#台南住宿 親子
Explore tagged Tumblr posts
Text
【捷絲旅台南館】親子住宿飯店推薦.附近美食餐廳

View On WordPress
#台南住宿 agoda#台南住宿 airbnb#台南住宿 booking#台南住宿 cp值高#台南住宿 dcard#台南住宿 fun假親子旅店#台南住宿 ptt#台南住宿 五星級飯店#台南住宿 安平#台南住宿 安平區#台南住宿 安心旅遊補助#台南住宿 泳池#台南住宿 浴缸#台南住宿 網美#台南住宿 美景#台南住宿 落地窗#台南住宿 親子#台南住宿優惠#台南住宿推薦#台南住宿補助#台南捷絲旅十鼓館#捷絲旅台南十鼓館#捷絲旅台南十鼓館 agoda#捷絲旅台南十鼓館 just sleep#捷絲旅台南十鼓館 交通#捷絲旅台南十鼓館 停車#捷絲旅台南十鼓館 停車場#捷絲旅台南十鼓館 優惠#捷絲旅台南十鼓館 官網#捷絲旅台南十鼓館 房型
0 notes
Quote
F爺の訪日の度(たび)に、日本の食べ物は押しなべて甘くなっています。 (これは、F爺の個人的な感想ではありません。長年海外に住む日本人の共通意見です。但し、台湾や広東料理圏に住んでいる人の意見は違うかもしれません) 昔の梅干しは、思い浮かべただけで両方の耳下腺からキュンと唾が出るほど酸っぱくてしょっぱい物でした。今の市販の梅干は、蜂蜜などの入った甘い物になってしまっていて、F爺の口には合いません。地方の物産展などで稀に塩と紫蘇の葉だけで漬けた梅干しや「梅漬け」が見つかると幸せになります。 昔、納豆は、生醤油(きじょうゆ)をかけて食べるものでした。今、市販の納豆の殆どは、タレと称する甘ったるい液体付きで売っています。大多数の消費者がその「納豆のタレ」をかけて食べているようです。F爺は、タレを捨てて、生醤油で食べます。そうしないと納豆を食べた気がしません。 日本の市販の漬物は、大根漬けも白菜漬けも茄子漬けも、すべて大量の葡萄糖果糖液糖入りです。甘過ぎて、F爺には食べられません。素材の味が消されてしまっています。 ケチャップもソースもポン酢も胡麻ダレも何もかも、昔に比べて甘味料の割合が格段に高くなっています。さまざまな国で素材そのものの味を生かした甘味の無い美味しい物を食べるのに慣れたF爺の舌は「不味い」としか感じません。 四国には、F爺の味覚に適(かな)い、美味しいと思える食べ物もたくさんあります。新鮮な魚を塩焼にして酢橘(すだち)を搾ったものなど絶品です。ところが、初めの頃、困ったのは刺身です。F爺は刺身が大好きで、たまに日本に滞在する時にはしょっちゅう食べるのですが、四国で食べる刺身は、どうにも納得の行かない味なのです。見たところ魚の鮮度に問題は無さそうだし、他の客は美味しそうに食べているので、もしかしたら自分の体調が悪いのだろうかとも思い、不思議でなりませんでした。 2012年の9月も末になってようやく突き止めた「犯人」は、醤油でした。このブログの記事第一号『F爺は「お遍路さん」』にも書いたことですが、四国で市販している醤油には砂糖が入っているのです。特に「さしみ醤油」あるいは「握りずし用」として売っているものには、大量の砂糖が入っています。四国の人にとって��「子供の頃から慣れた味」で美味しいのでしょう。F爺にとっては、生魚と山葵(わさび)と砂糖と醤油の組み合わせは、「未だかつて口に含んだことの無い奇妙な味」だったのです。 口に合わない醤油のせいで好きな刺身が食べられなくても、また何皿もいろいろ並んでいる中で煮豆だの佃煮だの見るからに甘そうなもの一、二品を外しても、残りの物をおかずにしてご飯を食べればお腹は一杯になりますから、四国の大概の宿では、遍路を続行するのに問題はありませんでした。ところが、一部の宿の提供する食事は、モロに甘い物ばかりがこれでもかと言うほど並べてあって、全く喉を通りませんでした。 2013年8月某日に種崎の渡しを利用した日に泊まった宿では、鰹の叩きにかかっていたタレが「ぽん酢に砂糖を加えた」と言うよりは「あんみつに酢を混ぜた」と言いたいほどの甘ったるさでした。タレを箸の先で口に含んだだけで気持ちが悪くなり、洗面所に駆け込んで口を漱がなくてはなりませんでした。「甘くない。ピリッとからい」という触れ込みの茄子と筍の煮物もモロに甘くて、これも洗面所に駆け込んで吐き出しました。煮物の魚には箸を付ける気にもなりませんでした。オクラのお浸しは砂糖で煮締めてありました(F爺にとっては前代未聞のゲテモノです)。漬物は、勿論すべて葡萄糖果糖液糖漬け。味噌汁までが濃厚な合わせ味噌を使ったものでした。他には胡麻豆腐がありましたが、これは、F爺は決して食べないものです(*)。結局、この宿の夕食で白いご飯以外にF爺の喉を通るものは何一つ無かったのです。F爺の長い旅行経験でも、こんな甘ったるいもの尽くしの食事を出す宿は初めて(**)です。 (*) 胡麻豆腐の味と舌触りをF爺は好みません。脂肪の塊であるため少量で満腹感を与えるので、分量をけちる店がコース料理によく加える品です。F爺は、脂肪がよく消化できない年齢になったことでもあり、胡麻豆腐の入ったコースは注文しない主義です。 (**) 秋田県の東南端の「大湯温泉」の一軒宿に2012年9月22日に友人と二人で泊まった時も熊肉の甘露煮、網茸(あみたけ)の甘露煮、蕨(わらび)の甘露煮、蕗の薹(ふきのとう)の佃煮・・・に始まる甘ったるいもの責めに遭いましたが、枝豆と鮎の塩焼きだけは砂糖も味醂もかかっていませんでしたから、この宿よりはいくらかマシでした。但し、無塩味噌汁というゲテモノには呆れ果てました。二人ともビールを飲み始めていたので自分で車を運転して別の場所に食事をしに行くことは出来ず、また代行運転のタクシーを頼むには人里から遠す��てバカ高い物につく・・・というわけで、ビールだけは飲んで寝たのですが、夜中、空腹と怒りで一睡も出来ず、人生最悪の宿と呪ったのです。四国では、人生最悪宿の記録を更新してしま��ました。 塩を掛けたご飯だけしか食べられないのでは、体が持ちません。こんな宿に泊まった翌日は、遍路道でコンビニの無い区間では、腹が減って動けないという惨めなことになります。 遍路道で何度か、駄目で元々と思いながら「甘くないものだけ食べさせてくれ」と頼んでみました。39番・延光寺と40番・観自在寺の間にある民宿「大盛屋」、43番・明石寺(めいせきじ)[通称は「あげしでら」または「あげしさん」]と44番・大寶寺の間にある小田の「ふじや旅館」など、いくつかの宿は、厭な顔一つしないで対応してくれました。親切な女将さんの笑顔が忘れられません。 かと思うと・・・F爺が予告通りの時刻に到着した時に自分たちが留守にしていたことは棚に上げて、喧嘩腰で「夕食はもう準備してあるから今頃そんな要望を出されても対応は出来ない。文句を言うならキャンセル料を置いて出て行け」と横柄な口を利いた主人のいる宿に当たってしまったこともあります。砂糖漬け・味醂漬け食品しか出さない宿だと分かっていたら、決して予約などするのではありませんでした。 観自在寺と41番・龍光寺の間にある津島町岩松の「三好旅館」では、電話予約の時、自発的に「食物アレルギーとか、これはどうしても食べられないというものがあったら言ってください」と言ってくれました。地元で獲れる天然鰻の蒲焼がこの旅館の自慢の名物料理なのですが、それを、F爺のために、塩焼きの魚で差し替えてくれたのです。ありがたいことでした。この旅館のもう一つの名物料理は、焼き海老(えび)。上に掛けたどろりとしたものの色がF爺の分だけ他のお遍路さんたちのとは違っていましたから、特別に甘くない味付けをしてくれたのだと思っています。 日本を訪れる外国人の大多数も、食べ物の過度の甘味のため、F爺と同じ悩みを抱えています。 ある日本在住の日本人料理店主が「食べ物を美味しくするために味醂や砂糖を使うんです。それが常識です。Fさんは味覚障碍者ですよ」と言っていましたが、F爺の考えは正反対です。日本以外の国で甘過ぎる食べ物に困ったことは無いのですから、「料理に砂糖や味醂を使うのは、誤魔化し。近年の日本は、味覚障碍国に成り下がった」と考えています。
味覚障碍 ? - F爺・小島剛一のブログ
3 notes
·
View notes
Text
されど遠き窓
1年同棲した恋人のリリコに去られたヒロセ。
かつての遊び仲間たちとの再会を機に、自分を見つめなおしていく。
※性的描写があります。
鼓膜をつんざくようなけたたましい音で三分経過したことが告げられた。iPhoneに入っているタイマー音はどれも、うるさすぎたり間が抜けていたりで、どうもいい塩梅にいかない。かといって好きな曲を設定するというのも、気取っていてなんだか嫌だし、なんて考えている間に、麺がどんどんのびてしまう。ここ一週間食べ続けているカップラーメンの新しい味をコンビニで見かけたのでついまた買ってしまったのだった。さすがに体に悪いか、と思わなくもないけれど、仕事が繁忙期だし、怒る人ももういないし、緩やかな自傷行為はだんだんと依存性を帯びてきた。アルミの蓋をぺりぺりと開け、頼りない麺を割り箸でずるずるとすする。想像通り、うまくもまずくもない。こういうのは結局一番最初に出たプレーンな味がいちばん飽きが来ないものだ。香辛料のききすぎたスープを飲み干す気にはなれず、流しに残りを捨てた。麺の欠片や掬いきれなかった具がステンレスに散らばり、排水溝の掃除をする必要があることを思い出して煩わしくなった。ゴミの日に合わせて、明日の夜やることにしよう。ベッドでは三毛猫のミナが僕の就寝を待っているが、寝る前に一杯やりたい。食器棚からグラスを取り出そうとすると、しばらく使っていない器達が無言の圧力をかけてきたので、結局今日もまた缶ビールを開けてじかに呷ることになった。チーズを囓りながら、さっきの残像で食器を数える。ペアグラスかける幾つだ、プレートもお椀もだいたいはお揃いまたは柄違いで二の倍数分あり、だけど今僕はそれらがなくても生活できてしまっている。
一体、この大量の置き土産を、どうしたらいいのか。リリコがいなくなってから、もう三ヶ月が経とうとしている。一ヶ月めは現実と向き合うのに精一杯で気付かず、二ヶ月めは思い出に浸るために必要で、寂しいのが普通になった今やっと、やはりこのままではまずかろうと、彼女が残していったものを、たびたび眺めてみてはいる。一年も一緒に暮らしていたので、すぐには整理しきれない。リリコは料理���きで、腕をふるった品々を毎食SNSにアップしていたほどなので、食器類は特に数が多いが、それだけではない、いま僕が踏んづけている不思議な模様のラグも、天井からぶら下がっている星のかたちをしたライトもすべて、彼女のセンスで買いそろえたものだ。ぜんぶ置いてけぼりなんて、と何度目かの小さな憤りを感じた勢いで重い腰を上げかけては明日もまた仕事だと言い訳して、ずっと後回しにしてきたのだ。まる二ヶ月。やらなきゃいけない、と思うほど頭と体がぼんやりしてきて、やがて逃げるように眠りについてしまう。この部屋の中のすべてが、彼女のかわりに呼吸しているーーそんな妄想は少々ロマンチック過ぎるにしても、たぶんいつかは断ち切らないといけないものだし、断ち切りたいと僕自身も願っている。ああ、だけど今夜も、五パーセントぶんの酩酊を言い訳にして、ミナの待つ寝床に向かう。
やっぱ、フリマアプリじゃないっすかねえ。心底どうでもよさそうな風情で煙とともにそう吐き出したのは、新入社員で唯一の喫煙者、塩崎くんだ。僕の若いころに輪をかけてぼーっとしていて、鬱陶しがられているかもしれないけれど、ついつい話しかけたくなってしまう。
「ていうか、広瀬さんも女にふられること、あるんすね」
「そりゃあるよ、ふったことのが少ないよ」
「女になんか全然不自由しなさそうに見えるのに」
「……不自由するかどうかはまた別の話かもね」
しまった、失言だった。話を聞く限り、塩崎くんには女性経験がないのだ。背も高いし、肌もきれいだし、顔立ちも悪くはないのに、たぶん、ぼーっとしすぎているのだ。どうフォローしようか気を揉む僕をよそに、塩崎くんは、プロの女の子、必要になったら言ってくださいね、とにやついて仕事場に戻っていった。
取引先からそのまま帰宅すると、宅配ボックスに母から荷物が届いていた。うちは農家でもなんでもないのに、定期的に野菜やら米やらが送られてくるのだ。お礼の電話をかけると、気忙しい母の声のうしろで、子供がはしゃいでいるのが聞こえた。
「まひろ、来てるの?」
「そうそう、今日は誠二が夜勤だから、うちで夕飯でもどうー、って」
誠二というのは僕の弟だ。僕が秀一、弟が誠二。彼は五年前、二十四で十年近く付き合っていたひとみさんと結婚して、三年前、まひろが生まれた。高卒で消防士になり、地元で気の利く嫁をもらい、実家の近くに住み、可愛い孫の顔まで見せた彼の方に、秀の字がついていたらよかったと思う。
「あんたはどうなの、うちに連れてくるかもって言ってた子は」
「ああ、別れた……」
「あらっ、そうなの」
数秒のあいだ沈黙があり、母のため息がきこえた気がした。
「まあねえ、おかあさん都会のことはわかんないし、元気でやってればいいのよ」
優しく慰められ、情けなくなる。両親のことを喜ばせようなどと殊勝なことを思っているわけではないが、のんべんだらりと三十路を過ぎてしまって、なんとなく申し訳ないような気持ちはある。しかし去ってしまったリリコのことはもう、どうすることもできない。たしかに母の言うとおり、都会の三十代はまだまだ若い。正月には帰るから、みんなによろしくと言って電話を切った。ミナが足元に擦り寄ってきた。そういえばミナは、まひろとほぼ同い年だ。僕が会社に行こうとしたら、マンションの植え込みで震えていたのだ。体調不良で、と当時勤めていた会社に嘘をつき、病院に連れていった。三毛猫のミケでは安直すぎるので、ミナにした。漢字で書いたら、三奈だ。まひろは、ひらがなでまひろだ。どちらがペットかわからない。猫はものすごく好きというわけではなかったが、一緒に暮らしてみるとこれほどいい同居相手はいないように思えた。普段はお互い負担にならない距離を保ちつつ、自分がそうしたいときには思いっきり甘えてきて、逆に僕が疲れていれば癒やしを提供してくれる。リリコとミナは最後まであまり馴染まなかったように見えた。彼女は実家でダックスフンドを飼っていると言っていたが、猫にそこまでの思い入れはないようだった。
ミナがキャットフードを食べている間、自分の夕飯を用意した。母と話したあとで不摂生をするのもなんだか悪い気がしたから、送られてきた野菜を適当に切って、冷蔵庫の隅にあったベーコンと炒めた。だけどそれでは足りなくて、結局買い置きしてあったカップ焼きそばを食べてしまった。ミナと戯れつつ食休みをし、風呂を沸かした。本当はシャワーだけでもいいのだが、リリコが置いていった高そうな入浴剤を入れてみたら案外よく、それから週末の夜はゆっくり湯船に浸かるようにしている。バスミルクやらソルトやらオイルやら、ひと揃い使い切ったら終わる習慣だろうけど。
風呂から出ると、LINEが五件届いていた。三件は公式アカウントからで、一件は塩崎くんがフリマアプリのまとめ記事を送ってくれたものだった。金曜の夜なのに、暇な男だ。ざっと目を通し、とりあえず一番利用者数の多いアプリをダウンロードした。もう一件は月子さんからだった。明日、新宿で映画を観る用事があるのでそのあとお茶でもどうかという誘いだった。看護師をやっている月子さんが土日に会おうと言ってくるのは珍しかった。確かシフト制で、平日休みのときに声がかかることが多かった。���くつか年上のこの人と、どこで知り合ったかもいまいち思い出せないが、つかず離れずで長年やってきている。リリコと別れて初めての会合だった。
伊勢丹近くの喫茶店で落ち合うことにした。雑居ビルの地下にあって、コーヒーが一杯千円もするかわり都内いち美味い。価格設定のおかげで店内が落ち着いているのもかなり気に入っているので、約束の時間よりも一時間早めに店に入った。今はナラ・レオンがかかっていて、いい具合に眠くなる。おかげで持ってきた本が全然進まなかった。あとから来た隣の席の男女がタロット占いに興じているのも、僕の気を散らした。壁側に座った髭もじゃの男が占い師らしく、ピンク色の髪をした女の子がぼそぼそと何か相談していた。髭もじゃがカードを��りはじめたころ、月子さんが現れた。とびきり短いショートカットに、真っ黒のワンピースという出で立ちだった。前に会ったときは、日本人形のように長い髪をしていた。
「髪、切ったんだね」
「そう!似合うでしょ」
「うん、すごく」
脚本はいいのに女優の演技がひどくて興ざめだった、というのが今日の映画の感想だった。月子さんは映画や舞台がとても好きだが、誘われたことは一度もない。2人ですることといえば、セックスくらいだ。十年前からそんなふうにしてきて、でも僕がリリコと付き合っている間は指一本も触れずに関係は続いていたので、結局気が合うということなんだろう。月子さんが頼んだキリマンジャロが運ばれてきたところで、恋人が置いていったものを誰かに買ってもらうってどう、と相談してみると、悪趣味、と笑われた。
「そんなの、捨てたらよくない?ぱーって」
「結構高いものが多くて、惜しい」
「じゃあそのまま使ったら」
「いろいろ思い出されて、つらい」
どんなのがあるの、と聞くので、iPhoneを手渡した。塩崎くんの指南のもと、出品用に写真を撮ってみたのだ。あとはアップロードをするだけなのだが、説明文を考えるのが面倒くさくてやめてしまった。月子さんが真剣な顔つきでフォルダを隅々まで眺めているあいだ、僕はタロット占いの結果が気になってしょうがなかった。タロットは漠然とした悩みというより、誰かとの相性を知りたいようなとき役に立つのだと、昔どこかの飲み屋のママに聞いた。
すべて見終わった月子さんは、彼女、センスのいい人だったんだね、と感心した。さらに精査したあと、寝室に置いてあるスタンドライトの写真を指差して、これ生で見たい、と言った。じゃあ見にきてよ、と店を出た。新宿三丁目から、都営地下鉄に乗る。
「ヒロセの家、久しぶり」
「そうだね」
「呼んでくれなくなっちゃったもんね」
「そりゃ、呼べないよね」
リリコとの同棲は、僕のマンションに彼女がやってくる形で始まった。子供のいない裕福な叔父から譲り受けた、4LDKの部屋だ。付き合って二ヶ月ほどで、リリコの側から、将来のことを考えるためにまずは一緒に暮らしたい、という申し出があったのだった。そう、僕はお試し期間をクリアできず、持ち家というアドバンテージをもってしても捨てられてしまったのだった。
三十分ほど電車に揺られて、最寄り駅に到着した。月子さんは懐かしい、と言いながら駅からの道をゆっくり歩き、玄関に入るなり、ああ、と感嘆の声を漏らした。
「これは、女がいる家」
「でもいないんだ」
「かわいそうにねえ」
月子さんは上がり框に座り込んで、金具がいっぱいついた靴を脱いだ。ぴったりとしたスカートがあまりに短く、黒いストッキングに下着が透けそうでどきまぎした。ねぼけまなこのミナが僕を出迎えにやってきたが、月子さんの姿を認めると固まり、必死に記憶の糸を手繰りよせていた。月子さんがミナちゃん久しぶり、やっぱり美人さんだね~、と話しかけると、声で思いだしたのか、上機嫌でしっぽを震わせてこちらに寄ってきたばかりか、久しぶりの客人に背中を撫でさせた。
お茶でも出そうかと思ったが、さっきまで飲んでたしいいと断られたので、さっそくお目当ての品のもとへ案内した。このライトはアンティークで、びっくりするほど重いので部屋の外に運ぶのが億劫だったのだ。
「ああ、やっぱり欲しいこれ」
ダブルベッドの傍らに置いてあるそれは、傘のところがステンドグラスでできていて、他のところの作りもいちいち凝っていて高級感があって、実際かなりの値段がしたらしいので、捨てるのが惜しいものの筆頭だった。役所に粗大ごみとして引き取りにきてもらう連絡をするのもこの上なく面倒くさかった。
「もらってくれるなら嬉しいよ」
「本当にタダでいいの?さすがに悪い気がする」
「じゃあ、五百円くらいで」
なかなか食い下がらないので、気が済むようにして、などと言っていたら、月子さんはてきぱきと僕のうしろのドアを閉め、カーテンを下ろし、かわりにステンドグラスのライトをつけた。長い爪を赤く塗った指先がスイッチの紐を引っ張ったのが、妙になまめかしかった。色とりどりのガラスの下に、赤みがかった光が灯る。
「すっごい、ムーディ」
「そう、寝室にしか置けないんだ」
「いつもこうして、してたの?彼女と」
「まあそういうこともあったような」
「久々にしよっか」
マック行こっか、くらいの軽さで月子さんはそう呟いた。体で払う、ってことか。僕としてももちろん吝かではなく、僕達はまぐわった。薄ぼんやりとした明かりの中で、かつて散々貪ったはずの月子さんの体は天女みたいに神々しく見え、リリコに操を立てる前の数々の奔放な日々を思い出した。会��ば挨拶みたいに体を重ねた。おっきい、と途切れる声で言う月子さんのヴァギナと僕のペニスの相性は相変わらずとてもよく、リリコとの性生活で少しずつ積み重なった消化不良に気付かされた。月子さんの細くしなやかな腰を掴み、後ろから責め立てているとき、なめらかで美しいリリコのうなじを思った。月子さんのうなじには、短く整えられた襟足の延長のように細かい産毛がびっしりと生えていて、だけどそれが生命力の強さの、淫蕩さの証に見えて、僕をますます昂らせるのだった。月子さんは僕を煽るのも上手くて、まだ足りないというように自分の性器を弄ったり、卑猥な言葉で強請ったり、この時間を最大限愉しむための努力を、決して惜しまないでいてくれる。リリコが寝転がって僕が前から入る、コンドーム越しの、正しさのかたまりみたいなセックスしか、僕たちはしなかった。リリコがそれを望んでいたから。だけど月子さんは、獣のように喘ぐ。僕も、獣のように求める。本能に駆り立てられるような行為は本当にしばらくぶりで、吐精しながらも力がみなぎってくるのを感じた。
アキラさんのところに行こう。少し眠ったあと、月子さんが唐突に言い出した。性欲をすっかり発散させてしまったあとの変わり身の早さも、僕が月子さんを好ましく思うところのひとつだった。アキラさん。懐かしい名だった。僕たちが夜遊びばかりしていた頃知り合ったその人は、ある日突然、東京から去っていったのだった。たぶん二年くらい前のこと。僕とリリコが出会う前のこと。きれいで優しい男だった。久々に、声を聞きたい。 「いつ?」 「いまから」 「急に行って、迷惑じゃないの」 「あたしはどのみち今日、行く約束してたの」 一瞬で食べ尽くされてしまうことはわかりながら、ミナの夕飯のために置き餌をしてやり、車を出してくれると言う月子さんのマンションへ向かった。地下鉄で二駅だったので歩くことにした。こんなに近くに住んでたんだね、といまさら笑い合った。月子さんの家でしたことも、数えきれないほどあるのに。空は薄紫色で、呼気は白く曇り、冷たい空気が情事と昼寝のあとの惚けた頭をちょうど良く刺激した。日が落ちる前でも、だいぶ気温が低くなってきた。リリコが出ていったのは、夏の終わりだった。残暑が長かったから、暦の上では秋の始め、と言ってもいいかもしれないけれど。
初めて見る月子さんの愛車は、真っ赤な外車だった。シャコタン、というのか、車体がものすごく地面に近く、こんなに華奢な女の人がオーナーだとは思えなかった。あたし運転がヘタな男大嫌いなんだよね、と言うからこわくなって、任せることにした。といっても、そもそもこれはマニュアル車らしいから僕には運転できなかった。
「看護師ってね、だいたい働きだしてすぐ高い車買うのよ」
「どうして」 「しんどい仕事やめないぞ、っていう、誓いみたいなもん」
「ローンで自分を律してるってこと?」
「そう」
「払い終わったらどうなるの?」
月子さんはそれには答えず、ため息のような笑いを漏らした。下道でもそんな遠くなさそうだけど、もう遅いから高速で行こうね、と手慣れた様子でカーナビを操作する月子さんに、アキラさんはどこに住んでるんだっけ、と訊ねると、千葉の、山と海がある町らしい、という答えが返ってきた。地元と東京以外の地理に、僕はあまり明るくない。
初台から首都高に乗った。到着予定時刻は十九時四十五分。なんとなく流していたラジオがあまり面白くなくて、月子さんがspotifyで音楽をかけだした。九十年代ポップスをとりあえずのBGMに、仕事の話の続きが始まった。
「ヒロセは今もまだ、自販機売ってるんだっけ」
「それは前の前で、今は太陽光発電の会社にいる」
「バナナ売ってたのはいつだっけ?」
「青果卸ね、自販機の後だよ」
ふうん、と興味なさげに月子さんは言い、なんだかもう話すこともあまりなくなった。もともとそんなに話が弾むふたりでもないのだ。丁寧な運転のせいでだんだん睡魔の波が押し寄せてきたので、一眠りしようと目を閉じた。途切れ途切れ、薄い夢を見たが、途中で月子さんが呟いたのは、多分夢ではなかった。
なんでこう急にいろんなことがどん詰まっちゃうんだろうな。
聞いてはいけないような気がしてじっとしていたらまた深く眠ってしまって、次に目が覚めると、車は千葉県の国道を走っていた。何度も塗り替えた跡が見えるスーパーの看板が現れ、ああ、田舎の都会だ、と思った。僕の故郷も、こういう街だった。沿道にはチェーンの飲食店やディスカウントストアがまばら��あった。古ぼけたラブホテルもちらほら営業していて、カタカナやアルファベットをかたどったネオンが粗野に光った。シルクロードって名前のラブホテルは、全国にいくつあるんだろう。食事はどうするのかたずねようとした頃に、急に流していた音楽が途切れて、ちゃらちゃらと電話の着信音が流れた。
「え、なに」
Bluetoothだよ、さっきまで音楽飛ばしてたでしょ、と月子さんは僕を笑い、僕に通話ボタンをタップさせた。スピーカーにして、というのでその通りにした。相手はアキラさんだった。懐かしい、懐かしい声だった。低く、優しいトーンで、ゆったりと話す。
「広瀬くんも、いるの」
「あ、います」
「久々に会えるね」
たった一言アキラさんと言葉を交わしたら、こんなに便利な道具があるのに一度も連絡を取っていなかったことが急に薄情に思えた。だけどそれを咎めるような気色が全くなかったことにほっとした。そういうところが、アキラさんらしいのだ。
あと五分で着くよ、と月子さんは電話を終え、次の信号で細い道に折れた。国道から離れるにつれ、民家が増え、車は住宅地に入った。「あ���かな」
月子さんが指さした先には団地が数棟立ち並んでいた。隣には打ちっ放しのゴルフ場の緑のネットが見え、まだ煌々と営業中のライトが光っていた。建物が近づいてきたのでスピードを落として進んでいると、駐車場の入り口とおぼしき辺りに背の高い男の姿があった。少し猫背で、足が長い。
僕たちに手を振るアキラさんは、東京で最後に会った時より少し、線が細くなったように見えた。 ここ空いてるから、今日だけなら大丈夫、という言葉を信じ、白い線で区切られた駐車場の一角に車を駐めた。アキラさんはリノベーションされたこの団地の一室を買ったのだそうだ。最近は古い団地の再利用が流行っているそうで、確かに共用部分も新築のようにきれいになっていた。おれ一人ならほんとこのくらいの広さで十分、という十畳ほどのリビングには必要最低限の家具しかなく、よく整頓されていた。荻窪に住んでいた頃の部屋もいつもすっきりとしていたのを、思い出した。
夕食には宅配のピザを取っていてくれて、酒も一通り用意されていた。パーティーじゃん、と月子さんは大喜びした。アキラさんは紙皿と紙コップを配りながら、洗うのめんどくさいからごめん、と笑っていたが、身軽な暮らしに憧れ、自分の部屋で待っている大量の食器のことを考え、うんざりした。
酒もあまり回らないうちから、月子さんはけっこう荒れていた。仕事を辞めた、という薄々気付いていた話と、不倫をしていた、という完全に初耳の話とを、かなりの序盤で打ち明けられた。初耳ではあったが、そこまで意外ではなかった。月子さんには、動物みたいなところがあるから。僕の同棲解消に���いては、冒頭で少し話題に上がったもののどこかに消え、まあそれはいいとしてもアキラさんの近況は聞いておきたかった。僕が彼の方を見ると目が合ってしまって、逸らせず、やけに緊張した。彼は面白がるように僕を見ていた。とりあえず月子さんに吠えたいだけ吠えさせようと、頷き合った。
「何回かやっただけの上司の奥さんが職場に乗り込んできたの」
それで居づらくなって、もう十年勤めたし、疲れてしまったし、依願退職した、と話す月子さんは珍しく泣いていた。
「その医者のことそんなに好きだったの?」
「ううん別に、出来心みたいなもん」
「割に合わないね」
「それが腹立たしいのほんと!!」
そしてわっと大泣きしてはまた愚痴り、というのを間欠泉のように繰り返し、それをアキラさんが宥めていた。いつの間にか煙草を吸っていた。前もよく吸っていた銘柄だった。月子さんの支離滅裂な話から、医者のセックスがよかったということだけはわかったので、せめてもの救いだね、と慰めたつもりだったが、ものすごい目で睨まれた。月子さんが僕一人には甘えてくれないことを、当たり前だと思うとともに、少し情けなく感じた。僕はちびちびウイスキーを飲みながら、相槌を打った。
泣き疲れて、酔い潰れて、月子さんはテーブルに突っ伏して眠ってしまった。実質アキラさんと二人、という状態になって、ようやくゆっくり話せそうだった。
「……アキラさん、いまはなにやってるの」
「昔のツテでデザインの仕事もらったり、FXやったり、あとはまあ、切り詰めて」
田舎だからそんなにお金はかからない、家族も今後できることないし。淡々と話すアキラさんは十代の頃、年上の男の恋人に連れられて上京した。地元は宮城で、親は厳しくて、勘当寸前で、学校とか通ってこっちで仕事には就けたけど、その時の男とはすぐ別れちゃって、そんなことを寝物語に聞いたような気がする。
「おれもう、期待したくなくてこっち引っ越したんだ」
「期待?」
「東京、夢あるけど、夢見るのも疲れるからねえ」
僕はアキラさんともセックスまがいのことをしていた時期があった。好奇心なんかでは全くなかった。常連の店でいつも穏やかに店員と談笑していたこの男を、気づけば目で追ってしまっていた。仕立てのいいスーツに包まれた身体から滲み出る、どうしようもない諦めの空気が、僕を惹きつけて、不安にさせて、夢中にさせた。月子さんと3人で何度か会ったあと、僕の方から2人で会いたいと言った。やがて恋人同士のような関係になった。自分より体の大きな男に慈しまれると、言いしれぬ安心感と興奮を覚えた。僕たちは、同じ体で愛し合った。だけど男女でするようにはっきりと繋がったことはなかった。それはアキラさんの予防線だったと、今ならわかる。不誠実な僕は、そうしている一方で月子さんをはじめとする女の体を抱くこともあったから。月子さんは僕とアキラさんのことに気付いていたように思うが、だからといって関係が変わることはなかった。なにか言われたことも、詮索されたこともない。僕はあの頃から、自分のことがよくわからなくなっていた。恋ではない、とわかりながらも他人と肌を重ねることで、なにかがすり減っているような気もしていた。アキラさんもそうだったかもしれない。でも、その気持ちを分かち合ってどうにかするような2人にはなれなかったのだ。
「広瀬くんは彼女と別れたって聞いたけど」
アキラさんがなんでもないことのように言うので、僕もなんでもないことのように話し始めた。こういうとき、リリコとの破局で実はさして傷ついてはいない自分に気づいて、辟易する。
「三十過ぎて、なんか焦って、婚活とかしてみたりしてさ」
しっかりしなきゃ、と漠然と考えていた当初、運良く出会ったのがリリコだった。僕史上、いちばん礼儀正しく、理性的な交際のはじまりだった。いわゆる普通のおつきあいをうまくやれていると思っていて、自分もようやくそういう流れに乗れるのだと感慨すら抱きながら、給料三ヶ月ぶんには少し届かない指輪を買ってプロポーズもしたが、あなたと家庭を作ることは考えられない、という残酷な答えが返ってきた。数ヶ月の猶予ののちに同棲は解消され、僕たちは正式に別れた。彼女が持ち物を置いていったのは意外だったけれど、すぐに謎は解けて、そのあとわりとすぐ大企業のサラリーマンと婚約したと風の便りで聞いた。
「そういうのがいいならなんで僕と付き合ったのか不思議で」
「ふらふらしてる人の色気ってあるからねえ」
俺もちょっとやられてたかも、とアキラさんは僕の方を悪戯っぽく見た。アキラさんのほうこそ、ちょっと痩せた肩とか、煙草を弄る長い指とか、相変わらずどうしてなかなか、と思ったけれど言わなかった。今のアキラさんに僕が触れることは失礼な気がした。
「念のため聞くけど、おれと寝てたせいじゃないよね」
「え?」
「別れたって」
「いや全然関係ないよ、知りもしないと思うし、そもそもかぶってないし」
でも、見透かされてたんだと思う。アキラさんとっていうか、月子さんみたいな女の人たちとつるんでいたこととか、それどころか、やりまくってたこととか、職が続かないこととか、それらをそんなに駄目だと思っていないこととか、ただ自分が安心したいだけで、ほんとうはちっともリリコ自身のことなんか見ていなかったこととか。いつの間にか起きていた月子さんが、ヒロセ、いい人きっと見つかるよ、とまた泣きながら絡んできた。煙草を燻らせながらアキラさんは、人生相談室だな、きょうは、と可笑しそうに呟いた。ちょっと酔いが冷めてから順番でシャワーを借りた。月子さんは客間で、僕はソファで寝かせてもらった。アキラさんは自分の寝室に引き上げていった。
夜中に肌寒くて目が覚め、体を起こすとベランダで一服するアキラさんのシルエットが見えた。窓を開けて、隣に立った。アルミの手すりと床板がひんやりと冷たかった。
「ねえ、煙草吸いすぎじゃない?」
「前と変わんないよ」
「前も減らしなよって言ってたじゃん」
「唯一の楽しみなんだって」
「……早死にしちゃうよ」
いいんだよ、べつに。そう呟くアキラさんの横顔は東京にいた頃のままだった。あなたはいったい、あそこに何を捨てて来たの。
あたりは真っ暗で、ぽつぽつと窓の明かりが見えた。こんな夜更けに活動している人間がいるのだ。風向きが変わるのか、時折、国道から車の走行音がきこえる。僕たちは黙ったまま、並んで立っている。離れていた数年をどうにかして埋めたい衝動がせり上がってきて、でもどうしたってできないから、アキラさんの左肩に、そっと凭れた。アキラさんが、囁くように僕の下の名前を呼んで、呼び終わらないうちに、やめてしまった。ためらいが、愛おしかった。
「アキラさんのこと、すごく好きだったよ」
「……わかってるよ」
煙草を持っていない方の手が、僕の頬を撫でた。掌はすべすべしていて、冷たくて、泣けてきた。アキラさんが少しだけ身体を屈めてきて、煙たい匂いが鼻を掠めたかと思うと、かさついた唇が一瞬だけ触れた。目の前には、あの諦めたような優しい笑顔があった。
翌朝は三人とも九時前に��ちんと起きて、目が覚めちゃうなんてなんか年取った感じするな、と言いながらファミレスでモーニングセットを食べた。僕は食器のカチャカチャいう音を聞きながら、肝心のことを相談し忘れていたことを思い出した。
「恋人の置いてったものって、どうしたらいいと思う?」
月子さんは、あたしは一個もらってあげるの、と恩着せがましくアキラさんに報告した。アキラさんは少し考えたあと、おれなら、と前置きして、こう続けた。
全部捨てる。一回全部きれいにしてあげないと、なかなか成仏してくれないとと思うから、残留思念みたいなもんが。
帰りもまた、月子さんが運転することになった。昨日よくわかんなかったけど、車イケてるね、とアキラさんが褒めた。乗る前にすればいいのに、乗り込んだ後で窓を開けて別れを惜しんだ。出発した後、僕たちが曲がるまでずっと手を振ってくれていたアキラさんを見て、月子さんがまた来ようね、と言った。僕は頷いた。僕だけに向けられているんじゃないとわかっていながらも、またいつでもおいで、という帰り際の彼の言葉に、甘えてしまいそうだと思った。
日曜日の高速道路はそこそこ混んでいて、痺れを切らした月子さんの判断により途中で降りて下道を走った。
「そういえばライト、持って帰る?」
「……やっぱいいや、知らない女のザンリューシネン要らないし」
「だよねえ……あれって粗大ゴミかな」
「そりゃそうでしょ、でかいもん」
めんどいなあ、とぼやく僕に、月子さんは、めんどいけど、向き合わなきゃだめってことでしょ、と自分にも言い聞かせるように口にした。それはたしかに人生を前に進めるために必要なステップなんだろうけど、いまの僕にとってはリリコとの二年間より、この二日間のあらゆる場面の方がつよく胸に迫ってくるのだった。
十五時前に家に着いた。一日空けた部屋は静まりかえって、知らない匂いがした。ミナはソファのクッションの上で丸くなって寝ており、僕がただいまを言うと片方の目だけ開けてまた眠ってしまった。飼い主が一晩いないくらい、どうってことないらしい。冷蔵庫の横に貼ってあるゴミの日カレンダーを見た。年始にもらったっきり、ほとんど使っていなかった。燃えないゴミ、火金。危険ゴミ、隔週水曜。粗大ゴミ、市役所に連絡。ため息。とりあえず窓を開け、空気を入れ換える。コーヒーでも飲みたくなって、お湯を湧かす。待っている間に、アキラさんからお裾分けに持たせてくれた蜜柑をざくざく剥く。皮を受け皿に、白い筋がたくさんついたままふた房頬張った。リリコは夕食後、必ず果物を出してくれた。重たいガラスのボウルに、冷たくてきれいな水で洗って一粒ずつしっかり拭いた葡萄、その正しさは誇らしくて面白かったけれど、僕はそんなこと、ちっとも望んじゃいなかったと思う。
2 notes
·
View notes
Text
婚配嫁娶的問題,三教九流,吃,喝,嫖,賭,菸,酒,草包都不會有人要,我都覺得很奇怪這些人拖過年的太自以為是,而且裡面有很多家樂福根本就全部都不用啊,拖累拖過年的,還有答每垃批灑,把別人的手機當自己的圖庫使用誰要幫你找圖庫,別人手機又不是你的硬碟辦公室騙整年的,因為手機裡太多工程師擋路,草包直接複製其他人手機裡面的圖庫當作是自己的idea發想,所以那個NASA這條線才會這麼吵,折諜只是公務人員並沒有想像中這麼厲害,然後遷其他人的手機或者是電腦圖庫,當然是飆啦,所以大家停下來,誰要幫敵人的找圖庫找答案,批評假人草包,哪有這麼好事情辦公室,草包穩贏的,這麼可能不會吵,不過再說啦,政府在水庫裡面搞事,沒有過濾就全部都倒了,生活很漫長裡面是刪減人數,所以我們這條線吵上船已經很久了,我們不可能跟敵人一起住,倚敵扯住了阿罵,廟的後代也一樣,跟大家競爭,免作台語不可能,爭執滅絕施太,一路順暢有問題,沒有功德哪來的順暢,們是爭整,冷水坑批面
樓下隔壁鄰居的電動鐵門很像墓園的鐵門亞東保全,整社區顧塔專線,但是白蛇進塔不可能,閒聊迦裟扶起,渡劫難,驚訝修行衣服這麼有用,天天唸經文加持的衣服,會思考的靈魂感受家的默香
水庫沒有過濾,變相殺人,2022,23濾心一下子就操壞了,大家根本就不可能停留是因為醫師公會對面就是藥物,大家,生活就是平常,還有發現環境事物尤其是金木水火土會變,電影神通王已經播很久了寺廟應該是知道的
名字瑩,整墳,台北爭執感應器 發霉,名人節整名字,螢光色的衣服鞋子襪子都不用,遲頓久,墳的空間設計激怒很久,神景感應器吵超,2005聯芝同事姿瑩知到,我不會到耶 林整 靠她不可能??,我不知道啊,天外奇蹟的台詞,我來見我的偶像,我的偶像要了我的命,眼扯,離譜,突然想到這些電話線的起頭真的很離譜 連老闆的英文名都一樣,長相不一樣,但是台北真的超過了,每年拖過年的,每年都有天災人禍拖住了,然後每年都在講,我們��果不留下來救災的話,沒有人道考量2016地震,年年震,但是這三四年水質不好就不用了啊,水庫在搞事裡面是裁員,害濾心爆掉,害買濾心,賀眾牌飲水機店門口的濾心一堆垃圾就知道,們隱忍
還有那個沒有工作跑進來我家,站在我旁邊的這一群的垃圾用賴的,這樣就會有薪水的話,我是不會理你的,應該是各走各的路,這個整找不會,他馬的,耍賴,在家午休有妨害到你們嗎 雞掰台語
沒有人告知,全部自己想辦法,整爭每天都是自擠,東西方天空之神與陸地的人不和,查閱相關資料並仔細思考,神仙下凡修理人,不合邏輯,爭執藏砲面,大家分,分們霉分墳戎族
911的飛機,飛機上有衛星電話,是不是機師或者是飛機組員有交代,要問他們的家屬,8到10年美國已經買超過年限了,諜家和921,311地震都不用,年年災難,陰陽加裏蹲,有一年美國飛機的電話撥進來,它繼續講話,所以那個川普跟他太太是不是卡住了,除了家務事還有一個飛機的衛星電話,那個交代扯住了,所以那個空中廚房才會繼續啊,一堆的廚房用品,整吃的
還有2005年發現電話線,現在想一想喔,老師跟郭曉玲不行,整靈還有郭曉玲她媽媽的晚禮服瘀青色還有郭的大嫂切魚肉談,有經濟能力為什麼不養人,電話裡面靈桌太多了,太驚屬,警察世家與刑案的家屬,整發財,難怪彎管在講這個問題,2016臥底老闆讓匯,這裡沒有錢盤是空的,更不用說台北在養毒販,無底洞,還有一堆折諜的公帑,我們才會罵人,夠了,大家不救台北戎爭超過而且我們不知道毒販求養紅白包都超過了,吃骨頭長大的一群垃圾,其他的店家是因為家裡面有買家電產品只是在談,人的面容會因為他的行為調整,以前看起來是公益慈善家,現在臉部好像被打到,整臉,大家就不見了,比爾蓋茲夫婦檔也是一樣,他太太有做慈善事業臉部線條就比較柔和,相由心生,每一家軟體公司都一樣,多兩三個指令又變成新的版本
6 😱我們才不管台北是不是打錯了,這想耍賴,哪有那麼好事情,把我家五個人當白痴,用誣賴的可以��超過15年,🤔突然想到國中同學的名字,裡面是罵人覺得想笑😄,難怪大家往前門逃,🐷麻豆子火鍋送菜梯,省立桃園醫院有一樣的菜梯規格,全部對面十塊遞單子,擔心太多人了,很多未知數,火飆找麻煩一堆,原來是台南的書桌有問題,我不曉得耶,🧑🍳👄但是現在想想發現被丟包了,學姊的哥哥是警察局長,學姊應該是警局眼線整刑,女生宿舍人際關係對面,太不可思議了,89年的部分錢盤是爭執,未知,沒有金錢來往的親戚全部都拖進來吵超級離譜的🌶️,那是阿嬤私底下在吵,我不知道,我還是跟黃端轉租房子,因為扣除例假日還有回家的時間租不到一年,就算了還是住下來因為沒有看到合意的房子還有房東的表妹秀慧載我們去私人俱樂部的遊泳池遊泳,當時她是用公司的發財車,🤭🍇💪學生哪有想那麼多私人俱樂部就是有錢人家的遊泳池去遊泳只是說它是用跳水的標準規格蓋的,踩不到底,你就要一直往前游,很適合訓練遊泳選手🥦🍓🍒,這是學生時代的部分,⚓🫵🦐兩年前愛買結帳員說話她說十塊也要摺嗎,你問我,我還不知道遊戲規則咧 摺什麼
這兩三年我們家路口有一個年菜的車禍,年菜是散落一地,三千的姐妹團,年菜車禍苦主,愛買營業員,省桃的護士,國泰保險的櫃台講話扯住了,大陸妹家,整姐妹團驚呀,繞圈圈,這不知道她媽媽生幾個女兒都很像,重點就是大陸人講話會有問題
批評:沒有想到郵局是欺呆喔,這不曉得有多少家庭受害了,刪減人數,不曉得有多少人,因為倒霉號碼牌,倒霉號櫃台,趕時間整付費的,難怪今天一個人都沒有,不過今天是5月26號早上9點到十點,皆斷,都不會,天庭告狀的人越來越多了,眼扯,清潔由局四員,整劫,傻瓜也壓頭分們,921大地震像這樣的問題更多,更不用說還每年各各個國家都是地震,像這種情形太多了,陰陽加裏蹲,更不用講說發生戰爭的國家,大家早就逃離這個國家,國家是空殼
1 note
·
View note
Text
人間はそう変わらない
先月、鎌倉まで海を見に行った。ここ数年自宅が仕事場となる生活をしていて、そうなると日々の暮らしは半径300メートルで完結してしまう。リビングにあるパソコン。近所のスーパーマーケット。スマホで得る情報と、ドラッグストアのクーポン券。そんなもののあいだを行ったり来たりしてるうち、日が暮れてしまうわけだ。窮屈なのは苦にならない性格だけども、それでもときどき頭の中に真水を流し込みたくなる。進みすぎた発酵は、腐敗と見分けがつかなくなるから。そんなときは、いったん全部流し台に流してしまう。蛇口をひねれば水が出るわけで、それで洗い流してしまえばいい。そんなわけで湘南新宿ラインを���り継ぎ、鎌倉を目指した。
普段乗り慣れない電車に乗ると、不思議なもので、乗客たちの様相がいつもとは異なって見える。顔つきや着てるもの、塾帰りの長女と連れ添う母親の風貌も、光学的にいつもと異なる風景となって映る。ここにいる彼や彼女たちにも日常があり、暮らしがあるのだろう。車窓から見える家の、あの窓の向こうには、夫婦の寝室か、子供部屋がある。そこを拠点に半径300メートルの暮らしがあるやもしれない。見知らぬこの街で、一生のほとんどを過ごす人だっているだろう。なじみのレストランが閉店してしまったり、本当に愛し合った恋人たちが別れてしまったり。そんな平常がきっとここにもある。ことによっては自分がその彼や彼女だったかもしれないと考えるとき、ぼくは彼らとの連帯を強く感じる。ぼくは即席のコミュニタリアンになってしまうわけだ。共同体主義者がたったひとり、海を目指す。これはおかしなこと。
鎌倉駅の前は人でごったがえしている。外国人観光客の密集が路地の裏まで。グローバリズムが生み出したマルチチュード=「来るべき大衆」というのは、彼らのことだろうか。ともかくその密集から離れ、海があるらしき方向に歩き出す。地元の住人であろう老人に尋ねてみた。ここから歩いて海までいけますかね?一瞬ぎょっとした目でぼくを見つめた紳士は、しばらくの呼吸停止の後、丁寧に応えてくれた。しばらく行くと大通りがあるから、そこを右折して道なりに行けば海に行けますよ、20分くらいかな。
雲のあいだから陽光が差し、海面の絨毯が光で揺れる。海だ。海を前にすると、人は天文学者になってしまう。海のさきにある広大な水平線が、日常の些末な出来事を飲み込んでしまう。だから人はそれを遠くから眺めるしかない。天文学者が望遠鏡で惑星を眺めるようにして。大好きだった人のこと。大嫌いな同僚のこと。そうした好意や反感に関連したやっかいな事情が、銀河の彼方にある無機質な恒星になる。これって不思議じゃないだろうか?だってぼくはいま海を前にしているだけで、ぼくの頭や手足の部品が交換されたわけではない。違うのは、目の前の風景だけ。でも風景が心の中を変えてしまう。情緒の変化が起こり、かかとの足音がこれまでと変わってしまう。なぜだろう。だって、ぼくは、ぼくだろ?ほんのすこし気分が変わっただけなんだろ?好きな人の前では緊張するし、通勤ラッシュの電車の中では殺伐とした気持ちになる。要するにそうした類のちょっとした気分の問題であって、ぼくの精神が耕した土、そこ��実った果実が、増えたり、減ったりしたわけではないんだよね?
おそらくそうだ。なにも変わってはいない。人間はそう変わらない。少なくとも気分以外は。気分が変わることは、日常生活において十分にその意義のあること。それについて異論はない。しかし海を見て心が晴れたとて、あるいは空を見て感傷に浸ったとて、それはあなたを変えはしない。旅があなたを変える、旅はあなたのあらたな局面を切り開くとのスローガンは、羊飼いが羊を飼い慣らすためのトリックではないだろうか。広大な丘のどこにいってもいい。どこで草を食んでも、どの小川の清流を飲んでも、どこをどう駆けずってもいい。そう命じられた羊は、きっと命題としての自由を実感するだろう。だけどその自由は、あくまで羊飼いのためのもの。
これは結論とはいえない。けれども、さしあたり、いまのところ、前提条件ではある。結論を出すには時期尚早との迷いから、ぼくはそれを結論だとは見なさない。でも本当は知っているのだ。時期尚早でないどんな結論も、この世に存在しないことを。急ごしらえで生煮えの結論を、ぼくたちは生きている。そしてもちろんのこと、電車内の乗客たちはそんなのお構いなしみたいな顔をしている。蛇口をひねれば水は出るわけで、いったいなにを迷う必要がある?
ともかくこういうことだ。いつか機が熟すのを待って、然るべきときが来たなら、いざ飛び立とうなんて気でいたら、熟���た柿は落ちてしまう。時のはざまへと落ちていく柿。そんなつぶれた柿の堆積こそが歴史なのかもしれない。だとするなら、ぼくの柿ももうすでに落ちてしまった後だ。だからそんな失われた時を求めて、書き始めることにしよう。ぼくは変わらない。新しい風景が、ぼくを新しくはしない。それは気分をほんの少し変えるだけ。だからといってなにも変える必要がないわけではない。ぼくはそう思っている。この同じ場所、半径300メートルをこそ、変えなければいけない。窓から見えるブロック塀を地図に見立て、そこに導線を引かなければならない。それは鉛筆で描くドローイングのようなもの。ぼくの目論見では、それらドローイングは成功も失敗もなく、すべてが傑作へと連なっていく。そしてそのために必要なのは翼で飛び立つことではない。線を引くこと。言葉を書き記すこと。失われた時を求めて、空想と現実とを散文で描き出すことなのだ。
2 notes
·
View notes
Text
東京五輪から2年 湾岸はいま
悪夢のようなTOKYO2020大会から2年が経った。 五輪のために姿を変えられたあの場所は、巨額の資金を費やして建てられた会場は、白いフェンスに閉ざされていた公園は、いま一体どうなっているのか。 湾岸エリアを中心に、フィールドワークを行った。
①築地市場
築地本願寺から場外市場に向かう。日曜日。外国人観光客、親子連れ、カップル。賑わいは築地市場があった頃と変わらないように見えた。どの店にも、昼食を目当てに沢山の人が並んでいる。
立体駐車場の最上階から市場のあった方を見下ろす。縦横に走るターレ、魚の並ぶケース、積み上げられたトロ箱、林立する仲卸の看板――それらが全て消え去り、でこぼこの、剥き出しのコンクリートだけが灼熱の太陽に焼かれていた。その一部は駐車スペースに。数台の自家用車。物悲しくなるぐらいしょぼい。
駐車場のわきに、築地市場の仲卸とおぼしき店名のプレートを付けたターレが放置されていた。よく見ると、ナンバープレートを外した痕がくっきりと残っている。
石原元都知事が主導した2016年五輪招致当時、築地市場を潰してメディアセンターを作るという話が出ていた。2020東京大会ではそれが「駐車場」にかわり、市場は2018年10月に東京���によって閉鎖された。選手村から競技場への輸送のために新たに作られた環状2号の全面開通は、五輪閉幕から1年以上も過ぎた2022年12月。五輪招致が、都民の台所を打ち出の小づちのように利権を生み出す空虚な「一等地」に変えてしまった。
築地を舞台にしたある連載漫画の中で、目利き一筋の主人公は何故か移転に何の葛藤もないまま「豊洲で頑張っていこう」と仲間に呼びかけていた。築地市場83年の歴史は、急速に「なかったもの」にされようとしている。
②月島
東京では五輪の前から、競技会場と直接関係のない場所でも各地で再開発が起こっていた。晴海にも程近い、湾岸エリアに位置する月島もまたその1つ。もんじゃストリートで有名なこの町は、一本裏道に入ると古い木造家屋が軒を連ねる下町らしさが残っている。私たちが2017年に訪問した際は、月島1丁目西仲通り地区再開発計画のためにもんじゃストリートの店舗が軒並み閉店していた。
そして今回訪ねてみると、MID TOWER GRANDなる地上32階、高さ121mの超高層マンションが建ち(2020年10月竣工)、その1階にもんじゃ屋などの店舗が入っていた。 月島ではさらに地上48階、高さ178.00mのタワマンを建てる月島三丁目南地区第一種市街地再開発事業、地上58階、高さ199mのタワマンを建てる月島三丁目北地区第一種市街地再開発事業が控えている。フィールドワークの後で知ったことだが、この月島三丁目再開発計画には反対運動や行政訴訟も起こっているとのこと。長年暮らしてきた人々の息吹が聞こえるような町並みが、大手開発業者によって姿を変えられようとしている���とには胸が痛む。
③晴海選手村
カンカン照りの選手村跡地。ここはHARUMI FLAGなる高層マンション群として開発され、完成すれば5,632戸12,000人が暮らす街になるという。未だ工事中で通行できるのはメインストリートの車道のみ。焼けつくような暑さの中、誰もいないコンクリートだらけの空間は殺伐とした雰囲気が漂っていた。
選手村をめぐっては、東京都が適正価格の10分の1という不当な安さで都有地を三井不動産ら11社のデベロッパーに売却したとして住民訴訟が起きている。五輪という祝賀的なイベントが作り出す例外状態によって、公共財産が民間資本に吸い上げられた象徴的な場所だ。
街の中心に近づくと、左手には、大会中、大量の食材廃棄が問題となった食堂の跡地が、中央区立の小中学校(2024年度開校予定)として整備されていた。
右手には三井不動産の商業施設「ら��テラス」。その1階には「東京五輪を振り返りスポーツの力を発信する施設」として「TEAM JAPAN 2020 VILLAGE」が設置されるらしい。五輪と三井不動産のどこまでも続く蜜月がうかがえる。
その先では道路を挟んで左右両方の街区で50階建ての2棟の超高層タワーマンションが目下建設中だった。
選手村を訪れるとき、2018年、建設工事中に2人の労働者が亡くなったことを思わずにはいられない。その街区は、労働者の死という痛ましい現実を塗り固めるようにSUN VILLAGE(太陽の村)という輝かしい名前で分譲されている。 この街区だけではない。この街全体が、五輪によって引き起こされた問題などまるで何もなかったかのように成り立っている。この街ではとても生きていけない、生きた心地がしない。生気を抜かれたようにその場を後にした。
④潮風公園、お台場海浜公園

ビーチバレーボールの会場設営のため何年もフェンス封鎖されていた潮風公園。わたしたちは初めて公園内に入った。こんなに広かったのか!無観客のくせに、この公園全体を占拠していたなんて、ほんとうに厚かましい。
東京湾の対岸の埠頭にはコンテナが並んでいる。海をみてみると、うっ!海水は泥沼のような色。しかし、なぜか匂いはせず、潮の匂いさえもしない。ファブリーズでもしているのか?
わたしたちは、野宿の人たちが寝ていた場所を探して公園内を歩いた(東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織員会による追い出し→https://x.gd/ZJP4d)。木がたくさんあってなかなか住み心地よさそうだと思っていたら、屋根のある排除ベンチにたどり着いた。なんて醜いデザインなのだろう。
次に「トイレのようなニオイ」と話題になったお台場海浜公園のビーチへ、匂いを確認しに行った。「遊泳禁止」の看板があり、スクリーニングのためと記してあったが、やはり汚染が懸念されているのだろろう。このビーチの海水も濁っていて、潮の匂いさえもしない。怪しい水質だ。
しかし、暑すぎる。灼熱の日差しの下で、ビーチバレーボールや、トライアスロンをやって、汚い海に飛び込んでいたのか。 知れば知るほど、オリンピック・パラリンピックは地獄だ。
⑤有明
有明の旧会場エリアへ。グーグルマップで見ると、どうやらこの一帯は「有明オリンピック・パラリンピックパーク」と名付けられたらしい。いまや地に落ちた電通がオリンピックでちゃっかりゲットした、唯一黒字と言われる有明アリーナへ。SNSではステージが見えない席があると不評を買っていたが、「ディズニーオンアイス」をやってるらしく、猛暑の折、駅から会場まで大勢の人だかり。
有明体操競技場はこの5月に「有明ジメックス」と名を変え、株式会社東京ビックサイトが運営する展示場としてオープンしたらしい。第一印象は「・・・神社?」世界的ウッドショックの最中に木材を山のように使って、10年程度で取り壊される予定とのこと。こんなに立派にする必要あったのか?
そこからゆりかもめの駅を越えると、フェンスで囲われた草ぼうぼうのワイルドな一角が。有明BMX会場跡地だ。グーグルマップには「有明アーバンスポーツパーク(2024年4月開業)」とあるが、いまのところ影も形もない。スポーツ施設より原っぱ公園の方が需要あるのでは?
有明テニスの森公園は工事パネルが外されて、開放感に溢れていた。こんな素敵な場所を何年もオリンピックのために囲って、市民を排除してきたかと思うとあらためて腹が立つ。
真夏の炎天下に火を燃やし続けた聖火台があった夢の大橋にも立ち寄った。観覧車が無くなっていた。東京都はこの夢の大橋を含むシンボルプロムナード公園の一角に、新たに聖火台置き場をつくって飾っている。東京都はいつまでオリパラの亡霊にすがる気か。。
⑥辰巳・東京アクアティクスセンター
アクアティクスセンター
「威圧」を形にしたような巨大建造物。
建物の周りには木陰がなく、取ってつけたような弱々しい植栽が施されている。
正面外の、広すぎる階段は、車いす利用者でなくても、大げさすぎてびっくりする。コンクリートが日射で熱い。ゴミ一つ落ちていないのは、人が寄り付かないからだろう。
その下にたたずんで私は、ピラミッド建設のために労働を強いられている人のような気持ちがした。
ここは、公園の一部であった。近くに団地もある。誰でも入って、海からの風を感じながらくつろぎ、出会う場所だったはずだ。
5年前に訪れた時は、工事中で巨大な支柱がそびえたっていた。三内丸山遺跡にインスパイアされたのかと思ったが、出来上がったのは帝国主義の終点のようなしろものだった。
「お前たちが来るところではない。」という声がどこからか聴こえる気がした。
知ってる。だから入ってみた。静かだ。人っ子一人いない、空調が効いて冷え切っている。だだっ広いロビーの小さな一角に、TOKYO2020オリパラのポスターたちがいまだに展示されていた。
競争をあおり、序列化し、勝者に過剰な価値を与え、「感動」を動員するスペクタクルがここで続けられるのだ。
生きていくのに必要な潤いをもたらす公園に、このような醜悪なものが君臨しているのを私は許せない。
炎天下の湾岸エリアを丸1日かけて回った。TOKYO2020跡地は、廃墟になっていると思いきや、むしろ多くの場所でまだまだ開発が続いていた。開発への飽くなき欲望と「レガシー」への執着、五輪災害は閉幕後も延々と残り続けている。 この日撮影した映像を使って「オリンピックって何?東京からパリ五輪1年前によせて���という動画を作成し、1年後に五輪開幕が迫るパリでの反五輪の闘いに連帯を示すメッセージとした。 From Tokyo To PARIS, NOlympicsAnywhere
youtube
21 notes
·
View notes
Text
ネオ幕府アキノリ党による100の政策
※内はアキノリ将軍未満による脚注。
🌾 文化・日本語
1. 『双京構想』京都を陪都に。
※ 上皇后両陛下に仙洞御所にお戻り頂く案などから上奏。
2. 文章の形式を国粋化。縦書き・漢数字を基礎に、時間や単位や数理や音楽も日本文化圏独特の書式を考案し漸次移行。
※ 漢数字に関しては画数が多く判読もしにくいため,西ローマ・アラビア数字くらい判読しやすく書きやすい数字用の文字を作ってフォントに組み込んだりを検討。
3. 日本語の電子媒体を刷新。
※ イーロン・マスク氏に会いに行ってXの東アジアの言語を全部縦書き漢数字(言語ごと)に直してもらう事を条件に,共栄圏での法人を作ってもいいと約束。ただし,その情報資産は共栄圏のものとし,資本の移動は認めない。 ※ 拡張かなを拡充し電子媒体に組み込む・体制化した際に方言の言語化も視野に。
4. 都内の外国籍労働者・親族等への日本語や法制に係る教育サービスの展開。
※ それぞれの民族に寄り添った親善団体と連携 ※ 裏で世界共栄化に関わる宣伝を行い、本国に情報輸出させる足がかりとする。😈
5. 都内の宗教共同体の実態把握・公的包摂・共生都市社会の推進。
※ 体制化までの中長期的に各宗教の日本化を試みる方針。
🌾 税制・社会保障・経済
6. 税制改革や都債発行を財源に,実質賃金の上昇率の安定向上(最低でも年3%水準)まで一律で都民税半額。
7. 都営ブロックチェーンの創設・ネオ幕府トークンの発行とサーバー維持管理。
※ 全国電子通貨を想定・通貨の名前は「球」読み方は本名が「たま」,「きう」が普及版。NAMが出典。 ※ いずれ日本円にとって代わる。😈 ※ 我々が全国化した折には武蔵国の地域トークンというか藩札を創設を想定。
8. 都債発行・時限的な商品券等の給付による地域経済振興。
9. 都民や都内に通学する学生への一律奨学金免除。
10. インボイス廃止を国政に提言・特に中小零細企業の事務処理負担を軽減。
11. 濫用的な投資や無軌道な開発,オーバーツーリズム等に因る地価や宿泊施設の価格高騰を抑制。
12. 外国企業等による国土の売買規制に係るモデル条例の策定。
13. 都内の特に大企業の法人税の納税率を向上・財源構成の平等化。固定資産税の累進化。
14. 社会保障費用の逆進性緩和・累進課税の推進。
🌾 教育・学術
15. 公営学生寮の確保・増大。
※ 国際法を典拠に一定の自治権を認める
16. 大学院まで教育全面無償化+困窮世帯向けに塾代含め支援検討。
17. 専門学校等の整理統合・総合大学との連携強化・学生や職員の有益な流動化を促進。
18. 図書館民営化の見直し。知識アクセス・公共教育インフラの維持。
19. PTAの有償化や情報共有・可視化の促進。
20. 教育委員会の体質改善・責任体制の明確化。
21. 都立高校の入試改革の見直し・効果的な外国語教育に転換/無益な学習負担の軽減化。
※ どうでもいいけどほんとに外語やるならマッチング実践とかだわ
22. カルト校則の全面廃止・学生の学ぶ権利や表現の自由を守る。
23. 入学しない大学への入学金支払義務の免除・ルール撤廃を東京から実践。
24. 部活動の地域化・民営化等による教員の負担軽減を都から実践。
🌾 交通・公共施設
25. 練馬─中野─杉並─世田谷区や足立─台東─江戸川区を縦断する都営線路の開拓。
26. 東京都-近隣の港湾に集中投資・世界一の港湾大都市圏を構築。
27. 満員電車の終局的な解消・時差通勤の促進(主に企業向け)や代替手段の公的導入検討。
28. 離島との往復費用の低廉化・人材や投資交流の活発化。
※ 将来伊豆諸島は伊豆の国に, 小笠原諸島以南は小笠原国にする。
29. 16歳未満(中学生)に対しての交通インフラ料金を子供料金にする・25歳以下に対してユース料金の公共交通機関・各商業施設での導入。
🌾 防災・戦時体制を想定した防衛
30. 全国のあらゆる自然災害に対し救援・復興の為の物資や人員輸送が可能な体制の整備。
31. 都内のあらゆる公共設備の耐震化推進。
※ 災害をある程度前提とする伝統的な都市デザインの可能性も検討。
32. 核戦争を想定した核シェルター建設・地下経済圏の構築促進。
33. 災害リスクを見据えた都民や隣接県民(都内の勤労者)向けに食料等備蓄・予備的分配。
34. 官公庁・民間企業に対するサイバー攻撃の防衛体制整備。
35. 東京都の空を米軍から取り戻す・首都圏の集団安全保障体制を見直し。
36. 近隣諸国の紛争や破局的災害を想定した都民の命と経済を守る有事法制・モデル条例の策定。
37. 安全保障や軍需産業分野の研究開発支援・学界に蔓延る偏見の改善。
🌾 恋愛・婚姻等の共生生活・性的少数者支援
※ 現在はヘテロが社会の主体である事を公共に認め(右翼を安心させ), その余裕の下に性的少数者への配慮を行う政治指針を宣言化。
38. パートナーシップや相続法制等に係る性的少数者の権利保障モデル条例の策定。
※ パートナーシップに日本語の造語を与えることを目的に研究会を行う、反動保守国学者や左派リベラルの論客もネオ幕府体制の責任もとで幅広く招聘したい。
39. 専門家や当事者の意見を参考に高齢者向けの公的恋愛支援事業を実験的に開設。
40. 既存の公営マッチングアプリ・ブライダル支援等政策の見直しと再構築。
41. ユース(18-25歳を想定)以下に対してのマッチングアプリ補助制度。
🌾 医療・福祉・地域協同・家庭問題
42. 視力矯正器具や歯列矯正等への保険適用・車椅子や補聴器の価格低廉化。ゆくゆくは無償化。
※ 歯を生やせるようになればすぐ保険適用を検討
43. ひきこもり老人を訪問し地域を協同化・社会的包摂を目指す・若年層のアルバイトで高齢者を訪問しスマホ教室とネット普及・生活状況の実態調査。
44. 民間に甘んじた無料塾・こども食堂等の公営化。
※ 都から職員を派遣して実態調査し一定の基準で認可を行い、その場で謝礼。 ※ その後恒久的に経済支援, 半官半民でネットワークをくみ人的支援を拡大 ※ 定期的に児童虐待や裏社会の斡旋等の有無を潜入調査。😈
45. 実態調査のうえ, 都心や下町に関わらず包括的な訪問診療・介護サービス等を拡充。
46. 学校や社内研修に基礎的な救急救命の教育カリキュラムを導入・相互扶助の日本を再建。
47. 地域交流や文化活動を活性化すべく公立小中学校等の空きスペース活用促進。
48. 既にある公園に遊具を拡充・児童の自由と安全を保障。遊閑地の利活用推進。
※ クレーム処理等は我々ネオ幕府が請け負う。
49. 生活保護の取得要件緩和と生活再建・出口支援。給付付き税額控除の試験的導入。
50. 公共施設から迅速・全面・包括的にバリアフリーデザインを実装。
51. 乞食(路上生活者・野宿者・炎上するだろうがこの言葉を使う,いささかの差別的感情を含まない)の住宅支援事業における不合理待遇(いわゆる「タコ部屋」等)の撤廃。
52. 「禁煙」でなく「分煙」。公共喫煙所の増設と依存症支援拡充。
53. 「帰宅困難家庭」の児童のシェルター確保・拡充。
54. 親の孤立防止。財政的支援やシッター利用・保育所等インフラの拡充。
55. 麻酔科医の待遇改善・拡充による無痛分娩・不妊治療等の普及・無償化を都から実践。
56. ヤングケアラーの実態調査・迅速な支援拡充。
57. 一定期間の債務等支払義務の凍結や世間からの隔絶を許容する「隠遁」制度の試験的導入による自殺予防。
58. 共同親権制度移行後の離婚親や子の権利保証に向けたモデル条例案の策定。
59. 犯罪被害者や遺族の情報秘匿や生活再建支援事業の拡充を都から実践。
🌾 環境・公共衛生・都市デザイン
60. 『江戸東京オシャ���特区』構想・ドレスコードの厳格なサービス業種の方でも自分らしい服装等の表現を保障。
61. 炭素繊維等による東京湾浄化・老若男女が利用可能な東京湾に。
※ 一〇年単位の長期計画で研究会に予算をつけて水質浄化に関わる各方面の専門家と企業に助成を。
62. タクシーや通勤通学バスや訪問介護車両や都内を往来する長距離トラック等に向けた電気自動車等の導入支援。
63. 道路にゴミ箱を増設し収集作業も増員・雇用創出。
※ 『乞食』の方々向けに最低でも3日に1度は湯船に疲れる水準の支援体制を迅速に構築。
64. 都内の樹林伐採ストップ・地域経済や文化に無益な再開発の見直し。国土を守る。
65. 引越しや住宅確保等に係る費用分担による近隣県への移住サポート。
※ 漸次地方都市にも移住サポートしたい・全国化したときに地域を蘇らせる。
66. 主に大企業の都外への本社機能移転・人口とリスク分散を段階的に進める。
67. 排除アート・「座らせないベンチ」の全面撤去。小憩できる都市デザインの再建。
68. ユース(12-25最程度を想定)以下に対して公営美術館・芸術施設の入場料無料化。
69. 路上表現・アーティスト等に向けた道路使用許可申請等手続きの簡素化・拡充
70. 官民連携で路上ライブ・イベント等を充実させ,『解放区』の乱立。
🌾 動植物
71. 動物殺処分0の次は都から始める愛玩動物の生体販売全面禁止。
※ ペットショップの店員かわいそうだから動物病院とか生物学研究所に転職もさせてあげて。そのために予算つけよう。 ※ 日本固有種の生物種は緩和したさがある,というかその系統を維持するための研究会や国家機関創設を提唱したい。
72. 特定外来種や有毒の微生物等の実態調査・飼育手段の包括的なデータベースを策定し公開。
73. 生物学系の人材活用・医療分野との連携を強化。
74. 孤立対策に動植物との共生を促進・AI利活用で安全・安定的な飼育体制を提供。
🌾 宇宙開発
75. 軌道エレベーターや公共/民間通信衛星等を想定した宇宙産業への公共投資。
※ 東京から日本〜東南アジアをまたぐ測天衛星網(GPS)を提唱
76. 核融合発電技術への積極的公共投資。
※ 戦時を想定した燃料備蓄
🌾 食糧自給・安全保障
77. 家庭菜園や地域農産・地産地消の促進。
78. 種苗法改正の見直し・食文化の保全。
※ 戦時を想定した食料備蓄
79. 酒税法の見直し・どぶろく文化を再興。
80. 生レバーやユッケ等の規制緩和。
81. 依存症対策や飲酒強制の予防規制を条件に, 飲酒解禁を18歳に引き下げ。
🌾 労働市場制度
82. 新卒一括採用の見直し・企業や経済団体等への協力要請。
83. 官公庁や民間企業の採用基準にポスドク枠拡充。
84. 生涯学習・リカレント教育普及に向けた労働市場改革。職業訓練給付や実施企業への支援等の拡充。
85. 様々���産業分野の企業に対して有給や育休利用の促進。
🌾 汚職・職権乱用の防止
86. 地方議会における縁故的な役職(選管等)の選定過程・給与等の見直し・再編と代替的職務の用意。
87. 刑事収容施設や入管施設内での侮辱や虐待や差別的待遇の実態調査・迅速な改善。
88. 市民オンブズマン制度の創設・拡充による第三者目線の地方議会の監査強化。
89. NPO法人設立や生活保護申請・政治団体含む会計監査の厳格化・責任体制の明確化。
🌾 表現・報道の自由
90. 小池都知事が実施していた様な一部のマスコミやジャーナリスト等の排除に反対・報道と表現の自由を守る。
91. 『表現の自由』の前提として,エンタメ・出版・コンテンツ業界に投資拡充・且つアーティストの食い扶持と表現の場を守り,層の厚さを維持。
92. NHKの過剰な集金を規制・困窮世帯の債務免除・公共の利益となる基礎的なコンテンツは保障するが国民の無償・平等な『知る権利』に配慮。
🌾 スポーツ
93. 『マイナースポーツに光を』・Eスポーツ含む多様な体育会系コンテンツにも積極的に投資。
94. 身体に障害を有する方々が主役であるパラスポーツ分野に投資拡充・宣伝を強化。
🌾 その他
95. 小池都知事の財政調整基金の使途・費用対効果について徹底的に監査。
96. 小池都知事や森本首相も関わる東京オリンピックに関する利権構造や裏金・役員の不審死・作業員の過労死等の真実究明。
97. コロナ禍におけるエンタメ産業や一部の飲食業界・性産業等への差別的待遇の見直し・適切で平等な補償体制の確約。
98. コロナ禍における緊急事態宣言の手続的正当性・費用対効果を徹底再調査。
99. お気持ちベースの『自粛要請』では無く必要な法整備・責任体制を明確化。
100. 多様な業種の方々に配慮し投票所を26時まで開放・且つ開票日を平日にスライドし行政コストを軽減。
3 notes
·
View notes
Text
29/07/23
会社の近くペルシャ料理屋があって、そこへいくと必ず幸福な気持ちになれる。店内にある大きなタンドールが放つ熱で店内がほかほか暖められていて(背中向かいの席では熱いくらい)、照明は薄暗くて、食事はおいしくて、なんだか居心地がよくて眠くなっちゃう感じ。ワンプレートメニューが大半だが、基本的な組み合わせとしては、バスマティライス、チキンorラムor両方の炭火串焼き、サラダ、焼きトマト、一欠片のバター、が盛り付けられている。若干酢にくぐらせたような風味のする、炭火で焼かれたチキンがお気に入りで毎回それを頼んでいたが、こないだはものすごくラムを食べたい気持ちになって、ラムはあまり好んで食べないけど美味しく食べられるのか心配半分、ラムが美味しいということになったならばそれはさぞかし美味しいだろうという楽しみ半分で店へ向かい、いつものチキンと、ラム(ミンチにしたラムを小さく成形した、ラム苦手な人にとって一番難易度低そうなやつ)が両方乗っているプレートをお願いして、食べたら、ラムが...とっても美味しかった..!
美容師の友だちに髪の毛を切ってもらうようになってから3ヶ月経つ。今回は彼女のお家にお邪魔して、髪を切ってもらって、ビールとおつまみをいただいた。ヘアカット中のBGMは千と千尋で、おつまみは彼女のシェアメイトが作った夕飯の残り物で、ああいう時間がもっと人生の中にあればいいなと思った。またすぐね。
---
金曜日に有給を取って3連休を作り、マルタへ旅行した。イギリスは秋みたいに寒いけど、ヨーロッパには記録的な熱波がやってきており、マルタも例外ではなく、空港を出たら暑すぎて、いっぱい歩くのはやめよう..と危険を感じた。マルタには電車がなくて、移動手段はバスだから、3日間で15回くらいバスに乗った。前回のオスロ旅行で、自分の興味関心に基づいて行きたいところをいくつか選んでおくべきだという教訓を得たため、ワイナリーとかレストランとか色々ピックアップしておいたのに、バスが来なくて閉館時間に間に合わないみたいな理由で立てた予定はほとんど全て崩れ、行きたかったところの9割は行ってない。
立てた予定が全て崩れて向かったバスの終点には、イムディーナという静まり返った美しい城塞都市があった。後から調べてみたらマルタ最古の都市で、かつてはマルタの首都だったらしい。なんか普通のマルタの街に到着したなと思ってぷらぷら歩いていたら、お堀じゃないけどお堀みたいな高低差のある場所へ出て、中へ入るととっても別世界だった。旅をしている時(文字通りの旅ではなく、その場に意識があってその場に集中してわくわくしながら歩いている時)は自分の足音が聞こえる、とポールオースターの友だちが言ってたが、わたしは匂いもする。暑すぎるのか、痩せた雀が何羽か道端に転がって死んでいた。馬車馬は装飾のついた口輪と目隠しをされ、頭頂部には長い鳥の羽飾りが付けられていた。御者がヒーハー!と言いながら馬を走らせた。とにかく暑かった。
ほとんど熱中症の状態で夕食を求め入ったレストランで、ちょっとだけ..と飲んだ、キンキンに冷えた小瓶のチスク(マルタのローカル大衆ビール)が美味しくて椅子からころげ落ちた。熱中症なりかけで飲む冷たいビール、どんな夏の瞬間のビールよりうまい。
安いホステルにはエアコン設備などもちろんついていない。さらに、風力強の扇風機が2台回っている4人部屋の、私が寝た2段ベッドの上段だけ空気の溜まり場になっていた。明け方に頭からシャワーを浴びてさらさらになって、そのまま二度寝する。隣のベッドのイタリアから来たかわいらしい女の子2人組が夜遊びから帰ってきて、わたしは出がけに、部屋で少し話す。8年前に来たコミノ島はプライベートビーチのようで素晴らしかったけど、昨日行ったらツーリズム化されていて悲しかった。耳の裏に日焼け止めを塗り忘れて痛くなっちゃったから、あなたは忘れないように。わたしたち今ちょっとおかしいのよ、と言いながらドレスも脱がずにそのままベッドの上で眠ってしまった彼女は天使か何かみたいだった。扇風機をつけたまま部屋を出て行く。
地面がつるつると滑る。
砂のような色をした街並みが広がるマルタにもイケてるコーヒー屋は存在する。これも近代化・画一化の一途かと思うと、微妙な気持ちにもなるが、こういう場所へ来ると息が深く吸えるので有り難くもある。
マルタは3つの主要な島から成る。そのうちのゴゾ島へ行く。首都のバレッタから港までバスで1時間強、フェリーで20分。
フェリーほどいい乗り物はない。売店でビールとクリスプスを買って、デッキへ出て、なるべく人がいない場所で海を眺める。乗船案内と音楽が止んで、フェリーが作る波と風の音しかしない中に佇むと、これでいいような気がしてくる。ビールはあってもなくてもいいけど、フェリーのデッキで飲むビールの味というのがあって、それはめちゃくちゃうまい。
ゴゾ島へ降り立つと、足音と匂いがした。適当に道路沿いを歩いていたら、また別世界に続きそうな脇道があって、進んだらやっぱり別世界だった。ディズニーランドのトムソーヤ島で遊んでる時みたいな気持ちで謎の小屋へ入り、人で満杯のhop on hop offバスを眺めやりながら、人懐こすぎる砂色の猫と涼む。港とは反対側の海辺へ行きたかったのでバスを待つものの、一生来ないため、バス停近くのローカルスーパーを覗く。これといった面白いものは置かれていなくて、見たことある商品ばかりが並んでいた。バスは一生来ない。
バスを降り、水と涼しさを求めて入った地中海レストランは目と鼻の先に浜があり、今回の旅は下調べなしの出会いが素敵だなあとしみじみする。カルパッチョと白身魚のライススープ、プロセッコと、プロセッコの10倍あるでっかい水(笑)。カルパッチョは、生ハムのような薄切りの鮪が敷かれた上に生牡蠣、茹で蛸、海老が盛られていた。鮪は日本で食べるのと同じ味がした。カルパッチョは旨く、プロセッコはぬるく、ライススープは想像と違った。パンに添えられたバターは外気温のせいで分離していた。水が一番おいしかった。
おいしいものとお酒が好きで楽しい。
ヨーロッパ人の色気の正体ってなんなんだろう?アジア人が同じ格好をしてもああはならない。胸元がはだけていてもスカートが風で捲れてもはしたないと全く感じない。むしろロメール作品のようにさえ見える。そもそも'はしたない'という概念がアジア(少なくとも日本)にしか存在しないのではないか?色気って品かと思ってたけどそれは日本だけかもしれない。
地元料理が食べられるワインレストランを夕食に予約してみたらコース一択だった。お昼食べ過ぎてあんまりお腹空いてなかったからちょっと小走りで向かってみる。ラザニア、ムール貝と魚のスープ、うさぎの煮込みなど。人ん家の料理みたいな美味しさだった。マルタのワインはほとんどが島内で消費されるらしい。ゴゾ島の白ワインの感想:暑い村、お絵描きアプリのペンの一番太い線(色はグレーがかった白で透過度50)。食後のグリーンティーは、TWININGSのティーバッグで、お砂糖をいれる選択肢が与えられて、洋風の装飾がたっぷりついた受け皿付きの薄いカップと共にポットで提供された。カップの底に描かれた静物画のような果物が綺麗でうっとりした。
どこにでもあるような早朝からやってるスタンドでドーナツとオレンジジュースとコーヒー。扇風機に当たり続けていたいが荷物をまとめて宿を出る。行きたい街へ向かうバスが一生来ないため、行きたい街に名前が似てる街が行き先に表示されているバスに適当に乗ったら、行きたい街より30度北へ行くバスだった。でもやっぱり行きたい街へ行きたかったので、30度北の街へほとんど到着してからバスを乗り換え行きたい街へ向かったが、Googleマップの示すバス停へは行かず、行きたい街を通過してしまったため、行きたい街から30度南の街に降り立つこととなった。海辺でチスクを飲みながらメカジキを食べた。暑すぎて肌着1枚だった。店先のガラスに映る自分に目をやると、いわゆるバックパッカーの様相をしていた。
空港行きのバスだけは遅延なくスムーズに来て着く。肌着状態からシャツを身につけ普段の姿(?)に戻ると、途端に具合が悪くなった。日に当たりすぎたみたい。お土産を買ってセキュリティを通過し、充電スポットの近くに座って搭乗を待っていたら、すぐそばにグランドピアノがあることに気がついた。誰か上手な人が演奏しないかしらと思っていたら、青年によるリサイタルが始まった。父親が彼を呼びにやってくるまで、クラシックからビートルズまで5-6曲。思わぬ良い時間だった。
都市に住むと、旅行から帰ってくる時安心する。
---
会社の人たち語録 ・やりたいことたくさんあるけど、今はやりたくないです。 ・返事がないのはいい知らせではないので。 ・Are you alright? まあまあ、ぼちぼち。
夕方、商店街へ買い出しに行く時がすごく幸せ。食べたいと思うものしか買わなかった時は特に幸せ。ぱつっと瑞々しい野菜、ちょっといいパスタ、ジャケ買いしたクラフトビール、好きな板チョコ。そんでキッチン飲酒しながらご飯作る。ビールを開けて一口目を飲むまでの間だけは音楽を止めるというのにはまっていて、そういえばフェリーのデッキで乗船案内とBGMが止んだ時の感じに似ていなくもない。フラットメイトが、夜中3時まで友人とリビングで遊んでいたり、土曜の夜にパーティへ出かけたりしているのと比較して、わたしが幸せ感じてるポイントは内向的だ。
やりたいことが浮かぶ。それをやる前に、比較対象の選択肢や判断軸を不必要なほど増やしてしまいがちだが、最適な選択を選び取ることよりも、やりたいと思う気持ちを満たすことの方が幸せなんじゃないか?
色々比べて悩んじゃったら「朝から決めてたことだから」って言うとスッと選び取れる!
食材の買い出しで1週間くらいはもつかなと感じるくらいたくさん買っても実際3日もすれば冷蔵庫空になるやつ、悲しさというかやるせなさを覚えるんだけど、こないだ500gパックの美味しそうなミニトマト買った時に、長く保ち続けること(終わりを迎えないようにする、終わりを想像しないようにすること)よりも、きちんと消費する(終わりを気持ちよく迎えること)を考えるようにしたら明るくなれてよかった。終わりって何事にもやってくるもんね。
食の話ばっかり回。
3 notes
·
View notes
Text
"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星��永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
200K notes
·
View notes
Text
特種兵被光榮犧牲後 009 by 果子狸
009
兩天在家過得太快樂了。 早上起床洗漱好換好輕便的衣服,他就去附近運動公園跑步。結果看到他哥也在跑道上。 兩人也不說話,默契地一起跑著。他邊跑邊思索著,想把以前當特種兵時的訓練撿回來,他現在的肌肉量其實不夠,他太瘦了,尤其去20世紀之前狠練如常,又瘦得只剩皮,肉都沒了。 兄弟倆跑完,去場內的設施做捲腹、吊單槓,兩個人開始你捶捶我肩膀、我踢踢你小腿,玩起來了。就是些兄弟間的幼稚舉動。 晨間運動做完了,他就去買一家人的早餐,他哥先回去洗澡準備上班。 他哥在南邊的K市上班,自己開飛行器,十幾二十分鐘就能到辦公室。 他妹就是暑假瘋玩睡懶覺那型的。 爸媽通常悠閒地吃著早餐,看看新聞,兩人慢悠悠地去市場買菜,然後直接去開店。 他們小店提供午晚兩餐無菜單餐飲,兩人會看市場裡什麼新鮮,就備什麼菜,以個人套餐形式供餐。像日式定食,湯品、菜品、主食、甜點等,都精心調膳。 店裡生意很好,不提供訂位,現場排隊。售完為止。 爸媽會把家人用餐的份量留出來,家人就去小店後面的休息室裡吃飯。說是休息室,其實是個布置得很有生活氣息的起居室,不供餐的時段,爸媽都裡邊休息著。 晚上哥下班回來,于承曦還會找哥找妹三人一起上精簡版MOBA遊戲三排開黑,他妹一玩遊戲就手指打結老是自動送死被舉報。 他想著自己的健身計畫。柔韌性訓練現代舞的基本功可以替代,肌肉功能訓練可以舉啞鈴練拳、有氧訓練先安排晨跑晚泳吧,無氧訓練間歇跑法特莱克加速跑,空手道、柔道、截拳道都安排上。 看了看自己沒三兩肉的手臂,還是決定先增肌,先吃肉吧。 告訴爸媽自己要多吃肉養身體。爸媽聽了很高興。 還得想想一公。 選秀鼻祖是美國,團體選秀鼻祖好像是韓國,他在那時代生活過,又是特種兵,對各種訊息資訊都必須有所掌握。因此明確感受到KPOP團體選秀節目如《Produce 101》對全球的影響力。 不過選到現在好像都沒怎麼脫離那種模式:合宿、導師指導、觀眾投票。 記憶中,星元時代的團體不多,星際時代更多崇尚個人風格,所以他印象中個人選秀很多。 在 1 on Top 之前,這時代的團體選秀節目他還真沒見過。 他查了下團體選秀過往,才知道,團體選秀越辦越沒人才,主辦單位花錢辦了卻尋不到像樣的團體成員,成團後猶如炮仗一點,響個聲就沒了,還不如煙花能看個漂亮。團體選秀辦一個虧一個,就再也沒人想花冤枉錢了。 亞太娛樂作為全球首屈一指的娛樂集團,根據地是在韓國區。所以他們應該也借鑒了他們自己歷史上的娛樂發展。 他覺得亞太娛樂很有勇氣:你把來自各國、武功各異的七個人湊在一起,各個都身懷絕技加上文化差異,他們能互相遷就、互相照顧、磨合出團體的精氣神,形成團魂嗎?于承曦很懷疑。 不過他也不是衝著成團去的,他一開始報名也是為了增加舞台經驗,拓展視野,看看全球各類的個人表演,增長見聞去的。 就算只是如此,他既然報名參加海選,就要把自己的份內事做好,所以他很努力練舞練唱。無論如何要對得起自己,對得起看節目的觀眾。 現在入選正式節目了,他的想法也沒變。 不求入選成團,但求每個節目盡善盡美無愧於心。 就是這一公的節目,要選定的話還是要有些方向性。 1 on Top 尖端營請的導師好像都是星際赫赫有名的唱將、舞蹈家、製作人。 那他表演個專業級鋼琴演奏行嗎?他高一暑假時就考過LTCL(註1)。 除了前段時間練《如常》時沒有每天練琴,他其實都很規律每天練兩小時的琴。手指沒生。 藝術是共通的語言,古時地球上著名的鋼琴曲、管弦樂曲、交響曲,現在在星際也都有流傳。所以,彈個貝多芬的月光奏鳴曲第三樂章?或者貝多芬的病毒瘋狂版?不然蕭邦的幻想即興曲?那李斯特的匈牙利狂想曲?不行這首太長。 他當然更不能忽視了全星盟的投票觀眾。來個燃爆了的表演? 虞誠熙時期的他其實很喜歡搖滾樂,五佰、Linkin Park、Coldplay,經典太多。找一首燃的? 現代還是有說唱,現在全球排行榜上還掛著一首,奈何星盟人不喜歡,只能在海藍星唱唱。銀河聯邦語其實是很有韻律的語言,說句話像唱了句歌詞一樣。找星盟排行榜上的歌改成說唱?他來個經典組曲,致敬經典。能燃嗎? 等等,遊戲主題曲通常都很燃!
他馬上搜了些現在很受歡迎的遊戲的相關歌曲。LOL竟然沒有受歡迎嗎? 不同的幾個全息遊戲讓他看到星際人的生活真實樣貌:大多是進去玩生活技能、佛系戰鬥與躺平旅遊的。燃在哪?!!! 這讓他想到在2017還是學生時,網路上看到的LOL世界冠軍賽的AR影像開場表演驚呆了多少人。誰高中時不跟三五好友開黑?那首 Legends never die 燃爆了多少人的青春!網路上也有好多大手cover翻唱視頻。 不然就選這首? 「藍藍,那請幫我播放LOL主題曲歌單。」 「建構中,共有1085首主題曲,開始播放。」 「等等,每10年選1首最高點播量的主題曲播放。」 「好的,共108首主題曲,開始播放。」 每首歌他大概都能聽個半分鐘以上聽到副歌,讓他沒個記憶點的、感覺溫吞的、平淡的、高昂但不對味的、詭異奇怪的、沒能朗朗上口的,都讓藍藍切換下一首。 全部聽完,他篩選出了10首歌,其中竟然沒有Legends never die! 第一個10年播放量最高的是 Imagine Dragon 的 Warriors,但是這首他不怎麼喜歡。 他發現自己很好笑,明明就只想選 Legends never die,還在那邊選來選去指指點點。 自己才該被指指點點。 現在有兩個方案了。一鋼琴演奏,二 Legends never die,三……阿卡貝啦? 這兩年星盟有首歌曲《與光同行》一直在排行榜前五都沒下來過,這首就很適合阿卡貝拉。不過阿卡貝拉比較適合做為團體節目,先pass。 難選啊,去了一趟20世紀,喜歡的音樂都變多了。 那第三個方案純唱歌吧,有首歌他非常非常非常喜歡,《Colors of the Wind》,迪士尼動畫《風中奇緣》的主題曲。 不過他怕自己唱不了。 不是因為難唱,而是虞誠熙小時候第一次看這個動畫聽到這首歌就被鎮住了,那時他還聽不懂英文,他跟奶奶說他覺得他的肚子裡有好多小鳥在飛來飛去撞來撞去,奶奶問他是不是不舒服,他沒有不舒服,只是不知道怎麼說那種感覺。 後來學了英文後每次聽這首歌,就會淚流滿面。他也不知道為什麼。就是……胸腹中總激盪滿溢情感,那情感整個衝上喉、鼻、眼、腦,然後就滿臉的淚。
坐在琴前,抬眼看往窗外,他信手彈了幾個音,又幾個音,然後輕輕地開口: You think you own whatever land you land on The earth is just a dead thing you can claim But I know every rock and tree and creature Has a life, has a spirit, has a name…… 他想奶奶了。 You think the only people who are people Are the people who look and think like you But if you walk the footsteps of a stranger You'll learn things you never knew, you never knew Have you ever heard the wolf cry to the blue corn moon? Or asked the grinning bobcat why he grinned? Can you sing with all the voices of the mountain? Can you paint with all the colors of the wind? Can you paint with all the colors of the wind? 他的歌聲因為抑制輕啜而顫抖著而不成調。 How high does the sycamore grow? If you cut it down, then you'll never know And you'll never hear the wolf cry to the blue corn moon For whether we are white or copper skinned We need to sing with all the voices of the mountain We need to paint with all the colors of the wind You can own the earth and still All you'll own is earth until You can paint with all the colors of the wind 結束了….. 他不停地吸著鼻子輕啜著,想遏止滿臉的淚。 忽然一個溫暖的懷抱,環住他的肩膀,從身後抱住了他。 是媽媽。 他低下頭哭了出來,卻又強忍哭泣地顫抖著。 媽媽靜靜地撫慰地慢慢地拍著他的肩膀。 隨著媽媽的拍撫,他慢慢地平靜了下來。 一首歌,他腦裡閃過了跟20世紀的奶奶生活中的好多事。 他舉起放在琴上的手,攀住媽媽的小臂,帶著哭泣的鼻音,故意撒嬌地說: 「我果然沒辦法唱這首歌。」 「為什麼?我的寶貝唱得很好啊。媽媽都聽得感動了。這是什麼歌啊真好聽。」 他好像從中學後就沒跟媽媽這麼親近了,但他現在卻有股衝動想跟媽媽說說他去20世紀的經歷。 他站起身時胡亂抹了下臉,媽媽也自然地放開了環在他肩膀的手。 他順勢勾著媽媽的臂彎,拉著媽媽往床邊一起坐下。 「媽,我想跟你說件事。」 「嗯,媽媽聽著呢。」 他不敢說自己練舞練得多狠,才能入夢去了一趟20世紀,只從練舞間的休息開始說起。 「我不是報名參加海選練舞嗎,就練得有點累,所以坐著閉上眼休息了會,不知怎麼的就看到一束光……」 媽媽隨著他所述說的,不知怎地就抓緊了他的手,蹙著眉,聽完了他簡單說完有關出生在20世紀,結束於21世紀初的夢境。 看到媽媽眼眶也紅了,他略作輕鬆地說道: 「剛剛那首歌,就是那會兒奶奶給我看過的一個動畫片的主題曲。現在應該還搜得到。」 「媽媽心疼你。」 「媽,我沒事的,我只是多了一輩子的記憶,我比較心疼奶奶,那時我以為我親緣淺,現在想想,親緣淺的應該是奶奶,要不是撿到我……我就是有點想那邊的奶奶了。」看媽媽眼裡又有淚光,他趕緊接著說: 「我本來以為那只是一個夢,可是我上網查了以前的那些名人,都是存在的。我才發現,那我是真的去那裏過了20多年的日子。這麼一想,就覺得,哇我超飛的,都飛進歷史去了!」 媽媽被他逗笑了。 「所以媽,現在才…..已經兩點半了!」他本來想問,現在才幾點媽怎麼回來了。 「嗯,兩點半了,你一直沒去店裡吃午餐,給你帶飯回來的。」 「啊,我想一公的節目想的太專注了。」 媽媽站了起來,拍了拍他的背。 「先去吃飯,你說想多吃紅肉,你爸今天就做了紅燒牛腩,媽給你帶了好多回來,你要再多吃點,你看你瘦的。你爸都忍不了。」 「嗯,謝謝媽,也謝謝爸。」 他也站了起來,換他環著媽的肩膀往外走,「我昨天跟爸說想吃蝦,今天有嗎?」 「晚上有海鮮燴飯,還有你愛吃的西……」
(註1:此處借用LTCL為演奏專業文憑考核)
0 notes
Text
2023【台南富信大飯店】台南住宿推薦.周邊美食

View On WordPress
#台南住宿 agoda#台南住宿 airbnb#台南住宿 booking#台南住宿 cp值高#台南住宿 dcard#台南住宿 fun假親子旅店#台南住宿 ptt#台南住宿 五星級飯店#台南住宿 安平#台南住宿 安平區#台南住宿 安心旅遊補助#台南住宿 泳池#台南住宿 浴缸#台南住宿 網美#台南住宿 美景#台南住宿 落地窗#台南住宿 親子#台南住宿優惠#台南住宿推薦#台南住宿補助#台南富信大飯店#台南富信大飯店 check in 時間#台南富信大飯店 位置#台南富信大��店 停車場#台南富信大飯店 房價#台南富信大飯店 房型#台南富信大飯店 房間數#台南富信大飯店 接駁車#台南富信大飯店 早餐#台南富信大飯店 早餐 時間
0 notes
Text
【世界でいちばん貧しい大統領】
2025年5月13日 『世界でいちばん貧しい大統領』として知られたウルグアイの元大統領ホセ・ムヒカ氏が亡くなった。
2005年、ウルグアイ初の左派政権となる。ムヒカ氏と同じ「拡大戦線」に所属したバスケス氏が大統領となり、社会福祉や医療に力を入れた。
2010年から2015年、それらを引き継いだムヒカ氏。貧困層に寄り添った政策をし、自身が大統領になっても質素な生活を送っていた。
ふっくらした体形に、真ん丸な優しい瞳、愛車はフォルクスワーゲン・ビートル。とても愛らしいムヒカ氏からは想像しにくい過去や大統領として懸命に取り組んだ日々をエミール・クストリッツァ監督がインタビ��ーし映画化した。
【トゥパマロス時代】
ムヒカ氏「時に悪は善である。そして逆に善は悪にもなるんだ。」
幼い頃に父を亡くした彼は貧困や格差に矛盾を感じていた。
ムヒカ氏は、左翼ゲリラ組織トゥパマロスに参加した。
トゥパマロスは、1962年に、チェ・ゲバラに影響された社会主義者によって結成され、武力による社会主義革命を目指した。
当初は、ウルグアイ北部の砂糖きび労働者を率いてモンテビデオへの行進を指導し、砂糖きび労働者の窮状を訴えた。
しかし、行進という平和的な手段が全く影響を与えなかったことに深い怒りを感じ、武力革命を目指すことになった。
翌年、射撃クラブを襲撃して1ダースの銃を奪うことから作戦を開始し、1年半の準備ののち、政府機関への襲撃、要人の誘拐や暗殺、外国企業や銀行への襲撃などを行った。
しかし、南米に広がる共産主義者や社会主義者の活動を打破することを目的としてコンドル作戦が始まる。
1975年から1989年にかけて、冷戦時代に南米の親米、反共、独裁政権が組織的に行った。アメリカ合衆国はこの地域での影響力を維持するために積極的に関与している。
作戦にはチリ、アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ、ボリビア、ブラジルの各国が参加。
そして左派活動家、労働運動活動家などは「テロリスト」と指定され、逮捕された。
ムヒカ氏も逮捕された。その時に、片足を13か所、腹を12か所、撃たれている。
ひとつは深刻で脾臓を失った。
片肺の半分に線維症と膵臓に感染症もある。
刑務所の生活は酷いものであった。
水さえもコップ1杯しか与えられない。
空腹は我慢できても 喉の渇きは無理なもの。そこで彼らが考えたレシピは容器に排尿し置いておく。
室温になるころには塩分が沈んで飲めるようになるというもの。
106人のメンバーが脱獄事件を行うも、また捕まった。捕まった時は瀕死状態であった。
13年間投獄した。しかし孤独な年月のおかげで多く学んだという。
「人は好事や成功よりも苦痛や逆境からより多くを学ぶものだ。
最良のリーダーとは自らが去る時、
自分を超える人材を残していくものである。
世代を超えた戦いです。」
【大統領として ~政策 哲学~】
後に大統領となったムヒカ氏。
「多くの国民に選ばれたら国民と同じように暮らすべきだ」
彼は貧困層のいる所へ出向く。かつて貧困層には住む家が無かった。
そこで社会福祉住宅計画(プラン・フントス)を実施。
家をもつことが出来た町の人は以前と違い家があるから雨でぬれずにすむという。
そして、彼は弱者を助けてくれるし、学校にも通えるようになったとも。
ムヒカ氏は言う。
「学校1つで世界は変えられないが、変えるためにはたくさんの学校が必要だ」
「文化が発展しなければ人類は進歩しない。文化とは壁の絵とかだけじゃない。毎日の暮らしの中で従うべき価値観のこと。より良い社会を作る為の土台。」
子どもたちに畑の作り方を自ら教える。貧困層には花の育て方を教える。稼げる。
富の分配ができる。貧困層は花でなく食べ物を買う。しかしお金がある人は花も買う。
文化が変わらなければ真の変化は起らない。
「資本主義では問題解決できない。
違う仕方を積極的に探す必要がある。
それが宿命である。」
「人間は本来 社会的な動物。
つまり社会主義者である。
だが時間や歴史が私たちを
資本主義や個人主義に変えた。
なぜなら私たちは矛盾を抱えているからだ。
私たちは生きるために懸命に闘う。
だが同時に他と協力し社会を形成する。
文明化と連帯意識は
人が人間らしく生きるための
最も素晴らしい美徳だ。
この矛盾を克服し
利己主義よりも
連帯意識を優先させるには
多くの労力を伴う。」
「体制を壊すのは簡単。体制を作るのは難しい。」
大統領を退任する日のスピーチでは
「私は去りません。
去るのは死ぬときです。
どこにいても そばに駆け付け
寄り添います。
それが人生を生きる最高の道です。
ありがとう 皆さん」
映画の最後、奥様とBarへ行く。
そこで、大好きなタンゴの生演奏を観る。
奥様とお酒を酌み交わし、肩を組み、タンゴを歌う。
「タンゴは郷愁そのものだ。
何を手に入れ、何を失ったか。
人生での喪失を知る者の為の���なんだ。
挫折の後に好きになる音楽だ。」
1 note
·
View note
Quote
埼玉県川口市でクルド人の犯罪が激増して問題になり、その対策が川口市政の中心的課題になっている!というエントリが度々ホッテントリ入りしている。またyoutubeのゆっくり動画等でも「クルド人」「川口」のテロップが入ったサムネの動画が投稿されている。結論から言うとそんな事にはなっておらん。川口市は『広報かわぐち』という広報誌を配布しているが、この10月号で犯罪認知件数が過去最低を記録しているとの広報を打っている。https://www.city.kawaguchi.lg.jp/material/files/group/3/202310-04.pdfこの一年で白昼の強盗事件、沿道商店に突っ込む大事故や死亡ひき逃げ、クルド人による病院での喧嘩騒乱などの事件が報道されて体感治安が低下している故だ。でも実際には治安は過去最高となっている。この問題を喧伝しているのはagora出身の石井孝明というライターで、産経新聞と夕刊フジがそれを元に記事を書くという構造になっている。石井のやり方は、川口、蕨を中心として、肌の浅黒い中央アジア、東南アジア系の人間が事故や事件、不法な業務、反マナー行動をしたものにクルド人を匂わす文言を付けて宣伝するという方法だ。それ故クルド人が毎日事件や不法行為をしているように見える。そんなにクルド人は増えているのか?日本にクルド人は何万人いるのだろうか?だが実際のクルド人の数は2000人程度である。人口60万人の川口市人口の0.3%だ。「あれもこれもクルド人」の安物ネガティブキャンペーンが成功しているのである。 それで今回はちょっとこの問題の背景を説明するよ。「クルド人とは何か、どういう民族か」などは産経以外の大マスコミや大学人が記事を書いてるからそういうのを参考してくれ。 地理「埼玉県川口市」でgooglemaps検索すると川口市の県境が表示される。https://www.google.com/maps/place/%E5%9F%BC%E7%8E%89%E7%9C%8C%E5%B7%9D%E5%8F%A3%E5%B8%82この一番左側の蕨駅付近が問題の舞台だ。まず、駅の東側にやたら細かい碁盤目で緑の線が入った地域があるのが判るだろうか?ここは芝2丁目と芝4丁目という地域になる。ここは一見整備された住宅地に見えるが、実は都市計画に乗っ取ったインフラ整備が間に合わなかったスプロール地域なのである。この碁盤目は元々は大正時代に田んぼを整地したものだった。緑の線は用水路跡で、今でも暗渠化された水路敷きになっている。この付近は江戸時代に作られた見沼代用水が通り、その分水も充実していた。そこで碁盤目に畔と用水路を整備して土地の権利も整理したものだ。ちょっと脱線するが、こういう整備された元田んぼ住宅地の近くにはL字の道と変形交差点を組み合わせたような地区がある事が多い。またそこには寺や神社がある事が多い。その場合、そこら辺は嘗ての村の集落があった場所である。行ってみるとせせこましい建売の中に突然田舎の農家のような大きな庭付きの家、時に藁ぶきだったりゴルビジェのサボア邸のようなやたらハイセンスの家が建っていて驚かされる事があるのでおススメだ。そこは付近の建売の元地主やマンションの大家である。この田んぼが戦後の高度経済成長期に売りに出され宅地化されたのがこの芝2、4丁目地区なのだ。元あぜ道は公道化されているのが多いが、そこから奥に入る道は幅が狭い砂利道のままだ。これは私道だからであり「その道路の権利は細切れになって付近の家の持ち主が持っている。故に権利関係がごちゃごちゃなので金を出し合って舗装工事をするという事が出来ない。更にこの路地は通り抜けが出来ない。真ん中に水路敷がある為だ。水路は元々の地主が権利を持っている筈だ。通り抜けにはそこに橋を掛けなきゃならないが、誰もその費用を負担したくないので碁盤目に見えて行き止まりの路地ばかりという事になっている。 1990年代初頭に建築基準法が改正されるとセットバックの義務と接道義務が定められた。接道義務とは、幅4m以上の道に2m以上接していない土地には建物建築不可という事である。これでこの路地の奥にある家というのは建替えが不可能になった。また、水路敷は舗装されていて道路に見えても道路じゃないのでセットバックの義務が無い。だからいつまで経っても道は広がらないから接道要件を満たす道にならない。散歩する時はこのせいで魅力的なのだが不動産的には不良である。この路地をストビューで見れば判るが、公道に面した家は新しい低層アパートで路地は4m拡幅、その奥の一軒は新しい戸建て(公道側隣家のセットバックで接道要件クリア)、その奥は築30年以上の古い戸建てや古アパート、となっている。奥の方の家は建替え出来ないので古いままなのだ。奥の方の家やアパートを借している場合、家が古くて車も入れない砂利道なので客付けが困難である。蕨駅から徒歩5~10分という好条件なのだがこういう状態なのだ。高度成長期中期の昭和30年代後半からこういうスプロール現象が問題になって規制が強化されたのだが、その前に家が建てこんだ地域なのだ。私有地である用水路の暗渠化は市が行ったが、これは下水道整備が間に合わず、水路に垂れ流しとなった為の代替政策だ。 さて、外国人というのは部屋が借り難い。これは差別の問題もあるが、家主としては万が一の時の連絡の問題、家賃不払いや退出後の内装補償、突如国に帰ってしまうリスク、それと土足の問題などがある。室内に靴を脱いで入るのは日本だけなのだ。最近じゃ米国都市部も日本式になって来てるが。だから土足で生活されて畳床等がダメになるリスクがある。故に外国人が部屋を借りるのはとても大変だ。一方、建替不可で古くて前が砂利道で引っ越しのトラックも入れない、なんていう借家やアパートの大家は客付けが全然できない。この両者の利害が一致して賃貸借契約、とあいなる。お互い「こんなボロ屋なのに高いが…」「外国人でリスクが高いが…」という妥協の産物だ。 このやたら細かい碁盤目地区はもう一か所ある。駅の反対側に線路で分断された川口市の飛び地みたいな三角の土地があるだろう。ここは芝園町と芝富士という地区なのだが、そのうち芝園町は元鉄道車両工場のUR団地(電車から見える屏風みたいな建物)、芝富士は元田んぼの細かい碁盤目地区だ。この芝富士地区は先の芝2・4丁目地区と全く同様の特徴と来歴を持っている。路地のセットバックが進んで4m以上が確保されて建替え可能になっている所が多いなど、スプロール化の程度は2.4丁目よりも改善されているのだが、それでも水路敷による路地分断などはあり、また建替不可家屋が密集する地帯もある。更にここは飛び地状態なので見捨てられた感もあり市政が行き届きにくいという特徴もある。中学校や幼稚園が線路の反対側で遠いのだ。ここも同様の理由で昔から外国人が多かった。 「蕨」なのに「川口市」であるのはこういう事で、駅の左右に川口市の不良宅地地区がありそこのアジア系の住民が住む事が増えたというのが原初としてあったのだ。「川口市は小規模の鋳鉄工場があり外国人工員を必要とした」という説明をしている記事もあるが間違いだ。鋳鉄工場地域は西川口から南側であって、蕨周辺は田んぼから住宅地に転換している。その転換が早すぎてスプロール化してしまったのだ。 始まりはヘイトデモクルド人問題がおかしな奴らの飯のタネになっている問題の根幹は在特会のヘイトデモに遡る。2009年に在特会はオーバステイフィリピン人の子息が通う中学校付近で「叩き出せ」といシュプレヒコールを上げるデモを行うようになった。この中学校や居宅は蕨駅の南側、西川口駅寄りだ。このデモに左翼運動からの転向者が合流すると一気に過激化し、「殺せ」「殺しに来た」というコールになり、警察に掴まらないような巧い仕方の暴力や、近所のヤジに対して「○○人の家だ」「お前日本から出ていけ」「殺せ」と連呼したり、お散歩と称してデモの後に落書きをしたり通行人に因縁を付けたりという行動をするようになった(後に警察官が解散地から駅まで随行するようになった)。転びアカが合流すると大抵こういう事になる。これに呼応して掲げられる旗も日章旗から旭日旗やハーケンクロイツとなっていった。そんな中で在特会は芝園団地付近でクルド人に住民が迷惑しているという情報を掴む。そこでヘイトデモの開催地は蕨駅~西川口駅から蕨駅北方になる。そこで鍵十字の旗が沢山はためき、「悔しかったらクルド野郎出てこい殺してやる」などのデモがされるようになった。但し、彼らは居住地区を知っていたから疑問なので警察がそこから外れるルートを許可していても判らなかったかもしれない。 こういう経緯で中東系や中央アジア系の人間の犯罪、不始末を「クルド」と称する動機が生まれてきた。事件が有る度に「これは在日朝鮮人」という差別デマがずっと流れていたが、それの中央アジア版だ。 もう一つの理由がトルコの少数民族問題で、トルコは親日国で、そこで問題化している少数民族のクルドは敵だ、という単純な世界観によるもの。元々国際問題を親日反日でしか捉えれない人間の頭の中なのでこれ以上はバッファオーバーフローである。そもそも少数民族問題は国家の宿痾であって国際政治学では必ず履修する項目であるのにそれを焚きつけて利益にせんとするあたり、ガソリンスタンドでタバコを吸うバカの如しである。 故にそれよりこの方ずっと「クルド」はやべぇ奴らの間の符丁となり、民族問題を理解するという動機にはならずに、彫りが濃い人間の不祥事は「クルド」とする文脈が生まれたのである。 続く https://anond.hatelabo.jp/20231004185255
蕨と川口とクルド人の問題に関して その1
2 notes
·
View notes
Text
台灣五月有什麼節日?
每年的五月,台灣的街頭巷尾都洋溢著濃厚的節日氣氛。這個月份不僅是春天的尾聲,更是多個重要節日的聚集時刻。首先,端午節是台灣人心中不可或缺的傳統佳節,家家戶戶都會包粽子、賽龍舟,象徵著團圓與祝福。這一天,無論是年輕人還是長輩,大家都會聚在一起,分享美食與故事,傳承著悠久的文化。 此外,五月也是母親節的月份,這一天,無論是簡單的問候還是精心準備的驚喜,都是對母親最好的感謝與回報。台灣人重視家庭,母親節的慶祝活動更是讓這份情感得以升華。 在這個充滿節慶的五月,讓我們一起珍惜與家人朋友共度的時光,感受台灣獨特的文化魅力,並在傳統與現代的交融中,繼續書寫屬於我們的故事。 文章目錄 五月台灣慶典全攻略:在地文化深度體驗,玩轉熱情五月天 五月節慶美食指南:舌尖上的台灣,品味傳統滋味與創新饗宴 五月活動精選推薦:親子同樂、文青漫遊,打造專屬你的美好回憶 五月旅遊安全錦囊:天氣、交通、住宿,安心暢遊台灣…
0 notes
Text
全部都是禍從口出惹的禍,整錢整色,只有到阿嬤的喪禮達人出口成章的審議,人都嗝屁了,出口成章有個屁用,他她也聽不到了,或許我們想的跟一般神子跑出來講的不一樣,他們正在聽,因為觀音亭實在太吵了,也難怪那個夢到家人,每個人反應不一樣,阿嬤是很安靜這是穿的全身黑,老媽是在大廳講話,是大家不用,至於那個小雲神可能是因為摺紙的高跟鞋,老媽有收到了蠻炫的紫色高跟鞋啊銀色靴子啊用不一樣紙張的材質,折給她的,我在猜應該是收到了所以那個連那個神子都趨之若鶩之類的,還有搞這麼多的事情怎麼可能不會抗議,抗議很多年了,就是一開始房子勉強只有住一年,這麼恐怖的房子一年已經很勉強了,她很兇悍,是把我們趕走,我爸也不知道去哪裡,找到宮廟廣澤尊王真的很厲害在媽祖廟旁邊的一個大樓裡面的小廟,她會怕,不過說實在的這個房子本來就是她家,我們幹嘛去請神去壓她,那是因為這一棟風水屋是裁員,後來才發現的風水不行而且她會影響到我們的生活作息,不得不去找宮廟幫忙,非常煩人,日本經過311大地震這樣的房子實在是太多了,921也是一樣,年糕,還有愛買廣場的收音機大陸奶娘唱歌,她說過什麼年,黑白年糕喔,烤燉鍋,我們還以為是紅白年糕呢,紅白繼續,所以那個愛買的門口啊帳篷實在是太久了,根本就不曉得有宮廟症候群的現象,止食症,超級不可思議的,這是什麼現象,全家就像調查局一樣,感覺像是免費的減肥門診,吃飯不再,暴飲暴食了,吃東西要思考食物的屬性,不要隨便亂吃
踩房子,踩休息,全家我們為什麼要聽你的,整團臭男生垃圾團,發現芹菜可以用,芹菜未必會幫你,阿罵😤男的是色,女的是錢,魯蛋霉友,不會耶,我們家看起來像中央銀行嗎 還有天外來一筆那個北方麵食館的北北在講話喔,惡魔不可能提拔,男女都一樣,講得很大聲,根本就不能拔,腦袋三條線,外省阿伯在罵人,聽扯,還有神奇香店,真的有神,結帳聞到濃濃檀香味,超不可思議陰陽兩界影響浮出檯面,房止多年吵散惹,菜市場香店,歸零,整知止驚,多少庭爭藏煩,佈逞離子
如果社會活動停止,大家都stand by,那種大工程就不用請人啊,大家停,思考,臭味大樓作息男生魂果然臭,魚肉動物,類似日出而作,日落而息的生活模式循環,大樓社區三年,泳池梗圖,89年台南學校還有一見跳水池的線,那是私人俱樂部的泳池,在遊泳池踩不到底啊,潛水下去看發現是深度極深跳水池,滿驚訝的,可訓練游泳,游仰式,自由式,不過電話爭,可能有不少人在跳水池溺水,就再也不去遊泳,我媽是水性還蠻好的,她都游蛙式,那只是家裡面講說睡飽一點比較重要,老爸說,早上去游泳耗體能,然後才在家裡睡覺,客人叫才包衣服,誇張是店主媽,媽後來很少去游了,她去年有提曾在泳池溺水,未知,我想起有一次顧店顧到9點就是等我媽,怎麼還沒回來她說大概8點或8點半就會來開店,大概就是那一天出狀況,不管怎樣後續,她就再也很少去游了,有一次我陪我媽去遊泳然後她有講說還有幾個遊泳的朋友是癌症病患,阿姨有來游看她的身材很好,讓我想到是不是吉得堡的家屬,瘦巴巴的身形都很像,日子就是這樣,平凡生活
😱大笑食物配,開心吃到掛,臭味相投大發現,四物丸加香菜,四物湯只能單天單吃
有沒有搞錯米奇也算人頭,米奇真的是找麻煩,造成困擾,現在還有一家四口的米奇還在我家呢,小隻拿走發現瘦巴巴鼠,還有一組米奇夫妻檔母鼠胖,公鼠瘦,還在家晃,這真是太離譜了,光每年掃墓季節就很怪,每次回南部老爸是當天來回直接省旅費還有買麻油跟傳統大餅,就很怪,鐘樓怪人,雲林水林寡婦村傳奇?怪發霉村落,現在老了,看大家還有沒有這樣來回跑
婚配嫁娶的問題,三教九流,吃,喝,嫖,賭,菸,酒,草包都不會有人要,我都覺得很奇怪這些人拖過年的太自以為是,而且裡面有很多家樂福根本就全部都不用啊,拖累拖過年的,還有答每垃批灑,把別人的手機當自己的圖庫使用誰要幫你找圖庫,別人手機又不是你的硬碟辦公室騙整年的,因為手機裡太多工程師擋路,草包直接複製其他人手機裡面的圖庫當作是自己的idea發想,所以那個NASA這條線才會這麼吵,折諜只是公務人員並沒有想像中這麼厲害,然後遷其他人的手機或者是電腦圖庫,當然是飆啦,所以大家停下來,誰要幫敵人的找圖庫找答案,批評假人草包,哪有這麼好事情辦公室,草包穩贏的,這麼可能不會吵,不過再說啦,政府在水庫裡面搞事,沒有過濾就全部都倒了,生活很漫長裡面是刪減人數,所以我們這條線吵上船已經很久了,我們不可能跟敵人一起住,倚敵扯住了阿罵,廟的後代也一樣,跟大家競爭,免作台語不可能,爭執滅絕施太,一路順暢有問題,沒有功德哪來的順暢,們是爭整,冷水坑批面
樓下隔壁鄰居的電動鐵門很像墓園的鐵門亞東保全,整社區顧塔專線,但是白蛇進塔不可能,閒聊迦裟扶起,渡劫難,驚訝修行衣服這麼有用,天天唸經文加持的衣服,會思考的靈魂感受家的默香
水庫沒有過濾,變相殺人,2022,23濾心一下子就操壞了,大家根本就不可能停留是因為醫師公會對面就是藥物,大家,生活就是平常,還有發現環境事物尤其是金木水火土會變,電影神通王已經播很久了寺廟應該是知道的
名字瑩,整墳,台北爭執感應器 發霉,名人節整名字,螢光色的衣服鞋子襪子都不用,遲頓久,墳的空間設計激怒很久,神景感應器吵超,2005聯芝同事姿瑩知到,我不會到耶 林整 靠她不可能??,我不知道啊,天外奇蹟的台詞,我來見我的偶像,我的偶像要了我的命,眼扯,離譜,突然想到這些電話線的起頭真的很離譜 連老闆的英文名都一樣,長相不一樣,但是台北真的超過了,每年拖過年的,每年都有天災人禍拖住了,然後每年都在講,我們如果不留下來救災的話,沒有人道考量2016地震,年年震,但是這三四年水質不好就不用了啊,水庫在搞事裡面是裁員,害濾心爆掉,害買濾心,賀眾牌飲水機店門口的濾心一堆垃圾就知道,們隱忍
還有那個沒有工作跑進來我家,站在我旁邊的這一群的垃圾用賴的,這樣就會有薪水的話,我是不會理你的,應該是各走各的路,這個整找不會,他馬的,耍賴,在家午休有妨害到你們嗎 雞掰台語
沒有人告知,全部自己想辦法,整爭每天都是自擠,東西方天空之神與陸地的人不和,查閱相關資料並仔細思考,神仙下凡修理人,不合邏輯,爭執藏砲面,大家分,分們霉分墳戎族
911的飛機,飛機上有衛星電話,是不是機師或者是飛機組員有交代,要問他們的家屬,8到10年美國已經買超過年限了,諜家和921,311地震都不用,年年災難,陰陽加裏蹲,有一年美國飛機的電話撥進來,它繼續講話,所以那個川普跟他太太是不是卡住了,除了家務事還有一個飛機的衛星電話,那個交代扯住了,所以那個空中廚房才會繼續啊,一堆的廚房用品,整吃的
還有2005年發現電話線,現在想一想喔,老師跟郭曉玲不行,整靈還有郭��玲她媽媽的晚禮服瘀青色還有郭的大嫂切魚肉談,有經濟能力為什麼不養人,電話裡面靈桌太多了,太驚屬,警察世家與刑案的家屬,整發財,難怪彎管在講這個問題,2016臥底老闆讓匯,這裡沒有錢盤是空的,更不用說台北在養毒販,無底洞,還有一堆折諜的公帑,我們才會罵人,夠了,大家不救台北戎爭超過而且我們不知道毒販求養紅白包都超過了,吃骨頭長大的一群垃圾,其他的店家是因為家裡面有買家電產品只是在談,人的面容會因為他的行為調整,以前看起來是公益慈善家,現在臉部好像被打到,整臉,大家就不見了,比爾蓋茲夫婦檔也是一樣,他太太有做慈善事業臉部線條就比較柔和,相由心生,每一家軟體公司都一樣,多兩三個指令又變成新的版本
6 😱我們才不管台北是不是打錯了,這想耍賴,哪有那麼好事情,把我家五個人當白痴,用誣賴的可以拖超過15年,🤔突然想到國中同學的名字,裡面是罵人覺得想笑😄,難怪大家往前門逃,🐷麻豆子火鍋送菜梯,省立桃園醫院有一樣的菜梯規格,全部對面十塊遞單子,擔心太多人了,很多未知數,火飆找麻煩一堆,原來是台南的書桌有問題,我不曉得耶,🧑🍳👄但是現在想想發現被丟包了,學姊的哥哥是警察局長,學姊應該是警局眼線整刑,女生宿舍人際關係對面,太不可思議了,89年的部分錢盤是爭執,未知,沒有金錢來往的親戚全部都拖進來吵超級離譜的🌶️,那是阿嬤私底下在吵,我不知道,我還是跟黃端轉租房子,因為扣除例假日還有回家的時間租不到一年,就算了還是住下來因為沒有看到合意的房子還有房東的表妹秀慧載我們去私人俱樂部的遊泳池遊泳,當時她是用公司的發財車,🤭🍇💪學生哪有想那麼多私人俱樂部就是有錢人家的遊泳池去遊泳只是說它是用跳水的標準規格蓋的,踩不到底,你就要一直往前游,很適合訓練遊泳選手🥦🍓🍒,這是學生時代的部分,⚓🫵🦐兩年前愛買結帳員說話她說十塊也要摺嗎,你問我,我還不知道遊戲規則咧 摺什麼
這兩三年我們家路口有一個年菜的車禍,年菜是散落一地,三千的姐妹團,年菜車禍苦主,愛買營業員,省桃的護士,國泰保險的櫃台講話扯住了,大陸妹家,整姐妹團驚呀,繞圈圈,這不知道她媽媽生幾個女兒都很像,重點就是大陸人講話會有問題
批評:沒有想到郵局是欺呆喔,這不曉得有多少家庭受害了,刪減人數,不曉得有多少人,因為倒霉號碼牌,倒霉號櫃台,趕時間整付費的,難怪今天一個人都沒有,不過今天是5月26號早上9點到十點,皆斷,都不會,天庭告狀的人越來越多了,眼扯,清潔由局四員,整劫,傻瓜也壓頭分們,921大地震像這樣的問題更多,更不用說還每年各各個國家都是地震,像這種情形太多了,陰陽加裏蹲,更不用講說發生戰爭的國家,大家早就逃離這個國家,國家是空殼
0 notes
Text
真人不露相,露相就走人(象山慶25.5.11) https://blog.udn.com/6ccc7d15/182458024
有人說:佛菩薩示現於世間,絕不自暴其身分,若已暴露(被揭發),立刻入滅;若還不走就可能是大妄語者,招搖撞騙。如永明(延壽)大師,是阿彌陀佛再來,但身分暴光,就入滅。「真人不露相,露相非真人」,諸佛菩薩、祖師大德如是示現,讓那些冒充的人不得其便。
上引之教理根據,乃《楞嚴經》卷六<四種清淨明誨>:
若大妄語,即三摩地不得清淨,成「愛見」魔,失「如來」種。所謂「未得謂得,未證言證」,或求世間尊勝第一,謂前言人:「我今已得須陀洹果、斯陀含果、阿那含果,阿羅漢道、辟支佛乘、十地地前諸位菩薩。」求彼禮懺,貪其供養。是一顛迦(icchantika,一闡提),銷滅佛種,如人以刀,斷名羅木,佛記是人,永斷善根,無復知見,沈三苦海,不成三昧。
我滅度後,敕諸菩薩,及阿羅漢,應身生彼末法之中,作種種形,度諸輪轉。或作沙門,白衣,居士,人王、宰官、童男、童女,如是乃至淫女、寡婦、姦偷、屠販,與其同事,稱讚佛乘,令其身心,入三摩地。終不自言:我真菩薩,真阿羅漢,泄佛密因,輕言末學。唯除命終,陰有遺付。云何是人,惑亂眾生,成大妄語?汝教世人,修三摩地,後復斷除諸大妄語,是名如來先佛世尊,第四決定清淨明誨。
是故阿難,若不斷其大妄語者,如刻人糞,為旃檀形,欲求香氣,無有是處。我教比丘,直心道場,於四威儀,一切行中,尚無虛假,云何自稱,得上人法?譬如窮人,妄號帝王,自取誅滅,況復法王,如何妄竊?因地不真,果招迂曲,求佛菩提,如噬臍人,欲誰成就?若諸比丘,心如直絃,一切真實,入三摩地,永無魔事。
宋.子璿《首楞嚴義疏注經》:
真聖利物,終不可測,以承佛制,不妄漏泄,此聖真因,唯聖自證,故云密因。未學之前,不可輕說,陰有遺付者,不顯稱也。此開臨終,密有表示,遺囑弟子,如求那屈指事。
《楞嚴義海》:
非公然惑眾,但私示於人耳。南嶽之言鐵輪,天台之示五品[1],功德鎧說偈[2],真觀師屈指[3],即其事焉。
《楞嚴經觀心定解》
然此猶言此生親證,若文殊普賢之化為寒山拾得,戒師/七娘[4],方是應身生此末法也。……求那跋摩,此云功德鎧,宋文時死,反屈二指,表證二果;真觀居錢塘下天竺,隋文帝時死,反屈三指,表證三果。
《印光法師文鈔》與泰順林枝芬居士書二:
自古高僧,或古佛再來,或菩薩示現,然皆常以凡夫自居,斷無說我是佛、是菩薩者。故《楞嚴經》云:……而智者大師,實是釋迦化身。至臨終時,有問所證位次者。答曰:「我不領眾,必淨六根。損己利人,但登五品。」是仍以凡夫自居也。五品者,即圓教觀行位,所悟與佛同儔,圓伏五住煩惱,而見惑尚未能斷。智者臨終,尚不顯本。意欲後學勵志精修,不致得少為足,及以凡濫聖耳。今之魔徒,妄充得道者,乃壞亂佛法,疑誤眾生之大妄語人。此大妄語之罪,甚於五逆十惡百千萬倍。其師其徒,當永墮阿鼻地獄,經佛剎微塵數劫,常受極苦,末由出離。何苦為一時之虛名浮利,膺長劫之慘罰酷刑?名利惑人,一至於此[5]。
守培師《楞嚴經妙心疏》:
佛敕菩薩、羅漢,應生世間,作種種形,渾跡一切世間,用心不在謀利,而在稱讚佛乘,熏習善種,令彼身心入三摩地,無須自說是菩薩、是羅漢也。是故菩薩住世,終不自言是菩薩,洩漏佛之密因也。(事形未張前,曰密因;預先言之,曰洩漏)。
海仁師《楞嚴經講記》:
始終不肯自言:我是真菩薩,或真阿羅漢,以泄漏佛之祕密;……「諸聖應世,住則不泄,泄則不住。故除臨終捨報,暗中遺言付囑外,絕不自認菩薩再來,或佛應世」。妙心云:「陰有遺付者:此亦為道之計,為無知之人,不識聖賢之言行可貴,以臨終暗暗表示,令人感覺,其人雖逝,追想其所言所行,必生尊重,為世之軌範。菩薩住世,雖至臨終,祇略露其鋒,猶不明言」。智者大師,實是釋迦化身,至臨終時,有問所證位次者,答曰:「我不領眾,必淨六根;損己利人,但登五品」,是仍以凡夫自居也。……智朗請云:「伏願慈留,賜釋餘疑,不審何位?沒此何生?誰可宗仰?」報曰:「汝等懶種善根,問他功德,如盲問乳,蹶者訪路,告實何益?……吾不領眾,必淨六根;為他損己,只是五品位耳。……」五品者,即圓教觀行位,所悟與佛同儔,圓伏五住煩惱,而見惑尚未能斷。………六根清淨,是相似即佛,圓教十信、內凡位也。
依《楞嚴經》所開示、古今各家之注釋,及所舉豐干+寒山+拾得、南嶽慧思+天台智者、永明延壽、求那跋摩、杭州真觀等大師「真人不露相,露相就走人」[6]的實例,於理於事,皆足以證明。如吳思飛《佛學概要十四講表述記》不妄語戒:
或問「今時有人自言是某佛、某菩薩再來,如何辨其真偽?」
答:「以戒/教勘驗,真偽立辨。……佛入滅後,遣菩薩、羅漢,應現末法時代,以各種不同身分,與各種眾生同事,度眾生入佛道。然決不自洩露身分,輕言於後學。除非臨終或命終之後,暗有遺付,以示於人,而此亦婉轉洩之,絕無公灼惑眾者也。茲舉例說明:如華嚴宗初祖杜順和尚,乃文殊菩薩所應現[7]。……又如天臺山國清寺之寒山,乃文殊菩薩化身,拾得乃普賢菩薩化身,豐干乃阿彌陀佛化身;皆於洩露身分後,立即離去化去,不復住世矣!」
古代皆如此,今亦不例外;若有人為貪名聞利養而大妄語,自稱「佛菩薩(化身)再來」,而廣聚徒眾,公開的散播邪見、印可(授記)果位,不僅自造惡業,也誤人慧命。勸彼詳讀《楞嚴經》,以此佛法的「照妖鏡」[8]返照自他的原形,若有違犯大妄語戒,應立即依法懺悔,免致「永斷善根,沈三苦海」而後悔不及。
[1]慧思禪師的證果「鐵輪位」,就圓教階位,已到十信,「見/思」惑俱斷,乃至界內/外「塵沙」惑亦斷。智者大師是再來人, 慧思禪師印證他所入是「法華三昧」前方便,而他所開發、體證的,是「初旋陀羅尼」,於佛所說法門,皆能圓滿具足、靈活運用,沒有障礙。證得圓教的「觀行即佛」—「五品」觀行位,比慧思禪師所證略遜一籌。
[2]臨終遺文,偈頌36行:前頂禮三寶 淨戒諸上座 濁世多諂曲 虛偽無誠信 愚惑不識真 懷嫉輕有德 是以諸賢聖 現世晦其跡 我求那跋摩 命行盡時至 所獲善功德 今當如實說 不以諂曲心 希望求名利 為勸眾懈怠 增長諸佛法 大法力如是 仁者咸諦聽 我昔曠野中 初觀於死屍 膖脹蟲爛壞 穢膿血流 繫心緣彼處 此身性如是 常見此身相 貪蛾不畏火 如是無量種 修習死屍觀 放捨餘聞思 止林樹間 是夜專精進 正觀常不忘 境界恆在前 猶如對明鏡 如彼我亦然 由是心寂靖 輕身極明淨 清涼止是樂 增長大歡喜 則生無著心 變成骨鎖相 白骨現在前 朽壞肢節離 白骨悉磨滅 無垢智熾然 調伏思法相 我時得如是 身安極柔軟 如是方便修 勝進轉增長 微塵念念滅 壞色正念法 是則身究竟 何緣起貪欲 知因諸受生 如魚貪鉤餌 彼受無量壞 念念觀磨滅 知彼所��處 從心猨猴起 業及業報果 依緣念念滅 心所知種種 是名別相法 是則思慧念 次第滿足修 觀種種法相 其心轉明了 我於爾焰中 明見四念處 律行從是竟 攝心緣中住 苦如熾然劍 斯由渴愛轉 愛盡般涅槃 普見彼三界 死焰所熾然 形體極消瘦 喜息樂方便 身還漸充滿 勝妙眾相生 頂忍亦如是 是於我心起 真實正方便 漸漸略境界 寂滅樂增長 得世第一法 一念緣真諦 次第法忍生 是謂無漏道 妄想及諸境 名字悉遠離 境界真諦義 除惱獲清涼 成就三昧果 離垢清涼緣 不涌亦不沒 淨慧如明月 湛然正安住 純一寂滅相 非我所宣說 唯佛能證知 那彼阿毘曇 說五因緣果 實義知修行 名者莫能見 諸論各異端 修行理無二 偏執有是非 達者無違諍 修行眾妙相 今我不宣說 懼人起妄想 誑惑諸世間 於彼修利相 我已說少分 若彼明智者 善知此緣起 摩羅婆國界 始得初聖果 阿蘭若山寺 道跡修遠離 後於師子國 村名劫波利 進修得二果 是名斯陀含 從是多留難 障修離欲道 見我修遠離 知是處空閑 咸生希有心 利養競來集 我見如火毒 心生大厭離 避亂浮於海 闍婆��林邑 業行風所飄 隨緣之宋境 於是諸國中 隨力興佛法 無問所應問 諦了真實觀 今此身滅盡 寂若燈火滅
[3] 《武林梵志》: 隋開皇十五年有僧真觀者,錢塘人,操行高潔,掌有仙文。《續高僧傳》卷30<真觀(隋杭州靈隱山天竺寺)>:端坐怡然,不覺已滅逝於眾善之舊寺,從子至午,心頂俱暖,身體柔軟,顏色不變,右手內屈三指。
[4] 淳熙年間,文殊菩薩應身為兜率寺戒闍黎時,普賢菩薩亦同時化身為周氏女,排行第七,人皆稱她周七娘。生時便有種種神異,長大后不肯嫁人,每天行乞於市,晚常宿於普濟橋下,常與戒闍黎在一起,妙行莫測。時人不解,笑為瘋婆。後有聖者歌曰:『戒師文殊,周婆普賢,隨肩搭背,萬世流傳。』後人始知是菩薩應世。
[5] 蕅益師(寒笳集):「倘名關未破,利鎖未開,藉言弘法利生,止是眼前活計。一點偷心,萬劫纏繞。」
[6] 《西遊記》99回:「自古道:真人不露相,露相不真人。」
[7]賢首宗杜順(557-640)神通事蹟甚多,亦能治病;相傳為文殊菩薩之化身, 贈弟子偈:「遊子漫波波,台山禮土坡;文殊此便是,何處覓彌陀!」。所著《法界觀門》中提出的法界三觀,包括真空觀、理事無礙觀、周遍含容觀成為後來《華嚴經》法界觀的思想基礎。
[8] 宣化上人云:《楞嚴經》是佛教照妖鏡,所有天魔外道、魑魅魍魎,見到《楞嚴經》都現原形了,無所遁形。在過去,智者大師聽說有這部經,就向印度遙拜了十八年,懇切至誠的求這部經到中國來。
0 notes