#古民家宿泊
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newspaper-ckm-mirai · 3 months ago
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改装した古民家で食事と宿泊を カフェ シカジカ 八幡
改装した古民家で食事と宿泊を カフェ シカジカ 八幡 八幡にある築125年の古民家を改装した「カフェ シカジカ」が3月10日にオープンした。店主の村瀬朋子さんは東京在住で千曲市出身。明治33年に移築されたという住宅が空き家となり、敷地内にある土蔵と一緒に売りに出されていた母屋をカフェに改装した。一方、隣接している蔵は古い梁や柱を残して宿泊施設とする計画で1階がリビング、中2階を増設してベッドルームにした。まだ一部工事中だが屋外にはサウナも設置している。料理は野菜、豆類、海藻を中心にした「マクロビ」系のほか、カレーのプレートというメニュー。現在はまだカフェ部分のみの営業で夜間はバーとして酒類を提供。■営業時間・カフェ11時~16時。バー18時~22時。定休日は水曜と木曜日。 (写真上)食事スペース (写真下)日替わりメニュー
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chibiutsubo · 7 months ago
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#おでかけ #うだつの上がる街並み
古い街並み沿いにある、古民家をリノベーションした宿、NIPPONIA美濃商家町さん。元は和紙の原料問屋の別邸だそうで、外観だけでも和のシンプルなおしゃれ空間っぽい感じが漂ってきます。
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宿泊していなくても併設のお店の周りは見て回れます。中に入っているお店は和紙専門店のWashi-naryさんというお店なのですが、ここがまた素敵な空間でして。
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高い吹き抜けの天井からは、灯りがいくつも下がっています。もちろんこれらも和紙でできたもの。
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2階から眺めるとこんな感じです。和紙専門店というだけあって、中々他では見かけることのない紙が色々あって見ているだけでも楽しめます。言うなれば和紙の博物館状態。本格的なものから、マステやメモ帳などの手頃なお土産まであるので、もちろん私はマステにホイホイされましたよね。シンプルでありつつ繊細な柄で、これは大人のマステだわ……。紙ものが好きな人はしばらく出てこれなくなると思います。
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我が家にもこんな照明があったらなぁ……。
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ari0921 · 4 months ago
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
  令和七年(2025年)2月26日(水曜日)
     通巻第8670号 <前日発行>
 あの老舗名門のルーズベルトホテルが難民収容所だった
  NY納税者の2・2億ドルが、納税しない外国人のために消えていた
*************************
 たとえて言えばオークラホテルが古くなって、クルド難民の収容所に使われていたとしたら? 豪華な老舗ホテルが難民シェルター化していた。ルーズベルトホテルは1924年創業、映画「ウォール街」などのロケでも使われた。マッハッタンのど真ん中、グランドセントラル駅のすぐ北西に位置し、クラッシックなロビィ、百年の歴史を彩る調度品、富裕層が好んだ豪華ホテルだった。
 このホテルは1979年にパキスタン政府肝いりでパキスタン航空が買い取り、乗務員、スチュワーデスたちの宿舎にも使われた。コロナ禍で客足が途絶え、いちど閉鎖した。幽霊ホテル化した宿泊施設をNY市は難民シェルターとして契約し、毎週4000人、累計17万3000人の難民が宿泊した。NYCは納税者の税金から2・2億ドルをパキスタン政府系の企業に支払い、抗議の声が上がっていた。
 NY市長のエリック・アダムスはトルコ政府からの豪華旅行を招待されたりして汚職疑惑が持ち上がり、側近らが��任、つぎの選挙前に起訴は免れないだろうと言われた。ホークル州知事が決意すれば解任も出来る
 アダムスが泣きついた先は、民主党ではなくトランプだった。冤罪容疑は民主党の陰謀だとかなんとか言って近づき、弾劾を避けようとしていた。
 貴重な税金が外国政府に吸い上げられているのはいかがなものかと、抗議デモまで組織された。エリック市長は「変節」し、六月のホテルを閉鎖するとした。
 こうした背景からNYの有権者を納得させるための、もっとも分かりやすい方法がガス抜きだった。ホテル六月閉鎖をもって難民は路上生活者となる。
上院商務委員会のテッド・クルーズ委員長は難民の「聖域」となっている空港管轄区域の空港ターミナルで「暮らしている」夥しい移民の保護に関する調査を拡大し、空港に保護されている移民の数、その資金源、それがもたらす可能性のあるリスクについて情報を求めた。
ニューヨーク州、ニュージャージー州、およびマサチューセッツ州の港湾局に宛てた書簡の中で、特にジョン・F・ケネディ国際空港とボストン・ローガン国際空港における移民の保護に関しての詳しい情報を求めた。
モーラ・ヒーリー(マサチューセッツ州)知事は、毎日40~50世帯の新たな家族が州に到着し、州の住宅支援を求めているため州のシェルターシステムが7,500世帯の上限に近づいていると発表した。
トランプ勝利以後、不法移民の居住空間は狭まった。
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cordilleraintern · 2 months ago
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野鳥調査を通じたタジャン農家とインドネシア農家の交流プログラム 5日目
このプログラムも残り3日となりました。
この日はそれぞれの宿泊先で朝食をとった後、野鳥調査をしていたNPO法人バードリサーチのみなさんはバギオへと向かい、残りのKlasik Beans(インドネシアのコーヒー農家)とタジャンの農家、そしてCGNスタッフはサガダ町からタジャン町へと戻ります。
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*最後にみんなそろって集合写真!バードリサーチのみなさんありがとうございました!
道中に展望台があり、そこで一休憩。展望台からは少し先にタジャン町を見下ろすことができます。その後ろ側を振り返ると、タジャンがあるマウンテン州の隣にあるベンゲット州側を見渡すことができます。そこには野菜畑が果てしなく広がっています。まりこさんによると、ここ20年で山だったのが一面野菜畑になってしまったそうです。この辺りでは、商業用の野菜を作るために農薬などを大量に使っていて、その農薬で汚染された水がタジャンにまで流れてしまっているそうです。農家の人にとっては必要な生計手段だとしても、野菜畑側に森林が全くないのを見ると、自分にできることはなんだろうかと考えさせられました。
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*こちらは展望台から見えるタジャン側の写真。まだまだ森林があるのが見られます。
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*反対のベンゲット州側を見ると、このように野菜畑が一面に広がっています。商業的農業が盛んなベンゲット州の影響は徐々に他の州まで広がり、山を野菜畑に変える人が増えているようです。
展望台を後にし、向かった先はタジャン町のカダド・アナン(Cadad Anan)村。この日のプログラムの主な目的はタジャンのコーヒー農家を何軒か回り、インドネシアチームと村の人たちが交流することです。その一つ目の村としてカダド・アナン村へ。バランガイホール(公民館)にあるコーヒーの加工所を訪問した後に、クレフラゼット・ファームClefrazet Farmを訪れました。この村にはオールド・ティピカ種というアラビカ種の原種と言われるほど、古いコーヒーノキが植えられています。村の長老たちによると、樹齢は100年以上もあるそうです!すごい歴史!しかし一方で、最近は収穫量が伸び悩んでいるとのこと。Klasik Beansのみなさんに栽培に関するアドバイスを求め、意見交換をしました。
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*写真左側に座っているのは村のコーヒー農家の人たち。正面に座っている右の女性が農園オーナーのエデンさん。右側にはKlasik Beansのみなさん。
次の目的地はダクダック(Dacdac)村。ご飯を食べた後、村の方がタジャンの伝統的なコーヒーの焙煎の仕方を教えてくださり、Klasik Beansのみんなにも実際に体験してもらいました!
まずは焙煎から。ここでは生豆が入った鍋を薪で起こした火にかけ、木べらで混ぜながら煎っていきます。パチパチと音がしてきたら煎り上りが近い合図。そこからは焦げるまでがとても早いので火を止めるタイミングが難しく、どうしても深煎りになりやすいとのこと。みんなで交代して豆が焦げないようにかき混ぜながら焙煎しました。
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*Klasik Beansのゼナが昔ながらの村の焙煎方法を体験している様子。
焙煎が終わったら、竹ざるにコーヒー豆を空け、ざるを器用に前後に振ってコーヒー豆を上下に動かしながら、息を吹きかけて余分な薄皮などを飛ばしていきます。農家の方は難なくこなしますが、意外と難しく繊細な作業です。
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そして豆を挽く作業へ。といってもコーヒーミルなどの器具はないので、臼と杵を使い豆を粉砕していきます。
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*このように篩(ふるい)にかけたら完成です!
コーヒーを飲む準備が整ったら、Klasik Beansのセンディがドリッパーを使ったコーヒーの淹れ方を紹介してくれます。3日目のブログでも書きましたが、普段はやかんで煮出して苦いコーヒーを飲んでいるタジャンの人々。ダクダック村の人もいつもとは違う味に驚いていました。そしてその後インドネシアのコーヒーもダクダック村の人たちに飲んでもらいました。みんな美味しいと言いながら飲んでいました!さらに、Klasik Beansのみんなは農家の人にもわかりやすい簡易なカッピング方法で、村の人たちにカッピング体験をさせてくれました。2日目のブログに書いたように、コーヒーの味に正解や間違いはありませんし、いきなりプロのようにコーヒーを評価することはできません。大事なのは淹れ方、お湯の量などでどのくらい味が変わるのかをタジャンの農家のみなさんに知ってもらうことです。農家の人たちはどのコーヒーがおいしかったかと話しながら、インドネシアチームと意見交換・交流していてとても良い時間でした。
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*カッピングの様子。右の黒い帽子の若者がセンディ。ジャカルタのコーヒーショップでバ��スタとして働いています。
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*左がKlasik Beansのウデンさん、右がダクダック村のコーヒー農家の方。二人ともいい笑顔!
そして最後の訪問先はカブナガン村のベナフィン・ファームBenafin Farm。CGNのコーヒープロジェクトの受益者の一人であり、タジャンで最も熱心なコーヒー農家の一人であるエリーさんのファームにお邪魔させていただきました。ここではアグロフォレストリーを忠実に実践しています。コーヒーだけでなくさまざまなフルーツや野菜が植えられているファームを見学しました。そして実際に育てているコーヒーノキの状態を、Klasik Beansのみなさんに見てもらいました。
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*ウデンさんによると、このコーヒーノキは枝の剪定が必要とのことでした。また、雨季に苗木の周りを枯れ草などで覆っていたために湿度が高くなりすぎてしまったのも生育が思わしくない原因だそう。本当にこまめな手入れが必要です!!
非常に有意義な時間を過ごし、気づいたらすっかり日も暮れて夜に。再びラヨグ・カントリー・ファームLayog Country Farmへ戻りタジャンでの最後の一夜を過ごしました。
6日目へ続く→→→
Exchange program between farmers in Tadian and Indonesia through bird surveys - Day 5
There are only three days left in this program.
On this day, after having breakfast at each accommodation, the members of Bird Research, the NPO conducting the bird survey, headed to Baguio. Meanwhile, the remaining participants — the Klasik Beans team (Indonesian coffee farmers), the farmers from Tadian, and the CGN staff — traveled back from Sagada to Tadian.
At the end, we all gathered for a group photo! Thank you so much to everyone from Bird Research!
On the way back, we stopped at an view deck for a short break. From the deck, you can see the town of Tadian below. Turning around, you get a view of the Benguet side, which borders Mountain Province where Tadian is located. There, an endless expanse of vegetable fields stretches out. According to Mariko san, what used to be forested mountains 20 years ago has turned entirely into vegetable farmland. She also mentioned that in this area, large amounts of pesticides are used for commercial vegetable farming, and the contaminated water flows downstream into Tadian. Even though farming vegetables is an essential livelihood for local farmers, seeing the complete absence of forests in that area made me reflect on what I can do for the environment.
This is a photo of the Tadian side, taken from the observation deck. You can still see a lot of forest remaining.
In contrast, the Benguet side looks like this — covered entirely with vegetable fields. The spread of commercial farming in Benguet seems to be gradually influencing neighboring provinces as well, with more people converting land into vegetable farms.
After leaving the view deck, we headed to Cadad Anan, a village in Tadian. The main objective for the day was to visit several coffee farmers in Tadian and facilitate interaction between the Indonesian team and the villagers. Our first stop was Cadad Anan. We visited a coffee processing facility located in the Barangay Hall (community center), and then moved on to Clefrazet Farm.
In this village, very old coffee trees known as Old Typica — said to be one of the original varieties of Arabica — are grown. According to the village elders, some of the trees are over 100 years old! An incredible history! However, they mentioned that recently the coffee yields have been stagnant. They asked the Klasik Beans team for advice on cultivation, and they exchanged ideas.
On the left in the photo are the local coffee farmers. The woman sitting in the center-right is Eden, the farm owner. On the right side are the Klasik Beans members.
Our next destination was Dacdac village. After having lunch, a local farmer taught us the traditional way of roasting coffee in Tadian, and the Klasik Beans team got to try it!
First, the roasting. Here, green coffee beans are placed in a pot and roasted over a fire made with firewood, stirring constantly with a wooden spatula. When you start to hear crackling sounds, it’s a sign that roasting is almost done. From that point, it’s easy to burn the beans, so judging the right moment to remove them from the heat is difficult — often resulting in a darker roast. We all took turns stirring carefully to prevent the beans from burning.
Here’s Zena from Klasik Beans experiencing the traditional village roasting method.
Once roasting was complete, the beans were poured onto a bamboo tray. The tray was skillfully shaken back and forth while gently blowing air to remove the thin outer skin. While the farmers made it look easy, it was surprisingly delicate work.
Here’s Jimmy, a coffee farmer from Tadian, demonstrating the technique.
Next came the grinding. Since there were no coffee mills, we used a mortar and pestle to crush the beans.
After sieving the ground coffee, it’s finally ready!
Once the preparations were complete, Sendy from Klasik Beans demonstrated how to brew coffee using a dripper. (As I mentioned in the Day 3 report, people in Tadian usually boil coffee directly in a kettle, resulting in a very bitter brew.) The villagers in Dacdac were amazed by the different taste. They also got to taste Indonesian coffee, and everyone enjoyed it, saying how delicious it was! Moreover, the Klasik Beans team introduced a simple cupping method so the farmers could experience tasting coffee in a new way.
As I wrote in the Day 2 report, there’s no right or wrong in coffee tasting, and it’s not something you master like a professional right away. What’s important is for the farmers to understand how the flavor changes depending on the brewing method and water quantity. The farmers discussed which coffees they liked best and had great exchanges with the Indonesian team.
Here’s a photo of the cupping session. The young man wearing the black hat is Sendy, who works as a barista at a coffee shop in Jakarta.
On the left is Uden from Klasik Beans, and on the right is a coffee farmer from Dacdac village — both smiling brightly!
Finally, we visited Benafin Farm in Kabunagan village. We were welcomed by Eli, one of the beneficiaries of the CGN coffee project and one of the most passionate coffee farmers in Tadian. Her farm is a wonderful example of agroforestry in practice. Besides coffee, she grows a variety of fruits and vegetables, and we had the chance to observe her farm and the condition of the coffee trees.
According to Uden, the coffee trees here needed pruning. Also, because the seedlings were covered with dried grass during the rainy season, humidity became too high, which negatively affected their growth. This shows how much careful maintenance is required!
After spending a very meaningful day, we realized it had already grown dark. We returned once again to Layog Country Farm and spent our last night in Tadian.
→→→ On to Day 6
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gayxiaoshuo · 2 years ago
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《 我的粗壮渔夫 》-民工男男小说,直男同性,农民文章
  我家以捕鱼为业,一个既古老又传统的行业。先祖本是越人,为避秦乱,逃入江海,以渔为业,久而成蜑,就是现称的蛋家人。有人以为水上人就是蛋家人,
其实并不尽然,蜑是一个族矞,水上人不过是以捕鱼或航运为业,又或以舟为家
的人而已!(此非本文主旨,可以不理!!!)
  自小我便居于船上,就是常在渔港中看到的有帆渔船,起居地方狭小,但除
了泊港的时候,每天都是置身海阔天空里,尤其是到公海捕鱼,更是水天相连,
  出海的日子蛮苦闷的,有时风高浪急,有时数天不着陆地,脚下永不踏实。
然而,自从来了外聘工人李杰,我的生活即有了色彩,海上生活也踏实起来。李
杰是大陆人,是合法的外聘劳工,二十七,八岁,是个不折不扣的粗汉子,听说
他是下岗的兵哥,老家是四川。由于大陆精简军队,他下岗转为渔民,刚巧我爸
需添人手,他就聘在我们的艇中干活。
  第一次看到他,我即被他粗豪,高大的外表深深吸引着,他来了一个多月,
但很少说话,除了工作,他祇是看着大海抽烟,浓密的粗眉永远深锁,像有无数
心事,粗而短的须根,更添他的沧桑味,我最爱偷偷看他。
  今天渔获不错,爸命令提早回航,除了开船的叔叔,爸和工人都在船仓稍息,
李杰又蹲在船尾抽烟。他赤裸了上身,衹穿了一条黑色粗布裤,卷起了裤管,小
腿的蜷毛很是性感。
  「嗳,小伙子,老是看着我干吗?」我正坐在船舵边看着他动人的粗臂,忽
然被他一问,我几乎不能反应。
  「没,没甚么,就是看看有甚么大不了!嗳,你为什么不常说话,不爱在此
工作吗?」我故意拉开话题,但目光却没有离开过他长着短毛的乳头,在壮实的
胸肌上,显得格外性感。
  「我不爱说话!」他似乎看出我对他身体有遐想,低头看看自己的胸肌,微
微一笑,然后站了起来说:「喜欢?」
  宽阔的肩膊,挺凸的胸肌,粗壮的手臂,凹凸有致的腹肌,黝黑的肤色,在
夕阳的照耀下,好像一尊雕塑。
  我举头看着李杰,真想走过去将他抱着。
  「小伙子你多大?」他问。
  「十九,怎样?」我答。
  「原来不小了,我猜你才十六,那甚么也可做了!」他说。
  「可做甚么?」我不明所以。
  「你心里想甚么就做甚么,你常看着我想干甚么!」说着他走到船尾近抛锚
的地方,突然拉下裤子,掏出阳具——一条粗黑的阳具,向着大海撤尿,我看得
心差没跳了出来。尿毕,他把粗屌上下一抖,抖去余滴,龟头好像又大了一点。
李杰转过身来,在我面前,将大屌塞回内裤里,裤裆中仍隆起一大包。
  他笑吟吟的向我走来,突然伸手在我下体一握,我被出奇不意的动作吓得向
后一退,险些堕入海中,但身手不凡的李杰合手将我一抱,在他的怀中,我首次
面颊贴在他挺凸的胸膛里,一阵男人的汗味,令我几乎醉倒。
  「对不起,没事吧,差点玩出祸来!」他手拍在我的屁股上,歉意地说。
  我没有回答,只是细味着「差点玩出祸来」的那句话,若只是玩的,那实在
令人失望。海风吹得船帆鼓满,看看李杰的裤裆,都是一样!
  船泊岸后,我们立刻将渔获运到鱼市场去,交收事宜都由爸爸及叔叔处理,
我和李杰帮手搬运,但法例上他是不能上岸的,待办好事后,每次都由爸开船载
返大陆,到下次出海再来。但今天爸很累,着李杰在艇中留宿一晚,明早再走。
  我家有三只船,一艘是家,一艘作业,另一艘较小的,作替补之用,李杰晚
上就睡在那儿。在大船吃过晚饭,我带他到小船去。那儿虽小,但亦房牀俱备。
李杰走到仓内,就大字形的躺下。其实,我们蛋家艇没有分牀与地,整个船仓都
铺上塑胶席,起居、饮食、睡觉都在此。天气仍是热,我们的汗衣早已湿透,李
杰索性脱去衫裤,衹穿着破旧老土的大陆平价内裤,拿着扇子不断的扇向身体。
  「小伙子,这么热怎睡,可有水冲凉?」
  「就在船尾,露天的,衹围板遮身。」
  「遮不遮也所谓,不脱内裤便可,穿着冲凉都是一样,进来可以不穿。」他
还未说完就走到船尾冲凉,也懒得入围板中,穿着内裤就一瓢一瓢水的往身上淋
去。月色下,他几乎全裸,健硕原始的身体,在水光中更是凹凸分明。
  「小伙子,你不冲么,很舒服!」他向我示意一起洗。
  我求之不得,像他一样,脱剩内裤,在月色下,与他一起淋浴。看着他的身
体,我早硬了,撑得内裤隆起。李杰看到,又伸手轻轻一握说:「你这小子不规
距,嗯,不小啊!」
  他的一握令我更加涨大,再看看他的,亦已高高竖起,龟头险些伸了出来。
李杰此刻突然发劲拉我进入船仓内,垂下仓门,在淡暗的灯光下,他扯下自己及
我的内裤,以湿漉漉的身体把我搂着,在他的怀中,我吸啜着有毛的乳头,李杰
的手则不断挖进我的股沟。
  「小子,你老爱挑逗我,今晚你杰哥给你尝过饱,来,给杰哥吹吹爽!」他
躺在地上,挺得大屌高高的,示意我为他吹。
  我一点也没有犹豫,趴身张口就含着硕大的龟头。李杰将我身移向他身上,
成69式,所不同的是我像狗的趴在他身上,屁眼及屌完全近距离暴在他面上,而
他一边为我吹,一边以手指插入我未经人道的处男穴。
  我从未有过被吸的经验,吮着李杰的大屌巳万分兴奋,再被他一吹,一股冲
动由丹田涌上,阴茎一阵抽搐,已射入李杰口中。但他没有松口,我不断射,他
不断吸,直至我射毕。跟着,他要我平躺在地,然后将我双脚架在肩上,吐出口
中精液��涂在大屌上,揉搓一轮就开始捅入我的肛门中。
  「你不是常看我吗?你喜欢我的屌,我就给你,忍着,哥会叫你爽翻天,啊
…妈的,真紧,放松点…。啊………他妈的,比处女还紧,好,我爱操紧洞……
…啊!」他边插边用手尽量掰开我的股沟,一种前所未有的剧痛直剌心田。
  「呀………。不行………。呀,很痛,会爆的,李杰,太大啦………呀,不
…。求你停啊…………呀………………」我痛得肚腹抽筋,但他并不理会,衹是
发狠的捅,差不多八吋的巨屌,一点一点的顶入我的肠壁中。
  「嗯…………小子,我第一眼见你就想操你,你这蛋家屁股特别圆挺,最好
操的………。啊,都全进了,爽吗?啊………………你杰哥耍抽插啰!」
  话还没说完就开始大力的拉出,跟着又拼命捅入,那种挤压的感觉,令我不
知是痛还是乐,我死命的搂着他,咬完他的肩膀就和他激烈的湿吻。李杰的口腔充满烟味,但我迷醉在他粗犷的男人味上,我吸吮着他的舌头,吞着他的唾液,肉纹 帅炆 直男、民工 1X0文 唛文微 星 labi(腊笔的拼银)10010。 第一次,他干了我差不多半小时,射了还不肯拔出,只是搂着我,不久,又硬了,再操。这初夜,李杰足操了我一整晚,我已分不出是舟摇还是人动,是觉长夜里,有枝长桨在我的肛门撑着,不停地摇曳!
  自此之后,我成了李杰的人,他愈来愈爱操我,而且一次比一次操得利害。每当没有人的时候,他甚至要我乾诡不穿裤子,他说这更加方便干我,一想要就
可立刻捅进来。在船上工作,往往要蹲身或趴着,不穿裤子,后庭定必大开,他就是最爱看这个姿态,衹要看见就即时掰开我的股沟狂舐,舐完就操,而我也变得要被他每天操过才安乐,李杰已成为我人生的一部份。
  碧海里,烟波千顷,一叶轻舟何其渺小,但在他壮硕的怀中,只要他挥动巨屌,我仍是感动无比的安稳,踏实。
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tutai-k · 2 years ago
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たどり着かなかったおおくの未来たちへ
文フリ東京だった。 土曜日開催のイベントってなんだかんだ言いながらはじめてのような気がする……労働が土日祝休めなかったころはなんでイベントは平日にやらないんだろうと思っていたし、土日が休みだったころはイベントは土曜日にしてほしいと思っていたが、日月休みになると、イベントは日曜日がいいなと思ってしまう。日月は宿泊料金がやすい。
そんな自分本位な「この日がいいな」をわたしはいくつも持っている。
文フリ東京は、土曜日の朝に出発した。車内販売がなくなってしまって、でもまあ新幹線のホームとか��買にシンカンセンスゴイカタイアイス(シンカンセンモウカタクナイアイスだという噂だが)が売っているらしいから、それを食べようと思っていたが、朝、名古屋駅で見つけることはできなかった。 しょんぼりしながら新幹線に乗る。新幹線の中ではほとんど寝ていた。
東京駅・浜松町・流通センター。いつもの乗り換えで会場に向かう。来年の12月の文フリはビッグサイトでやるらしいから、この行程で向かうのはあと一回。
会場前に八束さんのスペースで不穏なフライヤーをもらう予定だったのでもらいに行ったら、八束さんがさいたま文学館で開催中の『澁澤龍彦の文学世界』のフライヤーも一緒にくれた。 ので、スペースが出入り口の真ん前だったこともあって、これはたくさんのひとに見てもらえるんじゃないか…!ということで、出口に向けて配置した。完璧である。
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そんな素敵な設営をして、開場。
遠方からきてくれたフォロワーさんに展示のフライヤーを見せ澁澤龍彦の話をし、「若い頃にわたしも全集読みました!」と言ってもらうなどしたり、痛覚の麻子さんにはえんえんと「この写真見てくださいやばくないですか?羽田に楯の会の制服を着て見送りに着た三島の帽子���かぶっておどけているときの写真でこれが二人が実際にあった最後になるんですよ……」と一生終わらないんじゃない勝手くらいの話をしつづけてしまったり、このフライヤーに気づいてくれた通行人のひと(「澁澤龍彦だ…!」という声が聞こえた)に「裏面も見てください!そしてよろしくお願いします!」とさっと差し出したり……。こんなに充実した文学フリマ東京は、2014年から参加していて初めてじゃないかと言うくらい充実していた。
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惜しむらくは、澁澤龍彦のフライヤーと一緒に不穏なフライヤーを挟んでいたにもかかわらず、だれも「澁澤龍彦と棄てに行ける家父長制があるんですか?」と聞いてくれなかったこと…。澁澤龍彦と棄てに行ける家父長制は果たして存在するのか……?
とまあ、こんな感じなのだが、そろそろ皆さんも不穏なフライヤーとは?と思っているところだろうと思うので、ご紹介致しますとこういうやつです。
「父親の死体を棄てに行く」アンソロジー。家父長制を棄てに行きたい方はどうぞ2024年5月の文学フリマ東京をお待ちください。
イベントが終わってからは、八束さんとヒマラヤ鍋を食べに行った。 お店の予約時間まで過ごしていたドトールで渋沢栄一の話になり、「ああ、向こうは傍家で、本家はうちなので」と話したら「いまうちって言いました?」と聞き返される。うちです。 ヒマラヤ鍋屋さんはめちゃくちゃすてきな楽隊(?)のお誕生日パレードがあったり、びっくりするような美味しい鍋を食べられたりと大満足だった。
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打ち上げを終えて、翌日のさいたま文学館に備えて埼玉に宿を取っていたので、移動をはじめたら電車がいきなり止まった! 電車の沿線で人身事故があったとのことで、近くのハブ駅みたいなところで電車を降ろされてしまう。こんなこと担ったのは初めてなのでびっくりしていると、とりあえず一時間くらいしたら電車は動くからね~とアナウンスが入り、事なきを得る。
都会ならではの体験だな…と思いながら、ホテルにたどり着いて泥のように寝た。
そしてさいたま文学館へ。
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張り切って出てきたら開館まえについてしまった…。図録を買って、老人クラブの展示があったので見せてもらったりして(ヤツガシラの俳句があってとてもよかった)、10時になる。
貸し切り状態……。
展示は、埼玉と澁澤の関係から始まっていて、浦和高校時代の写真(浦和高校同窓会が出しているものだった)があるのがとてもよかった。 限定本も展示がたくさんあり、原稿も��文学館が所蔵しているものが4、5点。 サド裁判のときに澁澤が三島に書き送った手紙に、争点が「わいせつか芸術かを超え、表現の自由/検閲への抵抗である」ことが書かれていることを指摘していたり、『高丘親王航海記』の原稿用紙、最初は「了」と書いてあったのを、推敲の段階で文字を自ら消したことを指摘していたり、「澁澤龍彦」という人物を表現との向き合いかたから見せているのが良いと思った。 面白かったのは三島の写真の使い方で、「血と薔薇」の「男の死」の三島の写真、あと、メインビジュアルが羽田に見送りにきた三島の帽子をかぶっておどける澁澤の写真だったからか、「楯の会の制服を着た三島由紀夫」の写真が展示してあったりした。
展示をひとしきり見た後は、図書室に今回の展示の関連本がまとめてあるとのことだったのでそれを身に。「作家のおやつ」「作家の食卓」といった本の紹介や、山﨑ナオコーラが文豪の墓参りにいく本に澁澤の項目があった。山﨑ナオコーラの澁澤へのまなざしにはわたしにもおぼえがある。よい本だった。そ���てその本で、先月わたしが緑色のインコに夢中になっていた霊園に中島敦の墓があることを知った。敦、ごめんな……墓のことなんて全然知らなかったから、緑色のインコのことしか考えてなくて……。
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その後は文学館併設の「けやきカフェ」で澁澤龍彦コラボメニューをたべる。黒糖と胡桃のパンケーキ。澁澤が好きだった胡桃や黒糖のお菓子をイメージしてつくられていて、とてもよかった。 思い出したのは、今よりもっと貧乏だったころ、いろんなところでやっている澁澤の展示に行けなくて悔しい思いをしたことだった。いまこうしてたどり着くことができるようになったことを、なんだかとても、自分が、自分をなんとかしているように思えた。
パンケーキを食べ終えてから、「武蔵野うどん」に挑戦することにした。「伊勢うどんとは対極にあるうどんだ」という事前情報しかなかった。 桶川駅ちかくのお店はかなり人気店のようでたくさん人が並んでいて、お店に入れたのは並び始めてから一時間後くらいだった。 つけ麺(うどんのことをつけ麺というのか?)システムで、つけ汁とうどんは別々の皿に載っている。なるほどこういうやつなのか、となにも考えずにがっと箸でつかんで汁につけてすすりはじめたはいいが、うどん、めちゃくちゃかたいんですけど?!噛みちぎれない…やばい、全部すすって口の中に入れるしかない……と思ったが、これがまたすさまじく長くて……永遠にうどんがおわらない……。 こんなに硬くて長いうどんはじめてなんですけど?!おれたちは箸で持ち上げただけでへたしたらブツッといく伊勢うどんの民なんだということを再確認し、「これは風邪を引いたときに食べるうどんではなく、体力が有り余っているときに食べるうどんだな」と確信しました。きっと武蔵野のひとたちは、風邪をひいたときにはおかゆを食べるに違いない。(伊勢志摩の人間は風邪をひいたら伊勢うどんを食べます)
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二口目からは一本ずつ食べることで武蔵野うどんのおいしさを堪能し、また是非食べたい、顎の力を試したい、と思った。
武蔵野うどんを噛み砕くのに体力のほとんどを持って行かれて、疲れ果てたので、そのまま帰宅することに。 購買にシンカンセンスゴイカタイアイスを見つけたので購入し、席に着くと、隣のひともおなじシンカンセンスゴイカタイアイスを持っていた。しかもおなじチョコレート味。
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べつに示し合わせてはいないがふたり一緒に食べることになってしまい、こんなに好きなひとがいるのに、もうシンカンセンスゴイカタイアイスは車内販売されないんだな……と悲しくなる。 そして、乗車15分まえに買ったし、シンカンセンモウカタクナイアイスだった。
アイスを食べ終えてからは、記憶がない。気づいたら名古屋だった。
名古屋駅で、近鉄のホームに来たら、電車を待つ人は無秩序にホームにたたずんでいて、車両のドアとか何も気にしていなかったし、電車が着いても「先に並んでいたひと」という概念がないので、運良くドアの近くにいたひとから電車に乗りこんだ。東京とかから帰る途中、この近鉄のホームの無秩序さを目の当たりにすると、まだ名古屋から三重まで帰らないと行けないのに、「帰ってきたなあ」と思うのだった。
名古屋駅から最寄り駅までも、寝ていたのでほとんど記憶がない。
帰宅したら、夕食は焼きそばだった。焼きそばの麺は、どれだけ頬張っても簡���に噛みちぎれた。武蔵野うどんは硬かった。
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pigu2870 · 9 months ago
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ラジコン備忘録 2024/9/14
Miniz-Cup 2024 Hokkaido Day.1
さてやってまいりました。レース当日編。まずは1日目。
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今回の大会会場は旭川。去年は札幌だったので久しぶりの旭川開催。僕にとって旭川会場は5年ぶり。
8時には旭川に着きたいので、5時起き・5時半出発です。
忙しい2日間が始まるのは目に見えているのでパッと高速で旭川に向かいます。うーん、早朝PAで見る愛車はカッコイイ。一応、ラジコンイベントの駐車場ではジロジロと実車を見られることがあるので綺麗にしておきました。排気量の余裕とフルバケの効果もあってか、移動の疲労感が少なくて相変わらず良い車です。
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7時半に旭川に着いて朝食。会場の駐車場がまだ空いていなかったので、近所のマックに。同じような考えの仲間と遭遇して奢ってもらいました。朝マックなんて超久しぶり。
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今回の会場は、旭川市市民活動交流センター CoCoDe(ココデ)。 昔の廃倉庫を活用したイベントスペースらしいです。レンガがおしゃれですね。 開場1時間前ですが、いくつか荷物で順番取りをしていますね...。
旭川、めっちゃ寒いです。家を出るときは半袖でも余裕でしたが、現地は無理。さすがに1枚羽織りました。この時点で16度くらいだったかな。寒いので路温が心配。
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9時開場、エントリー受付です。初めての会場では無いので、記憶が少しずつ蘇ってきます。トイレの位置だけはハッキリと覚えている不思議。
今回の北海道大会、見る限りエントリーが少なめ。代表権��いの人には良い状況ですね。
1日目に参加するオープンクラスの参加者は11名。かなり速いモーターを使うので難易度が高くて、上級者しか参加しないカテゴリー。参加人数も少ないカテですがそれにしても少なめ。とはいえ、本州からの遠征組も2名参加。ホームで負けるわけにはいか��いので、ボコボコにしてやる勢いです。
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この会場はピットスペースは2階に配置。吹き抜けになっているので、ピットからレースの様子がよく見えます。吹き抜けになっているような会場は全国見てもここだけなので、珍しいですね。 上からライン取り、車の挙動がよく見えます。
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操縦台の上からコースを見渡した図。2階から見るのと大して変わらないですね。操縦席とコースの距離もあるので、操縦位置による有利不利も無さげ。
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1日目のピット。いつも机上をゴチャゴチャさせてるのに比べれば大分スッキリ。気になる事といえば、ここの会場暗すぎる。タイヤ交換の作業をするにしてもかなり暗いです。棚にLEDをつけていますが、追加でデスクライト的なものを持ってこないと細かい作業は厳しい。コース自体も、吹き抜け構造なので2階からの照明が遠くてイマイチ。まぁ、こればっかりは仕方ない。暗いという意味でいえばみんなイコールコンディションですからね。
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練習走行。まずはいつもホームコースで走ってるセッティングに少し曲がりを足したマシンで走行。
...なんだこれ。聞いてはいたけどここまでグリップ低いか?って路面に驚きつつ策を練ります。
いつものセットじゃ全く話にならないですね。テールスライドしまくり。カウンター当てないとまともに走れません。
最近のラジコンは便利なもので、横Gをジャイロセンサーで検知すると自動でカウンターを当てたり、スロットルを絞る機能があります。仕方なくそれを最大限活用する作戦に移行。
初日エントリーのオープンクラスは約2秒で40km/hに到達するといわれる最速モーターを搭載したカテゴリー。この小ささで40km/hというとかなり速い部類ですね。正直、操作はかなり難しいです。
そんなピーキーなマシンを操作しやすくするために、スロットルジャイロを30%ON。普段は0~5%なのでどれだけグリップが低いのか...。
モーターも100%のパワーを出しても扱い切れないので、出力上限を95%に設定。これで立ち上がりがマイルドになります。パワーを出し切らない方が速い、珍しい路面です。ピーキーなモーターをキッチリ扱えてなくて、下位カテゴリーのマシンより遅い始末。
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そしてタイヤも変更。リアタイヤがグリップしなかったときの想定をしておいて助かりました。リアのタイヤコンパウンドを30°→20°に変更。これでリアグリップを確保・空転させないでトラクションをかける作戦です。
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とはいえ、そんなに根詰めて悩んでも仕方ないのでスイーツ休憩。一息入れてから予選で勝負に出ます。大会当日は糖分の補給を積極的に行うようにしています。その方が脳の働きが良くなりそうなので...。
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予選1回目。スタート時の混戦に巻き込まれてグダグダ。総合8番手で終了。マシンは悪くないようですが、レースの運び方が悪かった。他車との接触が2回はありました。ですが、次の予選2回目は前列スタートと考えるとたぶんイケる予感というか確信です。
予選2回目。スタートダッシュと1コーナーのアプローチが決まって2番手以降をブッチギリ。誰も前に出させることなく好調な走りで1番手フィニッシュ。ベストラップもきちんと出ています。
結局予選2回目が最速タイムになり、予選1番手が確定。マシン・腕前ともにイマイチ本調子ではないような感じもしますが、悪くはないようです。みんなこの路面に苦戦しているということですね。
北海道大会での予選1番手は5年ぶり。ポールポジションはやはりうれしいものです。
昨年は全国大会の権利を貰っているので、朝の段階で各選手に僕の走りをジロジロと見られているのは感じていました。そんなプレッシャーに負けずに走れて良かった。決勝も気楽に頑張ります。
グリップは少しずつ上がっていますが未だに低いまま。それでも、予選のままのマシンセッティングで何とかなる予感。決勝は変えずにこのまま勝負します。曲がらなくなってきたら、走行中にプロポで微調整をかける練習はしていました。
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決勝はカーゼッケン1番に変更。やはり、予選1番手というのは特別で良いですね。
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決勝Aメイン8分レース。
ポールポジションからスタートを決め、2周目くらいまで維持。だけどセットがなかなか合ってこず、3番手まで順位を一時落とします。しかし、ここからが僕の意地の見せどころ。瞬時にプロポ設定をいくつか調整し、前方選手のミスを見逃さずオーバーテイク。3番手まで落ちたのは一瞬で、30秒ほどで1番手に復帰。
僕の指先といえば、かなり忙しいです。グリップが低すぎて、いまだにアイスバーンを走っているような感覚。ブレーキをガツンと入れてキッチリ減速しつつも���スロットルは徐々に煽ってまさにドリフトしているような感覚。この走らせ方、かなりリアタイヤを消耗することは分かっていますが、こうでもしないとトップは死守できません。
その後2位の選手からの追い上げを感じますが、途中で追い上げは諦めたみたいです。表彰台圏内なのに、無理に追い上げて自爆する方が怖いですからね。つまらないですが、頭のいい作戦です。こちらとしても走りやすい。そのままタイム差を広げて2番手とは6秒差でゴール。ポールトゥウィン。完全勝利です。
リアタイヤは柔らかいコンパウンドを選択しているのでレース後半の 消耗が心配でした。ラスト2分でタレてきている感触はありましたが、誤魔化せる範囲で助かった。最近のラジコンの電子制御、本当にすごいです。疑似的なトラクションコントロールとABSでタイヤ消耗は助けられました。
今回の大会は路面グリップが終始低すぎて、スロットルワークが上手か下手かで勝負が分かれていた気がします。ワークスドライバー級のプロはステアリングよりもスロットル操作を重視すると言いますが、まさにそんな感じ。
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表彰式。色んなカテゴリーがありますが、最速カテゴリーで優勝ということは、この会場の中で一番速いということなので嬉しいですね。
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表彰状をもらいました。社会人になって表彰される機会というのはなかなか無いので嬉しいものですね。1位となればなおさら。
ここまでくるのに色んな人のアドバイス・協力がありました。本当に感謝。なかなか恩を返しきれないです。
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1日目が終わると、2日目に向けて東横インにチェックイン。全国大会の時に東横インに5泊したので、この際東横インのポイントを集めます。ちなみにキャリーバッグの中身は全てラジコン関係。着替え類はリュックで収まりました。
旭川くらいなら日帰りでも行ける距離ではありますが、翌日に向けて寝不足は避けたいのと、燃費計算をして宿泊した方が断然安かったのでホテル泊。
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その後は直ぐに旭川の街に繰り出します。僕の記憶の中の旭川の街って、栄えてはいるけど古臭いビルが立ち並んでいるイメージでした。久しぶりに旭川を歩いてみると随分と近代化していますね。オシャレなビル・お店がたくさんあります。今度、きちんと旭川で呑みたいですね。
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さて、北海道大会参加者の懇親会です。参加は30名くらい。ビアガーデンスタイルの鉄板BBQ。これで5,500円か~...と思いつつも陽気に飲み食いしてしまうのは相変わらず。初日1位の男なので、各方面にモテまくりです。大規模な飲み会で主役を張れるというのは、酒呑みにとっては随分と気持ちいいです。
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飲み会が楽しく終わり2次会に消えた人々もいるみたいですが、僕は偉いのでホテルに戻ります。翌日のことを考えたら、呑みすぎは絶対にNGですし。一人でしっぽりやりながら、次の日の準備。電池関係がメインですね。
1日目の走りを動画で確認しておきますが、我ながら良い走り。 次の日もこんな感じで走れれば良いんですが、今さら考えても仕方ないのでホテル晩酌を満喫。24時には就寝。
2日目編につづく...。
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picnicism · 10 months ago
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ギャンギャン
2024年8月26日のこと
こんにちはリビングヌン文学
調子に乗って博多ぽてととカステラを食べてしまった。そんで甘いチャイ
昨日は起きて大井競馬場フリマにビュンと行く
いつものTシャツ屋さんが夏の終わりを告げるためか1枚100円で販売してたので思わず10着購入
パナソニックの未開封カセットテープが10本箱入りで1000円で買えた
AKIRAのような服も300円で買えた。
帰りに少し急いでハンモック、ラーメン、コーヒー、読書
少し昼寝して、生活工房に自転車で乗り込む
中村、軸原アウトオブ民藝チームと下道くんと新しい骨董チームでブリッジトーク満席の120名
すごいすごい。キンタマ話と、何が骨董になるのか?あらかじめ予想しておきたいことなどをワンワン話す
打ち上げは山下道ラジオオフ会みたいになっててワイワイ楽しかった。会計1人5600円って考えなきゃいかんすな
ぬるい風に吹かれながら自転車で帰宅。やはり一杯ひっかけて帰るの現代版を何か作りたいと思う
このまま帰るには寂しいがなじみの飲み屋があるわけじゃなく、さらにあったとしても酒呑むわけでもない
犬まがいのマナブ君とTEENGENERATEの話ができたのが嬉しかった
展示も2割くらいできてたらいいいですよと言われたので、楽な気分でどんどん作り込んでいこうと思う
2024年8月27日のこと
おはようございますリビング文学
昨日は起きて、これ書いて、山下道ラジオ収録。
前日の生活工房トークについて話す
そろそろマジで展示の準備をしなきゃいかんすね
メガネの上にかけられるサングラスを集めてて、それだけを売る店をやりたい
マニアックすぎる商売を考えて実践できる場にしたい
クリップサングラスをご存知でしょうか?メガネの上にひょいとかけるサングラスでつるの部分が無く、上からクリップで引っ掛けるものです。
これをたくさん並べて販売したい。
開高健が深沢七郎の小説笛吹川を抵抗の快楽と書いてて、今の左派リベラルの真面目さ正義じゃなくて素人の乱の頃にやってたデモとかはまさに抵抗の快楽だったよなと。抵抗の快楽って言葉を縦書きで読んで、手へんが2回連続してるのと縦と横が入り乱れてて、チェック柄みたいでいいなと思って、抵抗の快楽Tシャツ作ったら抜群に良い。良いけど作るのがめちゃくちゃめんどくさい
作っててと嬉しくなってきたので、紀伊國屋に笛吹川を買いに行く。文庫で1500円はインパクトありすぎる
2024年8月28日のこと
おはようござますリビング文学
昨日は家で作業しながら、新作を少し作る
手芸本用の服の撮影でやり取りしてたら物量足りなさそうで、動画を送ったり
アンナちゃんの家に服を受け取りに行く。いつもの折り畳み自転車じゃない方の電動アシチャリで
こんなに楽だったんかい。サクサクすぎて驚く
地産マルシェで米を精米して購入。これから行くのに帰りに買えばいいのに、米不足ビビりも手伝って。
中野ブロードウェイ地下勝田商店でマグロ、イクラ、海ぶどうを購入。
中野ロープウェイでイトウ君と話す。1995年懐かしがり思い出し。
沼袋バズストアで大量購入。ユニクロのUVカット服がたんまり買えた
アンナちゃんからIKEAバッグ2つ分を受け取る
急いで帰宅して、風呂入りながら深沢七郎の笛吹川を16分朗読
手巻き寿司大会
手巻き寿司には大会をつけたくなる。
萩ちゃんが教えてくれたディズニーで見られるドラマ ライフアンドベスを2話くらい見てたら寝落ちする
本編内容とあまり関係ないけど主人公ベスのと学生時代の友人が電車の乗務員になって再会するシーンで、制服着て切符拝見してて、乗務員が制服着たまんま酒飲んでて、ベスの恋人がいな��なったら向かいの席に足を乗り出して座って話して、戻ってきて、ベス恋人が座るところを避ける。
これって日本じゃあり得なくて、今から20年以上前にロンドンに旅行に行った時に地下鉄の駅員が全身タトゥー入ってて驚いたけど、今もそんな駅員は日本にいない
上から言われた会社の決まりをひたすら守るだけという日本の会社員と言われたことさえやってればあとは本人の自由って感じの海外って何もかもが違いすぎて、後者の方が現代っぽいから、日本の停滞の理由って社会のせいじゃなくてルールを守りすぎてるこちら側にある気がする
蒸し蒸しするので風呂入ってきます
2024年8月29日のこと
おはようございますリビング文学
昨日は10時からリコちゃん出勤日。久々で、なんとなんとで次の新居が決まったそうで、ガシガシ稼いでもらわないといけないので、リコちゃんの金儲け実験室にもなるし、途中でやめるで現在働いてくれてる人達が稼いで独立できるようになる実験室でもありたいと思ってます
11時に手芸本の撮影のための選別で編集のフルイケさんがやってきて部屋中をひっくり返しまくり埃だらけにして段ボール2箱用意する。
ひっくり返して気がついたのが、在庫やパーツなどが結構たくさんあるなということだった。
お昼は俺だけ松屋で牛丼小とサラダと豚汁。完全セルフで空いてる店が一番過ごしやすい。
撮影に足りないものがあったので高田馬場バズストアへ。パーカーが300円で買えるってこれマジで異常事態ですよ。
ミスドを買って帰宅してみんなで食べる。すんちゃん大喜び
鶴見俊輔対談集 未来におきたいものは を本棚から取り出してみる。今年買った本で、東北沢のやたらと匂いがいい古本屋で赤瀬川原平とも対談してたので買った本だった。
先日の生活工房でツルシュンの話が出たので気になってて広げてみたらあらびっくり、橋本治と対談してるじゃないの!
いろんなことを話してるけど、「途中で気が変わる」ってことを肯定してこうと話して盛り上がっている。
何を持って猥褻か?が裁判で争われたりしてたけど、スルスルっとすり抜けて誰が許可したわけでもないのにヘアヌードがありになったのは途中で気が変わったからだと
まさにその通りだなと思った。
調べて買うのもいいんだけど、面白い2人の対談が実は家にあったってのが嬉しい贅沢ですね
今日から三軒茶屋生活工房で展示の仕込みが始まります。
どんな展示になるのやら。台風にビビってミシンを運ぶための車をまだ手配してませんが、近日中にバチコン運んで作業部屋を軽くします。
新作もガシガシできておりますのでご期待くださいませ
それでは三茶に行ってきます。。ギャンギャン
2024年8月30日のこと
おはようございますアトリエ文学
昨日は生活工房で仕込み初日でギャンギャンに30分遅刻して自転車で行く
萩ちゃん作業してて、インターンのいさじさんとご挨拶
なんとなんとの名古屋からきてるとのことで超驚いた
やる気があれば場所関係ないんだなと
こっちはやる気あるけど荷物が運べなくて、うろうろしいてるだけなんすよ〜と学芸員のオータケさんに話したら車ありますよと
マジですか!大急ぎで何の準備もしてなかったけど家まで向かってもらって、1トンくらいの荷物を生活工房に運ぶ。オータケさんも聞いてないぞのテンションだったけど大助かりです。
しかし、これだけ運んでもアトリエから荷物が減った感じがまるでしない。どうなってんだ
さらにもう一回運んだらアトリエがすっからかんになって客人の宿泊ができるようになったりするだろうか
今日はアトリエにこもって作業かな
展示がめちゃくちゃいい感じに仕上がってきてて、もう心配なさそう。流石の萩ちゃん大感謝です
不景気は嘘だった。紅茶は無料だった。ボストン茶会事件以降の手作り陰謀論をどんどん発揮していきます。
告知をして予約を募って、管理して進行すれば安定したつまんないイベントができるんですがそれだとつまらないし、仕事になるから報酬よこせ!その代わりお客さんとして扱うつまらなさがあって、そうじゃなくて、なんでそんなことまでやらなきゃいけないんすか!と言い合える信頼関係作ってから面白金儲け実験室をやりたいと思ってます。
書かなきゃいけない締切原稿が一つあって、残暑について、締切が8月31日でまさに夏休みの詩宿題って感じでいい。
さて、お昼前に台風で水が上がりまくってる庭のメダカの水槽を何とかしようかな
水槽に屋根つけて水を抜いて綺麗に敷いてきたぞいぞい
ミクロな世界を見ると楽しいですね
8月31日のことは、新しく始まるnewメディアに明日9/5掲載されるのでお知らせしますのでお楽しみに
2024年9月1日のこと
おはようございますリビング文学
昨日は朝からコレをガシッと書いた。ちょっとまずいことになってて、この横に数字がある日記のような日々のことが習慣になりすぎていて、通常の文章がまるで書けなくなってしまった。自分にとってのリズムが最高にいい。
リーリーさんに依頼された文章をこのスタイルで送ってしまったがよく書けたので満足している。
書くことめっちゃ好きだなと思いながらも、話すことのほうが好きで、それも相手が誰なのかをわかって話すのが一番好きなんだなと思った。
さて、さて、
昨日は結婚記念日11周年!よろしくお願いします
夏休みの最終日を結婚記念日にしたら忘れないんじゃないかと思って入籍したんですが、夏休みって現在はどんどん地域差があって新大久保の外山小学校は8月26日からだった。
昨日も自転車で三茶に向かってずんずん進む。
お昼はルーローハンを食べるうまい
地図の線を服に縫って作ったらめちゃくちゃ良いのができた。と思ったらすぐに壁に貼り付けられて展示される。
会場が広いので、Mr.イチロー氏が車で荷物を運んでくれる。バチバチにでかい台車3台分運んでいよいよアトリエ部屋の荷物が無くなった。
生活工房近くの100メートルの観光をやりたい
今日は関東大震災の日。この時に朝鮮人が井戸に毒を撒いたとデマが流れて、殺されたりしてるのを、佃政一家の金子政吉が朝鮮人の人らをかくまった時の名言を置いときます
「てめぇらよく聞け。ここが男の見せ所だ。俺らがお上にご迷惑を掛け、往来にない商売をして男を張れるのは、弱い者を救う精神があるからだ。てめぇの命に代えても守り抜け。佃政の一統を名乗りたい大馬鹿野郎は、今日ここで見事に散って死ね!」
ゾクゾクするねぇたまらないねぇ。 ↑サカナとヤクザ 鈴木智彦 文庫版337ページに載っております
今日も三軒茶屋に行ってきます
2024年9月2日のこと
おはようございますアトリエ片付いてるヤンけ文学
いいですねぇ片付いてると。荷物が全部生活工房に運ばれてスカスカのスカコアになりました
昨日も生活工房でギャンギャンと最終調整。
ヒカちゃんギャラリーで今回展示をバチコン設計デザインしてくれた萩ちゃんの展示も明日から始まります
今を生きていくのに必要な言葉やアクションってシェアされるの前提になってるから心底つまんなくて、ここから書くことは共有なんてできねぇよ、なんだそりゃ!みたいなことです。
自分がされたら嫌なことをどんどんやっていこうかなと思ってます。今こうやって展覧会やらせてもらえたり、服を作って売って暮らせてるのは、その分野、部分に関しての既得権を持ってるってことで、それを利用して、次のステップってバカヤロー!無いよそんなの。そうじゃなくて、今がマックスツンドラなんですよ。最高点なの。
だから、棚卸しというか、自分が持ってる既得権をギャンギャンに解体して、どうぞお使いになxっつえください。そしてそれをきっかけに金儲けして、自活する方法考えましょうよ。って展覧会だと思ってます。
ハンモックを買ってから、睡眠不足で目覚めた朝が嬉しくて、よしこれで今日ハンモックで寝れるぞ。と睡眠不足がスライドして喜びに変わるのを知れた。これは空調服も同じで、暑いのが嬉しくて、空調風で出かけられると。
そういう感じで、今回生活工房で展示をしませんか?と話を頂いた時に、アトリエにある全荷物を持って行って全部売り払って、この空いたアトリエを友人らが宿泊したり、制作したりできる場にしたら、期間限定とはいえ場を2つ持つことができる。
そんで、九州や各地いろんなところにいる友人らを呼んでヒカちゃんギャラリーで展示や販売をやってもらえたら金儲け実験室稼働するやんけ。
展示してる内容は大���競馬場のフリマで買った古物なのかなんなのかよくわからなかったり、めちゃくちゃかっこよかったりするものですが、基本的にはいらないものが多い。
インドに旅行に行って20円のチャイ飲んでめちゃくちゃ感動して、あの時の感動をもう一度と思って店を始めました。チャイ850円ですってバカヤロー!
いや、わかるよ、わかるけど、味も美味かったし、雰囲気も良かったんでしょ。でも、でも、20円に感動したんじゃないの?と。でっ、そんなことできるわけないんだけど、今回の生活工房ではできるんだな。コレが。
今、自分がされて一番嫌なことは仕入れ値や仕入れ先をバラされることなんだけど、それはなぜか?誰でも出来るからなんすよ。誰でも出来るから、やったらいい。それでこっちが困って次の生活の糧を探さなきゃいけないと思ってる。そのくらい恵まれてるし、楽勝だなと思ってて、しかし、その楽勝が他人から見たら苦労してるようにも見えるかもしれない。
なので、こうやったらやっていける方法を自活する方法をバンバン話しますので、観客みたいなテンションにならず、我がこととして聞いて実践してください
いつ行ったらその話聞けますか?コレであってますか?全部しらねぇ!自分で考えろ!だけど、在廊しまくる予定なので、いる時は質問しまくってください。
展示内容は大きく分けて3回、ガッツリ変わります。現在展示されてる金儲け初期展示は横浜トリエンナーレ完全再現か?いや、ただ繰り返してるだけヤンけ!ですが、これも全部売り払ってその金で大井競馬場で仕入れて、次の謎の展示に変わります。
こぅちが1万円得するような販売方法よりも1万円損する売り方したら5万円分くらいの告知効果と経済効果があると思うんですよ。100円で仕入れたものを200円で100個売る1万円儲けるスタイルはなんの口コミもないけど、来ただけで20人に500円あげるって言ったら20人は2000人くらいに500円もらったとつぶやいてくれそう。そう考えたら、金使っただけ得する社会が小さすぎるけどできあがってるやんけと。
そういうのを実践して、嘘かもしれんけど、手作りの陰謀論で景気の良いふりをしまくる展覧会
明日からスタートします。
2024年9月3日のこと
おおはようございますリビング文学
昨日は展示前日でギャンと仕込みの日
山下道ラジオ収録と思ったら延期でとほほ、、、
三茶に向かう前にキャンドゥをハシゴしてスマホスタンドを爆買い
前回、自転車で長居しすぎて400円も払ったので今回は三茶の駅から少し遠い駐輪場にイン。結果150円だった
ノマディックライフみたいな名前の雑貨屋と食堂が一体になった教会の一階の店でランチ。
入店するなり、空調服=現場作業員だと思ったみたいで時間がかなりかかりますが良いですか?何分くらいですか。15分です。了解です。
店内をぐるり見たらアジアで仕入れた雑貨のと洒落た服が売ってる。
ベジプレートが運ばれてきてマクロビ玄米のおかげで今朝のウンコが硬くていい。
生活工房へ。色々と細かな準備を進める。
地図と同じ線を服に縫う。
ギャンギャン
いよいよ今日から展覧会始まります
三軒茶屋でお待ちしております
9月8日まで13時から19時まで在廊しております。その時は購入できます
行ってきまーす
2024年9月4日のこと
おはようございますリビング文学(毎日この書き出しで始まるのは、挨拶をして書いてる場所のことです。今日は、自宅のリビングで書いていますよという意味です)
昨日から始まった山下陽光のおもしろ金儲け実験室。盛況です。
昨日は山下道ラジオを収録してから昼ごはんを食べて、雨が降っていたので初めて電車で三茶に向かう
着いたら、広島からゼツキグ大ちゃんとキャサ松がキャリー抱えてやってきて、夏仕事たくさんやったので夏休みで遊びにきたとのこと。ギャンギャン。
マナブ君(犬まがい)や萩ちゃん、イチローさんなどなどたくさんの人が来てくれる。
リコちゃんもやってきてガッシガシに縫ってくれるので、たくさん仕込みまくる。
金儲けというかバイトやめる学校のような相談を何人からか受ける。1人目は横浜在住の入江さん27歳男性で、学童と横浜市の夜勤の事務というダブルワークアルバイトしてて何か自活する方法はないでしょうか?と。特技を尋ねるも、特になく、写真を撮ることが好きだとのこと。それだけじゃ弱すぎるので、メルカリで販売したことは?無い。うーむ、まいったな。好きなことや特技が少なすぎるので、出身を聞いたら島根県とのことで、県人会に連絡してはどうかと検索したら、ナイスタイミングで週末日曜日に東京島根県人会のイベントがある。参加費10000円高すぎるので、電話して手伝えることはないか聞いってみては?とアドバイスしたら即電話かけ始めた。こうでもしないと何にも変わらないですから。とめちゃくちゃナイスやんけ。
そうこうしてたら、それを見ていた女性から、生活保護受けてるんだけど、絵を描いてます。だけど誰も見てくれないし売れませんと。少し悲しそうな顔をしていた。
絵を買うってハードル高いから紙とかキャンバスじゃなくて陶器とか服とか家具とか人が使うものに描いて安価で売ったら売れますよと伝えてインスタアカウント見せてもらったら色味めちゃ良くて、デカいワンピースとかコートとかセカストとかで1000円で買えるから、それに描いてこんな値段では売りたくないな、売れなかったら自分で着ようと思うギリギリ最低の値段(3000円くらい)にしたら必ず売れるし、インスタの1画面に3×4の12画面、12着を服に描いた絵だけにしたら見る人も増えると思うと言ったらなるほど顔で帰りには明るい顔になってよかった。また来てくださいと伝える。
そうこうしてたら島根県人会の電話を終えた入江さんから、ちょっと不信に思われたけど、今回は募集してないけど、次また電話くださいと言われたとのこと。帰りに島根アンテナショップ寄って帰りますと。
ちょ待てよキムタクで、島根と言ったらハナさんやんけと、世話好きハナさんに電話したら話も盛り上がって、グループLINE作って色々報告しましょうとなった。
こんな感じで通うスタイルの金儲け実験室になれば良いかなと思ってますので、皆様もどしどし質問してください。
すんちゃんが子供と仲良しになってテトリスとぷよぷよが合体したテトぷよってのをやってたり、とても良い空間になった。
帰りに学芸の石山さんに教えてもらった壱番屋というカラオケ屋地下の超高級風な焼肉屋で山下家族、リコちゃん、橋本さんと乾杯打ち上げ。水が有料でビビり散らかしてたけど、烏龍茶無料で、会計が5万くらいするだろうなと思ってたら5人で2万8000円とめちゃくちゃ安い!激安の店ってわけじゃないけど牛角くらいの値段で肉がめちゃくちゃ美味しくて、こりゃリピ決定やんやんやんけ。
ところ変わって庭文学
アトリエの全荷物を生活工房に運んだのですっからかんになって開かずの間になってた窓を開けて外に出ることが可能になったので、そこにキャンプ椅子机を持ってきて書いております。
書く場所、書ける場所をたくさん作っておくと良いですね。そう考えるといつだってコメダは最高ですな。三茶にコメダあるんかな?あったな、確か。しかしコメダは人気あるから入れないんだよな
9月の展示はヨコトリの残り香と我が家の在庫放出祭りになってますが、それを処分し切った後の10月は0円ショップに舵を切ろうかと思ってます。
本や古着、食器、なんなら期限内の食品もたくさんあると思う。それを集めて料理したり、リメイクしたり、持ち帰ったりする場になれば良いかなと。集める日と放出する日を分けたら良さそうです。
それでは今日も生活工房でお待ちしておりまーす。今夜のUFO CLUB面白そう
9月8日までは13時から19時まで
三軒茶屋 生活工房ギャラリーに毎日滞在しておりますので遊びに来てください〜
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oyamanoyado-michituji · 10 months ago
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ありがたく、美味しくなぁれと願いを込めて作ってます!
みちつじ定番の夕食のメイン、鹿肉のロースト。(ベジタリアン、ビーガン対応してます)
#鹿肉 #ジビエ
#gamemeet
#ジビエ料理
#お山の宿みちつじ
#高知県大豊町
#古民家宿
#一泊二食付き
#kochijapan #japantrip #japantravel
instagram
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patsatshit · 2 years ago
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日頃から公私ともにお世話になっているmole musicの店主、中村光貴にインタビューを試みた。メディアに露出する機会のほとんどない孤高の音楽生活者の「生活」についての一問一答、お楽しみください。
【2023年10月17日12時43分インタビュー開始】
〔土井〕 かつてタラウマラで発行していた季刊ZINE『FACE TIME』の記念すべき創刊号に素晴らしいテキストを寄稿してくれた光貴くん。そのなかで「それぞれが人生を続けるように、風景は変化し続ける。そして忘れ去られる。ユートピアは存在しない。悲しくもディープハウスは状況に対して意味を持つ」という極めて辛辣な言葉で論考に幕を下ろしていたけど、mole musicは大阪〜古市、古市〜新大宮と移転を繰り返してきた訳で、その都度、心境や生活に変化はあるの?
〔光貴〕 土井さん、こんにちは。相変わらず突然ですね。今日はよろしくお願いします。変化はあります。どちらかというと心境や生活の変化に合わせて、移動している感じですね。『FACE TIME』創刊号に提出した「無題」は2019年に自身のパーティーや物質の制作に向けて、普段は公開することのないステートメントや論考のテキスト断片と影響を受けたテキストのサンプリングをミックスして展開してます。昔から変わらないんですが、僕は動く前に書いてます。動いてから書くことは稀で。「無題」はカットアップというより自身のDJの方法に近いです。テマティック批評で編集したと思います。うまくできたかはわかりませんが。「無題」をタイトルとしたのはテマティックの逆説です。逆説の逆説かよってなるかもですが。僕の性質をよくご存じの方はまたやっとるわぁぐらいで思ってもらえれば。結果、活字の世界では違法な戯言みたいなものになりました。結果、土井さんが楽しんでくれていたので良かったと思っていますよ。
(中村光貴の「無題」は『FACE TIME vol.1』に収録)
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-skit-リズムを取る二人。土井返答無し。恐らく仕事。中村は定休日、湯に入る。
〔土井〕 ごめん、ごめん、パンク修理してた!なるほど。まさに「状況に対して意味を持つ」というか「はじめに言葉ありき」という感じやね。僕は古市時代からのお付き合いで、初めて家族でmole musicに合宿させてもらったとき、何か具体的なきっかけがあった訳でもなく、早朝から光貴くんとうちの息子が突然の音楽セッションをはじめたときのことがいまも鮮烈に脳裏に焼き付いてる。そもそも建物の佇まい自体が店というか、家。いや、家というか、掘っ建て小屋。街中によくある「古民家を改造して良い感じに仕上げました」という数多の量産型とは一線を画す、マジの荒屋やん。あそこを住居兼店舗として利用するのはそれなりの覚悟が必要やと思うし、「不便」と添い寝する気概がないと成立しないよね。ガスは通ってないし、水道管に地下茎が蔓延ってどえらいことになっていたし、夏は死ぬほど暑いし、冬は寒すぎて凍え死にそうになるし、秋は猛烈な花粉の飛散でこれまた死にそうになる。僕はmole musicに宿泊するたびに死にかけてる(笑)。それでもまた行きたいと思わせてくれる魅力があそこにはあった。一転、新天地は閑静な住宅街の一角という極端な振れ幅!それこそ光貴くんに教えてもらった西井一夫の『写真編集者』という本のなかに「写真をやろうと思う人は、人から何であなたは写真を撮っているの?というか何であなたは写真家になったの?と聞かれたときに、自分が写真というものを選んだ理由を言えるようにしていなければならない」というようなことが書かれていて、ほな光貴くんがレコード屋をはじめた理由を聞き出したら何日も夜を跨ぐことになりそうやけど、簡潔に言うとどういう理由でmole musicを立ち上げたの?
〔光貴〕 今日もパンクしてますね (笑)。古市は僕にとっては「不便」じゃなかったですよ。家が無い路上のハウスDJだった時代もありますし (笑)。奈良古市は���み込みながら、友人と4カ月かけてレコード家と呼べるような場所にしました。移転前、がらんどうになった家を見ながら、良いハウスになったなぁと勝手に納得していましたね (笑)。
レコード屋をはじめた理由を簡潔にいうと、制約のある時間、あるいは一生をかけて、語るには最高の方法だからじゃないでしょうか。それを続けられるかは別として (笑) 、今もそう思っています。肩書をレコード屋とDJのハイブリッド。これは僕の造語なのですが「音楽生活者」と名乗っています。因みに最高の方法っていうのは僕にとっての最高ですね。方法なので、目的はその先にあります。目的の先があってほしいとも思っています。続けられていることはラッキーです。
〔土井〕 「音楽生活者」という肩書きはめちゃくちゃ納得。mole musicの特異点は店舗そのものが完全自立型の語り部として機能していることやな。同じレコードを買うにしても、意味合いが変わってくるというか、そのレコードを手にした人間に、歴史的な背景や文脈を突き付けてくるというか、ほんま恐ろしい店やで(笑)。
〔光貴〕 その反応は純粋に嬉しいです。答えはなくて色んな方法で楽しんでもらえていると糧になります。僕自身が駄菓子屋からレコード屋に育てられてきた世代の人間なので。現代では何か目新しいことをしているように見えちゃうかもしれませんが、実は時代遅れの混成型。過去にあった、忘れられた当たり前の風景だと思いながら続けています。
〔土井〕 みんなええかっこして「お客さんのために」とか「文化を絶やさないために」とか言うけど、何よりも自分にとっての最善を模索し、追求し続けるのが自営業やと思う。
〔光貴〕 「お金のために?」「利権を絶やさないために?」(笑) 嗚呼、幻?気のせいです。
〔土井〕 自分にとっての最高の方策でないんやったら、店なんかやらん方がええもんね、しんどいだけやし……。
〔光貴〕 あっ、土井さん、しんどいのはお互いさまですよ。だって未だに好きなこと続けさせてもろてるから、しょうがないですよね (笑)。
〔土井〕 光貴くんがある種の目的を見据えて走り続けるmole musicを端的に表明するキーワードを挙げるとすれば何やろう?
〔光貴〕 キーワードかぁ。鍵の言葉ですよね。いつもなら反対とか逆説って言うような気がするんですが……。走っているつもりは無いのですが、うまく歩めていないかもしれません。歩むこともテーマなのですが、活動で脱落者が出てくるのは事実ですよね。ここは土井さんも思い当たる節はありそう (笑)。今日は定休日なのですが、実はさっきもお客さんが来てました。今は次の制作のミックスダウン作業をしながら返信しています。土井さんはパンク修理しながら質問を投げてるでしょう?休み方だけは忘れてしまったかもしれませんね (笑)。
〔土井〕 それはほんまにそうかも。僕も昨年に片足がもげたわ (笑)。好きなことを続けるのは絶対にしんどい!そう言えば、1年の半分以上を全国津々浦々の現場でライブをして生活しているブルースシンガーの方に「しんどくないですか?」ってアホみたいな質問を投げかけたことがあって、その方は「土井くん、子どもは好きなことやってるときは何時間でも何日でも同じことを苦もなくやってるやろ?わてはあれと同じや。好きなことしかしてへんねやからしんどいことなんてあれへんで」って言うてはって、やっぱりレベルが違うなって思うたんやけど、その数日後に体調を崩されてライブの途中にまったく声が出なくなったらしく、後日タラウマラに来てくれたときには「土井くん、やっぱり好きなことでもしんどいときあるわ」って苦笑してはって、逆に「好き!」ってなってん。
〔光貴〕 土井さんの生活はシーケンスがあるから。しっかりと家族と向き合ってるのが凄いなと。この間、ブログで売り上げのサンプルを提供してたじゃないですか。売り上げをデータベースにアーカイヴする時点でえらいパフォーマンスやなぁって思ってみてたんですけど。目的が明確だなと。もう素直過ぎるやんって感心してました。土井さんは家族と過ごしている時間は絶対譲りませんもんね (笑)。比べて僕は即興の要素が多いかもしれません。今やっていることが正にそうですし。あとで辻褄あわすかもやけど (笑)。
〔土井〕 いつも僕のわがままに付き合ってくれてありがとう (笑)。僕は光貴くんの即興性に底知れぬものを感じているから、ついつい無茶振りしたくなるねん。そのくせ自分は家族との時間を断固として死守するという超わがまま (笑)。あと光貴くんが挙げてくれた「歩むこと」「駄菓子屋」は確実に鍵となる概念やね。それこそうちの店名になってるメキシコのタラウマラ族の人たちも速く走ることを得意としている訳ではなくて、ゆっくりと永くいつまでも走り続けることに長けてるみたい。それってつまり「歩むこと」やと思うねん。周りの情勢や速度を気にせずに歩みを止めないというのは意外と大変なことで、誰しもついつい周囲と歩調を合わせてしまうもんやからね。それと2000年代前半くらいまでの過剰なマニュアル至上主義の横行によって、個人経営の店でさえも当たり前にシステマチックな対応を求められるようになったやん。店は客に対してこうでなければならない、というのを無意識に植え付けられている人が多い。でも僕らが子どもの頃に通ってた駄菓子屋のおっさんらは客である僕らに平気で怒鳴ってきたし、ひどいときには殴られたやろ(笑)。せやけど結局それが自然というか、店員と客である前に人間と人間やから、双方で怒りたいときに怒れば良いし、笑いたいときに笑えばいいと思うねん。そういや光貴くんとの電話をしている最中に「工具貸してくれや」って言うてきた客のおっさんにキレたこともあったな(笑)。
〔光貴〕 幼少期、駄菓子屋がはじめて触れた「社会」や小さな「世界」だったと思いますね。決して学校では無かったです。「社会」の教科書を見ても、殺した人間の数が多い人が太文字で書かれているだけだったので。あの書物は時間軸が遠くなればなるほど、太文字が神格化され、現代に近づくほど不明瞭な二元論で語られる不思議な読み物ですね。実際、今は「社会」と呼ばれる教科書を趣味で読んでます。特に意味はありませんよ (笑) 。子どもながらに駄菓子屋で思考するか否かで大きく人生が変わったと思います。田舎育ちだったことも影響しているかもですが、僕の好きな駄菓子屋の風景は無くなりましたね。まだフィールドワークは終えてないのですが、地元の駄菓子屋が潰された時期、各地で駄菓子屋が消えていってるんですよね。その後、街のたまり場はコンビニエンスストアになって、駄菓子屋の無い町の夜は大荒れ。
〔土井〕 いや、ほんまに。教科書ってやっぱり権力側の呪具みたいなもんやから、駄菓子屋のおっさんみたいに「俺が教科書」という人間との折衝はそのまま「社会」に出会う行為と等しいやんな。一時期、うちの長男が家の近所の「ひさご」っていう駄菓子屋で万引きを繰り返すということがあって大変やってんけど、あれも息子がはじめて「社会」というものに触れた瞬間やったと思う。さっき言うたみたいにうちの子らが打楽器で光貴くんとセッションしたり、共通の知人の息子が遊びに来ていたり、mole musicは駄菓子屋の原風景をいまも確実に描き続けてるよね。原風景という言葉で思い出したんやけど、光貴くんと友人との共同制作 Zip Up Parker 「帰り道」について聞きたくて、あの印象的なバックプリントの風景は何をモチーフにしてるの?
-skit-土井:因みに自分も「帰り道」パーカーを愛用している。マジで毎日着てる。
【インタビュー開始から6時間が経過】
-skit-中村:気絶 自称巨匠からのメールで起きる。理由もなく日々えらくなっていく巨匠に恐怖。
〔光貴〕 気絶してました。そうそう駄菓子屋はそういうイメージですね。子供にとっては実は軽く超えられる境界なんです。モールは敷居が高いイメージかもしれませんが、それは現代の風景から切り取ればそう見えるように作っています。住宅地の一角の何故か開かれた場所なので。一駅隣に住んでいる、鉄道マニアの中学生がたまに友達と自転車漕いでレコード買いにきたり。「書くのはやめた」って言ってたのですが、その子は仮想国家のSFも書いていて。まぁ、おもしろいですね。彼らのクルーには昭和アニメのマニアもいるので、この場所がきちんと店に見えてるんですよ。「帰り道」については去年奈良古市に店を置いていた時代に友人と製作したかったもので、タイトルそのままですね。完成して現物が届いてからタイトルを付けたので、特に深く考えずに出てきた言葉ですね。「深く考えず」にということは、日頃からある共通認識だと言うことで「帰り道」としました。モチーフはタッチ、タイトル、カタログ番号等から察して頂ければ幸いです。
〔土井〕 鉄道マニアの中学生クルーに是非とも会いたい!自画自賛になって気持ち悪いけど、ほんまに僕らの店に来る人たちって、良くも悪くも個性的で最高に笑えるよね。光貴くんの言うようにmole musicやタラウマラが「店に見えない」人たちにとっては、一向に可視化されないのに。それでも彼らは自然と集まってくる。そこに何があって、何が見えて、何が果たされたのかというのは各自が自分の胸に手を置いて考えたら良いし、それが通過点なのか終着点なのかは誰にもわからへんもん。光貴くんの製作物には常に何かしらの意図があって、それをこちらの解釈で勝手に紐解くのが面白い。さっきは無粋な質問を投げかけたなって、いまちょっと反省してる(笑)。レコード屋としての光貴くんの考えはほんの少し掴めたような気がするので、次はDJとしての活動について聞かせてください。キャリアはどれくらい?
〔光貴〕 いえいえ、大丈夫です (笑) 。楽しんでもらえればありがたいんです。(ここはインターネットメディアの露出が無ければ話しているかも知れません。でっち上げの可能性もありますが)。DJをはじめたと感じたのはギターからターンテーブルに持ち替えた18歳、地元でDIYパーティーをはじめた頃ですね。レコードプレイヤーを買ったのは16歳、この頃からレコードコレクターだったと思います。DJのキャリアは22年ですね。
《2022.11.26 Hopkins Creek at Northcote Theatre》
〔土井〕 キャリア22年!龍ちゃん a.k.a VNZ(東淀川区出身のラッパー)がオギャーと生まれてから現在までの人生をまるごと飲み込む期間やん!その22年間のDJ活動に於いての変化や矜持みたいなものがあれば教えてほしいな。
〔光貴〕 じぶんアーカイヴが下手くそなので、仮に22年としておきます (笑) 。実際はもう少し前かもしれないです。DIYパーティーと並行してDAWN(現NOON)でレギュラーパーティーをはじめたのは恐らく19歳でした。僕は行為においては物質より現場のみに重きを置いてきたので、制作物があまりにも少ないんです。変化について簡潔に書くと、僕にとって良いとされていた時代は去っていった、ということに尽きると思います。これは時代の話なので、��と音楽との関係性はもっと複雑かつ多元的です。僕の場合、レコードのような多元的な物質でなければ、ここまでDJを続けることができなかったと思います。戦後日本の時代の変革と世界の変革はおよそ10年と20年、ふたつのタームで考えることができるのではと過程していました。音楽においてもこのタームというのは有効で音楽史を振り返れば自然と見えてくるように思います。未成年(当時)の頃から20年ターム、この姿勢は続けてみようと思っていました。少し欲張って40歳までこの景色を見ようと。既に40歳を迎えたので、矜持としての行為者として続けるという役目はひとつ果たしました。その過程の中で行為として他人と同じことはしないという制約も徹底できたのかな?と。しかし求道的に今尚続けているのは、レコードという物質の魅力に尽きると思います。僕の場合レコード屋とDJのハイブリッドなので、ここを肯定できないと終わりなんです。かと言ってデジタルを否定している訳ではありません。じゃないと、このインタビューも厳密には成立しないので。いま現在もCD-Rで実験しています。この歴史はなかなかおもしろいんですよね。そろそろCD-R史のフィールドワークをはじめようかなと思っていたところです。
〔土井〕 めちゃくちゃ具体的な回答かつ、これが今日のハイライトかもしれない。「現場のみに重きを置いてきた」というのはここ数年の付き合いの自分からしても納得できる話で、mole musicという思想の実体化としての店舗、DJの現場ひ��つひとつが光貴くんにとっての作品なんやと思う。レコードを多元的共有物と見据えて向き合う姿勢、CD-R史の探求など深掘りしたい話題がてんこ盛りで、興味が尽きない。ほんまに稀有なまなざしでレコード屋とDJを両立させてる人やと驚くわ。これも答えにくい質問かもしれないけど、光貴くんにとって特に思い入れのある作品(レコードorパーティー)は何ですか?
〔光貴〕 アナログとしてのCD-R史ですね。僕の青年後期は友人と何か作品を交換したり、プレゼントするメディアがカセットテープからCD-Rへと転換する時期でした。僕自身もこの転換は驚くほど簡単に移行できたんですよ。今は歴史と物質自体の持つ情報(ここでの情報はデータ情報で音楽の内容では無いです)その理由に近づいていってる感覚ですね。90年代にはポスト・テクノロジーミュージックの時代は既にはじまっていて、様々な試みが成されていました。実際そういった作品に触れることはありましたし、所有していますが、物質そのものを解釈するという段階まで、青年後期 (90年代後期~ゼロ前代初頭) では思考が追いつかなかったような気がします。まだまだ趣味として楽しめることはたくさんありそうです。そういえば、特別という事を意識したことが無いかもしれません。幸いなことに僕は身近に特別に感じられる人が多いので。ラッキーなのか、どうなのか (笑) 。作品は……ヒミツですね (笑)。
-skit-中村:音楽家の先輩来店、ひたすらレゾナンスについて語る、癒やしの時間。
-skit-土井:龍ちゃん超久々の来店、新曲を持参。
【インタビュー開始からすでに40時間が経過】
もしもし 土井さん、おはようございます。今日タラウマラに何時に入りますか?光貴くん、おはよう。今日からタラウマラは臨時休業で家族でおでかけするねん。えっ、マジで?せやねん、ごめんな。いやいや、頭の中どういう切り替えしてるんですか?こっちにはインタビュー投げっぱなしで (笑)。ごめんな、旅行中は電話でえへんけど、いまはまだ大丈夫やで。いつも思うけど、仕事の向き合い方が全然ちゃいますわ。光貴くんはひとつの案件があったら48時間とか平気で手綱を離さへんもんな。そうですよ、ずっと長時間向き合ってますよ、短時間での仕事の強度が土井さんとは全然ちゃうんかな。自分は究極のメリハリやからね(笑)。僕はこのインタビューに応じながら、店の営業して、次の制作のミックスダウン作業をして、今週末にはパーティーを控えてますからね。ほんまようやるわ、悪いけど僕は家族で温泉につかって来るよ。マジでむちゃくちゃやな、この人(笑)。そうそう、それはそうと昨日タラウマラに龍ちゃん来たわ。だいぶ久々ですか?うんうん、彼はサイクルショップすずめの頃から足繁く通ってくれてたけど、この2年での来店回数は1回か2回やからね、だいぶ久々やな、しかもインタビューで名前が出てきたタイミングで本人登場っていうね(笑)。それは素晴らしいことですよ、何やかんや言うて結局は僕ら、寂しいんですよ(笑)、ずっと続けていることは精神的にも負荷がかかるんで。ほんまそうやわ、ほなそろそろ赤穂に向かう準備するわ、一旦LINEでのメッセージのやりとりに切り替えてええかな?あと週末のパーティーは光貴くん何時の出番なん?ほんまこの人……(笑)
そういや今後の展望を聞かれていた気がするな。このインタビューを土井さんにデジタルアーカイブさせないことですね。
【2023年10月19日8時46分インタビュー終了】
……ということで、いつも通りに互いに仕事をしながらLINEとメールと電話とGoogleドライブを行ったり来たりしながら2週間かけてようやく終わりを迎えたインタビュー……いや、どう考えても僕が喋りすぎてるな、ほんま、すんません(笑)。最後に光貴くんが選んでくれたPARLIAMENT - GLORYHALLASTOOPIDをどうぞ。最高にイカれた週末をお過ごし下さい。
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wangwill66 · 1 year ago
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友多聞
H:傳達知識,快樂是友多聞的益處。友多聞也讓你成為「語言的富翁」。
「獨學而無友,則孤陋而寡聞。」強調友多聞的重要性。另外友多聞帶來教學相長的效應,《禮記.學記》:「是故學然後知不足,教然後知困。知不足,然後能自反也;知困,然後能自強也,故曰「教學相長」也。」尤其「人人都是一本書」,
甚至「人人身上都是一個時代」教你一句建言,警語也是受用無窮。學無止境,終身學習。20240604W2
多聞
解釋:
見聞廣博,增廣聞見。《論語.季氏》:「友直、友諒、友多聞,益矣!」三國魏.何晏〈景福殿賦〉:「故將廣智,必先多聞。」
增廣見聞知識。《文明小史》第一五回:「橫豎我們這趟出門,乃是為著增長見識,於學問有益的事。」也作「增長見聞」。
學問淵博
淵,淵深。博,廣博。學問淵博謂學識豐富。如:「他溫文儒雅,學問淵博,是學術界所公認的大學者。」
學識淵博,意思是指學識深而且廣。
見多識廣
見聞廣泛,學識淵博。《鏡花緣》第四四回:「多九公本是久慣江湖,見多識廣,每逢談到海外風景,竟是滔滔不絕。」《文明小史》第三四回:「只因常常出外遊學,見多識廣,知識也漸漸開通。」
知識淵博的相似詞
博學多識 學識豐富 博學多才 知識豐富 學識淵博 淵博 知識廣博 博學多聞 博學 學識廣博 博古通今 博聞強識 學富五車 淵博的知識 學問淵博 淵博知識 博學睿智 上知天文下知地理 通古博今 淵博的學識 博覽群書 學識 博學廣識 見識廣博 淵博學識 談吐不凡 博聞多識 學養深厚 通曉古今 學識深厚
淵博
精深廣博。
晉 葛洪 《抱樸子·崇教》:“是以遐覽淵博者,曠代而時有;面墻之徒,比肩而接武也。” 宋 蘇軾 《東坡志林·記講筵》:“卿講義淵博,多所發揮,良深嘉嘆。” 清 昭槤 《嘯亭雜錄·純廟博雅》:“ 純廟 天縱聰慧,攬讀淵博。” 柔石 《二月》二:“你學問是淵博的,哥哥常是談起你。”
百科解釋
淵,精深;博,廣博。淵博:精深而廣博,形容知識廣且深,博學多才。晉 葛洪《抱樸子·崇教》:“是以遐覽淵博者,曠代而時有;面墻之徒,比肩而接武也。”
中台山:
《論語》說:「以文會友,以友輔仁。」結交朋友是很重要的事。我們在社會上要懂得交好的朋友、親近善知識。
維基文庫:
論語季氏篇
孔子曰:「益者三友,損者三友。友直,友諒,友多聞,益矣。友便辟,友善柔,友便佞,損矣。」
孔子說:「有益的朋友有三種,有害的朋友有三種。與正直的人交朋友、與誠實的人交朋友、與見多識廣的人交朋友,有益處;與走邪門歪道的人交朋友、與讒媚奉迎的人交朋友、與花言巧語的人交朋友,有害處。」
星雲大師
所謂:「友直、友諒、友多聞。」朋友之間要耿直真誠,要能相互諒解,要互通知識、要理念相投,還要能雪中送炭,這才是善友。
釋星雲
僧人
釋星雲(1927年8月19日[2]—2023年2月5日[3]),俗名李國深,法名悟徹,法字今覺,法號星雲[註 1],筆名趙無任[4]。生於江蘇江都,童年出家,漢傳佛教比丘及學者,為臨濟宗第四十八代傳人,同時也是佛光山開山宗長(方丈)、國際佛光會創辦人暨榮譽總會長、世界佛教徒友誼會榮譽會長[5],被尊稱星雲大師[1]。
「獨學而無友,則孤陋而寡聞」真正的益友是能夠讓我們擺脫孤陋寡聞的處境。
「數位遊牧」,以遠距的方式工作,並同時周遊不同的國家和城市。
一種是自己去搞清楚,從自己的經驗、觀察中學習。另一種就是向別人學習,學習別人已經搞清楚
或者正在搞清楚的東西。
「真正高明的人,就是能夠借重別人的智慧,來使自己不受矇蔽的人。」——蘇格拉底
「腳步不停,不一定是前進;閉目深思,不一定是停頓。」
通過艱苦的學習,使自己成為「語言的富翁」。
景福殿賦
作者:何晏《文選》卷11
姊妹計劃: 數據項
  大哉惟魏,世有��聖。武創元基,文集大命。皆體天作制,順時立政。至於帝皇,遂重熙而累盛。遠則襲陰陽之自然,近則本人物之至情。上則崇稽古之弘道,下則闡長世之善經。庶事既康,天秩孔明。故載祀二三,而國富刑清。歲三月,東巡狩,至於許昌。望祠山川,考時度方。存問高年,率民耕桑。越六月既望,林鍾紀律,大火昏正。桑梓繁廡,大雨時行。三事九司,宏儒碩生。感乎溽暑之伊鬱,而慮性命之所平。惟岷越之不靜,寤征行之未寧。
  乃昌言曰:「昔在蕭公,暨於孫卿。皆先識博覽,明允篤誠。莫不以為不壯不麗,不足以一民而重威靈。不飭不美,不足以訓後而永厥成。故當時享其功利,後世賴其英聲。且許昌者,乃大運之攸戾,圖讖之所旌。苟德義其如斯,夫何宮室之勿營?」帝曰:「俞哉!」玄輅既駕,輕裘斯御。乃命有司,禮儀是具。審量日力,詳度費務。鳩經始之黎民,輯農功之暇豫。因東師之獻捷,就海孽之賄賂。立景福之秘殿,備皇居之制度。
  爾乃豐層覆之耽耽,建高基之堂堂。羅疏柱之汩越,肅坻鄂之鏘鏘。飛櫩翼以軒翥,反宇䡾以高驤。流羽毛之威蕤,垂環玭之琳琅。參旗九旒,從風飄揚。皓皓旰旰,丹彩煌煌。故其華表,則鎬鎬鑠鑠,赫奕章灼,若日月之麗天也。其奧秘則蘙蔽曖昧,髣彿退概,若幽星之纚連也。既櫛比而攢集,又宏璉以豐敞。兼苞博落,不常一象。遠而望之,若摛朱霞而耀天文;迫而察之,若仰崇山而戴垂雲。羌瑰瑋以壯麗,紛彧彧其難分,此其大較也。若乃高甍崔嵬,飛宇承霓。綿蠻黮䨴,隨雲融泄。鳥企山峙,若翔若滯。峨峨嶪嶪,罔識所屆。雖離朱之至精,猶眩曜而不能昭晰也。
  爾乃開南端之豁達,張筍虡之輪豳。華鍾杌其高懸,悍獸仡以儷陳。體洪剛之猛毅,聲訇𥉻其若震爰有遐狄,鐐質輪菌。坐高門之側堂,彰聖主之威神。芸若充庭,槐楓被宸。綴以萬年,綷以紫榛。或以嘉名取寵,或以美材見珍。結實商秋,敷華青春。藹藹萋萋,馥馥芬芬。爾其結構,則脩梁彩制,下褰上奇。桁梧複疊,勢合形離。赩如宛虹,赫如奔螭。南距陽榮,北極幽崖。任重道遠,厥庸孔多。
  於是列髹彤之繡桷,垂琬琰之文璫。蝹若神龍之登降,灼若明月之流光。爰有禁楄,勒分翼張。承以陽馬,接以員方。斑間賦白,疏密有章。飛枊鳥踴,雙轅是荷。赴險凌虛,獵捷相加。皎皎白間,離離列錢。晨光內照,流景外烻。烈若鉤星在漢,煥若雲梁承天。騧徙增錯,轉縣成郛。茄蔤倒植,吐被芙蕖。繚以藻井,編以綷疏;紅葩𦾏𦁛,丹綺離婁菡萏赩翕,纖縟紛敷。繁飾累巧,不可勝書。
  於是蘭栭積重,窶數矩設。櫼櫨各落以相承,欒栱夭蟜而交結。金楹齊列,玉舄承跋。青瑣銀鋪,是為閨闥。雙枚既脩,重桴乃飾。㮰梠緣邊,周流四極。侯衛之班,藩服之職。溫房承其東序,涼室處其西偏。開建陽則朱炎豔,啟金光則清風臻。故冬不淒寒,夏無炎燀。鈞調中適,可以永年。墉垣碭基,其光昭昭。周制白盛,今也惟縹。落帶金釭,此焉二等。明珠翠羽,往往而在。欽先王之允塞,悅重華之無為。命共工使作繢,明五采之彰施。圖象古昔,以當箴規。椒房之列,是準是儀。觀虞姬之容止,知治國之佞臣。見姜後之解珮,寤前世之所遵。賢鍾離之讜言,懿楚樊之退身。嘉班妾之辭輦,偉孟母之擇鄰。故將廣智,必先多聞。多聞多雜,多雜眩真。不眩焉在,在乎擇人。故將立德,必先近仁。欲此禮之不諐,是以盡乎行道之先民。朝觀夕覽,何與書紳?
  若乃階除連延,蕭曼雲征。櫺檻邳張,鉤錯矩成。楯類騰蛇,槢似瓊英。如螭之蟠,如虯之停。玄軒交登,光藻昭明。騶虞承獻,素質仁形。彰天瑞之休顯,照遠戎之來庭。陰堂承北,方軒九戶。右個清宴,西東其宇。連以永寧,安昌臨圃。遂及百子,後宮攸處。處之斯何,窈窕淑女。思齊徽音,聿求多祜。其祜伊何,宜爾子孫。克明克哲,克聰克敏。永錫難老,兆民賴止。於南則有承光前殿,賦政之宮。納賢用能,詢道求中。疆理宇宙,甄陶國風。雲行雨施,品物咸融。其西則有左墄右平,講肄之場。二六對陳,殿翼相當。僻脫承便,蓋象戎兵。察解言歸,譬諸政刑。將以行令,豈唯娛情。鎮以崇臺,寔曰永始。複閣重闈,猖狂是俟。京庾之儲,無物不有。不虞之戒。於是焉取。
  爾乃建凌雲之層盤,浚虞淵之靈沼。清露瀼瀼,淥水浩浩。樹以嘉木,植以芳草。悠悠玄魚,曤曤白鳥。沈浮翱翔,樂我皇道。若乃虯龍灌注,溝洫交流。陸設殿館,水方輕舟。篁棲鵾鷺,瀨戲鰋鮋豐侔淮海,富賑山丘。叢集委積,焉可殫籌?雖咸池之壯觀,夫何足以比讎?
  於是碣以高昌崇觀,表以建城峻廬。岧嶢岑立,崔嵬巒居。飛閣干雲,浮堦乘虛。遙目九野,遠覽長圖。頫眺三市,孰有誰無?睹農人之耘耔,亮稼穡之艱難。惟饗年之豐寡,思無逸之所歎。感物衆而思深,因居高而慮危。惟天德之不易,懼世俗之難知。觀器械之良窳,察俗化之誠偽。瞻貴賤之所在,悟政刑之夷陂。亦所以省風助教,豈惟盤樂而崇侈靡?屯坊列署,三十有二。星居宿陳,綺錯鱗比。辛壬癸甲,為之名秩。房室齊均,堂庭如一。出此入彼,欲反忘術。惟工匠之多端,固萬變之不窮。物無難而不知,乃與造化乎比隆。讎天地以開基,並列宿而作制。制無細而不協於規景,作無微而不違於水臬故其增構如積,植木如林。區連域絕,葉比枝分。離背別趣,駢田胥附。縱橫踰延,各有攸注。公輸荒其規矩,匠石不知其所斲。既窮巧於規摹,何彩章之未殫。爾乃文以朱綠,飾以碧丹。點以銀黃,爍以琅玕。光明熠爚,文彩璘班。清風萃而成響,朝日曜而增鮮。雖崑崙之靈宮,將何以乎侈旃。規矩既應乎天地,舉措又順乎四時。是以六合元亨,九有雍熙。家懷克讓之風,人詠康哉之詩。莫不優游以自得,故淡泊而無所思。歷列辟而論功,無今日之至治彼吳蜀之湮滅,固可翹足而待之。
  然而聖上猶孜孜靡忒,求天下之所以自悟。招忠正之士,開公直之路。想周公之昔戒,慕咎繇之典謨。除無用之官,省生事之故。絕流遁之繁禮,反民情於太素。故能翔岐陽之鳴鳳,納虞氏之白環。蒼龍覿於陂塘,龜書出於河源。醴泉涌於池圃,靈芝生於丘園。總神靈之貺祐,集華夏之至歡。方四三皇而六五帝,曾何周夏之足言!
孤陋寡聞
《禮記.學記》
大學之法,禁於未發之謂豫,當其可之謂時,不陵節而施之謂孫,相觀而善之謂摩。此四者,教之所由興也。發然後禁,則扞格而不勝。時過然後學,則勤苦而難成。雜施而不孫,則壞亂而不脩。獨學而無友,則孤陋而寡聞。燕朋逆其師。燕辟廢其學。此六者,教之所由廢也。
《禮記.學記》:「獨學而無友,則孤陋而寡聞。」(源)
《抱朴子.外篇.自敘》:「年十六,始讀《孝經》、《論語》、《詩》、《易》,貧乏無以遠尋師友,孤陋寡聞,明淺思短,大義多所不通。」
《朱子語類.卷一一七.朱子.訓門人五》:「淳稟曰:『伏承教誨,深覺大欠下學工夫。恐遐陬僻郡,孤陋寡聞,易致差迷,無從就正。望賜下學說一段,以為朝夕取準。』」
元.馬致遠《陳摶高臥》第二折:「若做官後每日價行眠立盹,休休休,枉笑殺凌煙閣上人,有這般疏庸愚鈍,孤陋寡聞。」
《三國演義》第一○回:「某孤陋寡聞,不足當公之薦。」
《鏡花緣》第一六回:「不瞞二位大賢說,這叫作『臨時抱佛腳』,也是我們讀書人通病,何況他們孤陋寡聞的幼女哩。」
寡聞少見
猶「孤陋寡聞」。見「孤陋寡聞」條。
《漢書.卷八一.匡張孔馬傳.匡衡》:「蓋聰明疏通者戒於大察,寡聞少見者戒於雍蔽。」
寡聞陋見
猶「孤陋寡聞」。見「孤陋寡聞」條。
明.胡翰〈羅文質公集敘〉:「以寡聞陋見論前人之道德,其亦過矣!」
寡見鮮聞
猶「孤陋寡聞」。見「孤陋寡聞」條。
漢.王褒〈四子講德論〉:「俚人不識,寡見尠(鮮)聞;曩從末路,望聽玉音,竊動心焉。敢問所歌何詩,請聞其說。」
獨自學習而沒有朋友一起切磋、研討,就會造成學識淺陋而見聞不廣。 對朋友怠慢就違背了師長的教導;一旦言行偏差,就會荒廢了自己的學業。
獨學而無友,則孤陋而寡聞
獨學:指獨自學習,不瞭解外部動向。獨自學習,無人切磋,則孤陋寡聞。形容孤偏鄙陋,見聞不多。有井底之蛙含義。
原因: 朋友是你瞭解外部世界的橋樑,也是你不斷完善自己的標尺。一個人學習,而不接觸外部環境是行不通的。只有與朋友共同學習,集思廣益、取長補短,才能彌補自身的缺憾,並獲得更多知識。
中文名
獨學而無友,則孤陋而寡聞
出處
《禮記·學記》
類型
古文
作者
戴聖
出處
出處:《禮記·學記》:“獨學而無友,則孤陋而寡聞。”
釋義:如果學習中缺乏學友之間的交流切磋,就必然會導致知識狹隘,見識短淺。其中,“而”錶轉折的作用。
教學相長
教與學互相增長。指通過教授、學習,不但能使學生得到進步,而且教師本身的水準也可藉此提高。語出《禮記.學記》。
雖有嘉肴,弗食,不知其旨也;雖有至道,弗學,不知其善也。是故學然後知不足,教然後知困。知不足,然後能自反也;知困,然後能自強1>也,故曰「教學相長2>」也。
《禮記.學記》:「是故學然後知不足,教然後知困。知不足,然後能自反也;知困,然後能自強也,故曰『教學相長』也。」(源)
《韓詩外傳》卷三:「雖有善道,不學不達其功,故學然後知不足,教然後知不究。不足,故自愧而勉;不究,故盡師而熟。由此觀之,則教學相長也。」
明.王守仁〈教條示龍場諸生.責善〉:「使吾而是也,因得以明其是;吾而非也,因得以去其非:蓋教學相長也。」
《兒女英雄傳》第一八回:「我那解悶的本領都被公子學去了,那裡再尋甚麼新色的去?我們『教學相長』,公子有甚麼本領?何不也指點我的一件?彼此頑起來,倒也解悶。
人人都是一本書
每個人都是獨特的,每個人都是值得欣賞的,
閱讀每個人的故事,獲得成長的養分。
人人身上都是一個時代(全新增訂版)
作者:陳柔縉
語言:繁體中文
出版社:麥田
出版日期:2016/10/06
目錄
◎新版序──陳柔縉
一‧人的日本時代
1 人人身上都是一個時代
2 跑啊!林和
3 王永慶的兩百圓有多大
〈附表:台籍前輩企業家出生年與學歷〉
4 辜家豪門鑽石失竊記
5 台灣最貴單身漢
6 巴黎唯一的台灣人
7 神祕的第一位台灣人車主
8 名門公子日本浪漫遊
9 美國鳥人到台灣
10 明治元勳欠錢記
11 禁吃大蒜迎親王
二‧愛與死事件簿
1 戀愛?亂愛!
2 台灣人殉情記
3 少年仔愛看電梯小姐
4 煙草女工眼裡的蔣介石
〈附表:1930年代煙草女工的世界〉
5 懷念的鐵路便當
〈附表:1914年台灣鐵路便當〉
6 烤鴨該怎麼吃
7 愛鄉愛土全民票選台灣八景
8 1933年雙十國慶在台北
9 鐵達尼船難消息在台灣
10 豪華世界郵輪初體驗
〈附表:日治時期世界觀光郵輪來台概況〉
11 英語演講比賽前先獎盃奉還
12 車牌暗藏魔鬼
13 那時候的公車會「犁田」
14 颱風來了會缺鹽
15 火災的關鍵詞
16 打開日本時代的鉛筆盒
17 考上醫校回頭嗆校長
18 修學旅行遇見明治天皇
19 捨不得不愛的農曆年
20 老藥房的推銷術
三.古典罪與罰
1 怪怪小偷和大盜
2 日本時代也有毒品?
3 盜賊拔刀海上來
4 偷車賊最愛的作案地點
5 好膽賭博要鞭刑
6 來看富豪斬雞頭發毒誓
四.療癒系台灣史
1 那些年動物惹的禍
2 最佳療癒系之小鴨物語
3 小象闖進高級料亭了
4 猛雄藏了十個月的祕密
5 狗狗的日本時代
6 不是端午也能划龍舟
7 人間無處不花火
8 上陽明山不看櫻花
9 為路樹繫上第一張身分證
五‧地的時光垂直線
1 台灣銀行重返上海
2 東京火車站的呼吼
3 早稻田的咖啡店
4 松泉閣給的問號與答案
5 第一波青春壯遊
6 第三國人
7 撫臺街洋樓身世之謎
◎附錄【日本時代台灣物價水準概況】
參考資料
圖片來源
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myonbl · 1 year ago
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2024年2月18日(日)
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今日は<京都マラソン2024>、なんの関心も無い京都市民にとっては鬱陶しい日だ。あちこち交通規制が行われるので、終日逼塞するのが正解だ。朝8時過ぎに<関西古紙回収組合>の軽トラが通る、すぐに飛び出して溜まっていた古新聞と段ボール箱を引き取って貰う。おじさんの話では<普段は上賀茂・西賀茂エリアを回っているが、今日だけは動きが取れなくなるので早めに下京までやって来た>と。なるほど、色んな処に影響するものだと認識を新たにしたが、私としては懸案が片付いて良い一日となったのだ。
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6時30分起床。
アラームを止めたことに気づかなかった。
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朝食。
洗濯。
食器を洗っているときに関西古紙回収組合のテーマソングが聞こえる、すぐに飛び出して廊下と玄関に積み上げてあった古新聞・段ボール箱を引き取って貰う。あぁ、すっきりした!
ごぼう茶煮出す。
半熟酢卵仕込む。
<名探偵ポワロ>の録画開始。
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ランチ、息子たちには<うまかっちゃん>、ツレアイには残りのカレー。
彼女は近所に住む元同僚の見舞に、私には聞いても理解出来ない難病で苦しんでいるとか。
軽く午睡。
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我が家のインターネット回線は<NURO光>を利用しているが、現行の2Gから10Gへの���ップグレードが始まっているとのこと。しばらくニュースを見ていなかったので出遅れたが、すぐにアプリから申し込む。
コレモ七条店で買物、ミニトマト・コンニャク・チクワ・薄揚げ。
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夕飯は昨日の焼肉の残り肉、残りもの炊き合わせ、トマトとレタス。
録画番組視聴、日本の話芸。
桂春若 落語「抜け雀」
初回放送日: 2024年2月18日 桂春若さんの落語「抜け雀(すずめ)」をお送りします(令和5年12月7日(木)NHK大阪ホールで収録)【あらすじ】小田原のとある宿にみすぼらしい身なりの男が泊まった。1日に1升5合もの酒を飲んで、5日が経過。宿代を支払ってもらえるか心配になった宿の主人が支払いを催促すると、「文無しだ」と言う。男は絵師だと名乗り、金の代わりに白いついたてに5羽の雀の絵を描いて去った。翌朝、宿の主人が雨戸をあけると…。
サゲはオリジナルかもしれないが、この話の眼目からは遠く離れている。
名探偵ポワロ
第2話「ビッグ・フォー」/ The Big Fourシーズン 13, エピソード 2 ヘイスティングス、ミス・レモンのもとにエルキュール・ポワロ死亡の知らせが届く。手配したのは最近警視監に昇進したジャップ。一方、『ビッグ・フォー』 と呼ばれる組織の存在が世間を賑わせていた。新聞は彼らが世界戦争を企む国際的な秘密結社で、最近���きた列車衝突事故や暴動はすべてビッグ・フォーの仕業 だと報じていた。その4週間前、新聞記者タイソーのもとにビッグ・フォーに関する警告文がたびたび届いていた。
いよいよ最終回が迫ってきた。
軽く腹ごなしウォーキング。
片付け、入浴、体重は500g減。
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今週の血圧、大分暖かくなってきたので落ち着いた数値になってきた。
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ちと歩数が足りないが仕方なし、水分は1,640ml。
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yukahatter · 2 years ago
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[日程変更しました]11月23-25日の三宅島床張り
床張り協会では、遠方の床張りもわりとありますが、今回は東京の離島の三宅島での床張りです。
11月23-25日の開催に変更です。
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このような平屋の二部屋を床張りします。
まずは和室を板張りに
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畳を剥がすとこのようなところです。
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これを羊毛の断熱材を入れつつ、板間にします。
さらにカーペットが薄い板の上に貼ってあった部屋。
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こちらはこのままでも使えないことはないのですが、カーペットのためか板が薄いので、今ある板を外して新しい床板を張ります。
板の外し方もレクチャーします。
[三宅島床張り合宿概要] ●開催日:2023年11月23-25日 ●時間:初日2日目:9:00開始17:00終了 3日目:9:00開始12:00終了予定 ※22日夜東京発で23日朝到着のフェリーがあります。 25日昼過ぎに東京行きのフェリーがあります。 ●定員:各日7名まで ●講師:床張り協会 伊藤洋志 ●内容:離島での空き家改修は通常の床張りと異なり、材料の確保などで少々手強い面があります。
応用が効くような床張りの方法をお知らせしていければと思っている次第です。初日の最初は講師(床張り協会伊藤)から床張りの基本的な考え方の説明や中古物件の見方などの話をしつつ実習します。
●場所:東京都三宅島※エントリー後に住所お知らせします ●持ち物:水筒、マイコップなど飲み物道具。 以下は、あればお持ちください。上履き、玄能、裁ちばさみ、差しがね定規や、タッカー、鉛筆、のこぎり ※数名でしたら玄能、差しがねを無料で貸し出せます。 ●服装:汚れても良い動きやすい格好 ●参加費:3日間16000円(2千円お得) 2日間11000円(千円お得) 1日のみ6000円  ※学割は1日あたり1000円割引です。
●アクセス:三宅島への移動手段は東海汽船フェリーと飛行機のみになります。 フェリー)2等7530円※学割ネット割あり 往:夜22:30東京港出発 翌5:00三宅島到着 復:13:35三宅島出発 夜19:40東京港到着 詳細は東海汽船
飛行機) 所要時間50分 往復31900 円 片道17500円 行き:1日3便 8時台発9時台に到着など 帰り:1日3便 最終15時台発 詳細は航空会社公式サイト
●宿泊希望者:希望者は寝袋持参で現場宿泊可能です。テント泊も可能ではあります。民宿も紹介もできます。
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koiiiii--ke · 2 years ago
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231017,18のこと
朝7時50分ごろ起きる。8時20分の最寄りの電車に乗りたいのでぎりぎり。なにも準備していなかったけれど一泊なのでTシャツと下着を詰めるだけ。シャツとズボンは同じでいい���しょ。20分で支度し家を出る。コンビニでおにぎりとお茶とビールを買う。8時過ぎの中央線は通勤する人で混んでいる。新宿で乗り換えて在来線で北上。9時前には人が減ってきたので昨日買った本を読みながらビールを開ける。
9時過ぎに昨日頼んでおいた退職代行から連絡が来る。今連絡したが担当者不在とのことで折り返すとのことです、と。ありがとうございますと返して本を読む。9時40分ごろに直の上司から電話がかかってくるが着拒。不思議と酒の気分じゃなくてちびちび飲みながら本を読んで、畑に変わっていく景色を眺める。
車窓を眺めて北関東は田舎なんだなと思う。小山を通り越すときに「東京は家賃が高いでしょ、君たちも小山に住むといいよ。」と言っていた上野の餃子屋の常連のおっさんを思い出した。絶対に住めないなと思う。11時ごろに折り返しの電話が来ないから上司の連絡先を教えて欲しいと業者から連絡。さっきかかってきた番号と名前を教えると入れ違いで受理した連絡がきたとのこと。また礼を言って様々な手続きについて送られてくるのを待つ。畑と、住宅街と、山を時々眺めて本を読む。
13時ごろに新白河に着く。乗り換えのタイミングが悪く50分ほど待つ必要があるので駅中の蕎麦屋で唐揚げ入り蕎麦を食べる。唐揚げは4つ乗っていたがあまりにもまずく、2つ食べて2つ残した。食後土産物屋で赤べこのストラップを買おうか迷うがどこにでもあると思いやめる。コンビニでビールをもう1本買う。
ホームに戻ろうとすると駅員に止められる。蕎麦屋は本来お金を精算しないといけないエリアだったとのこと。謝って精算しようとするとここ数駅だけSuicaが使えないからできないらしい。かなり睨まれ語気強めに怒られたが許される。
郡山で高校生がたくさん乗ってくる。この頃には2冊持ってきた本は読み終わりそうで、景色を見ながらここで過ごす高校生活について考える。銀杏の東京では彼女が仕事をやめて郡山に帰ってたなとか考える。何度か業者から連絡がきて都度返す。
15時前に福島駅で降りる。昨日bookinig.comで目星をつけておいた宿が空いていたので予約する。やっぱりここ最近はどの宿も高い。booking.comの上級会員の割引を使って6000ほど。なにも予定を決めていないので駅の商業施設の本屋に行ってるるぶを読むが福島駅付近には本当になにもないようである。駅前広場をふらふらして併設の地図を見ると反対側に県の名産を集めたショップがあるようなので向かう。
駅の反対に行くには地下道を通る必要があるらしい。この地下道が200mくらいあって薄暗くて水滴がぽたぽた落ちていたりするからポケモンの地下道ってこんな感じだったんだろうなとか思う。壁面に広告が貼られていたが面白そうなものはなかった。名産ショップに向かう。やはり東北は日本酒が多い。買って帰ろうか迷うが荷物が重くなるのが嫌で断念。ご飯コーナーはしょうもないものしかなかった。グッツコーナーで謎のゆるキャラのキーホルダーとまた別のキャラのソフビを買う。日本酒飲み比べができそうだったがとりあえずやめておく。
また地下道で反対側に戻り、商業施設の食品売り場をチェックするがめぼしいものはなし。諦めて一旦ホテルに向かう。ホテルまでは800mほど、ぶらぶら歩くも特にめぼしいものはなし。ホテルの下にローソンがあったのでワインを買う。チェックインしたら16時過ぎだった。部屋でワインを冷やして少しゆっくりする。朝からビールしか飲んでいないことに気付いてお茶をがぶがぶ飲む。
街の散策に出かける。駅からこちら側の1km圏内をくまなく歩く。学校帰りの高校生が多い。映画館もイオンモールもブックオフもスタバもなくて、みんなどこでデートしてるんだろうなと思った(ラブホとサイゼはあったが)。本当にやることがなくて居酒屋に入る気にもなれず、駅商業施設の魚屋でパック寿司を買い、下のローソンでカップ麺を買いホテルに戻る。
ワインを飲みながら寿司を食べて、テレビを見て、カップ麺を食べた。風呂に湯を溜めて浸かりながら残った本の続きを読む。読み終わった後も幾箇所かを読み返して、のぼせる直前で上がる。お茶を飲んで、ワインを飲み直す。飲み切って少し足りなかったが買いに行くのが面倒なので11時ごろに就寝する。
7時に日の光で起きるが二度寝、8時半に起きる。30分くらいスマホを見て、だらだらしながら湯を溜める。泊まりの時はせっかくなので朝風呂をすることにしている。チェックアウトは9時半すぎ。
ローソンでビールを買って駅に向かう。駅までの道で業者からいろいろ連絡がきて返す。私鉄で15分くらい行ったところにハードオフがあるとのことなので向かう。向かいに駿河屋提携の地方でか古本屋があったので持っていた本を売った。見積もりの間ハードオフと古本屋で時間を潰す。
欲しかったアンプが20000円くらいで売られていて買おうか迷ったがあまりにも持って帰るのがしんどいので断念。キティちゃんのでかい貯金箱も迷ったがやめた。結局釣果はなし。本も1冊10円とのことで、20円もらって福島駅に戻る。戻る道にりんご畑があって、りんごの木って横に広がるんだなと思った、日照を考えて農家がコントロールしているんだろうけど。
駅に戻って商業施設で代わりの本を買う。ふらふら歩いて見つけた中華料理屋に入って麻婆麺を食べる。帰りの電車を調べるがあまり良いのがない。高速バスを見てみると15時発で3000円で帰れるとのこと。予約して昨日行った名産ショップで飲み比べをする。計1合3種類500円と格安だったので1000円6種類飲む。ある銘柄がとても美味しく買って帰ろうと思ったが飲み比べ限定とのこと。2合分ちびちびと1時間かけて飲んだ。
やることがないので昨日とは逆側を散歩する。が、昨日以上になにもなくて30分ほどで断念。イトーヨーカドーをくまなく探索したり駅内で酒を買ったりする。地元民御用達みたいなものは全然売っていなくて、東北は関東とあまり変わらないのかなと思った。九州に行った時はスーパーには知らないものがたくさん売っていて見ているのが面白かった。1時間ほどでバスの時間。乗ってちまちま酒を飲んで、SAでお土産を見たりする。でかい椎茸が売っていたから買おうか迷ったが安い訳ではなかったのでやめる。
新宿に着く。東京に着くたび帰ってきたなーと思うようになったのはいつからかわからないけれど、ちゃんと東京が自分の街になってきたんだなと思う。阿佐ヶ谷まで帰ってきて、駅内の魚屋で半額の鉄火巻きを買う。明日はいろんな手続きや物送ったりをしなくちゃな。セブンでワインを買って帰宅。ワインを飲んで鉄火を食べて、シャワーを浴びて洗濯物を回す。干した後残りを飲んで、酔っ払ってそのまま寝た。
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kennak · 2 years ago
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【独占インタビュー】  服部吉次さん(俳優・音楽家/78歳)  今年3月に英公共放送BBCが報じたジャニーズ事務所の創業者・故ジャニー喜多川氏の性加害問題のドキュメンタリーを契機に、元ジャニーズJrでシンガー・ソングライターとして活動するカウアン・オカモト氏(27)が実名でジャニー氏を告発するなど、その衝撃は日本中に広がっている。今回、俳優で音楽家の服部吉次氏が小学生の時に受けたジャニー氏からの性被害を告白する。吉次氏は「別れのブルース」「東京ブギウギ」「銀座カンカン娘」などの和製ポップスで知られる国民栄誉賞受賞作曲家・服部良一の次男。長兄は作曲家の故・服部克久だ。(独占インタビュー前後編の後編です)  ◇  ◇  ◇  ──ジャニー喜多川氏に弄ばれたあとはどうしたのですか? 「なぜそうなのか、説明するのは難しいのですが、それからもジャニーとの関係は2年半くらい続きました。彼は毎週土曜日に来て、そのたびにまた私と一緒に寝て同じ行為を繰り返すんです。たぶん1年で30回くらいでしょうか。  秘密の快感と引き換えに、罪悪感は大きくなるし、体によくないという直感も働く。ましてそれが両親にバレたらジャニーが怒られるだろうということも分かるんです。  その頃、ジャニーは『ジャニーズ少年野球団』という、少年野球チームを持っていて、服部家にもそのチームの子どもたちを連れて遊びに来ていました。  彼の運転する車はテールの長いアメ車のクライスラー。それに乗ってドライブするのですが、昔の環状6号線なんか道路の高低が大きいので、まるでジェットコースターに乗ってるみたいで、みんながはしゃいで大騒ぎしたことを覚えています。  これはよく知られていることですが、雨で野球の試合が中止になった時、ジャニーと東京ジャニーズのメンバーが映画『ウエスト・サイド物語』を見に行って、ジョージ・チャキリスのダンスシーンのカッコ良さにしびれてしまい、『これからは歌と踊りだ!』とジャニーがひらめいたといわれていますよね。父の諦道氏も野球とショービジネスにたけていたからそのあたりは血筋でしょう」 ■彼を野放しにした日本社会の閉鎖性  ──なぜ家族が気づかないのでしょう。 「よく言われますが、私の場合ももしかしたら家族が気づいていたのかもしれない。でも、それを体裁が悪い、不都合なことは隠す、という日本的な閉鎖性があったのかもしれない。それが結果的にジャニーを野放しにしたのではないでしょうか。  1965年にジャニーズ事務所が独立した頃もジャニーやメリーも服部家に出入りしていましたが、私とのことは何もなかったかのような振る舞いだし、そもそも彼も少年愛の年齢ではもうなかったからでしょう。私も、記憶の底に封じ込めてしまったのでしょう。そのほうが気持ちが楽ですから。  ただ、その頃ジャニーズ事務所というジャニーにとっては、“趣味”と実益を兼ね備えた“格好の場所”が確保されたわけで、新たな被害者を生み出すことになったのを防ぐことができなかったのは忸怩たるものがあります。  余談ですが、高校生の頃、演劇部の稽古で深夜になることもあって、そんな時なんか、母がジャニーを呼んで『車の運転頼むわね』と、成蹊の演劇部の部室まで迎えに来させるわけです。さすがに彼も憮然とした顔をしていましたが(笑)。  私が大人になってからも、ジャニーは父の主催するコンサートなどにマメに顔を出していました。私はアングラ劇団で役者をしていましたが、生活のために一度だけ兄の克久が音楽を担当した少年隊のミュージカルに出させてもらったことはあります。その時も、『いいよいいよ』とジャニーは二つ返事だったそうです。ただ、慰労会と称した乱痴気騒ぎで若い女優たちをホステス扱いするような世界とはなじめず、それっきりでした」 ──ジャニーズ少年野球団との交流は? 「同じ頃、ジャニーの車で『少年野球団』のメンバー3人と僕の友だちの総勢6人で父の軽井沢の別荘に1泊旅行することになったんです。大人はジャニーだけ。  同行した私の友人Mは今でいうジャニーズ系の美少年で、父の誕生パーティーに彼を呼んだ時に、たまたま来ていたジャニーが彼を見てぞっこんだったようです。『あの子も連れておいで』と言われたので一緒に行くことになりました。  父のコテージは和室と洋間の2部屋。和室が寝所で、両サイドが2段ベッド(4人)で畳に4人分の布団が敷けるから8人は泊まれるんです。  夜、トランプ遊びをした後はジャニーのお定まりのコースです。部屋を暗くして布団に入ったら、気配が伝わってくるんです。『あっ、始めたな』って。  まず2段ベッドの野球少年たち、そして同級生、それから僕。まるで『鴬の谷渡り』みたいに、一晩で5人の間を渡り歩くなんて彼にしてみれば夢の饗宴だったでしょう。大人はいないし、やり放題。ただ、それから数十年後にM君にこの時の話を聞いたら、こう言われました。 『あの時、怖くて外でしくしく泣いていたら、隣のコテージの女性が異常を感じたようで、僕に“どうしたの?”って聞くので途切れ途切れに今自分が体験したことを話したら、そのお姉さんが部屋にいるジャニーを問い詰めたんだ。ジャニーは弁解したけど、彼と同じくらいの年齢のお姉さんは、かなり怒っていた』と。  このことが両親に漏れたら、おそらくジャニーは服部家にも出入り禁止になっていたでしょうけど、言い逃れして事なきを得たのだと思います。この事件後も、ジャニーは服部家に出入りしていましたし、私も何食わぬ顔で接していましたから」 ──ジャニー氏は良一氏の葬儀にも参列されたとのことですね。 「父・良一が亡くなった時、私が喪主である兄の代わりに葬儀を取り仕切っていたのですが、お���夜の時、ジャニーが『よっちゃん、明日の本葬も大変だろう。うちのペントハウスがあるから泊まっていきなよ』と言うので、いわゆる『ジャニーズの合宿所』の最上階に泊まりました。  ぼくの妻と子供たちも一緒。トイレ、和室、プレールーム、風呂場などすべての部屋にテレビがある広大な部屋でした。妻は『こんなことしてくれるのは今度は有吉に食指を動かしてるのよ』と言って、葬儀の時も片時も有吉から目を離さなかったみたいです。有吉は12歳でしたから」 ■“PTSD被害”を再生産した罪  ──結局ジャニー氏はどんな人だったのか? 「マメで気が付くし、気くばりの人。片付けも一人でみんなの分をさっとやるし、いいオジサンであるのは確かです。でも、ステージに立つ夢を抱きながらジャニーズ事務所の門戸を叩いた少年たちの心と体を傷つけむさぼるように快楽にふけった罪は許せないです。  これはあくまでも私見であり、飛躍しているかもしれないけど、彼は日系2世として朝鮮戦争に従軍してるし、アメリカでの日本人差別も経験している。彼もPTSDに苦しみ、それは性加害という形で発現されたのかもしれないと、一度は彼を戦争の被害者の一人として許す気になった時もあります。  しかし、戦争によるPTSDの被害を知るようになるにつれ、彼はPTSDを再生産し、幾何級数的に増殖するシステムを構築してしまった。その現実が見えた今、彼の罪深さは計り知れないと思います。  私自身、その時のPTSDに苦しみながら、なぜ70年間も告白できなかったのか。あらがえなかった、沈黙してしまった、それがジャニーの性被害を育み、果ては主要メディアの沈黙にまで手を貸してしまった。引き返せない歳月を取り返したい。マスコミの糾弾はもっと厳しくあってしかるべきだと思います」 ▽服部吉次(はっとり・よしつぐ) 本名・服部良次。1944年生まれ。父は作曲家・服部良一。劇団黒テントの創立メンバー。「翼を燃やす天使たちの舞踏」「上海バンスキング」「阿部定の犬」ほか��数の舞台に出演。妻は女優の石井くに子。次男はハンブルク・バレエ団で東洋人初のソリストで、バンクーバー五輪の開会式に出演したバレエダンサー・服部有吉。兄は作曲家・服部克久。甥は作曲家・服部隆之。隆之の娘はバイオリニストの服部百音。 (取材・文=山田勝仁)
(3ページ目)ジャニーズ性加害構造の萌芽は70年前に…一晩で5人の少年の間を渡り歩いた“軽井沢事件”の全貌|日刊ゲンダイDIGITAL
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