#孤伏澤つたゐ
Explore tagged Tumblr posts
Text


3月28日(金)open 12-18
春休みらしく、小さくて元気な友だちがたくさん来てくれる一日です。 オープンしてすぐに野鳥が大好きなお友だちが来てくれて、一生懸命お話ししてくれるのが嬉しかったなぁ。 1番好きな鳥は?と聞かれたけれど、1番かぁ……と考え込んでしまう。 野鳥はみんな好きで、生き物もみんな好きで、順番はつけられないなぁと改めて思いました。 (例外で苦手なGなどもいるけど…) 庭の鳥たちの様子を見て、目がキラキラしている子どもさんのなんとかわいいことか。 庭にやってくる鳥たちも賑やかな季節、お出かけの際は観察もゆっくりどうぞ🕊️ 昨日はnakabanさんの巣箱を選んでくれた友人が来てくれて、「シジュウカラがつがいで内見に来たんだよ!!」という嬉しい報告もありました。 残念ながらお気に召さなかったようですが、また違う入居鳥さんがやってきますように。 ということで、鳥の本を含め、今日も山盛り本が届いています⛰️ ようやく棚出しがひと段落。 個人的に大変気になって注文した、 『翼ある日々へ』 箸者:孤伏澤つたゐ 発行:日々詩編集室 “鳥たちと生息地を同じくする人間として「��ること」の功罪を問うネイチャーフォトライティングエッセイ集”という文字を読んで、ドキドキしながら注文しました。 これからじっくり楽しみたいと思います。 せっかくたくさんの本が届いていますが、お知らせの通り明日は休業となります。 日曜日は通常運転。 その代わりと言ってはなんですが、3月いちばん最後の31日 月曜日は営業いたします! どうぞよろしくお願いいたします。
0 notes
Text
【予約開始しました】『ゆけ、この広い広い大通りを』
9月に三重県久居の日々詩編集室から、孤伏澤つたゐの本がでます!
『ゆけ、この広い広い大通りを』

シスヘテロの二児の子持ちの専業主婦まり、バイクと音楽が好きなトランスの女性の夢留、都会で働くことができなくなったフェミニストの清香、――かつて同級生だった三人が、「地元」でちいさな試みをする物語です。
★あらすじ★ ふたりの子を育てながら生まれ育った町で暮らすまりは、困ったことがあるといつも、友人の夢留を頼る。――父の介護をしながら地元で暮らしている夢留とまりは、かつて中学の同級生だった。ふたりは大人になってから出会いなおし、いまでは子どもやパートナーをふくめた付き合いをしている。 そんなある日、都会で生活していたもうひとりの同級生、清香が急に帰省することになって……。
『浜辺の村でだれかと暮らせば』や『オメガのライカと、わたしたち』『首輪とロマンス』とかがお好きなかた��とてもお楽しみいただけるんじゃないかな? と思います。
いろい��迷いながら書いて、いまだ足りない部分とかもたくさんあるとは思います。 「地方」でなく「地元」で生きている、そんなひとたちに届けばいいなと思っています。
本の予約はHIBIUTA ONLINE SHOPからできます。九月ころの発送になる予定です。ヨモツヘグイニナから出てる本も取り扱ってもらっているので、よかったらあわせてどうぞ。 よろしくおねがいします~。
13 notes
·
View notes
Text
ゆけ、この広い広い大通りを
・通販ページ
・Kindle版(電子書籍)
0 notes
Text
【感想】『禿』
著者:孤伏澤つたゐさん(Twitter@tutai_k)
---------------
『禿』と『ボルボックス』の2編からなる短編集。
『禿』は、経営難の水族館の、皇帝ペンギンと飼育員のお話。 『ボルボックス』は、「僕」とボルボックスがふたりぼっちで宇宙を旅するお話。 ざっくりご紹介するならこんな感じで、どちらも、人と人でないもののお話になっています。
以下はすごく個人的な感想というか、読みながら感じたことを書いただけの文章なので、本来物語が意図したこととは違うのかもしれない、と初めに断っておきつつ、感じたことを正直に書かせていただきました。あんまりまとまってないけれど。
---------------
はじめに収録されている『禿』は水族館の話なのだけれど、水族館というものに対して感じるのは、ガラスの向こうの世界の果てしない遠さだったりする。たとえばマリアナ海溝とか、南極の海とか、あるいはそこまでいかなくても海というのはすごく遠い。それを、水族館で思い知る。 うまく言う自信がない。ただ感じるのは、水槽の向こう側の彼らは人間の都合で連れて来られた生き物たちで、つまみ食いのようにあちこちから海を切り取り枠に嵌めたところで、それはもう海ではないのかもしれない。けれど、「僕らが近付くことができるのはここまでだ」ということ。そして彼らが本来いた海においては、僕らは呼吸もできず、凍え、押し潰されるだけだということ。行くことができないゆえに、わかりあうこともできない。
人間の都合で一羽だけ連れてこられた皇帝ペンギンと、珍しい生き物に群がる人間との間には、深い断絶がある。飼育員は知らないうちにその断絶を飛び越えて、向こう側に行ってしまったのだろうと思った。断絶は断絶として、消えることはない。それは周りの人間にとっては滑稽な、彼ら自身にとっては痛みを伴う形で表出する。ペンギンの行く末は悲しかった。一度こちら側に連れてこられたら、もう二度と向こうには帰れない。そこへ行く方法を、人間は知らないのだし。なんとなく、そんな風に思った。これは勝手な解釈で、勝手な印象だけれど。
もう一作の『ボルボックス』は、タイトルを聞いてまず、その曖昧さを思った。 「ひとり」というには少々頼りなく、「みんな」とはもう言えない。「みんなでひとり」の生き物だというイメージが、タイトルを見たとき真っ先に浮かんできた。
たどり着いた場所で、ボルボックスは目覚める前にいた場所を忘れるのだろうと思った。淡々と増え、栄え、そこで彼らは彼らなりの繁栄を手にするのだろう、と。そして、ともに長い旅をした存在など知らず、長い旅を強いた人間という存在も、その文明も文化も何もかも忘れてしまうのだ。ただ彼がもといた星から遠い場所にいるという事実だけが、その長い旅の証拠になる。彼にそんな旅を強いた人間の想いもまた、ただ彼の存在によってのみ証明される。 そんな、この先に広がる遠い物語を想像した。
0 notes
Text
9月10日文フリ大阪参加します

2023年9月10日(日)に、大阪・OMMビルにて開催される文学フリマ大阪11に、サークル・ヨモツヘグイニナで参加します!
スペース番号はQ14、お隣はQ13八束さんのおざぶとんと、Q15が日々詩編集室です。
新刊は「いづくにか、遠き道より 孤伏澤つたゐ短編集」。2014年に書いた「ネムノタキツボ」から、2020年に書いた「オメガのライカと、わたしたち」まで、10編の短編小説で編んだ本です。

どこへ持っていっても好評だった深海説話集『海嶺𧮾異経』、私家版として10部ほど配布した「おくりもの」、コロナでほとんど紙は頒布できなかった「オメガのライカと、わたしたち』が入ってるのが個人的にはおすすめポイントです。
ヨモツヘグイニナの活動をずっと見��ってきてくださった方だと、「もう読んだことある」というものもたくさんあるかな…と思うので、部数はそんなにたくさん刷っていません。 ヨモツヘグイニナってどんな本作ってるの?を知ってもらうのにいい本かな~と思います。
ほかに持ち込む本でおすすめなのは、 文フリ京都新刊『山梔の處女たち』。少女たちの欲望と恋について、あるいは「恋をしない」ことについての物語を集めています。 東京文フリの新刊「けものと船乗り」もよろしくお願いします。こっちは幻想小説で、きっと「いづくにか、遠き道より」に収録されているような物語がすきだよ~という方には絶対おすすめのやつです。最近はいろいろな事情からこういう耽美的な幻想文学を書くタイミングがなかったので、めちゃくちゃ楽しく書きました!
さ! ら! に!!!!
今回の文フリ大阪は、朝凪空也さん(ウェルウィッチア)が参加されるとのことで!残部僅少の「朝凪空也ファンブック into the Grass-earth」も持ち込みします。朝凪空也さんの初短歌集「零時がきたら日付はかわる」の短歌をモチーフにして、かおりさんがフルカラーイラスト! みやねねこさんが返歌と掌編、つたゐが短編小説をかいています。空也さんの歌集と合わせて是非!わたしは空也さんの新刊「滅びに向かう場所にて」がめちゃくちゃ楽しみです!
他に告知事項としては、 お隣Q-15「日々詩編集室」で、新刊「ゆけ、この広い広い大通りを」の販売があります。自分で企画~お金まで全部やるのではなく、誰かに必要とされて、小説を書き、本にしてもらうのは初めてのことで、どきどきしています。未熟さを実感する部分も多数あるけれど、これが今できる全力なので、よかったらこちらもお読みください。
(9月29日に読書会が開催されるらしくて一番おびえている)

文フリ大阪がおわると、次は文フリ東京なので、次の小説は、女ふたりのSFみたいな小説を書こうかなと思っています。物語として消費されてしまう女たちが、その消費に抗う物語です。そんなに長くならないと思うので、頑張って作ろうと思います。
最後になりましたが、イベント行かないよってかたはBASEの通販をご利用ください。 『山梔の處女たち』『浜辺の村でだれかと暮らせば』は、残部僅少で(増刷する資金が無かった)、イベント後に残部があれば(増刷の予定ではいます!)すぐに在庫を復活させますが、新刊とかはいろいろあるので、よろしくどうぞ。
4 notes
·
View notes
Text
欲しているのは、世界、立ち位置、安寧の場所
週末は文学フリマ東京だった。 covid-19の流行が始まって、ちょうどそのころに病院に転職したので、しばらく東京への参加は見送っていた。東京のイベント参加は実に三年ぶり。私が年に二度、定期的に通っていたころとはずいぶん様子が違っていることを友人たちのツイートやブログで知り、緊張しながら新刊の用意や他の準備をした。
変わっているのは、文フリ東京という場所だけではない。わたし、孤伏澤つたゐという存在にも転機がおとずれていた。『浜辺の村でだれかと暮らせば』という小説を書き、本にしたとき、これはわたしの(文壇的な意味ではなく)作家的な転機になるだろうと確信した。そして実際、この本を作ったことは、わたしを、わたしが思っていた以上の場所に連れて行ってくれるきっかけになった。
2023年は、そういうことがたくさん起こる年のようだ。
水俣に二泊三日滞在したことも、わたしの作家活動の中で(何らかの権威による作用ではなくごくごく個人的な)大きな意味を持っている。
そして、このタイミングで、角川武蔵野ミュージアム(埼玉県所沢)で「はじめてのBL展」という展示がはじまり、十年ほどまえに『共有結晶』という雑誌に掲載してもらっていたBL短歌が展示されることになった。

文フリの翌日、展示を見学してきたが、女性が女性のために作り楽しむ、積極的に性的な創作を始めた(つまりそれは女性が主体性をもって自分自身の性的な「ファンタジー」を作品として完成させる場所・立ち位置の獲得である)ことを、歴史の一つとして真摯に向き合い、編纂された展示だった。BLというジャンルは、女性の権利や表現の獲得とともに、LGBTQA+に対する消費の問題をはらみつつ、つねに前進している。新しい表現を模索し、他者を無邪気に消費・搾取することを内省し、「次の」表現を目指すジャンルだと思う。 その「ジャンル」のたどってきた道筋として、『共有結晶』も、一つの指標にされていた。 2012年「BL短歌合同誌『共有結晶』発刊」の文字の前で、わたしは立ち尽くしていた。 短歌/BL短歌と「わたし」について、いまここで多くを語るつもりはない。だが、あれがBLという大きな川の流れにおいて、海へ漕ぎ出そうとする一艘の船だったということを、その船に乗っていたということを、やはりわたしは「なかったこと」にはできないのだと思った。
孤伏澤つたゐという作家は、それはそれは小さな無名の存在だ。小説を書くという営みをただただやっている一個人だ。
それでも、そんな一個人にも作家性はあり、たどってきた歴史がある。越し方を振りかえれば、おおくの過ちがあり、迷いがある。
その迷いや過ちを編み、わたしは物語を作ってきた。
文フリ東京で刊行した新刊は、そんな自分の人生を振り返るようなお話です、ということはなかった。 どちらかといえば何も考えていなくて、いままでメッセージ性の強い物語をたくさん作ってきたから、何も考えずに書いたり読んだりできる気軽なものを作ろうと思って作った。
だから、上に書いたような作家性の発露などなく、文フリ東京で出した本は、孤伏澤つたゐという作家の転機となる作品ですよ、というようなものではない。 現実とは物語のように都合よく織られるものではなく、常に矛盾と期待外れの連続だ。
2023年が、創作活動の転機となるからといって、そこで作られる物語が、これ��での集大成、みたいな都合のいいことは起こりえない。 わたしを取り巻く状況だけが、わたしに作家性をかえりみさせ、わたしに未来の物語への責任を問い詰める。
人生という物語は、誰かに読まれるためにあるのではなく、わたしが歩くためにあるのだと再確認する。
歩いていく。
さて、そんな文学フリマで、一番楽しみにしていたのは八束さんの新刊『アフターヘブン』だ。 死者がよみがえることができるようになった世界の少女たちの青春物語。人間の連続性/一貫性は、その連続性を持つ当人よりも、他者のほうが強く「そのひと」に要求する。わたしたちは他者にたいする想像力を持たないがゆえに連続性と一貫性を他者に強要し、そこから外れることに眉をひそめる。そして、他者への想像力を持たないがゆえに、他者の過去への好奇心を殺しえない。 「死者がよみがえる」そしてその「死者」の「現在」が語られるとなれば、物語の読者は「死者」の「今」よりも、「過去」を知りたがる。過去を語れ、その過去をして「いま」の行動に期待し、分析しようとする。不思議なもので、「死者」でなくてもそうだ。現実の人間は、「今」を生きている。だが、焦点が当てられがちなのは「過去」で、「今・生きている」その事実は、一貫性/連続性の証明書として提出が要求される。 その好奇心/他者からの一方的な要求に、押しつぶされがちな人々、それゆえに「いま」を積極的には語れないひとびとへ、たくさんのメッセージが込められた物語だった。 この物語を書くことができる稀有な作家と同時代を生き、刊行されるすべての書物を手に入れることができる、そのことはわたしの人生の、大きな財産である。
16 notes
·
View notes
Text
『一度きりの大泉の話』がこわくて読めない
萩尾望都が、『一度きりの大泉の話』という本を河出書房新社から出したのは、2021年の4月のことだった。 萩尾望都が大泉サロンのことを「語る」というので、それは是非聞きたいと思って予約し、発売日当日に得た。 「前書き(そもそものきっかけ)を読み、「どうして買ってしまったんだろう」と思って、それからこわくて開くことができなかった。 二年。 ずっと、「買ってしまった」「(数ページだけでも)読んでしまった」という罪悪感を負っている。 それじゃあ手放せよ、といわれるだろう。たしかに手放してしまえば佳かった。だけど、「本」を捨てるという行為はどこまで完全にその「本」が消えるのかということを考えるとこわいし、古書店だとか誰かに譲るだとか……そういう、誰かの手に渡って「これが読まれる」可能性を「わたしが」つくるのが、耐えられないなと思った。 この本を出した(出さなければならなかった)萩尾望都のことを考えると、つらくてつらくてたまらなかった。
竹宮惠子が大泉の頃を語った『少年の名はジルベール』、あれも発売直後に買った。2016年だった。読んで、竹宮惠子と萩尾望都というふたりの漫画家の、クリエイターとしての関係性に胸を躍らせ、「表現」と「社会」への挑戦に、憧れも抱いた。良い関係だったのだろうと思ったし、萩尾望都の視点からも「語られてほしい」思ったのはたしかだ。
語りはじめた経緯である「前書き(そもそものきっかけ)」を読むまで、実際「語られてほしい」という気持ちが「かなった」という好奇心と他人事、消費者��線でしか本と、そして萩尾望都の経験を見ていなかったのだと思った。 帯がついている。
「大泉に住んでいた時代のことはほとんど誰にもお話しせず、忘れてというか、封印していました。」「この執筆が終わりましたら、もう一度この記憶は永久凍土に封じ込めるつもりです。埋めた過去を掘り起こすことが、もう、ありませんように。」
ぞっとした。 ここに書かれていることは、筆者が「書きたい」という意識をもって書いたことじゃないんだ。……でも、帯って、販促のためにそういう部分だけを切り取ることもあるし、と思って、「前書き(そもそものきっかけ)」を読んだ。 「読めない」と強く確信した。 これは「書かされた」話だ。「語りを要求された」本だ。「語ること」を要求する声に根負けしてしまった「表明」だ。
語りたくない過去のことがある。 たとえば私にとってそれはBL短歌だったりした。『共有結晶』という雑誌に短歌を投稿していたこと、その『共有結晶』で経験したことは、わたしにとって長いこと(35年しか生きていない人間の10年はじゅうぶん「長い」だろう)「決して語りたくないこと」だった。なかったことにしたい、消してしまいたい、筆名もなにもかも変えて、その経歴を持っている孤伏澤つたゐという人物とは別人として創作活動をしていきたい、そう思うような。
わたしはBL短歌のことを、語って残しておかなければならないとは思っている。だけどこれを、どこで公にするかを悩んでいる。わたしが語ることによって、あの場で傷つき、苦しんだ、あの記憶を「なかったことにしたい」と思っている人たちに視線がいかないか、語れと圧力がかからないかを、恐怖している。どこでそれを「語るか」。だれにそれを「語るか。
『一度きりの大泉の話』が刊行された頃のTwitterは平和だったし、萩尾望都のファンはフォロイーに多かった。そこかしこで『一度きりの大泉の話』のツイートが目についた。「このひとたちは読んだんだ」「あの前書きを踏み越えて、「読了」という行為に至れたんだ」それすらわたしはこわかった。
これはファンが引きずり出した語りなのだ。筆者が語りたいと望んだのではなく、「語らされた」言葉で、それにたいして感想が出る、その感想に「語らせた」という意識はなく、「語られたので読みました」という意識。「本は書かれた以上、読まれるからこそ機能を果たしている」という「強さ」。 たしかに本だ。本というのは、何か(読み手に)「理解を求めて」書かれるものだし、読み手は(書き手・書かれている事象/表象を)「理解しよう」と読む。それが「書物」という機能だ。 だけど、その「機能」ってあまりにも権力的な行いじゃないか?
本を書くすべてのひとが、「語り」の場を求めているわけではない。萩尾望都は、大泉サロンでの記憶に関しては「語り」の場に経ちたくなかったはずなのだ。 それをむりやり引きずり出した「声」。「理解してもらわなければ」苦痛がやまないと、やむなく発した「語り」。
本を作ることと、本を読むことの権力勾配について考える。そして、「読みたい」という欲求について。
このブログを書くに当た���て、本棚の奥にしまっていた『一度きりの大泉の話』を出してきた。記憶が錯誤していないかを確認しようとしただけだったけれど、帯に、「前書き(そもそものきっかけ)」に、「この本を作らせてしまった」自分がやはり、許せなかった。 本はこれから先もきっと全文を読めない。だけど捨てることもできないし、古書店や、誰かに譲ることもできない。誰かの目にとまるのもイヤだから、隠し場所は本棚の奥底にしかない。 本を探すたび、行き当たるだろう。そしてきっと「書かせたこと」を悔やむ。
「本を作る」「何かを作り・語る」それが「とてもよいこと」(それが本に対する態度として)、主流で、デメリットや、踏み潰される存在のことを無視している世界を、わたしはとてもこわいと思う。
6 notes
·
View notes
Text
お知らせ的なもの
今日5/20〜7/16まで埼玉県所沢市の角川武蔵野ミュージアムで開催される「はじめてのBL展」で、孤伏澤つたゐの作品が展示されます。お近くのかた、行かれるご予定のある方はよろしくどうぞ。 BLの歴史が俯瞰できる展示のようです。
instagram
この2枚目のぶら下がってるやつがわたしの短歌です。
博物館で展示されるってことにびっくりしていますが、わたしにとってとても大事な一歩になると思うのでご報告。
BL短歌合同誌『共有結晶』という雑誌に寄稿していたBL短歌の展示です。わたしが、いまこうして小説を書いたり、いろんなことを考えたりできるのは共有結晶のおかげです。 お近くの方や、行かれる予定のかたは、よかったら気にしてやってください。
わたしは文フリのあとで見に行く予定ですが、10年前の自分の感覚/作品と向き合うって……しかもそれがたくさんのひとの目にさらされてるって……すごい体験だなと思います。得がたい!
ここではゆるやかな報告だけにしておくけど、そんなに時間をおかずに、こういう流れちゃうような形じゃなく、不特定多数のひとたちにむけてじゃなく、『共有結晶の頃』を語りたいなという気持ちがあるので、準備ができたら、きっとお付き合いしてくれるだろう面々は、お付き合いください。語りたいひとがいたら、一緒に語りましょう。
4 notes
·
View notes
Text
今書いている小説のこと『魔女の選択』
せっかくブログを作ったので、今書いている小説��ことを。
『魔女の選択』というタイトル���、魔法学園もの(女子校)の小説を、2023年1月の文学フリマ京都あわせで作っている。 初稿はもうできたので、いまはこれを推敲しているところ。
どんなお話かというと、卒業を間近に控えた魔法女学院の生徒たちが修学旅行に行く……というだけの物語と言ってしまえばそれで終わってしまうお話。
性愛・恋愛によらない連帯を約束するふたりと、その二人と契約した使い魔はアセクシュアルのサキュバス、処女性に固執しないユニコーン。担任の教師は、かつて同級生で大親友だった大魔女に求愛されつつ、彼女を「腐れ縁」と周囲には言い続けている……。
登場人物の相関図はこんな感じ。
「百合」とラベリングはするけれど、さまざまな人と人のつながりや、愛=寝食を共にできるか、という問題など、いろんなことを考えながら作っている。
これと抱き合わせて、2019年~2020年にpixivで開催されていた「第2回百合文芸コンテスト」で佳作になった「首輪とロマンス」という小説も収録した短編集を作るつもりでいる。
こちらはオメガバース・現代女子校もの・アルファ×アルファのお話。現実だけでなく、物語の中でも少女たちがいかに理不尽な消費にさらされているか、ということがテーマ。
二作品を収録して、短編集のタイトルは『山梔の處女たち』とするつもり。少女小説の歴史を知る人には、えらく挑戦的なタイトルだなあ…と思われるだろうけれど、これが一番しっくりくるので、これでいきます。「魔女の選択」の完成度で、Kindle化も検討している。Kindleにするばあいは、『迎え火』も収録しようかな、と考えているところ。
イベントまであと二ヶ月くらいだけど、気にしておいてもらえるとうれしいです。
また、ヨモツヘグイニナ・孤伏澤つたゐは、トランス差別・SOGIハラスメントには反対しています。pixivで賞をもらったお話を本に収録しようと思ったのも、プラットフォームを運営する会社が抱える問題(対処・処分をしたことになっているけれど、不十分だと思う)のことを考えると、そこでしか「読めない」って、読者をも理不尽に巻き込み、知らないうちに加担させうることになるなと思ったので。 トランス差別・SOGIハラスメントについても、本の中では触れられ��はいないけれど、考えたり、学ぶきっかけになってほしい。
4 notes
·
View notes
Text
自己紹介
孤伏澤つたゐといいます。 「ヨモツヘグイニナ」というサークルで本を作っています。 主に小説の本を作っており、ジャンルは、ファンタジー、幻想文学が主ですが、地方の生きづらさをテーマにした小説も書きます。 代表作『浜辺の村でだれかと暮らせば』『はるけき海境の同胞よ、蒼穹に物語りせよ』『幻想生物保護官日記』。 作っている本は、Kindle・BASEなどで取り扱っているほか、三重県津市久居のブックハウスひびうたさんでもお取り扱いいただいています。 第2回Kino-Kuni文学賞大賞受賞『迎え火』。 野鳥の写真を撮るのが趣味です。山にはできれば登りたくないが鳥がいるので仕方なく登っている…。ほかに、ビーチコーミング、水族館巡���などもする。
以前FANBOXというところでブログを書いていたのですが、やめてしまったのでこちらを使ってみようかなと思います。
日常のこと、書いている小説のこと、読んだ本のことなど書くかな…?
よろしくどうぞ。
1 note
·
View note
Text
文フリ東京に参加します
11/25文フリ東京に参加します〜。スペースはA-13ザネリ、新しいものは「煙の女」と「すさんだ暮らしBL合同誌 土足で愛せ」です。 (それぞれ9/9文フリ大阪、10/21J庭新刊だったものですね)

「煙の女」新書/70ページ/¥500 webカタログ:https://c.bunfree.net/p/tokyo27/11396 ラフで短い小説です。こんなにダラッと書いた&実験してみたものを本にするのもめずらしい…です、自分としては。実験といっても前衛的なつくりというわけではなくて、わたしのなかで「あんまりやらないこと」という感じ。 働いていない35歳の女が主人公で、女にふられて姉のうちに転がり込んで、甥っ子とダラダラ過ごして…、別れた恋人がたばこの煙になってまとわりついてくる。隅田川、曳舟あたりが舞台です。いつもこういうの書いているような気もするんですけど、「いつもやっていることをいつもとちがう感じでやろうとした」感じといいますか。 そういうものをひとさまにお見せするのってすごく緊張するのですが、たまにはいいかなあと本にしてみました。面白がっていただける方にめぐりあえましたら幸いです。
「すさんだ暮らしBL合同誌 土足で愛せ」B6カバー付/140ページ/¥1000 webカタログ:https://c.bunfree.net/p/tokyo27/12149 「犬にメロン」という題の、上野アメ横を舞台にした無職の叔父さんのお話を書きました。 なんだろ、おかわだはほんとブコウスキーとかブエノスアイレス(ウォンカーウァイの)とか好きよな〜って感じです。それBLなの?って気もするんですけど、うん、わたしが書くとこういう感じ。セックス描写をしっかり書いたので、それにあわせてドッタンバッタンうるっせえ話になりました。わりとラブコメなんじゃないかな。泣くのわめくの殴るのセックスの、いやー、こういうの書きたかったのです。 わたしの書くもの、わりといつも「いない人の噂話をする」小説ばかりなんですけど、本作は叔父さんと甥っ子、目の前にいるにんげんどうしがガンガンとっくみあう話です。じぶんとしては挑戦でした。セックスもそうですが、口論するシーンが書いていてと���も楽しかった。
なんとなく「煙の女」と「犬にメロン」と、対のようなつもりです。長さも同じくらい、作品の舞台も隅田川のあっちとこっち。ラフに書いたものの迷いも多い「煙の女」と、みっちり作り込んだ「犬にメロン」、よかったら読み比べていただけましたら幸いです。 といっても毛色がちがうのでご無理はなさらず…(「犬にメロン」はちんぽケツ穴きんたまおまんこなど局部ワードまるだしです)。 (とはいえとはいえですね、ほんと、わたしもへんなところ自信を忘れないほうでですね、なにかの気の迷いでお手にとってしまったとしても、なんらか楽しんでいただけるんではないかなあと思ってはいる…笑)

すさみ合同誌は、孤伏澤つたゐさん、森瀬ユウさんとの合同誌です。わたしがおふたりのふぁんなので、ご一緒できてすごくうれしかった。いやー、ほんとに素敵な作品を書いてくださって、ぜひともいろいろなかたに読んでほしいです。つたゐさんのえがく夏の晩、擦り切れるアスファルト、チャーミングなおとこ。森瀬さんの描写するみずみずしい高校生たち、ぴんと冷えた冬の空気、切なくなるほどの潔癖。必見です。

既刊は 「人魚とオピネル」webカタログ:https://c.bunfree.net/p/tokyo27/9254 「踊る阿呆」webカタログ:https://c.bunfree.net/p/tokyo27/9255 「水ギョーザとの交接」webカタログ:https://c.bunfree.net/p/tokyo27/12147 と持ってゆきます。 「人魚とオピネル」はさいきんKindleにもしました。お好きなほうでお手にとってみてくださいませ〜。
また委託でわたしの参加したアンソロをお預かりしております。

「MARGE」webカタログ:https://c.bunfree.net/p/tokyo27/12178 まあるくなったものをあらわす古語「まるげ」。表紙の黒字にピンクの布のイメージから、12名が想像を膨らませたアンソロ。おかわだはでっかいらっことえっちなことをするお話を書きました。

「美形と鼻血アンソロジー 美形点睛」webカタログ:https://c.bunfree.net/p/tokyo27/11395 美形が鼻血を出すというくくりのアンソロ。現代物からファンタジーまで多彩なエンタメの詰まった一冊です。中学生の女の子とブラジルハーフの青年のお話を書きました。
余談ですが、美形点睛がブラジルハーフの青年で、「犬にメロン」は甥っ子の父親がアメリカ人(Black)で、「煙の女」には日本に住んで長いオーストラリア人が出てきて…。それから金継ぎアンソロでも母親が日系三世という主人公を書いてまして、今年は同じようなこと(テーマというかなんというか)を繰り返し書いたなあと思います。ルーツとか、マイノリティとか、怒りとか、そういったものが今年書いたものには色濃い…のですが、読んだ方にはどうかな。なんらか楽しんでいただけたらうれしいです。

おしながきはpixivにもあっぷしております。試し読みのリンクも貼っておりますのでよかったらご覧ください〜。
また、おしながきやwebカタログにのせてないのですが、こんどKindleで出す予定の短編集の紙版も置いているかと思います(文フリあわせの割引プランを使ったので、本がイベント会場に届いちゃうんですな

当日はつたゐさんと隣接しております。壁際端っこのスペースなのでよかったらお話していってくださいませ。どうぞよろしくお願いします〜。
2 notes
·
View notes
Text
読書日記『さみしい召喚士は深夜に勇者を召喚する』
6/10『さみしい召喚士は深夜に勇者を召喚する』孤伏澤つたゐ

読んでいる途中も、読み終わってからも、幸福な気持ちでいっぱいです。 以前つたゐさんの『初心者のための魔法使いの飼い方』を読んだときも感じたのですが、異なる習慣・文化を持つ人たちが近づきあい、ちがいに驚いたり不安になったりしながら徐々に互いを受け入れていくところ…とくに本作はちゃんと会話をしてそうなるところがとても好きです。
「その夜、ぼくはとてつもなくさみしかった。さみしくてさみしくてしかたなかった。だから、一晩だけ、一緒に夜をすごしてくれる魔獣を召喚しようと思った。」
冒頭の文章に惹かれて、そのまますっと世界に入っていきました。さみしさを紛らわせるため魔獣を召喚した召喚士ラシュート。けれども現��たのは人間の勇者・ダルバで…。ダルバは魔王退治の途中。彼をもとの世界に帰すため、二人は旅に出ることになります。 ということは旅のゴールはお別れだよな、読み終わっちゃうのがさみしいな、このまま二人を見ていたいな…とページをめくるのが惜しいような気持ちで、でも描かれる世界の広がりにすっかり夢中になって、一息に読みました。 旅の中で時間を重ねていくところがとても好きです。旅支度や野営や、街に滞在し、ギルドの依頼をうけて旅費を稼いで…。やさしい言葉で書かれたコンパクトな小説のなかに、鷹揚な時間の流れを感じて、物語に身を任せるのが心地よかった。これは必ずしも登場人物たちがのんびり構えているというわけではなくて(十日間で着くなら近い、のようなファンタジー世界の時間の感覚はあろうかと思いますが)、なんというか、物語それ自体に読んでいる人を急かさない懐の深さがあるというか…。小説の膨らみ・語り口の丸みにすごく憧れます。 また、立ち寄った街での魔獣と人間との関わりあいは、現実のわたしたちの抱える諸問題(たとえば外来生物との関わりとか…)を想起させ、作者の鋭い洞察を感じます。リサの街がその後どうなってゆくのか、すぐに解決とはならないけど…という着地には希望も厳しさもあって、感じ入りました。 そしてそしてBLとしての満足感、幸福感にもあふれていて…! 読み終えて本を抱きしめました…!
めちゃめちゃなんとなくで勝手ながらなんですが、子どものころ読んでいまも大好きな、ミヒャエルエンデや「偉大なワンドゥードル最後の一匹」の感じを思い出します(これはわたしの引き出しが少ないだけだとも思いますが…)。つたゐさんの小説を読むと、たくさん本を読みたくなります。追い立てられるのではなくて、自分が読むことを欲していて、それが心から楽しいのだということを思い出させてもらえるというか…。日々のもろもろでくたびれ気味で、好きな小説を読むのにさえなんとなく身構えてしまうことがあるのですが、そういうこわばりがほどけていくというか…。読めてよかったです…!
0 notes