#堕とし魔~処女攻略篇~
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imiteeshon · 1 year ago
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magazine-hitori · 2 days ago
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書物礼賛⑦
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アンナ・レンブケ/ドーパミン中毒/新潮新書2022・原著2021
「ブプレノルフィンをやめようとは絶対に思いません。私にとって電気のスイッチのようなものです。ヘ��インをやらないようにしてくれるだけでなく、私の体に必要なもの、他のどこでも見つからないような何かを与えてくれるんです」。長期的に薬物を使用してきたことで、彼の快楽と苦痛のシーソーはこの先ずっと「普通」の感覚でいるためだけにオピオイドを必要とするほど壊れてしまったのだろうか? 長い期間「断つ」ようにしてもなお、ホメオスタシスを回復できないほど脳の可塑性が失われてしまうことはあるのかもしれない。
(中略)私が1990年代に医学部に通い、研修医として勤める中で教わったのは、糖尿病を持つ人が充分なインシュリンを分泌できない膵臓を持っているのと同じように、うつ病や不安神経症、注意欠陥、認知的歪み、睡眠障害などがある人は望むように働かない脳を持っているということだった。私の仕事はその説によると、足りない化学物質を何かで補って「普通に」機能できるようにすることとなる。このメッセージは製薬会社によって広く流布され、非常に広範に展開されて、医者も患者である消費者も同様にそれを信じるようになった。
(中略)何年にもわたって多くの患者を診てきて、精神科の薬を飲むと苦痛な感情からは一時的に逃れられるが、自分が感じられる感情の幅が狭くなった、特に深い嘆きや畏怖の念といった強力な感情を感じる力がなくなってしまったと言われることがあった。(中略)「オキシコンチンを使っていた時の妻は、音楽を聴くこともやめてしまいました。しかし薬から離れて今は再び音楽を楽しむようになりました。私にとってそれは自分が結婚した人が戻ってきてくれたと思えることでした」
記述はわりとマトモながら、総花的で浅く、いかにもメディアに出ている女の精神科医・大学教授の本。「制度」の側にいる人物。強欲と堕落に覆われたアメリカ、オピオイド禍と絶望死、その背景にある教育と医療制度の腐敗。それらは一朝一夕に作られたものではない。福音派もシオニストロビーもコツコツ支持基盤を固め、自分が不幸と思い、救いを求める人を増やしてきた。対症療法には意味がない。ホメオスタシス(恒常性維持)=苦痛と快楽��脳の同じ部位で処理されるため、薬物などで一方を貪ると、自律神経・免疫系・脳の報酬系が異常をきたし、快楽より苦痛が長引く、それがまさに麻薬・オピオイド禍の本質なのだが、メカニズムの多くは未解明。ロケット爆発させてる場合じゃないんだよ。
上野庸平/ルポ アフリカに進出する日本の新宗教 増補新版/ちくま文庫2024・原著2016
日本の神道は、先進国の主要な宗教文化になったという意味で世界的に非常に稀有なアニミズム・多神教の一種である。崇教真光はそれをベースにし、キリスト教の聖書やイスラム教のコーランと同じような定まった経典「御聖言」と実益的な宗教実践「手かざし」を持つにいたった。 外来宗教であるキリスト教やイスラム教は教義がしっかり定まって「人間が生きていくための正しい教え」として非常に洗練されているが、西アフリカ伝統のアニミズム・精霊信仰にはある祖先崇拝や呪物(お守り)の考え方が存在せず、呪術的要素もさほどない。他方、西アフリカ伝統のアニミズム・精霊信仰は教義が定まっておらず、あまり洗練されていない。こうした西アフリカ人のスピリチュアルなニッチを埋めたのが神道というアニミズムをベースにし、経典を持つまでに発展し、さらにキリスト教やイスラム教を統合する万教帰一主義的価値観を持っている「真光」だったのである。
引用した崇教真光や幸福の科学・真如苑・創価学会といった日本発祥の新宗教、ラエリアンムーブメント・統一教会という日本発祥でないが日本人が布教に携わっている、それぞれいかにアフリカを攻略し、受け入れられているのかを実地にルポした労作。創価学会と日蓮正宗は当地でもいがみ合っているとか、幸福の科学は宣伝にお金をかけているが言葉・記号に頼って宗教的イメージ性が貧弱なため集客に苦戦しているとか、ウガンダ、コートジボワール、ガーナ、マリといった国々の事情と併せ興味本位にとどまらない味わい。
秋山駿/簡単な生活者の意見/講談社文芸文庫2025・原著1988
それより私は、自分の生の感覚の中で、この社会の声を読んで、こういっておこう。現在の社会は、無力な者、貧乏人、役に立たぬ者、それから不運な者には、一刻も早く人目につかぬよう隠されて死んでくれ、と、いっているのだということを。
私はふと、��んな空想に走る──。
長くもない年月のうちに、われわれの周囲で、つまりこの社会の到る処で、小さな爆発や小さな戦争が多数に生ずるであろう、と。
そうでなければ耐えきれぬほどに、この社会は、異質な存在の不合理な共存に緊張し過ぎている。つまり、矛盾の高圧下にある。早い話が、石油やトイレットペーパーを境界にして、それを入手出来ずうろうろしているこちら側と、その企業の管理者であるあちら側の人間とが、同一の内容の人間、少なくとも、同一の生の平面上に立っている人間であるとは、私には考えられない。たぶん、その心理、感情から、人間の意味ということも、良心も、それから正義の内容に到るまで、何から何まで違うであろう。
私は彼等と同一の人間の姿でありたくはない。彼等と笑い合いたくない。彼等と握手したくはない。それでは、彼等は私の敵なのか。いかにも、そうかも知れない。敵? だがしかし、彼等の姿は、私がその一人一人を心の壁に密かに記しつつ憎むためには、あまりにも遠い存在なのだ。だからやはり、私の生の感覚から、いっそう正確には、バスカルの言葉をわるくもじって、こういうべきだろう。──彼は川の向うに住んでいる、と。
著者は「うまいそば屋も喫茶店もない、本当の古本屋もない」とぼやきつつ、「敗戦時の社会の混乱こそ、私の生の原点であり、以来国家的な体制を信じていない、そうした生の感情に団地の生活意識が合う」として、ひばりが丘の団地暮しの雑感を綴る。実家とは疎遠。
1930(昭和5)年生まれで、私の父母よりわずかに上の世代。私が父母と幼稚園から小6途中まで暮らした横浜郊外の団地は、文化的にはともかく「民度」は東京幡ヶ谷より高かった。分断や混乱の気配はない。家族の最も幸せだった頃。その安心を私に与えてくれた親のことを思うと、いくら敗戦を経たからといって、著者の傍観者的な態度に違和感。自分は「あちら側」とは別ってか。いや全員一枚岩になるよう仕向ける世間という管理装置がはたらいて、軍国主義をそのまま経済高度成長に振り向け、そしていま同じ事情で国力が相対的に沈んでいる。スマホ等による時間管理の時代に、みな同じ方を向いて平均化されている日本人は生産性を発揮できない。自分は違うつもりの著者は「文壇」に居場所を得て、そうした構造問題に踏み込まずに��批評家」でいられたのでは。文章巧みでも学ぶものはない。
水木しげる厳選集 虚/ちくま文庫2024
横浜団地時代の私に最大の文化的影響を与えてくれた、管理事務所に設けられた、日曜のみ貸し出しを行う小さな図書室で出会った本たち。北川幸比古のSF絵本『宇平くんの大発明』、そして筑摩書房による大人を意識した漫画本、特に現代漫画⑤水木しげるは貸本時代の『悪魔くん』をダイジェストで収め、粗い絵柄に加え、全貌が見えないことでいよいよ神秘的であった。
その解説で鶴見俊輔は「庶民の生活思想の伝統に根ざす虚無主義。長いものには巻かれろの権力追随をねずみ男が代表し、虚無主義の権力批判・引きずりおろしを鬼太郎が代表している」と水木さんの作風を評しているが、ぜんぜん違うと思うね。
この文庫本にも入っている「錬金術」のような皮肉な話、あるいは『河���の三平』の祖父や本人まで死んでしまって決して帰ってこないことを表面的に捉えているのでは。根本には、人智を超えた自然界の生命現象への畏敬、失われた、もしくは目に見えない世界への哀惜、水木さんほど生命を重んじている作家はいないと思う。手塚治虫と対照的なその資質が最も表れているのが貸本時代の短篇「サイボーグ」。近年の衝撃的な読書体験。その再現を期待した本書には、似た系統のお話が多く、互いに印象を弱めている。現代漫画⑤は完璧だった。
橋本昇/追想の現場/鉄人社2025
大韓航空機撃墜・パリ人肉事件・成田三里塚闘争・日本赤軍・赤尾敏・梨本勝…。フランスの写真通信社sygma (現在はgetty images)の契約カメラマンとして昭和・平成の数々の事件事故現場に立ち会った著者による回想録。ほとんど忘れていたような事象が多く、右でも左でも政治的にはニュートラルな立場で扱う趣旨ということで、しみじみ懐かしい気持ちになったが、それにつけても誤字誤植の多さ。書架の良いところには置けない。
ちなみに日航機123便の事故についても現場の凄惨さが描かれているが、いわゆる「自衛隊機が誤射云々」の陰謀論が成立する余地があるとは思えない。それと「ザイム真理教」、2つの陰謀論を流布しながらも晩年まで愛されキャラとしてメディア露出を続けた森永卓郎氏に、テレビ・ラジオに触れる層の情動を刺激しつつ、主流派に影響を与えない絶妙なポジション、しかも息子にそれを譲る、体制側に都合の良いピエロという墓碑銘を贈りたい。
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