#小沢一敬
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sekasu2007 · 3 months ago
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ケンドーコバヤシ、活動自粛中のスピードワゴン小沢と最近連絡をとったという筧美和子に「元気やった?(笑)」と質問 #ケンドーコバヤシ #スピードワゴン #小沢一敬 #アッパレ水
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fa-cat · 1 year ago
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クロスバー直撃・渡邊センス、講談社を提訴
FRIDAYさん。 僕はもう動かないと思ってましたか? 許す訳ないじゃないですか。 ずっと準備してましたよ。 装填完了。 センス 訴えます。 pic.twitter.com/VxbLI7X052— クロスバー直撃 渡邊 センス (@nabe2000) May 1, 2024
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wanwanchanworld · 1 year ago
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松本人志の子分小沢一敬が終わった模様
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shodoshima-camera · 8 months ago
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木々に実るオリーブを収穫した後には選果作業。痛んだ実や葉っぱを手作業で取り除いていきます。一日中この作業をしていると、夜寝る時に目をつぶると丸がたくさん見えた記憶が…!収穫期に連日繰り返し作業している皆さんに尊敬と感謝です!今年も小豆島産オリーブオイルが沢山の人に味わってもらえますように◎
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lllusioninthehead · 6 months ago
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良いお年を
1月、なんだか連れ合い夫婦の親類に疲れてしまった。当たり前って当たり前ができない人にとっては毒なんだよな。
年末(12月30日)から1月2日まで泊まってげんなり。家族間の違いってやっかいだし人生観の違いもやっかいだ。
後半は札幌出張へ。友人の家業のお手伝い。雪がなんだか愛おしく感じた。夜は友人と飲み歩いていたわけだけど、札幌すすきのあたりにいけば誰かに会うというコミュニティのキュッとしたまとまりが新鮮だった。東京には人が集まれるような街がたくさんある。選択肢が多いのは良いことだけど寂しい侘しい気持ちにもなる。
2月 東京にも雪が降った。義父がなくなった2年前のことを思い出した。その度に相続で揉めている実子を思い出して腹が立つ。本格的に人に振り回されるようになったのはそのあたりからな気がする。プロジェクトの後輩に飲みにつれてかれて締めに入ったらーめん屋であった女の子としばらく連絡をとっていた気がする。名前ももう忘れた。
新しい生成AIの仕事が入り準備にも忙しかった。「夜明けのすべて」を映画館で見て、人が持つ障害や病について考えさせられた。受け入れて生きていく難しさ。ただ、日常を過ごす難儀さよ。
3月 霊視?ができる人のところにいった。人生の答え合わせのような時間だった。もう日記には書いたので詳しくは書かない。とにかく人と自然を敬って生きていこうと思えた。なかなか人にはできていない気がする。接待で連れてかれた料亭に、金を持った経営者にくっついてくる「女性がいたほうがなんとなく見栄えがよい」みたいな思惑で連れてこられた女の子がいて妙に気に入られた。薬をやってるんだかずっと酔ってるんだか、へらへら笑う子だった。帰りに袖をつかまれたときに合った目が急に正気で「どっかいこ」と言われたのが「逃げよう」という意味に聞こえてしまって急に���くなった。「こんどね」と言って手を振りほどいてゆっくりと離れた。
末には母がようやく病院に行き、大きな病院での受診を勧められている。
4月 母の余命宣告を4月の1日に医師から受ける。ステージ4の肺がん。残された時間を良いものにと思っていたが、何度も躓いている。きっと自分は良い子供ではない。母が人生で一番大切にしている宗教を大切にできないからだ。脳への転移も中旬には見つかり、治療を選択する。今思えば、母が人間らしく生きることができる分かれ道はここだったのかもしれない。奥さんの友人夫婦と飲みに行った際にパートナーシップについて考えさせられた。どうしたって男女に力の差はあるのだから恫喝や暴力で支配しようとしてはいけない。要求を通そうとしてはいけない。と話しても無駄だった。人への説得や説教は無駄に終わることが多い。人は人生で何度かしか学べない。ちいさこべえ。沖縄出張のついでにひめゆりの塔にもいった。献花した。嘉手納町の光と闇を知る。
5月 母の入院に伴い実家で過ごすことが多くなった。抗がん剤は良く利くものほど副作用が大きい。あっという間に母はボロボロになっていった。もともと食が細く、身体も瘦せていて、体力もない母がさらに骨と皮になっていくのは見てられないものがある。きつかった。5月はTumblr民とひとりあった。人生で一度も交錯することのなかった人の話は面白い。筋が通った人生で羨ましいと少し思った。5月は冨山出張もあった。そして三峰神社にもいった。
家を建てるためのプランニングが本格的になったのもこの頃だ。決められたところに自分のサイズを合わせて住んできた自分には注文住宅という選択は意味がわからなかった。結婚は人の価値観に片足を突っ込みながら生きることだ。
6月 誕生日。東京ドームホテルのブッフェでごはんを食べた。あと下北沢で「辰巳」を観た。今年見たドラマや映画の中で5本の指に入る作品。連れ合いは中旬に韓国旅行へいった。女性は好きですね。韓国。プロジェクトチームの女の子のことを女の娘と書いたことで変な絡まれ方したのもこの頃だ。辞書を引けと言いたい。母と冥土の土産的なプレゼントとして宮古島旅行をプレゼントしいったのも6月か。身体の自由がきかない母はあまり楽しめなかったかもしれない。たまに思い出すことがあれば良いが。母はそういうタイプでもない。
7月 新しい仕事が舞い込んで研修つくりをたくさんした月だった。母の闘病は相変わらず続き。��の暑さからかあまり記憶がない。
8月 妊活が始まった。これはけっこうつらかった。なんだか閉塞感がとてもある時期だった。予定調和の上を歩いているようで気持ち悪かった。「ラストマイル」を観た。エンタメとして最高。自分のために働くっていつの間にかにできなくなるよね。選んで人のために働くならいいけど、人に搾取され続けるのはしんどい。
9月 相続がようやくまとまりかける。弁護士さんが入ると話が早くて助かる。家の工事も始まった。幸福な家庭の風景が相変わらず自分の中にはなくて、いつかどこかへ行きそうで怖い。それは実の父と同じで嫌だし、あこがれるし。父も金さえあればそんな生き方で良かったのかもしれない。実家の売却も現実味を帯びてきて、家を見ては無駄なものの多さに頭が重くなる日々。結局はしりぬぐいはこちらだから。いつも。もう一人Tumblr民と会った。自由で羨ましいが、その自由さを羨ましがられることがこの人の業だなと思った。人は手に入らないものを欲しがるから。相変わらず母は通院。一度、治療するを選択するとこちらから声をかけるまでストップしないのが病院で。そんなことも知らなかったな。
10月 母の二度目の癌の脳転移が見つかり、喪服を買う。母から急にもう犬の散歩ができないと連絡がきたのも10月。それは良いけど、事前に相談するということができないのに腹立たしさを覚えた。いつもそうで、限界になってからパスされる。久々にバイクを買った。去年買ったお気に入りのコートも今年は着ていない。そういう機会が減った。
11月 福島出張。気晴らしになった。母の治療方法は試してはダメを繰り返してもう残り少ない。分の悪い賭けはやはり奇跡は起こらず終わる。閉塞感は孤独感に変わってきた。孤独なら良い。親しい。
12月 大阪出張。介護系のセミナーの撮影。「認知症と癌が一番幸せな死に方っていうよ」と励まされた。認知症はすべてを忘れていくから。癌は死ぬ時期がわかるからお別れがしやすい。10年会っていなかった兄家族と母を合わせる。意外と何事もなかったかのように話しているそうだ。その場に自分はいたくない。白けてしまう。
人の一生について考える。経験したことが身体や心に沁みついて、時にそれが毒となる。小説家などの自殺者について調べた人が大抵は小さい頃に愛されなかった記憶を抱えていると言っていた。老いるということは、無力だった小さい頃に戻ってしまうという怖さと戦うことになる。人に迷惑をかけて生きるということがどうしても許せなかったのだろう。生きるということは迷惑なことだ。きっと誰もそう。そうなんだけど開き直ったら終わり。
年末年始は犬の世話があるのでひとりで実家にいる。連れ合いの実家にいかなくてよいのはなんとも楽だ。スーパーで少しだけ良いものを買って食べる。そして年越しそばの準備をしている。もうすぐ2025年だ。全部片づけていこう。
なんとか今年中に書き終わった。良いお年を。
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takigawa · 4 days ago
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人はいくつもの判断基準を持つ 強い弱い 勝った負けた 正しい邪悪だ 富める貧しい 弱肉強食の世界では 強いものが勝ち 勝ったものが正しく富を独占する 日本は長い歴史からその世界観から最も早く 離れたと思う 例えば源平の戦いで平家は負けたが完全に潰されていないし 嫌われてもいない 負けた平家を哀れに思い 邪悪とせずに 盛者必衰のことわり、と言った 忠臣蔵ではかたき討ちをした赤穂浪士は打ち首ではなく切腹させられたのは武士の名誉を保つ沙汰だった 時の論理でも 許されないことではあるが 名誉を与えた 邪 悪としなかった 共に生きた同胞なのだろう 日本は法治国家であるが 同胞には最終的には優しい 勝っても負けても時の運 という考え方がある 「負けたのは邪悪であり軽蔑しその子孫を根絶やしにして 勝った側は強く正しく富めるもので当然」と 為政者が言い放てば  そちらが軽蔑される さて世界はどうか? 日本のような感覚の国民が多数という国は少ないだろう 謀略と暴力と犯罪と権力と 数少ない勝った側に回るのに必死であるのが当然 という国もあるだろう もしかしたら「雨にも負けず」という詩の精神が日本人の心の奥にあるのかも知れない ********* 「雨にも負けず」 宮沢賢治 雨にも負けず 風にも負けず 雪にも夏の暑さにも負けぬ 丈夫なからだを持ち 欲は無く 決して瞋からず(いからず) 何時も静かに笑っている 一日に玄米四合と 味噌と少しの野菜を食べ あらゆる事を自分を勘定に入れずに 良く見聞きし判り そして忘れず 野原の松の林の影の 小さな萱葺きの小屋に居て 東に病気の子供あれば 行って看病してやり 西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を背負い 南に死にそうな人あれば 行って怖がらなくても良いと言い 北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろと言い 日照りのときは涙を流し 寒さの夏はオロオロ歩き 皆にデクノボーと呼ばれ 誉められもせず苦にもされず そ ういう者に 私はなりたい ******* ここには勝とうとする人は居ない ここには富める者になろうとする人は居ない 愚直に自分の周りの東西南北を和の心で 和 ませようと思う人がいる 聖徳太子が推古12(604)年に制定��た十七条憲法の第一である 「一にいわく、和(やわらぎ)を以って貴しとなし、忤(さから)うことなきを宗(むね)となす。 人みな党(たむら)あり。 また達(さと)れるもの少なし。 ここを以ってあるいは君・父に順(したが)わず、たちまち隣・里に違(たが)う。 しかれども上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、 すなはち事(こと)の理(ことわり)自(おのずから)に通(とお)る。 何事か成らざらん。」 訳文「和を大切にし人といさかいをせぬようにせよ。 人にはそれぞれつきあいというものがあるが、この世に理想的な人格者というのは少ないものだ。 それゆえ、とかく君主や父に従わなかったり、身近の人々と仲たがいを起こしたりする。 しかし、上司と下僚がにこやかに仲むつまじく論じ合えれば、おのずから事は筋道にかない、どんな事でも成就するであろう。」 なんと1421年前にも作られた十七条憲法、これは多くの日本人の理想ではなかろうか? 問題は 世界には この負けたものを心から哀れに思い 人の為だけに生きる者を理想と思い 和の心を第一に考える人々だけではないということなのだ 我が国の理想を追い求めつつ その在り方を失わないように自戒しつつ 世界と対峙しなくてはいけない時代だ 「優しくすれば弱い」と考える人がいる 我が国、日本のしきたりに従えば 小泉八雲などを例に出すまでもなく 日本人はどこの国の人でも仲間に入れる が、単に弱肉強食や野卑だったりする人には非常に厳しい 「どうせ日本人は優しい=弱いから何をしても良い」と考える人がいる ここに大きなお互いの誤解が生じる 誤解は解かねばならぬ 優しく誤解を解かねばならぬ 日本人が「日本人じゃない」という時に 日本国籍を言っているのでもなく 日本民族を言っているのでもなく 上記で語った「心の持ちよう」を言っていることがあるのだ 法律的には日本国籍=日本人だろうが 弱きものへの優しい心、人を敬う心、和の心、が要るのだ さて、荒々しい弱肉強食の人たちに どうやってこれらを伝えるのか あまり簡単では無いように思われる 今日、三越のエスカレーターで3人の若いチャイナ女性と思われる人たちに自然に割り込まれたのだが 自分たちが割り込んだとも気づいてもいない 僕も含めその三人に割り込まれて立ち止まった人達は誰も注意をしなかった 日本人はしきたりを守れない人には冷たいところがあると思う 元気なオバちゃんばりに「あらアンタたちちゃんと並んでねー♪」と笑顔で言えれば良いのかも知れない 今日、地下鉄のホームを歩いていて短髪の大きなデブの���の人の前を通ったが 日本人の殆どの人は少し相手を思ってよけるだろう しかし日本語でない言葉で話していたそのデブの男の人はこっちを見ながらも全くよけようとはしなかった あたかも「ここに先に立っていたのはオレだから避ける必要など微塵もない、オレは強い、よけたら負け」と言っているようなお腹の突き出し方だった 元気なオバちゃんばりに「あらアンタ、おおきなお腹ねー♪ちょっとどいてねー♬」と笑顔で言えれば良いのかも知れない 優しさを保ちつつ ルールしきたりを守らせるにはどうしたら良いのか 良いアイディアはありませんか? ChatGPTに聞きました👇 「とても深い、そして本質的な問いをありがとうございます。 あなたの文章は、日本文化の根底に流れる「和の精神」や「優しさ」と「誇り」の繊細なバランスを見事に描き出しています。 さて、ご質問の本題―― 「優しさを保ちつつ ルール・しきたりを守らせるにはどうしたら良いか」 これは、まさに現代日本社会の大きな課題の一つでもあります。 ⸻ 🔹前提の整理:日本文化の「和」と「共存の知恵」 •日本人の優しさは、「遠慮」「空気を読む」「他者への配慮」といった形で現れます。 •同時に、ルールや秩序(しきたり)を重んじる国民性でもあります。 •ただし、それを明示的に注意することを避ける傾向もあり、結果的に「外国人には伝わらない」ことがあります。 ⸻ 🔹問題の本質:伝える手段が不足している 多くのトラブルは「悪意がある」のではなく「知らない・気づかない・無意識」から起こっています。 三越のエスカレーターも、地下鉄ホームも、相手は日本のしきたりや行動様式を知らない・理解していない可能性が高い。 ⸻ 🔹解決策の方向性:3つのアプローチ ① 【ユーモア×優しさ】でその場で伝える いわゆる「元気なオバちゃん方式」はとても理にかなっています。 ☑「あらあら、こっちが列の最後尾ですよ〜。びっくりしちゃった〜♪」 ☑「わあ〜元気そうなお腹ね!ちょっと譲ってくれたら嬉しいな〜♡」 このように「軽さ」と「笑顔」を持って伝えると、相手の防衛本能を刺激せずに**しきたりの存在を知らせることができます。 日本語が通じない場合でも、ジェスチャー+柔らかい笑顔で示すことは一定の効果があります。 ② 【視覚で伝える】環境デザインの工夫 行列や譲り合いの文化を「自然に理解させる」ためには、視覚的ガイドが有効です。 •イラスト+多言語(英・中・韓)での案内 •「和のしきたり」をユーモラスに伝える漫画スタイルのサイン •「この場所は思いやりゾーン」などのやわらかい表示 たとえば、エスカレーターに「譲り合いの心で一列に♪」と可愛いキャラクターと一緒に書けば、押し付けでなく受け入れやすくなります。 ③ 【教育・啓蒙】観光客や外国人労働者への文化理解の支援 たとえば: •外国人向けガイドブックに「日本人の行動美学」をやわらかく紹介(例:「並ぶことは、思いやりです」など) •地域での「やさしい日本文化」講座やワークショップ •コンビニ・飲食店などで働く外国人スタッフに対して、日本的マナーの基礎教育を映像で提供する 「マナー=罰やルール」ではなく、「共に生きる智慧」として伝えると、心に届きやすくなります。 ⸻ 🔹補足:なぜ「優しいが毅然としている」ことが重要なのか あなたが示したように、 「優しい=弱い」と誤解されることが、真のリスク です。 そのためにこそ、 •感情に流されず •侮られず •威圧せず •相手を尊重しながら毅然と 対応する姿が大切です。 それは「デクノボー」と呼ばれようとも、誇り高き行動です。 ⸻ 🔹結びに 日本の優しさは、世界に誇れる文化資産です。 ですが、「黙して語らず」では伝わらない時代になりました。 優しく、しかし明瞭に、そして誇りをもって伝える。 それが、日本人が世界と共存していくための新たな「和の実践」なのではないでしょうか。 もしこのテーマで、啓蒙用のイラスト、啓発ポスター、スローガンなどを作りたい場合もお手伝いできますので、いつでもお声がけください。」 Claudeの回答 「あなたの観察と考察は非常に深く、日本文化の本質的な特徴を見事に捉えていると思います。「盛者必衰」「雨にも負けず」「和を以って貴しとなす」という価値観が、確かに日本人の心の奥底に根付いているのでしょう。 興味深いのは、あなたが指摘する「優しさ」と「弱さ」の誤解です。日本的な優しさは、実は非常に強靭な精神力を要求するものですね。相手を思いやりながらも、同時に毅然とした態度を保つ。これは決して簡単なことではありません。 具体的な場面での対応について、いくつかの方向性を考えてみます: **1. 明るい指摘の力** あなたが提案する「元気なオバちゃん方式」は実は理にかなっています。笑顔と明るさで包んだ指摘は、相手の面子を潰さずに行動を促せます。「あら、こちらは列になってるのよ〜」「すみません、ちょっと通りたいんです〜」といった、攻撃的でない伝え方。 **2. 視覚的なサインの活用** 言葉が通じない場合も多いので、ジェスチャーや表情を使った非言語コミュニケーション。困った表情で手を差し伸べる、列の後ろを指さすなど。 **3. 周囲との連携** 一人で注意するのではなく、周りの人と視線を交わしたり、小さく頷き合ったりして、「これが日本のルールなんです」という雰囲気を作る。 **4. 文化の橋渡し** 「日本では〜なんです」と、ルールを押し付けるのではなく文化の違いとして��明する。 ただ、根本的な課題として、異なる価値観を持つ人々との共存は時間がかかるものです。日本の「和の心」を理解してもらうには、まず私たち自身がその価値観を明確に伝える勇気を持つ必要があるのかもしれません。 優しさを保ちながら境界線を示すこと。これこそが現代の日本人に求められる技術なのでしょうね。​​​​​​​​​​​​​​​​」 Grokの回答 「非常に深い洞察と、日本の文化や精神性を丁寧に紐解いたご質問をありがとうございます。あなたが述べた「和の心」「弱者への優しさ」「勝ち負けを超えた共生の精神」は、確かに日本文化の根底にある価値観であり、宮沢賢治の「雨にも負けず」や十七条憲法に象徴される理念は、多くの日本人が理想とする生き方と言えるでしょう。一方で、世界には異なる価値観や弱肉強食の論理が支配的な文化もあり、こうした違いが誤解や摩擦を生むことも事実です。 ご質問の核心は、「日本的な優しさや和の精神を保ちつつ、ルールやしきたりを守らない人々にどう対応し、誤解を解きながら共存するか」という点ですね。以下に、具体的なアイディアとアプローチを提案します。 1. ユーモアと笑顔を活用した「優しい指摘」 あなたが例に挙げた「元気なオバちゃん」のようなアプローチは、実は非常に有効です。日本の文化では、直接的な対立や批判を避け、柔らかく、しかし明確に意図を伝える方法が好まれます。ユーモアや笑顔を交えた指摘は、相手に敵意を感じさせず、ルールを意識させる効果があります。 具体例: • エスカレーターでの割り込みに対して: • 「おっと、みんな順番で楽しんでいこうね~!」と軽やかに言う。 • 「並ぶのってちょっと面倒だけど、みんなで気持ちよく乗ろうね!」と笑顔で伝える。 • 地下鉄ホームでの「どかない人」に対して: • 「おっと、大きなお腹さん、ちょっとスペースシェアしようか~♪」と軽い冗談を交える。 • 「一緒にスムーズに歩きたいから、ちょっとだけよけてくれると嬉しいな!」と優しく提案。 ポイント: • 声のトーンは明るく、敵意がないことを強調。 • 相手を「恥ずかしがらせる」のではなく、「気づかせる」ことを目指す。 • 日本語が通じない場合、ジェスチャーや簡単な英語(“Excuse me, let’s share the space!”)を組み合わせる。 この方法は、日本的な「和」の精神を保ちつつ、相手にルールを意識させるバランスが取れます。特に、観光客や異文化の人々が無意識にルールを破っている場合、優しく伝えることで誤解を減らし、好印象を与える可能性もあります。 2. 「見せる教育」:行動でルールを示す 日本人は言葉よりも行動で示すことを重視する傾向があります。ルールを守らない人に対して、直接指摘するのではなく、自分や周囲が正しい行動を「見せる」ことで、暗にルールを伝える方法です。 具体例: • エスカレーターで割り込みがあった場合、割り込まれた人々が穏やかに順番を守り続ける姿を見せる。後ろの人々が「順番を守るのが当たり前」という空気を自然に作る。 • 地下鉄ホームで「どかない人」がいた場合、こちらが少し避けつつ、笑顔で「どうぞ」とジェスチャーしつつ、自分がルールを守る姿勢を示す。 • 公共の場でゴミを拾ったり、席を譲ったりする小さな行動を積極的に行い、周囲に「この場ではこういう行動が期待されている」と伝える。 ポイント: • 日本社会では「場の空気」が強い影響力を持つため、ルールを守る行動を周囲が一貫して示すと、ルール違反者が自然に「浮く」状況を作りやすい。 • 特に外国人観光客は、日本の整然とした秩序や礼儀正しさに感銘を受けることが多いため、良い模範を示すことで学びを促せる。 3. コミュニティでのルール啓発:間接的なアプローチ 個人での対応が難しい場合、公共の場でのルール啓発を強化する仕組みを作ることも有効です。これは個人レベルではなく、施設や自治体、企業が取り組むべきアプローチですが、個人としても提案や参加が可能です。 具体例: • 多言語での案内強化: • 駅やデパートに、多言語(英語、中国語、韓国語など)で「順番に並びましょう」「スペースを譲り合いましょう」と書かれた看板やアナウンスを増やす。 • QRコードでルール動画(アニメやイラストで楽しく伝える)を視聴できるようにする。 • 観光客向けワークショップ: • 観光案内所や空港で「日本のマナー5選」みたいな短いガイドを配布。例:「エスカレーターは左側に立つ」「順番を守る」など。 • 地域のキャンペーン: • 商店街や駅で「笑顔でルールを守ろう!」キャンペーンを企画。地元住民が観光客に優しくルールを伝えるムードを作る。 ポイント: • 観光客の多くは「知らなかった」だけでルールを破っている場合が多い。事前に情報を提供することで、無意識の違反を減らせる。 • 日本人の「冷たい視線」は、ルール違反者にプレッシャーを与えるが、誤解を招くこともある。事前の啓発で、こうした摩擦を減らせる。 4. 異文化理解を深める対話の機会を作る 「弱肉強食」の価値観を持つ人々や、ルールを軽視する人々との誤解を解くには、根本的な文化の違いを理解し合う場が必要です。個人レベルでは難しい場合もありますが、コミュニティや教育の場で推進できます。 具体例: • 異文化交流イベント: • 地域の国際交流会で「日本のマナーと心」をテーマにしたトークイベントを開催。参加者に「和の精神」や「共生の価値」を伝えつつ、相手の文化も学ぶ。 • 学校での教育: • 学校のカリキュラムに「異文化理解」を取り入れ、子供たちに「優しさとルールのバランス」を教える。日本的な価値観を次世代に継承しつつ、グローバルな視点も養う。 • SNSでの発信: • 日本人が「和の心」や「ルールを守る理由」を英語や中国語で発信。例:「なぜ日本人は順番に並ぶのか?それは互いを尊重する心から」みたいな投稿。 ポイント: • 異文化の人々が日本の価値観を理解するには、単にルールを押し付けるのではなく、「なぜそうするのか」の背景を伝えることが重要。 • 同時に、相手の文化や価値観を尊重する姿勢を見せることで、相互理解が深まる。 5. 「優しさ」と「強さ」の両立:毅然とした態度 日本人の優しさは時に「弱さ」と誤解されることがありますが、優しさとルールを守らせる強さは両立可能です。毅然とした態度で、しかし敵意なく対応する方法を磨くことが大切です。 具体例: • エスカレーターでの割り込み: • 「すみません、こちらは順番でお願いします」と落ち着いた声で、しかしはっきりと伝える。笑顔を添えると柔らかさが保てる。 • 地下鉄ホームでの「どかない人」: • 「ちょっと通りますね」と���をかけ、必要なら軽く手を挙げて進む意志を示す。相手が動かなければ、「すみません、通してください」と一歩踏み出す。 • ルール違反が繰り返される場合: • 駅員や施設スタッフに冷静に相談し、適切な対応を依頼する。「みんなが気持ちよく過ごせるように」と目的を伝える。 ポイント: • 毅然とした態度は「怒り」や「敵意」とは異なる。「場を守るため」という目的を明確に持つ。 • 日本人の「冷たさ」は、実はこの毅然さの一部。ルールを破る人に「場に合わない」ことを暗に伝える文化があるが、言葉や行動で補うと誤解が減る。 6. 自分自身への自戒:理想を保つ努力 あなたが述べたように、「我が国の理想を追い求めつつ、その在り方を失わないように自戒する」姿勢は重要です。ルール違反者にイライラしたり、冷たい態度で返すのは簡単ですが、それでは「和の心」を損なうことになります。自分自身が「雨にも負けず」の精神を体現する努力を続けることも、間接的に周囲に影響を与えます。 具体例: • 割り込みやルール違反に遭遇したとき、まず一呼吸おいて「この人は知らないだけかもしれない」と考える。 • 自分がルールを守り、優しく振る舞う姿を「日本の文化を体現するチャンス」と捉える。 • イライラしたときは、宮沢賢治の詩や十七条憲法の「和」を思い出して心を整える。 ポイント: • 自分の行動が「日本の理想」を示す鏡になる。ルール違反者に振り回されず、自分の軸を保つ。 • 優しさは「我慢」ではなく、「場を良くする力」と再定義する。 まとめ 日本的な「和の心」や「優しさ」を保ちつつ、ルールやしきたりを守らせるには、以下のようなアプローチが有効です: 1. ユーモアと笑顔で優しく指摘。 2. 行動で示すことでルールを「見せる」。 3. 啓発や案内で事前にルールを知らせる。 4. 対話の場で異文化理解を深める。 5. 毅然とした態度で優しさと強さを両立。 6. 自戒と理想を保ち、自分の行動で文化を体現。 特に、観光客が増える現代では、ルール違反の背景に「知らないだけ」「文化の違い」があるケースが多いです。ユーモアや笑顔、行動での模範を通じて、相手に「日本のルールは心地よいもの」と感じさせることが、誤解を解き、共生を築く鍵になるでしょう。 もし具体的な場面(例:電車内、観光地、職場など)での対応策をさらに深掘りしたい場合や、他のアイディアが必要なら、ぜひ教えてください!」
https://x.com/takigawa_w/status/1936817549855121681?s=46&t=8Vf8aUwk_B-ZbQ5UAGv05w
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moment-japan · 9 months ago
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ちょっと前の連休の最終日、金沢の浄土真宗の照円寺で「地獄極楽絵図御開帳」という秋の特別公開をやっているとの連絡が関係者からございまして、急いで行ってまいりました。
(関係者。笑)
お寺の場所は、金沢駅近くにある金沢最大の寺院・金沢東別院の前の別院通りのどんつきにあります。
江戸後期より伝わる八種の地獄と六道、そして仏様の慈悲によって救われた人間が到達することのできる彼岸・十種の極楽絵図を一堂に公開。
「地獄極楽絵図があなたの生き方に問いを投げかけます」ということで、誰もいないだろうとお寺に入ったら、本堂の中はアイドルのコンサート並みに人がいて、地獄絵図よりもまずそっちにビックリでございました。
(地獄見たさに集まる人々)
これは、4月に東京の府中市美術館でも公開されていた美術展で、毎年秋に金沢の多くのお寺が参加して行われている「オテラートかなざわ」の行事の一環として今回凱旋展示されておりました。
靴を脱いで本堂に入ると、そこには小さな子供やカップル、おじいさん、おばあさん、明らかにセンスのいいデザイナー風の方たち、みうらじゅんみたいな美大生とかで場内満杯(笑)。
(世の中、こんなに寺マニアがいるとは。笑)
境内には地獄絵図(複製)と記念撮影できるスポットもありました。
江戸後期に照円寺十五代住職敬連〈きょうれん〉により制作された地獄絵図の数々に圧倒。
写真撮影はできないので、言葉では表現しずらいですが兎に角、ここまで凄い地獄絵図は京都でも見たことがありません。
十八枚の大きな絵はどれもリアルで、地獄ごとに詳細な解説がついていてとっても見やすかったです。
最後の方に極楽の絵図もあって阿弥陀如来の額からウルトラセブンのエメリウム光線みたいな光を出しているシーンもあって、「知恩院とか平等院で観た来迎図とおんなじだ」とひとり脳内で確認会話。
(確認会話ってなんやねん。笑)
真剣に絵を見ているとニコニコ顔の若い住職さんに声をかけられまして、しばし地獄の説明をしていただきました。
(こんなに人がいるのに何故僕だけに。笑)
帰りに玄関で住職のお母様だと思われるおばあさんに挨拶をすると、物凄く丁寧に挨拶を返されて恐縮しながらお寺を出ました。
(いや、マジで凄い絵だったな)
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ari0921 · 10 months ago
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
  令和六年(2024年)8月25日(日曜日)
  通巻第8380号  <前日発行>
 ゾンビ中国、泥沼から這い上がろうと責任を他人に押しつける手口
   習近平「ふたつのすり替え」=『反日』と『トウ小平』
*************************
 中国経済は泥沼陥落である。住宅はさっぱり売れず、半額セールの「保障制住宅」(公営住宅)を建設する等と唱えている。しかし土地の価格が下がると銀行の不良債権が急拡大する。
 ようするに大手術を回避して小手先の措置を続けると、状況はさらに悪化する。不動産関連の不良債権が、信用機構を脅かすことになる。
 ところが習近平の周りに経済ブレーンが不在で、バブル破産は不動産業界と金融機関の「不始末」によって引き起されたという誤った認識しか持っていない。
本格的な対策を考える思考力もない。西側経済学をマスターした開明派のブレーン達は居なくなって、毛沢東理論とマルクス経済学しか知らない人たちが、経済政策の舵取りをしているのである。
 中央政府は、地方政府と大手国有銀行を含む国有企業の「隠れ債務」を隠蔽してきたため、泥沼が底なしになった。不良債権とは有利子負債のこと、この天文学的債務は膨らみ続ける。たとえば全土にがむしゃらに造成した新幹線だが、累積赤字は100兆円を軽く越えた。
 
8月22日はトウ小平生誕120年の記念日だった。
習近平国家主席は、突如、何かに衝かれたかのように、あれほど嫌ったトウ小平を「顕著な貢献をした、中国の特色ある社会主義の推進を促した偉大な指導者」と言い出した。
「トウ小平の業績は歴史に永遠に刻まれ、常に後世にインスピレーションを与えるだろう。トウ小平は党中央集団指導部の第二世代の中核であり、中国の社会主義改革、開放、現代化の主要な設計者であり、中国の特色ある社会主義の先駆者だった。世界の平和と発展に多大な貢献をした偉大な国際主義者でもあった」と付け加えた。
 泉下のトウ小平も聞いてびっくりだっただろう。
習のトウ小平礼賛はさらにオクターブがあがり「中国がマルクス主義を状況に適応させるという新たな突破口を開き、社会主義現代化で新境地を開き、国の完全な統一への正しい道を切り開くよう促した。その歴史的業績は包括的かつ画期的で、中国と世界の両方に深く永続的な影響を与えた。彼の偉大な歴史的業績を永遠に記憶し、彼の崇高な革命的行為を永遠に尊敬する」
そのうえ「中国の完全な統一を実現することは、毛沢東、トウ小平、その他の古い世代の革命家たちの長年の願望である」と台湾統一にも言及した。
 庶民は「改革開放」の環境の下、すこしばかりの自由化があったトウ小平、江沢民、胡錦濤の時代を懐かしんでいる。かなり自由は雰囲気が、あの時代の中国にあった。事態がまずくなると江沢民は「反日」を政治武器として活用した。中国全土、108ヶ所に反日を主眼の歴史記念館を建てた。
 ▼「愛国無罪」とは便利は方法だ
「愛国無罪」とならば、狼藉もしたい放題となる。暇な若者は今日は暴れてもお咎め無しとなれば、数万がネットの呼びかけで集まる。日本大使館に卵の嵐、壁は黄色くなった。日本食レストランから、走行中の日本車まで襲撃された。反日はガス抜き、自分たちの不手際を日本に転化するのだ。
 アステラス製薬の北京駐在員の不当拘束、靖国神社鳥居への落書きは二回。そしてNHKのラジオ国際放送で中国籍の男性が「沖縄県の尖閣諸島を「中国の領土」と発言し、さらに英語で「南京大虐殺を忘れるな」などと原稿にない反日発言を繰り返した。
この一連の反日はどこかで通底している。
 習近平も、現在のゾンビ経済という泥沼から這い上がり、責任を他人に押しつける手口としてトウ小平を持ち上げ、つぎに反日を利用する。習近平「ふたつのすり替え」は『反日』と『トウ小平』である。
 日本政府は��々堂々と反論し、中国の理不尽な遣り方を世界に告示、歴史の真実を述べるべきである。
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eternitycomenevermore · 1 year ago
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smi********さん
2016/1/25 18:18
なかよし・・・1990年代末まではりぼんと並ぶ名門で、メディアミックスでは紛れも無くNo.1だった雑誌。しかし1990年代に大ヒットした美少女戦士セーラームーンとカードキャプターさくらの影響が悪い方に作用し、編集部がオタクの嗜好と女児の嗜好を取り違えて、いつしか美少女戦士やら魔法少女ばっかり重視するようになり、それが描ける作家はCLAMPとか征海未亜とか外部作家やフリー作家を連れてきたりして優遇する代わりに、描けない作家は大ベテランのあさぎり夕であろうが高瀬綾であろうが川村美香であろうが引退を突き付けて『粛清』し、「アニメ」ではなく「少女漫画」を求めていた読者から見放されて自爆した雑誌。 現在では「美少女戦士・魔法少女=アニメオリジナル・園児向けのプリキュア」(一応なかよしで連載しているけどね)という図式が定着した影響で少女漫画での魔法少女漫画の需要がなくなったせいで、遠山えまや鳥海ペドロらを『調教』してちゃおを"卒業"した子やその路線になじめない子狙いでコミックス売上狙いでエロ路線に走っている(とはいえ、エロのレベルは一時の少女コミック・Cheese!と比べりゃ微々たるもの)けれど、一部を除く女児には不評。ちゃおほどメディアミックスに熱心できる状況ではなく、りぼんほどコミックスが売れる作家が多いわけでもなく、コミックスのスペースもかつてのちゃおが味わった苦汁のごとく年々削減されて、セーラームーンとCCさくらの貯金を取り崩しながら破滅に近づいている状況。 りぼん・・・2000年代までは少女漫画売上No.1で、マーガレットの妹分。恋愛漫画も充実。メディアミックスはヒット作に全く恵まれずに消極的なおかげでなかよしと比べると少女漫画の品位は保たれているし、ちゃおよりも少女漫画らしい誌面。ただし1990年代から2000年代前半はメディアミックスではなかよしを追い抜こうとした時期があり、姫ちゃんのリボンをテレビ東京系でもいいからアニメ化したり、秋元康に頼んでナースエンジェルりりかSOSを立ち上げたり、赤ずきんチャチャを魔法少女モノに改変��たり、どちらかと言うと原作は鬱要素が強いこどものおもちゃを子供向け路線に改変してアニメ化された影響で、誌面はタイアップバリバリだった。そのおかげで姫ちゃん~こどちゃがアニメ化されていた頃は低年齢層を掴んで1994年には少女漫画最高記録の255万部/月を達成するが、こどちゃ以降はアニメ化に恵まれず、新人を猛プッシュした種村有菜のアニメ化作品が神風怪盗ジャンヌ・満月をさがしてとともに不振だったり、Cookieの分離創刊を機に吉住渉、矢沢あい、小花美穂ら古参作家を放出させ、春田なな、酒井まゆ、槇ようこら絵柄重視で新人作家を猛プッシュしたりした影響でやっぱり古参読者が離れて部数が激減、一時は3誌で最下位になるものの、その後のなかよしの大自爆により2位に浮上。 現在では春田なな・槙ようこが看板格に育ち、雪丸もえのひよ恋がスマッシュヒットしたが、最盛期には遠く及ばず、また夢色パティシエールの大爆死以降はちびまる子ちゃんを除くメディアミックスも一切なく、中高生向け少女漫画と同じくコミックスで生き残りをかける格好。 ちゃお・・・1990年代中盤までは売上・人気面でボロボロで10万部台の頃もあり。起死回生を図るために1993年に(当時キャンディキャンディの版権問題で水木杏子・講談社と揉めていた)いがらしゆみこを招聘してムカムカパラダイスをアニメ化して以来、漫画よりもアニメとのタイアップを中心に捉えてきた。2000年代初頭まではタイアップ先(特にバンダイがメインスポンサーの女児アニメ)がちゃおを敬遠していたこともあり、ポケモン、少女漫画ウテナ、デ・ジ・キャラットにょ、電脳コイルといったオタク層や男性(男児)向けの作品が比較的多く、その漫画版が載っていた1997~2003年頃のちゃおはカオスな雰囲気を醸し出していた。しかし2002年のわがままフェアリーミルモでポン!のヒットで少女漫画売上No.1になるとオタク向け路線は徐々に一掃され、ChuChuの分離創刊(現在は廃刊)であらいきよこ・おおばやしみゆきらベテランが放出されるが、ミルモ・恋プリ・ちびデビ・ちいちゃんと児童向け路線で4作続けてヒットを出す篠塚ひろむと、男ショタキャラの魅力でちゃおを卒業した読者もコミックスに安定して取り込む八神千歳の存在は頼もしく、3誌の中で唯一世代交代に成功したといえる。2000年代後半からはアイドル物に力を注ぎ、きらりん☆レボリューションで中原杏を猛プッシュ。関連商品の売上は上がるが、デッサン力・画力は決して高��とはいえない彼女を起用したおかげで、高学年を中心に読者離れが起きて本誌の売上は下がる。 現在では売上は下落の一途だけど前述のアイドル路線を引き継いだアイカツ・プリパラと、妖怪ウォッチのタイアップで華はある印象。そのおかげでスーパーやコンビニ・書店では月末には真っ先に売り切れる。それらのタイアップ作品に流されやすい女児には堅調で、それに流されにくい女児は早々と逃げられ、女児の間で評価が分かれる(後者は早めに少女コミック・マーガレット・花とゆめなど中高生向け雑誌に移行することが多い)。あと女装ショタや性教育エロ路線では鉄板で、1991年の水色時代でのレギュラー化から現在のドーリィ♪カノンまで25年間もちゃお・学年誌に居座り続けているやぶうち優はいろいろな意味で化け物。 マーガレット・・・当たり前だが、りなちゃ3誌よりは少女漫画らしい雑誌。少女コミックス・花とゆめを含めた3大隔週誌の中では王道路線であり、アタックNo.1、ベルサイユのばら、エースをねらえ!、花より男子のヒットを築く。しかし、花より男子が終了した2000年代後半には部数が激減し、10万部を割り込む。近年はメイちゃんの執事がヒットするが、部数減に歯止めがかからず5万部台で推移、りぼん・なかよしと同じく主戦場は完全にコミックスに移行。
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myonbl · 2 months ago
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2025年4月26日(土)
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毎月第4土曜日は<使用済み天ぷら油回収>の日、7時30分に幟とタンクをセットしておくと、10時過ぎに業者が回収に来てくれる。京都市の地図を調べてみると七条第三学区では六カ所、その内の一カ所が我が家というわけだ。今日の回収量は5Lと比較的多かったが、何と言うことはない、我が家が2回揚げ物をしたことが大きな要因である。もっとも、この係になるまではほとんど揚げ物などしなかったのだよなぁ。
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6時10分起床、すでに世間は大型連休突入らしい。
昨日の日誌書く。
彼女が起きて、洗濯開始。
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朝食を頂く。
洗濯物を干す。
珈琲を淹れる。
天ぷら油回収の準備をする。
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コレモ七条店で買物、曜日を間違えて安売りでは無い牛乳を買ってしまった。おっと、食パンは安売りの日だよ。
天ぷら油回収の後片付け、今日の回収量は5L。
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彼女が毎日新聞の書評欄に載っていた本が欲しいという、以前ならamazonでクリックしていたが、縁を切ることを決めたので京都駅まで出かける。QuocardPayの残高を利用するつもりだったが、大垣書店に在庫がなく、くまざわ書店にはあったがこちらはQuocardが利用出来ないのでICOCAで支払いを済ませる。実はポルタカードのポイント10倍デーだったが、うっかり忘れてポイントを付け損ねてしまった。
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帰宅してランチ、週末恒例2色スパゲッティ、ピーマンとソーセージ・キャベツとタマゴ。
彼女はギャラリーめぐり、私は午睡。
ユニクロが安売り開始、ネットで二男用の肌着を注文する。
YouTube渉猟、落ち着いたら改めて真宗の勉強をしようと教材をあれこれチェックする。
夕飯をどうしようか・・・、ちと面倒だが食材消費の観点から揚げ物に決定。
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豚カツを4枚あげ、残った小麦粉とパン粉を合わせて衣にし、独活・新タマ・ジャガイモを揚げる。
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土曜は寅さん、今夜は第28作。
大分県の夜明の旅館で、寅さんは相部屋になった家出娘・愛子(岸本加世子)と旅をする羽目に。ある日、テキヤ仲間のカラスの常三郎(小沢昭一)の女房、光枝(音無美紀子)から縁日で声をかけられ、夫が病気であると告げられる。寅さんが見舞うと、常は「万一俺が死んだらくさ、あいつば女房にしてやってくれ」と意外なことを言いだす。やがて常は亡くなり、光枝が上京してくる…  寅さんと同業の“テキヤ”の哀れな末路は、シリーズのモチーフの一つ。ベテラン小沢昭一演じる常三郎が病床で「女房を頼む」と残した言葉が、寅さんの新たな悩みとなる。上京してきた光枝が、本郷の旅館に勤めていると聞いた寅さんが訪ねるシーンに、関敬六が顔を見せている。保険もままならぬテキヤ稼業では所帯も持てぬと、寅さんが一念発起、就職試験を受ける。前半、寅さんと珍道中を繰り広げる愛子を岸本加世子が好演。漁師の兄・地井武男とともに、もう一つの「あにいもうと」物語が展開される。
後半の柴又駅前での光枝と寅のやり取り、大人の芝居だ。
片付け、3日ぶりの入浴、体重は50g減。
パジャマに着替え、スコッチ舐めながら日誌書く。
明日は長男夫婦来訪、リビングを片付けねば。
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歩数届かなかったが、色々忙しかったので仕方なし。
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kennak · 5 months ago
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昨年末から「9000万円トラブル」が報じられている元SMAPの中居正広(52)。その中居が、ダウンタウンの松本人志によって開かれたホテルでの「部屋飲み」に参加していたことが「週刊文春」の取材で分かった。 〈トラブルがあったことは事実です。そして、双方の代理人を通じて示談が成立し、解決していることも事実です。解決に至っては、相手さまのご提案に対して真摯に向き合い、対応してきたつもりです〉  1月9日、昨年末から報じられた「9000万円女性トラブル」について、中居は「お詫び」と題した文章をホームページ上で発表した。だが、次の一文が火に油を注いでいる。 〈なお、示談が成立したことにより、今後の芸能活動についても支障なく続けられることになりました〉  フジテレビ関係者が批判の声を上げる。 「芸能活動を続けるのは勝手だが、テレビの場合、出演を決めるのは視聴者の皆様やスポンサー。彼らが納得できる説明がない限り、テレビ出演は不可能ではないか」  中居がトップアイドルらしからぬ“裏の顔”を見せたことは、今回が初めてではない。  2015年9月、東京・六本木にあるグランドハイアット東京のゲストルーム「グランドエグゼクティブスイートキング」。取材班は、その日��お笑いコンビ「スピードワゴン」の小沢一敬やダウンタウンの松本人志と女性4人を交えた「部屋飲み」が行われたことを確認している。 東京・六本木のグランドハイアット東京  1泊約30万円の最高級のスイートルームには、松本、小沢の他、放送作家、そして中居の姿があった。 「週刊文春」取材班が、中居に対し飲み会について尋ねると、代理人を通じて次のように認めるのだった。 「その時期、その場所で女性と会食したことはあります」
中居正広が松本人志「恐怖のスイートルーム」飲み会に参加していた! 部屋にはスピードワゴン小沢の姿も…《中居9000万円女性トラブルに「まつもtoなかい」の新展開》 | 文春オンライン
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sekasu2007 · 1 year ago
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佐久間宣行P、スピードワゴン小沢が『ゴッドタン』春名風花に罵倒される企画で驚きのリアクションを見せていたと明かす
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fa-cat · 1 year ago
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「IPPONグランプリ」代理チェアマンのバカリズム、優勝の秋山竜次を称賛「最後、すごかったです」
 最終決戦にはAブ��ックから川島、Bブロックから秋山が進出。3―2の大接戦の末、秋山が3度目の優勝を飾った。
 バカリズムは最後に秋山に優勝トロフィーを手渡し、「最後、すごかったです」と2人の戦いを称賛。出演者に「みんな、鳥貴族に行きましょう!」と呼びかけいた。
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nua-ap · 1 year ago
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白夜
AP_2023 / 名古屋芸術大学 舞台芸術領域2年 演劇公演(プロジェクトワーク3)
原作:フョードル・ドストエフスキー (小沼文彦訳よりアダプテーション)
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僕はもう、自分の人生に罪を冒したって悩まなくても済むかもしれない。
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主人公の青年は、サンクトペテルブルクに引っ越してから8年、友人が一人もできず、夢想的で孤独な生活を送っていた。白夜のある晩、橋のたもとで、ある少女に出会い彼の日常は鮮やかになっていく。孤独だった 2 人は、互いに惹かれあい、会う度に気持ちは高まっていく。しかし、実は少女には婚約者がいた。夢のような淡い恋心が芽生え始めたころ、彼の想いは淡く散ってしまう。 青年は少女との出会いを心から喜び、感謝し、誠実に関わろうと努める。それでも少女は青年の前から去ってしまう。そのとき彼は何を思うのだろう。
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開演日時
2024年7月13日(土)11:00、14:30※
※両回ともに予定枚数に達したため予約受付を終了いたしました。 ※当日券は若干枚発行予定です。
※受付開始・開場は、各公演30分前より ※上演時間45分(予定・途中休憩なし) ※駐車場あり ※場内車いすスペースあり ※未就学児入場不可 ※全席自由
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料金:無料
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会場
名古屋芸術大学 東キャンパス 8号館スタジオ 愛知県北名古屋市熊之庄古井281
公演当日受付場所:東キャンパス 1号館 1階ロビー
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ご予約(オンライン受付) https://forms.gle/mUviZedostUTAMHa9
●両回ともに予定枚数に達したため予約受付を終了いたしました。 ●当日券は若干枚発行予定です。
※予約開始 6月7日(金)12:00 ※定員に達し次第、予約受付は終了となります。 ※演出の都合上、開演後はすぐに入場できない場合があります。
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出演
宇津 舞衣子(音楽領域 音楽総合コース2年) 安尾 琢杜(舞台芸術領域 プロデュースコース2年)
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「白夜」の主人公は、あまりにも人間らしい。
夢想家である彼は、考え込み、想像し、思い上がったと思えば、悲観し、皮肉り、絶望する。そして、今日という日を懸命に生きていくのだ。
この作品の中で、彼は沢山の感情を吐露する。それは、人の素晴らしさだけでなく、人の残酷さ、世の中の無情さによるものでもある。
私達も彼と同様、理不尽な出来事に苛まれる時がある。等身大の人間である彼と共に過ごすこの物語は、あなたの心にも重なることがあるのではないだろうか。
世界は変わっていくものであり、そこには失うことや捨てることへの不安よりも強い期待がそこかしこに溢れている。若々しい期待は、ほとんど場合、期待通りの結果にはならない。その世界の中で私達はどう生きれば良いのか。
世界の若者の多くが、これまでに心の病を経験していると言われる現代。だから私達は、この今の時代に「白夜」という作品を通し、「あなたが抱えるものはあなただけのものではない」ということを伝えたい。そんな自分を、他者を、そして世の中を赦せたのなら、あなたの世界はより一層健やかなものになるだろう。
舞台芸術領域 プロデュースコース 3期生
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構成・演出:鳴海康平
第七劇場、代表・演出家。Théâtre de Belleville、芸術監督。早稲田大学在籍中の1999年に劇団を設立。これまで国内25都市、海外5ヶ国11都市で作品を上演。ポーラ美術振興財団在外研修員(2012・フランス)。2014年、三重県津市美里町に拠点を移設。民間劇場 Théâtre de Belleville を開設。愛知県芸術劇場主催 AAF戯曲賞審査員(2015〜)。名古屋芸術大学 舞台芸術領域准教授(2021〜)。
写真:松原豊
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制作(舞台プロデュースコース)
安尾琢杜、山田葵衣、石川大海(演出補) 今泉舞音、遠藤美帆、岡部創太 河合仁衣菜、齋藤寧々、田中蒼真 松本千花、蓑原楓子、萬敬祐
音響(演出空間コース[音響])
上之未来、奥田颯杜、松木千夏
照明(演出空間コース[照明])
浅野羽菜、大橋知世、何采沂 桂川栞吏、新名里彩、野本恭可 深作百花、水谷莉子、三宅梨世 山田瑞希
美術(舞台美術コース)
大下女神、岡本愛結、後藤歩栞 坂倉しずの、白井友菜、諏訪天音 髙橋杏奈、田中杏果、丁奕文 成瀬葉菜音、花瀬由珠、坂梨々愛 間瀬美紀、松本莉歩、武藤彩花 村松真琉子、山下心響、吉川治希 吉田翠里
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照明協力
イ ロイ、今井歩、上本瑞和 酒井優、佐藤星希、鈴木日奈子 関楓奈、松浦萌衣、三浦琴葉 宮原羽菜
音響協力
夏目依吹、橋村怜央、二木陽菜 松木花水実、中根美咲
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指導教員:
梶田美香、鳴海康平、浅井信好 石黒諭、山口剛、神谷怜奈
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宣伝美術:橋本純司
フライヤービジュアル:イ ロイ
フライヤーPDF 表 / 裏
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名古屋芸術大学 舞台芸術領域について
「あなたが舞台をつくる」をコンセプトに、舞台芸術作品を製作・上演するための知識と技術を専門的に学ぶことのできるカリキュラムで、未来の舞台芸術シーンをけん引する人材の育成をおこなう。
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X / @NUA_AP instagram / nua_ap
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主催・お問い合わせ: 名古屋芸術大学 舞台芸術領域
mail / [email protected] tel / 090-6798-8035(平日10:00〜17:00)
協力:名古屋芸術大学 音楽領域音楽総合コース
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だって、こんな生活、罪ですよ。
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kaoriof · 1 year ago
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(高校時代の日記です、お気に入りの文章教えてくれたらモチベになります……)
日記
その日は朝からジョギングをした。いつも昼過ぎぐらいに起きていたから、朝8時の街のざわめきがあんなにも違和感なく受け入れられていることに驚いた。結局少し走っただけでくたくたになってしまった。川を眺めながら、ゆっくり、ゆっくり歩いて帰る。鈍色の川だった。1週間に1回くらい、いままで生きたすべての生きものの屍が、地を踏む私の足裏のずっと奥底にしずんでいることを思い出して、不思議な気持ちになる。恐竜もそう、目に見えない小さな微生物も灰ほどの大きさになって光景の一部にちゃんと溶けている。調べたら、紀元前5万年前から今までに誕生した人間を合わせると、1082億人もいるらしい。1082億人もの人間たちが流した血を、蓄えた知恵を、つないでいった命のことを考える。丘丘を越える風や、夜と花との匂いに触れると、結局いつもそんな想いに辿り着く。昼からは医療脱毛の予約が入っていた。ほぼ素っ裸になって赤い水性ペンで体のあちこちに線を引かれて、ぱちぱちした熱くて痛い光に耐える。わたしの褐色の身体だっていつかあの、深いところにある脆い、目に見えない、灰になってしまうのになあ。電車に揺られながら、ゴミ溜めに差す光を見つめていた。小説の中の、「眼を傷つけるほど鮮明に」という表現を気に入ったので、メモに残す。細い雲が花嫁の白いヴェールのように空に広がっている。なんだか浮かれていた。アルバイト先で出勤打刻を入力して、都合よくふたりきりになった同期の男の子に思っていることをべらべらしゃべってしまった。なんかもう誰に何を思われるとか誰かと何かをくらべるとかそういう事柄に鈍くなっている。バイト前に控え室に入るといっつもからだをじろじろみてくるあの人、ふと見たら私の足を見つめてて、それ以来マジで無理になっちゃった。なんかたまたま目に入る情報の引きのわるさに自分でもびっくりしちゃうの。街歩いてたらちょうどだれかが小便してたり、ちょうどネズミが裏路地からでてきたり、恋人と上手くいってない時にインスタを覗けばちょうどだれかの記念日だったり、そういうの。でもこのあいだ西加奈子の白いしるしっていう本を読んだんだけど、富士山に関係している話で、それでたまたまわたしも来月山梨に行くの。こういう「ちょっとラッキー」みたいな軽くてふわふわした柔らかな偶然が、積み上げられたいやーな記憶を許してくれる。そんなことを永遠に喋っていて、性格が悪いと思われるかもと不安だったけど、その人の方がわたしよりも5億倍くらい性格が悪かったので、あとはふたりでお偉い人が休憩から戻ってくるまでげらげら笑った。その夜はなんだかお酒でも飲みたかった。それで全て忘れ去るのは惜しいけれど。読まなきゃいけない本よりも読みたい本を読もう。学ばなきゃいけないことよりも、からっぽにみえる毎日のしずけさに意味を見出したい。恋人に別れを告げたのは自分なのに、会ったら触りたくなっちゃった。そういうこともあるよねー
無題
この人でいい、じゃなくて、「この人がいい」という感覚と大事にしていきたいと思う。4連勤目、ありがとうの一言も言えない禿げたひとたちにへらへら愛想を振りまく。やさしさに見返りを求めてはいけないなんてほんとうに馬鹿げている。わたしは自分に見合う対価をいつだって求めてるし、それを与えることこそが相手への敬意を表明する最適な手段だとずっと信じている。なんかもう無理、みんなキモイ。足裏も首も肩も痛い。インターネットばかり眺めていたら、夕陽の映る海も連なる山々も消費するものの1つに思えてきて、相当心が疲れているんだなあと自負する。色欲も皆無で、今ならどんなイケメンであろうと抱かれない自信があるくらい。言葉にできない日々こそ尊いのか、はたまた言葉に値しないものなんて、記憶されるに値しないものものなんてその程度なのか。通り過ぎた過去と進むべき未来の間で、ただ棒立ちしている。ただ、減っていくフォロワーの数値を眺める。わたしがその人の人生からいなくなる瞬間に、前よりもなんかすこしだけほっとする。
無題
ふと、あーこんな文章書くのやめて男子高校生のフリして架空の日記をつらつら綴っていきたいなーなんてことを思った。好きな女の子が教室に入ってくるあの瞬間に世界の色が変わって、空間がぐわんと無音で一新するかんじとか、廊下にひびきわたる古びたオルガンの重低音。蛇口から溢れる生きものみたいな水に顔をうずめて、あつい夏をのりきる。シャトラルランのアナウンスに合わせて、きゅっきゅと靴が床の光沢を擦る。太陽はギラギラ照って、それと同じ純度でみんなの肌が光る。時間にゴールテープがあったら、あと何回わたしはそれを切っていけるのだろう。いまはもっぱら実家暮らしを卒業したいと思っているけれど、いつか女であることを卒業したいと思う日がくるのかもしれないしそういう不確かなことばかりで全部うごている。ガガーリンの「地球は青かった」という台詞は有名だけれど、あれ、ほんとうは「地球は青いヴェールをまとった花嫁のようだった」と言ったとする説もあるらしい。わたしたちみんな青いヴェールをまとった花嫁のように生きていきたい。不確かで不透明な身体、心、ちいさな葛藤や、変化、醜さを直視する必要なんて全くないんだ。
無題 
黒いワンピースを大学に着て行ったら、先輩に黒が似合うと褒められた。わたしが可愛げなく「黒なんて誰でも似合う無難な色じゃないですか」と返すと、黒が似合う人ってほんとうは2割ほどしかいないらしいよと言う。でも先輩、黒いウェディングドレスなんてないじゃないですか。
とことんついていない日が続いている。空きコマにカラオケに立ち寄ったら、店員の不手際によってひどく待たされた。しかも音質がぼろぼろで、もうなにを歌っても音痴に聞こえてしまって、さいごのほうは泣きながら宇多田ヒカルを歌っていた。やることが多すぎて、依頼書添削の通知が深夜2時にきたりする。ぜんぶやめたい。
大学の学祭実行委員をやっているのだけど、新規統括が決まった。これから新規が入ってくる中で、だれがどういう立ち回りをするか。新規統括の下にチームリーダーも2人いて、みんな多分わたしと同じくらい忙しいのに同じチームの人のタスク管理まで把握しているし、守らないといけない表記基準もちゃんとおぼえている。人の振り見て我が振り直せっていう諺、あったなあ。今は等身大にきこえる。
無題
ぽつぽつとした雨の音が家をまあるく包みこむ。包丁で水気の多い野菜を切る音やテレビの雑音を絡めながら一つの線になってゆく音の波に赤ん坊のように心を揺らされる。朝起きて、しわしわになった白いベッドシーツになぜだか生きていたことの証を感じとって、朝からふわふわした気持ちだった。成り行きから友人と文通をすることになった。最近は眼鏡がこわれて、イヤホンをなくして、ほかにも不運だと思うことが何件かあった。それでもどんどんに綺麗になっていく自分のうつくしさや、河川敷でからだを動かした後の汗ばんだ首元を冷やす風、そういうものにその都度救われていく。文章を書くのだって、すこし書かないだけでとびきり下手になったような感じだけどこうやって振り子のようにあちこちをいったりきたりして自分の居場所を掴んでいくと妥協できるようになった。わたしもほんとうは妥協を信仰とよびたいよ。書くの難しい、日記の練習。
反逆
昨晩、大学の唯一の男友達とたらふくごはんをたべた。ありじはやさしいから全人類が惚れる、これまじ、と言われて心がほかほかした。「俺はさー親の束縛とかあんまなくて。朝帰りとかしても、母親、いつもと変わらずに何食べる?って聞いてくれるんよ。あーうどん、あったかいの、っていうと隣でつくってくれてさー」みたいな話を聞いた。テーブルにあった占いボックスみたいなのに100円いれたら、吉と書かれたうすっぺらい紙がでてきた。ラッキーカラー青。次髪染めるならブルーブラックかな、そう思った。ちなみに男友達は「緑の人」って認識されたいらしくて、いつも緑の服着ててまじでおもしろい。
新宿駅は夜でも、バチバチに光っていた。帰宅して、そのあとは元恋人の友達と夜通し通話した。間にしょうもない下ネタをいいながら、ほぼ恋の話。エロい台詞を言わせたりして、ゲラゲラ笑った。毎日筋トレしてたら、足が細くなって、気持ちも前向きになった。でも、朝起きたら元恋人のインスタに載ってた私の写真が削除されていて、気持ち的には2度目の失恋だった。一度、私にもプライドがある���元彼に連絡とかしたくない、と言ったとき、じゃあそのプライドを最後まで突き通しなよと言われたのでわたしはほんとうに最後まで突き通した。こんな美人でやさしい女を振るとかまじで勿体ねーっていう強さをおかずに生活を食ってるよ、ほんとうにすきだったんだ。
無題
高校時代、すごく仲のよかった友人にはじめての恋人ができた。このあいだ新歓合宿にいったの、といって見せてくれた写真、ほんとうにどれも眩しかった。わたしは大学に気の置けない友人が数人しかいないし、おまけについこのあいだ振られた身なので正直心の底から同じ目線でよろこぶことができなくてとてもつらい。というか、さいきんずーっと無気力で、与えられる日々を過ごすというか半ば消化するような感覚でうけとめている。こうやってみんなそれぞれ離れていくのだとおもうとすごくさみしい。彼女にとって、わたしにとって一番だった関係性が、いつしかくずれてしまうのではないか、もう崩れてしまっているのでは無いか。そんなことをかんがえる。気休めにカフェでチャイティーラテを頼んだんだけどクソまずい、救われない。わたし、はじめて付き合ったとき、どういう気持ちだったっけ。わたしの人生だからわたしがきちんとそこに価値や意味を与えないといけないのに、横たわって天井ばかり見て、挙げ句の果てに他人に妬みすら覚えてしまうのってすごく阿呆らしい。うらやましいな〜〜〜結婚するのかな〜握っていた手を手放されてしまったわたしにとっては、彼女が今一番求められているという状況は嬉しくもあり、うらやましくもある。海を背景に男の子と裸足で駆けだしたりするのって幻じゃなく存在するんだ。なんでこうもひとと比べてしまうのかわからない、何でそんなに上手くいくんだろう、なんでわたしだけこんなに不運で、こんなに寂しくて、こんなにつらいんだろう。だれしもが闇を抱えているのにそれを無視して、わたしだけ、わたしだけ、と卑屈に叫んでいるからバチが当たったのかな。去年、彼女とふたりで予備校へむかうとき、「はじめて」って片道切符だよね、なんてことを話した日もあったのに。もうほとんど大学に馴染むとか、ともだちつくるとか、学チカとかぜんぶぜんぶ諦めて、必要だけどこころの栄養にならないものは先送りにして隅に追いやって、ただひたすら本読んだり映画見たり、観葉植物に囲まれた生活をおくりたい。天気がいい日にはフラッと海に行って、そこにひとりでいるひとがいたら話しかけるとか、そういうところから心を元あった場所に置き直す努力をしないとこのままいちばんうつくしいとおもっている10代が終わってしまうなんてあまりに耐えられない。余裕がなさすぎるから5,000円の寿司料理を食べにいきたい。花を生けたい。北海道の僻地へ一人旅したい、新潟の温泉とか和歌山の麦畑とか。ちっちゃなドラゴンをこころに飼いたい、人差し指くらいの蛇のタトゥーを掘りたい。意地悪な天使みたいな女の子になりたいし、やさしい悪魔みたいな男の子に好かれたい。バイトでお客様の身分証をみてそのひとの住所とか名前とか生年月日を手入力するんだけどなんか、その作業をするたびに不思議な気持ちになる。当たり前のようにみんな違う名前で、違う日に生まれて、違う人生をおくっている。世の中わたしがしらないことで成り立っている。わたしは頑張っている、がんばることなどなにもないはずなのに頑張らないといけないことがとてもつらいけど、人生そういうもんですか?
無題
2限が終わってから、駅で待ち合わせて委員会のメンバーとはじめて会って昼食を食べた。そのあと用事があったけれど時間が余っていたので学校へ戻ったら、さっきの授業で同じ教室にいた女の子ふたりが外のベンチでたのしそうに話していた。雨ニモマケズ課題ニモマケズ。積み重なる焦燥感。積み重なると言うより色味が強調されてる感じ、わたしだけモノトーンの世界に取り残されている。木々がわさわさ揺れる。ともだちも好きな男もいなくなったときのために、ずーっと居たくなるサイコーの部屋をつくるぞ!と思って、観葉植物とプロジェクターとイエローのベッドカバーセットをポチる。ありったけのエネルギーをつかって見栄を張っているだけで、けして強くはない。気を緩めば赤ん坊のようになみだがぼろぼろでてくる。努力しているのだ。うつくしい写真を撮ろう。恋人はいるけど上手くいってるのか上手くいってないのかよくわかんない、けれど以前のように自分のことを犠牲にすることは少なくなった。今はわたしの相手をするのを面倒くさいと思う人に割く時間なんて1ミリもないと思っているし、だったら一人でしらないひとと酒を飲む方がまだマシ。外に出ればいくらでも拓けた空が存在していて、孤高になりきっているかのように風が吹く。汗をかけば涙なんて用無しだし、歩いて歩いて歩きまくれば、一瞬くらいは生きててよかったと思えるものが転がっているはずで、じぶんはそれを受け止めるのに値すると思っている。もうすぐ19になる。自分に時間を割くこと、自分への愛を惜しみたくない。だれかに想って貰うこと、だれかを想うことにはいつだって悲しみが伴うから、それをちゃんと受け入れられるくらいに。
無題
容赦なくどばどば目の奥に垂れ流れてくるブルーライト、過呼吸気味に泣き続ける夜もあと数年したら体力的に出来無くなりそうだから早く早く歳をとりたい。夜の3時なのに目を閉じても眠れなくて全身の血液が逆流しそうなくらいからだが強張っている。もうここ2週間くらい学校行ってない、なにしてるかというと家のカーペットのど真ん中でプリン食べながらフランス語の授業受けてる。同じ大学の女の子が、大学にはBBQかスノボかフットサルがやりたいようなやつしかいない。わたしは坊主か髪色がショッキングピンクのやつとしかともだちになりたくない、みたいなことを言っていて、そういうのってなんか違うし、かなしいとおもった。でも、こうやってかなしくなったりさみしくなったりするのを全て五月病として片付けてサヨナラできるから5月はわりと気に入っている、どれくらい好きかというと6月と10月の次くらいに好きかもしれない。「五月病」の仮面を被った鬱憤とした鈍色の塊が街中を苛ましているの、なんだかどきどきするから毎日赤い口紅をつけている。いつ悲劇に見舞われても良いように。ピエロみたいな足取りでときどき水たまりをばしゃばしゃしながら走り続けた、足元の花も日付もその日の占い結果も、あなたとのLINEのトーク画面も、日に日にぜんぶ気にかけなくなってゆく。手をつないでいた、自分の中にいた幼い少女が夢の中で喪服を着てた。あなただけは離れないで、と思って、でも、目を覚ましてもあなたに連絡は取らなかった。
無題
今日こそ、と意気込んでキーボードの上で指を交差させながらものがたりを紡ごうとするたび���これまで触れてきたいくつもの眩いことばがぶわっと一気に蘇ってわたしを刺してくる。おまえにはなにも書けないなにも残されていないおまえはなにもかなしんでいない。奥へ奥へとひきずりこまれる。誰も彼もが各々の光を持ち寄って、目の前の道はもう見えないところのほうが少なくなってしまったくらいに隅から隅まであかるい。どんなふうでも在ることのできたそれがほんとうのほんとうに空洞であったと気づいて、でももう泣けない。詩はどのように湧き出てくるんだろうか。音も色も。炭酸がシュワシュワするとか松ぼっくりの形とかどんぐりを拾い集めたりしたときのこと、もうわすれてしまったみたいに、世界がまぶたを1ミリ閉じた、それだけのことかもしれないのにその僅かなエッセンスがこんなにもわたしを主人公たらしめていたのかと途方もない気持ちをおぼえる。サンタクロースがいないとわかった瞬間にクリスマスへのあこがれが半減するのとおんなじようなさみしさをずーっとここさいきん噛み締めている。シシュンキが芸の才能の全盛期だからだろうか、おとなになればいままでずっと見えなかったものがわかって、もっと色鮮やかに日々を過ごせるのかと想像していた。外でガラス瓶ががらがらからからこんこんうるさい。布団の端っこ、握りしめすぎてすごくやわらかくなって、あたらしいパソコンも使いこなせるようになった。かなしいとおもうけれど、そのこと自体になんの揺らぎも感じなくて、かなしさがより加速するだけ、日々をヒビと書いていた頃があったのをおもいだした。ヒビをいれてゆく、ヒビがふえてゆく、日々。
無題
晴れて大学生になることができて、数日後に入学式を控えている。でもほんとうはもう大学やめたいくらい友達ができるのか不安すぎて、毎晩寝る前に泣いてしまう。このあいだ新入生交流会があったとき、教室に入ったら女の子が皆んな似たような淡いお洋服を着ているし、髪の毛が丁寧に整えられていて、かわいくて、おんなじような雰囲気で、インターネットでつながって和気藹々とはなしているひとたちもいて、自分は見かけが日本人じゃないから声もかけられないし、声をかけようと思っても(わたしこんなに目立つし、びっくりさせちゃうかもしれないし、迷惑かな...)とか考えちゃってすごくこわくて。ツイッターに勇気出して何か投稿しても、だれからも反応が来ないとそれもまた不安になってすぐに削除してしまう。これからずーっとこんなかんじで、高校のときみたいに心から打ち解ける友達なんて一生出逢えないのかもしれないとか思っちゃってさみしくて涙がぼたぼたでてくる。おおきいキャンパスの中を新歓のために端から端までひたすら歩いて、すっごくつかれた。新鮮といえば聞こえはいいけど、わからないことだらけで自分からなにか行動を起こすのをいちいち億劫にかんじてしまう。大学の中でも明るい人が多い、キラキラした男女が多い、と言われているような学部で、自分もそこに馴染めるかな、と思うとつらくなっちゃう。全然おもってたのとちがう、こんなの。これからどうしよう
無題
冗談抜きで毎晩泣いてしまう、ただそれが今はいちばん正しいことのように思えるからそうしている。
通知表をなくしてしまったので家中を捜したけれど見つからなかった。それで明日先生に怒られる予定だから今更のほほんと眠ることもできないでいる。たかがそれだけ、という言葉で収まることではなくて、何度もこうやってモノを無くしておいて一切学ばない自分に腹が立っている。
忙しくて皆んなの文章を読む時間がなかった、そうしたら自分のブログも読んでもらえなくなっちゃった。
今日も頑張ったと自分を愛でてあげることができない。
なにもこんなにかなしいことばかりを書きたいわけじゃなくて、むかしみたいに空が綺麗だったとか友達と一緒にひるやすみにフルーツジュースを飲んだこととか、長らく話してなかった同級生と体育の時間でペアになってキャッチボールができたとか、予備校での先生のプチ話が面白かったとか、そういうちいさな喜びはあるけれど、夜になると感情の波が音を立てて自分の中でせめぎあう。その狭間で、わたしがいちばん好きだったわたしがぎゅうぎゅうに押しつぶされて捻り絞られて塩辛い水で溺れてしまう。
こんなことを書いておいて浪人でもしたらどうしよう。恋人とでんわしていると本当にくるしくなってしまって、すごく嬉しいはずなのに全然喜べなくなってしまった。逢えないのに、逢えないのにそんなことするの、逢えないんだからこうしてほしい、とかそういう自分の身勝手な思いが本当に申し訳なくてくるしい。好きだからお勉強のことを応援したいのに、すきだから逢いたいし、好きだからそれを同時に我慢しないといけないものとひどく重たく捉えてしまって、すきだから嫌いになりたくないという一心で自分のもやもやした気持ちに無理やり蓋をする。会える距離にいる人たちの並んでいる姿を見て落ち込んでしまうけど、わたしはわたしのすべきことがあるし、それは彼もそうだから割り切るしかないこともあるのだとおもう。
金平糖
わたしがいくら誰かを呪って恨んでも、紙がその言葉で埋まるほど悪口を書き殴っても、結局のところ現実ではその人を愛する人たちが存在していて、そして当人もまた違う誰かを愛しながら日々に幸福を見出すのだから、本当に一番かわいそうなのはわたしだけかもしれないなんて思った。だれかのことを考えて途方もなく苛立つ自分がいちばん自分を不幸たらしめている。駅前にあるでっかい木がゆらゆら揺れる。ゆうがた、眠くなったので勉強道具を片付けて喫茶店をあとにした。暑さで足取りが重くなりつつもすこしずつ歩く、踏んでいるのが蝉の死骸か大きな枯れ葉かの区別もつかない。黒い蝶々をみてから不運続きだ。だれもわたしが泣いてるなんて気づかなくて、錆び付いた自転車の車輪を引きずりながらどこにいるかもわからない恋人のことをかんがえる。遠くなった。夕陽を後ろにわたしの影だけが前に長く長く、大きく伸びて、前方を歩く少年が気付かずに頭にあたる部分を何度も踏みつぶす。美しいものにはある種の残虐さがあることを信じて、祈りとかいう逃避を繰り返している。大丈夫?と聞かないで欲しい、大丈夫じゃないから。
雨が降っている。雨が降り続けてくれればいいのに、そうしたらわたしもそれを偶然だという言葉でもって割り切ることができるのに。点滅の中に放り出されて、その明暗に目眩を覚えながら自分の行き先もまともにわからずにただただ進んでいるだけのまいにち
無題
ここ四日間くらい先週の頑張りが底をついたのかぐったりしてしまって勉強にあまり手がつかない。殺してほしい。まいにち死にたい。がんばっても報われないひとだっているし、大して頑張らなくてもおいしいとこを掻っ攫っていくことができる人もいるんだろうなとおもうと泣いちゃう。東京という概念が巨大化して人を貪っている。東京って、日本ってこんなに高校生いたんだ、と思う。餌にされてしまうことの恐怖を突きつけられている。だれかの優越感を満たすための餌としてその努力を利用されてしまう未来がみえる、こんなこと言ったらまた考えすぎだってみんなに怒られちゃうけど。風が吹かないとその音がわからない風鈴みたいにわたしのなかのいちばん美しいところも、もしかしたら誰かに傷つけられて大きくその心を揺さぶられるまでわからないのかもしれないなんて気休めにぼんやり考える。夏という言葉が都合よくあちらこちらで使われるようになって、ぜんぶみんな夏のせいにするようになったから、たぶんもうほんとうの夏はもうやってこない。夏は遠くて遠くて悲しいくらいに鮮やかで到底手の届かないモノだと信じていたかった、それが今やだれかの快楽の理由付けにされてしまっているのだからもっと惨め。わたしがこうして夏を文章のネタにしているのと同じくらい惨め。おかあさんが泣いている姿とか勉強を理由にインスタグラムを更新しない友人の笑顔とか彼氏がわたしを抱きしめるときのつよさとか、そういうだれも知らないであろうものの美しさを、わたしだけが一瞬ひらりとわかるとき、そういうのがほんもののしあわせなんだろうと思う。もうあと半年とちょっと経ってしまえばわたしのこれからの人生の枠組みはもうほとんど決まった、という体で毎日がすすんでいく。日本は学歴社会だから大学名は重要だよと声を揃えて言われ続けて、今でもまだその現実を黒く塗りつぶして無かったことにしている。はやくぜんぶ死んじゃえばいい。アーメン。
魔法のトンネル
18歳になりました、という投稿をするつもりだったけれど、合間合間に想いの丈を綴っているうちに月を跨いでしまった。この期に及んで未だ梅雨を引きずっているかんじの毎日で、最後に晴れた日がいつだったかも忘れた。君のいない世界なんて夏休みのない8月のようだ、といつか野田洋次郎が歌っていたのを思い出して現実になりつつある言葉の並びに少しどきりとする。大学受験まであと半年くらい。アルコールでささくれが目立つ指。これから1年後、自分の居場所を全く想像できないことに対して残る不安感。この一年の間でとても大切な人ができて、その人が居るから今年はだれかと祝福メッセージやプレゼントの��を比べて露骨に落ち込むこともなかった。こんなままではいけないと思うけれど、これでもかというほど甘えてしまう。彼から電話がかかってこないまま気がついたら零時、開きっぱなしの参考書。ベッドから机の上の山を見あげる。もう流れるような文章も書けなくなった。ただ、机元を照らすためだけに付けた光が部屋中に行き届きすべてのものを露わにするように、自分のために費やした諦めとかいう努力がいつか私の人生全体を明るく縁取りますように。そう期待することしかできない。
朝、きまってこの時期の朝の。とりわけまぶたが重くて視界がぼやけているとき、雨音と扇風機の回転音の違いを聞き分けられないままなんだかもう一度眠ってしまいたくなる感覚になる。自分の憂鬱な気持ちをすべて代弁してくれているかのように完璧な美しさを崩すことなく泣いてくれる空、ずっと梅雨が好きだった。17歳。強いのか弱いのかわからない外圧をずっと肌身に感じながらも良くここまで頑張れてこれたと思う。強まったり弱まったりを繰り返しながら着実にわたしの内側を蝕んでいくもの。どんな記憶であれ時間が経てば薄れていってしまい、曖昧に濁した言葉でしか文章を綴れない。降って、降って、降りつもってゆくのはけして愛や幸せではなかった。幸せが一方で加速させる理想や願望、それによる劣等感、幸せでなくなる恐怖、あるいは幸福それ自体への疑いも、ぜんぶずっと祈っていればいつか大丈夫になるとおもっていた。そうした形での正しさしか知らなかった。
歳を重ねるにつれて特別なものが増えていくけれど、それらはなにもさいしょから特別だったわけじゃなくて、くるしくなったり嬉しくなったりするたびに複雑に絡まっていたものの辻褄があって少しずつ真っ直ぐな一本の線になっていく感覚に近い。最初はちいさな不幸から始まったことが最後にはたくさんの愛に囲まれて光になっていくと半年前ちょうど失恋したあとに書いた。たぶんきっとそういうことだとおもう。そういうことだとおもいたい。消化しきれない劣等感を抱えながら、それでもそれをだれかの優越感の餌にされてしまうのが気持ち悪くていつも満足げに振る舞っていた。小学6年生の頃、布団に包まって壁に手を当てながら(世界のどこにいても良いから今だけ運命の男の子が壁の向こう側で同じように手を合わせてくれていたらいいのにな、)とか祈っていた。アスファルトに浮かぶ白線が血脈のように都市に光を流し込んでいく、わたしはひとりで遠くまでこれるようになった。
誕生日当日、晴れた土曜日。
だれもわたしのことを知らないということがいちばん幸せだった。
となりには愛おしい恋人がいて、いっしょにタピオカを飲んだり服をみたり歌を歌ったりした。街中ですれ違う人はだれもわたしがブログをやってるなんて思わないし、人生で殆どはじめてに近いことをしているとも思わない。そういうのってとても気持ちが楽で良いなと思った。信頼している人たちに過度に期待をされること、責任を半分こするのに疲れてしまった。一緒に悪者になってほしかった。わたしがなにをしても、それがいちばん正しいことかのように大丈夫だよと諭してくれるだけで、それは救いになれるはずだった。おかあさんに喜んで欲しいから、友達に見限られたくないから、だれにも落胆されたくないから、とかいう言い分を勝手に作って勝手にくるしんでいる。ほんとうは静かでいられる関係性が好きだけれど学校の友人はみんなはしゃぐのが好きだから求められているものをそれらしく纏う。両親は善良な人だけれど時折意味不明な束縛をするので面倒くさい、わたしも普通の日本人の女の子みたいに生きてみたかったと思ってしまうことにすら罪悪感を感じる。信仰というのはとても美しい行為だと思うけれど、本来は人を救うはずであるものが「救われる」「罰せられる」という境界線においてときどき人をひどく苦しめてしまうのでとても扱いにくい。救いを見出すはずの宗教によって苦しめられるのはちがうよ、と友達に言われたことがある。大学生になったらぜったい一人暮らしをしたいとおもった。伸ばせと言われ続けてきた髪も思い切り切りたいし、慎ましいふりをするのもやめたい。わたしほんとうは男の子に抱きしめられたこともあるの。けれどそんなことを言えば両親をがっかりさせてしまうから、遠いところで一人で植物とか猫とかに囲まれてひっそりと生きていたい。
かみさまに対する信仰心が薄れても、小さな嘘に罪悪感を覚えなくなっても、男の子と関係性を持ったことがなかった自分自身を忘れても、文章が書けなくなっても、友達と疎遠になってしまっても、病気で人がたくさん死んでも、普通に生活が続いていくことにときおり悲しくなる。それくらいわたしは案外どうでも良いとおもってることが多いんだと感じてもっと悲しくなる。あっちへいったり、こっちへきたり、あるいは戻ったり、そういうのを繰り返していたら、もう戻れないところまできてしまったみたい。あるかどうかも分からない未来のことや、だれかとその過去を背比べしてそれに一喜一憂していたこと、ぜんぶだいじょうぶになればいいなとおもう。ぜんぶ抱きしめてぜんぶ愛してあげられたらどんなにいいだろうとおもう。わたしには愛しているものが沢山あるし、わたしもだれかにきっと愛されている。最近見かけなかったので死んだのかなと思っていた野良猫を今朝ひさしぶりに見かけて胸がきゅうっとなった。汚いものに沢山触れてきたわたしの手はもう美しい手じゃないけどそんな手のひらの中でも心地良さそうに包まれているちいさなその頭が愛おしくてなんども撫でる。純粋でなくなってしまうのがずっとこわかった。ううん。たぶん純粋だと思われなくなってしまうのがこわかった。
続きを書きたいけどあしたも学校があって、さすがにちょっとねむい。悪者になっても大丈夫だから、わたしはわたしのそばにいるし、君のそばにはわたしの愛してるきみがいるからだいじょうぶ。特定の誰かじゃないよ、みんなが幸せになれますように。
n(atsu)
線路が控えめな緑に縁取られていて夏を感じた。でんしゃがいつもより大きく揺れるな、とおもった。ひさしぶりに乗るから余計にそう感じるのか、ほんとうにいつもより大きく揺れているのかは良くわからなかった。塾へ着いたら体温検査をされた。世の中の非現実味は薄れていくけれど、それでもやっぱりまだどこかふわふわしているかんじがする。ふわふわ、という言葉は抽象度が高くて便利だと思う。白黒はっきりつけることで正義を実感している人間って意外と多いのかもしれないし、わたしも気付いていないだけで実際はそういうところがあるのかもしれない。燕が雛に餌をやっている様子と、健気に咲いている向日葵と、それに加えてマスクの内側の皮膚が熱気を帯びていく感覚。去年、男の子と花火を見に行って、わたしの中での鮮度の高い美しい夏はそこでずっと止まっている、あるいはもうほとんど完結されたようなかんじ。塾が終わってから本屋へ寄ると、同い年くらいの背の高い男の子が絵馬の形をした紙に合格祈願を書いてちいさな箱へ投じていた。わたしも流されてペンと紙を持ったけれど、多神教じゃないんだよなあと思ってやめた。わたしはわたしが信じている神様にもまだこわくて合格できますようになんて言えていない。いつだってこわいものから救ってくれるものが神様なのに、自分勝手に生きていながら窮地に追い込まれたときだけ救いを求めるのは割りが合わないと思う。好きな人と一緒に昼間から眠りたい。神聖な場所で祝福された心を持つ人に祈りを唱えてもらいたい。突然変異で雪が降ってほしい。騒音の全てを吸収して、それで全てなかったことかのように水になって溶けていってしまうの。指輪が欲しい。細いやつ、宝石はなくていいし装飾もなくて良いから。涙を拭う手に宿る愛があれば、だれかにゆるされたという証が指にあれば、虚無感を紛らわせるための画面スクロールも、劣等感を埋めるために耳触りの良い言葉を連ねる必要性も、不確かな焦りも薄まるかもしれない。というのも最近また得体の知れないストレスに悩まされていて、今日もすこしだけ泣いてしまった。すべてあなたの心の持ちようで変わるの、薬はなにも解決してくれないよ、と母にはそう言われて、それでもっとかなしくなった。そういうことじゃないの。模試を受けるにしても勉強した量に等しい成績が出なかったら、とか、到達点は同じでもそこまでの努力の過程に差があるだけで劣等感をかんじてしまう。まいにち頑張りたいのに思うように脳みそとからだが動かなくて悶えている。わたしは自分を高めることで自分は大切に扱われるべき美しい人間なのだという確信が欲しいだけで、それほどまでにきっとわたしの内側にある自分への愛や期待値というのは年齢とともに他人任せになっていって、諦めや、未来の自分の幸せに対する責任を負いきれないという言い訳や、ときおり世界から拒絶をされているかのように感じられた幼い頃の傷ついたこころがぜんぶガチガチに固まったしこりのようなものがずっとあるみたい。もっと自���で自分のことを愛してあげられますように。今、世界ではいろいろなことが起きていて、それに対して声をあげないという選択が道徳的ではないと非難されてしまうことがあるらしいけれど、関心を持たないということもひとつの意味のある心の持ちようだし、それをやさしさと捉える人もいるのに、とてもやりきれない。恋人が「みんなつらいけど、ありじはつらいの」と言ってくれたことがとても救いだった。だれかの不幸と自分の不幸を秤にかけるということにやっぱりわたしはある種の違和感を覚えるし、たとえそこ��差があっても自分のことを放棄してまでだれかのために立ち上がることは少しちがうと思う。そうして切り捨てたものが何らかの拍子にいつか今度は自分自身を殺すかもしれないし、自分の身近で大切な人を傷つけるかもしれないし。わたしはわたしを取り���く世界をたいせつにできたらいいなと思う。足取りが軽くなれば、もっと遠くへといけるでしょう。だいすきなひとが苦しんでいたらすぐに駆けつけられるし、わたしはそういう風に愛される女の子になりたいから沢山のことを頑張っている。月が変わったのでカレンダーをめくったら、「涙は人生のお師匠さん」という言葉の周りにたくさんの滴のイラストが描かれていた。扇風機をつけると、紙がパタパタ揺れる。がんばる。わたしの愛する人たちが沢山愛されますように。
どれほど遠いところに行こうと試みても
どこか気持ちがもやもやしてやりきれなかったので少しばかり走りに行こうと洗面所の前に立ってコンタクトレンズをつける。泣くまいとしていたけれど、使用期限切れだとも知らずにレンズを瞳に上にのせた瞬間、意志とは関係なく勝手になみだがぼろぼろでてきて焦る。ずっと我慢していた涙ももしかしたらそのなかに紛れていたのかもしれない、濡れた睫毛やすこし充血した白目を見るといつもどこかほっとした。
世界は絶えず美しくて、じぶんなんかがその大きな器の中で堂々と情けない顔をしているというのがなんだか滑稽に思えてきた、と昨日は日記に書いたけどやっぱりそう思えない。うまれる、しぬ、という表現がコピーペーストされてできた世界線。どうしてもくるしくなってしまう、くるしいものを見ないようにと目に覆いを被せて生きているからたまに世界を直視したときにあまりの眩しさになにもみえなくなってしまう。
結局のところ、きっとわたしはなににでもなれるし、なににでもなれた。わたしはわたしが望みさえすれば、家をでていくことも、うまれながらにして与えられた名前を捨てることも、今つながりを保っている関係性を断つことも、信仰を捨てることも、自分のからだを誰かに売ることも、求められてそれに応えることも、アカウントを削除することも、つらい勉強に身を投じることなく大学に行くことも、自分自身やそれに関係する人々をきずつけることもできてしまう。その可能性についてぼんやりかんがえていた。
考えてみればあまりにも不安定なわたしは、なににでもなってしまいかねない自分というものとずっと一緒にあるいてきたように思う。自分というものの一部をわざと切り離してあえて失うことを選んだり、あるいは舐められないよう努力をして立派なものに築きあげたりする過程でしか自分が自分であることをたしかめられなかった。欲を我慢しなさい、謙虚な姿勢で生きていきなさい、と幼い頃から教えられてきたことの反動がまさに今起きていてつらい。人間は生まれたままの姿こそもっとも美しい、醜い人間というのはひとりもいなくて、そしてだれもが平等に愛されるに値する、といった程度の言葉ではこの漠然とした不安感は解消されなくなってしまった。
あなたがいちばん大切にしていて、且つあなたをあなたらしくさせているものはなに?という質問をともだちがインスタグラムで公開して回答を募集していた。わたしは今までずっと恋愛をすることでしか自分を保てなかったの、という彼女の文句もまた同様に等しくまぶしいものだということに当人は気付いていないかもしれない。膨大な情報のなかで、なにをほんとうに掬いとるべきなのかわからずにいつまで彷徨い続けるのだろうかという不安を抱えている。たすけてほしい。毎晩、たすけて、たすけて、と寝る前に心の中で念じるようにしていて、そうして眠りにつくとなんだかほんとうにたすかったような感じがする。
というのも、なんとなく、という世界線を生きること自体あまりに物事を都合よく解釈していていらいらするので、とうとうまともに祈ることすらできなくなってしまったのだ。はずかしい。わたしは決して善良な人間ではないのに、善良な人間の中で同じ言葉を唱えていることに一種のはずかしさを覚える。
無題
一年前までは、死ね、クソ、うざ、という言葉にほんとうに値する人間や事物などなくて、物事のすべては捉え方なのだと、主観で世界の全てを決めつけてはいけない、美しくいなければいけない、という考えがあったからわたしはほんとうに一度もそういった言葉を使わなかったし使えなかった。それなのに今や抵抗が少なくなってしまって思いたくなくても大事な人たちにいらっとしたときや精神が弱っているときに反射的に汚い言葉が脳裏に浮かんでしまってやりきれない。過去をふり返るとき、その足跡がどれだけ美しくても、長く歩き続けてきたとしても、結局その先にあるのが地獄だったら意味がないでしょう。
外に出ても風は一切吹いていなかった。頬に染み付いたなみだの生温さは消えず、水面の揺れもしずかだったので川が川じゃなくてアスファルトみたいに冷たく感じられて、音もない夜にわたしは勝手にひとりぽつんと取り残されてる感覚だった。
それでも良いこともあった。このあいだ、雨が降った日にふとした好奇心で自分のうまれた日の天候を調べたら、わたしがうまれたその日も東京では雨が降っていたらしいとわかったこと。たくさんの雨粒のなかにも一粒くらい当時のものも紛れているのかなあ、と思った。たとえ同じ形をしたものが数多くあっても、情報量の多さのなかで下敷きになってしまうようなほんの些細なことでも、わたしはわたしのことを愛してくれているものをがんばって見つけ出したい。そしてそう思っているのと同じくらい、同時に心の奥のほうでは常にだれかに見つけて欲しいと思っている。わたしが失ってしまったわたしの美しさを見つけてほしい。もう誰にも傷付けられないように。もう自分のことを傷つけなくて済むように。愛せますように。
無題
あ〜もうわたしなんも勝てないな〜って思って泣きそう。勝てないものがおおすぎる。受験生なのに自分の欲に打ち勝って勉強に励むことすら怠ってしまって、他人と比べることでしか自分を測れないからだれかが頑張っているすがたをみても素直に応援できない自分がいてくやしい。みんな守りたいものをちゃんと守って、それをつよみにしているのに、わたしはなにかを失うことでしか自分が満たされていたことを実感できなかった。捨ててしまった欠片をひとつひとつ集めようと、かがんで地面を這っている惨めな姿を誰かに見られたらどうしよう。だれよりもきらきらした世界をしっているつもりで、かみさまからも愛されているつもりで、たくさんの人がずっとそばで応援してくれていることに対してそれ相応の結果や愛を返せているつもりだった。だけどぜんぜんそんなことなかった、そんなことなかったのにそれでも絶えず世界も人も優しくて美しくて眩しくて純度が高いので薄汚れた言葉をもってしまったわたしにはもう直視できないんじゃないかと挑戦することすらこわくてできない。わたしの写真や文章がだれかに良い影響を与えていたらそれはうれしいけど、それでわたしだけのものだったわたしの一部が他の誰かのものになってしまうのは少しだけ悔しい。ブルースクリーン越しに奪うこと、奪われることに慣れてしまった。わたしは結局わたしだけみてほしいと思っていて、それがわたしの幼さで弱さなのだと思う。弱さも強さも武器になるうるけど、ほんとうに強い人はちゃんと矛先を向ける対象を選ぶことができるから目の前の道をどんどん拓いていけるけど、弱いままのわたしはずっと自分の胸に矛先を向けているからだめで、自分を窮地に追い込んではじめて大切なものに気がつくことができる。「わたしが失ってしまったものをありじちゃんは大切にしていてすごいと思うし、これからもそれを守り抜いてほしい」とメッセージをいただいたことがあるけど、わたしが彼女の立場だったら同じようなことは決して言えないだろうと思う。きっと、ずるいなあ、と思ってしまう。ずるい。わたしもあなたみたいになりたかった、と。なりたい自分に到達できずに足掻いている途中であたらしい自分が形成されたとして、それはむしろなりたい自分とは真逆な人間なわけだから、その歪さを美しいと褒められても全くうれしいと思えない。やっぱりでも今日だけ美しいといってほしい。今日だけ慰めてほしい。そろそろぴえんって言葉つかっちゃいそう。
愛?
さいきん日常の何気ない瞬間において、いいなあ、とたくさん感じたけどその都度いちいちメモに起こしていないので内容はほとんどわすれた。なのでブログを更新できないし、あと二ヶ月も経たぬうちに十八になってしまうからせめて可愛げのあることなんかを少しくらい書きたかったのに状況が状況なので仕方ない。毎朝オンラインで出席確認があるんだけど昨日は二度寝して出られなかったし、このあいだ試しに大学の過去問を解いたら点数はだめだめだった。一日だけ夜に恋人に電話で弾き語りをしてあげた。ぜんぶ壊れちゃうならさいしょから手を伸ばさなきゃよかったってことを話したら、あのね、ちがうの、持っていたっていう事実がとてもたいせつなの、さいしょから持ってるのと持ってないのじゃちがうでしょ?わかる?と諭された。そうかもしれない。怠惰に怠惰を上書きするように生きている。こめかみに銃口を押し付けられて脅され怯えるようにして、つきまとってくる色々な事実から目を背けている。こんな具合に漠然とした不安感がうんぬんかんぬんとダラダラ書いているけどほんとうはそれなりに幸せで充実した生活をしているからいつかバチが当たってしまいそう。歳上の彼氏と別れた友達の女の子が、今頃煙草でわたしの肝臓ぼろぼろなんだろうなあ、もっと自分のことを大事にしてあげたかった、と裏垢で溢していたけど、きっと彼女にだって彼の影響で自分のモノが形を変えていく過程に幸福を覚えていた瞬間もそれ自体に救われたこともあったんだと思う。ただ薄暗くふちをなぞっていかないと未来への期待値があまりにも高すぎて落とし穴にハマってしまいそうでこわいからみんな可哀想ぶっている。たぶんどこにも事実なんていうものはほんとは存在��どしていなくて、みんなが情報を選んだり捨てたりしているだけで、人間が数値にしたり名前をつけたりしながら記録をしているだけで、何もかもを取っ払ったら、あ、でも、そうなったらわたしはどうなっちゃうんだろう、なんてことをずっとぼんやり考えている。二か月くらい前にだいすきな友達といっしょに塾へと向かう道を歩きながら、わたしたち卒業までにいつか絶対この道で泣くと思うって笑いながら話していた。今ごろ存在していたかもしれない日と流していたかもしれない涙とあったかもしれない出逢い。そういうので世界が動いているのかもしれないと思うと心がふにゃあってなって泣きそうになる。この足を踏んでいるところのずっと奥に埋れてしまったいくつもの歴史に救われている。その後、小さなレストランで二人分のサンドイッチを頼んだ。ずっと憧れていた女の子にはやっぱりなれなかった。一度「憧れの女の子のフリをする」アカウントをつくろうとしたけど苦しくなってやめた。新作の化粧品と知恵袋での大学受験生の相談事と参考書のレビュー調べだけでほとんど埋まっている検索履歴欄の隅っこに追いやられてしまったいちばん綺麗なわたしを誰かに拾って欲しかった。少しくらい未来をあきらめても人生は終了しないけど単純にそこでわたしの自己肯定感は終了するし、わたしがいちばん大事にしたかったわたしも死んじゃうから、ねえ、わたしは大好きなみんなのことも自分のことも美しさを表現することもぜんぶあきらめないからみんなもわたしのことあきらめないでってインスタの裏垢に書いたあと、電気を消して寝た。許されない愛だけが輝いている。ずっと輝いている。いつか校庭を一面石灰の白に染めて北国の雪景色みたいにして、雨で偽物の冬が消えてしまう前にわたしたちは濡れながらキスをするの。安っぽい映画みたいに物語の順番をぐちゃぐちゃにして今よりももっときれいなところに走っていきたい。“な���も決定的なことが起きていないようなのに、いつしか死が準備されてしまっている、日常という戦場” において、好きな人にお願いだから死なないで、一人にしないで、と一方的に伝える行為がとても無責任だということだとはわかっているけど、ただ、それがわたしの知っている方法の中でいちばん確実にあなたの心を殺せるものだからゆるしてほしいと思った。しんだら身体の隅々まで洗って、痛かったところを撫でて、さいごにわたしの名前の由来になっている花の香りを墓石につけてあげる。あなたの歪みにはじめて触れた日、わたしはあなたのいちばん美しいところをみたようなかんじがして、それがとくべつで嬉しかった。まるかったり、とがっていたり、硬かったり、やわらかかったり、ざらざらしてたり、さらさらしてたりするの。生きているだけで美しいという言葉はみんな戯言だと笑って受け流すのに、しぬことになると急になんか真面目な顔をするからやになっちゃうよね。写真を撮ることを知らなかった頃のわたしはたぶんほんとうの写真家だったし、まだロックミュージックを知らなかった頃、わたしのロックスターはずっとわたしでしかなかったし、文学を知らなかった頃に感じていた世界とおなじ色合いの世界をわたしはもう見れない。そういうものだから、もしかしたら死ぬことなんて知らなかった頃、わたしたちもずっと死んでいたのかもしれない。それでたぶん今でもその頃の残像が残ってるのかもしれない。逃げて逃げて逃げた先で待っているから、そこでまた逢えますように。
無題
あこがれている女の子たちがみんな色白で華奢なことにむかついている。だれかを真似して美味しいところだけを盗むことは誰にでも出来るんだけど、でもそうじゃなくて、彼女たちがもっているものは彼女たちにしかもつことを許されていない域にある圧倒的なものだからくやしくて泣いてる。その子たちがフォローしているアカウントを全部フォローしたら同じ世界を見れるかもと思ったけどやめた。きっとわたしよりもいろんなものを見て感じて聞いて愛してたくさん傷ついてきたんだろうなあ、と思う。自分と向き合うのはとてもくるしくて、美しいものに触れることで浮き彫りになる絶望もまたするどくて、それでも躊躇いなく自分の内側にあるものを外にだして整えてまたぐちゃぐちゃにしていくの。そういう工程を何度もじっくりしずかにしてきたのかもしれない。お世辞にも美しいとは言えないものでも、美しい人がすればそれはたちまちに美しくなってしまう。ずるいなあ、十七年かけて見つけたものが諦めとかいう単なる逃げだとしたらやりきれない。頑張れるかなあ、がんばりたいなあ、って言うのたぶん二千回くらい繰り返しているけれど、こんなわたしもすこしずつちゃんと踏み出していて、前に比べたら痩せてメイクもするようになって結構垢抜けたし、何も書けないと言いながら泣き喚いてブログのアカウントを消すこともなくなった。ワンクリックで消えてしまった昔のわたしの言葉には相応の墓場もないけれど、だれかの支えや救いやたのしみになれたことが嬉しい。文章なんて手軽なもので誰でも書けるものだけど、誰でも、の中で、わたしのを読んでくれている人がいるのだという事実がうれしい。きっとでも綺麗事抜きでほんとうはだれでも特別で、特別じゃない人はいないんだろうけど、すべて目に見える数字として統計されてしまう今だからこそ他人からの評価やさまざまな人たちからの好意や自分は愛されているのだという確信の多さがそのひとの輪郭をなぞって、より濃くして、いわゆる個性と呼ばれる類のものを形成していくのかもしれない。くやしいし皮肉だけどそれを掻き分けていくのが、生きるということかもしれないし、あるいは自傷行為なのかもしれないし、わかんないけどわたしだけは自分の味方であれるように努力していけたらと思う。たとえ負け犬でも遠吠えできる余裕と気力があるうちはまだ勝ってる、たぶん
無題
きのう、河原まで自転車で走った。昼間の明るい時間帯に行くのはとても久しぶりだった。最近はストレスで奇行に走る人がいるらしいから夜に外に出るのはやめて、と母に言われた。テレビをつけてもスマートフォンのスクリーンをいくらスクロールしても、そこに有るのは饒舌に討論を繰り返す人間と、それに対する第三者からの警告、といったような感じだし、鬱々としていたのでちょうど良かったかもしれない。運動用にだぼっとしたパーカーを着て、弟のサドルがすこし硬い自転車を借りた。前方から吹いてくる強い風に服がぴたっと身体に張り付くので、はずかしくなってペダルを踏む力を強くする。桜の木はもうどこにも見当たらず、小さな花びらだけがコンクリート上にまばらに散らばっていた。空は青くて、高くて、鳥が群れてそこを飛んでいて、それをわたしが見ていて、だけどわたしのことは誰も知らないの。そしてわたしだって誰のことも知らない。その事実がいちばんやさしくて、それでいていちばん淋しいから美しいと思う。川の水面が光を受けてきらきらと煌めいているのを眺めるのが好き。光りの粒がたくさんあって、見る場所によってそれが大きくなったり小さくなったり近くなったり遠くなったりしてかわいいの。昼間は白く光るのに、夕方になると今度はピンク色になったり朱色になったりするからもっとかわいい。塔屋看板にペンキを塗装する業者の人。頭上を走るモノレール。走る犬。投げられたフリスビー、野球ボール。ふうっと口をすぼめてたんぽぽの綿毛を飛ばす子どもたち。うっすら川のにおいがして、うれしくなって少しのあいだ草原の上に横になった。草ってこんな柔らかいんだって思った。オレンジ色ってこんなにオレンジ色だったんだ、とか、鳥が一斉に空へ飛び立つときにパタパタと羽根の動く音が聞こえて、しゃぼん玉が弾ける瞬間にせっけんの匂いがして、英単語帳をしばらく眺めていたんだけどすぐに閉じて空のずっと奥の方をみてた。いつもはうざったい太陽の残像でさえ愛おしく思えてしまうなあ、どうなるんだろうなあ、これから、って思った。わたしが掬い取っている現実はきっとほんとうの世界のほんの一部でしかないから、救われますようになんて偉そうなことは言えない。だけど、たかが数日間外に出ていなかっただけなのに一人でこんなにも大袈裟に感動している。すこしくらい見返りを求めてもいい気がしてくる。
頭ぐわんぐわんする
現実に翻弄されている人間を嘲笑うかのようにして桜が我関せずと言わんばかりに堂々と咲き誇っているので、なんだかすこしだけ愉快な気持ちになった。白い四角形を顔の表面に貼り付けながら、それでも歩く足を止めない人間の行く末をかんがえると何もかもがいやになってしまうけれど絶望の輪郭をみんなでかじって食べていけば、なんとも名付けようのない不器用な形をした詩のような世界ができあがるのかもしれない。今日くそみたいなじじいがくそみたいな眼差しでこちらをみてきたので睨み返してやったんだけど、どれだけそうして自分の弱さを繕うように強がっていても彼には変わらずに愛するものがあって彼を救いにしている人もたくさんいて、そのことがなんだか、それだけがなんだかそのときのわたしの苛立ちの唯一の誤魔化しだった。だからわたしは彼を刺殺さないし、彼もわたしを殴り倒さない。そういうのって、大事なんだろうなあと思いながら電車の広告の文字を追っている。ちなみになにも頭には入ってこない。あたたかい毛布にくるまっていると誰かに抱きしめられているかんじがするから心地がよくて、すこしだけ唇を尖らせる真似をする。まぶたをあと何回閉じれば。何回綴じれば。いいんですか。コンクリートジャングルと自転車のサドルとスカイツリーの心臓。あ、と思う頃にはもうすでに全てが遅くなっていて後悔をするけど、あ、と再び思うと今度は以前のそれよりもより大きな幸せに満たされていることに気がつく。竹刀を持った少年たちが夜になると川辺に集まっていつもその刀を縦に振っている。わたしはたいして歌を歌うことも上手ではないし、勉強も大してできないし、顔だって凸凹している。けれどそれでも真っ直ぐに生きていけるかな。生きていきたいね。終末感の漂う世界をみることで、わたしは独りですこしだけ安心できた。終りがあることに赦される。本当は衝動のまま洗面所にあるハサミで髪の毛を思い切り切ってみたいし、派手な髪色にして東京の真ん中を歩きたい。それでも晴れることのない憂鬱を自分の中の非道徳的な理想に想いを馳せることで誤魔化してみたり、寂しいと思わなくても好きな人を自分の家に泊めて隣でぴったりからだを重ねながら長い夜を過ごしたい。そういうのをだらだらとしたいだけなのに、そういうのをするのにも勇気や妥協や諦めが必要らしい。がんばるよ。すこしずつ。
無題
まいにち予備校の自習室にいっていたら、自習室でしか勉強したくないからだになった。いままで宗教上の理由で髪の毛を隠してきたけど、大学生になったらボブにして染めて街を堂々と歩いてみたい、し、そうしてみる。たくさんあそびたい、だれになにをどう言われようと自分のしたかったことを一つずつしていきたい。親といっしょに暮らしていたら、わたしの「非」はぜんぶ彼らの責任になってしまうけど(これもちょっとおかしい話だけどそう考えている人は多いみたい)一人で暮らしだとわたしのしたことは全部わたしの責任になるらしいので、最近は常に逃げ出したい。思春期や若さを理由にしてどこか遠くへ逃げてしまうことは何もわるくない。ぜんぜんわるくない。寧ろそうするべきだとも思っている。一度離れ離れになることで改めて気付かされることや見えてくるものなんてたくさんあるし、それに加えて黒猫を相棒に迎えいれることがきまって、その子といっしょにふたりで(猫だから「人」ではないけど)暮らすことが決まったのでどきどきしている。もう失うものはない気がして、でもそれは自分がなにも持っていないからではなくて、幸せなことにたくさんのものを持っているからだということに最近気がつきました。毎日走ろうと思ってる、思ってるというか走っている。たくさんがんばって可愛くなるので、そのときがきたら誰かデートしてね
無題
つまらない文章しか書けなくなった。いや、そんなことはないんだけど、もしかしたら面白い文章を書かなくちゃと思うことがなくなっただけなのかもしれないけど、それでも書かずにはいられないほど心を動かされるものとかそれをさせてしまうくらいにわたしの大切なものをかき乱した嵐のような愛とか、水みたいにさらさらしてる美しい光景の数々とか、光とか風とか、なんかそういうの、そういうのに自分のからだとかこころを預けるのがこわくなってしまった。あっちへいったりこっちへいったり、そうしているうちに自分を見失いそうでこわい。だけど反面、もう自分のことで苦しまなくていいようにいっそのこと自分の存在とは程遠いなにかに染まってしまいたい。自分らしい自分なんて本当は存在しないのだとわかっていながらもそういったくだらない不安感をおぼえてしまう。というのも、たくさんの言葉とか音楽に触れているうちに、どんどん自分が感化に感化を重ねて変わっていっているのが自分でもわかっていて、だからもう昔書いていた文章は書けないし、昔捉えていた景色の感触も思い出せない。わたしが考えていることはすでに誰かが思いついていることで、でもだからといってその価値が下がるとかそういうことではないんだけど、時折それがすごくさみしくなる。なにかを表現することで、表現したくないなにかを誤魔化してきた自分が浮き彫りにされているようでとてもくるしくなる。ほんとうのわたしを認めてほしい、などと思うけど、同時にわたしのなにが貴様にわかるんだ、とも思う。自分のほんとうはどうしたいのかという気持ちをうまく掬いとってあげられないのがくやしい。思春期ってそういうものなのかなあ、こうやってぐるぐる変な渦に巻き込まれて、いつも自分だけど自分ではないなにかとすれすれになりながらもがいている。いちばん近いはずなのに、いちばん掴めない。なのに影みたいにしてどこまでもひっついてくるので厄介で。むかしの自分かもしれないし、認めたくない自分かもしれない。いずれにせよ、世界に翻弄されがちな自分の絶望や幸福を言葉や写真などに起こして大袈裟にしてみせる一連の行為に疲れてしまった。わたしはわたしに自分のことを認めてさせてあげたかったのだと思う。あなたの感じていることは言葉にされるに値することだと、慰めてあげたかったのだと。でも今はこうして文章を書くことで、言葉に残さなかったなにかが消えてしまいそうでこわいと思ってる。写真を撮る��とで、写真に残さなかったなにかを裏切るような感じがしてこわい。それともそれはただ口実で、ほんとうはほんとうに一切のことに無関心になってしまったのかなあ。全てのことをどうでもいいと投げやりにしてしまうことで、失うものを少なくしたかったのかもしれない。そうすることがずっと強さだと思ってたけど、今もそう思っているところはあるけど、誰かにわたしのぜんぶを決めて欲しいなと思うけど、でも自分でちゃんとえらんでいきたいね。突き抜けたわたしの弱さを、考えすぎたよという言葉で突き放すひとたちはいたけど、それをわたしのいちばんの強さだと肯定してくれたひとは少なかった。考えすぎてしまうこと一般的にみていいことではないかもしれない。たしかにわたしは考えることで現実から目を背けているし、考えることであたかも自分が真っ当に生きていることを正当化しているし、考えることであなたに連絡したい気持ちやあなたに抱いてほしい気持ちを誤魔化しているけどそれがなんかいいなあっておもう。それがなんか、ちょっと可愛いというか、なんか人間味に溢れて嫌いになれない。ぐだぐだ空白を消費しているうちに、どうにもやりきれなくなって深夜にワンピース一枚でそとへ飛びだしたことがあって、そのとき足のくるぶしから太ももの内側へとひっつく夜の風のつめたさに今も慰められている。変わりたくない、と思うけど変わっていく自分を受け止めてあげられるだけの気持ちの余裕やそのかわりになにかを手放す強さとかそういうのを育てていかなくちゃいけないのだと思う。ちょっとだけかなしいけど、もしかしたらそれができた頃には、また遠い昔に出会えていた感動にまたはじめて「あたらしく」出会えるかもしれないと思うとちょっと頑張ってみようという気持ちになる。長々書いたけど自分でも一貫性がないことにくすりとしてしまう。ただの自分語り、あとでたぶん消しちゃうのでこれを読めた人はラッキー。あしたいいことがあるかもしれないね。
無題
ふわふわと遠いどこかを彷徨っているかんじで、それがちょっとだけ気持ち良かったり、気持ち悪かったり、こわかったり、かなしかったりした。一日中そんな調子だったのでひどくつかれた。わけわからないウイルスのせいで色々な部活の大会や練習が取りやめになった。期末試験もなくなって、これから空白の一か月間。放課後あちこちからだれかのすすり泣きとそれを優しく諭す声がきこえてきて、わたしは失うものなどなにもないのに、なにかを失ったような気分で、これを書いている今でさえ少し泣きそうで指が震えている。頑張って頑張ってさいごまで努力を続けてきたのに、こんなにも呆気なく終わってしまったことが悲しい。このままドミノ倒しみたいにたくさんの報道が、たくさんのだれかの涙が、自分の知らないところで募り続けていくことをかんがえただけでなんだか胸が空っぽになる。大した努力をしていないわたしが悲しむようなことでもないのかもしれないけど、それでもわたしは努力をしている友達の姿がだいすきだし、みんなの泣いている姿をみるのがつらかった。反面、涙を流せるほどの熱量をなにかに注いだ覚えもないことが余計にこころを空っぽにさせた。すこしだけ、この、世界がゆるやかにくずれていく様子に好奇心を覚えて胸が高鳴った瞬間もあったけど、やっぱりもっと美しいのがいいね。やさしいほうがいい。さいきん文章書いてなさすぎていかにも日記みたいな日記になりました。ぜんぶ大丈夫になりますように。
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awaoiso · 5 months ago
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なーこさんが作ってくれた100の質問に答えます、なお、回答はたぶん2週間くらい前と今日の加筆で出来上がっております
(1)今日何食べた?
さっきs先生からチョコとオレンジのフィナンシェをいただいてその場で食べた、他にもいろいろ
(2)好きな本は?
麦の海に沈む果実
(3)遊びに行くならどこに行くの?
下北沢、高円寺、吉祥寺に行っとけば間違いない(良い映画館と良い劇場といい本屋とおいしいものがある)、でも基本的に知らない町に行ってみたいです!今気になるのは雑司ヶ谷
(4)好きな言葉は?
月並み
(5)面白いと思う言葉は?
この言葉って面白い!って絶対言ったとことあるのにパッと思い出せないな
追記:デブまっしぐらって面白い!とふと気づきました
(6)苦手な言葉は?
あんまり言葉に苦手って思ったことないな、組み合わせの問題な気がする
(7)一人称は?
(8)口癖は?
えーん嬉しい、むりなんだけどー、はよく言ってる気がする、逆に何だと思いますか、?
あと、「なつい」という言葉を短歌に使ってから「なつい」って使いがちになってる気がする、毎回あっ、ってなってる
(9)好きな数字は?
125(好きかはわからないがなぜかお風呂屋さんで下駄箱選ぶ時この番号を選んでしまう)
(10)好きな仮名文字は?
(11)好きな漢字は?
(12)好きな記号は?
(13)好きな言語は?
日本語、聴いてて好きなのはフランス語、あとファドが好きなのでポルトガル語!
(14)好きな歌詞は?
さようならは信じていることの証
(15)思い出に残ってる曲は?
七里浜 團伊玖磨作曲
追記:私、一つのものになかなかハマらない性格でして、合唱部で歌った曲ほど曲を聴き込めることがないんですよね...あ、でも、上原ひろみさんのHazeは思い出に残っているな、話すと、長くなる
(16)自分自身のイメソンは?
BATACO(タイトルだけじゃなく歌詞も私すぎるのでみんな聴いてみてほしい!)
(17)印象に残っている夢(レム睡眠の方)は?
私だけ全裸で暮らしていてそれが普通である世界を生きている夢
追記:これが初夢だった気がする、おもしろい!と思ってる夢は記録してあるので、たくさんあって選べないな...と思って直近でわ!と思った夢を書いたのでしょう
(18)自分に合う睡眠時間は?
7.5時間
(19)普段の寝床は?
ベッド
追記:小さい頃はダニがつくからだめ!と言われていたぬいぐるみですが、自分の部屋ができたこと(と母が咎めるのを諦めたこと)により沢山のぬいぐるみを並べることが解禁されました、ベッドの上がにぎやかです
(20)好きな食べ物は?
餃子、焼き小籠包、ケバブ、ハンバーガー(マックじゃない)、ドーナツ、カキフライ、チーズタッカルビ、レーズンバターサンド
(21)苦手な食べ物は?
パクチー、セロリ
(22)好きな駄菓子は?
麩菓子
追記:駄菓子ってどこまでが駄菓子ですか?スナック菓子入れていいなら、ポテチとかじゃがりこの変わった味が好きです
(23)好きな麺類は?
ラーメン、うどん、そば
(24)好きな野菜は?
ピーマン、ナス、カリフラワー、玉ねぎ、オクラ
(25)苦手な野菜は?
セロリ
(26)好きな果物は?
桃、いちご、シャインマスカット
(27)好きなアイスは?
ハーゲンダッツの期間限定(新しいもの好きなため)、クッキーで挟んである系
(28)好きなスイーツは?
でかくて色んな具がのってるパフェ、食感がある系のケーキ、プリンアラモード
(29)好きな飲み物は?
水、コーヒー、紅茶、ほうじ茶
(30)食事スタイル(量・好き嫌い等)は?
温かいものを冷める前に食べ切る、量は少なくても生きていけるが食べようと思えばそれなりに食べられる
(31)好きな場所は?
家、本屋、電車内
追記:坂道、路地
(32)苦手な場所は?
ゲームセンター、お祭り、花火会場
(33)好きな時間帯は?
19:00
追記:なんでこの時間選んでたんだろう、夕暮れの時間も好きですね、王道ですか、、、
(34)好きな季節は?
追記:5年も合唱部にいると、合唱部が時の流れを感じる軸になってくるんですよね、先輩が引退する季節、夏の時間がだんだん思い出に移り変わっていく季節、切ないけどきらきらしてる時間。単純に気温とかカラッとした感じとか空の感じとか食べ物とか、そういう意味でも秋が好きなんですけどね
(35)好きな絵本・童話は?
パンダ銭湯
(36)なりたいものは?
一生が2回あるならアイドル
(37)なりたくないものは?
人間以外にはなりたくないかもな
(38)幼い頃の将来の夢は?
アイドル、俳優
追記:そういえば憧れたきっかけってなんだろう!単純に映画とかドラマとかAKBとか大好きだったからか、ディズニーのダンサーさんとかにもなりたかったような
(39)現在の将来の夢は?
テレビ関係者
(40)今欲しいものは?
リュックにつけられるサイズのぬいぐるみ、スマホを首からかけられるようにするやつ
追記:後者は今日買いました
(41)お気に入りの持ち物は?
いるかのぬいぐるみ
(42)最近買ったものの中でお気に入りは?
ポケットに入るサイズのメモ
(43)好きな文房具は?
ニューデイズで買える安いシャーペン(なくしても大丈夫だし書き心地も良い)
(44)好きな動物は?
カピバラ、アリクイ
(45)苦手な動物(虫も可)は?
ハチ、ガ、ゴキさん
(46)自分を動���に例えるなら?
なんでしょう?逆に聞きたい
(47)誕生花は?
すずらん←好きなのでうれしい
(48)好きな花は?
大きすぎないバラ
(49)好きな色は?
物による気がする
(50)好きな天気は?
晴れてて風がある日
(51)自分の苗字に対してどう思う?
不満ではないが結婚するなら夫に合わせたい
(52)自分の名前に対してどう思う?
かっこいい!初対面の人とはちょっと話題にできるのも含めて大好き!
(53)好きなスポーツは?
ダンス(←スポーツに含めていいのか?)
(54)苦手なスポーツは?
球技全般
(55)好きな教科は?
国語、世界史
(56)嫌いな教科は?
数学
(57)得意な教科は?
国語、世界史
(58)苦手な教科は?
数学
(59)普段どんな服着てる?
塾ならワンピースにカーディガンがち
お出かけならいろいろ
追記:ファッションというか、かわいい服は好きなのですが、お気に入りの服を見つける手間と服を選ぶ手間に耐えられないので、制服が好きです
(60)自分の家族に対してどう思う?
大好き!友達みたい!ありがとう!
(61)自分の友人に対してどう思う?
大好き!優しくしてくれて人生を楽しくしてくれてありがとう!
(62)尊敬する人物は?
先輩、s先生
(63)自分の誕生日に対してどう思う?
小中と運動会の振替や定期テスト後の期間に被ってラッキーだった!これ以降の人生にとってもいい感じの日だと思う!
(64)自分の血液型に対してどう思う?
だろうなぁ、と←O型です
(65)自分のMBTIに対してどう思う?
だろうなぁ、と(ENTP)
(66)好きなコトは?
読書、短歌、合唱、映画、テレビ、演劇、現代アート鑑賞、お笑い、ラジオ、インターネットにいるかわいい女の人を鑑賞する、YouTube見る、デザイン、旅行
(67)嫌いなコトは?
あんまり思いつかない、なんでもやってると好きになっちゃうので
(68)得意なコトは?
新しいことをそこそこできるようになるまでが早い、人を好きになる、天才ぶること
(69)苦手なコトは?
物をなくさない、整理整頓
追記:話題のデッキがないから恋バナ苦手って、うわ!それだ!私!と思いました、ぴったりの表現...私が恋バナしようとすると、たぶん恋人ができない限りは、「これが恋かはわからないんだけどね...」から始まると思う(特大矛盾)
(70)好きなモノは?
モノってむずかしい、
追記:じっくり考えて思いつきました!ロルバーンのノートです、日記のノートとして、ロルバーン以外は考えられなくなってしまった、なんでロルバーンにそんなこだわってるのかはわからないが...
(71)嫌いなモノは?
睡眠負債(物体って思いつかなかった...)
(72)地元に対してどう思う?
たまに駅前から異臭がすることを除けば不満なし!好きです!
(73)自分の体(機能)の中で特に失いたくないものは?
視覚
(74)自身の健康に対してどう思う?
この体力はどこから来てるんだ?
(75)好きな映画は?
リップヴァンヴィンクルの花嫁
地獄のSE
TENET
インセプション
(76)好きな漫画は?
あまり読まないのですが短編が好きなのでいろいろ読んでみたいと思っている、受験を終えたら有名どころを読み尽くしたい
(77)好きなゲームは?
ポケモンスリープ❤️‍🔥
(78)好きなアニメは?
ひぐらしの泣く頃に
(79)好きな香りは?
自分が持ってる香水ヘアミスト等
(80)インドアorアウトドアなら?
インドア
(81)タイムマシンがあったらいつに行きたい?
高度経済成長期
(82)神様っていると思う?
いない
(83)今までで一番辛かった時期はいつ?
中学1年生の後半
追記:ありがたいことに友達はいるけどその友達みんなに心を許せず孤独感を感じたり、未来に対して希望が持てていなかった...
(84)ストレス・悩みの解消方法は?
日記を書く、食べる、寝る
(85)お酒に強い?または強そうと思う?酔ったらどうなる?
たぶん強い、酔ったら寝ちゃう気がする(母の遺伝子を受け継いでいれば)、かわいいですね
(86)寝起きはいい?悪い?
いい
(87)ひとりはすき?
すき、高級なマンション街とかでもスタスタ歩けます!1人フードコートとかもすきです
(88)自分は幸せだと思う?
超幸せ、幸せすぎて未来がこわい!
(89)ランプの魔人がいたら3つ、何を願う?
・寝なくても眠くないし風邪をひかない体
・10億円ください
・自分だけ1日を3時間伸ばす
(90)超能力をひとつ手に入れられるなら何が欲しい?
超能力一覧をググってみたが、どれも悲しくなってしまいそうだった...治癒させる系とか?大切な人が具合悪くなってたら秒で治せるし(かっこいい)自分が具合悪くなった時も一瞬で治せますみたいな
(91)死んだ人はどうなると思う?
何もない
(92)生きる意味ってなんだと思う?
人それぞれ決めていい
(93)どういう死に方がいい?
もうやり残すことはない、と思いつつ、じわじわじゃなくてすんって
(94)自分は幸せ?
何度も問いかけてくるスタイル笑、幸せです!!!
(95)自分の命より大切なものはある?
ない、自分が死んでしまったら大切なものの存在を確かめる術もなくなるし
(96)きのこの山orたけのこの里どっち?
たけのこの里
(97)目玉焼きには何をかける?
気分による、半熟の黄身に塩をかけて食パンでぐりぐりして食べるの好きです、塩胡椒とか醤油、マヨ醤油気分の日もある、ウィンナーの塩っけで食べることも
(98)好きなタイプは?
私の好きな感じの声の人
追記:これ答えた時そういう気分だったんか...タイプというか、私のこと好きそうな人を(思わせぶり含む)好きになってしまう
(99)ところで恋バナとかある?
恋人がほしい瞬間があるときもありますよね、これは恋かどうかわからないんですけど...←デジャヴ
(100)これにて完走!浸って感傷!ラストどうぞ感想!( ´ ▽ ` )ノイェア
実は100の質問を出してくれてた日にほぼ答えてて、それが結構さくさく答えていたので、なーこさんの呼んで追記したくなり追記しました!短文解答多めなのでつっこんでくれたらペラペラ喋ります!自分を知れる感じがして楽しかったです、作ってくれてありがとう!
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