#徳川頼宣
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お日待ちの裸参り





お日待ちは、矢櫃地区を開拓した徳川頼宣公を法要する伝統行事で、和歌山県無形文化財てすキラキラ
本日1月9日にお日待ちが行われ、裸参りに10名の選手が参加しました音譜
国民宿舎くろ潮さんでふんどしに着替え、海で寒中水泳を行った後、矢櫃恵比寿神社と南龍神社を参拝しましたお願い皆さん寒い中お疲れ様でしたニコニコ
寒さで体が動かなくなり海で溺れたり、海から上がるとぽろりゲラゲラなど、ハプニングもありました絶望
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■袴田巌さんの操作と裁判にかかわった主な刑事・検事・裁判官 刑事 逮捕から起訴まで連日12時間以上の強引な取り調べを行い、袴田さんに「自白」を強要した。 松本久次郎 警部(捜査班長。取り調べ回数は最多) 岩本広夫 警部補(取り調べなど捜査に従事) 住吉親 警部補(現金入り封筒を送った女を取り調べ) 松本義男 巡査部長(自白を取るも公判では不採用) 森田政司 巡査部長(血の付着したパジャマを発見) 松本久次郎警部は後に蒲原署長を務め、'02年春には勲五等瑞宝章を受章した。 松本義男巡査部長も'99年秋に勲六等単光旭日章を受賞している。 住吉親警部補も'07年春に瑞宝双光章を受賞している。 検事 警察の捜査をチェックすべき検事が、刑事と同じく「自白」を強要。公判では死刑を求刑。 吉村英三 静岡地検捜査検事(自白をとる。公判で採用) 岩成重義 静岡地検公判検事(一審で死刑を求刑) 猪口民雄 東京高裁公判検事(控訴棄却を主張) 竹村照雄 最高検公判検事(上告棄却を主張) 袴田さんの自白をとった吉村検事は仙台地検検事正まで上り詰めた。 竹村照雄検事は広島高検検事長となった後、'96年春の叙勲で勲二等旭日重光章を受賞している。 裁判官 刑事の違法な取り調べを認めつつ「死刑」とした一審判決を、すべての裁判官が追認した。 熊本典道 一審裁判官(死刑判決文を書く。後に謝罪) 岩見勝四 一審裁判長(死刑判決を下す) 横川敏雄 東京高裁裁判長(控訴棄却) 宮崎梧一 最高裁裁判長(上告棄却) 鈴木勝利 静岡地裁裁判長(再審請求棄却) 安廣文夫 東京高裁裁判長(再審請求即時抗告棄却) 今井功 最高裁裁判長(再審請求特別抗告棄却) 横川敏雄裁判長は後に札幌高裁長官。 宮崎梧一裁判長は判事を退官した後の'86年秋に勲一等瑞宝章を受章。 鈴木勝利裁判長は東京高裁判事となり、 安廣文夫裁判長は東京高裁部総括判事を務めた後、中央大学法科大学院教授。 今井功裁判長は'11年春に旭日大綬章を受賞、皇居で天皇から直接親授された。 その他の裁判官 一審の熊本裁判官以外、誰一人、間違いを認めていないし謝罪もしていない。 高井吉夫(一審裁判官・死刑判決) 以下、カッコ内は当時の肩書き・出した判決 中西武夫(東京高裁裁判官・控訴棄却) 柏井康夫(東京高裁裁判官・控訴棄却) 塩野宜慶(最高裁裁判官・上告棄却) 塚本重頼(最高裁裁判官・上告棄却) 木下忠良(最高裁裁判官・上告棄却) 栗本一夫(最高裁裁判官・上告棄却) 内山梨枝子(静岡地検裁判官・再審請求棄却) 伊東一廣(静岡地検裁判官・再審請求棄却) 竹花俊徳(東京高裁裁判官・再審請求即時抗告棄却) 小西秀宣(東京高裁裁判官・再審請求即時抗告棄却) 古田佑紀(最高裁裁判官・再審請求特別抗告棄却) 中川了滋(最高裁裁判官・再審請求特別抗告棄却) 津野修(最高裁裁判官・再審請求特別抗告棄却)
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大坂冬の陣(1614)ー大坂夏の陣(1615)。
徳川家康。 徳川秀忠。2代目将軍。 徳川義直。家康九男。御三家尾張家の祖。 徳川頼宣。家康十男。御三家紀伊家の祖。 松平忠直。秀康嫡男。家��の孫。夏の陣で一番槍。しかし恩賞の不満から徳川家への不遜により、大分県で謹慎処分。 松平忠輝。家康六男。秀忠の家人を殺したことにより、三重県朝熊山で謹慎処分。 松平忠明。亀姫(家康の長女)の娘。家康の孫。家光の後見人。
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕���訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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「上位者が、威信・寛容・富・力量の誇示として、下位者に恩恵を与える」という権力の演出構造は、古今東西で普遍的に見られ、支配力や影響力を強化する手段として機能します。各例は、恩恵を通じた権力の誇示や従属関係の構築という構造を反映しています。
個人 ↔ 個人
具体例 解説 親分が子分に「景気付け」として小遣いをばらまく 忠誠心や面目を保たせる「顔役のふるまい」。 結婚式で主賓がご祝儀を桁違いに出す 地位や財力の誇示+社交的支配力の提示。 芸能人がスタッフに高級品を配る 威光と感謝を「物で」示し、支配力を強化。 地元の名士が地域行事に大量寄付 面子と地域支配(選挙含む)の資本投入。 「俺が払うよ」と会計を全部持つ 「払える人間」であることを見せる文化。 インフルエンサーがフォロワーにプレゼント企画 SNSでの支持拡大と「寛容なリーダー」イメージの構築。 実業家が知人に高級車を贈る 財力の誇示と個人的な忠誠や依存の確立。 親が子に過剰な小遣いや高価な贈り物 家庭内での支配力や愛情の「見える化」。 友人間での「奢り」の文化 (例:中東のホスピタリティ) 寛容さと社会的地位の誇示、関係の強化。 部族長が部下に土地や家畜を分け与える 伝統社会での忠誠と支配の可視化。
個人 ↔ 組織
具体例 解説 社長が社員旅行や豪華な食事を提供 忠誠の維持・威光の演出・求心力の強化。 スポンサーが団体に潤沢な寄付を行う 依存関係を作り、自分の発言力を高める。 芸術パトロンが作家を援助 「保護者」としての威厳+文化資���の獲得。 起業家がスタートアップに巨額出資 影響力と「ビジョナリー」としての地位を確立。 政治家が地元団体に寄付や施設提供 選挙基盤の強化と「地域の恩人」イメージの構築。 個人投資家がNPOに資金提供 社会問題解決の「英雄」としての名声獲得。 著名人が学校に奨学金や設備を寄贈 教育分野での影響力と寛容さの誇示。 実業家が労働組合に支援 労働者の支持を得て、間接的な政治的影響力の拡大。
組織 ↔ 組織
具体例 解説 大企業が中小企業に「業務協力費」として過剰支払い 表向き友好関係、裏では従属関係の形成。 宗教組織が信者団体に豪奢な建物・備品を寄贈 「中央の威厳」+恩恵的支配。 大学本部が地方キャンパスに多額の補助金 表向き支援、実質的には権限の集中と支配力の強化。 国際NGOが現地団体に資金や物資提供 グローバルな影響力と 「慈善」のブランド化。 企業が地域コミュニティにCSR活動(例:公園整備) 地域での信頼獲得とブランド支配力の強化。 スポーツ団体が地方クラブに資金援助 中央の権威を示しつつ、地方の忠誠を確保。 政党が系列団体に資金やリソース提供 政治的影響力の維持と組織内支配の強化。 財団が研究機関に多額の助成金 研究の方向性を操作し、知的支配を確立。
個人 ↔ 国家
具体例 解説 著名人が被災地へ巨額寄付・炊き出し 実利と「善意の権威」や国家との距離感の誇示。 資産家が国家事業に個人で寄付 国に影響を与える「豪傑」の振る舞い。 実業家が政府のインフラ事業に資金提供 国家との関係強化と影響力の誇示(例:イーロン・マスクの宇宙開発支援)。 市民が国家プロジェクトにクラウドファンディングで寄付 「国民の一員」としての貢献と国家への忠誠表現。 活動家が政府に政策提言と寄付をセットで提供 政策影響力の獲得と「公的貢献者」としての地位確立。 スポーツ選手が国旗を掲げた慈善活動 国家の象徴を利用し、愛国心と個人ブランドを強化。
国家 ↔ 個人
具体例 解説 天皇や大統領が「記念品」や「褒章」を下賜 国民への象徴的「恩恵」で忠誠心を惹起。 統治者が庶民に金品を下賜(例:徳川吉宗の米の振る舞い) 「慈悲深き君主」の演出で民衆支配を安定化。 政府が低所得者に現金給付(例:コロナ禍の支援金) 経済的支援と国家の「寛容さ」の誇示。 国家が優秀な個人に奨学金や研究資金を提供 才能の囲い込みと国家への忠誠心の醸成。 指導者が被災者に直接物資を配布 メディアで 「国民に寄り添う」イメージを演出。 国家が退役軍人に特典や年金支給 忠誠への報酬と国家の威信の強化。 政府がインフルエンサーに報酬で宣伝依頼 国民への影響力強化と国家ブランドの浸透。
国家 ↔ 国家(外交関係)
具体例 解説 朝貢貿易・冊封体制(中国王朝) 実利を超えた「王朝の徳と威」を見せつける体制。 アメリカの「マーシャル・プラン」 (戦後欧州復興援助) 資本主義圏の囲い込みと影響力の確保。 現代の「途上国支援」名目のODA 援助=影響力と政治的従属を伴う「恩恵的支配」。 中国の「一帯一路」プロジェクト インフラ投資による経済的依存構造の形成。 ロシアの近隣国へのエネルギー供給支援 地政学的支配と「寛容な大国」イメージの構築。 EUの加盟国への経済支援(例:復興基金) 統合の強化とEU内での支配的地位の維持。 日本の中東への技術支援やインフラ投資 外交的影響力の拡大と資源確保の裏付け。 国際機関への資金拠出(例:WHOへの寄付) グローバルな影響力と「リーダー国」としての地位誇示。
文学・宗教・神話
具体例 解説 キリストが貧者にパンと魚を与える 神性の誇示と信徒の囲い込み。 イリアスで王が戦士に戦利品や女を分け与える 君主の器量と武人の忠誠を可視化。 芥川龍之介「鼻」や「杜子春」に見られる施しの試練 恩恵に含まれる支配・羞恥・試しの構造。 日本の神話で大国主が民に豊穣を授ける 神の威厳と民の服従を結びつける。 仏教の布施(ダーナ)の実践 施しによる徳の蓄積と宗教的権威の強化。 『オデュッセイア』のオデュッセウスが部下に褒美 リーダーシップと忠誠の交換構造。 インドの叙事詩『マハーバーラタ』で王が臣下に土地を授与 王の寛容さと支配力の象徴。
現代的文脈(SNS・教育・AI社会)
具体例 解説 SNSで企業が無料キャンペーンや抽選企画 ブランドへの忠誠とフォロワー増加を狙う「恩恵」。 インフルエンサーが「無料講座」を提供 知識の「施し」で影響力とファン依存を強化。 教育機関が無料オンラインコースを提供 教育アクセスを装いつつ、データ収集やブランド支配。 AI企業が無料ツール(例:AI画像生成)を提供 ユーザーデータの収集とプラットフォーム依存の構築。 テック企業がオープンソースソフトを公開 技術的優位性の誇示と開発者コミュニティの取り込み。 政府がデジタル通貨やポイント還元キャンペーン 経済的恩恵で国民の行動制御とデータ収集。 メタバースでの無料イベント開催 仮想空間での「寛容」演出と参加者の囲い込み。 政治家がSNSでフォロワーに仮想通貨を配布 支持基盤の拡大と「寛大な指導者」イメージの構築。
構造の分析と意義 権力の可視化: 恩恵は、上位者の富、力量、寛容さを「見える形」で示し、支配の正当性を強化。 従属の構築: 下位者は恩恵を受け入れることで、心理的・社会的依存関係を築かれ、忠誠心を強いられる。 現代的進化: SNSやAIにより、恩恵の規模と速度が拡大。データ収集やアルゴリズムで個々の反応を操作可能。 文化的差異: 日本の「恩」文化では相互性が求められるが、西洋では一方的な「慈善」が支配的。 リスク: 過剰な恩恵は下位者の反発や「施し依存」を招き、支配構造を不安定化させる場合も。
総括 「上位者が下位者に恩恵を与える」構造は、個人から国家、さらには神話やデジタル社会まで、権力の誇示と従属関係の構築に広く用いられます。歴史的には朝貢やマーシャル・プラン、現代ではSNSキャンペーンやAIツールの無料提供に見られ、恩恵は支配の「見える化」と依存の強化を目的とします。文化的・技術的文脈で形は変わるが、権力の演出としての本質は不変です。
特定の文脈(例:AI社会、特定地域)や分析の角度(例:哲学的・経済学的視点)でさらに深掘りが必要なら、教えてください!
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https://x.com/i/grok/share/hFFSs2fcLZlvp9P25VD5ZjzjO
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田沼意次が失脚せずに権力を維持できた可能性を考えるには、彼が直面した歴史的状況や失脚の原因を踏まえつつ、具体的な対策や行動の変更点を考察する必要があります。以下に、田沼意次が失脚を回避するために取れたかもしれない方策を、歴史的背景に基づいて推測してみます。
### 1. **将軍家治との関係をさらに強固にする**
田沼意次の権力基盤は、10代将軍徳川家治の信任に大きく依存していました。家治の死(1786年)が失脚の直接的なきっかけとなったことを考えると、家治の健康管理や後継者選びに積極的に関与し、家治の血統が途絶えないよう後押しすることが重要だったかもしれません。例えば、家治の嫡子である徳川家基が早世(1772年)した後、次の世継ぎ(徳川家斉)への移行がスムーズに進むよう、家治の存命中に後継体制を整える支援を強めることで、将軍家の代替わりによる影響を最小限に抑えられた可能性があります。
### 2. **天明の大飢饉への対策を強化する**
田沼時代は天明の大飢饉(1782年〜1788年)という未曾有の自然災害に見舞われ、農民の困窮や一揆・打ちこわしの頻発が政権への不満を高めました。この危機を乗り切るために、以下のような対策が考えられます:
- **備蓄と救済策の拡充**:幕府の財政を活用して米の備蓄を増やし、飢饉時に迅速に配給を行う体制を整える。
- **農村支援**:商業偏重の政策だけでなく、農民への減税や新田開発の成果を農村に還元する施策を打ち出す。
これにより、民衆の支持を維持し、政敵が「田沼の失政」と批判する材料を減らせたかもしれません。
### 3. **賄賂政治のイメージを払拭する**
田沼意次は賄賂政治の代名詞とされていますが、これは失脚後に政敵(特に松平定信)によって誇張された面もあります。しかし、天明年間に賄賂が公然と行われていたのも事実です。以下のような対応で汚職の印象を軽減できた可能性があります:
- **透明性の向上**:株仲間や冥加金の徴収に明確なルールを設け、私的な利益ではなく幕府財政への貢献であることを強調する。
- **縁故人事の抑制**:親族や側近を重用するのではなく、能力主義をより明確に打ち出し、譜代大名や保守層の反感を和らげる。
これにより、幕府内外の反田沼派の攻撃を弱められたかもしれません。
### 4. **政敵との関係改善**
松平定信や御三家などの譜代勢力は、田沼の出自(紀州藩足軽出身)や権力集中を快く思わず、失脚を画策しました。以下のようなアプローチで対立を緩和できた可能性があります:
- **妥協と協調**:定信らと政策面で妥協し、例えば商業政策と農業重視のバランスを取る姿勢を示す。
- **姻戚関係の活用**:田沼は姻戚関係で幕閣を固めましたが、これを逆に利用して政敵との同盟を模索する(例:定信の姻族と結びつきを作る)。
政敵との対立が和らげば、息子・意知の暗殺事件(1784年)や家治死後のクーデター的な失脚を防げた可能性があります。
### 5. **意知の安全確保と後継者育成**
嫡男・田沼意知の暗殺は、田沼の権勢衰退の大きな転換点でした。意知を守るために、以下が有効だったかもしれません:
- **警護の強化**:江戸城内での刃傷事件を防ぐため、意知の周囲に信頼できる護衛を配置する。
- **後継者の分散**:意知だけでなく、他の子や養子を育て、田沼家の権力基盤を一人の後継者に依存しない形にする。
意知が生き残れば、田沼の政策を継承する後ろ盾が残り、失脚後の家勢衰退も防げたかもしれません。
### 6. **自然災害への責任回避と広報戦略**
天明期の火山噴火���洪水などの自然災害は田沼の統治能力への批判を招きました。これに対抗するには:
- **責任の分散**:災害対応を地方大名や幕府全体の課題とし、田沼個人の失政と見なされないよう責任を分担する。
- **成果の宣伝**:経済発展や新田開発の成功を積極的に民衆にアピールし、災害の印象を上回る支持を獲得する。
これにより、失脚後の「田沼時代=暗黒時代」という悪評を軽減できた可能性があります。
### 結論
田沼意次が失脚を回避するには、将軍との関係強化、民衆の支持確保、賄賂政治のイメージ払拭、政敵との協調、後継者の安全確保、そして災害対策と広報戦略の改善が鍵だったと考えられます。ただし、彼の政策が革新的すぎたことや、時代の制約(封建体制や自然災害の規模)を考えると、すべてを完璧に実行するのは難しかったかもしれません。歴史的に見ても、田沼の失脚は外的要因(家治の死や天災)と内的要因(政敵の反発)の複合的な結果であり、完全に回避するのは困難だった可能性もあります。それでも、上記のような対策を取っていれば、少なくとも失脚のタイミングを遅らせ、田沼時代の影響力をさらに拡大できたかもしれません。
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後生の一大事
浄土真宗・中興の祖、蓮如上人(以下蓮師)はその「御文章」において「後生の一大事」という言葉を頻々とお使いになって、み教えを説かれている。この「後生」とは、現世とは異なる領域であって、「世間」に対する「出世間」ともいい、衆生の六道輪廻と阿弥陀仏の浄土救済の領域のことである。そこで蓮師は教える「いまも無常の風きたらんことをばしらぬ体にてすぎゆきて、後生をばかつてねがはず、ただ今生をばいつまでも生き延びんずるやうにこそおもひはんべれ、あさましといふもなほおろかなり」(4帖-2通)と。
蓮師の室町時代が過ぎて江戸・徳川時代に入り、徳川幕藩体制になると、儒教・国学・神道が盛んならしめられ、おしなべて現世そのものだけがもっぱら肯定され、後生という仏教的超越的領域が否定され無視されるようになった。たとえば山北幡挑(1748-1821)は「芦の代」において歌った「地獄無し、極楽も無し、我も無し、ただあるものは人と万物」。国学者・本居宣長(1730-1801)は「あるが儘が神の意志の現はれである」として、神に依頼する必要もなく、神在ると見る必要もないと考えて、宗教を否定するのであった。
このように蓮師の「後生の一大事」なる教説が圧殺されたのは徳川時代の265年にわたる儒教・国学・神道の活動によったのであり、我々浄土真宗の門���たる者は、このことに覚醒して、再び「後生の一大事」に気がつき、本願・名号・信心を頂くのでなければならない。
◎参考文献 津田左右吉「文学に現はれたる国民思想の研究」(岩波文庫1916)
和辻哲郎「日本倫理思想史」(岩波文庫 1951)
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三十六歌仙額



三十六歌仙額 山部赤人、小野小町、紀友則
以下に上のベージから一部を引用
三十六歌仙 山部赤人
三十六歌仙 小野小町
三十六歌仙 紀友則
時代 /江戸時代
所在地/和歌山市立博物館
所有者/玉津島神社
〔種別〕絵画
中世以来、和歌神として尊崇された玉津島神社には和歌に関するものをはじめとして優れた文化財が数多く伝えられています。三十六歌仙とは寛弘年間(1004~1011)のころに藤原公任が撰した『三十六人撰』の歌人(柿本人麻呂、山部赤人、紀貫之ほか)を指します。鎌倉時代以降、盛んに三十六歌仙の歌に各々の肖像を描いたものが製作され、室町時代以降は、玉津島神社の三十六歌仙額のような扁額に描くものが多く作られました。
本額は初代紀州藩主徳川頼宣の寄進によるもので、歌仙絵の絵師は紀州藩のお抱え絵師であった狩野興甫、詠歌は当時能書家として知られた京都の公家や門跡が筆を執り、詠歌筆者を示す付札は紀州藩の儒臣李梅渓が務めるなど、制作の経緯が詳細に判明する点で重要です。
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【読書感想文】
藤沢周平 『市塵』
幼少の頃より学問に非凡な才を見せた新井白石であったが、主家に恵まれず貧乏暮らし。幾度か主家を変えた後、小碌で仕えた甲府藩の藩主徳川綱豊がなんと将軍になった! 6代将軍家宣のもと、その才能を認められ幕政にたずさわるようになった白石は御側御用人・間部詮房とともに正徳の治とよばれる政治改革に着手する。家宣の信頼は厚く、白石の進言は多くいれられることになるが、既存の勢力から恨みを買うことに。。
時に悪役のように描かれることもありますが、自分の信念に基づき、世を変えようとした白石の戦いの物語。
家宣さん、そして家継くんがもう少し長生きだったら、どうなっていたでしょうね。。藤沢周平ということで、文学的表現がまた一味違った歴史小説にしてくれます。
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住めば気狂い花の都
たのしいおもいでも、つらいきおくも、ほろにがく反芻する。むさくるしく空虚な嘘の中心に足を運ぶ なんども。ざわつかせる世界もこの胸も、白い目で見る明けの明星の強さに趣を見つけるには 目障りな目的地を退去させよ ただ当たり前に等しい月出したその陽よ反逆せよ ここは住めば都 どんな街でも、現場は水嵩近く美術館にあり、賑わいを魅せるドブ川の繁華街を吹き抜ける いわゆる寄る辺なさとして雑魚寝している。空き地における楓の二重人格の処分は ロケーションも完璧なくせに誰も振り向かず、毎回あっけない幕切れで日記帳の片隅にひっそりと描かれるはずだ けれど魅惑的お化け屋敷に変わる、ように繰り返し冷静さを欠いた重力が蔓延する なら花鳥風月の、不透明な気分の大草原の演説にただ耳を澄まし不貞腐れる。そんな辛気臭いのかもしれない、ゆとりがない手を当て 肌に合わない型を破る、水平線にこだわる闇が言う、若葉だけがぐいと駆動するのだ 口直しする性交症と手相占いの話題が 経済的にも社会的にもなれない反面教師と頬を撫で、愛情表現も雲隠れの他界した奴隷と執着する美徳はどこか、達観した無言の大洪水を引き起こした、孤獨と滑舌を活版印刷する ここがホームタウン、影も形も魑魅魍魎、忘却曲線の最中にあり 裸足に対し厭う、見しらぬ惑星の領域に散らばる悪性は、塗装が剥がれレンズを向けてしまえば、木工の船を操る依頼者が小さく古いキッチンを跨いで、インチキめいたインスタントコーヒーと 深海魚の思春期と嗅ぎつけた、早朝のまな板の上にいったい 愛書暮らしのカルト集団みたいなときの消しゴムで、影響を漂白し投光する放課後の寄せ集め、ノアの方舟に宣って移行するバカ者共が童話みたいに 弔いの唄を焼却するにただ、あのときの菜の花が咲く河川は移ろい、暮れ泥む永久凍土は水増しされる途中にあり したがって朽木、炙り出しの挨拶の成功例は空腹のまま不明だった いまにして喉元すぎればとまぼろしと説明するひとさらいの。みなさん例えばとダンスホールの暑さが和らぐような 軌跡や停留所の影響を述べたら、たまり場的ジオパークの幕切れが用意されるという 小春日和のいちにちの 閑散を濃淡と騒めかせる、あてどもない作業風景の意味、代わり映え��しないくせにうってつけの出会い、その日を最期に嘲笑う おぞましいほど消耗品の日常はつとめてやわらかな圧着で大差なくひっついて、季節外れのながしかくに声を枯らして取り組まれる 無資格に目を盗んだ作用点の、波風だけが立つ、それが――野良犬でも飼い猫でも 〈ゆれて ゆれて、よこたえて ぶれておちる。〉 2022_5_18
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《メモ》袴田事件に関わった裁判官(敬称略) 【死刑判決】 ①静岡地判1968年9月11日死刑(石見勝四・高井吉夫・熊本典道) ②東京高判1976年5月18日控訴棄却(横川敏雄・柏井康夫・中西武夫) ③最2小判1980年11月19日上告棄却(宮崎梧一・栗本一夫・木下忠良・塚本重頼・鹽野宜慶) 【第1次再審請求】 ④静岡地決1994年8月8日請求棄却(鈴木勝利・伊東一広・内山梨枝子) ⑤東京高決2004年8月26日即時抗告棄却(安広文夫・小西秀宣・竹花俊徳) ⑥最2小決2008年3月24日特別抗告棄却(今井功・津野修・中川了滋・古田佑紀) 【第2次再審請求】 ⑦静岡地決2014年3月27日再審開始と死刑・拘置の執行停止を決定(村山浩昭・大村陽一・満田智彦) ⑧東京高決2018年6月11日原決定取消、再審請求棄却(大島隆明・菊池則明・林欣寛) ⑨最3小決2020年12月22日原決定取消、東京高裁に差戻し(林道晴・戸倉三郎・林景一・宮崎裕子・宇賀克也) ⑩東京高決2023年3月13日検察の抗告を棄却(大善文男・青沼潔・仁藤佳海) 【再審】 ⑪静岡地判2024年9月26日無罪判決!(國井恒志・益子元暢・谷田部峻)
Xユーザーの南野 森(MINAMINO Shigeru)さん:
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174 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2024/03/02(土) 20:21:37.65 stkg8zlk武田信玄て過大評価じゃね188 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2024/03/02(土) 20:25:50.72 QWjb1+rR>>.174織田家に上杉家との和平交渉を頼んでいる裏で戦を準備して織田、徳川軍に宣戦布告長篠戦後 勝頼は必死こいて織田家と和平を結ぼうとするんだが怒りの信長は話を受ける振りをして裏では戦を準備甲州征伐で一気に攻め滅ぼしてしまう本人的には一番いいタイミングで死んだよパールハーバーで勝った直後に病死してたら東条英機だって絶賛されてたはず209 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2024/03/02(土) 20:33:37.10 xgsRodLE信玄は愛人(♂)への謝罪の手紙がとても良い211 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2024/03/02(土) 20:35:05.80 800sp8V4>>.209あれは相手が高坂昌信だからネタになるんだよな219 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2024/03/02(土) 20:37:35.40 DwM50Vjp>>.211格闘家の高阪剛の先祖だし相撲も強かったらしいし浮気バレたら怖いよな
続・妄想的日常
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『20240302後記~パンスペルミア~』

パンスペルミア(panspermia )
地球の生命の起源は地球外から来たとする説。提唱された生命の「素」は、たとえば微生物の芽胞、DNAの鎖状のパーツやその一部、あるいはアミノ酸が組み合わさったものなどが挙げられる。「胚種広布説」「宇宙播種説」とも邦訳される。
このアルバムの構想自体は2019年冬ごろからからあり、2020年1月には自分達のターニングポイントとなるHigh fidelity vol.2を企画、そこからレコーディングに突入する予定にありそこへむけて着々と動いていた。

その矢先の緊急事態宣言。
2024/3/2
パンスペルミア先行販売リリースイベント
当日は多くの方々にお越しくださりありがとうございました。

自分達で企画しておいてゆうのもなんですが、本当にメモリアルな1日になりました。
フロアとステージを交互に音が行き交う設定で自分が思い描いた流れが想像以上の雰囲気で高まっていき。ほんとに7時間(!)あっという間でした。
自分は遊ぶに際して、わざわざ約束を取りつけるのがすごく苦手かつ長い時間一緒に居たいけどずっとは話したくないという面倒な質なのですが、同じ時間に同じ体験を共有するというのに1人でいることを許してくれるライブという空間がほんとに好いています。
バンドもライブも突き詰めていけば、誰かに会うためのツールや生活が豊かになるための手段のひとつだと思っているので、自分はこの日フロアにベタつきだったけど、どうやら点在的に誰かの再会の口実や出会いの場面が多かったらしく、おれがしたいのはそういうことなんだよなとしみじみと。
演者も聞き手も一緒にあの空間を頭からお尻まで作り上げ、景色を見れたことにほんとにバンドしててよかった。

ここに各バンドへの謝意を宣伝のヒトツマミを添えて
【Cujo】
凛平とはここ数年で仲良くなれて、当日はMCであんな嬉しいことをいってくれてなんといっていいのやら。
彼らは最近各サブスクリプション配信で
『廃坑みたいな』で2曲releaseしてます。
title fightライクなパワフルさにワビサビ入れて一辺倒な展開をしないひねくれ具合に聞き応え抜群です。私は前作の白書も大好きです。
【zoo】
道信ちゃんは紛う方なき天才なのですが、底抜けな音楽愛がソングライティングする曲に悉く漏れ出ててます。名曲2019のラストの節を聴く度に音楽が好きだという原点に戻してくれてありがとう。どこで見てもzooは最高なのですが個人的にはママツーで見るzooは���別なので3/23のりんちゃん企画はオススメです。

【BASEBALL PITCHER】
あんだけのメンツで組んどきながら小賢しくも結成1年という事実を振り回しながら各ライブでド肝を抜いていく彼ら。
とにかく曲を作るペースが尋常なくそれに比例してライブもバシバシやりまくってます。
先月サブスクリプションで3曲releaseしてそれもいいですがそれにしても『Let's go to the zoo』が早く聴きたい。
【How to draw A castle】
フロアでの佇まいやその音楽性が四国に存在することが奇跡みたいなバンド。デイヴグロール顔負けのさしみさんのドラムもフロント二人に引けをとらないし、そこに先日からベースが加入したことで極まってます。 この前運転中にCap'n Jazz聴きながら関連で流れきてこのバンドいいな~ってなったら彼らでした。このバンド知らないことがいつかモグリになるときくると思います。一見の価値あり。
【犬のやすらぎ】
今回の新譜“DOGS”を引っ提げてのツアーで来てくれた彼ら。昨年の高松で一緒にやってから是非ともまた会いたいなと思っていたから誘ったタイミングがよすぎました。カムバック高松。
表題曲の“dogs”が勢いそのままにかなり多くの人に届いていっているな…という空気感を曲始まりに感じました。佐賀という土地にまた憧れが増えました。また一緒にやりたいね。
【alligator13foot 】
title/イチマル、BASEBALL PITCHER/純くん、alligator13foot/崎川とおれで香西オルタナティブを標榜(近所で飲んでるだけ)してますがこの日にそのメンバーでイベント一緒に出れたのはかなりグッときてます。
先日レコーディング終わりで脂ノリノリのライブでしたし、この前飲みながら彼らがMixing中の音源聴きましたがとても良かったので近日の要チェックしておいてほしいものです。
【the circus】
徳大の音楽ホールでライブをしてた頃からの旧知の仲だけど久しぶりのライブとかいいつつも曲も演奏も昔よりも洗練されてて背筋伸びました。ここ数年はずっとレコーディングワークを実直にしてて、帰り際に前作と比べ物にならない出来だとあのフジオカ氏が言っていたのではやく聞ける日がくるのを楽しみにしてる。
【HumanDogs】
ツーステージ構想が出た時にまず彼らとHow to draw A castle はいの一番にフロアに位置付けてましたがそれはあまりにも大正解でした。引っ提げて来たEP“Kananashi-city ”はハードボイルドかつ異物感があってさながら大友 克洋の世界に1人で放り出されたような質感があり。音楽を別の媒体で形容するのは失礼と感じつつも世界観に引き込んで虚と実の違和感を取り払うのがセンスの賜物と思ってるので奏が作る曲のそこに一番惹かれてます。月末に渾身の企画があるのでみんなチェックしましょう。

【デュビア80000cc】
Make The Pancake の矢野くんやデュビアのタイチくんたちが首謀する『POINT』に単身遊びにいったのは2022年のこと。
全バンドのベストアクトに胸打たれ“来世は九州”と心に思いながらも小雨の中で見た彼らのライブには細胞が逆立つ感覚があり絶対にいつの日か高松に来てほしいと思ってました。当日は音源無かったですが、サブスクもありますし、年明けのユウレカ(徳島)のリリースも記憶に新しいDeaf touch recordsからのコンピもヤバしです。
MITOHOS Vより
【title】
平岡は酒で潰れないようにとこの出順にしてくれたと宣っていましたが、自分達の前に繋いでくれるバンドはこの日は彼らにお願いしたいという気持ちの順番でした。各々の美的感覚とプレイへのストイックさの果てに産み出された『ただ夜は疲れて眠りたい』の一節、悔しい程にお見事。3/23に同じくりんちゃん企画で岡山行くそうなので是非とも。
当日のライブの模様はTom(Gremlin)がX(旧Twitter)にあげてくれてます。

↑このviewの文字押したら飛べるぽい
出来る男。thx
人のライブや表現の一片を見てると模倣なんてものでもなく、今まで自分の中で溜め込んでいた何かが発露するように曲の萌芽になる瞬間がある
ローカルとか地方とかいう言葉を自分はあんまし好きくないけど、一番グッとくるのはその土地土地、コミュニティの文脈をオルタナティブという自己勝手な解釈で訳した表現に直面した時。
自分が香川で音楽するにあたっても身の回りの人からの刺激だったり、普段生きてたら誰も知られないまま忘れられるような感覚や記憶をその人たちが曲にしてくれたものに刺激を受けて自分がバンドを出来ているなという場面が増えてきた。
オルタナティブって外来由来の瞬間をどこまで出鱈目にないまぜにするか。
年々萎んでいく他者への興味、自己への陶酔感。
自分にとってのオルタナティブはそこを掬い上げ自分の可能性を広げてくれるもの。
自信はありましたが先行販売で手にした信頼できる多くの方々から嬉しい言葉貰ってて一安心してます。
2024/3/10現在
取り扱いをしてくださるレコード販売店様、distro様は以下です。
disk UNION様
LONG PARTY RECORDS様
focus distro様
これからまだ取り扱いをして下さる販売店様も増えていく予定です。
ライブも各地友達や色んな方々にお世話になりながら直で手渡しできる機会を用意してもらってます。
僕らもだれかの出鱈目な文脈の一説になりたい。
それに幾ばくか近づく作品になりました。
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1940年~1941年頃(真珠湾攻撃より以前)の、日本のマスコミや著述家、文化人等の、「政治家と軍人以外」の人々の発言や出版物などで、戦争に関連したものを、できるだけたくさん教えてください。
1940年~1941年頃(真珠湾攻撃以前)の日本におけるマスコミ、著述家、文化人(政治家・軍人以外)の戦争関連の発言や出版物について、できるだけ多くの情報を簡潔にまとめます。この時期は日中戦争が進行中で、国内では軍国主義が高揚し、マスメディアや文化人の言論も検閲(新聞紙法など)により統制されていた背景があります()。以下は、入手可能な情報に基づく具体例と概要です。
マスコミ(新聞・雑誌)の戦争関連報道・発言 この時期、メディアは軍や政府の検閲下にあり、戦争支持や国策協力の論調が主流でした。ただし、一部で批判やニュートラルな視点も見られます。
新聞報道(一般論調): 朝日新聞・読売新聞:1930年代後半から軍部への批判は減少し、日中戦争や「大東亜共栄圏」の正当性を強調する記事が増加。1940年の日独伊三国同��()や対米英関係の緊張を報じつつ、国民の戦意高揚を促す論調が目立つ。 例:1940年の日独伊三国同盟調印(9月27日)後、新聞各紙は「新世界秩序」の構築を称賛し、軍事協力の必要性を強調(例:朝日新聞の社説)。 ロンドン軍縮会議(1930年)の余波:1940年時点でも、軍縮反対の論調が続き、軍事力強化を支持する記事が多かった()。 雑誌『中央公論』『改造』: 1940~41年、知識人や文化人の寄稿を通じて戦争支持やアジア進出の正当性を議論。『中央公論』は大東亜共栄圏の理念を補強する特集を組む一方、穏健な意見も一部掲載。 例:『中央公論』1940年号で、経済学者や評論家が「アジアの解放」をテーマに寄稿。ただし、検閲により反戦的な内容はほぼ排除。 地方新聞: 長崎の新聞記者、宮本フ左の父の日記(1936~1945年)には、1941年に「バケモン船」(戦艦武蔵)を目撃したエピソードが記録。軍の秘密主義や検閲の影響が伺える()。 回覧板(地域メディア): 1941年の伊東市・湯川地区の回覧板には、配給統制(砂糖、もち米、衛生脱脂綿など)の情報が記載。戦争協力への動員や生活統制の実態が反映()。
著述家・文化人の発言・出版物 文化人や著述家の多くは、軍国主義の圧力下で戦争支持を表明するか、沈黙を選んだ。ただし、一部は間接的に戦争の影響や社会状況を描写。
火野葦平(作家): 作品:『兵隊三部作』(『麦と兵隊』1938年、『土と兵隊』1939年、『花と兵隊』1940年) 内容:日中戦争に従軍した経験を基に、兵士の日常や苦悩を描く。戦争を美化する傾向はあるが、兵士の人間性を強調し、国民の戦意高揚に寄与()。 特徴:1940年の『花と兵隊』は、戦場の現実を部分的に描写しつつ、軍事的使命感を肯定。 菊池寛(作家・編集者): 作品:『満鉄外史』(1940年) 内容:満州鉄道の歴史を通じて、日本の満州進出を正当化。経済的・戦略的意義を強調し、戦争支持の論調()。 影響:文藝春秋社主として、戦争協力的な出版活動を展開。 徳冨蘆花(作家): 作品:『不如帰』(1898~99年、1940年代にも再評価) 内容:日清戦争を背景にした小説だが、1940年頃に再版され、戦争文学として再注目。愛国心と犠牲を美化する文脈で利用された()。 武者小路実篤(作家): 作品:『或る青年の夢』(1940年頃に再評価) 内容:理想主義的な若者の葛藤を描くが、戦時下では「国家への奉仕」として解釈され、戦争協力の文脈で引用された()。 金原まさ子(一般市民、育児日記): 記録:1940年に娘の成長を綴った育児日記。戦時下の生活(防空訓練、配給統制)を記録し、戦争の影響が日常に浸透していたことを示す。東京大空襲前に疎開し、日記を保存()。 意義:文化人ではないが、市民の視点から戦時下の社会を記録。
その他の文化人の動向 知識人・評論家: 1940~41年、大東亜共栄圏や日独伊三国同盟を支持する論説が主流。例:経済学者・高橋亀吉は、経済的自給自足の必要性を論じ、戦争を間接的に正当化。 一方で、反戦的・リベラルな知識人(例:清沢洌)は検閲により発言が制限され、沈黙を強いられた。 芸術家・映画監督: 映画界では、戦争協力映画が増加。例:1940年の『燃ゆる大空』(東宝)は、航空戦の英雄的イメージを強調し、国民の戦意高揚を狙う。 文化人として活動した映画監督(例:溝口健二)は、検閲下で戦争テーマの作品制作を強いられた。
背景と特徴 検閲の影響: 1909年の新聞紙法強化以降、1940~41年は検閲が厳格化。反戦的発言や政府批判は処罰対象となり、マスコミや文化人の自由な発言はほぼ不可能()。 例:反体制派の宮武外骨は、戦前から度々検閲や処罰を受け、1940年頃は活動が制限。 戦争協力の圧力: メディアや文化人は「国民精神総動員運動」(1937年~)や「大東亜共栄圏」のスローガンに沿った発言・作品を求められた。戦争反対の声は公に発しづらく、黙認か協力が主流()。 市民の記録: 一般市民の日記(例:宮本フ左の父、金原まさ子)や回覧板は、戦争協力や配給統制の日常を記録。文化人以外でも、戦争が生活に深く影響していた()。
具体例のまとめ
人物/媒体 発言・出版物 内容・特徴 出典 朝日新聞・読売新聞 社説・記事(1940~41年) 日独伊三国同盟や大東亜共栄圏を支持。戦意高揚を促進。 中央公論 特集記事(1940年号) アジア進出の正当化、経済的議論。穏健意見も一部。 - 宮本フ左の父 日記(1941年) 戦艦武蔵(バケモン船)の目撃記録。軍の秘密主義を反映。 火野葦平 『花と兵隊』(1940年) 日中戦争の兵士の人間性を描く。戦争美化の側面も。 菊池寛 『満鉄外史』(1940年) 満州進出の正当化。経済・戦略的意義を強調。 徳冨蘆花 『不如帰』(再版) 愛国心・犠牲の美化として戦時下で利用。 武者小路実篤 『或る青年の夢』 国家奉仕の文脈で再評価。理想主義を戦争に結びつけ。 金原まさ子 育児日記(1940年) 防空訓練や配給統制の記録。市民の戦時生活を反映。 映画『燃ゆる大空』 東宝映画(1940年) 航空戦の英雄的イメージで戦意高揚を狙う。 -
注意点と限界 資料の制約:1940~41年の具体的な発言や出版物は、検閲により反戦的視点が少なく、戦争支持や中立的な内容が中心。詳細な記録は散逸や制限により限定的。 文化人の沈黙:多くの文化人は検閲や社会圧力で発言を控え、戦争関連の明確な発言が少ない。 市民の視点:一般市民の日記や回覧板は、文化人以外による貴重な記録として、戦時下の社会状況を補足。 結論 1940~41年の日本では、検閲と軍国主義の圧力下で、マスコミ(朝日新聞、中央公論など)は戦争支持や大東亜共栄圏の宣伝に協力。火野葦平や菊池寛などの作家は、戦争を直接・間接的に肯定する作品を発表し、国民の戦意高揚に寄与。一方、市民の日記(宮本フ左の父、金原まさ子)や回覧板は、戦争が日常に浸透していたことを示します。反戦的発言は検閲によりほぼ見られず、戦争協力が主流でした。
特定の人物や作品についてさらに詳しく知りたい場合、または他の視点(例:反戦的動きの有無)を深掘りしたい場合は、教えてください!
25 件のウェブページ
8.9秒
Grokにもっと深く検索するように頼む Grokはどのようにお手伝いできますか?
DeepSearch
Think
Grok 3
ChatGPT said:
1940年から1941年の日本において、政治家や軍人以外のマスコミ、著述家、文化人たちは、戦争に関して多様な発言や出版活動を行っていました。以下に、当時の主な動向や具体的な事例を挙げてご紹介します。
📰 マスコミの動向
この時期、日本の新聞や雑誌は政府の情報統制や検閲の影響を受けつつも、戦争に関連する報道や論評を行っていました。一部の報道機関は戦意高揚を目的とした記事を掲載し、国民の戦争協力を促す役割を果たしました。また、戦争の進展や国際情勢に関する情報提供も行われていました。
✍️ 著述家・文化人の発言や出版物
横光利一(作家)
横光利一は、1940年に「文芸銃後運動」を組織し、戦争協力を呼びかける活動を展開しました。また、1941年12月8日の真珠湾攻撃直後には、日記に「堅信自己祖先是神明的日本民族取得了勝利!」と記し、戦争を肯定的に捉えていました。1942年には、特攻隊員を称える詩「軍神賦」を発表し、戦争を讃える文学作品を発表しました。 ウィキペディア+1ナビ Mule+1
竹内好(中国文学者)
竹内好は、1941年12月11日の日記に「支那事変は今度こそは立派に生きた。...これを民族解放の戦争に導くのが我々の責務である」と記し、戦争をアジアの民族解放と結びつけて肯定的に捉えていました。また、1942年1月発行の『中国文学』誌に「大東亜戦争と吾等の決意(宣言)」を掲載し、戦争への協力を表明しました。 Takeuchi Yoshimi
鈴木大拙(仏教学者)
鈴木大拙は、1941年8月8日付の書簡で「日本は此戦役で破滅に瀕する危機を味ふにきまつて居る」と述べ、戦争の行く末に対する懸念を示していました。また、「宗教的信念なきものに、国事を托するの危険は歴史の証明するところ」と記し、宗教的・倫理的な視点から戦争を批判的に捉えていました。 ナビ Mule
📚 戦争関連の出版物
この時期、多くの戦争関連書籍が出版されました。例えば、『戦争文化叢書』には、高嶋辰彦『日本百年戦争宣言』、清水宣雄『植民地解放論』、志田延義『八紘一宇』など、戦争を正当化し、国民の戦意を高揚させる内容の書籍が含まれていました。これらの出版物は、政府の戦争政策を支持し、国民の戦争協力を促す役割を果たしていました。 note(ノート)+1ウィキペディア+1
🧾 まとめ
1940年から1941年の日本において、マスコミや著述家、文化人たちは、戦争に対して多様な立場を取りました。一部は戦争を肯定し、協力を呼びかける活動や出版を行いましたが、他方で戦争に対する懸念や批判的��見解を示す者も存在しました。これらの発言や出版物は、当時の日本社会における戦争への多様な反応を示す貴重な資料となっています。
さらに詳しい情報や特定の人物・出版物に関する詳細をご希望の場合は、お知らせください。可能な限りお手伝いいたします。
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📸和歌山城 西之丸庭園(紅葉渓庭園)[ 和歌山県和歌山市 ] ② Wakayama Castle Nishinomaru Garden, Wakayama ーー紀州徳川家の祖 #徳川頼宣 が自らの隠居所に作庭した大名庭園。武将茶人 #上田宗箇 による作庭説も? #国指定名勝 。 ...... 続き。お城🏯の堀ほどの深さのあるすり鉢のような急斜面の地形を巧みに活かした池泉回遊式庭園。 頼宣が西の丸御殿を造営して以来、和歌山城の西之丸は藩主が数寄や風雅を楽しむ場所――要はパーティー空間。🍵🕺 . 徳川頼宣は表千家の四代目・千江岑宗左を“御数寄屋頭”として藩に召し仕え茶会を楽しみ、十代目藩主 #徳川治宝 もまた茶道に造詣深く“数寄の殿様”と呼ばれたとか。 . 庭園内の上段部にかつて存在した茶室“水月軒”と“聴松閣”、そして“御数寄屋”は現存しませんが、内堀にせり出すように浮かぶ“鳶魚閣”(えんぎょかく)はかつての面影を今に伝える。 . 大名の城郭内に作庭された庭園の中でも“屈指の名園”と評されたこの庭園も明治維新以後は荒廃(和歌山城は太平洋戦争で空襲の被害にも遭い、旧国宝の天守閣を焼失)。 昭和の中頃、1970年代に昭和の庭園研究の大家 #森蘊 さんにより3年の歳月をかけて復元整備。2006年(平成18年)にはその時の発掘調査や江戸時代の絵図を元に西之丸と二の丸を繋ぐ“御橋廊下”も復元され今日に至ります。 続く。 ・・・・・・・・ 🔗おにわさん紹介記事: https://oniwa.garden/wakayama-castle-nishinomaru-garden-%E5%92%8C%E6%AD%8C%E5%B1%B1%E5%9F%8E%E8%A5%BF%E4%B9%8B%E4%B8%B8%E5%BA%AD%E5%9C%92/ ーーーーーーーー #japanesegarden #japanesegardens #jardinjaponais #japanischergarten #jardinjapones #jardimjapones #японскийсад #japanarchitecture #japanesearchitecture #japancastle #日本庭園 #庭園 #庭院 #庭园 #大名庭園 #文化財庭園 #和歌山 #おにわさん #oniwasan (和歌山城) https://www.instagram.com/p/CQ7UM0gMMcj/?utm_medium=tumblr
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note-3(2023年1月30日)
受けようと思っていた大学院の教授がちょうど今年から別のところに行ってしまう、ということを試験一週間前くらいに知って、モチベーションが下がっている。それでも、その先生がいなくても、自分の研究したいことはその大学でできるから、と思ってまた勉強をしたりもしたけれど、その先生は東京の私立大学に移るみたいだから、それなら自分もそこを受けたかったな、と思う。でも、一瞬、そのことを知った時にわりと受験がどうでもよくなって、無職でもフリーターでも大学院生でも何でもいい、と思ったけど、少しだけ頑張ってみようと思う(自分の文章を読み返すと、「思」ってばかりで嫌だ、嫌だ、と感じる)。 *** 三条河原町のマツモトキヨシでブロン(84錠)とクリーム玄米ブランとリポビタンDを買ったら、「濫用可能性がある薬物について」みたいな文字が書かれた大きなシートを出されて、「成人してますか?」「はい」「こちら、飲まれたことはありますか?」「はい「症状は何ですか」「咳です」というやり取りをしていた。外では、全学連の人間が「アメリカが…中国が…戦争を止めよう…」と街頭宣伝をしていて、その声がマツモトキヨシの中にも響き渡っていた。 *** 宇佐美りんの『推し、燃ゆ』を読んだ。 一応、褒めようと思えばいくらでも褒めることができる。まず、『推し、燃ゆ』というタイトル自体、かなり絶妙で、ほとんど完璧といってもいいくらいだし、「推しが燃えた。ファンを殴ったらしい。まだ詳細は何ひとつわかっていない。」という書きだしも、文句のつけようがない。 あと、優れていると思った表現として、学校での水泳の授業のときの、 〈入ってしまえば気にならないのに、タイルの上を流れてくる水はどこかぬるついている気がする。垢や日焼け止めなどではなく、もっと抽象的な、肉、のようなものが水に溶けだしている〉
というのはほんとうに上手い、と思った(表現としてよいだけじゃなくて、作品自体の、誰かを「推す」ことによって自分自身の肉体の重さのようなものから逃れ���浮上しようとする、というテーマとも結びついている)。情景描写として、100点満点なんじゃないかと思う。 〈成美はリアルでもデジタルでも同じようにしゃべる。ふたつの大きな目と困り眉に豊かに悲しみをたたえる成美の顔を見て、あたしはよく似た絵文字があるなと思いながら「駄目そう」と言う〉
という描写も優れていると思う。インターネット時代の人物描写としてお手本みたい。あと、「来てて偉い」が一瞬、「生きてて偉い」に聞こえるという描写も現代という時代をちょうどよく表していて、その辺りが芥川賞受賞作らしい と、間違いなく「上手い」作品だけど、個人的にはそれほど好みの作品ではなくて、いくらか物足りなさがある。バランスがよすぎるし、よくできすぎていると感じるし、そもそも芥川賞が求めているものと、自分が欲望しているものが噛み合っていない(そのわりに、褒めようと思えばいくらでも褒められてしまうのが作品の強度なのかもしれない)。 「推し」という文化から自分は自分にとってなじみ深い、というほど近いものではないけれど、性的でない、そして距離があって一方的という意味ではすごく現代的で、新しい「関係」の形なのかもしれない、と思う。ただ、一方では『推し、燃ゆ』における「推し」とは天皇のメタファーである、という話題とか、偶像としてのアイドルとか、歴史的な連続性もまたあって、反復されたテーマでもある。でも、それでもそこに「推し」という言葉を与えて、現代を描き切ったのは紛れもない実力を感じる。 *** ドゥルーズによれば、思考とは知を愛すること、つまり愛知(フィロソフィー)から始まるのではなくて、むしろ嫌知から始まる。外部から侵入する暴力的なシーニュとの出会いによって、考えるように強制されることでしか、人は思考なんてしない。何かに強いられて考えるし、何かに強いられて哲学をする。でも、それだと、シーニュに出会わない人間は考えることができないわけだけど、シーニュとはつまり私たちを揺らがせるものだから、その揺らぎを排除するのではなく、揺らぎを保ち続けることによって、シーニュと出会うことができる、のかもしれないと思った。 *** *** スピノザがドゥルーズに与えた影響というのは、身体力能を低下させ、「なしうること」をより少なくする(制限する)ものとしての「道徳」に対する批判であり、身体力能の増大(より多くのことをなしうること)を目指すものとしての「倫理」の肯定。 「おまえはこの木の実を食べてはいけない……」とアダムが言われたとき、アダムはそれを道徳的な禁止として受け取るけれど、そこで言われているのは本来、その木の実がアダムの身体にとって毒になるということでしかない。にも関わらず、人々はそれを道徳的な「わるい」として受け取る。本来、この世界には「善」も「悪」もなく、ただ組み合わせに基づいて相性の「いい」「わるい」だけがあるだけ。 〈よさ〉とは活力、力能の問題であり、私たちをより多くのことをなしうるような出会いはよく、私たちがより少ないことをなしうるような出会いは、〈わるい〉。その意味で、道徳的な法とは、私たちの身体がなしうることを減少させるものでしかなく、求められるのはスピノザ的な身体力能の増大と唯物論的な〈出会い〉の倫理。 その意味で、スピノザには「生」の哲学がある。文字通り、それはこの私たちを生から切り離すいっさいのものを、私たちの意識の制約や錯覚と結びついて生に敵対するいっさいの超越的価値を告発する。 出会いによる触発(アフェクチオ)と力能(ポテンチア)の増大。 「私たちの生は、善悪、功罪や、罪とその贖いといった概念によって毒されている」(『スピノザ 実践の哲学』p49) 「道徳的世界観は、生きる上では無用であるばかりでなく、生きることを否定し続けている。心をめぐってお喋りを続け、悲しみを利用してお喋りを続け、悲しみを利用して小銭を稼ぎ、道徳支配を強めるばかりで、多様な生を肯定して、多様な生を信頼することができないのだ。どうして、もっと単純に、もっと晴朗に、一切の生を祝福することができないのであろうか」(『ドゥルーズの哲学 生命・自然・未来のために』) *** 校長先生の話はつまらない、というクリシェがあるけれど、数百人の生徒に向けて「校長先生」として話すのではなく、個人として話すのならそれなりに面白い話もあるんじゃないかな、と思うことがある。基本的に話というのは一般的であると面白くなくて、何かしらの特異性が含まれていないと面白くないのだけど、「校長先生としてスピーチする」という状況は「一般的な」話をすることを強いる。それは政治家の話がつまらないのも似たところがあって、一般的なことしか話せないから。 そして、自分ももしそういう立場に立たされたのなら一般的なことばかりを喋ってしまうのだろう、とは思うけれど、どこかで一般的ではなくて特殊な、具体的で特異的なことを言いたいと思う。
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