と思っています。今回もストリップ劇場とか立ちんぼの人、が検挙されたり、コロナ中も100人くらい立ちんぼが検挙されてるんですが、安心安全とか、見栄えとか…。この写真(かつてのセンターの中の風景)美しいと思うんですけど、こういったものをこわいという人もいるんだろうな。昨日行ったフィールドワーク、整然とした、高層ビルとか、オリンピック跡地のほうがはるかに恐ろしいと思って気分が悪くなってしまうんですが、向こう側が言う、危ない、コワい、恐怖をあおってくる、そういう教育。道徳教育にオリンピックが組み込まれていってあれを正しいもの、と、正義のようにされていくのとつながっていると思うんです。釜ヶ崎、あんな怖いところはなくすべきだ、と、学校で教育されるんじゃないか、少なくともオリンピック教育は年間36時間されてしまった、かなり大きな罪があるんじゃないかと思うんです。しかも今回は東京からも修学旅行で万博行くと聞いたんですが、釜ヶ崎の排除とか見に行くんじゃないですよね、何が危険とか、何が心地よいか、大きく人びとに影響してくるのを感じます。同時に釜ヶ崎って男性の人が多いんだけれども男性以外のジェンダーの人たちが居られるようにどういうふうに考えるのかっていうのは一方で重要な問題で、それは大阪府とか橋下、吉村にそういった場所を作ってほしいと言うのじゃなく、ちゃんとトランスの人とか女の人が居られる場所を考えていくというのを小さな規模で釜ヶ崎の中で考えていくとか、そういった場を邪魔しないということが重要なんですけど、これが安心安全なんだとトップダウンで上から押さえつけていく装置が万博、オリンピックなんだなあと思います。
○私は64年オリンピックで高速道路、インフラが整備されたという話を聴いて、インフラや高速輸送手段というのは、「通過」だということを本で読んだんですが、通過してしまう、そこの間にある人々の暮らしというのは雑音でしかなくなる、必要なものを必要な時に必要なだけ調達するのに都合のいいシステムを整えるだけで、人びとの積み重ねてきた歴史と暮らしを無視して通過していくものとして思っていて、どんどん通過したり、用途を規定するとか、そういう価値観が進んでいく、前のオリンピックからずっと連綿として、そういう捉え方をしています。
○大阪都構想って何だったのか、どういうふうに開発と結びついているのか、万博とどうつながっているのか。今回釜ヶ崎の排除があった時、西成区役所とか大阪市、大阪府に抗議の電話をしたんですが、僕の住んでいる渋谷区と東京都との役所間の関係とちがう、西成区は上からの府や市に動員掛けられたから出向した、言われたからやっただけ、みたいな、渋谷区と東京都だとそれなりに独自性、自立性ががあって、都に言われたからって区が出向することはあり得ない。都構想は行政間の形をどう変えようとしたのか?それと万博や開発とどう絡んでいるのかを教えてください。
●原口さん 大阪都構想は住民投票で否決されたんです。この十年間で数少ないよかったことの一つです。よく言われるのは「大阪市を守れ」「「大阪市がつぶされる」という理解なんですが、実際、権力の作動の仕方がどう変わってくるかというと、より重要なのは一つは開発を強烈に進めるということなんです。今までは大阪市が大阪府がそれぞれに開発をする。ある場合には連携しなければならない、調整が必要になってくる。もちろん市長や府知事が勝手にやれるわけではない、大阪市議会、大阪府議会にかけなければならない。特定の開発を進めるためにいくつもの調整とプロセスが必要だったんだけど、維新、橋下徹が、「あまりに不合理なシステムだ、動きが遅すぎる」と糾弾してのし上がってきた。都構想になるとふたつの枠組みが一つになるのでトップが決断して議会にかける、今まで承認を得て、調整をしてという合意を取り付けるプロセスのいろいろな段階が取っ払われる、そこがみそだと思うんです。都市にかかわる政策決定っていろいろあると思うんですが、維新というのは旧来の自民党より土建的な、極右的、権威的建物を建てたがる。都構想は2度否決されているのでまだこのシステムは完成していない。あと、維新政治の特徴は、「街が安心安全、明るくなった」、雑然としていたところを「明るくした」、「街が良くなった」と成果にするんです。「昔は暗かった天王寺公園を明るくした」とアピールする。明るくすることが良いことだと単純化された思考が加速されています。
●釜ヶ崎で共同炊事に参加している方  子育て世代、子どもや女性の安心安全が口実に使われる。センター前を区役所の人がうろうろしてたので話してみたら、「ここを通学路にするために安全を確保しないといけない」とか言われて、イメージ付けしてくるな、と思ったことがありました。あと、釜ヶ崎は男性の立場の人が多い街で、自分も性加害がほかの場所と比べて多いのかなという偏見をもっていた。性加害は他の場所でもあり、釜ヶ崎がほかの場所と違うということはない。嫌な思いをすることはあるけれど、それは他の場所と変わらない。嫌な思いをする人をできるだけ減らせるよう、みんなで環境を作っていくことを考えている、うまくいっているかわからないけれど、それはどこでもやるべきことだと思っています。
〇僕が釜ヶ崎にいたころは先ほどの写真の頃ほど活気はなかったけれど、多くの人がそこで寝転がったり丁半博打打ったり、荒っぽい人もいて、それも含めて楽しかったんですが、ゼロ年代すでに日雇いの街から福祉の街に変革する時期で2008年最後の暴動が一つの契機になったと思うんです。以前は南海線のガード下にいた手配師、手配師の存在というのは、今では失われた風景になっているのでしょうか?
●釜ヶ崎で共同炊事に参加している方  強制執行の前まではセンターの敷地で早朝、手配師が来て軒下に居たんですが、あそこが鋼板でおおわれてから、向かいの仮センター駐車スペースがその役割として、最大25台くらいしか止められないので、半減でしょうか、正確には言えないですが。今もいると思うんですが圧倒的に少なくなってると思います。
〇今回の万博とそれに付随する事業で、釜ヶ崎に経済的恩恵みたいなものって生まれているんでしょうか?例えば星野リゾートができた、それにより地域に雇用が生まれたとかも含めて。
●原口さん 僕の知る限りでお答えします。前提として70年万博が釜ヶ崎を潤したというのは違う。むしろ大局的に見れば、労働者を全国から集めるだけ集めて、そのあと放置しちゃった。ギュウギュウに集めすぎたのでドヤがのちのカプセルホテルのように寝るだけの部屋になった。部屋に部屋を重ねて高層化して、その中で家事が何回も起こった。ひとたび火事になるとあっという間に全体を燃やす、火事一つとってもそれで命を落とす労働者が何人もいたんです。地域に利益があったかと言うことですが、たとえば、星野リゾートを考えるとわかりやすいと思います。ある人に聞けば利益があるというし、ある人にとってはもう追い出されてばかり、ということになる。星野リゾートが来たら、土地を所有している人にとっては地価が上がって直接メリットになりますが、家を借りている立場だと真逆になります。家賃が高くな���ますから。経済的恩恵っていうのは地域にあまねく回ると言うより、特定の誰かにはメリットあっても、誰かには全く関係ない、あるいは誰かにとってはとてつもない抑圧やデメリットになる。
〇星野リゾートができたところはもとは市の土地だったわけですよね。公共用地の私有化、どちらかというと私たち搾取されて取られちゃって、たぶん高くない値段で売られた。私の住んでる神奈川でも横浜市役所が移転して旧市役所も星野リゾートに売ったんですけどムチャクチャ安い値段で売って、住民訴訟も起きているんですけど、私たちに還元されなければいけない財産を再開発の名目で搾取されて、今日の話では、釜ヶ崎という街を解体していくわけだから、新しいものにしたとしても私たちの財産は私たちには還元されず、体よく奪われていくということがわかりました。
参加者は多くなかったものの、熱のこもった議論が交わされ、学びの多い集会となりました。オリパラ、万博、もうたくさん。これ以上間違った道を突き進むのは止めないといけないと思いました。
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20年ほど前、ある業界の重鎮「カリスマ」とサシで話す機会があった。 このカリスマの家にはプールもあり、国会議員や首相も来るような、そんな凄いカリスマだ。 カリスマとはロサンゼルスでの7、8人のの会食などではご一緒したことはあったがサシで話したのは、初めてになる。 まぁ、サシで話した、というより「呼び出し」を喰らったのだ。 このオーナーカリスマが一代で創った上場企業Aと僕が一課長を拝命していた企業Bなどが、合弁で子会社Cに出資していた。 僕はこのカリスマの経営する会社Aが子会社Cに提供するサービスや資材を相場の3倍近い高値で売りつけている「公然の秘密」を知り、現場同士でA社に改善つまり値下げをお願いしていたのだ。 そこで「呼び出し」だ。 赤坂のA社の会長室に午後7時に呼び出された腹ペコな僕は色んな絵画の飾られる会長室前の廊下でボーッと待っていた。 待っていて10分ほど経ち、ようやく会長室に入るとカリスマは居た。 カリスマ「あ、瀧川さん、どうぞお掛けください。何か飲みますか。ウイスキー🥃などいかがですか?」 僕「あ、はい。いただきます。」 そして運ばれて来るストレートウイスキー🥃🥃2杯。 カリスマとウイスキー🥃🥃を飲みながら話す。 カリスマ「瀧川さん、私の仕事の生い立ちはご存知ですか?」 「実は存じ上げません。」と素直に応えると、美少年宝石商、美少年バーテンダーなどから、G慶太との付き合い、A慶太劇団の俳優を使った海外ドラマ映画の吹き替えビジネスの展開、社名の由来、など40分以上もお話を聞いた。 非常に面白い戦後日本の業界の成り立ちを含めたカリスマとA社の歴史をお聞きできた。 しばらくすると 「何か子会社Cで問題でもありましたか」との問いがあった。 僕は素直にA社が子会社Cに請求している金額が相場の三倍近いなので、改善して欲しいとお話しした。そして子会社Cの社長も兼任しているカリスマに「子会社Cの社長としてご出勤されている際にはC社の事を優先して考えて欲しい」という趣旨の話をした。 カリスマは直接には答えることはせずに会長室の内線電話を取ると「◯君はいるかな?」と息子さんでA社の役員でもある◯君を呼び出し、すぐに◯君は会長室に姿を現し、三人でストレートウイスキー🥃🥃🥃を飲むことになったが、後はバカ話に終始して、僕の意見への応答は無かった。 夜9時頃に解放された僕は 空きっ腹にストレートウイスキー🥃🥃🥃を何杯か飲んだので、一人で吉野家で牛丼を食べて帰った。嬉しい話だったらカリスマと◯君と美味しいフレンチでもご馳走になったのかな? 翌朝、出社すると部長から「お前、カリスマに何か言った?」と聞かれたので経緯を話した。部長は笑いながら「カリスマ、割と怒ってたよ」と教えてくれた。 あとでこの話を某民放の幹部の方にお話ししたら「会長室とかに、すごい名画が飾ってなかった?」と聞かれたので、「何枚か見たことがある絵がありましたけどら特に話題にしませんでした」と応えたら「その絵画は勿論、レプリカなので知ったかぶりして褒めるとカリスマに馬鹿にされるから、褒めなくて良かったね」と笑われた。 そ���から何年もカリスマとはお近くで仕事をしたが、言葉を交わすことは無かった。 戦後を創った一人のカリスマだったけれど、親しくお話しできたのはあれが最後だった。 子会社との取引条件はすぐには変わらなかったけれど、だいぶ経ってから少し改善したと僕が担当で無くなってから、聞いた。 あれから20年も経ち、 そのカリスマも亡くなり、A社は子会社Cの株式を売却してしまった。 そんな事を昨日のように思い出した「#フクロウと呼ばれた男」を5話まで観た。最後まで観るつもりだ。 https://disneyplus.disney.co.jp/news/2024/0405_house-of-the-owl
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kisatonote · 3 months ago
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‘’何より気がかりなのは、個々の組織以上に、社会そのものがカルト性を帯びてきたことです」
 ――カルト性とは。
 「例えば、善悪二元論的な物の見方です。オウムは、自分たちこそ絶対的な善で、悪の勢力が自分たちをつぶそうとしていると主張しました。同様にいま、自分たちは絶対に正しく、批判する人たちは悪だ、という考え方が広まっているように思います」
 「自分たちが絶対的に正しいという『無謬(むびゅう)性』を信じ、思うようにいかないことがあると、自分たちは被害者だと主張する。敵がすぐに見えなければ、陰謀論に走る。カルト団体の特徴だと思っていたものが、社会全体に見られるようになりました」
 ――その傾向はいつごろから表れたのでしょう。
 「私が最初に感じたのはイラク戦争です。米国のブッシュ大統領(当時)は『テロとの戦い』を掲げ、自分たちの敵か味方か、と各国に迫りました。武力行使に仏が反対すると、米下院の食堂では、フレンチフライという名称を変える、という動きもありました。民主国家の雄とされた米国で起きたこの出来事に、衝撃を受けたのを覚えています」
 「そして今、トランプ大統領が、強烈な被害者意識をあおり、支持を得ています。日本でも同じような傾向は見られます」
 ――どんな対策が必要でしょうか。
 「地下鉄サリン事件直後から、カルト研究の必要性を訴えてきました。事件後、警察庁と法務省、厚生省(当時)の研究会が『カルト研究センター』の設置を提言していましたが、実現していません。『カルト現象』とも言うべき社会状況が見られる今、研究の必要性は高まっています」
 「教育も重要です。私は、5年ほど前から教壇に立つ神奈川大学で、カルト教育の授業に力を入れています。どのようにしてカルトの勧誘を断るか、といった実用的なことだけでなく、戦争の度にくり返される現地住民の虐殺事件などを題材に、人の心がいかにもろく、置かれた状況次第で考え方が変わってしまうか、ということを伝えています」
 「学生からは、もっと早くに教わりたかった、という声が寄せられます。学生たちは、薬物教育や消費者教育は中高生のうちに受けるけれど、カルトについて知っているのは『オウム』『地下鉄サリン』といった言葉くらい。中には授業を受けて、自分がつきあっているのがカルト団体だ、と気付いて相談に来た学生もいました」
 「日本には安全な国というイメージがありますが、地下鉄サリン事件と安倍氏銃撃事件は、そのイメージをひっくり返した2大事件と言えます。カルト問題が背景にある点も共通しています。このままカルト対策をせず放置すれば、形を変えて第3の悲劇が起こりかねません。カルトの怖さや、人間のもろさを、多くの若者が学ぶ機会が必要です」
"地下鉄サリン事件30年 教育者になった江川紹子さんが考えるカルト:朝日新聞" https://digital.asahi.com/sp/articles/AST3L0TVDT3LOXIE05HM.html?ptoken=01JPRNDNMW9FY3GDAHDH2NSJM4
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magazine-hitori · 4 months ago
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世界の音楽 — 英リーズ
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多目的ホール「リーズ・アリーナ」へと通じる歩行者用地下道に設けられた公共アート「リーズ・ソング・トンネル」。リーズ出身のアーティストによる100年におよぶ60曲のタイトルが描かれ、アーティスト名やリリース年が添えられている。
同アリーナは2013年に新造され、エルトン・ジョンがこけら落としを務めた。同市の人口51万人ながらロンドン以外で唯一の国立歌劇団があり、バレエ専門、ダンス専門劇場もあるという。またライブ盤の名盤にザ・フーLIVE AT LEEDSが挙げられるなど、音楽熱の高い都市といえよう。
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Jan Dukes de Grey / Sun Symphonica (1971)
19分弱のプログレ大曲。主要メンバー2人が奏でるフルートや生ギターなどアコースティックなインタープレイに陶酔的な魅力あるサイケデリック・フォーク。
Gang of Four / Cheeseburger (1981)
Soft Cell / Tainted Love (1981)
原曲は1965年に米黒人女性歌手グローリア・ジョーンズによってシングルB面で発表され、70年代英国のノーザン・ソウルのムーヴメントによって再発見されて同ジャンルを代表する人気曲に。シンセポップのデュオ、ソフト・セルが2枚目のシングルとして同曲をカバー、81年の年間1位、翌82年には米国でも8位に上昇、100位内に43週間とどまり当時の記録を塗り替えた。
The Sisters of Mercy / Temple of Love (Extended Version) (1983)
ポジティブ・パンクにロックンロールの未来を見た!!…筈だったが今では死語。しかしいくつかの曲は不滅。血が沸騰。
The March Violets / Snake Dance (1984)
前項「いくつかの曲」の一つ。
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The Bridewell Taxis / Spirit (1990)
Kaiser Chiefs / I Predict a Riot (2004)
Hadouken! / M.A.D (2010)
まったく初耳のグループ。日本の格闘ゲーム、ストリートファイターに由来するグループ名ということで、そのテのは不可視化される傾向なのだろうか。ダンス+ラップ+ロックのミクスチャー、クラクソンズらが牽引したニューレイヴの波に乗って登場したとのことで、なるほど私が聞いても無意味だ。
alt-J / Breezeblocks (2012)
人気高いがすべてiTunes削除済でSpotifyでも聞かない。インディー・ロックというジャンル名に異議あり。ディヴァイデッド・ロック(分断された)の方が現実を映しているのでは。私の偏見による造語。
36 / Neon Sunset (2014)
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