#友人が精神病と言われた時
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danzoku · 1 year ago
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思い出が友を作る
もし友人が正気を失って
全く別の人間のように
振る舞いはじめたならば
私は逃げるだろうか?
私の愛した部分が全てなくなっても
友人を友人と呼べるだろうか。
きっと私は呼ぶだろう、
たくさんの思い出たちを友人と見誤って。
非道を受けても
耐え切れるまで
友人だと言い張るだろう。
本当はそうじゃないと知っていても
変わってしまったとわかっていても
友情は変わらないと告げるだろう。
私は弱い。間違えている。
思い出が友人を作っていく。
思い出が友人を残す。
思い出は変わらない。
友人も変わらない。
いつか友人の灰に向かって
美しい思い出を
語りかけるだろう。
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yuihyz · 5 months ago
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こういうことをSNS(tumblrをそう呼んでいいなら)に載せるのは、もう25歳なのではしたない気もするけど、 noteでもTwitterでも無いので許して欲しい。
きっとこういうのはもう今日で最後だ。最後にしたい上手くまとめようとしたいけど、そんなのも無理だし上手くまとめるのは外向けにしたいからな気がしてきた
ナカジマと本当の本当に最後な気がする。東京と大阪なので、きっともう会えないし、あいつは結婚する気がする。知らんが。
最後は穏やかだった。最初から最後まで友達で、友達のようにセックスしてご飯食べてバイバイした。
元々は2年ぐらい前に私が病みすぎて家に呼んで、数回目からそうなって、懐かしい、2年も前なんだね。
ナカジマは初めて「付き合いたい」を抜きにして好きでいられた人で、そして長く関係が続いた人だった。ずっと楽しかった。最初こそ病んでた時の精神安定剤みたいだった。
ともだち、でも、友達でもないな。体の関係を介さないナカジマは私には必要ない。一緒に寝てくれて、セックス出来なきゃ意味がなかった。ごめんよ。
(追記:意味無くはないな、みんながいる飲み会には結構かなりいて欲しい。でも2人で会うのにセックスなしは萎えるなあ、が正解)
でもそれを薄っぺらだとは思わない。
「もう1回しようなあ」とか「生気持ちいなあ」「1人でせえへんの?」「風呂入る前にちょっとしとかなな」って言ってくれるナカジマを見るのが本当に好きで、
私が「さっきご飯食べたからお腹出てる」って言ったら「見せて?」とか。「昨日朝帰りで睡眠不足でしかも今日飲んでるから早いで」とか。楽しくて、可愛くて堪らなかった。
最低だけど、やさしくて、一緒にいて落ち着けて、話さなくてもよかった、悪い意味で。それで落ち着ける距離感だった。
大塚は可愛い。よく喋る。いつも感情はあんまり見えないけど、欲がたまに見えて、それと一緒に出てくる感情がたまらなく可愛い。
ただのセフレだったとかそういうのじゃなくて、この関係が良かった。気持ちよくてあたたかった、ちゃんと。彼氏じゃなくても満足だった。
でも、今日大塚としてる時、けーちゃんとしたかったなと、何回か思った。けーちゃんはこうしたらどんな顔をしてくれたんだろう、とか。ごめんよ。謝るのも私のエゴできもいけど。
私はワンナイトとかは絶対しない。初対面の人とか、何もギャップがない状態でセックスしたいと思えない。逆にサークルの友達、職場の人とか、とするのは好き。セックスするってなると、普段の形式的な関係性からもっとフラットな状態になれる気がしていて、その人の奥まで見える気がしてるから、好き。
大塚はその最たるものだったと思ってる。楽しかったな、たくさん貰った。私だけが知ってる大塚だと思ってる。もうこれで付き合ってない人とするのは終わりにしたい。ありまと
大塚は煙草を吸うようになってた。やっぱ煙草吸うやつはだめだ、ということにした
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blr-blue · 4 months ago
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 朝方Tumblrシリーズ(?)がわたしの中で恒例になりつつある。これも前回の記事同様、noteで書こうとしたけどやはり自意識が許さずTumblrに天下りしてきた文章です(天下りとかいったらTumblrに失礼ですね)。せっかく書いた文章だから勿体ないかなと思ってしまった。Tumblr用に若干文章をいじって公開することにします。
 一次創作で小説を書いている。ジャンルを簡単にいうと、現代物の、恋愛要素のあるヒューマンドラマだ(ここには小説関係なく繋がってくれている方が結構いるはずなので補足しておく)。
 小説を書く中で、家庭環境に難ありなキャラクターを描くことが多い。もちろんいま取り組んでいる作品も例に漏れず、そういう描写がある。
 わたしがそういう描写を好むのは、ひとえに自分の人生において、家庭環境というものを強く意識しながら生きてきたからだと思う。まあ昔の記事でも書いたので改めて詳しく説明することはしないけれど、わたしの家庭はちょっと特殊な事情が絡んでいて、一般家庭とはいえない感じの出自だ。だがわたしの家族には、複雑な環境でも享楽的であれるタイプの血筋が流れていて、だれも精神疾患には罹らないし生命力がばかに強い。もちろんその血はわたしにも流れているから、基本性格は暗いし病むときは病むけれど、なんとか自力で起き上がって生きている。前にもどこかで書いたが、曇り空の下をじょうずに歩く術をたくさん持っている感じだ。
 それでも自分の家庭がほかの人のそれとは違うことは、それこそ幼稚園児だったころからなんとなく察していたし、苦労もたくさんしてきた。やりたいことを我慢することも、現実と折り合いをつけるのもじょうずになった。テレビや��ーム・漫画などの娯楽にそれほど強い興味を感じないのはきっと、そういう育ちが関わっている気がしている。
 だから、キャラクターの人格を表現する際に、このキャラクターはどんな育ちをして、どんな経験をして、どんな思考をもつようになったのか、を考えずにはいられない。逆に、それが描かれていない作品を読むと、陳腐だな、と感じてしまう。
 以下、呪詛である。
 主人公の家庭環境が複雑だったという描写にリアリティがないと、その時点で作品を読むのがしんどくなる。
 これは、家庭環境が複雑な人にしか伝わらない感情だと思うけど、苦労して育った人と、そうじゃない人って、なにかこう、目に見えない壁があるんですよ。話しているだけで、もしくは文章を読んだだけで、「ああ、この人、何不自由なく愛されて育ったんだな」みたいな、そういうことを考えてしまう。勝手に相手の育ちの良さを察して、しんどくなることが多すぎる。
 高校2年生の冬だった。ぬるい付き合いの友人と、「もうすぐ高3かあ、受験いやだな」という話をしていた。話の流れで彼女から、「(私の本名)は予備校とか塾行かないの?」と尋ねられた。うちは余裕ないから塾は通わないかな、と返事をする。彼女は、「え~。わたしが通ってるとこ、まだ通い始めて3ヶ月だけど今のところ20万くらいしか掛かってないみたいだよお~。(私の本名)も来なよ~」と、悪気なく言った。わたしの父親の月収は20万にも満たない。死ね、と思った。悪気がなかったとしても、自分の育ちの良さに自覚がない人が嫌いだし無理すぎる。そういう人とは会話のピントが合わないのだ。これは何をどう説明してもわかりあえないし、そっち側の人には理解できない感覚なのである。
 創作物には作者の価値観が色濃く反映されがちである。web小説においてもそうだ。だからこそ、自分が読み手側に立ったとき、たまに合わない作品に当たってしまうと、自分との違いに酔いそうになる。家庭環境が複雑なキャラクターの言動や思考に違和感を覚えると、この作者、愛されて育ったんだなって、あんまり苦労してきたことがないんだろうなって、勝手に想像してはそっと作品を閉じる。フィクションなのはわかっているけれど、精神が疲弊する。作品にげんなりするわけじゃなくて、自分の出自との圧倒的な差を見せつけられているような気分になって、そんなことを勝手に考えて傷ついている自分が嫌いになる。逆に、おそらく作者にとっても等身大の悩みを精緻に描写されている小説は信頼できる。本物という感じがして安心する。 (ごめんなさい、誰かを貶める意図は全くないです。これはただの自己嫌悪なので)
 だからといって自分の描写に自信があるわけではない。家庭環境の複雑さをエンタメに落とし込む行為がそもそも暴力的なので、それ��自覚した上で、キャラクターに敬意をもって、生々しく描きたいですね~。いったんこの話は終わり。
 さいきん、創作活動においてダルいこと・不愉快なことが多すぎる。まあ、自衛できないわたしが悪いということにします。
 これ以上は何を話してもアウトなので言いませんが、もっと吐き出したいことはある。だけどオープンな場で言えるラインはここまでな気がしているのでこの辺でこの話はやめておく。これでもかなり頑張った方だ。これを見ているあなたは不安がらないでください。不安がってくれるあなたのことでは絶対にないから。
 Twitterを辞めたいのに辞められない。依存しているので当たり前だ。快を得るためにTwitterをしてるんじゃなくて、不安を取り除くためにTwitterをしているんですよ。薬物中毒と同じですね。まあ、薬物依存も行動依存もドーパミン系だかなんだかで同じ働きをしてるから原理は一緒ですもんね。適当ですみません、でも手元に当該の論文があるので多分正しいです。
 ログアウトなんて意味ないんですよ。どうせログインするから。でも垢消しはしたくないんですよ。寂しいから。はいもう打つ手なし。一生TLスポスポ更新して人生を終えます。
 暗い話が続くので明るい話でもする? さいきんあった良いこと羅列して今日のところは終わろうかな。
・最近気温が高くて過ごしやすい
・Uberで頼んだアイスがすぐに届いた
・インドカレー屋で盗み聞いた男子高校生の会話が面白かった
 もう尽きました、おわり
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jaguarmen99 · 2 months ago
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48 名前:名無しさん@おーぷん[sage] 投稿日:25/04/18(金) 21:45:30 ID:XS.w0.L1 [1/2] 三学期の終業式は今年度で退職や異動する先生の離任式も兼ねていた。 離任する先生達は最後にそれぞれスピーチをする慣わしがあるのだが、その内の1人の先生のスピーチが あまりにも衝撃的だった。 内容を箇条書きすると ・教師生活全く楽しくなかった。 ・教師辞められて清々しい。 ・お前ら生徒みんなクズだ。きっとろくでもない大人になるでしょう。 等の暴言を次々と吐いた。
749 名前:名無しさん@おーぷん[sage] 投稿日:25/04/18(金) 21:46:55 ID:XS.w0.L1 [2/2] 普通こういう場面でこんなスピーチする人いないだろうから他の先生も突然の出来事に呆気に取られていて静止できなかった。 確かに私たちの学校はそんなに偏差値高いとは言えないが、素行不良の生徒は私の知る限りいない。 教室戻ったら担任は「止めるべきだった。不快な思いさせて申し訳ない。」と謝罪し 「あの先生元々病んでてギリギリで精神科医の診断パスしたけどやっぱり教師になるべきじゃなかったんだ。 どうかお前たちああいう大人にはならないでくれ。」と続けた。 後味悪い終業式になり、友達と「あいつあれでも大人かよ。」みたいな話はしたが同時にそこまで病んじゃったのは 可哀想だと思う。 だからと言って自分たち生徒に自分の苛立ちをぶつけるのはあんまりな話ではある。
750 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:25/04/19(土) 02:20:34 ID:tX.mt.L1 [1/7] >>749 私の学校にもいたよ 「本当はなりたい職業が他にあったけど夢が叶わず仕方なく先生になりました」って挨拶した中学の担任 マジでやる気無くて、常に低燃費だったし、生徒の名前最後まで覚えられてなかったw
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millmilkmill · 5 months ago
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21:21
最近20歳くらいだったの時の事をよく思い出す。
Twitter最全盛期、私がメンヘラサブカルど真ん中だった頃。当時から初期Instagramはあったけど、あんまり主流じゃなかった。このTumblrはむしろその頃の方が盛んだったかもしれない。
ももちゃん14歳とか、ひなみちゃん、まきろん。ちゃんとか、兎丸愛美ちゃん、水越リカちゃん、はくるちゃん、鵜川さん。(知らない人はごめんなさい。) (縷縷夢兎に出てた子たちなのかな)
本当にどハマりというか、今で言う推し活、レベルで好きで、東京に行ったら彼女たちのようになれると思っていたし、私にはない感性が羨ましくて仕方なかった。
改めて今彼女たちを検索すると、あぁ、懐かしい、エモいというあまりにも稚拙な言葉でしか表せないのだけれど、2010年初頭はまだ二重神話的なものはそれほど強くなく、彼女たちは皆それぞれの持ち札、価値観があって流されず、確固たる自己肯定感があると思いきや、時折精神的に不安定なツイートをしたりする危うい女の子たちだった。
下北沢に行けば彼女たちがいる気がしたし、あの雑多な感じが昔の自分には居心地良くてよく通った。友達と訪れたら、黒川食堂ばかり行っていたことを思い出す。今や機会がなければ下北沢にはほとんど行かなくなった。
加えて3年に1度くらい思い出すのは病み垢時代のツイッタラー(この名称すら死後)のこと。
家庭環境最悪で奨学金を借りつつパパ活で公立大学に通ってた、たまたま同郷だった子。
完全ネット繋がりで出会い、こちらも家庭環境ハチャメチャ、挙句不倫が辞められず、精神疾患も患っていたが、なんだか楽しく過ごしているようだったので疎遠になっていたら、数年後自殺したことがわかった子。
この2人+1人とか、東京でオフ会することが上京して5回くらいあったけど、今振り返るとなんととんでもない人間たちの寄せ集めだったことか。
ふとそういえばと思い出しては、みんなどうしてるのだろう、あれから遠い所に来てしまったと懐かしむ日々になった。
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xx86 · 6 months ago
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2024年、乗り換え、バランス、神様
今年私的一番のニュースはと聞かれたら突然20kg痩せたのに健康上何も問題なかったことだ。3ヶ月で20kg。今ふりかえってみれば仕事の、正しく言えば仕事上での人間関係からくるストレスだったのだろう。あの頃、体重減少と共に少食になってランチはいつもおにぎり1つだった。カップラーメン2つ食べてた私が。いいの、元々少し太り過ぎだったから。でもすごいよね、ストレスで20kg痩せられるんだ。元部署へ、20kg分のストレスと健康をありがとう。おかげで履けなかったスカートが履けるようになったし、大半のボトムスは履けなくなった。衣服手当ください。
私がおかしいのだとずっと思っていた。いつも怒り狂っていたし、いつでも泣けた。そんな中部署を異動したらおどろくほど精神が穏やかになった。朝目が覚めた瞬間、仕事行けないやつだ、と体が固まることもほぼない。ごはんも食べられるようになった。元々居た部署にあのままいたら確実にメンタルぶち壊して今頃休職していただろう。
異動は転職というのはうち��会社で異動を経験した人が必ず言う言葉だ。部署ごとやっている業務も担当する分野も全く異なるので、関わる人達もまるっと違うけれど、今とても恵まれた環境な気がする。大変な部署にいたんだね、と新しい部署の人達に哀れまれてようやく報われた気がした。いやあの人たちはあの人たちで正しいのだろう、あの部署では。私が順応できなかっただけで。
ただ私が今の環境を手放しで喜べないのは、目の前にきた電車にただ乗り換えただけだからだろう。環境が変わっただけ。私はなにも変わってない。根本は何も変わっていない。今はトンネルを抜けたらトロピカルビーチだったけど、いつかこの電車も塩狩峠に向かうかもしれない。それってどうなんだろう。私は前の部署で上司と面談の度、結局は自分だと思うので、と何度も口にした。苦手な人が辞めれば楽になるか、部署を異動したら楽になるかと言われれば違うと思う。一瞬それで楽になったとしても自分が変わらなければずっと同じことで壁にぶち当たると思うと。その言葉をトロピカルビーチでふと思い出すのだ。そうだよなあ、至極真っ当だ。前の会社で上司に仕事は遊ぶ金稼ぐための暇つぶしと言われたことがある。早くそのマインドを手に入れたい。でなければ私きっとまたダメになる。
懺悔として、今年はお金に対してものすごくちゃんと出来なかった年だった。反省。部屋は綺麗に保てるようになったし、生花もお手入れし絶えず飾られている。本も沢山読んだし、栄養もなんとなく考えてごはんを食べてるし、色んな出会いがあって豊かな1年だった。その裏でお金に対してだらしなすぎた。穴の空いたお財布すぎる。友人に言ったらまた始まったと呆れられそうだけど、ほんとにほんとに今年はお金を大事にしなさすぎた。
欲しいものはどうやったって欲しい女の精神で生きてきて、なんだって自分で手に入れてきた。でも今年の買い物熱は異常すぎたのだ。これはストレスじゃなくて病。自分でも引いてる。リミッター外れるとこわいよね、人間。
8年程担当してくれている美容師さんに今年一番がんばったことを聞いたら禁煙と言っていた。禁煙外来にかかったらしい。やっぱ何かを辞めるって人の手を借りることも大事だよなあ。私もお金のプロに家計管理してもらおうかな。節約するためにお金を払うのウケるけど。あとママが税理士なのに娘がお金に対してこんなに雑なのもウケるな、ウケないけど。とりあえず見て見ぬふりしてるクレジットカード明細を掘り起こすところから始めよう。
何度か話しているけれど中学生の頃、この本は大人になったら意味がわかるんだろうな、と思った小説が多かった。大人になって読み返したら刺さりすぎて失血多量でぶっ倒れた。今はそれさえも超えて、そんな風に感じた時もあったなあ、という気持ち。懐かしい、遠い過去のような。水を弾く油のように、あの頃のよにすっと入っていかない。私は今アンダスタンドメイビーを読んでも血まみれにならないだろうし、首がもげるほど頷かないだろう。なんといってもあんな重たい本読む気力もないし。読むべき時に読んでよかったと思う。私は一度も故意で体に傷をつけたことはないけど、小説を読んで自傷行為をしていたのだと思う。読書が自傷行為からただの娯楽になってくれたことを、なってくれた自分をありがたく思う。心のバランスは変わっていく。成長や後退ではなく、流動的に。
ちなみに急激に痩せたからなのか年齢なのか、体調を崩すと洒落にならない感じになってきた。心だけではなく体のバランスも変わるから難しいよね。
どうかわたしだけの神様になって。わたしのことを許して、というのはアンダスタンドメイビーを読んで当時崩れ落ちた一言だ。なぜなら読む数ヶ月前に全く同じようなことをTumblrに書き綴っていたから。それを書き残した登場人物は自殺している。私は救ってほしかった。神様が現れて、全部を大丈夫にしてほしかった。
でもさ、今その本がしっくりこなくなったのならと礼は自分で自分の神様になったんだね、と律子に何の気なしに言われた。思わず突っ伏して泣きたくなった。
その言葉にどれだけ救われただろう。そうか、いつの間にか私は私だけの神様になっていたのか。私の人生にはいつでも神様がいて、その人が全部大丈夫にしてくれていた。そんな人がいなくなっても、私は生きていけるのだと、私は私だけで自分を抱きしめてあげられるのだと思えたことが、何よりも嬉しい。
常識というのは自身が30歳までに身につけた偏見という言葉を私は結構大事にしている。来年は20代ラストイヤーなのでできるだけ沢山の価値観に触れて、ウクレレとか弾きながら気楽に生きたい。クレジットカードの明細見ながら、健康的に。
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kennak · 2 months ago
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この1か月、イングランドは熱かった。ヨーロッパ各国が参加して競い合うサッカーの2020年欧州選手権(EURO2020)で、主要な国際大会としては55年ぶりに決勝に勝ち進んだのだ。  どんなにサッカーに興味がなくても、今年のイングランドでEURO2020に気がつかない人はいなかっただろう。連日の報道はもちろん、決勝が近づくにつれてトップニュースに取り上げられ、ご近所さんとの立ち話でもサッカーの話題があいさつ代わりになる日々だった。スポーツに縁がないご近所のおばあさんもサッカーの勝ち負けの話をしていたし、サッカーが全然わからない友人も続々とにわかファンになっていった。  わたしもサッカーは超初心者だ。イングランド代表の一人、マーカス・ラッシュフ��ード選手の慈善活動(こちらの記事で紹介しています)に興味を持って今年からサッカーを見始めたばかりなのだ。ルールもまだあやふやで、今大会でも最初のうちは、きっちり刈り込まれて(あるいは束ねられて)キマっている選手たちのヘアスタイルにばかり目が行っていた。それでも、わたしにとってほぼ初体験のこの大きな大会は、幸運なことにイングランドのサッカー史に残る大会になった。  イングランドの初戦は6月13日のクロアチア戦だった。これに勝ってグループステージ第2戦でスコットランドと引き分け。このあたりから、イングランドは熱が入り始めた。同じ英国内でありながら(国内だからこそ?)、この二国の間には長年の因縁があるのだ。その後スリーライオンズ(イングランド代表の愛称)はチェコ、ドイツと順調に勝ち続けた。主要な国際大会でドイツを破ったのはなんと55年ぶりのことで、試合後、スタジアムにはいつまでも喜びの雄叫びをあげるファンの声が響いていた。こうして25年ぶりに進出した準決勝ではウクライナに勝利。55年ぶりの決勝進出を果たした。  やたらに何十年ぶりという言葉が続いてしつこくなるが、この数字は報道でも呪文のように繰り返されていた。「歴史的な」という言葉を何度も聞いた。1966年の試合を観た年配のファンにインタビューし、エリザベス女王が優勝杯を渡す場面を何度も放映して55年の歴史を振り返る様子に、優勝への悲願を感じた。 ファンが街に繰り出す試合の日、住宅地はたいていしんと静まり返っていた。出かけない人もパブや家でテレビを見ているからだ。テレビを観ていなくても試合の流れはなんとなくわかる。どこからともなく叫び声が聞こえてくるのだ。わが家のすぐ下の階に北アフリカ系と思われる男性が住んでいるのだけど、今回、彼が熱烈イングランドサポーターであることが熱い絶叫から伝わってきて、なんだか嬉しくなってしまった(ふだんはすごく物静かな人なので、今度会ったらそのことに触れるべきかどうか、ちょっと迷っている)。  大会期間中、イングランド代表を応援する気持ちを共有することで、家族や友人やコミュニティーに一体感が生まれたと話す人が多かった。イングランドでは厳しい外出制限が春から少しずつ緩められて、離れて暮らす家族や友人にもやっと会えるようになったところだ。会えない時間を長く過ごしたからこそ、一緒に何かできる喜びがより深く味わえるのかもしれない。それにコロナ以外の、しかも明るい話題は久しぶりのこと。スリーライオンズの快進撃は、55年ぶりに優勝できるかもという大きな夢と希望を与えてくれた。だから大人も子どもも夢中になった。 気持ちをひとつにするには、歌いやすくて勢いのつく応援ソングも大切だ。Football is coming home.(「サッカー(優勝杯)が帰ってくるよ」=「優勝するぞ」の意味)の歌詞でおなじみのThree Lions(全曲はこちらから)は安定の人気で、大会期間中にヒットチャートにも入った。スタジアムに轟きわたるこの歌の大合唱は圧巻で、Football is coming home.はこの夏の合言葉だった。  さらに今年は、ドイツ戦で音楽担当DJがスタジアムに流したことがきっかけで、ニール・ダイアモンドの『スイート・キャロライン』(曲はこちらから)も応援歌に加わった。メロディーの合間にSo good, so good(いいぞ、いいぞ)と入れる合いの手もすぐに作られて、みんなノリノリ。もう1曲は2001年に女性アイドルグループのアトミック・キトゥンが歌って大ヒットした『ホール・アゲイン』(曲はこちらから)。「ベイビー」という呼びかけをイングランド監督の「サウスゲイト」の名前に替えて歌っている。 決勝進出が決まると、とうとう政府も浮かれ始めた。官邸をイングランドの旗で飾り、自らも応援シャツを着たジョンソン首相(本当はサッカー好きではないらしい)が、優勝したら決勝翌日の月曜日を祝日にすると発言したのだ(優勝しなかったので祝日にはならなかったが、前夜の敗北をひきずってか、あるいは二日酔いでだったのか、「病欠」が多かったそう)。決勝は日曜の夜8時キックオフだったが、個人商店だけでなく一部の大手スーパーやチェーン店も、従業員が観戦できるように当日の営業時間を早めに切り上げ、翌朝も遅く開店すると発表。さらには子どもたちにも試合を最後まで観戦してほしいと、月曜の登校時間を遅らせる学校まで続出した。  決勝前日にはいよいよエリザベス女王からも「健闘を祈ります。試合の勝利だけでなく、あなたがたが持つ精神と誇りが歴史に刻まれますように」(筆者抄訳)という励ましのメッセージが贈られた。これはもう確実に国民的イベントだ。  こうして盛り上がっていくイングランドや熱狂するファンを見ているのは楽しかった。ピッチでのちょっとした動きに一喜一憂して大声をあげ、「オーマイゴッド!」と顔を両手で覆い、この世の終わりのような顔になる。単純ではあるけれど、なんだかとても人間らしい。ここまで夢中になれるのはうらやましい。 午後は何となく落ち着かず、友人とメッセージのやりとりをして過ごした。この日はウィンブルドン最終日だったので(今年はサッカーでややかすみ気味)、何を観るのか聞いてみると、両方だと疲れるからやっぱりサッカーかな、という意見が多かった。  夜の試合は夫にルールを教えてもらいながら家で観戦。合間には��人や夫の娘たちと「今、ラッシュフォード映ったね!」「見た、見た」「今のはレッドカードだよ」「そうなの? なんで?(←もちろんわたし)」とメッセージでガールズトークも展開。EURO2020はわたしにとっても、人との間をつないでくれた大会だった。  試合の結果はご存じのとおり。イングランドは開始2分でゴールを決めたものの、1対1で延長の末にPK戦にもつれこみ、3−2でイタリアが優勝した(決勝戦当日の写真はこちらから)。It's coming home.ではなくて、It's coming to Rome。優勝杯はローマに行ってしまった。実はイタリアでもユーロ杯優勝は53年ぶりのことで、国中が大騒ぎになったそうだ。  一方、お祭りすんで日が暮れたイングランドは一気に静まり返った。1か月続いた興奮の炎が一瞬で消えてなんだか取り残されたようで、その夜はわたしもなかなか寝付けなかった。頭の中でずっとFootball is coming home.の歌声がリフレインしていた。  こうしてイングランドの熱い1か月は終わった。優勝は叶わなくてもコロナ禍に夢と希望を持ててよかったよ、と締めくくりたいところだが、それで終わらないのが複雑な社会というもの。
「優勝杯は帰ってこなかった」サッカーEURO2020にわいたイングランドの1か月|England Swings!|World Voice|ニューズウィーク日本版
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chikuri · 2 years ago
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クロエ・コールは12歳の時トランスジェンダー医療に引き込まれた犠牲者だが、その苦しみを全身に背負いながら同じ境遇の子供たちを救うため活動している。トランスジェンダリズムの闇にメスを入れるべく開かれた米国下院司法委員会の公聴会で、涙ながらにその全貌を語った。 以下、和訳と解説: まずは約5分に渡るクロエのオープニング・ステートメントから: = = = = = = = = = = 私の名前はクロエ・コール。デトランジショナー*です。別の言い方をするなら、私は自分が間違った体に生まれたと信じていて、そして、私が信頼していた大人たちは私のそんな考えを肯定し、生涯癒えることのない傷を私に残しました。 (*=ホルモン療法や身体整形などの医療行為により性別を変え(トランスし)た後、元の性別に戻ることをデトランスdetrans、その個人をデトランジショナーdetransitionerという) 私は今日、アメリカ史上最大の医療スキャンダルの犠牲者として、皆さんの前でお話しします。皆さんにこの狂乱を終わらせる勇気を持っていただき、私が経験したような苦しみを、脆く危うい状況にあるティーンエイジャーや子どもたち、そして若い大人たちが味わうことのないようにしていただきたいと願っています。 - 12歳の時、私は後に医療チームが性別違和と診断するような経験をし始めました。私は幼くしてやってきた思春期の真っ只中で、自分の身体に起きている変化をとても不快に感じていました。男性から注目されることに怯えていました。今になって思えば、両親に「自分は男の子のような気がする」と言ったのも、思春期が嫌で、この未知の性的な緊張が無くなってほしいという意味だったでしょう。私は姉たちよりも兄たちの方を少し慕っていましたし。 私はダイニングテーブルの上に置手紙をして、自分はトランスジェンダーだと告白しました。両親はすぐに心配し、医療の専門家の助けを借りる必要があると感じたようでした。しかし、それは間違いだったのです。家族全員が即座に、イデオロギーに突き動かされた欺瞞と強要の道を歩むことになりました。 私が受診した一般的な専門家は、両親に「すぐに思春期抑制剤(ブロッカー)を飲ませる必要があります」と言いました。 彼らは両親に簡単な質問をしました:「 死んだ娘さんと生きているトランスジェンダーの息子さん、どちらを選びますか?*」と。 (*=トランス医療における常套句で、子供の主張するジェンダーを肯定しなければ��の子は自殺してしまうだろう、ならば性別を移行させてやる方が本人のメンタルヘルスも回復し希死念慮もなくなる、という意味) その選択は両親の警戒を解くのに十分でしたし、今考えても両親を責めることはできません。私たち全員が、いわゆるジェンダー肯定治療(ジェンダー・アファーミング・ケア)*の犠牲になった瞬間でした。 (*=欧米で広く支持されてきた療法で、患者の経験や感覚を尊重し本人の主張するジェンダーに寄り添った医療やサポートを行う) - 思春期ブロッカー、そしてテストステロンへと急ピッチで進められ、その結果、更年期障害のようなほてりで学業に集中できなくなりました。今でも関節痛や背中の変な痛みがあります。ブロッカーを使っていたときのほうがずっとひどかったですが。 その1ヵ月後、13歳のときに初めてテストステロン注射を打ちました。不可逆的な身体の変化が引き起こされ、私の声は永遠に深く、顎のラインは鋭く、鼻は長く、骨格は永久に男性のそれになり、喉仏はより目立つようになり、生殖能力は不明となりました。 時々鏡を見ると、まるで自分が怪物のように思えます。 私が二重乳房切除術を受けたのは15歳の時です。医師は切断した乳房にガンがないか検査していましたが、もちろんガンなどなく、私は完全に健康でした。まだ発育途中だった私の体や乳房は、不安な10代の少女として気まずい思いをしたこと以外、何の問題にもさられていませんでした。 私の両胸は摘出され、その組織は焼却されました。合法的に車を運転できる歳ですらなかった。しかし将来の女性としての大きな部分が奪���れたのです。母乳で我が子を育てることはもう決してできない。鏡の中の自分を見るのもつらい時があります。今でも性機能障害と闘っています。胸には大きな傷跡があり、より男性的な位置にくるようにと乳首を切除した皮膚移植のため、今日もそこから体液が垂れています。 手術後、学校の成績は落ちるところまで落ちました。 私が経験したこれら全ては、抱えていた根本的な精神衛生上の問題を解決するものではありませんでした。そして、ジェンダーについて理論を持つ医師たちは、私が手術によって漠然と男の子に似たものに変化すれば、私の悩みはすっかり無くなるだろうと考えたのです。 彼らの理論は間違っていました。薬と手術は私の身体を変えましたが、私が女性でありこれからもずっと女性である、という基本的な現実は変わらなかったし、変えることもできなかった。専門医が私の両親に、「死んだ娘か生きているトランスジェンダーの息子を持つことになる」と当初告げたとき、私には自殺願望などありませんでした。私は幸せな子供で、人と違うことで悩んでいただけです。 しかし手術後、16歳の時、私は自殺したいと思うようになりました。今は良くなっていますが、両親はもう少しで、医師から約束された死んだ娘を手に入れるところでした。私の主治医は、彼らが避けたいと言っていた悪夢そのものを作り出すところだったのです。 - 私はアメリカのティーンエイジャーとその家族にどんなメッセージを伝えたいのでしょうか? 私に必要だったのは嘘をつかれることではありませんでした。共感して欲しかった。愛されていると感じることが必要でした。男の子に変身すればすべての問題が解決するという妄想を肯定するのではなく、私の悩みに取り組むセラピーを受ける必要があったんです。 私たちは12歳の子供たちに、「間違った身体に生まれてきた、自分の肉体を拒絶していい、自分の肌に違和感を覚えるのも正当だ」、などと言うのをやめねばなりません。 「どんな服を着るかとか、どんな音楽を聴くかなどを選べるように、思春期だってチョイスであり、どのような思春期を過ごすかは自分で選べるのだ」、なんて子供たちに言うのはやめなければいけないんです。 思春期は大人になるための通過儀礼であり、緩和されるべき病ではありません。 - 今日、私は自宅で家族と19歳の誕生日を祝うはずでした。しかしその代わり、私は選挙で選ばれたあなた方に必死の訴えをしています。 オピオイド危機のような他の医療スキャンダルから教訓を学んでください。医者も人間であり、時には間違っていることもあるのだと認識してください。 私の子供時代は、私たちのネットワークを通じて知り合った何千人ものデトランジショナーたちと同様に台無しにされました。 どうか止めてください。あなただけが止められるんです。この野蛮なエセ医学によって、すでに多くの子供たちが犠牲になっています。どうかこの私の警告が最後のものとなるようにしてください。 ご静聴ありがとうございました。 = = = = = = = = = = - 公聴会でのクロエの証言はどれもショッキングであると同時に、彼女の堂々たる勇姿が人々の胸を打った。中でも子供のトランス治療に賛��した両親の存在についてクロエが声を詰まらせながら語ると、彼女の思慮深さに感動し涙する大人たちであふれた。 13歳から17歳の間に思春期抑制剤、異性間ホルモン剤、二重乳房切除術を受けたとして、カイザー財団病院とパーマネンテ・メディカル・グループを訴えているクロエは、公聴会の中で民主党側が招いた証言者のレイノルズ博士に話しかけた。 トランスジェンダーを自認する子供の母親であり、プロのカウンセラーでもあるミリアム・レイノルズ博士は、委員会の公聴会で「未成年者の性転換治療は必要であり、命を救う」と明言し、彼女の子供も現在ホルモン補充療法を受けているとしている人物である。 以下はクロエからレイノルズ博士への発言: = = = = = = = = = = レイノルズ夫人が我が子のために不安なのは理解しました。これは言っておきたいのですが、私は彼女を憎んでいません。ここにいる誰も彼女を嫌悪したりはしていないと思います。実際、私は彼女の中に自分の母親と父親を見ています。そして、明らかに彼女は子供を心から愛している。それに、彼女はできる限りでベストを尽くしている。ただじゅうぶんな術はなくて…気の毒だと思います。 子供を救いたいと願うすべての親には、最大限の援助とガイダンスがあって然るべきです。 しかしながら、私は、彼女の子供が私と同じ結果になることを望みません。誰であっても性別移行やデトランスを後悔してほしくない。なぜって、それは信じられないほど困難で、他にはない苦痛が伴い、容易なことではないからです。 彼女のお子さんが幸せで満ち足りた青年時代を過ごせるようにと願います。それがたとえどんな形であろうとも。 = = = = = = = = = = - ある日突然、幼い我が子が性別違和を訴え、多くの親たちは狼狽する。メディアや学校や小児科医やママ友まで「トランスキッズは増えているが、それは彼らが自然にカムアウトできる時代になったから。子供たちの真のジェンダーを肯定してあげなければ、彼らは間違った身体に入れられた心の苦痛に耐えきれず、自死を選ぶだろう」と言っているのだから。 日本では欧米で起きている子供たちに蔓延する熱病のようなトランス・ブーム、LGBTQイデオロギーに侵食された科学分野や医療業界、金儲けのために健康な子供たちを切り刻む医師、司法・行政・教育機関が一丸となって親から子供を引き離している実態などがまるで知られていない(にわかには信じ難い話で、まあ無理もないけれど)。 だから、クロエ・コールや他の何千という未成年のデトランジショナーがトランス治療に加担した病院や医療従事者を訴えている、と聞くと、「金目当てだろう、医者のせいにすんな」とか、「厨二病に罹ってバカを言った子供の責任だし、親もどうかしてる」とか、セカンドレイプにも似た被害者への罵詈雑言が飛び交う。 しかしそんな無知で傲慢な彼らのどれほどが、クロエや彼女の家族と同じ状況に立たされた時に後悔のない選択をできるだろう。医者や専門家という職業を信頼していれば尚のことである。 まるで他人事の彼らは、日本でも子供たちへのトランスジェンダリズム啓蒙、保護者からの引き離し(親に内緒で未成年児童をLGBTQユース団体に参加させるなど)、そして思春期抑制剤の推進なども起きていると知っているのだろうか。 画像 - トランスジェンダリズムに基づくトランス医療はエセ医学であり、欧米で今、デトランスした子供や若者たちが訴訟を始めているように、大きな巻き返しが起こって医療スキャンダルとして扱われる日が来る。 そう願って日々発信しています。 (終わり) さらに表示
Xユーザーの🇺🇸 🇯🇵Blahさん: 「クロエ・コールは12歳の時トランスジェンダー医療に引き込まれた犠牲者だが、その苦しみを全身に背負いながら同じ境遇の子供たちを救うため活動している。トランスジェンダリズムの闇にメスを入れるべく開かれた米国下院司法委員会の公聴会で、涙ながらにその全貌を語った。 以下、和訳と解説:… https://t.co/DRd2Vlbwfc」 / X
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triflingdoodle · 10 months ago
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在日をやってると100
 最近、文章やスピーチをお願いされることがチラホラとあって、内心、「僕なんかに依頼して大丈夫なのか」と戸惑いながらもせっかくだしと引き受けては後になって後悔するというのを繰り返している。
 自分で読み返すと、語彙力も無いしなんて程度の低い感想文なんだろうと思うし、後になってあれも書けなかったこれも書けなかったと気が付いて反省することが多い。
 このブログでもシェアしたけれど、関東大震災の朝鮮人・中国人虐殺から99年目の2022年の9月1日にはGQ JAPANに「関東大震災朝鮮人虐殺事件から99年目──僕たちは差別を止める側、弱者を助ける側に回れるのか?(https://www.gqjapan.jp/culture/article/20220901-great-kanto-earthquake-massacre)」というコラムを書かせてもらった。2年経ったいまは在日クルド人をターゲットにしたヘイトスピーチがかなり危険ところまできていて社会はなかなか良い方向に進まないなと暗い気持ちになってしまう。  過去も現在も未来も、あの問題もこの問題も繋がっているというのがわかるようなのが書きたいなと思いながらなんとか書き上げて掲載してもらえたけれど、読み返すと、あのこともこのことも書けなかったし書くべきだったなと密かに反省していた。特に虐殺された中国人や社会主義者のこと。虐殺された社会主義者のことは僕の記事では完全に抜け落ちてしまっているし...。まとめて語られがちだけれど、数の多い朝鮮人の話がメインで語られる傾向があるけれど、そうなることでみえなくなっていることがある。虐殺された中国人ついてはぜひ @fukuyoken3daime さんのツイートの連投を読んでみてほしい。 (https://x.com/fukuyoken3daime/status/1830043385396342866)
 今年はいまのところ、2つのコラムを書かせてもらっている。一つは8月6日に発売された、広島から平和を希求するマガジン「TO FUTURE ZINE 2024 -ISSUE 18-」で、2023年と2024年の入管法改悪についての文章を書かせてもらった。もう一つは、先日開催された「スナック社��科横浜映画祭#2 特集:飯山由貴」の配布資料に掲載される文章。
   TO FUTURE ZINEの方はネット(https://online.recordshop-misery.com/items/88231992)で購入可能です。「スナック社会科横浜映画祭#2 特集:飯山由貴」の方ですが、公開して良いとのことなのでせっかくなので掲載しておこうと思います。作品をすでに観た人もまだ観たことない人も少しだけ違う視点をで作品を観れる文章が書けたらいいなと思いながら書いたけれど、読み返すとやっぱり上手く書けていないなと思ってしまって、あちこち手直ししたい気持ちになってしまう。でもいまそれをする時間の余裕もないのでそのままにしておきます。 
無題(スナック社会科横浜映画祭#2 特集: 飯山由貴映画祭 によせて) 
初めて飯山由貴さんの作品を観たのは、2022年10月15日、16日と京都の龍谷大学響都ホールでの「オールドロングステイ」の上映会に実行委員会の一人として参加させてもらった時だった。 
ヘイトスピーチデモのカウンター行動で知り合った友人が、 僕が入管収容の問題に関心を持ち 大阪入管に収容されている人たちや一時的に収容から解放された仮放免の状態で生活してい る人たちの支援をしていることを知っていて映画に興味があるのではと声をかけてくれた。 
入管の被収容者や仮放免者を支援するようになって、 難民、 犯罪等で在留資格を取り消され た人、 技能実習先から逃げ出すなどさまざまな理由で非正規滞在となりそれが発覚し収容され た人、ほんとうにいろいろな人と出会ってきた。 いつも支援をしながら 「特別永住」という在留 資格で生活する自分の状況と彼ら彼女らの状況を照らし合わせて考えてしまう。 
支援を始めてすぐの頃、「永住者」 が犯罪で在留資格を取り消され退去を迫られている現実に 衝撃を受けた。「日本にしか生活基盤がない人に帰れってどういうこと?」 という僕の素朴な疑 問は世間一般の日本人にはなかなか理解してもらえない。 
難民が入管に強制的に収容されているというのも衝撃だった。 「特別永住」の在日朝鮮人の 中には戦後、政治的な迫害(済州島四・三事件など)から逃れるために「密航」してきた人たちも いる。 元技能実習生の面会では彼らが戦前戦後の朝鮮人労働者の状況と重なった。 
特別永住の資格ができる狭間で在留資格を得られなかった韓国人の老夫婦の帰国の支援を したことがある。 最初は「密航」で日本に来日し、親戚を頼って生活していたが、あるとき摘発さ れて大村収容所に収容され強制送還となってしまった。 「特別永住」の資格ができたあとに観光 で来日し、在留期限が過ぎた後もオーバーステイのまま滞在しずっと大阪でひっそりと生きてた という。 僕と出会った時の夫婦の年齢は80歳前後。 病気で倒れるまで現場作業でバリバリ働 いていたけれど、 非正規滞在のため健康保険も非加入��公的支援も何も受けられず、どうにも ならないと帰国することになってしまった。 1度目の強制送還がなければもしかしたら 「特別永 住」を取得する道もあったんじゃないだろうか。 僕よりも長く (最初の来日から数えると50年 以上)、ただ働いて生きてきただけなのになぜ医療も生活保護も受けられず日本から追い出さ れないといけないのかいまだに理解ができずにいる。 
日本人と外国人の間に引かれた線、 特別永住の外国人とそれ以外の外国人の間に引かれた 線、 永住の外国人とそれ以外の外国人の間に引かれた線、 あちこちに引かれた見えない線がほ んとうに正しいのか社会に問いかけるにはどうしたらいいのか。 そういうことを日々考えてい たときにたまたま観ることになった「オールドロングステイ」は大きなヒントをくれたように感じている。  外国人登録令による日本国籍喪失とその後の参政権や社会保障からの排除、 民族教育を否定 する通達、日本国憲法の制定過程など植民地主義を根にするさまざまな問題、ハンセン病療養 施設における朝鮮人差別と格差是正運動、 帰化制度における差別、 在日朝鮮人の中の障害者差別など、 在日であり障害者であることで受ける差別の背景に広く深く迫ることで引かれた線を次々に可視化しているのが良かったし、普段はなかなか可視化されない声なき声を描くのに、安易にわかりやすくして伝えない、受け手の本気度が試されるような表現の仕方もおもしろいと思った。  その後に観たのは、戦前に都内の私立精神病院に入院していた2人の朝鮮人患者の診療日 誌のことばをモチーフに、ラッパー・詩人の FUNI の声と身体で映像化した作品「In-Mates」。 この作品は東京都の指定管理施設「東京都人権プラザ」で開催された企画展「飯山由貴 あな たの本当の家を探しにいく」 (2022年8月30日~11月30日) において上映が禁止とさ れて大きな話題となった。 (詳細は記事を参照→東京都人権部による飯山由貴 《In-Mates》上 映不許可事件は、何を問うのか https://t.co/7fk561FzCn )
上映禁止について語られることが多いこの作品。 自分自身が在日朝鮮人であり、さらには父 親がアルコール依存症で精神科病棟に強制入院となってその中で死亡していること、そして、今 現在、入管の収容施設に強制収容されている人たちや、仮放免という身分で一時的には外に出 られたものの、 就労も、 健康保険加入も、移動の自由も制限され、ほとんど何もできない生活を 強いられている人たちの支援をしていることもあって、 強く心を打つ作品となった。 患者 A、患 者Bの生きてきた環境やそれによって形成されたアイデンティティを想像すると言葉にならな い感情が湧いてきた。 
入管の被収容者や仮放免者の支援をするようになって”自由”に対する感覚���随分とかわっ た。 アクリル板の向こう側、 握手すらできないところで何ヶ月も何年も小さな部屋に閉じ込めら れている人との会話。 仮放免された瞬間の表情としばらくして就労もできず結局は自由がない 生活に苦しんでいる表情。 
「In-Mates」のエンディング、ニーナ・シモンの「I Wish I Knew How It Would Feel To Be Free」は支援で出会った人たちの表情を思い出してしまいとても重かった。 
無いことにされてしまっている声、 叫びに気付き可視化していく飯山由貴さんの作品。 この先も追いかけたい。
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ai-me-cat · 1 month ago
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2025/05/28
愛されているんだろうか、誰かに、世界に。
睡眠導���剤を2種類それぞれ1粒と2粒、抗精神薬を2種類1粒ずつ。計5粒の小さな錠剤で、わたしの日々は「普通の健康な人」の最低水準ラインをギリギリ保てている。もちろん薬を飲んでいてもそこの水準にすら達せない日もある。むしろ達せない日の方が多い。
薬を飲んでから眠くなるまでの間、いろいろなことを考える。考えてなくても無意識が働く。決まって頭に浮かぶのは、わたしは愛されているんだろうか、ということだ。
わたしは自分のことを愛してはいない。もちろん努力をして結果が出せたことを誇りに思っている面もあるし、「普通」にすらなれない自分を心底軽蔑したりもする。評価はいつだってブレブレだ。
だけど、もしかしたら、誰かがわたしのことを愛してくれていれば、わたしが己を呪っていても、その呪いから一時的だとしても避難できるんじゃないか、と思う。でもその愛ってどうやって確かめるの?
わたしには恋人がいる。今もいるし、かつても大勢いた。彼ら彼女らはわたしのことを大切に思っていてくれてたし、大切だからこそ別れる選択をした人もいると思う。もちろん蔑ろにされたことも、人として扱われなかったこともある。でもそれは勉強代だと思って、割り切って、そういう人のことはいなかったことにしている。だって知らない人間だし。
問題は、わたしを愛している、と公言してくれている人たちだ。恋人、友人、家族。彼らの愛は永続的?そんなわけない。いつかなくなるものだとわかっている。
だからわたしは自分を許せない。
誰かが「愛しているよ」と言っていてくれてるのにそれを蔑ろにする自分を心底憎む。けれどもそれ以外の方法で、わたしが、他人と向き合う方法を知らない。簡単に言えば孤独。孤独が付き纏って離れない。誰がいようが、どんな言葉をかけられようが、どんな関係性を築こうが、孤独は影のようにわたしに付きまとう。
自分を許せないことが、病気を長引かせたりあるいは悪化させたりしていることは自覚している。「健全で健康で普通」の人はこうはならないらしいから。薬を飲んでも眠れない、呪いは解けない。ただただ喉の渇きを覚えるのみで、それは水道水では潤せない。日中はふらつくせいで車も運転できない。副作用ばかりがあらわれて、わたしはいつだって低空飛行。
いつか自分の言葉で書いてみたい。病についてもそうだし、愛についても。自分自身に対してクジラや象の眼のような、穏やかな眼差しを向けてみたい。獰猛さを隠さずに生きてみたい。
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harima-ria · 6 months ago
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★2024年読書感想まとめ
 2024年に読んでおもしろかった本の感想集です。寝て起きると昨日のすべてを忘れてる……っつう繰り返しで日々一切が過ぎていくので、一年の記録をひとつにまとめとくのもいいかなと。以下ざっくばらんに順不同で。ちなみにNot 新刊、ほんとにただ読んだものの感想です。
◆◆小説◆◆
●アンナ・カヴァン『氷』(山田和子訳・ちくま文庫)  巨大な”氷”の進行によって全世界が滅亡の危機にさらされるなか、男はヒロインたる”少女”をどこまでも追い求める……。もっとゴリッゴリにスタイルに凝った幻想文学かと思って足踏みしてたのですが、こんなに動き動きの小説とは。意外なほど読みやすかったです。唐突に主人公の夢想(?)が挿入される語り口も最初は面食らったけどすぐに慣れたし。内容はウーン、暴力まみれの病みに病んだ恋愛小説という感じ? 構成の一貫性とかは疑問だったりしたんだけどそのへんはどうでもよく。後半尻上がりに面白くなっていくし色々吹っ飛ばす魅力があってかなり好きでした。  それと解説に書いてあった「スリップストリーム文学」というのがすなわち自分の読みたい小説群だなーという嬉しい発見もあり。つってもジャンル横断的な定義だから、該当するものを自分で探すのはムズいけどね。
●スタニスワフ・レム『惑星ソラリス』(沼野充義訳・ハヤカワ文庫)  何年も謎に包まれたままの海洋惑星に降り立った主人公が遭遇する怪現象の正体とは?……っていう超有名なSF。「実はこの海は生き物なんじゃね?」がオチだったらどうしよう……と思ってたけど杞憂、それは出発点に過ぎませんでした。途中に挟まる惑星ソラリスの(仮想)探険史の部分がすごく面白い。あとはこの小説のまとめ方はちょっと神がかってると思う……。自分はSFは全然明るくなく、ちょっと異様な感触みたいなものを求めてたまーに手に取るぐらいなのですが、その点この本はほんとにセンス・オブ・ワンダーを味わわせてくれて良かった……。SFオールタイムベスト1とかになるのもむべなるかなぁと。
●庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』(新潮文庫)  東大紛争終息直後の1969年を舞台に、あれこれ思い悩む男子高校生の一日を描いた中編。自意識過剰気味の饒舌な一人称文体が特徴で、すごくユーモラスだけど主人公がかなりナヨナヨした人物にも見える……。でもその中から、外界の強烈な変化に対してありのままで居られない精神の揺れみたいなものが浮かび上がってくるところがおもしろくて、確かに青春小説の名作かも……と思いました。  リアルタイムにはどうだったか知らんけど、今の眼で見るといわゆる”1968年”以降の状況とか、70年代カウンターカルチャー的な空気の”乱暴さ”に対する、一見弱々しいけど切実な返歌って感じもしました。  もっとも読み終えてから、この小説をあえて政治的な色で塗るならいわゆる”保守反動”的な感性に分類されるのかなぁとかはちょっと思ったけど。しかし、リベラルにあらざれば人にあらずみたいな価値観こそ断然間違ってるしなぁなどと、ひと���で勝手に問答したりもしました(笑)。それに現実的にはそんな二分法で単純に分けられるもんでもないだろうし。なんとなく「その時代の作品」という感じなのかと思ってたけど、今読んでも全然おもしろかったです。
●フランツ・カフカ『審判』(池内紀訳・白水uブックス)  理由も分からないまま突然逮捕された主人公が、裁判の被告の立場にずーーーっと留め置かれるっていうお話。何ひとつ確かでないものに延々振り回され続ける理不尽が、ときに笑っちゃうほど面白く、逆に陰惨すぎるくだりもあったりして、総じて非常に好みでした。バカバカしいけどブラックな不条理ユーモア小説? カフカって自分が漠然と抱いてたイメージよりもずっと大胆で、わりとアホなことをあっけらかんと書いたりもするのねーという発見がありました。このお話には裁判的なものの外枠と手続きのみがあって、そこに「法」はないのでは? というふうに読んでたのですが……。終盤の「大聖堂にて」っていう章が凄かったです。
●スコット・フィツジェラルド『グレート・ギャツビー』(野崎孝訳・新潮文庫)  ニューヨーク郊外に暮らすギャツビーという名の大富豪の生き方を、たまたま隣に住んだ青年が垣間見る、みたいなお話。ストーリーそのものはわりとベタだと思うんですけど、それを語る会話パートの書き方の巧さと、ドラマの合間の地の文が醸し出すほどよい叙情性がすばらしい。純粋ゆえの虚飾、虚飾ゆえの純粋さみたいな、テーマの核心部分にもちょっと飛躍があって面白いなーと。この短さの中に、アメリカっていう国の一断面をパチリと切り取ってる感じがするのもまた。ひとことで言うと絶品でした。英語圏小説のランキング上位に入ってるのもむべなるかなぁと。
●三島由紀夫『仮面の告白』(新潮文庫)  この人の長編はあんま肌に合わないかも……と思って敬遠してたのですが、初めて好きなものに出会えました。言わずと知れた一発目の代表作。同性にしか欲望を抱けない青年の葛藤を、韜晦まみれの絢爛たる文章で綴った青春小説。個人的には、いわゆる”ふつう”でない自分を露悪的に飾り立てるような自己陶酔を振りまきながら、でもそれは”ふつう”でない自分を守るための防御姿勢にすぎなくて、結局は苦々しい現実と向き合わざるを得ない……みたいな話として受け取りました。読み方合ってるのか分からんけど。前半が下地で、後半がその実践編(あるべきとされる自分との葛藤編)なのかな。特に後半のなんとも言えないみずみずしさとその帰結がよかったです。
●横溝正史『獄門島』(角川文庫)  初・横溝。瀬戸内海の小島で巻き起こる���奇連続殺人事件に金田一耕介が挑む。事件の過程はわりとふつう……と思いながら読んでいきましたが結局かなりおもしろかったです。振り返ると1から10まで本格ミステリじゃなきゃ成立しないような物語だったなと思って。国内ミステリーベスト1になるのもむべなるかなぁと。
●筒井康隆『敵』(新潮文庫)  折り目正しく”余生”を送っている渡辺儀助の生活風景を描いた老境小説。章題が「朝食」「友人」「物置」などとなっていて、各章ではそのカテゴリーごとに儀助の暮らしが掘り下げられていき、その積み重なりから彼の老境が浮かび上がってくる、みたいな趣向。特に食生活に関する記述が多いのですが、自分がほとんど興味ないのもあって前半は正直重く……。しかし地盤が固まり「役者」が揃ってからの中盤以降がけっこう楽しく、終盤は圧巻! けっきょく御大はすごかった……。  的を射てるかは分からないけど、小説の語り口的にもかなりおもしろいことをやってるような。老主人公の生活が章ごとにあらゆる角度から掘り下げられていきますが、そこで語られてるのは「ここ数年の彼の生活のディティール」っていうフワッとした塊としての時間であって、実は小説内では「敵」関連以外ではほぼ全く時間が流れてないように思います。A→B→……→Zみたいに、出来事同士を順番につないでいくことでドラマを進行させていくのとは全然違う手法で物語を語っていて、しかもそれにかなーり成功しているような。もちろん類例はあるんでしょうけど、個人的にはとても新鮮な小説でした。
★★★総合しますと、いわゆる名作と言われてるものって確かによく出来たものが多い……っつうめっちゃくちゃふつうのことを思わされた年でした。というか単純に数を読めてないのよなぁ。
◆◆その他の本◆◆
●『石垣りん詩集』(ハルキ文庫)  石垣りんのテーマは、貧しさ、労働、生活の苦しみ、”女性”性、戦争、戦後の日本、生きること、殺すこと、食べること、それらもろもろに否応なく内在する「ここにあることの残酷さ」みたいなものかなと思いました。そうした感情を、ゴロッとした異物感のある黒いユーモアで表現している詩が自分は好き。婉曲的に表現された切実な慟哭という感じもします。特に「その夜」っていう、入院中の書き手が人生の孤独と疲労を歌う作品が凄かった……。こんなん泣いちゃうよ。  「詩」というジャンルに依然として親しめてないので、定期的に読んでいきたい。
●柳下毅一郎『興行師たちの映画史-エクスプロイテーション・フィルム全史-新装版』(青土社)  エクスプロイテーション=「搾取」。リュミエールやメリエスといった黎明期の作り手にとって、映画は緻��に作り込む「作品」ではなく興行のための「見せ物」に過ぎなかった――というところから説き起こして、観客の下世話な関心を狙って作られた早撮り・低予算・儲け第一主義映画の歴史をたどった本です。  取り上げられてるのはエキゾチズム(物珍しい異国の風景)、フェイク・ドキュメンタリー、魔術&奇術、畸形、セックス、特定人種向け映画、画面外ギミック映画などなど。現代の一般的な価値観や、映画=「それ単体で完結した(芸術)作品」みたいに捉えるとどうなのよ? ってものばかりなのですが、あの手この手でお客の関心をかき立て、乏しい小遣いを搾り取ろうとする映像作家たちの商魂たくましい姿が垣間見られる楽しい本でした。  見せ物小屋的映画論というのはある意味もっとも俗悪でいかがわしい映画論だと思うんだけど、確かにそれって実写映画のもっとも本質的な部分ではあるかも、という気がしてしまう……。個人的には、画面外のギミックで客を呼び込んだウィリアム・キャッスルの非・純粋なる邪道映画のパートが特に楽しかったです。一点だけ、エクスプロイテーションという概念設定はちょっと範囲が広すぎるような気はしないでもなかったかなぁ。でもこれを元に、観られるものをちょこちょこ観ていきたい所存。
●氷室冴子『新版 いっぱしの女』(ちくま文庫)  『海がきこえる』などの少女小説で有名な作者が、ふだん思ったことを自由に書き綴ったエッセイ集という感じでしょうか。一見柔らかいけどその実めっちゃ鋭い切り口と、それを表現するしなやか~な筆運びに痺れました。1992年に出た本だけど、新版が出てる通り読み物として全然古びてないと思う。おすすめです。
●『精選女性随筆集 倉橋由美子』(小池真理子選・文春文庫)  この方のシニカルさと毒気がもともと好き、というのはあったのですが、とても良かったです。それでも最初のほうはあまりに歯に衣着せぬ攻撃性がなかなか……と思ったりもしたけど、中盤の文学論、特に大江健三郎、坂口安吾、三島由紀夫に触れたエッセイがなんともよくて。”内容はともかく独自の語り口を練り上げた文体作家として大江を読んでる”みたいなことを確か書いてたりして、言ってることが面白い。積んでる小説作品も読も~という気になりました。
●吉田裕『バタ��ユ 聖なるものから現在へ』(名古屋大学出版会)  すんごい時間かかったけどなんとか読めた本。フランスの怪しく魅力的な思想家、ジョルジュ・バタイユの思想を、彼自身の記述を中心に先行テキストや時代背景なども織り交ぜて分析し、一本の流れにまとめた総論本。〈禁止と違反〉とか〈聖なるもの〉とか、彼の提出したテーマが結局面白いというのがひとつと、それらを論じていく手つきの周到さ・丹念さがすごい。特に日記や著書のはしばしの記述から、バタイユが影響を受けた先人の哲学(へーゲル、ニーチェ、マルクスとか)や同時代の思想潮流(シュルレアリスム、コミュニズム、実存主義とか)の痕跡を読み取り、そこから彼自身のテーマの形成過程を立体化していくあたりは本当に息詰まるおもしろさ。重量級の本でしたがめっちゃよかったです。もっとも自分は肝心のバタイユ自身の本を『眼球譚』しか読んでないので、現状この本のイメージしか持ててないというのはあるんだけど。とりあえず『内的体験』と『エロティシズム』だけはどうにか読んでみるつもり。
◆◆マンガ◆◆
●ジョージ秋山『捨てがたき人々』(上下、幻冬舎文庫)  いろんな意味で深ーい鬱屈を抱えた狸穴勇介(まみあなーゆうすけ)という青年が、新興宗教の信者である岡辺京子という若い女性と出会ったことで始まる物語。性欲と金銭欲を筆頭に、あらゆる現世の欲望にまみれた救われぬ衆生たちの下世話で深刻な人間絵巻、といった感じでしょうか。ふつうに考えるとまぁそこまではいかんやろ……という境界を軽々と乗り越えてくる常軌を逸した展開がすごい。それと人間っつうのはホントにどうしようもない生き物だね~という気持ちにもさせられます。学生のときに買ったんだけど当時はつまらなくて挫折、自分にとってはあまりに読むのに早すぎたんだな……と今にして思いました。最序盤の伏線とかをきれいに回収し切ってはいないんだけど、この際そのへんはどうでもいいかなと。ここまで徹底的な方向へ流れていくならもう何も言えねえわ……って感じの終盤もすばらしい。  これが2024年に読んだものの中で一番面白かったです。
●小骨トモ『神様お願い』(webアクション)、『それでも天使のままで』(アクションコミックス)  両方とも短編集。子供のころや学生時代のイヤ~~~~~~~な記憶、それもおもに自分の弱さや性欲といった、一番目を向けたくない部分がどんどん脳裏によみがえってくる、えげつないけど得難いマンガでした。10代なんてまだまだ若いし人生これから! っていうのも本当だけど、それと同時に人生自体はとっくの昔に始まってて、けっこう多くのことは取り返しがつかないし人間の根っこの部分は歳食ってもそうそう変わりはしないっていう、しんどすぎるけど(自分にとっては)大切なことを思い出させてくれたところが何ともありがたかった……。お話の展開も総じてすんごいテクニカルな気がします。  それでも新刊の『天使』のほうが、『神様���よりほんのちょっとだけ優しさを感じる部分は多いかしら。
●吉田秋生『カリフォルニア物語』(全4巻、小学館文庫)  自分はおそらく作り手への愛とか感謝の念にはめっぽう乏しいほうで、何でも作品単体で眺めて、あーでもないこーでもない、ワンワンギャンギャン吠え猛ってしまう人間なのですが、吉田秋生だけは例外。何でも好き。丸ごと好き。読めるだけで幸せ。どのへんが琴線に触れてるのか正直自分でも分からないのですが、気になる部分があっても好きがそれを上回ってしまう気持ちというのは幸せだなーと思ったりします。  これは最初の代表作に当たるのかな。ニューヨークを舞台に行き場のない若者たちを描いた群像劇。彼女の描く、イタミやすい少年少女が自分は好き……。舞台はニューヨークなのに題名がこれなのもスマートでイカしてる。  もっともファンみたいに書いたけど、実は『BANANA FISH』と『海街diary』っつう一番大きいふたつをまだ読んでません。買ってはあるんだけどなんかもったいなくて……。でも2025年中には読もうかな。
●高橋しん『最終兵器彼女』(全9巻、ビッグコミックス)  部屋の片隅に長ら~く積んである『セカイ系とは何か』をいよいよ読むべく、『イリヤ』ともども手元に揃えてやっと読了。結果、あらゆる方向に尖りまくった傑作じゃん! と思いました。世界の崩壊に対して主人公2人の恋愛という、圧倒的に超無力なモノを対峙させ、理屈ではなくエモーショナルの奔流として無理矢理! 成立させた名作という感じ。まぁこの2人にほとんど感情移入できないほど自分が歳取っちまってることは悲しみでしたが、いい意味でのぶっ壊れっぷりが面白く。  それと自分はこれを読みながら、たまたま以前読んでいた米澤穂信の某初期長編を思い出したり。世界は刻々と変化しているのに自分たちは無力な青春の中で何もできないでいる、みたいなこの感じって90年代から00年代の日本独自の感覚なんでしょうかね……。ちなみに『イリヤ』はまだ1巻しか倒してませんが読みます。今年中にはきっと読みます。読み切ることになっています。
●梶本レイカ『悪魔を憐れむ歌⑤』  4巻までで連載が打ち切りになってしまったマンガを、作者ご自身が5巻を自費出版して完結させた作品、だと思います。  舞台はさまざまな腐敗に揺れる北海道警察管区。人間の四肢を逆向きに曲げて殺害する、「箱折犯」と呼ばれる過去の猟奇殺人が突如再開され、そこからふたりの男のウロボロスめいた運命の輪がまわり始める……。  出版形態のためかは分からないですけど、最終5巻はこれまで以上に描写のタガが外れてる感じで、それがすごい楽しかったです。1巻の出だしからはこんなとこまでフッ飛んでくる話だとは思わなかった……。��れでいて猟奇殺人ミステリーとしてもなるほどーと思うところもあって。この方はすごい前に『コオリオニ』っていうマンガも読んだのですが、主要キャラクターをとつぜん突っ放す感じがこわい。けど面白い。お疲れさまでした。
◆◆補足◆◆
 ・安部公房もちょろちょろ読んだり。今のところは、異常どころかめっちゃ理知的なアイデア作家という印象なんだけどこれが覆ることがあるやいなや。  ・『めくらやなぎと眠る女』というアニメ映画の予習をするついでに村上春樹の短編もちょこっと。ファンには超怒られそうですが、彼の小説ってパスタ茹でたりジャズを聴いたり昔の恋愛とか人間関係の失敗を感傷的に懐かしんだりといった、ザ・村上春樹なことをやってるときは…………なんだけど、その先で訳分からんことになる話がたまにあってそれがめっちゃ面白かったです。現状読んだものだと「ねじまき鳥と火曜日の女たち」、「UFOが釧路に降りる」、「納屋を焼く」が最高でした。できれば全作読んでみたい。  ・フランク・ハーバートの『デューン』シリーズも2個目まで。SFファンタジーの大家というイメージで読んだらメインで使う語り口(作劇法?)が超・会話劇なのが意外でした。
★★★これを書いている2025年1月現在はドスト先生の『悪霊』を読んでいます。が、全体の十分の一すぎてもまだ若者世代の話に入らないので投げ出しそう……。シニカル成分100%の語り口はけっこう好みなのですが。前に読んだ『罪と罰』と比べても視点が格段にいじわるな気がして、これを書いてたときの作者の精神状態やいかに?   2025年はもうちょい数をこなせたらいいなと思っています。ではー。
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cafelatte-night · 10 months ago
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ひとこと日記📓 2024.09
9.1-引越し。荷物でいっぱいになった車で元彼を駅で拾って新居へ。運び終わってから、お互いの気持ちの話をした。今日が最後、今日が最後を繰り返してまた一緒になりたい。
9.2- 1人で部屋の片付けをする。大方片付いたら、もう何ヶ月もここに住んでいるような感覚になった。いい仕事にすぐ就けそうにないので、またその場凌ぎで派遣を始めようか悩む。web面談をしたら、自分の顔があまりにも暗くて今日にも自殺しそうなやつに見えて悲しかった。
9.3- 何もしたくない。さみしい。
9.4- 「YOU 君がすべて」S3を観ている。ラブが抱える悩みが自分と被る。ジョーが元彼と少し似ているから余計に… / まだ部屋に冷蔵庫がない。冷蔵庫を持たない暮らしについて考えてみる。わたしはよく食材を腐らせて捨てていたから、ないほうがいいけど難しいね。
9.5- 事務の派遣が決まりそう。時給制だけど、貯金も少しできるくらいは稼げるから、1日でも早く働き始めたいけど… 本当は在宅でデザインの仕事がしたい。応募はしてるけど、すぐに決まるかわからないから、派遣の仕事を始めるべきか、でも長期雇用予定の求人だから中途半端に働き始めたら担当にも企業にも迷惑だよな/ 元彼からの質問に長文で答えたら既読無視されててつらいけど信じて待つ。→待てない。
9.6- やっと新居にwifiが通った。3時間かけて��大掛かりな工事だった。みんなそれぞれ、自分にできる仕事をして世の中が回っている。
9.7- 23時過ぎ、元彼からメッセージ。今夜君の家に泊まっていいか?と。わたしのアパートの近くの駅でのんでたらしい。バーに合流して遅くまで彼の友人たち(外国人の旦那と日本人の妻2組)と過ごした。彼は酔っていたけど、わたしの魅力を友人たちに熱弁し始めたり激しめのスキンシップをとってきたり、やっぱりまだわたしのこと大好きなんだなってわかって安心した。
9.8- 午前3時に帰宅してシャワーでセックス。急遽、彼のバンドメンバーと一緒に川に行くことになった。
起床。まだ魔法は解けてなかった。けど、バンドメンバーのひとりがわたしと一緒に川に来るのはおかしいってメッセージで言い始めてからおかしくなった。人が変わったように、やっぱり一緒になるべきじゃないと言って川に行ってしまった。精神病かな? そのバンドメンバーまじで国に帰ってクレメンス
9.9- 電話したらもう会うべきじゃないって言われちゃった。じゃあなんで土曜日泊まりにきたのかな?しにた。でも戻ってきてくれるって信じてる。
9.10- 初回のカウンセリング。大事なことちゃんと伝えられたと思う。次回からは心理士を目指す大学院生が担当することになる。どんな先生が担当になるか少し緊張する。
9.11- ちょっと鬱目。いい感じのイタリア人とマッチするも多分詐欺垢っぽい。代わりなんていないのに何してるんだろう。
9.12- 昨日は9.11だったことに気づく。最近Deep stateに興味があり、陰謀論の動画を見たりしている。世の中は一部の人間に操られているのかな。もしそうであったとしても、わたしの人生に直接的には関係のないことだけど。
9.13- 出鱈目な生活を送っている。自己肯定感も上げればいいってものではなくて、変な上げ方をすると拗れる。
9.14-9.15 ここ数日、夢の感覚がリアル過ぎる。地面師を観ていたら、朝になっていた。そしてようやく眠って目が覚めたら夕方になっていた。元彼から、わたしが1番好きなポケモンをリモートで送ろうか?とメッセージが来たが、「会えないのなら今は要りません、ありがとう。」と答えた。どんなつもりでメッセージを送ってきてるんだろう。頭の中を解剖してやりたい。
9.16- ボーリング同好会の集まりに参加。今まで70前後だったのに、いろんなアドバイスのおかげで100超えた。久しぶりの達成感。グループチャットから個人でLINE追加してくる男たちがだるい。なんでわからないんだろう…?
9.17- 今日から新しい仕事が始まった。午後からずっと頭が痛い。逃げて逃げて逃げ続けてきたツケが回ってきたとつくづく思う。もう諦めて死んだほうが楽だと思う。思うだけ。/ 昨日、ペットの誕生日だったのにうっかり忘れていた。最低。わたしはつくづく冷たい人間だ。
9.18- 仕事2日目
9.19- 仕事終わりにアプリの人と会う。あんまり会いたくなかったけど、スタバを奢ってあげるし30分だけでもいいからお願いと言われて会った。結局3時間くらい一緒にいた。寝てない。
9.20- 金曜日。つかれた。しばらくメッセージしてる外国人と電話したけど、違った。
9.21- 夕方までだらだら過ごす。暗くなってからオーダーしたシャツを取りに行く。かわいい、わたしが着たら絶対にかわいいと思った。/「この世界で生きていくために、手を組みませんか」というプロポーズ
9.22-トークサバイバーを観る。笑うと楽しいね。今日何したか覚えてない。3連休じゃなかったら死んでた。/就寝前に元彼から電話。
9.23- am2 元彼の家に到着。引っ越してからさらに遠くなり1時間近くかかるようになってしまった。朝まで眠れず。2人の関係を成就させるために、わたしが変わる。/ ヘアカットに行く。私史上1番気持ちよいシャンプーだった。
9.24- 元彼から風邪をもらった。体がとてもだるいけど、この仕事は身体に負荷がかからないし、人と話すことも少ないからなんとかなる。次のデートはコスモス畑。わたしと彼が2年前の秋に初めてデートした場所。
9.25- 以前、大学附属の心理センターで初回のカウンセリングを受けたのだが、審議の結果、わたしの症例は当センターでは対応継続できないとのことだった。そんなことあるんだね、いっぱい自分のこと話したのに無駄になった。/ 仕事おわりにweb制作会社の面接へ。すぐに転職したいわけじゃないけど、選択肢をつくっておきたくて。今の仕事のお給料に特段不満はないけど、派遣から正社員になったらいくらもらえるのか早めに確認しなきゃな。
9.26- 手術なしで視力を回復できるオルソケラトロジーというものを知る。15万ほどするが、レーシックやICLに比べて低リスクで安いから、生活が安定したらやりたい。/仕事おわりに、からやまのテイクアウト。期間限定のマグロ天定食を注文。働いて好きなもの食べて好きなだけゆっくりお風呂に浸かって眠くなったら静かに寝る。ほどほどに自由。
9.27-あたらしい仕事で2週間が経った。今朝、職場のグループで村八分に遭い、役職者からクビを言い渡される夢を見て、目覚めたらいつも家を出る時間の5分前だった。夢でよかった、今仕事がなくなったら働く気力が尽きてしまう。/ 最近、日本の映画をよく観ている。日本人にしか出せないものってある。もちろん、アメリカ人にしか出せないものも、インド人にしか出せないものもある。人種についてもっと深く考えたいけど、知見がないから難しい。/ 新しい総理が誕生した。お誕生日おめでとう。
9.28- マックポテトの品質に一喜一憂するのやめたいから買うのをやめ���べき。/ 弟とヤドカリを買いに行く。198円の命。/ 新居に観葉植物を迎えた。
9.29- 容姿が醜い人といっしょに出かけると、自分の価値が下がったように思える感覚ってふつうじゃないのかな。
9.30- 今日から英単語1日10個覚える。一年で3650個。/ 9月終わった。じめじめ生きてる感じがしてダサい月だった。
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ygggibeon · 1 month ago
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みんなの笑顔が好き
私は長い間、言葉にすることをためらっていました。周りに理解されないこの世界で生きていくのだから、自分の心の奥にしまっておこうと決めていました。
けれど、年を重ねた今、私を生かしている不変の想いを、祈るように語ってみようかと思うようになりました。これは、私の生きてきた記録です。動物たちの声なき声に、私なりに応え続けてきた足跡です。誰にも見つけてもらえなかったとしても、この記録は、いつか誰かの心に静かに届くと信じています。
1.与えられた世界で
子どもの頃、私は世の中から与えられたものを、「そういうものなんだな」と、どこか素直に受け止めて生きていました。動物が好きでした。花が好きで、蝶が好きでした。触れることも、眺めることも、すべてが新鮮で美しく、そこにある命の気配を感じながら、こういうところなんだなあと見ていたことを覚えています。
お刺身が好きでした。シチューも好きでした。それは、味が特別好みだったというよりも、他のものよりなんとなく「好き」という曖昧な感覚でした。カレーも好きでした。具材がどうこうというより、「甘口が食べやすいな」「ごはんがすすむな」そんな感じだったと思います。 
本当に、それ以上のことを考えようとしませんでした。大好きな動物たちと、食卓に並ぶ料理のあいだに横たわる残酷さに、ぼんやりと気づいていながらも、「きっと万事うまくいっている」「酷いはずがない」と見ないようにしていたのだと思います。心のどこかで違和感を感じながらも、それを意識の奥に沈めていました。
 2.扉が開いた日
思春期を過��た頃、私は食べ物を見た目や雰囲気で選ぶようになっていました。スマホも普及しておらず、情報の多くはテレビか雑誌から得る時代でした。私はジャンクフードやスナック菓子に囲まれていました。心のなかにうっすらとした違和感はあったけれど、意識的に向き合おうとしませんでした。
そんなある日の夕方、何気なくつけていたテレビから衝撃の映像が流れました。白いうさぎたちが、金具で頭を固定され、身動きもできずに実験を受けている姿でした。動物実験の現場を映したニュースだったのです。私は言葉を失い、呼吸が止まるような思いでした。まるで稲妻が私を貫いたような衝撃を受けました。
当時、私は自分の飼っていたうさぎの病気を治すために必死に看病していました。まるで自分の子どものように大切にしていたうさぎのほのかちゃん。その最中に、この映像を見たのです。私はテレビに映っていた動物実験廃止の活動団体の名前をメモし、ホームページを調べました。そこには、私の想像をはるかに超える現実がありました。
化粧品の動物実験、毛皮のために皮を剥がされる動物たち、畜産で苦しむ命、野生動物の扱い…。私は衝動のままに、郵便局へ走りました。会費と寄付金を送り、その瞬間から、私の人生は変わったのです。私はアニマルライツのヴィーガン(完全菜食)になりました。
 3.失ったもの
私は迷わず、一日でヴィーガンになりました。動物たちの現実を知り、知ってしまった以上、もう以前の自分には戻れませんでした。見て見ぬふりはできませんでした。知って良かった。ソクラテスの言うとおり、無知は罪だと思いました。だから、みんなもそうなると思っていました。疑いもしなかったのです。
私は、知らなかったから食べていた。だから、みんなも「知らないだけ」。動物たちの置かれている残酷な現状を知りさえすれば、きっと友人たちは私と同じように感じ、菜食になり、一緒に声をあげてくれる…そう信じていました。
でも違った。
まさか、私が責められるとは思いもしませんでした。ましてや、自らの生き方を正当化するために言葉で攻撃してくるなんて…。「伝え方が悪かったのかもしれない」私はそう思い、もっとわかりやすく、もっと簡潔に、感情的にならないように工夫をしました。
それでも、届かなかった。
「どうして? どうして?」
情熱は空回りし、私はうるさい人と思われたかもしれません。渡したチラシは送り返されてきました。友人たちも私も互いに距離を置くようになり、やがて私は、完全に一人になりました。けれど、それでも私は、あきらめるつもりはありませんでした。絶対にどうにかしなければという使命感に満ちあふれていたのです。
 4.絶望の中で
私は毎日泣いていました。動物たちが苦しみ、もがき、叫び声をあげる姿が、頭から離れなかったのです。起きているときも、目を閉じているときも、残酷な映像が脳に直接送られてきている感じでした。私は謝り続けました。何度も何度も、心のなかで、口に出して。
「ごめんなさい」と。
人間の罪は、同じ人間である自分の責任だと。人類に絶望しながら、自分もまた残酷な人類の一員であることがいたたまれませんでした。でも、だからこそ思ったのです。「私が人間に生まれたことには意味がある」と。動物たちを苦しめているのが人ならば、動物たちを救えるのもまた、人にしかできないのだと。
私は、何かをせずにはいられませんでした。駅前でのチラシ配り。パネル展。講演会。デモ行進。自作のホームページで発信し、図書館や地域の施設にリーフレットを置いてもらい、イベントに参加しました。少しでも多くの人に「現実」を知ってもらいたくて、同じように苦しんでいる同志を見つけたくて、わかりやすく、伝わりやすくすることに心を砕きました。
絵本も出版しました。動物の法律が変わろうとしていた年には、議員に何度もFAXを送りました。まだスマホがない時代です。やれることは、全部やろうと最善を尽くしました。
そんななか、私の心は少しずつ削られていきました。
情報を正しく伝えるには正確な資料が必要なので、動物実験や畜産の現場を映した写真や映像を取り寄せました。しだいに家の中は、大キライな重たい情報で満たされてきました。会報やメールでも、見たくない、知っているはずの残酷な現実が、何度も届きます。
「私はもう知っているのに!どうして、また見なきゃいけないの? 知らない人が見ればいい‼」
叫びたい気持ちを抑えながら、それでも私は、正しく伝えるために見続けました。そして、限界を迎えたのです。
 5.沈黙の季節
私は人が怖くなりました。電話が鳴るだけで胸が苦しくなり、コンセントを抜きました。布団から出られず、ただ泣き、眠り、また泣きました。唯一外に出たのは、愛するうさぎのほのかちゃんのごはんを買いに行くときだけでした。ほのかちゃんは、いつも私の涙をなめていました。彼女の存在だけが、私の心を現実世界に繋ぎとめていました。
私は、自分がうつ病なのだと感じていた。今からもう二十五年以上も前のことです。電話ひとつかけられず、病院に行くことさえできなかった。誰か助けてほしい。でも、その「誰か」はどこにもいませんでした。
パソコンで「うつ病の症状」を検索すると、すべてが当てはまっていました。けれど、当時は今のように気軽に相談したり、質問できるSNSや動画の解説もありません。私はただ、苦しみもがきながらも、自分でどうにかするしかなかったのです。
人と話して傷つけられることに異常に敏感になっており、誰かと関わることが吐き気のするくらい苦しかった。だから私は決断するしかありませんでした。
「私は鬱を自分の力で治す」と。
精神世界の本を読みあさり、スピリチュアルなグッズに救いを求めました。ゲームや映画に逃避し、そして、祈りました。絵を描き、涙を流し、眠る日々。そんな状態でも、私は諦めたくありませんでした。絶対に、何か出来ることをしたい。どうにかしたいと強く思っていました。この狂った世界で犠牲になっているほのかちゃんの仲間たちを、ひとりでも多く救わなければならないという想い。そして、残酷な人類の一員として、彼らに与えた苦しみの責任を、自分が全て背負わなければならないという責任感と、深い絶望の中にいました。
きっと私なら乗り越えられる。だからこそ、この試練は私のもとにやって来たのだと、毎日自分に言い聞かせながら。
 6.祈りを描く
私は、絵を描くことに没頭するようになりました。朝から晩までアクリル絵の具を広げ、静かな部屋の中で一人、天使の絵を描き続けました。描いているあいだだけは、現実から切り離された別の世界にいるような感覚でした。心の重さや痛みが、色となり、形となり、キャンバスの上に塗り固められていく感じでした。
出来上がった作品は、最初に思い描いたものとは全く違うものになっていました。けれど、そこには確かに私の魂が映り、祈りの希望が込められていました。
自然界との共同創造…私はそれを「コークリエイティブ・サイエンス」と呼ぶようになりました。100枚描けたら奇跡が起きる。そう信じて、私は描き続けました。やがて、作品は300枚を超えました。絵は、私の感情の記録であり、祈りであり、生きた証です。
私は絵のおかげで、鬱の暗闇から少しずつ抜け出していくことができたのだと思います。引きこもりだった7年間。そのうちの3年は深い闇の中で眠り続けていました。残る4年間で、私は一進一退を繰り返しながら、光のほうへ歩き出すことができました。その間、生活を支えてくれた家族には、心から感謝しています。その支えがなければ、私は餓死していました。そして何より、絵という姿の見えない希望との対話が、私の命をつなぎとめてくれました。
7.生きる努力
私は、自分の力で生活していきたいと強く思うようになりました。そのためにはまず、仕事をしなければなりませんでした。週に3日、1日4時間。選んだのは、家族経営の小さなハーブ専門店。人の出入りが少なく、ここならできるかもしれない、そう思ったのです。
けれど、現実は違いました。
「おはようございます!」と笑顔で出勤し、「お疲れさまでした」と元気よくドアを閉めたあと、私の仮面は砕け散りました。涙が止まらず、吐き気すら覚え、苦しくてしばらく休まないと家に帰る力が出ませんでした。心と体が、まだ外の世界に耐えられないのだと感じました。
ある日、店長が電話を切ったあと、不意に言いました。
「鬱は甘えなんだよ」その言葉は、ナイフのように心に刺さりました。その電話の相手が、うつ病のお客様だったと後から知り、私は深く傷つきました。
店を辞め、次に選んだのは、特別養護老人ホーム(介護老人福祉施設)での入浴介助の仕事でした。週3日、午後のみの勤務。身体はくたくたになったけれど、汗を流すことで、心が少し軽くなるのを感じました。体を動かすほうが、苦しい思考から意識をそらすことが出来る…それが、当時の私にとって大きな救いになりました。
その後も、私は少しずつ仕事を広げていきました。職業訓練校で資格を取り、正社員として介護士になりました。がむしゃらでした。鬱の再発を恐れながらも、初めての一人暮らしに喜びを感じていました。
特別養護老人ホーム(介護老人福祉施設)で3年、デイサービスで2年、介護事務、サービス付き高齢者住宅、和菓子屋、菜食レストラン���介護老人福祉施設のランドリー清掃…。
どの仕事に就いても、私は一貫してアニマルライツの菜食を貫いてきました。けれど、同じ信念を持った人には、一度も出会うことはありませんでした。
「こんなにもいないのか…」
SNSが普及した今なら、X(旧Twitter)やFacebook、Instagramで同志を見つけることは出来ます。けれど、日々の暮らしの中で、「同志と出会う」ということはありませんでした。彼らもまた、きっと私と同じように、一人でこの世界に立って頑張って生きているのだろう。もう、受け入れるしかありませんでした。変わり者なのは、私だった。
「みんなはどうしてなの?」と嘆いていた過去の私に、今なら言える。
少数派なのは、私のほうだったのだと。
 8.やさしさを選び続ける
今、私は毎日、ヴィーガンの食事をSNSに載せています。日々、絶望して元気のない自分を励ます“ごはんの記録”です。
AIで描いた自然や動物たちのイラストも、フリー素材として提供しています。見た人の心が少しでも和らぎ、命を愛おしく思ってくれたら…、それが願いです。
YouTubeでは、狂った世の中で生きる同志の道しるべになればと思い、思想家や哲学者の本を朗読しています。本当に苦しいとき、祈ることしかできなかった経験から、祝詞や祈りの言葉も発信しています。
動物や、地球のすべての生きものの犠牲を減らす生き方はあります。その方法は、菜食です。「何もできない」と嘆くことはありません。たった一人でも、菜食を選ぶことで、命を救っていることになります。毛皮を買わないことで、犠牲を減らすことが出来るのです。
「植物だって生きている」と意地悪く言ってくる人がいます。けれど私は、こう答えます。
「そんなことは、あなたより知っています。知らないとでも思ったのですか?」
動物を食べなければ、動物を殺さなくて済みます。簡単なことです。
私は、動物を殺してまで食べたいと思いません。あなたは、動物を殺したいのですか?
動物虐待は犯罪です。
かつて、菜食である私に無理やり肉を食べさせようとした人がいました。それは、虐待です。いじめです。モラルハラスメントであり、パワーハラスメントです。やめてください。
言いすぎでしょうか?
 私は、菜食を始めて25年以上になります。最初の3年はヴィーガンとして、その後もヴィーガンを目指した菜食を続けています。
世の中は、確実に良くなってきています。 プラントベース、マ���ロビオティック、ヴィーガン商品が、今ではスーパーでもコンビニでも手に入るようになりました。動物実験を廃止した国も増え、動物実験を行わない製品も多くなっています。確実に良くなっています。
そして、これから、もっともっと良くなっていきます。
高齢者虐待をなくそう! 
児童虐待をなくそう! 
そして、
動物虐待をなくそう!
私たち人間は、徳を積む生きものです。そのことを、私は信じて生きています。
 生きものに優しい人間が増えますように
この記録を、ここまで読んでくださってありがとうございます。私は、自分の中に芽生えた違和感を大切にして生きてきました。周りに理解されなくても、自分の心が感じた痛みを、ないことにはできなかった。見て見ぬふりはできませんでした。誰かに笑われても、攻撃されても、私は自分の感じた「優しさ」の感覚を信じてきました。
動物たちは、人間よりもずっとずっと愛情深く、まっすぐで、正直で、信頼できます。一緒に生活したことのある人なら、きっとうなづいて下さると思います。
誰も犠牲にしないで生きていくことは、現実的に難しいかもしれません。けれど、犠牲を減らすことは出来ます。小さな選択の積み重ねが、世界を静かに変えていくと、私は信じています。この記録が、やさしい風となって世界を変えていきますように。
以上
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blr-blue · 3 days ago
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 明日(日付は今日)、朝の9時から授業があるから早く寝なければならなかった。夜の21時に薬を飲んで、22時頃にきちんと眠気がやってきて、今から寝たら結構ゆっくり寝られるな、と思い眠った。
 目が覚めると時間が経っているのか経っていないのかよくわからなくて、身体にかいた汗に不快感を覚えながら寝返りを繰り返していた。隣で彼氏が眠っているから、ひそひそ話をするくらいの声量で「すきよ」と言うと、寝ぼけた声で「だいすき」が返ってくる。「起きてるの?」と問うと、言葉として成り立っていないうわごとが返ってきて、ほぼ眠っているみたいだった。
 朝方かな、と思ってスマホを見たら0:27だった。2時間ちょっとしか眠っていないことに気づき眠ろうとしたが、わたしは二度寝ができない体質だから困り果ててTumblrを開いている、という次第だ。
 わたしの身体はおかしくなってしまったのだろうか。最近、薬がないと眠れない。薬がないと延々と起き続けてしまう。眠いという感覚はあっても、それに実態が伴わない。そろそろ病院に行かないと、と思いながらもう半年くらい経ってしまっている。
 この投稿の一本前に書き上げていた投稿があって、わりと自分の根幹を成すような考え方をつらつらと書いたんだけど、公開には至らなかった。読み返してみるとなんか思想強くて、「あ、これ出したらだめなやつだ」って思って、やめてしまった。まあ、要はルサンチマンとか、相対的剥奪みたいな状態になってる自分を揶揄してるみたいな文章だった。どうしてそんな文章を書いてしまったのかは原因も含めて自分でもよくわかっているんだけど、だからといって自分を慰めてあげるのも惨めで、結局どうしようもないからどうにもできないでいる。いい歳してばかみたいだ。わたしを生きづらくさせているのはわたし自身だと思う。
 だけどこうしてメンタルがバッドに入ったときにTinderなどをやらなくなったのはある種の成長を感じる。誰にも理解されない気がするけど、たぶん数年前までのわたしならこういうとき男に逃げていて、愛のない性行為から感じる虚しさで、元々抱えていた虚しさを上書きしていたのだと思う。同棲しているというのも大きいけれど、いまの彼氏と付き合ってから一度も浮気をしてなくて、そのかわりこんなキモい文章を書いて自分の精神状態と折り合いをつけている。だから許してほしい。(いつも思うけど、これは誰に対して許しを乞うているのだろう)。
 話は変わるけど、因果応報とか公正世界信念みたいな考え方ってあまり信じたくないな。裏切ったことがあるから裏切られるのも当然、という考え方が罷り通ればわたしは一生誰からの信頼も得られなくなると思う。上に書いた通り元彼や元々彼と付き合っていたときに幾度となく身体の浮気を繰り返していたけど一度もそれが相手にバレたことはなくて、その代わり相手が女友達と宅飲みをしていたことを知ってしまったときは泣いて暴れるみたいな、クソ最悪な行動ばかりをしていたんだけど、それって神様はほんとうに見てるの? 結局現象って現象でしかなくて、人間はただ不幸の理由づけがないと不安になるから因果応報的な考え方に身を投じているだけじゃないのかな。なーんて、これは浮気をした自分を正当化してるだけで、結局悪いのはわたしってオチ。
 女友達よりも男友達が多い女はヤバい、とか、そういう言説にあてられ続けてわたしはいつもほんのりと傷ついているけど、結局は自己愛の強さゆえに傷ついているんだよなと考えては今度は自己嫌悪の二次被害。傷つきましたって言うのばっかり得意で、だけどそれをどうにかする術を持っていなくて、だけど今は文章が書けるから書くようにしているというだけで。きっと苦労少なく生きてきたであろう人間の正論にすらも傷ついて、そしてまた自己嫌悪の二次被害。いつになったら自分で自分を責めずに生きていけるだろう。そろそろ自分を許してあげてもいいんじゃないかな。
 これ以上書くとまた公開できずにお蔵入りにしそうだからこの辺でやめて投稿しようかな。これから眠らないといけないし。
 
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n-ripple-mk2 · 2 months ago
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彼2が入院した病院は彼の地元で、私の家からは少し遠いので相方に留守を任せていちいち家に帰らないで彼の部屋に泊まってそこから病院に行っているのだが、今日はよく来てる彼の友人(男1)が夕刻に訪ねてきた
彼は救急搬送の際に同乗してそのまま入院まで付き添ってくれたそうで、その時の事を私に伝え更に彼の様子を聞きに来てくれたそう お互いの情報を交換してその後の世間話も尽きた頃に彼2から電話が来た
何でも今、点滴だけの空腹に耐えかね病棟のラウンジでこっそり(まだ飲食禁止)ジュースを口にしたところ、飲んだそばから左鼻のドレーンを通じて排液を溜めるバッグに流れていってしまい、胃の中に留まらないのは無論、これはバレると思って少しで止めたそうだ この人は本当にもう、と心配しつつ、その光景を想像して笑った
��う言えば今男1さんが来ているよと告げると電話に出してというので替わる 話の中で今日ここに泊まっていっていいかと彼に尋ねているのが耳に入り驚く 是非はさておき何よりまず私に聞いてない
結局、彼にビシッと断られたそうで男1は挨拶して帰っていった
いやいや、ナイでしょ
彼2と私はお互いに悪いことをしたりされたりしてきた間柄だが、そんな私でもそれは無しだ 彼が居る時ならまだしも(それだっていつぞやの「彼と彼女と私」パターンと違ってひどく落ち着かない夜になるが)
ここでその人の名誉の為に申し添えておくと、その人は事情を知らなくても見て分かるが、実際障害年金が下りているそうなので何らかの精神障害の人で だから常識が分からないだけで恐らくはただ一夜の宿が欲しかっただけなのだとは思うが、彼にそのつもりは全くなく何も起こらなかったとしてもやっぱりダメだよ
ああ驚いた
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chitamm · 5 months ago
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明けない夜は明かすのだ
わたしはPMSで人間関係をぶち壊しにした人生を歩んできた。
胸がデカいからか知らないが、昔からPMSがひどかった。おなかは痛いしイライラするし死にたくなるしなにもできなくなる。でもみんなそうなんだろうと思ってたし、どうにかできるもんでもないと思ってた。
大学4年のとき、就活が全然うまくいかなくて年中鬱だったからか。それまでもずっとひどかったけど、その年はPMSに耐えられなかった。長年の友達を一人失くして、仲が良かったバイト先の人たちとも縁を切った。修復はできなかった。
その後働くようになり、ものすごく仕事ができないのに面接だけがうまくプライドがバカ高い人をOJTで教えることになった。その子が無能というのはさておき、人間に対してこんなにもキレてしまうことあるんだろうかと、不安に思っていろいろ調べた。
そしてPMDDという、PMSの精神的な影響が強く出る病気を知った。治療しているところが非常に少なく、都内近郊でも数件。その病院に通ってから少しだけ落ち着くようになったように思う。
どう考えても受診が必要なメンヘラだったのに、それまでちゃんと精神科に通ったことはなかった。それからPMDD以外の鬱とかもそこで頑張って向き合って、なんとかやれるようになった。
その後、ピルを飲むようになってキレてどうしようもなくなることは減っていったけど、病みはするし太りはするし、むくみで頭痛がひどくなったり色々な副作用があった。中性脂肪の値があがったりもした。ダイエットして解消したけど、ピルをやめてからの方が明らかにダイエットスピードが速まって、副作用の強さを思い知らされた。
ピルを辞めてから1年ぐらい経って、またPMDDがひどくなってしまった。改善されたと思ってたけど、精神科の薬ではなくピルの影響が大きかったのか?それとも、飲むのをやめて体質が変わってしまったのか。最近は本当に、生理前の不調がひどい。
そうして久しぶりに、PMDDきっかけのケンカをしてしまった。
大好きな友達の誕生日当日だった。だから、おなかが痛くても帰りにくかった。生理前だからヤバいってわかってた。でも一緒に祝ってあげたかった。そうして無理して身体もきつくて、ちょっとしたことにも耐えられなくなって、これまで我慢していたものが爆発した。
その日の夜にあったディナーの予約はなくなって、プレゼントも渡せなかった。どんな理由があったとしても、大事な友達の大事な日をぶち壊しにしたのはわたしだから。その日と次の日はずっと泣いた。そうやって泣いて被害者みたいな自分もいやだった。
そんな風に病んでいたら、心配した別の友達が「わたしの好きな映画です」と、“夜明けのすべて”を教えてくれた。その方は映画に限らずいろいろなサブカルを浴びるように生きている。ただ浴びるだけじゃなくて、そこから感受性をものすごく育ててきた人だと思うから、この人の言うことなら……と、天邪鬼なわたしは、映画ではなく小説を読むことにしたのだ。
すごく読みやすい。不自然さがなく、サクサクと読み進められる。語り手が入れ替わってもスムーズに受け入れられるし、視点から見え隠れする世界も面白かった。だからこそ、PMSとパニック障害という題材の重さ、辛さ、どうしようもなさが容赦なく心を突き刺してくる。どちらかの経験がなくても感情移入できるのではと思うぐらいに的確に表現されている。
わたしはパニック障害にはなったことないけど、PMSのパートは自分が題材になってるんじゃないかというぐらい自分すぎて、いたたまれなくていっぺんに読むことはできなかった。少しずつ読み進めてはまた同じ辛さが刺さる。「ダメな気がするけど、いけるかな」って大丈夫な方に賭けて、やっぱり失敗しちゃうところなんて、もうあの時のわたしでしかなかったもの。
こんなにつらいことばっかりで、この物語に光なんてあるのかと、つらい時期は少し読むのをお休みした。そして、少し落ち着いたので一気に読み切った。最後には、ちゃんと光が差し込んでくれた。
理解のある彼くんがいないと結局は報われない、と言ってしまえばそれまでなのだが、それはそれとしてちゃんと、自分の短所とどう向き合って、どう生きていくかという明るい解決策が提示されているのが非常によかった。
わたしも、自分に言い訳ばかりしていないで、やりたいことをやるためにどうすればいいか。現状の中でどう動いたらどういう風に近づけるかというのを、頑張って考えてみようと思えた。
最近は、親ガチャとか顔面格差を理由に最初から諦めてしまう、努力をしない若者が増えているらしい。こんなことを書くとばばぁみたいだが、若者からは10年経っているのでもう言ってもいいですか?わたしだって貧乏だし顔もすご~く可愛いわけではないし、病気もあります。でも、やりたいことをやるために、いろんな方法を試したり、環境を変えてみたりしようと思う。10年無駄にしたわたしも頑張るので、若者、諦めないで。若さの可能性は無限大なんだよ。
明けない夜は、なんとかして明かせばよいのだ。理解ある彼くんはいなくても、わたしには指針となる物語を差し伸べてくれる友達がいる。いろいろもがいて遠回りをして、ここまでたどり着けたんだ。
真っ暗闇で何も見えなかったわたしの空は少しだけ白んで、遠くの星が一瞬輝いたかもしれない。
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