#勤美住宿
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a-wei-lin · 2 years ago
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勤美美食懶人包 | 台中勤美綠園道附近美食超多,不知道吃什麼?這幾間很推薦~
終於開始整理《勤美美食懶人包》了!阿偉自己都感動了😂不過這說法大概會被罵死,懶就懶,說什麼終於😅勤美綠園道這個台中景點,台中人、遊客都很愛來,環境不僅很好逛,走起來也很優閒,週末假日更有小市集或是活動舉辦,每每過來都在想勤美綠園道美食吃什麼?阿偉想想自己也吃不少間,不然就來統合一下,弄了這篇勤美美食懶人包,後續也會持新更新上來~ Continue reading Untitled
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yutakayagai · 5 months ago
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夕方、土手の刈払いを終えた亮司は「別荘」に戻り、台所で夕食を作り始めた。彼は結婚していたが定年を迎えた二、三年後に妻を病気で亡くし、独りだった。二人の子どもはそれぞれ結婚して家庭を持ち、いずれも教育費で金がかかると共働きだった。自炊は、大学時代は居酒屋などでアルバイトをしていたので、料理は得意だった。
彼は、貢が昨日買って来た缶ビールとチューハイをそれぞれ一本出し、居間のローテーブルに作った鶏の唐揚げやポテトサラダなどを並べた。上半身はランニングシャツ一枚になり、時折テレビのニュースを観ながら黙々と夕食を摂った。
風呂に入った後、昼間に着た作業服や下着を洗濯機で洗い、ウッドデッキに置かれた物干し竿に干しながら、亮司は山林を見渡した。一応、手入れはされているが夜になると真っ暗だった。唯一、別荘の周辺に屋外用のライトが灯っているので、まァ、寂しくないかなといった感じである。こんなところで最悪、いじめの様なことが起きても明るみにはならないだろ��と、彼は思った。
寮では、食堂の厨房職員が退勤した後、大平が正面玄関の戸締まりをしていた。昼間はいったん都内にある自宅まで帰ったが、誰もいなかったのですぐ車で戻って来てしまった。大平は未婚で、実家に高齢の両親がいるが最近、父親の方が認知症になってしまい、母親が介護をしていた。元々頑固な性格でもあったが怒りっぽくなり、たまに母親が手を振るわれることもあった。
今回の一時帰宅では、流石に介護疲れもあってか最寄りの特養でショートステイを利用したと、母親が大平に話をしていた。母親は、
「昔は、国語の先生で子ども達には温厚で優しいと評判だったのに…。ケアマネさんに聞いてみたら、脳梗塞の既往があるから『血管性認知症』なンじゃないかって。たまに泣き出しちゃうこともあったのよ〜」
と溜息をついていた。大平は、
「オレには親父の面倒は無理だなァ…」
と両腕を組んだ。
親のどちらにも、オレは『ゲイ』だから結婚はしないと「カミングアウト」し、父親は激怒し母親は号泣し、それでも最終的には、
「雅之は雅之。孫の顔は見られないだろうが、それであの子が幸福ならばイイ」
と理解を示したのだが、母親のことを考えると今後独りのままでイイのか彼なりに不安ではあった。
大平は寮内の見回りをし、終えると宿直室に戻った。昨夜は郁斗が「夜這い」に来ていたが、今夜はこのまま寝てしまおうかと布団に入った。母親の疲れた様な顔を思い出すとなかなか寝付けない。都立の中学生で校長までやっていた父親にずっと尽くしてきただけに、何とか孝行できないかと思った。
『嗚呼、誰かイイ男(ひと)いないかなァ…』
そう思いながら彼は布団を頭から被った。
その頃、翔の部屋には佳憲がいた。本当は大平のところに「夜這い」をしに行きたかったが宿直室が真っ暗だったからで、彼は言った。
「宿直って言っても寝に来てるもンだよね〜」
「どうなンだろ? 七瀬先生はしょっちゅう見回りに来てるよ」
「まァ、あの先生は『ノンケ』だから」
「『ノンケ』って?」
「つまり『ゲイ』じゃないってこと」
「ふ〜ん、そうなンだ」
七瀬は、ほぼ皆がゲイという教師の中で唯一ノンケだった。妻子もK高校の近くに住んでいた。そんな七瀬を校長の岩崎は好いており、何度か「アタック」していた。しかし、
「校長の、その手には乗りませんよ!」 と突っ張られ、
「何よ! ノンケぶっちゃってさ!」
���悪態をつくのがオチだった。
翔は、正美に昨夜話したことを佳憲にも話した。それに対し、
「あぁ、あのおじさん? 知ってるよ。一昨日、理事長と戯れてたよ」
と佳憲は言った。彼は、
「翔って、『フケ専』なの?」
と聞いた。
「何? 『フケ専』って…」
「まァ、中年や壮年がタイプってヤツかなァ?」
「たまたま優しくされただけ」
「でも、イッちゃったンでしょ? じゃあ、その種のタイプが好きなンだよ」
「う〜ん、そうかも」
「フケ専」という言葉、誰から教わったのかと翔は思った。そもそも、佳憲が付き合っていた美術教師というのは三十代後半だったらしいから、まァ、彼から「吹き込まれた」のだろう。入学して間も��い頃、一度だけその美術教師が描いた佳憲のデッサンを見せてもらったが、肉体の諸部位が忠実に描かれていた。多分、描きながら内心は早く抱きたいと渇望していたに違いない。翔は色々な憶測を脳裏に巡らせた。
隣では、正美の携帯電話が鳴っていた。オ◯ニーで中出しをして汚れ、洗濯したブリーフが一枚だけ洗濯ハンガーに吊るされていた。彼が携帯に出ると、
「あ、正美君? 久しぶり。八坂です」
と懐かしい声が聞こえた。正美は思わず、
「お、おじさん!?」
と声が裏返ってしまった。八坂は言った。
「あれから他の中学校に転勤となって…おじさん、淋しいよ」
「母さんは元気?」
「あぁ、変わりないよ。先週、『休みなら一度顔見せてあげたら? 周ちゃんだって抱きたくてしょうがないでしょ?』って…。おじさん、そんなつもりないンだけど」
「否、オレは淋しいよ。独りでオ◯ニーして…。おじさんとセッ◯スしたい」
携帯越しに八坂は声を上げて笑い、
「正美君の、もっこりブリーフに顔をうずめたいよ」
と話した。
あんなに「オレは教師だッ!」と拒み続けていたおじさんが…と、正美は思った。母親がよく「周ちゃんが…」と昔から話をしていたが、彼女によれば剣道を始めたのが一人の先輩に心を寄せたからだった。剣道の腕も関東大会に出場するほどで、長身で「ルックス」も良かった。その先輩も八坂と個人練習に誘うくらいで、下校も途中まで方角が同じだったらしく、いつも一緒に帰っていた様だった。
或る日、八坂が正美の母親の家に遊びに来たが、その際に彼がこう話したのだ。
「…政子ちゃん。オレ、先輩とエッチしちゃった」
「政子」とは、正美の母親の名前である。幸いにも、政子の両親はいずれも仕事でいなかった。この頃、未だ同性愛そのものが社会的にタブー視され、政子も最初はショックだった。八坂は正座をしたまま頭を垂れ、
「…部活の後に体育倉庫に呼ばれたンだけど、急に『ずっと好きだった』って言われて。接吻(キス)されたり、チ◯ポ触られたり…。オレも先輩が好きだったから、そのまま…」
と告白した。政子は聞いた。
「…先輩。周ちゃんの気持ち、知ってたの?」
「…ううん。でも、気付いてたみたい。最近、やたらと優しいなって思ってたンだけど」
「でも、それとこれとは話が違う気がするなァ〜」
その先輩とは、高校進学と同時に縁が途切れてしまったと、後に八坂が政子に話した。オレもどうかしていたと考える様になり、そのまま大学卒業後は教員採用試験に受かって中学校の教師となり、三十代前に結婚したのだが、内心は同性の方が好きだったのだ。
携帯電話から聞こえる八坂の話は続く。彼は言った。
「実は、おじさん、離婚したンだ」
「えッ、いつ?」
「先月かなァ…。 自分の気持ちをこのまま偽り続けることができなかった」
「…おじさん」
「まァ、恭子おばさんからは教育費は振り込むよう言われたけどね」
正美は、恭子だけが何度か政子を訪ねに来ていたのを目撃していた。高校進学前に見かけた時は、政子の目前で泣きじゃくっていた。彼女は、
「結婚して十四、五年経ってから『オレはゲイなンだ』って言われたって、アタシ、困るわ…」
と洩らした。それに対し、
「嗚呼、ついにカミングアウトしちゃったのね…」
と政子は言った。
「…アタシ、周二は素敵な旦那と思ってる。ずっと非常勤で教師やっていても『無理すンなよ』って気遣ってくれるし、結婚記念日には必ず何か贈ってくれてたし…。でも、ゲイなんて…」
「恭ちゃん、よく考えてみな。愛してるからこそ、周ちゃんはあなたに自分の気持ちを話したンだよ? たとえゲイだろうと周ちゃんに変わりはないンだよ」
そんなやり取りを勉強の合間に聞いていた。あの頃は、未だ離婚するか決めかねていたのだろう。大人になると色々むずかしいなと、正美は思った。
八坂は、翌日の午前に会いに行くと話した。久しぶりに食事をしようとも言い、正美は嬉しくなった。彼は鼻歌を歌いながら床に入った。
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hrkwakrtxt · 1 month ago
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されど遠き窓
1年同棲した恋人のリリコに去られたヒロセ。
かつての遊び仲間たちとの再会を機に、自分を見つめなおしていく。
※性的描写があります。
 
 鼓膜をつんざくようなけたたましい音で三分経過したことが告げられた。iPhoneに入っているタイマー音はどれも、うるさすぎたり間が抜けていたりで、どうもいい塩梅にいかない。かといって好きな曲を設定するというのも、気取っていてなんだか嫌だし、なんて考えている間に、麺がどんどんのびてしまう。ここ一週���食べ続けているカップラーメンの新しい味をコンビニで見かけたのでついまた買ってしまったのだった。さすがに体に悪いか、と思わなくもないけれど、仕事が繁忙期だし、怒る人ももういないし、緩やかな自傷行為はだんだんと依存性を帯びてきた。アルミの蓋をぺりぺりと開け、頼りない麺を割り箸でずるずるとすする。想像通り、うまくもまずくもない。こういうのは結局一番最初に出たプレーンな味がいちばん飽きが来ないものだ。香辛料のききすぎたスープを飲み干す気にはなれず、流しに残りを捨てた。麺の欠片や掬いきれなかった具がステンレスに散らばり、排水溝の掃除をする必要があることを思い出して煩わしくなった。ゴミの日に合わせて、明日の夜やることにしよう。ベッドでは三毛猫のミナが僕の就寝を待っているが、寝る前に一杯やりたい。食器棚からグラスを取り出そうとすると、しばらく使っていない器達が無言の圧力をかけてきたので、結局今日もまた缶ビールを開けてじかに呷ることになった。チーズを囓りながら、さっきの残像で食器を数える。ペアグラスかける幾つだ、プレートもお椀もだいたいはお揃いまたは柄違いで二の倍数分あり、だけど今僕はそれらがなくても生活できてしまっている。
 一体、この大量の置き土産を、どうしたらいいのか。リリコがいなくなってから、もう三ヶ月が経とうとしている。一ヶ月めは現実と向き合うのに精一杯で気付かず、二ヶ月めは思い出に浸るために必要で、寂しいのが普通になった今やっと、やはりこのままではまずかろうと、彼女が残していったものを、たびたび眺めてみてはいる。一年も一緒に暮らしていたので、すぐには整理しきれない。リリコは料理好きで、腕をふるった品々を毎食SNSにアップしていたほどなので、食器類は特に数が多いが、それだけではない、いま僕が踏んづけている不思議な模様のラグも、天井からぶら下がっている星のかたちをしたライトもすべて、彼女のセンスで買いそろえたものだ。ぜんぶ置いてけぼりなんて、と何度目かの小さな憤りを感じた勢いで重い腰を上げかけては明日もまた仕事だと言い訳して、ずっと後回しにしてきたのだ。まる二ヶ月。やらなきゃいけない、と思うほど頭と体がぼんやりしてきて、やがて逃げるように眠りについてしまう。この部屋の中のすべてが、彼女のかわりに呼吸しているーーそんな妄想は少々ロマンチック過ぎるにしても、たぶんいつかは断ち切らないといけないものだ���、断ち切りたいと僕自身も願っている。ああ、だけど今夜も、五パーセントぶんの酩酊を言い訳にして、ミナの待つ寝床に向かう。
 やっぱ、フリマアプリじゃないっすかねえ。心底どうでもよさそうな風情で煙とともにそう吐き出したのは、新入社員で唯一の喫煙者、塩崎くんだ。僕の若いころに輪をかけてぼーっとしていて、鬱陶しがられているかもしれないけれど、ついつい話しかけたくなってしまう。
「ていうか、広瀬さんも女にふられること、あるんすね」
「そりゃあるよ、ふったことのが少ないよ」
「女になんか全然不自由しなさそうに見えるのに」
「……不自由するかどうかはまた別の話かもね」
 しまった、失言だった。話を聞く限り、塩崎くんには女性経験がないのだ。背も高いし、肌もきれいだし、顔立ちも悪くはないのに、たぶん、ぼーっとしすぎているのだ。どうフォローしようか気を揉む僕をよそに、塩崎くんは、プロの女の子、必要になったら言ってくださいね、とにやついて仕事場に戻っていった。
 取引先からそのまま帰宅すると、宅配ボックスに母から荷物が届いていた。うちは農家でもなんでもないのに、定期的に野菜やら米やらが送られてくるのだ。お礼の電話をかけると、気忙しい母の声のうしろで、子供がはしゃいでいるのが聞こえた。
「まひろ、来てるの?」
「そうそう、今日は誠二が夜勤だから、うちで夕飯でもどうー、って」
 誠二というのは僕の弟だ。僕が秀一、弟が誠二。彼は五年前、二十四で十年近く付き合っていたひとみさんと結婚して、三年前、まひろが生まれた。高卒で消防士になり、地元で気の利く嫁をもらい、実家の近くに住み、可愛い孫の顔まで見せた彼の方に、秀の字がついていたらよかったと思う。
「あんたはどうなの、うちに連れてくるかもって言ってた子は」
「ああ、別れた……」
「あらっ、そうなの」
 数秒のあいだ沈黙があり、母のため息がきこえた気がした。
「まあねえ、おかあさん都会のことはわかんないし、元気でやってればいいのよ」
 優しく慰められ、情けなくなる。両親のことを喜ばせようなどと殊勝なことを思っているわけではないが、のんべんだらりと三十路を過ぎてしまって、なんとなく申し訳ないような気持ちはある。しかし去ってしまったリリコのことはもう、どうすることもできない。たしかに母の言うとおり、都会の三十代はまだまだ若い。正月には帰るから、みんなによろしくと言って電話を切った。ミナが足元に擦り寄ってきた。そういえばミナは、まひろとほぼ同い年だ。僕が会社に行こうとしたら、マンションの植え込みで震えていたのだ。体調不良で、と当時勤めていた会社に嘘をつき、病院に連れていった。三毛猫のミケでは安直すぎるので、ミナにした。漢字で書いたら、三奈だ。まひろは、ひらがなでまひろだ。どちらがペットかわからない。猫はものすごく好きというわけではなかったが、一緒に暮らしてみるとこれほどいい同居相手はいないように思えた。普段はお互い負担にならない距離を保ちつつ、自分がそうしたいときには思いっきり甘えてきて、逆に僕が疲れていれば癒やしを提供してくれる。リリコとミナは最後まであまり馴染まなかったように見えた。彼女は実家でダックスフンドを飼っていると言っていたが、猫にそこまでの思い入れはないようだった。
 ミナがキャットフードを食べている間、自分の夕飯を用意した。母と話したあとで不摂生をするのもなんだか悪い気がしたから、送られてきた野菜を適当に切って、冷蔵庫の隅にあったベーコンと炒めた。だけどそれでは足りなくて、結局買い置きしてあったカップ焼きそばを食べてしまった。ミナと戯れつつ食休みをし、風呂を沸かした。本当はシャワーだけでもいいのだが、リリコが置いていった高そうな入浴剤を入れてみたら案外よく、それから週末の夜はゆっくり湯船に浸かるようにしている。バスミルクやらソルトやらオイルやら、ひと揃い使い切ったら終わる習慣だろうけど。
 風呂から出ると、LINEが五件届いていた。三件は公式アカウントからで、一件は塩崎くんがフリマアプリのまとめ記事を送ってくれたものだった。金曜の夜なのに、暇な男だ。ざっと目を通し、とりあえず一番利用者数の多いアプリをダウンロードした。もう一件は月子さんからだった。明日、新宿で映画を観る用事があるのでそのあとお茶でもどうかという誘いだった。看護師をやっている月子さんが土日に会おうと言ってくるのは珍しかった。確かシフト制で、平日休みのときに声がかかることが多かった。いくつか年上のこの人と、どこで知り合ったかもいまいち思い出せないが、つかず離れずで長年やってきている。リリコと別れて初めての会合だった。
 伊勢丹近くの喫茶店で落ち合うことにした。雑居ビルの地下にあって、コーヒーが一杯千円もするかわり都内いち美味い。価格設定のおかげで店内が落ち着いているのもかなり気に入っているので、約束の時間よりも一時間早めに店に入った。今はナラ・レオンがかかっていて、いい具合に眠くなる。おかげで持ってきた本が全然進まなかった。あとから来た隣の席の男女がタロット占いに興じているのも、僕の気を散らした。壁側に座った髭もじゃの男が占い師らしく、ピンク色の髪をした女の子がぼそぼそと何か相談していた。髭もじゃがカードを切りはじめたころ、月子さんが現れた。とびきり短いショートカットに、���っ黒のワンピースという出で立ちだった。前に会ったときは、日本人形のように長い髪をしていた。
「髪、切ったんだね」
「そう!似合うでしょ」
「うん、すごく」
 脚本はいいのに女優の演技がひどくて興ざめだった、というのが今日の映画の感想だった。月子さんは映画や舞台がとても好きだが、誘われたことは一度もない。2人ですることといえば、セックスくらいだ。十年前からそんなふうにしてきて、でも僕がリリコと付き合っている間は指一本も触れずに関係は続いていたので、結局気が合うということなんだろう。月子さんが頼んだキリマンジャロが運ばれてきたところで、恋人が置いていったものを誰かに買ってもらうってどう、と相談してみると、悪趣味、と笑われた。
「そんなの、捨てたらよくない?ぱーって」
「結構高いものが多くて、惜しい」
「じゃあそのまま使ったら」
「いろいろ思い出されて、つらい」
 どんなのがあるの、と聞くので、iPhoneを手渡した。塩崎くんの指南のもと、出品用に写真を撮ってみたのだ。あとはアップロードをするだけなのだが、説明文を考えるのが面倒くさくてやめてしまった。月子さんが真剣な顔つきでフォルダを隅々まで眺めているあいだ、僕はタロット占いの結果が気になってしょうがなかった。タロットは漠然とした悩みというより、誰かとの相性を知りたいようなとき役に立つのだと、昔どこかの飲み屋のママに聞いた。
 すべて見終わった月子さんは、彼女、センスのいい人だったんだね、と感心した。さらに精査したあと、寝室に置いてあるスタンドライトの写真を指差して、これ生で見たい、と言った。じゃあ見にきてよ、と店を出た。新宿三丁目から、都営地下鉄に乗る。
「ヒロセの家、久しぶり」
「そうだね」
「呼んでくれなくなっちゃったもんね」
「そりゃ、呼べないよね」
 リリコとの同棲は、僕のマンションに彼女がやってくる形で始まった。子供のいない裕福な叔父から譲り受けた、4LDKの部屋だ。付き合って二ヶ月ほどで、リリコの側から、将来のことを考えるためにまずは一緒に暮らしたい、という申し出があったのだった。そう、僕はお試し期間をクリアできず、持ち家というアドバンテージをもってしても捨てられてしまったのだった。
 三十分ほど電車に揺られて、最寄り駅に到着した。月子さんは懐かしい、と言いながら駅からの道をゆっくり歩き、玄関に入るなり、ああ、と感嘆の声を漏らした。
「これは、女がいる家」
「でもいないんだ」
「かわいそうにねえ」
 月子さんは上がり框に座り込んで、金具がいっぱいついた靴を脱いだ。ぴったりとしたスカートがあまりに短く、黒いストッキングに下着が透けそうでどきまぎした。ねぼけまなこのミナが僕を出迎えにやってきたが、月子さんの姿を認めると固まり、必死に記憶の糸を手���りよせていた。月子さんがミナちゃん久しぶり、やっぱり美人さんだね~、と話しかけると、声で思いだしたのか、上機嫌でしっぽを震わせてこちらに寄ってきたばかりか、久しぶりの客人に背中を撫でさせた。
 お茶でも出そうかと思ったが、さっきまで飲んでたしいいと断られたので、さっそくお目当ての品のもとへ案内した。このライトはアンティークで、びっくりするほど重いので部屋の外に運ぶのが億劫だったのだ。
「ああ、やっぱり欲しいこれ」
ダブルベッドの傍らに置いてあるそれは、傘のところがステンドグラスでできていて、他のところの作りもいちいち凝っていて高級感があって、実際かなりの値段がしたらしいので、捨てるのが惜しいものの筆頭だった。役所に粗大ごみとして引き取りにきてもらう連絡をするのもこの上なく面倒くさかった。
「もらってくれるなら嬉しいよ」
「本当にタダでいいの?さすがに悪い気がする」
「じゃあ、五百円くらいで」
 なかなか食い下がらないので、気が済むようにして、などと言っていたら、月子さんはてきぱきと僕のうしろのドアを閉め、カーテンを下ろし、かわりにステンドグラスのライトをつけた。長い爪を赤く塗った指先がスイッチの紐を引っ張ったのが、妙になまめかしかった。色とりどりのガラスの下に、赤みがかった光が灯る。
「すっごい、ムーディ」
「そう、寝室にしか置けないんだ」
「いつもこうして、してたの?彼女と」
「まあそういうこともあったような」
「久々にしよっか」
 マック行こっか、くらいの軽さで月子さんはそう呟いた。体で払う、ってことか。僕としてももちろん吝かではなく、僕達はまぐわった。薄ぼんやりとした明かりの中で、かつて散々貪ったはずの月子さんの体は天女みたいに神々しく見え、リリコに操を立てる前の数々の奔放な日々を思い出した。会えば挨拶みたいに体を重ねた。おっきい、と途切れる声で言う月子さんのヴァギナと僕のペニスの相性は相変わらずとてもよく、リリコとの性生活で少しずつ積み重なった消化不良に気付かされた。月子さんの細くしなやかな腰を掴み、後ろから責め立てているとき、なめらかで美しいリリコのうなじを思った。月子さんのうなじには、短く整えられた襟足の延長のように細かい産毛がびっしりと生えていて、だけどそれが生命力の強さの、淫蕩さの証に見えて、僕をますます昂らせるのだった。月子さんは僕を煽るのも上手くて、まだ足りないというように自分の性器を弄ったり、卑猥な言葉で強請ったり、この時間を最大限愉しむための努力を、決して惜しまないでいてくれる。リリコが寝転がって僕が前から入る、コンドーム越しの、正しさのかたまりみたいなセックスしか、僕たちはしなかった。リリコがそれを望んでいたから。だけど月子さんは、獣のように喘ぐ。僕も、獣のように求める。本能に駆り立てられるような行為は本当にしばらくぶりで、吐精しながらも力がみなぎってくるのを感じた。
 アキラさんのところに行こう。少し眠ったあと、月子さんが唐突に言い出した。性欲をすっかり発散させてしまったあとの変わり身の早さも、僕が月子さんを好ましく思うところのひとつだった。アキラさん。懐かしい名だった。僕たちが夜遊びばかりしていた頃知り合ったその人は、ある日突然、東京から去っていったのだった。たぶん二年くらい前のこと。僕とリリコが出会う前のこと。きれいで優しい男だった。久々に、声を聞きたい。 「いつ?」 「いまから」 「急に行って、迷惑じゃないの」 「あたしはどのみち今日、行く約束してたの」  一瞬で食べ尽くされてしまうことはわかりながら、ミナの夕飯のために置き餌をしてやり、車を出してくれると言う月子さんのマンションへ向かった。地下鉄で二駅だったので歩くことにした。こんなに近くに住んでたんだね、といまさら笑い合った。月子さんの家でしたことも、数えきれないほどあるのに。空は薄紫色で、呼気は白く曇り、冷たい空気が情事と昼寝のあとの惚けた頭をちょうど良く刺激した。日が落ちる前でも、だいぶ気温が低くなってきた。リリコが出ていったのは、夏の終わりだった。残暑が長かったから、暦の上では秋の始め、と言ってもいいかもしれないけれど。
 初めて見る月子さんの愛車は、真っ赤な外車だった。シャコタン、というのか、車体がものすごく地面に近く、こんなに華奢な女の人がオーナーだとは思えなかった。あたし運転がヘタな男大嫌いなんだよね、と言うからこわくなって、任せることにした。といっても、そもそもこれはマニュアル車らしいから僕には運転できなかった。
「看護師ってね、だいたい働きだしてすぐ高い車買うのよ」
「どうして」 「しんどい仕事やめないぞ、っていう、誓いみたいなもん」
「ローンで自分を律してるってこと?」
「そう」
「払い終わったらどうなるの?」
 月子さんはそれには答えず、ため息のような笑いを漏らした。下道でもそんな遠くなさそうだけど、もう遅いから高速で行こうね、と手慣れた様子でカーナビを操作する月子さんに、アキラさんはどこに住んでるんだっけ、と訊ねると、千葉の、山と海がある町らしい、という答えが返ってきた。地元と東京以外の地理に、僕はあまり明るくない。
 初台から首都高に乗った。到着予定時刻は十九時四十五分。なんとなく流していたラジオがあまり面白くなくて、月子さんがspotifyで音楽をかけだした。九十年代ポップスをとりあえずのBGMに、仕事の話の続きが始まった。
「ヒロセは今もまだ、自販機売ってるんだっけ」
「それは前の前で、今は太陽光発電の会社にいる」
「バナナ売ってたのはいつだっけ?」
「青果卸ね、自販機の後だよ」
 ふうん、��興味なさげに月子さんは言い、なんだかもう話すこともあまりなくなった。もともとそんなに話が弾むふたりでもないのだ。丁寧な運転のせいでだんだん睡魔の波が押し寄せてきたので、一眠りしようと目を閉じた。途切れ途切れ、薄い夢を見たが、途中で月子さんが呟いたのは、多分夢ではなかった。
 なんでこう急にいろんなことがどん詰まっちゃうんだろうな。
 聞いてはいけないような気がしてじっとしていたらまた深く眠ってしまって、次に目が覚めると、車は千葉県の国道を走っていた。何度も塗り替えた跡が見えるスーパーの看板が現れ、ああ、田舎の都会だ、と思った。僕の故郷も、こういう街だった。沿道にはチェーンの飲食店やディスカウントストアがまばらにあった。古ぼけたラブホテルもちらほら営業していて、カタカナやアルファベットをかたどったネオンが粗野に光った。シルクロードって名前のラブホテルは、全国にいくつあるんだろう。食事はどうするのかたずねようとした頃に、急に流していた音楽が途切れて、ちゃらちゃらと電話の着信音が流れた。
「え、なに」
 Bluetoothだよ、さっきまで音楽飛ばしてたでしょ、と月子さんは僕を笑い、僕に通話ボタンをタップさせた。スピーカーにして、というのでその通りにした。相手はアキラさんだった。懐かしい、懐かしい声だった。低く、優しいトーンで、ゆったりと話す。
「広瀬くんも、いるの」
「あ、います」
「久々に会えるね」
 たった一言アキラさんと言葉を交わしたら、こんなに便利な道具があるのに一度も連絡を取っていなかったことが急に薄情に思えた。だけどそれを咎めるような気色が全くなかったことにほっとした。そういうところが、アキラさんらしいのだ。
 あと五分で着くよ、と月子さんは電話を終え、次の信号で細い道に折れた。国道から離れるにつれ、民家が増え、車は住宅地に入った。「あれかな」
 月子さんが指さした先には団地が数棟立ち並んでいた。隣には打ちっ放しのゴルフ場の緑のネットが見え、まだ煌々と営業中のライトが光っていた。建物が近づいてきたのでスピードを落として進んでいると、駐車場の入り口とおぼしき辺りに背の高い男の姿があった。少し猫背で、足が長い。
 僕たちに手を振るアキラさんは、東京で最後に会った時より少し、線が細くなったように見えた。 ここ空いてるから、今日だけなら大丈夫、という言葉を信じ、白い線で区切られた駐車場の一角に車を駐めた。アキラさんはリノベーションされたこの団地の一室を買ったのだそうだ。最近は古い団地の再利用が流行っているそうで、確かに共用部分も新築のようにきれいになっていた。おれ一人ならほんとこのくらいの広さで十分、という十畳ほどのリビングには必要最低限の家具しかなく、よく整頓されていた。荻窪に住んでいた頃の部屋もいつもすっきりとしていたのを、思い出した。
 夕食には宅配のピザを取っていてくれて、酒も一通り用意されていた。パーティーじゃん、と月子さんは大喜びした。アキラさんは紙皿と紙コップを配りながら、洗うのめんどくさいからごめん、と笑っていたが、身軽な暮らしに憧れ、自分の部屋で待っている大量の食器のことを考え、うんざりした。
 酒もあまり回らないうちから、月子さんはけっこう荒れていた。仕事を辞めた、という薄々気付いていた話と、不倫をしていた、という完全に初耳の話とを、かなりの序盤で打ち明けられた。初耳ではあったが、そこまで意外ではなかった。月子さんには、動物みたいなところがあるから。僕の同棲解消については、冒頭で少し話題に上がったもののどこかに消え、まあそれはいいとしてもアキラさんの近況は聞いておきたかった。僕が彼の方を見ると目が合ってしまって、逸らせず、やけに緊張した。彼は面白がるように僕を見ていた。とりあえず月子さんに吠えたいだけ吠えさせようと、頷き合った。
「何回かやっただけの上司の奥さんが職場に乗り込んできたの」
それで居づらくなって、もう十年勤めたし、疲れてしまったし、依願退職した、と話す月子さんは珍しく泣いていた。
「その医者のことそんなに好きだったの?」
「ううん別に、出来心みたいなもん」
「割に合わないね」
「それが腹立たしいのほんと!!」
 そしてわっと大泣きしてはまた愚痴り、というのを間欠泉のように繰り返し、それをアキラさんが宥めていた。いつの間にか煙草を吸っていた。前もよく吸っていた銘柄だった。月子さんの支離滅裂な話から、医者のセックスがよかったということだけはわかったので、せめてもの救いだね、と慰めたつもりだったが、ものすごい目で睨まれた。月子さんが僕一人には甘えてくれないことを、当たり前だと思うとともに、少し情けなく感じた。僕はちびちびウイスキーを飲みながら、相槌を打った。
 泣き疲れて、酔い潰れて、月子さんはテーブルに突っ伏して眠ってしまった。実質アキラさんと二人、という状態になって、ようやくゆっくり話せそうだった。
「……アキラさん、いまはなにやってるの」
「昔のツテでデザインの仕事もらったり、FXやったり、あとはまあ、切り詰めて」
 田舎だからそんなにお金はかからない、家族も今後できることないし。淡々と話すアキラさんは十代の頃、年上の男の恋人に連れられて上京した。地元は宮城で、親は厳しくて、勘当寸前で、学校とか通ってこっちで仕事には就けたけど、その時の男とはすぐ別れちゃって、そんなことを寝物語に聞いたような気がする。
「おれもう、期待したくなくてこっち引っ越したんだ」
「期待?」
「東京、夢あるけど、夢見るのも疲れるからねえ」 
 僕はアキラさんともセックスまがいのことをしていた時期があった。好奇心なんかでは全くなかった。常連の店でいつも穏や��に店員と談笑していたこの男を、気づけば目で追ってしまっていた。仕立てのいいスーツに包まれた身体から滲み出る、どうしようもない諦めの空気が、僕を惹きつけて、不安にさせて、夢中にさせた。月子さんと3人で何度か会ったあと、僕の方から2人で会いたいと言った。やがて恋人同士のような関係になった。自分より体の大きな男に慈しまれると、言いしれぬ安心感と興奮を覚えた。僕たちは、同じ体で愛し合った。だけど男女でするようにはっきりと繋がったことはなかった。それはアキラさんの予防線だったと、今ならわかる。不誠実な僕は、そうしている一方で月子さんをはじめとする女の体を抱くこともあったから。月子さんは僕とアキラさんのことに気付いていたように思うが、だからといって関係が変わることはなかった。なにか言われたことも、詮索されたこともない。僕はあの頃から、自分のことがよくわからなくなっていた。恋ではない、とわかりながらも他人と肌を重ねることで、なにかがすり減っているような気もしていた。アキラさんもそうだったかもしれない。でも、その気持ちを分かち合ってどうにかするような2人にはなれなかったのだ。
「広瀬くんは彼女と別れたって聞いたけど」
 アキラさんがなんでもないことのように言うので、僕もなんでもないことのように話し始めた。こういうとき、リリコとの破局で実はさして傷ついてはいない自分に気づいて、辟易する。
「三十過ぎて、なんか焦って、婚活とかしてみたりしてさ」
 しっかりしなきゃ、と漠然と考えていた当初、運良く出会ったのがリリコだった。僕史上、いちばん礼儀正しく、理性的な交際のはじまりだった。いわゆる普通のおつきあいをうまくやれていると思っていて、自分もようやくそういう流れに乗れるのだと感慨すら抱きながら、給料三ヶ月ぶんには少し届かない指輪を買ってプロポーズもしたが、あなたと家庭を作ることは考えられない、という残酷な答えが返ってきた。数ヶ月の猶予ののちに同棲は解消され、僕たちは正式に別れた。彼女が持ち物を置いていったのは意外だったけれど、すぐに謎は解けて、そのあとわりとすぐ大企業のサラリーマンと婚約したと風の便りで聞いた。
「そういうのがいいならなんで僕と付き合ったのか不思議で」
「ふらふらしてる人の色気ってあるからねえ」
 俺もちょっとやられてたかも、とアキラさんは僕の方を悪戯っぽく見た。アキラさんのほうこそ、ちょっと痩せた肩とか、煙草を弄る長い指とか、相変わらずどうしてなかなか、と思ったけれど言わなかった。今のアキラさんに僕が触れることは失礼な気がした。
「念のため聞くけど、おれと寝てたせいじゃないよね」
「え?」
「別れたって」
「いや全然関係ないよ、知りもしないと思うし、そもそもかぶってないし」
 でも、見透かされてたんだと思う。アキラさんとっていうか、月子さんみたいな女の人たちとつるんでいたこととか、それどころか、やりまくってたこととか、職が続かないこととか、それらをそんなに駄目だと思っていないこととか、ただ自分が安心したいだけで、ほんとうはちっともリリコ自身のことなんか見ていなかったこととか。いつの間にか起きていた月子さんが、ヒロセ、いい人きっと見つかるよ、とまた泣きながら絡んできた。煙草を燻らせながらアキラさんは、人生相談室だな、きょうは、と可笑しそうに呟いた。ちょっと酔いが冷めてから順番でシャワーを借りた。月子さんは客間で、僕はソファで寝かせてもらった。アキラさんは自分の寝室に引き上げていった。
 夜中に肌寒くて目が覚め、体を起こすとベランダで一服するアキラさんのシルエットが見えた。窓を開けて、隣に立った。アルミの手すりと床板がひんやりと冷たかった。
「ねえ、煙草吸いすぎじゃない?」
「前と変わんないよ」
「前も減らしなよって言ってたじゃん」
「唯一の楽しみなんだって」
「……早死にしちゃうよ」
 いいんだよ、べつに。そう呟くアキラさんの横顔は東京にいた頃のままだった。あなたはいったい、あそこに何を捨てて来たの。
  あたりは真っ暗で、ぽつぽつと窓の明かりが見えた。こんな夜更けに活動している人間がいるのだ。風向きが変わるのか、時折、国道から車の走行音がきこえる。僕たちは黙ったまま、並んで立っている。離れていた数年をどうにかして埋めたい衝動がせり上がってきて、でもどうしたってできないから、アキラさんの左肩に、そっと凭れた。アキラさんが、囁くように僕の下の名前を呼んで、呼び終わらないうちに、やめてしまった。ためらいが、愛おしかった。
「アキラさんのこと、すごく好きだったよ」
「……わかってるよ」
     煙草を持っていない方の手が、僕の頬を撫でた。掌はすべすべしていて、冷たくて、泣けてきた。アキラさんが少しだけ身体を屈めてきて、煙たい匂いが鼻を掠めたかと思うと、かさついた唇が一瞬だけ触れた。目の前には、あの諦めたような優しい笑顔があった。
 翌朝は三人とも九時前にきちんと起きて、目が覚めちゃうなんてなんか年取った感じするな、と言いながらファミレスでモーニングセットを食べた。僕は食器のカチャカチャいう音を聞きながら、肝心のことを相談し忘れていたことを思い出した。
「恋人の置いてったものって、どうしたらいいと思う?」
 月子さんは、あたしは一個もらってあげるの、と恩着せがましくアキラさんに報告した。アキラさんは少し考えたあと、おれなら、と前置きして、こう続けた。
 全部捨てる。一回全部きれいにしてあげないと、なかなか成仏してくれないとと思うから、残留思念みたいなもんが。
 帰りもまた、月子さんが運転することになった。昨日よくわかんなかったけど、車イケてるね、とアキラさんが褒めた。乗る前にすればいいのに、乗り込んだ後で窓を開けて別れを惜しんだ。出発した後、僕たちが曲がるまでずっと手を振ってくれていたアキラさんを見て、月子さんがまた来ようね、と言った。僕は頷いた。僕だけに向けられているんじゃないとわかっていながらも、またいつでもおいで、という帰り際の彼の言葉に、甘えてしまいそうだと思っ��。
 日曜日の高速道路はそこそこ混んでいて、痺れを切らした月子さんの判断により途中で降りて下道を走った。
「そういえばライト、持って帰る?」
「……やっぱいいや、知らない女のザンリューシネン要らないし」
「だよねえ……あれって粗大ゴミかな」
「そりゃそうでしょ、でかいもん」
 めんどいなあ、とぼやく僕に、月子さんは、めんどいけど、向き合わなきゃだめってことでしょ、と自分にも言い聞かせるように口にした。それはたしかに人生を前に進めるために必要なステップなんだろうけど、いまの僕にとってはリリコとの二年間より、この二日間のあらゆる場面の方がつよく胸に迫ってくるのだった。
 十五時前に家に着いた。一日空けた部屋は静まりかえって、知らない匂いがした。ミナはソファのクッションの上で丸くなって寝ており、僕がただいまを言うと片方の目だけ開けてまた眠ってしまった。飼い主が一晩いないくらい、どうってことないらしい。冷蔵庫の横に貼ってあるゴミの日カレンダーを見た。年始にもらったっきり、ほとんど使っていなかった。燃えないゴミ、火金。危険ゴミ、隔週水曜。粗大ゴミ、市役所に連絡。ため息。とりあえず窓を開け、空気を入れ換える。コーヒーでも飲みたくなって、お湯を湧かす。待っている間に、アキラさんからお裾分けに持たせてくれた蜜柑をざくざく剥く。皮を受け皿に、白い筋がたくさんついたままふた房頬張った。リリコは夕食後、必ず果物を出してくれた。重たいガラスのボウルに、冷たくてきれいな水で洗って一粒ずつしっかり拭いた葡萄、その正しさは誇らしくて面白かったけれど、僕はそんなこと、ちっとも望んじゃいなかったと思う。
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imwatashi · 2 months ago
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過去は美化されるっていうのは本当にその通りで、突然黒歴史を思い出して穴に埋もれたくなる瞬間はふとしたときに訪れるのだけど、基本的にはそんなことは忘れている。本当に都合の良い頭だし、そういうふうに設計されている脳みそがありがたい。その代わり、たまに思い出した時のダメージがえぐいのだけど。
当時はしんどくてたまらなかったはずなのに、良い時間だったな、と思う期間がある。黙々と机に向かって英語の勉強をしていた頃だ。過去として捉えると途端に良い時間だなんて都合の良い脳みそに呆れる。今もちまちまと勉強はしているけれど、スコアをxxまでに取らなきゃ目標が達成できない、という縛られた中での勉強は本当に切羽詰まっていた。それでもやっぱり、良い時間だったなと思う。
誰にも言わず、黙ってひたすら勉強していた、朝5時に起きてエッセイを何本も書いた、実家に帰省してもひたすら英文を読んだ、出張中も早起きして勉強した。今思うとよくやっていたなあと思う、でもその時はそうでもしないと心が落ち着かなくて、1秒たりとも無駄にしたくなくて、ひたすら勉強に打ち込んだ。そうしている方が楽だった。余計な不安を忘れられる唯一の時間は、目標達成に向けて費やす時間だけだった。将来につながると思えたから続けられた。こんなにやってるし自分は絶対に大丈夫という自信と���それでも試験への苦手意識が強く超えられない壁がある気がしてしんどかった。有給をとって東新宿まで試験を受けに行ったとき、同じく受験する人たちの顔ぶれを見て、みんなこうして夢を追っているのだろうか、とふと思った。同じ時間に会社では同僚たちが仕事に勤しんでいる。東新宿のIELTS受験センターは、自分の能力をためす場所である一方で、束の間の休息と日常からの逃避であり、先駆けた留学のようなものだった。副都心線の深いホームへ潜り、階段を駆け降りるとき、ここからすべてが始まるのだ、なんて、ドラマの主人公みたいに思ったりした。予定のない未来が来るのは久しぶりだった。これから予定調和から抜け出す自分がいることにわくわくした。会社にいるときだって日々新しいことに挑戦させてもらった、でもそれは、"会社にいる"という大前提は変わらない中での挑戦だったから。
無事にスコアが取れて大学院からのオファーももらって、当時の自分からしたら喉から手が出るほどほしかった状態に今、いる。それなのに、今のほうがよっぽどしんどいなと最近は思う。夢を曖昧にとらえすぎていて、もっと考えればよかったかな、と思うこともあるし、何気なく発せられた他人の一言にゆらいでしまったりする。自分なりに葛藤し、悩んだ末に出した結論であったはずなのに、これでいいのかと踏みとどまったりする。もったいないね、と言われるとやるせ無い気持ちになる。同僚や家族が私を攻撃するつもりなく言っている言葉も、勝手に捻くれた捉え方をしてしまったりする。計画性はたしかになかったかもな、と思いつつ、計画なんか緻密に立てれば立てるほど自分が動けなくなる気がして怖かった、だからこそ、大ざっぱなライフプランだけを片手に握りしめて一歩ずつ進んできた。それでいい、私が私の進路や人生に満足していればそれでいい、そのはずなのに時折、ありもしないプランBの人生をほんの少し考えてしまうときもある。
現実的な問題はさらに頭を悩ませる。引っ越し費用、現地で住む場所、学費、生活費、日本での役所関係の手続き、とか色々。どうなるかわからないから怖いし、確定できないことが多すぎて、ストレスは確かにある。"なんとかなる"精神はもちろんあるけれど、20そこらの頃と比べて様々な経験をしてきたせいで、"なんとかなる"に至るまでのフェーズの解像度が無駄に高くなってしまった。それゆえ、こんな苦労がありそうだな、こうやって結局やな思いしてストレスたまるんだろうな、っていうのをやや見越して疲弊するようなこともある。結局わかっているのだ、全部。人生は予測できないとは言うけど、初めてのことをやれば楽しいことや嬉しいことだけじゃなく、泣きたくなることや怒り狂って仕方がないことも生まれるのだ。それは私が進むと決めた道に限らず、どこに進んだって一緒。ただそれと同時に、この道を選べば確実に自分が成長できることも知っているのだ。そのような道を選んだのだから、自分が一皮も二皮も向けて大きく成長することだって、もうやる前からわかっている。
時々ばからしくなる。なぜ不安な気持ちにあえてもっていこうとするのか、なぜ不安定な状態にあえて飛び込もうとするのか。大変なのは目に見えているのにどうしてそうするのだろう、と。やってみないとわからない、とにかくやらなきゃとがむしゃらに空回りを重ねて、時間の無駄遣いも人生の勉強だって都合よく言い聞かせてた20代前半とはもう違う。そこを越えたからこそ、もうわかっているはずなのに。それでも非効率に、不安定に飛び込むのはなぜだろう。読もう読もうと決意して結局読み切れていない『暇と退屈の倫理学』という本の内容をぼんやりと思い出している。人間はじっとしていられない愚かな生き物だ、と。
でも理由は単純で、やっぱり後悔したくないから、なんです。自分は愚かだとわかりながら、この先にきっと苦しみも悩みも待ち受けていると知りながら、こういうくだりを何度繰り返せばいいのだろうと思いながら、そんな自分に飽き飽きしながら、それでも突拍子もない挑戦を続ける理由。後悔したくないから。愚かでもいいから、退屈したくないから。他人を羨んでやきもきするよりも、自分自身が喜ぶ時間の使い方をしてあげたいから。時は金なり。時間は戻ってこない、今この瞬間を生きる私も、あらゆる決断を下した私も、これから待ち受ける私も、同じものは一秒たりともない。であれば、やるしかない。難しいことを考えた方がいい時もあれば、考えなくたっていい時もあるはずだ。そういう都合の良さが愚かさだと言われたら、そういう都合の良さが軽やかさだと笑っていられる人間でいたい。
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propwc · 1 month ago
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生活總是這樣,不能叫人處處滿意,但我們還是要熱情地生活,人活一生,值得愛的東西很多,不要因為一個不滿意就灰心。
(20250527)
人的一生,從某種意義上說,就是一場自己對自己的戰爭。每一個人的身上,都依附著兩個自己:好的自己和壞的自己。讓積極打敗消極,讓高尚打敗鄙陋,讓真誠打敗虛偽,讓寬容打敗計較,讓快樂打敗憂鬱,讓勤奮打敗懶惰,讓堅強打敗脆弱,讓偉大打敗猥瑣只要你願意,你完全可以一輩子都做最好的自己。
做真正的自己,相信自己的判斷,不害怕被孤立,不害怕指責,勇敢而真誠地表達自己,同時也不盲目驕傲,在保持自我價值的同時包容別人的批評,謙虛地接受別人的建議,不迷信權威。一條直線是達到終點最短的路線,簡單成就真實,真實導向美麗。
不能實現夢想的人都有一個共通之處,那就是:想要一件東西,卻怎麼也不願意為之付出持續的努力。生活給了一個人多少磨��,日後必會還給他多少幸運,為夢想顛簸的人有很多,不差你一個,但如果堅持到最後,你就是唯一。
女人的精緻和優雅是講究出來的,接納自己,忠於自己,堅持自己,連靈魂都會變得有香氣!
世界讓我們遍體鱗傷,但傷口長出的卻是翅膀,以後要懂一直飛翔才是你的宿命。
如果人人都理解你,你該是有多普通。如果你不甘於平庸,那就接受那份不被理解吧!
一個人為什麼要努力?為一份長久的事業,為一對操勞的父母,為一場純粹的感情,也為一個更好的自己。雖然未來總是未知,但只要你肯努力,你想要的,歲月都會給你。
間歇性躊躇滿志,持續性懶惰等死。最怕你一生碌碌無為,還安慰自己平凡可貴。
受得了多大的委屈,就能成就多大的事;受得了多大的詆毀,就能承受得住多大的贊美。
堅持不下來的時候,我們要給自己一個最大的擁抱。因為親愛的自己,我們不能辜負自己,辜負我們的夢,不能用懦弱的淚水澆灌,要用奮鬥的熱血治癒。我們可以悲傷,但我們悲傷過後,要調整自己,從悲傷中走出來,不要沮喪,每天對自己笑笑,竪個大拇指,告訴自己,我很牛逼。
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7010333 · 6 months ago
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2024年振り返り
今年もカメラロールを見ながら雑に振り返る。 写真が多くなると投稿に制限がかかるので、ひと月1枚写真をつけてコメントする形式とする。 大したコメントはしない。
◼︎1月 いらんこと言うのやめようと思う月であった。 特に派手なイベントごとはなかったと思う。 友達の家でスマブラをやったりしていた。
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▲キャンプ用に薪ストーブを買ったりはしていた様子
◼︎2月 結婚の周年イベントで河口湖らへんを旅行した。 だいぶ長くなっていた髪を一旦短くした。 どん底会が開催されている。なんか遅い時間に昼ごはんを食べたせいであんまり飲み食いできなかった思い出。
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▲河口湖の宿の看板
◼︎3月 月内に2回ほど友達が家に遊びにきてくれた。 人が来てくれると楽しい。 MTGAはこの月だけミシックに到達した模様。気合いが足りん。
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▲弘前公園の桜の枝。ちゃんと咲きました。
◼︎4月 長らくロングだった髪を3センチくらいのショートにした。凄まじいさっぱり感(今はもう伸びてる)。 久しぶりにクラブでデカい音を聞いたりもした。すげえ混んでたな。
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▲1月に買った薪ストーブのデビュー戦もした
◼︎5月 会社の先輩の写真展、研究室の同窓会、毎年恒例貝拾い、クラブ遊び2nd、キャンプなど。 週末が充実していた月だったと思う。
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▲5月の川は冷たい。しかし暑い日だったので気持ちよかった。
◼︎6月 どん底会2ndが開催され、人の家に遊びにいくイベントが発生していた。 元気一杯の赤ちゃんが可愛い。 ピーナッツくんの新譜が出て、めちゃ聞いた。
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▲人の家に遊びにいく前のキクラゲ狩りの戦果(黒・白)
◼︎7月 前職の同期がずっと勤務している山口に遊びに行った。 昼はドライブ&観光、夜は飲み上げ。サイコー。 7月はなるべく一日一枚写真をアップロードするみたいなことをやっていた。
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▲山口といえばふく。この日は在庫があまりなく、この一皿のみとのことだった。美味かった。
◼︎8月 五所川原→奥入瀬(2泊)→秋田(2泊)の長期旅行をした。 流石に疲れたね。色々よかったけど、やっぱ五所川原の立佞武多はデカさがやばかった。 月末には旭川に行き、どん底会in旭川が開催された。サイコー。また行きたい。
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▲こういう家に住んでこういう車に乗りたいよね(十和田市現代美術館前)
◼︎9月 旭川から札幌に移動し、恒例のBIGFUN参戦。ナイスパーティーでした。 ほんでノートパソコンとスマートフォンを買い替えた。 パソコン、最新機種の動きがサクサクすぎて感動した。 あとは友達がやってる飲み屋にサークル仲間と乗り込んだりしていた。
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▲恒例のBIGFUN
◼︎10月 10月はほぼまるっと入院していた。 ハラキリはまあいいとして、絶飲食が本当につらいものである。生きててよかった〜〜
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▲工事現場みたいないびきの人がいて参った思い出
◼︎11月 退院したと思��たらすぐに誕生日を迎え、また一歩老に近づく。 本当は誕生日に福岡、佐賀(呼子)、長崎(五島)にいく予定だったが、食べ物に気を使うので泣く泣く見送りとなった。 今年は「これからの人生、何か楽器ができるようにならないとまずくないか・・・?」と思っていたので老への一歩を機にベースを購入した。 基礎練の日々であるが、音が出るだけで楽しいからね。
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▲とりあえずケースから出して撮っただけの写真
◼︎12月 後半に友達の結婚お祝い会や忘年会や忘年会が重なって人と会う機会が多くて嬉しい月だった。 30日はぽこピーの回覧板@埼玉に参戦した。 回覧板は前半と後半の配信を一つずつ(滋賀と沖縄)見ていたのでなんとなく雰囲気は伝わっていたけど、やっぱ現地で2匹が動いているのを見ると元気が出る。退場が最後になってしまったのだけれど、最後まで見送りを待っててくれて嬉しかった。
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▲デカいのでステージ映えする
ーー 年の終わりに入院してしまったので、一年通してのイメージが一気に入院の雰囲気になってしまったが、楽しいことがたくさんできた一年でもあったと思う。 キャンプにはあまり行けなかったな(最高のシーズンに入院していたため)。 仕事は相変わらずぼちぼちやっとります。謎役職が付きましたが、給料は大して変わっていません。 みなさんの一年はいかがでしたか? ーー
(番外)買ってよかったもの ・MacBook Air 15inch M3 上でも書いたけど、めちゃサクサクで最高。あと、画面を13inchから15inchにしたのが正解で、場面が大きいのは良い。
・デカいベッド ワイドダブルロングサイズ?のベッドを導入し、デカいベッドを満喫しています。
・Paraboot CHAMBORD 歩きやすいし色々合わせやすくてよき。東北旅行の時もこれ履いて行った。
・山と道 UL Shirt 制服のように着ている。軽い。
以上
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glitterychopshopmiracle · 2 years ago
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「被照顧的傻瓜」
重打了兩次 湯不讓真的不要給我搞
總結戀愛小說的重點章節
但我還是要說為了堵他下課我站在他教室門口外三十分鐘
還有因為我弟真的跟他一樣溫柔體貼
害我很習慣被照顧
所以心臟爆擊指數從100%降到80%
但還是一樣喜歡(o^^o)
有一種好像我們早就已經在一起了的感覺
去逛校園 坐電梯的時候我還有話沒講完 但前面有人 所以我們到最後面的角落 我們靠超近然後他還低下頭聽我耳語 心跳快停止了差點忘記自己在講什麼
超喜歡坐他的摩托車! 我不會扣安全帽的扣子 叫他幫我扣 安全帽的帶子太大 他就幫我重調好幾次 每次調完就戴到我頭上扣起來 再調整帽子把我的頭往後仰(雖然我覺得玩我的成分比較大😠)
一開始坐車不太知道要抓哪就抓後面 結果綠燈的時候我一直忘記抓緊就差點往後飛
「你可以抓我」 「可以往前坐一點不用坐那麼後面」
所以我就開始抓他衣角 坐了好幾次的摩托車一點一點往裡面抓 到晚上的時候已經可以差不多環抱起來���
有次前面的車急煞 我就下意識抱緊他
但每次紅燈的時候我還是會ㄙㄨㄥˊ 就會撥頭髮把手拿開之類的 然後他每次要綠燈就會提醒我 我就會說喔 然後再抓緊他
反正我就會在他耳邊一直嘰哩呱啦 聽不清楚的時候就往前靠 好幾次靠在他肩上
兩個人靠很近 安全帽一直撞到 但我懷疑紅燈的時候是他自己偷偷往後靠才撞上
我抱著他的時候他還會偷偷用手臂夾住我的手
可以預感我以後會變成抱抱魔人 好喜歡 有夠喜歡
一起去吃冰 因為我早上跟他說我想吃冰 而且他還懂我不喜歡吃甜筒的點 好幾次我正要講他就把我的話接完了
他真的有幫我刪近百個鬧鐘 還很認真的把我的鬧鐘名稱看完 然後說會把要吃藥的鬧鐘留起來
好喜歡那個很順其自然挖對方冰的感覺
也好喜歡他滔滔不絕地跟我分享他的生活
他還特地拿出平板給我看他上的課的筆記
然後說吃冰前應該要把脈一下 看前後對比因為會不一樣
我就拿出我的手 他頓了一下 一隻手把脈 一隻手覆上我的手 快要十指緊扣的那種 其實我很常看中醫 知道把脈根本不用兩隻手
後來去勤美逛 文創感超棒 我整個笑得超開心
去上廁所 廁所旁邊有一整排的扭蛋 我其實對扭蛋沒什麼興趣
「那邊有你喜歡的帕恰狗耶」他居然有記得
地下室有幾家看起來很不錯的餐廳 但外面沒有菜單 他在查菜單的時候我坐在他旁邊的高椅 他找到菜單之後我們兩個一起看 他的頭髮碰著我的頭 那個微微搔癢的感覺直接癢到心上 但他也沒有要離開的意思
突然下大雨 我們跑去要買雨傘的街上
淋雨跑步的時候他本來還想幫我遮
有夠浪漫 但他體積也沒多大所以其實沒什麼用 但很可愛
買了一把大傘 他把我撐的好好的 明明傘真的很大 但他自己還是只撐了一半
去吃他來台中吃的第一家餐廳
我想吃鴨血但怕辣 他就點了一份讓我吃
我說我不吃蝦要給他吃
「你是不吃蝦還是不吃沒剝殼的蝦」
我笑了一下 他懂
但我只是想說請他幫忙吃掉
結果他夾走之後 剝好 兩隻都放回我的湯麵裡
我要嫁給他 瘋掉了
他是很不張揚的人
但是他還是發了一個一起吃晚餐的限動
他還主動拿上禮拜打比賽的影片給我看
笨笨的 好可愛
吃完之後的時間有點尷尬 有點長又不夠長到回中國醫
他說他不能喝酒
「如果要喝酒的話就要回中國醫喝」
然後我本來覺得大概是他在中國醫和我說再見我再搭公車之類的
「然後我陪你走回捷運站再回來」
大爆擊
「大不了晚上冷了我的外套給你穿」
早上的時候他說的 我整個人要融化了
但講座太久 他來不及回宿舍就沒拿到外套
晚上坐摩托車有點冷
我們決定去逢甲夜市買外套
『我下次會記得帶外套來』
「我下次一定會記得帶外套來給你穿 下次一定會記得」他還重複保證了一次
好喜歡這句話 有下次 有我
去買帽踢 買好了他就很順手的幫我背包包和拿袋子 穿帽踢的時候他還幫我把帽子用好
真的是好溫柔的一個人
我覺得自己根本被他當成在養女兒了
要分別的時候
真的好喜歡他用很認真的眼神看著我跟我說
「回家小心 到高鐵站的時候跟我說 上高鐵再跟我說一次」
回到家還不忘記問我到宿舍了沒
我下次前面真的不會再在見到他前就把精力都用完 我還是沒辦法玩一整天 續航力好差
但是和他在一起的時候完全不會耗能
不是大起大落的興奮快樂
而是幸福
暖暖的那種
今天還是沒有成功問出三年前的世紀之謎
但那又怎樣 根本不急
這男人我要定了 追個一年以上都不為過
慢慢來沒關係
餘生還那麼長 我想和你一起度過
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tokyomariegold · 10 months ago
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2024/2/26〜
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2月26日 午後から目眩と吐き気と胃痛で、おかしくなって待って一目散に帰ってきている。
でもそれまでは、また一段といろんなお花が咲いていること、学生時代にお世話になった職員さんから私が撮った写真を使わせて欲しいという依頼を受けたこと、水野しずのnoteを購入して心療内科は江戸前寿司に「やってる?」と覗���入る感じで向かえばいいと気付かされたこと、友人からちいかわのポロショコラをやっと見つけたメッセージをもらったこと、これから聴くのが楽しみなポッドキャストをたくさん見つけたこと等、いろいろ嬉しかったことがあったはず。 体調第一。
でも少し歩いて帰って、体を動かしたらちょっと気分が良くなった。月をとりたくてカメラも持って出てきたけれど帰り道で月を見つけられなかった。まだ明るかったからかな。
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産業医の先生との面談があり「これってどうなったら終わりが来ますか?」と訊いてしまった。 どこかに今の病気と社会生活の落とし所をつけたい。 いつも「さあ最近はどうですか?」から始まり「では次回は…」で終わる、当たり前だけれど、何も私の心身の好転に加担しないとだけがわかるこの時間、なんなんだろう、と思った。 この人は何のために毎回そんなにメモしているんだろう、と思った。江戸前寿司屋さんなのかもしれない。やってる、だけなのかもしれない。
戻ってからデスクに座って、どんどん眩暈がして耳が聞こえなくなって、上司から話しかけられていることが全く理解できない状態で姿勢を保つのが精一杯なのを、度々ロッカールームへうずくまり休みを取りながら何とか時間を過ごした。 何とかしないで身体の通りに倒れてしまった方が色々伏線回収、つじつま合わせができたのに! でも!人生はつじつま合わせのためにあるのではなかったのでした!
明日は出張なのでそれまでは何とかやり遂げておきたい気持ち。
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2月27日 明日は妹の誕生日。そして明後日で2月が終わる、と思うとやっぱりたかが2日3日でも、2月って短い。
昨晩、帰り道で探していた月を、お部屋の窓の外に見つけて嬉しかった。満月から1日遅れだけどお月見をした。
都庁へ出張して、午前中で終えた用事のあとは、本当は荷物を置きにだけでも職場へ戻りたかった。でももう午後をお休みにしたい上司に合わせて私も職場へ戻れず早々に帰宅。 帰ってから掃除をしたり、先日作ってみた豆腐と鶏ひき肉のレンジ蒸し(?)のリベンジをしたり、日記をリュックに入れたままで(道中で文字起こしをしようとしていた)、部屋にいるのにiPhoneで日記を書いている。 1日がとても長くて、半分お仕事、半分生活だったから充実していた印なのかもしれない。お仕事の日は自分の席にいる時間がほとんどでなのにあっという間に1日が過ぎてしまう。 今はどちらがいいのかわからない。
歩いたり手を動かしたり、何かしていないと眠ってしまうくらいずっとずっと眠たくて、昨日の目眩も引きずっている感じだった。 東京も住んでいる町も風がとてつもなく強かった。 今日も強風で眠れないかもしれない。
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都庁近くのナチュラルローソンにコバトン(Mサイズ)か2羽いて、なぜこんなところに!と思ったら、ナチュラルローソンの埼玉県アンテナショップコーナーだった。 埼玉県のアンテナショップってどこにあっても居心地悪そう。
突然の午後からできた自由な時間にとても困った日だった。 新宿西口地下でおばあさんに「京王デパートはどう行くの?」と道を訊かれて一緒に地図をみて、でも道案内をし終えてもずっと話しかけられていて、怖くなり近くの丸の内線の改札内にとりあえず逃げてしまった。 丸の内線沿線で降りたい駅もなくて、東京駅で降りてオフィス街のランチタイムに何となく巻き込まてれ何も買えず、本当に眠たいくて元気がない気がして帰宅した。 (でも帰宅して2時間くらいまたお掃除はできた。)
職場にいなくても、今はお仕事の内容ではなくて、職場の人たちのことを考える時間が長くなっている。
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2月28日 今困っている身体の症状に対処するためのものをamazonで注文。 ひびあかぎれに塗るタイプの絆創膏、口角炎(久しぶりにできたけれど本当にいやだ!)の塗り薬、花粉症と思いたくないけれど日々止まらない鼻水と鼻血に鼻炎の飲み薬。 これ以上飲み薬を増やしたら内臓がどうなってしまうのか。 そういえば今日はナイアシン摂取を控えめにしたら身体の疲労感と目眩がいつもよりましだった気がする。何が良いのか悪いのかわからない。早くコントロールラブでオールOKにしたい。
本当に一瞬で1日が終わって、今日は妹の誕生日なので2月も終わってしまう。
業務的に、来月大阪に行けるか不安になってきたけれど、大阪の友人からのメッセージに、これだけを今は楽しみにしれっと言ってこよう!という気持ちになった。
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2月29日 昨日は妹の誕生日だった。 高校生時代の閏日生まれの先輩は、当時まだ4歳だったけれど今年8歳になったということか、と思うと高校生までの時間を2回分過ごそうとしている!と気がつく。
職場の建物までの道で、その状況でも確かに鳥だとわかる感じで、鳥が2羽轢かれてつぶれてた。 1回目にその道を一緒に通った上司は「生き物ってやっぱりあんなふうに潰れちゃうんだな、人間もそうなのかな」みたいなことを言っていた。 2回目に他の上司とその道を通った時は、もう肉体は片付けられていて、でも地面に血痕は残っていて「今朝そこで鳥が…」と話してしまった。その上司は「朝からグロ画像を見ちゃったんだね」と言っていた。 画像じゃないんだけどな、と思った。 でも状況を示す概念みたいな単語ってあるような、とも思ってわかってしまった。
大阪の友人がおすすめしてくれた美容室を予約したので、3月は大阪に行く、きっと。
昨晩、docomo2.0のCMをみて、見てみてすごく色々思い出した。キャストがとてもちょうど良くて、一堂に会した合コン?のシーンがとても楽しかった。 ちょうどお昼に聴いたポッドキャストでは、蒼井優ちゃん表紙の森ガール特集のspoon.が話題にあがっていた。
冷蔵庫の豆腐をどうにかしたいけれど、何も案がない。
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3月1日 結局昨日はどうしたいかわからないまま豆腐2パックをやっつけた。 月末だからかスーパーの品揃えが良くなくて、いつも買っているものがなくて何も買えないまま狼狽えてしまった。
そのせいかたくさん掃除に追われて、そこからずっと腰が良くない感じで今日1日も過ごした。
穏やかにあっという間に1日を終えた。 今の部署のトップの方の異動が発表された。 3月に入ると人事異動の兆しや話題でそわそわして、心が無になる。 今のトップの方は2年前までは京都の大学で勤務されていて、挨拶の時は阿闍梨餅を持ってきてくれた方。大らかな雰囲気が、自分の所属する組織のトップとして安心感があって好きだったので、少し残念だな〜という気持ち。
先日LINEを交換した職員さんから、バレンタインに渡したモロゾフのミッフィーの写真とメッセージを送ってもらう。可愛らしいメッセージをもらって普通に嬉しくなる。 モロゾフのミッフィーを渡した他の方からは「可愛くってお雛様と並べて飾ってます」とご報告いただいた。 もう1人の方は「娘がとても喜んでた!もちろんわたしも!」と感想をいただいた。嬉しい。 何の見返りもなくただ少しだけ喜んでもらえてそのエピソードを聞いて嬉しくなるなんて、わたし神様かよ、と思った。
新しい調味料、味噌を手に入れた!
完売御礼の建設中の分譲マンションは完成が近くて、最近は夜はもう共用廊下は電気がついている。
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neoshogunate · 1 year ago
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ネオ幕府アキノリ党による100の政策
※内はアキノリ将軍未満による脚注。
🌾 文化・日本語
1. 『双京構想』京都を陪都に。
※ 上皇后両陛下に仙洞御所にお戻り頂く案などから上奏。
2. 文章の形式を国粋化。縦書き・漢数字を基礎に、時間や単位や数理や音楽も日本文化圏独特の書式を考案し漸次移行。
※ 漢数字に関しては画数が多く判読もしにくいため,西ローマ・アラビア数字くらい判読しやすく書きやすい数字用の文字を作ってフォントに組み込んだりを検討。
3. 日本語の電子媒体を刷新。
※ イーロン・マスク氏に会いに行ってXの東アジアの言語を全部縦書き漢数字(言語ごと)に直してもらう事を条件に,共栄圏での法人を作ってもいいと約束。ただし,その情報資産は共栄圏のものとし,資本の移動は認めない。 ※ 拡張かなを拡充し電子媒体に組み込む・体制化した際に方言の言語化も視野に。
4. 都内の外国籍労働者・親族等への日本語や法制に係る教育サービスの展開。
※ それぞれの民族に寄り添った親善団体と連携 ※ 裏で世界共栄化に関わる宣伝を行い、本国に情報輸出させる足がかりとする。😈
5. 都内の宗教共同体の実態把握・公的包摂・共生都市社会の推進。
※ 体制化までの中長期的に各宗教の日本化を試みる方針。
🌾 税制・社会保障・経済
6. 税制改革や都債発行を財源に,実質賃金の上昇率の安定向上(最低でも年3%水準)まで一律で都民税半額。
7. 都営ブロックチェーンの創設・ネオ幕府トークンの発行とサーバー維持管理。
※ 全国電子通貨を想定・通貨の名前は「球」読み方は本名が「たま」,「きう」が普及版。NAMが出典。 ※ いずれ日本円にとって代わる。😈 ※ 我々が全国化した折には武蔵国の地域トークンというか藩札を創設を想定。
8. 都債発行・時限的な商品券等の給付による地域経済振興。
9. 都民や都内に通学する学生への一律奨学金免除。
10. インボイス廃止を国政に提言・特に中小零細企業の事務処理負担を軽減。
11. 濫用的な投資や無軌道な開発,オーバーツーリズム等に因る地価や宿泊施設の価格高騰を抑制。
12. 外国企業等による国土の売買規制に係るモデル条例の策定。
13. 都内の特に大企業の法人税の納税率を向上・財源構成の平等化。固定資産税の累進化。
14. 社会保障費用の逆進性緩和・累進課税の推進。
🌾 教育・学術
15. 公営学生寮の確保・増大。
※ 国際法を典拠に一定の自治権を認める
16. 大学院まで教育全面無償化+困窮世帯向けに塾代含め支援検討。
17. 専門学校等の整理統合・総合大学との連携強化・学生や職員の有益な流動化を促進。
18. 図書館民営化の見直し。知識アクセス・公共教育インフラの維持。
19. PTAの有償化や情報共有・可視化の促進。
20. 教育委員会の体質改善・責任体制の明確化。
21. 都立高校の入試改革の見直し・効果的な外国語教育に転換/無益な学習負担の軽減化。
※ どうでもいいけどほんとに外語やるならマッチング実践とかだわ
22. カルト校則の全面廃止・学生の学ぶ権利や表現の自由を守る。
23. 入学しない大学への入学金支払義務の免除・ルール撤廃を東京から実践。
24. 部活動の地域化・民営化等による教員の負担軽減を都から実践。
🌾 交通・公共施設
25. 練馬─中野─杉並─世田谷区や足立─台東─江戸川区を縦断する都営線路の開拓。
26. 東京都-近隣の港湾に集中投資・世界一の港湾大都市圏を構築。
27. 満員電車の終局的な解消・時差通勤の促進(主に企業向け)や代替手段の公的導入検討。
28. 離島との往復費用の低廉化・人材や投資交流の活発化。
※ 将来伊豆諸島は伊豆の国に, 小笠原諸島以南は小笠原国にする。
29. 16歳未満(中学生)に対しての交通インフラ料金を子供料金にする・25歳以下に対してユース料金の公共交通機関・各商業施設での導入。
🌾 防災・戦時体制を想定した防衛
30. 全国のあらゆる自然災害に対し救援・復興の為の物資や人員輸送が可能な体制の整備。
31. 都内のあらゆる公共設備の耐震化推進。
※ 災害をある程度前提とする伝統的な都市デザインの可能性も検討。
32. 核戦争を想定した核シェルター建設・地下経済圏の構築促進。
33. 災害リスクを見据えた都民や隣接県民(都内の勤労者)向けに食料等備蓄・予備的分配。
34. 官公庁・民間企業に対するサイバー攻撃の防衛体制整備。
35. 東京都の空を米軍から取り戻す・首都圏の集団安全保障体制を見直し。
36. 近隣諸国の紛争や破局的災害を想定した都民の命と経済を守る有事法制・モデル条例の策定。
37. 安全保障や軍需産業分野の研究開発支援・学界に蔓延る偏見の改善。
🌾 恋愛・婚姻等の共生生活・性的少数者支援
※ 現在はヘテロが社会の主体である事を公共に認め(右翼を安心させ), その余裕の下に性的少数者への配慮を行う政治指針を宣言化。
38. パートナーシップや相続法制等に係る性的少数者の権利保障モデル条例の策定。
※ パートナーシップに日本語の造語を与えることを目的に研究会を行う、反動保守国学者や左派リベラルの論客もネオ幕府体制の責任もとで幅広く招聘したい。
39. 専門家や当事者の意見を参考に高齢者向けの公的恋愛支援事業を実験的に開設。
40. 既存の公営マッチングアプリ・ブライダル支援等政策の見直しと再構築。
41. ���ース(18-25歳を想定)以下に対してのマッチングアプリ補助制度。
🌾 医療・福祉・地域協同・家庭問題
42. 視力矯正器具や歯列矯正等への保険適用・車椅子や補聴器の価格低廉化。ゆくゆくは無償化。
※ 歯を生やせるようになればすぐ保険適用を検討
43. ひきこもり老人を訪問し地域を協同化・社会的包摂を目指す・若年層のアルバイトで高齢者を訪問しスマホ教室とネット普及・生活状況の実態調査。
44. 民間に甘んじた無料塾・こども食堂等の公営化。
※ 都から職員を派遣して実態調査し一定の基準で認可を行い、その場で謝礼。 ※ その後恒久的に経済支援, 半官半民でネットワークをくみ人的支援を拡大 ※ 定期的に児童虐待や裏社会の斡旋等の有無を潜入調査。😈
45. 実態調査のうえ, 都心や下町に関わらず包括的な訪問診療・介護サービス等を拡充。
46. 学校や社内研修に基礎的な救急救命の教育カリキュラムを導入・相互扶助の日本を再建。
47. 地域交流や文化活動を活性化すべく公立小中学校等の空きスペース活用促進。
48. 既にある公園に遊具を拡充・児童の自由と安全を保障。遊閑地の利活用推進。
※ クレーム処理等は我々ネオ幕府が請け負う。
49. 生活保護の取得要件緩和と生活再建・出口支援。給付付き税額控除の試験的導入。
50. 公共施設から迅速・全面・包括的にバリアフリーデザインを実装。
51. 乞食(路上生活者・野宿者・炎上するだろうがこの言葉を使う,いささかの差別的感情を含まない)の住宅支援事業における不合理待遇(いわゆる「タコ部屋」等)の撤廃。
52. 「禁煙」でなく「分煙」。公共喫煙所の増設と依存症支援拡充。
53. 「帰宅困難家庭」の児童のシェルター確保・拡充。
54. 親の孤立防止。財政的支援やシッター利用・保育所等インフラの拡充。
55. 麻酔科医の待遇改善・拡充による無痛分娩・不妊治療等の普及・無償化を都から実践。
56. ヤングケアラーの実態調査・迅速な支援拡充。
57. 一定期間の債務等支払義務の凍結や世間からの隔絶を許容する「隠遁」制度の試験的導入による自殺予防。
58. 共同親権制度移行後の離婚親や子の権利保証に向けたモデル条例案の策定。
59. 犯罪被害者や遺族の情報秘匿や生活再建支援事業の拡充を都から実践。
🌾 環境・公共衛生・都市デザイン
60. 『江戸東京オシャレ特区』構想・ドレスコードの厳格なサービス業種の方でも自分らしい服装等の表現を保障。
61. 炭素繊維等による東京湾浄化・老若男女が利用可能な東京湾に。
※ 一〇年単位の長期計画で研究会に予算をつけて水質浄化に関わる各方面の専門家と企業に助成を。
62. タクシーや通勤通学バスや訪問介護車両や都内を往来する長距離トラック等に向けた電気自動車等の導入支援。
63. 道路にゴミ箱を増設し収集作業も増員・雇用創出。
※ 『乞食』の方々向けに最低でも3日に1度は湯船に疲れる水準の支援体制を迅速に構築。
64. 都内の樹林伐採ストップ・地域経済や文化に無益な再開発の見直し。国土を守る。
65. 引越しや住宅確保等に係る費用分担による近隣県への移住サポート。
※ 漸次地方都市にも移住サポートしたい・全国化したときに地域を蘇らせる。
66. 主に大企業の都外への本社機能移転・人口とリスク分散を段階的に進める。
67. 排除アート・「座らせないベンチ」の全面撤去。小憩できる都市デザインの再建。
68. ユース(12-25最程度を想定)以下に対して公営美術館・芸術施設の入場料無料化。
69. 路上表現・アーティスト等に向けた道路使用許可申請等手続きの簡素化・拡充
70. 官民連携で路上ライブ・イベント等を充実させ,『解放区』の乱立。
🌾 動植物
71. 動物殺処分0の次は都から始める愛玩動物の生体販売全面禁止。
※ ペットショップの店員かわいそうだから動物病院とか生物学研究所に転職もさせてあげて。そのために予算つけよう。 ※ 日本固有種の生物種は緩和したさがある,というかその系統を維持するための研究会や国家機関創設を提唱したい。
72. 特定外来種や有毒の微生物等の実態調査・飼育手段の包括的なデータベースを策定し公開。
73. 生物学系の人材活用・医療分野との連携を強化。
74. 孤立対策に動植物との共生を促進・AI利活用で安全・安定的な飼育体制を提供。
🌾 宇宙開発
75. 軌道エレベーターや公共/民間通信衛星等を想定した宇宙産業への公共投資。
※ 東京から日本〜東南アジアをまたぐ測天衛星網(GPS)を提唱
76. 核融合発電技術への積極的公共投資。
※ 戦時を想定した燃料備蓄
🌾 食糧自給・安全保障
77. 家庭菜園や地域農産・地産地消の促進。
78. 種苗法改正の見直し・食文化の保全。
※ 戦時を想定した食料備蓄
79. 酒税法の見直し・どぶろく文化を再興。
80. 生レバーやユッケ等の規制緩和。
81. 依存症対策や飲酒強制の予防規制を条件に, 飲酒解禁を18歳に引き下げ。
🌾 労働市場制度
82. 新卒一括採用の見直し・企業や経済団体等への協力要請。
83. 官公庁や民間企業の採用基準にポスドク枠拡充。
84. 生涯学習・リカレント教育普及に向けた労働市場改革。職業訓練給付や実施企業への支援等の拡充。
85. 様々な産業分野の企業に対して有給や育休利用の促進。
🌾 汚職・職権乱用の防止
86. 地方議会における縁故的な役職(選管等)の選定過程・給与等の見直し・再編と代替的職務の用意。
87. 刑事収容施設や入管施設内での侮辱や虐待や差別的待遇の実態調査・迅速な改善。
88. 市民オンブズマン制度の創設・拡充による第三者目線の地方議会の監査強化。
89. NPO法人設立や生活保護申請・政治団体含む会計監査の厳格化・責任体制の明確化。
🌾 表現・報道の自由
90. 小池都知事が実施していた様な一部のマスコミやジャーナリスト等の排除に反対・報道と表現の自由を守る。
91. 『表現の自由』の前提として,エンタメ・出版・コンテンツ業界に投資拡充・且つアーティストの食い扶持と表現の場を守り,層の厚さを維持。
92. NHKの過剰な集金を規制・困窮世帯の債務免除・公共の利益となる基礎的なコンテンツは保障するが国民の無償・平等な『知る権利』に配慮。
🌾 スポーツ
93. 『マイナースポーツに光を』・Eスポーツ含む多様な体育会系コンテンツにも積極的に投資。
94. 身体に障害を有する方々が主役であるパラスポーツ分野に投資拡充・宣伝を強化。
🌾 その他
95. 小池都知事の財政調整基金の使途・費用対効果について徹底的に監査。
96. 小池都知事や森本首相も関わる東京オリンピックに関する利権構造や裏金・役員の不審死・作業員の過労死等の真実究明。
97. コロナ禍におけるエンタメ産業や一部の飲食業界・性産業等への差別的待遇の見直し・適切で平等な補償体制の確約。
98. コロナ禍における緊急事態宣言の手続的正当性・費用対効果を徹底再調査。
99. お気持ちベースの『自粛要請』では無く必要な法整備・責任体制を明確化。
100. 多様な業種の方々に配慮し投票所を26時まで開放・且つ開票日を平日にスライドし行政コストを軽減。
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shingoiwasaki-blog-blog · 1 year ago
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遺骨、酸初、初夏、夏至、我博、臨床、先客、那波区、東海、雲海、雲水、初楽、飼養、規律、滅法、頑丈、撃破化、内板、飼養、機咲州、分癖、蛾妙、頌栄、丼爆発、濃彩、恋欠、名瀬、徒歩機、歌詞役、素市、癌滅、元凶、願文、文座、同發、長門、至極、極美、呵責、端午、併合、奈落、底癖、幕府、某尺、尊式、検疫、未除、路側、柑橘、脂溶、瑛人、冠水、豪材、剤枠、土岐、駄泊、検尺、漏洩、破裂無言、任期、崩説、全滅、壊滅、開幕、統帥、頭数、水湿、冠水、抹消、網滅、馬脚、財冠水、風隙、来妙、勤学、餞別、名判、名盤、��客、衆院、才覚、無能、果餓死、損初、波脈、釋迦、損失、片脚、那古、可物、筋層、真骨、存廃、破格、名湯、今季、写楽、苦況、罪責、孫覇、全滅、今父、奈落、旋盤、秒読、読破、名物、貨客、泉質、随想、滅却、監理、素質、遡行、文滅、菜根、無端、庄屋、破壊、客率、合併、豪式、続発、泣塔、透析、頑迷、場脈、野張、船室、乾物、吐瀉分裂、戒行、噛砕、爾、晩別、海苔、西明、縁月、花月、独歩の大蛇、再発、納言、遺言、残債、背角、破壊、忠膵癌、統帥、馬車、下劣、火災、乱尺、毒妙、縫製、貨坂城、歳発、富低落、菜初、命式、山賊、海剤、激武者、瓦礫、破水、分裂、賀露、屠畜、能月、見激、破壊、破戒、採石、屈託、門別、皆来、家来、千四、我楽、夏楽、無慈悲、壊滅、破棄、損勤学、外鰓、長水、瑛人、永久、旋律、斑紋、財年、場滅、甘露、舐めけり、真靭、察作、論祭、乾裂、薩長、泣塔、室見、川縁、岩石、言後、荷火災、防爆、鋒鋩、体制、貨車、顎脚、刺客、坐楽、損益、脳系、文才、分合、合壁、啓発、萌姫、島内、監修、真木、合理、独房、雑居、紋発、乱射、雑念、五輪、三振、欄居、托鉢、紋腹、画狂、欠年、射殺、殺傷、脳初、目車、濫用、懸念、學年、身者、卓越、餓死、軟卵、場者、童空、我作、滅法、涅槃、抹殺、怒気、燃焼、略奪、宰相、馬腹、刳発、南山、活発、沙羅、割腹、殺戮、循環、奈良、菜道、紗脚、残雑、颯和、和歌、東風、南富、背面、焼却、四季、同發、博羅、無償、透明、明闇、雲海、陶酔、溺愛、泊雑、湖畔、花車、小雑、蘭風、雑魚寝、逆発、罵詈、検遇、明細、鳥羽、無数、飾西、涼感、割烹、面月、略発、明暗、御覧、絶滅、名者、焼却、野版、絶筆、数界、洒落、羈絆、四索、敏捷、旋律、脚絆、安行、軽安、難産、伊賀、消滅、生滅、巡数、水災、万華、論発、処住、崇拝、年月、画鋲、我流、剣率、草庵、律年、雑魚、規約、貨車、蒸発、重大、錯乱、蓮妙、奈良、坐楽、延宝、財年、爆発、龍翔、日向、塁側、席園、座札、風評、財年、何発、旋律、画狂、論券、戦法、尊師、大概、二者、那波、麺期、演説、合邦、放射、雑律、貨客、選別、燕順、考慮、試薬初、財源、富、符号、井原、若榴、清涼、無數、才覚、絶望、奈落、奔放、有識、台東、詮索、懸念、病状、設楽、宴客、怠慢、時期、同部、弁解、冊立、立案、前略、妄動、侮蔑、廃絶、間髪、図解、経略、発泡、者発、立案、滅鬼、自利、論酒、桜蘭、五月雨、垓年、処理、短髪、散乱、絶滅、命日、庵客、実庵、龍翔、派閥、同盟、連峰、焼殺、勝中、割裂、残虐、故事、量発、敗残、花夢里、面月、原氏、雑考、推理、焼殺、膵癌、導風、千脚、砂漠、漁師、活滅、放射、洋蘭、舞妓、邪武、涅槃、毛髪、白藍、他式、民会、参謀、廃車、逆発、峻峰、桜蘭、殺戮、銘客、随分、刺死、脳犯、我版、論旨、無垢、血潮、風泊、益城、拝観、舘察、懺悔、空隙、髭白、模試、散乱、投射、破滅、壊滅、下痢、他殺、改札、寿司、葉式、魔雑、渾身、等式、命日、安泰、白藍、良志久、中須、掻敷、北方、監視、血式、血流、詐欺、加刷、販社、壊滅、坐楽、白那、苫小牧、欄物、演説、開脚、摩擦、欠史、宰相、掻敷、飾西、近隣、可能、刺自虐、崑崙、独歩、良案、隔絶、菜作、妄動、犬歯、核別、概要、立案、破格、殺戮、良案、快絶、防止、那古、風別、焼安泰、独庵、囲炉裏、壊滅、外傷、刃角、視覚、耳鼻、下顎骨、子孫、剥奪、憂鬱、優越、液状、先端、焼子孫、兵法、那波、安楽、最短、数式、絶句、庵杭、雅樂、動乱、者妙、垓年、独初、前報、奈落、数道、弓道、拝観、俯瞰、散乱、男爵、害面、炎上、抹殺、破棄、分別、額欄、学雑、宴客、体面、村落、柿区、害初、告発、欄式、体罰、侮蔑、浄光、情動、差額、君子、何発、兵式、童子、飾西、各滅、我札、審議、半旗、普遍、動脈、外傷、無償、木別、別格、名皿部、京脚、破棄、試薬、絶滅、学札、清涼、爆発、組織、壊滅、ここ��、名もなき詩を、記す。風水、万別、他国、先式、続発、非力、産別、嘉門、神興、撃易、弊社、紋別、座泊、画狂、式典、胞子、画力、座敷、学舎、論別、閉域、爆風、万歩、博識、残忍、非道、望岳、死骸、残骸、符合、壊滅、匍匐、弄舌癖、死者、分別、砂漠、白藍、模写、服役、奈落、忖度、符尾、同盟、田式、左派、具癖、退役、蛇路、素白、昆北、北摂、写経、文武、択液、図解、挫折、根塊、道厳、視野別、奈落、鳥羽、グリシャ・イェーガー、粗利、惨殺、学癖、優遇、陶器、場作、土壌、粉砕、餓鬼、草履、羅列、門泊、戸癖、山系、学閥、座枠、忠膵癌、視野別、脳族、監視、佐伯、釋迦、敏捷、遇歴、佐渡、名張、紀伊市、名刺、干瓢、夏至、楽節、蘇遇、列挙、間髪、風脚、滅法、呪水、遇説、死骸、爆発、山荘、塀楽、茗荷、谷底、愚者、妄動、還魂、色別、最座、雑載、論客、名足、死期、近隣、名張、迷鳥、呑水、飛脚、晩別、獄卒、殺傷、視覚、乱脈、鉱毒、財閥、漢詩、死語、諸富、能生、那波、合理、血中、根菜、明初、鹿楽、宮札、度劇、臥風、粋玄、我馬、洞察、今季、爾脈、羅猿、激園、葉激、風車、風格、道明、激案、合祀、坐楽、土地油、力別、焼殺、年配、念波、郭式、遊戯、富部区、奈脈、落札、合祀、寒白、都山、額札、風雷、運説、害名、亡命、闘劇、羅沙莉、砂利、夢中、淘汰、噴水、楽章、農場、葉激、際泊、手裏、合併、模等部、トラップ、落着、御身、学習、零、概要、各初、千四、何匹、笘篠、熊本、京駅、東葛、土量、腹水、活潑、酢酸、数語、隠語、漢語、俗語、羽子、豚皮、刃角、醪、能登、半年、餓鬼、泣塔、用紙、喜悦、山荘、元相、炭層、破裂、腹水、薔薇、該当、懐石、討滅、報復、船室、壊滅、回族、先負、嗚咽、暁闇の、立ち居所、餞別、乾式、財閥、独居、乱立、差脈、桜蘭、��風、抹殺、虐案、某尺、無銭、漏洩、北方領土、白山、脱却、幻滅、御身、私利私欲、支離滅裂、分解、体壁、脈、落札、合祀、寒白、都山、額札、風雷、運説、害名、亡命、闘劇、羅沙莉、砂利、夢中、淘汰、噴水、楽章、農場、葉激、際泊、手裏、合併、模等部、トラップ、落着、御身、学習、零、概要、各初、千四、何匹、笘篠、熊本、京駅、東葛、土量、腹水、活潑、酢酸、数語、隠語、漢語、俗語、羽子、豚皮、刃角、醪、能登、半年、餓鬼、泣塔、用紙、喜悦、山荘、元相、炭層、破裂、腹水、薔薇、該当、土脈、桜蘭、郎乱、乱立、派閥、別癖、恩給、泣き所、弁別、達者、異口同音、残骸、紛争、薔薇、下界、雑石、雑草、破戒、今滅、梵論、乱発、人脈、壊滅、孤独、格律、戦法、破戒、残席、独居、毒僕、媒概念、突破、山乱発、合癖、塹壕、場技、極楽、動脈、破裂、残債、防壁、額道央、奈良市の独歩、下界残滓、泣き顎脚、朗唱、草庵、場滅、乖離、鋭利、破戒、幕府、網羅、乱脈、千部、土場、契合、月夕、東美、番號、虎破戒、在留、恥辱、嗚咽、完封、摩擦、何百、操船、無限、開発、同尺、金蔵寺、誤字、脱却、老廃、滅法、涅槃、脱却、鯉散乱、立哨、安保、発足、撃退、学別、憎悪、破裂無痕、磁石、咀嚼、郎名、簿記、道具雨、壊滅、下落、吐瀉、文別、銘文、安胎、譲歩、剛性、剣率、社販、薙刀、喝滅、解釈、村風、罵詈雑言、旋風、末脚、模索、村立、開村、撃退、激癖、元祖、明智用、到来、孟冬、藻石、端午の贅室、癌客、到来、未知道具雨、寒風、最壁、豪族、現代、開脚、諸富、下火、海日、殺傷、摩擦、喃楽、続落、解脱、無毒、名毒、戒脈、心脈、低層、破棄、罵詈、深海、琴別府、誠、生楽、養生、制裁、完封、排泄、虐殺、南京、妄撮、豚平、八食、豪鬼、実積、回避、答弁、弁論、徘徊、妄説、怒気、波言後、節楽、未開、投射、体者、破滅、損保、名水、諸味、透析、灰毛、界外、土偶、忌避、遺品、万別、噛砕、剣率、戒行、一脚、快哉、提訴、復刻、現世、来世、混成、吐瀉、場滅、経絡、身洋蘭、舞踏、近発、遊戯、男爵、最上、最適、破裂、改名、痕跡、戸杓、分髪、笠木、路地、戳脚、快晴、野会、対岸、彼岸、眞田、有事、紀伊路、八朔、減殺、盗撮、無札、無賃、無宿、龍梅、塩梅、海抜、田式、土産、端的、発端、背側、陣営、戒脈、母子、摩擦、錯覚、展開、星屑、砂鉄、鋼鉄、破滅、懐石、桟橋、古事記、戸杓、媒概、豚鶏、墓椎名、顎舌骨筋、豚海、砂漠、放射、解説、海月、蜜月、満期、万橋、反響、雑摺、油脂、巧妙、
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yutakayagai · 10 months ago
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午後十二時、浩志は上野駅にいた。正面改札の前で、壁に寄りかかりながら猪熊弦一郎が描いた絵を見つめていた。彼は、大学を卒業して帰郷することになった時のことを思い出していた。あの日、幸雄とはしばらく会えないと何度も上野駅のホームで抱擁と接吻を交わし、発車直前の電車に乗ったっけ。当時は未だ特急がなかったから上野から水戸まで二、三時間かかった。脳裏に渡辺はま子の「夜のプラットフォーム」が流れ、ホームが途切れるまで幸雄は手を振りながら見送ってくれたなァ…。再上京した時も彼は抱擁し、おかえりと言ってくれた。
そんな記憶が次から次へとよみがえり、浩志はため息をついた。過去と現在が彼の中で交差する中、生天目が手を振りながら走ってきた。一緒に働いていた時より腹が出ているなと、浩志は思った。生天目は言った。
「久しぶりだな、元気か?」
「あぁ。しかし、お前…太ったか?」
「実は、お前が学校を辞めた後に結婚したンだ。嫁さんが料理好きで…。子どもも二人いるンだ」
嗚呼、幸福太りかと浩志は思った。結婚すると男も変わるンだな。オレは結婚したとしても、あぁはなりたくないなァ…。そう思いつつ、二人はこの界隈で食事をすることにした。交差点を渡ってすぐのレストラン「J」で、二人は定食とビールを注文した。この日は家族連れで混雑していた。恐らく、「上野動物園」へのお客さんが殆んどだろう。浩志は子どもの声が嫌いだが、まァ、生天目は酒に「飲まれる」質だからとすぐ食事が済んだら喫茶店でも行くかと思い、我慢することにした。
互いに乾杯をし、一口飲むと生天目はハァ〜と笑顔で、
「美味いなァ!」
と声を上げた。すっかり「デブ」と化してしまったなと、浩志は苦笑した。嗚呼、もし「ノンケ」じゃなければ連れ込み宿でいじめてやりたいと、彼は思った。
生天目は、忍が卒業してからも文通をしていることを話した。東京には月イチで来ては上野の美術館を観て回っており、あの忍の裂けてしまった学生服のスラックスを縫った家庭科の女性教師と結婚したのだそう。浩志はあの、スラックスの後ろが上から下まで縫い目がほどけ、弾けるほどに肉付きのよかった忍の真っ白なブリーフを思い出した。やはり、忍も話していたが、浩志の代わりを務めたラグビー部の新しい顧問はあまり熱心でなく、最終的には廃部になった様だった。浩志が教えていた時には英語が好きだった生徒も、担当が変わったことで嫌いになってしまった者もいたらしかった。生天目は、
「お前のいない県立M高校は、本当につまらなくなってしまった」
と話した。彼は続けた。
「オレが今の県立J高校に異動する前、実は忍のお姉さんが直接話に来たな。彼女はてっきり佐伯が忍に手を出したと思ったらしく、教育委員会に告発してしまったと。しかし、親父さんから『忍には手を出していない』と言われたンだろうな、彼女は自分の勘違いだと思って謝罪したそうだよ」
この言葉に浩志は、何を言うンだと思った。どれだけオレが傷付いたのか解っているのか?と、彼はビールをもう一杯注文した。生天目も、オレもと追加を頼んだ。おいおい、大丈夫か?と浩志は心配そうに生天目の表情をうかがった。ビール一杯で顔はうっすらと赤くなっていたが、急に彼は真面目な顔つきになった。
「…佐伯。また教壇に立つ気はないか?」
一瞬、浩志は周囲のざわめきが聞こえなくなった。え、何だって? 彼は酔った勢いで言いやがったンだなと思い、
「おいおい、冗談はよせよ。オレ、二度と教師はやらねぇよ。学習指導要領だって変わっちまったッぺよ。それに、いったん懲戒免職になったンだ。何処も使ってくれねぇよ」
と、彼は揚げだし豆腐を口に運んだ。しかし、生天目は急に正座をし、頭を垂れた。
「お願いだ、また戻って来てくれ!」
二人のすぐ隣に座っていた数人がびっくりして振り向いた。浩志は、土下座するンじゃねぇよ!とあたふたした。ここではちょっと無理だなと、とりあえず食事を済ませて他でじっくり話すことにした。
現在はマルイとなっている通りを二人は入り、ちょうど御徒町駅の間に位置する純喫茶「O」に向かった。古めかしい、今の言葉でいえば「レトロ」なシャンデリアが室内を照らす空間で、二人は先刻の話の続きを始めた。生天目は、恐らく独身の頃から着ているのだろう、歩いているうちにはみ出したワイシャツをスラックスのホックをいったん外して直した。チラッと赤と青のラインがはしったブリーフのウエストゴムが見えた。浩志はその様子を見ながら、
「生天目、少し痩せないとヤバいぞ」
と言った。彼は、
「…嫁さんからもそう言われてるンだよ。一度、学校で忍みたいにスラックスがケツのところで裂けちゃって…。授業中でのハプニングで恥ずかしかった」
と話した。
コーヒーを片手に、二人は話を再開した。こんなオレを使ってくれる学校があるのか?と浩志は聞いた。すると、
「実は、水戸駅南にある私立S高校ってあるだろ? まァ、私立だから『滑り止め』だけどね。大学時代の友だちが勤めているンだが英語が教えられる教師を探してるらしいンだ。でも、名前を書けば入れるところだからレベルは低い。よほどタフな精神力がなければならないらしいよ。お前、大学時代からラグビーをやって全国大会までチームを導いた実績もあるし、適任かな?と思って」
と生天目は言った。私立S高校…昔からある学校ではあるなァ。親父が再三バカにしてたっけ。浩志は若干気持ちが向いたが、この東京での生活も申し分ないし、迷った。それに、幸雄とまた離れるのは辛い。彼は、コーヒーをスプーンでかき混ぜながらしばらく沈黙した。今夜、幸雄に相談してみるか…。
「…ちょっと考えさせてくれ」
浩志は生天目にこう言った。
午後三時に浩志は生天目と上野駅で別れた。生天目は、連絡を待ってると電話番号を書いたメモを渡した。今住んでいるのは常北町らしかった。随分、田舎の方に住んでいるなと、浩志は思った。
正面改札で生天目を見送ると、浩志は営団地下鉄の方に向かい、浅草まで銀座線、東武鉄道で向島へ行った。幸雄はこの日はずっとアパートにいると、予め公衆電話からかけた時に言っていた。たどり着くと玄関で幸雄は待ってましたと言わんばかりに浩志を抱きしめ、唇を奪った。あれよあれよと彼はワイシャツのボタンを外され、スラックスも脱がされてしまった。幸雄も欲情のままに下着だけになり、ブリーフ越しに己の股間を浩志のものに押し付けた。
喘ぎ声と、何度も愛の囁きを呪文の様に繰り返しながら、二人は絡み合った。職場は同じでも、ここ二週間は情事が殆んどなかった。浩志も幸雄も、これまで溜めていた愛液を枯れるまで跳ばし合い、快楽の極地まで流されていった。
午後七時を回っていた。二人は最寄りの銭湯で身体をキレイにし、少し散歩でもしようかと言問橋の手前で階段を下り、隅田公園を歩いた。大学時代、一秒でも一緒にいたいとよく散策をしたのを浩志は思い出した。水戸に戻る前日もそうだった。未だ、ちらほらと梅の花が散らずに残っていた。微かに沈丁花の香りもし、もうじき春を迎えるなと浩志は思った。背後から幸雄の姿を追いつつ、彼は言った。
「…実は」
なかなか次の言葉が言い出せずにいた。あんなに沢山愛してくれた後に再び別離の話をするのは、正直心苦しかった。幸雄は振り向くとこう言った。
「…もう一度、教師を目指すのか?」
えッ!?と、幸雄には一言も話していないのにと浩志はびっくりした。彼は、
「な、何で知ってるの…!?」
と聞いた。すると、幸雄は近寄って浩志身体を両腕の中に包み込んだ。グッと引き寄せながら、
「先刻、君が途中泣いてたし、何度もオレの名前を呼びながら強く抱いていて、何となく…」
と言った。彼も、浩志が東京を離れる前のことを思い出していた様だった。胸の中で抱かれながら、浩志は幸雄のぬくもりにふと涙した。彼は言った。
「昔の同僚が知り合いのいる高校で英語を教える教師を探してるって話をされ、一昨日は昔の教え子も来て…。何か、行かなくちゃならないかなって…。幸雄とまた離れるなんて…」
「…否、オレはいつでも待ってるよ。また辛くなったら来ればイイ。オレは君が幸福に生きてくれればそれでイイんだ」
「…幸雄!」
翌日、浩志は勤めていた新聞社に辞表を提出した。間もなく私立S高校で面接もあり、浩志は四月から正式に勤めることになった。みいは、また水戸に戻ることに半ば淋しさを感じながらも祝盃を共にした。幸雄も、水戸に戻る前日に銀座の「Lビヤホール」で一緒に飲んだ。そして、向島の下宿で朝まで愛し合った。
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picnicism · 1 year ago
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「私は新しく事業を起こす時には、"時"と"機"が一致しなければならないと考えている」この名言を残した経営者がスゴイ。スタバ、タリーズと並ぶ日本3大コーヒーチェーンの一つ。店舗数はなんと1,061店舗と日本最大。常連客は口をそろえてスタバよりいいという愛されカフェを創業した経営者は、 ドトールコーヒー創業者 『鳥羽 博道 氏』 終戦から14年がたった1959年 ある一人の青年が 横浜からブラジル行きの船に乗り込んだ。 「ついに日本をでてやった!」 20歳の鳥羽青年はワクワクしていた。 42日の航海をへてリオデジャネイロに降りたつ。 ブラジル中のコーヒー農園やコーヒショップをめぐり コーヒー豆の育て方から、美味しいコーヒーの淹れかたまで学んだ。 ブラジルから帰国した鳥羽氏は 1年後、コーヒー豆の焙煎会社を設立する。 名前はサンパウロで住んでいた地名にちなんで 「ドトールコーヒー」と名づけた。 1971年、鳥羽氏はヨーロッパに視察へ パリのシャンゼリゼ通り 出勤途中の人々がカフェのカウンターにならび クロワッサンをほおばりながらコーヒーを楽しむ様子を目にする。 「これだ!」 心の名で叫ぶ鳥羽氏 「日本にも立ち飲みコーヒーの時代が必ずやってくる」 静かにそう確信していた。 しかし、鳥羽氏はこのヨーロッパスタイルのカフェを 日本ですぐさま展開することはなかった。 それから10年の時が流れた 日本は低成長期へ突入していた。 人々の財布のひもはかたくなり 人々はあくせく働いていた。 かつては贅沢な嗜好品であったコーヒーも 大衆に親しまれる飲み物になった。 「いまこそコーヒーショップを作ろう」 「時代の追い風が吹いている」 鳥羽氏は10年の沈黙をやぶり動き出す。 1980年、原宿でドトールコーヒーショップの1号店がオープンする。 わずか9坪の小さな店だったが 安く、早く、美味しい日本ではじめての ヨーロッパスタイルのカフェがオープンした。 そしてすぐに大盛況となり 日本中に広がっていったのだった。 冒頭の鳥羽氏の言葉は↓ いかに優れたビジネスモデルでも時代を読み違えては成功することはないというビジネスのキモについて的確に指摘している。ヨーロッパの素晴らしいカフェスタイルを知った鳥羽氏であったがはまだ日本にうけいれられる土壌がないと判断しすぐにカフェをはじめることはあえてしなかった。そして10年『その時』 を待ち、大成功を収めた。成功者の名言からは学ばされることが多い。
Xユーザーのよしさん: 「「私は新しく事業を起こす時には、"時"と"機"が一致しなければならないと考えている」この名言を残した経営者がスゴイ。スタバ、タリーズと並ぶ日本3大コーヒーチェーンの一つ。店舗数はなんと1,061店舗と日本最大。常連客は口をそろえてスタバよりいいという愛されカフェを創業した経営者は、… https://t.co/XMqt4o3K8h」 / X
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benediktine · 2 years ago
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【チャリを交通の主役に 魅力発信、片山右京の挑戦 疾走チャリノミクス(1)】 - 日本経済新聞 : https://www.nikkei.com/article/DGXZQOFK132ME0T10C21A2000000/ : https://archive.is/XQzTa 2021年3月21日 2:00 (2021年3月22日 2:00更新)
環境に優しく、健康によく、密も避けられる夢の乗り物――。脱炭素や新型コロナウイルス禍で改めて脚光を浴びる自転車。チャリンコと侮るなかれ。IT(情報技術)などの最新テクノロジーを取り込み、自転車経済圏は国内外で広がる。競技から開発、安全対策までそれぞれのフィールドを全速力で走るチャリダー(自転車乗り)を追う。
■《自転車競技の中心にカミカゼ右京》 東京五輪の競技運営責任者に、新設するプロリーグのチェアマン――。いま日本の自転車競技界の中心には、元F1レーサーの片山右京(57)がいる。かつて怖い物知らずの走りから「カミカゼ・ウキョウ」と呼ばれた男だ。
 {{ 図版 1 : 東京五輪の自転車競技スポーツマネジャーも務める片山 }}
「あなたの街へ興奮と感動を届けます」。こんなうたい文句で3月27日にシーズン1年目の幕を開ける自転車ロードレースのプロリーグ、ジャパンサイクルリーグ。新設に汗をかいた一人が片山だ。チェアマンとして組織体制作りやスポンサーの獲得に奔走。メインスポンサーには不動産大手の三菱地所が就いた。「多くの人たちが自転車に関心を持ち、スポーツとして応援しようとしてくれている」
人生最初の挑戦は小学校5年生の時、三重県から神奈川県の自宅まで走破した自転車旅行だったという。いったん遠ざかったが、F1レーサー時代、体力トレーニングで再び自転車に乗るようになった。引退後はその魅力に取りつかれ、数々の市民ロードレースに参加。2012年には自らロードレースチームを立ち上げた。「40代半ばから本格的に始めても、毎年記録が上がったり、200キロメートル以上走れたりする。頑張った分だけ確実に力がつき、生きてるという感覚をもらえる」
■《登山で環境破壊に危機感》
自転車に託すのは競技への思い入れだけではない。F1引退後、自転車とともに登山にのめり込み、キリマンジャロなど世界6大陸の最高峰登頂に成功した。だが、そこで見たのは消えゆく氷河やプラスチックゴミなどの環境破壊だった。
人力でペダルをこいで進む自転車は二酸化炭素(CO2)を一切出さない。脱炭素への意識が世界的に高まるなか、究極のクリーンモビリティとして注目され始めた。片山は「今後30年で公共交通の構造が変わり、自転車はその中心の一つになる。皆が自転車に乗って動き回るようになれば、自動車が入りにくい裏通りの価値も変わる」と訴える。
■《日本の自転車利用、拡大の余地》
特定の移動手段の利用頻度から算出した「交通分担率」をみると、日本の自転車は13%。最も高いのは自動車の48%だが、国土交通省の調査によると、自動車の移動距離は5キロメートル未満がうち43%を占める。同省は「短距離の移動で今後、自動車から自転車へ交通手段がシフトする可能性がある」(道路局)とみている。
 {{ 図版 2 : 日本の交通分担率の内訳 主要国の交通における自転車分担率 }}
■《車椅子に乗る15歳の社長》
「自転車産業はITとの融合でもっともっと成長する」。シェアサイクル事業、チャリチャリを展開するneuet(ニュート、東京・港)の社長、家本賢太郎(39)は、真っ赤な自転車が並ぶ本社内のガレージで力を込める。家本は15歳でネット関連のコンサルティング企業、クララオンライン(同)を立ち上げた異色の経歴を持つ。
 {{ 図版 3 : クララオンラインとニュート社長を兼務する家本(東京・港) }}
脳腫瘍の手術の後遺症で14歳から18歳まで車椅子生活を送った。電車など公共交通機関での移動に大変な不便を感じ、「移動に選択肢があることは幸せと感じるようになった」。特に羨望のまなざしで見たのは、自らの力だけで自由に移動できる自転車だ。
車椅子生活を終えた後、自転車は家本の趣味になる。そしてITを武器にアジアへ事業を拡大した際、中国で目の当たりにしたのはシェアサイクル事業の勃興だ。鍵となっていたのが、あらゆるモノがネットにつながるIoTだ。ITに精通した家本は「これなら自分にもできる」と思い立つ。
■《ITからシェア自転車に》
17年秋には福岡市でシェアサイクル事業を展開しようとしていたメルカリから「一緒にやりませんか」と声がかかり、IoT関連のサポートなど裏方仕事に携わった。そして19年夏、「ここから先は僕にリスクを取らせてほしい」と事業譲渡を持ちかけ、チャリチャリとして再スタート。今は名古屋、東京と事業を広��、専用駐輪場(ポート)は430カ所、保有台数は2000台に達した。
 {{ 図版 4 : シェアサイクル「チャリチャリ」の専用駐輪場は430カ所に達した }}
チャリチャリはITの塊だ。利用者はまずスマートフォンにアプリをダウンロードし、付近のポートにある自転車を探す。見つけたらサドルの下にあるQRコードをアプリで読み取り、解錠。利用後は近くのポートに駐輪し、施錠する。料金は1分4円で、アプリに登録したクレジットカードに課金される。24時間365日利用できる。
全地球測位システム(GPS)が搭載されているため、万が一ポート以外に放置されても、すぐに見つけ出せる。買い物や通勤などの短距離移動はシェアサイクル、サイクリングなどの遠出は自分の自転車と住み分けが進めば、「日本が長年抱える放置自転車の解決につながる」。
日本のシェアサイクル事業は地方自治体が関わっていることが多いが、チャリチャリは行政から補助金を一切貰っていない。自立には利用率の向上が必須で、昼間人口の多さや人口密度の高さに加え、公共交通機関の乗り換えが不便な場所などを狙ってポートの候補地を探す。「シェアサイクルが日本でちゃんと事業として成り立つことをみんなに見せたい」
■《環境派市長「パリをつくり替える」》
チャリノミクスは国境を越える。「環境保護を進めるため、今すぐパリをつくり変えなければいけない」。市長のアンヌ・イダルゴ(61)は自転車でパリ中心部を疾走する。優先レーンを作るなどして、全ての道で24年までに危険なく自転車を利用できるようにする目標を掲げる。
 {{ 図版 5 : イダルゴ市長は環境保護のため、市民に自転車の利用を呼びかけている(パリ)=ロイター }}
14年に就任したイダルゴは環境派として、セーヌ川沿岸の一部を自動車進入禁止にするなどの政策を取ってきた。コロナ禍で人との接触を避ける動きが強まったのをきっかけに自転車の利用を一層促す。20年には自転車用レーンを60キロメートル分延ばすと表明した。
かつて自動車で混雑していたルーヴル美術館前の有名なリボリ通りはいまや、自転車で混み合うほどの様変わりだ。「大気汚染や騒音が著しく減っている」。イダルゴは胸を張る。
フランス政府も自転車の利用を後押しする。コロナ発生後、自転車の修理費を50ユーロ(約6500円)まで補助すると発表した。一時は数カ月待たないと予約が入らないほど修理業者がにぎわった。市場は爆発的に拡大している。仏テレビLCIによると、20年の仏自転車販売台数は330万台と19年比3割近く増えた。
■《自転車経済、年7%で成長》
今後も世界的に自転車市場の拡大は続きそうだ。英調査会社テクナビオによると、20年の世界の自転車市場は約540億ドル(約5兆9000億円)で、25年まで年平均7%で成長するという。
 {{ 図版 6 : スポーツ自転車が大きく伸びている(1店舗あたりの国内販売台数の前年比) }}
日本国内の20年の自転車市場規模(国内生産と輸入の合計)は約1300億円。最近では特にスポーツ自転車の伸びが大きい。野村証券チーフエコノミストの美和卓(53)は「スポーツ車は単価が高いだけでなく、ヘルメットやライトなどを追加購入しないと走れない。アパレルや付属品など周辺市場の広がりに期待できる」と話す。自身も約15万円でロードバイクを購入し、本体以上のお金をかけてギアやホイールを好みの部品に取り替えた。
 {{ 図版 7 : ロードバイクで通勤をする野村証券チーフエコノミストの美和(東京・千代田) }}
前日のニューヨーク市況のチェックから始まる美和の朝は早い。西東京市の自宅から東京・大手町の職場まではロードバイクで1時間半。夜の喧噪の名残ある新宿の繁華街を抜け、大手町が近づくころには皇居のお堀に反射する荘厳な朝日が見えてくる。6時過ぎに会社近くの駐輪場に愛車を止め、サイクルジャージからジャケットに着替えると、今日も美和の一日が始まる。
=敬称略、つづく
(生田弦己、松本萌、福井環、パリ=白石透冴)
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propwc · 5 months ago
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要想過上心儀的生活,成為自己喜歡的樣子,方法其實很簡單,就是把無數個“今天”過好,不虛度時光,不蹉跎歲月。
(20250118)
我們覺得這個世界浮躁,是因為我們的心浮躁;我們覺得這個世界平庸,是因為我們的心平庸,只要改變了心態,我們的生活就會不一樣,許多事情,只是你心裡想的那樣,就那樣了。
心如止水,不是心如死灰不復溫,而是學會了包容,以求完美的心態,活在這個不完美的世界,就是人一生最大的錯誤,心如止水的人,不是對任何人事都失去了興趣,而是明悟了殘缺是人生的常態。
似乎,大多數人的愛情,都要經歷各種坎坷,但,坎坷才讓我們長大,若不是經歷種種,若不是走過歲月匆匆,永遠不知道陪我們走到盡頭的人是誰,人生總會有很多的遺憾,好在,有時缺憾也是一種圓滿,在未來的某一天,生活會以某種方式來補償。
生活不能等待別人來安排,要自己去爭取和奮鬥;而不論其結果是喜是悲,可以慰藉的是,你總不枉在這世上活了一場,是讓生活過得索然無味,還是積極向上,決定權就在自己的手中,每天清晨,問問自己,不求與人相比,但求超越自己!
人以正為貴,家以和為貴;鄰以親為貴,友以誠為貴;師以嚴為貴,體以鍵為貴;馬以駿為貴,牛以勤為貴,衣以適為貴,食以素為貴;住以雅為貴,行以穩為貴;窮以志為貴,富以仁為貴;心以善為貴,品以端為貴;書以理為貴,學以精為貴。
你若想要得到,就別只是期望,人生短暫,經不起等待,不與別人盲目攀比,自己就會悠然自得,不把人生目標定得太高,自己就會歡樂常在,不刻意追求完美,自己就會遠離痛苦,不是時時苛求自己,自威迪文己就會活的自在,不每每吹毛求疵,自己就會輕輕鬆鬆。
需要學會曠達,我們不再因生活中所謂的煩惱而憂心忡忡;就會站在人生另一個高度上去看待和審視周圍的人和事;就會走在時代的前列,就會以一個過來者的身份出現在他人面前。
人活一世,看似簡單的事情卻沒有那麼簡單,經歷過風雨後才知陽光明媚就在自己的腳下,把一切不愉快,一切不如意收入自己的囊中,忘卻不愉快,重新開始,找尋平淡與真實的生活。
每一天都是要計劃好去做一些積極的事情,讓你自己充滿活力,例如,可以給那些一直以來你都很欣賞,卻很久未聯繫的人打電話,對工作夥伴說一些鼓勵的話,保持微笑,或者留出時間和孩子玩耍等。
如果花開了,就喜歡;如果花落了,就放棄,陪你在路上滿心歡喜是因為風景,不是因為你,每個人在宿命的面前,不過是無比渺小的塵粒,脆弱得承載不了一陣風;紛擾的人生,有些事情看得輕,未必不是一件壞事;走過塵世的滄桑,那時才會明白,一切繁華不過是一場浮雲。
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chinese-ny-real-estate · 2 years ago
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大纽约社区介绍之University Heights, the Bronx
大学高地(University Heights)位于布朗克斯西北部,是一块面积不大、有些地方还很邋遢的飞地。布朗克斯社区大学(Bronx Community College)占地45英亩,校园横跨悬崖峭壁,视野开阔,对社区的影响举足轻重。
这不是一所典型的通勤学校。该学院最著名的建筑由斯坦福-怀特(Stanford White)设计,2012年,学院大部分建筑被评为国家历史地标。
1973年,这个拥有约3万人口的社区并不景气。纽约大学(NYU)在19世纪末建立了这所校园,作为其格林威治村(Greenwich Village)以外的乡村校区,随着犯罪率的上升和入学率的下降,纽约大学以约6200万美元的价格将学校卖给了州政府。
据史料记载,随着有宿舍的大学被学生每晚回家的学院所取代,一个艰难的过渡时期随之而来。West 183rd Street和Loring Place North等曾经是学生和教师居住的街道变得空旷破败。
但学院的管理者和居民们认为,这所在20世纪80年代斥资数百万翻新校外建筑的学校就像一条马奇诺防线(Maginot Line),阻止了南布朗克斯的凋敝。
如今,隶属于纽约城市大学(City University of New York)的布朗克斯社区大学拥有约11000名学生和1600名教师,校门有保安人员看守,校园周围有巡逻车巡逻;2012年,由Robert A.M. Stern Architects设计的新北楼和图书馆落成剪彩。目前,学校还在翻修主广场。
6岁的盖尔-道森(Gail Dawson)说:"这个地区唯一真正稳定的好东西就是大学"。1978年,她从哈林区(Harlem)的一个公共住宅区搬到了这个社区,为的是给孩子们提供一个更安全的成长环境。当时,和现在一样,身患残疾的道森女士住在一套一居室的公寓里,房租由联邦住房券支付。
她说,虽然该地区的一些城市公园已经荒废,但学院却更注重其外观。"我喜欢这里的树,"她说。"这里很漂亮"。
大学高地给人的感觉是静态的。伟大美国人名人堂(Hall of Fame for Great Americans)是一个露天校园,收藏了约100尊半身铜像,包括艺术家、发明家和总统,其中最近期的人物莫过于富兰克林-德拉诺-罗斯福(Franklin Delano Roosevelt)。
但变化正在迫近。
该市正在考虑重新划分Jerome Avenue两英里的区域,以建造更多经济适用房、公园和商店。目前,车库、轮胎店和其他汽车行业占据了这条街道。
一些长期经营的企业主对此表示担忧,比如43岁的佩德罗-蒙西翁(Pedro Moncion),他在West 181st Street拥有一家San Rafael Auto Repair修车厂。蒙西翁先生说,将该街道重新划分为禁止工业用途可能会导致他已经经营了28年的生意终结。
此外,曾经住在附近希望山(Mount Hope)的蒙西翁先生说,在附近的许多街道上,购买杂货、衣服和电子产品的地方已经比比皆��。他说:"我不知道我们还能想要什么"。
大学高地坐落在一座小山上,从这里可以俯瞰曼哈顿和新泽西州的帕利塞德悬崖(Palisades cliffs)。大学高地的北面是West Fordham Road,南面是West Burnside Avenue,东面是Jerome Avenue,西面是哈林河(Harlem River)。根据2010年的人口普查数据,94%的家庭居住在出租房中,而整个城市的这一比例为69%。根据经纪人的说法,这些出租单元中的许多都被预留给第8条(Section 8)补贴住房,或者被安排成单人间(single-room-occupancy)。
市价单位确实存在,比如位于Sedgwick Avenue的River Hill Gardens,这是一座由Goldfarb Properties拥有的五栋砖砌综合楼。校园北面还建有优雅的七层砖砌公寓楼,其中一些是装饰艺术时期的产物。
经纪人说,总的来说,University Avenue(也称Dr. Martin Luther King Jr. Boulevard)以西的公寓楼最古老,也最时尚。
除此之外,还有零星的砖砌独户住宅,如West 179th Street的独户住宅,它们面对的是带前院的半独立式住宅。少数共管公寓包括位于Grand Avenue和Davidson Avenue的一些公寓。但有些共管公寓受到住房发展基金公司(Housing Development Fund Corporation)的限制,根据该公司的规定,购房者的收入不能超过上限。
市场价房产可能很难找到。据Meridian Realty Partners的副经纪人Jackson Strong称,如果有房,700平方英尺左右的市价一居室共管公寓平均售价为9万美元,两居室为14万美元。
Strong先生说,独户住宅的价格约为30万美元,而两户住宅可能高达45万美元。
StreetEasy提供的数据显示,截至今年8月31日,所有住房的平均销售价格为13.5万美元。2014年的平均销售价格为13.7万美元,2013年为15.9万美元。根据StreetEasy的数据,今年截至8月,一居室公寓的平均租金为1270美元,2014年为1230美元,2013年为1150美元。
Strong先生说:"我们正在吸引那些被纽约市其他地区拒之门外的人,甚至是布朗克斯的其他地区"。
由于大多数学生都住在别处,大学城的夜生活很少。位于Aqueduct Avenue East和West 181st Street的BX Campus Deli熟食店似乎是少数几家承认自己存在的商家之一。
在West Fordham Road上,有一家Dallas BBQ烧烤店在周末举办D.J.派对。在West Burnside Avenue上,有一些小店出售水果、美容用品和眼镜。
Aqueduct Walk沿着老克罗顿水渠(Old Croton Aqueduct)的顶端延伸,从19世纪40年代到50年代,这条水渠一直将饮用水从威彻斯特县(Westchester County)输送到这座城市。如果想重温美国历史,布朗克斯社区大学的名人堂也许值得一去。10月18日,布朗克斯社区大学将参加全市范围的"纽约开放日"(Open House New York)活动,届时还将参观由马塞尔-布劳尔(Marcel Breuer)设计的粗野主义(Brutalist)风格建筑。
该地区划入了几所小学,包括Andrews Avenue上的Public School 291、Sedgwick Avenue上的Public School 226和Jerome Avenue上的Public School 33。这三所学校都教授幼儿园到五年级的课程;P.S. 226和P.S. 33还设有学前班。
根据该市的统计数据,在2013-14学年的州考试中,P.S. 291的成绩略好于其他两所学校,当时有18%的学生英语达标,31%的学生数学达标。全市的这两个数字分别为30%和39%。
公立中学有Creston Academy、East Fordham Academy for the Arts和Academy for Personal Leadership and Excellence可供选择,这些学校都在社区外。
St. Nicholas of Tolentine Elementary School是一所教会学校,位于Andrews Avenue North,学制为幼儿园至八年级。
大都会北方铁路(Metro-North Railroad)的哈德逊线(Hudson Line)在大学高地有一站。到大中央车站(Grand Central Terminal)的车程为21至24分钟,月票价格为201美元。
4号线地铁沿Jerome Avenue停靠Burnside Avenue、183rd Street和Fordham Road。
在纽约大学落户之前,校园所在区域有几处庄园,其中一处属于马里(Mali)家族,该家族生产台球毡和其他台球产品。他们的砖房最初成为宿舍,如今是巴特勒厅(Butler Hall),为高中生上大学做准备。
转载自 New York Times, University Heights, the Bronx: Anchored by a College Campus
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koiiiii--ke · 2 years ago
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231017,18のこと
朝7時50分ごろ起きる。8時20分の最寄りの電車に乗りたいのでぎりぎり。なにも準備していなかったけれど一泊なのでTシャツと下着を詰めるだけ。シャツとズボンは同じでいいでしょ。20分で支度し家を出る。コンビニでおにぎりとお茶とビールを買う。8時過ぎの中央線は通勤する人で混んでいる。新宿で乗り換えて在来線で北上。9時前には人が減ってきたので昨日買った本を読みながらビールを開ける。
9時過ぎに昨日頼んでおいた退職代行から連絡が来る。今連絡したが担当者不在とのことで折り返すとのことです、と。ありがとうございますと返して本を読む。9時40分ごろに直の上司から電話がかかってくるが着拒。不思議と酒の気分じゃなくてちびちび飲みながら本を読んで、畑に変わっていく景色を眺める。
車窓を眺めて北関東は田舎なんだなと思う。小山を通り越すときに「東京は家賃が高いでしょ、君たちも小山に住むといいよ。」と言っていた上野の餃子屋の常連のおっ��んを思い出した。絶対に住めないなと思う。11時ごろに折り返しの電話が来ないから上司の連絡先を教えて欲しいと業者から連絡。さっきかかってきた番号と名前を教えると入れ違いで受理した連絡がきたとのこと。また礼を言って様々な手続きについて送られてくるのを待つ。畑と、住宅街と、山を時々眺めて本を読む。
13時ごろに新白河に着く。乗り換えのタイミングが悪く50分ほど待つ必要があるので駅中の蕎麦屋で唐揚げ入り蕎麦を食べる。唐揚げは4つ乗っていたがあまりにもまずく、2つ食べて2つ残した。食後土産物屋で赤べこのストラップを買おうか迷うがどこにでもあると思いやめる。コンビニでビールをもう1本買う。
ホームに戻ろうとすると駅員に止められる。蕎麦屋は本来お金を精算しないといけないエリアだったとのこと。謝って精算しようとするとここ数駅だけSuicaが使えないからできないらしい。かなり睨まれ語気強めに怒られたが許される。
郡山で高校生がたくさん乗ってくる。この頃には2冊持ってきた本は読み終わりそうで、景色を見ながらここで過ごす高校生活について考える。銀杏の東京では彼女が仕事をやめて郡山に帰ってたなとか考える。何度か業者から連絡がきて都度返す。
15時前に福島駅で降りる。昨日bookinig.comで目星をつけておいた宿が空いていたので予約する。やっぱりここ最近はどの宿も高い。booking.comの上級会員の割引を使って6000ほど。なにも予定を決めていないので駅の商業施設の本屋に行ってるるぶを読むが福島駅付近には本当になにもないようである。駅前広場をふらふらして併設の地図を見ると反対側に県の名産を集めたショップがあるようなので向かう。
駅の反対に行くには地下道を通る必要があるらしい。この地下道が200mくらいあって薄暗くて水滴がぽたぽた落ちていたりするからポケモンの地下道ってこんな感じだったんだろうなとか思う。壁面に広告が貼られていたが面白そうなものはなかった。名産ショップに向かう。やはり東北は日本酒が多い。買って帰ろうか迷うが荷物が重くなるのが嫌で断念。ご飯コーナーはしょうもないものしかなかった。グッツコーナーで謎のゆるキャラのキーホルダーとまた別のキャラのソフビを買う。日本酒飲み比べができそうだったがとりあえずやめておく。
また地下道で反対側に戻り、商業施設の食品売り場をチェックするがめぼしいものはなし。諦めて一旦ホテルに向かう。ホテルまでは800mほど、ぶらぶら歩くも特にめぼしいものはなし。ホテルの下にローソンがあったのでワインを買う。チェックインしたら16時過ぎだった。部屋でワインを冷やして少しゆっくりする。朝からビールしか飲んでいないことに気付いてお茶をがぶがぶ飲む。
街の散策に出かける。駅からこちら側の1km圏内をくまなく歩く。学校帰りの高校生が多い。映画館もイオンモールもブックオフもスタバもなくて、みんなどこでデートしてるんだろうなと思った(ラブホとサイゼはあったが)。本当にやることがなくて居酒屋に入る気にもなれず、駅商業施設の魚屋でパック寿司を買い、下のローソンでカップ麺を買いホテルに戻る。
ワインを飲みながら寿司を食べて、テレビを見て、カップ麺を食べた。風呂に湯を溜めて浸かりながら残った本の続きを読む。読み終わった後も幾箇所かを読み返して、のぼせる直前で上がる。お茶を飲んで、ワインを飲み直す。飲み切って少し足りなかったが買いに行くのが面倒なので11時ごろに就寝する。
7時に日の光で起きるが二度寝、8時半に起きる。30分くらいスマホを見て、だらだらしながら湯を溜める。泊まりの時はせっかくなので朝風呂をすることにしている。チェックアウトは9時半すぎ。
ローソンでビールを買って駅に向かう。駅までの道で業者からいろいろ連絡がきて返す。私鉄で15分くらい行ったところにハードオフがあるとのことなので向かう。向かいに駿河屋提携の地方でか古本屋があったので持っていた本を売った。見積もりの間ハードオフと古本屋で時間を潰す。
欲しかったアンプが20000円くらいで売られていて買おうか迷ったがあまりにも持って帰るのがしんどいので断念。キティちゃんのでかい貯金箱も迷ったがやめた。結局釣果はなし。本も1冊10円とのことで、20円もらって福島駅に戻る。戻る道にりんご畑があって、りんごの木って横に広がるんだなと思った、日照を考えて農家がコントロールしているんだろうけど。
駅に戻って商業施設で代わりの本を買う。ふらふら歩いて見つけた中華料理屋に入って麻婆麺を食べる。帰りの電車を調べるがあまり良いのがない。高速バスを見てみると15時発で3000円で帰れるとのこと。予約して昨日行った名産ショップで飲み比べをする。計1合3種類500円と格安だったので1000円6種類飲む。ある銘柄がとても美味しく買って帰ろうと思ったが飲み比べ限定とのこと。2合分ちびちびと1時間かけて飲んだ。
やることがないので昨日とは逆側を散歩する。が、昨日以上になにもなくて30分ほどで断念。イトーヨーカドーをくまなく探索したり駅内で酒を買ったりする。地元民御用達みたいなものは全然売っていなくて、東北は関東とあまり変わらないのかなと思った。九州に行った時はスーパーには知らないものがたくさん売っていて見ているのが面白かった。1時間ほどでバスの時間。乗ってちまちま酒を飲んで、SAでお土産を見たりする。でかい椎茸が売っていたから買おうか迷ったが安い訳ではなかったのでやめる。
新宿に着く。東京に着くたび帰ってきたなーと思うようになったのはいつからかわからないけれど、ちゃんと東京が自分の街になってきたんだなと思う。阿��ヶ谷まで帰ってきて、駅内の魚屋で半額の鉄火巻きを買う。明日はいろんな手続きや物送ったりをしなくちゃな。セブンでワインを買って帰宅。ワインを飲んで鉄火を食べて、シャワーを浴びて洗濯物を回す。干した後残りを飲んで、酔っ払ってそのまま寝た。
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