#旧下谷小学校
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旧下谷小学校【思い出の写真】 すみだタワーの見える屋上 動画でも記録しました http://youtu.be/JTyX4ue5m5M Please support the production of the work. https://www.amazon.co.jp/hz/wishlist/ls/2FXVF0MKPN1OA?ref_=wl_share
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■旧下谷小学校 見学会②
講堂と舞台裏。廊下と階段。そして屋上へ。
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民主党政権のほうが明らかに酷いです。「民主党政権の何が悪夢だったのか、きちんとした説明を聞いたことがない!」といった主張は定期的に出現しますが、さすがに「聞いたことない」なんてはずはないので、おそらく「自分の気に入る説明ではない」という意味か、「バカに分かるように説明したところで、そもそもバカは聞いてない」パターンのいずれかとは思いますが。 前回の悪夢のような民主党政権時代を生き抜いてきた者として私が言えるのは、「とにかく、あのような惨劇は二度と繰り返してはならない」ということだけです。 歴史修正は容赦できません。あの時代がいかに酷いものであったか、ご存知ない方もぜひこの機会に知って頂きたいので、支持者から叩かれること覚悟で説明していきますね(過去同様の投稿を複数おこなっていますが、毎回更新改訂しています。今般のバージョンが最新版です)。 個人的に、「悪夢の民主党政権」における大きな問題点は次の3点と考えています。 (1)国家運営能力の欠如により、内政上の失敗を数多く引き起こし、国益を損ない続けた。 (2)拙劣な外交を繰り返し、日米関係をはじめ、周辺諸国からの信頼を大きく毀損した。 (3)総理・閣僚をはじめとする所属議員の度重なる不祥事や、自分たちに都合が悪い情報を隠蔽する体質によって、国民の政治に対する信頼を失い続けた。 では、それぞれどんなことがあったか振り返っていきましょう。これがわずか3年間で起きた出来事です。はらわたが煮えくり返る覚悟で読み進めてください。 (1)国家運営能力の欠如 ・財源の見込みが甘く、政権交代の際に掲げたマニフェストはほぼ未達成。 ・官僚を敵視して排除し、国家業務の停滞と質低下を招いた。 ・金融政策と財政政策が食い違い、タイミングの悪い増税も重なり、景気や株価は低迷を続けた。 ・歴史的水準まで進んだ円高を放置し、デフレを加速させた。 ・法的根拠がないばかりでなく、仕分人の選定や対象事業選定にも透明性を欠いた「事業仕分け」をデフレ時におこない、必要な公共投資を削減。経済を悪化させたにも関わらず、結果に責任を負わなかった。 ・「コンクリートから人へ」という誤った政策により、災害対策を疎かにしたうえ、地域社会を破壊した。 ・「朝鮮王室儀軌引渡」「尖閣事件の船長釈放」「運用3号通知」「国家公務員採用大幅減」など、閣僚たちが思い���きレベルの意思決定を独断でおこない、結果的に我が国の将来に禍根を残した。 ・難民申請から6カ月たった申請者に対し一律に就労できる運用を始めた。 ・法的根拠のない組織を乱立させ、意思決定過程が曖昧になり、指揮命令系統も混乱。 ・法的根拠のない大臣や副大臣を任命したり、個人的な友人を参与に、党職員を内閣官房職員に任命するなど、ルールを無視、公私の別がつかない人事を実施。 ・原発停止、ダム建設中止など、法令根拠や事前協議が必要な決定を手続無視で断行。 (2)外交能力の欠如 ・普天間基地問題が迷走し、沖縄とアメリカの信頼を大きく損なった。 ・来日したオバマ大統領を日本に残したまま、鳩山総理がAPEC首脳会議に出席するためにシンガポールに向かうという非礼行為。 ・尖閣沖漁船衝突事件では、中国側の脅迫や報復に屈して船長を早々に釈放、不起訴に。その後の尖閣諸島国有化でも迷走。 ・領空侵犯が頻発するも、実効的な対策をとらず。 ・防衛上特に秘匿することが必要な「防衛秘密」3万件を破棄。 ・韓国に対しては、通貨スワップ協定締結、朝鮮王室儀軌引渡し、慰安婦問題での「知恵を絞っていきたい」発言など、不用意な譲歩を重ねた。 ・韓国の歴代大統領として初めて、竹島へ李明博大統領が上陸。 ・旧ソ連時代を含めて初めて、北方領土へロシア国家元首が上陸。 ・実現に向けた方策が何ら決まっていない状態で、国連気候変動サミットにおいて「CO2の25%削減」を突如国際公約化。 ・実現の見込みも全くないまま、G8の場で、「太陽光パネルを1000万戸に設置する」と突如国際公約をおこなった。 (3)閣僚・所属議員の度重なる不祥事と情報隠蔽体質 ・鳩山総理⇒偽装献金問題、脱税問題、引退撤回、「最低でも県外」「Trust me」「国民の皆様が聞く耳を持たなくなった」 ・菅(直人)総理⇒外国人献金問題、北朝鮮関係団体献金問題、「顔が見たくなければ法案を通せ」 ・野田総理⇒在日韓国人献金問題、脱税企業献金問題、民団選挙協力お礼発言、「大きな音だね」 ・小沢元代表⇒政治資金規正法違反容疑で強制起訴(無罪判決)、献金虚偽記載で公設秘書が逮捕(有罪判決) ・仙谷官房長官⇒尖閣漁船衝突事件、「自衛隊は暴力装置」 ・赤松農水大臣⇒口蹄疫問題、「だから早く殺せって言ってるのに」 ・松本復興担当大臣⇒「知恵を出さないやつは助けない」「書いたらその社は終わりだから」 ・長妻厚労大臣⇒運用3号独断決定、職務停滞 ・蓮舫行政刷新担当大臣⇒事務所費架空計上問題、国会内ファッション雑誌撮影、「2位じゃダメなんでしょうか?」 ・安住財務大臣⇒「1ドル75.63円の時点で介入を指示した」「学校のプールにガソリンを貯蔵できないか」 ・前原外務大臣⇒外国人から政治献金受領 ・岡田外務大臣⇒「核兵器めぐる日米密約は存在した」 ・川端文科大臣⇒事務所費架空計上問題、キャバクラ費用を政治資金で計上 ・鹿野農水大臣⇒対中不正輸出疑惑、機密漏洩疑惑 ・鉢呂経産大臣⇒(記者の一人に、着ていた防災服をなすりつけ)「放射能つけちゃうぞ」「市街地は人っ子一人いない、まさに『死のまち』」 ・一川防衛大臣⇒「安全保障に関しては素人」 ・柳田法務大臣⇒「答弁は二つだけ覚えておけばいい」 ・山岡消費者担当大臣⇒マルチ商法業者からの献金問題 ・岡崎国家公安委員長⇒議員時代、韓国で日本大使館に対する反日抗議デモに参加 ・中井国家公安委員長⇒議員宿舎にホステス連れ込み&カードキー貸与、式典で秋篠宮ご夫妻に「早く座れよ」とヤジ ・輿石幹事長⇒「間違った情報ばかり流すなら、電波を止めてしまうぞ」「電波が止まったら、お前らリストラどころか、給料をもらえず全員クビになるんだ」 ・小林議員⇒違法献金問題で選対委員長が逮捕、選対幹部が公職選挙法違反で有罪 ・土肥議員⇒竹島領有権放棄を日本側に求める「日韓共同宣言」に署名 ・横峯議員⇒賭けゴルフ、女性暴行、恐喝事件への関与 ・緒方議員⇒「スーパー堤防はスーパー無駄遣い」 ・太田議員⇒「そうでしたっけ? フフフ」 ・原発事故対応(SPEEDI、米実測値の非公表、議事録不作成など)、尖閣ビデオ、北朝鮮ミサイル発射への対応、温暖化対策の家計負担、年金改革の財政試算 など、自分たちに都合が悪い情報は隠蔽し、��府への深刻な不信感を招いた。 ・総理-閣僚間で見解の方向性や意見の不一致が常態化。それらも含め、自民党で同様の事態があれば野党のみならずマスコミも総出で吊し上げられる事態となるが、マスコミも概ね民主党に好意的な報道姿勢。 そんなに民主党時代が良かったなら、下野以降何度でも政権を取り戻すチャンスはあったはず。なのにただ一度もそうなっていないということは、それが民意ということです。私はあんな地獄のような時代は二度と御免です。
Xユーザーの新田 龍さん: 「民主党政権のほうが明らかに酷いです。「民主党政権の何が悪夢だったのか、きちんとした説明を聞いたことがない!」といった主張は定期的に出現しますが、さすがに「聞いたことない」なんてはずはないので、おそらく「自分の気に入る説明ではない」という意味か、「バカに分かるように説明したところで」 / X
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2025.2.9 抗議集会「こんないヤバい大阪・関西万博 ーメガイベントの暴力を考える」
大阪・関西万博、開催が近づくにつれボロボロな状況が隠せない中で、それでも中止しない。やめられない。これは私たちがTokyo2020オリパラで経験したものそのままです。バベルの塔のようにそびえる新国立競技場のすぐそば、千駄ヶ谷社会教育館は小さいが街の暮らしに身近なかんじ。ここに、関西を拠点に活動するバビロン解体企画のかたをお呼びして、一緒に万博及びメガイベントの問題を考え、抗議する集会を開きました。
前半では、大阪・関西で現在とこれまでなにがやられた、やられているのかを、釜ヶ崎を中心に活動する研究者原口剛さんに話していただき、休憩をはさんで後半、昨年12月1日に行われた釜ヶ崎強制執行について、現地で共同炊事に参加している方にお話を伺いました。そのあと質疑応答で議論を深めました。
第一部 大阪・関西万博でなにが起きているのか 原口剛さん
1)なぜ、いまさら「万博」なのか
・高度経済成長期の「64年五輪→70年万博」の反復により現実から目を背ける。
・維新のプロパガンダ。カジノ誘致のためといえば難しい公的投資を「万博のため」で正当化。
・80年代以降のイベント中毒都市。堺屋太一「イベントオリエンテッドポリシー」を維新が継続。「大阪都構想」など、さらに強権的に開発を進めたがっている。
2)性暴力とハラスメントの祭典
・アンバサダーに、宝塚歌劇団やダウンタウン、テーマ事業プロデューサーに河瀨直美が名を連ねる。(※ダウンタウンは25年3月31日にアンバサダーを退任)
3)こんなにヤバい「人災の島」
・2024年3月には万博会場の一部でメタンガスに引火した爆発事故発生。廃棄物��分の埋め立て地である人工島、夢洲。
・2024年7月5日、海外パビリオンの建設現場で車両から鋼材(長さ10メートル、厚さ5ミリ)を吊り上げて運び出す際、誤って鋼材を落下。幸いけが人はいなかった。
・2024年9月9日、会場建設現場で、労働者が階段から転落、2~3メートルの高さから落下。頭から出血し病院に搬送。
・2024年11月1日、海外パビリオン建設に従事していた労働者が約3メートルの高さから落下、腕の骨を折る重傷。
工期の遅れを取り戻すべく強行される突貫工事。
・島には北の橋と南の地下トンネルしか出口がない中、台風や地震の際、逃げ場がない。
4)自然の支配と「採掘」
・夢洲は誰も住んでいない。2008年オリパラ誘致した際、舞洲を会場、夢洲を選手村にする計画だったが、北京に負けた。
・淀��左岸線工事。もともと進められていた建設プロジェクトだが、万博関連事業として推し進められる。新大阪駅と会場を結ぶシャトルバス専用道路として暫定利用の予定。大深度地下を使った高速道路。
・リニア中央新幹線建設プロジェクト。「万博開催やIRの実現を契機に大阪・関西への訪問客の増加が見込まれる」として全線開通の前倒し(2045年→2037年)を、大阪、三重、奈良が国とJR東海に要望(2025年1月21日)
5)こんなにヤバい、膨らむ費用
・会場建設費 1250億円(2017年当初)→1850億円(2020年12月)→2350億円(2023年11月)
・会場運営費 809億円(2019年12月)→1160億円(2023年12月)
・インフラ整備 約9兆7000億円、アクションプラン 約2兆8000億円、など間接的費用も。
6)内ゲバ、自己崩壊、責任のなすりつけ
・売れないチケット、進まぬ建設。
・維新 対 政府(自民)、吉村 対 万博協会…。
7)こんなにヤバい、「気運醸成」と参加の強制
・メディアと学校をつうじた動員。学校の修学旅行、遠足、すでに3つの市町村が拒否宣言。
8)こんなにヤバい、都市全域を舞台とした<社会実験>と浄化の暴力
・維新の都市開発の目玉は、「カジノ」「万博」そして「うめきた」※(都市再生緊急整備計画地域)。
※旧国鉄車庫あと。立ってる文字「GRAND GREEN OSAKA」のところで原口さんが学生たちに解説していたら、警備員が飛んできた。
・大阪メトロによる「顔認証を用いた次世代改札の社会実験」
・大阪市内全域での路上喫煙禁止と罰金。
・東洋ショー弾圧、太融寺ホテル街※の「浄化実験」(言説というもうひとつの闘いの領域)。
※「立ちんぼ」が居づらくなるように、地元住民と大阪府警曽根崎署が連携して道路を目立つ黄色に塗装。「警視庁科学警察研究所からアドバイスを受け、目立つ場所を嫌がる人間の心理を利用し、」「自発的により良い選択に導く行動経済学の理論「ナッジ理論」に基づき」「府警はこの一年で約30人を売春防止法違反容疑で摘発している。」(産経新聞)
・釜ヶ崎、2024年12月1日、強制排除。
■万博への問いと抗い
・2025年万博を批判する声ですら70年万博を神話化していないか。帝国主義・植民地主義の原点である「第五回内国勧業博」(1903年)を忘れ去っていないか。
・現在、なんら熱狂を呼び起こすことなく、冷笑や揶揄や無関心が広がっている。万博に踊らされていないという事実は重要、けれども、いやいやながら黙認していることになりかねない。このまま黙認し続ければ都市は連中の好き放題に開発され、公園からは<居場所>が根こそぎ奪われ、警察暴力や監視テクノロジーが我がもの顔で街を支配するだろう。あちこちに現れる万博宣伝ロゴを圧倒するほどの、反万博の声を!
・万博を「自己崩壊」にまかせるのではなく、私たちの手で葬り去ること。メガイベントに繰り返しNOを突き付けてきた、国内外人びとの声とともに!
質疑応答
・開催費用などについて、五輪では、IOCが出す部分もあったり、一方、都と国、二重に取られてる感じがあったりしたが、万博では費用負担はどうなっているか?
間接的費用についてはもう少し調べないといけないが、会場建設費と運営費は、国と自治体(大阪市)と経済界が三分の一ずつ出すことになっている。IOCにあたる組織はない。建設費がこれ以上になってももう国は出さないと言っているので、そうなれば大阪市が負担することになるだろう。
・大阪・関西万博という名称、「関西」、関西広域連合(鳥取や徳島も含む)も地域おこしってかんじでかんでるのか?と思うが。
万博協会の理事は、理事長はもちろん経団連会長、理事には経済界の会頭や、大学の学長、それが京都の大学とか、大阪だけじゃないいろんなところから集まってる。「空飛ぶ車」の実験を神戸港でやるとかいう話などおいしいとこを絡みたいということは関西中に広がっている。
・五輪では、自衛隊が出てくるとかハードな警備と監視のシステムがすごかった。大阪では、大阪メトロの顔認証システムなど、警備より監視のほうかな、と思うんですが。
今、僕が感じているのは、情報テクノロジーを使った監視が、いま、どれくらいいけるのか試み、実験したがってる、「社会実験」の名のもとにいろんなことがやられている。五輪でも社会実験はやられていたと思うが万博、関西ではこれが目に付く。その一つが顔認証改札。すぐに実用というよりは、一回実験でデータを取ってどのくらいうまくいくのかをこの機会にやってみる。データを集めることをやる。ガタイのいい警官が出てくるのではなく、情報をいかに吸い取るかという仕掛けが街中いろんなところに増えている。チケットも、実験。実験は評判悪くて失敗しているが、狙いが重要。デジタルチケット、登録するのに万博IDを取得しなければならず、そのためにいろんな個人情報を入力しなければならない。どれだけ自発的に情報を出させることができるかを実験している。たぶん国レベルだとマイナンバーカードでどれくらい情報をコントロールできるか、できれば口座まで握りたいのが本音で、その実験を万博チケット販売のデジタル化という名目で行われている。ただ、みんなが万博行きたくてチケットに殺到してるなら成功するが、そうじゃないので紙のチケットも作りますと言っている。でもすでに100万人くらいのデータを取ったはずです。
・(大阪メトロで顔認証改札を見てきた人から)メトロの職員さんは顔認証改札を通っていたので、登録させれているのじゃないかと思います。
第二部 フリートーク
・釜ヶ崎、センター周辺で暮らしている野宿の人たちに対する��制執行 釜ヶ崎で共同炊事に参加している方
5年くらい、釜ヶ崎センター前で、毎週月曜日に共同炊事と寄り合いを一緒にやっているものです。5年間、ニュースになったりしていないけれど生活している人にはすごく困った大きな排除もありました。まず、今の形でセンターまわりでひとが軒下で住んだり寝たりするようになったのと、私たちが共同炊事と寄り合いを始めたのは2019年3月31日、あいりん総合センターが閉鎖されかけた日でした。もちろんその以前から続いていることもありますが、ひとつの始まりがその時で、閉鎖が阻止されて24日間占拠、私もそこに住んでいました。当時100人くらいの人が寝泊まりしていて共同炊事もするようになりました。4月24日に急にセンターの中から追い出しがあり、シャッターを閉められてからは軒下で寝るようになりました。団結小屋も建って、そこから共同炊事を毎週月曜日にするようになりました。その後2020年4月に、大阪府が、市もおカネを出していますが、府が寝ている人たちと団結小屋を追い出すための立ち退き訴訟を提訴しました。一審、二審、そして2024年5月に最高裁判決が出ましたが、毎回、判決前に追い出しできる、仮執行はつかなかったのが、画期的でした。
2022年、みんなが体洗ったり、共同炊事に使っている、近くの公園のトイレの水道、それが工事で改修されて、蛇口が3個から1個に、ひねる式がプッシュ式ですぐ止まっちゃうやつにかえられて、それはとても困ったので区役所の担当課に電話で抗議したんですが、今もプッシュ式のままで。
あと、仮庁舎の横の高架下でけっこう寝てる人がいたんですけど2022年8月に急に追い出しがあって、それまでちょっとした門があったのが背が高くてがっしりした門に作り替えられ夜間施錠されるようになりました。抗議して交渉したのですが、その後開けられることはなくずっと夜間寝られない状態になりました。夏の暑さや冬の風をしのげる貴重な場所でした。
2022年にそのようなことが続きました。センターの解体、建て替えが市や府の想定より4年遅れているそうです。裁判があったから。センターに手を出せないのでそれ以外の場所で排除を進めていたと思います。
昨年12月1日に追い出されてしまい、今は鋼板が張られてその場所では寝られないし共同炊事していた場所もないので、道路にはみ出して毎週月曜日に寄り合いと共同炊事をやっています。毎週警察が来て、「道路を不正使用」メジャーで測って、「何センチはみ出してる」「2回警告しました」と言ってくる。別の場所で共同炊事をやると次の週「ここで炊き出しやらないでください」と張り紙される、行く先々で追い出そうとして来るなと思っています。
あと、西側の山王では、友達が地上げ屋にあって立ち退かされたりしています。五輪の時の霞ヶ丘アパートと同じように、ここも高齢の方が多く、近所の関係、コミ���ニティがしっかりあって、死ぬまでここで住みたいと思っていたかたがいます。
・会場から質問、感想と応答
〇地上げは釜ヶ崎や山王だけじゃなく大阪全体で起きているのか?
●原口さん 家賃が払えなくて立ち退かされることは大阪中で起きていると思うが、更新の時に大家が変わって、それだけでなく家賃を挙げるというケースは僕は山王でしか聞いていない。今、釜ヶ崎の周りの状況がどうなっているかと言うと、環状線が走ってて天王寺と新今宮駅がメインストリート、ここから南にかけて安い家賃の家があるんです。小さな店がまだたくさん残ってたのが一掃され2010年代にあべのハルカスができて、一気に地価が上がり、天王寺公園は近鉄不動産に管理が売り払われてPPFです。ここ一帯、ショッピングモールとかタリーズコーヒーとか。やばい公園には必ずスタバかタリーズコーヒーが出てくる。子どもの遊ぶのも有料で、ちょっと不審だったりするとプライベートセキュリティが飛んでくる場所になってしまった。もともと空き地だった場所を大阪市が売り払って星野リゾートがドーンと進出してきて、労働者の街だったところが一部激変した。今、ここは万博の宣伝広告をやっているのを見せられた。山王町はドヤ街だけど、築50年とか当たり前な木造の家がならんでいて、家賃がメチャクチャ安くて、デベロッパーから見たらこんなおいしい場所はない、しかも隣の天王寺は地価がどんどん上がっている。オーナーったタイミングで家賃値上げします、というアプローチでプレッシャーかけてくるのは山王ならでは。
〇五輪では選手村の名目で晴海の都有地を9割引きで払い下げました。大阪府の財政状況は全都道府県の中で最悪ですが、万博をやることにより借金が増えます。財政の問題、我々の税金の無駄な使い方の問題だと言うのが私の意見です。
●原口さん 税金の問題は大問題です。万博をやることで市民一人当たり2万円の負担、とすでに報じられていて、大阪で生活する人が万博に冷淡になっている背景のひとつになっています。もっと追及していかないといけない問題であることは間違いないです。しかし一方で、財政の問題として語られすぎると、財政分析のできる専門家が話してみんながそれを聴いて学ぶという関係にどうしてもなってしまう。もっとそれだけじゃないところでも問いを広げ声を上げることが僕の問題関心なんです。たとえば、公園、にぎやかに見えるけれどおカネを持ってる人だけが使える公園、おカネを持ってないとおことわりの公園って、公園なの?大学で言うと儲かる大学にならないといけないという、企業的論理でいかに財政を回復させるかにフォーカスを当ててしまっているところが、ぼくらが万博に対してNOと言えなさになっているところが僕の問題意識としてあります。
〇学校では財政や税金の授業をやらないが、私たちが払わないと罰せられるのに使い方については何兆円という会計の中身が明らかにされていない。50年前と同じ考え方で見てもダメ。新しい見方で税金、財政の問題を見ていくことで全体が見えてくるんです。
●原口さん 税金の問題も確かに重要です、その視点をありがとうございます。ぼくとしては路上で声を上げるとか政治のいろんな可能性もあると。
〇私は釜ヶ崎には行ったこともあって大阪でちょっとだけ育ったこともあるのですが、今は東京に住んでいて、このあたりの風景自体がだいぶ変わったなと。そこでもう少し詳しく聞きたいのは、センターが労働者にとっての顔だとおっしゃっていましたが、一つの公共の場所であった。そこでどういうことができて、何をする生活する中でどれだけ必要だったかを教えてください。あと、民間じゃなく公的な場所をみんなで作っていく、みんながどう使いやすい場所にしていくかの実践、それを教えてください。
●釜ヶ崎で共同炊事に参加してる方 ありがとうございます。それすごく大事なお話です。あいりんセンターは70年にできました。70年万博で労働者を集めることと関係してできたと思います。まず、一階の広い場所で日雇い労働者が仕事を求める、探す場所でもあり、行かなかった人あぶれた人が日中を過ごしたり、人と会ってしゃべったり、しゃべらなかったり、将棋指したり、娯楽室もあって居場所だったり。水場もたくさん蛇口があって、シャワー室もあって。いい写真ですね(写真見る)。私自身は閉鎖される前はそんなにたくさん過ごしていたわけじゃないので。でもシャッターが閉められなくなってそこからみんながそこで寝るようになった時の空間もすごく良くて。すごく広いこの場所でみんなそれぞれの場所で布団を敷いて寝たり、私も寝てましたけど、人と集まれるし、屋根があって雨がしのげるし、風もしのげるし、そういう場所ってまちなかにメチャクチャ少ないです。もちろんセンター開いてた頃は夜間閉められていたんですけど。この場所を壊さないでまた開けてほしいなと思うんです。寝るのにいい場所だったなって。追い出されて以降はそこで寝ていた人の何人かは生活保護を申請した後に入る施設に行った人もいるんですけど、ここに入っちゃうともう会えないんです、会いに行っても会わせてもらえない。今も近くで野宿を続けている人もいます、ほんとうに雨の人か困るなと思います。今まではあまり人が寝ていなかったセンターの向かい側の高架下で布団敷いて、3、4人、道の端、駐車場の南側のところに布団敷いて寝てるけど、ギリギリで車が通るし、職安も全部高架下なんですけど、高架下でみんななんとか寝る場所を探して今も野宿していて、なくてもなんとかはするんですけど、やっぱり雨がしのげるああいうセンターみたいな場所は絶対必要。水が自由に使える場所も少なくて、足が悪い人はちょっと離れた公園に行くのもたいへんだし、トイレもそう。あと、ここに行ったら人と会ったりできる場所。今もセンターの前やセンター向かいの仮センターの駐車場とかで会えるし、毎週月曜に寄り合いにもなんとなく来たら��っぱいしゃべれるけど、やっぱりセンターみたいななんとなく人と会えるかなという場所は絶対必要。壊してほしくないな。鋼板も、外してほしくて、鋼板があると狭くて本当に嫌ですね。
●原口さん これは中から撮った写真ですけど、シャッターが閉められて、広大な空間が、今文字通りのデッドスペース、誰も使えない空間になっている。猫が大量にいるという説もありますが、ほんとうかどうか。2019年にあったのは、3月31日にシャッターが下ろされようとして、下ろさせまいと、みんながシャッターの下に体を横たえて阻止した。阻止できちゃった。あの当時みんなこういう感覚だったと思うんですが、阻止できちゃった、どうしようってなった時に、みんな思い思いにやり始めた。ある人は図書館を作り始めたり、ある人はスクリーンを用意していろんな映画を上映できるスペースを作ったり、この空間でいろんな人が集まって、もちろん共同炊事もそうですし、食や本や映画を共有するようなコミューン状態が40日間続いたんです。その場所を奪うな、というのが一番気持ちの中心、思いの中心。今、釜ヶ崎の運動は大きく二つに分かたれてしまって。それは、橋下徹が市長になった時に、西成特区構想というプロジェクトを始めた。これからは西成、この場合釜ヶ崎なんですが、ここへの政策を付ける、えこひいきする、と言いだした。下からの声、現場から出てきたアイデアにカネを付けると。そのあと中身については何も言わず沈黙を作った。その沈黙って、NPOがこれまで実現しなかった政策、案を熱心に作るグループと、まず不当なことに関して声をあげるグループが、それまで距離はありながらもいろんな行動を共にしていたのが、くっきりラインが入ってしまって現在に至るんです。今、争点となっているのは、まちづくり、政策のテーブルに乗ったグループの主張は、「センターという場所を残すのじゃなく、機能を残すのだ。」場所を残せと言うのと機能を残せと言うのは全然違ってくる。機能というのは職業紹介、あるいは雇用保険を受給する、そういう窓口さえ作れば、たとえば40階建ての高層ビルで13、14、15階にそういう窓口を作ったという形になったら���機能は残ったといえるかもしれないけれど、場所は潰されてしまっているわけですよね。そこが大きな論点になっている。僕は、僕の仲間も、場を奪うな、を重視している。この写真、いろんなひとたちにとって、釜ヶ崎の労働者にとっても、今生活保護を受けて暮らしている人びと、あるいは支援という形でかかわった人たちにとっても多分こういった風景は原風景だと思う。基本的に労働市場、いちば、築地の市場と同じように天井がムチャクチャ高いという構造をしていてたくさんの人が集まれる、実際にたくさん集まって、一人一人見ていくと新聞読んでる人もいれば、立ち話してる人もいる、こういう状態が1970年以降続いてきた。この写真の中に職業紹介の窓口機能とか、雇用保険の受付機能とか、一つも映っていない。「機能を残せ」というスローガンだと、この、人が集まってるスペースというのは必ずしも必要じゃない、なくされてもいい、という話になってしまうんです。今、都市開発、ジェ���トリフィケーションの中で奪われようとしているもの、今センターが閉められてしまってそのまわりですごく窮屈にさせられてしまったたけれど、しつこく続けているものが守っている、こういった集まれる場所を釜ヶ崎からなくさせないことだと、僕は思っています。これって釜ヶ崎だけじゃなくていろんな都市の中で自由に集まれる場所、特に雨の日なんかに、公園に行っても雨をしのげる場所って、ここ十年二十年で大阪ではメチャクチャ少なくなった、実はあるんだけど、たとえばタリーズコーヒーとかコーヒー買わないと雨すらしのげない。大きな屋根があるってどれほど重要かという話だと思うんです。それともうひとつは、70年万博が決まって、働き手、労働者が足りないという時に全国から若い単身の労働者をギュウギュウに集めて、結果できたのが今の釜ヶ崎です。70年万博のために作られたと言っても過言ではない街が、今「2025年。70年万博よ、もう一度」とかいう時、「アンタラ価値のある場所を勝手に占拠している、わがままな人たちだ」と言わんばかりに立ち退かされるというのはあまりにひどい、必要な時には働いてね、もう必要なくなったから出ていけ、というのがまかり通っている。この50年スパンで見るとよりクリアに見えると思います。
○今回の万博では、万博関連の仕事があったわけではない、ということですか?東京五輪の時、日雇いの人たちの中に、仕事が増えるんじゃないか、インバウンドで観光客が来て、とか税金使う分、リターンもあるんじゃないかという、オリンピック側も喧伝していたし、長い不況の時代を経て一発逆転、復興五輪というのを期待した人も一定数いたと思うんですが、ふたを開けてみたら結局インバウンドも建設の仕事も大企業が吸い取っていくわけですね。湯水のようにスポンサーが税金を使って、リターンもスポンサーや電通みたいなプロモーターにたまっていく仕組みが明らかになった。労働者の街をつぶしていくってことは、もう初めから仕事はないぞってことかと思って、ふざけんな、としか言いようがない。
○このまえ読んだ本では1929年朝鮮の博覧会の時から、同じで、近隣だけじゃなく遠くの人まで「儲かる」「行くといいことがある」とすごく言われて、行ってみたが、儲けたのは帝国のひとだけ、ということが書いてありました。それと、水道の話、蛇口が3つから一個に、プッシュ式になって不便という話、神宮通公園のトイレもセンサーで水が出る仕組みでやかんに水が汲みづらい。テクノロジーによるいじめ、使い方を限定している。駅の自動改札もそう、改札機能だけでカチカチいわせないから耳の不自由な人には不便。
○そうですね、明治公園も元の明治公園とは似ても似つかない、四季の庭には木がいっぱいあった、広くて、デモ、集会、フリーマーケットもあって、野宿の人もいた、有機的な。今はスターバックスがあって、「インクルーシブ広場」では子どもを遊ばせてくださいね、ここではイベントの趣旨に従って遊んでくださいね、と管理者の想定した使い方しかできない広場になってしまった。機能じゃなくて場所が大事なんだということがすごい重要だと。釜ヶ崎センターも自然環境に例えると、一つの動物がいなくなるとどんどん生態系が崩れるじゃないですか、微生物がいて肉食動物がいて、木から落ち葉が落ちたり、そうやって有機的に成り立っているもんだと思うんですけど、センターもそんな感じがしていて、雇用保険の窓口とかそういうことだけじゃなく、寝る場所があり、人と出会う場所であり、食堂があり、仕事を求めて集まったり、有機的につながって成り立っていた場所をつぶすのは許せない、築地もそうで、ただ市場じゃなく有機的な場所だった、という話で。私たちにとってほんとうに価値の高い場所だけど、資本だとか行政にとって経済的に価値のないものに見えるからメガイベントを引き金にして潰していく。メガイベントは暴力だと強く感じました。
○みなさんにとって1964年東京五輪はどういうモノとしてとらえていますか?私は小学生でしたが高速道路ができてインフラ整備、あと学校にプールができた。
○私が調べた中に、64年オリンピックでブルーのポリバケツ、ごみを入れる容器を普及させ、街をきれいにするキャンペーン、あとお花いっぱいにするキャンペーンが学校と町内会の呼びかけによってなされたというのが出てきます。そこの延長に書かれていたのは、浮浪者、障がい者、街でフラフラしている人を収容するものが必要だということで、大きな精神病院が作られた。郊外に巨大な収容施設がオリンピックのために安心安全を守るために作られた。街にいると困る人を収容するために作られたという64年五輪のレガシーです。今回のオリンピックでも宮下公園がオリンピックを迎えるのにふさわしい公園、安心安全ということで、公共の場がここのみちを歩いてください、ここではトイレに行ってください、ここではちゃんと座ってください、寝ないで座ってください、ここでフットサルをしてください、用途が確定していて、誰もがウチャッと居られる場所はなくしていった。それは安心安全、秩序を守るためにやっている。釜ヶ崎の排除も、そういった治安を守るとかそういうニュアンスがあるんじゃないかと心配があります。釜ヶ崎が男性が多いということもターゲットにされやすいかもしれません。あと、70年万博を調べても、立ちんぼの検挙がものすごい、あったんですよね。それと釜ヶ崎の排除と、別々だったけど、同時に起こったんですよね。釜ヶ崎の人は隣の風俗街に行ってたし、風俗街の人たちもお客さんとそこで賄ってたんだけど、そこで運動がつながれなかったのか、どういうことなのかな、と思っています。今回もストリップ劇場とか立ちんぼの人、が検挙されたり、コロナ中も100人くらい立ちんぼが検挙されてるんですが、安心安全とか、見栄えとか…。この写真(かつてのセンターの中の風景)美しいと思うんですけど、こういったものをこわいという人もいるんだろうな。昨日行ったフィールドワーク、整然とした、高層ビルとか、オリンピック跡地のほうがはるかに恐ろしいと思って気分が悪くなってしまうんですが、向こう側が言う、危ない、コワい、恐怖をあおってくる、そういう教育。道徳教育にオリンピックが組み込まれていってあれを正しいもの、と、正義のようにされていくのとつながっていると思うんです。釜ヶ崎、あんな怖いところはなく��べきだ、と、学校で教育されるんじゃないか、少なくともオリンピック教育は年間36時間されてしまった、かなり大きな罪があるんじゃないかと思うんです。しかも今回は東京からも修学旅行で万博行くと聞いたんですが、釜ヶ崎の排除とか見に行くんじゃないですよね、何が危険とか、何が心地よいか、大きく人びとに影響してくるのを感じます。同時に釜ヶ崎って男性の人が多いんだけれども男性以外のジェンダーの人たちが居られるようにどういうふうに考えるのかっていうのは一方で重要な問題で、それは大阪府とか橋下、吉村にそういった場所を作ってほしいと言うのじゃなく、ちゃんとトランスの人とか女の人が居られる場所を考えていくというのを小さな規模で釜ヶ崎の中で考えていくとか、そういった場を邪魔しないということが重要なんですけど、これが安心安全なんだとトップダウンで上から押さえつけていく装置が万博、オリンピックなんだなあと思います。
○私は64年オリンピックで高速道路、インフラが整備されたという話を聴いて、インフラや高速輸送手段というのは、「通過」だということを本で読んだんですが、通過してしまう、そこの間にある人々の暮らしというのは雑音でしかなくなる、必要なものを必要な時に必要なだけ調達するのに都合のいいシステムを整えるだけで、人びとの積み重ねてきた歴史と暮らしを無視して通過していくものとして思っていて、どんどん通過したり、用途を規定するとか、そういう価値観が進んでいく、前のオリンピックからずっと連綿として、そういう捉え方をしています。
○大阪都構想って何だったのか、どういうふうに開発と結びついているのか、万博とどうつながっているのか。今回釜ヶ崎の排除があった時、西成区役所とか大阪市、大阪府に抗議の電話をしたんですが、僕の住んでいる渋谷区と東京都との役所間の関係とちがう、西成区は上からの府や市に動員掛けられたから出向した、言われたからやっただけ、みたいな、渋谷区と東京都だとそれなりに独自性、自立性ががあって、都に言われたからって区が出向することはあり得ない。都構想は行政間の形をどう変えようとしたのか?それと万博や開発とどう絡んでいるのかを教えてください。
●原口さん 大阪都構想は住民投票で否決されたんです。この十年間で数少ないよかったことの一つです。よく言われるのは「大阪市を守れ」「「大阪市がつぶされる」という理解なんですが、実際、権力の作動の仕方がどう変わってくるかというと、より重要なのは一つは開発を強烈に進めるということなんです。今までは大阪市が大阪府がそれぞれに開発をする。ある場合には連携しなければならない、調整が必要になってくる。もちろん市長や府知事が勝手にやれるわけではない、大阪市議会、大阪府議会にかけなければならない。特定の開発を進めるためにいくつもの調整とプロセスが必要だったんだけど、維新、橋下徹が、「あまりに不合理なシステムだ、動きが遅すぎる」と糾弾してのし上がってきた。都構想になるとふたつの枠組みが一つになるのでトップが決断して議会にかける、今まで承認を得て、調整をしてという合意を取り付けるプロセスのいろいろな段階が取っ払われる、そこがみそだと思うんです。都市にかかわる政策決定っていろいろあると思うんですが、維新というのは���来の自民党より土建的な、極右的、権威的建物を建てたがる。都構想は2度否決されているのでまだこのシステムは完成していない。あと、維新政治の特徴は、「街が安心安全、明るくなった」、雑然としていたところを「明るくした」、「街が良くなった」と成果にするんです。「昔は暗かった天王寺公園を明るくした」とアピールする。明るくすることが良いことだと単純化された思考が加速されています。
●釜ヶ崎で共同炊事に参加している方 子育て世代、子どもや女性の安心安全が口実に使われる。センター前を区役所の人がうろうろしてたので話してみたら、「ここを通学路にするために安全を確保しないといけない」とか言われて、イメージ付けしてくるな、と思ったことがありました。あと、釜ヶ崎は男性の立場の人が多い街で、自分も性加害がほかの場所と比べて多いのかなという偏見をもっていた。性加害は他の場所でもあり、釜ヶ崎がほかの場所と違うということはない。嫌な思いをすることはあるけれど、それは他の場所と変わらない。嫌な思いをする人をできるだけ減らせるよう、みんなで環境を作っていくことを考えている、うまくいっているかわからないけれど、それはどこでもやるべきことだと思っています。
〇僕が釜ヶ崎にいたころは先ほどの写真の頃ほど活気はなかったけれど、多くの人がそこで寝転がったり丁半博打打ったり、荒っぽい人もいて、それも含めて楽しかったんですが、ゼロ年代すでに日雇いの街から福祉の街に変革する時期で2008年最後の暴動が一つの契機になったと思うんです。以前は南海線のガード下にいた手配師、手配師の存在というのは、今では失われた風景になっているのでしょうか?
●釜ヶ崎で共同炊事に参加している方 強制執行の前まではセンターの敷地で早朝、手配師が来て軒下に居たんですが、あそこが鋼板でおおわれてから、向かいの仮センター駐車スペースがその役割として、最大25台くらいしか止められないので、半減でしょうか、正確には言えないですが。今もいると思うんですが圧倒的に少なくなってると思います。
〇今回の万博とそれに付随する事業で、釜ヶ崎に経済的恩恵みたいなものって生まれているんでしょうか?例えば星野リゾートができた、それにより地域に雇用が生まれたとかも含��て。
●原口さん 僕の知る限りでお答えします。前提として70年万博が釜ヶ崎を潤したというのは違う。むしろ大局的に見れば、労働者を全国から集めるだけ集めて、そのあと放置しちゃった。ギュウギュウに集めすぎたのでドヤがのちのカプセルホテルのように寝るだけの部屋になった。部屋に部屋を重ねて高層化して、その中で家事が何回も起こった。ひとたび火事になるとあっという間に全体を燃やす、火事一つとってもそれで命を落とす労働者が何人もいたんです。地域に利益があったかと言うことですが、たとえば、星野リゾートを考えるとわかりやすいと思います。ある人に聞けば利益があるというし、ある人にとってはもう追い出されてばかり、ということになる。星野リゾートが来たら、土地を所有している人にとっては地価が上がって直接メリットになりますが、家を借りている立場だと真���になります。家賃が高くなりますから。経済的恩恵っていうのは地域にあまねく回ると言うより、特定の誰かにはメリットあっても、誰かには全く関係ない、あるいは誰かにとってはとてつもない抑圧やデメリットになる。
〇星野リゾートができたところはもとは市の土地だったわけですよね。公共用地の私有化、どちらかというと私たち搾取されて取られちゃって、たぶん高くない値段で売られた。私の住んでる神奈川でも横浜市役所が移転して旧市役所も星野リゾートに売ったんですけどムチャクチャ安い値段で売って、住民訴訟も起きているんですけど、私たちに還元されなければいけない財産を再開発の名目で搾取されて、今日の話では、釜ヶ崎という街を解体していくわけだから、新しいものにしたとしても私たちの財産は私たちには還元されず、体よく奪われていくということがわかりました。
参加者は多くなかったものの、熱のこもった議論が交わされ、学びの多い集会となりました。オリパラ、万博、もうたくさん。これ以上間違った道を突き進むのは止めないといけないと思いました。
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読んだ本の余韻をそのままに小旅行の記録を残す
三重県の丸善でその本を見つけた時、私はこれを確実にこの年末に読もうと決心したのだった。
私の年末は読書の為にある。
正確に言うなら読書の為にもある。他の目当ても沢山ある。例えば、友達に会うこと。例えば、街を歩いて故郷の空気を胸いっぱいに吸い込むこと。
さて、この年末とは即ち令和6年、西暦2024年12月29日日曜日から31日火曜日までの3日間のことだ。
そしてその本とは古川日出夫「京都という劇場で、パンデミックというオペラを観る」だ。
だから私はこれを携えて西へ帰った。
即ち名古屋から京都へと。
私の実家は京都ではないし、一度も住んではいないが、仮住まいもなかったのだが、「帰った」と言ってはばからない程には故郷のように愛している街である。
私は道中、読んだ。
しかし京都では読んだか。題に謳われし京都に着いて以降は読んだのか。読まなかった。
その代わりに京都を歩いた。
これには書かれていない京都を。即ち洛外を。
洛外のどこであるか。それは京都市伏見区だ。伏見区の稲荷大社だ。
一人でか。否、もう一人いた。大学時代の友人がいて、だから二人だった。
私たちが約束したのは令和6年、西暦2024年12月29日だった。
日曜日と言い添えるべきか。いや、もう書かずとも構わない。
バカンスに曜日は意識されない。
我々はわざと隣の駅で待ち合わせて、二人とも遅刻していて、しかしお互い気にしないで、挨拶を交わして、それから歩いて。
すぐに稲荷大社へ向かう訳ではない。
隣の駅で待ち合わせたのは訳があり、見たいものがあったからだ。
目的の一番目を達する為、京阪電車��龍谷大前深草駅を降り西へ向かう。
そこは普通の文教都市の住宅地である。しかしそこは京都の住宅地だ。並みの街とは、風格が違う。
実はそこにはカタカナ地名がある。漢字を受け入れる前の、日本の、この国の、古い古い記憶が残されている。
それを見る。標識に、看板に、自治会掲示板に。
まず、駅を降りるとそこはススハキ町である。
それからまっすぐ西へ歩き龍谷大学深草キャンパスと京都府警察学校との間を抜けていくとヲカヤ町。
誤字ではない。
地名であるにも関わらずーーー現今の国語体系ではまずありえないことにーーー「を wo」の字を冠する町がある。
それを確認して嬉しくなった所で大学の学舎群に沿ってぐるりと回って戻って来ればケナサ町に至る。
固まって所在する三つの旧い町を見、満足して私達は北進する。
するとすぐ、国際観光都市京都の、Kyotoの、面目躍如であった。
当然日本人もいて、地元の人々や九州人や関東の人がいて国の言葉が飛び交う。しかし同等かそれ以上かと思われる程に肌や、眼や、言葉の違う人がいる。コーカソイドがいて、モンゴロイドがいる。
私たちは本命の目的地に着く。
巨大な二本の鳥居の下を通り、歩く。
山を、神域たる山を登っていく。
千本を優に超えていると思われるほどの夥しい朱の鳥居が続く。
くぐる。
歩いて。
登って下って。
鳥居に挟まれた道は狭い。
狭い参道を歩いて、登って下って、鳥居をくぐり続ける。
参道で産道を連想する。
しかしこの場所で生まれるーーー生まれ直す人の数が、多い。
だから、混んでいる。
稲荷神社の狐は多産の象徴だから正しい状況とすら言えるかも知れない。
自撮りする旅人を抜かし、恋人を「映えスポット」で撮影するこれも旅人をそっと待ってから進み、家族写真を手伝おうか迷って、足を止めるが友人は行ってしまうので追う。
二人は黙って歩いていたのではない。しかし会話を続けるには狭くて、混んでいた。
だから途切れ途切れに言葉を交わした。
私たちは久方の再開をおざなりに寿ぎ、散策を開始し、以降休まず歩き続けているのだった。
体がほぐれ、心拍が上がる。
狭い参道で人を避ける為に縦一列になりまた戻りを繰り返した。並んでいても遠ざかったり肩が触れ合いそうな距離を歩いたりした。
状況に応じて左右を入れ替わったりしている内に奥社奉拝所に出た。
それぞれに願を掛け、おもかる石に挑戦した。
また、歩く。
四辻まで辿り着く頃にはすっかり日が傾いていた。
森は���から黒に移ろい、濃さを増していた。
稲荷山参道の四辻は開けていた。視界が。街に向けて。西を向いて。
国立天文台の発表によると、令和6年、2024年12月28日の京都市における日の入り時刻は16時53分だ。
だからこの思い出はその時刻の頃だった、と後からでも断じることができる。
しかしその日の私はそこで時計を検めなかった。
スマホのカメラを夕焼けに向けながら、しかし画面の隅の時刻は確かめなかった。
バカンスに曜日は必要なく、もう時刻すらも煩わしくなっていた。
ここで明かしておくと、私は稲荷山を登るのは初めての事ではない。
なので四辻が眺望という観点ではゴールであることを知っていた。
なので念の為に尋ねた。友に。まだ、進むのかと。
進む、と友。
応、と私。
四辻の先、山頂へ向かうルートはすぐに角度を増した。我々は試されていた。
我々の腿が、ふくらはぎが、踵が、心臓が。
三の峰、二の峰、最後の一の峰に着く頃には、混雑ではなく疲れから口数が減っていた。
しかし引き返すという手はなかった。
かわりに足を出して歩み続けるのだった。
裏稲荷、という言葉は存在しないが、四辻で右を選び、一の峰、すなわち山頂からそのままぐるりとまた四辻へ戻る道は正に裏、といった風情だった。
日は暮れていた。下り道が続いた。お喋りは減り続けて今や殆ど止んでいた。
電灯がかろうじて鳥居の内側を照らしてるだけで、外側はもう全くの暗がりだった。
自分たち以外の観光客も殆ど見なかった。
四辻でまた観光客を認め、進んで三ツ辻へ再び差し掛かって、先に来た方角へは戻らず、北向きのルートへ入った。
登りと同じだけ人がいるのが道理だと思うが、目の届く範囲が無人であることが多くなる。
二人きりになることが増えた。
闇に包まれているが自分達の道筋だけは明るい。
不安定な傾斜の中で、お喋りの途��れた時、不意にこれまでに感じたことのない種類の親密さを傍らの友に覚えた。
音のない森の中で、それがいつかも分からず、方角をも知らなかった。
上と下、前と後ろ、内と外の別だけがかろうじて残っていた。
幽玄で原始的な感覚の中で傍らの人の存在は強烈だった。確固としていた。
肩が触れた。
そっと手を取りたくなってーーー迷って止した。
今日は本当に楽しかった、私は言った。
そやね、またね、友が言い、分かれた。
互いに交わり合うことのない観光客同士で混雑する、JR稲荷駅と京阪電車伏見稲荷駅の中間地点で、私たちは一人ずつに戻った。
高揚は続いていた。
私は実家へ帰る道すがらまた本を読み、実家で読み、名古屋で帰る道中でまた読んだ。
僅か三日の経過がめぐるましかった。
日常があり、今やそれは休んでおり、非日常なひと時があり、そこで新たな感覚を得、虚構の世界に入り、また出ていこうとしていた。
京都には私の過去が、今が、そして虚構すらもが重なっていた。
境目はあやふやだった。
混ざりつつあった。
帰名の道中、梅田スカイビルを見た。
JR西日本の新快速に乗り、僅か十五分揺られるだけで乗り換えの京都駅に着いた。
乗り換えの合間に京都駅舎を内から外から眺め、観察し、原広司の世界を楽しんだ。
作中、古川が住んでいたという原広司事務所策の借家を思った。
私はこの本のカバー裏に京都駅来訪記念スタンプを押すことにした。
改札の近くまで行くと、南西アジア系の浅黒い肌をした観光客がはしゃぎながら先にスタンプを操作していた。
すぐに私の番になった。
この思い付きはーーー迷わなかった。
ハンドルを下げ、抑える。
手を上げてみると案外インクが薄く、期待外れだったが、これで全てが繋がったと思った。
内と外も。リアルとフィクションも。過去と今も。
ここを地獄の、とは言わないでおく。
ここは国際観光都市Kyoto。
愛する街を離れながら、私は次の本を開いた。

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【かいわいの時】宝暦十四年(1764)四月六日:対馬藩通詞鈴木伝蔵、大坂に滞在中の朝鮮通信使節随員を殺害し出奔(大阪市史編纂所「今日は何の日」)
(事件のあらまし) 朝鮮の上々官名ハとううんとうと申を、対州の家中通詞役鈴木伝蔵といふ者、右上々官を鑓の穂先壱尺斗残し是を以て咽を突通し自害の体をしつらいさし殺しけり。右上々官ハ日本にて大目附役の人なるよし其趣を聞に、西国にて人参を荷打せしと偽りて金銀を私欲したる事ありて此役人に伝蔵より返済せねばならぬ金子有しを毎々催促しける、大坂にて相渡べき約束なりしをいまだ相渡さず、よって厳しく催促致しける故、何とやら私欲の義も露顕に及ぶべきやうになりしゆへ止事を得ず、右のごとく害しける由也(『明和雑記』)。
(犯行現場および時刻) 西本願寺津村別院棕櫚の間(朝鮮人来朝大坂旅館西本願寺座割兼小屋掛絵図)。初七日戊子陰寒(『趙済谷海槎日記』)。コメント欄に写真 ▼朝鮮人来朝大坂旅館西本願寺座割兼小屋掛絵図 조선인래조대판려관서본원사좌할겸소옥괘회도 京都国際学園「関西に残された朝鮮通信使の足跡」より。
(殺害方法および凶器) 寝所へ忍入、鑓の穂先壱尺斗残し是を以て咽を突通し、自害の体をしつらいさし殺しけり(『明和雑記』)。関の兼永の槍(『通航一覧』)長さ4寸ほど(『差上記』)。
(事件の目撃者) このとき賊は、三房格軍(水夫)の姜右文の足を誤って踏み、驚いて目を覚ました姜によって目撃されている(『日東荘遊歌』訳注)。
(指名手配) 一 行年廿六歳 一 背ノ高サ五尺三寸中肉にて顏の色白ク眼は少シ大キク張強シ人体骨柄賤からず 一 其節之着類黒羽二重之袷下には群内大嶋の襦袢 右体之者見付次第訴出候ハゝ御褒美被下候間可遂吟味者也 四月九日(「鈴木伝蔵人相書」)。
(犯行の動機) 崔天悰は高麗人参の密貿易に絡んで鈴木伝蔵を叱責した。事の露見を恐れた伝蔵が崔を殺害した(『明和雑記』『摂陽奇観』)。伝蔵の自白によると、人参の取引がもとで殺したというが、真相は到底わからず(『日東荘遊歌』)。
(事件の背景) 朝鮮と対馬の通詞が手を組んで密貿易(積荷の横領)を繰り返していた(『扶桑録』『東槎日記』「海遊録』)。舞台は主に大坂であり、一行はできるだけ長く大坂にとどまろうとした(『扶桑録』)。「裨将の言うままに放っておい��ら《略》崔天悰事件のようなこと必ずやまた起こるでありましょう」(金仁謙)。※鈴木伝蔵は通信使が絡んだ密貿易の一味。崔天悰もそうであったかは不明。
(事件の余波) この一件を初めに歌舞伎化したのは並木正三で、67年(明和4)2月大坂嵐雛助座(角の芝居)で《世話料理鱸庖丁(すずきぼうちよう)》を上演。史実に近かったため2日間で中止を命ぜられ、ただちに奥州藤原の世界に改めた《今織蝦夷錦》を上演した。『世界大百科事典(旧版)』【韓人漢文手管始】より。
(写真)「世話料理鰭庖丁 絵番付」1467(『摂陽奇観』所収)
(浜松歌国は)鈴木傳藏の朝鮮信使殺害事件を詳記し、次に其の事件があってから四年目、この事件が角の芝居嵐雛助座に於て、並木正三により新狂言に取組まれたことを書き加へたのみでなく、當時板行の繪番附を其のまゝに貼りつけてゐます。この鈴木傳藏事件が上演されたは、歌國が生れる十年前のことで、その當時の繪番附を手に入れることは容易ではなかつたらうと思はれます(校訂者識)。『浪華叢書 第四』より=写真も。
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るんぺんパリ【RunPenParis】

自己紹介 2024年11月4日追記 6116文字】 三重県伊賀市(旧名:上野市)出身 伊賀市(旧名:上野市)に 1976年(3歳)から 1996年(23歳)6月まで住んでいた 1976年以前の記憶と出生は不明 津市にある施設にいたと聞いた覚えがある 三重県亀山市に二つか三つ年上のお兄さんいるらしいが あった事は一度もない 30代の頃に一度だけ電話で話をした 父方に引き取られたお兄さんに 母親の事を聞いた 母親は別の人と再婚し離婚して 娘さんと一緒に暮らしているらしい 父親は再婚して自分と同じぐらい娘さんがいるらしい お兄さんはおじいさんの事を尊敬していて 中国語を勉強してるらしい あとは色々と聞いたけど 覚えているのはそれぐらいの内容で もう二度と話す事はないだろうと その時に思ったけど お兄さんの顔がどんな顔なのかは 見てみたい気持ちは少しある
伊賀市でそこそこ有名なのが 伊賀流忍者で忍者屋敷は今も昔も変わらない内容で 営業している それは去年に末っ子を連れていったから確認済 外観はただの古い家だけど 中に入ると意外と見応えはある 観光施設って感じ 伊賀牛は金谷のすき焼きが有名で 森辻が新しい様相なってから焼肉を食べた 個人的には伊藤の牛丼が好きだ 油が多い感じのお肉だから 100gも食べれば満足感がある 上野天神祭の鬼行列も有名かな ひょろつき鬼が子供の頃は本気で怖かった 銀座通りが歩行者天国になり 的屋がならぶ 高校生の頃はリング焼きが100円ぐらいで 何個も買って食べた 今年は10月18・19・20(金土日) 19(土)は久しぶりに一人で一日中お祭りを楽しむ予定だったけど 昼前から雨が降ってきて鬼行列は中止 午前中は親戚を3件回って、おみやげを渡した 午後に実家によって車を駐車して 歩いて上野天神祭へと向かった いつも泊まる「伊賀上野シティホテル」は1泊10000円以上も高い 16800円だった。この日は駐車場も使えなかった 夜の19時から同級生のお店「クワトロNo.4」に初めていった 30年ぶりにちゃんと会ったガキさんは すぐに気がついてくれた 居心地がよかったので閉店の1時までカクテルを8杯ぐらい呑んだかな 意外と安くて8200円だった 次の20(日)は上野天神祭に参加している同級生のオデに会って 鬼行列の準備風景を写真に撮って 上野天神さんの近く紅梅屋でおみやげを結構買って 桔梗屋で上生菓子とお茶を飲んで 静岡へ帰った 松尾芭蕉は俳句で有名で伊賀出身で 小学生の頃はがっつりと俳句を作らされる 俳句はいやいや作らされたので 俳句番組は見ない 俳聖殿の中には過去の優秀な俳句が収められていたかな 普段はこれといって何もないけど 俳聖殿のたたずまいは何か「The Haiku」という感じ 上野城のお堀の高さ日本2位? 一時期は日本1位説もあった 中学生の頃は上野城で体育の授業があったり クロスカントリーレースで走らされた��� 高校生のデートも上野城が定番だったのか それらしき男女がイチャついていた 夜のライトアップは不気味なお城に見えた 一応、桜の名所なのかな 高校生の頃に一つ年下の子とつきあっていた頃は よく上野城をさんぽした 帰りはその子の家の近くまで送っていった この子はとても純粋な子で 自分にはもったいない子だった 半年もつきあっていないが 今でも純粋で幸せになっているかなと思い出す事もある もう向こうは忘れているだろうけど 伊賀の街には銀座通りとか丸の内とか 東京で聞くような名称が多く使われている 地元のうわさでは東京が伊賀の真似をして 街を作ったとの話がよく出てくるから 誰か本気でテレビとかで調べてほしい気もする いまだに東京が伊賀のマネをした説を 親戚がまじめな顔でいいだす時があるから 本当に真実が知りたいけど 自分が調べるほどは興味がない 2004年(平成16年)11月1日に 伊賀市に変わってから 上野市駅が忍者市駅になり 近鉄の電車だったのが伊賀鉄道になり 電車がコスプレになった 駅前には銀河鉄道999のメーテルと哲郎の銅像があり 産業会館がハイトピア伊賀になった 産業会館だった時にマルキンのパン屋が近くにあった そこのシナモンパンが子供の頃から大好きで 今はもう手に入らない もう一度、あのシナモンパンが食べてみたい あと小さなパチンコ店「マルト」があった 「フルーツパンチ」という機種で勝った覚えがある あと「麻雀物語」もあったかな 「海物語」という機種が記憶の最終機かな 上野で住んでいた時期に一日で20万近く負けて それからパチンコは完全に辞めた じつはその後もたまにしたが 本当に気晴らし程度で その内にきっぱりとやめた スロットが主流になったら なおさら興味すらなくなった 新天地もなんかおしゃれなサビれかたで 「新天地Otonari」となった 街は高校生の頃の面影は薄くなったけど 何となく残っている上野市街は今でも魅力的だ 新天地には映画館もあった気がする 当時は賑やかな商店街だった 当時からあった「喫茶店フランセ」は今もある 大きな化粧品店は更地になっていた 高校の時の知り合いが「クワトロNo.4」という バーを経営しているが、まだ入った事はない いつか行ってみたい気持ちはある ただダーツバーらしく 常連っぽい人たちのたまり場っぽいイメージで 気楽入れなさそうな雰囲気はある 一度だけ朝方にお店の扉までいったけど バーの扉って感じで雰囲気はあった 最近は実家で一人暮らしのおかんの様子を見に よく帰省するようになったけど 若い頃は年一回も帰省しなかった 最近の伊賀でよく立ち寄るのが 「菓匠 桔梗屋織居」と 「HANAMORI COFFEE STAND」と 「岡森書店白鳳店」で 岡森書店は、Kマーホの名で出版した 「トイレの閃き」が背表紙の色が抜けた状態で 25年以上も本棚に置いてくれている これを見ると初心に戻れて まだまた創作していこうとがんばれる この岡森書店の店長さんは従姉の同級生で 小学校の先輩の同級生でもあり この店長の妹さんは自分と同年代で それにしても伊賀は狭いなと感じる
市部という地区だったと思う 近くに市部駅という無人駅がありその近くの 依那古第一保育所に5歳から6歳の2年間通った おかんは自分の送り向かいのために 自転車を乗る練習して そのおかんが運転する自転車の後ろに乗って 途中の田んぼに二人で落ちて 泥だらけになった おかんは去年の年末まで 81歳でまだ自転車に乗って 小田町の坂を下っていたらしい いまは親戚から危ないからと 召し上げられた 小学校6年卒業までは上野市依那具にある 市営の城ケ丘住宅で過ごした この市営住宅はもう40年以上も その雰囲気を変えずに今でも残っている ここは伊賀市の文化遺産にしていいほどの時間が止まった場所だ いまだに汲み取り式の便所の換気の煙突が立ち並んでいる このカオスな感じは小学生の頃の不便な生活を思い出させる あの生活で暮らしたから今があるのは確かだ 小学校の通学路にある 垂園森でよく遊んだ 現在も存在しているが オバケが出そうな森 この森は当時通っていた依那古小学校の校歌の歌詞にも出て来る イメージ的には幽霊が出そうな森だけど 何か不思議な生き物が住んで居そうな森に見えた きつねも出そうだし おばけも幽霊も心霊も もしかするとタイムスリップして 小学生の頃に戻れそうな気もする森だと変な懐かしさを感じる 近くには無人駅の市部駅とにらめっこしている森 中学校から市街の上野城の 城下町で過ごした 当時はカオスな市営城ケ丘住宅から出れる事が本当にうれしかった 小学校までの友達とも飽きてしまっていたので寂しくはなかった 当時から色々な物にすぐに飽きては新しい物が好きだったので そっちのワクワク感で本当にうれしかった そして築20年以上の中古の一軒家で2階建て 自分の部屋がありトイレは汲み取り式だけど洋式で あこがれの上野の街で住める事もあって本当にうれしかった
そして近くの崇廣中学校に通う事に 中学校の3年間は 転校生という立場と 中一で足の骨折 バスケ部の試合で名張の体育館で遊んでいて 二階から飛び降りたら右足のかかとがにヒビが入った その夏にはバスケ部をクビになり陶芸部に入った 中二で腕の骨折 どちらも遊んでいての骨折2回 中三の高校受験で いい想い出は無い
高校2年生で 小学校の時にサッカーで出会った 旧友とバンドを組んだ RCサクセションのコピーで 「雨上がりの夜空に」「トランジスタラジオ」 「ベイベー逃げるんだ」「サマーツアー」 「サントワマミー」「いけないルージュマジック」 「いいことばかりはありゃしない」 「どかどかうるさいR&Rバンド」 旧友が作ったオリジナル曲「ガレージの上のR&Rバンド」 一番のモテ期だった気がする ただバンドをやっている自分を見て 好意を寄せられても��うなと思った バンドをしていない時はただのバイトに明け暮れた 高校生だったから バンドマン目線のそういう女子には興味がなかったから 冷たい感じだったかも 本当にこの時期がこれまでで一番楽しかった。 高校生の頃はたくさん恋をしたが 自分が不器用だったので自分が好きだった人からは つきあえてもすぐにフラれた 人を好きになることに迷走し始めて 最終的に好きになる事はやめて なんとなくという感情で奥手に過ごしていった そのせいか、他校の女子からゲイだとウワサされる事もあった なぜそうなるか不思議だったけど 当時は楽しければなんでもよかった
1993年 一人暮らしを始める やっと自由になった気がした 2年間ぐらいは金が無くて 通帳の残高は毎月マイナス50万 カツカツ生活 家賃と車のローンがきつかった 1996年7月から 2003年7月の 7年間は茨城県と千葉県の県境 利根川の近くに住んでいた この界隈を走るタクシー運転手の 態度は本当にムカつくから こっちも態度悪く乗ると 気分の悪さはお互いさまになる 関東平野は景色が無く ここでの生活は落ち着かなかった 食文化も人も気候も水も 肌に合わなかった 特にうどんの汁が濃いだけのシンプルな味は げんなりさせてもらった ただ寺原駅近くの「ふる川」はよく通った とくにカレーめちゃくちゃ美味かった この「ふる川」は今もやっている 当時はお店の小学生の女の子が手伝っていた 夫婦だけでやっていて 週3回ぐらい夕飯でお世話になった 「さば定食」もよく食べた気がする
1997年から パソコンをミドリ電化で38万で購入して 作詞やネットに興味を持つ まどみちお詩集を読みだす 作詞に近い詩を書き始める 「Kマーホ」という名で 詩を書き始める 目標を300篇と決めて 詩を思いついたら メモをつけるようになる 週末は家に引きこもり 一日中、音楽を聴きながら パソコンがあるのに まだワープロで詩を清書していた
1998年から2002年まで 「Kマーホ」の名で 詩に団体に参加したり 詩の賞に応募したり 詩集を自費出版したり この当時参加していた詩の団体には もうドロドロとした 詩を書く人や あまりにも読み解けない詩や 暴力的な人や いい人もいたけど 自分とは全然目指している方向が 違うので2年目ぐらいで辞めた それからは詩の団体に興味は無くなった それから 自費出版した詩集を 全国の小中学校や 全国の図書館へ寄贈して 活動を休止 理由は2000年に結婚してから 集中して詩を書く時間が無くなってきたから 2002年に2つの詩集を出版して 詩の事は全部段ボール箱へ入れた
2003年から2019年まで 育児に重点を置いて生活をする この時期は友達とも連絡を 切っていたので のちに死亡説や宗教説が出ていたらしい 2003年7月から 現在は静岡県在住 もう20年以上住んでいる
2019年 るんぺんパリ【RunPenParis】の名で 詩を書き始める SNSでの詩の発信を始める るんぺんパリ【RunPenParis】とは フランスはパリの街を ぺんを持って 走るという意味から 【RunPenParis】ができた 1973年8月1日生まれ(もう51歳) しし座 O型 右利き 詩・詩集・ことばをデザイン アート・写真・小説・ペン画 松尾芭蕉の生家がある伊賀市で 十代までを過ごし 俳句が幼少期から 身近に存在していた 二十代から詩を書き始めて 「Kマーホ」名で活動(1999-2002) 詩集6冊を出版して活動休止
その後 松尾芭蕉の俳句のような シンプルな言葉遊びを 詩で出来ないかと考えていた中で 令和元年(2019)に 「るんぺんパリ【RunPenParis】」の名で 活動を再開 SNSに140文字に 言葉をデザインした詩 「140文字詩」を 毎日投稿する活動を始める 2023年9月に140文字詩が 1200作品に到達した事で 「140文字詩」を全国へ さらに世界へと 俳句のように広く知られる 存在になって欲しい ◆るんぺんパリ【RunPenParis】作品一覧 【2023年】Amazonで販売 2023/12/27第2フォト集「ほちきす それでは あかんで」 2023/12/2 第1フォト集「とめても ええか ほちきすで」 2023/11/23 第16詩集「もあいの ねごとを よみとる」 2023/9/16 第15詩集「さんもじ もしくは よんもじ」 2023/9/9 第14詩集「のこりの あぶらは わるもの」 2023/9/2 第13詩集「あそびも しごとも たいふう」 2023/8/26 第12詩集「かいてきな しつどに おぼれる」 【2022年】Amazonで販売 2022/12/6 第11詩集「やくそくは よなかの おひるに」 2022/11/3 第10詩集「みさんがの ともだちの たまんご」 2022/10/7 第9詩集「くうきと さんその かつさんど」 2022/9/3 第8詩集「さついを こめた いもけんぴ」 2022/8/7 アート作品集「やさいに つめる にくえらび」 2022/2/14 アート作品集「よなかに ひかる かみぶくろ」 2022/1/1 第7詩集「みかんの むくちな きもち」 【2021年】Amazonで販売 2021/9/8 第6詩集「そんな ことばは さよなら」 2021/8/3 第5詩集「あさに おくれた なんて」 2021/6/5 第4詩集「すいかの たねの ちょうこく」 2021/5/31 第3詩集「たんぽぽの たまご ひとつで」 【2020年】Amazonで販売 2020/7/27 第2詩集「こよい こよりの そらから」 2020/3/2 詩小説「すきから あいへ おやすみ」 【2019年】Amazonで販売 2019/7/21 第1 詩集「ところで あした あいてる」 ◆Kマーホ 作品一覧(1999-2002) 【2002年】 2002/4/30 第6詩集「眠立体(ねむりったい)」 2002/4/4 第5詩集「コールサック」 【2000年】 2000/7/31 第4詩集「マガサス星人」 2000/1/31 第3詩集「おしりとサドルが あいますか」 【1999年】 1999/8/1 第2詩集「テレビジョン」 1999/5/1 第1詩集「トイレの閃き(ひらめき)」 【受賞】 2001年 詩「眠立体(ねむりったい)」第6回トワイライト文学賞 2000年 詩「永遠の親友」信越郵政局長賞 1999年 詩「トイレの閃き(ひらめき)」第1回万有賞 1998年 作詞「地球のウラハラ」第31回日本作詞大賞新人賞候補ノミネート
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市立游泳池之肛门教学
拉下短袖的运动服,仅印着大大校徽的深蓝色调,看起来单调而无力。裕谷榎所在的那间换衣间有着一道约一个人宽的镜子,刚进来时裕谷还吓了一跳,为什么游泳池的更衣室里会有服饰店才会有的大镜子?这事让他小小好奇了一下。
然而,这好奇只持续了一会,原本因惊讶而上扬的眉毛也顿时垮了下来,他……一点也不想上游泳课。
他不喜欢水,听说是很小的时后再自家的浴缸溺水过所造成的,虽然他对此一点印象有没有,但后遗症一直持续到现在,每次洗澡都只用冲洗,对日本随处可见的澡堂也是避而不见。
这甚至还让同学们以为他是个害羞怕被看的‘小男生’哩!
只不过呀…怕水虽然是其中之一,但真正的原因嘛,他的确不敢看男生们赤身裸体……
不过以上的这些都只是题外话了,此时的榎用着龟速换好了泳裤,不自觉的抬头看了看那大镜子,镜子中的人有着时下年轻人流行烫染的栗子色头发,青春期男生瘦而不弱的身体看起来保含了弹性与活力。
看着自己赤裸的上半身,榎有些不好意思,正推开了更衣室的门,迎面便撞上了人。
「啊,对不起。」
榎抬起头,自己撞上的那个人是同班的井田,由于是刚上高中没多久,对于班上的人都还不熟识,于是他礼貌的到了欠。
「是老师要我来看看你好了没有,全班都在等你哦!」
「啊,我马上就过去。」
才刚开学一个多月就让大家等,怎么说都好像说过不去,榎迅速将装衣服的袋子放进了专让人放东西的柜子,拿出了不久前才买的泳镜泳帽来到了泳池边。
这个市立的游泳池分了四个部份,专门做热水按摩及蒸气室的东区,有比赛规模的二十五公尺长游泳池的北区,以及小孩区的西区。
想当然,为了让学生熟悉水性而归定的教育政策又怎么可能让学生在东区休闲娱乐呢?
「你们都听清楚了吗?谁要是敢给我去东区,这学期你的体育当定了!」
「是。」
「好,那我就把时间交给你们的游泳老师。」
「咦!不是体育老师教吗?」
体育老师摆了摆手,粗旷的大饼脸只说了我不是学游泳的简单带过。
「这样也行?他只是想混吧!」
待体育老师走远,跟榎叫要好的山藤低声的说。
「恩。」
榎附和的点点头,对着体育老师投了个羡慕的眼神。他真的不想游泳啦!
「一直盯着门口,这么想离开吗?」
「我讨厌游泳。」
以为是山藤,榎不假思索的回答。
「噢!这样啊!」
榎眨了眨眼,把眼睛移开了门口,只见自己的正前方站着一个男人,整齐的短发有着刺刺的感觉,身体看起来十分结实,游泳所训练出来的三角肌,上头的两点乳晕成了比黝黑皮肤还要深些的黑色。
「我是市立游泳池的指导教官,我是武藤。」
看到信心十足的帅哥,榎的脸瞬间刷红了,他总觉得武藤的视线让他心跳加速。
「你的脸好红哦,是不是发烧了?」
武藤凑过榎的耳边,挑逗似的吹气。
「没、没有啦!山藤,我们走。」
「啊,可是我们还没做操耶!」
武藤笑着点点头,「对,没做操谁也不能下水。」
说着,便朝班上笑了笑,顿时出现了一些小女生的惊呼声。
榎咬了咬下唇,将手放在自己的胸膛上,试着抚平自己的心跳,只不过他不知道自己这个动作完全被武藤收进眼底。
扒了几下头发,榎温温吞吞的把泳帽戴上,用着龟速挪到了泳池边,将手伸到水里划了划,一点也没有下水的意愿。
「裕谷同学对吧?大家都下水了,怎么你还没下水呢?」
武藤此时走了过来,榎不经意的抬头,迎面却正好对上武藤泳裤下傲人的东西,虽然还没有勃起,但依旧能看出一点轮廓。
榎瞬间害羞的低下头,假装把视线放远。
「难道你就这么怕水吗?」
武藤走到裕谷身旁,蹲了下来。
「我、我可不可以不要下水。」
榎扁了扁嘴,向武藤投出企求的目光。
武藤先是一愣,苦笑的摇摇头,「这可不行,我跟你们学校保证,在期限内一定要?会你们所有人。」
「可是……」
「别可是了,先下水试试看。」武藤用手按住了榎的头,像对小朋友似的揉了揉,接着又邪邪的说:「你在不下水,我就抱你下去哦!」
榎一听,这下脸整个烧至了肩颈,连忙七手八脚的跳进水里。
肌肤甫碰到水的冰冷,榎下意识的打了个冷颤,一是因为还不习惯水里的温度,二是源自对水的恐惧。
他已经好久没有碰过这么多水了,恐惧让他产生错觉,明明只及他胸口的水却彷佛失了底,脚勾不上地的惊慌让他不由自主的挣扎,抓着边角的手因过度用力而泛白,挣扎的举动也惹来其他同学的注意。
「裕谷裕谷,你还好吗?」
「榎,怎么了?」
原本离这有段距离的几位同学开始朝这里靠拢,榎��到众人的靠近,紧张加深了恐惧,挣扎也越厉害了,目前除了家人之外还没有人知道他怕水的毛病,要是在班上传开,他定会因羞愧而一头撞死,他不自觉的闭上眼,眼角湿润却不知是泪水还是挣扎渐上的水滴。
「好了各位,裕谷同学只是热身操没做好,抽筋而已,没什么大不了的。」
武藤低沉的声音蓦然想起,待榎反应过来,自己的身体已经抽离了水,倒坐在泳池边。
而自己的一只脚则被抬到武藤面前,有力却不失温和的按着僵直的肌肉。
「榎你还好吧?刚刚真是吓死我了。」
山藤此时游了过来,趴在岸边看着脸色苍白的裕谷。
榎露出有些惨然的笑,点了点头。
「放心,我已经帮他按摩放松了,不会有事的。山藤你泳技还不错,能不能帮我监看一下同学,小心不要在发生像裕谷同学这样的事了。」
「我知道了。」
山藤点了点头,吸了一口气后,窜入水底,游回了其他同学身旁。
见山藤走远,榎轻轻抽回了脚,小声的道了谢后便不再说话。
「我没想到你的恐水症会这么严重。」武藤叹了一口气,「好点了吗?」
「恩。」
榎不好意思的点点头,武藤笑了笑,拉着榎站了起来,「走吧。」
「走去哪?」
「下水啊。放心,这次我会一直拉着你的手的。」
「咦!」
榎觉得此时自己快要羞死的,靠着岸走的自己像个复健的,更要命的是后头武藤正用着结实的身体紧贴着自己的背,榎能清楚的感觉到后头温热的气息喷上自己的耳朵,以及曲线分明的腹胸三角肌。
「脸这么红,还在害怕吗?」
不知是有意还是无意,武藤说话时对准着榎的耳朵,榎的身体不自觉的颤抖,搔痒感让他低声的呻吟着。
彷佛对榎娇喘产生了感觉,榎只觉得自己的双臀间有一样东西瞬间胀大,彷佛钢铁般无坚不摧的棒子挤进了窄沟,彷佛天生就是用来承载那大东西一般,窄沟吻合的容不下其他东西。
「啊!你……」
「嘘。」武藤偷偷咬了榎的耳朵,「别停下来,继续走,突然这么停了会让人感觉奇怪的。」
「可是教官你……」
「在只有我们两个人时,叫我拓植。」
「有、有其他人啊!」
「谁叫你看其他人的?现在看我就好。」
武藤把有意将头撇过去的榎扳了回来,趁着没有人看见的时候,吻上了那惊慌失措的唇,一只大手则摸上榎泳裤下逐渐萌发的分身。
武藤的舌头像要攻破防御般,来回舔拭着榎的嘴唇,裕谷试着挣扎,却被武藤压的更实,完全没了空隙。
「好孩子,把嘴巴张开。」
「…」
榎没有说话,迳自把眼神移开,武藤像是早就知道会这样的轻笑,原本只是隔着泳裤磨蹭的大掌倏的钻进泳裤里,惹来榎的惊呼。
未等他说话,武藤就趁着他惊呼的缺口,狠狠的吻了上去。
「……呜……别这样……会被人看到。」
残破的句子,由两人交叠的唇中免强挤了出来。
「恩,怕被人看是因为我吻你,还是因为这东西翘的这么高呢?」
武藤顿时玩心大起,将泳裤拉开了一大半,榎的性器便这么大喇喇的现了出来,因武藤推进的压力而被夹在榎和墙壁之间,淫秽的摩擦。
「不要,不要!」
榎挣开武藤对手的压制,捂住了曝了光的白皙性器。
「真的,好吧。」
见榎这么说,武藤放开了手,后退了一步不在紧紧压迫,失去了武藤这强而有力的靠山,榎只觉得有些虚软,但却不顾一切迅速的拉上泳裤。
待一切平息后,榎突然觉得有些失落,正当他想要说什么的时候,武藤突然又黏了过来,「骗你的,就这样放了你我可舍不得。」
「为什么武藤教官要对我这样。」榎睁着刚刚因挣扎而湿润的眼睛。
「为什么嘛,不知道。」武藤耸了耸肩,「刚刚看到你,第一个感觉就是「啊,多么可爱的一个男孩子」」
「胡、胡说什么啊!」
「我发现你真的很容易脸红耶!真可爱!」
「我、我不想理你了啦!」
被武藤这么一笑,榎瞬间窘了起来,闹别扭的像一旁划去。
「嘿,我可还没让你走!」
一手挽住榎的腰,「刚刚的感觉真美妙,我的大东西简直就是为了插进你那,你瞧我们俩的身体真合得来。」
在早晨四周都是人的游泳池角落说这样的话,简直就是变态的行为,但不知怎么的榎听到这话全身都热了起来,脑中不自觉想起刚刚那铁柱般的大玩儿嵌进自己双臀间的感觉。
「啊,我真想就在这儿上了你!」武藤将舌头伸进榎的耳朵内翻转,耳腔中满是湿润淫荡的声音,「今晚这间游泳池会开放收费东区给一般民众,我有这里的钥匙,不会有人来打搅。」
「今晚八点。」
武藤扔下了这一句话,便走开去教其他的学生了,独留下脸仍发热,不知所措的裕谷傻站在那。
接下来发生了什么,榎就不清楚了,他脑子里除了变成糨糊的脑浆外,就什么都装不下,直到回程车上的一个颠簸,才让失了神的榎醒了过来。
扫视了一下车上,大概是游泳游累了的关系,班上除了自己之外全部的人都沉沉的睡去,只留下车子引擎固定而沉稳的声音。
「到底是怎么一回事啊!」
榎独自苦恼的抱着头,他只不过是一个普通的高中男生,就算性向和别人不太一样,但至少大致上来说都算平庸的无趣,为什么像武藤这样的帅哥会看上自己。
甚至还提出那么色的要求……他们明明是第一天见面而已,最让他不安的是,自己好像有这么一点乐在其中………
「糟糕!」
思绪只要一飘到那儿,榎内裤里那个羞人的部位便不由自主的膨胀。
怎么在这呢!有些懊恼的咬咬牙,捂住了那个部位后榎为了怕被人瞧见而缩起了身体,脑海里想着的都是武藤煽情的模样和他大得不像话的部位。
怎么样都坐不稳,今天是礼拜五,补习班没有课,一如往常的看着只在礼拜五拨出的影集,心中的思绪却不断的抽离。
眼睛有一大半的时间是盯着电视机上的时钟,那该死的分针怎么从刚刚就停在三的位置,不是应该已经过了好几十分钟了吗?
榎第一次觉得时间的漫长,现在是六点十五分,离武藤约好的时间还有一百零四分钟又三十三秒…
「我干嘛算的那么清楚!明明就不打算赴约……」
自我吐槽了一番后,榎将视线移回了影集,此时影片中正因剧情需要而拨应出一男一女亲热的画面,当然整个画面不是像三级片那么开放,而是十分有尺度的「滚床单」罢了。
整个镜头绝大部分都是照在白花花的床单上,连最后得画面都交给两个交叠的影子结尾,女主角从头到尾都只是亲来亲去而已,连外套都没脱过。
不过男主角倒是俐落,下半身只剩下一件洗的泛白牛仔裤,上身强壮而结实。
「看就知道是不健康的,哪里像武藤教官的这么自然……为什么我又想到他了!完蛋了啦!」将头埋进大大的抱枕里,榎大叫。
又看了下时间,这次好多了,分针很给面子的多走了十五分,现在是六点半……还有九十分钟又…哇!不要在数了!
终于受不了的榎跳了起来,抓着一旁的钥匙,对在楼下煮饭的母亲说了声后就出了门。
从家里到那个市立泳池大约只要十分钟左右,站在占地颇大的泳池门口,榎小小的愣了一下。
我只是来回绝他的!用着这个藉口,他鼓起了勇气走上了前买了一张票后,走了进去,在途中却只顾着想着回绝武藤的说法,而撞上了人。
「啊,对不起!」
榎对着那人道了声歉,这才发现来人原来是个少年,大约只有国中年纪的轮廓看起来较为稚嫩,灵动的眼睛眨了眨,笑起来像月牙儿般可爱。
道别了这小小的插曲,榎看了看手表发现时间真的还早,可要做其他事却又无法专心。
正当他苦恼要做什么时,却想起自己这样什么都没有带就跑来,会不会有点奇怪呢?
眼角此时瞟见贩卖泳具的附设商店,也没多想就进去了,店里的摆设很简单,也就只是卖那几项东西而已,随便看了几下,榎的视线落在一旁的泳裤上。
为求贴身与不透水,泳裤大多有松紧带所以看起来并没有非常大的差别。
随意浏览了几下,却不知从何下手时,榎才发现自己从没买过泳裤,甚至连进来过贩卖泳具的店都很少,这原因不用想也知道是自己恐水症的关系,试想一个连下水都怕的人,又怎么可能来买什么泳具嘛!
想到这,榎不禁有些自嘲,但却又再下一秒愣住了。
既然自己这么怕水,现在来买什么泳裤啊!最要命的是今天早上除了刚开始发抖害怕外,就没什么再发作了,明明一直都待在水中……
「现在连七点都还没到,你怎么就来了?」
后头倏然传来男人的声音,此时武藤身上仅穿着一件游泳池配给的背心,里头什么也没穿露出条理分明的肌肉,下半身依旧穿着泳裤,却不是早上的略较宽松四角,而是会让人不自觉脸红心跳的紧实三角。
看到武藤这样,榎瞬间又胀红了脸,下意识就要推开武藤,却被他一手抓住拉到胸口贴着。
显然他才刚上岸,身上湿漉漉的都是水,却有着说不出的男人味道。
「是不是八点太久了?其实我也这么觉得。」武藤说着「因为实在等不住,我就到厕所自行解决了,害的早上的泳裤也必须洗了。」
才一来就说这么色的话,榎的脑袋瞬间空白,刚刚想过回绝的话瞬间被抛到爪哇国。
「我……我…」
「恩,你不会什么都没带吧!算了,你泳裤的钱我就帮你垫着,你要用身体补偿回来!」
说着,武藤拉着榎走到了店员面前,「呦,派克。」
「想买什么?」
「我要你里头的那些东西。」
「……哦!真没想到你会用上,你不是��直不想用吗?」
「那是那时候没有对的人,现在不就有了。」武藤拉着榎到派克面前,「很可爱吧,今晚他就是我的了。」
「随便你,高兴就好。」
说着,派克从后头的柜子里拿出了一带东西递给了武藤,武藤想了想后,又拿了个浮板给他,「这个也顺便吧!」
市立泳池北侧的天花板是由强化玻璃制成的,一片片透明的玻璃,将今晚特别圆亮的月光导进了里头,让没有开灯的大泳池别有一番情调。
「今晚的你真美。」
两人都泡在水中,武藤亲吻着已经被扒光了的裕谷,从嘴唇吻到乳头,保含青春弹力的身体比起武藤结实的三角肌多了分韧性和光滑。
月光打下来,彷佛抹上了一层油,滑腻的让人性欲大动。
「不、不要这样。」
「真的?明明阴茎都勃起的厉害,你瞧都弄脏了水。」
粗糙的手指拈起浮在水上,一层半透明却黏稠的液体。
「呜……」
自己淫乱的体液被拿到面前晃了晃,裕谷只觉得全身发烫。
「放心交给我吧,我会把你的恐水症医好,顺便让你学会游泳!」
说着,武藤让裕谷坐在岸边,将他的脚张开到可耻的地步,整个身体挤了进去,视线的前方便是勃发的性器。
「你、你像要做什么!」
裕谷害怕的连忙挣扎,但双脚却被武藤给制住,移动一公分都很艰难。
「为了让你穿上我特地为你准备的东西,你必须先作点准备。」
「准准备?」
武藤点点头,脸倏的低下,将那从未给别人看过的玉茎给含了下去,突然降临的刺激让裕谷不自觉的叫出声!
「嗯啊……武、武藤……你不咿啊…要、什么?」
从没被这样做过的裕谷,虽然口头是这么说,但他并没意识到自己正不自觉的将自己的阴茎挺入武藤嘴里。
「叫我拓植。」武藤让阴茎从嘴里抽离,看到整个茎部闪亮着一层水圈,玩味的伸手弹了弹那敏感的炮口。
「啊──啊,不要……呜……好痛!」
「等会你会爽的。」武藤笑着,将裕谷的臀部抬高,下头禁忌的秘穴像害怕暴露自己的行踪一般缩了缩。
「那里不行……不要!」
因为早就知道自己的性倾向与一般人不同,于是裕谷特地找了些资料,这才害羞的晓得原来那边也能用来做爱。
「看起来很紧呢!」武藤伸出一只手,彷佛探求宝物的猎人,将手指伸进那洞穴中,「啊,里头意外的容易行动,你一定自己玩过,对不对?」
裕谷不敢置信的瞪大眼,他曾因为好奇而把手指伸进去过,但却什么感觉都没有,只是觉得后头堵堵的,但这禁忌的行为加速了他自慰的快感,所以他几乎每次自慰时都会这么做。
「呵,看不出来你这么淫荡,明明就长的这么可爱。」
武藤轻笑,探出了舌头像舔棒棒糖般玩弄着那分身,下头的手也肆无忌惮的攻破城池,刺激着后头不断分泌出滑腻的蜜液。
「啊……身体里头好、好奇怪……」
明明自慰时就没有这种感觉,武藤的手指带给他前所未有的快感,酥麻的感觉在手指的蠕动不停的加深,彷佛要直接刺进心窝的麻痒让他受不瞭的颤抖。
「是自己做的爽,还是我帮你做的呢?」
「……武、拓……拓植的比较……比较爽!」
武藤脸上的笑意更深了,「你叫我的名子时后的样子好淫秽哦!不过我喜欢,再叫我一遍,我今晚就让你射到无力。」
明知道这样不行,但此时的裕谷已经不在乎什么了,他现在唯一想做的便是完完整整的独占且承受男人的一切。
「拓拓植,我要……」
「要?要什么?」武藤将手更深进裕谷的后穴,刺激着不断收缩的内壁。
「……让我射到没力!」
裕谷捂着脸,说出了让人害羞不已的话。
「很好!现在就先让你射一泡好了,今晚夜还长着呢!」
说着,他用力吸吮着情色的前端,后头的手指也深深的插进后穴里,惹得裕谷哭喊着射精。
「一定要穿吗?」
「当然,这可是今晚的前奏之一呢!」
裕谷苦丧着脸从袋子中拿出那件泳裤,泳裤的花样没什么特别的,主要是在它的设计,它的前端有层塑胶片,乍看之下与一般布料没两样,但只要看仔细就能看到一条细细的缝,若从两侧将它拉开,里头龙精虎猛的玩儿就会倏的跑出来。
这还不打紧,最可耻的是后头开了个约食指与姆指圈成的的洞和一些凹槽,若单看泳裤那凹槽根本是多余的,但只要加上配件可就不一样了。
带子里头连着泳裤附赠的,是一条比成人稍短的棒状物体,看就知道是模仿人类器官而微成了弧度,但上头却光滑的像小黄瓜,而旁边就有嵌入凹槽的凸状口。
「穿上它。」带着半强迫的语调,武藤灼灼的目光盯着可怜兮兮弯身穿上那色情泳裤的裕谷,并将他再度拉进水底,小黄瓜状的按摩棒不费力气就深进去里头。
「啊啊啊……哈啊…」
从没有这种刺激的裕谷大声淫叫,抱着武藤的背用力抓着。
「让你在更爽一点。」武藤说着,抓住按摩棒的柄开始不停的摇动。
「咿啊啊啊啊啊!不、不要这样……」
裕谷觉得自己彷佛不是自己了,强烈的快感麻痹了他的下半身,除了淫秽的呻吟之外,他只能不停的抽蓄。
「很爽吧!不过还没有最爽呢!」武藤拿起了刚买的浮板,拿到裕谷面前,「现在我要用你的肛门来教你游泳。」
裕谷整个人趴在浮板上,后头的双脚被残忍的打开,后头的按摩棒并没有震动功能,所以只是安安份份的插进那穴中。
「月光、美人、裸体、水波,真是美景。」
武藤朝着按摩棒拍了一下,只见那鬼东西更深入了裕谷身体里,裕谷的身体又开始颤抖了。
「很爽吧,榎。」
「……一点都不!」裕谷此时扁了扁嘴,大声的叫到。
「这个时候还嘴硬,你下面的嘴可不是这么说的哦!」
「我下面的嘴也不喜欢!……因为不是拓植的!所以我不喜欢!」
裕谷说出了话,让武藤愣了愣,随后露出了满足的笑,「嘴巴什么时候这么甜了?好吧,如你所愿!」
武藤拔出了里头的按摩棒,将泳裤的缺洞和泳裤下不断收缩的小穴露了出来。
「湿的都泛滥成灾了!这么淫荡的身体以后只能给我看,给我干!知道吗?」
裕谷羞愧的点点头,将脸埋在双臂以及浮板之间。
武藤露出了自己硕大的阴茎,贴合的插了进去。
「哇啊啊啊!」「呼──」
两人同时发出了声音,裕谷只觉得自己的屁股好像整个被撑开了一般,武藤的大东西完全贴合着穴壁,散发着灼热与跳动,而武藤则是倒吸了一口气,榎的后穴彷佛要把他吸进去一般不停的收紧,他得将心神把持住才能勉强不立刻射精。
「看着,我这就教你肛门的泳技!」
武藤低哑了嗓子,开始抽动了阴茎,每扯动着裕谷的身体,连着带动浮板,一连串的动作,让整个气氛淫靡到了极点。
才没动几下,裕谷便哭喊着,「我不行了、不行了!拓植……呜哼,我要射了!」浓郁的精液就喷溅了出来,沿着泳裤的缝漏了出来。
「可恶……」
显然也撑不住的武藤将精液一丝不留的射进那销魂的地方。
「哼,是你自己说今晚要射到没力的!你觉悟吧!」
裕谷咬了咬牙,混杂舒服及痛苦的点了点头,随着武藤的力道,他把头转到后头,与武藤接续今早没有完成的深吻。
滟潋波光,在月下的玻璃天花板看去,两人彷佛栖息在水边交配的动物,兽欲蔓延…
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2024年1月1日に発生した「令和6年能登半島地震」。時間を追うごとに被害の大きさがわかってきたが、瓦礫などに埋もれた被災者の生存確率が急激に下がる「発生後72時間」まで間もなくとなった4日午前、首相官邸では「非常災害対策本部」(本部長・岸田文雄首相)の会合が開かれた。 岸田文雄首相は「命を守る観点から重要な被災72時間が経過する本日夕刻までに、総力を挙げて一人でも多くの方を救命・救助できるよう全力で取り組んでほしい」と関係閣僚らに指示した。連日にわたり政府・自衛隊・民間企業が救助にあたっているが、「初動の自衛隊派遣規模が小さかったのではないか」といった声が識者からも聞こえてきている。 「地震が発生したのは1日の16時10分ごろでした。馳浩石川県知事は東京に滞在していたので副知事が現地で対応。馳知事は陸上自衛隊に災害派遣を要請しました。1日夜、木原稔防衛相は1000人規模の自衛隊員が活動を始めたことを明らかにしました。 2022年12月17日、北陸地方への大雪で、国道に多くの車が立ち往生したときは柏崎市・小千谷市・長岡市で延べ940人の自衛隊員が派遣され救助と復旧にあたりました。待機自衛官は8500人程度いたとされますが、今回の災害規模の初動で1000人は少なすぎます」(政治ジャーナリスト) 京都大学の藤井聡教授も自身のXで、台湾からの救助隊派遣の申し出を日本政府が断ったことにも触れながら 《台湾のニュース.台湾が160人規模の救助隊の能登地震派遣を準備し日本からの許可を待っていた所,日本側から「災害の範囲が広がっておらず 支援のニーズがない」と断られ、派遣を断念. 救援隊が足りてるとは思えませんが、岸田内閣は何かに配慮したのでしょうか…!?!?》 と、救援部隊の人数の不足を指摘している。 「災害の規模・広さは大きく違いますが、防衛日報デジタルによると、2011年3月11日に発生した東日本大震災では、発生当日に約8400人の自衛隊員が派遣され、2日後の13日には5万人超、1週間後の18日には10万人超の隊員が派遣されたといいます。 また3月12日には枝野幸男官房長官が会見で自衛隊の航空機300機、艦艇約40隻、海上保安庁の巡視艇322隻、航空機44機、特殊救難隊10名がすでに活動していることなどを明らかにしています。当時の民主党政権の対応が“迅速だった”と評価する声は後を絶ちません」(前出・政治ジャーナリスト) SNSにも、初動1000人、という数字について疑問を呈す声が多い。 《どう考えても1000名では足りん! 小学校の朝礼で並ぶ程度の人数ですよ? 一刻も早く大動員すべき》 《時間との勝負と言いながら、全くスピード感を感じないし、避難所の状況も酷いと避難した人々が嘆いている。阪神大震災の経験者として歯がゆくて仕方がない》 《「救命救助は時間との闘い。......」 にしては少なくても1日遅いと思う》 会見で「私が先頭に立って」と意気込んでいた岸田首相。その言葉に偽りがないところを見せてほしい。
「全くスピード感ない」岸田首相 自衛隊派遣の「初動1000人」に集まる疑問…識者も“人数不足”を指摘(SmartFLASH) - Yahoo!ニュース
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2023年『新語・流行語大賞』ノミネート30語発表!「アイム・ウェアリング・パンツ」「頂き女子」「蛙化現象」など : はちま起稿
・『新語・流行語大賞』ノミネート30語発表 「別班/VIVANT」「アイム・ウェアリング・パンツ!」「新しい学校のリーダーズ」などエンタメ多数 | ORICON NEWS
以下引用
2023年に最も話題を集めた言葉を決める『現代用語の基礎知識 選 2023ユーキャン新語・流行語大賞』のノミネート30語が2日、発表された。 とにかく明るい安村のネタ「I'm wearing pants!(アイム・ウェアリング・パンツ)」や、制服姿の4人組ダンスボーカルユニットの「新しい学校のリーダーズ/首振りダンス」、アニメ『【推しの子】』とYOASOBIの主題歌から「推しの子/アイドル」、TBS系日曜劇場『VIVANT』から「別班/VIVANT(ヴィヴァン)」など、エンタメシーンからのヒットワードが多数ノミネートされた。
■ノミネート語30は以下のとおり(50音順) No. ノミネート語
1. I'm wearing pants!(アイム・ウェアリング・パンツ) とにかく明るい安村
2. 憧れるのをやめましょう WBC・アメリカとの決勝戦で試合前に大谷翔平選手が選手たちに呼びかけた言葉
3. 新しい学校のリーダーズ/首振りダンス 制服姿の4人組ダンスボーカルユニット「新しい学校のリーダーズ」の楽曲
4. 新しい戦前 2022年末『徹子の部屋』に出演したタモリ氏が「来年はどんな年になるでしょう?」と問われて、「新しい戦前になるんじゃないでしょうかね」と発言
5. アレ(A.R.E.) 阪神タイガースが優勝を「アレ」と表現
6. 頂き女子 「パパ活」をさらに悪質にしたもの
7. X(エックス) 旧ツイッターのこと
8. エッフェル姉さん 自民党女性局のフランス研修中、松川るい参院議員らがエッフェル塔のようなポーズで取った写真が炎上したことからついた呼び名
9. NGリスト/ジャニーズ問題 ジャニー喜多川元社長による長年にわたる性加害問題。 会見の際に、指名しない記者をまとめたリスト「NGリスト」の存在も発覚
10. オーバーツーリズム 観光地に観光客が許容量以上に押し寄せて、騒音や渋滞などの問題が発生すること
11. 推しの子/アイドル アニメ『推しの子』とYOASOBI歌唱のOP
12. OSO18/アーバンベア 北海道で放牧中の牛を次々と襲っていた雄のヒグマのコードネーム 近年、市街地に出没するクマが増え「アーバンベア(都市型クマ)」という表現も
13. 蛙化現象 好きな人の些細な行動を目撃して、気持ちが冷めてしまう現象のこと
14. 5類 新型コロナウイルス感染症
15. 10円パン 10円玉の形の生地にチーズなどが練り込まれたパンのことで、若者の間で人気に
16. スエコザサ 植物学者の牧野富太郎をモデルにした、NHK連続テレビ小説『らんまん』最終週の放送タイトルでイネ科の多年草
17. 性加害 ジャニーズ事務所の長年にわたる性加害問題、女性自衛官への訓練中の性暴力。
18. 生成AI テキストや画像など、学習データをもとにオリジナルデータを生成するAI=人工知能。
19. 地球沸騰化 国連のアントニオ・グテーレス事務総長が世界の月間平均気温が過去最高を更新する見通しを受けて発した言葉
20. チャットGPT OpenAI社が2022年11月に公開した生成AI
21. 電動キックボード ボード(厚い板)に立って乗る二輪車で、電動モーターが付いたもの
22. 2024年問題/ライドシェア 2024年4月から、働き方改革関連法の一環でドライバーの労働時間の上限が課され時間外労働時間が制限されることにより起こる問題
23. ひき肉です/ちょんまげ小僧 中学生のユーチューバーグループ「ちょんまげ小僧」から生まれたフレーズ
24. 藤井八冠 6月、将棋の藤井聡太六冠は名人位を獲得し史上5人目、20歳10カ月での最年少で名人に。10月には王座のタイトルも獲得し、前人未踏の八冠に
25. ペッパーミル・パフォーマンス/ラーズ・ヌートバー WBC日本代表ラーズ・ヌートバー選手のパフォーマンス
26. 別班/VIVANT(ヴィヴァン) TBS系ドラマ『VIVANT』、ドラマに登場した自衛隊の秘密情報部隊・別班(べっぱん)が話題に
27. 観る将 ネットやテレビなどで将棋の対局を観戦して楽しむ人のこと
28. 闇バイト 高額な報酬の代わりに、強盗や詐欺など犯罪の実行役を一部分だけ代行すること。高額・短期のアルバイトなどという名目での募集で、気軽に応募する若者たちが犯罪に巻き込まれる特殊詐欺事件や連続強盗事件が各地で相次いだ
29. 4年ぶり/声出し応援 コロナ禍による制限がなくなり、夏の甲子園やプロ野球、Jリーグでも「声出し応援」が解禁
30. Y2K Year2000の略で、2000年代の服装が再流行し、「Y2Kファッション」ともよばれた
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適��鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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旧下谷小学校 思いでの詰まった場所は間もなく失われる
動画も撮影しています↓ https://youtu.be/JTyX4ue5m5M
Please support the production of the work. https://www.amazon.co.jp/hz/wishlist/ls/2FXVF0MKPN1OA?ref_=wl_share
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■旧下谷小学校 見学会①
昨年の旧坂本小学校に続き解体前の見学会。 どちらも廃校となってから久しいのに 最後に思い出を共有する計らいが粋で、流石は台東区!と思う。 しかも入場無料なのにポストカードまで頂いた。
今年は大震災から100年の節目であるが、 その復興事業で建てられた小学校が 現在まで残っていたのだから素晴らしい事だ。 鉄筋コンクリートの耐久性もさる事ながら 相当頑丈に建てられたと感じる。 昭和初期建築ならではのアール・デコデザインも見所のひとつ。 奉安殿を間近で見るのは初めてだった。
7月21日探訪。
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「民主党政権の何が地獄だったのか、きちんとした説明を聞いたことがない」といった主張は定期的に出現しますね。とはいえさすがに「聞いたことない」なんてはずはないので、おそらく「自分の気に入る説明ではない」という意味か、「バカに分かるように説明したところで、そもそもバカは聞いてない」パターンのいずれかとは思いますが。 前回の悪夢のような民主党政権時代を生き抜いてきた者として私が言えるのは、「とにかく、あのような惨劇は二度と繰り返してはならない」ということだけです。 あの時代がいかに酷いものであったか、ご存知ない方もぜひこの機会に知って頂きたいので、支持者から叩かれること覚悟で説明していきますね(過去同様の投稿を複数おこなっていますが、毎回更新改訂しています。今般のバージョンが最新版です)。 個人的に、「悪夢の民主党政権」における大きな問題点は次の3点と考えています。 (1)国家運営能力の欠如により、内政上の失敗を数多く引き起こし、国益を損ない続けた。 (2)拙劣な外交を繰り返し、日米関係をはじめ、周辺諸国からの信頼を大きく毀損した。 (3)総理・閣僚をはじめとする所属議員の度重なる不祥事や、自分たちに都合が悪い情報を隠蔽する体質によって、国民の政治に対する信頼を失い続けた。 では、それぞれどんなことがあったか振り返っていきましょう。これがわずか3年間で起きた出来事です。はらわたが煮えくり返る覚悟で読み進めてください。 (1)国家運営能力の欠如 ・財源の見込みが甘く、政権交代の際に掲げたマニフェストはほぼ未達成。 ・官僚を敵視して排除し、国家業務の停滞と質低下を招いた。 ・金融政策と財政政策が食い違い、タイミングの悪い増税も重なり、景気や株価は低迷を続けた。 ・歴史的水準まで進んだ円高を放置し、デフレを加速させた。 ・法的根拠がないばかりでなく、仕分人の選定や対象事業選定にも透明性を欠いた「事業仕分け」をデフレ時におこない、必要な公共投資を削減。経済を悪化させたにも関わらず、結果に責任を負わなかった。 ・「コンクリートから人へ」という誤った政策により、災害対策を疎かにしたうえ、地域社会を破壊した。 ・「朝鮮王室儀軌引渡」「尖閣事件の船長釈放」「運用3号通知」「国家公務員採用大幅減」など、閣僚たちが思い付きレベルの意思決定を独断でおこない、結果的に我が国の将来に禍根を残した。 ・難民申請から6カ月たった申請者に対し一律に就労できる運用を始めた。 ・司法試験の国籍条項を撤廃。合格した外国人が帰化して裁判官、検察官、弁護士になる道を開いた。 ・法的根拠のない組織を乱立させ、意思決定過程が曖昧になり、指揮命令系統も混乱。 ・法的根拠のない大臣や副大臣を任命したり、個人的な友人を参与に、党職員を内閣官房職員に任命するなど、ルールを無視、公私の別がつかない人事を実施。 ・原発停止、ダム建設中止など、法令根拠や事前協議が必要な決定を手続無視で断行。 (2)外交能力の欠如 ・普天間基地問題が迷走し、沖縄とアメリカの信頼を大きく損なった。 ・来日したオバマ大統領を日本に残したまま、鳩山総理がAPEC首脳会議に出席するためにシンガポールに向かうという非礼行為。 ・尖閣沖漁船衝突事件では、中国側の脅迫や報復に屈して船長を早々に釈放、不起訴に。その後の尖閣諸島国有化でも迷走。 ・領空侵犯が頻発するも、実効的な対策をとらず。 ・防衛上特に秘匿することが必要な「防衛秘密」3万件を破棄。 ・韓国に対しては、通貨スワップ協定締結、朝鮮王室儀軌引渡し、慰安婦問題での「知恵を絞っていきたい」発言など、不用意な譲歩を重ねた。 ・韓国の歴代大統領として初めて、竹島へ李明博大統領が上陸。 ・旧ソ連時代を含めて初めて、北方領土へロシア国家元首が上陸。 ・実現に向けた方策が何ら決まっていない状態で、国連気候変動サミットにおいて「CO2の25%削減」を突如国際公約化。 ・実現の見込みも全くないまま、G8の場で、「太陽光パネルを1000万戸に設置する」と突如国際公約をおこなった。 (3)閣僚・所属議員の度重なる不祥事と情報隠蔽体質 ・鳩山総理⇒偽装献金問題、脱税問題、引退撤回、「最低でも県外」「Trust me」「国民の皆様が聞く耳を持たなくなった」 ・菅(直人)総理⇒外国人献金問題、北朝鮮関係団体献金問題、「顔が見たくなければ法案を通せ」 ・野田総理⇒在日韓国人献金問題、脱税企業献金問題、民団選挙協力お礼発言、「大きな音だね」 ・小沢元代表⇒政治資金規正法違反容疑で強制起訴(無罪判決)、献金虚偽記載で公設秘書が逮捕(有罪判決) ・仙谷官房長官⇒尖閣漁船衝突事件、「自衛隊は暴力装置」 ・赤松農水大臣⇒口蹄疫問題、「だから早く殺せって言ってるのに」 ・松本復興担当大臣⇒「知恵を出さないやつは助けない」「書いたらその社は終わりだから」 ・長妻厚労大臣⇒運用3号独断決定、職務停滞 ・蓮舫行政刷新担当大臣⇒事務所費架空計上問題、国会内ファッション雑誌撮影、「2位じゃダメなんでしょうか?」 ・安住財務大臣⇒「1ドル75.63円の時点で介入を指示した」「学校のプールにガソリンを貯蔵できないか」 ・前原外務大臣⇒外国人から政治献金受領 ・岡田外務大臣⇒「核兵器めぐる日米密約は存在した」 ・川端文科大臣⇒事務所費架空計上問題、キャバクラ費用を政治資金で計上 ・鹿野農水大臣⇒対中不正輸出疑惑、機密漏洩疑惑 ・鉢呂経産大臣⇒(記者の一人に、着ていた防災服をなすりつけ)「放射能つけちゃうぞ」「市街地は人っ子一人いない、まさに『死のまち』」 ・一川防衛大臣⇒「安全保障に関しては素人」 ・柳田法務大臣⇒「答弁は二つだけ覚えておけばいい」 ・山岡消費者担当大臣⇒マルチ商法業者からの献金問題 ・岡崎国家公安委員長⇒議員時代、韓国で日本大使館に対する反日抗議デモに参加 ・中井国家公安委員長⇒議員宿舎にホステス連れ込み&カードキー貸与、式典で秋篠宮ご夫妻に「早く座れよ」とヤジ ・輿石幹事長⇒「間違った情報ばかり流すなら、電波を止めてしまうぞ」「電波が止まったら、お前らリストラどころか、給料をもらえず全員クビになるんだ」 ・小林議員⇒違法献金問題で選対委員長が逮捕、選対幹部が公職選挙法違反で有罪 ・土肥議員⇒竹島領有権放棄を日本側に求める「日韓共同宣言」に署名 ・横峯議員⇒賭けゴルフ、女性暴行、恐喝事件への関与 ・緒方議員⇒「スーパー堤防はスーパー無駄遣い」 ・太田議員⇒「そうでしたっけ? フフフ」 ・原発事故対応(SPEEDI、米実測値の非公表、議事録不作成など)、尖閣ビデオ、北朝鮮ミサイル発射への対応、温暖化対策の家計負担、年金改革の財政試算 など、自分たちに都合が悪い情報は隠蔽し、政府への深刻な不信感を招いた。 ・総理-閣僚間で見解の方向性や意見の不一致が常態化。それらも含め、自民党で同様の事態があれば野党のみならずマスコミも総出で吊し上げられる事態となるが、マスコミも概ね民主党に好意的な報道姿勢。 そんなに民主党時代が良かったなら、下野以降何度でも政権を取り戻すチャンスはあったはず。なのにただ一度もそうなっていないということは、それが民意ということです。私はあんな地獄のような時代は二度と御免です。
Xユーザーの新田 龍さん: 「「民主党政権の何が地獄だったのか、きちんとした説明を聞いたことがない」といった主張は定期的に出現しますね。とはいえさすがに「聞いたことない」なんてはずはないので、おそらく「自分の気に入る説明ではない」という意味か、「バカに分かるように説明したところで、そもそもバカは聞いてない」パ」 / X
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2025/6/25 19:00:16現在のニュース
九州歯科大の50代准教授、複数学生にセクハラ 分限解雇処分に | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/6/25 18:58:11) <社説>日銀と国債 財政とは切り離さねば:東京新聞デジタル([B!]東京新聞, 2025/6/25 18:54:45) 短い脚でかくかく歩く…マヌルネコの赤ちゃん23年ぶり誕生 名古屋(毎日新聞, 2025/6/25 18:53:41) 「円高恐怖症」乗り越える 振り回された金融政策、繰り返す危機 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/6/25 18:51:24) 大阪・西成の集合住宅の女性遺体は52歳住人と判明 夫と連絡取れず(朝日新聞, 2025/6/25 18:50:54) 首相、NATO参加見送りのマイナス面とは 代理の外相が連携訴え(朝日新聞, 2025/6/25 18:50:54) 銅線窃盗「怒りしかない」 守谷の野球場、照明送電用が手荒く切断 交換に1000万円 復旧見込めず:東京新聞デジタル([B!]東京新聞, 2025/6/25 18:48:17) 「ヌートバーマンホール」が野球と縁深い埼玉の神社に登場 大リーグ機構が企画、ほかにも11選手分が全国に:東京新聞デジタル([B!]東京新聞, 2025/6/25 18:48:17) 九州歯科大の50代准教授、複数学生にセクハラ 分限解雇処分に(毎日新聞, 2025/6/25 18:46:22) 中学生らを「受け子」に勧誘か 道仁会傘下組織組員を詐欺容疑で逮捕(毎日新聞, 2025/6/25 18:46:22) 札幌の住宅街にヒグマ 体長1・5メートル 近くに小中学校や観光地の円山動物園も([B!]産経新聞, 2025/6/25 18:46:05) 温暖化なのに…冬には寒波・大雪が押し寄せる 北極の渦が招く「謎」 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/6/25 18:45:41) 佳子さま、日本とブラジルが「寄り添い続ける未来を思い描く」と感想(朝日新聞, 2025/6/25 18:43:22) 日本は核兵器にノーを 南こうせつさんが見た、ぎゅうぎゅうのベッド:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/6/25 18:42:14) 米国へのフェンタニル密輸、日本経由か 中国組織が名古屋に拠点 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/6/25 18:40:16) 違反走行黙認疑いのモペット販売店 警察の指導従わず 違法性認識か(毎日新聞, 2025/6/25 18:38:52) 「誰を信じれば」児童の親から漏れる不安 盗撮・共有容疑で教員逮捕(毎日新聞, 2025/6/25 18:38:52) 玉木氏「拙い表現を反省」 英語での発言釈明、「女性蔑視」批判受け:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/6/25 18:37:09) 言葉との出会い重ねて 40言語超操るEUの翻訳家 「ほとんど恋」:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/6/25 18:37:09) 「入札備蓄米」の販売鈍らず 9割超落札のJA全農、流通遅れを否定(朝日新聞, 2025/6/25 18:35:54) ミャンマー軍事政権、「スーチー氏の誕生日祝う動画」投稿の4人逮捕(毎日新聞, 2025/6/25 18:31:11)
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美国移民政策撕裂知识共同体
2025年1月,特朗普政府签署《高等教育主权法案》(S.3867),要求常春藤联盟院校将国际生比例压缩至5%以下,并以防止技术泄露为由禁止STEM专业招收外国学生。这项被称作学术版穆斯林禁令的政策,不仅使哈佛大学等顶尖学府丧失36%的研究生源,更让全球45万申请者陷入签证黑箱。当白宫将留学生签证与美国知识主权绑定,我们目睹的不仅是教育体系的崩塌,更是一个国家自毁创新根基的历史性错误。
法案签署当月,麻省理工学院被迫撤销2147份录取通知,其计算机科学专业出现60%的师资缺口。加州大学系统因中国学生集体撤资,32个实验室陷入停摆。这种系统性排斥早有预兆:2024年国会通过的《关键技术保护法》已将14所中国高校列入实体清单,任何曾在此就读的学者禁止进入美国实验室。美国大学协会数据显示,2025年秋季国际研究生申请量骤降78%,创下1946年以来最大跌幅。政府的技术洁癖正在制造反智荒诞剧。普林斯顿高等研究院因印度籍数学家拒绝入境,导致纳什均衡论后续研究中断;斯坦福人工智能实验室因无法续签伊朗博士后签证,被迫放弃脑机接口项目。这种安全偏执实质是知识领域的麦卡锡主义—当国家安全顾问声称每个微分方程都可能隐藏密码,他们扼杀的是爱因斯坦移民美国时带来的相对论,是钱学森叩开NASA大门的火箭公式。
特朗普政府显然误判了全球智力市场的竞争格局。在美国筑起学术高墙时,英国推出全球英才签证,48小时内向顶尖学者发放绿卡;德国设立150亿欧元学术赎买基金,专项吸纳被美国拒签的研究团队;中国启动灯塔计划,为弃美留学生提供全额奖学金及国家级实验室准入。这种此消彼长的智力迁移,正在重构世界创新版图。美国企业的技术断供危机已然显现。微软研究院因无法雇佣国际算法工程师,被迫放弃量子计算项目;特斯拉上海超级工厂的工程师回流潮,导致得州Cybertruck生产线良品率暴跌40%。更严峻的是,国家科学基金会发现,2025年美国在《自然》杂志的论文贡献率下降至18%,首次被欧盟超越。当波士顿动力公司的韩国团队集体回国创业,当OpenAI的印度裔首席科学家转投新加坡,硅谷的黄昏比预想中来得更早。
而今,当白宫将陈旧的种族主义剧本套用在全球化人才身上,他们摧毁的是麻省理工学院的核聚变装置,是加州理工系外行星探测器的数据模块,是约翰霍普金斯大学冷冻电镜下的蛋白质结构——这些本属于全人类的智慧结晶。在法案生效次日,哈佛广场的约翰·哈佛雕像被学生披上囚服,手中典籍被换成铁链缠绕的地球仪。这个充满象征意味的行为艺术,提醒世人注意一个残酷现实:当知识流动被人为阻断时,被囚禁的不仅是求学者的人生,更是人类突破认知边界的可能。从1636年哈佛创立时招收第一名国际学生开始,美国用四个世纪建立的学术理想国,正在被政治短视撕成碎片。当自由女神手中的火炬不再照亮求知的航路,熄灭的将是整个文明的灯塔。
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