#型友禅
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9月の終わりに着物を着る予定なので、コーディネートを考えてみたよ!晴れますように!
半衿は墨流し。着物がシンプルだから、花柄とかでもいいかなと思ったんだけど、こちらの方が合う感じでした。この半衿は、もう何年も前に染め体験で作ったの。もちろん初めてやったし、思ったようにできなくて残念な気持ちだったの。ピンクが出過ぎなのよ!でもちょうど水色が着物と合ってる。
帯はかわいいお花柄。テーマは香風花だって。それにあわせて、蝶柄の帯留め。こちらはアンティークの薩摩ボタンを帯留めにしたものです。帯締めは真っ黒じゃなくて少しだけシルバーになってて、それが濃い色一色よりもいい感じでした。帯揚げもその少しだけのシルバーにあわせてシルバーで、着物の矢絣の一色ともあうかな。
そして、海老柄の長襦袢〜。見せたいくらい。と思って、表に出して撮影(๑˃̵ᴗ˂̵)元々は羽裏柄として描いたものらしい。京都の型友禅です。
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[book design]
ピーター・J・マクミランさん著『英語で古典:和歌からはじまる大人の教養』のデザインをしました。カバー、本文ともに京都・三好染工株式会社の友禅染型を使用。配色は楽しさと上品さを兼ね備えた印象になるよう、日本の伝統色を参考にしています。
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『英語で古典:和歌からはじまる大人の教養』
著者:ピーター・J・マクミラン
編集:河野通和
編集補助:麻田江里子
カバー・本文型紙:三好染工株式会社
デザイン:ササキエイコ
発行:KADOKAWA
印刷・製本:TOPPANクロレ株式会社





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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF QIN SHI HUANG
的是不我一有大在人了中到资要��以这个你会好为上来就学交也用能如文时没说他看提那问生过下请天们所多麽小想得之还电出工对都机自後子而讯站去心只家知国台很信成章何同道地发法无然但吗当於本现年前真最和新因果定意情点题其事方清科样些吧叁此位理行作经者什谢名日正华话开实再城爱与二动比高面又车力或种像应女教分手打已次长太明己路起相主关凤间呢觉该十外凰友才民系进使她着各少全两回加将感第性球式把被老公龙程论及别给听水重体做校里常东风您湾啦见解等部原月美先管区错音否啊找网乐让通入期选较四场由书它快从欢数表怎至立内��目望认几社告更版度考喜头难光买今身许弟若算记代统处完号接言政玩师字并男计谁山张党每且结改非星连哈建放直转报活设变指气研陈试西五希取神化物王战近世受义反单死任跟便空林士台却北队功必声写平影业金档片讨色容央妳向市则员兴利强白价安呵特思叫总办保花议传元求份件持万未究决投哪喔笑猫组独级走支曾标流竹兄阿室卡马共需海口门般线语命观视朋联参格黄钱修失儿住八脑板吃另换即象料录拿专远速基帮形确候装孩备歌界除南器画诉差讲类英案带久乎掉迷量引整似耶奇制边型超识虽怪飞始品运赛费梦故班权破验眼满念造军精务留服六图收舍半读愿李底约雄课答令深票达演早卖棒够黑院假曲火准百谈胜碟术推存治离易往况晚示证段导伤调团七永刚哥甚德杀怕包列概照夜排客绝软商根九切条集千落竟越待忘尽据双供称座值���产红跑嘛园附硬云游展执闻唱育斯某技唉息苦质油救效须介首助职例热毕节害击乱态嗯宝倒注停古输规福亲查复步举鱼断终轻环练印随依趣限响省局续司角简极干篇罗佛克阳武疑送拉习源免志鸟烦足馆仍低广土呀楼坏兵显率圣码众争初误楚责境野预具智压系青贵顺负魔适哇测慢怀懂史配呜味亦医迎舞恋细灌甲帝句属灵评骑宜败左追狂敢春狗际遇族群痛右康佳杨木病戏项抓徵善官护博补石尔营历只按妹里编岁择温守血领寻田养谓居异雨止跳君烂优封拜恶啥浪核聊急状陆激模攻忙良剧牛垒增维静阵抱势严词亚夫签悲密幕毒厂爽缘店吴兰睡致江宿翻香蛮警控赵冷威微坐周宗普登母络午恐套巴杂创旧辑幸剑亮述堂酒丽牌仔脚突搞父俊暴防吉礼素招草周房餐虑充府背典仁漫景绍诸琴忆援尤缺扁骂纯惜授皮松委湖诚麻置靠继判益波姐既射欲刻堆释含承退莫刘昨旁纪赶制尚艺肉律铁奏树毛罪笔彩注归弹虎卫刀皆键售块险荣播施铭罗汉赏欣升叶萤载嘿弄钟付寄鬼哦灯呆洋嘻布磁荐检派构妈蓝贴猪策纸暗巧努雷架享宣逢均担启济罢呼划伟岛歉郭训穿详沙督梅顾敌协轮略慧幻脸短鹰冲朝忍游河批混窗乡蛋季散册弃熟奖唯藏婚镜紧猜喝尊乾县伯偏偷秋层颗食淡申冠衣仅帐赞购犯敬勇洲束斗徒嘉柔绩笨拥漂狮诗围乖孤姓吸私避范抗盖祝序晓富译巨秀馀辉插察庆积愈端移宫挥爆港雪硕借帅丢括挂盘偶末厅朱凡惊货灭醒虚瑞拍遗忠志透烈银顶雅诺圆熊替休材挑侠鸡累互掌念米伴辅降豪篮洗健饭怜疯宏困址兮操临骗咧药绿尼蔡玉辛辈敏减彼街聚郎泡恨苏缩枢碰采默婆股童符抽获宇废赢肯砍钢欧届禁苍脱渐仙泪触途财箱厌籍冰涛订哭稳析杰坚桥懒贤丝露���危占茶惯尘布爸阶夏谊瓶哩惨械隐丰旅椰亡汽贝娘寒遭吹暑珍零刊邮村乃予赖摇纳烟伦尾狼浮骨杯隔洪织询振忽索惠峰席喵胡租款扰企刺芳鼠折频冒痴阴哲针伊寂嘴倚霸扬沉悔虫菜距复鼓摩郑庄副页烧弱暂剩豆探耐祖遍萧握愁龟哀发延库隆盟傻眉固秘卷搭昭宁托辩覆吵耳閒拨沈升胖丁妙残违稍媒忧销恩颜船奈映井拼屋乘京藉洞川宪拟寝塞倍户摆桌域劳赚皇逃鸿横牙拖齐农滚障搬奶乌了松戴谱酷棋吓摸额瓜役怨染迫醉锁震床闹佩牠徐尺干潮帽盛孙屁净凯撞迴损伙牵厉惑羊冬桃舰眠伍溪飘泰宋圈竞闪纵崇滑乙俗浅莲紫沟旋摄聪毁庭麦描妨勒仪陪榜板慕耀献审蟹巷谅姊逐踏岸葛卧洽寞邦藤拳阻蝎面殊凭拒池邪航驱裁翔填奥函镇丌宽颇枪遥穹啪阅锋砂恭塔贺魂睛逸旗萨丸厚斋芬革庸舒饮闭励顿仰阁孟昌访绪裕勿州阐抢扫糊宙尝菩赐赤喊盗擎劝奋慈尽污狐罚幽准兼尖彰灰番衡鲜扩毫夸炮拆监栏迟证倾郁汪纷托漏渡姑秒吾窝辆龄跌浩肥兽煞抹酸税陷谷冲杜胸甘胞诞岂辞墙凉碎晶邱逻脆喷玫娃培咱潜祥筑孔柏叭邀犹妻估荒袋径垃傲淑圾旦亿截币羽妇泥欺弦筹舍忌串伸喇耻繁廖逛劲臭鲁壮捕穷拔于丑莉糟炸坡蒙腿坦怒甜韩缓悉扯割艾胎恒玲朵泉汤猛驾幼坪巫弯胆昏鞋怡吐唐悠盾跃侵丹鑑泽薪逝彦后召吕碧晨辨植痴瑰钓轩勤珠浓悟磨剪逼玄暖躲洛症挡敝碍亨逊蜜盼姆赋彬壁缴捷乏戒憾滴桑菲嫌愉爬恼删叹抵棚摘蒋箭夕翁牲迹勉莱洁贪恰曰侨沧咖唷扣采奔泳迹涯夺抄疗署誓盃骚翼屠咪雾涉锺踢谋牺焦涵础绕俱霹坜唬氏彻吝曼寿粉廉炎祸耗炮啡肚贡鼻挖貌捐融筋云稣捡饱铃雳鸣奉燃饰绘黎卷恢瞧茫幅迪柳瑜矛吊侯玛撑薄敦挤墨琪凌侧枫嗨梯梁廷儒咬岚览兔怖稿齿狱爷迈闷乔姿踪宾家弘韵岭咦裤壳孝仇誉妮惧促驶疼凶粗耍糕仲裂吟陀赌爵哉亏锅刷旭晴蝶阔洩顽牧契轰羞拾锦逆堕夹枝瓦舟悦惹疏锐翘哎综纲扇驻屏堪弥贯愚抬喂靖狠饼凝邻擦滋坤蛙灾莎毅卒汝征赠斗抛秦辱涂披允侦欲夥朗笛劫魅钦慰荷挺矣迅禅迁鹿秤彭肩赞丙鹅痕液涨巡烤贱丈趋沿滥措么扭捉碗炉脏叔秘腰漠翅余胶妥谣缸芒陵雯轨虾寸呦洒贞蜂钻厕鹤摔盒虫氛悄霖愧斜尸循俩堡旺恶叉燕津臣丧茂椅缠刑脉杉泊撒递疲杆趁欠盈晃蛇牡慎粒系倦溜遵腐疾鸭璃牢劣患祂呈浑剂妖玻塑飙伏弊扮侬渴歪苗汗陶栋琳蓉埋叡澎并泣腾柯催畅勾樱阮斥搜踩返坛垂唤储贩匆添坑柴邓糖昆暮柜娟腹煮泛稀兹抑携芭框彷罐虹拷萍臂袭叙吻仿贼羯浴体翠灿敲胁侣蚁秩佑谨寡岳赔掩匙曹纽签晋喻绵咏摊馨珊孕杰拘哟羡肤肝袍罩叛御谜嫁庙肠谎潘埔卜占拦煌俄札骤陌澄仓匪宵钮岗荡卸旨粽贸舌历叮咒钥苹祭屈陋雀睹媚娜诱衷菁殿撕蠢惟嚣踊跨膀筒纹乳仗轴撤潭佛桂愤捧袖埃壹赫谦汇魏粹傅寮猴衰辜恳桶吋衫瞬冻猎琼卿戚卓殖泼譬翰刮斌枉梁庞闽宅麟宰梭纠丛雕澳毙颖腔伫躺划寺炼胃昂勋骄卑蚂墓冥妄董淋卢偿姻砸践殷润铜盲扎驳湿凑炒尿穴蟑拓诡谬淫荡鼎斩尧伪饿驰蚊瘟肢挫槽扶兆僧昧螂匹芝奸聘眷熙猩癢帖贫贿扑笼丘颠讶玮尹詗柱袁漆毋辣棍矩佐澡渊痞矮戈勃吞肆抖咳亭淘穗黏冈歧屑拢潇谐遣诊祈霜熬饶闯婉致雁觅讽膜挣斤帆铺凄瑟艇壶苑悬詹诠滤掰稚辰募懿慨哼汁佬纤肃遨渔恕蝴垫昱竿缝蹈鞭仆豫岩辐歹甄斑淹崎骏薰婷宠棵弓犬涂刹郁坎煎螺遮枯台昔瘾蒂坠唔瞎筝唇表吁冤祷甩伞酱范焉娇驼沦碳沾抚溶叠几���涌氧弦娱皓奴颓嘎趟揭噹剥垦狭魁坊盐屎郝佩摧栗菊瘦钧匿砖嘘缚嘟盆债霞挽逍畔蕴颈获畏喂脾姬赴囊噪熄锡诀肇璋晕浊伐峡窃枕倘慌垮帕莹琦厢渺脏削锣虐豔薇霉衍腊喧娶遂睁裙韦矢伺钉婴蓄奸廿堵葬蓬鸦尝挨蕾璿挚券厨醇呻霍剃浆葡暨滨履捞咕耕棉烁尉艰妓棺鹏蒸癌纬菌撇惩绑甫崩魄拂汰氓歇萝呒萄蕃曝疋向胏烛腻襄妆髓朴薯颂薛滩橘贰嘲叹枚侮豹巢酬碑翩蚕辽矿屡谴卵撰攀肌冯宴盏阪浦迦颁炼尬胀辟艘株只湘饲爹梨喽侍疫雕黯并铝弗爪鄙钗栽狸谘柄悸喉擅劈秉芷裸锵贾逗寓咚璞烫铅啸炳屿竖惶仕挪栅迄顷窄鸥鲢郊倩兜茧磊抒夷绰溯拙僚芙杖溃凶鸽妒沌祺呐卦聆栖蝇佮唾汇楣匠蛛悼舜耿瞄芋瞒竭茵吼苛浸拯克豆沛掠廊凸搅俺酌倡朦蕉暱焕掏蝉焰狄绳惰芽裹宛御赎燥滔贬悍袂坟颉啤押尴颤钝腥缔粮哑槟簿斧肿纶僵齣辖蹲敷喘扎酿佑肖愈隧嗜檬迳碌襟凋圭寇污哨倪筠桦诈姜旬秃脂噢撼衅庚炫谭惭涩崔贷胡晒琉捏绮膝拭暗醋膨杠鑫瀑喃剖袜逾涅扳惘凳呃掘捍榔窍蜗旷梵暇稻柠抉辗蔚钩卜莺匡蜘祯哔窟亟谛溢黛晦伶逮傍葱刁堤恍匣谍禧轿耸瀚斐忿泓拐驴罕沫绽刃窈渝仄瑛葵噜绣奕窥浏隶蔽仟敛丞诘鳖疤膏锥窕皱晰晖舅孰煽姚钞袱绊焚芦咸沮呕瞪淳丐茹盘菱篠涕衬蚀溉瑄翟怠钰躯肺掷丑奢荫靶纱芸佰峻阱哄肾庄囡阑戳腕菸凹蟾蒐呱巾雏螃盯馈垄毓犀逞姨穆樵阀弥跷搁隙疵憧忏琨阙萱怅辄搏榕饥捣渣眺虞俯绅谤珑咫俏淆蜀楠乞诅匀貂寰迋敞跪囚溺骆憬苇脊瑶疆乍杆眸窜孽卅夭簧徘馒趴鎚啼冗缉絮啄沸萃嘶鸳禽惫徨屐舆邂掀嫖苟檯矫铎棱哗徊拱蕙徬滞吠妞氾芹叩朽侪赦汐丰虔茅棠仑膳魉儡鸯懦渗邵筱畜崖瑕蕊��擒挂屯莽矽侏弧澈饺奎裘塌饵偎泻蔓彗樽衔茍磋萎廓悯铸茎歼壤浇蚤恃瞻拚汀椒嚼粥磅佫勘脖吨澜锻笙厄嚷伽徽隅寥缤簾烘茜驯噎厦闰煤链锈诫颊俐曳蓓暧郤淌喀昆蔑峙躁菇逅雇殴泌酥缮莓辕骇巍糗扛杏茁琵礁秽岔僻焊嗡诵瞌捌遁赃涡琮卯锯扔苏邹莅隘蹋湛昼岫蛰桩藐汲禄皂濑绒耽粪粤卤曜懋咎痘聂垢瞳闵睿跤鉴躬斟淇莒毯幸骋岱庐殃橄恤叽鳞蒙芥榄楷硫苔麒椎禹喙厘袅亥倌吭诃裔梓蓦岩帜瓣狡惕蒙怯嫩龚嚎豚埠暸唆妃瓢蹄厮讥啃琶愿噱狷搪氢橙咆靡砌筷兑溼呸镀踹冢祟懈术搓攸橡膛俞祉冀炊瓷遐揽鹭茄蜢塘郡韬挟牟糙阎旻赘霆呎炭霄媳瘤猿颺煚铠蝠钜苓傀烬墅璇困愣恬嫉琐嫂淼梳憎搂藻酵屉陡摺箫飨桐蚱曦璧偈蹦昶咙铮嗤戌屌耘裳啾嵘胺笃烹巩厝疚鸶汹蔷沐咽烙畸讳揍曙铐朔涓睬矶岐凄鲫楞鲤荆偕徜饥肮蔼辙恁霈诛鞠茉煜傭嗓酹昙铨艳绷峨揉珈鹃诲臆焰隽熔堇韧扒憨舵肛戊坝抠骷碘鞍冕榨肘羔哺霓巳铲蚵惆驹撷稽羹纺蜕趾吊豁褪癸眨臻慷蝙胧沼舱柚抨葭枷靥硝绚绞缆讪褚砗嫣蒲丫鹦蒹憩懊聋盎婊盔峦矜凛铺鹉蜴惚畴羁媛堑泛疮韶憋祁诟搔蜥袒奄忱玖拌悴祠扼髅筑蛤茱骐捶须亢葔艸筛岳岳慵戮跎砰仑炜篱笈瘫吏痊庶厥棘娑沁窘鲸缕硷俨栈蔬鸠闲迢恣昀泠涟眩噫娥荼鳄镖侃虏俾樟榴咛炬窦笠翱莘躇翡姜枭匕藩徉觞拣吱皈墉傌梢巅踌萌幌杭侥栾奠痲夸瘖芯蟀驿耨禾瑾
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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2015年 06月 14日
作務と原点と坐禅七炷目
「アトリエ・真観写房」は、なんちゃって雲水の侘しい庵。他者から見れば、なんちゃってだが、本人的には大真面目である。真観は、自身の人生を"なんちゃって"で良しとしている。「真観」とは、禅寺の座禅会に通っている時に授かっ戒名。真観写房の「写」は、写真を意味し「真」は、真観の名前と写真から。「房」は、庵の意味と母の名前、房枝の一字から。
英語では、 「ShinkanSyabō Hermitage」 としている。
真観は、今日も庭の掃除と部屋の整理整頓に精を出した。庭の掃除は、雲水の作務だ。作務をしていると隣家のご主人が『頑張るねぇ』と声をかけて来る。名も分からない樹の枝を剪定バサミで斬っていた時だった。確かに真観の働きっぷりには感心すると自画自賛。好きなことには何の躊躇もなく時間も忘れる。
昨日、ホームセンターで買ってきた赤レンガ12個を「コ」の字型に並べて花壇を作った。この花壇は、縁側の左横に元々あった花壇と同じスタイルにした。縁側を挟みシンメトリーにしたのだ。地面を均して赤レンガをただ置き並べただけだ。花壇に何を植えるのがは、まだ未定。
今日は、難儀な作業をした。ハードだった。腰を痛めない様に気をつけた。庭の一角に山積みされていた朽ちた樹々を処分して、残されたのは巨大な石だった。それをなんとか移動しようと思っていたがビクともしない。今度誰かがアトリエに来訪してくれたら手伝って貰おうと思っていた。
しかし、ここは、真観の性格だか早くなんとかしたい。真観は、せっかちだ。それでも1人では出来ないこともある。 真観、庭にあるその石を何日も眺めていた。せっかちをこくしようと日々努力はしている。
『うーむ、機は熟したぞ。もう一度やってみよう!』
ちょうど御誂え向きに木の杭が見つかった。それを利用してテコの要領で動かせてみよう!石は、かなり重かったが少しずつ揺らして移動させる。腰を"やったら"おしまいだ。真観は、細心の注意を払った。
そして、その石は、真観の願いが叶い移動させることが出来た!
よくやった!真観。
ステレオセットが置いてある場所は、仕事部屋の床の間にある。その壁は今まで何も手を加えてなかったが今日写真を飾った。その写真は、真観が写真に興味を持った原点の写真たち。10代の頃、好きなロックのスターの写真を部屋に飾りたかった。幼なじみの友人Tが『複写すればいい』と真観に写真の複写を教えてくれた。それを覚えると夢中になって複写を���た。(ブログのプロフィール写真)その複写した写真のネガを友人が引き伸ばしてパネルにしてくれていた。今思えば、印画紙は、バライタ紙だ。
友人Tには、感謝している。 「写真」と出会わせてくれてありがとう!と。
真観は、それらの写真パネルを床の間に飾った。真観は、満足感に浸った。
昨日、廊下の壁に飾った「Portraits of Serbia」の写真だが、他にも数点写真(額入り)が残っていた。アトリエにある「Portraits of Serbia」の全て写真をこの廊下の壁に飾ろう!そう思うといてもたってもいられない。夜だったがハンマーで釘を叩く。幸い隣家は、道を挟んで離れている。
YouTubeでドラマ「前略 おふくろ様」を観る。母は、いつも言う。『1番嬉しいのは手紙を貰うこと』と。贅沢をしない母らしいと真観。真観は、ドラマを観ながら母のことを想った。
母に手紙を出そう。それも定期的に。電話と交互がいいかも知れない。電話で話す、手紙を書く、電話で話す、手紙を書く。
布団に入る前に坐禅を1炷。薄暗い闇夜を半目で見つめながらの坐禅だった。
昨日見たとんでもない光景は、今日も健在。さてどうしよう?
AND SO THE DANCE GOES ON ・・・ ダンスは続く。
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【結城市 結いのおと】◎活動報告

4月19、20日の2日間、結城市で開催された街なか音楽祭『結いのおと』にて、会場の一つとなった孝顕寺様で写経や坐禅のブースを担当させていただきました。
『結いのおと』は、結城市を舞台にした回遊型の音楽祭です。
神社仏閣や酒蔵などをライブ会場に利用し、街に新しい価値観を与えるイベントとして回を重ねる毎に話題になっております。
その会場となった曹洞宗孝顕寺様にて、坐禅堂に坐る「坐禅体験」や、般若心経の一文字を写経していただく「一文字写経」を行いました。
お友達や家族を連れて坐禅をされた方、初めての方、子供の頃ぶりの方、いろんな方々がこの2日間坐禅体験をされました。
一文字写経は、幅広い年齢の方々にご好評いただきました。
久しぶりに筆を握った方も多かったようで、1文字ながら皆様丁寧に丁寧に書かれていたお姿が印象的でした。
完成したものを見ると、文字の上手いも下手もなく、どの字も味わい深いものです。
また、般若心経が完成してからは、お経の結びとして、結いのおとにちなみ、「結」を書いていただき、願いごとや、戒めごとをお預かりさせていただきました。 後ほどお預かりした願いや戒めを御祈祷させていただきます。
ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。
来年もお会いしたいですね。 参加させていただき、私たちもとても楽しかったです。
このような機会をいただいた孝顕寺様、結いのおとスタッフの皆様 ありがとうございました。









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Her Majesty
-2032年、北マリアナ諸島上空
私は、1992年に生まれた。そのことについて話そうと思う。出生した時点の名前は、伊藤一茂。現在39歳。神奈川県海老名市出身。2011年に早瀬田大学に入学するまでは、住居を変更したことがない。父方の祖父母が福島県に住んでおり、毎年特殊な事情がない限り、お盆と正月には福島市内の閑静な住宅街、といっても県内はおろか市内でも最高に地価の高い地域である繁華街にほど近い北側の豪華な、そして巨大な一軒家に帰省していた。その家は灰色の木造住宅で大人になってからも何度も夢に見る事になった。2011年に東北地方を襲った東日本大震災の後もその家屋は健在だったが、夢に出てくるその家は不思議なことに楼閣の風前の灯にしか思えなかった。現実と関係ない。何度もその家が津波に流される想像をしたし、それはおそらく妄想だった。皇室に関わる妄想だ。それが法的事実。日本人は古事記に赤ちょうちんのようなタナトスを見込み、海水に対しても似たような高揚をまなざす。そのようなことを早瀬田大学の法学部で教わったのだから、たしかに地震の影響を受けたのは私の父方のルーツだけではなかった。大学のキャンパスがテレビニュースの甚大な破壊を伝える映像によって突き動かされた。謝罪しなくては。そのような巨大な津波の映像はそのうち教育機関やマスコミにとって事前の注意が付されるものとして扱われた。コンセンサスが整えられた。しかし懺悔室や教会は視覚的に検閲されない。私の事もあやしいインターネット掲示板のようなものだと認識してほしい。「わたしの名前はキャシー・H。いま三十一歳で、介護人をもう十一年以上やっています。」。
そのようなわけで、私は東北地方に対する思い入れと、アイデンティティーの所在があるのだが、東北に関するある種���誤解を解いておきたい。それは東北地方に対する戦前の民俗学への直接的な、ないしは、危険な接続への危険性である。柳田がフィールドワークで訪れた東北はコンリート舗装もされていない明治期の寒村であり、2030年に成立、施行した「夜間及び特別非常時における風営禁遏(きんあつ)法」のような過剰とさえ呼べる歓楽取り締まり法規もなかったので、そもそも売春行為も博打も禁止されていなかった、とさえ言える。そこからはよりフレキシブルな戒律の範疇になる。ところで、そのような、ゆるい統治システムである幕藩体制の中でアドホックに法を運営管理しなおかつ本物の海賊間違いなく訪れていた海岸地域厳密にはリアス式海岸のような視覚的に抽象的な形状を持つ海岸線があれば、人々は何を思い、何をよすがに治安維持活動と呼ぶべき本来の意味の地方自治と風紀活動にかかずらうかという、平たく言えば政治的配慮の欠如した理論形成が柳田の業績には重くのしかかっている。すなわちドイツ的ロマン主義者なのだ。これは聖書に書いてあることをそのまま信じるか、という子どもだましの愚問に似ていなくもなく、芭蕉的な文学形成の礎とライブラリーの充実を彼に期待するしか現代の我々にはできないと政治学者の私としては思う。そう、私は政治学者だ。現在は京都にある立零館大学法学部に籍を置いている。准教授だ。
大学学部2年次までは、順調に単位が取れていたものの、3年生からアルバイトを始めたからか落胆が如実に増えだし、1年後には留年がほぼ確定し、卒業論文の執筆を先送りし卒業をあきらめ、留年を覚悟してアルバイトをそのまま続けた。部活動やサークルには入らなかった。中学と高校でやっていたテニスがあまり楽しいものではなく、疲れ果てていた。やりたくなかった。
ただし、映画館にはよく通った。私の世代にとってはシネマコンプレックスが普通の形式であり、公園のような穏やかさとクリーンさが魅力であった。よく言われるような、酔っ払いに通りで絡まれたりということもなく。さいわい恋人もでき、順調な交際を大学院に入って少しまで続けることができた。その恋人とは、彼女が鳥取の実家にUターンすることが決まって破綻するまでは、喧嘩もあまりせず、いつもいろいろなところに行った。実際に会うのは月に1、2回ほどだったがディズニーランドのようなシンボリックなデートスポットに常のように行っていたことはよかった。生気論者ではなかった。東浩紀は「観光客の哲学」の中で観光客の原理と銘打ち、誤配というみずからの概念を再度導入するがそれは当時において誤解を招くものだった。一部の急進的な情報社会論関係者によってオタクと呼ばれるようなサブカルチャー領域の問題に回収されてしまったのだ。しかし東本人は当該資料の中で自分はカルチュラルスタディーズから距離を置き、静観し続けている旨を告知しており、私は今世紀に入ってから顕著にみられるようになった政治と文化の結合に不安感と憂慮を感じていた。それはナチスの問題であり傾向だ。なんにせよディズニーデートの魅力はジャック・デリダに関わることだ。デリダの哲学は「聖書を読まない」ことを推奨するものではなく、読んだ上でさまざまな期待値が同時に見込まれるという哲学的に複合的な理論であり、読む読まないという二元論的掌握状況に還元されないところに彼の思想の強みがある。ようはディズニーランドに行くか行かないか考え続けることはなにも考えていないのと同じなのだ。デリダによれば。やってみなければ分からない、と。
今の妻とはアルバイト先の先輩の紹介で知り合った。同じ大学の友達に飲み会の席を用意されたから来てくれないか、と言われた。会ってみたら非常にかわいらしく、話し方も特徴的でおもしろく、魅力的な人格だと感じた。異性として理想だと思った。友達にしておくのはもったいない。友達以上の存在にしたい、そのような関係になりたいと思った。名前は景子。彼女が嫁に入り、伊藤景子となった。子どもはいない。今隣りに座っている。サイパンから飛び立ったパイパー PA-31-350の中。機体名はさっきインターネットで調べた。ハリウッド映画の主人公が臨時で乗り込むような小型のもの。主翼にプロペラが2つ。双発機と呼ばれる形式だ。
「なんか酔わない」
横に座る妻が言う。
「いや、別に。席変わろうか」
私は言う。
「いや、いいけど、ジャンボジェットとは全然違う揺れ方だ」
妻は1歳年上だった。
サイパンを離陸した小型機が目的地であるテニアンに着くのは15分後。ごくわずかなフライトだ。どうも話題を捏造した痕跡がある。妻のかわいいところだ。それから最も恥ずべき部分も私は知っていた。それは女性器のことではない。��かのもの……。
目的は観光。サイトシーイング。日本の国際線乗り場とサイパン国際空港、サイパンを巡る際のツアータクシーとホテルのロビーにそれぞれかんこう、サイトシーイングと繰り返し述べていると役所の面倒な手続きか、禅修行のように思えてくる。
「でも晴れてよかったね」
と、妻に言うと答えなかった。心を見透かされた、と感じる。
テニアンに着くと、空港の職員と思しき若者から中年に至る青い作業服の男たちが5人ほど待ち構えていた。かなりの緊張感だ。もう一度確認する。たしかに5人だ……。更にもう一度確認する。やはり5人。我々が乗っていた飛行機にはパイロットを除いて2人のツアー客が乗っていたので、ここには7人の人物が飛行機のタラップの眼の前で向き合っていることになる。……おっと、間違えた。2人というのは妻ともう一人飛行機に乗っていた若い眼鏡をかけた男性のことであり、自分を省いていた。だからここには8人の男女が向き合っており、妻を守る決意を固めなくては、となぜか思った。ふと上空に手をかざす。この動きは視界が覆われたとっさの反応のようなものであり、つまり陽射しが眩しかったのだ。サイパンを観光している時から日本とはまったく違う日差しの性質に気づいてはいた。サングラスはしていなかったが、たしかにサングラスをかけたくなる、辺り一面にまどろみが充満するものの、それが特別に無料で体験できるたぐいまれなる機会とでもいおうか。むしろ幸運、むしろさいわい。この陽射しを無料で味わえるなんて。この海域の空は青ではなく、群青であり、それは青を何重にも重ねた結果ゆえの色なのだ。本物の青。
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ポケモン×工芸展

麻布台ヒルズギャラリーで「ポケモン×工芸展 美とわざの大発見」を見る。2023年3月に国立工芸館から始まった同展の巡回展で、ベテランから若手まで20名の工芸家がポケモンを題材に作品を制作するというコンセプトが魅力的である。自分はポケモン未履修なので世界観もモンスターの名前も何もかもよく知らないのだが、それでも大いに楽しめた。とはいえ元ネ��は軽く確認したいので、ポケモンの名前や性質についてはポケモンずかんを参照した。
作品そのものももちろん良かったが、展示会場内で流れていた制作現場の映像がとても興味深かった。制作の過程をほんの少し知るだけでも作品を見るときの解像度が少し高くなる。しかし紹介されていた作家は少なく尺も短めだったのが残念。可能なら制作の模様を映像でもっと見たかった。会場で長い動画を流すのは難しそうなので、公式サイトに長めの動画が用意されていればよかっただろうと思う。
以下おおむね展示順に。
吉田泰一郎によるシャワーズ、イーブイ、サンダース、ブースター。銅とその化学変化を活かした作品。

金属で表現された、この毛並み感。眼球は七宝の輝き。

今井完眞の手びねりの陶。ゼニガメ、コイキング、フシギバナ、キングラー、アーボック。

上の画像の中央にいるフシギバナはチラシやポスターのメインビジュアルに選ばれている。たしかにこの面構えなら選びたくなる。

福田亨の木象嵌による作品《Floor》。一見すると地味だが、畳の模様などももちろん木象嵌で、細かいところまでしげしげ見る工芸品らしい楽しみがある。

満田晴穂の《自在コクーン・スピアー》。コクーンが進化するとスピアーになる、その二者を組み合わせた作品。

葉山有樹の《森羅万象ポケモン壷》。めくるめくポケモン世界に吸い込まれそうな絵付。


須藤玲子《ピカチュウの森》。垂れ下がっている黄色いものは全部ニードルレースのピカチュウである。

新實広記《Vessel -TSURARA-》。ポケモンの技「つららおとし」をテーマにした作品。このガラスの物体を覗き込むようにして鑑賞することが意図されている。

田中信行《無題》のテーマはポケモンの技「かげうち��で、漆の作品にふさわしい。角度によって形が違って見える。


城間栄市の紅型。これは展示室出口近くの映像に制作の情景が映っていた。


池田晃将のサイバーな螺鈿作品、《電光投擲捕獲箱》《未知文黒御影茶器》。二度見三度見しても飽き足らず何度見でもしてしまう。これも出口近くの映像に制作場面あり。


池本一三のガラス作品シリーズには、携帯型ゲーム機を初めて触った作家がポケモン(ソード・シールド)をプレイしてついには殿堂入りまで果たしたという道程が結実している。

林茂樹《月光 Pokémon Edition》。ポケモンというとつい多様なモンスターを思い浮かべるが、これはモンスターではなくポケモントレーナーにフォーカスした作品。磁器製。

坪島悠貴の可変金物。これは動くところが見どころなので、展示品の隣にそれを見せる映像があった。

桑田卓郎のピカチュウ焼きもの各種。窯業地美濃の量産技術が活かされており、工芸はなにも一点ものの芸術品ばかりではない、むしろ量産されるモノのほうが本道だよなと思い出させてくれる。

水橋さおりの友禅。あまり和装したい欲はないのだけれどもこういう着物ならちょっと着てみたいかもしれない。


田口義明《乾漆蒔絵螺鈿蓋物「遊」》。漆、蒔絵、螺鈿と、伝統工芸の技術が集結している。

人間国宝、桂盛仁によるルギアの香合。

小宮康義の江戸小紋。地味な着物等が掛かっている���うにしか見えないし、最大限近づいても、なんなら単眼鏡を使っても、文様がとても細かいのでモチーフがわかりにくい。しかしパッと見にはわからない、誰にでもわかるものでもない、見る人が見ればわかる、というのはまさに江戸の粋であろうと思う。

鑑賞後に特設ショップで購入した、ゲンガー・ゴーストの江戸小紋くるみボタン。ここまで近づいてもなお一目瞭然では全然なく、「見る人が見ればわかるかもしれない」レベル。

桝本桂子の陶芸作品多数。ぶんぶく茶釜などを想起させるような造形の焼きもの。どれもかわいかったが個人的にいちばんかわいいと思ったのが下の2点。ロコンとマホミル。


植葉香澄の陶の作品は伝統文様が特徴的。下の画像はポスターのビジュアルのひとつに選ばれた《羊歯唐草文シェイミ》。ポスターのは真正面から撮った写真なので、横顔を。

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波打ち際柄うちわ、かぜ
あてててて。腰が痛い。そりゃもう37なんだから腰も痛くなるわ。というのはあまりしっくりこない。明らかに体重増加後に、中腰の姿勢で長時間過ごす業務を経てから腰痛を感じるようになったのであって、あの業務がなければ、またこのように過重していなければ、37の私でも腰は痛くなかったはずである。ただ、その業務はひじょうに楽しかったので、憎むらくは体重増加。みしみし。あの頃、60kgの巨体が…と自分の体について思っていたが、なんといま、75kgの化け物になってしまった。なんというか体型が妖怪である。自分の足腰で自分の体重を支えられず。それでも、11月から実家と自宅を行き来しつつ療養し、なんとか、「5分以上歩くともう腰が痛い」の状況は脱したようだと今日分かり、とても嬉しかった。なぜこのような妖怪体型の化け物になってしまったのか、その理由はさまざまあるのだが、まあ、うつ状態の予防と���復のための過食・暴食が一番の要因であろう。本当に、うつがなければさ。もしくは、うつ状態になっても、食べられないくらいの重症度だったら…と書いたところで気づいたが、以前はそうだったのである。つまり、うつ状態の重症度がやや下がったことにより、自分でうつ状態の予防のために食べたり、うつ状態を終わらせるために食べたり、ということが、できるようになった。そのために食べるなよ、という感じではあるが、とにかく私の小さい頃からの「体を動かす方法」が「まず食べる」だったため、このような残念なことになった気もする。不規則な生活、不眠、暴食、運動量の低下。もうヒャッハーという感じだ。私は「規則的な生活」に懐疑的な人間ではあるのだが(不眠により規則的な生活を送れたことが人生で1度もないため)、それでも決まった時間に食べることは間食の抑制や、食事量の抑制に効果的だと思う。そして少なくとも実家にいる間は、少しの過食はしたが、お腹が痛くなるほどの暴食はしていない。まずは病的な過食行動を取らないこと。そのために3食食べること。糖分よりもお米で糖質を摂ること(糖分で摂ると結局脂質も摂ってしまうことが多いため)。糖質と脂質を減らし、タンパク質を摂る。軽い運動をできるだけ毎日続ける。私はまだまだ諦めないし、これからどんどん良くなっていくと思う。9000歩あるいただけでもう脚の神経が痛く、明日うつ状態や無気力状態にならないという保証があるわけではないが、私はいつも通りごく楽観的である。
『謎ときサリンジャー』を読んでいる。なぜもっと早く読まなかったんだという感じだが、今がベストなタイミングである気もする。ハプワースも金原瑞人さんの訳の文庫版が出ているし(ハードカバーが自宅にあるのだが、結局文庫版を今日買ってしまった)。シーモアとバディ、ふたりのうちのどちらかが、というのが、サリンジャーのいる、生と死まで意味をなくす、あるいは極限まで持つ地平まで導いてくれてとてもスリリングでおもしろい。というか、これはほとんど自明のことだったように思える。バディがサリンジャーであるという視点は私にはすっぽ抜けていたが、シーモアとバディはひとりのようなふたりだというのは。緻密に小説を読み込み、この結論を補強していく手腕が鮮やかすぎる。見事。今日は2章までやっと読んだ。本の1/3以上は進んだと思うのだが、まだ2章か?本当か?まあいいか。弓道の阿波達人と、ドイツ人学者の師弟関係における「音」、そして的と自分が一体になり、自分が射るとき、同時に的として射られているということ、それがシーモアの(書かれていない)銃声の音と重なる、そしてビー玉遊びでの「カチッ」という音、禅問答のエピグラフ、全てがひとつなぎに繋がっていく様子は、爽快だった。
「テディ」の冒頭一文を確かめたくて新潮文庫版のナイン・ストーリーズをまた買ってしまった。しかも、その1行目の仕掛けは、野崎孝の訳からでは感じ取ることはできず(注もない)、ここは柴田元幸が新訳でどう書いているのかが気になるところ。さすがにこのヴィレッジブックス版まで2冊持つのは…と思い通販やメルカリなどを思いとどまった。しかし、講談社英語文庫で原文にあたることは思いとどまれず、こちらも2冊目の購入(注文中)。ブラックフライデーの混んでいる時に注文してしまった。すまない。でもこちらも喫緊なんだ(好奇心が)。野崎訳のナイン・ストーリーズは所持しているがなかなか読む気が起きず、結局あまり開いていなかったのでこれを好機として読む。「テディ」を半分ほど読んで、誰が訳してもサリンジャーはサリンジャーだ、というおもしろい感覚に陥る。『大工よ、〜』は野崎訳しかないのでこの文体にも親しんでいるのだから当たり前かもしれないが、昭和49年に出版された文庫とは思えないほど面白く読める。言葉遣いは当時の話し言葉の史料にもなっていいんじゃないかとさえ思う。昭和49年といえば、私の父母は19歳。高校を卒業し青春を謳歌していた頃だろう。そして、彼らがナイン・ストーリーズを読むことは絶対にない。そういう「階層」ではなかったのだ、という言い方が適当かはわからないが、ともかくこんな難解なアメリカ文学と彼らの青春は何がどうあっても交わらない。そのことが少しおかしく感じる。文学や学問にたいして興味をいだくたちではない人と人との間に生まれた私という存在が、なぜ『謎ときサリンジャー』という新潮選書を37で読むに至っているのか。自分の好奇心に愕然とする。
私は、いわゆるライフイベントと金融業界で呼ばれている、結婚出産育児昇進きょうだいの結婚親の病気や死などなどをまったく経験していない。それに加え、15〜25歳の記憶が曖昧で、うつ状態ではない正常な状態で世界を認識したのは、25歳の夏が10年振りであった。世の37歳よりはだいぶ「幼い」のではないか、と思うのだが、それは別に悪いことではないと思う。仕方のないことだし、人様に多大なる迷惑をかけるわけでもないし、しかし、それを馬鹿にしてくる人はいるのかもしれないなあとぼんやり考えた。実年齢に対して精神の成熟が伴っていないと、それだけで「お前は一体何をして生きてきたんだーーっ!」と怒りたくなってしまう人がいるようだ。私自身は年齢性別はどうでもいいではないか、その人が誠実にそこに存在していることが大事ではないか、と思うが、自分が負ってきたストレスを相手が負っていないと分かるやいなやプピーーッとなって我慢できずに攻撃してしまう人がいる。私はあの時もあの時もあの時も周囲の圧力に負けて(周囲に言われるがまま、周囲のために)みんなと足並み揃えてやってきたのに、お前はそれらの圧をくぐりぬけて「さぼって」きたんかーーーっ!となってしまうのであろう。いや、周囲と足並みを合わせたのはあなたの勝手だし、それで負ったストレスも業績もあなたのものだし、なぜわざわざ周囲から遅れていてさらに何も持たない私を攻撃までするのか、という感じだが、こういう人間がのうのうと生きていると、馬鹿にして、攻撃しなくては己を保っていられない、そういう厳しいところに立っている人というのが、まあ、いるものだな、と思う。私のように図太ければ「うるせーなー」ですむが、そういう人に攻撃されて、大抵の精神疾患者はさらに追い詰められ辛い思いをするのでは無いだろうか。みんなスタートが同じな訳では無いし、配られたカードも違うし、あなたのように生きられたのは私たちから見れば幸福そのものですよ、と思うが、そう思ってくれない人はいる。でもそういう方々は、基本的に想像力に乏しく、他者に寛容でもないので、あきらかに私より楽しくない生を送っている。かわいそうすぎる。でも、そういうふうにしてしか、生きられない人もいる。子供を産んで、子供を虐待して、そういうふうにしか生きられない人もいる。まあ子供の方は大きな大きな災難(被害)になってしまうわけだが、虐待者のほうも、かなり貧しい生を送っている。だから引き分けにせよ、とは私は絶対言わない、虐待者は加害者で、子供たちは被害者で、支援されるべきは子供である。加害者は塀の中で大人しくしていて欲しい。自分の生をどれだけ豊かにできるかは、先天的なものもあれば生育環境やどれだけ愛情を受け取れたかもある、色々な要因があるとはいえども、責任を取るのは自分である。自分で責任を取って苦しむしかない。だから、自分の生を諦めずに、常に豊かにしていけるように戦わなくてはならない。自分を害そうとする者共から自分を守り、戦う。これが出来ずに変に周囲に迎合したり、抑圧を是として変な役割を長年演じたりすると、もう意味がわからなくなって、最終的には人を殺したり、まあなにか攻撃的な人間になると思う。戦う、ということが小さな頃から本当に必要なんだと感じる。否定する力、抵抗する力、それらは幼児に多く見られるが、本当に大切なものだと思う。ライフイベントを何一つ経ていない、およそ37歳らしくない私を馬鹿にし攻撃する人がいるとしたら、その人は、その人の戦いを都度放棄してきてしまったんだなと感じる。
思いついたことを書いていたら結構長くなってしまった。高瀬隼子『いい子のあくび』を読みさしている。主人公はおそらくバリバリの機能不全家庭で育っているのだが、そこには言及せず、ただ目の前の虚無だけをたんたんと描いていくのがいい。とくに人間関係における主人公の内声が、それもこれもわかってる、わかってるんだけど、まあ。という感じで、素直でよい。基本的に恋人に対する恋愛感情がないように感じるし、友人に対する友情がないように感じるし、しかし「嫌われたくない」という感覚ははっきりと伝わってきて、お前からの好意は結局ないんかい、という悲しい気持ちになる笑。高瀬隼子というひと、他の作品は未読でわからないが、人間に徹底的に興味のない人間をえがくのが上手いんだなと思う。全てが機械的で、自己愛は強いけど、他人はつねに代替可能な程度の交わりで済ませている。こういう人は自分とは対極なので、「陰気かよ!!」となってしまうが(サンバの血が騒ぐ)、この主人公が人間どもとどう絡み合ってラストに向けて混乱していくのか、と思うと楽しみである。破綻するしかないように思えるのだが、特に何も起こらなかったら、それはそれですごい。
『グラン・ヴァカンス』を探し出そうとして(ないのでたぶん自宅)、岩井克人の『貨幣論』や、菊地成孔の『服は何故音楽を必要とするのか』とか、東京大学のアルバート・アイラーとかが出てきて、懐かしいなあ面白いなあと思いながらやや捲っている。全て途中までしか読んでいないので、こういう、続き読みたかったんだよね!という本を掘り出せるとわくわくする。自分の家の中につねに宝物(本)が���まっている。なぜならほとんど全ての本を、読み終わっていないから。読みおわれるのは1年に4冊くらいです。
2024.11.29
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佐藤純彌 「君よ憤怒の河を渉れ」1976
Sunday 5 October 2014
ニューヨーク在住で高倉健のファンの友人Sは、この映画を駄作だと言う。真観、今日この映画を観た。多分2度目だ。1度目は随分前になる。恐らく映画が公開して数年経ってからテレビで観たんだと思う。はい。この映画とんでもないストーリー展開で大笑い出来ます。挿入曲のスキャットもインストゥルメンタルもなんだかミスマッチ。この映画の3年後の1979年、佐藤純彌監督は、高倉健と中野良子のコンビを再起用して「野生の証明」を制作した。健さん、この映画では36歳の設定。今月50歳で白髪の髭を生やす真観は健さんの演技を観ながら不思議な気持ちになった。(健さんこの時の実年齢は45歳)中野良子は「野生の証明」でその魅力にノックアウトされた10代の真観だったがこの映画でも彼女の魅力は存分に味わえる。中野良子当時26歳。いいね!彼女は真観の好きなタイプの女性の典型、一重まぶたの女性。そしてね、彼女のファッションがかっこいい!のであった。憧れる!そう真観はこの映画が公開当時は12歳。当時の大人の女性はこんな感じだった。ブランドだとイブサンローランのイメージ。
真観は、今日もゆっくり起きた。布団に入っている時から外は激しい雨が降っていたのが分った。台風が来ている。坐禅会は、禅寺の都合でお休み。(10/2〜10/6)お昼前後にメールで明日の撮影は中止との連絡が来た。そうなるだろうと思っていた真観。体調を整えるにはそれは嬉しい知らせだった。夜になった今も雨が降り続いているが収穫前の稲に影響はないだろうかと心配する。
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虚子自選揮毫『虚子百句』を読む Ⅷ
花鳥誌2024年8月号より転載

日本文学研究者
井上 泰至
14 道のべに阿波の遍路の墓あはれ
初出は『ホトトギス』昭和十一年四月号「句日記(昭和十年四月)」。「四月二十二日。風早西ノ下に句碑を見、鹿島に遊ぶ。伊豫松山、黙禅邸。ホトトギス会」と前書き。『五百句』にほぼ同文の注記あり。
この句の詠まれた事情については、『ホトトギス』昭和十三年十二月号巻頭に虚子自身が書いた「阿波のへんろの墓」の一文がある。虚子が新田宵子夫妻・池内友次郎夫妻・高濱(当時)章子と故郷西ノ下を訪ねた消息を書いたものである。まずは決まって訪れる大師堂の大きな松に佇み、裏手にある「阿波のへんろの墓」を確認したが、なかったのであった。虚子の証言によれば、江戸時代の標準的な書体である御家流で書かれた古いものであったという。
虚子は碑が無くなっているのを嘆きつつ、恐らく行き倒れの曰くなどがあろうことを想起し、子供時代に目撃した遍路の一行を回想している。二、三歳の頃、遍路の女に抱き上げられ、大師堂まで連れていかれた想い出を語り、おそらくその女は、自分と同じくらいの子供を無くしていたのだろう、と語っている。このエピソードは、その後自分の人生を振り返った『虚子自伝』(昭和二三年刊)でも書き記されており、虚子のふるさとの記憶として刻印されていたことがうかがえる。
「遍路」は『ホトトギス』雑詠欄によって季題になった。一見古そうに見えて新しい季題である。西村睦子『「正月」のない歳時記』(本阿弥書店)によれば、大正十三年に三句登場して以来、昭和九年までに二六〇句も載る人気の季題となったと指摘されている。虚子が季題を選んだ改造社版『俳諧歳時記』春の巻(昭和八年刊)に、虚子の詳しい解説と例句の二七が確認でき、出典はすべて『ホトトギス』からである。虚子編『新歳時記』(昭和九年刊)にも同様に詳しい解説付きで立項され、例句二二を数える。つまり、伊予出身の虚子によって「遍路」は季題になったのであり、この句はその例句として加えられ、そのトドメを打ったのである。
『俳諧歳時記』の解説につけば、春の、しかも女性の景物としてのこの季題のイメージが確認できる。弘法大師の巡礼にあやかって、四国に散在する八十八か所を順拝する全道程一二〇〇キロ、日数四〇日余りを要する。宗旨・老若男女を問わず、服装は軽いが、三月から四月の季節がよくなる時期に、菜の花・青麦・紫雲英の鮮やかに彩られた道をぞろぞろと通る。この風景との一体化が単なる「巡礼」でなく、季語としての「遍路」の拠って立つところであると特記する。
特に若い娘たちは華やかなセルの着物に、白木の納札挟みを胸高にかけ、鬱金や浅黄色の手甲脚絆をつけ、同じ色の姉さま冠りの上に真っ白な菅笠をかぶり、緋の腰回しもあらはに裾を端折り、白木の杖をついた姿を虚子は詳細に活写している。高濱年尾の次の句などは、この虚子が特記した美しさの方に拠ったものであろう。
お遍路の美しければあはれなり
虚子の句にもどれば、山本健吉『現代俳句』に的確な評がある。まず「遍路の墓」とだけあって無名であることがかえって叙情を増すこと、「阿波」の地名から、浄瑠璃でよく知られた、長年別れた母と出会うもそれと気づかない巡礼お鶴(「傾城阿波之鳴門」)の連想で、子別れの哀話が想像されることを指摘する。
さらに健吉は重要なことを言っている。「遍路の墓」そのものに、春の季感はない。むしろ春の季語「遍路」が置かれることで、子供時代の春遍路の記憶と現在の春とが結び合わされるのであって、新興俳句の中でも有季定型を守った水原秋櫻子の流れの季感主義を批判している。季語は言葉そのものに意味があるのか、言葉��背後にある季感に意味があるのか? これは有季定型俳句の一大論点である。
過剰な、「今」「此処」にこだわる季感主義では、この虚子の句などは取り落とされてしまう。言葉が残ることによって、過去の季感を学び、それを想起し、対話する。下手をすると昨今頻出する「昭和の日」俳句の甘い回想句の氾濫のような惰性に堕ちてしまうのだが、言葉の由来や歴史性を無視しては、多くの俳句の財産を無くすことも自覚しておくべきだろう。掲句はその文脈において、今日重要な意義を持っていると言えよう。
15 白酒の紐の如くにつがれけり
この句の成立は若干の問題を含む。『ホトトギス』昭和二十年六月号の「句日記(昭和十九年三月)」には、「三月四日句謡会。鎌倉要山、香風園」の前書に「白酒の餅の如くに濃かりけり」「瓶のまま白酒供へ雛は粗画」と併記される。
しかし、『六百句』には、前日の「(昭和十九年)三月三日 家庭俳句会。日比谷公園。丸之内倶楽部別室」と注記され、〈洋服の襟をつかみて春寒し〉と共に掲載される。
「句日記」では、「洋服の」の句の他、「春草を踏まえて鳩の足あかし」「斯く行けば春風寒し斯くは行く」「その中に大樹芽ぐは物々し」といった吟行句が並び、「白酒」句はない。
すなわちこの句は当初、雛祭を題詠的に詠んで四日の鎌倉の句会に出したものだったが、後に三日の家庭俳句会での作、ということにしてしまったものなのである。
虚子の句集における注記は、必ずしも実際に忠実なわけではなかったことが知れるが、これは掲句を三日の発表ということにした方が、効果があると考えたからであろう。なお、家庭俳句会は、婦人俳句会などとともに『ホトトギス』に立ち上げられた、女性中心の句会で名句が多く生まれている(『俳壇』二〇二四年七月号「座談会」(西村和子・井上・堀切克洋)。そのこともこの発表時期の変更という「操作」の理由ではなかったかと思う。
掲句は、端的にして的確な比喩によって、「白酒」の様態を鷲つかみにした写生句で、間然とするところがなく、名句としてはよく引かれるものの、解説は意外に少ない。
ポイントは「白酒の」の「の」である。これが「や」では、なぜいけないか?「や」「けり」と切れ字が重なることを嫌ったのは、すぐわかる。
降る雪や明治は遠くなりにけり 中村 草田男
この句のように上五とそれ以下の間に「飛躍」があるなら、切れ字が重なっても問題はないが、「白酒」の句は典型的一物仕立てで、「や」では煩い。
「の」の効果はそれだけではない。「紐の」と「の」を畳みかけることで、「白酒」の様態に焦点を当てることができる。
鴨の中の一つの鴨を見てゐたり この庭の遅日の石のいつまでも 蛍火の今宵の闇の美しき 立秋の雲の動きのなつかしき
以上のような虚子の作例につけば、上五の下に「の」を軽くつけて、以下で「の」を繰り返して、リズムを作り、対象にフォーカスを当てていったことに気づかされる(井上『俳句のマナー、俳句のスタイル』)。
「白酒」の句の主題は、液体の動きにあるので、「つがれけり」と用言でまとめた。虚子は「眼」の詩人ではあるが、これをことさらに強調せず、さりげなく、品よく提示してみせる。鷲づかみの「写生」にありがちな生々しさを包むデコレートの感覚(井上「品格ある写生」『俳句』二〇一九年四月号)こそ、作家虚子の「写生」を代表するものとして、ここに指摘しておきたい。
*先月号記事に脱落がありました。「紅梅の苔は固し不言」の句は『ホトトギス』九年二月号で『五百句』同様「二月二十二日。臨時句会。発行所。」と前書きされています。記してお詫び申し上げます。(筆者)
『虚子百句』より虚子揮毫
15 白酒の紐の如くにつがれけり
16 紅梅や旅人我になつかしき

国立国会図書館デジタルコレクションより
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井上 泰至(いのうえ・やすし) 1961年京都市生まれ 日本伝統俳句協会常務理事・防衛大学校教授。 専攻、江戸文学・近代俳句
著書に 『子規の内なる江戸』(角川学芸出版) 『近代俳句の誕生』 (日本伝統俳句協会) 『改訂雨月物語』 (角川ソフィア文庫) 『恋愛小説の誕生』 (笠間書院)など 多数
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2015年 06月 13日
庭の手入れと壁飾りと坐禅六炷目
目覚めは良かった。気分的な問題だが重圧感は、無くなった。天気が良かったので布団を干した。
今日は、1日庭の手入れと壁飾りに勤しんだ。バラバラに短く斬った枝木をゴミ袋に入れる。小石を拾う。草を刈る。そしてアトリエを囲む様に並ぶ石を掘り起こしてまた綺麗に並べた。着々と庭の手入れは進んでいる。
この前Aが来た時、縁側でA自身が写っている写真をFacebookのプロフィール写真に使っていることが分かった。それを見た真観は、縁側の下に置いてある荷物の見栄えが気になった。『もっとスッキリさせよう』そう思い縁側の下の荷物をアトリエの裏の面に移動した。
また、近々Aたちがやって来る。来客者が来れば部屋も掃除するし、整理整頓もする。日々していることだが更に念入りになる。
長い間気になっていたことを実行する。それは、廊下の壁両面に立て掛けてあるポスターパネルや額入りの写真たちを整理することだった。それには単純に壁に飾ればいい。自身の写真展「Portraits of Serbia」で残しておいた額入りの写真を5枚廊下に飾った。幸いにも写真展の展示は、簡素なやり方で展示した。簡素とは、額の代わりにホームセンターで見つけた大型のコルクボードを使用し、縁を白くペンキで塗り写真は、両面テープで貼った。軽いのだ。だから壁には釘で額の四方を固定して澄んだ。お陰で廊下は歩き易くなった。
真観は、掃除、整理整頓が好きだ。
洗濯も怠らない。
LINEで長い間合っていない友人のKちゃんからメッセージが届いた。いつしか音信不通になっていた。Kちゃんは、かつてのパーティーフレンドであり、ポートレートを撮ったことがある。数日前真観が彼女のタイムラインに「いいね!」のスタンプを送ったからだと思われる。真観が静岡に引っ越す時、Kちゃんから餞別代わりに"飾り物"をくれた。(写真 青い物)それは、長い間車の中のミラーにぶらさがっていた。真観は、それを大切にしていて、今は部屋に飾ってあったので写真を撮って彼女に送った。
夕方になりホームセンターに出掛けた。赤レンガと竹箒を購入。竹箒は、初めて買った。298円也。夕食は、玄米ごはんに麻婆豆腐。デザートに粒あんの乗った草団子を食べた。
今夜は、ギャオで映画「失楽園」と「名探偵ポアロ」を観た。「失楽園」は、話題になったので知っていたが観ていなかった。ラストで局部結合のまま心中するとは知らなかった。「名探偵ポアロ」は、いつ観ても楽しめる。紳士の立ち振る舞い、ファション、言葉使い、すべて見習いたい。
今日の昼間、玄関でとんでもない光景を見た!
AND SO THE DANCE GOES ON ・・・ ダンスは続く。
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helloharuo tour 2014 Summer 7-1
Wednesday 20 August 2014
真観は、坐禅をしなかった。さずがに今回は出来なかった。それはそれでよし。旦那さんのS君が11時から仕事に行くのでその前に室内で家族写真の撮影をした。真観は、ローライフレックスとデジカメのCanonG12両方で写真を撮った。S君を送り出してからはMちゃんとT君を真観の車に乗せて観光へ。
Mちゃんのオススメで不動滝へGO!。茶畑庵近くにも不動の滝があるので名前に親しみがあった。実際不動滝に行ってみると迫力は不動の滝の何倍もある雄大な滝だった。滝っていいね!真観はそう思った。T君は写真を撮るのが本当に好きな様だ。またその撮り方がいい。カメラは、望遠レンズが42xもあるレンズ一体型コンデジで子供にも持ち易いデザインと大きさとその重さ。T君は、カメラバックにそのカメラを収めて持ち歩いていたが撮影する時は、カメラを取り出し落とさない様にストラップを必ず首に掛けて撮影。そして撮影が終るとまたバックに収めていた。基本がしっかりしている!感心した。真観よりもよっぽどいい。w Mちゃんとは久しぶりに会ったが違和感はなく何でも打ち解けて話す事が出来た。(と真観は思っている)
不動滝の後は、やはりオススメのキャンプ場で水遊びをしようということでキャンプ場まで行ったが天候が傾いて来たので諦めることに。それではとT君の友達の親御さんが営む和菓子屋さんに行く。T君の友達もいたのでT君は、子ども同士で遊ぶ。この和菓子屋さんのお嬢さんが若くしてガンで亡くなったらしく闘病記をお母様が本にしていて、それをお店で紹介していた。真観はお母様の話を聞いた。そして更にお母様のおばあ様は京都の有名旅館の中居さんを長くされた方でやはり本を出しているという。
そうこうしている内に時間は過ぎて行き夕方になった。MちゃんとT君を彼らのアパートまで送り届け彼らとお別れする時が来た。真観は、予定通り中津川を出発して愛知県の実家に戻ることにした。やはり岐阜から静岡まで移動するのキツいと判断。また高速道路を使うのだがS君が言っていた様に今度は名古屋を通らずにその手前で環状線に移れば早く実家に戻れそうだ。
Mちゃんともう少し話したかったな。 T君の「写真道」の健闘を祈ります。
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helloharuo tour 2014 Summer 4
Sunday 17 August 2014
この写真は、昨夜ラーメン屋から帰って来た時��キッチンのテーブルにあった母のメモ。真観は母に褌の綻んでいる箇所を直してもらった。赤い字は特に意味はないと思う。
真観は7時に起きた。母は起きていたが昨夜はよく寝れなかったらしい。今朝も仏間で坐禅をした。その後は居間でゆっくり過ごす。そして昼近くになって散歩に出る。散歩は旧国道添いの小さな公園まで。この公園で母は死のうと思ったことが多々あるらしい。真観は母との電話で以前から知っていたのでこの公園に一度訪れたかった。母が一番辛かった頃は丁度真観が思春期の頃。真観は母を困らせていた張本人だ。母が今の真観の歳の辺り50歳前後。母はこの公園の木で首つり自殺を何度となく考えたという。今はもうそんな心境ではないと願う。母との会話で真観は母の苦労話を沢山聞いている。それは親子にとっては重要で必要なことだと思う。兄は自分から進んで母の話を聞こうとはしない。真観はその逆でもっと詳しく聞いて真剣に書き留めても良いかと考えている。本にするとか小説にするとか。
昼食は食べなかった。兄と2人で母にホットカーペットの電磁波の話をした。一往の理解を得て母の部屋からホットカーペットを外すことにした。寒くなって来たらこのホットカーペットの代わりの暖房を考えるとして、今まで常時部屋に敷いていたホットカーペットは任務終了となった。兄は多分売ってしまうと思う。
今日は帰省4日目で静かに過ごしたかった。家族3人で昔話をする。午後3時過ぎに兄と出掛けた。昼食を食べていなかったのでKFCに行ってフライドチキンを2つ食べた。出掛けた目的は、真観のTシャツだった。今回の帰省時にまとめ買いをするつもりであちこち物色していたが最終決定をする時が来た。昨年、白のブリーフをまとめ買いした店がやはり一番安くクオリティもまあまあと判断した。真観は、Lサイズの丸首とVネックの白Tシャツを各3枚、黒Tシャツを3枚。Mサイズの白Tシャツを3枚購入した。真観は化繊が入った生地は嫌いなので木綿100%の生地を選んだ。実家に戻ってから母に買ったことを伝え『何年保つだろうか?』と尋ねると『3年』と答えた。確かに3年保てばいいのではないだろうか。今まで使っていたTシャツはそれ以上使っている。そして静岡に帰ったらお役御免となる。行き帰りの道中で不思議な団地を見付けた。何年ごろに建てられたのか分らないが古く感じるし、素人考えで今時壁がブロックで出来ているではないか?住んでいる人もいる。兄に尋ねると中の蔕はリノベーションして綺麗らしい。それは理解出来る。真観実はこんな感じの団地は好きなのだ。(情報求む!)
夕食は、母の希望で回転寿司に行った。母の好物はマグロだ。母は例外に漏れずマグロが大好きな日本人だ。真観はそんなに好きでもない。兄は、回転寿司に来ると変わり種の寿司を食べる。ローストビーフが乗っ掛かってるやつとかだ。プリンとかも食べる。真観と兄は午後遅くにフライドチキンを食べていたのでお寿司の皿はそんなに増えなかった。母もマグロを何皿か食べて満足そうだった。だから会計は、3.000円前後で済んだ。その後近くの大型スーパーマーケットに寄る。明日から岐阜の友人を訪ねるに当たりお土産を購入。静岡土産は既に用意してある。真観はそうめんを買った。昨日真観はYおばさんからそうめんを頂いたがそのそうめんはそのまま岐阜の友人に渡すことにした。岐阜では2組の友人を訪ねるのでそうめんがもう一つ必要だったのだ。そうめんは半生そうんめんで珍しく、1パック2人前のそうめんを3パック購入。ノーマルのそうめんと紫蘇入りそうめん、柚子入りそうめんの3種類のそうめんで1組とし同じ内容のお土産を岐阜の友人に用意した。(Yおばさんから頂いたそうめんも全く同じ内容)
食事、買い物を済ませた後は実家に戻りテレビを見て過ごす。冷蔵庫にビールが1本(500ml)が残っていたので飲んでいたら頭痛がして来たので飲むのを止めて捨てた。兄は基本飲まない。真観、お酒に弱くなったか?帰省時にはテレビを観て過ごすがどの番組も面白く感じられない。そう思うのは真観だけなのか?
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