#変態枠
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和七年(2025年)3月4日(火曜日)弐
通巻第8680号
トランプの長期的な世界戦略が見えた
優先順位から言って「敵はモスクワに非ず、敵は北京だ」
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予想されたことだけれど、ゼレンスキーのホワイトハウスにおける無礼に悪評嘖々(さくさく)、罵詈雑言の嵐、ところが翌日から左翼メデイアの論調はがらりと変わって、会談を蹴飛ばしたのは「トランプ、ヴァンスなどアメリカ側が悪い」と言い出した。
ワシントンポストもニューヨークタイムズも、強い論調でトランプを非難し、おどろくことにゼレンスキーのやらかした無礼を不問にふしている。共和党のマコースキー上院議員は「嘔吐をはきたい」との非難の談話。彼女はヘ��セス、カシェ・パテル、ギャバードの指名にことごとく反対し、RINO(名前だけ共和党)を代表した。トランプはアラスカ州の次期上院選にかならず別の候補を立てて彼女を潰すだろう。
戦争はどちらが正義で、どちらが悪いとは言い切れない。双方に正義があり、お互いが正義のために闘っていると信じている。
戦争の最中に「義」は行方不明となって、残りは復讐、血の報復である。どちらかが完全に降伏するか、でなければ納得できる停戦か、さもなくば泥沼は長引く。ブカレスト合意、ミンスク合意はお互いが破った。戦争を続ければ裨益する勢力が背後にいる。
「ウクライナが正しくロシアが間違いという議論は成り立たない」(ミアシャイマー)
トランプの目的は停戦の早期実現にある。理由は簡単で、この愚かな殺し合いはオバマとバイデンが始めた戦争、その前に歴代政権が展開した「民主化」という看板の美名に隠してのグローバリゼーションだから、自由主義にたつ共和党の理念からは遠い。
トランプの長期的な世界戦略に於いて、窮極の戦略は中国との対決であり、優先順位から言えば、ウクライナは順番が低い。めざしているのは「ヤルタ3・0」である。筆者は先日まで「ヤルタ2・0」の続きと考えてきたが、新しいフェイズに突入した。
トランプの長期戦略は優先順位型思考で構成されており、「敵はモスクワに非ず、敵は北京にあり」。
そしてこの考え方は欧州には受け入れられないということである。
ウクライナ戦争「以後」の世界地図の改編は、米露首脳の電話会談でゼレンスキーを交えなかったようにスーパーパワー2強の話し合いとなった。トランプは「いずれウクライナは加えるが、NATO諸国をのぞく」と言い放ち、シビハ(ウクライナ外相)が「米露二国間。スーパーパワーだけでの交渉はまさに80年前のヤルタ会議(1945年2月)の再現だ」と懸念を表明した。
▼ヤルタの密約を彷彿させないか?
ヤルタ会談はFDR、スターリン、そしてチャーチルの三者が第二次大戦後の世界地図を策定する密談だった。リバディア宮殿(ニコライ二世の別荘)で行われた。
ルーズベルトは死にかけだった。スターリンは矍鑠(かくしゃく)としていた。ヤルタ会談ではポーランドとドイツの分割、���ルト三国のソ連併合、飛び地カリニングラードをソ連が確保し、なかば主権をうしなったモンゴルはソ連支配下に、そのうえで東欧諸国もソ連圏に組み込まれた。
ソ連の対日戦線参戦をのぞんだFDRは大幅な譲歩をなした。このためソ連軍は満州へ雪崩れ込み、全千島、樺太を占領した。ルーズベルトは長い船旅につかれ、痴呆症的で病人だった。リバディア宮殿には台所にいたるまで盗聴器が仕掛けられていた。帰国してまもなくルーズベルトは死んだ。後継のハリー・トルーマン副大統領は、なにひとつ知らされておらず、金庫を開けるまでヤルタ密約も、原爆を開発していたことも知らなかったと回想記に書いた。
それから60年、ブッシュ・ジュニア米大統領は、「あのヤルタ会談は愚かな取り決めであった」と総括した。東西冷戦が1991年にソ連崩壊でおわりをつげ、「ヤルタ2・0」のフェイズに入った。バルト三国と旧東欧諸国も主権を回復し、カフカス三ヶ国、中央アジア五ヶ国が独立を果たした。
ヤルタ体制はソ連の崩壊により「2・0」となったことは見たが、域内の大々的な改編が起こり、結果的にNATOの東方拡大がなされた。旧ソ連圏のバルト三国、旧東欧はNATOに組み込まれ、ジョージア、アルメニア、モルドバが加盟に近づいた。つまりスターリンの野望の実現だったヤルタ体制は、ここで終わった。
そこでロシアは巻き返しを謀り、ルーマニア、ジョージアに介入し、アルメニアにもまもなく介入し、勢力圏を堅持するだろう。
NATOの加盟国でもハンガリー、スロバキアは英仏主導のグローバル化には距離を置いている。戦争の泥沼化によってウクライナがロシア圏に戻るとは考えられないからプーチンとしては、ウクライナを緩衝地帯とし、NATO加盟は断固阻止する。
▼ウクライナはさっさと問題解決をしようぜ
さてワシントンでのトランプ v ゼレンスキー会談の決裂の翌日、欧州の16ヶ国はロンドンにあつまり、ゼレンスキーを暖かく迎えた。英仏はその席で「地上部隊の派遣」を呼びかけた。まるで事態を予測していたかのように、ロンドンの16ヶ国首脳会議にはカナダのトルードーも出席していた。
英仏は地上部隊派遣を提案したものの、「これは参戦ではなく「和平部隊」であって「有志連合」による平和維持軍の創設だ」とした。
英仏は積極的だが(つまり左翼政権は前向きだが)ほかの諸国は態度���鮮明にしなかった。
率直にいって平和維持部隊は実現しない。ロシア、ウクナイナ国境は長大であり、重装備の軍隊が15万人は必要である。交代制とすれば三倍、まず兵隊がいない。兵站をだれが保障し、いったいこの費用は誰が支払うのか?
ロンドンで決まったことは(1)ウクライナ支援はつづける(2)和平成立の交渉にウクライナの参加はMUSTである(3)「有志連合」を結成する。
この動きを観察しながら、トランプは「ウクライナへの軍事支援を打ち切る可能性がある」とブラフをかけ、「ゼレンスキーは第三次世界大戦に賭けている」と批判した。
かくして「ヤルタ3・0」の枠組みが見えた。
欧州の亀裂はいずれ分裂状態となり、いまよりも混乱するだろう。となればトランプが次に着手するのは中露同盟に亀裂を入れ、ロシアをなんとしてでも「アンチ・チャイナ」陣営に引き寄せる必要がある。つまり優先順位のトップは中国との覇権対峙であり、地殻変動の波が起こりそうだ。
ウクライナ支援一本槍の日本は、こうしたシナリオの発想もなければ、例によって平和惚け甚だしく、なんの準備もない。
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日本SFの歴史/第14回日本SF大会のテーマ「SFの浸透と拡散」
筒井康隆はこうした状況を敏感にとらえ、1975年、神戸で開催した第14回日本SF大会のテーマを「SFの浸透と拡散」とした。「浸透と拡散」はこれから後の日本SFをとらえるキイワードとなる。 ちょうどこの時期、出版界も変貌しつつあった。映画、テレビ、出版といういくつものメディアを使って大量動員、大量消費を促す、いわゆる「角川商法」が登場したのだ。日本人向けに変質したSFは、出版社の期待するマス・セールスにこたえうるジャンルと目されるようになってゆく。
HISTORY OF JAPANESE SF01
80年代に入って、世の中は一時、不況にあえぐようになったが、SFのブームはさらに続いた。映画でい��ば、81年『レイダーズ/失われたアーク』、82年『E.T.』、83年『スター・ウォーズ/ジェダイの復讐』、84年『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』、85年『バック・トゥ・ザ・フューチャー』といったヒット作が連続したし、ゲームセンターの登場、パソコンの普及、科学雑誌の創刊ラッシュ、85年のつくば科学万博開催などで、人々の目が科学に向いたことも、ブームを持続させる背景となった。 SF作家たちにとっては、書きたいもの��書ける恵まれた状況だった。この時期の日本SFは、あらゆる方向に向けてその可能性を追求したといえそうだ。 だが、逆にいえば、これは「日本SF」とひとことでまとめてしまえるような実体が消失してゆくことにもつながった。読者対象を広げ、軽いエンターテイメントから噛みごたえのあるハードSF、あるいは前衛文学的な実験小説まで、さまざまな様相を見せる作品群を、SFという言葉で一括りするのは不可能になった。「浸透と拡散」が進み、行き着いた果ては、日本SFの雲散霧消という事態が待ち受けていたのだ。 その結果、当然のことながら、SFブームなどというものも、どこかへ消えてゆくことになる。1980年代は、そんなふうな時代だった。そして、1990年代は日本SFというジャンルが見えなくなった状態で経過していきつつある けれども、念のためにいっておかなければならないのだが、「日本SF」とひとことで呼べるようなジャンルはなくなったとしても、SF作品そのものがなくなったりすることはない。SF作品は、これまでの分類や体系を越え、あらゆるところで書かれているのだ。 たとえば伝統的な「純文学」の流れの中に出現したSFがある。 もともと安部公房の『第四間氷期』や三島由紀夫の『美しい星』など、純文学作家の書くSFがなかったわけではない。しかし、日本の伝統的文学はSFの存在をまるで無視していた。文学の扱う素材は過去から、せいぜい現代までで、未来のものであるSFは意味がないと考えていたのかもしれない。 硬直した文学観打破のきっかけとなったのは、ラテン・アメリカ文学の紹介だった。世界文学の中でもっとも先進的であるとされたそれは、凝り固まったリアリズムとは無縁のものだった。さらに同時期に紹介されたイギリスのウィリアム・ゴールディングやアメリカのカート・ヴォネガットの国際的評価の高さもあったのだろう。前者はノーベル文学賞を受賞し、後者も候補として名があげられたが、どちらも主要な作品は純然たるSFといってさしつかえない。 こうした情勢と呼応するかたちで、日本文化の現���に強い違和感を抱く村上龍が80年、『コインロッカー・ベイビーズ』を発表。同年には、アメリカ現代文学の洗礼を受けた村上春樹がデビュー、SFと文学の垣根を無視した活躍を始める。ベテラン作家の大江健三郎、井上ひさし、日野啓三らも古い日本文学の枠にとらわれない創作活動でSFに接近した。逆に、SFの方からは筒井康隆が「純文学」と銘打たれた作品群を発表する。そしてこの時代以降、新しい文学の書き手たちは、そのほとんどがSF的手法を取り入れることに何の躊躇も覚えなくなった。高橋源一郎、島田雅彦、いとうせいこう、小林恭二、大岡玲、久間十義、奥泉光、笙野頼子、別唐晶司、大石圭、川上弘美など、そうした作家の名を挙げればきりがない。
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リバタリアンの最大の敵は、「社会正義」の名の下に言論・表現の自由を蹂躙する「ウォーク」になっている。これは右派(リバタリアン)と左派(ウォーク)の対立とされているが、このような旧態依然とした枠組みでは、それが「自由」をめぐる政治思想の闘争であることがわからなくなってしまう。
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250408 CIRCULAR MOTION
【16:00】
これを鍛えすぎると仕事の業務に支障きたすことも多いが、ストレスってもんはほぼゼロになるので「死にたがり」な人は獲得しとくと便利な技術
手帳なり、描きかけのイラストのデータの端っこなりに「今、自分は何をしなければならないか、このタスクにおいて気をつけるべきポイントは何か、なにが一番辛かったか」をメモし、脳からその仕事のことを完全に削除する
それくらいの勢いで手放す
最初は無理。まったく忘れられない。紫の鏡みてーなことになる(20歳までに忘れないとヤバいとされる怪談)
―――――――――――
なぜ忘れられないかというと、その項目が脳内で「重要カテゴリー」に入っており「価値がある」と定義されているから
じゃあ逆に、今日コンビニでもらったレシートの商品リスト全部憶えていられるか? って話。憶えてる人もいるかもしれないが、要らん事に脳使いすぎてて疲れるだろう。普通は忘れる。そもそもコンビニで買う軽食程度なら食べ終わったら何を食べたかすら憶えていない。それが普通
これを、仕事や趣味のラクガキでもそうなるように仕向けてゆく
そもそも仕事における「優先度」とはなにか。それは「ラクして儲かるタスクに注力すること」である
「苦労ばかりで儲からないタスク」には決して注力してはならない。なぜか?
それ(苦労)を大好きになってしまうからである
人は長い時間かけて向き合い、工夫して解決したものを必ず「好き」になる。これは脳科学的にも証明されている
いわゆる「サンクコストバイアス」である
サンクコストバイアスに支配されない為には「好きになりたくないもの」のことは脳のメモリから積極的に手放す
結果として長時間付き合わざるを得ないとしても、決して感情移入しない
「これを好きになったり認めたら厄介なことになる」という「損得勘定」を常に念頭において思考するのだ
趣味のラクガキやブログ記事もそう
このCRYDAYZにはスコアがないから駄文垂れ流し状態だが、FANBOXの方は4日経って8いいね行かない記事は消すようにしている
Xでの投稿は、メインアカウントなら「1000いいね以下」のポストは無条件に消し、消したものはしばらくしてからサブアカウントの方に掲載し「敗者復活戦」をする
サブ垢で「450いいね以下」だった画像ポストは全部消す。「50いいね以下」だったテキスト投稿も全部消す(個人的に残したいテキストはDiscordの文字捨て場的な場所にちゃちゃっと貼る)
そうやって、発信したものすべてをスコアを利用して「残酷に淘汰」してゆく
すると自然とわかる。後ろ向きで甘えていて、皆の生活や趣味に役立たない発信はことごとく無視されるってことが
甘えのつもりで出したものが通る場合もある。けど、それは本当に稀
こうして普段から自分の脳から出るものにスコアをつけていくと、やがて自分の脳内の思考にすらスコアによるソートが適用されるようになる
つまり「皆から受け入れられないような思考はやめよう」という意識が発生する
だから変なこと(=ウケが悪い反社会的なこと)を考えることすらしなくなってゆく
その段階まで行って初めてわかる���だ
自分を散々無視してきた功利主義社達が観ていた「世界」が
ダメ人間に対し冷たい人々は、建設やオモシロ���結びつかない思考を「そもそもしない」のだ
考えたらそれに囚われ「好きになってしまう」事を理解しているから
厄介なものを好きになった人間もまた「厄介者扱い」される究極の残酷さを知っているから...
無論、これを人道に適用したら差別になるし無自覚な人権侵害に発展する
だが、仕事やエンタメにおいてはそれでよい
残念ながら(?)、イラストってものは子供でも家族でもない
ただの「消費物」だ
だから「障害を持ったイラスト」を好きになると損をする
障害抱えたものが好きで仕方ない人は、イラスト描く以前に自分の過去と向き合い、親との関係性を見直すべきだろう
愛着障害抱えた人間が作る創作物は押し並べて「食べづらい」
自分が発信するものが「残酷に消費される」事を受け入れられない人は、仕事や創作以外で自分の価値を担保する「枠」を持っていない
私にはイラストレーターという枠以外に「夫」という枠と「父」としての枠がある。これは社会を生きていく上で非常に有利なカードとなる。財産と言ってもよい
結婚し、子供がいます。そう伝えるだけで多くの人が心を開いてくれる。対話ができる。孤独じゃない
だから、イラストの方で孤独や残酷な淘汰が発生する事を受け入れられる
「競争」に参加する人はなるべく多くの人が共感できる普遍的な枠を複数持っていた方がいい
さもないと、自分の大切なものが残酷な競争に放り込まれた際に心が壊れてしまう
そういうタイプの気合の入れ方(退路断ち)もあるけれど、退路と安全地帯は複数持っておくに限る
まあ、空母戦略だ。沖合で戦闘機で海戦するなら陸から発進するんじゃあなく空母から発進して敵の戦艦をアウトレンジで叩き、また空母に戻って補給して叩きに行く(最悪落とされても全体としてのダメージは小さい)
「戦艦だけで全部やる」という大艦巨砲主義(高火力 / 命中率:低)だと手数の多い小さい敵にちまちま体力削られていずれ沈む
最近だとこれがドローンになりました
個々の火力は小さいものの、戦闘機と比べ遥かにコストの小さいFPVドローン使って自爆特攻させる(もちろんヒットアンドアウェイもできるが、大抵の場合そのまま突っ込んだ方が安く済むのでそうする)
単純なミッションならAI操縦でもまかなえるだろう
「これは別に評価されず棄てられてもいい」という使い捨ての発信を大量に用意して投げまくる
SNSで腐らず発信し評価得てゆくにはそのメンタルが必須だし、なんなら仕事でも恋愛でもなんでもそう
「この気持ちは受け取る人によっては一生物かもしれんけど、こちらは技術で何度でも再現可能」という意識を獲得すると覚悟コストが大幅に減って何度でも本気でぶつかれるようになる
「本気にしか視えない手抜き」ができるようになる。切断されても半日で手足再生できるなら「ここは全力で叩き込んで右腕棄てとくか」という戦略が使えるようになる
そーいう視点でボール投げができるようになると、なーんも怖くなくなります
なんなら投げたことすら忘れます
けど、受け取った側はそれなりの何かを感じ取る。未熟で純粋であればあるほど
善ボール、悪ボール、どちらでもこのエフェクトは発生するけど、悪ボールを投げ慣れると知らんとこで恨まれるから「損」
善ボール投げ慣れれば知らないとこで勝手に感謝される
それは「得」でしょう、どう考えても
気がついたら親切しちまってた... そういう自分に気づけた時、人は「生まれてきてよかった」って思えるんです
【✓】
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例えばWebを例に出すと、SPAや、SSRを駆使した最新のNextjsで組まないといけない案件なんてそうそうない筈なのだけど、jQueryやWordpressより少しマシ、みたいなソリューションでメジャーなものが、なぜかこの業界にはほとんどないので、例えば古いRailsアプリのフロントエンドを新しくする時は、自ずとTypeScriptとReactみたいな話*2になる。 こういう業界標準のナウいフレームワークのいいところは学習曲線と品質管理を「無限」に設定可能なことだ。自分でゴールを設定しない限り、やればやるほど使いこなしていることになるし、洗練されることになるし、常に何かが足りないから、無限に作業をし続けられるのだ。 lintチェックを無効化して、any使ったら5分で終わる作業を1日かけてGenericにして、lintエラーを出なくする「だけ」の、お前それ費用対効果どうなってんだという作業をしても、実際そういう意味の作業をしていることに誰も気づかないし、何ならすごい人扱いしてもらえたりする。困難で理不尽なtypeエラーと戦う責任感ある社会人の顔をしていながら、私が実際にやっていることは型推論に欲情し、涎を垂らしながらReactのレンダリングを頭でトレースしているだけだというのに、誰もその邪(よこしま)さに気づかない。私がしっかり「仕事」していると皆が思い込んでいる。 そういう二重生活をしているから、「仕事なんだから、ね?」と言われるとギクリとしてしまう。実際のところ私がやってることは本屋でバズル本を買いあさった老婆が、自宅でしかめっ面でクロスワードを解いているのと変わりないからだ。パズル本と目の前に並べられた年末調整の書類を交互に見て、「仕事なんだから」の意味を理解しようとしても、彼らが一体何の価値観でもってこれに納得しているのか、自分が納得すべきなのかが、わからない。ただ、わかっていないことに気づかれてはいけないことだけはわかっているのだった。 別にそれで給料が貰えるならいいんじゃないの?という話もあるかもしれない。実際、もらえる。ありがたい話だ。AIによって今後どうなるかはわからないが、まだ当分は大丈夫そうだ。 問題は、これをやっていると、そのうち動けなくなってしまう、ということだ。 動機というか仕事を進める力のほとんどを内発的なものに頼っているので、それが無くなってしまうとパフォーマンスが落ちていく、落ちるだけならいいが、たいてい最後には何も出来なくなってしまう。 こうなると焦る。新しい技術、面白そうなライブラリ、難解なバグ、知的好奇心を刺激してくれる「何か」を探して、出力を維持しようとする。技術ブログを徘徊し、SlideShareを漁る。まるで獲物を探す狩人だが、その動機は「成長したい」というよりガス欠寸前の車が血眼でガソリンスタンドを探しているのと同じで、切実なものだ。 GitHubのトレンドのアーカイブ*3まで見だしたら末期症状だ。もうSlackの通知音一つで飛び上がるような心理状態になっていて、簡単なタスクを頼まれても一種の現実逃避でどうでもいい部分のリファクタリングに没頭したりして、結果を出すまでに平気で2~3日かけだしたりする。まわりは控えめに「〇〇さんはすごいけど、ちょっとムラがあるよね」とか「スイッチ入るまで時間かかるタイプ」と、囁いている。本物の社会人たちが自分の枠組みの中で、私という異常者を説明しようとしているのだが、長々と書いたように、どれも的外れだ。そいつはもはや社会人でもなんでもないのだから。
好きなことで生きていく - megamouthの葬列
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五月にみたもの覚え書き
世がゴールデンウィークだからといって別に休みでもないのは毎年のことなのだけれども、なんもせんのもなんなのでなにかしらやることにしている。今年は東洋美術史をざっくり勉強する、と決めて、4月の末に武蔵野美大出版局の『東洋美術史』を買ってきた。ゴールデンウィーク中に通読することを目標にしていたものの、すっとろくて半分もいかず、五月も終わろうかという頃にようやっと読み終わった。ついでなのでずっと積んでいた美術出版社の『東洋美術史』も併読して、こちらも完走した。
で、先日、用があって神戸に帰省した。ついでなので奈良に寄ったりして、あれこれ見てきた。その覚え書き。
大和文華館にはずっと行きたいと思っていたのだけれどもなかなか機会がなく、あっても逃し、行きたいな行きたいなと思っているうちに十年くらい経っていた。行けてうれしい。老若男女がバランスよくおり、そのどの層も、出されているものを信頼してじっくり見ているかんじがあってよかった。健全な集中力が展示室内をひたひたにしている。
静かな衝撃だったのが北魏の石造二仏並坐像で、字の通り、仏と仏が並んで坐っている。こういう���式の仏像をはじめて見た。ほんのわずかに顔がお互いの方に傾いている。小ささも相俟って、閉じた、親密なかんじがする。とてもいい。
青花双魚文大皿。二匹の魚のまわりに水草を二種描いている。一種は金魚藻みたいな形のやつで、もう一種は一枚一枚の葉の長いもの。前者が星を散らしたみたいな効果を出しているのに対し、後者はストロークの長い有機的な曲線が水の流れを感じさせるような効果を出していて、この取り合わせの妙がいい。外側は陸の植物複数種が切れ目なくぐるりと囲む(四季の花を組み合わせることで永続性を象徴させているらしい)。魚は、描かれている見込みの面積からすると小さめなのだけれども、背びれをグッと立てて全開にし、胸を張っるようにして頭のほうを起こし、口をギュッと結んで、上げた顎ごしに下を睨みつけるような、気合の入った顔をしている。でも小さい。小さい体に大きいガッツというかんじがして、いい。真横から描かれているが、胸びれも腹びれも左右両方が見えるようにズラしてあり、それが動きと若干の立体感を感じさせて、イキイキして見える。「魚」は中国語の発音がと「余」と音が同じなので縁起がいい、ということらしいけれども、たとえ縁起が最悪だったとしてもぜひ見たい、いい絵。
『大和文華館所蔵品目録』として矢代幸雄直筆の書類が展示されていた。使われている紙が大和文華館仕様の原稿用紙なのだけれど、これがとても素晴らしくて、上部に広くスペースが設けられているので図なり註なりをたっぷり書き(描き)込める。一枚あたりがA5くらいの縦長で、ふつうの原稿用紙のハーフサイズ(だから200字?)になっている。もしやミュージアムショップに売ってやしないかと覗いてみたけども、なかった。売るべきだと思う。売ってください。
国宝展開催中の奈良国博は噂に違わぬ大混雑。奈良国博が、というより奈良がもう全体的に大混雑で、鹿にしても飽食状態なんかして人間に対する関心がやや薄く、煎餅差し出されても「まあそんなに言うんやったらもらってやってもいい」くらいの反応でしかない。しんどいので、見たかったやつだけじっくり見た。
百済観音は細身な印象が強いが、腕は案外太い。肩の丸みがそのまま腕の太さになって、そのまま肘までおりるかんじ。本体のS字のシルエットに共振するように、装飾の曲線がつく(耳飾りと袖)。全身のシルエットそれ自体が蝋燭の灯のようにも見える。
宝菩提院願徳寺菩薩半跏像。ウナギの群れのご��きぐりゅんぐりゅんの衣文がすごい。衣自体にはほとんど嵩がなくて、濡れた布が体にまとわりついているようでもある。滝を描いた山水画をなんとなく彷彿とさせる。菩薩の体を源として、なにかが激しく流れ落ちているかんじがする。この作品を取り囲む人だかりからおじさまがひとり、「ピカイチやな……」と呟きながら出てきた。ほんまやね。
中宮寺菩薩半跏像。この一軀のために一室設けられている。白い空間の真ん中に、黒い仏像が置かれている。シルエットの簡潔さが際立つ。パッと見は安らいだ表情のようにも思えるのだが、単眼鏡で眺めてみると小鼻の上あたりの肉にやや緊張したかんじがあり、差し迫った表情のようでもある。左目の下に筋状に漆の乱れがあるようで、これが涙の跡ようにも見える(同展出品の法隆寺地蔵菩薩立像の左目下にも筋みたいなものを見つけたけどなんなんだろう)。肘の位置が左右でけっこう違うが、肩は水平で、前後にもずれない。後ろ姿がいい(今回の展示では360°どこからでも見ることができる。一生分見とくつもりで、長いこと真後ろに立ってボーっと眺めていた)。肩甲骨などの凹凸は彫り出されず、中央の溝だけが一本、すばらしい微妙さで彫られていて、背中のなめらかな曲面の連なりをつないでいる。やや前側にかがみこむような姿勢なので背中がわずかに丸まっていて、そのことによって高い集中力を感じさせる。尻は体重で潰れることなく、高さを保ったまま小ぶりに締まる。それで腰の位置が高く見え、上半身に若干浮遊感が生まれているように思う。
神戸にいる間に空いた時間で白鶴美術館にも行ってきた。ここは春季と秋季だけ開館していて、対する私は夏と年末年始くらいしか帰省しないので、行きたいな行きたいなと思っているうちに十年くらい経っていた。行けてうれしい。阪急御影から山側に十数分くらい歩いたところにある。
おもに本館一階の展示室の古代中国の青銅器をじっくりみた。図版で見るといかにもいかめしいかんじがあって、近寄りがたく思っていたのだが、実物を見ると案外まろやかな印象を受ける。表面がなめらかな部分なんかは翡翠みたいに見える。単眼鏡で細部を観察するのがとても楽しい。饕餮夔龍文方卣は特にのびのびとしたかんじがあって、把手のつけ根のひょうきんな顔(キリンのツノみたいなのが生えている。顎がしゃくれていて、ちょっと口角が上がって見える)とか、フタの持ち手の犬の顔がついた鳥みたいな造形とか、見ていて飽きない。象頭兕觥は字の通り象の頭が象られていて、おもしろい。
西周時代の車馬具のなかに「節約」という名称のパーツが���っておもしろかった。綱紐をつなげるのに使う、K字状のもの。
金象嵌渦雲文敦は足とフタのついた球形の青銅器で、器形がまずたいへん愛おしい。三本足(動物の足のような形。こどもの虎のみたいなかんじ。かわいい)に二つの把手(虎?の顔)がついていて、顔に正面から向きあうようにして見ると足の一方が近く、もう一方が離れて見えることになり、そこにリズムが生まれている。なおフタには環が三つついていて、今回は足の位置に揃えて置かれていたけれども、ズラしてみるとまた違うリズムが生まれそうで、妄想していると楽しい。この環というのがやや外向きに開くように配置されていて、その点でも大らかさというか開放感みたいなものが感じられ、好きにさせられてしまう。
二階は漢から唐ぐらいまでの金工作品が出ていた。
鍍金花鳥文銀製八曲長杯は八辨の花形を横に引き伸ばしたような変わった形をした器で、杯というには浅いようにも思えるけれども、皿というには深さがある。外側側面は、銀色の地の上に金色の植物と鳥の文様がたっぷり詰めこまれている。他にも唐代の小品がいくつも出ていたけれども、いずれもたいそう趣味がよくて、なんという時代であろうかと思った。自分が遣唐使だったらたぶん、船に積む品物が選べなくて泣いちゃう。
二階の展示室の端っこの小さい区画(昔は貴賓室だったらしい)が次の展示の予告のコーナーということになっていて、出品予定の南宋と明のやきものが出ていた。次は陶磁器の名品展的なことをやるらしい。自前のコレクションであれこれ展示を組み立てて回していけるからこそできることなんだろうなと思う。賢い。
新館ではコーカサスの絨毯をみた。閉館間際であんまりゆっくりはできなかったのだけれども、眼福だった。V字型の鳥がたくさん織り出されたカザック絨毯が特によかった。絨毯の真ん中の淡い緑色の菱形の区画に、クリーム色、黄土色、朱色、こげ茶色の鳥がわんさかいる。絨毯の縁の枠の部分にもちらほらいる。
帰りは住吉川沿いを少し歩いた。それからどういう道を通ったのかあんまり覚えてないのだけど、途中に時間が止まったような小さい公園を見つけた。一度は通りすぎたものの、やっぱり気になったので引き返し、写真を撮った。近くのどこかの部屋からピアノの音が聞こえていて、同じフレーズがつたない指で繰り返し練習されているようだった。

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252.5/20の分
軽い作業とプレゼンコメントについてpt.2
気温差にやられてます。 頭像モデルが進められてなくてちょっとまずいです。なのに気づいたら以前制作した素体モデルのブラッシュアップをしていました。 あとはESを進めました。あまりがっつり作業できていないのでちゃんと休んだ分切り替えて明日以降取り組みます。
コメントで上げてくださった一昨年度の先輩の作品をまだあまり深く調べられていないので明日そこもリサーチできればと思います。
また、下でも述べていますが、昨日見つけたサイトなどで見つけたインテリアグッズや作品に対してどうカタチに落とし込んでいるか、事象とデザインに分解し、考え、一覧表のような形でまとめたいと思います。
プレゼンコメントについてpt.2
昨日は参考資料に対してまとめましたが今回はコメント全体に対して感想を書いていこうと思います。まとめ直した感じなので昨日と内容重複しているとこもあります。
何度も述べていますが、作品形式を決めていない状態で挑戦したいという気持ちから事象に着目し研究を行い、そこから作品形式を決めるという手順にしています。私自身今まで作品形式といったゴールを決めてから取り組むことがほとんどでした。しかし、私が興味を持った作品は偶然出てきたものや研究の中で発見したものをカタチにしたものが多く、一度そういった順番で作品制作をしたいと思い、今回このように挑戦しています。 それにあたり、三年ゼミ展での一番の反省でもあったように「自分にできるのはこういうものだろう」と無意識に創造の制限をかけてしまいその枠を出ないものしか作れないという問題があります。今回の制作においてもカタチは決めないと言いつつも「こんなものだろう」と無意識に制限をかけてしまっていたと思います。この対策として、様々な作品に触れることが大切だと参考資料を見て思いました。教授がおっしゃるように「現象の見せ方のデザイン」という先行事例の多くに触れ、自分の中の制限を取っ払う勢いで自分の中に吸収しなければいけません。既存製品や作品を「わぁすごい」で終わらせるのではなく興味を持ったモノの取り上げている事象、それをどう形にしたか、をまとめて行こうと思います。それと同時にテーマの「混ざる・変化する」のどこに魅力を感じどんな種類のもの��あるのかを調べ自分と向き合う必要があります。この二つが5.6月の主軸になると思います。
①事象をカタチ・デザインにどう落とし込んでいるか、先行事例に触れ事象との向き合い方の幅広さを学ぶ&創造の制限(固定観念)を取っ払う。
②「混ざる・変化する」の要素を分解して考えどんなものがあるか、どこに興味を持っているか(主軸となる物)を考える。 ↑「どんな意味性が何を混ざるのか」の部分につながる。
広くを見ながらテーマについて自分と向き合って興味関心と向き合わなければいけないですね。
この②が決まれば「混ざる・変化する」の軸となる表現を見つけるヒントにつながると思います。(例:時間に着目する。〇と〇の混ざる形に着目する。など)
こんな感じです。もう一度視野を広げてリサーチしたいと思います。着目していた化学反応についても少しずつリサーチを進めますが、まずは上記の①,②を見つめるのが最優先事項になります。
蛇足 混ざるという点でガラスという素材に着目しても面白そうだなと今日ぼーっと思いました。 サンフランシスコの施設の件ですが、行くとしたら7月と考えていましたがパスポートを取るのに一か月近くかかるそうでもし行くならもう決断しないといけないタイミングでわぁ、、、となっています。どうしよう。
小さい頃は固定観念なんてしらねーって感じで個性的な髪型やら自由な服装やらでブイブイ行っていた小学生キッズだったのですが、最近はその片鱗が微塵もない…。成長して私の大切なアイデンティティの一部が欠落してしまったようで…あの時のような鋭さはどこに行ってしまったのでしょう。どこで落としてしまったんですかね…まだ拾えますか…。
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下記について、経済アナリスト、株式アナリスト、行動経済学者、経営コンサルタント、戦略コンサルタント、シンクタンク、エンジニアに交互に発話させ、課題と解決方法も混ぜながら、水平思考を使い議論してください。
軍事本を使って、合理性と戦略論を学ぶ
20世紀までの軍事作戦で重要なのは、いかに殺傷するか、敵をせん滅するかではなく、いかに友軍の士気を高め、敗走させないかである。いかに敵の裏をかいて包囲し、機動力で圧倒するかである。あるいは、いかに補給路を確保しながら、前線の情報を収集して優位に立つかが重要なのだ。
経済アナリスト: 軍事戦略から経済に応用できるのは、リソースの管理と効率的な配分です。補給路の確保は、企業のサプライチェーン管理に通じるものがあります。企業は競争力を保つために、いかに効率的な物流網を確保し、コストを抑えつつ市場での優位性を確保するかが重要です。
株式アナリスト: それは投資戦略にも似ています。投資家として重要なのは、どこでリスクを取るか、どこで防御を固めるか。たとえば、市場の裏をかくという点は、他の投資家が見逃している市場やトレンドを先取りする戦略に相当します。
行動経済学者: ここで興味深いのは、人間の意思決定や行動における非合理性です。士気やモチベーションを高めることは、行動経済学でいう「ナッジ」の要素と共通しています。人間の感情や心理が合理的な戦略を超えることがあり、��れをうまく利用することで、予想外の成果を上げることができます。
経営コンサルタント: 企業戦略でも、社員の士気やモチベーションが業績に直結します。リーダーシップや組織文化が強固な企業は、逆境でも強い。軍事戦略で言えば、士気を高めるリーダーの存在が勝利に不可欠であるように、企業においてもリーダーシップが重要です。
戦略コンサルタント: 軍事での裏をかく戦術や機動力は、ビジネスでも「アジリティ」が重要であることを示しています。変化の速い市場で、いかにして他社を出し抜くか、そしてリソースを効率的に動かして機動力を高めるかが、勝負を決めます。
シンクタンク: 軍事作戦の論理は、国家レベルの政策立案にも反映されます。例えば、エネルギー資源や物流ルートの確保は、国家戦略の根幹を成す部分です。経済や外交政策の策定においても、リソースと機動力、情報収集の重要性が強調されます。
エンジニア: 技術的な観点では、現代の軍事やビジネス戦略はデータの活用が鍵です。前線の情報収集は、ビッグデータやAIを活用することで実現できます。情報をリアルタイムで分析し、迅速に行動を決定することが、勝利の決定要因となります。
経済アナリスト: 結局、軍事戦略と経済戦略は、リソースの効率的な管理と、いかに競争優位を保つかという点で共通しています。水平思考を使えば、非直線的な方法で新しい解決策が見つかるかもしれません。
行動経済学者: 非直線的なアプローチで言えば、感情や心理の影響をもっと積極的に考慮すべきです。合理的な判断が常に正しいとは限りません。士気を高めるためのインセンティブ設計など、人々の行動をコントロールする方法を考える必要があります。
戦略コンサルタント: そうですね。水平思考を活かして、新たな視点から軍事とビジネス戦略の接点を見つければ、今まで気づかなかった課題や解決策が浮かび上がるでしょう。
経営コンサルタント: さらに言えば、軍事戦略での補給路の確保とリソースの管理は、企業におけるリスクマネジメントと同じです。ビジネスでは、不測の事態に備えてリソースを分散させることで、危機に対応できるように準備しておく必要があります。特にサプライチェーンの柔軟性は、企業の成功に直結します。
株式アナリスト: 同様に、投資ポートフォリオの多様化もリスクマネジメントの一環です。分散投資は、単一のリスク要因に依存することを避ける戦略です。これは、軍事作戦において複数の前線や補給路を持つことで、敵の攻撃に備えることと類似しています。
エンジニア: 技術的な視点では、最新のデジタル技術やAIを使って、ビジネスや軍事の現場でより効果的なデータ分析やリスク管理を行うことが可能です。軍事における情報収集が戦況を左右するように、ビジネスにおいても、リアルタイムのデータ分析が意思決定において非常に重要です。
シンクタンク: 国家戦略でも同じことが言えます。たとえば、エネルギー資源の確保は国家の安全保障に直結する問題です。これを軍事の補給路と比較すると、国家がいかにして安定したエネルギー供給を確保するかという視点で��議論が進みます。水平思考でこれを解決するためには、エネルギーの多様化や代替エネルギーの活用が有効です。
行動経済学者: また、士気や感情的な��素が人々の行動に大きな影響を与えるという点は、政治や社会政策でも無視できません。特に大規模なプロジェクトや政策を推進する際には、人々の心理的な抵抗や不安をどのように解消するかが鍵になります。感情的な側面も合理的な戦略と並んで考慮されるべきです。
戦略コンサルタント: ビジネス戦略では、マーケットシェアを確保するための「包囲戦略」も考えられます。競合他社を取り囲む形で市場を攻略し、徐々に自社の優位性を高めるというものです。これは軍事作戦における包囲戦術と似ており、敵を圧倒する前に周囲からじわじわと影響を与える形です。
経済アナリスト: 最終的には、合理性と感情、短期的な勝利と長期的な成功のバランスが重要です。戦略的思考は、軍事だけでなくビジネスや社会政策、国家戦略にも応用可能です。水平思考を活かすことで、新たな組み合わせやアプローチが見つかり、それが成功への道を切り開くことになります。
エンジニア: 技術的な進化を最大限に活用し、水平思考を取り入れた柔軟なアプローチを推進することで、将来的にはより効率的かつ革新的な解決策が見えてくるでしょう。情報収集、データ分析、そしてそれをもとにした迅速な意思決定が、未来の勝利を導きます。
---
このように、軍事戦略の教訓は、リソース管理、士気の維持、情報の活用など、ビジネスや社会のさまざまな分野で応用可能です。水平思考を使うことで、既存の枠組みにとらわれない新しい視点からの解決策が見出され、さまざまな分野の課題に対処できます。
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AIコーディングツール「Cursor」で記事を書くようにしたら、“考える余裕”ができた 2025.04.30 20:00 author かみやまたくみ
楽すぎる。
いろんなAIツールが登場している昨今、特に評判がいいのが「Cursor(カーソル)」です。AIにコードを書かせまくり、ひたすら楽してプログラム開発しちゃおう、って感じの開発ツールです。エンジニアに大好評で、大企業開発部署への導入がガンガン決まっていたりします。
結論から言うと、「文章を書くのが仕事」という人にもおすすめできます。
自分はエンジニアでも何でもなく、物書きなのですが、あんまりにも目にするので「そんなにすごいの?」と思って触ってみたら、よすぎて手放せなくなってしまいました。
目次
Cursorとは
Cursorを使い始めて何が変わったか?
a. 文章執筆の全工程を効率化できる
b.「書くべきこと」をさっさと決められる
c. 「必要だけど本質的でない作業」で消耗しなくなる
d. 企画・構成に時間を使える
使える機能と、具体的な使い方
1) AIペインを執筆に接���して効率化
2) 資料をすばやく生成&管理。量で戦う
3) しんどい校正・校閲。AIの力を借りて楽をする
「書くのがやめられない」って人には本当におすすめ
同時に検討したほうがいいAIツール
コードを書くなら万能ツール。無限の可能性を秘めている
Cursorとは main CursorはAIコーディングツール、本来的にはプログラムを開発するためのアプリケーションです。特徴は「AIペイン」「エディタ」「ファイル管理」の3つの機能がシームレスに統合されていること。
search 特に「AIペイン」が強力です。UIとしてはChatGPTのようなチャット欄があるという感じなのですが、中身が異なります。昨今話題の「AIエージェント」の一種で、ざっくりとした指示から複合的な処理を行ってくれます。「sample.txtを翻訳して、sample_jp.txtに保存」と指示すれば、翻訳作業とファイルへの保存を両方やってくれる、といった具合。話が早いのです。
file また、文章を書くには多くの資料が必要となりますが、ファイル管理機能が統合されているので、「とっちらかり」が防げます。
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本来的にはコードを書くためのツールですが、コードもテキストの一種。「書く」のは同じなので、コードに限定せずとも活用できる、という感じですね。
Cursorを使い始めて何が変わったか? 夢物語のようだし主観的にならざるを得ないので気が引けますが、書ける量は増え、1本1本の質も上がったと思います。
多く書くのがキツいのは、1日に使える「考える脳力」に限界があるからです。限界がきたら頭が考えるのを拒否し始めます。「何を具体的にどう書くか」が決められない=もう書けない、となります。
Cursorはそういう状態になるのを防ぐ──「脳のキャパシティ上限」を上げるツールと言っていいようなところがあります。「頭でやる単純な作業」をAIに任せつつ、自分でも書き進める。比喩ではなく実態的に、専属アシスタントと同時並行で思考・作業をしているので楽だし速いのです。
a. 文章執筆の全工程を効率化できる writing_process Image: かみやまたくみ, Generated with o3 文章執筆はざっくり以下のようなプロセスで進み、AIはどの工程でも活用できます。
1. アイデア収集
2. 企画・構成
3. 素材収集
4. 本文執筆
5. 校正・校閲
6. 公開
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アイデア収集・素材収集(下準備)と校正・校閲(後処理)は、AIを使うことで極めて効率的に行なえます。どちらも機械的なところがあり、かつボリュームもあるからです。
企画や構成、本文執筆を任せることももちろん可能です。調べ物をレポート化するとか、個人ブログ用の文章を書かせるとかであれば、企画・構成・資料が揃った段階で全文AI生成もいけます。
ジャンルを絞ったのは、商用や学術的な文章を丸々AIに執筆させるのは厳しい���ということでもあります(本稿はそういった水準を前提としているので、本文の生成については扱いません)。とはいえ、企画・構成や本文のプロトタイプを書かせることはでき、それはかなり重宝します。
余談気味になりましたが、Cursorは常にAIを活用する想定で作られている関係で、AI処理の結果を適用するのがとにかくスムーズです。後ほど、具体的にお見せします。
b.「書くべきこと」をさっさと決められる file どのフェーズでも、そのフェーズに合った資料を用意したり、メモを作って書き出しながらやったほうが先に進みやすいです。昔のメモを見返したときに、新しい企画やいい表現が思い浮かぶ、なんてのはよくある話です。
万博のスイスパビリオンは「食べられるロボット」が見られます 万博のスイスパビリオンは「食べられるロボット」が見られます Sponsored by FDFA, Presence Switzerland Cursorがファイル管理機能を有することは、この点と相性がいいです。気になったニュースの本文とその感想、初めて登山をしたときの日記、インタビュー取材の文字起こし、そういったものが蓄積されていればいるほど、書くことが定まりやすい。
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その反面、「あのメモどこだっけ?」となりやすいのですが、Cursorは自然言語でのファイル検索(うろおぼえ検索)も可能です。ファイル管理画面も常時表示できるので、開くのもすぐです。
c. 「必要だけど本質的でない作業」で消耗しなくなる checking 突き詰めれば、書くことが具体的に決まってしまえば、文章はほとんど完成していると言えます。あとは書くだけ。でも、これは理想論に過ぎません。
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実際には文章のパーツとなる資料を集めるのはほぼ必須ですし、本文の構成や表現もだいたい悩みます。書き終わったあとは誤りがないかをチェックしなければなりません。
AIはこの理想と現実の差も埋めてくれます。集めた資料の中でどれが重要かは、要約してもらえばすぐに判断できます。本文の推敲も「第三者」の目があると捗ります。誤字脱字チェックのような機械的な作業は得意中の得意です。
d. 企画・構成に時間を使える thinking Image: かみやまたくみ, Generated with o3 AIに作業的な部分をやってもらうことで、「本当に重要な部分を気にし���がら進める余裕」を確保しやすくなります。究極的にCursorがよかったのはここです。
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文章執筆にあたってもっとも重要なのは、企画・構成です。これらの良し悪しは結果にダイレクトに影響するので、時間をかけられるだけかけるべきです。具体的な作業が始まってからも「当初の企画・構成からズレてきていないか?」は常に意識したほうがよいのですが、やることも多く気づいたらコントロールを外れていた…はよくある話です。
AIを活用したい最大の理由は、「自分は何をするべきなのか?」を考え、それを見失わずに確実に遂行するには「必要だけど本丸ではない作業」で消耗していられないから、です。
使える機能と、具体的な使い方 大枠はそんな感じですが、以下、どうCursorを使っているのかを具体的に紹介します。
1) AIペインを執筆に接続して効率化 search 月額20ドル
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こう原稿に書くとします。日本円だといくらかが併記されていたほうが見��すいですよね。ここで「月額20ドル」を選択してCmd/Ctrl+Lとショートカットを入力、AIペインに移動します。
自分:
@Web 2025/04/30時点で約何円ですか?(十の桁で四捨五入)
Cursor:
2025年4月30日時点の77銀行「米ドル/円」仲値は 1 USD = 約 141.2 JPY でした[1]。
したがって 20 ドル × 141.2 = 2,824 円 → 十の位で四捨五入すると **2,830 円** です。
---
[1] 77銀行 為替レート(2025年)
https://www.77bank.co.jp/kawase/usd2025.html
CursorがAI(o4-mini)を用いてネットを検索、回答を生成します。Escを押して執筆中のテキストに戻り、今度はCmd/Ctrl+Kと入力して「プロンプトバー」を呼び出します。
cmd_k 「月額20ドル(約」と入力して決定すると…
月額20ドル(約2,830円)
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先ほどの回答を用いて補ってくれます。Cmd/Ctrl+Enterで決定すると先ほど書いた月額20ドルの部分が円換算つきの表現に置換されます。
1. 執筆画面とAIペインはショートカットで自由に行ったり来たりできる(キーボードから手を離さなくていいので効率がいい)
2. AIにWeb検索や推論をさせ、その結果を原稿に合った形で反映してもらえる
「AIペイン」で「コピペなどの手間が圧縮できる」とはこういうことです。ショートカットで執筆画面とAI処理用のUIをシームレスに行ったり来たりできるため、速いし、執筆のリズム感も失われにくいです。
2) 資料(要約・翻訳・レポート)をすばやく生成&管理。量で戦う 書くには資料が必要です。たとえば、本稿を書くにあたっては、Cursorの文書資料に一通り目を通しています。ぜんぶ英語だったので、必要そうな部分は日本語に翻訳してあります。自力でやってたら時間がかかりすぎるので、翻訳作業はAIにやってもらいます。
ja_CmdK_Overview.md
ja_Terminal_CmdK.md
ja_Tab_Overview.md
ja_Tab_vs_GitHub_Copilot.md
ja_Auto-import.md
ja_Advanced_Features.md
ja_Agent_Mode.md
ja_Ask_Mode.md
ja_Chat_Overview.md
ja_Custom_Modes.md
ja_Manual_Mode.md
ja_Tools.md
ja_Keyboard_Shortcuts.md
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ざっとリストするとこんな感じで、実際はこの倍以上ありますが、読むのを含めてかかったのは2時間程度です。この例では資料は主に翻訳ですが、要約とソース原文をセットで用いる形も多いです(要約はもちろんAIが担当)。
2_colmun Cursorでは「主要な公式資料と付き合わせて執筆」がとにかくやりやすいです。AIを用いて自分が理解しやすい形式の資料を用意するのがすばやいうえに、それらを複数表示・確認しながら原稿を書き進められるからです。
IMG_3147 実際はこんな感じでワイドディスプレイに6カラム(列)表示させて書いています。導入前と比べて、明らかにより正確に書けるようになりました。迷いにくいのもいいです。
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膨大な資料は左端に常駐させられる「ファイルツリー」からいつでも開けます。Finderやエクスプローラーをわざわざ開いてダブルクリックして…みたいなことは必要ありません。Cursorだけで多くの作業が完了しやすいです。
やりすぎ感がハイパー。使ってわかったHyperX製品のハイパーすぎるポイント やりすぎ感がハイパー。使ってわかったHyperX製品のハイパーすぎるポイント Sponsored by 日本HP 3) しんどい校正・校閲。AIの力を借りて楽をする 公開直前の文章には2つのチェックが必要です。1つ目が「事実誤認がないか」。全文が事実に即しているのかは、必ず確認する必要があります。もう1つが誤字脱字やタイポがないか。いい文章が書けても、これがあると台無し。ですが、AIを活用すると、こういったチェックも楽になります。
ファクトチェックはかなり煩雑な作業です。Webで関連しそうな事項を検索→内容を読む→自分の記述と相違がないか判断→必要があれば修正、とざっくり見ても4工程必要なうえに、それが確認が必要なカ所分だけ発生します。Webでの裏取りがとにかく重いのですよね。ネットの海からソースとなる情報を引っ張ってくるのがとにかく大変です(Google検索があんま役に立たない)。
ところが昨今、AIがうまいこと必要な情報を引っ張ってこれるようになりました。Cursorで標準で使えるo4-miniなどもそう。使わない手はありません。ファクトチェック時に典拠となるページのURLを付してもらい、必要に応じてダブルチェックもかけられるようにすれば、ハルシネーションがあっても潰しやすくなります。
checking @article.txt の1文1文に対して @Web でファクトチェックを行ってください。2025年4月28日時点で最新の情報と照合してください。感想などの主観を表現している部分は無視して構いません。各文について、以下のフォーマットに沿って結果を回答してください。回答は fact_check.txt に保存してください:
原文n: (冒頭10文字程度のみ記載)
真偽: 真 or 偽
指摘内容: (偽の場合のみ。50文字以内)
根拠URL:
「ネットを探し回る時間」からだいぶ解放されました。
correction 誤字脱字チェックはもっともAIにやらせるべき作業です。どうしても意味を追ってしまう人間は、てにをは(助詞)の脱落なんかを見逃しがちですが、AIはキチキチ指摘してくれます。
@article.txt に誤字脱字・タイポがないかチェックしてください。回答はdiff形式としてください。
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※diff形式はテキストファイルの変更点を表示するための形式です。この形式を指定するとAIが「そのままワンボタンで反映できるように」回答してくれやすくなります。実はChatGPTでも使えるテクニック。
「書くのがやめられない」って人には本当におすすめ cursor 資料の収集・整理、細かな部分の推敲と事実確認、誤字脱字チェック。いずれも作業としては必要ですが、書くことがおもしろいのは、「何をどう書けばおもしろいのか?」を考え、没頭しているときです。Cursorは「書く」という行為の本質に今いちばん近づけるツールのひとつだと感じます。
相性がいいのは、自分のようにWebなどで発表する文章(記事・ブログ・小説等々)をコンスタントに書く方・翻訳をされる方・多数の文書資料を並行的に読破する必要がある研究者の方などでしょう。資料含め、扱う文章のボリュームが多い方ほど、活用できるはずです。文章ガチ勢向きともいいます。
ネックになるのは無料ではないことです。AIアプリは料金が高いですが、Cursorもその例に漏れません。
ここまで紹介したような使い方をするにはProプラン以上に入る必要があり、その価格は月額20ドル(2,900円弱・年間契約時)から。OpenAIのo4-miniなど、各社のAIモデルを好みで選んで使えますが、Proだと500 Requestを超えると速度に制限がかかると、快適に使える回数には上限があります(詳しくは公式の説明をご覧ください)。o3などの一部高性能モデルは従量課金制です。アプリケーションそのものはよくできていますが、安いとは言えず、Requestを節約しながら使っていく感じになります。
無課金でも使えますが、AI機能が制限されて「いちばんオイシイ使い方」ができなくなるので、むしろ上級者向きです。
同時に検討したほうがいいAIツール google 対抗馬となるのは、オフィス系AIアプリとAIチャットボット、そして似た機能性の開発ツールです。
Google Workspace
・Googleドキュメント×Geminiで文章執筆が可能
・GmailをAI化でき、Notebook LMが使えるなど、使えるAI機能が多いうえに強力
・月額1600円からと料金も現実的
Microsoft 365 Copilot
・ビジネス標準となっているWord/Excel/PowerPointでAI生成が使えるため、汎用性が極めて高い
・Word/PDFをPowerPoint(プレゼン)に変換できるなど、ずば抜けて強力な機能を有する
・月額約4,500円。強力だが高価なタイプ
ChatGPT
・課金すると使える「o3」は今最強のAIアシスタント。仕事以外にも活用しやすい
・テキスト生成の品質は極めて高い。日本語がめちゃくちゃ上手
・画像生成のクオリティも非常に高い
・チャット形式な関係で、特定の分野でフル活用しようとすると、運用の手間が大きくなる
・月額20ドル(約2,900円)
Visual Studio Code
・Cursorに似た統合開発環境(IDE)。同等のファイル管理機能を備える
・AIエージェントが無料ユーザーでも利用可能なのが最大の特徴
・AI機能を使い倒したい場合の課金も月額10ドル(約1,500円)と敷居が低い
Cursorは「本文をガチガチに作り込む人向け」という立ち位置になると思います。よりビジネス寄りの使い方もしたい方や、価格感を抑えたい方は上記のサービスと比較してみてください。
コードを書くなら万能ツール。無限の可能性を秘めている 20250430_cursor_re_DSC02217 ちなみに、コードを書くのであれば、Cursorはオフィス系アプリに対抗できる機能性を実現できます。Pythonライブラリを活用すればPDFも処理できるし、音声認識モデルで取材の録音を文字起こししたりもできます。AI画像生成だって実行可能です。プログラムが作れて実行できるとは、そういうことです。
いろいろと敷居が高い部分もありますが、自分はCursorがとても気に入りました。古き良きテキストエディタ的な味わいがありつつも、ゴリゴリにAIが使える。自分の人生で今がいちばん速く、深く書けている印象さえあります。あと、文字がなんか読みやすいのがとても気に入っています。
2週間の無料トライアルが可能なので、気になった方は試してみてください。
さよなら、充電ケーブル。自動巻き取り式フル装備にしたら世界が変わった さよなら、充電ケーブル。自動巻き取り式フル装備にしたら世界が変わった Sponsored by TORRAS Japan Cursorで文章制作する際の基本的な操作方法を @web で調べてまとめてください。回答は how_to_cursor.txt に保存してください
なんてAIペインに打ち込んでみたら、この記事で伝えたかったことが直感的に伝わるんじゃないかと思います。
Source: Cursor, Google Workspace, Microsoft 365 Copilot, Visual Studio Code, ChatGPT
(AIコーディングツール「Cursor」で記事を書くようにしたら、“考える余裕”ができた | ギズモード・ジャパンから)
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「最高の不自由を生きる』——動物的自由を超えて
・洗脳と自由のパラドックス
人は生きる限り、何らかの価値観に影響を受け、それに基づいて行動する。家庭、教育、社会、宗教、文化、国家──これらは私たちの思考や生き方を無意識のうちに形作っている。
この影響を「洗脳」と呼ぶならば、完全にそこから自由になることは、悟りのような超越的な境地に至らない限りほぼ不可能と言える。
この『洗脳状態』は、一見すると安心感や社会的な連帯感をもたらすが、その代償として、深い思索や自己への問いかけを阻害する要因ともなりうる。安全で快適な環境がもたらす「満足感」は、一種の精神的停滞を招き、変革への原動力を弱める。たとえば、現代のメディアや教育システムは、一見すると客観的で普遍的な真理を提示しているように見えるが、その多くは特定の価値観や枠組みに基づいており、一面的な見解を「唯一の正解」として刷り込む作用を持つ。
こうした状況下で、「洗脳を拒否する」ためには、既存の枠組みを批判的に検証し、自らが信じるべき価値を積極的に選択する必要がある。これは、単なる反発ではなく、自己の内面に根ざした真の自由を追求するプロセスと言える。
しかし、ここで重要なのは、単なる反抗ではなく、何を受け入れるか、何を選び取るかという意識的な行為である。
ただ無自覚に洗脳され続けるのではなく、「意識的にどの価値を選ぶか」を考えること。そして、それこそが人間として自らを高める道のひとつではないか。
周囲から無自覚に洗脳されることも、単なる反発によってすべてを否定することもせず、『より良い価値を選び取る』という構え。
それが、現時点でできる最良の選択だろう。
ミルダッドが説いたように、人間は自らの「牢獄」の看守であり、その鍵は自分自身の手の中にある。すなわち、洗脳を全く拒絶することはできなくとも、自らがどの洗脳を選び、内面化するかで「生きる自由」は大きく変わるのだ。単に既存の枠組みに従う(というより自動機械)のではなく、意識的に「より良い洗脳」を選ぶことで、自分自身の本質を磨き、内面の自由を手に入れる。そのための試みこそが、我々人間にとっての自由への道、主体的な生の探求といえるだろう。
・どの価値を選ぶべきか?
では、「より良い価値」とは何か。それは単なる快適さや都合の良さではなく、自分自身をより深く理解し、世界との関わり方を豊かにするものでなければならない。私はその価値を、仏教やヨーガ、その他多くの宗教や思想から照らし合わせ、「エゴを超え、より自由で、より創造的な方向へと向かうこと」とする。
また、ただ「エゴを捨てよ」と言うのは簡単だが、実際にはそれ自体が新たなエゴの温床になりかねない。「私は利他的である」「私は高尚な道を歩んでいる」と自負することが、かえって自己満足や承認欲求につながることもある。
あるいは、老子の説く「無為自然」や禅における「無心」を誤解し、それを単なる放任や本能のままの生にすり替えてしまうこともある。実際には、それは「意識的な超越」とは異なり、単に受動的な無自覚へと堕する危険を孕んでいる。
動物は完全に無為自然・無心の境地に達している。赤子も同じだ。しかし彼らの説く「無為自然」や「無心」の境地がそれらと異なることは自明だろう。言葉にすることは容易くないが、あえて説明するならば、動物や赤子は無意識的な無心(環境に従順)であり、我々凡人はエゴに支配された選択(快楽や恐れに従う)である。
無論動物の生き方は、一つの完成形だ。
しかし、人間はそれを意識的に選択する可能性を持つ。
そして老子や禅でいうところの無為自然や無心の境地とは、それらを更に超え、意識的な無心(全てを超越しながら世界を生きる)の境地ということができる。
・エゴを意識し、より良い方向へ使う
仏教の「無我」の教えによれば、そもそも固定された「私」というものは存在しない。私たちの存在は縁によって成り立ち、常に変化し続けている。しかし、それを理解したからといって、すぐに無我の境地に至るわけではないし、エゴを完全に手放せるわけでもない。だからこそ、エゴを敵視するのではなく、「意識的に利用する」という発想が求められる。
たとえば、『人の役に立ちたい』という気持ちが芽生えたとき、その奥にある『人から認められたい』『自分は善い人間でありたい』という願望を冷静に見つめる。そして、それを抑圧するのではなく、「より良い価値を生きるためのエゴ」として活かす。
重要なのは、その行為が深い内省を伴い、意識的に選択されたものであるかどうかだ。たとえそれが道徳的なものであれ、社会的なものであれ、宗教的なものであれ、自己満足や盲目的な従属ではなく、「主体的に選ばれた価値」として生きられるかが問われる。
これは、ヨーガの「カルマ・ヨーガ(行為のヨーガ)」にも通じる考え方だ。つまり、「結果に執着せず、ただ適切な行為を選び、それを淡々と実践する」という態度。我々凡夫にとって今為すべきことは、「エゴを持たないこと」ではなく、「エゴを自覚し、より良い方向へと昇華すること」なのだ。
・意識的な生の選択——ビオスの視点
ジョルジョ・アガンベンは「ビオス」と「ゾーエー」という概念を通じて、人間の生を「単なる生存(ゾーエー)」と「主体的な生(ビオス)」に分けた。現代社会では、管理された生存(ゾーエ)が優先され、主体的な生の選択が抑圧される傾向にある。
この視点から考えるならば、「意識的に洗脳を選ぶ」とは、「どのように生きるか(ビオス)」を選び取る行為そのものだ。与えられた価値観を無自覚に受け入れるのではなく、「どの価値を採用し、どの価値を手放すか」を能動的に決定すること(その決定も別角度からの洗脳であるという意識しながら)。
これはミルダッドの思想とも響き合うが、彼の説く悟りのような完全なる超越ではなく、あくまで「現実の只中において、いかに意識的に生きるか」という問いである。
※尚、あくまでアガンベンはビオスを社会的生と位置付けた。
・ニーチェの超人——価値の創造者として生きる
ニーチェは「神は死んだ」と宣言し、従来の価値体系の崩壊を指摘したが、これは時代ごと、否刹那ごとに新しい神(ニーチェのいう一神教的な神のみでなく凡ゆる社会的洗脳を含む)、"広義の神"を殺すこと。そして「新たな価値を自ら創造する存在」として「超人(Übermensch)」を提示した。「超人」とは、盲目的に価値を受け入れるのではなく、自らの生を主体的に設計する者のことだ。
この超人の思想は、単に「洗脳を拒否する」のではなく、「どの価値を選び、それをどう超えていくか」を意識することに繋がる。私たちは社会の中で生きている以上、何らかの価値観に影響を受ける。しかし、それを無批判に受け入れるのではなく、「自分にとって本当に価値のあるものは何か?」を問い続け想像すること。そして不屈の精神力と絶対的な生の肯定。それこそが、超人としての生き方なのだ。
またニーチェから強い影響を受けたバタイユ、そのバタイユと長い交流のあった岡本太郎は「芸術は爆発だ」と語り、既存の価値観を破壊し、生命の爆発的な創造を肯定した。彼の言う「爆発」とは、単なる衝動的な行為ではなく、生命を全力で表現すること。この生き方は洗脳を選択するという段階を超え、創造へとジャンプする表現であり、「まったく新しい生を創造する」という方向性だ。
・自らを超える意志——選択する力の重要性
ここまでを総合すると、私たちが目指すべきは、ただ無自覚に無為自然といって流されるのではなく(流れられるのは仏陀のみであるから)かといって無自覚に自身の価値観を確固たるものとして見るのでもなく、常に自らの内面と向き合い、何を信じ、どのように生きるかを自らの意思で決定するということだ。
これは、単なる自己満足や反抗ではなく、厳しい自己研鑽と内省の結果として生まれるものである。ミルダッドが説いたように、人は常に自らの内に秘めた可能性を持っている。しかし、その可能性に気づき、現実の中で実践するためには、意識的な選択と努力が不可欠である。
・結論—より良い価値を生きるという選択
今まで述べてきたように完全に洗脳から自由になることは難しい。しかし、無自覚に流されるのではなく、「どの価値を選ぶか」を意識的に決定することはできる。��して、その選択の基準は、単なる快適さや社会的承認ではなく、「自分自身をより深く理解し、より豊かに生きるための価値」であるべきだ。
私たちは、自らを高めることを求めながら、同時に今できる最良の生き方を選ぶことができる。未来の超越を夢見るだけでなく、今この瞬間に自身が過去に受け取ってきた社会的洗脳から何を選ぶかを意識すること。それこそが、「より良い価値を生きる」という選択であり、現実の中でできる最も確かな一歩なのだろう。
そして動物(完全な無知)と超人の間にある我々人間は、凡ゆる洗脳から脱却するために、「意識的に」生きることが必要だ。これは、一見すると世間一般で言われる「自由」とは正反対の道のように思える。
しかし人間における自由や自分軸というものは、洗脳され切った価値観や好き嫌いを無自覚なまま「これがワタシだ」と自身を無闇矢鱈に曝け出すことではない。そうではなく、「これが私の価値観だ」と思う価値観は如何に形成され、本当にそうなのか。果たしてそうあるべきなのか。と常に自己に問いかけ、内省し、より良い価値を生きようとする選択である。
畢竟するに、最高の生き方とは、単なる目標達成ではなく、生そのものを目的とすることである。
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AIに聞いてみた
日本の米は過度な保護、非関税障壁なのか?
アメリカとの相互関税問題で取り上げられる日本側の米の700%関税と言うのは本当か?
しかしアメリカやヨーロッパでは農業に関して所得保障などで国からの支援が入り安価に生産している、トランプ大統領の言う日本のアンフェアだと言う姿勢を避難しているが工業製品やサービスとは違い食料の時給に関しては安易に譲歩も開放もできないのでは無いのか
日本の米作は食料安全保障だけでは無く、水田の治水による自然災害の防止など災害対策にも歴史的にも重要なインフラで有るはずだ、まずはトランプ大統領の主張する事実関係のチェックと梅雨や台風、国土の地形問題も含めた水田の果たす役割を考慮して日本は譲れない事を検証して下さい
### トランプ大統領の主張する「日本がアメリカ産のコメに700%の関税を課している」という事実関係の検証
トランプ大統領が主張する「日本がアメリカ産のコメに700%の関税を課している」という発言は、複数の報道機関や専門家の分析に基づいて、以下のように事実関係を整理できます。
1. **日本のコメ関税の現状**:
- 日本はWTO(世界貿易機関)のルールに基づき、「ミニマム・アクセス(MA)」という仕組みで年間約77万トンのコメを無関税で輸入しています。この枠内で、アメリカからは約34万トンが無関税で輸入されています(2024年度実績)。
- MA枠外の民間貿易では、コメ1kgあたり341円の従量税が課されます。この関税額を税率に換算すると、輸入コメの価格によって変動します。過去(2000年代のWTOドーハ・ラウンド交渉時)に農林水産省が低価格の輸入米を基準に試算した際、関税率が約778%とされたことがあり、これがトランプ氏の発言の根拠と推測されます。
- しかし、現在のアメリカ産コメの価格(例:カリフォルニア産短粒種)を基に試算すると、関税率は約220%程度に下がると専門家が指摘しています。 したがって、「700%」という数字は古い試算に基づくもので、現在の実態を正確に反映していま��ん。江藤拓農林水産相(当時)は「論理的に計算しても700%は出てこない。理解不能だ」と反論しています。
2. **トランプ氏の主張の背景**:
- トランプ政権は、日本が米国に対して46%の関税を課していると主張し、これを基に日本からの輸入品に24%の「相互関税」を課す方針を発表しました(2025年4月2日発動予定)。この46%という数字も、USTR(米国通商代表部)の平均関税率3.7%とは大きく異なり、非関税障壁や貿易赤字を加味した独自の計算に基づいています。
- 「700%」の数字は、米国が日本の農産物市場の閉鎖性を批判する際に、誇張された形で用いられている可能性があります。ホワイトハウスのレビット報道官も同様の発言を繰り返しましたが、具体的な根拠は示されていません。
- トランプ氏の主張は、米国の農産物輸出を増やし、貿易赤字を減らすための政治的圧力の一環と見られます。特に、コメは日本の農業政策の象徴として取り上げられ、交渉の焦点になりやすい品目です。
3. **事実確認の結論**:
- 「700%関税」は、過去の特定の試算(約778%)に由来するものの、現在のアメリカ産コメの価格に基づく実効税率(約220%)とは大きく異なります。また、MA枠の無関税輸入が全体の輸入量の大半を占めるため、実際の関税負担は限定的です。
- トランプ氏の発言は、事実を誇張し、日本の市場保護政策を「不公平」と印象付ける意図があると考えられます。日本の農林水産省や専門家は、この数字が不正確であると一貫して反論しています。
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### 水田の多面的機能と日本の食料安全保障における役割
日本の米作と水田は、単なる食料生産を超えて、以下のような多面的な役割を果たしています。これらは、食料安全保障や自然災害対策、さらには国土保全において譲れない要素です。
1. **食料安全保障**:
- **コメの文化的・経済的意義**: コメは日本人の主食であり、食文化の根幹です。年間消費量約700万トンのうち、国内生産が約800万トン、MA米が約70万トンで、ほぼ自給自足に近い状態です。 食料自給率(カロリーベースで約38%、2023年度)の向上において、コメは基幹作物として不可欠です。
- **地政学的リスクへの対応**: 食料輸入に過度に依存することは、国際情勢の不安定化(例:ロシア・ウクライナ戦争による小麦価格高騰)や円安による輸入コスト増大のリスクを高めます。 日本のコメ自給は、こうした外部ショックに対するバッファーとして機能します。
- **米価高騰と備蓄米の限界**: 2024年以降のコメ価格高騰(5kgで4000円超)は、減反政策や気候変動による不作、インバウンド需要の増加が原因です。政府の備蓄米放出は一時的な対策に過ぎず、輸入依存への転換は食料安全保障を脆弱化させるリスクがあります。
2. **水田の治水・災害防止機能**:
- **洪水防止**: 水田は「天然のダム」として機能し、梅雨や台風時の豪雨を一時的に貯留することで、洪水や土砂災害を軽減します。農林水産省の試算では、水田の洪水防止効果は全国で年間約2.5兆円に相当します。特に、急峻な地形と多雨な気候を持つ日本では、この機能は都市部や低地の安全確保に不可欠です。
- **土壌保全と地下水涵養**: 水田は土壌侵食を防ぎ、地下水を涵養する役割を持ちます。これにより、河川の水量安定や水質浄化に寄与し、渇水リスクを軽減します。例として、関東平野や近畿地方の水田地帯は、地域の水循環を支えています。
- **生態系保全**: 水田は湿地環境を提供し、生物多様性を支えます。絶滅危惧種(例:タガメやホトケドジョウ)の生息地としても機能し、環境保全に貢献します。
- **気候変動対策**: 水田のメタン排出は課題ですが、カーボンニュートラルを目指す技術(例:間断灌漑)や有機農業の推進により、環境負荷の低減も進んでいます。
3. **地域経済と文化の維持**:
- 米作は農村経済の基盤であり、農家の生計を支えます。農協や全農を通じた生産・流通システムは、地域コミュニティの存続にも寄与します。
- 棚田や伝統的な米作風景は、観光資源や文化的価値としても重要で、インバウンド需要にも応えます。
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### トランプ氏の「アンフェア」批判に対する日本の立場と譲れない理由
1. **トランプ氏の「アンフェア」批判の背景**:
- トランプ氏は、日本のコメ関税や非関税障壁を「不公平」と批判し、米国の農産物輸出拡大を求めています。これは、米国の貿易赤字(2024年で日本に対して684億ドル)解消や国内農家の支持基盤強化を狙ったものです。
- しかし、米国やEUも農業に多額の補助金(例:米国の農家所得保障プログラム、EUの共通農業政策)を投入し、生産コストを下げて国際競争力を高めています。日本のコメ関税が「アンフェア」とされる一方、米国も同様の保護政策を採用しているため、一方的な批判には矛盾があります。
- 日本の農林水産物輸入額は米国がトップ(2023年で2.1兆円)であり、既に市場は一定程度開放されています。トランプ氏の要求は、さらなる市場開放を求める政治的圧力と見られます。
2. **日本が譲れない理由**:
- **食料安全保障の確保**: コメの自給率を維持することは、地政学的リスクや気候変動による供給不安への備えとして不可欠です。米国産コメの関税を大幅に下げたり撤廃したりすることは、国内生産基盤の弱体化を招き、長期的な食料安全保障を損なうリスクがあります。
- **水田のインフラ的役割**: 前述の通り、水田は洪水防止、土壌保全、地下水涵養、生物多様性保全など、日本の国土と環境を守るインフラです。これを維持するためには、米作の経済的存続が不可欠であり、高関税は国内生産者を保護する手段です。
- **農村経済と雇用の維持**: 米作は農村地域の経済と雇用を支える基盤です。関税の大幅引き下げは、農家の収入減や離農を加速させ、地域社会の崩壊を招く可能性があります。
- **国際交渉におけるバランス**: 日本は過去のWTO交渉やTPP(環太平洋パートナーシップ協定)などで、コメを「聖域」として保護する姿勢を貫いてきました。安易な譲歩は、今後の貿易交渉での日本の交渉力を下げる恐れがあります。
3. **代替案と現実的な対応**:
- **限定的な市場開放**: 米国からのMA枠拡大や、特定品種(例:カリフォルニア産短粒種)の輸入増は、国内生産への影響を最小限に抑えつつ交渉の妥協点となり得ます。
- **農業改革の推進**: 日本の米作は、兼業農家依存や農協を通じた高コスト構造が課題です。生産コスト削減(例:株式会社化の推進、スマート農業の導入)や輸出拡大(日本食ブームを背景に)により、国際競争力を高める改革が必要です。
- **水田の多機能性を国際的にアピール**: 日本の水田が治水や環境保全に果たす役割を、WTOや日米交渉の場で強調することで、保護政策の正当性を訴えるべきです。
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### 結論
- **トランプ氏の「700%関税」主張の真偽**: この数字は過去の試算(約778%)に由来しますが、現在の実効税率(約220%)とは異なり、MA枠の無関税輸入を無視した誇張されたものです。日本の農林水産省や専門家は、この主張が不正確であると反論しています。
- **日本の譲れない理由**: 米作は食料安全保障の要であり、水田は洪水防止、土壌保全、地下水涵養、生物多様性保全といったインフラ的役割を果たします。これらは日本の気候(梅雨・台風)や地形(急峻な国土)に適応した歴史的基盤であり、農村経済や文化の維持にも不可欠です。
- **今後の対応**: 米国との交渉では、限定的な市場開放や農業改革を進めつつ、水田の多面的機能や食料安全保障の重要性を国際的に訴えるべきです。安易な関税撤廃は、長期的な国益を損なうため、慎重な姿勢が必要です。
**出典**:
- 農林水産省、WTO協定、USTR報告書(2024年)、各種報道(NHK、日本経済新聞、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、ブルームバーグ、ジェトロ、ダイヤモンド・オンライン、Yahoo!ニュース)
- X上の意見(@ippatsu_sendai、@atodesimasu、@WindLigerAcademなど)
※具体的な引用は、文中および末尾の参照番号(‽web、‽post)を参照。
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にこにこでいきましょう。
はじめまして、こんにちは。アネモネです。最近夜の長さに比例して睡眠時間が延びてきてます。相対的寝不足。圧倒的寝不足。真っ当的えくぼくん(韻)。彼はたぶん、にっこにこ。寝不足には注意しましょうね。
36期もにこにこです。稽古場ではほんと笑顔が絶えないです。あったかくて居心地よくてもう最高です。言葉がへたっぴなりに、今の思いをがんばって書きました。温かい目で見てちょうだい。それでは、新人公演の団員紹介、いきましょう。
箏
どんなに小さなボケをしてもちゃんと聞いてて笑ってくれるね、ルーベは。いつも助かってる。ありがとう。実はオムニとかのころ、ボソっとボケることが多かったのは、目立つボケ方をするのが不安だったからです。あのころルーベが拾っててくれなかったらたぶん今でもぼそっと喋るだけになってたと思う。ところ��、ルーベという人は、向き合い方がすごい。毎公演、脚本と、自分の役と、共演者とひたむきに向き合ってます。作業にも全力で向き合ってるよね。そして36期のみんなにもむきむきに向き合ってます。疲れちゃいがちな時も演技の練習をめちゃくちゃ詰めてて脱帽しました。あとすっごく低姿勢。事務連絡の時とか特に。あんまり自分をすり減らしすぎないようにね。
森々仙入
僕から見たラムダは気さくなお兄ちゃんって感じです。あんまり何かに縛られることなく、元気に演技して、元気にスタッフワークしてって感じの人だと思ってます。縛られないので、いつもホイホイ何かを引き受けてます。助けてくれる人がいてほしいなってときにいてくれる。あとよく「すごいよほんとに、僕なんか、もう、○○ですからねっ」って言ってるよね。ラムダがいると心強いのよ、みんなを肯定する力が強くて。あったかい気持ちになります。あとシンプルにおもろい。プロのお笑いに似たものを感じるんだよね。人を選ばず、誰もがおもろいと思えるような。あと先日はどうもありがとう。セイロンさんとの自販機会に混ぜてもらって、楽しい思いをしました。
月銀蓮
不安でしたね、とっても。だって演技なんてすると思ってなかったんだもん。でも36期のみんなに絶対役者したほうがいいって背中を押してもらって、やってみたら、なんだよ。バカ楽しいじゃねえか稽古。新人公演で36期が、ちゃうかがもっと大好きになりましたね。みんなのおかげです。大感謝。
白
ぶらんワールド。オムニのときとかは「んえ??」ってなってましたけど、最近ちょっとだけついていけてるような気がします。気がするだけ。もっとぶらんのおもろさを引き出したいなあ。いつもいろんな人のボケに「天才や!!」って言ってますね。ぶらんも天才やで。ぶらんはとっても丁寧な人です。どんな話をするときも順を追って僕にもわかるようにしっかり説明してくれるよね。伝えようって気持ちがこもっていてあったかい気持ちになるんです。少し前、とある用事で長く一緒にいた日がありました。たくさん喋りましたね。くだらない話もしたけれど、中身のある話をたくさんしましたね。めっちゃ楽しかった。ボケることも忘れて、ただただ話をするのが楽しいっていう時間を過ごせました。ぶらんをもう一段階深く知れた気がして、うれしかったです。
埖麦
安定の埖麦。期待を裏切らない演技、期待を裏切らない発声、期待を裏切らない仕事、期待を裏切らない不摂生。アイスを食っても声が出るのを見た時はびっくりした。こういうとこですよ。むぎはしれっとすごいんだよね。軽ーくこなしてるように見えてすごいことをやる人。涼しげな顔して笑っているんだけど、心には熱いものを持っている人。僕からすると、むぎはそんな人だと思います。稽古場で「アネモネエエエエエ」って言ってくれるときあるよね。うれしい。へへって感じ。あっ、今度一緒に甘いもの食べに行きましょう。甘党にスイーツおすすめされたかったんだよね。あとごはんも行きましょう。ごはん何が好き?...いや、スイーツ以外で。
叶イブ
はぜとの掛け合いはたぶん一生印象に残るんだと思います。火力高いね。間違いなくふぃあのいいところの一つです。優しくしてちょうだい。僕の顔芸、声芸(?)に向かって、でっかい声で「アネモネおもろー!」って言ってくれたとき、とっても嬉しかったです。アネモネを笑わせれて嬉しい的なこと言ってくれた時もそうです。いやほんまにおもろかったんやもんあのデスボイス。またやって。ああいうノリ、これからもっとやりましょう。めっちゃ楽しい。いつだったか、メイクチなんて権力弱いみたいなことぼそっと言ってましたね。安心しや、幕よりは強いで。安心できひんか。それはともかく、もちろん仕事が大変なのは前提として、ふぃあが何気にチーフを軽ーくやっちゃうすごさが、その言葉からうかがえました。
ポンにゃ
なびやも36期の元気枠。地声の時点で唯一無二のすっごくよく通る声で、ふだんお喋りしているときも、なびやの声めっちゃよく聞こえるなーすごいなーって思ってます。これからもその声を活かして暴れ散らしてほしい。あとなびやはアクセルを踏みきれる人ですね。ブレーキ忘れて大胆なことができる。そういう人はけっこう希少だから、36期にいてくれてよかったと思ってます。それと同時に、しっかり全体を把握したうえで考えてもいるんだなあという場面もありました。時間ぎりぎりまで舞美の相談をしていたときに、僕が理解力なさすぎて助けてもらいましたね。その時、「ああ、全部わかったうえで大胆なんだ、それってすごいことよな」と思いました。僕にはない能力で羨ましいです。
雨々単元気
続いてこの人も36期の元気枠です。ああ元気そのものやったわこの人。さて、元気な元気はいつも元気にみんなを助けてくれます。僕もたくさん助けられました。初めての役者参加でわからないことをいろいろ聞きました。毎回優しく教えてくれてありがとう。仕込み直前には、一度にたくさん仕事を抱えてしまった僕に力を貸してくれました。いくつか仕事を引き受けてくれて、引き継いだことをしっかり覚えてくれてて、作業が非常に円滑に進みました。あれほんとに助かったよ。ありがとう。くだらないノリをいっぱいやりましたね。ネタの守備範囲がほんとに広くて、何を言っても拾われるのがすごいなあと思いつつ、楽しいよなあと思ってました。これからもいっぱいやりましょう。
紫苑
つよつよ班員。手すきの幕班員いねえかなあって思ったときに手すきになって現れる。タイミングよすぎんかってなります。大助かり。さて、なつめには覚醒という言葉が似合うんじゃないかなあ。読みにしても、動きにしても、なつめの完成度が上がるスピードにはびっくりするし羨ましくなります。吸収しようという心意気が違うのかなあ。僕もがんばらないとなあって気持ちにさせてくれます。ふだんのなつめは、居心地のいい友達って感じです。変な力を入れずに気楽な感じで一緒にいられます。あとけっこう天然です。おもろい。本人も「ほんまやなんでそんなこと言ったんやろー」って感じでいつもにこにこしてます。なつめのそういうとこ、楽しくて好き。
暁レミエル
つよつよ班員。毎回仕込みに全力で臨んでる。起床が一番の大仕事なのである。いつもがんばってるよね。すごいよね。さてさて、仕込みにも全力ですが、えるは演技にも、スタッフワークにも、あとレクリエーション系にも全力な人です。全力で、全身で真っ正面からぶつかって、すべてを楽しんでいる人です。いいなあそのパワーのある感じ。稽古のときは読みの指摘と提案もいっぱいしてくれました。演技のことを何も知らない状態だったので、とってもありがたかったです。みんなたくさん助けをくれたけれど、えるには人一倍の協力をもらいました。ありがとう。キャスパもすごいね。いつの間にあんなの作ってるんでしょうか。かっけえっす。
熊吉
くま。くまちゃん。初役者参加仲間。ほんとに初めからいたわけじゃないのってくらい、すぐちゃうかに適応した人。その適応力、すごいと思います。あのスピードでちゃうかのノリを吸収したのはほんとすごい。あと新人期間中ずっとちゃうかを楽しい楽しい言っているね。いやーわかるぅ!って感じです。稽古場ってめっちゃ楽しいよね。役者ってめっちゃおもしろいよね。ちゃうかに入って来てくれてありがとね。どんな場面でも楽しそうにしている熊吉を見るとこっちまで楽しくなってきます。稽古のあと、たくさん喋りましたね。ちゃうかの話をしている熊吉は、最高に楽しそうで、ちゃうか大好きになってくれたんだなーと、嬉しい気持ちになりました。
張潤玲
なんといってもマーモットのすごさは言葉に表れてると思います。外国の言葉で演劇をするって、きっと想像を絶する努力が必要だと思うし、難しいことも多いと思うんです。なのにそれを感じさせず、稽古もスタッフの作業もできているのはとてもすごい。稽古場では、序盤は代役などでシーン練をたくさん手伝ってくれましたね。シーンの雰囲気を早くつかめたのはマーモットの協力あってこそです。ありがとう。まも自身の役も完成度高く、まもにしかできない役になっていてすごいと思います。この前一緒にキャスパ��練習したときのことを覚えています。「私に先生は務まらないよ」的な謙遜をしながらも、めっちゃ丁寧に教えてくれました。とっても助かりました。ありがとう。
和來
つよつよ班員。ふわっとゆったり着実に作業をこなしてくれる。焦らないで作業できるのってほんとに大事なことだから尊敬します。さてさて、きなこはスタオンから役者になった人仲間だ、と僕は勝手に思ってます。いつも誰かがきなこの周りに癒されに来てますね。きなこの周りにはやさしい空間が広がっていて、それに多くの人が助けられてるんだと思います。僕は衣装チとしてのきなこが印象に残ってます。締め切りや予算のことでたくさん悩んでいて、「でもスミの要望に応えたいから」って言ってるのを聞いたとき、ああいいなあって思いました。現実に向き合いつつ、理想は諦めずにやるのってすごくパワーの要ることだと思うんですよね。それができるきなこはすごい衣装チだと思います。
鞠凸二郎
やっぱり映像。今回の映像もえぐかっこいいっす。見ててわくわくしちゃう。照明と相まって本当にえぐいものが出来上がってる。自分で自分をほめてあげてほしいです。はぜ、ちゃんとすごいから。はぜにはセンスとそれを実現する能力がどっちもあって、そのおかげですごいものを作れてるんだなあと思います。演技の��うは、すでに完成度高いなって思ってたところをさらにもう一段階いいものに仕上げていて、やっぱりすごいなあってなりました。通し後のダメも細かい分析がされてて毎回さすがだなあってなってました。また今度ごはん行きましょう。はぜのものの見方とか、頭の中がどうなってるのかもっと知りたいです。あ、愚痴言ってくれるのでもいいですよ。
東愛莉
つよつよ班員。仕込み中、僕の指示が本当にへたっぴでも、高い理解力によって僕がしてほしい通りの動きをしてくれます。さて、あずは見えないところで頑張っちゃう人なのかなあと思ってます。この間の「ここまでノーミスで来てたのに」って言葉には本当にびっくりした。きっとチーフの責任を強く自覚して、一つ一つの仕事を丁寧に進めてきたんだと思う。気をつけていてもたくさん仕事を抱えるとミスはしてしまうものやから、あずのその言葉にはあずのえらさが表れていると思います。それくらいバチバチに仕事をしていながら、稽古場でも、それ以外でも、最初から最後まで元気いっぱいやったね。その明るさは、36期を全体的に前向きにさせてくれてたのかなって思います。
錫蘭リーフ
セイロンさん。最近めっちゃ一緒にいる時間が増えてうれしいです。セイロンを僕のしゃべりで笑わせられたときが何気に一番うれしいかも。定期的にセイロンめっちゃ上手いこと言うなーって時があって、そんなときは羨ましさと悔しさとが同時に湧いてきます。これからもおもろい話いっぱいしようね。セイロンは、かわいくてかっこいいです。普段はゆるーい感じでかわいいんですが、チーフとしては本当にかっこいい。仕込みチと兼ねるぶん作業量半端ないはずなのに、班をそつなくまとめて引っ張ってるのがまじですげえなーって思ってました。そんなセイロンと連携とって動けたときが実はうれしい。一緒にがんばろ。
城戸大夢
音響オペ。最近顔見れてなにげに嬉しい気持ちがあります。また時間ができたらいろんなお話しましょ。オームの好きなものとか、いろいろ知りたいです。あと、オームがよければ、くだらない話もたくさんしましょう。オペやってくれてありがとう。今公演、オームはオペに関して細かいことまで覚えてて本当にすごい。オームは目の前の人のために全力で動ける人、がんばれちゃう人なんだと思います。全力で操作を担ってくれるオームだからこそ、今回の素晴らしい演出が活きているんだと思います。最初で最後の新人公演、最後まで一緒に駆け抜けよう。
大良ルナ
舞監。個性がそろいにそろいまくっている36期、おのおの全力で前に進もうとしている36期のみんなに同じ方向を向かせられるのは、やっぱりらいらしかいないんじゃないかなと思ってます。馬力があるぶん、らいらがいてくれることで、36期はすごいパワーを出すことができています。きついことも多いだろうし、迷惑もたくさんかけてしまっていると思うけど、僕たちの舞監でいてくれてありがとう。そして、稽古場に顔を出し、細かいところまでたくさん演技指導をくれたことにはもう感謝しかありません。スタッフ面でも、演技面でも、らいらの協力があってこそ、みんなが輝けているんだと思います。本当にありがとう。
海月
演出。はじめて役者をするのが新人って勇気が必要だったんですよ。完全に未経験で足引っ張っちゃいそうだなあって。でもスミさん。あなたのすごさに導かれて、すっごく楽しい稽古期間を過ごさせてもらいました。きっとこれは僕に限らないと思います。あなたはすごい。すごくすごい演出。僕は初めての役者参加だったので、稽古場がどんな感じで進むかを知らなかったんですね。それで、ふだんの稽古で舞台が立った時も、通し後にダメ返しがきたときも、「いつもこんな感じなん?」ってほかの役者に聞いてたんですね。そしたら、「そんなわけないやん、スミがめっちゃすごいねんで」って言われるんです。そんなことが何回もありました。いやほんとずっとすごいことしてるんやんって思いました。そんなんチーフとして全力でお支え申し上げますやん。いやもちろんスミのがんばりと比べたら遠く及ばないですよ。あなたがすごいからぁ!!ごめんね。ただ、いち役者として、いちスタッフとして、いろいろな相談とか質問とかがしやすかったです。忠誠を誓いたくなってしまうんですよね。いやもちろん足りない部分も多かったと思います。ただ、少なくとも僕の中では、がんばろうって思わせてくれる、みんなの力を引き出してくれる演出さんだったなあと思います。本当に短い間だったけれど、僕らの演出でいてくれてありがとう。忘れられない新人公演になりました。
ちゃうかちゃわん36期、最高の仲間とつくった最高の居場所です。そんな36期とつくる公演は、もちろん最高です。
がんばります。
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映画いろいろーー『双生児Gemini』、『落下の解剖学』、『サイコ』、『箱男』、私立探偵濱マイク三部作、『ジェイコブズ・ラダー』、『シックスセンス』、『ミスター・ガラス』
相変わらずブログはサボっていますが、なんだかんだで映画はよくみているので短評だけーー
『双生児Gemini』 江戸川乱歩原作、塚本晋也監督の映画。まあこんなもんでしょうか。貧しい人々を馬鹿にしていた主人公の医者が人間愛に目覚めるというラストは、いかにもとってつけたような気がしてしまいました。
『サイコ』 なんだか久しぶりに見たくなって妻と一緒にサブスクで見ました。もちろんリメイクではなく、ヒチコックのオリジナル版。やっぱりすごいですね。この映画をネタバレなしで中学の時に見た私はひっくり返りました。あの衝撃は一生忘れないと思います。その幸運に感謝します。
『落下の解剖学』 カンヌでパルム・ドールを獲ったフランス映画。事故か自殺か殺人か、結論を出さないまま終わるところが、いかにもヨーロッパ映画という感じで、大人の映画ですかね。 ヒロインがécrivaineと呼ばれること、バイセクシュアルであること、判事が女性であること、証言台に立った女性がMademoiselleと呼ばれて怒り、Madameと言い直させることなどは、今日的なポリコレだと思いますが、あまり行きすぎるとどうかなという気がします。
『箱男』 私は安部公房のオールドファンなので、妻と一緒に映画館で見て、帰りに本屋で原作本を買って、久しぶり(50年ぶり?)に読み返した後、今度はひとりでもう一度映画館に見に行きました。 フランス文学とは全く無関係な映画ですが、これで論文を書こうと思います。
私立探偵濱マイク三部作『我が人生最悪の時』、『遙かな時代の階段を』、『罠』 『箱男』で主役を演じていて永瀬正敏つながりで見ました。監督は林海象。『夢みるように眠りたい』の監督ですね。あれはいい映画でした。 第1作は白黒で、無国籍クライムムービー。宍戸錠が出ていたので、なるほどそういうことかと思いましたが、結局は雀荘でバイトをしていた中国人青年(実は組織の殺し屋)とマイクの友情の物語。 第2作は戦後の闇市でのしあがり裏社会の大物になった「白い男」とマイクの対決の物語で、実は「白い男」はマイクの父親だったという話があり、こちらも結局親子の対決を描いた人情噺。 第3作はサイコスリラーですが、あのオチはないよなあ。あんなことはしてはいけません(キッパリ)。
『ジェイコブズ・ラダー』 大昔、一度見始めて途中で邪魔が入りそれっきりになっていた映画。 オチを知った上で見ましたが、よくできた映画です。 ただ、「はしご(ラダー)」と「階段(ステアーズ)」は別のものじゃないですか。英語圏の人間はどう思ってあのラストを見ていたのでしょう。
『シックス・センス』 こちらは大昔、最後の10分くらいだけを見た映画です。映画はそんなふうに見るものではないし、特にこの映画の場合絶対にしてはいけないことだったのですが、テレビをつけたら放映してたのでそうなってしまいました。 だからこれもオチを知った上で見たわけですが、よくできた映画ですね。 ただ途中、ブルース・ウィリス演じる児童心理学者(かな?)が幸せそうなカップルがいる宝飾店(かな?)の窓に石を投げるところは余計だったかもしれません。 『ヘレディタリー継承』で変顔をしていたトニ・コレットが出ていたのはちょっとびっくり。結構美人じゃない���すか、トニさん。
『ミスター・グラス』 ナイト・シャマラン監督、ブルース・ウィリス出演つながりで見ましたが、これはダメです。 『アンブレイカブル』、『スプリット』に続く三部作の最終作ですが、ちょっとひどすぎます。 危険人物を収容するにしてはあの病院は手薄すぎるし、患者本人やその家族の同意を得ず監禁したりロボトミー的な手術をしたりするとか、3人の患者を並べて医者が同時に面談をするとかいうのは、人権無視も甚だしくあり得ないことだと思います(ファンタジーだからなんでもありということにはなりません。ファンタジーだからこそ細部において観客を納得させる必要があります)。 前作『スプリット』であれだけ酷い目にあったアニャ・テイラー・ジョイが犯人に好意的な態度を示すのもおかしいと思います(アニャ・テイラー・ジョイって「美人枠」なんでしょうか。非常にチャーミングではあるけれど、決して「美人」ではないと私は思っているのですが……)。 変顔をして多重人格者を熱演していたジェームズ・マカボイが気の毒になりました。
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250420 日
内省できる素直さを持たず、想像力が乏しく、常に集中力が散漫な人は催眠や暗示にかかりづらい
要するにそういう人は高次な脳機能がほとんど働いていない状態とも評せる(ゾンビや理性を持たぬ原始動物、あるいは警戒心むき出しの草食動物みたいなものだ)
催眠の基本は過度の集中から始まる
何かを重要で大切だと信じる気持ちが催眠のトリガーとなる
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催眠(にかかる為の)の3条件。正しい理解、動機づけ、信頼関係
そして催眠の三原則。心身弛緩、注意集中、被暗示性
ダメな自分を変えるにはダメ人間の定義を理解し、それに当てはまる自身の無自覚な怯え(トラウマ)を解体していかねばならない
その工程には自己催眠が必須となり、猜疑心を横に置き与えられたオーダーと環境の変化を前向きに受け入れる心が必須となる
トラウマの解体(もしくは受容)には触れたくない過去の記憶と向きあい、そこで自分がかつてどのような理想を抱いていたのか、そしてそれがどのように崩されたのかを理解する必要がある
これには非常に大きな苦痛を伴う。トラウマが生まれたきっかけを思い出し、その改善方法に気づくことはこれまでの長い人生の大半を歪んだネガティブな認知で過ごしていた事に気づくということでもある
人間の脳は自分が既に大損をしてしまっている事実を認めることを本能的に拒絶する
だからトラウマを持つ人は間違った習慣や自傷行為を改善することが(脳の仕様上)できないのだ
とにかく、謎の損失が発生しまくる場合は自分が無意識に行なっている判断や行動が失敗要因になっている可能性が高い
寝起きは自己暗示(認知改変)を実行するのに非常に適したシチュエーションだ。睡眠によって疲労が癒え、意識はまだまどろんでいるが脳がゆっくりと覚醒していく無防備な状態
ここで説得力あるポジティブな暗示をかければ寝覚めが良いしその日一日を元気に過ごせる
昨日よりも建設的かつセルフコントロールが効いた状態で過ごせた事実が、暗示に対する信頼感を高める
一度この体験を済ませたならば、あとは自己暗示を習慣づけ、内容を強化していけばよい
たとえ変な人と思われ嫌われようと、先週よりも仕事ができて沢山絵が描けるならそれで全然構わない
そういう精神を獲得できてこそ、キャパなし凡人は絵を描き続けられる
そして年間100カット以上のそこそこ観れる絵を描けたなら、それはもう凡人の枠から当然外れてしまっている
自身から「凡人を名乗る資格」を剥奪してゆく
それが、変人の坂を「滑り落ちる」ということ
成長とは平坦な道や登り坂ばかりではない。自分の意思では成長を止められなくなる「滑落フェイズ」というものが必ず来る
それは劣化や鈍麻においてもそう
あらゆる変化は「滑落」によって「決定的な(取り返しがつかない)」ものとなる
努力が意味をなすのは平地オア登り坂を進んでいる時のみ。下り坂の加速を止めることは自分独りではほぼできない
強くなるということは、強さの坂道を「転がり落ちてゆく」という事なのだ
それじゃ今日も「取り返しのつかない成長」していきますか
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土地建物を自主管理している大家です。こちらの引用の入居者様がお亡くなりになり、その後の処理を進める中で、残されたお部屋の収納の奥から身元不明の御遺骨(本骨と胴骨)がでてきて、大変困りました。後悔の記録。 この入居者様がお亡くなりになった。 今さっき最後の病院に行ってきたのだが、相談員さん曰く、「本人が希望されていた終活はできただろう」とのことで、それだけはよかったけれど。 お医者さんほどではなくても、生活を支える不動産管理の仕事をしていると、人の儚さを痛感する機会は多いね。 まず、引用ツリーでは触れていなかったのだけれど、今年1月に一瞬入居者様(おっちゃん)がご帰宅されたタイミングがありました。 その際に僕は大家業の仕事の中で一番嫌な仕事をした。つまり、「賃借人死亡時に退去とし、残置物も放棄する」旨の退去届を預かった。 当日は大変気が重かったのだけれど、入居者様は「病院まで何度も来てもらって助かりました」「(亡くなった時は)迷惑かけるけど宜しく頼みます」と署名してくれた。足がかなり痛むようだったけれど、思っていたよりはお元気で、もう少しで退院できるのではとも思った。 先にお伝えしておくと、この入居者様はもともと仕事熱心な方だったのだが、ご持病で生活保護をうけていた。そして、親族はもういない、と聞いていた。(ちなみに保証会社にも入っていない。滞納は一切なし。きっちりされた方) で、先程の引リツの日。病院の相談員の方から「よくない話なんですけど」とお電話をいただいた。「ご親族ではない方に、あまり伝えるべきではないのですが、大家の◯◯さん(僕)には早めにお伝えしようと思って」 足を切る手術の前日に急に容態が悪くなって、お亡くなりになった。そうか、、、。 前述の退去届を預かっていたからといって、問題は全く簡単ではない。特に残置物は賃借人が所有権放棄していても、相続人に相続されるので、全相続人の意思確認が必要。通常だったら、親族を特定して、連絡を試みて誰が死亡届を出すかで揉めて(死亡届を出さないと法律的には死亡していない。 経験上大家になりがち)、火葬して、並行して本籍しらべて、相続人を特定して、という仕事があるが、今回は生活保護者だったので役所がある程度担ってくれる。 役所からの連絡を待つこと1ヶ月。(その間、部屋はそのまま。ゴミも冷蔵庫の中身も部屋にそのままにしておくしかない) 3月上旬に連絡があった 相続人は1名、曰く 「一切関知しない、相続しない」「そっちで勝手にやって。賃貸契約は終了、残置物勝手に撤去して」「もう連絡してくるな」 という感じだったらしい。困った。書面はまずもらえない。相続財産管理人の選任申立ては予納金30万くらい、下手したら1年くらいかかる。コストと時間、、、。 再度、役所の担当者に相談したら「先方の様子的に、大家さん側で処分していただいてもいいと思います。」「本人様も同意されていることですし」との見解をもらう。そこで3月xx日相談残置物を保管すること、それ以降に処分することを、を相続人に伝えてもらうことにした。 (この部分の判断についてはすみません。適切ではないかもしれません。) そして、xx日になって、1時間かけて貴重品等は無いことを確認し、ひたすら写真に記録したあと、業者さんに事情を説明して残置物を撤去してもらった⋯⋯。 業者「すみません、さすがにこれは回収できません」 収納の奥から身元不明の御遺骨(本骨と胴骨)がでてきたのだ。大きい胴骨箱と小さな本骨箱。 ない、ない、ない。。。。別で保管していた書類はノートなどばかりで、ない。「死体埋葬・火葬許可証」が、ない。ご位牌などもなく、誰のものかもわからない。いつのものかもわからない。これはマジでやばい。遺骨は祭祀財産だ。(法定相続とは別枠 「(おっちゃん、それは聞いてないよ⋯⋯)」 撤収する業者。部屋中央にぽつんと残る、本骨箱と胴骨箱。手を合わせる。どなたのものなのか。。。 そして記録を残しておくため、バチがあたるかもと思いながら写真を撮る。時間を記録する。 まず、地元の警察に電話。若そうな方がでてきたので、今までの経緯を説明。すると「お部屋の中ですし、拾得物でもないんでー。大家さん側でなんとかしてくださいー」 マジか。(連絡した記録を残す 役所に電話。 僕「ご遺骨が発見されました、こればっかりは相続人様にもう一度連絡してください!!」 役「わかりました。でも恐らく難しいと思います。また連絡します。」 (数日後) 役所「全くダメでした。」 僕「⋯⋯御遺骨、どうしたらいいでしょうか」 役所「⋯⋯大家さん側でなんとかしていただくしか。こちらではなんとも。」 これは完全にまずい。お部屋にそのままにはしておけない。 (誰のものかわからないが、おっちゃんの親族、大切なひとのものなんだろう。ご両親か。箱の新しさからご兄弟か) 生活保護者で身寄りがない場合、ご遺骨は1年斎場に保管されて、その後、地元で有名な寺Aに納骨されるらしい。「納骨するなら同じ寺にしてあげたい」 寺Aに電話してみる。おじさんがでる。 寺A「胴骨は無理」「今は3寸 9cmくらいの本骨箱のみ」「え、身元わからない?え、死体埋葬・火葬許可証がない?そんなの、まずどこも受け入れられないよ。無理」 僕「⋯⋯。」 そこからひたすらネットで「無縁遺骨、納骨、引取り」で調べて電話しまくる。 が、全て「死体埋葬火葬許可証がないと無理」 13件くらい電話をかけて、諦めた。いや、諦めたというか、大きな寺やネットに綺麗なwebがあるようなお寺はそもそも無理だと思った。地元に根付く、小さなお寺を、足で探すべきだろうと思った。 そして、昨日、朝からgoogle mapを頼りに、近隣の寺をまわる。1件目、受け入れていない。2件目、 許可証ないと後々トラブルになるから無理。3件目、住職不在。1日では見つかるわけないか。もう昼過ぎ。4件目、インターホンを押す。女性の返答。 住職の奥様らしき人がでてくる。 「どうされました?」 今までの経緯をすべて話す。警察や役所に相談しても難しかったこと。埋葬許可証がないこと。 なんとか納骨、供養してあげたいこと。 奥様「うちは無縁さん、5万円かかりますけれど」 僕「(!!!)お願い致します」 奥様がご住職を呼んで説明する 住職「それはお気の毒に。。大変ですね。今回はもう1万円のみいただけたら、寺の中央の無縁さんのところに納骨さ���ていただきますよ」 僕「ありがとうございます」 住職「1時間後、14時に持ってきていただけますか」 僕「ありがとうございます」 有難い。急いで物件に戻り、紙袋に御遺骨をいれて、引き返す。袈裟に着替えた住職がでてきてくれた。無縁墓に向かう。 住職がお墓を道具をつかってあけていく。遺骨は横の台におかせてもらう pic.x.com/aGkt2BlPvB 住職「本骨と胴骨、一緒にして大丈夫ですか。」 僕「はい」 住職が胴骨箱から収骨袋を出す。 住職「これ下から支えるようにして持ってください」 僕「はい」 そのときの胴骨収骨袋の、御遺骨を支える手の感触。なんとも言えない。そのお寺が浄土真宗だったので、南無阿弥陀仏と唱えながら持っていた。 住職が本骨を胴骨の収骨袋におさめる。全部はいった。住職に収骨袋を手渡す。その時、胴骨箱内側の一番底に折られた紙が見えた。まさか。 死体埋葬・火葬許可証だった。 ごめんなさいごめんなさいごめんない。信じられない。ここにあったのか。ごめんなさい。内容を確認すると入居者様の2つ上の姉だった。13年前に亡くなっていた。 弟と一緒の寺Aに本骨だけでも納めることができたのに、、、別々にしてしまった、、それまで「身元不明の御遺骨」だったのが どなたのものかわかると、重い罪悪感で苦しくなってきた。取り返しのつかないことをしてしまった。 お姉さん、おっちゃん、許してくれ⋯⋯。住職の御経、ご焼香をする。手を合わせる。 失敗した気がする。適切でもなかった気がする。今回ばかりはバチが当たらないようにと祈るしかない。おわり。 補足です。一番神々しかったのはご住職。僕の話をそのまま聞いて、本当にすっと、受け入れてくださった。その時点では誰の遺骨なのかも分からず、許可証もないのに。拝む気持ちになった。(おまけに最後やはり1万円では悪すぎると思い、お札数枚を手渡そうとしたら「いや1万円で結構」と言われた。
XユーザーのKeitom土地が好きさん
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某世界的シンクタンクが2024年最大のリスクは偽情報・ご情報などのdisinformation(意図的or党派的なフェイクニュース含む)だよと喝破しザワザワしている横で、能登半島地震での二次避難に関するフェイクニュースをラサール石井さんが流して騒ぎになりました。 その後、騒ぎが大きくなり黒煙が上がっているのを見つけたのか、俺たちの中日スポーツが「ラサール石井さんがネットでガセネタを流して批判されている」というネタ一丁でコタツ記事を放流。 それを、どういうわけかヤフーニュースがこれをプラチナシートに掲載し、多くのアクセスを集めてしまうという大変な事態が発生してしまいます。 ラサール石井さんが流したガセネタはもちろん問題ですが、それがネットで批判されているという文脈はタイトルにないことから、タイトルだけ読む人からすればあたかも岸田政権が能登半島地震の被災者に対して自己負担で二次避難をするよう強制したかのように読めてしまいます。 さすがにガセネタが広がるのはマズいと思ったのか、総理の岸田文雄さんもSNSで「被災者の二次避難は公的に全額負担して、ほぼ無償である」旨の告知を出したうえで「誤情報も散見されます。影響の大きいアカウントだから正しいとは限りません」とまで踏み込んで明記。 結局、騒動がでかくなったことからラサール石井さんもマズいと思ったのか発言を削除して謝罪する事態となりました。そして、さらにそれを報じる中日スポーツ。まさにコタツ記事の王道であります。 さて、幾重にも「緊急事態でSNS上にガセネタが流れて騒動になる」典型であったかと思います。過日の熊本地震でライオンが逃げた投稿のような面白半分ではなく、ラサール石井さんはかねて党派的に政権批判を繰り返して耳目を集める人物であったことを考えれば、政権の震災対応に事実に基づかない批判を行って広める意図で書かれたものであることは明白でしょう。 それをコタツ記事で、本文ではラサール石井さんに批判が集まっていることは記述しつつも、タイトルでは「訴えが物議」「岸田首相の呼びかけにかみつく」であるため、タイトルだけ流し読みする読者はラサール石井さんの批判が政党であると誤認する可能性は極めて高くあります。 それを、ヤフーニュースが配信編集部がプラチナシートにピックアップしてしまう(単にプラットフォーマーとして機械的に掲載しているのではなく、編集権を行使して重要なニュースと判断している)事案は問題であろうと思うわけです。 また、総理がネット上でのガセネタに対して注意喚起するほど大騒動になっているにもかかわらず、問題となった一部のラサール石井さんのポストは自発的に削除されてはいるものの、X(Twitter)ではアカウントが削除されることもなければガセネタと見られる他の問題ポストが削除される気配もありません。 これだけ衆人環視のなか災害対応に関する事例でガセネタが大量に流通する状況が明らかになっていながら、ガセネタを流した本人もその周囲も批判が殺到するまで軌道修正しないばかりか、大手ニュースサイト側もSNS提供側もプラットフォーム事業者が適正な情報流通に対し措置を下していないように見えるのはさすがに問題ではないかと思うんですよね。 X社も中日スポーツもヤフーニュースも、なぜこんな状況なのに放置しているのかと言えば、単純に、フェイクニュースでもなんでも耳目を惹くコンテンツが流通すれば儲かるからに他なりません。ヤフーコメントでも賛同も罵声もたくさん掲載されていますが、そもそもがガセネタドリブンであるのと、そのような論争自体がPVを生み、そのPVに広告が掲載されることを考えれば収入の源泉であることは相違ありません。中日スポーツにも、ラサール石井さんが余計なことをしてくれたおかげで読まれるネタでコタツ記事が書けて、何十万か百万以上の収入になったかもしれません。 「フェイクニュース対策が必要だ」と言われても、実際には事業者もマスコミもこのありさまですから、ちゃんと枠組みを作って規制しないと駄目なんじゃないかと強く思います。 一連の事態も踏まえて、プラットフォーム事業者に対��る規制・管理を行う当局がどう思っているのか、ちゃんと対応を考えたほうがいいんじゃないかと思わずにはいられない一件でした。
能登半島地震デマをラサール石井が流し中日スポーツがコタツ記事を書きヤフーニュースがプラチナシートに掲載して岸田文雄総理が公式に否定するフェイクニュース地獄|山本一郎(やまもといちろう)
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