#旬を楽しむ日々の料理
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ついに大阪万博開幕!フィンランドデーもあるよ
直接カーリヤとは関係ありませんが、せっかくカーリヤを通じて好きになったフィンランド。そんなフィンランドを含む北欧の文化に、日本にいながらにして触れられるビッグイベント「大阪・関西万博」がついに開幕しましたので、参加予定の自分や、ちょっと行ってみたいかもというカーリヤ(&フィンランド)ファンのための備忘メモとして少しだけご紹介したいと思います。
■フィンランドのパビリオンはあるの?
今回の万博にフィンランド単体のパビリオンというものはなく、フィンランド・デンマーク・アイスランド・ノルウェー・スウェーデンの北欧5か国が共同で出展する北欧パビリオン「ノルディック・サークル」がお目見えしています。
instagram
場所は、この地図(公式マップのスクショ)で黒丸で囲んだところ。
どんなものが見れるのか、どんな体験ができるのかは、こちらのプレスリリースと、ニュース動画が簡潔にまとまっています。
youtube
メインとなるのは、北欧の風景の没入型展示、北欧を代表するキャラクターやブランドのグッズショップ、そして北欧料理を味わえるレストランの3つ。
ちなみに、パビリオンによっては万博の入場チケット購入のほかにパビリオン��場予約が必要なところもありますが、北欧パビリオンは予約不要で入れます。
詳細な情報は以下で確認しよう!
・公式HP ・公式X・公式Instagram ・公式facebook
■6月12日(木)はフィンランドデー!
万博期間中、ほぼ毎日のように開催されるのが、世界各国の「ナショナルデー」。ナショナルデーとはどういうものかというと…(万博公式サイトより引用)
万博会期中、万博に公式に参加する国・地域や国際機関「公式参加者」が1日ずつナショナルデー(国・地域)またはスペシャルデー(国際機関)を開催します。ナショナルデー、スペシャルデーは、それぞれの公式参加者の参加を称える日で、公式参加者の文化に対する理解を深め、国際親善の増進に寄与することを目的に行います。 当日は、公式参加者が国内外の賓客や一般の来場者を招いて行う式典と文化イベントが行われ、多様な文化や特色に触れ、楽しむことができます。
ということで、当然フィンランドデーというのもあるわけで、それが6月12日です!私はこの日のチケットを購入��ました😊
公式発表されているフィンランドデーのイベントは2つ。
①「フィンランド しあわせの日
公式ナショナルデー式典と文化プログラム」
日 時:6/12(木)10:30開場 11:00開演
会 場:レイガーデン
(東ゲートゾーン EXPO ナショナルデーホール)
参加方法:当日自由参加
※公式アプリによるバーチャル参加も可
内 容:公式セレモニー、2組のアーティストの出演
☆公式HPはこちら
② パーティ・ライク・ア・フィン - ロックとファッション
日 時:6/12(木)17:30開場 18:00開演
会 場:レイガーデン
参加方法:要予約(抽選対象)
内 容:ファッションショー、ロックコンサート
☆公式HPはこちら
イベントについては、こちらのメディアカンファレンスをまとめた記事もご参照ください。
記事中から引用すると、
音楽やファッションショー、さらにはサウナ体験も計画されており、フィンランド独自のライフスタイルを体験できる1日となるでしょう。 特に注目すべきは、フィンランドの象徴的なキャラクターが登場するイベントです。 クリスマスに関連する「サンタクロース」と、人気キャラクターが来場者を迎え、特別な思い出を作る機会を提供します。
フィンランド大使館のXでも、サンタクロースと「谷」からのゲスト、的なことが書いていたのでこれはムーミンで間違いないでしょう。
もうイベント日まで2か月切ってますが、4月14日現在、まだ②のイベントの予約も始まってないですし、これ以上の詳細情報は出ておりません…。
ちなみに4/24に開催するデンマークのナショナルデーの詳細についても、ようやく発表されたのが3月下旬だったので、フィンランドデーの詳細発表ももう少しかかりそう…笑
ちなみに会場は北欧パビリオンではなく「レイガーデン」というイベントスペース。場所はこちらの地図の黒丸のところです。
ということで、フィンランドデーを楽しみ、かつ北欧パビリオンも見たい、という方は、東ゲートから入るのがよいでしょう!
万博会場へのアクセスは公式HPからご確認いただければと思いますが、東ゲートに近い公共交通機関は電車のみとなりますのでご注意を!(※バスはすべて西ゲート)
…さて、フィンランドデーに出演するアーティスト、まだ発表されていませんが、当然、フィンランドを代表する方々が呼ばれるであろうというわけで…こちらの方は来てくれませんかねえ~?!
うっすい期待だけもって続報を待ちます😂
screenshot from IG:paidatonriehuja
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私事にはなるが、イスラエルから日本に避難したときに心配してくれた人も多かったので近況を少し書いておく。 3ヶ月の間に国を跨いだ引っ越しを2回したわけだが、あまりにやることが多い上に家を転々としたり不運が重なりすぎて自分の限界を超えてメンタルをやられた。 しかし1年経った今では貴重な経験だったなと思っているので、大抵のことは時間が解決するなと改めて感じた。 直接会った友人には話していたが、2023年12月にドバイに家族4人+1匹で引っ越した。 中東から中東に引っ越した日本人は珍しいのではないだろうか。 ユダヤ教の国からイスラム教の国への移動となると数えられるほどかもしれない。 引っ越しの過程で多くの人にお世話になったので少し書いておきたい。 イスラエルでは数え切れないほど多くの人達に助けてもらったので本当はその全てを書きたいが、恐らくそれだけで一つの記事になってしまうし今回の内容がブレるので一旦触れないでおく。 マスメディアやSNSは国際情勢に関して誤った情報や偏った情報を流すことが多いので、全てを鵜呑みにしないほうが良いということだけは言っておきたい。 まず2023年10月にイスラエルから日本に避難した。 自分は残りたかったが二人目の子供が生まれたばかりで、家族が不安になることは避けたかった。 空港に到着したときには多くの取材が来ていて、NHKニュースやYahoo!ニュースに載ったので図らずも全国的に帰国が公開された。 急遽最低限の荷物だけまとめて飛び出してきて疲弊していたので静かに帰国したかったのだが、連絡をくれた人も多かったので結果的には良かった。 東京は移動の疲れを取るために数日だけ滞在し、その後は妻の実家の熊本にお世話になった。 最初はAirbnbに泊まったり妻の祖母宅に泊まらせてもらったりしていたが、やはり家族4人が長く住み続けるのは難しかった。 そこで家がなくて困っているという話をしたら、宇城市役所の方が熊本地震の際に建てられた仮設住宅を使わせてくれた。 月数千円で使わせてくれて感謝しかないのに「無料じゃなくてすみません」と謝られた。 本来は手続きも時間がかかるはずなのに、緊急避難ということですぐに住まわせてくれたし宇城市には頭が上がらない。 幸い夫婦どちらも好きな場所で働ける仕事ではあったが、子供の保育園は必要だった。 そこで急遽近くの保育園に申し込んだのだが、一時預かりの扱いになってしまうので一日三千円程度かかってしまうと謝られた。 突然連れてきて受け入れてくれるだけでこの上なくありがたいのだが、園長先生が市の職員と話してくれて住民票を入れれば無料になるようにしてくれた。 宇城市には聖人しかいないのかなと思った。 イスラエルの家賃や保育園代も払い続けていて金銭的にもしんどかったし、先行きも不透明で精神的にもしんどかったので、本当に救われた。 仮設住宅に住み始めたが家具はなかったので、妻のお母さんの友人が要らない家具を提供してくれたエピソードなどもあるし、とにかく宇城市は聖人しかいない。 そのまま日本に住み続けるのも選択肢ではあったが、犬をイスラエルのドッグペンションに預けていたので自分だけでも早く戻りたかった。 しかしいつ戦争が落ち着くかわからなかったので、自分だけ戻ると妻や子供とは離れ離れになってしまう問題があった。 それとは別に日本で仕事をするのは難しいことも分かった。 自分の勤めている会社は日本人がおらず、ビデオ会議は基本的にアメリカやヨーロッパのタイムゾーンに合わせて行われる。 そうなると日本は夜中になってしまう。 一人暮らしのときは昼夜逆転していたのでそれでも良かったが、子供がいる状況では厳しい。 他にも色々理由はあるが、やはりヨーロッパタイムゾーン(GMT+4 ~ GMT-1ぐらい)に住むのが良いだろうと考え、その近辺ですぐにビザが取得できる国を探した。 最近だとノマドビザで1-2年間住める国もあるので選択肢は割と多かった。 色々比較した結果、ドバイが一番条件に合致することが分かった。 ドバイは一度旅行したことがあり、その時の楽しかった経験も後押しとなった。 ただドバイは住むところじゃないだろうという先入観があったのだが、ちゃんと調べてみたらイメージとかなり違ったので、勝手な想像で判断するのは良くない。 決めてからはすぐに動いた。 10月中旬に日本に避難してきて11月末にはドバイに移動したので、かなりのスピード感だった。 ドバイには11月末に一人で先に来て一週間でビザや家の契約などをして、それからすぐにイスラエルに行ってさらに一週間で家を引き払ったり犬を連れてきたりしていた。 ドバイに着いたら上に書いたように犬が行方不明になった上にロストバゲージが起こってスーツケースも失った。 その時の自分はとにかく犬を飛行機に乗せる手続きで頭が一杯で、機内持ち込みの荷物に少し分散しておくということまで頭が回らずスーツケースに着替えなど全て入れていたので一気に失った。 手ぶらでよく��らない中東の国に一人放り出された。 ちなみにそのわずか1ヶ月後に再度ロストバゲージしたのでトラブルに巻き込まれる才能がある。 そして空港の職員は平気で無責任なことをいうので、何度聞いても「もうすぐ出てくるから」と手荷物受取所で誰もいなくなっても待たされた。 到着は20時ぐらいだったが22時ぐらいまで手荷物受取所で待たされ、さすがに限界だったので職員に「もう荷物は諦める」と言って一緒に到着しているはずの犬を探し始めた。 荷物も到着していないし犬も到着していないのでは?と気が気ではなかったが、予想通り上に書いたように次々と嘘の場所へ案内され不安は増すばかりだった。 25時過ぎにようやくうちの犬がいるらしき場所に到着したが、ワクチン接種の証明書が不足しているから会わせられないと言われた。 そういうことにならないように動物輸送業者にお金を払って必要書類を過不足なく揃えてもらったにも関わらずこの有り様なので、メンタルが強くないと生きていけない。 既に4年以上そういう環境で生きてきた自分はそれでもめげず、頼むから何とかしてくれとしつこくお願いしたら夜中にも関わらず割増料金で獣医を呼んでくれた。 お金を払えば何とかなるところはさすがドバイ。 獣医は即座にその場でワクチン接種し、証明書を発行してくれた。 2万円以上も取られてうっ...となったが、解放された犬と再会できた喜びでそんな感情は吹き飛んだ。 いざタクシーに乗って宿泊先に向かおうとしたらドバイでは犬はタクシーに乗せられないと言われた。 事前調べが不足していた自分のミスだが既に26時ぐらいだったのでどうしようもなく途方に暮れた。 しかしパキスタンの人が「日本人だろ?パキスタンと日本は仲いいから助けてやるぜ」と助けてくれた。 そんな交友があったことすら知らなかった自分を恥じた。 ありがとうパキスタン。 それ以降、パキスタンのニュースを意識するようになった。
ドバイに引っ越して1年経った感想 - knqyf263's blog
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ダイコン
大根は、アブラナ科に属する二年生植物で、根菜として広く利用されている野菜です。日本料理では欠かせない食材の一つで、特に冬が旬とされています。大根は様々な調理法で食べられますが、味噌汁の具材として使われることも多く、定番の組み合わせです。大根のさっぱりとした味わいと、味噌の風味がよく合います。味噌汁に入れる大根は、薄切りやいちょう切り、半月切りなど様々な切り方で楽しむことができ、食感や見た目の変化を楽しむことができます。また、大根は消化を助ける酵素を含み、胃腸の働きを整える効果もあると言われ、温かい味噌汁で体を温めながら栄養を摂取できる、冬にぴったりの組み合わせです。
手抜きイラスト集
#大根(味噌汁)#Daikon (miso soup)#Ravanello (zuppa di miso)#Rábano (sopa de miso)#Rettich (Miso-Suppe)#Radis (soupe miso)#手抜きイラスト#Japonais#bearbench#art#artwork#illustration#painting
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GW辺りに札幌に行こうと思っています。おすすめの、絶対行ったほうがよい場所を教えていただけないでしょうか。カフェとかレストランとか美術館とか美術館とか…。あと夜パフェに行きたいので、どこを選ぶと間違いないか教えてほしいです。あともしかしたら注意したほうが良いことがあれば教えていただきたいです。
こんな質問がたまにDMでも来るので、いつも楽しく回答しています。あなたの住む街に行くときはおすすめを教えてくださいね。札幌というワードで、わたしを思い出してくれるのが嬉しい。
パフェの語源はフランス語の“完璧”から来ているそうですね。夜パフェはカフェテリアパルが間違いないです。人匙ごとに味や食感が変わり、その美味しさにくらりと来ます。パフェって素晴らしい。価格帯が高めなのにいつも行列です。札幌の夜パフェは締めパフェなので、21時ごろから混み合います。すすきのでの1件目を手早く切り上げるのがおすすめです。
他にもパルよりは価格が安めな“ななかま堂”やお酒とのペアリングを楽しむ“ペンギン堂”とかもあります。クセ強店主がやっている“ぴーぷる・ぴーぷ”は色々な掟があり、確実に終電を逃しますが札幌名物って言えば名物なのかもしれません。夜ではないですが、札幌で1番美味しいパフェは“くなう”というアパートの一室で営われる喫茶“室”で、るるぶやSNSには掲載されません。アパートの一室と言えども、黒い壁紙にレースのカーテンが揺らめくだけの内装。華美ではなく、ただただ美しいパフェは美術品のようです。その甘みに背筋が伸びる。なんだか神様との対話みたいだなと思いながら食べています。勝手に“札幌で1番天国に近い場所”と呼んでいます。
どうしましょう。パフェの話だけでこんなに行数を使ってしまいました。あなたのために続けますね。北海道でみれば美術館は多いですが、札幌に屋内の美術館は少ない気がします。札幌にある北海道立近代美術館や札幌芸術の森美術館は気になった特別展の時に行く程度です。風が寒くなければ、モエレ沼公園なんてどうでしょう。イサムノグチが作った彫刻公園です。モエレ沼まで行かなくとも、街中を歩いていると、野外彫刻をよく見かけるのも札幌の小さな楽しみです。大通公園を西に降って散歩するのも面白いかもしれないですね。札幌の中心は、大通りで分断して北と南、創成川で東と西に分断した碁盤の目のような住所をしています。札幌で定められている景観色に則った建物が整然と並ぶので、他の政令都市とは違う空気感に包まれた街並みです。https://artpark.or.jp/sansaku/
よくお一人様をしてカフェを探訪していました。上記した“くなう”はパフェとして完成され過ぎている。お一人様専用なってはしまいますが“カルメル堂”は、深海のような濃いブルーの壁紙の内側でゆったりと過ごせます。季節ごとに出す甘味が変わり、5月はプリンとラムレーズンどら焼きだった気がします。わたしは7月の珈琲あんみつが梅酒寒天が乗ってて好き。“ギャラリー犬養”は、わたしが菊水に住むひとつの理由になった喫茶店です。大通り駅から地下鉄で2駅なので行きやすいかと思いますが、住宅街の奥にあるから迷いやすいかも。聞き馴染みのない西洋の伝統的なケーキが沢山あってどれも美味しい。食べた後に河川敷を散歩するのが好きでした。“喫茶店つばらつばら”と“石田珈琲店”、“一粒の麦”も好きです。
食は飲酒に重きを置いた人間なのでレストランには疎いですが、二四軒にある“ユニヴェール エス”は友人が修行していた洋食屋です。一皿一皿がキラキラして見えるのはきっととてつもなくこだわり抜かれているからなのでしょうね。後は、また菊水になってしまいますが”プティットレジョン”はフランスの家庭料理を出すビストロです。店内を一歩入ればそこは南フランス。ここもまた美味しいです。
注意することと言えば、気温でしょうか。北海道の桜はGWに咲くので、そのくらいの気温で、風も強い日が多い印象です。GWでの札幌観光ということで、移動は公���機関を想定しておすすめしてみました。土日祝日は、地下鉄が540円で1日乗り放題のドニチカという切符が買えます。おすすめしたモエレ沼公園以外は地下鉄だけで移動できます。特にカフェに関しては地下鉄で行けるものをピックアップしてみたので、レンタカーを使用するのであればまたお知らせくださいね。
5月中旬以降であればライラック祭りが大通公園で開催されます。金木犀と同じモクセイ科なので、とてもいい匂いがする薄紫の花の木です。札幌市のシンボルで、自生できる南限は関東らしいですね。大通公園のベンチの横にライラックが植えられているので、花の下でゆっくりするのが好きです。今年は雪解けも早そうなので、あなたが来る頃にライラックが咲いていたなら嬉しいな。旅行から帰ったらまた、質問箱でも良いので、札幌でのお話を一緒にしましょうね。

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さあ、今度は「オランダ人による洋食伝来」が始まると思いきや、出島に引っ越して来たオランダ人もポルトガル人同様に「隔離」されてしまいました。「布教しない」と約束したにもかかわらず、幕府は出島からの外出を許さなかったのです。町中で一緒に生活することで「一般の人たち」に広く伝わった洋食は、今度は出島に入る事ができた「少数の関係者」��けに伝わる限定的なものになりました。 オランダ人たちの食事を垣間見ることができる「少数の関係者」とは、どういう人たちでしょうか。まずは長崎奉行所の「役人」、通訳係の「通詞」、人の出入りを監理していた「乙名(おとな)」、丸山の「遊女」、見学に来た「大名」や「知識人」も出入りしました。こうして見聞されたオランダ人の「洋食」は、見聞録などの「書籍」になって出版、世に知らされます。平賀源内の門人で蘭学者の森島中(ちゅう)良(りょう)は、著書『紅毛雑話』の中で、大槻(おおつき)玄沢(げんたく)が天明5年の「オランダ正月」に参加した時の献立について記録しています。オランダ正月とは、オランダ人が太陽暦の1月1日(旧���ではだいだい12月上旬)を祝う行事で、日頃世話になっている日本人関係者を招待した「ニューイヤー・パーティー」です。スープからデザート菓子まで19種類もの豪華メニューで、それぞれの料理の材料まで明記されていました。中でも肉料理は多く、「牛」「鹿」「猪」「鶏」を煮たり焼いたり8種類もありました。玄沢は、江戸に戻って蘭学研究者の集い「新元会」を発足、元旦に召集し「オランダ正月」を再現しています。これが江戸における洋食の先駆けになりました。 "薬"だったらOK! ところで、オランダ正月には、面白い習わしがありました。食事がはじまって、まず一同がスープを飲み始めます。ここまでは普通です。問題はその後。以降のメニューには一口、二口「味見をする程度」で丸々食べ残します。するとタイミングよく「一枚の皿」が用意され、各料理が詰め込まれます。西洋料理でいっぱいになった皿には「宛先」が記された紙が貼られて、家族や知人に届けられるのです。届いた料理はどうなったのでしょう。もちろん食されるのですが、「食事」としてではなく「薬」としてでした。出島の商館医だったツンベリーは『日本旅行記』に次のように書いています。 「日本人は肉、バター或は塩で加工された食品は普通食べないのであるが、このような品は或る病の治療薬として貯えておくのだそうである。例えば塩バターの団子をつくって、これを肺病の薬として毎日飲むのである」 キリスト教的だということで、牛肉を食する事が禁止されたことは先述しました。にもかかわらず、出島ではオランダ人も日本人も躊躇なく牛肉を食していたのはなぜでしょう。まずオランダ人に関しては、古くからの習慣ということで、牛肉を食べる事は許されました。日本人に関しては、まだ禁止中だったのですが「抜��道」があったのです。それが「薬喰(ぐ)い」という方法。病人の「体力回復」「養生」のために「薬」として肉を食べるのです。すでに飛鳥・奈良時代から「薬猟(くすりがり)」は行われており、特に江戸期には薬喰いが盛んでした。仏教に帰依した「貴族」「大名」も、何かと理由をつけて肉食を楽しんでいたのです。動物の種類としては主に「猪」と「鹿」でした。確かに猪を表す「牡丹」は、俳句の冬の季語にもなっています。牡丹鍋といえば「味噌」と「醤油」での味付けが一般的。この調理方法が、後の「牛鍋」のルーツになるのです。
ナガジン!|特集:発見!長崎の歩き方 「西洋は長崎から~「洋食」」
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2024年の抱負(やりたいこと)
既に新年始まって9日なので今更感はある。…が、ネットで文字を書いて形に残すと自分に言い聞かせる効果があると実感している。だからまとめることにした。
転職活動は続ける。後1社くらいは内定取ってみたい。蹴るかもしれないけど。
→自分の人生で勝つ経験が欲しい。社内政治のプロになることは自分の満足とはズレている。現職という狭い箱の中で認められること、それで自分は満足か?と自問自答してしまう。30代は挑戦ができる最初の機会だし、もしかすると最後の機会かもしれない。その機会を何もやらずにドブに捨てたりせず、「私、ちゃんと生きていたな」と振り返って納得できるような経験をしたい。だから、転職活動を続けることにした。既に書類選考で1社落ちているので、このままでは終われないといった気持ちが大きい事もあるけど。1−3月にやって、ここまでで決着つかなければ現職の都合上、次にトライできるのは8月中旬からだ。向こう3ヶ月一旦頑張って、後は3ヶ月の状況を振り返った上で決めたい。
真面目に勉強する。候補は簿記、プログラミング、ドイツ語と中国語。
→現職で成果出せていることを言い訳に、ダラダラと7年(今年で8年)会社で過ごし続けていた気がする。成果が出ているように見えても、後輩がつかずマネジメント経験はないし、部署異動すら経験していないので実務経験が本当に広がったのかと言えば謎だった。書類選考で落ちた会社は会計や経理関連の経歴/スペックが欲しかったらしい。
なので、いい加減簿記の勉強を真面目に続けようと思う。会社で経験できなければ、自分でさっさと身に着けなければ。
加えて、プログラミングは自分の興味分野だが、興味で終わるばかりでは意味がない。自分も会社で必要な簡単そうな効率化システムとか内製化/デザインできるようにならないと、他人と差がつかない気がする。調べたところ、Paizaなどお手軽にプログラミングの学習素材を提供しているページをいくつか確認できた。何でもいいから手を付けようと思う。自分の現職と関わりが深いものはHTML/CSS(ホームページ担当、大体業者に委託しているが)、うまく活かせば製造現場に役に立ちそうなものはPython、一番とっつきやすいのはJavaらしいと聞いている。この辺り���少しずつ触っていこうかと思う。
最後に語学。ドイツ語は高校で専攻だったけど高校時代はうつ状態?ともかくメンタル不良との戦いだったので、断片的くらいにしか残っていないと思う。その不完全さを、成人になった今だとしても、一生かけて埋めていかないとなと思う。(そうでもしないと、昔の自分の日々がトラウマとして延々と襲いかかってくる気がする)一方で中国語、特に台湾華語を学びたい気持ちが強い。台湾に詳しい人の話を聞くと、他の国以上に治安・国内の人々の性格面で住みやすい環境であるらしい。台湾の人と社会的に関わっていける力を持てば、生きる場所といった選択肢を広げられるのではと思う。ドイツ語に比べて単純に学べる機会は幅広いと思うので、ここは自分に頑張って鞭を打ちたいところ。

(台湾観光をまともにできなかったという悔しさもある(家族全員体調崩し+思った以上に英語も日本語も通じない+乗り継ぎ待機時間が非常に微妙だった+夏は厳しい、逆に年末年始休暇の際は台湾一周が候補になる可能性あり)。中国語学習のモチベを復活させるには、このことを思い出さんとな。)
見出しに書いていなかったが、そろそろ運転免許も真摯に取得を考えないと親がキツそうである。後は、公共交通機関インフラが脆弱(申し訳ない言い方だが)な地域に住んでいる友達には、自分が車を運転して会いに行けるといいな、という将来の野望もあるので…。
趣味を増やす
→流石に「上手に生きること」を考えると、やはりアニメとゲーム好きのままでは趣味活動が厳しい。アニメとゲームを消費するための脳は、上手く生きることに繋がってこない。自分でも悲しいし心にぽっかりと穴が空いた気持ちになるが、ポケモンと刀剣乱舞も満足に追えないかもしれない。どちらも日本各地に根ざした取り組みが活発なので、旅行のついでに追いかけることは引き続き問題ない。が、今後ゲームをどれだけ消化できるかは不透明だ。刀剣乱舞はちょうど良く昨年に一番好きな刀剣男士がレベルMAXになっている。ポケモンだけが悲しいことになってしまった…がしょうがないんだ…。
旅行はお金も時間も飛んでいくが、両親も私も好きだし他の人との雑談のネタになるので何やかんや続けていくだろう。それ以外に何をするかだ。いろんな本を読むという読書趣味はあるが、それ以外にも欲しい。料理は必須になった時に、ライフであり趣味と同化してきそうな気がする。(既に最近、声優の木村良平さんの料理放送や、ゆるキャン△の外飯レシピをじっくり見てはいるが…)なので他のもので探してみた。

(京都 東寺の川を泳ぐ野鳥)
野鳥観察。観るだけなら旅行しながらでもできるか。というか名古屋市だと、たくさんの鳥を見るためには港付近の小さな干潟公園に行くしかないような…これまでに撮ったことのある鳥さんをスケッチで描き起こしてみることも、一興ではあるかと思う。

(相当どうでもいいが、最近は地図を自分で手描きすることが何となく楽しかったりする)

(静岡 島田のふじのくに茶の都ミュージアム)
茶道。持ち家ではないし、そもそもの人脈上誰かを誘うこともないか…。教室に行ってじっくり学ぶ必要があり、お茶会を開けそうな環境(小道具や服装含め)がないとキツそう。ただし、茶道の知識があると、江戸時代の大名さんが持っていた茶道具の価値や、博物館の展示物コレクションへの理解が深まる。教養として学ぶことに意義があると感じた。

(埼玉 鉄道博物館で眺めた新幹線「とき」)
東京に何度か行き来すると、鉄道/電車に愛着が湧く。しかし、鉄道も動かす仕組みや歴史を学ぶこと以外だと、基本乗り鉄マニアとして旅行の延長線になりそう。いつか青春18切符で名古屋からできる範囲で効果的に旅をする、といった目標なら考えられるか。

(埼玉 大宮盆栽美術館。木の幹が龍の形に整えられた、最も私の印象に残った五葉松)
盆栽はとても良い趣味だとフィーリングで思ったが、調べてみた結果、植物を育てることも愛玩動物の世話をすることと同じレベルの手間や丁寧さ、こまめさが必要と分かってしまった。関心事が変わりやすかったり、ふらふら遠出したくなる自分には向かなそうである。ただ、茶道と同じく、知識を身につけることで見れるものが多くなると感じた。何気なさそうな造形から、手入れした人のイメージした世界観や風景を想像する楽しみがある点は、日本刀の観賞に似ている気がする。後植物に愛着が湧く。
ま、まああまり変わらないな。ドローン操縦も気になるが、ライセンスも必要になりそうだし、関係法令をきちんと学ぶハードルもある。何よりどんな教室に通えば学べるのだろう…。
最後の候補は藤井聡太さんで話題になっている、将棋を覚えてみるか....(?!)。
旅行経験や何かしら思い出のある県に関する、話題をまとめたブログ記事(※Wordpress)を書く
→日本国内だと47都道府県の話になるが、実際は日本以外の国も含めて記事化することを想定している。
きっかけは、スマホの旅行写真をなか��か破棄できずに困っていること。また、外付けHDDを既に所持しているは良いものの、HDDにバックアップしたところできっとその存在を忘れるだろうと思っているから。忘れないようにするためには、自分が作ったネットの媒体に写真とテキストを残すことが一番かと思う。手間もあっての記憶だろうか。加えて、プログラミングは自分で触って形にしないと身につかないだろう。HTML/CSS知識習得の手段としても、Wordpressは何とか記事作成と運営を続けるべきだ。地域の思い出に関するネタなら、無難な話を書くことができるだろう。読書感想文を投稿しても良いだろうけど。
ぐだぐだ述べてしまった。これ以外にも増えるし変更するかもしれない。いずれにせよ、自分を出し惜しみせず、後悔のない1年を過ごせるようにしよう。
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『麒麟山温泉』
阿賀野川を臨む露天風呂、また食べたくなるお料理に満足。家族団らんの宿
どうもmottoです。
今回は冒頭にあるように温泉の話です。
30歳を過ぎて今まで感じなかった肌トラブルや体調の変化、腰痛、肩こりに悩む今日この頃です。変化を受け入れて自分と付き合っていこうと思います。
さて今回ご紹介するのは新潟県阿賀町にあります『麒麟山温泉 雪つばきの宿古澤屋』さんです。

子供が小さいこともありなかなか宿泊の予定を立てられない中、ご縁で某宿泊予約サイトより前日に予約を取る事ができました。
一泊朝食つきのプランで予約出来ました。
11月の初旬でしたので紅葉🍁も始まりとても素敵な外観、期待感が弾みます。落ち着いた純和風の造りで館内は木造2階建て、昭和10年以来、創業当時の佇まいだそうで、館内も味のある雰囲気。お庭、玄関とお手入れされている感じが好印象でした。フロントを過ぎ長い通路を2、3曲がりながら進みます。黒い玉砂利の洗い出し仕上げに欅の根木が島のように配置された通路を通ります。職人さんは難儀されたんだろうなぁと考えている合間にお部屋に到着。
部屋に入るとお茶の香り。居心地がいいです。
「ほっ」と一息つきながら窓の外を見ると目の前に阿賀野川の絶景。流れの強弱に目をひかれながら野鳥を観察ができます。タイミングが良いと阿賀野川対岸にSLが通るようです。観てみたかった😢 川岸から少し離れてポツンと島が、印象的です。 個人的には中が岩なのか土なのか気になりました。 夜にはライトアップもされるようでした。綺麗です。

高低差がある立地故なのか階段が少し多めです。年配の方や車椅子、松葉杖の方は事前に連絡するなどの注意が必要かもしれません。 しかし客室が12部屋ほどのようでしたので館内はゆったりとした時間の流れです。 私も小さな子連れでしたが周りの目を気にする事なく過ごせました。 また、露天風呂つきのお部屋もあるようですし、プランによれば夕食・朝食がお部屋で頂けそうです。 移動量減らし気兼ねなくすごせそうです。重ねて事前連絡による確認が必要そうです。
それではいよいよ温泉へ!

先ずは大浴場、入って直ぐに気づきました。「匂いがしない。」 あれ?! 100%天然温泉のはず♨️ 半信半疑で温泉に浸かってみると「ピリッ」とした感じで温泉だと分かります。そして若干の塩味がありました。(⚠️飲泉はできません。) 温度はややぬるめですが効能を堪能するにはもってこいな感じ!
そして透明で綺麗な温泉がなんだか嬉しい。お湯の汚れが少ないようで20部屋以下の宿泊施設の最大のメリットと再確認しました。
さぁ露天風呂へ!
露天風呂も温泉が澄んでいて綺麗! そして、阿賀野川の眺望を堪能できます。 こちらの露天風呂は珍しく、下から温泉が湧き出てくる仕様です。 川の音、風や虫の鳴き声、野鳥のさえずりを景色の一端として楽しむという、古澤屋さんの想いあるコンセプト。心身共に癒されリフレッシュできますね。私は宿泊中に5回も入浴しました! 阿賀野川を目の前に四季折々の風情を楽しめる数少ないお宿です。何度でも来たい!その様に思いました。
【泉質等のご紹介】
ナトリウム-塩化物・硫酸塩温泉(中性低張性低温泉)
浴用の適応症
★一般的適応症
神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、うちみ、くじき、慢性消化器病、痔病、冷え性、病後回復期、疲労回復、健康増進
★泉質別適応症
きりきず、やけど、慢性皮膚病、虚弱児童、慢性婦���病、動脈硬化症
私個人としては、坐骨神経痛気味なので腰痛、ふくらはぎ、脛などの箇所で痛みや凝りが和らいだのを実感しました。
はぁ〜〜いい湯でした♨️
皆さんもぜひご参考にしてみて下さい。

それではまた!
#麒麟山#麒麟山温泉#温泉#阿賀野川#古澤屋#雪つばきの宿古澤屋#新潟#新潟県#hot spring#onsen#japanese onsen#niigata#Kirinzan onsen#Niigata trip#Onsen trip
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会社を辞めた理由

2023年7月末、10年以上勤めた会社を退職した。 8月上旬から中旬は、去年の引っ越し後に手つかずになっていた段ボールの開梱と断捨離をしていた。必然的に段ボールの中の本も断捨離することになり、古書店に60冊ぐらい売った。
そして8月下旬から、短期留学でハワイに来ている。 語学学校に通いつつ、空き時間には観光もして、これまでの疲れを癒しつつ今後に向けてエネルギーをチャージしている。 (とは言っても最初の一週間は宿や学校などの不慣れな環境に馴染むことで手一杯だった……今週はもう少し穏やかに過ごさせてくれ……!)
会社には、退職の理由を、健康診断で視力が大幅に低下してしまい、翻訳チェックの仕事をずっとやるビジョンが描けないので……と説明した。視力は本当に下がっていたので、嘘ではない。 でも、実際にはもっと別の理由がある。上司に言って解消されるような内容ではないので、会社の人には言っていない。 ハワイ生活が軌道に乗り始め、ブログを書く余裕が出てきた今のタイミングで、会社を辞めた本当の理由をちゃんと振り返りたい。
本当の退職の理由は、以下の4つだ。
1) 「社員と非正規雇用」という歪な関係に疲れた
2) 自分に合った仕事を探す意欲が高まった
3) 経営陣が価値観をアップデートできていないことが辛くなってきた
4) 「父に認められなければ」というプレッシャーがなくなった
「社員と非正規雇用」という歪な関係に疲れた
3年前、部署異動することになった。配属先は女性だけの部署で、7人のうち社員は私を入れて2人、他5人はすべて非正規雇用(派遣か業務委託)だった。 私に割り振られた仕事は、その職場で2年以上働いているベテランの派遣さんが担当していた。私は社員として入社していたので立場としては派遣の人より上だが、その部署での経験という点では後輩という立ち位置だった。
ベテランの派遣さんは、ものすごく仕事のできる人だった。ミスをなくすという目標への執着が桁違いだった。これまでずっと英語関係の仕事をやってきたが、このレベルでミスを潰せる人に出会うのは7年に1度レベルだった。私たちが担当していた技術系の翻訳チェックをするには最適の人財だったと思う。
最初のうちは、自分だって英語を人一倍学んできたのだから、チェック作業のフローになれればそれなりのレベルでチェックできるようになるだろうと思って頑張った。実際に、チェックの精度は徐々に上がった。でも、ある程度の期間その仕事をする中で、努力ではカバーしきれない適正上の問題に直面せざるを得なくなった。
多分私は、仕事のどこかにクリエイティブな要素がないと楽しめない。正確さを追求するより、面白さとか独自の工夫を考える方が向いている(この部署に来て分かったことではあるけど)。チェックの仕事をしながら、「私よりこの作業に向いてる人がいるんだろうな」という気持ちになることが多々あった。 そして、ベテランの派遣の人は、ミスなく正確にタスクをこなすことを楽しいと思えるタイプなのではないかと思う。逆に面白さや独自性を求められると、この手の人はどうしていいか分からなくなる。
ベテランの派遣さん以外にも、こういう人が職場に数人いた。
でも、立場的には社員である私の方が権限を持っている。そのまま偉くなれば、私は非正規の人たちに指示を出すポジションに就く。私の方が経験も浅く、仕事ができなかったとしても。
そもそも、非正規雇用というシステムが非人道的すぎる。 非正規で働く人には有給が与えられず、給料を減らされたくない人��体調が悪くても無理して出社せざるを得なくなる。いつ契約が切られるか分からないので、ローンを組んで家や土地や車などの大きな買い物をすることも難しい。結婚して子供を持つことを諦める人もいる。正社員と同じくフルタイムで働いても、こういう状況にある人は多い。
仕事のできる派遣の人が隣の席にいる環境でずっと働いていると、この問題について嫌でも考えてしまい、仕事そのものとは別の疲労感に襲われる。 そして、どんな事情があったのか分からないが、そのベテランの派遣さんは月に半日程度しか休みを取らなかった。私は月に1.5~2日ぐらい休みたいと思っていたが、派遣さんより上の立場の人間が派遣さんより休むというのはかなり気が引けるため、気軽に休むこともできない。消化できない(そして今後も消化できる見込みのない)有給が、どんどん溜まってゆく。 このまま偉くなったらもっとしんどくなることが目に見えていたので、メンタルを病んだりする前に退職しようと決めた。
自分に合った仕事を探す意欲が高まった
2021年、私の書いた小説が、三田文學新人賞の佳作を受賞した。 小説は8年ぐらい書いていて、過去に色々な新人賞に3回出したものの結果が出ず、才能ないのかなー時間の無駄なのかなーと思いながらも気が向いた時に書くことを続けていた。 初めて賞を貰い、自分の作品が広く読まれたり、文学を生業にしている人からコメントをいただいたりしたことで、やっぱり私はクリエイティブな活動に向いている!と確信できた。
この経験を経て、文化・芸術方面の業界で英語を使う仕事を探そう、という気持ちが固まった。 私は文学や美術を専攻しておらず(専攻は経営・会計学)、その分野の職歴もないが、履歴書に「三田文學新人賞佳作」と書ければ、その手の求人にも応募しやすくなる。そして、親や周囲の人にも説明しやすい。
経営陣が価値観をアップデートできていないことが辛くなってきた
2017年に、反女性差別のキャンペーン「#MeToo」が世界中にインパクトを与え、フェミニズムやセクシュアリティ研究など旧来の家父長制を問い直す学問への関心が高まった。日本でも、昔は大型書店の奥の棚に数冊あるだけだったフェミニズムやセクシュアリティ関連の本が、#MeToo後には大型・小型書店の平台に並ぶようになり、少なくとも東京では空気が変わったのを感じる。
こうした変化に伴って私の意識も変わり、自分の職場にある理不尽な出来事や慣習が気になり始めた。
私の周りで、育児休暇や子育て目的の時短勤務をしている女性を沢山見た。 でも、勤め先にそういう男性は一人もいない。課長などの役職に就いている人が率先して育休や時短を活用すれば部下たちも同じことをしやすくなるのに、誰もやらない。
また、セクシュアルマイノリティへの想像力を欠いた制度にも違和感を覚えるようになった。 私がいた会社では、社員が結婚すると共済会から祝い金が出る。 でも、ゲイやレズビアンの社員が人生を共にするパートナーを見つけた場合については、何も書かれていない。社員数が1,000人を超えている会社なので、ゲイやレズビアンがいてもおかしくないのに。 最近は、同性カップルが結婚できないことで直面する困りごとについて、様々なメディアで報じられている。自治体によっては、婚姻関係に準ずるものとしてパートナーシップ制度を導入しているし、同性婚を合法化すべきという声も強まっている。 しかし、それでも、共済会のルールは変わっていない。同性パートナーシップの届けを自治体に出したと報告した社員には、結婚した社員と同額の祝い金を渡すなどのルールが加わる気配はなかった。
経営陣は、ドローンやAIなどのビジネスのトレンドについては、プロジェクトチームや勉強会を立ち上げて追いかけようとする。 一応、女性の働きやすさを促進する試みも行われてはいる(男性の育休取得増は達成できていないものの)。 それなのに、セクシュアルマイノリティをめぐる問題については、一切アクションを起こさない。何で?
私が定年まで辞めずに働くとしたら、あと20年この会社にいることになる。 経営陣を信頼できない状態で、20年も働き続けられる気がしなかった。
「父に認められなければ」というプレッシャーがなくなった
2020年下旬、父が亡くなった。 私は一人っ子なので、葬儀の準備や役所での手続き、遺品の整理などを、母と分担して進めた。父が亡くなった時点では私は一人暮らしをしていたが、母が実家の一軒家を売ってマンションに越すと言うので、私も同居することにした。
昨年の4月、一人暮らしのアパートから広いマンションに引っ越した。 荷造りを仕事と並行してやらなければならず、ずっと忙しかった。 転居から3ヶ月ほど経って、ようやく生活が落ち着いてきた。昔より広くなった部屋で、自分にとって父とは何だったのかをゆっくり振り返れるようになった。
父がいなくなって、これまでの私は、「父に否定されたくない」「父にいっぱしの人間として尊重してもらえるような生き方をしなければ」という気持ちで、人生の様々な決断を下してきたことに気付いた。
前の勤め先で、仕事が今一つ楽しめなくても10年以上働けたのは、父に対する意地があったからだ。 「私はそれなりの会社で真面目に働いて、高給とは言えなくてもそれなりの額を稼ぎ、一人暮らしできるぐらいの経済力がある。だから、私の人生に対して口出しはさせない」という意識が、私を支えていた。私の着るものや細かい行動に気が向いたタイミングで難癖をつけ、「俺はお前より優位に立っているんだ」と定期的に示したがる父に対抗するためには、安定した仕事や経済的自立という拠り所がどうしても必要だった。
しかし、父の干渉を阻止して自由に生きるためにとった行動が、新たな不自由を生むことになった。 本当はもっと自分に合った仕事があるような気がしても、やりたいこと基準で転職して今より給料が下がれば、父は必ず文句をつけてくるだろう。そうなるくらいなら現状維持でいいや。そんな思考から、私は違和感を抱えながらも転職を決断できなくなった。 仕事だけではなく、父に何��言われるのが煩わしいという理由で、実家に帰る時に文句をつけられない服装を心掛けたりもした。何故そこまでしてやらなければならなかったのか? 思い返すと悔しい。
父がこの世からいなくなったことで、ずっと私を縛っていたものが失われた。 しがらみから解き放たれて人生を振り返り、私が無意識のうちに自分に課してきたものの大きさを思い知った。 人生の選択を自分の意思で下してきたと思っていたけれど、実際は仕事という人生の大きな要素を自分の純粋な欲求で決めていなかった。こうして言葉にしてみると情けない話だが、事実なので仕方ない。
だから、会社を辞めて短期留学をすることは、自分の人生を取り戻すための儀式でもある。 これからは自分に関する重要なことは自分で決め、それによって生じた失敗も自分で引き受ける。 何かあるたびに他人や環境のせいにして嘆くような、自分の人生を「生きさせられている」みたいな状態を、この辺りで終わらせたい。
今後について
今、この文章をホノルルの家具付きマンションで書いている。 会社や仕事に対する責任から解き放たれ、しがらみのない土地で過ごすという、前例のない体験をしている。 語学学校の授業は難しいところもあるが、落第が危ぶまれるほど深刻ではないので、まあ何とかなるでしょう。
短期留学を終えて帰国したら、1年ほど学生をやる予定だ。 1年間で学芸員過程や諸々の資格を取り、その後に転職活動をする。
ここまで文章を読んで、「こいつ30代後半なのにまだ『自分探し』やってんの?」みたいな感想を抱いた人もいるだろう。 確かに日本社会では、この年代の人間は結婚して家庭を持って子育てをしているのが望ましいとされている。 でも、私としては「たまたまこのタイミングだったので仕方ないんです」としか言えない。傍から見たら不可解かもしれないが、自分の人生を取り戻すためにどうしても必要なことだから、今やらざるを得ない。
そして、パートナーや子供がいないタイミングで人生を見直せてよかったとも思う。例えばローンを組んで家を買った後だったりしたら、その家に住んでいる人全員が私の自分探しに巻き込まれることになって、さらに大変になるだろう。 (もちろん、パートナーや子供ができた後に生き方を変える必要が出てくる人もいるとは思う。そういう人が別の可能性に挑戦するのが悪だとは思わないが、相手のキャリアが変わる前提で一緒になったわけではないパートナーや子供が納得しなかった場合、家庭という一つの拠り所が失われることも覚悟しなければならないわけで、今の私以上にリスクを負うことになる気がする。) あと、私の母が老後の資金を確保できていることにも感謝しかない。私が母を養う必要があったら、1年働かずに勉強することはできなかった。ありがとうございます。
書くべきことを書ききったので、これからの1年を有意義に過ごすという決意��ともに、この記事を終わりにしたい。 まずは語学学校を修了すべく、目の前の課題をしっかりこなす。 そして、ホノルルで過ごす人生の夏休みを、全力で楽しむ!
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浄化2
こんにちは😃
今日は前回からの続きでおすすめ浄化グッズの3つ目 “パロサント” の紹介です!
こういう���がダメな方は、また時間をおいて読みにきてくださると助かります♡(普段はしょうもないことばかり書いています。)
キモい方にとってはめちゃキモい内容ですのでご不快にならないよう注意です⚠️
ではではイケる方だけ、今回もよろしくお願いいたします😎(イケる方とは笑)
ということで、さっそくパロサントとは?からですが、パロサントはネイティブアメリカン達が浄化に使っているらしい、ご神木とも呼ばれるペルー原産の木です。
そして、それを知ったきっかけはナオキマンズキッチンです✨
※ あー💡ナオキマンズキッチンかぁ👏と、ならなかった方のために↓
(ご存知の方は飛ばしてください🙏)
ナオキマンショー、皆様好きですか?都市伝説系のYouTuberさんで、対象年齢が若い(学生の男の子がメインかな?)ので卑猥なジョークも多く、大人は見たことない方も多いかもしれません… でもすごく面白いです🤭
やりすぎコージー的な都市伝説もありますが、スピリチュアルな内容も扱われていて、私はそういうのに詳しいお友達が多いので、話題についていくために、勉強も兼ねて時々見ています。
(でも売れっ子YouTuberさんで動画が多いので、今からそういう意図で見るなら本の方がおすすめです!私は2冊、Kindleで持っています💪)
そんなナオキマンがセカンドチャンネルでお料理動画を投稿しているのを見つけてしまった!
youtube
私はお料理動画が大好きです❤️
ナオキマンズキッチンは今のところおそらく5個アップされていて、どれも面白い🤩
その大自然の中でハンバーガーを作る回の、焚き火でハンバーグを焼く時に、このパロサントがナオキマンのおすすめとして出てきたのです🌲
動画内の3:45あたりから、ぜひ皆様もご覧くださいませ👀
��んと、ナオキマンはこれを焚き始めてから人生の邪魔なものが浄化された!そうで周りの人にもプレゼントしているそうなのです🤩
なんやてえぇぇぇえ?👂
ということで、私もこれに影響されてさっそく買って焚いたところ、邪魔なものが浄化されました(信じるか信じないかはあなた次第😎)!
前回のスプレーも浄化効果を感じますが、パロサントは匂いと一緒に燃えるという物理現象がさらに効果を強力にしてくれている感じがあって、超いい✨(いつも通りのバカっぽい感想で申し訳ありません😭)
私は朝とお風呂上がりと気分を変えたい時と、割とマメに毎日焚いていますが、プチリセットとしても素晴らしいです。
香りは朝の神社の香りです⛩️
というか前回のスプレー含め3つ全てが神社を思わせる香りです👃(語彙力😅 セージだけ若干洋風でミント系の爽やかさもあります。)
ちょっと匂いの説明は難しいですが、どれもいい香りであることは間違いないです。
そんなパロサント、専用のお皿がなんとスリーコインズに売っていて、我が家はとりあえずテレビの横に置いてみています。
このお皿はマルチホルダーという名前で売っています。
そしてパロサントは試しに3つ買ってみましたが、写真の真ん中のルナスンダラというブランドのものが1番おすすめです。

写真左のものは別のパロサントホルダーのおまけでこちらもいい香りですが、取り扱ってるところが少ないです💦
右はよく食品や洋服を買っている “ティラキタ” というアジアン��貨の通販のもので、大容量でお買得ではあったのですが、保存していた場所(倉庫?)の香りが移ってしまっている気がしたのと、スパイシーさも強めで私はあんまりおすすめじゃないです。
でも好みには個人差がありますので、ティラキタをよく使っている方はぜひお試しをっ🙆♀️
他のパロサントのAmazonレビューを読むと、普通の木にパロサントの匂いを染み込ませただけ、全然匂わない、等と書かれているものもあり結構怪しかったので、慎重に選んだ方がいいんじゃないかな?と思います。
ダントツでおすすめはルナスンダラです✨
8本入りと10〜12本入りがあってどちらも同じ香りですが、8本入りの方が箱入りなので形が揃っていて木の面取りもしてあって、持ちやすいから私は好きです。
でも保存袋が付いてたくさん入っているので、大きい方がお得です💡
(Luna Sundara) Palo Santo Smudging Sticks Amazon
(Luna Sundara) Palo Santo Smudging Sticks[100g入りBag] Amazon
(人気みたいで今見たら品切れでした!次回入荷は9月中旬以降だそうです💦)
上のページよりルナスンダラとは↓
米国ニュージャージーにアトリエを構えるLuna Sundara社。エシカルでサステイナブル、そしてフェアトレードを主眼とした、アロマテラピー製品とアート性に富んだインテリアホームグッズを企画生産するブランドです。
パロサントとは↓
主に南米の沿岸地域で育つ魅惑的な木で「Palo Santo」はスペイン語で神聖な木という意味。"Holy Wood"(聖なる樹)とも呼ばれ、古くからシャーマン(巫師・祈祷師)達が儀式の際に場を清めるためにパロサントを焚いて使用するそうで、スマッジングにより創造力を高め幸運をもたらすのだとか。実用としては虫よけからアロマテラピーまで様々な用途で重用されています。
スマッジング(煙を使った浄化)↓
スマッジングにより創造力を高め幸運をもたらす。
パロサントはそのまま置いておくだけでも十分にその香りを楽しむことができますが、火を着けて燃やすことでほんのりと甘いココナツのような香りに変化します。ま��スマッジングにも利用できますので、興味のある方は是非試してみることをオススメします。
とのことで使い方の動画もアップされています!至れり尽くせり😍
youtube
1回目はこんな感じであんまり燃えないのですか、回を追うごとに火が大きくなるので、私は火はキッチンのコンロでつけてからお部屋に運んでいます。水の近くでやるのがいいと思います💦
火をつける前にタバコのように古い灰をトントン落とすのも忘れずに☝️
大体1、2分間燃えて、2週間弱で一本使い終わる感じです🔥
と、長々と書きましたが、良さが伝わりましたでしょうか?とてもとてもおすすめのパロサント。
自分にはもう不要になっていたものが自然に離れていくような感じ、損切りもうまくできるようになった感じもあって、これを知れてすごく良かったです!
こういうのは使った状態と使ってない状態を主観抜きで比べるのは不可能で、ハッキリこれのおかげとは言い切れません… 自分の気持ち次第と言ってしまえばそれまでなのですが、多分わかる方にはわかるはず!(信じるものは救われる的な結論になってしまった😭)
何か響く方には響きますように☆彡 そして、皆様の生活が爽やかで清々しくありますようにお祈りしています🙏
ではではお読みくださりありがとうございました🙇♂️
(せんでん)
前回書き忘れたのですが、iHerbには紹介コードというのがあって、クーポンとして利用できます!
入力すると皆様は5%オフになり、私もちょっと紹介ポイントがもらえます😎
私のコードはCCL4012で誰が使ったのか分かりませんので、いいセールがやってなかったらぜひ使ってくださいませ🙏
(初回20%オフとか、8000円以上のお買い物20%オフとか、もっといいセールがやってたりするのでまずはここでチェックです!)
iHerbのおすすめ
オーラ スマッジ、スモークレス ジュニパー セージ ミスト
100%ラベンダー、30ml
グレープシードオイル, 4液量オンス (118 ml)
サプリやお化粧品も充実していてとてもお得です😎 私なんかより、iHerbおすすめとかで検索するとiHerbブロガーさん達がいい商品をたくさん紹介されてますのでそちらも要チェケラ!です。
楽しいお買い物をっ✊
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Study Abroad Diaries イギリス編
Hello, 文化構想学部3年の久保諒歩です♪
私は現在イギリスのバーミンガムというところに1年間の交換留学をしています!なので最初の挨拶が聞き馴染みのあるものですね。。。
今の時期、留学をしていた方々はプログラムを終え、続々と帰国している一方、これから留学を迎える方々は胸を躍らせていること��思います。私自身、最初こそはホームシックで、ストレスで胃腸炎になっていましたが、今では「あと1ヶ月弱で帰国なんて信じらんない!」と思うほどです(本当は4月にすでに授業が終了しています😅) 。
そんな私の留学について、今回は以下の項目からお伝えし、これから留学を迎える方々の参考になればと思います!(もちろん留学にいかない人も、ちょっと癖のある私の留学について読んでくださいね^^)
①イギリスとバーミンガム大学について
②学習面(授業の形式や課題について)
③生活面(休暇、寮生活、移動手段、食べ物などなど)
④娯楽
⑤さいごに
①イギリスとバーミンガム大学について🐿️
イギリスといったらみなさん何をイメージしますか?フィッシュ&チップス, ビッグベン, 二階建てバス,… 他にも色々ありますが、おそらく過半数の人は「天気が悪い」ということも思い浮かぶかと思います☁️
ですが!!春から夏にかけてイギリスはとーってもいい天気が続きます☀️留学が始まるのは秋頃なので、ちょうど雨が多くなりやすい時期。しかも慣れない生活で気持ちは沈むばかりでした。しかし冬が明けた途端、毎日晴れの日が続き、実際私が最後に傘をさしたのは去年の12月だったくらいです!(ちょくちょく旅行でイギリスにはいませんでしたが)
きくところによれば、今年は比較的晴れの日が多かったそうですが、それでもずっと「どんよりとした天気」というわけではないのでご安心ください😌
さて、バーミンガムについての印象はどうでしょうか?工業都市, 治安悪い, …もしくは名前さえ聞いたことがない方もいるかもしれません。実際バーミンガムに象徴的なものはあるかときかれたら、ちょっと困りますね。笑 ですが実は、バーミンガムはイギリスで2番目に大きな都市なんです!しかも毎年11月からクリスマスまで開催されるバーミンガムのクリスマスマーケットは、規模がイギリス最大級で他国からも人が訪れるほどです。クリスマスマーケットの有り無しでバーミンガムの印象はかなり変わるので、クリスマスの時期に来るのがベストだと思います!
本題の大学についてですが、私が通うUniversity of Birminghamは、ラッセルグループというイギリスの著名な国立大学から形成されるグループの一校で、1900年に設立されました。バーミンガムはよく治安が悪いと言われますが、大学周辺は比較的良いと思います。
私はArts and Law学部の、History and Culture学科に所属していて、主に歴史の授業などを履修しています。なんとこの大学、「文化研究センター」という文化研究のパイオニアとなる研究機関が昔ありました。日本でイギリス文化について学んでいる私にとってこれ以上のものはないと思い、この大学に決めましたが、この研究機関は2002年に廃止されていました。。。それでも関連する学問が他の教科にてカバーされていたので多分セーフ😅他にも、人類学やマーケティングの授業も履修していました!学部を超えて様々な授業を履修できるのは留学生の特権だと思います!

↑University of Birminghamのランドマーク、Old Joe
②学習面📚
授業は、一つの授業に対してレクチャーとセミナーがあり、その配分は授業によって様々です。レクチャーでは大講義室で教授の話を聞いているだけですが、セミナーでは発言や議論が求められます。これはバーミンガムにかかわらず、イギリスの大学は大体同じ様なシステムを取ってるかと思います。ただし、一つの授業が週に2-3時間で学期につき3授業までしか取れなかったので、かなり自由時間が多かったです。課題は、私が履修していた歴史学だと、学期の真ん中に成績がつかないFormative Essayがあり、学期の終わりに成績が決まる3000wordsのessayがありました。ただ、毎週reading listがあり、とんでもない量のreadingをセミナーに向けてやらなければいけなかったのが大変でした。ですが基本、暇です✨
③生活面🚌
9月の中旬に1週間のWelcome Weekがあり、その翌週から授業が始まりました。そしてなんと、文系学生(ビジネス系除く)には学期の真ん中にreading weekという一週間の休みがあります。この期間に②で話したFormative Essayがありますが、大体500wordsほどなのですーぐ終わります。そして12月の中旬くらいからクリスマス休暇に入り、1月の中旬に1学期のテスト・エッセイの期間が設けられています。翌週から今度は2学期が始まり、reading weekを経て、4月の頭にはもう授業が終わっていました。その後、イースター休暇、2学期のテスト・エッセイの期間、最後にsummer termがありますが、特にsummer termはやることがないので、テストのない学生は実質4月に授業が終わった時点でもう学校にいかないということですね。本当にずっと休暇のようです。
【一年間の流れ】
9月中旬 welcome week
9月下旬 授業スタート!
11月上旬 reading week
12月中旬 1学期授業終了
1月中旬 1学期のテスト・エッセイ
1月下旬 2学期授業スタート!
2月下旬 reading week
4月上旬 2学期授業終了
5月中旬 2学期のテスト・エッセイ
6月上旬 summer term
続いて寮についてですが、イギリスの寮は主に2種類あり、ensuiteと呼ばれるトイレ・シャワーが自室にあるflatと、自室を持ちながらもトイレ・シャワーをflatmateとシェアするflatがあります。flatmateは大体4-6人で、設備等は結構充実していました。また厳しい規則などはあまりない(あるけど誰も気にしない)ので、相当な悪さをしない限り退寮にはならないと思います。私の寮はキャンパスから徒歩20分のところにある自然豊かなところで、春には生徒たちが丘でピクニックや日向ぼっこをしています😊

↑寮の敷地
バーミンガムでの移動手段は、主にバスか電車かUberです。私の寮からシティセンターへは徒歩45分、バスで10分ほどなのですが、最近バスが値上がりしたので往復で1200円となってしまいました。。なので気分転換に最近は歩き(or車)ですね^^
そして気になるイギリスの食べ物!よくまずいと言われますが、私は結構美味しいと感じます!roast potatoも好きです。
ただし、イギリスはやはり物価高と円安により、本当に何もかもが高いです!!なので基本的に自炊を心がけています。ちなみにイギリス料理であるシェパーズパイは簡単ですごく美味しいので、私のお気に入りです💖
④娯楽🧳
そんなに暇な時間が多くて何をするのか、気になりますよね~。。。
基本的に週末は友だちと遊んだり、長期休暇ではとにかく旅行に行きまくっています。イギリスはやはりパブ文化なので、友達とパブに行きその後クラブに行ったり、もしくはビリヤードをしたりと、遊びでもイギリスを100%感じています。

旅行では、ヨーロッパ間の移動がとにかく安いので、1回の旅行につき2,3ヶ国行っています。このブログを書いている今も実は旅行中で、今日で22ヶ国目です😅旅行術ならいつでも聞いてください^^

↑モロッコの砂漠
そして私事ではありますが、イギリスで彼氏ができました。イギリス男性は、とにかく愛をすごく伝えてくれます。これでもかというくらい伝えます。そしてとにかく優しいので、国際夫婦ユーチューバーの「りせとルイス」さんたちのようです。
また、よく花束をくれるのもこちらのお付き合いの特徴なのかなと思います。バレンタインデーは日本と異なり、男性から女性に何かをしてあげるという文化なので、真っ赤なバラの花束とプレゼントをもらいました🌹🌹🌹🌹🌹
彼のおかげでこの留学生活がかけがえのないものとなりました。辛いことや慣れない生活で苦労することがあっても安心できる居場所があることで、気持ちの持ちようはだいぶ変わります。いつでも助けてくれて、私のお願いも叶えてくれるので、本当に心強いです。また、イギリス人なので、彼と喋っているだけで英語が伸びます↗️
⑤さいごに
さいごになりましたが、これから留学に行く人に向け、3つ私から伝えたいことがあります。
一つは異文化理解についてです。イギリスは比較的日本と似ていると思いますが、それでも日本での常識が通じないことは多々ありました。旅行に行ったらなおさらです。合理的でないと感じても、それがその国の文化だと受け入れると同時に、その様な文化でも必ず良い部分はあるので、自分もその部分を取り入れていくという姿勢が大事かなと思います。
二つ目は、留学はとにかく孤独との戦いということです。最初にお伝えした通り、イギリスに来たばかりの頃はホームシックで、しかもfreshers fluという新入生あるあるの流行り病にかかり、胃腸炎にもなり、軽いうつ病状態になりました。さらに自分の英語があまり通じず、flatmateとも仲良くなることができなくて、あんなに憧れていた留学でしたが来たことを後悔していました。
それでも、いただいたチャンスを棒に振らないためにも、自ら積極的にイベントに参加しました。その結果友達もでき、その子たちと遊びに行くようになると、少なくとも孤独という状況はなくなりました。そして彼氏ができたことで、安心できる居場所ができ、今では帰りたいという気持ちは全く無くなりました!!!
日本に帰りたくないという気持ちをつくるのは、友達や彼氏などその国で出会った人たちだと思います。ただし、友達がほいほい自動的にできていくという認識を持っているのならそれは間違いです。自分から動かなければ絶対にできません。孤独だから何もしないのではなく、孤独という状況を打破するためにも、より多くの人と関わりを持っていくことが大事だと思います。
三つ目は、自信をもつということです。日本では英語力に自信がありましたが、渡航直後でその自信は打ち砕かれました。自分の英語が全く通じずコミュニケーションがとれない、もしくはイギリスアクセントに慣れてなかったことで、全く聞き取れないという状況が続きました。そのせいで余計に英語を話すことが怖くなり、英語力が伸びるばかりか、逆に後退していってました。しかし、なぜかお酒を飲んだ時だけ英語が話せるんです。なぜなら何も考えてないから。不安や恐怖感などの邪念を感じないことで、自分の思うがままに話すことができるようになります!・・・ということがわかり、いつも英語を話すときはなるべく自分の英語力に自信をもつようにしています。自信をもったことで友達とも積極的に会話できるようになり、新しい環境でも怖くなくなりました。これから留学に行く人は、自分に自信をもって積極的に話しかけてみてください。
すごく長くなってしまいましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました🙇♀️このブログが、少しでも皆さんのお役に立てれば嬉しいです!
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家庭菜園の楽しさ、ここにあり。ニンジン栽培で暮らしが変わる!
「ニンジンって難しいのでは?」と思っていた方にこそ試してほしいのが、実はこのニンジン栽培です。発芽が難しそう、手間がかかりそう…そんなイメージとは裏腹に、基本を押さえれば家庭でも立派なニンジンが収穫できます。今回ご紹介するのは、初心者でも楽しめるニンジン栽培のコツと、収穫後の保存・活用術。暮らしの中で野菜を育てる喜びを、ぜひ味わってみてください。
詳しい手順やおすすめの保存方法はこちらでもチェックできます → https://handmadevegetables.tokyo/?p=1071
まずは発芽成功が第一歩。種まきのコツは?
ニンジンは発芽にコツが要る野菜。種が小さく、乾燥や土の硬さに影響を受けやすいため、浅くまいて土を薄くかぶせ、覆土後は不織布などで保湿しておくのがおすすめです。最適な気温は15〜25℃。春は3〜5月、秋は8月下旬〜10月上旬が適期とされますが、気候を見て柔軟に調整するのが成功の秘訣です。
甘くて形の良いニンジンに育てるには?
発芽後は、成長に合わせた「間引き」と「水やり」が重要です。本葉1〜2枚、3〜4枚、5〜6枚のタイミングで段階的に間引きを行い、最終的に10〜12cmの株間を確保します。間引きが不十分だと、二股根の原因になることもあるため丁寧に行いましょう。
水やりは「乾燥しすぎない・湿りすぎない」ことが基本。表土が乾いたら、朝か夕方にたっぷりと。天気や気温に応じた調整が大切です。
追肥と土寄せで、さらに美味しく。
栄養面での管理には「追肥」が欠かせません。播種から40日後と60日後に、窒素分を控えめにした肥料を施します。窒素過多は葉ばかりが茂ってしまい、肝心の根が太らなくなるため注意が必要です。
また、「土寄せ」を行うことで、根の露出を防ぎ、青首化(首元が緑色になる現象)を抑える効果もあります。美しい仕上がりを目指すなら、ぜひ取り入れてください。
保存法を知れば、ニンジンはもっと楽しめる
収穫後のニンジンは、正しい保存でぐっと日持ちします。葉を付けたままにしておくと水分が奪われてしまうため、収穫後すぐにカットしましょう。新聞紙に包んでポリ袋に入れ、立てて野菜室で保存すれば、2週間ほどは美味しさを保てます。
冷凍する場合は、皮をむいてカットし、下ゆでしてから保存袋へ。調理にすぐ使える状態にしておけば、炒め物やスープにも活躍します。詳しい手順はこちらでも紹介されています → https://handmadevegetables.tokyo/?p=1071
自家製ニンジンを使ったおすすめレシピ
オイル蒸し オリーブオイルと塩だけで仕上げる、シンプルな甘み引き立つレシピ
スティックピクルス 酢と砂糖でさっぱり。保存もきいてお弁当にも◎
ポタージュ 玉ねぎ・牛乳と一緒にミキサーでのばせば、やさしい口当たりに
家庭で育てたニンジンだからこそ、素材の味を楽しむレシピにぴったりです。
ニンジン栽培で、暮らしに豊かさをプラスしよう。
手間がかかるように思えて、実はコツをつかめば育てやすい。それがニンジン栽培の魅力です。間引きや水やり、追肥といった日々の積み重ねが、見た目も味も納得の一品に仕上がります。保存法や調理の工夫まで含めて、自分の手で育てた野菜が食卓にのぼる喜びを、ぜひ体験してみてください。
▼ニンジン栽培のポイントをもっと知りたい方はこちら
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素面日記(4/8-4/19_2025)
9日。 ゲノム編集で絶滅したオオカミが生まれたらしい。いつでも気軽に命と自然のcommand+Zができてしまう時代がやってくるのかもしれない。自然を再現した人工物は自然といえるのか。そんな高尚な問いを立てる前にもう味の素とかメッチャ摂取してるけど。50年後のスーパーマーケットの肉売り場キモそう。
10日。 Ableton liveがだんだんわかってきて楽しい。爆音が出せる家に住みたい。
11日。 無料の漫画アプリで各年代ごとのサラリーマン金太郎と刃牙と島耕作を、時空を超えて読む日々。ネットフリックスで『ブラックミラー』を見始めるが、画とストーリーがいまいちチープでハマらず。
12日。 『悪い夏』を鑑賞。最後は完全にコントだが、ジトーっとしたゼロ年代の邦画っぽさもありよかった。いつも池袋駅のホームレスを見るたびに、どんな要素が重なってしまうとその状況にまで追い詰められるんだろうと想像する。状況を直視・直面する気力がなくなった時に思考はとまる。視界が狭まって、自己肯定ができない生活はしんどい。
13日。 『ミッキー17』を鑑賞。興行的に失敗してると聞いたから身構えて観たが、全然面白かった。グエムルっぽくもあり、ナウシカっぽくもある、キモ可愛いクリーチャー造形も良かった。敵役は明らかにトランプを揶揄しているが、現実のトランプはフィクションを超えてさらに斜め上の存在になっているから恐ろしい。
14日。 最近通ってるジムに春だからか大学生グループが増えてきて、つらい。サウナの老害ジジイみたいな感性を持ち始めている。機器に座って占拠しながらスマホ弄りをするのはやめてくれ。
15日。 池袋のジュンク堂でリニューアルした「広告」を買う。これまでは広告代理店臭が鼻につく雑誌だなとは思っていたけど、今号は結構ストレートな内容で面白かった。急逝したJJJを聴く。
16日。 石破が10万配るといったり、やっぱりやめたといったり。拳を握る。
17日。 仕事の関係上、万博について調べたり考えたりする。「いろいろ問題はあるけど、どうせやるんだから��援しようよ」と言う論調にはちゃんと懐疑的でいたい。オッサンたちの思惑や搾取の気持ち悪さに敏感でいたい。
18日。 国分寺で痛飲。マジで外で飲む時はビールだけにした方がいい。ハンター×ハンターみたいな縛りと制約を脳と体に刻みたい。
19日。 二日酔いではないが、気分がダウナー。気力が湧かない一日。4月中旬なのに気温は30度近く。近所の蕎麦屋で大盛りのざるそばを食う。
TEXT:Shingo Matsuoka
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「鹿児島県警は芯から腐り切っている」 誤解を恐れずに評すれば、出来の悪い警察小説か警察ドラマの筋立てかと見紛うような、あまりにあからさまであまりに剝き出しの権力犯罪である。 だが、現実にそれは起きた。いや、現在進行形で起きている。そして一連の事態は、この国の警察組織や刑事司法の闇を照射し、同時にメディアやジャーナリズムの真価を根本から問うてもいる。 福岡市の中心部にほど近い一角に佇む築40年を超える古びたマンション。すべての端緒を切り拓き、歪んだ捜査の標的にもされたネットメディアは、この一室に拠点を置いている。ほぼ一人で運営する小メディア『HUNTER(ハンター)』の主宰者は中願寺純則(64)。編集作業に使っているという六畳ほどの狭い部屋で私と向きあった中願寺は、常に背筋を伸ばしたまま淡々と、しかし静かな怒気を端々に滲ませて口を開いた。 「鹿児島県警は完全に腐っているんだと、もはや自浄作用など期待できないから真実を知らせてほしいんだと、私たちへの情報提供者は心底憤っていました。私も同感です。鹿児島県警は芯から腐り切っている」 中願寺が一連の取材に着手する契機となった事件が起きたのは2021年の夏、世界がまだ新型コロナのパンデミックに揺れていた最中のことである。翌22年の2月になって事実関係を最初に報じた鹿児島の地元紙・南日本新聞の記事によれば、概略は次のようなものだった。 〈鹿児島県医師会の男性職員が、新型コロナウイルス感染者が療養するための宿泊施設内で、派遣された女性スタッフに対し、わいせつ行為など不適切な行為をしていたことが14日、南日本新聞の取材で分かった〉〈関係者によると、男性職員は昨年8月下旬~9月末、宿泊療養施設運営のために派遣された女性スタッフに対し、施設内でわいせつな行為などをした。(略)女性は一連の行為に関し「同意はなかった」として、管轄の警察署へ告訴状を提出した〉(2月15日付朝刊) 関係者からの情報提供もあって中願寺は取材を開始し、伝手を辿って被害女性らにも話を訊き、鹿児島県への情報公開請求なども重ね、自らが運営する『ハンター』に次々と記事を掲載した。その記事の矛先は当初、被害女性との間で「合意があった」と事実を矮小化する医師会などに向けられたが、次第に県警へも向けられるようになった。取材の結果、こんな事実が浮かんだからである。今度は中願寺が23年1月20日に『ハンター』で書いた記事の冒頭部分を引用する。 〈昨年1月、鹿児島県警鹿児島中央警察署が、性被害を訴えて助けを求めに来た女性を事実上の「門前払い」にしていたことが分かった。応対した警察官は、被害を訴える女性が持参した告訴状の受理を頑なに拒み、様々な理由を付けて「事件にはならない」と言い張ったあげく女性を追い返していた〉 そして記事はこう続く。 〈背景にあるとみられるのは、身内をかばう「警察一家」の悪しき体質と性被害への無理解。意図的な不作為が、醜悪な人権侵害につながった可能性さえある〉 どういうことか。実は女性が性被害を受けたと訴える「県医師会の男性職員」の実父が県警の警察官であり、だから県警は捜査を忌避し、事案を握りつぶそうとしているのではないか――中願寺はそう睨み、県警を指弾する記事を続々掲載した。 〈県医師会わいせつ元職員の父親は3月まで現職警官〉(23年5月15日掲載)、〈訴えられた男性職員の父親は「警部補」〉(同6月2日掲載)、〈問われる医師会と県警の責任〉(同6月12日掲載)……。 鹿児島で起きた性加害事件をめぐる県警の問題点へと果敢に斬り込む『ハンター』には間もなく、県警の内部から貴重な情報も寄せられるようになっていった。 「小メディア」の果敢な不正追及 1960年に長崎県で生まれた中願寺は、東京の大学を卒業後、政治家の秘書や信用調査会社系のメディア記者といった職を経て、2011年3月に『ハンター』を立ちあげた。サイト開設が東日本大震災の発生前日だったのは偶然だが、以後の約13年のサイト運営は決して楽ではなかった。中願寺もこう言う。 「正直言っていまも楽ではなく、私は無給状態ですが、小さいながらもメディアとしてスタートした当初はさらに厳しく、やめてしまおうと思ったことが何度もありました。ただ、何年か続けていると応援してくれる方々も現れ、だからなんとか歯を食いしばって運営を続けてきたんです」 そうやって小メディアを懸命に維持して記事を日々発信する一方、もともとの経歴もあって中願寺は地元政財界に独自の人脈を持ち、メディア記者らのほか警察当局者ともさまざまな形で接触を重ねてきた。主には刑事部門で事件捜査にあたる警官だったが、公安部門の警官が接触してきたこともある。そんな接触を通じて時には情報を交換し、時には取材中の事件に関する捜査動向の感触を探る――といった営為は、所属メディアの大小等を問わず、事件取材に奔走する記者なら誰にも経験があるだろう。かつて通信社の社会部で事件取材に携わった私も例外ではない。 また、そういった取材活動を通じて特定の事件や事案に関する記事を発信していると、当該の事件や事案の内実を知る関係者から貴重な情報や内部告発が寄せられることもある。これこそ取材という営為の醍醐味であり、鹿児島県警の不正を追及していた中願寺のもとにも幾人か情報提供者が現れた。もともとは県警の公安部門に所属し、その後は曽於署の地域���に在籍した巡査長・藤井光樹(49)はその一人だった。 そんなふうに入手した情報や資料に依拠し、中願寺はさらに追撃記事を執筆した。極北となったの��〈告訴・告発事件処理簿一覧表〉との標題がついた県警の内部文書を入手し、23年10月から展開した記事群だったろう。プライバシー等にも配慮しつつ文書の一部を画像で示し、件の性加害事件をめぐる県警対応の不審点を指摘する一方で中願寺は、こうした内部文書が大量に漏洩しながら事実を公表も謝罪もせず頬被りを決めこむ県警の態度をも厳しく指弾した。 当の県警は――ましてや上層部は、県警の内部文書を掲げて噛みつく『ハンター』に苛立ち、焦燥を深めたに違いない。しかも県警では近年、あろうことか現職警官が逮捕される不祥事が続発していた。20年以降の事案を列挙するだけでも、その惨状は目を覆わんばかりである。 ①20年2月、女子中学生を相手とする児童買春容疑で霧島署の巡査部長を逮捕、②21年7月、いちき串木野署の巡査部長が女性宅に不法侵入したとして逮捕、③22年2月、鹿児島中央署の交番勤務の巡査長が拾得物の現金を横領したとして逮捕、④23年10月、SNSで知り合った少女と性交したとして県警本部の巡査長を逮捕――。 惨憺たる状況下、県警の内部文書まで入手して噛みつく『ハンター』への苛立ちからか、内部告発者らによって他の不祥事案が発覚するのを恐れたのか、県警は信じがたいほど強引な捜査に踏み切る。今年4月8日、県警の内部資料などを『ハンター』に漏洩したとして先述した巡査長・藤井を地方公務員法違反(守秘義務違反)容疑で逮捕し、同時に中願寺が主宰する『ハンター』までをも家宅捜索したのである。 異常かつ論外の家宅捜索 その日の朝、編集作業に使っている六畳ほどの部屋には約10人もの県警捜査員が押しかけた。中願寺によれば、「令状がある」という捜査員は、それをヒラヒラと示すだけで容疑事実も仔細に説明せず、業務用のパソコンはおろか中願寺が使用している新旧のスマートホン、さらには取材用のノートやファイル、名刺類まで押収していった。 言うまでもないことだが、それらにはメディア主宰者の中願寺にとって断固秘匿すべき情報源などが刻まれていたし、なによりも業務用のパソコンを失えばサイトを更新することもできなくなってしまう。だから思わず声を荒らげ、捜査員に激しく迫った。 「おいっ、せめてパソコンはすぐに返さないと、営業妨害で訴えるからなっ!」 その一喝が効いたのか、パソコンは翌日返却された。だが、内部データは間違いなく抽出され、一部の押収物は2カ月以上経った現在も返却されていない。一方、『ハンター』に情報を「漏洩」したとして逮捕された巡査長・藤井は、自らに迫る捜査の気配を察知していたのか、逮捕のしばらく前に電話で中願寺にこう語っていたという。 「私は腹を決めてやっています。ウチの組織は腐っていて、外から刺激を与えないと変わらない。そう考えてやったことですから、もし逮捕されても私に後悔などない。だから中願寺さんが悔やむ必要もありません」 だとすれば藤井は、『ハンター』というメディアにとっては「情報提供者」、あるいは「内部告発者」であり、広く社会にとっても大切な「公益通報者」だったと捉えるべきではないのか。 ならばここで、あらためて記すまでもないことをあらためて記しておく必要がある。たとえ小さくともメディア=報道機関への情報提供者を逮捕すること自体が異例であり、たとえ小さくともメディア=報道機関を強制捜査の対象とするなど極めて異常かつ論外の所業。同じことを新聞やテレビといった大手メディアに行えば、言論や報道の自由を圧殺する暴挙だと大騒ぎになるだろうし、ならなければおかしい。ましてそれが「公益通報」の色彩が濃い事案だったなら、県警の所業は一層悪質な暴走と評するしかない。 だが、県警の信じがたいような暴走はこの程度で止まらなかった。 あるジャーナリストに寄せられた内部告発 鹿児島や福岡からは直線距離で約1500キロメートルも離れた北海道の札幌市。ここを拠点にフリーランスの記者として活動する小笠原淳(55)は4月3日、市中心部にも近い雑居ビルの一階に入居する月刊誌『北方ジャーナル』の編集部にいた。 話は本筋からやや逸れるが、『北方ジャーナル』といえば、かつて北海道知事選の候補者をめぐる「中傷記事」が名誉毀損に問われ、出版物の販売差し止めを容認する最高裁判例の舞台になったことを想起する向きも多いだろう。だが、これは70~80年代の出来事であり、もとより小笠原には何の関係もない。また、現在の『北方ジャーナル』は経営母体なども代わっていて、もともとは地元紙の記者からフリーランスに転じた小笠原は、頻繁に寄稿している同誌の編集部を原稿執筆などの場として活用していただけのことだった。 あれはたしか昼過ぎだったと小笠原は記憶している。編集部に郵便物を届けにきた配達員が、小笠原宛の茶封筒を手に「どうされますか」と尋ねた。封筒の表には一般封書の規定額である84円切手が貼られていたものの、重量がオーバーしているから10円の追加料金が必要だというのだ。支払わなければ持ち帰られていたかもしれないが、小笠原は財布から10円玉を取り出して渡し、封書を受け取った。 消印は〈3月28日 鹿児島中央〉。差出人の名はない。いったいなんだろう――そう思いつつ開封した瞬間、これは内部告発だと小笠原は悟った。計10枚の文書の1枚目には〈闇をあばいてください。〉と太いフォントで印字され、2枚目には〈鹿児島県警の闇〉と題して計4件の事案が列挙され、3枚目以降は県警の内部文書とみられるものを含め、違法性の濃い不祥事の中身などが詳述されていた。一部の概要のみ記せば、次のような事案である。 ①霧島署の巡査長が女性にストーカー行為を繰り返し、しかも職務上知り得た個人情報も悪用して行為に及んだのに、処分も公表もされていない事案、②枕崎署の捜査員が職務時間中、市内の公園の女子トイレで女性を盗撮し、しかも捜査車両を使っていたのに県警が隠している事案、③県警幹部による超過勤務手当の不正請求があったのに、立件も公表もされていない事案――。 小笠原は、すぐに『ハンター』の中願寺に連絡を取った。理由はいくつもあった。なによりも札幌に居を置く小笠原にとって、はるか遠い鹿児島県警の不祥事を取材するのは物理的に難しい。また、北海道警の不祥事やその追及が甘い大手メディアも批判してきた小笠原は、警察の不正や記者クラブ問題を追及する中願寺と意気投合し、数年前からは『北方ジャーナル』などのほか『ハンター』にも寄稿するようになっていた。もちろん、中願寺と『���ンター』が鹿児島県警の不正を追及中だったことも熟知していた。 だから小笠原はその日のうちに中願寺に電話し、匿名で送られてきた10枚の告発文書もメールで送信し、中願寺と共有した。「裏取り取材に手間と時間はかかりそうだが、相当に貴重な内部告発だから、できる限り取材して記事にしていこう」。中願寺はそう応じ、小笠原も協力は惜しまないつもりだった。 元最高幹部の切実な訴え 『ハンター』が県警による捜索を受けたのは、そのわずか5日後のことだった。当然ながら、押収されたパソコンには小笠原が中願寺と共有した告発文書も保存されていた。 ここからは推測も交えるが、押収パソコンのデータを解析した県警は眼を剝いて驚愕し、焦燥を一層深めたろう。どうやら『ハンター』には、すでに逮捕した巡査長・藤井らのほかにも内部情報の提供者がいるらしい。しかもその人物は、あくまでも匿名のようだが、提供文書や情報の精度からみて現場レベルの警察官ではなく、相当に高位の立場にある県警幹部クラスではないか――と。 県警がその人物をいつ特定したかは定かでない。ただ、さほど時間を要さず特定したとみられ、後述するように相当周到な事前準備を施したうえ、またも信じがたい強硬手段に打って出た。5月31日にその人物を――県警主要署の署長なども歴任し、つい2カ月前までは県警最高幹部の一人である生活安全部長を務めていた本田尚志(60)を逮捕したのである。容疑はやはり国家公務員法違反(守秘義務違反)。職務上知り得た秘密を第三者に――すなわち小笠原に送った告発文書で漏らしたというものだった。 さて、この国の全国津々浦々に25万以上もの人員を配する警察には、ざっくりとわけて二つの〝種族〟がいる。一応は現在も自治体警察の装いをまとった47の都道府県警に採用され、警察官の階級として最下位の巡査からスタートする叩き上げのノンキャリア。他方、かつてなら国家公務員の上級職試験、少し前までなら一種試験、現在の総合職試験をパスし、警察���に採用されたキャリアの警察官僚。前者は警察官の圧倒的多数を占めて都道府県警の現場を支え、圧倒的少数の後者は警察庁と都道府県警を往来しつつ出世街道をひた走る。そしてどこの都道府県警でも大同小異だが、叩き上げノンキャリアの最高到達点の一つが生活安全部長の職であり、警視正の階級まで昇り詰めて3月に定年退職したばかりの元最高幹部が逮捕される――しかも古巣の県警に逮捕されること自体、前代未聞といっていいほど異例の事態だった。 さらに本田は逮捕から5日後、鹿児島簡裁で行われた勾留理由開示請求手続きの場で、驚愕の訴えを陳述した。手元にある陳述書にはこんな言葉が刻まれている。 〈今回、職務上知り得た情報が書かれた書面を、とある記者の方にお送りしたことは間違いありません。/私がこのような行動をしたのは、鹿児島県警職員が行った犯罪行為を、野川明輝本部長が隠しようとしたことがあり、そのことが、いち警察官としてどうしても許せなかったからです〉〈この時期は、警察の不祥事が相次いでいた時期だったため、本部長としては、新たな不祥事が出ることを恐れたのだと思います〉〈私は、自分が身をささげた組織がそのような状況になっていることが、どうしても許せませんでした〉〈退職後、この不祥事をまとめた文書を、とある記者に送ることにしました〉〈マスコミが記事にしてくれることで、明るみに出なかった不祥事を、明らかにしてもらえると思っていました〉〈私としては、警察官として、信じる道を突き通したかったのです。決して自分の利益のために行ったことではありません〉(抜粋、原文ママ) 県警本部長の不可解な言い分 極めて閉鎖的で上位下達の風潮が強い警察組織において、ノンキャリアの元最高幹部がキャリアの県警トップに公然と反旗を翻すことも異例中の異例であり、と同時にその訴えが事実ならば、本田もまたメディアにとっての「情報提供者」であり、広く社会にとっての「公益通報者」であったのは明らかというべきだろう。しかも県警は、自らの不正を追及するメディアを強制捜査の対象とし、メディアにとって最重要の情報源を特定し、さらには警察が警察であるがゆえに持つ最高度の強権を行使して〝口封じ〟を謀ったことになる。 一方、本田に反旗を翻された本部長の野川は当初、地元メディアの取材にのらりくらりと対応するだけだったが、鹿児島地検が本田を起訴した6月21日にようやく正式な会見を開き、「私が隠蔽を指示した事実も県警として隠した事実もない」と反論した。本田は「公益通報者」ではないのか、という問いにも「県警としては公益通報に当たらないと考えている」と突っぱねている。本田が札幌の小笠原に送付した計10枚の文書には、被害者が公表を望んでいないストーカー事件の被害者名や年齢等が記載されていた――などというのが野川と県警側の言い分だった。 だが、その言い分はあまりに弱く、事実経過からみて素直に頷くことなどできはしない。 前述したように、本田の告発文書には複数の県警不祥事が具体的に列挙され、霧島署の巡査長によるストーカー案件のほか、枕崎署の捜査員による盗撮案件もそのひとつだった。この盗撮案件が発生したのは昨年の12月15日。直後に県警は事実を把握し、犯行時に捜査車両が使われたことも確認していたが、問題の捜査員は逮捕も処分もされないまま放置された。 ところが約5カ月も経った今年の5月13日、当該の捜査員は建造物侵入などの疑いで突如逮捕された。いったいなぜか。県警が『ハンター』を捜索してパソコンを押収したのが4月8日。これを解析して本田の告発を把握し、本田逮捕に踏み切ったのが5月31日。そのわずか半月前に盗撮捜査員を逮捕したのは、時系列的にみて本田が文書で訴えた「隠蔽」を否定し、事前に打ち消すための周到な〝準備〟であり〝工作〟ではなかったか――。 ここまでお読みになった方は、まさに鹿児島県警は「腐り切っている」と感じられただろう。私も同感だが、果たしてこれは鹿児島県警だけに特有の腐敗か。いや、そんなことはあるまい。いかに小さくとも、メディアを強制捜査の対象とする判断を県警だけで行うとはにわかに考えにくく、ましてや最高幹部だった前生活安全部長・本田の逮捕は、警察庁の裁可や指示を仰がずに独断で行われたはずがない。畢竟、その過程では本田の告発がどのように行われ、県警がそれをどう特定したかを含め、すべてを把握した上で警察庁がゴーサインを出したのは間違いなく、一連の問題からはこの国の警察組織全体に巣喰った腐臭が漂う。さらにつけ加えるなら、一連の問題からはこの国の刑事司法が抱える根深い悪弊の一端も浮かびあがる。 証拠類を「廃棄」せよとの呼びかけ 話はやや前後するが、県警を追及する過程で中願寺と『ハンター』は、別の重大な文書も入手していた。中願寺は「取材源の秘匿」を理由に入手先を明かさないが、おそらくは『ハンター』に情報を寄せていた巡査長・藤井からもたらされたのだろう。これについては一部メディアでも大きく報じられて波紋を広げているが、文書の標題は〈刑事企画課だより〉。わずか2枚の文書には漫画風のイラストも添えられ、県警捜査部門が作成して内部閲覧に供する、さして秘匿性の高くない文書と思われるが、そこにはやはり眼を剝くようなことが公然と記されていた。 〈最近の再審請求等において、裁判所から警察に対する関係書類の提出命令により、送致していなかった書類等が露呈する事例が発生しています〉〈この場合、「警察にとって都合の悪い書類だったので送致しなかったのではないか」と疑われかねないため、未送致書類であっても、不要な書類は適宜廃棄する必要があります〉〈再審や国賠請求等において、廃棄せずに保管していた捜査書類やその写しが組織的にプラスになることはありません!!〉(原文ママ) 問題点は明白であろう。現在再審公判が行われている袴田事件にせよ、布川事件や松橋事件などにせよ、いまなお数々発覚する冤罪事件の大半は、警察や検察が隠していた証拠類が再審請求の過程などで示され、ようやく罪が立証されている。なかには警察が検察に「送致」すらしていない証拠類もたしかに多く、警視庁公安部の不当捜査を受けた横浜の化学機械メーカー・大川原化工機が起こしている国賠訴訟では、公安部内に残されていたメモ類が公判の大きな焦点にもなっている。 つまり文書は、そのような事態は「組織的にプラスにならない」から、「裁判所の命令」などで「露呈」することがないよう、「不要な書類」等は「廃棄」してしまえ――と県警が内部に堂々そう呼びかけていたことを示す。このようなことを許せば、この国の刑事司法に巣喰う悪弊は一層慢性化してしまいかねず、しかもこの文書の秘匿性がさして高くないとみられることを踏まえれば、県警の勝手な判断に基づく所業だったか、との疑念がここでも湧く。警察庁あたりからそうした指示や示唆があり、だから深慮なく内部閲覧文書に明示したのではなかったのか、と。 ジャーナリズムの二重の敗北 再び福岡市にあるマンションの一室。鹿児島県警を追及し、数々の不正を明るみに出した中願寺は、「最後にこれだけは強調したい」と言って姿勢を正した。 「私が取材を始める契機となった強制性交事件の被害者は、いまも精神的に不安定なまま必死に真相解明を訴えています。また鹿児島では警官が逮捕される事件が続発し、被害者のほとんどは女性です。たしかに報道への弾圧は大問題ですが、大元にもっと眼を凝らさなくてはいけない。警官や警察一家の人間によって女性が被害を受けた事件こそが原点であり、それをすっ飛ばして報道弾圧だと訴えても、市民の共感は得られないんじゃないでしょうか」 一方、札幌を拠点にフリーランス記者として活動する小笠原は、「すべての元凶は鹿児島県警とはいえ、私に情報を寄せてくれた本田さんを守れなかったことは、いち記者として忸怩たる想いがあります」と唇を嚙みつつ、いまこんなふうに訴えている。 「いくら小さなメディアとはいえ警察がガサ入れし、情報源を暴いて逮捕してしまった。そのことに全メディアがもっと本気で怒るべきです。小さなメディアだから構わない、などという理屈を許せば、雑誌ならいいのか、スポーツ紙なら構わないのか、と対象が広がりかねない。ただでさえメディア不信が根深い昨今、このまま傍観していれば、新聞やテレビにガサが入っても誰も味方してくれなくなりかねません。本来なら新聞協会や民放連といった組織が「このような暴挙は断固許さない」といったメッセージを明確に発するべき局面でしょう」 いずれもその通りだと深く頷く。と同時に、メディア界の片隅で長年禄を食む私を含め、鹿児島県警をめぐる一連の事態からメディアやジャーナリズムに関わる者たちが一層真摯に捉え返さねばならない課題にも、最後に触れざるを得ない。『ハンター』に情報を寄せて逮捕・起訴された巡査長の藤井にせよ、小笠原に文書を送って逮捕・起訴された前生活安全部長の本田にせよ、足下の地元には大手メディアの記者も多数いたのに、なぜ貴重な情報提供先に福岡の小さなネットメディアや札幌のフリーランス記者を選んだのか――。 本田の弁護人を務める鹿児島の弁護士・永里桂太郎によれば、その理由について本田は「県警の問題に関心のある記者なら、積極的に取材してくれると思った」と話しているという。逆にいうなら、大手メディアに情報を提供しても警察の不正に関心を持たず、積極的にも取材してくれない、と告発者側に認識されてしまっていることになる。 だとすれば、大手メディアそのものが貴重な情報提供者や内部告発者からの信頼をすでに失いつつあるという、あまりに惨めな事実がここから垣間見��はしないか。そのうえに今回の事態に心底から憤らず、傍観してやりすごせば、この国の主要メディアとジャーナリズムは二重の敗北を喫することになってしまいかねない。(文中敬称・呼称略)
〈特別公開〉警察腐敗 内部告発者はなぜ逮捕されたのか(青木理) | WEB世界
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古都の雅に酔いしれる京の旅 - 歴史と文化、そして美食を巡る二日間
先日、かねてより憧れていた古都・京都へ旅行に行ってきました。春の穏やかな陽気に誘われ、歴史ある寺社仏閣を巡り、美しい自然に触れ、そして京料理の繊細な味わいに舌鼓を打つ、充実した二日間となりました。このブログでは、そんな私の京の旅の記録を、2000文字以上でたっぷりとご紹介したいと思います。
一日目:古都の象徴を巡る - 清水寺、高台寺、そして祇園の散策
新幹線で京都駅に降り立ち、まず向かったのは清水寺です。清水の舞台としてあまりにも有名な本堂は、まさに圧巻の一言。懸造(かけづくり)と呼ばれる独特の建築様式は、崖の上にそびえ立ち、京都市内を一望できる絶景を作り出しています。春の柔らかな日差しを浴びながら、眼下に広がる緑豊かな景色を眺めていると、心が洗われるようでした。音羽の滝では、三筋に分かれた霊水をいただき、旅の安全と健康を祈願しました。
清水寺周辺の参道もまた、風情があります。お土産物屋さんや京菓子のお店が軒を連ね、歩いているだけでも楽しい時間です。可愛らしい舞妓さんの絵柄の小物や、上品な抹茶のお菓子など、ついつい手に取ってしまいます。
清水寺を後にし、次に向かったのは高台寺です。豊臣秀吉の正室である北政所(ねね)が、秀吉の菩提を弔うために建立した寺院として知られています。庭園は国の史跡・名勝に指定されており、池泉回遊式庭園の美しい景色は、時間を忘れて見入ってしまうほどでした。特に竹林の小径は、静寂の中に凛とした美しさが漂い、心が安らぎました。
夕暮れ時になり、祇園へと足を運びました。石畳の小路を歩いていると、時代劇の中に迷い込んだような錯覚を覚えます。軒を連ねる京町家は、それぞれに趣があり、灯りがともると、さらに幻想的な雰囲気に包まれます。運が良ければ、舞妓さんや芸妓さんの美しい姿を見かけることもあるそうです。
夕食は、祇園の老舗料亭にて京料理を堪能しました。旬の食材をふんだんに使った、繊細で美しい料理の数々は、まさに芸術品。一つ一つの器にもこだわりが感じられ、目と舌 दोनोंで楽しむことができました。特に、お出汁の優しい味わいは、心に染み渡るようでした。
二日目:自然と文化に触れる - 嵐山、金閣寺、そして西陣織体験
二日目は、少し足を伸ばして嵐山へ。渡月橋を渡り、竹林の小径を散策しました。空に向かってまっすぐに伸びる竹の緑が、陽の光を受けてキラキラと輝き、その壮大な景色に圧倒されました。竹の葉が擦れ合う音も心地よく、自然の力を感じることができました。
嵐山では、天龍寺の庭園も見学しました。曹源池庭園は、国の特別名勝・史跡に指定されており、美しい池を中心とした回遊式庭園は、四季折々の自然の美しさを映し出します。静寂の中で、庭園の景色を眺めていると、心が穏やかになりました。
午後は、金閣寺(鹿苑寺)へ。金色に輝く舎利殿は、息をのむほどの美しさです。鏡湖池に映る金閣は、まるで絵画のようで、その荘厳な姿は、いつまでも記憶に残るでしょう。多くの観光客で賑わっていましたが、その美しさは、人の心を惹きつけてやまない魅力があると感じました。
旅の最後に訪れたのは、西陣織会館です。ここでは、日本の伝統工芸である西陣織について学ぶことができました。実際に職人さんが織っている様子を見学したり、美しい西陣織の製品を見たりする中で、その技術の高さと美しさに感銘を受けました。せっかくなので、簡単な機織り体験にも挑戦してみました。最初は戸惑いましたが、職人さんの丁寧な指導のおかげで、少しずつ模様が織り上がっていくのが面白かったです。自分で織った小さなコースターは、旅の素敵な記念になりました。
二日間の旅を終えて
今回の京都の旅は、短い時間ではありましたが、古都の豊かな歴史と文化、そして美しい自然を満喫することができました。清水寺や金閣寺といった有名な寺社仏閣はもちろんのこと、祇園の風情ある街並みや、嵐山の雄大な自然、そして京料理の繊細な味わいなど、五感を通して京都の魅力を感じることができました。
特に印象的だったのは、街の至るところに息づく歴史の重みと、それを大切に守り続けている人々の想いです。古いものを大切にしながら、新しいものも受け入れていく、そんな京都の奥ゆかしい魅力に、深く心を惹かれました。
また、出会った人々も温かく、道に迷った際に親切に教えてくれたり、お店でちょっとした会話を交わしたりする中で、京都の人々の優しさに触れることができました。
今回の旅で、まだまだ訪れることができなかった場所や、体験できなかったこともたくさんあります。季節を変えて、またいつか京都を訪れ、今度はもっとゆっくりと時間をかけて、古都の魅力を探求してみたいと思っています。
この美しい古都での思い出を胸に、また日々の生活に戻りたいと思います。ありがとうございました、京都。
#京都 #旅行 #清水寺 #高台寺 #祇園 #嵐山 #金閣寺 #西陣織 #京料理 #古都 #歴史 #文化 #寺社仏閣 #庭園 #竹林 #旅の思い出
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💪「マッスルスナック」💪は、東京都中野区に位置する、まさに筋肉の楽園ともいえるユニークなエンターテインメントバーです。店内に足を踏み入れると、ただのバーでは味わえない熱気と迫力が広がります。超マッスル、細マッスル、レスラーマッスル、アスリートマッスルなど、さまざまな体型や個性を持つマッスルスタッフが集結し、ゲスト一人ひとりに全力でおもてなしを提供。筋肉の美しさとエンターテインメントが融合した空間で、非日常的な興奮と感動を体験できます。ここでは、ただお酒を楽しむだけでなく、スタッフとのインタラクションやライブパフォーマンスを通じて、一夜限りの特別な思い出を作ることができます。🔥
💪個性豊かなマッスルスタッフが勢揃い 「マッスルスナック」最大の魅力は、圧倒的な存在感を放つマッスルスタッフたち。ここでは、単なるマッチョではなく、超マッスル、細マッスル、レスラーマッスル、アスリートマッスルなど、様々な体型・キャラクターを持つ個性豊かなスタッフが勢揃いしています。ゲストの好みに応じて、お気に入りのマッスルと交流できるのも魅力のひとつ。彼らはただ鍛え抜かれた身体を見せるだけでなく、それぞれのバックグラウンドやパフォーマンススキルを活かし、唯一無二のエンターテインメントを提供してくれます。🔥
💪迫力満点のマッスルパフォーマンスとショー 「マッスルスナック」は、ただの“筋肉バー”ではありません。ここでは、マッスルたちが鍛え抜かれた肉体を活かし、ダイナミックなショーやパフォーマンスを披露⚡️筋肉を駆使した力技、コミカルな演出、そして観客とのインタラクティブな要素を盛り込んだステージは、訪れるたびに新しい発見があります。日替わりで内容が変わるため、リピーターが多いのも納得。まるでフィットネスの祭典を間近で体感しているかのような熱狂を楽しめるのが、「マッスルスナック」ならではの魅力です。❤️🔥
💪ここでしか味わえない“筋肉サービス” エンターテインメント性の高さに加え、「マッスルスナック」では独自のサービスが充実。例えば、**「マッスルチェキ」���は、お気に入りのマッスルスタッフとツーショットを撮影できる特別サービスを提供。また、「マッスルハグ」**では、スタッフの引き締まった筋肉を直接感じることができ、訪れたゲストに忘れられない体験をプレゼント。さらに、誕生日や特別なイベント時には、マッスルたちが全力で盛り上げるサプライズ演出も用意されています。これらの特別な体験を求めて、全国からファンが集まるほどの人気を誇っています。
💪.SNS映え間違いなし!話題性抜群の空間 「マッスルスナック」は、まさにSNS映えを意識した演出が満載。ネオンが光るスタイリッシュな店内、筋肉隆々のスタッフたち、そしてユーモアたっぷりのパフォーマンスは、どれを切り取ってもフォトジェニック。特にTikTokやInstagramでは、実際に訪れたゲストが動画を投稿し、その迫力に驚く声が多数寄せられています。「#マッスルスナック」「#筋肉バー」などのハッシュタグで検索すれば、訪れた人々の楽しさが伝わる写真や動画がずらりと並んでいます。まさに、今話題の“バズる”バーとして注目を集めているのです。❤️🔥
🍺 💪お酒と筋肉の相性抜群!ユニークなドリンクメニュー お酒の種類も豊富で、定番のビールやカクテルに加え、ここでしか味わえない特別なメニューも用意。例えば、**「プロテインショット」**は、筋肉を愛する人にはたまらない一杯。通常のカクテルに加えて、プロテインを混ぜたオリジナルドリンクが楽しめるのも、ここならではの体験です。また、飲み放題プランも充実しており、お酒を楽しみながらマッスルショーを満喫できる最高の空間が広がっています。
唯一無二のエンターテインメント空間「マッスルスナック」
筋肉が織りなすパフォーマンス、エンターテイメント、そしてゲストとの交流が楽しめる「マッスルスナック」。単なるバーの枠を超え、訪れた人々に最高の思い出を提供するこの場所は、東京で一度は訪れるべき注目スポットです。エネルギッシュな夜を過ごしたい方、SNS映えする特別な体験を求める方は、ぜひ足を運んでみてください💪
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【マッスルスナック】 💪住所: 東京都中野区弥生町2-32-15 STビル B1F 💪アクセス: 東京メトロ丸ノ内線「中野新橋駅」から徒歩約5分 💪電話番号: 080-4401-4763 💪営業時間: 月・水・木・日 17:00~23:00、金・土 17:00~翌1:00 💪定休日: 火曜日 💪公式サイト: https://muscle-ent.jimdofree.com/
2 銀座の名門バーで極上の一杯を堪能「BAR 保志 本店」
「BAR 保志 本店」は、東京都中央区銀座6丁目に位置する、洗練された雰囲気のオーセンティックバーです。代表の保志雄一氏は、世界大会で優勝した経験を持ち、その技術と創造性が光る多彩なオリジナルカクテルや、旬のフルーツを使用したフレッシュカクテルを提供しています。
🔺世界大会優勝カクテル「さくらさくら」 保志氏が世界大会で優勝した際のオリジナルカクテル「さくらさくら」は、桜の風味が特徴的で、日本の四季を感じられる一杯として多くのゲストに親しまれています。
🔺季節のフルーツを使ったフレッシュカクテル 旬の果物を贅沢に使用したフレッシュカクテルは、素材の味を最大限に引き出し、季節ごとの味わいを楽しめます。
🔺落ち着いた大人の空間 店内は洗練されたインテリアで統一され、カウンター18席のみのプライベート感あふれる空間となっています。銀座の夜景を眺めながら、ゆったりとした時間を過ごすことができます。
「BAR 保志 本店」は、銀座の中心に位置する、洗練された大人のためのオーセンティックバーです。世界大会優勝経験を持つバーテン���ー・保志雄一氏による、技術と創造性が光るカクテルの数々が魅力。特に、世界一に輝いた「さくらさくら」や、季節ごとのフレッシュカクテルは訪れるたびに新しい発見があります。
落ち着いた雰囲気の店内は、カウンター18席のみのプライベート感あふれる空間。銀座の夜景を眺めながら、一流のバーテンダーが作る極上の一杯を堪能できます。デートや記念日、特別な夜にふさわしい名店として、訪れる価値のあるバーです。
BAR保志 本店 / 【公式】BAR 保志BAR保志 本店 代表保志雄一の世界大会優勝カクテル等をはじめ 多数のオリジナル、 旬なフルーツカクテル等ご用8star.family
【BAR 保志 本店】 🔺 住所: 東京都中央区銀座6-3-7 AOKI TOWER 8階 🔺 アクセス: 東京メトロ銀座線・丸ノ内線・日比谷線「銀座駅」C2出口より徒歩5分 🔺 電話番号: 03-3573-8887 🔺 営業時間:- 月~金: 17:00~翌2:00 - 土・日・祝: 17:00~翌1:00 🔺 定休日: 不定休 🔺 公式サイト: https://8star.family/tenpo/barhoshihonten/
3和×洋の融合!上質な食と空間を楽しめる「THE SAKURA DINING TOKYO」
「THE SAKURA DINING TOKYO」は、西新宿に位置する洗練されたカジュアルダイニング。和食と洋食が融合した創作料理が楽しめ、外国人観光客やビジネス利用にも人気のスポットです。広々とした店内は、食事だけでなく、パーティーやウェディング、イベントなど多目的に利用できるのも魅力の一つ。モダンな和の雰囲気が漂う空間で、上質な時間を過ごせるお店です。
🔺 和と洋が融合した多彩なメニュー 新鮮な和食の素材を活かしながら、イタリアンやフレンチの技法を取り入れた創作料理が楽しめます。寿司や刺身、天ぷらから、パスタやグリル料理まで、どんなシーンにもぴったりな一皿が見つかります。
🔺 広々とした空間で、特別な夜を演出 モダンで洗練された店内は、カウンター席やテーブル席、個室まで完備され、大人数での利用にも最適。特に外国人観光客やビジネスマンに人気があり、ウェディングやパーティーにも対応できるのが特徴です。
🔺 外国人にも人気!インターナショナルな雰囲気 英語対応のメニューや、海外のゲストにも馴染みやすいメニューが揃い、観光客にも親しまれています。店内は日本らしいデザインが施されており、海外の方と一緒に訪れるのにもぴったりのダイニングバーです。
「THE SAKURA DINING TOKYO」は、西新宿に位置する、和と洋の魅力が融合したカジュアルダイニング。モダンで洗練された空間の中で、寿司や天ぷらなどの和食から、パスタやグリル料理などの洋食まで、幅広いジャンルの料理を楽しめます。外国人観光客やビジネス利用にも人気があり、ウェディングやパーティーといった特別なシーンにも対応。幅広いシチュエーションで利用できる、新宿エリアの注目スポットです。
ザ・サクラ・ダイニング・トウキョウ | ウエディングやパーティーにも使える新感覚ダイニングウエディングに、パーティーに、また接待や仲間とのディナーなどさまざまな用途にフィットする、200坪の大空間を有するカジュアwww.sakura-dining-tokyo.jp
🔺 住所: 東京都新宿区西新宿6-5-1 新宿アイランドタワーB1F 🔺 アクセス: 東京メトロ丸ノ内線「西新宿駅」直結 / JR「新宿駅」から徒歩8分 🔺 TEL: 03-5339-6700 🔺 営業時間:- ランチ: 11:30~15:00(L.O. 14:30) - ディナー: 17:00~23:00(L.O. 22:30) 🔺 定休日: 不定休 🔺 詳細はこちら: https://www.sakura-dining-tokyo.jp
いかがだったでしょうか?今回は、東京で訪れるべき特別なバーを3軒ご紹介しました。それぞれが個性的な魅力を持ち、特別な夜を演出してくれること間違いなしです。
「マッスルスナック」では、圧倒的な筋肉エンターテインメントと個性豊かなスタッフによるインタラクティブなパフォーマンスを堪能できます。まさに唯一無二のエンタメバーで、SNS映えも抜群!
「BAR 保志 本店」は、銀座に佇む格式高いオーセンティックバー。世界的に評価されたバーテンダーが生み出す極上のカクテルと、落ち着いた大人の空間が特別な夜を演出します。デートや記念日に最適な名店です。
「THE SAKURA DINING TOKYO」では、和と洋が融合した洗練された料理と上質な空間を楽しむことができます。外国人観光客にも人気があり、ビジネスシーンやパーティー利用にもぴったりのダイニングバーです。
どのお店も、それぞれのコンセプトが際立ち、訪れる人々に特別な体験を提供してくれます。東京の夜をより楽しむために、ぜひ次回のバー巡りの参考にしてみてください!
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書物礼賛④
味噌ノ山/ひざが痛い!/自費出版2024
前回取り上げた『大便革命』の印象的な一節「女はたまる、男はくだる」。くりぃむしちゅーのANNで語られる、彼らの名物マネージャーからやがて独立社長となるババア大橋氏の便秘エピソードは抱腹絶倒。大橋氏への愚痴をはじめ、独身時代のくりぃむ有田氏が女性全般への不満をしばしば語るのに対し、現役のラジオ番組・中川家のラジオショーでは兄の剛氏がしばしば女性賛美を語る。
「女はどんなことでも楽しめる。友達と何時間でもしゃべっていられる。嫌いな人とも会話できる」。そうした美質が最大限発揮された入院体験リポート漫画が本書。著者はクリスマス飾りを撤去しようとして転倒し膝の靭帯を断裂。義母の介護があるためしばらく温存療法で耐えていたが、コロナ禍に突入し義母が特養ホームに入所することなったので入院・手術に踏み切ることに。
手術までのあれこれ、装具や車椅子、リハビリの様子など、確かな観察に基づく丁寧な描写、配慮の行き届いた人物造形、入院マニュアルとしても使えるよう大きな出版社から流通させてほしいと思うような充実した一冊となっている。学生時代漫研だったが創作から長く離れていたとのことで、一般社会にはこうしたポテンシャルのある人が山ほど隠れているのだろうなと。長所と短所は表裏一体になっていることが多く、有田氏の不満も剛氏の賛美も「男と女は違う」という本質論なのではないか。芸人さんのラジオは人気があるほど本質を避けて、何を買ったとかどこへ出かけたとかうわべの消費を語りがち。その人から見た本当のことを語ってほしいし書いてほしい。
藤谷治/新刊小説の滅亡・新刊小説の逆襲/破船房2023
2015年ダ・ヴィンチ誌に掲載された短篇とその続篇。文芸出版協会が新刊小説の出版を止める協定を結び、それによって新刊に占められて存在意義を失っていた既刊書籍が一定の復権を果たすも小説の退潮は止めようもなく、それでもなお良質な新刊小説に夢を託す編集者と無名小説家の悪戦苦闘を、筒井康隆『大いなる助走』の舞台設定や文体まで借りたような形で描く。「同時代を見つめた結果、タイムスリップで歴史上の有名人に会うとか、魔界に選ばれた高校生が悪の根源と闘うような小説ができたってことですか? 同時代を見つめるとか、時代の要請じゃなかったんですよ。右顧左眄ですよ。マーケットリサーチだったんですよ」。
鬼越トマホークのユーチューブ・チャンネルに三四郎の相田氏と小宮氏が一人ずつ連続で呼ばれて半生を語る企画は、金持ち学校(成城)で出会った2人の、微妙に異なる角度から語られる学園生活が陰影に富んでいて良い本を読んだような充実感があった。しかしたとえばそれに類するお笑い芸人さんのラジオ番組も、文字に書き起こして即良い本になるとは思えない。本書が言うまでもなく、小説をはじめ紙メディアにおける日本語の語りというのは終っているのだと思う。皆川博子の小説は完成度が高いが、読後感が胸糞で、2度と手に取る気が起きない。松本清張はどれも似たようで抜きんでた傑作がない。出版社であれテレビであれ東京に集中し、国民を「(支配側と)お気持ちお立場ご一緒に」誘導する官僚制の装置であって、分断と棲み分けを志向するから、メジャーな漫画雑誌やオリンピック開会式のように「意味さえ分らない」惨状を呈したのである。意味や価値観を提示すると、森喜朗のような各界のジジイが怒るからねえ。「八戸さんは自分で校正せず、専門家に出したようだ。外注だからお金がかかっている」。甘いですね、私は本をマーケットに送り込むまで、作品を書くのと印刷製本以外すべて自分でやっていますよ。
売野雅勇/砂の果実 80年代歌謡曲黄金時代疾走の日々/朝日新聞出版2016
チラシを読んでいたら「ちょっとHな美新人っ娘」というキャッチフレーズが目についた。ミルキーというルビがふってある。新人=ルーキーというシャレだと一年以上経つまで気がつかなかった。(中略)原稿用紙に大きな文字で、「少女A(16)」と書いた。新聞の社会面と同じに見えるように、年齢もいれた。(中略)下書き用のノートに残っていた、沢田研二さん用の 「ロリータ」の設定を借りることを、苦しまぎれに思いついたのだ。「ロリータ」が、アッシェンバッハの視点から書かれたものなら、「少女A」では、カメラをタジオの視点にする。しかも、美少年から美少女に変えて。
音楽は救い。しかし私にとって音楽に包まれることは、すなわち自分が非国民であるという自覚にも包まれることになる。日本のポピュラー音楽の全盛は、浜口庫之助らが活躍し、ニューミュージック勢が台頭した1960~70年代。1978年からザ・ベストテンが洋楽を締め出す形で毎週お祭りを提供し、作曲とパフォーマンスの質が世界最悪となっていく没落が始まる。
「セクシャルヴァイオレットNo.1」「もしも明日が…」「おどるポンポコリン」…。あざとい下品な作曲、しかし広告やテレビ番組とタイアップすれば驚くほど売れて儲かる。レコード大賞を受けたウインクの「淋しい熱帯魚」は、洋楽カバーである2つ前のシングル「愛が止まらない」の曲想そのまま少し加工しただけの模造品。恥ずかしくてiTunesに入れられない。日本で一番売れたシングルも盗作だ。歌の下手なボーイズグループなんていうのは他の国では存在しえない。広告・テレビ・芸能の業界人が結託してキャラをでっちあげて素人以下の芸をヒット商品に換える、その音楽上のキーマンが阿久悠、松本隆、そして著者のような作詞家である。
沖田浩之という男性アイドル、私と近い年で、同じ時代にも業界が売り出し方を間違えている印象があった。舟木一夫や橋幸夫のようなズレたイメージ。そこへいくとやはりジャニーズ事務所は巧みだった。サザンや山下達郎が作るようなフェイク洋楽を、下手くそでも衒いなく堂々と歌う。どうせ日本語の歌なんて日本人以外誰も聞かない。低レベルでも細かな消費の記号を散りばめてメディア上で輝ければいいのさ。中森明菜のミルキーっ娘もズレていたが、不良イメージの強さが不満で一度だけレコーディングで歌えばいいからということで出した2曲目「少女A」が大ヒット、スターの階段を駆け上がる。詞・曲は凡庸だと思うが、少しふてくされて、しかし天性が発揮された歌いぶりが素晴らしいのである。
売野氏は1951年生まれ。上智大卒後いくつかの広告代理店、レコード会社宣伝担当を経てフリーランスのコピーライターから作詞家に転身。普段は無口で、自作を売り込む時だけ饒舌になる。売れない雑誌の編集も手がける。業界人としてポジションを得ている、しかしクリエイターとしてはズレていて人脈が財産というような人物から気に入られる才能があったようだ。消費の記号をたくさん知っていて流行の波を仕掛けることができる。歌謡曲やJ-popに愛着ある人なら楽しく読めるのでは。私は薄っぺらい人物だなと思いました。
色川武大/喰いたい放題/集英社文庫1990・原著1984
私の母親のところに米を運んできていたおじさんは、荷をおくと熱い茶を所望して弁当を使ったが、彼の弁当は米飯ではなかった。うどん粉のバンか、芋だった。
そうして彼等の姿も昭和三十年代にはほとんど見られなくなった。
察するに、目白のたまごのお爺さんは、そういう類の生き残りであろうか。──私ははじめそう思った。
ほどなくその考えを変えた。お爺さんがたまごをあつかうときの手つきが撫でさするように丁寧なのである。この仕事を本当に愛してるんだな、と思う。たまごを運んで、売る、そうしていることが好きで好きでしようがないんだ。そうとしかいいようがない。ただの惰性で老人に続けられるわけがない。
とにかく、ありふれた無精卵よリも、お爺さんが難行苦行して運んでくる本物のたまごの方が、ずっと安いのである。
主婦たちは皆、容器を持って並んで、ーキロ、ニキロと買っていく。周辺のおソバ屋さんや小料理屋さん��並んでいる。 せっかく安売りしたって、その人たちが商売に使って結局もうけてしまうわけで、あほ らしいようにも思えるが、お爺さんはついぞそんなことは考えないらしい。本質的に人間が高貴なのである。
(中略)まったくそれは絵になる光景だった。ものを売り買いするということは、こういうことなのだ、と思う。(中略)大切なたまごを、カチッ、と割って喰べてしまう。お爺さんの汗と執着が、つぅッと喉のあたりをすべりおちる。実にあっけなく、またうしろめたいが、ものを喰べるということは、実はこういうことなのだと思う。
長々と引用してしまいました。谷崎潤一郎が『文章讀本』の中で文章は含蓄がすべてである的に述べていたが、メディア上にこれでもかと即物的な情報があふれている今、小説家のそういう特権的な意識は通用しないのではないか。結局は、情理を尽くして分ってもらおうという姿勢、そうさせる人徳を賞味させていただくことが読書なのだと思う。それは時代や流行によってすり減らない。何度でも味わえる。著者は阿佐田哲也名義の『麻雀放浪記』でも知られる、博徒から業界紙編集を経て作家として名を成した異色の人物。30代でところかまわず眠ってしまう難病ナルコレプシーを発症、長年の放蕩のため肝臓・腎臓も弱く、それでもなお食を堪能しようとする生きざまが遺憾なく発揮された好著。60歳没。
山本高穂+大野智/東洋医学はなぜ効くのか/講談社ブルーバックス2024
東洋医学によれば気・血・水の流れこそ生命活動の本質。脳ではない。昨夏に始まった耳鳴りと、それに伴って悪化した肩こりを癒すべく、12月下旬から鍼治療を受け始め、人体の神秘を実感。施術初日は最中にお腹がグゥ~っと鳴る人が多いとのこと。自律神経が刺激され胃腸が活発にはたらく。私の場合はそれに加え、2~3日の間風邪をひいたような症状が表れる。悪寒・鼻水・喉の痛み・関節痛など。交通渋滞を緩和しようと体のあちこちで道路工事を行っている感じがその後も続き、ちょっとしたことで調子を崩す。人手不足で道路工事の費用も高騰、そもそもアトピーだったり猫舌だったりタバコの煙を肺に入れるなんてとんでもないという神経過敏の60歳には刺激が強すぎたようである。腎経・膀胱経と呼ばれる経絡に沿って全身を少しずつ、相対的に後頭部など上半身の刺激を弱めてもらうことで症状緩和。ここに辿りつくまで7ヵ月余…。
緩和といっても、耳鳴りにせよ肩こりにせよ病気未満の生理現象・老化現象でもあり、半減がいいところでしょう。なぜ効くのか、効くと断言する書名にすがる思いで手にした本書、先史時代から積み重ねられ、経験則的に体系化された東洋医学、その効能を実証的に解き明かそうという趣旨。ツボ・鍼灸・漢方薬について「家庭の医学」的な小辞典として常備してもよい一冊。
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