#新長田アートマフィア
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恩に報いるロールキャベツ男子! 西崎 宣弘さん
(株式会社ホームセンターアグロ 駒ヶ林事業部リニューアル準備室)
新長田の駒ヶ林にあるアグロガーデン神戸駒ヶ林店にて、地域とホームセンターを繋ぐ役割を担い、積極的にまちの事業に��わっておられる西崎 宣弘さんにお話を聞きました。(2018年9月25日にインタビュー)
今秋11月18月(日)~ 11月25日(日)に、新長田の各所にてアーティストが作品展示する新長田アートマフィア「藝賭せ開き」スペシャルエディション!これから数回にわたって、NAGATAfolioも参戦する「藝賭せ」で拠点を開放してくださる新長田アートマフィアの組員の方にインタビューを行います。
第1回は、私たちNAGATAfolioが展示を行うアグロガーデン神戸駒ヶ林店の西崎さん。インタビュアー2人が若干ぐったりするほどネタが尽きず、お酒を一滴も飲まずに話し続ける姿に、途中から「もういいかな」と食べることに集中してしまいましたが、今までにないくらい赤裸々でプライベートな内容のインタビューになりました。

小さい頃はどんな子供でしたか。
愛知県の豊橋出身なんですよ。よく外で遊んでる、ワンパクな子供でした。あんまり想像できないですよね?(笑)幼稚園ではサッカーやってて、小学校ではサッカーと野球やってて。キャプテン翼世代なんで、卒業文集でサッカーの日本代表になるって書いてました。もちろんなれませんでしたけど(笑) 学校では、学級委員とか生徒会とかやってましたよ。中学校とかめっちゃマンモス校だったんですけどね、13クラス×3学年で全校生徒1500人みたいな。でも、人の気持ちを考えないヤツだったんですよね~。女の子を泣かして先生によく怒られてました。 あと、わりとおばあちゃん子でした。父は仕事で忙しくて、母は出不精だったので。兄とおばあちゃんと沖縄や箱根に旅行に行ってましたね。
子供の頃の夢は何でしたか。
中学生の時に、弁護士になりたいって思ってました。その頃に母が「弁護士ペリーメイスン」っていう海外ドラマ見てて。憧れたんですよね~かっこいいし、儲か��し。で、大学で法学部に行かなきゃって思って、高校も文系のとこに行って。第一志望は北海道の大学でした。女の子が合格したら遊びに行くよって言ってくれたので(笑)一人で受験パックを使って受けに行きましたよ。結果、落ちたんですけどね。後期で岡山の大学に合格しました。

どんな大学生活だったのですか。
大学に入ってからは、遊んでましたね~。母が教育熱心で、父も母も兄もみんな高校で進学校だったんですよ。自分だけその高校に落ちて、その分大学で見返してやろうと。父が、大学入ったら車買ってくれるって言ってくれてたので、大学入ってすぐの夏休みに免許取って、車買ってもらって、そこから車の改造にのめり込んで。夜な夜な山に走りに行ってました。あとは、サッカーのサークルに入って麻雀。1・2年の時は学校に全然行かなくて、3年でヤバいと気づいて単位取りに行き出して。法学部は卒業論文書かなくていいので、4年の前期は就活して、後期で48単位取ったんですよ。でも4年だとさすがに同期とか授業に出ていないので代返とかノート貸してもらったりとかできなくて。大変でした~。
どんな恋愛をしてきましたか。
中学の時に、告白してはことごとくフラれ、中学3年で初めて彼女が出来たんですけど、1週間で破局しました。なんかホントにね、人の気持ちを考えられない人間だったんですよね~。クラスでイイ感じの女の子がいたんですけど、今でいう空気が読めない発言をしてその子を泣かしてしまい結局上手くいかず。初めて付き合って1週間で破局した子とは、体育祭の日に付き合って、1週間後が彼女の誕生日で、プレゼントにオルゴールを準備して、部活終わるのを待ってたのに、彼女の友達が来て「別れるって」って言われてフラれました。どうやら友達からアイツはやめとけって言われてたみたい。そのオルゴール、家の窓から投げ捨てたんですけど、家の前が交番で、エライことになりました(笑)

奥さまとの馴れ初めを教えてください。
大学卒業して就職したブランド品販売の会社に勤めていた時に、奈良に新店をオープンするから手伝ってこいって言われて。そこで初めて出会いました。でもそこには2週間ほどしかいなくて、妻とは特に何もなかったんですけど、別の彼女が出来ました(笑)その後、転勤で長崎に行って山口行って広島行って大阪に帰ってきたときに、ちょうど奈良の店が閉店することになって、お店のスタッフは大阪のお店に勤務することになって。そこで再会しました。そこで良い感じになったんですけど、その会社の社長が変わるってなって、それならここで働き続ける理由ないなと思って愛知に帰って兄の事業を手伝うことにしたんですけど、愛知に帰ったら会えないな、イヤやなって思ったんですよね。1週間考えてやっぱり会えないのは嫌やと思ったんで、「結婚してください」って言いました。急な話だったので断られるやろなと思ってたんですが、1週間後にOKもらって。すぐに妻のご両親に挨拶に行き、とてもビックリされましたけど、外面がいいのですぐ気に入られましたよ(笑) もう結婚して12年。今はそのご両親とも一緒に住んでいます。
何度か転職されていますが、ホームセンターアグロに入社したきっかけは?
今、奈良に住んでいるのは妻の実家があるからなんですけど、結婚して東京に住んで、その後神戸に引っ越して、また埼玉に引っ越して。その頃に東日本大震災があって、関西に戻ろうってなったんです。その時に妻が、もう奈良から動きたくないって。あちこち引っ越してましたからね。で、転職活動していたんですけど、東京に比べると、大阪は企業の募集数が少なくて難儀してました。その時に、以前から面識があった株式会社ホームセンターアグロの安黒常務から、新規事業のアグロモバイルを手伝ってほしいと声をかけて頂いて。助かりましたね。常務にはすごく恩を感じています。ですので、常務のやりたいことを実現するために少しでも力になりたいと思ってます。

今はホームセンターアグロで地域担当をされていますが。
地域一番店とか、地域密着とか言ってても、それがどういう状態を指すのか?ってなかなか答えられないと思うんですよ。でもそこは明確に答えられるようにしたいなと。そう考えると、かたちだけの協賛とかってあんまり意味ないと思うんです。もっと地域に入り込んで、顔を覚えてもらって、何が地域にとって一番いいのかをちゃんと知ってやっていかないと。なので、直接アグロと関係ないようなところにも顔を出したり、関わったりしてます。でも、そういう地域の仕事やいろんなことがすべて繋がって大きくなるんですよね。ホームセンターは小売業ですけど、売るってことを変えていきたい。変えていかないといけないと思ってます。場づくりというか。それが最終的に「アグロさんに買いに行こか」ってことになると思うんですよ。だから、顔も知恵も出していかないと。
新長田アートマフィアに入られたのはなぜですか。
下町芸術祭の1回目から関わってたからですね。気付いたら巻き込まれてました(笑)���最初は、芸術と長田が結びつかなかったですし、そもそもアートってわからないし。でも、アーティストの考え方って勉強になるなと。ものを作るっていうことと、ホームセンターは繋がりますしね。 藝賭せ���やる効果、みたいなのはそこまでしっかり考えてないですが、とにかくみんなでやるのが楽しいなってことですね。願わくば、若い人だけでなく、上の世代の人にも関わってほしいし楽しんでほしいです。そのために心がけているのはバランスですね。

新長田をどんな風にしていきたいですか。
昔は活気があったという、その活気を取り戻したいですね。このあたりの人ってやっぱり震災から起ち上がった人たちなので、すごいバイタリティあるじゃないですか。おもしろいし、やさしいし。僕は奈良住まいだし、そこまでまち自体に思い入れはないんですけど、まちにいる人たちに良くしてもらっているから、恩を感じてるので。人がいっぱい来てほしい。それを地域と企業と行政で協力してやっていきたいですね。
西崎宣弘さんに会うためにはここへ
ホームセンターアグロ神戸駒ヶ林店 神戸市長田区南駒栄町1-7
https://bit.ly/2RXZKBW
DIYグッズはもちろんのこと、新鮮な地場野菜から温泉まであります! 藝睹せ開きでは、私たちNAGATAfolioが展示を行いますのでぜひお越しください。

インタビュー会場は新長田で唯一、長田港で水揚げされた魚が食べれる和食居酒屋さん
季楽魚処 清本の店 神戸市長田区二葉町8-1-1
https://bit.ly/2QT9T1g
今日長田港で揚がった魚は何ですか?とぜひ聞いてみてください。ステキなラインナップで取り揃えてある地酒もオススメ!

2018年11月18日(日)~ 11月25日(日)は藝賭せ開き!
新長田アートマフィア「藝賭せ」
https://bit.ly/2J6I8zu
音楽、ダンス、展示など、さまざまなアート作品が並びます。この機会にぜひ、新長田へお越しください。

#長田#新長田#ホームセンターアグロ#駒ヶ林#アグロガーデン#ホームセンター#新長田アートマフィア#藝賭せ開き#藝賭せ#安黒常務#アグロモバイル#地域一番店#地域密着#小売業#下町芸術祭#アーティスト#DIY#清本の店#長田港
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[挨拶文]こんにちは、共生社会
「銭湯のように。」
年齢、性別、国籍、障がいのあるなしなど、
ひとそれぞれが違います。
銭湯は、ひとつの場所にいろんなひとが集まり、
服を脱ぎ、ふたつとして同じものはない身体を洗います。
このプロジェクトでは、銭湯のように、違いをこえて、いろんなひとが集まる場所をつくりたいです。
そして、いろんなひとの間に、文化や芸術があることで、
新しい出会いと会話が生まれることに期待します。
今年度は、「こんにちは!共生社会」のスタート、土台づくりからはじまります。次の5つのプログラムを行います。
1.キックオフ・ミーティング featuring 新長田アートマフィア
2.公開講座
3.ワークショップ
4.公演やイベント
5.ウェブサイトでの記録
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[写真ドキュメント] 新長田で“共生”について考える 現在→これから

オープニング・パフォーマンス




オープニング・パフォーマンスとして、新長田を拠点に活動する、さまざまな属性の人たちからなる「新長田アートマフィアダンス部」が登場。リアルなマフィア顔負けのコワモテぶりを見せつつ、迫力あるステージを熱演。話を聞くだけのつもりで集まっていた観客の度肝をぬくとともに、この場所が劇場であることを再確認。しっかりと場を温めてのスタートとなった。
第1部:新長田で<障がい者>と共に歩む活動から 登壇:中元俊介(エコールKOBE)、吉川史浩(Water Ground Mountain)、川本尚美(片山工房)、小國陽佑(芸法) 進行:文(DANCE BOX)






第1部から第4部までのミーティングでは、十分には機能はしなかったものの、話された言葉を音声認識して表示するUDトークを使って、対談の内容がその場で舞台上に投影された。また、新長田アートマフィアのメンバーによって、ミーティングで話されたトピック、キーワードがその場で収拾された。
抽出されたキーワード: 障がい者とアート/アート×障がいは相性が良い? アートは同じ土俵で活動できる アートは人と違うことが高評価 障がいのあるないは活動の次の話 社会のルールが障がいを生んでいる アートを見た時の感動は非日常 アートを通じて生活環境をどうしていくか 人生の楽しみにアートがある、それはみんな共通 頭でっかちに障がい者という視点があったがそうではない 片山工房に行ってみたくて一人で電車に乗ってみた 全員が一緒にならなくてよい、時間軸をずらししてできることをやる 近づきすぎない協働 長田らしさ 長田の寛容さが良い。「決まったら呼んで」 補い合っていくのが長田らしさ/人情のまち 距離感が近い、身体的感覚も近い(路地のある町) 人と人が関わることが大事 人が軸の活動 障がい者と健常者を繋いでくれるコーディネーター、ありがたい
++
第2部:新長田で<在日外国人>と共に歩む活動から 登壇:野上恵美(ベトナム夢KOBE)、パク ウォン&趙恵美(スタジオ・長田教坊)、キム シニョン��神戸コリア教育文化センター)、ファン・チォン・クォン(VIAN)、近藤美佳(ベトナム語通訳) 進行:角野史和(ことデザイン)






抽出されたキーワード: 日本の宿題をベトナム語で教える ベトナム人はカラオケ大好き/手軽にできる娯楽、カラオケ 母語(ベトナム語)が話せない、ルーツを大切にしてほしい 在日コリアンの歴史は長い 在日コリアンの課題 母語、アイデンティティを忘れていってしまう 地域の小さな歴史 掘り起こしていきたい 在日ベトナム人コミュニティの支援 ベトナム人のための団体だが日本人とのコミュニティ作りが大切な目的 ベトナム人 SNSをよく使う 教坊(きょばん) 宮廷音楽を学ぶ場 ベトナム、コリアン 共通するものは戦争の経験 多文化共生とは 忍耐の政治 過去からアイデンティティを学ぶ 日本人のマジョリティをどれだけ分配していけるか 長田の心地よさ、ずっと続くものではない 無言の圧力はきっとある 意識しないと多文化は見えてこない もう少し踏み込んでいく 共生 いろんな傷をなであえる 次の光をどう手に入れるか
++
第3部:新長田で<高齢者>と共に歩む活動から 登壇:首藤義敬(はっぴーの家ろっけん)、大谷紘一郎(株式会社PLAST)、永田智子(新長田あんしんすこやかセンター)、遠藤順二(サービス付き高齢者住宅「やっぱりここ」) 進行:渡辺祥弘(K+action)






抽出されたキーワード: 喫茶ノリ☆ノリ 高齢者施設の交流の場 書道を入居者に教えてもらう 障がいのある子を預かる 障がいを持った子の保護者は手が離せない 65歳以上の相談はあんしんすこやかセンターへ お節介焼きのまち 近くの親戚より遠くの他人 境界の民 よい意味で境界線を残している 未来の共生への課題 高齢化率が高いまち 高齢者がいきいきとすればまちは良くなる 医療、福祉…デザインがダサい アートでかっこよく 実際は、人とつながりたくない人はいない あきらめず接し続ける どんどん孤立の社会になっていく そうならない活動を続けていきたい 選択の多いまち 興味のタネがたくさんある 共生=ごちゃまぜ そこからヒントがある 個人としての関係を多く築いていくことが共生
++
第4部:新長田で<子ども>と共に歩む活動から 登壇:小笠原舞(こどもみらい探求社)、近藤美佳(真陽小学校ホアマイ教室)、尻池宏典(ふたば食堂) 進行:西崎宣弘(アグロガーデン)





抽出されたキーワード 子育て目線での新長田 誰の子かわからない子育て環境 家の前の道路が庭、公園 近所の人が見守ってくれる 良い距離感とは ネガティブなことも言いあえる 大人が自分らしくいれる 真陽小学校 お互いの特性を知る温かい場所 昔の長田 外から入る人は居づらい場 コミュニティができあがってしまっていた 震災によって濃すぎるまちが薄まった そこに新しい関係が生まれた 震災はベトナム人コミュニティにとっても大きな転機 アート、介護で注目されているが、教育の現場としての可能性がある 長田の強み 人として育つ 学力ではない 親子で通訳が必要な家庭もある できなくてもいい寛容性 その土壌が長田にある
++
まとめ 登壇:増田匡(長田区長)、芹沢高志(デザイン・クリエイティブセンター神戸センター長) 進行:大谷燠(DANCE BOX)




第4部が終わった後、3人が舞台に上がってそれぞれに1日を振り返った。豊かさの基準が変わっていくこれからの時代、長田のありようが未来のモデルのひとつになるのではという期待とともに、カオスを退けるのではなく、カオスを生み出す社会の必要性が語られた。
最後は約4時間におよぶミーティングを伴走した客席での集合写真で〆.


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[テキストアーカイブ] 新長田で“共生”について考える 現在→これから まとめ

2019年7月7日(日)に開催したキックオフミーティング「新長田で“共生”について考える 現在→これから」のテキスト記録です。 こちらでは、第4部の後に行われたまとめの部の内容を掲載します。
出演 登壇:増田匡(長田区長)、芹沢高志(デザイン・クリエイティブセンター神戸センター長) 進行:大谷燠(DANCE BOX)

まとめ
大谷:2時間の会議でも気を失いそうになるのに、今日はなかなか大変な長い時間にわたって、みなさん、最後までお聞きいただいてありがとうございます。
ダンスボックスが新長田に来て、ちょうど10年が経ちました。ここに来るときに、神戸市の方に案内されていろいろ物件見ましたけども、その帰りに小さなお好み焼き屋さんに入ったんですね。昭和歌謡が流れる店内で、昔のポスターが貼ってあって、で、焼きそばを頼んで、おねえちゃんに「お箸ください」って言うと、えらい怒られて。「コテで食べるもんや」ってボロカスに言われてですね、ええまちやなあと思ったんですね(笑)。ああ、これは新長田に来なきゃって、それがダンスボックスが新長田に来ることになったキッカケです。
このまちの雰囲気ということで、いろんな方にいろんなことをしゃべっていただきました。10年前にダンスボックスが来たときは、このまちで文化的な活動をしてる施設というのは、神戸映画資料館だけでした。今日、登壇していただいた方がされているような活動も、それほど際立ってあったわけではないです。ところが、この10年の間にまちの人が主体的に新しい活動を展開していく方向へと少しずつ変化をしてきた。それは、非常に面白いことだなと思っています。今日のお話も、だいたい9割の方は僕も存じあげていますけど、活動のことを再び聞いたり、新たな活動についてお聞きしたりするなかで、すごく新鮮なものがこのまちで生まれはじめてるんだという実感を持ちました。
今日のキックオフで出てきたキーワードをもとに、次にまた、こういう会が継続していけるようになればいいなと思っています。まずKIITO(キイト)のセンター長の芹沢さんから、今日気になったキーワードや新長田での活動を聞かれた感想でも、お願いできればと思います。

芹沢:芹沢でございます。いま、KIITOっていう昔の生糸検査所をデザインセンターに変えて、そこのセンター長をやっています。あんまりまとめるつもりもないので、感想みたいになっちゃいますけど…。僕自身、学生のときは神戸にいましたが、いまは東京がベースで、ときどき神戸に通ってくる程度なんですね。なもんで、のっけからアートマフィアが踊りだしたでしょう。あれはやっぱり度肝を抜かれましたね。いや、たいしたもんだなと思った。
その後、4部にわたっていろんなお話を聞いて、これはお世辞じゃなくて、ただ面白かったというより、ほんとにじっくりと聞かせていただきました。最近、多様性や共生っていろんなところで話題に���って、そのテーマで僕が呼ばれることもあるんですけども。そこでお話を聞いてもやっぱり一般論的なお話になっちゃうことが多くて。それも、今日みたいに障がいを持たれてる方、在日の方、高齢者、子ども、とかって、いろんな活動をされてる方が一堂のもとに集まって、それぞれのテーマで話してるんだけど、それぞれが密接にリンクしているって、そのこと自体にも感銘を受けました。つまり、だいたいはひとつのテーマについて話して、「まあ、みんな仲良くしなきゃいけないよね」くらいの話で終わることも多い中、今日は実際に現場で活動してる話だから、とにかく、何ていうのかな、とてもリアリティがありますよね。
ただ、いろんなお話を聞けば聞くほど、僕がずっとつきあってきた大分県の別府というまちにとても似た、そういう匂いというか、生き様みたいなものを感じています。そこで僕がある芸術祭をやって、「混浴温泉世界」というタイトルをつけて、大顰蹙を買いました(笑)。アートの世界では、一緒にお風呂に入るって多様性の象徴としてよく出されるんですけど。別府でひとつ思ったのは、お風呂ってとても気持ちいいんだけど、あんまり浸かってるとのぼせますよね。だから一度出て、また戻ってくる。その距離感みたいなものを別府で習ったような気がしています。それは、今日もずっと話に出ている、新長田の距離感、ある意味でいい加減だなと思ったけど…ちょうどいい加減って褒めてるんですよ、その距離感のとりかたというのは、これからすごく参考になるんじゃないかなって思いました。
大谷:ありがとうございます。芹沢さんが別府の「混浴温泉世界」で書かれてたことに、「心地よくてもいずれ出ていかなければならない」とあって、今日の第2部でもキム シニョさんからぬるま湯のたとえが出てましたよね。ぬるま湯に浸かりすぎて、心地よさで忘れていたことがあるとおっしゃっていて。4世、5世の子どもたちが出てきたときに、自分たちのアイデンティティを新しくどうつくっていくことができるのか。温泉に入ったり、また出たりすることも必要なので、そういうところも共通するのかなと思って、芹沢さんの話を聞いていました。
では、増田匡区長です。ずっと親しくさせていただいて「匡さん」って呼んでいたら、区長になられてびっくりしましたけど。今日は行政の立場でなくても、ご自由にお話いただければ。
増田:はい。区長と呼ばれると違和感がありまして、まちのひとにはこれまでどおり、「増田さん」か「匡さん」と呼んでくれって言うてるんです。ですので、今日も匡さんで通していただければと思います。今日の感想はですね、いちばんは、まずアグロガーデンの西崎さん。競馬の結果見に行っていない? いますか。いや、西崎さんの司会進行がすばらしかった。
大谷:ほんとに上手でね。その後を受けて出るのがイヤやなと思うくらい。
増田:西崎さんがすべて総括してくれてもよかったんちゃうかなって(笑)。普段、あんなええかげんやのにね、知ってる人は知ってますけど(笑)。
私は長田区歴でいいます��、7年目でございまして、住んでる人から比べると、ほんのちょっとなんですけど。これまでもいろんな活動を見せていただき、聞かせていただいたりしてまいりましたので、今日のお話もかなりの部分は存じ上げていた内容ですけど、と言いましても、これまでは1対1でお話を聞かせていただいてましたので、これだけまとめて聞きますと、他の土地の状況がどうなのかわかりませんけど、長田区ではこんなにも多様で、とんがった活動をされてる人、団体がたくさんおられるのかとあらためて感心いたしました。
キーワードみたいなところでいいますと、第1部で首藤さんがおっしゃった境界、境界の民ということばですね。それから、距離感という言葉もあったと思います。私もいま、長田区に住んで、長田区長として仕事をしているわけですけど、長田の人と人との距離感ってなんでこんなええ具合に保ててるんやろかって、ずっと気にはなっていました。今日のお話を聞いて、そのちょうどいい距離感と、いろんなものが共生していけるということが非常に密接につながってるんやなと認識いたしました。

それから、第4部で尻池さんのお話として、ちょっと外から入りにくいみたいな時期もあったということですけど、歴史ある駒ヶ林の特殊性みたいなんもちょっとあるかなと思ってまして。私、京都の出身で、京都ってほんとに排他的なんですね。京都の方がおられたら申し訳ないですけど。歴史があって地縁の濃い土地ですので、私が住んでいたところでも千年以上、まちがあったところでしたから、すごく住みにくかったですね。そう考えますと、長田の、このちょうどいい距離感がとってもいいなと思っております。とりあえずはこんなところで終わります。

大谷:キーワードでいえば、つながるという言葉がずいぶん出てきたと思っていて、たとえば、互いにまったく価値観の違う人が自然につながっていけるということ。それは、背景としてごちゃごちゃということをおっしゃってた方もいらっしゃいましたけど、いろんな人がごちゃごちゃにいること。これでなければならないということよりも、「なんか面白いことがあるならやろかな」というくらいのゆるやかさが、このまちにはあるような気がします。
今日、出てきた言葉ではないですけども、僕が最近思ってるのは、里山や里海って言いますよね。ある世界の中で資源が循環していく。じゃあ、里町もあるんじゃないか、という風に考えたときに、新長田って里町になれるはずで。そのときの新長田の資源って何かといえば、人だと思うんです。人が循環していけるような地域社会が成立していけば、これからは豊かさの意味って以前とはまったく変わってくると思いますから、限られた富を我々がどう分配しながら次の世代に移していくかという、そのためには豊かさを読み直す必要があって、そこで新長田という地域社会の中で里町ということが実現できないかなと思います。
もうひとつは、境界という言葉とも関係しますけど、いわゆる多文化共生という言葉の持つ安易さというのか、言葉って使いつづけられるとだんだん色褪せてくるんですね��今日のお話もお聞きしていると、まさにそうだと思いましたけど、カオスを創造できる社会、混沌を創造できる社会がこれからもっと必要になってくるんじゃないかと思っておりました。ということで、あと数分かな、最後に芹沢さん。
芹沢:大谷さんのお話を伺って、カオスや混沌を我々はあまりにも捨てすぎてきたんじゃないかなって大きな反省が出てきてるのかなと思います。いま、社会的には人口が減少していくとか、このままだと経済がどうだとか、不安定な感じと、日本全体のニュースとしてギスギスした部分が気になりますよね。だけど、これ、ときどき思うんですけど、江戸の安政の頃とかで日本列島全体で3千万人くらい、人口はだいたい一定で、意外と安定してたんです。それが明治維新からばっと伸びて、時間軸のとりかたにもよりますけど、一気に4倍くらいになってるわけです。2002年だったかな、そこでピークになって。だいたい、登ったのと同じ勢いで落っこっていくと言われますから、急激にまた社会が変わっていくと思いますけど、ちょっと考え直してみると、3千万人くらいで安定していた時代もあった日本列島の本当の豊かさって、もっと人を減らせという話じゃなくて、とにかく、あまり怯えている必要はないんじゃないかなって思います。
先ほど貧困の話も出てましたけど、たぶんこれから、わりと近いうちに、僕らにとっては、うん、ちょっとあまりにダサい言葉かもしれないけど、幸せって何なのかをみんなで考え直す時代がくるんじゃないか。お金をたくさん持ってることがほんとに幸せなのか。学力の話も出ましたけど、いまの教育の枠組みで学力が高いという話と、生きていく力というのはイコールではないかなと思います。そのことに、僕だけじゃなくて、みんなが薄々と気づきはじめている。そのときに、今日の話を聞いてると、褒めすぎかもしれないけど、長田はひとつの未来のモデルになる、他のモデルもあるんだろうけど…そんな感じを受けました。
大谷:ありがとうございました。じゃあ、最後に匡さん。
増田:いまの芹沢さんのお話、私もそうやなと思うのは、豊かさの定義みたいなものが今後変わっていくなかで、長田の暮らしってほんとに全国的なモデルのように考えられるときが、そう遅くないタイミングでやってくるんじゃないかなと感じております。
それから、大谷さんが言われた「つながる」という言葉、今日のこの場がすでにそうやと思いますけど、これがもっとどんどん多層に積み重なって、つながっていくのが大切かなと思います。ただ、ここでひとつ言いたいのは、普通にやってもつながらないんだと思います。いつも思ってるのは、そういう意味で、このダンスボックスさんが10年前に来られて、それから数年してアーティストの活動とかが盛んになってきて、それから、アーティストやクリエイターの活動だけではなく、今日お集まりいただいたようなみなさんの活動も盛んになってきたということで、やはりダンスボックスなり、このシアターなりがつなげる役割を果たしてきたと思っております。ですから、この1年のプロジェクト、「文化芸術による共生社会を現場の目線で考え試みる」ということで、ダンスボックスさんってまさにそのキーワードじゃないかなと思っています。これで、わりときれいな終わり方やないでしょうか。
大谷:ありがとうございます。長時間にわたってお聞きいただき、みなさん、どうもありがとうございました。
・・・・
大谷燠 NPO法人DANCE BOX エグゼグティブディレクター。1996年に大阪でDANCE BOXを立ち上げ、2009年4月には神戸に拠点を移し、「ArtTheater dB 神戸」をオープン。Asia Contemporary Dance Festivalなど、国際交流事業やアートによるまちづくり事業も多数行う。2017年度文化庁長官賞受賞。
増田匡 長田区長。京都市出身。長田区歴7年目。2013年から2年間、長田区役所で働き、まちと人の温かさを知ってから、このまちにはまる。2017年に明石から新長田へ移住し、2019年4月から現職。好きなまちのために働けることを喜ぶ反面、休日の仕事が多くて、まちをぶらつく時間が減ったことが最近の悩み。
芹沢高志 デザイン・クリエイティブセンター神戸センター長。東京生まれ。1989年、P3 art and environmentを設立し、統括ディレクターを務める。現代美術、環境計画分野で数々のプロジェクトを展開。「ART PROJECT KOBE 2019 TRANS」総合ア��バイザー。
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[テキストアーカイブ] 新長田で“共生”について考える 現在→これから 第4部:新長田で<子ども>と共に歩む活動から

2019年7月7日(日)に開催したキックオフミーティング「新長田で“共生”について考える 現在→これから」のテキスト記録です。こちらでは、第4部の内容を掲載します。
第4部 登壇:小笠原舞(こどもみらい探求社)、近藤美佳(真陽小学校ホアマイ教室)、尻池宏典(ふたば食堂) 進行:西崎宣弘(アグロガーデン)

第4部
文:第4部の進行は、こちらも新長田アートマフィアの一員でもある、アグロガーデンの西崎宣弘さんです。よろしくお願いします。
西崎:では、第4部をはじめさせていただきます、よろしくお願いします。いま、ご紹介いただきましたとおり、私もアートマフィアの一員で、みなさん、オジキやカシラといったポジションがあるんですけども、私には“ポチ”というポジションを与えられていまして、わかりやすくいうと犬です。(会場笑)役割は犬ということで、そこを一生懸命にやらせていただいてる次第です。

まず、第4部にご登壇いただきました方のプロフィールを簡単にご紹介します。真ん中の尻池さん。尻池さんは、本業は漁師さんですけども、小学校、中学校で約7年にわたるPTAの活動を通して、地域の子どもたちの現状を知り、テレビのニュースで子ども食堂のニュースを見られたたときに、「あ、これは自分でもできるんじゃないか」と思って、「ふたば食堂」という、お子さんを対象にした、地域の方が集まれるような食堂を、自分がとってきた魚を食べていただくという形で実現をされております。ふたば食堂は約4年ほど前から、月に1回、土曜日に開催されてるんですけども、多いときで30人か��40人ほどの子どもたちと大人が集まって、コミュニティの場になっていると聞いています。すでに4年間、いろんな方の協力を受けながら活動を継続されております。

そのお隣りが、小笠原舞さんです。小笠原さんはもともと保育士で、保育士として働くなかで、こどもみらい探求社という会社を東京で立ち上げられました。子どもたちにとって本当にいい環境とは何かを考えながら、現在は、保育士起業家として、保育園のプロデュースや監修などもなされています。もともと東京にいらっしゃったのですが、2016年に神戸に来られて、当初は長田区ではなかったんですけど、ご縁がありまして新長田での子育てのあり方に非常に感銘を受けられて、いまは新長田に移住されて、地域でがんばっておられます。
最後に、近藤美佳さんです。近藤さんはベトナム語の講師・通訳者・翻訳者で、第2部でもご活躍いただきましたが、もともとはベトナムの民族衣装、アオザイに感銘を受けて、大学時代からベトナム語を専攻。現在は真陽小学校のホアマイ教室で小学校に通うベトナム人の子どもたち、1年生から6年生の約20名にベトナム語を教えられています。ホアマイ教室自体は14年ほど続けられていますけど、近藤さんは携わって4年目だそうです。ということで、新長田で子どもに携わる活動をされている方々をお呼びしました。まず、みなさまから見て、子育てという目線で新長田の地域は、どう映っているのかをお伺いしていきたいのですが、実際にいま、子育てをされている小笠原さんからお聞きしたいと思います。
小笠原:はい、やっていることがたくさんあり説明が難しいのに、すばらしい紹介でありがとうございます。実は今、息子を近所に住む若者に託してふたば学舎の公園に連れていってもらってるんですね。主人は仕事で来れないということで。日々、こんな風に家族以外の誰かの手を借りながら子育てをしています。私は、新長田の六間道に住んでいます。このまちで子育てをしたいと思った理由としては、r3(アールサン)というコミュニティスペースだったり、さっき出演されたはっぴーの家などで、誰の子だかわからないけど、子どもたちがワイワイ楽しそうにしているぞという���景にすごく感動して。子育てをするなら絶対にこの環境がいい! と直感で思って、主人に話して、一緒に来てもらって、新長田へ引っ越してきました。なぜそこまでビビッときたのか、当時はあまり言語化できていませんでした。この街には高齢者、障がい者、こども、アートというキーワードがあるなと感じ、それが魅力で。私はもともと福祉を学んでいたこともあり、人が豊かに生きるにはここにヒントがあるのではないかと感じました。そして、いろんな人や文化がごちゃまぜであればあるほど、自分の子がたくましく生きていけるんじゃないかということも感じましたね。保育士としての経験や、2012年から子育てコミュニティをやって来ましたが日常の暮らしにここまで密度濃く、様々なバックグラウンドを持つ人たちが混ざって過ごしているという環境こそが、子どもたちが育つ環境としていいんじゃないかと思ったんです。うちの子が生後1週間くらいからほぼ毎日、地域の小学生や中学生の子がうちに来てくれて、いろいろと子育てを手伝ってもらっています。こんな地域って、きっとなかなかないですよね。

西崎:ありがとうございます。尻池さんもご自身も子育てをされていますし、家で朝ごはんを食べられない子たちもいるという現状を知った上で、ふたば食堂をはじめられたと聞きました。その点も含めてどうでしょう。
尻池:私も長田区で生まれて育って、ほんとに公園まで行かなくても、家の前が道路が遊び場になる…野球をしたり、鬼ごっこしたり、ケイドロしたりして、いつも道で遊んで、近所の人の目もあって、賑やかにしすぎて怒られることもあったけど、地域の人たちが暖かく見守ってくれてた、昔からの長田がありました。震災があってからは、そういった人たちも少なくなって、一度、長田の…どう言うんでしょう…人情味のあるまちも薄まりかけたんですけど、また今、新しい方々が入ってきて長田の持ってるものを継承されてるのかなと、僕は感じています。先ほど小笠原さんの言われたr3さんや、ダンスボックスさんもそうですけど、そういった地域性、第1部から出ている人の温かみ、思いやりとか、もともと長田にあったものじゃないのかなと思います。私には子どもが3人いて、長男が小学校に入ったときからPTAに関わりだして、PTA会長を4年、役員も含めると6年やりました。そのPTAでの活動を通して知ったことを、任期を終えたらもう何もしないっていうのが、僕は嫌だったので、何かできることはないかと思っていた矢先に、テレビで全国的に子ども食堂が広がっているというのを見て、これは僕でもできるんじゃないかと思ったんです。漁師をしているので、魚は無償で提供できますし、昔の二葉小学校、いまのふたば学舎がすぐ近くにあって、そこが使える…PTAをやったことで、婦人会のおかあさん方や地域の人たちとも知り合えたので、協力してもらえる人もたくさんいました。どう運営していくかということは、ふたば学舎の人たちとも相談して。子どもたちにとってきた魚を食べてもらえるのは僕もうれしいし、また子どもたちに栄養をとってもらえる。食べることは生きることだし、食べないと人は生きていけないので。食というところでうまく合致して、たくさんの人の協力を得ながら、子ども食堂の活動を継続できてるのかなと思います。
西崎:ありがとうございます。近藤さんは、日本人の子どもだけでなくて、真陽小学校でベトナム人のお子さんを教えてらっしゃいますけど、そのあたりの視点からいかがですか。
近藤:私は、日本に生まれ育ったベトナムのお子さんにベトナム語を教えていまして、主には大阪で活動しているんですが、4年前から真陽小学校のホアマイ教室に参加させていただけることになって。ということで、複数の母語学習教室を見ているんですが、真陽小学校くらいですね、教室に通っていない子どもまでもが��のことを認識してくれてるのって。私は基本的に母語教室にしか行かないので、他の学校だと、教室に通ってくるベトナム人の子どもたちと担当の先生くらいしか面識がないのがほとんどですけど、真陽小学校に行ったら、「あ、ホアマイの先生だ」「近藤先生、こんにちは!」「ベトナム語でこんにちはって何て言うの」って、いきなり質問攻めになるんです。みんながみんなを見合っていて、お互いの顔を知ってる、名前を知ってる、それから特性を知ってるというのが、すごく温かいところだな、とにかく人への関心度が高いなと感じています。

ホアマイ教室は、ベトナムから日本に来られて長いお父さんお母さんから生まれた、ほとんど日本語、日本文化が優勢だよっていう子どもが多かったんですが、ここ2年ですかね、来日されたばっかりという家族も増えてきました。いまのホアマイ教室にも、日本語はまだ自由に話せないという子どもが数人います。第2部で野上さんの話にもありましたけど、お父さんお母さんが外国人であれば、自動的にバイリンガルになれるというわけではないんです。まず、話すことは難しい。ただ、お父さんお母さんが言ってることはなんとなくわかる。私が言うのもなんですけど、ベトナム語はすごく難しいので、それだけでもすごいんです、外国人が一生懸命勉強してもなかなかそこまで行き着けないレベルなんですよ、子どもたちの聴解能力は。ホアマイの子どもたちの多くもそういう状態なんですが、来日したばかりの子がなんか言ってるというのを聞きとって、私のところまで引っ張ってきて、「誰々ちゃんに今日の下校時刻を教えてあげて」って言ってくれる子がいるんです。そうやって、自分のできることをもって、ちょっと不便さを感じてる子を助けてあげられる雰囲気が自然にできているな、ということを感じています。
西崎:お三方の話を聞いて、のびのびと子育てができるまちなんじゃないかと感じているんですが、第1部では「距離感が近い」という言葉が出てきました。第3部では、だけれども「境界はある」という話がありました。以前、小笠原さんにお話を聞いたときに、新長田がとてもよい距離感だと言われたんですけど、近い、遠いではなく、いい距離感だというのは実際にどういったところで感じてられるのか、教えていただけますか。
小笠原:はい。私は関東からこっちに移ってきて、すんなり入れたのはありがたいです。近所に気心知れた仲良しな家族たちがいるのもすごく助かってます。「私、実は今日、疲れてて…」とか、なかなか言いづらいことでも普通に言えて。「そうなんだー、了解!」ってその日は終わって、次の日に「大丈夫? 元気?」「うちご飯食べにおいで」とか電話をかけてきてくれたりする。教育現場では色とりどりの個性とか、よく言われますけど、「大人が自分らしく、そのままの形で自然にいれるよね」って主人がポロッと言った言葉に、本当にそうだなと思いました。いま、ダイバーシティと言われるなかで、頭でわかっている人は多いと思いますけど、それをスッと体で感じられるまちだなと。それが距離感というか、居心地がいいっていうところにつながっていくんじゃないかなと思います。
西崎:そういったいい距離感のまちで、1部でも「壁がない」というお話が出ましたけど、尻池さん、実は、以前はこのまちに壁はわりとあって、昔の長田といまの長田ではだいぶ違ってると思いますけど、そのあたり昔はどんな感じでしたか。
尻池:そうですね。まあ、熱すぎるというのか、結局、外から入ってくる人には入りづらい部分はあったと思います。私の父は一時期、長田区でも北の方、長田神社の上の宮川町に引っ越していて、結婚をして、父が漁師を継いでから、また長田の南部の駒ヶ林に戻ってきたんですけど、帰ってきたばかりのときは、やっぱり周りの人の目がキツイといいますか、コミュニティができあがってるところなので、新しい人に対して誰が来たんや、みたいな空気は子どもながらに感じました。なので、さっきもお話しましたけど、震災でたくさんの人がいなくなって、空き家が増え、空き地が増え、そういった濃すぎるまちが薄らいだところに新しい人が来て、いまのこの形があるのかなって。僕はここで生まれ育ってもう42年ですけど、ずっと長田から外に出たことはなくて。長田を見続けているとそういう感じがします。

西崎:長田といえば、ひと昔前はどちらかというと悪いイメージが強かったと思うんですけど、いま、小笠原さんのように長田で子育てをしたいと言って、外から入ってきていただける。そのキッカケは震災であったかどうかは定かではないんですが、先ほどちょっとお聞きしたところでは、私の勤めるアグロガーデンが震災の頃はまだ公園で、ベトナム人の方たちがそこに集まっていて、通常の避難所である学校とかには行けずに、ある特定の地域に固まって避難生活をされていたそうです。その頃から比べると、いまのベトナム人コミュニティが地域に溶け込んでいる感じは、近藤さんの目にはどう映りますか。
近藤:実は、私の出身は愛知で、大学進学を機に関西に出てきました。なので、私自身が目にしたことではないですけど、私のベトナム語の恩師、大学時代にお世話になった先生が、コミュニティがまとまっていく過程をずっとご覧になっていた方でした。先生から聞いた話によれば、震災以前に既に長田にはベトナムの方がたくさんおられたんですけど、もともとの出身地や宗教だとか、そういったことであまりまとまってはおらず、点在していた、同じ地域にいるのにお互いを知らない状況だったようです。ところが、震災という大きな出来事が起こったときに、「そんなことを言ってる場合じゃない」「助けあわなければ」ということで、コミュニティができあがっていった、まとまっていった、そしてそこから地域にも溶け込むようになったという風に聞いています。長田のベトナム人コミュニティにとっても、やはり震災は大きな転機だったと伺っています。
西崎:非常に大きな爪痕を震災がまちに残していますけども、ほんとに変わることができたというのが、いまの新長田の魅力につながっているのかな��思います。今後、小笠原さんのように長田で子育てがしたいという方がどんどん増えれば、それだけでもまちの雰囲気が明るくなってくるでしょうし、新長田の可能性がどんどん広がっていくと思いますけど、そのあたり、どんなところに可能性がもっとあると思いますか。
小笠原:私がこのまちに移住してから、私が関東で活動してた頃の周りの保育士だったり、子育てコミュニティに来ていたママやパパだったり、たくさんの人がやってきました。もう何人来ただろう…わからないですが。神戸に来たこともないのに、このまちにやって来た人が去年すごく多くて。みんなすごく感銘を受けて帰っていきます。「定期的にまた帰ってきます!」という子がいたり、実際にたぶん来年、ひと組引っ越して来る予定だったり。いま、子育てをしていると待機児童の問題だとか、隣りに誰が住んでるかわからないとか、よく聞きますよね。そんな中、喫茶店に行ったら隣りのおばちゃんに息子を抱っこされて、「お母さんって、朝ごはんをゆっくり食べれないんだから、今日くらいゆっくり食べなさい」って言ってる間に、席の遠くの向こうまで息子が抱っこされていくという光景とかがあって(笑)このまちでの出来事Facebookやブログで発信発信すると、「え、なにそれ?!そんなことあるの?感動する!」と言われるんです。

だから、いまこのまちはアートや介護といったところで注目されていると思いますけど、私的には「教育現場」としての可能性を感じています。まちの中で子どもたちを支えあったり、見守っていたり、学校だけに頼りきらないということがこのまちにはある。学校というものに縛られずに、「教育環境としての新長田」というところをもっともっと発信して、注目してもらいたい。そうやっていれば、移住してくる選択肢だけじゃなくて、教育観点からの視察が増え、他のまちでもどう子どもの育ちを見守れるのかを考えてもらえたらなと。もちろんそのまちの特徴やリソースを活かしながら。私も今日は1部から聞いて、すごく勉強になりましたし、まだつながってない方がいたので、そういった方のお力も借りながら、このまちから今日お話させていただいたようなそんなことを発信していけたらいいなと思います。
西崎:尻池さんどうでしょう、長年、このまちでPTAを務めてきた立場から、子どもたちにどう育ってほしい��いいますか、まちとしてどうありたいというのは。
尻池:小笠原さんの話とつながりますけど、正直、長田区は学力は低いんです。学力の部分がウェイトを占めるお父さんお母さんは、「この地域で育てたくない」って、よその地域に引っ越していくとかっていうのは、ほんとによくあることです。僕が思うのは、学力も大事だけど、人として育てるという部分では長田には強みがあると思うんです。だから、その学力というのを、お父さんお母さんも仕事で忙しくて、塾に通わせたりとか、そういった負担が大きいっていうので逃げてるのかなと思います。実は、長田って子育てがほんとにしやすい場所だというのは、このまちに住んで、子どもを育てられてるお父さんお母さんならよくわかってると思うんですね。その学力という部分は、各家庭の努力も必要だと思いますけど、まずいちばん大事な“人として”という部分で見ると、長田という地域はほんとにいいところじゃないかなって。将来、子どもが大人になって、長田で育ってよかったなと感じると思っています。
西崎:ありがとうございます。いままでの話でも、ベトナムの方も地域のコミュニティに溶け込んで、いろんなことをされる過程のなかで、子どもは日本語がしゃべれるけど、お父さんお母さんがしゃべれないとなると、実は家庭内のコミュニケーションの方が難しかったりする場面も出てきているのかなと。外国から来て働いてるお父さんお母さんが、なかなか日本語を学ぶ環境が整ってないようなところもあるかなと感じますけど、近藤さんはどうお考えでしょう。
近藤:ベトナム語を教えている身としては、お父さんお母さんが日本語を学ぶことももちろんですが、やはり子どもさんにどうかベトナム語を伝えていってほしいなというのが正直なところです。なんですが、私の立場が言っちゃいけないですけど、ベトナム人の親御さんの下に生まれたからといってベトナム語をしゃべらなくてはいけないとも思わないんです。ベトナムのお父さんお母さんも暮らしの中で最低限の日本語を身につけた、お子さんはしっかりと日本語を身につけて生きていく。それはそれでいいじゃないか、と。たしかに、家庭内で話が通じないということ、実際に起きてるんです。私が大阪のある高校で、個人懇談の通訳に入ったとき、先生と保護者の方の通訳のはずだったのに、最終的には親子間の通訳をしていたということがありました。ほんとに辛かったです。在日ベトナム人の家庭に、こんなことが起きてるんだなって。その直後は、こんなことがあってはいけない、ベトナム人の子どもに対する母語教育をがんばらなきゃと思ってたんですけど、ここ数年ですね、そうとも限らないなと。逆に子どもにベトナム語を押し付けることがストレスになってはいけないですし、日本で生まれ育ったベトナム人だよ、ベトナム語はできないけど日本語は上手だよって、ありのままを受け入れる。そのうえで、もしも何か不便なことが生じるのであればそれを支えるような体制をつくっていくというのもありなんじゃないかなと思うようになりました。なので、日本語だけを教えてベトナム語を教えていないお父さんお母さんがいけないとか、日本語の勉強をしないお父さんお母さんがいけないとか、そんなことではなくて、それこそ真陽小学校とホアマイ教室の子どもたちのように、お互いにできることをやりながら、もしも目の前にできない人がいたら助ける。そういった形をうまくつくっていけたらと思うんですね。長田区にはその土壌があるなと感じます。そういったことが他のところではなかなかできないというのも目にしてきていますから、逆にここになぜこういう土壌が育ったんだろうということを、私自身���活動を通してこのまちから学びたいなと思っています。親子の事情って本当にいろいろだと思うんです。ですので、たとえ、お父さんお母さんと子どもさんの言葉が違っても、それはそれでひとつの家族の形だと思うので、まずはその形をありのまま受け入れてあげてほしいですし、もしもお父さんお母さんが日本語を、子どもさんがベトナム語をがんばってる姿を見られたのなら、そのがんばる姿勢を応援してあげてほしい、もし何かできることがあれば手伝ってあげてほしいなと思います。
西崎:1部から4部まで話してきたなかで、やはり「できなくてもいいよ」「人と違ってもいいよ」という寛容性を受容していただける土壌が長田にはあるんでしょうか。ということで、子育てであれ、多文化であれ、高齢者であれ、それが共生ということにつながっていくのかもしれません。今日のような話をする場でも、実際にお子さまを連れてこられる環境であること、また、お子さまを見ていただける誰かがいることって、ひとつの地域の子育てとしては非常に大事なことなのかなと、私もいつも感じております。では、第4部を終わらせていただきます。ありがとうございました。
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登壇者プロフィール
■西崎 宣弘 株式会社ホームセンターアグロに勤務。地域担当として、地域の様々な行事に参加する中で、知らないうちに新長田アートマフィアに加入。芸術とは無縁な生活を送りながらも、首輪と手錠によって自身の内に潜む芸術心に気付かされる。奈良在住で、毎日片道2時間かけて神戸まで通勤。競馬が趣味の41歳。
■小笠原舞 法政大学現代福祉学部現代福祉学科卒業。2012年には子育てコミュニティ「asobi基地」、2013年には「こどもみらい探求社」を設立し、”子どもにとって本当にいい環境とは?”を軸に活動している。著書「いい親よりも大切なこと ~こどものために”しなくていいこと”こんなにあった~」、写真集「70センチの目線」。長田区在住。0歳児のママ。
■近藤美佳 ベトナム語講師・通訳・翻訳。ベトナムの民族衣装アオザイに魅せられ、大阪外国語大学でベトナム語を専攻。大学在籍時よりベトナムルーツの子どもたちへの母語・日本語・教科学習支援活動に携わる。2016年度より真陽小学校ホアマイ教室(ベトナムルーツの子どものための母語・母文化学習教室)講師を務める。
■尻池宏典 神戸長田の漁師。主に玉筋魚新子漁やシラス漁を行う船曳網を営む。そのかたわら様々な地域活動に参加。
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[テキストアーカイブ] 新長田で“共生”について考える 現在→これから 第3部:新長田で<高齢者>と共に歩む活動から

2019年7月7日(日)に開催したキックオフミーティング「新長田で“共生”について考える 現在→これから」のテキスト記録です。こちらでは、第3部の内容を掲載します。

第3部 登壇:首藤義敬(はっぴーの家ろっけん)、大谷紘一郎(株式会社PLAST)、永田智子(新長田あんしんすこやかセンター)、遠藤順二(サービス付き高齢者住宅「やっぱりここ」) 進行:渡辺祥弘(K+action)
文:第3部の進行は、渡辺祥弘さんです。神戸市の職員であり、先ほどご覧いただいたとおり、新長田アートマフィアのメンバーでもあります。よろしくお願いします。
渡辺:神戸市の渡辺です。よろしくお願いします。私はですね、2年くらい前まで、神戸市職員として新長田でまちづくりに4年ほど関わってたんですけど、いまは友達として遊びに来ている関係で、気づいたらアートマフィアに入って、気づけばここで司会してるような感じです(笑)。専門は建築系のことなので、高齢者については正直、わからないので、わからないもの代表として、新長田で取り組んでる人たちがどういう思いで取り組んでいるか、新長田をどう思ってるかみたいな話を深めながら、共生について考えていけたらなと思っています。よろしくお願いします。それでは、私からみなさんを紹介していこうと思いますけども、まず、PLAST(プラスト)の大谷さんです。PLASTは訪問看護から始まって…はじめはじゃないんでしたか?
大谷:はじめはデイサービスですね。
渡辺:デイサービスから始まって、訪問看護もして、いまはリハビリモンスターをされてたり、ジャングルラボで社員の子どもを預かる保育園をしていたり、秘密基地で障がいのある子どものデイサービスなどを行っているという感じですね。
大谷:そうですね、はい。

渡辺:今日の話の前に事前にひとりずつ話を聞きに行ってきたんですけど、PLASTは設立5年目になるんですかね。5年でこれだけいろんな事業をしていくために、働いてる職員さんが「こういうことをしたい」っていうことと、社会のニーズを組み合わせて事業が進んでいるというのは、すごくいいなぁと思っています。会社の理念としては「想いを叶える、カラダをつくる」ということで、リハビリとかたくさんのメニューがあるんですけど、体のことについて何か知りたいと思ったら、PLASTさんに行っていただけたらと思います。ちょっと写真を見ましょう。これは?
大谷:��れは新規事業の立ち上げや企画化を会社から提案したときに、手を挙げたスタッフと一緒に形をつくっていく、そのためのミーティングの風景になります。
渡辺:秘密基地をつくるときにも、こういったミーティングから生まれたんですか。
大谷:そうですね。秘密基地というのは、障がいを持ったお子様をお預かりするデイサービスなんですけど、それ以前に訪問看護という形で、お子様をリハビリしたり、看護師が訪問するようが事業をやっていましたけど、そのなかで、こういった障がいを持ったお子様を抱えてはる保護者の方がなかなか手が離せないというか、ずっと見ておかなければいけないという思いを強く持ってはる方が多くて、自分のために時間を使うことがなかなかできないという現状が、ニーズとして聞けていたので、私たちに預けている間に自分の時間をとってくださいねということで、秘密基地という名前のデイサービスができました。僕たちはセミナーやミーティングを頻繁に行っていて、スタッフが現場から拾い上げてきたニーズや、スタッフ自身がやりたいことをいかに事業化していくかということを、くりかえし話しあっている感じです。
渡辺:次は、向かっていちばん右側の遠藤さん。こちらはサービス付き高齢者住宅で、2階に診療所、近くには野瀬病院もあるということで、私が見たところでは、安心や安全がすごくきっちりしてはるところやなと思っています。駄菓子屋さんを利用者さんと一緒に運営していたり、先ほど聞いたのは高齢者の方が先生になって書道教室とかも開いているということで、利用者さんが自ら動けるような企画などもされているのかなと思います。まずは、この写真に写るカフェについて教えてもらえますか。
遠藤:はい、ありがとうございます。はじめまして。私、医療法人社団十善会の野瀬病院が運営しております、「やっぱりここ」というサ高住があるんですけども、そこの施設長をさせていただいてます、遠藤と申します。よろしくお願いします。「喫茶のりのり」は毎週水曜日に開いてるもので、これが、私どものサ高住、サービス付き高齢者住宅のイベントにご参加いただいた入居者さまに、たとえば、リハビリ体操に来ていただいたり、地域清掃活動に参加いただいたみなさんには喫茶券というのをお渡ししているんです。その喫茶券を持ってきていただくと、珈琲もしくは紅茶を無料で提供させていただく。そこで、みなさまで交流を持って、なかなか高齢者施設というのは交流が難しい施設でもありますので、そういったことをスタッフから発信して、できたらいいかなと思って進めているものです。

渡辺:ありがとうございます。次はその隣り、はっぴーの家の首藤さんです。こちらも同じくサービス付き高齢者住宅ですけど、僕もよくはっぴーの家には遊びに行ってるんですが、まあ正直、よくわからないんです。(会場笑)首藤さんがよく言ってるのは、多世代型介護付きシェアハウスみたいなことで、高齢者の多いシェアハ���スやけども、いろんな人が集まる場になっていて、いま、毎週100人以上来てるんですかね?
首藤:そうですね、100から300人くらいですかね。
渡辺:という地域のリビング的な機能があったり、あとは、困った人の駆け込み寺みたいな面も最近はあるみたいで、まちのセーフティネットみたいな役割も果たしていると。写真もいろいろありすぎて、よくわからないんですけど…これは。
首藤:ここ(はっぴーの家)に集まる人たちのワンシーンを撮ったものですけど、全員が他人です。私たちは、「遠くの親戚より近くの他人」というキャッチフレーズでやっていまして。どういう場所かといえば、先ほどの野瀬病院さんがされている安心・安全みたいなことの真逆だと理解いただけたらと思います。でも、そのなかには、たとえば要介護の人やったり、癌のステージ4の人がいたりして、ここで死ねると。そういうよくわからない…僕もよくわからないです(笑)。ちなみに僕、無免許運転です。福祉の資格を持ってないので、今日はちょっとここに立つのが嫌なんですけど、そういう存在です。
渡辺:最近は外国の方、インド人やトーゴ人の方も働いてたりするんですよね。
首藤:そうですね。夜になったらみんな勝手にお酒を持って、集まってくるんです。ここに来たらまちの人や、関西の人とつながれるという変な噂が立っていて。(会場笑)インド人も「ちょっとおもしろい場所って言われて来ました。私は仕事がしたいです」って言うから、彼ができることをまちのみんなで探そう! みたいな、そういうリクルートの場所にもなってます。

渡辺:先週行ってみたら、朝から子どもをおんぶしながら働いてるお母さんも何組かおられて、そういう環境も素敵やなと思いながら見ています。じゃあ、次は真ん中におられる、新長田あんしんすこやかセンターの永田さんです。あんしんすこやかセンターって、僕も何かちょっとわからなかったのですけど、簡単にいえば、65歳以上の高齢者の相談はすべて永田さんのところに持ち込んでいいと。ちょっとしたことから介護のことまで、とりあえず永田さんに言えばつないでもらえるっていうことと、高齢者のコミュニティとかをつくる手伝いもされています。あんしんすこやかセンターというのは、神戸市が中学校区ごとに設置しているみたいで、保健師さん、社会福祉士さん、ケアマネジャーさんとかがいて、どんな相談にも対応できる体制になってるんですね。で、永田さんですけど、「下町芸術祭」の展示をしたり、地域の自治会の旅行とかにも行ってですね、めちゃくちゃ地域に溶け込もうとしている方で、市役所にもこれくらいできる人がいたらもっと変わっていくんかなと思いながら、今日は、永田さんを知ってもらうだけでもいい会かなと思ってるくらいなので、いろんな人がつながって…ベトナムの人でも永田さんと組んでなにかできるきっかけになればと思っています。
永田:ほんとによく説明していただいて、ありがとうございます。私も、何の仕事なんかなって思うことも時々あるんですけど、ほんとにいろんな仕事をしています。介護のお手伝いもしますし、自治会のなかったマンションで、「自治会をつくりたいけど、なんぼ呼びかけても興味を持ってもらえないんで、寄り合いみたいな、喫茶会みたいなのを立ち上げたら興味を持ってもらえるんじゃないか」というので、「それを永田さん、手伝ってくれないか」と言われまして、それで自治会をつくることができたりとか。何でも言っていただいたらいろいろ知恵をまわして、みなさんにつなげたりとか、そういうのが仕事かなと思っています。

渡辺:今回のテーマが「新長田で高齢者とともに歩む活動から」ということなので、まずは登壇している方に新長田はどういうまちか、このまちをどう捉えているかということを聞いていきたいと思います。ちょっとふわっとしてますけど、大谷さんから。
大谷:僕たちが新長田で事業をやろうと思ったきっかけのひとつとして、長田は高齢化率が神戸市のなかでも非常に高いところで、高齢者がたくさんいるんだろうなと。僕は、もともと長田の人ではないので、ほんとにそういうイメージがあって、そこに住んではる高齢者の方が元気にわくわく生活していれば、それだけで、たぶん、まちって元気になるんじゃないかなって。だから、高齢者がたくさんいる長田でやろうかって、事業を立ち上げたところがあります。実際にこのまちに来てみると、ほんとにすごくいろんな、今日来られてる方もそうですけど、いろんな方がいて、僕らが関わらなくても元気にいきいき生活してはるなというのがあって。そのなかで、僕たちに何ができるのか。もともと、リハビリの仕事をしていたのもあって、僕たちは体に特化して、特に年齢のいった方たちがこんなことをやりたいと思ったときに、それができる体づくり、というものを僕たちは提供できるんじゃないかと思って活動しています。
渡辺:永田さんは、いろんな地域の団体さんとか、いろいろ喧嘩しているような姿とかも見てはると思うんですけど、どうでしょう。
永田:はい。ちょっと暗い話になるかもしれないですけど、貧困率は高いかなと思います。特に国道2号線より南の方は、ほんとにお金に困ってる方が多いんで、うちも毎日、「お金貸してくれや」って言いにくるおじいちゃんがいます。そういう人たちをどうサービスにつなげていくかってことですけど、私も長田で働く前は、芦屋とか東灘でちょっと働いてたこともあって、お金持ちの方も多いところですけど、長田に来て、ほんとに豊かだなと思うことがいっぱいありました。それは、近所どうしだったり、隣の人が隣の人をちゃんと見守ってたりとか、「電気ついとうか」って毎日見てくれたりとか。お金はないけど、絆が強くて…そういうことがない方も多いですけど、そういったつながりは強いまちだと思います。だけど、これからどんどん孤立の社会になっていくと思うので、そういうことがなくなっていくことを私も危惧していて、でも、首藤さんがされているような活動はそれをまた再構築していくようなことかなと思って、私も学んでいきたいと思ってます。
首藤:新長田のイメージ、ですよね。僕は「下町芸術祭」で小國さんがテーマとして書いていた「境界の民」という言葉がすごく好きで。いま、多文化共生と聞くと、みんなが理解しあって一緒にやるみたいなイメージがありますけど、それはまったく違うと思っていて。自分のなかの理解では、このまちに住んでる人たちはみんな各々、境界線はあるけどもなんとなく折り合いつけながらやってるよね、完全に理解しあわなくてもいいという寛容さがあると思っていて、僕たちがやってる仕事もまさにそうなんです。認知症だったりいろんな事情があるけど、全部を理解しようとするとしんどいけど、なんとなくやっていける。僕らのようなどうしようもない若者だったり、この人たち、他のまちでやっていけるの? っていうような人も受け入れてもらえる土壌があるのが長田のよさで、それが新長田の共生かなって僕は思っています。うちも、表向きはサ高住で、高齢者の家になってますけど、結構、いろんな相談があって、最近ではDVの相談とか。裏の相談窓口みたいになっていて、で、永田さんのところに表の相談窓口があって。僕たちはそれぞれをつないでいくことが、これからもやっていければなぁと思ってます。そんな、いい意味で境界があってもいいよってまちかな。
遠藤:僕の新長田のイメージは、僕の生まれは豊中なんですけど、いまは尼崎に住んでまして、まずは尼崎ともちょっとイメージが似てるなと思っていました。僕が野瀬病院で働いて、いま3年と半年なんですけど、サ高住で働く前は施設管理課というところで、地域の方とふれあいをさせていただいてたら、なにせ、ちょっと商店街を歩けば、いろんなおばあちゃんに声をかけていただいて。みなさん、すごくお節介焼きというか、すごくありがたみがあるなと思います。サ高住は1年半前に建てた施設ですけど、はじめのうちは、なかなか部屋がうまらなくて、ずっと真っ暗やったんです。そしたら地域の方から、「遠藤くんとこ、毎日、部屋真っ暗やけど大丈夫?」って言って、いろんな方に紹介していっていただいて、徐々に部屋が埋まっていきました。みなさん、ほんとに人情味が深いというのか、ありがたみを持っておられる方というイメージがあります。

渡辺:あと10分くらいですかね。じゃあ、もうひとつ、ふたつ聞きたいんですけど、「下町芸術祭」のようなことも含めて、アートによって高齢者との関わりが変わるということがあるのかないのか、地域との関わりみたいなところでの気づきみたいなことがあれば教えてほしいなと思います。
大谷:うちの施設は、デザインやアートをできるだけ取り入れる…なんて言うんでしょう、福祉事業や医療とかもそうですけど、杖ひとつ、車椅子ひとつとってみても、デザインがダサいんですね。正直、それしかないからみなさん選んでるところがあって、うちではデイサービスもやってますけど、事業を立ち上げる前にいろんなところの見学に行かせてもらったけど、やっぱりどれもダサいんです。これじゃあ、元気になれないんじゃないかなと。「自分の行ってるサービスって、こんなカッコいいところやから」って言える場所にしないといけないなというのが、僕らの思ってるところで。そういう意味では、アートというものが僕らの事業とすごくマッチすると思っていますし、そういう部分に共感して来てくださる高齢者の方たちも意識は若々しくて…ということはすごく感じます。
永田:私は「下町芸術祭」で小國さんに呼びかけていただいて、展示をお手伝いしたことがあるんですけど、それは私がいつもやってることとは違う世界のことだったので、すごく勉強になったし、楽しかったんです。どうしても私たちって、高齢者の方としか出会うことがないし、しかも、相談窓口なんで、困った方が来ることがほとんどなんですね。だけど、ほんとは元気な高齢者とか、もっと若い世代の人たちともつながっていけたら、もっといろんなことができるのになと思いつつ、そういう機会はなかなかないので、「下町芸術祭」のようなことに私が参加させていただくことで、若い人たちとつながれて。またいろんなことを一緒にやっていけたらなという気持ちは持っています。
首藤:そうですね。このまちにはすごく興味の種があるなと思っていて、「多文化共生をやろう」「地域のつながりをつくろう」って言っても、ほとんどの若者や普通の人は参加しないと思うんです��。いわゆる意識の高い人しか。でも、このまちにはすごく選択肢があって、たとえば、アートという文脈があれば、「アートやったら関わるけど」って、本来、携わらない世代の人が交わったりとか、そこに対して寛容性がある…入りやすい遊びみたいなのがたくさん、アートを問わず転がっているのがこのまちのよさかなと思って。それがあるから、こうやって本来つながるはずのない人がたくさんつながって、高齢者や障がいのある人、子どもたちがアートをきっかけに、アートじゃなくてもいいんですけど、不思議な横のつながりができてるのかなと思います。そこがポジティブな相談のキッカケになったりするなというのを最近よく感じます。そういう意味で、アートも重要やなと思います。
遠藤:アートについてということですけど、私どもの入居者さまは、だいたい平均で88歳なんですけど、やはり過去にいろんな経験をされてこられてるんです。そこで、アートになるかわかりませんけど、うちでは入居者さんに先生になっていただいて、僕たちがたとえば書道を教えてもらうとか、そういったことを行っています。先日ですけど、僕の家の近くでキングコングの西野さんが「光る絵本と光る満願寺展」というのをされて、ちょっと見に行ってきたんです。若者が多かったんですけど、高齢者の方も多数いらっしゃって。実は、満願寺には階段が結構あるんですけど、車椅子の方も来ていて。やっぱりアートというのは広く高齢者にも興味を持たれているんだなと思いますので、必要なものだと思います。
渡辺:私、役所勤めですけど、新長田は高齢化率が結構高くて、自治会がなくなっているところもあるんです。今後もそういうところが増えていったりして、つながりが希薄になっていくこともありうるのかなと思います。未来の共生を考えていくうえで、正直このままでいいのかなって、僕も漠然とした悩みではあるんですけど…ちょっとまとまってないので、何ともいえないんですけど、どういうことを思いながら未来を考えてはるのかなっていうのをちょっとずつ言ってもらって、もう時間なので終わりにしたいかなと思うんですけども…ふわっとしすぎですかね。

大谷:ふわっとしすぎですね。(会場笑)僕らは高齢者から始まった事業ですけど、いまは保育園を運営してたり、これからまた別の展開を考えてはいて、世代やいろんなもの関係なく関わっていければ。この地域から感じる雰囲気というものはあって、そうですね、僕らもどういう形がよいのか手探りしながら…はっぴーさんみたいな形も、ごちゃまぜの共生という形だろうし、またそれとは別の形もあるかなと思います。僕たちは、正直、まだその形が見つかってなくて、いろんな事業をやっていくなかで、これから会社のなかでは新しいコラボみたいなものが生まれたらいいかなと思いながら、事業を展開しています。
永田:私も孤立や個の社会になっていくのは危惧するところですけど、いろんな人と相対するなかで、人とつながりたくない人って実際はあまりいらっしゃらないんですよ。口ではそう言ってたとしても。だから、そこはやっぱり、あきらめたらあかんなと思うのと、さっき言ってた、お節介みたいなことがいちばん必要かなと思うんですよね。あきらめずにお節介し続けるということ。いままでの自治会とか、土着にあったものはなくなっていくかもしれないけど、みんながあきらめずに人とつながっていこうと思っていければいい。そして、やっぱりリーダーシップが非常に大事になってくるので、今日のような、みんながなくなったら困るという場をいっぱいつくっていくことが大事かなと思います。
首藤:自治会がいいとかわるいとか、そういうことではなく、いろんな価値観がありやすいまちかなと思います。たとえば、在日コリアンのコミュニティ、ベトナム人のコミュニティがあったりして、だけど、うちは地域のコミュニティということはまったく思ってなくて、「遠くの親戚より近くの他人」という価値観に共感する人が来てくれたらいいとしか思ってないです、地域問わず。いろんな方がこのまちに混在していて、「あ、いいよな」って、それでいいんですよ。アートも好きも嫌いもあるなと思っていて、このまちは簡単に「あれ好き」「あれ嫌い」と言えるのがいいまちやなと思う。選べる価値観の選択肢がたくさんあるから、ひとつの媒体だけでコミュニティをつくるんじゃなくて、今後もいろんな価値観の選択肢がこのまちにはいていいよ、ってなれば、いろんなキッカケでつながっていけるかなと思うので。正直、今日登壇してた方の話も僕はぜんぶ理解できてなくて。けど、僕が子どもの頃からこのまちにおってよかったなと思うことがひとつあって、この人何言うてるかわからんけど、こんなこと言いたいんやろなって何となく察する、その力が僕含めて、このまちの子どもたちはすごく高いので…うん、まさに寛容性というか、前半の話になりますけど、そこを大事にしていけば、ちょっと面白くなるんじゃないかなと思ってます。
遠藤:時間もないのでひと言で。共生というのは、みなさん言われてるように、ごちゃごちゃした世界とか、ごちゃまぜということかと思うんです。やはり全体的に、私どもの法人も含めてですけど、地域のいろんなことに協力しあって、高齢者から幼少期の方まで、すべてごちゃごちゃした生活をしていけば、何かヒントが出てくるんじゃないかなと僕は思いますし、たぶん、みなさんもそう思われてるので、そういったところが大事になってくるんじゃないでしょうか。
首藤:渡辺さんはどう考えてるんですか。今日は、置きにいくバッティングみたいなんしてますけど(笑)。ねえ、みなさん、ちょっと逃げてますよね。共生の話を振ってきたけど、行政代表としてどう考えてるのか。

渡辺:代表はできないですけど、僕も地域に入っていくときに、市役所の人って言われるのは嫌で、渡辺さんとか、なべちゃんって言う関係を築いていく、それが増えていくことが共生なのかなと思っていて。ちょっと話ずれるかもしれないですけど、いろんな組織があって、いろんなコミュニティがあって僕はいいと思ってるんです。そこがさらにつながって、あとは、出ていくのも自由、入るのも自由なのが、この長田のまちの寛容性であり、共生のあり方かなって最近は思ってきて。そのときに、一人ひとりとどうつきあっていくかを大事にできたらいいのかなって。もし市役所がなにか悪いことをしたときに、「おまえも悪いやろ」って言われても、僕は全然知らないって話もあるので、僕個人としてそれぞれの個人とつきあっていけるような関係性がもっと密になって、そんなキッカケをつくれる場所がたくさん増えていけば…僕も私もベトナムの人と仲良くなりたいって思ったときに、そうなれるような場がいっぱいあれば、それは素敵なことなのかなと思っています。
首藤:ちゃんとした言葉が返ってきましたね(笑)。でも、この数年で渡辺さんは街の人の感覚が変わって、この前まで神戸市の渡辺さんってみんなに呼ばれてましたから。でも、彼は空き家を再生するコアクションという活動だったり、アートマフィアに関わったり、いろいろ渡辺さんの好きを見つけることによって、誰も神戸市の渡辺さんと呼ぶ人がいなくなった。みんな、なべちゃんとか渡辺さんって。それで居心地がよくなったのかなと思って。
渡辺:友達になったかなという感じです。友達がいっぱい広がっていくことが、共生には早いのかなと思っているので。まあ、そんな感じで第3部は終わりたいと思います。ありがとうございます。

登壇者プロフィール
■渡辺祥弘 古い空家をDIYで改修・活用する「コアクション」の一員として活動。長田区久保町にある築100年の長屋を改修し、「芸賭せ」でも活用。日中は、神戸市職員として災害に強いまちづくりに取り組��。「新長田アートマフィア」「まち工場調べたい」の一員としても、長田によく関わっている。仙台出身。大学から神戸に移住。
■首藤義敬 株式会社Happy 代表取締役。地域共生型事業のシェアハウス「はっぴーの家ろっけん」を運営。企画段階から保育園児・学生・主婦・クリエイター・外国人など、多様なバックグラウンドをもつ地域住民で事業計画とコンセプト策定を行いながら事業運営をスタート。現在は全国から視察が絶えない地域のセーフティネットとなっている。
■大谷紘一郎 株式会社PLAST 常務取締役。2014年に新長田で代表取締役 廣田恭佑とともに株式会社PLASTを設立。リハビリを行うデイサービス、訪問看護ステーション、主に重症心身障害児を対象とした児童発達支援・放課後デイ事業所や企業主導型保育園を設立。PLASTに関わる方の「想いを叶える」を理念に、新長田の南エリアで活動している。
■永田智子 1980年生まれ。明石出身。趣味は料理。大正筋商店街の中にある「新長田あんしんすこやかセンター」で地域支え合い推進員として勤務。日々、高齢者福祉に奔走している。
■遠藤順二 20歳から16年間、ホテルマンとして勤務。その後、ゴルフ業界へ。41歳から野瀬病院にて勤務。入社時は施設管理課へ配属。長田の皆さまとの交流をメインとしたイベントの担当。2018年2月開設の野瀬サービス付高齢者向け住宅「やっぱりここ」の施設長、現在に至る。兄がココリコ遠藤章造、兄とは違い「クソ真面目」な性格で、面白いことはほとんど言いません『大晦日のガキ使』『踊るさんま御殿』に出演。
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[テキストアーカイブ] 新長田で“共生”について考える 現在→これから 第2部:新長田で<在日外国人>と共に歩む活動から

2019年7月7日(日)に開催したキックオフミーティング「新長田で“共生”について考える 現在→これから」のテキスト記録です。
こちらでは、第2部の内容を掲載します。
第2部 登壇:野上恵美(ベトナム夢KOBE)、パク ウォン&趙恵美(スタジオ・長田教坊)、金信鏞(神戸コリア教育文化センター)、ファン・チォン・クォン(VIAN)、近藤美佳(ベトナム語通訳) 進行:角野史和(ことデザイン)

第2部
文:第2部の進行は、角野(かどの)史和さんです。角野さん、よろしくお願いします。
角野:お願いします。第2部は「新長田で在日外国人と歩む活動から」ということで、僕、これ、変なん持ってきてますけど、さっきまでダンスパフォーマンスをしてましたから、テンションあげるのが大変なんですよ。なので、お酒を入れないとアガらないんですね。で、新長田はちょっと行けばベトナム料理屋さんがあったりして、これはココナッツのお酒で25度あるらしいんですね(会場「へー」)。それをグッとみんなでやって、この場にきております。ということで、お酒入っておりますが、よろしくお願いします。それではみなさんご紹介させてもらいます。…これって、順番に出てくるんですか、まあ、ではどうぞお上がりください。座り方はだいたいでお願いします。どうぞどうぞ。もう、だいたいでいきましょう、さっき事前の打ち合わせでね、結局、こんなん打ち合わせしたってわからへんから、現場の即興でやりましょうかということになって、全員、ノープランで来てますんで。じゃあ、座りましょうか。はい、これはこちらに画像が出てるんですよね。この写真は、神戸コリア教育文化センターの活動写真だと思いますが、いちばん舞台左端に座っておられます、キム シニョンさん。神戸コリア教育文化センター…これは一般社団法人でよろしいんですかね?
シニョン:はい。

角野:はい、先に簡単に僕の方から活動をご説明させていただきますと、在日コリアンの9割の子どもが日本の小学校に通っていて、その教育課題ももちろんあるということで、そういったことの活動支援をやられてるというのがひとつ。もうひとつは、在日コリアンの歴史、100年以上あるんですかね、シニョンさん? はい、その歴史を記録していったりとか、そういうこともされておられます。住んでおられる方から古い写真を探してこられたりとか、歴史、生活史料、ライフヒストリーの聞き取り調査…そういったことがふたつめ。もうひとつ、交流の場だったり、学びの場としての「長田在日大学」。あと、コミュニティカフェ「ナドゥリ」。シニョンさん、ごめんなさい、ちょっと、このナドゥリ、正しい発音だと…。
シニョン:ナドゥリ。
角野:あ、シニョンさん、お名前も正しい発音でお願いできますか。
シニョン:キム シニョンといいます。ナドゥリというのは韓国語で、ちょっと気分をリフレッシュして外にお出かけするくらいの、そういう意味があります。
角野:もう1枚、画像があったと思うんですが、これが在日大学ですね?
シニョン:そうですね。
角野:そういう子どもの教育支援、歴史文化の記録���で、交流の場学びの場をつくるという、ざっくりいうと3つの場をつくっていると。ひきつづき、他の方もご紹介させてもらいます。こちらは、長田教坊(キョバン)のパクさん、趙恵美(チョウ ヘミ)さんです。
ウォン:パク ウォンです。よろしくお願いします。
趙:チョウ ヘミです。よろしくお願いします。
ウォン:こちらは息子のパク キョンと、その下がパク ランといいます。
角野:キョンくんと、ランちゃん?
ウォン:くんです
角野:ランくん。えー、スタジオ・長田教坊、こちらも僕の方から簡単にご紹介します。韓国の伝統芸能を、打楽器や舞い、歌だったりとか、そういったことを学ぶ教室ですね、最近はピラティスだとかもやられているということで、教坊という言葉は、朝鮮王朝時代に、宮廷音楽を勉強する音楽学校みたいなもので、そこが教坊と言われてたそうです。その名前をとって、スタジオ・長田教坊ということでやられております。新長田の地理がわかる人は、本町商店街のずっと南のほう、ポット(※スーパー)の向かいですね?
ウォン:そうです。
角野:写真が他にもあるかもしれない、ちょっと見ましょうか。
ウォン:これが教坊の様子です。こういうところでやってます。
角野:地域のフェスティバルとかにも参加されて。
ウォン:そうですね。神戸祭り、長田フェスティバルに出演したときには、うちの教坊に通う生徒さんと、地域の長田に住まれてる方や、よく長田に来られてる方と一緒に舞台に上がって、サムルノリという演奏ですけども、それをやったりしました。
角野:国籍関係なくいろんな人が入ってますね?
ウォン:在日コリアンから日本人、アフリカ人…で、アートマフィアの方も入って。いろんな方がいます。この写真は、ダンスボックスさんをお借りしまして、去年、スタジオ・長田教坊が3周年で発表会をさせていただきました。そのときの様子ですね。鶴舞、ハクチュンというんですけど、それをやっているときの写真です。
角野:ありがとうございます。次は、ベトナム夢KOBEから野上さんです。野上さん、正しい発音でフルネームで言ってもらっていいですか。
野上:野上恵美です(笑)。よろしくお願いします。
角野:漢字だともしかしたら同じですかね?
趙:そうですね、私と。
野上:はい。
角野:ベトナム夢KOBEの説明をします。震災をきっかけに、被災ベトナム人の支援をする活動が原点になっておられます。それがきっかけになって現在も続けておられるんですが、在日ベトナム人のコミュニティの支援や、地域のまちづくりに貢献していこうということもされておられます。こちらの写真は、その前者ですね。これは勉強のシーンですか。
野上:そうですね。ノートに文字を書いてる男の子が来日してまだ数年で、それでも義務教育の年齢であれば、もういきなり日本の学校に入らないといけない。そうなると宿題をこなしていくのが大変なので、土曜日に宿題を持ってきてもらって、ベトナム語で教えながら宿題を一緒にやっていくという、学習支援教室になります。
角野:他にも写真が…。
野上:これは母語教室ですね。真ん中の女性が共同代表のディエップです。ディエップは、結婚を機にベトナムから日本に来たんですけども、周りにいる子どもたちは、いわゆる在日ベトナム人2世といわれる子どもたちで、親はベトナムでずっと生まれ育って、いろんな理由で日本に来て、子どもたちは日本で生まれて育ちます。そうなると母語であるベトナム語が全然話せない、書けない、聞き取れない…かろうじて、お父さんお母さんのベトナム語は聞き取れるんだけども、なかなかベトナム語能力が伸びないということで、自分のルーツである母語、継承語を大事にしてもらいたいなということで、母語教室を開催しています。
角野:母語は僕だったら日本語、母の語ですね、母語教室。はい、こちらの写真はFMわぃわぃ。今日は、金(キム)さん来られてますかね? あ、ありがとうございます。FMわぃわぃは地域のコミュニティFMですね。このラジオを通して、ベトナムの方が日本で住みやすくなるための情報発信をしていくためのコーナーもされているということですね。
野上:はい、すこし補足説明させていただきます。私たちベトナム夢KOBEは、私が日本人であるということで、みなさんにも想像していただけると思いますが、ベトナム人のための団体ではあるけれども、ベトナム人と日本人がいっしょになってコミュニティをつくっていくということを大事な目的にしています。それは、ベトナム人がリーダーシップをとるとか、日本人がリーダーシップをとるというのではなくって、お互いなるべく対等に意見を出しあってやっていこうというスタンスで活動していまして、ひとつ、これは象徴的な活動になるかなと思います。タイトルとしては、住みやすい日本を…あれ?
角野:住みやすい日本をつくるための情報番組、ですね。
野上:はい。日本人の男性とベトナム人の女性が一緒に意見を出し合って、じゃあ、どうしたらいいか、どうすればベトナム人にとって住みやすいか。ベトナム人にとって住みやすい地域、社会というのはおそらく日本の人にとっても住みやすいものになるはずだろうということで、そういったことを日々、アイデアを出しあいながら、わぃわぃの金千秋さんにもお力を借りながら番組制作をしています。
角野:他にも写真ありますか? 春巻きの写真ですね。これ、僕が最初にご説明しました、地域に貢献することもやっておられますね。
野上:野田北部というところに、私たちの活動拠点があるんですけども、毎年8月にそこの地域のお祭に出店させてもらってます。やっぱりベトナムの人が住んでいるということをわかってもらうために、いちばんみなさんに興味関心をもっていただける食べ物ということで、毎年、ベトナムの揚げ春巻きとバナナ春巻きを販売しております。
角野:揚げ春巻きってなんて言うんですか、向こうの言葉で?
野上:私はちょっと発音がきれいではないですけど、Cha Gio(チャーヨー)。
角野:チャーヨー。チャーヨー、ノウン
野上:ノウン?
角野:チャーヨー、ノウン。
クォン:Ngonです。
角野:Ngonがおいしいですね。すいません、今ちょっとお手伝いしていただいたクオンさん。正しい発音でフルネーム言っていただいてよろしいでしょうか。
クォン:みなさん、ファン・チョン・クォンです。よろしくお願いします。
角野:ファン・チョン・クォン。僕はクオンさんって呼んでますけど。
クォン:クオンも大丈夫です(笑)。

角野:クオンさんはVIAN(ビアン)を最近立ち上げて、ベトナムの子どもたちが日本で育つと、日本の伝統とかそういったものが自分のなかに蓄積していくばかりなので、ベトナムの文化や音楽とかを引き継いでいくためのライブとかもされてるそうです。この写真はこの場所、ダンスボックスですね。クォン:はい、そうです。
角野:ベトナムの方ってカラオケめちゃくちゃ大好きなんですよね? レストランにもカラオケコーナーがあったりとか、旅行先ではスマホで音楽を流して、お手製のカラオケを使ったりして。
クォン:そうです。
角野:そんなにカラオケが大好きで、なんとここ(ダンスボックス)をカラオケ会場にしてしまったと。この写真に写ってるのはどんな方々?
クォン:すいません、今日はベトナム語で話しますね。
角野:そうだ、お隣りの紹介を。今日、サポートでついておられる近藤さんです。
近藤:近藤と申します。今日はクォンさんの通訳をさせていただきます。また4部でもお目にかかりますのでよろしくお願いします。
角野:クオンさん、先ほどの質問ですが。
クォン:(ベトナム語で話す)
角野:クオンさん、ひと言が結構長いですね(笑)。
近藤:通訳させていただきます。このプログラムは、日本にいるベトナム人のコミュニティに向けて、そういった方々に対して開かれたプログラムです。ダンスボックスのような、プロフェッショナルなすてきな劇場があるにもかかわらず、どうしてみなさん来ないんだということで、ベトナム人を集めようということで開催しました。そこで演奏をできる方を探して、クォンさんが連絡をして、そういった方を集めました。ただ、集めるのには苦労しまして、それで見つかったのが楽器ができる人、歌が歌える人、ということでしたので、そういった方々に来ていただいて、この回を開きました、先ほどカラオケの話も出ましたけど、なぜベトナム人がカラオケ好きなのか、それは、他に娯楽があまりないのかなという気がしています。手軽にできて、パッと発散できるというのがカラオケに凝縮されているのかなと感じています。
角野:なるほど。で、VIANというのは、VIがベトナムを表現して、ANがジャパン、日本を表現してまして、ベトナムと日本の交流を目的にしている。交流の鍵になるものとして音楽や食、あとは言葉。そういったことで交流をはかっていこうというのがVIANのこれからの活動になるかな。いま現在、クオンさんとダンスボックスの横堀さんの2名でされていて、どんどん膨らんでいく予定、というか、可能性があるということですね。
クォン:(ベトナム語で話す)(近藤通訳):まずは、こういった娯楽といいますか、みんなで楽しめるステージのプログラムをつくっていくことを考えています。たとえば、日本のゴールデンウィーク、お盆、それからベトナムの旧正月。こうした年中行事にあわせてステージを使っていきたい、その際にはここで開催したいなと思っています。それからもうひとつの活動として、若いベトナム人、たとえば来日したばかりの学生を対象に、日本の生活に慣れるためのサポートをしていきたいなと考えています。たとえば、自分で日本の食材を使ってつくりやすいご飯のつくり方ですとか、そういったことを紹介することによって、学生たちが元気に勉強できた���、元気に仕事ができたり、そういったことを支えていきたいと思っています。あとベトナム人はSNSをものすごく使うんですが、特に普及しているのがFacebookになります。ですので、こちらのファンページなどをつくることによって活動を広げていきたいと考えています。
角野:ありがとうございます。あと10分くらいですね。ということで、ごめんなさい、シニョンさんの活動のこと、僕から話すばっかりだったので、ちょっと補足的に。今回、共生というのがひとつのテーマになってるので、たとえば、日本人コミュニティとかまちとの関わりとか、そういったところで補足説明があれば。
シニョン:ご存知のように在日コリアンの歴史は、とても長い歴史があります。そのことをなかなか、長田にたくさん住んでいる…たとえば長田の小学校中学校で外国の子どもといったら、かつては在日コリアンだったんですけども、いまはむしろベトナム人の子どもたちが、ものすごい数でいるんです、ひとつの小学校に何十人という単位で。一方、国籍を保持している在日コリアンの子どもたち、朝鮮籍の子どもたちというのは、この我々の活動をはじめて30年くらいになりますけど、かつての10分の1くらい。国籍だけでみるとね。もちろん、ルーツを持っている子どもたちはたくさんいるんですけど。そんな中でこのまちに暮らしてきて、たくさん住んでいること、ほんとにそのことで民族的なアイデンティティを大切にしたり大切にされたり、そういう風にされてよいのかということで。そうではない現状があるんじゃないかということが、今日、私がひとつお話ししたかったことです。私は、年齢的には今日来られてるみなさんのだいぶ上の世代にあたりますけども、長田というのはとても居心地がいいという話が1部でもたくさん出てきました。確かにそういう部分があるかなとは思います。そのことを、私から皮肉っぽく言わせてもらうなら、すごくぬるま湯のなかにいるなと。だからとっても体がほぐれるし、浸かっていて心地はいいんですけども、その心地よさはずっと続くものではないし、そのぬるま湯の心地よさで忘れてしまうものがたくさんあるんじゃないかなと思いながら、ずっと生きてきているところがあって…話が長くなりすぎてごめんな。

角野:いいです。すごくいい話をしていただいてます
シニョン:たとえばこんなことがあったんですよ。これは、もう20年くらい前のことですけど、ある学校現場の教員が「在日コリアンの子どもたちにどんな課題があるんですか」って言うんですよね。「日本語もできるし、地域に溶けこんでいるし、場合によっては長田で成功された方もいるしで、どんな課題があるんですか」っておっしゃった方がおられて。「一方、ベトナム人の子どもたちは心配です。日本語を覚えると同時にどんどん母語を忘れていくから、とても心配です」って。在日コリアンの子どもたちがはるか以前に母語を忘れるどころか、獲得することすらできなかった、そのことにはぜんぜん思いが至らない。そういう経験を、現場で感じたことがあって。それからずっと、いま、学齢期の子どもたちってほとんど4世5世ですけど、その子どもたちのアイデンティティをどういう風に培っていくのかというのが、ずっと私たちの大きな課題のひとつで。…ごめん、話が長くなるのですぐに終わります。そのことを、長田のなかでどういう風に取り組んでいったらいいのか、向き合っていったらいいのかと考えながら、歴史をしっかりと記録して…それをどう記録していくのかということで、家族写真を集めようという取り組みをして、家族アルバムから家のなかでのいろんな対話が生まれ、1枚の写真に何が写っているのかという、そういう取り組みからどんどん若い世代が集まってきたりもしたので…大きな歴史は、本から学ぶことができても、まさに、この地域の歴史や、自分たちの家族の歴史というものは、何かのキッカケでそこにたどり着かないとなかなか出てこないものだったりするので、この地域の歴史を掘り起こす取り組みもしています。長くなりそうなのでこのへんで。
角野:はい。いま、みなさんのお話を聞かせてもらって、日本で生活していくなかで、自分たちのルーツとしている国のアイデンティティをどう将来に引き継いでいけるのか、そういった意識はなんとなく共通する部分かなと思いました。新長田はよく多文化共生と言われるまちになってきてますけど、いま、シニョンさんがおっしゃられたように、それはぬるま湯じゃないかという話もありました。今日のテーマは「新長田で“共生”について考える」ということで、あえて共生はかっこつきに、おそらくなってるんだと思います。みなさんから見える新長田における共生はいま現在、どういう状況なのか。いきなりぐっと難しい質問になっちゃいますが、どなたか答えられる方がいれば先に。
趙:うちの子が行ったり来たりしていてすいません。えっと、いま、この場に座らせてもらっていて、ぱっと思ったことも含めてなんですが…ベトナム、そしてコリアン、で、私は在日4世、彼は在日5世で、シニョンさんがおっしゃったような歴史について、これからこの子たちが何を受け継いで、どう生きていくのかということは、親としてすごく目を向けているところです。ベトナムとコリアンの共通する点としては、戦争というものを経験しました。なので、私たちの、ここに渡ってきたおじいちゃんおばあちゃんたち、そしていま、ベトナムの若い人たちがたくさんここに出稼ぎに来られて、新しく住まれているその活力を見ていたら、すごく、なんだろう…負けん気というか、なんていうんですかね。私も日本に生まれて4世ですから、ほぼ日本の生活になじんでいるけど、なにくそ根性といいますか、そういったものをいい意味で持っていて。

ただ、それも日本にいると、ぬるま湯という言葉を借りるなら、平和ボケしてしまうところがあって。でも、この子たちも同じ学校や園に通っていると、カタカナの子どもたちがたくさんいる中で平和に暮らしているんですが、これがいつ国の情勢によって戦争が起きるかわからないという現状で…すごく重くなってごめんなさい。というところを傷口としてはお互い共有していて、新長田という大きなこのまちが、その傷もこの傷も新たな傷も、一緒にちゃんとなであえるというところが、私にはこの地域のありがたさで。コリアンとしてって肩張らなくてもいいし、ベトナムの人がいようが、ミャンマーの人がいようが、日本の人がいようが、横並びで生きていけるこの地域のスタイルを、この子たちにはなぜそうなのかということも含めて…この子たちは戦争があると韓国に兵士として呼び出される義務を持っているので、そういう部分でもこのまちで生きたことによる、ちゃんとしたものの見方を育てられればいいな…共生をしてくれればなと思っています。
角野:もっと先に共生があるという感じでしょうか。クオンさん、いけますか。
クォン:(ベトナム語で話す)(近藤通訳):先ほどの件に続いてのことですけども、溶け込むということについて考えてみたいと思いました。ベトナム人も長く日本にいる人はだんだん日本語が上手になって、日本の生活に慣れてきていると思うのですが、やはり若い人たちはまだ難しいのかなと思います。その若い人たちも、たとえば5年後にはベトナムに帰るのか、あるいは、ずっと日本にいるのか、というところでも分かれ道が出てきますから。そういった現状のなか、どう共生をしていくのかが問題かなと考えています。
野上:ちょっと話がずれるかもしれませんが、私自身はこういう活動をしながら、多文化共生とは一体なにかということを文化人類学をもとに研究をしています。最近、ある人類学の先生からいただいたコメントで、「あ、なるほど」と思ったのが、この長田での共生の実践について、お話しさせていただいたときに、「これは忍耐の政治ですね」と言われたんです。私は日本人という立場で、まさにぬるま湯に浸かっている立場ではあるけど、それでもあえて言わせていただくと、やはりベトナム人の方といっしょに活動をしていくなかで、いかに我慢を強いてきたか…決して私が我慢しろと言ってるわけではないですけど、無言の圧力というのか、が、きっとあったんだろうなと思います。それを遡って考えると、それは、在日コリアンの人たちにも何も言わないことによって、すごく忍耐を強いてきたんだろうな、と。我慢という言葉はあまり使いたくないですけども、こちらが勝手に押し付けてきた我慢というものを、どれだけマジョリティである日本人が…我慢というのも、よく言えば譲り合いなのかもしれないけど、そういったことをどれだけみんなで分配していけるかなというのが、共生のあり方を考えることにつながるのかなと…ちょっと漠然とした話をしてしまいましたが、長田での活動を通して、そういったことを考えています。

角野:ではシニョンさん、時間的にこれが最後になってしまうかもしれないですけど。
シニョン:最後、短く終わりますね。ほんとに自分のなかで思うのは、別に長田に限らず、やっぱり一人ひとりが大切にされるということやし、一人ひとりは見える存在として、いるということじゃないかなと思います。それともうひとつだけ。これは、在日コリアンのいまの子どもたちに対するメッセージとしてこの1~2年思ってることは、在日コリアンの子どもたち、4世5世のアイデンティティということを考えるときに、いつも過去からアイデンティティを学ぶみたいなところが私にはありましたけど、そこから次、アイデンティティの次を…どう言うたらいいかね…その次の光を自分たちがどう提示できるのかなって。ごめんなさい、めっちゃ抽象的ですけど、いま、そういうことをちょっと考え、悩んでおります。
角野:パクさん、ちょっとうなずいておられましたが、次の光みたいなことで何か。
ウォン:私たちは、スタジオを構えて伝統芸能を教えていますけど、息子にもね、そろそろ本格的に教えたいと思っているんです。それをどう捉えるか、ですよね。僕らの場合は在日コリアンで、僕は日本の学校出身で、高校生になってから韓国の伝統芸能に出会って、始めたんですけども、私の息子の場合は生まれたときからすでに楽器がある状態で。それをどう伝えていこうかというのは、僕ら夫婦で考えているところなんです。伝統芸能については、フラットに全世界の方々に、国籍や老若男女も関係なく広げたいと思ってやっている教室なので、そこはどんな方でもオープンにやっているんですけど…家庭の話として考えると、そういうところはすごく課題といいますか、いろいろ考えていかなあかんなと思います。
角野:ありがとうございます。もう終わりますからね(笑)。シニョンさんから一人ひとりが見える存在に、という言葉があったんですが、僕、散歩活動家としてよく、まちなかを歩くんですけど、多文化というテーマも意識しないとなかなか見えてこないんです。こないだ、視点を変えて、多文化というテーマで歩いてみたら、全然これまでと見え方が違うくて、いろんなものが目に飛び込んでくるんですよね。ですので、いまはかっこつきの共生ですけど、僕たち、日本のマジョリティの側の人たちも、譲り合いというか、理解しあう感じですかね…見ようとするとか、そうやってもう少しでも一歩前に踏み込んだ共生ができるのかなって。僕ね、ほんとに全然知ってるわけじゃないのに、こんなことを言うのはおこがましいんですが、そんなことを感じました。ということで第2部、終了させていただきたいと思います。みなさん、どうもありがとうございました。
・・・・
登壇者プロフィール
■角野史和 一級建築士事務所こと・デザイン。暮らしとともにある建物やまちを愛する散歩活動家・建築士・まちづくりコンサルタント。場所愛と1対1のお付き合いに基づいた建築設計、住民主体のまちづくり支援・地域計画・地域振興に携わる。ちいきいとでは駒ヶ林担当。マップ狂が高じて2018年 マップライブラリーGNUを開設。モットーは「つっかけで会いにいける距離感でとにかく顔をつき合わすんや!」。
■野上恵美 ベトナム夢KOBE共同代表。神戸大学大学院国際文化学研究科博士後期課程修了。主な研究テーマは、在日ベトナム人の生活戦略について。ベトナム夢KOBEでは、生活相談、通訳・翻訳、母語教室、日本語教室、学習支援教室、インターネットラジオ番組制作などを行なっている。2015年に「ベトナム難民一世・二世たちの震災の記憶ー阪神・淡路大震災から20年を迎えて」を発行した。
■パク ウォン サムルノリ奏者。神戸市生まれの在日コリアン3世。1997年より韓国伝統芸能の舞台活動を始め、日本全国、海外で演奏を重ねる。2006年Korea×Japanの伝統芸能を融合させた遊合芸能 親舊達/チングドゥルを結成。三重大学、神戸甲北高校、コリア国際学園講師。2010年 神戸長田文化賞受賞。2015年 スタジオ・長田教坊設立。
■趙恵美 舞踊家(コリアンダンサー)。ピラティスインストラクター。京都生まれの在日コリアン4世。9歳から舞踊を始め、日本、韓国で様々な舞台に出演。現在はコリアンダンサーとして朝鮮と韓国舞踊に軸を置き、創作活動を行なう。韓国伝統打楽器奏者としても音楽講師を務める。遊合芸能 親舊達/チングドゥルメンバー。スタジオ・長田教坊講師。
■金信鏞(キム シニョン) 在日コリアン2世。下関市生まれ。30年ほど前から公立学校に通う在日コリアンの子どもたちの教育課題に取り組む。近年は在日コリアンの古い写真や生活史料などを収集し、写真展を開催したり、長田在日大学やコミュニティカフェ「ナドゥリ」を運営し、交流拠点作りを進めている。一般社団法人神戸コリア教育文化センター代表理事。
■ファン・チォン・クォン ベトナム共和国・フンイエン出身。2001年ハノイ映画演劇大学卒業。国立青年劇場の所属俳優として、演劇やコメディ等の様々な舞台に立つ。その後、同劇場の音響スタッフを15年にわたって務める。また、イベントの企画や音響も務め、ベトナム国内各地の劇場などで活動。2015年、結婚を機に来日。新長田在住。現在は尻池水産にて漁師もしながら、様々な在日ベトナム人コミュニティに関わる。

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[テキストアーカイブ]オープニング・パフォーマンス~第1部:新長田で<障がい者>と共に歩む活動から

2019年7月7日(日)に開催したキックオフミーティング「新長田で“共生”について考える 現在→これから」のテキスト記録です。こちらでは、オープニング・パフォーマンス~第1部の内容を掲載します。
オープニングパフォーマンス 出演:新長田アートマフィアダンス部 第1部 登壇:中元俊介(エコールKOBE)、吉川史浩(Water Ground Mountain)、川本尚美(片山工房)、小國陽佑(芸法) 進行:文(DANCE BOX)
オープニング・パフォーマンス
文:ダンスボックスの文(あや)と申します。どうぞよろしくお願いいたします。本日は主にこの地域で活動されている個性豊かな方々にご登壇いただきます。また、会場にはこのプロジェクトにこの先ご関係いただく方や新長田在住のみなさま、そして、SNSやチラシでビビッと来てお越しいただいたみなさまなど、こちらもまた彩り豊かな方々にお忙しいなか、お集まりいただいております。本日2時から5時半までの長時間にわたるミーティングとなりますが、どうぞ最後までお付き合いください。ミーティングと申しましても、ここは新長田。アートマフィアが生息する地域でございます。ここを外してはなかなか前には進めません。いきなりではございますが、まずはご覧いただきましょう。新長田アートマフィアによります、オープニングパフォーマンスです。
====アートマフィアによるパフォーマンス====

文:はい、ありがとうございました。いやなんか、精度上がってませんかね(笑)。新長田アートマフィアのみなさんは、神戸市長田区の新長田地域を中心に独自の拠点を運営しながら表現活動を支援する集合体で、出演した皆さんのほかにも客席にもマフィアは潜んでおります。今日は、“オジキ”こと野瀬病院の法人本部長をされております林さん、そちらにおいでなんですけれども、本来は、舞台の真ん中はオジキがとってるんですけれども、負傷につき出演がかなわず、今回は若頭を中心にしたチームで上演させていただきました。ちなみに、マフィアと称しておりますが、本当のマフィアではございません(笑)。さて、第一部ご登壇の方の汗ふきタイムの間にですね、このプロジェクトのこと、すこしお話しさせていただきたいと思います。今年度、ダンスボックスでは、文化庁の「障害者による文化芸術活動推進事業(文化芸術による共生社会の推進を含む)」という事業を受託し、実施しております。このプロジェクトでは、障がいの有無、経済状況や家庭環境、国籍、性別世代など、一人一人の差異を優劣ではなく、独自性ととらえる中、関わる人すべてが、支援する人、される人という関係性ではなく、幾重にも循環していける関係性を目指します。見ながらですいません。慣れないもので。ダンスボックスでは、いわゆる事業としては2007年から2012年くらいまで<循環プロジェクト>、その発展形として、ドイツベルリンの障がいのある人達が参加している劇団Theater Thikwa(シアター・ティクヴァ)との協働事業<Thikwa+Junkan Projekt>など、継続して障がいのあるダンサーや美術家と活動してきました。この新長田に来てからは、長田区の<踊るまち新長田構想>の一環として、高齢者の方に向けたワークショップですとか、近隣の小学校でのダンスコミュニケーションワークショップなど、劇場を出て活動をすることも多くなりました。普段はこの劇場を運営し、コンテンポラリーダンスの公演をプロデュースしているダンスボックスなんですけれども、なぜこういう共生社会を取り上げたプロジェクトをしようとしているのか。それは、やはりこの新長田というまちに私たちが出合い、10年前にこちらに来てから、私たち自身がこのまちに受け入れてもらったという経緯が大きいです。要素が多すぎて「コレ!」という理由をひとつ言い切ることはできないのですけれども、今日のミーティングではそのあたり、このまちの魅力と可能性の全貌が解き明かされるようになるんじゃないかと企んでおります。まぁ、先ほどのダンスが生まれるということが一つの答えというか、一つの大きなことかなという風には思っているんですけれども。本年度は本日のキックオフミーティングを皮切りに、さらなる知見を広げる公開勉強会、そして、実際に体と感覚を使って出会ったことのない体験をしていただくイベントなど、来年の2月ごろまでを第1タームとして、今後展開していく土台作りの1年にしたいと考えています。
第1部:新長田で<障がい者>と共に歩む活動から
文:では、第1部の皆さんお揃いでしょうか。みんないますか、第1部のメンバー? まあ、いる人から行きますか。はい、では始めましょう。第1部は「新長田で障がい者とともに歩む活動から」というテーマです。第1部のみ、私が進行をさせていただきます。よろしくお願いいたします。まずおひとりずつ、私のほうからご紹介させていただきます。向かって右から2人目、NPO法人芸法の小國陽佑さんです。小國さんはNPO法人芸法として、長田区駒ヶ林町に拠点を移し、地域に根差した様々な社会活動を通じて若手アーティストの育成、支援を行っていらっしゃいます。地域の取り組みとしては、「まちなか防災空地」や、駐輪場・防潮堤の整備事業、空き家のリノベーションと展示プログラム、コミュニティプログラムなどもされており、「下町芸術祭」のディレクターでもあります。また、活動拠点となる角野邸はですね、築80年の和洋折衷の近代建築でもあり、アート作品の展示やパフォーマンスにも活用されています。そして小國さんももちろんアートマフィアの一味です。帰宅部だそうです。(会場笑)はい、そして、エコール神戸の中元俊介さん、私の隣にいらっしゃいますけれども、福祉事業型「専攻科」エコールKOBEの副学園長さんです。新長田の駅前の地下にある、特別支援学校とか高等学校を卒業した方が自立した日常生活や社会生活を送れることを目指し、主体的に、豊かに、楽しく学ぶことをモットーにした学園です。で、中元さんは現役のアーティスト、美術のアーティストですね?

中元:はい。
文:汗だくですね。大丈夫でしょうか。
文:中元さんはアーティストでもあるんですけれど、そのエコールKOBEには美術の先生としていられました。で、いま、駒ヶ林に障害のある人たちの作品制作の場所として「アトリエコマ」という場所を、古民家を改築して、作られていたり、一人一人が個性を生かしたエコール新喜劇というのがあるんですけれども、それにご出演もされたり、時に踊ったりされていますね。という、“下町のジョン・レノン”と呼ばれている中元さんです。(会場笑)そして、その隣、アートマフィア“若頭”のワゴムクライミングジムの吉川史浩さん。特別支援学校の保健体育の先生を経て、アウトドアやスポーツ、芸術の専門知識を活かし、自然の中で楽しむ様々なアクティビティを提供する一般社団法人Water Ground Mountain(ウォーター・グラウンド・マウンテン)を2014年に設立されました。「Outdoor for all(アウトドア・フォー・オール)をコンセプトに、専用の車椅子を使って木の上に上るツリーニングや泳ぐ体験など、障がいの有無にかかわらずすべての人の余暇活動の充実に取り組まれています。2017年にはワゴムクライミングジムもオープン。数年前までは中元さんと同じく、エコールKOBEの先生で、そこでのダンスの授業も一緒に、アシスタントとしてですかね、担当されてました。先ほどのアートマフィアとしてのダンスはそこで培われたものかもしれません。めちゃ貫禄がありましたね。
吉川:ありがとうございます。
文:そして、最後は一番右端におられる片山工房の川本尚美さんです。川本さんは長田区のご出身で、美術の大学を出て、学芸員資格をお持ちとのことで、いまは長田区の駅の上にあります、川西通にある片山工房のスタッフをされています。片山工房は障害福祉サービス、生活介護事業の事業所です。母体は2003年からという、代表の新川(修平)さんはもっと前から活動されているとは思うんですけれども、そういう長い実績を持つ団体で、アートや表現活動が軸ではありますが、本人がしたいことを形にする場、人と表現を考える��ということをとても大事に活動されています。第1部ではこの4名でいろいろお話をしていきたいんですけれども、障がい者とアートについて、吉川さんの場合は、余暇活動に置き換えられるかもしれないですけれども、みなさん、それぞれどんな思いで取り組まれているのか。ざっくりとした質問で申し訳ないんですけど、よろしいでしょうか。
中元:はい。ちょっと重いテーマになりがちなところですが、新長田と障がい者、それからアートということで。まあ、僕は絵描きなんで、アートという分野にはなじみがあるんですけど、障がいがある人たちって…なんで「障がいがある」って言われているかといえば、いまの社会のルール、大っきなルールを守って生きていく上で社会生活が不自由だということで、障がいがある人と言ってるんだけど、実際に障がいになっているのは社会のルールの方が障がいで、その人に障がいがあるわけではない。社会そのもの自体が障がいを作り出しているというような。だから、普通と普通じゃないみたいになっちゃうんですけど、でもアートの世界っていうのはどちらかというと、普通じゃないとか、特別であるっていうことが、むしろ、こう、よいこととされている。というとこで、アートという土俵に乗れば、障ががあってもなくっても、高齢でも子供でも、おんなじ土俵でみんな創作活動ができて、楽しめるということかなと思っているんで、僕は、障がいがある人とアーティストが結びつくというのは、そうした垣根がないアートっていう、なんか大きな枠組みだからかなって思っています。…これは、マイク回していくパターン?

吉川:その話を受けてね、はい、ありがとう。僕は、見ていただいたように、スポーツやアウトドアを中心にやってきています。それに人を連れて行って、「うわ、すごーい」「できた!」とか、そういうことを感じていただくのがとっても楽しみなので、そういうのを生業にしていますけれども、このまちでいろいろ関わらせて頂いたときに、アートを見たときとかでも、「うわ、すげぇ」「何コレ?」というような、そういう感動みたいこと、非日常感みたいなのがあるなっていうのを思っていました。で、僕らが提供している自然のなかでダイナミックな遊びをするというときも、やっぱり日常とは違う時間を過ごすことでリフレッシュしたり、明日に向かっていこうっていうエネルギーが生まれたりというような、感覚的なとこはすごく近しいなと思っていて。えっと、いま、アートを生業にしてますとは言えない立場ではありますけれど、同じような感じを感じていただきたいという思いは一緒なのかな、と。まあ、無理やりそういう意味付けをして、仲間に入れていただいているという感覚ですね。
小國:僕はというか、芸法としては、ですけれども、基本的には、芸法の活動は、若手のアーティスト支援のために、まちづくりだったり、地域の課題の解決だったりとかをしているので、障がいのあるなしとかは、そんなに前提としていません。単純に、作家として新進気鋭だったり、新しい試みや表現であったり、その作家性であったりにまず魅力を感じて、障がいがあったりなかったりというのは、その次のことかなっていう風に思ってます。そうなったときに、やっぱり僕自身の専門的な知識では補えない部分が結構あるんですね。それでエコール神戸の中元さんやワゴムクライミングジム吉川さん、片山工房の川本さんとかにいろいろ助言をいただいたり、一緒に協働することによって、芸法としてできることと、他のみなさんの団体の専門性でできるところをお互いにシェアしながら、補いあいながらやっているのが長田らしいのかなって思ってます。
川本:片山工房というのがどういうところなんだろうっていうのはご説明いただいたんですけれども、私も設立当初からではなく途中から入って、でも、いつも代表の新川が言っているのは、障がいのあるなし関係なく、まず、その人がどういう人なのか。人と人として関わることがすごく大事じゃないかなと。いつも人を軸としてやらなければいけないということは言っていまして、なので、この区域のなかで障がいのある人とアートで活動しているということで場に呼んでいただいていますけど、じゃあ、実際のところ、すごいアート表現をしているのかって言われると、障害福祉サービス事業という制度にのっとっての福祉施設であって、日々、みなさんが日中活動をしてすごす場所としてやっているのが現状で、そのなかで絵が嫌いな人もいらっしゃったり、表現活動が苦手でという人もいらっしゃったりします。でも、やっぱり、描くのは好きだとか、描かずにはいれないという人もおられて、何時間でも描いてる人もいれば、お茶を飲んでスタッフと話をするのが好きなので、話し終えたら「じゃあ帰る」って人もいるなかで、日々をゆっくり過ごしているような活動を続けています。
文:いま、川本さんが言われた、人が軸というところは、みなさん共通ですか。小國さんがアーティストというくくりの中で、たまたまその障がいっていうのがその属性…属性というのも変やな、なんて言うんやろ、そういうカテゴライスされている人? うーん、私らも、福角(宣弘)さんとずっとダンスの活動をやってきているのですけれど、もはやダンスの公演にふつうに出演していただいてたりもするので、障がい者…というか、車椅子に乗っているとかってことも目に見えてわかりやすいのもあるんですけれど、障がい者扱いしなきゃいけないっていうところを忘れてしまっていたりすることもあるかもしれないな、とか。何がよくて何がわるいというのでなく、私たちもそういうスタンスで今までやってきたかなと思うんですけど、そもそもみなさんはなぜ、そういう仕事や活動をされているんでしょう。どうですか。
吉川:僕からいいですか。僕は、障がいというものを理解した上で、支援学校に赴任したわけではなかったので、保健体育の教員として赴任して、これから障がいのこともたくさん勉強しないといけないなと一生懸命に教科書を開いたりやってたんですけど、やっぱり現場に入ったときに、すごく彼がいて笑わされたことがあって、もう、すごく面白いことがあったんです。そうなったときに、頭でっかちに障がい者という目で見てたけど、ちょっと待てよとなって。この眼の前にいる彼は、彼女はどんな性格をしているんだろうってところを掘っていくと、彼らが何をしたいんだろう、どういうことが好きで、どういうことが嫌いでってことがわかりよくなってきて。人のことを考えれば、その人の自立…というと語弊がありますね、なにかニーズを汲みとれたり、一緒に楽しいよねって共感できたりするところへの道が近くなるんじゃないかなと思っています。もうちょっとしゃべっていいですか。で、さっきアートと障がいというのを根っこに考えて、その軸が人であるというのは、僕が障がい者の福祉を考えるうえで、テクニカルなところがあるにはあります。けど、今日はそれはざっくり捨てて、人と人の関わりで何を生み出していくか、いい空間をつくっていけるかということを基本にしていけば、もっともっと福祉の道って広がるんじゃないかなって個人的には思っていて。そこで、アートはもともと人と違う表現とか、なにか新しいものが「すごいよね」って共感を生みやすかったりする。簡単にいえば、人と違うことが高評価になる。だから、障がいということも全然そんなん武器にならへんわ、ぐらいの物差しを持っていると思っていて。そこでいろいろな表現が生まれていくと、人のことを考える時間になる、っていうのは、アートとすごく相性がいいんじゃないかな、そういうことを伝えたいと思ったときにはすごく相性がいいんじゃないかなと個人的には思ってたりはします。
小國:あ、ちょっと僕の話にはなるんですけれども、僕は家に姉ちゃんが3人いて、そのうちふたりが障がいを持っているんですね。僕自身は豊岡出身で、姉はまだひとり豊岡にいて、もうひとりが実は最近、新長田に引っ越してきたんです。いま、新長田でひとり暮らしをしていて、ただ結構、情緒というか精神的に不安定なときもあるんですけど。僕自身も長田に引っ越してきて5年になるんですけど、このまちで活動しているなかで、偶然な部分もあるかもしれないけど、エコールKOBEさんやWAPコーポレーションのみなさんとか、いろんな協働団体のみなさんとご一緒するなかで、自分のなかで巡りめぐって、もしかしたらこのまちに姉が引っ越してきても生活できるかもなっていうキッカケをもらえたところがあります。僕は自発的に、自分自身で導いて障がいを持っている方とのつきあいを考えたことはそんなにないんですけど、巡りめぐってそういう生活環境であったり、アートを通じて生活環境をどういう風につくっていくかとか、そういうところにも思いを馳せることになって、そしたら、まちをよくしていこうとか、景観をよくしていこうとか、コミュニティをどうつくっていこうとかって風になっていって、じゃあ、アートを媒体として、いろんなコミュニティをつくったり、みんなと一緒に活動できたりというところで、最終的に僕自身のNPOの活動としてはアーティストの支援だけど、すごく個人の部分では姉がこれからどういう風に過ごしていけるのかっていうことの活動でもある気がしていて。そのへんが最近はクリアにつながってきて、それがすごく居心地がいい、というか、長田で活動をして、住むっていう必然性を感じたりはしています。すごく壁がないというのか、そういう意味ですごくいいまちです。

中元:そうですよね。障がいがある人たちって、やっぱり日常生活ではしんどいことがたぶん多いと思うんですよ。そういうところはケアして、そこに思いをはせて、手伝えることはないかっていうのは、日々探しているんだけど、そのアートという土俵に戻ったときには、障がいのあるアーティストにかなわへんなって思っている人とか、僕ももっとすごいものをつくらないと追いつかないというぐらいの感覚でもありますし、僕らも社会生活をしていくなかで、すごく生きづらいことや、すっごい嫌な上司がいたりとか、反りが合わない人がいたりとかで、社会生活に不便を感じることがあるんだけど、やっぱりアートがあることによって、僕も絵を描くことによって発散する、奥さんとケンカしても鬱憤をぜんぶキャンバスにぶつける(笑)、いや、順調ですよ、順調! でも、そういう風に余暇じゃないけど、人生の楽しみとしてアートがある。そこから自己実現があって、個人として認められるっていうのは、一般の人でも障がいがある人でも一緒かなって。なんで新長田でやってるかって言われると、いつの間にかこの土地に吸い寄せられたというのがありますが、なんで出られなくなったかというと…
吉川:出たいんだ(笑)。
中元:いや、誰にも呼ばれないですね(笑)。ここに引っ張られるんです。求心力がすごいんですね、このまちは。何かやってる人の求心力が。で、変な人っていうとあれかな、でも、さっきもアートマフィアを見てもらいましたけど、みんなめっちゃ変な人なんですね。個性がすごく強い。そんな人たちが集まって何をするかってなったときに、どっちかっていうと枠からはみ出そうとしてる人というか、枠組みのなかできちっとやろうというのじゃなくて、そこからはみ出してまだどこまで面白いことができるのかっていうときに、障がいのある人も、外国人さんも、高齢者の人もってなる風土というか、気風みたいなのがあって、いつの間にか腐れ縁みたいな感じで、離れられなくなっているというような…僕はそういうようなイメージかな。
文:そうですね、私らもみんなこのまち在住だし、結果、離れられなくなっているんですけれども。さっき言わはった、個性が強い人が集まってるというときに、「僕は個性がないねん」「私、一般人なんですけど」って言い方が適切かわからへんけど、そういう人はこの街にいづらいってことですか?
中元:個性が何も気にせずに表出できるという感じじゃないでしょうか。個性のある人はどこにでもいるけど、まあ、どこでもマナーとモラルみたいなのが強くて、じゃあ、このまちにはマナーとモラルがないんかいと言われるとそうではないんですけど(笑)、何も気にせずにワーッとやっても寛容に受け止めて、「おまえ、そんなん好きなんや」くらいのゆるさで受け止めてくれる感が心地いいといえば、心地いいのかもしれないですね。そういう意味でいうと、川本さんは障害福祉サービスのカテゴリーの中での活動じゃないですか。そこから飛び出たいみたいな気持ちはありますか。
川本:どうなんですかね。ちょっと…(笑)。
中元:ちょっと聞いてみたいなって。
吉川:普通ですって言ってる人がいちばんぶっ飛んでるパターン(笑)?
川本:いやいや(笑)。でも、片山工房が長田で活動して、阪神淡路大震災以降から、新川が立ち上げたと聞いているんですけど、そのときに表現活動をしようというのではなくて、まず居場所づくりとかから始めて、福祉施設として就労支援をしないとっていうところがあったみたいですけど、でも、実際に動けるかと言うと、24時間対応が必要で、「体が動かなくて」という方に対して手作業をやりましょうというのもやっぱり難しいとなったときに、まずその方とお仕事としてじゃなく、お話をしてみたと。そうやって話を聞いてみたら、実はそんなに仕事を求めてるんじゃなくて、自分の名前を書いてみたいんだ、体は動かないけど名前を書いてみたいんや、と。「じゃあどうしよう」って、コミュニケーションをとっていくなかで、ギャグを言ったりとか、そこは障がいうんぬんじゃなくて、人と人として関わっているときに、「じゃあ指の間に筆を挟んで書いてみよっか」とか、「絵描いてみたい? じゃあどうやろか」って。いろいろ関わっていくなかで、そんなことができるんだ片山工房というのが、長田にあるんだということで、東灘とか、もっと遠くからも、ちょっとずついろんな方が来られるようになったというのが現状で。そのために初めてひとりで電車に乗ってみたとか、来れるようになったら今度は駅員さんと仲良しになれたとか。乳母車で来ている親御さんから駅が利用しやすくなったとか聞いたりして、そういうところで、ちょっと人情的なものが長田にはあったりするのかなと思いました。

中元:人情のまちですよね。
文:ほんとにこのまち、すごくフラットで。震災後というのもあるし、家の周りはデコボコ道ばっかりですけど、なんか違うんですよね。前に吉川さんに「なんでこのまちにこだわるんですか」という話をしたときにも、ね。
吉川:私も中元さんと同じ事業所、エコールKOBEに勤めているときに、高校を卒業した後なんで18~20くらいの年代の子たちが集まっていて、ただ、社会経験が乏しいので、みんなで外食に行きましょうということで、まちの外食屋さんをネットとかで探して、どこがいいか話し合って、決めて、行くみたいな講義…それも、これからの人生の勉強として行くんですけど。僕らは安全に見守る、一緒についていく側の立場でいろんなところにいままで行ったことがありますけど、三宮とかのすごくお客さんが多い店でも、メニューをじっと見てものすごく迷う方も中にはいらっしゃるんで、迷って迷って、でも、自分で頼むということに重きを置いたときに、やっぱり僕は待ちたいんですね、とことん。「僕はなになにが食べたいです」って注文ができるようになるところまで待ちたいというときに、三宮とかだと周囲の視線が厳しかったりするんですね。「早よして」「後ろ並んでんねん」みたいな空気が、あの、心地悪かったりするところ、新長田のまちでお好み焼き屋さんに行ったときに、すごく印象的だなと思ったのは。おばちゃんがお店の奥の方から「ちょっと待ってね」とか言いながら来て、それでもまだ迷ってたんですね。で、それを察してくれたのか何なのかわかんないけど、「決まったら呼んで」って言われて、その寛容さがすごくありがたかったんですね。怒ってるわけでも何でもないし、普通の雑談というトーンで、「決まったら呼んで」って、すっとそのまま日常が続いてるという。ただそれだけなんですけど。日常を続けてもらえることがすごくありがたい。そういうのがどんどん広がればいいと思っていて。そんな心地いい体験をさせていただいた長田にこだわって活動をしているのは、そういういい思いをたくさんしたからかもなと思っています。
文:さっきの小國さんの話も、このまちの寛容性はあるんかなということでしたけど、ただ、その寛容性はどこから出てくるんかなっていうこととか、何がそれを担保するんやろというのも思ったりもしますね。

小國:そうですね。なんというか寛容ともいえるし、いろんな言い換えができる気もするんですけど。話が早いというのか。キレるときはそっこうキレたりもするし(笑)。アトリエコマをつくったときは、天井を落として粉塵がバァッと落ちたりしたら、隣人はすぐに「もう、なんや!」って。でも、迂回するような言い方をせずに、もうダイレクトに言ってくる。向こうがわからないことには「わからない」とはっきり言ってくることに対して、応答しやすかったりとか。その距離感というのかな、僕も文さんと一緒で、駒ヶ林に住んでると、もっと路地が入り組んでいて、狭いスペースじゃないですか。だからこそ、そこでちゃんと譲りあうとか、距離感が近いということは身体的な感覚も近いような感じがしていて。そういう感覚が実は、新長田は優れている気がするんです。その分、お互いのパーソナルスペースというところは、ちゃんと距離感を保つというのと、それを越境してしまったらすぐに異議申し立てする。そのときに、こっちはこっちの生活圏があって、でも、あたなにもあなたの生活圏があるから、そこでお互い折り合いをつけましょうって感じがするんですね。だから、怒るときは、むっちゃ怒ってくる人もいるし(笑)。
中元:路地を見てそんなこと考えてるの? 面白い。
小國:路地はむっちゃ面白いですね。そういうのが日常に垣間見れますよね。
中元:まどろっこしさがない。
小國:そうですよね。だから、アートをやってると、比喩とか隠喩みたいな表現があるじゃないですか。そういうのをある程度、全部しゃべっても、「なんやそれ? 何になんねん、それ」みたいな。「はい、そうですよねー」って言うて。
吉川:ストレート。
小國:「一緒に考えましょか?」「ええわ!」みたいな。
中元:まちなかでダンス公演されてるとき、がっつり始まって15分くらい経ってから、「いつ始まるねん!」っていうのも。
文:そうそう、ありました。もう始まって、間もなく終わるねんけどって(笑)。第1部もあと5分くらいになってきたんですけど、実はこの4名は今までも一緒に事業連携をして、「下町芸術祭 vol.0」の2015年から一緒にされてますけど、一緒に何かやることって簡単なことであったり、ちょっと考えがズレたらやりにくかったりとか、いろいろあると思うんですけど、今後もいっしょにできる可能性とか、もっとこうなっていったら広がりができるとか、なにかあるでしょうか。
小國:「下町芸術祭」だけじゃなくて、僕自身のプロジェクトでもいろんな形で協働するんですけど、結構、いまの時代だからかわからないですけど、全員が一緒くたに合わさらなくてもいいし、時間軸をちょっとずつズラしていって、それぞれができる専門分野とか、できることを無理なく実践できる場という意味では、「コマハマギャラリー・プロジェクト」って防潮堤を美装化する計画では、はじめ防潮堤をきれいにするのはアンコラージュさん(※新長田にある福祉事業型の職業訓練校)がやって、その拭き掃除や塗装はエコールKOBEさんがやってくれていて、本番はそれぞれに何となく顔が見える範囲で、でも、お互いそんなに干渉しあわずに、横でみんなが何かやっている風という…その、みんな一緒にがんばろう! という感じがあんまない。個々で違うことをやっているというでもなく、それぞれやってるけど、あとで完成したものを見たら、こういう作品をつくってたんだなみたいな。直接的なコミュニケーションをはからなくても、作品が物語ってくれたり、作品がお互いを証明してくれたりして、その近づきすぎない関係での協働というのが、長田っぽいというのか、僕はすごくいいなと思ってます。
中元:そうっすね、いま、障がいのある人の就労を考えなきゃいけなくて、知的障がいとか発達障がいの人が就職するために実習や体験とかに行かせてもらうんですけど、この子はコミュニケーションが難しいけど、整理整頓させるとすごくきっちりできますというような、分業の一部分を小國さんからもらって、やらせてもらえると、障がいのある人たちもそれだけやれて、褒められる、社会と関われるというのは、すごくありがたいので、だから、障がいのある人と健常者をつないでくれるコーディネーターやアテンドしてくれる人がすごく貴重だなと思います。僕も、アトリエコマで片山工房さんを一度呼んで、展示をやってもらったんですけど、呼んでおいてあまり感想を聞いてなかったなと思って(笑)。あれ、どうでした?
川本:むちゃくちゃよかったです。片山工房は福祉施設なので、外部の人が来てくれるとすごくありがたいなと。初めて「下町芸術祭」に参加するときに、中元さん、吉川さん、小國さんとお会いして、そのイベントの内容というよりは、みなさんのお人柄で、この人たちと一緒にやったら面白いことができそうというのが、片山工房として会議をした部分で。そういうみなさん、人たちが長田にいてくれるっていうだけで、それはすごく心強いなと思っています。
吉川:僕は、何かこれということがあったときに、これはあの人得意そうやな、ちょっと手伝ってもらおうとか、そういうことがお互いにできる関係性というのがすごく助かるなと思っていて。自分の会社だけでいろんなジャンルの人たちに声をかけてできるだけでもないので、「うちのロゴ考えたいから、ちょっと中元ちゃん考えてよ」とか、「角野さん、クライミングジムの設計、この部分だけお願いします」とか、「アグロガーデンさん、ちょっと資材の調達させてください」とか。そういう関係性のなかに、障がいがある人たちが一緒に動けて楽しめるポイントって、ものすごくたくさんある。ここはあいつでいけるなとか、あの子に任せようってできるのがすごくいいと思うので、これからもどんどん新しい人が入ってきて、新たなプロジェクトができていくんじゃないかと。このウネッている感じがすごく楽しみですよね。

小國:あともうひと言だけ。吉川さんがおっしゃってるように、すべて人がいて、企画があって人が集まるというよりは、人が集まって人となりがわかって、じゃあ、こんな企画やろうか、みたいな順序かなっていう感じがしました。
中元:障がい者も健常者と呼ばれる人も。人が軸ていうね。
小國:そうですよね。
吉川:片山さんの言う、人が軸で。
中元:それで全部いけるね。
文:はい、ありがとうございました。この指とまれ、ということで、まだまだ参加者というか、いろんな風に関わってくれる人を募集中ということで、また、みなさんと考えていけたらいいなと思います。どうもありがとうございました。
・・・・・
文 大阪生まれ、長田区在住。DANCE BOX事務局長。約20年にわたりコンテンポラリーダンス事業を手掛けるほか、障がいのある人との「循環プロジェクト」(2007年~)や小学校への出前プログラムなど、ダンスと身体、表現と社会、人と地域と劇場が拡がり繋がる現場を(たぶん)考え続けている。ダンサーでもある。
中元俊介 1986年生まれ、画家・芸術家。「山と鉱山の芸術祭」(2018年)や「下町芸術祭」(2015年)などに出展。普段は福祉事業型「専攻科」エコールKOBE副学園長。障害のある青年たちに自由を教えている。古民家を改修して作られたアトリエ、Atelie KOMAの管理運営係としてアートマフィアに関わっている。
吉川史浩 WAGOMU Climbing Gym 代表。ボルダリングジムを経営。「Outdoor for ALL」を提唱し、障害のあるなしに関わらず、アウトドア活動ダイナミックに遊ぶことを提案。TMCA近畿中国代表。
川本尚美 特定非営利活動法人100年福祉会・片山工房スタッフ兼アートディレクター。神戸市長田区生まれ。芸大卒、写真家。障害のある方と寄り添いながら、人の創作物と背景に惹かれ、「ひと」とは何かを考えながら、暮らしを紡ぐ。工房を通して日々の大切な場を歩んでいる。
小國陽佑 1984年、兵庫県豊岡市生まれ。長田区在住。NPO法人芸法として長田区駒ヶ林町に拠点を移し、地域に根ざした様々な社会活動を通じて若手アーティストの育成・支援を行う。地域での取り組みとして、「下町芸術祭」の企画、まちなか防災空地や駐輪場・防潮堤の整備事業、空き家のリノベーションと展示プログラム、コミュニティプログラムなど。
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激動の半生を生き抜いた頼れる兄貴! 林 政徳さん
(医療法人社団 十善会 野瀬病院 法人本部長)
新長田にある野瀬病院にて法人本部長として、院内のみならず地域の事業でも活躍され、全国の医療関係講演会でもひっぱりだこの林 政徳さんにお話を聞きました。(2018年10月18日にインタビュー)
前回に引き続き、「藝賭せ開き」スペシャルエディション!ラストを飾るのは新長田アートマフィアの兄貴、林さんへのインタビューです。ずっとお話してみたいと思っていた方だったので、とても楽しみにしていたのですが、想像を軽く上回るおもしろさ!波乱万丈すぎてネタが尽きず、本が書けるのではないかと思うほど。すべては書ききれないので、凝縮バージョンでお楽しみください。

小さい頃はどんな子供でしたか。
尼崎の園田出身です。小学生までは真面目だったんですよ。スポーツばかりやってて勉強が全然できなかったので、囲碁と勉強を見てくれる細川塾に入れられて、そこから囲碁にハマりました。囲碁をやらないと勉強を見てくれないという塾だったので(笑) 中2の頃から学校に行かなくなって、悪いところに出入りするようになりました。夜中に見つからないように部屋を出て、5時に戻って来たりしてたんですが、学校で寝すぎてバレましたね。でも中2でやり尽くしたので、中3で学校に戻りました。 仲良くしていた友達が中卒で就職すると言ってたので、自分もそうするものだと思っていたのですが、数学の先生に高校行けるから頑張れって言われて。その時、このままではどこも厳しいくらいの成績だったのですが、最後は公立1本、滑り止めなしでいけるくらいまで追い上げ、尼崎東高校に行きました。
子供の頃の夢は何でしたか。
高校生の時にアナウンサーになりたくて、養成プロダクションに入って毎週水曜日は心斎橋のスクールに通っていました。練習後はそのスクールのお兄ちゃんお姉ちゃんと難波で遊んでましたね。そしたら、アナウンサーになるには大学に行かんとあかんって言われて。とりあえず数学得意やから理系で探して、手当たり次第推薦受けて、大工大の工学部に何とか受かりました。

どんな大学生活だったのですか。
阪急電車のバイトに入ったんですが、そこでご縁が広がりましたね。塚口駅で通勤ラッシュの時間に電車に乗る人たちをドアのところで押すバイトがあるんですよ。でもこのバイト、すごく雇う人に厳しくて、紹介がないと入れないんです。あとは、淀屋橋の第一勧銀で宝くじのお金を運ぶバイトをしました。びしっとした格好の人だとバレるので、こういうダラッとした格好の大学生とかが運んでるんですよ。そこで気に入られて、花博のバイトもしました。コンパニオン40人に囲まれて、大学3回生の4~10月の間、1回も大学に行かず、取れた単位は4つでした(笑)でも、囲碁部の主将もやってて、合宿したりもしてたんですよ。囲碁は4段です。 このバイトの経験から、金融っておもしろいなと思って、銀行に就職することにしました。卒論の時、ゼミで初の文系就職やから好きなことしたらと言われましたね(笑)ただ、単位が厳しかったので、卒業ギリギリまで頑張って、まわりの友達や先生にも協力してもらって、なんとか無事卒業できました。
就職してからの経緯を教えてください。
銀行に就職した後、1年たたずにバブルが崩壊して。志高く入社したのに、不良債権処理とか辛くて、病みかけて辞めました。大学の助教授に仕事を紹介してくれとお願いして、伊丹産業の社長を紹介いただいて。面接を受けたら、うちはムリだけど第3セクターの伊丹第一ホテルならと紹介してくれて、すぐOKが出ました。でも、総務だと思っていたのに、幹部候補生だからいろんなところを回れと言われて、まずは伊丹亭という和食の店に行かされて。漢字も天ぷらもよくわからんのに、めちゃくちゃ怒られて4日で歯が痛くなりました(笑)でも、覚悟決めて頑張って、半年で黒服になって、売上もがーんと上がって。これから!という時に宴会部に異動になりました。また掃除から始めるんですよ。宴会部なので、結婚式とか、洋も中華もあって、それぞれマナーやルールがあるじゃないですか。箸もよう持たんのに無理!と思いましたけど、ここでも頑張って、結婚式では新郎新婦の前を歩くキャプテンになり、ディナーショーではスター担当になって。ここから…!という時に次は営業企画に異動になりました(笑)

病院で働かれることになったのはなぜですか。
そんなこんなで必死に働いてたら、3年でホテルの経営者が変わってしまったんです。それがきっかけで、休みがあるしと思って電機メーカーの関連会社に転職したんですが、広島に単身赴任になってしまったんですよ。その間に子どもが産まれたんですが、産後の肥立ちがあまりよくなくて。それで、このままじゃあかんと思って家に帰ったら、たまたま西区の済生会病院の求人チラシがポストに入ってて。その日の締め切りだったんですけど、23:30に見つけて、コンビニで履歴書買って書いて23:59にFAXしました。その求人、相当な応募があったらしいんですよ。で、面接に行けたのが2割くらいで。目立たなあかんと思って面接官の真ん前に座りました。それで、合格したんですけど、僕のことを今の済生会病院に必要やと押してくれた3人が異動になったそうです。院長は僕のことを全然認めてなくて、3か月間相手にされませんでしたね。その3か月後にソフトボール大会があったんですけど、幹事やりますと手をあげて、ホテルマン時代の経験を活かしてセッティングから何からやったら、お前できるやんかと認めてもらって。それから組合やった��もして14年間勤めました。そして、ちょうど7年くらいの時から野瀬病院からオファーをもらってたんですが、院長が変わったり、その間もずっと野瀬さんが声をかけてくれていたので、野瀬病院に入りました。
奥さまとの馴れ初めを教えてください。
嫁は2つ年上で、最初の銀行で勤めたときの教育リーダーでした。その時は僕にも彼女がいたし、彼女にも彼氏がいました。僕は言うことを聞かないやつだったんですけど、営業に上がる試験の前日に、ノートを全部まとめてくれて、そのおかげで営業に上がれたんですよね。いい人だなと思いました。 その後、12/24のクリスマスイブの日に、銀行の窓口でお金があわなくて、女性は全員帰ったんですけど彼女は残っていて、終わった後に車で送っていったんですよ。で、三田のモスバーガーでご飯食べてたらめっちゃ雪が降ってきて。そしたら彼女から明日が誕生日って言われて。運命を感じましたね、これは縁やって。 そして、僕がホテルに就職するってなった時に13軒ホテルを回ったんですけど、それに自腹で食事代を払ってついてきてくれたんです。それで、最後に行った都ホテルで、「すみません、僕と結婚しませんか。」ってプロポーズしました。彼女は「え、誰と?」って(笑)それから1週間返事待って、OKをもらいました。
とっておきのネタがあるんですけど、聞きますか?(笑)僕が結婚したのは1995年の3/18で、働いていたホテルで130名ほど招待する結婚式を行う予定でした。その招待状を送った直後に阪神大震災が起きたんです。地震が起きたとき、電気の代わりに付けていたろうそくの火で、母の髪が燃えたんですけど、その時に母は「披露宴でアップにできへん~!」って叫んでて、そういう状況ちゃうやろー!ってなりましたね(笑)そんな状態だったので結婚式は出来ないかなと思っていたのですが、やっぱりホテルでも式のキャンセルが相次いでて、何とかやってくれないかとホテル側から頼みこまれて。じゃあ招待した方が一人も亡くなっていなかったらやりますって言って、確認してみたら、みんな生きてたんです。それで開催することになって、ホテルもシャンデリアを1週間で直してくれました。ホテルのスタッフもあわせて200名くらいが出席してくれて、思い出に残るいい式になりましたね。

ご家族について教えてください。
子どもが3人います。子どもは別格にかわいいですね。僕の活力は家族です。家がいい感じなら、仕事もいい感じになります。だからその努力はめっちゃしてます。 野瀬病院に入った時に、給料は下がるし、忙しくて家にいないので嫁からはよく怒られたんですけど、今が一番仲良いですね。病院って女の子がほとんどやから、昔は浮気を疑われてたけど、今は院長ととても仲良しなので、安心されているのかな(笑)
お仕事で大切にされていることは何ですか。
僕のモットーは縁を切らないこと。つながった縁は自分からは切らない。あと、やったことに対して怒ったりすることはあるけど、人を嫌いにはならないです。野瀬病院に入るまではありましたけどね(笑)今はとてもいいメンバーに囲まれていて、うちの子どもが行き詰っている時に、一緒に食事をして趣味を共有してくれたりもして。 野瀬病院では、僕はゼネラリストで、医者をはじめ有資格者はスペシャリストなので、有資格者が一番パフォーマンスを発揮できるように整えることが僕の仕事です。そのために現場も入りますし、救急とかにも入って受け入れを整えたりします。
新長田アートマフィアに入られたのはなぜですか。
正直、どんな人が集まるかは興味がなくて、一緒にやろうといったマフィアのメンバーが大事なんです。今回集まったメンバーは一生の仲間だと思いますよ。みんな利他の精神で、自分だけがいいっていう人がいない。マフィアきっかけで、本来なら競合の廣田さん(リハビリの会社プラストを経営)と仲良くなれたりもして。人間関係を作って、紡いでいく。ありがたい機会です。だから自分ができる限りのことはやります。たこ焼きも焼きます(笑)

新長田をどんな風にしていきたいですか。
世界中からいい町と言ってもらえるところにしたいですね。医療システムも含めて、その時その時に必要なものが揃ってて、安心して暮らせる、そして気持ちよく死んでいけるような。
林政徳さんに会うためにはここへ
医療法人社団十善会 野瀬病院 神戸市長田区二葉町5丁目1−36
http://nose.webmedipr.jp/

インタビュー会場は林さん御用達の鉄板焼き屋さん
花火 神戸市長田区二葉町5 アスタくにづか5番館 B1F
https://bit.ly/2DzvB7W
鉄板焼きだけでなく、お刺身、牛のタタキ、天ぷらなどなんでも美味しく、大将の優しい笑顔に癒されます。

2018年11月18日(日)~ 11月25日(日)は藝賭せ開き!
新長田アートマフィア「藝賭せ」
https://bit.ly/2J6I8zu
音楽、ダンス、展示など、さまざまなアート作品が並びます。この機会にぜひ、新長田へお越しください。

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新長田のジョン・レノン! 中元 俊介さん
(エコールKOBE 美術担当/芸術家)
新長田で障害者の自立訓練事業を実施しているエコールKOBEで美術を教えておられ、ご自身も芸術家として活動されている中元俊介さんにお話を聞きました。(2018年10月1日にインタビュー)
前回に引き続き「藝賭せ開き」スペシャルエディション!新長田アートマフィアの一員の中元さんへのインタビューです。 生ビール1杯目で既に顔が真っ赤になった中元さんですが、その後はたくさん飲みながら、芸術家っぽい独特の感性を端々に感じたインタビューでした。

小さい頃はどんな子供でしたか。
出身は神戸市の垂水区です。 小学校ではサッカーと水泳、中学ではバスケ、高校ではバレーボールと運動が好きでいろんなスポーツをしていました。今��も週一でスケボーをしています。漫画を読むのが好きで、小学生の時から家では漫画をよく描いていました。でも、小中学生の時は結構荒くれていたんですよ。 子どもの頃になりたかったものは、小学生の時は大工さん。祖父が工務店をやっていたことと、手先を使うのが好きだったから。 中学・高校の時は何も考えてなかったなー。漫才とかイタズラとかおもしろいことばっかり考えてた。授業中に皆で小さい鏡を使って、先生の後頭部に光を集めて遊んだり(笑)
芸術の世界に入ったきっかけは。
高校の先生に美大を薦められて、導かれたようにすぐに進路を決めました。それまではイラストばかり描いていたのですが、美大の受験のために画塾に行き、そこで芸術系の絵を描き始めたんです。 最初は国公立を目指していましたが、受験で行った金沢の21世紀美術館でアーニッシュ・カプーアの作品を見て衝撃を受けました。現代アートを初めて観たんですが、こんなに美術って自由だったんだ、って。それで、国公立にこだわることをやめて大阪芸術大学に進みました。

どんな学生生活でしたか。
1年目は友達もできず、バイトも店長がひどくて、半分鬱みたいになってました。2年目からは友達ができて、クラブやサークルに入らず、友達の家でずっと遊んでました。夜な夜な、訳の分からない遊びの発明をよくやってたなー。ビニール紐で色んなやり方で手を縛って、どうすれば抜けられるかとか。変ですけど面白かった。徹夜で課題の造形物を作ったりとかもしてました。他にも原付バイクで野宿しながら、日本一周もしました。おかげで芝生を見つけるのは得意になりました(笑) デザイン専攻でしたが、卒業する頃にはデザインが嫌になっていました。芸術としては中途半端に思えて、芸術性を追求して制作しても、依頼主に注文をつけられるのが嫌で。なので、デザイン会社に入るのはやめました。
障害者と関わりを持ち始めたきっかけは。
大学卒業しても就職しなかったんですが、大学で教員資格を取っていたので、兵庫県に教員登録をしたんです。それで、県立神戸特別支援学校で講師として働き始めました。吉川さん(2018年5月22日にインタビューしたWater Ground Mountain 代表理事 →記事はこちら)とは、そこで出会いました。 支援学校で障害を持つ子供達と初めて関わったんですが、人間の純粋でエネルギッシュな側面を見て、衝撃だったし、楽しかったし、おもしろかった。みんな素直に生きていて、見習うべきだなーと思ったし、人間みな一緒だと思いました。

ドイツで過ごされてたとのことですが。
支援学校を辞めて、学生の時から行きたかったドイツで1年過ごしました。「ビールを飲みに行く」って皆に言ってましたが、本当は自分が頼りにしていた親とか友人とかといったものから一度決別してみたかった。曾祖母がフロインドリーブの創始者メンバーだったこともあり、祖母にはドイツ人の知り合いもいて、ドイツとは縁がありました。フランスとか、1番のところは苦手なんですよね(笑) ドイツでは語学学校もちょっとだけ行きましたが、ビールを飲んで、ケバブ食べて、日々だらだらと過ごしていました。ビールが安い。500mlで60円ぐらい。そんな中で何かを作りたい気持ちになり、初めて抽象画を描き始め、個展も開きました。ドイツではみんな必要以上に働かないんですね。職場でも決められた時間にはきっちり帰る。ゆったりと働くことを学びました。
新長田との関わりはいつからですか。
帰国してから兵庫県の観光ガイドブック制作の仕事を受けたり、湊川のマルシン市場の再生事業の一環として空き店舗で駄菓子屋をやったりしていました。実家を出ることになって、たまたま不動産屋に紹介してもらった駒ヶ林2丁目の長屋が良かったので引越しをしました。新長田なら吉川さんがいるなーと思って連絡を取って、彼が勤めていたエコールKOBEを紹介してもらったんです。なので、新長田との関わりはホントにたまたまです。エコールKOBEで働いて5年になります。
彼女の話を聞かせて下さい。
今の彼女は高校の時の画塾からの知り合いです。その時は顔を知っていた程度でしたが、その後、縁があって付き合い出したんです。付き合いが長くて、占い師から「彼女は自由人なんで、このままだとどこかに行っちゃうよ」って言われたこともあり、近々結婚しようと思っています。竹富島のきれいな海に2人で腰まで浸かりながらプロポーズしました。ロマンチックですか。人のいない場所を探してたら、たまたま腰まで海に浸かってたんです(笑)プロポーズの言葉にダメ出しされて、30分間説得しました(笑)

芸術家として何を表現したいですか。
抽象的なこと。きれいとか、美しいとか、美意識って具象では表現できないでしょう。自分が楽しむために表現している。自己肯定ですね。自分は自分でいい。自由に生きたい。自分で完結させたいという思いです。障害者の子供達と一緒に新喜劇をやっているんですが、これも笑いを通じた自己肯定です。失敗も人に笑ってもらって自己肯定につながる。
新長田の好きなところ、嫌いなところは。
好きなところは、海があること。海を見るためにアグロガーデンの南側のテトラポットに通ってました。海は広くて、向こうが見えないのがいいに。路地も好き。市場も好き。八百屋とか魚屋とかも。 嫌いなところはあんまりない。おっちゃんが騒いでるのも好き。そもそも嫌いなところを言うのが苦手なんです。そういえば、ゆっくりしたい時にも毎回おばちゃんに邪魔されることが嫌かな…、でも、やっぱりそれもいいっちゃいい、好きかも(笑) 新長田を色に例えると…、うーん、カーキ色。苔とか土とか地面から生えている感じ。それと澄んでいるところも、濁っているところもある感じ。
新長田アートマフィアの活動への思いは。
「藝賭せ開き」では、エコールKOBEのアトリエの、古民家を障害者と一緒にリノベーションしたAtelier KOMAで絵を展示してもらいます。 アーティストに新長田に来て、作品を作って、帰ってもらうというレジデンスはやった方が良い。新長田の魅力を感じてもらうためにも、新しい魅力を見つけてもらうためにも、新長田でやる意義はあるなと。参加するアーティストにとってもプラスになるはず。ラフな感じでやっていけると良いと思っています。

新長田をどんな風にしていきたいですか。
特にないです。みんなが好きにやってくれれば良い。つかず離れず、適度な距離で付いていきますよ。まわりにはおもしろい人がたくさんいるから。
2018年11月18日(日)~ 11月25日(日)は藝賭せ開き!
新長田アートマフィア「藝賭せ」
https://bit.ly/2J6I8zu
音楽、ダンス、展示など、さまざまなアート作品が並びます。この機会にぜひ、新長田へお越しください。

中元俊介さんの藝睹せ拠点は古い空家をリノベーションしたアトリエ
Atelier KOMA 神戸市長田区駒ケ林町2丁目2-3
https://bit.ly/2R8FM69

インタビュー会場は、JR新長田駅近で、コスパの良い居酒屋さん
毛利 神戸市長田区若松町3-2-15 アスタピア新長田エスタプレシオス1F
https://bit.ly/2R99RlX
気さくな店主はクライマーで、吉川さんが経営するワゴムクライミングジムの常連さんです。

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